ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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 「感謝の心」と「思いの心」


ありがとうございます:
 ありがとうございます。もう皆さんご存知でしょう。
「感謝の心」と「思いの心」この違いは、いろんな立場から違いがわかると思うんですけど。
先ず、どこを中心に置くかというので、神さまを中心に置くと感謝になるのね、自分を中心に思いになるんですね。そして、神さまは常に「全体を調和させる働き」ですよね。
 でも「自分」というのを中心に置くと「我が侭(わがまま)」になる、全体のことはそっちのけですもんね。
 「感謝の心」というのは、常に神さまから与えられた心ですね、新しい心。
 「思いの心」は、感謝の心が時間が経って古くなった心ね。
 神さまから新たに新たに受け直さないと、感謝の心がなくなって、思いの心に変化してしまう。
 新しい方がいいでしょう、なんでもね。古くなると、やっぱりプラスが消えてマイナスになるんですよね、なんでもね。神さまの与えてくる無限の無限のチャンネルの番組も上ほど新しい、古くなるほど番組が下へ下へ下がってくる。極楽が一番新しい番組なんですね、地獄が一番古い番組にあたるの。
 だから「感謝」というのは、自分がいつも努力しないと、というのは、新たに新たに受け直そうとしないと感謝ってできないですね。


 感謝は前向きな努力、惰性は思いに変化

 丁度、川の流れがありますよね、上流から川が流れてきますよね。上流へ遡(さかのぼ)ろうとしないと押し流されるんですよね。丁度、魚が川を上るように一所懸命上らないと、じっとしてたら流れに押し流されて下へ下へ落ちて行くんですね。感謝というのは前向きに努力しないとできないものですよね。
 「新たに新たに受け直そう」という気持ちで前に進まないといけないですね。でも、それを忘れてしまうと惰性に流されて、もう自然に思いの心に変化する。


 「感謝」は、いつも心が明るい


 「感謝」というのを漢字で書くと感じる、謝というのは「ゴンベンに射(い)る」って書くんですよね。
「ゴンベンに射る」というのは、言霊の放射というふうにとらえると、神さまは言霊によって宇宙の創造をされてますよね。一瞬一瞬新たな言霊の働きによって宇宙を創造されてるね。
 その言霊の放射は、丁度、光の放射のように常に新たに新たに宇宙に照り輝いてるわけですね。その光の放射を感じる取るという、これが「感謝」よね。
だから「感謝」というのは、いつも心が明るくなるね。


 思いの雲と光の世界

 「思い」の方は、空に浮かぶ雲のような働きの姿ですよね。地上に執着する、過去に執着してそこから湧きあがるような働きで出てくるのが、空に浮かぶ雲のような働きなんですね。
 雲にも大きく分けて二つの種類があるのね「白い雲と黒い雲」「薄雲と厚い雲」というような感じですけどね。思いがたくさん出てくるほど黒雲に変化するんですよね。ちょっとだけの思いのある間はまだいいんです、白雲というのは、そこに光がちょっと射し込んでるわけですね。だからプラスの状態があるんですけど、でも光と比べたら、いくら白雲といっても大したことないですね、光のほうがはるかに上なんですね。

 「光の世界」というのは透明感があるわけでしょう、どこまでも遠くが見えますよね、奥深くが見えるんですね、無限に視野が広がるんですけど。「思い」というのは雲のような状態で視野が狭くなりますね。
感謝の心を起こしているときは、いつも大きく全体を見通せるような感じになるのね、そしてまた奥深く深い深いところまで心が届くんですよね。
でも、思いの心は、やっぱり目の前しか見えない、それも浅くなってしまう。
だから、感謝の心で掴める幸せと、思いの心で掴む幸せというのは、もう本当に天地ほどの開きがある。無限かゼロかというぐらいね。やはり、幸せになるためには、感謝の心をしっかりと起こし続けないといけないですね。


 幸せを数えあげる

 神さまって本当に至れり尽くせりで人の幸せを願い続けて、それを与え続けてきてるんですけど。まあ、どんな幸せも与えられるだけでは本当は駄目なんですね、自分が苦労して手に入れないとね。
 山へ登るのでもヘリコプターに載せてもらってパッと頂上へ到着したというのは、これは早くていいんですけど、あまり楽しくないですね。麓から一歩一歩登るほうがいいんですね。その時に頂上に登ったときの喜びって大きいですよね。
 だから、神さまから与えてもらった無限の無限の幸せというのは、丁度、宝探しのように自分が探し当てないといけないですね。その時に本当の幸せって感じるんですね。
 だから、神さまは先ず隠してるんでしょうね、無限の無限の幸せは見えないようにしてる。
 幕があるんですね道中に、無限の幕が張られてて、幕を開かないといけない。そういう悪戯、意地悪はしないですね、神さまはね。いつも目の前にあるんですけど、無限の無限の幸せっていつも目の前にあるんですけども、気づかないですね。「気づかない」というのも、これも神計いかもしれないですけど。
順番に気づいていくというふうにしていただく方が、本当は幸せがどんどん大きく深くなるものなんでね。
 
 皆さん、目の前に無限の無限の幸せ、あるでしょう。あるんですよね、あるんですけどね、これに気づくには数えあげないと駄目なんですね。自分の一つの肉体という体を与えてもらったというのもそうですよね。
 目がある、耳がある、口がある、鼻があるって数えたときに気づくんですね。プラスがいっぱいあるのに数えないと気づかない、わからないですね。中にはマイナスばっかし数えている人があるんですけど。
 でも、マイナスはちょっとしか無いんですよ、ほんのちょっと有限なものなんです、ちょっとだけあるんですね。でも、プラスは無限に無限にあるんですね。どちらを数えるかなんですよね、感謝の心はプラスを数える。忙しいんですよだから、感謝の心というのは。
 
 空間的に、広がりって無限に無限に大きいでしょう。これも入れ子構造の宇宙というと、もう一つ大きくなるのね。時間的にもそうですよね、無限に無限に時間が広がるんですね。過去もあり、現在もあり、未来もありって、これも無限に時間が広がりますよね。
 だから、空間的にも時間的にも、神さまの与えてくる全てを数えあげていかないといけないですね。
 それも「全く何もない」という状態から数えるのがいいんですね。

 例えば、地球上に人類が大勢いますけど、最初、自分独りポツンと居てたら‥‥と思うんですね、寂しいでしょう。友達が一人出てきただけで嬉しいですよね。
そうしたら地球上にたくさんの友達がいますね。これも同じ人だったら要らないですけどね、みんな違うんですよね、不思議にね。これはみんな自分一人のために神さまが与えてくるプレゼントの姿なんですね。
ところが数えあげて感謝しないと有り難味がないんですね、本当にね。意地悪な人もいいんですよ、喧嘩友達も大事なんです。
 本当にねえ、喧嘩友達も必要なんですよね、自分を鍛え上げてくれるでしょう、本当に自分を立派に変えてくれるんでね。いろんな意味でプラスが一杯なんですけどね。でも「もしその人がいなかったら」と思うと、大きい損をすることになるんですね。でも、その一人の喧嘩友達でも、その人の持ってる素晴らしさを数えあげないと価値がないです、気づかないですね。だからどんな人も自分にとって「無限の絶対価値」というのがあるんですけどね。それを数えあげる練習って大事ですね、絶対数えあげないと駄目なんですね。


 一人の人の存在の観方

 一人の人の存在を観るのでも、思いの心は、今の現実の表面の姿、浅い姿だけしか観ないんですけど。感謝の心はまた観方が大きく深くなるのね。
例えばAという人が居てたら、その人の先祖がずーっと無限に続くんですよ。そしてAという人の子孫もずーっと無限に続くでしょう。先祖と子孫の無限の人に包まれて中心に立ってるのがAという人ね。
 感謝の心はそこまで観るんですね、主観的にも大きく観るんですよね。それでAという人が今浮かび上がって中心に置いて‘輝いてる’と観るんですね。ポツンと今Aという人が現われたという観方じゃないんですね。
 一輪の花が今ここにパッと花を開いたとするでしょう。この花を観るのでもそうですね。花の先祖があるのね。また花が実を結んで種になって子孫がいっぱい生れるわけでしょう。だから、たくさんの花の中に一つの花が開いてるというふうにみると、そこにやっぱり無限の大きい価値がまた加わるんですね。
 だから、感謝の心はどこまでも無限に大きく広がるし、無限に深く入っていくしね、本当にすごい働きになるんですね。だからバックを大きくするほどいいですね、一つのものを観るのでもね。

 だから、入れ子構造の宇宙、この見方というのが一番いいんです。丁度、この人体、肉体の中に大宇宙と同じ姿があるとみるのがいいんですね。一個の細胞の中に大宇宙があるという、一個の原子の中にも大宇宙がある。もっともっと小さい素粒子、その中にも大宇宙があるんだという。本当はそういう仕組みになってるんですね。


 「感謝」すれば気づきが増える

 だから、その一つの単なる肉体というのでも、無限の絶対価値がもともと備わってるんですね。これを浅く観ると肉体を分解すればいいんでしょう。水分がどれだけ、鉄分がどれだけとかね、いろいろ計算してお金に換算すると幾らになります? あまり価値はないですね、数十円かもしれない。目玉一個というふうに考えるとちょっとは価値が出ますかね、腎臓一個とか、それでも大したことないですね。
 本当の価値はお金では換算できないですね、無限の価値がありますからね。

 だから、感謝は、すればするほど大きい価値を見出していく、気づきを増やしていただけるのね。どこまでもどこまでも幸せが大きくなるのね。これもやっぱり練習ですよ、数えあげる練習ね。

 四季の変化でもそうでしょう。春が来たら春が「ああ、素晴らしい、ありがとうございます」って受けるのね。夏は夏で「ああ、素晴らしいな、ありがたいな」って受けるでしょう。全ての季節を褒め称えて感謝して喜べばいいのね。そうすると四季の変化ってもの凄いありがたいことなんですけどね。
でも思いの心は違うでしょう、「私は夏がいい」というと冬が嫌なのね。「夏はいいんだけど冬は寒い」とかね、いろいろ理屈こねるんですよね。「天気はいいけど、雨は嫌だ」とかね。
 でもそうじゃないですね、雨が降れば雨がありがたいですね。天気だったら天気がありがたいね、もう常に全てがありがたいのがいいんですね。それが感謝の心になるんですよね。
 だから、一回でも心に「ありがとうございます」を唱えたら、それだけ気づきが増えるんですね。他の言葉は要らないみたいですよ、もうね。「ありがとうございます」の一言だけで神さまからのプレゼントを受け取って感じ取らせていただくのでね。みんな他のことは忘れてもいいですよ。


 「知識」は心が曇り、「知恵」は無駄がない

 「思いの心」の方はね、いろんな勉強をして知識をいっぱいつけてと思うんでしょう。でも「思い」というのは心を曇らせるんです。知識をいっぱい詰めるほど心が曇るんですよね。
 だから、勉強しすぎるでしょう、特に詰め込み勉強をしすぎるとノイローゼになるんです。そうでしょう、心が曇るんですね、思いが溜まってね。
 でも「感謝の心」は、もう全部消しきって、神さまの知恵だけを必要に応じて受けるのね。「知恵」というのがやっぱりすごいんですね、知識とは全然違うんですね。
神さまの知恵は、今一番必要なことをスッと教えてくださるから、知識では今のいろんな問題を対処しても合わないんですけどね。

 よくこういう例え話をいわれますよね――
東大を出て成績のよかった立派な人が会社へ入った。ところが知識をいっぱい溜めてると知恵が湧かないんですよね。「植木に先ず水をやりなさい」と言われるでしょう、その通りにするのよ、雨降っても水をかけるの。本当に知識を溜めすぎて思いの心になるとそうなるのね。雨降ったら水をかけなくていいでしょう、本当はね、小学生でもわかるわね。「ああ、助かった」と思えばいい。
 知恵と知識の違いがそこなんですよね。知恵の湧く子は無駄なことしないよね、必要なことをスッとさせていただくね。だから、感謝すればするほど思いが消されて、それで知恵が湧くように神さまがしてくださるからね。


 神さまからの知恵の導き

 例えば、「どこかが火事だ」というでしょう「火事だ」と気づかなくていいのよ、その場へサッと行ってるよ、神さまに導かれるからね。そして小火(ぼや)のうちにサッと消せるのね。「火事だ」と言われて行くんじゃないね、火事になるのはわかってる、神さまはね。ちょっと小火になりかけたところでそこへ行ってるのね、それで消してるというような状態ね。これが神さまの知恵の導きよね。

 車に乗ってどこかへ行くのでも、途中で事故に遭いそうな場所に来たら、やっぱり巻き込まれるでしょう。そういう時は気持ちを変えてくるね、神さまの方はね。ちょっと寄り道をさせたりするよ、そしたら事故に巻き込まれないでしょう。でも「人と約束したから、そこにその時間までに行かなきゃならない」って知識で縛られた人は、必ずそこへ行こうとするでしょう。そしたら途中で巻き込まれるのね、事故にね。それで、もう大きい損ですよね。だから、いつも神さまの知恵に導かれると、全てが調和するようにうまく行くんですけどね。

 だから、感謝する人としない人の違いは大きいですね。感謝する人はもう神さまがバックについて応援してくださるから、もう全てとんとん拍子にうまくいくんです。もう何も心配しなくていいですね。うまく行かないときはそれがいいんですよ、はははは。うまく行かないのがいいのね、その時はね。
 「うまく行かない」というのは思いで考えるんですね。感謝してる時は全部いいんです「全て善し!」というふうに感じられるのが感謝なんですね。

 だから、病気になっても構わんですね、病気になるのが必要で、それが幸せな時は病気になるのね。それを感謝の心で受けると、病気がありがたいのね。いろんな意味でありがたいのね。
だから、思いの心を生きるのは、もうつまらんですね。思い通りになっても全然幸せじゃないですね。


 「お祈り」は感謝、思い通りが「念力」

 だから、「お祈り」と「念力」の違いもそうですね。
「お祈り」は感謝なんですね、神さまの与えてくださるものをスッと素直に受けるだけね。だから一番幸せになるものを受け取れる。
 でも「念力」というのは、自分の思い通りにしたいのね、神さまの与えてくるものじゃないし、自分の思い通りに全てを変えたいわけよね。そういう生き方はたくさんありますよね。
 イメージトレーニングなんてそうよね。「自分がこうありたい」と先ず願うわけでしょう、そうありたいと願うから自分の思い通りにしようとするでしょう。確かにそういうのを波長を合わせて引き寄せますよね、それが実現するんですけど。それ一つが実現するだけでしょう。ちっぽけな幸せを掴んだだけね、他の無限の幸せに気づかない。だから、イメージトレーニングは馬鹿よね。

 何か目標を掲げて努力するのもいいですけどね。そうでしょう、プロのスポーツ選手だったら、やっぱり一流になろうとするでしょう。それも素晴らしく思えるんですけど。それもイメージトレーニングでそうなったとしてもつまらんですね。
それよりも感謝を深めて宇宙の無限に素晴らしい姿を一瞬一瞬受ける、感じ取るというほうが幸せは、はるかにはるかに、無限に無限に大きいでしょう。
だから「念力」なんて大したことないですね。「念力」もやっぱりそれなりの力はあるんですね。思い通りにはなるんです、必ず思い通りになるんですよね。どんなことも思い通りになるんですけども、思い通りになったのではつまらんのね、小さすぎてね。

 お金を儲けたいという人も念力よね。「宝くじが当たりたい」ってね、宝くじが当たってもいいんですけど、それで幸せになった人は一人もないというからね。「宝くじが当たりたい」というのは思いの心ね。
思いの心は、本当のいい意味というのが何もわからないでしょう。宝くじは当たったら大きな高利の借金をしたのと同じなのね。こんなことにも気づかないですよね、思いの心はね。だから後で利息をつけて全部返さなならんのに、後で気づくのね。
でも、感謝の心はそんなことは最初からわかってるから、宝くじが当たるほど損「どうか外れますように」って、はははは。宝くじは買ってもいいよね、でも「外れますように」それだったら施しになるから、みんなのために施してるんだから、(笑い)プラスの働き。


 他に頼って治すのは問題を横に退けるだけ

 病気になっても念力で治そうとする人があるんですよ。感謝して神さまから無限健康を受け直して自然に治るのが本当の治し方ね。
 でも、感謝せずに治す治し方は念力的な治し方なのね。これは自分の念力、人の念力、あの世のいろんな世界からの念力で助けてもらうわけでしょう。だから念力では本当の意味で病気の根というのか、病根を消すわけにはいかないね、ちょっと横に避けるぐらいね。
 思いの心で思いは消せないですね。だから、病気になった人の思いをちょっと横に押し退けるのね。
 また、自分の思いも、別な思いを持ってきて、その病気の思いを押し退けるわけね。一時的には病気は消えた姿をとるでしょう。でも消えたんじゃないよ、残ってるのね。思いでは思いを押し退けるだけで消すことはできないから、次にまた出てくるね。

 だから、人に頼って助けてもらうにしても、この念力で治してもらったと思っても、喜んだら駄目よ、また戻ってくる。
 また、いろんな宗教団体に入って、あの世のいろんな「神様」と普通は言うかもしれないけど、神様じゃないよね。低い世界のいろんな霊魂の干渉がくるわけよね。一時的にはパッと押し退けて病気を消してくれるでしょう「ああ、助けてもらった」と喜ぶのね、違うのよ。消してもらったんじゃないからまた戻ってくる、自分にね。

 本当にその思いを消してもらわないと病気の根は消えないのね。この思いを消してもらう方法は感謝だけなのね。感謝することによって思いを消してもらうね。そうすると二度とそれは出てこないね。
 誰にもそんなん頼らなくてもいいでしょう、感謝するだけでいいんだからね。神さまから光をスッと受け取るだけでしょう。一番楽な方法なのにね。
でも、難しい方法をとろうとする。思いの心ってわからないからそうよね。
感謝の心だったら神さまにすがればいいだけなのにね。

 本当にね、もう感謝のお祈りさえすれば、全ての問題はもう瞬間にスッと消えて無いのね。「問題を解決しよう」なんて、そんな時間も無いのよね、問題も無いの最初からね。サッと消えるのよね、感謝のお祈りをすればね。どんな難問題も瞬間に消えて無いのね。
 でも、思いの心では難問題に取り組むんでしょう、ねえ「なかなか解決しない」って四苦八苦するんだけど。思いの心じゃ解決しないよね、何をしてもね。それで最後には諦めるんですよね「ああ、どうにもならない」ってね。でも、感謝に切り替えないと解決しないですね、どんな問題でもね。感謝さえすれば先に答えがスッと出てくるね。

 皆さん、もう質問が何も無いのは感謝してるからよ、はははは、質問が無いのよ最初から。感謝して奉仕する人にはもう質問は無くなる。たまには人のために質問してあげようかという気持ちが起こるんでしょうけど。


 周りにマイナスを感じる時は感謝を忘れた時

参加者:
 いいですか(笑い、人のために)今お話をうかがっていて、例えば人のために祈りたいと思った時には、その人が感謝の心を持てるようにって祈りの気持ちを出せばよろしいのでしょうか。相手のために祈るとしたら、病気の時などはどういうふうな気持ちで祈ればよろしのですか。

ありがとうございます:
 先ず、自分が感謝のお祈りをするというのは――
 みんな無限に輝いている!
 みんな既に悟ってる!
 みんな既に祈ってるんだ!
 みんな既に輝いている!
 みんな既に健康なんだ!
そういうふうに、プラスにプラスに感謝して受けることね。そうすると周りが全てそういうふうにパッと置き換わるわけね。周りに何かマイナスがあるように思うときは、自分が感謝を忘れたときね。自分が思いの心になったときに「何とかしたい」という問題が出てくるね。感謝をしているうちに問題が消えるのね、全部プラスにプラスに感じられてきますよね。
だから、最初から「みんな神さま!」というふうにみるのね。そうなったら、もう何もマイナスがないわけ最初からね。だから「みんな無限に輝いている!」という感じ方ができたらいいわけね。
そのために「ありがとうございます」を心に繰り返すだけね。自然に感じられてくるのねえ。

 他に、人のために質問してあげてください。(笑い)


 写真に写る玉響

参加者:
 「ありがとうございます護摩」のときに、玉響(たまゆら)がたくさん(本当ね)玉響の本当の意味を教えていただきたいんです。

ありがとうございます:
 光の玉が写るのは、やっぱり高級な神さまの働きなんよね。高級な神さまがスッと光になって降りてくるね、「護ってるよ」という姿を写真という姿で見せてくれるのね。本当は大きい光体なんだけどね、写真に写ると小さくなるんだけど。大きく一つにパッと出すのもできるんだけど、ちょっと遠慮するのね謙虚にね、はははは、それで小さい玉にしてちょっと写真に出してくるのね。でもね「護ってるよ」っていうそういう姿を見せるのね。

参加者:
 私たちに見せてくださってるんですか。

ありがとうございます:
 そうそう、本当はね、皆さんはもう感じないと駄目なんだけど、大きい光、太陽のような光を無限に感じるのが本当なんだけど。でも、まだちょっと遠慮して感じない人がいてるのね。神さまも遠慮するけど、皆さんも遠慮の塊みたいに、それで写真にちょっと、チラッと顔を見せてくれるのね。
 たくさんの玉響というのか、光体が写るでしょう、凄いね。数えたら幾つかわかる? 重なってるからねあれ、かなりね。無限に近いものが写るんですね。それだけ高級な神さまが大勢・無限に降りて、感謝の「ありがとうございますの護摩」を焚いてる時に働いてるのね。今までの護摩のあり方とは全然違うね。
 「ありがとうございます」ってね、感謝の熱き真を捧げるわけでしょう、ねえ、凄い神さまが降りるのね。

 註:玉響・・万葉集ぼ「玉響(たまかぎる)」を玉が触れ合って、かすかに音を立てる意としてタマユラと訓じた。ほんのしばらくの間、一瞬の意。
 ここでは、写真に写る光の玉を言っているので、本来の言葉ではない。光玉と造語した方が正確である。


 一回の「ありがとうございます」で無限の過去からつなぐ感謝

参加者:
 「ありがとうございます」をどれだけ回数的にやれば、そういうものが見えるというか、降りてくるというか、最初からパッとそういう形にはならないと思いますよね。

ありがとうございます:
 根本の違いはどこにあるかと言うと、自分が祈るお祈りと、神さまに祈っていただくお祈りと、どっちを自分が掴むかなのね。大抵は、みんな最初、自分が努力してお祈りしなきゃと思うでしょう。それはやっぱり思いの心の方のお祈りなのね。でも、神さまが祈らせてくださるといういのは、神さまから受け直したお祈りね。神さまから受け直したお祈りは一瞬でいいの、一回でいいの。(一回で?)一回でパッと変わるの。

参加者:
 それは回数だとか、そういうことは関係ない?

ありがとうございます:
 関係ないね。一回で神さまを感じるようになるね。だから、神さまを感じる確認みたいなものよね、神さまにさせていただくお祈りというのはね。だから、一回で全てを感じるのが本当なのね。
 ところが自分の思いの心では、努力してしっかり回数を重ねてお祈りをしなきゃならないと先ず縛ってしまうのね。それをしないと神さまを感じられないって、自分を限定するのね。それがちょっと時間的な経過で損するのね。だから、もういつも「ありがとうございます」って唱えるのは、神さまが自分の中に降りてきて唱えさせてくださってると言えばいいね。そういう唱え方がいいね。

参加者:
 じゃあ、回数だとか時間的なものはないわけですね。

ありがとうございます:
 本当は無いの。

参加者:
 無いですね、今のお話だと。(そうなの)例えば、本当に神さまがそういう形で僕の心の中に降りてきてくださって、そういう気持ちになった時に祈るというのか「ありがとうございます」という気持ちになることが一番(いいですね)神さまと相対した形になる。

ありがとうございます:
 そうね、一回でいいのね、一回一回が神さまとの出会いなのね。それが本当ね。

参加者:
 はい、ありがとうございます。

ありがとうございます:
 もうわかってしまった、はははは、すごい悟りよね。

参加者:
 「神様の御心が私の心でありますように、守護霊様、守護神様ありがとうございます」ってありますね。それを祈るときは、感謝の心になってると思っていてよろしいですか。

ありがとうございます:
 そうね、それも本当は「ありがとうございます」でそうなるんだけどね。「ありがとうございます」で神さまの心が自分の心になってるのね。ただ、それを「確認」という意味で「神様の御心が私の心になりますように」と、そういう言葉を使いながら確認をするための言葉よね、それはね。後は「ありがとうございます」でいいのね。

参加者:
 僕は個人的にこの「ありがとうございます」ということを百万回以上、自慢するわけでもなんでもないんですけど。それは執われた気持ちがあったから、百二十万回はとにかくやろうと、それで今は百五万回ぐらいなんですけど。それは無駄ということなんですか、それとも無駄ではないですか。

ありがとうございます:
 それもね、百万回唱えたというのも確認しただけよね。本当はね、無限億万回既にしてるのよ。
 過去世にね、過去に既に済ませてるのに気づいてないだけでしょう。言葉で、やっぱり気づくようにしたほうがいいよね。
だから「無限の昔から感謝をさせていただいている」というふうに言うと、無限億万回既に積み重ねてるね。その方が手っ取り早いよ。(執われがあるということですね)そう、言葉の縛りよね。
 だから「どれだけ唱えたらいいことがある」という縛りよね。もう一回も唱えなくても「過去に既に無限億万回唱えてるからいいことばっかし!」というのがいいですね。
 それだったら「ありがとうございます」が自然に出てくるわね。一回の「ありがとうございます」で神さまの全てを感じるからね。だから、もう縛りにあわないほうがいいのね。もう既に祈ってる。みんなが代わりに祈ってくれてるしね。自分もみんなのために祈ってきたしというような感じでいいよねえ。
 どうもありがとうございます、私のために祈り続けてくださって、はははは。


 感謝をしている人は催眠術にはかからない

 「祈り」と「念力」のところでまだあるんです。
 催眠術ってあるでしょう。皆さん催眠術にかかります? 感謝している人はかからなくなるのよ。催眠術は念力で人の心を支配するのね。感謝のお祈りをし始めたらね、催眠術には一切かからない、どんな名人がかけようとしてもかからなくなるよ。
 それと同じでね、人の思いの影響を受けなくなるの、感謝する人は、感謝を深めた人はね。周りの人が何を思っててもその影響を受けなくなる。どんな念力、強い念力がきても全部消えてしまうの、近寄れないね。だから、人の思いの影響は一切受けなくなるのが、この感謝のお祈りよね。凄い力があるよ。
 だから、感謝さえしている人は絶対何も恐いもの知らずよね。
 でもまだ周りの思いに負けるという状態のときは、感謝を忘れてるよね、多分忘れてるの。
 「あの人がマイナスの思いを出してる」と言ってるのね、感謝じゃないもんね。「この場は波が悪い」と言ってるのね、はははは、感謝してないよね。
「みんな光り輝いている」というふうにね、「みんな神さま」って感謝しているときよね。

参加者:
 それは波動とは違うんですか。

ありがとうございます:
 波動よね、感謝は光の波動だから、神さまの光だけを感じるね。思いの波動は思いの波動で暗いものを感じるもんね。暗い波動を感じたら感謝を忘れたときよね。人の思いの波動の影響を受けるときは、やっぱり自分がそれに波長を合わせたときよね。
 だから、もう感謝さえしてたら、もう思いの波動は簡単に消せるから、絶対に自分には近寄らないね。近寄っただけ消えてしまうから、いつも青空に太陽が輝いたような状態よね、スカッとするね。

 見たらわかるのよ、お祈りしている人は、輝いてる、太陽みたいにね。感謝してない人は黒雲を漂わせてるのよ。(笑い)腹を立ててる人なんかは、黒雲が渦巻き状になって、赤い光がバーッと稲光のようになって出てるのよ。見たら見えるよね、そのまま見えるの、はっきりとね。
 みなさんはもう輝いてるからね、黒雲は無いもんね、みんなね、全然。時々思いが出るって? はははは、その時は白雲よね、たまにちょっと白雲がたなびくのよね。

参加者:
 自分の場合は、思いだけの祈りみたいな感じが、今お話を聞いていて、それに執われていたのかなと。自分の思いだけでお祈りしていた、中身が全然ない「ありがとうございます」だったんじゃないかと。そういうことは執われですよね。今見られたら、黒雲で真っ黒な状態なんじゃないかなあと自分自身しているんです。

ありがとうございます:
 無いね、輝いている。思いが無いよ。

参加者:
 思いに執われてる「ありがとうございます」だったんじゃないかなあと、今お話を聞いていてしみじみ思ったんですよね。

ありがとうございます:
 今それに全部気づいて確認できてるでしょう、その心はもう輝いた心なのよ。
(ありがとうございます)
 ここへ来る人はみんな確認に来るだけだからね。光ってる自分に気づいて確認するために確かめに来てるだけだから、みんな輝いてるよ。「お気の毒に」って言わないと。(笑い)
 もう、一回唱えただけでいいのよ「ありがとうございます」ってね、それで無限に輝くの、輝いてるね。後は自然に湧き出るだけね、必要に応じてね。神さまが祈り続けてくれてるよね、自分のために、人のためにってね。


 高い番組ほどスピード化している

参加者:
 神様の波動と合うためには、肉体を持った人間はスピード化しなければ神様の波動とは違うということをテープで聞いたような気がしますが。テレテレやっているより、速くやったほうが神様の波動と合うということを聞いたような気がするのですけど。

ありがとうございます:
 波動の違いが無限の無限のチャンネルの違いというふうにみたらいいけどね。高い番組ほどスピード化してるね、速いね。だから、サイクルが細かいほどスピードがあるのよね。波が荒いほどスピードが遅い。その違いよね。だから、肉体もスピード化するほど波動が高くなるね。
ただ、神さまを感じるのは肉体だけで感じるのじゃないね。自由に奥の心で感じるから、心を奥へ入れてスピード化すればいいよね。「宇宙が自分」という心がスピードが速いよ。「肉体が自分」と思い込んだらスピードが遅くなるね。「宇宙が自分」というと、宇宙に一瞬に飛ぶんだから光より速いの。
だから、ちょっとした言葉の使い方で波動をあげるんですね、高め上げられるね。
だから「自分が宇宙」と言えばそれで波動が高くなる、スピード化してるから。
肉体をスピード化しようと思ったら、スピード化する練習もいいけど、それはまだ小さいことよね。そういういのは楽しんでスピード化すればいいだけでね、もっともっと心で大きく思うほうがいいね。

参加者:
 ここに来たいとか、何かしようと思う時に、どれが思いなのか感謝で来ているのかというのが、自分が「ありがとうございます」を言ってることに気づけば、それは思いではなくなるんですか。

ありがとうございます:
 そう、もう感謝したらすべて神計いね。後であれこれ考えるから思いになるのね。迷うときは思いよね。そのまま喜んでいるときは感謝なのね。感謝し続けて喜び続けたらいいだけね。ちゃんと必要なものを与え続けてもらうわね。

進行:
 ございませんか。

ありがとうございます:
 ございますね。ありがとうございます。あっははは(笑い)

進行:
 ものすごく冗談が好きなので、冗談を言われているときは‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

参加者:
 お祭りに参加するに対して心構えをお願いします。

ありがとうございます:
 お祭りは、神さまとの対面だから、本当のお祭りはね。だから、「神さまと出会う」という気持ちで参加されたらいいよね。周りが全て神さまの無限に輝いた姿でいろんな感じ方をさせてくださるね。
 だから、もう「楽しい楽しい」というのがいいのね「ありがとうございます」って唱えながら楽しく参加すれば本当の神さまと出会うのね。
 難しく考えたら駄目よ、考えたら思いの心になるからね。

参加者:
 この言葉をちょっと教えていただきたいんですが。
 「宇宙の無限の力が凝り凝って、真の大和のみ世が生り成った」大断言。という言葉があるんですが。
 八百日ぐらいずっと書き続けていますけど、この言葉がいいということで、宇宙の無限の力があると感じたのですが、どんなものでしょうか。

ありがとうございます:
 それはその言葉だけの力がちゃんとあるのね。でもね、もう全ての言葉を全部包容して、超越して「ありがとうございます」の中に全部あるのよ、またね。
 だから「ありがとうございます」の中身を大きく深くする意味でいろんな言葉を活用されたらいいよね。でも「ありがとうございます」一言にもう全部中に収まってるね。もっと凄いことがいっぱいあるのね「ありがとうございます」の一言にね。最後は「ありがとうございます」の一言に絞り込んでくるね、みんなね。「それに全てがある」ってね。だから真理の言葉って、素晴らしい言葉は無限にあるよね。それを全部唱えないととなると大変でしょう。順番に唱えるのもいいけどね、最後は「ありがとうございます」の一言で全部それで無限の言葉を唱えたことになるからね。(そういった言葉も含めて、それでは)両方、必要に応じてされたらそれでいいね。

 
 「至善至美至妙、完全円満完璧大調和」

『一切は、至善至美至妙、完全円満完璧大調和』という言葉がありますけれども。
ちょっと解説していただけますか。

ありがとうございます:
 神様の一瞬一瞬新たに創造されてる宇宙の全体像よね。
 これは「」「美」というのは美しいね、もうこれ以上の美しさは無いという姿をとってるね。
 「至妙」という「妙」というのはね、なる、妙妙不可思議で、もう人知の超えた神秘不可思議なものよね。
 「至善」の「善」というのもそうよね、もうこれ以上のいいものは無いという感じね。マイナスが一切無いのね。
 「完全円満」というのでも凄い言葉よね。「完全」というのはもう一切のマイナスが無いんでしょう。
 「完全」という言葉は「全ったきもの」というね。
 「円満」という言葉もそうよね「円」というのがだいたいそうよね、角が無いよね、ぶつかり合わないでしょう、全部包容するんでしょう。「円」というのは無限に相似形の姿が続いて、どこまでも円でしょう。全部包容しながら入れ子構造の姿をとるのよね、円というのがね。それでいて、中に全ての形があるのよね。丁度、十字が回転したら卍になって、卍が回転したら円になるでしょう。ありとあらゆる形も中に持ちながら円という姿をとるのよね。だから「円満」という言葉はすごいでしょう。
 「調和」という言葉もそうよね「調べ和する」という、波動が一大統一された調和した姿をとるのよね。だから、いろんな演奏、一大交響楽というのがそうよね。いろんな楽器の演奏を全部一つに統一してまとめるんでしょう、調和させるのね、全部生かされてる状態よね。
 「完璧」という言葉もそうね「完璧」の「璧」は「玉」というんだけど、神さまが全体でしょう、その一つ一つ玉なんよね、人体も玉よね、原子も玉よね、地球も玉なんでしょう、宇宙というのも一つの玉よね。
だから、もうね、完璧な玉が無限に無限に集まったのが神さまという最高の玉なんよね。
そういう姿を神さまは一瞬一瞬とり続けてるのね。だから、天照大御神様が一瞬一瞬新たに姿を・装いを変えて出てきてるね。これは永遠に続くのよね、同じ姿をとどめてないね。

参加者:
 無限は宇宙と解釈していいんですか。

ありがとうございます:
 無限が宇宙というのも小さい宇宙ね、まだね。無限の無限が宇宙といってもまだ小さい宇宙ね。まだ上に無限の無限のがつくね。計り知れないよね、本当の宇宙というのはね。
宇宙というのでも「宇」というのが空間よね「宙」が時間を現わして、空間と時間の組み合わせでできたすべてが宇宙というのね。だから、入れ子構造の本当の神さまが創造された宇宙よね。
宇宙は無限に無限に大きくて、無限に無限に深くてという、もう底知れないものですねえ。
 ありがとうございます。







AR131-02-2001.8.20

 守護霊・守護神    

参加者:
 守護霊様というのは一人一人みんな違うのですか。それは生まれてから亡くなるまで同じ守護霊様?それともチャンネルを変えると守護霊様自体も変って行くという。

ありがとうございます:
 いや、守護霊さんはずーっとですね。

参加者:
 ある意味じゃあ先祖というか、前世からもつながってるのですか。

ありがとうございます
 そうです、過去世からずーっと縁があって。ただ「守護霊さん」という言葉を使っても、何を指しているかというのは、みな違うんですね。正しい本当の守護霊さんというのは、先ず、悟りを開いて本当に神通自在の力を持ってるご先祖様の中で、一番自分に縁の深い方なんですね。背後に付いているという背後霊とは違うのね。だから、本当の魂の親という感じの、本当に一番身近な存在なのね。だから、切っても切れない関係なの。だから、この世だけ護るんやないのね、あの世へ行ってからもずーっと護り続けてくれるから。

参加者:
 「守護神さん」というのもいらっしゃいますね。

ありがとうございます
 もう一つ上にね、守護霊さんの上にあって護っているのね。ただ、守護神さんだったら、大勢の守護霊さんを護り続けられるわけよね。だから、守護神さんが直接に肉体人間を護るんじゃなしに、直接にはやっぱり守護霊さんですね。それで「大きく守護霊さんに力添えて護ってる」というのが守護神さんの方ね。だから、正守護神さんと、正守護霊さんがいつも付きっきりなのね。

 後、副の守護霊さん、副の守護神さんがいてるね。だから、副守護霊さんなんかは、例えば、仕事が変ったらその仕事に堪能な守護霊さん・副守護霊さんが付くのね。だから、沢山の仕事をしてる人は、それぞれ専門の分野の守護霊さんがたくさん付くの。(ほ〜お)守護神さんはもう一つ上の大きいスケールの働きなんで「本当に世の中を良くしたい」とかね「人を本当に救いたい」というような感じの働きを大きくしていくと、副守護神さんも大勢付くね。


参加者:
 守護神さんのグループを何人かを担当されている、という感じですか。一人というわけではなく?


ありがとうございます
 守護神さんの方は力があるし、視野が広いでしょう、大きく働けるのでね。

参加者:
 そうすると同じ担当の守護神さんが、ある意味ではグループとなって、我々の中では動くとか働くとかあるんですか。

ありがとうございます
 そうですね。一つの組織ができて運動が起こると、向こうの方でそういうグループ活動が起こってるの、先にね。それでいろんな守護神さんなんかの力が結集されて大きい運動のような姿をとって出て来るのね。それもある意味では、一つの立場から見た小さい見方かも知れないけど。

 お墓     

参加者:
 お墓のことをちょっとお聞きしたいなと思います。私は主人を7年前に主人を亡くしまして、三回忌の時に、五輪の塔は主人が生きている時につくったんです。私のところは浄土宗ですので、「南無阿弥陀仏」石には、細見家の墓としたわけです。五輪の塔には、先祖代々の菩提にして、立派なのをこしらえたんです。
 島根県のお墓専門の先生が鑑定の先生を紹介していただいて、除籍謄本を全部とっておきなさいということで。それでわかったのは、養子になった弟を、最初は家の主人が長男だったのに戸籍では、ずーっと離れて11年ほど離れて実の子が産まれたので、その子を長男にして、家の主人は養子となってたんです。私は嫁いだ時から分家と思い込んでいたんです、除籍謄本では私とこが本家だと、それで本家としての祭りごとを本当の石を何千万とかの石を使わなくても、祭り方がきちっとしてればそれでいいということで、今回やり直しを頼んでしまったんです。八月二十九日に入れ替えに来てくれます。
 石は安くてもご先祖様は十七体あるんです、ぜんぶ墓碑に彫り込んで、それで魂入れをしていただいてお祭りしたらすごく。今迄は本家なのに分家としての働きしかしてないけども、全員が良くなってくるので、今迄良くなってない分が沢山あったので、そうかなと思って。一つ一番心配なことがありまして、それさえ片付いたらと思ってやり直しをしてしまいましたんですけど。その本家と思ってる分家とも仲良しなんです、本家としての祭りごとを一からそっちを取るというのは嫌やから、それはどうしたらいいんでしょう。
 鑑定の先生は、それはそれで分家の人が本家を思って、そういう祭りごとをするんやったら、それでええやないかと言って、私のとこはお墓だけにきちっとした祭りごとをしたらいいと言われたんですけども。それはよろしいか、それすごい迷いましたんですけどね、鑑定の先生の言う通りにそれをつくったんですけどね。もっと早くここへ来てお聞きしてたらすればよかったんですけども。

ありがとうございます
 そうね、神様の用意してる無限の無限のチャンネルの中には、お墓を必要とする番組もあるしね、仏壇作って御祭りせんなんという、そういうのを必要とする番組もあるのね。でも、そういうのはかなり低い番組よね。(ああ、そうですか)高い番組になったら、ちょっと高いだけで、もうお墓は要らないね。そういう供養とかお祭はいらないね。

 本当の感謝の生き方というのは、みんなを拝むだけよね「みんな既に悟っている」ってね。だから、そこからくるものは、こっちから何かさせてもらうんじゃないのね、向こうからしてもらうばっかしよね。自分達に必要なものを、向こうから与え続けてもらうばっかしよね。それに対する感謝になるのね。だから、何かお供えして食べてもらうんじゃないね、逆なの。

 仏壇にお供えしてるのは全部こっちへ向けられているじゃない。向こうからこっちへ与えてもらってるのよ。表を向こうへ向けてないじゃない。だから「いつもご先祖様のお蔭で、必要なものを豊かに与えていただいてありがとうございます」って最高のものをお供えして、最高のものをいただいているという感謝を示すわけよね。
 それを逆に見る見方もあるのよね、やっぱり低い番組では「ご先祖様はあの世で迷って苦しんでるから、何かお供えして食べてもらわんならん」とかね、それは低い番組よね。それは、本当のご先祖様にとったらね、悟ったご先祖様から見ると「なんて馬鹿なことをしてくれる」っていうねえ。悟ってるご先祖様に対して「無礼千万にも、迷ってる!って決め付けて!」ってなるわけよね。

 だから、お墓をつくっても、ご先祖様を石牢に閉じ込めたようなもんじゃない。それで仏壇つくって、「その中に入りなさい」と言ったら、小さい中へはめ込んだようなもんでしょう。本当はそんな中に入らないの、入ったら地獄じゃない。

参加者:
 我々も亡くなったらそこに入りますよね。

ありがとうございます
 いいや、入りたい?

参加者:
 すーと入るのと違いますか。

ありがとうございます
 だから、そいうとこへ「入る」と言うとね「自分が入る」と決めて入ってしまうのね。身を縮めてね、もう窮屈な中へ入り込むわけでしょう、ねえ。そりゃあ、もうずーっと苦痛が続くよ。
 本当はね、あの世へ行ったらこの世の縛りから抜け出して、もっと自由な世界へ行かないといけないね。

参加者:
 じゃあ、散骨とか飛行機からこう撒くのはいいんですか。

ありがとうございます
 いや、別に亡くなった肉体の処理はもうどんなんでもいいのよね。もう、そんなんは無関係、どんなやり方でもいいと思うのね。ただ、魂が肉体から抜けて、魂をどう扱うかでしょう。その亡くなったそのご先祖様の魂を、「どうプラスに見るか」というのが大事なのね。「高い番組ほど無限に輝いた姿でいつも護り続ける立派な働きをしてくださる」わけでしょう。だからマイナスに見ることは失礼なんよ。

参加者:
 私、阿呆みたいなことしてたんや、(大笑い)そのままにしとけばよかった。

ありがとうございます
 本家とか分家とか言うんですけどね、本当は皆自分の先祖かも知れないじゃない、地球上の全ての人がね。それはもう何回も生まれ変わる過程では、いろんな家に生まれるじゃない。ひとつの家系へ生まれないね。また外国にも生まれるね、白人にもなり、黒人にもなりってね、いろんな姿で生まれ変わるから。だから、地球上のすべてが、言うたら、自分の親であり先祖、というふうに見たら「何々家のご先祖様」と限定することはないのよね。

参加者:
 お墓参りとかしますよね。

ありがとうございます
 だから、それは小さい執われよね。だからお墓をつくらんならんとなったら、毎回お墓が増えていくわけでしょう。一人一人のお墓を毎回つくってたら、一人何百回か生まれ変わったら、何百のお墓つくられてしまうよ。何々家というだけだったらちょっと少のうて済むけどね、一人一人のお墓をつくりだしたら、一人の人が何百回と生まれ変わったら、今度生まれてきても住むとこがなくなるのよ。お墓ばっかりになってしまうでしょう。だから、本当にお墓が必要か仏壇が必要かというと、一つの心を向ける対象として、模型としてあっても悪くないんですけど。でも、心で本当にご先祖様を拝んで感謝できたらそういう模型は必要ないね。本物をとらえてたらね。偽物を使って模型として利用したって大したことないよね。

 逆にまた偽者に執われ過ぎたら間違った考え方が起きるじゃない。「ここにご先祖様がいてる」と思ったら「小さく落としてご先祖様を悪く見てしまう」から。だから、本当に何が大事か必要かと考えると、一人一人自由なんで、何を選んでもいいんですけど、本当はお墓も仏壇も必要ないという、そういう立場に立った方が大きい幸せをご先祖様からいただけるのね。

参加者:
 悟ったご先祖様からいろいろお蔭をいただいて、感謝をしているわけですけれども、中にはやっぱり悟ってないというか苦悩のご先祖様もいらっしゃいますよね、そういうエネルギーを――

ありがとうございます
 それね、「どっちを自分が選ぶか」ですね。「みんな悟ってる」というふうに、そういう言葉を使って感謝したら、自分のまわりは悟ったご先祖様ばっかしになる。
(は〜あ、言葉で自分が選ぶ?)言葉で番組を選んで行くのね。もし、言葉で「迷ってるご先祖様がいてる」と見たらね、その迷ってる番組へ心を合わせて行くから、自分のまわりは迷ったご先祖様ばっかしになってしまうからね。
 そしたら、どっちがいいかというとね。やっぱり、もう分かりますよねもうね。マイナスにとったら損するのね。この世でそういうふうにいろんな生き方をとっている人大勢いてるでしょう。でも、たくさんの中から自分が何を選ぶかね、一つ選べばいいだけなんよ。自分が一番いいと思うものを一つ選べばいいのね。

参加者:
 「お墓も要らない」って―― じゃあ―― 心で―― お墓なんてなくてもい「、成仏してくださってありがとうございます」って言うような気持ちで暮らせばいいと思うんですけど、その時に、私だったら私が死んだ後に、骨というものはどうしたらいいんですか。やっぱりお墓に入れたら――

ありがとうございます
 いや、別に、それも肉体は燃やされて灰になっても、そのまま鳥に食べられて無くなっても、腐って消えてしまっても別に構わんの、そんなんね。

参加者:
 でも、今土葬にするわけにもいきませんし――

ありがとうございます
 うんうん、それは後の残った人が適当に処理してくれるから、はははは。

参加者:
 私達は娘二人ですから、二人とも出してるから、だから、連れ合いも「別に自分達のお墓はなくてもいい」って言うんですよね。私も自分達のお墓を作って「参ってくれ、参ってくれ」と言うのは負担だから、それは理解できてるんです。じゃあ、どこに捨てちゃうんかなあ。

ありがとうございます
 それは残った人が適当に放してくれるから大丈夫。

参加者:
 また、墓に入れてくれるかも知れませんよね。

ありがとうございます
 だから、言うとけばいいじゃない。「私達は最高の極楽へ行ってるから、いつもここへ心を向けて頂戴、お墓には入らないから」ってね。「そんなつまらんとこには入りません」って、はははは。「最高の極楽へ行ってみんなを護ってますから」と言えばいいよね。

 魂・肉体・本体の命     

参加者:
 魂というのは、魂の数は私がこの世に出て来た時には十億なら十億、もしあったとしたら、それが生まれ変わってこの地球に来ると思ってたんですけど。でも、地球で生まれる魂もあるということを聞いたのですが、そしたらもう魂だらけ、になっちゃうかなあ、という疑問をちょっと持ったことがあるんですけど、そういうのはどんなことなんですかね。そういうことはないんですかね。

ありがとうございます
 それも定義の仕方がいろいろね。神さんと一体の本体の自分はね、無限に無限に輝いた姿をいつもとってるでしょう。そこを中心に自分という意識があるのね。その自分だけを生きている時は、魂も肉体もないのよね。もう無限に無限に輝いた姿だけで、神様の世界に遊んでる・住んでるのよね。だから番組の中にはまり込んでない、もうぜんぜんね。その番組を見にきて、その中にはまり込んでいくと、いろんな言葉を使い、思いを出すでしょう。その段階で思いの集積のような感じで魂が生まれてくるのね。

 それで、そのマイナスの思いがいっぱいだと低い魂になるね。プラスの言葉は、思いがそれだと輝いた魂になるわね。
(ああ、それが魂が生まれるという――)魂としての生まれ出てくる姿やね。

 この肉体を持たずに、魂の世界だけで住んでいる人があるわけでしょう。その魂も無しにもう一つ上で命の自分だけで生きてる人もあるわけよね。
本当はもう、命だけの神さんの世界に住んでる自分が本当の自分やね。魂の方は後でできたもんなんよね。だから、その魂が消えてしまう場合もあるわけよ。肉体も消えて魂も消えて本体の自分だけに戻る場合がね。魂のその人を探してもないよ。それね、宇宙大に広がった無限に輝いた命のその人だけがあるのね。

 だからある意味では、命の自分から見るとね、魂と言うのは、作り出した一つの作品みたいなものよね。だから、低い段階から高い段階まで順番につくり上げて行って、魂を完成させたというね。それも必要なくなったら消してしまうわ、もうね。だから、永遠性があるように見えても、本当の永遠性のあるのは、本体の命の方の自分なの。その自分が働いて魂を維持してたら、魂も永遠に見えるのよね。

 でも魂は消される可能性はあるよね、魂が消えたらもう永遠と言えないね、魂はね。でも、本体の命は永遠やね。だから、自分がどの自分を掴んで生きるかでしょうね。
 肉体の自分を生きたら短いしね。魂の自分を掴んだら、低い魂の時は、いろいろ苦しみが多いよね。

 この世でもあの世でも同じよね。魂の自分というのは枠が・殻があるのよね、小さいのね「これが自分」というのを掴んでしまうね。
 でも本体の命の自分は「宇宙大なの」ね。大きい、無限に無限に大きいね。

参加者:
 じゃあ、命の方だけを考えてれば――

ありがとうございます
 そうなの「いつも神様と一体の自分」ってね「神様からいつも受け直している自分」というね。
 その自分が一番自由で、無限の無限のチャンネルのどれでも分かる・どれでも楽しめてるという、ぜんぜん執われがないね。

 魂・輪廻転生     

参加者:
 じゃあ、魂とか輪廻転生とか、よくそういうのは低い次元だから、ということなら、じゃあ、神と一体になって自分がそういうふうにやって行くということだけを考えていれば――

ありがとうございます
 その方が幸せでしょう、はい。だからその過去なんて掴まん方がいいでしょう。過去を掴むと「それが自分」というふうに小さく掴んでしまうんでね。特に「過去世」って掴むと、古いものを掴んでしまうからね。古いというのにはあまりいいものはないのね、未熟なのまだね。未熟なものを掴んでおいて「立派にしよう」と言うても、もうちょっとずつしか上がれないね。だから、下から天まで登るのに階段駆け登ったって、どんだけスピードあげて登ったって、それに階段が消えてしまうしね、登れないの。

 だから、過去の積み重ねは、もう限界がくるのよね。でも、過去を離してしまったら自由になって、天から舞い降りる姿をとるのね。それなら楽に、何処へでも降りて自由に自分を表現していけるね。

 魂とお墓     

参加者:
 よくああいう話しをされる時には、魂とかいう話しはね、先ず、魂の世界から話しが入って、神の話しは最後の方に出てくるような感じでね。

ありがとうございます
 まあ、人の好き嫌いやね。魂の好きな人は魂から、はははは、神様だけでいいよね。無限に無限に輝いたそういう自分だけがいいじゃない。だから世間の人の真似をしたら損よ。いいものがあったらいいものだけを選んだらいいよね。悪い真似をしたら、自分もそれを習ってしまったら損するじゃない。
 だからみんなお墓作ってるからって、作ったら馬鹿やね、お金まで掛けて損じゃない、ははははは。

参加者:
 もう、あかんわ、よう断わらんから、私。

ありがとうございます
 ねえ、もう、一回つくったら壊されへんじゃない、なかなか。

参加者:
 業者の人も可哀相やしね、生活も――

ありがとうございます
 ねえ、それで、今度これ壊す時に「罰が当たるかも知れん」ってビクビクして怖がるね。
 ただねえ、お墓を必要として入ったお墓があるでしょう、そこにはやっぱりその人の魂しがみついてるでしょう。そういう場合は粗末にできないよねまたね。逆に言うとね、自分の家を壊されたような感じになってね、仕返しするかも知れんじゃない。
最初からつくらなかったら、そういう人も入らないしね「もっともっと自由な世界へ行って頂戴」って拝んでたら、みんな幸せな世界へ行ってしまうんだけどね。

参加者:
 墓石を変えた時に、これどうなるんですかって聞いたら、これ産業廃棄物ですよって、はっきりおっしゃった。

ありがとうございます
 ただそのお墓に、もし魂が入り込んでしがみついてたら、産業廃棄物の中に放り込んだら、ゴミの中へ放り込むんでしょう、地獄のようなもんよね。

参加者:
 お参りした方の気持ちが入ってるじゃないですか、おじいちゃんのつくったお墓とか「ありがとう」とかそういう―― それも捨てたくはないよね、おろそかにやっぱりしたくないと思っちゃいますよね。

ありがとうございます
 本当に自由な心になったら、もう全部きれいにして放せるけどね。

参加者:
 いやあ、はっきりお墓の業者の方、お寺さんに参ってもらって、きれいにした後はもうただの石ですから、それは産業廃棄で、どんどん―― 魂抜きしてあるから、私はもうそういう――

ありがとうございます
 でもね、魂抜きをすると言うても誰が抜くかねえ、本人がしがみついてたら抜けへんよ。

参加者:
 それに今の生臭坊主にそんな力があるとは思えんし。それも思うからそうなるわけですよね。

ありがとうございます
 そうなの。はい。

参加者:
 そしたら、私や妹なんかも、父の墓にいったら、母が「おじいちゃんがちゃんと見守ってくれているよね」て言うてるから母はそういうふうになるわけですね。でも私とか妹とかはそういうのは無いよと思ってるわけじゃないですか。でもそういう思いがあるというのは、そこにあれがあるんですねえ。そうするとそこにしがみついてるかも知れないというのはありますね。母も気持ちからも変えていかないと、みんながもしそういう気持ちなると、そのしがみついてる魂も退くんかなあ。

ありがとうございます
 だから「ありがとうございます」でねその思いを消してもらったらしがみつけなくなるでしょう。それで、感謝の心を引き出してもらったら、高い番組へ心を合わせて行って、低い番組にはまり込まんようになるね。だから、やっぱり「ありがとうございます」って唱えるだけが自分の為にも、みんなの為にもなってるのよね。

 痛み・苦しみ     

参加者:
 昨日の晩から急に上唇がずーっとしびれて腫れてきたんですよね「なんで?」とか思っちゃうんですけど。

ありがとうございます
 本当の感謝というのは無限に謙虚になった感謝なのね。過去に感謝忘れてマイナスの言葉を一杯使って、地獄番組に合う心の状態だったとするでしょう。
ところがこの世に生まれてくる時は、それを一時棚上げにしてもらってるのね。それで、この世で良いものを選ぶ練習をして、お祈りの練習をしてね、それで過去のマイナスを消し去る力をもらうわけよね。本当だったら、いつも地獄のどん底で、無限の苦痛を受けて味わい続けてないと駄目なんよね。その自分がこの世に生まれていい状態に置いてもらったからと言って、自分の力じゃないのよね。

 本当は無限の苦痛を今も受けてないといけないのに、それ免除してもらってるでしょう、ね。それに気づかずに「自分の力で生きてる」とかね、「自分にはこんな能力があるんだ、力があるんだ」って自慢してるようじゃ駄目なんよね。

 だから、先ず、感謝の一番第一歩が、「無限の苦痛を免除していただいて、ありがとうございます」になるね。その上に「無限のプラスを与えてくださってありがとうございます」を加えるのよね。そしたら少々痛もうが病気しようが何が起ころうがね、そうでしょう、「無限の苦痛を和らげていただいてありがとうございます」になるでしょう。

参加者:
 ここにおること自体でも、地獄へ行かないかんのに、ここまでとりあえず来させていただいてる、というような――

ありがとうございます
 そうよね、だからそういう、本当の意味のマイナスへの感謝の気づきって大事やね。それは、謙虚な心にしてもらう一番の要素でしょう。だから、何が出てきても「ありがとうございます」になれたら、本物の感謝行よね。だから、何か起こったらもう、それをマイナスと見るのが間違いよね。

 病気になったら、万分の一に軽くしてもらって、大きいマイナスを免除してもらって、消してもらってね「ありがとうございます」がいいよね。不足を言うたら損よね。それを無限の感謝に変えて行くのよね。

参加者:
 みんなそうなんです、痛いとか辛いことがあると、なかなか病気に感謝せえと言われても――

ありがとうございます
 無限の苦痛を、無限の痛みを味わうところを、こんなに軽くしてもらったと思うと軽くなるね。これも言葉なんよね「こんなに痛い」と言うと痛くなってくるね。「無限の苦痛をこんなに軽く済ませてもらった」というと、痛みはすーっと軽くなってくる、そして消えてくるね。軽く受けられるんですよね。

 やっぱり言葉通りなんよね。

参加者:
 今振り返ってみれば確かにそうですね。治療法で効果がある、ちょっとでも良くなってると思った途端に、スッとどんどんどんどん快方に向かいましたからね。

ありがとうございます
 普通はね「大難を無難に」ってね、何もない状態に置かれると「何も助けてもらってない」と錯覚するのね。だから「大難が小難」になったらね「護られてる」と思うわね、そうでしょ。
 交通事故に遭うんでもそうでしょ。ドカーンと当たって車大破して、自分が無傷だったら「ああ、護られた」と思うよね。ところが普段、事故も起こらん、何もないと、何も護られてないような、神さんに見捨てられたような感じ、はははは。そうじゃない? いつも大難になるところを護り続けてもらってね、無難に置いてもらってるんですよね。小難に遭うのはいいわけよね。

 だから、そういう感謝を、見えないところへの感謝をずーっとしている方が、たくさんの護りをいっぱい受ける番組なのよね。いつも事故で車失ってたらね、ものすごい大損するよ。それを毎日護ってもらったら、毎日いい車一台もらってるような感じになる。

 命の個性      

参加者:
 命というのは、死んだ後に個別で存在するものなのか、それとも大きな大きな一つの神様の中に入る感じで、一つの一体としてのものなんですか。

ありがとうございます
 個性がなくなるんじゃないのね。個性というのがあるのね、奥へ入るほどね。神様と一体化すれば個性が生まれるのね、部分的にも。
 例えば、この手がそうでしょう、五つの指があって、全体と一つずつつながってるから親指・人差し指って個性が生まれるのね。これを切ったらもうないでしょう、指があるだけでしょう、名前はつかないよね、親指とかいうのがね。親指と人差し指をすげ替えたら人差し指になってしまうもんね。
 だから、常に神様とつながってて個性が生まれるのね。それは、この世的にいう個性じゃないのね。
 「本当の個性、本当の働き」全体にとって絶対になくてはならない必要な働きが「個性」なのね。
 それを部分的に見たらそういう個性があるのね。またその本当の自分は神様から一瞬一瞬新たに神様の全てを受け直す自分なのよね。その時は「全体を受けた自分が意識の中心を持ってる」というのが「個性」なのね。
 ダイヤモンドの面が無限にあって、どの面を自分が意識の中心にするかによって、無限の人がいてたら、無限のその面があってそこを中心にしてるからね。ある意味では、面によって見方がみんな変るわけでしょう、見え方が変るでしょう。そういうようにみんな個性が違うのね。全体を受け直しても個性がある、みんなね。部分的に見てもみんな個性が違うのね。

 その、魂という方は、そういう個性とはちょっと違うのね。魂の方はね、例えば肉体から抜けてあの世へ行って、大きい魂の人は幾つかに別れていくつかの魂になったりするのね。また、幾つかの魂を集めて大きく魂を一つにする時もあるのね。寄せ集めができるのね、分割もできるね。だから、魂はもう永遠に一つのものがずーっと続くんじゃないのね。その辺をちょっと区別しないとね。本当の自分は命の方ね、魂の方じゃないね。大きくまとめたり、分割されたりしたら、自分が消えてしまうものね。
 でも命の自分は永遠不滅よね、個性がはっきりあってね、一貫性があるわね。

参加者:
 例えば「命の個性」というのは、例えばどんなですか。

ありがとうございます
 そうね、無限に複雑よね、「神様の全徳の無限の無限の輝きが一杯!」というのを本当の自分を受け直すんでしょう。その中には、例えば「愛」とか「知恵」とか、いろんな能力にしてもありとあらゆる要素ね、ぜんぶ、どういう割合で輝かすかって全部違うのよね。
 だから、愛がものすごく前面に出てて強い個性の人もあるわけよね。知恵が前面に出て、それが一番輝いた個性があるわけでしょう。それが神さんの特性をぜんぶいろんな色合いに振り分けたら、無限の色合いが複雑に組み合わさって、本当にもう見事な綾模様をつくるのよね。だから花火ぐらいじゃないよね、虹のような感じでもないよね、もっともっとすごい色合いのものが生まれるわけでしょう。だからその色合いの違いよね、全体像の色合いの違いが生まれるわけね。

参加者:
 光の存在というのと、また違うのですか。

ありがとうございます
 その光が、こういう肉眼で見るこういう物質の光は電磁波の一種だから単調なもんでしょう。
 でも、本当の神様の特性の光は「愛の光・知恵の光」とかいろいろと言ったら、みんな違うのよね
 ただ、物質の光という単調なもんじゃないのね。ぜんぶ、光に変えた光なんよね、いろんな種類の光になってくるね。

 無限大のイメ−ジ     

参加者:
 もう一つ、無限大と宇宙大の広がりのイメージを教えていただけますか。夜空の広がりとか、どういうふうにイメージすると、宇宙大とか無限大の―― もう少しどんなのか教えてください。

ありがとうございます
 この肉眼で見える限りずーっと宇宙を追っても、肉眼で見えるのはほんの僅かな世界でしょう。
 それに最高の天体望遠鏡で見ても、まだ奥々があるんでしょう。まだ、とらえてないとこがね、やっぱり無限に広がるのね。だから、この世の次元の広がりだけを見ても、無限に広がっているっていうの、とらえどころないよね、まだね。
 それがね、こういう世界がまだ奥に無限に無限に続くのよね。だから、この見ている大宇宙は、一つの他の原子の中の宇宙かも知れない。相似形の姿をとって、宇宙が入れ子構造の姿が出てるというのはそういう意味なんよね。その大きい宇宙のまた原子の中に、また宇宙があるというような感じで、それが無限に広がってたらね。本当ね、今のこの宇宙、どこの原子の中の宇宙かなあと思うじゃない。でも、宇宙構造の一つの要素でしかないのね、そういう見方もね。まだいろんな無限の見方がたくさん出てくるね。

 だから、人が想像できる限りの「無限の無限の‥‥」と言ったって、まだまだ追っつかん。だから、どこまでも奥深いし、どこまでも広がるしね。

 神様を感じる     

参加者:
 じゃあ、神と一体と思うでしょう、光の中の存在として、瞑想なんかをしている時に。その輝きというものが分かりませんけども。ただ「ありがとう」と言ってれば、ポン抜け出したり――

ありがとうございます
 そうね、自分を神さんの中へ融け込ませて行くのが一番神さんを感じやすい方法なんですけどね。
 小さい自分を「自分」って掴んでおくとね、その自分の中には、自分が受けられる範囲の必要なだけしか入って来ないのね。

参加者:
 だから、それを大きく、大きい存在にどっぷり漬かりたい、という気持ちでいますから――

ありがとうございます
 自分をどんどん神さんに預けてしまうのね。預けて預けて、小さい自分を消してもらうと、神さんの大きい中に融け込んで行くのよね。それがもう「自分を捧げ尽して感謝する」という生き方ね。
 そうすると段々と神様へ飛び込んで行くに連れて、神様の大きい存在と一つになって行くと、自覚がどんどん広がるのね。

参加者:
 ありがとうございます、まだちょっとよくわからない。

ありがとうございます
 ははは、これは頭で考えても無理よね、ね。「ありがとうございます」の中からね、中から実感として与えてもらわないとね。

 愛と情の違い     

参加者:
 昨日の夜、話題があがってたんですけど、「愛と情の違い」というのを、重なる質問があったかも知れませんけど、教えていただきたいんですけど。

ありがとうございます
 「愛情」って「愛と情」分けて言葉を使いますよね。その時は「愛」は神様の愛の方を指しているのね。「情」は執着の思いの方やね。そのバランスを取ってこの世の人は結婚してるというたらそうやね。
 「愛」は感謝の方なのね。「情」は思いの方なのね。「愛する」というのと「好き」というのは違うよね。
 「愛」は与え尽すだけなのね、相手に必要なものを的確に与え尽す思いやりがあるのね。そして全てをプラスに見る寛容の心があるのね。それでその過去を掴まずに、いつも新たに新たに受け直す赦しの心があるのね。だから、「愛」は絶対他の自由を縛らないね。「思い通りに」という願いはないのよね。
 一切他の自由を縛らないのが「愛」ね。だから本当の「愛」があったら、そこに無限の調和がスッと出てくるね。

 でも、「情」の方はやっぱり「思い」なんよね、「思い通り」にしたいのね。
子供があっても「子供を自分の思い通りにしたい」というのは「情」の方やね。子供を自由にのびのびと育てるのが「愛」の方やね。「思い」は必ず自由を縛るから反発されるのね。縛りを跳ね返してくるのね、反抗してくるね。「情」というのは「思いの縛り」なんで「貸し借りが生まれる」のね。
 「貸し」がこっちに多いと相手に対しては「嫌い」になるね。借りている方が多いと、助けてもらう量が多かった人に対しては「好き」になるね。本当にそうよね。
だから「好きだ、好きだ」と言うのは、前世で借りが多いの。それで今度返さんならんから、恩返しの意味で好きになって尽すのね。その好き嫌いは、思いの方なんでね、それに巻き込まれると苦しみやね。

 「愛の心」は自由に自分を解き放してくれるのでね、どんだけ与え尽しても、喜びが中から湧き上がるようになる、幸せになってくるのね。だから、報いを求めんと与え尽す愛の心を生きるのが一番幸せよ。

参加者:
 「愛情」と言われると「愛と情」がセットになってるのかなと思って、そうじゃなくて、勝手に人間がごちゃ混ぜにしてるだけで、ぜんぜん違うと考えた方がいいですか。

ありがとうございます
 この世でもね、「男女の愛」というと、相手に求めて縛ると、みんな問題起こして苦しんでるでしょう、両方ね。でも「相手の幸せになるように」と言って、与えるだけの生き方だったら、相手を縛らないし、相手に何も求めないから「相手の幸せだけが自分の幸せ」という感覚で自分の幸せが大きくなるだけなんよね。だから、求める心が起きたらみな地獄絵図を現す、いずれはね。

 でもね、与え尽すだけの生き方とる人は、みな極楽の世界へ住むのね。極楽の世界は相手に一切求めないからね。相手の幸せの為だけに尽すでしょう。そういう世界は、回りの人がその一人の人に対してどんだけ尽してくれても「私の変りに尽してくれた」って感謝するだけなんよね。嫉妬心も何も起こらないのね。

 「自分はもうあの人の為に、自分を与え尽すだけ」という気持ちで生きている人は、もう絶対苦しまないね。「自分の足らないところは、宇宙のぜんぶが代わりに、あの人の幸せの為に尽してくれてる、与えてくれてる」という感覚なんでね。そういう人は宇宙の全体から幸せを与えてもらうのね、極楽世界に住めるのよね。

 だから、もう与え尽す生き方が一番幸せになるのね。ちょっとでも求めたら、番組を下げて地獄の方へ行ってしまう。(下がるんですか)下がって行くね。…(ざわめき)…


 子供の教育・躾     

参加者:
 今、教育の問題もそうなんですけど、今迄の我々が受けてきた躾とか教育ですね、今の観点から見ると殆ど「なってない」ということになっちゃいますね。

ありがとうございます
 そうでしょう、求めるばっかしでしょう。「こうせえ、ああせえ」ってね、番組下げて行くばっかしよね。それで、子供が反抗してそれを跳ね返そうとするのね。

参加者:
 ある意味ではこういう世の中の状態になったのも、結果的にいいことなんですよね。

ありがとうございます
 そうね、それに気付いてまたプラスの方へ向くんでね。

参加者:
 ここにいる方はすごいチャンスです。

ありがとうございます
 チャンスね、だからみんなに幸せを与えるだけを心掛けたらいいんでしょう。
本当の幸せは、自由を奪ったら幸せになれないね。だから、絶対自由を奪ったら駄目ね、人の自由を縛ったらいけないね、人の自由に任せた方がいいね。それで必要なものを的確に与えて行けばいいんでしょう。丁度、花の種を撒いて、育てる場合がそうよね。芽が出て水をやるわけよね。ちょっと伸びたから「早よう花開け」って引っ張ったらちぎれて、花が咲かなくなるよね。

参加者:
 自由の中の「甘やかす」っていうのは、すごい差がある、深いところがありますよね、甘やかして子供を駄目にしたって。

ありがとうございます
 そうね、「甘やかす」というのはね、必要以上の必要でないものを与えてるのよね。だから、肥しを与えるんでもね、必要なだけを与えたらすくすくと自然に成長するのよね。肥しをやり過ぎたら、今度は逆に育たなくなるでしょう。だから必要なものを的確に与えるのが正しい愛なんよね。

参加者:
 「与え尽くす」でも「甘やかす与える」というのは間違いなんですか。


ありがとうございます
 そこに知恵が無いのよね。「何が必要か」って見抜けないから、必要でないものを与えるのね。水をやるのでも水やり過ぎたら根が腐るわね、必要なだけを与えなあかんね。根を下ろさないといけない時期は、水をやり過ぎたら駄目なのよね。根が浅くなってね、弱くなるね。ある程度乾さないといけないでしょう、根を深く下ろさせる時期はね。それを見抜けたら「愛」なんよね。
 見抜けなかったら「甘やかし」よね。「いつも水をやったらいいんだ」と思ってやり過ぎて、駄目にしてしまうんですよね。

参加者:
 「自由を与える」、というのと「やりたい放題やらす」、というのとちょっと違うんですね。

ありがとうございます
 一番自然な正しい成長の出来るようにするのが、この命の自由を護ってることになるのよね。
 命の正しい成長を妨げるのが自由を奪ったことになるね。

 職場において     

参加者:
 職場の上下関係がある場合、上の立場も下の立場もいろいろストレスがかかる時代です。
 縛る言葉をどうしても使います、自分の思い、悩みとか、いろいろ命令される。人の動かし方とか、自分にはできるけどという。要するに求めるんですね、自分が動けば済むことを。やはりその人にわかっていただくためには、ああして欲しい、こうして欲しい、言えば「欲しい」という要求ばっかりを押しつけ気味になるわけです。そういった時にどうしても、言葉では現せない時に自分の思いが跳ね返ってくる。
 昨日のお話しでは、自分の思いがその場に現れるから、そういうのを僕自身職場でそういう思いを跳ね返して勉強させていただいているんだろうと。そして自分の役割とか使命とか、ある時期もうちょっとステージを上げれば衝突しないで済むのを衝突する時とか、特にいろいろな思いでぶつかり合う時は、場面場面でそれぞれのストレスのかかり具合が、最近は大分肩は楽になってますけど、いろいろと思い悩む。
 まあ、投げやりになる場面とか、すごく悩み苦しみ抜いて辞められる方が沢山おられるわけですよね。
 体力的なもので辞められるいうより、そういう精神的な苦痛というのがすごくお一人お一人、特に女性が辞められる方が多いんですよね。辞められるという職場の風土は、何かそこに問題があるのか、そこのトップの方針に何かあって去って行かれるのか、そういうのをちょっとお聞きしたいなあと思って。

ありがとうございます
 調和を生み出すのは、やっぱり神さんの助けを受けないとできないですよね。

 どういう職場でも一人「ありがとうございます」と感謝する人が出てきたら、神さんの助けを受けて調和が生まれてくるんですね。感謝しないとやっぱり我をみんな出しっぱなしよね。そこに「我」を出した時には、神さんの助けは入って来ないね、みんなの自由を尊重してもらうだけにね、我のぶつかり合いになるでしょうね。それで強い人は残るけど、弱い人は負けて出て行くのね。やっぱり誰かが、感謝し始めないと調和を取り戻せないのよね。

参加者:
 最近すごく辞められる方が多くてね、僕自信の問題としてとらえた場合に、こういうご縁をいただいて、自分でそこに止まってどういう役割をしたら、もう一度分かったような気がしますね、ありがとうございます。今朝、ここへ来させていただいて、お祈りをする時、すごく涙がボロボロと出て、涙と、汚い話しで鼻水がね、何でそんなに―― 以前瞑想した時に、一・二度起こったことがあるんですけどね、久し振りに涙が自然に起こって、体が疲労、そこらにおられた方がなんか「肩がずっしりという感じがした」と。今朝すごくずっしりしたんですよ、自分から後ろからいろんな後押しとかそいういう感じをね。やっぱりこう、気づきなのか、与えていただいたんかなあと感謝しております。ありがとうございます。

ありがとうございます
 ありがとうございます。職場でいろんな仕事をする場合でも、目的よね、何を目的にしてるんかというのをはっきりさせるのが大事ですよね。「会社の為に」とかね、「お金をもらう為に」とかね、それ小さいですね。
 本当の目的は「神様の最高表現を現実化するのが目的」なのね。最高の理想を現実化して幸せ一杯にこの番組を変えて行くのが目的なんでしょう。その為には神さんの助けが絶対必要なんよね。神さんの助けをたくさん受けて、最高理想を現実化してもらったら、一番調和した姿、状態が生まれるでしょう。

 だから、会社が利益追求なんていうのはまだまだ低いね、マイナスの状態なんよね。お金儲けを考えんと、もう世の中の幸せの為に一所懸命尽す会社になったら、必要なものは自然にずーっと回りから集まってくるんですね。そしてその循環が早くなって、本当の生かし合いの調和した社会に生まれるのね。だから「お金儲けをするな」て言うたって、それは無理なんよ。やっぱりお祈りして、感謝して神さんの助け受けて来ないとそれが置き換わらないのね。
 会社自体がお金儲けを追求している間は、まだまだマイナスの状態やね。本当に神さんの助けを受け出したら、みんなを幸せにするためにどんだけいい働きを沢山して行こうかというふになってくるのね。そうすると楽しくなるの、仕事がね。それも誰か一人ね「ありがとうございます」を唱えてあげないと、会社自体も変らないですもんね。
 だから大事なんですね、一人お祈りする、というのがね。

 「ありがとうございます」の言霊     

参加者:
 もう一度「ありがとう」という言葉の言霊の必要性を――

ありがとうございます
 「あ」が「絶対」というのはものすごい意味があるのよね。
相対の全てを超越してるというでしょう。例えたら、海があって、表面に波がありますよね。海全体が「絶対」ね、表面の波が「相対」の表現になるのね。「新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯!」という姿で天照大神が現れるね。それは、もうあくまでも表面の波の姿なのね。だから、「絶対」の方は、その姿のはるかに無限に無限に偉大な存在ね。だから、同じものを二つと創らない、同じことを二度と繰り返さない、これが永遠に続いても大丈夫というだけのものを持っているわけ、中にね。それが「あ」なのね。「絶対・光源・命の根元・光」というのね。だから「無限の無限の大光源」これもまだ小さいのね「あ」という絶対の意味は。

 「り」は、ら行音の「り」で、常に宇宙の創造の仕組みが、螺旋構造の組み合わせになるね、神様の持っているいろんな要素、一つの場から螺旋状にぜんぶ出てくるのね、これも無限に複雑なんでねえ。
単純化すると、例えば、一つの要素を何%かずつの割合に振分けるわけね。割合を変えると生まれるもの全部が変るでしょう。ほんとは無限に振り分けてそれを螺旋状に放射してそれを組み合わせて行くんですけど、あまりにも複雑すぎてわからなくなるね。だから、だいたい四つに分けて考えると。ただ、十%、二十%、三十%…、というような感じで――
 全体を十として割合を一、二、三と振り分けて、それを螺旋状に放射させると、それが相対の要素を二つを割合を組み合わせるわけね。そうすると何かそこに形が生まれてくるでしょう、小さい姿から相似形の大きい形までね、どういう割合の姿で交わったらどういう表現ができるかってね。これ模型としてね、ちょっと推測がつくのね。本当は無限の割合の振り分けがあるわけですよね。余りにも複雑すぎてもう頭がパンクしてしまうよ。だから一番単純な模型的に考えて、螺旋構造の組み合わせを考えたら、それも平面的だけじゃあわからないね。立体的だけでもあかんまだね。もっともっと複雑なん、本当の組み合わせはね。それもあまり考えるとわからなくなるのね。
 平面的に模型として組み合わせて行くのね。その図形をずーっと書いていくと、やっぱりいろんな調和した図形が順番に生まれてくるのね。
 皇室の十六菊の御紋ってあるでしょう、あれも組み合わせによって生まれる図形の基本パターンなのね。「天照大神様」の模型なの、本当はね。最高理想の表現の模型になってるのね。仏教は蓮の花を使うのね、十六花弁で調和した姿をね、これを悟りの本当の姿と見るわけでしょう。「蓮の台に座る」というけど、極楽の蓮の花に座ったって、じっとしてたらしんどいよ、はははは。そういう意味じゃないのね。極楽の世界は神様の最高理想の表現をとってるという「天照大神様」の最高表現の姿をとってるという模型を、蓮の花の十六花弁で現してるだけでね。だから、そういうふうに「り」は螺旋状に動く創造の働きを指すのね。

 「が」は、「か」をダブらせて「輝きに輝く」という「無限に無限に輝いた表現をとってる」という意味で「が」やね。

 「とう」は「ありがたし」という「た行音」と「さ行音」た行音は縦の線で、さ行音は横になるんですけど、縦横十字に組み合わせるという、丁度、「とう」で十字にね。だから、必ず組み合わせの「十字」には、中心があるのね。この中心という意味が大事なのね。中心が無いとみんなバラバラになるのね、調和しなくなるのね。だから、原子にも原子核、という中心があるでしょう、太陽系は太陽が中心があるでしょう。もう全てに中心が生まれないと分散してバラバラになって消えてしまうね。だから全てに中心があるのね、これが「とう」の意味やね。大調和する働きやね。

 「ご」は、「こ」をダブらせて「凝り固まって、凝り固まって」ってね、「物質化して、物質化して」って、高い次元が「低くなって、低くなって」っていうね。

 「ざ」は、「さ」をダブらせて、「さらさら流れる」というね、命の光の流れを「さらさら、さらさらと流れてる」というふうに見るのね。だから全てが変化して流れないと一つに止まると水でも腐っていくんでしょう。止まったら味気なくなるわねもう。やっぱりさらさら流れて、それも無限にスピード化してどんどん流れてこそ、いつも新鮮な素晴らしいものに感じられるのね。それが「ざ」やね。

 「い」は、「命」の「い」で、もう全てが神さんの命を「生きている・輝いている・躍動している」というね。この世の人は「物」と見るのは間違った考え方なんよね。静止した物を見てしまうんでしょう。石ころあったら石ころを動いてないように見てしまうのね「物」と見てしまうのね。これはもう執着の間違った錯覚なんよね。本当は中が無限に躍動してるのね。新しい原子が無限にどんどん生み出されてね。どんどん新陳代謝してるのよ。原子一個そうよ、石ころ一個もそうよね。もう全てが命の新陳代謝が無限に無限に行われて躍動して生きてるのよね。そういう意味で「い」なんよね。

 「ま」は、「まったき・完全な」という意味で、神様の働きの全てを見た時に、もう完璧極まりないのね。非の打ちどころがないのね。どこにもマイナスはないのね。もしマイナスを認めたとしたら、見方が間違っているだけね。だから地獄番組を見て、これをマイナスと見ること自体が大きい間違いよね。悔しかったら両方創れるかというたら創れない、絶対ね。神様の最高傑作の一つになるのね、創るのは難しい。その神様の働きの全てが常に絶対から生まれて絶対へ戻るのね、循環し続けてるのね。それが絶対の「す」ね。

 それで「ます」というのが、いつも新たに新たに置き換わってくる、それがいつも「いやましにまして」更に良くなって増えてっていうんで「ます」なのね。それで「ありがとうございます」で神様の働きの全部を指し示しているのね。神様の全身・全体像、それが「ありがとうございます」ね。
 (ありがとうございます)


参加者:
 言霊の一つの働きがあるとしたら、例えば、「あいうえお」から最後まで言って行ったりとか、「いろはにほへと」をずっと言っても、それなりの働きがあるんですか。

ありがとうございます:
 あるんですけどね。「あ」と言うたら「あ」の言霊の意味を、まあ、体得していけるんですけど。
 ただ「あ」というのは、神様の全体から見ると、ダイアモンドの一面に当たるわけです。「あ」が前面に出て「あ」の言霊がここにあるんでしょう、そのバックがいろいろ変化するのね。「あ」という言霊もいろんな意味合いを沢山持つのね、一通りじゃないのね、バックの違いによって大きく変化するのね。
 いくら「あ」て前面が出てきても、他の言葉もぜんぶ同じよね。それで神さんの方がいろんな言葉・言霊を組み合わせて、もう無限の創造を繰り広げるわけでしょう。だから、同じ「あ」でも、ほんとは、割合が全部で百%あるのと、一%あるのとぜんぜん違うよね。一%の時はバックが九十九%とか、いろいろに変化してるのね。だから、バラバラのは何もないのよね、ぜんぶ一体なんよね、一体でありながら、どれが前面に出て働くかってね。

参加者:
 「あ」でも「あかん」とかだったら、いい働きじゃない「あ」が出てくる

ありがとうございます
 そうね、だから無限の無限のチャンネルというのは、最高番組一つで良さそうだけど、それはもう最高理想やね、低い番組もあるということはね。もう、全てを尽くした表現やね。「無いものは何も無い」という、全ての組み合わせが生まれているわけよね。そういう意味ね。
 だから「あ、あ、あ」の言霊って簡単には言っても、無限にあるのよね意味がね。その時その時いろんな使われ方を指してるよね。
 「あかるい」と言うと、「あ」の割合が大きいかも知れないね、「あかん」て言うたら、ちょっと「あ」の意味合いがちょっと少のうなってしまうよね、マイナスに使う「あ」はね。(ありがとうございます)

 「ありがとうございます」の出方     

参加者:
 「ありがとうございます」と自分で言っている時も、心の底からスッと言える時と、言葉で終わったりして、空回りしている時があるんですけど、それはいろんな日常生活で、唱えて行く中で深まって行くもんなんですか。

ありがとうございます
 自分が唱えてるというと、浮き沈みが出てくるのよね。本当の「ありがとうございます」は、神様の全体の働きでしょう、神様が祈り続けてくれてるのよね。その神様の働きを、神様の祈りを受けるだけのような感覚がいいんですね。小さく受けても大きく受けても、いつも神様の祈りを受けているというね。
 必要に応じて、必要なだけが入ってきているんだから。呼吸でも同じよね。空気一杯深呼吸する時もいいしね、静かにスースースーと吸うて・吐いて、吸うて・吐いて、細かく息するのもいいんでしょう。
 その時その時必要なね、呼吸が生まれますよね。激しい運動したら呼吸が早くなるのね、静かにしてる時はゆっくりした深呼吸でいいよね。だから「ありがとうございます」の出方も、必要に応じて出てくるよね。

参加者:
「唱えてる」という意識が邪魔しているわけですか。

ありがとうございます
 そう、お祈りは「感謝をさせていただいている」という受け身の方が楽よね。

 涙     

参加者:
 なんだが嬉しくて涙が、出て――
単純ですね、信じやすくて―― 先生が目の前にいらっしゃって、もう、神様の中にずっと入られたみたいで嬉しくてもう―― 「ああ、いつも見てもらってるんだなあ」って気持ちが湧いてきました、三日いて本当―― 良かったと思います。三日目にこういう感情をね。

ありがとうございます
 ね、いつも神様に抱かれてるんよね。

参加者:
 本当ね、そういう気持ちが今ふつふつと湧いてきました、ありがとうございます、この気持ちをずっと抱いて実践して行きたいと思います。また忘れた頃には参ります。
 (笑い)こういう単純な私も好きなんです。

ありがとうございます
 涙が出てくるというのはね、本当はものすごいお浄めなんですねね。
 まあ「なきさわめの神」というのがあるのね、古事記にも出てくるんですけど。これもう、悲しみをね、消しきって喜びに変えるいい神さんなのね、浄めの働きなのね。マイナスを掴んで、心を痛め悲しんで苦しむのね、それをぜんぶ消しきってね、喜びの心の湧き出るように変えてくるのが「なきさわめの神様」の働きよね。
 涙と一緒に出てくるね、ほんとの「浄・清」めの涙・光の涙・喜びの涙なのね。悲しいから泣くのじゃないのね。心の悲しみを消してもらったら涙が出てくる。本当に悲しい時は涙は出ないね、涙なんか止まってしまうよね。も〜の凄い苦しい状態よね。ところが神さんの沢山の「浄・清」めの働きが入ってきたら、消してもらって涙が出てくるね。泣けば泣くほど悲しみが薄らいで消えて行くのね。だから喜びの涙やなんよ、
 本当はね。悲しみの涙じゃないよ。悲しみを消してもらった喜びの涙というのが本当ね。悲しいから泣くんじゃない。
 悲しみを消してもらって喜びを与えてもらったから、涙が流れる、みんなは逆に見てるね。



 進化論     

ありがとうございます
 進化という意味がね、下からの積み上げじゃないのね、神様の方から物質化でしょう。
 最初は単調なものが生まれるでしょう、どんどん複雑なものを物質化して現して行くのね。低いものが立派に複雑になっていくのじゃないのね。

参加者:
 だからよくあのほら、北京原人とかなんとか、それから段々こういうふうに今、進化してきたと。

ありがとうございます
 そうね、その進化論も人間の浅知恵の間違った考えね。

参加者:
 神様っていうのは凄いですよね、初めっからそういうふうに人間をを創ってくださっているんですよね。

ありがとうございます
 そうよ、この人体も「小宇宙」というだけあってね、大宇宙と同じ構造を持ってるのよね。だからこれは神様の最初からの創造の姿でしょう。この低いもの高くなるんじゃないのね。低いものから順番に、高いものが下ろされてきてるだけなの、神さんの方からね。だから、猿から人間に進化したん違うのね。
 猿は猿ね、人間は人間ね。猿の後に人間が下ろされただけなのね。
 進化論を唱える人は、神さん無視してるね。最初、何もない混沌としたものが、勝手にその生命になって、生命が次から次へ進化して複雑になるかっていうと、そんなことあり得ないよね。そしたらずーっと石ころ置いといたら人間生まれるか――(笑い)猿をずーっと飼い続けたら、そっから人間に進化するかって考えたら、絶対あり得ないことなんよ、それね。

参加者:
 今私が六十年余り生きてきて、猿はやっぱりこの六十年猿で―― だから、絶対そのそういうふうなものが今の人間に進化したんではないだろうなって思ってたんです。それで、進化するのにこんなに精巧に進化できないだろうと思ってたんです。

ありがとうございます
 だからね、神様の方から降ろされてくるだけね、必要な姿をね。

参加者:
 はい、ありがとうございます。

 優良星     

参加者:
 この大宇宙の中には、優良星の星があって、この地球上のトラブルのない星があると、そういうふうに聞かされているんですが、そういうことはあるんですか。

ありがとうございます
 無限にいろいろ奥深い中には、良いのと悪いのとぜんぶ取り揃えてる。ただ、この世の次元だと、この世の次元なりの、良いものと悪いものといっぱいあるしね。もっと高い次元の番組だったら、もっと良いものばっかし、というのもあるしね。それはもう人間が想像する限りのこと全部、ただそれ氷山の一角としてあるだけでね、もうぜんぶ取り揃えてあるね、はい。

参加者:
 そういうレベルの星へ、登ようなレベルまで、我々が登ってかなくちゃなんない。

ありがとうございます
 いえいえ、もっともっと、もっともっと最高の番組まで登らな。

参加者:
 それはもうこの世で優良星を飛び超えた、もっと最高のところへ目指してですか。

ありがとうございます
 そうですね、だから「神様にお任せ」全託してね、神様に連れて行ってもらうのね。自分の力で行こうと思ったら限界くるからね、神様にずっと導いてもらって引き上げてもらうのね。

 神様からのメッセ−ジ     

参加者:
 偶に、朝とかにフッと感じたり、フッと今日は予定外のことをしたくなったり、フッとというのがあるんですが、あれは神様が何か教えてくださっているというか、どういうことなんでしょうか。

ありがとうございます
 いえ、いろいろあるのね、本当の神様からのメッセージいうと、「ありがとうございます」を唱えて、神様に心を向けて受け身になってる時よね。その時その時、必要な助けがスーッと入ってくるよね。それだったら「神様の導き」って受けたらいいのね。
 でも、心を暗く暗くした時なんかにフッと閃いてくるのはね、暗い世界からのメッセージやインスピレーションなんよね。それに従ったら暗い方へ引きずり込まれるのね。だからその選別をしないといけないね。何か決める時は、明るい心になって決めるのがいいね。だから「ありがとうございます」唱えて心明るくして決めると、いい方へいい方へ行く。(しんどい、とかは言わない)ははははは。

 鬱状態     

参加者:
 昨日も先生にすがりつきましたんですけれど、みな次元の高い質問されて、私自身のことで恥かしいんですけれど。ずっとここ一ヶ月ほどうつ状態で、仕事もしたくない・炊事もしたくない・もう家庭の主婦がする仕事、これから自分の天職としてやっている商売の方も何にもしたくない状態で、人とも会いたくなくって、顔も合わせたくなくって、一人もがいて苦しんでおったんですけれど、姉に連れられてここに来させていただいて、先ず、いつも逃げとるんです、仕事したくなくなると。それもやっぱし私が「ありがとうございますの気持ちが足らない」ということなんですね。

ありがとうございます
 そうね、過去にね、やっぱりそれが足りなかったんですね。仕事でも自分が頑張ってしてるのは良さそうにみえるんですけど、やっぱり違うんですよね。神様に必要なことをさせていただいて「ああ、幸せ」っていうふうに喜ばないけないね。だから、させていただくことを喜ぶように受け身になればいいね、そしたら楽になるでしょ。「自分で全部しなきゃならない」いうとね、縛られて苦しくなるのね。
 誰でもそうよね、義務的に・強制的にされると嫌になるね。(責任感が強いから)そうでしょ。だから極端に言うたら、もう何もせんでもいいぐらい開き直って、それで、もし動けたら「神様にさせていただいてありがとうございます」って喜ぶ生き方がいいよね。

参加者:
 わかりました、ありがとうございます。いやあ、本当に仏さんも頑張って拝んでまして、付き合いのお友達とも皆、正観先生に出会った去年から「ありがとうございます」を唱えて、自分なりに一所懸命生きてる積もりなんですけど。八月ぐらいから段々段々墓穴を掘る感じで、考えれば考えるほど落ち込んで、私も「ありがとうございます」を、昨日から先生のお言葉を聞いておりまして、自分の感謝の気持ちが足らなんだんかなあ〜と思いまして。

ありがとうございます
 だから後はね、深まるばっかしよね、感謝がね、明るくなる一方。
(ありがとうございます)

参加者:
 私の家で一人寝てると言うんですけども、強引に連れてきました。パワーをいただかないと、みんなの―― 特に先生のパワーを。

ありがとうございます
 だからもう心配ないよ。

参加者:
 えらい時も・落ち込んだ時も、それも神様からいただいた時間だと思ったらいいんでしょうか。

ありがとうございます
 いえ、すぐに明るくなるでしょう、すぐに明るくなるって、もう落ち込むのを楽しまんでもいい。そりゃあ一瞬に明るくなる。これもね、病気して健康のありがたさに気づくように、本当のうつ状態を体験した人は、普段の心の明るさに、幸せをいっぱい感じるようになるのね。別にマイナスじゃなかったんよね、これから明るい幸せ一杯味わうよ。(ありがとうございます)

 背後霊と守護霊     

参加者:
 神様と私達が直接につながれなくて、守護霊さんを通して神様からのメッセージを頂けるようになる為に、どのチャンネルにいても神様につながれるんだ、と思えばそのステージがあって(そうやね)守護霊さんは変らない、というのをお聞きしたんですけど、私が四十ぐらいの年齢の時に、亡くなったおばあちゃんが守護霊だと言われたんですけど、どう考えたらいいんでしょうか。

ありがとうございます
 亡くなった人が背後につくのは、背後霊としてついてる。守護霊さんになるには、悟りを開かないとね。(じゃあ、亡くなった人がつくってことは)ないの、背後に守りにつくだけね。「護ってる」という意味で「守護霊さん」と言う人があるんだけど、それは本当の正守護霊さんじゃないのね。背後につく守り神、無限にあるかも知れないよね。「その一人」というぐらいの見方よね。(だから、直接神様とつながってる、と思って)だから直接神様に、というと宇宙全体の全ての神様・全ての人から・全てのものから・全部から護られてる、という意味よね。必要な助けはどっからでも来るのよね。それが人から来るかも知れない、ね、動物や犬や猫からも助け来るかもしれないでしょう、ね。そういう意味で全体から来る、ていうのが、神様と直接つながって助けてもらう、という意味よね。

 自分ひとりの生き方     

参加者:
 神様も私が感じたものを一緒に感じ、自分が感じるってことが大事なことで、神様も一緒に感じられてるってことも思えることが感動するんですけど、それも、そうなんでしょうか。(そうなんですね)神様も一緒に感じられてるって自分で思えることもそうなんでしょうか(はい)感動ってできるのはあれなんでしょうかね。

ありがとうございます
 自分の一人の生き方というのも、神様にとったらものすごく大事なんよね。だから自分が大きい幸せを感じて幸せ一杯生きるというのは、神様の幸せをそれだけ大きくしたことになるね。いつも神様と一つになって生きてるね。はい。


  子供に必要なものを見抜く     

参加者:
 さっき話していた「必要なものを必要なだけ与える」という「それ以上与えたら甘えになるよ」、と言われたことなんですけど、その「必要なもんかどうかを見抜く時のコツ」みたいなものを何か。

ありがとうございます
難しいですよねえ。神様でないとわからないよね。だから「ありがとうございます」って唱えてる時が一番必要なものを的確に与えてもらえる時ね、自分にとってもね。
 回りの人に対してでも「ありがとうございます」って感謝してる時に、まあ、必要だったら自分を通して必要なものを的確に与えて下さるのね。

参加者:
 「ありがとうございます」の状態に、自分を整えておくというのが一番?

ありがとうございます
 それが一番いいのよね。この世のいろんなもんでも、子供さんなんか見てたら「これ欲しい、あれ欲しい」でしょ、必要なものじゃないのね、思いが先に勝ってるでしょう。「ありがとうございます」って感謝の心になった時は、必要なもので満足できるのよね「欲しい」て言わないね。その時が一番必要なものを与えてもらっている時よね。だから「あれ欲しい、これ欲しい」とグズる時はね、思いに負けてる時やね。その思いを消してもらわないと、余分なものを手に入れてしまうのね。
 だから、子供さんが感謝できなかったらね、親が変りに感謝して、応援するの・カバーするの。

参加者:
 そうしたら、愛百%で育てられた子供さんいうのは、反抗期っておそらくないんじゃないかな、とちょっと思ったんですけど――

ありがとうございます
 無いの、無い、ははは、無い、無い、私みたいに(はははは)私反抗期無かったから。

参加者:
 「情」が入ってくるから、その情が「反抗」という形で、反抗が強いと、情が強いという感じがして、愛が少し足らないという感じかも知れない。

 情・想念     

参加者:
 「情」っていうのは、いつどこからどういうふうに生まれて来たのか―― 神様は最初から「愛」で人間を創られてると――

ありがとうございます
 そうね、だから「愛」って、太陽からくる「光」みたいなもんやね、「情」は「雲」やね、下から湧き上がるのね、「執着」から生まれるのね。

参加者:
 昔からあったもの?

ありがとうございます
 いや、いや、だから雲がなかったら無いでしょう、ところが地上に太陽の光が射し込んで、水分が上がって雲になるじゃない、言うたら、「執着」から生まれてくるのね「思いの雲」というのはね。
 過去を掴む思いが、執着の雲になって、それで、その光をさえぎる時があるのね。

参加者:
 神様のエネルギーは高次で一定のものが常に降り注いでて、後は人間の想念がいろんな物を生み出してくるという感じなんですか。

ありがとうございます
 そうね、単純に言ったらね。本当は複雑なんだけど、単純に表現すれそういう感じよね。

参加者:
 じゃあ、ある意味では、台風だとかいうものも、人間の想念が生み出した現象だというのはどうなんですか。

ありがとうございます
 そうね、ただ、人間の思いでつくれるものって本当はないのね、ちゃちゃなもんでね。神様が番組を用意してくれなかったら、何も生まれてこないのね。
 だから、人が「台風が欲しい」って、思いを積み重ねて、台風をつくれるかって、つくれないね。だから、人の思いはチャンネルをちょっと合わすぐらいの力しかないのね。やっぱり神様のバックの大きい無限の力が全て生み出して行くのね、現実化してくれるんで。
 だから、そのマイナスのものをいっぱい溜めて、マイナスの番組にちょっと波長を合わすだけよね。思いで何かをつくるというほどでもないよね。マイナスをいっぱい溜めて地獄絵図作ってるんかっていうと、ようつくらんわね、あれだけ精巧な最高傑作を―― はははは。

 求める心     

参加者:
 「求める心」てのは、過去を掴む思いから来てるのですか。

ありがとうございます
 そうね、「求める」というのは、現実の不足した状態を掴むからね。「もっといいものを」って、同じ番組の中で求めるでしょう。同じ求めるんだったら、神様に求めたら良さそうなのにね。現実に無いとこで求めるわけよね。(は〜あ)神さんに求めると言うたら、神さんの方は求めんでも与え続けてるから、ただ「ありがとうございます」と受けるだけいいのね。求める必要はないのよね「ありがとうございます」で受けたらいいだけなのにね。無いんじゃないのね、天から降ってるんだけどね。
 現実の番組にはまり込んだら「そこにしか無い」と思うのね。無いところで求めるから、益々マイナスの言葉・思いを積み重ねてしまって、番組下げてしまうのよね。
 (一番下へ落ちたら、上がる時楽や)はははは。〔…沢山の人の言葉が混じって聞き取れない〕ボールでも勢いよう落ちたら自由に跳ね返るもんね。

参加者:
 チャンネル下げるのはもう一瞬で、自分でも訳もわからず一瞬に下がってる思うんですけど。それを最高のチャンネルに合わせるというのは、いつも本当に自分がそこに言葉と意識を絶えず向け続けてなければというふうに―― 本当に下にいたいと思わなくても一瞬に自分が落ちてる、それも自分が見たい時なんですか。

ありがとうございます
 そうね、最初はそれ、落ちる練習をしてるのよ。下を見る練習をしてるのね。
だから、その習慣性がちょっと残ってるのね、癖みたいなもんでね。でも、今度は上がる練習したら、上がる速度の方が早くなるの。バックに神様が応援につくからね。もう瞬間にすっと上げてくれるようになってるから、今度は降りにくくなる。
 でも、本当はそうよね、神様から最高のものを受けたら、謙虚になる方が良いわけでしょう。だから一回受けたら、もうそれでばーっと下まで落ちた方がいいのよね。いっぱいもらい過ぎて重たいから。(笑い)
 それで、またね、神様からすっと上げてもろていっぱいもらったらいいでしょう。受けては下へ落ちて、また受けて下へ落ちてね、その幅が大きい方がね、感激が大きくなる。

参加者:
 はははは、かも知れませんね。


 夢・睡眠     

参加者:
 夢というのは意味があるんですか。

ありがとうございます
 そうね、夢も幾通りも意味があるんですね。でも本当は夢は覚えてる夢と覚えてない夢があるね。覚えてない夢の方に本当の意味があるのね。それはお「浄・清」めの働きね、守護霊さん・守護神さんのね。夢の形でマイナスの心に溜めた思いを、ぜんぶ消し続けてくれるのね。だから覚えているのはほんの一部ね、その中でもいろんな種類の夢があるのね。
 予知的に何か見せたりする夢もあるしね、何かヒントを与える例もあるのね、ただ漠然とボーッと覚えてるだけの夢もあるしね。(どんな夢を見たの?)そうね、大体みんな覚えてないのね。やっぱり覚えてたら掴んでしまうじゃないね、その夢をね。だから、それを心から引きずり出して浮かび上がらして消す為でしょう。だから覚えてないのがいいんでしょう、ねっ。スッと消してもらった方がいいね、そのままね。だからちょっとしか覚えてないよ、みんなね。
 でも、夢は見続けてるのよね「私は夢見ない」という人も、ずーっと見続けて消してもらってるのよね。ただ「覚えてない」というだけ、はははは「思い出せない」というだけでね。

参加者:
 起きた時に「寝覚めが悪い」という、感情だけなんか残ってて夢は覚えてない時とかあるじゃないですか、ああいう時もやっぱりお「浄・清」めしてもらっているとか。

ありがとうございます
 そうよ、寝てる時が守護霊さんの一番働ける場所よね、お浄めの場所よね、寝てる時がね。
 小さい子は、怪我したら大抵寝るの、そしたら回復が早いでしょう、癒しが早くなるね。寝てる時に子供は成長するの、早く育つのよね、それも同じよね。神さんの働きが大きく加えやすいのね。

参加者:
 寝る時間もやっぱり意味がありますか。24時間の中で、神様が与えられた。

ありがとうございます
 必要なだけよ、休ませてもらう、はははは、(短いとか長いとかね)でも、お祈りし始めると、短くて済むようになるでしょう、寝て浄めてもらわんでもね。
「ありがとうございます」でいつも神様の――

参加者:
 お祈りしてる時間は、要は睡眠時間と一緒みたいなもの?

ありがとうございます
 ああ、睡眠時間よりも良い効果。(ざわめき)


 お祈りの姿勢     

参加者:
 お祈りの時間は基本的には座って座禅とか姿勢とかそういう態勢とかいうのはある?――

ありがとうございます
 あんまし執われない方がいいのよね。

参加者:
 極端に言えば、しんどくなったら、バタンと――

ありがとうございます
 その方がいいの、お任せするんだったら自然体よね。形にあまり執われない方がね。形に執われたらちょっと「我」が出てくるよね。こうでなければ、という縛りが出てくるしね。(リラックスして)本当、リラックスしてお任せだからね。(全体から力が抜けて)その方がいいのね。

 食べること     

参加者:
 食事の方もこだわらないで、食べたい時に食べる?

ありがとうございます
 そうね、「ありがとうございます」唱えてたら、必要な食べ物が自然に目の前に出てくるようになるのよね。それで、その中から一つ選ぶんよ、必要なものをね。「ありがとうございます」って感謝したら必要なものを食べたくなって食べるのね。だから、もし毒が入ってたら、わざわざ毒を食べんでいいよね。
 そういう時は選別がつくのね。やっぱり毒には手が行かんのよね、(はあ〜)ね。その時その時どんな状態かわからないもんね、中味まではね。だから感謝してたら必要なもんが集まるし、必要なものを手にとって食べるようになるし、必要なだけを食べられるようになるね。

参加者:
 先生は食事をしてらっしゃらないと聞いたのですが。

ありがとうございます
 私はもういつも何でも食べてるよ、人まで食って、ねえ。霞も食って、はははは。

参加者:
 最近は召し上がってないって――

ありがとうございます
 うんうん、別に、食べてます、あははは
(心配してたんです)必要なだけをいつもいただいてますから大丈夫ね〜。必要以上に食べたら、体壊すかも知れない。ちゃんと必要なものを与えてもらってるね。だから別にね、断食が必要だったら断食もいいですよね。食べ過ぎるよりはいいんですよね。だから、食べないのが悪いんじゃないのよね。必要だったらちゃんとそういうふうに、食べずに元気においてもらうんでしょう。また、食べ物食べて、元気にしてもらう時もあっていいしね。
 それはもう自由自在よね。それもみんなお任せで神さんから必要なものを与えてもらうのね。

参加者:
 玄米菜食、そういうものは?

ありがとうございます
 執われない方がいいよね。感謝してたらそれを自然に食べるのはいいけどね。縛られたらちょっと不自由よね。

参加者:
 食べ過ぎるというのが私の課題なんですけど。もういくらでも食べられる、それで体の調子が悪くなって、それは感謝がなくって食べてる――

ありがとうございます
 別に食べ過ぎて悪いんじゃないですよ。自分が食べれるだけじゃなしに、背後にいろんな縁者が一緒に食べてるかも知れないよね。…ざわめき… それわからないよね。

参加者:
 それで、胃が悪いと思っているですよ。

ありがとうございます
 それは「胃が悪い」と思うだけが悪いね、はははは。

参加者:
 食べれば胃を悪くするって思いながら食べるんですよね。

ありがとうございます
 だからそれ言葉よね、やっぱりね。沢山いただく時は、神さんの光いっぱいもらったって。
 それで背後の人もいっぱい光をもらったと喜ぶよ。

参加者:
 食べるのが好きでいくらでも食べられる。食べるものにすぐ目が行く。美味しいんです、そいで今野菜づくり、無農薬で、無農薬もそれじゃああんまりこだわらなくていいんですか。

ありがとうございます
 まあ、農薬使わんでいいでしょう別にねえ。薬使わんでも、お金かけてまで使わんでいいですよ。虫が少々ついたって、虫にも施せばいいですよ。やっぱり虫も神さんの命を生きて、全体を美しく彩るんでしょう。

参加者:
 今私が理想としてるのは、野草化した野菜、野草を食べていきたかったもんですから、それもやっぱりこだわり?

ありがとうございます
 いや、別に自然でいいですよ、別にね。野草は自然にいっぱい生えてますでしょう。
 そういうのもやっぱり恵みとして頂くのも必要なんですね。今は放ったらかされてるでしょうみんなね。
 (放りっぱなし)もっと活用してもらったら喜びますよね。

参加者:
 小松菜とかごぼうもみんな野性化していくんですよ、そっからこういただくように――
ありがとうございます
 おお、いいですね、省エネで、はははは。その辺に野菜いっぱい植えときゃいいですね。

参加者:
 花が咲いて、そのまんまして、すると種が落ちてまた芽が出て――

ありがとうございます
 いい方法ですよね、はははは――

参加者:
 中にできるのがやわらかくて――

ありがとうございます
 自分の回りの土地へぜんぶ蒔いとけばいいのね、はははは。
ありがとうございます。








ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。


ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
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