ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar53天命を全うする2001.10.20.01

☆天命を全うするということについて教えてください。

ーありがとうございますー
 天命を全うするという天命にもいろんな考え方があるんです。マイナスの解釈だと早く死ぬという考えにもなるんですが、そういう意味では全然なくて天からの使命役割です。本当の自分は神様から最高の役割を与えられているんです。これは一人ひとり違います。神様の最高表現を一番価値あるものとして味わい尽くせる自分に早くなることです。それが本当の意味で天命を全うするということなんです。この世の番組だけで自分の役割を演じるだけではまだ小さいです。本当はもっともっと大きい役割があります。それが神様の中にある 人に対する本当の天命を全うせよという言葉なんです。無限に無限に幸せいっぱいにならないといけないです。行き着くところはないんです。これ以上の幸せはないという所まで行っても奥に奥にまだあるんです。どこまでも天命を全うしようとするんです。


 目標

☆まだ目標というものが見つからなくて今はありがとうございますと何事もプラスに見ようということをしていますが、それで何かつかむ事ができますか?

ーありがとうございますおじさんー
 もう確実につかんでいます。ひとつひとつ新しいものをどんどんつかめています。一瞬一瞬の一回ごとの感謝がもう大きい働きなんです。そのたびに何か新しいものに気付いて気付きがどんどん増えて大きく深くなります。


 姿を持った神様

☆姿を持った神様と一緒に遊びたいのですが、どうすればできますか?

ーありがとうございますー
 この世も皆が姿を持った神様です。いろんな仮面を被っているんですけど、全ての番組の中の姿は全部神様の演技の姿なんです。姿かたちを持った神様というふうに見た方がいいです。上の番組になるほど素晴らしい姿で現れて遊んでくださるんです。


 病気の時

☆病気の時にはどうすれば一番いいですか?

ーありがとうございますー
 神様の世界の姿を、ありがとうございますで受けて無限の無限の健康をまたは完全健康をありがとうございますくらいがいいです。治癒するという段階もなくなります。


 出家とは

☆生きる事自体が修行なら出家することはどういう意味がありますか?

ーありがとうございますー
 出家という意味も幾通りもあります。今見ている番組から抜け出て別の番組へ移るというのもある意味では順番に家を出ているんです。ひとつの番組の中でもマイホーム主義から抜け出て大きく生きようというのも出家です。
 これが自分の家、というのをどんどん大きくしていくのがいいんです。地球が自分の家というのが地球を越えて宇宙が自分の家になればもっと大きい意味の出家なんです。本当の最高の出家は最高番組の中へ飛び込むことかもしれないです。その全ての番組を抜け出て神様と一体の番組を味わう自分に戻る事かもしれないです。

 肉食と飲酒

☆日本だけと思いますが僧侶が肉を食べ酒を飲む事をどう考えますか?

ーありがとうございますー
 神様の命の捧げものとして感謝して受けるなら何でも頂いたらいいんです。
これはお酒これはお肉というふうにマイナスに見るとマイナスを受けてしまうんです。マイナスを取り入れたらマイナスになります。神様の命を受けるんですから神様の命が入ってくるだけなんです。

☆意識が高まると肉や魚が必要ない肉体になりますか?

ーありがとうございますー
 番組がどんどん上れば何も食べなくてもよくなります。中から輝くばかりですから必要ないんですが、全てをプラスにプラスに見て捧げものとして命を頂くという気持で見ると感謝も深まりますし、捧げる方と捧げられる方とで命の交流もできます。交流することで共に高められるという意味もあるんです。マイナスに見ると奪い合いということにもなるんですがプラスにプラスに見る事が出来ればどんどん理想に近づいていきます。

☆だんだん肉食をしない方向に向かっているんですか?

ーありがとうございますー
 高い番組の世界だとライオンも草を食べてるんです。置換効率がいいんです。
草はいくらでも生えて成長します。それを小さい動物が食べてそれを次にまた大きい動物が食べてというふうに別にしなくてもいいんです。プランクトンとかクロレラとかを皆が食べるようになれば食糧不足にならないです。だんだんと理想に近づけば近づくほど肉食はなくなるんでしょうけどまだそこまでしなくてもいいんです。
 だんだんと霞を食べてるだけで大丈夫というふうになっていくかもしれないです。そうなると本当になんでも必要なものはスッと出てきますし必要なければスッと消えてくれます。だんだんと自由自在になります。
 
本当はこの世も同じなんです。この世も必要なものがスッと入ってきて必要なければスッと消えていってくれるのが本当なんですが、ただ掴みすぎなければいいんです。移り変わりを止めると邪魔するんです。入ってきたのはありがとうございますと受けて出て行くのはありがとうございますと送り出せばいいんです。


 大きいプラスがあってのマイナス

☆強盗にあったとかの場合に、どう見ても自分が奪われただけとしか見えないときでも無理やりにプラスに見た方がいいのですか?

ーありがとうございますー
 どんな事もプラスに受けるのが大事です。
どんなひどい事をされたとしてもそれは大きな借金返しですから、借金返しをさせていただいてありがとうございますと感謝して受けるのがいいです。とられたものが戻ってくる時もあるかもしれません。そのときはまた素晴らしいプレゼントをありがとうございますともっと喜んだらいいです。常にプラスプラスに受け直すほうがいいです。

☆全てプラスに変えていくとマイナスの言葉そのものがなくなりますか?

ーありがとうございますー
 あってもいいです。暑い時は涼しいというマイナスも必要で、それもプラスに向けられるマイナスの言葉だったらいいんです。上手に使いこなせば、太陽がすごく輝いている時は暑いんですけどそのときはちょっと影にすればいいです。影にというとマイナスですが暑さをやわらげてくれるという感じのプラスの受け方が出来たら影というマイナスがプラスに変ります。お腹がいっぱいで満腹と言うとおいしい料理も味気なくなりますから、そういう時はお腹が空いたと言うのもいいです。お腹すいたと言うときっとまたおいしく食べられます。
大きいプラスがあってマイナスが生きるんです。マイナスだけだと苦しいです。


 生かしあいの世界

☆子供の頃人間に食べられる為に殺される魚を見て悲しい思いをしたので今も食べられないのはマイナスが貯まっているのですか?

ーありがとうございますー
 そのときにマイナスに見すぎたんです。そのマイナスのショックで、もうマイナスは取り込みたくないと思うんです。いろいろ見方があってプラスに見ると命を捧げていただいたと感謝して受けてプラスに見る事が出来ます。プラスだと受け入れていけます。
 もともと神様の命を頂く神様を食べているという大変な事を皆しているともいえますが生かし合いの命の交流なんです。与えていただくものは素直に受けてまた自分の命も与えるという与え合いです。与え合いで一体化していくんです。自分から求めるというのは奪う姿になります。自分から肉を食べたいと自分の方から求めると殺してでもという奪い取る姿になります。そうじゃなしに もし自分が病気になって死にそうな時に動物が私の身体を捧げますからそれを食べて元気になってくださいと言ったら、そういわれたらその時は受けないとダメです。それで元気になっていい事をして動物にお返しをしていけばいいんです。
 
弱肉強食の世界という見方もありますがプラスの見方は生かしあいの世界なんです。小さい生命が大きい生命にどんどん身を捧げて大きく自分が進化向上を続けているそれでいて皆が生かし合いをしているから一体化しているといえるんです。


 全て神様のお手伝い

☆お祈りの時の心の持ち方について教えてください

ーありがとうございますー
 
本当はお祈りだけでなく全てに対して与え尽くす心を持ってさせてもらうのがいいです。 神様から無限の無限の幸せをいっぱい与えてもらってその恩返しに万分の一どころじゃないです無限分の一もお返し出来ないんですけど恩返ししたいという気持で神様のお役に立ちたいという気持でお祈りもさせていただくんです。
 神様は光を振りまこうと一生懸命働いてくださるのでそのお手伝いです。神様のお手伝いというと神様の大きい光が自分を通して流れるんです。護りに護ってくださるんですが、自分が勝手にしているお祈りは神様の光が欲しいと求める方にいるんです。そうすると必要なだけちょっとだけしか入らないです。神様の応援が小さいということです。でも神様のお手伝いというと神様はどんどんおおきく光を振りまきたいですから、一回ありがとうございますと唱えると大きい光が自分の身体を通してスーッと世界中に流れるんです。全て神様のお手伝いという気持でさせてもらうのがいいです。


☆心の持ち方・・神様のお手伝い

ーありがとうございますー
 今も戦争状態で何兆円も爆弾に変えて投下されているわけですが、それで何が生まれるかというと恨みや憎しみや怒りや悲しみがいっぱい増幅されて出てくるんです。これは大変な事です。たくさんのお金をかけてそういう事をしているんですが神様の方はそういう思いを消したいと思っています。
神様の光を受けて振りまいてくれる人を待っているんです。ありがとうございますと唱えてくれる人は神様の大きい光を受けてこの世に光を振りまく役目なんです
 思いを消す働きです。神様のお手伝いをする意味でありがとうございますと一人ひとりが一生懸命唱え続けるのも大事なんですけど人数が限られていてまだ少ないです。だから
ありがとうございますという光の受け場をどんどん広げる事も大事です。そういう意味ではシールは最適です。光の爆弾のようなものです。思いを消す光の爆弾を投下した方がいいです。これからもっとシールを配る運動が活発になったらいいと思います。シールもそれをもらってただ自分の為に使うんならそれは求める心です。それなりの助け光は受けられますが そうじゃなしに今度は神様のお手伝いをするという気持で光を振りまく為に使うという意味でシールがたくさん配られるといいと思います。
 シールでも自分がシールを買うというと自分の立場を中心にした求める心になります。
自分が買うというのではダメなんです。買うんじゃなくて神様のお手伝いという形でありがとうシールの募金に協力するというかたちだったら神様の為に大きい働きをさせていただく姿をとります。そうしたら同じにお金を出してシールに変えても神様の手伝いだったら自分の受ける光は大きいんです。一枚シールを配るお手伝いすることによって一回お祈りしたのと同じ効果が出るんです。そのシールがまた後々いろんな人の目に触れてお祈りしてくれてそれが全部自分に戻ってきます。一枚を世の中の為に配る事が自分のお祈りにプラスされていきます。シールは原価で一枚一円ワンシート20円くらいなんですがそれをお金を出して配る事によって大きい神様のお手伝いになります。神様の為にということが神様の大きい助けを受ける秘訣なんです。
 
二十歳くらいから働いたお金を平和運動に全部つぎ込んで生活費も残さなかったんですけどそれが一番いいんです。生活費を残さなくても必要なものはちゃんと与えてもらうんです。そこが不思議なんですけど食べるものがなくなるかというとそうじゃなくて必要な食べ物は必ずどこかから与えてもらってるんです。そういう連続でずっと来ていてここの建物もそうですが全部ただで入ってくるんです。必要ならいくらでも与え続けてもらっている感じです。神様のお手伝いという姿をとった方が幸せなんです。幸せがどんどん大きく早くしてもらえます。自分中心にお金を出すんじゃなく神様のお手伝いというかたちで恩返しの気持でさせていただく方が効果が大きいです。
 
シールの配布は何億枚を日本中に配っても何億円ですが爆弾の方は何兆円です。何分の一のお金で日本中に何億枚のシールを配ったら日本中が光り輝きます。爆弾も絶対落ちてこないし不景気も消えます。細菌テロも問題にならないです。そういう問題が消えてしまいます。何分の一のお金です。それを誰かがしないといけないんです。皆で運動としてそれを始めたら日本中に何億枚のシールがすぐに配れてしまいます。
 ここから全部出すというのはあまりいいことではないんです。皆がそれぞれに自由なかたちでしていくのがいいんです。シールの形も書体も大きさもいろいろあった方がいいんです。ただ大量に作った方がコストは安いですから作るときは皆でお金を出し合って作った方が効果が大きいです。計画的に有志が集まって安上がりに作ったほうがいいですがかたちはもっともっといろんな案を出し合って自由に出来た方がいいと思います。

 
神様のお手伝いというかたちなら神様の働きはもっと自由自在ないろんな姿をとった方がいいんです。神様はこれから皆さんに大きい期待をかけて大きい働きをして欲しいと願っておられるんです。
 私は二十歳くらいからずっと平和運動をしてきて一人でもかなりシールをばら撒いてきていますが、これが何万人になったら世界中にたくさんのシールが撒かれて光の渦巻きが起こるくらいになります。最初は少しずつでいいんです。神様の為にと少しずつ捧げる姿をとると何倍もお返しが来ます。それでまた少し多く捧げていくとまた大きく入ってきます。それがどんどん大きくなるんです。たとえば循環するお金の量が増えてくるんですが最初の一歩を踏み出さないと神様の助けを大きく受け入れることが出来ないんです。

 
人の心は普通は与えたら与え返して欲しいという気持があって与えてくれなかったら与えたくないというのがあります。それが残っているので神様の助けを受けるにも自分が神様に何か与えないと受けられないと思い込んでしまうんです。だからちょっとでも神様に与えた方が受けられるという気持になれます。そういう意味で神様の為にお手伝いしたいという気持で与える心を起こした方が神様の助けを大きく受け入れることが出来るんです。
 神様の立場からすれば無償で無限に与えたいんです。ただ受けてくれたらいいとそれだけなんですが人の側が受けないです拒絶してしまうんです。その拒絶する心をじぶんで修正しないといけないんでその修正の方法が神様のお役に立つということで、少しでも自分が神様の役に立っているという気持になると自分が納得するんです。これなら神様の助けを大きく受けても大丈夫と思えるんです。そういう気持を起こす必要はあると思うんです。

 
全てを神様のお役に立つためにというふうに持っていけば、これはシールの事だけでなく他のことも全部神様のお手伝いをするんだと例えば講演のテープなども少しでも光を振りまくお手伝いをという形でいろんな人が皆に広めてくれています。神様は皆に無償で与えたいんです。本当は何から何まで無償で与えて皆を幸せにしたいという願いを持っているので人の側はそのお手伝いをさせてもらうことですから本当は売ったらダメなんです。売るんじゃなしに協力してもらえばいいんです。神様のお手伝いの協力です。あくまでも無償が、無償で与え尽くすのがいいんです。ただそのお手伝いをして協力してくれる人が増えるといいんです。
 お手伝いや協力してくれる人も買う時に自分が買ったらいけないんで買うんじゃなしに 自分も人も含めてそれぞれをを幸せにするためにテープを聞かせるんだと、自分が聞くとなると買って聞かないといけないですが 、神様のお役に立つためにお手伝いの為にお金を出してテープを手に入れて自分も含めて人にもこのテープを聞かせて光を振りまいてもらう、というのだとそこに神様の光が大きく降りるんです。本でもそうですが真理の本というのは版権をいうとダメなんです。
どんな真理の言葉も皆を幸せにするために神様から無償で降ろされているんです神様は無償で与えています。だから出来るだけ無償で与えられるいき方がいいです。
 本に高い値段をつけて買ってもらった方が読んでもらえるとか、いろんな理屈があるんですが 真理の言葉はお金では買えないです
。本を作る手間賃だけでいいんです。真理を買ったのではないです。紙とインク代と手間賃を買っているんで真理を買ったなどというのは傲慢なんです。真理は必ず神様から無償でいただいているんで、人ももっと謙虚になったら神様へのお手伝いという意味で純粋に無償で真理を配るお手伝いをした方がいいかも知れないです。神様のお手伝いという気持で皆がお金を出し合ってその真理の本を配って、皆に読んでもらって幸せになってもらえばいいです。ちょっとした気持の切り替えだけなんですけど、形は同じようにしてるかもしれないんですけど気持の切り替えで大きい違いが出てきるんです。神様のお手伝いをしているか自分中心に見ているかです。
 神様を中心に神様のお手伝いの姿を取るほうが神様に護ってもらえるんです。
お手伝いする人を神様が見捨てる訳がないです。一生懸命護って大きい力を添えてくるんです。そこが一番大事なポイントです。
いろんな仕事をするときも同じで、神様のお手伝いというとそこが光り輝いてくるんです。自分がお金を儲けるためにとか自分の生活の為とか自分を中心に見ると神様の助けを受け損ないやすいんです。神様の為にという気持だけでお祈りもさせてもらい勉強もさせてもらい何もかも据えて神様の為にというのが一番いいんです。真理の勉強も神様の為にするんです。自分の為にするんじゃないです。自分が真理の勉強することで自分が立派になるんですがそれで大きい光を受ける場に変って神様のお役に立つ為のことなんです。自分だけが幸せになるためだったら小さいです。皆を幸せにするために世界に光を振りまく為に勉強させてもらっているんです。本当は自分だけの為にというのはないんです。最高の番組を現実化するために大きい働きを皆させてもらっているんです。本当の意味の天命を果たす為に使ってもらっているんです。それに気付くのが一番大事です。
 
ありがとうございますと感謝しながらお礼を言いながら神様の御用に使ってもらうんです。


 外国では

☆シールで世界に光を撒くのに各国の言葉でありがとうございますも力を持ちますか?

ありがとうございます
 外国だと両方あった方がいいかもしれません。形もいろいろ作ってみんなに受け入れてもらえる方がいいです。日本語のありがとうございますという最高の言葉を覚えられたというのも素晴らしい喜びになると思います。サンキューと唱えていてもそこにありがとうございますが付け加えてあれば大きい光が入っていきます。ありがとうございますの言葉の響きが大事なので書体はひらがなでもローマ字でもいいです。


 シール寄金

☆シール寄金をして皆で集めて作れば・・・

ありがとうございます
 いいですね。このシールでも花の形の中にありがとうございますがあったり動物の形や光るありがとうとか立体視できるものとかもっと自由自在にいろんなものを考えてくれる人があったらいいと思います。


 先に答えを持ってくる(公式を使って答えを出す)

☆問題解決をありがとうございますだけで済ますのは少し逃げているような感じが残りますが・・・

ありがとうございます
 ありがとうございますは最高の答えをしっかりと掴みに行くこと掴むことなんです。全ての問題の答えが最高の番組の中に全部あるんです。先に答えをサッと掴めばいいんです。どんな問題が目の前に現れてもサッと答えを掴めばいいので途中の過程はあまり問題ではないんです。公式を使って答えを出した方が早いです。病気を治すという問題があったら即健康というという答えをサッと持ってくればいいです。一番早くもって来れるほうがいいんでその方法がありがとうございますなんです。計算をするにも時間をかけて積み重ねてひとつひとつするよりも公式を使って答えをサッと出せる方がいいです。それ以上に答えを先に見て書けばいいんです。答えはいつでも先に奥のほうにあるんです。
 ありがとうございますは先に答えを持ってくるんです。問題を解決しようというのもいいんですが其れよりも答えを先に出して解決した方が楽です。好みもありますから時間をかけて苦しんで解決したいという人があってもいいんですが、時間をもっともっと大事に使える方がいいです。そのことだけが問題の全てではないですし、いろんな問題が無限にあるんでスピード化がいいです。
 悩む必要はないんで答えが早く出す事が大事です。難しい問題ができない出来ないと悩んでいても解決しないです。ありがとうございますの中に答えがあるので皆解決していきます。

 良寛さんの魂

☆良寛さんの遺言ということで良寛さんの魂が語ったことが書かれている本があってその中でもありがとうございますという言葉には神様が宿っているということでした。

ありがとうございます
 いろんな説を調べてくれている人がいるんです。韓国の方からもいろんな言葉があってその中でありがとうございますは素晴らしいと言ってくれている人もいますけど、本当の語源は神様の方から来ているのがいいんです。言霊から来てどこかへそれが降りてもどこからでもそれがひとつになって素晴らしいと褒め称えるのがいいです。ルーツはあくまでも神様のほうにあって、それがいろんなところに降ろされてそれぞれがそれを褒め称えて皆がひとつになるのがいいです。ありがとうございますが素晴らしいと言ってくれるのはうれしいです。

註:良 寛
 宝暦8年(1758)〜天保2年(1831)1月6日・享年74才江戸後期の歌人、書家。俗名山本文孝(幼名栄蔵)。号は大愚。越後出雲崎の名主兼神職の橘家山本家の長男として生まれた。
 18才で出家、22才のころから国仙和尚に従い備中玉島円通寺で10余年修行。その後、各地に草庵を結び、47から63才までの16年間、越後国上山の五合庵に入った。
 生涯、寺を持たず托鉢によって生活し、法を説かずに感化を与え、郷党の深い尊信を受けた。『万葉集』を愛し、格調高く、しかも自在純真な歌を読み、書は懐素を慕って風韻に富んでいる。
 全集、歌集のほか評伝も多い。その生涯は、ひたすら清貧に甘んじ、自らに厳しく、生きとしいけるものに憐れみ深く、決して果てることない修行の道を歩み続けた。また、世俗の権力や宗門に潜む偽善を拒絶し、衆生の業を背負い、自らの煩悩を徹底して見つめた生涯は、既存の価値観との一人孤独な闘いの日々でもあった。
 資料:http://www2.justnet.ne.jp/~shmachi/ryoukan/ryoukan.htm


 唱え方の差

☆ありがとうございますを声に出すのと無言で心の中で唱えるのと効果に差がありますか?

ありがとうございます
 目を閉じて心の中で唱える時は心の奥に入っています。表面でありがとうございますと唱えるのは表面だけの働きです。奥に入れば入るほど力が大きくなります。さらに光源に近くなるのでたくさんの光を受けてそれを全体に大きく流せます。肉体レベルだと肉体に降りたのを振りまくだけですが奥だと世界全体に大きく拡がるので、そういう意味では目を閉じて心の奥で深く祈るのはそれなりの大きな意味があります。この世で見ると自分だけでなく他の人にも影響を与える意味で心の中よりも口に出した方がいいときもあります。その時々でいろんな意味合いで活用したらいいです。


 全体を大きくとらえ部分を生かす

☆長年努めた仕事がもう充分だと感じられますがこれは次のステップへと飛び出してもいいということですか?

ありがとうございます
 かたちじゃなしにもう心は大きく飛び出しています。小さくその中に入らないことです。心が大きく広がってその中のたくさんあるうちのひとつに見てしまっているんです。働きが大きく拡がるので、そのかたちから抜け出してもいいですし抜け出さなくってもいいんです。そこも自由です。働きが大きくなっているのでその場を通さなくても心はもう既に大きく拡がっているからもうそこに囚われないんです。そこから何か吸収して勉強してというようなそこだけで働いているという意味はもうないんです。心は大きく働いているという自覚に変るんです。一つの会社じゃなしに大きく世界全体というふうに自分の世界が拡がってしまうんです。いつも全体を大きくとらえて部分を生かしていくというそういう捉え方は大事です。

☆商品を売る仕事で諸経費などに上乗せする分があるんですがその部分はどう考えたらいいのですか?

ありがとうございます
 値段を上げてお金を沢山手に入れてもそれを全体の為に生かせばいいんです。自分だけのものにしてしまうとそこに少し問題が起こるだけで常に全体をよくする為の循環なら自分のものではないです。循環させればいいんです。循環をしやすくするためにお金を使うんです。循環を効率よくする為にお金が沢山あったほうがいいならそのほうがいいし、少なくていいなら少なく循環させていけばいいです。ただシールでもそうですが何か作るときは大量に作った方が安く出来ますからお金を集めてからした方が早いので、そうでなければ商売ということもないんです。お金があって大量に仕入れることで安く仕入れられたら
皆に早くいいものを安くわけられます。


 愛の三つの柱−思いやりと寛容と赦し

☆愛の定義について教えてください

ありがとうございます
 いろんな定義の仕方があるんですが
、愛の本質は何かというともともとは合うという一体化している意味で、離れているものが出会って合うそして一体化するという一体化の働きが愛です
 一体化するための要素として 何と一体化するかというのが一番大事なんですけど神様と一体化するのが根本です。その神様の現れとして神様から分かれたものが合って一体化してまた神様とひとつになるという それが愛の本質なんです。
 その中に
思いやりと寛容と赦しという大きい三つの柱があります。

 
思いやりはプラスのものを必要なだけ的確に与え尽くしていくということで与える側と与えられる側がピタッとひとつになって喜び合えるものです。必要なものを与えてもらった時一番嬉しいです。必要ないものを与えられても嬉しくないです。今本当にほしいもの例えばのどが渇いて水が一滴でもあればありがたいという時にスッと水を持っていくと必要なものを的確に与えた姿です。そのときは幸せと感じて本当に一体化した姿をとります。それが思いやりです。

 
寛容というのは全てをプラスに価値あるものと受け入れることでこれは受ける側から見る見方なんですが与えられたものを本当に価値あるものとしてどんなものを与えられても受け入れていけるというその立場が一番謙虚な立場に立った時になれるのが寛容です。ティッシュを一枚パッと与えられても必要なければ今はいらないですと断るかもしれない、必要なかったら受けられないです。でも、ものすごく謙虚な立場にたったらこの一枚がすごく価値があるんです。これがなかったら大変困る時がいっぱいあります。謙虚な心というのはどんなものでもプラスに大きい価値あるものとして受けていける心なんです。全てが小さいプラスから大きいプラスまで全部揃った状態で受け入れられるのが寛容の心です。正しく価値あるものとして受けるのが与えるものと与えられるものとが一体化するピタッと愛でひとつになる姿です。

 
赦しというのは赦免の赦、赤に一枚二枚の左側なんですけどこの赦しは新たな受け直しなんです。赤は赤心とか赤裸々とか、もとの本体を指していてそれを一枚二枚とめくるように一瞬一瞬受け直すというのが赦しなんです。だから常に神様から新しいものを受け入れたらその中はもう一体化した姿が既に備わって与えてもらっているんです。
 神様と一体化した姿をもらっているんですが低い番組になるとそれがバラバラに分かれた状態になっています。その分かれた姿を掴んで囚われたら赦せないです。特にマイナスを責めたりいろいろするわけで、過去を掴むと赦せなくなるんです。あの時に私にこんな意地悪をしたと、もうそれだけで過去を掴んで赦せなくなります。神様から与えられた新しい姿の中には本当に一体化して助け合って生かしあって本当にひとつになっているという感覚がスッと入ってくるので、その 大きい幸せがスッとはいったら過去の小さいつまらないものは消えてしまうんです。
 
許しは大事なんです、赦しがあったら争い事は起こらないです。過去の報復も仕返しも何もないです。常に神様から新しいものを受けていくのが赦しの心でこの三つが愛の三原則です。これがあったら全てが調和するんです。


 結果がスッと出てくる

☆家事が嫌いで先延ばしばかりという心の癖がついている感じですが、ありがとうございますで出来そうな気がしてきました・・・

ありがとうございます
 そうです。食後に食器の洗い物があるとして、ありがとうございますというと既に洗われた状態が出てくるんです。既に洗われて整理された状態がスッと受けられますからその間を繋ぐのがサッと済んでしまうんです。掃除でもそうですがきちんと整理された状態がスッと受けられるんです。今ごちゃごちゃになっていてもそれがスッと埋まってしまうんです。ありがとうございますを持っまだ出来ていない状態と出来たという状態との瞬間移動を起こします。知らない間に人が洗ってくれているかもしれないです。どういう形でもいいから結果がスッと出ていればいいんです。


 感謝の心と与える心はひとつ

☆与え尽くすとか無条件の愛とは?どうすればそれが出来ますか?

ありがとうございます
 思いの心は求めます。思いが蓄積されて求める心 欲の心になりますから、思いが消えたしまった方がいいんです。思いが消えてしまったら求める心は消えてなくなります。
感謝の心の中に与える心があります。感謝の心と与える心はひとつですから感謝をずっとしていくと与える心がどんどん強く大きく出てきます。これしかないと与えるだけが全てになってきます思いと感謝の心とは正反対です。感謝を先に優先させていくと思いが消えて感謝だけになってその中にはもう与える心しかないんです。求める心はどこを探してもなくなります。でも思いが残っているうちはチラッと求める心が顔を出します、お返しを求める心が出てきます。ありがとうございますを最優先して唱えていたらだんだんと与える心だけになりきってしまうんです。難しくないです。ありがとうございますだけでなれます。


 全部ありがとうございますの中から出てくる

☆光になるために心がけることとして感謝のほかに何かありますか?
感謝の中身をもう少し細かく分けて教えてください。

ありがとうございます
 感謝の中に神様の全徳が光として全部あるんです。ありがとうございますと唱えていると全徳の働きが必要に応じて自由自在に湧き出てきます。愛の必要な時は愛がスッと出てくるし知恵が必要なら知恵が力が必要なら力が湧いて出てきます。そのときそのときで必要なものが全部ありがとうございますの中から出てきます。一番単純にありがとうございますだけにに絞り込んでおけばあとは自由自在に必要に応じて湧き出ます。ありがとうございますと並列的に並ぶものは他に何もないんです。ありがとうございますが全てでその中に全部が含まれているので必要ならひとつにも無限にも分かれる時があります。どんなやり方でやってもいいんです。
全部ありがとうございますの中におさまります。

 的確に答えられるのは何故

☆様々な質問に対してありがとうございますがいつも的確に答えられるのは何故ですか?

ありがとうございます
 何故か判りません、勝手に飛び出すんですが、ありがとうございますを唱えているおかげで必要だったら必要なものを神様が与えてくださるんです。質問されて困ったら知恵を授けてくださるんです。あまりトンチンカンな話をすると馬鹿にされますから、神様のおかげです。ありがとうございます。


 受けられるだけのものしか伝わらない

☆本当は真理とか真理の言葉を沢山頂いているのに受けきらない人に対して可哀相と思いますか?

ありがとうございます
 可哀相とは思わないです。最初から言葉はこの世の言葉でも100%通じないんです。人によって受けとめる割合が全部違いますけどこちらの考えていることを100言って1聞いてくれない人もあるし10聞いてくれる人もあるし、この世的なことなら100に近いくらい聞き方をしてくれる人もあるんですがその立場が相当近寄らないとわからないです。
 真理の言葉はその差が大きいです。それぞれが自分の立場で聞きますし自分のプラスになる都合のいい言葉しか聞いていないことが多いです。それはそれで自然で当たり前のことと思ったらもうそれ以上求めないです。必要なだけ受け止めてくれたらそれで大満足なんです。神様の方から私の口を使って言葉を出す時に無限に深く大きい神様の言葉を全部受けきれるかといったらそれは出来ないです。受けきれたらおかしいです。奥に奥に深い意味がありますからこれで全部受けたというのはないんです。昔からある師匠から弟子への言葉以外の伝授のようなものでも全部は伝わらないです。
 受ける側が受けられるだけのものしか伝わらないです。それでどんどん大きくなるんでそれでいいのでしょう。無理やりというのはダメです。器が壊れますし無理が来ます。コップに水一杯欲しいというのに滝からどっと降ったら水をちょっと飲みたいだけなのに全身びしょ濡れになります。

☆コップ一杯しか欲しくない人に滝を降らせてしまったような時はどうしたらいいですか?

ありがとうございます
 モグラに太陽の強い光を当てるようなものなんですけど、実際にはありがとうございますを唱えていたら神様の方が調整するんです。必要なだけ与えるように調整してくれます。

☆言葉をこちらの意図と全く違う受け取り方をされて行き違いになることが時々ありますが ・・・

ありがとうございます
 
もし相手の心が傷ついたならとにかくごめんなさいと言って免除してもらって、あとはありがとうございますとプラスに見ていけばいいです。


 プラスだけが出てくるのが絶対

☆プラスだけの絶対の世界からプラスとマイナスがある相対の世界への移り変わりはどんなふうになっていますか?

ありがとうございます
 絶対というのはマイナスはプラスの中に大きく飲み込まれています。一体化したプラスの中にマイナスはあるにはあるんですけど表面には出てこられない目立たないんです。だからプラスだけが出てくるのが絶対なんです。相対の表現を作るときにそのまま絶対をもってきても光だけで終わってしまうので中をすこし操作してプラスとマイナスに分けるんです。そのプラスとマイナスを組み合わせていろんな表現をとるんです。絶対はあくまでプラスだけです。


 原田観峰さん

☆原田観峰さんが以前ここへいらしたと聞いていますがどんな話をしたのか聞かせてください

ありがとうございます
 話は別に何もしなかったです。以心伝心というか目を見合わせただけで納得していました。その後、研修生を集めるから話をして欲しいと言われて行きましたがその時もあまり話はしてないです。その時は神が人となって現れた神人なんだというふうに紹介してくれていろんな話をさせてもらって、その場でスッと三枚の書を書いてくれました。そのうちの一枚が天照大御神で、畏れ多いからこれには名前を入れられないというのを赦してもらって名前を入れさせてもらったんですが、自分の名前など書ける訳がないという自覚を持っていることが 自分を出せるようなものではないと判っているところがすごい方です。

註:原田観峰(1911〜1995)
 「正しく美しい文字」を未来に伝える日本習字の手本の筆者として、また正統書道推進の第一人者として活躍した原田観峰。基本の精神を守り、流行にとらわれない観峰流書体は、全国で多くの人々に親しまれています。また、彼の教育理念は日本国内にとどまらず、数多くの文化交流の場を通して海外にも広がっています。 
 参考URL:http://www.nihon-syuuji.co.jp/ns/master/master0.html
 

 全ての分野において本物を発信する

☆近くの場所にいらっしゃる特定の神様と通信をするんですか?

ありがとうございます
 特別に通信は要らないです。命を神様に捧げて神様の御心のままにと感謝一筋に居ますからどんな神様もこの身体を使えます。
 近くにある皇(すめら)の聖地には惟喬親王様だけでなく聖徳太子様もおられて他にも 影で謙虚に何も出さずにもっと高い働きをしている人がたくさんいます。大勢の神々様がいっぱいで護りに護っている場所なんですが ここから全ての分野において本物を発信するというような何か大きな計画が神様のほうにあるんでしょう。
 ありがとうございますが本当の神様の姿であり働きなので、そこからいろんな分野でいろんな力を発揮する人が出てくるんだろうと思います。一定の分野に限らず自由自在に何でもいいんです。商売する人なら商売で大きい働きをするんでしょうし芸術家なら芸術の分野で大きい働きをするんだと思うんですけど全ての分野で神様の大きい働きを頂いて発揮するんです。いろんな人がこれからまた集まるかもしれないです。神様だけじゃなく肉体を持った人も集まってくるんでしょう。どうぞ自由にお使いくださいと、そういう意味ではここも宿泊所もそうです。
 このあたりは皆さん自由に自分の家や庭と思って使ってくださっていいんです。大勢が活用する方がいいです。ただ自分のものとして使わせてもらう時はお客さんじゃないですから責任があります。責任を持って使うならいくら使ってもいいんです。いろんなことに何でもいいですから使ってもらう方がいいんです。
 歌とかコンサートとか写経のようなかたちでいろんな真実の言葉を書くとか彫刻とかなんでもいいです。幅広い分野でありがとうございますを根本において力をもらえばどんどんいいものが ここから発信されます。
 神様のお手伝いというのはいろいろな分野で幅広くさせてもらうのがいいんでそれぞれいろんな特技があるからいろんな企画を皆が練って持ち寄ってくれて楽しくするのが一番うれしいです。


 何でもやります

☆ここで活躍しているボランティアの人たちは朝早くから夜遅くまで仕事をしているようですが、どんな事をしているのですか?

ありがとうございます
 何でもやります。必要なら何でも幅広くやります。例えば山の作業の時にモノレールを解体して欲しいとか急に頼まれると朝の3時には出かけて現地に着いてパーっと仕事をしてまた帰ってきてとかいうのもあります。初めてのことでも何でも挑戦するんです。本心開発というのはある意味では能力磨きです。
 神様の力を受けて何でも出来る自分に変えてもらうことです。自分の力でなく神様に力をもらう練習なんです。普通はみんな自己限定というかこれしか出来ないという思い込みが強いです。その自己限定を消してもらうためになんにでも挑戦します。これしかできないと言うのは絶対無いんでそれは思いだけの話でその思いを取ったら神様が使ってくれて何でも出来るはずなんで新しいものに挑戦するのは自己限定の思いを消してもらう一番のチャンスなんです。女の子だからこれしか出来ないというのはないです、皆なんでもします。男の人顔負けです、皆すごいです。神様に使ってもらって何でも出来るんだという方がいいです。






ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

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