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ふることふみにようこそ! カウンター人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。


ふることふみ(古事記)

あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ

「常」「楽」「我」「浄」は天照大御神の四大神性であります。

@「常」とは、常磐(常に変わらぬ岩、永久不愛)に堅磐(堅固な岩・永久不変)に弥栄えに栄える、常住(常に永遠に存在する)不滅・金剛不壊の至美至妙の尊体を示すのであります。
三災を離れ、四劫を脱し、十二因縁や四諦を超越して、無限の無限の大光源そのものとして、厳然と実在するものであります。私たちもまた同じく常住不滅・金剛不壊の我そのものであることを、不断に(間断なく、絶え間なく)思い返し、一瞬一瞬あらたに感受しなければならないのであります。

A「楽」とは、自受法楽(自分の中から自然に湧き上がる喜びを自分自身が感受する)の無上無限無量の絶対歓喜そのものを指すのであります。外に求め、他から与えられる喜びでは無く、自分の内から湧き出る、溢れ出る、迸り出る喜悦なのであります。一切の有相を滅尽するとき、無一物の境地・空の真諦に立脚することができるのであります。その時自然に湧き出る喜びが真歓喜であって、寝ても醒めても「嬉しい・楽しい・有り難い」という無限の歓喜心が泉の如く湧き起こってくるものなのであります。この世の中は無上の真歓喜が溢れ出ている世界なのであります。顛倒妄想・業想念に誘惑されることの無いように、本心の自分をしっかりと生きて、真歓喜を十二分に味わうことが何よりも大切なことであります。

G「我」とは、唯我独尊の意味であります。一切を総括し、統一し、包容している、唯一無二の至尊でありますから、大御神はすべてのすべてであり、大御神の他には何ものも存在しないのであります。時間的には過去・現在・未来のすべてに常に存在し、空間的には高天原のすべてに満ち満ちて存在している、唯一無二の存在なのであります。従って、私たちもまた大御神に絶対信順することによって、大御神と体の自覚、唯我独尊を自覚することができるのであります。もし唯我独尊の自覚が失われているとすれば・信仰が本筋を外れていないかどうか、信順の至誠が徹底しているかどうか、今一度点検する必要があるのであります。

C「浄」とは、絶対清浄・真清浄・無垢清浄の義である・真・善・美・聖の極にあるものであります。一切の有相を滅尽し、一切の心をも滅し去り、滅せんとする心をも滅する時、色即是空・空即是色に徹底する時、静寂の極に達する時、真清浄は自然に浮かび出てくるのであります。

62-4

三災(さんさい)

小の三災 :
 四劫の第二期(存続期)に起こる。
 刀兵災(互いに凶器をもって殺害する)
 疾疫災(悪疫が流行する)
 飢饉災(飢饉が起こる)

大の三災 :
 四劫の第三期(破壊期)に起こる。
 世界を破壊に導く天災で、火災が7回連続の後、水災1回の操り返しが
 7回起こり、第8回目は火災7回の後、風災1回が起こる。

四劫
   一つの世界が成立し、継続し、破壊し、消滅するのを四期に分類したもの。

@成劫(じょうこう) :器世間(山河・大地・草木等)と衆生世間(生きものの世
 〔成立期〕     界)が成立する時期で、二十小劫に分かれる。
A住劫(じゅうこう) :器世間と衆生世間の両方が安穏に浅いてゆく時期で、二十
 〔存続期〕     小劫に分かれる。
G壊劫(えこう)   :衆生世間がまず破壊し、ついで器世間も破壊しつくす時期
 〔破壊期〕     で、二十小劫に分かれる。
C空劫(くうこう)  :すべて破壊し終わって消滅し、無一物になる時期で・二十
 〔消滅期〕     小劫に分かれる。

四諦(したい)

@苦諦 :この世は四苦八苦に満ちているという真理。
A集諦 :苦の原因は無常な世に人間が執着するからであるという真理。
G滅諦 :執着を断つことが、苦を滅することになるという真理。
C道諦 :執着を断つには、常住不滅の実体を正しく掴むことであるという真理。

62-4一@

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