ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar82最初に「あ」がくる2001.8.26

質問 
 「あ」と言う言葉が物事の根幹だと思うんですけど、ありがとうございますの言葉も最初に「あ」がきますが、あいうえおの「あ」、abcdの「あ」、アー べエイ チェイ デエイーも最初は全部「あ」となっています。偶然かもしれませんが、こういう事は感じ取っているんですか。

=ありがとうございます=
 そうですね。みんなそういう風に感じて、各国の言葉はみなそうなっているのです。阿吽の言葉も「あ」ですし、αβも「あ」が来ます。はい、ありがとうございます。ありがとうございますも「あ」が先に来ますよね。

 アホ(阿保)

質問 
 馬鹿よりもアホの方が良いですよね。

=ありがとうございます=
 いいですね。

―大阪の人は良いですね、アホと言えて。東京でアホと言うと怒るんですよ。馬鹿と言う方がまだ良いと思っていたのですが、「あ」が万巻(?)の重さだったら、アホと言う方が○○○○―

 そうですね。ホをたもつ(保)と書けば「あ」を保つで神さまと一体ですものね。最高の誉め言葉ですよね。

 綺麗、汚い

質問
 (トイレの事につき質問:小音にて不明)

=ありがとうございます=
 本当の神さまは全ての全てに満ち渡って。輝かす働きをしている訳です。だからどこもかしこも本当は清まった場所になっているはずなんです。ところが低い神さまにとっては汚いところはいやですよね。綺麗なところが良いという神さまにとっては。でも本当の神さまは特に女神様は、汚いとこに降りて、みんなのマイナスを背負って浄化する働きをするんです。人間でもそうですよね。母親は子供の汚れを自分の汚れのようになんとも思わず、きれいに清めていくでしょう。又、大犠牲精神というのも女の人の方が良く発揮するんです。だから女神様は地獄のどん底で、みんなのマイナスを背負って清めて、プラスを与える働きよりもマイナスを取る働きを一生懸命してくださるんです。だから別にトイレだから神さまがいないんだとか、此処へ神さまを持ってきては駄目なんだとかいうのはかなり低いとらわれた見方ですよね。逆に言えばどこにでも神さまはいらっしゃるから、トイレを綺麗にさせていただきましょうって言うんだったら良いんです。
 でも人間の見方が綺麗、汚いに把われ過ぎるんです。みんな綺麗だと言えば綺麗に掃除もします。だから綺麗、汚いというのは、その汚いものが綺麗な場合、不調和におかれるからなんです。場所が所を得ていたら良いんでしょう。多分糞尿にしても場所をわきまえていたら、別に汚いとは言わないです。ありがたいと。その働きは神さまの方から全て現われてきて、糞尿をも肥料に変えるだけの色んな微生物の働きが加わるんですね。だけど食卓に載ると嫌ですね。やはり所を得ないとだめです。

 新エネルギー

質問
 ドイツではここ30年くらいに、原子力発電所を全て廃止する。原子力発電所自体は24時間フルに動かしていなければいけないので、何かあった時は非常に悪いのですが、先生はどのようにお考えですか。

=ありがとうございます=
 これからどんどん高い次元の高い番組が降りてきたら、もっといいエネルギーが生まれてきますよね。現実化しますよね。もし仮に原子力を使うにしても、もっと高度な管理能力が備わった物に変わります。マイナスの一切無いような姿で。

 批判

質問
 原子力でも喧々ガクガクで、環境問題でも政府と闘っていますよね。自分には違和感があるんですが、闘ったら正しいと思ってもやっぱり良くないですよね。

=ありがとうございます=
 人と闘うと、争うと良い物を壊します。良い物までも壊しますよね。お互いにちょっと良い物が有ったらそれを伸ばさないとね。何でも反対じゃ困りますよね。人のしている良い事を、自分の責任で持って応援するくらいが良いです。もし自分が責任を持ってせんならんとしたら大変ですよね。自分の変わりにしてくれて本当にありがとうございますって、感謝しながら応援しないとね。エネルギー問題一つ取っても、自分がエネルギーを供給せんならんとしたら大変です。そういう責任を負わされたら、その時自分はどうするかでしょう。やっぱり良いものは良いものとして、しっかり伸ばすように応援しなければいけないです。あんまり批判するのは良い事ないです。無責任です。自分が変わりにこれしますと言うんだったら、皆納得してくれます。批判するだけだったら意味無いです。

 お墓

質問
 海外旅行した時に、お墓の有る所に行って、体の具合が悪くなった時、変なエネルギーが付いたのではないかと言われたのですが。

=ありがとうございます=
 お墓の有る場所って、そこにもお墓に対してどういう考え方を持っているかによって、みんな違いますよね。そこに死んだ人が行く場所って、大勢の人が思っていたら、居てますよね、死んだ人が。そのお墓に入るような低い人が居てるかもしれません。でも本当に高い人はお墓に入らないです。そんな不便な不自由な所に絶対は入り込まないです。宇宙を駆け巡ります。高い人は。次元が全然違いますから、この世の波に似たような低い次元には全然入り込んでいません。だからおかしい波動をこの世に送り込むような事は絶対ないです。でもそういう番組も有るんです。番組によっては。そこに心を向けて波長を合わせてしまうと、その影響を受けてしまうんです。

―無意識の内に波長を合わせたんでしょうか。―

 そうなってしまいます。そこに行ってしまったという事も、見てしまったという事も本当は波長が合わなかったら、行かなかったかもしれません。お墓が有ってもお墓なんか見ていないかもしれません。お墓なんか見えない、無関心で、ただ通り過ぎるだけで他の事を、プラスの事を一杯思っているかもしれません。

―波が合ってしまったんでしょうか。―

 合ってしまったかもしれません。まあ波が合ったというのは確かです。波を合わせた時、どういうふうに、なにが目的で波を合わせたかというのは有ります。過去世の縁で、自分が大昔そこに住んでいて、色んな事があって、その波を自分がお祈りできるから清めるために、もう一回返してもらって清めさせてもらう働きかも知れません。色んな意味合いがあると思うんです。それも喜んだ方が良いかも知れません。しんどくなったというのも。

―お墓には御先祖様はいらっしゃらないんですか。―

 どういう御先祖様がいらっしゃるのかというのも、一人一人本当の自分から見ると色んな番組に出演しているのです。高い番組には高い番組の中の良い役割として出演しているのです。低い番組は低い番組の役割ね。迷ったような姿を取った演出も有るんです。だからお墓に入っていようなストーリーの番組も有るんです。低い番組を掴んだら、御先祖様が迷って、お墓にしがみついているような一面もあるんです。でも高い番組を見たらお墓なんかに入らず、宇宙を自由自在に飛び回って大きい光を放っている番組も有るんです。だからどの御先祖様をどのように見るかです。ただ低く見たら嫌がります、御先祖様は。やっぱり高い番組を見て喜んで誉めて欲しいのです。

 番組出演者全部が自分

質問
 一人の御先祖様が全ての番組に一杯出ているのですか。

=ありがとうございます=
 そうです。全ての番組に出演します。

―その御先祖様は何なんですかね。今日は良い番組にも出て、同時に低い番組にも一杯出て、見る方は今日は低い番組を見ようか高い番組を見ようかなって、見てる方はかってですが、出る方はたいへんですよね、全部の番組に出なければいけない。―

 いやいや、この世の人も同じなんです。本当の自分は神さまと一体の自分ね。何にもなれる自分なんです。どの番組にも出演できる自分ね。だからこの世にも自分が出演しているのです。

−急に分からなくなった。自分はこの番組にしがみ付いている自分ではなく、自分も色んな番組に出れる。−

 今の自分は一個の番組に嵌まり込んだ自分です。演出している姿の自分です。

―同時に全部出ているんですか―

 出ているんですけど分からないでしょう。今の番組から抜け出さないと他の番組は見えない

―今=ありがとうございます=と同じ高い番組を見ていらっしゃる方は他にも居られますか。―

 本当はみな見ていると見た方が良いのです。全員が見てると見た方がいいです。だから高い番組を見る人は全員が見ていると言うんです。みんな悟って最高番組を今も全員が味わっていると、見るのが高い番組です。

―気づいていないと言う事ですか。低い番組を見ている私は。―

 気づいていないと言うと低い番組に落ちるんです。例えば無限の分身を出せる自分だったら一人一人の分身を見分けられるのは本体の自分でしょう。一つ一つの分身は身近な所は分かるかもしれないが、全部は分からないです。分身は分身としての限界ある力しか持てないです。

−各分身が私と言う意識を持っているのですか。−

 そうです。

―私が同時にあらゆる所にいる。私と言う自覚は今ここにいる私しかない。各チャンネルに出ている私は私で私と思い込んでいる私であると。―

 そうです。ここに大きい木があるとするでしょう。この木全体を自分と思うのが本当の自分です。所が葉っぱ一枚を自分だと思っているが分身の自分です。葉っぱはたくさん有ります、無限に。すると無限の分身があると言う感じです。でも葉っぱ一枚一枚、これが自分と思っています。

―兄弟の場合、俺は兄だ、弟だ、妹だと区別は有ると思うんですが、葉っぱの場合、全部私だと思うんですか―

 色んな見方が出来ます。今見ている番組が自分だけが見ている番組だったら、全部自分の中の姿でしょう。すると自分が見える世界は全部自分なんです。人だけではなく。また、チャンネルを違えて色んな番組に出ると言うのも、大きく眺めたら全ての番組出演者全部が自分なんです。だから色んな意味合いがあるんです。一通りや二通りではなく、それだけ複雑なんです。それで全体を早く把握するというのが必要なんです。だからありがとうございますは神様の全ての全て、全体を捉えるための言葉なんです。だからありがとうございますに溶け込めば溶け込むほど、全体が分かり出すのです。すると肉体の自分が自分だというのが、小さい感覚だと分かってくるんです。

 求める心

質問
 求めれば縛りに合うという事で、求めれば求める程、求めるものから離れていくという事ですが、最高番組を見ようとするのは求めになりませんね。最高の番組に上がっていく事ですから。それは思わずにありがとうございますだけを唱えた方が良いという事ですか。

=ありがとうございます=
 求める心でありがとうございますと言うのと、与える心でありがとうございますと言うのと、どっちが効果が大きいかです。求める心はまずマイナスを、無いと言う状態を掴んでいるんです。そして欲しい欲しいという心でありがとうございますを唱えるんですが、ありがとうございますはプラスの心なんです。波が合わないでしょう。波が合わないと実現しにくいです。でも与える心は満ち足りた心なんです。無限のプラスが一杯という光の心なんです。だから感謝して神さまの助けを受けるんでも、まず恩返しの心で自分を与え尽くして奉仕して、みんなの為にと感謝すると波長がぴたっと合ってくるんです、高い番組と。するとありがとうございますと一言唱ええるだけで、すっと奇跡が起きるんです。効果が抜群に大きいです。病気をしている人は早く治したいと思うでしょう。でも病気を治したいと思うと病気を掴むでしょう。マイナスを掴んでありがとうございますと言うと、ありがとうございますと病気を掴む心と合わないですそれが現実化しにくい所です。無限のプラスがすっと降りないです。だから病気の事を忘れといて、前向きにプラスの良い事をどんどんしていると、与える心を生きていると、知らん間に病気がすっと消えているんです。与える心でありがとうございますと言い続けたら、色んな意味で奇跡が一杯出てくるんです。お金儲けも一緒です。お金を儲けようと思ってするとあかんのです。マイナスから出発すると波が合いにくいです。

―まず与える心が有りきで、先にそうしないとありがとうございますと合わない。―

 呼吸と良く似ています。吐かないと入ってこないです。まず吐くということも与えることです。そうすると神様の方からさっと助けが入るんです。

―素晴らしい。―

 お金と貸し借り

質問
 先生、お金を一杯吐き出しすぎてマイナスの時、ただありがとうございますと言えばゼロになってプラスになるのでしょうか。

=ありがとうございます=
お金が人を幸せにするかといえば本当は違うんです。仕事をする時でも、お金儲けをすると損するんです。どれだけ人を幸せにすることが出来るか、幸せを与えられるか、与える量を増やすことが良いんです。ただそれをすぐお金に変えてお金で与えても、与えただけしか返ってこないです。お金の額と本当の力、働きとは違うんです。あぶく銭には、幸せを引き寄せる力は何も無いのです。

―私、ヒーリングやカウンセリングをしているのですが、お金は設定しない方がいいのでしょうか。―

 お金をあんまり取り過ぎても意味無いです。人を幸せにする量を増やせばいいんです。ちょっとだけお金を貰っていても、そのちょっとのお金で沢山の幸せが入り込んでいるんです。でも幸せを与える量が少ないのに多額のお金を貰っていても、与えただけのちょっとの幸せしか戻ってこないです。お金の額はあんまり関係ないです。土地成金の人はそうなのです。安い土地を、ただみたいな土地を値段が上がって売ってしまう、何億円って。儲かったように思えても逆なんです。高利の借金を積み重ねた事になるんです。何も与えていないのにお金が入ってきても借金したと同じなんです。それも高利の借金ね。それも自分が儲けた、自分のもんだと思うから贅沢に使うでしょう。無駄遣いして。それで徳を減らし、なお且つ借金を増やし、後が大変なんです、本当に。だから得していないんです。会社でも利潤追求で沢山儲けると、それは損するんです。やっぱり幸せを、良いものを一杯与えなければ損です。与えた分だけが返ってくるようになっています。だからタダで与えたらタダで必ず返ってくるんです。与えて物をお金に変えたら、必ずお金になってしか返ってきません。

―今、会社の景気は悪く、今まで利益追求型の会社だったと思うんですが、今、付けが回ってきたのでしょうか。―

 付けが回ってきます。働く時間もちょっとで少なく、給料も沢山貰ったら、実際与えた量が少ないです。お給料が高かっても物価が高くってちょっとしか買えないです。同じ国だったらそれが良く分かると思います。給料が上がれば物価もどんどん上がります。結局何しているか分からないです。でも外国は労働力の対価が安いとします、日本のお金で安いものを買ったとすると、これは国と国の貸し借りになるんです。価値の無いお金で価値有る物を沢山仕入れたとするでしょう。すると必ず返さんならん事になるんです。価値の有るお金だったら、それだけの物を買えるね、どんどん。でも価値の無いお金で買ったものはいずれ返さんならん時が来るんです。その辺のカラクリ、法則を忘れてしまうと、ちょっと間違った方向にはまり易いです。

―返すお金の量なんですが、自分一代で返すのか何代にもわたって返すのかどちらでしょうか。―

 それは一人一人独立しているんです。返した量が多い程幸せが多く入るんです。何代も続いているというのでも一人一人別なんです。たくさん返した代の人が幸せになるんです。

 番組の切り替え

質問
 番組の切り替えの事ですが、テレビですとカチャ、カチャ、カチャと変えれば済むんですが、私たちが番組を変えるという事は、その時奇跡を感じる訳ですが、その頻度は日に2回だったり、月に一回だったり、3年に一回だったりするんですが、その番組の切り替えのタイミングは具体的にはどうだったりするんですか。

=ありがとうございます=
 テレビのチャンネルの切り替えでも、順番にちょんちょんちょんと切り変えるのがあります。ぱっと飛んできり変えるのも有ります。お祈りも一緒です。一番低い所から一番高い所一遍に行く時も有るんです。順番で無いと上がらない時も有ります。それはその人にとって必要なときには何でも起こるんです。毎日少しずつ上げていく人もあるし、その場でぱっと上がる人も有るし、又、下がる人もあるし。

―下がると言うのは、手を抜くとか、サボるとかいうのと違うんですか。―

 やっぱりマイナスの言葉を使ったらかなり下がります。

―せっかく積み上げたものがどっと。―

 積み上げたものは別に関係ないですが、新たにぱっと低い番組にはまるんです。

 ため息

質問
 ため息ってマイナス言葉になるんですか。

=ありがとうございます=
なるかもしれないです、ため息は。喜んで無いですよね、ため息は。そういう時は嬉しい、楽しい、ありがたいって奮い立たせている方が良いです。

―それは感情ではつらい、悲しいと感じていても言葉の力によって幸福に変えていけるのですか。―

 そうです。プラスの言葉を使えば心は必ずプラスに変わっていきます。未来のことを心配してどうなるんだろうってため息をつきます。でも未来は必ず良くなると言えば、ため息は消えるんです。どんどん良くなっている、あー今幸せが一杯なんだってふうに言えば。
だから言葉で変えられるんです。

―それは文章でも良いんですね。―

 いいです。

 祈りの言葉

質問
 先生の小冊子、無限の無限の幸せが一杯の中に、幸せになりたいのだったら、既に与えられている幸せを数え上げて感謝するだけでいいという事で、何点か書かれています。一番長いのを読みますと「神様の御心である真・善・美を表現してゆくという、創造の使命を与えられている。その為に必要な知恵・愛・力・勇気・希望は、無限に与えられている。ありがとうございます」という事で非常に素晴らしい祈り言葉なんですが、こういうのがすっと出るのはかなり心境が深くならないと出ないかなーと。こういうのは意識的に考え続けないと出ないんでしょうか。

=ありがとうございます=
 自分が使いたい言葉を、選んで使っている内にすっと引っ張り出されてくるんです。
―例えば意識的にそういう言葉をメモして頭に入れて行くとか。―
言葉の繰り返しで心は整って行くんです。自然にすっと沸き出るような状態に変わるんです。まず自分が言葉を選ぶんです、どういう言葉を使いたいかって。言葉選びが大事です。そして繰り返すんです。すると全て良くなります。大丈夫です。

 マーフイ―の法則

質問
 今話を伺っていますと、マーフイ―の法則とかナポレオン・ヒルとか色んな話とイメージがオーバーラップするんですが、そういう事とありがとうございますのいわれた事と違いがあるんですか。

=ありがとうございます=
 私の場合は、全て言葉通りになると言うはバックに神さまの無限の無限のチャンネルがあるという事です。全部用意されているんです。言葉で番組選びをして全部受けられるんだって。普通成功の法則といったて神さまを相手にしていないです。無限の言葉とか想いを念力でという感じで、想いで実現するという感じが多いです。イメージトレーニングにしてもそうです。それを生み出す、支えるバックとは何かってボーとしています、無いんです。念力で実現するんだったら、念力が弱くなったら実現しないです。でもバックが神さまだったら、どんなに良い事願っても、言葉に変えても必ず実現します。神さまの方が良いものをどんどん現実化しようと待ってくれているんで。やはりバックに神さまを持ってこないと本当の力は弱いです。

 シールと効果

質問
 シールをもらったのですが、一杯貼れば貼るほど言葉と同じように影響力があるのでしょうか。

=ありがとうございます=
 1回ありがとうございますと言うのと1万回言うのとでは効果は違います。

―たくさん貼れば貼るほど良いのですか、家の中に。―

 それは貼ったら貼っただけ

―字が大きくても小さくても同じなんですか。―

 貼ったら貼っただけそれなりの効果が出ると言えば効果が出ます。でも一つでも充分と言えば一つでも充分かしれないです。ただあまりべたべた貼り過ぎたら美観を損なうというのだったら程々に。

―数が多いい程、良いと言うのだったら、小さいシールを貰っていってたくさん貼れば良いかなと思うんです。―

 数が多いい程、効果があるという意味では効果があります。大きい程力が有ると言えば大きい方が力があります。それは自由に使い分けてプラスにプラスに受けたら良いです。それも皆、言葉通りに力が出てくるんです。だからこれ(シール)は仮に印刷しているでしょう。人が書いた方が良いと言えば、人が書いた方が良いんです。でも心境が高い人が書いた方が力が有ると言えば、又、当たるんです。でも誰が書いても同じ力が降りるんだと言えば、同じ力が降りるんです。印刷でも力が降りるんです、同じ力が。神さまはどこもかしこも自由に受け場に使えますから、どこへでも同じ強い力を降ろせるんです。ただ受ける側です。受ける側の言葉の使い方が重要なポイントです。全てから、小さい物からでも、大きい物からでも、どんな言葉からでも、全部から大きい光が降りるって思った方がいいです。

―常にいい言葉とかプラス発言をどんどん使った方がいいですね。―
 いいですね。

―愛を受け入れるって事ですね。―

 そうですね。

―冗談でもマイナス言葉を使わない方が良いんですね。―

 うふふ。

 神様の数

質問
 先程、女神様の話が出ましたが、男神様、女神様や何人居られるのですか、よく八百万の神と言いますが。

=ありがとうございます
 絶対というのは陰陽合体なんです。両方持っているんです、同時に。でも創造する段階になると両方に振り分けられてそれが組み合わされるのです。陰と陽があったら、陰と陽に分かれるのです。分かれた物が組み合わさって創造が生まれるんです。その分かれる段階で、例えば古事記に書かれているんでは伊邪那岐の神様、伊邪那美の神様ね。伊邪那岐の方が与える側、男神様光を与える側です。伊邪那美の方が受ける側、マイナス、陰の働き、それを人格的に言ったら男と女なんです。相対の要素と見たら光がプラスで闇がマイナスです。
 善がプラスで悪がマイナスです。全部の要素を全てプラスとマイナスに振り分けるんです。だからこの世の人が言う女神様男神様ってちょっと小さく見ているのです。もう一つ全ての相対の要素を、両方に振り分けてプラス側マイナス側と見た方が良いです。マイナス側の全ての働きを総括するのが女神様と見た方が良いです。その分身としての働きは無限にいてるんです。その八百万の神、八百万という事ですが、これは無限という意味です。男神様の働きも無限の分身の神様がいらっしゃるし、女神様も同じです。無限にいらっしゃいます。

 大神様

質問
 西洋では創造主とか絶対主とかの考えがありますが、日本でも同じように大神様というのが有るのでしょうか。

=ありがとうございます=
 そうです。色んな分身の神様を束ねたら、小さいといっても大神様になります。その大神様も沢山有って、それを束ねるともう一つ大きい大神様です。だから全体を束ねるのが全ての全てなる神様、ありがとうございますの神様です。

 神様の親

質問
 神様には親はないのですか。あらゆる生命は親が子を産みます。神様があって後を説明すると凄く説明が上手く行くのですが、神様は誰のお子さんですかって言われて、最初からいるって言われても。ビッグバンにしても1c無限四方から宇宙が生まれたと、その先の説明があるんですが、なぜ1c無限四方に有るか説明が無いから。同じように神様につき理路整然と説明しても、神様はどこから生まれたかって説明が無いので。こんな質問良くないですか。

=ありがとうございます=
 いや、よく有るんです。まず絶対と言うのは見えないです、感じ取れないです。でも絶対って最初から有るんです。何時からじゃないです。最初から、元から有るんです。絶対は絶対、否定しようが無いです。絶対から相対が生まれてくるんです。その時に生まれてきたなって。見えてきたなと感じるんです。神様って全体像なので絶対が基本です。何時から生まれたんじゃないです。元から有った物が表情を変えるだけなんです、表現を相対に。元からある神様が表面の表情をどんどん変化させているという位です。

 唯物論と唯心論

質問
 そうすると基本的には唯物論と同じなんですね。ある物質が今ここにあって、様々な様子を取っていくと捉える、それを神様と表現するとすれば、そんな喧嘩する話ではないですね。唯物論であれ、唯心論であれ、そういう物だと思えば。

=ありがとうございます=
 そうですね。全て変化をし続けるんです。その変化の元はどこかです。この世に求めても無いです、変化の元は。例えばありがとうございますからBに変わりCになったとするでしょう。最初ありがとうございますが在ってBに変わってCに変わたって言うんですが、本当は違うもんでしょう、ありがとうございますとBとCは。違うもんだったら?がりが無いじゃないですか。やっぱりありがとうございますからB,Cに変えた、もう一つ奥に無いと駄目でしょう。一貫性の有るものが無いとね、変化したとは言えない。繋ぐ者が無いと変化したと言えない。唯物論は繋ぐ物が無いです。別個のものになります。ばらばらになります。

―物質そのものがそういう性格を持っていると、物質そのものにも意志があり、そのはりつける色々な習慣的な要素をそれが物質だと言えば余り違いが無いかなーと。物質は元々何も分からず、何も考えない、ただ単なる客観的な物だと我々は見がちだが、いや元々物質その物にも、感情があり、愛情があり全てが備わっているんだとすれば、神様と変わりなくなります。物そのものが。―

 だから物質そのものにそういう物が有るとすれば、なぜ最初にそうなったかになるでしょう。ところが物質そのものはどんどん変化して壊れてなくなりますから、何も無いところからどうして出てきたんかとなります。それが永遠に続けば良いですけど。

―最初からあるんだよと言われれば有るんですよね。どっから来たんだと言われても、有るんだよと言われると。神様かていらっしゃるんだよと言われると、それ以上お前しつこいよと、それと同じ事じゃないかと思って。―

 でも唯物論ではこの世の姿しか認めていないから、消えたら無いとなるでしょう、この世のものは消えていきますから。でも神様の方は消えずに永遠に生み出す力があります、ずーと働いています。

―物質は形は消えますけど、原子や電子は散らばってるけど、総体は変わらないですよね、量は。―

 いやいや全部消える、消えます、原子も。

―形は変化しても、又、物質として循環していると思ったのですが、無くなるもですか、物質は―

 無くなります。この世の姿は、みな消えます。現われては消え、現われては消え無くなります。永遠に持続しないです。でもそれを生み出す物があるから、次から次へと変化して出てきます。その一番奥から生み出す力として働くのが神様です。

―人間の肉体は滅んで輪廻転生しますが、なぜ魂は変わらずにおれるんですか。―

 でも魂も消えるんです。変化して消えるんです。魂を持たずに、もっと高い世界で生きている神なる自分があるんです。

―魂が消えるというのは、5回生まれたから、もう6回目はないよと。―

 いやいや、最初から魂を持たずに神様の世界に生まれる人も有るし、魂を生み出して色んな次元に生きる人も有るし、魂だけで肉体を持たずに行きてるのも有るんです。それは神様が全てを尽くした表現を繰り広げている、というところから来るんです。これだけという表現はないんです。ありとあらゆる全てを尽くした表現なんです。どんな生き方、どんな表現、どんなもんも有るんです。

―我々、魂の中身も知らずに使っていますが、魂は永遠不滅と思っていたら、いや魂も消えますと言われてなにか。魂について多分こういう意味だろうと思って言っているので、質問も意味が無いのかも分かりませんが、今まで思っていた言葉で一生懸命ぶつけているんです。―

 だから言葉の通りの世界が全部用意されているんです。

―ずいぶん便利な説明の仕方ですよね。―

 そうです。神様というのは至れり尽せりでどこから突っ込まれても大丈夫なようになっているんです。

 ソリューション

質問
 似たようなことなんですけど、地球がソリューションしたら、人間も○○○にもどされて宇宙の中に消えるって聞いたことがあるんですが、そういう事もありえるんですか。

=ありがとうございます=
 まあ、そういう番組も有ります。そういう番組に入り込むかどうかは別です。いろんな言葉の使いかた、考え方、生き方ってあります。その通りに入る人は少ないかも知れません。他の生き方も無限に一杯あります。それはそれで人の考え方、言葉の使い方なんです。それを本当に言葉として受け入れて、心に定着させるとそういう世界に入ります。

 睡眠

質問
 人間の身体って素晴らしいバランスの上に成り立っていると思うんですけど、睡眠中はどういう風になっているのでしょうか。

=ありがとうございます
 眠っているときに子供は良く育ちます。又、病気でも怪我でも眠っているときに癒される確立が大きいです。眠っているときは魂が抜けてエネルギー補給に高い次元に上がるんです。その後肉体を管理するのが守護霊、守護神さんです。ちゃんと管理してくれます。人が色んな想いを出さない時が働きやすいんです。本当は感謝してくれたら働きやすいです。マイナスの想いを出されると働きにくいです。そういう意味で眠っているときは働きやすいです。だからわざわざ、病気したり怪我したときは眠らせるんです。大怪我したら必ず意識不明で眠らせるんです。それは必要なんです。神様が肉体を癒すためにプラスに置き換えるために働きやすい場を作るんです。

―睡眠時間が日ごろから少ない人は、神様の働きがちょっとしかない。―

 お祈りしてたら睡眠の代わりになるので、ちょとだけでも良いんです。お祈りをせずに睡眠時間が少なくなるとやっぱりストレスがたまります。

 あの世でのありがとうございます

質問
 生きてる内はありがとうございますで行けば良いことは良く分かったのですが、これから黄泉の世界に行った場合でも、ありがとうございますと言い続けていけばいいのでしょうか。

=ありがとうございます=
 この世でありがとうございますを唱えても余り強い光をみな感じないですが。あの世に行けば大きな光を感じるのです、すぐに。も一つありがとうございますに拍車がかかります。向こうへ行った方がありがとうございますは力を発揮します。

―今は意味をよく理解しているのですが、死んでしまった時は忘れてしまうとか、そういう心配とかは―

 無いです、別に。

―それって全員がしっているんですか、ここに来て学ばなくても。霊界の人はほとんど知っているのですか。―

 本体の自分は全部知っています。だから早く引っ張り出された人は分かる自分が出ています。ありがとうございますを唱えた人は分かる自分ですだからここに来ても納得します。ある意味では確認をするために来ているのです。

 人を幸せにする

質問
 魂を輝かせるには人の幸せを願ったらいいと話されていたんですが、その生き方が一番いいんですか。

=ありがとうございます=
 人の幸せを願う生き方は、ありがとうございますと感謝する生き方が最高なんです。人を幸せにするのに自分に力が無かったら何も出来ないです。どんなプラスも与えられないです。でもありがとうございますと唱えたら神様から必要なものを一杯貰えるんです。プラスを幸せを一杯与えることが出きるんです。だからありがとうございますを基本にすれば必要に応じて、人を幸せにする働きが自由にできるんです。あの人を幸せにしたいと思うだけでは力が無いんです。ありがとうございますって感謝に生きていると力が湧いてくるんです。そこに居るだけで人を幸せにするんです。

 拝む

質問
 拝むって言う事と人を崇拝するという言葉なんですが、自分も同等だから拝まなくても良いとか、祈りなさい拝まずにと言われるんですが。

=ありがとうございます
 漢字の拝むって手辺に手って書くでしょう。だから手が合わさった状態で、ばらばらの物が一つになっているという見方なんです。宇宙の全ての人が神様と一体という意味です。いえばみんな神様なんだという事が拝むことなんです。

―いい言葉なんですね。―

 はいそうです。礼拝するという言葉があります。礼拝の礼って、示すに、こうこう・・で一番下から示されたものを仰ぎ見るって意味で、マイナスの極からプラスの極を仰ぎ見て、みんな一体と見るのが礼拝です。それも拝むっていう姿です。

 先生と絶対

質問
 先生は絶対の世界と相対の世界とを行ったり来たりして居るんでしょうか。

=ありがとうございます=
 絶対にはなかなかはいれないです。絶対から現れたものを受けてはお返しして、受けてはお返ししているんで、まだまだ絶対は程遠いいです。
ほんなら絶対のことが何で分かるかってね、分かる神様が降りてくる。

 自我の努力

質問
 先生はありがとうございますを広めるために、人の10倍のことを一生懸命やっていると聞いたのですが、それは努力をしているという感覚なんですか。それともただ感謝しているのですか。

=ありがとうございます=
 自我の努力は限界が来ます、頭打ちます。大きい力を発揮しようとすればするほど限界が来ます。自我の努力は捨てないといけないです。だからどんな努力も神様にさせて頂いてるって、神様の力が努力の形を取っているだけって、やっぱり感謝の心だけに成り切らないと本当の力は貰えないです。

 悟りへの階段

質問
 今、ここでお話を聞いていますと良い気分で喜びを感じる気がするんですが。家で普段の生活では感謝を忘れるときが有るんですが。

=ありがとうございます=
 本当の悟りの世界に戻るのでも戻り方は色々です。光のエレベーターに乗ったようにぱっと上がる人も、エスカレーターに乗ったように順番にすーと上がる、また階段をエスカレーターに乗っても歩く人も、又、螺旋階段的にぐるぐる回りながら登る人もあり、本当は螺旋階段的に登るのは全体に通用するのですけど、螺旋状に登るときは、片面を闇、マイナスと見ると片面は光、プラスです。プラスを見て必ずマイナスに戻って、この繰り返しなんです。だから全てがプラスに登ったと思ったら、今度はマイナスに戻った様に見えるんです。でも全体からみると登り続けるんです。感謝が深まったと思うと、又、浅くなったと思うんです。でも次にも一つ深まった状態が出てくるんです。で必ず上へ上へ登ります。全て上へ上へ登っている過程の姿なんです。プラス面だけを一直線に登るのもいいですけど、途中を楽しむのも良いんです。

―ありがとううございます―


 口笛と拍手(瞑想の時)

質問
 瞑想の時にバックミュージックのようにヒューという音と、拍手のようなバンバンという音が聞こえましたが何でしょう。

=ありがとうございます=
 何の音でしょう、これは。(笑い) 口笛と拍手です。口笛は息吹って、息の中に光が出てくるんです。それが変化して、口笛の姿を取って光が放射されるのです。深い心境の人の口笛は光が迸しるように出てくるんです。拍手も陰陽合わせて強い光を出すときに拍手打つんです。心境に応じた響きが強く出るんです。高い心境の人が拍手を打つと物凄い強い光が迸り出るんです。だから一番自然な響きと言うのは神様の根源の響きに近いんで、高い強い響きが出るんです。お祈りの時は本当は何も必要ないんですが。でも雑念が出やすいときはバックミュージックでこのような高い響きの音が流れていると、雑念が出にくくなってお祈りし易くなるんです。何もないと雑念に捉われやすいです。今から消されるために出てきた雑念でも、掴んでしまう一面があるんです。それをすっと流すのがいいんです。そういう響きに乗せて流してしまうんです。そうすると雑念に捉われず祈りがしやすくなるんです。そういう意味で、はい。ありがとうございます。

 酒とタバコと肉食

質問
 酒とタバコと肉食はなるべく避けたほうがいいのですか。もし順位を付けるとしたらどのように。ある方に聞いたところ、植物は食べられて喜んでいるが、動物は殺された時のあれがあるからありがとうございますと唱えてもまずいよ、と言う人がいるんですが。

=ありがとうございます
 そうですね。根本は、全ては神様の愛の現れ、命の現れという、神様のほうから命を捧げて、どうぞって言うふうに差し出してもらったものは感謝して受けたら、神様の命を光を頂くのです。これはもう何もかにもそうなんです。食べ物だけではなく酒もタバコも。本当は感謝して受ければ何も悪いものは無いんです。ただ感謝を忘れた時にそれぞれに色々な思いに負ける一面はあるんです。例えば酒を飲めば肝臓が悪くなるぞという思いが自分の心に入ってきたら、その影響を受けますよね。一切のマイナスの言葉を心に取り入れないような状態だったら、何してもしてもいいんです。優劣、順位は本当は無いです。元々悪いもんは無いんです、本当は。人のマイナスの言葉が悪くするんです。全てを構成する原子一個眺めたとき、原子一個悪い原子は無いです。だから、人の思いが色んなものに悪い姿をふぞく(付属)させるって一面があります。お酒も本当はお神酒と言うと、神様の気が一杯はいるでしょ、嬉しき、楽しき、有りがたきの三つの気が一杯満ち溢れるって。飲めば飲むほど幸せになるという、間違いないって。あー○○○○ 、ちゃんと保障してあげ○○。(笑)

 動物の進化

質問
 動物を食べるのも同じ事ですか。感謝して食べたらいいてことですか。

=ありがとうございます=
 動物といっても、逃げ回るからといって追いかけて捕まえるというのは捧げてもらったものではないでしょ。でも動物も早く進化したいという一面では、自分の命を捧げて人のお役に立ちたいというんだったら、捧げもんなんです。それによって動物も早く進化するって一面がありますから、それは感謝して頂く事によって動物も自分も大きくプラスの働きをするんです。例えば弘法大師さんが本当は肉食をしないんでしょうが、捧げもんの例えば猪の肉を食べたとするでしょ、だけどそれは神様の命を頂いて動物を食べたと思っていないです。
 ところが一緒に修業しているお坊さんが見てて「お前は肉を食べたじゃないか」って責めるんです。でも弘法大師は「食べてない」って言うんです。「お前食べた、わしゃーちゃんと見た」って言う。「じゃー吐き比べしょうか」って、吐き出したら弘法大師さんの吐き出した物から肉が出てこない。隣りの責めた人の方から肉が出てきたって。やっぱり、これも神様の命を頂いているという受け方だったら。お肉は食べていないんです。命を捧げ物を頂いている限り肉じゃないです。でもこれが肉なんだ、悪いんだって責めたら、本当は食べていなくても出てくるんです。だから言葉って一番大事です。プラスの言葉を使ったら良いと思います。ありがとうございます。

本当の 断食とは?

質問 食事の時、先生が使われるお祈りの言葉って有りますか。

=ありがとうございます=
 別に、ありがとうございます以外ないんです。私ちょっと若い時に、断食を沢山し過ぎるくらいしたんですが、本当の断食は物を食べているという感覚を無くせば良いんです。何を頂いても神様命を頂いているんだというんだったら断食です。本当は神様の命を、光を受けている限りは断食です、物じゃないです。単なる物質としての食べ物ではないんです。でも物質の物を食べるのは空気を吸ってもあかんのです。水を飲んでもだめですよね。みな生きている、殺生の罪を犯しているかもしれない。空気吸うだけで空気中の微生物を殺しているかもしれない。水を飲んでもそうですよね。でもその殺生の罪というんでも、神様の命を頂いているんだ、というんだったら殺傷の罪は一切起こらないんです。これもやっぱり言葉の使い方一つなんです。

 直感で感じる

質問
 以前、良い音楽良い絵を見たりする事も、ありがとうございますと言っているのと同じような意味があるとお聞きしたのですが、良い音楽とか良い絵とか判断するにはどのようにしたら良いのでしょうか。

=ありがとうございます
 それはありがとうございますって唱えている人は直感的に、これは素晴らしいな美しいなって感じますよね、自然に。だから本当の感謝って神様を感じ取る事なんです。神様の表われとしての姿を感じ取れば良いんでしょ。だから美しいものは神様の表われなんです。直感的にそこに美をすっと感じた時、感謝になっているんです。

 近未来の天変地異

質問
 ありがとうございますは神戸大震災のとき、身体にストレスみたいな物を感じられたと伺ったのですが、近い将来日本でも色々言われている様な天変地異とか起こるのでしょうか。

=ありがとうございます=
 起こらないでしょう。起こらない様にお祈りが有るんです。だからお祈りする人は最高表現を受け場として使ってもらうんです。もし大きいマイナスが有るんだったら、お祈りの深い人が一時的に預かってその消す場として使ってもらうんです。どんどんそういうのは軽く済みます。これからそういう大きいのはどんどん消されて無くなるでしょう。よっぽど大きいマイナスの好きな人は特別に残してもらったら。でもこれからはどんどんプラスに向くようになっていますからね、大丈夫です。

 誕生のプログラミング

質問
 ある本で人間は生まれる前にプログラミングされて生まれてくると書いてあり、自分で親を決めて、その親の下に生まれて修業するように書かれてあるのですが、そんな事有り得るんでしょうか。

=ありがとうございます=
 そうですね。でもその通りになるかどうかは別です。この世の人も同じでしょ。自分が計画してプログラム立てて、さてその通り歩もうかとして、その通りなるかは限らないです。やはり日々瞬々刻々の言葉の使い方って、生き方って大事でしょう。だから最初のプログラムだけで全部動くんではないんです。まあー、そういう一面は有ると思いますが。それが全てではないです。又、この世に生まれてくる時、自分の意志をはっきり持って生まれてくる人も有るんですが、そこまではっきりしない人も有るんです。そういう時は守護霊、守護神がバックで大きく働いて生まれさせてくるんです。いろんな生まれ方があるんです。

 人間以外の生まれ変わり

質問
 人間が人間に生まれてくるだけではなく、例えば植物や動物に生まれる場合は有るんでしょうか。

=ありがとうございます=
 これも考え方が色んな考え方があるんですけど。まず自分は何かという立場を変えなければ分からないです。その一番奥の神様なる自分だったら、その自分は何にでも変身するんです。石ころにもなれるし動物にも植物にもまた、人間にも、又、大きい星にもなれるんです。その自分だったら自由自在に変身してなんでも生まれ変われるんです。ただ輪廻転生的な生まれ変わりではないです。いつでも何にでも変身して現れる事が出来るという意味です。でも輪廻転生的に見るとかなり自由を束縛された中に自分を置いているんです。
 そういう自分は例えば人間として生まれたら、人間としての生まれ変わりをずーと続けるんです。動物になったり、植物になったり出来ないね。ある時期は動物なら動物をずーと追い続けるね。だから猿から人間に進化するって、それはないの。全て高い次元から物資化現象的に降りるの。だから今、動物しか猿しか生きられない時代だったとするでしょう。そうすると猿だけね。でもそこに又、人間が誕生しても生活して生きられるという環境が整ったら、別の高い次元から人間が舞い下りてくるのね。猿から変化したのではない、新しいものがそこに加わってきたというだけ、それが人であるんです。人としてそこに加わったというだけです。まだこの世に出てきていない色んな生き物、生物が一杯いるんです。
 だから進化というより、新たに物質化して出て来ると言う方が正しいです。だから猿は何億年経っても猿です。間に類人猿が入ったと言っても、猿から類人猿になるのではないのです。類人猿があるのです。ただ奥から色んな姿を表わしてくるんです。いったら色んな作品を順番に仕上げるような感じで、仕上げると言ったら不都合ですが、でも進化という意味がこの世だけを見ているんで、奥からの働きを見ていないです、進化と言ったら。だから突然変異という事も有りますが、この世だけを見ている人は、突然変わったから突然変異なんです。でもまったく別のものが降りたというだけです。

 魂の性

質問
 今日は来世の話を聞きたいのですが、7年前妻を亡くしました。ある霊能者に聞くと、妻は早く生まれ変わり、私の生存中12年間だけ一緒に暮らせると言われました。そこで本当にあの世があるのか、又再生に順番があるのかお教え下さい。

=ありがとうございます=
 生まれ変わり輪廻って、低い番組の方に有るんですけど、その中にはそういう姿もあるんです。ただ魂の生まれ変わりっていうのは魂は本当は男も女も本当はないのです。両性を持っていると言った方が、男にもなれる女にもなれるんです。だからあの世にも男性的な魂、女性的な魂って有るんですけど。ある一面、男性的なものを磨き出したら男性になるんです。女性的なものを磨き出したら女性らしくなるんです。

−すると死んだら親が三途の川の向こうで、おいでおいでしてると言いますが−

 それも向こうに行ってまったく違う姿を取ったら分からないでしょう。それで生前の姿を仮に表わす時があるんです。今の自分の姿を取らず、過去の姿をわざと見せるんです。それで間違わない様にするだけなんです。でも人間って皆進化して進歩した姿をとるんで、この世に女性として生まれた人でも、あの世で男性になっているかもしれない。又、色んな魂が合体して大きくなっているかも分からない。

―そうしますと、懐かしい人が待って、おいでおいでをしているのは願望であって、実際は合体して分からなくなっているかもしれないのですか。―

 そうかもしれないし、又、大きい魂だったら分解して分かれてしまっているかもしれない。それで女性の魂だと思って追いかけても、男性に変化しているかもしれない。

―楽しみだなーって感じがしますが、行ったら、居たと、あーそういう仕組みだったのかと分かれば嬉しいなと思いますが、そういう希望を持っていればろくな事はないという事でしょうか。―

 そうね、予測通りにならないかも分からない。

―先に生まれ変わっていたとか、行ったら留守だったとか有るんですか。―

 ありますね。

―それもそういう事が、ある心境に達すると先生には分かるという事ですか。―
 はい。

―ありがとうございます―

 今、ここを生きる

質問
 今、ここ、今、ここを大切にしましょう。まわりの事を気にせずに自分自身が楽しく行きましょう。と言われる方が居ます。私もこれができたら肩が凝らずいいなーと思うんですが、ただまわりの事を気にしないと言う事は、まわりの人を傷つける事になるかもしれないと思うんですが。

=ありがとうございます=
 「今、ここを生きる」という意味は浅い意味と、深い意味と両方有ります。今、ここと言うのは神様の絶対から神様の最高表現が生まれてきた今ここなんです。それを置け直すというのが「今、ここを生きる」と言う。だから古い過去のチャンネルを相手にしないです。最高の新しいものを受け直して、それを現実化すると人を傷つけるどころではない、皆を生かし切るわけです。全くの置き換えになってしまう。それが「今、ここを生きる」今の一瞬を大事に生きる事なんです。

 占い

質問
 占いで動物占いとか、人相だとか観相学だとかありますが、自分はそれに振り回されてきたように思うんですが、それは低い番組を見ていたんでしょうか。

=ありがとうございます=
 そうですね、占いなんて本当は必要ないです。神様から最高の番組を受け直している限りマイナスはないです。無限の無限のプラスばかりだったら、占いなんてまったく無用になります。
 だから大抵の占いって楽して良い事を手に入れたいというんでしょう。なんとかマイナスをすり抜けてプラスを手に入れたいという生き方です。だからプラスを受けるのは感謝して神様の最高表現を受け入れたら良いだけです。余計な事は要らないです。運命学にも色んな運命学って有りますが、やっぱり低いです。かなりマイナスに把われるって一面が多いですから、マイナスを相手にしたら。マイナスは持続します。波長が合ってその番組を選んでしまいます。だから全くのプラスだけを選ぶ方がいいです。だから本当に幸せになりたいんだったら、無限の無限の幸せが一杯という具合に幸せな言葉を使い続ける、それで番組を高い番組に合わせてしまえばいいんです。

 名前

質問
 名前の事ですが、生まれる前に名前を付けて・・・・・。名前に意味はあるんでしょうか。

=ありがとうございます=
 神様の名前は神様の働きを表わすように、人にもこの一生で例えば果たす、働き。使命を名前で表わす場合があるんです。ただその名前の付け方は色々です。神様が正しく付けてくれたら、この一生の働きをより分かりやすく付けてくれる名前になるかもしれない。でも人が勝手に自分の好きな名前を付けた場合、ちょっとずれる可能性があります。でも本当は本体の自分は無限の無限のプラスを持っていますので、どんな働きも出来る自分なんです、本当は。そういう立場から見ると言葉通り、なんでも力を発揮できる一面があります。どんな名前を付けても、その言葉通りの働きは出来るはずなんです。マイナスの言葉に把われたらマイナスの働きしか出来ないです。
 本当は名無しの権兵衛で、自由に色んな名前を持っている方が色んな自由に出来るかも知れないです。仮に一つの名前を決められても、余り名前に把われ過ぎないほうがいいです。良い名前は良い名前で良いですけど、他にも色んな働きが出来るんだって名前を百でも千でも持っている方が良いかもしれない。

 アラーの神

質問
 ありがとうございますは最高の神様なんだとして、向こうのアラーの神様はアイマン(?)なんだと聞いた事があるんですが。

=ありがとうございます=
 別に最高争いは要らないんですけど、ただ言霊的に言うと、ありがとうございますは神様の働きの全部を言霊で表現しているんで、神様の働きの全体を掴み易いです。でもアラーの神だと「あ」と「り」がある位の感じです。ほとんど残りの言霊の響きがないです。ちょっと掴みにくいです。分かり難いです。同じ最高の神様を指そうとしていてもありがとうございますの方が的確に指し示しています。

 オーム

質問
 ヨガでオームという言葉があるんですが、その言葉はどうなんでしょう。

=ありがとうございます=
 言霊的にオームと言うのは神様を降ろす降神の響きがある祈りなんです。だから神様を自分の中に降ろすためにオームで祈るのです。でもそれもちょっと足りない、少ないですよね。神様の全体像は指しにくいです。神様が降りてくるといっても何が降りてくるか、ピンからキリまで有ります。やっぱり波長の合う者を引き降ろすという感じです。

 空

質問
 空と言霊の関連性は。

=ありがとうございます=
 仏教で言う空という言葉は絶対なんです。だから「あ」の言霊で指し示すものが空です。だから空は何も無いのではなく無限の無限のプラスが一杯という、その奥の根元なんです。

―空とか無限は沈黙、音が無いというイメージがあるんですが―

 それは逆なんです。奥ほど躍動しているんです。スピードが速い、動きが速いです。密度が濃いです。

 聖地争い

質問
 パレスチナとかイスラエルとかで聖地争いが起こっていますが、祈る神様によってそういう事が起こるのでしょうか。

=ありがとうございます=
 それは過去を掴む人間の勝手な捉え方なんです。本当の聖地と言うのはお祈りする所が聖地なんです。過去に聖地であっても、お祈りしていなかったら聖地からどんどん遠ざかっていくのです。だから世界の中心、聖地というのはお祈りの一番深い所がその時代の聖地となるのです。世界の中心となるのです。それも変化するんです。逆に聖地争いで争っていたらマイナスが一杯積み重なるので聖地が聖地でなくなるくなるのです。人のマイナスの思いを瞬時に消してしまえる位の大きな光が降りた所が聖地です。そこへ行って争うようだったら、そこは聖地から遠ざかっています。

 反論

質問
 昔、高橋信次先生という方が居られて、ある本で霊界で、生前ある宗教団体を激しく批判していたのは間違いだったと反省していると聞きました。意見の違う団体に対し批判をすれば批判でしか返ってこないという事を、ある方に言われたのですが、人と意見が違った時は黙ってにっこりありがとうございますと言って反論しない方が良いのでしょうか。

=ありがとうございます=
 本当はそうですよね。最高番組を相手にする方が良いです。最高番組は番組お互いにその素晴らしさを認め合って、誉め合って、感謝し合って、喜び合う姿です。低い番組を相手にしていくらここは悪い、ここを直しなさいと責めても、批判しても、アドバイスしてもあまり役に立たないです。

 神の守り

質問
 高い番組ばかり相手にしていたら、低い番組の人は置きっぱなしで、その人達は気づくのを待つしかないのですか。

=ありがとうございます=
 いやいや、神様は一人一人をちゃんと守りに守っているんです。だから自分も低い番組に把われていた時から高い番組に心を向け出したというのも、神様の守りのお陰なんです。人から色々おせっかいしてもらったお陰では無いのです。本当の神様から大きい力を添えてもらって、他の全ての人も同じなんです。神様に高い番組に心が向く様引き戻してもらった。ちゃんと面倒見てくれるのです。その時のお手伝いはちょっと位させてくれるかもしれ無いです。だから心配は無いです。

―おせっかいはしない方が良いですか―

 お節介は要らないです。もし必要だったら向こうから連れていってとか教えてとか言ってもらうんです。逆に隠しておく位の方が、向こうが真剣さを出すかもしれない。本当に必要だったら、どうしても連れてってとか教えてとか真剣に頼んでくるでしょう。でもそういう真剣な心が起こった時は、先に神様が助けるよね。だからお節介は要らない。

 祈りの相乗効果

質問
 一人で祈り時と、例えば5人100人とみんなで祈り時の効果の違いは有るのでしょうか。

=ありがとうございます=
 あるんですね。お祈りは相乗効果を起こすって。1人の時は1ね、2人の時はニニンが4になる、3人だとサザンが9、9倍になる、それだけの効果がある。10人寄ったら100倍になる、10×10で100ね、本当はもっと大きいんです。この世の人だけのお祈りではない。あの世からも神様からも一緒にお祈りに参加してくれるんで、物凄い相乗効果を起こすんです。

―たくさん集まって祈り事は良い事でしょうか―

良い事です。良い事ですよね。

 ありがとうございますは神様

質問
 神様ありがとうございますは、神様ありがとうございますだから理屈は分かるんですが、ありがとうございますが神様だとすると神様神様と言っているのと同じで、ありがとうございますが神様で、普通の日本語ではありがとうございますは感謝ですから神様ありがとうございますは文法的には良く分かるのですが、ありがとうございますが神様だとすると神様神様と言っているのと同じなんですか。

=ありがとうございます=
 そうです。

―相手がいてお礼する、とかいう事ではなしに神様神様神様という事と同じなんですか。―

 同じ事です。だから神様と言う言葉は神様に心を向ける働きをするんです。それで神様と一体になるんです。ただその神様の神という言葉もありがとうございますと同じ意味を持っているんです。五つの大きい働きを全部指し示す言葉なんです。隠身(かくりみ)、仮凝身(かごりみ)、輝身(かがりみ)、駈身(かけりみ)、限身(かげりみ)の五つの働きはありがとうございますにあるのと同じなんです。だからありがとうございますと神様とは同じ意味です。だから神様神様でも良いんです。その深い意味がわかれば神様だけでありがとうございますと同じ意味になるのです。

 神様の特性

質問
 感謝が神様の一番の心だとしてありがとうございますとおっしゃっておられるんですが、他に美しいと感じる心も神の心だし平和もそうですが、色々ある中で感謝が一番だとおっしゃっておられるんでしょうか。

=ありがとうございます=
 いや、神様の働きはたくさんあります。神様の特性というのか、それ全部がありがとうございますの中にあるんです。感謝っていうのも、感謝っていえばありがとうございますの本来の意味から外れているんです。だから感謝も無限の無限の感謝もありがとうございますの中にあるんです。

―すると感謝も美しいも一番二番は無いということですか。―

 一番二番は無いです。どれを一番に持ってくるかはその時その時で自由にしたらいいと思うんです。ただ全体像の丁度ダイヤモンドのいろんな面がカットであるんですが、どの面を中心にもってくるかです。美しさを正面に持ってきたらバックにいろんな面がたくさん同時にあるんです。あくまで一体化しているんです。

―そうしますとありがとうございますを感謝と捉えれば、一面しか見ていないことになるんですか。―

 そうなりますね。それもさっきのありがとうございますと神様と同じなんですが、神様と言うと仏様を信じる人は使えないですよね。そういう意味だったら使えないです。

―そうしますと外人さんでもサンキュウでは無くありがとうございますって言うんですね。あくまでもありがとうございますとサンキュウは違うんだという事を明確にしてあげなければ駄目ですよね。―

 これは世界共通語ですよって。

 与える

質問
 言葉のイメージとしてはありがとうございますって言うと受け取るイメージが強く、与えるって感じが少ないですけど、深い意味ではそういうものも含まれているのですか。

=ありがとうございます=
 神様の全てを受けるのがありがとうございますですよね。受けたから与え切れるんです。もし、何も受けていなかったら自分は何も与えられないです。だから受けると同時に与えるんです。言ったら呼吸と同じね、吸ったら吐けるんです。

 知識

質問
 最高の番組を見るために精神世界の本や教えを学ぼうとするのですが、最高番組を見るためにはそうした知識は必要ないですか。

=ありがとうございます=
 だからお祈りとそういう知識、真理を知る事とどっちが力が有るか尊いかというと、一回のお祈りのほうが万巻の書を読んで万理の書を知る、万の理屈を知るよりも正しい大きい働きをする。ありがとうございますを積み重ねるほうが全てに勝るのです。ただありがとうございますに戻るまでは色んな本を読んで、あーこれは正しいんだという方向付けは必要かもしれません。でもお祈りによって本当の自分が中から輝き出て満たされて何でも分かる自分に変わってくるんです。
 だから知識って人の考え方でしょう。自分のものになっていないです。あの人はこういう考え方、あの本にはこう書いてあったって分かるだけで自分のものに納得して入っていないです。入らないです。本当に全てがわかる自分が出てきてこそ、なる程、あれは、こーだ、こーだと納得していけるので、色んな本を見ても、あーこれは間違っている、これは正しいって判断がつくんです。その全てを知る自分が出てこなければいけないんです。そいいう意味だったらありがとうございますって、唱えてる本当の自分、神なる自分を引き出した方が一番最短距離です。全てを知る生き方になるんです。

 give and give

質問
 商売のやり方として  give and take では無く、give and giveだと聞いたことがあるんですが、それはありがとうございますの心と同じですか。

=ありがとうございます
 同じですね。ありがとうございますは神様から無限の無限のプラスを受けるでしょう。必然的に恩返しせずにはおれない心になりますよね。恩返しは一切の報いを求めないです。だからgive and giveです。与えるばっかりというのが良いです。

 ありがとうございますシール

質問
 この部屋にも幾つかありがとうございますのステッカーが貼ってあります。先程、拍手や口笛のことでも心境の高い人がやれば強い光が出るとありましたが、同じように直筆であれば分かりやすいんですが、印刷やファックス等でも同じ効果が出るんでしょうか。

=ありがとうございます=
 これもどう受けるかって、その人の使う言葉通りなんです。全てに同じ力が有るって言えば全てに力が有るんです。でも比較してこっちに力がある、こっちはちょっと劣るんだって言えばその通りになるんです。これも言葉通りになるんです。そういう言葉通りの番組に自分を嵌め込んでしまうんです。でも元々は全てに神様の光が満ち渡って放射されているんです。このシールだけが光を放射しているのではないんです。この柱からも全部からも、又、光が迸り出ているとみる方が正しいんです。人間の身体を見ても全身の細胞が太陽の様な光を放射しているんだ、それ位にみた方がいいです..

 自己犠牲

質問
 自己犠牲って自分を犠牲にして人を救ったりする美しい話があるんですけど、自己犠牲ってどうなんかなと疑問に思うんですけど。

=ありがとうございます=
 犠牲って自分をマイナスに置いて駄目にするような感じを持つんかも知れないんですけど、本当の犠牲ってそうなんじゃないんです。神様の心を体する、神様の御心のままに自分の命を神様に捧げることです。自分の全てを神様に捧げ尽くす事が犠牲です。すると全てを生かすための大きい働きに使ってもらえるんです。だから人の身代わりになってなにかマイナスを背負っても、それを神様によって軽く消してもらって、人も自分も幸せを掴むわけでしょう。自分の幸せを人の幸せをも取り込む大きい幸せに変えてもらうだけです。それも楽に。だから犠牲っていうのはマイナスじゃないです。大きく得をする生き方って。だからキリスト教でイエス様が十字架に架かったとするでしょう。だけどイエス様からみると人類のマイナスを背負って大きく消す働きをさせてもらったって、それで大勢の人が幸せになったという、この大勢の人の幸せを自分の幸せに取り込んだんです。だから小さい幸せから大きい幸せを与えてもらった事になるんです。だから犠牲は大きい幸せを掴むためなんです。だからマイナスではないんです、本当の意味は。

 ありがとうございますと神道系

質問
 ありがとうございますについてもう少しお教えください。先生は神道系、生長の家とか白光真宏会、谷口雅春先生五井昌久先生もありがとうございますが同じような意味で神だと言われていたのですが、先生がふっと気が付かれた悟りの世界はもっと多くの意味をふくむのでしょうか?。

=ありがとうございます=

 そうなんですね。

―大本教は、ありがとうございますは神様と言う意味で使っていないのでしょうか。―

 そうですね。神様と言う意味で今まで使っていないですね。

―すると今、深く示されているわけなんですね。ありがとうございますは神様だよと言う意味で―

 そうですね。でもこれは私が言っているんではなく神様が言っているんです。

 それで神様がみんなの中に入って来て納得させているんでしょう。これが本当の神様だって


 願い

質問
 先生の家族は理想的な家族だって昨晩聞いたのですが、私今、新婚早々別居しているんですけど、例えば商売上でも自分に適性が無いとか、そういう自分の周りの現実とどう対処すればいいんでしょうか。ただもうありがとうございますと一日思っていればいいんでしょうか。

=ありがとうございます
 そうですね。だから全てを神様って拝むのがいいです。そしてありがとうございますを受けるって、その恩返しで、もう報いを求めずに与え尽くすだけが良いです。

―結果は求めないほうが良いですか―

 そうです。だから相手に幸せになるよう必要な物を与え尽くすだけが良いです。一切反応も何も求めずに、そして自分は周りから受ける物は全て神様の愛の表われという様に拝んでありがとうございますって受けて喜ぶんです。

―日常生活で、例えばこうしたいとか、この目標を実現したいとか、あんまりそういう事は考えない方が良い。―

 そうですね。それはマイナスを掴んでしまうんです。願いを出すというのは、願いが実現していない状態を掴むんです。マイナスを掴んでプラスに変えようとしているんです。それは求める心を生きているんです。求める心はどんどん番組を下げるんです。無い物はどんどん無くなる、取られてしまうんです。有る物はどんどん増えてくる。丁度、借金はどんどん利息がついて増えていくでしょう。貯金はどんどん利息が増えていくでしょう。どっちも利息がついていくんです。

―じゃー、無限の愛を得ようとすれば、例えば一生懸命お祈りしようという考え方も良くないのでしょうか。―

 だから。お祈りしようではなく、もう既にお祈りさせて頂いてありがとうございますって、これからするんでなくさせて頂いてってね、もう既に全てが与えられているっていう受け方が良いです。それが本当のプラスの受け方ですね。だから拝むっていうね、誉め称えて感謝して喜ぶのが良いですね。

 宇宙と一体

質問
 アイデンテイテイーをなくした方が良いですか、私は○○です、と言うより。

=ありがとうございます=
 だから自分を大きく見たほうが良いです。自分は神様と一体、宇宙そのもの全部なんだってね。全部自分の中に有るとみた方が一体感が有って感謝が深くなるんです。別個だったら、何ぼ良いものを貰ってもちょっとだけしか受けないです。全体を受け取ることは出来ないです。一体感があれば全体を受け取ることが出来る。だから大きくみる方が全部自分の中に入ってくる。全体を自分の物にしてしまった方が良いです。それが感謝を深める一つのポイントでも有るんです。だからみんなの幸せは自分の幸せと思うだけで、みんなを自分の中に取り込んでいる訳でしょう。だから感謝でも沢山の感謝が同時に出きるんです。ありがたいというんです。無限に人が無限の幸せを掴んだら、やっぱりそれは無限の無限幸せとして自分に戻ってくるんです。大きく全体を自分を見なければ出来ないです。
 本当の自分は神様の全てを受け直した自分だから、全体が自分だから、本当の自分は下から積み上げるんではなく、一番奥の本当の自分はこうなんだという天から舞い降りるような感じで受けなおした方が良いと思います。一番楽に出きるんです、そしたらね。それは言葉だけなんです。言葉の使い方で、天から舞い降りる自分に変わってきますよね。

 反日感情

質問
 いい物だけを見て過去を掴まないとの事ですが、反日感情の韓国とか中国との問題がありますが、それも歴史を振り返ったり、歴史を見る、そういう事に目を向けるよりも神様だけに目を向けているほうがいいのですか。

=ありがとうございます=
 いいですね。それはその方が良いです。神様の中に最高の幸せが一杯って姿を一瞬一瞬新しく与え続けてくる訳でしょう。それを過去の低い番組を掴んでどうのこうのしようと思っても、幸せなんか絶対掴めないです。本当の幸せは神様から一瞬一瞬新たに与えてもらう物の中に有るんです。過去の中には無いんです。それも低い番組の過去の姿の中には一切幸せはないです。だからそれを掴みに行ったって何の役にも立たない。マイナスでしかないです。

 ありがとうございますとニュース

質問
 テープで池田小事件の事を質問されているのを聞いたことがありますが、先生はまさか新聞やTVなどご覧になっておられないと思うんですが。

=ありがとうございます=
 見てますよ。

―本当ですか、ではもう終わってしまった。それで先生に情報が無いような事を質問される方が居られても、いかにも知っておられる様なんですが、それはその方のチャンネルをその瞬間ご覧になられるんですか。―

 それも色々です。

―もう一度お伺いしますが、テレビや新聞などご覧になっていますか。―

 時々見てます。見るのも目的が有るんです。ただ知るためではなくお祈りのために。

 祈り方

質問
 ありがとうございますは時間内に回数を多く言ったほうが良いのか、一つ一つ気持ちを込めてありがとうございますと言ったほうが良いのかどちらでしょうか。

=ありがとうございます=
 それは全部役に立つんです。

―早口で言った場合は―

 それもスピード化した事で密度が高くなるんです。次元が上がるんです。それで余計な言葉が絶対間に入らないです。中身が濃くなっていますよね。いろんな工夫で、いろんな唱えかたをすればいいんです。全部生きてきます。ただそればっかり続けることは無いです。絶対ね。

―ありがとうございますと唱えてる時でも色んな雑念が出てきて、まったく違ったことを考えている時が有るんですが。もっと集中できたらと。―

 それもどういう場に置かれるかによって、全部違うんです。雑念の無い世界に置かれたら楽に出来ます。雑念の塊の中に入ってすれば、やはり雑念はちらついてきますよね。それも良いんです。だから皆どういう場でありがとうございますを唱えさしてもらうか違うんです。今は雑念の塊の中で生きている、いわば雑念を消す大きい働きも兼ね備えたありがとうございますの練習です。

 蚊大菩薩

質問
 すべて存在するものは必要だから存在していると聞いた事があるんです。ゴキブリは家を不潔にしているから出てくると感じているんですが、蚊はどうして存在しているんですか。強すぎますよね。あれも血を吸わしたほうがいい場合があるんでしょうか。

=ありがとうございます=
 蚊が地球に一匹しかいないとすれば貴重品ですよね。大事に自分の血を吸わせても育てますよね。沢山いてるから困るんですけど、仮に血を吸われても血の気の多いときは吸ってもらって、でもみんなプラスに見直したら全部プラスの働きになるんですけど。例えば過去世に人殺しを一杯して、ナイフで突き刺してみんな殺したとすれば、感謝しているから蚊に吸われるだけで免除してあげようって、それは蚊大菩薩様ですよね。だからプラスに言葉を使って受けたら全部プラスに変化しますけどね。その内に業はなくなったから刺す必要は無いって、寄ってきても止まるだけで終わるかもしれない。
はい。ありがとうございます。

ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.80.81.82.
83
.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.