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2003年 3月22日 昼 AR133 2003.3.22


  「こころ」

 「こころ」について、最初にちょっとお話をしたいと思います。

 「こころ」という語源はどこから来ているのかというと、「コロコロ」という、これが「こころ」になってるんですよね。その元になるのが「伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)」の大神様の宇宙創造の働きが「塩(しほ)コーオーロー コーオーロー」という言葉があるんですね。

「塩(しほ)・水火(しほ)」というのは、陰と陽、相対に分かれるすべての要素を「塩(しほ)」というんですね。それを組み合わせると宇宙の全てが生み出されるわけですよね。その時の「コーオーロー コーオーロー」というのが大事なんですね。コオロギのコーオーロー コオロギってね、コオロギというのも音色がいいでしょう。虫の音色って素晴らしい、旋律が良いですよね。この「コーオーロー コーオーロー」というのが、神さまの宇宙創造の働きの「響き」を現わすわけですよね。「たえなる旋律」というのね。

また形で言うと「美しい絵模様、綾模様」というのね。また命で言うと「命が活き活きと躍動している」という感じで、この「コーオーロー コーオーロー」という言葉の響きが「コロコロ」になって「心・こころ」になるわけですよね。「こころ」というのは、元々は神そのものと言った方が良いですよね。神が心であり、その「こころ」には無限の無限の種類がある、無限の無限の段階がある、というふうに見た方が良いんですね。
 

     本心とは本源の「こころ」

 一番最初の根源の心が神さまの心「本心」ともいうのですね。一番大元の「こころ」、一番本源の「こころ」、これが本心というのですね。神さまから本源を受け継いだ人が、本心を輝かせた人、これは感謝を深めて神さまの心をそのままバッと受けたら、一番本源の心に近い「こころ」になるわけですね。それが一番輝きの大きい心ね。本心というのでも段階があるんですよね。無限に無限に輝いた本心、無限に輝いた本心、ちょっと輝いた本心というふうにね。その心の段階は「無限の無限」と言ったほうがいいんですよね。

 だから、この世の人が普通「こころ」と言っているのは、かなり低い心かも知れないですね。それを幾つにも分けているわけですよね、分類するんですね。「浅い心・深い心」「高い心・低い心」「大きい心・小さい心」ってね、いろんな角度から、心の分け方がありますね。その「こころ」というのは、全部神さまから無限の無限の「こころ」の状態があって、その「こころ」からどれだけ自分が受け取ってるかというだけなんですよね。自分の受け取っただけが自分の「こころ」ですね。自由に選択できるわけですね、ぜんぶ受ける事もできるし、一部だけ受ける事もできるし、高い心を受ける事もできるし、低い心を受ける事もできるという。なんか、ちょっとしか受けなかったら損でしょう。それも楽しんで受けているんですね。

 一大交響楽というと、漠然と聞いていると「ああ、素晴らしいなあ」とだけで終るんですね。でも、専門家のプロから見ると、その中の構成の、例えばバイオリンだったらバイオリンを何人弾いているとか、ピアノは誰が弾いているとか、ぜんぶ区別して解るんですよね。その部分々々を、しっかり捕らえるという勉強も必要なんですね。それで「こころ」でも部分的な心を一回掴んでみるという、しっかりそれを味わってみるというのも必要になるのね。

 だから、一人一人、今、自分が「これがこころ」というふうに掴んでいるんですけど、全部違うんですね。みんな味わい方の自由があるだけに、みんな違うんですね。神さまからどの「こころ」を受けて、どういうふうに味わってるか。だから、みんな自由に楽しんでいるはずなんですよ。地獄の心を掴んでも、極楽の心を掴んでも、どちらも良いんですね。「楽しんでいるだけ」ってね。その「こころ」というのが「神さまそのもの」なんですね。そして神さまの心というのは、言い換えると「言(ことば)」でもあるわけね、また「命」でもある、また「形あるもの」でもあるのね。


     一最初(いちさいしょ)

 ただ、人に説明する時は分けて順番に説明するだけなんですね。本当は全体は一つなんですね。一つのものをいろんな角度から説明する時に「あっ、これは心だ、これは言葉だ、これは形なんだ」といろいろに言い分けるわけね。説明の仕方として、そういうふうに言葉を分けて使うだけなんですよね。

 人間というのでもそうですね。「これが人間」というのを説明する時に、どういうふうにみなさんは説明されます。難しいですよ。顔があって、手があって、足があって、と言ってもね、本当に見た事がない人に理解させようというと大変でしょう。太陽一つでもそうでしょう。「太陽ってどんな物ですか」と言われて、全く太陽を見た事のない人に説明するとなったら、理解させようとなったら大変なんですね。丸い物だと言うだけでは足らないよね、明るいと言ってもまだ足らないよね。だからいろんな角度から説明を加えないと、なかなか理解してもらえないですね。だから、神さまについても同じなのね。いろんな角度からいろんな説明を加えて、ぜんぶ総合してもまだ解らない。

「こころ」の説明も同じなんですね。いろんな説明の仕方があっても良いしね、また「こころ」以外のいろんな角度からの見方で、いろんな説明があっても良いんですね。ただ、全部が一つなんです元々ね。一つのものをいろんな角度から順番に説明している。その順序をいろいろと言うだけなんですね。そして「宇宙創造」というのでも、いつ宇宙がはじまって、いつ終わるのかというのは、いろいろな見方が出てくるでしょう。それも説明の順序なんですね。

 また、神さまが「絶対」と思っていて、そこから創造の働きが出てきて、無限に輝いた姿で現われて、それが光の放射として無限の分身を持った姿で出て、それがまた形あるものに変身して、この世の宇宙のような姿になっているとういふうに、これを説明する時は順番に説明するでしょう。でも、これは一瞬に同時に全部完成なんですね。だから逆に説明しても良いんですよ。時間的にズレてるかというと、そうじゃないのね。時間的な要素を超えて、一瞬に同時に一最初(いちさいしょ)にという感じで完成してるね。だから全く一つなんですね。全く一つに捕らえるのが正しい神さまの捕らえ方なのね。

自分と神さまを区別して見る見方も、それも必要な時があるんですけど、本当は分ける事はできないんですね。一人一人が神さまとピタッと一つになっているのね。
 例えばダイアモンド、宇宙大のダイアモンドのカットが無限にあるとすると、面が無限にあるね。その一つの面が、肉体の一つの自分だと考えるでしょう。その一つの面が、大きいダイアモンドの中心に置かれているのね。どの角度から見るかによって、その一面が見えるわけですよね。でも、その一面だけがダイアモンドと離れて自分という姿で存在しているのかというとそうじゃないね。ダイアモンドの一部、ダイアモンドそのものとして存在するわけね。そして、一人一人の人間も同じなんです。神さまは中心にいて、人は一番前面に出ているだけね。宇宙大の大きい神さまの部分なんですね。そして切っても切れない間柄という。だから、一人一人はぜんぶ神さまなんですよ。宇宙の大神様とピッタリ一つになっているね、切れないね。本当はそうなんですね。


     時間を超えて変化する

 ところがね、切って説明したい時もあるんです。この部分だけをという時は、説明する時切り分けるだけなんですね。でも切れない一つのものなんです。そして、「こころ」というのは絶対切っても切れない完璧なものとして、いつも一瞬一瞬コロコロと転がるように変化し続けているの。この変化がまた凄いですね。もう一瞬の休みもなく、本当に間断なく、続くんですね。無限億万分の一秒で新しい宇宙が次から次へと生み出されてくるのね。無限億万分の一秒という時間があるんです。時間を超えて新しい宇宙が次から次へと生み出されるの、変化するのね。この変化が神さまにとって最高の素晴らしい表現になっているわけですね。変化しなかったら、あまり値打ちが無いんですよね。これでおしまいという感じになりますよね。

また静止したものっていうのは死んでいるような感じでしょう、生きてないというような感じになりますよね。でも、神さまは常に時間を超えて創造し続けて、それが本当に輝いて命が躍動しているのね。どんなものも命が無限に躍動しているのね。だから、神さまは二度と同じ事を絶対繰り返さないですね。同じものは絶対創らないですね。これはもう、もの凄い事ですよね。それだけのものが神さまの本質として、絶対の中にあって、そしていろんなものを生み出しては皆さんに見せてくれるのね。楽しませてくれるわけね。だから、全体を見て楽しむ時も大事だし、部分を見て楽しむ事も大事だし。まあ、形を見るのはそうですね。

また響きとして一大交響楽のような旋律として聞く時もそうよね。全体を一大交響楽というふうに感じて聴くのも大事だし、また一つのフルートだったらフルートだけを選んで聴くというのも大事なのね。これが神さまから与えられた一人一人へのプレゼントになっているね。だから「番組」というふうに見ると無限の無限のチャンネルの番組が常に新たにして、与え続けてもらっている。食べ物だったら凄いですよ。無限の無限の美味しい食べ物が一杯、ズーッと与え続けてもらっているのね。人も食っても良いんです、はははは。素晴らしい名画が無限に無限にあって、どれでも見て味わえるなんて凄いでしょう。この地球上にある名画だったら数えるほどですよね。でも、神さまの名画は無限に無限にあるわけでしょう。それを自由に選んで味わいなさいってね、もう凄い事なんですね。神さまの本当の愛の働きって、そこまで凄いものをプレゼントして下さっているわけね。これを「ありがとうございます」で如何に上手に受け取るか。


     既にあるものを受け取るだけ

 この感謝の心っていうのは、もの凄い不思議ですよね。特に「ありがとうございます」っていうこの言葉が不思議で不思議で。わかったと言う人は解ってないんですよ。「解らない、解らない、まだ解らない」というのが良いですね。まあ、現実にいろんな病気がパッと治ったり、水がきれいにサッと変化したり、奇跡的に見える事は、まあ神さまからの手品みたいなものですけど、一般に見せて下さるのね。でも、こんなのは取るに足らないというね。本当の「ありがとうございます」の言霊からくる神さまの大奇跡というのは、無限の無限のチャンネルを与え続ける事でしょう、そこの方が大事なんですよね。それを受け取る為の言葉が、この「ありがとうございます」でしょう。いまさら小さい奇跡を起してもらって喜んでいるようでは駄目なんですよ。本当のプレゼントを受け取るという方が大事なんですよね。もう既にあるものを受け取る。その練習を積み重ねると、もう常に「無限の無限の幸せで一杯」「常に無限の無限の安らぎで一杯」となるのね。

でもね、思いの心って時々顔を出すんですよね。この思いの心と感謝の心の違いが大事なんですね。同じ心でも大きく分けると二つに分かれるね。「本心の心と業想念の心」とか「感謝の心と思いの心」とか「プラスの心とマイナスの心」とか、いろんな分け方ができるんですね。感謝の心は、常に新たに神さまの最高のプレゼントを受け取る心ですね。だから常に無限に無限に輝いている心ね、新しい心ね。思いの心は受け損なっている心ね。過去のものにしがみついて、過去だけしか掴んでないという心ね。古い心、汚れている心ね。そしたらどちらの心が良いかというのね、これも自由なんですよ。何を掴んでも自由なんですけど。

ご飯を食べるのでも、一週間ぐらい経った古いものを食べるのも良いんです。でも炊き立てのご飯を食べるのも良いですね。古い心を掴んで、その心をしっかりと味わえる人は、また感謝の心を価値あるものとして深く味わえるんですね。逃げたら損なんですよ、古い心からね。逃げると味わえずに終ってしまうでしょう。だから、どういうものを掴んでもしっかりと味わうというのが良いんですね。


     どんな「こころ」も神様の一部

 「ああ、雑念が来た、嫌だな」というのは損している。「ああ、雑念が来た、嬉しい」って「とことん味わってみよう」というのが良いの。でも、マイナスの心が出たら、なんか嫌な感じがする時があるんですよね。でもね、喜んで味わうのが良いですよ。その心が感謝の心になるんです、直ぐにね。そうするとどんなマイナスの思いの心でも、そこに大きい価値を見出して行けるんですよね。だから、どんな心も神さまの一部なんですよ。人間の体で言ったら、頭もあるけど足の裏もあるんです。足の裏も大事なんですね。だから、奇麗とか汚いとか、いろいろ分けて見る心と、全体を一つに見る心とは全然違うんですよね。常に、全体を一つに見る心では、全部きれいなんですよ。みんな素晴らしい価値のある働きをしているのね。

だから、全身の細胞というのはみんな平等なんですね。ただ、その時その時に役割が変わる。本当は、頭の脳みその中の一つの細胞が、全身を順番に移動しているんですよ。一瞬一瞬、みんな平等だから、順番にいろんな役割を果たしながら、全身の細胞を順番にズーッと移動して飛び交ってるのね。同じところの細胞で終ったら不公平でしょう。そういう事は絶対無いね。だから、一瞬一瞬いろんな細胞の立場に立って、順番にすべてを味わい尽すのね。

人間も同じなんですよね。神さまから観たら一つの細胞みたいなものでしょう。短い範囲だけを見ると、この人間として、例えば日本に生まれたら日本民族だというふうに言うのね。そんなことは無いんですよ。いろんな外国にも生まれるのね。全部の国に生まれないと損するのね。


     戦争も楽しんで観ている

 そしていろんな国の体験を積んで、そして地球上の世界のすべての国を、本当に理解する心になれるでしょう。知らない間にいろんなところを体験させてもらうようになっているのね。だから「日本人だ」と言って、ズーッと日本人ということは無いのよ。いろんな国に生まれ変わって来ているし、また生まれ変わるかも知れないしね。だからみんな平等でみんな一つなのね。同じ地球家族一員なのね。それなのになんで戦争するんでしょうね。でもね、戦争も楽しんで見ているのよね。

 神さまから見ると「かわいそうに」は無いのね。皆に平等に最高のプレゼントを与え続けて、自由に味わいなさいというふうに送り出して下さっているから、極楽番組・平和番組を見ても良いし、地獄番組・戦いの番組を見ても良いという。ただ、それも自由だから「喜んで楽しんで見なさいよ」というわけですけどね。でも、マイナスに捕らわれすぎた時に、逃げたくなる時に、ちょっと引っかかるんですね。もう、とことん楽しめば良い、もう、飽きてくる迄戦えば良い。

 でもね、戦いに巻き込まれている人は、やっぱりその人の自由意思でそれを選んでるんですよね。傍から何を言っても聞かないよね。テレビ番組を見るのでも同じでしょう。好きな番組をみんな見るんですよね。この番組が良いんだよと言ったって、そんなの見たくないと言うのね。やっぱり戦争映画が良いと言って見てしまう時があるの。それはみんな自由意思を与えてもらって、自由に選択して選んで、その番組を楽しんでるというふうに見るのが正しいのね。

 皆さんが戦争に巻き込まれたくなかったら、自分の心さえ平和な心にしておけば良いのね。絶対巻き込まれる事は無いの。だから、心の状態や運命とかその形というのは一つなのね。心がそのまま形に出てくる。だから「色心不二」(しきしんふじ)という「色(しき)」というのは「いろ」、これは物体・物質、形あるものというのね。それと「心」とは本当は一つなんだというのね。一つのもの裏表みたいなものですね。心の状態が即、形にも、運命にもすべてに現われるのね。

その「こころ」というのは、自分が神さまからどういう「こころ」を受け取ったかというだけでしょう。どういう言葉でどういう「こころ」を受け取ったか。これは自由に受け取っているはずなんですね。「私はそんなのは嫌だ」と言って「受け取りたくない」と言っても、やっぱり受け取っているのよね。言葉で選んで受け取ってるんですね。本当に戦争を見たくなかったら、平和を言葉にして、平和番組ばっかり見れば良いんですよ。でも、恐いもの見たさに見るのよ、やっぱりね。「ちょっと戦っているところが面白い、楽しい」というのね。本当に嫌な人は見ないよね。「戦争ごっこなんかは見たくない」と言う人は、もう絶対見ないもんね、花ばっかり見ているかも知れないね。仲の良い姿ばっかり見つめてるかも知れないね。そしてマイナスの言葉は絶対使わないというのが本当よね。

 だから「イラクの国民が可哀想」という場合も、本当はそうじゃないのね。平和な心のイラクの国民は、絶対傷つかないよ。もし傷つくとしたら、戦いの「こころ」を持っているよ。相手をやっつけようという「こころ」を持っているね。やっつけようというとやっつけられるよね。やっぱり「こころ」がそのまま跳ね返ってくるのね、そのまま同じ姿で出てくるから。仕返ししようというたら、やっぱり仕返しされるよ。自分の心で番組を選ぶわけだし、自分の心の通りの運命とか形や姿が出てくるね。


     マイナスの言葉、即マイナスの「こころ」になる

 でも「ありがとうございます」を知っている人は、この無限の無限のチャンネルから自由に選べるというのは解っているからね。そして「ありがとうございます」を唱える人は、高い良い番組しか選べなくなってしまうのね。無限に無限に輝いたプラスの番組になってしまうのね。他の言葉は、やっぱりプラスでも小さいし、またマイナスの言葉も多いからね。マイナスの言葉を使えばマイナス番組を選んでしまうね。必ず言葉が心の中核になって、マイナスの言葉を使えばマイナスの「こころ」に必ず変化するね。マイナスの言葉、即マイナスの「こころ」になるのよね。そうすると運命もマイナスの運命に、即なるのよね。

 これはもうあの世へ行けばそうなのよ、一瞬よ。言葉がそのまま「こころ」になって、そのまま形ある運命になるのね。でもこの世はちょっとだけズレがあるのね、時間的なズレがあるの。それは反省時間を置いてもらっているね。一回マイナスの言葉を使って「あっ、しまった」と思ったら途中で取り消せる、打ち消せるのよね。それでプラスの言葉を繰り返したらマイナスの言葉は消えて、それで形にはマイナスが出なくなるというところが良いですね。だから選び方の練習の場が、この世ですけどね。それもマイナスを選んだら直ぐに出るんじゃなしに、ちょっと時間を置いて出るから、やっぱり良い勉強ができるでしょう。苦しまずに選択の勉強、選ぶ勉強ができるようになっているね。


     最高の言葉で「こころ」を支配する

 「こころ」というのはコロコロと変化して、普通、捕らえどころが無いと言うんですけどね。でも、「こころ」と言葉は一つなんですね。言葉をしっかりと選んで使えば即、同じ心になるの。そしたら「こころ」は支配できるでしょう。誰でも自由に「こころ」を支配できるのよね。言葉さえしっかり選んで使えばいいのね。

そして、神さまの最高表現をしかりと捕らえようと思ったら、神さまの「こころ」を自分の「こころ」にしようと思ったら、最高の言葉を使うだけでしょう「神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!」と言えば良いのね。そうすると、その無限に無限に輝いた「こころ」、神さまの心が自分の心にスーッと入ってくるでしょう。そしたら運命は極楽世界の運命、良い事ばっかしというふうに変化するよね。

今までは、その「こころ」の変え方に気づかなかった人が多かったのね。気づかなかったというより忘れていたのね。言葉で「こころ」は支配できるというのは、元々みんな知ってるのね。ところがちょっと忘れていたというところがあるのね。それをもう一回思い出すようにというふうに、神さまが助けに降りているのね。それが「ありがとうございます」というこの神さまなのね。この言葉を使ったら直ぐにプラスの心に変えて下さるのね。「あっ、言葉で変わるんだ」という体験をするわけね。そうすると他の言葉も同じという事が良く解るでしょう。他の言葉を使ってもその言葉通りになる。

だから、どんな言葉も言葉通りよ、同じ「こころ」に変化して同じ運命が出てくるね。それは、人、一人一人ぜんぶ使う言葉が違うでしょう。いろんな予言を伝える人も同じよね。一人一人せんぶ予言の仕方が違うでしょう。でもその予言をした言葉通りのものが必ず出てくるのよ、その人にとったらね。その人はその言葉でそういうものを選んだだけよね。でも、他の人は無関係よ。自分は自分の言葉で自分の運命を創っていくという。選んでるのよ。恐いもの知らずよ、もうね。

「地球が滅亡するかも知れん」という言葉を聞かされたって、自分はもう無関係で良いのよ。この「ありがとうございます」は、本当は「天岩戸開き(あまのいわとひらき)の言葉」なのよ。天照大御神様を引っ張り出しているのね。「世界維新」の世直しの言葉なのね。「天岩戸開き」というとなんか大層に思うでしょう。そんな事ないよね、一言「ありがとうございます」なのよ。これが天照大御神様を引っ張り出しているのね。光明遍照の無限に無限に輝いた世界を現わすのね。極楽世界を即、現わすのね。一回地獄へ降りてみて「ありがとうございます」を唱えると良く解るのね。もう極端に変化するからね、一言で極楽世界になるから、地獄がね。真っ暗闇が即、無限の輝きの世界に変化するのね。凄い力よ「ありがとうございます」ってね。一回地獄へ降りて試して見る?あっははは。暗い所で試さないとねえ、わかり難いもんね。

だから、幸せな人は、あまりこの言葉に効果が無いと言う。なんか困った事があると効果が出てくるじゃない。この言葉を試す意味では、ちょっと苦労をしている人の方が良いのよ。神さまがいろいろ実験させてくれるわけね。至れりつくせりよね。だから、いろんな人が苦労して、そして「ありがとうございます」を唱えて、いろんな問題を解決していくでしょう。これは全部、自分の体験として受けた方が良いね。人の体験と思わずに、自分の代わりに体験して「ありがとうございます」の言葉の素晴らしさを、自分の代わりに体験して教えてくれているんだというふうにね。そうすると確信が深まるでしょう。「ありがとうございます」の一言に全てがあるのね、神さまの全てがあるのよね。神さまの「こころ」の全部が「ありがとうございます」の中に含まれてるのよ。


     「ありがとうございます」は全ての心を把握する

 この一言「ありがとうございます」の一言で、神さまの「こころ」がぜんぶ把握できるの。神さまの心の中に無限の無限の段階の「こころ」が全部あるわけでしょう。だから、すべての「こころ」を把握するのがこの「ありがとうございます」ね。

すべての「こころ」を把握するなんて大変でしょう、本当は大変なんよ、でもできるのよね。阿保にならないとできないけど、一番単純馬鹿にならないとね。「ありがとうございます」に絞り込むのが良いのね。みんな枝葉に心を向けすぎて、難しい事を一杯しすぎているからね。一番大元へ「こころ」を向けるというのが大事でしょう。一番大元は一つよね、枝葉じゃないから一つしかないのね。だから、一番大元の、一番根源の一つのところへ「こころ」を向けたら良いね。それが「ありがとうございます」という言葉やね。そうすると全体を把握できるようになってくる。

だから、コロコロ変化する「こころ」も、ぜんぶ「ありがとうございます」の中に含まれているからね。ややこしい「こころ」も、いちいち探らなくても良いよ。柳生流の極意の歌というのは「こころこそ こころまよわす こころなり こころにこころ こころゆるすな」なんて心がたくさん出てくるね。ぜんぶ違うのね、この「こころ」ね。でも、皆さんだったら解るでしょう、一つ一つの心が何を指しているかってね。難しくないわね、こんなのはね。「ありがとうございます」で神さまの「こころ」がわかったら、全部中にあるのよ、それがね。このぐらいで「こころ」については終ります、後、質問を何かして下さい。


  運が良い悪いとは

質問:
 今日この場に来させて頂きまして、本当に良いご縁を頂きまして、今四十一歳なんです。今まで、いろんな面で運が良いのか、護られているのかなと思っております。でも、まわりの親戚を若くして亡くしたり、そんな事がここ何年間起こっております。そういう面で運が良いとか悪いとかは、どの辺りでその差があるのかとか、運命が決まってくるのかという事をお話し頂ければと思います。
ありがとうございます:
 「すべて運が良い」と言えば、どんな姿も運が良くなるような神さまの助けなんですよね。身内が順番に亡くなってしまうというのでも、みんな身内が神さまの大きい働きをするわけね。自分のマイナスをぜんぶ身代わりに振り替えて消してくれるのね。これは神さまの大犠牲精神の愛の発揮なのよね「身内が可哀相」じゃないのね。「神さまが身内になって自分のマイナスをぜんぶ取ってくれた」というふうに「ああ、自分はなんて幸せなんだろう、運が良い人間なんだろう」というのが良いのね。だからマイナスは全然無いのね、運が良いという人にとったらね。でも、マイナスに掴んだら「運が悪い」となっていくでしょう。「運が悪い」という言葉を使うと、ぜんぶ運が悪いよね。いい事があっても運が悪くなっていくのね。「何もかも運が良い」と言えばいいね、ぜんぶプラスにプラスに働きますね。はい、運が良いですね、はははは。(はい)


  絶対神

質問:
 あまり簡単で笑われるかも知れません。絶対とか相対とかおっしゃいますが「絶対神」とかいうのを簡単に説明して頂ければと思います。もう一つ、四国には八十八ヶ所のお寺がありまして、その本堂の隣に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の真言を百万遍唱えたら出てくるというような部屋があるんですけども、ここで「ありがとうございます」と言うのとでは、あまり変わらないのかどうかというのをお聞きしたいのです。


ありがとうございます:
 「絶対」というのは全部一つになってるんですよね。対立を超えているというね。例えば「絶対」というのを「海」というふうに例えると、海の中に全部あって、そこから表面に波がスッと出てくるでしょう。それが相対に分かれた姿の組み合わせで、波が生まれるというふうに見るのね。「絶対」というのは底知れんもの、凄いものなんですね。光で言うと「光源」に当たるんですよね。そこからありとあらゆる光が無限に出てきて、それも永遠に出続けるという感じですね。それが「絶対」と「相対」の違いですよね。


  虚空蔵菩薩

ありがとうございます:
  それから、虚空蔵菩薩さんというのは素晴らしい菩薩さんですよね。百万遍で出てきて下さるの?

質問者:
 それが済んだら出てくる。僕等がお参りに行ったら「今日、入りましたよ」とおっしゃって下さるんですよね。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」は真心込めて一回で神さまが、宇宙の大神様がすっと助けに来てくれる。一回でね。その中には虚空蔵菩薩様も含めて、ありとあらゆる神様・仏様が出てきてくれて働く。だから凄い言葉なんですよ「ありがとうございます」は。はい。


  置き換え

質問:
 「置き換え」という言葉がよく出てきます。そして無限の無限の輝きが一杯という姿と、古い姿を置き換えるというお話なんですが。置き換えというのをもう少し詳しくお話いただきたいと思います。

ありがとうございます:
 古いものを残したら、新しいものが出てきても困りますね。古いものがたくさん溜まっていくとね。だから、順番に古いものを取り除けて、新しいものとそっくり置き換えてもらわないとね。
 例えば、ご馳走が一杯ズーッと出てくるとするでしょう。もう連続してズーッと出てきたら、部屋中ご馳走だらけになってしまうのね。本当は一食で良いんですよね、食べるのはね。古いのはやっぱり消してもらって、新しいものと置き換えてもらうというのが一番幸せだし楽なんですね。そして、その置き換えをしてもらう為に、古いものを神さまにお返しするのね。そして新しい良いものを神さまから頂くという。
 だから「ありがとうございます」は置き換えの言葉なんですね。古いものをお返ししている事になるのね。それで新しい良いものを頂いている事になるね。本当の置き換えは「ありがとうございます」でしかできないのね。普通は古いものを残してしまうのね。残すとやっぱり邪魔になるんですよ。古いものが溜まってきて、そして新しいものを受け損なってしまうのね。
 だから、置き換えというのは、この「ありがとうございます」で置き換えになってる。それで良いものをどんどん与え続けてもらえるね。そして古いマイナスを全部消してくれるね。そういう意味ね。


  心の持ち方

質問:
  私は小さいお寺の真似事をやっておりまして、お客さんが来た時にはお抹茶を差し上げたり、お昼時にはご飯を差し上げたり、いろいろと精進の気持ちでやっておりました。それが二十年になりますけども、他の方が「あなたがそういうお掃除とかお抹茶を差し上げるとかは止めて、それ一本でやって行って下さい、お勝手も私達が作らせていただきますから」と言われたんです。折角言って下さるので、前向きに四月一日からやらせていただこうと自分の心に入れたんですけども、やって頂けるのはもったいないと思うのです。一旦、自分がやろうと思った事をやって行きたいのですが、自分の心をどういうふうに持っていったらいいのかと思って、それを教えて頂きたいと思います。

ありがとうございます:
 神さまから全てさせて頂くという気持ちになれば、謙虚な心で、神さまから全て与えて頂いて、それを受けて良い事をさせて頂く。感謝の心さえあれば、ぜんぶ神さまが中から働いて神さまがして下さるのね。それを受けて喜べば良いですね。そしたら良い働きをどんどんさせてもらえるのね、働きが大きくなるものね。



  「求める心」は「無い」のと同じ

質問:
 幸せになる為に「ありがとうございます」という事なんですけども。どうも「ありがとうございます」と言わなければならないという制約に縛られてしまうんですが。いろんな宗教で南無阿弥陀仏を唱えればいいとか、いろいろ方法はあると思うんですけど、それも多分制約になっていると思うんです。「ありがとうございます」を唱えれば神様が来てくれる。それも制約になってしまうのかなという。その辺はどう捕らえれば良いのかなという事なんですが。

ありがとうございます:
 神さまが幸せの本体、本源なのね。神さまは無限の無限の幸せを無限に無限に一杯と持っているのね。「ありがとうございます」という神さまはそういう大きい神さまね。だから「ありがとうございます」と呼べば、その神さまが自分の中にすっと入ってくるのね。「幸せになる為に」と言うよりね、もう既に無限の無限の幸せを与えてもらってるのに気づかせてもらうのね。

質問者:
 ある程度「ありがとうございます」と言うんですけども、なかなかこっちで掴んで。

ありがとうございます:
 やっぱりそれは幸せを求めているでしょう。「求める」という心は「無い、無い」と言うているのね。「気づかない、気づかない」と言うているのね、言葉がね。だから「既に、無限の無限の幸せで一杯、ありがとうございます」と言えば良いね。「既に、気づかせてもらって、実感させてもらって、ありがとうございます」ってね。ちょっとプラスの言葉を加えて「ありがとうございます」と言うと、マイナスの言葉を使わなくて済むでしょう。マイナスの言葉を使っている部分がちょっと損してるのね。そのマイナスの言葉をプラスに変えるだけよね。後は「ありがとうございます」だけが唱えられたら神さまがすっと入ってくるから、必ず気づかせてもらって実感できるようにしてくれる。

 嘘でも本物になってくる

質問:
「全託」という事、先生の冊子の中にも全託行という言葉が書かれていますし、私も思いの生き方を捨てきって、もう感謝の生き方をしていく方が良いと思います。その為には、自分の今までの思いを「ありがとうございます」という言葉で消しながら、感謝の生き方をしていく。唱える時には、どうせなら早く全託して、神さまに任せきって唱えた方が良いと。その全託する方法なんですけども、「自分の命を捧げますので神さまの御用にお使いください」という、なんとなく嘘っぽいいのですけどね。言っちゃうわけですよね。背水の陣をしいているようにも思えないし、毎日それを朝お祈りをする前に言うと「よし、今日は全託だ」とやっているのですけども、途中からまた自分の思いが出てきちゃう。どうやったら早く全託ができるのかな、その全託行について教えていただければと思います。

ありがとうございます:
 嘘ぽいかってもね、そのまま続けたらちゃんと本物に変わるね。ちょっとの時間の差よね。

質問者:
 毎日「お任せします」と言った方がよろしいですか。

ありがとうございます:
 そうね、それが早道よね。大丈夫よ、今のままで。本当の全託になる為には、普通は難しいのよね。「ありがとうございます」のこの祈り言葉がなかったら何億年かかるかも知れないよ、本当の全託になるまでね。この一生で、もしできたら大奇跡よ。まだ一生かかってないよね、あっははは。「ありがとうございます」を唱えていたら直ぐになるよ。

   禊(みそぎ)の意味

質問:
 みそぎ(禊)ってありますが。その意味を教えてください。

ありがとうございます:
 浅い意味だと、自分の心に溜まった汚れを削ぎ取って消してもらうというような感じですね。それは表面的な浅い意味ね。その方法がいろいろあるわけね。滝に打たれたりするのもそうだし、いろんな方法があるのね。
 でも、本当の禊というのはそういう意味じゃないね。神さまの禊はもっと大きい深い意味があるのね。「身を削ぎ落として与え尽して、それで神さまの愛の御心を現わす」という、深い意味があるのよ。宇宙創造の働きが伊邪那岐大神様の禊なのね。自分の命を与え尽して、身を削ぎ落としてぜんぶ与え尽して、宇宙の創造をしているのよね。与えて与えて与え尽す生き方をとっているね。それで最高表現を頂点に、無限の無限のチャンネルの番組が生まれるのね。これは伊邪那岐大神様の禊の働きがそういう働きとして出ているのね。だから、浅い意味の汚れを取るぐらいじゃないのね、どんな汚れもぜんぶ生かしきる働きね。それが本当の意味の禊よね。




 言(ことば)は形あるもの

質問:
 今日のお話の中で「心とは、言い換えれば、『ことば』は命、形あるもの」というような事を言われましたのですが。「『ことば』ってなかなか見えないね」というような事を言われたんですが。その中で「『ことば』は形あるもの」というのを少し詳しくお話いただければと思うのですが。

ありがとうございます:
 神さまの言(ことば)・言霊は宇宙のすべてを生み出す働きですよね。人の使う言葉は、その言霊で創られた神さまからの番組を引っ張り出す、受ける働きなんですよね。だから、人の使う言葉は、即、神さまの番組を引っ張り出して形を受けている事になるね。だから、言葉通りの形になるのね。だから「『ことば』即、形」なのね。だから、すべて『ことば』でなっているというふうに観ても良い訳ね、はい。



 AR133 2003.3.22.-.2
禊(みそぎ)祓い
司会者:
 みそぎ(禊)についてと、後に本心の開発、霊性の開発、神性の顕現についてお話していただきます。

ありがとうございます:
 ありがとうございます。「みそぎ祓い」ですね。
みそぎ祓いというのは、伊邪那岐(いざなぎ)の神様、宇宙創造の伊邪那岐神様が自分の持ってる全てを与え尽して、それを適材適所に配置するんですね。そうすると宇宙の創造が生まれるんですね。それが「無限の無限のチャンネルの番組」という姿で出てくるんですね。伊邪那岐神様はプラスの極の立場にいる神さまですね、だから無限の無限のプラスが一杯という神さまね、無限の無限の大光明の神さまなのね。無限の無限の大光明という中には無限に小さい虚の光から、無限に大きい虚の光まで、これは無限の段階の虚の光があるんですね。その上に無限の小さい実の光から、無限の大きい実の光まで、これも無限の段階の実の光があるんですね。この虚の光と実の光の両方ぜんぶを持って、それを与え尽して、そして適材適所にぜんぶ配置するのね。それは光一元に配置するんですよね。

 そうすると一番小さい虚の光から、一番大きい実の光まで段階を追って、無限の無限の段階の光の表現というのが生まれますね。だから、伊邪那岐の神様を光の極に立つ姿というふうに見るとそうなんですね。他の徳性(特性)をぜんぶ伊邪那岐の神様は持ってるわけですね。それも同じように一元に並べて配置するのね。そうすると、無限の無限のチャンネルの番組というふうに最高の姿が生まれてくるのね。これが本当の意味の禊(みそぎ)祓いなのね。自分の身を削いで、自分の体を全部、自分の持っている全てを与え尽して、祓うというのは「配置する」という意味ね。適材適所に置いて行くという意味よね。これは本心開発と一致するんですよね、悟りを開くという事とも一致しているのね。


     「悟り」、「本心開発」

 「本心開発」という言葉も、本心というのは「本源心」一番奥の極の心ね。伊邪那岐の神様の無限の無限のプラスそのものの立場なんですよね。それを引き出して現わして配置していく。同じ事なんですね、伊邪那岐の神様の禊祓いと、本心開発というのがね。神さまの側から見るとそうなのね。本心を現わしていくという。

 悟りを開くという言葉も同じなんですね。悟りというのは「差を取る、神さまとの差を取って行く」というわけですね。神さまと一体化していくのね。無限の無限のプラスと一体化するのね。また、すべての段階の光ぜんぶと一体化するのね。無限の無限のチャンネルの全部と一体化した状態、これが悟りを開く状態ですよね。普通、この世で肉体人間として生きていて、どうしてもこの世の姿だけに捕らわれていますよね。そうすると神さまのほんの一部と一体化している状態ね。無限の無限のその上の何分の一、無限の無限分の一ぐらい、小さく一体化しているのね。そして、心境が高くなって高い番組と一体化したと言っても同じなのね。まだ、ちょっとしか一体化してないでしょう。全部と一体化するにはどうしたら良いかというのね。

 もう、皆さんご存知でしょう。一番下へ下りないと駄目ですね。一番下に下りたら、無限に小さい虚の光も感じられるんですよね。だから、闇の極に下りて、一番小さい虚の光りも感じ取れる立場に立たないと、無限の無限の種類の光をぜんぶ感じ取るわけにはいかないでしょう。ちょっと上に立っただけで、もう実の光りになるから感じないんです、全然ね。上のほうに上がってしまったらね、強い光しか感じないだけに、ホタルの光も星明りも楽しめなくなるのよ。ましてや虚の光なんて全然味わう事ができなくなってしまうのね。だから、無限に謙虚になるというのが大事ですよね。

 常に一番下に下りて、そしてすべての番組を価値あるものとして楽しめたら、大した事ですね。そしたら、神さまの与えてくる全てのプレゼントと一体化するわけでしょう。全部を味わう自分になるんでね。それが神さまの全てと一体化している状態ですよね、そしてそれを受け取った状態ね。それが本当の悟りですよね。上へ上がってしまったら悟りと違うんですよ、一番下へ下りないと。一番下へ下りて、地獄のどん底の一番下へ下りて、そしてすべてを光一元に、プラス一元に、すべてを一元に仰ぎ見て眺めてぜんぶ感じ取る心ね。これが本当の悟りの心。本心を最高に輝かせた状態、本心開発の極の姿、また感謝が無限に無限に深くなった状態。感謝が一番深くなった状態が悟りを開いた状態、本心を最高に輝かせた状態なんですね。そしたら、どうしたら本心が開発できるかという。


     方法論

 いろんな方法があるはずなんですね、無限にあるんです。時間のかかるのはちょっと大変なんで、一番簡単で、一番時間も短縮できるのが良いですね。それが「ありがとうございます」という、この感謝行なんですよね。

 感謝行というのは神さまの全てを受け直す呼吸と同じなんですね。常に新しい神さまを受け入れて、古いのをお返ししてという「受けてはお返しし、受けてはお返しし」というふうに呼吸をするわけですね。そしてどんどん新しい大きい光を受け入れていく。この「ありがとうございます」という感謝行の中に「感謝して受ける」というのと、恩返しの心で全部お返ししていくという両方、ワンセットであるんですね。だから、深い感謝行になると霊的な働きの受けるのと、与えるのと、両方がセットで「ありがとうございます」の中にあるんですね。

 この世的だけに見ると、神さまから素晴らしいものを与えてもらって、恩返しの為に肉体を使って、自分の持っている全部を与えて、奉仕していくという形をとるんですよね。この与え方に霊的なものと、精神的なものと、物質的なもの、この三つが大きく分けるとあるわけですね。

@先ず、大事なのが霊的に、神さまの全てを受けて、そしてその全てをお返しするというのが必要なのね。これがお祈りなんです、深いお祈りね。

A次は、精神的なものね。神さまから素晴らしい精神的なものを一杯受けて、それも与え尽していく、全体に振り撒いていくというのも、精神的な意味の感謝と報恩の生き方なんですね。

Bそして最後は物質的なものですね。この宇宙をプレゼントしてもらったという感謝の心で、また受けたものを全体へ与え返していく、そして循環をはかっていくわけね。循環も早くなるほど良いんですよね。たくさん受けて、たくさん返していく、その循環が早くなるほど、自分が豊かになっていくでしょう。

 お金でも貯金してしまったらね、その貯金だけの分しか循環してこないですね。でも、与えてまた入ってきて、また与えて入ってきてという、その循環が早くなるほど、一日に百回ぐらい循環してくれたら大金持ちよ。だから、難しくないんですよね。悟りを開く事も、本心開発も、禊祓いも。これはぜんぶ神さまの方が先にして下さっているの。後、それを認めて気づいて受けるだけでしょう。

 神さまの方は「受けなさい、受けなさい」と一所懸命受けさせようとしているのよ。ところが、みんな受けないのよね、頑張るのよ。吸うた空気をいっぱい吸い込んで呼吸を止めてしまうのよね、苦しいのにね。苦しかったら吐いたら良いのにね。スッと吐いたらまた新しいのが入ってくるのに、ところがみんな頑張るのね。何年か前に小さい小学生の子が兄弟で、お風呂で息を止めて頭を沈める練習というのか、競争をしたんでしょう。それで死んだ事があるのね。何故そこまでするんでしょう、可哀相にね。

 でも、この世の人はそういう事をするのよね。感謝を忘れている人というのは、皆そうよね。折角、神さまが無限にプラスのものを一杯与えようとしているのに「もう、要りません、要りません」と呼吸を止めてしまうのね。感謝を忘れてしまうとそうなのね。ところが、ふっと持っている物を与えて掴まなくなったら、直ぐ新しい無限の物をいっぱい感じとれるのにね、ほんのちょっとの差なんですよね。そうしたら、感謝と報恩の生き方が循環するんですよね。

 だから「何も持たない」というのが秘訣なんです、無所有、無所得というのがね。これだけが自分の所得だ、収入だと掴んだ途端に、残りの全部が自分のものではなくなるんですよね。「これだけが自分の財産」と掴んだ途端に、宇宙の他のがぜんぶ自分の財産じゃなくなるのね。だから、自分で小さく限定してしまっているね。小さく小さく限定して「これだけが自分のもの」っていうふうに限ってしまうのね。もの凄い損をしているのよ。「これだけ自分のもの」って、収入があったら喜んでいるんでしょう。「儲かった」と思うんだけど、大損しているの。だから、自分のものとして掴んだら駄目ね。さらりと流さないとね、放さないと。放した途端に宇宙の全部が自分のものよね。無限の無限のチャンネルの全部をプレゼントしてもらって、ぜんぶ受け取れるのね。


     無駄な抵抗を止め
    神様に素直になれば良いだけ

 だから「悟りを開く、本心を開発する」というのは、みんな無駄な抵抗を止めたら良いのよ。神さまに素直になれば良いだけね「ありがとうございます」ってね。素直になれる方法ね、一番やさしい方法ですね「ありがとうございます」って、感謝行の練習をするのね。もうこれだけで自然に素直になって、謙虚になって、いつの間にか気づきが増えて悟ってしまったという。でも、慌てない方が良いですよ「この一生で」というぐらいの方が、そういう気持ちのほうが良いね。「あと何年で悟ろう」というと、また求める心を起こしだすのよね。求めると放せなくなるね。だから、のんびりと無心の感謝行が一番早いのね。

 悟りたい! 
 
 本心開発したい!

 でも、それがね、また縛りになるのよね。

 「一番最後で良い」と思う方が良いね。一番最後に悟らせてもらうというような感じね。皆を先に渡そうというような気持ちね。みんなが先に悟る方が良いと思った方が良いでしょう。気楽よねぇ。(笑い)「自分は一番最後で良いから」ってね「慌てない、慌てない」って。でも、そういう人が先に悟ってしまうのよね。皆から先に「悟りなさい」って譲ってくれるのね。やはりこれも心の働きがその通りになっているのね、心の通りに運命が決まるのね。また言葉の通りに運命が決まってしまうね。

 皆を先に彼岸に渡そう、皆を悟らせようという、「悟らせよう」という言葉はそのままその心になって、それがそっくり自分に返ってくるのね。だから、周りの皆が自分を悟らせようとしてくれるのよ、一番に悟ってしまうのね。ここにも与える心を生きると、皆から与えられて極楽世界に住めるのよ。だから、与える程、出すほど得するのよね。

 息でも吐くほど良いのね。呼吸って本当に大事なのね。丹田呼吸という言葉があるのね。この吐く時に細く長く静かにスーーッと吐く時にね、この吐く時に、神さまの助けが間髪を入れずにズーッと入り続けるのね。普通は吸った時に入ると思うでしょう、逆よ。呼吸は吐く時に神さまの光が入ってくる。

 神さまの方はもう与えたくてたまらんのでしょう、ちょっと吐いたらちょっと入るのよ。もう間髪を入れないのね。吐くのにつれてズーッと入ってくるのね。だから、丹田呼吸は吐く時に意識をしっかりと神さまに向けて感謝行をするのよね。そうすると神さまの光をいっぱい浴びられるのね。吸う時も入っているのだけどね、それは後の残りカスよ。だから、吐く時が一番いいのよね、神さまの助けがサッと入ってきているから。

 テーマがあまりにも簡単なんで、短く終ってしまいそうよね、はははは。みんなはもう悟ってしまっているから。もっと難しい問題を出してくれる方が良いんだけど。


     宇宙でただ一人の自分

 本心、本源心というのもね、神さまの御心はもともと系統立ってるのね。ゴッチャに寄せ集まっているのじゃないんですよね。秩序整然と系統が決まって、そしてそれが順番に物質化して現実まで出てくるのね。ここが大事なんですね、役割がぜんぶ違うのね。

 だから、感謝行をして本源と・神さまとつながった途端に、その時に全体に必要な個性ある働きがスッと出てくるね。だから、誰一人同じ働きはしないね、みんな違う働きになるね、個性があるね。これは癖じゃなしに個性のほうね(笑い)。癖だとみんな同じ事をしてしまうよ。でも、個性は一人一人の働きはぜんぶ違うわけね。そして全体にとって素晴らしい、美しいものが生まれる。

 だから、系列、系統ってぜんぶ秩序整然と現われてくるね。神さまの働きは分けたら無限に分かれるね。いろんな光の働き、それを美しく綾模様として織りなしているわけよね。本心が輝いてきた人は個性が豊かに出てくるの。感謝の深い人は個性が輝いて出てくるのよ。だから、自然に出てくる、これはね。人真似はしなくて良いよ、もうね。感謝をする人はもう人真似をしたら駄目よ、絶対駄目なのね。宇宙でただ一人の自分よね。自分にしかできない個性が輝いて出てくるのね。これも自然に神さまが出して下さるね。必要な役割を与えて、必要な力を添えて、必要な働きをさせて下さるね。そして個性が輝いた姿をとるのね。もう、理屈を抜きで、感謝行だけでそれが可能になってくるね。

 みんなこの世に生まれて「天命は何か」って考えるでしょう、考えても出てこないよ、悩むだけね。でも、感謝行をしているうちに、知らない間に個性が発揮されてくるね、天命がまっとうされてくるね。それが本物なのよね。神さまの方から自然に与えられて、自然に発揮するのが本物ね。本心というのは本物とも言えるのね。だから、全ての分野で一人一人が本物にならないといけないでしょう。一流になるのね、名人、達人になるわけね、その一つの分野でね。それは、もう感謝行をする人はぜんぶ本物になってくる。


     日本から光が放射される

 そして、ここへ来る人はみんな本物にあこがれている人ばっかしなんよ。この地が本物を世界に発信する場所になっているのよね。それは何故かと言うとね、世界の大陸の縮図として日本列島があるのよね、もうそっくりそのままでしょう。北海道は北アメリカ大陸そっくりよねえ。四国なんてオーストラリア大陸にそっくりでしょう。世界の大陸は日本列島の姿とそっくりなのね。だから、日本が世界の中心よね。これはもうそういう地形から見てもそういうふうに定められているからね。世界のどの国の人が文句言っても駄目なの。証拠があるから(笑い)。それで「光は東方から」というでしょう、東方って日本になっているのね。そうでしょう、日付変更線はどこにあるの? 日本が一番早く光が、太陽が昇ってきて、日本から光が出てくるんでしょう。だから、光は必ず日本から世界へ放射されるのね。これは本当は深い意味があるのね。

 次に、日本の中心は何処。琵琶湖なんよね。琵琶湖って人は住めないね、なまずが住んでるもん。神さまにとったらそうよ、琵琶湖なのね。そこから言霊を生み出してくるね。「水茎文字(みずくきもじ)」という、棒を組み合わせたような水茎文字って最初に生まれてくる。それが琵琶湖の湖面に浮かび出るのよね。近江八幡市の岡山という山があるのね、琵琶湖の傍にね。私はそこの傍に住んで元水茎町というところ「元、水茎」というとこよ。そこでお祈りの修行をズーッとさせてもらってたのね。そして感謝の深い意味をわからせてもらったのね。神さまの心がそこから発信されてくるのね、中心になってね。それで、無限の無限の輝きが無限に無限に一杯というような感じで光が放射されてくるのね。ただ、琵琶湖に住めないからね、ここへ移ってきたんだけど。

 この地がやっぱり昔から「神域、聖地」になっているのね。やっぱり計画があるのよ、神さまの方のね。ただ、謙虚な心でないと本当の神さまは現われないね。宇宙の大神様は、本当の神さまは「ありがとうございます」の神さまは一番謙虚なのね。信仰でもいろんな信仰があるのね。「この仏様を信じます」と言ったら「ああ、どうぞ、どうぞ、その仏様は素晴らしいですよ」と言うてくれるよ。「私はこの神様を信じます」と言ったらね「ああ、どうぞ、どうぞ、その神様は最高ですよ」と言うてくれるのね。でしゃばってこないから引っ込んでしまうの、皆ね。宇宙の大神様は「ありがとうございます」の神さまは引っ込んでしまうね。

 でもね、最後に謙虚になってすがったら、この神さまはすっと出てくるよね。だから、一番謙虚にならないと、この「ありがとうございます」は本当は唱えられないの。だから、皆さんはいろんな事を全部してきて、かなり我が取れて謙虚になってるはずね。そりゃあちょっとは残りカスはあるのよ、思いの残りカスね。これはね「ありがとうございます」を唱えた時に、この神さまがどれだけ力があるかというのを見せてくれる為の勉強材料なの。唱えた途端に思いが消されていくのよね。「ああ、素晴らしいな」って感激するでしょう。そこまで用意周到に残してくれる。「ありがとうございます」というこの言葉に導かれて「これが全て」という感じで的を絞り込めた人は、もう凄い人よ。過去世の修行なんてもう卒業しているかも知れないね。全てを一つに束ねてぜんぶ中に包容するような生き方をとれる人よね。それで日本に住む資格が生まれたのかも知れないね。


     日本は世界の中心

 日本ってそうよね、宗教でも世界の宗教をぜんぶ中へ持っているでしょう。日本の中へ世界の宗教が全部入ってくるでしょう。キリスト教も入ってくるよね。でも、外国は偏るでしょう一つにね。文化でもそうよね、世界の文化がぜんぶ日本に入ってくるもんね。世界のありとあらゆるものが全部入ってくるのね、日本にはね。また、日本からぜんぶ出て行っているのね、出たものが入ってきてるんだけど。ぜんぶ包容しつくせるというのが凄いことなのね。これは、もう日常生活の中でもよくわかるね。草履や風呂敷や着物というと、大きい人も小さい人も全部入るでしょう。襖というと、外したら部屋が広くなる。こういうのが外国に無いよね。だからやっぱり世界の中心よね。

 その世界の中心になる為には、謙虚になって神さまの心を伝えないといけないのね。昔からの日本古来からの日本の本当のあり方は「自我を死にきる」「思いを捨てきる、消しきる」そこに神さまの心だけが輝いてくるのね。そしてみんなを幸せにする、平和にする働きをするのね。だから、神風の吹く時は、謙虚になった時なのよ。権力を握って我の心で戦いに走る時は負けるの、必ずね。天罰てきめん。

 日本の歴史をみてもそうなのよね。謙虚になって神さまの御心を受け入れた時は、必ず神風が吹く、奇跡が起こるのね。絶対攻められる事は無い、傷つく事は絶対無いのね。でも、思いの心で、欲の心で外国を攻めたら、必ず敗戦の憂き目を見るのよ。これはもう神さまがそういうふうにしてしまうね、間違った事をさせない。いくら「神さま!」と言うても駄目なのね。神さまは「外国を攻めろ」なんて言わない、絶対。

 「自分の全てを与え尽しなさい」と言うぐらいね。「困っている人があったら、全部与えなさい」と言うのね、「みんなを助けなさい」って、「自分の事は放っておきなさい」って。「最後に自分の事を考えたら良い」というぐらいでしょう。そこまで神さまの大きい愛に日本は護られてるんですよね。ちょっと気づけば無抵抗の平和主義でも良いの。ただ、与えないといけないね、外国の為に一所懸命尽すのね。尽して尽して尽しきったら、日本を攻める国は無いの。
 
 お金儲けをしたら奪い取っているのよ、タダで与えたらいい、難しいかも知れんけど。一所懸命外国のために尽したら、世界の全ての国が日本を護ってくれるでしょう。本当はそれが理想の生き方なんですけどね。でも、まだ思いの心で生きている人も多いから、神さまの心をまだ感じとれないのね。感謝するようになって初めて宇宙の大神様の大きい愛の心に気づくのね。そして日本人の役割、日本の国の役割を気づかせてもらうね。後は、阿保になってボサッとしていて良いのよ。「ありがとうございます」をしっかり唱えるのね、心の中でしっかり唱えると神さまが大きい力を揮ってくれるね。その時に個性のある働きも自然に出てきて、世界を平和にする大きい働きをさせてもらうのね。


     日本は世界の雛型

 だから、一人一人がそうなった時に本物よね。だから本物がここに集められているの。そして本物同士が出会って交流し合うのね。そうすると大きい本物になるね。松明の火でも一本と二本と三本と‥‥ってたくさん集めると大きいね。大炬火(だいきょか)という感じで光輝くでしょう、絶対消えないよね。そういう大きい光になった時に、世界を本当の意味で明るく照らして平和にするのね。だから、日本人の生き方が世界を左右してるのね。日本人が感謝をして神さまの光をたくさん受けるようになったら、もう世界は即、平和になるの。日本は世界の雛形なの。

 丁度、昔の幻灯機(げんとうき)のフィルムがあって、光がこっちにあって照らすでしょう。この光源に近いところにフィルムが雛形で置いたら、大きくパーッと広がるじゃない。日本の国はこの神さまの光の一番近くにある、この雛形なのね。必ず雛形が世界に必ずバーッと広がるから、日本が平和になったら世界が平和になるよ。日本の大勢の人が感謝の心を深くしたら、世界の人も即、感謝のできる人になるね。これはまた凄いでしょう。わざわざ世界に「感謝しなさい」って言いに行かなくて良いよ、はははは。勝手にみんなが感謝してしまうのよ。だから、自分が感謝を深めるだけでも構わないのね。わざわざ人にお節介に「感謝しなさいよ」って言いに行かなくても大丈夫なのね。みなさんの一人一人が感謝を深めさえすれば、大勢いてるからね、世界の雛形としてのそういう姿をとって、それを世界に感謝のできる人をいっぱい生み出すのね。この地がそういう場所なのよね。それでわざわざ神さまが引っ張り寄せているのね、私は何も呼んでないのに、あははは。


     神様の方が良く知っている

 なんで来たんですか、こんなところへ、不思議な人。神さまのする事ってわからんね。私の予定が狂っちゃうよ、はははは。でも、神さまの方がよく知ってるからね、こういう部屋も先に用意してくるね。順番に大きい部屋を用意してくれているからね、ここも不思議よね。人だけじゃなしにね、入る場所まで用意してくれているから、やっぱり神業と言えるかも知れない。でも、楽しいでしょう「神さまのお手伝いに生きる」というのは、みんなを平和にできるというのはね、幸せにできるんだからね。「神さまのお手伝い」というのは一番幸せなんよね。今も幸せなはずなんですけど、もっと幸せにしたいわけよね、神さまは。どうします。幸せになり過ぎたら困りますよ。だから、ちょっとは地獄を味わってみたいと思っても味わえなくなっちゃうじゃない。そうしたら、何か質問があれば。

司会者:
 テーマでお話をしてもらいますと、深くお話をしていただけますね。今度は「求める心、与える心」「マイナスの交流、プラスの交流」というテーマでお話をしていただければありがたいなあと思う事と。それから、雛形のお話がありますね、入れ子構造のお話、相似形のお話をまた別の機会にしていただきたいなと思います。

ありがとうございます:
 注文が多いね。ははははは。

司会者:
 それから、今年の惟喬親王さんのお祭りには千人ぐらいの方を予想されています。

ありがとうございます:
 そうなの、招待状をもらいましたか、はははは。神さまからの招待状。行っているはずなんですけど。

司会者:
 この中の皆さんが十人ずつでこられたら即千四百人になります。それから、古神道の生き方というお話もまたまとめて。惟喬親王さんや、皇の聖地のお話はお祭りの前の日ぐらいに、テーマでお願いしようと思います。じゃあ、今、質問したいなと思われている方は質問をお願いします。


   

神様の方が先を行く

質問:
 先ほどのお話の中で、呼吸の吐く時に神さまが入ってくるという事ですが。先ほど、後ろで体操を教えて頂いた時に、吐きながら体操をするのが体の歪みを取るという事でしたが、やっぱり関連しているのでしょうか。

ありがとうございます:
 そうね、ちゃんと法則に適ってますね、神さまにいっぱい護られてる。

質問:
 光の事なんですが、私たちに感じる光というのは自然界の太陽の光です。朝日を御来光として「ありがとうございます」と拝む事は言い訳なんですか。

ありがとうございます:
 良いですね。朝日も夕陽もやっぱり光があるんですけどね。それも「新たに新たに」という気持ちで受けると良いのね。新しい太陽という形で、どんな光を受けても良いんですね。呼吸も吸う時も入ってくるんですよ、光はね。吐く時の方がたくさん入るの。新鮮に感じるのよね。受け方が違うのよね。いっぱい吸い込んで吐いた時に、神さまの方は早く感動を与えたいのよ。普通は表面的にみるとぜんぶ吐き出して深呼吸をした時に「ああ、良い気持ち」というのでしょう。ところが神さまの方はもっと先を行くわけね。ちょっと吐き出した時に、同じ感動よりもっと大きい感動を与えたいのね。それで間髪を入れずに大きい光を送り込んでくるのね。そういう感じなのね。

人に注文を出すのは「求める心」

質問:
 自分が感謝の心で「ありがとうございます」を唱えておけば、それで良いとおっしゃっていたように受け取らせて頂いたのですが。私自身はこういう感じなんですが、主人なんかはかなり頑固で、自分の思った事しかしないもので、私の言う事なんかは、解っているのだけど受け入れない。こういう状況で、家の中はかなり厳しくて、みんな小さくなってるし‥‥。そういう面でも私が言っても駄目なんだから、ただひたすら「ありがとうございます」と私自身がもっと謙虚に謙虚になってしまえば、またそれなりに神さまがやっていただけるのだろうなと。そこまで私が腹をくくればいいんだろうと、それで間違いございませんか。

ありがとうございます:
 それで良いんですね、はい。人に注文を出すと「求める心」になってるでしょう。感謝の「与える心」になってないのね。その時に損するのね、受け損なうのね、神さまの助けを受け損なってるのね。

質問者:
それで、何があろうと、ただひたすら「ありがとうございます」を。

ありがとうございます:
 ただ、無心の「ありがとうございます」が良いのにね。そうすると神さまに自分のすべてを与え尽した全託になるから、神さまの方は大きい力を揮えるよね。すると、周りの全てを神さまの愛の助けという姿で変化させてくるね。

質問者:
 では、仮に一時的に家が無くなろうが、何があろうが全て任せておけばよろしいわけですね。

ありがとうございます:
 宇宙が自分の家なんですよ。(笑い)凄いでしょう、星空天井、シャンデリア。(笑い)地球なんて小さい箱庭よ、はははは。(ありがとうございます)


  


謙虚な心で贅沢しない

質問:
 住まいとか、それをつくる人の心の関係についてお話していただければ。

ありがとうございます:
 人は贅沢しない方が良いみたいですね。万物の霊長でしょう、大自然の全てを守るのが人の役目よね。贅沢にすると、やっぱり木でもたくさん切り倒してしまうでしょう。だから古い家でも、もう一回解体して使うぐらいが良いね。廃材も活用した方が木を大事に使った事になるでしょう。木の方から「どうぞ使って下さい」って身を捧げてくるのだったら使わせてもらったら良いね。それも大事に使わせてもらうのが良いもんね。全てがそうよね、大自然の全てが本当は必要だったら「お使いください」と言ってくれてるよね。それを贅沢に無駄に使ってしまったら申し訳ないでしょう。だから、できるだけ謙虚な心で贅沢をせずに、それも必要なだけで止める方が良いよね。それが人間以外の万類の幸せを守る事にもなってるのよね。そしたらまた必要なものは豊かに与えてきてくれるよね。そこまで謙虚な方が良いですよね。


 

一万回唱えるポイント

質問:
 一日に「ありがとうございます」を一万回唱えるという事ですが。なかなかそういう事はできないのですけど。そのポイントはどういうふうにすれば良いでしょうか。

ありがとうございます:
 感謝の対象を何か選んで数えるのも良いんですよね。全身の細胞の60兆に一回は感謝してみようというのはどうですか。周りの人、例えば地球上の人全部に一回は感謝してみようという感じで、忙しいですね。もう、何でも良いんです。地球上の花すべてに感謝してみようとかね。そしたら無限に出てくるのね、感謝の対象がね。海の砂一粒一粒に感謝してみようって。でも、みんな自分の幸せの為に神さまが愛の心で変身して存在しているのね。道を歩いている時の石ころもそうなのね、四方を飛びまわれる神さまが小さい石ころに変身するのね、愛の心でね。そして踏まれても「ありがとうございます」って拝んでくれる。だから、やっぱり一回は「ありがとうございます」と言わないとね。だから、周りの全てがそうよね、神さまの愛の姿で現われた変身の姿だから。本当は一個一個の原子にも・・・。気が遠くなるけど。だから、感謝の対象は無限に無限に現われるでしょう、それも練習に良いのね。そのうちに「ありがとうございます」が言えるようになってきたら、まとめて全部「ありがとうございます」で良いけどね。最初は練習の為だったら、そういういろんな方法を使えば、回数を多く言えるようになる、はい。


 

人間の寿命は変化する

司会者:
 見えない世界が見える方に「あと三年の命」と言われた方があって、質問をされないんですけども。

ありがとうございます:
 そうね、誰が言うたのかね、そんなんね、神さまは言わないわね。神さまは「無限の寿命を与えたよ」と言ってくるわね。その中から何を選ぶかよね。常に永遠の生命を与えてもらっているよね、一番奥からね。その中から自分が選んだ通りになるよね。

 本当は、この世でも何万年って生きても構わないのよ、でもみんな飽きてくるのね。だから短く限定しているだけね。もっともっと輝いた自由な世界になったら、何万年でも楽しめるかも知れないけどね。この世よりもちょっと進化した星の世界だったら、寿命は何万年でも良いのね。いつも楽しいのね、幸せなのね。

 だから、人間の寿命なんて変化するのよ。誰が決めたのかって、本当は自分で決めてくるのよ。誰かが勝手に決めて支配しているのじゃないのね。根本は自分が決めるの。だから自分がまた改めて決めれば良いよ。その通りにしてくれるよ、みんなね。だから、言葉通りに全部なっていくから、過去の言葉がマイナスになってたら、それを打ち消してもらって消してもらって、新しいプラスの言葉に変えて行くだけが良いのね。そしたら寿命が延びすぎて困るかも知れない。その時はちょっと神さまの方からアドバイスがくるかも知れないね。「この世よりもあの世の方がもっと良いよ」って言うて。誘いがくるかも知れないね「そしたら早くあの世へ行こうか」って。だから、死ぬ時は必ず向こうの世界の方が良い時に、神さまの方が引き上げて、引き取ってくれるのよ。いろんな意味で幸せになる勉強ができる時よね、あの世がね。この世の方が良い時にはこの世を長引かせてでも置いてくれるよね。だから、なんにも心配は無いね、早く死んでも遅く死んでも同じなの。

司会者:
 間違いなく誰でも一回は死にますから。絶対死ねますからね。


 

古神道の生き方
質問:
「古神道の生き方」というのをおっしゃったんですけど、一つだけ教えていただけますか。

ありがとうございます:
 古神道という言葉は、これもいろいろな意味で使われますね。「神道の古いもの」というのね、昔の神道を古神道という人もあるのね。でもそれも一つの解釈ね。

 でも、本当の古神道はそうじゃなしに「古い・降る」天から降るという意味よね。それと「十」に「口」でしょう「言葉を超えて縦横無尽の働きをする神様」という意味よね。いろんな宗教に教えがありますでしょう、教えで縛ってくるのね、どんな教えも縛りになるでしょう。

 でも、本当の神さまは教えで縛ってこないね、教えを超越して超えて、みんなを幸せにする縦横無尽の働きをして、みんなを幸せにしてくれてるのね。これが本当の神さまよね。だから、人の創った神さまじゃないのね、人の創った教えじゃないのね。元からあるものが本物、本当の神さまの働きね。

 だから、宗教の教えができたから地球が生まれたのでも太陽が出てきたのでもないのね。元からあったのね。ただ、人間の創った教えはみんな「これが神さまの言葉」というだけで、神さまの言葉と違うよ。人の言葉よ、みんなね。それで縛っていくの、皆をがんじがらめに縛ろうとしてるね。だから、本当の神さまは絶対に縛らないね。人の自由を縛らないから言葉を超えてるのね。それが「古(ふる)い」「古(こ)」という意味ね。そういう神さまの道よね。道というのは宇宙に満ち渡っているという意味ね。

 また、道路の道も皆を一つにつなぎ合わせてくれるでしょう。みんなを一体化してくれる、皆をつないで仲良く一つにしてくれるでしょう。それで宇宙に満ち渡ってるという意味もあってね。そして幸せが満ち渡る、満ち溢れるという意味もあるのね。それが古神道ね、だから本当の神さまの働きを現わすのね、はい。


神様にそのまま導かれて
質問:
 福島県の郡山から参りました。今日のお話は「本心の開発」ということの中で、私達の多くは仕事を通じて、或いは、人間関係を通じて本心の開発をするという中で、郡山市の方で、ここへ来て「ありがとうハウス」という住宅をつくった方がいるんですよ。それまでは駄目で、もう止めようかという方だったんですが。その方が、上手く行かないのはやり方が上手くないのだという事で、形を変えて自然の住宅にしましたら、そこに人が集まり始めたんですね。自分のコンセプトを「人に喜びを与える」という事を言い始めましたら、新聞社からも取材が来るようになって、それが響きになって、言葉になって、それが循環して行っているというのが、今で三ヶ月ぐらいなんですけども。この先、ありがとうハウスさんが、それをより一層、このありがとう村を雛形にしながら、本心開発をしながら、与え続けながら、仕事を通じて地域に還元するという中で、何かヒントのようなものがありましたらお願い致します。

ありがとうございます:
 もう神さまにそのまま導かれているのよね。自然に神さまの働きが具体化して降りている姿よね。だからそのままでいいよね。後は神さまの働きがどんどん大きく降りて、みんなを幸せにする働きの中心に変えてくださるから、そこもありがとう村よ。素晴らしい、ありがとうハウスが一杯という感じで。


 

主体性が無くなるとは
質問:
 心の主体性が無くなる。主体性が無くなるというのは求める心が起きているからですか。

ありがとうございます:
 思いの心は、我の自由があるようだけど、主体性じゃないね、思いの奴隷なのね、奴隷になってるのね。だから、やることがコロコロと一貫性が無いように変わってしまうでしょう。

 でも、本当は本心の自分、神さまと直結した自分は一貫性があるのね、個性がはっきり出てくるね。主体性が最高に発揮されるのね。神さま自体が一番大きい主体性を持っているでしょう。その分身として個性ある人が常に働くの。

質問者:
 常に大切な事をズーッとしていると、主体性を保てるということですか。

ありがとうございます:
 そうそう、神さまとつながってたら主体性は常に発揮されるのね。それも最高に発揮されて行くのね。はい。


 

ここに来る人は神様が必要とする

ありがとうございます:
 どうでしょうね、あるんでしょうね。ここは誰も来てくれないの、あっはははは。 来ても「お断り」と言っている。

質問者:
 何故、お断りなんですか、

ありがとうございます:
 ここへ来る人は、みんな宣伝して来てもらってるのじゃないからね。神さまが必要があって連れて来てくれるのね。ここが違うのね、宣伝しないのにこんなに来てしまうんでしょう、これは不思議でしょう。だから、神さまが働くのね、先にね。それで必要がなかったら来られないようにしてしまうね。だから、無理に宣伝しなくても良いのよね。

ありがとうございます:
 もし神さまが必要と認めたらね、そういうテレビ局が来るかも知れないね、神さまが連れてくるかも知れないけど。まだそういうテレビ局が無いんでしょうね、神さまが必要と認めてくれるテレビ局はね。だから、来てくれないで助かってるんですけど、はははは。来られたらねえ、逃げてまわらなきゃいけないもんね。誰か代わりにありがとうございますして下さいよ、(笑い)譲りますからね。


 

神様の愛
質問:
 すごく穏やかでやさしい目をしてらっしゃるんですけど、ありがとうございますは怒りを感じる事は無いんですか。

ありがとうございます:
 はい。

質問者:
 何に対しても無いんですか。

ありがとうございます:
 うん。

ありがとうございます:
 無いの、はははは。神さまの愛を感じたらね、本当は幸せばっかしなのよね。もうありがたいばっかしになるから。でも、神さまの愛は、やっぱり優しい面と厳しい面と両方あるよね。不動明王とか閻魔大王というのは、本当はもう一つ大きい愛の神さまなのよね。あれは、もうマイナスの思いを持った人の分を振り替えるのね。マイナスを全部引き受けるから、不動明王さんは厳しい表情の顔になるのね。閻魔大王様はもっと厳しい顔になるね。振り替えの姿ね。でもね、怒りなんかは無いね、愛の塊よね、不動明王さんも閻魔大王さんもそうね。

ありがとうございます。



ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。

ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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