ふることふみにようこそ! 人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。
ふることふみ(古事記)
あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ
61-1
すなはち その みくび たま の たまのを も ゆらに とりゆらかして
即 其御頸珠之玉緒母由良邇 取由良迦志而
あまてらすおほみかみ に たまひて のり たまはく
賜天照大御神而 詔之
なが みことは たかあまはら を しらせと ことよさして たまふ
汝命者 所知高天原矣 事依而賜也
かれ その みくびたま の な を みくらたなのかみ と まをす
故其御頸珠名 謂御倉板擧之神
伊邪那岐神の御頸珠(みくび)は、万神万生万有のありとあらゆる一切が貫かれている所の大連珠(おおじゅず)であって、玉緒(即ち生命)の大本源であります。
一切はこの玉緒に連なって生かされているのであります。
顕幽両界を通貫して、無限小から無限大に至る一切を、至慈至愛至護をもって生かしている根本生命なのであります。
ユラニ トリユラカシというその揺らぎ方は、ゆるやかに・なだらかに・旋律的に揺れ動いているのであります。その揺らぎの中にはタカアマハラの大津則が存在していて、一大交響楽・一大聖劇・一大生命となって全大宇宙に鳴り・成り・生り響いているのであります。
御倉板擧神(みくらたなのかみ)のミクラタナのタナとは、天文(天体の諸現象)という義であります。
たとえば、タナバタ(七夕)という言葉も、タナ(天体運行)ハタ(機織り)であって、天体の諸星が縦横に運行して、ちょうど機織りのような状態であることから来ているのであります。
天体のすべてが一連の玉繕に貫かれて、縦横無尽に自在に運行して、美しい機織りの姿をとっている大境界、即ち大御神の大宮殿を指して、ミクラタナというのであります。
天照大御神の纏っている八尺勾玉之万百津之美須麻流之珠(いやさかあのまあかたあまのいほつのみすまるのたま)が、伊邪那岐神の御頸珠(みくびたま)即ち御倉板擧之神(みくらたなのかみ)であります。
八尺(イヤサカア)はいよいよ益々栄えに栄えて、無限に伸展し拡大しているという義なのであります。
勾玉(マアカタアマ)は全大多勝(完全円満完璧大調和にすべてに満ち渡るの義)の珠、三世十方に遍満している生命の連珠の義。
五百津之(イホツノ)は無量無数の義。
美須麻流(ミスマル)は玉渚(生命)に貫かれた連珠の大調和の相の義。
従ってこの八尺勾玉之五百津之美須麻流之珠(いやさかあのまあかたあまのいほつのみすまるのたま)は、万神万生万有の一切が至善至美至妙完全円満大調和の荘厳無比の一大連珠の相を成しているのであります。
この珠は天照大御神の生命であると同時に、万神万生万有の生命でもあり、大御神の荘厳無比の玉体であると同時に、万神万生万有のそれぞれは大御神の分身としての個性ある美玉なのであります。
天照大御神と万神万生万有とは不離一体の関係であって、微塵の隙もないのであります。
これは大御神の救わんとする至護と万民の救われんと念願する至誠とが、本来全く寸分の隙間も無い一体のものである〔護念一体〕ということをも意味しているのであります。
大御神さまと不離一体という、神人一体・神人不二・神人一如なるが故に、真実の救われが成就するわけであります。
62-1
天照大御神は高天原の統主(スメ→奥の奥のスの神さまが、ウの神さまとなり、アの神さまとなって、最後にあまてらすおほんみかみと顕れることをスメという)であります。
〔1〕天照大御神は高天原の三大根本神力の「タカアハラ(左旋回の螺旋状的に光明が無限に遍照するという意義)」神であります。
〔2〕天照大御神は高天原の三大根本神力の「タアマハラ(右旋回の螺旋状に旋回しながら、万神万生万有のあらゆる一切が摂取不捨されて、一大連珠の相をとって生かされ、荘厳無比の美を顕現しているという意義)」神であります。
〔3〕天照大御神は高天原の三大根本神力の「カアマハラ(タカアハラとタアマハラとの円融無碍自在交流神力)」神であります。
〔4〕天照大御神は高天原の三大根本神力に付いている「ハラ(螺動旋転(螺転)(螺旋状に転回する)神力)」神であります。
〔5〕天照大御神は高天原の四大根本神力「タカア・タアマ・カアマ・ハラ」の四つを
合一した「タカアマハラ」神であります。
〔1〕「タカアハラ」とは、螺旋状的に光明が無限に遍照するという意義の言霊であります。
「天(あま)」とは、三世(すべての時間)十方(すべての空間)、全大宇宙。
「照(てらす)」とは、光明遍照という意義。・
この「照らす」は、自ら「照る」と同時に、他を自然に「照らす」という、 自他の意義を一体とした、自他一如の「照らす」であります。
天照大御神の無限の無限の大光明遍照は、物質本位の太陽光像が遍満するというような小さい意義ではないのであります。ヒルコの物質本位の光(電磁波)に対して霊本位の偉大なる大光明を意味しているのであります。しかも螺旋状的に伸展する光明であるから、「蓮華」「明鏡」「連珠」「光焔」「光輪」「転讐」等の相を保っている偉大なるものであります。
真理とはタカアハラ(光明遍照)の律則であるから、大御神は真理の神であります。
八咫鏡はタカアハラ⇒真理の象徴であります。
〔2〕「タアマハラ」とは、螺旋状に旋回しながら、万神万生万有のあらゆる一切が摂取不捨されて、一大連珠の相をとって生かされ、荘厳無比の美を顕現しているという意義。
天照大御神は万神万生万有の御親であり、君主であり、尊師であって、一切を生かし・護り・導くものである。その一切を摂取不捨する至慈至愛は絶対なるものであります。
美とは無限の調和相であり、タカアハラがタアマハラに合致して発現するものであります。大御神は美の神であります。
八阪瓊曲玉はタアマハラ⇒至美の象徴であります。
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〔3〕「カアマハラ」とは、タカアハラとタアマハラとの円融無碍自在交流神力であります。
機織りは、縦糸と横糸とが、円融無碍自在に交流してこそ、順調に進むのであります。
大御神は相対の両極(霊と体、時間と空間、光と闇、生と死、善と悪、美と醜・・・・)に分かれた縦糸と横糸を使って、円融無碍自在に宇宙の機織りをしているのであります。
カアマは鎌であり、矛であり、剣であります。
草薙剣はX型(クスナリ)の剣であり、顕幽生死等あらゆる相対二面を切り分けて最も明確に最も果断に、究極の解決を与える最高の威力ある神力であります。
善とは一切のものに大調和の解決を与えることである。大御神は至善の神であります。
草薙剣はカアマハラ⇒至善の象徴である。
〔4〕「ハラ」とは、螺動旋転(螺転)(螺旋状に転回する)神力であります。
タカアハラ・タアマハラ・カアマハラの三大根本神力のそれぞれに付いているものなのであります。
もし宇宙に直線しか無いとすれば、その表現は単調なものになってしまうに違いないのです。
ところが螺動旋転の神力が存在することによって、宇宙は無限の無限の妙趣ある一切鬼味者が存在しない表現で一杯となっているわけなのであります。これを自在応変の働きと申します。
変身自在・無限循環の至妙を顕現している根底には常にハラ神力の神秘が宿っているのであります。
〔5〕「タカアマハラ」はタカアハラ・タアマハラ・カアマハラの三大根本神力を合一して一つに見たときの神力の表現であります。
それぞれの神性神相を具備し、全徳を全備している尊厳無比の表現として、偉大なる無限の稜威の輝いているものなのであります。
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タカアマハラ神は、真・善・美を統括する「聖」を保有する、「真・善・美・聖」の神であります。
絶対神が実在するからこそ、絶対神の表現(表情・動作)が生み出されてくるのであります。
真・善・美・聖そのものである絶対神の仕種が、タカアマハラという真・善・美・聖の表現となって一瞬一瞬新たに新たに顕現し続けているのであります。
絶対神の全徳が溢れ出て、迸り出て、光一元に無限の無限の大光明遍照しているタカアマハラが一瞬一瞬新たに新たに無限秒の一秒ごとに新生しているのであります。現実という影をすこしでもつかむとこのことがわからなくなるのであります。
よろこび(喜び・悦び・歓び・慶び・・・)そのものの絶対神が、全身の細胞悉くを打ち震わせて、よろこぶ姿がタカアマハラという表現なのであります。
そのお姿を、褒め称えて慶んで(よろこんで)感謝して、一瞬一瞬新たに新たに受け取るだけでよいのであります。
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