ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar45助け 2001.09.29.02

質問者:
 「ありがとうございます」と唱えている時に否定的なことを言っても、否定的なことは思いで「ありがとうございます」はお祈りだから大丈夫とのことですが、その違いについて教えてください。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」と唱える時はもう神様の助けが先に入ってきています、唱えさせていただいているんです。だから自分が勝手に思っているんじゃないんです、「ありがとうございます」と一言いえるときは、もうかなり謙虚になって神様の助けを受け入れられる状態です。だから「ありがとうございます」と神様の助けが入って言わせて頂くんです。それで 即 助け を頂いているんです。大きいマイナスを消し続けてくださっているんです。
 ただ、神様の消し方は必要な所から消し続けます、どこから消すかは神様次第です。表面から消したほうが良かったら表面から消してくださる、奥から消したほうがいいときは奥から消してくださいます。表面から消していただくとマイナスが表面に出ません、奥からだとマイナスが出る可能性があります。どちらがいいかというと人によって違います、病気でもすぐにパッと治ってそのほうがプラスになるという人は、表面から 消してくださる場合があります。しばらく 病気の姿 をとったほうが真剣に感謝ができるようになって、感謝が 変わるという時は奥から 消して 表面は後回しです。
 一回一回の「ありがとうございます」は神様の助けの結果として出てくるんです、だから、神様の助けは 確実に 受け続けています。だから心配ないんです。


学び(気付き)

質問者:
 アメリカでのテロ事件から私たちは何を学んだらいいんでしょうか?

ありがとうございます:
 感謝の心を起こすということは、神様の愛の助けを受けるという状態です。神様の本当の愛の助けがどのように働いているかというと、人が過去にどれだけ大きいマイナスを積み重ねても・無限に大きいマイナスを積み重ねても神様の愛がそれを免除してくださるんです、いつも免除し続けてくださるんです。その上に立って更に無限のプラスを与え続けてくださっています。更には、感謝の心が湧き出るように助け続けてくださっています。
 もし、マイナスの姿が形に出るとしたら、本当に心の勉強材料だけを残してくださっているんです。その他のマイナスは神様のほうで免除して肩代わりしてくださっています。だから、そのマイナスの姿を見てどういうふうに学びを増やしていくか、いろんな角度からの学びがあります。
 まず、感謝を深めるという意味では、大きいマイナスを小さくして消して下さっていると・大難を小難に変えて助けてくださっていると、そこに気付かないといけないです。大難が無難になったら気付かないです、マイナスが全然でないと気付かない、マイナスを消し続けてもらっているのに気付かない。そういう場合は大難を小難にチョッと現すんです、そして、消してもらうことによって''助けてもらった''と気付きやすくなります。

・・・亡くなった人たちはどう思えば良いんですか?

寿命は決まってるといえば決まっています、それぞれにね。寿命が決まっているとしたら、どういう死に方をするかです。それは死ぬ人にとって一番良い 死に方が いいんです、畳の上で安楽に死んだからそれが一番いいのかはわからない、その時は一時的にはいいように思えます。
 この世に出てきた目的は大きいマイナスを消して大きいプラスを積み重ねるためです。そういう意味ではみんなの身代わりに大きいマイナスを消す役目も大事なんです、そうすると自分は大きいプラスを積み重ねたと同じ意味になります。楽して一生を終わるよりもマイナスを背負ってでも大きい働きをさせてもらうほうが、大きい陰徳を積むんです。そういう役割に付けた人は悲惨な死に方をしても良いんです、身代わりになって大きく人助けをしたちょうど、イエス・キリストさんが身代わりになって十字架にかかったようなものです。そういう人は早く魂が進歩します、本心が輝きます。
 これも一人一人の 自由意志 によるものです、心の奥から自由意志が出てきて自分の生き方を決めてきます。キリスト教の人は特にそうです、キリスト様の真似をしたいという願いが心の奥底にあるとしたら、犠牲を買ってでも(そうします)。そういう犠牲精神を発揮している人のことを見て、可愛そうにと言う方が失礼です。
 一律には見れないいろんな見方があります、私たちが見るんだったら、そういう大犠牲精神を発揮して助けてくださったというふうに見て、感謝を深めるのが大事です。感謝した自分も幸せになれて、感謝された人も大きく進歩して幸せになっていけます。

・・・一生懸命にお祈りをしていたら通じるんでしょうか?

みんなの心のあり方というのが一番大事なので、心で何をしっかり選択していけるかです。ただ、みんなが同じじゃないですから、戦争ごっこをして楽しみたい人が少しはいるかもしれない、そういう人はそういう場へ自分を持っていくでしょうし、恨みの心を解いて謙虚にその人の幸せを願って感謝する人もあるでしょうし、いろんな人の生き方があってそれが総合されていろんな姿で移り変わると思います。ただ、プラスに受けていくほうが世の中を良くします、マイナスに受けて恨み続けても悪くなる一方です、そういう生き方はとりたくないですね。

・・・長生きすればいいというわけではないんですね?

それはないです、この世に生まれてくる時はあらかじめ寿命が決まっています、勉強期間ということで。充実した月日を送れば短くてもいいんです、凝縮した生き方で。
 高い魂の人が、自分の先祖とか縁者の所に生まれた人のマイナスを肩代わりして消すために、この世に生まれてすぐそのマイナスを背負って死ぬということで清算して、あの世の高い世界へ戻る。また、この世の人と縁結びをして護りやすくして、向こうから大きく守ってくださっているという意味もあります。だから、幼くして死んで可愛そうに・・・はないんです。マイナスに見て悲しむのは思いのほうです、感謝の心は全てをプラスに受けて喜ぶほうです。


供養

・・・
水子供養はしたほうがいいんですか

もし堕胎して、勝手に堕胎して殺したとしたら、自分の心に反省はいります。この世に生まれてきて進歩するチャンスを奪ってしまったんですから、その分は、反省して償いは必要です。
 
償いはどういうふうにすればいいか、この世に生まれて進歩するだけの物を与え返さないといけない。だから、早く自分が立派になればいいんです、自分が立派になれば周りにいい物を与え尽くせるでしょう、その得を亡くなったその子に巡らせばいいんです。自分の積み上げた徳をお返しすればいいんです、そしたら、この世に生まれてきた以上にあの世でスーッと進歩して高い立派な人になります。
 ただ、過去のマイナスを掴んで悔いて泣いてというのは仕方ないです、過去の済んだことは仕方ないです、それをいかにプラスに切り替えていくかが大事です。プラスにプラスに生きることのほうが良いですね。


感謝と気付き

質問者:
 孫が生まれた時から斜視なんです、これは家族とか先祖に関係があるんでしょうか?

ありがとうございます:
 どんなマイナスも心の勉強というように見ていったら、いろんな気付きが出てくるはずです。その気付きも「ありがとうございます」と感謝すると、いろんな角度から正しく気付けるんです。その気付きがあって勉強が終わったらスッと治してもらうんです。だから神様にとったら他にはないんです。

・・・それ(感謝して気付く)は母親ではなくて私でもいいんですか?

それを掴んで心を痛めるんだったら、それを自分の問題として受け止めて。本当はみんな大きく自分の責任だと見れる人は大きな人です。それだけの大きい役割使命があってみんなを幸せにする大きい役目です。気付かせて頂けるし、大きい働きをさせて頂けるんです。
 どんな問題でも「ありがとうございます」と感謝を深めたら、問題が問題じゃなくなって消えてしまいます。全ての問題を解決するオールマイティな力があります、いかに感謝の心を起こせるかという大きな勉強です。


導き(番組)

質問者:
 会うのも嫌な人がいます、影では「ありがとうございます」と思うんですが心から思っていないんです。

ありがとうございます:
 大きい立場から見たときに、神様と一体の自分に対して、神様は無限の無限のチャンネルを用意して自由に味わって楽しみなさいと、神様の世界から送り出してもらうんです。だから、マイナスの番組もあります、プラスの番組もあります、極楽番組から地獄番組まで全部そろいます。最初は神様と一体の自分は幸せいっぱいなので、最高番組を選ばないんです、良い姿に飽きてしまっているからです。チョッと低い番組を見に行くんです、地獄までは行かないんですけどいろんな番組を選んでは見てくるんです。そうすると、本当に幸せな自分を知っているのでみんなマイナスに見えます、マイナスの番組を見てその中にはまり込んでいくとそこから抜けられなくなっていきます。掴んでしまって苦しむ時もあるんです、そういうときもあるんです。それでマイナスのものをいっぱい心に溜め込んでしまうんです、そうするとまた低い番組へ波が合っていきます、もう一つ低い番組を見ていくことになります。それが何回か繰り返されないとマイナスに飽きてこないんです。
 
もうマイナスは嫌だ、プラスのほうへ戻りたいという願いが出てきたら、かなり謙虚になっているんです、大抵は自分勝手に好きな番組を選んできているから、高い番組がいいよといわれても低い番組へいくんです。我の強い時は低い番組を選ぶんです、我が砕けてくると高い番組へ戻るように仕組まれているんです。
 
謙虚になって高い番組に戻りたい時には必ず神様の助けが入ってきます、頼まなくても良いんです、間髪をいれずに助けてくれます。それが「ありがとうございます」という心になって出てきます。そうすると、神様の助けをドンドン受け入れて心の仲のマイナスな思いを全部消してくださるんです。マイナスの思いを消して下さるからその分高い番組に波長が合ってきます、自分の見ている世界にプラスがドンドン多くなってきます。もっともっとプラスな番組へというように上へ上へあげてもらって、感謝の心もドンドン深まるように助けてくれます。
 低い番組を見たから高い番組をより感謝して受けられるようになるんです、最初から高い番組だけだったら、慣れてしまったらたいした事ないなと終わってしまいます。低い番組を見てきたことが自分には幸せだったなと後で気付くんです。だから心配はありません、一人一人歩む道は違います同じ道は歩みません、同じ番組は見ていないから。でも、一人一人が最短コースを歩むように導かれているから大丈夫です。


自殺

質問者:
 人生の途中で自殺してしまった場合はどう思ったら良いんですか?

ありがとうございます:
 それも良いんです、自殺するというのも大事なんです。ずーっと自殺しっぱなしというのは困るんですが、無限の年月の中で一回や二回自殺したっていい体験になります。そういう時があっても大丈夫です、それをプラスに変えて大きい幸せをつかむようになってきます。
 自殺したらマイナスだと決め付けないほうが良いです、苦しみから逃げたから・悪いことをしたから地獄へいくんだとか、そういうふうに決め付けないほうが良いです。それは、マイナスの言葉を使ってマイナスに縛られていく事になります。どういう生き方もプラスにプラスに受けていけたら自分もプラスに転換していけます。
 もし他の人が自殺されたら、自分の身代わりに分身として自殺して、私にいろんなことを教えてくれているというぐらいが良いでしょうね。その人を可愛そうに思わないで・責めなくても良いし。


死(生)

質問者:
 亡くなった人も自分の身代わりとして感謝すればいいんですか?
 
ありがとうございます:
 もう亡くなったというんだったら、もっとプラスの見方があります。全てが大きく一瞬一瞬変化し続けているんです、今の自分と次の一瞬の自分とは違います、変化してしまうということは本当は別人なんです。一瞬一瞬死んで一瞬一瞬生まれ変わっているといえるんです。永い年月の繰り返す姿をぼやっと掴むと連続して一つに見てしまいます。本当は一瞬一瞬の移り変わりをはっきりと区別できたら、全く新しい自分・新しい自分と受け直せます。そしたら一瞬一瞬死ぬと同時に生まれてきているんです。そうしたらぼんやりとした死はないんです、常に神様の中から新しく生まれ出てきて幸せいっぱいにいき続けている、そういう生き方になります、そのほうはプラスです。
 

分身

質問者:
 分身についてもう少し教えてください

ありがとうございます:
 自分というものをなんと捉えるかという事が大事ですね、この肉体人間だけを自分と捉えると小さい捉えかたです、そう思っているだけです。本当は、神様から受けた全てが自分なんです。
 神様から無限の無限のチャンネルを与えてもらって、一つの番組に波長を合わせてその番組を見ているとしたら、その見ている番組全部が自分のものです。今見ている世界全部が自分なんです、宇宙全体です。神様から頂いた全部が自分のものです、その全部が自分だと思えば良いです、宇宙が自分だと。だから全人類が自分の分身です、そういうふうにみると大きく受けたことになります。
 感謝の心は常に神様から全てを受け直して大きく喜ぶ心です、思いのほうは小さく思って小さく受けるだけです、これだけが自分だと思うとほかが自分でなくなります。感謝さえあれば神様から受けたもの全部が自分です、一体感が深まります。



輪廻転生(魂)
質問者:
 何回も生まれ変わって少しずつ成長していくようになっているんですか?

ありがとうございます:
 神様の与える無限の無限のチャンネルの中に、思いのいっぱい入るチャンネルと、思いのない感謝だけのチャンネルとに分かれます。思いのあるほうが過去を掴んで・過去を分やっと掴んで引きずります、そうすると輪廻転生の生まれ変わりの世界をそこに見ていくんです。
 でも、
感謝のほうは輪廻転生がなくなってきます、一瞬一瞬の生まれ変わりになって魂の生まれ変わりはありません。魂という感覚も消えて神様なる自分を・輝いた自分を生きているというふうになっていきます。感謝に生きたらそういう輪廻転生を超えます。いい番組の中へ移ってしまいます。


天照大御神様

質問者:
 天照大御神様は女性として描かれていますが、本当は性別を超えているんですか?

ありがとうございます:
 宇宙の大神様の最高表現を頂点にして、無限の無限のチャンネルを中に一大包容している、全ての全てなる神様という意味です。
 絶対という世界があって、そこから宇宙創造という姿で全てが生まれ出てきます。その創造された全部を、無限に無限に輝いた最高表現を頂点にして一大統一しています。絶対からの表現の全て・全体像を天照大御神様といいます。
 人の解釈は自分勝手なつまらない解釈を施します。天照大御神様が肉体を持って生まれた女神様なんだとか、太陽神なんだとか、皇室の先祖なんだとか、小さく見てしまいます。それはつまらない小さい見方です。
 伊勢神宮にも本当の天照大御神様はいません、あくまでも小さい小さい模型です。また皇室の先祖とはいえません、天照大御神様は全ての産み親なので皆さんも天照大御神様の子孫です、石ころもそうです、皇室だけのといったら間違いです。 単に太陽の神様ではない、太陽を無限に無限に中に持っている大きい神様です。


天照大御神様と一体化

質問者:
 「ありがとうございます」をたくさん唱える事で、天照大御神様の感覚に近づけるんですか?

ありがとうございます:
 天照大御神様・本物の宇宙の大神様を「ありがとうございます」とその名前を呼ぶ事によって、自分の中へ入ってきてくれます、また自分も神様の中へ飛び込んでいって一体化します。そして、一瞬一瞬天照大御神様の全てを受け直す自分になります。


思いの殻(一体化)

質問者:
 神様の所へ行き着くには「ありがとうございます」の思いを高めていかなければなりませんか?

ありがとうございます:
 思いを持っている間は自分の殻があるんです、これが自分という思いの殻があります、小さい器になってしまいます。その中に「ありがとうございます」と神様を受け入れても、小さいから神様の全体は入って来れません。ほんの一部だけが光となって入ってきます、天照大御神様の全体は分かりません、ほんの一部分の助けだけは感じられます。
 
思いの殻を無くしていく、消してもらうことが大事です。「ありがとうございます」と唱える時に、古い自分を神様にお返しする気持ちで・新しいものと取り替えてもらう気持ちで「ありがとうございます」と神様の中に入っていく気持ちになるんです。そうすると、古い気持ちを全部消して殻を消してくださいます、神様の中へ解け入るだけになってきます。解け入るといっても光源の一番奥まではなかなか距離があるように感じますが、ドンドン解け入ると神様の与えるものの受け直しがドンドン出来てきて、大きい自分になっていくんです。
 神様は無限に無限に大きいから、神様の全体像を捉えるのはなかなか難しいと思いますが、だんだんと大きい神様を感じ取っていきます。


夢(霊夢・予知夢・悪夢)

質問者:
 夢とはなんでしょうか?

ありがとうございます:
 夢はいろいろと解釈できるんです。
 神様からインスピレーション・啓示として与えられる霊夢があります、必要な事を夢の形で焼きつくようなはっきりとした姿で見せてくれます。それがいろんな問題解決のヒントになったり、助けになっています。
 予知的に見る夢があります。夢に見たとおりに現実に起きてくる、予知的に見せられた夢は、マイナスがあったらそれが現実化する前に消していただく夢です。 普通の夢は起き掛けにチョッと見せてもらう覚えてるだけの夢です。
 夢は、背後の守護神さん守護霊さんが眠っている間に人の思いを消すために、夢という姿でそれを利用しているんです。普段は眠っている間夢を見続けています、ただ覚えていません、起きがけに見てきたのだけを覚えているだけです。本当は一晩中見ています、それは現実化しないように夢の世界へ思いを発散して消してくれています、運命を良くして貰っています。知らない間に悪い夢をたくさん見てプラスのほうへ置き換えてくれているんです。
 そういう意味で起きがけに悪い夢を見たとしたら、悪い夢をこれで消してもらってありがたいなというように考えたほうが良いです。


クローン人間

質問者:
 クローンについて教えてください

ありがとうございます:
 仮に、肉体的に同じものを作れたとしても、魂が違います、そこに宿る魂が違います。もう一つ奥の神なる自分が違います、奥の自分ほど個性が豊かです。場合によったら同じものを作ってもそれを変えてしまいます、本体の自分が・魂の自分が、自分にあったものに変革してしまいます。本当は一瞬一瞬変えられていきます。 本当は クローン人間は 作りようがありません、一番奥から全てが現れてくるでしょう、一番奥はみんな個性があります、一番小さい原子以下のものまで個性があってみんな違います。小さいみんな違うものを合わせて作った大きいものは違ってきます。中の原子が全部顔の違う原子だったりします、区別がつかないだけです。同じ顔をしているからみんな同じお猿さんと見るような感じです、区別がつかなかったらそうなります。お猿さんだったら顔の区別がつくかもしれないですが、ナメクジなんかはどうでしょうか?




・・・魂はどの時点で宿りますか?

番組ごとに違います。魂というのは、本真の・本体の自分があって必要があって魂の姿をとります。それは思いの集積という形で出てきます。生まれ変わりの世界の番組では、まず魂があって肉体に生まれてきてという行き方をとるんですが、思いが一切なかったら魂にはならない。神なる自分はいつも宇宙大に広がって自由なので、どこへでもスッとは行ってその場を使いこなせます。だから魂的なものを必要としないのです。
 普通で言う生まれ変わりの魂というのは、大きくなったり小さくなったりします。幾つか集まって合体したり、分散して小さい魂がいくつかになったり、男性的な魂とか女性的とか両性を備えているとか、それは思いによってどうにでも変化するものです。そのように変化すると言うことは消えてなくなる事もあるということです、必要なくなったら消えます。
 消えないものが本当の自分です、一番奥の神なる自分でないと、変化しているものはたいした事ありません。

・・・クローン人間の魂はどうなりますか?

本当に魂が入ったら、同じ魂は入りません。人工的にいろんな操作を加えて生まれてくる人間の姿というのは、かなり高い魂が入ってきます。いろんな意味の勉強をみんなに与えに来るんだと思います。

・・・この世に生まれてくるためには魂が必要ですか?

そうじゃないと肉体を操れないです。肉体だけが惰性で動く場合もありますが、寿命が来て魂は抜けているのに肉体はまだ生きているということがあります。惰性が一年二年と永い人もあります、魂が抜けた肉体に他の魂がいたずらに入る事があります。そうすると人格が変わったように見えてきます。
 死ぬ時に、縁のある人が間に合うように伸ばしてくれる時があります、その時は本人の魂は抜けても、守護霊さんが中に入るんです。守護霊さんは本人の事も周りの事も全部分かっていて,死期を延ばして来た人に対して応対してくれます。本人らしく応対してくれます。

・・・死ぬということはどういうことですか?

肉体界へ生まれてくるというのは、目的を持って勉強のためです。必要なくなったら放してあの世へ・別の所へ勉強のために移ります。本当に必要だったら、肉体がなかったら霊魂が動物にでも取り付けるし、石ころにも入れるし、どこにでも入り込めます。
 ご先祖のお位牌の中にご先祖が入ったとしたら、お位牌を粗末にしたらお位牌が重たくなってもてなくなったりします。本当はそんな中に入らないほうが良いんです、もっと自由に勉強していくほうが良いんです。


守護霊(守護神)

・・・守護霊は誰にでも付いて、その数はどうなんでしょうか?

本当は一人の正守護霊さんで充分なんです、それだけで守りが完璧なんです。その他に副守護霊さんという形で仕事なんかを応援します、だから仕事を変わったら副守護霊さんが変化するんです。その人の働きが大きくなったら副守護霊さんがたくさん付いています。大勢の副守護霊さんに助けてもらう人は大きい仕事をします。

・・・守護霊さんにも「ありがとうございます」と言うんですか?

守護霊さんに「ありがとうございます」と言うと宇宙の大神様から守護霊さんに助けが入ります。守護霊さんもドンドン神格が上がります、それで本当の力を発揮するんです。両方にプラスになります、守護霊さんを通して大きい本当の力を与えてもらえるし、守護霊さんにも恩返しの大きい働きをさせてもらえます。


・・・守護神さんと守護霊さんは違うんですか?

全部働きが違います。ただ、守護霊さんだけに護ってもらっているのではない、本当の神様の全体から守ってもらっています。だから「ありがとうございます」で全体から助けを受けるのが良いんです。ただ、最初は頼る所が必要です、守護霊さんに護られていると思うと頼りやすいです。そういう時は守護霊さんを通して大きい助けが優先的にはいってきます。そういう意味で守護霊さんに感謝するのもいいというだけです。

・・・「ありがとうございます」ということは恩返しになるんですか?

「ありがとうございます」と言うことはみんなへの恩返しです。神社へお参りして「ありがとうございます」と言えば神社の神様も大喜びしてたくさん恩返ししてくれます。お願いに行ったら損するんです。

・・・お地蔵さんにも「ありがとうございます」と言えばいいんですか?

そうです。ただ、その中に本当のお地蔵さんが入っているかは分からないですけど、いたずらする動物霊が入っているかもしれないです。その場合でも「ありがとうございます」と言えば、みんな神様の現れとして素晴らしい姿をとります、いたずらしなくなります。神様の使いとして助けてくれるようになります。
 願い事を持っていったらダメです、低い所へ持っていくほどおかしくなります。
どこででも「ありがとうございます」が良いんです。


思い

質問者:
 「ありがとうございます」を言ってもすぐに思いが出てきます、そうしたら元に戻ってしまいますか?

ありがとうございます:
 
感謝を忘れて思いの自分を生きて、思いを出し続けて何億年以上生きていたんです。心に溜めた思いは無限に大きいのです、いま「ありがとうございます」を言い始めて、神様の助けを受けて心に溜めた思いをドンドン消してもらってもいっぺんには消せません。本人が気付かない内に神様が勝手に消したら本人の自由を縛った事になります。だから、たくさん思いを消してくれたにしても確認を取ってきます。これだけ消してあげたよと確認のための気付きを与えるんです、今浮かんだ思いの何万倍もの思いを消し続けているんです。
 全部消してもらったら思いは出なくなります。大きく消してもらっていると言う過程も大事です、こんなに大きなマイナスを消してもらったという過程も大事です、それによって感謝が深まります。楽に消してもらうと後で忘れてしまいます。

・・・嫌な思いが出てきたらそれに感謝してクリヤーしていけばいいんですか?

自分の心にどういう思いが溜まっているかを気付かせてもらって、その何万倍と言う思いを免除して消してもらって、感謝を深め喜びを深めるためにその勉強材料に使っていくんです。そのほうが幸せが深くなります。


涙(喜び)

・・・「ありがとうございます」をたくさん言っていると時々涙が出てきます。それは浄化の涙でしょうか?

清められた喜びの涙でもあるんですが、肉体を持って生まれたのはあの世の何十万人の代表なんです。あの世の人もこの世の人が「ありがとうございます」と神様の助けを受け入れると、あの世の人が早く救われるんです。それでみんなが涙を流して喜んでいるんです。あの世の人の涙が伝わってきたら、理由なく涙があふれます。悲しいんじゃなくて喜びが伝わってきます。




質問者:
 死んで魂が離れたら、魂はあの世にいるんですか?

ありがとうございます:
 一つの番組にはまり込んだら、魂はこの世へ行ったりあの世へ行ったりです。無限のチャンネルと見たときにはどのチャンネルにも自分がいるんです。無限のチャンネルに同時にいると見たほうが良いです。
 人によったら、今この世にいる人を見ている人もあります、高い番組に合わせた人は素晴らしい人だと見ている人もいます、低い番組に合わせた人は地獄で苦しんでいると見ます。同じ人を掴んでそういうんです。一人一人が選んだ番組の程度に応じて世界を見るんです。

質問者:
 先生は魂がないんですか?

ありがとうございます:
 私が体験している番組では魂はありません。低い番組では魂がある世界があります。もっと低い番組では、私は地獄で苦しんでいると言ってくれる人があります。私の見ている番組ではそういうのはありません。 自分が何を見るかだけなんです、マイナスが いやだったら高い番組を見ればいいんです。「ありがとうございます」を唱えていると最高番組に波長が合っていい番組だけになります。


マイナス無限大(謙虚)

質問者: 
 歴史でもいい歴史だけを勉強すればいいんですか?

ありがとうございます:
 マイナスの勉強をしたら自分をマイナスの世界へ連れて行きます。心に引っかかるマイナスの人というのがいますね、そういう人を見るだけで自分が同じようになっていきます。そっくりさんになっていきます。
お嫁さんが姑さんを嫌で嫌でたまらないと思って、いつも嫌な姿を見せられているとすると、そのお嫁さんが年をとったときにそっくりその姿をとるんです。心に取り込んだものがそっくりそのまま出てきます。
 だから、マイナスの姿を見たときは、必ずプラスに思い返すのが大事です。自分の心のマイナスを鏡に映して見せて、神様が確認を取って消してくださっていると、大きいマイナスをこんなの軽くして消して頂いて「ありがとうございます」と感謝したら消えるんです。プラスに受け直す事が大事です、そうするとマイナスの姿にはとらなくなります。 これが全てに当てはまる原理です、プラスだけをしっかりと見つづけることが大事です。


・・・それとマイナス無限大から見るのとの関係はどうなんですか?

もし地獄のどん底に自分を置いたとしたら、この世は極楽に見えますね。この世の姿全部がプラスに見えてマイナスには見えません。だから、下へ立場を置き換えると言うのは謙虚になることです、全部をプラスに見る立場に立つ事です。
 この世に立場を置いたら、この世にプラスとマイナスがあります。地獄に立場をおいらたこの世は極楽でプラスばっかりです。そういう意味で低い番組へ自分を置くのは大事なんです。ただ、立場をこの世から地獄へなかなか落とせません、そういう人にとってはこの世では、マイナスを数えるよりもプラスを数えたほうが、番組を上げていけます。
 マイナスに負けてしまう人は、マイナスを拾い上げないでプラスだけを拾い上げるほうが良いです。ただ、謙虚になる勉強だったら、この世のマイナスを一回捕らえてその立場にたってあげるというのが大事です。そうすると地獄にたつ練習にもなってきます。


霊と元(生命体)

質問者:
 一つ一つの細胞に魂が宿っているんですか?

ありがとうございます:
 神様の働きが、霊魂と(元体?げんたい)とに要素が分かれてそれがピタリと組み合わさるんです。霊に対する対極を元と言います。霊が四つの四魂(しこん)に別れ、元が四体という固体・液体・気体・霊体に分かれます。その全てが精妙に微妙に組み合わさります、一体化します。霊だけだと、体だけだとたいした事はないんです、霊と体がピタッと一つになって生命体として生まれます。そこに神様の最高傑作としての味わいが生まれています。本当に神業と言うしかないです。
 だから肉体に魂が入ってと言うようなそんな単純な話ではない。もっと神秘不可思議な働きの結果として人間として生まれています。

・・・心臓移植をして、お酒が嫌いな人が好きになったのは、想念までくっついてきたんでしょうか?

いろんな働きが加わってその影響はありますが、それにはいろんな意味あいがあります。他から思いを送られて影響を受けることがあります、念力操作というのがあります。あの世の人やこの世の人からいろんな思いが、また思いではなくても祈りの光とか、そんなことでお互いに影響しあって変化します。それは、全体もそうですし細胞一個でも変化します。細胞一個一個でもみんな癖がありますから、どういう波を受けてどう変化するかは同じではありません。


祈り方

質問者:
 先生は、お祈りの時に目を瞑って静かになさっていますが、心の中で「ありがとうございます」と祈っておられるんですか?

ありがとうございます:
 複雑なんです。「ありがとございます」も使っていますし、その中に「天照大御神様今ここにいまします」もありますし、「新たな全徳の無限の無限の輝きがいっぱい」もありますし、神様の特性を数え上げたら中に全部含まれています。祈り言葉としていっぱい同時に使っているんです、それと同時に皆無限に無限に輝いているという感じ方をしています。
 神様の特性・色合いが全部違います、愛の光・知恵の光というように。この世の光ではないんですが、その光の微妙な組み合わせの感じが言葉では表せないくらいすごい・美しく素晴らしいものです。

・・・私たちはどのような祈り方をすれば良いでしょうか?

最初は形から入っていくんですが、自由自在がいい。声に出す時は出していいし、心だけの時はそれでいいし、早口言葉で唱えるのも大事です、ゆったりとかみ締めながら唱えるのも大事ですし。
 これはみんな神様の方から、神様と一体化するための最短コースを歩ませようとして働きかけてきているんです。だから、
お任せという感覚で助けを受け続けるのが早いんです。自分であれこれ考えすぎないほうが良いです、ただ「ありがとうございます」と受け続ければ中からドンドン変化し続けます。
 人の心には、与える心と求める心があります。求める心のほうが多いんです、
与える心は感謝の心から生まれてきます。与える心で「ありがとうございます」と唱えると神様の助けは大きくたくさん入ってきます。求める心だと我の心なんです、小さい器で「ありがとうございます」を唱えると入ってくるのが少ないんです。その小さい殻をも打ち破る事も出来ないくらい小さくなってしまいます、求める心だと。
 
病気を治したいという求める心だと大きい助けは受けていません、受け損なって治りにくい。病気を治して欲しい・治そうと思わないで、世の中に奉仕したいとか与える心で「ありがとうございます」を言っているほうが、病気も知らぬ間に消えて治っています。求める心は起こさないというよりは、与える心を積極的に起こして「ありがとうございます」を唱えるのが良いんです。そうしたら、神様の助けが受けやすいんです。
 それは何でも良いんです、自分の持っている何かを与えよう、神様に恩返ししようというように、そういう気持ちを起こして「ありがとうございます」と唱えるのが大事です。人に与えるものが何もなかったら笑顔だけで良いんです、笑顔を与えようという気持ちで「ありがとうございます」を笑いながら言えば効果抜群です。
 言葉をかけるのでも、マイナスの言葉を与えるよりもプラスの励ましの言葉を与えながら「ありがとうございます」を加えていけばいいんです。そうすれば助けが受けやすくなります。 自分に出来る何でも良いんです、プラスのものを与えようという気持ちを起こせば、お祈りの効果が大きくなります。


質問者:
 自分の言動、人の言動、世の中のありさまを見ているとマイナスのほうが多いんですが、「ありがとうございます」を唱えていれば大丈夫なんでしょうか?

ありがとうございます:
 大きいマイナスを消す方法は、「無限のマイナスをこんなに軽く済まして消してくださって、ありがとうございます」と言えばいいんです。この世に出た少々のマイナスはたいしたことはありません、無限のマイナスと比べたら小さいものです。それを消し続けてくださっているというふうに言えば、現れたマイナスがしぼんでいきます。
 無限のマイナスを、もう一つ無限の無限のマイナスを免除して消し続けてくださってありがとうございますといえば、マイナスを相手に生きなくてすむようになります。


極楽世界

質問者:
 一つの番組に凝り固まっている人はどうなりますか?

ありがとうございます:
 みんなどういうチャンネルでも楽しんでいます。テレビを見るときは戦争番組を見て楽しむ人もあるし、やくざ番組を見て自分がその主人公になったような気がして楽しんでいる人もいます。それぞれの番組があってそれぞれ自分がなりきって楽しみます、それに飽きたら次のに進みます。
 いろんな番組を体験してその主人公になるというのも、ある時期には必要なんです。悪い役になりきって、その人が本当に悪いのかと言うとそうじゃないです。本当のその人は、神様と一体の無限に素晴らしい人です、ただ低い番組を味わって楽しんでいるというそれだけなんです。

・・・それでその人は満足なんですか?

 他の人も満足です。極楽世界は、蓮の花の上に座ってご馳走がいっぱいと言うんですが、本当の極楽世界は座っていないんです。蓮の花の上にずーっと座っているのが苦痛になります、「何もしないで寝ていて良いですよ」と言われても、元気な時に1日寝ているだけでも全身痛くなります。
 蓮と言うのは花が咲くと同時に実が先に中に出来ています。神様の世界にある最高理想が中にあってそれが花開いているという姿なんですけど、皇室の菊のご紋も十六花弁で、蓮も(描く時には)十六花弁にするんです。これは、神様の宇宙創造の仕組みの模型なんです、一番高い最高理想の世界の模型という意味は、神様の働きが無限に無限に躍動してスピードが無限に速くなっている世界です。
 本当に極楽世界に住んでいる人は、二十四時間働きどうしで人のために尽くすばっかしなんです。それが楽しくて楽しくてたまらないという感じで、夜も寝ないで働くんです。人は働いて人に与えるほど喜びが大きくなります。人を幸せにしたら人の幸せも自分の幸せに取り込めるんです。
 極楽世界は与えるばっかりです、だから周りからも与えてもらうばっかりです。それが循環するんです、不幸になりようがないです。人から与えてもらうだけだったら苦しいんです、おまけに低い番組だったら「返せ」といってきますから。


形の模型

質問者:
 十六花弁やピラミッドや六ぼう星など、形にも意味があるんですか?

ありがとうございます:
 宇宙想像の仕組みを形に表すとそういう形になるんです。元にあるのは神様の本当の働きです、それを単純化したらそういう模型的なものになってきます。模型は模型であくまでもつまらないものです、ただ模型を通さないと分かりにくいから、本当は何もないものをそのままみて神様の最高の姿があると見るのが良いんですけど、それに気付かない場合は模型を見せて、これに近いものが奥にあると教えてもらうのが分かりやすいんです。そういう意味で模型が生まれます。

・・・形としての最高表現が十六花弁ですか?

 天照大御神様の最高表現の姿を現しています。もっと詳しく見れば、もっと細かく中が分かれて荘厳な姿の模型が生まれるんですが、十六花弁は一番単純な模型です。


成功

質問者:
 仕事で成果を出さなければならない時はどうしても我が出てしまいますが、そういうときも「ありがとうございます」を唱えていればいいんですか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」さえ唱えていれば神様のバックアップが大きくなります。自分自身に徳がなくても神様の徳を頂いたら何をしても成功します。


啓示(インスピレーション)

質問者:
 啓示を受けて動いている人が幾人かいらっしゃいますが、それについてどう思われますか?

ありがとうございます:
 インスピレーションというのはどこからきているかが問題です。無限の無限のチャンネルがあったら、どこからでもインスピレーションが来ます、その時の自分の心境に応じた所からメッセージを受けます。低い所ほど高慢な姿で強制的に指図してきます、高いほど謙虚に自分を隠して自由を尊重しながら囁くようにアドバイスしてきます。その見極めは自分自身がします、自分の心境がどこに波長が合うかが問題です。
 謙虚になるほど良いんです、自由を縛らないほうが良いんです。それに振り回されたら奴隷になってしまいます。本当の神様からの導きは自分の中から自然に出てきて、自分として分かるほうが良いですね。神様の心が自分の心になって出てくる、神様の導きが自分が自然に思いつくような感じで行動するのが大事です。宇宙の大神様とまで行かなくても、守護霊さんの導きもそうです
、自分の中からではなくて外から話し掛けてくるのは、守護霊さんじゃない場合があります。守護霊さんは自分の考えのようにわからせてくれる場合が多いんです。外から導かれるインスピレーションにはあまり深入りしないほうが良いんです、深入りしたら操り人形になりやすいです。

人を助ける祈り

質問者:
 人を助ける時の祈り方を教えてください

ありがとうございます
 
自分が今見ている姿を、そのマイナスを掴んだ時の姿と正反対の見方です。苦しんでいると見えたとしたら、無限に喜んでいるというように。その人がお祈りもしないで迷っていると思うんだったら、この人は悟っている・お祈りをしっかりしているというように。正反対のプラスの言葉で見ていったら変化します。

・・・お祈りするというよりもそういう見方に自分を変えるんですか?

 自分を変えるのが一番良いです、自分を変えて番組が変わるのが良いんです。そうしたら人の自由を縛っていません

・・・その時の言葉は「断言」した言葉ですか?

断言した言葉のほうが力があります。・・・ありますように・なりますようにでは弱いです、そこに求める願いが出てしまいます。すでに実現しているという姿を受けるのが良いんです、断定的な断言的なほうが受けやすいです。
 現実のマイナスを掴みすぎた時は、病気になったときなどは「健康である」と思えない時があります。「病気なのになぜ健康だと思わなければいけないの」と反発する心が湧いてきます。そういう時は無理があります、そういう時は救済の神様を間に立てるんです。そうしておいて、病気が治りますように・健康になりますようにとか・良くして頂いてありがとうございますとか、柔らかい感じで神様のほうへ心を向けたら良いです。
 だんだんとプラスに心がむき出したら、今度は断定的に「無限健康を与えていただいてありがとうございます」と言えば良いですね。

・・・本人には薦めないほうが良いですか?

 人を変えようと働きかけるより、すでに変わっているという気持ちで、向こうからアドバイスを求めてくるほうが良いです。あの人を助けてあげたいと思うのは、自分の勝手なエゴかもしれないんです。その人に変えることが必要かはわかりません。本当にその人が変わりたいと願っているんだったら、周りの人にアドバイスを求めます。


学び・気付き・感謝

質問者:
 自分が低い番組にはまり込んでいるのは良くわかっているんです、でもそれを演じてしまいます。その場面で「ありがとうございます」と言えばいいんですか?

ありがとうございます:
 低い番組を低い番組と見ている自分、その立場は高い立場です。高い立場にたって低く見るという見方は、自分が高い立場にたっていると喜べばいいんですが、自分が高い立場に立たせてもらっているというように感謝して喜べばいいんですが。それだけが全てではありません、低い番組もマイナスの番組もプラスに見る自分になるというのも大事です。自分の立場をもっと広くしてそれをプラスに見る勉強も必要です。そうすると、低い番組を見ていても、もっと低い番組から見たらみんなプラスの番組というふうに見えてきて、味わい方が変化して価値あるものとして見えてきます。
 いろんな角度からの学びが必要になります、そうして幸せを大きく深くしていきます。必要な勉強はみんなさせてもらっています、神様がいつも守り守って最短コースを歩むようにしてくれています。だから、そのときその時の気付き・勉強を大事にして感謝を深めていけば良いだけです。

・・・低い番組に生かしてもらっていることに感謝する事ですか?

 それも大事ですけど、他にもいろんな感謝が出てきます。気付いた程度の応じていろんな感謝が湧いてくるようになります。本当は、全ての全てに感謝が無限に深くなるのが一番いいんですが順番があるんです。


時間と空間

質問者:
 あの世には時間がないんですか?

ありがとうございます:
 時間というのは時計で測る時間が本当の時間じゃないんです。体験の連続が時間になります、時間の感覚は、たくさん体験する世界とチョッと体験する世界といろいろです。高い世界ほど一瞬にたくさん体験します、高い世界の感覚と低い世界の感覚は全然違います。 この世の時間とあの世の時間では、種類の違う時間があります。

・・・あの世からこの世に合わせると、過去でも未来でも見えるのかと思ったんですが?

 一つの番組の中に過去・現在・未来、全部あります。

・・・高い世界ほどスピードが速くたくさん体験するなら、その世界にはゆったりした状態はないんですか?

 スピードが速いほどゆったりしています。スピードの速い世界についていける自分があるんです、だから逆にのんびり・ゆったりします。
 浦島太郎はこの世から竜宮城へ連れて行ってもらいます、竜宮城に住んでいる間は楽しい時間がすごせます。あまり時間がたった感覚がなしに幸せいっぱいの時間をすごしています。こちらへ戻ってきたら長い年月が経っていた。
 幸せな体験が多いその時には時間がたつのが少ないんです。この世の幸せの少ない世界に戻ってくると、長い時間がたっている。時間と空間の仕組みがそうなっているんです、時間が一点に絞り込まれていくと空間が無限に広がります。時間が長くなると空間が一点に絞り込まれていきます。極楽は今の一瞬一瞬を幸せいっぱいに生きて、空間が無限に広がっています。地獄は時間が無限に長く、苦しい時間が無限に長くて小さい穴に入り込んだような世界です。これが時間と空間の仕組みです。時間を今に絞り込むと空間が無限に広がって幸せいっぱいになります。過去を掴み未来を心配すると、時間を引き伸ばした分だけ世界が狭まります、苦しみが大きくなります。だから、今を一瞬一瞬楽しんでいる人は幸せいっぱいです。

・・・竜宮城は本当にありますか?

 言葉で表現できる世界は全部あります。ただ、竜宮城は最高の世界ではありません。

・・・高い世界は、光り輝いているというよりも、光と闇が調和している世界ですか?

 やっぱり光り輝いている世界です。闇は低いほうです。調和が光り輝いているんです、適材適所に配置されて光の振り分け方が素晴らしいです、それが調和なんです。高い世界は細かいものまで適材適所に配置されます。人も自分に合った仕事をした時が一番輝きます、調和した時が最高に輝きます。





ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。