ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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AR139 2003.5.31
2003年 5月31日


  本当の奉仕活動

ありがとうございます:
 今日は本当は台風がくるはずだったんだけどねえ、でも台風が消えてしまったのね。 台風の働きは竜神さんの働きね。風が強いというのもマイナスを吹き飛ばすのね。雨もマイナスを流してしまうのね。だいたい竜神さんは自然現象を司るんだけど、台風は、お「浄・清」めの大きい働きなのね。それに代わる何かを、お祈りとか奉仕とか何かをすれば竜神さんは楽なのね。台風をスッと消してくれる、また方向もスッと変えてくれるね。そういう意味で、今日は一つのそういう姿を見せてくれたと思うね。

 朝はちょっと雨が降ってたのね、朝から奉仕した人は顔中泥んこになって頑張ったのね。これも大事なのね。顔中泥パックすると美人になるでしょう、はははは、これはちょっと冗談だけど。本当は顔中泥だらけにする方が良いのね。何故かというと、虚栄心の思いを全部引き取って消してくれるのね。それで謙虚な謙虚な心に変えてくれる。 虚栄心って一番取りにくいね、気づかないのね「悪い」というふうにね。だから、ちょっと泥パックする方が良い、謙虚な心に変えてくれるからね。だから、マイナスじゃないね、雨降りに作業するのもね。また、天気にしてもらって奉仕活動をさせてもらうのも、これもまた幸せなのね。
 
 本当の奉仕はね、神さまの心を自分が汲み取ってね、そして自分が自主的に動かないといけないのね、それが本物の奉仕ね。でも、まだそこまで行かないね、なかなかね。だから、人にいろいろ言われてするのはまだまだ、練習中ね。 私の役目は、神さまに代わって皆さんが奉仕してくれる時に、みんなの思いをマイナスをぜんぶ引き受けて消す役目ね。それを消してもらったら本物の奉仕に変わるのね。自分が神さまの心をキャッチして、そして自然に動いて神さまの大きいお手伝いができるように、自然に変えてくれるね。そのための奉仕活動の練習よね、今はね。

 なかなか神さまのお手伝いって大変なのよね。全体を把握してね、そして能力を高めて必要な事をてきぱきとしないと。普通は大抵トンチンカンするのね、目的が定まってないからね、全体を見てないから、連携プレーも上手くいかないしね、仕事もなかなか進まないでしょう。これも練習をしないと本物にならないのね。だから、より本物に、より本物にというふうに、神さまの助けを受けて練習して行くのね。 そしてドンドン神さまの本当のお手伝いができるようになって、神さまから大きい光を頂くようになるのね。これが本当の意味の「悟りへの道」になっていくわけよね。だから、奉仕も練習をしないと、しっかりと練習するほど、助けを大きく受けるのね。


          「維摩詰(ゆいまきつ)」     

 今日は、「維摩詰」の話をちょっとしてみたいんですけど。 「維摩詰」というのは実在の人でもあるし、また在家の信仰もしながら、本当に自由自在な生き方をしたというお手本になる‘架空の人物’と言っても良いのよね。 普通、個人の名前で言うと執われるのね、でも代表というのだったら誰でもそういう生き方がとれるのね。‘ありがとうございます’というのも同じよね、個人名じゃなしに、みんなが感謝を深くして、神さまのお手伝いに生きて、正しい本物の生き方をとれる、本当の幸せな生き方がとれるんだという意味のお手本よね。それが「維摩詰」という人物なのね。

 「維摩詰」の「維・ゆい」というのは、世界維新の「維」でしょう。「摩」というのは「偉大な」という意味よね。「詰」って「いっぱい」という感じでしょう、詰ってるというね。だから、新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯!というような意味の響きの言葉ね「維摩詰」というのはね。 本当に神さまの大きい光を浴びて自由自在に生きた人なのね。

 「小聖は山に隠れ、大聖は街に潜む」という言葉があるのね。「小聖」は小さい聖だから、自分の・個人の幸せ・悟りを求めて一所懸命生きて、ある程度は立派になってるね。そういう人は山に隠れるのね。 山にというのは、実際のこの山だけじゃないのね、世間から離れたところに自分を置くという。でも「大聖」という大きい悟りを開いた聖者は、みんなの幸せを願うのね。 だから、みんなの中に入って、そして空気のような自然な生き方の中で幸せを与えて行くのね。本当の悟った人はそうよね、街に隠れてるね。自分の名前を出さないけどね、街にひそかに隠れて大きい働きをするのね。それが本当の生き方よね。

 でも、もう一つ上があるのね、まだね。みんなの幸せを願うというよりもね、今度は「神さまの願いを生きよう」とするのがあるね、もう一つ上を行くとね。「みんなの願い」はまだこの世に執われているもんね。神さまの大きい御心を生きる、神さまの願いを生きる、神さまの目的を自分の目的としてしっかりと生きるというのが本当なのね。

 私は山に隠れてるのと違うのよ、今までずーっと街に住んでたのよ。でも、神さまの御心が世界平和のための大きい働きをさせようとして、雛形づくりに山へ連れてこさせたのよ、隠れてるんじゃないよ。もう一つ神さまの大きい願いを生きてるの、今ね。だから、「みんなの幸せ」というだけじゃないね、大きい神さまの根本の目的をしっかり生きようとしてるね。その代わり厳しいのよ、やっぱりね。


  丁度、あの阪神大震災の後、こちらに移ってるんだけど。阪神大震災の一年前に土地を借りて建物を建てて住んでたんだけど、その土地を空けて欲しい言われて、丁度震災に遭ったような感じね。行くところが何も無くなって、その時からこちらへ移るようになって家を解体して、まあ、地震の後、地震が解体してくれたけど。自分達がぜんぶ解体して、こっちへ持ってきて建てて、そしてここを生活の出発点にしたんだけど。最初の年はやっぱり雪が多くて、春先にここまでくるのに大変だったのね。積雪が道路に1m近く積もるのね。スコップで除雪しながら上がってきたのね。大変よね。1mの積雪はスコップの手作業でズーッと除けるって大変でしょう。なかなかここまでたどり着けなかったのね。

 その翌年はもう一つ雪が多かったのね、クリスマスプレゼントよね、1.50m降ったからね。除雪車も何も持ってないのね。ここは、県道だけど冬季は通行止めね、十二月一日から三月二十日まで通行止めの場所なんよね。だから、除雪もしてくれない。こういうところでどうやって生活するんだろうというわけでしょう。電気も無いし、電話も来て無いし、まして水道も無いしね。山の中でしょう、隣も家も無いしね。ここも土砂が一杯あって木がいっぱい植わってたのね。先ず、木を伐って土砂を除けて整地して、それからよね、小さい小屋を建て始めて。

 それでもね、水を探さなきゃならんじゃない、飲み水が要るじゃない。なかったら川の水を飲むしかないんだけど、それもやっぱり自然に与えてもらえるようになって。表の井戸と裏の山の湧き水を今活用させてもらってるけど。最初はそんな事は分からないものね、本当に水が有るのか無いのか分からないよね。電柱一本立てさせてもらうのでも大変なのね、山の持ち主は木を伐り出す時に電柱は邪魔になるから、絶対立てさせたくないと言うのが普通よね。ここまで電気を引っ張ってもらうには大変よね、皆に迷惑をかけて助けてもらわないとできないよね。それがトントン拍子に、みんな神の計いにぜんぶ整えてもらって、一つ間違ったらここで生活はしてなかったと思うね。もう、ぜんぶ奇跡よね、奇跡の連続でズーッとここまでこさせてもらってるね。

 ただ、神さまの方は大きい困難を克服しながら、そして神さまのお手伝いをする方が本当はいいんだというわけよね。ただ、神さまの助けがなかったら不可能よね。神さまと一緒に苦労に苦労をしながら、苦労を楽しみながらよね、困難に戯れながらってね、そして今こうして皆さんと一緒に、こうしてお会いできる場所もできたのね。最初は何も無かったのよ、無一文だしね、家は解体した物を使うだけでしょう。それがこういうふうになったって不思議よね、本当にね。もう、神さまのお蔭で奇跡の連続でこうなっただけなのね。でも、やっぱり「神さまのお手伝い」という形でしっかり生きてたら助けてくれるよね。


          菩薩の働き     

 維摩詰という人は在家で「在家」というのは、どっか特別な宗教団体へ入ったとか、そこの幹部であるとかというのじゃないのね。本当に普通一般の人と同じような生き方をとって、尚且つ神さまの御心をしっかり把握してるのね、そして無限に輝いた心を持ってるのね。

 ある時、お釈迦さんの弟子が、維摩居士がわざと病を身に現して、そして病気見舞いに来てくれるのを待ってるのね。十大弟子でもなかなかお見舞いに行くのを嫌がるのね。それで文殊菩薩という人が最後に訪れるわけよね。「維摩詰が病気を現す理由は何か」というのね、「何故病気を現してるのか」というのね。病気の原因はいろいろあるのね、一つや二つじゃないでしょう。沢山の原因があって病気の姿を現わすんですけど。でも、維摩詰の現わす原因は何かってね。「衆生病むが故に我病む」というふうに言ったのね。 自分の心が間違ってて暗くて病気を現して消えてるんじゃないのね、違うのね。皆のマイナスを、思いを、病を消す為に、自分が身代わりに振り替えて、そして病気の姿をとって皆を「浄・清」めて助けてるんだというわけね。これは菩薩の働きよね。

 「菩薩」というのは、やっぱり二通りの働きがあるね。 皆のマイナスを受けて消す働きと、大きいプラスと光を与える働きの二通りあるのね。 普段は、神さまの大きい光を浴びて、受けて、その光を振り撒くだけで良いのね。ところが、それだけで済まない時もあるのね。皆が感謝して奉仕してくれてたら、光を振り撒くだけで済むのね。それでも、ちょっとはみんなのマイナスを肩代わりして引き受けないといけないでしょう。でも、そういう人の場合はまだ楽なのね。ちょっとで済むからね。

 でも、感謝もしない、奉仕もしないという人の分を引き受けて消して、そして感謝ができるように、奉仕のできるように変えていこうというとね、大きいマイナスを背負ってあげないとその人はなかなか進歩しないのね。 普通は、病になるのも大きい心にマイナスを溜めてるね、マイナスの思いをいっぱい溜めてるから病気になって、その病気の姿を通して思いを軽くなるように消してもらてるのね。でも、なかなか追っつかないのね。ところが、そのマイナスを消してもらってるって、プラスを受ける人がまた極端に少ない。

 普通は、病気になったらマイナスになるのね、心が益々暗くなるね。なかなか正しい明るい生き方になれないのね。それじゃあ逆になるね、折角病気の姿でマイナスの思いを消してもらってても、またマイナスの思いを積み重ねて余計マイナスを積み重ねる場合もあるわね。それではあまりにも可哀相というわけね。 だから、病気に身代わりになって、そのマイナスを肩代わりするのね。そうすると、ちょっとはプラスの生き方がとりやすくなるでしょう。そうしたら感謝もできて、奉仕もできるように早くなれるというのでね、それで菩薩は人のマイナスを身代わりに背負うのね。「業の振り替え」というのをするのね。

 ただ、これは力が無いと負けてしまうよね、一人の思いでも大きくかぶったら大変よね。だから、その代わり、しっかりお祈りをしていないと、神さまの無限の光をいつも浴びてないと、自分が本当の病気になって死んでしまうね。だから、維摩さんの場合はいつも無限に輝いてたのね。深いお祈りの心境にあるから、いつも「無限の無限の輝きで一杯!」という状態で、自由自在に人のマイナスも取れるし、そして大きい光も自由自在に与えられたのね。そこがまた凄いよね。 でも、これは皆の代表としてお手本を示してくれてるね、誰でも成れる、皆さんも直ぐに成れるのよ。

 病気になるだけじゃないよね、いろんな姿がぜんぶ「菩薩の行」なの、悟った人にとったらね。みんなを救うための「菩薩の行」ね。 例えば、断食するのも同じなのね、普通、断食にもいろんな段階の断食があるけどね。健康の為にする人もあるわね、悟りたいからする人もあるしね。でも、悟った人のする断食は「菩薩の行」なのね。 普通は昔から「働かない者は食うべからず」という言葉があるじゃない。これは何故かというとね、正しい働きをしなかったら、人を幸せにする働きをしなかったら、ただ食べてるだけというのは借りを増やすの、借金を増やすのね。借金というのはイコール思いよね、七難八苦の思いになるのね。だから、思いを溜めると益々マイナスに心が向いていくでしょう。マイナス思考になってマイナスの生き方になるでしょう。 それでは、悟りへの道じゃないね、幸せへの道でなくなってくるのよね。だから、働かない時は食べないぐらいが良いの、本当はね。でも、そんなんしないね、普通はね。働かない人ほど贅沢して食べてる。 そういう人をやっぱり正しい道に導こうと思ったら、またそれも病を現すように断食をするのよね。その肩代わりをしてみんながお祈りもできて、奉仕もできるように助けるという場合もあるのね。

 だから、菩薩の働きって、やっぱり凄いよね。菩薩にも下から修行して悟ってという、悟りは本当の悟りではないかも知れないけどね、段階があるからね。低い段階の悟りで上にのぼってきた菩薩と、本当に天から舞い降りるようなかたちで降りてくる菩薩と、この二通りあるけどね。観音様なんかは一応名前が「如来」なのよね、悟ってる仏様ね。それで自由自在に降りてきて菩薩の働きをするね、観世音菩薩というね。 でも、この世でいろいろ修行してちょっと立派になった菩薩とは雲泥の差ね、まだね。本当は天から舞い降りる生き方の菩薩の方が大きい力があるね。いろいろ修行をして悟ったというような菩薩じゃ、まだ力が小さいね、まだ小さい菩薩、小菩薩ね。


   ありがとうございますの菩薩行

 でも、この感謝の「ありがとうございます」の生き方は、神さまの全てを受け直して天から舞い降りる生き方ね。同じ菩薩行でも、上から降りてきて働く菩薩行ね、この方が大きい働きなのね、大菩薩の働きよね。だから、この「ありがとうございます」一言に絞り込んで、本当に感謝ができるようになるというのは、大菩薩の資格のある人なの。神さまの全てを受け直して、本当に皆を幸せにする大きい菩薩行をさせてもらえる人なのね。下から修行をして立派になるのと違うのね、今度はね逆ね。悟った自分が舞い降りてくるのね。そしてみんなを幸せにする働きをするのが、この「ありがとうございます」の感謝行の菩薩行なの。凄いでしょう、これ。

 感謝のこの祈りがあったら「維摩詰」と同じような生き方が自然にとれるのよ。自分の置かれた場でしっかり感謝行をするだけで、もう自由自在にいろんな大菩薩行をするの。置かれた場で、必要な働きをさせてもらうだけで、みんなを幸せにしていけるのね。 これは形じゃないのね、神さまの光を振り撒く役目ね。もう自然に神さまの光が大きく振り撒かれて、周りの人もみんなを幸せにしていくのね。

 だから、この「維摩居士」の心境ってもの凄い深いね。この現実世界なんかは相手にしてないよ。もっと奥からぜんぶ見通してるね。奥から奥から見直してね、この世を見つめてるのね。 無限の無限のチャンネルの最高番組を先に把握して、そこから如何にその最高理想の姿を現実化しようかという生き方ね。プラスを加える生き方なのね。だから、自由自在に方便を使えるね。一人一人に合わせて必要なものを的確に与えていけるのよね。

 悟りの深さというのも、本当は言葉でいろいろ説明したって大した事はないからね。沈黙の中で本当の悟りの姿を現すというのがこの維摩詰のした事よね。だから「維摩の一黙百雷の如し」と言ってね、一言も喋らないのに、みんなに雷がバーッと落ちたような感じで、凄い心境の変化を与えたのね。これも感謝行、本当の感謝行ってそうなるよ、みんなね。みんなのマイナスをサッと消して、神さまを感じ取れるようにしてしまうのね。


    惟喬親王

 維摩詰さんもそうだけど、惟喬親王さんも似たような生き方をとったのね。 本当は天皇陛下になれるのにね、ならなかったのね。頑張ればなれたかもしれない。でも、そういう形に執われてないね。本当の神さまの御心をしっかり生きようとされてたのね。また、それが役目だったのね。 名前を出すのが目的じゃないよね、隠して隠してという、謙虚にへりくだって皆の中に入って本当の働きをさせてもらう方が、本当は大きい働きだし幸せなのね。

 惟喬親王さんも、もの凄い活動家だったというのかね、どこへでも顔を出した人なの。神通力を使ってたのかも知れない。普通の人の何十倍と動き回ってたような感じね。だから、あちこちに足跡がいっぱい残ってるけどね。神出鬼没というような感じね、でもその心境はもの凄い深かったよ。執われがないね、もう自由自在ね。

 丁度、聖徳太子さんともよく似てるんだけど。聖徳太子さんの生き方ともよく似ててね、いろんな勉強をしてるから。勉強だけじゃないね、その気づきを与える為のちょっとした勉強よね。本当は深いお祈りの中から必要な大きい力をもらってたのね。

 普通は「古神道」というのはね、全体を、全部を把握する生き方だから、日本の神道だけじゃないね、仏教もありとあらゆる教えも全部、自分の中に取り込んで、本物を自由自在に使いこなすというのが本当なんよね。聖徳太子さんも仏教を大事にしてたのね。そこに本物があれば自由自在に自分のものにしてたのね。 惟喬親王さんも、大体二十八歳の時に病気になったのかな。それも一つのきっかけよね、仏門に入って仏教の勉強も深くして、後自由自在になって活動を亡くなるまでされたんだけど。惟喬親王さんも、楽な道を自分から選ばなかったね。苦労を苦労を重ねる生き方を先ず選んだのね。


     本物の生き方・「轆轤師」 

 惟喬親王さんに指導されて「轆轤(ろくろ)師」っていっぱい誕生したんだけど。あれは技術を学ぶ人が大勢集まったんじゃなしに、精神的なものを教えてもらえるのを喜んで慕って、そして集まってきたのね。だから、技術集団を作ったんじゃないね、精神的な指導者集団を生み出したのね。本当の正しい生き方、本物の生き方よね、「幸せになる生き方は何か」というのを、もう徹底してみんなに教えたのね。

 その為には、やっぱり「先ず苦労をしなければ」というわけよね。それで、山奥というのは大変よね、昔は雪が深いし、生活の場としては大変だったと思うね。でも、贅沢もせず質素な生き方で、本当の精神的な向上を目指して、苦労を苦労と思わずに本当に頑張った人が日本中に散らばって行ったのね。それで全国で受け入れられたというのは、精神的な指導者としての本当の価値ある人になってたからなのよね。普通はよそ者は入れてくれないね。単なる技術者集団じゃ受け入れてもらえんよね。

 そして全国でいろんな精神的指導者として地域を指導して立派に受け入れてもらえたのね。
その元になるのが、やっぱり「苦労が大事」というのね。楽な生き方は、立派になるのには時間がかかるのよね。皆さんも同じよ、これまでいろいろ苦労に苦労を重ねてきているはず。苦労をさせてもらえなかったら「ありがとうございます」まで絶対にたどり着けない。この世でまだ苦労をしてない人は過去世でしてきてるね、前世でしっかりしてきてるし、また自分の身代わりにいろんな縁者が本当の苦労をしてきてくれてるわけね。そのお蔭で最後の「ありがとうございます」に導かれて、そして神さまの本当のお手伝いに生きるようになってるね。だから「いつも神さまと一緒」というのが一番幸せでしょう、いつも神さまが身近にいてるのね。「神さまがすべて」という感じで大きい愛で包み込んでくれるわね。これが一番の幸せよね。

 思いの心を生きて思い通りになったって、幸せでもなんでもないわね。そういう心は直ぐにコロコロ変わるからね、今度は「また、いつ天から降ってくるか」って恐怖したりするようになる。周りがみんな鬼に見えて「いつ毒を盛られるかも知れん」ってね、心配するわけよね。 でも「周りがぜんぶ神さま」というふうに神さまを感じる心になれたら、もうこの幸せは絶対崩れないね。 「もう、神さまばっかし」という感覚になってくるでしょう、「有り難いばっかし」という、これが本物なのよね、無条件の幸せというね。感謝のできる人は無条件の幸せを先ず与えてもらえるね。


   全ての番組は自分を幸せにする

 最初は、みんな病気が治ったら喜んでるけどね、病気を治す為に「ありがとうございます」を唱えたりするけどね、そんなんはまだ本物じゃないね、入るきっかけよね。そういうのは目的でもなんでもないね。 「ありがとうございます」を無心に唱えているうちに、神さまを身近に感じるのよね。周りが神さまという感じね、宇宙大神様が自分の周りに一杯という感じね、みんな神さまの愛の働きというふうに感じられて幸せになっていくのね。それがドンドンドンドン大きく深くなるのね。だから、無限の無限のチャンネルの番組ぜんぶ自分の為の幸せを大きくする為の神さまの愛のプレゼントよ。

 この世の番組もそうよ、この世の番組ぜんぶ自分への神さまの大きいプレゼントよね。全体が幸せを与えるプレゼントよね。何もかも幸せを大きくしてくれるよね。マイナスなんかひとっつも無い、本当に一つも無いのよね、マイナスに見ただけよね、思いの心でね。 思いの心はプラスをもマイナスに見たという、それだけよね。本当は、もうプラスばっかしね、神さまの愛ばっかしだったのね。それを感謝の心に引き戻してもらって気づくのね。「ああ、幸せ、有り難いな」っていうね。もう涙が溢れて溢れて仕方がないというぐらい、それが本当なのよね。どれだけ感謝しても感謝しきれないね、どれだけ喜んでも喜びきれないね。そして、神さまへの恩返しの心を起こさせてもらって、そして神さまのお手伝いに生きるようになるのね。益々幸せを大きく深くしてもらえるのね。


         本心の自分は解っている   

 感謝というのは、神さまの奉仕に生きたら本物なの。まだ神さまに何かを求めて「これをして頂戴、あれをして頂戴」と求める心で「ありがとうございます」を唱える間は、まだ入り口よね。 奉仕できるようになった時は、もう本物の感謝ね。後はドンドンドンドン感謝が大きく深くなるね。奉仕すればするほど、大きい助けを受けるのね。

 だから、皆さんが一番幸せなのよ、神さまのお手伝い、奉仕に生きれるようになった人、それに気づいた人が一番感謝が早く深くなるね。普通はなかなかそこまで行かないよね、素晴らしいお話を聞いて本を読んで「ああ、素晴らしいな」と思うだけではなかなか奉仕まで行かないのね。でも、奉仕に飛び込めた人は凄いよ、本当にね。やっぱりもうわかってるのね、先にね、教えられて解るんじゃなしにね、心の奥底で魂の奥底で、命の自分・本心の自分が解っているのね。それでスッと出てきて奉仕に入るのね。ただ、その奉仕ももうちょっと本物にならないと、はははは、より本物に、大きい本物になって行かないと、まだまだ感謝が、大きい深い意味では足りないかも知れないけど。でも、これからドンドン深くなるだけよね、心配いらないよね。


      皇の聖地

 「皇の聖地」という、この辺りの「筒井の神域」というこのは、神さまが計画して世界平和のために必要だからって準備された場所よね。惟喬親王さんの在世の時も、「山の神さま」という形で、この山一帯が白竜さん、大きい白竜さんの「浄・清」めの神さまの身体として、この山全体が大きくあったのね。 「白竜さん」というのは、「浄・清」めの神さまよね、竜神さんね。 自然現象を司るのは竜神さんでも、もっと低い神さまね、黒竜さんとか、灰色の竜さんとか、青い竜さんとかね。「浄・清」めの働きをする竜神さんは白竜さんよね。山全体を聖地として護って、自分の身体として保ってるのよね。そういう「山の神さま」が昔からズーッとこの聖地を護り続けてくれたのね。

 惟喬親王さんも「山の神さま」を尊敬してたのね。そしてこういう場を選んで、みんなを指導する場所として活用してたのね。 やっぱり「浄めの場」という白竜さんの身体の中でしょう、だから思いを大きく消してもらえるよね。助けてもらいやすいでしょう。普通は滝行なんかに行って、ちょっと思いを消してもらうんだけど。いろんな滝にも竜神さんがそこに住んでるというか、そこに付いて滝行をする人を護ってくれるよね。だから、滝に打たれて、その思いを消してもらって、少しでも心を立派にしようとみんな修行をしてるでしょう。でも、大きい白竜さんだとね、そんなのはいらないのね。その地に踏み入れただけでサッと思いを消してもらえるの、そして心がスッと澄みきって本物がわかる、気づきが増えるというふうにしてくれてるよね。

 また、白竜だんだけじゃないのね、神さまの大きい計画があって、その時期がきたら、大勢の高級な神さま、自分の名前を一切出さない、姿を現さない高級な神さまが大挙して降りるのね。普通は名前を出したい神さまが多いよね、宗教団体をつくるようなのはそうよね、自分を売り込みたいというのがあるでしょう。まだ低いのよ、同じ神さまの働きでもね。本当の高い神さまは、絶対自分を出さない、名乗らないし、姿も現さないし、自分のした事を絶対足跡を残さない。こういう神さまが本当の高い高級な神さまよね。そういう神さまが宇宙の大神様の計画のもとに、大勢集まって働き始めるのね。そういう働きが本当の働きになるのね。だから、本当に地球を平和にするというのだったら、そういう大きい高い神さまが働いてくれないと不可能よね。人類の過去に積み重ねたマイナスって、一人一人は無限のマイナスを持ってるでしょう。大勢いてるからね、無限の無限のマイナスの思いがあるのよね。そういうのも一挙に消しきってみんなの本心を引っ張り出して感謝できるように変えると言ったら、それだけの高い大きい力のある神さまが大勢集まって働かないといけないよね。

 そういう場所として神さまが一応用意してくれたのがこの「皇の聖地」という、これから世界に本物を発信するための雛形づくりの場所よね。そして、ここに集まって来る人がみんな本物になって行って、いろんな分野の本物を世界に発信してくれるの、神さまがね。雛形さえ創ったら神さまが強い光を放射するだけで、それが世界にズーッと拡がるのね。そういう場所を用意してもらってるというのも有り難いよね。それの、今「お手伝い」という形でみなさんも奉仕活動をしてくれてるの。だから、やり甲斐があるでしょう。本当に、このお手伝いというのは誰でもできないよね。大勢の代表として選ばれてさせてもらってるのね。それだけに、神さまの大きい助けを、徳を頂いて、大きい徳積みよね。みんなのマイナスを消す大きい働きだし、大きい徳を積んで貯金をいっぱい増やして皆を幸せにする大きい働きになるよね。だから、参加するだけで嬉しいでしょう、喜べるでしょう、不思議ね、疲れないでしょう。した事もない肉体労働をいっぱいさせてもらって、はははは、でも、神さまが応援に降りるからね、光を添えて降りてくるから、筋肉痛も起こらないよ。力いっぱい働いてもらうのね、逆に楽になるね、気持ちもすっきりするけどね、体もすっきりしてくるよね。自信ができたでしょう「神さまと一緒」というのはね。また、何かしてくださいよ。これぐらいで良いかな、質問をしてもらおうかな。


   命がけのお祈り

質問:
 「命がけのお祈り」どうやればいいのでしょうか。

ありがとうございます:
 「命がけ」というのは、命を懸けるという、命を与えて大きいものを受けたら良いのよね。 だから、神さまに対して「自分の命を捧げます」という気持ちよね。そして神さまから大きい光のプレゼントを受け取れば良いのね。 普通、太陽の光でもそうでしょう。太陽の光を感じるというのと、自分が太陽になるのとは違うでしょう。ここが大事なんよね。神さまの光を感じたから神さまになったんじゃないのね。自分という器をしっかり握ってると、神さまの光がちょっと入ってくるだけね。でも、自分が神さまの中に投げ出すと、神さまに与え尽すと、神さまの中に合体していけるよね、神さまと一体化するのが早いでしょう。 「命がけ」というのは、命を神さまに与えることよね。神さまに与え尽すと、神さまの中に入ってしまうのね。神さまの光をちょっと受けるんじゃなしに、光源の中に飛び込むのよね。そうすると神さまと一体化するのが早いね、悟りが早く来るのね。

 「命がけの感謝」というのは、神さまの中に飛び込む事よね。無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という中へ飛び込めば良いね。だから、それを二十四時間、四六時中心がけるという、寝食を忘れて。そのぐらいの気持ちで一所懸命「ありがとうございます、ありがとうございます」と言うのね。それが神さまへ全託して、神さまの中に飛び込んでという祈りなのね。あまり難しく考えなくて良いね。余計な思いを出さずに、神さまの中に飛び込もうという気持ちでね「ありがとうございます」を唱えたら良いね。周りは神さまばっかしなのね、本当は飛び込んでるんだけど、飛び込んでるのに気づかないのね。それで気づくための「ありがとうございます」なのね。 「真剣」と言うけど、あまり我武者羅とか、そういう感じじゃないよね、無我夢中というのじゃなしに、「神さまを認める」というような感じね。「周りは神さまだけ、みんな神さまなんだ」というふうな、確認するような、認めるような「ありがとうございます」よね。それも神さまの中へ、頂いた命をもう一回お返しして、また新たに受け直すという感じで良いのね。そういうのが命懸けのお祈りよね。

参加者:
 今の続きなんですけど。命というのは、汚い肉体はいらない、「私の全て・命を捧げます」というのは、感謝する本心を捧げるという意味ですか。

ありがとうございます:
 本当はそうよね。一番新しい神さまから受けた無限に無限に輝いた命が本当の自分ね。それが時間が経って経過して古くなると、どんどんいろんな段階の魂になり、心になって肉体になってくるのね。

参加者:
 そうすると、毎回毎回捧げないと古くなりますよね、いつもいつも捧げて新しい命を。

ありがとうございます:
 だから、古いのを残さないようにドンドン与え尽すと、「いつも無限に無限に輝いた自分をお返しして、更に輝いた自分を受け直して」という感じね。もう、肉体を忘れるぐらいが良いね。


    皇の聖地の意味

ありがとうございます:
 「皇の聖地」の「皇」という意味をちょっと説明しておきましょうね。 「皇」は、「すめたかあまはらみこと」の略ね。

 「す」というのが神さまの「絶対」を現して、それが「め」という形で目の形で創造されて現われるという。それが「たかあまはら」というのが、「全大宇宙」ね、無限に無限に輝いた全大宇宙を「たかあまはら」というのね。 「みこと」というのは、尊い「尊」でしょう。言葉も「みことのり」の「みこと」だしね。いろんな響も、言の尊ってね、いろんな意味があるね。だから、宇宙の大神様の働きが無限に無限に現われて、全大宇宙となって、それが最高に輝いた姿をとってるという、神さまの働きの全体像をぜんぶ現してるのよね。本当は「ありがとうございます」と同じ意味があるの「すめたかあまはらみこと」というのね。

 そして天皇陛下の事も「すめらみこと」というね、「たかあまはら」をちょっと略してるんだけど。 「たかあまはら」は、全大宇宙ね。それを略して小さい意味の「すめらみこと」というふうに使うのね。 だから、神さまの御心と一つにつながってる人を「すめらみこと」というね。これは、お釈迦さんもイエスさんも皆さんも同じなのね。感謝を深くしたら「すめらみこと」ね。ただ、全大宇宙にはまだ成りきれないよね。神さまの全体像はあまりにも大き過ぎてね、無限に輝いた宇宙を受けても小さいね。無限に無限に輝いた宇宙もまだ小さいという。だから、宇宙の大神様が「すめたかあまはらみこと」ね、後はみんな「すめらみこと」よね。

 「皇の聖地」というのは、宇宙の大神様が直々に大きい働きを降ろしてくる場所という意味ね、本物を生み出す場所ね。みんなを本物に変えてくれる場所よね。そういう意味よね「皇の聖地」という意味はね。


     命の本源

参加者:
 最初にいただいた命の本源というのは、その神様は天照大御神様でもあるんですか。

ありがとうございます:
 宇宙の大神様が最高に輝いた姿を天照大御神様というね。だから、天照大御神様という名前が出た時は、天照大御神様以外に何者も存在しないのね、全ての全てになるね。その時に、一人一人が天照大御神様に心を向けて感謝した時に、まあ一人でどれだけその光を受けるかはみんな違うのね。受けただけの天照大御神様になるのよね。だから小さい天照大御神様から大きい天照大御神様まで無限に無限にあるのね。ただ、天照大御神様の一部を受けても天照大御神様には違いないでしょう。だから、みんな奥の自分は天照大御神様を受け直した自分ね。だから、みんな天照大御神様の分身よね。ただ、その分身というのも、どんどん大きくなっていく。

参加者:
 命をいただいて、何か約束はしてきていますでしょうか。神さまとの約束があったのでしょうか。

ありがとうございます:
 別にそういう縛りは無いのね、みんな自由自在なのね。だから自由自在にさせてもらって、そして神さまの御心に合うような生き方をしようと順番に努力してるのね。「神さまの御心のままに」というのが一番幸せなのね。だから、より神さまの御心のままになれるようにみんなが努力して、より本物に、より大きい天照大御神様の分身になろうとしてるね。 あくまでも自由自在に自由を保障されてるね、決して神さまの奴隷になるんじゃないね、操り人形じゃないのね。みんなの自由はもう完全に保障されてるね。それでいて、ドンドン天照大御神様に近づくのよね、本物の神さまにね。行き止まりはないね、ドンドン近づけてくれるの。それで幸せがドンドン大きくなるだけね。行き止まりがあるともうお終いよ、どこまで行っても行き止まりはないね、ドンドン大きくしてくれるね、幸せをね。

司会者:
 資料がひとつあるんですが。それを読ませて頂いて良いですか。


 
   
 神さまと波長を合わせる


 『求める心』で 『ありがとうございます』と唱えるのと、『無心の心』 『与える心』で『ありがとうございます』と唱えるのとでは、その効果に大きな違いが有るのです。その理由は、波長の合うものしか受け取れない、という原理に因るのです。求める心というのは、マイナスを掴んでいるのです。心の状態がマイナスなのです。求める心を前面に出せば、マイナスの心でマイナスの番組を選ぶ事になるのです。求める心が少なくなれば、『ありがとうございます』が前面に出て来るので、プラスの番組を選び、受け取る事ができるのです。人の自由意志は、どの心を前面に出すかによって、明確に示す事ができるのです。

 人は『言葉』と『心』と『行い』によって、『番組』の波長合わせをしているのです。『マイナスの言葉』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。 『プラスの言葉』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。 『求める心』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。 『与える心』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。 『マイナスの行い』は、 『マイナスの番組』に波長が合うのです。 『プラスの行い』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。人は自分の自由意志で選んだ番組を、自分の運命として受けているのです。

 本当に神さまの助けを必要としているのであれば、神さまの側に・助ける側に立つのが最善なのです。そうすれば波長がぴったりと合うのです。神さまのどんな助けも受けられるのです。 『ありがとうございます』と唱える事は、神さまを呼んで、神さまの働きと一つになる事なのです。神さまの側に立つ事なのです。救いに立つ、与える側に立つというのは、神さまに波長を合わせる意味で、絶対に必要な事なのです。どんなに泣き叫ぼうとも、助けを求める心では、神さまの御心に波長が合わないのです。波長が合わなければ、神さまの助けを受け取ることは不可能なのです。

 神さまの助けを受けるのも、無限の段階が有るのです。自分に合わせて助けてもらうのは、初歩の小さな助けなのです。いつまでも自分に合わせて助けてもらおうとするのは、求める心を生きているのです。それではいつまで経っても立派になれない、進歩向上しないのです。自分の方から神さまに合わせてゆくようになれば、進歩が速くなるのです。自分の全てを神さまに与え尽くしてゆく事によって、自分のマイナス(思い)を消してもらい、プラス(感謝)を与え返してもらえるのです。与える者は、与えられるのです。求める者は、奪われるのです。これは厳然とした宇宙法則なのです。感謝一筋に生きるということは、与え尽くす生き方に徹底する事なのです。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を、この一言を心に唱え続けるだけでね、本当の自由自在な心に変えてくれるね。自由自在になったら無限の選択肢が生れるね、良いものを自由自在に選べるでしょう。 仏教でも悟りというのは「仏・ほとけ」という自由自在になる事よね。全ての縛りから「ほどける」自由自在になるのが本当の悟りね。だから、自由自在な心にする一番の方法よね「ありがとうございます」がね。「ありがとうございます」さえ唱え続けたら自由自在にして下さるね。そうすると良いものをどんどん選びやすくなってくるね。 感謝が無いと縛られた状態ね、思いの縛りで不自由になるね、選択肢が少なくなって「がんじがらめ」というのね、「これしかない」と執われていくのもそうよね。だから、感謝して自由自在にしてもらうのが一番良いよね。


 はい、ありがとうございます






ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。

ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
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