ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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 Ar1212003.3.1「お祈り」について

・・・・
 最初に「お祈り」について、お話させていただこうと思います。
神様が宇宙を創造するわけですが、神様の宇宙創造にはマイナスが一切ありません。プラスばかりです。それはどういう意味かというと、例えば光があります。光の表現をする場合に、まず闇の助けがいるんです。光にも「実の光」と「虚の光」が生まれます。「実の光」でも、例えば「蛍の光」とか「星明かり」という小さい光から、太陽の様な大きい光と無限に大きい光が一杯あります。「虚の光」というのは、闇を和らげていきますが、大きい闇があればその闇が段々和らいでいくと「虚の光」が生まれます。丁度、ブラックホールのような闇は光を吸収します。だから、その「虚の光」と「実の光」が揃って、本当の大きい意味の光の表現が生まれる。だから「虚の光」も無限に小さい「虚の光」から、無限に大きい「虚の光」まで無限の段階の光が生まれて、また「実の光」も同じ様に無限に小さいものから無限に大きい光まで、無限の段階の光の表現が生まれます。その両方を合わせて、初めて光の表現がそこに生まれてくる。

 神様は、光の表現をとりたいのです。無限に無限に輝いた光の表現を、ありとあらゆる種類の光を全部取り揃えて表現したい。だから、闇はない。光の表現だけが、そこにあります。これは、光というふうに例えましたが、神様の働き全てがそうです。
 例えば善と悪という二つの要素があれば、善だけの表現があります。プラスとマイナスだと、プラスだけの表現があります。善いだけの表現があります。神様は、そういう気持ちで宇宙の全てを創造し続けています。その受け方が「どう受けるか」ということが大事です。そして、その宇宙創造の働きが神様の「祈り」です。

 古事記の中に「イザナギの神様」と「イザナミの神様」というのがいらっしゃいます。それは宇宙の創造の時の「神様の働き」の名前です。イザナギという「ギ」というのは、「プラスの働き」の名前です。神様はプラスの極に立って創造されます。その「ギ」という言霊が「ギー」というふうに伸びてくる。「ギイー」という風に伸びてくる。「イ」が、「命・光」です。命が伸び広がって、それも螺旋状に無限に展開します。そして螺旋状の組み合わせによって、宇宙の全てが生み出される、「命」というのは神様の本当の意味の「宇宙創造の働き」を指しています。

 それが「無限の無限のチャンネル」という姿で、一瞬一瞬新たに「神様の創造」が展開されていきます。だから「命」とは、本当は生きているだけではない。そこに「美しさ」も「躍動している姿」も、ありとあらゆる素晴らしい物が一杯、一つになって存在します。だから神様というのは、バラバラには分けられません。みんな、混然融合して一体化しています。
 全てどの角度から、どの立場から見るかによって、ちょっと見え方が違うだけです。でも全部一つです。切り分ける事は、絶対出来ません。全部一つになって溶け合っている。だから「命」と言ってもいいし、「光」と言ってもいいし、「美」と言ってもいい。ただその中に残りの全てが含まれています。

 
「お祈り」は、その「神様の宇宙創造の働き」そのものを指しています。普通この世の人が「祈る」と言いますが、その祈りと「神様の祈り」はちょっと違います。人の場合は、その「神様の祈り」を、「宇宙の創造された無限の無限のチャンネルの番組」を受ける為に祈り言葉を使います。
 神様の宇宙創造は「言霊」なんです。言葉でも「言霊」の方です。人が使うのは、単なる言葉です。神様の「言霊」が、宇宙創造の働きをします。人の言葉は、神様の創造された物を受けるための、波長合わせの為の言葉です。だから人は、言葉によって神様の創造されている宇宙の全てを感じとっていきます。波長合わせでね。

 人の言葉が大事です。どういう言葉を使うか、プラスの大きい言葉を使えば波長の高い番組を受けます。つまらないプラスの言葉では、低い番組です。ましてやマイナスの言葉だと、もっともっと低い番組です。マイナス言葉だと、虚の番組になってしまいます。

 でもその使う言葉通りの番組が、全部揃っています。神様は全てを尽くして、全てを用意されています。それをみんなへのプレゼントとして与え続けています。だから、人には自由が完全に保証されているので、どういう言葉を使って、どの番組を引っ張り出して、それを味わってもいいということになっている。
 だから運命は自由自在に変えていけます。どんな運命でも受けて味わえます。だから人の祈りというのは、言葉選びです。どういう言葉で祈っても、どういう言葉を使ってもその言葉に波長の合ったふさわしい番組がすっと降りてきます。現実化します。
 だから神様に何も「ああして欲しい、こうして欲しい」と、頼む必要は、全然ないです。例えば病気をしてて、「病気を直して下さい」と、でもその番組が出てきます。病気をしている状態。頼んでいる状態の番組が出てきます。言葉通りになります。だから健康になりたかったら、「いつもいつも健康にしていただいて、ありがとうございます」って言えばいいです。もっと言うと、「無限健康をいつも与えて貰って、ありがとうございます」です。だから、言葉通りの番組がすっと出てきます。

 ただ、この世では、言葉を使って直ぐ出て来たら困ります。言葉通りさっと出たら、本当は大変です。まだプラスの言葉を使い慣れていないから。マイナス言葉を使って、即マイナスになったら、地獄絵になるかもしれない。すぐに出ないようにしてくれています。ちょっと反省時間をおけるようになっています。だから、今出て来ているのは、過去に使って来た言葉通りになっているはずです。現実に出る前に心の中に、過去の言葉が連続して残されています。それが順番に出てくるようになっています。
 だから反省して気付けば、心の中に残っている間に消せます。嫌な物を、マイナスの言葉を。それでこの世で生きているのが楽なのです。でもそれを気付かないといけません。「心の中にどのような言葉が蓄積されているか」という事を、しっかり自分で判断しないといけません。どういう言葉が残っているんだろうと。
 マイナスがあれば、「ありがとう」の言葉で消していただきます。「ありがとうございます」と言う事は、「神様に預ける事」です。そうすると、神様は引き受けて消してくださる。だから「ありがとうございます」というのは、「神様を呼ぶ言葉」です。「ありがとうございます」という言葉は、「宇宙の大神様の働き」を全てを表している言葉です。究極の神様の名前でもあります。最後の救いの切り札です。

 「何々の神様」と呼ぶ必要はありません。どれもいいですけど。「ありがとうございます」一言で全ての神仏の名前を働きを全部、中に持つ大きな働きも出てきます。だから「何教を信じているから、その神様の名前を言わないと」というのではありません。どんな教えを受けて、どんな団体に属していても、全てに共通して働く大きい神様の働きとして言葉が生まれています。「ありがとうございます」という言葉が・・・・。

 この一言さえあれば、宇宙のどこからも、どんな神仏からも、大きい助けが自然にスッと降りてきます。だからみんなを仲良く一つにする接着剤のような言葉でもあります。不思議でしょ、「ありがとうございます」という言葉は。何気なしに使っていますが。いつ頃生まれたんでしょう。誰が発明したのか、勝手に使い出したのか?そんなことありません。最初からあったのです。最初から神様が用意されています。

 ただ、その使い方がいろいろな使われ方をしたのです。物を貰って「ありがとうございます」と言う人もあれば、親切して貰って「ありがとうございます」もあるでしょう。いろんな使い分けをしてきたと思います。でも、今の地球の状態を見ると、「地球は滅亡するかもしれない」と心配するような事柄が一杯あると思います。でも地球滅亡の姿も神様は一瞬で消せるということです。完全平和を即持ってくる事が出来るということです。

 ただ神様が働くには、謙虚な気持ちになって、「ありがとうございます」と唱えて神様の助けを受けて欲しい。でもまだ少ないです。神様の助けを受け入れようとする人は、まだまだ少ない。まだ、自分の思い通りにしたい人が一杯です。戦争でもそうです。戦争なんてしていいことないです。でも過去の恨みを掴んでいるのか、自分の面子があるのか何か知りませんけど。善くないのが分かってて戦争するでしょ。人を殺して幸せなわけないでしょ。殺される側も、殺す側も。心は地獄です。でも、「どうしようもない」という人が多い。

 だから争いの心・憎む心を全部消して貰えばいいです。自分で消せなかったら神様にすがるだけでいい。今まですがり方が分からなかった人が、多かったかもしれませんが、どんなマイナスの言葉でもどんなマイナスの思いでも「ありがとうございます」と神様にすがればすぐに消してくださる。

 今の時代はそういう時代になったのです。新しい世紀は、特にそういう時代に入ったのです。もう「思い通りに生きる時代」は終わったのです。思い通りに生きようとして幸せになれなかったのです。世界が平和になれなかったのです。もう皆気付き始めています。我の心をぶつけ合っても、何もいい物は生まれないって。民主主義、民主主義と言いますけど。偽の「民主主義」です。我の心を「本当の自分の心」と錯覚してそれを主張しますが、多数決で決めたと言っても何も生まれていない。どんないい意見もまとまらない。だから本当の「民主主義」にこれから戻るのです。

 本当の「民主主義」って何でしょう。「神様と一体の自分」をまず自覚することです。まず神様から命をいただいて、神様から無限の素晴らしい物をいただいて、そして今ここに霊魂魄の総合体としての人間が、生まれてきているんです。肉体が自分ではないです。肉体はあくまでも本体の自分から見たら、ちっぽけなものです。爪の先ぐらいのものでしょう。汚いか綺麗かぐらいの話です。もっともっと、自分の本当の姿に気付いて行くということが大事です。

 本当の神様から「無限の無限の輝き一杯」という素晴らしいプレゼントを一杯受けて初めて、それが「本当の自分」になるんです。そういう自分から眺めた時は、肉体なんてゼロ以下のマイナスの姿にしか見えないくらいのちっぽけな存在です。本当の「民主主義」は、奥の本体の本当の自由意志をそこに発揮することになります。「本当の自分」というのは、神様から「無限の無限の輝き一杯」という受け直しをしている自分です。上から見るとそうなのです。
 だから「無限に無限に輝いている自分」です。みんながそうです。全てが「神様の姿」をとっている。その自分の自由意志をそこに発揮すれば、どんな意見でも一つにまとまります。最初からまとまっているのです。すっとまとまるの。一つに。それで良いことを全員で、すっとしてしまうんです。だから地球を平和にするなんて、あっという間に出来ます。本当は。人を幸せにするのも、あっという間に出来ます。どんな良いことするのでも、みんなが協力してすっと仕上げます。そこまで行かないと、本当の「民主主義」ではないです。本当の人の自由意志を尊重した姿をとってない。

 まず
人間の心は、「思いの心」ではありません。感謝を深めて、神様の心を受け継いで初めて「本当の自分の心」です。そこに本当の個性というのが、輝いています。だから、個性と癖とは違います。肉体人間の持っているのは、みんな癖なんです。
 腹が立つ、気が短いって、癖です。だから癖と個性とは全然違うんです。個性というのは、その人でないと発揮できない「宇宙で最高に輝いた姿」です。これは、神様と一つに繋がった時に、本当の役割が与えられて個性が輝いて出て来ます。

 よく言いますが、例えば手があります。指一本一本繋がってます。これ全体が繋がって、初めて「親指」・「人指し指」です。指を切って並べたら、分からない、どれが「親指」、「人指し指」か。決まりません。だから神様と一つに繋がってこそ、一人一人の役割が定められて個性を発揮させていただきます。それも自由自在に変化するんです。今「親指の役割」をしたら、次は「人差し指」かもしれないです。「頭」かもしれないです。「足の裏」かもしれないです。みんな平等に順番に役割を変えて貰って、自由自在に楽しませていただく。でも全体と繋がらないと、個性は生まれないんです。だからこの世に生まれてきてもどんな役割をするかある程度決めているかもしれない。でも神様と繋がって初めてこの世での個性を発揮できるんです。まず神様と直結することが必要です。そこから神様の導きも智恵も力も一杯出てきます。それで生き甲斐も喜びも一杯生まれて、楽しく楽しく役割を発揮しているんです。

 だからその為には、「ありがとうございます」のお祈りが必要です。「ありがとうございます」というのは、そういう意味で個性を本当に発揮して、この世の使命・役割を天命を果たすために必要です。本当の「お祈り」というのは、「ありがとうございます」の感謝です。願い事を唱えるのではないです。神様に「ああして欲しい、こうして欲しい」というのはお祈りでも何でもないんです。まあ、そういうのも含めて、低いお祈りかもしれないですけど。本当の正しい大きなお祈りは、「ありがとうございます」です。神様の働きを、そのまま受け取ることなんです。無限の無限のチャンネルを「ありがとうございます」で受け取ることなんです。そして部分部分のチャンネルを心ゆくまで味わうんです。

 ただ、全体を総合して漠然と受けただけでは、中身が薄くなるんです。例えば、音楽の演奏を聴きます。一大交響楽が鳴り響いている。最初素人の耳では「ああいいな」という位です。どういう楽器が使われて、どうやって演奏されているか分からないです。プロの人だったら分かると思います。バイオリンを何人弾いててと。ピアノは何人弾いててとか、全て見抜けるんです。それを詳しく分かって、初めて総合的に聞けた時に、本当の素晴らしい音色を味わえます。だから部分部分というのは、各チャンネルを順番に体験していくことです。高いチャンネルも低いチャンネルも自由に選んでそれを順番に体験しています。そして神様の本当の宇宙創造の無限の無限のチャンネルを、今度は総合して見て「なんて素晴らしい最高に素晴らしい」と味わっていきます。今までいろんな祈り使ったのも、それが必要だったんです。

 低い番組も体験しないといけないので。いろんな高い番組も心ゆくまで味わって、そして最後には総合、全体を見ながら部分を楽しむというふうに変わってこないといけない。だから祈りというのは、そういう意味で、言葉を自由自在に使いこなせて、神様の宇宙創造の素晴らしい姿を心ゆくまで楽しんで味わうことです。

 祈りほど楽しいものはないです。本当は。祈りが全てです。本当は全てなんです。「ありがとうございます」という祈りの言葉は、全ての全てになるんです。だから「ありがとうございます」を唱える時の気持ちです。願い事を持って祈る必要はないです。損するよそれは。「これを唱えたら何か願いが叶うだろう」というのでは、小さすぎてもったいないです。

 「ありがとうございます」を唱える時には、純粋な心・無心の心でいいです。神様の最高のプレゼントを受ける為に、その心を整えるために「ありがとうございます」を唱える。そうすると自然に神様のプレゼントを無限に一杯受けられるように変わります。だから願う事は何も無いです。既に与えられているのに気付いていけばいい。気づきが増えてくるんです。「こんなにも与えられていた」ということが分かってくる。

 幸せは探し求めたら、逃げているんです。待ってたらいいんです。「ありがとうございます」を唱えて待ってたら寄ってくるんです。寄ってくると言うより、既にあるんです。既にあるのに気付くだけです。特に思いの心というのは、霧のように立ちこめて周りを見えなくしているんですけど。まず「ありがとうございます」で自分の心に貯めた思いが消されてゆきます。そして、周りの霧が晴れたように見え出します。そしたら、無限の幸せが一杯あったと気付いて…、不思議なんです。この「ありがとうございます」というのは。

 
一日何万回を何ヶ月か唱えている内に、よく分かります。本当に周りが輝いて見えてきます。最初から輝いているんです。それが見えてくるように、気付くようになってくるんです。
 ただ真剣さを出さないといけないんです。真剣さがその人の本当の自由意志を表します。みんな本当に何を願っているかです。本当に願っている物を手に入れたい時には、真剣になります。その人の自由意志を定めています。本当の自由意志が決まれば、神様はその人の自由意志を尊重して必要な物を的確に与えていけます。強制的には、いい物を与えられない。「ありがとうございます」という言葉を唱えるのでも、一日一回だけ唱えて他の時間は、他のこと思っている。この人、本当に「ありがとうございます」と思っているんだろうか…?と思うじゃないですか。あまりいい物を与えられないんです。マイナスの言葉一杯使っているのに。プラスのいい物をプレゼントできない、受け取らせるわけにはいかない。

 本当にプラスのいい物を一杯受けたいなら、「ありがとうございます」を沢山言わないと。神様迷うんですよ。だから「プラスの物を無限に一杯受けたい」という意思表示の言葉が、「ありがとうございます」という言葉です。それを神様の前に提出するというのが大事です。そしたら、いくらでも神様が力振るって、幸せな運命に変えてくれます。強制力使う必要ないでしょ。人の自由意志を尊重して助けられる。

 神さまというのは、どこに居るかというのは、どこにでも居るんです。「天に居る」というと、天にしか居ない。「自分の中に居る」というと、自分の中に小さく収まって居るんです。宇宙の全てにいき渡っているんです。「無限の無限の輝き一杯」という姿で、全方向から自分の中に飛び込んで来ます。

 
神さまというのは小さい中心ではないです。無限の大きな光を無限に持っている中心です。だから自分の中に探し求めても無いです。他に探し求めても無いです。そんなちっぽけな見方をすると損をします。言葉通りになります、全部。
 だから、「新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯」という姿を、それを天照大神の姿といいますけど、その姿が無限に無限に一杯というのがいい。天照大神様が全方向から無限に無限に飛び込んで来るというのがいいです。外からも中からも、右からも左からも、上からも下からも、もう全てから自分の中に飛び込んで来ます。それが本当の神様の姿です。そういう神様が周囲一杯にいき渡っています。全ての次元に、全ての番組に行き渡っています。だから神様だけです。神様だけです。「ありがとうございます」という言葉は、その神様の全てを受け取るための言葉です。「ありがとうございます」の一言で神様の全てを受け取れます。

 後は何も要らない。後の細かい言葉は、受け方を限定しているだけです。他の言葉を使うと受け方を限定しています。小さくしていきます。だから最後に一つ絞り込むには、「ありがとうございます」がいいです。後は何も要らないです。祈り言葉の最高なものは「ありがとうございます」です。感謝なんです
。祈りについては、このくらいで。

 「無限の」だけでは小さすぎる

質問者:
 無限の無限の・・・という祈り言葉についてもう少し教えてください。

・・・・:
 言葉で「無限の」というのでも捉え方があります。本当は「無限」というのは、不思議な言葉です。掴み所がない。「無限」というと。考えを思いを超えています。神様は、掴み所が無いです。本当は。掴める物だと、有限です。無限というだけで掴めない。そこにさらに「無限の」と付けるでしょ。さらに掴めないです。その上に「無限の無限の」付けるでしょ。でもね、感謝の心だと把握出来ていきます。感謝の心は神様の心です。そうすると、神さまの心は神様を全て把握していきます。実行だけなんです。実行して感謝の心に戻っていくんです。感謝を深く大きくしていただく。神様の本当の姿が感じられるようにして下さる。

 私は、「無限の無限の輝き、無限に無限に一杯」という感じ方で感じています。もっと上があります。まだまだ小さい。「無限の無限の」と、最初は『何で「無限の」付けるの』とよく言われました。「無限でいいんじゃない」と。「無限の幸せ一杯、それで充分じゃない」と。でもそこにもう一つ「無限」を付けないと、神様の与えてくる幸せという本当のプレゼントに気付かない。「無限の幸せ」だけでは、小さすぎます。

 例えばこの世の自分として、溢れる幸せを受けて「ああ幸せ」と思います。でも自分だけの幸せです。宇宙には、無限の人がいる。だったら、無限の人の幸せも自分の物として取り込んだらいい。そうすると、無限倍になります。みんなの幸せが自分の幸せにならないと、大きな幸せと言えない。だから「無限の幸せ」に、さらに「無限の」を付け加えて「無限の無限の」というと、ちょっと大きくなります。ちょっとだけです。人間だけではないです。動物も植物も、鉱物も全ての存在が幸せ感じている。大きい幸せね。その幸せをも、自分の物とする必要がある。また「無限の無限の」になります。

 だから時間的に言ってもそうなります。今の自分、過去の自分、未来の自分と。全部の時間に自分が存在します。それを今同時に味わいたかったら、過去の幸せも味わえばいい。未来の幸せも先に味わえばいい。全部先取りしてしまえばいい。そしたら時間的には、無限が加わります。そこに必ず「無限の無限の幸せ」が現れて来ます。
 また人間は、いろんな次元の無限の番組に存在しています。一番奥は光輝いて最高に輝いています。光を順番に和らげていろんな番組に出演しています。無限の無限のチャンネルに出演してます。そのすべての番組に出演している自分の幸せをひっくるめたら、無限の無限の幸せと言うしかない。

 どんな幸せというのも変化します。今の掴んだ幸せは、次の一瞬大きく変化した無限の幸せなんです。変化し続けています。常に「無限の無限の」と加わって来ます。まだ、一杯あります。この「無限の無限の」意味が。「無限の無限の幸せ」をとらえても、まだ小さいと言われます。神様の絶対という姿の中には、そんなの取りに足らないという位のものが一杯詰まりに詰まっています。そして常に新たに変えて、同じ事を二度と繰り返さない、同じ物は二つと造らないという、宇宙創造の鉄則があります。その鉄則の元に「無限の無限の幸せ」を一杯与え続けてくれます。今までみんな受け損なって損したでしょ。もう、過去の物は掴めないですよ。受け損なった分はもう戻って来ない。でもこれからの分は受けないと損です。一瞬一瞬新たな「無限の無限の幸せ」が降り注いで来ます。それを早く早く受け取って、味わうのがいいです。

 必ず必要な時期が来て、神様が唱えさせます

質問者:不明

・・・・:
 「ありがとうございます」と一言唱えるのでも、自分が唱え始めたのではないです。神様が助けに入って唱えさせて下さっている。それを順番に回数を多くして、中身を濃くして、そして神様が助けに降りてくださる姿が、それに比例してどんどん現れてきます。

 神様が気付かせてくださる。神様の方は、守り続けています。頼んだから守っているのではない。神様が本当の命の親です。みんなの本当の親です。本当の幸せを願い続けてくれているのが、神様です。だから幸せへの最短コースを歩み続けられるように、守りに守っています。
 ただマイナスの世界に降りたといっても、マイナスではありません。早くに色々な勉強を早く済まして、最短コースを歩んでいます。だから無駄な勉強は誰一人してない。みんな必要な勉強になっています。感謝を深める為の勉強です。謙虚になる為の勉強。素直になる為の勉強、早く神様を感じ取る為の勉強、神様のプレゼントを全部受け取る為の勉強なんです。
 ただ一人一人勉強の仕方は全部違います。同じ歩み方はしていません。みんな歩み方が違うだけです。だから自分は自分だけの最短コースの道を歩んでいます。だから自分の生き方を人に真似するように言えません。人は人でいいです。自分は自分でいいです。

 
だから気付く時期が来れば、神様が必ず気付かせてくださる。「ありがとうございます」を唱え始めたのも神様が唱えさせてくださっただけ。自分の力で唱えるようになったという事は絶対ないです。必要に応じて神様のほうから、変えてくださるだけです。だから「ありがとうございます」を唱えてない人が悪いという事ではないです。まだ時期が来ていないだけ。必要ないんでしょ。必ず必要な時期が来て、神様が唱えさせます。まず自分がしっかりと唱えさせて貰えるようになればいい。それも自然に無理なくでいいです

 新たに新たに毎日結婚し直す

質問者:
 夫婦の話なんですけど。たまに家が埃で汚れているときがあるんです。疲れて帰ってきて、埃を見て「きたいないなぁ。掃除してくれへんか」というと、「私も疲れてるんや」といって「汚い思うんやったら、自分でやりいな」と言われたときムカッとくるんです。「ありがとうございます」って感謝の気持ちは持っているんですけど、感情がわき上がってくるんです。むかつきの感情というんですか。それを抑えられない自分というのがいるんですけど。それはやっぱりそのまま出してストレートに言った方が、自然体の自分でいんですか?

・・・・:
 最初から自然体の自分だったら、それを見てね「ああ、俺は誇り高き男なんだ」と。(笑)

質問者:
 だから自然に振る舞ったらいんですよね。感謝しているから……(不明)ここちょっと汚れているからと。自然体でいんですよね。

・・・・:
 自然体で。それでいいです。楽しめば、はい。

質問者:
 怒りの感情とか、むかつきの感情とか出てきても、それはそれとして普通に…、まあ普通に表したら怒ってしまいますけど…。そこでまた、相手に気付いて貰うという形で。夫婦関係を。あの、私会社を経営しているんですけど、社員さんに対しては感謝の気持ちで、外ではものすごくいい人なんですよ。やっぱり家に帰って嫁さんと二人になると(・・・・:甘えているんですね)甘えてむかつきモードに入ってしまう自分がいてるんです。結構やりあったり、夫婦喧嘩もしてしまうんです。その対処方法を教えていただきたい。むかつき感情が出てこないような方法とか…。「ありがとうございます」ではなかなか押さえられない。

・・・・:
 毎日ね、新婚気分にならないといけないです。今日一日終わりというふうに考えるんです。今日一日だけで帰ってしまうというふうに、毎日新しく結婚し直して。そしたら、大事にします。(笑)新たに新たに毎日結婚し直すといいです。一番最初そうだったでしょ。

 ありがとうございます。

 相手を信じ切るというのが大事

質問者:
 もう一ついいですか。一昨日ですけど会社で、昼の休み時間一時間て決めているんですけど、社員さんが食事に出ていって1時間が1時間10分・20分になりなかなか帰ってこなかったことが、前にあったんです。半年前に。それで僕ものすごく厳しく叱ったんです。時間は1時間だと。またそれが、帰ってこないんです。それで僕、携帯に電話したんです。彼は現場に行ってたんです。一人事務所でいらいらして、またむかつきモードに入ってです、カーッとなってたんですけど、結局時間は1時間と決められているじゃないですか。それを超えたら厳しく言うんですけど、その言い方は考えなあかんと思うんです。どうしてもむかつきの気持ちが出てくるんですけど、それをどうして克服したらいんですか?

・・・・:
 やっぱりね、相手を信じ切るというのが大事です。何かがあって仕事に没頭できなかったとかね、何かがあって帰れなかったとか。逆に、心配してあげた方がいいです。

質問者:
 そこがね、昼行くんがね漫画喫茶なんですよね。(笑)漫画を読んで時間に遅れるんです。

・・・・:
 いやいや、漫画じゃないです。測量の仕事、学ぶために行っているんです。

質問者:
 漫画喫茶で食事しているんです。

・・・・:
 そこで食事することで、いろんなお客さん来るじゃないですか。そこで商談をまとめる事があるんです。そこで、いいお客さんがいないか探しているんです。会社のために一生懸命働いているんです。

質問者:
 仮に遅れて来ても厳しく注意しなくてもいんですか?
・・・・:
 「ちょっと遅れたから、心配したよ。」と言うほうがいんです。
「何かあったんじゃないか?(心配モード)」てね。

質問者:
 「何かあったんちゃうんか!(怒りモード)」とか(笑)

・・・・:
 「途中で事故があったら大変だから、探しに行こうかと思ってたんだ」って。

質問者:
 いいんですか、思ってなくても。
本心で思って無くても、そうやって表現する方がいいんですか?

・・・・:
 いいんです。いいんです。だんだんと本物になりますから。
やっぱり相手に対する思いやりね、言葉に表現するといいです。

 過去の言葉・思いが心に蓄積されている

質問者:
 頭でプラスプラスと考えているのですが、心の中は感謝してない自分がいるんです。そんな風な自分でいいのでしょうか?

・・・・:
 いいですね。ただ心に貯めた分が、自分が気付かなくて貯めた分があるんです。過去に使った言葉、過去の思いが全部心に蓄積されています。それをやっぱり気付かしていただくというのが必要です。だからいろいろ浮き上がってきて、気付かせてくださる。「昔の傾向が出てきた。まだ貯まっているんだ」と。気付けばいい。その消し方ですよ。「ありがとうございます」と唱えたときに、初めて神様に渡して消して貰う。もし「ありがとうございます」を唱えなかったら消えないです。だから消すチャンスと与えて貰っています。心の中のマイナスを全て消して下さる貴重なチャンスを与えて貰ったと思えばいいです。今思うことと浮かび上がって来ることは、全然違います。今の自分のプラスになっている、でも過去に貯めたマイナスが浮かび出てくるのと両方あるんです。

 周りの人の思いを消す役目

質問者:
 その時に「ありがとうございます」と唱えることが、……(不明)

・・・・:
 そうです。過去に貯めたマイナスを消して貰うために必要なんです。別に考えたらいいです。自分の思いだけでは、ないです。周りの人のも心の中に入ってきます。周りのマイナスの思いも、必要だったら自分の中にふっと浮かんで出てきます。それは、周りの人の思いを自分が消す役目です。「ありがとうございます」と唱える人は、周りの人の分も引き受けて消してあげないといけない。大きい人助けです。だからどんなに大きいマイナスの思いが出てもいいです。出てきても大丈夫。「ありがとうございます」で全部消しきれば、自分も人も皆幸せにしていけます。大きい働き、仕事なんです。これは。人に知られずに大きい働きをする陰徳の積み方の一つです。

 一番下から味わうのがいい

質問者:
 (不明)マイナスとプラスをどう受け取れば…

・・・・:
 一番下から見れば、どんな物も美しいです。一番下から見れば。

質問者:不明

・・・・:
 そうです。神様は美の表現を表すだけで、味わう方は一番下から味わうのがいいです。一番謙虚な心で一番下から味わうと、一番小さな美も感じ取れるんです。途中の立場だと、上はいいけど下は悪いです。だから一番下へ降りる方法も、感謝業をしている内に無限に謙虚にしていただくよ。

質問者:
 逆の…(不明)のために病気になることもあるんですか?

・・・・:
 無限の病を抱えた状態からみたら、病が一つ減っただけでも嬉しいでしょ。万病抱えてみて万病消して貰った状態というのは、無限に幸せよね。その上に健康を加えて貰うんでしょ。さらに幸せになるという感じで。だから幸せを発見するためのいろんな勉強です。みんなね。

 元々は神様の言霊が宇宙一杯に鳴り響き続けている

質問者:不明

・・・・:
 元々は神様の言霊が宇宙一杯に鳴り響き続けているいるだけなんです。そこに全てがあります。天から降っている、地から湧いているという、神様の光の言葉がずっと降り注いでいます。

 その言霊の少しをキャッチしているんです。そのキャッチしているものを人に教える時は苦労します。表現の仕方が無いです。それでいろんな言葉が、それもつまらない言葉が生まれているだけです。例えば、地球を再現したとします。他の人は、地球の事は知らない。地球とは、どういう物か、教える時どうします?丸い球を書きます?これが地球だと丸い物を示す位です。本物から見ると、模型の模型の更に小さい模型の更に模型という感じです。というくらいの表現しか出来ない。人の使う言葉は全部そうです。神様の言霊を表現する為の、模型の模型の更に小さい模型の、もっと小さい模型という感じで、ちょっと残るだけです。

質問者:不明

・・・・:
 あるんです。「あ」という言葉も、「あ」という言霊が神様の中にあるんです。「あ」という言霊は、神様の言葉で無限に分かれるんです。同じ言葉でも無限の種類があるんです。でもこの世に降りてくる言葉の「あ」は、一つになります。表現仕切れない。あまりにも単純すぎて小さすぎて、つまらなすぎて。

質問者:
 日本人は特殊なんですか?

・・・・:
 特殊というほどではないです。日本人と外国人と同じ地球人じゃないですか。だから同じ宇宙人でしょ。だから、そんなつまらない分け方は必要ないです。同じ地球人という方がいいです。世界の言葉は共通語なんです。ただ、どれだけ神様の言葉を把握出来ているかという問題なんですけど、把握できてないです。また、把握するのも不可能なんです。把握してもそれをこの世の形に表現するのは、もう一つ不可能です。だから、言葉を超えないといけないです。言葉を超えて、神様の言霊を神様の創造の働きをしっかり直感で把握していく方が、よりよく分かったことになるです。いろんな古文書は沢山あるんです。でも本物は残ってないです。つまらない小さい残骸が残っているだけです。それに縛られない方がいいです。本当の神様の働きは、そんなちっぽけなものでは無いですから。

 どういう唱え方しても自由自在でいい

質問者:
 「ありがとうございます」と言葉に出して言うのと、言葉に出さずにいうのとどちらがいいですか?

・・・・:
 全ていいです。全て。どういう唱え方しても自由自在でいいです。すべてプラスに変化します。(言葉に出しても、出さなくても…)出しても出さなくても大丈夫です。どちらもプラスの働きになります。

質問者:
 ありがとうございます。





 惟喬親王祭

司会:
 今年の「惟喬親王祭」ついてお話をしていただけるようです。ありがとうございます。

ありがとうございます:
 神さまの人類救済の計画はもう用意されています。今地球がどうのこうのと心配していますが。ひどい予言だと地球が必ず滅亡するいうのがあります。でも何も心配ないです。それ以上に神さまの用意周到の計画が既にあります。ただ人には自由があるので、ある程度人の自由が尊重されます。どんなに悪いことをしても大目に見てもらえます。

 でも最後は「地球の人類の力ではどうしようもない」という時が来ます。その時は神さまが強い力を発揮する、強権を発動するという時期があります。ただ、それも人の自由意志を全く無視するということはないです。神さまの助けを命がけで求める、そういう人が出て来ます。一人でも地球の平和を願う人がいれば、神さまはその人の自由意志を尊重して助けに来る。だから地球が滅亡すると言われてても、
誰か一人でいいです。誰か一人が命がけで「地球を平和にしたい」という願いを立てたら、神さまはその人の為に命がけで力を振るってくる。

 本当に地球の平和を願う人はもっといます。一人じゃないです。だからどう転んでも平和になります。絶対大丈夫です。これは、宇宙の大神様から見ればそうなんです。そしてもっと低い段階で神霊の働きも一杯入って来ます。どんな神霊も自由意志を持っています。その神霊の自由意志によって、強制的に働きかけて来る神霊もいます。
 これも高い低いは別にして。何とか地球を救ってあげたいと考えて大きい力をわざわざ振るってくる場合もあります。だからいろんな地球救済の働きが加わって来ています。また、他の星からも「地球を滅ぼしてはいけない」という感じで、宇宙人という姿で応援にも来ている。

 だから地球を心配するというのもいいですが、心配する必要はないです。どんどんこれから良くなっていきます。特に新しい世紀に入って、本物の時代、本物の時代というのは神様の心が大きく輝く時代です。必ず本物の時代になる。神様の御心が大きく輝く時代になります。必ず本物の時代になります。人も本物になります。本物の人というのは、神さまと一体化した人です。悟りを開いて神人になった人です。みんなが神さまと一体化して神人になってくる時代です。

 今までは肉体が自分と思ったり、魂を自分と思ったり、つまらない自分を掴んでいました。だから「思い通りに生きてみたい」という感じで、「思い通りに生きたら何か幸せかな」という錯覚を起こしていたんです。でも「思い通りに生きても幸せになれない」というのが、みんな心の底から分かり始めた。もう行き詰まるだけというのが、分かってきた。

 そして、戦争にも、もうかなり飽きてきている。もうだいぶ疲れ果てている。でも今の世の中一杯問題あるでしょ。色々な学びと言えばそうですけど、それ以上に要らない物を消してくれています。
 今までに、「思いの心」で築き上げた物はつまらない物ばかりです。古くて要らない物ばかりを積み上げてきました。それを自分の力で消せないから、どうしようかと悩んでいるところです。だからそういう「思い」で積み上げた物は、全部神さまの方から消してあげようと働きかけて来ている。
 
だからいろんなマイナスが表面に出てきているように見えます。でもそうじゃない。大きいマイナスを小さくして消してくれています。それもわざわざ確認を取りながら。「こういうマイナスを消したよ」と、ちょっと確認を取らないといけないでしょ。知らない間に消されるのも嬉しくないかもしれない。だから万分の一くらいの軽さで大きいマイナスを消し続けてくださっている。

 車に乗って衝突するでしょ。無傷だったと喜ぶでしょ。ああ、怪我しなかったと喜ぶでしょ。事故起こらなかったら何とも思わないです、普通ね。奇跡が起こったと思わないでしょ。でもいつも守り続けて貰って無事故というんだったら、大奇跡なんですけど。でもそれで喜ばない人が多いと、ちょっと事故を起こして無傷に済ませる。神さまも相当苦労してテクニックを使います。

 だからこの世に現れるマイナスは、殆ど大きいマイナスを小さくして消している姿です。今更悪いことをしてマイナスを積み重ねる時代ではないです。どんどんマイナスを消し続けている時代です。それもまだ気付かない人は、それより多めにマイナスを出してくれます。少しだけですけど。大分反省してきている人が増えているでしょ。人間の力では何も出来ないという、「もうどうしようもない」という、自力の生き方を諦めかけた人が増えています。それで、「ありがとうございます」と感謝に入る人、そういう人もドンドン増え始めています。

 ただこの「ありがとうございます」という感謝の心を受けられる人は、自分の力ではないです。神さまだけの力でもないです。大勢の縁ある人がずっと助け続けてくれて、やっと大勢の人の代表として「ありがとうございます」と唱えるチャンスを与えて貰っているんです。

私の両親は、和歌山生まれで和歌山育ちで、いろいろ苦労して私を今日あるようにしてくれたんですけど、父も母もどちらも孤児同然になっています。親も早く死に、兄弟も早く死にと。早死にする家系です。どちらもひとりぼっちになってしまったんです。早くに。

 こういう家系はどんな家系かというと、マイナス一杯あった家系です。普通そういうふうに思います。そうとう過去に悪い事をし続けた家系だと。でも逆です。私の為にマイナスを消し続けてくれた家系です。マイナスを私に残さないように、先祖代々が私のマイナスを全部背負って消し続けてくれました。そのお陰で私は「ありがとうございます」を小さい頃から言えたのです。

 先祖が悪いから祟っているなんて事はないです。みんな助け続けてくれたのです。見方が正反対でしょ。感謝して分かります。「ああ、助け続けて貰ったんだ」というのが。もう、涙が出るくらい嬉しいです。

 神さまの計画というのは、とことん守り続けて「これでもか、これでもか」という位守り続けてくれていますが、感謝の心でないと気付かない。正反対に受けてしまっています。「何でこんなに苦労させるの」と。そうじゃないです。だから個人の生き方においても、また国とか世界の生き方においてもマイナスに見える姿は、全部神さまの大きい助け合いの姿なんです。どういう運命を地球が辿っても、必ずそれが大きい幸せへの一歩一歩です。

 でもやっぱりマイナス少ない方がいいです。それに早く気付いてくれればいいですけど。なかなか気付いてくれないので、神さまもいろいろ苦労されているようで…。でも地球を滅ぼす訳にはいかない。特にこの世の地球というのも勉強の場所として貴重な場所なんです。滅ぼすとみんなの勉強する場がなくなってしまう。だからどんなに大きなマイナスがあっても軽く済ませて、この地球を保存しないといけない。後々生まれ変わって来る人のためにも。それで地球が滅亡する寸前になれば、必ず神さまの方から大きな力を振るってくる。それも強制的な力も振るえます。

 神さまにも自由があるから。人には自由があるけど、神さまにも自由があるよね。強制力を振るう自由もある。でもあまりそういうのは振るわないです。神さまが振るうと、どんなことも出来てしまうので。でもやっぱり地球のぎりぎりの状態のどうしようも無いと言う時には助けてくれる。その助け方がいろいろな形で出てきています。

 耳を澄ますと聞こえてくる。本当は耳を閉じて、目を閉じて、心を澄まさないと本当の神さまの助けというのは感じにくいです。表面だけを見てしまうので。普通心が暗くなった時、その心の暗さをどうして消すかというと、簡単です。病気すれば消えます。心の闇は、体の病として消えていきます。でも表面だけ見てたら逆に思う。病気の症状が出ると悪くなったと思う。正反対です。症状は、「やまいだれ」に正しいと書くでしょ。症状が出た時は、正しくなっています。直っています。心の闇が消されて、全てが正しく置き換えられて来ています。
病気の症状が出た時は、「もう直った」と喜べばいいのに「病気になった」と正反対に捉えてしまう。

 だから表面には、あまりとらわれない方がいい。いつもいつも神さまの愛を、助けを感じるのがいい。たまには目を閉じて耳を閉じて、心の耳で「ありがとうございます」を唱えて神さまの愛を感じ取るのがいいです。そうすると心が揺るがなくなります。

 この蛭谷(昼渓ひるたに)という所で惟喬親王の御陵がありますが、ここはまた不思議な場所で千百年前です、惟喬親王さんがこの世に生まれて色々活躍されたというのは。本当は天皇陛下になるようなお方だったんです。謙虚な方で勢力争いで勝ってなろうとはしなかったのです。一歩退いてそれを譲って自分は仏門に入って、いろいろ修行されたり世の中の為に大きく活躍されました。ものすごく活動的な方でした。だからあちこちにその足跡が残っています。その蛭谷の地に、「筒井千軒(つついせんげん)」という形で大勢の人が慕って集まって来ました。有名なロクロの技術をみんなが教えて貰ってという話ですけど、それは表面です。技術者を養成したのではありません。

 精神的な指導者を育て上げたのです。ロクロの技術だけが表面に出ていますが、それはあくまでも表面です。そうではなかったのです。日本の国を立派にしていく為の精神的な指導者を養成していました。「神様の御心とは、どういうものか」と。「本当の幸せになる道はどうか。日本を良くするためにはどうすればいいか」とか精神面での指導をしっかりされました。ロクロの技術も教えの一端として、教えやすい道具になります。ロクロというのは、回転させて木を素材に、そこを掘って木目をしっかり表して美しい物を作り上げる。木の木目って素晴らしいでしょ、年輪て。
 最初は見えないから何も無いように思いますが、ロクロで削りとっていくと中から美しい年輪が出てくる。ああ言うのは、本当に宇宙の大神様の創造の姿を感じさせてくれます。だからロクロの技術というのは、宇宙の大神様の創造の、螺旋状に出ていって生み出されるという仕組みによく似ています。

 その親王さんは桜の花が本当に好きでした。山桜の方ですが、花びらがヒラヒラヒラと散るでしょ。あれがすごいんです。一切の執着がない。それでいて無常という感じではないです。無常というような、暗さが無いです。毎年花を大きくして、沢山増やしてヒラヒラヒラと散り際を美しくしていきます。今年咲いた花よりも来年もっと増えて咲きます。「どんどん美しい物が生み出されていく」という明るい無常観です。

 これが本当の意味の「古神道」とか「神道」の底に流れる心です。神さまをバックに置いた本当の無常観です。楽天的無常観です。陰性的無常観ではない。楽天的無常観です、バックに神さまを置いた感じの無常観です。そこに本当の夢も希望も出てきます。「必ず良くなる良くなる」という感じで、それで一瞬一瞬を新たに受け直します。
 惟喬という名前もそういう意味もあります。「これ新たに」、「これあらたかに」という感じで、常に新たに新たに受け直す生き方を惟喬親王さんは捉えていきました。だから自分の物を一切持たず、執着が一切ない立派な方でした。

 そして法華経の真理も深く体得されていました。法華経も素晴らしい教えです。点検してみると素晴らしい教えばかりです。だから「仏教がどうのこうの」、「神道がどうのこうの」といったそんな狭い範囲ではありません。全てを包容するような大きな心の生き方を捉えた人です。そして惟喬親王さんに指導されて全国へ散って行った人、精神的指導者集団といった方がいいかもしれない。そういう人達は、山でも五合目以上は、ただで木を切れたといいますが、ただで木を切れて得だと思います?ここらの山でも五合目から上の木をあげますと言っても貰ってくれる人いない。下の方の家の端の木を貰ったら、ちょっと得したと思うかもしれないけど。でも山の中腹以上の木を切って、どうやって持ち出すの?昔だったらもっと大変です。今は日本の木は、木材が安くなって、切って製品にしてもその手間賃の方が高くつきます。だからとてもとても林業が成り立たないと言っているでしょ。だから山の奥の木なんて、ただで上げるといっても、誰も貰ってくれません。手間賃が出ないです。売っている製品買う方が安くつく。昔はもっと大変だったと思います。

 いろんなロクロで使う木を探して、それも細い木じゃ駄目です。大きい立派な木でないととれない。いい素材もないです。だから高い山から切り出して使う木というのは、相当な苦労があります。惟喬親王さんはそういう所まで見ています。苦労させないと立派になれない。
 皆さん一度山に登って一本の木を切り取ってみたら分かると思いますが、家の端だったら楽です。すごく楽。でも100m上も大変です。100m上の木を下まで下ろすのにどれだけ大変目にあうか。高い山だったら何百mと上がって切るでしょ。1000m超えるかもしれない。それを担いで降りるなんて、大変な難行苦行かもしれない。でもそこまで苦労した人が立派になったのです。そこまで苦労しないと、人を引っ張っていけなかったのです。
 それで精神的な指導者として、どこへ行っても迎え入れられて、いいものを伝えていけたのです。だからそういう生き方した人が、皆さんかもしれないです。今この地に集まってこれから神さまのお手伝いをしようという方、これは縁があります。また自分に縁のある人が、深い縁を持っている人が多いです。偶然ではありません。
 ただ過去世の縁で、こうした今の縁が結ばれるだけではない。それにプラスして神さまの方から新しい光の縁が降ろされてくる。新たな縁です。過去世の縁に新たな縁が加わって初めて神さまの大きい助けを受ける。そして神さまのお手伝いをさせていただきます。

 だから本当はこの世に生まれた人は、何十万人の代表として生まれてくる。小さく見てもそうです。でもそれ以上に神さまのお手伝いをして、例えば地球を幸せにしようという大きい運動に参加出来る人は、もっともっと大勢の人の代表です。そうでなかったら皆さん来れなかった。そういう大きい役目がなければ来られないです。
 わざわざこんな山奥に何しに来たんですか?誰に騙されて連れてこられたんですか?(笑)初めて来た人はびっくりされたでしょ。どこに連れて行かれるんだろうと。でもそれは、神さまの計画の中にあります。

 今から20数年前です。御陵の整備がきちっとされたのは、原田観峰宗師という日本習字教育財団の教科書の手本なんか書かれた立派な方です。会員が75万人くらいおられました。もう6年前位に亡くなられましたが、その方が惟喬親王さんのお告げを受けて「この地に心の修養道場を作って、神人養成をして欲しい」というような感じでスメラ学園とか御陵の整理がされました。表向きは書道の指導者を研修するという形ですが、そうではないです。もともと原田観峰宗師は、「ひふみ神示」を教えて貰って正しく解釈し、それを自分が伝えるという使命を感じて書道を始められました。もともと小さい頃から書道は上手でしたが、「ひふみ神示」を伝えるために、神さまの教えを伝えるために書道の通信教育を始められました。目的が書を教える事では無かったのです。

 本当は神さまの御心を伝えるのが目的でした。だから神さまの応援、助けが大きかったのです。会員がドンドン増えて、75万人て凄いです。立派な人が一杯集められました。そのスメラ学園と言うところも二十数年前に出来ています。それも最初は、集まった人は奉仕奉仕でした。何も無い所です。道も無い。荒れた山があるばかりという感じです。そこをみんなが奉仕して作り上げていきました。
 後で、大きな会館は3つ出来ていますが、最初はバンガローみたいなのが手作りで一杯作られていました。奉仕することによって神さまの教えも受けやすい、普通教えだけを受けても入らないです。みんな頭に一杯詰まっています。いろんな知識、いろんな思いが一杯貯まっています。そこへ新しい何かを教えて貰っても入り切らない。

 だから先に奉仕した方がいいです。肉体労働で汗を流す方がいい。そうすると頭が空っぽになる。奉仕することによって心が清められる。そこへ神さまの教えを聞かせて貰います。勉強させて貰うとスッと入ります。それでまた奉仕したくなります。
 だから「感謝」と「報恩」の業というのは、ワンセットに一つになっています。恩返しの奉仕をしないと感謝も深くならない、また感謝が深くなれば恩返しの「報恩」の業に生きたい。それが喜びに変わる。「感謝」と「報恩」の業というのは車の両輪みたいなものです。
 どっちかに偏るとグルグル同じ所を廻ります。前に進めなくなります。だから両方をバランス良くとって前に進むのがいい。だから何も無い所で奉仕し、そして作り上げて行くという所に本当の磨きがあります。だから苦労をしないといけないというのは本当です。苦労するほど、早く立派になる。実際重荷を背負って肉体トレーニングすれば、力つくじゃない。心にも重荷を背負ったらいんです。その方がいいです。でも重荷を背負ったら苦しいと逃げるんです。逆ですね。重荷を神さまがわざわざ背負わせてくれているのに。その重荷を背負ったまましっかり生きると力が早くつくでしょ。

 神さまの計画には無駄がないんです。だからいろいろな苦労を皆さんさせていただいて来たはずです。人並み以上の苦労を一杯した人の方が早く立派にして貰える、幸せ一杯にして貰えるから。これからも人の苦労を背負う方がいい。人の苦労をも自分が背負って、それを解決していってあげる位で、初めて自分も早く立派になれます。だから人助けに生きる人が幸せになるんでしょ。助けて欲しいと言う人は、駄目です。神さま助けてと言う人は、なかなか幸せにはなれない。自分の事は放っておいていいです。あの人を助けてあげたいという風になった人が、早く幸せになれます。自分の問題が解決しなくてもいいです。他の人を幸せにしてあげたいと一生懸命にしていると、自分の問題はいつの間にか消えて無くなってしまいます。
 洗濯機で汚れを取る場合も同じです。自分一人洗濯機に入って洗っても意味無いです。他の人を放り込めばいいじゃない、その時自分も一緒に浸かればいいです。同じ時間で大勢の人が幸せになる。神さまの洗濯機は大きいから。

 それでその20数年前に御陵を原田観峰宗師という方が、相当大きい額のお金を投資して大勢の人に呼びかけて、神社を建てたり石垣を積んだり整備して、惟喬親王のブロンズの像を造ってくれました。それまでは、荒れ果てて何もありませんでした。
それでも世界の情勢を見て、日本の姿を見て、相当愛国心の強い方だったので憂いて「何とかしなければ」という感じです。でも神さまがもっと地球の行く末を憂いてたのです。それで惟喬親王さんの神霊が中心になって、他にも大勢の立派な神霊が大挙して現れていますが、そういう高級神霊の大きい働きによって、この地を日本救済、地球救済の中心に変えていこうと神さまは計画しているようです。

 だいたい日本というのが、世界の中心です。縮図です。世界の大陸の縮図が日本列島です。全てぴったり符合します。例えば北アメリカ大陸が、北海道そっくりです。四国は、オーストラリア大陸とぴったり合います。だから世界の大陸の姿が、日本の大陸の姿とぴったり符号しています。ほんのちょっと位違うかもしれませんが、いろいろ海に沈んで見えないとかで、少しは違うかもしれないけど殆ど同じです。
だから世界の縮図として日本の国があるということは、日本が世界の中心、ひな形になります。だから日本が良くなれば、世界は必ず良くなっていきます。だから日本が悪くなれば、必ず世界が悪くなります。また日本にあるものは、必ず世界に広がります。また、世界の全てが日本に戻って来る。日本の国というのは、不思議な所です。だから「日本が先か、世界が先か」、「鶏が先か、卵が先か」という感じだけど、どちらが先でもいい。

 日本は逆に謙虚になった方がいい。世界のお陰で、日本があるんだという感じで。本当は日本から全てが始まっていますが。日本から広がっていますが。でも、もう一回世界から全て日本に戻って来ます。また、日本が一回り大きくなって、世界に全てを発信して行く。
卵と鶏は一体です。だから日本が変われば世界が変わってくる。いいように変わればいいのに。だから日本の姿、心の状態が必ず世界に映っています。その日本の中枢はどこかというと、琵琶湖です。琵琶湖というのは、昔は「鳰(にお)の海」と言われていました。「鳰(にお)の海」というのは、女性の子供を産む場所という意味です。だから宇宙絶対神の新しい創造の働きの中心地のようになっています。本当は、その形というのは模型的な物でしかないですけど。その模型的な姿で教えています。不思議な事です。


 だから琵琶湖の湖面に、「水茎文字」が映る。大本教の出口王仁三郎先生がいっている。「水茎文字」というのは、最初の言霊の神さまの働きを表しています。そういうのが映るというのは、不思議です。湖面にそんな文字が現れて来るというのは。だいたい滋賀県というのは、日本の中心地に近い。
ただ琵琶湖と富士山を比べると、富士山は表に出てる。琵琶湖は奥に隠れている。どちらが宇宙絶対神に近いかというと、宇宙絶対神というのは「谷の神様」谷神ともいう。奥に深く隠れて本当の宇宙絶対神です。あまり表面に出ない。だから琵琶湖の方が宇宙絶対神の模型です。奥に隠れているという意味で。無限に謙虚に神さまのお手伝いをしたいという人が、集まってきます。表に出たい人はここに集まらなくてもいいです。富士山の方がいい。だからいろんな中心があっていいです。だから中心というのは、神さまの光が強く輝いたところが全部中心です。神さまが絶対の中心です。だから神さまの光の輝いたところが中心になります。その中心にも色々な意味の中心があります。

 本当はみんなひとりひとりが中心になればいいですけど、ただその中心というのは上ではない。上に立つ事じゃないです。中心は。一番下に降りることです、本当の中心というのは。台風の目がそうです。大きい台風というのは真空度が高い。真空度を高くしないと、中心に立てないです。自分を無くさないと駄目です。
だから上に立って権力振るうのは、中心ではない。全責任を持って、全てのマイナスを一身に背負って消す働き、これが中心に立つ人です。中心に立つ役割がそうです。だから表に出たら出来ない、中心に立つということは不可能です。全ての責任を一身に背負って、全体を調和させる働きが中心の役目です。

 だから神さまの働きといのは、いつも底を流れる。表にあまり出ない。一番の源流・底流、底を流れる地下水の様なものです。自分を掘り下げた人を通して湧き上がります。噴水の様に吹き出して来る。それが世の中を平和にし、幸せにしていきます。だから自分の奥底から神さまの光を命を、引き出さないといけない。それを邪魔しているのが外から加えた物です。ちょうど井戸で言うと、外から水を貰って貯めても駄目です。つまらない物一杯詰め込むと、ドンドンつまらないもので蓄積されたら、そこから湧き上がらなくなる。ある程度湧いている井戸でも出なくなる。だから求める心生きる間は、井戸掘りではありません。与え尽くす生き方になった時、初めて井戸掘りが始まる。自分の持っている物を全部外に出してしまう。与えて与えて与え尽くすと井戸掘りが始まります。
そして土も石も全部のけて、湧いてくる水も全部捨ててドンドン与え尽くしていくと、井戸が深く掘れていく。最後に湧き上がる水が出てきます。本当に綺麗な清水が。噴水が吹き上がってくる、必ず。それも与えるほど湧き上がるようになっている、早くなっていきます。

 それが神さまと一体化した人の生き方です。オアシスのような人になる。神さまはそれを待っている。そういう人が出てきてくれるのを待っている。そうなりたいという人を待っている。だから苦労を厭うようでは駄目です。与え尽くす心を持てないようでは、まだ時期が来ていない。でも外から水を貰っている間は駄目です。くれなくなったらお終いよ。水の奪い合いなんて馬鹿ですよ、そんなの。早く神さまと直結しないと。命の水が早く湧き出るようにならないと。
 でもそれは、そんなに難しくない。しばらく与え尽くしたらいい。与え尽くすといったら何だけど。どんなに神さまから助けられて、みんなから助けられて幸せにして貰ってきたかと、そう考えたら今日一日くらいは恩返しに生きられる。今日一日だけと思えばいい。恩返しに生きてただ働きをすればいい。そしたらきっと喜びが湧き上がる。与える生き方がどれだけ幸せかと、喜び一杯になる。「明日もまたしてみよ」と思うんです。一日単位で与え尽くせばいい。それをしばらく続けるだけで井戸掘りが終わります。

 普通出したら損と思いますが逆です。出したら必ず入ってくる。呼吸と同じです。吸うばっかりだと呼吸が止まります。酸欠になって、もがき苦しまないといけない。でも息を吐き出したら、空気が無限に周りにある。自然にすっと入って来る。「ああ、生かされている」というふうに。気持ちがスッとしてくる。簡単な事なのに。早く気付いて吐いたら、楽になるのに。

 そして、その琵琶湖が日本の中心、世界の中心になるというふうに、神さまは形の上で似ているのね。だからこの地は、神さまが一人一人を神と一体化した神人に生まれ変わらせる場として、清めの場として用意してくれている。
だから惟喬親王の御陵へ行かれた人誰でも感じますけど、心がスッと澄み切ってくる。思いが消されてしまいます。いろんな人生があるでしょ。いろんな神社行っても、思い被ってくる神社もあります。逆に思いを一杯感じて、「ああ、しんどかった」と帰ってくる時もあります。
 でも、あの場は違います。思いをスッと全部消してくれる。いろんな気付きを必要に応じて与えてくれる。不思議な場所です。そういう場所を与えて貰っているというのは、本当は幸せです。

 ただ、あそこは縁のある人しか行かないようです。端を通っても気付かない。縁のある人は、スッと入れる。また、ああいう所にわざわざ来る人はいない。でも大事な場所です。天地を貫く大きな光の太柱を立ててくれている。
惟喬親王さんが、立ててくれているのではないです。そんな小さな物ではないです。惟喬親王御陵となっていますが、宇宙の大神様が直接降りて来ます。また、最高級神霊の神々様が大勢大挙して降りてきます。
だからあそこへ行かれた時、自分に縁のある神さまが、一杯助けてくれます。写真を写しても、神霊写真「光」が写る写真が一杯出てきます。不思議な場所です。

 ただ、あの御陵の周りだけではないです。「スメラの聖地」というのは、もっと広いです。昔の惟喬親王さんの生きていた時代も、かなり大きく広がっていました。「筒井の神域」と言われているのは、もっと広いです。その永源寺町、「蛭谷(ひるたに)」だけではないです。甲良(こうら)町も入るし、愛東町も入るし、大きく広く光の神さまの降りる場所になっています。そういう場所を用意して、そこへ来て大きい助けを受けるようになっています。

 今から9年前地元の人が、何とかお祭り的にでも、ちょっとでも忘れないように「親王祭」を開いていこうというふうに始められて今年で10回目になります。最初は、僅かな地元の人が10人位です。集まっても。それが、去年で350人位です。でも参加されたという人は何か感じます。不思議な場所です。今年はもっと大勢集めて欲しいという神さまの方も願っている、高級神霊の方も願っている。早く世界を平和にしたいということで。それで全国から不思議にから縁のある人が集められてきているみたいです。

 今年も「海の日」ということで、決めてたんですけど、今度7月20日ではないですね。また暦が変わりました。今度は7月21日になるんです。第3月曜?まだ日にち正確には決まってませんが、「海の日」になると思います。
「海」というのもいいです。全てを「生み出す」という意味で。神様を表す言葉です。海の本源という「竜宮城」みたいです。全ては海から生まれるという感じで、「海の日」に「惟喬親王祭」を開くのもいいと思います。
皆さんもお客さんとして楽しんで貰うのではなく、ボランティアとして参加して盛り上げてほしいです。特に神人に生まれ変わるという人は、神さまのお手伝いをして神さまの助けを大きく受けて輝くのが目的です。奉仕するのは、自分が神人に生まれ変わるために必要です。
 お客さんというのは、損をします。その時は楽しいです、楽して、「ああちょっと良かった」と思いますが、神さまの大きい助けは受け損なってしまいます。だからこの「スメラの聖地」と言う場所は、いろんな形の奉仕をして神さまの助けを受けて、本当の自分に戻る場所です。だから、いろんな分野の方が本物を発信する場所になっていくと思います、これから。全国から色々な分野の方が、本物を発信したい方が集まってくる。

 それで今「スメラ学園」も後の利用の仕方を、みんなで試行錯誤して考えているんですけど、立派な施設なんで固定資産税だけでも400万円近いという位になったんで、地元に只であげると言われたんです。5・6年前に、ところが受けきれない。
「蛭谷」の地元では。まず最初は法人も作れないし、地元で受けられるかと考えてみたら、受けられないです。個人じゃ駄目です。贈与税が掛かる。70%位です。何億円掛かってしまう。法人を作ったら受けられるというんで、考えていますが、贈与税が0になっても、今度固定資産税が凄いです。後の維持・管理費を考えたら莫大なお金になってしまいます。今までは、それを地元だけでは受けきれないということで、受け皿を探していました。でも無いです。決まらないです。

 でも、これから必要になります。神さまの運動を大きくする意味で、みんなが大きく駆け寄って行かないと世界平和の働きは出来なくなります。その受け方も、今研究中。その施設をフルに生かして、本物を世界に発信して行く場にしていかないと。そのために、皆さん一人一人に協力して貰いたい。ボランティアとして。いろいろ参加して欲しい。いろんな仲間づくり出来ていくと思います。
一人一人が手を取り合って網の様なネットワークを作らないと、一人一人が人を救うのは大変です。一本釣りの救い方は大変です。でもネットワークを作って「網」になれば、大勢を一気に救い上げられる。
 だから、世界中に神さまの救いの「光のネットワーク」が生まれてくるんです。特にお祈りする人は、一人一人が神さまのネットワークの一員です。そういう人が、ドンドン手を取り合って、神さまの人類救済、地球救済の大きなお手伝いをさせていただく。私一人くらいと思わないで、みんな参加して欲しいです。

 生かされているということに気付けばいいだけ

質問者:
 僕一年以上、鬱(うつ)病持病を患っているんですけど、先ほどの先生のお話だと神さまの計らいだと。己を………(不明)………気がしたんですけど。その辺のお話を聞かせていただきたい。

ありがとうございます:
 そうですね。今まで自分で生きようとされていたでしょ。(そうですね)それで、大分疲れましたね。(疲れました)今度は、もう生かされているということに気付けばいいだけです。「ありがとうございます」としばらく唱えたら生かされているという気付きがドンドン出てきます。そしたら、自力の生き方を捨てて楽になれます。そしたら、思いも消えて心がスカッとするんです。青空に太陽が輝くような心に必ずなります。もう、気付かれているんですね。「ありがとうございます」を唱えられたら全部解決します。

質問者:
「ありがとうございます」を唱えたくない日があるんですけど、その時は…

ありがとうございます:
 いいです。いいです。書いたらいんです。(笑)

質問者:
 ああ、書いたらいんですか(笑)

ありがとうございます:
 葉書に書いて沢山送って下さい。みんなからの「ありがとう」がまた一杯戻ってきます。

 みんなを幸せにしてくれるだけ

質問者:
 妹が今入院しているんですけど、それを皆でワイワイ騒ぎ廻っているんですけど、私は「あの子は、清まるんだな。世間もあの子が清めてくれているんだな」と「お礼のお祈りしよ」と思って、その子の為に今日はずっとお祈りしてたんですけど…。

ありがとうございます:
 そうですよ。それでいいです。もう神さまの現れなんだと、神さまとして拝んでたら大きい働きをして、みんなを幸せにしてくれるだけです。(ありがとうございます)ありがとうございます。

 プラスの光の縁の中に入ればいい

質問者:不明

ありがとうございます:
 因縁、因果という言葉があるんですけど。この因果には、「光の因縁因果」と「闇の因縁因果」を大きく分けた方がいいです。過去を掴む「因縁因果」は「闇の因縁因果」です。「目には目を、歯には歯を」と法則はずっと働くんです。でもそれが全てではないです。神さまの方からは、常に光の因縁が降ってくる。新しいプレゼント一杯降ってくるんです。過去の掴みさえ離せば、新しい光の因縁因果に自分を置けるんです。だから、過去を掴まなかったら、運命は自由自在に変化する。どんな運命でも自由に受けられて、幸せ一杯にして貰える。神さまに「ありがとうございます」を言えば、新しい光の因縁がすっと降ってくる。一つの出会いでもそうなんです。神さまから与えられた光の縁で結ばれた人は、良くなるばかりです。でも過去の腐れ縁で結ばれたら…。だから「ありがとうございます」でプラスの光の縁の中に入ればいいです。

 本当のお祈り

質問者:
 先ほど「祈りが全て」ということを、言われましたけど「祈り」の中で湧き上がって来た時に、本来やるべき行動という物が出てくる訳ですけど、行動が無ければ、祈りというのは……(不明)…行動があってそれに対して成果が上がって初めて結果が出てくる。その辺、「祈り」だけで成果が出てくるんですか?

ありがとうございます:
 感謝の祈りですけど、「感謝」は受けるだけではないです。受けたら即、実行しています。神さまの助けを受けた瞬間に、大きい働きをさせて貰っている。それが「お祈り」です。感謝のお祈り。まず受けないと駄目でしょ。神さまの方から「無限の無限のプラスが一杯」という姿を受けた瞬間、神さまの力が中に入って来ます。それが大きい働きになって、必要な事をさせていただく。だから行動にでない感謝は、まだ浅いです。必要な行動にさっと出た時が、深い感謝です。本当に神さまの助けを受け取っています。最初のお祈りは練習です。「受け取ろう」という練習です。「ありがとうございます」と唱えているんですけど、まだ受け取れてない人がいます。「ありがとうございます」を練習して、神さまの助けを受けた時から行動が伴います。必要な働きがスッと出来る。それが本物のお祈りの状態です。だからワンセットになってないといけない。受けるのと行動、結果がワンセットでスッと出てきたら本当のお祈りになります。

 「ありがとうございます」を唱えられる人は、もうそれだけでいい

質問者:
 海外支援の活動とか、介護関係の仕事参加するということが、「もう既に、そういうことを掴んでいる事になるのかな」と思うんですが、募金を入れるということも含めて募金を集める活動に参加することよりも、出さない事の方が平和に繋がったりとか………(不明)…その辺を教えてください。

ありがとうございます:
 そうね色々な自由な生き方があるんで、何にもしないよりもちょっとはした方が勉強にも大きい役割を果たすことになるでしょ。それしかできないなら、それを一生懸命されたらいい。でも、もっといい働きの出来る人は、別にそれに縛られなくてもいい。他のいいことをすればいい。より大きい働きになる方へドンドン移ればいいです。だから「ありがとうございます」を唱えられる人は、もうそれだけでいいです。一番大きな働きに変わって行くから。この世の行い一切無くてもかまわない。一切無視してもいいです。神さまの世界を見つめたらいんです。そしたら、神さまの大きい働きがこの世へスッと降りてくるお手伝い、遙かに何万倍、何億倍の働きになるかもしれないです。一人一人自分が決めたらいいことだけど、でもより大きな働きになる方がいいです。
 ありがとうございます。









ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.80.81.82.
83
.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.
100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.
114.115.116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.
117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.
130.131.132.133.134.135.136.137.138.139.140.141142.
143.144..