ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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「ありがとうございます」のおはなし 2001年7月21日 No.1
子供を信頼する
-ありがとうございます-
中学生の男の子を家庭教師で面倒見ているんですが、勉強しなさいとすごく言うお母さんなんですが、その言葉ではないんですけど全然勉強しない子なんです。
お母さんに反発して勉強しないのではなく、学ぶ楽しさとかがわからないのではと思うので、学ぶ楽しさを教えたいと思うんです。どんな感じで接していれば、その子の魂が輝いてくるのでしょうか。
ありがとうございます:
問題を与えられて、解答して、他の人に採点してもらって、どれだけできたと評価されるより、本当は全部自分が作った方がいいのよね。問題を解くのも自分だし、採点するのも自分だし、評価するのも自分だしっていうね。そうすると本当の喜びって湧いてくるよね。そういう指導の仕方って、最近ちょっと出てきているみたいね。本人を信頼してあげるっていうのが大事ね。
そういう勉強の仕方がいいのかもしれないね。上から一方的に教えてあげるというのが、今までの教育のあり方かもしれないけど、ちょっとそれはマイナスを伴うんですよね。信ずるというのか、信頼関係がしっかり出てくるのがいいのよね。いっしょに遊んであげて、こんなに楽しいんだっていうのをね。すべて自分の責任で、楽しんでいくのがいいと思うのね。
中心は自由に変化
-ありがとうございます-
掛け軸の「神」というのは何か意味があるんですか。
ありがとうございます:
「神」という字ですか?ここに掛けている意味ですか?ここは掛け軸も何もなくていいんですけど、ちょっと寂しいでしょ(笑)。どっち向いたらいいかってね。どっちを正面にしてもいいんですけど、こっちにしましょう(笑)。ちょっとあっても、邪魔にならんでしょ。だから中心とか正面とかは自由に変化していた方がいいんですけどね。ここにいてる人の誰が中心になるかって、みんな順番に入れ替わればいいのでしょ。正面もどこを正面にしてもいいんですよね。ただみんな謙虚なんで、決めにくい時には、決まっているのがいいでしょうけどね。
障害者は高い魂を持つ
-ありがとうございます-
障害のある方にはどう接したら良いのでしょうか。
ありがとうございます:
みんなどういうね、この選んでくるかによって全部一人一人の責任で選んできてるんでね。例えば、小さい時から障害を持って生まれてくるっていうのでも、そういう姿を本人が選んでくるのね。逆に言うと、障害の姿をとって出てくる魂はかなり高いのね。立派なんですね。 ハンディ背負ってでも、自分はこれだけの能力を発揮して、みんなに貢献できるんだっていう、お手本を示そうとするのね。それでもっともっと自分を鍛え抜いて、進化を促進しているわけよね。だから、神様とか本人が、最高って見ているのに、周りが可哀想にというのもおかしいよね。逆よね。本当は褒め称えて、なんてすばらしいと言わないとね。
ハンディ背負っている方が、大きい力がいるでしょ。それだけ障害者というのは、ある意味では潜在的に大きい力を持っているのね。それを逆に可哀想に可哀想にって、足を引っ張るわけよね。そのマイナスの言葉、思いで、もっとハンディを与えようとするのね。
ヘレンケラーさんでも三重苦の御陰で、本当に神様が解ったというのね。感謝も深まって・・・。幸せを本当に感じ取れるようになったというんでしょ。それは目が見えないというのは大変なことよね。一日でも目が見えたら、それだけでも大きな幸せよね、思うだけでね。もし太陽が見えたら、なんて幸せって思うでしょうね。見えてなくてもね。
そういうように、仮定的に空想するだけで、喜べるでしょ。幸せに感じるでしょ。だから障害の本当の価値って、無限に大きい。だから目に見えない勉強、気づきっていっぱいあるのよね。自分の小さい力で生きてきたっていうのがね、たいていは大きく払拭されるよね。自分の力では生きられない、生きてるんではないっていう、本当は大きい神様に生かされているんだというね。
病気してもそうですね。病気して初めて生かされているというのがよくわかるのね。最初から大きい障害を背負ってくるということは、本当の大きい学びを目的を生きているのよね。周りの人も、それに励まされて大きい気づきが増えていくでしょ。だからマイナスはないのよね。ほんとにね。
-ありがとうございます-
ヘレンケラーは三重苦で神様を感じたわけですけど、先生の場合には、神とのコミュニケーションはどういうことによって受けられるようになったんですか。
ありがとうございます:
たいしたことないよね。みなさんと同じなんだけどね・・・。ただちょっと前向きなのかもしれないね。ふつう、危険なきつい辛い仕事、汚い仕事っていうのは、あまり喜んでやろうとしないですよね。でも私は喜んで喜んで、全力で限界破ってしてきたから、そういうのがへっちゃらになって、マイナスに見えなくなってしまうのね。
ある程度、全部自分を投げ出してしまうというところまで行けば、不思議に神様の愛が湧いてくるように感じられるんですね。
根本の要素というのは、自分を空っぽにするかどうかなんですね。ちょっと余力を残していると、まだ中に何かあるから・・・。全部出し尽くして空っぽにする限界が来てしまうと、神様の方が放っておけないよね。何とか助けに入らないと、という感じでね。それが神様を感じるひとつのきっかけになるかもしれないね。
ここに来ている人もそうよね。人がいろんないきかたしていて、一生懸命生きているのを見たら、なんか応援したくなるじゃないですかね。神様の方もそう感じるのよね、この人の世を見ていてね。もう全力出して一生懸命努力して、力もないのに、そういうのを見ていると、神様の方もなんとか応援してという気持ちがおこるんでしょうね。特に守護霊さんとか守護神さんとか、そうですよね。そういうふうに助けてあげようと神様が与えかけてくると、守護霊さんとか守護神さんを通して、神様を感じさせてもらえるんですね。それがだんだんと深くなっていくんだと思うんです。
熱き祈りで唱える
-ありがとうございます-
『神との対話』という本の中で、世界の文学者、映画俳優など、すべての人に神は語りかけていると書いてあります。でもそれを受け取ることのできる人はほんの一部で、その人の透明度によるとも書いてあります。先生の場合は、長い間澄み渡っておられるから、神様の言葉がすっと入ってくるということだと思うのですが・・・
ありがとうございます:
さあ、どの程度入っているんでしょうか。
-ありがとうございます-
その人の進み具合によって、文学者の一言となって、文学作品となったり、映画作品になったりと、いろんな形をとって表現されているとも書いてあります。先生の場合もそうなんでしょうが、どうしたら先生のように神から受けられるのでしょうか。究極は「ありがとうございます」を唱えれば良いのでしょうが、どうしても「ありがとうございます」一言では、不安になるし、どうなのでしょうか。
ありがとうございます:
ありがとうございますだけで本当はいいんだと思うんですよね。ただありがとうございますを唱えるときの、唱え方ですよね。熱き祈りというのが大事なんですよね。
ちょうど片栗粉を透明にするのには、熱湯をかけたらいいでしょ。瞬間にさっと透明になるのね。ぬるま湯では、なかなか透明になりにくい、半透明ですよね。だから一心にありがとうございますと言える時期があると、短期間で、すっと透明になるんだと思うんですよね。
だから大きい問題を抱えたときに、一心に唱えるチャンスを与えてもらえることが、ある意味では透明度を早くするわけね。みんな同じで、誰でもそういうチャンスを何度も何度も与えてもらって、ある一定の期間、一心に唱えたらいいんですよね。そしたら心をすっと透明にしてもらえるよね。ありがとうございますが一番だと思いますよ。
無限の力が備わっている
-ありがとうございます-
自分の特色とか天職とかとのつながりはどういうことでしょうか。
ありがとうございます:
神様と一体の本当の自分は、なんでも自由自在にこなせるはずよね。どんな仕事でもできるはずなのね。だから、今与えられたものが、初めて出会ってその問題を解決しなければならないという時に、今まで体験も何もないから、すぐに力を出せないという意見があるかもしれませんが、でも無限の力は中にあるから、一心に神様に祈りながら、全力を出したら、初めてのものでも解決できるよね。
本当に自由自在に、右、左にどんな難問でも解決できるということになれば、本当の自分がどんどん輝いて出てくるね。片っ端から目の前の問題を解決できて行けたら、もっと問題が増えてもいいじゃないですかね。ある意味で、ゲームを楽しんでするような感じで、ゲームでも単純なゲームはおもしろくないですものね。やっぱり難しいゲームの方が、楽しみ方も大きいというか深くなるものね。
宇宙は入れ子構造
-ありがとうございます-
ありがとうございますは言っても見ても良いということですが、ここに貼ってある大きいシールをさっきからずっと見ていると、一万回くらい言ったことと同じになるのでしょうか(笑)。
ありがとうございます:
そうね、心に本当にはっきり焼き付くように入ってくるのがいいよね。ちょっと小さくしたら入りにくいでしょ。拡大して、拡大して・・・(笑)だからイメージとして心の中に拡大して見えたらね、同じにすっと大きく入ってくるしね。
でも本当の宇宙構造って、「ありがとうございます」という大きい字の中に、小さい「ありがとうございます」が無限にあるよね。そういう入れ子構造で全部できあがっているというところから見たら、こういうのもいいんですよね。
-ありがとうございます-
入れ子構造になっていると発見されたきっかけは何ですか。
ありがとうございます:
創造の原点から眺めたら、みんなそうですね。最初は、宇宙はどういうふうに創造されているのかというところから、ふっと感じさせてもらったんですけど。
-ありがとうございます-
ありがとうございますと言っているうちに、宇宙のビッグバンの近くまで、瞬時に、輝いている神の元に、創造の隠身まで行けるのでしょうか。
ありがとうございます:
行くんですよね。神様の全体像が「ありがとうございます」なんでね。
私物化しない
-ありがとうございます-
日本語だと「ありがとうございます」ですが、英語とか他の言語でもだいじょうぶなんですか?
ありがとうございます:
同じような言葉があればいいんですけどね。日本語だから日本の独占じゃないんですよ。いいものは世界のみんなのものですね。だから外国にそういう言葉があったらね、日本人もそれを自由に使いたいと思うのね。外国の人も同じよね。いいものはどんどん自由に使って欲しいですよね。
日本の国の国旗の日の丸も、日本の国旗ではなしに、どこの国でも使えればね。本当の太陽のようないきかたをしたいという国だったら、みんなそれを国旗にしてもいいのよね。そしたら世界がひとつに調和した姿となるよね。もともとそうよね、日本の日の丸の国旗は誰が作ったかもわからないようにして、法律でも決めなかったのは、その辺が神様の御心だったと思うのね。それを、日本の国が私物化するっていうのも、本当はおかしいのよね。
神様においてみんな平等
-ありがとうございます-
私にとって、天皇陛下というのは、お会いしたことがないのでわからないのですが、ただ何となく心の中で尊いような感じがするんですが、先生にとってはどのような意義というか、位置を占めているのでしょうか。
ありがとうございます:
私の場合はもうね、この世的に天皇陛下が立派なんだというとらえ方はしていないのね。神様の元に戻ったら、みんな平等なんですね。どの人も、神様から無限の無限のプラスをいつも与え続けてもらっているから、だからこの世的に見て、天皇陛下は一般の国民よりも高くて立派なんだという見方はしたくないのね。
神様においてみんな平等だからという立場から出発して、すべてには中心が必要ですよね。調和するためにはね。ばらばらでは調和がとれないよね。中心があって初めて、全体がまとまった調和した姿を取るんで、その中心を決めるに当たって、みんな無限に謙虚なんで、自分からなりたいという人はほとんど無いのよね。中心に立つ場合でも、みなさんにどうぞどうぞと言って、勧め合うものよね。そしたら中心に立つ人が偉いか偉くないかではないですね。役割としての必要性があって中心が定まるだけで、だから逆に言うと、中心に立つということは全責任を負うというしんどい立場ですね。
上に立つのではないね。みんなを自分の思い通りに権力で動かすのではないから、みんなの責任を一身に背負うという立場なんですよね。自分から立ちたいと言わないけれど、もしみんなが決めるんだったら、また神様がどうしてもおまえがなった方がいいというように言われたら、謙虚な人であっても、みんなのマイナスを全部背負ってでもみんなの役に立つんだったら、ということで受けるよのね。だからそういう決まり方をしていくことこそ、本当の中心に立つという天皇陛下のいきかたを現し得るわけよね。日本の皇室の在り方は、まず自我を死にきって神様にすべてを全託して、そこから受け直した姿なのね。
外国の君主制は違うのね。権力を握って力で従わせようといういき方よね。上に立っているのね。だから中心に立つというのは、神様の御心が働いて、そういう姿をとるんで、ちょうど太陽がいつも輝いているでしょ。どれだけ雲がかかっていても、太陽自体は消えることないですね、不滅なのね。それが中心よね。
でもね、上に立つという、権力のあるものは崩れてしまうね。支えるものがないのよね。不変のものではないよね。ころころ変化するのね。ある時は栄えたら、必ず滅んでしまうのよね。だから神様が支えてくれてないとね。
天皇陛下のいきかたは、みんなにとったら、本当のお手本になると思うのね。この世的に見てもね。でも奥に奥に遡ったら、みんな同じなのよね。譲り合って、中心を決めているだけなのね。
ある意味では、自分が宇宙であり、全体者であるから、ひとつの中心を自分が持ってきているということね。肉体人間的に見ると、この肉体人間の全部が自分の分身という形をとるのね。分身の誰を中心に据えるかというぐらいの感じね。だから自分が決めたというのがいいのよね。そしたらもう、何の差別も何もないでしょ。そういうのが本当の決め方なんですね。
だから天皇制に反対する人というのは、小さい自分を掴んで、いろいろな差別があるって反対するんでしょ。この肉体人間だけ見たら、この世に生まれてきただけでいろんな差別が最初からあるのよね。でも過去世というのを見たら、過去世でよいことした人はプラスが多いしね。悪いことした人はマイナスが多いよね。でも過去世を過去世をずっと見ていくと、この世の差別が消えていくよね。もともと出発は同じなんだという感じで見えていくとね。
もっともっと奥へ遡ったら、神様と同体、一体だからという立場に立ったら、もっと差別観が消えてしまうのね。一切の差別を消してしまって初めて、みんなを認めていけるのよね。表面だけを見るから、本当の意味の自由とか平等を認められないのね。
外国は特にそうよね。自由だ平等だって旗印に掲げるのは、本当にそれがないからなのね。日本はその旗印が必要ないのね。もともと心の奥の自分をかなり深く知っているのね。もともと自由で平等だからという自覚があるから、とやかく言わないね。少々の不自由も差別もへっちゃらなのね。一番奥から見たら、それが当たり前なのね。自由を侵害されてもいないし、平等が侵されてもいないのね。そのまますっと受け入れられるのね。日本人に生まれてきた人の、魂的に言ったら、進化が進んでいるというかね、世界のリーダーとしての。兄弟で言ったら、兄とか姉とかいう感じね。
本物の輝き
-ありがとうございます-
戦後、日本はアメリカの言いなりになっているというか、コントロールされているとか、自主性がないとか、国際舞台でも独自性がないとか、日本の文化を主張したりとかそういうことがあまりないですよね。今後そういうことはどうなんでしょうか。
ありがとうございます:
それも、ある時期には必要なんでしょ。そういういろんな縛りがね。縛られて初めて、その縛りをはねのけて本物が出てくるのね。いろんな問題でも、易しい問題ばかり与えられていたら、例えば1+1はすぐに2って出てくるわね。答えるまでもないというくらいの感じでしょ。力を発揮してないものね。
だから難しい問題を前に持ってこられて初めて、本当の力を引っ張り出して発揮していくのね。そして本当の美しい輝きが出てくるのでしょうね。日本の本当の良さを出していくのは、その良さを打ち消すようないろんな大きい障害的な問題が出てくるよね。それをはねのける力を、神様が求めてくるよね。本物が光るには、ってね。
どれだけ反対されても、押しのけて前に突き進むくらいの強さが必要なのね。外国からのいろんなマイナスに見える姿を、自分の本当の力を引っ張り出してくれる大きい助けと見る方がいいよね。
-ありがとうございます-
平和憲法がありますけれど、その趣旨をとことん貫き通すということが必要なのでしょうか。
ありがとうございます:
外国が攻めてきたら、それに対抗して軍備でその問題を解決しようとしたら、それは易しい問題よね。でも攻めてきたのを武器を持たずに解決しようとしたら、ものすごく力がいるよね。
平和憲法という中で、がんじがらめに縛られた状態で力を発揮しなければいけないでしょ。それができたら、世界を本当に平和にする力が出てくるでしょうね。本当の神様の力を引っ張り出したら、世界中のすべての人々の心を安らげてしまうよね。ある意味ではそういう難しい問題を与えられて、力を引っ張り出してもらっているのね。
即座に解決できるのは神様の智慧だけ
-ありがとうございます-
瞑想の時の柏手で、ビービーっと・・・。これはどういうことなのでしょうか。
ありがとうございます:
眉間とか掌から、いろんなものが・・・。生命磁気とか気とか命とか、いろいろ言うんですよね。そういうものが発現するんですよね。出やすいところがあるわけよね。波が合ってお互いに響きあうと、そこがビーとなったり、そういう感覚が出てくるんですね。でもあまりとらわれる必要はないんです。出たら出たでいいし、出なければ出なくてもいいし、でね。
-ありがとうございます-
私の小学校からの友人の一人なんですが、彼は大学時代に共産党に入って、私といろいろ議論するんですが、なかなか折り合わなくて・・・。また医学部の麻酔科の先生をしている友人が、ガン患者に告知をしなければいけないということから、死んでも命があるよというような死後の問題をケアする必要性を感じているわけです。そこで魂の問題を共産党の友人と話してみたんですが、そんなものはないってやっぱり言います。
ありがとうございます:
みんなね、勉強することが違うのよね。本当の自分の力を中から発現させるためには、余計なものをかぶせない方がいいでんすよね。肉体の頭が良くて知能指数が高くて、何でもいっぱい勉強して詰め込んだからいいのではないのね。逆に知識が増えるけれども智慧が出なくなるのね。そのバランスを上手に取らないとね。
知識はあくまでも道具なのね。智慧の方が大事なんですね。中から神様の智慧が出てきて、初めてどんな問題でも解決する能力が備わるのね。すべてを見通す力も出てくるのね。その智慧を引っ張り出す通路を作っておかないと、知識も活かせないのね。だから教育でも、詰め込み勉強的な教育では、まあテストの点数は良い点を取れるかもしれないけれど、それは受け売りよね。初めての問題にぶち当たったときには解決できないよね。
どんな初めての問題にでも、即座に解決できるのは神様の智慧だけよね。だからいつでも神様の智慧が湧き出やすいように、パイプを掃除しておくというのが一番大事だと思うのね。あまり記憶に頼って、知識を一杯詰め込まない方がいいよね。頭悪い振りをした方が必要かもしれないね。
でもそれも一人一人、みんないきかた、選び方が違うものね。その智慧に頼りたい、神様に頼りたいという人は、あまり知識を付け過ぎないようにね。ただ知識を付けないでいいようないきかたを選んでしまうわね。
みんな一人一人、時期によっていろんな勉強の仕方をとっているだけで、どれが良いということではないんです。時期が来たら逆転するかもしれないしね。周りの人の姿も、自分の勉強材料と見ていると、自分の代わりに、自分ができないことを周りの人が代わりに勉強してくれて、自分の大きい勉強の役に立っているんだというくらいがいいでしょうね。
-ありがとうございます-
考え方は違うけれども、しかし人間的にはすごくいい男なんですね。
ありがとうございます:
だから私の分身ていう形でね。私にできないことをしてもらっているという感じでいいじゃないですか。いろんないきかたを、一人の人間がこなせないですものね。
すべて言葉の現れ
-ありがとうございます-
私の知っているSセンターというところがあるんですが、そこは野菜を中心にした食事療法で、火を使わない方が良いと言っているんですが、それはどうなんでしょうか。
ありがとうございます:
でもそれも、プラスに考えたら全部プラスになるんですしね。マイナスに見たら、全部マイナスに変わりますよね。やはり人の言葉の方が大事なんで、火を通したから悪いのではなくて、火を大きいプラスと見たら、生よりも煮たものに光がたくさん入るんじゃない?火の働きって大きいですものね。
だからどれだけそこにプラスを見出すかですよね。だから自分が勝手に生野菜でないと、と限定してしまうと、言葉の使い方がマイナスに傾きますものね。自分のマイナスの言葉で縛られて、自己限定してしまうんですね。それで煮たものは食べられないとなると、不自由ですよね。
-ありがとうございます-
肉食でも、肉食はいけないとよく言いますけれど、アイスランドやアラスカなど、ある地域では肉を食べないと生きていけないところがありますものね。
ありがとうございます:
だからそれが悪いとは言えないですね。動物も、肉食動物は肉ばっかり食べているんですものね。でも健康ですよね。だからすべてをプラスにプラスに持っていけば良いのではないですかね。
まあ人はどう思おうが、自分はプラスに思った方がいいですよね。自分の運命世界は、自分の言葉通りになるというのが法則ですしね。他では別な考えが通用してもね、自分の世界は自分の言葉通りのすべてが通用するんで・・・。
-ありがとうございます-
そういう組織の理念、方針というのがありますが、その組織に入ってしまったときに違った意見を持ってしまうと、問題が出ると思うんです。
ありがとうございます:
そういうときは、自由になった方がいいよね。入らずに、抜け出る方がいいですね。極端に言ったら、イエスキリストさんなんか、何を食らい、何を飲まんと思い煩うことなかれって断定的に言っているでしょ。何食べてもいいっていうね。
だから食事療法がどうの、栄養学がどうのなんて関係ないのよね。何を食べても良いというのが正しいし、自由でしょ。余計な縛りがない方が幸せですものね。場合によっては何も食べなくてもいいというくらいね。霞だけでいいとか、水だけでもいいんですがね。 もともとは本当にこの世で何か食べているんではないですよね。信念が投影されて映っているという感じじゃないですか。突き詰めて考えたら、実際にものを食べているのかといって、食べていないですよね。
-ありがとうございます-
何年か前に、幽霊を見る人たちのグループに参加したことがあるんですが、それを知った世界人類の平和を祈る会から、そんなことに関わること自体がおかしいと破門になったんですけど・・・。そこのグループの教祖が幽霊を見ることを通して、みんなの魂を救い上げるとか、自分はお釈迦さんのさらに上であって、と言うんですね。そういうのはどうなんでしょうか。
ありがとうございます:
それもひとつの番組なんですよね。人の使う言葉通りの番組がすでに用意されているというのが、本当の姿なんですね。だからどういう言葉を使って、どういう番組を味わってもいいんですよね。
幽霊という言葉を使い続けたら幽霊を見るんですよね。言葉通りになるんですね。全部番組として取り揃えられているので、なんでもあるんですね。(実際、身体に現れてくるんですよね)現れてきますね。そういう番組にはまり込んでくるんですね、言葉で。だからその人が好きこのんで選んで行くんですね。
-ありがとうございます-
私もそこに行っていたら、憑依されたりしたかもしれないですけど、結局五人くらいの人が僕を救いに来てくれました。その結果抜け出ました。
ありがとうございます:
どれが嘘とか間違いとか、そんな大して関係ないです。そういう番組が全部あるんですね。ただ自分がそれを選んでいるかどうかだけなんですね。さっきの食事療法もそうですよね。自分がどういう食事療法の在り方を選ぶかでしょ。何を食べても大丈夫といういきかたを選んだら、そういうものは関係ないですものね。お釈迦さん以上の偉い人になって、みんなを救うんだっていうのも、ひとつの番組としてならいいんですけど・・・。
でもみんな悟っていたら、救わなくていいんですからね。一番楽な方がいいじゃないですか(笑)。わざわざ辛い思いして、救い上げたりしないでもね。みんな悟っていてすばらしいんだと言うんだったら、みんなに助けてもらうだけでいいじゃない。だからどういう番組を選ぶかですよね。プラスの大きい番組の方がいいじゃないですかね。
-ありがとうございます-
いろんな教祖に会ってきましたけれど、みんなどこかで自分が一番偉いと思っているんですね。
ありがとうございます:
自分以外の周りのすべてが偉いんだという方がいいですよ。楽でいいです。
お祈りをするところがすべての中心
-ありがとうございます-
この場所を選ばれたきっかけとか理由は何でしょうか。
ありがとうございます:
自然にここに来てしまったんです。そう不便でもないし、お祈りがしやすい環境ですしね。必要なものがいっぱいあるんで、ありがたいばっかりですけど。必要なものを神様から与えてもらっているという感覚です。
-ありがとうございます-
それぞれの人にとって、ちょうど合っている場所というのは自然に与えられるものなのでしょうか。
ありがとうございます:
とくにありがとうございますを唱え始めたら、必要なものを的確に与え続けてもらって、それがどんどん変化していくんですよね。だからね、私は何も願いも思いもないですけれど、願い思い以上に与えられ過ぎているから・・・。山に穴掘って入った方が楽しいかとも思うんですけど・・・(笑)
-ありがとうございます-
こういう所に来たら、体の調子の悪いのも戻ってきますよね。
ありがとうございます:
そうですね。大自然の力ってすごいですね。
-ありがとうございます-
神社とか仏閣とかは、すごく氣が良いわけですけど、昔の人は身体で感じたわけでしょうから、そういうことがわかる身体だったんでしょうね。今の人は頭ばっかり働かして、自然を疎かにしてるから感じられないだけなのしょうか。この場所も、なにか循環しているというように感じられたのでしょうか。
ありがとうございます:
いや別に・・・。宇宙のどこも循環していると思いますけど(笑)。だから本当の中心とか、光の強いところというのは、自由自在に変化していいんですものね。お祈りをする所が、光の強い所になるんです。世界の中心という感じでね。働きの大きい場所になるんですね。そこに神様が大きく現れていて下さっているだけなんですね。だから特定の場所とか、限定することないと思うんです。自由自在に変化してもいいと思うんです。
-ありがとうございます-
方位学というのがありますけれど、ここが悪い場所だと思うと、悪くなるということでしょうか。自分でチャンネルを作ってしまって、現在の悪い状態を作ってしまう。良い土地とか穢れとか何もないですよね。
ありがとうございます:
そうですね、ないですね。良い言葉をいっぱい使ったら、良い方向になるんですよね。その通りですね。
言葉は思いを超えたもの
-ありがとうございます-
チャンネルを変えるキーワードは言葉なんですか?
ありがとうございます:
言葉ですね。言葉通りになりますね。
-ありがとうございます-
思いを言葉にすればいいんですか。
ありがとうございます:
思いじゃないですね。言葉だけでいいんですね。
-ありがとうございます-
心の中で逆のことを思っていても、言葉のところで調節できるということでしょうか。
ありがとうございます:
言葉がすべての心の中心核ですからね。
-ありがとうございます-
それは発した言葉ということですか。
ありがとうございます:
心の中の言葉でいいです。最高の言葉がありがとうございますですよね。だからこの言葉さえ唱え続けたら、全部よくなりますよね。
-ありがとうございます-
ということは、人生を生きていくすべてのノウハウは、このありがとうございますに入っているということですね。
ありがとうございます:
本当、そうですよね。あとは唱えるかどうかだけの問題でね。
-ありがとうございます-
ちょっと間違ったチャンネルをしても、ありがとうございますを唱えると、すぐもとのチャンネルに戻ってくるということですね。
ありがとうございます:
そうです。どんどんチャンネルが上に上がってきます。良い番組に変わりますね。
-ありがとうございます-
ありがとうございますを唱えていると、悪い番組でも悪いように見えなくなってしまうということもあるんですよね。
ありがとうございます:
ありますね。全部プラスに受け取れるんですよね。マイナスの番組ですらプラスに受け取れるんですよね。プラスはさらにプラスに見えるしね。
「ありがとうございます」のおはなし 2001年4月
7日 No.1
神の御名
-ありがとうございます-
どうしても自分の心癖が変わらなくて、例えば主人に感謝したいとか。主人はとても良い人なんですけど大嫌いなんです。
合うとお互いマイナスの思いを出してしまいます。頭では良い事をたくさん知っているんですが、心と一緒にならなくて辛いんです。心の向き(癖)を治す方法を教えてください。
ありがとうございます:
誰かご存知じゃないですか?(笑い)
一番効果的なのは「ありがとうございます」と唱える事なんですけどね。この「ありがとうございます」という言葉は、誰でも知ってる簡単な言葉なんですけど、本当は、究極の神様の名前なんです。全てを生かしきってくれる神様の名前です、必要なものを的確に与えてくれるんです。だから、「ありがとうございます」という神様の名前を唱えたら、最高の神様がサッと降りてきて全ての問題を解決してくださるんです。
今までは皆、ああしたい・こうしたいと自分勝手な生き方をしてきてると思うんです。この「ありがとうございます」という神様は、一番謙虚で謙虚で控えめなんです。最高の神様なので強制力を使ったら神様の思い通りになってしまいます。自由を絶対に縛りたくないというのが神様の本当の願いです。人の自由意志で神様の御心のままに・神様と一緒に歩きたいというふうに、自分の意思で決定してくれると神様は力を揮えるんです。
今までは皆自由にさせて貰っているはずなんです。何を思っても自由・何を願っても自由・どんな生き方しても大丈夫、自由にさせてもらっていたんです。でもまだまだ最高の幸せというのはつかめてないでしょう、最高の幸せを掴む最後の切り札は、「ありがとうございます」という究極の神様にすがるしかないんです。
何億年以上もズーッと待っていてくれたんです。どこにいても自由にさせてくれていたんですけど、必ず行き詰まるんです、自分の力で自力で生きようとしても本当の幸せはつかめないですね。また、いろんな他力にすがって神仏にすがって幸せを得ようとしても、「ありがとうございます」という究極の神様ほど大きくないんです。阿弥陀様にすがって悟りが開けたと思っても、まだ小さいんです。だから本当に満足できたかというと、まだ誰も満足できていないんです。
最後に戻るのは、「ありがとうございます」という究極の神様の中に戻って行くんです。それで心が一番幸せな状態になって、大満足の状態になるんです。
どこへ行っても自由だといって、宇宙の端から端まで順番に行ってたら時間がいくら有っても足りません。だからその辺はほどほどに、早く戻らないと損をする。ちょっちょっちょっと回って、たいした事ないなと解かったらすぐに「ありがとうございます」という神様の中に飛び込めばいいんです。
「ありがとうございます」と言えば必要な助けが与えられて、即受ける事になるんです。受けられるんですね。そして順番に自分の幸せが大きくなるように守り導いてくれているんです。
だから、自分の心を自分の一番良いようにコントロールしようと思っても自分ではできないですよね。でも、「ありがとうございます」と唱えていると必ず早く自分の願っているようになっていくんです。不思議な力があるんです、「ありがとうございます」という一言にね。
ただ、必要なだけを与えてくれるんですね、モグラに太陽の光を与えると強すぎて困るでしょう。月明かりくらいが喜べるんですね、強い光に慣れてきたら強い光を与えてくれます。食べ物でも必要なだけがいいでしょう、山盛りいっぱい家中いっぱいだったら身の置き所もなくなります。必要なだけというのが大事なんです。
欲しいものと必要なものにはズレがあります。皆欲しいものを手に入れたりするでしょう、あれも欲しいこれも欲しいと思うんだけど、それは本当は必要なものじゃないんです。必要以上に多いかもしれないし、必要なものじゃないかもしれないですね。
必要なものを与えてもらってそれを喜ぶようになるのが一番理想なんです。例えば、健康に対して感謝できないと言う人があるとしたら、一回病気になる方が良いでしょう。病気というのが必要なんです、一回病気をすると健康に対する感謝が湧き上がってきますね。ああ、健康ってありがたいなと解かるんですね。電気でもありがたいなと思うんですけど、慣れてしまうと当たり前なんですね。たまに停電しないと困るんですね、停電というのが必要になるんです。電気というのはありがたいなという気持ちが湧き上がるようにしてもらえるんです。
神様は究極には、無限の感謝できる自分に変えたいと思うんですね。無限の感謝ができる自分というのが一番幸せな自分なんです。感謝のできない自分は思い通りになっても小さい幸せしか味わっていません。
感謝の心は無限に広がります、全てに行き届いて価値を見出して幸せを感じ取れるでしょう、感謝が無限に広がるのが一番の幸せです。
病気にも感謝でき・健康にも感謝でき・ありとあらゆるもの全部に感謝できたが良いでしょう。そういう自分に神様はしてあげたいんです。それに必要な勉強も兼ねて必要なものを与え続けるんです。
心にいろんな引っ掛かりというのが出てきます、思い通りにならない事もあります。それも、思い通りにしようという心をとるためだったら、思い通りにならない状況を与えてくる事があります、これは必要なんです。そしたら、思い通りにするのをやめておこうとなります、だから本当は、思い通りにしなくてもいいんです。皆自由に放してあげたら良いんです。
神様が一人一人を自由にしているんです。どういう生き方をしても自由です、ただ本当の幸せは、神様の中に戻るしかないんですけどね。神様の中へ自分が戻らないと損しますね、神様と一体化すれば神様の心が自分の心になります。神様の愛と自分の心がひとつになります。
神様の愛というのはね、
思いやりの心というのがまずひとつ、思いやりというのは必要なものを的確に与えていく心です。どんな人にも物にも動物にも植物にも、全てに必要なものを的確に与えていく心です。
次に、寛容の心。全てを一大抱擁する心です。全てに無限の価値を見出してプラスにプラスに見ていく心です。どんな国に対してでもその存在価値を見出してあげなければいけない、悪いと言ってはいけない、何か意味があります。
世の中の悪人といっても人類のマイナスの思いを一手に背負って、全部集めて身に振り替えて背負っている姿かもしれないんです。だから大菩薩かもしれないんですね、皆の身代わりだったらね。家族の中にも、家族の皆のマイナスの思いを一手に背負ったらその人が大きいマイナスを心に背負うわけでしょう。それが形に出てくるんです、意地悪な姿をとる場合もあります、嫌な姿を与える事もあります。でも人の生き方は自由でそれぞれ自由にさせてもらうので、認めてあげなければいけない。
思いやりの心・寛容の心というものを自分も神様から与えてもらったら、どんなものもプラスにプラスにと見ていけるように変わっていけるんです。
もうひとつは、許しの心というのが神様の愛の中にあります。許しというのは過去を放す事です、過去を掴まないんです。常に、新たに新たに置き換えていく心が許しの心です。過去の事を云々したり何も言わない、過去はそれでよかったと放してしまうんです。
今必要な事が神様の方から与えられてそれぞれ演じているんだというわけです。そしたら悪く見なくなるんですね、新たに神様に与えられた役を演じているという姿は全体のためには必要なんです。素晴らしい演技をしてくださってというふうに見ていけるようになります。神の愛とひとつになると引っ掛かりがドンドン少なくなります。
神様は、人に完全な自由を与えて、全てに平等なものを与えています。平等というのはどこに於いて平等かと言うと、肉体の立場でも魂の立場でもありません、一番奥の命の自分・本心の自分・神なる自分に戻ったときに全てが平等なんです。
神様と一体の本心の自分はいつも神様から新たな「全徳の無限の無限の輝きがいっぱい」というのを受け取れるんです。この最高のものを皆平等に受け取れるんです。これは人間だけでなく動物も鉱物も植物も意識のあるものは全部平等に受け取れるんです。そういう意味では神様の前に立つと皆平等です。
神様から最高のものを受け取ったときに必ず恩返しの心が出てきます。こんな素晴らしい最高の幸せを与えてもらってありがとうございますと思うと、全てを捧げ尽くしてでも恩返ししたいと思うときが必ずあります。その時に、謙虚に謙虚に下にへりくだる(謙る)んです。
だから、神様が必要とされるんだったら、宇宙大劇場でどんな演技でもさせていただきますということなんです。一番良い中心の役を演じさせてくださいとは言わない。良い役はお互いに譲り合うんです、一番最低の役目・地獄のどん底の亡者の役目、これでも私は喜んでさせていただきますと言えるんです。最高の幸せを与えてもらっている自分にとったら、そんな事どうでもいいことなんです。
仮にね、亡者の役をするとするでしょう、それは自分が最低だからしているんじゃないですね、神様から最高のプレゼントを受けて、最高に輝いた自分が、謙虚になって亡者の役割を演技するんでしょう。この宇宙の全ての表現がそうなんです。最高の力を持った神様が最低の役割を演じているんです。
地獄の亡者の姿でも本当は、自分の過去世の業想念を無理やり背負ってくれている愛の働きの姿かもしれないですよ。そこまで言わなくっても、皆それぞれ自由に、神様が必要とする役を演じ切ってるというように見たほうが良いかもしれないですね。
そうしたら、悪い役だからといって、あの人は悪いと言うのはおかしいですね。舞台を降りたら名優なんです。神様の前に立ったら、宇宙大劇場で演技する名優なんですね、最高の一人一人です。ただ舞台が色々あるんです、無限のチャンネルの舞台が準備されています。そこで配役が全部必要になっています。地獄番組では地獄で演技する人が大勢います。それは、演技してチャンと表してもらわないと地獄番組を誰も楽しめないんです。
そういう意味で、運命として現れるこの姿というのは、これも演技の姿・番組の姿ですね。それをどのように見て受け止めるかは自由なんですけどね、できたらプラスにプラスに眺めて楽しめたほうが良いですね。番組の中の姿を、これが自分なんだと掴んでしまうと、自由を失ってしまいます。自分は神様と一体なんだと・神様の世界にいておやつを食べながらテレビを見るように、この世を眺めているんだというように、チョッと放すのがいいですね。
昔から、執着するなと教えにあるわけです、どんな教祖も聖者も言ってるでしょう。この世に執着するなとね。お釈迦様もそうですね、全ての迷いは執着から来るとね。だから、その番組を掴んでしまうと巻き込まれるんです、サーッと流れるように眺めていると掴まないでしょう。だから執着しなくて済みます。
執着さえしなかったら、心に執われがないんです。ただ眺めるだけで良いんです。ちょうど、演奏会を聞くだけ・聞き流しに聞くだけで良いんですね、その方が素晴らしい演奏を味わえるでしょう。テレビ番組を見るように、この世を眺めていると、心が自由になります。
テレビ番組は色々ありますが、最低の悪い番組もあります、戦争映画も・悪者番組も有るじゃないですか、それを楽しみながら見ているじゃないですか、あの人は悪いとは言わない、演技だとわかっているんです。だから、神様の宇宙大劇場の演技というふうに眺めると、チョッと見方が自由になって楽になります。
「ありがとうございます」と回数多く唱えているとそういう心になるんです。神様の心が良くわかってくるんです。神様の御心に沿った見方をすると全部プラスに見るようになります。
結 婚
-ありがとうございます-
結婚したいと思ってるんですが、いい相手が見つかりません。それは今の私には必要ないということなんでしょうか。
ありがとうございます:
何が必要なのか、結婚などもまだまだ小さいんです。本当に必要なのは何か、自分にとって一番大事なことは、本当の自分に戻る事ですね。神様と一体の本当の自分にね、これか一番幸せでしょう。だから、結婚は何のためにするのですか?
-ありがとうございます-
そろそろ一人は嫌かな。
ありがとうございます:
ほかの人がするから自分も?
-ありがとうございます-
そういう訳じゃない、一人より二人のほうが良いかな・・・
ありがとうございます:
どんな相手でも良い?
-ありがとうございます-
そういう訳じゃないんですけど。
ありがとうございます:
結婚は何のためにするかしっかり考えた方がいいですね。何を目的にするのか、幸せになるためにと言っても、幸せな人は結婚してもしなくても幸せなんです。結婚したから幸せになるとは限らない、結婚して不幸になる人も多いでしょう?皆は両方体験してると思いますが?
まず、自分が幸せになる事なんです、幸せな心に感謝できる心になったほうがいいんです。そうすると、結婚してもそれを幸せな結婚に結び付けられるんです。独身でも自由で幸せなんです。一番必要なのは、早く幸せになる道なんです。結婚したほうが幸せになるんだったら(神様は)与えてくれるんです。最低の人かもしれないし最高の人かもしれないんです、わからないんです。幸せになるための勉強だっていろんな勉強があるわけでしょう。
-ありがとうございます-
じゃあ、全て勉強というわけですか?
ありがとうございます:
勉強ですね。幸せになるための勉強です。
-ありがとうございます-
最低な人と出会って、最低の結果になったとしても、それは将来のための勉強になるんですか?
ありがとうございます:
大きい勉強になります。
-ありがとうございます-
・・・はー・・・
ありがとうございます:
それで悟りが開けたら最高の勉強になります。ソクラテスが悪妻と結婚したからあれだけの哲学者に成ったという話があるじゃないですか。悪いかどうかは別にして、ソクラテスのように悟りを開いた哲学者というのは、かなりいろんな勉強をしていると思います。特にマイナスの勉強をしたほうが早く悟れるんです、マイナスをマイナスと見なくなるでしょう、その勉強が神様の心をしっかり捉える心になるんですよ。だから、「ありがとうございます」と唱えていると、必要だったら結婚すると。ね!
-ありがとうございます-
必要だったら?!!△□???
ありがとうございます:
本当に必要なかったら自由にさせてもらうんですよ。結婚したから、縛られたからいいんじゃないんです、心が自由自在で心がプラスをいっぱい感じ取れるようになる方が先ず先決ですね。慌てなくていいですよ。
結婚した人も、一瞬一瞬新たにという心を呼び戻さなければいけないんです、いつも新婚という気持ちにならなければね。今日新たに結婚させて頂いた、今日一日だけというように、そういう気持ちの方がいつも感動新たに悦びいっぱいになれます。一日だけで良い、明日はまた別人と・・・笑い・・
本当は新しい別な人と(結婚)してるはずなんですよ、そういう感覚のほうが大きい幸せを感じ取れるんです。過去に執着し執われると自由を失ってしまうんです、太陽だって毎日見てたら感動しないでしょう、始めてみた太陽は感動しますよね、目が悪い人が目が良くなって初めて太陽を見たら無限の感動を感じます。それなのにそれなのに、毎日見てる人は感動しない。毎日、何もないところからの受け直しというのが必要だと思います感謝の自由な心だと掴む心を消せます。
-ありがとうございます-
手放すというのはどうすればできるのですか、自分なりにやってきたんですが、心の問題だけにうまくいきません。
ありがとうございます:
これは良いものだと思うと掴むでしょ、もっと良いものが現れれば放すけど、現れなければ掴んだままですね。そういう習慣性ってありますね。そうなると、最低のものを掴んでも、焼け火箸を掴んでも掴んだまま放せないんです。マイナスのものを掴んでもなかなか放せないんですね。プラスのものを掴んでもマイナスのものを掴んでも、両方の掴む心を神様に消してもらわないといけない、掴む心を自分で消す事はできません。
大体、今の自分の心が掴む心でしょう、掴む心で掴む心は消せないんです、別な心でないとね。感謝の自由な心だと掴む心を消せます、「ありがとうございます」とそのまま全部神様に預けてしまうんです。「ありがとうございます」というのは、自分の命も全てを捧げる心なんです、神様に全部預けると消えるんです。そして、新たに受け直したのが自由なんです、掴まない心なんです、戻ってくるんです。
掴む心があった時に、「ありがとうございます」を加えればいいんです。掴む心をどうこうしてからじゃないんです、そのままで良いんです、そこに「ありがとうございます」を加えたら、そのまま神様にスッと預けて消してもらって、新しい自由な心と置き換えてくれるから、だんだんと掴む心が減ってきます。
すぐに全部は消えないかも知れないですよ、順番だから、今まで掴み続けてきたんだからチョッと残っているんです、順番に出てきます。これだけ「ありがとうございます」を唱えてもまだ消えないのはこういうことです。「ありがとうございます」と言っている時は浮かび出たものは全部消えてるんですよ、でも奥にあるものが次から次に浮かび出てきます、それは順番に「ありがとうございます」と消し続けたら、掴む心はなくなってきます、自由になってくるんです。
「神様が育ててくださっています」
-ありがとうございます-
子供が九歳と六歳です、育児の上で何を一番大事にしたらいいですか。
ありがとうございます:
子供を育てる秘訣は、自分が育てるとは思わない方が良いようです。神様が育ててくださっている・・というのが良いですね。だから、一人一人に、宇宙の大神様は別として、守護神さん・守護霊さんが専属に付いています。
守護神さん・守護霊さんはその子が幸せを早くつかめるように、心の勉強をさせるために付いています。早く悟りが開けて最高の幸せをつかめるようにね、的確な勉強を与えるのが守護神さん・守護霊さんの役割です。
守護神さん・守護霊さんに心向けるだけが良いですね。守護霊さんありがとうございますというのを、守護霊さんと宇宙の最高の大神様とを繋いで、そこから的確な守り指導が降りているんだと、おまかせしきって安心していたほうが良いんです。ほったらかしが良い。自由にほったらかしが良いんです。
ただ、「ありがとうございます」があります。守りが完璧になって子供がすくすく育っていい持ち味を出してくるんです。しつけは本当は必要ないんです、皆中に最高のものを持っています、それが邪魔されずに出てくる方が良いですね。
学校の勉強でも、あれしなさいこうしなさい、押し込めるより自由に放した方が中から天才が湧き出てくるんです。知識をあまり詰め込みすぎたら知恵がでなくなります。のびのびと必要な事を理解させながら勉強させるのが良いですね、そうすると知恵が湧き出てくるようになります。
知恵と言うのが神様と一体化する道なんです。必要な事が的確にその時にできるようになってくるんです。東大へ行って神様の知恵とひとつになるかと言うとそうではない、知識いっぱいになるでしょう、知識いっぱいになるとある意味でノイローゼになりやすいんです。知識がいっぱいあると知恵が流れてくるのを邪魔します、通りが悪くなります。
子供が一番幸せな状態に早くなれるのは、神様の知恵に導かれるのが良いんです。自由を縛らずに、守護神さん・守護霊さんに「ありがとうございます」また、神様に心向けるだけが良いんです。
普通、親が働いて子供の生活の面倒を見ていると思うんだけど、本当はそうじゃないんです、神様が、守護神さん・守護霊さんが親を使って、親を通して働いて子供の面倒を見ています。子供がいるから必要なものを、親を通して回してくれるんです。
だから極端な事を言うと、親がいなくても子供は育ちます。それは、子供の守護神さん・守護霊さんが必要な人を使って与えてくれるからです。だから、親が育てているんじゃないんです。必要なものを与えているのは守護神さん・守護霊さんの方です。
私の父は財産家に生まれたから、心の持ち方がチョッと間違ったところがあったんです。いろいろ勉強してきても(心の)癖が抜けなかったんです。子供に対して、子供が言う事を聞いている内は優しいんだけど、チョッと反発すると、親が働いて育ててやっているのに口答えするな、というふうに私や妹は怒られていました。
その時に神憑りになって、神様が指導に降りてきて怒るんです、「親が子供の面倒見れると思ったらやってみろ」怖いですね、実際、神様が締め付けたら、自分ひとり食べる分も入ってこないですね。「子供を育てるのは親じゃない神だ」としっかり叱り付けました。
親は神様のお手伝いをするんです。子供を神様が育てるお手伝いをさせてもらうんです、そして子供の成長を見ていて喜ばせてもらうんです。子供が幸せになっていくのを自分の幸せとして味あわせて貰うだけなんですね。
だから、自分が何もできなくてもいいんです。「ありがとうございます」が言えたら最高の親です。あとは守護神さん・守護霊さんが全部面倒見るから、何何しなければというのは何もないですね、させて貰うだけだから。必要だったらさせて頂けるしね。
普通は、親は働きすぎるし、物を与えすぎですよね。必要なもの以上に欲しいものを与えすぎています。欲しいものを与えすぎるのはあまり良い事はないですね、子供の持っている徳分を早くなくさせてしまいます。無駄遣いさせてしまいます、必要なものだけに使わせてあげるほうが将来プラスになります。
一生で使う徳分は大体決められて生まれてくるようですね、食べ物の徳分も小さい時に美味しいものを食べ過ぎると、年をとってから食べるものがなくなってきます。無駄に食べさせないほうが良いですよ、必要なだけを頂けばいいんです、一生不自由しなくて済むでしょう。 世の中のいろんな人の姿を眺めていたら解かると思いますが、無茶食い、贅沢にいっぱい食べた人は晩年にお金があっても食べられなくなります。病気になって食べられないとか、何か食べられない状態になっています。
全てがそうなんです、必要な事に使ってあげるほうが良いんです。欲しいものを与えすぎないほうが良いと思います。
プラスの言葉で運命を創る
-ありがとうございます-
不安恐怖症・・・(数字の四と九が気になるとか、コンセントから火を噴きそうだとか)の場合、どのようにすれば良いでしょうか。
ありがとうございます:
人間は思うようになるんです、その人はその人の運命を思い通りにしてしまいます。だから、思い方をプラスに変えたほうが良い、思いだけ・心だけを変えることは難しいでしょう。
だから言葉を変えていきます、言葉をプラスプラスに置き換えていきます。数字(四)だったら、喜びの数字なんだというふうに、良いことがいっぱい起こるんだというふうに。「四」だって死ぬ方の「し」と、悦ぶの「よん」とは違うでしょう。
プラスの言葉に置き換えると心がコントロールできてきます。そうすると運命として良い姿に変わってきます。心をプラスにして心を自由にすれば形にはすぐにこだわらなくなります。心がプラスに変わってないと、四で悪い結果が出たと結び付けやすいですね。
言葉で、プラスプラスに翻訳するような言葉遊びをすると良いです。世の中には言葉をマイナスにマイナスに解釈する人もいるし、プラスにプラスに解釈する人もいます。例えば、家の屋敷に柿の木を植えると、家系が絶えて死に絶えるとかマイナスに言う人が居るでしょ。「欠ける」という「かき」をね、欠けるというふうに見ていくんです。
でもプラスに見る人は、昔は「かき」を「かがやき」と言ったんです。やっぱり柿の実の色は輝いていますよね、葉っぱでもつやつや輝いていますね。日本人はもともと柿の木を「かがやき」と言った、それが柿の木になってるんです。輝き輝きと言えば、それを家の周りにたくさん植えたら、家全体輝いて幸せになりますね。
そういうふうに、自分が言葉をプラスに使えば良いだけでしょう、全てをプラスにプラスにね。神様はマイナスには創ってないはずなんです、どんなものもプラスに見なさいというのが神様の御心だと思います。
拝み切れば仏様
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を初めて数ヶ月なんですけど、一人だけすごく意地悪になった人がいるんです。ドンドン悪い方向に行ってるんですけどなぜでしょうか?
ありがとうございます:
仏教の熱心な信者さんだった光明皇后様が、千人の沐浴行をしていた。いろんな人が背中を洗ってもらいに来ます、光明皇后様はこの人は仏さまだ仏様だと拝み続けています。
最後に一番やりにくい人が出てきました、らい病患者です。全身膿でいっぱいです、その人が無理難題を吹っかける、洗ってくれとは言わないんです、「この膿を吸ってくれ」と言うのです。意地悪どころじゃないですね、昔の考えだったら、吸ったら死んでしまうかもしれない。言葉の意地悪や態度の意地悪じゃないですね、最低の状態ですね。
でもそれは、この人は仏様なんだという修行の最後の仕上げなんです。本当に、この人は仏様なんだと拝み切った時に、そのらい病患者の人が、光り輝く如来という仏様になって現れました。そう(光明皇后様は)感じられたんです。そしたら、らい病患者の肉体人間も治ってしまいました。
だから、最後の仕上げとして一人残しておかなければ、〈笑い〉でもまだ千人はいってない?〈笑い〉
感謝すれば若返り
-ありがとうございます-
生まれたからには老いていくんですが、喜んで老いていくにはどうしたら良いでしょうか?
ありがとうございます:
やっぱり、老いていきたいですか〈笑い〉若くなりたくないですか?言葉の使い方で、老いていく生き方と、若返っていく生き方とあります。今の地球人は、過去を掴みすぎて老いていくんです、もっと進化した星では、肉体人間も年をとるほどに若くなっていきます。それは過去を掴まないから、新たに新たに神様から最高の姿を受け直す心になっていくからです。年取るほどに輝いてくる・若返ってくるんです。
神様はいつも新しい宇宙を創るでしょう、それと同じように、人間も新しいもの新しいものを受け直せる状態に置いてくれてるんです。この肉体も一瞬一瞬新たに置き換えてもらってるから、年取っちゃいけないんです。地球人が感謝をドンドンしだしたら、年取るほどに若返るように逆転するかもしれないね。
感謝の世界へ
-ありがとうございます-
人間がこれから、テレパシーで通信し、移動もテレポーテーションで瞬時に行う、そんな時代が近いうちに来るでしょうか?
ありがとうございます:
近いうちといえばそうなんでしょうが、それは人々の心の変化によって自由なんで、予言的に言うのも自由、これを縛ったら困るんでね。予言というのは、未来のマイナスを防ぐためにチョッと予言するんですね、それを考えてもらってプラスになるように、努力していただこうというわけですよね。
これからは、思いじゃなく、感謝の世界が広がります。思いと云うのはひとつのことしか思えないでしょう、でも、感謝は無限に広がります。「ありがとうございます」というのは、世界が無限に広がります。テレパシーで特定の波を感じてもたいした事ないでしょう、感謝は神様の波を全部を必要だったら感じます。
必要だったら感じるというのが一番良いんです、必要なものだけで良いんです、この世で楽しみたい時は、あの世のことは何も感じない方が良いでしょう。あの世の姿、あの世の事がいっぱい聞こえてきたら困りますね。
必要なだけは感謝させて頂いて与えてもらう、だから、思いの世界から感謝の世界に置き換わっていきます。そうすると必要なものが的確に与えられて、自分の世界が無限に広がる、そういう時代になります。
ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.