ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます
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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。
ar52神さまの働き2001.10.09
☆古神道では天之御中主神が親神様だと思いますが、お話の中では天照大御神様が宇宙の統一神ということで、どうとらえたらいいのか・・・
ーありがとうございますー
唯一無二絶対のほんとうの神様はひとつだけです。神様の働きに応じて名前が決まるので、天之御中主神というのはその中の絶対の働きを指します。天照大御神は統一の働きです。神様の働きに応じていろんな名前が無限に出てきます。ありがとうございますは神様の全体像を指す言葉です。私たちにとっては無限に無限に輝いた統一の姿、光源のような姿をとって目に見えるというのが一番判り易いです。奥の絶対の姿や創造の過程の姿は少し判りにくいので奥に隠しておいて、表面的に無限に無限に輝いた光源のような姿をとっている統一神を捉える方がいいです。絶対と創造の働きを中に持っている統一神という意味で天照大御神様を中心にとらえていきます。
☆ありがとうございますは天照大御神様の別名と考えていいのですか?
ーありがとうございますー
そうです。そのときの天照大御神様は絶対と創造の働きと、分身としての働きでこの世に現れるような姿の全部をひとつに見たときの天照大御神様なんです。
☆法則とか守護とかの働きも持っているということですか?
ーありがとうございますー
水が去来する自然な動きを法といいますが、絶対の中にも創造の過程にも統一の姿にも分身の自由自在な八百万の神様が働く中にも現実に現れたさまざまなことにも、全ての中にこの自然な動きはあります。則はノリとも読んで祈りという神様の働きです。法則の働きと救済の働きと大きく二つに分けたりもするんですが、どちらの神様の働きも本当はひとつなのです。その働きをどういう立場から眺めるかどういう受け方をするかでふたつに分けて見えたり、と見る側の立場や見方で違ってきます。本当はひとつです。
病気の症状
☆怒りや悲しみなどその人の陥り易い感情的な傾向が、特定の内臓疾患と関係するという事が本に書かれていましたが・・・
ーありがとうございますー
病気の症状を顕すときは本当は大きいお淨めなんです。症状の症は、やまいだれに正しいと書きますが、心の闇をかたちに顕して消し去って心を正しく戻す働きなんです。本当の苦しみというのは心の苦しみなんです。それを軽くする意味でかたちに顕して押し出して消してくれるんです。そうすると心が軽くなります。大病をすると心がスーッと淨まります。ちょっと熱が出たりちょっと風邪気味だったりするのも本当は大きいお淨めですが、それを軽く済ませてもらっているんです。病気の原因はたくさんありますが共通するものは根本的にはお淨めなんです。だから、病気をしたら本当は喜んだらいいんです。
病気は今の自分だけのものではなく、過去世の自分のものもあるしいろんな縁者のものもあるし大きく地球全体のマイナスを一手に引き受けている場合もあるかもしれないです。病気になったら、いろんな意味のお淨めをさせていただいて皆を幸せにする働きをさせて頂いていると喜べばいいんです。
喘息の苦しみ
☆環境汚染が原因らしい小児喘息の既往があり、それは転地療養で治ったのですが最近突然ぶり返したように喘息発作が現れて、ひどい時は死にそうな感じがして、ありがとうは言っていますがもっと自分が考えるべきことがあるから症状が続くのだろうかと思ったりしますが・・
ーありがとうございますー
咳き込んで苦しくても死なないです。
(☆はい、ここにこうして来ることが出来ています。)
ーありがとうございますー
心臓は動いてるし全身の60兆の細胞は全部喜んで一生懸命働いてくれてます。全体を見るとマイナスはホンの少しなんです。大きいプラスに見ていくほうがいいです。本当に呼吸が止まるような大変な症状はありますし、場合によっては空気があるのにないと思ってしまって吸っても吸っても空気が無いという感じになる人もあります。いろんな症状が出て来て苦しむのは思いの方、思いが苦しむんです。けれどそれを通して思いがどんどん消されていってそのあと感謝の心が湧きあがってくるんです。ありがとうございますを言っても心にマイナスを持ち続けていたりする時のギャップを埋めてくれる働きもあります。それによって感謝の心が早く深まるんです。
感謝の心になるとどんな症状が出ても楽しめるんです。
時々、呼吸がかなり長い間止まるんですけど身体が重たくなって動けなくなって感覚がなくなるくらいになるんですが、それでも中から又ふっと呼吸が湧き出てくるんです。そこへ行くまでに咳き込んで喘息が何ヶ月も続いたり、でもそれも必要ならピタッと止まるので不思議なんですけどこうしてお客さんのあるときは大丈夫なんです、夜中に一人でお祈りしている時は大変だったりします。
☆肉体としては苦しいけれど肉体の感覚を離せば苦しさはなくなると思うのですが、そういうときの苦しみは苦しみとして感じないと浄化されないんですか?
ーありがとうございますー
感じなくていいです。あまりに苦しみが大きいとそれを感じたら死んでしまいます。たくさんの思いを消すときは感じない状態でじっと見ています。
全身を駈け巡る、のたうちまわるようなすごい痛みが来る時もあります。そういう時に痛みと一緒になっていたら、しんどいです。
肉体は痛んでいますが痛みは肉体に任せて、私は無限の無限の幸せでいっぱい喜びがいっぱいと、そちらに心を向けて痛みの思いの中に入らないほうがいいです。そうすると早くすっと消えていきます。
痛みに耐える練習
☆痛みの 思いの中に入り込まないコツを教えてください。
ーありがとうございますー
18,19歳の時に痛みの練習をさせてもらいました。胃痙攣を1年間、ものすごい痛みが走るんですけど、そういう時は前向きに何かした方がいいです。じっとしてたら痛いんです。それを忘れるくらい他の事を何かする方がいいんです。そうすると痛みが和らいできます。気持が他に転換した時、痛みを感じないような状態になるんです。でも痛みはまだ続きます。
19歳の時は頭がガンガン割れるような状態が一年続きました。床屋で耳掃除をしてもらったのがきっかけで、片方の耳が中耳炎か外耳炎でもないんでしょうけど頭が割れるような痛みの状態になってぴったり半年続いて、その後は左右がコロッと入れ替わったように反対側が痛くなって、ガンガン割れるように痛くなって両方でちょうど一年でした。その頭が痛いときでも頭を使って勉強している方がいいんです。痛いからと逃げたらいけないんで、一生懸命頭を使って何でもいいから何かしていると痛みが和らぐんです。それもお祈りの時いろんなマイナスを消す時の痛みに耐えるための訓練だったかもしれないです。
それでお祈りをしているときにかなりの痛みを感じてもちらす練習ができたんです。他へ心を向けたらいいだけなんです。それをたいそうに思って掴んでしまうと、しんどいんです。楽しい方へ心を向けたら痛みを感じにくくなるし、少なくなります。痛みに耐える練習はいいです。強くなれます。痛みにも強くなれるほうがいいです。そういう意味では戯れる方がいい、どうしても耐え切れない時は心を他に向けたらいいんです。
☆耐えられる痛みのときは痛みを味わった方がいいということですか?
ーありがとうございますー
そういう余裕のあるときは強くなるために痛みと格闘するのがいいです。どれだけ自分が強くなっているかという事で楽しんで格闘して戯れているんです。
痛みを消すにはプラスに心を向けないといけないです。痛みを体験していない人は痛みに弱くてちょっとの痛みで心が動転しますが強い痛みに耐えている人なら少々の痛みが来ても平気でお祈りできます。お祈りがし易くなります。その意味では、痛みを味わって戯れる、耐えられない時は心を他へ向けるという両方の訓練がいいです。
呼吸法
☆呼吸法について何かあれば教えてください
ーありがとうございますー
本当は丹田呼吸がいいです。赤ん坊は腹式呼吸なのですがだんだんと大人になると胸で呼吸するようになるんです。胸式呼吸だと意識が上ずるんです。それよりは腹式呼吸がいいんですが丹田呼吸に入る方がもっといいです。
丹田呼吸は基本的に吐く時に静かに長く細く、吐く事に意識をずーっと向けるんです。吸う時は何も考えないでいいです。吐き終わったらスーッと吸えます。吐くときに意識をずーっと静めていくんです、そうするとお祈りがし易くなります。気持が上ずらなくなります。
軽く軽く下腹の方(丹田)に力が入ってそこに意識が集中します。普通頭であれこれ考えますが考えると思いが出るんです。意識が丹田にくると頭が空っぽになって思いが出なくなり感謝がしやすくなります。そういう意味で姿勢を正して自然な姿で丹田に軽く力が入って吐くときに出来るだけ細く長く静かにすーっと吐く練習をするとそのときにお祈りの練習がしやすいです。でもそれにもあまりとらわれる必要はなくて、ありがとうございますを自然に唱えさせてもらっているうちに一番自然な呼吸法になってきます。
スポーツと武道
☆勝負事は神様の世界と別だと聞きましたが、スポーツは青少年の自我形成の上で有効だと思うのですが・・
ーありがとうございますー
番組ごとにいろんな姿があるんですが勝ち負けというのは低い番組です。
仏教では心を十に分けて地獄、餓鬼、畜生、修羅・・というふうに十界があるんですが修羅の世界が争い、競争の世界です。勝ち負けの世界というのは思いの世界です。勝敗に拘らないお互いを高めあう、いいものをお互いに引き出しあう与え合う意味の競争なら
かなりプラス面が出てきます。相手を打ち負かすという感じだとかなり低い修羅の争いになります。
スポーツでいいところは楽しく全力を出し切って心明るくできる点で、全力を出し切ることで本当の自分が出て来やすいです。モヤモヤしてると心が曇り易いです。全力を出し切って完全燃焼させると心がスッと晴れてきます。モヤモヤを全部出し切ってしまうという意味でスポーツはいいです。全力を出し切るというのがいいのです。楽しくするのもいいのですがただ楽しいだけだとあまり深く入れないです。全力出し尽くして限界を破ってというのがいいです。そうすると思いが消されていって中から本当の自分が湧き上がって来ます。
昔の武道の生きかたはいいです。武道はある意味厳しいです。自分の心をしっかり見つめて思いの心と本当の感謝の心とをはっきり区別して思いの心を消しきろうとするものです。常に全力を出し尽くして限界に挑戦して自我を死に切っていく生きかたです。その方が神様を早く見出せるんです。生きかたという意味では今のスポーツは少しあまいです。
波動
☆波動が低いとか高いとかいわれているのはどういうことですか?
ーありがとうございますー
自分の心の中に思いがたまってくると波動は低くなります。思いが消えて感謝が深まってくると高くなります。心の中に何があるかによってチャンネルの合わせ方が決まる波動の違いがあるんです。波の違いのようなもので、細かくなるほどスピードが早くてだから高い番組ほど精妙で実現のスピードが早いですし、低いほど緩慢な動きで荒く粗雑になります。思いのほうは低くなって感謝の方は精妙に細かくなっていきます。細かいところまではっきり区別がつくのが高いです。だんだんとぼやけてボーっとなっていくのは低いです。
それぞれの中にいろんなランクがあります。暗い思いより明るいいい思いの方が少し高い波動です。感謝にも浅い感謝と深い感謝があり深いほど高い波動です。低い波動はマイナスの番組と波長が合いますからそういうものを現実化します。ある意味では高いほど新しいと見た方がいいです。絶対から現れてくる新しい部分が高いもので古くなるほど低いといえます。常に絶対から新しいものが生まれて末端まで行って消えてまた絶対に戻るという、現れて消えていく過程を分けているんです。新しいほど輝いて波動は高く古いほど輝きが乏しくなってて低いつまらないものになっていきます。太陽の光で例えて言うと光源に近い方が新しいし末端に行くほど古くなっているといえます。
☆天照大御神か様から高い波動が降りてきてだんだん粗くなってこの世の私たちがあるということですか?
ーありがとうございますー
そうです。
☆私たちよりもっと波動が粗くなるとどうなるんですか?
ーありがとうございますー
もっともっと低くなって地獄に行きます。この世はあの世の無限のチャンネルの中のひとつの番組です。この世よりも低いあの世がいっぱいあります。どんどんマイナスの多い世界になっていきます。業想念に波長を合わした時に出る世界です。自分の心に思いをマイナスをいっぱい溜め込んだら地獄に波長を合わせられるんです。相当貯めないといけないですけど。
☆苦しい思いの中にあっても、波動をあげようとしないような人もいると思うのですが・・
ーありがとうございますー
下へどんどん降りていく番組を下げていく過程の人もあるんです。そういう人の場合はあまり邪魔をしない方が進歩が早いです。普通は自分がプラスに上りたいと思うときに他の人も一緒にプラスにと思いますが周りの人全部がそういう人だといいんですけど中にはそうでない人もいますから、自分がプラスを選ぶのなら周りの人も全部プラスの人ばかりなんだと見てそういう風に言葉を使っていかないといけないです。そうして一緒に上るためならいくらでも助け合いが出来てきます。自分の周りにはプラスに向いた人しか集まらないという信念がもてるといいです。周りの誰に対してでも自分がお祈りして相手をプラスに見たらいいんです。自分の気持がどっちに向いたらいいのかはっきりしない時は両方が集まります。自分の気持次第です。自分はプラスに向き切るんだと決めたら、自分の周りはプラスに向く人ばかりだと自分が決めていけばいいんです。
番組選び
☆生活レベルでも心のレベルでも段階があっていろんなチャンネルを上ったり下がったりしていると思いますが、それはそういうことによって早く気付く為ですか?
ーありがとうございますー
いろんな意味があります。上ったり下がったりしても気付かない人もいます。
自分がはっきりと自由意志で方向を定めるのがいいんです。本当に上りたかったら上ればいいですし下がりたかったら下がればいいです。上ったり下がったりしてるのはどっちにでも流れるという感じで自分の自由意志を放棄している場合が多いです。本当に低い番組を味わいたかったら一直線にサーッと一番下まで降りたらいいんです。ドーッと落ちて番組が下へ降りると時間が長く感じられるんですが本体の高い自分にとってはドーッと落ちたのもホンの一瞬なんです。下へ降りていく行く自分があってそれに囚われてしまうと低いところほど長く感じられるんです。そう錯覚するだけなんです。一番高い自分から見たら一瞬間だけです。
神様から一瞬一瞬全てを受け直している本当の自分があります。その自分がいろんなチャンネルにちょっと心を向けていくんですが、奥にある本当の自分という自覚があって低いところを見るなら巻き込まれないのですけど、ふっと巻き込まれる事があります。そのときは奥の自分を忘れているだけなんですが一時的に狭い範囲しか判らないひとつのチャンネルにはまり込んだその番組しかわからない状態に陥りますが、ふっと我に帰ると元に戻るんです。
移り変わる番組の中でいつまでもそこにはまり込むことはないんです。ちょっと状況が変ってくるとふっと我に帰ります。本当はその中にはまり込む期間というのは短いのです。たいしたことないんです。ひとつの番組だけ見てるとはまり込み易いですからいつも自由自在にいくつかの番組を見てるといいです。いつも高い番組を見ながら低い番組を見てるなら楽なんです。テレビをいくつか置いて見ているような感覚で出来たら一番いいです。
この世のひとつのチャンネルも細かく分けたら無限に分かれています。その無限に分かれた中で
本当は皆上ったり下がったりしています。心がプラスに向かった時はこの世の無限のチャンネルの中で番組を少し上げていますし心に思いを出して暗くしてしまうと低い方へ合わしてしまったり、それも上げ下げする練習で幅を広げる練習なんです。無駄な勉強はなにもしてないです。上がり下がりがあっても番組の幅を広げる練習です。
戦争世界の番組
☆ありがとうございますと感謝をしても現実の戦争の場面などを見ると、すっきりと割り切れない思いが残るのですが・・・
ーありがとうございますー
ありがとうございますをいう時は無限の無限の輝きがいっぱいという最高表現を見るためなんだといったん定めておいた方がいいです。完全平和の番組なんだと、その番組に心を向けておいて現実のいろいろな争いの戦争世界を見てこういう番組もあるんだと幅を広げて眺めると現実には囚われなくなります。
自分の視点をいつも無限の無限の輝きがいっぱいという最高番組にむけていくのが大事です。本当は上へは昇りにくくて下へは降りやすいんですがいつも上に向けておいてから下に降りてスッと自由自在になるのがいいです。真夏の暑い太陽を浴びている自分であれば一瞬なら北極の寒さを味わっても大丈夫な訳でそれは返ってありがたいことで、マイナスに思えないで逆にそれがありがたいという感覚で出てきます。心がいつも平和に向いていれば戦争状態を見ても、自分は何て幸せだろうという感覚で戦争の状態をちょっと見るだけです。
低い番組をチラっと見ても今の自分の幸せを浮かび上がらせるような働きだけをしてくれるんです。低い番組だけを見ていると苦しくなるんです。
最高番組だけをいつも受けていこうという方がいいです。それがありがとうございますという祈りことばです。そうするとどんな番組を眺めても引っ掛からないし幸せを大きくしているだけの働きになります
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最高番組だけを見る
☆上がり下がりしないで最高番組だけを見ているためにはどうしたらいいですか?
ーありがとうございますー
ありがとうございますをしっかり唱え続けていると勝手に上ります。思いの出る暇がないくらいありがとうございますを唱えるだけです。難しくないです。
お金を浄める
☆ありがとうございますを言い始めてから、お金を扱う職場でお金を基準に考える人たちに囲まれて仕事をするのが辛く感じます。プラスに変えるにはどうしたらいいですか?
ーありがとうございますー
お金にマイナスがいっぱい付いててもそれをプラスに変えるといいです。そういう大きい働きをする役目があると思えばいいんです。お金にありがとうございますを込めていけばお金の洗濯が出来ます。そうしたらそれで世の中がプラスにどんどん幸せになっていきます。マイナスのいっぱいついたお金をプラスに変えただけで自分が大きい働きをした事になります。人に大きいプラスを与えた事になります。マイナスがプラスに変ったお金をもらった人はそれだけで幸せをいっぱい手に入れることが出来ます。すごい大きな働きになります。表面的な仕事の何万倍以上の仕事をしたことになるんです。
他の人がどういう姿勢でお金を扱う仕事をしていてもそれはその人の自由なんで、ただ自分はお金を淨める働きをさせていただくことが本当の自分の仕事だなと思えば他の人の仕事の何万倍という大きい仕事をするんです。そうしたら自分の幸せも早く大きくなって出てきます。自分の仕事がはっきり定まってそちらに気持を向けたらプラスに向きます。
ありがとうございますを一回唱えると本当は最低でも一万円以上の価値があるんです。お金全部にありがとうございますを言うと一円玉でも一万円の価値になります。自分のすることを見つけて一生懸命していたら周りは気になりません。楽しんで前へ前へ進むのがいいんです。
学ぶ
☆人は何を学ぶ為にこの世に生まれてくるのですか?
ーありがとうございますー
どのチャンネルにも学びはいっぱいあります。マイナスをしっかり体験するのもプラスを無限に価値あるものに見出す勉強です。マイナスと比較していくことがいいんです謙虚になれてプラスのものが更に価値が大きくなります。この世にマイナスプラスがあるとしたら、プラスを集める勉強なんです。プラスをどんどん心に受け入れていく勉強で宝探しみたいなものです。マイナスの多い場所で一個だけプラスがあると探しがいがあります。そのときの喜びは大きいです。大きいゴミの山にダイヤが一個だけあったらゴミを全部掻き分けてその一個を探し出した時の喜びは大きいですけど、ダイヤの山に石ころが一個混じっていてという状態だったらそこのダイヤはあまり価値が無いです。ゴミの山から一個のダイヤを見つける苦労をしておくとダイヤの山を見てものすごい価値が見出せるんです。勉強はいろんな角度からのいろんな仕方があります。
ありがとうございますをそこに加えていくと勉強の仕方までいっぱいいろいろ気付いていっていろんな角度や深さからの勉強がたくさん出来ます。そういう意味ではありがとうございますを一回唱えることは一万円どころじゃないです、もっともっと大きい価値が出てきます。お金には換算できないような変えられない大きい価値がどんどん出てきますから、ありがとうございますを唱える人は得なんです。
神様が望むこと
☆神様が私たちに望んでいることはなんですか?
ーありがとうございますー
一番下の番組を一回楽しんできてそしてすぐに高い番組に戻ってきてくださいということ、最高番組を一番いい状態で味わって欲しいんです。浅く眺めるんじゃなしに深い謙虚な心で味合ってほしいんです。そうしたら本当の価値がそこに生まれます。地獄番組を一回見てこないとなかなかそうなれないんですが、感謝をもっともっと練習するとプラスをたくさん受け入れた状態で本当の地獄を見ていける心になれるんです。だからプラスをしっかりとらえて下へ降りないといけないんです。
最初はゼロから出発してプラスを体験してそれに比例したマイナスを体験してというふうにどんどん幅を広げているというのもひとつの勉強の進み方です。他にもたくさん勉強の方法はあるんですが、最初から地獄へというのも大変なので、そういう風にしていく事も大切です。まず熱いお湯に浸かっておいて氷水にポッと入るようなことです。
前世
☆前世を知ることについて何かあれば教えてください
ーありがとうございますー
いろんな意味の過去があります。一番奥の本体の自分を知ることが一番の自分の過去を知ることなんです。最初自分はどこから出てきたかという一番もとを知ることが一番大事なんです。(・・聞き取れず・・)
一部分の過去を知ってそれにあまり囚われすぎると前へ進めなくなります。前に進む為の過去を知るというならいいですが、囚われた時は縛りになって、縛りの中から抜け出せなくなるという一面があるので、さらりと流す感じで過去を振り返るならいいです。登山の時のように時々振り返って、これだけ自分の視野が広がったという意味で景色を眺めるような感じでプラスを見ているというだけならいいですが細かい自分の足跡までじぃーっと見るようだと、それは少し囚われています。
大まかにいいところだけを拾い集めるのがいいです。マイナスを拾い集めてもあまり役には立たないです。失敗もこういう失敗をしたというよりもこれはプラスを受け損なっただけなんだと考えてプラスに回す方がいいです。そうしたらマイナスは相手にしないでいいです。プラスへと前へ進めばそれで卒業です。
結婚
☆結婚相手を探しています。そういう事も判ると聞きましたが・・・
自分自身は結婚は修行と、魂磨きと思っていますが・・
ーありがとうございますー
何の為に結婚しますか? いろんな目的があって何を選ぶかは自分が決めます。それが自分で納得できるといいですが、ただ漠然と幸せになるためというのなら目的が無いんです。幸せな人は結婚してもしなくても幸せです。不幸な人は結婚してもしなくても不幸です。結婚では変らないんです。目的を定めて結婚して初めて生きるので、魂を磨くというならその目的に向かって魂を磨き合えばいいので助け合うというだけなら助け合う為だけにしてもいいのですけど。
結婚する時に相手に求め合う心だと両方マイナスに向く場合が多いです。相手の為にと与え尽くす心だとプラスに向きやすいです。相手にこうして欲しい、こうあってほしいと願うのは求める心なんで相手も同じように求めて来るので、求める心同志はマイナスの交流を起こすんです。
こうして欲しいというのは、そうでないのでこうして欲しいので、先にマイナスを掴んでしまっていますからマイナスの交流になってマイナスがどんどん大きくなります。
与える心だと自分の持っているいいものを与えるだけで相手も同じように自分のいいものを与えて来るのでプラスの交流になります。だから与え尽くす心で結婚するとどういう目的を持ってしてもプラスがどんどん増えます。結婚の条件を持ってする人が多いんですけど、お金持ちがいいとか顔がいいとか皆ダメなんです。求める心なんです。そういう結婚をするとあまり幸せになれないです。逆に貧乏な人と結婚して与え尽くそうとする、顔の悪い人と結婚してそれを補ってあげあげようとする、例えばそういう与える心で結婚すれば必ず幸せになるんです。
水の結晶
☆水の結晶は言葉にとてもよく反応するといわれていて、ある人がビンラディンとテロリストという言葉を使って実験したら、ふたつともすごくきれいな結晶ができたというとこを聞きましたが・・
ーありがとうございますー
水はよく知っているんです。外見だけでは判らないです。表面は悪役を演じいても本当は深い愛の心で大犠牲精神で大きいマイナスを消しているという場合があります。
本当は人を責めたらいけないんです。歴史上いろんな人が悪役を演じていますが、大菩薩がそういう姿をとっている場合も多いんです。だから素晴らしい人かもしれないです。強盗というのは業を取ってくれるかもしれませんし、本当は神様の愛の働きしかないと全てをプラスにプラスに見れたら一番いいでしょうけど、マイナスを見る思いが水を濁らせるんでしょう。
水がそのマイナスの思いを被ってマイナスの表現をとってくれる事があります。水も身代わりの姿をとるんです。ビンラディン氏もテロリストも自らマイナスを背負って身代わりになってますから、水はその身代わりをしなくて済みます。
先に身代わりになって消してくれていますから、水は楽な状態でいい姿をあらわします。そういうのを見ると、本当はみんないい人なんだと救われます。愛の神様の仮面を被った姿なんだというのが判りやすい感じです。
世の中のマイナスのいろんな事件や出来事は、世の中全体のマイナスを集めて代表的にひとつの場を決めてそこにマイナスを持ってくるんです。その大きいマイナスを背負って犠牲的に淨める働きをするんです。だから泥棒も殺人者もその人ひとりだけの責任ではないんです。皆の心の中の泥棒の心や殺人の心をそこへ大きく集めて神様が軽く消してくれるんです。皆の身代わりに大犠牲の姿をとって助けてくれてるというのがいいです。
そうしたら誰も責める必要はなくて皆が救われていく、それが本当なんです。ありがとうございますと感謝し合えたときにそこに本当の救われがあります。いろんな意味で過去の借金返しがマイナスなんです。今借金取りが来たから借金取りが悪いというのは間違いです。借金取りは過去の大恩人ですからマイナスにみるのは違います。借金返しがない人は文句を言ってもいいんですが、本当は皆借金を抱えています。軽く済ましてもらう意味で借金取りの姿で出てくるだけなんで本当は自分の方から返しに行かないといけないくらいです。
趣味と目的
☆登山とマラソンに凝っていて技術の向上は目指していますがただ自分ひとりが楽しむだけという番組を見てるかなと思うことがありますが・・
ーありがとうございますー
何のためという目的があるとすっきりしてきます。目的が定まると自分がどっちを向いているかがはっきりします。本当の自分を引っ張り出す本心開発、悟りを開く為ならマラソンで全力を出し切って限界を破って倒れるところまで行くのがいいです。何回倒れてもいいです、そうするとマイナスがどんどん消されて本心が出てきます。登山の目的もそうです。感謝を深めて悟りを開くためにというなら山を歩きながら一歩一歩ありがとうございますと感謝すると大地と山と一体化するんです。そうするとどんどん感謝を深めさせてもらえて心境がぐんぐん上ります。大きい目的を定める方がいいです。本当の意味で生かされてきます。目的がないと右へ行ったり左へ行ったり同じところをぐるぐる回る可能性があります。
☆悟りを開くという大きな目標をもって日常のすべての事をそこに目標をおいてやっていけばいいということですか?
ーありがとうございますー
そうです。そうすることで全部が生きてきます。何をするのも全てが悟りの道を一歩一歩あゆんでいる事になります。ありがとうございますを唱える事は神様へ心を向け続けること、最終目標へ心を向け続けることになりますからその一歩一歩は悟りへの一歩一歩になります。
先ず自分が輝く
☆自閉症の子供がいて機織の仕事をしています。織った布がヒーリングになればいいと思いありがとうございますを言っていますが、やはり現実にはマイナスのことを考えることが多くて・・。子供は輝いてきたんですが。
ーありがとうございますー
それでも前へ前へと進んでいます。どんどんすべてが光り輝いた姿をとってきます。最初から最高に輝く訳にいかないので順番にずーっと輝きが増していけばいいんです。自分の方が輝けば
輝く番組に波長があって低い番組じゃなく高い番組の子供を見るようになって子供が変ったように見えます。そう見えるだけなんですが先ず自分が輝けばいいんです。現実のマイナスに心を向けたら、プラスの方へ向いてないですからそれをプラスにプラスに向きかえてマイナスは見ない方がいいです。ありがとうございますを唱えながら大きい目標に向かえばいいんです。
番組を見る自分が変わる
☆チャンネルのひとつの番組ではその中の運命は全て決まっていると聞きましたが気付いてチャンネルを上げるようなことも番組の中で決まっていますか?
ーありがとうございますー
番組の中のストーリーは全部決まっています。神様は無限の無限のチャンネルを同時に作りあげています。ありとあらゆる全てを尽くして創りあげてる番組です。人の考えることは全部用意しています。
チャンネルを変えるのは 番組の中で変わるんではなくて番組を見る自分が変わるんです。番組を演じている自分と見ている自分があります。神様と一体で自由をもっていてどれでも選べる、自分の心を自由自在に変化させていける自分です。思いをいっぱい持って思いをためることも出来るし思いを消して光り輝かせることもできます。
テレビの見方もいろんな見方があります。ただボーっと見て流れるままに流されて見ている人もあります。そこから何か学ぼうという気持を持つと見ている自分の意識がはっきりします。その中からプラスを発見し幸せを発見して学びを受け取っていくと自由な見ている自分に戻りやすいです。それでチャンネルがどんどん変っていくんです。ただボーっと眺めていると中に巻き込まれたまま流されます。
心が安らぐところ
☆小さい頃からこの世としっくりいかない居心地が悪い感じでこの世は仮の姿としか思えなかったのですが本当の自分と番組を演じている自分との差を感じていたのでしょうか?
ーありがとうございますー
そうです。水だけでなく本当の自分は何でも知っています。本当の自分は最高番組でやっと心が安らぐんです。低い番組だと足りない足りないと満足できないところがあるんです。それが高い番組に心を合わせるのに役に立つんです。
しっくり行かないで良かったです。低い番組でしっくり行ってたら大変です。
出来事の意味
☆自分に起きた出来事の意味を考えるような時、考えているのは番組の中の自分なのか番組をみている自分なのか、おしえてください。
ーありがとうございますー
いろいろあります。番組の中だけを見ている場合もあるし大きく外から眺めていろんな過去を振り返るときもあります。番組の中の過去のストーリーを眺めるのもひとつの振り返り方だしチャンネルを変えてきた過去を大きく眺める時もあっていろんな過去の振り返り方があります。
どんどんプラスへ
☆何か問題が起こったときそこからの学びは何かということでじっくり考えた方がいいのか感謝してサッと流すのとどちらがいいですか?
ーありがとうございますー
自分がプラスに向きたいならありがとうございますを唱えてどんどんプラスへ上っていったらいいんです。マイナスを掴んでそのことを思ったり考えたりすること自体がマイナスの方に向かっています。マイナスとは取り組まない方がいいです。よけいそこの傷を大きく抉り出したりします。本当の傷口の手当てはそこに触ったらいけないんで、そーっとプラスのものをかぶせるだけなんです。プラスへプラスへ心を向けているとマイナスがスーッと癒されていきます。傷口を抉ったら痛いだけでなく余計に傷を広げます。
自分のマイナスも人のマイナスもないです。自分自身で自分のマイナスを掴んで改めようと思ってもつかんだ途端に改まらなくなります。人のマイナスも直してあげようと思って指摘して言葉にするだけでマイナスを大きくします。人のも自分のもマイナスは見ないのがいいんです。マイナスに見えるときは心が神様の方を向いてないです。ありがとうございますと感謝をしているときは心が神様の方を向いてます。そうするとプラスにプラスに見ていけるんですが感謝を忘れた時は絶対プラスには見えないです。心の向きが逆でマイナスに向いているんで上から下へ見ることになって必ずマイナスを拾い集めます。心の向きを神様に向けるのが先決問題で、ありがとうございますという祈りの言葉を使いながら見ていくとプラスにプラスに見ていくようになります。プラスしか見えなくなるんです。
☆心理カウンセリングはその人の心の中から問題点を見つけて解決する方法をとりますが・・・
ーありがとうございますー
時間がかかる方法です。先ずマイナスをほじくり出して浮かび上がらせてもそれを消すのに時間がかかります。ありがとうございますを唱える方が変化が早いです。
心を感謝に切り替える
☆お祈りのなかで感謝をしない人を感謝の心に向けるのが一番難しいと聞きましたが・・
ーありがとうございますー
心が感謝に切り替わるのは本当に大変なんです。一人ひとりが過去に思いを出して生き続けているので、思いがどんどん膨らんで大きくなってます。ひと言のマイナスの言葉でも宇宙を駆け回っていっぱい友達を連れて帰って来るんで借金というのは利息がついて増えるんです。
どんな種をまいても一粒万倍に増えていくのが自然なんでマイナスの言葉も思いも知らない間にどんどん膨らむんです。気付かないだけで無限の思いというのがあるんです。表面のちょっとした出来事は軽いんですが根があります。それを奥から全部とるのは大変で、人が本当に感謝の心を起こせるようになるには奥からの思いを誰かに肩代わりして消してもらわないと感謝することができないんで、いつもお祈り出来るようになるまでは神様が無限の無限のマイナスを免除し続けて感謝が出来るように助け続けてます。
思いを消すときにどういう消し方をするかが大事です。心という家があってそこにゴミがいっぱいたまっていてゴミを消すのにそこに火をつけたら家が丸焼けになりますからゴミを焼却場へ運ばないとならないです。神様の焼却場でそこへ持っていくとゴミがぱっと消えるんです。そこへどんどん運び出さないといけないです。そうしたら傷つかずに思いというゴミが全部消し去られて感謝の心がふっと湧き出るようになっていきます。
奥に送り込む
☆ありがとうございますのお祈りは神様の仕事の仲介のようなものですか?人やこの世の浄化をしていて業をかぶるような肉体に堪えることはありませんか?
ーありがとうございますー
そういう道具に使ってもらっているという意味もあるでしょうけどいろんな段階があるんです。この世に近いものはあくまでも道具として使ってもらって奥の方の自分はお手伝いしてという感じでいろんな役割があるんですけど、奥のほうへマイナスの思いを持っていっても瞬間に消えますから奥の自分にとっては別に何とも無いんです。大光体の中に何があっても大丈夫です。
表面に来たのを早く奥に送り込まないといけないです。表面に光を送り込んで消すのは大変なんです。どうしようもない時はそうなるかもしれないですがそのときは肉体がかなり傷むこともあります。奥へ奥へ送り込むほど楽になるんです。深い祈りが一番大事です。浅くなると浅い段階で光を受けてゴミを焼くんですけど
そうすると咳が出たりします。
大きく総括する見方
☆精神世界を中心にたくさん本を読んでいたのがおじさんのテープを聞いてから本を読むことに興味がなくなってしまいこれでいいのかなと・・
ーありがとうございますー
いろいろ幅広く勉強して一番大事なものを選んでいってどんどん自分を高めていけば視野が広がって囚われなくなります。部分の勉強はそのときはしてるようなんですが部分部分に囚われているんです。それを大きく総括するような見方か出来てこないと消化しきれないです。最初は部分の勉強をするんですそしてそれを全部ひとまとめにするような大きい見方の自分に戻っていってるんです。そのときはもう部分の勉強は要らないです。全体を大きく見れる自分になれたら、また次は別な部分の勉強になってそうやってどんどん高まっていきます。だからいまはそれでいいんです。
夢と守護霊
☆自分の意識が変化を始めてから、下に落ちる夢を何度も見るんですがどういう意味があるんですか?
ーありがとうございますー
下に落ちる生き方を過去にとり続けていたんです、そういう傾向を持っているんです。ドーっと落ちる経験を過去に何億回積み重ねているか計り知れないです。それを一気に消しきろうとしたら守護霊さんは夢のかたちで毎晩何万回も夢に出しては消してるんです。それで心のマイナスの傾向を全部消してくださっているんです。夢は目覚めた時少しの間覚えているだけですから、守護霊さんのご苦労がよくわかります。
皆違う見方がいい
☆地獄は人の思いが作るだけで本当はないと思うのですが・・・
悪役の姿をとってこの世で悪い事をした菩薩さまは死んだら地獄と極楽のどちらへ行くのですか?
ーありがとうございますー
番組としては一番下に地獄番組はあるんです。一番上に極楽番組があるようにです。そうでないと全てを尽くした神様の表現にならないので、神様の創った表現としてあるのですがそれに波長を合わせて眺めるかどうかはそれぞれ違うんで、波長の合ってない人は知らないから地獄はないと言ってもいいのですがそれは知らないからで体験していないから、ないとかないかもしれないと言いますが実際地獄に波長が合った人はあると断定的にいいます。実際番組としてはあるんです。体験しているかどうかの違いです。
地獄に落ちる姿と極楽に上る姿は同時に両方があります。お釈迦様の話で提婆達多(ダイバダッタ)という人はお釈迦様の教えに背いてその邪魔ばかりしていたんですが、それで地獄に落ちるんです。
この話が法華経の中で十二番目の教えになって提婆達多品になっているんですが・・
お釈迦様の弟子たちは落ちていく姿を実際に見て、ああ・・地獄へ落ちていく・・と思うんです。それもひとつの見方で、お釈迦様はそうは見ていなくて、提婆達多は地獄には落ちていない、提婆達多は前世で自分の師匠だったと言うんです。前の世で自分が王だった時に法華経の真理を私に教えてくれる人があれば自分はその人に千年の間、絶対奉仕するとおふれを出したら、仙人が出て来て自分にその真理を教えてくれた。
その仙人が提婆達多の前の世の姿だったので提婆達多は自分の師匠なんだと言ったんです。師匠だった提婆達多が今度はお釈迦様の邪魔をして地獄へ落ちていくと言うんです。本当はあり得ないことですけど、それは仮の姿なんでお釈迦様を鍛えて上げているのかもしれないしお釈迦様を助ける意味でマイナスだけを背負って仮の姿は地獄へ落ちた姿をとっているともいえます。いろんな姿が同時にあるんです。一番奥にはすでに悟った自分があって、いろんな番組の中では地獄におちている番組の姿もあるということです。地獄に落ちているように見えてもいいんです。別に見る人がそういうふうに見ても構わないですし上から大きい働きが出ているという見方もあっていいんです。お釈迦様の見方と弟子の見方が違った、波の合わせ方が違ったんです。それも自由なんです。
この世も細かく分けたら無限のチャンネルに分かれます。ひとつの事を見るのでも皆見方が違います。同じ見方は絶対していない、どこか違うんです。波の合せ方がどこか違うんです。それでいいんです、同じものを見たら意味がないです。神様から見たら、皆が自分の分身になっていろんなチャンネルを見て楽しんでいるんなら皆が違う見方をしてくれた方がいいです。同じ見方をする人が二人は要らない、一人でいいんです。同じ見方を絶対していないというのがいいんです。自分は自分でいいんです。それをしっかり楽しむのがいいです。
ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.
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