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「ありがとうございます」のおはなし 2000年9月29日
受け直して現実化
*神様から何を受けるかが大事*
-ありがとうございます-
質問の内容が聞き取れませんでした
ありがとうございます:
(前の部分が聞き取れません) まだまだ人の思いと神様の御心とのギャップはあると思うんです。今まで地球の文明は、物質文明と精神文明が栄えたぐらいで、これから霊的な文明が栄えて、神様の御心をこの世に物質化するまでにならなければいけない。
今までは現実に与えてもらった物を使って色々してきました。霊的な文明というのは、自分が神様の立場に立って、そこから神様の御心を自分の力で現実化してゆく、本当の物質化現象を起こさなければいけないんです。
過去の全部を捨ててでも、何もないゼロの状態でも、新しいものを空中からサッと現すような生き方・・・そういう生き方がこれから必要になってきます。空中から何でもサッと取り出してくるようないきかたが、霊的に栄えた文明のホントの姿になるんです。
-ありがとうございます-
私は、酒は飲む、タバコも吸う、お金や物はねだる。神様の御心とのギャップは必要必然の現象なんでしょうが、いったい何なんでしょうかこのギャップは!!
ありがとうございます:
根本の原理というのはね、神様から何を受けるかが大事なんです。神様が与えようというのは「無限の無限のもの」なんです。ところが、肉体人間として生きて、どれだけのものを毎日神様から受け直しているかというと、ほとんど受けてないんです。言ってみれば、過去の残像をつかんで、それを失わないようにしっかり握っているような行き方なんです。
だから、神様からの新しいプレゼントをほとんど受け損なっている状態です。過去の足跡ばかりを掴んで、自由な生き方を忘れて、つまらないものばかりを掴んで、本当に素晴らしいものを受け損なっているんです。
現実というのは、過去に何を掴んだかという、それも小さく掴んだものの残像なんですよ。それを現実に自分が掴んでるからといって、最高のものを掴んだわけではない。だからそこに最高の幸せを感じないんです。そこに湧き上るような無限の喜びというのはないんです。皆がこうだから自分がこの程度だったら満足しておこうか、皆と比較して自分のほうが上だから幸せかなという感じなんです。
心の中から無限の喜びが湧いてこないと(本当の幸せではない)。(本当の幸せは)この世のものを全部捨ててでも、全部なくなっても、本当の喜びというものは消えないんですよ。もっと良いものを受けているんですよ、本当はね。
神様の御心を、お祈りの力で心の奥でしっかり受けたら、それが現実化するんです、現実化して永遠に失わないものとして出てくるんです。それは、一瞬一瞬新たに現実化できるから永遠に続くんです。
ところが過去の残像だと消えたらおしまいになります。新しいものを神様から受け損なうと、過去に受けたものは全部消えていくんです、だから、幸せも掴んでも逃げていく、幸せが消えていく人が多いんです。それは、神様からの新たな受け直しができていないか、忘れているかなんです。
自分の心の奥から満足できるんだったら良いんです。でも最高のものを受けない限り、心の奥の自分は満足しないんです。心の奥は本当の幸せを知っているんです、神様から新たに新たに「無限の幸せ」を与え続けられているのを知っているんです。
それが現実化してないのは、まだ自分の生き方が本物ではない・もっともっと本物の生き方があるんじゃないかと、心の奥からと問い掛けてくるんです。そして虚しくなってくるんです、その虚しさが消えないといけない、本当に喜びだけが湧き上がってくるような生き方にならないと、自分が納得しないんです。
-ありがとうございます-
瞬間瞬間新しい(すばらしい)ものを与えられ続けているというのは、お話しを伺っていて分かったんですが、すばらしいものと触れ合っても、いつのまにかずれてしまうのはどうしてなんでしょうか。
ありがとうございます:
どうしても執着があるんです。いい物を与えてもらっても、「それをああ良いもんだ」と掴んだ執着なんです。それをいつまでも持っていたいと放さない。これが、新しい受け直しを忘れさせた根本原因なんです。お釈迦様は「執着が全ての迷いの根本原因である」「執着が一番よくない」というんです。
過去を放すことが新しい受け直しを可能にしてくれます。神様の宇宙創造は、一瞬一瞬新たに創造し続けています、それも時間というものがないんです、無限億万分の一秒で新しい宇宙を創り続けているんです。人も同じなんです。新しい自分が常に作り続けられているんですけれど、魂の自分や肉体の自分は、新しい自分とくらべると過去の残像として小さい部分なんです、足跡のちっぽけなものなんです。
過去を執着の心で生き続けてきた結果が、つまらないものが溜まり過ぎて、新しいものを受け損なう原因になっています。それを、業・想念・迷い・・・いろんな言葉で言われてるんですけど、ちょうど空の雲が太陽の輝きを遮るようなものなんです。
地上から湧き上がった水蒸気が雲になって太陽の輝きをさえぎって暗くしてしまいます。本当は、太陽の光のように新たに新たに生まれてくる光として、輝いた自分があるんですが、地上から登る水蒸気が執着の雲をいっぱい作って、それ(本当の自分)を現実化するのを邪魔しているんです。
過去の執着さえ全部消してもらえたら、いつも青空に太陽が輝くように、本当の自分が喜びいっぱいに生きている姿が現実化するんです。ところがいったん過去を掴んでしまったらなかなか放せません。その過去の思い・執着をいかに早く消せるかというのが一番の問題なんですが、一人一人消し方が違うかもしれません。
大病をするのはひとつの大きな消し方なんです。ちょうど雨降って地かたまる、空に雨雲が漂ったら、土砂降りになって、雲が消えて晴れますよね。大病とか大怪我とか事業に失敗するとかそういうことが心の曇りを全部消してくれます。
そうすると、本当の自分・本心の自分が太陽のように輝きだしてキラッと分かるんです。本当の自分は感謝の心の自分だとか、永遠に生きている本当の自分だとか、いろんな意味の自分が出てきますよね。そうすると、本当の自分は素晴らしいな・ありがたいなという感覚・喜びの心だけが湧き上がってくるようになるんです。
神様が与えようとするのは、「新たな全徳の無限の無限の輝き」という言葉で私は表現するんですが、全徳というのは全ての徳性の徳なんですけど、徳という字は行人偏に直の心と書きます。
直心を行ずる。直というのは古神道では直霊の心といいますが、神様の根本の働きなんです。神様の働きを徳という言葉で表現できると思うんですが、神様の働きの全てこれが全徳です。神様の徳性は無限にあります、その徳性が無限に無限に輝いています。その全てを皆に一瞬一瞬与えてくれている。それを一人一人が受けきってほしい・・・これが神様の一番の願いだと思います。
これは人間だけではないんです、鉱物も植物も動物も意識を与えられたもの全部が平等なんです。意識を与えられているということは、意識の中心として神様から全部一瞬にして与えられる資格があります。それを受けてどれだけ現実化するか、人と生まれたら人として受けたものを現実化して素晴らしいものを表現するか、動物は動物なりにどれだけ神様の御心を受けて表現するか(が大切です)。
宇宙の大神様が最高の表現をとった姿が天照大御神様・宇宙全体の最高のお姿。その天照大御神様が一瞬一瞬装いを新たにして最高の御姿を現し続けている、それを皆が一瞬一瞬新たに受けなおして、自分は天照大御神様と一体なんだ・自分は天照大御神様そのものだ・・・というところまで行ったら本物なんです。それでいて一瞬・受け直すことを忘れてしまえばどん底に落ちるんです。
だから、自分が偉いとか偉くないじゃないんです。一瞬一瞬受け直すから素晴らしさを与えてもらうだけで、自分のものは何もないんです。ところが執着の心は、過去に自分がこういう良い足跡を残したと掴んでは喜んでいるんですけど、それは小さな自己満足でしかない。本当の幸せは無限に無限に大きいものなんです。
・・・・中略(録音が途切れています、ご了承ください。途切れている間に新たに質疑応答が加えられたと思われますが、このまま継続します)
・・・・・本当の自分の生き方を忘れていた人が多かったと思うんです。物質文明・精神文明が栄えても、本当の自分を見失っている生き方なんです。まだまだ本当の幸せが雲に隠された状態だったと思います。でもこれからは違うんです。雲が晴れて本当の自分が太陽のように輝きだす時代です、本物をしっかり掴んで本物をあらわす時代です。
現実にあるものが本物なんじゃないんですよ、心の奥にあるものが本当のものなんです。まず心の奥にある神様をしっかり捕らえて、受け入れた時に現実化していきます。それが本物の現実化です。でもそれは本物じゃないんです、現実化したものはあくまでも表現か模型なんです。だから現実には本物はないんです。本物は心の一番奥にあります。より本物に近づけて表現できたときに、本当の喜びがあるんです。
神様が最高のものを創って準備していても、それを神様だけがしたんじゃ小さいんです、それを人間一人一人が・意識ある全てにものがいろんな表現をとってくれると、喜びが大きくなるんです。
大自然を絵に書いて色々表現してくれる人があってこそ、大自然のよさが浮かび上がってくるようなものです。絵に書く人があり・文章にする人があり、いろいろな人が無限にいて初めて、神様の最高の表現もさらに輝きます。
このような多重構造的な大きな働きが神様の御心の中にあります、そのために(一人一人の)人の使命・生きる目的というものが大事になってきます。神様の御心をしっかりとキャッチして現実化するというのが、自分の人生の生きがいであり目的であり喜びでないといけないのです。
-ありがとうございます-
雲がかからず、輝き続ける具体的な方法を教えてください。
ありがとうございます:
昔からいろんな宗教が悟りや教えを示しているんですが難しいですね。一番やさしい方法が「ありがとうございます」と唱える事なんです。
心でしっかり唱えていると、天照大御神様が直々に大きい力を振るって、心の曇りを消しながら、さらに、輝きを大きく降ろしてくださるんです。不思議な言葉なんです「ありがとうございます」という言葉はね。
今まであったと思うんですけど本当の意味がわからずに使い切れなかったんです。でも、今の時期を準備して神様は待っていてくださったと思うんですよ。「ありがとうございます」という言葉を作って残してね、目の前に出してくださったんです。それに気付く時期がやってきたんだと思います。
-ありがとうございます-
神の御心を現実化するというのは、自分で考えろ、ありがとうございますを通して気付きなさいと、そういうことですか。
ありがとうございます:
そうです。「ありがとうございます」と唱えているうちに奥から閃いてくるんです、自然にそれを現実化する力も添えられてくるんです。「ありがとうございます」を回数多く唱えているうちにその意味も深みもよく分かってきます。
私も「ありがとうございます」を唱え始めたときは、一日五万回くらい唱えて何ヶ月かたつと不思議な事がいっぱい起こるんです。現実的には不思議な事・奇跡がいっぱい起こるんです、ところが、まだまだ深い意味はわからない。
-ありがとうございます-
唱え始めたのはいつからですか
ありがとうございます:
本格的に唱え始めたのは二十歳ぐらいからです。それまでもほかの祈り言葉や感謝行はやっていましたが、命がけで始めたのは二十歳ぐらいですね。不思議な事がいっぱい起こるんです、でも、現実にそういうことが起こったって、本当の心の安らぎとか深みとかはまだなかったです、まだ心が表面に執われているんですね。
回数をドンドン積み重ねているうちに「ありがとうございます」の本当の意味が、天照大御神様と一体なんだという意味がだんだん感じられてきました。すごい事だなと思うようになりました。一億回ぐらい唱えるつもりで唱えていると本当に分かってくると思います。チョッと長いですけど。
-ありがとうございます-
神様は、人間に反省を促したにもかかわらず、反省しなかったがために、神様が大掃除を近いうちにすると数人の人が言っていますが、どうなんでしょうか。
ありがとうございます:
神様のほうは、無限に無限に輝いた最高のものを与え続けているんです、これは宇宙の大神様の愛の心だと思います。
ところが、過去のつまらぬものを掴んで、それを放せずに苦しんでいる人がマイナスを感じて大変な目を味わっているんですけど、それを神様がそれを強制的に消し去ろうとすれば簡単なんですね、いとも簡単に全部サッと消し去って幸せな状態にできるんです。
ところが、神様は自由を一番大切に感じています、自由を奪えば皆は奴隷なんです操り人形です、神様にはそれが一番嫌な事なんです。神様が自由の本体である限り、一人一人自由自在に最高の幸せを味わってほしいのです。
だから時間をかけてずーっと待ち続けて、(不明)の救済の神様をいっぱい送り込んで、さらに援助して待ち続けているんです。だから、ばち当てたいとか悪い事をしたからどうだこうだという事はないんです。
本当の自分に早く気付いて本当に幸せを味わってほしいというのが神様の願いなので、そのための方便は色々とってくださります。それも苦しみ少なく本当の自分の自覚が深まるように、最高の幸せが味わえ続けられるようにというのが神様の願いです。
強制的に力を振るうのだったら何でもできるんです。地球が滅ぶとか、大変な事が起こると言っても、その予言通りには絶対にならないですね。必ず、軽く軽く済むんです。その辺の事は高級な神様が強制力を使うんです。軽く済むように、苦しみ少なく早く気付くようにという表現を使ってくださいます。
予言はいろいろな段階がありますが、言うほど当たらなくなるんです。高いほうの予言は必ず実現してゆくんですが、それは完成に向かって必ずよくなるという予言ですよね。悪い事が起こるというのは低いほうの予言なのでそれは修正されてゆきますね。良い方によい方に修正されて行きますので心配は要りません。
無限の無限の幸せ
(注)
質問の内容がどうしても聞き取れません。
ありがとうございます:
宇宙の大神様が御一身存在するだけですけど、その分身としてそれぞれ意識の中心として与えられ、それを受けて、神様の御心を現すために生きているわけですよね、生かされているんですよね。
だから一人一人が神様である事は確かなんです。ただ、宇宙の大神様と一体かというと小さいですね、無限の中心を持った人がいて、それを全部自分の中に取り込んだら同じになるんですけど、なかなかそこまで行かないですよね。自分なりには無限の幸せを味わっても、皆の無限の幸せをも同時に味わうまでにはなかなかね、そこまで意識を高めようと思うと大変なんですよね。
自分の無限の幸せを・皆が持っている無限の幸せを全部ひっくるめて、自分の幸せにしたときに「無限の無限の幸せ」になります。その幸せ(無限の無限の幸せ)を神様は与え続けてくださっています。それを感じ取るのが「ありがとうございます」と唱え続ける事によって可能になってくるんです。
悟り
-ありがとうございます-
(注)録音が途中からになっています
ありがとうございます:
本当の自分は、一瞬一瞬に天照大御神様の全部を受け直して、無限に無限に輝いている自分なんです。そんな自分から見たら過去の残像・足跡なんか取るに足らないですね。
だから本当の悟りというのは、過去を放し捨てる事なんですね。新たに新たに生まれ変わった自分になる事なんです。過去に積み重ねたから「悟り」ではないんです、過去を全部捨てて捨てて捨て切って、放して放して放し切って初めて「悟っている自分」に戻るんです。
最初から悟っている自分・無限に無限に最初から輝いている自分があるんです。その自分に戻ればいいだけなんです。いかに過去の残像を掴むのをやめるか、ただそれだけなんです。
その方法が「ありがとうございます」と唱えることで、唱えていると、余計な思いもないし、心常に洗い清められていくので自然に「放せて」行くところが良いんですね。
-ありがとうございます-
経験に学ぶと言います。経験によって学び成長していくと思うんですが、その経験も手放し・必要ないことなんですか。
ありがとうございます:
本当はね、そうなんです。本当の自分から見ると知恵が湧けばいいだけなんです。神様からの無限の知恵が湧いてきたら、過去に何の経験体験がなくっても新しい事が全部解かるんです。
どんな発明発見もそうなんですよ、過去の積み重ねじゃないんです、新しいものの閃きなんです。知恵が湧くようになれば過去は必要なくなります。知恵の湧かない間は過去の良いものを組み合わせて何かを作ろうというところがあるんですよね。
でも捨てたほうが知恵は湧きやすいです。だから、本当のアイデアというのはボーっとしているときに湧きますね。
-ありがとうございます-
時間というものは何ですか。
ありがとうございます:
時間の捉え方も、過去の残像としての時間の捉え方と、いま神様が新しく創造された時間の捉え方とチョッと違うんですね。天地の初めは常に今を初めとする理あり、という日本の言葉が昔からありますよね。
今の一瞬が宇宙の始まりであり宇宙の終わりであり完成なんです。一瞬一瞬がそうなんです。地球が何億年前に生まれたというのは、残像としての捉え方の感覚です、歴史的な考え方というのはね。
神様の、一瞬に新たに現れる時間の感覚というのは、今というのが中心にあって、無限の過去と永遠の未来とを同時にもっている今という時間なんです。花が一輪咲いたという姿を目の前に出たときには、花の先祖が全部あるんです。子孫も全部あるんです。その全部をバックにしながら一輪の花が美しく咲いているという、そういう現れ方をするんです。一瞬一瞬が宇宙の始めと終わりを持った完成された表現が、一瞬一瞬新たにとられています。
命 が け
ありがとうございます:
真剣さというのはね、命がけということです、今の命と引き換えに神様から新しいものを頂くというのが、命がけなんです。いま自分の掴んでいる全部を捨てないと・放さないと、新しい最高の自分を受け損ないます。神様は与え続けるだけで、人間はそれを受けるのが役目なんですけど、受けるためには古いものを放さなければいけない。
それも、全体に対して与え尽くして放すんです、そして新たに受け直して、それを繰り返し繰り返し、呼吸と同じようにね、吐いては吸い吐いては吸いしている内に、神様との一体感が深まります。「ありがとうございます」というのは放すのと受けるのが同時にできている言葉なんです。
-ありがとうございます-
過去の経験や知識を捨てきれないというのは、「ありがとうございます」を唱えてみても新しいものを受ける能力がないんでしょうか。
ありがとうございます:
掴みすぎて放せてない、古いものを掴んで放してないから新しいものがまだ充分に入ってこれない。それを、神様からの預かり物・神様のものなんだというふうに、「神様」という言葉を使うと執着の心が消されます、軽くなって楽になって新しい受け直しができるんです。神様に心を向けることが大事なんです。「神様」とか「ありがとうございます」という言葉を使うと「掴み」が消されるので楽になるんです。
-ありがとうございます-
途中からの録音になっています、質問の内容は不明です
ありがとうございます:
・・・神様は人間を必要としてくださっている。神様の与えてくださる最高のものを全部受けて、それを現実化する・表現してほしい、それが神様の大きな幸せに繋がっています。神様が本当の喜びを味わうというのは、一人一人全部が最高の幸せを味わったときにできるのです。だから、真剣に生き続けてほしいんです。最高の幸せをいつも味わってほしいのです。そのために必要なものは神様は無限に無限に与え続けてくださっています。
ところが、人間のほうが受け方が下手というのか、受け損なって喜びを味わっていない。それは、真剣さが足りないんです。命がけになって、全てを捨てて全てを受け直す、そこまでいかないと、神様の与えてくださるものを受け損なうんです。神様の与えてくださるものが、あまりにも大き過ぎるんですね。
-ありがとうございます-
神様の思いを伝達する方法はないんですか。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」という命綱・祈り言葉によって、かろうじて神様の方から繋いでもらうんですね。「ありがとうございます」という言葉を使わなかったら、人間だけの力ではだめなんです。天に昇るわけにもいかないし、神様と一体化することもできないし。神様の方から命綱でくくりつけて引っ張り揚げてもらう、そういうやり方でないと神様と一体化することはできません。
命綱である「ありがとうございます」というのもね、神様の方から唱えさせてくださっているんです。というか、神様が降りてきて唱えてくださっているんです。自分が唱えてはいないんです。神様の方から唱えてくださっているのを、自分が唱えているように思うんですけど、命綱をしっかりくくりつけて引っ張り戻してくださるんです。それが「ありがとうございます」という祈りなんです。
・・(注)途中がぬけています・・
自分の努力じゃないんです、時期がきて、神様に助け起こしてもらって、ああ、ありがたいなと唱えるのが「ありがとうございます」なんです。何回唱えたかというのは自分の努力ではなく、それだけ回数多く助けに降りてきてくださったという確認なんです。これでもかこれでもかと一億回以上も助けに降りてきてくださったのです。そこまで神様の愛は大きく深いんですね。
私は、二十歳のころから命がけでお祈りしはじめました。自分の命をまず神様に全部捧げたんです。全部ね、もう何もかもね、何もいりませんという形で。全て神様に捧げ尽くしてそれが可能になってきたんです。
そしたら神様の方から、それだったら面倒見て助けてあげようというわけですよね。それでお祈りがさせてもらえるようになったと思うんです。だから、いったんは自分の全部を神様にお返しする決意が大事だと思います。・・ ・・(注)途中がぬけています・・全部お返ししたら無くなって損するんじゃないか、逆なんです。
-ありがとうございます-
サイババは、「川で洗濯をしていて、喉を乾かしている洗濯屋のようだ」と言われていますが、そのように、幸せになるためのものは全て用意されている事に気が付けば良いだけなんですよね。
ありがとうございます:
そうですね。気付けば良いだけなんです、無限に全ては備えられているんです。ところがひとつの事に執われたら、ほかの事を忘れて気付かなくなる。お金儲け、お金儲けといったら、大自然のこの景色も、空の星も気付かないですね。ひとつのことに心が向くと、それに縛られてしまうんですね、だから、何も思わない・願わない・自然体になると、全体が見えだすんです。
あの世 と この世
-ありがとうございます-
私の母は八十四歳で、現在入院治療中です。そろそろ寿命かなと思うんですが、治療のおかげで命をながらえています。こういう状況の中で寿命というのが解らなくなりました。寿命とは何ですか。
ありがとうございます:
寿命はあらかじめ決まっています。第一・第二・第三くらいに分かれて定められています。寿命が尽きる時というのは魂が肉体を抜けたときです。肉体が延命治療を受けて生きてても、魂が抜けたら死んでるんです。
魂が抜けたら肉体は、魂の自分としてはもういらない。ただ、それ(肉体)にチョッと癖が残っていて、生きているふりを残像としてとっています。でもどこか違うんです、魂があったらしっかりとした意識があってまともなんです、魂が抜けるとチョッとおかしいですね。見る人が見ればわかるんです。
肉体的に痛みや苦しみを味わうとかわいそうと思うことがありますが、魂の側から見ると逆なんです。この世で痛みや苦しみを味わっておくほうが、いろんなマイナスの思いを全部消してもらっているので、あの世へいったら楽になるんです。晩年病気で苦しんで、苦しみ続けているほうが魂のその人にとったら、あの世にいったら良いところへ楽なところにあがるんです。
それを、痛みをとるために楽にしてあげると、消すべきものが消されずに思いを背負って向こうへ行ってしまうので、それが本当に良いかどうかは別ですね。あの世でかえって苦しませる結果になるのかもしれないですね。だから、励まして励まして、痛み苦しみを耐えさせてあげるほうが本当の幸せを早く掴むと思います。
・・途中が抜けています・・
・・痛みを味わう事も大事なんです。必要なかったら病気にもならないし痛みも与えてくれないんです。死への勉強も必要ないんだったら神様は楽なほうを選ばせてくださるんです。
-ありがとうございます-
あの世で苦しむとはどういうことなんですか、例えば、地獄があるとか・・・・
ありがとうございます:
あの世とこの世の違いは、この世は思ったことが実現するのに時間のずれがあり、あの世は思ったことが瞬間すぐに実現します。マイナスの思いを出すとマイナスの姿がすぐに実現します。ある意味で怖いですね、プラスでいいことだけを思える人はすぐ実現して楽になります。コーヒーを飲みたいと思えばすぐに空中から出てきます。良い思いができる人はそうなんです。
ところがマイナスの悪い思いを出す人は、すぐにそれが実現してくるから反省の時間も何も無い。こん畜生と思ったら、人を殺している。瞬間に殺している。そうすると、改めて何か良い事しようと思ってもなかなかできませんね。次から次へと悪い事をし続けてしまいます。それだと困るので、この世という勉強の場が与えられているんです。
寿命を限って、この時間だけこの世で勉強してきなさい(という)心の勉強なんです。いいことプラスのことを思う勉強なんです。マイナスを心から放して、プラスのいいことだけを思う練習を積み重ねると、あの世でいい世界で自由に生きられるんです。その一番良いのが「ありがとうございます」という祈りの習慣をつけることなんです。「ありがとうございます」を唱えたら、地獄に落ちていても瞬間にいいところへ上がってしまう、それだけの力があるんです。
-ありがとうございます-
プラスに考えなくちゃと思うんですが、もうここにこだわりがあるんです。こんな時どうしたらいいでしょうか。
ありがとうございます:
マイナスを相手にせずに、プラスの事だけを心に思うというのが良いんです。自分がプラスに思えることから先に、明るくプラスに思えることに心を向け続けて、プラス思考の心を作ることが大事なんです。
ありがとうございます
AR143 2003年9月20日01[神さまをバックにする] 波長の合った分しか受け取れない
ありがとうございます:
神さまの護りはいつも無限に無限に降り注いでいるんですよね。ただ、人の側がどれだけ受け取れるかという違いがあるだけでね。心の波長の合った分しか受けられないんです、神さまの護りもね。だから、番組毎に神さまの護りもぜんぶ違うわけで、一番高い番組は無限に無限に大きい護りよね。一番低い番組は小さい護りよね。だから、どの番組に波長を合わすかによって、護りの受け方が違ってくるだけね。でも、神さまの与えているのは無限の無限の護りをズーッと与え続けてるわけで、人の受け方さえ変わればいいのね。
一番大きい護りを受ける方法は、どういう生き方かというのが大事なんですね。最高番組、一番高い番組は極楽世界ですね。これは、一切の報いを求めないで与え尽す生き方をとるところなんですね。だから、与えて与えて与え尽せばいいね、それも一切の報いを求めないで与え尽すと、最高番組に波長が合って、一番大きい護りを受けやすいのね。
護りの要らない人は、一番下の番組に心の波長を合わせばいいね。それは、奪って奪って奪い尽せばいい。そしたら、みんなから奪われて奪われて奪われて、幸せが無くなっていくわけね。 だから、一番下と一番上の間には、無限の無限のチャンネルがあるから、無限の無限の違いが生まれてくるのね。 この世も同じなんですよ。この世もあの世の縮図として一つの番組ですけど、無限に別れたチャンネルになってるわけね。 だから、与える生き方をとる人は、たくさん与えられて護りも大きいね。奪う生き方をとる人は奪われて護りが小さくなってるね。この世でも大きい違いがあるのね。
「神さまへの奉仕」というのが一番神さまへ波長を合わせやすいでしょう。神さまに報いを求める必要がないもんね。既に無限の無限の幸せ一杯にしてもらってるから、恩返しの心で奉仕するというのは、一切の報いを求めないでできるんですね。喜んで喜んで、無報酬で報いを求めないで与え尽す生き方をとりやすいですよね。だから「神さまのお手伝い」というのが一番いいのね。
思いの心を消すと奇跡が連続する
本当は、神さまは無限の無限の幸せを一杯与えたいから、無限の無限の護りを本当は降り注がせて護ろうとしてるのよね。ただ、人の側が受け取らないのよ、拒絶してね。だから「思い通りに生きよう」という生き方は駄目ね。「思い通りに生きよう」というのは、求める心ね。自分の好きなように、自分の願い通りにしようとするのね。求める心を生きてるから、奪う心よね。 ちょっと求めるぐらいだったら、ちょっとまた求められて、という感じでマイナスは少ないんですけど、大きく求めたら大きいマイナスが出てくるね。
だから、思いの心を溜めてると、どうしても五欲の心・求める心が強くなるので、思いを早く少なくしていかないと、消していかないといけないですね。思いが少なくなったら求める心が少なくなるね。だから、感謝行をすることによって、神さまの光を受けて思いを早く消してもらうのがいいね。
また「神さまのお手伝い」という形をとって、思いを神さまに預けると、預けた分をゴソッと消してくれるから、早く思いが消えていくね。そうすると番組というのが、思いの番組じゃなしに感謝の番組に変わったら、どんどんとプラスばっかしの番組になるね。そうすると、護りが大きい姿でいつも現われてくるね。 奇跡が連続する、毎日毎日が、一瞬一瞬が奇跡の連続というぐらいが本当よね。
与え尽くす生き方は必ず幸せになる
「宇宙の法則」というのは、えこひいきがないのでね、もう厳然としてるのね。与えたら与え返されるのね、奪ったら奪われるのね。 だから、思いの心に陥ったらどうしても奪う生き方をとるね、人の自由を奪ってしまうのね。だから、思いの奴隷になったら駄目ね、思いを消そうとしないとね。思いを消そうという立場は、感謝の心の自分よね。でも、思いがいっぱい溜まったら負けてしまうわね。思いの重みに負けてしまって奴隷のようになってしまうから。 でもね「思い」というのは過去の借金なんよね「借り」なの。与えた以上にいろいろもらったり奪ったりした分が借りになるから、その分が思いとして心に蓄積されるのね。
感謝のほうは与える心なのね、奉仕の心だから、どんどん貯金が増える、借りじゃない貸しが増えるのね。どちらも利息が付くのよ。借りにも利息が付く、貸しのほうの貯金にも利息が付くのね。 その利息の付き方は、また段階によっていろいろあるわけね。 ちょっと求めるぐらいだったら、その借金の利息も軽い、小さい利息で済むのね。 でも、無理に奪ったような姿をとると、高利の利息が付くね。思いでも、どんどん増えていくのよね。 貸しのほうも同じで、貯金のほうも、本当に一切の報いを求めないで与え尽す心だったら、高利の利息が付く、どんどん貯金が増えるね。 だから「与え尽す生き方」って大事よね。絶対損はしないのよ、必ず幸せになる、善くなるのね。
思いの心で与えても無理がくる
これも「与える生き方をとろう」と思って、思いの心で考えても無理なんよ。思いの心が溜まった状態で与えようとしても無理なのね。無理がくるでしょう、できないね。感謝の心に戻してもらってはじめて与える心が自然に出てくる、自然にそれができるのよね。だから、先ず一番大事なところというのは「感謝行」よ。「ありがとうございます」って心に唱えて神さまを呼ぶことね。一回でも呼んだら神さまの助けが入ってくる、そしたら思いを消してもらうね。
その神さまの大きい働きというのが凄いのよね。自分が努力してする働きじゃちっぽけなものよね。一回神さまを呼ぶ働きの方がはるかにはるかに大きいね。だから、思いを早く消してもらって、自然に感謝の心に戻ったら、与え尽す生き方しかとれなくなる。それも、人に何かを求めたり、期待したりすることがなくなるよね。「一瞬一瞬与え尽して喜ぶだけ」というのがいいね。
本物の奉仕活動
普通、世間で言うボランティアなんて浅いのよ。人にいろいろしてあげて、必ず報いを求めるのよね。「感謝してもらったから嬉しい」と言うのね。感謝してくれなかったら文句を言うのよ。ものすごい小さく浅いよ、段階がね。本当に与え尽すんだったら、神さまへの奉仕でないと駄目ね。神さまへの奉仕だったら、報いを求める必要は全然ないから、その時は中から喜びが湧きあがってくるね。「奉仕をさせてもらったことが喜び」というふうに変わるから、何も後は報いを求める必要がないよね。「奉仕をさせてもらって無限の幸せ」というふうになれるのよね。だから、奉仕することが喜び・幸せなんよね。そこまでいけば本物よね。神さまの護りがいつも無限に無限に大きくなってくるよね。だから、練習が要るでしょう、段階を追った練習というのが大事ね。
いろんな奉仕活動をするのでも、人に聞いてするのはまだ人に求めてるでしょう。「教えて」というふうに求めてるでしょう、ちょっと小さいのよ、損するね。自分のほうから、神さまの心をくみ取って、自発的に動くほうが求める心がないのね。「今、自分は何をさせてもらったらいいか」というのを、その神様の心をくみ取ってするのよね。そうすると、神さまの護りが大きくなってくるね。 神さまのほうはいつも助けにスッと入りたいから、気持ちさえしっかり整えてくれたらスッと助けに入るね。そして必要なことをスッとわからせるの。スッと気づきを与えてくると、自分にも理解できてわかるのよね。
責任を持つ事が大切
ただ、これには「責任感」というのが必要なのね「今、自分は何を対して責任を持とうとしてるか」よね。 例えば、地球の平和を護るために、自分が全責任をとるというと、地球を平和にするための大きい知恵も力も湧いてくるの。神さまがそれだけの知恵も力も授けてくるから、必ずそれができるのね。 でも、小さいことだったら小さいことだけの力しか湧いてこないよ。でも、責任をとろうとした分は必ず神さまは力を添えてくるの。波長が合うわけよね、神さまは全てに全責任をとろうとするからね。責任をとろうとする心は神さまに波長を合わせることになるね。だから、必ず神さまの力が湧いてくるよね。
例えば、家でお母さんが家族の食事を作ろうという場合があるでしょう。これは責任を持ってしてるのでしょう。だから、食事を作るための知恵も力もぜんぶ出てくるのでしょう。自然にそれが実行できるのね、させてもらえるのね。でも、小さい子供がいてて、責任感がなかったら作れないじゃない。その小さい子でも、お母さんが例えば病気になって、食事は誰も作れないから自分が作らなきゃならないと思ったら作るよ。子供に力があるんじゃなしに、神さまが能力を授けてくるから、力を添えてくるから。先ず守護霊さんなんかが中へ入って働いてくれると、普段の子供にはできないことができるのね。だから、責任のある立場に自分を置いたら、助けてもらえるのね。
責任を持つと必ずできる
本当は、人って何でもできるのよ「できない、できない」と言うだけでできるのみんな、誰でもできるのよね。ただ、責任を持ってしようとするかどうかね、そこで神さまの助けが入るかどうかが決まるわけでね。自分の今の力でしようとしたら駄目ね「神様の力で全部させてもらう」という謙虚さが要るのね。そしたら、今の、過去の自分に能力がなくても大丈夫なのね。どんなことでもさせてもらえる、できるのね。本当に追い詰められて、「自分がこれをするしかない」というふうに追い詰められた状態だったら、責任を持つよね、その時は必ずできるよね。
過去の歴史を見てもそうよね。新しい生き方を切り開いた人は全部そうよね、追い詰められてしてるのよ。 発明・発見もそうよね「絶対これが必要なんだ」というぎりぎりのところで、発明・発見って出てくるよね。ある意味では、いい意味で追い詰められたほうがいいでしょう。 「いつまでに、これだけのものを責任を持ってするんだ」というふうにすると、実現するし、早いね。自分が無理をしてすると楽しくないよね。でもね、神さまの助けが入ってさせてもらったら楽しいの。ものすごく楽で喜べるのよね。不思議なくらい、気持ちがスカッとして、喜びが湧きあがってくるね。神さまにさせてもらった時はそうよね。 だから、いろんな仕事をさせてもらう時には「ありがとうございます」を唱えながらすると凄いのがよくわかるでしょう。神さまが入ってきて助けてくれてさせてくれてるからよね。文句言いながらしたら駄目よね、はははは、神さまの助けを拒絶してやってるからね。神さまの助けが入らないと、やっぱり喜べないよね。だから、一瞬一瞬「ありがとうございます」を唱えながらさせてもらうのが一番楽よね。
神さまをバックにする
過去を掴んだ自分というのは思いの心になりやすいのよね。思いの心になると、どうしても感謝の心を忘れるのね。「もう、これだけしてきた」というだけで、もう感謝を忘れるから、神さまの助けを小さくしてしまうね。 だから、一瞬一瞬を楽しむのがいいね「一瞬だけ楽しむ」という仕事のやり方が一番いいのよね。そうすると神さまの助けが大きく入るからね。 病気でも、怪我でも一瞬に治るぐらいの大きい助けがあるわね。だから「過去を放す」というのがいいね。
極楽番組は過去を一切掴まないのね、今の一瞬一瞬しか生きないから、時間を無限に小さく絞り込んでるから、幸せな空間が無限に大きく広がってるのよね。だから、もう幸せだけが連続するんだけど。過去を掴んだら、地獄がそうでしょう、無限の過去まで掴むのよ。恨んで恨んで恨み抜くという、恨みなんてそうよね、末代まで祟ってやるというような感じでしょう。米粒の数ぐらい代々祟ってやるというのだったら、無限の年月を祟ろうとするのよ。時間を無限に広げるから、だから空間が狭まって幸せなものが少なくなってしまう世界よね。だから、過去を掴まないほうがいいのよね、今の一瞬を新たに新たに受け直すと、時間が無限に小さく絞り込まれるから、必ず幸せな空間が広がるのね。だから、一瞬一瞬を楽しめたら最高になってくるね。
大抵、疲れる時は、過去を掴んだから言うのよね。「これだけしてきたから」というと、もうそれだけで疲れちゃうよ。今、初めてしたんだったら疲れないよ「まだ一秒しか経ってない」って。まあ、結論からいうと、神さまはいつも守りに護ってくださってるよね。もう、常にバックに神さまがついているんだけど、ただ、その護りが受けられるかどうかが自分の心境次第、波長の合わせ方一つなのね。だから、感謝に生きて、奉仕に生きて、神さまのお手伝いをすればいいよね。そしたら、無限の無限の護りがいっぱい降り注ぐのね、いつも受けられるから、神さまをバックにできるのよね。そしたら、何か質問をしてください。
質 疑 応 答
プレゼントの意味が解らない
質問:
こういうプレゼントをいただいたのですが。ちょっと意味がわからないのです、何を書かせられたのかなと思うのですけど。
あいがとうございます:
あまり大したことはないね、これね。練習よね、だから、段階毎にいろんな練習をさせてくるから、自分の能力を高めるためにね。最後に、本当に必要なことをちゃんと書かせてくるよね。最初から完璧には書けないのよね、まだまだ練習段階よ、それね。段々といいものを生み出してくれると思うけど。
仕事が上手くいかないのは
質問:
今、世の中が不況の中で、仕事が上手く行かないというのは、神さまの助けが少ないからか、自分の感謝が少ないからでしょうか。
ありがとうございます:
みんなお金儲けのために生きてるでしょう。タダの仕事をしようとしないわね、それでマイナスを増やすのね。求める心ばっかり生きてるでしょう。本当はタダで与え尽せばいいよね、タダで働いたら極楽世界になるのにね。ところが、働かないでお金を儲けようとするでしょう、求めるばっかしね。そうしたら仕事もなくなるし、助けもなくなるし、どんどん困ってくるのよね。 本当は、もう、タダで働いたらいいだけなんよ。タダの働きは無限にあるじゃない、人を幸せにする働きは無限にいっぱいあるじゃない、なんでもできるよね。一日二十四時間働いてもいいのよ。
「仕事は無い」という人は、それぐらいあるのよ。仕事はいっぱいあるのよね。だから、働く人が増えたら景気がよくなるの、働かない人が多いから不景気なんよ。お金にならないからって働かなかったらジーッとしてるだけでしょう。働く人がどんどん減って世の中が不景気になるよ。でも、タダでも働く人ばっかりだったら景気は良くなるよ。だから、ボランティア的にみんなタダで働けばいいのにね。そしたら、みんなタダでもらえるのよ、なんでも必要なものはね。タダで与え合うのが極楽世界なんよ。無償で必要なものを与え尽くし合うというふうに、お互いに与え合えば、本当の極楽世界よね。だから、自分のできることで人の幸せにつながることは何でもタダで一所懸命していると、その人の周りはそういう人ばっかりが集まるから、みんなが助けてくれるから、困ることは絶対ないけどね。
思いを神さまに預ける
質問:
「思いを神さまに預ける」というのはどういうことですか。
ありがとうございます:
「思いを預ける」というのは、「神さまのお役に立ちたい・神さまのお手伝いがしたい」という気持ちで何かをすると、神さまがそれを受け取ってくれた時に、思いが一緒についていくのね。そして神さまが思いを引き受けて消してくださるのね。「思いだけ取って」と言っても無理なんよね。大体、自分が考えたらわかるのね。マイナスを人に与えて受け取ってくれるかと考えたら、受け取ってくれないでしょう、返されてくるよね。自分も同じだと思うね、人がマイナスだけを与えてきたら拒絶するかもしれないでしょう。だから、受け取ってもらえるようにしないといけないね。自分も「神さまのために」という気持ちでいいものを与えようとするのね、お手伝いをしようとするのね。そうすると、自分の持ってるものがそのままスッとついていくから、思いも同時についていって、神さまが一緒に受けてくれるのよね。それで、思いを消してくれるのね。
だから、受け取ってもらう方法を考えないといけないね。例えば、自分で「これが毒饅頭」だとわかってて「どうぞ」とは言わないでしょう、絶対ね。自分も人からわかっててもらうわけにはいかんわね「要らない」って言うわね。でも、自分がそれを「毒饅頭」だと知らなかったら「これは美味しい饅頭なんだ」と思ってしている分は受け取ってくれるでしょう。神さまだったらどっちでもわかるのよ。思いのついたものは毒饅頭に違いないけど。その「いいものを与えよう」という気持ちが嬉しいのね、神さまはね。だから、毒饅頭でも受けて消してくれるの、思いを消してもらえるのね。でも、わかってたら、毒饅頭は渡せないよね、隠してしまうから、与えようとしないね。その辺の気持ちの違いなんよね。だから「ちょっとでも神さまのお役に立ちたい・お手伝いしたい」という気持ちがちょっとあればいいのね。そして、感謝の心がちょっとあればいいの。もうそれだけで神さまは引き受けてくれるのね。
でも「自分がマイナスの思いがいっぱいあるから、神さまに迷惑を掛けるから、渡したくない」というのは、また間違いなんよ。神さまに預けないと消えないね。益々思いを大きくして自分が苦しんで、みんなにも迷惑を掛けるのね。神さまでないと消してくれないのね、消す力はないのね。だから、自分がマイナスをいっぱい持ってたら、周りにマイナスを撒き散らすから、自分だけの問題じゃない、周りが迷惑するの。だから、早く自分の思いを消してもらわないとね。普通は、自分の思いを周りに撒き散らしてるのよ、伝染病を撒き散らすより悪いの、毒ガスを撒き散らすより悪いことをしてるの。だから、その周りへの迷惑を早くストップをかけないとね。だから、早く神さまに預けないといけないね。早く預けるほど周りの人が早く幸せになる。だから、遠慮なく預けないとね。神さまに預けるのまで遠慮する人があるのよ、偶にね。これは駄目なんよね、人に迷惑の掛けっぱなしになってしまうでしょう、みんなを不幸に陥れてしまうから、良くないのね。
神さまに対してはどんな大きいマイナスでも預けないといけない、みんなの幸せのために。自分の幸せは後回しでもいいけど、みんなを幸せにするためには、自分のマイナスや思いを全部神さまに預けないとね。そうしたら預けやすいでしょう「みんなのために」と言えばね。「自分だけのために」だったら「神さまにも迷惑を掛けたくない」って、自分独りで我慢しようとするのね。そうすると、いつまでも思いが消えないから、自分だけでは終わらない。周りにも不幸を撒き散らすような感じになるね。遠慮なく預けるのよ。「ありがとうございます」って言えばいいのよ、本当はね。これで預けてることになるし、またちょっとでも神さまのお手伝いをすれば、大きく預けることになるね。
「浄・清」めは必要なのか
質問:
場を「浄・清」めるグッズなどいろいろあります。まだそういうものが必要な時代なのでしょうか。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」だけでいいよね、何も要らないね。そういうのに頼ると、また根本を見失うのよ。本当の神さまの助けを見失ってしまうからね。もう既に神さまの護りは無限に無限に降り注いでるよね、それを受け入れたらいいだけだから。「ありがとうございます」と言えば、もう「浄・清」めるも「浄・清」めないもいいわね、「浄・清」まった姿がサッと下りるでしょう。それも大きく全体として下りてくるから、小さい部分を「浄・清」めるんじゃないのね。だから、番組を低く下げたら駄目よね。先ず、古い汚れた場を掴んでしまうでしょうそれを「浄・清」めようとすると過去の話よね。過去を掴めば掴むほど番組を下げていくから、しんどい目をするね。だから「ありがとうございます」一言で大丈夫よ。
質問者:
ご先祖様を「浄・清」めるということを言いますが。それも、ご先祖様に「ありがとうございます」でよろしいのでしょうか。
ありがとうございます:
そうよ。高い番組のご先祖様はみんな悟って、自分を守りに護ってくれてる姿をとるのね。感謝行があれば無限の護りをご先祖様からいただけるのよね。でも、感謝を忘れたら途端に低い番組のご先祖様でしょう。マイナスの多いご先祖様を自分が勝手に掴んでしまうのね。迷惑よ、ご先祖様はね。
質問者:
でも、低い波動にいる人を上にあげるということは不可能なのですか。それでよく「浄・清」めたほうがいいということをよく聞くのですが。
ありがとうございます:
それは、とらえ方が中途半端なのね。自分の選んだ番組は自分だけの世界なんよね、周り全体が自分の選んだ番組だから、その中の番組の姿を変えようとしても無理なの。その番組自体は変えようがないの。自分の番組合わせさえ変わったら、いい姿が番組が変わって出てくるだけでね。肉体の自分から見て、周りの人を「自分と別個」と見てるのでしょう。違うよ、自分の見てるこの世界が自分の番組なの。大きくとらえないといけないね、そうでないとわからなくなるね。
確認のお祈りが必要
司会者:
七つの確認の「ありがとうございます」がありますが、何故、確認のお祈りが必要なのかということをお話ください。
ありがとうございます:
感謝行(かんしゃぎょう)っていうのは、やっぱり確認だけよ。既に神さまから与えられ済みのものに気づいて確認するだけよね、感謝というのはね。感謝のお祈りは確認していくだけが本当の働きね。その確認をして気づくのが、まだまだ小さいのね。それをどこまでもどこもでも大きく深く深くしていくの、行き止まりはないの。どこまでも大きく、どこまでも深くなるのね。 神さまの全体を掴むというのは難しいね。掴んだと思っても掴めてないからね。それも、新たに新たに出てくる神さまの姿は、過去の姿よりもはるかに良くなって出てくるから「過去の一瞬ぜんぶ掴んだ」と思っても、次の一瞬に何も掴まなかったら何も無いよね。 だから、「これ以上の掴み方はない」という掴み方はないよね。もう、足らない、全然ね。新たに新たに出てくる姿のほうが、もっともっと凄いから、どこまでもどこまでも確認を大きく深くしていかないといけないね。七つの確認というのも仮に書いているけど、まだまだ他にいっぱいあるわね。
司会者:
何か質問はありませんか。
ありがとうございます:
奉仕してお祈りをしたら、もう全部消えてしまうのね、思いがね。答えが出てくるでしょう、先にね。私が質問したほうがいいのよね、はははは。
感謝している自分が必要に応じて降りてきている
質問:
ありがとうございますは感謝行を始めて何十年にもなられるのですが、なさろうと思われたきっかけと、神様を感じるには、感謝が必要だということはどういうことか教えてください。
ありがとうございます:
私が今までいろいろ体験談を話するのは、みんなに合わせてさせてもらうのですけど、本当は逆なんよね。宇宙いっぱいの私が先にいてて、その自分が合わせて下りてきたの。だから、最初から無限の無限の感謝をしている自分があったのね。その自覚はあるの。だから、三歳の時から感謝ができてたの、生まれた時から。今はもっともっと感謝の深い自分の意識で、天地を貫く光の柱になって下りてるけどね。だから、肉体は一つの道具みたいなものだけど。だから、肉体の自分として生まれて修行してないの、私は全然ね。最初から感謝してたの。だから、いろんな出会いも別に自然にさらさら流れるような感じでしか見てないし、修行も勉強もしてないね、私の場合はね。
ただ、感謝行は奥からズーッと響いてきてて「させられてた」という感覚よね、肉体の自分としてはね。だから、いろんな苦労が苦労に感じなかった、全然ね、ありがたいばっかしだった。どんな苦労も苦労になってないね、苦労に感じないね。もうありがたいばっかしの気持ちでズーッと今まで来てるから、それも感謝の心でそういうふうにしてもらったんだと思うね。 皆さんも同じなんだけどね、奥の自分から出発したほうがいいよ。肉体の自分を掴みすぎると思いの心になるからね。だから、悟った自分があるの、元々ね。その自分が必要に応じて下りてきてるという感覚ね。それも「本心の悟った自分が一瞬一瞬下りてる」という感覚でもう一回自分を見つめるほうがいいよね。そうすると、ガラッと考え方が変わってくるね。 「感謝しよう」じゃなしに「感謝している自分が降りてきてる」ということね。ということで、本当の話をしてください。
思いの心の強い人
ありがとうございます:
思いの心の強い人に本当のことを言ったら反発するだけなんよ。だから、方便を使うのね。方便というのは、方向付けを順番に変えていくのね、そして本物へ心を向き変えて行くんだけど。最初から本物へ向けさせたら必ず反発するの、拒絶するのね。だから、どんな教えも方便よ。だから、本当のことを言ってわかってくれる人には、本当のことが飛び出してくるの。みんなが引っ張り出したのよ。みんなも、悟った自分から出発してるのよ。隠してたわけじゃないよ、今まで、はははは。私が隠したのと違うね、みんなが隠したのよ。
本物とは
質問:
本物というものはどういうものなのですか。
ありがとうございます:
本物というのは神さまだけね。本物って、神さまが本物ね。神さまがみんなの中に直接輝いて現われてくる。だから、神さまだけになるのね。気づきが増えて、神さまが出て輝くだけね。
魂が高いというのは
質問:
最近の子供さんはすごく魂が高いということですが。
ありがとうございます:
でもね、魂が高いというレベルでは低いの、魂が消えないとね。魂が消えて本心の自分が輝かないと、命の自分が本当に輝かないとね。神さまだけが出てこないとね。魂のレベルで比較してもドングリの背比べね。神さまがバッと下りて本物になるのね。
親王祭の写真
質問:
ここに来られる方は気づきが早いようですが。
ありがとうございます:
気づいた人が確認に来るの。みんな悟った人が来るだけ。昨日ね、笑顔教室の野坂先生が来られて、親王際の写真を持って来られたのね。光の玉がいっぱい映ってるのだけど、その中のを詳しく見たら、天照大御神様が水の結晶の姿をとってるね。同じような姿をとってるのね、天照大御神様のみしるし水の結晶の写真があるでしょう。ああいう形が一つ一つの玉に全部入ってるのね。光だけとかボーッとしているんじゃなしにね、そういう形が出てる写真が撮れてるの、何枚かね。ああ、凄いなあって‥‥、みんな天照大御神様よ、天照大御神様が下りてきてるのね、みんなの中にね。いろんな神様の中にも下りてるのね、大勢の神様が現われたのね。その神様が天照大御神様の姿をとってるって、凄いでしょう。「みんな天照大御神様」という姿を象徴的に見せてくるのね。本物の時代はそうよね。
「ありがとう村」
司会者:
「ありがとう村」についてお話していただきましょうか。
ありがとうございます:
ありがとう村はどこにあるんでしょうか、不思議ね、どこにあるんでしょうね。誰がつけたんですか、こんな名前を。(笑)「村」というのは‘群がる’という意味よね「自然に群がる」という、集まってくるだけよね。「ありがとうございます」って感謝の心で集まってくるから村になってるだけでね。ここは何もないのよね、組織も何もないから、自由自在に出入りしてるね。感謝の心の人が自然に集まって、それでできたのかもしれないけどね「村」が、群がってるって。
司会者:
ありがとうございますは冗談を言われるのが好きなんです。――
ありがとうございます:
冗談の好きな人が大勢きてくれると、ほんとに冗談が飛び出すんですけど・・・・。
真剣かどうか解りにくい
質問:
お祈りを自分でしているのですが。楽しく暮らしていると、真剣さというのがちょっとできているのかわかりにくいのです。感謝の心が膨らんでいかないと届かないのでしょうか。
ありがとうございます:
「神さまと出会いたい」という真剣さね、神さまってより新たな姿で出てくるでしょう。だから、過去の姿をできるだけ早くお返しすればいいよね。「真剣さ」というのは「命懸け」とも言うのね。命を神さまにお返しするのよね、本当の意味でね。「今の一瞬、一瞬一瞬命をお返しして新たに受け直そう」というのがいいのね。無限分の一秒まで絞り込んだら、より新しい神さまとの出会いになるでしょう。 神さまの出会いというのは、より新しい姿と出会うことなのね。そういう意味だったら、過去を掴んでいると、それがおろそかになってるわね。だから、一つに番組にのめり込んで、そこで止まったら新しい受け直しを忘れるね。そういう時もいいのだけど、でも、より新しい神さまとの出会いの方がいいね。「天照大御神様との対面」というのが一番幸せなんだけど。過去を放せるのがいいよね。 先に「ありがとうございます」で「この世の姿も新たな姿」という受け方よね。一瞬だけをとらえるのがいいね。もう「一瞬新たな姿」というとらえ方が真剣な生き方なのね。
質問者:
世の中にいろんなことが起きていますが、そういうことも自分の真剣さの材料になるのですか。
ありがとうございます
:
いえ、それは過去を掴んだ姿になるからね。現実のいろんな姿を掴んだら真剣さがなくなるから、神さまだけを相手にするのね。「無限の輝きが無限に無限に一杯!」というぐらいの気持ちをズーッと持続させた方がいいね。「この世なんかは無いんだ」というぐらいがいいね、はははは。これは極端だけど「この世なんかは眼中にない」というぐらいがいいね。「もっともっと無限に輝いた宇宙があるんだ」というぐらいね。
現実への感謝と本物の感謝
質問:
お祈りをしてますと、いろんなものに「ありがとうございます」という気持ちが出てくるのです。全てのものに、自分の体にもいろんなものに「ありがとうございます」と言うのでしょうか。
ありがとうございます:
それもいいのだけど、ただ、それは現実への感謝でしょう、まだ神さまへの感謝じゃないね。過去の残像、足跡への感謝なのね、現実への感謝はね。本当の感謝は、神さまへの感謝にまでなった方がいいよね。だから、現実を放して「無限に無限に輝いている」という受け方ね。「全てが無限に無限に輝いている」という受け方だったら本物よね。単なる現実へのお礼じゃ小さいのね。本当の神さまへの感謝・お礼よね。だから「無限に無限に輝いている!」という姿で感謝するのね。その方がいいのね。
質問者:
それは、一瞬一瞬が輝いているということですか。
ありがとうございます:
そうそう、一瞬一瞬でないとね。過去を掴んだら過去を掴んだだけで‥‥
質問者:
過去を見ないで一瞬一瞬
ありがとうございます:
そうそう、今の一瞬の中に、全ての時間のある一瞬よ。過去・現在・未来を中に持った一瞬をとらえるのね。だから、新たな姿の中には、全ての時間があって、全ての空間があって、全部輝いているという感じね。
感謝の真祈り
質問:
本当のお祈り、感謝の真祈りというのは。
ありがとうございます:
感謝の真祈りは、神さまのお祈りなんよね。一瞬一瞬の新たな創造活動ね。「新たな全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」という、この連続を神さまの感謝の「真祈り」というのね。人はそれを受けるためのお祈りをするんだけど。神さまのお祈りが感謝の真祈りね。神さまのお祈りの中に融け込まないといけないね、本当のお祈りというのはね。受けるだけじゃないのね、神さまの中へ入り込んだら、神さまと一緒に祈って、それを受けて味わってる自分ね。もう一つ奥へ入って深くなるの。受けるだけではちょっとしか受けてないから、小さいの、まだね。神さまの中へ入るほど大きく受けられるようになる。 だから、祈って宇宙を創造する働きの中に参画するほうがいいのね。その方が受け方が大きくなるね。 受けるお祈りと、両方が必要なのよ。「感謝の真祈りの中に融け込む」というのが大事よね。
質問者:
受けるお祈りというのは、一日の中で時間を決めてした方がいいのでしょうか。
ありがとうございます:
いえいえ、二十四時間ずーっと、寝ても覚めても何をしてても。もう、一瞬一瞬よね。
参加者:
そうすると、過去は直ぐに忘れたほうがいいのですね。
ありがとうございます:
過去を掴んだら小さくなってしまってるもんね、大きく受け直しはできないね。だから、過去を相手にしないで、今、新たに大きく受けようとするのがいいのね。
参加者:
難しいですね、現実は。
ありがとうございます:
いやいや、幸せ一杯になる方がいいじゃない。線香花火を一つ見ているより、宇宙大の打ち上げ花火を見る方がいいじゃない。 過去を掴んだらそうよ、線香花火を見てるぐらいよ。でも、感謝の心で新たに受けるのは、宇宙大の打ち上げ花火がボーンと上がったらきれいな花火でしょう。そしたらどっちを見るか、いい方を見たほうがいいのよ。 だから「幸せ」というのも小さい幸せじゃ駄目なのね「無限の無限の幸せで一杯!」と言わないとね。大きく大きく受ける方がいいね。同じ感謝のお礼の「ありがとうございます」であっても、大きく受けて言う方がいいのよ。実感があるじゃない、真実味が加わってくるね。神さまは喜んでくれる。 ちょっともらって「ありがとうございます」を言ったって、神さまは「なんだ、馬鹿にするな」って言う、はははは。だから、先にたくさん受けておいて「ありがとうございます」と言えば、本当の感謝が神さまに通じるのね。だから「無限の無限の幸せで一杯!ありがとうございます」と言う方がいいよね。それも確認よ、確認をしていくの、言葉で確認すればいいね。
ありがとうございます。
ar83宗教の必要性2000.7.1
【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】
ありがとうございます:
どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。
本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。
それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。
これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。
供養
【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】
ありがとうございます:
そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。
お仏壇へのお参り・お花の向き
【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】
ありがとうございます:
そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。
【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】
ありがとうございます:
全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。
【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:
そうね。はい。
【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】
ありがとうございます:
うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。
何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?
【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】
ありがとうございます:
昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。
そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。
何故?断食を・断食の様子
【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】
ありがとうございます:
そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。
【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】
ありがとうございます:
思いっきりでもないですけど、はははは。
【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】
ありがとうございます:
不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。
【百日やって、神様を試されたんですか?】
ありがとうございます:
神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。
本当の祈りとは
【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】
ありがとうございます:
祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。
【受ける為にはどうすればいいんですか?】
ありがとうございます:
だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。
【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】
ありがとうございます:
その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。
周囲の人もチャンネルが上がる
【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】
ありがとうございます:
そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。
今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。
【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】
ありがとうございます:
そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。
【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】
ありがとうございます:
それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。
大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数
【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】
ありがとうございます:
それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。
【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】
ありがとうございます:
いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。
また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。
【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】
ありがとうございます
そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。
【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】
ありがとうございます:
そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。
【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】
ありがとうございます:
いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。
【それが解ればもうね、はい、わかりました。】
「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」
【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】
ありがとうございます:
そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。
「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。
だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。
【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】
ありがとうございます:
そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。
【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】
ありがとうございます:
もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。
【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】
ありがとうございます:
だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。
「池田小学校の事件」の受け入れ方
【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】
ありがとうございます:
人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。
本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。
そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。
【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】
ありがとうございます:
当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。
世界の中心は誰か
【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】
ありがとうございます:
そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。
天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。
中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。
古くからの因習
【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】
ありがとうございます:
善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。
どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。
神の怒り・悲しみ
【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】
ありがとうございます:
番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。
【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】
ありがとうございます:
神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。
【悲しみもないんでしょうか?】
ありがとうございます:
うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね
台風の意味
【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】
ありがとうございます:
台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。
「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。
超能力
【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】
ありがとうございます:
超能力もピンからキリまであるのよね。
【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】
ありがとうございます:
これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。
子育てのポイント
【子育てのポイントを教えて下さい。】
ありがとうございます:
子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。
ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。
本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。
チャンネル選びの自由
【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】
ありがとうございます:
そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。
【だって、選ぶことでさえもこう…。】
ありがとうございます:
決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。
【自由に変わるんですか?】
ありがとうございます:
一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。
【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】
ありがとうございます:
番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。
【それはいつでも可能なんですか?】
ありがとうございます:
いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。
【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】
【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】
ありがとうございます:
無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。
【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】
ありがとうございます:
違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。
【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい)
ひとりづつ別々に?】
ありがとうございます:
そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。
【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】
ありがとうございます:
自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。
チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり
【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】
ありがとうございます:
心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。
守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。
その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。
【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】
ありがとうございます:
そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。
【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】
ありがとうございます:
ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。
【威張っていいんですね。】
ありがとうございます
はい。あっはははは。
【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】
ありがとうございます:
人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。
ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.