ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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200.6.24

悟った

質問者:普通、こういう場合皆、自分から話をするでしょう。でも、ありがとうございますは、受けるだけですね。昨日私はずーと考えたのですが、「すべてを受ける。自分から何にもしない」ということに気づいた。昨夜、私はこう宣言したのです。「こういうことなんだ」、
・・すごい答えだ・・
この勉強会もまた、「すべて受けて、消費する。そして、感謝する。それだけですべてOKなんだ」そういうことを私は昨夜一日で、悟った。(会場大笑い)
・・すごい悟りだな・・
ということは、講演なんかする必要ないんだ。来た人に「ありがとうございます」と言っていればいいんだと思ったのですが、本当にそれでいいのでしょうか?

ありがとうございます:
はい。(会場さらに大笑い)
 ねえ・・一日で最高の悟りを得たようなもんだ。
 ではもう質問はなくなりました?


質問するとは

質問者:いえ、遠慮しているのですが・・・実は質問するって何だろうかと思っているのですが?質問するということは「疑いをもっている」ということでしょう。そこです、それをお聞きしたいのです。

ありがとうございます:
 質問もいろいろな種類があるのです。人を試すような質問とか、また人の欠点をあばきだすような質問とか、そういう人をマイナスにおとしいれる質問はしない方がいいですよね。だから、神さまからどれだけプラスをいただくかということですから、言ってみればプラスを知る質問がいいですね。神さまの御心は無限に奥深いですから、神さまの御心を深く知れば知るほど大きな幸せをもらえるので、神さまの心を知る質問はなんぼしてもいいはずなんですよね。
 また、質問することによって、自分の中から湧いてくるものが本物がどうか確認できるのです。しっかり確かめながら前に進めばいいですよね。


自由な方法で神を知る

質問者:神を知ることは自分を知ることと同じことなのですか?
ありがとうございます:
同じことですね。

質問者:では、静かに瞑想して、自分の中にほとんど答えがあると思っていいのですか?
ありがとうございます:
そうですね。ただ、座るだけで静かに神さまを観じるというのも一つの生き方ですけれど、動きながら、働きながら、躍動しながら、その中に神さまを観じる生き方もあるのです。だから、神さまを観じる自由自在なものがいいですね。大自然の姿を眺めて静かに座っている岩のような姿もあるし、大激流のように激しく動いている姿もある。それは全部神さまの働きの動きなのです。
・・自由自在がいいのですね。
そうですね。


人の歓びが神さまの歓び

質問者:僕たちは無限のチャンネルを見るために、送りだされてきましたよね。
その送り出したのは、神さまがもっといろいろな体験をしたいためなのでしょうか?

ありがとうございます:
神さまは絶対、人の自由をしばりたくないのです。自由を縛らずに大きな幸せを観じとってほしい。無限の無限のチャンネルをまず用意しておいて、すべてをつくした表現を用意しておく。そして、人間のの自由意志で、いろいろな番組を味わってきて、謙虚な心になり、そこから、最高の番組を味わえるようになってほしい。それが一番大きな幸せになる。だから、人の大きな幸せが神さまの本当の歓びでもあるのです。
 人の歓びを神さまの自分の歓びとして大きく取り込んでいく。そしてどんどん大きな幸せに変えていってくれるのです。


神さまとの交流・この世との交流

質問者:神さまと一体の一次元の世界と、人とコミュニケーションする上での、二次元の世界で、現実にうまく交流するためにはどうしたらいいのでしょうか?
ある場面場面で、その次元を変えていくにはどのような方法がいいのでしょうか?

ありがとうございます:
まず、神さまと交流すれば、すべて神さまの現れとして受けられますね。すべて一体化になってしまう。一つの生き方になってしまう。でも、この世の人と交流しながら、神さまと交流することと二つ別れますよね。
 まず、この世の交流を棄ててしまう。いったん棄ててから、先に神さまの交流をすませてから、この世を神さまの現れと受けて、それを現実の交流に置き換えていく。


自分とは

質問者:もともと自分とはないということですよね。
ありがとうございます:
そう本当はね。ところが、掴んだものだけが自分のものになるのです。それをさらさらと流していたら、ただ眺めている自分だけがあるというのは、形ではないですね。神さまから与えられた意識がそこに、神さまを受け入れているだけなのです。普通、自分というものを掴んだままで、神さまからどんなに大きなものを受けても、自分の心に入る器だけしか受けられないです。神さまが全部入ってこないのです。ところが、自分というものを神さまのところに投げ入れると、自分が消えちゃうのです。そして、それが大きく神さまの中で拡がるのです。すると大きな神さまを実感できる。だから、小さい自分という器を消してもらう方がいい。


新しく置き換わる

質問者:ずーと神さまのところに入っていればいいのですね。出ない方がいいのですね。
神さまと一体となっていたら、現実の人とうまく交流できなくなります。
例えば、私は一生飯を食べなくてもいいと言ったら、普通馬鹿と思われる。現実ももどってみると、やはりご飯を食べるんですね。このギャップがどうもうまくできないのです。
ずっと神さまと一体となっていればいいのか、それとも人間にもどった方がいいのか(会場は笑い)それとも神さまの方へ逝きっぱなしというのも問題あるような気がする。

ありがとうございます:
神さまの世界とこの世の世界と二つに分けてみると、神さまの方に行ったらこの世がおろそかになるし、この世に心を向けたら、神さまの世界がおろそかになる。これは矛盾する。・・だったら、行ったままでいいでしょうか?
180度方向を変えるのではなく、360度方向を変えなくてはだめ。神さまの方へ向いてくるっともい一回もどってくる。360度転回すると、今までみていた現実が、神さまから与えられた現実に置き換わる。
 行ったままではだめなので、空というのは神さまをお迎えして、神さまに捧げ尽くして、神さまを取り込むことでしょう。今度は神さまから現実におろしてもらって、それを受けきるわけです。ちょうど360度置き換わって、古いものが消えて、新しい世界がでてきます。
質問者:そうか、新陳代謝ですね。
ありがとうございます:
そうそう。それも一瞬一瞬眺めていけると、過去にどんなに嫌なマイナスな人が目の前に現れても、それは過去の話で消えた。神さまのおかげで消してもらったから、今度一瞬に新たに出てくる人は過去の人とは無関係の神さまの現れとして、プラスばっかりと人として受けられる。
・・一瞬一瞬転回していけばいいんですね。
そうそう、
・・・そうか、これで二度悟ってしまった。
(会場は大笑い)
質問者:くるっと回転させるためには、ありがとうございます とずっと言っていればいいわけですね。
ありがとうございます:
そうそう。ありがとうございますと言っていると、くるっと神さまが回転させてくださる。
古いものを引き取り、消して、新しいものと置き換えさせてくださる。だから、いつも神さまの現れとみていける。

神さまに護り、高めてもらう
質問者:プリントの中に「高い能力」と書いてありますが、それをどう訓練するのですか?
ありがとうございます:
(笑い)神さまが必要な特訓を与えてくださっているはずです。日常生活の中で、仕事もそうですね。それを感謝しながら、神さまの力をいただきながら、みんなの幸せのためにと、最高の仕事をさせてもらうのです。仕事でも、納期がある場合、できるだけ早くすれば喜んでもらえるでしょう。約束から遅れたら嫌でしょう。三日でしてほしいと言われたら一日でしてあげたサービスがいいでしょう。そういった意味でいろいろな能力を高めていかないと、そういう能力を高めるためには神さまの助けを受けないとできないですね。自分から出てくる能力もそうだし、また周りから応援してくれる力もそうで、全体が高い能力になるのです。神さまの助けというのは、自分の肉体だけでなしに、まわりの全部から応援がくるのです。そういう意味で、感謝しながら、神さまの助けを受けいれようとして、そして、みんなの幸せのためという気持ちでいろいろさせていただいたら、自然に能力の高まってくる。これも自然がいいですね。能力だけのために、別な仕事をしたり、勉強しながら、信じなければというわけではないですね。与えられた仕事の中だけで能力が高められるようになっていく。それが一番必要ですね。勉強の場ですね。

質問者:神さまに護ってもらうためには、1.全責任を持つ2.全力を出しつくす3.真剣になる4.行き届く5.謙虚になる6.素直になる 7.全体に気を配る8.恩返しの心をもつ 9.感謝を深める ・・・しんどいな、これ・・
ありがとうございます:
まだまだたくさんある。でも、感謝ひとつでいい。感謝ひとつに全部中にある。
ただたくさん並べると確認できるでしょう。感謝の中に全部含まれているという。枝割れに捕らわれないほうがいい。根本のひとつだけ力をいれればいい。あとはその中に全部あるというように確認すればいい。
・・何をするにも「ありがとうございます」でいいということですか?
ありがとうございます:そうだね。
南無阿弥陀仏との違い
質問者:昔から、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「世界人類が平和でありますように」そして、今「ありがとうございます」がありますが、歴史的にみて、それぞれがどんな意味あいがあったのでしょうか? ひょっとして同じ意味合いではないでしょうか?
ありがとうございます:
「南無阿弥陀仏」と「ありがとうございます」ですが、それは「阿弥陀様」をどうとらえるかです。阿弥陀様は いうてみれば、過去に修行して悟りを開いた阿弥陀様としたら、小さいですね。本当の神様は修行も何もしないですね。最初から無限に無限に輝いています。だからその中には、修行して悟った阿弥陀様を無限無限の中にもっている。だから阿弥陀様の捉え方で、説明の仕方がちょっと変わるのですね。普通は「南無阿弥陀仏」を唱えるときは、長い無限の年月の間修行して悟ったという阿弥陀様がみんなに苦労させたくないという意味で、苦労せずに悟りの境地に導き上げようという働きとして、阿弥陀様がいらっしゃるとみるわけです。だから、ふつう阿弥陀様と同じような自力の修行は不可能ですね。一万年でも大変ですね。一億年だと、気が遠くなるし、さらに無限億万年というたら、もう不可能です。だから、自力の修行では悟れないと気づいた人が他力にすがるのです。それで、「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様にすがって助けてもらう。でもその場合、救う側と救われる側とが分かれてしまう。分かれているのをぴたっとひっつけるには条件がある。「南無阿弥陀仏」で救われるには3つの条件で、至誠心深心回向発願心という3つがいるということ。至誠心というのは、真剣な心と言ったらいいでしょう。深心というのは阿弥陀様の深い愛を信じる心、回向発願心はひたすらに阿弥陀様にすがりつく心ですね。この3つの条件があって初めて阿弥陀様に救いとってもらえるという。ですから、その3つの条件をはずすと救ってもらえないですね。だから、嫁いびりしながら、姑さんが「南無阿弥陀仏」を唱えてもだめだということなんです。 やはり条件かなわんです。でも、「ありがとうございます」はまた違う。「ありがとうございます」は すべてのすべてなる本物の神さまです。だから救う側と救ってもらう側が、もとから一体だという立場から出発する。みんなすでに神さまと一体、すでに救われて存在しているのだという、この立場から、神さまの救いが入ってくる。だから、他力ではなく、絶対他力です。対立のないところから出発するのです。「すでにみなさん、救われていますよ」というわけです。それを気づかせてあげましょうというだけですね。だから、迷っているひとを救うのではないですね。すでに悟っている自分に気づかせてあげましょうというのが、「ありがとうございます」です。だから全部違うのです。
・・・では「南無妙法蓮華経」は?
「南無妙法蓮華経」というのは、宇宙の真理と一体化するという意味なのですが、それも具体的に何かという、法則というと何か冷たいですね、感じが。人格的に愛のかたまりの感じがいいでしょう。本当の愛のかたまりの神さまというほうが、人格的に護り護ってくださるというほうがいい。
・・・「世界人類が平和でありますように」は?
神さまの最高理想の姿は完全平和です。それを現実化してほしいという意味ですね。それも断定的に完全平和に飛び込めたらいいけれど、なかなか現実的にマイナスに囚われた人にとっては不可能、難しいです。そして、その間をつないでもらうという意味で、つなぐ役割を、救済の神さまが間に立たないとならない。だから、救済の神さまが間に立って、理想と現実のつなぐ役割の祈り言葉、これが「世界人類が平和でありますように」です。でも、これもまだ絶対他力の「ありがとうございます」とちょっと違う。やはり「ありがとうございます」方が最初からみな救われている立場から出発し、その自覚に引き戻してもらう働きです。
 この「ありがとうございます」は誰が作ったかわからないでしょう。これがいい。誰かが提唱した、作った言葉だと小さい。「南無阿弥陀仏」も、「南無妙法蓮華経」も、「世界人類が平和でありますように」もそうです。無限の昔からあって最初からあって、誰もが自由に使われる言葉ではない。「ありがとうございます」はいつからあるかわからないし、みんな知らないですね。誰が作ったか絶対わからない。やはり神さまが最初から用意してくださる言葉です、みんなのためにと。そういう言葉の方が本物ですね。

質問者:インドではオームという言葉がありますね。言霊からいくと、「ありがとうございます」と比べて、少ない感じがするのですけれど?
ありがとうございます:
そうですね。全体をつくしてないですね。イスラム教でも、アラーだけではちょっと少ないですね。部分的な意味ではわかるのですが、「あ」と「り」だけの意味ようなものですね。あと全部つくされた意味の方がいいですね。

心のネットワークが必要
質問者:「ありがとうございます」を唱えるときに、「無限の無限の幸せ」とかというものを、間にはさむのですか。
ありがとうございます:
別に言葉を出さなくてもいいですね。だんだんとその意味が深くわかってくるようになってきますね。
・・・天照大御神今おわしますという言葉もいいですか。
別に言わなくてもいいですね。
・・・それを感じるように、ただ「ありがとうございます」のみでいいのですか。
そうですね。別な言葉に変えたら、そういう意味もあるということです。「ありがとうございます」の方がいいですね。その方が最高の言葉ですね。天照大御神というと、神道系の人は受け入れられますが、その他は受け入れられないでしょう。だから、すべてには通用しないですね。

質問者:ここで瞑想をしていますが、ここではどんな瞑想がいいというものがあるのですか?
ありがとうございます:
ないですね。まったくないです。
・・極端にいえば、足を投げ出しながらでも・・
いいですね。横になって寝ててもいいですよ。
(笑い)
・・本では丹田呼吸法とかありましたが、あれは・・そういう形式にはこだわらなくていいのですか?
ええ、本当はこだわらなくていいです。
・・瞑想の中で、「ありがとうございます」と唱えながら、たまに「無限の無限の」という言葉をイメージして頑張らなくては、というものがあるのですか?
 ないの。(笑い)
・・ただただそれだけということ?
 そうですね。ただ、自分ひとりでお祈りしているときはやっぱり一人というのは真剣さが必要なのですね。だらけると負けてしまう、マイナスの思いに。そう言う意味ではお祈りも、 丹田呼吸で、姿勢正して心も真剣になるようなそういう祈り方の練習もいいですね。でもこうして大勢集まると、祈りは相乗効果が起こるのです。二人だとににんが4倍、三人だとさざんが9倍というように大勢だとそこにものすごい力が降りてくるようになる。そうすると、自分はいいかげんな祈り方をしてても、まわりのお祈りが大きいから、大きいその中に吸い込まれていくのです。
・・「ありがとうございます」と唱えていても、意識が他に飛んでいくことがありますよね。一生懸命やるという意味は、意識がとばないようにという意味なのですか。
 そうね。一生懸命というのは、今の一瞬にすべてをこめるという意味ですね。
・・でも、すぐ意識が他のことを考えてしまいます。
 そうですね。飛びますよね。飛んだらまたもどって、今の一瞬にまた気持ちをそそぎこむのです。
・・一生懸命やっているとそういうことができるということなのですか。
 そうですね。だんだんと上手にできるようになりますね。一点集中、集中力が高まってきます。ただ自分ひとりのときはそうですが、大勢でそれをしているときはそういうことも考えることも必要なくなりますね。
・・命がけとか、一生懸命とかいうと、恐いような気分ですが。
 そう恐い恐い、(笑い)神さまを呼ぶときは真剣さがいるのです。本気で呼んでいるかどうか神さまは確かめたいのです。その時に真剣さがあったときに、神さまがすっと、人の自由にしばられずに助けに来れるからと。だから、一人のときは真剣さを出さないと神さまに認めてもらえない場合がある。でも大勢だと誰かが真剣に呼んでいます。だから神さまはみんな助けようかということになれる。こういう大勢の場だと大きな神さまの助けがすーと自然に降りてくるから、いいかげんに祈っても大丈夫。(笑い)一人だけ真剣な人がいてたらいいの。だから地球を平和にするにしても、一人本当に真剣に平和を願って神さまの助けを必要としてたら、絶対神さまの助けが降りてくる。一人さえいたらいいの、本当は。それがだんだんと多くになれば早くなるというだけ。だからお祈りの中はちょうどいい人がいて、空間的に距離が離れていても、心のつながりさえあればいい。本当の意味で心のネットワークですね。これが本当にできあがったら、自分が祈れないときは、まわりの人が全部祈って、光を届けてくれる。常にネットワークの中を光が通り抜けていく。だから、今からの時代は、本当の意味での心のネットワークつくりが必要になっていく。今までの救済の仕方は一本釣りなの、みんな、真剣になった人を神さまは救い上げてきた。 今度は網で救わねば、一網打尽という方法で。それで、心のネットワークという祈りの網を作っているのです。 そこで、ごそーと救いあげる、みんなを高めあげる。


プラスの言葉の力
質問者:1にも2にも3にもありがとうございますだと思いますが、4番目には?
ありがとうございます:
4にも、5にも6にも「ありがとうございます」
・・・10番目は?
10番目もそう、これはすばらしい質問ですよ。
・・・、「おかげさまで」とか、「もったいない」という言葉はどうですか?10番目あたりには?
 そうね、でも「ありがとうございます」のうちに全部入っているのです。
「おかげさまで」というのは、みんなの背後で働く、目に見えない不可思議な大きな力でという意味ですね。本当の神さまが働いているという意味です。「おかげさまで」はかげで働く大きい力をさしている。だから、表面の人が何かしているのではない。バックの神さまが人を通して大きな働いてくださっているというのが「おかげさま」ですね。本当は「おかげさまで」というのは神さまへの感謝です。また「もったいない」というのは、単なるもの=物体ではないと言う意味です。ある意味で、普通ものと見るでしょう、肉体とか物体とかいうように。神さまの命そのもの、光そのもの、神さまの顕れなんだという意味です。だから、神さまをしっかりと認めることが「もったいない」です。
・・そういうことはもっともっと言っていただけるといいのですが?
(笑い)だから「ありがとうございます」という言葉に全部入っている。「おかげさま」も、「もったいない」も、全部入っています。
だから、「ありがとうございます」だけで充分なんです。全部。
・・・でも、「ありがとうございます」だけでは、世の中通用しないのでは?
 通用するんです。(笑い)
・・・たまには「おかげさまで」とか「もったいない」とか、いうのが変化があっていいので、いつも「ありがとうございます」だけだと、あなたちょっと「逝ってしまったのでは」と言われてしまいます。ここでは通用しますけど、一歩山を下りればちょっとそうはいかないでしょう。
 そう、ちょっと光が強すぎるですね。(笑い)そうね、場所によってはいいかもね。
・・・ですから、言葉をもう少し増やしていただきたいのです。(会場大笑い)
 そうね。プラスの言葉はみんないいですね。褒め言葉がいいですね。褒め言葉をいっぱい使うことが、「ありがとうございます」の付随的な働きをするのです。褒めて、感謝して、喜ぶというのが、神さまの御心を本当に受ける大きい働きなのです。
・・・褒めるというとどういう言葉がありますか。
「無限に無限にすばらしい」とかね。
・・・無限に無限にというとはあまり一般には通用しないのでは。
(笑い)無限に、だけにしますか。それでも大きすぎますか。
・・・それを少し変えてほしいのですが
そうね、私の言葉よりも、辞書を開いて、プラスの言葉を全部拾い上げて使われればいいでしょう。プラスの言葉というのは大きな力があるのです。辞書にいっぱいあるでしょう。その時その時自分の好みの言葉を、プラスの言葉を使われたらいいのです。
・・・そこで「プラスとは何か」なんですが、プラスとマイナスの境目が何かなのです。
そうね。プラスとマイナスの違いなんですが、プラスの方が力があるのです。積極的な、そう光と闇のようなもので、プラスが出たら、マイナスが消えるのです。プラスを引っ込めたらマイナスが出てくる。ちょうど光を消したら、闇が拡がってくるというように。だからプラスを積極的に使えばマイナスが消えてなくなるのです。そういう生き方が一番いいのです。 悲しい思いがあったとするでしょう。もし、喜び続けたら悲しみは消えるのです。喜ぶ方を積極的に前に進めたら、悲しみは自然に消えるのです。怠け心が出てきたら、前向きに勤勉に進めばいいだけのことなのです。そうすると、前向きに生きていると、怠け心が自然に消えていくのです。ちょうど光が出れば闇が消える感じですね。プラスの言葉は力がある言葉なのです。ただそれを前に出せばいい。心を思い通りに支配するのは、なかなか大変なんでね。ころころと変化する心を。ただ言葉さえ支配すれば、言葉さえ選べば心はあとについてくる。だから心の中心核が言葉ですね。だから、いい言葉を選び続けたら、いい心の状態にずーと整えることができる。

・・・「ありがとうございます」の次は
(笑い)会場から、「おめでとうございます」という声がして
・・・そうか、「おめでとうございます」は?
そうね、いつも正月と盆ですね。(笑い)


ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
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