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大祓詞(オオハライノコトバ)
「科戸之風[しなどのかぜ]の、天乃八重雲[あめのやえぐも]を、吹放事之如[ふ
きはなつことのごと]く、朝之御霧[あしたのみぎり]夕之御霧[ゆうべのみぎり]
を、朝風[あさかぜ]夕風[ゆうかぜ]の吹掃事之事[ふきはらうことのごと]く、
大津邊[おおつべ]に居[お]る大船[おおぶね]を、舳開放[へときはな]ち艫開放
[ともときはなち]ちて、大海原[おおうなばら]に押放事[おしはなつこと]の如
[ごと]く、彼方之繁木本[おちかたのしげきがもと]を、焼鎌[やきがま]の敏鎌以
[とがまもち]て打掃事之如[うちはらうことのごと]く、遺罪[のこるつみ]は
不在[あらじ]と、祓給[はらいたまい]清給事[きよめたまうこと]を、」
シナツヒコノカミ(風神[かぜのかみ])は、永遠不死[えいえんふし]の神[かみ]
、天地[てんち]の呼吸[こきゅう]を司[つかさど]る神[かみ]、すべてを生[い]かす
神[かみ]で、無碍自在[むげじざい]の最高[さいこう]の威神力[いしんりょく]を
持[も]っているのです。科戸之風[しなどのかぜ]とは、このシナツヒコノカミの
風[かぜ]の力[ちから]です。だから無限[むげん]の無限[むげん]の構成物[こう
せいぶつ]を、サッと一大調和[いちだいちょうわ]の姿[すがた]に配列[はいれつ]
できるのです。これは風[かぜ]の祓[はら]いです。
霧[きり]は太陽[たいよう]によって温[あたた]められた空気[くうき]によって、
消[き]え去[さ]るのです。だからこれは太陽[たいよう](日[ひ])即[すなわ]ち
火[ひ]の祓[はら]いです。火[ひ]の威力[いりょく]によって、不要[ふよう]な
ものを消[け]し去[さ]るのです。
風[かぜ]の祓[はら]い・火[ひ]の祓[はら]いは、天津[あまつ]罪[つみ]を
祓[はら]い清[きよ]めるのです。
大津邊[おおつべ](大[おお]きい港[みなと])に居[お]る大船[おおふね]の、
舳[へ](船首[せんしゅ])と艫[とも](船尾[せんび])のロ−プを解[と]き
放[はな]して、大海原[おおうなばら]に押放[おしはなつ]ということは、
水[みず]の祓[はら]いです。水[みず]の威力[いりょく]で、適材適所[てきざい
てきしょ]に配置[はいち]するのです。
繁茂[はんも]した草[くさ]を利鎌[とがま]で刈[か]り取[と]るように、地上
[ちじょう]における不要[ふよう]なものを、消[け]し去[さ]る働[はたら]き
です。これは地[ち]の祓[はら]いです。
水[みず]の祓[はら]い・地[ち]の祓[はら]いは、国津[くにつ]罪[つみ]を
祓[はら]い浄[きよ]めるのです。
古[ふる]いものでも、必要[ひつよう]なものは、適材適所[てきざいてきしょ]
に配列[はいれつ]して残[のこ]し、必要[ひつよう]で無[な]いものは、消[け]し
去[さ]るのです。新[あたら]しいものでも、必要[ひつよう]で無[な]いものは
消[け]し去[さ]り、より新[あたら]しいものを加[くわ]えるのです。祓[はら]い
とは、不要[ふよう]なものは消[け]し去[さ]り、必要[ひつよう]なものは適材
適所[てきざいてきしょ]に配列[はいれつ]するのです。清[きよ]めとは、本質
[ほんしつ]を現[あらわ]すことで、必要[ひつよう]な新[あたら]しいものを、
どんどん加[くわ]えてゆくことです。地[ち]水[すい]火[か]風[ふう]の四[よっ]
つの祓[はら]いによって、一切[いっさい]は清浄[せいじょう]になるのです。
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