23言葉の力

 

『思う通りに成る』『言葉の通りに成る』のです。これは宇宙を貫く、厳然たる法則です。誰ひとりとして、この法則の外に出ることはできないのです。法則というものは、常に厳正かつ公平無私なのです。身口意(行い・言葉・心)の三業(三つの働き)は、プラスにもマイナスにも厳然と働くのです。

 

 プラスの言葉を使えば、心はプラスの状態に成り、マイナスの言葉を使えば、心はマイナスの状態に成るのです。今の心の状態は、過去に使った言葉通りです。心のままに動くというのは、心の奴隷状態です。言葉の使い方を間違えば、本心の意思通りには成らないです。このギャップを速やかに埋める必要が有るのです。

 

 本当の自分は、神さまと一体・胴体です。即ち常楽我浄そのものです。常(永遠不滅)楽(無限の無限の歓喜)我(唯我独尊)浄(真清浄)そのものの自分は、一切のマイナスは無いのです。

 全大宇宙には、宇宙絶対統一神という放送局から、無限の無限のチャンネルの異なる放送番組が霊波として放射されているのです。神さまが与えて下さる、無限の無限のチャンネルの番組の中から、何を選び、何を受けようとしているのか、自分自身が決定し泣ければならないのです。自分自身が番組選びのそう責任者です。人はどんな運命でも享受できるのです。自分自身に自由選択の権利と責任が有るのです。

 

 言葉によって、チャンネルを合わせることができるのです。ここで言う言葉とは、広義の言葉です。文字だけでは無く、風景・映像・絵画・彫刻等々も、音楽・自然の響き・雑音等々も含まれるのです。心に取り込んだすべての言葉は、チャンネル合わせの予約になるのです。もしマイナスの番組を見たく無いのであれば、心の中のマイナスの言葉を消し去って、予約を取り消せば良いのです。

 

 人間が苦しむのは、熱中する余り、その放送番組の中に巻き込まれて、その中の登場人物に成り切って執着するからです。執着しなければ苦しみは無いのです。低い番組ほど執着すればその苦しみは大きいのです。それは本心の自分と低い番組の登場人物との差が極端に大きいからです。高い番組であれば仮りに執着しても、本心の自分の姿がより多く表現されているから、そのギャップの少ない分だけ苦しみは少ないのです。

 

 運命(生命を運ぶ)を前向きにする為には、プラスの言葉を駆使しなければならないのです。過去にマイナスの言葉を使い過ぎた為に、心もマイナスに向いていて、運命もマイナスに向いているという人はこの世には多いのです。そういう人にとっては、心もなかなか明るくならないし、運命も希望通りには運ばないのです。だからといってプラスの言葉を使わなかったら、ブレーキの効かない車が坂道を転がり落ちるように、加速度的に運命は悪くなってゆくのです。マイナスの惰性を打ち消すだけでも、大きなプラスの力が必要です。

 

 『徳を積む』ということが、運命を幸せは状態にする為には、必要不可欠なのです。不運を嘆いているだけでは、決して幸せにはなれないのです。またこの世に幸せを探し求めているだけでは、決して幸せは実現して来ないのです。先ず心の中の運命のフィルムを、幸せな状態にしなければならないのです。この世の運命はすべて、心の中に形成された運命のフイルム通りに、投影されて実現してくるからです。運命のフイルムは、心に受け入れたものによって形成されるのです。心の中に何を受け入れるかは、自分の自身が取捨選択して、すべて決定しているのです。無防備に何でも受け入れる場合も、自分自身が心の門戸を開放しているからです。

 

 徳とは、神さまの愛の働きです。徳を積むとは、心に神さまの愛の働きを感受することです。最高最大の徳とは、宇宙絶対統一神・天照大御神の全徳の無限の無限の輝きです。

最高最大の徳を積むとは、一瞬一瞬新たに、天照大御神の全徳の無限の無限の輝きを、心にしっかりと受け入れることです。真実の徳積みは、感謝の祈りによってできるのです。心に徳(神さまの愛の働き)を受け入れるということは、この世からも、あの世からも、直接天照大御神からも、どこからでも可能なのです。神さまの愛の働きとして、プラスに受け入れたものはすべて、徳となって心に蓄積されるのです。この世の徳行、心に積まれた徳が、形に現われて消えてゆく姿であって、徳消えです。それを謙虚な心で、善いことをさせていただけた、ありがとうございますという心になった時に、新たな徳を大きく積み直させていただけるのです。それを自分はこんな善いことをしたのだと高慢になった時には、徳積みでは無く、徳消えであり、さらには業積みになるものです。

 

 徳を積むのは、本心の自分です。本心の自分が、神さまの愛の働きを感受して、プラスにプラスに受け入れたものが、徳になるのです。業想念の自我の心ですることは、すべて業積みなのです。本心の徳積みは、光(神さまの働き)を受け入れるのです。自我の心の業積みは、白雲(善事)でも黒雲(悪事)でも、雲の積み重ねです。白雲も多くなれば、黒雲に変化してゆくのです。どんな素晴らしい伝統・風習を守るにしても、神さまを忘れて、過去に生きる時には、新しい時代にそぐわない縛りが生ずるものです。自由を縛るのは、悪であり、不幸の源です。神さまの愛の働きは、常に今を新たに、すべての縛りから解放し、自由にするものです。運命のフィルムに業想念が付着して、それが投影されて、様様な縛りとなっているのが、この世の七難八苦です。その付着した業想念を消滅できるのは、神さまの光(全徳の無限の無限の輝き)だけです。業想念(自我)の力では、どんなに小さな業想念も、消し去ることができないのです。

 

 現在の自分の心境・運命・境遇というものは、過去の自分の言葉・思いの総決算として現れているのです。どんな過酷な・悲惨な運命も、自分自身の行い・言葉・心で、しっかりと選び取ったものです。他人の所為で自分の運命が少しでも変化するとすれば、自分の運命が善くなる確証は無くなるのです。自分自身に全責任が有るからこそ、自己の責任において、運命を自由に変えることができるのです。自分の世界のマイナスを、他人の所為にしたら、大きな間違いです。もし他人の所為にする言葉を使ったら、自分の世界に、無責任な自分が現実化して来て、マイナスが増えるだけです。

 

 他人に責任を転嫁する、甘ったれた・狡い・無責任な、言葉・心・行いの人は、いつまでも同じような運命の中に自分を置くことになるのです。自己弁解し・言い訳ばかりし・自己主張する人は、いつまでも似たような境遇の中に自分を置くことになるのです。怠けて働かない・楽して儲けようとする人は、自分にそっくりな人から同じような仕打ちを受けて、マイナスへの運命を歩むものです。自分の言葉・心・行いを改めない限りは、厳然と自分の言葉どおりの運命・自分の心通りの運命・自分の行いの報いられた運命が、次から次へと現れて来るのです。

 しかし嘆くことは要らないのです。それをハンデイキャップに変えて、マイナス無限大から出発して、本心の無限力を、一心不乱の祈りによって引き出してゆけば、その人は無限の無限の喜びを自分のものにすることができるからです。

 

 人の噂は決して信じてはいけないのです。大事なことであれば、自分自身が直接に確かめるべきことです。自分の口から出た言葉に対する責任は、仮りに噂として流しても、必ず自分自身に振りかかって来るのです。噂に同調したということは、その噂を流したものと同罪です。正しく白を白といっても、黒を黒といっても、反対に白を黒と言っても、黒を白と言っても、自分の言った言葉が引き起こす結果に対しては、その責任はすべて自分自身に降りかかって来るのです。

 

 人からの伝言を聞く場合も、そのまま鵜呑みにしては間違うものです。自分自身が直接に聞く場合でも、相手の意向を正しく汲み取ることは難しいのです。ましてや他人が間に入って、間接的に聞く場合には、相当なずれが生じるものなのです。受ける側の自分に、すべての責任があるのです。

 

 仏教に如是我聞という言葉があります。お釈迦様の真理の説法を、弟子達はそれぞれに、自分はこのように聞いたというように、謙虚に他に伝えているのです。お釈迦様がこのような説法をされたというのは、間違った表現です。お釈迦様の説法を自分はこのように聞いたというのが、正しい表現なのです。人の言葉を他に伝える場合も、あの人の話を自分はこのように聞いた、というのが正しいのです。どのような話を伝え聞く場合も、直接に対話している人の考えだけを、自分は聞いているのだということを、肝に銘じておく必要があるのです。直接に伝える必要があれば、必ず自分で直接に伝えるべきです。直接に聞く必要があれば、必ず自分で直接に聞くべきなのです。

 

 すべては、自分の言葉の表現なのです。すべては、自分の言葉通りに・願い通りに・思い通りに・成っているのです。自分の未来のすべては、これから駆使する言葉によって、どうにでも成るのです。過去のすべては、これから駆使する言葉によって、自由自在に変えてゆけるのです。過去に縛られることは全く無いのです。過去から自由になるのも、過去にいつまでも縛られているのも、今の自分の駆使する言葉次第です。

 

 神さまのように生きたいのであれば、神さまの使う言葉を、自分も駆使する必要があるのです。無限の無限のプラスの言葉を、断定的に、駆使し続けることが、何よりも大切なのです。『一瞬一瞬新たなる、全徳の無限の無限の輝きで一杯!』と、断定的に自分を褒め讃え続け、過去・現実を完全に無視することも必要なことなのです。どうしても現実を見なければならないのであれば、マイナスの極から、すべてを光一元に眺めて、プラスに見直し・思い返して、プラスの言葉だけを駆使するように心掛けることです。プラスの言葉を使えるように助けてもらう為にも、真剣に・前向きに・積極的に、自分自身がプラスの言葉を使わなければならないのです。

 

ありがとうございます