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ふることふみにようこそ! カウンター人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。

ふることふみ(古事記)

あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ


 常夜往(暗黒の世界が続く)には、種々の意味があるのである。

@地球の上面に太陽からの生命線が宿った状態、つまり地上に生物を生み出すために、地球が生命の種子を宿して、生物が誕生するまでの妊娠状態を意味する。

A人体についての、胎児の霊魂が母体内に宿り、出産するまでの妊娠期間の状態。霊魂が母の胎内に入るということは、前世の一切を忘却して、暗黒の世界に入ることである。人間が前世を忘却して、新たなる生の覚醒を得るということは、今を大事に最高に生きるようになる為の必要な配剤でもある。

B 歴史的に見るときの、世界や国の暗黒時代の状態。霊主体従は調和をもたらすが、体主霊従からは世の乱れを生ずる。肉系横暴(利己的な生き方)の結果として必然的に生ずる、暗く乱れきった状態。

C人間が個人的に業想念を積み重ね、この世において、またあの世において、地獄に落ち入った状態。

D人間が本心を覆い隠し、業想念の奴隷となった状態。

E正しい教法が隠蔽されて、間違った教法がはびこっている状態。

F一切を無にして、創造の始源に帰ること。

G初心に帰ること、マイナス無限大(地獄のどん底)の立場に立つこと。

Hハンディキャップを背負い、困難に自分から挑戦して、全力発揮・全活躍の立場に立つこと。

I植物の種子が土中に蒔かれ、発芽するまでの状態。発芽後は根を張りめぐらしては、暗黒世界(土中)を開拓し、枝葉を伸ばしては、光明世界(地上)を開拓する。

83-2

 ここをもて やほよろづのかみ あめのやすのかはらに かむつどひつどひて たかあみうむすびのかみ の みこ  おもひかねのかみにむもはしめて

是以 八百萬神 於天安之河原 神集集而 高御産巣日神之子 思金神令思而

 八百萬神: 天照大御神の分身(一つのものから分かれ出た。一つのものの各部分。)を八百萬神(イヤホヨロヅノカミ)(細かく分けてゆくと、イヤ増しに増す数の神。一つのものを百に分ければ百が、千に分ければ千が、万に分ければ万が、無限に分ければ無限が、イヤホヨロヅである。)と言う。

 天安之河原: 天・高天原・全大宇宙を貫流している生命(平安)の大河を目の当たりに出来る広場、即ち深い祈りの境地を指す。天照大御神が絶対統一の深い祈りに入れば、必然分身である八百萬神も深い祈りの境地に入らんとするのは自然なことである。太陽対地球の上の行事と見る時は、生命の流れ・太陽と地球の間の気の流れを調節する天上の安穏な場所、即ち月を意味する。地上の人間界の行事と見る時は、祈りに満ちた聖地を指す。全人類の代表として集まり、深い祈りの中から叡智を結集し、世の混乱を静めてゆく。

 神集集而: 天照大御神の分身である八百萬神は、内流の導きのままに天安之河原へ必然に集まり、必然に行事するのである。誰かが八百萬神を一か所に招集するというようなことは必要ないのである。

 思金神: 天照大御神の分身である八百萬神を、霊智(深謀遠慮・鎮魂帰神・叡智)方面において総括する神。天照大御神の霊智の発現神。天照大御神の分身である八百萬神は、小分別すれば無限神(無限の働き)に分かれるが、大分別すれば代表的な僅かな神(色々の働き・属性・種目等を総括する代表神)に分かれる。人問の肉体を例えにして見ると、全身の60兆の細胞が八百萬神(無限神)てある。その中の知恵の働きをする脳細胞等を総括するのが思金神である。全身は一つの心で統一されているから、八百萬神と思金神とは同心異体であって、全体(八百萬神)の知恵は思金神に湧き出て来るのである。八百萬神が深く祈れば、必然的に思金神に霊智が輝き衆議一決するのである。これが神議りに議る、神の議決なのである。神権政治のお手本なのである。絶対より受け直した霊智方面の代表神であるから、高御産巣日神之子である。




85-1


















常夜往(暗黒の世界が続く)には、種々の意味があるのである。

@地球の上面に太陽からの生命線が宿った状態、つまり地上に生物を生み出すために、地球が生命の種子を宿して、生物が誕生するまでの妊娠状態を意味する。

A人体についての、胎児の霊魂が母体内に宿り、出産するまでの妊娠期間の状態。霊魂が母の胎内に入るということは、前世の一切を忘却して、暗黒の世界に入ることである。人間が前世を忘却して、新たなる生の覚醒を得るということは、今を大事に最高に生きるようになる為の必要な配剤でもある。

B 歴史的に見るときの、世界や国の暗黒時代の状態。霊主体従は調和をもたらすが、体主霊従からは世の乱れを生ずる。肉系横暴(利己的な生き方)の結果として必然的に生ずる、暗く乱れきった状態。

C人間が個人的に業想念を積み重ね、この世において、またあの世において、地獄に落ち入った状態。

D人間が本心を覆い隠し、業想念の奴隷となった状態。

E正しい教法が隠蔽されて、間違った教法がはびこっている状態。

F一切を無にして、創造の始源に帰ること。

G初心に帰ること、マイナス無限大(地獄のどん底)の立場に立つこと。

Hハンディキャップを背負い、困難に自分から挑戦して、全力発揮・全活躍の立場に立つこと。

I植物の種子が土中に蒔かれ、発芽するまでの状態。発芽後は根を張りめぐらしては、暗黒世界(土中)を開拓し、枝葉を伸ばしては、光明世界(地上)を開拓する。

83-2
 ここに よろづのかみのおとなひは さばへなす みなわき
よろづのわぎはひことごとくおこる

 於是 萬神之聲者 狹蝿那須皆滿 萬 妖 悉 發

 狹蝿(さばへ): 五月蝿(陰暦五月頃の群がり騒ぐ蝿。)梅雨時の群がり騒ぎ飛び回る蝿の状態は、ブンブンブンブンとうるさくこの上なく騒がしいものである。またその乱れ飛ぶ様は秩序の全く無い自分勝手なしたい放題の姿である。指揮者によって統一された一大交響楽は美しく調和したものであるが、指揮者が居なくなって、各々が酔っぱらって、自分勝手に練習を始めたとしたら、騒がしくて聴いておれない状態になるに違いない。統一神の天照大御神が居なくなって、一切万事が無秩序の大乱調の状態になっているわけである。

 皆滿(みなわき): 蝿が地面の至る所から涌き出て来て、襲来してくる状態を指している。騒がしいというのは、マイナスの言葉が乱れ飛ぶ状態のことである。マイナスの身・口・意(行い・言葉・思い)が幽界(暗黒界)(地上)を占領しているだけではなく、顕界(光明界)(天)にまで襲来して来ようとしている物凄い状態を意味しているのである。

 萬神: 顕界に正神の八百万神があれば、幽界には邪神の八百万神が居るのである。ここは邪神の八百万神を指している。悪魔・妖怪・化け物・魑魅魍魎・等々の悪神邪神としての表現の一切を指し示している。

聲(おとなひ):音(オト)(言葉・思い)・行い(おこナヒ)である。

 萬妖悉發: 幽界の一切の悪神邪神が現れ、跳梁(飛び跳ねて我が物顔にのさばること)・跋扈(大魚が竹やなを躍り超えるように、思うままにふるまうこと)すること。地上に地獄を建設して、万妖が歓喜している状態でもある。

 太陽の生命線が地中に潜入して、地球が妊娠状態にあるわけである。その間には地球に悪阻(つわり)状態(母体と胎児との波動調整〉も起こり得るのである。それが種々様々の猛烈な惨劇となって現れているのである。このことは限身を生み出すために、どれだけの困難を乗り越えて来たかを物語るものであって、地球上の一切の生物は、その理由だけから見ても無限に尊いものなのである。

84-1

ここをもて やほよろづのかみ あめのやすのかはらに かむつどひつどひて たかあみうむすびのかみ の みこ  おもひかねのかみにむもはしめて

是以 八百萬神 於天安之河原 神集集而 高御産巣日神之子 思金神令思而

 八百萬神: 天照大御神の分身(一つのものから分かれ出た。一つのものの各部分。)を八百萬神(イヤホヨロヅノカミ)(細かく分けてゆくと、イヤ増しに増す数の神。一つのものを百に分ければ百が、千に分ければ千が、万に分ければ万が、無限に分ければ無限が、イヤホヨロヅである。)と言う。

 天安之河原: 天・高天原・全大宇宙を貫流している生命(平安)の大河を目の当たりに出来る広場、即ち深い祈りの境地を指す。天照大御神が絶対統一の深い祈りに入れば、必然分身である八百萬神も深い祈りの境地に入らんとするのは自然なことである。太陽対地球の上の行事と見る時は、生命の流れ・太陽と地球の間の気の流れを調節する天上の安穏な場所、即ち月を意味する。地上の人間界の行事と見る時は、祈りに満ちた聖地を指す。全人類の代表として集まり、深い祈りの中から叡智を結集し、世の混乱を静めてゆく。

 神集集而: 天照大御神の分身である八百萬神は、内流の導きのままに天安之河原へ必然に集まり、必然に行事するのである。誰かが八百萬神を一か所に招集するというようなことは必要ないのである。

 思金神: 天照大御神の分身である八百萬神を、霊智(深謀遠慮・鎮魂帰神・叡智)方面において総括する神。天照大御神の霊智の発現神。天照大御神の分身である八百萬神は、小分別すれば無限神(無限の働き)に分かれるが、大分別すれば代表的な僅かな神(色々の働き・属性・種目等を総括する代表神)に分かれる。人問の肉体を例えにして見ると、全身の60兆の細胞が八百萬神(無限神)てある。その中の知恵の働きをする脳細胞等を総括するのが思金神である。全身は一つの心で統一されているから、八百萬神と思金神とは同心異体であって、全体(八百萬神)の知恵は思金神に湧き出て来るのである。八百萬神が深く祈れば、必然的に思金神に霊智が輝き衆議一決するのである。これが神議りに議る、神の議決なのである。神権政治のお手本なのである。絶対より受け直した霊智方面の代表神であるから、高御産巣日神之子である。




85-1
とこよのながなきとりをつどへて なかしめて

集常世長鳴鳥 令鳴而

 常世: 永遠不滅・永久不変・常住不滅・常住不変・常住不断の絶対世界。常楽我浄の極楽世界。

 長鳴鳥: 長とは、長く・永く・永遠に、時間的・空間的の一切に行き渡り・満ち渡り、最高の権威・威力を保持し続けるもの。鳴とは、尊厳無比・調和無限・歓喜無量の言霊の鳴り響く、永遠の真祈りであり、神聖神楽であり、宇宙の一大交響楽である。鳥とは、天空を自由自在に飛翔するもの、高所から全体を見渡せるものという意味から、宇宙を自由自在に翔け巡って働くことの出来る高級神霊のことであり、一瞬一瞬新たに絶対より現れては絶対に戻る(天地間を昇り降りする)・全相を把握して自由自在に必要な働きをする本心の心のことである。鳥は必要な所へ群がるように多く集まることから、真実の祈りのある所には、高級神霊が大挙して集まり、救世の大光明となって働くという意味もある。

 集: 神格の内流に導かれて、自然に必要な所に集まることである。

 令鳴而: 真実の祈りを祈らせることである。真実の祈りとは、神さまの全徳が無限の無限の大光明燦然と輝いている姿を言葉に換えて、24時間プラスアルファー、一心に祈り続けることである。

 マイナスの言葉を積み重ね過ぎた為に、必然に暗黒の世界が地獄が到来したのである。そのマイナスの言葉を消し去って、プラスの言葉で一杯にしなければ、光明の世界は極楽はやって来ないのである。その為には最高の権威・威力のある祈り言葉を駆使しなければならないのである。マイナスの言葉を使えば使うほど、ますます闇は深くなり、プラスの書葉を使えば使うほど、夜明けが近くなってくるのである。マイナスの言葉を・暗黒の世界を消し去るだけでは無く、更にプラス無限大の大光明楽土を招来するために、最高最大のプラスの言葉を駆使し続けてゆかなければならないのである。

86-1

あめのやすのかはのかはかみのあめのかたしはをとり あめのかなやまのかねをとりて かぬち あまつまらを まぎて いしこりとめのみことにおほせて かがみをつくらしめ

取天安河之河上之天堅石 取天金山之鐵而 求鍜人天津麻羅而 科伊斯許理度賣命 令作鏡

 天安河之河上:天(高天原)を無限循環している宇宙大生命の根源、即ち絶対の世界。

 天堅石: 堅石(カタシイハの約)堅い岩石。特に、鉄を鍛える時の金敷の石。天(絶対)地(相対・表現)の天(絶対)の意味で、絶対の中から取り出した鏡製作に必要な道具。

 天金山之鐵: 天(絶対)にある金(金剛不壊・金色に輝いた)山(無限の素晴らしい宝物)の中の鏡製作に必要な、堅固で・不変の素材。

 求: 追い求める。捜し求める。

 鍛人: 鍛冶(かじ)〔カネウチ・カヌチ(金打)の約転〕打物師(うちものし): 金属を打ち鍛えて種々の器物を作る人。鋳物師(いものし): 金属を溶融し、鋳型に流し込んで種々の器物を造る人。

 天津麻羅: 円満完全な肉体(生物全般)の体構成の原型となるものを、鋳型を造って鋳物を製作するように、裏方として製作する任務を負っている神。天津日子根命(奇魂の陽根力は万有出生の根本力)の一変身のすがた。

 科: 任務を背負わせる意味の、おっしゃる。

 伊斯許理度賣命: 霊(精神)と体(肉体)との関係が、お互いに鏡に写った姿となるような、一体不離・霊肉調和の理想身を構成する役目の神。精神が凝り固まってそのまま肉体となって発現する意味の神名。柔和な心は柔和な人相となり、険悪な心は険悪な人相となる。羊の心性は羊の形態を伴い、虎の心性は虎の形態を伴う。天之菩卑命(国之常立神の表現神・寝魂神)の一変身のすがた。

 鏡: カガリミの略称。天照大御神の万神万生万有統一の主体となる性相であり、大調和の心性・体相であり、理想身の根本基準となる性相である。無限の一切生物の心性・体相の根本基準となる雛型(模型)に当たるものである。生物は霊(心性)と肉(体相)との調和体である。その構成は無限無数無量の性相を宿した、一切を完備した理想の鏡なのである。

87-1

たまのやのみことにおほせて いやさかあの まあかたあまの いほつの みすまるのたまを つくらしめて

科玉祖命 令作八尺勾瑰之五百津之御須麻流之珠而

玉祖命: 一切の生命(たま)・魂(たま)・身体(たま)造りの任を担う神。玉の祖(おや)。天之菩卑命(国之常立神の表現神・寝魂神)の一変身のすがた。

 八尺勾瑰(原文は異体字)之五百津之御須麻流之珠: 八尺(いやさかあ)は、いよいよ益々栄えに栄えて、無限に伸展し拡大する意義・絶対の中心・生命の大本・一切の本源から、時間的・空間的に全方面へ、無限に伸展し拡大しつつ、無限無数無量に枝分かれし拡大して、なおかつそれらのすべてを、万神万生万有の一切を一大包容し、通貫している意義。勾瑰〈まあかたあま)は、三世十方(すべての時間すべての空間)に普遍し・満ち渡っている、全大多勝・完全無欠・全備具足の完壁な生命の珠玉・このマアカはマアカ(全、大、多、勝の形状〉・マタ(股、支、分、部・枝等の形状)・カタ(片、半等の形状)のすべての相を備えたところのマアカなのである。タアマはタカアマハラ三大根本神力の一つであるタアマハラのタアマである・即ち求心的凝集螺旋状神力の摂取堅縛の金剛力である。更にその神力によって生み出された生命の緒(たまのお)の生命(たま)であり、魂(たましいのたま)であり、身体(からたまのたま)である。五百(いほ)は、数の非常に多いこと、無限無数無量の義。津(つ)は、数詞の下に添えて数を表す語。一つ二つ・御須麻流(みすまる)は、御(み)は尊敬の意を表す接頭語。「すまる」は、「すばる(統る)・すばまる」「すめる(統る)・すめある」沢山のものが集まって、統一された大調和の相になっている義。三世十方の無限無数無量の珠玉が、玉之緒(たまのお)・生命に貫かれて一大連珠となり、網の目のように全方向に拡がって一大調和の相となっているのである。珠(たま)は、美しいもの・立派なもの・貴重なもの・円満完全なもの等の意味から・無限無数無量の万神万生万有それ自体の生命・魂・身体の全てを意味している。鏡と珠とは本来一体のものの二面であって、鏡玉一如の性相として見ることが出来る。

88−1

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あめのみなかぬしのかみ が たかあまはら と なり(成り鳴り生り)あめつち(天地)がはじめおこる(初発する)

                   たかあまはら という 容相(成り)音声(鳴り)生命(生り)になる。

あめのみなかぬしのかみ(隠身絶対実在)の現象表現をたかあまはら と云う。
あめのみなかぬしのかみ(実在)即ちたかあまはら(現象)たかあまはら即ちあめのみなかぬしのかみ
あめのみなかぬしのかみがすべてのすべて。あめのみなかぬしのかみの他には何ものも存在しないのである。
あめのみなかぬしのかみが唯一無二の実在であり、唯一無二の現象である。
一神 即 万生 万有。  万神 万生 万有 即 一神。 
  たかあまはら(順流無形の神力)

1、たかあ     中心より外に向かって発射し進展する働き(発射神力)

2、た あま    外から中心に向かって凝集する       (凝集神力) 

3、 かあま    円融無碍に交流する             (交流神力) 

4、     はら  螺旋状に転回する              (螺転神力)

  らはまあかた(逆流有形の形状)

1、らは      螺旋状の波の形状

2、  まあか   全 大 多 勝 の形状

3、  まあ た  股 支 分 部 枝 等の形状

4、     かた  片 半 等の形状 

かみ とは、かくりみ(絶対神)かごりみ(仮凝身)かがりみ(耀身)かけりみ(駆身)かぎりみ(限身)の5つのことばをつづめたものであって、その1つ又は全体」を指して云う。



つぎに たかあみうむすびのかみ  つぎに  まあかみうむすびのかみ


たかあまはらには タカアマハラ(順流)とラハマアカタ(逆流)とがある。

  タカアマハラは宇宙構成の三大根本神力である。

  タカア ハラ      遠心的発射螺旋状神力

  タ アマハラ      求心的凝集螺旋状神力

   カアマハラ      円融的交流螺旋状神力

  ラハマアカタは相(形・容・姿・態)となる螺旋状波

  ラハマアカ

  ラハマア タ

  ラハ   カタ


たかあまはら(全大宇宙)には、神力と神相とが本来一体でありながら、相反する両面として働
いていて、「力」の作用で「相」が現れ、「相」の作用で{力」が種々に現れる。
この順逆二つの流れの結合によって、一切の万神万生万有が生み出される。

ミウムスビ(ミ  ウム  ムスビ)
二つの流れがお互いに結合し、新しいものを生み出してゆく根本創造の働きである。
一切の万神万生万有は在る(ある)のではなく、なる(成る・鳴る・生る)のである。成
るということは単なる存在ではなくて、生成である。生成とは一瞬一瞬 新生し、無限に
伸展することである。不断に無限の創造が続けられて、無限無量の個々性、種々相に活現
することである。


タカアマハラの順流をタカアで代表し、ムスビとカミを付けて、神力系統大祖神と仰ぐ。

「タカア  ミムスビ  ノカミ」   神力大祖神

                    タタア(父)系・かむろぎ(神漏岐)系・霊魂系〈霊系)

タカアマハラの逆流をマアカで代表し、ムスビとカミを付けて、神相系統大祖神(体系)

「マアカ  ミムスビ  ノカミ」   神相大祖神
Q
                     ママア(母)系・かむろび(神漏美)系・物質系(体系)

あめのみなかぬしのかみの父系(霊系)としての現れが「タカア ミムスビ ノカミ」である。

あめのみなかぬしのかみの母系(体系)としての現れが「マアカ ミムスビ ノカミ」である。