42真実の祈りを生きる

 神さまの導きに素直になれば、必ず幸せに成れるのです。宇宙全体に満ち溢れている、神さまの導きを正しくキャッチするには、『声無き声』を聞き取る必要があるのです。神さまの導き・声なき声を幾つか列挙してみましょう。

(1)過去を放し、新たに生まれ、新たに生きよ!無限億万分の一秒の一瞬一瞬新たに新たに、宇宙のすべては、新生しているのです。しかも神さまの全徳の無限の無限の輝きをもって、新生しているのです。本心の自分は常に新生する自分です。

(2)感謝一筋に生きよ!感謝行は、神さまから、あの世のすべてから、この世のすべてから、あの世のすべてから、この世のすべてから、おおきなプラスを受ける生き方です。感謝の心は本心の心そのものです。

(3)一切の報いを求めないで、与え尽くせ!与えて、与えて、与え尽くせば、自分に必要なものは、豊かに与えられるのです。与えることに喜びを見いだすのが、本心の自分です。与える心は順流となり、宇宙の無限の供給の流れを受け、求める心は逆流となり、求めるものが得られなくて苦しむことになるのです。

(4)謙虚に謙虚に、どこまでも謙虚になれ!マイナスの極に立てば、すべてを光一元に仰ぎ見ることができるのです。神さまの最高表現の真価値を見出せるのです。

(5)真剣に生きよ!一分一秒を大切に、すべてをスピード化して、中身の濃い・充実した人生にしてゆくほど、幸せは大きくなるのです。

(6)他の幸せを喜ぶ大きな心を持て!本心の心は他と一体化して、無限に無限に大きく成るのです。他の幸せを自分の幸せにして、無限の無限の幸せで一杯に成るのです。

(7)拝め!拝め!拝めば、すべてに天照大御神(宇宙絶対神の最高表現)が現れるのです。すべての存在が、新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!に成るのです。

(8)総責任者になれ!すべての責任を自己に帰す者は、神さまと同じ立場に立つことになり、無限の知恵・無限の能力・無限の力がわき出て来るのです。

(9)奉仕に生きよ!生かされていることに感謝し、喜び勇んで、自分のすべてを捧げ尽くして、全体への恩返しに生きることが、真の奉仕です。

(10)大犠牲精神を生きよ!自分の幸せを後にして、他の幸せを先にする生き方、神さまの愛の愛の御心です。大犠牲精神を生きる者は、神我一体と成るのです。

(11)明るく生きよ!神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!が、宇宙の真相です。すべてを光一元に仰ぎ見て、楽天的に・楽観的に生きることが、神意に適うのです。

 

 感謝の生き方、すべてをプラスに受けるのです。少しでもマイナスに受けたら、それは感謝の生き方から外れているのです。「ありがとうございます」と唱えることと、本当の感謝の生き方ができるように、神さまの無限の無限の助けを受ける為の『祈り言葉』が、「ありがとうございます」の称名です。感謝の心は、神さまだけを感受するのです。すべてをプラスに受けられるのです。思いの心(五欲の心・煩悩の心・業想念の心)は、神さまを無視し、自分に都合の良いものだけしかプラスに感じられないのです。

 本当の感謝一筋の生き方に成る為には、心に蓄積した思い(五欲・煩悩・業想念)のすべてを消し去らなければならないのです。思いの心を生きているのは、思いの心の奴隷状態に陥っているのです。本当の自分を生きるのを忘れているのです。本当の自分は、神さまへの感謝と奉仕に生きるのです。いのちがけの感謝・いのちがけの奉仕に生きてこそ、無限に輝いた本当の自分で有り続けられるのです。どちらの生き方も、自分自身が自由意志で選んでいます。すべては自分の責任なのです。

 

 惰性に流される生き方は、川の流れに押し流されるゴミのような、敗者の生き方です。急流を遡るアユのように、滝を登る鯉のように、全力を発揮して、いのちを輝かせる生き方が、勝者の生き方です。感謝に生きる人は、困難に戯れ、苦労を楽しみ、いのちを輝かせて、幸せを無限に大きくしてゆくだけです。本当の幸せは棚からぼた餅式の僥倖では無いのです。真剣に努力して、発見し・掴み取ってこそ、無限の価値ある幸せになるのです。

 

 感謝に生きる人は、自分の周りのすべてを、神さまの愛の姿に観るのです。自分の心に蓄積した、無限のマイナス・無限の思い・無限の借りを。神さまが身代わりに背負って、消し去って下さっているのだと気付くのです。地獄の姿も餓鬼道の姿も、みんな自分のマイナスを消し去る為の、神さまの大愛の姿なのだと気付いてこそ、本当の感謝です。自分の思い通りになって喜んでいるのは、真の感謝からは程遠いのです。

 

 真剣に働く人が、無限の幸せで一杯!に成るのです。働くとは、側を楽にすることです。他の幸せの為に、真剣に努力し、全力を尽くしてこそ、幸せになれるのです。怠けていて、幸せに成れる道理は無いのです。全力を尽くして、いのちを輝かせた時に、思いの霧が晴れて、神さまを感じ、幸せに成れるのです。

 

 1日24時間の中、どれほどの時間を祈りの実行に使っているか?少しでも恩返しの心があるならば、この祈りの実行の時間を増やしてゆかなければならないのである。

 

 神さまへの本当の恩返しとは何か?

   真心込めた「ありがとうございます」の祈りの実行である。

 神さまへの本当のお手伝いは何か?

   神さまに一点集中した、深い深い祈りの実行である。

 思いに生きるのと感謝に生きるのとは、どこが違うのか?

   本当の感謝に生きるようになって、初めてその区別がつくのである。

 未だ感謝の心に成り切っていない者には、この答えはだせないのである。先ず徹底して思いを消し去る生き方を実行しなければならないのである。

 

 他人からの援助を受けて喜んでいる自分は、思いの自分である。方便の教えを聞いて喜んでいるのは、思いの心である。次から次へと、新しい話を追い求めて聞いているのは、一を聞いて十を悟り、即実行するものである。

 

 感謝の真祈りの本当の価値を見出せたならば、自らが即実行すればよいのである。真剣にどこまでもどこまでも真剣に、自分の生命と引き替えに、感謝の真祈りを受け取ればよいのである。

 

 枝葉に心を奪われたら、思いの心に陥るのである。感謝の心に戻る為には、神さまへのみ 心を向け続け無ければならないのである。

 思いの心、計らいの心というものは、本当に必要のない、詰まらないことをし過ぎるのである。自分の内なる絶対神へ一点集中して、心を向け続けることのみが大事なのに、その自分と神さまの一対一の関係を、絶対に壊してはならないのである。本当の祈りは、内なる神さまと自分との交流である。本当の感謝は、内なる絶対神への感謝である。

 

 無限の無限の情報が氾濫する中で、本当に必要な情報を手中にすることは、難事中の難事なのである。自分にとって必要なものだけを受け入れないと、身も心も生命も滅ぼしかねないのである。

 

 「ありがとうございます」の感謝の祈りに、本当に絞り込んで実行できたら、必要なものは神さまから的確に与え続けてもらえるのである。

 「ありがとうございます」の神さまは、一切の縛りを嫌うのである。「ありがとうございます」の一言を唱えること以外、何も必要ないという。

 余計なことをすればするほど、神さまの救いの邪魔をしていることになるのである。

 

 ただひたすらに「ありがとうございます」を唱え続けているだけで、誰でもみんな、幸せで幸せで、どうしようも無いくらい幸せで、無茶苦茶に幸せで、何が何でも幸せで、こんなに幸せでいいのかしらという状態に必ず成るのである。

 

 天照大御神様いまここに在します。

新たなる全徳の無限の無限の輝きが

無限に無限に一杯!

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます・・・・・・。

 

ありがとうございます