0カウンター.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.3940.41.42.43.44.45.
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ar70神の愛の姿2001.12.08
質問者:
 21歳になる息子が、中学を卒業してからずーっと家にいるんです。親としての心構えを教えてください。

ありがとうございます:
 一番いいのは、全て神様の愛の変身の姿と見るのが一番いいんです。何が一番、自分にとって必要な学びになるのかは、神様のほうがよくご存知です。必要な勉強は順番に与えてくださって、幸せを発見する勉強になっていくんです。
 その勉強の仕方は、一人一人全部違います、同じものは一つもなく、一人一人違う道を歩ませてもらっています。自分だけの幸せを発見するための勉強材料というふうに見て、‘なんて幸せ!’というように。どんな姿もみんな、そこから大きいプラスを・幸せを発見するためにあります。
 もともとは、神様は最高の幸せを与え続けているのに、みんなはまだ気付かないだけです。その気付きのためにも、段階を追った勉強が大事です。神様が与えてくる、無限の無限の番組の中のチャンネルも、ストーリーも、みんな幸せを発見するために必要なストーリーです。
 だいぶ、幸せを発見されましたでしょう?

質問者:
 息子の顔を見るの嫌で一緒にいられなかったんですが、最近は言うことを聞いてくれるようになりました。ここにこれたのも息子がいたからです。

ありがとうございます:
 奥に無限に愛の深い神様が控えているんです。全て、神様の愛の変身の姿なんです。





邪魔をしてはいけません
質問者:
 姉が鬱状態なんです、私はどこまでどのように接したらいいんでしょうか?

ありがとうございます:
 おせっかいは必要ないんです。神様は、一人一人を愛のまなざしで見つめ続けています、助けが必要だったらスッと助けに入ってくださいます、必ずそうなっています。人のおせっかいはなくても本当は大丈夫なんです。自然に眺めて、自分はいろんな人の姿からもプラスや幸せを発見して、喜ぶだけがいいんです。
 自然に任せた状態でいいんです、後は、「ありがとうございます」でそこから神様の愛のメッセージを汲み取れば、それでいいんです。
 みんな、マイナスに落ちているように見えるときこそ、大きい幸せを発見するチャンスを与えてもらっているんです。その邪魔をしてはいけません。





徳で借金返し
質問者:
 ローンを払っているんですが、不景気でこの先どうなるか心配しています。お金というのはどういうものなんでしょうか?

ありがとうございます:
 借金・借りというのは利息をつけて必ず返さなければなりません。逆に貯金だったら、利息をつけて返してもらえます。どちらが楽かといえば、貸しを増やすほうがいいんです。今必要だからと借りていろいろしすぎると大変です。神様は‘借金はないほうがいいよ’と言います、そのほうが楽だからです。必要だったら神様のほうから、前もって的確に与えてきているはずなんです。今それがないとしたら、必要ないからないだけです。
 例えば、家をローンで造るとすると、いいのを造ってそれをローンで支払いをするというのは、神様のほうから見たら、ずれている可能性もあります。家はただあるだけでいいという感じで‘質素で小さいのでいいじゃないか’と神様はそういう感覚です。‘もっと心の大きい幸せを早く掴んだほうが幸せなんだよ’と。
 贅沢に走ると、借りを先に作ってしまいます。「人並みに」は神様のほうから見たら贅沢なんです、神様の感覚はチョッとずれているんです。‘雨露しのげる場所があったらそれでいい’と言います。‘寒さをしのげればそれでいい’と言います。‘食べ物も質素なものでいい’必ずそう言ってきます。
「普通・世間並み」というとかなり贅沢になってきます。そういう贅沢はしないほうがいいんです、それよりも貸しを・貯金を増やしておいて、余裕を持つほうがいいんです。追い立てられずにすみます。
でも、してしまったものは仕方ないので、できるだけ早く返してしまうほうがいいんです。
 生活を切り詰めて、贅沢を小さく出来るんだったらそれも大事です。それが難しかったら、早く借金返しできるように働きを増やしてもらわなければいけない。働きを増やすのは、肉体的に増やすのは限界が来ます。そこをカバーするのは、神様の大きい力です、神様の徳をいただいて返済に充てていただくようにしていただくのがいいんです。
 神様の徳をたくさんいただく方法は、「ありがとうございます」と一心に唱えることです。「ありがとうございます」を唱えながら仕事をさせてもらうと、借金返しも早く済みます。





褒める
質問者:
 孫とはどのように接したらいいんでしょうか?

ありがとうございます:
 可愛い姿を見せてくださるのは神様からのプレゼントです、神様がそういう姿に変身して幸せを与えてくださいます。だからまず「ありがとうございます」としっかりお礼を言い続けるのがいいです、そして、褒め称えるんです。心だけでもいいし、口に出してもいいし、褒めて褒めて褒めちぎればいいんです。それが一番いいんです。
 後は、物を与え過ぎるのはよくありません。必要な物を与えてあげるのはいいですが、必要以上に与え過ぎるとそれが負担になっていきます。できるだけ物は与え過ぎない方がいいんです。褒めるのはいくら褒めてもいい、褒めちぎるぐらい褒めてあげればいいんです。




プラスだけを探す練習
質問者:
 脳梗塞で倒れた舅とまた同居することになりました。トラブルで別居していたんですが、同居する心構えを教えてください。

ありがとうございます:
 自分の周りの姿は全部、プラスを発見するための勉強材料にしないと損します。どんな姿からもプラスだけを探し出す勉強です。
 マイナスを探し出すんだったら、目も耳もいりません。
目が見えるというのは、幸せを発見するために必要なんです。「プラスをプラスを」と 探す練習をするのが一番大事です、そうしたら、いいところだたくさん見えてきます。幸せないい姿だけを探し出して数え上げると、本当は無限に出てきます。そうしたらもう、マイナスに心がいかなくなります。
 過去にもとらわれなくなります 、神様は新たに新たにどんどん与えてくださいます、だから古い物は関係なくなります。過去にマイナスに囚われたのも、それは済んだことで「もう消してもらった」と思った方がいいんです。今の自分は別人です、幸せを発見する達人です。幸せをたくさん発見すればいいんです。
 この宇宙に「誰一人いない」と思ったら、誰かいる方がありがたいでしょう。マイナスを持っているように見えても心強いでしょう? 一旦、全部をゼロに置いてみるといいんです、ゼロに置いてみてそこから、「神様からのプレゼントが自分の前に現れたんだ」と見るとみんながプラスに見えてきます。
 「ありがとうございます」は、神様から新たに新たにプレゼントを受け取る練習です、マイナスはありません。





人間関係
質問者:
 職場の人間関係で悩んでいます。「ありがとうございます」を唱えていますがとても波があり、なかなか解決しません。

ありがとうございます:
 自分が正しいことをしているのに、人から悪く言われるときがあります。でも、
悪く言われるほど過去の借金返しになるし、徳を積むことになります。正しいとまではいかなくても、普通のことをしていて悪く言われっぱなしというのは、大きい徳積みなんです。
 徳というのは、相手に貸しをたくさん与えている状態です、貯金が増える状態です、それが自分の大きい力になっていきます。

質問者:
 それがいつまで続くかと思うと・・・

ありがとうございます:
 貯金をたくさんし続けているんです。
嫌な人は出てきます、嫌な人というのは自分からみて相手に貸しが多い場合です。相手から迷惑をかけられたり攻められたり、貸しがたくさんある人に対しては嫌になります。マイナスをたくさん受けるのも、貸しがたくさん増えているのと同じです。そういう場合には嫌いになってきます。
 でも、その分だけ大きいお返しをもらうんです。一番大事なことで、例えば今日ここへ来る縁をもらったとか、最高の恩返し・プレゼントです。必ず大きいチャンスが訪れます、平々凡々できていると、そういうチャンスはありません。まとめて貯金を殖やしておいて、それに見合うプレゼントが降りてきます。そういう意味だったら(マイナスが))少々長く続いてもいいんです、もっと大きいプレゼントがきます。
 それをもっと早く終わらせようとするなら「ありがとうございます」をもっとたくさんプレゼントしてあげるといいんです。加速度的に貸しが増えます。

質問者:
 職場を変えても同じですか?

ありがとうございます:
 やめなくてもいいんじゃない!!どこにいても自分が主役です。脇役ではなく主役です、みんなは自分に合わせて動いてくれます。





大きく眺める
質問者:
 女手一つで三人の子供を育てているそのお子様が昨日亡くなりました。その子のお母さんに何か言ってあげてください。

ありがとうございます
 神様からのプレゼントは、大きいんです、宇宙全部です。小さく掴み過ぎると「これしまない」となります。「自分の家族」と小さく掴みすぎるのが損しているんです、宇宙家族で掴めばいいんです、みんなが自分の身内というふうに。そうしたら、一人の人のマイナスの姿というふうには掴みません。みんな一人一人が幸せへの最短コースを歩んで、この世の勉強が終わったら、もっといい勉強の場へ移るんだというふうに、もっと自由に話せるんです。
 神様から与えていただいているのは宇宙家族です、みんなが自分に大事な家族なんだというふうに見ていると、マイナスに見なくて済みます。一回でも多く「ありがとうございます」と唱えていると、神様のプレゼントを上手に受け直しできるように、大きく心が広がります、幸せが大きくなります。
 この世からあの世へいくのでも、部屋をちょっと変えたぐらいです。それぐらいの気持ちで大きく眺められるようになります。だから「ありがとうございます」と唱えている方がいいです。







質問者:
 息子が結婚して姑になりました、お嫁さんとどのように接したらいいでしょうか?

ありがとうございます:
 
お嫁さんに来る人を、自分の前の世の実の子と見た方がいいんです。本当の実の子だと遠慮しませんから、言いたい放題に言うかもしれません、遠慮がありません。でも実の子です。ちょっと距離を置いて、いいところだけを与え合う勉強をさせてもらうので幸せが増えます。「ありがとうございます」と唱えて、幸せを大きくする勉強です。



貸し借り
質問者:
 貸し借りについて教えてください

ありがとうございます:
 この世の貸し借りと、本当の貸し借りは違うかもしれません。神様の方で調整してしまうと、こっちの方が貸しがあるかもしれません、変化しているかもしれません。
 実際、この世の最初の貸し借りもそうです。過去世の因縁というふうに見ると、どちらが貸し主か借り手かわかりません。借りているときも、前に貸した物を返してもらっているかもしれません。その辺が表面だけではわかりません。

徳の無駄使い
質問者:
 自分のためにお金を湯水のごとく使って蓄えがありません。今考えると、無駄使いだったと思います、それは今となってはどうしようもないんですか?

ありがとうございます:
 必要な事に使うのはいいんですが、無駄に使うのは徳の無駄遣いです。徳があってもこの一生で全部使い果たすと大変です、だから、この一生で使える徳を守護霊さんが限定してきます、<これだけ>と決めてきます。最初に無駄遣いして使ってしまったら残りません、それで晩年苦労するんです。徳を使い果たして苦労しないための限定なんです。
 でも、正しい使い方が解ればまた、徳を潤してくれます。正しい使い方ができるかどうかがポイントになります、間違った使い方をするから限定されるんです。正しい使い方が解れば、神様から無限の徳を与えてもらいます。


感謝に生きる過程

質問者:
 若い頃はいろいろと思いましたが、「ありがとうございます」を唱えはじめてからあまり思わなくなりました。これは、人生の前半・後半という違いでしょうか?

ありがとうございます:
 今の教育自体が思うことを勧める教育です。哲学者の言葉も<我思う故に我あり>とか、人間は考える葦である>とか、さもそれが最高の生き方であるかのように褒め称えています。考えたり思ったりすることが、人間の当然の権利であり最高のものだという感じです。
 ところが神様から見ると全然違うんです。思うということは感謝と正反対の道を歩んでしまいます、思えば思うほど一つのことに心が囚われていきます、どうしても思いが執着の心になっていきます。そうして、低い方へ低い方へ番組を移してしまう原因になります。 思うということが、どうしても過去を掴んでしまいます、一つのことに縛り付けてしまいます。ある程度、思うことによって思いは実現します、実現するんですがそれは小さいんです。いくつか実現しても、<ああ!大満足>という状態には絶対になりません。次から次へと思いを実現し続けないと、満足も何もできません。それでも必ず行き詰まるときがきます、思いが実現しないときがきます。どうしてかというと、思うということは自分を縛り人を縛ることになります。その思いが積み重なると、大きい重荷になります。だから必ず願い通りにならなくなります。思い通りになったとしたら、思い通りにならないときが何倍にもなって帰ってきます。だから、必ず行き詰まってしまうというのが、思いに生きる人の末路です。それが感謝へ引き戻す原動力になるんです。
 
ある程度いろんな事をしてみて・思いに生きてみて初めて、 <思いでは幸せになれない>と気づくんです。その後、感謝に戻って思いの縛り・思いから解放されて、本当に自由な自分に戻ったときに初めて、感謝に生きることのありがたさ・素晴らしさがよくわかります。
 それは一人一人全部違うんですが。若いときから感謝に生きたい人は、過去世で思いに生き続けて思いの縛りをたくさん・思いのマイナス面に懲りている人です。だから、年齢はあまり関係ないかもしれません、過去世で感謝に生きている人もあるでしょうし。
 この世に生まれてきて、ある程度は思いに生きるという体験はしておいた方がいいかもしれません。それをもう一回復習して感謝に切り替えていきます。徹底した感謝に生きると思いが全部消されてしまいます。一切の思いが心から消されたら、感謝一筋、後は神様を感じ取るだけの生き方に変わってきます。
 
 無念無想とか無心無我無欲とか、みんなこれは感謝の心があれば本物になります。座禅を組んで無念無想を目指すんです、でも、無念無想だけでは何もありません。やはり、感謝がそこに加わらないと、本当の無限のプラスを感じ取れませんから、本当の空の世界には入れません、全託の世界にも入れません、老子さんの言う無為の世界にも入れません。 だから、感謝があるのと、思いがないのでは大きな違いがあります。思いがないだけではまだだめです、そこへ大きい感謝が加わってこないと・そこへ神様が現れてこないといけません。神様の姿が現れる感謝というのは、思いなんかは簡単に消してしまいます、それだけの大きい力があります。
 私も小さいときはちょっとは<思い>ました。でもあまり思わなかったです、思いが少なかったと思います。目標目的はありました、そういう意味ではあれこれ考えたこともあるんですが、自分があれが欲しいこれが欲しいというのはないんです、無欲です。そういう意味では思いがなくなっていたのかもしれません。それと、「ありがとうございます」を小さいときから唱えさせていただいていたというのが、思いを消して軽くしてもらったんです。
 
 思いに生きる人のいろんな体験例というのは、周りからたくさん見せてもらっています。自分の体験だけじゃなく、周りの人の体験も勉強材料にしていけたら、自分が思いを出して苦しんで体験を積まなくても楽にできます。
 小さいときに父が時計屋をしていてお金があるときに、戦後のすぐの時代ですが、土地がただみたいに安かったんです。空襲で爆弾が落ちて焼け野原になるでしょう、そういう跡地はただみたいなものです。そのときに<買って欲しい>と頼まれます、それを買っておけば今だったらすごい金額です。お金もあるのに神様が買うのを止めるんです<絶対買うな>と厳しいです。なぜかはその時は解りませんでした、でも後でよくわかりました。周りのいろんな財産家の人の生き様を見せてもらうんです。土地を持って、それをお金に換えてどれだけ幸せになっていくか?幸せにならないんです、逆になっていきます。そしていろんな問題を抱えてしまいます。神様の方が先を見通しています、土地は値上がりすると解っているんです、それを売って不労所得のお金を得ても幸せになれないと解っているんです。
 守護神さん守護霊さんの大きい働きは行き届いています。幸せになるようにしてあげようと思ったら、不労所得の業の思いをかぶらないように、あの手この手の行き届いた手を使っては守り抜いてくれたんです。
 
 思いの怖さというのは、守護霊さんの方が一番知っています、思いをかぶらないようにかぶらないように、人のお世話になるだけでも<だめだ>と言います。<自らの力で立て>といつも言われていました。<借金もするな、したら人の思いをかぶる>と言われました。その時は楽なように思います、人から助けてもらって得したように思います 、でもそうじゃありません。いろんなマイナスや思いをかぶってしまいます、だから<自らの力で立て>と言うんです。それも、<人に頼るな、神様の力に頼れ>と言うんですが、それも棚からぼた餅式に神様の助けが来るのではありません。<自分の中の力を発揮せよ>と言うんです、それも<人のいやがること、きついことを喜んでせよ>と言うんです。だから<何でもしなさい>と言います、<その時に神様が力を添えて助けるから>と言います。 私も小学生でひ弱な体で重たい物をたくさん持たされました、肥をくむ樽を天秤で担いで、そういうのをさせられました。昔のお百姓さんはみんなそうしました、集めては畑や田圃に入れていました 、<そこへ手伝いにいけ>と言われました。いろんな事を神様は強制的にさせてきます、<つらいこと汚いことを常に喜んでできるようにならないといけない>それは思いを消すために必要だたんです。そうすると感謝が自然にわいてくるように変えてもらえます。
 
 感謝に生きられるようになるまでには、自分の力や努力ではないんです。神様の至れり尽くせりの守りがあって、初めて感謝に生きるようにしてもらったように思います。やはり神様のおかげだなと、ますます「ありがとうございます」を唱えなければいけなくなりました 。
 人の立場から見たらあまり差はないと思います、ただ神様の方から<この人に、どういう体験を積ませてみんなの参考になるように、そこに体験を生み出してあげようか>という感じです。でも、ちょっとは参考になっても一人一人違います、みんな思いの生き方の中から感謝に切り替えるまでの過程はみんな違います。

質問者:
 教育が、感謝に切り替える時期を早める可能性もありますか?

ありがとうございます:
 感謝の素晴らしさを言葉にして、みんなに教えていけたら、みんなが<感謝はすばらしい>と言い出したら、教育にすごい改革が起こるでしょう。



感謝してサニワ(判断)する
質問者:
 「思い」を解決したくて、たくさんの本を読んだんですが、先生はどうして数万冊の本を読まれたんですか?

ありがとうございます:
 どういう考え方があるか、それを全部知るために読まされたようです。本を読んでもそれを鵜呑みにはしません、これが良いか悪いかの判断能力は先に付けておいてもらったようです。神様のお告げみたいなものでも、神様にはピンからキリまであります。一方の神様からは<俺は、高い神様だ>と言ってきますが、もう一方の神様からは<あれはたいしたことない神様だ>と言ってきます。上には上があり下にはしたがあります。いろんな神様が出てきて指導してくれる時はどれを選んだらいいか解りません。どっちも良いように思うし、一方を選ぶとほかの神様から文句が出てきます<なぜ、儂の言うことを聞かない>怖いくらい叱られます。向こうの世界では神様の位が全部違って、神様は全部けんかしているように錯覚します。
 でも違うんです、全部神様のお芝居です。振り回されたらだめだったんです。自分が正しいと判断したらそれをさせてもらいます。そういう勉強も必要です、いろんな神懸かりはサニワせねばいけないと言うでしょう、本物かどうか・正しいかどうか。

質問者:
 サニワするときの判断基準は、感謝していれば自然とできるんですか?

ありがとうございます:
 感謝すると宇宙の大神様が降りてきます、宇宙の大神様は全部サニワができます。神様の心が自分に入ってくると、これが本物か偽物かは良くわかります。直感です、それが一番良いと思います。「ありがとうございます」があれば絶対に間違いません。
 宗教の教えでも、良い教えがたくさんあるでしょう、それを何万冊と読んでも迷うんです。これも正しい・あれも正しいと、言うことは全部違います。たくさん勉強して頭に詰め込んで、そういう人ほど迷っています、どっちが正しいか解らなくなります、知識として・思いとして心にため込んだものはマイナスになります。それよりも「ありがとうございます」を言い続けた人の方が、つまらない思いを全部消してもらえるし本物の感謝が良くわかります。感謝をある程度積み重ねてから本を読めば、いっぺんに解ります、良いところも間違いもいっぺんで解ります、どういう本を読んでも迷わなくなります。プラスのものはみんな参考にできます、マイナスのものは相手にせずに済むようになります。



死の恐怖は執着の心

質問者:
 死生観について教えてください。

ありがとうございます:
 
恐怖心は思いを積み重ねたら出てきます。思いをたくさん積み重ねるほど恐怖心が出てきます。思いは執着の心ですから、どうしても肉体を自分だと思い込んでしまいます、囚われるんです。肉体は必ず死にます、百年あまり生きたってたいしたことはありません、永遠とは絶対に言えません、必ず死にます。それが恐怖心になってきます。肉体だけだと(思えば)、消えてなくなるんだと思えば、心の奥底から恐怖心が出てきます。
 でも、思いが感謝しているうちに消されていくでしょう。消されたらまず、魂の永遠性が解ります、そして命の自分・本体の自分の本当の意味での永遠性も中から輝いて出てきます。永遠の自分にとったら、肉体の死の恐怖心はありません。だから、思いを消してもらうというのが一番良いんです。
 ある程度感謝を積み重ねて、溜めた思いを消して軽くしてもらっただけで、死の恐怖は消えます。死の恐怖は溜めすぎると低い番組の中にはまり込みます、地獄に堕ちるかもしれないという恐怖心に駆られます。思いの少ない人は亡くなっても良いところへ上がります、本当の神様の光の世界ではなくても、苦しみの少ない良いところへ上がっています。そうすると恐怖心がありません、肉体が死んで魂があの世へいっても、良いところへ上がれるという安心感があります。だから、積み重ねた思いの量の問題です、思いが多いほど怖いんです、思いが少なくなるほど魂的には重荷がない・軽くなっています。だから、良いところへ上がれると(思い)死の恐怖心は消えています。 思いをいかに消してもらうかが大事です。



名前
質問者:
 愛子様がお生まれになりとても嬉しいです。とてもいいお名前だと思います。

ありがとうございます:
 愛というのは本当の一体感です。神様とも一体・全てが一体という一体感です。これからはみんな一体感を生きるんです、感謝は神様との一体感を深めるという意味です、また、人との一体感を深めるためにあります。「ありがとうございます」が本当の愛を生きる最高の生き方になります。そういう意味で本当にふさわしい言葉です、愛子というのは。
 敬うというのも「ありがとうございます」は神様を最高に敬う生き方です、全てが神様と拝むことでもあります。今の時代にふさわしい言葉です、その言葉だけでも世の中を明るくします。愛子ちゃんが一杯生まれたらいいですね、皆さん名前を愛子ちゃんに改名したらどうですか!


質問者:
 名前には意味があるんですか?
 
ありがとうございます:
 その人の一生での働きを示しているともいうんですが、でも、本体の自分は名無しの権兵衛で良いんです、無限の働きを中に持っているので自由自在にどんな働きもできます。その時代・その時に必要な働きをさせてもらえばいいから、それも自由自在に。

質問者:
 姓名判断はどんなふうですか?

ありがとうございます:
 あれは説がたくさんあるでしょう、一つの説が正しいとしたら他の説は間違っています。そうすると、どれを信じて良いか解らないでしょう、みんな間違っているかもしれないです。だからあまり頼りになりません。良い所取りで活用するのなら良いんですが 、マイナスはあまり相手にしない方が良いです。



迷う
質問者:
 判断した後で、いろんな情報が入ってきて<試されているのかな>と迷ってしまいます。

ありがとうございます:
 思いの自分は楽な方を選びます、感謝の自分は必要な方を選びます、普通は損する方を選びます。必要な方を選ばすというのは、マイナスの方を選ばす方が多いんです。『ありがとうございます』と感謝していて、第一直感で一番目に選んだ方が良いんです。それで迷うのは、良い方を選ぼうとしているんでしょう。一番悪い状態でも良いと覚悟を決めておけば、そのままでスッといきます。




自分の中の神様を引き出す
質問者:
私は、子供が大学へ行くような年齢なんですが、家もなく、貯金もなく、借金もありません。この先少し不安です、「ありがとうございます」だけでやっていけるんでしょうか?

ありがとうございます:
 神様だけにすがれるようにしてくれます、だから、神計らいです。子供さんも大学へ行きたかったら、自分でアルバイトして行くぐらいが良いんです、自分の中の力をしっかりと発揮する方が良いんです、そうすると早く立派になれます。親に頼るだけでは良くありません、甘くなって持っている力がでなくなります。アルバイトでもして行く方が力が出てきます、神様に力をもらって得します。必要な物を神様は与えようといます、神様にすがる時期が来ればそういうふうに、自分の中の神様の力を引っ張り出す方へ、向きを変えてもらった方が得をします。
 親の方は甘いから、余裕があったらどうしても与えてしまいます、必要でなくても。守護霊さんは甘やかして欲しくないんです、全部自分の中の力でがんばって欲しいんです。子供さんにも<自分の力でがんばりなさい>逆に<親のめんどうみてください>と、そのぐらいの方が良いかもしれないです。だから良くなっていっているんです。

質問者:
 子供が病気になるし、初めて買った株で破産するし、これも神計らいだと思います

ありがとうございます:
 子供さんが病気の姿をとるのは、大きい清めの働きです。子供は親のお世話になって、親の思いをたくさんかぶります。親のためにもなるけど、子供さん自身も大きい清めを受けて、思いをかぶらない自分になります。自分の中の神様の力を発揮して早く独り立ちできます、両方にプラスの働きをしています。全部神計らいです『ありがとうございます』というと神様の助けが入ってきます。

質問者:
 パートをして子供のために尽くすより、『ありがとうございます』で現状を受け入れた方が良いですか?

ありがとうございます:
 その方が良いです、子供さんは子供さんで、中の力を引き出す方が良いんです。

質問者:
 私は、子供を甘やかしてしまいました。後の祭りですか?

ありがとうございます:
 
後は『ありがとうございます』を加えていけば良いんです、『ありがとうございます』は過去にも未来にも時間を超えて働きます。