ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
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ar41一生の食い扶持は決まっている2002.06.28.01

☆主人は心がすごく優しいんですけど・・頑固なんですけど・・働かないで庭いじりをしていて全然生活費を考えてくれなくて長いこと生活費が入っていません。私も今年61になりますのでこれから老後の事とか考えて蓄えないといけないのですが・・・先々の事を心配してはいけない、今の事が大事とお聞きしているんですけど、どうしても先の事を考えてしまうんです。私もこれから仕事をゼロからしていかなければいけないんですが、ありがとうございますを常々言うことによって主人の方もうまく回っていくのか心配で・・・心配性を無くさないといけないのが私の課題なんですけども・・・。

ーありがとうございますー
 そうですねぇ。ありがとうございますと唱えると宇宙の大神様が必要なものを的確に与えてくださるんです。感謝がないと受け損なうんですけど、だからこの一生を寿命を与えられてこの寿命が尽きるまでは、必要なものは的確に与えられるに決まっているんです。ただ贅沢はよくないですね。必要なだけは必ず与えてもらえます。食べ物でもそうですが一生の食い扶持はちゃんと決まっていて用意されているから、だから感謝に生きて必要なだけを受けて喜んでいる限りは絶対に不自由しないです。お金儲けの為に働かないと生きられないんじゃないですね。一生寝たきりの病人でも、そういう役目だったら生かしてもらいます。一生、必要なものは寿命が尽きるまで的確に与えてもらえますから心配ないんです。ありがとうございますだけで喜んでいる方がいいですね。

 宇宙創造の光

☆ありがとうございますは、お祈りする時にイメージとかを何か思い浮かべたりしますか?

ーありがとうございますー
 私の場合は神様の宇宙創造の光を感じるだけです。無限の無限の輝きが無限に無限にいっぱいというような感じで、もの凄い輝きが全方向からトコロテン式に飛び込んでくるような感じで、それを感じるだけです。みんな神様という感覚です。神様だけがズーッと連続して姿を変えて装いを新たにして出て来ているという感じで感じているんですけど・・・ありがとうございますというのはそんな感じでそれを全部受けているような感じです。

 誰も人まねは出来ない

☆人によっていろんなものが見えたり守護霊さんとお話するとか、宇宙意識とかイルカと話したり、私にとっては羨ましいそういう交信が出来る方がいますが、それはいろんな体験をしたり意識が高くなるチャンネルというのか、そうなると誰でもそういう事が可能になるのでしょうか、それともそれもひとつの個性なんでしょうか?

ーありがとうございますー
 みんな本当はもともと自由自在な心を与えてもらって神様の与えてくるすべてを自由自在に受けられるようになっているんです。ただその時その時に自分が何に興味を示してそれをしっかり心に捉えようとしているかだけの問題なんです。先ずこの世に生まれてきたらこの世をしっかりと見つめないとね。
 テレビの放送番組でもそうですが、ひとつの番組にチャンネルを合わせたらその番組をしっかり見て、そこから何かを発見して・・そこからプラスの幸せを感じて楽しんでいますね。だから、心が自由になればいろんなものを同時に見れるかもしれないです。ひとつのテレビだけをみるんじゃなしに、十くらいテレビを並べて違う番組をみれるかもしれないし・・それもいろんな楽しみかたがあっていいんですね。でも人のふりを見て参考にしてもいいけど、羨ましがることはないです。
自分は宇宙でただ一人です。誰も人まねは出来ないです

 本心の自分

☆お話の中に肉体の自分と魂の自分と本心の自分というのが出てくるんですが、肉体の自分は見えるから判るんですが、魂の自分と本心の自分というのをもう少し詳しく教えてください。

ーありがとうございますー
 神様から与えられた本心のいのちの自分というのは神様のすべてを受けなおす自分です。感謝の心の極致に存在している自分があるんです。それは神様を一瞬一瞬新たに受け直して、それをすべて自分というふうに受けてまたお返しして、また新たに受けて自分というふうに受ける訳です。だから宇宙が本当は自分です。本当の自分はそうなんです。そしてそのいのちの光の流れをいろんな立場から眺めているうちに、全体を見るより部分を見つめるようになってくるんです。その部分を見つめた時は部分も自分です。ただちょっと全体からみると小さくなってくるんです。
 それは感謝の心の間はまだそれをプラスにプラスに見ていけるんですけど、だんだんと感謝から離れていくと感謝を忘れると感謝の心が思いの心に変化するんです。思いの心はだんだんとひとつのものに執着しだすんです。掴んでしまうんです。そうするとますます小さく部分を掴んでいくんです。だから魂の自分と掴むのも小さいです。もうひとつ小さくなると肉体を自分と掴むんです。でもそれも必要なんです。小さくなったり大きくなったりで、いろんな自由自在な変化を楽しみながら部分もよく判るまた全体もよく判るという自分に大きくなっていくんです。

☆その本心の自分というのがなかなか掴みにくいんですけど・・・。

ーありがとうございますー
 そうですね。焦る必要はないと思うんですけど・・小さくなったら必ずまた大きくなって行くので、その大きくなる方法は神様に自分を投げ入れて神様とひとつに同化していく、一体化していけばいいですね。それは、ありがとうございますと感謝する事によって神様を受け入れるという状態になって神様の心が自分の心に置き換わってくるんです。神様は全体だから全体の事がよくわかって見通せるんです。だから感謝に入ったら自然に大きくなるんです。だんだんと自然に無理なく大きくしていただけるんです。

 無限の中のひとつの見え方

☆お祈りをしたり座禅を組んで目を閉じていると大きい目が出て来たりするんです。あと、寝ていて光がバーッと部屋中に拡がるのを見たりしてビックリして起きちゃったり、伊勢神宮の別宮に行くとお腹が急に膨れてきたりするんですけど、これは一体何なのでしょうか?

ーありがとうございますー
 みんな・・他にもっと自由自在にいろんなことが見えてもいいんですよね。それがすべてじゃないです。もっと自由自在にそれが無限の中のひとつぐらいの感じで見れたらいいですね。ただ、この世に生きている人はこの世の生活は大事なので、この世から大きい幸せを感じるということも必要なので、あまり他の世界や番組には心を向けないです。
 でもいろんな人の自由があってこの世だけでは満足できないところもあるんです。それでいろんな番組や次元も把握できて全体も把握したいという生き方もあるので、その時に他の次元・番組からの波の干渉とかまた自分がそっちに波を合わしたらその波を感じるというのもあります。だから光が見えたり目が大きく見えたり、またいろんなそういう霊能的に見えるというのもいっぱいあっていいと思います。ただ、それにとらわれない方がいいだけで、それは無限の中のひとつの見え方というふうに見たらいいです。楽しみ方がちょっと増えたというくらい・・この世だけしか見えないというのもそれは悪い事じゃないですけど、この世も見えてまたあの世も見えていろんな番組も見えてというのも別に悪くはないから、ただ楽しむためにプラスにプラスに見ていく方がいいですね。

☆じゃあ、楽しんで見ちゃっていいわけですか?

ーありがとうございますー
 そうですね。その方がいいですね。

 断食

☆以前ヨガをやっていて体質改善の為に2回ほど断食をしたんですけど、2回とも胃潰瘍になったんです。今まで病気をしたことがなかったので夜中にすごく情けなくて泣いたことがあったんですけど、でもお話を聞いているとおじさんは働きながら何日も断食をして、内臓が潰れていても人を遠隔治療したりしていたという・・それは意識の違いなんでしょうか?私は2回も胃潰瘍の経験をしなければいけなかったんでしょうか?

ーありがとうございますー
 別に断食って本当はそんなに大したことないんです。私の場合は小さい時から耐乏生活をさせてもらって一日一食の時もあるし何も食べない日もあったという状態で大体二十歳くらいから断食を月のうち三週間ズーッと三十過ぎまでしていたんです。それで朝昼晩と人の三倍働いていたから・・断食中も百キロ以上の重たいものを運んで仕事をしていたんですけど、ただ忙しかったんです。文字通り寝食を忘れてという感じで仕事の方をいろいろすることを楽しんでいたんです。だから断食する時も断食しているという感覚に囚われていなかったです。忙しいから、食べずに済んだらありがたいという感じです。そんな感覚であまり食べたいという気持ちもなかったから平気だったんです、食べないという事がね。だからマイナスには絶対見ていなかったです。食べなくても別に構わないという感じでした。それで食べる時はまた、ありがたいという気持で食べているんです。だから気持がプラス志向ですね。

☆やっぱりマイナスの意識が働いていた事になりますね。一日で胃潰瘍になったんです、食べないのは平気なんですけど元に戻すのが一番大変で体の方がもう食べ物入らないという感じで何を食べても受け付けなくなっていて、健康の大事さとかを・・・。私の中で、それが必要だった訳ですね?

ーありがとうございますー
 そうね。胃潰瘍でもちょっといろいろ心配事が多いと、マイナスに思う気持ちが強いとそういうふうになりやすいですね。なりやすいというよりもそういう気持ちが心に貯まっていたものを浮かび上がらせて消してくれていると見たほうがいいかもしれないですけど・・心に貯めたマイナスを形に現して消してくださったというふうに。特に断食の時は心の大掃除と思えばいいですね。心の大掃除をしてもらう、それでそういうふうに形に表れて心を浄めてくださったと見て喜べばよかったですね。

☆深刻にとっちゃいけないということですね?

ーありがとうございますー
そうそう、プラスにプラスに受ける方が大事ですね。

 目標

☆目標を求めることはもう要らない、必要なものは既に与えられている事に気づけばいい、目標は既に自分のものだという事を言われたのですが・・どうやってそれに気付けるのでしょうか?

ーありがとうございますー
 人に対して神様が何を与えてくださっているかというと、もうすべて与えてくださっているんです。その人の生きる大きい目標も中間の目標も小さい目標もと、神様が全部用意してくださっているというふうに受けると感謝しているうちに必要なものを自然に全部・・目標だけじゃないです、すべて与えてもらっています。ありがとうございますを感謝の心を起こす事によってそれを心に受け入れてそれが現実化して具体化するんです。感謝ひとつになっているとハッキリと気付いて来るんです。

 いいことをして悪く言われるとそのことが徳になって残る

☆おかげさまで自分の中に思いが少なくなったと思っていたら、会社の子が他所の会社の人から屈辱的な扱いを受けて、社内ではみんな憤慨しているんですがそれはある面ではありがたいことかなと思っています。みんながその子の気持になって一生懸命にその子のことを考えるようになったんです。でも、自分もそうなんですが皆もなかなか相手に対して許せないという思いを消すことが出来ないところがあって、許せない気持ちを思い返してはありがとうございますを言っているのですが、今はこれを続けることしかないんでしょうか?

ーありがとうございますー
 いい事をして悪く言われるという場合があるんですね。でもこれは喜びごとなんです。いい事をして褒められたら、そのいいことをしたことが帳消しになります。プラスマイナスゼロで終わってしまうんです。ところがいいことをして悪く言われるとそのいいことをしたことが徳になって残るんです。だからいいことをする時は人に褒められない方がいいんです。表彰されたりしたら損するんです。政治家でも大臣になったら七代祟るくらい徳を失うというんです。それを補うだけのいいことをいっぱいしないと徳切れになってしまいます。だから本当は隠れていいことをいっぱいするのがいいんですね。人に見られてもいいことをし続けて、それで悪く言われる方が得します。だから徳を消さないようにしてくださったと喜べばいいんです。そうするとその徳の力というのが自分も幸せにするし人をも幸せにする力になるんです。
(☆それは夫婦でもそうなんですか?)そうです。一生懸命尽くしても悪く言ってくれた方が幸せなんです。徳をたくさん積ませてもらう方が輝いた自分に変ってくるんです。 感謝が出来るようになる前に必ず、いいことをしても悪く言われる時期があっていいんです。それで徳を積ませてもらって感謝の出来る自分に変えてもらうんです。

☆いいことをして悪く言われる場合にも、悪く言う人が本心で悪く言う場合と本心でなく悪く言う場合とがあると思いますけど・・・。

ーありがとうございますー
 自分にとってはどちらも同じことです。人は人、自分は自分なので自分の受け方がプラスに受けたら自分が得するだけです。だからマイナスに見たら損するのは自分なんです。両方喜んだらいいですね。

☆喜ぶというのは・・難しいですね。

ーありがとうございますー
 ほんとうですね。でも、どんな場合も神様が護り導いてくれているんです。幸せになるようにと幸せへの最短コースを歩ませようと一生懸命に護り導いている訳です。いろんな出来事や現れてくる姿全部が自分を幸せにするための神様の計らいです。ただそれに気付くほどその導きにスッと素直について行けるんですね。その気付きが大事でそれに気付く為にありがとうございますを唱える方が気付きが早く大きくなるんです。それでありがとうございますを唱えさせてもらう自分というのが一番幸せなんです。そういう事に気付かせてもらいます。

 褒めるより感謝して拝む

☆さっきのお話だと、奥さんをあまり褒めすぎたらいけないという・・・?

ーありがとうございますー
 表面で褒めるより心でしっかりと拝むような褒め方がいいんです。相手に知らせずに褒めているので、相手の本当の姿を引っ張り出す働きです。だから感謝する拝むというのがいいですね。誰かから素晴らしいプレゼントをもらったとするでしょう、すぐにありがとうございますと言ったら誰でも、もうそれで終わったような感じになりますね。でもお礼を言わずにズーッと心に貯めておくと心の中でいつもありがたいという気持ちが続くんです。それが相手にとってはもの凄いプラスになるんです。相手に感謝をし続けている拝み続けているという感じですね。相手に大きいプラスを与え続けている状態です。だから表面でありがとうございますと言うだけで、お返ししたような気持になってしまうとそれっきりで心の交流も何も起こらなくなる可能性があるんです。

 与え尽くす感謝がいい

☆私は本気で思った時しかありがとうという言葉が出ないんですが、だから人から本当にありがとうと言われたらうれしいんですけど・・・そういうのも消えてしまうということですか?

ーありがとうございますー
 ありがとうございますと言われて嬉しいという軽い気持だとこれは求める心の方で、感謝の心は報いを求めず与える心と一体化しているんです。感謝も相手に与え尽くす感謝、相手からお返しを求めない感謝がいいんです。それだと相手も報いを求めず与えてきます。
 その感謝の交流というのが最高の姿をとるんです。でもちょっとでも求めると感謝してくれないとやっぱり自分がマイナスに感じたり苦しいんです。だから本当の与え尽くす感謝になると本物です。それを目指した方がいいから、相手には心から拝む深い感謝を捧げるという与え尽くす感謝に徹底する方がいいです。それで相手には一切求めない、与え尽くすだけがいいです。逆にいうと感謝されるより悪くいわれる方がいいと言うくらい徹底しておく方がいいです。感謝して欲しいというとプラスを求めているんですね、でも悪くいわれてもいいということは結局、計算すると逆にプラスを与えたことになるんです。マイナスを自分が受け入れるということは相手にプラスを与えたことにもなる、余計にプラスを与え続けている状態になるんです。だからそれが徳になって大きい利息がついて大きく徳が増えるんです。

 心配したり余計なことを思わない

☆人に何かを送った時などに着いたかどうか心配してしまうというのは、自分が確信していないからでしょうか?

ーありがとうございますー
 何をさせてもらうんでも、どんないいことをさせてもらうんでも神様のお手伝いという気持が一番楽です。自分は神様のお手伝いで、出来ることをさっとさせてもらって後は忘れるくらいがいいです。後は神様にお任せというのがいいです。必要だったら神様がそれを完璧に護ってくださるんです。必要なだけはちゃんとしてくださるので後あまり心配したり余計なことを思わない方がいいし楽ですね。

☆現実ではスッと返ってきた方がすごく安心するという癖が残っているかもしれません。

ーありがとうございますー
 でも・・それは求める心になってしまうとやっぱりちょっとは苦しくなりますね。だから自分はもう、いつも神様から最高のプレゼントを受け続けるという生き方が立場がいいですね。自分が何かを与えてそれを求めて返してもらうじゃなしに、徹底して神様から無限のプレゼントを受け続けるというのが一番自分にとって幸せが大きくなる道です。そういう意味だったらすべて神様のお手伝いでそのお手伝いも神様から受けてさせてもらっているだけという、受けては放し受けては放しがいいですね。

 悪役

☆もしも悪い人・・天罰を与えたいような人に出会った場合にはどんな考え方で対処したらいいでしょうか?

ーありがとうございますー
 神様が皆に平等に与えているのは無限の無限のチャンネルの番組です。その中にはいい役の番組もあるけど悪い役の番組もあるんです。全部取り揃えてあるんです。人はその番組を自由に選んで、どれを選んで楽しんでもいいようになっています。だから悪い役の番組もあるんですがそれも自分が自由に選んで楽しむために見ないと損するんです。なんて凄い悪役を演じて見事だなと褒めるくらいの・・悪役を演じるのは難しいですね、だからある意味では名優という・・見事な演じ方と楽しむのが大事です。この世はあの世の無限の無限のチャンネルの縮図として特別に出て来ています。だからいいのと悪いのと両方揃っています。あの世で勉強するとあまりに幅が広すぎてとても全部は見通せないです。でもこの世のひとつの番組に縮図として全体を絞り込んでもらうと、この世で全体像を・・万分の一か億分の一かの縮図だから小さく見えるんですけどいろんな姿を楽しめる、そして選ぶ勉強が出来るんです。自分はどの番組を見たいのかどれを選ぼうとしているのかという勉強です。だから悪役を選んで見るんだったら自分が悪役になりたいという時です。いい役になりたいというならいい役を選ばないといけないです。その選択の自由を与えられてどれを選ぶかという勉強をして、選んだものに自分がなりきっていくという勉強です。
 そうするとあの世へ戻った時にその自分の選んだ番組で自由に楽しめるようになるんです。極端に言ったら地獄を選ぶ人があってもいいんです。それもひとつの楽しみ方なんです。自由な心になって楽しむんだったらそれも苦しみじゃないです。喜び楽しみでしかないんです本当は。

☆そういうふうに地獄を見たい人には、いくら言っても・・・。

ーありがとうございますー
 そうでしょう。この世でもテレビにいろんな番組がありますね、戦争映画も妖怪の番組もあって、好きな人はそれをじーっと見つめます。それをある程度見て飽きてきたら他の番組をみるんでしょうね。皆さんも既にマイナスの番組を見てきたんじゃないですか?まだちょっと興味が残っているかもしれない。

 地獄番組を楽しむ

☆悪役がそういうふうに演じるということはその蔭にたくさんの被害者がいるのでは?

ーありがとうございますー
 地獄番組では殺し合いばっかりで鬼の形相で奪い合いです、皆がそういう役割を演じる番組ですね。両方が加害者で被害者でもう大変な役割です。でもそういう番組をいったん見ていたら、本当の極楽番組の与え尽し合いの世界が幸せが何倍にも大きくなって感じられるんです。

☆自分自身が地獄に入ってしまって、こんなことはしたくないのにしてしまうという時にそうすることによって傷つく人も出てきますよね?

ーありがとうございますー
 思いの心はその番組に執着してはまりり込んでいくんです。感謝の心は自由な心になって番組の外へ抜け出るんです。ここがポイントです。感謝を深くすると自由な心になるから番組に巻き込まれなくなります。だから地獄番組を見ていても放して達観して見れるんです。だから苦しみが全然ないんです。やっぱりテレビ番組です、地獄番組を楽しんでいるという感覚で見れる自分に置き換わるんです。だから思いの心から感謝の心にきり換えていくというのが大事です。それさえ出来たら苦しみは絶対無いんです。

☆すごく嫌な人にあって何かされたら、正直にいうと「仕返ししてやる」と思うわけですけど、それもやっぱり自分が一種の地獄を演じるんですよね?

ーありがとうございますー
 そうです、なかなか名演技ですね。プラスとマイナスと両方を演じ切れたらすごいです。

 客観的に見れる自分が感謝の心の自分

☆今迄自分はプラス志向だと思っていましたが、客観的に自分を見ると無意識のうちにマイナスの言葉を言ったり批判したり、マイナスの言葉を吐いている自分に気がついてちょっとビックリしました。表の自分と裏の自分が両方見えてきて、そうなると無意識とか潜在意識というのは一体何だろうと・・・。

ーありがとうございますー
 意識の分け方が現在意識・表面意識とか潜在意識とかさらに奥の意識とかいろんな意識の捉え方があるんですけどそれも区別の仕方が大雑把な分け方です。本当は無限の無限のチャンネルの番組があって、その波長のあったところから何かメッセージを感じるわけです。だから神様の与えてくれた無限の無限のチャンネルの番組の何かを感じる訳で、波長さえ合わせばいつでも地獄からの番組の放送番組を感じるんです。でもそれが悪いことじゃないんです。ただ自分がその時その番組をキャッチしたというだけです。だからマイナスを感じても別に悪いことじゃないしそれもまた謙虚な勉強になっているし、またプラスを感じて喜びを大きくするという、そういう自由自在な生き方がいいんですね。

☆そういう見方を自分の中で認めるようになったら、他の人への見方も変ってきたような感じです。

ーありがとうございますー
 そうですね。客観的に見れる自分が感謝の心の自分です。心が自由になって両方 見れるんです。それもプラスにプラスに見れる自分に変っていきます。

 お互いのよさを褒めあう

☆いつもありがとうございますを言っているので、W杯でどの国が勝っても喜ぼうと思ったんですけど、やっぱり日本が負けると悔しいし韓国が勝つと喜んであげられなくて何か悔しいと思いました。ちょっと異常だなと思うのはW杯で、人のことなのにすごく熱くなって水の中に飛び込んだり死んでしまったりしている方がいるんですけど、サッカーは私はお祭りだと思うんですが・・なにか国同士の喧嘩というか戦争というか、まだまだ戦いなんだなと感じましたが・・・?

ーありがとうございますー
 ひとつのサッカーというスポーツ競技を通してでも、これも無限の無限のチャンネルが同時にあるんです。低い番組だと争いです、競走くらいなら軽い方ですが戦争状態の争いはもっと低い番組ですね。高い番組はお互いのよさを褒めあう番組です。お互いのよさを引っ張り出しあって、素晴らしい最高の演技が出来て・・という感じで称え合うようになると高い番組です。それで心が交流されて皆が仲良くひとつになっていくという本当のお祭りです。サッカーを通しての高い番組です。ただそのひとつのサッカーという姿を見てどういう番組に波長を合わせて見ているかというと一人ひとりみんな違うんです。感謝をする人はやっぱり高い番組をこの世へ引き出そうとしています。

☆表面的には日本が負けた時、今度は韓国に頑張って欲しいと言っておきながらドイツが勝ったら喜んでいるようなところがあるので、何なのだろうと思っていたんですけど・・・。

ーありがとうございますー
 好き嫌いの心は思いの心の一種ですね・・だから好きという応援したいという思いの心の時は、日本の国だったら日本の国からいろいろお世話になって助けてもらったからという、借りのあるときです。借りのある時はその国を好きに思うんです。えこひいきしてでも応援したくなります。でも嫌いな場合は貸しがあるんです。損したという思いが残っているんです。そうすると応援したくないんです。負けた方を喜んだりしてしまう思いが残っているんです。それはもう、誰でもそうです。思いのある間はそうなってしまうから、そういういろんな思いが浮かび出たときに感謝したら全部消えていきますから、後からでいいんです、ありがとうございますと感謝していたら浮かび出たものを全部消してもらったら、今度はみんなを褒め称えて感謝して喜び合うという姿を、高い番組を引き出せる自分に変化していくんです。ひとつのサッカーを通してでも気付きが増えていろんな勉強をさせてもらえますね。いろんな思いが出た時は後からありがとうございますで消してもらえるから、それで大丈夫です。

☆褒められると徳がなくなるという事なんですけど、お世辞の場合はどうなんでしょう?

ーありがとうございますー
 同じです。お世辞で褒められても余計ありがたくないですね。真心が褒めてくれたらその本当の意味のプラスを与えてもらっています。相手からプラスを与えて自分を素晴らしく変える力をもらっています。だから本気で心の底から褒めて感謝くれる方がありがたいですね。でも表面的なお世辞でありがとうなんて言われても徳消しになりますから損します。本当の意味の褒め合いというのはいいんです、感謝のし合いというのはお互いがプラスを与え合う姿をとっているから。ただ、求めたら損するんです。お返しを求めると損しますから自分はプラスのいいものだけを与え尽くすというのがいいんです。同じ褒められて感謝されても表面的なものじゃなしに深いものを受けるのがいいです。逆にいうと表面は貶されて悪く言われても、本当はあの人は無限に褒め称えてくれている感謝してくれているとじぶんが受ける方が大事なんです。それがプラスを大きく受けたことになるんです。浅くなるといいものを受け損なってしまうので、また表面だけだと徳を消されてしまうんです。

 人を通して神様にお返しする

☆表面の現象は人に対してなんですが、実際は自分の為にすべてのことをやっているのでしょうか?

ーありがとうございますー
 この世で自分が与え尽くす生き方を取れたとして、何の為に与え尽くすか・・・これは自分が神様からいいものを受けなおせる自分になるために自分を空っぽにする為に与えるのがいいんです。そうすると神様から新しいものがどんどん入ってくるんです。だから人に与えるという生き方も自分を空っぽにする意味で必要になるんです。でもまだ人を相手にしているから神様から受けた古いものを人に与えているんだから大したことないんです。もしマイナスがそこにあったとしたらマイナスをも同時に与えていることになります。特に思いの自分が残っていたら思いを被せて与えます。同じ与えるといっても相手に思いを重荷を与えることになります。それよりも自分のものを全て神様に向けてお返しする方がいいです。だから人を通して、ありがとうございますと神様にお返しするような気持で与えたらいいです。そうするとマイナスは神様が引き受けて消してくれます。それで自分も心が空っぽになって受けやすくなるので両方プラスです。人に与えるんじゃなしにあの人かわいそうだから与えるという気持ちじゃなしに、あの人は神様なんだという神様への恩返しお返しという気持でそれも謙虚な心で、マイナスも引き受けて消してくださるという気持で与える方がいいです。そして神様との交流、いいものを受けてはお返しして受けてはお返ししてという、そういう生き方になると幸せがどんどん大きくなっていくんです。

☆ボランティアをやっていて以前は、ちょっとやってあげる感じだったのが今は反対に自分がすごい幸せをもらっていると感じられるんですけど、いろいろやっていてそれがマイナスで返ってくる場合に、自分のやっていることがマイナスに感じられて凄いショックで落ち込んでしまいます。そういうときの対処について・・・。

ーありがとうございますー
 ボランティアは奉仕するものですけど本当の奉仕は神様への恩返しです。神様から無限のプラスをいっぱい受けてその恩返しに少しでもお役に立ちたいという、だから奉仕する時は一切報いを求めないんです。万分の一か億分の一しかお返しできないですから、ちょっとでも恩返しできたらという気持で与え尽くす心になると結果はもう頓着しないです。与え尽くすことによって中から喜びが湧き上がるんです。外から受けるんじゃない中から湧き上がってくるのが本物です。与え尽くすことによって中から湧き上がってくるのは神様の心、神様の喜びの心です。

☆人間ですから、相手がとても喜んでくださるとその喜びが私に喜びを与えてくれるというのもあるんですけど・・・。

ーありがとうございますー
 人に何かして喜んでもらったら徳消しなんです。それは損するんです。そういう時にちょっと不機嫌な顔で応対してくれる方がありがたいんです。その時は本物の自分になるんです。中から無限の喜びが湧き上がって相手がどういう反応を示しても、もうその喜びは絶対に消えないという喜びに変化します。だから相手に与え尽くすだけで喜びがいつも湧き上がるのが本物になっていくんです。それは条件付じゃない、無条件で喜びが続くようになったら本物です。そのためにいろいろマイナスの反応を示してもらう方がいいです。喜んでもらうばっかりだったら表面の浅いものに囚われます。

 家族の姿

☆・・・(聞き取れず)・・・ちっとも喜んでもらえなかったと反対に落ち込んだりしますが・・。

ーありがとうございますー
 それは家族がそうしてくれているんです。深いから思いやりがあるから。
遠い人はあまりそこまで感じてくれないです。家族は本当の幸せを味わって欲しいから徳の消えないように一生懸命そういうふうにマイナスの反応を示してくれるんです。家族として生まれるのも深いプラスのつながり・縁があるんです。お互いを幸せにしようと助け合いの姿をとっているから、その本当の意味が判ればありがたいな・・となるのが本当なんですけど、だから報いを求めず与え尽くす心に早く変えてくれるんです。母親が赤ん坊にいろいろ尽くすのは最初は報いを求めていないです。与え尽くす心です。その時は幸せなんです。子供が成長したらだんだん求め出すんです。求め出したら苦しいんです。だから純粋な与え尽くす心をいつも持続させないと損です。

 低い番組

☆すべてが神様への感謝だということはもう判りましたけど、一応・・質問なんですけど方角が悪いとか先祖供養しないといけないとか変なことを言う人とか西側に黄色いものをとかいろいろありますけど、私のところは常識的にやっていればとにかくありがとうございますと言っていれば、そんなものは関係ないと・・・それでよろしいですか?

ーありがとうございますー
 そうです。そういうものはみんな無限の無限のチャンネルの低い番組の方です。ゼロより下のマイナスの番組方にあるんです。そういう番組を引っ張り出す人もこの世にいるんですね。でも感謝の心の行き方をとる人は、感謝一筋というのは無限のプラスを受けようという生き方だから、もう低い番組は無関係です。

 雑念

☆ありがとうございますを唱えると・・深さもあるんでしょうけど・・徳を積んだことになるんでしょうか? いつもお祈りの時間を決めてやっているんですけどいつの間にか他のことを考えているんです。雑念ばかりが湧いてきて・・いけないと思ってまた始めるんですけど、そういう事を繰り返しています。いつまでたっても雑念が消えないんですけど、でもその中で気付かせて頂いているのは、これはありがたいなと思う気持ちはちょっとだけ前とは変ってきたんですけど、そんな感じでもやらないよりはましなんでしょうか?

ーありがとうございますー
 なりますね。唱える事で大きい徳を積んだことになります。
ありがとうございますを唱えている時はすべての次元へすべての番組に光を届けているんです。雑念が浮かび出たときはそれを消してもらっている時です。本当は両方プラスの働きなんです。交互にそれを繰り返してプラスを与えるのとマイナスを消すのと両方してもらっているんです。大きいマイナスの思いでも浮かび出て消してもらうんです。ただその消す時に、神様が知らない間に勝手に消したら困るでしょう、みんなある程度心に貯めたものは大事に思って心に貯めた、その人にとっては最初は宝物だったんです。だからそれを消すときは確認をとるんです。これを消してもいいかと、それが表面に浮かび出る姿です。これで消してくださると思ったらもう、消してもらえるんです。


 世の中に一番必要なこと

☆私は体を壊して気功で救われたんです。それで恩返ししなければという気持ちはあるんですけれど、そういうものを具体化しないうちにまた次のしたいことが出て来て今、農業というか根本的に土を変えてしまうことを教えられている先生がいるのでそれについて勉強を始めているんです。自分がしようとした事をやらないうちに次の新しいものにのめり込んでいってしまう・・これが際限なく続いたらどうなってしまうんだろう、自分が収拾がつかないというかそんな感じが少ししているんですけど、どんなふうに考えたらいいのでしょう?

ーありがとうございますー
 恩返しは本当はすべて神様へのお返しなんです。人から受けた恩も神様から来ている恩です。最終のプレゼントの送り手は神様です。途中どんな人を通ってきてもみんな神様からのプレゼントです。それはもう、すべて神様へ恩返ししないといけないんですね。
 神様への恩返しというのは神様が喜ぶ生き方をすればいいんです。一番喜ぶ生き方というのは世の中に一番必要なことをさせてもらうお手伝いすることです。だからお世話になった人にお礼を言って何か贈り物をしてという、これは恩返しと違うんです。そうじゃなしに世の中が必要としている事に一生懸命努力して全力を尽くしてそれを果たすというのも恩返しです。神様の一番喜んでくださることでしょう、土地の改良なんて今一番必要なことなんですね、だから今必要だから今手伝ってくださいというような感じで神様が中から力を添えて導いてくるんです。だからそれをすることが最高の恩返しなんです。それはもう、変化していいんです。必要なことがどんどん神様にとったら変化するんです。
 全体にとって一番必要なことを、その必要なことを優先してくれる人が、神様にとったらありがたい人なんです。ところがみんな自分勝手なことをしていると必要なことを疎かにするでしょう、だから感謝のできる人は神様の心をキャッチし易いですね。だから必要なことに心を向けてもらえるんです。一人ひとり全部違う事をしていいんだけど必要なことに心を向けてくれる人が早く増えてこないと大事な事が疎かになってしまうんです。だから、それは変化していいんじゃないですか。

 宇宙の大神様の全体像

☆ありがとうを歌にして歌っているんですけど、ありがとうございますよりありがとうの方が歌いやすいんです。ありがとうでもいいですよね?

ーありがとうございますー
 
ありがとうございますが本当の宇宙の大神様の全体像を全体の働きを示す神様の名前なんです。全体がありがとうございますがね・・だから名前を半分いうのも悪くはないけど、これも軽く言える時だけです。小さく軽く言う時は別に構わないです。ありがとうありがとうでいいけど、全体をしっかり受け止めようという時はやっぱり厳粛な心になりますね。ありがとうございますと深く真心込めて感謝を捧げるような気持になった方がいいから両方自由に使いこなせたらいいです。

☆変な質問しますけど、日本語以外の言語でこういう意味のことを言ってもいい訳ですか?日本語以外でも?

ーありがとうございますー
 いいですよ、別に・・・本当は神様の世界には国境はないんですよね。ただ意味は全然違います。サンキューベリーマッチくらいじゃありがとうございますの意味のほんの一部です。外国の言葉でも言霊に支えられたいい言葉がいっぱいあってもいいし、それはいいものを世界共通語にすればいいと思うんです。ありがとうございますに該当するものがあればいいんですけど、ただまだ見つかっていないみたいです。だからこれはもう日本の言葉じゃなしに世界共通語に、みんなでどうぞと提供する方がいいでしょうね。

 両方大事

☆人から言われるありがとうは自分で発するありがとうよりも何倍も価値があると聞いた事があるんですけど、それについてはどうなんでしょう?

ーありがとうございますー
 その深さによるでしょう、真心込めてありがとうございますと感謝してくれたら自分を拝み出してもらうんです。プラスをいっぱいもらって輝きがでてくるんです。だから感謝されるという事は自分にとってはありがたいことなんです。でも自分も深く感謝してみんなを拝めば無限のプラスをいっぱい与えたような感じでしょう、それは必ずまた自分に戻ってくる訳です。両方大事です。

 守護霊さん守護神さん

☆守護霊さん守護神さんというのは、人格みたいなものを持っているんでしょうか?

ーありがとうございますー
 そうですね。持っています。ただ守護霊さんでも守護神さんでも悟りを開いてある程度自由自在な心になっているから、自由自在というか変化するんですね。
 姿形はもちろんだけど心の状態も変化させて次元を合わせてきます。波長を合わせてどの次元でも降りてくるんです。だからその全体を捉えないと部分だけ捉えると片手落ちになるから、だから今自分の前に波長を合わせて現れた守護霊さんがすべてかというとそうじゃないです、たくさんの中の本の一部です。それを守護霊さんと決め付けると失礼にあたるんです。だから大きく捉えてあげる方がいいです。

☆守護霊さんに好き嫌いとかあるわけですか?

ーありがとうございますー
 好き嫌いは思いの世界だから、守護霊さんの世界はそういうのは超えています。
感謝の心が深いだけです。

 全部プラスの番組の神様の現れ

☆私は森が大好きで、そういうところへ行くとザワザワして息使いも変ってきたりして、なんか不思議な感覚になるんです。それもやっぱりひとつの神というような・・?

ーありがとうございます
 神というと何だけど無限の無限のチャンネルをすべて神様と見たら、それをプラスにプラスに感じられるものだったら全部プラスの番組の神様の現れと見たらいいですね。それも一つの楽しみですね。

 美

☆息子が今、彫刻家を目指して、瞑想しているんです。高校の時に作った作品が食台と贖罪をかけたひじょうに苦しいようなマニアック的な作品だったんです。それを見たときに育て方を間違ったかなと思ったんですけど、ある方が正直な息子さんだねと言われたんです。えっ?と思って、私にとっては意外なことで、この子は今吐き出しをしているのかなと思っているんですけど、人それぞれ違うと思うんですけど、その吐き出しを全部してしまったらその後はどうなるんだろうと、親としていろいろ考えることがあるので・・美についてお尋ねしたいなと思って・・・。

ーありがとうございますー
 神様の宇宙の創造というのは、これは神様の美的表現なんです。それがただ無限の無限の段階があるというだけです。だから人もその神様の御心を受けて美を表現する心を神様から頂いているんです。だからどんな表現でもやっぱり表現力は要るんです。仮に地獄の表現をとるにしても凄い演技力・表現力が要るんですね。だから先ず表現力を勉強するという意味ではどの段階の表現もいいんです。それで最後に、一番下から順番にいろいろ表現しながら高い表現を現していくという・・・みんな神様の真似をするんです。神様は美を表現して楽しんで喜んで本当の生きがいを感じているんでしょう。だから神様と一緒に歩むという気持で神様と歩調を合わせればいいです。そうしたらすべての表現が大事な表現で、必ずそれがどんどんいい様にいい様に変化するはずです。
途中の一箇所だけ掴んでどうのこうのと言うことはないです。必要な過程になっているから、よくなる様によくなる様に神様は中から力を添えているんです。だから心配は何もないです。必要な過程を踏んでどんどん幸せを大きくするだけです。表現力も磨かないといけないし謙虚な心でいろんな表現も試みてみないといけないしね、喜んであげた方がいいですね。その人がすることによって周りの人も同時にいろんな勉強させてもらっていますよ。お互いが助け合って影響しあってよくなるようになっていますしね。

修行

☆私も絵を描いています。宗教は持っていないんですけどキリスト教とか仏教とかいろんな宗教がひとつにならなければ世界は平和にならないのではないかと思っていました。友人に五井先生を信仰している人がいて、その人からテープをいただいてそれを聞きながら世界平和を願って自分なりのいろんな作業を夜中にしていましたら、両親から「あなたは夜中に何をやっているの?」ということで、翌日自分自身も少し興奮状態だったこともあって精神病院に入れられてしまいました。私はこんなところには絶対入院したくないしお医者さんも母親も信じられないと言いましたが、そこで押さえつけられて注射をされて保護室のようなところに入れられてしまって閉鎖病棟の中で何日かを過ごす事になったんですけど、その病棟の中に40年間ずっと閉じ込められているクリスチャンの方がいまして夜寝る時は7錠もの睡眠薬を飲まされて寝させられてしまうのですが、その方が睡眠薬で朦朧となりながらも聖書を読み朝晩祈りの手引きという本で祈りを捧げている訳です。医師はそういう人たちにそれぞれ病名をつける訳ですけど、私は統合失調症・・精神分裂病の病名をつけられてしまったんですが全く薬は拒否して、飲まないでその期間を過していたんですけどそういう西洋医学の病院とカトリック・キリスト教の聖書の禁欲の教えというか・・目で犯すものは心で犯しているというような十戒を閉鎖病棟にいるクリスチャンの彼らは学んで、すべていつも懺悔をしながら罪びとである自分を悔いながら何故かそこで薬を飲んで閉じ込められて暮らしている・・・それを見た時に、これは修道院の現代版じゃないかというふうに私は思ってしまって今も続いている精神病院の閉鎖病棟におけるそういう不幸というのをどのように思われるかお聞きしたいんです。

ーありがとうございますー
 そうねぇ・・もう、いろんな修行があるんですね。みんな本当は悟りへの道を最短コースで歩み続けているんです。それで大きな苦労があるほど早く大きい楽がやってくるんです。でも修行はやっぱりある意味では厳しい一面があるでしょう。

☆病院の中で電気ショックをされたり無理矢理薬を飲まされたりというのも修行の一部なんですか?

ーありがとうございますー
 そう・・本当はあの世でいろんな修業をして順番に段階を追って番組を上げていく次元を上げていくんですけど、これは大変な修行です。無限の年月をかけて上っていくんです。ところがこの世は楽なんです・・向こうの、あの世の縮図になってこの世で軽い状態で段階をどんどん上げていけるんです。本当だったら万倍以上の苦しみを耐えながら修行するのが普通だけど、この世だから軽く済ましてもらっているという姿をとるんです。軽いんです。この軽い修行によって段階を早く上げてもらうという修行の場なんです。でも本人が全部選ぶんですよ。みんな表面の意識だけでは納得しないですけど、心の奥で自分がいろんな番組の勉強をずっとし続けて自由な心に戻ってもう一回すべてを価値あるものに見出す訳です。その時は苦しそうに見えるでしょう。捉われた時はそうなんです。でもそれがひとつの体験として必ずあとでよかったなという時が来るんです。必ず、なるんです。

☆今、その閉鎖病棟のあり方に対する疑問というのを私がとても思ったのですけど、その中の人たちを楽なよい状態にしていこうと願うのは正しいんですか?

ーありがとうございますー
 それは間違いです。みんな本人が願うからその人に合わせていろんな姿が出てくるんです。もともと自分ひとりに神様が波を合わして、その波に合ったものを与えてくるんです。もし、自分の心の波が変ったら必ず別な波のものを与えてきます。これはもう絶対間違いないから、本人がやっぱりその波を選んでいるんです。それが必要なんです。必ず波が変る変化する時が来るから、その時に世界がパッと変るような姿で道が開けるように変化するんです。だから心配ないですよ。みんな・・周りの人はみんな自分に合わしてくれているんですよ。
 神様の素晴らしい演技力なんです。みんなを通してみんなが神様の御心を対して自分ひとりに合わしてくれているんです。これはもう絶対の真理なんです。だから、ありがとうございますと感謝して受けて波をどんどん変化させていけばいいだけです。

 自分が何を選ぶか

☆情けを、思いをかけるとか同情するとか・・困っている人が身近にいるんですけどそういう人をどこまでフォローしてあげるか、本人の生き抜く力を見てどこまで手助けしてどこで引くかというその辺のバランスというか・・どのあたりで見分けをしたらいいでしょうか?

ーありがとうございますー
 今の話ともちょっと関連するんだけども、自分が誰かの面倒を見たいという気持ちを持っていると面倒見なければいけない人が周りに現れますよ。必ずみんな自分に合わしてくれます。だから自分がその人を素晴らしい神様というふうに拝んでそういうふうに見ていくと、自分を助けてくれる姿だけをとっていくんです。自分が面倒見るんじゃなしに自分が面倒見てもらう方になるんです。だから大事なのは自分が本当に何を選んでいるかなんです。何でも選べるんです。神様の方は全部用意してくれているからどんな番組も全部揃っているんです。だからいろんな番組をこの世でみんな引き出して具体化して見ているんですけどその中で何から自分が何を選ぶかというのが一番大事な問題なんです。
・・・面倒見てあげたいという立場に立つ?
それとも・・・みんなに助けてもらいたいという立場に立つ?
それとも・・・みんなが助け合いの世界がいいというふうに見る?
いろんな生き方があるから何でも選んでもいいんです。どの番組でも出てくるんです。

 同情より一体感

☆同情しやすいというのは、どうしたら治りますかねぇ?

ーありがとうございますー
 同情も大事なんですけど、心を同じくひとつにしていく一体化していくという意味でね・・ただ情だけの一体化ではちょっと浅いんです。本質はやっぱり神様に戻って深い意味の・・一体感っていいでしょう。同情も悪い事じゃないです、いいんだけどもっと奥から深く見るともっと大きい力のある一体感が湧いてくるんです。神様の力が湧いてくるからもっと楽になってくるんです。

☆その人の力をもっと信じてあげるように・・・?

ーありがとうございますー
 それが一番いいです。その人も無限の無限のチャンネルの番組に全部出演しているんですね。どんな演技も自由自在に出来る人なんです。それで自分に今、合わしてくれているんです。でも、いい番組の方を見て欲しいですよね。低い番組よりもより高い番組を見て欲しいです・・そうしたら信じてあげるのが一番いいですね。いろいろマイナスの姿が目に付いても、この人は力があるから重荷を背負ってでも大きい力を発揮すると。ハンディを背負っている人の方が偉いんでしょう・・だからプラスに見てあげられるのが一番いいです、信じてあげられたらね。

 予知夢と自由な心

☆予知夢についてなんですけど、予知夢は未来の番組を先に見たということなんでしょうか?20年前に信州へ旅をしたんですが三泊目の宿に入った時に、渡り廊下や鯉の泳いでいる池や水車小屋などを夢で既に知っていて鳥肌が立つような思いをしたのですが、ああいう体験って何なのでしょう?

ーありがとうございますー
 予知夢・・予言というのもそうなんですけど多分、先を読むことはいくらでも出来ますね。また過去世でいろいろ体験したことを再現する時もあるし上の次元で体験したことは必ず時間の経過と共に低い次元でズーッと現れてきます。いろんな意味で先に感じたことが現実化してくるんですね。もっともっと上の番組へ心を向けてそれをキャッチしたら何億年前のことが今現実化しているという感じでしょう。だからそれもひとつの楽しい体験です。もっともっと自由な心になるのがいいから現実に囚われない心になるための体験ですね。
似ているようでもみんな変化しているから細かいところはそっくりじゃないですよ。いろんな世界がいろんな番組があって自由な心に戻るのがいいからね。

 時間

☆瞬間を生きるということが盛んに言われていますけど、何億分の一秒というと私の頭では考えられないから、過去から未来へ流れる瞬間の積み重ねとしての時間というのは何となく判るんですけど、未来が過去を創るとか言われると頭の中で混沌としてしまって、その辺を見ていくと現実的な現象が私には取り入れられない速さでいっぱい来ていて、後でしようと思っていたらそれはもう古い感覚で、もうその考え方はいま自分には必要ない感じがしたり・・いいことかなと思っていたら裏から見るとそうじゃないような感じがしたり自分ではもう考えられないような・・一方でギブアップするまで考えたらいい、ギブアップしたらそれ以上考えるのを止めるからそれまで好きなように体感してやればいいし、ギブアップしないならそれもいいから焦らずに一生ニ生かけてやっていけばいいと・・自分でも話していて何を言っているのか判らなくなっていますが、考える事がころころ変って話していることがこれというのがハッキリ言えなくて判らなくなっています・・・。

ーありがとうございますー
 時間というのはそれぞれの体験の連続を時間と感じるんです。一番上で一番奥の自分、本心の自分本当の自分が神様の無限の無限の輝きがいっぱいというこの宇宙を感じるでしょう、その中に無限の時間も全部含まれているんですね。
最高の今新たに出てきた神様の無限の無限の輝きがいっぱいというのが本当は今なんです。その今の中には無限の過去も現在も無限の未来も全部同時にセットで含まれているんです。本当はそれを受けて喜びいっぱいに受けて生きるのが本当は今を生きると言うんです。それがどんどん古くなってくるとこの世に降りてくるわけですけど、この世は上では一瞬に受けたのを長い時間かけて体験しないと連続させないと受けられないんです。もっともっと低くなっていくとこの世の一日が例えば地獄のようなところだったら何億年かかってどんどん体験の量が下へ行くほど少なくなるんです。だから年月をかけないとそれを全部体験しきれないんです。一瞬に高い世界で感じた宇宙の輝きを地獄で感じようと思ったら無限の年月をかけないと感じられないんです。時間はそういうふうに何を感じるか体験するかなんです。その体験の連続が時間的な感じになるんです。

 だからその次元ごとにみんな時間が違うんです。いろんな時間が無限にあっていいんです。空間もそうですね。この世の空間とあの世のいろんな次元の空間と全部また違います。その時間と空間が全部違う空間が組み合わさっているんです。一番いいのは全部をワンセットでありがとうございますと受けていくと心が自由になるんです。そしてどの番組に入ってどの時間空間を感じても楽しめるんです。
 浦島太郎が竜宮城へいった話もそうなんですけど、あれは亀を助けて愛の心を起こしたために波が高くなったんです。愛の心思いやりの心というのは心の波が高くなったんですね、そうするとそういう波に合うのは竜宮城のような素晴らしい世界だったんです。ただ亀に乗って行ったというのは嘘ですけど、高い次元へ入ったんですね。そこで体験したことは素晴らしい事がいっぱいですね。ところがそこで体験していても時間が経っていないんです。もう、ほんのちょっとの間というので素晴らしいものをいっぱい体験するんですね。それでこの世へ戻ってきたら、もの凄い年月が経ってしまっていたんですね。そういう感じで、時間の感じが全部違うんですね。一貫性があると楽なんですけどね。

 時間と空間の組み合わせの違う宇宙をワンセットで受けてその中で自由に何を選んでもいいんです。自由な心に戻る為に先ず無限の選択肢を持つというのがいいんです。そしてひとつを選んで楽しめば囚われなくなりますね。それはもう自由に選んで楽しんだらいいんです。



 全体が見通せるというのがいい

☆何か乗り物に乗っていて、その乗り物は行くところへ行くからどれを選んで乗ってもお任せということでいいんですか?

ーありがとうございますー
 乗り物次第でどっちへでも行くんですよ。ただその全体像が判るとこの乗り物はどっちへ行くって判りますね。そうするとどの乗り物を選んでも行きたいところへ行けるんです。電車でも縦横無尽にいろんな方向へ行っているんです。全部同じ方向だと困るんですね。全体が見通せるというのがいいです。ただ、今の自分が全部見通せなくても神様が導いてくれたらそのとき必要なことを与えてくるので絶対間違わないです。だから、ありがとうございますと感謝に生きていたら大丈夫、必ず方向も目的も示してくれます。

 夢

☆寝ている時は魂があっちの世界へ行ってエネルギーを補充してまたこちらへ戻ってきているというような事を前に聞いたと思うんですが、寝汗をかくような変な夢を見たり凄く怖い夢を見たり、寝ている時の外的条件も作用して夢をみていると思うんですけど、そういう自分のこういう夢を見たという記憶と霊的なものがあっちの世界へ行っているのとは別個のものですか?

ーありがとうございますー
 覚えているのは夢のほんの一部です。殆どおきがけにチラッと感じたものをみているんです。魂が肉体から抜けてエネルギーを補給に行くとしたら肉体界から途中をズーッと通って高い次元へ上る訳ですね。普通はその間を守護霊さんや守護神さんや適当に神様が護ってすーっと上げてくれるから、余計な波を感じずに済むんです。ところがみんな自由意志があるから時々ちょっと起き掛けに途中を感じてくる見てくるんですね。すごく長い夢を見ているようでもそれもほんのちょっとだけで、それもこういう世界を体験することによって何かプラスになるというときだけ見せてくれます。それでなかったら見えないようにしてくれるから、でもみんな守護霊さん・守護神さん・宇宙の大神様・本体の自分と、神様の護りの中におかれています。みんなこの肉体の自分を護っているから、一番幸せになるように最短コースを歩めるようにといろんな勉強をさせて気付きを与えて導いてますね。だから出来るだけプラスにプラスに解釈をした方がいいです。夢もいろんな種類がたくさんあるけど、またいろんな働きもたくさんあるので全てをプラスにプラスに受けていけたら一番いいですね。

 最後にありがとうございますを付ける

☆氏神様によく行くんですけど、氏神様と守護霊さん守護神さんは何か関連がありますか?・・連絡をとっているとか・・・?

ーありがとうございますー
 みんなそういう世界はツーカーで連絡をとりあっています。みんなそうやって護られています。ただ大きく護られていても気付かないだけですね。守護霊さん守護神さんだけが護っているんじゃないです。これはもう代表格というだけで、あと大勢の神様がいっぱい護ってくれています。ただ守護霊さんに感謝し守護神さんに感謝し大勢の神様に感謝して回らないといけないのでそれは忙しいですね。それで一つにまとめるという意味でありがとうございますひと言で本当はいいんです。その中に全部含まれます。全ての神仏の助けを全部中に捉えられる働きになるんです。名前を読んでもいいけどその後にありがとうございますを付けないと片手落ちになってしまいます。

 左右の意味

☆お寺などに行くと観音様とかいろんな仏様の仏像がありますが、どちらも実際にみんながこの目で見れるようなものではない想像物で、でもいろんなところへ行くと必ず決まったところに・・例えば薬師如来のそばには日光菩薩と月光菩薩が立っていらっしゃって立つ位置が左右も決まったところに入っていらっしゃるのですけどあれは神様の中で約束事などがあるわけですか?あれは別に関係ないのでしょうか?・・エネルギー的な関係なんですか?
誰も見たことがないのに一様に同じ配置で立っている・・また人によって左右の菩薩を全く逆に言うのはどうしてでしょう?

ーありがとうございますー
 神様の働きはいろんな姿に具体化して形に現れるんです。ただこの世に出てなくても別なあの世の次元にいっぱいその姿を現しています。それを感じた人は模型としてこの世へそういう仏像なんかでかたちを現すんです。左右も意味があるんです。普通は左という方がプラスの陽の方を現します。プラスの方は火で、右の方は水の陰の方です。左と右とは違います。陽と陰に変化するんです。
 だから普通に立っていると左が陽で右が陰です。だからどっちが格が上かというとプラスの方が上なんでしょう、ある意味ではね・・働きとしてはね。プラスが表に出るんです。ただ、本当は陰陽の逆転の番組があるんです。その陰陽に巻かれている時もあるけどその中心を先に立てる時もあります。例えば天皇陛下の場合がそうです。天皇陛下の場合は先に中心なんです。中心があって次に位の高いものが左に立つんです。そうすると天皇陛下の方が陰陽でみたら右に立っていますね。本当は低い立場なのに違うでしょう。だから中心を定める時はそうなんです。先ず中心が定まってそれで左があって右があるんです。でもその陰陽の逆転する低い番組はみんな逆転です。高い番組は神様の心をそのまま現して正しく降りてきます。でも低い番組は正反対になるんです。だから本心の心と業想念の思いの心と全部価値観が正反対になります。全く正反対に出てくるんです。その時どの次元の波を感じたかによって人によって全部言うことが違うかもしれないです。

 日本は道

☆日本人は人が死ぬとお寺にお線香を上げて拝み、暮れになるとクリスマスにアーメンとやったり何でもありますよね。外国はあまり他宗を入れないという感じで、そう考えると日本人の方が次元が高いかなと思ったりしますが・・?

ーありがとうございますー
 これは日本の地図を見たらよくわかるんです。日本列島の地図は世界の大陸の縮図になっているでしょう、北海道は北アメリカ大陸にそっくりで四国はオーストラリアにそっくりです。もうピッタリ合うんです。だから日本が世界に広がっているといえばそうですし、日本は世界の縮図といえばそうなんです。 だから世界にある全部が日本に入ってくるんです。また日本から世界に広がったかもしれないです。その両方ですね。だから日本には全ての宗教の教えがあっていいんです。全部包容できるし、また全部を活かせるんです。でも外国はやっぱりひとつに拘りますね。これは働きとしてそうなんです。だから日本人はそういう意味では全体をひとつに調和させる役目が大きいです。みんなを仲良くさせるという意味で絶対必要なんです。だから日本の宗教はもともと神道といいますね、神の道です・・道というのは全体に満ち渡っているんです。他の教え、キリスト教にしても仏教にしても教えです。道にならない・・教えです。イスラム教にしても道教にしてもみんなそう・・・みんな教えです。

 教えと道とは違います。道は全体に満ち渡るという意味で全体を束ねる働きをします。そういう役目があるんですね・・日本には。みんなをひとつに一体化させるという意味で必要な働きをさせてもらうんです。枝葉に分かれるとバラバラに見てしまいます。一本の木でもそうですけど枝葉になるとバラバラに見るけど、だんだんと根本の幹まで戻っていくとひとつになって根まで行くと全くひとつです。日本民族は大体がそういう根源を捉える心になった人が多く生まれているといったらそうかもしれないです。そういう意味で言えば、兄弟でいうと兄とか姉とかいう感じで後の弟や妹を大事に育てる役目かもしれないです。ただ、日本人が偉いんだというとこれはだめです。天狗になると落ちてしまいます。愛の心、本当の愛の心がないとみんなをひとつに調和させる働きにはなっていかないです。これが天狗になって自分が偉いんだとマイナスの業想念の思いになると今度は正反対になります。世界からぼろくそにやられます。日本が悪く言われるのは業想念の心に生きた時です。経済アニマルだとか侵略国といわれるのもそうですが自分の国さえよかったらという生き方をとったらそうなります。そういう仕打ちを受けるのはやっぱり当然です。でも愛の心、一体の心を生きたらみんなから全世界から尊敬されるんです。日本の言うことなら何でも聞きましょうと・・そこまで行ったら本当にいいんですけどね。そのためには先ず日本人が感謝の心を起こして神様の心を受けないと、神様の心を生きるというのが大事ですね。そうしたら世界は自然に日本に心を向けてくれます。

 ありがとうございますが最高の供養

☆先祖供養というのは・・朝からお茶お水などお供えしますけど、お経を唱えずにありがとうございますだけでいいのでしょうか?先祖供養はお寺にお願いしてやらなくてはいけないものなのか・・家は次男なので蔭祀りはしているんですが、ありがとうございますでいいのでしょうか?

ーありがとうございますー
 先祖供養も他のもみんなそうなんですけどそれぞれ無限の無限のチャンネルにそれぞれ全部、先祖供養があるんです。全部やり方が違うんです。だから最高の先祖供養は、ご先祖様を本当の神様の現れと無限に無限に輝いた姿で受けて即感謝してお返しすることです。でも低くなると今度は人間が先祖を迷っているから助けないといけないとなるんです。何かお供えして食べさせないと・・と本当はこっちを向いているんですね、向こうへ向けてないのに・・心が逆転しているからそれが正しいと思い込むんです。正反対の事をしながら正しいと思い込んで、ご馳走でもお花でもみんなこっちを向いているでしょう。自分のほうへ向けておいてご先祖様に捧げているんだと反対の事を思うんですね。でもそれも全部やり方が番組ごとに違うんです。だから自分がどの供養のやり方を選ぶかですね。ありがとうございますが最高の供養のやり方なんです。

☆父がすごく仏様を大事にしていたのですが去年のお盆からお水しかあげなくなって、おはぎなんかも自分で作ってお供えしたり・・あれほど大事にしていたのがどうしたんだろうと周りも心配していたんですが、しなくてもいいようになってきているということでしょうか?

ーありがとうございますー
 そうです。本当はかたちじゃないです。真心がどっちを向いているかですね。
ちょっとプラスの供養だったら、みんなご先祖様から日常生活に必要なものをいっぱいプレゼントして頂いて生かしてもらうんでしょう。それでご馳走をお供えするにも最高の物をお供えするんですね。こういう素晴らしいものを毎日与えて頂いてありがとうございますと・・これは感謝するためのひとつの模型です。そうする事によって本当の神様ご先祖様の護りが判って感謝しやすいんです。だからかたちは自由に利用すればいいだけで、あと心が感謝になればなるほどいいんですけど・・・。

 他宗を排斥せずに、感謝して喜ぶ

☆宗教によっては他宗を拝むと罰があたるといわれることがあるんですけど、脅しじゃないかと思うんですが、罰があたるということについてどう考えたらいいでしょうか?

ーありがとうございますー
 番組ごとにあるんです・・低い番組は他宗を排斥するから自分のところだけ最高と思い込んでしまうんですね、本当は最低なんだけど・・。自分のところだけが最高と思う方が間違いなんですけど。思いの心は正反対に見ていくからそういう逆転現象を起すんですね。だから他宗を中に全部包容してみんな自分の手足として働いてみんなを幸せにする働きを手伝ってくれてというふうに拝んで感謝するのが本当の生き方です。排斥するどころじゃないです、本当は感謝して喜ばないといけないことなのに・・そこまで行ったらプラスの番組ですね。いろんな番組の姿がこの世にあって、別に構わないんですけど。

 だからその中から正しい生き方を自分が学んで選ぶんです。この世は何を選ぶかだけが勉強です。やっぱりみんな褒め称えて感謝して喜ぶ方がいいですね。みんな自分を助けてくれている姿と見た方が・・。自分ひとりでこの地球上の60億の人をみんな救わないとならないと思ってみてください・・そういう役目を与えてもらっていると思って考えたらいろんないろんな宗教の働きが必要になるでしょう。キリスト教を信じる人に仏教を持っていくわけに行かないです。やっぱりあったものを持っていかないといけない、それもいろんな段階の教えに変えて持っていかないと・・ひとつの教えでもそうです、一人ひとりに合わせていかないと出来ないんです。それを自分ひとりでするとしたら大変な事ですから、みんなが自分の分身として手足として人助けに一生懸命になってくれているんですね。そうすると感謝して喜ぶだけがいいんですね。

 いいお手本を示す

☆私は人間は死んだら自然に帰ると思うので自分が死んだら葬式も要らない、灰は撒いてくれたらいいからお墓も要らないんですが、例えば80を過ぎた父などは世間様に格好がつかないからやはりお葬式はやって欲しい、お坊さんも5分間で20万だけどやはり頼まないと・・と言いますが、そういう儀式も必要がなかったらただ感謝するだけでもいいんですよね?

ーありがとうございますー
 感謝する方がもっと最高の生き方ですよ。ただ、人助けでお坊さんにお金出すのは悪くはないです。世間の人の気持ちをある意味では納得させる為にしてあげても構わないけど、でもいいお手本を示した方がいいですよ。別にそういう執着は何も要らないから、自由になるためには肉体なんて早く消えた方がいいですね。心は自由でいいです。新しいものとどんどん置き換えてくれているのに古いものを残したら周りに迷惑ですね。どんどん新しくいいものを受けた方がいいです。

 過去はもう全部捨てて

☆すべて・・ものであっても人であっても心の中からは捨ててしまおうと思っているんです・・・。

ーありがとうございますー
 そうね。どんどん古いものと新しいものとの置き換え・・というのは大事です。過去はもう全部捨てて新しく神様からいいものを受け直してという方が、過去を放すのが一番しあわせへの最短コースです。

 天地

☆先ほどは右と左というお話を聞いたんですけど、上と下・天と地というのもあるんですか?

ーありがとうございますー
 これも次元ごとに違うんです。一番上は全方向から無限の無限の輝きが飛び込んでくるんです。全方向からというのは天も地も右も左もないんです、全方向から輝きが飛び込んでくるんですから全部が上といったら上で天といえば天ですし中心といったら中心です。そこまで行ったらもう、方向感覚がなくなります。それで自分の中からも無限の無限の輝きが無限に無限に出てくるんですから、そうなったらどこが天で中心でというのはないです。そこまで神様の方は自由自在な姿をとっているから、それを次元ごとにいろんな表現をとってくるんです。だからその上が天でと捉えるのも別にいいんですけど、ただひとつの番組の姿というふうに見たらいいですね。もっともっと変なのがあってもいいですし・・下が天かもしれない・・下から光が湧き上がるかもしれないですね。神様は何でも必要なだけの光を放射するんです。太陽が地球に光を放射しているのが、帯になって光が地球に放射されている衛星からの写真がとられているんです。そうすると一方向からの光で全方向じゃないみたいです。そういうのも不思議ですね。それもこの世の一つの番組の姿でしょうけど、もっと高い次元だったら全方向に放射するでしょうけど、やっぱり必要なだけを与えているという姿のひとつの証かなと。

 選び方の順番

☆生きている人間の中で一番高い波動というのは 先生が見ているようなところなんですか?

ーありがとうございますー
 みんな知っているんですよ。みんな知っているけど今選んでいるのが何かだけです。選び方の順番だけです。

 聖地

☆瞑想のときに光を感じるのですか?

ーありがとうございますー
 今も感じていますよ。

☆2,3年前に高野山に行った時に、6月で雨が降っていたので殆ど人がいなかったんです。奥の院を一人でズーッと歩いていった時に杉の木と大きいお墓があって、そこは聖地と言われているんですけど・・私が見ているはずなのになんだかみられている感じがして、それが怖いくらいだったんです。今迄そういう経験をした事がなかったのでこの怖いというか・・畏敬の念かもしれないんですけど、その時はありがとうございますを知らなかったのでずっと般若心経を唱えて仏像がいっぱいある美術館までいきましたがやっぱり見られている感じがして、本当はどこにいても見られているのかなとその時は思ったんですけど、そういう聖地だからそう思ったんでしょうか、今でも見られているんでしょうか?本当はどこにいても見られているわけですよね?

ーありがとうございますー
 本当は聖地というのは、高い次元は全部が聖地なんですね。どこもかしこも聖地ばっかりです。ただ次元を下げてくると、聖地は限られた場所になるんです。必要ないからです。必要なだけが残っているんです。もっともっと番組が低くなると聖地も消えます。自分がチャンネルを合わせた分だけ必要なだけを感じさせてもらうんです。その感じ方もいろんな感じ方があります。怖いという畏敬の念で感じる感じ方もあるし暖かい感じ方もあるし、それも種類がたくさんあっていいんです。見られているより見守られているという方がいいですし・・・監視されているともうひとつ嫌ですね。

 縮図の縮図

☆いつの時代もお芝居や本や芸術とか映画などが心を伝える媒体として様々な表現がされ物語が作られてきていますが、そういうものでたくさんの人たちの人生とかいろんなものを見るというのはどういう役割を果たしているんですか?

ーありがとうございますー
 縮図の縮図という感じですね。やっぱり小さい模型がたくさんある方が判り易いでしょう。だから大仏様でも本当は大方広佛という宇宙大の大きい如来様を大仏と言うんですがその模型として奈良や鎌倉の大仏という大きい大仏の像が出来て、もうひとつ自分の家でおまつりするならもっと小さい大仏ですね。お土産屋の大仏は小さいです。縮図の縮図というのはいろいろあっていいですね。神様が宇宙を創造されるんでしょう、だからこれも神様の表現で楽しんでいるんです。またその真似をして人間がいろんな表現をとるわけです。その表現のとり方がいろいろ種類がたくさんあった方がいいです。その方が全体を把握し易くなります。たくさんあった方が大きく全体を把握する心を模型を見ることによって起せるんです。全体を見るのは大変なんです。本物の全体はなかなか見えないです。例えば地球の全体を見たいと思ってもなかなか見難い、その時地球儀をもってくるんです。ちょっと大きい地球儀を持ってきたら全体は見えないから、もうひとつ小さくして持ってくるんです







ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
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