ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
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ありがとうございますの縁 2000.12.30
☆ありがとうございますを言っている人達を見ていて思うのですが、ありがとうございますは必要な人同志はくっつけて、離れた方がいい人とは離すような働きがありますか?
ありがとうございます
そうです。天照御神様が降りて、必要なら相手の人をいい姿へと変えてくれますが、一人ひとりに自由意志がありますからその自由意志を強制してまで変えることはしません。相手が自分を善くなるように変えて欲しいと思っている、そういう気持を持っている人ならいい姿へと変えてくれます。相手にも自由意志はあるのでそれを束縛して変えるわけに行きません。神様も人もそれをしてはいけないんです。マイナスのほうへ向いている人を強制的に変える訳にはいかないので少し時期をずらした方がいいという、その場合は離れます。
感謝している人の前から離れていくようになっています。
☆ありがとうございますを言うことで宿題が終わったというか、次元が少し変ったから、例えば嫌な人が目の前から去るのではないんですか?
ありがとうございます
そういう場合もあります。
自分にとっても周りの人にとっても一番必要ないいものが与えられ続けるんですから、感謝を始めた人にとってはマイナスの姿はもう必要ないのでプラスに変えて出てくるかマイナスが去っていくかなんです。
ありがとうありがとうございますを言い始めた人にはもうプラスの勉強が大事で必要なんです。
ご利益からは
☆本(無限の無限の感謝がいっぱい)の中に目の前のご利益を求めてありがとうありがとうございますを言ってはいけないと何度も出てくるのですが、現実的にはお姑さんとのことや夫の浮気とか目の前にある苦しいことを解決したくて言い始める人も多いと思いますけど、それではいけないでしょうか?
ありがとうございます
プラス思考、肯定思考でそれはいいと思います。それで問題が解決した後が大事です。善くなってそれで満足してありがとうありがとうございますを忘れてしまったらだめです。ただこの世の幸せがいっぱいだけでいいなら浅い解釈です。そこからもうひとつありがとうありがとうございますを深めていくには本当の生き方というのが必要です。悟りを開く為にそこからさらに深めた本当の感謝業が必要になります。
怒り
☆怒っている時にありがとうございますを言うと効果が大きくて早いような気がしますが、怒りや憤りのパワーは強いからありがとうありがとうございますのパワーと一気に置き換わるということですか?
ありがとうございます
そういう事とは別で 、ありがとうありがとうございますに大きい力が降りるからその光のパワーが全部を瞬間に消してしまいます。どんな大きい怒りのパワーでも消してしまう力があるんです。相手の状況に応じて強い光が降ります。怒りが大きければ大きい光がバッと降ります。神様の方が光を加減してくれるんです、光の量も強さも質も。そのときに必要ならそれが必要なだけの強い光でパッと消してくれます。瞬間に大きい光を与えて大きい怒りを消してくれます。大体、怒りというのは周りを破壊します。周りを全部破壊したら困るので瞬間に大きい光で怒りを全部消すんです。
ありがとうありがとうございますの力は強くてふたつの重苦に貫かれても極楽を感じることができる、そのくらい強いんです。
効果は
☆ありがとうありがとうございますを言ってもあまり変わらないという人もいますけど?
ありがとうございます
今、あまり問題がないということです。問題がないから それほど強い光を浴びなくても大丈夫な時なんです。必要なところへ必要なだけ与えられるんです。悲しい時なんかは強烈な光を与えるよりは柔らかい光の方がスーッと入っていくんですが、そんなふうに光の量も質も全部変えて与えてくれるんです。そこが天照大御神様のすごさなんです。一定のものではなく自由自在に調節してしてくださるから、そこが素晴らしいんです。
たまったものを消す
☆光が入った時に中にある悪いものも繋がって出てくるということを聞いたことがありますが、そういう事もありますか?
ありがとうございます
心の奥にたまったものを消すときは、先ず奥から強い光を当ててきます。そうすると他の小さなものも浮かび上がってくるんです。浮かび上がってそのまま置いておくかというとそうじゃないんです、奥からと外からと両方から必要な光を与えて痛みや傷つく量が少ないように調節して助けてくれます。中からだけパッと光を与えられるだけだと貯まった分は大きく消えるけれども残りかすのようなものが沢山ありますから、それが浮き上がったままだと傷つきます。
そのときに残りかすを処理してくれる人を神様は先に周りに用意してくれているんです。お祈りする人やなんかを、そういうもので縦からだけでなく横からも光を送って軽く済ませるんです。神様の計らいというのはすごいんです。
強い光が心の奥のほうから当たったら、全部が浮かび上がってくるんですが周りから横からも大きい光を与えてもらったら、浮かび上がったものが全部消してもらえます。縦と横のその両方の働きが必要なんです。
神様の愛を感じる
☆今まで感じなかったようなことを感じて、時代の変わり目なのかなと思ったりすることがあります。
ありがとうございます
それも神様の大きい愛を感じ取る勉強になっているんです。こんなにも大きい光を与えてもらって必要ないものを消してもらっているという。
普通は気付かないので、知らない間に消されても気が付かないです。これだけ必要だったと確認をとらせる意味でも判った方がありがたいです。
交通事故で大難で死ぬところをちょっと当たっただけで何ともなかったら 喜べます。本当は死ぬところを何ともなかったと大きく喜んで神様がいることを感じられますが、何もなければそれで当たり前になってしまって、だからホンのちょっとだけマイナスが出たほうがいいかもしれません。
修理と受け直し
☆仕事は順調すぎるくらいなんですが、一番目指している家庭の幸せが 自分の目指している形にはどうしてもならなくて・・
ありがとうございます
壊れたものをいいものに変える時に修理する方法と、壊れたものは神様にお返しして新しく受け直す方法と両方あります。何とかそれを修理していいものに変えたいという、その生き方も悪いことはないんです。今まではそれだったんですが修理はそれをしても一時的なものなんです。 今まではそれでよかったかもしれないしそういう生き方をとる人もとる人もあるんで、段階があるんです。それをある程度卒業した人は壊れたものだけじゃなしに、いいものまでも神様に返して新しいもっといいものを受ける生き方をするほうがいいです。どんどん新しいいいものに置き換わってきます。古いものはお返しして新しいものと取り変えてもらうんです。それが本当の意味の感謝業なんです。どんどん新しいものを受けて、過去はもう執着はいらないんです。
ありがとうございますで受けて、それを味わったらもうお返ししてもうひとつ新しいものを受けるんです。どんどん新しい出会いをする方がいいんです。神様はいつも新しいものをどんどん生み出して与えてくれます。一番最高のものが今新たに出てきたものです。古いものはちょっと違うんです。この世でそれを受けるまで無限の段階があるわけです。ちょうど今、何億年前に生まれた光を星として見ているわけです。それと似ていますが神様のところに今生まれているものがまだ遠いところにあるんです。この世の新しいものと神様の世界から見た新しいものとちょっとズレれることがあります。一番いいのは今神様から出てきた新しいものを受けることです。
過去の残像としての新しいものじゃなしに。
感謝でどんどん新しいものを掴めるようになってくるから古いもの修理する必要がなくなってきます。そういう成長段階に入ってしまったら、いいものでも古いからサヨナラとお返ししてしまって、修理に時間を割く必要はないんです。もっともっと新しいものを受け直していくことが出来ますから、そうするとどんどん幸せが大きくなります。
みんな現実の姿を掴んでマイナスをプラスに変えようと努力しますが、それは古いものを修理しようとしているんです。それで修理できないと自分の心を痛めます。神様のほうは新しいものをどんどん用意してくれていてそのいいものがトコロテン式にずうっと繋がっていますからそれを順番に受け直して、それでも神様から見ると古いものばっかりなんです。もっと新しいものがあるわけです。感謝をどんどん深めていけば、新しいもの新しいものを受け直していくだけです。自分に神様がどういう幸せを与えてくるかと言うと一定のものではありません。どんどん変化して新しいものと置き換わってきますから、遠慮したら損なんです。みんな遠慮して古いもので結構ですと言っているようなもので、遠慮しすぎなんです。もっと自由な心で新しいものを受け直せばいい、全て自分にとって幸せなものをどんどん受けたらいいんです。本当は簡単なことなんです。
雑念
☆瞑想をしても雑念がたくさん浮かんできてしまいます
ありがとうございます
いろいろ浮かんできてもそれはいいんです。そこにも光は続いていくので、光の欲しい所にインスピレーションはスーッと来ます。ありがとうございますとお祈りしている時は何が来てもいいんです。全部に光が届きます。
大難を小難に
☆お米にありがとうを言っても、言う人に疑いの気持や邪念があったのか白カビが生えたという報告をみましたが・・
ありがとうございます
プラス思考で考えたら、黒カビが生えるところが小さい白カビで済んだということが効果のあったところなんです。バカヤロウだと黒カビで真っ黒になるのに可愛い白カビだったんです。時期が来たらいろんなものが紹介されていくのでしょう。
神様の応援
☆仕事のバックの応援が社会的にも急に大きくなっているように感じていますが、これは自分の役割に転換期が来ているという事ですか?
ありがとうございます
この世のバックの応援でなく神様のほうからなんです。それだけ大きい光を浴びるということで、大きい光のパイプ役に変ったんです。今までのパイプはまだ細かったので大きく太くなったんです。パイプの太さも無限にあります。
ビジネスに参加?
☆ある会社のいわゆるビジネスに ありがとうございます が参加していることがどうもよく判らないのですが・・
ありがとうございます
お祈りの参加なんです。籍を置くだけでもお祈りが全体として必要なので、これからも世界を平和にして善くする為のおおきいネットワークは生まれますから。これはお金儲けではないんです。普通は一人のお金持ちが会社を興して一人でお金を所有しますが、これは一万人のオーナーで大勢のディーラーで利益を分け合おうという、その意味ではお金儲けかもしれませんが人脈をネットワーク的に創りあげてそれで世界平和の為に大きく働くという計画が神様のほうにあるわけです。
今の状況はあくまで最初の出始めのかたちでインターネットを使っての電話で料金が安くなって、そのうちタダになるんでしょうけど神様のほうのアイデアがどんどん降ってきて、それを具体化してみんなを幸せにしていくという、それによって与えたものが与え返されるかたちでいいものがまた返っていく、それが利潤になるかもしれないです。出発点がお金儲けだとダメですけどアイデアをどんどん出してそれを繋げていくという行き方はいいと思います。アイデアを出せるいい人が集まっています。利権を握ってそれを売ると言うのでなくてこれからはアイデアの勝負です。新しいアイデアをどんどん出す会社になっていく必要があります。
時期が来たら
☆ありがとうございますの光を全然受け取れないような人がいますが・・
ありがとうございます
時期が来たらみんなちゃんと生まれていくんです。車でもそうですが、反対方向に向かっているのに無理矢理パッと変えたらひっくり返ります。だから徐々に角度を変えていくんです。
宇宙銀行総裁
☆ありがとうございます は生産活動をしていないのにお金はどうやって・・?
サイババみたいに出しているんですか?
ありがとうございます
必要なものは天から降ってくるんです。小さい時からそうです。神様は必要なものは必ず与えるという約束があるんです。だから生活に困って食べるものもなくて、でも学校の教科書を買わないといけない時その日を逃したら絶対に買えないという時に、ぎりぎりのところでその金額がキチッと入ってくるんです。教科書代だけです。普段は入ってきても全部食べ物に変ってしまうんですが、ぎりぎりのところで教科書代だけキチッと入ってきたら、親もそれを食べ物に変えて使うことが出来ません。必要なものはピタッと入ってくるんです。お金儲けも何もしないで必要なものはちゃんと入ってくるんです。
ありがとうございますを言い始めたら宇宙銀行総裁がバックに付いています。必要なだけくれますから絶対心配ないんです。
必要なだけです。貯まるとしんどいですから。貯まったらどう使うか考えないといけなくなりますから。
全然心配ない
☆未来予知をする人から、21世紀は新旧のパワーが拮抗してきて新しい世界になるための改革の時期に当たっていて、来年は社会的にもいろんなゴタゴタが起きると言われました。
ありがとうございます
そういう世界にはいる人もあるし、新しいものだけでいっぱいになる世界もあるし、まだ古いものが残る世界もあります。幅があるんです。
お祈りをする人は新しいものだけで満たされていきます。そうでない人も、みんなが光に向かって行っているのを 見ていますから、こっちの方がいいかなと回り道をしている人も必ずそこから近道を通って戻ってきます。
一人ひとり道が違うから同じ道ではないけど最短コースを通ってくるんです。狭いところから見ると選別されているように見えたりしても、神様の愛は無限に大きいから一人ひとりに必要なことをちゃんとしてくれます。
全然心配ないんです。今まではまだ小さく見ていたから心配なことも出てくるんですが神様の絶対の愛の心に自分がどんどん近づいていったら、絶対大丈夫に変るんです。神様のすることは絶対に間違いがないから、今までマイナスに見えていたこともプラスに見えてきます。中心としての小さい小さい肉体の自分の周りに大きな大きな神様があって、神様の中に全部があるんですから大丈夫、善くなるしかないんです。無限の無限の大光原の中にどんなものがあってもいいんです。絶対悪くなる道理がないんです。目を閉じて暗い暗いといっているだけ、本当は明るいんです。
地球にマイナスがあるとかプラスがあるとか言っても目を開けてよく見ていないだけで、本当は無限の無限のプラスがあるだけなんです。 だから絶対大丈夫なんです。
「ありがとうございます」だけで全てがかなえられます
質問者:
「ありがとうございます」はとても良い言葉だと聞いたんですけど、どれくらいいんですか?
「ありがとうございます」:
「ありがとうございます」を唱える回数が増えるごとにドンドン変化します、外見も内面もドンドン変化していきます。そして、神様の捉え方自体が、こんなに大きいのかなとドンドン大きくなっていきます。 最初は表面的ないろんな奇跡が起こります、病気が治ったり、必要な物を与えてもらったり、今ではそういう奇跡的なものは数え切れません。
次は内面的な心の変化です。病気をしていても囚われない心というのがあるでしょう、病気をしていても幸せは消えません、いつも幸せなんだというね。表面が仮に地獄でもね幸せは絶対に崩れませんね、ありがたい・幸せという感じが、形では変化しませんね。そこまで内面が変化していきます。
今度は、神様を感じ取れるようになってきます。本当の神様が実感できてきます、その神様の感じ方がドンドン大きくなります。それで、「ありがとうございます」というのは、究極の神様の名前なんだということがわかってきたんです。
いろんな信仰をしていると、いろんな神様の名前を信じていますけど、それを全部持っているような大きい神様です、「ありがとうございます」という神様はね。それでいて、この世と別の存在じゃないんです、この世もその体の一部にもっています。すべてのすべてなる神様が「ありがとうございます」という神様です。
だから、「ありがとうございます」と言うことは、神様を呼んでいる事ですね。だから、その神様が必要に応じて助けを的確に与えてくれるので、たくさん唱えているうちにドンドン必要な助けをたくさん受けていくでしょう、そして、神様の力で変化させてくださるんです。だから、自分の努力も何も要らない、唱えるだけで・唱えさせてもらうだけで、それだけで、全てがドンドン良くなっていきます。それで、神様が身近に感じられて、いつも神様と一体という感じですね。だからいつも無限の無限の法悦感というのが湧いてきます。
本当はみんな知っているはずだよ、無限の昔から知っていて心の奥でわかっているはずなんです。ただ、表面的にはそこまで必要なかったというだけですね、必要になったら、最後の神様のところへ戻ってくるんです、一番の心の古里へね、命の根源(本源)へね。それで、「ありがとうございます」へ絞り込まれてくるんです。そしたら、一番安らぎが与えてもらえます。みんな知っていると思いますよ。
だから、どんな神様仏様を信じていてもこれは小さい、他の神様と対立しているでしょう、それはそれでいいんですけどね。でもまだ本当の安らぎじゃないんですね、他の神様のほうがもっと上で偉いのかとかね、もっと自分を幸せにしてくれる神様が他にいないのかと思うでしょう。でも、無限の神様のところ・いろんな神様のところへ行って確かめるわけにはいかないですね。それで、チョッとだけ回ってくるんですね、皆ね。それで最後に「ありがとうございます」に辿り着けばいいんです。
早く辿り着けた人は幸せですね、後は何もいらないよ、「ありがとうございます」だけで全てがかなえられますね。
神様の働きを感じて受け取る
質問者:
「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」の意味を教えてください
「ありがとうございます」:
漢字の有り難しとか、そういうのはチョッと浅いんです、何々有り難しとか人間が勝手に思うだけです、また、神様の存在が無かったら全てが存在しがたいというのもね、あまりにも浅い。だから「ありがとうございます」はひらがなで書いたほうが良いですね、言霊で解釈すると本当の意味がわかります。日本人は特にそうですね、言霊のさきはふ国に住まわしてもらっているからにはね、言霊的に解釈していくほうがいいので、ひらがなのほうが正しいですね。
「あ」は、光とか光源という意味です。すべての本源です。
「り」は、ら行音で、宇宙の全てを創造するときに、神様が相対の両極を組み合わせるときに、螺旋状に組み合わせます。螺旋状というのは直線じゃないから、結ばれ方が一回じゃないんです、 直線だと一回きりです、螺旋状だと無限に組み合わさります、相似形にね。
「が」は、輝くをダブらせています。輝きに輝く・無限に無限に輝くという意味です。
「とう」は、相対の両極を指します、とうとうでね。本当は、有り難しのた行音とさ行音の意味なんだけど、た行音は縦・さ行音は横という意味でね。相対の両極をこの二つの言葉で出しています。だから相対の両極に別れるものはたくさんあります、時間と空間とか・霊と体とか・光と闇とか、そういう振り分けられたものを全部含めます。
「ありがとう」だけで、絶対から無限の無限の輝きになって、全ての要素が振り分けられて、大調和の荘厳な姿をとっているこの大宇宙という意味です。これは一番奥の最高表現の姿です「ありがとう」はね。
ただそれだけでは足りないで、「ございます」と付けてくるのは、
「ご」は、「こ」というのは凝り固まるという・物質化してくるという意味です。それが、凝り固まって凝り固まってというのが「ご」なんです。本当は自由自在な神様が魂的なものに凝り固まって物質化なんです。それがこの世の物質にもう一つ物質化している。だから、凝り固まって凝り固まってということですね、それがこの世の姿になって出てきます。
「ざ」は、「さ」を繰り返しています。「さ」というのは自然にさらさらと流れる姿です、それも爽やかに清清しくね。ちょうど桜の花が散るような感じですね、一瞬一瞬新たにという響きがあります。それが単なる「さ」ではなくて「ざ」とダブるところは、そういう姿ばかりになっている(という意味です)。
「い」は、命でもあるし、命というのは、生きている・輝くという意味ですね。凝り固まってこの世に形にあらわれた素晴らしいものでも生きているというのが大事です、単なる物では死んでいる・静止したものでしょう。命として躍動して生きているというのが命の「い」なんです。
「ま」は、完全な・まったきという意味です。
「す」は、絶対の中心・一番奥の根源の姿という意味で、大調和させる力です。「ます」というのも、いまより良くなる・増える・大きくなるという意味です。
だから、「ありがとう」は、絶対の神様の姿の最高表現であり、それはまた、この世の物質化し続けて、末端にまで爽やかな清清しい素晴らしい表現が<みやましまして(不明・判別できませんでした)>作りだされているという意味ですね。 だから、この世だけじゃなくてあの世も含めて、神様の一番奥の最高表現も全部含めて、さらに、創造の働き・絶対の働き全部ひっくるめて「ありがとうございます」なんです。
もともと神様という言葉自体にこの五つの働きがあります。
まず、絶対・カクリミの神様(絶対神)、カクリミを縮めて「神」
創造は、カゴリミの神、カゴリミが縮まって「神」、創造神です。
カガリミ、輝く身が縮まって「神」、これは最高表現の天照大御神(統一神)の姿です。
カケリミの神通自在な働きが八百万の神様(自在神)という姿をとって、カケリミが「神」になります。
この世に物質化された全ての表現・この世もあの世も全て含めて物質として現れているのが、カギリミの神(限定神)。
この五つの働き全部を神の中にもともと持っています。神様の働きを捉えるという意味では「神」でもいいんですけど、「ありがとうございます」のほうがその神様の働きをそのまま感じて・受ける、受ける所まで行くんです。だから「ありがとうございます」と受け取っている事になるんです。与えるだけでは受け取らない事には届かないですね、でも「ありがとうございます」と唱えたときは、与えてもらって受け取る事が出来るんです。受け取るとこまで面倒見てもらえるというところがすごいんです。究極の救いの神様の名前でもあるんです。
欲とは
質問者:
欲は「ありがとうございます」で克服できますか?
「ありがとうございます」:
例えば、食欲とか睡眠欲といいますよね、でも、欲と言うから悪いもののように思うんでしょう。欲という字を見ると、谷に欠ける心と書くでしょう、昔の字体(慾)がそうですね。谷は宇宙の絶対神を表して、絶対神の心と一致していない心が欲の心です。
でも、神様の心は必要なものを的確に与える心でしょう、食べ物を食べて、必要だったら食べていいでしょう、欲とは言わないですね、必要なだけを頂くのは欲ではないですね。だから、食べ物は神様から恵まれて、どんなに豊かに恵まれてもいいでしょう。それを感謝して頂いて世の中のために働けばいいんです。それはいくら食べても欲じゃないですね、食欲というんじゃなしに、神様に恵みを・命を頂いているだけでしょう。それは自然に頂くようになるんです、おなかがすいて良いんです、その時に「ありがとうございます」と頂けばいいんです。
睡眠も同じですね、睡眠もね、魂が肉体から抜けてエネルギー不足を補うために奥の次元へ入って、神様の大きいエネルギーを頂くためですよね。守護霊さん・守護神さんが付き添って高いところへ上げてくれます、そこで神様の大きい光を受けて、もう一回魂が肉体へ戻されてくるんです。また元気に働けるようにエネルギーを補給してくださるんです。エネルギーを補給するためだったら眠いときに眠っていい、一番楽な方法としてエネルギーを補充してくださるんです。
ただ、お祈りの場合はさきに向こうからエネルギーを補給されるんです、だからエネルギー不足にはならない。感謝していると神様の方からエネルギーを送り込んでくるから、補給にいかなくて済みます。そういう意味で睡眠時間がチョッと少なくて済みます、済ましてもらうんですね。必要だったら眠らないで済むかもしれないですね。
何かしたいことがあったら眠らないじゃないですか、子供でも遠足だといったら眠らないで待っているでしょう、誰でも楽しい事をしているときは眠気が取れていきますね。
だから、そういうのはマイナスに掴まないほうが良いですね、感謝したら全部プラスに置き換わってくるから。
必要なだけの助けの唱え方
質問者:
「ありがとうございます」は気持ちがこもっていないとだめですか?
「ありがとうございます」:
これは、人間の努力は関係ないですね、「ありがとうございます」を唱えたら、そこに神様が現れて
力を振るうんです。その時に必要なだけの助けを与えてくれます、必要なだけというのが神様の助け方です。例えば、モグラに太陽の光がばっと来たら'嫌だ'と言うでしょう、強すぎて困ります。必要なだけで良いですね。その時に必要な助けは必ず与えてもらうんです。
だから、どんな唱え方でもいいんです、神様を呼んだ事になるんです。「ありがとうございます」を唱えたから助けてもらうんじゃないんです、逆、本当は唱えさせてもらってるんです、それで必要な助けを神様から受けているんだから、一生懸命真心込めて唱えないと助けてもらえないのかと思うとそうじゃないんです、必要なだけの助けの唱え方をさせてもらうんです。
空念仏のような唱え方といっても、絶対空念仏じゃないんです、必ずそこに力が加わってきています。
・・・・「ありがとうございます」を何の意識もなしに言って、ああしたいこうしたいという下心ありでもいいんですか?
「ありがとうございます」と下心は別です。下心は下心で働いているでしょう、「ありがとうございます」は「ありがとうございます」で働いています。別なものです。
・・・・下心を「ありがというございます」で昇華させようとしてはいけない?
そんなのは無関係です。逆です、下心を「ありがとうございます」が消してしまいます、下心は消されてしまいます。
・・・・下心がうまくいたら、「ありがとうございます」でうまくいったんじゃないんですか?
「ありがとうございます」の方はそんな思い通りになったからというような程度じゃないです。そんなの思い通りにいったからといって、幸せでも何でもないね。いろんな病気が治ったり、奇跡がいっぱい起こるでしょう、これは、太陽の姿が神様とするでしょう、そこから光が放射されて「ありがとうございます」が光なんです。思いの方は・下心の方は空に浮かぶ雲ですね。白雲と黒雲があります、白雲は光を受けてチョッと反射している状態です、白雲が思い通りになります。黒雲はいくら願っても思い通りに行かないですね。
「ありがとうございます」と唱えるとサーッと光が入ってくるでしょう、それで黒雲がしろ雲に変わって思いがかなった、そういう意味では「ありがとうございます」が思いをかなえたとも言えるんですね。でも、そんなんじゃないね、「ありがとうございます」は光だから雲なんか無関係です。
光は無限に世界が広がっていきます、有り難い・無限のプラスがいっぱいと気付きになってきます。あれも有り難い、これも有り難い、無限に世界が広がります。思いの方は雲と同じで、中にはまり込んでいきます、小さく小さくね、視野が狭くなります。一つ思いがかなえられてもそれだけになるんです、その中にはまり込んでしまって、太陽があって・空気があって・水があるのを気付かないんです、一つの思いだけでしょう。でも感謝は世界を広げてくれます、ぜんぜん次元が違いますね、幸せの程度が雲泥の差どころじゃないでしょう、無限に無限に大きくなるのが「ありがとうございます」です、感謝が・幸せが。
・・・・仏様の前なんかでは、願いがあって、それがかなった事もあります。そうすると、仏様がかなえてくれたと思うんです。
例えば、仏様・ご先祖様と呼ぶでしょう、呼ぶとね、その助けを受けるんですよ。ただ「ありがとうございます」という神様はもっともっと力のある神様だから、ご先祖様「ありがとうございます」と後につけるとご先祖様も大きい助けを受けます、自分も大きい助けを受けられるでしょう、効果が何倍にもなります。そういう意味では「ありがとうございます」を後に加えるほうがいいでしょう、全ての総元締めみたいなものです。
唱えた人も唱えてもらった人もプラスに変わる
質問者:
ああ良かったなー、今日一日幸せだったなーと思っていても、主人と会ってけんかになり、現実に引き戻される、今日一日がだめになったような気がしますが?
「ありがとうございます」:
それはそれで、そうなったものはなったもので仕方ない<笑い>それを「ありがとうございます」と唱えて受けたら変化します、形も変化するけど、まず受け方が変化します。受け止め方がプラスに受け止めるように変わります、形のほうも必ずプラスに変化してきます。
・・・・そうなった瞬間に唱えるんですか?
瞬間でもいいし、後からでもいいです、そうすると心がプラスに変化して安らいできます、その後から形まで変化してきます。だから、人の姿も変化して現れるようになります。「ありがとうございます」を唱えた人も、唱えてもらった人もプラスに変わります。
ごめんなさい
質問者:
「ごめんなさい」という言葉は「ありがとうございます」とどう違いますか?
「ありがとうございます」:
「ありがとうございます」の中に神様の働きが全部含まれます、だから、「ごめんなさい」も「ありがとうございます」の中に含まれています。「ごめんなさい」という言葉も悪い言葉ではありません、自分の身代わりにマイナスを背負ってくださっているという意味ですね。食べ物でも、命を捧げて私を生かしてくださっている・命を身代わりに私を生かしてくださっているという意味です。また、自分が悪い事をしても、本当はマイナスを与えずにプラスを与えたほうが良かったんだけど、相手はマイナスを受けてくれた、自分の身代わりにマイナスを受けてくれた。そういう意味で、免(まぬが)れたという意味なんです。
でも、「ありがとうございます」の中に全部入っている言葉だから、「ごめんなさい」ばっかりを唱えるよりも「ありがとうございます」というほうが全部をいっぺんに受けられます。効果も大きいし、他の神様の働きも全部いっぺんに受けたほうが良いですね。
でもね、たまには使ったほうが良いんですよ「ごめんなさい」もね、謙虚になれます。「おかげさまです」というのもいい言葉ですね、「おかげさまです」というのは、影で働いてくれている神様の本当の働きです。「ありがとうございます」の神様の本当の働きは「おかげさま」なんです。自分を出さずに奥に隠れて一生懸命助けてくれます。
願いも起こらない、有り難いばっかりです
質問者:
この先、ああなりたい・こうしたいというご希望はありますか?
「ありがとうございます」:
ない。
・・・あるがままに命を頂いているという感じですか?
そんなんでもないですね、この世だけだったらそうかもしれないけど、この世は無限の中の一粒ぐらいにしか見えていません。「ありがとうございます」と唱えさせてもらうときは、新たな全徳の無限の無限の輝きが無限に無限にいっぱいというふうに捉えているから、それも一瞬一瞬新たにというふうにね。
だから、肉眼で見ている宇宙を無限に無限に輝かした姿で神様が現れてくれます。一瞬一瞬でしょう、だから、ああしたい・こうしたいというような願いも起こらないんです。今与えられたものを受けるだけでも精一杯です、次から次えとね、ちょうど無限に輝いた太陽が目の前にドンドン・ドンドン出てくるような感じです。一瞬も目をそらすわけにはいかない、有り難いばっかりでしょう。
絞り込んだら、神様を感じられる
質問者:
「ありがとうございます」が究極の神様だと気付かれたきっかけは何ですか?研究をなさったんですか?
「ありがとうございます」:
研究も何も「ありがとうございます」と感謝行をしている内に、本物の神様の光がドンドン強くなって感じ始めるでしょう、だから、肉眼で見ている太陽なんて芥子粒みたいになって消えてしまいます。それだけ強い光がバーッと無限に無限に降って来たら、あーそうかなと思うじゃない。「ありがとうございます」と唱えてそこまで大きい光を感じさせてもらえたら。初期の頃にも、全部光って感じられますね、空気までも・分子が光って踊っているのが感じられます。石ころも全部輝いて見えます、これは初期の頃です。今は、太陽を無限に無限に大きく輝かしたような姿で宇宙の全てを感じられます。
・・・・そのように感じられた人は他にいますか?
何億回も唱えた人がまだいないから(いない)。だから、そこまで「ありがとうございます」に絞り込んだら、神様を感じ取っていくと思います。
質問者:
神様とは何ですか?
「ありがとうございます」
ね、難しいでしょう。人間が作った信仰は、人間が勝手に作った神様仏様の名前でしょう。それも、心を作った神様に向けさせる方便に使うんですけどね。でも、本当に感じているのかというとそうでもないみたいですね。
本当に感じないとわからないよね、本当の「ありがとうございます」の神様は、全ての本源だから、この神様を感じたら、無限の無限の幸せが湧き上がるように感じます。無限の無限の喜びも湧きあがるように感じます。実感するんです。
神様というのは全てなんです、喜びも幸せも安らぎも、愛も知恵も、・・マイナスは無いプラスばっかりです。だから、地獄のドン底の苦しみまでプラスに見えてきます。
・・・喜び・悲しみ・喜怒哀楽はない?
それは空に浮かぶ黒雲と白雲ですね、それは心の感情ですね。太陽の無限の光の感情じゃないですね。太陽の本当の光の感情だったら喜びばっかり・プラスばっかりですよね。ぜんぜん違いますね雲と光とはね。
・・・「ありがとうございます」を唱えていると、悲しみの涙ではなくて喜びの涙が出るという人がいらっしゃるんですが、本当にそんなことってあるんですか?
それも本当に初歩の段階でそうですね。神様の一筋の光がスッと入るだけで全部喜びに変わります。嬉しい・有り難いというね。光が入った時点でマイナスの思いが全部消されます清められます、その清めの働きの結果が涙に出てきて喜びが湧き上がってくる。
ほんのチョッと光が入るだけでそうなんです。だから、「ありがとうございます」を何万回か唱えたら、それだけ神様を呼び出しているわけでしょう、チョッと呼んでチョッと入っただけでそうなります。
・・・何もわからないまま「ありがとうございます」を唱えていれば、そういうものがわかってくるんですか?
そう、ただ「ありがとうございます」と唱えさせてもらうだけで、自分の心の変化がドンドン起きてきます。形まで必ず変化してきます。
人のための「ありがうございます」
質問者:
離婚寸前の夫婦に対して、うまくいくように念じて「ありがとうございます」を唱えれば、その夫婦は危機を脱しますか?
「ありがとうございます」:
どう変化するかは、その人の自由意志を尊重して、神様が必要な助けを与えていきます。神様には強制的は無いんです。だから、他の人がその人のために「ありがとうございます」を唱えてくれたら、必ず神様はその人を助けるために必要な助けを与えてきます。ただ、その必要な助けが、仲良くなってずっといくということではありませんね、やっぱり両方の自由意志があるからね、自由意志を尊重して一番いいように助けていきます。その中には、心の葛藤が全部消えて仲良くなって一生うまくいくかもしれないし、また、心の波が違ったら、両方が縛りあわずに済むように離婚して、お互いが自由に幸せを見出すかもしれないですね。その変化は神様しだいですね。神様が一番必要な事を知っているから。
人のためにと思って唱えていてもそれは全部自分に戻ってきます。結局全部自分のものになってきます。人を幸せにした分の自分を幸せにしたのと同じになって戻ってくるから、どんな唱え方をしても全部自分に帰ってくるから、大きい自分の幸せに繋がっていきます。
他を幸せにする働き
質問者:
「ありがとうございます」とお金の関係はありますか?
「ありがとうございます」:
神様はお金は必要ないからね、ただ、この世の人間の世界で必要なだけで、それも約束事みたいなものですね。これだけ働いてこれだけお金をもらったから、自分の働いたぶんだけ返してもらうという約束事ですね。だから、お金自体に力があるんじゃないですね、一生懸命働いて得たお金は、自分の働いた分をそのお金で返してもらうんですね。
あぶく銭ってあるでしょう、働かないで得たお金では何も買えない、あぶく銭だから無駄に全部消えてしまいます。やっぱり、自分の与えたものが帰ってくるんです、これも法則なんです、ただ間にお金の問題をはさむかだけでしょう。
「ありがとうございます」を唱える事が他を幸せにする働きでもあります。自分を幸せにするのももちろんですが、「ありがとうございます」と一人でも言えば、その人を大きい幸せにします、必ず大きい幸せが自分に返ってきます。そういう意味では、お金が入ってこなくても「ありがとうございます」を唱えている人は自分に必要な幸せを回りからいっぱい与えてもらうんです。お金が要らないんです。
私なんか、お金が要らないんです、有っても困らないけどね<笑い>こういう建物も廃材で作っているけど、お金がかかってないんです、ただで作ってるんです。自然に必要なものが集まって、いろんな人が自然に奉仕してくださって自然に出来上がりました。お金持ってる人に頼んで作ってもらったんじゃないんです、ただで出来ています。
この世の生活で、お金がほしいという人にはお金を払わなければいけないので、そういう時は必要なだけ入ってくるけど、皆がお金はいらないという人になったら、お金はなくなると思います。電気つけたら電気代を請求してくるから、そういうお金は自然と入ってきます。
導きは神様の心
質問者:
神様の声が聞こえてくるんですか?
「ありがとうございます」:
声も無限の段階があります、低いほど神様の声が大きく出て強制してきます、低い段階ほどそうですね。高くなるほどかすかなこえで聞こえてくる、絶対に強制はしてこない、本当に真剣に聞くんだったら教えてあげようかという感じですね、かすかにアドバイスしてきます。それを越えると今度は対立していません、聞く側と教える側とが対立せずに神様の心がスッと自分の心の中に入ってきます、一体化してしまいます。神様の心を自分の心として受けるから無理が無い・対立がありません。そうなったほうが本物です、神様の心がよくわかります。
あんまり大きい声で聞こえるとうるさいよ、寝ているときまで起こされて、必要のないつまらない事まで言われたら大変です。だから自分の心級が低いとそうなります、「ありがとうございます」で心級を高めておくと神様の導きはだんだんとかすかな声に変わってくるし、それを越えて今度はそういうのがなくなって、必要なときに必要な心がスッと自然に自分の心に入ってきます。一番楽になります。
病気は自由意志による心の勉強
質問者:
病気の人にどうしてあげたらいいですか?
「ありがとうございます」:
病気をしている人は、全部心級が違うし・自由意志が全部違うんですね。だから、あくまでも参考にという謙虚な心でのアドバイスで良いですね。それを受け入れるかどうかは本人しだいですね、受け入れて欲しいと願わないほうがいいです。自分が「ありがとうございます」と感謝しながら自然に振舞っているときに、必要だったらスッとアドバイスできます。病気をしている人をかわいそうにと思って(アドバイス)しないほうが良いようですね。
病気が治ったからそれで幸せかというとそうじゃないですね、病気で大きい勉強をしている人の病気を勝手に直したら間違いです。私も二十歳の頃から、病気をお祈りでたくさん治したことがあります、強制的みたいに、「ありがとうございます」を加えては治すわけでしょう、本人は知らない、勝手に治してしまうでしょう、せっかくの心の勉強を取ってしまった形になります。
魂は、自分という思い・本当に雲のようです
質問者:
(先生のように) 神様を感じるようになったら、もう完全というか、生まれ変わりとか、魂を鍛えなくて良いんですか?
「ありがとうございます」:
魂はもう無いです、消えて無いです。魂が消えてしまいます。魂は言ってみれば空に浮かぶ雲ぐらいなものです、雲。命の・本心の自分が太陽の光で、魂が雲みたいなものです。白雲が立派な魂、黒雲は堕落した魂です、雲が消えたら魂は消えます。でも、永遠の命はちゃんとありますよ、魂的なものが消えてもね。これが自分という掴むものが無いから雲が消えてないのも仕方ないよね。
いつも「ありがとうございます」と神様を感じるだけでしょう、自分がきえて無いもんね、自分が無いんです何も。この体は神様が残しているだけだと思います、体が消えたらお話が出来ないから・誰かが困るから<笑い>。
魂というのはね、あの世へ行ったら、いくつかの魂が合体したり、大きい魂がいくつかに分かれたりします、本当に雲みたいなものです。
「ありがとうございます」で全てから抜け出す
質問者:
あの世はどんな世界ですか?
「ありがとうございます」:
行ってみないとわからないけど、この世に近い世界もあるし、ぜんぜん違うところもいっぱいあります。この世よりいいところも悪いところもあります、無限の無限の段階があります。無限だけでもすごいのに、無限の一つ一つがさらに無限に別れているから本当にすごい、想像を絶します。
この家もね、今日はもっと広いほうがいいと思えばグッと広がります。この世よりチョッと高い世界(あの世では低い世界)でもそんなものですよ、コーヒーのみたいなと思うと空中からサッと出てきます、飲んで「ありがとうございます」と言うとサッと消える。でもそんなのはまだ低いんです、だから想像つかないでしょう、高い世界がどうなのかね。
神様の宇宙創造の仕組みはものすごいんです。部屋でテレビを見るとするでしょう、テレビを眺めていたら、テレビの中の姿は偽物に思うでしょう、そのテレビの画面の中でまたテレビを見ている自分の姿が出てきたらどうなる?そしてまたそのテレビを見ている自分の姿がその中に映るんです。ドンドン細かくテレビの中にテレビを見ている自分が出てきたら、どの自分が本物?
本当の自分は、全部の(番組の)中から抜け出した自分でしょう。それが「ありがとうございます」で抜け出した自分になるんです、そしていろんな世界が全部自由自在に見えてくる、それでないと・巻き込まれた自分だと何かを掴んで自由を失うんです。だから「ありがとうございます」しかないんです。全ての番組から抜け出して自由に全体を見れるにはね。すごいんですね「ありがとうございます」を唱える事はね。
・・・私は、初歩以下の段階なんですよね?
そんなことはない、初歩だと決め付けないほうが良いですね。いろんな事を全部体験してきて最後の仕上げに一つだけと思えばね、この一つで終わったら自由自在になるんじゃない?いろんな番組を全部見てきて、このつまらない番組を一番最後に見て全ての未練を無くして「ありがとうございます」に戻ろうかと、そういう時期になっているんです。
黒雲が白雲に変わったら
質問者:
どうしても実現したい事があるんです、「ありがとうございます」を唱えれば、必要であれば神様が実現してくださいますか?
「ありがとうございます」:
そんなの要らない、「ありがとうございます」を唱えたらね、思いが・黒雲が白雲に変わったら全部実現してしまいます。チョッと光を受けるだけで実現してしまいます。私が、願いも思いも全部ないのは、全部かなえられてしまって結果を全部もらっているからね、願いが起こらない。
気付き
質問者:
子供の頃から「ありがとうございます」と言う習慣をつけさせるほうがいいのか、いろんな体験を積んでから「ありがとうございます」に気付いたほうがいいのでしょうか?
「ありがとうございます」:
子供を立派に育てるのもいろんな方法がありますね、無限の段階があります、最高の方法は「ありがとうございます」です。小さいときから「ありがとうございます」を唱えさせたら、何も教えなくても行儀はいいし思いやりはあるし、しつけなんか要らないし悪い事は絶対にしない。教えられたりしていなくても、人の嫌がる事をしません。思いやりの心しか出てこないからね。
・・・意地悪をされたときも常にそういう心を持っていられたんですか?
いじめられないですね、いじめる人が出て来ないですね。いろんな危ない事に遭遇する前にストップかけて止めてくれます、不思議ですけど。
・・・では、人の言葉は全て、思いやりのある言葉として受けるんですか?
プラスとしか受けられなくなっていますねその時点で、全部ありがたく思えますね。だから本当に不思議ですね。昔は畑に野つぼがたくさんありました草に覆われてね、小さい時に度胸試しに連れて行かれたことがあります。「ありがとうございます」とお祈りしていると危ないところへ行ったら必ずそこが光るんです、ハッと思ったら大きい穴が開いているんです、絶対大丈夫だったね。寸前で守ってくれるから。
山へ連れて行かれて、一人で山にほっとかれて、父は一人で山を勝手に下りてしまう、後は教えてもらった道をたどっていくんだけど、山道なんて覚えてないじゃないですか、わき道がいっぱいあります。わき道へ入ったら必ず木から蛇がぶら下がっているんです。怖かったですね蛇が一番怖かった。
・・・それは、家庭環境の中で「ありがとうございます」を唱えられるようになったんですか?
怖い蛇がねぶら下がっているから別な道を行くでしょう、それが正しい道になっているんですいつも。必ず迷い込んだところで怖い蛇が出てきたんです。今度は、怖い蛇が自分を守ってくれてるように思うでしょう、神様の使いかなと思い出したら怖いものがなくなりました。蛇がなくなったと同時に恐怖心が全部消えていました。今まで怖がっていた恐怖心が全部消えていました、怖いもの知らずになりました。
・・・小さいときから「ありがとうございます」を言い続けたんですか?
言い続けたというほどではなくても、何か有ったときは・怖かったら言い続けるでしょう、そういう形で教えてもらって・助けてもらって、蛇を通してでも神様の愛を感じるでしょう、一番怖いものが神様の愛に感じられたら、怖いもの知らずですね。ああ、本当はみんな神様なんだとね、最初は思い込みかもしれないけど、そう思い込む事もすごいことなんでしょう、そういうことも初歩の段階で、言ってみれば神様の浅い愛を感じたらね。
・・・運がいいとか悪いとかそれも神様ですか?
どの番組を選ぶかなんですね、自分が選んだらいいんでしょう。運のいい番組を選べば良いんですね、運の悪い番組を選んだら運が悪くなります、それは自分の心が明るい幸せな心か・暗い不幸な心かによります。やっぱり波の合わせ方ですね、自分の心を明るい幸せな心にすればいいんですね、それに一番良いのが「ありがとうございます」を唱える事です、すぐに明るい幸せな心になるからね、運が極端に良くなってしまいます。
・・・空の雲が生きているような感じを受けるんです、「ありがとうございます」を唱えるようになってから、回りも自分も変わってきて「ありがとうございます」がドンドン膨らんできました。
そうですね、雲も生きていると、みんな神様の命を生きているのを表しているんだと実感できてきたら、神様の命だけを感じるようになります。ドンドン変化しますよまだまだね。
神様は雲みたいにね、現れたり消えたりします、この世の全部が本当はそうなんです、必要なものをすっと表してすっと消える、雲からもそういうのを学び取れますね。
・・・迷いはなくなりますか?
なくなりますね、「ありがとうございます」と良いほうへ決まってしまいます。
・・・じゃあ!単純に「ありがとうございます」これで良いの!、戻っちゃった!
究極のところへ戻っちゃった<笑い>
・・・何かを得ようとして「ありがとうございます」を言って、それにこだわって「ありがとうございます」を言おうとすることがそもそも間違っていた!<笑い>
つまらない使い方ですね、それで良いんですね「ありがとうございます」だけでね。それで世界が無限に広がります。
・・・くだらない事ばかり聞きました<笑い>ああでもないこうでもないと。
闇の状態から光を受ける
質問者:
自分の中にも世界の中にも、プラスのものとマイナスのものが両方ありますが、それもみんな神様の中なんですか?
「ありがとうございます」:
神様の番組は、マイナスの無限大からプラスの無限大まで全部の番組がそろいます。この世はその縮図です、縮図だから地獄も極楽もこの世にあっていいんですね。ただ、この世で自分が何を選ぶかなんです、どれを選び続けたいかと決めるんです。この世で言ってみれば地獄から極楽へ上がったとするでしょう、すごい変化ですよねあの世へ行ったらね、一番最低から一番最高まで上がった事になるでしょう、あの世だったらこんだけ上がろうと思ったら大変なんです。でもこの世だったら万分の一の時間で済むようになります、すごい事でしょう。だから、この世は特別な世界なんです。
・・・でも、神様はマイナスを持っていてはいけないんじゃないですか、プラスばかりを持っているのが神様じゃ?
例えばね、太陽の光があるでしょう、太陽の光だけだったらどうします?蛍の光なんて味わえないですよ、小さい光なんて味わえませんね。闇があって小さい光を順番に味わえるでしょう、いろんな光を段階を追って全部ね、無限の段階の光を全部味わって最後に太陽の光を味わえばいいんでしょう。
やっぱり、闇の状態から光を受けるほうが有り難味が大きいですね、そういう意味だったら、神様の最高の表現を本当の意味で味わうために、いろんな番組をたくさん作っておいて比較するほうが良いですね。そういう意味でマイナスの表現も用意してくれているんですね、ただそれだけを味わいなさいとは言わないから、チラッとみてね最高表現を味わってくださいと用意してくれています。だから必要なんですね。
2002.6.7
急に元気になる人と何だか急に具合の悪くなる人と二通りの人がいるようなんですけど、それはどういう訳なんでしょう?
両方必要に応じて必要な姿で与えてもらうんです。本当は全部プラスなんです。例えば「痛い」と言うでしょう、痛いという言葉の響きはすごくプラスの響きなんです。「い」は神様の働き、命です「た」は勢いよく力強く大活躍という、高く高くという響きです。だから「いたっ・・」という時は命が大活躍している時です。実際に肉体の痛みでも、痛いという状態は神様がもの凄く働いているんです。心の痛みを消す時もそうです、神様の浄めの光がいっぱい降りている時で、肉体の悪いところを癒す時もそうです。癒す必要のある痛んでいる所へ血液でもスーッと寄るんです。神様が寄せているので、命を活発に働かせている時です。だから痛いということはもの凄いプラスの高い響きなんです。神様がここに大きく働いているという響きです。それをしっかり認められたら、「ああ、ありがたい」と涙を流すんです。痛いと言って涙と流すのと違うんです。どんな苦しみもそうなんです。苦しみというのは本当はマイナスじゃないんです。苦しみがなかったら古いものが消えていかないんです。古いものを消し去る働き、新しいものと置き換える働きです。掴んでいた古いものが消えていくと苦しいんです。消されて困った・・苦しいとなるんです。
でも、新しいものを与えてもらうのに古いものを消さないと、与えようもないし受け取れないんです。だから新しいものを受け取る為の準備、プラスを与えてもらうための準備として苦しみ痛みが必要になるんです。これをありがとうございますという心をしっかりと起こすと、新しいもの新しいものと受け取っていけます。そうすると苦しみ痛みが軽く軽く済んでいくんです。だからその過去を放せるかどうかで、普通はみんな過去を掴みすぎているんです。過去を掴みすぎてそれで自分を縛って苦しい痛いと言うんです。自由を思いで縛っているので、それは過去を掴むから思いで自由を縛るわけです。新しく新しく受け直している限りは絶対に自由自在です。何の縛りもないからいつも伸び伸びと手が伸びて楽しい楽しいなんです。だからここへ来てすぐに掴みを放せる人は、スッスッとプラスへプラスへ向いてしまうんですね、過去を放せる人は。
ところが過去を掴んでいる人は過去の掴みを放させてくれる意味での神様のお手伝いがいっぱい来ますね、過去を放しなさいよという意味なんですけど・・ところがなかなか・・みんな大変でしょう、執着ってあるんですね。
竜宮城へ浦島太郎が亀に乗せられて行きましたね、あの時に亀の背中に乗らなかったら竜宮城へ行けなかったです。浦島太郎は凄いんです、亀の背中に乗ったこと竜宮城へ連れてってもらえたことは凄いことなので・・・執着がないんですね。素直ですね。今だったらUFOが飛んできてサッと入り口を開けて「さあ、乗りなさい」と言われたら乗れるでしょうか?素晴らしい星へ連れて行ってあげるよと入り口を開けてくれたら、サッと乗れる人はいるでしょうか、普通は「ちょっと待って」です「ちょっと考えてみます」「ちょっとみんなと相談して・・」ですね。
気持ちだけ乗せる訳に行かないです、自分の全てをサッと乗せないとね。そのチャンスというのはわずかな時間です。その僅かな時間にサッと乗れる人は執着が少ない、過去を放せているんですね。だからその過去を放す練習というのは普段から必要なんです。それがありがとうございますという感謝行ですけど、新たに新たに、新しい方を受けなおす練習です。新しいものを受ける練習さえ出来たら苦しい過去を放せるんです。だから一人ひとり全部必要なだけを勉強材料に与えてもらうのでどっちも神様が必要として認めて与えてくれるんです。新たに新たに受けなおす勉強でそれもプラスの勉強とマイナスの勉強と両方なんです。マイナスを放す勉強だけが要るんじゃなくて、プラスも放す勉強も要るんです。だからプラスの方に執着する人にはプラスをどんどん取ってくれるんです。執着してはダメですと。マイナスを放しにくい人もありますしいろんな人がいるんですけどそれぞれに必要なだけの勉強を的確に与えてくれるのが本当の神様の働きです。あとで振り返ったら、良かったと思えるんですけどね。その時はやっぱり「ああ、苦しい」と思うかもしれない、でもありがとうございますと加えた方がいいです。神様の本当の働きがここにあるんですね。
今のお話のプラスを放す練習というのは、どういうことでしょうか?
いいものだとみんな執着しますね。でも神様はそのいいものを無限に与えてきているんです。ひとつに執着して欲しくないと言うのが神様の本当の願いです。
ひとつだけと言うとどうしても縛りの中に嵌ってしまいます。心が不自由になって、がんじがらめになってしまうんです。これは全てにおいてそうですね。宗教の教えでもこの教えが最高と掴んだだけで縛られてしまいます。でも素晴らしいものが無限にあるといえば縛られずにその喜びが無限に拡がるだけです。それで自由自在に何を選んでもいいという感覚です。この世のいいものにしがみつくというのが多いですね。無限にあって、よりどりみどりという方がいいのに、それも一瞬一瞬自由自在に選べる方がいいのにひとつ掴んでしまうとなかなか放せなくなります。だからプラスへの執着というのもあるんですね。マイナスへの執着もありますけどプラスへの執着というのも大きいです。だからそれを解くには更に神様に心を向け続けて、その無限の選択肢へ心を広げないといけないです。この素晴らしいものをまだ無限にいっぱい与えていただいているというふうに、そうするとプラスへの執着も消えるんです。無限のプラスが与えてもらっているというのにしがみついたら、またもうひとつ上の無限の無限のプラスがあるというふうに思うんです。そうすると縛りが消えていきます。
痛いのは「いいー、たのしいー」の意味
☆自分の命に執着するというのは・・・?
この世の命というのは時間です。この世は大体時間が定められるんです。この世に生まれてきて寿命というのは決められています。この世の命というのは寿命は時間のことです。この時間を自分が勝手に延ばして欲しいと言っても延びないです。一応、定められて来ています。この世で必要な勉強する時間、チャンスを与えてもらうんです。
この世に出てくるのは何のためかというと本当の目的は感謝のお祈りを深めて神様を感じ取れる自分になることです。感謝を深めて無限の選択肢をしっかり捉えて、最高の神様の表現をじっくり味わえる自分になることなんです。だからその選択肢を狭めてひとつに執着して自分を失って囚われることじゃないですね。小さい目的だと自分の心を小さく小さく縛っていくんです。大きい目標を持たないと、神様の目標を自分の目標に変えていかないといけないですね。だからどこまでも感謝を大きく深くして神様のプレゼントをいっぱい受け続けるという、これがやっぱり大事なんです。自分はこの世だけで生きているんじゃないですね。永遠に生き続けるんです。この世だけじゃない、無限のチャンネルの中で永遠に生き続けます。また神様と共に永遠に生きているんです。だから永遠に生きている自分だったらこの世の定められた寿命には囚われないです。長生きしたいと思わないです。一定の期間を終えたら、また次の素晴らしい勉強の場へ移るだけという感覚です。
だから、みんな幸せを大きくするための一瞬一瞬の勉強なんです。神様はいつもふさわしい場所において勉強させるんですね。だから、この世がいいというふうに神様が認めて寿命を与えてこの世に生かしてくれているんです、必要なものを与えてくれているんです。そしていろんな気付きを与えるようにいろんな体験を神様が用意して与え続けてくれるんです。だからこの世に生きている限りはこの世でしっかりと勉強するんです。またもっとふさわしい場があったら、また神様の定めた寿命が来たら、あの世でより素晴らしい場で勉強し続けるんです。それでどんどん幸せが大きくなるようにしてくれるだけです。
だからもう、何にもしがみつかないでいいんです。お任せがいいです。全て神様が幸せを大きくするために計らってくれています。だからどんな痛みも大丈夫です。耐えられない痛みなんて与えないですからね。私が十代で一年間二年間と連続して痛みを味わったでしょう、今の私だったらもっともっと大きい痛みでも平気です。全然違うんです。今の自分ももの凄い痛みに耐えているんです。だからその十代の痛みなんて、ないのと同じくらいなんです。だから痛みでも本当に喜んで喜んで受けたらどんな痛みでも軽く受けられます。痛いのは「いいー、たのしいー」の意味です。だから苦労すれば後で喜びが大きくなって出てくるから、後でわかるんですね。その時は、楽しむことです。痛みがあったら痛みを楽しんで、ありがとうございますと楽しんだらすぐよくなりますよ。
それは誰かに教えてもらってそうしたんですか?
いつも神様が教えてくれているんですよ。みんな同じです。いつも神様が教え続けてくれているんです、中からも外からもいろんなアドバイスを与えてくれてくるんですよ。
☆それを信じて実行して今喜びになったんですか?
実行ですね、ありがとうございますと喜んだらいいだけの実行です。実行させてもらっているんです。神様のおかげ、自分の力じゃないです。神様に実行させてもらって気づきを与えてもらって喜びをいっぱいにしてもらって、みんな神様から与えてもらっているだけです。だからもうひとつありがたくなりますから、ありがとうございますなんです。
☆それで喜びに変ったら痛みは終わるのかと思ったら、まだまだ痛いんですね?
痛みが喜びになる・・もっと心地よい痛み、大きい痛みでも平気になってくるんです。もっと喜びの材料に変るんです。嬉しくなる・・よろこびがわいてくるんですね。「いたーッ」というのは喜びの言霊の響きなんです。いのちがバーッと輝いている響きです。大声で「いたーッ」と言ったら幸せになれますよ。
七難八苦
☆それは精神的な痛みもいっしょですか?
そう。七難八苦というのが精神的な心の痛み苦しみですね、本当の痛みというのは、怒りの心でも例えば七難八苦の禍難というのは、怒りの心が天を突き破るくらいのもの凄い勢いでバーッと現れるでしょう、凄いんです・・自分の心がもう、どうなるかと思うでしょう。ちょっと腹が立つくらいならしれてるんです、燻(くすぶ)っているくらいですけどそういう本当の怒りの禍難というのが出てきたらもの凄いです、怒髪天を衝(つ)くという感じです。
☆その時もありがとうございますですか?
そうです。それもプラスに見える心はありがとうございますの心なんです。嫉妬心でも出る時がありますね。もの凄い嫉妬心が、天をも突き破る嫉妬心が出たら大変です。全身やけどするくらいじゃないです、一瞬に灰になってしまいます。何でもそうです。七難八苦の本当の姿は七難八苦の心の状態を指しているんです
地球ひとつくらい消えても大丈夫
☆そうしたら、心が感謝についていけなくても怒りでも「ありがとうございます」と言ったらプラスに変るんですか?
そうです。ありがとうございますは神様を呼ぶんです。神様を呼ぶことです、呼ばないと助けを受けられないでしょう、呼ぶことによって神様が助けに来てくれます。だから、ありがとうございますと呼べばいいんです、呼べばどんな七難八苦でも軽く済ませてくれるくらいの力を添えてくるんです。自分が大きくなったら本当は痛みなんかないんです。針で突付いて痛みがあるとするでしょう、これは針だから小さいんです。自分が大きいから針で突いても痛みは知れています。ところが全身を、アリのような小さいものが大きいものにドーンと一瞬に叩き潰されて木っ端微塵になればもの凄い痛みに思います。自分が小さいとそうです。どんなものも痛みが大きく感じますね。
神様を呼べば大きくなるんです。神様が入ってくるから自分が大きくなるんです。そうすると七難八苦の痛みなんて、本当に小さいものに変化します。そうして苦しみが苦しみでなくなるんです。だから大きくなるのがいいでしょう、その意味で神様をしっかり呼ぶんです。神様が自分の中に入ったら大きい自分になるんです。みんな小さいから苦しむんです。宇宙大に大きくなるために神様を呼び続けるんです。
そうしたら地球ひとつくらい消えても大丈夫ですね。地球が爆発して木っ端微塵に消えてしまっても地球の一個ぐらい・・と、そういう移り変わりの姿に囚われないですね。新しい星はどんどん生まれて来るし古いのはどんどん消えていくし・・この肉体もそうですね、新しい細胞がどんどん出て来て古い細胞がどんどん消えて新陳代謝で置き換わっているんですね。古いのが消えていかないと新しいのが出てこないし、細胞の数が増えているということはないし古いのと新しいのとの置き換えです。消えていくのだけ見ていたら苦しいですね、苦しい苦しいになります。
でも全体を眺めて新しいものがどんどん生まれているのを見ていたらよくしてもらっているばっかりです。だから自分を大きくするんです、神様を呼んで大きくすると神様は悪いものを何ひとつ作ってないから、みんな素晴らしいものとして最高表現として全てを生み出してくるからいいものばっかりプラスばっかりで、だから本当は喜び続けるだけがいいんです。
感謝というのはプラスをプラスを発見して喜ぶための練習なんですね。そう出来る自分に変えてもらうために神様を呼び続けるんです。それがありがとうございますと心に唱える練習です。自分だけの力じゃちょっと限界があるんです。それで神様の助けを受けて大きい自分に変えてもらうんです。だから、ありがとうございますと、真剣に呼び続けたらいいですね。どんな問題でもすぐ解決します。神様は答えを先にスッと持ってくるんです、途中抜きです。
欲しいものと必要なものとちょっと違う
☆例えば美味しいものを食べてこれをずっと食べたいなと思うそれが執着で、ありがとうございますといってもう次はないかもしれない、それでもOKと・・・?
それはこの世だけ見ていたらそうですね、この世だけ見ていたら消えるかもしれないです。でも心の奥に神様が無限に無限に与え続けてきていますね。それを感謝の心で受け直して現実化しないとね。だから本当はこの世も必要なものをズーッと与え続けてきてもらっているんですけど、気付かないだけです。
感謝の心を起こして初めて気付くんです。食べ物でもそうですが今、与えられたものをありがとうございますと受けるでしょう、もっと食べたいと思わなくても今度必要になったら必ず必要な食べ物を必ず与えてもらうんです。欲しいものと必要なものとちょっと違うんですけど神様は必要なものを与えて幸せにしようとするんです。欲しいものばかり食べたら満腹になって更にお腹がパンクするくらい食べるんです。そして苦しいと言うんです。神様のほうはその苦しみを知っているから必要なだけを与えてくる、それも必要な時にちゃんと与えてくるんです。だから、朝ごはんを食べたらお昼にならないと出てこないです。朝と同時に昼ごはんも夜もと出てきたら大変です。
☆必要なときに与えてもらえるし、本当は全然何の心配もないという・・・いつでも、誰でも・・・?
そうです。いつでも誰でも何の心配もないんです。だからありがとうございますと今与えられたものを感謝して受けて、次に必要になったらまた与えてもらって感謝して受けてというふうにしていけば必ず必要なものは与え続けてもらうんです。
☆じゃあ、自分でああしてこうしてと計画することは要らない・・何も考えなくてもいいんですか?
そう・・本当はもう、要らないですね。感謝さえしていたら自然に必要なことをさせてもらうから、ありがとうございますだけがあったら幸せいっぱいに生かしてもらうんです。神様の智慧は完璧だから無限の先まで見通しているんですね。何が必要かとよく判っていますから必要なものを的確に与えるんです。
この世はあの世の縮図
☆世界で飢餓で困っている国の人達は与えてもらっていることに気付いてないのか、気づくことを避けてしまうために食べることができないんでしょうか?
みんなこの世はあの世の縮図的になっていて本当は無限の無限のチャンネルがあるんですけどこの世のひとつのチャンネルはあの世の無限のチャンネルの縮図としてこの世も無限のチャンネルに細かく分けたら分かれているんです。この世に同じように生きてる人も一番上の最高番組に波長をあわす人もあるし一番下の最低番組に波長をあわす人もあります。
だから極楽を現す人も地獄を現す人もあるし、中には餓鬼道の姿を現す人もあります。その人の心の波長の合せ方によってどの番組を引っ張り出すかはみんな自由です。この世は特に何を選んでそれを自分のものにしていくかという選択の勉強の場です。だから自分が選びたいものをしっかりと全体の中から選んでそれをしっかりと心に取り込んでいく勉強です。だからプラスがよかったらプラスをしっかりと取り込まないと、そして番組をどんどん高い番組に波長が合うように上げていく訳です。
だから例えば餓鬼道に落ちているというそれは神様からプラスを受けていないという意味なんです。神様の恵みを拒絶して拒絶してという・・先ず感謝がたりない、ないんですね。それともうひとつは与えないと与え返されないですね。だから他人に対して与えてない、だから他から与えられない姿をとるんですね。餓鬼道なんかに仮に落ちたとしたらね。みんな働かなかったら食べ物は口に入らないですね、誰一人働かなかったら一口も食事が口に入らないですね。餓鬼道なんかはそういうところです。この世はいろんな人がいるから働く人もいて働かない人もいるからそれはそれでいい訳です。ただ働く人は豊かになるし働かない人は貧しくなります。必要なものも与えられないというのは働かない人でしょう。
あの世の極楽もそうです、じっとしていて欲しいものがいっぱいというのとは違います。極楽世界はみんな働き者なんです、能力を発揮してみんなを幸せにする働きをいっぱいする人のそういう人の働き者の住む世界が極楽なんです。だから誰も困らないです・・みんな働き者だから。餓鬼道や地獄は誰も働かないです。怠け者の世界です。この世も同じですね、しっかり働く練習をした人は番組をあげていけるんです。
だから働きを大きくするというのは神様が中に入って働いてくれているから出来るので、神様を受け入れ他人が働きが大きくなるんです。でも神様を拒絶した人は神様の力を受けないから働けなくなる、いいことが出来なくなるんです。
だから働ける人、いい働きが出来る人これは神様の助けをたくさん受けている人なんです。これは感謝した人がそうなんです。感謝すればするほど神様が助けに中から入ってくるでしょう、力を添えて働かせてくれるんです。それでみんなを幸せにする働きがいっぱい出来て神様からも幸せをいっぱい受けるし他からも幸せを与え返してもらうんで、だから幸せいっぱいになってくるんです。だから先ず神様を受けいれること、感謝することそれが一番の根本でしょうね。あとはもうお任せで、神様に任せたら神様が中で働いてくれるでしょう。指一本動かすんでも神様が動かしてくれるんですね。だから無駄のない、いい働きがいっぱい出来るんです。効率よく働かせてくれるから働きが大きくなるんです。そうすると幸せが大きくなってきます。
働くとは人を幸せにすること
☆よく判らなかったんですけど、そういう国に生まれて飢えて死んでいく赤ちゃんでもやっぱり感謝が足りないんでしょうか?それとも前世とか・・・
そう、みんなそう。赤ちゃんでもそういうところに生まれるのはそういう場所を選んでいるんです。前世も・・みんなあるんです。
☆働かないで食べているんで・・ごめんなさい。
働かないで食べてるの?過去に貯金をたくさんしたんですね、徳を積んで・・・。
☆・・そうなんですね、だから今こうして感謝をしたらまた食べれるんでしょうか?
感謝が出来る人は徳をいっぱい積んだ人ですね。または神様から縁ある人から徳をいっぱいもらっている人ですね。それは働いてきた人ですね。
☆働くということは会社へ行ってお給料をもらうことですよね?
給料をもらうことじゃないです。人を幸せにすることです。働きは幅広いです。人を幸せにしたら働いてると言うんです。にこっと笑って人に幸せを与えたら働いているんです。ありがとうございますと感謝して人の心を喜ばしたら働いているんです。(☆あ・・それは働いています)人を幸せにすれば働いているでしょう。花を見て「ああ・・美しい、ありがとう」と言えば働いているんです。
感謝が一番大きい働きです・・あとは枝葉の小さい働きです。そしてお給料をもらわない方がいい働きなんです。ただで働く方が働きは大きいです、与えるだけだから。でもその働きが溢れ出たらお金でちょっと戻してもらえばいいですけど、お金で幸せになるんじゃないですからお金がなくても人に幸せを与えた人は幸せを与え返してもらうから絶対に困らないですね。ありがとうございますを言ってしっかり働いています。一回、一万円以上の価値がありますね。
何でも子供にしてもらうのがいい
☆神様から動かしてもらって何かをさせていただくのが一番いいやり方と言っても、神様から何かさせてもらうまでジーッと寝て待っていればいいということではないですよね?
そうです。ありがとうございますと心で唱えながら、前へ前へ進むのがいいです。それは自然に進めるんです。そのために神様の願い、目標をしっかりと思い返したらいです。神様の願いは何か、目標は何か・・神様の願いはみんなを幸せにしたいんです。一人残らず全部を幸せにしたい、この世を本当の平和な世界に変えたい訳です。みんなが最高番組を引っ張り出して楽しめるようにしたいんです。そうしたら、自分の出来ることは何か?・・感謝を更に深めて前へ進むだけですね。そうしたら後は自然についてくるんです。
☆中学校の警備をして、中学生が荒れている状態を目の前で見てビックリしたんです、この子供達に何かしてあげなくてはと思ってトイレの掃除・・ひとつの便器を掃除するのに一時間かかるんですけど・・それを3年ほどやって、その他に、顔を合わせた生徒たちに朝は「おはようございます」昼は「こんにちわ」をありがとうございますと同じ効果があると思ってやっているんですけど「ありがとうございます」と生徒には言えないものですから・・・。
いいですよ。心でありがとうございますを唱えながらありがとうございますのひとつの響きとして「おはようございます」を言うのは。
ありがとうございますが根本だけど、心の中でありがとうございますを唱えて後は枝葉の言葉は自由自在でいいです。
☆子供達から「おはようございます」と言葉が返って来るともう嬉しくて「ありがとうございます」なんです。それで近所の大人たちにも全部声をかけていますが、実は近所に泥棒が多くて・・泥棒にも声をかけようと思いまして、とにかく実行しているんです。そうすれば犯罪も減るんじゃないかと・・言葉はエネルギーと思っているんですけど・・。
そうですね。いい言葉は大事なんです。ただ、今の学校がいろいろ荒れている原因は、子供に贅沢をさせすぎていますね・・これが一番の原因です。贅沢と言うのは、子供は何も働かずに人からいいものを与えられるだけですから借金を借りをいっぱい作っていることになるんです。借りというのは心に重荷になって被さってくるんです。それが子供の心を荒れさせている一番の原因です。
だから校舎でも税金を使って豪華な鉄筋のものを作らないでいいんです。廃材を使って掘っ立て小屋を作ればいいんです。そうしたらもっと心が素直な輝いた心になります。
今の親が悪いんですね・・贅沢をさせすぎています。昔はそんなことはなかったですね、トイレ掃除なんかは子供にさせていましたけど今は生徒にさせないところがありますね、これはおかしいです。自分の使うトイレくらいみんなできれいにすればいいのにね、贅沢をさせすぎているでしょう。その分、子供が親不孝するんです。子供に幸せを与えているんじゃないですね、逆に子供に借りを作らせているんです。
だから何でも子供にしてもらうのがいいんです。親は子供にお手伝いしてもらった方がいいです、子供が親孝行になります。もっともっと子供にいろんなことを奉仕活動やボランティア活動をさせないといけないですね。贅沢はさせない方がいいですし・・今のいい校舎を全部ぶっ壊したら困るんですけど、古い校舎を活用したらいいですね。外からおかしい人が入ってきて、危ないといって更に立派ないいのを作ろうとするんですけど逆です。豪華ないいものにするから子供の運命が極端に悪くなるんです。そうするとマイナスの運命に自然に引き寄せられていってそういうふうな事件が起きるんです。
この世の原理をみんなが判ってくれると、子供には苦労をさせないとと判ってくるんですけど小さい時に苦労させた方が子供は早く幸せになるんですけどねぇ。それも親も一緒に苦労してあげるともっと子供は早く立派になるんですけど・・。トイレ掃除でも生徒さんがしてくれる人があったら一緒にしてあげると、子供さんは喜んでくれるんですよね。本当は素直な子供はしたいんですよ、そういう人の喜ぶことをして本当の生きがいを感じるんだけど照れくさいんです。したいと思う子でも一人では出来ないです。そんなことをしたら皆からどう見られるかと思うんです。でも警備員のおじさんがしてくれていると言っていっしょにしてくれる子がいたら凄い幸せになれますよね。そういう奉仕活動をどんどん出来たらいいんですね。
占い料は高いが、「ありがとうございます」はただ
☆占いとかを見てもらうと心が奪われてしまうようなところがあるんですけど、方位とか気にすると、ここへ来るにも今日この方角はどうですかと聞かなくてはいけない感じで・・そういうものにはあまり囚われなくてもいいんでしょうか?
番組は無限の無限のチャンネルの番組があって、そういう迷惑のある番組は低い低い番組ですね。迷惑というのは大体自分が楽をして幸せを手に入れようとしているんでしょう。もの凄く都合よくという感じです。そういう番組もいいんだけど、でも神様は無限の無限のプラスがいっぱいという番組を与えてくるんですから幸せだけ即受けたらいいんじゃないですか。
高い番組というのはそうです。感謝してプラスを受けたら全方向がプラスの方向です。家相も全部いいし、日にちも毎日が最高の日です。全部プラスプラスです。もう、運命学に頼らなくていいんです。低い番組だから運命学に頼ってちょっとでもよくしようと思うんです。感謝してプラスの番組を選ぶんだったら運命学は要らなくなるんです。どんな運命学も役に立たなくなります。全部が善し善しです。
占い料は高いから先ずお金が助かりますね。ありがとうございますはタダです。そして最初から無限のプラスをいっぱい与えてもらうんです。占いでよくなるというのと違いますね、悪いのを避けるくらいですね。いいのがなかったらどこかで悪いところに当たりますね。迷路にはまり込んだら大変です、もうそんなのは要らないです。卒業ですね・・大分もうかったね。
神様を相手にする方がいい
☆来年から3年間医療関係の学校へ行って勉強しようと思うんですけど、これから光がいっぱいの世の中になったら病気の人もいなくなってそういう仕事も必要なくなるのかと思ったりするんですけど?
病気の勉強なんかしなくていいし病人相手にしなくてもいいし、幸せな人・健康な人を相手にすればいいですけど、それより神様を相手にする方がいいですね。みんな神様というふうに、神様の現れというふうに相手にしていったらいいんです。そうすると幸せな人ばっかりですから、周りが幸せな人ばっかりだと自分も幸せになるしかないんですね。先ずありがとうございますと言い続けたら自然にいい人ばっかりの状態に置かれます。何かしようとしないと、じゃないです。ありがとうございますが最高の仕事だし、後は自然に自分にできることをさせてもらったら必ず幸せを大きくしてくれるから。
☆自分でどうしようとかいう事でなく、ありがとうございますを言ううちに自然とそういう方向に行ったので、これも神様の導きかなと思ったんですけど・・・。
別にそれもいいです。途中でまた方向転換してもいいです。みんな一瞬一瞬を楽しみながらプラスへプラスへと心を向けていって、お互いに助け合いになってどんどん幸せになっていくから縁繋ぎもあるから、だからひとつの方向を定めたからこの道を行かないとじゃないですね。また一瞬に正反対の方へ変えてもいいんです。
本当の先祖供養
☆神様はいつでもどこでも感謝という感じですけど、ご先祖様というのは祀り方があるんでしょうか?
ご先祖様を神様と分けて見るんじゃなくて神様の愛の現れとしてご先祖様がいっしょに現れていると、だから自分を幸せにするために神様がいろんな姿に変身して現れてくるんです。それがご先祖様でもあり親でもあり兄弟でもあり周りの縁ある人でもありというふうに、神様に心を向けて感謝して受けるだけがいいです。そうしたらご先祖様に対する心は本当の感謝だけです。
ありがとうございますと感謝することが本当の先祖供養で、ご先祖に対する正しいあり方ですね。心で本当にありがとうございますになったら、仏壇とか形や模型は必要ないんだけど、それがあっても邪魔にはならなかったら残しておいてそこを通してありがとうございますと感謝を深める練習台です。一回でも多くありがとうございますと、神様の現れとしてのご先祖様に対して言えるのがいいですね。それも過去の姿のご先祖様と掴むと過去に縛られていきますから、今新たに神様の現れとして出てきたご先祖様と見るのがいいです。それが本当の輝いたご先祖様です。過去を掴まないほうがいいですね。
☆自分が覚えているこんなおじいちゃんだったとかいう思いが湧きあがっても、いいことを思い出すというか・・マイナスの部分も覚えていることがあるんですけど、いい部分だけを思い出すということですか?
そのマイナスに見えた部分もマイナスへの感謝があればいいですね。マイナスの姿に対する感謝です。本当はマイナスじゃないんです。価値があるんですけど、感謝の心を起こすとその価値を見出せる気付くんです。そうするとおじいちゃんおばあちゃんが自分のマイナスを先に取って自分のマイナスを消してくれたというふうに見えたらありがたいですね。マイナスは全部そうですね。気付けばいいだけです。ありがとうございますと感謝することによって気付きが増えて本当の無限の価値を見出せて喜こべるんです。その過去にも、過去のマイナスにも過去のプラスにも、その上に積み重ねた今新たに現れた全ての姿に感謝するんです。それで感謝が更に深くなるんです。
☆長いことお墓参りに行ってないんですけど、お墓に行くのがあまり好きじゃなくて・・・。
・・あんな寂しい所ね・・亡くなった人はお墓に入らないですよ。亡くなったら、その人にふさわしいあの世の勉強の場に行って幸せいっぱい勉強するんです。この世とあの世は全然違う世界ですから、この世のお墓の中には入れないです。
この世の人がご先祖様を忘れない為に必要なんですね、そこへ行ったらご先祖様を思い出しやすいという・・そしてお墓を通してご先祖様ありがとうございますと感謝の心を起こす練習になるんだったらいいですね。でも、そのお墓の中にいると思ったら・・馬鹿です。だからお墓参りしなくても、本当はそんなのは必要ないんです。心の中でありがとうございますと言えたらその方がお金もかからないし喜んでくれます。
罰が当たると困るからとお墓を作っているんでしょうけど罰なんか当てるご先祖様はいないです。お墓に入るようなご先祖様は何の力もないですね。石牢に閉じ込められてどんな働きも出来ないです。可哀相です、閉じ込めたらいけないですね。だからそんな中に入らないんです。入ってるなんて思うと大間違いです。
心で感謝しているだけで充分です。それが最高です。お墓でお参りするより心でありがとうございますを言う方がご先祖様の護りが大きくなるんです。いっぱいプレゼントがもらえます。
☆お墓に入れないということはお仏壇にも入れないんですか?
そんな小さいところには入れないです。本当は入ってないです。亡くなった人をそんなところに封じ込めたりも出来ない、そんな勝手なことは出来ないです。
☆お彼岸に帰ってくるとか言いますけど・・・?
いつもどこにでもいるんです。帰って来ると思ったら、心が帰って来るように思うと受けやすく感じ易くなるんです。でもいつもご先祖様が護りに護ってくれていると感謝していたらいつも身近にいるんです。あの世からもこの世へ光をいっぱい送って護ってくれています。
ありがとうございますと言っていたら、いつもお彼岸です。いつもご先祖様と交流できています。いつも大難を無難に済ませて護ってくれているんです。気付いてないだけなんです。縛られると大変ですね、言葉の縛りに会わない方がいいです。もっともっとプラスのいい言葉をいっぱい使って自由になるのが大事です。
結婚・離婚
☆必要な時に必要なものが与えられるということですが、結婚したいという友人がいてなかなか出来なかったんですけど、例えばその時にその子がありがとうございますを言っていたら・・でもその時はまだ必要ないから、どんなに言っても現れなかったんでしょうか?
ありがとうございますを言っていたら、本当に必要なものに気付きます。だから結婚が必要だったら自然にスッと結婚します。必要なかったらしないです。したいと思うのと必要なのとは違います。必要なのと自分の思いとは違うんです。そのズレも修正して必要なものだけを与えてくれるのが神様の助けです。余計な苦労もしないで済むし幸せの最短コースを歩ませてくれます。一回誰かと結婚するとするでしょう、おかしい人としたら一生縛られます。次にいい人が待っていても、その人はもう今度生まれ変わってからです。離婚も出来ないですね・・困るよ。
☆離婚も出来ないんですか?
離婚するのは大変でしょう。
☆三回くらいはしてもいいかなと・・。
よっぽど悪い事をして嫌われて離婚してもらわないといけませんね。
☆3回離婚して4回結婚した人もそれが必要だったからしたんでしょうか?
ありがとうございますを言っている人ですか?
☆あ、言ってないと思います。
ありがとうございますをしっかり言っている人は必要なことを的確に与えてもらって幸せを大きくしてもらうんです。感謝してない人は自分勝手にするんです。
☆全然違うんですか? 同じに離婚を3回しても?
違いますね。感謝している人としてない人の違いは大きいです。傍目には判らないけど感謝している人は幸せへの最短コースをずっと歩み続けます。必ず幸せになっていく、幸せがどんどん大きくなっていくんです。でも感謝を忘れた人はわからないです。幸せに進んでいるようでも逆かもしれないです。後で気付くんですけど何十年先か何百年先か、人によって違うんですけどその時は気付かないです。感謝を忘れて生きたら必ず幸せから遠ざかっています。それだけは絶対に間違いないです。
夜明けの太陽を迎える
☆昨日ある先生の話を聞いたんですが、いよいよアメリカの資本主義経済とか日本も含めて従来の競争社会の体制が崩れて、これから新しい・・平成維新というふうに言っていますが・・そういう時代になるための崩壊が今年中に起こりそうだという話があって、それがいろんな現象的にも出ていますし何となくわかるんですけど、どうなんでしょうか?
本当は全てが現れて消えていっているんです。現れては崩壊するんですね・・無くなる、消えていっているんです。だから、かたちがいいものがあってそれがどんどん悪くなって消えていくという消え方もあるんですけど一瞬一瞬の置き換えの方がいい姿で消えていくんです。バブルの崩壊というような感じで一回積み上げた偽物が大きくガラッと崩れるという消え方もあるんですけど、これは苦しみが大きくて大変です。神様から大きい力を受けて神様の置き換えで古いものと新しいものを置き換えてもらったら傷つかずに古いものが消えます。偽物は今迄たくさんあったと思うんですけど偽物は本物が出ていなかったというだけなんです。その偽物を消すのに地獄の苦しみを味わって消さないと消せないというんだったら神様も仏様も要らないです。
その苦しみを出来るだけ少なくしていいものと置き換えて古い偽物、要らないものを消してもらうというこれからの時代はそういう時代です。夜明けというのが今の時代に当たっていると思うんですけど、今の時代は闇の世界に月明かりがあってその月明かりからいろんな救いを受けていた時代です。でも夜明けというのは今度は太陽の直接の光を浴びるんです。夜明け前は闇の一番の極です、苦しみが連続して大きかったという時代です。でも夜明けになって日の光が差し込んできた時はもう、月明かりどころじゃないです。月明かりの何万倍何億倍の光になってくるので、太陽が輝き始めたら・・もう、みんな輝いています。輝き始めているから闇というマイナスというのは苦しみというのは、神様の大きい光によってプラスの姿によって、もう全部消されてしまうんです。
それが本当の意味の置き換えになるんです。闇の世界を見ている人は崩れるのを怖れるんです。「崩れるぞ、崩れるぞ・・」という方に心を向け続けるんですけど、太陽の方へ神様の方へ心を向ける人は「いいものがいっぱいやってくるぞ」という「無限の無限のプラスが幸せがいっぱい来るぞ」という感じです。そういう感じで夜明けの太陽を迎えるような気持ちがこれからはいいでしょうね。闇を言葉にして相手にするよりも光をプラスを相手にして感謝して受けるというのがいいんです。特にこれからの時代はそうです。本当の新しい置き換えというのはそういう時代です。感謝で無限の無限のプラスを受けていくというのがこれからの本当の時代です
神様に動かしてもらう
☆基本的な問題なんですが人力というか肉体の力で解決できない問題というのはどのようにしたらいいのでしょうか?
肉体を使って働くのは必要ですが、全体からみると一部です。もっと根本の大きい働きは神様の力で全部を動かしてくれているんです。今までは肉体人間という感覚だとその部分の力しか認めてなかったんです。本当は大きい力がバックに働いて全部動かしてきてくれていた筈なんですけど、気付かなかっただけです。全て神様が動かしてくれているという気持に戻れば大きい動きも小さい動きも全部神計らいです。神様が中から力を添えて必要な働きをさせてくださっているというのがいいんですね。感謝していると自然に必要なだけの動きになってくるんです。自然にいい動きとなって必要な働きをさせて下さるんです。だから、もとの神様の大きい働きとひとつに繋がってしまえばいいんです。みんなお任せで繋がって神様に動かしてもらうのが一番いいですね。
いい運命を受けるだけ
☆風水というのはひとつのチャンネルですか?
運命学的なものも悪いことではないので、ひとつの番組ではそれも必要な働きとしてあるんです。でも、もっと大事なのはもっと高い番組だったらもう何も要らないんです。プラスばっかり受けるという世界です。運命をよくするなんて考えないでいいんです。いい運命を受けるだけという感じです。神様から無限の無限の素晴らしいプラスの運命を受けるだけというのがいいです。
マイナスの体験は無駄じゃない
☆生活が少し苦しくなりつつある時は、神様がこの人にはもう少し低い番組を味わう必要があるというようなことですか?それはマイナスを消すためですか?
神様が味わいなさいというんじゃなしに一人ひとりに自由があるんです。自分が先ず選ぶんです。マイナスの経験というのは必要なんです。謙虚になるためにも・・番組としてマイナスの番組を見るというだけでそれを体験することによって今度プラスの番組を見た時にそのプラスがより浮かび上がって価値あるものとして感じられるんです。
だからマイナスの体験は無駄じゃないんです。いつまでもそこにはまり込むとちょっと苦しいですけど、しっかり体験してありがとうございますという気持で、ああいい体験が出来たといえば即番組は変ってしまうんです。
プラスをひとつひとつ数える勉強・・病気
☆今、病気ですごく辛いんですけどそれもありがとうございますで・・・?
そうね、本当に・・健康だけだと健康のありがたさを全然気付かないです。当たり前になってしまうでしょう。健康への感謝というのが本当に深まる為には無限の病を万病を抱えているという状態から感謝し直すのがいいですね。もし万病を抱えたら大変でしょう、それをどんどんひとつづつ減らして軽くしてもらっているというふうに病を見ていくと、その病にも感謝できます。ひとつやふたつの病だったら、こんなに軽くしてもらってありがたいとなるんです。病というのは健康への感謝を忘れた時に気付きとして与えてもらうんです。それで健康への感謝が本当に出来るようになったら病の勉強は必要ないんです。全身の細胞一個一個に本当は感謝した方がいいくらいなんです。60兆はちょっと感謝しきれないですけど一個一個の細胞に本当はありがとうございますと感謝を捧げて当たり前なんです。
全身の素晴らしい働きがいっぱいあるのにそれに気付かずに感謝せずに終わってしまっていますね。目が見えることにもありがたいと思わないで当たり前となったら損です。耳も聞こえて口も利けて手も足も動いてとプラスのところがいっぱいあるんです。
ところがそれをひとつ苦しいところへ心が向いてしまうでしょう、ひとつの病気に苦しみに囚われていくんですけど、でもそうじゃないんですね、万病を抱えた状態の中からでも健康を発見してそのひとつひとつの健康を喜ばないといけないです。指一本動いたら、ああ動くと喜ばないとね。だからプラスをひとつひとつ数える勉強がいいです。その前にもうひとつ、マイナスを軽くしてもらったという感謝が必要なんですね。だから最初の原点を万病を抱えた状態とおくと、ひとつ減った、ふたつ減ったと病が減っていく状態を喜んでひとつだけになった時は九千九百九十九の病を消してもらったという喜びがあるんです。その上にプラスの感謝を積み重ねるといいですね。そうしたら当たり前の健康がもの凄くありがたいです。気付きというのが幸せなんです。
☆そうするとチャンネルを変えるチャンスだということに・・?
自然とチャンネルが変ってきていますね。だから気付く感謝できるというのが一番の幸せなんです。病気をすることによっていろんな気付き感謝が深くなるんです。ただ万病を抱えたら大変なのでひとつに止めてくれるんですね。だからそのマイナスへの感謝とプラスへの感謝と両方するんです。そうすると感謝がぐんぐん深まります。感謝が深まる目的はいい姿を与えてもらって喜ぶだけじゃないんです。神様と直接出会う心にしてもらうためなんです。
本当は神様と直接出会って神様を感じ取る自分になるのが幸せなんです。それには感謝の心を深めないと出来ないからその感謝を深める練習台にそういういろんな姿を勉強材料にして与えてもらうんです。無限の無限の番組というのは神様の作られた番組です。でも、どの番組を味わってもまだ直接神様と出会ってないでしょう。本当は神様と直接出会わないといけないんです。そのために感謝の練習をして感謝を深めるんです。いろんな番組を味わいながら楽しみながら感謝を深める材料に変えていくんです。そして神様と出会って神様と一体という自覚が深まったら本当の幸せを味わうんです。その為なんです。
人は神様から完全な自由を与えてもらっているんですけど、自由な時は幸せなんです。ところが自由がなくなってくる縛られているという感覚の時が苦しいんです。無限の無限のチャンネルを全体を見ている時は自由なんです。選択肢が広いからどれを選んでも自由だからという感覚の時は苦しみはないんです。ところがこのひとつの番組しかないとなってそれに囚われた時はひとつのものに縛られてしまいます。だんだんと自由が縛られて苦しくなります。そのひとつの番組の中でもまたひとつの出来事に囚われて苦しむ訳ですから選択肢がどんどん小さくなると、縛られているから苦しいです。
だからこの世でもこのひとつの番組でも選択肢を広げるといいです。宇宙全部が自分への神様のプレゼントというくらいに、そうするとプラスのものが無限にいっぱいあります。太陽もあり空気もあり水もあり地球もあり、みんな自分への神様のプレゼントと見たらプラスがいっぱいあるんです。数え切れないくらい無限のプレゼントでいっぱいなんです。そうすると自由がそこにあるわけです。自由な時は苦しまないんです。
でもひとつのことに囚われたら、例えば自分の身体がどこかおかしい病気だと掴むと掴んだ時にひとつだけになってしまうんです。そのとき苦しいんです。だからその選択肢を大きく大きく広げることです。全細胞が全部病気と違いますね。病気の姿を症状をとっている時も、逆に心のマイナスを細胞一個一個が背負って消してくれる働きの時、重荷を背負って消してくれている時の姿が病気の症状なんです。だから全身の細胞に重荷を背負って消してくれてありがとうございますと感謝した方がいいです。ご苦労さんと・・。感謝する対象を増やすほど心が自由になっていくんです。そうしたら苦しみがなくなっていって喜びに変るんです。
感謝して喜ぶだけ
☆恩を返したい人がいてもどうしても返せない時、例えば亡くなってしまった時なんかは、どうしたらいいでしょうか?
本当の恩は、恩という言葉は因に心で・・一番の元、原因ですけど、一番の元というのは神様ですね
。神様から無限の無限のプレゼントが送り込まれて来ているんです。送り続けられているんです。だから本当の恩返しは神様じゃないとおかしいですね。神様から無限の宅急便が送り続けられるんです。配達人はいろいろいるんですけど、本当の送り主は神様です。配達人にも感謝は必要なんですけど本当の送り主に感謝お礼が必要なんです。だから神様への恩返しというのが本当の恩返しです。
でも神様への恩返しは出来ないですね、万分の一も無限分の一も出来ないです。与えられるばっかりというのが本当です。だから少なくともお礼というのはありがとうございますと感謝することですね。それが出来たらそれでいいんです。あとは神様から与えてもらったものを受けて喜んでありがとうございますを言って必要だったらそれをみんなに施せばいいんだけど、それよりも神様のほうから新しいものがどんどん送り込まれてきているから古いのを与えるというのがいいとは限らないですね。より新しいものを与えるのがいいから宅急便でもみんな気付かずに古くなったのを与えようとしたって意味ないです。どんどん新しいものを受けてそれを与えるといっても、自分が与えなくても神様が先に一人ひとりに与えていますね。だから感謝して喜ぶだけがいいでしょうね。あとはもう自然で、神様にお任せです。
☆神様への感謝というのは心の中でするんですか?
そうです。心の中で神様に感謝すると自然に現実化した姿をとるんです。
いろんな霊とか言わないで天使とか神様と
☆最近、寝ている時にいろんな人の思いとか霊とかが来て、ありがとうございますを言って光に変わってくださいとお願いするんですが、それが大きい場合なかなかうまく自分で対処できない時があるんですけど、どうしたらいいでしょうか?
神様という光源に心を向けると全部輝いて見えるでしょう。ところが光源に背を向けた時には光が流れているのを後から追いかける感じで見ているわけです。それで光も闇も同時に見えるんです。光が少なくなったら闇が濃い感じですね。闇に囚われるという時は神様に背を向けている時になるから神様に心を向け直すというのがいいですね。それで神様ありがとうございますと繰り返すと心が神様に向いて来るのでそれで明るくなってきたらみんなマイナスが消えてプラスに変わっていくんです。だからマイナスの思いを持ったままありがとうございますとどうしても言ってしまうんでしょう、そしてマイナスの思いに引きずられるという・・だからそのマイナスの思いをプラスの思いに変えた方がいいですね。言葉をプラスに変えるんです。そしてありがとうございますと言うと効果が大きいです。だからいろんな霊とか言わないで天使とか神様とか仏様とか観音様とかね。
☆どうしてもまだ怖いという思いが優先してきて早く光に変わって下さいと思ってしまうんですけど自分のチャンネルの合せ方が低いなというのも気付くんですけど、なかなか上に切り替えられないんです。それをどういうふうに切り替えたら変わるのかなと・・。
だからみんな無限の無限の輝きでいっぱいと、みんな無限に輝いている、輝いている輝いているというふうに・・その言葉の通りに輝いた姿だけを感じるように変ってきます。そしてありがとうございますが深くなってくるんです。言葉です、言葉を変えた方がいいんです。
全体を見ている時は巻き込まれない
☆その時に話し掛けてくる人とかがいるんですけど、そういうのには対応しなくてもいいんでしょうか?
そうです。ありがとうございますは部分にとらわれない方がいいんです。部分に囚われると引きずり込まれて巻き込まれるので大きく全体を受けなおす方がいいです。
例えばテレビを見る時は画面全体を見ています、その中のいろんなやり取りの中に嵌り込んである一人の人物に話をしに行ったりしないでしょう。全体を見ている時は囚われない、巻き込まれないです。でも中の人物を一人掴みに行ってその人と話をしようと思ったら嵌り込んでしまいます。だから大きく全体を見るようにしていくと巻き込まれないです。
プラスの言葉ばっかり使えばいい
☆不安の気持ちも同じですか?家は町工場なんですけど仕事がどんどん減っているんです、その不安も輝きでいっぱいということで置き換えれば・・・。
そうです。無限の繁栄でいっぱい、無限の仕事でいっぱいとありがとうございますと。
☆でも仕事はどんどん少なくなってきているんですけど・・。
みんな普段、先にマイナスの言葉を使いすぎているんです。景気が悪いと言うでしょう、仕事がなくなっていると新聞やテレビで見ると、その言葉を先に使いすぎるんです。それをもう一切使わずに無限の繁栄でいっぱいと無限の仕事でいっぱいと、ありがたいありがたいと言っていたらその通りになってきます。繁栄している会社は絶対マイナスの言葉は使ってないです。不景気な時でも自分のところは好景気で順調なんです。マイナスの言葉を自分で使っても損だし聞いても損するんです。プラスの言葉ばっかり使えばいいんです。それでありがとうございますと言っていたら必ずよくなってくるんです。
苦労はした方がいい
☆苦労と七難八苦というのはどのように違うのですか?
苦労は七難八苦の苦を背負って働くことです。苦労はすればするほど幸せになれるんです。重荷を背負って動けば働けば力がつきます。それで本当の幸せな自分に戻っていけるんです。でも重荷を背負って何もしないまま潰れてしまったら働いてないので、これは苦労の労にはならないです。苦に押しつぶされたんです。だから七難八苦を背負ったまま働ける人が強くなるんです。でもその七難八苦に負けてしまったら押しつぶされた状態だったら、働いてないから力はつかないです。だから苦労はした方がいいです。重荷を背負って働く時ほど神様が中から力を添えてくるんです。それで力をどんどんつけてくれます。
☆苦労というのは自分から求めないといけないのですか?
本当は、七難八苦を与えたまえと言うくらいの気持がいい、そのくらいの気持があったら絶対に怖くない、負けないです。
☆昔は苦労というか一生懸命やっている時が多かったんですけど、最近はそれが減ってしまった感じでこれでいいのかなと思ったりしますが・・・。
苦労が多い方がいいでしょう。力が発揮できて中から力が喜びが湧いてくるんです。だからいつも何か自分に重荷を与えた方がいいですね。小さい自分の重荷もいいけど世界の重荷を背負うとか、他を助けるのも重荷を背負うことですね。何かそういう目標を立てて重荷を背負うように力をつけていくようにすると、どんどん力がつくと同時にそれに比例して本当の自分が輝いて出てくるんです。
一番いい時期
☆家内の妹の子供が視野が狭くなる病気で、ありがとうございますの世界を知らせたい気付かせたいと思うんですが、そのためには本人の守護霊守護神様にありがとうございますを唱え続けることでしょうか?
それが一番手っ取り早いですね。先ず神様が一人ひとりを見守っているから必要な時期を待っている見極めようとしているから必要な時期にサッと大きい力を添えて助けてくるから、人の側はちょっとお節介な一面があるんです。守護霊様の働きの万分の一も本当は出来ないんだけど守護霊様に感謝するというのが一番いいお手伝いです。そうしたらその時期を間違わずに的確に助け続けてくれるから。
ありがとうございますに戻るというのは最後の仕上げなんです。誰彼なしにいつでもサッと入れる世界じゃないです。いろんな苦労に苦労を重ねてありとあらゆる分野でいろんな学びを済ませた後で仕上げとしてありがとうございますというこの神様の世界に飛び込むんです。最後の締めくくりです。
だから全員にそれを強制しても無理なんです。本当に必要になった人が最後に辿り着いて最高の喜びを味わう世界なんです。早くみんなそうなればいいんですけど、それまでにいろんな苦労をしない人、出来ない人は先にした方がいいですね。苦労も必要です。だから今素晴らしい苦労をさせてもらってと喜んであげるくらいがいいです。そうすると時期を間違えずに神様が助けてくれるから。早く気付いてありがとうございますに辿り着けばいいような感じなんですけどその時期が早すぎて浅く捉えたら、今度深く入らなければいけない時にうまく出来なくてそっぽを向いてしまうんです。もう判ってるという感覚になってしまうから、感謝は知ってるもう判っているというと言うんなら本当の神様との出会いにまで行かないです。だから一番いい時期というのが大事なんです。それは神様が一番いい時期を見定めて助けに入ってくれるんです。だからありがとうございますが一番いいですね。
神様に頼るというのが大事
☆友人が透析をしていて大変キツイ状況だと思うんですが、何とか力になりたいと思うのですけどそういう人に対してもやはり同じことでしょうか?
本当は肉体を作って与えてくれているのは神様ですね。本当の名医は神様なんです。どんな状態でも一瞬に変えてくるんです。ところが普通の人は神様に縋(すが)らないです。神様を無視して神様の助けを拒絶している感じです。それでお医者さんに頼り薬に頼りと神様以外に心を向けすぎているでしょう。それで治っても神様から離れている状態では幸せを感じないです。肉体は必ず一生、百年くらい経ったら死んで消えてしまいます。
神様と一体化する気持がないと永遠の幸せなんてつかめないです。だから神様はみんなの幸せを本当の意味で願っているんです。神様を見出して本当の幸せの意味を感じて欲しいんです。だから神様だけに縋って欲しいので神様からだけ無限の無限のプレゼントを受け続けて欲しいんです。そういう心に早く帰って欲しい訳です。だからいろんな問題があってもそれはいろんな勉強なんだと見ているんです。
だから行き詰まってもいいんです、行き詰まった時初めて神様を振り向くんです。病気になってもお医者さんでは治らない現代医療で治らないとなったら一番神様に向きやすいです。でも神様に本当に縋ったらどんな病気でも治してもらうんです。神様がこの健康な肉体を最初から与えてくれているんですからそれをどんなふうに病気に変えてしまっても神様だったら一瞬に治せるんです。治すというより健康な姿と置き換えてくるんです。どんどん新しい健康な姿と置き換えてくれるから、どんどんいいように変えてもらうんです。だから神様に縋る神様に頼るというのが大事です。それで感謝して神様からのプレゼントをしっかり受け取るという、それさえ出来たら絶対幸せは崩れないんだけどそこへ行く為のいろんな途中の勉強なんです。
マントラ
☆ある方からマントラをいただいて私にとっては大事なものだから毎日唱えなさいと言われました。でも、それよりありがとうございますの方が短いし唱えやすくて、身に染みる波動も違うなと思うのですがありがとうございますだけにしてもいいものでしょうか?
ありがとうございますの中に全ての真言・マントラが含まれています。ひとつの真言・マントラに囚われたらそこからだけしか助けが来ないです。でも、ありがとうございますと唱えていると必要だったら全体から全部から来るんです。全ての神仏が働くんです。それで必要な助けをどこからでも送り届けてくれるから・・必要な助けはどこから来るか判らないですね、それをいちいち自分が探して選んでその真言を唱えないととなっらた大変ですね。
だからありがとうございますでお任せです、そうするとて的確な助けを必ず与えてもらいます。それは宇宙の大神様直接の時もあるし、途中の守護霊様からもあるし他の神様から来る時もあります。またこの世のいろんな人からものからくる時もあります。必要な助けは的確にどこからでも働いてくれるから、最後のたどり着くところはありがとうございますの一言がいいんです。そこへ絞り込めたら一番心が安らぐんです。ひとつでいいです。ありがとうございますの中にいろんなマントラがあると思えばいいですね。
神様を直接感じる
☆2、3日前に朝、必死にありがとうございますを唱えたら、その朝食に家内が作ってくれた野菜炒めがありがたくて食べながら涙が出ました。祈り方の深さによって現れるものが違うという感じがしたんですけど・・・。
本当にそうですね。ありがとうございますを真剣に唱えたら唱えただけ神様が身近に現れてくれますね。神様を感じて神様の命を頂く感じになって来るでしょう、それでありがたくて涙がこぼれるんです。すべてに対してそういう感覚が甦ってくるんですね。神様を感じるようになってくるんです。神様の愛を神様を直接感じるようになるとその喜びが深くなってくるんです。いい体験ですよね。
☆神様は全てをつくられてそれを動かしていますよね、でもその中に苦しみや喜びを何故与えたんでしょうか?
神様は例えばテレビ局・・と思えば無限の無限のチャンネルのテレビを作り出すでしょう、そうするといいものばかりのテレビだとあまりいいことないですね・・全部揃っている方がいいです。地獄番組から極楽番組まで無限の無限の番組の全てを取り揃えている方がいいでしょう、そしてそれを自由に選んで味わってくださいという方が人にとってはその方が幸せですね。
☆幸せとか苦しみとかが何故あるのかと考えてしまうんですが最終的に神様に戻る為に与えられているんじゃないですか?
そうです。だから神様が幸せそのもので無限の無限の幸せそのものなんです、それでその神様を直接感じて本当の無限の無限の幸せを味わって欲しいんです。最初からそれを・・大きいものをポッと与えられても判らない、受けられないんです。それで無限の無限のチャンネルという幸せの番組を作るんです。一番上はたくさんの幸せで一番下は幸せが小さいんです。一番小さい幸せから順番にいろんなものを味わいながらだんだん大きい幸せを感じ取れる自分に変わっていくんです。そして最後に幸せの本体の神様を直接感じるんです。それが一番幸せを感じた状態です。だから幸せな自分に神様がしてくれるんです。
ただ、一足飛びじゃないです。順番に小さい幸せからいろんな幸せを味わいながら最後に大きい幸せを感じられるようにして輝いてくるんです。だからその幸せを与えたいからなんですね。本当は幸せだけの番組なんです。小さい幸せから大きい幸せまで全部揃っている番組です。本当は苦しみと不幸の番組じゃないんです。それをみんな逆に見てしまうんです。幸せが少ないと苦しみの番組と見るでしょう、そうじゃなくて小さい幸せの番組なんです。だから幸せも喜びも安らぎも・・という全ての神様の働きの特性を全部ひっくるめた大きい番組なんです。だからみんなプラスのいいものだけを感じる勉強なんです。
神様の目標
☆苦労というのは自分から求めるものなのか・・神様から与えられるものなのか・・?
人間にも自由意志があり、神様にも幸せを早く大きくしてあげたいという願いがありますね。その両方が働くんです。だから自分から苦労をして幸せを大きくしたいという願いに答えて神様の方も先に用意してズーッと護り続けて、そういうふうに心までそういう状態になれるように助け続けているんです。
☆目標と言うとおかしいんですが・・神様とか感謝という方向を目標にした方がうまく行き易いとか・・物質的なものを目標とするより無限のものを、ということでしょうか?
神様の目標は・・無限の無限の大目標は神様にあるんです。人のほうはその中の小さい目標を持っているんです。
本当は最終目標は無限の無限の目標で神様の目標と一致するのがいいんですけど、そこに行くまで途中の過程に小さい目標から大きい目標まで無限の段階があります。最初は小さい目標だけに心が向いている時があると思いますけどそれがどんどん大きい目標に心が向き始めて最後に神様の目標に向くんです。そういうふうにちゃんと護ってもらうんですね。
いきなり無限と言っても・・それは自分の意志でするのか・・無限を目標にする人達はそれは神様のほうから与えられるんでしょうか?
神様の無限の無限の目標へ自分の願いを一致させる方がいいですね。そうするといつも神様と一緒に歩めます。神様の願いと一致してくると神様がバックについて護りがいっぱいという感じなんです。そのほうがいいですね。
☆ありがとう・・ございます、までいわないとダメなんですか?
ありがとうございますが神様の名前、本当の神様の究極の名前がありがとうございますなんです。いままではいろんな神仏の名前が出て来てもそれに囚われたら宗教戦争とか争いの原因になるでしょう、全部を仲良くさせるのはひとつの究極の名前が出てこないと・・神様の全ての働きを指しているのがありがとうございますで、働きの全体をさすからどこからでも助けてもらえるんです。全ての働きを感じ取れるようになるので神様と本当の意味で一体化できるんです。
ありがとうは少し軽すぎるんです。神様への本当の感謝でなしに軽い小さいものへの感謝ですね。別にそれもいいんです。本当のありがとうございますに小さい感謝も大きい感謝も全部揃っているから、ありがとうございましたといっても、それは過去の一瞬に対する感謝でそれもいいんですけど過去現在未来をひっくるめた感謝、大きい感謝になれないんです。ありがとうございますは過去現在未来を全部ひっくるめて全てに感謝なんです。
ありがとうございますの一部が感謝
☆心から感謝できてないのに・・言うのがちょっと・・・。
それは逆なんです。心から感謝できてないからありがとうございますと神様の名前を呼んで神様の助けを受けてそれで感謝が無限に湧き上がるように変えてもらうためなんです。
ありがとうございますと呼べば感謝できる自分に変えてくれるだけです。感謝しなさいとは違います。ありがとうございますは神様を呼んで助けを受けるためだけです。あとは無限の無限の感謝が湧き上がるように変えてくれるんです。ありがとうございますは感謝ひとつじゃないんです。感謝はその中のひとつの要素に過ぎなくて謙虚さもあるし素直さもあるし愛も智慧も心の安らぎも全部がありがとうございますに含まれているんです。感謝も深まる方がいいですけど全部深まるんです。ありがとうございますと名前を呼び続けて助けを受け続けたら感謝も深くなるし謙虚さも深まるし素直さも出てくるし、美しくもなるしね・・素晴らしさも輝きも増して全てが整えられてくるんです。だから、ありがとうございますの一部が感謝なんです。
☆一日中呼び続けることが出来にくい状況なのですが、どうすればいいでしょう?
一回呼ぶ毎に出来やすくなってきます。一回呼んだら神様の助けが受けやすくなるからまた呼びやすくしてくれますから、とにかく一回呼んでみることです。そうしたら次に呼びやすくなってまた感謝が深まってきます。
痛みがあってもそれを喜んでいるから幸せ
☆身体が痛いとか辛くてもう逃げ出したいという時にも、やっぱり無理矢理ありがとうございますと・・?
そうです。どんな状態でもありがとうございますと受けると全部プラスに感じられます。
☆痛いと言う代わりにありがとうございますと・・?
本当はそうですね。
☆勘弁してくれと言いたい・・・。
もったいない・・痛みはみんな逃げ出したいと思うでしょう、でも本当はそうじゃないです、損しますよ。私も一番痛みの経験をしたのは十代のとき、一年間痛み続けたことがあります。両耳がちょうど半年ずつ割れるように痛くなって頭ががんがん鳴って後一年も生きられないみたいな感じです。転げ回るような痛みが一年間続くんです。・・良かったよ、それ・・。その痛みの訓練のおかげでどんな痛みも耐えられます。
☆そのときに痛いとは言わないんですか?
そう。痛みを忘れる為に一生懸命働きましたよ。気分転換しないと痛みに心を向けると負けてしまうでしょう、気持ちを痛みから逸らすんです。他のことに集中すると痛みがその時軽く和らぐんです。
でも本当は痛みというのは心の痛みマイナスを形に現して消してくれている時です。心の痛みがどんどん消されて心が安らいでくる、幸せになってくるんです。それとまた人の心の痛みをとってあげる時、身代わりに人の痛みをとってあげる時は人の痛みを全部背負わないとならないです。だから大勢の人の痛みを引き受けたら七転八倒の痛みが来ます。それを本当に喜んで受けられたら、ああみんなが幸せになるんだと幸せが大きくなります。そういう生き方が幸せを大きくする意味で必要なときもあるんです。そこへ行くまでにいろんな痛みの訓練をしてもらうのも大事です。
痛みがあって痛みがすっと消えた時は幸せでしょう、何も痛みのない時の幸せってみんな平気で当たり前に思ってしまいます。地獄の苦しみ痛みというのは凄いです、この世の人の痛みの何万倍以上です。どうかすると何億倍でそれがズーッと続く感じですね。だからこの世の痛みなんて平気、というくらいにならないと本当の意味の地獄の下の人助けが出来ないです。みんなを幸せに出来る自分になるのがいいんですね。だからみんなの痛みを背負ってでも身代わりに自分が苦しんでお祈りをして消してもらって人助けが出来たらという方がいいです。今はその訓練中と思えば・・鍛え上げてもらった方がいいでしょう。
でも今ニコニコ笑っていて、痛みはないと思っているでしょう?(☆痛みは、ありますけど・・・)本当は凄い痛みがいつもあるんですよ。でもその痛みを喜んでいるからです。痛みがないんじゃない、痛みがあってもそれを喜んでいるから幸せなんですよ。だんだんと痛むごとに喜びが大きくなってくるんです。喜んでいるうちに感謝しているうちにどんな痛みも喜べるようになりますね。
やっぱり、ありがとうございますと感謝することですね。本当の神様の働きは愛の女神様の働きが一番大きい働きなんです。みんなのマイナスを苦しみを全部背負って自分が大犠牲精神を発揮して全部を引き受ける働きなんです。これは愛の女神様の働きなんです。
自分にもし可愛い子供がいて子供が痛みに苦しんだら親は大体、父親は別にして母親はそれを身代わりにとって自分が背負いたいと思います。そういう気持が、女神様の心がみんなの中にあるでしょう、子供がそれだけ苦しむんだったら親の自分が身代わりになって取ってあげたいと思いますね。神様はそうなんですね、特に女神様は・・人の苦しみを心の痛みを全部とって明るくしてあげたいと思って、みんなを助け続けてくれているんです。だからみんな地獄に落ちずに無限の痛みを軽くしてもらってこの世の痛みで済ましてくれる、大難を無難にして無限のマイナスを免除していつも多勢の神様が助け続けてくれているんです。
それに気付いてないんです。気付いたらいつも涙を流して感謝し続けるんです。だからそれに気付く為に痛みをちょっと体験させてもらわないと気付かないんですね。いろんな痛み・・自分にも苦しい周りの人にも苦しいいろんな姿を見せてくれて神様がもっと大きい痛みを背負ってみんなを助け続けているんです。それで感謝が深くなる、気付きが大きくなるんです。私の場合いつも全身を痛みが駈け巡るんです。全然身体が動かなくなるほど痛みのある時が多いです、今も痛いです。でも軽く喜んで受けているだけです。
神様に自由に使ってもらう
人のを受けているんですか?
さあ、誰のでしょう・・・地球上にいろんな出来事があって心を痛めることがたくさんあってみんなそれは心の痛みとして残るんです。その心の苦しみを痛みを取ってもらわなかったら、みんな心が安らいで感謝できるようにならないです。苦しみを掴んだままだったら、痛みを掴んだままだったらなかなか感謝にまで心が向いていかないですね。そういうのを全部、時期が来たら神様が必要だったら、そういうのを消すためにお祈りをする人を使うんです。心配しないでいいんです、必要な時に喜んで出来る時に使ってくれるんです。
例えば小さい子供のいるお母さんがお祈りだけに専念してしまって子供の世話をしないとか、周りの人任せにしてただ仏壇に向かって神様に祈っているとかそういうのもありなんですか?
いや、それはないです。本当の神様にお任せは自分の全てを神様に預けると、一番使いやすい自分を神様が使ってくれるから、神様が自分を通して必要な働きをサッとしてくれます。一番楽に動かしてくれます。だから必要だったら子供の世話もするんです、神様が代わってしてくれる・・喜んで喜んで出来る状態に変えてくので、何もせずにじっとしているというのは神様に自分を捧げてないんです。お任せでなく頑固にじ一っと座っているんです。これは神様にお任せ、感謝じゃないんです。神様に自由に使ってもらうのがいいです。神様の御心のままに、どうぞ自由にお使いくださいというのがいいんです。それで神様が力を添えてくれたらなんでも出来る自分に変えてくるんです。それで必要な働きをさせてくれる、それがまた自分にとったら幸せなんです喜びなんです。どんどん神様の中に入ってズーッと助けてくれるとどんどん自分自身が輝いてくるんです。幸せが大きく中から湧き上がるように輝いて出てくるんです。だから神様に使ってもらうのがいいんです。
人のことは関係ない
そういうふうに勘違いをしている人に対してはこちらからは何も言わずにその人が気付くまで待っていればいいんですか?
そう・・それも勉強です、ある一時期の勉強ですね。じっとしていても問題は解決しないですから、それで間違っているなと気付きますから。
☆例えば仕事上でそういう人がいて、周りにいる私たちが影響を受けるとしたら、影響を受ける私たちにも問題があるということですか?
そう。一人ひとり自分が何を神様から受け取るかだけが大事なんです。感謝している人はプラスだけを受けますね。だから人のことは関係ないというくらいがいいですね。
願いを先に言葉に変える
☆深い祈りをしたいなと思うんですけどなかなか出来ないんです。集中しないから出来ないんでしょうか?
それは言葉を先に変えた方がいいですね、深いお祈りができない出来ないと言うのをやめて、無限の深いお祈りをさせてくださってありがとうございますというふうにしていくと深いお祈りが出来るように変えてくれます。だから自分の願いを先に言葉に変えて、その言葉を使われたら・・無限の深い感謝のお祈りをさせてくださってありがとうございますと言えばその通りになってきます。
☆太陽が昇る時代になるというお話でしたが、そうするとみんなの苦しみとか辛い思いとかいうのも近々消えてなくなってしまうのでしょうか?
なくなってしまいますね。どんどんプラスにプラスに変化するんです。
いま必要な事だけで十分です
質問者:
霊とはどんなものですか?
ありがとうございます:
この世の人はこの世のことしか普通わかりませんね、あの世の事は漠然としてよく分かりませんよね。それで、悪霊がいるとか幽霊だいるとか勝手に思うんですね、あくまでも勝手な想像です。でも本当は、無限のチャンネルの世界が全部あるから悪霊の住んでる番組もあるし、妖怪の住んでいる番組もあるし化け物もいます、皆そろっています。人間が考えて想像できるものは全部そろっています。想像も付かないものまで全部あるんです。楽しみにしておいてください<笑い>
・・・・先生はそれの全部がお分かりになるんですか?
私はわからないでもいい、神様が全部わかっているでしょう、必要だったらわからしてくれます。私は分かりたいと思いません、私はいま必要な事だけで十分です。あんまりマイナスが多い事は知りたくないです、あるのはわかっているんですがね。いつもそんなのを見たくはないです。必要なときに必要なだけ「ありがとうございます」で感じさせてもらうだけで良いから。
・・・・ということは、今の現実で最高「ありがとうございます」ということですか?
そうです、この世の感じ方もあの世の感じ方もいろんな次元で感じているけど、例えばこの世でも、いま皆さんとここでお会いしているでしょう、これだけで充分ですね、これ以外にたくさん同時に感じたらいいかというとそうでもないですね。マイナスのお祈りをする人・拒絶する人には会いたくないですね。だから、いま必要な事だけで良いんです、もし他の事が必要になったら全部スッと与えてもらうから。
そのときそのときで必要な事が変化します、何が必要なのかわからないですね、地球の裏側の事が必要だったらスッとわかるし。
光が現れたら闇は消えます
質問者:
息子が病気なんですが、「ありがとうございます」で進行はしなくなりますか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」の中に「無限の無限の健康」というのがあります、「ありがとうございます」を唱え続けると「無限の無限の健康」がいっぱいとね、・・・
・・・それは本人が?
本人が唱えたほうが人の自由を縛らずに効果が上がります、他からすると強制力を使う可能性があるでしょう、神様は強制力を使わないから治るか治らないかは本人次第になってきますね。だから「ありがとうございます」と感謝してあげても治るときと治らないときが有りますね、強制力を使ったら治ってしまうけど、強制力は使わないほうが良いですね。
本人が「ありがとうございます」と無限の健康を受け入れたら、すぐに病気と健康が置き換わるから治ってしまいます。だから、どんな病気でも神様の前に立ったらないのと同じですね、光が現れたら闇は消えますね、健康が現れたら病気は全部消えます。
一瞬一瞬置き換えだから、神様に不可能はありません。
光としか表現する言葉がありません
質問者:
光・光を通して神を感じるんですか?
ありがとうございます:
肉眼で見ている光ではありません、こういう光ではありません神様の光はね。全ての光です・ありとあらゆる光です、ただ光としか表現する言葉がないんです。幸せの光・喜びの光・愛の光とね、みんな光です、無限にいろんな光があるといっていいくらいです。
死とは、住む世界を変えること
質問者:
死というのをどう捉えればいいですか?
ありがとうございます:
肉体の死というというのは、肉体というのは一定の時間に限られているから寿命というのがあります、言ってみれば学校の期間が決まっているような感じですね。だから、学校の教室を移動するような感じだったら、この肉体の死ですね。
死にもいろんな見方があるでしょう、本当の自分は永遠に死なない自分ですね、神様が永遠に死なない不滅のものだから、感謝して神様から全てを受け直す身の自分には永遠に死がありませんね。一瞬一瞬の変化はあっても死というのはありません。
ある意味では死というのは、住む世界を変えるというぐらいの感じでしょう、いまの所から別なところへ移ったら、今の所では死・別な所では誕生ですね。場所をかえるごとに死んで誕生して・・そんな感じですね。
・・・恐怖ではないんですか?
だから、どういうふうに受け止めるかで死の感じは違いますね。いろんな受け止め方があるでしょう、死ぬ事によって生まれ変わると言うんだったら、より素晴らしいところへ生まれ変わるんだったら死は喜びですね。でも、いまより悪い所へ行くんだったら悲しみであり苦しみであるかもしれないね。それも全部その人自身が決めることなんです。
死ぬのが怖いというと、肉体から魂が抜けて行くところが・魂が低いところへ落ちる人が多いですね、予感するのかな?。でも、死が平気という人はだいたい魂が抜けて良い所へ行く人ですね。
だから、「ありがとうございます」を繰り返した人は、死の恐怖心がなくなります、絶対良い所へ行くしかないと決まってしまうからね、心が安らいでしまいます。
目標も計画もいりません、ゴールを受け直すんです
質問者:
今を「ありがとうございます」と受けて生きると言いますが、やはり、人生の目標や達成したい事があります、そういうのはださない方が良いんですか?
ありがとうございます:
それをすると過去を掴んだ状態で、過去を掴んで生きようとしますね。本当に今を生きるというのは、全部捨てて新たに神様の最高のものを受け取る事ですね。本当の今を生きるというのと、過去を掴んで今を生きるのとでは正反対です。
・・・未来を計画するというのは、過去を積み上げて未来を計画するということですか?
そうです、過去・現在・未来を掴んで今を生きてるんですね。今を生きてるという本当の今ではないんです。だから、本当のいまを生きる・今の一瞬を生きるというのは、過去の全部を神様にお返しして新しい全部を受け直すことなんです。それで、最高の運命をたどれるようになります。
だから、神様から最高のものを受けたら他には何もいらないでしょう、計画も何もないね、ゴールがそのまま受けられるんだから。途中の過程も何もないですね、そのまま最高の結果をサッと受け直すんです。
・・・子供たちにも、計画的にしなさいとか言うじゃないですか?
それはいろんな段階の世界があるんです、そういう段階の世界なんです。それは「ありがとうございます」の世界じゃないんです、もっともっと低い世界の事ですね。「ありがとうございます」の世界は最後の一番高い部類の世界です、途中を抜きにして最後のゴールだけを一瞬一瞬受け直すんだから、目標も希望も何もいりません。そのまま答えがそこにあるから。
一つの問題を解決するのに途中は何もいらないんです、答えが・結果が・解決された姿がそのままサッと受けられるからね。公式も必要ないんです、ましてや難しい計算はいりません。
感謝に生きる人は、いつも今が最高
質問者:
家相が悪いからと言われるんですが?
ありがとうございます:
そういう運命学は低い世界の話ですね。自分が楽してチョッとでも楽していい結果を得たいというね浅ましい心の世界の話です。それでいて運命どうりになるかというと、ぜんぜん当たらない。家相なんて日本全部に通用するかというと通用しないですね、ましてや日本の家相なんて全然通用しないですね。やっぱり、一定の地域の思いの範囲で通用しているんです。だからその思いに反発する人は当たらないですね、また、思いを超えて感謝に生きる人にはもう全然通用しないですね。
だから、神様の世界では全て良しなんです。家相も地相も方位も方角も日にちも全部良いんです。全て最高というのが感謝の世界になります。
だから、そういうマイナスの考えには影響を受けない・縛られないというのがいいよね。感謝したらそういう影響は全部なくなります。
私の所は、こういうふうに順番に家を建てているでしょう、地鎮祭して、棟上のときは上棟祭をしてとね、ちゃんとお祓いしてお祭りしなければならないでしょう、そんなこと何もしません。「ありがとうございます」で全部終わってしまいます。だから、何の問題も一切おきません、そんなつまらない事したって問題の起こる所はいっぱい起こっているでしょう。でも「ありがとうございます」は何も起こりません。だから、地鎮祭も上棟祭も一切何も必要ありません、それだけの大きい力があるでしょう。
一軒家を建てるのも、年回りがどうの・日にちがどうの言うでしょう、うちはいつも今が最高!
大きく眺めて、宇宙の全て・神様の全てが自分のもの
質問者:
うちの仏壇に先祖のお位牌と他人様のお位牌を祭っています。何時まで祭っていいものか・どう処分するのか迷っています?
ありがとうございます:
何々家といっても狭い範囲を捉えて言うのです。人間はこの地球上でもいろんな所に生まれ変わります、日本だけじゃない、外国に生まれたら黒人にも白人にもなります、男にも女にもいろいろな姿を取ってね。だから自分の先祖は地球上の全部ですよ、他の星も含めたら他の星にも先祖はいっぱいですね。人間として今は生まれ変わっているけど、人間ではないいろんな鉱物・植物・動物に生まれたときがあったらね、全部が自分の先祖になりますよ。
だから、本当は全部・自分のまわり全部が自分の先祖であるというのが正しいですね。それなら、全部に感謝していたら良いですね、恩返しにもなり助けも受けられるでしょう。何も、自分の先祖だけが先祖とは掴まないほうが良いですね。それはあくまでも一例みたいなものです。それも含めて全部に「ありがとうございます」と言っていたら、一部の先祖に感謝して一部の先祖に感謝しないというのもおかしいですね。
だから、自分の家系だけに感謝するだけというのは片手落ちなんですね、小さくなりすぎるんです。だから「ありがとうございます」で全てに感謝して、全ての先祖に・全ての親に感謝するのがいいんですよね。でも本当は全部自分の親かもしれないよ。小さく凝り固まるから引っかかるんです、大きく眺めたら正しくなります。
だいたい人間は、損するのは、これだけは自分のものと掴むからでしょう、これだけが自分のものだったら他のものは自分のものじゃないんですね。でも、神様は全部あげますよといってくれるでしょう、全部「ありがとうございます」と言って頂いたら・受けたら良いんでしょう。自分でこれだけと決めなかったら良いんです、これが本当の正しい受け方ですね。
だから、宇宙の全部を「ありがとうございます」と受けていたら良いんでしょう。それで、一瞬一瞬新しく受け直したらね、いつも宇宙の全てが・神様の全てが自分のものですね。小さくなったら損します、これだけが自分のものと言ったら損します。これだけで良いのかと言われますよ、神様にこれだけで良いといったらそれ以上与えようとはしないですよ。「ありがとうございます」で全部受けるのが良いですよね。
どれを受けるかと自分が変えるだけ
質問者:
これからは、心の時代になりますよ、日本から世界が変わりますよと言われるんですが?
ありがとうございます:
それも考え方の一つなんです。だから感謝の世界はもうすでに変わってますよ・全てが最高に変わってますよと、今ここに神様の世界がありますよというのが感謝の世界ですね。
変えるんじゃない、本当はね、今ここに神様の全てがあると受けるだけです。でも、いろんな生き方がありますね、そういう人はその世界に生きています。どんな世界に生きていても構いません、でも、最後は神様の中へ帰るしかないからね、ここが神様・「ありがとうごさいます」という究極の神様なんだという、そこへ戻らないと本当の安らぎはないと思います。
「ありがとうございます」の中は大調和の世界でしょう、マイナスは一切感じないですね、変わるも変わらないも、これ以上変わったら困ります、最高のものは変わらないですね。だから、移り変わるというんだったら、神様の最高表現が一瞬一瞬変化していくというだけの話で、マイナスをプラスに変えるとかいうそんな話ではないんです。
だから、どういう世界を受け入れるかでしょう、つまらない世界は要らないよね、みんな卒業したいんじゃない?だから、そういうつまらないマイナスの言葉・つまらないプラスの言葉に惑わされないで良いですよね。「ありがとうございます」の神様に中に飛び込むだけですね。
でも、こう変わりますと言っている人が変えるのかどうかと、考えたらわかるでしょう。その人が変えるわけじゃないでしょう、誰が変えるのかな?神様が変えるの?神様が変えるはずないでしょう!神様は最初から最高表現を頂点に全ての番組を作って与えているでしょう、それ以上に変えることをしません、後はどれでも自由に受けて楽しんでくださいという感じですね。だから、変わるんだったら自分が変わるんでしょう、どれを受けるかと自分が変えるだけですね。
だから、こう変わると思ってチョッと変わるんでしょう、でも「ありがとうございます」と言う人は大きく変わります。大きくプラスに変わります。
マイナスは必要ないから消えます
質問者:
環境が悪化しています、環境問題はどうなんでしょうか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」を唱える人が増えたら全部プラスに変化してきます。ダイオキシンでも簡単に分解する素晴らしいものが生まれてきます。全てを解決する素晴らしい発明発見アイデアがいっぱい生まれてくるから、ドンドン生まれてきます全然心配ありません。
本当に必要なものだけが出てくるんですよ、受けるんですよ。感謝をする人はマイナスは必要ないからね、勝手に消えていきます。だから、マイナスを掴んで消そうとしなくてもいいんです、感謝してプラスを掴んだらマイナスは放っておいても消えるから。
マイナスを掴みすぎたらだめよ、ダイオキシン・ダイオキシンと掴みすぎたらダイオキシンの多い所へ行きますよ、そんなのは何も相手しなくてもいいんです「ありがとうございます」と言っていたらダイオキシンのない世界に住むんです。
宇宙人・UFO
質問者:
宇宙人は何を目的として地球へ来ていますか?
ありがとうございます:
いろんなUFO・宇宙人があります。本物と偽者があります。本当に進化した宇宙空間を瞬間に飛ぶような本当のUFOを持っている所もあるけれど、幽界・低い世界から物質化現象で形だけ出てくるのも有りますね。またこの世の人がトリックで上手に写真作ったりすることも有りますね。
宇宙人も本当に火星人とかいう他星人という意味じゃなしに、宇宙が自分なんだという大きい心になった宇宙人もいますね。本当の宇宙が自分という自覚に入った宇宙人だったら愛の心・思いやりが深いですね、だから、皆を幸せにしたいからと助けに来るよね。本当の宇宙人はそうですね、地球人が困っていたら助けに行って早く幸せにしてあげようとするね、その自由を縛らずに影で援助してくれます。そういう宇宙人・UFOもあります、そういうのは少ないです、僅か数パーセントかもしれないですね、でもそういう宇宙人が力を発揮して守ってくれています。
偽の宇宙人・UFOがあるから大抵そういうのに惑わされます、そうすると地球を侵略してくるような感じに思ったり、いろんなおかしい現象を起こしてびっくりさせたりします、そんなのは全部偽物でしょう。
それもみんな必要なものを引き寄せて受けてるんですね、だから「ありがとうございます」と感謝していたら、もし必要だったら宇宙人・UFOの助けをうけます。偽者は寄ってこれません。
子育ては感謝するだけ
質問者:
子供のしつけの中で、ああしちゃいけません、こうしなさいと言うよりも、「ありがとうございます」と言うほうが良いですか?
ありがとうございます:
親が自分の力でまたは、誰かが自分の力で子供を教育する・躾けるというのはチョッと傲慢かもしれないですね。みんな自由を持っていて、背後に守護神さん守護霊さんが守って、そして立派に磨こうとしてるんでしょう。だから、感謝しているのが一番理想なんですね、「ありがとうございます」と神様に感謝して、立派に育て上げてくださったという意味で感謝し続けたら何も躾も要らないですね、放っておくのが良いですね。放っておくほど立派に育つ、余計なおせっかいをするほど神様の邪魔をしてしまいます。
・・・感謝するだけ?
そう、感謝して神様にお任せですね、神様が的確に完璧に守り導いてくれるんです。小さい子供ほどそうですね、神様が守りやすい、我を出さないだけね。
小さい子供はどこからか落ちて怪我をしても、知らないうちに治りやすいでしょう、親が心配したら治りにくいですね、子供は放っておいても守護霊さんが守っている限り事故にならないですね、普通ね、守りが強いから。守護霊さんが包んでいるんです、本当は大怪我かなと思うんですが何ともないですね、チョッと痛いというぐらいで終わってしまいますね。でも、親が心配すると、親の心配の思いがスッと入るから治りかたが遅いですね。掴んだ分だけマイナスが残るんです。 感謝していたら邪魔しないから、全てが速く良くなります。
「無限の無限」の意味
質問者:
「無限に無限にありがとうございます」というのはどんな効用や意味がありますか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」の中に全てが含まれているでしょう、その中の一つに「無限の無限の幸せ」というのがあります。その「無限の無限の幸せ」とはどういうものかと、たくさんの意味があります。
自分というのは、無限の次元に存在しているんです。今の自分が無限の幸せを感じたとしたら、無限の次元にいる自分をひっくるめたら無限の無限の無限の幸せを感じるでしょう。
また時間的に言っても、今の時間と過去・現在・未来・無限の時間があります、それぞれの時間にいる自分というのを考えたら、今の時間にいる自分が無限の幸せだったら、他の時間にいる自分が無限の幸せを感じて無限無限となるでしょう。 難しいけどね、無限の無限と大きくなる意味でそうなってきますね。
そして、宇宙が入れ子構造といって、小さい箱をもう一つ大きい箱で包んで、さらに大きい箱に包んでという入れ子構造の仕組みになっているので、どの部分の宇宙に自分がいるかで・いろんな宇宙に自分がいるわけですよね。そうすると、無限の入れ子構造が生まれます、もう想像を絶するんです。今の宇宙にいる自分が無限の幸せだったら、また無限の無限の幸せというね、実際あるわけです。
そして、自分が肉体人間として生まれて無限の幸せを感じるとするでしょう、一個の自分がそれだけの幸せを感じるんだったら、宇宙には無限の人がいますよね、その無限の人の幸せも自分の幸せに取り込んだら良いんでしょう、そしたら無限の無限となりますね。これは、人だけではなしに、鉱物も、植物も、動物もそれぞれみんな無限の幸せを感じることが出来るんです。それを全部自分の幸せに取り込んだらいいもんね。そしたら、無限の無限のというように幸せが広がりますね。
幸せ自体がね、みんな顔が違うんです。幸せ一個一個にみんな顔があるんです。幸せ自体が無限の種類の幸せがあります。
だから、質も量も幸せ自体がドンドン変化します、同じ状態で続くんじゃないですね。大きく高く深くというような感じでね、無限に変化していきます、それも無限の無限の幸せになります。
その幸せというのは、神様の中からドンドン新しく生まれてきます、ドンドン・ドンドン無限に押し出されてくるでしょう。だから、今現れた無限の幸せを、新しい無限の無限の幸せとしてドンドン・ドンドン押し出されてくるよね。
他にもたくさん意味があるんだけどね、そういうふうに神様から生まれてくるというより、神様そのものが幸せなんです。その神様の姿がありとあらゆる表現をとって自分の前に出てくるわけね。だから単に無限の幸せなんて言葉では表現できなくなってきます。必ず無限の無限のと付けないとね神様の幸せを表現できなくなります。さらに、無限の無限の幸せと感じ取ったと思ったとしても、まだ奥に神様の姿があると、無限の無限の幸せを中に持った大きい幸せに変わります。そういうのをまた無限に無限に積み重ねてさらに大きい幸せが生まれてきます。
だから、「無限の無限のありがとうございます」というのは、幸せとか喜びとか安らぎとか愛とか知恵とかありとあらゆる要素を中に全部ひっくるめて「無限の無限のありがとうございます」なんです。
深いよね、やっぱり、大きく深く掴むために、また、本物の神様をしっかり捉えるために、最初は「ありがとうございます」で良いんだけど、だんだんと「無限の無限の」という言葉を使いたくなって神様をしっかり把握しようとするんです。
でも本当は「ありがとうございます」の中に「無限の無限のありがとうございます」が入っていいます。だから「ありがとうございます」一言で良いんだけど、時々はその中身を・「無限の無限のありがとうございます」もその中にあるというふうに見ていくために、そういう言葉もあった方が良いですね。
・・・・「無限の無限のありがとうございます」というのを言って良いんですか?
良いですよ、いったほうが大きく深くなるでしょう。
本当の自分は感謝の心・受け直せる心
質問者:
人間は生まれ変わったら人間にしか生まれ変わらないんですか?
ありがとうございます:
人間という魂は人間よね、でももう一つ奥の神様と一体の自分は・命の自分は何にでも変身します。変身自在です。だから、石ころにもなるし植物にも動物にも人間にもなります、何にでもなります、小さい原子にもなる、大きい宇宙にもなるし。
だから、今は人間という姿に変身しているでしょう、それはある程度は人間としての体験を楽しんでいるわけだから、あくまでも人間は人間としてずーっと続きます。これは猿から人間に変化したというのじゃないんです、人間はあくまで人間ですね。だから、もし、人間以外の何かに変身するんだったら、人間をやめて他のものを生み出すわけよね、人間から他のものに変わるんじゃなしに、まったく他のものを生み出してきます、そしてそれを自分と捉えます。
進化論というのもね、この世の移り変わりを捉えて見ているからああいう進化論が生まれるんだけど、本当は一瞬一瞬新たに全て絶対から生み出されてくるものだから、つながりがないんです全部。猿は猿、人間は人間ですね。猿を動物園で飼い続けたら人間に変化するわけではない。
でも、ある時また、別な自分に変身するよ、人間から他へ、でも人間は人間よ。だから人間以外のものに自分が変身して、また太陽になって何億年以上生きるかもしれない、命の・本心の自分は自由自在です。
だから、これが自分という形あるものはないんですね、自分の作品ですね、あくまでもね。本当の自分は感謝の心・神様から全てを受け直せる心です。だから何にでも自由に変身できるんです、どんな作品だって生み出せるんだというね、それが本当に自分です。だから、自由自在心・感謝する自由自在心ですね本当の自分はね。それは何もないかというとそうじゃないね、中に全部あるから変身自在なんです。何もないとこからは何も生まれませんね、全部持っているからそこから何かを生み出してくれます。だから本当は実体は有るんですよ。だから、先の楽しみがいっぱい有ると喜んでいたら良いです。何にでもなれる、でも、今は人間としていろいろ楽しまないと。
謙虚になれた人は全てに感謝できるようになります
質問者:
人間は、自然を支配してバランスを崩しています。この先どうなりますか?
ありがとうございます:
人間が上に立って支配すると馬鹿を見ますね。結局自分が支配できるものなんて一つもないのにね、反発を食らったら今度は自分が惨めな姿をとるわけでしょう。だから、最初から人間が中心に立てばいい・謙虚に一番下に立って皆を大事に拝み上げたらいいんでしょう、皆のおかげでこうして幸せに生かして貰っていると感謝の心を深めていけばね、大自然とも調和して、大自然は自分を幸せにしてくれるだけとね。
だから、本当は上に立ったらだめよね、万物の霊長だといって、上に立つためじゃないですね、万物の霊長だから下に・中心に立たないとだめね。
だから、「ありがとうございます」を唱える人は中心に立ちます。謙虚に謙虚に下に降りて皆を拝み上げないとだめですね。そういう人が一番大きい幸せを与えてもらいます。上に立ったら感謝できないね、自分が支配していると思うとね、皆は下に行ってしまうからね。でも、自分が下に立ったら石ころ一個一個に「ありがとうございます」といえるものね、道路を歩くにも石ころがじっと静止していてくれなかったら、道路は全部宇宙空間に浮いてしまいます、歩く場所がなくなります。石ころは頭を踏まれても「ありがとうございます」と支えてくれるでしょう。 謙虚になれた人は全てに感謝できるようになります。
感謝するのも、しないのも自由です
質問者:
「ありがとうございます」で自分は守られても、他の人は守られるんですか?
ありがとうございます:
自分は自分の運命をたどります。人は自由があるからどんな運命も神様から受けられるでしょう、「ありがとうございます」と唱えた人は、いい番組を受けられます。でも、自由があるから感謝するのも自由だけどしないのも自由でしょう、神様の助けは要らないという人は感謝しないですね、そういう人は低い番組に・マイナスの多い番組に自分を置くわけよね。
だから、人の自由意志は尊重しなければいけないので、仮に、地獄に落ちた人がいても強制的に極楽へ引き上げるわけには行かないですね。楽しんでいるのかな!と見てあげるしか有りません。 だから、長い目で見て良くなるように良くなるようにと感謝してたら、神様がその人にとっての最短コースで幸せに引き上げてくれるから、でも、すぐパッと変わるかというとそうじゃないね、地獄の体験が必要だったらしっかり体験させて、感謝ができるように変えて引き上げてくれるから、「ありがとうございます」と唱えたら大きい力添えになりますね。
謙虚に謙虚になると中心に立てます、周りは光ばっかりです
質問者:
人生で出会いや別れ・縁とか・・・その中で「ありがとうございます」と言っていれば導かれますか?
ありがとうございます:
そうですね、全て、腐れ縁も光の縁に変わるんですよね。どんな腐れ縁も神様からの神縁に変わります、みんな光り輝いてしまいます。どういう世界に自分が置かれていてもそこが中心になるんです、神様の中心に置いてもらうんです。自分の周りは無限に無限に輝いている神様の世界・神様の体になります。
中心というのは上とは違うんですよ、一番下・中心というのはね、一番下だから全てが降りそそぐように流れ込みます。謙虚に謙虚になると中心に立てるんです、そして、無限の無限の感謝が湧き上がります。だから、一番下に降りたら一番幸せなんです、全てがプラスに見えるでしょう。
例えば人に悪く言われればチョッと腹立てるでしょう、それはその言葉より上にいるからですね。馬鹿といわれて腹を立てる人は賢いのよね。どんな言葉を言われても喜べたらいいんでしょう、悪い言葉をいっぱい並べてくれたら良いんです、「ありがとうございます」と言えたら良いんでしょう、一番下に降りたらそうなりますね、悪魔と言われても、人殺しと言われても「ありがとうございます」と言えたら良いんです、もっともっと下にいるんです謙虚な立場でね。
馬鹿野郎と言われたって糞ッたれと言われたって何を言われてもいいのね、ああ!ほめ言葉だと思えるくらい下に出たらね。こんなに褒めてもらって「無限の無限のありがとうございます」と言わないと!謙虚な立場ほど神様の光をいっぱい浴びられます、だからみんな中心に立っているというね、一番下が中心なんですよ本当はね、周りは光ばっかり。
だから、呼吸で言うと、神様からいろんなものを受けたり吸い込むといった感じでしょう、それを全部吐ききったら良いでしょう、吐ききって何もない状態が一番謙虚ですね。後は入ってくるだけですね、後はスーッと自然に入ってきます。その繰り返しをすれば良いですね、だから、感謝は呼吸なんです。「ありがとうございます」と全部受けて同時に吐き出して神様にお返ししているんですね。一回一回の「ありがとうございます」が一番謙虚に全てを受け直しているんです。だから、「ありがとうございます」には全部あるという意味はそういう意味もあるんです、受けるのもお返しするのも全部そろっている・同時です、だから、呼吸になっているんです。
だから、「ありがとうございます」を繰り返したら謙虚になって中心に立つ自分・いつも神様を感じられる自分になります。でも、元々はみんなそうなんです、難しい事を全部捨てたらフッと元に戻るんです、みんな難しい事をしすぎている、元に戻れないだけよね。悟りというのはそうです、元々みんな悟っていて、難しい事をして迷うんです。それで、迷って、もう嫌だと全部捨てたら単純に戻ります、そしたら悟った自分に気付くという、そんな感じですよ。
神様をどこに見出すか?肉体の中に魂の自分があり命の自分があり神様がありといって、神様を小さく見たらだめです。逆よね。分け方はいろいろですね、肉体があって・幽体があって・霊体があって・神体があってというふうにね。神様を中心に置く人もありますね、でも神様は中心・下じゃないですね、自分を一番中心・下に置いたほうが良いですね。だから、どういう立場の自分でも中心から外広がりに無限に無限に神様へ広げてしまえば良いね。だから、中心に置いてもらうのは大光源の大光体の中ですね、だから自分はあくまでも常に中心です。だから、どこにもマイナスの闇はなくなります、自分以上の闇はない<笑い>
本当の中心は宇宙絶対神です
質問者:
天皇陛下は中心に立たれる方で、それをどういうふうに考えたら良いですか?
ありがとうございます:
中心のお手本を見せてもらっているんです。地球上の日本の天皇陛下が、宇宙全体から見て一番の中心というわけじゃないんです。まだまだ小さい地球上の日本のお手本でしょう、本当の中心はどこにあるか?宇宙絶対神です。一番謙虚に謙虚に奥へ隠れてしまう絶対の姿なんです。「ありがとうございます」という神様です。絶対に自分を出さないね本当はね、神棚も要らないと言うね絶対に要らんとね、褒めてくれないでいいとね、お礼も言わなくて良いと、何も要らないと、それで良いと、必要な助けをいくらでも与えましょうとね、でしゃばっても来ないしおせっかいもしないし、みんなの自由を尊重して必要なだけを与えてくる。本当の中心はその神様ですね。
だから、その神様の真似事と言ったら何だけど、まねをして神様に近づいていくんです。だから、天皇陛下の中心の姿を真似して自分も近づけば良いし、さらにはもっと神様のまねをして、もっともっと深い中心に入れば良いね。
本当の中心は一定に定められたものじゃないんですよ、だから、天皇陛下と同じ立場に皆さんも立とうと思えばいつでも立てますよ、ただしたかったらね。でも、謙虚にならないと中心に立てないでしょう、謙虚な人は自分から立ちたいとは言わないよね。みんな謙虚に謙(へりくだ)って一番最後で結構ですというんじゃない?お先に皆さんどうぞどうぞとね、それだったら決まらないでしょう、仕方ないから神様が誰か一人・適当にかもしれない<笑い>ポッと一人指名するんでしょう、だからみんな平等なんです。だから、形の上で中心に立てなくっても、本当の意味での宇宙の中心に・神様の中心におかれているんだったら、それ以上の中心はないもんね。
だから「ありがとうございます」と皆に感謝するだけですね、天皇陛下にも大変な中心に立って頂いて「ありがとうございます」とね、私たちは楽をさせていただいていますと<笑い>
一回のお祈りが「無限の無限のありがとうございます」
質問者:
一時間ぐらい瞑想をされていたでしょう、その間にカウントをされていたんですか、それとも、数えずに言われていたんですか?
ありがとうございます:
初歩の頃は数えるんですね、でも今は「ありがとうございます」の中に「無限の無限のありがとうございます」が入っているから数え切れないですね。無理して数えなくても良いんですよ、本当は自分一人の「ありがとうございます」は回数じゃないんです、バックで守護霊さんも「ありがとうございます」と一生懸命唱えてくれているし、守護神さんもいっぱい唱えるし、縁ある人は全部自分のために唱えてくれているでしょう。この世の人もどこに自分のために一生懸命に唱えてくれているかもわからないでしょう。だから、本当はみんなと一緒にお祈りをさせてもらっていると思って、自分が一回「ありがとうございます」と言うと「無限の無限のありがとうございます」を同時に与えてもらっていると思えばいいんです。それに対してまた「ありがとうございます」とお返ししないといけない。
だから本当は、一瞬一瞬・一回のお祈りが「無限の無限のありがとうございます」なんです。そのぐらい価値のあるお祈りをさせてもらうんですね。だから幸せになるしかないよね。だから、これは自力じゃないの、自力のお祈りじゃないのね、他力でもない、絶対力のお祈りです。全てを努力なしで与えてもらうお祈りですね、だから素晴らしい、すごいんです。
瞑想は、徹底した楽天主義・楽観主義で
質問者:
瞑想を初めてしたんですが、自分では瞑想なのか寝ていたのか区別がつきません?
ありがとうございます:
そのときその時に自分がどの立場にいるのか、自由自在で良いんです、それにふさわしい状態で神様の助けを受けていたら、小さい自分だけの祈りじゃないんでね、何時も全体に生かされて光を与えてもらっての祈りなんですね。だから、光も輝きも全部そのままで良いんです、居眠りの時は居眠りの状態でも我のない深い祈りかもしれないでしょう、だから、それはマイナスに思わない事ですね、全てを大きくプラスにプラスに思い返していったほうが良いですね。
徹底した楽天主義・楽観主義が良いんです、プラスばっかり拾い上げるのが楽天主義ね、全てをプラスにプラスに思い返すのが楽観主義ね。人が何を言おうが関係ないね、自分にとったらプラスプラスです、何もかもプラスに思い返せば良いですね。
この世に名前を出して宣伝して立派に見せたいというのは程度が低いんです。神様の世界はもっとそうですね、名乗って出てくる神様は低いと思わなければいけない。本当に立派な高い神様は絶対に正体を表さないというくらい、自分の表す姿を自由に変身できるけど醜い姿で出てくるかもしれないね、名も名乗らないで、名乗ったら面白い変な名前かもしれない。
元々あるものに気付いていくみたいですね
質問者:
「ありがとうございます」が「無限の無限のありがとうございます」になったきっかけは何ですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」が急に「無限の無限のありがとうございます」に一足飛びに変化するわけだからすごい進化ですね<笑い>これも唱えていたら自然に変化していきます。だから、幸せ・幸せ・幸せと言い続けたらね、そのうちに無限の無限の幸せというのがわかってきます。ありがとうも同じなんです、「ありがとうございます」を唱え続けているうちに必ず「無限の無限のありがとうございます」に変化します、ドンドン深く大きくなっていきます。いろんな意味合いが出てくるんです。自己暗示じゃなしにね、暗くないの<笑い>
元々あるものに気付いていくみたいですね、目の前の鱗が一枚一枚はがれていくような感じですね、一枚はがれるごとに明るさを増して世界が広がります。
形を作ったら、自分で形を破壊できるか?
質問者:
いろんな宗派があって、私のうちは南無阿弥陀仏なんですが、「ありがとうございます」だけで供養になりますか?
ありがとうございます:
最高の供養になります、最高のプレゼントです。「ありがとうございます」があればその中に全てのお経・この世のお経だけじゃない・あの世にも高い世界にも、真理の教えのお経がいっぱいあるでしょう、その全部が中にあります。だから、この世のお経みたいなそんな意味のわからないお経よりも、「ありがとうございます」の意味のわかるほうが・全てのお経それも本当のお経の光を全部持っている最高の真髄みたいなものですね。
「ありがとうございます」に辿り着けば全ての、自分の家のご先祖様だけじゃないよね、ありとあらゆる過去の全部の縁あるものに光を届けることになるから、宇宙全体への恩返しになります。恩返しなんてそんなこと考える事もないかもしれないね、みんなみんな無限に無限に輝いて悟っているんだというふうに、自分がなってしまうから、恩返しじゃなしに・供養じゃなしに、ただただ自分を幸せにして頂いているだけという、そういう世界に自分が入ってしまいますね。
本当は、仏壇もお墓も必要ないよね、邪魔になるでしょう、「ありがとうございます」の世界はそんなものは必要ないね、神社も仏閣も何もいらない、宗教も宗派も教えも要らない、どんな教祖も要らない出てこなくて良いんです、そんなのはでしゃばってこなくてもいい。ただ、一番中心の一番謙虚な神様をしっかり受け止めて感謝していたら良いんでしょう。
だから、表に出てくるのはたいした事ないから、どこまでもめり込んでしまう神様が一番偉いんだから、その神様をしっかり心で「ありがとうございます」を唱えて、しっかり実感していけば何にも要らないですね。表に出るのは・フッと出てそれをつかませる事は過去をつかませる事です、過去を掴んだら古いものをつかんだ事でしょう、新しいものを全部受け損ないますね。幸せになるどころじゃない、逆ね、幸せから遠ざけていくようなものです。
だから、過去をつかませないというのが良いんでしょう、本当の神様は自分の正体を表さない・絶対つかませない、それでいて新しいものをどんどん与え尽くしてくるでしょう。だから、過去を掴むなというのが良いんでしょう、形あるものも一瞬一瞬消えていくのが良いですね。そしたら、自由になって本当の幸せを感じると思います。自分の心を縛るものは何も要らないですね。でも、必要と思う人は大事に持っていたら良いよ、それも「ありがとうございます」と言っているうちに自然と消えていくから。だんだんと必要なくなるからね。
・・・無理やり引き剥がそうとすると心が苦しいでしょう、なくなって切れて離れていくものは追いかけないほうが良いですか?
そうですね、自然に移り変わるんです、思いも感情も自然に移り変わって表面に現れては消してもらうんだという気持ちで、自分はサラサラした感じで眺めていたらいい、全て・形も・心の動きも全部。
・・・それを寂しいと思っちゃいけないんですよね?
神様といつも一緒だったら寂しさなんかないんです。どこに寂しさを探すのか?どこにもないんですね本当はね。「ありがとうございます」を繰り返せば寂しさは完全に消えてしまいます。何もなくても新しいものが無限に無限に湧き出てきます、過去のものは何も掴まなくて良いんです、要らないですね。
・・・仏壇もお墓も要らないという事ですが、それを通して感謝するという意味ではあってもいいと思いますが?
あることによって、それを模型的に使って心を神様のほうへ振り向ける役に立てば良いですね。でも、逆になる場合もありますね、囚われると偶像崇拝ですね、偽者を本物に思い違えます。お墓の中にご先祖様がいるなどと思うと、ご先祖様というのは石の中に閉じ込められて気の毒な人に思えてきますね。プラスにプラスに思えたら良いんだけれど、どうしてもマイナスに思えてきますね。お墓が壊れでもしたら、大変と驚いてびっくりするでしょう、なんでもないのにね。お墓を捨てることが出来なくなりますね、怖いたたりがあるかもしれないとかね。本当はそんなの最初からなかったら何の縛りもないんだけれど、形を作ったら、形を自分で破壊できるか?本当に単なる模型だったら破壊できますね、そのぐらいの強さがないと負けていきますね。それもいろんな段階の勉強だけどね、本物へ辿り着くまでのね、いろんな勉強をしながら本物と偽物の違いを知って本物に戻ればいいんです。本物はこんなに無限に無限に素晴らしいんだとわかればいいんだけれど。何が良い悪いはないんです、必要だったら掴んでいっても良いけどね、必要なくなったら必要なほうを掴み変えたらいいんです。「ありがとうございます」を掴むほうが必要ですよね、そしたら後は全部放しても丈夫。
・・・家を建てるといろんなことがおきるといわれて、信じてもいない神棚を置きました。「ありがとうございます」を言っていれば取り外しても良いですか?たたりがあるようで取り外せないんです。
そういうふうになっていくんですよねどうしてもね。いろんな神様をたくさん祭る人があります、形でね。本当に高い立派な神様だったら謙虚だから、他の神様を祭ったら謙虚に退きます、あの神が守っていたら自分たちは何もしないでも良いだろうとね。低い神様は、自分を見せたい、お礼も言って欲しい、お供えもして欲しい、そう言う神様は表に出てくるでしょう、一生懸命尽くしたら、よし守ってやるぞと守ってくれます。粗末にすると、何をこの馬鹿野郎と仕返しをしてきます。
だから、そう言う低い神様も高い神様も、本当の神様と比べたら全部偽神様です。最高の神様じゃないんです、いろんな段階のそれぞれの表現の神様です。自分がどちらに心を向けてすがるかですね。「ありがとうございます」と唱えれば最高の神様の助けを受けれる状態なんです、本当の神様がバックについたら、どんな高い神様も低い神様も・いい神様も悪い神様も全部、自分にとったらプラスに働いてくれます。
・・・神棚はそのままにして「ありがとうございます」と唱えていればいいですか?
「ありがとうございます」と加えれば、形を破壊して捨てても、そのまま続けてもどっちもいいんです。どちらでも大丈夫。 本物の神様は、全部に光を与えて全部を幸せに生かしきるから。
形にお祭りしたのも縁でしょう、必要な時は「ありがとうございます」と縁を生かして助けてもらったら良いんです。みんな助けたいから来てくれたんですね、大きい助けも小さい助けもいっぱいあります、それを序列する事もないからね。形が負担になるんだったら、心でしっかり感謝させていただきますから、どうぞ高い世界へお戻りくださいと感謝に切り替えたらいいだけです。そしたら形はもう要らなくなります。それも「ありがとうございます」と言う神様へお返しすればいいんです、一番良い所へお返しするんだから、たたりも仕返しも何もないから心配ありません。
本物を知る人は本物と偽者の区別がつきます
質問者:
神というのはどういう存在なんですか?与え尽くすだけの神様なんですか?
ありがとうございます:
本当の神様と偽の神様があるでしょう、模型的な神様とか、人間が観念的に作り出した神様とかね、神様はピンからキリまであるでしょう。本当の神様は人間にとっては最高のプラスの価値のある存在ですね、全ての必要なものを与え尽くしてくれる神様ですね。
・・・神様同士で争うような事はないんですか?
そういう争うような神様は本物の神様じゃないですね低いね、偽神様ですね。本物と偽物を区別する事が必要です。本物を実感しないと区別がつきません、本物を知る人は本物と偽者の区別がつきます。「ありがとうございます」を唱え続けて、本当の神様をしっかり実感した人は偽神様を見抜けます。
みんな受けるものが全部違います
質問者:
「ありがとうございます」の組織とか普及とか、どういう段階なのか教えてください?
ありがとうございます:
それがね、何にもないんです。<笑い>組織も普及も何もしていません、何にも一切ないんです。
・・・本当にいいものならば皆に普及したほうが?
それがね「ありがとうございます」という神様はでしゃばらないんです、でしゃばらせてくれないんです。逆に、隠れて隠れてとなります。縁がある人で本当に必要な人だけに、必要なだけを与えてくれます。
だから、質問して、聞きたいことしか言ってくれません。だから、ここに来られてもみんな受けるものが全部違いますね。素晴らしいものを聞けたという人は素晴らしいんです、同じように同じ話をしてもらえませんからね、だからここは何もないんです。でも何でも出てきます。<笑い>
中略
・・・ここに来られている人は、縁があって?
そうですね、「ありがとうございます」という神様に辿り着くようになっている人だけがきているんでしょう。
思いを捨てて「ありがとうございます」だけで押し通す。神様は全力を振るいます。
質問者:
いろんな役がたくさん回ってきたり、仕事でもしなければならない事がたくさんあります、どれもこれも全部は出来ません、どうしたら良いでしょうか?
ありがとうございます:
自分の全部を神様に「ありがとうございます」でお返ししてしまいます。それで、神様が自分を使ってくれるようになればいいんでしょう。神様が自分の全てを使って働いてくださるんです。神様の働きは無限ですね、どういう役目を受けても引き受けて神様が働くんだったら、形は何もしなくても良いんです、ここにいるだけで皆を動かしてしまいます。皆が助けてくれて一番いいように全部移り変わり変化します。あれこれしたらだめ、しなくて良いんです、「ありがとうございます」だけをしていたら良いんです。自分は「ありがとうございます」だけを一生懸命唱えて、神様の御用に使ってもらえば良いですね。自分が中心にそこにいるだけで全部が調和するんです、大きい働きが出来てきます。
・・・自分でやっぱり動いてしまいますね!
神様に動く時動かしてもらったらいい、「ありがとうございます」と唱えていたら必要だったら神様が、自分の意志・考えとは無関係に動かしてくれるから、自然にスッと動くから、その動きが本当の必要な動きになります。自分であれこれ考えて動かないで良いんです、「ありがとうございます」だけ言っていたら良いんです。しないで良い事をするのは間違いだから、皆に動かすチャンスを与えなければいけない、皆が一番必要な働きをさせてもらえるようにするのが大事ですね、「ありがとうございます」を皆に加えてあげたら良いんです。みんな助けてもらって本当の働きをしてくれるから、そのほうが大きい働きになってきます。
今までみたいな感覚は要らないですね、ガラッと変えたほうが良いですね。神様が君を使って必要な働きをしてくれる、自分がするんじゃない、神様がしてくれるんだ、そのほうが良いですね。そしたら楽になるでしょう。
・・・それは楽ですけど、何かしてしまうんです。
「ありがとうございます」だけを唱えさせてもらうほうが、本当に大きい仕事になります。大きいプラスを与える仕事だから。
・・・依頼されたものは全て「ありがとうございます」で受けるんですか?
そのへんはね、「ありがとうございます」を唱えていたら、必要なものだけが集まってきます。必要なかったら自然に壊れていくから、自分の足を引っ張るような邪魔するものは現れてきませんね。「ありがとうございます」を唱えていたら良いものだけが寄ってきて、必要のないものは消えていきます。その計らいは全部神様がします、だから、神様に全部任せ切るのが一番楽になりますね。
・・・自分が強くこうしようと思った時は、動いて良いですか?
動いて良いけど、その時は神様は引っ込んでしまいます。自分で動かしてしまうからね、神様を引っ込めたらだめですね、「ありがとうございます」をいつも言って、自分の思いも願いも全部消してもらってなくなるほうが良いですね、神様が一番上手に皆を生かしてくれるから、自分が勝手に思ってこれが一番皆のためになると思ったって神様には及ばない。
・・・どこの線で、自分の思いなのか神様の支配なのか?
わからないよね、だから、思いを捨てて「ありがとうございます」だけで押し通す。「ありがとうございます」で押し通せば神様だけが働くようになります。「ありがとうございます」と唱えた時に神様にお任せしたことだから、神様は全力を振るいます。それだけで良いんです、それだけで神様が人の自由を縛らずに働けるから本当の働きをしてくださいます。後は自然に任せていたらうまくいきます。
・・・いい結果だけを待ってればいいんですか?
待っていて、動く時は自然に動きますよね、自分が動くんじゃなしに神様が自然に動いてくれるから、本当はそうでしょう、心臓は自分では動かしていないよね、神様が動かしているんでしょう、呼吸もそうですね、目玉もそうよね、自分が動かしていると思っているだけで、神様が動かしてくれてるんです。神様を逆に動かそうと思ったら目玉がこっち向くよ<笑い>
・・・自然に動くというのは、神様の心が自分の心になって動くんですか?
全部、心も何もかもね神様が動かしてくれるからね。
・・・その時の心の状態は?
「ありがとうございます」だけ、幸せ感だけが湧いてきます。
ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.