ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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司馬遼太郎の記念館

t: この間、司馬遼太郎の記念館に行ったんですよ。先生の出身校の布施高校だって「ここが布施高校だ」って東大阪へ初めて行ったんですよ。「ここが先生の出られた高校だ」と、初めて行きました。今日は、お迎えをいただいて、先生の生い立ちとか歩みとかを大体は存じ上げるんですが。今日は、そういう面からひとつお話を聞かせて欲しいなあと、そう思っております。先生は、小学校時代から給食費にも事欠くとか。

・・・・: そうよね。

t: お父さんは、時計屋さんをやっておられたんですか。

・・・・: そうです、和歌山出身でね、父は財産家の家に生まれたんです。ところが、親とか兄弟を早く亡くして一人になって、財産を使い果たしたのね、放蕩して。それで、肺結核の末期になって死ぬところまでいったみたいですね。その時に、何か神懸りになって助けてもらったんですよね。それから「神様のお手伝いをする」ということで、それなりに修行をしたみたいですね、滝に打たれたり、断食したりね。その
神さまのお手伝いをするのでも「それは無料奉仕でないと駄目だ」ということで、仕事は時計屋をさせてもらって、奉仕の心で神様のお手伝いをずっとしてきたんですね。霊媒体質で神懸りになりやすかったのね。
 
t: 時計屋をおやめになった?

・・・・: あとは、私の成長に合わせてでしょうけどね。物心がついて、ある程度心がしっかりした時期に「本当の修行とは何か」ということから「滝に打たれたり、断食するのは大したことないよ」って。「生活行が本当の修行になるよ」って「生活の中の行が本当の修行になるよ」ということですね。「これから本当の修行をさせる」ということで「耐乏生活を先ずはじめよ」ということでね。それで、神懸りになっていろんな神様が出てくるんですけどね、個別霊がね、まあ守護霊さんだと思うんですけど。「時計屋を辞めなさい」って命令が下るのね。その時から、財産がぜんぶなくなるの。先ず「時計屋を辞めなさい」と言われた途端に、毎日、それまでは十個ぐらい修理があったと思うんです、毎朝五時ごろ店を開いてましたからね。通勤の途中に修理を頼んで行くのがあったと思うんですけど、それがピタッと止まるんですよね、不思議なくらいね、修理は一個も依頼してもらえないのね。それから家財道具をぜんぶ売ってしまうでしょう、借家も持ってるものもみんな売ってしまうでしょう。全部すっからかんに無くなるでしょう。時計屋ですからね、時計は大事ですよね。そのうちに、柱時計とか置時計なんかは、真(しん)鋳(ちゅう)でできてましたからね、それを鉄と分けて最後はクズ鉄屋へ行くんですよね。最後は腕巻き時計まで分解してクズ鉄屋へ行くんです。それで全財産無くして、家も無い、家財道具も一切無い、それですっからかんの裸になったところから「これからだよ」と言うのね。それで知り合いの家の六畳の物置を借りるんですよ、トタン張りの、雪が舞い込むような、雨の漏るような。そこへ六人家族が、私に姉と妹が二人いますので、六人家族だったんですけど、そこへ引っ越すわけね。それで布団が無いんです、わら布団をかぶるんです。それで、着たきりすずめで、着替えが無かったですね。シャツ一枚の着替えが無いんですよね。また、石鹸は無いし、つくろう糸も無かったんです。手袋も靴下も無いしね。

t: お母さんはおられたんでしょう。

・・・・: おりましたんです。母のほうが信心深かったと思うんですよね。和歌山の出身ですけど、母も親をみんな亡くしてしまってるのね。

t: 別に何教というものじゃなくて。

・・・・: 別に無いですね。母の場合は、小さいときに頼るものが無くて、信心という感じですがってたみたいですね。母の母は若くして亡くなってるんですけど、いつも見える人に見えたみたいで「出た」と言うのね。十八日が母の命日ですよね、だから十八日は必ず何かいいことがあったの。だから、母のほうが信心深いね、苦労しているだけにね。父は若いときに放蕩していますから、ある意味ではそういう癖が残ってましたからね。母の場合は、小さい小学生の頃から、親戚の家にもらわれて行ったような感じで養ってもらったんですよね。そこは、宿屋をしてて、宿屋の仕事をして、蚕の世話をするわ、畑仕事をするわでね、男の人の三倍ぐらい小学生のころに働いたみたいね。座ってご飯を食べたことは一回も無いというぐらい、そのぐらいの働き者なんですよね。だから少々の苦労はへっちゃらなんですね「努力さえすればやってける」という感じだったんですね。ところが、やっぱり努力してもできないときが来ますよね。「これは、本当に神様の試練だなあ」という感じで、神様にすがりだしたみたいですけどね。母がいてたから苦労を一緒に耐えられたんだと思うんですけどね、強かったですからね。母のほうが相当心を痛めたと思うんですけど。

t: 何歳のときのお子さんなんですか。

・・・・: 父は、だいぶ経ってから結婚して、母と父とはだいぶ年が離れてるますしね。父は明治三十六年生まれで、母は大正七年生まれなんですよ。

t: だいぶ違いますな。じゃあ、お母さんがお幾つのときの先生はお子さんですか。

・・・・: 私は昭和十六年生まれですからね。二十四・五歳ですか。

t: 先生は四歳ぐらいからお祈りをしてたって。

・・・・: 三歳ぐらいね、物心ついたときからで、変わり者でしたね、やっぱり。

t: 生まれながらにして。

・・・・: また、家に大きい神棚がありましたからね。いろんなのがいっぱい祭ってあるんですよ。そういうのも影響してたのかも知れないですけどね。ちょこんと座って。だからね「子供らしさが無い」と言われてたぐらいなのね。変わり者に見えたみたいですね。おとなしかったのね。

t: 小学校時代はいじめにあわなかったですか。経験はないですか、いじめられたという。

・・・・: 私が中学のときに、不良グループが暴れてたんですよ。その時でもね、学校の黒板なんかに箒を投げて穴だらけですよ。今より酷かったと思いますね。でも、その時でもね、剣道をしててクラブ活動が終わって帰るでしょう。不良グループがたくさんいててもね、私はその影響はぜんぜん受けてないですね。私が通るというたらみんな逃げるんです、ヒュッと顔を背けてくれたりね、今から思うと不思議でしたけどね。ぜんぜん絡まれたことは無かったですね。

t: 元々ガッチリとした体格で?

・・・・: いえ、いえ、細かったです、食べ物は食べてないですから。小学生のころから耐乏生活に入るでしょう。学校へ行っても給食代が払えない、家に帰ってももちろんですけどね。遠足なんかには行かれないですよ、ぜんぜんね。だから、一日一食か二食、食べられたらいいんですけどね。それも、一番安いのは小麦粉でしたね。メリケン粉が一番安かったので、それから、いろんな安い内職はちょっとさせてもらったのね。「内職はしてもいい」ということでね、家族六人でぜんぶで内職をするんですけどね。一食分の小麦粉ぐらいは買えたんですね。あとは畑の野菜屑を拾ってきて食べたりするんですけど。だから、三食は食べてないですからね。学校で給食なんかは食べられないですよね。その時間は一人校庭へでてじっと立ってお祈りをしてたんですけど。

t: 勉強はよくなさったと聞いてます。

・・・・: それは、食べてないからよく冴えるんでしょうね、はははは、一回見たら覚えてましたね。家へ帰ったら内職ですから。

t: 家に帰ったら勉強はできないですか。

・・・・: そうです。ですから、学校で宿題もぜんぶしてしまうのね。集中力はみんなより良かったかも知れないですけど。それで授業中にぜんぶ覚えてしまうのね。

t: 中学時代に、人生問題に悩んで自殺をしかけたということですが。

・・・・: 苦労をするといろんな問題に突き当たりますよね。苦しいからじゃなしに「人って何のために生きるのかな」というのが一番大きな問題でしたね。いろいろ考えて答えを出すんですけどね、やっぱりみんなそれがむなしく見えるんですね。私はお医者さんになりたかったんですけど「さて、それをして何になるのか」って考え出すと、答えが出てこなかったですね。やっぱり「自分が肉体」と掴んでて、また、肉体って有限のものですよね、いつか死ぬんだし。「もし、死んだ後はどうなるか」というのがはっきりしてなかったですね。

t: 中学の二年ぐらいですか。

・・・・: 小学生の頃からちょっとは考え出して、中学生になってからですね、真剣に悩みだしたのは。

f: 早熟ですね。

t: ああ、そうですか。

・・・・:そうね、考え方はね。

t: それでは中学時代も勉強はよくできたんでしょう。

・・・・: ちょっと表彰状はもらってますね。教育委員会とかね。

f: 二宮尊徳といわれたのはその頃ですか。

・・・・: 学校の担任の先生が言うてくれるのね。

f: ニックネームが「金次郎さん」

t: やっぱし、よく似てますよ。二宮尊徳の像が、小田原へ行ったら博物館がありますが。尊徳さんは背が高いですから、もっと。しかし、顔はよく似てる、ものすごいよく似てる。そうですか、それでは二十歳で眼を開く。じゃあ、布施高校を出てからですね。

・・・・::もう、ズーッと祈ってますからね。太陽を見ながらよく祈ってたですね。

f: どんなふうになったんですか。

・・・・: それは「ありがとうございます」を唱えるんですけどね。

t: その当時から「ありがとうございます」ですか。

・・・・: そうですね、はい。

t: 例えば、般若心経を唱えるとか。

・・・・: それもありますね、般若心経も唱えました、十句観音経とかね、そういうのもよく唱えましたけど。短いのというと、やっぱり「ありがとうございます」ですね。それで太陽をよく見てましたね。二十歳のときも、太陽を見ててそれで閃(ひらめ)いたんですね。肉体感覚が抜けて、魂の感覚も抜けて、大きく広がった自分に気づいたんですね。

f: ちょっとその辺は私はまだ知らないです。

t: その時の実感というのは、もう神様が入ったというような? どうですか、ぜんぶ輝きに満ちたというのか、その時の実感はいかがですか。

・・・・: その時は、自分の体がグーッと大きくなったような感じですね。それで小さいものが消えて、もう、澄みきったような感覚ですね。そこに輝いたものがあるというような感じですね。だから、自分が大きくなったのが感じられたんですね。それで、肉体の自分をサッと放せたんだと思うんですけど。

f: それは、どういう瞬間で?

・・・・: 太陽を見てね「ありがとうございます」を唱えてたんですね。

t: 朝ですか?

・・・・: お昼だったですよ、ちょうど正午。

f: 「ありがとうございます」を言われたんですか。

・・・・: そうです。

f: 瞬間に、天啓みたいな。

・・・・: 天啓って、天啓っていうほどでもないですけどね。その時は、自分がグーンと広がったような感じでね。

t: その時の感動というか、感激というか、今でも思い出されますね。二十歳の時のそういう瞬間というのは。

・・・・: 小さすぎるんです、それはもう。今の感覚とぜんぜん違うんです。今のほうがもっと大きいですしね、ものすごい輝きをとらえてますから。その時は、肉体の小さい自分が消えたんですよね。

t: 成る程。

・・・・: 「魂的なものも消えて、ちょっと意識がグッと広がった」という感じですね。その後ですね、もうひとつ命懸けで「ありがとうございます」を唱えだしましたよね。そうすると周りがぜんぶ輝いて見えるのね。石ころも、草木も、ぜんぶ光って見えるんですよね、輝いてくるのね。

t: その当時は「ありがとう」だけだったんですか。「ありがとう」ですか、やっぱり「ありがとうございます」ですか。

・・・・: 「ありがとうございます」ですよ「ありがとう」は、私はあまり使ってないですね「ありがとうございます」ですね。それと「天照大御神がここに」と呼んだりね。

t: 「無限の無限の」と唱えだしたのはいつごろからですか。

・・・・: ずっと後ですね。琵琶湖へ移ってきて、そこでお祈りをずーっとしてて、そこで神様から「本当の感謝とは何か」というのを気づかせてもらったのね。

t: 二十歳から三十歳までの間、五井昌久先生とのご縁はいつ頃ですか。

・・・・: 私は二十歳ごろにわかってたんですけどね、ところがあまり組織はなかったですね。

t: 先生とお会いになってますか。

・・・・: 会ってないです。会ってないのにわかってたんですね。やっぱり感覚的にね。五井先生に会ったのは、三十歳過ぎ、結婚してから、その後ですね、三十過ぎなんですよ、訪ねて行ったのはね。

t: それでは、長い間仕えたという、そういうことは無い。

・・・・: ええ、私は導いてもらったのは、私の守護霊さんですよね。

f: 五井先生との出会いは、大きな一つの転機があったんですか。

・・・・: なりますね。初めて訪ねて行った時に、庭でお会いしたんですね。最初に私が挨拶をするんですけどね、五井先生の頭の下げ方が、私の何倍も下げてくださるの。私も何回も下げるんですけどね、五井先生はもう一つ下げてくださるの、頭をね。

t: 先生が三十幾つだったら、五井先生は五十代かな、ねえ。

・・・・: それが、先ず、ビックリした一番の印象ですね。それで、五井先生が「お祈りのご本尊」と言われるだけに、もう達人、名人、神様でしょう。それはもうよくわかってたのでね「ここまで頭を下げはるのかな」という感じでしたね。帰りもそうですよね、庭で送ってくださるのはいいけども、見えなくなるまで手を振ってくださったの。考えられなかったね。

t: お会いになって、お話の内容はいかがですか。

・・・・: 別に、特別な話は何もしなかった。

t: 一対一じゃなくて、大勢ですか。

・・・・: 一対一、庭で会ったのも一対一、帰りも一対一でしたけど。

t: 別に、そのまま質問も何もなさらないで、お会いになっただけでね。一回限りですか。

・・・・: その後は、みんなを連れて行くのに、ツアーを組んでは、みんなと一緒にお祈りに行ったんですけど。

f: 言葉で何か教わったとかいうのは。

・・・・: 無いんですね、別にね。

f: 確認し合ったんですかね。

・・・・: そうですね。

t: 本はお読みになってますでしょう。

・・・・: 五井先生の本はぜんぶ読んでますね。

t: 二十歳から三十歳まで、断食を毎日やっていらした。

・・・・: 月のうちの三週間ぐらい続けてましたね。

t: 毎月三週間も断食をするんですか。それは、一週間やって、食べて、また一週間、というのじゃなく。

・・・・: 三週間連続ですよ。私の場合の断食はサッと始めるでしょう、そして終わって食べ始めたら天婦羅でも何でも食べますね。それで平気だった。

t: その間は水だけですか。

・・・・: 生水だけは断食中は飲むんですけど。生水だけですね。それも小さいときから身についてるのかも知れないです。水道の水だけ飲んでたから、はははは。

t: 働くのは人並みに働くのですか。

・・・・: 人並みの三倍働きましたよ、三倍、朝・昼・晩。

t: 労働?

f: どんな労働ですか。

・・・・: どんな労働でも、お金になるものは何でもしましたね、アルバイトでね。そのお金をいろんな本を買ったりね、みんなに薦めたかったですね。

t: 本を買って、それがいいと思ったら。

・・・・: いいものを人に薦めるのにね。

t: お薦めになった?

・・・・: はい、平和運動をしたかったですね、しっかりとね。そういう資金が欲しかったですから。

t: 例えば、自分がアルバイトをして儲けたお金を、五井先生のほうに送るとか、そんなことは無かった。

・・・・: 自分が使うんです、やっぱりね、良いと思うことに使わないとね。宗教団体に預けるのは、私は嫌いなんですよ。やっぱり自分が使わないと意味が無いと思ってね。それを一番効率よく良いことに使おうということで。それはぜんぶそういうことに使ってしまったのね、だから生活費はゼロでした。お金は持ってないですよ、お祈りにぜんぶ使いきるんでね。だから、後はみんなに助けてもらってばっかし。

t: 後は、家族はいらっしゃらないんですか。

・・・・: そうです、結婚は三十過ぎてからです。結婚するときに、本当に一円も持ってなかったね、はははは。結婚式の費用もみんな出してもらって。よくついてきたと思いますけど。

t: 奥さんとの出会いはどうなんですか。

・・・・: 知り合いの人に紹介されたんですけど「結婚してみないか」とね。私も若い時は「絶対結婚するものか」と、独身主義だったんですよ。「神様に奉仕するんだったら、そんなことはしてられない」という感じだったんですけど。でもね、自然になってしまったですね。

f: 神様に奉仕するというのは、二十歳ぐらいからですか。

・・・・: そうです。お祈りして奉仕するというのを根本に定めてたんですよね。それも二十歳のときに、一回気持ちがグッと広がるでしょう、地獄絵図を見せられたんですよ。地球の未来とか、地獄の状態とかね、それがぜんぶ感覚的に入ってきて。それで「これをどうするか」という問い詰められ方をされたんですね。だから、私はもう「命を神様に捧げますから、地球救済にお使いください」という感じで、その時から命を投げ出したんですよね。お祈りが根本にあって、人の三倍働いたんです。祈りながらです、だから耐えられたんだと思うんですよね。

f: 断食されたのはどういう意図だったんですか。

・・・・: お金が無いじゃないですか、はははは、食べるものは買えないね、それで忙しかったね。

f: それで「断食してしまおう」って。

・・・・: もう、面倒だから、はははは、それで寝る時間も無いぐらいだったのね。長くて二時間かそのぐらいだったから。

t: その間、病気をなさったという経験は無いのですか。

・・・・: 栄養失調的な肺結核になってるんですよ。

t: 二十歳か三十歳ぐらいのときですか。

・・・・: 二十歳代の終わりのほうでね、私は平気だったんですけど。最後に百日したんです、断食ね。最後に、締めくくりみたいな感じだったんですよね。その時に、途中で歩けなくなってしまったのね。家から一キロぐらい歩いたところでね、呼吸が止まって歩けなくなったんですよ。それで、そのまま呼吸ができないような状態で家にたどり着いてダウン。病院で診てもらったら、末期の、もう肺が無くなってるという。心臓がこの辺に来ててね、肺が無いという診断だったですね。

t: しかし百日の断食をやった人は無いでしょう。

・・・・: そうね、働きながらですからね。

女性: 心臓が止まったまま家まで?

・・・・:  心臓は動いてました、呼吸ができないような感覚です。

t: そりゃあ、今までかつて無いわ、百日は‥‥

・・・・: そうね、もの凄い護られてたんでしょうね。

f: 肺結核みたいなのは治ったんですか。

t: 自然治癒でしょう?

・・・・: 入院はちょっとしたんです、一回強制入院をさせられたんです。私は平気だったんですけどね、周りが心配しすぎてね。

女性: その時は、結婚は?

・・・・: してからですね、入院させられたのはね。

女性: 奥さんが出産のときだと言ってられましたね。

・・・・: そうです。

m: そういう状態でも、助けてもらいたい人がいっぱい来てたんです。

女性: 絶対安静なのに?

・・・・: そう、絶対安静で入院してるのにね、助けて欲しいっていっぱいたずねて来るんです。来た人は病気を治してもらって帰って行くの。

女性: 病気治しを?

・・・・: そうです、二十歳からしてました。お祈りでぜんぶ治っていくんですもん、不思議に。

f: 二十歳代のときから人の病気を治してたんですか?(はい)お祈りで。

・・・・: それはお祈りの練習なんですけどね、みんなを拝む練習だったんですけど。「みんな、天照大御神様」という感じで「無限に輝いてる」というような感じで「拝む練習」だったんですけど。そうすると病気でもサッと治ってしまうんです。

f: それでも、その時は自分は病気をしたわけですね。

・・・・: 病気でも、私は病気という感覚はぜんぜん無いんですけど。今も同じですけどね、人の思いを引き受けるときは、ぜんぶ病気の姿をとりますけどね。症状がそっくりになりますよ、一瞬はね。でも、それをお祈りで直ぐ消してもらうんで楽なんですけど。

女性: 骨折も直ぐ治ってしまったとか。

t: 脚立から落ちた?

・・・・: 余計なことをするんで、はははは。

t: 人の三倍働いていると、そりゃあ人がしている仕事をみると「わしがやれば」という気持ちになるんじゃないですか。

・・・・: 私がしたら十倍早いのよ、はははは。

t: 大工仕事であろうが、薪(まき)割(わ)りであろうが(速いです)速いでしょうな。畑仕事も?(はい)じゃあ、あらゆる仕事をこなしていらっしゃる。

・・・・: そうです、小学生のときからね。先ず、昔は大きい樽に肥(こえ)をかついでしましたからね。田んぼの手伝いも、うちにはなかったんですけど、近所から頼まれてはぜんぶ手伝いに行ってお礼をもらって帰りましたから。

t: 金次郎さんや、ねえ。二宮金次郎さん。

・・・・: だから、体は細かったですけどね、百キロぐらいの荷物を軽く持ってましたから。

t: しかし、お見受けしたところ、骨がガッチリと。

・・・・: 骨だけでしたね、あの時は、骨皮筋衛門です、はははは。

t: 百日断食なさって、体重を量(はか)ったら五十五キロとか、相当骨太でないと。

・・・・: そうですね、骨はしっかりしてたみたいですけど。片足のヒンズースクエアというんですか、千回できましたもんね、軽くね。普通は、両足で千回でもちょっと大変だったと思うんですけど、片足でできましたね。足の屈伸ね、普通は両足でしますよね、千回でも最初はちょっと大変ですよね。それが片足でできたんです、千回。それで片手でケンスイができたの、やっぱり力が強かったと思いますね。

女性: ええっ! 寺田::うわあ〜。

m: ボディビルのすごい方がいらっしゃるんですが。その当時、中央市場ですかね、朝、重たいのを運ぶ…

t: じゃあ、筋肉労働を相当やった。

・・・・: 気力でしょうね、気力でやれたと思うんですけど。不思議なことをいっぱい神様から体験させてもらってますね。高校へ通っているときでも、自転車で通学してたんですけど。自動車と正面衝突したことがあったんですね。ところが、中をすり抜けたんです「ああ、しまった、当たった」と思って。‥‥信じられないですけどね、中をすり抜けた感じで助けてもらったですね。護ってくれたんですね、それね。

t: 奇跡的な話はいっぱいありますか。

・・・・: そうですね、そういうので神さまへの信(しん)が深まって行ったんだと思うんですけど。

m: 娘さんが三歳の時に足の小指の骨が折れたのを、その場で治されたことがあります。それと、二十年前ぐらいに、うちの母の足が痛かったのが治ったんです。それで母から電話があって先生に話すと「神様は、面白いことをされますね」って言われました。

女性: 雨が降ってるのに、歩いたらそこだけ雨が降ってないとか?

m: これだけ神様が護ってるということを見せるためでしょうね。雨に当てないという期間があったみたいで、その時はいくら降ってても、雨がピタッと止んで。

・・・・: そう、大雨が降ってても、私がちょっと用事で家を出ようと思った途端に止むの、ピタッと。一年間だったけどね、一回も濡れてないね、どれだけ降ってもね。

女性: ここに引越ししてくるときに、信号が一回も赤にならなかったって。

・・・・: 大阪から滋賀県へ車に乗ってくるときにね、一回も止まらない、ブレーキを踏まないの。赤信号にかからないの。それで右折するときは、向こうの車が先に止まってくれるの。一回もブレーキを踏まずに大阪から滋賀県まで来たの。下の国道一号線を通ってね。そういうのも不思議ね、見せてくれるのね。「神様が護ったらこうなるんだよ」というのをね。

t: この土地は誰かが提供したんですか「使ってくれ」と。

・・・・: そうです、譲ってもらったんです。もともとここは、昔は田んぼと畑だったみたいですね。それを、山の土を道を作るときにいっぱい積んであったんですね。ちょっと木が植えてあって、ここを持ってた人は麓のほうへ降りてるんで、この山には住んでないのね。だから、何とか活用する道はないかという感じだったんでね。ちょうど私たちも過疎村のほうがいいだろうという感じで、そういうところでボランティア活動をさせてもらおうかなという感じでちょっと探してたら、そこのTさんというおじいさんがもともと村の村長さんでね、その人が山を大事に土地を護ってたんで。その人と出会って、そこから紹介されて譲ってもらうようになってね。この地元の人にはものすごい助けてもらってますけど。電気一つ、奥まで引くのは大変だと思うんですけどね。山の持ち主がぜんぶ電柱を喜んで立ててくれたし、もう不思議なことばっかしでここは出来上がったんですよ。

t: ここへ入る前はどこにいらっしゃったんですか。

・・・・: 琵琶湖のすぐ近くね、近江八幡市の方でね。

f: ここへ来てからどのぐらいになるんですか。

・・・・: 七年余りになるね。

t: もうボランティア活動は随分前から‥‥

・・・・:二十歳からですね。

女性: ここは惟喬親王の御陵があるというのはご存知だったんですか。

・・・・: いえ、特別に意識してないんですけどね。それでもずーっと「世界人類が平和でありますように」というピースポールがあるでしょう。あれを今から二十数年前に、ここに立てに回ってるんですよ、私がね。その時に立てた木がまだ腐らずに立ってるの、健在なのね。普通は腐ってなくなると思うんだけど。

女性: どの辺にあるんですか。

・・・・: 鳥居の前に看板が立ってて、中に小さいコンクリートの上に板を貼ってあるの、あれが傷んでないのよ、不思議にね。それが不思議でたまらんのだけど、普通は木でつくったのは大抵腐ってくるんだけど、ここは腐ってないのね、ぜんぜんね。まだ残ってて健在というのがすごいのね。何か縁があるんでしょうね。

m: 先生に働かれている神様(守護の神霊)から、生長の家のお手伝いをされていた時は「谷口先生のお手伝いを‥‥」と言われ、五井先生のお手伝いをされていた時は「良(い)いからお手伝いを‥‥」と言われていたようです。

・・・・: 私は、何でもいいのだったら応援したいからね。何もかも、どこのものでも、神様のお手伝いは全体を生かすことなので「いいものは何でも」という感じだったのね。

t: 本格的には、ここへ入られてから?

・・・・: もっと前からです「ありがとうございます」を伝えだしたのは、もっと前ですね。三歳からお祈りをはじめて、二十歳になって本格的に唱えて、それが深まったのが琵琶湖へ移ってですね。琵琶湖の竜神さんがずっと応援して助けてくれてました。

f: 琵琶湖へ移ったのは何歳ぐらいですか。

・・・・: 結婚してその後なんですけど、三十過ぎぐらい。

t: 今は六十一歳でいらっしゃるでしょう。じゃあ、二十年余り琵琶湖にいらっしゃったんですか。

・・・・: 二十年超えてるね。

t: お子さんはお手伝いを?

・・・・: お手伝いというよりも、自由に、最初から手伝ってくれるような感じですけどね、小さいときからね。私は子供のために何もしてないでしょう、お金を持ってないから何も買い与えてないんですよね。

t: 外へ出て、また帰ってくるということがあるじゃないですか、でも、ずーっとご一緒ですか。

・・・・: そうですね。親孝行です、親は教えてもらってるだけですね。

女性: 叱ったことがない。

・・・・: 教えてもらうことばっかしですね。

t: でも、今ここで暮らすと学校へ行くのが大変ですが。大きくなってから。やはり、高等学校だけ。

・・・・: 両方とも通信で出てるんですよね。男の子のほうは大学出てますね。二年間はコンピューターの学校へ通信で行って、四年間で出てますね。高校も通信なんですよ。中学のときも成績は良かったんです、だから「絶対一番いい高校へ」と言ってくれて「そこへ絶対に入ってくれ」と学校の先生は言うんだけど。本人が「通信でいい」って遠慮をするの。通信で、一年で大学受験の資格を取ってしまって。コンピューターの勉強を本人はしたかったみたいね。それが近くにあったんで、労働省の管轄の学校で、二年間の短大みたいな感じで、そこは通って取って。妹のほうは高校へは行ったんですけど、あとは通信で勉強して。お金は私はぜんぜん出してないです、みんなに出してもらって。スクーリングに行くにも私はお金がないから、知り合いの東京のほうのスチュワーデスさんがね、旅費も宿泊代も出して呼んでくれるの。みんな、助けてもらうばっかしです。

t: まだ結婚はしていらっしゃらない? お幾つですか。

・・・・: 二十七歳? まだまだ、自由に勉強したい盛りなんで。

t: そうですね、優秀ですね。

m: 先生も剣道をやられるので、息子さんもいろいろ剣道もやられるんですよ。

・・・・: そうね、ちゃんばら。中学からしたんですけど。中学のときは市民大会で個人優勝してますね。

m: ここのボランティアグループの女性:は綱引きが日本一ぐらい強いんです。ここでのボランティアの仕事は非常にきついこともあるんですが、それが終わったあとで綱引きの練習をされるんです。「ビックリします」と言われる方がいます。

f: 先生をお慕いされる方が集まって、十数名ぐらいの方がおられるのですか。

・・・・: 一緒に生活しています、家族みたいに。自給自足というより、必要なものを周りから与えてもらうばっかりですよ。自分のところでは何もつくってないんですけど。

女性: 今年、ブルドーザーが入った。

・・・・: ブルドーザーの除雪車ね、不思議でたまらないけど。

藤尾: 「ありがとうございます:」ということが人々に伝わっていったのはいつごろからなんでしょうね。

村人: ここは、非公開というか、公にしてませんので、名前も出さずに、住所も電話番号も出さないんです。こちらへ来られた方にはわかりますが、一般のみなさんには公開してはおりません。

・・・・: その理由は沢山あるんですけどね。一番大きい理由は‥‥ これからは人が中心になったり、教えが中心になったりすると対立しますよね。ぜんぶが仲良く一つになれないですよね。だから、神様が中心にならないといままでと同じですよね。世界にいろんな宗教があっても、やっぱり宗教争いが一番の戦争の原因ですもんね。本当に世界が一つになるには、やっぱり人がでしゃばったらダメですね。また、人がどれだけ力があっても、それに頼ったら自分の力を見失いますもんね。そういう意味では、神様だけにすがって神様の力を自分が中からもらわないと、本当の神様の助けを受けて、一人一人が独立しないと平和にならないですよね。そういう意味では『ぜったい人がでしゃばったらダメ』というのがあるんですよ。それに『団体をつくったらダメ』というのがね。

f: キリストやイスラムの神様がありますが、先生の神様はどういう神様ですか。

・・・・: 全体を束ねる神様ですね。ぜんぶを中に包容する神様ね。だから、ぜんぶに大きい光を、救いを与えられる神様ですね。途中の枝葉じゃないのね、一番根本のただ一つの神様ね。そこからぜんぶが現れて、ぜんぶになってるという感じですね。その本当の神様にすがってこそみんな一つになって仲良くなれると思うんですね。

f: それはアインシュタインが「一つの神様じゃなくて宇宙教」だと「大自然教、宇宙教」だというふうな言い方をしましたが、そういう感じですか。

・・・・::その方が近いですね。人が教えをつくって縛るんじゃなしに、自然そのままがいいですね「宇宙教」という感じのほうがね。縛りがないですもんね、掴みがないですもんね。本当の神様は自然に働きますよね、みんなを幸せに、生かすように生かすように。そういう自然な姿の中に本当の神様の働きがあると思うんですね。人が宗教の教えをつくったのは、人の言葉で縛ってしまいますよね。神様の言葉だというんですけど、そうじゃないですね、人の言葉ですもんね。

f: 「ありがとう」じゃないですね。(ございます、までいくの)最近、私も「ありがとう」というのを言ってるんですけどね「ありがとう」と「ありがとうございます」は、先生の違いはどういうのですが。

・・・・: 「ありがとうございます」で宇宙の大神様の働きを指し示すという意味で使わせてもらってるんですけど。宇宙の大神様を前にしたときは「ありがとう」とは軽くは言えないですね。本当に厳粛極まりない感じになりますからね。もう前に立てないですね、宇宙の大神様の前にはね。だから、謙虚に、謙虚にへりくだって「ありがとうございます」というのが本当だと思うんですけど。だから、ちょっと軽く「ありがとう」はねえ、ちょっと小さい幸せをもらって「ありがとう」ですもんね。それも悪いんじゃないんですけど、本当の「ありがとうございます」の中にいろんな「ありがとうございます」が、また「ありがとう」も含まれてると思うんですけど。

t: 一度お会いしなきゃいけないな、というこういう思いで。私も「ありがとう」ではいかん「ございます」をつけないといかんという思いでおりましたんですが。「ありがとうございます」で満足をいたしました。

・・・・: 直接神様と出会えますもんね。

t: 先生は、一般に言えば「宗教家」と言いやすいんですが。やっぱり哲学を持っていらっしゃる。随分そういうふうな本は読んでいらっしゃる。

・・・・: そうね、本はもう何万冊って読んでますね、一応ね。速いですけど、読むのもね。

t: 速く読むのも、人の三倍も四倍も速く読みこなしていらっしゃるし。それはなぜ感じたかというと、五冊のシリーズですね。あれは字が細かくて読みづらいんですよ、ところが一気に五冊を読んだんです。これを私がここへ寄せていただいて、その時に「語録をつくったらどうですか」と、みんなお喜びになるのなら、それじゃあつくろうということで。あくる日にこれをパッと送ってくれましてね、読んだら、あっ、これは出来ると思ったんです。やっぱし先生は文章がかっちりしてる。

・・・・: これは今までにいろんな勉強会の資料に、一回に一枚ずつ作ってあげてたの。それがピタッと一枚の文に書けてたのよ。もうそれでまとまるのね。(一枚でピタッと)それで一応その時の資料で出来上がってたのね。それを集めたのがこれなんです。

t: 先生が自らお書きになったんですか、打ったんですか。

・・・・: ワープロでね。一ページずつ独立してるんですけど、それがスッとワープロで出来上がるんです。

t: 私はこの一冊から五十ずつ選んだんです。だからね、二百五十でしょう、そこへこれから後を選ばせてもらったんです、だから早いんです。これがあるからありがたいんで。奈良のYさんが車の中で「これを一日一頁読むんだけども、苦労してるんだ。一頁読むんだけども大変難しゅうてわかりにくいんだ」と、それじゃあ、わかりやすいように私がそれじゃあつくろう。そういうことでつくらせていただいて大変喜んでおります。しかし、先生は、やはり相当本を読んでいらっしゃる、やっぱり。それを感じますね。森先生が大変尊敬しました、お会いになってないんですが、新井奥邃(あらいおうすい)という先生がいらっしゃるんです。その人は語録しか書かないで、内村鑑三とその同時代の人です。内村鑑三は表に出ました。そして隠れた両極が新井奥邃(あらいおうすい)。その人の語録、これも難しいんですが、それはもう心が優しい???します。それほど一語に無駄がなくて、カッチリしてる。それが神様のお言葉といえば、そうです。

f: これはこちらにこられてからのものですか。

・・・・: 一頁一頁つくったのはずーっと前からですね。また浮かんだときは、新たに新たに、またこういうのを順番につくっていってるんですけど。ずーっとその時の資料。

女性: 「ありがとうございます」は、このシールもなんですけど。「ありがとうございます」は、光り輝いて、光を出してもいるし、入ってもくる。それは「ありがとうございます」と言った、この瞬間、この言葉自体も光り輝いているんですか。

・・・・: 光になってるのね、はい。

女性: そしたら「ありがとうございます」と言ってるその人自身も、また光が(そう、輝いてるね)放出されて、また入ってもきている。そういうことですね。

t: 「ありがとうございます」が神名だと「ありがとうございます自身」が神名であるとおっしゃったのは見事ですなあ。

f: その辺のいきさつを聞かせてください。

・・・・: どんなものでも、神様に対しても、仏様に対しても、すべての人に対して、またものに対して、最後に「ありがとうございます」をつけますよね。「最後につける」というところが、もう凄いことですよね。締めくくるの大きい働きなんですよね。表には出てないけども「ぜんぶ護りきってくださる」という感じの言葉ですよね。だから宇宙の大神様になるんですよね。「ありがとうございます」も、私も小さいときから数えたら何億回になりますよね。でも、回数じゃないと思うんですけど、一回、一回に、また新しい光を感じますからね。その光の輝きの大本が「天照大御神様」という感じで受けてるんですけど。その奥が、まだ奥にあるんですよね。「無限の無限の輝きが一杯!」と出てきても、その奥にまだ無限の無限の輝きが一杯あるのよね。その全体像をとらえると、底知れない輝きがあるんですけど、それが「ありがとうございます」の一言よね。唱えることによってそれを感じさせてもらえる。まだまだ、私もぜんぶ感じたのじゃないですから、まだ奥が、奥がとあるんです。

f: 一日一万回というのがありましたけど。

・・・・: 最初は、一日五・六万ベン唱えたら、何も思わずに唱えられるんですけど、最初からはちょっと無理ですね。「一万回唱えよう」というのならできますよね、実行可能なんですよね。

f: 一万回だと二・三時間ですね。

・・・・: 一生懸命唱える時間があると、その間にものすごい大きい助けを受けますからね。感謝しやすく変化しますね。そしたら五万ベンでも六万ベンでも唱えられるかも知れないですね。また、仕事の忙しい人は、口で唱えてなくても、心で唱えてなくても続くんですね、祈り心というのがね。「ありがとうございます」を二・三時間一生懸命唱えていると、その感謝の心がずーっと仕事中続くんです。それが神様の助けを受ける受け場になってますんで。

女性: 祈り心?

・・・・: はい、祈り心が続くんですね。

女性: それは謙虚な心ということですか。

・・・・: 謙虚でもあるし、素直でもあるし、喜びでもあるしという感じでね。祈り心をずーっと保つ意味で真剣に唱える時間が二・三時間あればいいですね。特に寝しな(ねるとき)にしっかり祈っておくと夜中じゅう祈り心が続くんです。寝てる間もね、そうすると効果が目に見えて出てきますよね。

f: そのお話を人が聞いてやられたときに、何か変化は起こりましたか。

・・・・: 起こってるでしょうね、一万回唱えた人はね。それも、こういう話し方をするんです「一日に一回でいいから一分間命懸けで祈ってごらん」というのもあるんです。

女性: 変化が起こるんです。

f: 起こりましたか?

女性: 起こりました、いっぱい、いっぱい起こりました。

・・・・: 短期間で起こるみたいです。

f: 「ありがとうございます」というのは不思議な言葉ですよね。

・・・・: 不思議な言葉ですね、人間が考えてわかるような言葉じゃないですね。やっぱり神様そのものという感じで、神様もとらえどころがないですもんね。


・・・・: 来てもらったときに。私は、もうお祈りだけを一緒にしたいんですけど、はじめての方もいらっしゃいますしね。質疑応答でちょっとお話させてもらうんですけど。でも、本当はお祈りだけがいいんだと思うんですけど。

f: 「ありがとうございます」でね。

・・・・: その方が本当の大きい助けを受けやすいですから。

t: 先生の日常はどういうご日常ですか?

おじさん: 私は、もう、自由自在で。

寺田: 睡眠時間は短こうございますか。

・・・・: お祈りで「寝なくていい」というぐらいで。
t: 何時に寝て何時に起きるとは決まってはないんですか。

・・・・: 別に寝たくないですね、はははは。「ありがとうございます」さえ唱えてればいいです。

t: 自分のお部屋で祈っていらっしゃるのは、正座してしていらっしゃるのですか、椅子ですか。

・・・・: こういう正座のほうが多いですけど。

m: 昔からいくらされてもどうもないんです、びっくりするんですよね。

・・・・: 別に痛くならないね。本当に深いお祈りに入ったら体が浮くんですよ。そういう感じになって軽くなる感じがしますね。お祈りが深くなると、何か人が見たら'浮かんでる'という人もあるぐらいね。ちょっと霊感的に見ると、そういうふうに見えるみたいですけど。その時は感覚がものすごい楽なんです。

・・・・: これは瞑想用のよね。腰がまっすぐになるね、普通の椅子に座ってると腰がまっすぐにならないですね。腰さえまっすぐになったら本当の瞑想の姿勢ですね。

女性: 背骨をまっすぐするのが神様が一番入りやすいということですね。

・・・・: 横になっててもいいんですけど。この椅子じゃなくてもいいんですけど、神様の光は全方向から入るんですけどね。ただ「自然体」というので、重心がスッと定まりますね。我の力が抜けるでしょう、自然体のほうが、そのほうが神様の働きを感じやすいね。横になっても自然体ですもんね、はははは。

t: 今は食事は三食お召し上がりですか。

・・・・: そうね、でもお祈りの大変なときは食べないですね。食べずに祈るときも多いですね。
でも、今はちょっと食べすぎですよね、肥えてるもの、ちょっと貯めておかないと‥‥って。

t: 私は健康法のお話を聞かせてもらう人で、八尾の甲田光雄というお医者さんがおられるんです。この方は、肉食をやめて、少食断食、菜食を皆さんにお薦めしておられて。この先生にこの本(ありがとうございます語録)が出来上がって贈ったんですよ。そしたら喜んでね「ああ、こういう方がいらっしゃるのか」と「ぜひ、十冊わけてくれ」と言われて、また十冊差し上げましたがね。それにいっぺん「お会いしたい」と言ってましたよ、七十八歳。

・・・・: ですから、その先生は相当変わり者ですよ、はははは。

・・: そう、変わり者。阪大の医学部を出て、内科の医者をやってるんですが、薬を出したことがないんです。(すごいですね)薬も出さん、聴診器も当てない。それでベッドに寝て「足を立ててください」って、お腹をグッと押して「ああ、もう宿便がいっぱい溜まってますな」って、それだけです。それで持って帰らせるのは下剤二本とエビオス、みんなそれをもらって帰るんです。月曜と火曜日、週に二回診てるのですが、朝早くから待って順番をとるのに大変。この先生は「二十年間一日一食」それに玄米の粉末したのを何グラムと、野菜ジュースと豆腐と、にんじんジュース、それだけらしいですわ。それでいっぺんお会いしたいと言ってましたよ。元気です、天下の変わり者の医者です。  スイマグ(下剤) 「いや、この通りだ」と言ってましたよ「これは間違いない、しかしこの真似はできんな」と。

f: 三歳のころからの感謝の祈りというのはどんな‥‥、やっぱり「ありがとうございます」ですか。神棚に向かって?

・・・・: 神棚に向かってお祈りしてましたね。

f: それはお父さんの影響もあったんでしょうかね。

・・・・: 誰からも教えてもらってないんですけどね。「神様には感謝するんだ」というような気持ちが強かったですけど。神様には願い事より‥‥

m: お父さんは神懸りになる人だったので、その時に「一切何もするなと、神様の方でするから」と言われたらしくて。

・・: なる程、そういう使命をもっていらっしゃるんだな。

f: しかし、二十歳から三十まで毎月三週間断食をして、十年間続けられたんですか。

・・・・: もうちょっと延びると思いますけどね。

女性: 小学校のときも給食が食べられなかったから運動場で一人で出て、ずーっと「ありがとうございます」を。朝ごはんも食べられないんです。

・・・・: そうね、朝もなしで行くときもあるし、家に帰っても食べられないし。

f: よく栄養失調で衰弱しませんでしたね。

・・・・: ねえ、細かったですけど強かったですね。

女性: 卒業式のときに着るものがなくて、女の子の服を着て卒業生代表で。

・・・・: はははは、服がないんですよ、みんなきれいにちゃんとして行くんですけど、私は服はないですよ。女物の服を着てましたよ、恥ずかしいけど。


t: それで卒業生代表で?

・・・・: はい。

t: はあ〜 それは凄い。

m: 見てみたい。

・・・・: 可愛かったよ、女の子に間違えられた。

女性: 二十三日は結構ここは寒かったんですけど。外のところでずっとお話をしていただいたときに、みんなこういうコートを着てるのに、・・・・:はそのままの格好でいらして「寒くないのかな」と思ったんですけど、寒くないのですか。(寒くない)

m: 惟喬親王さんや天照大御神のお話を寒いときに話されるときに、汗をだらだら出されて。

・・・・: 神様の話をするときは汗が出るね。寒いときですね。神様の光が降りてきて、暖房を抱えてるような感じよ。みんなあたりに(あたたまりに)来るのよ、ホカロンや言うて。(笑い)

女性: 朝のお話のときに「これからは本当にお祈りをしてくれる人が増えること」と言われてましたけど。

・・・・: 「神様のお手伝いに、神様の側に立ってみんなを幸せにしたい」という助ける側に立つ人が増えてこないとね。今までは神様に助けて欲しいばっかりでしたものね。だから、自分の中の力を出せずに終わってますよね。人に頼るとやっぱり弱くなりますから、やっぱり「神様のお手伝いをしよう」という気持ちになると中から神様が働きますね。外からの助けより中からの助けのほうがいいですね。そういう時代だと思うんですけど。

f: 祈るときにはどんなふうに祈られるんですか。

・・・・: 自然体でいいですよ、私はもう自由自在で、ただ「ありがとうございます」という言葉を基本にして。

男性: 格好はどうでもいいですか。

・・・・: いいです、いいです。

女性: 私はお掃除をしながらずっと「ありがとうございます」を言いながら掃除機をかけてると、本当に不思議にお掃除をすることが嬉しくて幸せを感じるんですよ。アッという間に幸せを感じながらできるんです。お茶碗を洗っているときも、お店に立っても「ありがとうございます」食器に「ありがとうございます」を言いながらすると、もうアッと言う間にその時間が楽しさで終わっちゃうんですよ。言わないでやってる時間と言ってやるのとではぜんぜん違った感覚を感じます。ですから「ありがとうございます」という言葉は本当に光の言葉ですね。

・・・・: 神様が中に入ってきて、神様が動かしてくれる感じですね、だから疲れなくなるんですね。

f: 拝み方は各自、自由でいいと。

・・・・: いいですね、本当に自由でね。

t: 相当なインテリの人も、先生にお会いになって対談を。例えば藤原直哉先生という経済学者も来ていらっしゃいますし。今日、本屋へ寄りましたらその直哉さんの本がドンと積んでありまして。「あっ、この方だ」と思って買おうかと思ったんですが。表題がマイナスの表題だったもので。

m: 藤原先生がつけられたわけじゃなくて、本屋さんがつけて。

・・・・: そのほうがよく売れるという。

m: 藤原先生は「私なら出しません」って、本当に素晴らしい先生ですね。書かれてある内容はやっぱり素晴らしいですから。

t: そうです、目次を読んでたらね。

m: 世の中を良くされたいという気持ちをいっぱい持っておられますから。


f: 講話のような形では、どれぐらいされているんですか。

・・・・: それも決まってないんですね、グループで集まられたらやっているぐらいで。

f: 一時間か二時間ぐらいで?

m: いろいろですね。

女性: この間は百人、Mさんが上手に並べてくれて、お饅頭みたいにみんな並んで。

m: 音声をマイクでとって、裏で聞こえるようにしています。

女性: ・・・・:のほうから直接話があるというのは、そうそうないですよね。質疑応答で、質問をしなければ何も返ってこないで、無言の行ですね。

・・・・: お祈りです、はははは。

t: そういう先生がお見えになるときは、その先生のお話はお聞きになってるのですか。


・・・・聞いてますよ、聞いてます。ここで聞いているとちょっと話づらいということもあるでしょうね。ちょっと、蔭で聞かせてもらってます。

f: それでは最後に質問ですけどね「縁尋機妙・エンジンキミョウ」という言葉があるらしいです。縁を尋ねる、キミョウは働きですね、機械の機に妙。これは地蔵教の言葉らしいんですがね。良い縁に混じってると、良い縁が段々、段々発展していくんだというのが本来の意味らしいんですけども。それでは、悪い縁に混じってると悪い縁が発展していくのでしょうか。縁尋機妙というこの言葉に先生は何かご感想を賜れますか。

・・・・: 縁というのは二通りあると思うんですね。「光の因縁」の縁と「闇の因縁」の縁と二通りあるんですよね。光のほうは新しい縁ですね。それで闇のほうは古い縁。過去を掴むと古い縁ですね、闇の因縁、マイナスの因縁になるんですね。でも、常に新たに新たに受け直す感謝の心で受ける縁は光の縁で新たな縁ですね「神縁」神様の縁という形でね。新しい縁は神様のほうから現れるので、プラスにプラスに働く。それも大きいプラスに働く縁が次から次に生み出されますね。闇のほうは、プラスとマイナスの両方があるんですけど。過去の縁でもプラスがあるんですけど、それは小さいプラスの縁なんですね。そしてもう一つマイナスはマイナスへ行きますよね。その縁は大きく分けて二通りで「光と闇」があって、その闇のほうにも光と闇がある。ちょうど、太陽の光がありますよね、空に浮かぶ雲、白雲と黒雲のこういう関係の光がありますよね。過去のほうは雲のほうですね、白雲と黒雲という感じのね。これもやっぱり大きい力がありますよね。その中にはまり込んだら縛られますもんね。

・・: 先生もおっしゃってますけど、言葉でも、そういう言葉はそういう言葉の波動を呼びますね。
・・・・: 呼び続けますね。

f: それでまた不思議な縁を呼んで行くわけわけですね。

・・・・: そうです、はい。次から次へと不思議なことが出てきますね。一回「ありがとうございます」を唱えはじめた人には、不思議なことが続出します、連続してね。最初は、疑っても何でもいいんですけどね、ちょっと試してみると‥‥

f: 試してみるといいと。

・・・・: そうですね、はい。

t: 縁尋機妙ってどこの言葉なんですか。

f: 地蔵教なんです。

t: 地蔵教ですか、みんながよくおっしゃるから、そうですか。

f: 私も雑誌の仕事を来年で二十五年になるんですけどね。こういう特集を組んでるんですね。今日は語録を読んできましたら、うちで特集で企画しているのと同じ事を先生がおっしゃってるから、面白いなと思ったんです。やっぱり、この雑誌には別に偉い人というのではなくて、まったくゼロから自分の一業を成してきた人で、有名無名は関係なしで、そういうインタビューが多いんですね。そういう人にみんな共通しているのは、感謝の念がものすごい強いんです。私はそれでこの編集長をはじめてから、二・三年目にそれに気づいたわけですね。「こういう人たちは凄い感謝の念が強いんだな」と。普通の人は、こんな酷い目にあったら絶対感謝しないという状況がありますよね。だけども、そういう一業を成し遂げた人というのは、普通の人が恨みたくなるような状況でも感謝してしまうという、そういう精神作用を持ってるんですね。それを私を「そうか」と思って「感謝をする」というのはものすごいプラスのエネルギーというか、マイナスの状況もプラスに変えてしまうエネルギーというのは「感謝」だと。それを信じられるか信じられないかが差になるんだなということに気づいたんですけど。如何でしょうか。

・・・・: 本当にそうですね、信じられたら感謝するでしょうけどね。

f: 信じられるかどうかはそのときは分からないですよね。

・・・・: ただ、信じられなかっても、疑っててもいいから「ありがとうございます」を唱えると(疑ってても?)信じる心が生まれますね。直ぐに変わりますね。

f: 成る程、それでは意識して唱えていたほうがいい。

・・・・: ちょっと試してみるとね。試すだけでもいいと思うんですけど、そうすると神様を信ずる心がスッと出てきて、それが神様を大きく受けられますよね。すると自分のしたいことがとんとん拍子にすすむんじゃないかと思うんですけど。

f: 嘘でもいいから感謝して。

・・・・: はい、そのほうがいいですね。腹立てながらでも、何をしながらでもいいですよね「ありがとうございます」とちょっと唱えてみると、怒りの思いが消えてしまったり、心が安らいだりいろいろしますね。

男性: 写真は先生は撮らないんですね。

・・・・: 写真はあまり撮られたくないんですけどね。

f: 雑誌にして出さなければ撮ってもいいですか。

・・・・: いいですよ。

女性: どんなことを言うよりも「ありがとうございます」一言で消えますよね。それは自分で経験してそう思いました。後は、良いも悪いも無いんだと。

・・・・: ぜんぶプラスにとればいいですね。





ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。

ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.