ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
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ar19ありがとうございます−2002.04.21.01
 
 
 
「君が代」の意味
 
−質問者−
君が代の深い意味があると仰ってたので、ご説明願いたいと思います。
 
−ありがとうございます−
 「君が代」という歌ば誰が詠んだかわからないと言われてます。一説では惟喬親王さんが詠んだというそういう説もありますが、「よみびとしらず」の方がいいかも知れない。
 誰が詠んだかわからないというところが本当はいいんだと思うんです。本物の言葉というのは天から降ってくるので、人が作ったら駄目なんです。だから、天から本物の歌がスッと降りてきて、それがみんなの中へ入ってくるわけです。真理の言葉ってみんなそうなんですね。特に神さまが用意している言葉というのは、誰かが所有してはいけないくて、みんなのための言葉です。君が代の歌でも日本の国が私物化してはいけないのです。小さく捉えると私物化して解釈を誤まいます。
 
ある一説では惟喬親王
さんが君が代の歌を詠ったという説もあるんだけど、惟喬親王さんの詠んだ意味はそんな浅いものじゃないのです。
 君が代も‘天皇陛下の代がスーツと続くというような浅い意味じゃなくて解釈が浅いからそれをみんな誤解してしまう。だから、細石の意味も本当は‘各部分が全体の自覚を持ってその責任を生きた時に、完璧な巌のような働きになって完全平和の最高のものが生まれる’という意味なのです。宇宙の仕組みがそういうふうになっているというように詠ってるのです。
 
君が代の本当の歌・・「君」というのを天皇陛下という小さい意味じゃなく「君」は「極身」と書いて「きみ」と読むのが本当で、宇宙の絶対神の意味です。宇宙の絶対神の「代」というのが、時間的な「代」じゃなくて移り変わる「世」。だから宇宙絶対神の創造の姿を「君が代」という。一瞬一瞬移り変わる姿が「千代に八千代に」千変万化じゃなく、無限に無限に変化して荘厳極まりない姿をとるのです。
 そして、その各部分部分の働きがバラバラでは本当の意味で良くならない。常に部分が全体の自覚を持つ。それは宇宙の大神様の心と一つになって、常に全体に対して責任を持つ立場ですよね。そうすると「細石が巌の姿をとる」。それが完璧極まりない宇宙の姿を現してる。そこに「苔が生す」というのは、「苔」というのは、荒れ果てた寒い草木の育たないようなところでも、邊しく生きて、生命の本当の働きを現してる。もう絶対に生きられないという所で生きてるわけでしょう、生命力の旺盛な姿を象徴してる。だから、神さまの命が本当に輝き渡ってるという姿を現してるのです。
 神さまは一瞬一瞬、新しい宇宙を創り続けて、最高表現という姿をとり続けている。神さまの働きの全て、全徳の全てが無限に無限に輝いて、更にそれが無限に無限に輝いてという姿で、一瞬一瞬新しい姿で創り続けて、そして人に対して与え続けてる。これが本当の姿なんです。だから、神さまの最高表現の素晴らしさを褒め称えてる歌が「君が代」。
 
 
 言葉とチャンネル(番組)
 
 何故、神様が君が代という言葉をを降ろしてるのでしょうか?。

 
現実ばかりを見てると、最高表現の姿はないんです。人が神さまからどれだけのものを受け取って、それを現実化してるかだけなんです。この世だけを見てると、無限の無限のチャンネルの中の一つの番組しか見てないというような感じなんです。他に無限に無限に一杯、いい番組が用意されてるのに気付かない、というところが大きい損をしてる。本当は人の使う言葉どおりの全てが番組として用意されてて、現実には人の使う言葉どおりの番組が引き出されて、それが現実の運命として現れてくる。
 だから、過去の時代の流れをスーっと眺めて、歴史を眺めて、どういうふうに現実が移り変わってるかと見てみると、必ず人の使う言葉どおりに変化してる。特に、その言葉の力っていろんな歌なんかによく現れて来ますね、流行歌でもそうで、時代時代の歌がありますよね、その歌の通りに世界の動きは変化しています。歌っていうのは心から歌うでしょう、それがそのままスーっと現実化していく。最近でも‘不景気、不景気’と言うでしょう、やっぱりその不景気という言葉が、そういう不景気の番組を引っ張り出してる一面があります。’ちょっと良くなった’というと、ちょっと良くなった番組がありそれでもっと良くなってくればね、もっといい言葉が出てきてるはず。神さまが用意した最高番組を、人はそれを言葉にして受けて、それを現実化して喜ぶという生き方が大事なんですけど。
 それが実際に気付かなかったら、在るか無いかわからない。だから、それを気付かせるためのいろんなものを神さまが用意してるんです。それでもやっぱり気付かない場合が多いですね、「ありがとうございます」という言葉の一言でもそうなんですけど。どっから降りてきたのか・・日本人が作ったのか、そうでもなくて最初から宇宙に満ちてる、在る、本物というのが。だから、元々神さまが用意したものと云うふうに気付いて行くだけなんです、本当は。
 
気付くというのが、不思議な働きなんですけど、本当に必要になった時に、必要なものを与えられた時にスッと自分の中に入って来る、それが気付きなんです。だから、どれだけ素晴らしいものが一杯あっても、必要でなかったら受け取らないでしょう、気付かないから。
 だから、順番に段階を追って必要性が出てきた時に、必要なものが与えられて、与えられてじゃない、与えられてるのに気付くんです。それでそれを受け取って人はどんどん幸せを拡大していく。その神さまの無限の無限のチャンネルを味わうのでも、神さまは人の自由を絶対縛ってこないですよね、「どの番組でも自由に選んで見なさい」という感じで与えて来ています。最初から、その最高番組を一つだけ与えて、一番いいのだけを与えて、「それだけを味わいなさい」というと、自由を縛りますよね、一つしかないというね。それでは、人の幸せって本当はないですよ、浅いですよ、小さいですよね。
 だから、無限の無限のチャンネルを与えて、自由を完全に保障しておいて、それで最高番組を味わうように持って行きたい。その最高番組も、一つだけを最初から味わってるんでは味気ないですよね、‘もうそれ以上のものがない’というのを味わい続けても、良いものに慣れてしまうとやっぱり浅くなるんです、感謝も感激も喜びも。それで一番下まで一旦降りる方がいい、一番下の番組を見て、地獄番組ですよね。一番下を一回波長合わせをして、番組を引き出してそれを確かめてみないといけない、そうすると謙虚な心になる。その立場から光一元に上を仰ぎ見るという、いろんな番組を光一元に眺めると、どの番組も一番下と比べたらどんどんプラスが増えて良くなってる。プラスばっかしという感じになってくるでしょう。そういう心の持ち方によって、どんどん最高番組へ近付いていく、謙虚な心で最高番組を味わっていく。最後には、一番下から一番上を仰ぎ見るような心で、最高番組を味わえたら、最高の喜びがそこに湧き上がって来る。
 感謝もやっぱり、浅い感謝、深い感謝、小さい感も、大きい感謝も、無限に変化するでしょう、感謝を深めるということでも、一番下から一番上を仰ぎ見て受けないと感謝が深いと言えないですよね。そういう意味で無限の無限のチャンネルが生み出されて、それを自由に味わえるように用意されてる。その一人一人は同じ道は絶対歩まないですね。最初、無限の無限のチャンネルを与えられて、同じ番組を一人一人が見てきたらおかしい。全部、最初選ぶのは違う番組。それからスーっと選び続けるのもみんな違う。それで、無限の人がいてても、その中には同じ歩み方をする人は一人も無い。私たち現実にこの世界を眺めてるのでも、みんなチャンネルは違うんですよね。自分が見てるチャンネルと、他の人が見てるチャンネルとは全部違うのね。波は似通って、番組は近いんですけど、厳密に言うと全部違う、そこがまた良いんですよね。神さまは同じものを創ってないですね、同じものだったら一つでいい。みんな違う番組選びをして、いろんな楽しい見方、受け方をしてくれるから、神さまが全部それを総合して、全ての人の幸せを喜びを自分のものにしてる、だから、どこまでもどこまでも神さまは凄い、奥深い、計り知れない。
 
 
 神様の本当の願い
 
 それでその神さまの本当の願いは、光一元に全てを眺めて欲しいのです。プラスー元に、善一元にというふうに、一元に見るという見方が一体感の見方なの。二元的に見ると、一つの立場に報われて上下を見るでしょう。神さまは元々一つなの、一体化してるの全てと。一元に見るというのは、一番下から一番上を眺めるのでも一体感で見るのね。
 二つに分けると、善悪が決まったり、優劣が決まったりいろいろするんでしょう。でも、一体感で見ると本当の生かし合い、助け合いなのね、例えば、「光と闇」という要素が両極に分かれても、光と闇は本当は絶対においては一体なのね、それが表現になる時だけ闇は光を浮かび上がらす働きとして補佐するわけね、助けるわけ。それで光だけの一元の表現をそこへ、無限の無限の表現の段階として生み出してくる。その神さまの本当の心、願いというのをしっかりと捉えるというのが大事ですよね。それで神さまの御心に従った受け方というのが、一番正しい受け方になる。
 普通、この世の人って、かなりこの世にとらわれ過ぎますよね。ある一面それもいいんですよね、一つの番組をしっかり認めて、それをしっかり味わおうというのはいいんですね。
 ところが無限の選択肢の中で、「今この一つを選んでる」という立場に立たないと、がんじがらめになりますよね。いつでも他の無限のチャンネルを味わえるんだという立場だったら自由なの。
 その言葉の使い方にしても、マイナスの言葉を使ったらいけないんじゃないのね。マイナスの言葉を使わないとマイナスの番組は見えない。これは必要なの。ただ、「それしかない」と縛られたら抜けられないのね。
 例えば、病気でもそうなんですね、不治の病なんかにかかると、もうがんじがらめになってしまう。「この病は絶対治らない」という言葉に縛られたら、もうそこから抜けられない、
 でも、治る可能性があるというと、選択肢は広がる。そしたら、もうプラスの方、プラスの方を選んでいける可能性があって、治る場合もあるでしょう。でも、それ以上に、不治の病もあるけども、無限の健康もあるんだと云うふうに、もっともっと選択肢を広げた方がいい、そうすると言葉どおりの番組がす一つと引き出されてくるわけでね。 
 「無限健康」というふうに言葉を使い続けたら、無限健康が現実に引き出されてくる。そしてその番組が置き換わった時点で、瞬間に、不治の病が健康になるの。だから、みんな言葉どおりに、自由自在に番組を引っ張り出すの。
 それで最初に戻りますけどね、「君が代」の歌というのは、神さまの最高表現を現すのね。一番上の番組を引っ張り出す力がある。だから、あの歌を歌ってもね、何故か涙が流れるでしょう、ジーンとくるのね。だから、オリンピックで旗が揚がったから、君が代の歌が歌われたから、何かそういうので感激してるのかって、そうじゃないみたいですね。いつどこで歌ってもジーンと来るものが湧いてくるね、これも神さまの最高表現の響きから来るのね。バックアップがあるの、神さまのバックアップ、大きいバックアップがね。そこに本当の湧き上がるような喜びを与えてくれるのね。だから、そういう感じだと思うのね、君が代の歌は。
 
−質問者−
それを学校等で歌わせるというのは、どうなんでしょうか。
 
−ありがとうございます−
 本当はいいんですけど。その正しい解釈を知ってた方がいいの。
 みんな嫌うのは、軍国主義的な、まあ、これも天皇陛下を中心にするという見方もいろんな解釈があるでしょう、だから、天皇陛下が戦争を起こしたんだと誤解している人は、天皇陛下も否定しようとするでしょう。だから、それを歌うような浅い解釈にして、「君が代なんて駄目だ」というわね。
 言葉の解釈が間違って一言葉の縛りの中にはまってしまうと、やっぱり間違った生き方になりますよね。だから、言葉を正しく解釈して本当の深い意味を捉えないと。逆に誤解して歌うと反発する心が出ますもんね。それを出来るだけ解いていくというのが大事なんです。
 天皇陛下の問題でもねえ、「何故、天皇陛下だけが偉いんだ」となったら、神さまを疑い出す、人はみな平等なの、神さまの前に立つ時はね。平等でないと駄目なのに何故違いがあるの、となる。天皇陛下だけが偉くて大事にされてるの?となるでしょう。本当は違うのね。本当はみんな平等よね神さまの前に立った時は、ただ、「神さまの前に立った時は平等」というのは、肉体人間のレベルじゃないのね。
 この世に生まれてくる赤ん坊一人一人、全部、最初、生まれてきた時は平等じゃないでしょう。いろんな家に生まれ変わるわけよね、その時点で、もう平等でもなんでもないよね。もっと奥の生まれ方で見ていかないといけないね。絶対なる神さまの中から生まれた光り輝いた自分が、神さまの前に立った時に平等なのね。その自分は神さまからいつも無限の無限の輝きが一杯という宇宙を受け取るのね。その自分は、神さまの前に立ったら、一番謙虚になれて、みんなも同じように平等なんだと受け取れる。
 それで、無限の無限のチャンネルヘ、いろんな演技をして出てくるの。それで、最高番組では最高の演技をしてるのね、素晴らしい演技をしてるね。最低番組では、やっぱり地獄の亡者を演じてるような演技もあるでしょう。この世もいろんな演技をしてるのね、一人一人がね。ストーリー通りの演技をしてるのね、一つ一つの番組にね。
 だから、一番上の本体の自分がすべての番組に出演してるのね、それでその自分が、例えばこの世へ出てきて、いろんな演技をするという立場に立った時に、もしこの世のストーリーに天皇陛下があるとするでしょう、番組のストーリーとして、役割として必要なのね。
 例えば、日本の中心者、地球の中心者として天皇陛下が必要なんだという番組があるわけね、その時に天皇陛下の役割を誰にさせるかというんでしょう。本体の自分は絶対自分からしたいとは言わないの。みんな謙虚なの、無限に無限に謙虚で、絶対‘自分からします’と言わないの。特にいい役はみんなに先に薦める‘みなさんの方がお先に’と言うわけ。一番悪い役は自分から買って出る可能性はあるのね。でも、一番いい役はみんな譲り合うの、全員がそうだから、なかなか決まりにくいでしよう。だからみんな天皇陛下の役割を演じる資格は持ってるの、でもみんなあまりにも謙虚過ぎて、自分からはなろうとしないから、それで最後は誰かに決めないといけないね。
 その時に神さまは「それだったら、あなたがなりなさい」と言うたらその人が「はい」というだけなのね。どの役も同じなの、一つのストーリーの中では同じ価値があるね。天皇陛下の役も乞食の彼もね、人殺しの役も何もかもそうなんよ、みんな同じ価値があるの。ストーリーの中でそれがなかったら成り立たないからというの。
 それで、その一つの番組を見る場合でも、そこの神さまの御心がどういうふうに現われて表現されてるのかという。それを深く汲み取って味わうことが必要なの。神さまは必要あって創ってるのね、そこに何か無限の存在価値があるわけでしょう、どんなものもね。その価値を大きく見出せるほど神さまの心をしっかり掴めたのね。
 元々神さまはみんなに幸せを味わって欲しいだけなの、大きい喜びを味わって欲しいだけなの。それで全ての番組を生み出しては、人に対してそれを味わって欲しいって、自由意志を絶対縛らずに与えてくるのね。
 だから、人間ってどれだけ神様から一杯プレゼントをもらってるか計り知れない、無限の無限のプレゼントを一杯もらってる。これも、完全な自由を保障されて与えられてるの。
 だから、人の受け方が一番大事なんですね。「ありがとうございます」ってね、感謝するこの心というのは、本当に受け方を上手にする意味で必要なのね。本当に「ありがとうございます」てね。
 心にひと言唱えるだけで気付きが増える。それで必要なものに気付いてそれを受け取れるの。本当はもう無限の無限のチャンネル全てが、今必要だったら全部受けられるはずなの。
 ところが最初から全部受け取るのは大変なのよね、それで順番にいろんな受け方を勉強しては、練習しては、いいものを沢山受けられるようになっていくの。それでこの世のいろんな幸せになるノウハウが合いっぱいありますよね。 これは無限にあっていいと思うんですけどね。それも、ピンからキリまでキリまでよね、それも人に自由を与えて選択肢を広げてくれてるだけよね。
 でも、一番いい受け方はやっぱり「ありがとうございます」があると、一番的確に必要なものをスッと受けらる。
 でも「ありがとうございます」をいつも唱えなさいと言わないね、一番最後に唱えなさいって。最初は好き勝手に、何でも思って、どういう言葉でも使ってそれを実現して楽しみなさいというような感じね。でも、最後に一番いい方法を選びたいの、その時に神さまにどうしたらいいかというぶうに聞きたくなってくるね。その時に「ありがとうございます」が出てくるはず。「ありがとうございます」というと、神さまの助けが的確に入ってくるね。だから、どういう番組を見てどういう立場に立ってでも、その時に一番必要な助けが来るのね、凄いことなのねこれね。
 それがどんなマイナスの姿をとってでも、それが一番必要な姿としてマイナスが出てくるの、プラスも同じよね、みんながそういうふうに必要な物を的確に与えてもらえるというのがこの「ありがとうございます」という神さまの助けの方なのね。
 
 
 日の丸
 
−山下さん−
 君が代が出るとどうしても日の丸も聞かんといかんかな。日の丸というのはやはりお天道様を感じて崇めた、日本のですね、それが国旗になってるんだと思うんですけども。
 今、日の丸の問題もいろいろ言うてますからね。それに対してお考えをお聞かせ願えれば。
 
−ありがとうございます−
 日本の国が日の丸を国旗というのを今までは認めてなかったですね、法律ではね。その日の丸の心をずっと保持して持ってきただけなんですね。日本人がね。
 だから、昔からの日本人の生き方の方が正しかったと思うんですよ。これはね。日本が私有化したら駄目なのね、自分の国の国旗というふうに決めると本当はいけないと思うんです。これは世界全体のためのものなのね、本当はね。 世界の各国が何故、〈みんなに平等にいつでも日の丸の国旗を使ってもいいのにね)先に選ばなかったかというのがちょっとね、不思議なんですね。
 どこの国も平等に、そうでしょう、太陽を現すような日の丸の国旗を使ってもよかったはずなのね。でも、どの国もそれを選んで来なかったのね、日本が選んだと言うたらなんですけど、「その心を謙虚に受け続けてきた」というだけなのね。
 これも世界の七不思議の一つになるかも知れん、不思議でたまらないんですけどね。ここにも日本の民族の役割、使命ってね、隠されてるかもしれないですね。
 丁度、太陽の働きというのは、神さまの大きい愛の働きを模型として象徴化してるかも知れないんですけど、太陽って明るい心をみんなに与えますよね、暖かい感じを与えますよね。太陽がなかったら地球の生物も生きていけないね。 本当に必要な働き全部を与えてくれるような姿を象徴してるんですね。だから、この肉眼で見てる単なる星としての太陽じゃないんですね。本当の神さまの愛の表現としての働きを太陽に模型としてなぞらえてるのね。それで日の丸の国旗というような姿で、更に小さい模型として現してくれてるのね。
 この日の丸の国旗には深い意味が沢山あるのね、先ず「赤い○」「○」というのは深い意味があるでしょう。円満な、完全なというね、丸は角立たない、争わない絶対。それで海の船の名前でも全部「何々丸」ってつけるじゃない、転覆しないでしょう、はははは。
 ○からはもう一杯いろんな意味が一杯出てくるのね。数字でもそうよね「ゼロ、O」ですよね。何かの数字に、1にOをつけると10になるでしょう、二つつけると100でしょう、ゼロというのは無限に大きくもなり、また、0.00…と付けると無限に小さくもなるわけでしょう。そこには無限小から無限大まで中に持ってるような姿をとるんですよね。だから、Oというゼロという意味がもう底知れん奥深いものを秘めてるのね。
 これは神さまの宇宙創造の働きを全部持ってるのだと思いますけど。そのO、円には中心があるわけでしょう、一つ、一つ中心があるね。これ凄いことなのね。中心があると全体が調和するでしょう、本当の意味で大調和するね。その中心というのは、また上に立つ中心もあるのね、下に立つ中心もあるのね。その中心は自由自在に全体を調和させる働きとして存在するわけでしょう。だから、Oをじっと見つめてるとね、山のように出てくる時と奥へ谷のようになって行く時と両方あるのよね。そのどの中心も大事なの。
 これみなさんもね、どういう意味があるかというのを推理したり、直感で感じたり、いろいろするといろんな意味合いが一杯出てくるんです。今ここで全部並べるのは大変なんですね、はははは。
 それで、また「赤」というのも、「赤い色」色もまたいろんな意味合いがありますよね。赤い心と書くと「赤心」ですよね、赤ん坊のような純粋なそういう心でしょう、これはもう神さまの一番奥の「本源の心」とも言うのね。
 また「赤」は、情熱という感じになるとまた、本当に夢や希望や情熱が一杯湧き上がるような感じの働きを示してますよね。「赤」というのは暖かい感じがしますよね、神さまの愛がそのままそこに感じられてくるんですよね。
 周囲の「白」というのも凄いでしょう、「白」というのは純白ね、純白は光の色にしても、純白から全ての色が分かれますよね。だから「純白」というのは一つで何もないんじゃないのね、全部を中に持ってるのね。それでいて自分を主張しないの、我の主張がないんですよね。それでいて全部中に持って、全部を生かして包容し尽くせるのね。
 だから、純白の中からどんな色が出てきても、そのバックになって支えるわけでしょう。いろんな色合いの光を全部奥から支えて、光の綾模様を自由自在に生み出してくれるのね。
 だから、絵を描くのでも、純白て凄いよねあれね、何書いてもいいのね。黒だと書けないですもんね。ねえ、黒い紙に黒い鉛筆で書いたら何を書いたかわからないですね、暗闇のカラスだとかいうて、はははは。
 だから、この日の丸の国旗が将来、世界の各国が全部受けてくれるのがいいんじゃないかと思うんです、本当は。世界が一つになる時は。
 まあ、今の各国の国旗もそれぞれに意味があって素晴らしいんですけど、でも、日の丸の国旗が世界の国旗となったら、枝葉を中に包んでしまうよね、世界の国旗を中に包み込むような大きい国旗ですよね。本当に神さまの御心が最高に輝いた姿を象徴するような姿をとると思うのね。
 国旗も選び方なんですよね、世界の全ての国が日の丸を選んだ時は、地球は完全平和になると思うの。だから、絶対私物化したらいけないと思う、神さまから与えられたプレゼントというのはみんなのためのもの。平等なのね。みんな、いいものをどんどんみんなに同じように‘どうぞ’と言わなといけない。場合によったら、自分よりも「先に周りに対して」という、それぐらいの生き方が大事だと思うんですけど。まあ、解釈はみなさんにいろいろ考えてもらった方がいいね、これぐらいで止めたい思うんですけど、ありがとうございます。
 
 
 世界維新、瞑想のBGM
 
−質問者−
 1,「世界維新」というお話が出ましたね、これは何か具体的な構想というのはあるんですか。
 2、昨日瞑想をやっている時に、テープでいろんな言葉、擬音、の意味を教えてください、
 3,時間が非常に厳守されてるような感じがします、これは意図的にやっておられるのかなと思うんですが、もしそうだとするとその意味は。
 4,私は物事をすばやく出来なくなる時があるんですか、物事をすばやく的確にやっていくコツがありましたら教えていただきたい。
 
−ありがとうございます−
 簡単に答えられるのから、時間は、このテープの収録時間に合せてるの、録音時間が限られてるの。一番ストップ掛けるのがわかりやすいというとこを選んでるみたいですね。あまり深い意味はない。
 それと、決断がし難い時は、「ありがとうございます」を唱えると、一番いい意味の必要な決断が出来るんですね。決断しない時がいい時もあるの、決めない時がいい時もあるのね、その時は決まらないの。それで、決めた方がいい時は、即座にスッと決まるの、それも必要なものを選べるような決まり方をしますね。それで「ありがとうございます」て心に唱えるのが一番ベストですよね。
 それと、テープの話なんですけど、これ、何もないと雑念が出た時に流されやすいですね。それと周りからいろんないい意味の音が聞こえたりすると、雑念が出て流される時にまた戻りやすいでしょう、フッといい方に戻るのね。柏手とか口笛なんですけど、これも心境の高い人の柏手と口笛は神さんの浄めの光が強いですよね、だから、雑念を消してくれる。そういう意味でバックミュージックとしてそういうのも活用できる方がいいわけね。
 また大自然の響きね、例えば、ヒグラシの蝉の声でもいいですね、カナカナ蝉もね。また川のせせらぎの音とかね、鈴虫の音色なんかもいいですよね。もう自然な響きの中には人の思いを消す働きがあるのね。音楽なんかはいいんですよね。
 そういうのをバックミュージックにするとね、お祈りがしやすいね、深く入りやすいでしょう。そういう意味の助けとしてこれを活用させてもらってるんですけど。
 その言葉なんですけど、言葉もいろんな段階の言葉が、必要としてある方がいいんですよね。
 例えば、「世界人類が平和でありますように」という言葉でも、最初から世界平和が今ここにあるんだ、と断定的に祈れたらその言葉でもいいんですけど、今地球は、いろんな争いがあって大変なんだという、世界が平和になって欲しいという意味の願いを持って、神さまの助けを受けようという人にとったら、ちょっと願うような、すがるような言葉で祈る方が祈りやすいですね。矛盾を感じないですね。そういう意味では「世界人類が平和でありますように」というのはね、やわらかい祈り方も大事なんですね。
 その後、「日本が平和でありますように」もそうですね。先ず、自分の国、これの本当の意味は、日の本の国という意味だったら、世界全体、宇宙全体なんですけど。先ず身近な自分の国も平和になって欲しいという意味でね、そういう意味で日本を小さく見てもいいのね。
 また、「私たちの天命が…」というのも、一人一人が本当の役割を演じた時に、演じきれた時に、みんな生き甲斐も喜びも湧いてくるのね。また全体が調和した姿をとって世界が良くなるわけね。だから、小さく見ると、私たちの天命も完全に果たされる方がいいわけですね、そういう願いも込めて神さまの助けを受けようという意味で必要なんですね。
 そして、普段私たちが譲っているのはどういう存在かというのでも、一番身近なのは「守護霊さん」なのね。先祖霊とか、また守護神さんという意味でね、護りを身近に感じる意味では、そういう言葉も大事なんですね。
 最初から「宇宙の大神様」というふうに捉えられる人はそれもいいですね、でも、そういうのはなかなかわからないし、ただ身近にご先祖様が譲ってくれてるとか、亡くなったお父さんお母さんが譲ってくれてるという、そういう身近な感じ方も大事なんですね。それを順番に大きく拡大して行けばいいのね。 一番最後に「ありがとうございます」が要るんですよね、全体の働き、全ての全でなる神さまの働きというのをしっかり捉えると効果が大きい。それで締めくくりは必ず「ありがとうございます」、またそれをスーっと繰り返すのが一番ベストなのね。そういう感じですね。
 それで一番最初の維新なんですけど。維新という言葉は「明治維新」という言葉がありますよね。
 維新というのは「惟新た」ですよね。常に「惟、新た」ね。
 神さまの働きは、いつも一瞬一瞬これ新たに宇宙の全てを創造して生み出してくるのね。「これ新た」と受けた時に全てが良くなって行くんですよね。特に神さまの働きを受けるという意味では、新たに新たに受けないと過去にしがみつくといいものを受け損なうのね。
 丁度、宇宙大の打ち上げ花火がボーンと上がるでしょう、ねえ。一回打ち上がったのをいつまでもしがみついて、消えて行く光の残像を追いかけてもね、そこには新しいものは何もないんですよね。それよりも、一瞬一瞬新しい打ち上げ花火が打ち上がるのを、スーツと見続ける方がいいわけね。
 また、演奏会でね、いろんな演奏をされてますよね、今素晴らしい音色が聞こえてきたってね、それをいつまでも心に残像として残してそれに浸ってたらね、次の瞬間に流れている音色を聞き逃しますよね。そしたらもう全体としてどういう演奏をされたかはわからなくなってしまう。本当の味わい方が出来なくなるね。
 だから、もう‘常に新たに新たに’というのね、その受け方が本当は全てを良くしていくの。「世界維新」という言葉で、誰が使ったんか、神さまの方が用意している言葉なんですね、本当はね。
 特に新しい世紀は、世界を新たに新たに置き換えて良くしていく時代なんですね。本物をどんどん下ろしてくださる時代、最高番組をどんどん現案化してくださる時代なのね。そういう意味で維新という言葉は素晴らしいなと思うんですけどね。どうでしょうねえ、そういう感じなんですけど。
 
 
 日本の役割
 
−質問者−
 例えば、日本がそれぞれ国が役割があるとすると、日本というのはそれだけの役割を果たすとか。そんな観点からちょっと集中的にお願いします。。
 
−ありがとうございます−
 そうね「世界維新」は、神さまが主役ですね、神さまの働きがそのまま降りる時代ね。人はただ受けるだけ、その受け方がいろいろなんですね、世界の全ての人の受け方がね。
 特に日本人は上手に受けて世界を良くしようという働きを、まあ「担ってる」と言うたらそうかも知れないね。感謝をして神さまの働きを受け入れて、それを現実化していただくというね。まあ、世界でいろんな民族があって、それぞれ兄弟という感じで見た方がいいんでしょうね。
 神さまの前に立つ時は、命の兄弟ですよね。それで、お兄さんもあり、弟もあり、お姉さんもあり、株もありという感じですね。でも、お兄さんやお姉さんはね、やっぱりちょっとね人生を長く生きてるね、勉強をちょっとはしてるのね、それに感謝もちょっとは早く出来るかも知れない。
 そういう意味では神さんの大きい助けをちょっとは受けやすいんですね。それによって弟や妹を早く幸せに出来るという意味で、だから、世界全体を早く良くするために、まあ、お兄さんやお姉さんに当たるかも知れない、日本人はね。神さまの助けを早く大きく受け入れて、そのお手伝いをさせていただこうという意味ですよね。日本人が偉いんじゃないんですよ、偉いのは神さまだけね、神さまの力が偉大なだけね。ただそれを受けてみんなを幸せにするためのお手伝いを、ちょっとみんなさせてもらうのね。そういう感じだと思うんですね。
 
「ありがとうございます」は神様の助けを受けて、’人の思いの縛りを消してあげたい’という意味・・・・・選択肢が無限
 
−質問者−
 山下先生のお話にもあったんですが、憲法第九条、日本の場合は原子爆弾で戦争末期に落ちて、ああいう平和憲法が出来た。日本の過去の歴史、今の世界の歴史、戦争状況を見ましても、民族紛争なんていうのは、結局やったやられたということで、一つやられたから二つ返すという繰り返しで、自分の父親や母親がやられたからやろうということで繰り返しているんだと思うんですが。イスラエルとパレスチナとの関係もそういうもののような気がするんです、深くはわかりませんが。そうすると大量にドンとやられているにも拘らず、我々日本人というのは、アメリカをそんなに恨んでもいないし、教育のせいかもしれませんが、やりかえそうというものは持ってませんですね。おそらく珍しいケースだと思うんです。やられたけれども、復讐の念に燃えてやろうとは思ってない。そうすると、過去を掴むなとか、戦争をするなとか、やめようとか、そういう事を率先して言って説得性を持つのは、日本人というのは非常にぴったりする民族だと思うんですね。我々はやられた、しかしやられたけどやってないよ、だからやらないようにしよう。非暴力というか、非戦、ガンジーが唱えたようなああいう基本的な平和の思想を、世界に言うことの出来る位置にあるような気がするんですね。そんなことが今おじさんが言われた日本の役割というか、そういうことに関連するんでしょうか。
 
−ありがとうございます−
 そうね、ただ、一つの番組を掴んでしまった人にとったら、その世界しかないんですね。やられたやり返す世界なんですね、そういう人に‘やり返すな’と言っても無理、不可能なんですね、絶対改めないんです。
 日本の場合はそうじゃなしにね、「選択肢が無限にあるんだ」という事をみんなに知ってもらうための役割を果たさないといけないね。低い番組は、やられたらやり返す世界があるんですね、でも、もっと上の番組には、やられても相手を助けるんだという、自分がどんだけ犠牲を負っても‘相手の幸せだけを願うんだ’とか。また‘それ以上に助け合いの世界があるんだ’とかね、選択肢が無限にあるんだという事を、実際に、それを受けて具体化して、世界にお手本を示さないといけない。
 神さまの心ってそれだけ大きい自由を与えて、幸せ一杯与えようとしてすべてを用意して準備して待っていてくれてるんでしょう。その受け方のお手本を示していくというのが、お兄さんお姉さんとしての日本人の役目かもしれないね、もっともっといいものを一杯神さまから受けよう、というような感じでね。
 だから今、世界のいろんな国が過去に報われて仕返しばっかしを考えてるというのは、選択肢がないんですよね。これね、がんじがらめに縛られた感じですよね。その縛りを解く役目というのも、感謝して神さまの助けを受けてその思いを消してあげない限り抜けられないですね。人がなんぼ思いをそこに寄せても、思いが被るだけなんですね、益々がんじがらめに縛って行く。
 これは、悪い思いだけが練るんじゃないのね、良い思いも、その良い思いで縛って行くのね。良い思いは良い方向へ向けようとするんですけどね、やっぱり思いの縛りなんですね、「こっちへしか行ったら駄目」という縛りなのね。 でも、そういう思いが一杯被さるとどっちへ行っても駄目になってしまう、がんじがらめに縛られていくのね。その思いを消す方法ですよね、これは神さまの力でないと消せない。神さまを呼んでその思いを消していただくというのが一番必要な働きなんです。
 「ありがとうございます」と唱えるのも、その為に唱えて、神さまの助けを受けて、’人の思いの縛りを消してあげたい’という意味なのね。
 特に、日本人はそういう役割があると思うんです、縛りを解いてあげる、消してあげるという意味で。そうすると、縛りがなくなったら選択肢が広がるんですよね、それでいいものが選びやすくなってどんどん高い番組へ心を受けていけるのね。そしたら仕返しは絶対しないような番組を選んでいくと思うのね。 だから、日本人にはいろんな役目がまだまだ沢山あると思うんです。それを順番に気付いた人から実行させてもらったらいいんじゃないかなと思うんですね。
 
−山下−
 ただですね、日本人は神さまを信じなくなってきてるような気がしますね。少しずつは変わってきてはいますが。前総理の森さんが発言された「神の国発言」、自分はそんな間違ったことを言われてるのではないと思うんですね。森さんが言われたからまずかったのかな。
 唯物論主義、科学万能で、役割があるにも拘らず、まだ目に見えるもの、本当は見えるものより見えないものの方が、それをずっと大事にして欲しい。これから日本人の意識が変わって行くものなのか、日本の現実はその辺のところが、人間が荒廃していくことにつながっている気がするんです。
 
−ありがとうございます−
 そうですね、日本は世界の全てをもう一回取り込んで消化吸収して、更に大きくなって



ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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