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ふることふみにようこそ! 人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。
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ふることふみ(古事記)
あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ
あめのやすのかはのかはかみのあめのかたしはをとり あめのかなやまのかねをとりて かぬち あまつまらを まぎて いしこりとめのみことにおほせて かがみをつくらしめ
取天安河之河上之天堅石 取天金山之鐵而 求鍜人天津麻羅而 科伊斯許理度賣命 令作鏡
天安河之河上:天(高天原)を無限循環している宇宙大生命の根源、即ち絶対の世界。
天堅石: 堅石(カタシイハの約)堅い岩石。特に、鉄を鍛える時の金敷の石。天(絶対)地(相対・表現)の天(絶対)の意味で、絶対の中から取り出した鏡製作に必要な道具。
天金山之鐵: 天(絶対)にある金(金剛不壊・金色に輝いた)山(無限の素晴らしい宝物)の中の鏡製作に必要な、堅固で・不変の素材。
求: 追い求める。捜し求める。
鍛人: 鍛冶(かじ)〔カネウチ・カヌチ(金打)の約転〕打物師(うちものし): 金属を打ち鍛えて種々の器物を作る人。鋳物師(いものし): 金属を溶融し、鋳型に流し込んで種々の器物を造る人。
天津麻羅: 円満完全な肉体(生物全般)の体構成の原型となるものを、鋳型を造って鋳物を製作するように、裏方として製作する任務を負っている神。天津日子根命(奇魂の陽根力は万有出生の根本力)の一変身のすがた。
科: 任務を背負わせる意味の、おっしゃる。
伊斯許理度賣命: 霊(精神)と体(肉体)との関係が、お互いに鏡に写った姿となるような、一体不離・霊肉調和の理想身を構成する役目の神。精神が凝り固まってそのまま肉体となって発現する意味の神名。柔和な心は柔和な人相となり、険悪な心は険悪な人相となる。羊の心性は羊の形態を伴い、虎の心性は虎の形態を伴う。天之菩卑命(国之常立神の表現神・寝魂神)の一変身のすがた。
鏡: カガリミの略称。天照大御神の万神万生万有統一の主体となる性相であり、大調和の心性・体相であり、理想身の根本基準となる性相である。無限の一切生物の心性・体相の根本基準となる雛型(模型)に当たるものである。生物は霊(心性)と肉(体相)との調和体である。その構成は無限無数無量の性相を宿した、一切を完備した理想の鏡なのである。
87-1
ここに たかあまはら ゆすりて いやほ よろづのかみ ともに わらふ
爾 高天原動而 八百萬神 共咲
動而(ゆすりて):六種震動(瑞動〉すること。無限の無限の歓喜が湧き上がって来て、手の舞い・足の踏むところを知らない位はその序曲に過ぎない、と言えるほどに、言葉では表現し難い・物凄い無限の無限の歓喜に打ち震える状態。み仏が説法する時に、大地が六種に震動して、喜びを表現するという瑞相。
六種震動(瑞動〉⇒
@動(一方に動くこと)
A起(揺れ起きること〉
B涌(涌出すること):地動の相
C覚(大声)
D震(轟き響くさま)
E吼(胞障:地動の声
F遍動
G遍起
H遍涌
I遍覚
J遍震K遍吼〔遍は四方に動くこと〕
L等遍動M等遍起N等遍涌O等遍覚P等遍震Q等遍吼〔等遍は八方に動くこと〕
共咲(ともにわらう):共にとは、一緒に・一つになって・同時に・全員が、という意味であります。咲(わら)うとは、花が内から自然に開かれるように、喜びが内から自然に湧き出て来て、その喜びが極に達した時の状態を指しているのであります。ア(天照大御神・無限の無限の歓喜)が、ハ(無限に)ハ(無限に)ハ(無限に)と、湧き出て来た極の姿が、アハハハという咲(わら)いなのであります。謹厳実直な神々が、裸踊りの狂態に、可笑しくって笑ったのでは無いのであります。そんな詰まらない物事で、八百万神全員を笑わせることなど不可能なのであります。
高天原(全大宇宙)が瑞動する(無限の無限の歓喜に打ち震える)ということは、八百万神が共に咲(わら)うということは、並大抵な・容易なことではないのであります。これは天照大御神(全徳の無限の無限の輝き・絶対神の最高表現)が、高天原に・八百万神に、大きく大きく顕現しているということであります。天宇受賣命一人が、幾ら熱狂的に踊ったからといっても、八百万神が仮に、その狂態に笑い転げたからといっても、高天原が瑞動するということは、決してあり得ないことであります。天照大御神(無限の無限の歓喜)が発動して、高天原を・八百万神を、内奥より大きく大きく揺り動かしているからなのであります。その天照大御神の発動を、大きく促す元になった要素の一つが、天宇受賣命の純真な無我の心であり、その無邪気な態度・振る舞いであるわけであります。今の一瞬一瞬を、無限の無限の喜び一杯に生きることが、天照大御神の発動を促すことになるのであります。過去の一切を放し去り・捨て去り・消し去って、自分も・自分のものも全部無くなったところに、純真な無我の心が・天照大御神の御心が新生して来るのであります。
94-1
ここに あまてらすおほみかみ あやし と おもほして あめのいはやどを ほそめにひらきて うちより
のりたまはく あれ こもりますによりて あまのはら おのづからくらく あしはらのなかつくに
も みなくらけむ と おもふを などて あめのうずめは あそぴし また やほよろづのかみもろもろ
わらふぞ すなはち あめのうずめ ながみこと に まして たふときかみ います
が ゆえに えらぎ あそぶ と まをす
於是天照大御神以爲怪 細開天石屋戸而 内告者 因吾隱坐而 以爲天原自闇 亦葦原中國皆闇矣 何由以天宇受賣者 爲樂 亦八百萬神諸咲 爾 天宇受賣 白言益汝命而 貴神 坐故 歓喜咲樂
怪(あやし):⇒霊妙不可思議な。(不思議なものに対して、心をひかれ、思わず感嘆の声を立てたい気持ちを言う)
細開天石屋戸而(あめのいわやどをほそめにひらきて):
⇒@地球の大噴火・大爆発によって、地上には太陽からの光線が全く届かない状態にあったのである。その惑乱が静まって、太陽の光線が地上に僅かながら到達するようになった状態を示す。A胎児の霊魂が母体内に宿り、十分に成長して、出産間際になって、産出口が開き始めた状態を示す。
内告者(うちよりのりたまわく):
⇒@地上に生命線を宿した後に、地球の大気圏外に出たのであるから、内とは太陽の側である。A霊魂を宿した母体(子宮)の外側が内に当たるのである。
因吾隱坐而 以爲天原自闇 亦葦原中國皆闇夷(あれこもりますによりて あまのはらおのづからくらく あしはらのなかつくにも みなくらけむ):
⇒@太陽の光線が全く届かなくなったのであるから、地上から眺める宇宙も、地上も暗闇の筈である。
A霊魂が前世の記憶の一切を忘却して母体に宿ったのであるから、手宮内中状態も心の状態も暗黒の筈である。
何由以天宇受賣者 爲樂 亦八百萬神諸咲(などて あめのうずめは あそぴし また やほよろづのかみもろもろ わらふぞ ):
⇒何故みんなが無心の無限の歓喜に打ち震え、無限の無限の幸せで一杯なのか?
益:溢れる。加える。プラスする。無限伸展する。
益汝命而 貴神坐故:@太陽の生命線が地上に宿されて、神々の種々様々な働きの結果、地上生物発生の母体となるものが完成したのである。即ち天照大御神の限身界ヘの物質化の基が完成したのである。天照大御神ご自身の無限伸展の成果が、限身界における地上生物の母体となる無限に貴い御子を生み出したからである。A母胎内にいる間に、神々の力によって、子は親そのものの姿を具備し、ある意味では親より貴いものとして、無限の祝福を受けて生まれ出るものだからである。
95-1
かく まをすあいだに あめのこやねのみこと ふとたまのみこと そのかがみを きしいでて あまてらすおほみかみにみせまつるときに あまてらすおほみかみ いよよあやし と おもほして やや とよりいでて のぞみますときに そのかくりたたする あめのたぢからをのかみ そのみてをとりてひきいだしまつる すなはち ふとたまのみこと しりくめなはを そのみしりへにひきわたして ここよりうちに なかへ いりましそとまをす かれ あまてらすおほみかみ いでまするときに たかあまはらも あしはらのなかつくにも おのづからてりあかる
如此言之間 天兒屋命布刀玉命 指出其鏡 示奉天照大御神之時 逾思奇而 稍自戸出而 臨坐之時 天照大御神 其所隱立之天手力男神 取其御手引出 即 布刀玉命 以尻久米縄 控度其御後方 白言從此以内不得還入 故 天照大御神 出坐之時 高天原及葦原中國 自得照明
其鏡:鏡を取り付けた御幣(みてぐら)全体。天照大御神を移写した御霊代御樋代、御神像。カケリミ神による、意義を本位とする、具体的な製作物としての鏡であり、御幣であって、カギリミに移写された表徴物としてのこの世の鏡や玉等の単純なものでは無いのである。従って天照大御神の一切の意義を表徴する、神秘な・荘厳な・尊厳な・宏遠な・高遠な・深遠な・妙々不可思議な・複雑な・具体的なものである。
臨坐:
@高い所から下を見下ろす。
A高貴なものがその場ヘ出向く。
B対面する。
C移写する。
D移入する。天照大御神が其鏡に移入するとき、其鏡は天照大御神そのものとなるのである。即ち幽界(闇の世界)に新たな天照大御神(無限の大光明)が誕生したことになるのである。それにより顕界幽界の両方に無限の大光明が輝き、顕幽両界が絶対統一されて、光一元に無限の無限の大光明燦然と輝き渡ることとなるのである。天手力男神は、産児出生の産婆役である。顕界の天照大御神を幽界へ引っ張り出し、その天照大御神を移入した新たな天照大御神を、幽界(闇の世界)から引っ張り出したということは、幽界が光一元に輝いて、大調和したということである。天照大御神は詞和の主体・当体であって、天照大御神の新たな誕生は、調和の復活であり、調和から大調和へ、大調和から一大調和への伸展である。地球という母体から、地上生物発生の基となる、具体的な生命体(天照大御神)が誕生したことも意味する。後述のように、その他種々様々な意義を秘めている。
尻久米縄:霊体二系を絢った、縄の尻(端)を組み合わせて、円環状にしたもの。天津金木の霊体二系の二柱組十六結の円輪配列を指している。その順律の点目数が七五三という順序になっているので、シメ(七五三)ナハとも言う。
96-1
この尻久米縄の霊体二系の二柱組十六結の円輪の内部が、黄泉國・幽界・暗黒界である。二柱組十六結の円輪配列が、葦原中國であり、中心核である。またそれは天照大御神の光明遍照相の八咫鏡の御尊容であり、外方発射円輪放線螺状配列の根底となる基準相なのである。そしてここから外方へ発射伸展した、天津金木三柱組六十四結の円輪放線配列、四柱組二百五十六結の円輪放線螺状配列等が高天原に当たるのである。尻久米縄を後方に引き渡して、その中へ入らないということは、幽界(暗黒界)が新たに誕生.した天照大御神(無限の大光明)によって光輝いたから、再び暗黒に閉ざされることは無いということである。即ち高天原(全大宇宙)全土が、顕幽両界が、天照大御神の光華によって一大統一され、光一元に無限の無限の大光明燦然と輝き渡ることになったということである。
天照大御神とは、宇宙絶対神の全徳の無限の無限の輝きなる最高の働きのことであり、その天照大御神の最高の働きによって生まれた、最高傑作である高天原及び葦原中國そのものなのである。本来天照大御神と高天原とは一体である。だから自得照明なのである。
天岩戸開きは、以下のような展開として受け取れる(あくまでごく一部であるが・・・・。)
@全大字宙が、顕幽両界が、絶対統一されて、光一元に大調和する話。
A天体諸星の神秘的な話。(ブラックホール・新星の誕生・星座・星の進化・等々)B地球上に生物が発生する話。地球の進化の話。
C母体内に宿った胎児が出産する話。D四季(春夏秋冬)の順運の話。
E一日(真夜中・夜明け前・夜明け・昼)の変化の話。
F人の本心開発の話。
G歴史上の治乱興亡等の変遷の話。
H大宇宙の大法が隠蔽されて暗黒時代となり、再び蘇って光明の時代となる話。
I一瞬一瞬新たに新生する、全徳の無限の無限の輝きなる天照大御神の話。
J礼拝・神楽・祈祷の三大根本祭祀の作法の話。
K彫刻・舞踊・音楽の神芸術の無限の美的表現の話。
L大宇宙の一切が、螺旋状に進化・向上し、プラスにプラスに変化する話。
M三種神器の御徳の顕示の話。
N菩薩行としての六種修行(静慮・禅定・慈悲・忍辱・勇猛・精進)の徹底の話。
96-2
つぎに たかあみうむすびのかみ つぎに まあかみうむすびのかみ
たかあまはらには タカアマハラ(順流)とラハマアカタ(逆流)とがある。
タカアマハラは宇宙構成の三大根本神力である。
タカア ハラ 遠心的発射螺旋状神力
タ アマハラ 求心的凝集螺旋状神力
カアマハラ 円融的交流螺旋状神力
ラハマアカタは相(形・容・姿・態)となる螺旋状波
ラハマアカ
ラハマア タ
ラハ カタ
たかあまはら(全大宇宙)には、神力と神相とが本来一体でありながら、相反する両面として働
いていて、「力」の作用で「相」が現れ、「相」の作用で{力」が種々に現れる。
この順逆二つの流れの結合によって、一切の万神万生万有が生み出される。
ミウムスビ(ミ ウム ムスビ)
二つの流れがお互いに結合し、新しいものを生み出してゆく根本創造の働きである。
一切の万神万生万有は在る(ある)のではなく、なる(成る・鳴る・生る)のである。成
るということは単なる存在ではなくて、生成である。生成とは一瞬一瞬 新生し、無限に
伸展することである。不断に無限の創造が続けられて、無限無量の個々性、種々相に活現
することである。
タカアマハラの順流をタカアで代表し、ムスビとカミを付けて、神力系統大祖神と仰ぐ。
「タカア ミムスビ ノカミ」 神力大祖神
タタア(父)系・かむろぎ(神漏岐)系・霊魂系〈霊系)
タカアマハラの逆流をマアカで代表し、ムスビとカミを付けて、神相系統大祖神(体系)
「マアカ ミムスビ ノカミ」 神相大祖神
Q
ママア(母)系・かむろび(神漏美)系・物質系(体系)
あめのみなかぬしのかみの父系(霊系)としての現れが「タカア ミムスビ ノカミ」である。
あめのみなかぬしのかみの母系(体系)としての現れが「マアカ ミムスビ ノカミ」である。
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あまてらすおほみかみ いみはたやにましまして かむみそおらしめたまふときに そのはたやのむねをうがちて あめのふちこまをさかはぎにはぎて おとしいるるときに あめのはたおりめ みおどろきて ひに ほとをつきて みうせぬ かれここに あまてらすおほみかみ みかしこみて
あめのいはやどをあけて さしこもりましましき
天照大御神 坐忌服屋而 令織神御衣時 穿其服屋之頂 逆剥天斑馬剥而 所堕入時 天服織女見驚而 於梭衝陰上而死 故於是 天照大御神見畏 開天石屋戸而 刺許母理坐也
忌服屋: 天地経綸の機織りの神業を意味する。天地(宇宙・世界)を縦糸と横糸の相対のすべてを織りなして、完壁な大調和の相象に治め整える神業そのものを意味し、天照大御神が忌服屋そのものに成りきっているのである。忌とは、畏敬の心で、差し控えて口にしないこと、また斎であり、最高荘厳の機織りのすがたは、真清浄・真無垢であることを意味している。
神御衣: 天地(宇宙・世界)は天照大御神の御衣であり、装いである。一瞬一瞬新たな御衣を織りなし、最高の装いを凝らしているのである。
天斑馬:種々の色彩で斑入りになっている、飛び跳ねる力の強い天馬に例えて、地球の内部の火熱が猛烈な勢いで噴き上がり、多量の土塊を含んだ大爆発・大噴火の状態を意味している。
逆剥剥(原文は旧字体):尾の方より逆に生剥に皮を剥ぐことであり、火熱の物凄い状態を表現しているのである。
梭: 機織りの際、横糸を通す操作に用いるもの。驚天動地の大噴火・大爆発に、天地経綸の機織りの働きが妨げられて、中断したことを、梭に陰(新たなるものを生み出す場所)を衝いて、死んだ、という表現をとっている。太陽と地球の間には、無数の糸(霊線)による天地経綸の機織りが成されていたのである
が、そこへ大噴火・大爆発〔この時に地球は23.5度傾いた〕が加わって、太陽からの霊線は断絶され、地上には全く太陽からの光線も熱線も到達しない状態に陥ったわけである。しかしこの惑乱の時に既に、生命の種子は地上に降ろされているのであって、大爆発によって地軸の傾斜したことも深遠な意義を持ち、地球の進化が神の御心のままに計画通りに運ばれてゆくことになるのである。天石屋とは、絶対の境界を意味する。深い深い絶対の祈りの境地に立つことが、開天石屋戸而 刺許母理坐也 ということである。
82-1
あめのみなかぬしのかみ が たかあまはら と なり(成り鳴り生り)あめつち(天地)がはじめおこる(初発する)
たかあまはら という 容相(成り)音声(鳴り)生命(生り)になる。
あめのみなかぬしのかみ(隠身絶対実在)の現象表現をたかあまはら と云う。
あめのみなかぬしのかみ(実在)即ちたかあまはら(現象)たかあまはら即ちあめのみなかぬしのかみ
あめのみなかぬしのかみがすべてのすべて。あめのみなかぬしのかみの他には何ものも存在しないのである。
あめのみなかぬしのかみが唯一無二の実在であり、唯一無二の現象である。
一神 即 万生 万有。 万神 万生 万有 即 一神。
たかあまはら(順流無形の神力)
1、たかあ 中心より外に向かって発射し進展する働き(発射神力)
2、た あま 外から中心に向かって凝集する (凝集神力)
3、 かあま 円融無碍に交流する (交流神力)
4、 はら 螺旋状に転回する (螺転神力)
らはまあかた(逆流有形の形状)
1、らは 螺旋状の波の形状
2、 まあか 全 大 多 勝 の形状
3、 まあ た 股 支 分 部 枝 等の形状
4、 かた 片 半 等の形状
かみ とは、かくりみ(絶対神)かごりみ(仮凝身)かがりみ(耀身)かけりみ(駆身)かぎりみ(限身)の5つのことばをつづめたものであって、その1つ又は全体」を指して云う。