ふることふみ(古事記)

あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ

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.17.18.1920.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.
33.34.35.36.37.38.39.40.41.42.
76−1
はやすさのをのみこと あまてらすおおみかみの みかづらにまかせる いやさかあのまあかたあまのいほつのみすまるのたまを こひわたして
速須佐之男命 乞度天照大御神所纒御蔓八尺勾ハ之五百津之美須麻流珠而 

ぬなとももゆらに あめのまないに ふりすすぎて ふきうつる いぶきの さぎりに
奴那登母母由良邇 振滌天之真名井而 佐賀美邇迦美而 於吹棄氣吹之狭霧

なりませるかみのみなは まさか あかつ かつはやひ あめのおしほみみのみこと
所成神御名 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命

また ひだりのみみづらにまかせるたまを こひわたして さがみにかみて ふきうつる いぶきのさぎりに
亦乞度所纏左御美豆良之珠而  佐賀美邇迦美而 於吹棄氣吹之狭霧

なりませるかみのみなは あまつひこねのみこと
所成神御名 天津日子根命

また みぎりのみみづらに まかせるたまを こひわたして さがみにかみて ふきうつる いぶきの さぎりに
亦乞度所纏右御美豆良之珠而 佐賀美邇迦美而 於吹棄氣吹之狭霧

なりませるかみのみなは あめのほひのみこと
所成神御名 天之菩卑能命

また ひだりのみてに まかせるたまを こひわたして さがみかみて ふきうつる
いぶきの さぎりに
亦乞度所纏左御手之珠而  佐賀美邇迦美而 於吹棄氣吹之狭霧

なりませるかみのみなは いくつ ひこねのみこと
所成神御名 活津日子根命

また みぎりのみてに まかせるたまを こひわたして さがみかみて ふきうつる
いぶきの さぎりに
亦乞度所纏右御手之珠而 佐賀美邇迦美而 於吹棄氣吹之狭霧

なりませるかみのみなは くまぬくすびのみこと
所成神御名 熊野久須毘命

御蔓之珠⇒正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(活魂⇒いくみたま)天之御中主神の表現


左御美豆良之珠⇒ 天津日子根命   (奇魂⇒くすみたま)天之常立神の表現

右御美豆良之珠⇒天之菩卑能命    (寝魂⇒ぬるみたま)國之常立神の表現

 左御手之珠⇒活津日子根命      (荒魂⇒あらみたま)宇摩志阿斯訶備比古遲の表現 

右御手之珠⇒熊野久須毘命        (和魂⇒にぎみたま) 豊雲野神 の表現

この五彦神は霊魂本位の神であって、天之忍穂耳命(活魂)は四魂総括⇒たまつねむすびの主神であります。

77−1
ここに あまてらすおおみかみ はやすさのをのみこと に のり たまはく この のちに あられませる いつはしらの ひこ のみこは ものざねあがもの に よりてなりませり

於是 天照大御神告速須佐之男命 是後所生五柱男子者 物實因我物所成

かれ おのづから あがみのなり さきに あれませる みはしらのみこは ものざねみましの ものに よりて なりませり かれ すなはち みましの みこなり かく のりわけたまふ

故自吾子也 先所生之三柱女子者 物實因我物所成 故乃汝子也 如比詔別也

物實(ものざね):物とは、天地間に存在するさまざまなもの、万物を意味するのであります。
物實(ものざね):實とは、宇宙に満ち渉る無限の無限の価値あるものという意味であります。従って中心になるもの、物資の本質、表現のもとという意味であります。

物實(ものざね):物實とは、萬神萬生萬有 (万物)を生み出すための、中心的役割を果たすものという義であります。

天之真名井における神事の物實として使われた、

八尺勾ハ之五百津之美須麻流珠は、天照大御神の御霊代(みたましろ)であります。

十拳劔は、速須佐之男命の御樋代(みひしろ)であります。

御霊代⇒霊魂の模型・霊魂の代表、御樋代⇒元体の模型・元体の代表。


五柱男子:御珠(霊)を主体(中心に持つ)とし、体を外包とする。天照大御神の御子、霊系統の日嗣(ひつぎ)であります。

三柱女子:十拳劔(体)を主体(中心に持つ)とし、霊を外包する。速須佐之男命の御子、体系統の火嗣(ひつぎ)であります。


速須佐之男命の十拳劔(精魄)を主体にして、天照大御神の御珠(霊魂)がそれを包容するようにして、この両者が相結合し、相産霊し、玉体の構成が成立するとき、即ち魄を中心とし、魂がそれを包容して成立するとき、即ち体心霊包をもって構成されるとき、女体が生まれるのであります。

その反対に天照大御神の御珠(霊魂)を主体にして、速須佐之男命の十拳劔(精魄)がそれを包容するようにして、この両者が相結合し、相産霊し、玉体の構成成立するとき、即ち魂を中心とし、魄がそれを包容して成立するとき、即ち霊心体包をもって構成されるとき、男体が生まれるにであります。


77−2
 体心霊包の女体を有する女性と、霊心体包の男体を有する男性とは、外見上は同じ肉体のようであっても、根本的に異なる神性を賦与されているのであります。この二つの相反する神性の持主が、相互にその特質を発揮して、大調和の楽土を地上に建設しつつあるにであります。本来男女に尊卑は無いのであります。どちらも尊厳極まりないものであります。その意味では男女は平等であります。しかしその賦与されている特質は同じではないのであります。それを不平等と言うのは間違っているのであります。それは相互に敬愛し、助け合って、その特有の美質を発揮することによって、より素晴らしい・美しい・愛に満ちた神性恋慕性を表現しようとしているのが、最初からの神の御心であり、計画であるからであります。
 
 女性にとっては、外部環境は己が魂であります。女性は環境によって変化するものであります。女性は環境の変化によって、どんな人格にも性質にも風俗習慣にも変化してゆける特能を備えているのであります。女性は自己の外部環境から心に吸収したものを、再び外部環境に投影して新たな環境を作り上げてゆくもの、即ち環境の作成者・環境の母であります。従って女性は外部環境から、常に自分に取って必要な、素晴らしいもの・善きもの・美しいもの・幸せなもの等々を、しっかり選んで心に取り入れなければならないのであります。無差別に何でも心に取り入れてしまうのは愚かな生き方であります。それは環境の奴隷であって、環境の母としての女性の特質を真に活かしきっていうのではないのであります。女性の特質を最高に活かしきっている状態というのは、宇宙のすべてを神の愛の現れと礼拝感謝している宗教的信仰に見出すことができるのであります。自己の外部環境である宇宙が、神の大慈愛の現れであり、無限に素晴らしく・無限に美しく・無限に善きものであると、心にしっかり感受してゆくことは、この世に神の國を、地上天国を実現してゆく最高の生き方となるものであります。

 男性にとって大切なことは、自己を深く深く掘り下げて、本心の自分をしっかりと把握し、与えて与えて与え尽くす本心の生き方を徹底することであります。偉大な発明発見等は、自己を深く掘り下げた男性の手によってなされているのであります。愛深き・善なる行いをしている男性は、自己を深く掘り下げて、与え尽くす本心の自分をしっかりと生きているのであります。自己の掘り下げ方が浅いと、肉欲から生ずる五感の奴隷となって、自分勝手な・わがままな・思いどおりに生きようとする我利我欲の他に求める生き方となって、環境を破壊し・みんなを不幸にしてゆくのみなのであります。自己の理想・主義・主張等を、周囲の影響を排除して自分の思いどおりに貫徹して、自己の尊厳を確立してゆくということは、男性の特質であって、それを活かす為には先ず自己を深く深く掘り下げることであります。
 


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33.34.35.36.37.38.39.40.41.42.

あめのみなかぬしのかみ が たかあまはら と なり(成り鳴り生り)あめつち(天地)がはじめおこる(初発する)

                   たかあまはら という 容相(成り)音声(鳴り)生命(生り)になる。

あめのみなかぬしのかみ(隠身絶対実在)の現象表現をたかあまはら と云う。
あめのみなかぬしのかみ(実在)即ちたかあまはら(現象)たかあまはら即ちあめのみなかぬしのかみ
あめのみなかぬしのかみがすべてのすべて。あめのみなかぬしのかみの他には何ものも存在しないのである。
あめのみなかぬしのかみが唯一無二の実在であり、唯一無二の現象である。
一神 即 万生 万有。  万神 万生 万有 即 一神。 
  たかあまはら(順流無形の神力)

1、たかあ     中心より外に向かって発射し進展する働き(発射神力)

2、た あま    外から中心に向かって凝集する       (凝集神力) 

3、 かあま    円融無碍に交流する             (交流神力) 

4、     はら  螺旋状に転回する              (螺転神力)

  らはまあかた(逆流有形の形状)

1、らは      螺旋状の波の形状

2、  まあか   全 大 多 勝 の形状

3、  まあ た  股 支 分 部 枝 等の形状

4、     かた  片 半 等の形状 

かみ とは、かくりみ(絶対神)かごりみ(仮凝身)かがりみ(耀身)かけりみ(駆身)かぎりみ(限身)の5つのことばをつづめたものであって、その1つ又は全体」を指して云う。



つぎに たかあみうむすびのかみ  つぎに  まあかみうむすびのかみ


たかあまはらには タカアマハラ(順流)とラハマアカタ(逆流)とがある。

  タカアマハラは宇宙構成の三大根本神力である。

  タカア ハラ      遠心的発射螺旋状神力

  タ アマハラ      求心的凝集螺旋状神力

   カアマハラ      円融的交流螺旋状神力

  ラハマアカタは相(形・容・姿・態)となる螺旋状波

  ラハマアカ

  ラハマア タ

  ラハ   カタ


たかあまはら(全大宇宙)には、神力と神相とが本来一体でありながら、相反する両面として働
いていて、「力」の作用で「相」が現れ、「相」の作用で{力」が種々に現れる。
この順逆二つの流れの結合によって、一切の万神万生万有が生み出される。

ミウムスビ(ミ  ウム  ムスビ)
二つの流れがお互いに結合し、新しいものを生み出してゆく根本創造の働きである。
一切の万神万生万有は在る(ある)のではなく、なる(成る・鳴る・生る)のである。成
るということは単なる存在ではなくて、生成である。生成とは一瞬一瞬 新生し、無限に
伸展することである。不断に無限の創造が続けられて、無限無量の個々性、種々相に活現
することである。


タカアマハラの順流をタカアで代表し、ムスビとカミを付けて、神力系統大祖神と仰ぐ。

「タカア  ミムスビ  ノカミ」   神力大祖神

                    タタア(父)系・かむろぎ(神漏岐)系・霊魂系〈霊系)

タカアマハラの逆流をマアカで代表し、ムスビとカミを付けて、神相系統大祖神(体系)

「マアカ  ミムスビ  ノカミ」   神相大祖神
Q
                     ママア(母)系・かむろび(神漏美)系・物質系(体系)

あめのみなかぬしのかみの父系(霊系)としての現れが「タカア ミムスビ ノカミ」である。

あめのみなかぬしのかみの母系(体系)としての現れが「マアカ ミムスビ ノカミ」である。