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ふることふみにようこそ! カウンター人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。

ふることふみ(古事記)

あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ

すでに くにうみ をへて さらに かみ を うみます
既生國竟更生神


 國と神とは本来一体のものでありまして岐美二神の國生みということも、一面には神の出現であって、国土名に対応して常に神名が伴っているのであります。國を生むことは、即ち神を生むことであり、神を生むことは、即ち國を生むことであります。國と神とは全く一つのものであって区別は無いのでありますが、構成(物質)を本位として見るときが國で、作用(働き)(霊)を本位として見るときが神であると言えるのであります。

 既に国を生み竟えて、という意味は、高天原内部の組織紋理すなわち国土構成の根本基準は大八嶋によってすべてを完全に尽くしているわけでありますから、大八嶋の出現によって国土構成に関するすべては完備したということであります、つまり国土構成の全概念を既に示したということであります。岐美二神の創造は、一瞬一瞬新たなる創造が永遠に続いて、終局は永遠に無いのでありますから、竟えるというのも、既に国を生み終えたからこれ以上新たに生む国が無いとか、生まれた国が永久に変化せずに存在するから国生みは終わりでありますというような、この世的な終わりという意義ではないのであります。

 天津金木の二柱組の大八嶋構成は構成上の根本基準であります。三柱組以上の 結合 ・配列・ 変化 は、神律に基づいた二柱組の必然の 伸展・ 延長・ 進路であって、だんだんと複雑化してゆくにつれて、永遠に新鮮な創造神業の無限の妙諦を顕示してゆくことになるのであります。
 岐美二神の創造神業は神律に応じて永遠に変化し続けるものでありますから、國生み竟へと同時に、神律に従って直ちに、三柱組の構成の64神の出身、更に神を生むというように発展的に進むのは当然のことなのであります。

 岐美二神の絶対創造は、円融無碍自在な、霊と体とのミ ウ ムスビであります。時間にも空間にも決して縛られることなく、永遠に新しい創造のための応変が自由自在に円融無碍になされるのであります。 無常 ・絶対の無常 こそが、どこを捜しても同じものは何一つとして無く、同じことの操り返しは永遠に無い、岐美二神の絶対創造の凄さなのであります。

27-1

かれ うみませる かみの みなは おほことおしをのかみ
故生神名          大事忍男神

大事:あらゆる時(すべての時間)・あらゆる所(すべての空間)・あらゆる場合に於いて、一切万事の上に行き届き、行き渡り、的確に行われるという意義。
大事は大言であって、一切の言霊の威力を保持し、統括するものであり、その大音声は高天原(全大宇宙)に満ち渡っているものであるという義。
天津金木の一切を・変化のあらゆる方式を悉く保有しているという義。

忍:推理・推測・推察・推論・推敲・推知・推断・推進・・・等の推の義を保つ。

男:その力が非常に強大であり、豪勢であり、強勢でり、剛勇であるという義。

岐美二神の創造は、実に秩序正しく理路整然と行われているものであります。だからこそ完璧無比の創造となるわけであります。神の完整なる叡知の中には、未来永劫永遠にわたる無限創造の'計画が既にあるのであります。神の叡知によって推理し、推知し、推断してゆけば、神の創造の前途は明らかになって見えてくるわけなのであります。何事も前途に光明が輝いて明らかに見えるということは、勇気をもって断断固として推し進めてゆけるということであります。その逆に前途が闇で全く見えないとすれば、一歩前進するにも手探りの状態で、何事も成すことはできないのであります。
 大事忍男神 我にあり! 我 大事忍男神なり! の自覚を持てば、正しく推理し、推知;し、推断できるのであり、その通りに、神の創造は推し進められてゆくわけなのでありますから、神の創造神業に参画しているという大きな喜びがあるのであります。また神の創造を感謝の心で受けるにしても、次に何を与えられるかを予測することができれば、それを的確に受け止めて、十二分に味わい尽くすことができるのであります。次に神から与えられるものを予測するということは、心が過去に囚われるのを防ぐことにもなり、”今”の一瞬一瞬を、宇宙のすべては神の愛の現れである! と感謝を深めて受けやすくなり、最高最善の生き方にすることができるものなのであります。またいかなる難問題でも、その解決の糸口が見えさえすれば、楽しむことができるのでありますから、大事忍男神と一体化することが大事なのであります。
28-1

つぎに いはつちびこのかみをうみまし
次生石上昆古神
つぎに いはすひめのかみをうみまし
次生石巣比賣神
つぎの おほとびわけのかみをうみまし
次生大戸日別神
つぎの あめのふきをのかみをうみまし
次生天之次男神
つぎに おほやびこのかみうぃうみまし
次生大屋昆古神
つぎに かざげつわけのおしをのかみをうみまし
次生風木津別之忍男神
つぎに わだのかみ みなは おほわだつみのかみをうみまし
次生海神 名 大綿津見神
つぎに みなとのかみ みなは はやあきつひこのかみ 
次生水戸神 名 速秋津日子神
つぎに いもはやあきつひめのかみをうみたまふ
次  妹遠秋津比賣神


天象 (上の天) 天之次男神   〔−−−−−−、妹−−−−−−〕→8神
天象 (上の火) 大戸日別神   〔−−−−−−、妹−−−−−−〕→8神
水象 (上の水) 水戸神     〔速秋津日子神、妹速秋津比賣神〕→8神
地象 (上の地) 石土昆古神   〔−−−−−−、妹−−−−−−〕→8神
山家 (下の地) 石巣比賣神   〔−−−−−−、妹−−−−−−〕→8神
海象 (下の水) 海神        〔大綿津見神 、妹−−−−−−〕→8神
雷象 (下の火) 大屋昆古神   〔−−−−−−、妹−−−−−−〕→8神
風象 (下の天) 風木津別之忍男神〔−−−−−−、妹−−−−−−〕→8神
        計8神          計16神         計64神

29一1

この はやあきつひこ はやあきつひめ ふたはしらのかみ 
此  遠秋津日子   速秋津比賣   二神 
かばうみによりて もちわけてうみませるかみのみなは
因河海      持別而生神名
あわなぎのかみ つぎに あわなみのかみ つぎに つらなぎのかみ 
沫那藝神    次   沫那美神    次   頬那藝神    
つぎに つらなみのかみ
次   頬那美神
つぎに あめのみくまりのかみ つぎに くにのみくまりのかみ 
次   天之水分神      次   國之水分神
つぎの あめのくひざもちのかみ つぎに くにのくひざもちのかみ
次   天之久比奢母智神    次   國之久比奢母智神


水の神の霊
     遠秋津日子神(下へ下へ降らんとする神性)
水戸神 {
     遠秋津比實神(上へ上へ昇らんとする神性)

《水の神の全神性を八大分類》

沫那藝神       →沫を立てつつ怒号する狂乱怒竈の状態(沫鳴き:怒号)
       }水の動乱する量も強烈な状態
沫那美神       →沫は逆立っているが、音の立たない波濤の状態

頬那藝神       →沫立っていないが、音を発して強く動揺する波浪の状態
       }水の動揺の柔和な状態
頬那美神       →沫も立てず、音も発しないが、強く動揺する波浪の状態

天之水分神      →天上の雲のゆったりと動いている状態
        }最も普通に見る水の動静状態
國之水分神      →大小河川の流動的な水の状態

天之久比奢母智神   →天上の雲の動かない状態
            }殆ど静止している水の状態
國之久比奢母智神   →地上の湖沼池などの水の静止している状態

30-1

水の神

 水戸神

 遠秋津日子神、遠秋津比賣神の二神力は、全大宇宙に行われている、絶大なる液体性の循環する性相であって、単に水の作用を指しているのではない。水の循環・血液の循環・宇宙の循環・生命の循環・天上の雲の流れ(竜巻のような狂乱状態、雨雲の状態、等々)・精神面の種々の変化(カッカしている狂る。状態、血潮の沸きたぎる状態、落ち着いた心の状態、等々)・思潮(思想の流れ)・経済の流れ・政治の動き・社会上の色々な動き・生物の体内の動き・等々は、この二神の性相(神性・神相)である。
 二神の性相を水を例にとって見てみると、遠秋津日子神は下へ下へ降ろうとする水の働きであり、遠秋津比賣神は上へ上へ昇らんとする水の働きである。上の水と下の水が合致せんとする、即ち二神が相互に合致せんとするのは、高天原の神聖恋慕性の発露であり、タカアハラ(遠心的発射螺旋状神力)・タアマハラ(求心的凝集螺旋状神力)・カアマハラ(円融的交流螺旋状神力)の発動に基づくものである。地球上における水も、螺旋回転しながら、上の水と下の水とが相互に合致せんとしているのである。日子と比賣とは常に一体の神の両面であって、日子の有るところには、常に比賣が有り、比賣の有るところには、常に日子が有るのであり、常に一体となって働いているのである。
 天(宇宙の循環)・地(水の循環)・人(血液の循環)のすべてに、どんなに小さなものにも、どんなに大きなものにも、速秋津日子・速秋津比賣の二神の働きは満ち渡っているのである。水の神(速秋津日子・速秋津比賣)が八神(沫那藝・沫那美・頬那藝・頬那美・天之水分・國之水分・天之久比奢母智・國之久比奢母智)として発現したときの性相は、いずれも起こるべくして起こり、止まるべくして止まり、動くべくして動き、騒ぐべくして騒いでいるのであって、いずれも真実であり、事に即しての常相である。

 水の神が、またその八神がそれぞれに個性を持っているということは、宇宙の大神さまと不離一体であるからである。例えばここに手があって、これが親指である、これが人指し指である、と名指しするときは、必ず手と指とは一体でなければならない。もし指を手から切り放したとすれば、親指はその親指としての資格を失い、単なる一本の指になってしまうのである。その時その指は親指としての個性を失ってしまったのである。このように どんな神さまも宇宙の大神(唯一絶対神)さまから切り離されたら、個性的神格は無くなってしまうのである。宇宙の大神さまに対して、絶対帰順・不離一体の分身の境地に立つときのみ、個性的神格は成立するのである。




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