ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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「こころ」という語源はどこからきてるのかというと「コロコロ」という、これが「こころ」になってるんですよね。

 その元になるのが「伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)」の大神様の宇宙創造の働きが「塩(しほ)コーオーロー コーオーロー」という言葉があるんですね。

 「塩(しほ)・(水火(しほ))」というのは、陰と陽、相対に分かれるすべての要素を「塩(しほ)」というんですね。それを組み合わせると宇宙のすべてが生み出されるわけですよね。その時の「コーオーロー コーオーロー」というのが大事なんですね。コオロギのコーオーロー コオロギってね、コオロギというのも音色がいいでしょう。虫の音色って素晴らしい、旋律がいいですよね。この「コーオーロー コーオーロー」というのが神様の宇宙創造の働きの「響き」を現わすわけですよね。「たえなる旋律」というのね。また形で言うと「美しい絵模様、綾模様」というのね。また命で言うと「命が活き活きと躍動している」という感じで、この「コーオーロー コーオーロー」という言葉の響きが「コロコロ」になって「心・こころ」になるわけですよね。

 「こころ」というのは、元々は神そのものと言ったほうがいいですよね。神が心であり、その心には無限の無限の種類がある、無限の無限の段階があるというふうに見たほうがいいんですね。

 一番最初の根源の心が神様の心「本心」ともいうのですね、一番大元の心、一番本源の心、これが本心というのですね。

 神さま様から本源を受け継いだ人が本心を輝かせた人、これは感謝を深めて神さまの心をそのままバッと受けたら、一番本源の心に近い心になるわけですね。それが一番輝きの大きい心ね。

 本心というのでも段階があるんですよね。無限に無限に輝いた本心、無限に輝いた本心、ちょっと輝いた本心というふうにね。その心の段階は「無限の無限」と言ったほうがいいんですよね。

 だから、この世の人が普通「心」と言っているのは、かなり低い心かも知れないですね。それを幾つにも分けているわけですよね、分類するんですよね。浅い心・深い心、高い心・低い心、大きい心・小さい心ってね、いろんな角度からの心の分け方がありますね。

 その心というのは、ぜんぶ神さまから無限の無限の心の状態があって、その心からどれだけ自分が受け取ってるかというだけなんですよね。自分の受け取っただけが自分の心ですね。自由に選択できるわけですね、ぜんぶ受けることもできるし、一部だけ受けることもできるし、高い心を受けることもできるし、低い心を受けることもできるという。なんか、ちょっとしか受けなかったら損でしょう。それも楽しんで受けているんですね。

 一大交響楽というと、漠然と聞いていると「ああ、素晴らしいなあ」とだけで終るんですね。でも、専門家のプロから見ると、その中の構成の、例えばバイオリンだったらバイオリンを何人弾いているとか、ピアノは誰が弾いているとかぜんぶ区別してわかるんですよね。その部分々々をしっかりととらえるという勉強も必要なんですね。それで心でも部分的な心を一回掴んでみるという、しっかりそれを味わってみるというのも必要になるのね。

 だから、一人一人、今、自分が「これが心」というふうに掴んでいるんですけど、ぜんぶ違うんですね。みんな味わい方が自由があるだけに、みんな違うんですね。神さまからどの心を受けて、どういうふうに味わってるか。だから、みんな自由に楽しんでいるはずなんですよ。

 地獄の心を掴んでも、極楽の心を掴んでも、どちらもいいんですね「楽しんでいるだけ」ってね。その心というのが「神さまそのもの」なんですね。そして神さまの心というのは、言い換えると「言(ことば)」でもあるわけね、また「命」でもある、また「形あるもの」でもあるのね。

 ただ、人に説明する時は分けて順番に説明するだけなんですね。本当は全体は一つなんですね。一つのものをいろんな角度から説明する時に「あっ、これは心だ、これは言葉だ、これは形なんだ」といろいろに言い分けるわけね。説明の仕方として、そういうふうに言葉を分けて使うだけなんですよね。

 人間というのでもそうですね。「これが人間」というのを説明する時にどういうふうにみなさんは説明されます?

 難しいですよ。顔があって、手があって、足があって―― と言ってもね、本当に見たことがない人に理解させようというと大変でしょう。

 太陽一つでもそうでしょう。「太陽ってどんなものですか」と言われて、全く太陽を見たことのない人に説明するとなったら、理解させようとなったら大変なんですね。丸いものだと言うだけでは足らないよね、明るいと言ってもまだ足らないよね。だからいろんな角度から説明を加えないとなかなか理解してもらえないですね。だから、神様についても同じなのね。いろんな角度からいろんな説明を加えてぜんぶ総合してもまだわからない。

 心の説明も同じなんですね。いろんな説明の仕方があってもいいしね、また心以外のいろんな角度からの見方でいろんな説明があってもいいんですね。ただ、全部が一つなんです、元々ね。一つのものをいろんな角度から順番に説明してるその順序がいろいろというだけなんですね。

 そして「宇宙創造」というのでも、いつ宇宙がはじまって、いつ終わるのかというのは、いろいろな見方(観方)が出てくるでしょう。それも説明の順序なんですね。

 また、神さまが「絶対」と思っていて、そこから創造の働きが出てきて無限に輝いた姿で現われて、それが光の放射として無限の分身を持った姿で出て、それがまた形あるものに変身して、この世の宇宙のような姿になってるとういふうに、これを説明する時は順番に説明するでしょう。でも、これは一瞬に同時にぜんぶ完成なんですね。だから逆に説明してもいいんですよ。時間的にズレてるかというと、そうじゃないのね。時間的な要素を超えて一瞬に同時に一(いち)最初(さいしょ)にという感じで完成してるね。だから全く一つなんですね。全く一つにとらえるのが正しい神様のとらえ方なのね。

 自分と神さまを区別して見る見方も、それも必要なときがあるんですけど、本当は分けることはできないんですね。一人一人が神さまとピタッと一つになってるのね。

 例えばダイアモンド、宇宙大のダイアモンドのカットが無限にあるんですね、面が無限にあるね。その一つの面が肉体の一つの自分だと考えるでしょう。その一つの面が大きいダイアモンドの中心に置かれてるのね。どの角度から見るかによってその一面が見えるわけですよね。でも、その一面だけがダイアモンドと離れて自分という姿で存在しているのかというとそうじゃないね。ダイアモンドの一部、ダイアモンドそのものとして存在するわけね。

 そして、一人一人の人間も同じなんでしょう。神さまの中心に置かれて、一番前面に出ているだけね。宇宙大の大きい神様の部分なんですね、そして切っても切れない間柄という。だから、一人一人はぜんぶ神さまなんですよ。宇宙の大神様とピッタリ一つになってるね、切れないね。本当はそうなんですね。

 ところがね、切って説明したい時もあるんです。この部分だけをという時は、説明上切り分けるだけなんですね。でも切れない一つのものなんですね。そして、心というのは絶対切っても切れない完璧なものとしていつも一瞬一瞬コロコロと転がるように変化し続けてるの。この変化がまた凄いですね、もう一瞬の休みもなく、本当に間断なく続くんですね。無限億万分の一秒で新しい宇宙が次から次へと生み出されてくるのね。無限億万分の一秒という時間があるんです、まだね。時間を超えて新しい宇宙が次から次へと生み出されるの、変化するのね。この変化が神様にとって最高の素晴らしい表現になってるわけですね。変化しなかったらあまり値打ちが無いんですよね。これでお仕舞いという感じになりますよね。

 また静止したものっていうのは死んでるような感じでしょう、生きてないというような感じになりますよね。でも、神さまは常に時間を超えて創造し続けて、それが本当に輝いて命が躍動してるのね。どんなものも命が無限に躍動してるのね。だから、神さまは二度と同じことを絶対繰り返さないですね、同じものは絶対創らないですね。これはもう、もの凄いことですよね。それだけのものが神さまの本質として絶対の中にあって、そしていろんなものを生み出しては皆さんに見せてくれるのね、楽しませてくれるわけね。

 だから、全体を見て楽しむときも大事だし、部分を見て楽しむことも大事だし。まあ、形を見るのはそうですね。

 また響きとして一大交響楽のような旋律として聞くときもそうよね。全体を一大交響楽というふうに感じて聴くのも大事だし、また一つのフルートだったらフルートだけを選んで聴くというのも大事なのね。これが神様から与えられた一人一人へのプレゼントになってるね。だから「番組」というふうに見ると無限の無限のチャンネルの番組が常に新たにして与え続けてもらってる。

 食べ物だったら凄いですよ、無限の無限の美味しい食べ物がいっぱい、ずーっと与え続けてもらってるのね。人も食ってもいいんです、はははは。

 素晴らしい名画が無限に無限にあって、どれでも見て味わえるなんて凄いでしょう。この地球上にある名画だったら数えるほどですよね。でも、神さまの名画は無限に無限にあるわけでしょう。それを自由に選んで味わいなさいってね、もう凄いことなんですね。神さまの本当の愛の働きってそこまで凄いものをプレゼントしてくださってるわけね。これを「ありがとうございます」で如何に上手に受け取るか。

 この感謝の心っていうのはもの凄い不思議ですよね。特に「ありがとうございます」っていうこの言葉が不思議で不思議で―― わかったと言う人はわかってないんですよ「わからない、わからない、まだわからない」というのがいいですね。

 まあ、現実にいろんな病気がパッと治ったり、水がきれいにサッと変化したり、そりゃあ、奇跡的に見えることは、まあ神様からの手品みたいなものですけど、一般に見せてくださるのね。でも、こんなのは取るに足らないというね。本当の「ありがとうございます」の言霊からくる神様の大奇跡というのは、無限の無限のチャンネルを与え続けることでしょう、そこの方が大事なんですよね。それを受け取るための言葉がこの「ありがとうございます」でしょう。今更小さい奇跡を起してもらって喜んでるようでは駄目なんですよ。本当のプレゼントを受け取るという方が大事なんですよね。もう既にあるものを受け取る。

 その練習を積み重ねると、もう常に無限の無限の幸せで一杯、常に無限の無限の安らぎで一杯となるのね。

 でもね、思いの心って時々顔を出すんですよね。この思いの心と感謝の心の違いが大事なんですね。

 同じ心でも大きく分けると二つに分かれるね。「本心の心と業想念の心」とか「感謝の心と思いの心」とか「プラスの心とマイナスの心」とか、いろんなわけ方ができるんですね。

 感謝の心は常に新たに神様の最高のプレゼントを受け取る心ですね、だから常に無限に無限に輝いている心ね、新しい心ね。

 思いの心は受け損なってる心ね。だから、過去のものにしがみついて過去だけしか掴んでないという心ね、古い心、汚れてる心ね。

 そしたらどちらの心がいいかというのね、これも自由なんですよ。何を掴んでも自由なんですけど。

 ご飯を食べるのでも一週間ぐらい経った古いものを食べるのもいいんです。でも炊き立てのご飯を食べるのもいいですね。

 でも、古い心を掴んで、その心をしっかりと味わえる人は、また感謝の心を価値あるものとして深く味わえるんですね。逃げたら損なんですよ、古い心からね。逃げると味わえずに終ってしまうでしょう。だから、どういうものを掴んでもしっかりと味わうというのがいいんですね。

 「ああ、雑念が来た、嫌だな」というのは損してる。「ああ、雑念が来た、嬉しい」って「とことん味わってみよう」というのがいいの。でも、マイナスの心が出たら、なんか嫌な感じがするときがあるんですよね。でもね、喜んで味わうのがいいですよ、その心が感謝の心になるんです、直ぐにね。そうするとどんなマイナスの思いの心でも、そこに大きい価値を見出して行けるんですよね。

 だから、どんな心も神様の一部なんですよ。人間の体で言ったら、頭もあるけど足の裏もあるんですよ、足の裏も大事なんですね。だから、きれいとか汚いとか、いろいろ分けて見る心と、全体を一つに見る心とは全然違うんですよね。常に全体を一つに見る心にとったらぜんぶきれいのですよ。みんな素晴らしい価値のある働きをしてるのね。

 だから、全身の細胞というのはみんな平等なんですね、ただ、その時その時に役割が変わる。

 頭の脳みその中の一つの細胞が、本当は全身を順番に移動しているんですよ。一瞬一瞬、みんな平等だから順番にいろんな役割を果たしながら全身の細胞を順番にずーっと移動して飛び交ってるのね。同じところの細胞で終ったら不公平でしょう。そういうことは絶対無いね。

 だから、一瞬一瞬いろんな細胞の立場に立って順番にすべてを味わい尽すのね。

 人間も同じなんですよね、神様から観たら一つの細胞みたいなものでしょう。短い範囲だけを見ると、この人間として、例えば日本に生まれたら日本民族だというふうに言うのね。そんなことは無いんですよ、いろんな外国にも生まれるのね。ぜんぶの国に生まれないと損するのね。

 そしていろんな国の体験を積んで、そして地球上の世界のすべての国を、本当に理解する心になれるでしょう。知らない間にいろんなところを体験させてもらうようになってるのね。だから「日本人だ」と言ってずーっと日本人ということは無いのよ。いろんな国に生まれ変わってきてるし、また生まれ変わるかも知れないしね。だからみんな平等でみんな一つなのね。同じ地球家族一員なのね。それなのになんで戦争するんでしょうね。でもね、戦争も楽しんで見てるのよね。

 神さまから見ると「可哀相に」は無いのね、皆に平等に最高のプレゼントを与え続けて自由に味わいなさいというふうに送り出してくださってるから、極楽番組・平和番組を見てもいいし、地獄番組・戦いの番組を見てもいいという。ただ、それも自由だから喜んで楽しんで見なさいよというわけですけどね。

 でも、マイナスに執(とら)われすぎたときにちょっと引っかかるんですね、逃げたくなるときにね。もう、とことん楽しめばいい、もう、飽きてくるまで戦えばいい。

 でもね、戦いに巻き込まれている人は、やっぱりその人の自由意思でそれを選んでるんですよね。傍から何を言っても聞かないよね。

 テレビ番組を見るのでも同じでしょう、好きな番組をみんな見るんですよね。この番組がいいんだよと言ったってね、そんなの見たくないと言うのね。やっぱり戦争映画がいいと言って見てしまうときがあるのね。

 それはみんな自由意思を与えてもらって、自由に選択して選んで、その番組を楽しんでるというふうに見るのが正しいのね。

 皆さんが戦争に巻き込まれたくなかったら、自分の心さえ平和な心にしておけばいいのね。絶対巻き込まれることは無いのね。

 だから、心の状態と、運命とかその形というのは一つなのね。心がそのまま形に出てくるね。

 だから「心色不二(しきしんふじ)」という「色(しき)」というのは「いろ」、これは物体・物質、形あるものというのね。それと「心」とは本当は一つなんだというのね。一つのものの裏表(うらおもて)みたいなものですね。心の状態が即、形にも、運命にもすべてに現われるのね。

 その心というのは自分が神様からどういう心を受け取ったかというだけでしょう。どういう言葉でどういう心を受け取ったか。これは自由に受け取ってるはずなんですね。

 「私はそんなのは嫌だ」と言って「受け取りたくない」と言っても、やっぱり受け取ってるのよね。言葉で選んで受け取ってるんですね。

 本当に戦争を見たくなかったら、平和を言葉にして平和番組ばっかり見ればいいんですよ。でも、恐いもの見たさに見るのよ、やっぱりね。「ちょっと戦ってるところが面白い、楽しい」というのね。本当に嫌な人は見ないよね。「戦争ごっこなんかは見たくない」と言う人は、もう絶対見ないもんね、花ばっかり見てるかも知れないね。仲のいい姿ばっかり見つめてるかも知れないね。そしてマイナスの言葉は絶対使わないというのが本当よね。

 だから「イラクの国民が可哀相」という場合も、本当はそうじゃないのね。平和な心のイラクの国民は、絶対傷つかないよ。もし傷つくとしたら、戦いの心を持ってるよ、相手をやっつけようという心を持ってるね。やっつけようというとやっつけられるよね。やっぱり心がそのまま跳ね返ってくるのね、そのまま同じ姿で出てくるから。仕返ししようというたら、やっぱり仕返しされるよ。自分の心で番組を選ぶわけだし、自分の心の通りの運命とか形や姿が出てくるね。

 でも「ありがとうございます」を知ってる人は、この無限の無限のチャンネルから自由に選べるというのはわかってるからね。そして「ありがとうございます」を唱える人は、高いいい番組しか選べなくなってしまうのね。無限に無限に輝いたプラスの番組になってしまうのね。他の言葉は、やっぱりプラスでも小さいし、またマイナスの言葉も多いからね。マイナスの言葉を使えばマイナス番組を選んでしまうね。必ず言葉が心の中核になって、マイナスの言葉を使えばマイナスの心に必ず変化するね。マイナスの言葉即マイナスの心になるのよね。そうすると運命もマイナスの運命に即なるのよね。

 これはもうあの世へ行けばそうなのよ、一瞬よ。言葉がそのまま心になって、そのまま形ある運命になるのね。でもこの世はちょっとだけズレがあるのね、時間的なズレがるの。それは反省時間を置いてもらってるね。一回マイナスの言葉を使って「あっ、しまった」と思ったら途中で取り消せる、打ち消せるのよね。それでプラスの言葉を繰り返したらマイナスの言葉は消えて、それで形にはマイナスが出なくなるというところがいいですね。

 だから選び方の練習の場がこの世ですけどね。それもマイナスを選んだら直ぐに出るんじゃなしに、ちょっと時間を置いて出るから、やっぱりいい勉強ができるでしょう。苦しまずに選択の勉強、選ぶ勉強ができるようになってるね。

 「心」というのはコロコロと変化して、普通、とらえどころが無いと言うんですけどね。でも、心と言葉は一つなんですね。言葉をしっかりと選んで使えば即、同じ心になるの。そしたら心は支配できるでしょう。誰でも自由に心を支配できるのよね。言葉さえしっかり選んで使えばいいのね。

 そして、神さまの最高表現をしかりととらえようと思ったら、神さまの心を自分の心にしようと思ったら、最高の言葉を使うだけでしょう「神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!」と言えばいいのね。そうすると、その無限に無限に輝いた心、神様の心が自分の心にすっと入ってくるでしょう。そしたら運命は極楽世界の運命、いいことばっかしというふうに変化するよね。

 今までは、その心の変え方に気づかなかった人が多かったのね、気づかなかったというより忘れてたのね。言葉で心は支配できるというのは、元々みんな知ってるのね。ところがちょっと忘れてたというところがあるのね。それをもう一回思い出すようにというふうに、神さまが助けに降りてるのね。それが「ありがとうございます」というこの神様なのね。この言葉を使ったら直ぐにプラスの心に変えてくださるのね。「あっ、言葉で変わるんだ」という体験をするわけね。そうすると他の言葉も同じということがよくわかるでしょう。他の言葉を使ってもその言葉通りになる。

 だから、どんな言葉も言葉通りよ、同じ心に変化して同じ運命が出てくるね。それは、人、一人一人ぜんぶ使う言葉が違うでしょう。いろんな予言を伝える人も同じよね。一人一人ぜんぶ予言の仕方が違うでしょう。でもその予言をした言葉通りのものが必ず出てくるのよ、その人にとったらね。その人はその言葉でそういうものを選んだだけよね。でも、他の人は無関係よ、自分は自分の言葉で自分の運命をつくって行くという、選んでるのよ。恐いもの知らずよ、もうね。

 「地球が滅亡するかも知れん」という言葉を聞かされたって、自分はもう無関係でいいのよ。

 この「ありがとうございます」は、本当は「天岩戸開(あまのいわとびら)きの言葉」なのよ。天照大御神様を引っ張り出してるのね。「世界維新」の世直しの言葉なのね。

 「天岩戸開き」というとなんか大層に思うでしょう。そんなことないよね、一言「ありがとうございます」なのよ。これが天照大御神様を引っ張り出してるのね。光明遍照の無限に無限に輝いた世界を現わすのね。極楽世界を即、現わすのね。一回地獄へ降りてみて「ありがとうございます」を唱えるとよくわかるのね。もう極端に変化するからね、一言で極楽世界になるから、地獄がね。真っ暗闇が即、無限の輝きの世界に変化するのね。凄い力よ「ありがとうございます」ってね。一回地獄へ降りて試して見る?あっははは。

 暗いところで試さないとねえ、わかり難いもんね。

 だから、幸せな人は、あまりこの言葉に効果が無いと言う。なんか困ったことがあると効果が出てくるじゃない。この言葉を試す意味では、ちょっと苦労をしている人のほうがいいのよ。神様がいろいろ実験させてくれるわけね。至れり尽(つく)せりよね。

 だから、いろんな人が苦労して、そして「ありがとうございます」を唱えていろんな問題を解決していくでしょう。これはぜんぶ自分の体験として受けたほうがいいね。人の体験と思わずに、自分の代わりに体験して「ありがとうございます」の言葉の素晴らしさを自分の代わりに体験して教えてくれているんだというふうにね。そうすると確信が深まるでしょう。「ありがとうございます」の一言にすべてがあるのね、神さまのすべてがあるのよね。神さまの心のぜんぶが「ありがとうございます」の中に含まれてるのよ。

 この一言「ありがとうございます」の一言で、神さまの心がぜんぶ把握できるの。

 神さまの心の中に無限の無限の段階の心がぜんぶあるわけでしょう。だから、すべての心を把握するのがこの「ありがとうございます」ね。

 すべての心を把握するなんて大変でしょう、本当は大変なんよ、でもできるのよね。阿保にならないとできないけど、一番単純馬鹿にならないとね。「ありがとうございます」に絞り込むのがいいのね。みんな枝葉に心を向けすぎて難しいことをいっぱいし過ぎてるからね、一番大元へ心を向けるというのが大事でしょう。一番大元は一つよね、枝葉じゃないから一つしかないのね。だから、一番大元の、一番根源の一つのところへ心を向けたらいいね。それが「ありがとうございます」という言葉やね。そうすると全体を把握できるようになってくる。

 だから、コロコロ変化する心も、ぜんぶ「ありがとうございます」の中に含まれてるからね。ややこしい心も一々探らなくてもいいよ。

 柳生流の極意の歌というのは「こころこそ こころまよわす こころなり こころにこころ こころゆるすな」なんて心がたくさん出てくるね。ぜんぶ違うのね、この心ね。

 でも、皆さんだったらわかるでしょう、一つ一つの心が何を指しているかってね。難しくないわね、こんなのはね。「ありがとうございます」で神さまの心がわかったら、ぜんぶ中にあるのよ、それがね。

ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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