ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。
どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。


しゅうなお
録音状態が悪く、聞き取りにくいですが
頑張って聴いて下さい。

 

 ありがとうございます- ごとじゅん調ちょうすぎるくらいなのですが、いちばんしているていしあわせがぶんしているかたちにはどうしてもならなくて・・

 ありがとうございます: こわれたものをいいものにえるときしゅうするほうほうと、こわれたものはかみさまにおかえししてあたらしくなおほうほうりょうほうあります。なんとかそれをしゅうしていいものにえたいという、そのかたわるいことではないのです。いままではそれだったのですが、しゅうはそれをしてもいちてきなものなのです。いままではそれでよかったかもしれないし、そういうかたをとるひともあるし、だんかいがあるのです。それをあるていそつぎょうしたひとこわれたものだけじゃなしに、いいものまでもかみさまにおかえしてあたらしいもっといいものをけるかたをするほうがいいのです。どんどんあたらしいいいものにわっていきます。ふるいものはおかえししてあたらしいものとえてもらうのです。それがほんとうかんしゃぎょうなのです。どんどんあたらしいものをけて、にはもうしゅうちゃくはいらないのです。

 ありがとうございますでけて、それをあじわったらもうおかえししてもうひとつあたらしいものをけるのです、どんどんあたらしいいをするほうがいいのです。かみさまはいつもあたらしいものをどんどんしてあたえてくれます。いちばんさいこうのものがいまあらたにてきたものです、ふるいものはちょっとちがうのです。このでそれをけるまでげんだんかいがあるわけです。ちょうどいまなんおくねんまえまれたひかりほしとしてているわけです。それとていますがかみさまのところにいままれているものがまだとおいところにあるのです。このあたらしいものと、かみさまのかいからあたらしいものとちょっとずれていることがあります。いちばんいいのはいまかみさまからてきたあたらしいものをけることです。ざんぞうとしてのあたらしいものじゃなしに、かんしゃでどんどんあたらしいものを?めるようになってくるから、ふるいものをしゅうするひつようがなくなってきます。そういうせいちょうだんかいはいってしまったら、いいものでもふるいから「さようなら」とおかえししてしまって、しゅうかんひつようはないのです。もっともっとあたらしいものをなおしていくことがますから、そうするとどんどんしあわせがおおきくなります。
 
 みんなげんじつ姿すがた(つか)んでマイナスをプラスにえようとりょくしますが、それはふるいものをしゅうしようとしているのです。それでしゅうできないとぶんこころいためます。かみさまのほうはあたらしいものをどんどんようしてくれていて、そのいいものが心太ところてんしきにずうっとつながっていますからそれをじゅんばんなおして、それでもかみさまからるとふるいものばっかりなのです、もっとあたらしいものがあるのです。かんしゃをどんどんふかめていけば、あたらしいものあたらしいものをなおしていくだけです。ぶんかみさまがどういうしあわせをあたえてくるかというと、いっていのものではありません。どんどんへんしてあらたしいものとわってきますから、えんりょしたらそんなのです。みんなえんりょしてふるいものでけっこうですとっているようなもので、えんりょしすぎなのです。もっとゆうこころあたらしいものをなおせばいい、すべぶんにとってしあわせなものをどんどんけたらいいのです。ほんとうかんたんなことなのです。  


「す」2002.03.24
質問者:
 「ありがとうございます」の「す」について教えて下さい。

ありがとうございます:
 「絶対」も働きが色々あります。「す」も無声の「す」なんです。声に出てくる「す」じゃなしに、無声の「す」が本物です。絶対の1番奥です。「す」という言葉は住まいの「す」も、鳥の「す」もそうです。1番命の本源の心の1番休まるところなんです。眠る時「スースー」いいます。神さまの中へ戻るとスースー安らかに眠れます。そこから全ての神さまの表現が生まれてきます。先ず、絶対の中に色んな神さまの働きの力の全てがあるんです。その組み合わせによって創造段階の働きとしてズーっと出てくるのです。本当は複雑無限というぐらい、本当は物凄く複雑なんです。先ず神さまの働き自体が単調な働きじゃないんです。無限に無限に複雑な働きなんです。それを言うとややこしいのです。それで普通は「絶対を相対の両極に振り分けて」と言います。プラスとマイナスの両極に振り分けて、それを組み合すんだと簡単に言います。でも、本当はその組み合わせがまた複雑なんです。平面的に両方に振り分けて、それを螺旋状に放射して組み合すと言ってもちょっとややこしいです。平面的だけじゃないんです。立体的だけでもまだまだ低いんです。足りないです。それがもっともっと複雑に色んな角度に螺旋状に放射されてはそれが組み合わさって行きます。その組み合わさったものがまた複雑に他のものと色々組み合わさるのです。入れ子構造の宇宙というのが、単純に箱に、大きい箱に包んでもう1つ大きい箱に包んで入れ子構造と言うんですが、そういう単純な見方では創造も何も出来ないです。本当に複雑な入れ子構造の仕組みで宇宙の全てが表現される、生み出されて行きます。その1番奥が「す」なんです。「す」が「あ」というふうに変わるんです。
 表現をとるという時は「無限の無限の明るさ」というのが大事ですから、そこに全てのプラスが充満しているというのが「あ」なんです。「あ」から出発して創造が始まります。仏教で「阿吽の呼吸」という言葉があります。「あ」が全ての出発です。「あいうえお」も「あ」が最初です。「アルファ、ベーター」も同じです。先に「あ」が付きます。「天照大御神様」も「あ」が最初です。表現の段階に入ると「あ」から出発して全てを輝かす働きに変わってくるのです。これで良いですか?

質問者:
 その後もお願いします。

ありがとうございます:
 既にご存知の方が沢山いらっしゃるでしょう。

質問者:
 先生の説明がどんどんどんどん変わって深くなっていらっしゃるので是非お願いします。

ありがとうございます:
 神さまの働きは一瞬一瞬変化するんです。同じ話に見えてもみんな違うんです。1人1人の心境に応じて必要なだけの話し方を神さまの方からして下さるみたいです。受け止め方も変化しますし、神さまが与えてくる表現も色々に、千変万化して変化し続けて下さるのが本当です。天照大御神様の本当の輝きは、本当は底知れない輝きなんです。「あ」と言う言霊も光とか明るさとか輝きとか言う単調なものではないのです。「あ」の中に全ての言霊を中に持っているのです。表面が「あ」なんです。その「あ」の働きがまた沢山あります。丁度ダイアモンドで例えるとよく分かります。ダイアモンドのカットされた面が沢山あって、1つのカットされた面が「あ」っと出てくるのです。そのバックの組み合わせによってダイアモンドの形も色合いも輝きも全部変わります。バックも一瞬一瞬物凄い変化を遂げています。「あ」と言う言葉がパッと表面に出てきた時も、そうです。その「あ」自体も面の大きさも色々変化しています。だから神さまの宇宙創造の働きで輝きとして出てくる時は、一瞬一瞬「あ」っと出てくるだけで「あ」っとビックリするような、本当に過去にない全く新しいものとして出てきます。
 その「あ」と言う輝きが、無限の無限の輝きが無限に無限に一杯で更にそれを1つにして、それが無限に無限に輝いてまた無限に無限に一杯というふうに何所までも輝いて輝いてという表れ方なんです。この世の人はその輝きを見てない人が多いです。何故かというと無限の無限のと言う言葉を使わないので、その
輝きの方へ心を向けてないからです。
 「明るい」と言うだけでは光源を背にしています。
 「無限に明るい」と言ったらちょっと光源にちょっと向いています。
 「無限に無限に明るい」と言うと、もう1つちょっと神さまに向きます。
無限に無限に更に無限に無限にと無限を沢山付ける程、神さまへ心が向いて行きます。本当の意味の天照大御神様の輝きヘ心が向きます。無限の無限の輝きが一杯と言うのはワンセットなんです。そのワンセットの無限の無限の輝きが無限にあります。無限にあると言う事は自分を中心にして全方向から無限の無限の輝きが飛び込んできます。その輝きが太陽みたいに一方向から来るのではないです。太陽が回りに無限にあると見たら良いです。それで無限の無限の輝きが全方向から自分の方へ何時も飛び込んできています。その無限の無限の輝きのバックにところてん式に一杯無限の無限の輝きがズーっと連なって待っています。そういう感覚が本当の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯という捉え方です。それが小さい意味の天照大御神様の実態になります。まだ小さいです。そういうものをまた無限に無限に中に持って、更に無限に無限に持っているいうのが本当の大きい意味の天照大御神様です。「ありがとうございます」と唱えながら何所までも何所までも天照大御神様からのプレゼントを一生懸命受け様とするのが大事です。一瞬一瞬受けても受けても受け損ないます。そのぐらい神さまのプレゼントは大きいです。そうしたら過去を掴むのが馬鹿らしいです。今受けたのを握り締めて放さなかったら次の新しいものを受け損ないます。全然受けてない状態になって仕舞います。特にこの世なんて無限の無限の輝きが一杯というワンセットの中の無限の無限の中の1つなんです。その1つの中のもう1つ小さいのを選ぶのです。地球なんてもう有るか無いか分からんぐらいの小さい星です。その星の中からまた小さいものを選びます。かなりの能力がいります。神さま以上の力がいります。過去を掴む執着する事は大損です。無限の無限の損失を味わい続けている感じです。「ありがとうございます」と言うのは今の自分に合わせた神さまからの光のプレゼントを受ける為の言葉なんです。最初から無限の無限の輝きが一杯と受けられたら1番良いのですが、太陽1個ボーンと飛び込んでくるだけで おおやけど します。目がくらんで仕舞います。目がつぶれたら困るので、自分が受けられるだけのものに最初は必ず合わせてくれます。それで徐々に徐々に慣らしながら大きい光、光体を受けられるように変えて下さります。
 「ありがとう」の「が」は、無限に無限に輝いてると言う言霊なんです。この天照大御神様の輝きが、自らが無限に無限に輝いてる姿をとりながら、なおかつ みんなを照らす、2つの意味があります。自分が輝いてるからそのままで良い感覚も良いのですが、でも他を照らす愛の心の感覚もまた大事です。その両方を兼ね備えて天照大御神様は何時も輝き続けています。人も同じです。その両方の働きを常に一瞬一瞬受け直しては自ら自然に輝きながら、同時に他を照らす働きを自然にしています。他を照らすという事は、自分が他を照らす限りは他からも照らして貰うのです。与え合い、交流になっています。自分が輝けば必ずみんなを照らします。そうするとみんなも輝いて光を一杯送り込んできます。どっちが得すると思います。自分1人輝いてみんなに光を振り撒くと、みんなが輝いてみんなから貰うと無限倍になります。だから与え合いは物凄く得をする生き方です。
 交換じゃないです。常に与えると無限倍になって返ってくるというのが、この天照大御神様の働きの根本の姿です。だから常に与え尽くせば良いのです。報い求めず与え尽くせば、それが無限倍になって返ってきます。だから種を蒔いて一粒万倍と、万倍になるぐらいではないです。一粒無限倍です。その高次元の番組、高い番組ほど与え尽くし合いの姿をとります。1つ与えたら無限になるのが最高番組です。低い番組ほど交換になってきます。この世だったら多分1つ与えたら1つ返ってくるぐらいです。もっと低くなると1つ与えても半分ぐらいしか返ってこないです。与え尽くすほど良くなります。それが天照大御神様の本当の輝く働きです。


 女帝
質問者:
 私の今のグループの名前が「ありがとうございます、あなたに愛を、あああグループ」で非常に好評なんです。それから、生まれてくる娘に「あかり」という名前を付けました。「ありがとうございます」(もう先に付けたんですか?)もう付けました。呼びかけております。よく返事してくれます。愛子様が誕生なさいました。天照大御神様以来、推古天皇とか色々女帝がいまして、日本が本当に母なる国だと思います。ここいらで愛子様に天皇陛下の女帝になって頂きたいと私は考えています。

ありがとうございます:
 女性の方が素晴らしいです。男の人は外に出たがるんですが、女の人は陰に隠れて大きい働きをする役割です。宇宙の大神様を「谷神」と言います。「谷」は隠れて隠れて大きく働くのです。それでいて全部を包容するのです。やっぱり女性の働きです。本物の時代は宇宙の大神様が直接スット働きとして降りる時代です。そうしたら女帝にならないと可笑しいです。神さまの愛がそのまま降りてくるって凄いです。


お金の使い方
質問者:
 例えば1万円持ってたとします。その時に1万円与えたら良いのか、それとも5千円はとっておいて5千円を与える。これは与え尽くす事になりますか?

ありがとうございます:
 与え尽くすでも、与え尽くす方法が一杯あります。1万円を与えて、与え尽くしたも良いですが、下手な与え方です。使い道をしっかり見極めないといけないです。全体にとって何所に何が1番必要か必要性を見るんです。全体にとって1番必要なところへ順番に必要に応じて割り振ります。それでその1万円を使いきると、1万円が最高に活かされた状態になります。活かした状態は最高に高い番組になります。そうすると1万円が無限億万円になって返ってきます。だから、その活かし方は大事です。
 1万円持って「お金があるからみんなにおごったとか、一杯飲みに行こうか」は1番あかんです。1番低い番組の使い方かも知れないです。その辺を色んな姿を眺めながら1番良い使い方を勉強して、それを真似して高い番組に合わせた使い方が良いです。でも、ちょっと残しておく方が良いです。慌てて1万円使い切らんで良いです。ちょっとぐらい余裕を持って循環させた方が楽です。全部使い切ったら「今度、いつ入ってくるか」って探さないといけません。ちょっと余裕があってプールしておいて、それを循環させた方が楽です。
 これは自分のものとして握ってるのではなく、神さまから準備金として預かる形が良いです。神さまの方がズーっと何時も補充しますが、余裕を持って循環させた方が気持ちの上で楽です。使う方へ専念出来るんです。全く余裕が無かったら入ってくる方へ心が向いて仕舞います。使い方に心が向かんかったら下手に使うかも知れないです。だからちょっとは余裕を持った方が良いです。だから貯金もちょっとは良いです。
「何時も使い切らないと駄目なんかな」と思うと損します。


「ありがとうございます」のお値段

質問者:
 去年「ありがとうございます」はいくらぐらいの価値があるのですか?という質問があったと思います。その時、先生は1万円以上と言われたんです。それは無限に1万円以上という意味ですか?

ありがとうございます:
 そうです。私の1回の「ありがとうございます」は1兆円以上です。何時もボロ儲けしています。

質問者:
 「ありがとうございます」1回唱えるて1万円とすると、十回で十万円、百回で百万円、千回なら一千万円です。1万回なら1億円です。そう考えて皆で唱えると世の中にそれだけのお金を投資してると考えて良いですか?

ありがとうございます:
 そうです。世の中にそれだけのプラスの冨を神さまの方から引き出して与えた事になります。豊かにした事になります。最低見積もって1万円です。そして必ず景気が良くなります。

質問者:
 小泉首相が言えば良いと思います。

ありがとうございます:
 上に立つと余り言えないです。「ありがとうございます」は陰でする人が言えます。神さまは押し付けないです。本当の神さまは陰で陰で教えてきます。
押し付けると自由を奪って仕舞います。上から言うとみんな押し付けになります。上の言う事はみんな「はい」と聞かないといけない状態になります。だから上からは余り良い事を言ってくれないです。こそっと神様は下から言います。


地湧の菩薩
質問者:
 「ありがとうございます」とみんなで唱える事はすごい草の根運動になる訳ですか?

ありがとうございます:
 そうです。地湧の菩薩っていう言葉があります。この地湧の菩薩の意味は幾つかあります。丁度、泥沼から蓮の花がスット美しく開きます。そういうふうに1番底辺から美しいものをそこへ持って来る働きです。これも地湧の菩薩の働きです。
 「地」は地球の「地」でもあるでしょう。地球を救う働き、完成させる働きは他からの進化した星からちょっと応援がくると楽に出来ます。他の天体から応援を受けて立派な菩薩級の人が一杯応援に来たら直ぐに完成します。これは他の人にして貰った作品です。これでは駄目です。だから地球を完成させるのは地球の菩薩です。地球から生まれた菩薩が地球を平和にし完成させる意味が1つあります。大地は1番の根本、全ての根源です。「絶対」と見た方が良いです。みんな大地から生み出されてきます。そういう意味で絶対から新たに新たに生まれてくる菩薩です。これは
下から修行して積み上げて立派になった菩薩じゃ駄目です。ここがちょっと問題です。
 
「絶対」と繋がって「絶対」から生まれて来る菩薩です。この菩薩が古いものと新しいものを置き換える菩薩です。だから「絶対」から一瞬一瞬舞い降りて来る大菩薩が地球を救います。それは感謝行をする人がその大菩薩です。絶対から神様の最高のものを受けてそれを振り撒く働きです。置き換えをする働きです。感謝する人が菩薩、地湧の菩薩です。「小聖は山に隠れ、大聖は街に潜む」と言います。自分だけの救われを求める小さい悟りを求めて生きる人を小菩薩と言います。山に隠れて静かに自分の心境の安らぎを求めます。でも大菩薩は街に出てみんなのマイナスを引き受けて背負ってそれを消しきる働きをして全体を良くしようとする働きです。これが大菩薩です。思いの少ないところでお祈りすると楽です。でも現実の社会に降りて人の思いを一杯かぶりながらお祈りをするのは大変です。でもそれが出来るのが本当の大菩薩です。置かれた場でしっかり「ありがとうございます」と言える人が本当の大菩薩の働きをします。そういう人が本当の地球を救う働きをします。皆さんにピッタリです。みんな地湧の菩薩ですから。

質問者:
 地球人類が始まってから、今まで先生のような方はどのくらい出て来られたのですか?

ありがとうございます:
 皆さんも同じです。大勢出て来ました。地面から涌き出てきたらしいです。みんな働き・姿が全部違います。同じ感謝する人も姿が違うから、でもそれが良いのです。私も皆さんと同じなんです。みんなの中の1人ですから特別変わってないです。「ありがとうございます」で神さまがポット出て来て、モグラ叩きと同じです。またへっこむかも知れません。出たり入ったり皆を楽しませてます。特別じゃないです。みんなと同じです。そのうちありがとうお兄さんになって有名になります。


声に出した方が良いですか?
質問者:
 「ありがとうございます」は声に出した方が良いですか?声に出すのは恥ずかしいです。

ありがとうございます:
 どっちでも良いです。声に出した方が良い時もあるし、出さない方が良い時もあります。両方良いです。使い分けが出来た方が良いです。心の中で唱える時は深く入ります。必ず祈りが深くなります。声に出す時は他に大きく影響を与えます。表面的に見ても1人「ありがとうございます」を唱えてくれると、周りの人がそれを聞いて「ありがとうございます」が唱え易くなります。だから一緒に色んな作業をしてる時は誰かが1人音頭をとってくれると、みんなが声に出さなくても、それにつられて「ありがとうございます」を心に唱え易くなってみんながお祈りに入ります。だから両方の働きを必要に応じて使い分けられたら最高です。


目立たない方が良い
質問者:
 神渡先生は地獄から甦られてあそこまで元気になって本をどんどん出されて活躍されています。先生はどう感じられましたか?

ありがとうございます:
 本当に素晴らしいです。神さまさまのお手伝いをされてます。神さまのお手伝いはみんな同じ事をしないです。1人1人違う姿をとります。皆さん1人1人も同じです。もう周りの人と絶対真似出来ない姿をとらされるんです。だから
本当は目立たない方が良いのです。目立たない働きの方が本物になります。目立ち過ぎると表面的に忙しくなります。お祈りがしにくくなったり、お祈りの時間が奪われて仕舞います。大事なんは神さまから、先に良いものを一杯心に受ける事です。受けて輝く事が1番大事です。だから本当のお祈りが出来た方が良いのです。お祈りの時間が沢山ある方が良いのです。雑用に追われない方が良いです。だから陰に陰に隠れた方が良いのです。それでお祈りの時間増やす方が大事です。
 だから、そういう意味で有名になったら損するんです。「サインして頂戴」と言われます。それも別に良い事なんですけど、深いお祈りをする為には独りで心を静めた方が良いです。そういう意味だったら出来るだけ影に隠れて皆さんのように「目立たずに」が良いです。


ありがとうございますにくる意味
質問者:
 こんな所に来てお祈りする方が精神統一が出来ます。でも家に帰ってかみさんとか子供とか相手にしたり、会社に行くとやっぱりざわざわしてきます。雑用に追われて気持ちも荒立って夜も飲んで仕舞います。また朝はバタバタ会社に行きます。そうなると「お祈りは何所に行ったんやー」という感じになります。ここでの今のような気持ちを維持して行くには如何したら良いですか?

ありがとうございます:
 こういう所は、お祈りのネットワークとしてみんな一緒に祈ってる気持ちをしっかり確認する場所です。みんなの祈りを貰ってそれぞれの場へ行って思いを消すんです。だから、みんなからの祈り、特に神さまから祈りを貰って神さまのお手伝いをさせて頂いている気持ちが、こういう所へ来るとよく分かります。「みんな一体なんだ」「神様と1つに
繋がっている」確認をする為にここへ来るのも良いのです。でも本当は何時も神さまから光を貰っています。思いの一杯のところへ祈るほど沢山の光が必要なのです。だから沢山の護りを受けています。でも表面だけを見ると「祈ってないのかなあ」と錯覚して仕舞います。だからこういう所も活用されたら良いです。それで一緒に祈る同士を作って一緒に祈り合うのも良いです。でも孤軍奮闘してる時が1番護りが大きい時です。

質問者:
 ありがとうございますは、ここに来ていらっしゃる方みんな地湧の菩薩だと仰います。嬉しいですが、でも自分はまだまだ駄目だと思って落ち込んで仕舞います。でも「ありがとうございます」で謙虚に対処して行こうと思います。

ありがとうございます:
 地湧の菩薩です。みんなが認めています。地湧の菩薩は思いを消す働きを第一にするので、思いのないところへ行ったら働けません。思いのあるところを選んで選んで行くんです。それで一生懸命働き続けるんです。ズーっとだとちょっと疲れますんで、ちょっと一服の期間が要るんです。だからこういう所に来た時は「ああ、長い間よく働いて来た」って褒めないかんです。
 
地湧の菩薩には間違いないです。それも大菩薩です。だから感謝したら気付きます。確認がもう1つ深くなるんです。でも思いに負けると騙されるんです。思いの一杯の世界では本当の姿は隠されます。本当の正しい姿、正体が見えないです。思いの霧が立ち込めてますから、視野が狭くなって霧で隠されてって感じです。でも、地湧の菩薩は変わらないんです。霧が立ち込めようが常に地湧の菩薩なんです。それでちょっと霧の晴れたところへ来たら「ああ、やっぱりそうだった」と気付くのです。たまにはここに来て下さい。



 「ぼさっ」
質問者:
 頑張るマンは菩薩じゃなくて「ぼさっ」としてると「菩薩様」ですか?「ぼさっ」としていれば菩薩様、神様の役目が降りて来て初めて菩薩様になるのですか?だから絶えず「ぼさっ」していれば良いですか?

ありがとうございます:
 「ぼさっ」は「つ」が小さいです。「ぼさつ」は「つ」が大きいです。神さまが降りたら大きくなります。大菩薩は大きいです。普段はぼさっとしてて良いんです。それで「ありがとうございます」唱えた時に必要に応じて神さまがスッと降りて大菩薩になります。だから余り自分の力で力んでする必要もないし、努力も何もする必要は本当はないみたいです。必要に応じて神さまが降りて助けて下さります。それで菩薩の働きをさせて下さります。本当の菩薩の働きはみんなそうです。
下から積み上げた力で救う働きなんてもうホント小さい働きなんです。これは小菩薩の働きです。でも大菩薩は神さまから必要な全ての力頂いて、今度それを振り撒くようにみんなに与えるのです。無限のものを振り撒くから大菩薩です。常に神さまから受け直しただけで良いという生き方です。「ありがとうございます」で常にそれが可能になって来ます。「阿呆」になります。「ありがとうございます阿呆」です。馬鹿と阿呆は違うらしいです。馬鹿の「ば」は馬で「か」は鹿で、動物的な感じです。「あ」は天照大御神様の「あ」です。それを「呆」って「保ってる」です。


本当のお祈り
質問者:
 ありがとうございますはお祈りも感謝も自分の力でしてるんじゃなくて神様から来てると仰います。それをちょっと詳しく教えて下さい。

ありがとうございます:
 宇宙の全てが一瞬一瞬置き換わっています。神さまの方から置き換わって来るのです。今、自分に良いものがあったら新しい置き換えで良い姿に変えて貰っています。「ありがとうございます」とお祈りする事はやっぱり最高に良い姿です。これも常に今一瞬一瞬新しく置き換わった新しい姿です。だから神さまにさせて頂いてるのです。神さまからさせて頂いてるのが本当のお祈りです。「ありがとうございます」と言うお祈りは最高の神様から最高のものを頂いているんです。それで無限に無限に輝いた姿で働くのです。だから小さい自分のものじゃないです。本当の神さまから最高のプレゼントを頂いてる姿です。だから神さまからさせて頂いているのです。


反省(懺悔)
質問者:
 神さまへの懺悔、感謝も大切と思うのですが、父母への懺悔、感謝の方が私にとっては大切だと思います。父母への懺悔、感謝から神様への感謝に繋がりますか?

ありがとうございます:
 それも二通りあります。下から懺悔して行ってマイナスを捨てて行く生き方と、上からプラスを受け直してプラスになって行く生き方と二通りあります。その両方を自由自在に出来たら1番良いです。ある時は過去を反省してマイナスに見たものをプラスにもう1回見直す自分になれば良いです。気付きが増えて身近なものからプラスを一杯発見するのも大事なんですが、でもそれは小さい生き方なのです。
 もっと無限に大きくなる為には、一瞬一瞬神さまから「無限の無限の輝きが一杯」というのを受け損なったのを反省するのです。それで受け様とすれば、いつも大きく大きく「無限の無限の輝きが一杯」と受けると過去に問題にしてた小さいものが全部消えて仕舞うのです。一瞬に消えてないのです。それで、もう直ぐに無限に無限に輝いた自分に変わるんです。だから、その反省・懺悔も、小さい反省・懺悔から無限に大きい反省・懺悔まで段階が色々あるんです。「ありがとうございます」はどの段階にあっても、神さまの助けを的確に受けて反省・懺悔をさせて頂くんです。大きい方が楽です。「ありがとうございます」と、無限の無限の輝きが無限に無限に一杯と受ける方が良いです。この時は自分1人の反省・懺悔で終わらないです。縁ある人のを全部まとめて、みんなの反省・懺悔を同時にして仕舞うんです。だから両方楽しめた方が良いです。


「無限」と「無限の無限の」
質問者:
 「無限」と「無限の無限の」違いは?

ありがとうございます:
  普通「無限の」と言うたらもう限界はないんで、何所までも大きいんです。自分が「無限の幸せ」って仮に掴んだとしても、それは自分独りです。でも宇宙には無限に人がいます。他の無限の人の幸せも自分の中に取り込んで、人の幸せを自分の幸せにしないと大きい幸せにならないです。だから「みんなの幸せも自分の幸せなんだ」と取り込んだら、「無限の無限の幸せ」と必ずなります。自分というのは無限の次元にいます。この世も自分があって、低い次元も高い次元もみんな自分がいます。それぞれの次元で無限の幸せが発見出来るんです。同時に無限の次元の自分をしっかり捉えたら無限の無限の幸せです。
 時間も同じです。今の自分と過去の自分、未来の自分って無限の時間の自分にいてる自分が同時にいます。無限の時間の自分を全部まとめたら「無限の無限の幸せ」を必ず把握するんです。だから、何所までも「無限の」だけでは足らないという意味が沢山出て来るんです。それで神さまは更に無限の無限の、更に無限の無限のという感じです。だから何所までも無限の無限のというふうに受けて行けてもまだ奥からところてん式にどんどん無限に出て来ます。そしたらどれだけ無限を付けたら良いのでしょう。無限を無限に付けたらちょっと大変なんで、「無限の無限の」と言う言葉でワンセットの小さい天照大御神様というふうに受けるのです。「無限の無限の輝きが一杯」と「ありがとうございます」がワンセットの「ありがとうございます」です。それを中にまた無限の無限のというふうに中に持つような大きい「ありがとうございます」になったら、その一言の「ありがとうございます」の中に「無限の無限のありがとうございます」が含まれるような感じです。入れ子構造的に捉えて行くと感謝がグーンと深まってきます。そういう意味で「無限」よりは「無限の無限の」の方が良いです。


障害者
質問者:
 障害を持って生まれて来る人は魂が高いのですか?

ありがとうございます:
 障害を持ってるから必ずしも高いとは言えません。また障害がないから低いとも言えないです。これも色々自由自在に変化します。だから障害を持ってても高いんだと思ったらハンディに負けずに良い働きをしようという力が湧いて来ます。だから常にプラス思考が良いです。プラスにプラスに見て行く方がいいです。ただその障害を深いお祈りで一瞬に消す方法もあるんです。
 私も脳溢血的な姿で動けなくなった時が何回かあります。体が痺れて全然動かない、口笛が吹けないし、水飲んでも垂れ流しなんです。不思議です。でも私の場合は直ぐに治して貰います。何もしてないのに1日で治って仕舞うのです。それが何回かありました。全身動けんようになった時もあります。「ああ、これもうズーっと寝たきりかな」と思いました。体が痺れて仕舞って全然動かんから、トイレにも行けないし、何も出来ないし、水も飲めないから「このままどうなるのかな」と思うのですが、1日で治るのです。1日で動き出せるんです。

質問者:
 その時も別にマイナスに思わなかったんですか?

ありがとうございます:
 ちょっとは思います。家内なんか「ああ〜、どうしよう」って心配します。「お世話してあげる」と言ってくれるけど、辛いです。それでも治して貰いました。助けて貰って動けるようにして貰ったから良かったです。寝たきりじゃ大変です。

質問者:
 そうなった原因は分かりますか?

ありがとうございます:
 原因は一瞬一瞬色んな思いをかぶりますから、思いをかぶった途端に色々なります。
お祈りの働きは、先に人の思いを身代りに受けるんです。皆さんも同じです。何所に居ても思いを受けてお祈りをして消して貰う働きですから、その受け方が多いか少ないかです。私の場合は多いかも知れないです。大きく受けた時にそういう症状がスット出てくるのでしょう。脳溢血で倒れて全然動かんという同じ状態をとるんです。私の場合は意識がなくなる事はないです。いつも意識はあるんですが、それでも大変な状態です。それでいつも助けて貰います。不思議な助け方をしてくれます。調子に乗るといけないと思うけど助けてくれます。
 だから障害を持っても必要だったらどんな助け方でも、して貰えると思います。それでお祈りする方が良いです。しっかりお祈りする方が楽なんです。お祈りなしで障害を耐え抜くのも良いですが、お祈りをしっかりすればもっと楽な神さまのプラスの表現をとらせて貰えると思います。皆さん得ですよ。どんな問題が出て来てもお祈りさえしっかり握っていたら、変化が早いんです。十年で1つの障害に耐えて良いものを生み出す働きが1日で済みます。高い番組ほどそういう意味でサイクルが早いです。良いものがサッサッと出て来ます。マイナスを大きく受けてプラスが大きくサット出て来くる表現の番組です。感謝するほど番組が高くなって、サイクルが早くなって、一瞬一瞬の置き換えが目覚しい姿で出て来ます。感謝にはそういう働きがあります。

質問者:
 肉体的な不自由さとかが解消して自由になるだけでなく、精神的にも肉体的にもその障害が解消しなくても心が自由になる事もありますか?

ありがとうございます
 色んな神さまの素晴らしさの表現があります。障害を持ったままでも素晴らしさを表現出来るし、障害を消しても良いものを表現出来ます。それが1人1人全部違って良いと思います。

質問者:
 私のおじさんが植物人間になって六年ぐらいになっています。身内は色々お世話をして大変なようです。意識がないような方でも神様に生かされているのでしょうか?

ありがとうございます:
 何かあって初めて家族が仲良くなったり、力を合わせて何か良い働きをするようになる時も多いです。プラス思考の時は全部そうなって行きます。でも逃げる心だとマイナスに見ます。折角の勉強材料を活用せずに終わる場合もあります。でも必要な勉強材料として必ず神さまは与えてくるので、
誰かそういうふうに障害を持って動けなくなった時は家族みんながお祈りを深めるチャンスです。また愛の心をしっかり引き出すチャンスです。それで大きい幸せを掴めるようにして下さります。本当はプラスに全部受け取って活用しないと損します。その為の勉強材料を与えて下さるのです。でも1回受け損なってもまた与えて下さります。必ず必要な勉強材料を与えて下さります。
 それが長引く姿をとるかも知れないです。本当は早くそのマイナスを消し切って幸せを大きく感じ取れる自分になった方が良いです。その意味で感謝は大事です。感謝して与え尽くす愛をしっかり発揮するのが大事です。必ず神さまが与える心と感謝の心さえ起こしたら幸せに変えて下さります。先ず自分が幸せを受け取って幸せになる事が大事です。その為の勉強材料なんです。神さまはそれを願っています。形を良くして幸せを感じるなんてあんまり大した幸せじゃないのです。先ず幸せな心に変えたいのです。何があっても幸せを感じ取れる心に変えたいのです。その方が無限に大きい幸せなんです。神さまの願いはそこにあります。形を変えるのは神さまは何でも出来ます。ポッポッと置き換えれば簡単です。でも心を幸せな心に変えるのに時間がかかるのです。だからどんな状態でも幸せを感じて欲しいのです。その為の必要な勉強材料を順番に与え続けて心を鍛えて下さるのです。最初は何もなかったら大体感謝しないです。何かあって初めて感謝の練習を始めます。それだけでも物凄いプラスです。1回1万円以上で徳を積んで貯金を増やしてるし、お祈りの練習自体が本当に気付きを増やしてプラスを幸せを感じる働きなんです。幸せを一杯感じます。
 また、マイナスを見る事によってプラスが必ず価値あるものに置き換わって見えて来ます。色んな働きが一杯あります。神さまの方は至れり尽せりです。幸せを与えよう与えようと一生懸命になって下さります。だから障害者が家族になるとマイナスに見ない方が絶対に良いです。必ず大きい幸せを与えて下さります。
また障害を受けてる人自体が家族または縁者の大きい身代りの姿をとっています。その分、自分がマイナスの思いを消して貰って引き受けて貰って、かなり感謝し易い状態に必ず置いて貰っています。もしそうでなかったら自分の心が七難八苦の業の思いで一杯で苦しいかも知れないです。でも1人障害者が居て初めて自分の心が軽く済みます。感謝が出来るように変えて貰っています。最大の恩人かも知れないです。それだけに対してでも「ありがとうございます」と感謝すると直ぐに幸せを感じます。色んな意味が一杯あります。


 子育て
質問者:
 子育ての事でお聞きしたいのですが、神様から見たら、叩いて育てるのと、頭なでなでよしよしと育てるのではどちらが良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 頭なでて可愛い可愛い褒めて褒めてするのと、叩いてするのも、どっちも人間の育て方なんです。本当の神さまの育て方は人の側が神さまの現れと受ける事です。元々子供は親を喜ばす為に幸せにする為に神さまが子供の姿をとって出て来ているのです。最初は赤ん坊の姿で出て来ます。そして順番に成長する姿を神さまが変身して取り続けるのです。それで幸せを親に対して与えようとしています。育てるのは親ではないです。神さまが親を育ててるのです。親の心を幸せになるように育て上げているのです。親の心が幸せを大きく掴めるようになったら良いのです。順番に幸せを与え続けて神さまからの幸せを大きく受ける練習をさせて貰ってるのです。最後に子供が立派に花開くのです。「ああ、素晴らしいなあ」と、本当に大きい幸せを受けて喜ぶのです。そういう見方が神さまの子育てです。

質問者:
 子供に恵まれない方はどうなんでしょうか?

ありがとうございます:
 大きく見ればみんな自分の子供、周りの子供ぜんぶ自分の子供と思えば良いです。小さく受けたら小さい受け方です。だから地球上の子供ぜんぶ自分に対する子供、自分に与えて下さった子供なんだと見ると、沢山居ます。色んな子供が一杯居てるから幸せ一杯です。育てきれないです。やっぱり子供に育てて貰うんでしょう。
 だからちょっと掴むと「自分が育てなければ」と錯覚を起こすんです。昔みたいに十人以上、子供がいたら、親はもう子供をほったらかしです。育ててる感覚は消えます。子供が子供を育ててるのです。それで子供が大きくなると親の手伝いばっかししてくれます。今度、親は子供に助けて貰うだけです。子供に親が育てて貰った幸せにして貰ったとなります。これが本当だと思います。


みんなでお祈り
質問者:
 先生の本に、お祈りする時もお祈りの上手な人に習わないといかんと書いてあったと思います。先生のお祈りの時間に同席しても、お祈りは 心の中で皆さん されているので、上手い下手が分からないと思うのですが、その辺を教えて下さい。

ありがとうございます:
 お祈りは
上手下手ではないです。お祈りの先輩と言ったら達人です。達人は心境が高いです。心境の高い人と一緒にすると、その高い人に合わせて神さまがスット降りてきます。これは、お祈りの世界だけじゃないです。仕事でもスポーツでも能力の高い人と一緒にすると、直ぐにそのレベルにスット引き上げて貰えます。波がスット合って行くんです。
 だから、
お祈りもしっかりお祈りをして心境の高い人とするとスット同じレベルに上がるのです。上がり易いです。元々みんな無限のものを中に持ってるので、自己限定さえなかったら、自分でスット現せるはずなんです。ところがみんな自己限定して、「まだ自分はちょっとしか祈ってないからここまでだ」と思うのです。その自己限定が早く消されるのです。「人が出来るのなら、自分も出来る」って、マイナスを掴まなくなり易いです。それと同時に助け合いが起こります。こういうふうに集まって、みんなと一緒に祈り合うと本当に大きい助けを受けるのです。何倍、何十倍、何百倍です。


感謝は最高
質問者:
 先生のお祈りと世間一般のお祈りは違うと思います。

ありがとうございます:
 お祈りというと、世間的には何か願うような、「何々して下さい」と求めるような祈り方を普通お祈りと言います。それはマイナスのお祈りです。マイナスの言葉を使っています。本当はプラスのお祈りが良いのです。無限の無限の段階のお祈りがあるんです。その中で最高のお祈りが感謝です。それも「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」の受け方の感謝が高い最高のお祈りになります。

質問者:
 反省から入るお祈りよりも、感謝のお祈りから入る方が良いですか?

ありがとうございます:
 そうです。感謝からが高い番組です。高いお祈りです。感謝の中に反省も懺悔も小さく中に全部あるんです。だから感謝したらそれは先に簡単に済ませて仕舞うのです。それで無限の無限のプラスが一杯の姿をスット与えて貰えるところまで行くんです。だから置き換えが早くなるのです。


お守り
質問者:
 トルマリン鉱石とか水晶を日常生活に取り入れる事は良い事ですか?

ありがとうございます:
 本当にそれが無限の価値があると見ると、それも良いです。その程度の差なんです。人間の人体は神さまからの最高のプレゼントとして受けています。1個の細胞が無限に輝いてると見るだけで、全身の60兆が無限に無限に輝きます。
肉体がここに存在するだけで最高の働きをします。他の助けいらないです。何にも頼らんでも体がここにあるだけで地球を全部清めて仕舞います。そういう受け方をする方が高い番組をスット引き出して大きい働きになります。水晶に頼ったり色んなものに頼ったりするのは、悪い事じゃないけど、頼り方がちょっと小さいです。本当の神さまに頼るという事は全身の細胞が無限に無限に輝いて、その中の原子1個も無限に無限に輝いて、無限の原子が無限に無限に輝いてる、その方が良いです。そしたら自分が地球のお守りです。これは受け方、言葉の使い方だけです。ちょっと物に頼り過ぎるところがあります。
 
頼るんだったら本当の神さまが良いです。そしたら無限の無限の輝きが無限に無限に一杯です。全体から無限の護りを受け続けるのです。そういう意味で全部プラスに見るのが良いです。そしたら水晶やトルマリン言わなくても良いです。その辺の石ころ1個が無限の輝きを持って護ってくれる素晴らしい物になります。周り全部、もう護りばっかしです。


絶対奉仕
質問者:
 絶対奉仕について教えて下さい。

ありがとうございます:
 「絶対」は絶対神への奉仕なんです。宇宙の大神様への奉仕です。絶対は条件付きではないです。無条件の奉仕です。自分の全てを捧げての絶対神へのお手伝い(奉仕)です。条件付じゃなく、ただ「恩返しの心で無条件に奉仕させて頂いてる」と神さまの護りを1番受け易いです。その為に絶対奉仕という言葉を使います。
 人への奉仕だと心が人へ向いています。なんぼ人へ奉仕しても人から返ってくるものは限られています。ちょっとです。心が絶対神へ向いていません。神さまへまだ向いていません。神さまへ心が向く方が大事なので、絶対神へ奉仕している気持ちだと絶対神へ心が向きます。条件を付けずに奉仕していると求める心がないです。恩返しで与え尽くすだけの心になってて、それで心が神さまへ向いてるから神さまの護りが無限に受けられます。そういう意味で絶対奉仕は良いです。1番得する生き方です。

質問者:
 もう少し詳しくお願いします。

ありがとうございます:
 先ずお祈りです。「ありがとうございます」と感謝する事・受ける事です。神さまから無限の無限のプラスを一杯受けるの事が、目的でもあり奉仕でもあります。だから「ありがとうございます」に絞り込む事です。四六時中二十四時間唱え続けて受ける事です。これが本当の絶対奉仕です。

質問者:
 それが真祈りになるのですか?

ありがとうございます:
 はい。そうです。


転職
質問者:
 以前、仕事の事でありがとうございますに相談したら、「辞めたって良いよ」と言われたので、3月一杯で今の仕事を辞める事にしました。ふと思って履歴書を出したら対応してくれる会社があって4月からそこにお世話になることになりました。

ありがとうございます:
 お祈りを楽しんだら良いです。お祈りの場と考えてみんなを幸せにする為の大きい働きを、楽しんで楽しんで「ありがとうございます」と言ってたら全部上手く行きます。

質問者:
 辞めた事を後ろ向きと考えなくて卒業と考えて良いですか?

ありがとうございます:
 卒業でもあるし、もし残ってても今の所から過去の全てに光が届きます。それで縁を増やしたと見れば良いです。そういう意味だったら次から次へ変わっても光を送る場所が増えただけです。沢山幸せに出来ると見て、それでお祈りを楽しまれたらそれで大丈夫です。


神様を信じたい
質問者:
 神様を信じたいのですが、中々信じきれません。どう考えたら良いのですか?
 
ありがとうございます:
 
「ありがとうございます」という神さまは全体を指し示す言葉であって、全ての全てなる神さまなんです。その神さまの全体を知るという事は、見えないものは見えない状態が良いのです。見えるものは見えるものとしてあります。この世も神さまの体・愛の塊です。この世を見てる事は神さまを見てる事になります。神さまの愛の塊のような姿で、神さまの愛の表現として見てるのです。
 その神さまを目に見えない神さまと先ず見ています。目に見えない神さまを見ようとしています。だから、ちょっと矛盾してます。見えないものは見えないのが神さまです。見える姿の神さまは、この世で見える姿の神さまです。だから両方ちゃんと受けています。見えないものが見えたら可笑しいです。見えるもんは見えるもんで見えたら良いです。
 その神さまの働きが大きく5つに分かれます。「絶対」は1番奥に隠れて隠れて、何所までも隠れて見えないです。「創造の働き」も無限に無限に複雑な創造の働きがあります。「統一」という輝く働きも無限に無限に輝いてる働きです。その働きの分身として八百万の神様の働きがあって、その愛の結晶みたいな姿でこの世に一杯生まれてくる訳です。
 その全部の働きを同時に感じる為に、どういう感じ方をしたら感じた事になるかでしょう。1番奥の働きなんて「感じた」というたら感じてないです。1番奥に隠れてるのは、隠れてるから隠れてると感じるのです。創造する創り出す働きも物凄く複雑だから、それも本当には分かってないです。「不思議で不思議でたまらん、分からん」というのが分かるのです。「無限に無限に輝いてる」というのでも、太陽を無限に一杯宇宙に散りばめても分かりません。その程度じゃ分からんです。そしたら如何したら分かるのかというと、分かったら怖いです。分かり過ぎるのも怖いです。分からんで良いのです。「多分こうだろう」で良いのです。それで八百万の神さまの神通自在の働きでも、分からんから良いのです。分かったら色んな神さまが一杯自分の中に飛び込んできます。色んな神さま、無限の神さまが飛び込んできて、次から次に色んな働きをしてくれたら、いちいち感謝出来ますか?まとめて分からないとしておく方が1番楽なんです。それでこの世が「神様の愛の表現」と見ましょう。これでも全部見てないです。1部しか見てないです。「これを全部見なさい」と言われたらまた困ります。必要なだけ見て、それで楽しんで喜んでというのが良いです。

質問者:
 「ありがとうございます」を実践して行けば神様が分かるのですか?

ありがとうございます:
 そうです。そうです。必要なだけを神様が感じさせてくれます。その感じ方がどんどん変化するのも良いです。だから、もう既に分かっています。



質問者:
 この世も夢と言います。夢について教えて下さい。

ありがとうございます:
 この世も夢も、見てるという事は選んだから見ています。大きく見ると既に先に選んでるから心に入って来て感じさせて貰っています。その夢の姿はこの世じゃなくあの世かも知れないし、その1部かも知れません。また自分の思いの心の世界かも知れないです。全部選んで受けてます。
 だから、それはただプラスに見て喜んで幸せを感じたら良いだけです。その夢の見方でもマイナスの夢が出て来た時はプラスに見る方が良いです。その夢はマイナスを消してくれてると見るのです。普通マイナスが現実化するのを嫌がります。現実化しないように「夢の中で消してくれた」「守護霊さんの働きなんだ」と受けるとプラスに受けられます。良い夢見るならそのままで良いです。もっと良いもの出して貰う為につまらんプラスの夢を消してくれると思うのならまだ良いです。だからプラスにプラスに受けられたら良いです。

質問者:
 お祈りの時に雑念が湧いてくるのも夢と同じですか?

ありがとうございます:
 そうです。だから雑念が出て来たら「その何万倍も消して貰った」と喜んだら良いです。
お祈りはズーっと、神様と一緒にさせて貰って神様が祈り続けています。だから、その思い雑念が一杯出て来たら、その何万倍かを神様が消してくれてると喜んだら深いお祈りにです。


損得勘定
質問者:
 私の家では立ち退きの話が出ています。目先の欲得に心が向いて、少しでも良いところ、少しでも良い条件と考えて仕舞います。その時の考え方を教えて下さい。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」と唱えてると、1番幸せになる為に必要なところへ移ります。それは贅沢したらいけない時は贅沢しないようなところに行きます。でも、それが1番幸せになるところなんです。

質問者:
 私の子供は超現実的で神とか全然信じていないので、意見がかみ合いません。私の方が反対に育てられています。そんな事は関係なく、気付いた私が「ありがとうございます」と感謝してたら良いですか?

ありがとうございます:
 それで良いです。はい。


感謝する人、しない人
質問者:
 「ありがとうございます」を言い続ける人生と、全く言い続けない人生では運命は違いますか?

ありがとうございます:
 もう正反対です。「ありがとうございます」を言い続けたら、無限の無限のチャンネルの番組の上へ上へあがって行きます。感謝を忘れたら思いが出て来て下へ下へ降りるんです。下へ降りる時期と上へあがる時期は、1人1人違います。上がる方が楽しいです。
 でも、皆さん「ありがとうございます」言い始めて最後の仕上げの時期に来ています。番組を高く高く上げる役目でもあります。もう上がるしかないです。


イメージ
質問者:
 先生が物を作られる時、こういう家を作られる時は、イメージされて作られるのですか?それとも神様の情報で作られるのですか?

ありがとうございます:
 私の場合は何もないです。何もなしで何でもスーっと出来て仕舞うのです。それでちょっと方向付けが必要な時はそれがスット出て来ます。パッと出てサット消えるんです。だから必要なだけがスット出てスット出来上がります。これはみんな神様が勝手にしてるんです。ただ私が必要な時に私の何かをちょっと使ってるみたいです。全部神様が動かしてるみたいです。

質問者:
 良い場面をイメージして目標を達成する人と、世の為人の為と思って生きてたら良い事が一杯起こる人がいます。本当はどっちが良いのですか?

ありがとうございます:
 イメージして思い通り生きようとするのはしんどいです。描くだけでも疲れます。描き続けてもそれを止めたら崩れます。思いで支えてる時だけ一時的にあるのです。ちょっと疲れて一時的に止めたら直ぐに崩れて消えて仕舞います。思いで創り上げるのは余り良い生き方ではないです。神様から受ける方が良いです。神様は良い番組を良いものをどんどん送り出して来て与えようとして来ます。感謝してるだけで受け易い良いものをどんどん与えて受け易くしてくれます。
 この肉体の自分は受けるだけの働きをさせて貰うのです。「ありがとうございます」でしっかり受けたら良いのです。1番楽で得するんです。それは絶対消えないです。良いものにどんどん置き換えて貰うだけです。絶対に悪くなりません。良いものも持続性があります。だから神様のお手伝いです。この世を良くする為の神様のお手伝いをちょっとさせて頂くだけで良いものが一杯になって仕舞います。自分の力で自分の思いの力で何か作るんでは疲れ果てて1つのものを維持するだけでも大変です。それはもうせん方が良いです。それで思いに生きるよりも感謝に生きる方が楽です。「ありがとうございます」で良いものがどんどん与えられて受け取れる状態になります。

質問者:
 自分で予測して、こうあって欲しいと思うよりも、予期せぬ事の方が自分にとって本当の意味で必要なのですか?

ありがとうございます:
 その方が良いです。良いものが一杯予測を越えて与えて貰えます。


 二一世紀は感謝の時代
質問者:
 ナポレオン・ヒルに代表される成功実現、願望実現、をどう思いますか?

ありがとうございます:
 それは二十世紀型です。過去の話です。丁度、空の雲が色んな思いで出来上がります。雲の通り形が出来上がるのが二十世紀型です。空の雲の形を思いで変えるのです。変えた程度に応じて出てくるのは確かです。でも形を整えて行くのは大変です。でも雲を消して仕舞ったら天から一杯光が降り注ぎます。光の中に良い形が全部備わっています。素晴らしいもん一杯の感じです。それがそのまま出て来ます。思いで邪魔しなかったら良いもの一杯なのに、思いで邪魔して出て来るのを妨げています。妨げといて「自分で何か作ろう」と一生懸命になってる訳です。思いの世界はそうです。二十世紀型のやり方は疲れ果てて大変なんです。これからはもう1つ楽な時代です。本物を現す時代は楽な時代です。感謝するだけで雲が・邪魔する思いが消されて光が一杯・良いものが一杯と次から次へ姿・形を変えて出て来る二一世紀型が良いです。

質問者:
 二十世紀型というのは努力とか苦労しなければという観念が凄く強くあると思います。私も強くあるのですが、何故、楽したり楽しむ事に対して後ろめたさ・罪悪感があるのでしょうか?「ありがとうございます」を唱える事によって、お蔭様で随分そんな思いは無くなりました。

ありがとうございます:
 思いの縛りが強かったのです。思いの縛り、言葉の縛りが強かったのです。「こうしたい」「これが正しい」と言うと、他をみんな駄目と縛るのです。お互いの縛り合い、言葉と思いの縛り合いで良いものなしで苦しかったです。感謝するとその思い・縛りの言葉を消して下さります。そしたら伸び伸びと楽しく自由になって来ます。自由は選択肢が多いほど自由です。良いものが一杯でその中から1つ選んで受けるのが良いです。それが自由です。無限に無限に良いものが一杯降ってて、そこから必要なものを受けて行く、それで1番自由を味わう訳です。自由な時が1番楽しいです。縛られないで幸せをズーっと感じ続けられます。だから本当の自由を味わって幸せ一杯の感謝の時代に入るのです。


 踊り狂う
質問者:
 自由を縛るようなものにも感謝するんですか?
ありがとうございます:
 感謝したらその縛りが消えます。縛られる必要がないです。縛りに来たら消したら良いです。だから「ありがとうございます」と受けたら、その縛りの思いも言葉も消えるんです。消して貰うんです。そしたら自分はもう1つ自由になります。不自由な中から自由になる方が良いです。いったん縛られたと思って自由になったら、自由の価値が増えます。「本当だったら縛られてるのに」「今自由だ」と喜べます。消して仕舞えば楽です。

質問者:
 ありがとうございますの話お聞いてますと、人生の目的、何の為に生きてきたとかそんなに堅苦しく考えないで感謝していれば良いのかなと思います。「地球人類の為に」とか「環境をどうせないかん」とか色々考えると苦しくなります。

ありがとうございます
 そうなります。思いの世界はそうです。1本道をズーっと歩き続けて「この道をまっすぐ行かんなん」となるんです。思いの霧が立ち込めたら周りが見えないです。1本道に絞らないと歩けないです。それはもう仕方ないです。でも思いの霧が晴れたら周り一杯花園です。何所を歩いても良いんです。
 自由になると楽しくなります。そうすると踊り狂うんです。だから広い花園で踊り狂うだけです。どっちへ行っても良いんです。何所もかしこもゴールです。遠くにゴールがあるんじゃなしに、今ここが全部ゴールなんです。何所で楽しんで遊んでもそこがゴールです。目的の最終地点なんです。楽しいばっかりです。

質問者:
 人から見たらノー天気と思われます。

ありがとうございます
 良いですよ、アホの最高峰です。


世界一輝こう
質問者:
 先生のところは綱引きをされてまして「目指せ世界一」と目標を掲げています。その高い目標は、ある程度持った方が良いですか?

ありがとうございます:
 良いです。うちの場合は「勝ち負け」じゃないです。「輝くことの世界一」なんです。「世界一輝こう」です。無限に無限に輝いて、お互いに交流し合えたら良いです。感謝が基本です。輝くことを目標にするのが良いです。神様を受け入れる事なんです。思いの目標は小さいです。
 みんな世界一になって世界一同士が交流しあったら凄いです。これが勝ち負けだったら世界一は1つです。でも輝く事だったら、みんなそれなりの輝きが世界一なんです。人真似出来ない、比較にならないです。全部最高に輝いた状態が世界一です。

質問者:
 先生、阿呆の踊りを踊って下さい。

ありがとうございます:
 私よりKさんの方が上手です。(Kさんが踊ってる)上手です。やっぱり世界一です。


思いを消す
質問者:
 自分から出て来る自然な思いを人の喜びで一杯にしたいのですが、でも、「しんどい」です。その「しんどい」も感謝で消せますか?
 
ありがとうございます:
 感謝して受けることも良いです。それと言葉を「無限の無限の喜びで一杯」と使い続けるとその通りになります。そしたら「しんどい」も「疲れた」も消えます。良い言葉を使い続けるのが1番ベストです。

過去世
質問者:
 「ありがとうございます」と唱えてると過去世からのマイナスも消せますか?

ありがとうございます:

 消す必要があったら消して貰えます。自分は何所にでも居てるんです。どの番組にも自分が出演しています。今更この世で死んであの世へ行って何処かへ移るんじゃないです。どの番組でも自分が出演して名優として演技しています。だから、この世の番組見なくなったら他の番組を見るんです。その時他の番組に居てる自分を発見するだけなんです。今の自分が向こうへ行くんじゃないです。違う番組見てるだけです。
あの世へ行って良い番組へ移ったら、この世の自分が良い番組へ移ったと思うかも知れないけど、意識だけです。既に居てるのです。意識は自由自在に何所へでも行けるし、どの番組でも見れるし、無限の無限の輝きが一杯とも受け取れます。小さくも受けられます。意識は自由自在です。
 この世の肉体はこの世のものです。この世の姿です。他の番組には他の肉体があります。本当はもっと自由なんです。ただ、この世の人にとっては囚われがあるんで、この世の方便的に色々考え過ぎるです。「死んだら何所行こうか」「化けて出ようか」って、楽しいです。


インスタント祈り
質問者:
 ちょっと下らん質問をします。

ありがとうございます:
 上へあがる意味です。

質問者:
 人生を上手く楽しく生きる為に、インスタント祈りを身に付けたいです。

ありがとうございます:
 今の一瞬の「ありがとうございます」の中に祈りの全てがあるのが良いです。みんなの祈りも神様の祈りもここにあるが良いです。この一回祈れば無限の年月効果があります。1年もつだけじゃなく、無限の年月に効果を現すぐらいが良いです。インスタント祈りです。今の「ありがとうございます」に全てがあるというのが良いです。そしたら祈りが足らないと思いません。余り過ぎます。でも少ないと思ったら祈ってください。みんなの為に、私の為に。



質問者:
 この世で縁がある方達は、過去生でも縁があったし来世でもあるのですか?

ありがとうございます:
 あるでしょう。本当はみんなご縁があるんでしょう。ない人はないんです。神様の創ってる放送番組は、ないものはないんです。人が考え創造し尽くすどんなものも全部先に用意されています。何でもありで全てがあります。もっともっと複雑に考えても全部あります。面白いでしょう。


本物の時代
質問者:
 先生から見ると本物とは何ですか?

ありがとうございます:
 本物は神様ただ1人です。神様が降りたら本物です。本源のものと見た方が良いです。本源にあるものがスット降りたら最高に輝くんです。だから全て神様とみんなが見れるようになったら本物の時代です。この世の石ころ1個が「神様だ」「無限に輝いてる」と見えたら良いです。「人もみんな無限に輝いてる、みんな眩しい」って眼帯を当てるようにならないと、濃いサングラスをいつもかけないといけません。本物の時代です。

質問者:
 顔を見てますと目がつぶれます。

ありがとうございます:
 サングラスかけてないじゃない。


阿呆
質問者:
 私は知らない事が多くて、それがコンプレックスになっています。勉強するべきですか?

ありがとうございます:
 最高の生き方は阿呆になりきる事です。次の生き方はみんなから教えて貰う事です。子供にでも教えるんじゃなしに、子供が勉強した事を聞いてあげる事です。「教えて頂戴」と言って、それも阿呆になりきって教えて貰うと、良い情報一杯与えて貰えます。本物を見る方が良いのです。知識よりも本物を直接見る方が良いです。それで今、目の前に現れた本物をみんな神様の現れ、神様なんだ輝いてると感謝して受ける方が1番良いです。それが身に付いたら1番幸せです。知識はやっぱり偽物です。ウソかも知れません、騙されます。

質問者:
 阿呆になりきって教えて貰うという事ですか?

ありがとうございます:
 
そうです。そうです。天皇陛下は、同じ話を始めて聞くように聞いて下さるのです。「私知ってる」と絶対言わないのです。もう全部何回も聞いて、もう嫌になるほど聞いてるのに、また色々言うてくれたら「ありがとうございます」で受けるのです。凄いです。それも常に新たに新たに聞き直して下さります。新しいものとして受けたらそうでしょう。

質問者:
 阿呆が最高の生き方だと思って生きて行きたいのですが、帰れば職業を持っててプロという事で、阿呆では通じない世界なんです。どうしたら良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 阿呆のプロ。

質問者:
 お客さんは阿呆と扱ってくれないです。

ありがとうございます:
 何でも「ありがとうございます」と言うのは1つの阿呆です。「ありがとうございます」を連発したら、みんなから大事にして貰えます。助けてくれます。全部カバーしてくれます。「あの人の為に何でもしてあげたい」と言ってくれます。だから、何でも「ありがとうございます」と言ってご覧、本当の阿呆になるけど、それを1つ実行すると凄い体験すると思います。

質問者:
 阿呆の本当の意味は?

ありがとうございます
 「あ」は神様です。輝いて明るいです。本当にそうです。

質問者:
 阿呆は何ですか?(「あを保つ」ってさっき言うたやん)(本当の阿呆や)

ありがとうございます:
 辞書に載ってる「阿呆」の「呆」は にんべん が欠けてます。でも人が「阿呆」になったら人偏が入るんです。だから人の阿呆は神様になるいうことです。敏感なんです。神様はよく分かっています。



ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.