28ほんとうのプラスを与える「人助け」とは

 与えたものは必ず与え返される!これは因縁因果の法則です。しかし私達がみんなに幸せを与える為に、与える心を奮い起こそうとするのは、みんなから幸せのお返しが欲しいからでは無いのです。幸せを与える心・与えようとする心は、本心の無限の無限の幸せ一杯!の心であって、与えることが幸せだから、与えずにはおれないから与えるのです。感謝は本心の自分にとっては、一番自然な呼吸と同じものです。ありがとうございますと感謝して、他に大きな幸せを与え、ありがとうございますと感謝して、神さまから無限の無限の幸せを受けるのです。宇宙の大神さまから既に与えられている無限の無限の幸せを、新たに新たに受け続ける為に、感謝の呼吸は永遠に続くのです。

 

 同じ人に与えるに際しても、必要な時に・必要な物を与えるのが、相手を最も幸せにする与え方なのです。同じ物を与えるの際しても、必要な人に・必要な時に与えるということが、物を生かす最善の与え方です。本心の心が本当に必要としているものを与えれば、それは幸せに直結するものです。業想念の心を満足させる為のものであれば、それは不幸せに(ふしあわせ)に直結するものです。必要なものを与える場合に、特に注意しなければならないことは、本心が本当に必要としているものか、業想念の心で欲しがっているだけの、見せ掛けの必要なものかどうかを、しっかりと区別することです。他を不幸せにするような、またそれを助長するような与え方は、逆効果なのです。それでは自分自身も不幸せになってしまうのです。

 

 自分のいのちを捧げ尽くすということは、寿命(いのち)即ち時間を捧げ尽くすことです。神さまへの奉仕に、一日24時間捧げ尽くすことなのです。神さまへの奉仕の最たるものは、祈り言葉を唱えること(祈りの練習)、新たなる全徳の無限の無限の輝きを感受すること(祈り)です。寸暇を惜しんで、一心不乱に、祈り言葉を唱え続けることが、いのちを捧げて祈る、『真祈り』に通じてゆくのです。

 

 人に与える時も、人に借りを返す時も、自分の業想念を付着させたままでは、大きな迷惑を掛けることになるのです。だから、必ず感謝を積み重ね・感謝を深めて、一度神さまを通して、神さまから返してもらうことが、何よりも大事なことなのです。受ける時も、感謝を徹底することが、本当の幸せへの道なのです。感謝の心で受け、感謝の心で与える、感謝一筋の生き方のみが、神さまの光を受け・神さまの光を与える、唯一無二の生き方です。

 

 感謝の心の自分は、神さまと波長が合うのです。全体・全相を達観・洞察するのです。神さまは今、何を願い・何を必要としているかを、的確に把握して瞬時に実行し、奉仕するのです。感謝を忘れ・怠ると、思いが発生するのです。思いの心の自分は、一つの物事に執着し・囚われて、自由自在を失うのです。全体にとって、今何が最も必要かを、正しく把握できなくなるのです。隣の部屋が火事であっても、自分勝手なことに没頭してしまうのです。また過去に囚われて、方針が変わっても、同じことをし続けて、全体へマイナスを与えてしまうのです。

 

 感謝の心の自分を生きることによって、プラスを与えることができるのです。思いの心の自分を生きていては、何を与えても、すげてはマイナスになるのです。この道理を肝に銘じておくことが大事です。何事をする場合でも、間違ったことをすれば、その手直しに何倍も迷惑をかけることになるものです。常に感謝の心で、神さまの知恵・力・助けを受けて、何事もさせてもらわなければ、本当のプラスの働きはできないのです。自分勝手な思い込みで、幾ら正しいと思っても、迷惑をかけるようではマイナスです。先ずは感謝を徹底して、感謝しながら何事もさせていただくことが大切です。一瞬一瞬神さまの知恵に導かれなければ、何一つとして正しいことはできないのです。思うことよりも、考えることよりも、感謝し続けることの方が、はるかにベストです。

 

 無償の愛の与え方は、神さまの御心と一致します。無償の愛の心で、他にプラスを与えたら、必ず神さまからも、無限のプラスが与え返されるのです。ただ本当にプラスを与えることができたらの話です。本当にプラスをあたえる為には、自分の持っている業想念を、それにくっつけないことが必要です。

 普通は自分の持っている業想念が、他へ与えるものにくっついてゆくのです。どんなに素晴らしいプレゼントを与えても、沢山の業想念たくっついてゆけば、大きなマイナスを与えたことになるのです。先ずは自分自身の心を清浄にすることが大事です。自分のすべてを、神さまに捧げ尽くして、神さまを通して、他にプラスを与えることが必要なのです。

 

 自分は他にプラスを与えたつもりでも、本当にプラスを与えたかどうかは、疑問なのです。自分の心・言葉・行いから発している、すべての働きを総合して判断しなければ、本当のことはわからないのです。自分がここに存在するだけでは、心に在る業想念・プラスの言葉の欠如・プラスの行為の欠如によって、大きなマイナスを撒き散らしているかもしれないのです。知らず知らずの内に撒き散らしている、大きなマイナスの働きに、倍する、プラスの働きを、加え続けてゆかなければ、本当のプラスの働きはできないのです。

 

 本当のプラスを他に与える為には、

(1)一瞬一瞬、自分のすべてを、神さまに捧げ尽くして、自分の持つ業想念を、消し続けてもらうことです。

(2)神さまへの感謝を深めて、自分が他に与えようとするものを、清めてもらうことです。

(3)相手の本当に必要としているものを、真心込めて与えることです。

 

 他人の助けを受けないと息巻く人は、無人島で生活すれば良いのです。それでも神さまへの感謝が無ければ、神さまのものを無断で盗み取った大泥棒です。神さまへの感謝と他への恩返しは、幸せに成る為の絶対条件なのです。この世でもあの世でも、与える心を生きる働き者が、幸せに成れるのです。どのような自分に成るかが、この世での勉強です。あの世に戻れば、自分と同じような生き方の『そっくりさん』ばかりの世界となるのです。みんなが怠けて働かなければ、必要なものも何一つとして手に入らないのです。どのような自分に成るのも、自分自身が選んで決めるのです。

 

 『人助け』に一番必要なことは、常に人の自由意志は尊重されなければならないということです。真剣に感謝し、真剣に奉仕している人を助ける場合は、その人の自由意志は、神さまの助けを受け入れると明確に定まっているので、問題はないのです。神さまの救いの媒介になって、どんな助けを与えても、プラスに働くものです。しかしそうでない人を助ける場合は、助けるのが良いのか、助けない方が良いのか、優しいのが良いのか、厳しいのが良いのか、非常にその選択が難しいのです。守護の神霊の方針は、先ず苦労を与えようとする厳しいものです。肉体人間の方は、お節介が過ぎて、甘くなりがちです。

 

 本当の人助けは、感謝の深まるように助けることです。思いの心から感謝の心へ移り変わらせることであり、浅い感謝から深い感謝へと感謝を深めさせることです。苦労の足りない場合は、順境に慣れると、感謝を忘れ、不足を言うものです。だから苦労はしっかりとしておく方が、感謝は本物になるのです。「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」では、苦労が足りないことになるのです。必要以上のものを与え過ぎたら、必ず感謝を忘れ、求める心がエスカレートして、不足を言うものです。

 

 本当の人の自由意志は、本心の心・感謝の心の中にあるのです。思いの心から来る、思い通りにしたいという自由意志は、偽物です。感謝の心が必要としているものを与えるのは、正しい助けです。思いの心が求めるものを与えるのは、間違った助けです。本心の心は、感謝の深まるように助けてほしいのです。だから思いの心で求めている時は、一切与えないのが正しいのです。思い通りになれば、思いを一杯積み重ねて、感謝から遠ざかることになるのです。

 

ありがとうございます