ふることふみにようこそ! 人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。
ふることふみ(古事記)
あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ
55-3 かれ なげうつる みつえ に なりませる かみ の みな は つきたつふなどのかみ 故 於投棄御杖 所成神名 衝立船戸神。 つぎに なげうつる みおびに なりませる かみ のみ なは みちのながちはのかみ 次 投棄 御帯所成神名 道 之長乳歯神。 つぎに なげうつる みもに なりませる かみ の みなは ときおかしのかみ 次 於投棄御裳 所成神名 時置師神。 つぎになげうつる みけしに なりませるかみ の みなは わづらひのうしのかみ 次於投棄御衣 所成神名 和豆良比能宇斯能神。 つぎに なげうつる みはかまに なりませる かみ の みなは ちまたのかみ 次於投棄御揮所成神名遣俣神。 つぎに なげうつる みかかぶるに なりませる かみ の みなは あきぐひのうしのかみ 次於投棄御冠所成神名飽咋之宇斯龍神。 つぎに なげうつる ひだりのみての たまきに なりませるかみ の みなは おきさがるのかみ 次於投棄左御手之手纏 所成神名 奥疎神。 つぎに おきつなぎさびこのかみ つぎに おきつかひべらのかみ 次奥津那藝佐毘古神。 次奥津甲斐辨羅神。 つぎに なげうつる みぎりのみて の たまきに なりませる かみ の みなは へさかるのかみ 次於投棄右御手之手纏 所成神名 邊疎神。 つぎに へつなぎさびこのかみ つぎに へつかひべらのかみ 次邊津那藝佐毘古神。 次邊津甲斐辨羅神。 伊邪那岐神は「禊祓」の第一着手として、身に付けているものをすべて投げ捨てられたのであります。その結果、投げ捨てられた各部が、至大天球の各部となって、天体構成の基礎的準備が整えられることになったわけであります。伊邪那岐神の一大神格の発現として、一大人体の相をなして、至大天球が成立することになったのであります。 |
天の神の霊 天之次男神 { 鳥之石楠船神(大鳥船)、大宜都比賣神 } 《天の神の全神性を八大分類》 御杖(みつえ) 衝立船戸神(つきたつふなどのかみ) 直立に衝き立つ姿を保ち、船の往来するように、常に 気流が循環しているという義。地球においては赤道。 天球においては縦に画した大経線を示す。 御帯(みおび) 道之長乳歯神 ぐるりと一回りして、その道が長く、その運行の力も それほど強く無いという義。地球:日本を通る大経線 天球:横に画した大緯線。 御裳 時置師神 運行が周期的で、定期的に往来するという義。 地球:北アメリカ、太平洋の東半分。 天球:図参照 御衣 和豆良比能宇斯能神 種々の複雑な運行の煩わしい事を司る義。 地球:アジア、ヨーロッパ、その付近の海洋。 天球:図参照 御揮 道俣神 その運行が俣に分かれている義。 地球:南アメリカ、その東の海洋。 天球:図参照 御冠 飽咋之宇斯能神 豊満な運行を引受け、適当に処理する義。 地球:アフリカ、イギリス及び付近の海洋。 天球:図参照 左御手之手纏 奥疎神 遙に奥まって、中央から離(さか)っている義。 地球:北海、北極圏。天球:図参照 次の二神は奥疎神の別名である。 奥津那藝佐毘古神 運行が遅鈍で、所々に停滞の箇所があるという義。 奥津甲斐辨羅神 他とは絶縁して、その部分だけで運行する義。 右御手之手纏 邊疎神 門戸に当たるが、中央から隔たっているという義。 地球:南海、南極圏。天球:図参照 邊津那藝佐毘古神 奥津那藝佐毘古神と同様の義。 邊津甲斐辨羅神 奥津甲斐辨羅神と同様の義。 56-2 ここに かみつせは せばやし しもつせは せよわしとのりごちたまひて 於是 詔之 上頼者瀬速 下瀬者瀬弱而 はじめてなかつせに おりかづきて そそぎたまふときに 初於中瀬 随迦豆伎而 滌時 なりませるかみのみなは やそまがつひのかみ つぎに おほまがつひのかみ 所成坐神名 八十禍津日神。 次大禍津日神。 このふたはしらのかみは かのきたなきしきぐににいたりませしときの 此二神者 所到其穢繁國之時 けがれによりて なりませるかみなり 因汚垢而 所成之神者也 かづく:頭から水をかぶる。水中に潜る。 頼 :橘小門のことで、永遠無窮の無限大生命の流れ(川の流れ)が、生命の本源世界 (絶対界)(海)へ流れ込む所である。 瀬(水流の急な所)。瀬戸(潮汐の干満によって激しい潮流を生ずる狭い海峡) 滌 :水が激しく流れる。 上瀬も下瀬も、瀬遠しも瀬弱しも、共に遍傾している場所である。中瀬のみ左右に偏せず、傾かず、中心に位しているわけである。中瀬の中は天之御中主神の中である。左右のどちらにも偏せず、傾かず、天坪の中心に位して、宇宙の経綸(治め整える)の枢策(中心となる肝要の施策)を行うわけである。顕幽両界を一大統理(統べ治める)するためには、中心に立って(中瀬に位して)(絶対神の御心に立ち返って)その行事を行う必要があるからである。伊邪那岐神は大生命の流れに身を任せる(みそぐ:身を滌ぐ、激しい生命の流れに身を置いて洗い清める)に当たっても、ただ単に任せるというのでは無く、天之御中主神の御心に絶対随順して、大生命の激しい流れを一瞬一瞬新たに受け直しているのである。 伊邪那岐神は至大天球の中心に立って、自分の身につけていた一切のものを投げ棄てる(祓う)ことによって、至大天球内に組織紋理の経緯線を画したのである。その後、禊ぐことによって、その中に天体の一切を整然と組み込んで、秩序と統一のある宇宙構成にしてゆこうとしているわけである。その構成の方式は、「初」即ち「天地初発」からの再演となって、天之御中主神の御心に絶対信頼して行われるのである。実に具体的な宇宙構成が創まるのは、この伊邪那岐神の「禊祓い」からなのである。天地初発から禊祓以前の話は、宇宙の原理・神界の律則を顕示して解説してきたものである。これを幾度となく再演し、復演することによって、より具体的に現実化してくるわけである。 57-1 八十禍津日神 :八十とは無限・無数・無量の義。 禍とは一定の秩序も統一もなく、非常に乱雑な、紛糾擾乱の状態。 「国稚 如浮脂而 久羅下那州多陀用弊流之時」と同じ意義。 初期・未分化・未発達・未熟・未完成・無秩序・未統・無知の義。 日は星の元素(卵)とも言うべき星霧。 至大天球内に最初に滌ぎこまれて充塞したものは、何が何やら名状し がたい状態の、無秩序・未統・乱雑極まりない無限・無数・無量の 星霧(星の元素・卵)であったわけである。この状態を八十禍津日神 と言うのである。 大禍津日神 : 星霧が寄り集まって、それぞれに小集団・中集団・大集団を各所に形作 り、それぞれが一個の大きな発光体に変じて、恒星や星団が発現したの であるが、それらの間には未だ一定の秩序も統一も無く、勝手気儘にの さばり廻っているような状態、これを大禍津日神と言う。 穢繁國とは穢い状態を繰り返し繰り返し頻繁に見せられ、心に焼きけけられた国という意味で、穢いすがたを見過ぎたその結果として、心はその残像のために汚れ・乱れ、疲れ切って、物事を適材適所に正しく配置する知恵が鈍って(ぼんやりした状態になって)しまっているのである。汚垢(げがれ)は気涸れる、即ち気(生命・智恵・力)が衰退し、枯渇している状態を指しているのである。絶対神の叡智の導きの無いところに、紛糾擾乱が生ずるのであり、穢い状態となるのである。 八神統六十四神は宇宙の構成の元素に当たるものであるが、絶対神の叡智の導きによって、これら諸々の元素神が適材適所に組み合わされ、配置されることによって、至大天球は秩序と統一のある組織構成となるわけである。この具象的な宇宙の組織構成を完成させるのが、伊邪那岐神の「禊祓」の行事なのである。 八十禍津日神、大禍津日神の状態は、「国稚 如浮脂而 久羅下那州多陀用弊流之時」の再演・復演に当たるものである。 57-2 つぎに そのまがをなほして なりませるかみのみなは かみなほびのかみ つぎに 次 爲直其禍而 所成神名 神直毘神 次 おほなほびのかみ つぎに いづのめのかみ 大直毘神 次 伊豆能賣神 つぎに みなそこにそそぎたまふときに なりませるかみのみなは 次 於水底滌時 所成神名 そこつわだつみのかみ つぎに そこつつのをみこと 底津綿津見神 次 底筒之男命 なかにそそぎたまふときに なりませるかみのみなは なかつわだつみのかみ 於中滌時 所成神名 中津綿津見神 つぎに なかつつのをのみこと 次 中筒之男命 つぎに みづのうえにそそぎたまふときに なりませるかみのみなは 次 於水上滌時 所成神名 うはつわだつみのかみ つぎに うはつつのをのみこと 上津綿津見神 次 上筒之男命 神直毘神 : 伊邪那岐神がその禍を直した結果、一定の秩序と統一とが生まれてくる。即ち宇宙の天体に一定の秩序が生まれ、また一定の統一ある連行が見られるようになってくる。この状態を仲直毘神という。 太陽系に就いて見ると、太陽を中心にして旋転する惑星軌道、及び衛星軌道を意味する。 大直毘神 : 無秩序無統一の星霧・恒星・星団等が、それぞれに螺旋状の星雲となり、中心核を備えるようになり、その核を中心にして旋回運動を起こし、円輪状に変化して、それぞれにまとまった天体組織となってくる。これらの天体組織が大きく系統立てられ、周期的な旋回・転回運動を行うようになって出来た、秩序と統のある星の系団を大直毘神という。 太陽系に就いて見ると、太陽を中心として、その周りを旋転するすべての惑星を意味する。 伊豆能費神 : 稜威(いつ)の眼であって、主要なる眼目であり、中心核であり、中心に輝く統理者である。また厳(いつ)であって、齋つき清められた義で清らかを意味する。賣(め)は女神であって、中心核となる星(例えば太陽)が、周囲を旋転する星(惑星)の最初の母体であることを示す。 太陽系に就いて見ると、太陽が伊豆能賣神に当たるのである。 全大宇宙には小さい宇宙から大きい宇宙まで、無限の種類の宇宙が存在しているわけである。それぞれの宇宙に、それぞれの神直毘神、大直毘神、伊豆能賣神が存在しているのである。 58一1 底津綿津見神 @至大天球を三段に分けて、中心に一番近い層を底津綿津見神と言う。 A太陽を中心に旋回する惑星の内、太陽に近い水星と金星の周回する軌道を言う。 G地球に於いて、中心に一番近い海流、即ち深い海底を流れる海流軌道を言う。 底筒之男命(底津綿津見神の実体を指す) @至大天球の中心に一番近い層に存在する、一切の天体それ自体を指す。 A太陽系に於いて、太陽に一番近い軌道を廻る、水星と金星それ自体を指す。 B地球に於いて、深い海底を流れる海流そのものを指す。 中津綿淳見神 @至大天球の中心から第二番目の層、即ち中央層。 A太陽から見て中間に当たる惑星軌道、即ち地球と火星の周回軌道。 B地球に於いて、海の中央部を流れる海流軌道。 中衛之男命(中津綿津見神の実体を指す) @至大天球の中央層に存在する、一切の天体それ自体を指す。 A太陽系の中央部の惑星、即ち地球と火星それ自体を指す。 B地球に於いて、海の中央層を流れる海流そのものを指す、 上浮綿津見神 @至大天球の中心から一番遠い層、即ち中心から最も遠距離にある天体の運行舞台。 A太陽から最も遠い惑星軌道、即ち木星土星天王星海王星冥王星の軌道。 B地球に於いて、海の最上部を流れる海流軌道。 上筒之男命(上津綿淳見神の実体を指す) @至大天球の中心から一番遠い層に存在する、一切の天体それ自体を指す。 A太陽から最も遠い層の惑星、即ち木星土星天王星海王星冥王星それ自体を指す。 B地球に於いて、海の上層を流れる海流そのものを指す。 綿津見神(筒之男命)は、至大天球・太陽系・地球を、中心から段階的に分けて、その運行並びに存在を見たものである。これを縦の分類とすれば、横の分類は杖・帯・裳・衣・揮・冠・左手纏・右手纏の区分によって、経緯度的に区画されたものである。この縦横の区画は必然的に相互連関しているものである。綿津見神(筒之男命)は@ABの三態を具備(一神三態)し、この三態は常に相互達関して、不二の作用を顕すものである。 58-2 絶対(海)より一切の善きもの(海原に起こる波)は生まれ来るのであります。絶対の中から大生命は海鳴りとなり、大河となって流れ来たり、すべてを循環し潤して絶対へと帰ってゆくのであります。すべてを祓って空っぽになったところに、絶対より必要な一切のものが流れ来たり、適材適所にすべてを潤して、大神さまの全徳の完璧なる表現がそこに顕現されるのであります。海(絶対神)の動きが、うねりが、一瞬一瞬、新たなる波を生み出し続けているように、一瞬一瞬、新たなる表現となって、天地が万物が新生しているのであります。 水底・中・水上というように、三段階に区別しているのは、神さまの表現はバラバラな単調なものではなく、中心に帰一した秩序整然たるものであり、また奥には何処までも奥があるという多重層的な意義をも保つものであります。 海の神の霊 海神 { 大綿津見神、妹 −−−− } 《海の神の全神性を八大分類》 伊豆能賣神 太陽 大直毘神 太陽を中心に公転するすべての惑星及び衛星及び彗星 底津綿津見神 太陽を中心に公転する水星と金星の軌道 底筒之男命 水星と金星 神直毘神 太陽を中心に公転する惑星軌道及び衛星軌道及び彗星軌道 八十禍津日神 微塵粒子、小惑星 大禍津日神 彗星 中津綿津見神 太陽を中心に公転する地球と火星の軌道 中筒之男命 地球と火星 上津綿津見神 太陽を中心に公転する木星・土星・天王星・海王星・冥王星の軌道 上筒之男命 木星・土星・天王星・海王星・冥王星 〔以上は太陽系についての分類〕 至大天球(全大宇宙)に、銀河系宇宙に、太陽系に、地球に、人体等々に、一大系列が生まれ、整然とした一大組織が完成成就したことを示しているのであります。 |
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