6、祈れる自分になるために

 

 どんな行もわき目も振らずに一心に取り組んでこそ遂行できるのです。祈りの行、感謝行も他人のことが気になるようではなかなか実行できるものではないのです。他人のことは気にかけず、ただひたすらに自分が実践してゆくことが大切です。他人が祈っているように見えても見えなくとも、そんなことは一切おかまいなく自分がただひたすらに祈ればよいのです。それが一緒に祈りの行を励んでいる仲間達の行を助ける一番の力になるのです。

 祈りを深める秘訣は、他人のことは一切気にかけないで、ただひたすらに自分が祈りに祈ることです。そしてその祈っている自分をも忘れて祈りに祈って祈りそのものになり切ることです。

 

 真実の祈りを祈れる自分になる為には、真剣な・命懸けの「祈りの練習」が必要です。業想念の惰性に流され、運命の奴隷状態を甘受しているようでは、永遠に本心の自分には戻れないのです。常に自分の自由意志を、ハッキリとさせることが必要です。祈れる自分・祈る自分になるのだという、真の目的をハッキリさせれば、後は自分のすべてを、それに集中するだけです。分散している力を、一点(一つの目的)に集中すれば、大きな成果が直ぐに得られるのです。一番大事な・必要なことに、自分のすべてを絞り込んでゆけば、切願は必ず成就するのです。本心の自分を輝かせるのだという、切願を起こし・保持し続ければ、救済の神々の大きな助けを受けて、不可能も可能に成るのです。すべては自分の自由意志によって、決定されるのです。自分が運命を支配しなければ、誰でも運命の奴隷に陥るのです。

 

 同じ「ありがとうございます」という祈り言葉を唱えていても、

(1)祈り

(2)祈りの練習

(3)念力

の三つの生き方に大別されるのです。

 

(1)祈りの生き方とは、自分のすべてを神さまに捧げ尽くして、神さまの御心の中へ飛び込んで、「新たなる全徳の無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯!」と感受し続けるものです。

(2)祈りの練習の生き方とは、自分の思い・願い・をすべて捨て切って、神さまに全托できるようになる為に、「この生命を神さまに捧げます。どうか神さまの御用におつかいください」と誓約して、過去に積み重ねた無限の思いを、神さまに肩代わりして消し去ってもらうものです。

(3)念力の生き方とは、自分の思い・願い・夢・希望を実現する為に、神さまを利用しようとするものです。思いの奴隷となって、浅い・小さな生き方に滞まり、真の真祈り(神さまとの一体化)とは正反対になってしまうものです。

 

 ありがとうございます