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一大循環を否定すると by 河上 [Mail] 2024年09月07日(土) 05時15分
PC

一大循環の相象(すがた)を受け損なったら、虚の世界に落ちる

 一大循環の相象(すがた)があるか?ないか?という質問をしたら、松下先生がないとおっしゃった。録音にも残っている・・・というご質問が、護摩でありましたが、この質問をお聞きするのは、2回目です。

 最初にこの質問を預かって来たのは、和田氏であったか、じょうしさんであったか、失念いたしましたが、そのときには、その録音の前後が重要なので、録音を公開するように、又、そのことは、大事なことなので、それを最初に先生に質問した方が、直接、公開の場、非公開の場にかかわらず、この、河上に聞きにくるように・・・ともうしましたが、未だに、誰も、聞きにこられませんまま、前回の護摩の質問となったのです。

 誰がこの質問を先生にされたのか?町田氏であると聞きましたが、確認できませんでしたので、又、その録音を公開されませんので、この先生の、一大循環の相象(すがた)はないという回答の意味を説明出来ないまま今日に至っております。

 一言で結論を言いますと、一大循環の相象(すがた)を、受け損なった(無いと想った)人間は、虚の世界におちるのです。
 
 つまり、思いめぐらす人間となるのです。思いめぐらす人間とは、神さまを召し使いのように扱き使う人間のことです。

 わかりやすく言うと、アラジンのランプの魔法の精のように、全知全能の神さまは、なんでも、人間の言うことを(思いめぐらす欲望を)聞いてくれるはずだと、勘違いしている人間のことです。

 山仕事をしているから、真祈りになっていると、言い訳して、真祈りしようともしない村人はこれに該当します。

 こんな簡単なこともわからず、又、録音を公開もせず、さも、河上が間違ったことを言っていると、陰で、うわさするようでは、大変なことになるのです。

 村人たちは、その中心者の、町田氏に従っておられます。ですから、一大循環の相象(すがた)が無いと思いこまされているのでしょう。あわれで、あります。

 私たちは、松下先生のそばに長年いたから、河上より、先生のことはわかっている、先生は一大循環の相象(すがた)がないとおっしゃったのに、なぜ、河上はまちがったことを言っているのか?と陰でうわさしているのと、同じことにとうとうなってしまったのです。

 本当に松下先生の神意がわかっているなら、村は、地球人類の代表であると、言われたことも分かっているはずです。そんなことは、聞いていないというのであれば、水晶玉事件のことと、同様であって、先生に甘えて頼っているばかり(アラジンの魔法のランプの精のように、先生を自分の希望実現の為に、こき使っていたということ)だったということです。

 だから、肝心のことは、何も、受け取っておらず、真祈りのことも、聖地としての村の重要性もまた、聖地にすむ、責任の重さもわかっておらないのです。

 村が真祈りしないから、又、河上の説明を否定しつづけているから、とうとう、地球人類の運命が大変なところに、踏み込んでしまったのです。

 そのために、最終的には、食べ物がなにもない状態に、なるしかない状態になって来ているのです。

 本当になにも無い状態になっても、困らないように、昆虫の食べ方、そして、ネズミ等々の小型のほ乳類、そして、小型のは虫類、魚類の食べ方を、ネズミを代表として説明するしか無い状態にまで、追い込まれてしまっているのです。

 粗塩や岩塩だけは、なにがあっても、確保していてください。これがないと、前述の調理をすることができません。岩塩、粗塩だけは、自然界から、簡単に手に入れることができませんので、なにがあっても、食べ物がある、今から確保しておいてください。

 そして、村人達が、眞(まこと)の神さま以外の神さまをえらんで、真祈りしない状態を、憂え、町田氏に、意見出来る方は、真祈りに、眞(まこと)の神さまにもどられるように説得をお願い申し上げます。

 なぜ、相手の自由意志を縛ってまで、お願いしているかと申しますと、村が真祈りしないということは、人類全体が真祈りしないということになって、地球の命運が大変なことになるからです。

 かつて、もとすいけから、今の村への大引っ越しという、大移動のとき、3000万用意できるか?200万用意できるか?80万用意できるか?・・・と、引っ越しと今の村の建設の為に、苦労しているときに、野村さんという方が、この河上に、お前は、先生の邪魔をしている、先生は、お前のことを、どっちにころぶか分からんとおっしゃったと、この河上を面罵したことがありました。

 そのときは、先生の奥様まで、その野村の言うことを信じて、河上は、どっちにころぶか分からん。と言った状態でありました。

 これも、今回の一大循環の相象(すがた)があるかないか?と同じでありまして、その当時のどっちにころぶかわからんとは、お金が用意できるかどうか次第で、村を存続できるかどうか、どっちに転ぶか分からん、つまり、人類の命運は、どっちに転ぶか分からん・・・ということが、神意でありましたが、お金のことは、無理矢理、出させるわけにはいかず、本当に心から神さまのため、先生のためと出せる人から集めるしかないので、お金の苦労は、言えず、河上の奔走は言えず、微妙な言い回しの言葉尻をとらえて、野村がこの河上の邪魔をしたのです。

 これは、結果、一大循環の相象(すがた)という、眞(まこと)の神さまの邪魔をしたことになったので、入れ子構造的、野村さんの体に表れて、数年後、村で、血液循環が悪化して、脳梗塞の症状をあらわされることになったのです。

 このときでも、先生は、一週間水ばかり飲んでおれば、完治すると、愛の言葉を、呪(しゅ)を籠めて、述べられ、そのとおり、実行すれば、数日で治るはずでありましたが、脳梗塞で全身が動けない状態で、おむつが、必要になったのです。

 そのおむつの(しものせわ)が大変なので、村人達は、野村を、病院に入れてしまったのです。

 いろいろありますが、いつも、自分達の都合のよいように、解釈して、先生のされることを邪魔されるのが、村の伝統に?なってしまっているのです。

 護摩がせまっておりますので、今回は、これで、筆をおきます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上


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護摩の遂行に支障を by 河上 2024年09月02日(月) 04時26分
PC

 食中毒の危険があるから・・

 食中毒の危険があるから、村での食事は各自が持参するように・・と申し上げておったのですが、パスタの供与があったのでは、真祈りのない今の村では、危険すぎます。

 河上がOOだから、言うことを聞く必要がない・・・というのは、各自の自由意志でありますので、ご自由でありますが、もし、食中毒がおこって、護摩の遂行に、支障をきたすようでは、神さまの御眞行の邪魔をすることになりますので、大変なことになります。

 さらに、村で、食料を無駄にするような現状が続きますと大変な世界的な食糧危機を、招くことになりますので、食中毒の危険も含めて、中止するようにお願い申し上げておったのであります。

 今回のことで、食料危機が避けられない事態になってまいりましたので、念のため、先生からお聞きしておる食料危機に際しての対応の一つを、記しておきます。

 まず、食べ物がなくなりますので、ゴキブリ等々の昆虫の調理法であります。
 ゴキブリなどの昆虫は、なにもなくなれば、食べることにするしかありません。

 沸かしたお湯に、さっと、通して、羽、足などを、もぎ取り、残りをフライパンで、炒めることによって、食べることができるようになります。

 しかし、昆虫を食べる前には、ネズミ、アナグマ、カエル、トカゲなどの、動物たんぱく源として、捕獲できる間は、これらを食べることができます。
 
 その調理方法は、ネズミを代表にして、申し上げますと、捕獲したネズミを、肛門から、串刺しにし、焚火で、遠火で、鮎を焼くような感じで、蒸し焼きにします。

 15分ぐらいしますと、ネズミの大きさにもよりますが、毛が燃え尽きたあとに、油がしみだしてきます。

 これを少し冷ましてから、焼けた毛を、手でもんで、剥ぎ取り、さらに、腹を裂いて、内臓を取り出し、取り出した後に、塩を詰めて、さらに、焼き上げますと、おいしくいただけます。

 この時に詰める塩は、精製塩よりは、粗塩の方がおいしいです、高価ですが、岩塩を使うとより、美味にいただけます。

 そして、こういう食べ物がなくなれば、珪藻土という粘土を食べることによって、体力を保つことができます。

 こういう事態を招くことがないように、護摩の遂行に支障をきたさないよう、万全の注意をされるようにお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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村を沈める必要があるのか? by 河上 2024年08月17日(土) 04時24分
PC

村を沈める必要があるのか?

 村をなぜ?沈める必要があるのか?・・・・というご質問ですが、2011年7月2日のお話にありますように、真の神さまへの弟子入りが、出来ていない以上、聖地に住むということはゆるされないからであります。

 村人がご自分で、破門されているからであります。先生の身代わりとして残された、水晶玉を破壊し、誰が、どんな理由で、破壊したことも、隠し通し、してしまったことは、仕方ないから、これから、どうするか?だけであると申し上げても、どうするのが良いかもわからず、相談するわけでもなく、なにも出来ずに、黙り通していれば、なんとかなるという空気を作って、なにもしないからであります。

 奥さんにお聞きすれば、もう、代替わりしたから、自分ではどうしようもないが、自分としては、できるだけ時間があれば、お祈りの部屋で、印可書を奉読するのが精一杯であるとのことでありました。

 では、誰に村を託したのか?とお聞きしますと、まーさんたちであるとのことでありました。つまり、まさよちゃんは、町田さんの言いなりでありますので、具体的には、町田さんに、村を託したということであります。

 町田さんに真祈りする気がない以上、もはや、どうしようもないのです。

 どうしたら、真祈りになるのか?がわからないから、どうしようもないのか?あるいは、真祈りする気がないのか?は、不明でありますが、6年間にわたって、真祈りについて、説明しましたし、河上はダメだから、その話は聞かない・・・のであれば、聞かなくても、先生が、2011年7月2日と7月30日のお話で、真の神さまへの弟子入りとして、真祈りとして、詳しくお話されています。
 
 これを聞いてもわからない・・・のであれば、先生を信じていないということであり、また、信じていないのに、先生の残された村を自分たちのものであると勘違いして、村を利用しているだけであれば、(もちろん、結果としてでありますが)真祈りしようと、もがいていないのでありますから、先生が石ころ一つ残さずに村を沈めてしまえとおっしゃるのは、当然でありましょう。

 とりあえず、喘ぎながら、14日15日の山は越しました。それでも、消し去れたのではなく、9月の末に先のべしただけであります。

 9月の最初の護摩は大事でありますので、よほどの理由がない限り、真祈り人は、護摩の会場に結集されますようにお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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8月護摩2 by 河上 2024年08月14日(水) 17時26分
PC

令和6年8月2週目護摩焚き河上さんお話し−1

司会者
 お墓についての質問です。私は2人姉妹なので、両親は永代供養して納骨堂に納めてあります。お墓はありません。知人は先祖のお墓が地方にあるので、墓終いして永代供養してもいいのか悩んでいます。先生はお墓はいらないと言われましたが、そのことについて教えてください。

河上さん
 ありがとうございます
 お墓の事ですけども、お墓というのは自分のためにあります。生きている、この地上側に肉体を持っている人のためにお墓はあります。どういう事かと言うと、いつもいつもその人の事を思い出せる、思い出せて真祈りできる状態だったら、お墓は要らないわけです。でも普段仕事に夢中になったり、色々あるじゃない、家事に夢中になったりしてね。で、おじいちゃんおばあちゃんの事を、お父さんお母さんのことを忘れるじゃないですかで、忘れてしまったままだったら永遠に忘れちゃうから、忘れないようにモニュメントとして、お墓とか仏壇とか神棚があります。只々それだけで、あくまでモニュメントという模型ですね。なんて言うんですかね、例えば遺影を飾ればいいじゃないかみたいな感じですけども、遺影では駄目なんですよ。

 なぜかというと、亡くなられてから、どんどん皆さん、進化されるというか本来の真(まこと)の神さまに戻っていかれるわけですよ。一大循環の相象(すがた)に戻っていかれるので、死んだ時の写真の姿ではないわけです。遺影を飾るとその写真の姿でこっちが固定するんで、向こうが動きにくくなるんですね。だから、「何々の霊位」とか抽象的な形で置いてるだけです。それも、いつも心に留めていて、何からにはすぐ思い出して、「ありがとうございます」とかね、「印可書」とか、お祈りできる状態だったら本当にモニュメントは要らないんですけど、「せめて1年に1回は思い出してや」というのがお盆ですけど、お盆とお正月ですね。1年に1回はちょっとは思い出してえなということで。思い出すためにはモニュメントがあった方がいいじゃないですか、という形であります。

 だから、どこの場所にあってもいいし、あるいは、例えば遠くの自分の出身地にお墓があって、いわゆる管理ができない状態の時はお墓を閉じて、いわゆる仏壇とかの形で持っておられてもいいし、いわゆる業者に頼んでね、業者と言ったら怒られるね、お寺さんに頼んで永代供養で預かっていてもらったらいいわけです。だから、その何かの法事の際には、そこのお寺に集まるとか、そこのマンションに集まるでいいじゃないですか。今はお墓のマンションあるじゃないですか。そういう形でモニュメントとして持っておく方が気分的に落ち着く方は、それをされたらいいです。

 いつもいつもすぐに思い出せて、要するに真(まこと)の神さまがあって、順番にずっとご先祖様があって今の自分があるという形なんですね。それを分けて時間軸に伸ばしてみるから、ややこしくなるんで、本来はピタッと一つなんですよ。だからピタッと一つだから、お墓も何も要らないわけ。今ここに既に皆さんのご先祖様も真(まこと)の神さまもピタッと1つになっていらっしゃるだけなんです。それを「真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)となって厳然と今此処(ここ)に在します(まします)!」というね、先生のお答えがあって簡単な言葉ではわからないだろうということで、印可書を作っていただいた。で、その印可書も分からないということで、もうちょっとお前、易しく、もうちょっと引き伸ばし書けということで、あの最後の印可書があるだけです。だから、只々それだけです。

だから気になる方はそういう形をとられたらいいし、もう真(まこと)の神さまだけ!って完全に思い切れたら必要ないです。ともかく一番大事なことは、真(まこと)の神さまと自分との間に何一つ置いては駄目なんですよ。もうそれだけです。先週、お願いしましたけど、これから皆さんが、無限の無条件の喜び、福音を述べ伝えていただく立場に立つんですけども、その無条件の喜びを知らせる時も、自分と知らせる人との、神さまと知らせる人との間に自分が立っては駄目なんです。それを忘れないようにしてください。自分と真(まこと)の神さまと、その人の間に自分が入ってしまうと宗教になって、ややこしいことが起こるし、本来、不離一体の真(まこと)の神さまとの関係を崩すからね。真(まこと)の神さまの働きを邪魔することになるんですよ。

 そういう意味では、永代供養もね、お墓も仏壇も要らないんですけども、不安なうちは形を通してお祈りするためにね、モニュメントはあっても大丈夫です。あってもなくても大丈夫だということです。ありがとうございます

質問者
 以前の勉強会のお話で、戦争になると負けている国の方が追い詰められて核兵器を使うとありました。大東亜戦争では勝っていたアメリカの方が原爆を落としましたが、これはその意味には当たりません。ご意見をお聞かせください。

河上さん
 あの時は、いわゆる原子爆弾というものが人間に対して、どういう影響を及ぼすかというのが全く分かっていなかったわけですよ。分かっていなかったから使ってみたいと。で、いわゆる2種類の爆弾なんですけどね、原子爆弾でも種類が違うんですね。一つは日本でも開発していた、ドイツでも開発していた、ほとんどドイツ型の爆弾。もう一つはアメリカで開発されたものという2種類があったんで、その二つを実験と言ったらおかしいですけど、使ってみたいのがあって、使われてしまったということです。

 それはなぜかというと、まず日本民族が真祈りしなくてはいけない立場であるにも関わらずにですね、その場の空気に流されて、全員が無責任になって戦争になってしまったんですよ。本来、99対1ぐらいの国力差のことですから、戦争したって負けるって分かってるわけですよ。負けると分かってる戦争を普通はしない。なのにしてしまったというのはね、色んなことがありますけども、結局は誰の責任で戦争になったのかと言ったら、全員の無責任さです。

 だからもう、それだけなんです。その結果、無責任の結果の総結集として、原子爆弾があったり、東京、大阪の大空襲があったりね、神戸の大空襲があったりして、すごい被害が出るわけですね。それだけなんですけどね。なぜ、みんな無責任なのかというと、日本人というのは、その場の空気だったら、「もう、ああ言うしかなかったんだよ。」って平気で言い訳するのね。会社の会議でも会議では言わないのね。「あそこでは、あれは言えないよね。」って言って、居酒屋になってから本音を言って、ああだこうだって言ってるじゃないですか。

 そういう感じで、今の村でもそうですよ。河上は駄目だ駄目だ、じゃあ何で駄目なんだっていう時に、誰もね、なんで駄目か知らないんですよ。空気として河上は駄目だって言ってたから、なんか知らんけど印可書は駄目になったんだよ。なんか知らんけど河上は駄目になったんだよ。という無責任さに気付かない、全員が。全員が!わかります?誰かが言ったんじゃない、全員が空気としてそういう雰囲気ができてしまって、「その空気には逆らえないよ。」って無責任に言ってね、なるわけです。

 これ極端に言うとどういうことかいうと、今あるじゃないすか、ネットの闇バイト。わかります?闇バイトで、人を殺せと言われて殺しましたと。「私は頼まれて殺しただけで、私は殺したんではない。」って言うでしょう?でも、そうじゃなくて頼んだ方よりも殺した方が悪いじゃない?そういう感じで、日本人というのはすぐ空気のせいにしてね、自分は責任ないみたいに逃れるのね。別に村人が悪いんじゃなくて、ただ日本人の特徴なんですよ。そうして、あの場の空気だったら、もう戦争になるしかないんだよっていう感じで、なっちゃったんです。なんでなったか誰もわからないんですよ。色々と僕も、色んな資料を集めて調べましたけども。どれもこれもが誰のせいというのは無いんですね。空気があるだけなの。

 で、あの時は2.26事件、5.15事件、2連続事件というのがあって。政府の本当に責任ある立場の人が殺されちゃうんです。それ以降、何が起こったかというと、殺されるのが怖くて、みんな本音が言えない。お互いに疑心暗鬼になって本音が言えないけど、こんなに日本をイジメてくるアメリカとは戦争するしかないんだ、という感じで開戦になります。その時の開戦になった頃の、うちの父親とか色んな人の話聞くとね、12月8日の「米英と戦闘状態に入れり」と言った時に、みんな、すっきりしたって言うんですよ。
 
 それぐらい、それまでアメリカから本当に色々虐められてたんです。実際それは、今のアメリカの歴史学者でもね、こんだけ虐められたら、それは戦争するしかないやろ。こんなしょうもないことのために、なんでこんなに多くのアメリカ人が犠牲になってしまうんだみたいなことを、今になると言っていただく歴史学者もいらっしゃいますけどね。それぐらい、先生がおっしゃる総責任者の自覚が大事なんですよ。みんな無責任に、「みんながワーッと言ってるから、あの場ではそれは言えないよ。」って言って無責任に流れるの。で、無責任に流れて結局は全員の責任なんですよ。自分たちは責任ないじゃなくて、結局、やった全員の責任なんです。

 村で言うと、「河上は駄目だ。」と言ったら、駄目って言った村人全員の責任になってしまうんですよ。でも、その時は空気で駄目だと言ってる。空気で印可書は駄目だと言ってる。だから「なんか知らんけど印可書は駄目だってなりました。」って平気で言うわけ。無責任でしょう?でも、自分らが、その空気に流れてしたから、自分らには責任はないって、みんな思いたいの。

 それは戦争の時もそうなんですよ。もう戦争は駄目だって海軍の首脳部も分かってるし、陸軍も分かってるし。とても、そんなもん武器も弾薬も何もかも足らんのにね。できるわけないって言ってるのに、なっていくわけですね。で、天皇陛下が、中国の場合は、まだ支那事変という宣戦布告してない戦争ですけども、「中国の大陸の時は半年で片付くと言ったではないか?」と。「今回、アメリカと戦争して、太平洋は中国大陸よりずっと広いぞ。」と言って、天皇陛下が怒られるわけですけども。そんな時でも、天皇陛下が平和を望んでおられると言っても、誰もその全体の空気に逆らえない。その空気は誰が作ったかと言ったら、全員が作ってるんです。わかります?全員が無責任に、「こんなにアメリカに虐められてるんだったら、何とかしないといかん。」という空気の中でできちゃうわけです。そんなんばっかりですよ。

 で、村の場合はなんでそうなったのか僕はよくわからんですけど。一番古いということを奥さんが喋られなかったのか、色々理由は、事情はあると思いますけど、もう今更そんなどうでもいいんでね。ただ、そういう空気に流されて無責任になってるのに、自分には関係ないみたいにしてることがどれだけ駄目なことか。総責任者の自覚を持つことが、どんなに大切なことかというのだけ、今は知っていただいたらいいです。

 それの極端な例が闇バイトですよ。闇バイトで、それも直接その人は会わないでしょう?メールで言われて、誰それを殺せと言われた、あるいはどこそこに強盗に入れと言われたと。だから入りましたと。でも言われてしたんで自分には責任ありませんって、警察で平気でそういうふうに言うわけでしょう?おかしいでしょう?おかしいけど、日本人の特性なんですよ。なんかフワッと、相手の言う通りしてたら自分には責任ないなって逃げちゃうのね。
 
 それは誰の責任というと全員の責任です。そういう空気というか、そういう無責任者にならないように真祈りが必要なんです。真祈りがあれば、そんな無責任になりません。総責任者の自覚が出ますから。もう只々それそれだけなんですね。はい。ありがとうございます
 だから原爆が落ちました。そのせいです。

司会者
 ありがとうございます

司会者
 呼吸法で、鼻から吸って口から漏れるように吐くと河上さんは教えられているのですが、鼻から吸って鼻からというのはどのようにするのでしょうか?鼻から吐くよりも口から吐く方がいいのですか?

河上さん
 はい。これは口から吐く方が良いのは良いんですよ。でも、どない言うんですか?まず呼吸法の一番の基本は、細く長く吐けるようになる癖をつけることなんです。だから、もう最初は鼻からでもいいから口からでもいいから、細く長く吐く。で、吸うのも、鼻から吸っても口から吸ってもいいからパッと吸うの繰り返しで練習していただいて。その細く長く吐くのが癖になってくると、ジワっと吐いてパッと吸う、先生の呼吸法はそうなんですけど、先生は長く吐かないんですよ。ちょんと吐いてプッと吸われる。吸い足しと僕に教えていただいたんですけど。その究極の呼吸法に入れます。でも、その究極の呼吸法に入る前は、まず、細く長く吐く練習からしていただくために、色々説明してます。それで、わざと引っかかるように説明を手抜きして言っています。

 だから今引っかかれたわけですけど、そういう意味です。だからまずは、どの状態でもいいから、ゆっくり吐くんだと。吐けなかっても良いから、また吐くようにするんだと。吸うのはできるだけ早くするようにしようと、ということでしてみてください。
 
 それで、なんで口から吐くのがいいかというと、口から吐くとね、いわゆる体力的に持続するんですよ。口から吐いて口から吸うでしょう?そしたら息きが上がるって俗に言うんですけど、何が起こるかというと舌が乾いて喉カラカラになるの。すると、まだまだ動けるんだけど凄く疲れてくるの。疲れた気に体がなって、動けなくなるんで。これを山仕事されてる方なんか、その辺よく分かってて呼吸が結構うまいんですけどね。それをもうちょっと深めて、神さまと繋がることが大事なんです。繋がるというか、本来、神さまと繋がってるのを忘れてるだけなんだけどね。そこだけなんですね。

 その呼吸法の部分と印可書、あるいは「宇宙神ありがとうございます」、ともかく、「ありがとうございます」の十文字、「宇宙神ありがとうございます」が何が難しいかと言ったら、「ありがとうございます」は真(まこと)神さまそのもの、「ありがとうございます」は真(まこと)の悟りそのものなんですよ。でも、わずか10文字だから、「本当なの?」っていう無意識に疑問が湧くわけね。だからやはり難しいですよ、と言ってるわけです。印可書だと疑問が湧いてる暇がないくらい次から次あるじゃないですか?だからそのままスッと入っていけるんですね。その違いで。

 でも何を選んで、どれを使われると自由ですけど、そこに呼吸を足すだけでも、かなり変わりますので、色々と工夫してみてください。まだ来年の夏まで、ほぼ1年ありますから、この1年が、本当に勝負です。とうとう蓋を破っちゃったんでね。地震が…、これは後で話します。

司会者
 ありがとうございます
 友人から家庭用遠赤外線ドーム型サウナを譲り受けました。ほどよく汗をかけて、入った後は気持ちよく感じます。水風呂に入ることはしていません。しかしながらサウナには賛否両論あり、体に良いという方もいれば自殺行為とまで言う方もおられます。実際のところはどうなんでしょうか?教えていただきたいです。

河上さん
 これはね、まず血糖値なんです。血糖値の高い方がサウナ入ったら自殺行為です。もう一言それだけです。ですから、リブレというセンサーをお知らせしてますから、一度リブレを貼ってみられてですね、140の血糖値を超えない状態の健康状態でしたら、サウナに入られるのはすごくいいです。でも140を超えるような血糖値を持っておられる方はサウナに入ると、頭の血管がプチプチ切れて、いわゆる痴呆症なります。ありがとうございます

司会者
 河上さんへの質問をお願いいたします。先週の1回目の護摩焚きの河上さんのお話の中で、「護摩木に小さな字で書ける人は書いてください。」と言われましたが、護摩木の裏面に「宇宙神ありがとうございます」を何行も書いたらよろしいでしょうか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 自分の書ける範囲で書いていただいていいですし、なんて言うんですか、本当に、その書くことが大事なんでね。極端に言うと、書き重ねて真っ黒になるで大丈夫なんです。護摩が月2回になりましたので、護摩木の数が不足気味になりますから、形に心奪われない方はね、その護摩木に何回も何回も書き重ねて、それこそ真っ黒になるくらい書いていただくといいと思っています。だから何行とか何字とかじゃなくて、ひたすら書き続けてください。ありがとうございます

司会者
 今の質問者の中でお答えの中で、枚数を書くよりも時間?時間じゃないですけど…

河上さん
 いや結局ね、枚数じゃなくて書くことが大事なんですよ、まずね。せやけど、その書くことが大事だけど、書こうとしてくれないから、枚数で攻めてるだけなんで。よく真祈りが深まってきた方は、悠々とひたすら書いてください。お願いいたします。

司会者
 すいませんもう一つなんですが、この方は裏面にということで黒ですか?裏は基本的に黒(黒色で書く)という話になってるんですが、表の方はどうなんでしょうか?表の黄色い字の方ですね。

河上さん
うん。だからもう黄色い字の方もひたすらまっ黄色になるまで書いて頂いたら良いです。

司会者
 はい。ありがとうございます
 私的な質問ですが、よろしくお願いします。私が初めて護摩に参加した時から、照明器具、蛍光管が切れたり、時計が止まってしまったり壊れてしまうことが時々ありました。月2回の護摩が開始された先月7月14日に参加したかったのですが、都合がつかず参加できませんでした。今まで護摩にはほとんど参加しており、残念な気持ちでした。翌朝、掛け時計が固定用木ネジごと、床下に落いてあったゴミ箱の中に落ちていることに気づきました。幸いにもプラスチック製のゴミ箱が壊れただけで、掛け時計は無事でした。もう一つ、充電不足だったため充電していた電波ソーラー腕時計を確認すると11時の文字盤の1の桁が外れて11時表示の部分が1だけになってしまいました。なんだか間抜けな腕時計になってしまいました。外れた文字盤は不思議なことに腕時計内には見当たりません。物事には偶然はないと思いますが、この二つの現象をどう理解したらいいでしょうか?

河上さん
 時空を越えてくださいということですよ。腕時計の方はですね、貴重な珍しい腕時計ですから、ぜひ使ってください。売ってないですからね。どこに行ってもそんな腕時計ないから、みんなに見せびらかしてください。珍しいだろうと言ってね。はい、どうぞお使いください。

司会者
 ありがとうございます。1人の方から3点あります。

質問者
 これからの阪神という土地の働きを教えてください。

河上さん
 はい。いわゆる京阪神というよりも、名古屋から神戸、大阪、名古屋が一つまとめの感じなんですけどね、伊勢を中心に。それが大事な働きの場所です。その場所を守るために、名古屋で大津波になっても大変だし、神戸でも大阪でも大変なので、村を沈める形で消そうと思っています。それぐらい大事な場所です。それは神戸という地名が示すようにね、神さまの現れる場所なんですよ。具体的にどこが聖地というか、現れる場所になるかというのはちょっとまだ言えませんけども、神戸、京都、大阪、奈良、名古屋ですね、このうちのどこかで始まります。そのために、政府は既に色んな準備をしています。

 だから、分かる人は分かります。「なんでこんなとこに駅できるの?」っていう感じでね、そういう感じになっていますけども、ともかく、聖地になるんですよ。聖地は真祈り人がいるんです。だから、まず真祈りができないと、どうしようもないんですよ。今回の村からのお手紙にありますように、村は聖地として神さまが用意された場所なんですね。だから先生がいらっしゃる時は、真祈り人がいらっしゃったから、聖地としてそのまま使えたわけです。
 でも今は真祈りしてくださる方がいらっしゃらないから、勉強会も終わりましたので、一旦沈めて新たにするということで。
 
 村の引っ越しの時にですね、先生が、「おまえのところは3000万出してくれ、おまえのところは1000万出してくれ、あんたのところ300万いけるか、あんたのところ500万いけるか」というふうに集めて、あそこに作りました。だから誰のものじゃなく神さまのものです。その勘違いだけでも沈む価値はあります。そういう感じになっています。

 最後、食事ですけども、不特定多数に食事を供与する場合は、いわゆる保健所の許可が要るんですよ。今までは許可なしでやってきてますけども、本来は検便をして、月に1回か2回しかしなくても、その次のために臨時売店というか、臨時に食事を供与するという許可を保健所で取ってしなくちゃいけない。今、してなかったんですけども。今、色んな食中毒が、保健所でも把握できない訳のわからない食中毒があちこち多発してましてね。報道されてませんけど。なぜかというと食中毒の菌を特定できないから報道できないだけで、色々あるんですよ。このまま何かあったら大変なんで、ちょっと村での食事の提供を止めていただきました。その方が村人も楽だしね。
 
 色々ありますけども、本当に訳のわからん病気が増えるので、食事の時も訳のわからん食中毒菌が出てきてるということです。一昨日ですか、八代で覆面パトカーを追い越している一般の車が突然、ハンドルする操作を誤って覆面パトカーにぶつかってるんですけどね。それをちょっと覗いてみると、運転手が意識を失ってるんですね。それくらい訳のわからん病気が、一杯多発する時期に入りましたのでね。地震だけではないんですよ。色んなことが本当に起こります。だから色んな意味で細心の注意を払わないと巻き込まれることになります。だから、そういうこともあって、村でもお願いしましたし、色々お願いしています。ありがとうございます

司会者
 今の件に関しまして昨日の村の方のミーティングで、前日のお食事会と当日のこの後にやっていた屋台奉納ですか、こちらの方はもう中止というかやめますというようなことに決まりました。それでなんですけども、村の掲示板に河上さんの今のお話が載ってると思うんですが、あとLINEの広場の方にもちょっと載せていただいたんですけども。これらを見られる環境にないといいますか、見ておられない方も皆さんのご知り合い等おられると思うんですけども、また出来ましたら周知して頂けるといいかと思いますんで、よろしくお願いします。

河上さん
 村人の食事を村が作って食べるのは大丈夫なんです。ただ、不特定多数にっていうことになると、色々と法律的にも厳しくなるし、もし何かあった時は、すごい罰則もきますので事前に止めていただきました。

司会者
 そしたら、もう行わないということで。はい、よろしくお願いします。

質問者
 蛭子(ひるこ)と恵比寿(えびす)さんの働きを教えてください。

河上さん
 はい。蛭子というのは、目に見えない形の音波電波のことです。だから音楽の働きは蛭子の働き。あるいは光で虹が見えたりとか映画が見れるじゃないですか、光を投影してね。そういうのは蛭子の働きの一つです。

 で、恵比寿というのは何かというと、一大循環の相象(すがた)の象徴を恵比寿といいます。で、恵比寿様って言って、縁起がいいっていうわけですけど。形でつかめないものを恵比寿って言います。みんな無意識に恵比寿っていうと、なんか渦巻きを感じるじゃないですか。それは一大循環の相象(すがた)を、今厳然と今ここにある一大循環の相象(すがた)を、やはり皆さん本能的に知っておられるからです。だから日本語にも、「お前それ本心から言ってるか?」って言うじゃないですか?あるいは昔のおばあちゃんだったら、「うん、それは道に沿うとる」とかね、「道に適っとる」とかっておっしゃるわけですけど。みんな無意識に一大循環のすがたという真(まこと)の神さまは日本人は知ってますから。総責任者の立場に立てた方は皆さんわかるようになってる。その一つの象徴が恵比寿です。
 ありがとうございます

司会者
 はい、ありがとうございます

令和6年8月2週目護摩焚き河上さんお話しー2

司会者
 禊(禊)を自ら行う作法を本来の作法を教えて下さい。
 
河上さん
 はい。禊払いなんですけども、禊払いは印可書奉読が禊払いです。一言で。ただ、印可書奉読が禊払いですけども、神主さんとかね、色んな宗派の方が、この方法を滝に打たれてするとか、海に入ってするとかあるじゃないですか?それはそれでその方法で正しいのでね、間違いではないので、それに逆らわずにその場であれだったら一緒にしてあげたら良いということです。だから神社にお参りする前に手を清めて手水で口をすすぐじゃないすか?あれも禊払いなんですよ。ただ、どれも象徴的な形ですのでね、どの形が良いじゃない。ただ、霊の洗礼ですから、一番の強力な光の塊である印可書奉読が一番の禊ぎ祓いになるのは間違いないです。ただそれを人に強要してはいけません。

司会者
 ありがとうございます
 同じ方から4件あります。2周目の護摩ということで、普段疑問に思っているたわいもないことをお伺いさせて下さいということで断りがあります。1、神さまが見える子供が、僕は15階層ある中の上から三つ目の高い神さまで、夜寝ている間はお空に帰って、お部屋に入って魂を作っているんだ。魂を作るのはすごく大変なんだと言っていました。これは本当でしょうか?また人それぞれと思いますが、夜寝ているとき、本来の意識は何をしているのでしょうか?

河上さん
 はい。この15階層というのは、その方が15階層目までしか認識できないということですね。3番目ですから11階層にいらっしゃるということでね。11階層というのは霊止日止(ひとひと)と良いまして、この現世を作る働きの場所です。だからその魂を作るとか色々あります。それだけですね。寝てるときはどうしてかっていうと、守護霊様が寝ずに働いてくださって、お清めしてくださっています。だからみんな寝ると疲れが取れるんです。
 
 こっから大事なちょっと怖いこと言いますけども、真祈りが深まったら、先生のように眠らなくても平気になります。でもだからといって、眠るのを我慢して無理はしないで下さい。自然にそうなりますから。先生は最後は全然寝られなかったんですけど、寝なくても平気になられた。それは深い深い真祈りに入られたから睡眠に取って代わったわけですね。そういう感じです。
 
 だから良い悪いじゃなくて色んな形の働きとして、この肉体を持って降りてこられる魂が一杯ありますから、そのうちの働きの一つですね。だから11面観音というでしょ?このような働きのスタートが11次界から始まるんです。はい、ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます

河上さん
 だからその11次界ですから、この世の神社で言いますと、白山比刀iはくさんひめ)神社、菊理媛神(くくりひめ)さまの神社がその11面観音という11面の働きの中心地になっております。で、全国に白山神社が一杯あります。

司会者
 ありがとうございます
 子供が綺麗な心の人の魂の中には木が生え川が流れているんだ。人が住んでいる人もいるんだと言っていました。これも本当でしょうか?また、以前松下先生を心から信頼なさっている方のお孫さんが亡くなられた時、その方があの子は今どうしているのでしょうかと先生にお尋ねになられたとき、先生は「私の中でお祈りの修行をしているから大丈夫、心配ないよ」とお答えされたように記憶しています。私の聞き違いかもしれません。本当のことを教えて下さい。

河上さん
 それは本当です。先生は一大循環の相象(すがた)となっておられますから、全ての人に降り立っているとも言えますし、その全ての全てであられるわけですね。その中のお働きに入ってお手伝いされてるから、その表現で良いと思います。
 
 で、最初のほうは何やったかな?あゝ、綺麗な心の人のには川が流れとかありますけど、この世は入れ子構造ですので、例えば肉体の1細胞、この1細胞の中に、今皆さんが認識されてる大宇宙があるんですよ。その大宇宙の中にまた小さい肉体の世界があって、その肉体の1人1人の方の1細胞の中にまた大宇宙があるっていうね。そういう入れ子構造です。それをもうちょっと象徴的にわかりやすく、その子供がおっしゃったわけです。

司会者
 ありがとうございます。

河上さん
 だからこの大宇宙も、その大きな肉体の一つの1細胞です。そういう入れ子構造でどんどん広がります。この虚の世界の現世といえどもです。あくまで虚の世界の話ですよ。はい。
 
司会者
 ありがとうございます
 三つ目、去年の10月に亡くなられた歌手の谷村新司さんは生前プレアデス星団とコンタクトを取られていました。ある日急に頭の中に言葉が入ってきたそうです。「なぜ自分にコンタクトしてきたのですか?」とお尋ねになられたら、あなたはこれまでかなり正しいところまでやってきたので、ここからは直接導きたいと返ってきたそうです。名曲昴の曲が降ってきて、プレアデス星団から地球にやってきた話のようです。
 歌詞の一部に、目を閉じて何も見えず、楽しくて目を閉じれば荒野に向かう道より他に見えるものはなし、ああ砕け散る定めの星たちよ、せめて密やかにこの身照らせよ。さらば昴よとあります。河上さん、私が地球に来た理由を教えて下さい。

河上さん
 その谷村新司さんはもう良いのね?(笑)谷村新司さんに答えなくちゃいけないと思ったら、最後どんでん返しがあったんでそっちも?ほしたら谷村新司さんは放っといて良いのね?(笑)

司会者
 ちょっと文面ではそうなってます。

河上さん
 はい。ちょっと今びっくりしました。要するに皆さんお1人お1人どの方もね、真(まこと)の神さまのお手伝いをしたいと思って、この地上に降りてきておられます。それは間違いないんです。ただ、真(まこと)の神さまのお手伝いの仕方が色々あるんだけども、みんな自分の都合で考えて、こんなお手伝いの仕方は、嫌だわって思っちゃうのね。思っちゃうから、色々とややこしい事が起こってるわけですけども、只々、それだけです。

 だから例えば、私そんなん言うたって、もうどんくさいし、頭も悪いし、記憶力も悪いし、何もできへんわっていう人がいてもね、その形でお手伝いに来てるというのがわからないと駄目なんですよ。要するに、肉体で言うとね、音を聞くところ、臭いをかくところ、物を食べるところ、そしてウンコを出すところってあるじゃないですか?どの形も必要なものでしょ?ね?肛門でも、もし肛門閉じちゃったら大変よ。どうするみたいなね、便秘で苦しむじゃないですか、皆さんね?そういう感じで、どの働きも、全部貴重な大事な働きなんです。どれも無駄な働きはないんですよ。

でも、結果だけ掴んで言うとね、ちょっとしか動いてないじゃないかみたいな感じ。で、みんな勘違いするだけです。でもその一大循環の相象(すがた)というのは、全部が支え合って、巡り合ってるわけですよ。その巡り合ってる部分というのは、一つ一つは小さな働きなんです。

 でも、支え合って、大きなうねりになっていくわけです。それでいうだけです。だから私どんくさくて、勉強もできなくて、みんなに迷惑かけてばっかり、という方でも、大きな働きするというのが分かって頂ければ、解決します。どれも真(まこと)の神さまの働きをお手伝いするために来ていらっしゃるということです。ありがとうございます
 
司会者
 谷村新司さんは?

河上さん
 いや、聞いてないやん。

司会者
 はい、わかりました。この方から最後の質問です。思考を相手にしない方法を教えて下さい。思考、考える。

河上さん
 あゝ、思いよね。はいはい。
 思い巡らすという行為を相手にしない方法というのはね、簡単なんですよ。自分の都合の一切合切を神さまにお返しするということです。

 皆さん、自分の都合をね、自分の都合として掴んで、何とか自分の都合を優先したいとか、叶えたいと思って掴むのね。で、掴むと、色々と思い巡らして、ノイローゼになっていくんです。わかります?でももうその神さんがどの形で、さっきの話じゃないけど、どんくさくても働いてるんだというのが分かれば、どの形も神さん一番良くしてるからと思って、自分の都合は一切合切神さんへお返しするわけです。

 お返しすると、一大循環の相象(すがた)が始まりますので、全てはもっと変わるんですけどね。所謂どういうことかというと、先生がいつも仰るんですけど、神さまが降り立ってきて先に助けてくれるんじゃないんだっていうね。なぜかというと、皆さん自身が真(まこと)の神さまそのものだから、真(まこと)の神さまとして総責任者の自覚を持って、自分でできる精一杯の事をしましょう。

 だからそれを先生は人の3倍働きなさいと仰るわけですけど、自分のできる精一杯のことを3倍働くと、肉体的な限界が、限界が来た時に初めて真の神さま後押ししてくださる。それが10倍になると、どんどん後押ししてくださって、色んな能力を開くよって先生仰って下さってるわけですけども、只々、それだけです。

 だからまず、自分の都合を全部、神さまにお返しして下さい。で、神さまが一番いいようにしてるからって喜んで、自分のやれることをひたすら淡々として下さい。それで、自分の思い巡らすことから逃れられます。色んな性欲とか食欲とかからも逃れることが出来ます。ありがとうございます
 
司会者
 ありがとうございます
 ちょっと私の方から質問をさせていただきたいんですけども、この司会についてなんですが、私今日皆さんに書いていただいた点火用の護摩木を忘れてきまして、はい。皆さんに助けていただいて点火出来たわけなんですけども、司会を務めさせていただくということは、総責任者の立場に立つ、また神さまのお手伝いをするという絶好のチャンスだと思うんですけども、なかなか引き受け手が見つからない事態で、

河上さん
 それはそうでしょ。理由を言います。ここで司会するということは、ここに来られる方の色んな思い巡らすマイナスの思いがあるじゃないですか?それを一切司会者が引き受けなくちゃいけない。一時的にしんどくなるのね、色んな意味で。その人によって感じ方は違いますけど、勿論こっちでちゃんと綺麗にして終わってますけどね。その途中がしんどいから、皆さん逃げちゃうのね。
 
 だけど、色んな意味で総責任者の立場、真祈り人の総責任者の中心者としての体験を積めますから、ぜひ嫌がらずに司会者になって下さい。司会は拙なくても、拙くなくても関係ないんです。ここに立っていただくことが、大事ですのでぜひ皆さん挑戦して下さい。お願いたします。

司会者
 はい。皆さんよろしくお願いします。
 それとですね、その司会に絡みまして、いつからこうなったのかわからないですけども、護摩焚きの司会は当日の司会は当然なんですけど、前日当日のミーティングを担当しなければならないみたいな風潮があり、前泊が、前日の宿泊ですね、こちらの方が何か必須条件のように何か思われてる方もおられたと思うんですが、諸事情により連泊できない人によってちょっとハードルが高くなっているのかなと私個人は思っています。
 それで、そのような機会は私も含めて、前日とか当日の朝のミーティングの司会は誰かやってくれると思いますんで、その辺は心配していただくことはないと思いますんで、この場の司会を遅れてこられるようでしたら、また誰かフォローしてもらえると思いますんで、忌憚のないところで、皆さん今の河上さんのお話で1人でも多く、司会をしていただけると良いかなと思いますんで、よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます
 色々ありますけども、当々、踏み破ってしまってですね、地震がもう止められずに始まりました。今、質問になかったですけども、いわゆる震度6弱、6強7弱というのが大体10回ぐらい。続きます。

 順番はちょっとあんまりはっきり言えないですけども、最終的には富山あたりが揺れて、東京が揺れて富士山がちょっと小噴火してというしてという形までいくと思います。そこまでいくとちょっと大変なんで、できるだけその手前でと思ってますけど、来年の夏8月までもうずっと続きます。
 
 続きますけどね。必要でなってるのだけはわかって下さい。日本のためにみんなのためにそれが本当に本当は役立ってるんだというのがありますので、今は何で、なぜそれする必要があるのかというのが、言えないです。なぜ言えないかというと、それがなくて済むように消し去りたいですから、護摩で消し去りたいんで言えません。言うと、現れてきます。

 現れてくるともう止めどもなくなんでね。で、地震は既に踏み破ったんで今言いましたけども、これもなんや河上10回も起こる言ってるけど、ね、今回で最後で何も起こらなかったんだっていうふうに持っていくのが理想です。予言は当たらないのが一番良いんです。あんまり当たって欲しくないんですけど、この前の伊吹山の方でも当たって欲しくないのに当たってしまったんで、ちょっと村が沈むのが確定したとこありますけども。
 
 どれもこれも、それでも、例えば村でもお祈りの部屋に真祈りを込めてね、光をちゃんと通していただいたら大丈夫ですし、その聖地に住む厳しさというのを村人の自覚が浅い。今までは先生いらっしゃったから、真祈り人がいらっしゃったから聖地で良いわけですけど、聖地に真祈りしない人が住むと、大変なことが起こる。

 その結果、踏み破って地震が始まった。もうそれだけです。だから聖地に住む責任重大さをね、もっとわかっていただきたいんですけども、色々あってこうなりました。それはもう一に僕の真祈りが浅いからのせいですけどもね。

 せやけど、それもその、だからこそみんなの真祈りで助けてもらわなくちゃいけないし、護摩を盛大にしてですね、真祈りで止めていきたいと思っています。ただ、そうですね、ちょっと本当に、ぐっときちゃったんでね。でも、今具体的に言えないけど、世界で何が起こってもね、心配しないで下さい。ここが大事なんです。何が起こっても、神さまが一番小さい形で消してくださっているというのがありますから。
 
 なんでこうなってるかというと人工衛星が一杯飛んでるでしょ?地球霊王様の顔の周りにね、わかります?やぶ蚊がばあっと飛んでるような状態ですよね。地球霊王さんも、「敵わんな」という感じまで来ちゃった訳で、それぐらい人間は必要外の人工衛星まで打ち上げたのね。その気象観測とかね、どうしても必要なものは地球霊王様は許して下さいますけど、軍事目的で一杯打ち上げてるわけですよ。それが邪魔なんですね。
 
 なんていうんですかね、太陽系も全部微妙なバランスのうちに乗っかってるわけですよ。そのバランスを人間が勝手に崩してるわけです。例えば、電気を使うこと一つとっても、この空間を歪ませてます。
 
 だから、もちろん使うことだけで歪むんだから、原子力発電であろうが火力発電であろうがね、その大きな発電をするというのは、やっぱり空間が歪みます。本当は太陽電池とか、それぞれの皆さんがお互いに小さい発電機でね、本当に必要最小限の発電をして生きていく状態に持っていかないと駄目なんですよ。
 
 今みたいな。電気を湯水のごとく使う状態が続くと、何もなくても空間が歪んで、やはり地震になります。どんな状態ももう、行き詰まってきてるんですけどね。せやけどノア大洪水じゃないですけども、あのときも、人類が全員が無責任になってね。さっきの状態と一緒ですよ、空気に流されてね、別に自分のせいやない、みんながこうや言うからしただけやみたいな感じで、地球の状態がぐちゃぐちゃになって、ほんでノアに神事が降りるわけですね。
 
 ノアが一生懸命船作ってるじゃないですか。こんな天気やのに雨なんか降るか、アホかこいつはってみんな言うわけですね。でも実際はどんどん雨が降って、あの大洪水が始まるわけですけども、もうそれと同じことが今まさに起ころうとしてます。
 
 スタートに、まず村を沈めることでね、皆さんの目を覚まして、いただこうと思っています。ちょっとそういう形がないと、みんなもうちょっとシャキッとしないんでね。
 もう僕決めたんちゃう。先生の方でそう決めて来たからね。それだけです。村人にはもちろん怖い方は出て、出て行きなさいって言ってますから、留まれる方はそれなりの真祈りの覚悟を持ってとどまっておられるんでそれは素晴らしいことなんで、これ以上は言わないです。

 それくらいちょっと大変にはなっています。イランとイスラエルが全面戦争に入る寸前なんですね。これこのまま止まったら良いですけど、これ入りだしたらもうあと、あの坂道を転げるようにどんどんなります。そのときに日本人が戦争に巻き込まれたら、もう地球は終わりなんです。

 そうならないようにまず真祈りなんですね。どういうことかというとね、結局みんな気づいてないですけど、まず真祈りがないと全てが治まらない。なぜ真祈りがないと治まらないかというと、例えば、あの法律でね、人を殺してはいけないとどこにも書いてないんですよ。日本の法律だけじゃなく世界中どの法律を見ても、人を殺してはいけないって書いてない。ただ、殺したらこういう刑罰がありますよというのは、どこの法律にも書いてます。それくらい法律というのは、人間の内面を規制することはできないんですよ。わかります?
 
 だからまず内面を規制しないと、その何で人なんか殺したんっていうとこでしょ?でも本人にとったら色んな言い訳しで殺すんだけど、その最初の、何で殺すかという内面のところの正しさがね、みんなに入ってないと地球が滅びるんですよ。

 その正しさの基準は何かといったら真祈りなんです。みんなで支え合い助け合うというね、真祈りなん。それも支え合い助け合うという変な言葉じゃなくて、真の神さまの御心そのままが響き渡らないと駄目なんですよ。それが響き渡ったら、人を殺すどころじゃなくて困ってる人は助けるしお互いに支え合って自然にね、お金なんか必要ないの、お互いにいるものを交換し合って無駄もせずにね、本当に世界平和というのが実現するわけですよ。

 今の時代は疑心暗鬼だから、世界平和は口で言っては言っても始まらない。だから村でも本当に仲良しなんか出来るものかっていう人がいるくらいね、お互いに疑心暗鬼で喧嘩になってるわけです。もちろん村は世界の象徴として先生集められたから当然そうなるわけですけども、だからその状態で地球が滅びる形を、村を沈めるという形の小さい入れ子構造に状態を村の象徴で消して、何とか今回は乗り越そうと思ってます。まず真祈りが大事だということをね、わかって下さい。

 で、今まではただ例えば人を傷つけてはいけないのは当たり前やろってみたいなね、という感じのことが皆さんの心に本来はあったわけです。ところが、今はあのネット依頼殺人見てもそうですけども、皆さんの心の中が何もなくなっちゃったんですよ。何でなくなったかって色々あるんですけど、その理由言っても仕方ないんでね、皆さん中に真祈りを戻さなくちゃいけない。
 
 日本人だけがね、まだ真祈りのことが戻せる状態なんですよ。だから日本語にはお前、本心からそれ言ってるかとかね。本音でちゃんと言うてみやとかね。うんそれは道に敵ってるなとかね、もっと腹を割って言えよとかね、いう言葉で言語に残ってるじゃないですか?それぐらいまだ日本人は真祈りしやすい。
 
 だからまず日本人から真祈りをしたいんですけども、その真祈りの響きをこの護摩の会場で何億倍に広げ、膨らましてですね、全世界に放送してる状態です、これを来年の夏まで、あと大体20何回して、失敗するか成功するかは護摩次第というだけです。

 そういう状態で続いてますのでね、ぜひ「印可書奉読」されようが「宇宙神ありがとうございます」で行かれようが、「ありがとうございます」で行かれようが構わないですから、真祈りに、ひたすら真祈りにして下さい。
 
 そして村人は、お祈りの部屋に集まってね、集まってというより、交代交代で24時間真祈りを絶えさない位の覚悟を持ってお祈りの部屋の光を絶やさないようにして下さい。もう僕はお祈りの部屋の光を維持しに行ってはいけないと言われてますので先生から。
 
 僕の方からもうこれ以上応援行けないんで、村人の自覚を待つだけで、それが人類の自覚を促すことになりますので。村人に厳しいことを言ってるようですけども、そういうふうに先生が仕組んで行かれたのね。

 だから最後の先生の3年間の沈黙のときに色んなことを言われたんだけど、みんな先生に甘えてるだけで、村人だけじゃないですよ。ここにいらっしゃる皆さんでも、何もわからないまま、先生喋れなくなった。ひどい人は先生ボケたんちゃうか言う人もいましたしね。あるいは先生が自殺を図ったいう人もいましたし、無茶苦茶ですけども。

 それぐらいみんなわからない状態で、そんな済んだことはもう良いんで、これからどうするかだけです。これからはひたすら出来る方は印可書を奉読して下さい。

 「印可書」がどうしても嫌な人は構わないから、「宇宙神ありがとうございます」あるいは「ありがとうございます」をひたすらね、込めて下さい。それもままならないんだったら、お祈りの部屋には1時間行ってひたすら「ありがとうございます」唱え続けるんだとかね、もう村人は特に交代々でお祈りの部屋で「ありがとうございます」が途切れないようにするんだぐらいの覚悟を持ってもらわないと困るくらい、大変なくらい、世界が今逼迫しています。
 
 で、もうちょっと今肺も半分なくなっちゃって大変なんですけども、それくらい大変になっていってますからね。ぜひ慌てずに、来年の夏まで時間がありますから、ひたすら印可書奉読できる方は、奉読して下さい。「ありがとうございます」で行かれる方はありがとうございますで行って下さい。そして、河上嫌いでも良いですけど、「印可書」か何かを選んで「真祈り」して下さい。

 その個人的な好き嫌いどうでも良いんでね。まずは真祈りです。本当によろしくお願いします。ぜひね、この来月の護摩まで試していただいて、世界が少しでも変わるようにね、やって下さい。また来月お会いできること、

司会者
 すいません。ちょっと私が中途半端なとこで質問を入れたもんで、会場の方から、すいません、質問等ある方おられましたら、はい。

質問者
 はい、空気を読まずに頑張りたいと思います。あのすいません先ほど、遠赤外線ドーム型サウナを譲り受けたという質問をしたものですが、はい。個人的なことになりますが私は血糖値が上がりやすくはありますが、平常時は80から90あたりを維持しておりますが、ご飯を70g〜80g食べると140に達するという状況なのですが、これは入らない方が良い人にあたりますでしょうか?

河上さん
 80gいうたらお茶碗に軽くよそった状態やろう?それで普通や。ご飯に2杯3杯食べたら、あの軽く200超える人が大半です。子供でも超える子は超えます。体質的に糖尿病の血統の方はね、そういうお子さんはご飯食べさすと、免疫力落ちてね、病気がちの子が多いです。だから大丈夫です。サウナは、入られたら、せめて水のシャワーは浴びる必要があります。水のシャワーが浴びるのがどうしても嫌だったら、膝から下を冷たい水当てて下さい。そしたらサウナに入った効果が出ます。で、水分をまず取ることですサウナ入るためには。でも掃除が大変やで。

質問者
 そうですね。どうもありがとうございました。

司会者
 他にございませんか?はい、どうぞ。

質問者
 ありがとうございます
 さっきの大変な状況の後にこの質問はちょっと、聞きづらいんですけど、屋台奉納と護摩の前のお食事会のときに歌とかハンドベルとかを奉納させていただいてたんですけど、そういうのをやってる場合ではないんです?

河上さん
 まず真祈りの基本はね、楽しむことなんですよ。だからカラオケ大会をしたり、阿波おどりに好きな人は阿波踊り奉納しても良いしね、楽しむんだったら良いんですけど、楽しまずにただ自己顕示欲というかね、虚栄心でやる人が増えてきたら困るだけで、みんなで楽しんでワイワイするのは大丈夫です。食事は先ほど言ったように、不特定多数の人に出して許可も取らずに出してね。もし何かあったら本当に色々と大変になって護摩も遂行できなくなるんで、食事はちょっと止めました。

質問者
 はい、ありがとうございます

司会者
 その他どうでしょうか?

質問者
 ありがとうございます
 屋台奉納のことでちょっと私からも質問させていただきたいと思います。私の記憶では2004年からたこ焼きの屋台奉納をさせていただきましてもう20年ちょっとっていうことになりまして、本当にきりが良かったかなと思っております。今までにその屋台奉納の本当に色々あって、もう何回もそういう危機的状況がある中で、今までちゃんと大過なく、そういうふうに奉納させていただいたことに只々、感謝しかないのですけれども。その機材とかを山の方に置かしていただいてるんですが、そういうものは全てもう機械は、

河上さん
 たこ焼きの?

質問者
 円卓って言いましてカセットコンロをつけて、カセットコンロでこんなポータブルのがございまして、それを一度…

河上さん
 本来のたこ焼きのあれは使ってないの?

質問者
 最初の10年ほどは大阪のお友達もバックアップがありまして、本格的な屋台奉納だったんですけど、一般的には

河上さん
 僕、本格的なのを持ってきたのは、あれは使ってないの?・・・ああ、良い。うん、

質問者
 申し訳ございません。私どもの方は私どもは全て

河上さん
 それは村に邪魔にならないように引き上げら良いいんですよ。

質問者
 わかりました。じゃあ、引かせていただくということと。あとすいません、ちょっとそれとは関係ないんですけれども。
 紙の護摩木を書いても良いよということでその場合ですね。黒の油性のマジックと裏面は…

河上さん
 ボールペンで良いですよ、紙の場合は。

質問者
 もうボールペンで両面でよろしいですか?

河上さん
 大丈夫大。

河上さん
 後、大きさとかは?

河上さん
 自分の書きやすい大きさで良い。あと最後シュレッダーかけて終わられたら大丈夫。

質問者
 はい、かしこまりました。
 すいません。後もう1回。あのちょっと私京都に住んでるんですが、先ほどの話でやはり京都もかなり厳しい状況にあるということで、例えば備蓄なりあるいはあの危険なところはちゃんときちんと安全なようにっていうふうなことで、少しお家の方をちょっと、やはりそういう部分をやり替えたりしようと思ってるんですが、それは問題ないでしょうか?

河上さん
 問題ないです。

質問者
 はい、 かしこまりました。ありがとうございます

令和6年8月2週目護摩焚き河上さんお話し―3

質問者
 河上さん一つ質問者です。村で泊まるときに、お風呂利用させていただいてるんですけれども、不特定多数の人が入浴するということに該当しませんよね?

河上さん
 いや、お風呂はね、食中毒の危険ないしね、もしうつっても水虫程度でしょ?それも出られたときに足をちゃんと拭かれるというのが、別に村の風呂じゃなくて、銭湯とかスーパー銭湯とか行かれたらね、何が大事かと言うと、最後足を綺麗にされたら大丈夫なんですよ。足の裏から菌が入りますんでね。それだけです。だから村の風呂に限らず、ともかく足の裏を最後、お洋服を着られたときに、綺麗にされて。だから極端に言うと消毒用のアルコール、あれを持っていかれておいて、別に村の風呂だけじゃないですよ。銭湯とか行かれたときも最後はそれで足の裏を綺麗にしてから、靴下を履かれたら大丈夫です。

質問者
 はい。ありがとうございます

質問者
 奉納などのお食事会じゃなくて、直会などの食事を作らせてもらっています。 もう楽しみで、村のお野菜を使わせてもらって作ったりしてるんですけど。それはもう今回から不特定多数の方にはちょっと止めるということになったんですね。

河上さん
 はい。

質問者
 はい。それで、その前の日の食事会なんですけど、元々はなかったんですね でも先生が、遠くから来る人は大変だから近くの方が自分の食べる分を少し多く作ってきて一緒に食べましょうっていう。

河上さん
 それで始まったはずです。

質問者
 それで不特定多数やないんですけど、準備とかされるボランティアグループの仲間たちが食事をするために、私も村の野菜を使ったりして作らせてもらったりしたんですけれども、それも駄目でしょうか?

河上さん
 いや、あのね、前日の集まる方って知れてるでしょ?

質問者
 はい。

河上さん
 大体メンバー、同じじゃないですか?

質問者
 そうですね。

河上さん:だから大丈夫なんですよ。

質問者
 では前の日の食事会については別にそれほどの…。

河上さん:そうです。それでね、それで万一お腹が痛くなってもね、村以外では言わないと。それだけです。護摩の場合はね、やっぱり色んな方が来られてるから、その中から群れでお腹が痛くなったって外で言われると、もうちょっと大騒ぎで済まないんでね。今ちょっとね、何か困ってるかと言うと、その食中毒菌を特定できない状態なんですよ。

ということは、どういう条件でどの状態のときにその食中毒が発生するかが、保健所も把握できてない。把握できてないから発表もできないし。要するにどういうことかと言ったら、食中毒が出ましたと、ほんだらどこそこの食堂の調理場でこういうことをしたから食中毒になりましたと。 だから、ここの食堂は3日間、営業停止ですとかね、決めれるじゃないですか。でもその最初の証拠を決めれないわけですよ、特定できない。ぐらいちょっと大変な、ということは、何に注意したらその食中毒を防げるかが今わからない状態です。

それもあるんで、ちょっと村もね、特にカレーはね、ウエルシュ菌って言ってすごく危ないんですよ。朝から作ってお昼に全部食べ切る分には問題ないですけど、前日から作った場合はかなり危険です。それはカレーに限らずシチューもそうなんですけど。だから今、あの結婚式でシチューが一切出なくなったんですよ。

それは結婚式みたいな料理は前の日から仕込むじゃないですか。ある温度帯のときにウエルシュ菌が増えるんですね。その温度帯を上手く管理、大きいすごい有名なレストランでもね、ホテルでもできずに失敗して食中毒発生させているわけですね。

そういう意味で、カレーなんかは、仮に朝から作ってみんなに配っても、残ったのをまたみんな食べるじゃないですか、もったいないからね。そのときも危ないし、色んな意味でちょっとそのウエルシュ菌が原因なのか何かもまだわかってないですけど、色んな事情を考えて危険は避けるべきだと。何より先生がもう屋台奉納はいいって言ってきたのが一番スタートなんですけど、はい。

質問者
 わかりました、ありがとうございます

宮野さん
 ウェルシュ菌。

河上さん
 ウェルシュ菌です、ごめんなさい。今、訂正が入りました。(ウエルシュ菌との訂正が有りましたので、最初の発音の時から訂正の発音で記入しています)

質問者
 ありがとうございます
 お食事の奉納会について追加でまた確認したいんですけど、先生はずいぶん前から、もう直会はいいよねって言われてたいうのはどういう意味なんです?

河上さん
 元々この護摩というのは夜中にやってたんですよ。夜中にやって、屋台があってっていうのをされたわけですけど、それをお昼に変えるときに、「もう屋台奉納いいよね」と仰って、なってます。お昼の護摩になってから、15年間、もちょっと経つかな? はい、経ちますのでね、ええっと1995?、2005年ぐらいからやから、計算して。うん、それぐらい経ちますので、それだけですけどね。はい。

質問者
 護摩後の直会は、その土地の神さまとの交流とか、みんなの一体感のために必要だからやった方がいいということだったんですけど、そういうのもあんまり形にこだわらず。

河上さん
 だから別に一体感をね、食事を同じもの食べなくても、みんな持ち寄ったもので、それぞれ食べながらね、歌を唄ったり何でもできるじゃないですか。村に負担をわざわざかける必要はないと思うんですね。



質問者
 変なその土地のものを食べて帰らないといけないというこだわりもなしに?

河上さん
 だって、ここの護摩はずっとここに来るんだから、こっちのもん食べ尽くすじゃない、もう既に。だから大丈夫だと思います。はい。

質問者
 あと、各地の神社にお祈りに行ったときに、その土地のものをちょっとでも食べて帰った方がいいのも、それも自由自在に?

河上さん
 それは自由自在ですけどね、せっかくそこまで行ってるのに、土地の名物を食べずに帰るのも、あれですっていうだけです。

質問者:
 それともう1点。よくお話で、あちらの方とかあっちの方ではいう形で、僕らは聞き慣れてるんですけど、よく考えたら、あちらとかこちらとかいう正しい定義というか、わかりづらいんで。

河上さん
 虚の世界のね、虚の世界での肉体を持っておられる方と、肉体を持っておられない方を区別してそう呼んでおります。

質問者
 この世とあの世ぐらいに?

河上さん
 そうですね、どっちにしても虚の世界には変わりないんですよ。みんな勘違いするのは、ここの虚の世界が滅びて、また虚の世界が出るだけなのに、次にすごい天国来るみたいに勘違いしているけど、そうじゃなくてね、一大循環の相象(すがた)があって、要するに天国は今ここにあるんですよ。その天国の響きを、皆さんがそれぞれの自分の言葉で、自由自在に変化させて、男になったり、女になったり、美人になったり、ブスになったり、色々ありますけど、色んな姿を楽しんで演じてるだけだと。ただ演じ方があまりにも拙くて大変なんで、一旦ご破算にするよって地球霊王様が仰ってるというのが今の状態です。

質問者
 形としてはあちらの方の代表として、こうやって皆さんが集まられて?

河上さん:
 そうです。それはその通りです。あっちの世界の方が数多いですから。

質問者
 だから参加者はあちらの方、あの世の方の方が多い?

河上さん
 護摩ではそうです。

質問者
 だから此処(護摩)で盛り上がれば、あちらの方が10億倍にも人数的にも多いから喜ばれるという?

河上さん
 それで護摩がないときは、護摩会場で何もしてないんで、あちらの世界の皆さん村に押し寄せるわけですよ。今までは先生がいらっしゃったからよかったんだけど、これからは村人がしなくちゃいけない。

でもその肝心の村人がこんなんで仲良くなれるんかなっていう状態では困るんでね。なんですけども、もう先生が「沈めてまえ、石ころ一つ残さず沈めてまえ」って先生が言うから、僕がするんですか?みたいな。「お前、悪者なってもいいからやってまえ」みたいな感じになってるんで、今は。それぐらいちょっと色んな大地震が来そうで大変なんですけど、それを村沈める形にして、ちょっと小さくするという先生の方の意向です。

質問者
 基本はこの世の代表者が、肉体を持っているみんなが祈れば上手くいくという?

河上さん:いきます。要するに総責任者の自覚を持って真祈りしてくださったらいい。だけどほとんどはね、「あの場の空気やったら、印可書は駄目って言うしかなかったんだ」っていう感じなんですよ。

「何で印可書、駄目になったかようわからんけど、駄目ってなったんだ」とかね。「なんで河上さん駄目っていうふうになったかわからないけど、河上は駄目だ駄目だってなった」っていうぐらいね。要するに日本人の特徴ですよ。その場の空気に流されて、或いはその場の空気のせいにして、言ってる自分に責任あるんだけど、「俺らは関係ないんだ、その場の空気でやったからどうしようもなかったんだ」と言い訳して無責任になる。

 同じことが戦争になるときにあったわけですよ。みんな戦争したくないのにね、戦地に行きたくないのに、その場の空気にみんな流されてね、戦争が止まらなかった。これは今の地球で言うと、それが前は日本の戦争のときのような感じでもっとすごい事になる寸前なんです。

 だから空気に流されないように皆さんの総責任者の自覚を持ってというのは、真祈りを、「印可書」奉読されてたら総責任者の自覚ですから、ぜひ「印可書」奉読してください。「印可書」が嫌な人は構わないから、ひたすら「宇宙神ありがとうございます」。

それは2011年の7月30日の先生のお話にあります。ひたすら「ありがとうございます」と唱えなさいという。それをやっていただいたら大丈夫です。

質問者
 空気に流されそうになったら「印可書」奉読?

河上さん
 そうです。

質問者
 真祈りすれば?

河上さん
 そうです。

質問者
 責任を持てる立場に…

河上さん
 日本人の特徴でね、空気に流される癖があるから、裏バイトでね、「あそこを強盗してきなさい」と言われて、何の意識もなく強盗するんでしょ?「自分は頼まれてしたから、自分は関係ないんだ」って言ってるけど、やったお前が悪いって捕まるわけでしょ?そういうことがもうこれからバンバン起こる。

 だから生活保護でもなぜ受けてはいけないかと言うと、そういう狡さですよ。自分は何もせずに楽しようというのがそういう空気に流される無責任さということです。

質問者
 あと勉強会なくなったんですが、第2週は勉強会も兼ねるということですが、このおまけもずっと続くわけではなし?

河上さん
 来年の夏まで。

質問者
 一応こういう形で聞けるのは夏までは?

河上さん
 だから村が沈むのも、来年の夏までに沈む、今の状態だとね。そういうくらい逼迫したままは来てます。その前に僕の肺が全部なくなりますから、僕の方が先逝くかもしれませんけれども。

質問者
 質問者があれば、今すぐにでも聞いて?

河上さん
 そうそう、聞いてくださいよ。

質問者
 ちょっとこのパターン、勉強会で聞くような話なんですが。一休さんが生きられてたときに、親鸞さんの法会?200恩会(?)本願寺であった時に、一休さんが親鸞さんに言葉を残されていて、「襟巻きの暖かそうな黒坊主、お前の方が天下一なり」っていうような言葉を残されていたんですけど、どういったシーンが?どういった思いを込められて仰られたんですか?

河上さん
 親鸞上人はですね、一切お弟子は持たないと宣言された。それはどういう意味かというと、今と一緒です。真(まこと)の神さまと相手の間に誰も立たせないということです。そういう形で親鸞さんは亡くなられたんですけど、だんだん南無阿弥陀仏が廃れていくわけですね。

 ある寺院は、「南無阿弥陀仏」と唱えさせてたくさんのお金を寄付させて、帳面にその人の名前を書くわけです。で、書いたらもうあなたは極楽往生できると、天国に行けると騙してですね、お金を集めて大きくなっている寺院もあるしという、もうぐちゃぐちゃになってきたわけですね。

 その中で、真如という方が現れてですね、お金を出したから救われるんじゃないんだということを仰って、今の本願寺の基礎を築かれるわけですね。それの部分の法然、親鸞、真如という繋がりをですね、襟巻きという形で、表現されたということです。真如さんが一番この世的には、やはりすごい働きをされたんですけど、どういうことをされたかというと、今までは一段高いとこからお話する形の宗教が多かったわけです。でも真如さんは車座になって、みんな中に入られて、一緒に御仏の話をしよねって言ってね、ほんで「南無阿弥陀仏」のことを仰られて、皆さんがその阿弥陀様に一意専心、一向と言うんですけども、一意専心、心を寄せられたわけで。で、一向宗という名前がつくわけですけども、そういうことをされて今の本願寺の基礎ができています。

 だから例えば、お布施を頂く場合でも、ひたすらにひたすらに真祈りしている自覚があったときは受け取ってよろしい。お坊さんに対してですよ。真祈りしてる自覚のないときは受け取ってはいけないって厳命されたわけですね。

 その形があったので、いわゆる「お金をようけ貰ったからあんたは救われる」みたいな騙しの、今の宗教でもあるじゃないですか?こんだけのお金でこの壺を買ったら救われるとかね、あるじゃないですか?ああいう騙しはなかったわけです。騙しがないからあんだけ本願寺は大きくなったんです。

その流れのことを一休禅師は悟っておられるから、その流れを上手く形に変えて説明されたわけ。

質問者
 親鸞さんのことを労われたんですね?

河上さん
 労われたというより凄いなと言って称えられたということですね。うん。その真如という人間をね、作れたということがね、凄いなっていうことですね。真如という方も、本当に自分というのがなくて、お金儲けをする気がなくて。でもみんなが、あの時代の真祈りですね、「南無阿弥陀仏」というが、できる環境を作ろうとして、その環境を作るために社会的に色々と働きかけられて、皇室にも働きかけるし、信長にも働きかけるし、凄い事をされたんです。

 それはもうちょっとここでは説明したら、僕に喋らせたら4時間ぐらいあるぐらいの量ですから説明しませんけど、そういう凄い方です。

質問者
 ありがとうございます

質問者
 ありがとうございます
 お話の中に何度か出てきた新型の食中毒とのことで、手洗い消毒などの一般常識的な事以外でもし気をつけることがありましたら教えていただきたいです。

河上さん
 そうなんですよ、それがわからなくて今困ってる。保健所も。結局原因が特定できないんですよ。できないから、この食中毒じゃないかなと思って調べるんだけど違う。でも実際に症状は起こっているという感じでね、具体的にどこでどういうふうになって発生する原因になっているかというのが、わからない。基本的にはマスクをして、調理のときは手袋をして、もちろん頭に。髪の毛にも菌がついてますのでね、菌が飛散しないように頭もして、本当はゴーグルもしてなんですけど、何故かというとまつ毛から飛ぶんですね。

 だからゴーグルもして調理をしてくださいなんですけど、現場としてはゴーグルまでしたら調理できないんでね、そこまではしないですけどヘアキャップかぶってマスクして手袋して調理するは基本になっています。お家でも調理のときは手袋されたらいいです。

質問者
 はい、ありがとうございます

河上さん
 それで作ってすぐ食べるという、残さないということですね。ほんで、もう一つちょっと色々と大変になりますので、ご飯粒残るでしょう?皆さんお食事作られたらね。そういうご飯粒を集めて水で洗って、乾かしてですね、干し飯(ほしい)を作ってください。

 ネットで検索されたら干し飯の作り方出てます。電子レンジでチンしたり色々やり方あるんですけど。残ったご飯粒は全部乾かして干し飯にして乾燥剤入れて保存してください。それが、すごく役立つときが来るくらい、今、大変になる寸前です。ありがとうございます。

質問者 
 ありがとうございます

司会者
 今のすいません、ほしい?

河上さん
 干し飯。ご飯炊くじゃないですか。それを広げて、昔だったら天日干しにしてカリカリするんですよ。それを保存食にするんです。わざわざ炊いて作るんじゃなくて、毎日お食事作られたら必ずご飯余ってくるじゃない?その残飯をね、水で洗って、干して乾かして作る癖をつけてくださいという。

質問者
 それはどんな字を書くんですか?

河上さん
 乾いた飯。

質問者
 飯ですね?

河上さん
 炊飯の飯です。

質問者
 はい、ありがとうございます

質問者
 すいません、質問をお願いします。日蓮さんが四箇格言(しかかくげん)4個の格言って、他の宗派を批判されたの真意がちょっと未だによくわからないので?

河上さん
 日蓮さんは他宗を批判されてないんですよ。でも日蓮さんの周りの人がね、やるの。それは今の宗教でもそうですよ。教祖は何も言ってないのに周りがやるの。それだけです。で、日蓮さんは最後は天照大神さまだけってなるんですよ。それが周りの者は困るんで、最後に日蓮さんを毒殺しちゃうんですね。 そういうもんです。だから、教祖という立場はなかなか厳しい。

質問者:じゃあ四箇格言を書いたのはお弟子さんが?

河上さん:はい。日蓮さんはそんなマイナスを責めるようなね、排他的なものにはされない。悟った方は、排他的なものにしません。また相手の自由意志を縛る物言いはされないです。

質問者 
 納得しました、ありがとうございます

質問者
 ごめんなさい、最後にちょっと1点だけ気になることありまして質問者させてください。パリオリンピックが今行われておりまして、日本人のアスリートの方も皆さん頑張っていらっしゃると思うんですけど、なんかメダル取るためだけにすごく効率の良い、例えばシューズであるとかそういうウェアであるとか、そういうものを全部駆使した上での、そのメダル獲得っていうのと、本来の目的であるその参加することに意義があるっていう精神と何かちょっと乖離している感じがあって、なんかもうメダル取れなかったらもう、何ていうかその空気感として、みんなが認めないみたいなものがあって、すごく私はちょっと心配してるんですけど、そのあたりを本来のそういう参加することに意義があるみたいな空気感に戻すためにはどうすればいいか教えていただければと思います。

河上さん
 そんな事言ったって今ロシアが参加してないでしょ? それだけでも不公平じゃないですか?だから、国ごとのどうこうという競い合いをやめてね、個人の競い合いにしたらもうちょっと変わると思いますけども、どっちにしたって、例えばパリに行くだけでね、もし個人で行くとなったらですよ。すごいお金がかかるわけでしょ?だから、ある意味みんなの税金を使っていくから勝ちに行くというのは当然のことだからそれはどうしようもないですよ。オリンピックが終わってからが本当に勝負で大変なっていきます。

 今日の護摩が上手く修まったんで、ちょっとは上手くいくかなと思っていますけども、ぜひ来月もね、来れる方は2回来てください。それくらい大切な護摩です。オリンピックは終わってからが大変です。

質問者
 ありがとうございます

司会者
 その他にありますでしょうか?では最後にお願いします。

河上さん:そんなんでね、ちょっと本当に食べるもんがなくなってきます。それも突然きますので、今、ご飯をですね、残飯として捨ててるようなご飯でも洗って、広げて乾かして干し飯にしていく癖をつけててください。もちろん、わざわざ食べて作っていただいてもいいですけど、そこまでしなくても、あれですけどね。もちろんパフマイと言うんですか?そういう乾燥されたお米もどんどん備蓄されたらいいんですけど、残飯だったらもう本来捨てるものを作っていくからお金かからないじゃないですか?

 だから、それで今だったら、クーラーもありますから、部屋中広げておくだけでもどんどん乾きますし、色々と作って保存してください。干し飯っていうのはね、ちょっと固めのおかきのような味になりますから。その分がすごく涙が出るほど助かるくらい、食糧的に厳しくなりますので油断せずにね、余裕のある方は欲し飯を作っててください。

 それぐらいオリンピック終わってから色々と見えてきます。そうならないように、ひたすらなる真祈りで行こうとは思っておりますけども、一応念のため全部言っておきます。それくらい大変です。そんなんで、色々ありますけどもね。

 この本当のこと言うと2回目の護摩の方が深く入っています。それは最初の護摩でかなり深く行ってるからその勢いで。ロケットで言ったら2段目が発射できるみたいな、2段ロケットで行ってるっていう感じですのでね。ぜひ2回来れる方は来てください。どんだけの大オマケかいうのは、来年の夏過ぎて護摩が終わったら分かります。

分かるけど、分からないようにもって、ずっと護摩をやり続けていきたいんでね、ぜひ2回来れる方は来てください、そういうことでまた来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます


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8月護摩 by 河上 2024年08月14日(水) 16時20分
PC

8月護摩焚き河上さんのお話
 令和6年8月4日護摩焚き河上さんのお話

 宇宙神ありがとうございます

 令和6年8月4日の護摩焚きで、皆さんからの質問に河上さんが答えてくださいました。ありがとうございます

司会者
 それでは河上さんへの質問を4人の方から5つの質問を預かっております。

質問1
 無尽灯についてお尋ねします。私も5枚セットで持っていて、板に貼り自宅にかけています。神さまのお手伝いをしたいという方が現れたら、その方にシールをあげてください、というお話が以前河上さんからあったように思いますが、そのときは板に貼ったシールをお譲りしてもよろしいのでしょうか?それとも、シールを剥がしていない方が良いのでしょうか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます どの形でも大丈夫です。はい、お渡ししてください。

質問2
 ありがとうございます いつでもどこでも真祈りの会や護摩をさせていただいても良いというお聞きいたしましたが、神社で護摩をさせていただいても良いのでしょうか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 神社ですか?ご自分の神社ということ?それは総代さんの許可を得ないと無理だと思うんですけど。神主さんがいなくても、神社を維持管理してくださってる総代さんがいらっしゃるんでね。だから基本的には自分のお家とか自分の敷地でしていただいて、よその土地でするというのは、許可を得ないと無理だと思います。

司会者
 はい。この宗教に絡んでというのではあまりよろしくない?

河上さん 
 護摩の形をね、物を燃やす、いわゆる火の洗礼ですね。その形がいろんな形があるわけですけども、宗派によってやり方のこだわりがありますから、許可を得るのは難しいと思うんですよ。そういう意味でも何て言うんですかね、何のためにそれをするのかなというまず…。

質問者
 はい、質問させていただきました。ありがとうございます 一人護摩、神社で一人護摩をさせていただく。

河上さん
 いや、そうじゃなくてその神社っていうのがね、ご自分の神社じゃないわけでしょう。

質問者
 はい。

河上さん
 総代さんの許可を得ないと。

質問者
 お祈りだけでも。

河上さん
 いや、お祈りだけだったらいいけど。護摩って言うから、何か燃やすのかなって。

質問者
 じゃなくて、お祈りだけです。

河上さん
 印可書を奉読されるってことですか?

質問者
 そうです。

河上さん
 それは、いつもお願いしている通りでいいんですけども。

質問者
 はい、じゃあよろしいですか。護摩をさせていただきますって言って、「印可書」奉納させていただいて。

河上さん
 いちいち護摩と答えなくても向こうの方はわかります。

質問者
 わかりますか。はい、わかりました。ありがとうございます

河上さん
 はい、ありがとうございます

質問3
 ありがとうございます 以前より中国の方たちが土地を買いあさっていって、日本の水源が危ないという話をよく聞きます。中国利権が絡んだ太陽光パネルの問題で、日本の美しい里山の風景が壊されていっています。また、中国人留学生に月15万円もの無償で支給されている話もあります。川口市のクルド人問題もありますし、ワクチンでどんどん日本人が〇〇され、その代わり、外国人がたくさんやってきて、治安が悪くなってきています。このことについて河上さんの意見をお聞かせください。よろしくお願いします。

河上さん
 現実だけを見つめたらね、「ずるいことしてるなぁ」とか、「うまいことやってるなぁ」とかあると思うんですけども。神さまというのは絶対の愛ですからそしてその人の絶対の自由を絶対に縛ってこないですね。だから、松下先生がそうだったんですけども。絶対に、例えば「印可書」を読みなさいとか、「ありがとうございます」と言いなさいとか、相手を縛るような物言いは一切されなかったわけですよ。「印可書」はもう最後の究極のものですから、読むなとも読めとも良いとも悪いともおっしゃらずに、でもご自分の書かれた、神さまが書かれたものだから、と言ってそれだけで出されたわけですけどね。

 それくらい絶対の神さまというのは、相手の自由意志を縛らないんですよ。だから、この世の見える、感じる感覚のものを言葉に換えてね、普通の人は自分の運命を作っていくわけですよ。あいつが気に入らんと言って自分の運命を悪くしていったり、いろいろありますけども。だからずるいことを本人にとって自分の都合にとって、得だな、いいなと思うことをみんなするんですよ大なり小なりね。それが外国人の方がすると余計目立って、そういうふうに見えるわけですね。でも神さまは絶対の愛ですから、必ずその本人が例えばずるをして、借金を背負い込むわけですね。利息付きで必ず返させられていくわけですよ。特に日本という国はすごい国で、どんな悪さをしようとしても、できなくなるという国なんです。

 それを昔から食べられるんじゃなくて食べさせてやるんだ、っていうふうな表現をする宗教家もいらっしゃいましたけどね。向こうにとったら日本を食いつぶしていってるつもり。でも食べたがために、自分がプラスに、どんどんいろんな形でね、なっていくみたいな。そういう凄まじい神さまの愛というのがあるわけです。

 村人にきついこと言ってますけども、それはなぜかというと、村に住む以上は絶対に真祈りしなくちゃいけないというものなわけですよ。先生がいらっしゃる間は先生が代わりにしてくださってたから、前もそう言いましたけど、先生が亡くなられた以上は、何があっても真祈りしないといけない。(真祈り)しなければ村を出ていくか、すごい運命になってしまうか、死んでから大変か、すごい病気になっていくか。野村さんのように体が動かなくなってしまうかとかね。いろんなことが起こるわけです。それが別に村に限らず、村は最初の象徴的にどんどん起こりますけども、日本に対していろんな海外の方がされても、それが起こるわけです。

 だから、幕末のときに、外国の方が日本を我が物にしようとしてね、いろいろするわけですね。するともうその年はいろいろと外国の方がされた年は、地震が5回ぐらい、大地震が起こって、逆にこんな地震のある国は、かなんからってなって、みんな手をちょっと引いてしまったみたいなね。ぐらいすごい国なんですよ。

 それはなぜかというと、まず日本ができて、あの地球ができて、日本ができて、世界ができたから。今度は世界から日本に帰ってきて、真((まこと)の神さまに戻っていくという時期に入ったから、いろんな意味で世界からいろんな国の方が来られるし、その土地も買われるし、いろんなことを画策もされるわけです。でも何がどうなったって必ず真(まこと)のプラスにいかざるを得ない。それを邪魔したものはあっという間にという感じになっていくわけですね。

 例えば、旧約聖書ってあるわけですけども、それは神さまとの約束事を書かれた、いわゆる事実の書いた本なんですけどね。そう中に、例えばノアの箱舟ってあるじゃないですか。その当時の人はノアに対してね、「こんなに天気続いててね、雨なんか降るわけないし洪水なんか来るもんかバカ」ってやってるわけですね。でも実際に大洪水が起こるわけです。

 それの小さい事件として、そのイスラエルの12支族の中のダン族の中の方でですね、ダサンという男性がおられたわけです。この方は、その当時、真(まこと)の神さまを信じずに今でいう新興宗教ですね、虚の世界の自分の都合を優先する、希望実現の法則を言う宗教をされてたわけです。そして、そのヤハウェという真(まこと)の神さまの働きの邪魔をしたわけですね。すると何が起こったかというと、突然その人の足元の地面が割れて、地中深く飲まれて、埋まってしまうわけです。

 それは、真(まこと)の神さまとしては一瞬で消し去るのは簡単なんだけど、それだったらわからないだろうということで、人間にもわかる形をとるわけです。それぐらいね、神さまはやろうと思ったら何でもできるの。だから、その表現だけ見てね、あんまり心配しなくていいです。それよりは、どの形があっても、神さまが一番いいようにするからと信じてね、ひたすら「印可書」奉読しててください。それだけで全ては解決します。

 もう本当に。この前の護摩で言いましたけど、終わるということは、新しくいいものが始まるということなんですよ。でも、その終わったときの卒業試験というか、そこで落第しちゃうと新しい世界へ入れないのね。本当に漆黒の闇に堕ちてしまうので、まず、まず「印可書」を奉読してください。その本当は「真祈りしなくちゃいけないんですよ」の一言で終わりなんだけど、真祈りに自信がない人のために「印可書」を先生は作ってくださったんでね。ひたすら「印可書」を奉読してもらってます。

 例えば、村の場合でしたら、お祈りの部屋に光が降りてるわけですね。この光が途切れてしまった時点で、村は地中深く沈みます。だから、村人が、外の人はもう手出さないで。出しようがないのでね。村人が自主的にお祈りの部屋で真祈りして、光をずーっと通しておれば大丈夫なんです。ただただそれだけで、それをその自覚できた人が自分の自由意志でね、淡々と「印可書」を奉読できたら、「いいなぁ」っていうだけで、こっちからは「せなあかんぞ、こら!」とは言えないんですね。

 それくらい真(まこと)の神さまは、相手の絶対の自由というのを自由意志を絶対に縛らない。だから、みんな好きにしていいわけです。だから、外国の方が日本に来て好きにされてもいいんですけど、いくら好きにしようとしても、「神さまの御心の邪魔を誰もできないんだ」ということはわかってください。だから、こちらは神さまの働きが、よりこの地上で働きやすくなるように「印可書」を奉読すると。ただただそれだけで大丈夫です。ありがとうございます

質問4
 少ない年金をもらいながら週5日パートで働いています。昼夜のダブルワークもしています。毎日仕事から帰ってきては、リビングで横になって疲れを取らないと体を維持できない状態です。そんな様子を最近たまたま帰省していた子供に見られて、「もう歳なんだから働かなくてもいいよ。子供たちでお金を出し合って生活の面倒は見るから。」と言われました。先生は「年金はもらわない方がいい。不労所得を持ってはいけない。死ぬまで働いた方がいい。」と言われていましたが、年を取ってからの働き方について教えていただけたら嬉しいです。いずれベーシックインカムがきて、生活のために働かなくてよい時がくるのかもしれませんが。

河上さん
 はい。働くということと働いた結果ということとは別なんですね。だから、もう年だから働けないわとか、どうこうとおっしゃる方は、その大半がね、結構若い時に良い結果を出せる働き方をされてたわけですよ。若い時の自分の結果から見たら、若い時やったら、「これだけやれば10できたのに、もう今は3もできないわ」というみたいな感じですね。でも、その3できることが大事だと思って。お金も稼げたら稼いだらいいけど、稼げなくてもいいんだっていうね。只々神さまを信じて、無条件に喜べるようにならなくちゃいけないんです。

 無条件に喜ぶようになるためには何が必要かというと、「文句言わずに働く」ということなんですよ。文句言いながらね、「もう生活のためにお金が要るから、しんどいけど働かなくちゃいけないわ」とかね、やってるとそれは働いてることにならないんですね。ともかく、何が大事かというと、真(まこと)の神さまは絶対の愛だから、どの状態も一番良いようにされてるんだっていうことをまずわからなくちゃいけない。それと、若い時だったら寝ずに働けた、例えばですよ、でも年を取ったら、今おっしゃったように、1日働いたらちょっと横になってじっとしてなあかんとか、色々ありますよね。それはそれで自分なりに工夫して、されて結果が伴わなくても動けることを喜んでいたら良いんですよ。動けることを喜ぶのが大事なんです。

 何が一番駄目かというと、例えば、息子さんたちがお金を出してくださるんだったら、喜んで頂いたらいいです。いいですけど、だからといって、じゃあもうじっとしてたらいいんだわというと、それは違うわけです。だから、「子供たちがお金出してくださったからよかったって」まず喜んで。あとは自分のできることをね、お仕事に行く行かないに関わらずですよ。あるじゃないですか、家の掃除でも何でも近くの公園の掃除でも何でも。やろうと思えばやること必要なことは一杯ありますから。ともかく体を動かすということ。

 例えば、じゃあお仕事も、もうできないんだってなったら、この前言ったように、おへその上まで膝を上げるということをしながら、「印可書」を奉読するとかですね、ともかく体を動かすんだということだけは、わかっててください。そうすれば生命が生き生きします。じっとしてると、生命が、水道で言うとですね、動いてるというのは、水が流れてるわけですよ。じっとしてるというのは水を止めちゃうのね。止めちゃうと腐ってくるの。それが体でいうと本当にあちこち不調になりますから。それだけは思っていてください。結果を掴まずに喜んで、ちょっとでも動けたら、よかったと思ってやっていただいたら大丈夫です。

 だから、不労所得というのは何かと言ったら、「ずるい気持ちで受け取るお金」は不労所得です。感謝して喜んでいただけたら大丈夫です。せっかく子供さんがね、もうお母さんそんなんするんだったらって、おっしゃっていただくんだったら、喜んで受け取って大事に使えばいいし、自分の要るだけは受け取って、残りは返さなくていいから貯めといてあげたらいいです。死んだときに、お葬式のあれに使ってとかって書いときゃいいわけだからね。そういう感じにして、もっと自在に動いてください。はい。

 只々、例えば生活保護をもらうのが駄目じゃなくて、ずるくもらっちゃうから駄目なんです。ずるくもらうというのは何かというと、「働かずで楽でいいわ」って思う気持ちが駄目なんですよ。それを先生が細かく説明されてるんだけど、誰もわからないままきてますけどね。

 だから、村が生活保護状態になってるっていうのは、そういう意味です。真祈りしようと苦しんでるんじゃなくて、山仕事に逃げて、ずるく生きてるから駄目になってしまっているわけです。真祈りをできるかできないかっていうので、みんなが苦しまないように先生が「印可書」を作ってくださったんだけど、それすら選び取れないんだったら、ひたすら苦しんでのたうち回ってでも真祈りしようってね、工夫して、工夫して動き回らなくちゃいけないんです。それは村人に限らず皆さん一緒ですけどね。ただ「印可書」があるから楽だよということです。ありがとうございます

質問5
 松下先生や河上さんのような、地球宇宙に変革をもたらすような深い悟りではなく、本来の源と繋がった自分で、この生命を輝かす方法は、呼吸に意識を合わせる、自分を忘れるほど何かに集中する、リラックスして心で音楽を聞くなどは、「印可書」の「宇宙神ありがとうございます」を唱えるのと同じ働きでしょうか?その状態の自分は過去でも未来でもなく今を生きているのでしょうか?そして、何も持たず、何者にもならず、また何かを持って何者かになったとしても、あるがままの自分を楽しめるのでしょうか?

河上さん
 皆さん、宇宙を変革する力をお持ちなんです。ただ、それを持っていないと自分が思い込んでいるだけに尽きるんですね。その無限力というのを自覚していただくために、「印可書」奉読をお願いしています。それだけなんですね。例えば、音楽を聞く、呼吸法をしながら音楽を聞くと、何が起こるかというと、念力になっていきます。

 それはなぜかというと、心がいわゆる小さい言葉、現実というね、小さい言葉のところにとどまってるからです。本来音楽は、真(まこと)の神さまのところまで繋がるものなんですけども。なんと言うんですかね、表面の音楽、表面のところだけでみんなとどまっちゃうのね。だから音楽家でも、すごい音楽を演奏できる人が少ないのは、そのためなんですけども。なんでかというと演奏してる自分を楽しんじゃって、そこで止まっちゃうんですよ。深く深く奥に入らなくちゃいけないんだけど、なかなか表からは入れないんですね。

 「印可書」は裏を通ってまっすぐに絶対の中心に繋いでくれるので、「印可書」を奉読しながら音楽を聞かれるんだったら聞かれるといいと思います。それで「印可書」奉読をしてると、呼吸法に繋げ方が見えてきますので。ただ、時間がないので呼吸法も、ちょっと先行して出してるわけ。本来は呼吸法は、こういう形で説明してはいけないんですけどね。

 そうですね、ヨハネ先生の時代、ヨハネ先生はナザレ教団という教団を作っておられたわけですね。そこにイエスがいたわけですけども。イエスは十字架にかかるというのがもう決まっていたので、ヨハネ先生はナザレ教団を誰に引き継がせるかということで、色々あってですね。色んなことが起こるわけですけども。その時に何が結局、問題になったかと言うと、真(まこと)の神さまに繋がるという部分が伝授の部分なんですけど、それを受け取れたのがイエス一人だったということなんですね。

 それでも、色んなことをしてトーマスという人に託すこととなってですね。先生、でも、すぐ駄目になるけども、とりあえず後の人間がうろたえるから、託すとなったたわけですけども。こっちも可哀想に思って、ちょっと奇跡の力をそのトーマスに渡すんですね。すると何が起こるかというと、表面だけでね、奇跡が起こるもんだから、そこに心をとどめてしまって、つまらん魔法使いに堕ちてしまうんですよ。それくらいで、奇跡力というのはほぼ音楽なんですよ。奇跡力を発揮しても、表面を使うんじゃなくて奥を、奥にちゃんと心を置かなくちゃいけないんです。絶対の中心にね。そこが難しい。

 だから音楽があるんだから、音楽だけで深い悟りに入れた人が一杯出なくちゃいけないんだけど、出ない理由は聞く側が心を絶対の中心に置けてないから。それと一緒で、今のお話でもね、音楽を聞かれるのはいいですけども、「印可書」を奉読して聞かれる。「印可書」奉読しながら音楽は聞きにくいだろうから、「ありがとうございます」で呼吸法を乗せる。「宇宙神ありがとうございます」で呼吸法に乗せながら聞くということをされると音楽が深く入って、本当にバッハの音楽がすごいんだというのが実感できるようになります。わかるじゃなくてね。そういうものなんです。

 何事においても表面の言葉に心動かされたら駄目なの。要するに現象に。この世の表れに心が動かされると全部流れていって何もわからなくなる。もうそれだけです。だから、まずは「印可書」から入られて、「印可書」だったら、裏を通ってサッと中心に戻してもらえるんですね。中心に戻っても癖があるから、すぐ降りてくるという逆の意味での一大循環を体験できて、心境が変わっていきます。まずは、音楽を聞かれるのでも「印可書」奉読されてから聞かれたらいいです。ありがとうございます

司会者
 会場の皆さまで何かご質問のほうはありますでしょうか?(会場から2名の方の質問がありました)

質問6
 ありがとうございます 村の掲示板にも書かれていることですが、今日のお話も出てきました、 新しい世界が始まるということをお聞きしました。その新しい世界とは、どんな世界でしょうか?

河上さん
 まず、卒業試験受かるかどうかわからないのに、先のことを言っても。例えばヨーロッパに旅行をしますとでもパスポートが下りるかどうかわからないのに、ヨーロッパどうこう言ってもしかたないでしょう。まず卒業試験をパスしないと。ただ、みんな終わりが来るのは悲しいことだって勘違いしてるからね。そうじゃなくて、よりよいことが起こるから終わりがあるんだよということを説明したわけです。それは卒業試験が通れば、どんな世界になるかぐらいすぐわかります。わからないうちからそれを知ったところで、卒業試験落ちたら一緒でしょう。要するに真祈りできなかったら一緒でしょう。なんで知りたいのか?逆に聞きますけども。

質問者
 例えば、海外旅行だとしたら、行ってみたいっていう、そこに気持ちを向けることで卒業試験も頑張れるんじゃないだろうか。

河上さん
 いやいや、気持ち向けるのは、絶対の中心以外は向けたらダメなんですよ。表現に心向けては意味がないです。

質問者
 その新しい世界っていうのは、先生がお話しされた。真実の、真(まこと)の真実の世界のことだとすれば?

河上さん
 違う、違う。絶対の中心は厳然と一大循環の相象(すがた)となって今、此処に在るの、いつもね。それをまずわからないと実感できないと何も始まらない。要するに、いつも言うように役者さんが、大悪人を演じる役者も普通はいい人でしょう。いい人が、いろんな大悪人を演じたりして楽しむ劇が、今、この現実だとしたら。例えば、これ、今の現実が、この時代劇だとしましょう、仮にね。それが終わりましたと、次は現代劇にするんですよとか、そういうことだけです。それでも、そのよりよき姿となって表現がまた始まるということです。

 でも、必ず一大循環の真(まこと)の神さまは、一大循環の相象(すがた)となって、厳然と今此処に在(まし)ますって先生は答えを言うたんだけど、誰も気づかなかった。さらに答えを重ねて「印可書」を出したんだけど、誰も気づかなかった。

 これで、ほぼ全員落第って決まって、もう、みんな好きにしますから、するんだからもう(ほっといて、好きにさせたら)よろしいなって、先生に言ったら、まだまだって怒られて、今これが続いてるわけです。まだ何が聞きたい?

質問者
 すいません、ちょっとしつこいようですけど、確認のためにもう一度聞かせていただきます。その卒業試験が真(まこと)の神さまだけ!、真(まこと)のプラスの世界、真(まこと)のプラスの言葉だけ!っていう、そこに絞り込むことが卒業試験を合格すること、ということは、その新しい世界っていうのは、真(まこと)の神さまの世界そのもののことを言ってる?

河上さん
 いや違う、違う。だから、真(まこと)の神さまは、一大循環の相象(すがた)となって、厳然と今此処に在します。これがもう全ての全て。

 例えば今、演技してる人を演技して楽しんでるっていうけど、この世だったら俳優さんは俳優さんに戻ったときにバラバラでしょう。バラバラっていうか、別個にあるじゃないですか。でもそうじゃなくて一大循環の相象(すがた)として、真(まこと)の神さまとして一つなんですよ、常に。それをいろんな形に分けて表現で楽しんでるだけ。

 だから、真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)となって厳然と今此処に在しますって言う。

 イエスの言うビー、ヘヴン、アト、ハンド「be heaven it here」って言うね。「天国は今此処にあり」というのはそういう意味なんですよ。

  でも、ほとんどの人は天国とか、真(まこと)の世界とか一大循環の相象(すがた)というと、この極楽世界のような表現体だと勘違いしてるんです。表現体じゃなくて実態なんです。(常に一瞬一瞬新たに新たに現れる一大循環の相象という、今ここにある実態なのです。)

 表現体はスクリーンに映ってるもの。この現世の現実というのは、皆さんの心のスクリーンに映して楽しんでるから、例えば、同じ花を見ても、この同じ花を見ても「わー綺麗」という人と、「いや、私この薔薇は、私、薔薇は私嫌いなんや」「わー何て綺麗な薔薇なの」と言う人と違うでしょう、受け取り方が。それは、お互い心に映すスクリーンの形が違うからです。

 このように表現というのはそれくらい、各自が個々に楽しむ世界。一大循環の相象(すがた)そのものというのは、その大元のエネルギー体、光の塊。それも一瞬一瞬、新たに光源と光の流れがという状態であるものです。「印可書」に書いてあるやろ、ちゃんと。

質問者
 頭で理解せずに「印可書」奉読で時間をかけたいと思います。

河上さん
 もっと、もっと実感してください。

質問者
 ありがとうございます

質問7
 ありがとうございます 村に来ている方から、この間、河上さんの話で、質問で「護摩が2回になって、向こうの世界の方は、すごい喜ばれてる」っていう話をしたんです。「この間、そういう話があったよ」って言って。そしたら、その「向こうの世界」っていうのは、「どの世界だ」って言われて、私は答えられなくて。

河上さん
 もう、この今の現世の世界とほぼ同じです。それが、いろんな形で、どんどん変化してるだけでね。もっと大きい体であったりとか、本当に、どんどん毒ガスの噴いてる場所とかね。炎で焼かれてるところとか、冷たい氷に囲まれてるところとかね。それがもっと、この地球上である表現以上に、いろいろ厳しく、いろんなものが、いろんな階層に応じてあるわけですね。

質問者
 ミニ十界とか、十界とかも全部含めて。

河上さん
 全部含めてですね。

質問者
 わかりました。はい。

河上さん
 その勉強会をやめちゃいましたので、先生がやめていいって言うのでね。勉強会が大おまけだったという、理由を誰も聞きに来ないので、何の大おまけだったかと?

 それは、お祈りの部屋に光を絶やさずに降ろし続ける役目として大事だった。それを村人に引き継いでいただきたいから6年間の間に誰か、ちゃんと聞きに来てくれないかなぁと思ったんですけど、勉強会をね。誰も来られないし、そろそろいいんじゃないかなぁという時に、ちょうど護摩が2回になりましたから、先生の方も、もう村の方は村人に任せたらいいからみたいな感じで。それで、さあ、あとお祈りの部屋の光を維持できるか、できないかは村人次第。維持できなかったら(大地深く)沈んじゃうという。

 まぁある意味、総責任者として、みんな責任持って、お祈りしていただこうということだけなんですけどね。難しいことを言うてないですよ。「印可書」を奉読するだけで光が降りるんだから、でも「印可書」を選ばないんだったら頑張ってくださいっていうだけですね。

質問者
 わかりっました。ありがとうございます

司会者
 他には、ご質問ございませんでしょうか?大丈夫そうですか?(会場からの質問はありませんでした。)それでは河上さんよろしくお願いいたします。

河上さん
 また、今月お会いできて嬉しく思います。どんどん潮目というか、神さまの大きな光の流れが変わりつつありまして、護摩2回という事で、また大きく潮目が変わりました。光の目が変わりました。どういうふうに変わったかといいますと、今までだったら、松下先生にお聞きして真祈りしてきた。

 先生いらっしゃらない、後は、みんな右往左往をするから、僕をある意味中心にして真祈りしてきたということですけど。いよいよ月2回の護摩になりましたので、皆さんお一人おひとりが、全人類に向けてね、いわゆる福音(ふくいん)を述べ伝える立場に立つということです。

 福音(ふくいん)というのは中国語でありまして、無条件の喜び事という意味です。無条件の喜び事が無条件に沸くようになるのが悟りというわけですけども、それを皆さんお一人おひとりが、役目を持ってする、最初の第一歩が始まったということです。

 もう、何々先生を中心にという時代は終わったわけです。皆さんが松下先生となって働いていただく時代が、いよいよ始まります。それで、「そんなん私、何も喋れないわー」でいいんですよ。ただただ、ひたすら「印可書」を奉読しててください。「印可書」を奉読してると自然に必要な時は、必要なことが喋れるようになります。その体験が何回か重なっていくうちに、総責任者の自覚も深まるし、皆さん「印可書」を奉読していただいてるんで、いろんなことを聞きに来る人のマイナスを裏を通ってね、一瞬に絶対の中心に戻して消していけますから。自分がやるなんて思っちゃ駄目ですよ。自分が思ったっていうた途端に、さっきのトーマスのように落ち込んでしまう、ぐちゃぐちゃになりますけども。ただただ神さまが、真(まこと)の神さまは真(まこと)の本心の自分を使って自在に働いてくださる。「印可書」を奉読してたら働いてくださるって喜んでいておられたら大丈夫です。

 一時的に痰が詰まろうが熱が出ようが、ちゃんとなりますから、不安がらずに進んでください。いろんな人の話を相談を受けるごとに、体は熱出したり、いろいろありますけども、ちゃんと神さまがいいようにしてると信じてね、不安がらずに何事も突き進んでください。あの本当に潮目が変わって、大きく変われます。

 一応、目標の1万人に近づいてきましたし、もうすぐ、ちゃんと自覚を取って、今、言うてる意味がよくわかるようになりますから大丈夫です。先生の深慮遠謀の中には誰も抵抗できません。また今、言った意味がわかるか、わからないかは、今はわからないでいいですから、来週の護摩の時に、もし何か聞いたことがあれば、その時に聞いていただいたらいいですし。どっちにしても、もう本当にもうちょいまできましたからね。
あとは、「印可書」を淡々と奉読してくだされば大丈夫です。

 その「自分というのをどうして消すか」だけが、どの宗教でも一番の問題だったわけですよ。その自分というのを消す方法を「印可書」奉読で簡単になったのでね。こういう大きな進展があります。その進展があったから、こちらから言わなくても護摩が2回になりました。それ以外の働きとして東京の2回の勉強会をやっておりますので、ちゃんと全世界に向かって「印可書」は広がりつつありますから、あとは、ここの皆さんの真祈りによる「印可書」奉読が必要なんです。それをいただくと大きく地球を変えていけます。

 もう口で理屈で、国際連合、国連の総会とか見てたらわかるじゃないですか。いかに「あーですよ」「こうですよ、あーですよ」って言ったって、聞く人は聞くし、聞かない人は聞かないじゃないですか。それぐらい、もう真祈りなしでは何事も収まらないんですよ。真祈りがあれば、もう言葉抜きで収まっていくの。なぜなら、お互いに信頼できるから。黙っててもお互いに支え合って信頼できるから戦争も何もかも収まるんですよ。それを、「あいつはインド人だから」、「あいつはアメリカ人だから」、日本だったら「あいつはあれだから」、「こいつはこれだから」って、日本人同士でも分けてどうこうするんでしょう。そないして分けてどうこうするというのは相手を信じれないからね。

 なぜ相手を信じれないかというと、真祈りしないから。真祈りというのは、すべて真(まこと)の神さまってわかることです。すべて真(まこと)の神さまとわかるから、無条件の喜びになるだけです。そこ、そこだけなんですよ。だから真祈りしようとしない限りは何も始まらない。

 だから、村人は特にそのためには、もうあの大変な立場なんでね。なぜかというと、あのいろんな世界中のマイナスを一切合切、村に集めるように先生していかれたんですよ。それを毎月の勉強会ごとに綺麗に綺麗にしてきました。でも勉強会しなくていいということですから、村で綺麗にする人は、村人しかいないのね。だから村人の手でやっていただきますけども、それぐらい真祈りが大事なんです。だから、真祈りしようとしてください。

 真祈りに自信のない方は、淡々と「印可書」を奉読されたら真祈りになるから、「印可書」奉読もしんどい方は、淡々と護摩木を書いてください。護摩木の枚数足らないかもしれないから、細かい字を書ける人はできるだけ細かく書いてくださいね。字が大きくしか書けない人は、大きくでいいですからということです。

 ただ、この護摩は、すごい大おまけなんですよ。「全然真祈りに自信ないし、何も真祈りも何もわからないわー」「神さまわからんわー」という人でも、護摩木に書くだけで真祈りにしていただけるという大おまけなんですけども、あと何回できるか確約できないぐらい、大おまけというのは回数決まってるんですけどね。大おまけの回数というのは最初から、おまけって最初から予定が決まってるわけですよ。その中から大おまけとして出てきてるわけですけども。この護摩という大おまけも回数決まってるけど言わないでおきますけども、その護摩がある時はね、本当に大事な護摩、大おまけのすごい護摩ですから、本当に来れる限り来てください。

 それくらい、いざ護摩が終わったらわかります。あれが、すごい良かったんだなっていうのがね。だから、まず護摩には参加してください。そして、淡々と「印可書」奉読してください。あの、もうすぐちゃんとできますから、もうちょいだからね、焦らずに悠々と淡々といきましょう。

 また来週お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/tp_rDdyvJzs

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2024/08/07(Wed) 04:52 No.3469 [返信]


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真の神さまへの弟子入りとは by 河上 2024年08月14日(水) 13時25分
PC

令和6年8月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年8月光の交流会で聴いていただいた、真祈りのコツ 2011年7月30日 先生のお話です。

質問
 不思議ってか、面白いっていうか、やっぱりすごいなと思うのが、3年前のだろうが3ヶ月前のだろ
うが、今、今の今週にリアルタイムに押し上げてくれるっていう話になって、それで、この話が虚の話
っていう、明らかに虚の話をしてる時には、過去の自分とか縁者とかそっちにも言ってるんだぁってい
う、さっき聞き方が出来てきて。今度、真実の言葉で聞けるそういう話にっていうかそれ以外の話は真
実の方で聴くっていうていう耳になってきた。なんか面白い。同時に、急に過去のことガーッと思い出
してきて「ありがとうございます」とどっち選ぶって、その時、その時なんかやってるよ。そんなような感じで消してってもらってんだなぁって思ってんですけど、消えてますよね。

先生
 プラスも本当のプラスと虚の世界のプラスがあるでしょう。本当のプラスは循環しているプラスよ。虚のプラスは、無が相対の両極に分かれて、マイナスによって支えられたプラス。だから、プラスを受けるっていうのは、本当のプラスを受け続けないとダメよ。

 もう一瞬一瞬、新たに新たにって、真(まこと)の神さまから受け直そうという気持ちで、真(まこと)のプラスだけ!真(まこと)のプラスだけ!っていうふうに受け続けるの。

それも、新たなる無限の無限のプラスが無限に無限に一杯!って(いう、まことの)大きいプラス。

 これを受けない限り、プラスって言ってても借金を背負うのよ。真(まこと)の神さまから受けたのは、借金にならない、借りにもならない。

 でも虚のマイナスの支えで生み出されたプラスは、プラスを手に入れたら必ず大きい対極のこのマイナスの借金背負うの。

 そしたら、(希望実現の法則として実現したって喜んでいる)プラスって喜んでるのも全部マイナスになってる。

 この過去を掴むようなプラスはみんなそうなの。本当の新たに新たに受け直す、神さまから受け直すプラスだけが、本当のプラスだけよ。

 掴んだらもうダメなの。掴んだプラスはマイナスになっていく。

 だから、本当の真(まこと)の感謝に生きる、真(まこと)の感謝一筋に生きないとダメ。

 一瞬一瞬、新たに新たに真(まこと)の神さまから全てを受け直すだけ。

 もう一切過去を掴まない、自分のものにしないっていうのがいい。

 そしたらプラスだけを受け続けられる。でも、ちょっとでも、ちょっとでも掴んで自分のものにしたら過去よ。

 過去だと思いの世界に入っていくから、虚の世界に入ったらプラスと思ってるのがマイナスの支えで与えてもらったプラス。それは全部、借金よ、大きい借金。プラスを手に入れたら必ずマイナスまた背負って、借金返しになってしまうの。

 だから、これプラスっていうけど全てそうよ。成功したっていうのもそうよ。成功の反面、失敗があるよ。虚の世界の成功はみんな失敗っていう支えによって生み出されてるの。

 成功した人は成功し続けることは絶対ないの。必ず失敗し続けるようになるの。借金返しが必ず起こるの。

 幸せっていうのも同じよ。幸せになったっていうと不幸せが出てくるの。喜んでてまたダメよ、すぐまた悲しみが湧いてくる。虚の世界のは、みんな、いいものを掴んだと思っても、必ず反対のものが出てくる、必ず。だから、過去を掴むと虚の世界。思いの世界よ。

 だから、絶対過去を掴まない生き方って大事よ。常に神さまから受け直すっていう。神さまからのプレゼントは、もう永遠に続く。新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に一杯!って、絶対の中心から降り注ぐ。半端な降り注ぎ方じゃないよ。

 絶対の中心って、無限の無限の彼方、遥か遠いところから絶対の中心から、新たなる無限の無限の天照大御神さま無限に無限に一杯!っていうすがたを取る。

だから、入れ子構造的に、それで、全部が重層構造で重なり合って、それで一つの空間じゃないよ。異次元構造の空間よ、全部が。ものすごく複雑よ。それで、ところてん式にっていうのは、もう奥からずーっと、もう微塵もこう、ちょっとの隙間もないぐらい、ずーっと詰まってる。本当に詰まって押し流されてくる。

 それで、全方向に一杯っていう。それを無限のスピードで、本当の一大瀑布って、滝のようになって降り注いで、循環してくれてるよ。

 ちょっとでも新たに新たに受け直したらいいだけなの。全部受けるって大変だけど、その流れをちょっとでも受けたら、虚の世界の全てを比較してもそんなん比較にも何もならない。

 虚の世界は無よ、やっぱり。真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)の方が、一番末端の小さいものでもすごいよ。

 だから、この世界に、虚の世界に自分が今、置かれてるって思ってても、この世の全てを新たに新たに受け直すのがいいよ。新たに受け直す練習が一番大事。

 だから、今、見てる世界、今、見てる宇宙、全部、新たに新たに受け直さないと。それで自分で掴むのはもう思いの自分になるから、新たに受け直す宇宙が自分よ、大きく。

 神さま世界はそうよ。真(まこと)の神さまから与えてらったものを受けたら、それが自分よ。

 一瞬一瞬新たに新たに受けて、受けただけが自分だから大きくなっていくよ。虚の世界もやっぱりその練習をしないとダメだから、新たな宇宙が自分って言わないとダメ。

 肉体が自分、魂が自分、小さい自分っていうのを掴んでるのは、まだ過去の思いの残像よ。そういう練習してたら、いつまでも神さまの世界受け直せないから。だから、虚の世界にいてると思ってても、大きく受け直すのよ。今、見てる宇宙、宇宙全体。これを新たに受け直したら、こう宇宙が自分って言わないとダメよ。

 虚の世界でも、高い番組に生きる、高い神さま、仏さまっていうのみんなそうよ。私は宇宙って言うの。阿弥陀様でも、西方極楽浄土っていう宇宙を持ってるの。自分の 姿として、宇宙が自分だって言うのよ。

 だから、大きく宇宙が自分っていうふうに受け直したら、虚の世界でも、新たに新たに受け直し続けられるよ。その練習を積み重ねたら、真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)を受けやすくなってくる、必ず。でも、小さくでは負けてしまう。

 まず、肉体の自分がって掴んだ途端に、過去の残像の思いの世界よ。それで、肉体の自分が受け直すっていうと、もう思いの世界よ。本当に受け直しできてない。

 だから、肉体が自分っていうのを離さないとダメ。新たな宇宙が自分って言わないと。これも言葉通りになっていくから、今、受けた新たな宇宙が自分なんだっていう。また次の一瞬、また新たな宇宙が自分なんだっていうふうに、大きく大きく受け直し続けるのよ。

 それがある程度練習できたら、真実の世界の受け直しができてくる。

 思いっていうのは、小さく掴んで固まってるのよ。掴んで固まって、それで、思いの黒雲になるのよ。

 これが、大きく受け直したら、新たな宇宙っていうふうに受け直したら、思いの雲が宇宙大にこう拡散したら、思いすーっと消えるのよ。そしたら、掴まなくなる。思いが過去を掴む、小さく掴む。

 その思いをなくす方法は、大きく拡散させる。大きく受け直したら、思いがすーっと広がって、薄くなって消えてしまう。そうすると、新たに新たに受け直せるようになったら、思いのない自分が、新たに受け直すようになったら真実の世界を受け直せる。

 だから、いつも大きく受けないとダメ。宇宙が自分、宇宙が自分って。言葉通りになるの。全大宇宙が自分。新たな全大宇宙が自分っていうふうに。そしたら、早く思いのない自分になる。

 それが、真(まこと)の感謝になる。虚の世界の感謝じゃないよ。真(まこと)の感謝は、真(まこと)の神さまの循環の相象(すがた)を一瞬一瞬、新たに新たに受け直すだけっていう(まことのかみさまそのものよ)。

 虚の世界の感謝は、過去を掴む。過去のことに「ありがとうございます」言ってるよ。

 だから、虚の世界の感謝は必ず、対極に不足の不平不満があるの。ある程度感謝できた思った途端に、今度、不足の心が湧き上がってくる。それ、借金返し出てくるから、ずーっと続かない。

 だから、虚の世界の感謝を生み出しているようではダメなの。

 真(まこと)の神さまからの一大循環の相象(すがた)を新たに新たに受け直すって、真(まこと)の感謝になったら、この借金がないの。不平不満、不足は絶対湧かなくなる。借金返しせずに済むようになる。

 だから、借金をしない生き方っていうのは、神さま、真(まこと)の神さまを受け直さない限りできないよ。

 真(まこと)の神さまの支えのないのは、みんな虚の世界の無から生ずるから。無から生じたのは全部、プラスを受けたらマイナスの借金がある。成功したら必ず失敗という借金持ってる。これはもう、絶対の原理よ。どうしようもない、それは。

 そしたらもう、ただひたすら、新たに新たに受け直す感謝一筋になるしかないの。大きく、大きく受け直すだけよ。新たな宇宙が自分なんだっていう「ありがとうございます」「ありがとうございます」新たな宇宙を受け直すだけなの。

 過去なんか掴む必要全然ないよ。イメージトレーニングなんて、そんなんどうしようもないよ、そんなんしたって。神さまから受けない限りはダメなの。

 それはもう、厳然と一大循環の相象(すがた)で今此処にあるんだからって。それはやっぱり言葉にしないと言葉を積み重ねないと信(しん)が生まれないよ。信じなかったら実行もできない。実行しなかったら、何も感じ取れない。

 だから、まず言葉から出発するの。言葉から始めて。一大循環の相象(すがた)として、厳然と今此処に在しますって言わないとダメ。

そして、「ありがとうございます」「ありがとうございます」一瞬一瞬っていうのも、無限分の1秒まで絞り込むぐらいの一瞬になってくる方がいいんだから、もう隙間のないように一瞬一瞬新たにっていう受け方が大事よ。そしたら全然もう過去なんか掴む必要ない。新たに受け直すだけが幸せになる。

 それも、受け直すっていうのも眺めるだけっていうのがいい。打ち上げ花火、ボーンって上がったら掴もうなんて思わない。眺めるだけよ。小さいのは掴みにいくよ。線香花火だったら掴みにいくよ、掴みやすいから。空に上がった打ち上げ花火、ボーンと上がったの掴みにいかないでしょう。絶対いかないよ、そんなん。だから大きくなったら掴まない。

 だから、宇宙大になったら絶対掴まない。思いが消えるくらい。無限に拡散したら、思いってすーっと消えるの。思いが消えたら、本心の自分よ。神さまを受け直す、本当の自分よ。

 だから、大きく大きく受け直すだけが正しい。真(まこと)の感謝の生き方よ。

 だから、小さく「ありがとうございます」っていうのは本当の感謝じゃないの。常に全体を大きく大きくっていうのがいい。それも眺めるだけっていうぐらいの、眺めるだけっていうぐらいの受け方よ。そしたら、入れ子構造的に大きくなっていける。

 だから、本当は難しいことはないのよ。みんな難しいことし過ぎてる。元は一番楽な方法なのよ。一番楽な生き方だったのよ。それを難しくしてしまった。もう、ただ眺めるだけ、「ありがとうございます」って眺めるだけでよかったのに。

 もう、神さまが自分っていうすがたで出てくるだけでよかったのに。

 神さま以外の自分が、出た途端に間違うのよ。真(まこと)の神さまだけ!真(まこと)の神さまだけ!受け直すだけが正しいの。

 「ありがとうございます」「ありがとうございます」真(まこと)の神さまとして、「ありがとうございます」っていうだけで、本当はよかったのよ。あと、何もいらなかった。その他へ、他のつまらない言葉を加えたから、本当の受け直しができなくなってしまっただけで。これも言葉の選び方一つ。今、新たにどの言葉を選ぶかだけよ。「真(まこと)のありがとうございます」を一言選び続けたらいいだけ。他のどんな言葉も邪魔する。

 だから、虚の世界のいろんな宗教の教えいっぱいあっても、みんな真(まこと)の神さまと一つに繋がるの邪魔してるばっかりよ。

 一対一の関係を邪魔するのよ。

 自分の他には真(まこと)の神さまだけっていう、一対一の関係に自分を置かないとダメなの。その間に教えが入ったり、教祖が入ったりってすると、もう大きい邪魔をする。

 教えがあってもダメ。教祖がいててもダメよ。これ、真(まこと)の神さまの間に入っただけで、みんなを虚の世界へ突き落としてしまう。

 だから、弟子入りするのでも、真(まこと)の神さまに弟子入りしないとダメ。一対一の関係で、真(まこと)の神さまだけに弟子入りしないとダメよ。

 そしたら、一対一で真(まこと)の神さまだけを相手にできたら、自分の見てる世界全部、真(まこと)の神さまから受け直してるか、受け損なってるかだけよ。受け損なったらマイナスがあるのよ。

 上手に受けてたって、本当のプラスしかないはずなの。それを受け損なったからプラスがない状態でマイナスがあるっていうだけよ。

 だから、元からマイナスなんかないよ。プラス受けてないっていうだけじゃない。虚っていうのも本当はないよ。真実を受けてないっていうだけなの。

 だから、真実だけ!真(まこと)の真実だけ!真(まこと)のプラスだけ!真(まこと)の神さまだけ!っていうのが本当なの。

 これも言葉通りだから、真実の世界ほど真(まこと)の神さまからのプレゼントを受けるのは言葉しかないのよ。真実の真(まこと)のプラスの言葉だけを使うだけでいいの。

 その一番頂点に立ってるいい言葉が「ありがとうございます」

 「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまよ。真(まこと)の神さまの自覚よ。真(まこと)の神さまの一体感そのものよ。一体感そのものだから、「ありがとうございます」だけ唱えてたら、真(まこと)の神さまになれるの。それ以外はない、本当は。

 だから、一瞬一瞬の一言の選び方よ。「ありがとうございます」「ありがとうございます」「ありがとうございます」一言だけでいいの

、本当はそうよ。他の言葉は全部邪魔してる。あと、何にもいらないはずよ。

それはやっぱり自分が、この実行して選び続けないとわからない。

「ありがとうございます」だけ選び続けたら、すぐにわかるはずよ。でも、他の言葉はやっぱり選んでしまう。選んだ途端に言葉通りの虚の世界よ。

 一瞬よ、一瞬よ。新たな今の一瞬の一言が全部自分を変えてしまう。波が違うのよ。マイナスの一言、マイナスの一言選んだだけで、この波はマイナスだけに合うのよ。それで、マイナスだけを呼んで引き寄せて、それを出会って、受けてっていう感じよ。その今の一言でそうなる。そしたら、周りマイナスいっぱい引き寄せてしまう。でも、過去は本当は無関係よ。

 今、新たに選ぶ一言よ。もう過去ずーっとプラスの言葉を選んできたって言っても、今マイナスの一言選んだだけで、マイナスになってしまうよ全部。自分が選んでマイナス引き寄せてしまう。

 でも、過去どういうマイナスの言葉使うおうがプラスの言葉使おうが、そんなん無関係、

 今、新たに「真(まこと)のありがとうございます」っていう言葉を選んだら、もう神さまの世界よ。真(まこと)の神さまだけを感じるようになる。新たな今の一瞬の一言よ。それだけの自由自在な心を神さまの心もらってる、

 みんな。神さまの自由自在な心の自分っていうのが、厳然とあるからよ。だから、言葉通りに全部なるのよ。新たな今の一言で全部、そう支配できる。

 だから、どの言葉を選びますかって。そしたら、マイナスとプラスと真(まこと)のプラスとって三つでいいんだけど、枝葉に分かれた無限の無限の選択肢の中から一つよ。簡単よ、簡単よ、新たな一言。新たな一言、新たな一言一つよ。

 もう過去は一切無関係よ。周りも何もかも無関係。真(まこと)の神さまとの一対一の関係で、今の一言で神さまから受け取るのなんでも。その言葉が神さまの世界にないものだったら、虚の世界、受け損ないの姿を取るだけの話よ。虚のプラスも虚のマイナスも神さまの世界にないから。それはもう言葉だけの、そのものをもう感じるだけでしょう。ないものをあるかのように感じるだけよ、虚の世界は全部。だから、言葉通りに受けてるだけの話。

 だから、いつも真(まこと)の神さまだけ!真(まこと)のプラスだけ!一大循環の相象(すがた)だけ!って徹底して、繰り返さないとダメ。

 自分の好きな言葉を選んで繰り返さないと。幸せが必要だったら、真(まこと)の幸せだけ!って、真(まこと)ってつけないとダメよ。虚の世界の幸せじゃダメよ。虚の世界の幸せは、対極の不幸せを背負う。特に求める心で幸せって言ったら、必ず不幸せになる。思いの心は、求める心で借金の心になるのよ。

 だから、一大循環の相象(すがた)は与え続けてくれる相象(すがた)だから、ただそれを受け取るだけだから。新たに新たに受けるだけよ。

 新たに受けるだけで掴みが離れて、恩返しで返ってくる。新たに受けなかったら掴んでしまうけど、新たに新たに受け直したら、全部離せてる。「ありがとうございます」が真(まこと)の感謝の新たに受け直す働きと全てをお返しする恩返しで全部あるから。だから、「ありがとうございます」で、同時に両方できてる。他のことも全部できてる。

 だから、新たに新たに受け直す「ありがとうございます」言った途端に他の恩返しも何もかも全部同時にやってるのよ。だから、新たな受け直しがずーっと続くの。バラバラじゃ、別個じゃないからよ。「真(まこと)の感謝のありがとうございます」を「ありがとうございます」を使ってる限りは、「ありがとうございます」っていう言葉の持ってる全ての働き、同時に実行してることになる。

 そしたら、新たに新たに受け直すだけでいい。「ありがとうございます」「ありがとうございます」大きく大きく、新たに新たに受け直すだけでいい。そしたら、過去を掴んでない。少しも自分のものなんか持ってない。真(まこと)の神さまだけ!になってる。一番スッキリとスカッとしてる。あんまりスカッとしすぎると頼りない?そしたら、ちょっと雲の世界入ってみる?

 でも、虚の世界もマイナスの世界も、本当は無駄でいらないように思うかもしれないけど、その中にはまり込んだら早く抜けたいって思う。でも、それ一回体験しといたら真実の世界の素晴らしさがより大きく、深くなる。真実の世界だけで生きてるよりも、虚の世界一回体験することの方が深みが増してる。だから無駄じゃないの。同じ真(まこと)のプラスを受けるのでも、虚のプラスも虚のマイナスも、一回体験しておいたら、その比較できるじゃない。虚のマイナスと比較して真(まこと)のプラスはどれだけ価値があるかって、大きい価値をそこに見出せる。

 そしたら、虚の世界と真実の世界と両方、自分の中に取り込んで眺めてたらいいじゃない。全部打ち消して、否定してって、虚の世界を相手しないっていうのも虚の世界にいてる人は、そうしたいかもしれないけど。真実の世界にいてる人にとったら、虚の世界は別に邪魔にならない。虚の世界の地獄を眺めても極楽を眺めても、真実の世界と比較して、真実の世界の価値を大きく、上げてくれてるだけよ。虚の世界もありがたい。虚の世界の働きによって、真実の世界が大きく浮かび上がる。

質問
 今、真実の世界と虚の世界が本当に全然違うんだっていうのを感じてきてて、真実は見えてないけども、でも全然違うんだ。異次元ってこういうことだっていうふうに見てて、その時に、虚のそれを見た時に、「全然違うよ」っていうふうに真実を見るようになってたら、ちょっと違うんですか?もっと真実がはっきり見えてくる?

先生
 真実の世界を言葉にしただけ、実観必ず伴ってくる。虚の世界は小さくなってくる。

質問
 例えば、さっきの宇宙も、 最初は、そうか、宇宙もって思ったけど、でも、その宇宙も、もう今、自分としては時間と空間の重なってるのであって、それは全部含んでいる時間と空間だからっていうふうに思っていての宇宙なんだけどって。でも、それ言ってるよりは、やっぱり、最近、その真(まこと)の幸せとか、真(まこと)の輝きとかに溶け入るとか、溶け入ったら、もう一体化になってくるし、交流して溶け入って一体化になってくるしって、やって、なんかそれが楽しいかなぁみたいなやってて、そうした時、その宇宙っていいかって思ってたんですけど、やっぱり、それはそれで・・・。

先生
 宇宙っていう言葉は、虚の世界の言葉よ。時間と空間に分かれて、「宇(う)」っていうのが空間で、「宙(ちゅう)」が時間だから、その組み合わせで移り変わってるっていう。真実の世界は、宇宙じゃない。

質問者
 現わせないですよね。

先生
 循環だから。

質問者
 全てここにあるんだもんね。それでも、とにかく、「ありがとうございます」だけ言って、時々真(まこと)の神さま一大循環で今、此処に在ますとか言ってやってたら、大きくなる?

先生
 大きくなる、大きくなる。虚の世界でも、大きく受け直したら思いが消えるから、拡散して消えるから。新たな宇宙、新たな宇宙で受け直してるうちに、大きく消える。真(まこと)の神さまだけ!真実の世界だけ!ってなってくる。まず思いを大きく拡散させて消す方がいいじゃない。

質問
 今、「ありがとうございます」で拡散しようとしてるのは、あれは無理があるの?あまりにも宇宙って言ってた方が大きくなるの?拡散するの?

先生
 どうしても見えてるじゃない、小さく、この世の姿。だから、それを大きく、大きく受け直して見るる方がいいじゃない。その地球だけって見てるのは小さくなってるじゃない。だから、大きく宇宙って、新たな宇宙、新たな宇宙っていう方が小さく掴まない。思いの心にならないの。大きく宇宙、宇宙っていう方がいい。

質問
 宇宙っていうのは、虚の世界の言葉なんですか?そうすると、宇宙っていう言葉使うのは良いことなんですか?

先生
 宇宙っていう言葉、虚の言葉よ。世界って言う言葉も虚の言葉よ。世界の「世(せ)」も時間で、「界(かい)」が空間だから、時間と空間の組み合わせの姿を指してるだけで、やっぱりどうしても、それ掴んでしまう。空間も時間も掴んでしまう。過去、現在、未来って掴むでしょう。空間も全部掴むじゃない。掴むのは、虚の世界よ。真実の世界は掴めない。掴めないものを掴んで、掴んだと思うから虚なんだけど、真実の世界は絶対掴めないから、ただ眺めて循環のすがたを見るだけだから、掴かまなくて済むのよ、真実の世界は。だから、宇宙も世界いらない。そういうつまらない言葉じゃないのよ。真(まこと)の神さまだけ!一大循環の相象(すがた)だけ!でいい。

 だから、こう、入れ子構造的に空間が絶対の中心に降り注ぐって言うたら、もう空間なんて言えない。あまりにも違いすぎて虚の世界の空間とは全然比較にならないよ。入れ子構造の空間は空間って言えない。本当の入れ子構造のすがたっていうのは、あまりにもすごすぎるよ。だから、真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)だけ!でいいよ。だから、「ありがとうございます」だけで、新たに新たに、こう、受け直す練習だけよ。大きく受け直す練習してると、真(まこと)の神さまを観じやすくなるから、実観する。実観したら、もう掴まなくなる。

 だから、一対一の関係で、真(まこと)の神さまと対するっていうのは大事よ。自分の他は、真(まこと)の神さまだけ!って言わないと、虚の世界から抜けるの難しい。だから、「ありがとうございます」真(まこと)の神さまだけ!っていう、その唱え方よ。

 だから、悟りを開いて、本当の心の安らぎを手に入れるんだって、こう思って、求めて、願ったら、これ虚の世界なの。そしたら、悟れないの。悟ったと思ってまた迷う。本物にならない。でも、本当の悟りっていうのは、神さまの、真(まこと)の神さまの自覚。

 真(まこと)の神さまの自覚を与えてもらったら悟りなの。だから、「ありがとうございます」で、真(まこと)の神さまの自覚が、すーっと湧き出たらいいだけ。自分の中に真(まこと)の神さまの自覚が入ってきたら、それでいいの。他のものを入れたらダメよ。「ありがとうございます」だけで、真(まこと)の神さまの自覚を受けたらいいだけなの。その自覚がどんどん大きく深くなる。

 だから、真(まこと)の悟りを受け直すだけ、一瞬一瞬、新たに。その真(まこと)の悟りが大きい深い悟りが、どんどんどんどん、降り注いてくる。それを受け取るだけがいい。だから、「ありがとうございます」が、真(まこと)の神さまの自覚で、これが真(まこと)の悟りで、最高の悟りで、最大の悟りで、究極の悟りで、本物の悟りでっていう。それ以外みんな偽物よ。

 みんな、悟りも虚の世界のピンからキリまで、無限の段階の悟りがあるけど、虚の世界の悟りは、みんな偽物よ。真(まこと)の神さまの自覚にならないから。外から付け加えて与えてもらったものはダメなの。いくら大きいものをくっつけてもらってもダメよ。

 だから、「ありがとうございます」一言で真(まこと)の神さまの自覚が蘇るの、与えてもらうの。それでないと本物には絶対なれない。これから付け加えてもらうのではダメなの。

真(まこと)の神さまの自覚が、循環してきて、受け直して、それがその時の自分の自覚になったらいいだけよ。

その真(まこと)の神さまの自覚も、入れ子構造的にどこまで大きいから、大きい自覚が必ず循環してくる。循環してくるのを受けるだけでいいのよ。他は何もいらない。今の小さいのを大きくするのと違う。循環してくる、大きい自覚を受けたら大きい自覚。

 だから、一大循環の相象(すがた)のすごさって、ものすごいよ。言葉を超えてるの本当に。

 だから、どれだけ「ありがとうございます」の一言に価値を見出すかやけど、その価値も有限の価値と違うよ。無限の無限の価値では足らないの、まだ。「真(まこと)のありがとうございます」は、お金を出しても買えない。

質問者
 そんなレベルじゃない。そんなレベルじゃないでしょう。

先生
 そんなレベルじゃないでしょう。

質問者
 だって、虚のものじゃないじゃん。お金じゃ買えない。

先生
 無限の無限の本当の価値のある言葉でしょう。だから、それを本当に自分が認めなダメよ。

 それだけの価値のある言葉っていうふうに認めたら、それを自分のものにできる。

 でも、まだ価値を見出せなかったら、つまらん虚の言葉にして使ってしまう。

 だから、真(まこと)の神さまなんだっていうふうに認めないとダメ。

 それも、認めるって言葉で、断定的に使って、駆使して、積み重ねて、やっと認める、確信するのよ。確信までいかなあかんよ。

 だから、やっぱり、(真のプラスの)言葉を積み重ねないとダメ。何回も繰り返して、 繰り返して、繰り返して、繰り返して、積み重ねるというよりは、繰り返して確信が生まれる。

 「ありがとうございます」が真(まこと)の神さまに見えてくる。見えてこなあかん。言葉って思ってる間はダメよ。

 「ありがとうございます」で真(まこと)の神さまのすがたに見てこないと一大循環の相象(すがた)に見えてこないとダメよ。

 それでピタッと一つになるの。「ありがとうございます」と真(まこと)の神さまとピタッと一つになる。元からピタッと一つになってるけど、本当の一つになってるのに実観が湧いてきてわかるの。

 だから、価値を見出してない時は「ありがとうございます」を小さく落として唱えてるから、無礼千万、無礼億兆。

 神さまの本当の助けを受け損なっていた。だから、価値を見出さないとやっぱり神さまの助け受け損なうの。みんな、「ありがとうございます」を最初は唱えて、何かを手に入れようとする。手段に使うのよ。そんなん神さまから見たら、私は道具じゃないよっていう。そんなつまらんものと違うよって言って。

 ただ、真(まこと)の神さまとして「ありがとうございます」を相手にしないとダメよ。「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまなんだっていうふうに。

 だから、祈るって、その言葉も正しい解釈ができてないと間違う。

 祈り言葉として「ありがとうございます」唱えるのが祈りって思ったり、勘違いしてるから。

 本当の祈りは神さまよ。

 神さまの働きが祈りだから、一大循環の相象(すがた)が祈りよ。

 「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)そのものが、真(まこと)の神さまの祈りよ。

 それを実観するのが「ありがとうございます」 実観して「ありがとうございます」が祈りなの。

 「ありがとうございます」と一大循環の相象(すがた)一つなの。

 一つになってるのが祈りなの。

 「ありがとうございます」って祈りがそうなの。

 一瞬一瞬一大循環の相象(すがた)を受けてるのが祈り。

 バラバラに分けて見てたらダメよ、間違ってるよ。やっぱり言葉だけにして、小さく落としてしまうからよ。

 「ありがとうございます」を真(まこと)の神さまっていうふうに捉えるのが一番大事よ。本当の一大循環の相象(すがた)、真(まこと)の神さまの祈りなんだっていうふうに。

 だから、自分が唱えるんじゃないのよ。神さまを、神さまそのものを受け直すだけなの。新たに新たに受け直すだけが本当の祈りになってる。

質問
 「ありがとうございます」言う時、今のがピタッて入ってたら、すごく大きくなってますね。

先生
 大きくなる。

質問
 大きくなるって、そんな小さいものじゃないって言う、その上、大きい?バラバラになってきた。

先生
 だから、みんな思いの先入観があったら、みんなそうでしょう。

 先入観で自分で解釈するでしょう。間違った解釈全部してしまうでしょう。小さく落としてしまう。「ありがとうございます」って言葉聞いても、 みんな思いの先入観だったら、単なる感謝の言葉よ。

 お祈りでもなんにもならないよ。でも、それでわかったと思ったら、みんな卒業してしまう。何にもわかってないことになる。

 だから、真(まこと)の神さまを本当に一対一で相手にするようになるまでは、みんな間違って反対に解釈してる。

 だから、思いの自分じゃダメなの。本当に、いのちもいらない、何もいらないって。全部自分を捨て切らなダメよ。捨て切って、死に切って、消し切らないと思いの自分に負けてしまって、邪魔される。

 だから、五欲の心なんて、もう完全に消し切らなダメ。五欲の思いの心って、みんな小さい。小さいものを掴んで、思いの心に、欲の心になる。

 同じ掴むんだったら大きく、全大宇宙って掴めば、掴めないから。思いも欲も消えるんだけど。

 それを無限のスピードで循環するから、もう一つ掴めないから、何も掴まなくて済むようになる。

 だから、本当の自分とは何か?っていうのが一番大きい命題よ。

 真(まこと)の自分とは何か?

 肉体でも魂でも命でもないよ。そんなつまらないものと違う。

 (本当は)真(まこと)の神さまと一体の自分。真(まこと)の神さまの自由自在な心を与えてもらってる自分よ。

 それ忘れたら心は絶対安らがない。

 (本当は)みんな真(まこと)の神さまを共有してるだけよ。共有して、みんな一体なの。

 真(まこと)の神さまにおいて、みんなが一体。

 人だけじゃないよ。意識あるもの全部そうよ。石ころもそうよ。何もかも全部、意識を与えてもらってるの全部、真(まこと)の神さまにおいて一体なの。

 (すべてのすべてを、真の神さまとして)共有してるの全部。

 それで自由自在に心を与えてもらって、言葉通りになんでもなれる。なんでも受け取ってなれるの。

 だから宇宙にもなれる。石ころにもなれる。一個の小さい原子にもなれるって、無にもなれるよ。何にでもなれる、言葉通りに。だから、想像力のある言葉をみんな持ってるのよ。でも、言葉で想像したものは単なる言葉だけよ。実態がない。

 (真のプラスの言葉で一瞬一瞬新たに新たに受けなおした)真(まこと)の神さまは真(まこと)の実態ある真実よ。

 だから、言葉通りに受け取るのと、言葉で作るのとは全然違う。

 (一瞬一瞬新たなまことのプラスの)言葉通り受け取るのは、真実の世界の生き方よ。

 (現れてしまった)言葉で作るのは、虚の世界の生き方よ。

 虚の世界は(プラスでもマイナスでも)なんでも作れる。言葉が創造主。(五欲の性欲でも食欲でも)どんなものでも作れる。大きくも小さくもなんでも作れる。全て言葉通りになるって、言葉になっている。言葉になっていく。

 (これが)わかったら(欲望で思い通りにならないと苦しむことなど)全部解決だけど。

 全て言葉通りになる、これだけでいいの。それだけわかったら、全ての問題は消えてしまうけど。

 (本当は)本当に、この(真の本心の)自分が選んで使う(真のプラスの)言葉っていう。これ、見たり聞いたり言ったりする言葉とは違うよ。

 (本当の真の本心の)自分が選んで使う言葉って、心の奥深くで、本当に自由自在に使いこなす言葉(という真のプラスの言葉)よ。

 (それは)本当の神さまのすがたを(まことに)受け直す働きであり、また、虚の世界すべてを生み出す想像力の力よ。ものすごい力よ。

 この世的に、見たり聞いたり言ったりするのは、枝葉の小さい言葉よ。だから、本当の創造力のある言葉は、奥深くで使う言葉よ。

 同じ虚の言葉でも、宇宙を作り出す言葉よ、本当は。

 だから、自分が神さまで宇宙を作る創造主だって言うのが本当よ。それでも虚の世界の想像でしょう。

 でも、本当の自分は、真(まこと)の神さまと一体の自分で、自由自在な意識、(自由自在な)心を与えてもらって、真(まこと)の神さまの入れ子構造の相象(すがた)を受け直せる、自分よ。

虚の世界を作る自分なんていうのは、ちっぽけな枝葉の働きの姿よ。

 だから、それもみんな言葉通りの自分に今なってるのよ。本当の自分を言葉にしないから、忘れてしまって、 つまらない言葉を使って、つまらない自分になってしまった。

質問
 今ので、言葉がすごく奥深いところで働いてるんでしょう。その奥深いっていう自覚して、言葉で「ありがとうございます」って 選ぶと、入れ子構造とかもわかっくるんですか?なんか深い深いなぁと思って・・・。

先生
 それは、まだ違うよ虚の世界でも、無限に奥深いよ。

 虚の世界でも、本当に自分の宇宙を作るぐらいの、力は奥深くでないとできない。

 こう、表面の(現実の)この世的なこの言葉なんて、もう作られた中の一つの番組の中の小さい働きでしかない。

 それでも、小さい運命は作ってるけど。宇宙を作るだけの力はないの。

 宇宙を作る力は、もっと奥深い、心の奥深いところで使う(一瞬一瞬新たに新たに湧き上がる真(まこと)のプラスの)言葉の自分よ。

質問
 奥深いところで使うって、奥深いのは今わかったけど、奥深いとこで使うってどうするの?

先生
 肉体を捨てないとダメ、魂を捨てないとダメ、一筋の光(でしかない)、いのちの自分なんて捨てないとダメよ。→(これがむずかしいので、印可書奉読にしていただいた)

質問者
 真(まこと)の神さまと、どうか・・・。

先生
 真(まこと)の神さまと一体の自分って言わないと(ダメよ)。言葉で宇宙を作れないよ。

 だから、どんな仏さまでも(小さい)自分の宇宙を作るのよ。それぞれの宇宙を全部(自分の宇宙として)持って(自分をつかんで)作ってるの。

質問者
 高い神さまも?

先生
 高い神さま全部そうよ。自分の世界を宇宙を持つの。それはもう、言葉の想像力を本当にわかってるの。宇宙を作る力があるっていうのは。

質問
 ということは、仏教の世界があって、神道の世界があってって、いろんな世界があるっていうことに?

先生
 それもやけど、そういうだけじゃなしに、みんなそれぞれに自分の宇宙を作ってるの。神道とか仏教とか、そんなん関係ないけど言葉通りの宇宙を作ってる。

 この世の人は、そういうふうに色々、言ってるけど、同じものを言葉を互いで別個見てるだけの話で、高い世界だったら、それぞれの宇宙っていってる。

質問
 例えば、浄土宗で言う浄土の世界っていうのも、そういう世界としてはあるわけでしょう?

先生
 あるじゃない、阿弥陀様が作ってる西方極楽浄土って宇宙がある。

質問
 それも阿弥陀様の一つの宇宙?

先生
 阿弥陀様の作ってる宇宙よ。みんなも(それぞれ、自分の言葉通りの小さい)同じ(ような)宇宙を作れるの、作ってるの本当は。ただ、枝葉の末端の自分には、それ(小さいという)意識がないの(小さい自分が作って思い通りにならないと苦しんでいるのが)、わからない。

質問
 浄土宗で南無阿弥陀仏とか唱えてる人、浄土を思い描きながら唱えてる人っていうのは、やっぱりそういう世界にいくっていう感じなんですか?

先生
 どれだけ阿弥陀様に自分の全てを投げ出せるかでしょう。投げ出して、投げ出して、そして助けてもらったら、その同じ世界へ上がるの。

 でも、投げ出す対象が阿弥陀様では、(まだまだ小さいから)真実の世界にいけない。(本物と)違う、(まだまだ)虚の世界の宇宙。まだ頼るところが違うの。

 そういう宇宙はいっぱいある無限に。真(まこと)の神さまだけを一対一の関係で大事にしないと。自分の他には、真(まこと)の神さましかないんだって言わない限りダメなのよ。

 自分の他に無限にいろんな人がいてるって言うたら、もう自分の小さい番組の中にはまり込んでる姿よ。

 自分の他には、真(まこと)の神さまだけ!って言えないと。そういう見方で神さまを相手にしないと、本当の助け受けられないし、本当に(一大循環の相象に)戻れない。

質問
 今みたいな大きい話になった時に、まだその輝きが足りないから、言葉が足りないから暗いですよね。これ輝き、真(まこと)の輝きって言ってたら、これ大きくなった時に明るい方見れるんですよね。暗いって、大きくなればなるほど、深いって言われればなるほど暗くなるのって、虚的な考え方すぎる?

先生
 そうよ、虚の世界、宇宙って言ってもむしろ闇じゃない。うん、

質問者
 そういうイメージは強すぎる。

先生
 そうでしょう、虚の世界はそうよ。でも真(まこと)の神さまの世界は、一大循環の相象(すがた)は、末端の一つの天照大御神さまは、無限の無限の大光明そのものよ。

 だから、その姿の入れ子構造で、一大循環の相象(すがた)って言ったら、 そんなん言葉表現できないよ、大きい輝き。本当は、それしかないのに。

質問者
 これ、変だよね。

先生
 宇宙が暗くなるようだったら、虚の世界よ。

質問者
 深くとか大きくとかって言われると、どうしても暗くなってきちゃうんですよね。

先生
 入れ子構造的に大きく深くっていうような輝きがいや増す大きく大きく、無限倍無限倍になって増えないとダメ。

質問者
 やっぱり言葉が足りないんだ。

先生
 真(まこと)の神さまを相手に言葉にしてないから、まだ。足りない。

 それは。虚の世界の言葉は、やっぱり、まだ使い過ぎてるとこあるね。それ、まだ過去の言葉が残ってる、思いが。それで、その影響も受ける。

 だから、大きく、大きく受け直す、新たに新たに受け直す練習をして、思いをまず拡散させて、早く消すことと言葉を、もうしっかりと真(まこと)の神さまを相手にする言葉に変えないとダメよ。

 まず自分の命、全部、捨てないダメ、投げ出さないと。自分っていうのを捨てないと、消さないと。

 やっぱり、(一瞬一瞬新たに新たに)真(まこと)の神さま受け直しができなくなる。

 自分を捨てて、捨てて、捨て切って、やっぱり肉体捨てても、まだ出てくるよ自分が。

 それも捨て切ってまだ出てくるよ。宇宙が自分っていう奥の自分でも(まだまだ小さいから)、まだ捨てないとダメよ。

 だから、全ての自分を捨て切って捨て切って捨て切って、それで真(まこと)の神さまを受け直した時に自分が消えるの。

 そこまで入ったら、真(まこと)の神さまへ弟子入りよ。

 入れ子構造的に大きく助けてもらえるように変わるだけで。

 そこへいくまでも、どこまでも自分を捨て切って、死に切って、消し切らないと。これ、自分っていうのが執着の心で作った自分だから邪魔するのよ。

質問
 そういうのも言った方がいいんですよね?

先生
 だから、「ありがとうございます」で真(まこと)の神さまだけ!真(まこと)のプラスだけ!一大循環の相象(すがた)だけ!って、この程度の方がいいの。あんまりややこしいこと言ってたら、また迷ってしまう。

質問
 また掴んじゃうもんね。そう言ってる間に、拡散して消してくれてんですよね。どの自分も。

先生
 ただ、大きく心をね向けないとね、思いは拡散しないよ。小さく掴んだら、必ず思いが黒雲のようになって、(その思いが)ガラッと凝縮されたら、その(思いの中に)中に閉じ込められたら、身動き取れなくなる。

 五欲の心に成り切ってしまうね。(思い通りにならないと苦しむ自分になる)。

 だから、大きく受け直したら思いが消えていく。拡散して消える。

 だから、小さい生き方選んだら小さくなるよ。(大きく大きくあらたにあらたに)宇宙を受け直す生き方を選ばないとダメ。

 新たに新たに受け直した宇宙が自分っていう大きい生き方がいる。

 同じ「ありがとうございます」受けるんでもね、小さく受けるか大きく受けるかって、どっちが幸せかって、そんなん考えたらわかるんだけど。大きく受け直す方が幸せじゃない。

 でも思いの心に負けたら小さくしか受け取れない、受け直せてないけど、思いの心は、やっぱり小さく掴む心だから。

 ここでまた、恩返しの心が必要になる。神さまに全てを捧げてねお返ししていく生き方っていう、これを交えないと小さく、小さく掴んでしまう。

 恩返しの心(自分のすべてを真の神さまにおかえしする心)起こすと掴まなくなってくる。大きく大きく受け直せるようになる。

 恩返しすると、無限倍に神さまの支えが降りてきて、受けやすくなる。

 だから、やっぱり両方ね、やっぱり両方実行しないとダメよ。大きく新たに受け直すのと恩返しで全部お返しするのと。

 最初はどっちかに偏ると同じとこ堂々巡りで両輪みたいなものよ。二輪車、一方は回ったっら、こう、くるくるっと回転、同じところで。前に進まない。だから、新たに受け直す、真(まこと)の感謝と全てをお返しする、真(まこと)の恩返しと二つを同時に回した方がいいの。それが段々と上手になってきたら、もうどっちか一つで、どっちか一つで回る。

 大体勢いがわーってついてったら、一方回転したら、同時に回っていく。どっちも回るやろうけど。一方空回りしても大丈夫、他から見て。すぐ、回りにいってる。ちょっとぐらい空回りしたって、まっすぐいくよ。

それじゃあー。

 大きく、大きく ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/2MHIknQVAD8  
 (ありがとうございますmt通し227 眞の神さまへの弟子入り)

 宇宙神ありがとうございます
 


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真祈りの要諦 by 河上彰延 [Mail] 2024年07月27日(土) 22時30分
PC

真祈りの要諦は、すべてを大きく受け直す

 性欲、食欲から、どうしても抜け出せない・・・というご質問ですが、すべては、言葉通りになるのです。
 問題は、この言葉通りの言葉を、枝葉の言葉か?眞(まこと)の神さまの言葉か?・・ということだけなのです。

 2011年7月30日のお話にありますように、眞(まこと)の神さまへの弟子入りについての、方法を、わかりやすく、説明されております。
 村人は、このことを聞いていないから、上記のような質問になるのでありますが、まず、自分の都合のすべてを投げ出して、眞(まこと)の神さまにお返しするという”恩返し”が必要なのです。

 ご自分の都合といえども、眞の神さまの命をつかって、創造(虚の世界の創造では、想像に近いものですが)されたものなのでありますから、一切を、お返ししなければならないのです。

 そして、この、ご自分の都合というのは、つまり、虚の世界の創造は、現実をつかんで、言葉にするという、枝葉の小さい言葉を使っての創造なのです。これを行うと、五欲を創造することになるのです。

 そうなると、性欲、食欲という五欲からどうしても抜け出せない、という状況におちいるのです。

 これから抜け出す為には、大きく受け直して、眞(まこと)の神さまの響きそのものという心の奥底からわき上がる、眞(まこと)のプラスの言葉を駆使しなければならないのです。

 この、皆さまの心の奥底にある、一瞬一瞬新たに新たにわき上がってくる、眞(まこと)のプラスの言葉というのを、印可書を奉読することによって、受け止めることができるのです。
 
 これが出来ると、すべてを大きく受け止めることが出来て、五欲から抜け出すことができるのです。

 こういうことが、分からないから(先生のお話を聞いていない→聞いていても信じていない)から、2015年の5月の護摩以降のようなことが起こるのです。

 あのときは、先生がもう待ちきれないから、お前が前に出て、印可書を奉納し、見本をみせるように・・・という指示に従って、前に進み出て、印可書を奉納しながら、護摩木を、捧げるということを行いました、そのとき、護摩に参加された、大半の方が、その本心に響き渡った印可書に、反応して、護摩会場全体が、印可書を奉読する、大合唱となったのです。その結果、見事に大成功となり、眞(まこと)の神さまに降りたって頂いたのです。

 そのまま、次の月の護摩も、印可書の大合唱とすれば、先生の寿命を縮めることは無かったのですが、次の月は、印可書だけは、ダメだと、なって、神さまの天地開闢の大事業を村人の手によって、邪魔されたのです。

 邪魔された、理由は、村人達による、河上だけは、ダメだ!という、偏見によってなのであります。

 石丸氏は、正直な方でありまして、その当時、河上だけはダメだ、ダメだと村人が言っている、私は、河上さんは、そんな方ではないと、ここでは、古い古い、一番最初に先生に会われた方だと言うのだけれども、誰も聞いてくれない。と教えてくださったのです。

 どんな理由で、ダメなのか?と聞きますと、それは、言えない、とおっしゃるので、OOだから、ダメなのか?と、再度、具体的に聞きますと、OOとも言わずに、否定も肯定もされないという、つまり、そのとおりとお答えになったのです。

 このような、狭い、自分と他人を差別する、小さい受け取り方をしているから、このような事態を招き、先生がある意味、人類の好きにさせるしかないのかと、思い定められ、ご自分お一人で、深い真祈りに入られたのです。

 話はそれましたが、この、ご恩返しと、すべてを大きく一瞬一瞬新たに新たに受けなおすということが真祈りの要諦なのです。

 その具体的な体験方法が、呼吸法なのです。呼吸の、吐く息、吸う息、が、ご恩返しと一瞬一瞬新たに新たに受けなおす、というのにあたるのです。

 だからこそ、真祈り(眞(まこと)の神さまそのもの)の実感として、受け取りやすいのです。

 どうしても、印可書を選びとれない人の為に、呼吸法は、伝授のみ、という、先生から厳禁されている”禁”おかしても、お伝えしているのは、もう、あまり、残された時間がないからです。

 残された時間が無いというのは、新しい世界が始まるのです。この前の護摩で、申し上げたように、終わるということは、よりよくなるということなのです。でも、真祈りが出来なければ、新しき世界を受け止めることができずに、落第して、絶対無という、暗黒の世界に落ちてしまうのです。

 そのためにも、真祈り人がいるのです。

 せまいOOだからなどという了見は捨て、村人にも真祈りしていただき、村人も含めて、すべての人が真祈りできるようにいろんな方法をお知らせしているだけです。

 老婆心ながら、蛇足を申し上げますが、それじゃ、印可書さえ読んでいたら、大丈夫なのか?と誤解する人々がありますが、以前の護摩のご質問にありましたように、宇宙神ありがとうございますとさえ唱えていたら、何をしてもいいのか?と、同じことでありまして、それは、ギブアンドテイクという、祈り言葉を信じておらずに、ただただ、小さいご自分の都合で祈り言葉(眞(まこと)の神さま)を利用しているだけだから、ダメなのであります。

 つまり、小さく受け取った言葉で創造された、ご自分の世界を、つまり、ご自分の都合を優先しているから、なんの効果もないのです。朝、散歩しながら、印可書を読んでいるから、自分の都合を優先して、何をしても、いい・・・みたいな、勘違いをしている大馬鹿者がおりますが、眞(まこと)の神さまを、ご自分の都合に、使い走りさせるなんて、言語同断の大馬鹿者であります。

 それすら、気づかずに、印可書を読んでいるから、宇宙神ありがとうございますと祈っているから、大丈夫と想う、言い訳をしながら、自分の欲望を優先しているのでは、お話になりません。(以前、ありがとうございますと唱えているから、どんなに、食べても太らないと言い訳して、体が太った(笑い)人がありましたが、それが、具体的なわかりやすい例であります)

 すべての、小さい自分の都合を、眞(まこと)の神さまにおかえししなければ、真祈りは始まりません。自分の都合を優先していながら、山の作業をしているから、大丈夫と想っているようでは、お話にならないのです。

 しかし、自分の都合を優先していることすら、気づかないのが、今の人類なのです。

 真祈り人の総力を結集して、この人類の思いこみを消し去らなければならないのです。

 なにを、選び取ろうと、皆さまの自由意志でありますが、眞(まこと)の神さまで、すべては一つにつながっております。そこだけは、忘れずに、自由に真祈りに邁進して頂きますようにお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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町田さんにお礼を by kawakami [Mail] 2024年07月23日(火) 18時59分
PC

町田さんにお礼を
護摩よりも大切なものがある??→先生を信じていない?という、ご質問ですが、数名の方に確認した結果以下の状況に村があるとわかりました。

 2011年7月2日のお話にあるように、眞(まこと)の神さまに常に心を置き続けることが必要なのです。
 その方法を、この2011年7月2日のお話では、いろいろ説明されているわけですが、今回2回目の護摩を遂行するにあたり、村よりいろいろのマイナスが発生しております。

 その根本原因は、村人が先生のことを信じておらず(真祈りすることが一番大切であると想っておらず)、ただ、衣食住の生活の安堵の為に村を利用しているだけであることが問題なのであります。
 
 水晶玉を破壊したのは、誰であるかを隠したのは、水晶玉がそんなに大切なものであるとは想っていないからです。先生のされることがどんなに大切で大事なことかが分からないくらい先生を信じていない為に、先生が、往かれた後のことをおもんばかれて、設置されておられたこともわからないからです。

 、その結果、地球霊王さまの体がこんな大変な状況になっていることもわからず、ただただ、自分たちの現状の生活の手間が増えたことを、つまり、2回の護摩になって、準備の手間が増えたことをとらえて、自分の知らぬ間に護摩が2回にふえたことを怒り、無視されたと勘違いしたのです。

 本当は、なにがあっても、盤石の支えに入るという、人知れず、誰にも分かってもらえなくても、たんたんと喜び勇んで、準備をするということが大切な真祈りの行為なのですが、真祈りが出来ずに想い巡らしてしまい、護摩の準備の大変さに愚痴が出てしまってその結果以下の言動になったのです。

 護摩の準備に、こんなに苦労しているのだから、護摩の準備が護摩よりも、真祈りよりも、大事なものであると決めつけ、自分たちの苦労を、もっと、認めて、感謝してほしいということをおっしゃっておられるのです。

 真祈り人としては、護摩の大切さを第一にしておりますので、村にご奉仕で、行かれる方々に、お願い申し上げます。

 村で、町田さんにお会いされたときは、護摩の準備に、手間をかけていただいて、ありがとうございますと真祈りにして、お声かけをお願い申し上げます。

 町田さんは、昌代ちゃんの自由意志を縛り続けてこられていますので、その結果、ご自分の体がどんどん動きにくくなっておられるのです。その、大変な状態を乗り越えられて護摩の準備に走り回られておられるわけですから、そのご苦労をおもんばかって、ぜひ、村で町田さんにお会いされた方は、「いつもいつも、護摩の準備をして頂いてありがとうございます」と真祈りのお声がけをお願い申し上げます。

 いろいろ、申し上げたいことはありますが、決して、責めているわけではありませんので、責めていると勘違いされないために、本日は、ここまでで、筆をおきます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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7月護摩その2 by 河上彰延 [Mail] 2024年07月18日(木) 17時08分
PC


令和6年7月2週目護摩焚き河上さんお話し−1(前半)

司会者
 それでは、河上さんに質問頂いてております。質問等お話の方、よろしくお願いします。まず、宇宙神ありがとうございます。同じ方から二つ質問を頂いてております。
 
 一つ、私の呼吸法についてお尋ねします。印可書を吐きながら、つぶやくように唱えながら、時々鼻で吸ったり、吐いたりしています。この方法で宜しいですか?お願いします。

河上
 それでいいです。はい。そういうふうに先に出来る方もいらっしゃるし、出来なくても、一番最初の練習としては、口でゆっくり吐くために印可書を読んでもらう、ひそひそ話というか声に出さずに読んでもらう形で、息を吐く形をして頂いててます。それで鼻から吸うのがどうしても出来ない、私出来ないわという人は、口から一瞬「スッと」と吸ってください。それで、又、印可書を唱えてください。ほんでその口から一瞬吸うのを偶には、2回に1回は、3回に1回は鼻から吸うという形でやっていくと自然に出来ますから。
 
 これが1年かかっても2年かかっても大丈夫ですからそのすぐに出来るようにならなくちゃいけないという事ではありません。過去世からの色んな、何て言うんですか修行の成果がありますので、そういう事をして来られなかった方はそれなりの時間がかかります。かかるけども、もう印可書を通して神さまの大きな後押しがありますから、出来ない自分を責めずに2年3年掛かってもいいんだってして、極端に言うと、死ぬまで出来なくてもいいんだ、でも練習はするんだと思ってやってください。そこまで結果をつかまずに諦めると、簡単に出来るようになります。 次お願いします。
 
司会者
 ありがとうございます。
 2番目の質問です。体のことについてお尋ねします。両足の裏の重心が掛かるところに魚の目が出来ています。皮膚科で治療してもすぐに又、でき、歩くときに痛いので、底の厚い靴を履き、痛みが出ない方法をとっていますが、良い方法がありましたら教えてください?

河上さん
 はい。魚の目、或いはこれは水虫なんですけども、水虫とか魚の目というのは、どの人の体にも入り込んでくるんですよね。普通は若い人は水虫少ないんですけども、皮膚の再生力が早くて、水虫を押し出してしまうわけです。それで皮膚科のお医者様で頂く薬は基本はサルチル酸なんですけども、その薬を塗ると、その薬の刺激でそこの皮膚の再生度が上がってね、直るわけです。

 で、今、魚の目になったあるいは水虫になっているという方は特にそうなんですけども、血糖値のスパイクというんですけども、一時的に血糖値が200とか250に上げてしまうような、食事のされ方をしてるんですよ。若いうちは所々ビール飲んでも大丈夫だけどね。ある程度35歳を過ぎてね、40を越していくと、ビール飲むだけで血糖値がすごく上がるんですよ。だから私そんな変なもん食べてないけどっていう人は、多分ビールか日本酒の飲み過ぎ、一気にね。すると、血糖値のスパイクがあるんです一時的に400近く上がります。

 一時的に400近く上がると毛細血管がね、もう途中の経過省略しますけど、毛細血管が死んじゃうんです。普通は若いときは死んでもすぐ再生してくるんでいいんですけど、35過ぎると再生力が落ちるのね。で、スパイクを出す毎に、毛細血管の再生力が落ちる。落ちると、皮膚の再生が、皮膚の再生というのは毛細血管からの栄養で皮膚を作って、持ち上げていくわけですよ。皮膚の再生力が落ちるんで、水虫の方が先に中に浸透してくると、いうことです。
 
 だから、うどんそばパンですね、お砂糖、アイスクリーム、でビール日本酒、こういう類をかなり控えて頂いてたら、治ります。前にお知らせしたようなリブレというセンサーを貼ってね、7000円ほどしますから高いですけど、それで2週間しか測れないですけども、一度は貼って、自分の普段の食べ方したらどんなにスパイク出てるのかがわかります。わかれば出ないような自分なりの、分けて食べる食べ方をしてですね、やっていけば、水虫なんてあっという間で治ります。
 
 水虫が治らないという方は、どんどんスパイクを出してるんですよ。で、この血糖値スパイクをたくさん出すと、最終はがんになっていきますから水虫の段階で何とかされる方がいいと思います。

 で、今の新型のリブレでは、まだ僕は使ってないですけども、Bluetoothで直接スマホに通信するんでね、貼るだけで、ずっと計測して貰えるそうです。ですから、一度は7000円もしますけども、貼ってその普段の自分の食べ方をしてね、糖尿病じゃないんですよ。糖尿病ではないんだけども、平均値も5.6とかね、ヘモグルビンA1Cも5.6とか、十分低いんですけども、スパイクは出てるという人が多いんですよ。そのスパイクでてると、糖尿じゃないけど水虫とかね、先ずは、頻尿ででまして、それから、あるいはがんとか、あるいは内臓疾患を起こしてくるので、ぜひ徹底してやりたい方は、リブレを買って、ネットで手に入りますので、リブレを貼ってみてください。
 
 そこまでしたくないっていう方は、ちょっと糖質を控えてください。食パン1枚で体が弱ってくると(なるんですね)。

 いつもならないんですよ。夏のこの夏バテとかね、あるいは急に寒くなった季節の変わり目なんかに、内臓が膵臓が弱って、インシュリンの出方が悪くなるんですね。本来いつも朝食に食パン1枚食べてる方でも、その時は400越すんですよ。で、越すと体の抵抗力が落ちるので、色んな意味でね。

 だから、結局はその何て言うんすか、中年過ぎると色んなね、病気が起こるわけですけども、それは毛細血管の再生力が落ちてるから、若いときのような食べ方、若い人でもそういう食べ方をすれば、スパイクは400ぐらい上がるんですよ。上がるけど若い人はすぐ下がっちゃうのね。でも年取って来ると3、4時間維持してからしか下がらないみたいなね、なりますので、ぜひ一度そこまで色々と自分なりに工夫されてやられたら、水虫レベルでしたら、すぐ直ります。

 もしビール飲まれるんやったら、ビール止めるだけでも治るかもしれない。はい、ありがとうございます。

司会者
 ありがとうございます 
 それでは次の質問です。今年のお盆は、何日から何日ごろまでか教えて頂きたいです。
又、昨年の同時期の同質問の回答で、このまま地獄と重なったまま行く可能性が高いとの事でした。昨年7月7日からの約1年、色々な状況が厳しくなったのは、地獄と重なったまま行ってしまったということでしょうか?

河上さん
 はい、既に重なっています。今年はもう既にお盆に入っています。でも幸いにして月2回の護摩にして頂いてたんでね、あまり大騒ぎしておりませんけども。7月3日からお盆に入ってます。で、この7月7日が本格的なお盆に入ってます。で、このまま今年は、抜けきれんまま行くと思いますので、ちょっとお米が手に入りにくくなったりね、色んな意味で色んな現象が出るかもしれません。

 でも、8月も2回護摩していただけますので、護摩で出来るだけね、河上は大げさなこと言ってるけど、別にお米もなくならんし大丈夫やった、っていうふうに持っていきたいんですよ。河上は嘘つきやで行きたいんですけどね。出来るだけそう現れないようにしたいと思いますけども、既にちょっとあちこちからお米がね、出来ない状態が既に入っています。

 でも、それまだお盆前だからね、お盆までが特にお米は勝負ですから、あと2回また護摩がありますから、何とかなっていくようにしたいとは思います。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます それでは次の質問です。
 
 河上さん、いつもありがとうございます 質問させてください。3年前に大和座法のCDをお聞きし、お風呂の湯船の中でしていたら、左膝に痛みを感じ、それ以来、正座が出来なくなりました。神さまに使って頂いているんだと喜んでいたら良いと思っていますが、最近では右膝も痛みはないけど、曲がりにくくなり、畳の部屋では、中腰状態で正座が出来なくなりました。左膝は膨張しているように感じます。病院には行ってません。私はどうしたらいいでしょうか?ご教示よろしくお願いいたします。

河上さん
 これね、まず一番の原因はさっきお答えした血糖値スパイクです。血糖値スパイクを出すと、筋肉が硬直するんですよ。その方の場合は、膝の筋肉と脛(すね)の筋肉が硬直してます。で、それをその硬直してる状態のままで無理に正座しましたので、ちょっと筋の内がビシッとずれてるんですね。取り敢えずはちょっと今実践しますから、文章化する方が上手く書いてください。座って膝を曲げてこれを回します。これを上手く文章に書いて。
 
 この例えば右の膝に左足の踵(かかと)を乗せて、足首を回して頂くと、このいわゆる曲がらなくなってる膝の周りの筋肉をほぐすことが出来ます。(@椅子に座り、右の膝の手前に左足の踵の辺りを乗せて、左手で軽く左足の踵を固定して右手で足首を左右に回
す。)
 で、出来たら、靴下を脱ぎますけども、この足の指の全部に手の指を入れて、回すと、もっと伸びます。(A左足の指を5本とも開き、右手の指を足指の間に差し込んで、さっきと同じ要領で左右に回す)

 でも最初から無理せずに、最初はこれだけ回して、最初は足首も硬いからね、無理せず、無理しちゃ駄目ですよ。ほんで毎日やってるうちに柔らかくなってきますから、最初はこうして回してある程度回るようになったら、この足の指の間に手の指を全部入れて、ほんで回してください。すると、伸びます。これを左右同じ形でこっちもして頂くといいですね。
 
 これしてある程度伸びてきたら、この状態のままで、前屈して、又やってください。すると、このお尻の筋肉のとこが伸びます。一番正座出来ない理由はここのお尻の筋肉なんですよ。尾てい骨と腸骨を結ぶ線なんですけども、この筋肉が固まると正座が出来ない。しゃがむのも難しくなります。で、それを伸ばすために、これを回しながら体を前屈します。僕今ガチガチなんで、倒れませんけども、倒していってください。それをやってたら、この脚の筋全体が出ますから、正座は出来るようになります。
 
 ほんで、痛いから嫌だって言うて、しないのは自由です。でも本当に座れなくなります。あとはご自分の体ですから、どうぞご自由に鍛えてください。鍛えるというか、いじめるというか、整備するというか、お願いいたします。

司会者
 はい、ありがとうございます
 それでは事前に頂いてた質問は以上ですが、その他お預かりした質問等、また会場の方から質問があるようでしたら、こちらの方にお願いいたします。

質問者
 ありがとうございます。
 仕事中とかに、あんまり人前では、声を出して印可書を言わない方が良いっていう事だったんですけど、仕事中とかにイライラしたりするとつい口に出して、聞こえない程度なんですけど言って、ブツブツ言っちゃうんですけど?

河上さん
 それで良いです。大丈夫。

質問者
 ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 
 他に質疑会場の方からご質問ありますか。よろしくお願いします。

質問者
 一点、登山靴の底が剥がれたのですね。なんていうかソウルが剥がれて、それからそのソウルの下のスポンジっていうんですか、そこが経年変化で大分柔らかくなって、だから靴屋さんに相談したらメーカーに戻して、全部交換というのが一つ。それから、夏山だったら、ハイカットの新しい登山靴を購入するのもありだと、どちらがいいんですかね?どちらでもいいのか、ちょっとその辺が…

河上さん
 一応ゴムとスポンジが経年変化ですから、新しいのに変えるしかないんですよ。今は良い登山靴があるからね、それでもいいんですけど、ちょっと暫くは登山は止めてください。危険です。それぐらいちょっと今、地球霊王様の体が腫れ上がってですね、中で膿を出してるんですよ。このまま止まるように頑張って護摩もして頂いてしてるわけですけども、ちょっと抑え切れなくて、色んな山で硫黄ガスが噴き出しかねないんです。

 硫黄ガスを吸うと死んじゃうんでね、よっぽどの必要な用事がない限りは、山登りは控えて頂いて、体を鍛えるためというかでしたら、ちょっとハイキングというか、もうちょっと丘のようなところを歩き回るような感じのことにしてください。

 特に温泉の出る地域の山はもう危険です。最初の兆候は富士山でちょっと小噴火が起こります。起こったら本当に全国的に駄目ですから、平地でも温泉地はかなり危険になります。それもずっと吹くんじゃなくてね、突然濃いいガスが出ますので、そのときだけ危ないんですけども、普段平気なんで、という状態になりかねないです。今はそうなりますと言う訳にはいかないんですよ。

 温泉地でもどこでも観光客に来ていただかないと、生活成り立たないじゃないですか。だから、本当にそうならないように、この護摩でね、真祈りで、そうならないように持っていきたいと思っておりますけども、一応山は、もうわざわざ登らないください。
 で、靴は夏靴をお買いになれば冬山に登らないでしょ?

質問者
 今はちょっと。

河上さん
 夏用の登山靴の方が楽は楽ですよ。昔の登山靴は重いからね。はい。

質問者
 はい、ありがとうございました。

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 その他にご質問あればよろしくお願いします。
 僕の方から一つ。今回、一大奇跡の宇宙神ありがとうございます護摩が2回開催されるということになりましたが、あちらの世界の評判というか、反応はどんなものですか。

河上さん
 いやもう、それはもう大喜びで、全然雰囲気が変わって来てですね、今、言うた火山ガスが噴き出すのもなんていうんですか、本当にギリギリの崖っぷちで落ちるか落ちないかのね、ギリギリのままで行けそうな、今日の護摩でね、今日の護摩で落ちるかなというギリギリで渡っていけそうな感じです。

 でもそれぐらい向こうの世界の方は、地球霊王様の大変さが分ってますから、良かったということです。本当にね、月に1回が2回になりましたから、何があっても月に1回は来てください近くの方はね、もう余裕ある限り、ぜひ2回とも来てください。それぐらい大事な護摩です。
 
 もう何て言うんですかね、皆さんの体に例えれば血糖値スパイクが出るように、昔以上に出るようになったんですよ。それは地球霊王様の体が弱ったから、入れ子構造的に皆さんの体も弱ってですね、昔だったらそんなに糖尿病の人って出なかった。あるいは自分の親は糖尿病違ったという方でも、ちょっと体を無理して疲れさすと糖尿病みたいになってしまいます。それを分らずに。というのは、血糖値スパイク出ても水虫になる程度ですから分らずに、やってしまうと、本当に体全体の機能を潰しますから、色んな意味で体を大事に無理せずにですね、真祈りして生活して頂けたらと思います。ほんで、この月二回の護摩になった、これは後でお話します。どうぞ質問して。
 
司会者
 はい。あと、5月にお話された勉強会のお話で、洗礼についてお話された洗礼がちょっと分かりづらいんですけど?神さまの清めの働きということですか?

河上さん
 要はどういう事かというと、全ては光、みんな光というのが基本なんですよ。みんな光の中にですね、この現世は秒速30万キロの光の世界なんです。これが秒速31万キロの世界29万キロ世界。これが地獄いくと、秒速5キロの世界に入るんですけども、そういう感じでありとあらゆる表現の世界があるわけです。ほんで、どの表現の世界でも、光が充満してるのは変わりないんです。でもお芝居を考えて頂くとわかるんですけど。あるいは将棋でもそうなんですけど、将棋の駒なんて木の駒でしょ?でもそれにわざわざ言霊で飛車とか、歩とか書いてね、働きを限定して遊ぶじゃないですか?この現世も、私はどんくさい役、私は頭の悪い役、私は頭の良い役、私は器用な役とかって、色んな役を自分で選んでね、色んな脚本を、私この脚本で今回するわって言って選んで生まれてきて、それぞれ不器用な役とかね、色んな役を演じて楽しむ世界なの。

 将棋がそうでしょう?将棋嫌いな人から見たら何であんな難しいことするのだけど、あの難しさを楽しんでるわけじゃないですか。ね?碁でも嫌いな人は碁なんかどないするんと思うけど、好きな人にとってはあの難しさが楽しいんでしょう?

 そういう感じで、この現世を、この秒速30万キロの、今いらっしゃる皆さんの世界も、そういう色んな役柄を楽しみに来てるわけですよ。ところが、楽しみに来てるはずなのに、文句言い出すの。どこで文句言うかというと、他の演技してる人と自分を比べてね、あの人は生まれついて器用で狡いわってなるわけ。で、私生まれついて不器用で損やわってなるわけ。
 
 ほんで損やわって言ったときにマイナスを発しているわけです。ほんで、あの業とか我とかマイナスというのは何かいったら、マイナスの言葉を出したことによってマイナスの言葉を積み重ねてるわけです。ほんで、それを自我とか我とかね、業とかって言うわけですよ。で、我っていうのは何かって一言で簡単に言いますと、我というのは、楽したい心です。楽したいから、ズルもするし色んなことをするのね。
 
 で、神さまの本来の働きは、盤石の支えの働きですから、盤石の支えの働きというのはこの世で言うとどういうことかっていうと、例えば右行ったら楽、左たら大変しんどいという状況に入った時に、迷わずにしんどい方に行くの。迷わずに人を支える方に行の。だから、人がパタッと倒れたらね、迷わずに大丈夫って助けに行けるのが神さまの心です。

 ほんで人がぱっと倒れた時に、あっ、あの程度だったら大した事ないなってしまうのは楽したい方の心ですね。その楽したい心は何で出来たかというと、今言ったように、自分と他人を比較してマイナスを選び続けたからです。その選び続けて溜め込んだマイナスをね、消さなくちゃいけないんですよ。

 本当は皆さん生まれてくるときに、自分がどんだけのマイナスを背負ってるかというのを知ってた方がいいと思うじゃないですか。でも、皆さんが思ってる以上の凄いマイナスをみんな背負ってるの。作ってきたの。だから、生まれついて自分のマイナスがわかるとね、そうですね、100億円の借金を背負ってるような感じで、一瞬で。ほんなら100億なんかあんなの一生かかっても返されへんわってもう最初からね、匙投げて何もしなくなっちゃうの。

だから神さまは、過去世の事の記憶を消されて、そういうのに引っかからない者は過去世の事が分かる状態で生まれてきますけども、普通は過去世の記憶を一切消して、要するに神さまが100億の、例えば100億の借金としたらね、100億の借金を棚上げにしてくださって生まれてくるわけです。

 だからみんな平等に同じ状態なの。赤ちゃんのときは素直にね、それを受け入れて、頑張って歩くの。立とうとしてハイハイして歩こうとして、喋ろうとして頑張るわけ。ほんで、皆さん、喋れるし歩けてるのね。でも、いざ喋れて歩けるようになってくると、人のことが気になる。で、気になると色々とマイナスに重ねて狡く生きようとしたり、楽しようとしたりとか色々出てくるわけですけども、せっかく神さまが棚上げしてくださってここまで来てるのでね、またマイナスを選び出すわけですよ。

 それの繰り返しでいよいよ、もうこの地球人類はもうどうしようもないから、一旦大きな清めで地球霊王様の、もっと今言った清め以上の大きな清めで、一旦ご破算にして新しく始めるということが、そうですね、僕が10歳ぐらいの頃、先生と地球霊王様との間で話し合いがあってですね、地球霊王様がこの人類の世界をもうおしまいにするっていう時に、先生がもうちょっと待ってくださいと、何とか人類自身に真祈りさせてちゃんとしますからという事で、始まってます。
 
 それは11歳のときにお会いした時に、色々と聞いております。その約束があったから、僕の方は直接「我、汝の求めるに先立って、全て与えたり」という啓示を、先生にお会いする前に受けてたわけですけども、それを先生に言ったら本当ににっこり喜ばれて色々その時は有った訳ですけど、そういう感じで、皆さん色々と、もう返し切れない位のね、マイナスを背負ってるんですよ。

 でもそれを積み上げてるから罪っていうんですけども、罪を免れることはできないんです。キリスト教で免罪符を昔売ったって言うでしょ?あれ日本語の翻訳が間違いで、免罪符じゃなくて贖罪符なんです。罪を贖(あがな)うなんです。ほんで罪を贖うのにお金入れたって贖えないんですよ。でも今の宗教団体は騙してね、寄付したらあなたの罪救われるみたいなやるから、昔と変わんないんですけども、お金では贖えないんです。それはもう真祈りでしか駄目なんです。

 ただ、真祈り出来ない人のために、その手前として、まず水の洗礼をして、真祈りしやすいようにしてあげるわけです。水の洗礼でちょっと真祈りし始めてくれたら、次は火の洗礼でもうちょっと真祈りし易いように持っていくわけです。それが今の護摩です。
 
 ほんで、これがこの護摩がどんどん成功してくると、もうこの火の洗礼じゃなくて霊の洗礼に入るわけ。で、霊の洗礼になると、この会場はそのまま使えますけども、もう火は燃やさないです。皆さんがこないして今やって頂いているように、総責任者としてね、前に出て、今、真祈り「宇宙神ありがとうございます」あるいは「絶対の中心」ってやってくださいるじゃないすか。「真祈りの全体像、全体図とは」と言ってやって下さる。これが霊の洗礼です。
 
 昔はこの水の洗礼は例えばヨハネ先生がされたとか、火の洗礼は空海さんがされたとかね、霊の洗礼はイエス様がされたとかあるわけですけど。昔はその誰か偉い人というか、悟った人にして頂いたもんなの。でもこれからは皆さんご自身でみんなでするの。それ、この護摩がもうちょっと進むと。
 
 だからこの2回の護摩なんでね、予定を進めれるんで非常にありがたいんですけども、この護摩がもうちょっと進んでくるとね、なんか護摩木を入れに行かなくていいようにみんな思います。護摩木入れに行くよりも、前に出て宇宙神ありがとうございますってやりたいって思うようになってきます。それが霊の洗礼の始まりです。そこまで持っていけたら、河上あんな大げさなこと言うてるけど、何もなく平穏無事に来てるじゃないかという状態に持っていけますので、そこまで持っていきたいと思っています。

 そやけど今はまだ火の洗礼の段階なんで、是非、というのは、私やっぱり真祈りなんかなんかできないわという方がまだまだいらっしゃるわけですよ。真祈りできない方は、護摩木に書いてくださるだけで、真の神さまが降り立ってね、お習字のときに、書道の先生が後ろに手を添えて字を書いてくださるように、護摩木書く時は真(まこと)の神さまが後ろに下りたってくださってね、真祈りとしてくださるっていう、先生と真(まこと)の神さまの約束ですから、護摩木を書いていただいて、それを、その私、真祈りまだ出来ないよという思いを、この火の洗礼で消しちゃうわけですね。

 私はまだまだ駄目よというのは、卑下慢なんですけども、マイナスの思いですね、これが消えてきたら霊の洗礼に入ります。霊の洗礼に入ったら、もうしめたもんなんですけど、まだもうちょっとです。一応それが洗礼の意味です。

司会者
 霊の洗礼っていうのは、真祈りできるようになって、みんなが悟って行くという事ですか?
 
河上さん
 そうです。霊の洗礼というのはどういうことかというと、その印可書に読んでるだけでね、何となく嬉しいっていうふうになってくると始まりです。今は(理屈抜きに)嬉しいがもう全く無条件に表現以上に、その印可書を読まなくても嬉しいになっていくんです。それが呼吸の状態なんですよ。だから呼吸法も今セットにしてるわけですね。呼吸法はある程度できると、もう息そのものが印可書。息そのものが真祈りというのはわかります。

 それが分かって来ると、皆さんの普段のお仕事そのものが真祈りって分かって来ます。っていう感じになるのが霊の洗礼です。その要するに自分が関わってると思ってる世界を皆さんは凄い小さい範囲で勝手に限定してるんですけど、本当は皆さんお1人お1人が全宇宙に関わってるんですよ。そこまで意識を広げるのが、霊の洗礼です。
 
 もう今、答えをさっき言ってますけど、そこまでぜひ持っていきたいのでね、今は皆さん例えば、この小さい地球の出来事でもね、ウクライナの戦争の事を他所事みたいに思ってるじゃないですか?我がことのように心が痛まないでしょ?それ位まだまだまだ火の洗礼の段階だからそれはいい悪いじゃなくて仕方ないんですけど。それが本当に先生のようにね、全宇宙の事を心配されているっていう形になります。要するに楽したい心が神さまの働きの邪魔をしてるんですよ。

 ほんで本当に全てを支えていく心というね、先生の表現で言うと、七難八苦を選ぶ心ですよ。より大変な方を喜んで喜び勇んで、あのきつい汚い危険の仕事をね、喜び勇んで出来る事です。いやいやじゃあない、喜び勇んで自然にね、無理に思わずにですよ、出来る心になって行くというのが理想なんですけども、そういう心に自然に皆さんがなっていくのが、霊の洗礼です。

 だからとりあえず先ず霊の洗礼は印可書奉読をここで前に出てして頂くことが霊の洗礼になります。はい。

司会者
 ありがとうございます
 ここまでで何かご質問ありましたら。改めましてお話の方お願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます。月2回の護摩になってね、非常に、もう本当に言葉に表せないぐらい喜んでいます。でもまだ皆さんの中に自分はまだまだ真祈りできないという制限がある分ですね、ちょっと宮野さんと僕に負担が来て2人とも今フラフラですけども、護摩進むごとにちゃんとなると思ってるんで、大丈夫です。

 何があるかというと兎も角、霊の洗礼をを進めていくしかないんですよ。それは皆さん1人1人が総責任者として、真(まこと)の神さまとして、真祈りするということなんで。で、真祈りするっていうのはどうするんかわからんから、先生が命と引き換えに、印可書を作ってくださいました。印可書奉読するときは真祈りとするよというね。
 
 後、後は祈りというのは常に神さまに捧げるだけ、神さまのお手伝いするだけだっていうことを忘れないでください。神社でね、絵馬にですね、東大に合格しますようにとかって書くじゃないですか?ああいう願い事をするのが祈りではありませんから、それをまず分かっててください。印可書奉読してるから、例えば東大に合格したいな、も危ないです。そうじゃなくて、神さまが一番いいようにするから、必要だったら東大に合格する、必要なかったら合格しないとまで、自分の願いを横へ置いとけたら、真祈りに入れます。そこだけは忘れないでください。
 
 一番最初の印可書が出たときは凄い大おまけがあったんですよ。あったんだけども、そのとき印可書を選んで、一番最初に唱えてくださった方は本当に数えるほどだったんですけども、どの方もじゃあ印可書読んだら悟れるんやなと勘違いされた。で、最初の頃に印可書読まれた方はもうここには来られなくなりました。印可書読んでも悟られないやなか、嘘やなっていうことになっちゃったわけですけども、それは何が問題かというと、神さまを召使のように自分が使ってることに気づかない。神さまが良いようにされるから自分にとって一番にされてるだけで、自分の都合は関係ないんですよ。
 
 それがまず分からなくちゃいけないんだけども、自我というのは、自分が楽したいの心ですから、自分の都合を優先してくるの。すると、せっかく印可書読んでいるのに、こんなに大変なことばかり起こるじゃないかっていうふうな文句になるんですね。文句になるとマイナスだから、せっかくお清めしているのに、またマイナスを積むのね。
 
 もうそれの繰り返しで地球霊王様は、こんなもん人類もう今更もうどうしようもないん違うん?ということで仰ってる訳ですけども、先生がいやいやまだまだと言って、まだ今も先生はまだまだって言ってしてくださってます。
 
 この頃、村人に厳しいこと言ってますけども、僕は先生に村人の自由意志だから好きにさせたらよろしいやんって言うて、もう放っときますからって言ったら、先生が駄目っていうのをね。駄目って言うから、あえて嫌われてもきついことを書き続けてますけども。
 
 それはどっかにね、皆さん、別に言われた訳じゃないですよ、皆さんどっかにね、やっぱり楽したい心があるわけで、楽したい心があるうちは、まだ真祈りに入れてないんだと。

 でも、何とか神さんお手伝いしたいと思って印可書奉読してたら、そのお手伝いとしてしたいという、神さまを向いた隙間を神さまが縫ってですね、光下ろしてくださるわけですよ。
 
 それは、印可書にある裏を通ってというね、裏を通って、一瞬で絶対の中心に持っていって消す働きに印可書はなっています。そういう凄いものなんですよ。後でお前がもうちょっと改造せえと言ってくださって、改造した印可書はそれなんですけども、それでその時それを作り上げた時に先生が本物が現れたって喜んでくださったわけですよ。

 でも、誰もその当時印可書も見ないし、真祈りを一生懸命やろうという気もないから、先生が何、何を本物が現れたって言うてるんかもわからんまま来ちゃった。済んだ話ですけどね、来ちゃったわけですけども、それくらい本物なんです。

 だから、何があっても、裏を通って絶対の中心に一切のマイナスがね、吸い上げて貰えるんですよ。これが霊の洗礼なんです。本当にこの霊の洗礼に皆さんお1人お1人ができる状態になっていきますので、既にもう印可書素直にね、奉読して、神さまのお手伝いされてきた方で、もうかなりたくさん既に悟っておられるんですけども、申し訳ないけどいつも言うように自覚は止めています。全員同時にしたいんですよ。あの人、先に悟ったって言ったらみんな焦るからね。今回は全員同時で持って行きたい。
 
 昔、先生がある人バット引き上げたら、周りがなんていうんですか、妬んでね、その人の足引っ張って結局全部ぐちゃぐちゃにしちゃったんですね。だから今回はその轍を踏まずに、何か印可書読んで、なんか良くなったなぐらいの方は、本当は悟っているというのは多いんですけど、わざと封じて、ちょっとまだまだ僕引っ掛かるところ有るなという状態にしてあります。

 それをわざとですから、もう引っ掛かるところ出てもひたすら印可書奉読に変えてやってみてください。今回は失敗は許されないくらい、最後なんでね、失敗せずに持っていきたいと思っています。先生から、11歳の時に本当に色々とあったんですけども、その約束をやっと果たす時が今来ています。ちゃんと果たせてちゃんとちゃんとみんな良かったなってね、宴会が終わったときにあー良かった、又ね、っていう感じで持っていきたいと思ってますので、何があってもね、引っかかっても、印可書に戻ってください。

 ほんで印可書をどうしても選び取れないっていう方は、宇宙神ありがとうございますで行ってください。ただ「宇宙神ありがとうございます」は上手く呼吸法に乗せないと中々飽きちゃうんですよ。宇宙神ありがとうございますが飽きる理由、あるいは「ありがとうございます」が飽きる理由は呼吸法に乗ってないの。

そういう厳しさがあるんですけど、この呼吸法に乗せる部分は伝授だったから、「先生、ありがとうございますって祈るんだけど私どうしようもないわ」と言って行ったらパンと行けたんですけどね、誰も行かないのね。宇宙神ありがとうございますのときも先生、生きていらっしゃる時に何ぼ宇宙神ありがとうございますと祈っても、もう出来なくなりますって泣いて行ったら、パンと出来たんだけども、もうそれも今更遅い。でもそのために印可書を作っていただきましたので、印可書で何とかいけると思っています。

 だからいつも、楽したいなと思った時は、まだまだ自分には自我があると思ってください。ほんで、別に、1人でお家にいらっしゃる時でもね、楽したいなと思ったときに、ちょっとゆっくりでいいからお掃除しましょうとか、ゆっくりでいいから何かしましょうと思って、しんどい方選んでください。 それが真祈りに繋がっていきます。

 この第2の護摩はちょっと勉強会を兼ねるという事にしてますので、質問を聞いてください。どんな内容でもいいです

司会者
 はい。質問ありますか?会場からどんな内容でもよろしいということなんで、細かいような質問でもよろしいですね。




令和6年7月2週目護摩焚き河上さんお話し−2(後半)

司会者
 はい、どうぞ。
 
質問者
 ありがとうございます
 先般からの大雨でですね、松山城の後ろの山がちょっとこうスライドしてしまって被害が出ているということや、もうちょい前は米原の方の伊吹山の方々がですね、同じような思いをなされているという、今までにない状況が起こっているということで、皆さん、他人ごとではなく、
 
河上さん
 次は村で起こります。大丈夫。他人ごとではないです。はい。

質問者
 はい。そういうものも目の当たりにしている中で、私どもはどのような心構えを持っていればよろしいのでしょうか?お願いいたします。

河上さん
 イエス様がね、昔お弟子さんと一緒に、今は嘆きの壁と言われてるところがあるんですけども、あれは、石細工の大きな大きな神殿の基礎の部分なんですよ。あの上に凄い立派な石の神殿が立ってたわけです。その当時、見たら今でいうとどうなんでしょうね?エンパイアステートビルというか、こんなもん潰れようがないわというぐらい立派なものだったわけですね。
 
 で、イエス様のお弟子さんがイエス様へね、「これは永遠に続くでしょう?」って言うわけですよ。 イエスは答えるのね、「これは一瞬にして消え潰れて消え去る」って言うわけですよ。ほんで、お弟子さんびっくりしてね、「それは何時の事ですか。」って言うんですけど、この、ここの問答で、いつもイエスは苦しむのね、みんなが分かってくれないのは、その一瞬一瞬新たというところはみんなわからないんですよ。

 どういうことかというと、時間軸を引き延ばして説明しますと、例えば猫さんを飼う、そしたら、大体10何年かしたら死ぬじゃないですか?必ず始まりがあって終わりがあるんですよ。あるいは好きなもの同士が結婚する。でも必ず最後はどっちかが先に死ぬ。ね?もう色々ありますけども、幸せになんかやっているんだけど、必ずどっちかは先死んで、で死ぬ。別に1人でも一緒です。おぎゃーと生まれてよかった、ですけど、必ず最後は死ぬわけです。必ず終わりがあるんですよ。この虚の世界は。その終わりのあることをみんな掴んで悲しむのね。

 だから、例えばイスラエルの凄い大神殿でもなくなるんだよって言うと、それは大変な悲しいことだってみんな勘違いするわけですよ。そうじゃなくて、終わりがあるということは、一瞬一瞬新たをちょっと時間軸に引き伸ばして今説明してますけども、終わりがあるということはより良くなるということなんですよ。それがわからなくちゃいけないんだけど、ほとんどの人は終わりがあったときに、「大変」ってなる。
 
 例えばもちろん崩れて家が埋まった方はお気の毒ですよ。ね、伊吹山のとこでもね、「50年何もなかったのに」って言って家が流れたとお気の毒ですけども、それは必ずいい形の始まりなんです。それがわからないと、マイナスを結局せっかく神さまがいい形に変えようとしている姿をマイナスとして掴んでマイナスを積んじゃうんですよ。マイナスを積んじゃうとどうなるかというと、因縁因果の波に飲み込まれるの。永遠に文句言う世界に入る。因縁因果の世界というのは、永遠に文句言うんですよ。

 ほんで永遠に「楽(らく)したいわ、楽したいわ」ってぼやいてる世界です。そういう因縁因果の輪に入っちゃうんですね。だから、その最後の終わりの姿は、色んな形がありますけども、それは必ず良くなる前触れなんです。例えば、東北の大地震でね、津波で一瞬にのまれていかれるじゃないですか。その津波にのまれた方を、先生はどうおっしゃったかと言うたら、「大きな神さまのお手伝いして良かったんだよ」って先生おっしゃったはずです。津波の姿でも、それが大きな働きだったってね。どの働きもそうなんですけど、

 例えば「交通事故に遭って死んじゃったわ」って言っても、それは大きな働きをしてるんです。それを「もっと働けるのに死んで、残された子供たちを考えて不幸だわ」ってみんなマイナスに取らえちゃうんです。

 ここだけを忘れずにね、この虚の世界は必ず始まりがあって終わりがあるだけで、終わりがあるということはより良くなる姿なんだということだけは、思い返して、無理にでも思い返してください。不幸じゃないんだっていう。例えば、通り魔殺人にあって刺されて死んじゃってもね、大きな働きだったんだっていうのを分かって頂きたいんですよ。それがわかると、霊の洗礼が完璧になって、一瞬で全てが良くなっていくんですけど。
 
 その例えば通り魔殺人で死んだというのは、何があったかというと、もう消すに消せない色んなマイナスをその形に凝縮して、何億分の1で消しただけなんですね。だから大きな働きには違いないんですよ。せっかく大きな働きで消してるのに「気の毒な可哀想だ」とか言ってなっちゃうわけですね。

 今回はもちろん掲示板にちゃんと説明しましたけども、村人には十字架にかかっていただきますということでね、大きな働きをしていただきますということで、説明しましたけども、一緒です。実際、村がばっと埋まってしまったときに、皆さん心動かさないでね。それぞれ大事な働きをして頂いただけですから、神さまに一切の不可能はないのは、間違いないなって、そのとき皆さん実感されると思います。
 
 それくらい神さまというのは、もの凄い働きなんですよ。何があっても、良いようにしか持っていかない。でも人間側の小さい意識で見たら、「ああ、地震で家に押しつぶされてかわいそうに」って思うんですよ。でも地震で、能登の地震でありましたけども、お正月に帰ってこられた娘さんたちが家の下敷きになって死ぬんですけどね。その姿だけ見たら、もちろんお気の毒ですし、不幸な姿ですけども、より大きな働きを本当はしてるんです。それが分からなかったら、因縁因果の波に入っていって、もう地球霊王様、この人類はもう無理やからって言って、全部ご破算にされます。

 ご破算にせずに人類の手で、新しい新しいこの現世(うつしよ)を作りたいと僕は思ってますし、先生もそういうふうに地球霊王様と約束されたわけです。だから、何がどう起こってもね、いつも僕説明しておりますけども、必ず良いようになってるんだよというだけは頭の片隅に置いてください。

 自分の都合から見たら凄い不幸なことがあっても良いようになってるんですよ。がんの姿で凄い苦しんで亡くなられても、本当は良いようになってるの。でも、苦しんでる姿だけ見たらね、「かわいそうだった。つらかった」ってなるわけですよ。

 でも本当はそうじゃないんですよ。なぜかと言うたら、この世の全ての姿は演技しているだけだから、本当じゃないんですよ。虚の世界っていうのは演技の世界なんですよ。だからお芝居上でね、色んなレ・ミゼラブルじゃないですけど、ああ無情じゃないですけど、悲劇が一杯あって、その悲劇の姿を楽しんでるだけであって、本当の悲劇はないんです。

 この今の現実と皆さん思っている世界でも本当の悲劇は一切ないんですよ。それを、それがわかれば、霊の洗礼に入れるんですけど、それが分らないうちは「つらかった。悲しかった。」の思いを全部火にして燃やして、消し続けていくしかない。

 今はこの護摩木を燃やしながらですね、前に出て霊の洗礼を、今やっと本当すぐできますけど、前で印可書読んで頂くのは霊の洗礼になるわけです。霊の洗礼をして頂いています。そのうちにあの何か燃やすの、「もう、ええんちゃうん?」ってみんな本当にみんながね、「もう燃やすのええんちゃうん?」って思ってきます。そしたら本当の霊の洗礼の護摩が始まります。
 
 そのためにも、普段の生活で何があっても一番良くなってるんだっていう喜び勇むことが必要なんですよ。だから、津波で亡くなられても大きな働きだったんだ、どの形も大きな働きだったんだと。例えば世の中を悲観してね、電車に飛び込み自殺されたっていう形でもね、色んな人のマイナスを背負って、大きな働きをされただけなんです。本当は。
 
 自殺の形ってね、1人では起こらないの。色んな人の悲しみも全部その人に集まっちゃってその人が代表して、してくださっただけなんですよ。それがわからないとね、ああ、あの人そんな電車飛び込んで電車止めて、残った家族も悲しましてっていう事にマイナスに思っちゃったら駄目なんです。

 神さま、一切無駄なことはされませんし、一切のマイナスは起こしません。この現世といえども。人間の都合で見てマイナスに思って勝手に悲しんでるだけ。でも、この現世は本当は演技の世界だというのをね、分かってください。色んな形の演技をして皆さんが楽しんでるだけ。それが分かったら、霊の洗礼の完成にもなります。いい?はい。

司会者
 次の方お願いします。

質問者
 すいません。いつもありがとうございます
 血管がね、浮いてくるっていうのは、それは何か?昔はそんな、そんなに血管が浮いてなかったんですけど、なんていうか、最近・・(河上さん、質問者の肘をきつく押されて(指圧)) 痛い!
 
河上さん:ああ、なるほど。いや、辛抱辛抱。なるほどね。はいはい。やっぱりね、ちょっと血糖スパイクを出してる。うん。もう年なんだから食べ方を考えて下さい。それで説明したようにセンサーを偶(たま)には貼ってね、そのスパイクの出方を見て、「ご飯を食べるな」と言ってんじゃないですよ。例えばお茶わん一杯のご飯でも、昔若いときのように一杯全部食べずに、30分ずつあけて食べるとか1時間ごとに、三つに分けて食べるとかね、そういうセンサー貼れば、スパイクを、その人によって、僕はバナナ食べると凄い上がるんですけど、バナナ食べても上がらない人もあるし、その人によって色んな相性がありますから、自分でしてやってください。このままほっとくと成人病が起こります。ハハハ・・
なってからでは手遅れなんで、はい、ありがとうございます

司会者
 次にご質問者あればお願いいたします。

河上さん
 いや、勉強会は止めないで欲しいという要望があったんでしてるんだから、どんどん質問者してくださいよ、終わっちゃうで。

司会者
 いいですか、僕の方から。

河上さん
 どうぞ。

司会者
 去年、深夜勉強会が終わりまして、やっぱり体に負担がかかるということで、今回も村での勉強会も終わることがあったり・・その真意は?

河上さん
 いや結局護摩を2回にするからね、勉強会をその時間に護摩をはめるしかなかったんですよ。 ほんで先生が最後の護摩をされたときですね、2015年の護摩ですか?8月のあの時の3ヶ月前ぐらいからね、「勉強会しろ」ということで、うちの工場のある三日市と、3月からですね、その年の3月から、三日市と、東京で昔から色々と縁のあった政治家の方集める勉強会と、ちょっとあんまり有名な方ばっかりのね、勉強会をそれぞれ2回してきてます。それが先行してあって、先生亡くなられてちょっとここでみたいな、あったわけですけども、その関係で先行したものが既に埋まってますので、勉強会はちょっと中止という代わってあげてでも、2回目の護摩のときは、ちょっと勉強会を兼ねてほしいということなんで、兼ねますからこの形で色んな質問をしてください。はい。

司会者
 ありがとうございます。
 でも、何かが終わったときはさらに良くなってくるということですから・・

河上さん:そうです。はい。

司会者
 今回は勉強会が護摩に大変身したということで捉えても?

河上さん
 勿論そうです。
 
司会者
 はい。ありがとうございます 次、ご質問あればお願いいたします。

質問者
 ありがとうございます
 せっかくなので質問させて頂きます。最近松下先生の音源、お話しを聞く、よく聞いているんですけども、すると、心に引っかかる内容としては、真の神さまに弟子入りっていう、シリーズなんですけど、理屈の上では凄くよく分かって、聞き終わった後、「ううん」って感じなんですが、自分の都合の悪いところは、多分聞けてなかったり、いわゆる自分の都合のいいように聞いてて、本当の松下先生が響きと出して届けたい内容を受け止めきれてないんじゃないかな、ということだけは分かるんですけども。というのは多分、こっから言うと怒られるかもしれませんが、光が強すぎて自分なりに受け止められる部分だけのを聞いてるんだろうな、というところまでは、推測出来てるんですが、その河上さんのちょっと光を和らげた神さまの弟子入りっていう部分をお聞かせください。

河上さん
 はい。弟子入りと言うとね、抵抗のある人もあるので弟子入りという言葉を使わずにずっと黙って説明してきました。弟子入りの絶対条件は何かというと、神さまが一番良いようにしてるって明らめ切れる事です。

 神さまが一番良いしてるって明らめ切るためにはね、自我を消さなあかん。自分を消さなきゃ。自分というのは何かというと、さっき説明したように、楽したい心、楽したい心がある内はまだまだ自分があるな、或いは、人と他人を引き比べて良い悪いって判断する心を自分といいます。

 その心があるうちは、まだまだなんですね。その引き比べる心とか、楽したい心ね、無くすために今が一番良いようになってるって、神さまいつもいつも、全知全能の神さまはいつも一番良いようにしてるって明らめる力、心をね、持って頂くように色々と説明しています。

 もう只々、それだけなんです。だから、一切の自分の都合を横に置いといて、先生の言葉で説明しますと、一生七難八苦の連続がいいという覚悟を決めることです。だから右と左、AとBというね、する事があるとして、AよりBの方がしんどいと思ったらしんどい方を躊躇なく選べる心です。

 いつもそれを念頭に置いておかれたら、自分が楽しようと思ったら、よりしんどい方に自然に行けるようになれば、真の神さまに、一瞬一瞬新たに弟子入りしています。ちょっと油断すると、やっぱり自分が楽しようと思って、なってます。それは仕方ないです。でもまた選び直して七難八苦を選んでください。それだけです。

質問者
 はい。

河上さん
 もうちょっといる?

質問者
 今までお話伺ったところが、神さまの。

河上さん
 真の神さまの弟子入りなんですよ。

質問者
 そういう事なんですね?

河上さん
 だからいつも言うようにね、言い訳すると、もう自分の都合優先してる。言い訳ってそうでしょ?自分が楽したいから言い訳するんよ。ね?言い訳する必要ないからね、しんどい目してたら。せやけど、「お前何そんなんしてんねん」と「いや、これはこうやったからこうしてます」っていうのはもうちょっと楽に入ってるやん。だから言い訳する心出たときは、「しまった」と思ったらいい。いつもいつも神さまのね、することが一番いいことだから、目の前に出てきた事項のよりしんどいことを喜んでしてたら良い。
 
 で、よりしんどいことを選べるためには何が必要かというと、して、出来た結果を気にしないことです。みんなね、結局何で楽したいかというと、結果気にするのね。だから結果を仕上げたいから、楽な方に行くわけよ。でも結果は出来なくてもいいからしんどい方に行くの。そしたら言い訳もしないし気にならない。でも結果気になるとね、そんな七難八苦の方行ったら「もうもう何もかも中途半端でどうにもならへんわ」って思っている心が自我なんですよ。結果をつかんで気にしてるね。それだけなんです。
 
 結果を掴んでどうこう言い出したら、それはもうマイナスの集団なんですよ。虚の世界の宗教世界、宗教団体がそうなんです。結果を掴ましてどうこう言うて、だから「お前はもっとお金持ってこなあかん」とかね、色々あります。「もっと奉仕せなあかん」とかね、言うて、ギブアンドテイクに引きずり込むんですけど、それは今までの虚の世界の宗教団体であって、ここは宗教団体はではないですから。どの普段のお仕事でも、あるいは村での奉仕作業のときでも結果は関係ないんだと、よりしんどいことをひたむきにするんだ、という心が大事なんですよ。それをそれができない雰囲気になってる村は、先生が「埋(うず)めてまえ」って言うから、「今度は埋めますわ」みたいなイヤイヤするんですけどね。

 ただ、この月2回の護摩でどんどん変わっていくと思うんで、大丈夫だと思ってますけどね。先生厳しいからね、もうあの、「来月でもせえ」みたいに言うからね。もう大変なんですよ。肉体を持たれなくなってからは凄い厳しいのね。うん、色々とこっちが交渉して引き伸ばしてます。はい。
 
質問者
 希望を持って護摩焚きに参加したいと思います。

河上さん
 お願いいたします。

質問者
 ありがとうございます

質問者
 いつもありがとうございます
 凄く個人的なことなんですけれども、私の母が去年の9月3日の護摩焚きの日に亡くなりました。病気のデパートみたいな、本当に病気ばかりしてたんですけれども、でもいつも笑ってるような人だったんですね。明るくて。うちで弟と2人で看取りました。最後の3ヶ月は膀胱がんになって、出血を続けながらだんだんだんだん弱って

河上さん
 痛みで苦しんだでしょ?

質問者:そうだったんです。はい。頭では印可書を唱えよう。神さまが一番良くしてくださってるんだってわかってるんですけれども、どうしてもそのときの最後の、とにかく一番最後の日がとにかく苦しんで、この辺が「痛い痛い」って言ってたんですけど私まさか、死んじゃうほどだとは思ってなかったもんですから、夜が明けたら先生呼んであげようと思って、我慢させながら、一晩過ごしてしまったんです。
 でも本当に苦しんで、夜明けに私がもうこれ以上自分でやってると、自分が倒れそうだと思って弟と変わってもらって、最後の30分ぐらい仮眠したときに、弟が呼吸がちょっと変だから可哀そうだけど、私のことを起こしたよと言って見に行って、そしたらもうあっという間に、でもそのときは何か今思い出すと・・苦しそうな・・
 
河上さん
 楽に死んだでしょ?

質問者
 はい。死に顔も凄く綺麗だったんですけれども、でも私はどうしても一晩苦しませてしまったことを思い出してしまう。
 
河上さん:いや、苦しんで消したんだから、それがなかったら良い死に顔にはならなかったです。

 うん。あのね、この世の苦しみはね、向こうの10億倍って言われるんですよ。この世で苦しんだら10億分の1で消えるからね、出来るだけこの世で苦しむ方がいいわけです。だから普段の元気な人でもね、「よりしんどい仕事を選べ」っていうのは、先生が七難八苦を選べっていうのはそういうことなんですよ。だから大丈夫。そんな心配しなくても一番いい形になっています。お医者様を呼んでね、モルヒネ打たなくて良かったと思います。

質問者
 そうですね。わかりました。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます
 
質問者
 いつもありがとうございます。毎日忙しく元気で働かせてもらっておりますけど、寝る前とかですね、何か自分だけ1人になったときにですね、ここが痛くなるんですよ。ずっきんずっきんとですね。ここを押さえて、ありがとうございますってずっと言ってると、収まったり、収まらなかったりするんですけど、なんだろうっていつも思っております。

河上さん
 原因を追究する必要はないですけど、食べ方、血糖値スパイク出してるから、その程度のときにちょっと修正されたら、いいです。センサー貼らなくても、ちょっと、ご飯、うどん、そば、パンは極力食べないように。というのは、天ぷらとかそんなんで十分糖質は歳とったら取れますのでね、わざわざご飯、パン、うどんそばの類、トウモロコシとか、さつまいもとかね、アイスクリームとか食べないように、若くはないんだから。それで治ります。

 心配だったらセンサー貼ってちょっと自分が何食べたらどんなに大変なことになるかって一度体験されると、食べるのが怖くなります。はい。

質問者
 ありがとうございます

質問者
 ありがとうございます 
 毎回、河上さんの勉強会を凄く楽しみにして来てたので、凄くなくなる…

河上さん
 終わったから言いますけど、あの勉強会は凄い大オマケだったんですよ。だから、勉強会に参加してるだけで本当に大難は小難に、小難は無難になってたんだけど、それでも勉強会に参加しててもね、こんなことが起こったって文句言う状態だから、先生の方もそろそろもうええんちゃうかというのもあって、護摩と重なって中止になりました。
 
質問者
 質問というか勉強もそうですけど、河上さんとかみどりさんとかみんなで一緒にお祈りする時間がとても私は…

河上さん:
 だからあれが大オマケですよ。あの時にみんなもっと真剣にお祈りしてくれたら、あれだけで悟れるんだけど、そのときは言えないからね、下手に言うとギブアンドテイクなるから、至福のときだったと思ってください。

質問者
 もうそういったみんなでお祈りするとかいう場はもう?

河上さん
 そんなんしなくてももうみんな十分ね「印可書」も奉読されて、もうできる状態まで来てるんですよ。実際既に悟った方がもう沢山出てるんだけど、さっき言ったように、ちょっとわざと閉じてきてるだけでね、もうそんなんいらないです。月二回の護摩になりましたから、護摩の時はできるだけ前に出て、あの「印可書」奉読をされたら、凄い霊の洗礼となってあっという間ですから、大丈夫。
 
質問者
 ありがとうございます

河上さん
 今までは「印可書」奉読がおぼつかないから、おまけであれをしただけです。
 ありがとうございます
 
司会者
 他にございますか?
 
質問者
 ありがとうございます
 勉強会のことなんですけど、3週目と4週目の勉強会で有名な方とか、政治家さんとかが勉強されとんで、最近なんですかね、政府の方からハザードマップ、地震が起こるとこういう想定してとかいうはずのハザードマップが出たんですけど、実は全部わかってるけど、発表したら混乱するから、発表してないだけなんですかね。
 
河上さん
 例えば、今、富士山で5人ぐらい亡くなってるじゃないですか?あれは火山ガスで死んだということは、分かってるんですけども、その証拠がない。国としては公的機関としては具体的な証拠がない限りは、言いようがないよね。
 
 例えば迂闊に発表するじゃないですか、昔ありましたけど、O―157がね、かいわれ大根のせいだっていう馬鹿な大臣がいましたけども、それによってかいわれ大根の業者が大打撃を受けて、証拠もないのに。実際は、かいわれ大根のせいではなかったのにね、それぐらいその具体的なちゃんとした証拠ない限り公的機関というか、国は言えないですから、それだけです。

 らしき事は学者は言いますけど、それは証拠がないから言えないです。で、明らかに学者さんがね、もう次はここで地震が起こるというのがあってもですね、この護摩でどんどん止めるから、学者さんが混乱してるのは事実ですので、(東京の)勉強会でちょっと学者さんと打ち合わせしてるときがあります。そのときに・・・・

「そっちが護摩で止めるから私らがやりにくくて、かなん」みたいなね。「いや、止まるからええやないか」みたいな話をするぐらい、ここの護摩が本当は凄い役立っています。だからそういう形です。

 どうぞ、もう出来るだけね、この月2回の護摩で旅費ですか、ここへ来るための色んな費用に苦労のない方はね、ぜひ2回来て、この前へ出て、真祈りしてください。
 もうそれが本当に地球のため、人類のためにどんだけ役立ってるか、計り知れないものがあります。その第3第4の日曜日の勉強会に参加したいという方がいらっしゃるんですけども、一般の方は参加できません。だってそれくらい有名な方とか政治家ですから、それこそ大騒ぎになります、一般の方が来たら、みんな口軽いからね。たとえば、ビル・ゲイツ来てたって言ったら大騒ぎなるくらい、言えませんし、参加できません。どこでやってるかも言えません。
 
質問者
 ありがとうございます。

質問者
 ありがとうございます
 かつてですね、河上さんの方から家の方で真祈りの会をしてもいいということでさせて頂いてまして、その時に紙の短冊みたいな形でありがとうございますって書いて、それは家庭ゴミに出せば良いということだったんですけど、なんかちょっとゴミに捨てるのが勿体なかったりとか、あと枚数数えたりとかした方が良いのかなとか、どうしたものかなって思うところがあるんですけど、もう一度確認させていただいてよろしいでしょうか?

河上さん
 枚数は確認しなくていいです。ほんでどうしても燃やしたかったら燃やしていただいていいですけども、それで火事になったらシャレにならんからね。どうしてもゴミで捨てるのが嫌だったら、今、シュレッダー安いでしょ?あれ買ってきてシュレッダーに入れる形の護摩にしてください。それで大丈夫です。はい。
 
質問者
 シュレッダーの方がより効果的っていうのは?
 
河上さん
 そうです、そうです。それは入れ子構造的に増えるんですから。そうでしょう?1枚が何枚になります?あれ。数えたことないけど、はい。
 
司会者
 次の方お願いします。些細なことなんですけど、勉強会で聞こうと思って、もう勉強会なくなったんで、この場で聞きますけど。イエスさんの奇跡のお話で、よく8個のパンを3333個、そろそろ3333が頭にこびりついて、なぜ3000個じゃなしに…
 
河上さん
 3というのは三大根本神力の象徴なんですよ。入れ子構造的にどんどん細分化されて3333。それだけなんですけど、はい。だからスリーというラッキーナンバーみたいにね、無意識にみんな思えるくらい、三大根本神力の3というのは凄い。だから太陽の事も英語でsun(サン)って言って、日本語の3に通じるのはそういう意味です。太陽が神さまの象徴であり、三大根本神力の象徴ですので、英語でsunって言うんですね。昔は言葉が人類共通でしたから、そういう部分で重なった響きがあります。
 
司会者
 それで3000個ではなしに、入れ子構造的な表現だから?

河上さん
 はい。実際は分けてもらったパンはみんな小さいカケラなんですよ。カケラなんだけども、そのカケラを食べるだけで、大きいパンを一つ食べただけの元気がみんな出たわけです。
 
 奇跡ってそういうものなんですよ。だからこれから、いつも言いましたけどね、食糧危機がもし来てもね、今皆さん、3食食べてるじゃないですか?それを本当に1食で本当に本当は平気なんですよ。3食食べ過ぎてんのね。それが分かります。でも真祈りしてないと、「こんなパン1個で1日やってられるか」って文句言うのね。文句言うたら全てパー。元の木阿弥に戻ります。
 
 玉手箱ってあるじゃないすか。竜宮城で幸せ一杯に過ごしてきてね、その玉手箱っていうのは、あの霊的には、手で箱を作る、これが玉手箱なんですね。(左手の手の平を上に向け、その上に右手を重ねる。円盤状になる《おむすびを作る時の手の形》)

 ここに無限の無限の輝きが一杯って入ってるわけですよ。それを喜んで信じてたらいいのに、昔を掴んでね、竜宮城は良かったなと思って、わざわざ開けるわけです。開けたときに、昔を掴んでなかったら、今がここが一番良くなってるってわかるから、喜べるだけなんですけど、昔を掴んで、「竜宮城にいてたときは良かったな」って昔掴んでる心で、この玉手箱を開けると、「何や、何もないわ」って言うて元の木阿弥の思いの世界に戻っちゃうわけ。
 
 言うくらいね、真(まこと)の神さまが1番良いようにしてるという絶対の信がいるのね。そのためには、楽したいという気持ちがあるうちは駄目だということです。ですからちょっとでも楽したいなと思ったら、まだまだ自分があるなと思って、「印可書」奉読に戻るなり、「宇宙神ありがとうございます」を祈ってですね、よりしんどい仕事に向かおうと、してください。

 例えば、わざわざ、超高層ビルでね、歩いて階段を登らなくてはいいですけども、4階5階とか6階ぐらい迄だったら、時間がある限りはエレベーターに乗らずに階段登ってください。そういうことです。より苦労を選ぶというのは、はい。
 
質問者
 ありがとうございます。
 
質問者
 いつもありがとうございます。
 もう何かお話を聞きながらですね、左足のかかとが痛いのはきっと血糖値のせいだなとか、もう最初から思っていたんですけど、実はこれが痛くなったのが6月23日なんですね。
6月23日は、沖縄の久高島でお祈りをしてたんですよ。大体10時に着いてすぐレンタル自転車で…

河上さん
 ちょっと座って。(質問者のかかとの辺りを指圧される)
 
質問者 
 痛たた、痛たた!

河上さん
 辛抱、辛抱です。
 
質問者 
 痛たた!

河上さん
 はい、治ったよ。

質問者
 えっ!私、お祈りが足りないから足が痛くなったんだと思ってたんですね。
 
河上さん
 だからお祈りが足りないとかね、そういうマイナスの思い方は駄目なんです。

質問者
 ああ、そうですか?

河上さん
 いつも言うように、神さまが一番良いしてるって喜んでお祈りしてたらいい。お祈りが足りないということは、お祈りするから治してくれやっていうのが入ってるんです。

質問者
 ああ、そうですね。

河上さん
 それはもう駄目。
 
質問者
 縋り心ですよね。わかりました。ありがとうございます
 
司会者
 他に質問ある方おられましたらどうぞ。
 さっきの3333個が入れ子構造、3大根本神力のそういう働きだということなんですけど、最初護摩を一番最初に始められたとき、松下先生の息子さんが、金ダライでお風呂されてた?

河上さん
 いやいや、息子さんがじゃなくて、最初の護摩は護摩木も少ないし、ちょっとやってみようかということでね、護摩壇を作る、みんなが護摩に対しての認識がないから護摩壇を作りましょうというのもなくて、先生があの金ダライを護摩壇としてお使いになられたということです。そのスタートの記念としてですね、その金ダライを写真に撮られたんで、その時にはヒロシくんの使った金ダライというのはね、みんなには言ってなかったんですよ。僕、後で先生に写真を見せられてね、「これヒロシ君の金ダライですやんか」って言ったら「そうやそうや」とかいう感じで、要するに形にはとらわれない。
 
 形じゃなくて、祈りを込めるということが大事なの。どんなものでも、例えば極端に言うと、おまるを持ってきてね、祈りを込めたらそれはそのまま護摩壇になるわけです。それを一番最初護摩のときに先生が示されたわけですね。何事においてもまず祈り。で、言霊を込める。

 今だったら、自信無かったら「印可書」を込めればいいし、自信があれば、「宇宙神ありがとうございます」を込めればね、全てはうまくいくわけです。

質問者:わかりました。ありがとうございます
 会場から以上です。
 
河上さん
 はい。終わりますよ。ともかく楽を選ぶ心が出たときはね、しまったと思って「印可書」に戻るなり、「宇宙神ありがとうございます」に戻ってより苦労を選んでください。それが喜んで選べるようになったら、もう本物です。ほぼ悟りの第一歩に入っていますから、ぜひこの1ヶ月、それで試していただいて、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます。
 
司会:河上さん、改めましてありがとうございます
 本日の護摩はこれにて終了させていただきます。
 宇宙神ありがとうございます


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七月護摩 by 河上彰延 [Mail] 2024年07月15日(月) 14時50分
PC


7月7日護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます


 令和6年7月7日護摩焚きで、皆さんからのたくさんの質問に河上さんがお答えしてくださいました。
ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます。それでは、河上さん、質問お願いします。

質問1
 以前、勉強会で護摩を続ける限りは村を閉じませんとお聞きしましたが、真(まこと)の神さまを選べなかった場合、護摩続けるに関係なく閉じることはありますか?

河上さん
 はい、またお会いできて嬉しく思います。村を閉じるということは、護摩も終わります。それだけ。はい。それだけ。次の質問。

質問2
 ありがとうございます 勉強会はいつ行いますか?

河上さん
 終わりましたので言いますけども、勉強会は、すごい大おまけだったんですけども、終わりにしていいということなんで終わりました。再開することはありません。第3、第4の日曜日があるじゃないかという、思われておられますけども、そうですね。先生が沈黙に入られた頃から、「印可書」を最初に出された年ですから2014年ですね。その時に先生から「勉強会を始めろ」ということで、大阪の河内長野の三日市というところと、東京のあるホテルで始めました。それが、第1の三日市の勉強会は土曜日だったんですけども、東京が第3、第4で、ずっと続いています。第3、第4は、そっちに行くので、埋まっていますので。第1、第2を護摩にしましたから、どっちにしても開催する時間もありません。はい。

質問3
 ありがとうございます 2週目の護摩焚きの後も河上さんのお話をしてくださるのですか?

河上さん
 もちろんします。はい。だから、もうちょっとね、護摩の時は、何て言うんですか、真面目な質問っていうたら表現悪いですけど、ちょっとこう、肩肘張った質問が多いと思うんですよ。勉強会の時は、ちょっといろんな細かいことを聞かれることがあると思うんですね。第2の護摩の時に、ちょっとその勉強会の延長みたいな感じでお聞きになられたらいいと思います。はい。

質問4
 いつも、ありがとうございます 河上さんが教えてくださいました「膝上げ」をしています。調子がいいです。本当にありがとうございます 少し前の話になるのですが、4月の護摩をお休みしました。理由は、護摩の前日から急に腰が痛くなり歩けなくなってしまったからです。腰痛になったことにより、私は大切な護摩に行けなくなったことが大変ショックでした。整形外科で見てもらうと「すべり症」と言われました。今は何とか大丈夫です。しゃがんだり、腰を曲げる時は慎重にしています。何かいい体操がありましたら教えてください。よろしくお願いいたします。

河上さん
 はい。腰痛ですけど、腰痛のような無理な時は、無理して護摩に来られなくても、お家でお祈りしていただいたら大丈夫です。腰痛ですけど、本当に腰の痛い時は、体があんまり動かせないんですよね。その時は、足の指をグッ、パーしてください。それでまず、全身の血流が良くなります。ある程度動かせれるようになればですね。ホームセンターなんか行くと、スポーツ関連のところで売っていますけども、直径10cmぐらいですか、長さ30cmから40cmぐらいのラバーを巻いたパイプが売ってますから、それを腰に、おへその下に当てて反らしてください。腰痛の主な原因はいろいろありますけども、この前の筋肉が固まってるんですね。前の筋肉が固まると、いわゆるクッション性がなくなって、もろに腰に負担くるんですよ。

 意外とここの筋肉っていうのは、何て言うんですか、痛んで固まっても痛みを感じない。自分では自覚症状が出ないんですよ。今のそのパイプに乗ってそらすことによって前の筋、筋肉が伸びるじゃないですか、その時にわかります。ここが駄目だったんだなっていうのが。それをその最初はコンマ1秒でもいいからする。 痛いからね。無理せずに腰が反らなくても、ちょっとやって伸びたらやめるぐらいでいいですから、頑張って、ちょっとずつ伸ばしてしていただくと、前の筋肉が柔らかくなって、クッションができます。できると腰の負担が減るから、あっという間に治ってきます。

 医学的には「すべり症」というのは、前の筋肉がカチカチなんで、くの字に体が曲がってるわけですね。くの字に曲がると頭が重いですから、その前向いて、背骨が滑るいうことで、「すべり症」って、結果を見て症状はつきますけども。だからどうするんかというと、お医者さんはあんまり具体的に教えてくれないのね。その原因がはっきりその人によって違うからですけど、今見たらあなたは、その方の場合は前の筋肉がカチカチなので、ある程度そらして伸ばせるようになったら、そのブルブルブルとするバイブレーターで、その前のカチカチのとこを当てていただく。あとお尻の筋肉がカチカチなんで、お尻もその折を見て当てていただくという形で治ってくると思います。

質問5
 ありがとうございます 飼い猫が扁平上皮がんという口のがんになりました。河上さん家の(猫の)タンゴと同じように私を助けてくれているように感じるので、「助けてくれてありがとう」といつもお礼を伝えていますが、私は何をしてあげられません。口が曲がり唾液を飲み込めず呼吸ができない苦しみ、がんの痛みから悲痛な声をあげています。もっと過酷な状況になったら安楽死して楽にしてあげたいと思いますが、猫ちゃんが何を願っているのかわかりません。私はどうすれば良いか教えてください。

河上さん
 身代わりになっているのは間違いないです。それで、安楽死させてもさせなくてもいいです。お家で飼っておられてね、少々猫が泣き叫んでも近所が迷惑にならないんだったら、泣き叫ぶごとにお祈りしてあげられるんだったら安楽死させなくても大丈夫です。でも、あんまり苦しんでるのを見て自分の心が痛むようでは逆効果ですので、せっかく身代わりになってくれる意味がないので、お医者様に連れて行って安楽死させてあげても、どちらでも大丈夫です。ただ、猫さんの方は出来るだけ最後まで生きたいと思ってますけど、飼ってる方が心がもたなかったら身代わりになってる意味がないから。そこはお祈りしながら判断してください。

質問6
 ありがとうございます 私には不思議な力はありません。不思議な力を欲しいとも思いません。でも過去の体験のあれは何だったのかとお尋ねします。河上さんの勉強会の話をダウンロードし、ウォークマンで一日中リピート再生し、約1ヶ月半くらい聞き続け、護摩木を1500枚ぐらい書きました。今は頑張れていません「ごめんなさい」。そしたらある日、うたた寝していた自分の中に音のない大きな声が雷のように鳴り響き、びっくりして飛び起きました。その音のない声は、私には「宇宙神ありがとうございます」と聞こえましたが、「アーメン」や「南無阿弥陀仏」でもあると感じました。私の体の中にはいつも、「宇宙神ありがとうございます」が鳴り響いているのでしょうか?

河上さん
 その通りです。みんな、真(まこと)の本心の自分を知ってるんで すよ。その自覚する度合いは人それぞれあると思ってください。100%自覚できたら悟りの第一歩です。悟りの第一歩であってまだまだですけど、それでもとりあえず第一歩に入れたということですね。それで、「宇宙神ありがとうございます」の中には全てが含まれてますので、その方が感じられた通りでいいと思います。なんて言うんですか、向こうの世界の人はね、肉体を持ってる人が「印可書」を奉読してくれないと、「宇宙神ありがとうございます」って祈ってくれないと向こうは動けないんですよ。堪(たま)りかねて、そうして起こされたんだと思います。ありがとうございます

質問7
 ありがとうございます YouTubeで神様が見える子どもが手で十字を切る仕草をし、「中心が『ありがとう』なんだ。」と言っていました。なぜそんなことがわかるのかと不思議でした。なぜ十字の交点が「ありがとう」なのでしょうか?

河上さん
 まず、子供の時は色んな自分の持ってるマイナスを、積んできたマイナスですね。それを棚上げさせてもらってるわけですよ。だから、オギャーと赤ちゃんが生まれてきた時に、誰が見てもですね、「まあ、赤ちゃん!輝いているようですごい!かわいい!」って言うじゃないですか。それは一番全部棚上げしてもらってるわけですよ。それで、ちょっとずつ歳をとるごとにですね、棚上げしているものを戻してくるんですね。それで3歳ぐらいになると大体、主なものは戻ってくるんで、それで「三つ子の魂百まで」っていいます。ただ、全部戻ってきてないから色んなことがわかるわけですよ。

 向こうの天使の方ですね。天使の方が、どなたにもですけど守護霊さまという形で、守護神さまという形で付き添ってくださるわけです。そのお姿が見えたということです。それで、十字を切った中心が「ありがとうございます」というのはなぜかって言いますと、「ありがとうございます」というのは、真(まこと)の神さまそのもの、要するに真(まこと)の本心そのもの、真(まこと)の実在そのものなわけです。

 十字の意味は、時間と空間なんですよ。横が時間、縦が空間、どっちでもいいんですけど、時間と空間を十字で表します。時間と空間の頂点というところが、時間と空間を超えた世界、真(まこと)の世界になるわけです。だから、中心が「ありがとうございます」だと言われたわけですね。正八面体というのは、それが展開している形だと思っていただいたらいいです。

質問8
 ありがとうございます 松下先生が、ご健在の頃、自分がマイナスでいっぱいになり、心が苦しくてどうにもならなくて、先生に泣き言を言いましたが、先生がお祈りしてくださって、「もう何もないやろ?」と言われました。一瞬で雨が止み黒雲が消えるような体験がありながらも、私は何の恩返しもしていませんし真剣に祈ることもできません。それでも、いつも誰かが何かを伝え、問題が回避されていることに気付きます。誰が助けてくださっているのでしょうか?

河上さん
 先生に苦しいとお願いして助けていただいた。それは、もう大おまけをいただいたわけですね。大おまけをいただくとすっきりして、いわゆる悟った状態になるわけですよ。だから、すごい幸せな気持ちになるしね。

 この中の方でも、あるいは村人でも、先生から「悟ったよ。」って言われて、その大おまけをいただいた方がたくさんいらっしゃるんですけども。そこから後がですね、みんなまだやりたいことをし残してるんで、やりたいことに意識を持っていっちゃうわけです。

 本当は無色透明になった時に、真(まこと)の神さまだけに意識を持ち続けたら、一瞬でワッと深く入れるんですけど、やり残してることがあるからね。「あの美味しいカレーを食べたかった。」とか色々あるわけですよ。それに行っちゃうわけ。行くと、自分で自由に心をコントロールできない状態ですから、一遍そのやりたいことに戻っちゃうと、もう抜けれなくなる。輪廻転生の輪に落ちるっていうんですけども。今おっしゃった状態になるわけですよ。

 そうなっても、なんとか神さまは、もうちょっと、もうちょっととしてね、絶対の愛ですからしてくださってる状態です。それにいつまでも甘えるのではなくて、こちらも神さまのお手伝いをしたいと思うとね、その掴んで巻き込まれてる状態から出れるんですよ。

 そうでしょう?自分が神さま以外のことをしたいと思って行ってるから逃げれないの。自分で決めてるのね。神さま以外の要するに「美味しいカレーを食べたい。」という神さま以外のことをしたいって自分で掴みに行ったでしょう?行った以上は、もうどうしようもないんですよ。離したいと思う気持ちがあるから、そのカレーを食べて自分を責めてね、その美味しいカレーを楽しみ切れない、無意識に。本人は楽しんでるつもりでも、無意識に楽しみ切れないで、いつまでも抜けれないんです。

 だからまず、美味しいカレーを食べる時に神さまと共に食べると思って、楽しみ切ってください。カレーを食べる時は周りに迷惑かからないからいいでしょう?でも、周りに迷惑がかかりそうなことは、出来るだけかからない範囲に限定して楽しんでください。色んなこと、不倫とかあると思いますけども。

 それで、そうしておいて、あとは神さまのお手伝いをしたいと願えば自分がやりたいことが神さまのお手伝いに変わるじゃないですか。その時に神さまと響きが合うわけですよ。その一瞬の隙を狙って、神さまの方が光を通してきて変わっていきます。それで、「神さまのお手伝いをするように」って先生はずっとおっしゃったんですけど。

 具体的に先生にね、「じゃあ、神さまのお手伝いするって、どうしたらいいんですか?」って聞きに行った人が一人もいないの。ここが問題なんですけど、もう済んだことで。これからどうするかを言います。それで、先生にお願いして寿命を7年も縮めて、「印可書」を作って頂いたわけです。「印可書」さえ読めば、神さまのお手伝いになるよというふうに決めて頂いたわけです。それを、「神さまとの約束事だから」と先生がおっしゃるわけですね。

 それについての色んな説明は「印可書」の、初めて出た「印可書」に説明は一杯ついていますし、何よりも「印可書」の冒頭に「真祈りの全体像全体図とは」と注釈もつけて頂いてですね。真祈りして…あの、昔は真祈りしたら神さまのお手伝いだったわけですよ。その真祈りの仕方がわからない。呼吸に乗せてくれと言っても真剣に乗せれない。とまあ色々ありまして「印可書」を作っていただいたんだけどね。今は「印可書」さえ奉読したら、神さまのお手伝いになるからというふうにしてますので。

 ギブアンドテイクで、「印可書奉読してるから助けてくれや」とか、「印可書を奉読してるから悟らせろよ。」とか、「印可書」奉読してるから…で色々ありますけど、願いを乗せるようでは意味がないわけです。それはどういうことかというと、神さまに命令してるでしょう?

 だから神さまより自分の方が偉くなってるじゃないですか。それでは偉い方がやってくださいって神さまは遠慮してくださるのね。そうじゃなくて、只々、全知全能の絶対の愛である神さまのお手伝いしたいだけでいいんですよ。

 全知全能の絶対の愛の愛深い神さまがいいようにしかしないの、本当は。でも、自分の都合にとったら良くないことばっかりよ。例えば美味しいカレー食べたいけど神さまにとっては、それは大きな愛の働きとは違うからどうでもいいことです、みたいな感じです。

 どれもこれも神さまのお手伝いをしたいというふうに心を変えていけば、一気に変わる事ばっかりで。真祈りの本当の意味が自覚できます。

 その本当の真祈りが自覚できると全てに同時に存在している自分を実観できます。

 それどういう意味?全て同時に存在するというのは、どういう意味かと言ったら「光」ということです。この世的に言うと神さま、この「光」は神さまのお姿そのものなんですけども。「光」って全てに同時に存在するでしょう?その感覚が実観としてわかります。そうなると、悟りの第一歩です。

 まだ第一歩ですよ。そこからどんどん深くなります。まず、そこに到達しなくちゃいけない。そのためにも「印可書」奉読していただくといいわけです。その何よりも、この地上、地球この世界が今、大変なわけね。亡くなられた方は大変さが良くわかってるんで。神さまのお手伝いしたいから「印可書」を奉読したいんだけども、肉体という楽器がないから演奏出来ないわけです。

 だから、この地上にいらっしゃる皆さんの肉体という楽器を、「印可書」を響かせてください。そうしたら、全てにおいて大きな神さまのお手伝いなって変われます。ありがとうございます

司会者
 お預かりした質問は以上です。会場の方でご質問ある方いらっしゃいますでしょうか?(会場からの質問はありませんでした。)では、河上さん、お願いします。

河上さん
 ありがとうございます また今月お会いできて嬉しく思います。

 護摩。大おまけ終わったから言いますけど、大おまけの勉強会が終わりましたけども、月2回の護摩になりましたので、その、月1回だと、どうしても都合つかない時があるじゃないですか。それを2回になれば、どっちかには必ず出席できますから、必ずどちらかには出席するように頑張ってください。もちろん、2回とも出席されるのは理想ではありますけども、遠距離の方、色々旅費かかるので月2回というのは無理があると思うんですよ。だから、遠距離の方はどちらかに参加すると。近場の方は、来ようと思ったら来れるんだから、ぜひ月2回来てください。

 もうあと、本当に来年の8月の初めまでが本当の勝負です。そこを乗り越えないと、飛行機って普通に飛行しててですね、ちょっと調子悪くなって傾き出してから、いざ墜落したら、あっという間でしょう。そういう感じで、この世の出来事というのは、「いや、そんなに回り変わってないじゃない。」、「ちょっとウクライナで紛争してるだけじゃない」みたいな感じから、うわってなる時は、あっという間なんですよ。だから、そうなるとこに今、来ちゃったんでね、ぜひ月2回の護摩にして、できるだけ参加して、遠距離の方は本当無理しなくていいですよ。それ無理して、お金が余裕あっても遠距離から来るというのは、いろんな意味で大変ですから、無理して事故があってもダメなので、遠距離の方はいいですけども、近場の方は 、ぜひ2回来てください。

 そして、いわゆるギブアンドテイクの心を捨てて、自分の都合ですけど、ギブアンドテイクというのは、自分の都合ですけども、自分の心を横に置いといて、あっていいんですよ。あっていいけど、横に置いといて、ただただ、神さまに印可書を奉納するという気持ちでね。「印可書」がどうしても嫌な人は、「宇宙神ありがとうございます」を奉納するということで来てください。

 「宇宙神ありがとうございます」を度々説明していますけども、呼吸法を乗せないと効果を発揮しにくいんですよ。それで、その呼吸法に持っていきたいんで、先生亡くなられた時の最初の護摩の時にですね。「呼吸に乗せましょうね」って言ったんだけど、みんな真剣に乗せないのね。それで、うまくできないから止めちゃったの。本当は、その次の二回目の護摩の時にですね。「河上さん、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せてくれ言うけど、乗せ切られないし、途切れるし、できないわ」っていう質問が欲しかったんですけど、なかったので、「宇宙神ありがとうございます」はちょっと諦めて、「印可書」に徐々に変えさせてもらいました。でも、「宇宙神ありがとうございます」がダメではないのは、わかっててください。

 ぜひ「印可書」も奉読していただきますけども、「宇宙神ありがとうございます」も奉読してください。ただ、呼吸法を色々説明してますのでね、いろいろと乗せてみてください。それで、「どうしても乗せられなくて、こういう時に途切れるんです。」とかいうのをどんどん質問してください。呼吸法をまず伝授しないと進まないんですよ。

 もう何で呼吸かと言ったら、もう呼吸が、前も説明しましたけど、虫さんの呼吸も、猫さんの呼吸も、馬さんの呼吸も、そして人間の呼吸も、そして天地大地の地球の呼吸も、本当は一つなんです。だから、呼吸が真祈りそのもの、悟りそのものなんです。

 だから、「みんな既に悟ってる、祈ってる、救われてる」と先生はおっしゃったんですけどね。それで、その証拠として寝てる時、息するなんて意識してないじゃないですか。でも、してるでしょう。だから悟ってるんです。でも、「呼吸が悟りじゃない」って、もう強くみんな思い込んでるからね。そこをうまく繋がなくちゃいけないので。

 呼吸が悟りそのものって、真祈りそのものってわかったら最強なんですよ。だって、呼吸しないと息できないもの。呼吸だけが唯一、本心の自分として無意識にする状態と我の自分の意識して呼吸しよう。早く吐く人とかあるじゃないですか。意識して呼吸するところと繋げれる場所なんですよ。だから、我の自分、自分が正しいと思ってる、我の自分の意識で呼吸を整えようとすると、自然に本心の自分の呼吸と重なって、我の自分の呼吸が消えるんで、いろいろと言ってます。

 最初はどうしても「私、鼻から吸えないです。」というご質問があったんですけども、鼻から吸おうと思わなくていいです、最初は。口から早く吸って、それでゆっくり吐くんだと、それだけをまず意識してみてください。そのうちに鼻からも吸えるようになりますから。いろんな方法を工夫して、ともかく吐くとこはできるだけゆっくり吐くんだというだけを思ってってください。状況によったら、漏れるように吐けるようになってきます。

 それで、漏れるように吐けるようになってくると、鼻で自在に吸えるようになってきますから。その辺は人によって、すぐ上手くできる人と、なかなかできない人と色々ありますけども、その、人のことは関係ないと思ってください。あの、人のことを気にしてるというのは何かというと、「自分が偉い」、「自分が正しい」と勘違いしてる。だから、本当は、人が十回して、ものになることだったら、自分は百回しなくちゃいけないって、まず諦めることです。人が百回練習してうまくいくことは、自分は千回して練習しないとうまくいけないと思うことなんですよ。

 これ大谷選手が小さい時にそれを教わって実践されてることなんですね。そういう、それは何かって言ったら回数じゃないですよ。回数じゃなくて、「自分ができるという意識を消す方法」なんです。自分は偉いから、自分は正しいから、人より短い期間でやれるはずだって、みんな無意識に思ってるのね。思ってるから、人が先できちゃうと焦るの。焦って急に自分ではダメだって嫌になって止めちゃうの。もうそれが全てです。

 だから、人ができるできないは関係ない。自分がただ、神さまのお手伝いして真祈りしようとするだけって思っていただくと。今の呼吸法でもね、先に、みんなが「呼吸法出来てきて楽になったわ」って言ってても気にならなくなります。

 呼吸法がうまくできない人というのは、それだけたくさん縁者の思いを背負ってるからです。要するに、いろんな人の呼吸が重なって、それを一つにまとめるのに大変なわけです。それだけです。逆に言うと、それだけ魂の大きい人だと安心してやってください。失敗してもいいから、ひたすらゆっくり吐くように、ゆっくり吐くようにしてみてください。そうしてるうちに鼻から吸う方が楽なのが、わかってきます。全然、ゆっくり吐いて、息止まったら慌てて口からって吸ってると大変じゃないですか。その口から吸うのがしんどいから何となく鼻で自在に吸えるようになってきますから。必ずなるからね。

 諦めずに人が百回したら、自分は千回するんだって思って、人の十倍するんだと思って、先生が人の十倍働きなさいという真意はここにあったんですけど、みんな現実に十倍働かなきゃいけないみたいな勘違いしてですね。色々ありましたけども。

 要は、自分は偉いというその自分の意識消すために人よりも十倍やるんだと思っててください。そしたら、別に呼吸法に限らず、何事においてもできます。例えば、本を読むのに速読できないとなかなか役立たないんですよ。本を読むのに時間がかかってたらね。それで、速読どうするのかっていうと、本当はね、1ページ、2ページ、3ページって、2ページ、3ページ、4ページって読んだら、1ページ、2ページ、3ページと読んで、またというふうに、順番に1ページずつ前進むけども、2つ後ろに下がると(2歩進んで1歩さがる)、必ずそうしていくんだと読んでいくと、自然に速読できるんですよ。それくらいね、その、人間の能力って、無限の力があるんだけど、まず、自分の意識で、「自分はできないんだ」って諦めちゃうの。諦めたら、もう何も始まらないです。

 何で、その、諦めたらダメなのかというと、例えば動物。牛さんは草を食べる。うさぎさんはにんじん食べても、動物というのは、食べて生きることだけが仕事なんです。それだけで天命を全うしてるわけです。

 人間はそうじゃないんです。食べて生きるだけだったら、動物と一緒で人間としての姿を持ってくる必要はないんです。人間は、神さまと同じに作ってあるの。ただ、いろんな制限を付けた肉体を作って、要するにスポーツカーもあったら、トラックもあったら、三輪車もあったらという感じですよ。皆さんの肉体の癖というか能力はね。それぞれの乗り物を乗りこなすために来てるわけです。だから、肉体という乗り物は、「おやつ食べたい」「お酒飲みたい」「タバコ飲みたい」あの、色々ありますよね。「男欲しい」「女欲しい」「お金が欲しい」、「権力欲しい」色々ありますけど、だけに走るんですよ、動物的に。それを乗り手が、いかにうまく制御して鍛え上げていくかなんです。その鍛える過程を楽しんでるんですよ。

 そして、神さまと同じ働きとして作られていますから、人間は、一瞬一瞬新たに新しいものを作る必要があるんです。じゃあ新しいもの作るって、「そんなん私は無理だ」じゃないんですよ。新しいものを作るとは何かというと、例えば、お掃除する時にいつも綺麗にして小奇麗にしてるということは、新しくなったでしょう、同じお部屋でもね。そういう一つ一つのことを焦らずにやっていくことが、人間の仕事なんです。そういう仕事をできる人は、食べるものも住むとこも自然に安堵(あんど)されていくんですよ。そこを勘違いしてですね、怠ける人が出てくるわけです。

 その怠ける人というのは、何で怠ける人ができるかというと、簡単なんですよ。そのマイナスの言葉を選び過ぎると怠ける自分になるんです。一番簡単には、「あいつサボってる」「あいつ仕事せえへん」「あいつ怠けてる」って 思うと自分が動けなくなる。だから、会社の上司ってね、優秀やから上司になるんですよ、大体。アホな人は上司にもってこないからね。ところが上司の立場に立つと、「あいつ仕事しとれへんな」「あいつ営業できへんな」とかあるじゃないですか。マイナスにバーッといっぱい思い出すんですよ。

 それを(そのマイナスを)背負って、「なんやあの課長は」って今度は言われるような課長になっていくのね、例えばね。それぐらいマイナスの言葉を選び過ぎてるわけ。じゃあどうするのかと言ったら、真(まこと)のプラスの言葉を選び続けたらいいわけです。

 そのために、本心の16項目というのを出されたわけですけども、なかなかみんな実践しきれないので、もう全部を凝縮して完璧なものということで「印可書」を作ってもらってます。

 だから、「印可書」を奉読すれば、真(まこと)のプラスの言葉を選んでるので、自在に体が動くようになっていきます。もし、何をするにしてもだるいな、しんどいなと思ってる時は、まだまだ人を責めるマイナスの言葉をあるいは世の中を責める(じぶんがある)。

 自分が正しいって世の中責めるというのは、人を責めるのは、自分が正しいと思ってるからよ。その自分が正しいという自分を消すしかないんだけど、その自分が正しいって思うのは、マイナス言葉を選び過ぎたから。だから、プラスの、真(まこと)のプラスの言葉を選び直したらいいだけ。だから、「印可書」を奉読してたら自然に、楽に、自在になりますから、ぜひね、「印可書」を奉読されて、あるいは呼吸法で「宇宙船ありがとうございます」って祈り切ってみてください。そうすれば、この一週間だけでも大きく変わりますから、試してみてください。

 ちょっと、ここまでで質問があったらしてください。無いようなので、はい。そんなんで、本当に来年の8月までが勝負です。そこまでに、どんどん護摩を成功させて、参加する人数は関係ないです。みんなの心の響きで大きく地上を変えれますのでね。ぜひ参加できる人は参加していただいて、月二回に増えましたので、おうちにおられる方は、おうちで護摩の時間にお祈りし続けてください。ありがとうございます

 また来週お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/knRTb3r1wPs
 
 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2024/07/11(Thu) 13:18 No.3435


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