ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。
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ar44番組を超えた奥の、神様の世界が本当の世界です 2001.09.29

質問者:
 友達を傷付け大変な迷惑をかけてしまいました、私自身救われたいそして友達も、アドバイスをお願いします。

ありがとうございます:
 一番大事なことは、神様と一体の自分があるということをまず信じたほうが良いですね。神様と一体の自分というのは、神様の全てを受け直せている自分ですね。その自分が自由を与えられて神様が用意した無限の無限のチャンネルを楽しんでいるんだというように、今見ている世界もこの番組の中の姿です、その中にはマイナスもプラスもありますよね、マイナスになるのは低い番組なんです。神様の作った無限の無限のチャンネルの番組というのはね、あまりにも多すぎるでしょう、誰一人同じ番組は見ていないんです、チョッと違うんです微妙に違ってるんです全部ね。
 この世もあの世から見ると無限の中の一つの番組に見えるんです、この世がまた細かく見るとさらに分かれるんです。人の数がどれだけ有っても無限とは言えないですね、だから自分の見ている番組はあくまでも自分ひとりが見ている一つの番組です。その中にマイナスがあったらマイナスで傷付くんです、その傷付く心を癒すのは、番組としてあるということがわかれば楽になるんです、そしてプラスを見る心になればいい番組に置き換わるんです。
 ちょうどテレビを見る感覚が良いんです、それは実際にあるものだと掴んでしまうと心を痛めて傷付いてしまうんですけど、本当にあるのは神様の世界だけなんです、番組じゃないんです、番組を超えた奥の、神様の世界が本当の世界です。これは永遠不滅で絶対に変わることはありません。
 神様と一体の・神様の全てを受け直した自分が神様の世界にいる自分です。この自分をしっかり信じて、番組はあくまでも楽しんでいるというふうに、無限の無限のチャンネルがあって最高番組があると、最低番組も地獄番組もあるとね、なんでも自由に楽しめているんだというふうにね。ただ、一つの番組にはまり込んでしまうと、これがさも全てなんだとなってしまいます、苦しむんですね。
 どれだけ自分が悪いことをして地獄にいるという状態でもね、本当の自分から見れば笑い飛ばしているんです。その中から抜け出たら自由自在で全てをプラスに見て笑っている自分になるんです。過去の過ちを償ってというんですけど、済んだ事は変えようがないんです本当は、投げて壊したら戻らないですよね、それで心が苦しんでいるんだったら永遠に救われないですね。でも、新しいものが今ドンドン生まれてきていますしね。
 だから、何を選んで受けるかでしょう。無限に無限に輝いた素晴らしいものが与えられているのに、つまらない壊れたものを掴んで勝手に苦しむのはおかしいですね。無限の無限の最高番組・極楽番組があるんです、それを受けて喜んで生きるのが本当の生き方ですよね。逆にマイナスを見て自分は損してきたと思えば良いじゃない!相手を傷付けたというより自分の番組の中の世界と見たほうが良いですね、その番組をいい番組に置き換えたら、皆が助け合った状態で傷つけあわない状態でいい番組があるんたと。
 自分が変わって、番組が変わって、皆が救われたら良いんですね。自分の責任で変わらないと永遠に変わらないですね、自分は変わったけれど相手がまだ変わらないと言ったら変わらないでしょう、相手の責任にするとだめなんですね。相手が変わるのを待つと相手が変わらなかったら永遠に待たなければならない、自分さえ変わったら良いんだという立場で良いんです。
 いまだかつて自分は人を傷つけたことがないという番組があるんです。その番組を受け入れたら過去のマイナスは全部ないですから、無関係と言うくらいが良いです。
 こういう考え方は人と人の間では通用しないんです、一つの番組の中にはまり込むと、お前は悪いことしたんじゃないかと言われるんですね、その償いをしろと言われますよね。でも、番組の中から抜け出たら、今度は自分が神様の前に立って謙虚になるしかないですね。神様から与えてもらったものの中から何を選んで受けるかでしょう、いいものを選ぶほど神様が喜んでくださる。低いのを選んで苦しんだら自分が悪いんです、
だから低いのを選んだら神様ごめんなさいと言わないとね、神様のプレゼントを拒絶してごめんなさいと言うのが正しいですね。最高番組・いい番組だけを受け入れて本当に神様が喜んでくださる生き方になるんです。

・・・基本的に自分だけのチャンネルだとして良いですか、でも子供や家族がいますよね

自分のチャンネルの中の世界を見ているというね、周りの人も全部、いろんな見方を自分はするんです。だから
もしマイナスに見えたら低い番組を見ている、皆がプラスに見えたら高い番組です。だから、家族の全部がそれぞれの番組を見ていると思えばいいんです、低い役割の番組だったら自分が悪いんですね、全部高い番組の役割でないといけない。みんなが神様というふうに・みんなが輝いているというふうに見えたら高い番組になってきます。

・・・自分は変えられても他人は変えられないというのがありますよね?

自分の番組を変えたら全部変わります。まだマイナスが心にちらついてくるようだったら心の切り替えがまだ十分に出来ていない、プラスもあるけれどマイナスもまだ残っている、マイナスの時にマイナス番組が出てくるんです。

・・・プラスになれば、人間関係も全部プラスに見れるようになる?

そうですね、みんな良い人ばっかりになって自分を助けてくれるんです。ある意味では自分の心を映すような鏡のような姿をとっているんです、自分の心には過去のずーっと生きてきた過程で、いろんな言葉を使いいろんな思いを出し、いろんな心の状態を蓄積してきているでしょう、それが順番にいろんな所の鏡に映るんです。そうすると過去世の姿もちらちら映ってくる、前生の自分の姿が親の姿に見えたりね、その傾向がずーっとあって未来の姿が子供に見えたりね、いろんな過去の姿の状態が全体が映るんです。

・・・全体の中でできるだけマイナスを少なくするといい?

マイナスはこれで消していただいたというふうに、大きいマイナスは消して頂いて確認だけして頂いたというのが良いですね。
 自分と他人というふうにすると番組にはまり込んだりします、全体が自分の見ている番組と見ると抜け出た自分です。抜け出た自分だと自由になります。
 仏教でも因縁・縁覚がわかったら、縁覚でしょう。縁覚(えんがく)の境地に立たないとどうしても人を責めたりするでしょう、自分と人が別と思ってしまうんですね。菩薩の境地に立ってはじめてお祈りが始まるんです。自分の番組を振り返り、本当の自分が始まるのです。

――註: 縁覚(えんがく)  師なくして十二因縁の法を観じ、あるいは他の縁によって真理を悟った地位で、菩薩の下、声聞(しょうもん)の上。独覚。
 
・・・責めないで無関心という事ではダメですか?

みんな自分のものなんだと思わないとね、無視してというのは逃げているんです。どういうマイナスが出てきても意味があるんです、その受け方ががいろんな受け方があるんですが、大きいマイナスをこんなに軽く済まして消してもらっていると言えばありがたいですね。また、勉強材料だけ残してもらっているというふうに・今の心を振り返るだけの勉強材料だけを残してもらっているというように思うとまたありがたいですね。いろんな角度からプラスに受ける受け方で、そしたら逃げなくて済む。
 鏡は大体自分を映すためですよね、いいところも見て楽しむんですけど、欠点・汚れを見るためでもありますね。鏡は必要ですね。鏡というのは、明るいほうから暗いほうへ向いた時に鏡の姿が出るんですけど、ちょうど神様の働きというのは、無限に無限に輝いた姿と自分の心を映す鏡の姿と両方をとります。光のほうへ・神様のほうへ向いた時は眩しいから輝きだけなんです、明るいほうから暗いほうへ向いた時は必ず鏡の姿になります。だからガラス障子・透明なガラス障子に向いた時に、外が暗い時には鏡になって映りますね、外が明るい時は外が良く見えませんね輝いてね。
 本当に神様をしっかり見つめている時・感謝をしっかりしている時はみんな光りますよね。一つの番組を見ていてもそこが輝いて見えてきます、プラスにプラスに見えてきます、マイナスの姿もプラスに見えてきます。{(病一つとって見ても万病を消してもらって一つだけ残してもらっているとか)()内は不正確です。}、健康のありがたさをわからせてもらう意味で一つの病を与えてもらっているとかね、全部プラスに見えるんです、輝きだけを感じるんです。
 でも、暗いほうへ心を向けると、今の自分の心の状態を映す鏡になってしまいますから、今の心をプラスに変える反省が要るんですね。だからマイナスの言葉を絶対使わないというのも大事ですね、マイナスに絶対に思わないというのも大事です。

・・・思いと言葉の関係は?思いが先ですか、言葉が先ですか?

言葉が先で思いに変化するんです。言葉も一番奥にある言霊のほうが先なんです、神様の光の言葉があってこの世の人の言葉があります、それが思いに変化します。神様の言葉を直接使うのは難しいですよね、神様の言葉の映し出された意図とかを選ぶんです、プラスの言葉を選んでプラスの思いにはなるんです、でも、思いは白雲のような姿をとるので縛りにはなるでしょうね、普通、人というのは使った言葉に縛られますよね。
 縛りというのは神様の光の言葉じゃないんです、思いのほうになってくるんです。だから宗教の教えでも本物は絶対に縛らないです、言葉で縛られるのはそれが思いに変化して縛りになります。本当の古神道のあり方・本当の宗教のあり方というのは、神様の光の・言霊の響きだけがあるんです。だから縛りを全部解いてくれます、そして中から全部わかってきます。言葉で教えを受けて思いになると皆縛られてしまいます、がんじがらめになります、それだったら偽物ですね。
 感謝の中に無限のプラスの言葉がいっぱいあって、それを光の言葉として受けていくというのが・感じていくというのが良いですね。そして思いも消してもらって、心も自由自在になっていきます。


「あまてらす」の言霊

質問者:
 「あまてらすおおみかみ」の言霊の意味を教えてください。

ありがとうございます
 「あ」は絶対・命の本源・光、全ての神様の根源の輝く姿

 「ま」は全たきもの・完全・完璧

         「あま」で完全極まりない宇宙全体という意味です

 「て」は光り輝くという意味です、お寺の「て」もそうですけど、照り輝くということです、無限に無限に輝いているという。自らが輝くと同時に照らす働きもするということです。本当の太陽があって自らが輝いていますよね、同時に照らして周りを明るくしていますね。照らす働きと・照らされて輝いている働きを全部総称して本当の意味の「あまてらす」です。
 「あまてらすおおみかみ」というのは絶対の光源にあたるものがあって、光が放射されて、それによって全てが産み出されて、その全ての全体像を全ての全てを「天照大御神」と言います。照らすだけじゃないですね、照らされる側も中に包容し尽す。だから、無限の無限のチャンネルが、頂点に最高表現のチャンネルがあって、一番下に最低のものがあって、その全部の番組を中に一大包容した姿で「天照大御神」ということです。
 だから、伊勢神宮にお祭りされているというそんな中には入らないですね、小さくはね。神社というのは模型の模型のもうひとつ小さな模型ですよね。また、皇室の先祖と言うのも間違いですね、全ての先祖ですね、宇宙の全ての先祖なんです。だから女神様とかそういうのじゃないですね、絶対神です。陰陽を両方持っていて絶対です。


何を選んだかの総合的な結果なんです

質問者:
 太陽は宇宙にいくつぐらいありますか?

ありがとうございます:
 肉眼で見える宇宙というのでも限りないでしょう、無限ですよね。それに無限の無限のチャンネルがあったらもう一つ無限が加わるんですね。感覚で見る太陽でもこの世に二つ・三つ見えることがあるんです、写真にも撮れたりするでしょう。一つだけ撮れるんじゃなしに二つ・三つ同時に撮れたりするでしょう。本当の太陽というのは、無限に無限にさらに無限に無限にあるんです、宇宙の仕組みがそうですね。・・不明・・入れ子構造の姿をとって、無限に無限に輝いた宇宙があって、それが無限に無限に大きくも小さくもなって存在しています。どこまで行っても想像を絶していますよね、そうじゃないと神様の値打ちがない、有限だとね。

・・・太陽を二つ・三つ同時に写せるようになった、それは神の啓示によるものだというチャネラーがいますが?

二つ・三つ写してもたいしたことはないですよね、写すんだったら無限の太陽が写らないとね。本当の神様のメッセージはそんなに小さなものじゃないですね、それは一つの番組みの中身なんです、ちょっとした姿です。この世に出てくる姿はたいしたことはないんです、最高番組から見たら比較になりません。

・・・地球以外の世界・チャンネルもあるんですか?

全部あります。人が言葉にする・思える・創造できる全てのものが全部そろっています。いろんな番組があるんです、妖怪ばっかりの番組があります、化け物ばっかりの世界もあります、神様だけの世界もあるし、ありとあらゆる世界が全部用意されています。

・・・地獄界からも優良界からも情報が入りますか?

この世はあの世の無限のチャンネルの縮図として一つの番組として・・・不明・・この世がさらに無限に分かれるんですけど、あの世の縮図だったら地獄番組も一つ入るんですね、優良番組も入りますね、ありとあらゆる番組がね。チョッと程度が軽くなって入ってくるんです、あの世の縮図としてこの世の意味があるんですね。この世で番組をあわせるのを一番下から高い所にすれば、あの世で一番下から高い所へ行ったらどんなに効果が・・・不明・・。だから、進歩が早いですねこの世のほうがね。

・・・先日のアメリカ同時テロ事件も地獄界の情報が入っていますか?

チョッとは入っていますね、恨むというのはそうですね、過去を掴んで恨み続けると地獄へ落ちますよね。だからその一部がチョッと出てくるんです、殺したり殺されたりする地獄の姿をとるんです。戦争は地獄までは行かないね、修羅道です、地獄まで行くと恨みの殺し合いですね。そういう部分が一部は映っていますね。
 一人一人が何を選ぶかという結果なんですけど、みんなが平和を選べばすぐに現実の世界が平和の世界に変わりますけどね。選んだ人の何を選んだかの総合的な結果なんです、平和を選んだ人が多かったら平和の割合が大きいですね。みんなが本当に平和を選ぶんだったら、この世を一旦卒業しますね、あの世の高い番組へ上がっていきます。この世はあくまでも何を選ぶかの選択の場なんです、それで寿命が定められています、選ぶ勉強をするんです。


皆が同じ言葉で表現すれば言葉通りになります

質問者:
 20世紀は戦争の世紀でしたが21世紀は平和の世紀に出来ますか?

ありがとうございます
 予言的なことを言葉で言っている人も大勢居ますよね、言葉は全部違うんですよね、それぞれに好きなことを予言するんですけど、みんなが同じ言葉で表現すれば言葉通りになるんですけどね。一人二人言ったて他の人が逆のことを言えば逆のほうが早く実現しますね。
 進歩しているという言葉を大勢の人が使ったら進歩するんです結果としてね、でも、進歩しないと逆の(言葉を)出す人が多かったら進歩しないんです。だから、一人一人の人が使う言葉がそれぞれの結果を出すんです。それぞれの言葉の結果はその決算です。
 予言でもいい言葉の予言をしてくれたら、人の心がそっちを向いてその言葉を受け入れたらその影響力は大きくなるんです。マイナスの予言も多いですね、良くなるという予言もありますが絶対滅ぶと言う予言もありますね、ドンドン悪くなっていくというね。現実をしっかり見ている人にとったら、預言者という意味じゃないですけど、言葉で絶対悪くなる・不景気になるとか・滅ぶんだというような言葉を使う人がたくさんいるでしょう、そういう人はある意味では預言者なんです。現実を掴んで断定的に言うからしっかりした力がある予言になります<笑い>あの世が見えてあの世の予言をする人のほうがまだ軽いかもしれない。
 そういうふうに、一人一人の人が使う言葉の結果なんです。いい言葉を使う人が増えたら必ず良くなるんですけど、まだマイナスの言葉を使う人が居ますからね、そういうのが実現してきます、そういう意味でいろんなことが起こっているんです、まだね。


個性

質問者:
 個性がなくなったものが本心の自分ですか?

ありがとうございます:
 神様の姿が同じものが何もないですね、無限の部分があったとしてその無限の部分が異なるんですね、際立って個性があるんです、奥ほど個性がはっきりしています、この世になるほど個性がぼやけてきます。
 奥からどれだけ個性が出てくるかです、最高番組ほど個性豊かで、低くなるほど個性が少しづつぼやけてくるんです。神様と一体・全体と一体という自覚に入った時が個性がはっきりするんです、全体と繋がっていて親指小指と名前が決まるんですけど、これを切り落としたら個性はないですよね。全体と繋がった時に個性豊かな姿をとるんです、下へ下がってくるほど・全体と繋がっていないとぼやけてきますよね個性が。人も人まねしたりして本当の個性を発揮していないですね、同じようにしたほうがいいという感じでね、それは、個性を隠して同じようにしてしまうわけでしょう、ちょうどそれは輝きが違うのに外からペンキを塗って同じようにしてしまうとかね、形まで同じように固めてしまうという感じでしょう。

・・・本当の自分の個性を探し出すという事ですか?

本当の自分の個性をこの世にまで発揮しないといけない、自然にね。一番自然な姿が個性が一番はっきり出てきますね、違いがはっきり出てくるんです。だから、同じ事をする人は二人といらない、同じ姿の人は二人といらない、同じことをくり返す事も必要ない。

・・・そこまで行くと、神様のどの部分に自分の役割があるかということがわかってきますか?

そうですね、奥の本体の自分は神様の全部を受け直すんです、全体が自分になるんです。ただ、意識の中心が全部違うんです、一人一人ね。ダイヤモンドの面が無限にあって、どの面を中心にするかで意識が違います。一人の人は一つの面を中心に持ってきてそこを意識の中心に置いています、でも全体を持っているんです、面のどこを中心にもってくるかで見方が・見え方が全部変わるでしょう。

・・・意識の中心が個性だと?

それも個性の一つの意味なんです。この世に出てきたのは全体を見ていないんです、全体を見ていないんです、小さい部分の違いを見ているでしょう。全体を自分と見たらその中の部分は個性が全部違うんです、その一つがこの肉体のこの自分です。だから他の無限の人も自分の部分の個性ある姿をとっているという見方をとったほうが良いですね。みんな自分の分身なんだとね、だから分身は同じ人はいらないですね、皆違わないといけない。


愛の心がプラスの心・好きというのは縛られたマイナスの心


質問者:
・・・質問内容不明

ありがとうございます:
 プラスとマイナスね、両方が全体を見るとあるんです。マイナスばかりの所もあるしプラスばかりの所もあります、プラスとマイナスの両方があるところもあります。一人の人を見るのでも、プラスだけの部分もあってマイナスだけの部分もありますね、その間に割合がいろいろになった部分があるんです。
 自分を見るのも人を見るのもどの部分の自分を見るかなんです、どの部分のその人を見るかでしょう。好きとか嫌いと言っても、好きという感情と嫌いという感情はプラスかマイナスか?好きと嫌いを分けたら好きのほうがプラスに見えますよね、嫌いのほうがマイナスですね。でも、好きというのと愛するというのを比べたら愛がプラスで好きがマイナスになりますね。いろんなプラス・マイナスの振り分けがあるんです。
 好きという感情が湧くのは、自分が相手にお世話になって、借りて、いろんな迷惑をかけて、相手からプラスをたくさんもらっている時ですね。その時相手に対して好きという感情になります。好きになったら相手に必ず尽くしたくなるでしょう、恩返ししたくなるね、借金返しをするんです。嫌いというときは逆に、自分が相手のために尽くすばっかりで返してもらえなかったとか、迷惑がかかりっぱなしでマイナスばかりを受けたとか、そういういろんな意味で嫌いになるんです、その人とは近づきたくもないという感じになりますね。相手から尽くしてくる時はその嫌いという感情は消えていきますね。 貸し借りの心が好き嫌いの感情になって必ず出てきます。
 好きと愛が違う所は、愛は与えっぱなしなんです、神様の愛は全てに与え尽くすだけで報いを求めません、与えるばっかりというのが愛です。そのほうが気持ちが楽でしょう、相手に何も求めるものがなく与えるだけで幸せを感じたらね、本当の愛の心がプラスの心ですね、好きというのは縛られたマイナスの心になります。

・・・質問内容不明・・・
 
悪い心を持ったらいけないというのも良いんですけど、いい心をしっかり握ったほうが良いですね。無限の愛深い自分なんだとかね、無限に素晴らしい素敵な自分なんだとかね、いい言葉でしっかりと自分を褒め称えるような感じで、しっかり自分を掴むほうが良いですね。そうするとマイナスは勝手に消えてしまいます。


本当の神様を中心に置かないといけない

質問者:
 ・・質問内容不明・・

ありがとうございます:
 一つの番組の中に、世界を救うために高い世界から物質化された姿で、救いの姿が出てくるんです。波長を高めたり助けてくれているんですけど、この世にいろんな聖者が生まれてこの世を変革しようと一生懸命に波動を高めたり助ける姿をとるんですけれど。でも、本体の自分から見ると本当はゼロ以下なんです、{(本当は自分の足跡にもならないんです)()内は不正確です}最高番組の姿から見たら、救うも救わないもないんです、みんな無限に無限に輝いた悟った姿をとるでしょう。その最高番組の姿から見たら、この世に生まれてきた大聖者といえども比較にならないね、天と地ほどの開きがあります。ましてや本体の自分から見ると取るに足らない。
 どれだけ大聖者としての姿をとっても、その人が本当の自分に気付いたら恥ずかしくなる、自慢するどころじゃない謙虚に謙虚になって、こんな足跡を残してしまったと、そのくらいの感じですね。だから、大聖者を中心とする生き方よりも本当の神様を中心に置かないといけない。本当の神様を受け直した本当の自分、それが光として自覚されてくるのが大事ですね。
 いろんな勉強する場合でもいろんな師匠・先生が居ますね、全部切り捨てていくぐらいが良いですね。切り捨てて切り捨てて本当の神様から全てを教えてもらう・教えてもらうというのは受け直すだけなんです。そういう生き方に早くなったほうが囚われが浅くなるんです、それをマイナスというふうに否定するというのじゃなしに、もっと良いものが神様の方から降りそそいでいるんだというようにね。そういうふうに良いほうへ良いほうへ心を向けるのが大事です。


プラスの番組を・明るい話題を


質問者:
 アメリカ同時多発テロのニュースは偏った報道が多く、ほとんどの人はそれを信じてしまいます。真実をどのように伝えたら良いんでしょうか?

ありがとうございます:
 マイナスのニュース・話題を流すとみんな心がマイナスに傾いていきますね、その影響でドンドン悪くなるんです。もっともっといいニュースを流してもらうと良いですね、いい話題を伝えてもらうのが良いんです。
 新聞にもあまりマイナスの記事は載せて欲しくないですね、マイナスのほうへ真似してきますね。いい記事を載せてもらうとみんなプラスのほうへ倣って(ならって)いくんです、心がプラスになったらその分幸せになっていけますね。

・・・もっと行動したいと思います

行動も含めて、プラスの番組をいっぱい流して欲しいですね、ニュースを・明るい話題を。

・・・そう思っていたら良いんですか?

そう思っていて、そういう働きをしっかりと、みんなにもさせてあげてよ。明るい記事を・ニュースをいっぱい流すように働きかけてくれたら良いですね。
 暗いマイナスのニュースを流したらみんな真似をするでしょう、影響力が大きいです、幸せな良いニュースを流したらみんなまねをして良い事をするようになりますね。

・・・マイナスとわかっていても、人の不幸が安心というような

それはまだ自分の心の中にマイナスの思いが溜まっているんですね、マイナスの思いは自分の運命をマイナスのほうへ持っていこうとするところがあります、マイナスの言葉・思いは人を地獄のどん底まで突き落としていきます。知らず知らずその影響を受けて運命をマイナスへ落としていきます。
 
だから、自分が人よりも幸せと優越感に浸るのもマイナスの心ですね、相手が幸せになるのを喜ぶ心がいいでしょう、相手の幸せが自分の幸せと大きく喜べる自分が良いのにね、過去の言葉が・マイナスの小さい言葉がそういう自分の心を支配する事があります。心の中のマイナスの思いは早く消し去らないとね、それが「ありがとうございます」と神様に感謝して、神様を呼んで消してもらうのが一番早いですね。そうすると受け直して大きい自分になるからプラスばっかりと心に受けていけますね。

・・・そういう修行の為にはここに来なければいけないですか?

修行のためにきているのか?みんなを救うためにきているのか?ね、救うためにだったら{(来なくてもいいでしょう)()内は不正確}

・・・輪廻転生はどこまで進化したらなくなるんですか?

チョッと高い番組だったら輪廻転生はないんです。無限の無限の番組の中で輪廻転生のあるのは低い方の番組です。高い番組は輪廻転生をしなくて良いんです、一瞬一瞬最高の姿を現し続ける世界だから、魂の生まれ変わりという魂が消えてしまいます、魂が消えて本体の自分が肉体にまで光を差し込ませてくるから、永遠に生き続けるような姿をとります。だから高い番組は輪廻転生がなくなった番組です。

・・・その番組では体はないんですか?

あるんですチャンと、高い番組ほどしっかりと体があります、個性もはっきり区別がつきます。

・・・そこには喜びだけしかないんですか?

無限の無限の喜びだけですね、

・・・悪いのを知らないで喜びは起こりますか?

それは神様がチャンと見抜いていて、最高番組だけを与えても人の自由を縛るし喜びも浅いだろうから、低い番組を無限の無限のチャンネルにして与えて自由に味わってきなさいと、低い番組を適当に味わってきてマイナスを体験して、もう一回高い番組に戻るんですね。そうすると良い番組がより際立って価値あるものに見えるでしょう。チャンとそういうふうに仕組まれているから大丈夫です<笑い>


言葉の力です

質問者:
 部屋の片付けとか、手紙の返事書いたりとか、宿題をするとか、つい明日しよう明日しようと思いいまだに思っているんです、この治し方はありますか?

ありがとうおじさん:
 小さい頃から、私は無気力と言い続けたんじゃないですか?言葉の力です。無気力という言葉を使うだけで気力のある人まで無気力になるんですよ。その正反対の言葉で自分を大肯定する、無限の気力でいっぱいとか、なんでもてきぱきとできるとかね。逆の言葉を使ったら・プラスの言葉のほうが力があります、光と闇だったら光のほうが力がありますね。小さい光でも出たら闇が消えますね。プラスのほうが力があります、マイナスのほうが弱いですね、マイナスはプラスが出てないというだけです、プラスが顔を出したらマイナスは引っ込みます。プラスの言葉をチョッと使うだけでマイナスは引っ込んでいきます。
 必要のない事はしなくてもいいです、本当に必要な大事な事をすればね。小さい事をする必要がないからしていないのかもしれませんよね。もっと大きな事で前向きになっているほうが良いですね。手紙を書くのもそれを大事にする人があってもいいんですが、私は書かないです、返事を書かないです<笑い>無気力といえるでしょう?でもほかの事を一生懸命にしています、お祈りのほうをね。お祈りのほうへ時間を全力でそちらに向けています、だから返事を書かないです。

・・・お祈りはどのようにしているんですか?

みんな 天照大御神様と拝むんです。

・・・私たちは、無限に無限に輝いている姿・光を知らないんです。それで祈る時にはどうしたらいいですか?

無限に無限に輝いているという言葉を使い続けたら、感じ取れるようになってきます。そういうプラスの言葉はあまり使っていないですよね、使い続けるというのも必要ですよね。

・・・使い続けるというのはお祈りしている時だけじゃなしに、普段にも?

普段にも、良い言葉だけを引き出しらいいです。嘘でもなんでもいいですよ、みんなみんな無限に輝いていると言い続けていると、輝いて見えてきます。嘘でも良いんですよ、現実感と正反対に嘘に見えても良いんです、いい言葉を言い続けていたらその通りにいい言葉が現実化してきます。

・・・何時悟ったんですか?

無限の無限の昔から悟っているんですよ、無限の無限
の昔からみんなは悟っているんですよ本当は。悟った自分が奥にあるんですね、本当の自分から見ると最初から悟っていたと言うしかないですね、でも現実の自分から見ると悟ったと言うようになるかもしれないですね。つまらない自分が消えて置き換わった時ですよね、そういう意味だったら二十歳ぐらいですかね。

・・・「ありがとうございます」は日本語ですが、日本語は特別なんですか?

日本語は言霊に近いものが多いですね、でも、
日本・島国日本というのは小さい思いの囚われですね、地球が日本というくらいが良いですね、世界共通語ぐらいが良いですね、狭い島国日本だけが使う言葉じゃないですね。世界全部が自分の国の言葉として使えば良いですね、どうぞお使いくださいと薦めれば良いですね、一番最高の言葉ですからただで差し上げますと


清め

質問者:
 そこにかけてある掛け軸とお祈りの時に流したテープについて教えてください。

ありがとうおじさん:
 これは頂きものですね、神様からどうぞと。神という字の意味が良いですか?

・・・誰が書いて、なぜここにあるのかなというのが気になったんです

これは、五井昌久 (ごいまさひさ)先生という世界平和を提唱されて祈り続けられた方の直筆です。だからかなり古い書体の字なんですね、もう何十年も前ですね。すごい字ですね、光がすごくこもっています。なぜここへきたのか<笑い>神様からのプレゼントというしかないんですけど。
 お祈りの時のバックミュージックとして拍手と口笛の響きを聞いているんですけど、拍手も心境の高い人の拍手は強い清めの光がほとばしるんです。拍手は大きく強く拍手を打ったら大きい音が出るかといったらそうじゃないですね、本当は力を抜いて軽く打つほうが本当の力が・光が強く出るんです。
 五井先生といわれる方も小柄な小さい方だったです、その人が他の人の何百倍と光の出る拍手を打つんです、これはボリュームを絞っているからこんなに小さいんですけど、大きい講堂でもびっくりするような音が出るんです本当はね。
 口笛もそうですね、息吹を吹きかけて病を癒したりとね、そんな感じがあるんですけど。口からある意味での生命エネルギーが強く出る、それが息吹が口笛に変化してその響きが自然な響きになると、高い清めの光が流れるんです。
 だから、単なるバックミュージックだけでもないんですね、雑念を・浮かんでいる雑念を消しながらお祈りをしやすくする手助けになるので、それで選んで使わせてもらっているんですけど。


名前は天命・働きを表します

質問者:
 五十歳になったときに、五十年の生き方を全部捨てる意味で名前を変えてみたんですが、それについてはどうでしょうか?

ありがとうおじさん:
 名前というのはその人の一生の天命・働きを表すんですね。苗字にもまして後の名前のほうがね。ただ、本当の自分は何でもできる自分なんですね、無限の名前をもっていても不思議じゃない。名無しの権兵衛でありながら無限の名前をもっています。ただ、この世の一生で果たす役割というのは限られますので、その中で選んでこの世での役割を決めてきます、それが一応名前になるんですけど。名前も普通、親が子供に付けるというそういう感覚で付けている人があるんですけど、本当は神様の方から人を使ってつけさせるんです。勝手に付けているとは言えないんです、付けられているんです。
 だから、ある程度はその人の天命を表しているといえますね。ただ、その人の天命を名前を途中で変えて別な生き方をとるというのも良いんです、名前が一日おきに変わっても良いんです。変える事で気持ちが新たになって大きい働きが出来るんだったら、それも大事な事ですね。だから、そういう節目に変えても良いですね。


身代わりにこんな姿で背負ってくださって!
質問者:
 近所に**教団が進出してきました、そういうのに来られるというのは何か意味があるんでしょうか?

ありがとうございます:
 本当は悪人はいないんですよね。本当は全人類のマイナスの思いを背負って、代表的にマイナスの姿をとって身代わりになってくれているという一面があります。それを感謝のお祈りによって、背負っているものを消すお手伝いが出来たらみんな素晴らしい人に代わりますよね。

・・・出て行け!じゃなくて「ありがとうございます」と?

本心を拝み出すという、(神性?)仏性を拝み出すというのが良いんです、そうするとみんな立派な人に変わります。(あなたに)そういう役目がある<笑い>反対する人のところへ行っても清まらないですよね、だから感謝して拝んでくれる人のところへ行って清めてもらって救われるんです。

・・・殺人事件を起こしてみんなに納得されないで、反対運動をしているんですが?

過去世の自分がそういう殺人鬼の姿をとっていたと思うと、そういう姿を勉強のためにチョッと見せてもらうんですね、周りにね。その時に責めたら消えないですよね、過去世の自分がこういう姿をとったことがあったんだと、神様ごめんなさい!こんなに軽く済ませてもらって「ありがとうございます」とね、また、身代わりにこんな姿で背負ってくださって「ありがとうございます」と。自分の身代わりと見て感謝したら、自分の心からマイナスを引き出して全部消してくださいます。そうするとそういう姿を見なくて済む自分に代わってしまうんです。


根本は言葉の使い方です
質問者:
 狂牛病は自然の摂理に反したから出てきたんですか?

ありがとうございます:
 根本は言葉の使い方ですね。マイナスの言葉・病名を付け過ぎるんじゃないかと思うんです、病名をつけたら病気を病気の番組から引っ張り出しますね。医学が発達して病名を付け過ぎたために病気の数が増えますよね。言葉の力というのはすごいんです、できるだけマイナスの言葉は使わないほうが良いですね、なるだけ病名は付けないほうが良いと思います。
 番組さえ変わったら恐れる事は何もないので、みんな健康な姿をとりますからね。あまり騒ぎすぎてそれが広がるんです。

神様の助けを受けてプラスに心を向けてもらう
質問者:
 マイナスの思いを持たないように注意すればするほど、マイナスを掴んでしまいます。どうすればいいでしょうか?

ありがとうございます:
 マイナスの姿を見るというのはまず自分の心にマイナスを溜め込んで残っているんですよね、どうしても見てしまう、また、見た姿に囚われやすいというところがあります。それを振り切って良い方へ心を向けるというのは大変ですよね、自分の力ではなかなか不可能というくらいマイナスのほうへ引きずられるんです。そこで神様の大きい助けが必要になります。「ありがとうございます」と一言いう事は、本当の神様の力を中にフーッと取り込むんですね、そうしてマイナスの思いを消してもらうと、マイナスの姿が出ても囚われない自分に変わるんです、軽くなるんです。そして心がプラスに向くように大きく助けてもらえます。
 まず、最初の「ありがとうございます」が必要です、そうすると「ありがとうございます」という神様のほうへ・プラスのほうへ心を向けやすくしてもらうんです。自分の力でしようというと神様は手出しできなくなります、我が強いと神様は干渉できません。そしたら自分でどうぞという感じで、神様は奥に引っ込んで見守るしかありません。だから、神様の助けを受けてプラスに心を向けてもらうんだと謙虚にならないといけない、チョッと謙虚になると神様の助けが縛られずに入ってきます。だから感謝の心が起こるんです「ありがとうございます」といえるようにしてもらうんです、それがある程度続くとプラス思考にドンドン変化して変えてもらえるんです。


全てが神様という感覚に戻るんです

質問者:
 神様が本当にいるという実感がありません、実感できるようになりますか?

ありがとうございます:
 なります。神様がいないじゃなくて、神様しかないというのが本当なんです。だからどうして神様がいないと思えるのか不思議なくらいです<笑い>よほど心を・目を閉ざしているか、暗闇の穴の中に入り込んでいるかのどっちか、奇跡中の大奇跡です、神様を感じられないというのがね。
 本当の自然に戻ったら、神様だけ・・となります。神様だけとわかるのは本当は簡単なんです、がむしゃらに暗い穴に入りたいと暗いほうを向かなかったらいいんです、自然に「ありがとうございます」と呼吸するように唱えていたら神様が実感できます。全てが神様という感覚に戻るんです。誰でも簡単に出来るんです、「ありがとうございます」と唱えていたら勝手にそうなってしまいます。神様から離れるほうが本当は難しいんです。
 太陽をいつも眺めて、光源の中に自分がいつもいるという感覚になっていて本当なんです、それぐらい神様は宇宙全体に行き渡って、無限の無限の輝きで包み込んでくれています。その中から逃れてここが暗闇なんだと思うことは大変な事なんです、神様の助けを拒絶して拒絶して闇を認めるわけですからね、神様より偉大な力を持っているというくらいすごい事をしているんです<笑い>
 


どんな悪人でも大聖者に変貌します

質問者:
 自分の意にそぐわないものが出てくるのは、過去世にそういうものがあったというのを気付かせるために出てくるんですか?

ありがとうございます:
 ほとんどのマイナスは心の勉強材料として・いろんな角度からの勉強材料としてチョッとだけ残してもらうんですね。大きいマイナスは免除して神様が消してくださっています。

・・・近くに殺人鬼みたいな人がいたとすれば、自分の中のそれを消すために出てきていると?

自分が大量殺戮をするような業・想念を持っていたとするでしょう、その業・想念に操られて大勢の人を殺してしまうんです残虐にね。そういう業・想念を神様が大きく消してくれて軽く済ませてくれているんです、だから人殺しをせずに済むんです。それも自分の身の上にチョッとでも来たら、一人か二人殺すかもしれないでしょう、それを免除して他の人に映しているんです。だから、
世の中の大勢の人のマイナスを一手に背負うのがこの世の悪人なんです、その人だけが悪いんじゃなしに、みんなの分をチョッとづつ集めてそこを神様の清めの場に使うんです。みんなの勉強材料として残して心の反省材料として使わせたいんです。だから責めるんじゃなしに、自分のマイナスを軽く消してもらうんだと、身代わりに受けて消してくださっているんだとみるほうが大事ですね。そうしたらもう感謝のしあいだけでしょう、どんな悪人でも大聖者に変貌します。

・・・自分の子供が悪いことをしていても、自分の姿を見せてくれているんだと見て、注意も何もしなくても良いですか?

注意する心より拝むほうが良いですね、拝む心が良いですね。拝むというのは、みんな神様なんだ・完全なんだと拝む事です。現実に見えるマイナスは自分の心のマイナスを形にして背負ってくれているというふうに、背負ってくれている神様は完全なんだというふうにね。
 子供というのも、自分の子供じゃなしに、神様が子供の姿をとって自分を幸せにしようと思って、助けにきてくれているというふうに見るんです。そういうふうにみんな神様だと輝いた姿で眺めるといい姿を見せてくれます、自分の身代わりに背負ってくれたマイナスを消して輝いた姿を見せてくれるんです。


全部神様にお任せが良いですね、自然体ですね

質問者:
 お祈りでこうすれば良いというやり方はありますか?

ありがとうございます:
 それはみんな中から神様が働いて、気付くものは気付かせてくれるし、やり方も自然に変えてくださいます。同じやり方はないんです、皆違って良いんです、型にはめるほうがおかしい。全部お任せが良いですね、自然体ですね。型にはめるとそれに囚われていくんです、これでなかったらとね。ところが人の真似は出来ても本当の真似は絶対に出来ないですね、チョッとずれるんですね必ずね。そうしたら真似できてないとマイナスに見てしまい事が多いですね。
 自分の我の力でするんではたいしたことはないですね、本当の力は神様の方からさせてもらう分ですね、神様が自分を通して働くようにならないと本当の神様の力は降りないですね。自分がするという感覚は間違いです、神様が自分を通して働いているというのが良いですね。 神様の働きは一人一人違った姿で出てきます、絶対同じ姿で出てきません。


全て言葉というものが支配しているんです

質問者:
 水晶に力があるといいますが本当ですか?

ありがとうございます:
 力があると思ったら力が出ます。ないと思ったら出なくなります。水晶には力があると思う人が増えると力が出てきます、ただ、その程度の力です。

・・・水晶でなくてもどんなものでもですか?

どんなものでもね。病気を治す薬でもそうですね、最初に薬を作った人がこれは聞くと思ったら効きます、それを使って効くと言う人がいる間は良く効きます。それでもだんだんと効かなくなります、へそ曲がりがいて使う人でもね、そんなもの効くものかと思う人が増えてくるとだんだん効かなくなります。全て言葉というものが支配しているんです。
 水晶に力があるといってもたいした事ないよ、それだったら石ころにも力があるんです、神様の力の現れと見るときはね。みんな神様の愛の現れと見たら、石ころ一個・砂粒一個が大きい力を発揮して自分を幸せにする助けをしてくれます。だから、水晶でないとということは絶対にないですね。
 神様を無視して離れて、ここにこういう力があるというと、それがないと不幸になってしまうでしょう。水晶に縛られるじゃない!そういうのはつまらないですね。水晶なんかなくってもいつも神様が守り守って、水晶の力の無限億万倍の力で守っているというふうに、そのほうが良いんじゃない!
 神様以外のものに頼りすぎるのは弱くなってしまいますね。いつも神様まが守り守ってくださっているというように、神様に心を向けたほうが、宇宙全部が神様の現れだったら石ころ一個でも大きい力で守ってくれます。


本当の自分は神様が本当のご先祖様ですね

質問者:
 ご先祖様というのはいらっしゃるんですか?

ありがとうございます
 ご先祖様はどこにいらっしゃるんでしょう?本当のご先祖様というのは肉体人間のご先祖様?それだけじゃないですよね本当はね。本当の自分は神様と一体の自分でしょう、本当の自分は神様が本当のご先祖様ですね。いろんな無限のチャンネルの中にいる自分は、いろんな姿をとっているんですけど、番組を作ったのが神様だったら、番組の全てに神様が親ですね。
 ただ、そのストーリーの中で親が決まるんですね、肉体人間として生まれた肉体の親が連続してありますね。だから、肉体人間としてのご先祖様はありますね、そのご先祖様というのもいろんな生まれ変わりをするので、日本だけに生まれるんじゃないですね、一つの家系にだけ生まれないから、外国に生まれたり、白人になったり黒人になったりいろいろします。 そういういろんな生まれ変わりを見ると、全人類が自分のご先祖様にあたるかも知れない。

・・・虫なんかは?

虫もそうですよ、人間になる前に虫になるときもあります、植物の時もあるし動物の時もあるし。ありとあらゆる場を体験してこないと、みんな自分という感覚に戻らないのでね。本当は宇宙の全てが自分ですね、本体から見るとね。いろんな生まれ変わりを部分的に体験して、そういう部分を自分としっかり捉えるのが大事でしょう、それで、本当の一体感・愛の心で全てを見るんです。
 ただ、人間として生まれた期間もある程度長いから、人間は人間として終わるのかと思うけれどそうじゃないよ、人間を卒業して今度は星になるのかもしれないですね、大きい自分になるんです。太陽が自分という感覚で生きる時期があるかもしれないですね、そうなったら自分の中に分身がたくさんいます。

・・・その時個性はどうなりますか?

大きくなっても小さくなっても全部個性があります。だから原子一個も全部同じじゃないですよ、顔が全部違う・働きが全部違います。例えば、水素原子と同じように言うけど全部違うんです、水素原子の一個一個の顔が違うんです、働きが全部違うから、もっと小さく素粒子的に見ても違うから、どんなに無限に小さいものでも同じものは何一つありません。大きいものはもう一つ違うものを組み合わせているから全部変わってきます。違うから良いんです、個性をドンドン発揮されて良いですね、大きいものも小さいものもね。
 それをごっちゃに見る思いが少しおかしいですね、区別のつかない思いがね。同じように錯覚するんですね。


自分の気持ちを納得させるためですね

質問者:
 「ありがとうございます」と唱えているだけで神様は感謝を受け取ってくださいますか?神棚とか行動とかを示したほうが神様もわかりやすいですか?

ありがとうございます:
 神様は全部お見通しです。でも、神様は本当の神様を相手にして欲しいんです、本当の神様をね。神社とか神棚というのは模型ですね、それも小さい模型です。本当の神様は無限の無限のチャンネルの番組も超えています、番組として出てくること自体が模型なんです。だから大きい宇宙といっても神様の小さい模型です、地球なんてものすごく小さい模型ですね。ましてや人間が作った神棚や神社は、模型の模型のもう一つ小さい模型です。でもそれも必要な時は必要ですね、神様をしっかり捉えるために心を集中する意味で神棚なんかを用意するんですね、そうして神様を思いやすい場を用意して「ありがとうございます」と唱えるんです。
 神様はどこにでもいますね、どこにでも通じています、自分のほうが通じてないんです<笑い>自分のほうから神様に通じているとそう思えたら良いんでしょう、神様のほうはいつでも通じていますね。だから自分の気持ちを納得させるためですね、神棚を使って神様に心を向けて自分のほうから神様に近づくだけです。神様はいつも自分の中にも外にもいます、自分の思いの殻を順番に剥ぎ取ってもらったら良いよね。
 どういう生き方でも良いんです、自分の心を納得させて、いつも神様と一体という本当の自覚へ戻してもらうんです。


感謝してこそ本当の神様の助けを受けてプラスに変えてもらうんです

質問者:
 神社仏閣の出すお守りは効く効かないという人がいます、また、粗末にすると ばち が当たるともいいますがどうなんでしょうか?

ありがとうございます:
 それを使う人の言葉通りになります。粗末にしたらばちがあたるという言葉が人を縛っていくでしょう、ゴミ箱に捨てても、ゴミ箱が清まって光り輝くんだと、焼き捨てたら光によって清められて何万倍にも輝くんだと、そういうのも良いんじゃないですか?
 言葉をプラスに変えて神様の大きい助け・愛をしっかり受けるほうが良いですね。どれだけの助けでも神様の方からいくらでも受けられます、言葉通りにね。つまらない言葉で限定して損していますね。

・・・ご利益は人の心が作るんですか?それとも受ける心の感じ方ですか?

それはすごく複雑です。本人の言葉の使い方・言葉の受け入れ方というのが一番大事なんですけど、それ以外にも当事者の言葉のやり取りで言葉の力の強さが違うんですね、念力の強さが違うでしょう。同じ言葉でも信念にまで高め上げた人の言葉は強いですね、一言始めていったような言葉では力が弱いですね。「ありがとうございます」でもたくさん唱えた人の「ありがとうございます」は本当に力があります、今初めて「ありがとうございます」を言ったた人のよりも何万倍・何億倍の力が出てきます。
 病気を治すにしても治し方がいろいろあってね、裏のからくりを見ると複雑なんです。病気の原因を清めて全部消して治す方法と、一時横によけておいて治す方法といろいろあります。霊媒師・祈祷師のするのは、一時横によけておいて治すんです、本当に清まったという治し方じゃないんです。そうするとまた、言う事を聞かなかったり粗末にしたりしたら戻されてきます。
 いろんな治し方があるので、本当の治し方は、いい番組に波長を合わせていい番組の健康を受けるほうが良いですね。低い番組でちょろちょろと変化させてもらってもたいしたことはないですね、低い番組の姿に囚われないほうが良いですね、本当の無限健康を神様から番組として受けるほうが良いですね。無限健康ありがとうございますと感謝して受けることが、神様から助けを受けたことになります。それはもう貸し借りなしですね。

・・・病気の人へのアドバイスは「ありがとうございます」を唱えなさいということですか?

いろんな方法を教えてあげたら良いですね、選ぶのはその人です。「ありがとうございます」と治してもらう方法とか、お金を出して霊媒師に振り替えてとってもらうとか、お医者さんにお金を出して薬をもらって治すとか、いろんな方法があります。たくさんのいろんな方法の中でその人が何を選ぶかですね。一番良い方法はただで大きい力を受けて治すほうが良いんだけど、それを信じがたい人もありますね。

・・・霊障というのは医学にはわかりませんよね

病気の原因も大きく分けたら幾通りもあるんです。今のお医者さん・科学者は表面だけを見るんです。自然の法則を犯す・・途中不明・・病原菌を取り込んでもなるし、刃物で切ったら血も流れますね、そういう自然の法則を犯せばいろんな病気にもなるという意味もありますよね。
 また心の持ち方で、心を暗くすると病気に罹る人もいますね、いろんな心配事をするとまず胃が痛くなって、心配事が重なったら胃を悪くさせますね。病気の部位によって心との関連があるんです、病気した時でも心の持ち方を変えたことで病気が治る場合も多いですね。その思い・思い方というのも、今思っている心を変える事で治る場合も多いんですけど、過去に積み重ねた思いを溜め込んでいて、それが今浮かんできて病気の姿をとるときもあります。そういうときは、過去のマイナスの思いを消すための働きで出てきます、それも大きく早く消すためには感謝のお祈りをして、過去のマイナスの思いを消してもらったらすぐに直るんですけど。今の心の間違いじゃないんです、今の心は立派でも過去の間違いの思い・溜まっていたものを清め出したら病気になるんです。だから病気の姿を見てその人の今の心とは見られないですね、過去のものを消しているときは今の心が立派でも(病気に)なりますからね。
 また、家族でも縁のある人同士は助け合うんですね。家族の中で誰か病気になるものをもっていたとして、その人が病気になると困る時は他の人が身代わりになります。働いて生活費を稼がねばならない・お父さんに病気になられたら困るという時は、お父さんが持っている思いでも他の人が肩代わりするんです。そういうときの病気は振替の病気です。もっと大きくみんなの幸せを願う人はみんなのマイナスを振り替える働きが必ず起こります。全部とるわけには行かないけど、できるだけ軽くすませてその人がプラスに向くようにという時は、身代わりに振りかえる働きをとります。その時も本当はその人が病気になるのを身代わりになって一時的にそういう姿をとるときです。

・・・それを治すには気付きしかありませんか?

そうですね、それに感謝行で神様に消してもらうのが最短コースなんですけどね。人が進歩する・進化するという波動を上げていく場合でも、知らず知らずに波動調整の乱れが出る時があります。それは一定の病気というより、わけのわからない病気をするんです、だるかったり熱が出たり、原因不明の病気がありますね、そういうのも軽く済ませながらどんどん波動を高め上げて高い番組に波長が合うように変えていきます。
 原因がたくさんあります、その全ての原因を一つに見たら、感謝があるかないかで決まっているみたいですね。感謝をする事によって全ての根本からの原因を消してもらって、病気を消してもらうのが良いですね。

・・・今の霊障の所がわかりにくかったんですけど

霊障は、この世の人の振替とあの世の人の振替と両方あります。普通、あの世の人も縁ある人はみんなこの世の人のを身代わりに背負ってくれている場合が多いですね。身代わりに背負って助けているよという姿を見せてくれます、早くお祈りをしてこの負担を軽くしてくれというように。そういう場合は身近に寄ってきます、寄られたからマイナスを背負ったじゃなく逆に、自分のものを一時預かりで背負ってくれているんです、早くそれをとって欲しいと願っているんです。マイナスを背負ってくれるというのは、この世の人がお祈りしやすいように助けているんです。マイナスをいっぱい背負ったとしたらお祈りをしにくいですね、だから、あの世の大勢の人がお祈りをしやすくするために分担して背負ってくれています。それを早くと催促する時は身近に寄ってきます。それが霊障です。憑依霊というのもそうですね、それはお祈りの催促と見たほうが良いですね。

・・・憑依霊は波動は低くはないんですか?

低くなるんです、マイナスを背負ったらね、背負った分低くなるんです。

・・・本人が苦しんだり悲しんだり波動の低い時に、そういうものが付いてくるということはないですか?

それもありますけど、振替は、低い振替もあり高い振替もあるんですよ。高い心境の人でも大きく振り替えたら同じマイナスの姿をとりますし、力のない低い人はチョッと背負うだけで大きいマイナスの姿をとりますしね。ただ、みんな自分を助けてくれているという受け方が良いですね。

・・・霊障ですが、障はさわりですね、さわりとは見ないほうが良いですか?

マイナスの言葉で見るとマイナスに掴んでしまいますのでね。霊障を受けたというと対象に責任を転嫁していますよね、人を責めているんです、あの世の人を責めたりしています。責めると本当の意味の神様の助けを受け損なうんです、感謝してこそ本当の神様の助けを受けてプラスに変えてもらうんです、だから、身代わりに背負ってくださって「ありがとうございます」が良いですよね。



感謝というのは、無限に無限に輝いた姿を認めることです

質問者:
 自分自身に感謝する必要はない、宇宙は自分であるから宇宙には感謝は必要ない、という人がいますがいかがでしょうか?

ありがとうございます:
 感謝というのは、無限に無限に輝いた姿を認めることです。自分を褒め称える{(本当の意味で)()内は不正確です}宇宙全体を褒め称えるのが本当の感謝ですね。喜んで・本当にありがたいな・幸せだなと感じることですね。だから、感謝しないというのは嘘ですね。
 自分のことだから余計に感謝が{(育てられる)()内は不正確}のが本当でしょうね、単に人にお礼という意味じゃないですね感謝は。


自分の番組ですから、自分だけの責任で輝いていけばいいんです

質問者:
 今ここの二十数名がいて、一緒に同じチャンネルを見ているように思うんですけど、実は皆違う番組を見ているんですか?

ありがとうございます:
 みんな違うんですね。同じように価値あるものとして見れないですね、一人の人に対する評価が全部違うでしょう、同じだったら同じかもしれないですけど。みんな見方が違いますよね、Aという人に対してあの人は優しいという人があり、逆に、あの人は意地悪だという人があるでしょう。評価が全部違うということは違う番組を見ているんです、全てに同じ価値だったら同じ(番組)かもしれないけどね、一つ違っても違うんです。

・・・そうすると、あの人は自分のことをどう思っているのかなんて考えなくて良いんですか?

それも自分の番組ですからね<笑い>自分だけの責任で輝いていけばいいんですね。だから、プラスの番組に変えたらみんな良い姿で出てくるんです、だから、プラスの言葉をしっかり使うのが大事です。

・・・先生は、この二十何人のそれぞれのチャンネルを理解・一緒に見れるんですか?

<笑い>楽しんでますよ

・・・ということは、私の思っていることが分かっているということですよね?

ただね、掴まないですけどね。一瞬一瞬変化しているというふうに眺めるぐらいでね、低い番組ばかり見ても意味ないですしね、できるだけ高い番組を楽しみながら時々波を合わせるんですけどね。
 波を合わさないと高い光の響きも伝えにくいんです、合わせていって伝わるんです。振替も同じですけど、自分のほうへ取り込んでからそれを消す事もできるんですけど、まず一体化していかないとね・・不明・・・ですよね。


今の一瞬に現れた中に、全ての時間全ての空間が同時に含まれている

質問者:
 寿命について教えてください

ありがとうございます:
 寿命も番組ごとに違うんですよ本当はね、番組を変えるたびに寿命は変わります、寿命が延びたりしますね。これは一定と考えても、寿命が何段階もあるんです、第一・第二・第三というふうに寿命が決まっていて、第一寿命・・と第二寿命・・・・とね、最後まで行く人は第三定命までとかいうふうにね、そういう言葉の説明もあるんですけど、でも本当はもっと自由なほうが良いですよね。必要な時は必要なだけの寿命を与えてもらって勉強し・幸せを与えてもらっているんだというのが良いですよね。
 寿命が決まっているんだと言うとまた縛られますよね、本当は永遠に生きている自分もあるんだというそのくらいが良いでしょう。

・・・自分の寿命を悟る事があると思いますが、先生の寿命は?

そんなのを掴んだら囚われですよね、本当は一瞬一瞬変化していると見たら、一瞬一瞬死んでいるんです、一瞬一瞬生まれ変わっているでしょう。そういう生まれ変わりの一瞬一瞬の捉え方のほうが今の一瞬を大事に生きられますよね。過去の残像をつなぎ合わせてまとめて掴むのはあまり良いことないですよ、永遠に生きている自分が本体にあるんですから、もっと自由な見方のほうが良いですね。

・・・一瞬一瞬を新たにというのが難しいんです

連続しているとどうしても捕まってしまうというかね、本当は一瞬一瞬離れてないといけないんですよ、過去を放すという意味ではね。この一瞬が無限億万分の一秒にまで絞り込まれてこないとね。
 神様の創造が一瞬一瞬を無限億万分の一秒にまで絞り込んだ宇宙の置き換えですよね、それでこそ最高表現の素晴らしい表現といえるんです。連続していると、最初はどこに有るとなってしまうでしょう、そうするとそれはつまらない創造の姿ですね、連続したらずーっと元をたどったらどこかに行き着くんでしょう、行く先も決ってしまうでしょう、そういうのは有限ですよね、無限の創造じゃないですね。 今の一瞬に現れた中に全ての時間全ての空間が同時に含まれているという見方のほうが正しいですね。


自由自在に変化して唱えているうちに良いものに変わります

質問者:
 唱え方なんですが、回数を多くするには早口で雑になってしまいます、これはいけないと丁寧にすると少なくなります。どうしたらいいですか?

ありがとうございます:
 自由自在にいろんな捉え方が大事なんです、早口言葉で唱える練習もいるんです。それをしておくと今度ゆっくり「ありがとうございます」と唱える中に早口言葉の「ありがとうございます」が全部含まるようになります。だから、一回の「ありがとうございます」が無限の「ありがとうございます」に変化するんです。
 みんなの「ありがとうございます」を自分の中に取り込むような「ありがとうございます」になると、本当は無限の「ありがとうございます」を一回の中に言っているんです。だから本当の一回の「ありがとうございます」に無限の無限の「ありがとうございます」が含まれているというのがいいんですね。
 更にはね、その「無限の無限のありがとうございます」の一回の「ありがとうございます」に小さい中にまた「無限の無限のありがとうございます」が含まれるというのがいいです。「ありがとうございます」を入れ子構造的に捉えて、早く言ってもゆっくり言っても一回の「ありがとうございます」が「無限の無限のありがとうございます」がいっぱいというのが良いですね。

・・・いろんな「ありがとうございます」を唱えながら自分で学んでいくと?

唱えているうちにドンドン変化しますよね、自由自在に変化して唱えているうちに良いものに変わります。ゆっくり唱えるのも大事だし、早口で唱えるのも大事だしとね、いろんな唱え方があっていいと思います。




ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。
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