ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar48「古神道」について2001.10.06.02
 
【古神道のことなんですが、資料を見せていただいたんですが、よく解らないんです。】

ありがとうございます:
本当の古神道は、この世に出てないですね。本当の古神道は神様の世界になるのね。神様の本当の働きを古神道というの。この世にはほんの一部しか降りてないのね。ただ、神様の働きを指し示す言葉として、古事記の本があるね。ちょっと模型的には、ある意味で「素晴らしいなあ」というところがある。この世に降りているものなんて大したことはないから、それは最高でもなんでもないよね。古事記の本の解釈でも、あれは一つの解釈の例ね。浅い解釈も、深い解釈も、幾通りもの解釈があり、またもっと深い解釈もあるし…。
 
【先生の解釈ですか?】
 
ありがとうございます:
水谷清先生の古事記大講に加筆しました。でも、あれはまだ浅いよ。

【神様から教えられたものを書かれたんですか。】

ありがとうございます:
神様から教えられたというたらそうだけど。いろんなところからインスピレーションはいっぱい降っているわね。「どの段階で受けるか」でいろんな解釈を施せるから、ただその本には文字で書いてないけど、まだまだ深い解釈がいっぱいあるのね。でも必要だったら必ず出てくるよね。あくまでも神様の働きを説明する模型的な働きとしての役割ね。地球儀は地球を知るための一つの模型として使うでしょう。神様の働きも古事記という本の文字になって示しているのよね。文字の解釈というのは本当に難しいね。辞書に載っている解釈では当てはまらんことが多いね。特に神様の働きを深く極めるためには、人の使っている言葉の解釈では駄目なの。全く正反対になるかもしれない。だから、神様のほうからの響きをキャッチして、神様だったらどういう解釈を施すかというのが大事よね。ああいう解釈もあるという一つの参考よね。

 
「食物連鎖」について

【食物連鎖のことですが、我々は食べるということをしなければ生きていけませんね。これは何故なのか良く考えてみてもわからんのです。何故地球上には食物連鎖があるのか、本当は殺してはいけないけど、殺して食べていくというのは何故なのか。】

ありがとうございます:
見方が二通りあるのよね。神様は全体なの。全体が、お互いに助け合って、活かしあって、目的を持って日的に向かって役割を果たしていくわけよね。だから、身の捧げ合いというたら殺し合いじゃないよね。命を奪い取ってないもの。感謝の心でプラスにみると、感謝の生き方は、神様から必要なものを受けて、それをまた全体へお返ししていく、全体への奉仕になるから本当の活かし合いの循環になるのね。思いのほうでみると、やっぱり自分の思い通りにしたいというのが先に入って、自分が動物を殺して食べているとか、その食物連鎖のような姿をとっているというマイナスに見がちなのね。マイナスにみたらいくらでもマイナスにみていけるし、プラスに見たらいくらでもプラスにみていけるね。でも、正しい見方はやっぱりプラスにみる見方、感謝の心を起こして、感謝の心でしっかりと神様の愛の働き、調和の働きを見抜いていくことが大事なんですね。
ただ、あの世にはいろんな無限のチャンネルの番組があって、それぞれにいろんな表現があるね。神様はありとあらゆる番組をぜんぶ用意してくれているのね。人が思いつく、想像して考えつく、全ての番組がぜんぶ用意されている。あの世でも、物を食べない世界の番組もいっぱいあるの。そういうのが必要じゃない世界もたくさんあるの。ただ、この世も本当は何も食べなくても生きられる人もいるのね。霞を食うような感じで、何年も断食しても大丈夫な人もいるのね。ただ、それもこの世の人の人類の思いを越えるぐらいの、強いプラスの信念がいるんです。もっと心が自由になれば、不可能ではないんですね。「何か食べないと生きられない」というようなマイナスの信念だと食べないと弱ってくるのね。もっとプラスの大きい信念があったら、何も食べなくても大丈夫という姿をとれるのです。

 
 「天命・天職」を早く見つけるには

【天命とか天職とかいうのを見つけたいと思うのですが、この世に生まれて実際何をしたらいいのかと迷うと思うんです。僕は幸いにこうかなあと思うことはありますけど、それでもまだ迷ってるんです、本当にこれでいいのかというのを迷ってるんですけど。自分が天命とか天職なり、何故生まれたかということを早く見つけるというのはどうしたらいいのかということをお聞きしたいです。】

ありがとうございます:
神様の助けを大きく受け入れていくことなのね。自分だけのカでは限界が来るね。本当の神様の助けを受けたら必ずそれが可能になるのね。

【それを教えてもらえるのですか。】

ありがとうございます:
教えてもらうだけじゃなしに、中から力を添えてもらうのね。だから、必要なことを知るんだったら、その知恵を先に中から与えてもらえるから、外から教えてもらうんじゃなしにね。フッと気付くのね。最初からわかっている自分が出てくる。言われてするんだったら、ギャップがあると出来ないけど、カを添えてもらったらスッと出来るのね。人に与えられた天命というのは、神様の最高表現を受けてこの世に現実化することよね。ただ、「この世だけで」という浅い生き方では、まだまだ「本当の天命を果たす」というのは難しいのね。そりゃあ何%かはちょっと出てくるかも知れないけど、本当の意味の百%の天命を果たすのは難しいね。

 
 「人間は人間として」生まれ変われるのか

【輪廻転生で生まれ変わるということが皆さんには受け入れられていますけど、人間は人間に生まれ変わるんでしょうか、それとも動物にも石とかにも生まれ変わるんでしょうか?】

ありがとうございます:
いろんな見方があるんです。本当の神様と一体の自分から見ると、宇宙のありとあらゆるものに立場を移してそれを体験するのね。原子にもなるし石ころにもなるし、植物にも動物にもなるし、人間という立場にも立つしね。また大きく一つの星になったり、大きい大字宙になったりするし、本当の神なる自分はそれは自由自在なの。

【それは自分で選べるんですか。】

ありがとうございます:
本体の自分から見ればそうよね。順番に選んで、楽しい体験をして、楽しんでいるっていうね。ただ、肉体の自分というのは、かなり限定された姿を掴んでしまっているね。その魂の生まれ変わりというのも、低い番組の姿を掴んでいるね。輪廻転生なんて低い番組の世界にあるから、もうちょっと高い番組には輪廻転生のない世界があるのね。だから、その輪廻転生が全てじゃないのね。最初から輪廻転生なんて一切ない神なる自分が無限に無限に輝いてくるという番組もいっぱいあるの。だから、無限のチャンネルの番組にそれぞれ自分を置くことが出来るから、どんな生き方でも体験できるね。

【生まれ変わらないことが悟りといわれているのも、ある意味では正しいんですか。】

ありがとうございます:
まあそれも「本当の悟りとは何か」という事も、また難しいでしょう。悟りもピンからキリまで無限の段階があるのよね。
悟りという言葉は、本当の神様と自分との間の「差をとる」というのね。どれだけ神様と一体化するか、神様の全体像をしっかり把握できるかでしょう。一つの「この世」という番組を掴んだ状態では、全体像と一体化してないよね。一つの番組の中でどれだけ悟ったかと言ったって小さい悟り、部分的な悟りになってしまうね。だから、輪廻転生しない生まれ変わりのない世界へ自分が入ったといったって、本当の自分の自由自在な立場かどうかはまだわからないね。それも一つの番組よね。

 
 人生は決まってない

【事故で亡くなったり殺されたりする人も、生まれる前にプログラムをしてきたという説がありますよね。】

ありがとうございます:
全ての番組は神様が創るのね。無限の無限のチャンネルの番組を、既に神様が用意して創ってくれているの。それを人が自由にチャンネルを合わせて選んで、それを運命として体験するのね。

【その体験は、人生の途中で変えることは出来ますか。】
 
ありがとうございます:
うん、うん、もう自由にチャンネルの切り替えは出来るね。

【例えば、事故にあうことを予想できないですよね。】

ありがとうございます:
チャンネルを見通せる人は予測するわね。予見できるわね。番組ごとにそれぞれ運命があるからって、全て予知してわかるよね。

【お聞きしている中では、解らないし予想は出来ないですよね。】

ありがとうございます:
それはやっぱり現実のいろんな姿に囚われてしまって、自由がないのよね。

【気付かないということですか?】

ありがとうございます:
動物や昆虫でも、予知能力が高いよね。人間が本当の直観力を見失ってしまったのは、思いを溜めすぎているね。過去を掴み、過去を積み重ねて、その思いがいっぱい溜まっているの。それが知恵の湧き出るのを邪魔しているのね。だから、頭や心を空っぽにするのがいいね、そしたら自然にスッと湧いてくるのが神様の知恵で、必要なことが直感的に予知にしても何にしても教えてもらえるのね。

【守護霊さんや守護神さんからも教えていただけるのですか。】

ありがとうございます:
う一ん。だから必要だったら、ありとあらゆるところから。宇宙全体から必要な知恵がスッと入ってくるのね。

【こちら側が、それに気付き受け取るという問題ですか?】

ありがとうございます:
はい。だから感謝がどれだけ深くなっているかでしょう。思いを出しているときは、感謝をしないもんね。思いが黒雲になって必要なものを直感するのを邪魔するのね。思いを消して、丁度空の雲が消えて青空に太陽が輝くようになったら、太陽から来るのが神様の知恵よね。邪魔するものがなかったら、必要な知恵がいくらでも湧いてくるのね。

【ということは、人生は決まっていないということですか。】

ありがとうございます:
そりゃあそうじゃない。本体は自由自在ね。人間は神様と一体よね。本当の自由自在を持っているね。一つに捕らわれたら、自分が「勝手に不自由だ」と言っているだけね。

【そのことに関していろんな方がおっしゃっているのが、自分が生まれる前に、今世でこの世に生きるというふうに計画を立てて出てきているので、そういう気付きがあるとするならば、自分がそういうふうに計画してきているからそうなるんだとか。そうするとこの人生は決まりきっていて、何か面白くないと思っていたのですが、そういうふうに決まっているという訳でもないんですね。】

ありがとうございます:
みんな言葉通りになっているのね。そういう言葉で「決まっている」と言ったら、決まっているという一つの番組の中へはまり込むから、その番組の中ではそれが正しい見方になるね。他の番組に心を移したら、また別な考え方、見方ができるのね。全く違う生き方に変わってくるね。

【その移すのは、自白自在に移せる訳ですね。】

ありがとうございます:
自由自在が本当の自分よね。本当の自分に気付いたら、自由自在に番組を選べて、どういう生き方でもその番組に入ったらそれが正しいのよね。

 
 人生は「選ぶ」だけ

【では、自分の人生は、自分で作り想像するということになりますよね。】

ありがとうございます:
本当の意味は、選ぶだけね。創れるかと言うたら創れないよね。自分の見ている世界や運命を、自分の心の力で創っているかというと創れてないよね。ちょっと思ったり心の働きを加えてというんでは、何一つ創れないよね。ただ、「選ぶだけ」なんよ。そういう言葉を使って思って選んで、波長を合わせているだけよね。自分の波長合わせは、自分の使う言葉どおりよね。これはもう法則的に厳然としているね。どういう言葉を使うかによってどういう番組でも選べるというところがあるのね。だから、言葉に捕らわれて縛られたら、「これしかない」というふうにがんじがらめになってしまって、その中にはまり込んで不自由になるね。

【自分で限定してしまうということですか。】

ありがとうございます:
言葉に縛られてしまうのね。洗脳されたように言葉に縛られるの。特に宗教的な教えというのは、強く人の心を縛ってしまうね。「これが正しい」と思い込んだら、宗教的な教えは大体みんな「これが最高」って言っているよね。「これしかない」というふうに凝り固まってしまうのね。そしたらかなり不自由な心の状態ね。それで言葉に操られて奴隷のようになってしまう。世界の宗教戦争というのは、みんなそうよね、教えに縛られて捕らわれて振り回されているよね。偽者の神様の教えを信じているの。まだ、本当の神様を信じてないのね。

 
 「ありがとうございます」の極致

【どこかの宗教に以前、人っていたことがあるんですか?】

ありがとうございます:
私はありとあらゆる勉強を全部しているのね。入ったというより、一応一通り全部知らないとね。勉強の意味で、いろんな勉強ぜんぶ済ませているから。ただ、本当の言葉も感謝のお祈りで教えてもらうね。神様の心をキャッチできなかったら何もわからないね。普通は、たくさんの教えを学べば学ぶほど、こんがらがり何が正しいかわからなくなるね。

【内なる神とおっしゃいましたよね。神様はみんな自分の中にいるということで、祈りとかの感謝の瞑想というのはそれを引き出すためのものなんですか?】

ありがとうございます:
そうね。本当の祈りは、神様とどれだけ一体化するかでしょう。「神様の全てを受け直せるか」というところにあるのね。だから、祈りは本当に無限に複雑多岐にわたるよね、それが一つ一つの要素が全部無限の段階に分かれているというぐらい、底知れぬ奥深さがあるよね。いろんな角度からお祈りを点検してみたらいいと思うけど、祈っているといっても本当にピンからキリまでね。先ず「どの自分が祈っているか」というのが大事でしょう。肉体の場で祈っているのか、魂の場で祈っているのか、奥の神なる本心の場で祈っているのかで、雲泥の差が出るよね。お祈りも、小さい祈りから大きい祈りまで無限の段階があるわね。また、深さも、浅い祈りから深い祈りこれも無限の段階があるね。祈る目的も、ピンからキリまででしょう。目的の質の高いの低いのといろいろでしょう。それで効果はぜんぜん違うしね。だから、二十四時、一生懸命祈っているといっても、浅い祈りじゃあ大した力はないよね。ちょっと上の祈りだと、一分間でそれをはるかに超える力を発揮するわね。

【いろいろな試行錯誤の結果、それはご自分で確立されたものなんですか?】

ありがとうございます:
順番に「ありがとうございます」って唱えることによって、神様の助けを受けて、神様が中から力を添えて変えてくるのね。気付きをどんどん増やしてくれるから、いろんな角度から祈りがどんどん深められて大きくなってくるの。二十四時間一生懸命祈っている祈りでも、本当の祈りはそこにプラスアルファーが加わらないと嘘なのね。プラスアルファーの方が深い意味があるわね。
だから、自分が祈っている祈りなんてちっぽけなもんよね。夜も寝んと二十四時間祈ったって大したことないね。
そこへ、例えば、守護霊さん一人の祈りが加わるだけでもこのプラスアルファーの方が遥かに無限に大きい。守護神さんも加わったらもっと大きくなるしね。それで全ての神仏の祈りがあったらもっともっと大きくなるでしょう。自分がありとあらゆる時間、ありとあらゆる次元にいるとして、その全てから祈りが自分に集中されたら、もっともっと大きい祈りになるわね。
「肉体の自分」という思いは、もの凄く小さい思い方、囚われだから。本当の自分は、全人類の祈りを全部自分の中に収めでる自分でないと駄目よね。だから、もっともっと大きい祈りをプラスアルファーとして受けて祈っているのね。
またその根本が、宇宙の絶対神から、絶対から、今の一瞬新たに出てくる本当の新しい響きなのね。ギリシャ文字のアルファーって一番最初の言葉だから、アルファーというのはそういう意味もあるわね。絶対から現れる無限に無限に輝いた姿が、更に無限に無限に無限に無限にというようにいっぱい奥に詰まった姿で出てくるね。そういう本当の祈りにバックアップされて、二十四時間の真剣な祈りがこの世にあるわけ。
最初は思いに生きている間は、祈りは忘れているから、その思いから感謝に切り替えたときから、その祈りがどんどん深く大きくなってくるのね。慌てんでいいよ。焦っても仕方ないよね。神様のほうから助けてくれているから、もう必要とみて思いの生き方から、感謝に切り替えてきてくれているよね。後は神様の助けで、どんどん深くなるようになっているから、もう自然に任せて「ありがとうございます」と言っていたら大丈夫ね。
だから、お祈りのときの三つの柱というのが大事なのね。先ず、本当は無限の無限のマイナスは全部背負っているのよね。マイナスの思いをいっぱい心に溜め込んでいる思いの姿があるのね。それを人にも分担して背負ってもらっていて、借りがいっぱいあるの。それが無限の無限のマイナスとして、自分に負いかぶさっているのね。神様というのは、その無限の無限のマイナスというのを、まず免除してくれているの。神様が振り替えて消してくれているの。「その無限の無限のマイナスをいつもいつも免除し続けてくださっている」ということに感謝がいるのね。その上に、「いつも無限の無限のプラスを受けられるようにいつも与え続けてくれている」ということに対しても先ず感謝しないとね。その上に「無限の無限の感謝が出来るようにしてくれている」という姿があるのね。今は「ありがとうございます」が一回かもしれないけど、無限の無限の感謝が出来るように、神様は助け続けて一生懸命になっているわね。だから、その三つの柱に対して、やっぱり御礼の感謝をしないと、恩返しも何も出来ないけど、まずお礼の感謝だけはさせてもらわないと損でしょう。「ありがとうございます」と一回は言えるはずよね。その一回の「ありがとうございます」がどんどん深まってくると、中に
「無限の無限のありがとうございます」が実感されてくるわね。それでもまだまだ浅いね。そこから、ぐんぐんぐんぐん深められてもらうから。深めてもらうのね。それで自分の周りの全て、この世もあの世も「全ての全てが神様」というふうに感じられてくるね。「神様以外に何もない」という「自分と神様だけ」という感覚に入ってくるね。それが一番幸せなのね。それが「ありがとうございます」のお祈りの極致になってくるね。

 
 「お祈りだけで」与えられるのか

【それを詰めていきますと、何もしなくても、仕事もしない何にもしないで、ただお祈りをするだけで、先生のように深ければそれは違うでしょうけど。ただお祈りをして感謝をしていれば、何もしなくても与えてもらえるものなのか。そんなんで成り立つのかなと、ちょっと思います】。

ありがとうございます:
それは、一つの小さい部分を見た見方やね。肉体人間という小さい立場の姿を見て「何にもしてない」という見方でしょう。だから、形で祈っているように、座って祈っているように見せても、本当のお祈りには、まだまだ程遠いね。

【あれも一つの生き方、これも一つの生き方とするなら、お祈りだけで与えてもらえるのでしょうか?】

ありがとうございます:
だから、本当のお祈りに入ったら無限に無限に躍動した姿をとるのよね。普通人の持てる能力の倍も何十倍も出てくるの。それも自然にゆとりを持った姿で大きい能力を発揮するの。そしたら神業になるのね。「何も出来ない」というのはまだ偽者よ。高い番組ほど、全てがスピード化しているから、短い時間でたくさんのことがいっぱい出来ているのね。高い番組では、人を幸せにする働きでも、この世と比べたらこの世の何万倍という大きい働きをしているの。それだけのものを与えているから、周りから宇宙全体から同じものを与え返されて極楽世界になる。何もしない何も与えないは、嘘なの。同じ極楽世界という言葉でも、あの世の極楽世界へ行ったら「蓮の花の上に乗って、何もせんと必要なものを全部与えられて、ああ幸せなんだ」というのは偽の極楽よね。
本当の極楽はジッとしてない。何でも中心に立つほどスピードが早くならないと嘘なの。だから、本当のお祈りの姿というのは、無限の能力を発揮しているのね。
 

 
 男と女の役目
 
【男女の役目というのは何なんでしょうか?】

ありがとうございます:
本当の自分は絶対神よね。陰陽両方兼ね備えて絶対の姿をとるのね。ただ、魂的にみると、男性的な魂、女性的な塊とあるのね。魂を磨き上げるという立場に立った時は、両方同時に立派な姿をとるって難しいね。奥から絶対の姿を現すのは簡単なの。観音様のように悟りの心境でスッと出てくるのは絶対神なのよね。男でも女でもなく、それが自然にスッとできるのね。ところが奥の本当の自分の自覚がないと、下からの積み上げなの。下から磨き上げるのね。そうすると男性的な面を磨くときは、男性の肉体を持ってそこで鍛え上げるの。それだけでは片手落ちなんで、今度は女性に生まれ変わって女性的な面を見につけて磨き上げるのね。それで両方自由自在に表現できるようになって初めて魂が完成されていく。その魂は、例えば、男性的な肉体に降りた時は、男性らしさを完璧に表現するのね。例えば夫婦でいうと、結婚して相手がもしこの世からいなくなり、どこかへ行った時は、男性でありながら女性の働きが全部出来るの。一人で両方兼ね備えて出来るのね。一つの一方しか出来ないのは、まだ未完成よね。人間の姿もいろんなチャンネルでみんな違うのよね。両性を兼ね揃えた生き方をする人間の姿があるのよ。また「両方に陰陽に分かれてお互いに助けあって磨き合う」というそういう姿の番組もあるね。

【そこは理解できるんですけど、何か役目というのはないんですか。具体的にはないんですか。】

ありがとうございます:
助け合いなのね。だから一つの目的に向かって、一方では中途半端になるから、両方助け合って完成させるという意味があるのね。

【ということは、女性だけで生きるとか、男性だけで生きるというのは片手落ちということですか。】

ありがとうございます:
やっぱり一人一人個性があって役割があってというと、役割の違いがないと本当の働きが出来ないですね。同じものばっかりだったら必要ないもんね。

【例えば、結婚しろとか、男と女だから一緒に助け合えというのはわかりますけども、でも、今はそれがなかなか出来ない人がいるじゃないですか。】

ありがとうございます:
みんな生まれ変わりの番組に入っても、全部過去が違うのよね。どういう勉強をしてきているかは全部違うのよね。だから、女性としての生き方を長年続けた人は、今男性の肉体に宿っても女性らしい男性ね。その逆もあるし、両性を兼ね備えてそれが魂になった人は、結婚して磨きあう必要もなくなるのね。独身で自分のよさを表現してしまおうとするのね。この世は全部取り揃えた世界だから、いろんな生き方の人があっていいのね。そういういろんな姿を見て、自分が今どれが足りないかとか、どこが素晴らしいかとわかるはずよね。そして自分の本当に目指すところを決めて、それに向かって進むようになっているわね。

【世の中には離婚、結婚、離婚、結婚とやる人がいるじゃないですか。それも自由ですか?】

ありがとうございます:
それは自由ね。本当に自由なのね。一生に一回するのもいいけど、時間のサイクルが早くなると、極端だけど一生に五、六回。五回生まれ変わる時間を一生でしてしまうというのもあるのね。それが悪いんじゃないね。またその過去世で、それぞれに毎回結婚しいろんな体験を積んできたとするでしょう。それで結婚しても本当の結婚の目的が達せられてない、何も磨けてないとか、いろんな因縁がマイナスが残ったとするでしょう。そういう過去世の因縁を、例えばそれが何百回という結婚の体験があって、それを因縁として残しているとしたら、それを消す方法をもう一回結婚して消すのがいいか、お見合いぐらいで消すのがいいか、というのでいろいろあるのよね。だから、五百回お見合いして、五百回の結婚の因縁を消す場合もある。これはもういろんな生き方があっていいのよ。これは神様のほうから、いろんな応援があってそういうふうにさせてくれる場合もあるし、また、本人の自覚がそういうふうに持っていく場合もあるわね。一人として同じ生き方はなく、みんな自由で、違うのがいいのよね。
もう一つ大きい立場から自分を見つめるんだったら、その全ての人の生き方が自分の分身の働きと見たほうがいいよね。一人の分身では限られた体験しかできないね。だから、たくさんの分身があるから、いろんな生き方が出来て、それがぜんぶ自分の体験になって、大きい自分になってくるというふうに見ると、みんな生き方が違うのがいいのよね。だから、あまり捕らわれないほうがいいと思う。どういう生き方もいいの。

【今相談を受けているんです。ご夫婦で子供さんが二人おられて、ずっとうまく行ってなくて、奥さんの方が別れたいと思ってたんです。子供のことなどを考えたら、別れられない状態だったんですけど、夫のほうから「別れようか」という話がきたらしいんです。私はその人達のために何をすればいいんでしょうか。】

ありがとうございます:
だから、人へのお節介はいらないよね。みんなそれぞれ自由に幸せへの最短コースを神様に護られて歩んでいるのね。一時的にマイナスに見えても、本当のマイナスはないのね。その人にとったら大きい勉強材料かもしれないね。結婚して離婚してというのでも、本当の助け合い、磨きあいで本当にプラスになるんだったらそれを持続してもいいけど、それをもう卒業したら別に離婚して、また新しい人と結婚しても構わないね。その子供さんがいるからというのも、大きい思いの縛りよね。一人一人自由よね。子供さんも自由よね。親が子供を生んだというのと違うのね。神様が親の元に子供を預けたというだけよね。子供を護るのは親じゃなしに神様のほうよね。いろんな体験の場を与えて、子供を幸せへの最短コースを歩ませているのね。親が離婚したって別に構わんね。本当の親は神様ね。

 「感謝行」に生きる

【人の怒りとか悲しみとか喜びもそうなんですけど、直接私に向けられているものじゃなくても入ってきてしまうんですね。それで感謝行に生きる時に、そういった人の気持ちを考えないで自分を高めていくというか、そうしようと思うんですが、それが果たしてみんなの幸せにつながるのか疑問なんです。】

ありがとうございます:
みんな自分の心の中に入ってくるというのはマイナスじゃないよね。入ってくることは自分と一体という意味で、そこでお祈りすれば全部そこへ光が届くのね。例えば人の怒りでもスッと感じた時は、自分の中でそれを消し去るための大きい働きを与えてもらっているのね。ただ、感じられたのは、それもほんの一部、氷山の一角よね。そこへ大きい光が降りたら、その氷山の一角の姿を通して、その氷山の本体の方へ大きく流れるのね。それで周りの全てを清めていくのね。

【私がその感謝行を行うことが、みんなを清めていく形になるんですか。】

ありがとうございます:
はい。奥深い大きい働きというのは、表面の自分では殆ど気付かない。ただ、「ありがとうございます」と唱えているだけなのに、大きい働きをさせてくれるのね。それはやっぱりプラスアルファーの力が大きいのね。

【じゃあ、あんまりその人のことを考えたり、ああだこうだと思わないで、ただお祈りしているだけで、その人たちの怒りや悲しみが少しは和らげるということですか?】

ありがとうございます:
それもあるしね。実際そういう現実に出てくる思いや姿は、万分の一億分の一に、元々和らげてもらっているのね。更に、その上に感謝することによって、大きく消してもらっているという確認の感謝にもなっていくし、いろんな意味合いもたくさんあるのね。もう自然に任せていいよね。どんな思いが出てきても構わんし、どういう思いを感じてもいいし、ただ「ありがとうございます」でそこに加えさせてもらうことが大きい神様の働きになって来るね。

【特別、目を向けなくても、そういう感じる心を排除するような事をしなくてもあるがままで…】。
 
ありがとうございます:
自然に任せたらいいね。そうね。
 
【はい、わかりました。ありがとうございます。】

 
 食物アレルギー

【Yさんが質問された異常な食欲は、自分以外の何者かが食べさせているということですが、自分はある時期から、逆に食べられなくなって食物アレルギーが起きるようになりました。他にも食物アレルギーを持っている人もいると思うんですけど、食べるとムカムカしてくるのはどういうふうにしたらいいでしょうか。】

ありがとうございます:
食べ物の好き嫌いは、自分だけの場合もあるし、他からの影響も多分にあるのね。特に妊娠された方はそうでしょう。親としての自分の好き嫌いはちゃんと決まっているよね。ところが妊娠して子供が宿ると、ガラッと変わる人がある。子供の嗜好に合わせてくるね。それも一つの姿よね。またそれだけじゃなくて、好きという人でも嫌いという人でも、その人の思いをちょっと感じるだけで、その思いに振り回されたらその人の嗜好に変化するのね。そばを食べてむかつき食べられなくなるというのも、多分そういうそばを食べて、何かマイナスの体験をした人の思いが来ているかもしれないでしょう。いろんなマイナスの姿をとった時は、表面に出るというのは、その心に溜まったマイナスを消してもらう時ね。心に貯めているだけでは消えないのね。表面に出た時、そういうマイナスの思いを消してもらっているのが本当の姿よね。「ああ、消してもらった、ありがたい」と思うとどんどん変化するのね。

 
 「インスピレーション・アイディア」がわく時

【七、八年ぐらい前に上から「慌てるな、慌てるな」という声が聞こえまして、それはまた聞こえるので「抜いてあげます」と言われお願いしたんです。その行為を信じている訳ではないのですが、自分の中で、まだ「慌てるな、慌てるな」と続いているのか、それともそろそろゆっくりゆっくりした方がいいのか、そういう思いがズーッと続いてるんです。】

ありがとうございます:
いろんな言葉が、インスピレーション的に閃いてくるというのがあるのね。それは無限の次元があるわけでしょう。どこから来る言葉か。普遍は判断つかないよね。自分の心境に応じて波の合うところからしか来ないのね。それが本当に一番上か一番下かわからないよね。普通は、本当の正しい守護霊さんとか守護神さんの導きの声だと、本当に必要な時だけしか、それも、かすかにしか聞こえてこないぐらいの降り方なの。そういう言葉が常にバーッと強制的に降ってくるというのは、もう一つ自分より低いところから降ってくるね。干渉してくるのがあるのね。いろんな言葉の聞こえ方があって、いろんな言葉の種類があるのね。本当に自分にとって必要だったら、それを正しく受けて参考にすればいい。ちょっと参考にすればいいぐらいね。あまりそれに縛られるといけないよね。
本当の神様の導きというのは、外からじゃなく中から来るね。中から来ると言うのは、湧き上がるという意味じゃなく、神様の心が自分の心として自然に出てくるの。そして自然に正しく気付く心として出てくるのね。外から強制的に出てくるのは、もう一つ低いけど、中から湧き上がるのもまだ低いの。自然に神様の心が自分の心として、自分が考えたような感じ方の方が正しいのね。それですべての善悪を、なんでも正しく判断できる方がいいのね。だから、その過去の言葉にあまり捕らわれない方がいいと思う。今「自分にとって何が必要か」という必要なものを、自然に全体から吸収していくのがいいと思うのね。

【インスピレーションとかアイディアとか湧く時があるでしょう。これは素直に受け取っていいんでしようか。】

ありがとうございます:
駄目。それはもっと低いところからかも知れないでしょう。高いとこからかも知れないけどね。やっぱり自分のそのときの心境に応じたところからくるのよね。どんなインスピレーションも感謝を深めて受けても、更にそれを「判断」する、本当に正しいかどうかを見極めないといけない。

【仕事の、例えばアイディアなんかがありますね、自分の考えたのじゃないようなアイディアとか知恵のようなものはどうですか。】

ありがとうございます:
それも同じね。「これが正しい」と思い込んだら、足元すくわれてしまう。どんでん返しを食らう時がある。いろんな神様の段階があるでしょう。いろんなところから干渉的にインスピレーションを与えてくる場合でも、最初はいいことばっかりズーッと与えて、後で一つ間違った事を教えてどんでん返しを食らわせるというのがあるよね。だからもう信じ切ったら、正しいと思い込んだら駄目よね。やっぱり一つ一つ自分が正しく点検しないといけない。

【インスピレーションというのは外の力で、中の力でそれを点検して霊に磨いて、それで正しいと思えばやったらいい。】

ありがとうございます:
そう、そう、常に自分が判断していかないと。他から「これが正しい」と言われても正しくない場合もあるのよ。自分より上か下かを見抜くというのは難しいよ本当はね。外見ではそんなんわからないしね。だから、感謝を深めて本当の神様から知恵をもらって、その知恵で正しい判断を下していかないと。また「それが本当の日的」でもあるのね。本当の神なる自分に戻らないといけないでしょう。本当の能力を磨き出さないといけないんで。言うたら、本当の意味で「試される時が多い」ね。善悪を見抜き正しいかどうかを判断するカを磨き出さないと、本当の自分に戻れないのね。

【答えを出すのは難しいじゃないですか、これはやっぱり感謝行をさせてもらうことを深めなきゃ駄目ですか。】

ありがとうございます:
そう、そう。だから、感謝を深めて神様の知恵を頂いて、それを正しく判断していけるようにならないとね。そうでないと神様の御心に叶った生き方にならないのね。大抵は、この世でも「あの人は神様のような人だ、大聖者だ」と言われたら、その言葉に振り回されるよね。その奴隷になってしまうね。それは本当の自分を見失うのね。人の言いなりになってるだけよね。奴隷になった姿よね。これはこの世だけじゃなく、あの世からもそうよね。いろんな段階からインスピレーションとしてくるけども、振り回されて支配されたら奴隷と同じよね。本当の本体の自分は、そんなちゃちなちっぽけなものじゃなく、無限に無限に輝いた自分が奥にあるのに、その「自覚を引き出して何故その判断をしないか」と言われるよね。だから、その
小さい自分を掴んで、他からの助けを求めているようだったら落第になるの。外へ頼るから本体の自分が出てこれないというところがあるね。だから、本当に頼るところは自分の内なる本体の自分であり、本体の自分をしっかりと引っ張り出すという生き方の方が大事なのね。人に頼るといけないし、他へ頼ってもいけない。必ず「自分が」というのが大事よね。

 
 本体の自分を引き出すには

【ちょっと難しいですね。(難しい)一生懸命考えて自分の中から出てくるというのも駄目なんですか。】

ありがとうございます:
知恵の出し方がいろいろでしょう。「他へ頼って」というより、感謝して、本体の自分へ心を向けて、自然にスッと受けるのがいいよね。感謝のお祈りというのは、自然なそういう本当の自分に戻る生き方になるのよ。自然に本体の自分が出てくる。そしたら他に頼らない本当の神様だけにすがる生き方をとって、神様の助けを受けて、自然に本体の自分に戻っていけるね。自然体の姿をとるのね。他からの助けというのは、みんないいように思うんだけど違うのよね。「高いところからの助けを受けた」「神様の啓示を受けた」と言うと、みんな天狗になったり、奴隷になったり、必ずおかしくゆがんでいくのね。いろんな姿でゆがんだ姿をみせてもらうのも「これでは駄目」という勉強にはなるんだけど。この世もあの世もそういう姿がいっぱいなのね。本当の正しい生き方は、自分の中から本体の自分を引き出してその自分をしっかり生きることだけよね。本当は人を「自分の師匠だ」というたらあかんのよ。どんな教えも「そんなつまらん大したことはない」と切り捨てないと、そうでないと本体の自分を見失ってしまうわね。

【先生は、個よりも全世界のためにお祈りするとおっしゃいますね。これは本心じゃなきゃ出来ないことがたくさんありますけども。でも、個よりも全部をお祈リ出来るようになる方がいいんですか。】

ありがとうございます:
そうです。本体の自分は全体。大きい自分だから、本体の自分を引っ張り出すためにも大きい祈り方が大事よね。小さい自分だと本体の自分を引っ張り出すところまで行かないね。小さい自分へ神様の助けを入れようとするだけよね。小さい自分を神様に捧げつくして神様の中へ飛び込んでいくと、大きい本体の自分に戻ってくるね。だから、大きい祈り方の方が正しい祈りになってくるね。

【祈りをする時は、個よりも何かみんなのために、みんなの役に立つようにという考え方の方がいいんですか。】

ありがとうございます:
正しいですね、その方がね。はい。




ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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