ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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 「自分」という言葉は「自」というのが「自ずからあるもの」という「神様のこと」なんですね。そこから分かれてきたというのが「自分」なんですね。だから、神様から分かれたのが本当の自分ね。神様の分身というよりも、神様そのものが本当の自分なんですよね。その自分がどこから出てきてどこへ行くのか。

 結論から言えば、神様から現れて神様へ戻るだけなんです。絶対から現れて、いろんな表現を繰り広げて、絶対へ戻って行く。宇宙の全てがそうですね。

 だから、本当の自分は神様から現れて神様へ戻ってるだけ、それを繰り返しているんですね。絶対から現れて絶対へ戻って行く。

 「自分」というのは、形じゃないですね。意識なんです。ただ、その意識が何を掴むかですね。

 肉体のこの人間を掴んだら、「肉体が自分」という意識になってるのね。

 催眠術をかけられて「あなたは犬です、猫です」と言われたら、犬や猫になったつもりになってるでしょう。意識が何をとらえるかなんですね。「宇宙が自分」というふうにとらえていいわけでね。「神様が自分」ととらえてもいいわけね、意識は自由自在なんですね。

 神様から分かれた意識というのが本当の自分で、これはみんな神様の前に立った時は平等なんです。神様から全徳の無限の無限の輝きが一杯!という姿をいつも与え続けてもらってるね。その中から何を受け取るかというのが、一人一人自由なんですね。神様にはエコヒイキがないんです、みんなに平等に全てを与え尽してきている。それが根本にあるわけですね。

 神様から分かれた自分が自由な心で無限の無限の番組を楽しみに出てきてるんですね。その順番も一人一人違うんです、どの番組から見ていってもいいのね。上から下へ降りる人もあるし、下から上へあがる人もある。これも自由なんですね。

 そして一つの番組を選んで、その番組の中で主人公を掴むんですね。一人主人公を掴んで「これが自分」というふうに自分が主人公になってその番組を味わうわけね。

 その時に「自分は人間だ」というふうに思う人は、人間を主人公に選んだのね。

 ある時は「雲になりたい」というので雲を主人公に選ぶわけね、自分が雲になったつもりで番組を楽しむのね。これはもう自由自在なんですね。

 だから、無限の無限のチャンネルというたくさんの放送番組の中から一つ選んで、またその中の番組の一つを主人公に選んで、みんな楽しんで生きてる。

 だから、意識というのは自由自在なんですよ。みんな自分が選んで楽しむだけなんですね。だから、みんな神様からは最高の心を与えてもらってる、意識を与えてもらってるんですね。

 これさえわかれば、後は楽しむだけなんですよ。何の縛りもないんです。そういう心に戻るために「ありがとうございます」という感謝の言葉が生まれてきてるのね。

 最初はみんな自由自在にいろんな番組を選んで、その番組にはまり込んで楽しんできてたんですけど、ある時、執(とら)われて行くんですね。過去を掴んでその縛りの中へはまり込んで行くんですね。周りの環境の影響を受けて、心をいろいろに変化させてしまって、そしてその心に思いをいっぱい溜め込んでしまうのね。

 そうすると、自分をがんじがらめに縛ってしまうわけですね。縛られたら自由がなくなるね、番組選びも不自由だし、一つの番組の中でも、何を選ぶかって、なかなか自由に選べなくなる。

 だから、「自分がこういうものなんだ」という掴みが強くなるのね。特に過去を掴んで、小さく掴んだ時はそうなりますよね。その縛りを解いてもらわないといけないね。思いの縛り、言葉の縛り、いろんな縛りを全部消しきってもらうと、元々自由自在な心の自分って一番奥にあるんですね。それが本当の意味の感謝の心の自分ね。

 この「ありがとうございます」は、その感謝の心の自分を引っ張り出すためなのね。ただ、引っ張り出すといっても、神様に縛りを消してもらわないと出てこれないから、先ず神様を呼んでるんですね。「ありがとうございます」というのは、神様の本当の名前なんですね。究極の名前といってもいいぐらい、全ての縛りをスッと消してくれるのね。

 そして「ありがとうございます」と心で唱えているうちに、いろんな縛りがどんどん消されて行って、心が自由になってくるね。

 そして、段々と感謝の心が湧き出るようになってくると、もう自由自在な本物の自分なんですね。

 こういう立場に立つと、いろんな宗教の教えも、いろんな人の教えって、みんなつまらんように見えてくるでしょう。本当の神様は絶対、人の自由を縛ってこないもんね。人の教えも何もかも全部人を縛ってしまうのね。「これが最高」というと、この「最高」というのに執われて、その縛りの中にはまり込んで行くのね。

 その縛りを解く力がないのね、どの言葉でもね。

 だから、宗教の教えなんていうのは特にそうよね。「この教えが最高なんだ」という、その「最高」という言葉に縛られて、その中にはまり込んで、がんじがらめに縛られてるね。抜け出せなくなってしまうね。

 だから、世界の宗教争いって凄いでしょう。世界の戦争の根本は宗教戦争ですよね。

 仲良くしなければならないのが、逆に争いの原因になってるのね。でもそれはみんな言葉の縛りなのね。本当の神様の働きはそんなものじゃないね。本当の神様はみんなの縛りを解いてくれるだけね。

 ただ、神様は人の自由を縛らないから、無理矢理縛りを解いてこないのね。ここが大事なところね。

 「縛りを解いて欲しい」というふうに神様に心を向けないといけないね。だから、本当に自由になりたい時に、そういう時期が来て、はじめて人は神様に心を向けるのね。そしてその縛りを解いてもらおうとするのね。

 その意志表示が大事ね、意志表示が「ありがとうございます」という言葉なのね。

 だから、心に「ありがとうございます」と唱えさえすれば、自由になりたいという意思表示をしていることね。だから、神様の助けがスッと入るのね。そしてその時に必要な思いをスッと消して、自由な心にどんどん変えてくる。そして段々と心は幸せになってくるね。

 それは、皆さんは「ありがとうございます」を唱えてたら、いつの間にか自分が変化しているのに気づくのね。ある人は「短気で、短気で、これは絶対治らん」と自慢するもんね、「小さい時から今でもずっとそうだし」って。ところが、しばらく唱えだしたら、短気が消えてしまうのね。別人のように変化すると「なんで?」と不思議がるわけよね。

 もうそんなのは、なんぼでも起こるわけでしょう、ありふれたことよね。だから、どんな縛りでも解いてくれるね。もう不思議なくらい、本当に不思議な言葉よね、この「ありがとうございます」はね。

 過去に積んだ思いというのは無限に種類があってもいいよね。大事な宝物のように心に一杯溜め込んでる。それが「七難八苦の心」というのね。「五欲の心」とも「煩悩の心」とも言うのね。それは思いの集積よね。

 その思いさえ消えたら自由自在になるのね。

 だから『人は神様から現れて、神様の表現を楽しんで、また神様に戻って新たな自分となって、また新たにいろんな番組を楽しみに出てくる』だから、その循環がいいんですよね。

 同じものをずーっと持続するのはあまりよくないね。古くなって行くでしょう。いつも新しい自分が新しい生き方を選べるほうがいいね。

 だから、神様も無限の無限のチャンネル自体を、常に新たに新たに生み出してくるね。これはもう凄い働きね。

 今受けた無限の無限のチャンネル、次の一瞬にはまた新しい無限の無限のチャンネルが待ち構えてるのね。だから、一瞬に全部楽しんでも、また次に新しいのが待ち受けてるという。ところが、なかなかそれを一瞬には楽しめないよね。無限の年月を掛けて一つのチャンネルを楽しんでるのだから。

 だから、楽しむのでも感謝の心が深く深くならないとね。楽しみ方がまだまだ下手と言われるのね。

 だから、本当に自由な心にならないと楽しむとこまで行かないから。だから、一切の縛りはもう必要ないよね。言葉の縛りから抜けることが大事ね。

 そして過去は相手にしないことよね、大抵問題を起こす時は過去を相手にしてる。七難八苦の悩み苦しみ、みんなそうよね。過去の出来事に対してなのね。

 だから、もう過去を掴まなかったらいつも幸せな心に戻してもらえるはずね。

 「過去を放す」というよりも、新たに神様からのプレゼントを受け取ればいいね。新たに新たにというのが過去を放す一番の秘訣ね。

 だから「ありがとうございます」を繰り返せば無限の無限の輝きが一杯!という姿を与え続けてくるね。それさえ受け取ろうとすればいいのね。段々と受け取るのが上手になってくるね。

 だから、光り輝いた宇宙をいつも感じるのがいいのね。

 思いのある間は、やっぱり番組が低いから、全部光輝かない、つまらん状態に見えてくるね。

 でも、思いが段々となくなると光が強くなってくるね。もう全てが光り輝いて見えてくる、感じられてくるのね。

 この世でもそうよね。この世でも輝いて見えないといけないね。単なる「物、物質、物体」と見えると、まだ駄目なのね。本当に光り輝いた姿に感じられると本物ね。

 この世とあの世の違いって大きいのよ。先ず無限の無限のチャンネルがあの世にあるのね。この世はあの世を無限のチャンネルとした時に、一つのチャンネルになるね、中間点ぐらいね。

 この世は、特にあの世の縮図になってるね。あの世の縮図として、この世の一つのチャンネルがあって、その中に無限のチャンネルがあるのね。だから、地獄もこの世の地獄があるね、極楽もこの世の極楽があるね。一番下から一番上まで全部揃ってるね。

 だから、あの世を縮図にして現わしているのがこの世ね。だから、大きい意味があるのよ。

 全体を学ぶ時に、本でもそうね、全体を読む前に目次を読むのね。大体のあらましのストーリーを把握すしておくのね。そうするとその本に何が書かれているかが大体わかるのね。

 全体を把握しながら読むとわかりやすいでしょう。そういう感じね。

 あの世からこの世に生まれてくる時、やっぱり目的を持って生まれてくる。

 どういう目的か──

 先ず、自分が何を選びたいかという意思表示をしっかりつける勉強、「何を選びたいか」というのをはっきりしないと駄目ね。

 だから、この世に無限のチャンネルを用意して、一番下から一番上までを縮図的に用意して、その中から自分は何を選びたいのかというのを勉強するのね。

 「なんでもいい」というのだったら駄目よ、意志をはっきり現わさないと選びにくいよね。

 そして、この世で低いのを選びたかったら、あの世へ行ったら地獄へ落ちるよ。確実に行けるよ。あまり下へ下りたくないよね。

 大抵は、この世に生まれてくるのは、低いところに波長が合ってたのを、高い世界に合わすためね。高い番組に合わすために生まれてくるのね。

 あの世で、高い番組にいる人はあまり生まれてこないもんね。この世を助けるためとか、いろいろ指導するためにだったら生まれてくるかもしれないけどね。

 大抵、この世に生まれてくるのは、低い番組の執われた人が、ものすごい競争率を通過して代表で生まれてくるのね。そしてチャンネル選びの勉強をして、この世でいい番組のチャンネルを選べたら、あの世ではスッと高い番組へ上がってしまうのね。

 だから、この世で一番下から一番上まで変化したとしたら、あの世で一番下から一番上まで変化したのと同じなの。普通は、あの世ではなかなか進歩しにくいよね。

 これは何故かというと──

 この世はいろんなものが揃ってるでしょう、マイナスからプラスまで全部揃ってるのね。ところがあの世は、自分にそっくりさんが一杯という世界なの、他は無いの。

 無限の無限のチャンネルの一つの番組があったとしたら、自分に似たような人が集まるのね。だから、自分が腹を立てる人間だったら、腹立つ人ばっかしが集まってる。

 きれいな服を着て「みんな見て頂戴」というふうに思ってら、そういう人ばっかし集まるのね。見て欲しいばっかしよ、見てくれないよ誰も。

 「お金が一番だ」と言ってお金を数えてばっかりしている人は、あの世へ行ってそういう世界へ入ったとしたら、お金を数えている人ばっかしが周りに集まるの。もう飽きてくるまで変わらないのね。そのぐらいはっきりしてるからね。

 だから、あの世で変化するって難しいよ、心を変化させるのは大変なのね。まだ、いい世界はいいよね、プラスの世界だったらまだ楽だけど、低い世界はもう一つ大変ね。地獄なんてもう一つ大変でしょう。苦しいばっかし、周りの人も苦しい人ばっかしだから、これで諦めて苦しみに耐えようかなというような感じしか起こらないよね。幸せになれるなんて考えられないね、絶対不可能というような感じね。みんな地獄で苦しんでるんだからね、苦しんでいる人ばっかしが見えたらそうなるよね。そういう姿が心に焼きつくもんね、どこを見てもそうだから、心はもう地獄絵図になるね。そしたら番組は変わらないね。いつまで経っても地獄の心になってしまうね、そしたら抜けられないね。

 だから、あの世の低い世界からこの世に生まれ変わってくる時に、みんなの代表として選ばれて生まれ変わってくるね。本当に競争率が激しいよ、なかなか生まれ変わってくるのは大変なのね。

 でも、それだけに生まれ変われた人は幸せね、みんなの代表で生まれ変わらせてもらってるね。だから、目的をしっかり定めて、みんなの代表だからみんなの代わりに本当の勉強をしていかないと、譲ってくれた人に申し訳ないね。みんな待ってるのね、この世に生まれた人が立派になってくれるのを見守ってるのよね。その人と一緒に勉強してるの。だから、しっかりと人生の目的を定めるのがいいよね。

 「何を選ぼうか」と、いいものを選ぶ勉強。神様が与えてくれた番組の中から、いいものを選び取っていくという、この勉強が本当の勉強よね。

 神様がプレゼントとして、無限の無限のチャンネルを用意しているというのだけど。「無限の無限の輝きが一杯!」という姿で与えてても、大きい全体像をとらえるのが正しい受け方よね。その中からほんのちょっと受けるのは下手な受け方でしょう。だから、低い番組を受けるのは下手なのよ、一番上の番組を受けてこそ正しいの。より高い番組を選び取る勉強が神様からのプレゼントをたくさん受けたことになるのね。

 そういう勉強をするのが大事なのね。幸せを大きくする勉強よね。幸せを一杯発見する勉強ね。幸せにならなかったらどこか間違ってる。幸せを日に日に大きくしていく、日に日に深くしていかないと、どこか生き方が下手なのね、間違ってるかもしれないね。

 だから、毎日毎日が真剣勝負というぐらいが大事なのよ。毎日幸せが大きくなるというのがいいのね。

 それは「感謝行」よね「ありがとうございます」と唱えているうちに気づきが毎日どんどん増えるの。

 「こんなにも幸せを与え続けてもらってるのか」というのに気づけばいいのね。段々と気づくはずよ、気づきがどんどん増えていくね。

 皆さんもかなり幸せになってるでしょう、無限の幸せよね。まだ「無限の無限の」とまではいかないかもしれないけど。無限の無限の幸せを掴んだら、今度、もう一つ無限がつくのよ。どこまでも大きく深くなっていくよね。

 「この世からあの世へ行く」というのは、この世で勉強できた人は楽なんよ。この世でいい番組を選んだら、あの世の高いいい番組へスッと上がれるからね。より自由な心で素晴らしい運命をたどるの。

 でも、この世で勉強をし損なった人、落第生は、やっぱり番組選びが下手なのね、低い番組を選んでしまうね。そうするとあの世へ行っても低い番組へ落ちてしまう、また不自由になるね。

 だから、あの世へ戻ったら、喜んで拍手喝さいで迎えてもらえる人と、「お前は何をしてきたんだ」と文句を言われる人もあるのよ。文句言われないほうがいいわね。

 「いい勉強をしてくれた」と喜んでもらわないとね。

 だからね、この世へ生まれてきて勉強出来ずにいて、人生の目的がわからなかったらそうよね。大抵、自殺する場合もそうよね。この世の苦しみから逃げるだけじゃなしに目的が無いのね。だからいつ死んでも同じなんじゃないか」と思うと自殺したくなるね。目的がしっかりしたら自殺したら損よね。早死にしたら損なのよ、本当はね。しっかりこの世で勉強するほうが得なのね。

 だから、同じ「心の修行」といっても、この世でするのが楽なの。

 また、大きいマイナスを消してもらうのでも、この世で消すほうが楽なのね。そういう意味で、しっかりと目的を定めて生きないとね。

 ただね、自殺もいろんな自殺があるよね。もう死ぬとわかりながら、例えば、戦争で特攻隊みたいに死ななくちゃならん時があるでしょう。確実に死ぬのがわかってて飛び込んで行くんでしょう。でも、これには目的があるでしょう「国を護るために、みんなの幸せを護らなきゃならんから」という、自分を犠牲にして死んで行く場合は、自殺でも命を投げ出してるのね。こういう人は高い世界へ上がるの。

 でも、この世の苦しみから逃れて逃げたいだけの人は、逃げても追いかけてくる、苦しみがね。同じなのね、あの世にも苦しみが待ってるの。

 また、誰かの身代わりに自殺させられるようなこともあるのね。そういう人はそんな低いところへ落ちないね、身代わりになったというだけでね。

 だから、自殺にもピンからキリまであって、その人の心境はどうかというので、その人の選ぶ番組はぜんぶ変わるのね。だから、一人の人の心の変化も周りの人のいろんな影響を受けて変化させられて行くし、また自分の心の状態が周りにも影響を与えて行くのね。

 でも、根本は自分自身よね、やっぱり自分がしっかりしないといけないね。自分をしっかりと「自分はこういう生き方をとるんだ」というふうに意志表示をはっきりさせないとね。

 その一番大事なことは「言葉」ね「言葉選び」なのね、いい言葉を選ばないとね。

 ただ、その言葉にも種類がたくさんあるのよね、字で書く言葉も大事だけど、映像も言葉よ、音楽も言葉よ、全て言葉なんよね。だから、幅広い意味の言葉選びが必要ね。

 例えば、交通事故でも、交通事故の姿ばっかしの映像をしっかりと見続けたら事故に遭うのよ。安全運転の映像をしっかりと見ないとね。いいお手本をしっかりと心に取り込まないといけないね。

 警察官でもそうでしょう、やくざを相手にいつも頑張ってる刑事さんなんかは、顔つきがやくざに似てくるでしょう。それだけ相手の顔を取り込むのよ心に、怖いぐらいにね。本当は正義感が強くて立派なはずなのに、そういうマイナスの映像を取り込むだけで、自分がそれに負けたら顔つきが変化する。

 だから、何を選ぶかって大事でしょう。

 音楽でもそうよ、悲しい音楽をいつも聴いたり歌ってたら、悲しい運命をたどるの。日本の国にいろんな流行歌があってずーっと時代時代で変化してるでしょう。その歌の通りに変化してるよ。

 明るい歌が流行った時は明るくなるの、悲しい歌の流行った時は悲しくなるの、みんなね。

 だから「言葉選び」というのが先にあるのよね、だから「自分が何を選ぶか」よ。意志表示をはっきりする人が大事なのね、そしてプラスを選ぶ人が増えると、世の中がどんどん変化する、良くなってくるね。

 難しいことじゃないのね、自分の意志表示をはっきりすることだけなのね。みんな自分に責任があるのね。

 だから、自分の選んだ通りに与えてもらえるからね。自分が選んだのに与えてもらえないということはないのよ、絶対ね、みんな与えてもらってるのよ。

 だから「過去にどういう言葉を使ってきたか、どういうものを受け入れたか」というだけなのね。その結果として今の自分があるだけね。

 これからどうなるかというのも、これからどういう言葉を使って、どういう言葉を受け入れるかでしょう、その通りになっていくね、必ずそうなるのね。

 だから、自分の番組選びも、その中の運命も自由自在に変化するの。もう怖いものは無い、何も。

 「この世とあの世の差」って、やっぱり大きいね。

 そういう意味よりもね、高い番組ほどしっかりした姿をとるのよ。光り輝いて確固とした姿をとるの、密度が濃いのね。

 低い番組ほど密度が薄くなる、光が弱くなるわけでしょう。乏しくなるから、いいものが少なくなる、混沌としてくるでしょう。

 この世とあの世を単純に比較して「この世は幻だ、影だ」という人もあるわね。でも、あの世に実態があるという。大きく分けたらそういう表現もできるのね。

 でも、本当は「無限の無限のチャンネル」と分けたほうがいいね。上のチャンネルほどしっかりしてるの、低いチャンネルほど段々と混沌としてくるわけね、光が乏しくなるからぼんやりしてくるね。

 この世からあの世へ行く時も、死ぬ間際の心って大事だと言うね。これは確かなの。その心を持ってあの世へ行くからね。そしてあの世で番組を選んでしまうのね、その心で選んでしまうからそうね。

 だから、死ぬ間際に「ありがとうございます」と言える人は、高い番組を選んでしまう。ただ、それは普段から練習しておかないとね。死ぬ間際だけ唱えようと覚悟を決めてやって、決意してても駄目なの、忘れてしまうから。だから、ちょっと練習をしておかないとね。

 そしたら死ぬ間際に「ありがとうございます」を言えて、あの世ではいい番組をサッと選べるね。

 寝る時も大事なのね。眠る時もテレビ番組をずーっと見てて眠り込んだら、テレビ番組の波長に合うものがずーっと夜中に続くのね。そしてあの世で低い番組の姿をさまようのよ「ああ、疲れた」って朝目が覚める。

 でも、寝しなに「ありがとうございます」をちょっと唱えて寝ると、高い番組へ上がるから、エネルギーの補給が短時間で一杯にしてもらって、スッと目が覚めるのが早いし、覚めた時はスカッとするのね。

 これも大事なことよね、死ぬ間際だけじゃなしに、寝しなも大事なの。

 閻魔さん、本当はね閻魔大王さんってやさしいの、無限にやさしいね。ただ、感謝の心を起こした時にやさしい姿が現れるの。でもね、思いの心を一杯出して、我を一杯出して、おかしくなった時はそれを消さなきゃならないでしょう「これを消してあげるよ」という姿を見せてくれるのね。鏡に、照魔鏡という姿で映してくれるの、自分をね。だから、自分の怖い姿が映るのよ、本当はね。

 それを映し出されたら閻魔大王に見えるよ、怖い姿でね。ただ、自分だけの姿じゃないからね、鏡になって神様が光を添えて消そうとする働きだから、閻魔大王という姿をとってもいいんだけど。

 自分の心を映して、それを吸い取って消してくれる。

 だから、「閻魔大王さんは、自分の守護霊さん・守護神さん」と見たほうがいいかもしれないね。いつも自分を見守ってくれる神様なんだってね。そしてあの世へ行った時に、先ず自分の心を「浄・清」めていい世界に引っ張り上げようと一所懸命なのね。ちょっとでも高い番組へ上げてあげたいというのね。だから、マイナスの思いをできるだけ沢山消してあげたいのね。そういう意味で、自分が照魔鏡の鏡になって吸い取ろうとする。「これだけを消してあげようか」って見せてくるね。

 それも、見せてもらわないと気づかないのね、反省も何もしないから。だから、いろんな意味の気づき・勉強をさせてもらって、そしてマイナスを消してもらうのね。その時の姿が閻魔大王よね。

 それでも頑固な人は地獄まで行くの、自分の心を変えようとしない人は、どこまでもどこまでも下へ落ちて行くから、守護霊さん・守護神さんは大変なのよね。一緒について行かんならん。そして早くストップ掛けようとするのね。

 だから、閻魔大王の怖い顔は「ここで止まれ」というストップの信号なんよね。

 だから、一皮剥いたら、やさしい閻魔大王なんよ、これ以上愛深くなれないというぐらい、愛の塊のような姿をとってるの、本当はね。お芝居よ、だからね、あのいかつい顔はお芝居なの。

 「ありがとうございます」って飛び込んだらいっぺんに顔は変わるよ、怖くないよ閻魔大王さんはやさしいね。「照魔鏡」は、心の中のマイナスの思いを照らし出して、浮かび上がらせて、映してくれるのよね。

 この世からあの世へ持って行こうとして自縛霊になる人もあるのね。持っていけないから、この世にしがみつくのね。それは損な生き方よね。

 あの世へ行ってるのにこの世のものにしがみつこうとする。

 大体、財産でもつくると「これが自分のもの」と思うでしょう、どうしても持って行きたくなるの。全部放せない、なかなかね。そうすると縛られてしまうね、そこへね。

 あの世にいい世界が待ってても、やっぱりこの世にしがみつくのね。

 それで、いろんな勉強をしても記憶という形だと、思いとして心に残ってるでしょう。思いは持っていけるわね。だから、思いを一杯溜めて持っていっても、いい世界には上がれないね。思いの心で選ぶ番組よね。思いは持っていかないほうがいいよね。思いはできるだけこの世で消してもらうほうが楽なのね。

 思いを消す方法として、一番いいのはお祈りすればいいんだけど。お祈りして神様に消してもらうのが一番ベストね。

 でも、お祈りのできない人は、形の七難八苦が出てきたほうがいいね。病気になったり怪我をしたり、いろんな不幸な出来事が一杯出たほうが、この世で思いを先に消してくれるの。軽く消してもらうのね。そしたら、あの世へ思いを持ち越さなずに済む。

 だから、この世で不幸な人はあの世で幸せになってるよ、本当はね。

 この世で順調だったら幸せかって、そうじゃないのね、あの世へ行ったら低いところへ落ちる人があるね。

 極端に言うと、この世で権力を握って、もう贅沢三昧した人は地獄まで行くの。みんな徳を失って、人を自分の思い通りにしようと縛りに縛って、その反動として自分がそういう低い世界へ落とされてしまうね。

 だから、この世で苦労をしたほうがいいのよ、七難八苦が一生連続して続いたという人は、あの世でいい世界に上がってるのよ。だから、それはもう思いを消してもらったからなのね。

 それ以上にいいのが、感謝の練習をして気づきを増やすことね、理解することなのね。

 『神様が存在しているとか、神様は愛なんだとか、神様のプレゼントは無限に一杯なんだ』というふうに気づいて理解した分は、思いじゃないのよね。中からの気づきは光として、輝きとして出てきてるのね。

 これは、どこへ持って行ってもいいの、通用するの。

 仮に自分が低いところへ行ったとしても、そこがいっぺんにパッと明るくなるから、低い世界が消えるのね。いっぺんに高い世界に変わるね。

 だから、そういう「気づき・理解を増やす」というのが、本当のこの世の勉強ね。それさえしておけば大丈夫ね。記憶しても駄目なんよ。

 例えば、宗教の教えを一所懸命記憶するのは、自分が理解して気づいたのとは違うのね。洗脳されただけなの。教えに縛られただけね。これをあの世に持って行ったら縛られるのよ。

 だから、気づきが大事ね、理解するというのが大事ね。

 神様についての勉強も、気づいて理解すればいいのね。そしたら、自分の中から光り輝いた姿で出てきて、どの世界でも通用するね。自分が輝けば、番組選びが明るい輝いた番組、いい番組を選べるね。そしたら、天下無敵の幸せな人間になれる。





 お釈迦さんの悟った時の言葉ですよね。

 「有情非情(うじょうひじょう) 同時成道(どうじじょうどう) 山川草木(さんせんそうもく) 国土悉皆成仏(こくどしっかいじょうぶつ)」それで「天上天下(てんじょうてんが) 唯我独尊(ゆいがどくそん)」というわけでしょう。すごい悟りの言葉なんですよね。

 この「唯我独尊」というのは、解釈が人間の事情の解釈でするとちょっと浅くなるのね。同じ解釈をするのなら神様の辞書で解釈するのね。ちょっと意味合いが変わるんですよね。

 普通「唯我独尊」というと、自分だけが悟りを開いて一番偉いんだというような、そういう感覚にどうしても人間だと思うんですけど。本当はそうじゃないですよね。本当の悟りは自分がなくなってしまうんですね。自分が神様に与えて与えて与え尽して、そして神様の中へ融け入るわけですね。それで神様と一体になるのね。その時は「神様しかない」んですね。自分という感覚が消えるのね。「神様だけ」という感覚が「唯我独尊」の本当の意味なんですね。

 これは、そういう意味では「常楽我浄(じょうらくがじょう)」という言葉がありますね。

 「常楽我浄」という言葉があるんですけど、これは天照大御神様の四大神性というのね。神様の性質ね。

 天照大御神様の四大神性を、この「常楽我浄」という言葉で表現するんですね。その中の一つなんですね。本当はものすごい深い意味があるんです。

 まず「常(じょう・つね)」ですけど、「永遠の中今の今」という意味ですね。「常」はね。常に「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」という状態を、永遠に、不断に、連続的にとり続けるという意味なのね。「常」というのがね。だから、絶対の中から「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」という姿で永遠不滅に、永遠にずーっと続く状態ね。これが「常」という意味ですね。

 次の「楽(らく)」というのは楽しいというんですけど。この字を見ると、漢字の字も意味を現わしてるんですよね。木の上に白があって、光が燦々と放射されている姿ですよね。

 木というのは生命の命の象徴なんですね。命が純白に輝いている状態ね。だから、純白というのは、全ての光を中に包容してぜんぶ束ねている状態ですよね。それは「神様の全徳の無限の無限の輝きが一杯!」という状態ね。輝き渡ってる状態をこの「楽」で現わすのね。だから、天照大御神様というのは、常に「全徳の無限の無限の輝きが一杯!」という姿をとり続けてるね、その一つなんですよね。

 最後の「浄(じょう)」ですよね、サンズイに争う、サンズイに青いというのは、水の本質が青いというので、絶対の性質を現わすのね、本質的な清らかさね。

 サンズイに争うは、水というのは澱むと腐ってくるでしょう、流れてると清らかなのね、腐らないんですよね。争うというと、ものすごい動きなんですよね、変化変滅の姿が千変万化どころじゃないのね、本当はね、ものすごい変化するのね。だから、水が千変万化、無限の変化を遂げると絶対澱むことがない、腐ることがないのね。常に新鮮で清らかなのね。それで、天照大御神様の本当の働きの姿は、常に新たに新たに出てくる清浄(せいじょう)というんですか、清らかそのものなんだという、全てがね。そういう意味で最後の「浄」というのがあるんですね。

 三番目の「我(が)」という意味は、本当の唯我独尊とは何かですよね。神様を「独り神(ひとりがみ)」という言葉があるんですけど。独り神というのは結婚してない独身の神様じゃないんです。

 独り神というのは、例えば天照大御神様という名前で独り神として出てきたときは、他の神様の名前はぜんぶ消えてなくなるんです、隠れてしまうのね。「この天照大御神様しかいない」という意味なのね、独り神というのはね。

 古事記の中に「独り神」と出てくるんですよね。その一つの神様が出てきたときは、その神様が宇宙の大神様の代表なのね、全てを束ねている状態ね。その神様以外に何も存在しないという状態に入ったら独り神なのね。

 天照大御神様もそうなのね、宇宙の大神様の最高表現として、輝いて出てきてる姿ね。この天照大御神様という名前で出てきたときは、他の神様はぜんぶ隠れてしまうのね。その時は独り神なのね、天照大御神様だけがこの宇宙に存在する、実在するという意味ですね。そういう意味の独り神の「独(どく)」というのね。

 「唯我」という「唯(ただ)、我のみ」という、唯、天照大御神様のみがいてるという、独り神として実在している。それは、その神様は尊厳極まりない姿なんだという意味ね。天照大御神様だけがいらっしゃる、それだけが全てというのが、この「唯我独尊」なのね。

 お釈迦様が悟りを開かれた時もそうですね。「有情非情」ってね、「心有るもの無いもの、ぜんぶ悟ってる」というのね。悟ってるというのは、ぜんぶ天照大御神様と一体で、無限に無限に輝いていると言う意味ね。

 「山川草木国土悉皆成仏」山も川も草も木も、ことごとくのものぜんぶ「成仏」というのは、仏に成るという意味じゃなしに、成れる仏、「すでに成っている」という。みんなすでに仏そのもの、自由自在な悟りの姿を現わしてるというね。そしたら宇宙全体がすでに無限に無限に輝いた姿で悟ってるんですよね。これが天照大御神様の本当の姿なのね。だから、悟った時の心境は、この天照大御神様が全てという感覚なのね。

 自分が偉くなるのと違うのよ、自分はもう無くなってるの、消えて無いのもうね。「天照大御神様だけ」というこういう心境に入るのね。それで自分はというと、無限に無限に謙虚ね。天照大御神様を感じたら、すぐに無限に無限に謙虚な立場に自分を置いて、また天照大御神様を感じて、また無限に無限に謙虚になるという。この繰り返しで常に天照大御神様だけを褒め讃える状態なんですね。その褒め讃える状態を尊いという意味で、もう本当に尊敬に値する、また尊厳極まりないという、本当に尊い神様なんだというふうに言ってるわけね。だからお釈迦さんは悟って「自分が偉い」なんてひとっつも言ってないよ。天照大御神様だけを褒め讃えてるわけよね。これが本当の意味の「唯我独尊」というね。

 だから、自分が悟って「偉い」と言うた人は迷ってるのよ。みんなそうよ。

 天照大御神様だけを讃える人が本当の意味の、その時一瞬悟ってるの。でも、褒め讃えるのを忘れたらまた迷ってる。だから、一瞬一瞬が新たな悟りをいただき続けるというのが大事なんですね、それが本当の悟りよね。これが「天上天下唯我独尊」という意味なんですね。


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