ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます
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「ありがとうございます」の おはなし 2000年(ねん)1月(がつ24日
ありがとう ボランティアグループ
ありがとうございますという言葉を広げるために、本当は何もないボランティアグループなんですが、なにもないと周りから認めてもらえないから、仕方なしに最近つけた名前なんです。感謝の心からさせてもらっているから、「ありがとう ボランティアグループ」という名前にさせてもらったんです。
本当は何もなしで進めたかったんです。特に、古神道の生き方を実行してそれを皆に知ってもらいたかった、古神道というのは古い神道ではなく、古神道は形がないんです、神様の無限のすばらしいものが降りてきている、そんな姿が古神道です。神様の思いやり、寛容の心、大きい愛が輝いているというだけが古神道です。全部を最高に生かす状態が古神道のあり方なんです。
二十一世紀は輝く時代だといわれています、私もそれを理想として、実現するために祈らせてもらってきたんです。まず感謝の「ありがとうございます」という基本を極めたいと感謝行をやり抜いてきたんです、「ありがとうございます」という言葉の神秘さ不思議さは想像を絶するものがあります。不思議な事がたくさん起こるんです。
一年間雨に濡れなかった、行くところ必ず天気になってしまう。また、電車やバスのダイヤが私に合わせて動いてくれるんです。不思議とね。
そのころは朝夕に「ありがとうございます」だけだったんです、それがだんだんと深められてきて、最近は、「ありがとうございます」の本当の意味・真髄は、宇宙の大神様の最高表現が天照大御神様という名前で現れたとするなら、「ありがとうございます」というのは、「天照大御神様在す」という意味が奥から湧いてきたんです。
「ありがとうございます」の奥の意味は宇宙の最高神の働きだったんです。神様の働きの無限に無限に輝いた状態が「天照大御神在す」=「ありがとうございます」を唱える事です。
感謝行を実行し続けているうちに、奥からも無限の無限の輝きが、どんどん降ってきているのが分かるようになるんです。そして、本当の幸せは、感謝の真髄の中にあるのです。だから私は怖いもの知らずです、命も何もいらない、それでいて、無限の安らぎがいつもあるのです。
「ありがとうございます」を二十五年ぐらい前から伝え始めて、感謝の祈りのすばらしさを、パンフレットを作ったりシールをたくさん作ったりして、表に出ずに陰から実行させてもらってきたんです。
般若心経
人間が神々に生まれ変わるために何が必要か、科学的真理を追究してそれを究める人もありますし、いろんな生き方がありますけど、まず祈り言葉の力というものを活用した方がいいと思うんです。
般若心経の第一行目に、
観自在菩薩。 行深般若波羅蜜多時。
照見五蘊皆空。 度一切苦厄。
とありますね、この般若波羅蜜多というのが祈り言葉になります。観自在菩薩というのは一人一人の命の自分、本当の自分・聖なる自分・神なる自分です。この自分(観自在菩薩)が、般若波羅蜜多と深く祈るわけです、この般若という言葉は、宇宙絶対神の・神様のという意味です。波羅というのは無限に広がるという意味です、無限に無限にという意味です。蜜というのは真髄という意味です。
だから、神様の無限の無限の祈りの言葉の精髄を、たくさん混ぜて、というような感じなんです。例えば、無限の無限の幸せがいっぱい、と唱えますとこの般若波羅蜜多になるんです。これを深く祈ると、深くというのは心の奥深くなんです、どうしたら深く祈れるかというと、丹田呼吸のときに心が深くなるんです。
このとき呼吸を止めた方がいいようです、呼吸を止めたときの方が心が深く奥に静まるんです。呼吸を止め続ける事はできませんが、静かに細く長く吐き続けるんです、この時に祈り言葉を唱えたり、瞑想したりするんです。この時に心が奥深くに入って祈りの効果が大きくなります。
祈り言葉が深い祈りになるように、繰り返し唱えていますと、五蘊皆空という宇宙のすべてが神様の現れという事がわかってきます、実際に感じ取れてくるはずです。だから、
色不異空。 空不異色。 色即是空。 空即是色。
というのが、なぜ空と色が一緒になるのか、これはチョッと難しいですね、これが、深い祈りになったら空と色がピッタリ合うのがよく分かるんです。
現実の姿というのは、過去の神様の表現が時間の経過とともに、消えていくのもあり・掴んだものもあって、というふうに、過去の残像が集まってできています。だから、今一瞬に新たに現れたものとは程遠いんです。今一瞬に新たに現れたものが空なんです、空の姿です。それとひとつになった色が本物なんです。だから、今、新たに現れたものをとらえる生き方が必要になってきます。
だから、感謝の本当の意味は、古いものを神様にお返しして、そして、次に新たに現れてくるものを、もう一回新たに受け直すという、その繰り返しによって新たな生まれ変わり・置き換えがなされて、奥の神なる自分が輝いて出てきます。そうしますと、過去に執われない、心の自由自在な安らぎが出てきます。
無限の無限の幸せ
私はもう「ありがとうございます」を何億回唱えているか分からない、唱え始めてから、毎日五万回くらい唱えますから。それも、「天照大御神様在す」という気持ちで唱えています。みんな天照大御神様なんだというのが、「ありがとうございます」のお祈りなんです。それは人間だけじゃなくて、動物も植物も鉱物も、ありとあらゆるものが天照大御神様の分身というか、天照大御神様そのものなんだという拝み方です。
そうやって拝んでいると、自分の心がどんどん清められて、高められ、大きくなっていきます。そうなってくると、本当の天照大御神様の姿が感じられてくるんです。みんな光り輝いて見えます。
「ありがとうございます」を何年か続けてる時に、全部、光り輝いて見え出した事があるんです。空気までもが光り輝き踊っているような感じで見せてもらった事があります。でもそれは、部分的でまだ浅い見方です。本当は、宇宙全体を捉え大きい気持ちにさせてもらうほうが、もっと幸せですね。
だから、「無限の無限の幸せ」とはどういうものか、本当は、「無限の幸せ」それだけで計り知れない大きいものだと思うんですが、それでも「無限」だけでは足りないように私は感じるんです、なぜ「無限の無限の」と二つ重ねたかは幾とおりもの意味があります。
例えば、自分が無限の幸せをつかんだとします、そしたらほかの人も一人一人、無限の幸せをつかみます。だから、宇宙に無限の人がいたら、ほかの人の幸せまでも自分の心の幸せにさせてもらったら、それは、決して、無限だけでは終わらない、「無限の無限の」となりますね。
動物も植物も鉱物も、神様の現れである限り、それぞれの無限の幸せを持っているはずです。人間だけではなく、動物や植物や鉱物の無限の幸せを取り込んだら、「無限の無限の」となりますよね、「無限の無限の幸せ」として入ってきます。
人間は、肉体だけではなく、本当は、霊・魂・魄という姿で一番奥に、神なる自分があって、そこからいろんな次元の自分が波として出てきます。無限の自分が存在します、この肉体の自分はそのひとつの現れです。無限の次元に存在する自分がそれぞれ、無限に幸せを感じ取ったとしたら、「無限の無限の幸せ」です。
又、時間的に言って、過去・現在・未来と無限に広がります。今の自分が幸せだったら、過去の自分・未来の自分、それぞれ無限の時間に住む自分の幸せを捉えたら、それも、「無限の無限の幸せ」となりますね。
また、宇宙の構造というものが、入れ子構造というものでできています。原子が地球の縮図でもある・地球が宇宙の縮図でもある。この見ている宇宙がどういう宇宙のどの部分にあたっているか分からない、まだ上には上があるかもしれない。
この宇宙で無限の幸せをつかんだとしても、無限に小さい宇宙もあり・無限に大きい宇宙もあり、どこまでも計り知れない宇宙があります。これを、無限の入れ子構造で捉えたときにまた、幸せが無限に無限に広がります。
そして、幸せ自体がそれぞれ顔が違います、無限の幸せの顔がそれぞれ違います、質も量も深みも全部変わってきます。だから、ひとつの幸せという姿が出てきても、無限の深みが出てきたらそこに、無限・無限となります。無限の大きさ・広がりが出てきたら、そこに無限・無限となります。質に無限の高まりが出てきたら、無限・無限とつけないと表現できません。
「無限の無限の幸せ」という意味がどんどん出てきます。神様の与えてくれる「無限の無限の幸せ」がどこまで奥深く、計り知れないものか!。今言ったのはその一部です、まだまだ「無限の無限の幸せ」が神様のほうから、ちょうど天から滝が降るように、注がれています。それに気付いたときが本当の古神道の時代で、幸せになる時代になります。
これを、言葉で表現するのは難しい。天から無限に無限に輝いた光が滝のように降っている、ものすごい唸りのようなゴーッ!という姿で押し寄せてきます。これを言葉で表現し見せてあげるのは難しい。でも私は分かるんです、実感するんです、だから、なんて幸せなんだろうといつも、涙を流すぐらい感謝しているんです。
神さまの導き
ありがとうございます:
小さいころから言葉で指導してもらったり、いろいろありましたね。直感で来る場合もあります。いろんな神様からと言っても、いろんな段階があります。小さいころは、いろんなところからいろんな指導を受けて、違う事を教えられるんです。ある神様はこうしなさいと言う、別な神様は別な事を言う、反対な事を言う、迷いますよね。
だからそれは自分で判断する必要があります。小さい時は振り回されたりしましたけれど、今は絶対にそれはありません。自分が判断して、いろんな指導は参考にはできますが、一番大切なのは、どれだけ自分がみんなを天照大御神様として拝めているかなんです、あとの事は枝葉に思えます。
指図がどう来たからといって、それはどっちでもいいという感覚なんです。ただ、自分は神様に使ってもらって、チョッとでもみんなの幸せのお役に立てたらそれでいい、という感覚なんです。
完全な悟り
*みんな天照大御神様*
-ありがとうございます-
先生は、完全に悟られた状態だと思うんですが、周りの方でそのような状態になっている方もいらっしゃるんですか。
ありがとうございます:
みんなそうなんじゃないですか。私はみんな輝いて見えますからね。みんな素晴らしいですね。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」というお祈りは、どんな場所で、どんな形でなさっているんですか。
ありがとうございます:
お祈りの日には、夜中からズーッとするんですよ、グループの人もお祈りに来るのが朝早くからだったり、お昼からだったりですけど、一緒にお祈りさせてもらってます。でもその時だけでなくいつも「みんな天照大御神様」という見方で「ありがとうございます」という心で拝んでるんですよ。
睡眠や食べ物
*神様の命を頂く*
-ありがとうございます-
睡眠時間とか、一日に食べられるものとかは、どのようになさってるんですか。
ありがとうございます:
今は、自然に任せていますので、ただ眠っていたらもったいないですから、できるだけ、お祈りを楽しませてもらっています。
食べるものは、前は、菜食主義で、断食して、かなり執われたんですけど、それも、本当の断食とは何か、ものを食べているという感覚が抜けたら、それは断食ではないかと思うんです。
神様の命を頂いている・生かされている・動物でも植物でも命を捧げてくれている・という気持ちでそれを頂く限りは、物ではないから、断食ではないか。だから、与えられるままに生きられるだけを頂くようにしています。
だからお肉でも食べます。与えられたらありがとうございます、命を捧げてもらったという感覚でね。与えてもらった命を自分と一緒になって生かして、世の中のために尽くせば、食べられた動物も成仏する・天寿を全うしてくれると思います。
同じ神を別な言葉で
-ありがとうございます-
天照大御神というのは日本語ですね、外国の方ですと、「ありがとうございます」ではないんじゃないですか。
ありがとうございます:
同じものを言葉を変えていっているんです。神様といったり、仏様といったり、本尊のいろんな名前ですね。人間が勝手につけているんです、同じものを指してね。捉えやすい言葉としてそれを使うだけです。
神社仏閣は模型
*天地の始まりは常に今*
-ありがとうございます-
神社仏閣へお参りするんですが、そういうものについてはどうお考えですか。
ありがとうございます:
神社仏閣というようなものは模型だと思うんです。例えば、地球には地球儀という模型があるでしょう、そうすると地球がよく分かりますね、地球儀を見る事によってね。
神社というものは、宇宙の大神様の神殿を、本当は宇宙大のものを縮小してそこに現して、感じ取りやすいように作ってあると思います。宇宙の大神様の縮図として模型としてそこに現れてきているというのが正しいと思います。そしたら粗末にはできないですね。
ただ、模型を模型としてみる事は大事です。それを本物と見分けがつかなければ偶像崇拝・間違った信仰に入りますね。模型としてみるんだったら正しいですね、模型を通して本物を推理して想像してそれを大きく捉えていけたらね。
どんな神社にも、宇宙の絶対神がそこに出て来ているはずなんです、模型の中にね。どの神社にお参りしても、何々の神様じゃなく、宇宙の絶対神をそこに認めひとつに繋いでしまったがいいと思うんです。その時現れた名前の神様は、宇宙絶対神のそのときの仮の名前です。みんなを護るために名前が変わって出てきているだけでしょう、でもそれも、一瞬一瞬変わってないといけない・自由自在にね。
日本では昔から、宇宙の始まりはいつかというと、それは「常に今」という捉え方でしょう。天地の始まりは常に今なんです、完成も終わりも常に今なんです。だから、過去・現在・未来と引き伸ばしてみるのは、過去につかんだ残像が続いているだけです。本当は今一瞬に宇宙が始まって・宇宙が創造されて・完成されて終わっている、はずなんです、一瞬にね。
その一瞬というのは、どれだけの時間かというと、時間がないほどの一瞬です。それだけ素晴らしい宇宙が瞬間瞬間に変化して生まれ続けているんです。だから、今の中に、無限の過去・永遠の未来を持った今の姿があります。一輪の花が今ここに咲いていたら、その花の先祖がズーッと続いていて、未来永遠に続いています。一輪の花を今一瞬に見る事によって、同時に過去・現在・未来の無限の広がりを捉えることによって、今の花がますます素晴らしく感じ取れるんです。
今の一瞬を捉える生き方というのは、古神道の生き方だと思うんですけど、本当に素晴らしい考え方だと思います。
私は神とは
-ありがとうございます-
偶像崇拝はいけないということですが、サイババさんは、「私は神です、あなたも神です。ただしその違いは、私は神である事を知っているけれど、あなたは知らない」と言われていますが、そういうことなんでしょうか。
ありがとうございます:
自分が神であると言うときは、肉体を指して言ってはいない、肉体とか魂を指していては傲慢になります。
奥の神なる自分というのは誰にもあるんです、その奥なる神様である自分を指しているときはそれは正しいですね。肉体の自分として、この自分が神であると言うと、本当の神様から見たらあまりに小さすぎるんですよ。宇宙大に広がっていないですね、無限の高まりもないし、あくまでも表面の小さい一部でしかない。奥とはつながっていますけどね。
最高の祈り言葉で置き換える
-ありがとうございます-
自分の中に神がある、無限大の宇宙があるという事なんですが、われわれ凡人は、どのようにしてそれを認識できますか。
ありがとうございます:
みんな自分を凡人と決め付けるでしょう、昔からの教えが少し悪かったのかもしれない。罪悪深重の凡夫と決め付けておいて修行してたというんでしょう。矛盾してると思うんです。
現実は、現れて消えようとしている姿だけです。それをつかまずに放してしまったら、どんどん消されて新しいものに置き換わります。新しいものになるんだったら最高の姿を捉える生き方をすればいい。
その方法は最高の祈り言葉を使えばいいのです。まず、いい言葉を繰り返す事によって自分の心を、高い世界の波長に合わせてしまいます。そしたら、天から舞い降りるような姿をとって自分が出てきます。無限に無限に輝いているという言葉を使って、輝いている自分を引っ張り出すんです。
お祈りも、プラスのお祈りとマイナスのお祈りがあって、マイナスの言葉を使うとマイナスを実現してしまいます。たとえば、病気を治してくださいというお祈りは、治してくださいというのもまだマイナスです。どれだけ願ってもなかなく治りにくいですね。
そうではなしに、無限の健康ですというふうに言葉を使ったら、無限の健康が奥にあってそれに波長が合って、スッと置き換えて現してもらえる。プラスのお祈りでないと神様の助けは感じ取りにくいです、自分はもうすでに悟っている・輝いている、そんな言葉で奥の自分を感じ取れば、過去の残像など相手にしなくていいんです。
ありがとうございますの意味
-ありがとうございます-
「ありがとう」ではなく「ありがとうございます」なんですか
ありがとうございます:
「ありがとう」でもいいと思うんです、「ありがとう」は天照大御神様という意味で、「ございます」はいらっしゃいますの意味です。
「ありがとう」の
「あ」は、光るもと・光源を表す言霊です。
「り」は、螺旋状に無限に広がる意味です。
「が」は、輝く輝くとダブっているんです、無限に無限に輝くという意味です。
「とう」は、無限に広がる時間と空間を表しています。
光源にあたる宇宙の大神様が無限に無限に輝いて、宇宙を構成しているという意味です。それが宇宙の最高神・天照大御神様です。「ありがとう」で天照大御神様という意味、そして「ございます」とつけて丁寧に「天照大御神様在す」という意味で「ありがとうございます」と唱えるんです。
-ありがとうございます-
声に出して言うんですか
ありがとうございます:
どちらでもいいと思うんですけど、声に出しているときは、周りの人にも影響しますね。ありがとうございますと言われると嬉しいですね。
奇跡を呼ぶミラクル言葉だと思うんです、だから一人のときは心の中でもいいかもしれないですけど、周りに人がいらっしゃる時は、ありがとうございますと(聞こえるように)唱えるほうが、みんな喜んでくれます。
-ありがとうございます-
訪問させて頂いていいですか
ありがとうございます:
ボランティアの仲間が手造りでいろんな建物を建てたんです、廃材を使ってね、それでもちゃんと住めるようにしてますので、いつでもお越しください。
今は、十人くらい泊まれるだけですが、あちこちから泊まりに来たり、一緒に活動してますから、これから新しく作ってますしドンドン増えてくると思います。これからそのような仲間作りをしてゆきたいと思っています。
皇学園がボランティア活動に使わせてもらえるようになるかもしれませんので、そこは二百名ほど泊まれる施設もあります。
古神道とは
-ありがとうございます-
古神道とはどんなものですか
ありがとうございます:
いろんな人が古神道を名乗っていますが、これが古神道だと言ったら、それで外れているんですよ。
本当の古神道は言葉では表現できない(形があって教えがあってというものではない)。もっと奥の次元の、神様の縦横無尽の素晴らしい働きをそのまま指しているんです。神様の絶対の愛が最高に輝いた状態、これが古神道のありかただと思います。
神の五つの意味
-ありがとうございます-
(先生の言われる古神道は)八百万の神・全てのものに神が宿っているという考えに近いのですか。
ありがとうございます:
神様というのは五つに分けてみるのが一番いい。「かみ」という言葉をね。
一番目が
一番奥に隠れて見えない絶対の姿を「隠身」の神といいます。「隠身」を縮めて「かみ」でしょう。
二番目が
宇宙を創造する・イザナギの神様・イザナミの神様。創造の働きをする、創造というのは「仮凝る」と 言う・「仮凝身」と言う。これを縮めて「かみ」
三番目が
天照大御神様のように無限に無限に輝くという「輝く身」・「輝身」と言います。これを縮めて「かみ」
四番目が
天照大御神様の分身として神通自在に働く八百万の神様。この神通自在の働きを「駈身」と言います。これを縮めて「かみ」
五番目が
この世も・あの世もふくめて、自分を形あるものに限定して現す、本当は自由自在な姿を形に現すと限定されますよね。このように限定されたお姿を「限身」と言います。宇宙が「限身」なんです。これをちぢめて「かみ」
この五つの意味をひとつにして「かみ」と言うと、神様の全貌を捉えることになります。神「かみ」という言葉は素晴らしいものです、この五つの働きを全部表しています。だから、八百万の神様は「駈身」の中に含まれます。でもこれはひとつの神様の別名なんです、同じ神様を働きに応じて名前を変えているだけなんです。指しているのはひとつの神様だけですね。
-ありがとうございます-
先生は何年生まれですか
ありがとうございます:
昭和十六年十二月二十三日生まれです。
奉仕だけ
感謝の祈りと、奉仕の実行だけさせてもらっていたら、古神道の中に取り込んでもらっているんではないかと思っています。
奉仕だけでね、奉仕だけに生きて、生かされています。奉仕だけに生きて、神様に任せていたら必要なものはちゃんと与えてもらえますから、何も不自由してないのです。
ありがとうございます
ありがとう ボランティアグループ2001.1.23
ありがとうございますと言う言葉を広げるために、本当は何もないボランティアグループなんですが、なにもないと回りから認めてもらえないから、仕方なしに最近つけた名前なんです。感謝の心からさせてもらっているから、「ありがとう ボランティアグループ」という名前にさせてもらったんです。本当は何もなしで進めたかったんです。特に、古神道の生き方を実行してそれを皆に知ってもらいたかった、古神道というのは古い神道ではなく、古神道は形がないんです、神さまの無限のすばらしいものが降りてきている、そんな姿が古神道です。神さまの思いやり、寛容の心、大きい愛が輝いているというだけが古神道です。全部を最高に生かす状態が古神道のあり方なんです。
21世紀は輝く時代だといわれています、私もそれを理想として、実現するために祈らせてもらってきたんです。まず感謝の「ありがとうございます」という基本を極めたいと感謝行をやり抜いてきたんです、「ありがとうございます」という言葉の神秘さ不思議さは想像を絶するものがあります。不思議な事がたくさん起こるんです。1年間雨に濡れなかった、行くところ必ず天気になってしまう。また、電車やバスのダイヤが私に合わせて動いてくれるんです。不思議とね。そのころは朝夕に「ありがとうございます」だけだったんです、それがだんだんと深められてきて、最近は、「ありがとうございます」の本当の意味・真髄は、宇宙の大神様の最高表現が天照大神様という名前で現れたとするなら、「ありがとうございます」というのは、「天照大神様まします」という意味が奥から湧いてきたんです。「ありがとうございます」の奥の意味は宇宙の最高神の働きだったんです。神様の働きの無限に無限に輝いた状態が「天照大神まします」=「ありがとうございます」を唱える事です。
感謝行を実行し続けているうちに、奥からも無限の無限の輝きが、どんどん降ってきているのが分かるようになるんです。そして、本当の幸せは、感謝の真髄の中にあるのです。だから私は怖いもの知らずです、命も何もいらない、それでいて、無限の安らぎがいつもあるのです。
「ありがとうございます」を25年ぐらい前から伝え始めて、感謝の祈りのすばらしさを、パンフレットを作ったりシールをたくさん作ったりして、表に出ずに影から実行させてもらってきたんです。
般若心経
人間が神々に生まれ変わるために何が必要か、科学的真理を追究してそれを究める人もありますし、いろんな生き方がありますけど、まず祈り言葉の力というものを活用した方がいいと思うんです。
般若心経の第一行目に、
かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく
観自在菩薩。 行深般若波羅蜜多時。 照見五蘊皆空。 度一切苦厄。
とありますね、この般若波羅蜜多というのが祈り言葉になります。観自在菩薩というのは一人一人の命の自分、本当の自分・聖なる自分・神なる自分です。この自分(観自在菩薩)が、般若波羅蜜多と深く祈るわけです、この般若という言葉は、宇宙絶対神の・神様のという意味です。波羅というのは無限に広がるという意味です、無限に無限にという意味です。蜜というのは真髄という意味です。
だから、神さまの無限の無限の祈りの言葉の精髄を、たくさん混ぜて、というような感じなんです。例えば、無限の無限の幸せがいっぱい、と唱えますとこの般若波羅蜜多になるんです。これを深く祈ると〜深くというのは心の奥深くなんです、どうしたら深く祈れるかというと、丹田呼吸のときに心が深くなるんです、このとき呼吸を止めた方がいいようです、呼吸を止めたときの方が心が深く奥に静まるんです。呼吸を止め続ける事はできませんが、静かに細く長く吐き続けるんです、この時に祈り言葉を唱えたり、瞑想したりするんです。この時に心が奥深くに入って祈りの効果が大きくなります。
祈り言葉が深い祈りになるように、繰り返し唱えていますと、五蘊皆空という宇宙のすべてが神さまの現れという事がわかってきます、実際に感じ取れてくるはずです。だから、
しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき
色不異空。 空不異色。 色即是空。 空即是色。
というのが、なぜ空と色が一緒になるのか、これはチョッと難しいですね、これが、深い祈りになったら空(くう⇒神さまの本来のひびき)と色(しき⇒この世のあらわれ))がピッタリ合うのがよく分かるんです。現実の姿というのは、過去の神さまの表現が時間の経過とともに、消えていくのもあり・掴んだものもあってというふうに、過去の残像が集まってできています。だから、今一瞬に新たに現れたものとは程遠いんです。今一瞬に新たに現れたものが空なんです、空の姿です。それと一つになった色が本物なんです。だから、今、新たに現れたものをとらえる生き方が必要になってきます。だから、感謝の本当の意味は、古いものを神さまにお返しして、(ありがとうございますとお返しする)そして、次に新たに現れてくるものを、もう一回新たに(受け直す)・という、その繰り返しによって新たな生まれ変わり・置き換えがなされて、奥の神なる自分が輝いて出てくる。そうしますと、過去にとらわれない、心の自由自在な安らぎが出てきます。
無限の無限の幸せ
私はもう「ありがとうございます」を何億回唱えているか分からない、唱え始めてから、毎日5万回くらい唱えますから。それも、「天照大神様今ここにまします」という気持ちで唱えています。みんな天照大神様なんだというのが、「ありがとうございます」のお祈りなんです。それは人間だけじゃなくて、動物も植物も鉱物も、ありとあらゆるものが天照大神様の分身というか、天照大神様そのものなんだという拝み方です。そうやって拝んでいると、自分の心がどんどん清められて、高められ、大きくなっていきます。そうなってくると、本当の天照大神様の姿が感じられてくるんです。みんな光り輝いて見えます。
「ありがとうございます」を何年か続けてる時に、全部、光り輝いて見え出した事があるんです。空気までもが光り輝き踊っているような感じで見せてもらった事があります。でもそれは、部分的でまだ浅い見方です。本当は、宇宙全体を捉え大きい気持ちにさせてもらうほうが、もっと幸せですね。
だから、「無限の無限の幸せ」とはどういうものか、本当は、「無限の幸せ」それだけで計り知れない大きいものだと思うんですが、それでも「無限」だけでは足りないように私は感じるんです、なぜ「無限の無限の」と二つ重ねたかは幾とおりもの意味があります。
例えば、自分が無限の幸せをつかんだとします、そしたらほかの人も一人一人、無限の幸せをつかみます。だから、宇宙に無限の人がいたら、ほかの人の幸せまでも自分の心の幸せにさせてもらったら、それは、決して、無限だけでは終わらない、「無限の無限の」となりますね。動物も植物も鉱物も、神さまの現れである限り、それぞれの無限の幸せを持っているはずです。人間だけではなく、動物や植物や鉱物の無限の幸せを取り込んだら、「無限の無限の」となりますよね、「無限の無限の幸せ」として入ってきます。
人間は、肉体だけではなく、本当は、霊魂魄(れいこんぱく)という姿で一番奥に、神なる自分があって、そこからいろんな次元の自分が波として出てきます。無限の自分が存在します、この肉体の自分はその一つの現れです。無限の次元に存在する自分がそれぞれ、無限に幸せを感じ取ったとしたら、「無限の無限の幸せ」です。又、時間的に言って、過去・現在・未来と無限に広がります。今の自分が幸せだったら、過去の自分・未来の自分、それぞれ無限の時間に住む自分の幸せを捉えたら、それも、「無限の無限の幸せ」となりますね。
また、宇宙の構造というものが、入れ子構造というものでできています。原子が地球の縮図でもある・地球が宇宙の縮図でもある。この見ている宇宙がどういう宇宙のどの部分にあたっているか分からない、まだ上には上があるかもしれない。この宇宙で無限の幸せをつかんだとしても、無限に小さい宇宙もあり・無限に大きい宇宙もあり、どこまでも計り知れない宇宙があります。これを、無限の入れ子構造で捉えたときにまた、幸せが無限に無限に広がります。
そして、幸せ自体がそれぞれ顔が違います、無限の幸せの顔がそれぞれ違います、質も量も深みも全部変わってきます。だから、一つの幸せという姿が出てきても、無限の深みが出てきたらそこに、無限・無限となります。無限の大きさ・広がりが出てきたら、そこに無限・無限となります。質に無限の高まりが出てきたら、無限・無限とつけないと表現できません。
「無限の無限の幸せ」という意味がどんどん出てきます。神さまの与えてくれる「無限の無限の幸せ」がどこまで奥深く、計り知れないものか!。今言ったのはその一部です、まだまだ「無限の無限の幸せ」が神様のほうから、ちょうど天から滝が降るように、そそがれています。それに気付いたときが本当の古神道の時代で、幸せになる時代になります。
これを、言葉で表現するのは難しい。天から無限に無限に輝いた光が滝のように降っている、ものすごい唸りのようなゴー!という姿で押し寄せてきます。これを言葉で表現し見せてあげるのは難しい。でも私は分かるんです、実感するんです、だから、なんて幸せなんだろうといつも、涙を流すぐらい感謝しているんです。
神 計 ら い
これからは、地球上の人全部がそんな気持ち( 無限の無限の感謝で一杯)に変えられていく時代です、21世紀は古神道の時代と言う意味は、まさに神がよみがえって本当の幸せを感じ取れるように、奥から変えてくださる。今までのように、下から積み上げて上にあがるのではなく、天から舞い降りて降ってくるような感じで、自分自身を変えてもらうんです。宗教のあり方でも、宗教が世界に広まって教えが生まれて、その教えで縛って、悪い事をしないように、まともな道を歩くように、という位置付けだったかもしれないですが、これからはそのような縛りのない、そういう縛りから開放された状態で自由になると思うんです。だから、神社仏閣とか仏像とかの形の模型は必要なくなって、宇宙全体が神さまの神殿であり、神さまそのものと感じ取る生き方が生まれてくるのではないかと思います。それで、古神道は形がない・自由なんだというように変えられていくと思います。
だから、こうしているのも、神計らいだったと思います、古神道の神々様がすばらしい世界に変えるために、大きい計画で動いているんです。こういうボランティア的に奉仕の心の強い方が大勢集められて、古神道の神々様に守られて、世界を理想的な姿に変えるための仕組み作りをさせてもらってるような感じがするんです。古神道の神さまの御心を表すために何かお手伝いをさせていただくためなんです。松下電器の松下幸之助さんの最後には、二百神(命)以上の守護霊がついていたというんですが、今回は、古神道の神さまが無限についている。
だから、試行錯誤とか失敗と言うのは一切ないと思います。順調に成功に成功を重ねて、世界の全ての人たちを幸せにするための大きい運動になってしまうと思います。ここに集まっている人たちはみんな魂が輝いています、純白に輝いています。これは高級心霊の魂ですね。そういう人たちが、自分はお金儲けをチョッと考えているかもしれないけれども、背後から大勢の神様が守り守って大きい仕事に導かれて、ここにおられると思うんです。現実の仕事とは別に大きい働きも同時にさせてもらうんです。ここに参加させてもらうだけで幸せ感じてますし、こうして縁をいただける事はものすごい事だと思うんですよ。
質 疑 応 答 遍
神さまの導き
ありがとうございます:
小さいころから言葉で指導してもらったり、いろいろありましたね。直感で来る場合もあります。いろんな神さまからと言っても、いろんな段階があります。小さいころは、いろんなところからいろんな指導を受けて、違う事を教えられるんです。ある神さまはこうしなさいと言う、別な神さまは別な事を言う、反対な事を言う、迷いますよね。
だからそれは自分で判断する必要がある。小さい時は振り回されたりしましたけれど、今は絶対にそれはないです。自分が判断して、いろんな指導は参考にはできますが、一番大切なのは、どれだけ自分がみんなを天照大御神様として崇めているかなんです、あとの事は枝葉に思えます。指図がどう来たからといって、それはどっちでもいいという感覚なんです。ただ、自分は神さまに使ってもらって、チョッとでもみんなの幸せのお役に立てたらそれでいい、という感覚なんです。
完全の悟り
質問者:
先生は、完全に悟られた状態だと思うんですが、周りの方でそのような状態になっている方もいらっしゃるんですか。
ありがとうございます:
みんなそうなんじゃないですか。私はみんな輝いて見えますからね。みんなすばらしいですね。
祈りは何時どこで
質問者:
「ありがとうございます」というのは、どんな場所で、どんな形でやられてるんですか。
ありがとうございます:
お祈りの日には、夜中からずうっとするんですよ、いろんなグループの人もお祈りに来るのが朝早くからだったり、お昼からだったりですけど、一緒にお祈りさせてもらってます。でもその時だけでなくいつも「みんな天照大御神様」という見方で「ありがとうございます」という心で拝んでるんですよ。
睡眠や食べ物は
質問者:
睡眠時間とか、一日に食べられるものとかは、どのようになさってるんですか。
ありがとうございます:
今は、自然に任せていますので、ただ眠ってったらもったいないですから、できるだけ、お祈りを楽しませてもらっています。
食べるものは、前は、菜食主義で、断食して、かなり囚われたんですけど、それも、本当の断食とは何か、ものを食べているという感覚が抜けたら、(これは)断食ではないかと思うんです。神さまの命を頂いている・生かされている・動物でも植物でも命をささげてくれている・という気持ちでそれを頂く限りは、物ではないから、断食ではないか。だから、与えられるままに生きられるだけ頂くようにしています。だからお肉でも食べます。与えられたらありがとうございます、命をささげてもらったという感覚でね。
与えてもらった命を自分と一緒になって生かして、世の中のために尽くせば、食べられた動物も成仏する・天寿を全うしてくれると思います。
同じ神を別な言葉で
質問者:
天照大御神というのは日本語ですね、外国の方ですと、「ありがとうございます」ではないんじゃないですか。
ありがとうございます:
同じものを言葉を変えていっているんです。神さまといったり、仏様といったり、本尊のいろんな名前ですね。人間が勝手につけているんです、同じものを指してね。捉えやすい言葉としてそれを使うだけです。
神社仏閣は模型
質問者:
神社仏閣へお参りするんですが、そういうものについてはどうお考えですか。
ありがとうございます:
神社仏閣というようなものは模型だと思うんです。例えば、地球には地球儀という模型があるでしょう、そうすると地球がよく分かりますね、地球儀を見る事によってね。
神社というものは、宇宙の大神様の神殿を、本当は宇宙大のものを縮小してそこに現して、(造り自体が)感じ取りやすいように作ってあると思います。宇宙の大神様の縮図として模型としてそこに現れてきているというのが正しいと思います。そしたら粗末にはできないですね、ただ、模型を模型としてみる事は大事です。それを本物と見分けがつかなければ偶像崇拝意・間違った信仰に入りますね。模型としてみるんだったら正しいですね、模型を通して本物を推理して想像してそれを大きく捉えていけたらね。
どんな神社にも、宇宙の絶対神がそこに出て来ているはずなんです、模型の中にね。どの神社にお参りしても、何々の神様じゃなく、宇宙の絶対神をそこに認め一つに繋いでしまったがいいと思うんです。その時現れた名前の神様は、宇宙絶対神のそのときの仮の名前です。みんなを守るために名前が換わって出てきているだけでしょう、でもそれも、一瞬一瞬変わってないといけない・自由自在にね。
日本では昔から、宇宙の始まりはいつかというと、それは「常に今」という捉え方でしょう。天地の始まりは常に今なんです、完成も終わりも常に今なんです。だから、過去現在未来と引き伸ばしてみるのは、過去につかんだ残像が続いているだけです。本当は今一瞬に宇宙が始まって・宇宙が創造されて・完成されて終わっている、はずなんです、一瞬にね。
その一瞬というのは、どれだけの時間かというと、時間がないほどの一瞬です。それだけ素晴らしい宇宙が瞬間瞬間変化して生まれ続けているんです。だから、今の中に、無限の過去・永遠の未来を持った今の姿があります。一輪の花が今ここに咲いていたら、その花の先祖がズーッと続いていて、未来永遠に続いています。一輪の花を今一瞬に見る事によって、同時に過去・現在・未来の無限の広がりを捉えることによって、今の花がますます素晴らしく感じ取れるんです。
今の一瞬を捉える生き方というのは、古神道の生き方だと思うんですけど、本当に素晴らしい考え方だと思います。
私は神とは
質問者:
偶像崇拝はいけないということですが、サイババ先生は、「私は神です、あなたも神です。ただしその違いは、私は神である事を知っているけれど、あなたは知らない」と言われていますが、そういうことなんでしょうか。
ありがとうございます:
自分が神であると言うときは、サイババ先生のように言われても普通の人があとで伝え聞いて肉体を指しているように聞こえては誤解されることがあります、つまり肉体とか魂とか小さい自分を指していては傲慢になります。奥の神なる自分というのは誰にもあるんです、その奥なる神さまである自分を指しているときはそれは正しいですね。肉体の自分として、この自分が神であると言うと、本当の神さまから見たらあまりに小さすぎるんですよ。宇宙大に広がっていないですね、無限の高まりもないし、あくまでも表面の小さい一部でしかない。奥とはつながっていますけどね。
自分はすでに悟っている
質問者:
自分の中に神がある、無限大の宇宙があるという事なんですが、われわれ凡人は、どのようにしてそれを認識できますか。
ありがとうございます:
みんな自分を凡人と決め付けるでしょう、昔からの教えが少し悪かったのかもしれない。罪悪深重の凡夫と決め付けておいて修行してたというんでしょう。矛盾してると思うんです。現実は現れて、消えようとしている姿だけです。それをつかまずに放してしまったら、どんどん消されて新しいものに置き換わります。新しいものになるんだったら最高の姿を捉える生き方をすればいい。
その方法は最高の祈り言葉を使えばいいのです。まず、いい言葉を繰り返す事によって自分の心を、高い世界の波長に合わせてしまいます。そしたら、天から舞い降りるように姿をとって自分が出てきます。無限に無限に輝いているという言葉を使って、輝いている自分を引っ張り出すんです。
お祈りも、プラスのお祈りとマイナスのお祈りがあって、マイナスの言葉を使うとマイナスを実現してしまいます。たとえば、病気を治してくださいというお祈りは、直してくださいというのもまだマイナスです。どれだけ願ってもなかなく直りにくいですね、そうではなしに、無限の健康ですというふうに言葉を使ったら、無限の健康が奥にあってそれに波長が合って、スッと置き換えて現してもらえる。
プラスのお祈りでないと神さまの助けは感じ取りにくいです、自分はもうすでに悟っている・輝いている、そんな言葉で奥の自分を感じ取れば、過去の残像など相手にしなくていいんです。
ありがとうの意味
質問者:
「ありがとう」ではなく「ありがとうございます」なんですか
ありがとうございます:
「ありがとう」でもいいと思うんです、「ありがとう」は天照大御神様という意味で、「ございます」はいらっしゃいますの意味です。
「ありがとう」の
「あ」は、光るもと・光源を表す言霊です。
「り」は、螺旋状に無限に広がる意味です。
「が」は、輝く輝くとダブっているんです、無限に無限に輝くという意味です。
「と」は、無限に広がる時間と空間を表しています。
光源にあたる宇宙の大神様が無限に無限に輝いて、宇宙を構成していると言う意味です。それが宇宙の最高神・天照大御神様です。「ありがとう」で天照大御神様という意味、そして「ございます」とつけて丁寧に「天照大御神様まします」という意味で「ありがとうございます」と唱えるんです。
ありがとうございますを声に出しても
質問者:
声に出して言うんですか
ありがとうございます:
どちらでもいいと思うんですけど、声に出しているときは、周りの人にも影響しますね。ありがとうございますと言われると嬉しいですね。奇跡を呼ぶミラクル言葉だと思うんです、だから一人のときは心の中でもいいかもしれないですけど、周りの人かいらっしゃる時は、ありがとうございますと(聞こえるように)唱えるほうが、みんな喜んでくれます。
訪問は
質問者:
訪問させて頂いていいですか
ありがとうございます:
ボランティアの仲間が手作りでいろんな建物を建てたんです、廃材を使ってね、それでもちゃんと住めるようにしてますので、いつでもお越しください。今は、10人くらい泊まれるだけですが、あちこちから泊まりに来たり、一緒に活動してますから、これから新しく作ってますしドンドン増えてくると思います。これからそのような仲間作りをしてゆきたいと思っています。
皇(すめら)学園がボランティア活動に使わせてもらえるようになるかもしれませんので、そこは200名ほど泊まれる施設もあります。
古神道とは
質問者:
古神道とはどんなものですか
:ありがとうございます
いろんな人が古神道を名乗っていますが、これが古神道だと言ったら、それで外れているんですよ。本当の古神道は言葉では表現できない(形があって教えがあってというものではない)。もっと奥の次元の、神さまの縦横無尽の素晴らしい働きをそのままさしているんです。神さまの絶対の愛が最高に輝いた状態、これが古神道のありかただと思います。
神(カミ)の意味
質問者:
(ありがとうございますの言われる古神道は) 八百万(やおよろず)の神 ・全てのものに神が宿っているという考えに近いのですか。
ありがとうございます:
神さまと言うのは五つに分けてみるのが一番いい。「かみ」という言葉をね。
一番目が
一番奥に隠れて見えない絶対の姿を「隠身(かくりみ)」の神といいます。「隠身(かくりみ)」を縮めて「かみ」でしょ う。
二番目が
宇宙を創造する・イザナギの神様・イザナミの神様。創造の働きをする、創造というのは「仮凝(かご)る」と 言う・「仮凝身(かごりみ)」と言う。これを縮めて「かみ」
三番目が
天照大神様のように無限に無限に輝くという「輝く身(かがやくみ)」・「輝身(かがりみ」と言います。これを縮めて 「かみ」
四番目が
天照大神様の分身として神通自在に働く八百万の神様。この神通自在の働きを「駈身(かけりみ)」と言い ます。これを縮めて「かみ」
五番目が
この世も・あの世もふくめて、自分を形あるものに限定して表す、本当は自由自在な姿を形に表す と限定されますよね。このように限定されたお姿を「限身(かぎりみ)」と言います。宇宙が「限身(かぎりみ)」なん です。これをちぢめて「かみ」
この五つの意味を一つにして「かみ」と言うと、神さまの全貌を捉えることになります。神「かみ」という言葉は素晴らしいものです、この五つの働きを全部表しています。だから、八百万の神様は「駈身(かけりみ)」の中に含まれます。でもこれは一つの神さまの別名なんです、同じ神さまを働きに応じて名前を変えているだけなんです。指しているのは一つの神様だけですね。
何年生まれ
質問者:
ありがとうございますは何年生まれですか
ありがとうございます:
昭和16年12月23日生まれです。
奉仕だけ
番外編
感謝の祈りと、奉仕の実行だけさせてもらっていたら、古神道の中に取り込んでもらっているんではないかと思っています。
奉仕だけでね、奉仕だけに生きて、生かされています。奉仕だけに生きて、神さまに任せていたら必要なものはチャンと与えてもらえますから、何も不自由してないです。
2001.10.06
【末期癌の友人がいるんです。本人も治りたいと思っているし、周りも治りますようにと祈っているのですが、もし潜在意識の深いところで「もう肉体を離れたい」と思っている場合は、それはやはリこちら側が治るようにお祈りすると、現世に引き戻す形になるのでよくない事なのでしょうか?】
ありがとうございます:
それもね、いろんな見方が出来るんですよ。病気の原因が幾通りもあるのね。一通りや二通りじゃないんです。もし、「癌」という症状が、本人にとって何かの勉強材料として与えてもらっているとしたら、その勉強をしないといけないしね。
【では、癌が無くなるとか、治るとかというのは二の次ですか?】
ありがとうございます:
そういうのは、枝葉の小さいことなのね。やっぱり本当の勉強をしないと、幸せへ導いてもらえないのね。元々人間って神さまと一体なんです。そして神様の全てを受け直す自分があるのね。だから、無限に無限に輝いた永遠不減の自分があって、その自分が神様から与えられたものを如何に受けていくかなのね。神様が与えてくるものは、無限の無限のチャンネルの運命の番組なの。それを自由に選んで、どの番組でも波長を合わせて見れるのね。地獄のある番組に心を合わせてしまうと、病気になったり、マイナスの運命を体験するようになっていくのね。だから、その人の心の持ち方、生き方というのが大事なのね。その本人の自由意志で、番組を順番に選択しているのね。この世だけの問題じゃなくて、一番最初から神さまの中から出発したときからそうよね。
最初から無限の無限のチャンネルの放送番組を与えてもらったとするでしょう。最初に見たいのはどういう番組だと思われますか? 一番上を見たいと思うか一番下を見たいと思うか中間を見たいと思うか、それは一人一人違うでしょう。一人一人が自由に適当にその番組を、サーッと見てみたいのね。「どういうものがあるか」を知りたいというのがあるんです。それで、最初から「見たいもの」からズーッと順番に見ていく時は、最初の神さまと一体の自分は、「良いものは最初からよく知っているから」という感覚で低いほうを見ていくと思うのね。ある期間は、低い方をズーッと駆け足でスクロールしてズーッと見続けるのよね。そのうちに、ちょっとその番組にはまり込んでしまう事があって、心の自由を失って本当の自分を忘れてしまうのね。その番組にはまり込むと、いろんなマイナスの姿があり苦しみとなる。でも、もともと中に存在するから、必ず本当の自分というのに気付く時がくるのね。それで神さまを呼んで、また自由を取り戻して、今度は最高番組を味わう自分に変わっていくんですけどね。この世は、あの世の全体の無限のチャンネルの縮図なんですね。縮図というのは、あの世の地獄の最低の姿もこの世にあるし、最高の極楽番組もこの世にあって、それが縮小されて、この世は一つの番組なんです。この世の一つのチャンネルが、無限のチャンネルに分かれているのね。だから、同じ一つのチャンネルを見ているようでも、細かく分けると無限のチャンネルがあるんで、一人一人が見ている番組は全部運うのね。
病気になる人もあるし、ならない人もあり、幸せな人もあるし、不幸な人もあり、いろいろに分かれているんです。それで、この世は「何を選ぶか」という選択のための勉強の場よね。良いものを選んで立派になりたい人は、どんどん良いものをお手本にしていけばいいし。でも、マイナスを選びたい人もあるんで、そういう人は自由にマイナスを選んで、どんどん下へ降りても良いもんね。そして、そのいろんな生き方の中から一人一人自分の自由意志で選択して、それを自分のものにしていくわけね。
この世で、一応この世の中の最高の心になれたら、あの世へ行ったらまた最高のほうへいくのね。この世は、あの世で修行して立派になるというより、この世での方が時間が短く、短期間に立派になっていけるのね。そういう意味では、この世はあの世と比べて特別の勉強の場なのね。「病気になる」というのもほんの小さい枝葉の問題なんです。例えば、癌になる原因