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令和8年8月10日前半 by 河上彰延 [Mail] 2026年08月16日(日) 18時30分
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令和8年8月10日夜の勉強会河上さんのお話しー1前半

その真祈りっていうのが何かっていうのがわからぬままね、先生、逝かれてしまい、あと、みんな右往左往するだけで大変なわけだったけれども。謙虚なふりして傲慢な人は、私は真祈りなんか出来ないから、先生のようにはお祈り出来ないし、神さんのお手伝いなんかとても出来ないわって言うし。逆に自尊心の強い人、虚栄心の強い人は私は真祈り出来る、或いは私は悟ったのみたいな。私のついたら真祈りでないのね。私がついたら真祈り違うんだけど、まあ、そういうのも分らんまま、先生に質問もしないまま、先生に甘えて頼ってたらね、分らんままで来てしまう。

 先生がね、凄い熱出されたりね、血の涙を出されたり、大変な時にね、ちょっとでもお手伝いしたいと思う人が何人いたかみたいな感じやね。で、一番の問題は、真祈りというのは、自分が出来ないというのが分かれへん。自分では真祈りできん。真祈りというのは、真(まこと)の神さまがされるだけやね、分かる?

 だから、自分をなくさないと、真祈りになれへん。で、いつまでも、もう先生亡くなられていよいよ8年目ぐらい入ってるんだけど、いつまでもみんな自分が真祈りするというのはね、意識してるか、してないかは別やで。でも、どっかで、どっかでって言うより、常に無意識でも、自分が真祈りしようとして、で、出来ないって苦しんだり、あるいは出来てるつもりだったりとか、色々あるわけだけれども、その真祈りが、結局、最後まで分らんままくる。で、その色々ある、説明の仕方あるんですけども、呼吸というのは自分でしないのね。

 みんな自分でしていると思ってるけども、寝ている時は神さまがさしてくださるわけでしょ?ということは、どんな状態でも、神さまが呼吸させてくれているわけ。ね。

 だから、呼吸に真祈りを乗せたら、祈り言葉を乗せたら、一番分かり易いかなとスタートに思って、呼吸に「ありがとうございます」を乗せましょうねって始まるんだけど、みんな熱心に出来ないままで。このやり方ではダメだからって、まあ、色んなやり方をこうずっと来たわけですけども、結局はみんなその指1本動かすのでも、自分が動かしているという勘違いから抜けきれない。ね。
 
 自分が動かせるんやったら、肉体は死ぬことない。分かる?自分という意識は死んでも残るからね。それが幽界、霊界、地獄でさまようわけでしょ?そうやけど、自分が動かせるんだったら肉体を死なすこともない。すべて、神さまが動かしてくださっているだけ、というのが分かってきたらね、神さんが動かしてくれてるのに、何で自分が動いてるんやろうみたいな矛盾を感じてくれなあかんねんけど、その辺は、ほとんどの人は、人類全体はね、その生きているというのは、自然にそうなっているんだと。

 で、その生きてる命を、自分が好き勝手に使ってるんや。好き勝手とも思ってへんけどね。お金儲けに使ったり、色々あるじゃないですか。自分の虚栄心を満足させるために使ったりね。そういうふうに、みんな勘違いしたままなんですけども、本当は神さまに生かされているだけ、動かして頂いてるだけ。ほんなら、今の自分は何なの?っていうところに気づくとね、ちょっとは変わるん。そやけど、その今の自分というの何か分からないまま来てるんです。

 で、はっきり言うと、今の自分って何かといったら、肉体の意識、肉体の自分。で、肉体の自分というのは、具体的な事例で言うとね、自分の都合を優先する意識。あるいは自分さえ良ければの意識。先生は我よしっていったかな?先生の表現使うとね。自分さえ良かったらいいということは、逆に言うと、あっ、逆ではなく別の言い方をすると、自分にとってしんどいことは嫌、わかります?

 邪魔くさいことは、自分にとって邪魔くさいことは嫌。それが肉体側の意識なの。で、そのオギャーと生まれて、ちゃんとそれを調教しないとね、本心の自分がですよ。調教しないと、いつまでも自分の都合を優先して病気治してほしいとかね、お金儲けしたいとか、神社の絵馬を見たら、分かるじゃないですか。家族どうこうとか、学校だったら、東大に合格しますようにとかね、自分の都合を書くでしょ?あれが肉体側の自我という意識なの。で、それは、肉体というのを受肉した時点で、必ず持っているものであって、善いとか悪いじゃない。

 だから、肉体を維持するために生存競争をするのね。だから、兄弟が多いとこだったら、おやつ1つの皿が出てきたら、我勝ちに早くとってね、するじゃないですか。あれが生存本能といって、肉体側に付随している意識なんです。で、この意識を、ちゃんと鍛え上げていかなあかんのですね。そんで、本心の我(われ)というね、意識が肉体側の自我の意識を調教していくんです。

 ところが、本心の我(われ)、要するに印可書にある、真(まこと)の神さまは、真(まこと)の本心の自分とかね、いう不離一体の自分は、神さまと不離一体の自分とかいう言葉では分かっても、自覚出来ない。本心の自分を。で、本心の人を自覚出来ないから、今までの宗教だったらですよ、戒律をつくってこうしなさい、こうしてはいけないとか、ちょっと。こうしてはいけないとか、一杯あるじゃないですか?今の宗教は。
 
 ほんでここは宗教でないというのは、何かというと、戒律がないわけです。これはしてはいけないとか、暴力を振るっていけないとか、そういう相手の自由意思を縛る、なんていうんですか?法律いうか、憲法というか戒律というか、そういうのはここはないんです。

 必ず相手の意志を尊重して好き勝手にさせる。で、そこで好き勝手にさせる、先生がそうだったのね。だから、手元に村人一杯、一番虚栄心の強い人ばっかり集めたって、先生おっしゃってたけどね。手元に集めていて、ほんで、その人たちにこうしてはいけない、あるいは印可書を読みなさい、あるいは印可書を読んではいけないとかね、そういう相手の自由意思を縛るい言い方は一切されなかったわけ。だから、ほとんどの人は勘違いして、先生がダメだって言わない限りは、やってもいいんだって勘違いして、ぐちゃぐちゃになっていったわけですけど、それでも先生は言われない。

 なぜかというと、皆さんの真(まこと)の本心の自分の意識が出るを…まあ、花が咲くのをですね、悟りの花というんですが、本心の花が咲くのをひたすらお清め、お祓いをしながら、お祓いというのは、お清めなんですけども、払い清めるでセットです。払うだけじゃなくて、清めるだけじゃなくて、払って清めます。払い清めをいつもずっとされたわけです。

 ただ、先生の方からうっかり払い清めって言うとね、先生にお清めして貰わなくちゃいけないって言って、甘えてくるの増えるから、先生の方から、具体的にそう言われることはなかったです。 ただ、払い清めの方法は、この2人だけが授かってしまった。本当は全員に授かってほしかったんだけど、みんな自分の都合を優先してる人には受け取れないのね。

 ほんで、もう色々とこの8年間説明しました。本当に色んな方法を説明したんですけど、自分の都合を優先するなとかね、現実掴むなとかね。で、その例えば、現実掴むというのは、何かというと、本心の自分と肉体側の意識の自分がごっちゃになって、で、現実はあるとつかんで巻き込まれている状態を現実を掴むという。だから、ほとんどの人は、現実を掴んで流されている自分にすら気づかない。

 先生の説明で言うと、川の上に、激流の上に木の葉がこうくるくる回ってね、翻弄されているだけで、さも自分が動いてるように思ってるけど、そうじゃないっていうのを現実を掴む状態っていうわけ。で、その後、色々、色々説明を考えてね、兎に角、お前分かるように説明せいと。で、みんなに分からせという事で。で、理屈で分かると違ごうて、直感的にというんですか?実感として分かるように説明せいと、何べんも怒られつつ、色々とトライしているわけですけど。
 
 ともかく、無意識で自分がしていると思ってるじゃないですか?ね。意識している人があります。あ、これは自分の自我でやってしまったって意識していますけど、大半の人は、自分がしてることすら、だって指動かすの自分が動かしたと思ってるんだもん。それは、すでに肉体側の意識に落ちてるの。
 
 ほんで、その真(まこと)の本心の自分が、自分の肉体を調教して、制御してね、鍛えあげなくちゃいけないんだけど、もう出来ないのね。真(まこと)の本心の自分が分らないから。ほんで、その真(まこと)の本心の自分が分かる為にっていって、この神書の色んなページにしおり挟んでですね、ほんで線引いて先生に渡して、これをもうちょっとマトメてしてくれということで、今の印可書を作ってもらった。
 
 それ、なぜ、そんなことを先生にお願いしたかっていうと、印可書は肉体側の自分が読むという意識で読んでいても、本心の自分に戻してしまうという力を、呪(しゅ)を込めてもらった。そんで、まあ、8年間、色々護摩を続けてですね、護摩に参加したら、その印可書の一回の参加で、何万回も読む効果があるというふうに、先生に呪を込めて頂いて、8年たったんで、やっと皆さんの自分の自由意思でね、印可書を読めるところまで来たわけです。
 
 ほんで先先月からですけども、その、常に印可書を読み続けて、仕事でも、運転でも、何でもしてくださいという説明が出来るとこまで来たわけ。で、何で常に印可書を読んでくれって言うかというと、肉体側の自分の意識で、無意識でも、意識しててもですね、肉体の自分の意思で仕事する、本を読む、テレビを見る、やってるわけですよ。

 で、それをやってしまうと、因縁因果に巻き込まれて、もう苦しいだけ。楽しいというはないわけ。もちろん、自分の都合の条件から見ていいことは、楽しいこと。自分の都合、条件を見て、しんどいことは嫌なことは苦しいことになるわけですね。要するに、常に条件がつくのは、肉体側の自分の意識だと思ってください。
本能の意識というんですけど。
 
 それで、その無条件の喜びになるのは、真(まこと)の本心の自分だけなんですけども、その真(まこと)の本心の自分が現れようとするときに、肉体側の自分が動こうとしている。無意識にですよ。ほとんどの人は、無意識に動こうとして邪魔するわけで。で、みんなどうしようもなくて、悩み事があってね。子供が勉強せんから始まってね、色々もう一杯あるわけ。

 もうその人それぞれ、あいつはサボってる分もあるし、何で私だけこんな目に遭うんやとかね。何で私だけこんなにイジメられるのとかね。何でこんなんて、みんな何でって付くわけ。何でって付く間は、肉体側の自分の意識。常にね。で、無条件にならないわけ。
 
 ほんで、色々と8年苦労してですね、護摩を重ねたおかげで、なんとか自由意思で印可書を読めるとこ迄で皆さん来たわけ。ほんだら肉体側の、動いていると思い込んでいる意識ですね、自我というんですけど。その自我の自由意思で印可書奉読出来るようになったわけ。やっと。
 
 で、これでチャンスなの、ほんだら自分がしようとしてる意識を全部印可書の奉読に持っていくの。先々月からお願いしているのは、自分のしようとする意識で、印可書を読んでくれって。だって、自分のしようとする意識しかないねんから、自分が指動かしてると思っている意識しか、皆さん自覚してないから、その意識でいいから、その自分でやろうとする意識は、印可書を読んでいる時。そうやけど印可書を読みながら仕事してる。すると、自分のやろうとしている意識は、印可書の方に行ってるから、仕事してる自分は本心の自分になっている。だから仕事でも、凄く、試行錯誤せずにフアーと出来るようになるし、本もね、パッと見開きだけで分かるようになるというのは、本心の自分だから。
 
 そんでその、肉体側の自分の都合を優先する意識はどうするかというと、自分の都合を優先する意識で、印可書を読んで貰っています。ほんで印可書は、先生に呪(しゅ)を込めて貰ってますから、自分の都合を優先する意識で、印可書読んでたら、勝手に自分の都合を優先する意識が消えるの。で、常に本心の自分だけになって、それも実感としてわかって、透き通るように、何でも分かるようになりますという説明していて、実際、もうすぐそうなります。この半年のうちにみんな出来るからね。
 
 ただ、そうなったら、私悟ったと言って、また崩れるからね、先に先に説明して、色んなことも分かって、病気治そうと思ったら本当に治せます。でも、それは大した悟りじゃない。あくまで悟りのちょっと手前。で、そこからが勝負でね、本当に先生の悟りまで行かないと意味がないから、もう、透き通るよう分かってきたら、分かるようになってきたら成るほど、印可書奉読に集中してください。

 それをやってると、先生の悟りとなったら、こう触るだけで分厚い本が分かります。僕まだ薄い本しか分からないけどね。それだけレベルが違うわけ。そやけど、触るだけでわからなくても、本読むのでも早いしね、何でも、いわゆる、この世的な仕事は、朝飯前に片付けるようになる。すると、余った時間で、より印可書奉読して、深くお祈り出来るから、真祈りが出来るようになる。で、真祈りができたら、自然に支え合います。

 印可書にあるように、お互いに干渉せず、邪魔せずっていうね、支え合いが実感としてわかります。もう部分は、印可書のお互いに干渉せずにっていう、支え合ってというね、部分は、理屈で説明出来ないの。実感で分かるだけです。で、そのとこまでみんながもう自分の自由意思、ほんで、ここが大事何ですけど、自分の自由意思で悟りを深めないとダメ。

 こっちからこの形にして、この手振りにして、で、こういう風にしてやれって言うってもいいんですよ。やって、何人か悟らしたんだけど、落ちていったのよ。要するに本人の自由意思じゃなかったから。本人は頼って真似してやってみて、でも、それでも透き通るとこまで行くんだけどね。でも、自分の自由意思ちゃうから、自分の自由意思はやっぱりあれしたい、これしか残ってるから落ちていっちゃう。

 でも、今度は自分の自由意思で印可書奉読して貰ってるから、落ちることはない。それでも無色透明でなってきてね。何でも分かるようになってくると、ついつい自分悟った、よかったって自分が出てしまってね、崩れるからしつこく言ってるわけです。
 
 だから、ただ無色透明になっていることは、色んなことが簡単にこなせるからね、時間も作れるし、色々と楽になるんでね。楽になった分を、印可書奉読に持って行ってください。ほんで、本心の自分が現れているかどうかが、一番分かりやすいのは、邪魔くさいこと、しんどいこと、辛いこと、嫌なことが、無条件でやれるようになる。
 
 だから、いちいち人を責めんでもね、あ、ちょっとここ汚れていると思ったら、さっと拭いとくとかね、さっと履くとかね、先生、いつもそうでしたけど、いわゆるきつい、汚い、危険の仕事を、ごく普通に当たり前に喜んでされ、無条件で喜びになるわけですけど、そういう嫌な事、邪魔くさい事、しんどい事がスッと出来るだったら、だいぶ本心現れてきたなと思ってください。
 
 で、いや、これ邪魔くさいから止めとこ、あるいは明日しよとかね、みんなそうやった。だから真祈り分らへんから、真祈り明日しょう、明日しようって8年たった。まあ、先生のそばにおった人だったら、40年ぐらい経ってる人もいるけどね。結局、そういうことなん。

 だからもう、只々、本心の自分を自覚するだけ。で、自覚する、今回が一番いいところまで来たと思うんです。印可書を出して頂いて、護摩で唱えて頂いて、先生が、護摩で唱える印可書を、1回は1万回、10万回にするって言って、呪を込めて、毎回毎回込めて、数を増やしてくださってね、ここまで来てますから、自分の自由意思で印可書奉読しながら、仕事でもテレビ見るのでもするんだって。で、最初は何回も失敗して、テレビ巻き込まれるよ。本に巻込まれるよ。仕事に巻き込まれるけどね、結果は気にしない。本心の自分は結果を気にしない。

 ただただ、努力するというのも違うんだけど、淡々と繰り返してやっていくの、やれるようになるまで。で、そのそういう淡々と繰り返してやるのが、神さまの愛の光だから、無条件に嬉しくなって、結果伴なわなくても、頑張っても違って、淡々としていけるようになります。それを頑張ってやろうと思っている時は、まだまだ肉体の自分が出てると思って下さい。
 
 頑張ってがあったら、結果を気にしているの。分かる?結果が一切気にならなくなったら大丈夫なの。大事なところなんですけど、今まではこういう説明しても、みんな結果気にしてね、私、「不器用だから出来ないわ。」ってこうなって、えらいややこしい、なってたわけですけど、先生が作ってくださった印可書のお陰で、やっとなんとか目標達成まで来てます。

 だから、結果、気にせずにね、それぞれやってください。どういうことかというとね、それぞれ、その人の持って生まれたこの使命があるんですよ。この世での。その使命に応じて、その結果が伴わない人、伴う人ってあるわけです。で、伴わなくても構わないの。やろう、神さまの御心に添おうとする意識があるだけで、繰り返して添えなくても、また添おうとするというね、その意識があったら、それが大きな愛の光。
 
 で、何で、例えば、結果を伴う人、伴わない人があるかといったら、神さまさえ振り向かない人に響き合わせるためには、そういう人の響きがいるの。ということなんです。で、それぞれ神さまの方は、いわゆる雪の日に説明したようにね、耳かきの働きの人、スコップの働きの人、パワーショベルの働きの人、大きな除雪機の働きの人って、神さまが作って現してくださっているだけで、どの働きも全部必要なの。

 大きなスコップで、耳垢取れないでしょ?全部必要な働きだっていうのがわかったら、結果を気にしないから、お互いに支え合ってになる。そうでしょう?耳かきもスコップもショベルも、みんな支え合って働いて、どの働きも全部、全部完成して、完璧、完全円満完璧大調和になるわけです。

 ここまでで質問をしたい人?

質問aさん
 ありがとうございます 今日も道中で河上さんの去年の話とか聞いてたんですけど、その中でも、とにかく一歩踏み出すのが大切という話が流れてて、千里の道も一歩からということで、その一歩踏み出すのが大切で、結果的に千里の道でなくてもいいということですね?

河上さん
 そう、あのね、結局、最初の一歩を踏み出すのがみんな出来ないの。出来ずに明日やろうとするの、みんな。出来ない人はみんなそうやね。で、何で踏み出せないか、結果気にするから。で、人から後ろ指さされるの気にするから。まあ、結果気にしてと一緒やけどね。だから、「あいつ同じように踏み出したのに、全然進めてけえへんな。」って、こう言われるのが嫌なわけ。で、そうじゃないんだ!耳かきの働きは、本当に牛歩のようにってなるだけでね、牛歩がいい悪いじゃないっていうのが分かれば、みんな一歩踏み出せる。で、踏み出したら、あとは自然に流れていくわけです。

 川の流れが分かるじゃないですか?真ん中は速く流れるでしょう?岸はゆっくり流れて渦巻くじゃないですか?ちょっとバックしたみたいにね。でも、渦巻いたって流れていくじゃないですか?それで全体1つで、川として完成しているでしょう?それがわかったら、結果を気にしないから、その川の岸の方のね、渦の流れの働きをするんだって思ったら、楽にやれる。

 それでも「ゆく河の流れは絶えずして」、どんどん流れて行って、河口というね、大きな悟りのところにみんな行くんです。だから、横の人、周りの人の進み具合とかは全然気にせずにやって下さい。

 で、すき通るように分かってきても、人に言うたらあかん、言った時点で自分崩れるから。「俺、何でも分かるようになってん。」っていう、俺がついた時点でアウトや。分かる?だから、自分が褒められたいという意識があるとね。私、何でも透き通るように分かるようになって来てんって言ってしまうん。で、うわー凄いねって言われたい、その時点でアウト。
 
 どの状態のどの働きも神さまが必要としているのね。で、完璧に完成しているの。一つ一つは完璧に完成する。でも、肉体側の小さい意識で見たら、全部不完成、未完成。でも神さまから見たら、一瞬一瞬に完成している姿。それが実感として分かるようになったら、悟りやし、その時は自分というのがないから、一生ぼろくそに言われても気になれへん。まあ先生そうだったしね。

 良寛さんもそうだったけど。だから人から言われて気になる間は、まだまだ肉体側の自分の意識。で、練習としてね、本読みながら印可書ずっとバックグラウンド。まあ、コンピューターで言うと、バックグラウンドで動いているじゃないですか?あいう感じで、印可書を唱えてみてください。最初は必ず本の方に巻き込まれるから。だって、そういう癖がついてるからね。

 でも、巻き込まれる小さい自分は印可書奉読に持って行って、本を分かろうと分ろうとするんじゃなくて、パッと見るとなると、わっと分かるようになんの。ここな、説明して分かる?説明しにくいねんけど、肉体側の意識は一言一句を理解してわかろうとする。でも、本当は分からないものはなくって、すべて分かっている、本心の側は。

 だから、本心の側が現れてきたら、スッと分かる。で、これ、まあ、数学苦手な人に言うとあれなんやど、ある程度数学好きな人、得意な人だったらね、本当にそうして悟ってくると、答えが先でるね。ほんまに、ほんまに出るね。で、ただ、その答えを、例えば、アインシュタインさんだったら、E=mc?っていう答えが先に出はった。でも、それをどう説明するかっていうだけの問題やったんやけどね。

 だから、この世を、現世(うつしよ)と言うけども、物質というのがね、光そのものだっていうのは、E=mc?で現せている。mというのは物質のことです。ああ、mじゃあない。Eっていうのは(エネルギーの事)。で、E=mc?でしょ。つまり、式を変形すると、M=エネルギー割るCの2乗、つまり、本来の大きな命(この現世ではエネルギー)を、光が舞い降り、舞い昇る、つまり、光の2乗という意味。それで、光が、cの光がぶつかることをcの二乗っていう。印可書で言うと、「舞降り、舞昇る」とこ。「舞降り、舞昇る」ところで物質化して、この現世の姿を見せているの。

 だから、一瞬一瞬新たに光になって、消えては現れ、現れては消える。まあ、もうちょっと簡単に言うと、壁、まあ鏡があると、ね、霊的な鏡があると、で、そこに神さまに光が来る。で、鏡に反射して帰ってくるでしょう?帰ってくる光と神さんから来る光が、まあ、ぶつかるんじゃないけど、絡み合った時をmc?、Cの2乗と言っね、その絡み合ったところだけが物質化して見える。だから先生のおっしゃる「一瞬一瞬新たに」というのはそういうことだ。
 
 だから、この固定して手として見えてるけどね、本当は一瞬一瞬新たに光が来て、手の形を映し出してるだけであって、一瞬一瞬新たに進化している。新たに新たになっている。だから、先生は人間はね、老化しない。年取る事はない。でも退化するよ。怠ったらね。
 
 だから、退化しないように、色んな真祈り体操を降ろして貰って言っています。最低限、真祈り体操はして、体が退化しないようにしてください。年とって腰曲がったとか、背丸くなったとかね、色々皆さんありますけど、あれはその、まあ、真祈り体操ない時代だから仕方ないんだけど、真祈り体操してたら、そういうことは起こらない。それも今回は15分15分って言って頂いてるからね。朝の15分。で、寝る前の15分。
 
 その、本当に最後に完成したら、15分連続してできますけども、最初は10秒も出来ない。でも、手おろして休んで、またやるを15分間、印可書を唱えながらですよ。形だけしたって意味ないからね、やってみてください。
 
 で、それ、真祈り体操が何で良いかというと、15分ぐらい続けるようになるとね、自然に肛門が閉まるんですよ。肛門を閉めろと言っても、中々みんな出来ないって苦しむんだけど、そういう部分があるんで、真祈り体操をお願いしています。ゴキブリ体操じゃないからね。ゴキブリというとまたややこしくなるからね。

 ゴキブリ体操は何かいうたら、ただこう手を振るだけなんです。真祈り体操は親指と小指合わせて、中指を中心に振る。これ、大きな違いで、凄いね。これにプラス印可書があるからですよ。印可書ないと意味ないからね。
 
 だから、本当に昔の勝海舟さんでもそうですけど、剣を振ってね、座禅を組んで、凄い悟りのところまで行くんですけど、最後のブレークスルーがないんですよ。何でか言うたら、「最高の真理の言葉を駆使」するという部分がなかった。で、まあ、あの時代は最高の真理の言葉は何かも分らんしね、色々とそういうことなんです。
 
 で、例えば南無阿弥陀仏は最高の真理の言葉だったんです。でも、その常にその最高の真理の言葉は賞味期限がつくんです。何でか言うと、その最高の真理の言葉、つまり南無阿弥陀仏に頼りだすの、みんなが。わかります?頼りだしたら汚れていくのね。それで、だから、お葬式の時に唱えるでしょう?まあ、それ輝かないじゃない。で、どんどんどんどんその思いがついてね、効果がなくなっていくわけ。だって、南無阿弥陀仏と唱えながら、人殺してもいいんやな、になっていくわけです。

 まあ、ここでもそうでしたけどね。先生、亡くなられた最初の護摩、2回目の護摩ぐらいかな?質問で、じゃあ、「宇宙神ありがとうございます」と唱えながら、唱えてたら人殺してもええんか、みたいな質問がありましたけどね。録音に残ってますけど。それくらい、みんなは、その言葉の力の凄まじさとかね、そういうのが分からずに。
 
 で、無意識には言葉の力が凄いのを知ってるからね、逆に言うと、その言葉に頼る、頼って汚していくわけです。頼るんじゃなくて、真(まこと)の本心の自分が唱えるんだっていうのが分からなくちゃいけないんだけど、まあ、その真(まこと)の本心の自分が唱える真(まこと)の本心の自分が分らないから、堂々めぐりするわけです。
 
 で、先生が「そろそろあっちに帰るから、あと頼むで。」っていう時に、もう「ちょっと待って、それはあきません。」って言ってね。「これさえ唱えてたら、真の本心の自分が自覚できるものを作ってもらわないと。」と言っても、無視されて、それで神書にしおりをはさんで、つけて、その時は、もうそのややこしいことは言わずに、ともかく、これをマトメて1つ作ってくださいとお願いして、作って頂いた。

 だから、まあ、一番僕にとったら、謎やったのは、ほとんどの何人かの人はね、ほとんどとは言わんけど、何人かの人はこの神書を読み尽くしたという人がたくさんいたわけですよ。でもね、この神書に先生のたった1つ作られた句が残っているわけでしょう。「最高の 真理の言葉を 駆使すれば 自ず開かん 悟りの華は」それを気づいた人がいないって、やっぱり読んでないな、って言ったら怒られるけどな。真剣に読んでたんじゃなくて、頼って読んでたからです。
 
 要するに、自分の都合優先して読んだら、どんな素晴らしいものでも理解できない。だから、先生が「ありがとうございます」の10文字や、真(まこと)の神さまの働きそのもの、真(まこと)の神さまそのものって仰っても、自分の都合で聞いている人には分らない。いつまでたっても、物をもらっての「ありがとうございます」になってしまって、「ありがとうございます」で悟れなかった。で、もう思い巡らす暇のないような形で作ってもらったからね。あれ、読んでる間、要らん事を思いようがないからね。次から次から出てきてね。いう事で、やっとここまで来てます。
 
 頑張って、頑張ってという表現もちょっと違うけども、淡々とね、印可書、奉読し続けるという意識で。でね、最初は途切れてもいいんです。で、はっと気づいたら、仕事に熱中してて忘れたとかね。パッと気が付いた時は、本読む方に熱中してて忘れたでいいですから。でも、気づいた時は立ち戻る。気づいた時は印可書に立ち戻るということを繰り返してやってください。それだけで叶う。真理の言葉を積み重ねていく毎に、駆使して、積み重ねていくと、ある一点で、本心の世界に届くんです。
 
 積み重ね、積み重ねないと届かないんです。皆さん、それも皆さんの自由意志で積み重ねないと届かない。だから、先生は一日にね、20回は印可書を読みなさいとか、30回読みなさいとか、あるいはまず読みなさい、ということも言わない。言われなかったわけ。それは自由意志で読まないと意味ないから。すると、先生が読みなさい、言うてへんから読んだらあかんにまでなってね、色々と、色々とありましたけれども。
 
 そうして神さまを邪魔した人は、ご本人が邪魔しただけで、意識するしないは別にしてね。その分の背負っているのは大きいから、より頑張って印可書を奉読してくださいとしか言いようがない。精一杯の説明しましたけど、聞いてへん。みんな自由やからね。まあ今も一緒ですけど、頑張って!はい。


質問者bさん
 まずは印可書を奉読を積み重ねます。

河上さん
 それ質問ちゃうやん。(笑い)
 
質問者bさん
 質問、質問です。

河上さん
 目が悪くなってきた?頭も悪くなってきた?気つけや。(笑い)真祈り体操しないと。そうそう。

質問者bさん
 村で行われる暴力についてお伺い致します。当事者が一番向き合う事柄だと思いますが、同時に、世界の縮図である村で起こったことなので、村に集われる方にとっても、無関係でいられない事柄だと思いますので、村で何が起こったかを私の捉え方になりますが、まずは共有したいと思います。宜しいでしょうか?

河上さん
 うん、どうぞどうぞ。だってモヤモヤしてる人おったら大変や。真祈りできへん。

質問者bさん
 最初に村で私が暴力の現場を見たのは、3年ほど前に、ここお祈りの部屋でのことです。村の方々と集まりがあったときです。いきさつは省略しますが、その方は、自分の思いに反発する人の頭を殴りました。次は、皆さんもご存知だと思いますが、昨年の護摩会場での河上さんに対する暴力行為です。次は今年の冬、私とその方との2人の間で、雪かきの作業をしていた時、暴力的な言動を受けました。ここで言う暴力とは、自分の思い、都合を力でねじ伏せて、言うことを聞かすことを言っています。つい最近も、その意味での物理的な暴力行為を受けました。
 これまでは、自分に起こる出来事だったのですが、先日は、他の方にもお祈りの部屋で、暴力行為が行われました。私はその場にいなかったのですが、本人から話を伺いました。ここで、こうして過去に起きた暴力を話しているのは、その方を責めるために言っているのではないことは、わかっていただけると思うのですが、では、なぜ、このように暴力がステージやお祈り部屋や村で起こり続けるのかと問いたいからです。毎回村の方々にどう思われますか?と伺うのですが、ある方は「真祈りだけですよね」と返ってきました。では、真祈りしているのに、どうしてこう暴力が起こり続けるのかを聞いてみたいと思いますが、なかなか話がかみ合いませんので、いまだに聞けていません。改めて、どうしてこの真祈りの聖地で暴力が起こり続けるのか、もう誰も無関心でいられない私たちにお話をしてください。ありがとうございます

河上さん
 別に、暴力ってね、形もあるし、いじめという心の暴力もあるし、口で言う、ね、暴力もあるじゃないですか?で、そんなん村では、もう日常茶飯事で、昔から。

 で,ちょっとこう作業に身いらん人がおったらね、食事の量でいじめたり、言葉でいじめたり、いろんな辛い作業をさせていじめたり。っていうのは、もう一杯あるわけです。

 で、最後にその頂点に立つ方がね。形の暴力をするわけで、それって別に世界の縮図やな。
 
 力の強い国がね、弱い国をいじめていくわけでしょ?で、いじめられている方は、最後、ここまでされるんやったらって言ってね,戦争になるわけや。強い国から攻めることはめったにないもの。必ず強い国は、まずいじめて、いじめて、いじめて、そんでそこまで侮辱されるんやったら、「もう」って言うて、もう窮鼠(きゅうそ)猫を噛むってあるでしょう?

 で、弱い国に攻めさせて、ほんで、お前、戦争を始めたな。日本もそうやね、真珠湾攻撃で、ね、卑怯な騙し討ちしたなっていって、わっとやるわけでしょ?どんな戦争もそこから始まる。
 
 第一次世界大戦を見ても、オーストリアの皇太さまを刺すわけやね。で、それ大した問題とちがってん、でも、それを理由にいろんな国がうわーっと、重なって、あっという間に、第一次世界大戦なってん。で、その結果、ドイツが一番悪いってなってね、凄い賠償金をやって、云々ってなって。で、ドイツはドイツでもう苦しくなって、最後またやるわけでしょう?だから、第1次、第2次世界大戦で分けてるけど、あれは1つのものやね。ちょっと休戦期間があったというだけで。それくらい、その分け隔てる意識がすべての根源にある。
 
 それ何かいうたら肉体側の自我の意識。肉体側の自我の意識は分け隔てるわけよ。で、あ、あの子の方が食べ物ええもの食べてるとかね。あの人の方がサボって、仕事を楽して給料をもうてるとかって分けて見るからや。さっき言ったように、耳かきの働きの人が一番いろんな形の上ではどうこうでないんだけど、意識的にはね、耳かきの働きは一番辛い思いをするの。卑下慢になるの。私、こんなにしかできへんし、みんなでぼろくそに言われるわってなってね。でも、どの働きも必要で、すべては完璧な一つというのが、本心の側から見たら見えるの。
 
 それがすべてなんだけれども、今の世界は、肉体側の自我の意識でうごめいているわけ。だから、イスラエルが何であんな強硬だって言ったってね、実際にそのホロコーストというんですけども、もうユダヤ人を根絶やしにしようということでね、ナチスドイツというヒトラーさんはね、ユダヤ人を根絶やしにしようとして、本気でそれをするわけですよ。
 
 で、一日にね、コップ一杯の薄い薄いスープと、そんで、サイコロのようなパンしか与えない。それで重労働させる。で、骨と皮に痩せ衰えてバタバタと死んでいくという、そういうことをしたわけですよ。で、実際にどれだけの人が殺されたかも、記録に残らないくらい、凄いことが、あの時期あったわけです。で、(たくさんのユダヤ人が列車で連れ去られるのを見ていて)それをうすうす知っていても、ヨーロッパの人は見て見ぬふりをしたんですよ。全然知らなかったはずはない。で、そのユダヤ人、純粋なユダヤ人もそうするし、ユダヤ人の血が混ざっていると思っているポーランドの人とか、同じドイツの人でもユダヤ人に混ざってると思う人も、一緒に、そして殺されていってね、凄いことがあったわけです。だから、イスラエルというユダヤ人の国はね、その、どんなに世界にこう誤解されようがね、最後まで戦って、自分たちを守る。それで滅びるんだったら、仕方ないという決意を持っているわけです。それくらい、凄いことがあったし、今もあります。

 イランという国は、前の前の大統領さん、イランの大統領さんが言ったわけですけれども、イスラエルという国をこの世から抹殺するまで、自分たちは戦うというの。それで世界から非難轟轟を受けるんですけど、それがイランの国の憲法として成文化されてへんけど、意識何ですよ。だから、イランとイスラエル仲悪い。で、ああいう、今でいうややこしい事が起こっているわけですけどね。
 
 でも、これ、話し合いでは解決できない。真祈りですべてを祓い清めるしかないわけです。で、そのすべてを、先生は今の事態のことまで予言して、僕は聞いてますし、で、みんなが真祈り失敗して上手くいかなかったら。今回ので成功させれると思ってますけど、上手くいかなかったら、どうなるこうなるも、全部すべて聞いてます。ほんで、最悪のパターンのことを言うと、「粘土食べなさい、ネズミさん、食べなさい」って言ってるわけですけど、そこには持っていきたくないから、色んな事があるわけですけど、まずは真祈りで祓い清めるしかない。

 で、祓い清める方法も具体的に聞いてます。この2人は。でも、皆さんがまず自分の自由意志で本心の自分を自覚していただかないと、祓い清める方法を教えられない、何でかいうと、形、祓い清める形だけをすると、色んな宗教団体の教祖様見たらわかるけど、晩年大変でしょう?要するに、祓い清めの形をしても、実際には消せないから、全部自分が背負って崩れていくの。

 で、真祈りで祓い清めを先生がお1人でしてたから、先生の肉体大変だったでしょ?でも、先生、ちゃんとお話で言っておられるように、真祈りというのは、みんなで支え合ってするもんだと、1人がするものじゃないっていう、あれがすべてなんです。皆さんで支えようとしたら、具体的な祓い清めの形も教えれますし。で、皆さんで支えようとしてたら、それで祓い清めらるからね、本当に。皆さんの体も大丈夫だし、ちゃんといける。
 
 で、まあ、印可書を反対した人が大変だというのは、その祓い清めができへんくせに、祓い清めるのが自分たちはできるということを、本人の自覚とは別ですよ、宣言した形になるんです。それで一杯背負っているの。それが村人の現状です。
 
 だから、一杯背負ってるから暴力になります。いじめになります。もう仕方ない。でもここからね、今からどうするか、いつも。一瞬一瞬新たやから、ここから真祈りを選ぶのか、今の今まで通り、惰性に流れた肉体意識の自分で生きていくのか?まあ、みんなの自由意思だから。でも手遅れじゃない。今から真祈りを選んだら、全員変われる。ただ、村人は変わりにくいから、外の人を今変えてるの。で、外の人が変われば、村人も必死で真祈りするようになるから、それだけです。
 
 で、それで皆さんの真祈りが間に合わずにですよ、村の暴力が殺傷型、まあ、殺すまでいけへんでも、その血を流す状態が起こったら、村は崩壊します。で、そうすると、そこから10年後に地球は滅びます。という流れになってるんで、村を崩壊させたくないから、まだ殺傷沙汰になってない間はね、知らん顔してるだけ。
 
 で、だから責める意識がないんだったら、分け隔てしなければ、村人も自分も同じ神さまの御光り、御力、御命、真(まこと)の神さまそのもの。ただ、耳かきのより小さい働きが村人してるだけと思えばいい。これで分るか?何か、もうちょっと言って。まだ引っかかるやろう?

質問者bさん
 どこにひっかかっているかが分かりました。

河上さん
 あ、そうか、それ分け隔てるから。村人と自分を分けたら腹立つ。何でもそうや。何でも「何でこうなるの?」っていう時は分けてんね、相手と自分を。そんでね、その肉体側の自分の意識というのが、我よしの意識とか、自分の都合を優先する意識が、何か都合悪いかというと、ストレス溜まる。まあ、簡単にわかりやすく言うと、交通信号を守ってね。交通ルールを守ってやったら、事故起こらないでしょ?その交通ルールを守る、ごく自然に守ろうとする意識が、本心の自分です。分かりやすい例えで言うとね。
 
 それで、自分の都合を優先するね。好き勝手にする意識が肉体側の意識。すると、「俺は赤信号でも行くねん。」って言って行くわけですよ。わかる?ほんだら、お互いこうやったら、大事故を起こすばっかりでしょ?そういう形で、自分の都合を優先する人は、思い通りにならないから、ストレスが溜まるばっかりになる。子供、勉強せえへんというだけで、ストレス溜まるばっかりや。別に、いや、子供の勉強する、せんというのは、みんな自分の都合の優先の中に入っているわけね。で、そんなのはもうある意味どうでもいいの。神さまがいいようにするの。
 
 まず、神さまいいようにするというところに立たなあかん。それが本心の自分なんです。ね、この世的には全部未完成なんです。でも、本心の側から見たら一瞬一瞬完成や。ね、だから、神さまいいようにすると、わかったら、暴力する状態もいじめている状態も神さまいいようにしてるから。具体的に言うと、因縁因果の中でね、いじめられる人はやっぱりいじめの状態を体験するしかない。でも、本心の側の意識でいじめを体験したら喜べるねんけど、自分の都合の意識で体験したら、苦しい。暴力も一緒。ただそれだけや。

 だから、まず真祈りするだけ。相手の自由意志縛ってね、暴力ふるったらあかんやないか、とかね、そんな人は、もう村から出て行けとかね、言うてもまず聞かない。まあ、極端な表現で言うとね、この村も護摩の会場も昌代ちゃんの名義のものです。大地主をなんていうんですか?ね、だから、昌代ちゃんが「出て行け。」と言ったら、出て行かざるを得んわけよ。ま、昌代ちゃんの許可がないと、ここでは何もでけへんねん。昌代ちゃんのもんやから。でも聞けへんやろ?それくらい、みんな好き勝手にすんねん。肉体側の自分の意識というのは。
 
 だから、みんなが真(まこと)の本心の自分に自覚して、真祈りするしかない。自分の都合を優先する意識になると、癌になります。何でか言ったら思い通りにならないから、ストレス溜まんねん。わかる?ストレス溜まったら癌なるね。癌の原因ってはっきりしてるの。だから。何でストレス溜まると癌になるか言うと、癌というのは、本来、人間の肉体というのはね。一瞬一瞬新たに入れ替わっていくの。だから、破壊細胞と再生細胞が同時に働いて潰しながら再生してるの。骨もそう。骨も潰しながら、新しい骨を作っているわけ。ところが、ストレスがあると、その再生する細胞がね。ストレスに対抗しようとして、ワーンって頑張るね。頑張ると、作りすぎて癌なるね。癌って異常増殖でしょ?それがそういうことなんです。
 
 で、アルファ型の癌とね、ベータ型の癌ってあって、アルファ型の癌というのは、普通の肉体、正常細胞の周りに癌細胞ができる。ベーター型の癌というのは、癌細胞の周りに普通の細胞ができるね。で、これはそれぞれ、内向的なストレスか外向的なストレスか、その形が出るわけね。それぐらい形にはっきり出るねん。で、ストレス何で感じるかいうたら、自分の都合を優先したい。自分の都合を優先せずに、本心の自分だったら、神さまがいいようしてると分かるから、因縁因果上もいいようにしてると分かるから、「ああ、よかったな。」
 
 だから良寛さんのようにね。「暑い時は暑いがよく、寒い時は寒いが良く、雨が降る時は雨が降るがよく、雪が降る時は雪が降るがよく」って言って喜ぶだけ、無条件に。自分の都合を優先しなかったら、無条件になる。自分の都合を優先したら、条件つくから腹立つ。普通の、何で台風が来るん?みたいな感じよ、何で地震が来るん?必要で起こっていることばかりやねんけど、何で地震が来るん?
 
 で、特に地震や台風とか、天候に関するものは、皆さんの真祈りで、どんどん小さくなるだけ。真祈りしなかったら、大きく揺れるから、九州行って、震度7だったら、みんなで笑たるから。(笑い)プレッシャーかけてますけど、それは冗談ですけど。まあそれくらい覚悟を持って真祈りしながら行ってください。どこ行くにしてもね、そういうものなんです。
 
 やっぱりどっかでね、無意識に自分で動いている。自分の都合を優先しているの。みんなね。だから、暴力見ても引っかかる。いじめ見ても引っかかる。でも、全部必要であらわれてて、村で現れるということは、大きく世界に現れるのを小さく現しただけや。でも、そんなうかつに村人に言うとね、今度は私たち、小さく集めているから何してもええやなんて、まだ勘違いする人も出てくるから、今までそういう説明はしなかったんですけども、本当はそういうこと。だから、わざわざ先生は仲が良くならない人ばっかりを集めて、もう先生の深慮遠望は凄いもんや。

 で、印可書を自由意志で選んで、奉読出来る人が増えたから、やっとこの説明ができる。前に、こんなんしたらね、ほんなら、私らは何したってええんやって村人勘違いで、しっちゃかめっちゃかになるからな。これでわかる?もうちょっと引っかかる。

質問者bさん
 自分に対しては、自分事に対しては向き合って真祈り深める方に、気持ちが切り替わってる。切り替わったんで、プラス最近色んな方法を教わっているんで、それがあれば大丈夫です。ありがとうございます

河上さん
 だから、他の人が気にすると心配しているんやろう?うん。
 
質問者bさん
 そう、僕以外の人。
 
河上さん
 うん、そうそう。うん、そうやけど、もうそれな、何ていうの?皆さんの真祈り次第や。で、皆さんの真祈りあるからね。血を流すとこまで行かんかってん。そやけど、血を流すとこまでいってしもうたら、最近は訴える人、訴えるのが好きやからね。警察に言うて、そんで、そういうことを言ったら、もうあっという間や。ネット上でも騒がれるから、もう一瞬で、ここは飛ぶ。護摩の会場も飛ぶ。で、先生はそれを予測して、次の護摩の会場を指定してきてるけど、できるだけここで行きたいから、みんなが真祈り、頑張ってね。印可書奉読ずっと24時間途切れずに、最後は途切れずに24時間印可書奉読できます。
 
 そこまで行ったら、悟りの初めて第一歩です。まだ、第一歩やで。そんでそれができるようになるとね、あとは、もう説明のしようないのあるから。あるからということは、どういうこというたら、肉体の自分の都合で言うと、大変なことばっかりがある。先生のように、もうね、肺が無くなるくらいの病気になったり、熱出したり、呼吸止まったりとかいうのがあるんだけど、先生は神さま一番ええようにしてるからって言って、喜ばれただけや。もう、肺が本当に無くなってね、呼吸できない状態になって、まあ、羽曳野の病院に入院されたわけですけど。先生は「病院には行かない」って言うんだけど、もう周りが心配で、無理やり入院させて、宏君が先生の奥さんのお腹で、8ヶ月位の頃です。だけど、その頃そういう説明を誰にしても分かってもらえないから、「お前は他には言うな。」って言って、僕だけに言っておられたわけですけどね。
 
 それぐらい、神さまはどの状態も1番いいようにされているわけです。で、できるだけ地球上の人類に及ばないように、先生の体で神さまがなんとかされた。でも、今度は全員で支え合ってて真祈りするから、みんなの体に影響出ないうちに、全部を祓い清める。皆さん、自分で本心の自分で祓い清める力が出るから。祓いだけじゃない。祓い、清め。祓って、祓ってということは、要するに塵取りに集めること。それをまとめて燃やしてしまって消すのを清めといいます。だからゴミってそうでしょう?塵取りに集めておいて、焼却炉で焼いたら灰になって消えるじゃない。そういう感じです。
 
 で、先生の場合は、その灰になった灰の形の分だけが、熱とか、色んな症状でありました。だけど、みんなで支え合ってしたら、その灰も消せるの。1人で祈るとああなる。先生の別の表現言うと、冷たいコップにね、お湯を入れると、熱いお湯を入れたら、ひび入るじゃないですか。それを何遍も繰り返している状態が、今の僕の状態やとおっしゃった。で、とうとう最後、コップが粉々に割れて、あっちに逝かれた。で、その粉々に割れるとこを、この人がみどりさんがガーッと縛ってね、割れないようにして、3年延ばしてくださった。

 色々、本当に色々ありましたけれども、それでも、最後は限界があって。どういう限界かと言うと、先生の体が無限大に大きくなったの。一番最後。でみどりさんがこの世に残す、残っててもらうって縛っているその光の輪をパッーンと割れてね、行かれた。だから、凄い喜びやったんですけどね。分らない人はみんな悲しんだ。

 で、先生がいらっしゃらないから、みんなで先生の代わりに真祈りしなくちゃって思ってくれなかったから、まあ、もうほっとこうって思ってね、ほっとこうと思ったんだけど、一応、先生が奥さんに聞けって言うわけです。
「次の護摩でしゃべっていいか」聞けっていうから、奥さんに聞いたら、「喋ってください」って言うんで、とうとうここまで来た。質問があればどうぞ。はい。



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令和8年8月9日 by 河上彰延 [Mail] 2026年08月16日(日) 14時47分
PC

令和8年8月2週目護摩焚き河上さんお話し(20260809)

司会者
 河上さん への質問です。よろしくお願いします。
一人の方から大項目で2つの質問があり、それぞれの項目に3つと4つあります。よろしくお願いします。

質問1
 肛門を引き上げる呼吸法についての質問です。

@ 自分はお祈りする時、息を吸うときは軽く下腹を膨らませた後、息を吐いていました。肛門を引き上げる呼吸法についてお話しを聞いてからは、息を吸って下腹が膨らんだ後、肛門を引き上げてゆっくり息を吐いています。このやり方で良いでしょうか?勿論、親指と小指を付けて身体を揺すってしています。

A 肛門を引き上げる強さについても教えてください。強すぎると長く続きませんし、逆にストレスを感じてしまいます。どの程度の引き上げが望ましいのでしょうか?

B 親指と小指を付ける印をしていますと、息が自然に長くなるので、吐く息もかなり長くしていますが、これもいいのでしょうか?

河上さん?
 ありがとうございます 
 またお会いできて嬉しく思います。要は肛門の筋肉ですね。お風呂場でやってくださいって、この前お願いしましたけど。乾いたタオルをお尻に挟んでキュッと締める感じ、その時に肛門を引き上げる感じで練習していただくといいんですけども。肛門の筋肉が強くなるまでは長続きしないです。どの形も基本的に自由自在で良いので、ちょっとずつ練習して長く出来るようにしていけばできます。

 この肛門を引き上げることを、中々出さずに説明しなかったのは、「最高の真理の言葉を駆使」しないと意味がないんですよね。で、天風会を始められた中村天風先生も、そういうことを別の言い方でちゃんと説明されるんですけども、残された方々はそれが出来なかった。天風先生は亡くなられるときに「今まで教えたことは全部間違っていたから忘れてくれ!」と言うくらい呆れ返られたわけです。

 それくらい、「最高の真理の言葉を駆使」することがまず第一で、その後に呼吸法もあり、肛門をしめて上に引き上げる感じ、おへそと肛門を結んだ線の真ん中あたりに力がこもる感じになるんですけども。そういう技術的というとあれなんですけど、そういう形の上のことはその後についてくるものだと。まず形を何とかしてと思うと、「最高の真理の言葉の駆使」を忘れるわけ。忘れると念力になります。
 
 念力になっても、そこそこ何でも出来るようになるんですよ。すると、スター・ウォーズでいうダークサイドに落ちたみたいなね、ダース・ベイダーになったみたいになっていくので。あのスター・ウォーズという物語は中々面白くて、ダース・ベイダーというか悪い方は「念力の集団」、正しいスカイウォーカー達は「真祈りの集団」という分け方を無意識にしておられるわけですね。それと一緒で、形だけでやると念力になって、結局は晩年に力尽きますので意味がありません。
 
 で、中々形をですね、先生からは祝詞から始まって、色んな形の上の事は教わっているわけですけど、「まだまだ最後まで出すな。」ということで来てるわけです。でも、いよいよ本当に地球が、皆さんどう感じられたかは分からないですけど、ホントに滅びる寸前になりました。特にこの8月8日が一つの境目だったんですけど。これからは、ちょっとでもマイナスの言葉を出すと、どんどん自分の意識も落ちて苦しみ出す時代に入りますので、常に「最高の真理の言葉、最高のプラスの言葉を駆使」することを心がけていただきたいために言っております。
 
 だからまずは「最高の真理の言葉を駆使」する。でも、それをさらに強化するために、形の上で今説明した内容をしてくださいということなので。その人の体にとって癖がありますから、本来は「陰陽五分(いんようごぶ)の呼吸」が一番正しいというか自然なの。でも、その「陰陽五分(いんようごぶ)の呼吸」を、前も説明しましたけど、マラソンの時はね、一生懸命に走り出したら、「2回吸って2回吐く」みたいに「陰陽五分(いんようごぶ)」が自然に早く吐いて早く吸うが出来るじゃないですか。あるいは、座っているときは自然に長く吐いて長く吸うとかね、自在に出来るわけです。
 
 その時の自分の体の癖においてね、一番導入しやすいのは、「ありが」で3回で吸って、「とう」で止めて、「ございます」でゆっくり吐くという形を3回ないし5回して、それから楽な呼吸に移行すると入り易いのでそういう説明もしました。でもぜひそれをしなくちゃいけないじゃなくて、自分にとってやりやすい方法を自在にやっていただくといいんです。
 
 ただ、間違いなく、「最高の真理の言葉を駆使」することを忘れて、形だけの呼吸をしたって念力になっていくだけなんで、難しい説明ですけど言っています。だから先ずは「最高の真理の言葉の駆使」要するに印可書の奉読がまず前提に先ずあってということで思ってください。
 
 それから、奉読する印可書は、最初から最後まで全部必要です。それもがんばってね、本を読みながらしたら、本の内容に意識がいったり、印可書に戻ったりの繰り返しになりますが、最初は練習ですから、それがちゃんと出来るようになったら、本当に本の見開き1ページが全体がスッと入ってくるようになります。その自分がするという意識があると、例えば本でしたら一言一句の所に心が捉われるんですよ。だから極端に捉えていると、見開きの1ページをさーって読んでも中々全体の意味がわからない状態。それは捉われているから。「自分がする」という意識がなくなれば捉われない。すると、全体をパッと見たらパッと分かるようになるんです。

 それくらい「自分がするという意識をなくす」ことが大事なのですけど、その「自分がするという意識」を「念力」でなくすのか、本当の「真祈り」でなくすのかと言うところが大切なんです。で、念力に落ちないように、「最高の真理の言葉である印可書」を奉読しながら、ここだけは形を決めてですね印可書を奉読しながらやってみてください。

 で、それをやっているうちに、例えば本であれば見開き1ページがパッと分かるようになる。それが進むと大概のことが透き通るように分かって何でもこなせるようになり、病気も治せるようになるけどまだまだなん。
で、先生の悟りの位置までの基準は、先生は本の上に手を置くだけで内容がすぐにわかったからね。最初は薄い本がわかるようになるんですよ。で、分厚い本はわからない。それがどんな分厚い本でもスッと分かるようなったら、本当の自分が消えて。要するに、自分というのがだんだん小さくなり、完全に消えたら先生なんです。だけど消える寸前までは油断大敵なんでね、それをしてくださいという事で、それを基準に頑張ってください。

 そやけど、すぐに一朝一夕にはできないから、本の方に意識が行ってしまったり、仕事の方に意識が行ってしまったり、印可書に戻ったりの繰り返しですけど、頑張って繰り返してみてください。頑張ると言うよりも、そう努力することが神さまの愛の響きなんでね。すると、神さまの御心に合うから悟れるんです。

 そやけど「自分はダメだ。」って自分が出ている間はね、全然進まないんですよ。だからそうでしょ?先生のそばに、言ったら悪いけど、奥様が1番長い間いらっしゃるわけですよ。でも奥様も結局「自分がする」から抜け切れないから挫折してきたわけ。でも挫折するのはもうすでに予定通りと思ってください。挫折すると言う事は自分がしようとしてるということだから、挫折したら「あぁ、しまった。自分がしようとしてる。」と思ってですね、印可書奉読に戻ってください。ほんなら、印可書奉読すると、自分がするという意識を印可書奉読に持っていく。すると、印可書奉読していると、印可書奉読は自分が消えるようになってますので、本当に努力して印可書奉読、奉読に持っていくと、連続して奉読に持っていくと、もちろん最初のうちは1時間途切れとかね、半日途切れでいいから。でももう一辺やろう、もう一辺やろうっていう心が神さまの愛の心なんです。
 
 自然界の姿で言うと、「点滴岩を穿つ」と言うじゃないですか。雨垂れが点々とついてね、最初はそんなので穴が開くとは思わないけれど、結局は開くでしょ?ああいう姿が、神さまの努力なの。結果的に全然出来ていないように思ってても、ちゃんと出来るようになるのです。だからそういう努力をする事、結果を気にせずに努力する事をやってみてください。挫折するのは当たり前と思ってやってください。そうすると必ず全員悟りますから。ここにいるみんなが悟ってくれると、本当に地球人類の意識が変わりますから、本当に頼りにしてますので、よろしくお願いします。

司会者
 続いて、質問の2です。
 最近護摩焚きで色々な方法を教えて頂いていますので、実践する事を忘れないように自分なりに列挙してみました。

1何をしてても(家事、食事、仕事、本を読む時、歩く時、テレビを見る時、運転する時、できたら寝る時も…等々)印可書奉読をする努力を怠らない。

2寝ころんで手と足を上げて振る真祈り体操を、起きた時、寝る前、印可書を3〜4回奉読しながら15分くらい行う。

3身体を揺すってのお祈りの時、親指、小指の印を組み、息を吐く時、肛門を引き上げて行う。

4手振りの時、真祈り体操の振り魂をする時、八の字の手振りの時 親指と小指を付けて行う。

 以上、如是我聞ですが、宜しくお願いいたします。

河上さん?
 ありがとうございます。
 これでいいんですけども、それを全部できたら理想だし、悟ってしまいます。中々最初はできないから、あまり具体的に、まあ具体的に説明はしていますけど、そういう形でマトメなかった、わざと。今、マトメられたので、これが文章として残るので、はっきり言っておきます。
 
 挫折した方は、最低限、真祈り体操だけを朝晩15分するんだと思ってください。真祈り体操をしていると、自然に呼吸も出来るようになります。もちろん、真祈り体操、印可書を奉読しながらですよ。ですから、真祈り体操を15分っていうと、その手は出来るだけ15分頑張って、手だったら出来るじゃないですか?15分上げっぱなしでやると。で、足は上げて、30秒もせん内にだるくなるという人は、すぐ降ろして、また上がるようなったらあげて。 でも、15分間は印可書を唱えながらすると、いうことを、朝晩これだけは最低限してください。 これが出来ると自然に呼吸法が整ってきますし、全部前向きに進みますので、それで。
 
 だから、人によったら、その朝起きる前に15分真祈り体操したら、あとラジオ体操したくなるんだけど、していいですか?っと。していいです。 だから、それはみんな自由にしたらいいんですけど、最低限15分朝晩してください。 だからすると、あとその人によって難しいことを色々あるんですけど、全部こなしていけるようになりますから。
 
 で、一番大切なのは、挫折するという意識は、何かというと、自分がしようとしてるから。自分がすると、自分としての結果が気になるから挫折しちゃうわけです。 でも、本当は神さまがされるだけなんですね。 神さまされるだけというのは、結果を気にしないの。だから、「点滴、石を穿す」ことが出来るわけです。 あれ、自分でね、ポタポタと水を落としてね。 一緒にやってたら、すぐ「結果全然変わらへんわ。」って言って止めちゃうじゃないですか? でも、神さんの響きはそういうもので、「点滴、石を穿す」ことが結果にしないから出来る。 だから、そういうことが自然にわかるようになりますのでね、 最低限、真祈り体操だけは15分印可書唱えながらして頂いてやってください。
 
  僕のやり方でいうと、必ず、例えば、8時5分からとかって、出来ないじゃないですか?だいたい、パッと時計の針見て、あとそれが20分ぐらい動く形の間するみたいな形してしてるわけですけども。それくらい自在にね。 で、真祈り体操だけは頑張って頑張って努力してやってみてください。 ほんなら、他のことも自然にできます。 ありがとうございます

司会者
 次に他の方からの質問です。両手の親指と小指をつけた印ですが、組みながら振っていると、以前、河上さんが示してくださった勾玉の手の形を思い出しました。 何か関連があれば、ヒントを教えていただければ幸いです。

河上さん
 これは関連があるんですけど、勾玉の手の形はね、手首柔らかくならないと出来ないわけですよ。 で、最初からそれ言うと、みんな挫折してしないんでね、何よりもあまり形言うと、印可書唱えるの忘れてするからね。 形だけしても意味ないんだということだけ分かっていただいて。 で、もちろん、魂振り(魂殖り)をしていると自然に、まあ、するようになりますから、それまでは楽に楽に振ってみてください。 ありがとうございます

司会者
 2問目です。かけかせ棒を使っての、一日3万3000回の素振りですが、何も持たずに、親指、小指の印の両手を組んで振るのはカウントされますでしょうか? 今の職場で、職場が待機時間がたびたびある職場で、目をつむって、合気体操の魂ぶりを、魂ぶりのように小さく振ったり、印可書の書経を書写をしています。 2人、同室者がいますが、なんと思っているかは知りませんが、特に注意もされません。 もし、何も持たずの素振りにカウントされる形やコツがあれば、ご教示いただけたら助かりますが、さすがに無理でしょうか?

河上さん
 何も持たずの素振りで大丈夫です。 で、あんまり形言うとあれなんだから、自由自在にやっていたらいいんですけど、基本的な形としては、その何も持たずにするときは、親指と小指をこうつないで、つないでいただいて、これ右前、左前どっちでもいいですから、つないでいただいて、ほんで出来るだけ背中につける。で、振りかぶって手を出来るだけ繋がって、ほんで 頭すれすれに通ってギュッと伸ばして、お腹に当てる、おへそに当てる、みたいな感じで一回になりますので、それを基準にしてください。 それだったら、竹刀持たずとも出来ます。 この頭すれすれが大事なんです。 そやけども、それ、すれすれがしんどい人はね、構わないから、うっと振りかぶってやってもいいです。 でも、最終は頭すれすれで、ぐっとこう出せるようになります。 それで一回になります。
 
 で、そのまあ、職場で周り誰も言わないのは、あんまり触らんとこ、知らん顔しとこう、みたいな感じですけど、まあ、それはそれでいいじゃないですか?自在にやってみてください。もし言われたらね、出来るだけ目立たないように形を変えてしてくださいね。 ありがとうございます

司会者
 3問目です。 親指、小指の印で両手を組み、へそ前で小刻みに振っていると、全身に振動が伝わります。 先生がおっしゃられていた六種震動(ろくしゅしんどう)の真似をすることで祈り言葉を唱えることと同様、呼び水のような効果があると考えてよろしいでしょうか?全身が打ち震えるという六種震動も、物事が透き通るようにわかる感覚と同様、悟りの門前に立っている目安になりますか? 、

河上さん
 だから、印可書を奉読しての話で、形だけをやってそうなったら、念力に落ちて大変になります。 で、基本的には、その受け取り方でいいですけども、必ず印可書を奉読しながら、というのを忘れないでください。 「最高の真理の言葉を駆使」するということですね。

司会者
 ありがとうございます 今月の質問は以上です。会場の皆さんから何か質問ございますか?

質問者aさん
 ありがとうございます 振り魂についてちょっと確認したいんですけども、二、三お願いします。 以前、真祈り体操の時に教えていただいた形、右手の手のひらに左手を乗せて、で、上下にする時のコツで、この単なる上下運動に見えるけども、一旦、ドンと下に降ろして、その反動で上に上がる。ドン、反動、ドン、反動っていうふうに受け取ったんですけども、今回のその親指と小指をつけて重ねて、手を組む印のや方でも、同じように、そのコツは生かした方がいいですか?

河上さん
 まあ、その人の体の癖があるんでね、どれが正しいというのはないです。 ただ、これでやるとドンやると手外れでしょう?無理でしょう?

質問者aさん
 その分軽く出していま。

河上さん
 ね、 だから、そのドンとか云々(うんぬん)とかあんまり考えずに、ただただ増える玉と思ってね、ここ(腹の前)に玉つくる感じで、増える玉で振る玉ですのでやってください。(質問者: ここ?お腹の前?に?)そうです。玉を作ってるの。 命の玉、光の玉をどんどん世の中に放り出す意味です。 ただ、言うように、印可書を奉読しないと念力になるから、形だけをあんまり気にしない方がいいというのは、そういう意味なの。まず印可書を奉読していることが大事で形だけをしたら大変になります。合気道でも、神道でも、この振る魂はあるわけですけど、それで悟ったという人がいないのは、その「最高の真理の言葉を駆使」していないからです。

質問者aさん
 もう1つ、その今、教えていただいた玉を作る振り魂、その中心が自ずと丹田に、合わさっていけば善いということですか?

河上さん
 だから振り魂の時も当然、肛門を閉めてですから。それが出来てから自然にそうなります。 まず「最高の真理の言葉を駆使」する印可書奉読が第一があって、 で、第2は肛門を締めるであって、(質問者:第二に来るんですね?) そうです。で、肛門を締めるのが一番難しいの。みんなお尻の筋肉がもうへたってる(弱くなっている)からね。 だから、長時間座っていると、お尻痛いという人は、それだけお尻の筋肉がへたってるから、その、肛門も中々閉めれない、ということです。
 
  だから、ほら、先生は正座されて長い間座っておられて平気だったでしょう? それくらい肛門が締めて、お尻の筋肉が強かった。 あるいは座禅でもね、お尻に座布団しかないわけじゃないですか?まあ敷く方もいらっしゃるけどね。だけど、座禅組んでも、お尻がバタっと付いてるでしょう?でも、長時間座って、お尻痛いって言わないじゃないですか。 それくらい肛門が締めれるくらい、こう、お尻の筋肉強いと痛くならないんです。
 
 だから、飛行機に乗っても、電車に乗っても、あるいは車に乗ってもね、何時間かしたら、お尻痛い人は、まだまだまだお尻を締めれないということです。 でも、あんまり形言うと、印可書忘れるからね、第1は印可書奉読することで、第2は肛門締める、その練習にタオルを挟むとかね、人のないところで色々とやってみてください。
 
  でも、それも中々できないという人は、最低限、朝晩の15分の真祈り体操したら、自然に肛門を締めようと思ったら、ですよ。 締めようと思って、しなくちゃいけないですよ。 ここが大事ですよ。 真祈り体操を形だけしたら、肛門開いたまましてしまうから。すると、長い間できないので、肛門を締めて出来ると、長い間は出来るようになるんでね、 真祈り体操も肛門締めてするんだということで、もちろん、印可書奉読してするんだということで、やっていただいたら大丈夫です。

質問者aさん
 わかりました。ありがとうございます

質問者bさん
 ありがとうございます  一点確認なんですけど、以前、宗教団体とか疑いがあるんで、えっと、食事会止めてで、今、お金も入れてないんですけど、まだ疑いは続いているでしょうか? また、えっと、村で今真祈りしてくれとんですけど、いわゆる村が雛形になったので、村で真祈りすれば、世界が収まる。 また、トラブルも起きていると思うんですけど、両方起きているような状態で、で、世界ちょっと大変になっているので…

河上さん
 世界の縮図やから仕方ないですね。 村で両方起こるのは。 それぞれが、それぞれの国の代表に一々対応していて、説明しませんけどね、 なってるだけです。 もうそれも仕方ないです。 でも、その村人がね、「最高の真理の言葉を駆使」するんだって決意決めてくれるだけでも、だいぶ違うんですけどね 、中々自分の都合を優先して、無意識にですよ。 自分がすると思ってる人は、「最高の真理の言葉」すらわからないですよ。
 
  だから、そういう人にどうこう言うても進まないんで、 ここに分かっている方が、一生懸命、「最高の真理の言葉を駆使」して、悟りを開いてね、 全人類の潜在意識、 要するに、自分で何とかしようとする、無意識に、自分の都合を優先しようとする意識を清め去ろうと思っています。そのための増える魂(殖り魂)でもあります。 だから、振り魂とかするとね、印可書を奉読せずにしたら、どんどんマイナス吸い込むだけで、自分が崩れていくの。

質問者bさん
  分かりました。村でも何が起こっても起こらなくても村に来てお祈りを…

河上さん
 そうです。あの統一教会に解散命令出ましたから。そのあちこちに統一教会が入り込んでいくと、国は見ているわけです。だから、たとえそうでなくても、新しく村人増えただけでも疑われるしね、どの形も疑われるんで。で、村人の方も別に外からお金を入れなくても、全然困ることはないということでしたので、今の形とっています。 完全に疑いが晴れたら、また自在に出来るんですけど。まだまだ、 ありますね。 だって、村で暴力があるなんて信じがたいでしょう?でもあるということは、それだけ疑われるということです。

質問者 bさん
 分かりました。 ありがとうございます

質問者cさん
 ありがとうございます  形ではないんですけれども、肛門を締めるのに、真祈り体操をするときに締めていると、足も力が入って、ちょっと振るときに足がきゅってこう力が入って。

河上さん 
 あ、それでいいです。ともかく、真祈り体操の一番の目的は、手の指先、足の指先から血を下に下ろすことなんです。 要するに、心臓に戻してあげたい。で、まあ、しんどなってきたら、下ろしていただくと、心臓へ血が戻るから、それがまあ、あの形の目的なんです。 ただ、「最高の真理の言葉を駆使」しなかったら、念力になっていくんでね、それだけです。 だから、まずはほんで、例えば足は膝曲げずに直角に上がるのが理想なんですよ。で、それはあと自分で工夫されてね、柔軟体操するとか、あるじゃないですか? そうしてやっていただいて善いですけど、最初はそんな細かいこと言わずにね、まず足を上げて、手の指先、足の指先の血を心臓に戻してあげるということが、形の上では必要です。でもそれ、しつこく言いますけど、「真理の言葉の駆使」がなかったら、大変になります。
 

質問者cさん
 真祈り体操。寝る前とかにするんで、結構そのまま寝落ちしちゃうんですけど?

河上さん 
 そう、それでいいです。 だから、理想は15分してからですけど、途中で眠たくなって、1分か2分で寝ちゃっても、それは構わない。 その分、朝頑張ってね。 やっていただいたら、いいです。

質問者cさん
 また、えっと、今まで15分、朝、前、印可書3回奉読続けてするのがいいっていうことで、朝、仏さんに座って15分してたんですけど。朝のこの

河上さん
 うん、真祈り体操に変えていいです。

質問者cさん  
 あ、いいですか? なんかそれで、

河上さん
 真祈りはね、時間空間を超えるんですよ。 だから、例えば遠くに先祖のお墓があって、お墓参り行くの大変という人はね、別に肉体が行かなくても、真祈りすれば、それで効果があるので大丈夫です。 で、たとえ墓場が草ぼうぼうになってても、それは大丈夫です。 でも気になるだろうから、何年かに一回は行って、草刈りしてもそれは問題ないです。

質問者
はい。 あと、それを寝っ転がっての真祈り体操をすることで、ちょっと朝、時間がなくて、できないときにあれやったからいいやって言い訳になってる時があって。

河上さん
 いや、真理の言葉を、24時間駆使するというのが最終目標ですから、言い訳になりようがないんです。
言い訳になる時はね、散歩の時だけ印可書奉読しているから、もういいだろうって言ったら、それはダメ。 
でも今回は仕事中も起てる間はずっと印可書奉読してくださいっていうね、 最終目標を示しちゃうから、言い訳のしようがない。

質問者 
 それこそ座ってやらなきゃいけないって捉われてた。

河上さん  
 そうです。 だから、トイレに行った時だけお祈りしてるからいいんだとかね、 あるじゃないですか?ね、それを極端に言うと、作業してるから、村のお掃除してるから、もういいんだ、みたいな言い訳になっていくわけです。で、言い訳させないために、連続してひたすら自分がする、自分がやろうという意識を全部印可書の方に向けさすと、先生がおっしゃったわけ。

 で、大体自分が何々するという意識を消したいんだけど、自分が何々するという意識すら気づいてないの。気づかずにするからね、 私だけこんな仕事してるのに、あいつはサボりやがってって腹立ってくるの。 でも、本当はすべて神さまが動いてくださってるだけで、自分が動くことは、この指1本1つ動かすにしたって自分では動かせないの。でも、なんか、自分が動かしているような勘違いしてるだけなの。 でも、それを気づいてもらうためには、「最高の真理の言葉を重ねる」しかないから、印可書奉読をってお願いしてます。 で、印可書奉読してたら、自分が動くのが、神さま動いてる全てって分かる。 分かると、さっき言ったように、本の見開きをパッと見ただけで、内容が分かるようになってくるんですよ。 だって、神さまの無限の英知が湧くから。すると、まあ、数学で説明すると、先、答えが分かるのね。 で、答えが分かったのを、みんなに説明するために、後の数式を出してくるみたいな、そういう感じになってきます。
 
 で、仕事で言うと、もう仕事の結果が見えるんですよ。 で、それにおいて最短距離が行けるよになるとかね、あるんですけど。それでも、まだまだ悟りには程遠いから、本に手をおいて分かるぐらいまでは、頑張って頑張って印可書奉読して深めていってください。
 
  悟りというのは、悟ってから深めていくのが大変なんです。 ほとんどの人は、色々と分かるようになって、病気も治るようになってきてね、ついつい自分が出来ると思い出すんですよ。 無意識に。で崩れるの。 自分が出たら、それは悟りじゃないというのがね、 中々わからない。だから、悟らせていただいて、ありがとうございますじゃないですか? という質問もあったんですけど、それは自分が悟らせていただいて、ありがとうございますって言ってるわけです。
 
 自分があるうちは悟りじゃないの。自分を消したら悟りなんです。 で、印可書奉読したら消えますから。 そんなら奉読を24時間に持っていったら、絶対すぐ消えるからね。 ほんだら大丈夫なんで。後で途中で自分がなんか出来るって思ってしまっても、もうどんどん奉読しているから、またそれも消してというね。 悟りって螺旋階段のような感じなんですよ。 だから、毎回、同じような風景が見えるんだけど、ちょっとずつ上がっていくというのが悟りになる。

 でも、その毎回、同じ風景の中で、なんか何でも分かるようになってきたら、自分が分かったと思うのね。思うと、その上がってる螺旋で下がっていくわけ。 でも、それも気付かないの、 みんな。そんで、本当に先生から担当を頼まれて、いろんな人、悟りに引き上げたんですけど、引き上げると、色んな事が分かって、自分は偉いんだってみんな思うのね。あるいは自分が分かるんだと思うの。それで自分が出たらダメって言っても、わからずに、落ちていくのね。

  だから、ただただ。 本の上に手を置いて、中身が分かるようになるまでは、まだまだと思って、印可書奉読を続けて進んでください。
 
  ただ、そのためには、体がね、気力が湧かないとダメなんですよ。 無気力になっちゃったら、もう疲れてね、何もできなくなるじゃないですか?でも、その真祈り体操すると気力が湧くの。例えば仕事、忙しくて、肩凝ったり、手つったりとか、足しんどなったり、腰痛になったりあるじゃないですか。で、その人はそれで「ああ、今日は大変だったな」と言って、お風呂入って寝ちゃうわけ。ほんで治らないの。
 
 でも、真祈り体操したら血が巡るから、疲れがすぐ取れるの。 それで、疲れが取れると気力湧くから、どんどん印可書奉読できて、いい方のスパイラルに入るんですけど、結果気にしてね。「 私はやっぱりできないから、ダメだ」っていじけちゃうと、もうマイナスの方に入っちゃうんでね。
 
  でも、もう待てないんで、やってくれって言って、ちょっと無理をお願いしていますけど、それでも自分がするんではないんだって、わかったら、何するのも楽なんです。 結果、気にならないから。さっきの「点滴、石を穿つ」じゃないけどね。 自分がすると思ったら、すぐ結果出へんからダメって思うだけでね。 で、それさえ分かれば、なんていうかな、挫折したり、いじけたりするのはなくなるんだけど。みんな結構ね、謙虚なふりして傲慢なのね。 で、「私なんかできないわ。」って言って、謙虚なつもりや。 でも「できないわ。」というのは、本当は傲慢なんです。 神さまが出来ることしか、その人に与えてないから。
 
 これだけは分かってください。 神さまは全知全能で何でも分かって何でも出来る方なんです。 だから、その方(神さま)が今、先生を通してね、印可書の奉読ということを、皆さんに言っているじゃないですか? それはできないんじゃなくて、出来るから言っているわけです。 でも、謙虚なふりして傲慢な人は、「私なんかダメなのよ。 私は不器用でダメなのよ」、色々、言い訳の言葉がありますけど、そういうふうにして、結局、傲慢なんです。できないというのは、傲慢なんです。

  神さまが出来ることしか、させないし、出来るから動けるんです。 でも、結果気にしたらできなくなるの。 結果は関係ないから。 ただただその神さまの言うことを信じて、ひたすら印可書奉読するだけにしてたらね、 スッと出来るもんなんです。
 
 なぜかというと、自分で動かないから、神さまが動くだけだからってね、ある程度自分が消えてくると、神さま動くだけというのは分かります。 すると、無駄な動きもないし。 で、神さま動くだけっていうのは分かると、その見開き1ページをね、一言一句読まなくても、パンと分かるようになってきて、「あっ、これなんだ。」って分かります。 で、まあ、一番面白いのはテレビでね、ドラマあるじゃないですか。あれがね、第一回始まるとね、結末わかるの。 で、テレビばからしくて、見たくなくなるぐらい、変わりますから、悠々とやってください。 大丈夫ですから、結果気にしなかったら、みんな出来るようになります。

質問者 cさん
 今、印可書があるから、もういやだ、いやだって思っても、とにかく諦めないで印可書を奉読して。

河上さん
 そうです。だから、昔ね、その印可書がなかった時代は「ありがとうございます」 を40日唱え続けたら、悟れるって先生がおっしゃったの。 ところが、まず「ありがとうございます」が、最高の真理の言葉とわからない。真の神さまそのものってわからないから、ものをもらっての「ありがとうございます」を 40日、真剣に繰り返した人が、悟れなくて挫折したわけですよ。 どこの方って分かってるけど、言いませんけどね。 でも、ここにも来られなくなったんですけど、それくらい、その「神の御光御力御命」でもね、その「最高の真理の言葉」とは思ってなくって唱えたって意味ない。
 
 ところが印可書だけはわからずに唱えたって、効果あるように先生してくださったの。 それで印可書と言っています。 だから、「神の御光御力御命」で、これでみんな悟れるといって、僕は喜んだけど、みんな最初はね、「神の御光御力御命」を唱えているのね。 途中からね、神の御ひから御ひから御ひからになってるの。それくらい意味わからずに唱えているとは、そういう難しさがあるわけですよね。 でも、印可書は意味分からなくても効果があるようになってますので、 凄いものですので、ぜひそれで進んでみてください。
 
 まあ、どうしても印可書嫌だという人は、好きにいろんな言葉を使ったらいいですけど、挫折した時に初めて気付くと思います。 結果、印可書は結果気にならないんですよ。 長いからね、結果、気にしている余裕がない。で、途中でとぎれてしまっても、また最初からやりましょう、 あるいは途中からやりましょう、 最後だけやりましょう、みたいな感じで、自在に動けるからね、いいんですけど、他の言葉は短いから。「 あ、2時間で終わっちゃった。」とかって気になるの。 ほんだら私はやっぱりできないわって、謙虚なふりして傲慢になる。印可書は謙虚なふりして、傲慢になってる暇がない。

質問者cさん
 なんか印可書奉読していたら、どうしてもいつも同じあたりで、ポーッとなって、気付いたら凄い進んでたりするんです。

河上さん
 そうそう、それでいいんです。それくらい凄いもんなんですよ。それが、「ありがとうございます」だと、なんか気になることがあったら、途中でそっちに意識行って途切れちゃうの。でも印可書はその気になるところに意識行ってる時はポーッとなってるんだけど進めるんですよ。 そういう凄さです。だから気にせずにやってください。

質問者cさん
 わかりました。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 質問は以上です。会場の皆さんで他に質問されたい方いらっしゃいますか?では、河上さん、お話お願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます 幸い、お日さんが雲で涼しくなったんで、ちょっとだけしゃべりますけども。ともかく、朝晩の15分の真祈り体操だけは肛門締めながらね、やってみてください。 で、もちろん、最初は肛門締めるというのは10秒もできません。 でも、疲れたらやめて、またやろうというその繰り返しで、「点滴石を穿つ」ように突然結果が出ます。

 で、山登りでも、「八合目をもって半ばとなせ」っていうくらいね、どんどんどんどん積み重なってても、結果は見えないもんなんですよ。 普通は謙虚なふりして傲慢でね、自分がやろうと思ってるから、結果見えないと嫌になっちゃうのね。 で、それを乗り越えるために、先生が今回示してくださってますので、真祈り体操と印可書奉読しながらのお仕事をする、テレビ見る、新聞読む、本読むの練習をしてみてください。 あくまで練習だと思って、結果できなくてもいいから、毎回もう一遍やってみよう、もう一編やってみようってしてみてください。

 で、その毎回もう一編やってみようという意識がですね、神さまの愛の光で、神さまの御心に合うの。合うからいいんですよ。 でも、自分が努力してやってみようと思っているうちは神さまの響きと合わないんです。 で、本当にあんまり結果も気…、だから、いつも淡々と読んでくれって言ってるじゃないですか。 淡々と、というのは、自分が読むとか読まないんじゃなくて、只々やってみようってする。すると、自分が読んでるつもりなのに、「あ、印可書も神さまが読んでくださってるんだ。」って分かります。 そこまで行けるように印可書はなってるんでね。

 本当は先生のいらっしゃる頃、印可書ない頃はですね、「ありがとうございます」を40日間とか、4カ月とか3カ月とか、先生、いろいろおっしゃるわけですね。 で、してみるんだけど、みんな途中で挫折する。 あるいは、あの頃でしたら、お祈りの部屋に20日間通うだけで、今やから数字言いますけど、20日間通うだけでいいんですけど、みんな19日目に挫折するの、結果気にするから。そういう時代だったんですね。

で、本当に先生そろそろ、2015年のことですけど、そろそろ逝くから、あと任すからって言うんでね、「そんなん、あきません。」って、ちゃんと言って印可書を作っていただいて、まあ色々とあったわけですね。 その全てが集大成を今に持ってきてます。

 ほんで、世界的に見ても、いつ世界大戦、大戦争になるか分からない状況になってきました。皆さんは、新聞報道はちゃんとされてないんで、分からないかもしれないけどね、日本もいよいよ戦争に巻き込まれて、自衛隊が行くしかない状態になりかねない状態に今なっています。 だから、本当に大変な時に来てます。

 本当に1つ間違うと、本当、石油来なくなるのね。 で、石油来なくなったら、まず何がダメか言ったら、お米できないの。コンバイン誰が動かすの? 田植え機、誰が動かすの? 石油で動いてるのね。 だから、日本は石油止まったら全部止まっちゃって大変になりますので。

 もちろん、そういう大変な時でも、この草を食べてくださいとか、あるいはネズミを捕まえてきて串に刺して、こうして食べるんだよとか、色々と説明しましたけど、あれが役立たないように持っていきたいんでね、なんとか、今の一番簡単な方法で悟れることを示してますので、諦めずにやってみてください。

 戦争が起こる根本原因は何かというと、食べ物なくなるからなんです。 まず最初に、大戦争が終わって日本が負けてね、そんで朝鮮戦争始まったじゃないですか。で、あれ、始まった原因をね、みんな、中々はっきり分かってる人は言わない。言わないですけど、もうこの時期になったら言いますけど、北(現在の北朝鮮)というのは穀倉地帯と違うんですよ、工業地帯なんです。 で、南(現在の大韓民国)は穀倉地帯なんです。 で、それをあの韓半島1つで、ちゃんとまとまるようになってるのに、南北に分けたじゃないですか。そしたら北朝鮮は食べるものなくなってきたんです。 だから、食べる分を奪いに行ったの。それで、あの戦争が始まったの。あるいは、ベトナム戦争もそうなんですよ。 南ベトナムは穀倉地帯なんです。 で、北ベトナムはあまりものができないのね。 で、やっぱり食べる物なくなったから戦争が始まったわけです。 すべてね、戦争の最初のスタートは食べる物がなくなることなんです。

 で、それってね、国という国境をなくしてね、みんなで助け合ったら、ちゃんと収まることなんですよ。 でも、要らん国境があってですね、 そこの国が飢えてても、みんな知らん顔するじゃないですか。 お金出したら売ったるで、みたいなね。 それで戦争が起こるんで、今はそれがもう世界的に大変なんですよ。 ウクライナは穀倉地帯だし、ロシアはなんやかんや言っても、ギリギリの食料のところだしとかね、いろんなことがあって、いろんな要因が重なってですけれども、どっちにしたって、 赤と白、敵と味方、分け隔てる意識がね、 戦争の原因なんです。

 で、ほとんどの人は、敵か味方とか、例えば会社の中でも、あれは社長派か専務派とかね、 必ず分けて、派閥を分けて、あいつは悪いとか、自分の都合の正義感で責め合うわけですよ。 で、それが最終、世界的に溜まって戦争になっていきます。 で、そういうマイナスの分け隔てる意識を消すのは、真祈りだけなんです。

 で、ここは今までの宗教じゃないんだよ。 宗教団体ではないですよっていうのは、なぜかというと、ほとんどの宗教団体は敵と味方を分けてどうこうという教えばっかりなんですね。で、それでは戦争も収まらないし真祈りじゃないの。

 で、ここは、もうすべては、真祈りとは何かというと、すべては神の御光なんです。すべては自分、すべては真(まこと)の神さま、神の御光、御力って言うわけですけど、自分と他人の区別、自分と神さまの区別がなくなるのが真祈りなの。 だから、それが理屈でわかっても、分けてね、あれは味方か敵かとか、あいつスパイやとかってやるわけでしょう?ね。 だからそれを、そういう意識を消しようがないんだけど、真祈りだったら消せるんです。

で、真祈りをしていただくために、でも、自分では、とてもまだまだ分け隔てる意識あるわという人でもね、学校のいじめも分け隔てる意識、敵味方を分ける意識の結果、いじめはあるわけですけども、そういう意識がまだまだある人でも真祈りできるようにということで、印可書を作っていただきました。

 それで、この先生が亡くなられて約8年間、ひたすら印可書奉読を護摩でしていただいてね、 やっと皆さんは連続して印可書を奉読することができるようになったわけです。 なったから、先生が本読みながらでも印可書奉読、テレビ見ながらでも印可書奉読しなさい、お仕事しながらでもいいから奉読しなさいってやっと降りてきた。これで全員悟れるわ。 自分がしようという無意識の意識すら、印可書奉読だけに持っていって、あとは神さまがされているのが自然にわかるようにやっとなると。これで全員が、真祈りが進んでいったら、人類の潜在意識を全部消せるから地上天国が実現します。 やっと理想が実現できるわ。 やっとそこまで来たんですよ。

 それでも、まだまだね、みんなついつい、自分と他人を分けて、どうこう思う癖があるじゃないですか? その癖すらも消せるチャンスが今来たわけですから、どうか結果を気にせずにね、いつまでも意識分けて、あの人嫌やわ、とか思うけども、それも意識せずに気にせずに、ひたすら印可書を奉読してみてください。

 で、ひたすら印可書を、淡々と印可書奉読できてるというのを、なんて言うんですか、分かるために、本読みながらでも印可書奉読してる、テレビ見ながらでも印可書奉読してる、お仕事しながらでも印可書奉読してる、運転しながらでも印可書奉読しているというふうになってみてください。 必ず皆さんできるようになったんで、先生が降ろしてきたんでね。

 で、まあ、運転される方だと、印可書奉読しながら運転すると分かりますけど、無意識にスピードを落としてたりします。 そういう時は危ないところに突っ込まないの。で、そういうのが運転している方は分かりやすいと思いますけども、それは別にお仕事でも何でも一緒なんでね。 どうか淡々と印可書奉読するという。要するに、いろんなことをしながら同時に印可書奉読できるということをね、思ってください。 ともかく、無意識に自分がしようと思っちゃうの、みんな。でも、その自分がするという意識は全部印可書奉読に持っていって。 で、印可書奉読しながら、いろんなことしてると、他は神さまがされることになるんで、その感覚が分かります。 分かってきたら、自分という意識が消えてるんで。 無条件の幸せ、無条件の喜びになるんです。

 すると、どんな仕打ちを受けても腹立たないの。分かります?いろんな、いじめを受けたりなんかして、こんちくしょう、何くそって、みんな思うじゃないですか? それは自分がしようと思ってる、分け隔てる、自分、自ずから分けて書くじゃないですか。 自分という意識は、全部分け隔てる意識だから、腹立つわけです。 でも、それが立たなくなります。 だから、それがわかれば、もう完璧に近づくんでね。

 例えば、良寛さんという人は、凄い悟りを深めた方なんですけど、その良寛さんはですね、雨が降れば降れば降るがよく、雪が降れば降るがよく、暑ければ暑きがよく、寒ければ寒きがよく、というふうなことをおっしゃるわけです。 それは、自分の都合がないから、どの状態も楽しむだけ。 寒いのは寒いで楽しむ、暑いのは暑いで楽しむということですね。

 そういうことが自然に実感として分かるようになるわけです。そこまで行ったらもう本物ですから。 で、その自分がするという意識を無意識に持ってても、意識的に持ってても、印可書奉読にさえ持っていけば、今回は先生があと全部、本当はネタをばらすと、先生があとちゃんとしてくれるんでね、 大丈夫です。

 で、これはある意味、そういう意味で賞味期限があるんで、賞味期限中にやってください。 ここは宗教じゃないのっで、例えば人類が滅びずに50年後もあったとしてもね、50年後には、このやり方が通じないですよ。 それくらい先生の最後の最後の大おまけなんで、ぜひこの期間、逃さずにやってみてください。必ず必ず全員悟って連れていくという約束を、これでやっとできると思ってます。

 だから、自分という意識消えてきたら、まず真っ先に分かるのは結果が気にならない、どれくらいボロクソに言われようが、なんて言われても気にならなくなる。 只々喜べるだけになるというのがありますから、そういうのを基準にしてね、腹立ったら、まだまだ自分は分けてどうこう思ってるな、結果気にしてるなと思ってください。 で、本当に最高の悟りになれば、本に手を置くだけで全部分かりますから、そこに行くまでは、ひたすら慢心せずにね、進んでみてください。

 もうこれ以上の説明の仕方がないんだけど、質問があったらしてください。 お日さん照ってなくて涼しいから。あ、どうぞ。 いいですか? じゃあね、とりあえず、真祈り体操だけは欠かさずするんだと思ってしてください。 そうすれば、気力が湧きますから。何よりも真祈り体操したらボケないの。 この頃、記憶力悪いな、もの忘れ酷くなってきたなという人は危ないよ。 だからだいぶ頑張って真祈り体操してくださいね。 お願いしますね。 よろしいですか。 ほんだら、また来月お会いできること楽しみにしています。
ありがとうございます


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真祈りについて by 河上彰延 [Mail] 2026年08月06日(木) 05時34分
PC

真祈りについて

 真祈りについてのご質問ですが、まず、一番大事なことは、真祈りしようとしているかどうか?という、ご本人の自由意志が、一番大事なのです。

 どういう自由意志か?と申しますと、神さまに、一切報い求めることがないということです。つまり、神さまのお手伝いに徹するだけ、お手伝いしたから、真祈りしたからといって、なにも、報い求めないという自由意志が大切なのです。

 松下先生の提唱された真祈りと、一般の宗教団体の祈りとの一番大きな違いがここにあるのです。

 しかし、真祈りがどうしてもわからない・・という方々のために、あるいは、真祈りができている、すでに、自分は、悟った、自分を悟らしてもらってありがとうございます。またまた、現実をつかんでそれに巻き込まれているのに(敵味方と分け隔てて、責めあっている状態、あるいは、自分の都合という正義感を優先して、うそをついている状態、)、それすら気付かないで、真祈りしている・・・等々の勘違いがあるので、最後のおおまけとして、印可書を奉読しながら、お掃除をする、お仕事をする、本を読む、テレビを見るということを、先生から、支持されました。

 最初は、印可書を奉読が途切れることも、ありましょうが、それを、何度も、乗り越えて、どんな状態のときであっても印可書を奉読しつづけていきましょう。


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令和8年7月12日 by 河上彰延 [Mail] 2026年07月16日(木) 05時58分
PC

 宇宙神ありがとうございます

 令和8年7月12日護摩焚きで皆さんからの質問に河上さんが答えてくださいました。ありがとうございます

司会者
 今日は、6名の方から質問が来ております。まず、1人目です。

質問1
 神書640ページに、「地球における最後の審判は、目前に迫っているのです。各自の自由意思をはっきりさせてくるのです。自分の選んだ道へ振り分けられていくのです。自分とそっくりさんばかりの世界へ行くことになるのです。」と書かれてありました。まさに、今を表現されているように思います。自分とそっくりさんの世界で、世界で護摩木、紙を書いて、印可書を奉納する生活でも意味がありますか?日々の生活は、神さまが認めてくださるような生活ではなく、かといって努力することもなく流されている毎日です。このまま地獄に落ちていくのでしょうか?落ちていくのが嫌で、いろいろ行うのもギブアンドテイクのような気がして、自分自身が所在つなげ、強気な気がします。非常に低レベルな質問かと思われますでしょうが、神書を書き写していくと、できない自分にぶち当たり落ち込んでしまいます。質問ここまでです。

河上さん
 はい。次は別の人ですね。(司会者:別の人です。) ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。

 あの今の質問ですけど、質問された方が心配されるように、間違いなく地獄に落ちます。大丈夫です。はい。それ、どういうことかというと、例えば、先週、印可書を常時、奉読しながら本も読める。あるいはお仕事もできる、そういう練習してくださいとお願いしましたけれども。今の方の問題は何かというと、例えば、メモ護摩木を書く、あるいは宇宙船護摩木を書くということをですね、言い訳にしてるのね。

いろんな事あるんですけど、例えば、先生が「普段のお仕事も真祈りだよ。」とおっしゃって。村人に対しては、「山仕事も真祈りだよ。」とおっしゃった。それを素直に「はい」だけであって、言い訳に使ったらダメなんですよ。

 だから、私たち村人だったら、例えばですよ。「私たちは山仕事をして、それで作業もしてるから真祈りになっているんだ」って言い訳してるの。それは真祈りじゃないんです。わかります。

普段は普通の人も「メモ護摩木を書いてるから」、「宇宙船護摩木を書いてるから」、あるいはってこう何事も、あるいは「散歩しながら印可書を唱えてから」って、言い訳に使ってるの。言い訳に使ったら、それはギブアンドテイクであって、神さまの御心には添わないんです。響きが合わないの、周波数が違うの。だからやっても意味がないの。

 ただ、以前は、先生、いらっしゃる時は、先生が特別に皆さんにおまけを出して、皆さんの言い訳の分を先生が背負って、体に痛みにして消しながら、護摩木を書きなさいってしたのです。何故そういうおまけをくださったか言うたら、ちょっとでも最高の真理の言葉を積み重ねてほしかったから。

でも先生亡くなれたら、僕、最初の護摩の時に言いましたけど、「先生、亡くなられたから、これからはみんなが先生の身代りとなって、先生の代わりに真祈りして、しなくちゃいけないんですよ」。その真祈りのためには、「印可書を読むことが一番楽で便利ですよ」ということを説明しましたけども。そこなんです。先生いらっしゃらないことはもうおまけ無いの。

だから、ただ「護摩木書いたらいいんやな。」「散歩しながらでも唱えてるからいいんやな。」って言うて、言い訳に使ってる人は全部アウトなんですよ。だから、今、村がガタガタになってるんですけど。もうあの詳しくは説明しませんけどね。言い訳に使ったらアウトなんです。それがわからないうちは、ついつい怠けてしまうし、なるんですけど。

 例えば、何でついつい怠けてしまうか?何でついつい邪魔臭いなと思ってしまうか?何でついついうっとおしいなと思ってしまうか?って言うと、自分の都合で自分の立場で考えるからです。自分の立場で考えたら、自分の動くことはしんどいから嫌やなと、だからしたくない。

でも、これは昔、先生からお聞きしたことなんですけど、それをまだまだ言うてはいかん。そんなん言うたら、みんな逃げて行くいうことで言わなかったんですけど、いよいよ切羽詰まってるんで言いますけどね。

 その自分が自分にとって、凄くうっとおしい事、邪魔くさい事、しんどい事、嫌な事を喜び勇んでできるようになったら悟りなんです。先生の場合は、お正月に、みんながお正月で浮かれてる時に、汲み取りって言うて。大阪では汲み取りって言ったんですけど、要するに、昔は水洗便所じゃなくて、溜めるトイレじゃないですか、便所じゃないですか。そこの肥溜めに溜まったウンコをですね。人間の顔ほどの柄杓ですくって、肥たごに入れて、それをダンプカーに囲いがしてあるんですよ。そのダンプカーに渡し板がついてるんですね。それで、そのウンコを担いで、お正月にですよ。ウンコを担いで、ピチャピチャとウンコのしぶきを浴びながらね、ダンプの上に登って、ウンコをダンプに入れるわけですよ。それって凄い大変で重たいし、臭いし、しんどい仕事なんですね。それも先生が無条件に喜んでやれて、悟りになっていくんですけどね。

 それぐらい、本当に嫌な仕事、自分にとってですよ。でも、神さまの側に立ったら大事な仕事なんです。それを無条件に喜べたら、要するに神さまが一番いいようにしてるから、自分にとって必要だから、一番いいこんなしんどい仕事が与えられたと思って喜んでやれたら、悟りです。

あるいは、「何でこんなるの」って文句言うたら悟ってないのね。あるいは、「何であいつ手伝ってくれへんの」って言うても分けてるから悟ってないのね。そういう、そういうことなんですよ。

 だから、先ずそこをわかっていただいて。じゃあ何でそのキツイ、汚い、しんどい仕事が嫌だというと、結果を気にするからです。人から何て言われるかな?とか。あるいは、いつも言うように、この会場を埃一つ無いくらい綺麗にしようと思ったら、1ケ月かかっても出来ないわけですけども。そうじゃなくて、 出来る事を前向きにやろうとする事が大事で、結果ではないんだということがわかると、キツイ、汚い仕事でも出来るんです。

例えば、重いものを動かす事がやらなくちゃいけないとなって、自分には力が無いとするじゃないですか。それを10メートル先まで持っていかないとアカンとしても、自分に力なくて、ちょっとずつしか出来なかっても、ちょっとずつでいいから、しようとする気持ち、喜んでしようとする気持ちが大事なんです。結果、10メートル先に持って行けなくてもいいから、やろうとする気持ちが大事なわけです。それが悟りなんです。

 だから今、この質問の方のようにね、「ついつい惰性に流れて嫌なことは嫌だし、ああだこうだ」と言うてると、地獄に落ちるんです。何で地獄に落ちるかと言うと、地獄は神さまの愛で作られたとこなんですね。何故かと言うと、「動け」って言うても「邪魔くさいから嫌、じっとしてる」って言うてる人でしょ。でも動くことが光であり、神さまの命の働きなんです。

だから地獄に降りて、絶対の愛の優しい神さまが鬼の形をとって、追い回すのね。それで、針山に登らされるわけです。それで動くことの素晴しさを体得できたら、地獄から出るわけです。ただ、地獄というのはまだ幸せなところなんです。何ででか言うたら、仲間がいるから。邪魔くさがりの怠け者の仲間が一杯いてて、その仲間同士で登らされたらまだいいんですよ。

 もっと酷くなると、まあ宗教家がそうなんですけど、自分が働かずに神さまの名前を語って、集めたお金で生活してるじゃないですか。それを真祈りに変えていけることが出来ない人達は、死んだらどうなるかというと。魔界に落ちるんです。魔界というのは何か言うたら、絶対無のもっと奥で、人っ子一人いない、誰もいないとこで、声も出せない、足も踏ん張れない。もう本当に、ただただ落ちていくだけの場所なんですね。そこへ落ちてしまうんですよ。それは一番厳しくて、辛くて大変で、寒くて、もうどうしようもない場所なんですけども。まだ八寒地獄なんかは、立つ場所があるのね。地獄はまだ立つ場所があるだけ幸せなんですよ。

魔界に落ちると、もうただただ落ちるばっかりで。もう手応えになるところは一切ないっていうのは、すごい不安なことなんですね。そういうとこに落ちちゃうんですけども、そうなると、ちょっと助けに行くのも大変で、もう手間なんですけど。でも、そういう無責任に自分の都合を優先して生きてる人は、そういうことになります。

 だから、例えば大金持ちに生まれて、利息だけで生活できるとかいう人も、やはり死んだら、魔界に落ちていきます。人のために何も尽くしてないからいう感じですね。だから、これからどうしたらいいかって言うたら、先月説明したように印可書読みながら、漫画をテスト的にはね、漫画を読んでみる。それで、漫画に心を奪われて、印可書が止まるようやったら、まだまだと思って、また印可書を読もうとするということを続けてですね。それで、仮に印可書読むのが途切れても、自分を責めずにね、また改めてやりましょうと思ってやってみてください。

 先ず、それをしていただいて。次は普段の生活で、しんどいな、邪魔くさいな、嫌やなって思うことを結果気にせずに喜び勇んでやろうとしてください。そのうちに本当に喜べるようになりますから。喜べるようになったら悟っています。そこだけですね。それチェックに、チェック項目に使いながら、ひたすら練習してみてください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 2人目の方です。

質問2
 河上さんへの質問です。宇宙神ありがとうございます 40歳になる弟のことでご相談です。弟が家族のマイナスを引き受けているのだろうと思いつつ、印可書、護摩を書かせてもらっていますが、昨今の家族の事件もよぎり、質問させて頂きたく思います。弟は幼少期から落ち着きがなく、家族としても接し方に悩むことが多くありました。また、家族内では、両親の喧嘩が絶えず、父が母に手を上げることもありました。母が死にたいと口にすることもあり、幼かった私と弟は、母を心配する気持ちや、家族への不安を常に抱えていたように思います。そのような中、弟は中学の頃から生活が乱れるようになり、高校へは進学せず、薬物に手を出してしまった時期もありました。その後、19歳の頃には、薬物関係で逮捕されたこともあります。その後も生活面や金銭面で不安定な時期があり、両親に金銭的な援助を求めることも多々ありました。家族としても長い間心配してきました。

 また、中学の頃、母が弟の将来を案じ、更生のため施設に入れる決断をしたことがありました。母としては、何とか立ち直ってほしいという思いからでしたが、弟の中では、その出来事が今でも大きな傷となり、母への恨みとして残っているようです。現在は、7年ほど前から独立して仕事をしており、自分なりに生活を立て直そうとしている部分もあります。また最近、再婚して、生後半年になる子供もおりますので、家族としては、今後は穏やかな生活を送ってほしいと願っておりました。しかし、最近、金銭面で大きな問題を抱えているようです。本人の話なので、事実関係は確認できておりませんが、海外のカジノで作った借金があるとのことで、両親に500万円という金額を要求してきます。その際、過去に更生施設へ入れられたことや、自分の人生がこうなった責任といった母への長年の思いを持ち出し、お金を求めている状況です。

 また母に対しては、「将来の相続分として、生前贈与という形で、父からお金を出させろ、出来ないなら殺す。」といった命に関わるような強い言葉も使うこともあるようで、家族としても大変心配しております。もちろん、弟にもこれまで抱えてきた、苦しさや寂しさ、家族に対する複雑な思いがあるのだと思います。私自身、弟の苦しみも理解したいと思っています。しかし、これまでの弟の言動を考えると、本人の言葉通り、取り返しのつかないことが起きてしまわないかという不安も大きくあります。

 また、家族として心配する気持ちがある一方で、両親を苦しめる現在の状況に対して、許せない気持ちがあるのも正直なところです。両親も年齢を重ねており、このような形で金銭的な要求に応じ続けることが、果たして弟本人のためになるのか、また家族として、どのように向き合っていくべきなのか分からず悩んでおります。家族だけで抱えて判断することに不安があり、河上さんのお考えを伺いたいと思い、ご相談させていただきました。長文となり申し訳ありません。どうぞよろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます この問題は、ごく標準的な世間的な問題でしてね。それがちょっと極端に現れてる。何が問題かというと、ギブアンドテイクの心です。もう、この世的な人は別に、その方を責めて言うてるんじゃなくて、この世的な人は、みんなそうなんですけど、ギブアンドテイクで生きてるのね。ギブアンドテイクで生きていると因縁因果の世界に流されて、それが極端に現れると、今のような事例、まだ殺人までいってませんけども、事例になります。それで極端になれば、殺人までいってしまうと、殺したら殺される、やられたらやり返すの繰り返しになっていくわけですね。

 それで一番大事なところは、総責任者の自覚というのが普通の方は持ちようがない状態、ギブアンドテイクで生きてるからですけども、なんですよ。でも、そのどんな状態でも、自分自身が選んだ事には、本当は変わりない。でも、ギブアンドテイクで生きてる人にね、「あなたが選んで、結局はそうしたんじゃないか」と言うても、「いや、強制されたからしたんだ」とかね。まあ極端な話ですと、今の闇バイトの世界ですよ。闇バイトの世界に何ではまるかというと、ギブアンドテイクで生きてるから、「あの人にこうせい」、要するに無責任に生きてるわけです、ギブアンドテイクいうのはね。だから、「あの人にこうせいって言われたからしただけで、自分には責任がない。」、「お母さんに更生施設へ入れって言われただけで、自分に責任ないのに、無理やり入れられた」という感じで、自覚がないだけなんです。

 無いからどうこうしようかって言うて、外から言うたって、誰も受け付けないんですよ。それぞれ、皆さん、お一人お一人が自分にとっての自分に都合のいい正義感をお持ちになってですね。「自分は、私は間違ってないもん」ってやるわけですね。大なり小なり。

「私、間違ってないもん」という、思ってる人にですね、「お前、それおかしいやないか」、ああ、やこうやとか、あるいは、「総責任者の自覚ないから自分で選んだんやないか」と言うたところでね。「いやいや、私は強制されてしただけよ。」闇バイトもそうでしょ。「あの人にやれって言われたから殺しただけ」っでみたいな感じじゃないですか。

そういう感じの因縁因果から抜け切れてない人に、外から何言っても無駄です。ただただひたすら真祈りを祈るだけ、それしかないんです。

 でも、ほとんど普段、この因縁因果に生きている人は、「祈ったって何も変わるもんかい」って言うわけですね。それ言うてしまうと人類が滅びるだけの世界。要するにやったら、やり返す。やらやられたら、もっとやり返す。今の戦争、国と国との戦争そうでしょう。ロシアとウクライナの問題でもやられたから、これだけやる。またこれだけやられたから、そしたらロシアの石油設備撃ってやって成功したんだ。ロシアはロシアで、これやりやがったな、そしたらこうじゃっていう、もうどんどんエスカレートするばっかりじゃないですか。でも、ギブアンドテイクってそういうことなんですよ。その戦争でなくてもね。

例えば親切でなんかしてあげるとするじゃないですか。やった方は十やったと思ってるわけね。でも、してもらった方は二ぐらいしか思ってないの、まだマシな人は、二返してくれるのね。そうだけど、やった方は「十もしてやったのに、あいつ二しか返しよれへん」とこうなるわけですよ。すると、因縁因果がどんどん始まるわけですね。

 本当の神さまの御心というのは、いつも申し上げますように。空気も水も、すべてタダで与えてくださって、この地球の大地もね。タダで与えてくださって、お金払えって言わないじゃないですか。その神さまの心が理想なんですよ。だから、人になんかしても、一切報い求めない。ただただ、だから一切報い求めないから、逆に言うとキツイ、汚い、しんどい仕事でも喜んでやれるんですよ。一切報い求めないから、結果気にしないから、10やるところを5できても、それで満足出来るんですっていうことなんですけど。

 ギブアンドテイクに生きている人にはもう無駄。それで、そういう人の心を変えるのは、その潜在意識のギブアンドテイクを消すしかない、それが真祈りです。

 でも、皆さんの祈りは、今までは真祈りじゃなくて、願い事なんですよ。願い事では何も変わらないんですけど、みんなは願い事することが祈り。だから、ほら、神社行けばあるじゃないですか。絵馬に東大に合格しますようにですとか、病気が治りますようにとか、書いているじゃないですか。あれをみんな祈りだと思ってるんですけど、あれは祈りじゃない、単なる願い事。

 それがわらないから、祈ったって何も変わるものかってなるわけですね。そこがわかってくると、ひたすら真祈りを出来るようになろうとするんですよ。でも、なかなか真祈りが難しくて、先生から引き継いだ最初の護摩でね、真祈りって難しいよね。でも、呼吸に「ありがとうございます」乗せようねって言って、言ってもですね、みんな乗せ切れない。「乗せ切れないから苦しんです」って質問も来ないくらい出来なかったわけですけど。

 それで、先生の方から、もう最後の大おまけでこの前出てきたのが、この手の印(親指と小指の先端を合わす)と、それで、どんな仕事をしてても、どんな本を読んでても「おさんどん」してても、お洗濯してても、常に印可書を読み続けられる自分になりなさいというね。それが悟りだよということを先生からきたんで、ぜひこれでやってみてください。

 今、この質問をされてきた現実はぐちゃぐちゃで大変ですけども、これいじったって、余計ひどくなるだけなんでね。ただただ印可書奉読しながら、お仕事を色んなことをしながら、そっちに心を奪われず、いつも印可書が読める状態にやってみてください。それしか解決する道はありません。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 3人目の方ですね。

質問3
 宇宙神ありがとうございます いつも素晴らしい学びをありがとうございます 質問を3つお願いします。

 1.和光同塵(わこうどうじん)について、この考えを学んだ時は、私の耳かきのような些細なマイナスを祈りの中に入れることで、そのマイナスが消えると理解して、私の感情は、怒りでいっぱいで、お祈りを継続しているうちに、怒りが収まることで納得していましたが、河上さんの以前の朝の勉強会のCDで、和光同塵の説明で、本心は、マイナスの体験を喜んでいると話されているのを聞き、私的には、マイナスでも、本心は喜んでいると思うと、穏やかな喜びさえも感じながら、お祈りができているように感じられています。また、この世的には、プラスでも喜び、感謝しながらお祈りしています。このような理解でよろしいでしょうか?

 2.私の体のことをお尋ねします。6月初めに、右膝をブロック塀に強打しました。整形外科で検査を受け、骨の異常はなく、湿布を電気治療を受けていましたが、電気治療の経過はあまり良くないので、止めて痛みがある時、湿布薬を塗布していますが、痛みが軽くなる程度です。痛みが少ない時は、足のリハビリをしたり、歩いたりしていますが、家の片付けと体力を使うと、膝が曲がりにくくなります。どのような工夫をしたら良いのでしょうか?

 3.マイケル・ジャクソンについてお尋ねしてよろしいでしょうか?亡くなった今も、ファンは増え、生前のマイケルを知らない若者にもファンが増えていますが、自作のマイケルの歌の中に、当時はまだみんなが実感が湧かないような地球や世界情勢のことを歌っていますが、その内容が、現在の地球や世界を合致しています。マイケルは、「愛や平和のことを記者会見で話しても、伝わらない。愛や平和の歌を潜在意識に伝えるんだ」と言っていたことが、今、みんなに伝わっているのでしょうか?本心を生きた人でしょうか?

河上さん
 はい、ありがとうございます まず病気治しのとこですね、膝の痛み。これは動かさないと治らないんですけど、動かし過ぎたら逆に悪化させます。一番いいのは先月ですか、しました真祈り体操。親指と小指をつけて、中指を中心に振るあれをやってください。それで、左足だと思うんですけど、左足をもやはり上げて振る。仰向けに寝て上げて振る。振って、痛いようだったら止める。右足は普通にやって、しんどくなったら止める。またやるようになったらするをして、やっていただけたら、「印可書を読みながら」ですよ。やっていただいて、ここが大事だからね、形だけやってもダメだからね、印可書読みながらしていただくと、それは治ります。

 和光同塵については、和光同塵とは、すべては完璧な一つという意味なんですよ。光も、塵も何もかもが、神さまが必要で現されてるという、完璧な一つのことを、和光同塵と言います。それで、この方の理解の何が問題かというと、まだ自分と他を分けてるのね。だから、自分でわかったつもりだけど、何かわかってないような気がするから質問されたと思うんですね。

 それで、一番大事なことは、この世の出来事は、プラスもマイナスも同じなんです。同じマイナスなんです。所詮は虚の世界というマイナスなんですね。だから、どの事もすべて一つのマイナスと見て、でも必要で神さまが現してる。要するに、この世でいうマイナスとは何かというと、自分にとって都合悪い事ね。この世でプラスというのは自分にとって都合のいいことだけであって、所詮は影というマイナスなんです。でも、影でも神さまが必要で、例えば影遊びするじゃないですか。あれ、影遊びなんか無駄だとは言わないでしょう。影遊びは影遊びで楽しむじゃないですか。必要で神さまが現れた、ある意味大きなゲームですから、楽しんでいたらいいだけなんですね。それを「無条件の喜び」と言います。それが出来ますと先にお話ししましたように、自分にとって都合の悪い、しんどいこと、邪魔くさいこと、嫌なことを喜び勇んで出来るようになります。そうなれば、本当の和光同塵です。

 最後がマイケル・ジャクソンですけど、マイケル・ジャクソンも結局、何が問題だというと、自分と他人を分けて考えておられたわけですね。分けてるうちは、真祈りにならないから、具体的に世界が変わらないんです。ここが大切なんです。

 それで、歌というのは、真祈りに近いのが何でかというと、みんなの心が一つになって分けられないじゃないですか。同じ歌をそれぞれ歌ってても、合唱して楽しむじゃないですか。そういう感じで、分け隔てがなくなるから歌は効果が強いんですけど、それでも真祈りまでは、なかなかいかないんで。何故かというと、自分が歌ってると思ってるからね。自分が歌ってると思う内は、なかなか本物ではないわけです。

 それで、歌手でも何でもそうです。プロの歌手でもそうですけど、本当に上手い人、美空ひばりでもそうですけど、本当の上手い人は自分が歌ってるは消えてるの。それで、ただただ喜びだけになってるから、上手い歌手の歌を聴くと「いいな」って思えるわけですね。それくらい、自分が消えるまで真祈りになっていかないです。美空ひばりの歌、あるいは、ちあきなおみの歌とかね、歌の上手い人の歌を聴いて、心が癒されて救われたという人が多いわけですけども、それはそれで自分がないからです。

 それをさらに進めて、普段自分があると思っている人でも、自分が無くなったら悟りですから、その自分を無くす最短距離をこの前お話したわけです。肉体は馬で、本心の自分がその肉体の馬を乗りこさなくちゃいけない。じゃあ、その本心の自分、要するに自分が無くなった状態をどうして出すか?「印可書をずーっと唱え続けて。唱え続けながら、仕事も何でも出来るとなったら、本人の自分が現れてるから、どんな何をしても真祈りになるんだよ」ということを先生から聞きましたので、それをやってみてください。そうすると、今の質問3つとも全部すぐわかるようになります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます じゃあ、次の方です。

質問4
 河上さん、いつもありがとうございます 宇宙神ありがとうございます 昨年10月に山で転倒して、手首を折り、手首に金属を入れて固定しました。もし金属を抜くのであれば、1年以内なので、8月に金属の抜く手術をしようと思ったのですが、もう山でこけても折れないと信じ、もう金属を入れたままにしようと思います。ドクターからは手を突くことがあり、金属の先端で折れると、ちょっとややこしいことになるとある患者さんの事を言っていたらしいのですが、言葉通りになるということを信じて、絶対大丈夫と信じて、手術を止めて、気をつけて過ごせば良いでしょうか?それとも、金属を抜くなら、10月までなので、今のうちに抜いた方が良いでしょうか?

河上さん
 ありがとうございます これは抜いてください。抜くのが一番大切です。勿論もう一生、これから自分はデスクワークだけで、その激しい運動も動き回ることもないんだという人は、そのままでいくと、金属が上に骨が回ってですね。金属埋め込まれてしまってなるんですけど、そのお医者さんがおっしゃるように、金属は弾力がないのね、骨は弾力あるけども、だから、弾力のない金属と骨のつなぎ部分で折れた時に次、継ぐのがすごく大変なんで、お医者さんの側から見たら、「どないすんねん、こんな所で折ってしまって、せっかく言うたのに!」、みたいな感じになりますので、できたら抜いてください。

 僕の知り合いで、お金がなくてね、その手術を受けれなくて、結局、金属埋めただけで、全身サイボーグみたいになってる人いるんですけど、もう体の筋が固まってですね、僕と同じ歳ですけど、腰が曲がって、大変な状態で生きてます。死ぬことはないですけれども、大変になりますのでやってください。そして、骨は、いつも言うように、ワダカルシウムのEXを飲んでね、補強していってください。すると、骨は丈夫になるので、少々では折れません。

 「言葉の力」というのは、何が問題かというと、「最高の真理の言葉の力」なんですよ。だから、それ以外の言葉は、最高の真理の言葉じゃないから、結局、因縁因果の中で流れるのね。たから一時的に自分の言葉でプラスを出しても、その下にマイナスがあるから、また何かが起こるだけなんです。だから、思う通りになる世界って、先生は神書に書いてくださってますけど、その後半にちゃんと説明してありますから、みんな都合のいいところだけ読んでね。あと、読まないから、こういう話が出てくるわけですけども。言葉通りの言葉の使う言葉が問題なんです。「最高の真理の言葉」以外はいい言葉はありません。所詮、因縁因果の世界です。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 5人目の方です。

質問5
 妙な質問なのは自覚しています。ピント外れでしたら、前もってお詫びしておきます。今年1月1日の村でのお祈りの会の際、河上さんはじめ、皆で数分間黙祷したのですが、その時の河上さんの姿、顔つきにとてつもない迫力を感じ、びっくりしました。何人もの和尚さんの座禅の姿、神官の祈祷の姿を見ましたが、落ち着き、静けさを感じることはあっても、迫力を感じたことはありません。河上さんの閉じた眼は内面を向いているだけでなく、外側への鋭い目線に見えました。あの迫力は、どこから生じるんでしょうか?祈りの内容、方法など、解説をお願いします。また、同じ迫力をこの会場でのみどりさんの姿にも感じます。できましたら、みどりさん本人の解説をお願いします。

河上さん
 はい。そしたらマトメて、みどりさんは今あんまりしゃべれる状態でないんでね、元気そうにしているけど、そうじゃないんで言いますけど。これは悟ってるか、悟ってないかだけの差です。悟ってない方は、何したって神さまと不離一体ではないんで効果はないです。

 その悟りって何かというのをね、「全員を悟らせて連れてこい」という先生の厳命ですから、出来るだけみんなが出来ることで悟れるように、色んな工夫をして、色んな説明をしています。要するに、みどりさんも僕もですけど、その人の嫌がる事、しんどい事、邪魔くさい事を苦にならない、喜べる。要するに神さまが必要で現してるということを信念として感じ取れるわけですね。だから、その迫力なんです。これ、ちょっとでも、自分の都合を優先したら、もう落ちちゃうのね。

 今、皆さんに「印可書の奉読を成就する練習」をお願いしてますけれども、これやっていきますと、本当に無色透明になってですね、何でも透き通るようにわかるようになってくるんですよ。そしたら、仕事でも何でも失敗せずに、最短距離で何でもサッサッサッと朝飯前に出来るようになってくるんですけど、ほとんどの人は、そこで悟ったと勘違いして落ちますから。わかるようになっても悟ってません。あるいは、その状態になると、病気でもチョイチョイと治せます。治せるけど、悟ってないから勘違いしないように。

 それで、今まで先生が「あなたは悟ったよ」と言うた人は、みんな心境的には無色透明でわかるようになってきた状態なんです。そこで先生の「最後の卒業試験」で、「あなたは悟ったよ」って聞くわけです、言うわけですね。そしたら本当に悟ってたらね「いや、自分が悟ることはありません。悟りとは、自分とか私ではないです。」ってちゃんと答えれるんですよ。でも、ほとんどの人はその悟りの手前だから、「先生から悟ったと言われた私、悟ったんだわ。」あと、「自分は悟りました。先生からお墨付きもらった。」って言うて、自分が出るのね。出たら落第。

 だから、これからは「あなた悟ったよ」って僕聞かないから、卒業試験ないですけども。でも、色んなことがわかって、病気治しが出来ても、まだまだですから。もうそこだけは、先ずわかっていてください。それを乗り越えて、要するに神さまが絶対に何事も一番いいようにされてるって、わかってきます。わかってくると無条件に喜べるようになるんです。無条件に喜べるようになると、肉体的に自分にとって邪魔臭い、辛い、しんどい、嫌だなと思うことが、無条件に喜んで出来るようになる。何故かというと、無条件に喜べるようになると、結果気にしないのね。人からボロクソに言われようが、なに言われようが気にならないから、悠々と出来るんです。そうなってきたら、何をしても無条件に喜べるようになってきたら、悟りです。わかりますか?ここまで必要なんでね。

 それで、今、印可書奉読してもらってますから、もう本当に人によったら、もう既にわかってきて、無色透明になってきてね、何でもわかってきて、スイスイと仕事がはかどるようになってきたり。あるいは、あの人の病気を治そうと思って、本人に知らせずにですよ。ちょっと祈ってみたら、治ったとか出てきますけど、まだまだそこではないんです。

 イエスが言うように、何があっても、「すべては神さまの栄光を現さんがために」、要するに神さまの大生命を現さんがためなりであって、自分がしたことは一切ない。本当に悟ったら、自分がしたことは一切ない。だから、自分がして、自分が悟ったはないんです。わかります?

 この今いらっしゃる方の中には、いらっしゃらないと思うんですけど、先生から「悟った」と言われてね、落第した方があるわけですけど、それは「自分が悟った」って言ってしまったからです。本当に先生が「あなた悟ったよ」って言われたら、「いや、あなたが悟るなんかありませんよ、先生。なにを面白いこと言うてんですか」って、僕の答えはそうやった。「いや、やめてくださいよ。悟りって、そんなんじゃないでしょう」って、逆に先生に説明した。そしたら先生がニッと笑って、それで終わったんですけど。普通の人は先生に言われたら、舞上がってね、「私悟った」って言うて、色々と落ちちゃいますから。わかります?

 だから、本当に印可書奉読してたら、何事も便利に上手くいくようになりますけど、まだまだですから。全部神さまがなさってるっていうことが、自分が消えてね。全部神さまがなさってるってなったら本物です。

 そうなると一番わかりやすいのは、もうそれこそ、「うんこの中に手で掴んで、手でうんこをこっち汲み出しなさい。」とかね。「犬の糞を手で掴んで、こっちへ入れなさい。」とか言われても喜んで出来る。今、極端な話のたとえですよ。それくらい自分が無くなるから無条件に喜べる。それが悟りなんです。 だから、先生は最後は、お正月にみんなが遊んでる時にね。美味しいものを食べてる時に、ろくな物を食べずに汲み取りをされるわけですね。その時でも嫌なんだというのは一つもない。ただただ喜べただけ。それで神さまの祝福があって、そこで大きく悟られるわけですけども、それをよく覚えておいて。印可書を奉読してると本当に何でもわかるようになるけど、まだまだやからね、お願いしますね。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 6人目の方です。

質問6−1
 下腹部を揺らすことについて、最初、下腹部を左右に横方向に振っていましたが、他の振り方があるのを知り、今はそちらをしています。それは、背骨を軸にして、左に右に小さく往復回転する方法です。これだと、丹田の位置がほとんど変わらないので、呼吸がしやすく、姿勢も崩れにくいので良いかなと思っています。ただ、丹田の位置は、ほとんど揺すられないので、それでも良いのかな?が気になっています。

河上さん
 これは、その人の体格とか色んな形でですね、その人にとってピッタリくる方法があるので、どれでもいいです。ただ、本当にその体を動かしながら、ちゃんと出来るようになると、肛門が自然に閉まるんです。キュッと。その意識的に締めようと思わずに、自然にキュッと締まるようになっています。そうなると成功です。 そうならないうちは、まだまだだと思って、ひたすら印可書唱えながら、やってみてください。

質問6−2
 7月1週目の護摩での質問で、「呼吸に印可書を乗せているんですけども、それについて、何かアドバイスをお願いします」との質問に対し、河上さんは、「呼吸に乗せるというのは、どういうことかというと、例えば、運転していようが、おさんどんしていようが、お洗濯しようが、お掃除しようが、お掃除とは別に心で『宇宙神ありがとうございます』が響かなあかんの。 それは印可書も一緒です。」とおっしゃいました。再度、質問者が「この日常、肉体意識はそのままで、かつ、背後で印可書が鳴り響いているっていう状態ですか?」とお聞きすると、「いや、鳴り響くより、自分が奉読しているという状態」と言われました。 鳴り響くのではないとの回答にショックを受けたのですが、考えてみますと鳴り響くとは、受動的に響きを聞いている状態と言えるので、勝手に響いたり、響かなかったりするんだろうかと思いました。一方、自分が奉読しているとは、本心の自分が意識して響かせていると考えると、絶え間なく祈りを響かせれるのかな?とも思いました。かなり理屈っぽい質問でしたが、このあたり、再度よろしくお願いします。

河上さん
 これは体感(大観)の部分なんですけども、でも、最初は説明を聞いて、自分でやろうとしなくちゃいけないんで、いろいろと説明しています。それで、その本当の鳴り響くになるとね、例えば、本を読んでても、本に心を奪われないけども、内容が理解できるんです。

  ここが大事なんです。あるいは仕事をしていても、仕事に心を奪われて、印可書を忘れることがない状態が大切なんです。だから、チェックポイントとして、漫画を読みながらでもいいから、印可書を奉読してください。それで、印可書奉読してるんだけど、漫画も内容を見て喜べる。あるいは、自分の好きな小説でもいいですから、小説を読みながらでも印可書を奉読する。すると印可書奉読してるけど、例えば、夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んで楽しめるみたいなね、そういう感じになってたら本物なんですよ。

 でも鳴り響いてると言いながら、現実に心を奪われてる状態だったので、この前は言いました。それを肉体意識を馬に例えてね。本心の自分がその馬を制御するんだと、いうことを言ってるわけです。だから、肉体意識は馬と一緒で、まあ馬に例えたら馬に気の毒ですけど、要するに「食べたい、食べたい、今、食べたい」ですよね。 「行きたい、行きたい、今、行きたい」。自分の都合を今実現したいだけ。そしたら「食べたい、食べたい、今、食べたい」って山盛り食べてたら、人間だったら糖尿病なるでしょう。あるいは腎臓病なるでしょう。病気になるでしょう、食べ過ぎたら。必要なだけを食べなくちゃいけない。

 その制御できるのは本心だけなんですよ。でも、ほとんどの人は本心を現してないから、50年過ぎるとね、40代後半から色んな成人病って言うんでしょう。それ若い時からの積み重ねが溜まってきて、出てきただけなんですけどね。それは、自分の都合を優先して「食べたい、食べたい、今、食べたい」で、(自分にとって)美味しいものばっかり食べてるからですけどね。食べ過ぎてるから、美味しいもの食べたらいけないんじゃないですよ。食べ過ぎてるからだけですね。

 だから、そういう本心の自分を現さないことには、本物にはならないです。でも理屈では、本心の自分を現すんだよって説明しますけど、じゃあ、どの状態が本心の自分が現れてる状態なんだというのが、誰もわからないんですよ。そのそこをみんな聞かないのね、意外とね。だから問題なんですけど。その本心の自分が現れてる状態をチェックするのが、さっき言ったように、しんどい、辛い、嫌な、汚い仕事を喜んで、無条件に喜んでね。まあ、最初は喜ぼうと思ってしたらいいですけど。でも理屈抜きに喜んでスッとできるようになったら(無条件の喜び→無限の無限の喜び)、本物。

 あるいは本を読みながらでも、印可書がずーっと唱えれてれる状態が本物だということで説明しました。それだけなんです。今の質問で質問された方でなくていいですから。何かあったら聞いてください。一番大事なとこです。

司会者
 (会場から質問ありました。)はい、どうぞ。

会場からの質問1
 凄いおまけをいただいて、ありがとうございます 先週教えていただいた、印可書を奉読しながら本を読むっていうことを練習してるんですけども。現状報告になります。文字を追っていくと、その理解しようとするあまりに、その文字の意味を考えてしまうんですよ。

河上さん
 そしたら印可書止まるやろう。(質問者:おっしゃる通り。) まあ、それ、何でか言うとね、結局、自分が、要するに肉体意識の自分ね、自分の都合を(ごめんなさい。ちょっとしんどいから座ってさせてもらいます。)あの肉体意識の自分が理解しようとすると思ってるから途切れるんです。本当は、本心の自分は無限力ですから、印可書を奉読しながら、悠々と本が理解できるんです。でも、まだまだ自分が奉読しようと、自分が本を読もうと思ってるから、自分が理解しようと思ってる肉体意識の自分がね、自分の都合を優先する意識が自分で本を読んでわかろうとしてるから、崩れるんです。

 だから、そこがね、本心現れてないということなんですよ。それで、この前、響いてるんだけど言うから、「ほんまか」というて、ちょっとキツイ目に言いましたけども、要はそういうとこなんです。

 それがわかるまではなかなか大変なんですけど。でも本当は皆さんね、本心現してるんですよ。いつも言うようにね、この映画の内容ね、ちゃんと全部あらすじを覚えておきなさいと言って見て、映画見たって覚えれないのね。でも、みんな楽しんで見てるから、「面白かった。あの映画は主人公が旅に出てね。そこで苦労してね、いじめられてね。でも頑張ってこうなったんだよ」って、みんなスッと言えるのね、楽しんで見たら。それは本心が現れてるから。要するに、喜び勇めたら、本心が現れるんですよ。 でも、それを口でね、「喜び勇んでやれ、楽しんでやれ」って言うて出来ないから。絶対に本心を現す方法として、印可書奉読しながら練習しなさいって言っています。それで本心を現したら、(小さい肉体意識の)自分という意識で理解しようと思わないから全部わかるんです。だから、それのとこが微妙なとこだけど、大事なとこなんです。次どうぞ。

会場からの質問者
 このやり方やったら、もう印可書ちょっと途切れてしまうんで、ちょっとやり方を変えようと思って。その意味を考えずに、その見たまんま、そのただ受け止める。そうすると流れてはいくんですよ、奉読しながら。ただ、その方法だと印可書は、まあ、奉読中心でこう流れて、本を読み進めていくことができるんですけど。まあ結果、その理解が浅かったり、内容を味わえないっていうこう、ちょっとジレンマ的な感じ。

河上さん
 自分が読もう、自分がわかろう、自分が味わおうとしてるから崩れるの。(質問者:それも、その方法も自分が)そうそうそう。本心の自分は無限力ですから悠々と。まあ、本当のこと言うとね、本当にそれでもまだ悟った状態じゃないんですけど、本当に本心現れてくると本を触るだけで内容がわかるの。だから、僕はいっぱい本を買ってね、読まずに積んでるように周りの人見てるかもしれないけど、触って全部読んでるんです。その中の大事なのは、改めて開いて見たりしますけど。それぐらい本心の力って凄いんです。

 それを自覚してもらうためにも、印可書奉読しながら練習して。そしたら自分を出せなくなってくるから。自分が出せなくなってくるというのは、無色透明なんです。そうなってくると本に触るだけ、CDに触るだけで音が聞こえるし、本の内容もポンとわかるんです。でも細かい細かいとこまで見ようと思う時だけ、その大事なとこだけ開いて読みますけどね。もう全体の流れはそれでスッとわかるようになります。でも、それでも悟った状態違うからね。それはわかってください。でもそこまでは、ほとんど今は先生のおまけあるんで、これ練習してもらうと出来ますので。そしたら普段の生活楽だからね、いろんな意味で、やってください。どうぞ次。

会場からの質問者
 じゃあ、今の最初のやり方で、まだやり始めなんで。その結果にこだわらず、まあやってみようっていう、その前向きな気持ちだけで練習を・・・。

河上さん
 そうです、そうです。だから、結果にこだわらずに。まあ、スタートは一遍読んだ本を使うことです。あるいは大好きな自分の漫画とかね。そういうのを使って練習していってですね。やっていくといいと思います。ともかく、その自分の都合を優先する、自分の意識と神さまと不離一体の真(まこと)の本心の自分との区別がつかないでしょう、みんなね。でも、みんな自分の都合を優先するだけの人は、ここに来れないの。本心の自分が出たり出なかったりしてる人だけが、ここへ来れてるんです。だから今の方法で何とかなるんでやってみてください。いつもいつも自分の都合だけ優先してたら村にも来れない。お祈り部屋にお祈りしようとも思わない。本心の自分が現れてくるから、やはりそっちが本物だと思ってね、みんな来るんですよ。だから、先生に頼っただけの人はね、先生亡くなられてからは来なくなる。でも、なんとか本心の自分を現したいと思ってる人は、先生よりも、もっとわかりやすい表現、「お前、低い響き合わすのは、お前、得意やから」とか、ボロクソに言われて、説明させてもらってますので。ちょっとは、わかりやすくなったと思うのでね。今の形でやってみてください。

 ともかく大事なことは、自分でどうこうしようという意識を無意識にでも持ってるということなんです。それをいかに消すかなんです。でも、理屈で言うたら消すだけど、自分でどうこうしょうという意識を無意識に持ってるのに、消しようがないですよ。それで印可書を読みながら、本を読めとか、印可書読んで仕事せえって言ってるわけです。すると自分がしようと思っている時は、印可書止まるわけです。わかります? 本心の自分のしてる時は、印可書も読みながら、仕事もできる、本も読める、テレビも見れる、映画も見れると凄い楽に(無条件の幸せに)なります。

会場からの質問者
 いかに自分がこう日常、自分の都合で生きてきているんだなぁっていうのが、よくわかった練習方法でした。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

会場からの質問2
 宇宙神ありがとうございます 先週のお話で、今、話されてた本を読みながら、印可書を唱えれるようになったらいいということと、呼吸に印可書を乗せてという2つのお話。特に本に印可書を乗せるのは、ちょっとびっくりしたんですけど、凄いことだなと思って。今、Wさんが話されたんで、同じ質問になるんですが。

河上さん
 だから、あの結局ね、呼吸が真祈りそのものなんですよ。だから、皆さん基本的には本心現れてるの。だって寝てる時に呼吸してるじゃないですか。でも、それを現せないって、自分の都合で打ち消しているだけ。寝てる時に呼吸しているのは、それは自然な働きだって言い訳してるわけです。本当は寝てる時に心臓が動いて、呼吸ができて、内臓が動いて。晩ご飯食べて寝ちゃったら、本当だったら、胃に食べ物たまっただけじゃないですか。でも、ちゃんと晩ご飯食べても朝になったら出すわけでしょ。

 それくらい本心の働きが現れてるわけです。それに気づいてもらうために言っています。だから、印可書を唱えながらというのは、唱えている時は呼吸に乗ってるんです。それがわかると、必要な呼吸が楽にできるようになって、もっと体が無理、無理がきく、表現は別なんですけど、もっと肉体的にもいろんな無限力が出てきます。 そういうことで言ってる、同じ意味合いなんですけども。

会場からの質問者2
 昔の勉強会のやりとりで、「書き物してる時とかは、お祈り言葉が途切れてしまうんです。」いう質問に対して、河上さんが「でも、その書き物をしようとしてるのは、誰がされてるのか言うたら神さまがされてるんでしょう。」というやりとりもあって、だから、何というか、本を読み・・・・。

河上さん
 だから、あの時でもね、そのいや、「でも自分が書いてますよ。」って、もう一遍質問するくらい、追求しなくちゃいけないことだったんですけど、それで「はい、わかりました。」ってなったんで、それでそれ以上言えなくて止まったんですけどね。常に神、イエスの言う「神の栄光を現さんがため」なんですよ。神さまの光が、この地上にも、この虚の世界でも現れると、いつも現れてるだけなんですよ。それを再認識して、神さまに「ありがとうございます」とお返しすることが大切なんで、それを、その最初のすべて神さまがなさってるのを実感として、わかってもらうために印可書唱えながら、まあ練習としては、本を読むとか、いろんな事をしてくださいということでお願いします。

 先生が、この方法で真祈り、今、真祈りしようとしてる人におまけ出すからと言うことなんで、この方法でいけると思っています。その祈りについて、さっき説明したようにみんな誤解があるのね。自分の願い事が祈りみたいに思ってるけど、そうじゃないんだ。自分の願い事は全部横に置いておいて、ただただ神さまのためにお手伝いするんだというのが、真祈りだということがわかるため。実感として、今、理屈で説明しましたけど、実感としてわかるためにやっています。

 例えば、合気道の植芝先生は、それを黙々と、合気道の練習するだけで真祈りになるということを伝えようとしたんですけど、伝え、伝え・・・。植芝先生は一生懸命されるんだけど、弟子たちが受け取れないままね、「祈ったってダメだ」、「合気道するしかないんだ」みたいな理屈を言う人が増えてしまったんですけど。それくらい自分がなんとかするというところから、抜けきれないのね。

 本当は真祈りというのは、みんなできてるんですよ。できてるから呼吸できるのね。でも、できてるから心臓動いてるんだということがわからすのが難しい。でも、じっとしてるよりは動いた方がわかり易いんで、貧乏ゆすりとか、夜寝る前15分、朝起きてから15分、真祈り体操して印可書唱えてくださいとか、いろいろと言っています。

 それで、本当にそのずーっと印可書が唱えれるようになったら、あるいは真祈り体操ができるようになったら、自然に肛門が閉まります。まあ最初は意識的に締めようとしてもいいですけど、自然に肛門が締まります。それが本来の本心の自分の肉体の動きなんです。だから、肛門のとこだけでもわかるし。あるいは、おへその下の丹田に自然に力がこもってきて、そこから光が湧くのが実感できるとかね。その人にとって、いろいろありますけど。いろんな姿があるんで、これから練習していただいて、いろんな姿が出てきたら、また質問していただいて。解説しますので、よろしく実践のほどお願いいたします。

会場からの質問者2
 最初のうちは、意識してお尻を肛門を締めるように・・・。

河上さん
 そのこれ、あんまり説明すると、肛門を締めることに意識いって、印可書が消えるんでね。あんまり言わないけど、ちょっと意識しては、やるでいいです。肛門締めなくちゃいけないとなった途端に崩れるんでね。

会場からの質問者2
 最終的には、もう一日中、日常のいろんな行動に印可書が出てくるいうのが・・・。

河上さん
 そうです、うん、まずスタートはそこから。でも本当に常時印可書を唱えられるようになったら、ハッと気づいた時は肛門がちゃんと締まってます。肛門がフワッと、普段の人はみんな肛門がね、締め切ってないんです。それを「気が抜けてる」って言うんです。「ああ、なんかあの人、気が抜けてるわ。」って言うじゃないですか。それはその状態なんです。それで意識して集中してワーってやってる人は無意識に肛門が締まってるんですよ。でも、それを常時できるようになると、本心が100%現れてるから、自然に肛門が締まるっていうことなんですけど、あくまでそれはチェックポイントの1つと思ってね。それを締めなくちゃいけないんだとなると、もう違いますから。よろしくお願いします。

会場からの質問者2
 あと、いろいろありますが、結局、真(まこと)のプラスがどんどん積み重なっていくと、自然とあふれ出すというのが。

河上さん
 そうです。絶対の信が出てね、もう神さまの命があふれてるだけ、嬉しい、楽しいってなる。

会場からの質問者2
 だから本を読んでる時に印可書も、じゃなしに自然とあふれ出すのに気付く

河上さん
 そうです。そうなんです。

会場からの質問者2
 祈っているのに気付くのが本当は。

河上さん
 自然に溢れるのが真(まこと)の本心ですから。だから、昔、村人が突然ね、「私、悟った」と言うてね。「嬉しい嬉しい嬉しい、楽しい楽しい」と言う人がおったわけですけども、それは本当の悟りじゃないから、続かずに崩れていくんですけどね。何故そうなったかと言うと、最高の真理の言葉を駆使して貯めてないから、絶対の信が立ってないから、ちょっと自分の都合悪いことが起こるとくじけちゃうの。本当に絶対の信が立ったら、どんなに自分に都合悪くても悠々とこなしていけます。

会場からの質問者2
 今はいろいろ考えなくていいように印可書を奉読していく。他の祈り言葉だと飽きたりするんで・・・。

河上さん
 飽きるというよりも惰性に流れるんです。だから「宇宙神ありがとうございます」も「ありがとうございます」も真(まこと)の神さまの御働きの光あふれた言葉なんですよ。その説明を聞いてもね、最初の10回ぐらいはそう思ってるんですけど、ずーっと続いてくると、ただ惰性に、「ありがとうございます」「ありがとうございます」言うてるだけになる。すると上手くいかなかったということです。

会場からの質問者2
 だから今は、神さまと先生のお約束で印可書が一番力があるということで。

河上さん
 いや、力があるというより、印可書は工夫してあるわけですよ。惰性に流れようがない。なかなか長いし、全部違う言葉だから。でも、全部最高の真理の言葉だからということです。

会場からの質問者2
 あと一つ、呼吸に乗せるということで。その呼吸は循環呼吸の吸い方が本当は理想ですね。

河上さん
 うん、だから、真(まこと)の本心の自分が現れたら正しい呼吸に自然に戻ります。その時は、自然に肛門が締まっています。でも、あんまり呼吸法を説明しないのはね、呼吸法の形に囚われて、それで、形で肛門を締めようとしてですね、失敗していくわけですよ。

 天風会というのがあって、中村天風さんが始めた呼吸法と、肛門締める修行方法があるんですけど、天風先生は死に間際にね、「今まで教えたことは全部間違えた、忘れてくれ。」って言うて亡くなられるわけですよ。それ、何でか言ったら、結局わかってもらえなかったの。だから、形だけしても無駄だということが言いたかったんですけど。(中村天風)先生の死に枕元におった方は、それを聞いておられるんだけど言わなかった。天風会が崩れてしまうからね。そういうことです。

 松下先生も一緒で、「今までのは全部方便だった。」って言ってね、あとはもう知るかみたいな感じで嘆かれたこともあるみたいな感じですね。それくらい理屈ではないので。何て言うんですか、今回の方法でやったら自然に全部いけると思います。ただ、スタートの時にね、前お知らせしたように、「あ・り・が」で吸って、「とう」でお腹に込めて、「ございます」で吐くを3回〜10回してからやってみてください。すると、結構、印可書の奉読が楽になります。あるいは、「ひ・ふ・み、よい、むなやこと」って言うてしてもらっても、使いやすい方を使っていただいたらいいんですけど。でも、それを絶対しなくちゃいけないじゃなくて、それをすると入りやすいのは間違いないです。

 そういう意味で、呼吸法を使うのはいいけど、常時この呼吸をしなくちゃいけないというと、それはちょっと違うんです。真(まこと)の本心の自分が現れたら、この前説明しましたように、例えば走ってる時はね、自然に2回吐いて2回吸うみたいな、自分にとってしやすい呼吸になるじゃないですか。そういうこう感じで、自在の呼吸法になるのが本物で、この呼吸法でなくちゃいけないと言うと、一遍に崩れます。それだけわかっていただいて使っていただくと役立つと思います。

会場からの質問者2
 その足掛かりとしては、先ず本を読みながら印可書奉読・・・。

河上さん
 そうそう、それをチェック項目にしたら、わかり易い。それが本当できているかどうかは、しんどい仕事を無条件に喜んでやれるようになったら本物だと思ってください。

会場からの質問者2
 はい ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

会場からの質問3
 ありがとうございます 今の印可書を読みながらの本の質問ではないんですけど、あの両手と両足を上げてバタバタするので・・・。

河上さん
 真祈り体操ね。

会場からの質問者3
 真祈り体操で、なんかやってると、手がちょっと痺れてきたり足つりそうになったりするんですけど、それは別に間違いではなく…

河上さん
 間違いではない。だから説明したように、しんどくなったら止めて、足もつりそうになったら止めて。でもその間に印可書を唱えてて、それでまたやれると思ったらやって。それが1秒、2秒でもいいからやって、また下げてということでしてると、自然に15分連続して出来るようになっていきます。そこで、無理しないのが大切なんですよ。その辺がね、ゴキブリ体操とは違う。形の上はゴキブリ体操と似てるんで、「あれゴキブリ体操ですか?」って聞く人もおったんです、違うのね。ゴキブリ体操は、ただ手を振るだけ、足を振るだけなんですけど。真祈り体操は先生からきた、この親指と小指を合わせて、中指を中心に振るとか回すとかするわけです。それのとこが凄い大事なんですね。ただ無理しないで、ちょっとずつやって連続にできるように持っていってほしいということです。

 だから、基本は真祈り体操が基本になると思うんですよ。だって、朝起きた時15分、夜寝る前に15分絶対できるもんね。それができた上で、いろんなことを試していただいてしていただくといいかと思います。

会場からの質問者3
 あと、その真祈り体操の時に、下っ腹というか、丹田に、自然に力が・・・。

河上さん
 そこはね、自分勝手に力を込めないと力むと、できないのね。だから丹田の位置ここだから、ここに力を込めなさいと言うと、またそれは意味が変わってくるんですけど。自然にこもった状態が実感できたら本物だと思ってください。そのための真祈り体操です。これをこの親指と小指を合わせて、中指中心に振るから、自然にお腹に丹田に力がこもるんです。

会場からの質問者3
 この間、気がついたら力入ってなくて、なんかポヨンとしてるなと思って、それは・・・。

河上さん
 いや、ポヨンとしてても、こもるという状態がわかってくるわ。だから「力む」のと「こもる」は違うの。それで、丹田にって言うたらね、みんな力むのね。だから、それはもう違うの。だから、丹田の話はあんまりしないし説明しなかったんですけど。

会場からの質問者3
 じゃあ、柔らかいままで・・・。

河上さん
 柔らかいだけでも、「こもる」「込める」というのがわかったら、そこから光噴き上がってくるのもわかってきます。だから、真祈り体操をやってたらわかる。大丈夫です。はい。

会場からの質問者3
 わかりました。あと、この上がる時に、中指で立つっていう・・。

河上さん
 そうです、そうです。

会場からの質問者3
 中指の意識はあるんですけど、なんか感覚がいまいちわからない。

河上さん
 要するに足の筋肉が弱いうちはね、感覚的にはわからない。でも、歩き仕事というか、そういうのが仕事の人なんかは、すぐわかるんですけど、そのうち足に力がついてきたらわかります。

会場からの質問者3
 中指で立つっていう・・・。

河上さん
 そうそう、立つという感覚が。中指だけで立つのと違うからね。中指を中心にして立つんだけども、足に力がついてこないと。だから、最初はみんな足に力がついてないから親指で立てって言うてたの。親指で立って足に力つけたら、中指で立つのわかるからね。それで、一足飛びに説明せずに段を追っています。

会場からの質問者3
 はい。あともう一つ。親指と小指を付けるので、運転中とかちょっとハンドルが太くて届かないんですけど、やってると・・・。

河上さん
 ああ、いや、その運転中、無理して事故を起こしたらあかんからな。楽にできるまでは、そんな無理せんでいいです。運転中はね、危ないもん。

会場からの質問者3
 太いものとか、ずっとつかなくても、意識・・・。

河上さん
 あ、そうそう、意識はこう合わすっていう。

会場からの質問者3
 やっぱり、やってると手がしびれてくるんですけど・・・。

河上さん
 そうでしょう。だから、しびれてきたら止めたらいい。

会場からの質問者3
 しびれたら止める。

河上さん
 そのうち自然にできるようになります。あくまで結果を急がずにね。できなくなったら止めて、またやってみてという繰り返してると、この辺の筋が自在に伸びてきてわかるようになるし。

会場からの質問者3
 つりそうになったり・・・。

河上さん
 そうそう、また筋硬いのね。この辺の筋が自在に伸びてくると肩凝らない。いろんな意味で健康になります。肩凝るというのは内臓に負担くるんです。

会場からの質問者3
 はい、わかりました。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

会場からの質問4
 いつもありがとうございます 印可書を奉読するってこと、やっぱりそれは自分の都合だとか色々のけてっていうふうに印可書を唱えるってことでしょうか?まあ、実際やってはいるんです。そのなんて言うか、本当にやってる、できている気がしないんですね。だから、本当にやっぱりどっかにギブアンドテイクが入っているんだと。

河上さん
 うん、だから自分がしてるという意識がある間はね、できた気がしないの。でもね、夜寝る時、呼吸してるでしょう。それ、できた気がするとかしないじゃないでしょう。あるいは夜、まあ普段もそうですよ。心臓は意識せずに動いてるじゃないですか。それできた、できてないじゃないでしょう。だから本心の自分が現れた時は、できたとかできてないがないの。只々あるがままに発露してる感じなんです。光が溢れてるだけの感じなの。それはできた、できないんじゃないの。

 だから、例えば、さっき先生がね、「あなたは悟ったよ。」と言うて、「ああ、私、悟った。」って言うた時は、できた、できてないにまだ心奪われているわけ。そういうと、それは悟りじゃないんです。だから、できた、できてないが消えるくらい印可書を奉読したらわかる。まだ自分でどうこうしようという意識が無意識にあるから、できた、できないが気になる。

 だから、例えばきつい汚い仕事を喜んでやろうというのが、喜んでできないのは、結果できたか、できないかが気になる人はできないんです。只々神さまの働きに沿ってやれるだけやりましょうって喜べたら本物なんですけどね。だから、できた、できない言うてるうちは結果気にしてるから、まだまだ。結果気にしなくなったら。だって心臓って結果気にせずに勝手に動いてるんでしょう。勝手にって神さまの命が動いてるんですけど。呼吸も自然に呼吸できてる。その自然というのは神さまの命なの。だからそこには、できた、できないのないのね。それがわかったら一気に広がります。できた、できないうちは世界が狭いの。

会場からの質問者4
 やっぱり自分の都合とか。

河上さん
 そうです。結果を気にする。人からなんと言われるかなとか思ってるうちはダメなんです。

会場からの質問者4
 自分の都合除けるっていうのは、どうしたらいいですか?ひたすら印可書を奉読・・・。

河上さん
 だから、自分がしているとか、要するに自分の都合というのは自分がしてる。自分でどうこうしようとしてるという意識なんですけど。それすら無意識にやっているから気付かないね。その自分がしようとしてる意識を消しなさいって言うて、「あっ、じゃあ、消さなくちゃいけない。」って理屈でわかっても、消そうとする自分が出てくるといつも言うようにね。キリないから、もうそれ横置いといて、只々印可書見ながら本を読む。印可書読みながら仕事をする。印可書読みながらお掃除するという練習をしたら、自分がする、しないを超えてわかるようになるということです。

 できる、できないを超えて。できる、できない言うてるうちは結果気にしてるのね。結果気にしてる時は自分が出てるの。できる、できないを超えてできるようになったら本物なんです。

会場からの質問者4
 今、現状、その自分の都合があったとしても、ひたすら・・・。

河上さん
 うん、だから自分の都合を消そうと思っても、また自分出るからね。それほっといて。只々印可書を読みながら本読むとか。印可書読みながら掃除するとかってしてたら、印可書を読んでる自分は本心の自分だから、自分でどうこうしようという自分が消えていくの。本心の自分だけ出したら、もう小さい自分は消えるから大丈夫です。

会場からの質問者4
 わかりました。実践します。

河上さん
 消すんじゃなくて勝手に消えるの。本心の自分が。要するに太陽が、ほら地平線から太陽が昇ってくるじゃないですか。そしたら、真っ暗闇が勝手に消えるでしょう。本心の自分が現れたら、勝手に小さい意識は消えちゃうの。そしたら先生のようになります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他に会場から質問ありますか?では、無いようなので河上さん最後にお願いします。

河上さん
 ありがとうございます ちょっと本当にしんどいんで、座って申し訳ないんですけれども、本当に先生からのね。まあ、これ失敗したら、また先生おまけ出してくださるかもしれないけど、一応最後の大おまけけだと思って、印可書を奉読しながら本読むとか漫画読むとかテレビ見るとか映画見るとか、いろいろと練習してみてください。それで、印可書奉読する自分は、本心の自分なんだということだけは信じてください。そうしてたら、印可書を奉読が途切れない以上は、本心の自分がいつも出てるから、すると自分でどうこうとか、「あんなんに言われたら嫌やな」とか、「こんなしんどい仕事できへんわ」という自分のそういう小さい意識が全部消えちゃうのね。太陽が昇ってきて闇が消えるように。

 そうすると、自分でどうこうしようという意識が消えちゃう。すると先生のように何事をやっても喜び勇んでできる無条件の喜びがわかります。

 さっき無色透明で、何でもわかるようになった自分の時は、まだ無条件の喜びになってないんですよ、わかるだけで。本当はわかったら、無条件の喜びで即行動に起こせるようになるんですけど、そのちょっと手前なんでね。じゃあ、あの人の病気治してみようとかね。じゃあ、これしてみようと思ってるうちは、まだまだなんだということが、だけはわかっててください。だから、いろんなことわかるようになっても悟ってはいませんから。

 そこを・・・、昔ね、三洗荘の時代に先生は奥さんが真剣にお祈りしてたんでね、引き上げたんですよ。だから、奥さん何でもわかるようになったの。なった途端にね、「私、わかるようになった」って言うて崩れちゃったんですよ。それぐらいね、難しいんです。 
 でも、また奥さん立ち直って印可書奉読してくれてますから、皆さんも少々失敗してもね、奥さんを見習って何度でも挑戦して練習するんだと思ってやってみてください。

 これが一番、昔だったら、竹刀を3万3000回振りなさいとかね、もう具体的な数を言いますけど、あるいは綱引きをね、何十分、30分、2時間練習しなさいとか、いろいろ。あるいは滝に打たれなさいとか座禅しなさいとか、そういう厳しいことをしないとできない時代だったわけです。でも、今回は印可書を奉読するだけやもんね。これ、これでけへん言うたら、やりようないんちゃうんっていうとこですので、ぜひ、これでやってみてください。

 また来週、来週違う来月ね、これに関する質問をどんどんしてください。大事な、大事なとこですし、これで全員連れていけると僕自身は確信していますから。

 ただ、実行していくらですから。実行しなければ何も始まらないんで。最初から完璧を求めずにね、印可書3行ぐらい4行ぐらい読んだら途切れて、「流されたわ」という状態になってもいいから、また次やってみましょうという繰り返しのチャレンジでやってみてください。そしたら、必ず皆さん悟れます、間違いなく。全員悟って、先生との約束を果たしますので、よろしく実行のほどお願いいたします。

 また、来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/wQfHFtaNpHc

 宇宙神ありがとうございます


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令和8年7月5日 by 河上あきのぶ [Mail] 2026年07月06日(月) 18時56分
PC

令和8年7月1週目護摩焚き河上さんお話し(20260705)

司会者
 これから質問の時間ですが、今日は一件もありませんので、たっぷり河上さんのお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
 
河上さん
  ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。質問がないということで、理想的な状態なので、はい。
 ともかく、その、皆さん普段お仕事するとか、行動するじゃないですか。その「行動する」というのは何に裏付けされているかというと、これが正しいと思う「信念」なんですね。信念によって、行動することができるんです。だから、朝、顔を洗って歯を磨いて、身だしなみを整えてするのが一番いいことだって信念になっている人は、欠かさずそれができるけれども、それが信念になっていない人は、例えば「あ、今日は会社休みだからしなくていいか」とかね、なるわけです。そういう感じで、皆さんの行動は信念があるかないかで決まります。
で、その信念はどうして作るかと言うと、言葉を積み重ねることによって作るんです。だから、言葉を積み重ねたら、初めて行動に移すことができるわけです。
 
 で、今、皆さんに印可書の奉読をお願いしているのは、その「真(まこと)の、最高の真理の言葉」を積み重ねてもらっているわけです。で、これ、積み重ねている量が、ある一定の量を超えると信念になります。どんな信念かというと、神さまに対する「絶対の信」ができるんです。すると何が起こるかと言うたら、何が起こっても「一番いいようになっている」、と分かるようになります。で、そうなると初めて、真祈りに入れるんです。

 で、真祈りに入ってから、まあ大体そこまで行った場合は、真祈りに入ってから3ヶ月で悟りに入っていきます。で、悟りに入ってから、また3年かかってその「悟後の修行」というんですか、深い悟りに入っていくわけです。これ、入れ子構造的に増えていきますけども、まずは皆さんは、「最高の真理の言葉」を「積み重ね」ていただかないとダメなんです。

 なぜ一般の人が真祈りができないかというと、マイナスの言葉を積み重ねているからです。それは、マイナスの言葉というと、みんなその、ほら、人を責めるとかね、「あいつは怠け者や」とか「あいつ悪いやつや」とか色々ありますけど、そういう言葉がマイナスの言葉と思っているじゃないですか。

 でも実際は、この世的な、何て言うんですか、優勝するとかね、金メダル取るとか、表彰されることあるじゃないですか?あるいは、この世的に成功することとか、そういうことを褒めるのもマイナスの言葉なんです。そこに気づかないと、永遠にマイナスの言葉を積み重ねて、運命に流転するんです。

 ほんで、マイナスの言葉を積み重ねてきたから、肉体を持ってこの地上に降りてきた、って言うたら聞こえがいいですけど、落ちてきたんです。落ちてきて、なおかつ、まだマイナスの言葉を使う癖がついているから、因縁因果という生々流転が始まるわけですね。

 で、生まれ変わっても「あの時、過去に、あいつにやられたからやり返さなあかん」とかね、「殺されたから殺し返さなあかん」とかいう、いわゆるギブ・アンド・テイクの世界に巻き込まれていくのを輪廻転生に流れるって言うんですけども、輪廻転生の因縁から逃れられなくなる、ということが起こります。このギブ・アンド・テイクの心が、いわゆるマイナスの積み重ねた心なんです。だから、「こんだけのことをしやがったから、こんだけのものを返して貰わなあかん」というのは大きな間違いなんですね。
 
 例えば神さまはね、私たちに空気や水やね、光や熱や、もう全て無尽蔵に与えてくださっていますよね。でも「こんだけ与えてんからお前返せよ」と神さまは言わないじゃないですか。その神さまの心を見習わなくちゃいけない。常に「与えきり」「尽くし合い」でね、もう尽くすだけで、一切見返りを求めない。一切見返りを求めずに与え尽くす、というのが基本なんです。
 
 ただ、それをね、この世的なプラス・マイナスで考えて、例えばこの世的なお金を与えているから、与えている、という風に、みんな勘違いしてマイナスを積むわけです。そこが一番大事なとこなんですけども、この世的なプラスがマイナスに見えないのね。だから結局、ほとんどの人はマイナスばっかり重ねているんだけども、気づかないんです。
 
 例えば、野球で言うとね、阪神・巨人って分けるじゃないですか?分けた時点でマイナスなわけですよ。だから「巨人が勝った」「阪神が勝った」でもいいし、今のサッカーだったら「ブラジルが勝った」「アメリカが勝った」とかね。その「分けた時点で全てマイナスなんだ」ということが分からないと、この世の因縁因果からは抜けれないし、運命は悪くなっていくばかりなんですね。
 
 で、それを抜けるために、先生は印可書を作ってくださいました。印可書を奉読すると、最高の真理の言葉を積み重ねていきます。で、それが積み重なって、ある一定の量、どこの辺で積み重なるかは、その人がどんだけマイナスを積んできたかの兼ね合いがありますので、一概に言えませんけども。あまり僕は過去世でマイナスを積み重ねていないから、先生にお会いしてすぐ悟っていけるみたいな感じがあったわけですけど、それは一人一人いろんな因縁の中で違いますので、一概に言えないけど。
 
 ともかく「自分の一切を神さまに投げ出す」って、理屈で言うとね。で、投げ出すというのは、最高の真理の言葉を積み重ねることなんです。積み重ねていったら、もう本当にその、神さまの絶対の愛というのがね、「空気も水もタダで与えていただいてありがたいな」「夜寝てる時でも勝手に心臓が動いて勝手に息ができてありがたいな」って、自然に、理屈抜きに分かるようになってきたら、絶対の信が確立されてきてる。
 
 そのためには、最高の真理の言葉の印可書を積み重ねていくしかないんですけど、それが分かって神さまに対する絶対の信、「神さま全てしてくださってありがたいな」「一切報い求めずに与えてくださってありがたいな」って分かってきます。分かってくると初めて、真祈りに入ります。
 
 で、そっから真祈りに入って、ひたすらお祈りしたらいいんだけど、そこでね、凄い気持ちが良くなるんですよ。で、なんか悟ったと勘違いしてね、真祈りから離れていっちゃうのね、みんな。そこでまた戻ってくる人多いんですけど、戻らずにどんどん行っていただくと、真剣にお祈りしていただくと、3週間で悟れます。で、そっからがまた色々あるんですけど、それは先の話として。ともかく「最高の真理の言葉を積み重ねる」ということを思っててくだい。
 
 だから、印可書を積み重ねるためにはね、「印可書を読んでるから病気治してくれや」とかね、「印可書を読んでるから真祈りになってるやろ」とかね。そういう勘違いをやめて、ただただ積み重ねるということは神さまに捧げるだけ。神さまをお手伝いしているだけ、という風にして、報い求める心を消し去らないといけない。消し去って積み重ねていったら、絶対の信が立ちますから。立ったら真祈りが始まる。始まったらは後は早い。
 
 で、そこまで行くために、なかなか印可書を続けて読めない人のために、先生は護摩を作ってくださって、「護摩に参加して1回印可書を読むだけで何万回分にもなるよ」みたいな感じにしてくださっています。それと同時に、人類の潜在意識に真祈りを響かしていく大きな効果と、両方の相乗効果を持って護摩を作ってくださいました。

 ほんで、今、目の前で火を燃やしていますけども、本当の護摩はこの火も要りません。だからいずれ、村も護摩木を作ることができなくなるんで、燃やすことも止めていきますけども。それでも、ちょっとは燃やしたい人のために、紙用紙の護摩を当分続けていきますけども。そういうとこまで今は来ています。ほんで、わざわざ燃やさなくても、ちゃんとこの周りに集まって、みんながお祈りできるくらいの心境にはみんな高まってますのでね、大丈夫です。
 
 ほんで、今、村人で、そのJさんとMちゃんだけが……「だけが」言うたら怒られるけど、このお二人が一番真剣に、お祈りされているわけです。で、それでも今一ピンとこない状態です。で、これ別にみんなそうなんですよね。印可書を奉読しても「本当にこれで大丈夫なのかな」というくらいピンと来ないと思うんですけども。今説明した通り、積み重ねていったら突然ブレイクスルーが来て分かりますから。不安になったら護摩の会場来てお祈りして、印可書を奉読して。ほんで、普段もお家でどんどん印可書を奉読して積み重ねて、悟りに向かって一直線に進んでください。
 
 ほんで、悟りの第一歩が始まると何が起こるかと言うと、結果が気にならなくなるんです。で、「結果が気にならなくなる」っていうのはどういうことか、要するに、先生が「現実掴むな」と言うじゃないですか。「現実を掴むな」って。それ、今一みんな「現実を掴む」ということがどういうことか分かんないのね。で、それを「結果を気にすることだ」と言っても、やっぱり今一、分からない。
 
 で、一番分かりやすく言うと、例えば、歌、歌謡曲でも何でもいいんです、音楽あるじゃないですか。音楽でね、ちょっと古いですけど、例えば、「赤い夕陽が校舎に」っていうの、そこの赤い夕日だけがええねんと思ったら、永遠に「赤い夕陽が、夕日が」で、エンドレスに繰り返しになるわけですよ。それを現実つかむというんです。
 
 で、皆さん、音楽を聴くときは、意外と、音楽をつかんでないのね。だから、サラサラと、歌謡曲やったらね、一番から4番までさらさらと聞き流せるわけで、あの音楽を聴く感じが、現実をつかまないということなんですよ。現実をつかんだら、音楽のどっかのフレーズだけが繰り返しになるの。で、あの現実をつかみやすい人は、意外とそれが症状に出てね、その歌謡曲でも、何度も聞いたら、自分の気に入ったフレーズだけ、頭の中で繰り返してるのね。そういう人は、やっぱりちょっと現実をつかむ癖があると思ってください。
 
 そういうことなんですよ。サラサラと全部流したら、全部が分かるんです。本当は。でも、一小節だけ掴んでしまったら、そこから身動き取れないから、何も分らなくなる。で、それが全体にさらさらと全部流せた状態を悟りって言います。で、そういう状態になると、すべてが透き通るように、まず分かるようになります。で、透き通るように分かるなっても、まだ悟りのちょっと手前なんですけどね。
 
 でも、それでも、まあ、全然わからないより、ましなんでいろいろ説明してますけども、そこからは自分で色々と分かってきて進めますし、そこでその状態までなった人でも、そこで虚栄心が出てきてね、自分は運命も何でも分かるようになったと思って、崩れていく人もあるし、人さまざまです。それぞれ、自分の自由意思で、自分の運命をつくっていくだけですので、言いようがないんですけどね。
 
 で、それを先月の護摩では、別の表現で、この臍下丹田から神さまの命が無限に湧いてきているわけです。それで、本来、無限に湧いてくる神さんの命をさらさらと全部受ける。つまり、最高の真理の言葉だけ駆使してたら、全部受け入れるわけです。そやけど、「あいつ怠けてる」とかマイナスを積み重ねた分だけね、例えば、川の流れで説明しますと、川の端っこに手突っ込んで、まあ手っていうか、石ポンと置いてね、流れの邪魔するじゃないですか。 じゃあ、すると石の周りに淀みができて、土がたまったりね、泥が溜まったりするじゃないですか。あれが人間の体で言うと病気なんです。病気というのは、一部が悪くて、どうこうじゃなくて、流れを止めた分だけ、要するにマイナスの言葉で止めた分だけ、淀みができて、病気になります。

 だから、そのマイナスの言葉を自分で最高の真理の言葉を駆使して消してしまえば、どんな病気でも治る。だから、いわゆるステージ3とかステージ4のね、末期がんという人でも、一瞬で治っていくんですよ。そこがまあ、いろんな人は、その例えば痛みが出るじゃないですか。そしたら、「痛いから、なんとかしてくれ」って言って、痛みを掴んで病気を掴んで治さなくなるんです。「痛くなるからいいんだ」って思えたら、掴んでないから、どんどん変わるんですけど、その「痛くなるからいいんだ」という信念を作るためにも、最高の真理の言葉を駆使する必要があるわけです。

だから、今は印可書って言いましたけど、昔で言うと、「神の御光、御力、御命」もありますし、いろんな言葉が先生、作ってくださったんですけどね、そやけど、その誰もできなかったのね。で、何でできないかいうたら、簡単すぎてできなかったの。

 印可書は、もう考え込む暇もないくらい次から次からくるから、先生が最後「これでどうや」ということで、まあ、なっているだけです。だから、「印可書絶対いやや」いう人は構いませんから、その今まで先生が出された祈り言葉をね、使っていただいたら大丈夫なんですけども、まあ、それだけ、それくらいその絶対の信を確立することが大切なんですよ。

 で、絶対の信というのは、最高の真理の言葉を駆使して、積み重ねないとできないの。で、絶対の信ができたら、信念になってますから、真祈りができる。神さまに対する絶対の信というね。「いつも一番良いようにしてくださっている、どんなに痛くても大丈夫なんだ」っていうのがわかれば、自然に真祈りになるんですよ。
 
 ほんなら、あとは理屈抜きの深く、深く真祈りに入っていく状態に入ります。入る途中で、色んな事が分かるようになります。で分かるようになったところで、皆さん、虚栄心が出てきて、崩れるねんけど、これ、先に、説明しておきますね。

 いかに分かるようになっても、神さまの命(御力が現れて、イエスの言うように、「すべては神さまの栄光に帰さんがために」、「神さまの働きだけなんだ」っていうことさえ、忘れなかったら、虚栄心は出ないです。でも、ついつい自分が分かったと思う。で、自分が分かったと思うと、崩れてしまうから注意してください。

 で、その最高の真理の言葉を駆使していない、積み重ねないと、ほとんどの人は、今の現状をどうなるかいったら、自分で何々してなんとかしようと思っているの。で、その意識する、しないにかかわらずね、自分がしようとしているんですよ。で、自分がしようすると結果が気になるの。要するに、形としては、あの人、困ってるから、自分でこうして、ああしてあげようと、こうするわけですね。それで、真祈り出来ている人だったら、やってみても上手くいかなくても、「あ、これで良かったんだ」と思えます。
 
 でも、真祈りできてない人は、自分がしようとしているから、なんとか相手を思い通りに、こうしてこの問題片付けてしまおうとするわけですよ。そうして、相手を縛るから、自分も縛られて身動き取れなくなって、それが国同士でやると、今の戦争寸前の、今にも地球が滅びそうな状態になっているのは、そのせいです。

  だから、まず、真祈りができないと、何も解決しないんです。今の世界情勢、すごく大変なんですけども、ここの護摩の増幅会場で真祈りを響かせて、人類の心に真祈りを響かせていかなくちゃいけない。だから、何があっても、護摩は大切なんで、続けていきます。で、必要ならば月3回でもやります。でも、皆さん、お仕事もあるからね。月2回にしておりますけれども、それくらい護摩は大切だし、その最高の真理の言葉を積み重ねることは大切なことなの。まず、積み重ねないと、絶対の信ができないんですよ。

 だから、神さまが必ず、だってそうでしょう?全知全能の神さまがいいようにしかしてないの。その人にとって痛みで出るのか、びっこになって出るのとか、こう中風でこうなって出るのとか、いろいろありますけれども、どの形でも一番いいように、一番楽なように神さましてくださっているのは変わりないわけです。その信念を持つためには、最高の真理の言葉を駆使してないと出ないというね、そこだけなんですよ。

 どうしてもね、みんなは今、ここは宗教じゃないと言うのはなぜかというとね、今の宗教はね、褒めたたえたらええとかね、いうわけですよ。この世的なプラスの言葉を褒めたたえるだけでいいんだって言って勘違いするわけ。 でも、この世的なプラスはマイナスなんだ、というのがわからないとダメなんですね。なぜマイナスなのかというと、この現世の世界はプラスとマイナスで、釣り合って出るんですよ。だから、こっちで100万円儲けた人があったら、こっちは100万円損した人が出るわけです。
 
 そういう感じですべてはプラスの成功の下には、マイナスがある。で、マイナスの失敗の下には、プラスが生じる。そういう形の現れ方をするわけです。だから、運命はあざなえる縄のごとしって言うんです。プラス出たら、次マイナス出る。マイナス出たらプラス出るという繰り返す。その状態を因縁因果の世界に流されているというんですけどね。

 それくらい、この現世のことはすべて、神さまがいいようになさっているだけで、いいとか悪いとかないんだっていうね。この世的には。この世的にいいとか悪いとかないけど、神さまが一番にいい形にしてくださっているという信念を持つ必要があるわけですよ。 すると、極端に言うと、餓死してもいいんだというぐらい覚悟が決まるんです。だから、先生は洞穴に住んでいるだけでいいんだっておっしゃるわけですね。あるいは、無料で、給料なしで働くのが一番いいんだとかね、極端な表現で説明されるのは、そういう意味です。
 
 それぐらい、この世的なプラスを求めなかったら、みんなが幸せになるわけ。でも、この世的な成功とかね。報酬とか、色んなことを求めると、その分、不幸のどん底に突き落とされる人が出てくるわけです。で、今の社会はそれが増えてきているんでね。例えば、今は派遣の人が増えているわけですが、派遣の人というのは、大体年間収入200万以下なんですよ。で、まあ、200万円以下でも、収入があるからいいじゃないかって、ファッと考え、みんな考えてしまうんですけど、実際は40歳過ぎると派遣の人に仕事来ないんです。
40歳から先どうするんだ?あるいは年収200万だったら、結婚もできない。結婚できても子供も作れない。なぜかというと、その子供を作る以上は、やっぱり教育を与えてあげないといけないじゃないですか。でも、教育するための資金が、ひねり出せないみたいな感じですね。そういう感じの今、世の中になってて、これがこのまま行くと、全部行き詰まって、大変なことになります。その兆しが、今年のそうですね。8月、9月あたりから分かる人には分かって見えてくるくらい、切羽詰まってきてるんですよ。

 そういうのがね、普段ここに来られている方は、生活的に安定した方だから、気づいてないけど、日本全体で、そういう年収200万以下の人というのが60%を超えてるのね。それって、このままいったら、その200万円以下の人が40代を超えてきた時に、大変なことになるわけです。
 
 で、じゃあ、どうするのかいったら真祈りしかないの。この世的な形で、どうこうすることは、もうどうしようもないとこまで来ます。その前にもう戦争になりますし、今、例えば、中東で戦争が一旦止まってますけども、なんで止まっているか、休戦というのは大体ね、戦争が酷くなる前の状態を休戦って言うんです。休戦期間中に、食料とか弾薬とか燃料を送ってね、戦争する準備してるんです。
 
 で、休戦期間終わったら、また始めるから。一歩前進し、平和に向かって一歩前進したように見えて、2歩後退するのが繰り返していくんです。状態です。今の世界は。で、そのうちそれが大変なって負けている方が、やけのヤンパチで核を撃つという状態になります。撃ったら、最後。もう泥沼に入るんで、そうならないためにも、真祈りをどんどんどんどん深めていきたいと思っています。

 そのためにも、最高の真理の言葉を駆使して、積み重ねてください。そうしたら、神さまが絶対の愛でね、必ずいいようにしてくださっているのが、理屈抜きに分かるようになる、そこまでいかないと、本当の真祈り入れないんで、それだけ、わかってください。

 だから、みんな好きにするからね、人は。だから、言うことは聞かんのですよ。何言うたって、むちゃくちゃみんなする人はするのね。で、むちゃくちゃする人は、するなりの事を神さまを拒否しているから、拒否した分が、もうもろに運命として現れる時代に今は入ってますのでね。

 凄い、いろんなことが起こります。で、起こるのも、本人が選んだことなんです。本人は悪くなるように選んでいるつもりはないんですよ。でも、ほとんどの人は、自分は間違ってない。自分は正しいから入るのね。
で、自分が正しいから、あいつは間違ってると思ってめちゃくちゃするわけです。で、口で言ってもわからんから、極端なことしてやろうみたいな感じになるわけですけど、それは神さまの光を拒否している行為ですから、その拒否した分だけは現れます。

 ほんで、もう、去年だったら、そのそういうマイナスを積み重ねても、すぐに現れずに、途中でね、修正できるだけのおまけがあったんですけど、本当にもうおまけなくなったから、マイナス積み重ねた、重ねた分だけのものが、病気や運命となって、体に現れます。

 だから、頑張ってね、最高の真理の言葉を駆使してください。真祈りに入れるように、それで、先生は、大おまけとして、印可書を読んだら、真祈りとするってしてくださったんですけど、未だに、じゃあ、印可書さえ読んでたらいいんだなというギブアンドテイクから抜け出ない人があるので、今、この話をしています。

 素直にね、淡々と「ああ、神さま、お手伝いできて嬉しい」って真祈り、印可書を読んでいただいたら、積み重ねが早いんで、一気に変わるんですけど、まだどっかにね、ギブアンドテイクあるのね。だから、これだけ自分はしてるんだからというのは間違いです。

 だから、村人で言うと、先生は奉仕作業とか、山仕事を神さまのお手伝いとして、神さまの真祈りとしてするんだよって言って、ちゃんと説明されているわけですよ。でも、村人になって、何十年って、古い人でもね、変わらないのはなぜか。
 
 それは言い訳に使っているの。ね。作業してるから真祈りになってるんだ。山仕事してるから真祈りになってるんだ。いや、村人を笑えないよ。みんなもそうよ。印可書奉読しているからなんとかなるだろうって、思ってる人は、もうそれで落第なんですよ。そこだけわかってください。
 
 ともかくギブアンドテイクになったらダメなの。ギブアンドテイクになったら、それは因縁因果の世界ですから、因縁因果の因。例えば、印可書だったら、因か書になってしまって効果がないんです。

 で、おまけでね、その状態でもなんとかするよって言って先生してくださったんですけど、それに甘えて、「印可書読んでいるからええやろう!」みたいなのが出てきてるんで、今、ちょっと厳しくこの話してます。

というのは、この護摩を境にして、一切のおまけを無くするって先生から通告があったんで。で、まあ、こういう(親指と小指の先端を付ける印、等)おまけは残してますけども、その「印可書さえ奉読してたらいいんやな」というおまけは消えていってますので、ちゃんと、この今の説明をよく理解して「最高の真理の言葉を積み重ねること」が、神さまのお手伝いなんだって喜んでね、印可書を奉読してみてください。

 印可書嫌な人は、それぞれ「神の御光、御力、御命」とか、「天之造化主命、産霊精霊、守り給い 、幸え給え」とか、色々ありましたけど、それを使ってみてください。それがうまくいかなかったから、印可書になってるだけですけど。改めて真剣にやれば、どの言葉も効果があります。
 ここまでで質問があったらお願いいたします。どうぞ。

質問aさん
 ありがとうございます 真祈りの奉読についてお聞かせください。
 河上さんが初めて、私たちに教えて頂いたこと。「呼吸」に「宇宙神ありがとうございます」を乗せましょうね。「呼吸が真祈りなんだよ」ということを、初めて僕は心に響きました。なのに、なのに、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せきれずに崩れてしまいました。今、印可書を下ろしていただいて、印可書を真(まこと)のプラスの言葉として積み重ねていくっていう気持ちは揺るぎません。その中で、自分なりの工夫として、呼吸に印可書を乗せているんですけども、何かその、まあ、僕の中では自分なりの工夫で大丈夫なんですけど、それについて、何かアドバイスお願いします。

河上さん
 上手く出来ている?上手く出来てる?自分でどう思う?いや(笑い)、考えたらあかん、すぐに!

aさん
  あ、僕なりに、問題は今のとこないです。

河上さん
 ね、呼吸に乗せるというのは、どういうことかというと、例えば宇宙神ありがとうございますの呼吸に乗せるとうことは、例えば運転していようが、おさんどんしていようが、お洗濯しようが、お掃除しようが、お掃除とは別に、「心」で「宇宙神ありがとうございます」が、響かなあかんの!それは印可書も一緒です。

 だから、一番やりやすい訓練としては、本を読みながら印可書奉読する。で、印可書奉読してるけど、本の内容が分かるってなったら、呼吸に乗っていると言います。これで分かるかな?出来てないだろ?

aさん
 思いもつきませんでした。じゃー、違うこの日常、肉体意識はそのままで、かつ、背後で印可書が鳴り響いているっていう状態?

河上さん
 いや、「鳴り響く」より「自分が奉読している」という状態。

aさん
 あ!そこに呼吸はどう絡んでくるんですか?

河上さん
 だから、呼吸と真祈りは一体だからね。その呼吸がないと、本心の自分の奉読ができない。だから簡単に言うとね、肉体側の意識は、自分の都合を優先する意識です。で、これは今、馬に例えるね。
 
 肉体側の意識を馬とする。で、乗る人を本心の自分としましょうね。ほんだら馬は、好き勝手に行きたいところに行きたいわけよ。分かる、ね?肉体ってそうやね。好き勝手にしたいね。でも、本心の自分が制御するわけ、馬をね。で初めてちゃんとしたことが起こるでしょう?そうじゃあないと馬に乗ってるのに、勝手に暴走されたり、村へ行こうとしてるのに、町へ行ったりとかね、なるわけですよ。

 で、今の世の中というのは、そういうふうに馬が勝手に走り回っている状態です。で、馬を制御しなくちゃいけない、肉体側の自分の都合を優先する意識を。で、そのためには、「最高の真理の言葉を駆使」しなくちゃいけない。で、最高の真理の言葉を駆使できてくると、印可書を奉読しているんだけども、この世的な、まあ、一番分かり易いのは、本を読んで、本の内容が分かる状態を言います。それができない間は、制御できてないの。

 どっちか?肉体側の意識に自分が行っているか、本心の意識と肉体の意識を、要するに、自分の都合を優先したりしなかったり、の繰り返しなん。勿論、最初はそうなんだけどね。それが呼吸に乗せるという意味です。その最初に、宇宙神ありがとうございますを呼吸に乗せましょうって言ってね、うまく乗れないから、どうしたらいいんですか?という質問なかったから、もう放っといたわけですけど、今初めて聞きました。これで分かる?

aさん
 先ずはやってみます。ありがとうございます

司会者
 他に何か関連で、はい、お願いたします。

質問bさん
 ありがとうございます 今のお話で、えっと、まあ、先ほどの話なんですけど、その音楽が流れているというお話があった時に、私はその印可書が、レコードのようになってるんじゃなくて、ワンフレーズばっかりこう、その間違った、例で示して頂いたような、そういう場面があるんですけれども、レコードのように、最初から最後までこう印可書がこう綺麗に流れているっていうのが、一番、正しい?

河上さん
 うん。だから、印可書を奉読するじゃないですか。神さんのお手伝いとしてね。その状態をいつも維持できたらいいんです。それが真の本心の自分が現れている状態なん。でも、そこまですぐ難しいから「印可書の一節だけ」でもいいよ。「ありがとうございますだけでも」いいよって言ってますけども、ある程度それができるようになったら、印可書全部を言ったらいい。
 
 だから、なんで「宇宙神ありがとうございます」とか、「ありがとうございます」ね、あるいは、「神の御光、御力、御命」が上手く行かなかったかというと、惰性に流れるんですよ。で、真(まこと)の本心の自分が現れたか現れてないか分からなくなる。でも、印可書を奉読している状態を常にできている時は、間違いなく本人の自分が現れているから。そうなると、印可書がその常に奉読できて流れている。

 要するに、今、本で試すのが一番ですよ。本を読みながら、印可書奉読するの。で、印可書奉読してるけど、本の内容も分かるという状態が、真(まこと)の本心の自分が現れているわけ。それが本を読む方に行ったり、印可書を読む方に行ったりとか、行ったり、来てる内は、普段の皆さんなんですよ。

 本心の自分が現れてたり、自分の都合を優先する肉体意識が現れたりの繰り返しなんですね。で、それをもういよいよ切羽詰まってきたんで、どんどん先生、答え言えと言うから、言ってるわけです。
 
 だから、質問でね、村人が長年先生と一緒にいたのに、なんで悟らないの?という質問があったんだけど、それはそういう所なんですよ。で、またあの頃は印可書がないからね、ついついありがとうございますを惰性に。まあ、そこまでも出来ない人多かったんだけど、出来てもありがとうございますが、惰性に流れている状態でオッケーみたいにしてね、上手くいかなかった。

 本当は、先生いらっしゃったんだから、「これで先生、大丈夫なんですかね?なんか不安なんですけど?」とか、あるいは「これで自信満々なんですけど?」って聞きゃぁいいのにね。せっかく先生いらっしゃるんだから。聞かないからこうなるんです。聞けば厳しい答えが来るんですけど、みんなそれ怖くてよう聞かんかっただけやけどね。まあ、そういうものなんです。そやけど、もういよいよ最後だからね、どんどん聞かれなくても、今言ってるわけで。だから…

bさん
 もう1点、さっきのお話の中で、ちょっと引っかかったんですけど、例えばワールドカップとか、まあ、今もありますけれども、日本を応援しようだとか、そういうことも分けているので、まあ良くないというお話なんですけれども、そもそもそのまあ、子供さんでもサッカーしたりとか、まあ、ラグビーとかいろんなスポーツを野球とかされる中で勝ち負けとか、えーなんかその自分のチームを応援したいとか、そういうそれ以前に。

(会場内で少し体調を崩された方が居られたので、その手当で一時中断しました)

 すいません。えっと、それでそういう勝ち負けを分ける心を自分の我がチームをまあ勝とうとするような取り組みとか言う前に、えっと、すべてのそういう、まあ、スポーツに携わる方々とかは、そもそもどういう、心構えで、ええ、そのスポーツに当たっていくなり、分ける心なり、どういう心構えをしていけばいいのでしょうか?

河上さん
 だから、この現世(うつしよ)の世界はね、全部ゲームだと思ったら良いんですよ。だからゲームだと思ったら、例えばまあ、サッカーもそうですし、熱狂な阪神ファンと巨人の時でもね、勝った負けたを楽しむだけで、終わるわけですよ。でも、ゲームと思わずに巻き込まれてしまうと、サッカーでも勝ったほうと負けた方で、喧嘩するじゃないですか?ね。で、阪神フアンが熱狂的で巨人が甲子園球場で優勝した時でも、優勝セレモニーをさせなかったくらい、大変だったとかね。

 それはもう巻き込まれているわけです。それが分かったらいいんだけど、例えば、金メダル貰うのがいいんだとかね、表彰されるのがいいんだとか、あるいは議員で当選するのがいいんだとかね、会長なるのがいいんだとかあるじゃないですか?それはもうゲームじゃなくて、もう巻き込まれているわけです。でも、その巻き込まれている人はね、巻き込まれることにすら気付いてないから、この世的にどうこういじったって、仕方ないの。いじる分だけ余計怒るのね。

 だから、ひたすら真祈りするだけです。だから、中心者というのは本当大変で、mちゃんでも大変なんですけども、もう今さっきね、ひたすら色んな姿は無視して一生懸命真祈りしてね、今の状態で印可書、頑張ってね、2時間でも3時間でも伸ばしてでもやってねって言ってお願いしたわけですけど、そこが大事なんですよ。

 絶対に、いじったってどうしようもないという、要するにこの世の世界というのは、映画の状態なんですね。で、フイルムになってしまったものが映っているわけですよ。だから、いじりようがないの。本当にいじりたかったら、撮影現場にまで立ち戻って変えなくちゃいけないわけですよ。それを真祈りといいます。そこに気付くとね、一気に変わるんですけど。今はなんか戦争でもね、停戦交渉とかやるじゃないですか。そないしていじろうとするから、余計どっかで遺恨を残して、また10年後に喧嘩になるみたいなことがあるわけです。

 それは普通の人でもね、まあまあ、もうそこはおまえここは堪(こら)えて、こっちも堪えて、なんとかしてやって言って収めたって、遺恨が残っているわけですね。だから何年かしたら、またあの時、あいつにあれやられたんだから、今度は絶対させるものかとかね、なるじゃないですか。それ、現実をいじってるから。だから、いかに現実を掴まないか、現実の結果を無視できるか、なの。で、そのためには、神さまが一番いいようにしているという絶対の信が要るんだけど、その信を持つためには、最高の真理の言葉を積み重ねるしかない。

 でも、最高の真理の言葉を一番積み重ねやすいのが印可書なんで、印可書って言ってるわけですね。で、この護摩で唱えたら一回が1万回分になるから、得やからできたらこのお得な護摩に来てねっていうお願いするわけです。

bさん
 さっきの撮影現場に行って、変えないといけないという部分ができないので、日頃は印可書を唱えて、そういう撮影現場…

河上さん
 印可書を奉読してたら、撮影現場を変えていける。

bさん
 ああ!

河上さん
 うん、要するに撮影現場って何かと言ったら、人類の潜在意識なんです。だから人類の潜在意識に溜まったマイナスをそのまま溜めておくと大変だから、神さまが引っ張り出して一番小さい形で消す形が、この世に起こる癌とか病気とかね、戦争なんですよ。

 それは神さまが(マイナスを)してるんじゃなくて、一番小さい状態で消しているわけです。それを神さまにさせるんじゃなくて、人間の側が最高の真理の言葉を駆使して消していくのが本来なんだけど、「消す」っていう表現を使うとね、「自分が消す」になるの。ほんだら神さまを忘れるの。じゃあ意味ないの。だから、神さまのお手伝い、ほんで消すとか消せへんとか要らん説明やめて、只々、神さまのお手伝いになるから印可書奉読してくださいねってお願いして。すると、自然とマイナスは消えていって、世界平和、人類理想郷がね、天国は地上天国が実現するということです。

bさん
 ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 はい、他に何かあるでしょうか?はい、ではないようですので、個人的にも積み重ねが足りない、積み重ねの真っ最中、すごくいいアドバイスでした。ありがとうございました。

河上さん
 質問はないですね?

質問者
 はい。質問はありませんね、いいですね。じゃあお願いします。

河上さん
 ありがとうございます。あの…

司会者
 あります?ああ、すみません。ちょっと見えなくてお願いいたします。

質問cさん
 すいません。ちょっと最近、神さまがいいようにしているとは思いつつ、ちょっと折り合いがつかないことがあるなという、のところに護摩に行けない、参加できない時があるというのが、もう前よりもかなりこう、自分の中でとても、なんとも、もう…もう、こうっていう言葉にできないぐらい、そういう気持ちになるんですが、これはまだ私の積み重ねの問題であるのでしょうか?

河上さん
 まあ、あのね、その現実的な姿は、自分の心が映っているのは間違いない。でも、その今の自分の心じゃなくて、過去世の自分の心が映ってる方が多いの。だから、私、そんなん思ってへんのに、なんでこんな目に遭うの?って、みんな文句を言うんですけど、過去に貯めてきたものが凄いんですね。それで、過去に貯めてきたものがもの凄い人は護摩にも来れないの。だからまだ、何?見込みがあるから護摩に来れるんです。

 ほんで、いろんなお仕事の都合で、絶対護摩に来れない人ってあるわけですけど、そういう方は、護摩の日時に合わせて…あ!護摩の日時にお仕事だから来れないんで、護摩の日時に合わさなくていいから、2時間ひたすら印可書奉読するということが護摩に匹敵します。

 あんまり時間を言うのは良くないんですけど、もう切羽詰まってるんでね。2時間印可書を奉読すると一回の護摩になります。だから、毎日最低、朝晩2時間ずつ護摩を…、印可書奉読するんだとしたら、護摩に来てるのと以上の効果が出ますので、そう思ってやってみてください。

 その時間の工夫はね、それぞれ工夫されて、時間の、この作るのはね。それが2時間にまとめて取れなかったら、30分ずつ4回とかね、自分で工夫してやってみてください。

 で、基本的に、いろんな運命というのは邪魔くさいな、邪魔くさいな嫌やなというずるさがあるんです。で、それが今の私は思ってないと思っててもですよ、過去世からのんでそういうのが出ると、いろんな運命となっていくわけですね。ノイローゼになったりあるわけです。

 まあ、その辺がね、まあ、あなたの息子のこと言ったらあかんけどね。お前、物理ちゃんと分かってるんやろうなって言ったら、わかってますって嘘つくからね、えらい成績になったわけですよ。そうやけど、本人は物理が苦手で邪魔くさいな、嫌やなと思うから逃げてるわけ。で、その逃げてる心をどうするかは、こっちの問題なんで。本人は逃げてるから、どうしようもないのね。

 で、その辺が今言った現実をいじるということなの。だから、お母さんの方はひたすらに印可書奉読してね、息子の潜在意識を変えていくんだって思って、息子には口うるさく言わないでください。今、大事なところなんで。よろしくお願いします。ありがとうございます

cさん
 ありがとうございます

司会者
 はい、他に何かあるでしょうか?じゃあよろしいですね。じゃあ最後にお願いします。

河上さん
 ありがとうございます まあ、今、最後の質問で出ましたように、肉体側の意識、自分の都合を優先する意識というのは、そういうふうにね、邪魔くさいな嫌やながあるわけですよ。で、邪魔くさいな嫌やなと思うと、もう全部がダメになって、極端に言うと、ほな自殺するのが一番楽やなって言って、それ進んでいくとねノイローゼになるわけです。だから、邪魔くさいな嫌やなと思うのは、本当に凄いマイナスの言葉だということを、知っていてください。

 だから、なんで邪魔くさいな嫌やなと思うかというと、自分の都合を優先する心ですから、結果が気になるの。だから、結果を完璧にしないとダメっていう思い込みがあるから、邪魔くさいだし嫌なの。

 いつも言うように、お掃除をね。この護摩の会場、本当に塵一つないくらい掃こうと思ったら、1週間かかったって掃けないですよ、完璧にしようと思ったら。でも、ただする心、気持ち、心が、前向きの心がいいんだと思ってして、結果、ある程度見栄え悪くても、それでいいんだって思えたら、どんどんできて、ちゃんとできるようになる。そういうもので、だから、その辺のね、結果を掴まない気持ちを作るためにも、最高の真理の言葉を駆使して、積み重ねていくしかない。

 で、それができてくると、例えば、日常で当たり前に歯を磨くこととか、おトイレ行ったら綺麗に手を洗うとかね、お食事前に綺麗に手を洗うとか、そういうのが当たり前にできるようになります。でも、結果を気にしている人だったら、手洗う1つとっても、こんな簡単にシャシャッと洗うくらいやったら意味ないから、せんとこうってなるんです。わかります?

 それがもっと言い訳になって、結局、全部ものぐさになる。ものぐさな人というのは、結果を気にする人です。で、結果を気にするというのは、自分の都合を優先してるの。なぜかというと、人からどう言われるか、やってみて綺麗にできないから、人からなんて言われるか、それやったらせえへん(しない)方がマシだって、そういう感じで、自分の都合の優先が出てきているからなるんですけどね。それを肉体意識というんですけども。結果を気にせずに、神さまのお手伝いと思って何でもしてみたら大丈夫なんですね。

 で、今言いました最高の真理の言葉を積み重ねることも、結果を気にしなかったら、積み重ねていけるんですよ。でも、河上がそんなん言うてるけど、一生懸命印可書奉読してるのに何も変わらへんわ、と結果を気にしだしたら崩れるの。ここだけ忘れないでください。

 で、何事も、何?八合目、富士山登るのにね、八合目を持って半分(→なかば)となせって言うじゃないですか?何事も本当に、最後の最後になって、初めてパッと開けて分かるんで、途中から徐々に分かることはないんですよ。それを分かってください。だから、結果気にする人は途中で挫折するの。

 だから、千里の道も一歩からって言うじゃないですか?ね。せやから、もうあそこまで登ろうと思わずに、ともかく一歩でもいいから進んだらいいって、着々と進んでたら必ず登れるのにね、もう、うわー、絶対無理やわとか言ってやめちゃうのね。結果、気にするから。頂上まで行けなくていいから、ちょっとでも登ろうという前向きの深い気持ちがあれば、それは本心の心です。

 結果を掴んで、もう人から何か言われたら嫌だなあと思う心が、肉体意識の自分の都合を優先する心、虚栄心っていうんですけども、そういう心なんですね。そこだけわかっていただいて、結果を気にせずに、ひたすらね、前向きに印可書を奉読して、積み重ねていってください。

 この護摩に参加してる人は、必ず生きてるうちに全員悟らすように先生から言われてますから、間違いなくしますので。ただ、指示を守って印可書を積み重ねてくださいね。よろしくお願いします。

 ちょっと今日も熱出て大変なんで。上も上着も脱がずに喋ってますけども。質問ありますか?大丈夫?結果を気にしないことで、質問あったらしてください。一番大切なところなんです。みんな結果を気にして、人から後ろ指さされるのが気になって止めちゃう。そこだけなんでね。あるいはノイローゼになっちゃうの。人から、なんと言われても、先生、いつも僕におっしゃったのね。「もとより人から後ろ指さされるのは覚悟の上やろ!」それくらい結果を気にしないことが大切なんです。質問ないですか?なければここで終わります。

 また来月(来週に訂正)お会いできることを楽しみしています。ありがとうございます


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8年6月14日護摩 by 河上あきのぶ [Mail] 2026年06月24日(水) 16時35分
PC

6/14護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和8年6月14日の護摩焚きで河上さんがお話してくださいました、文章です。ありがとうございます

司会者
 本日、5人の方からご質問が来ています。よろしくお願いします。まず1人目の方。

質問1
 宇宙神ありがとうございます 村に宿泊している時に見る夢は印象的な夢が多いのですが、思い込みの表れですか?思い込みが消えていく姿ですか?

司会者
 よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。今の夢ですけども、夢というのは自分の都合を優先した思いを溜めた時に見るものです。それで、それがその自分のマイナスの思いですね、自分の都合を優先する。いわゆる希望を実現しようとする気持ちですけど、要するに自分の都合の希望を優先しようとする気持ちをマイナスの思いと言いますけど。これがあんまり溜まってくると運命的に大変になるんで、守護霊さまが夢の形で消してくださいます。それで、消し切れんようになってくると、例えば怖い夢、地獄とか魔界に行ったような夢を見ます。それは具体的にもうすぐその人が死ぬ間際でね、これから行く世界を見せておいて安心させるために見ます。だから、地獄の夢とか魔界の夢を見たら、怖い夢を見たら、ああ自分は大変なんだと思って、一生懸命印可書を奉読してください。夢で消し切れんようになってくるとそうなります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 2人目の方、3つ質問来てますね。

質問
 今は全く目も見えなくなった、身長150センチ、体重28キロの68歳ぐらいの方からの質問です。

質問2−1
 ほとんど食べてないにもかかわらず、またよく噛んでいるにもかかわらず、ご飯を食べた後、胃がもたれて1時間から2時間横にならなければ、どうしようもないぐらいになっています。三食ともそうなのでしんどく、その間、合計6時間は動けず、お祈りもできない。丹田を鍛えるように言われているので、丹田を鍛えているが治らない。何かいい方法はありますか?おならなどガス抜きはできていると思う。免疫力を高める方法はありますか?

質問2−2
 丹田を鍛えるということは、免疫力を鍛えるということですか?

質問2−3
 こうなっているのは、すべて過去世の言葉が今出てきているので自分の責任です。心のスクリーン、肉体にも影響、環境にも投影されている。だから印可書、神さまのお言葉を唱えること、それに尽きます。目は時々ハレーションを起こします。

河上さん
 ありがとうございます 1番については、この最後に具体的な形を説明します。それで、いろんなマイナスの思いが溜まってきて、今の自分の運命になってるのはその通りです。なんて言うんですかね、もう自分ではどうしようもない状態に、この人に限らずですよ、ほとんどの人はなってるんですよ。だから、人からボロクソに言われると頭にきたっていうのはね、もう自分でもどうしようもないくらいマイナスを溜めてるの。「お前のせいでこうなったんじゃ。」って言う時は、自分でもどうしようもないくらいマイナスを溜めてるんです。それに早く気づいて、自分ではもう本当に、自分の力ではどうしようもないんだということに、まず気付いていただくことが大切なんです。まだまだみんなね、自分でなんとかできるって思ってるの。でも、自分、要するに自分というのは何かと言うたら、神さまと分けた、自ずと分けたものという意味ですけど、神さまと分けた自分の意識では何もできないんですよ。

 だから、自分の意識では心臓も動かせないし、内臓も動かせないんです。でも、その方はまだまだ自分でなんとか内臓が動かせると思ってる。心臓も、肺もいう呼吸ですね。呼吸も寝てる時に、ごく自然にできるじゃないですか。それは神さまが降り立ってくださってできてるわけです。それで体重が小さくなるとか、いろんな形は全部、必要に応じてなってるだけなんで、まず喜ばなくちゃいけないんですね。ただ、こんな状態だからもうどうしようもないと思ってしまうと、自分でどうこうしようと思ってるんで、まあ、自分でどうこうできないって諦めるまで、神さま見守ってくださるだけで手の出しようがないんですよ。自分ではどうしようもないってわかって「神さま!」って呼べたら、自分と神さまを分けててもね、まだ神さまの方は、おまけとして助けを出せるわけです。ここが一番大切なところなんですけども、ほとんどの因縁因果の世界に流転してる人は、自分でどうこうしようという意識から抜けれない。自覚するしないにか関わらずですよ。

 だから、人とちょっと嫌になったら頭来たとかね、腹立つわとかね、いろいろあるじゃないですか。それって、もう自分で自分の心を制御できない状態、それくらいマイナスを溜めているということです。要するに自分の本心をマイナスの言葉で覆い尽くしてしまってる状態なんですね。それが、このここにいらっしゃる方も、全人類、ほとんどがその状態にあります。ありますから、例えば国連でいろんな話し合いをしても、あるいは今だったらイランとアメリカとかですね、話し合いしたりとか、あるじゃないですか。話し合いをしたって、いつまでも終わらないのはそのためです。お互いに自分でどうこうできると思ってるからですね。

 そうだけど、地球の運行、体の肺の動き、心臓の動き、すべてね、神さまが司って動かしてくださってるだけなんですよ。地球を自転さすというのは人類してるんじゃないでしょう。地球が太陽を回ってるのも人類がしてるじゃないじゃないですか。でも極端な表現で言うたら、人類は自分の力で地球を回してるし、太陽の周りを回ってるしというぐらい、極端に言うたら思ってるわけです、無意識にね、自分でどうこうできるんだから。じゃあ神さまは自分でなんとかしなさいって言うて見守ってくださるだけで、手の出しようがないの。「もう自分ではどうしようもないんです。神さま助けて。」ってね、その神さまと自分との分ける意識があってもね、自分ではどうしようもないってわかった時点で、神さまに投げ出せるでしょう。投げ出せると神さまの方は助けようがあるわけです。

 そこまで行く方法として、誰もが簡単に投げ出す方法として印可書を作ってもらいました。だから、印可書をこの護摩で響かせて、何万倍にもして、全人類の潜在意識に響き込ましていけば、自然にいいように変わっていきます。この護摩が失敗したら、もうどうしようもなくなっていきます。

 第一週にちゃんと、「なんとか第ニ週も来れる人は何があっても来てくれ」と言っても、この状態ですから。でも、それがいい悪いじゃもうないんでね。ともかく結集できる力をすべて結集して、なんとかしたいと思っています。これで答えてる?

司会者
 はい。

河上さん
 はい、ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 3人目の方です。

質問3
 先週、親指と小指を合わせて、お祈りをする方法を教えていただきましたが、その方法でお祈りして感じたことをまずお話しします。
@前屈をすると、スッと体が伸びました。A座って半跏趺坐(はんかふざ)で足を組む時、通常は右足を上に置いて座るのですが、途中で足を入れ替えて左足を上にすると、足に痛みが出て続けられませんでした。今回この方法でお祈りをすると、この痛みが、なぜかなくなっていました。B呼吸がとても楽にスムーズになり息も長くなったように感じます。現在のところ、以上の3点を感じています。

質問3−1
 先週のお話の中で、親指と小指を合わせて、先生の印を組んでやってみようというお話がありました。さらに短くですが、合掌についても少し触れておられましたが、そこで先生の印を腹の前で組みました。その後、そのまま胸の前に持ってきて合掌が組めました。それはそれでよろしいでしょうか?さらに、その合掌から、『宇宙神ありがとうございます』で、頭の上に振り被る手振りもできました。よろしくお願いします。

質問3−2
 首を回すお祈りの時、親指と小指を合わせて腰に当てる手の方は楽にできるのですが、反対の手で腕を掴む方は、指は親指と小指だけで握るため、指に力が入らないので手前に引くことはできません。ただ単に、親指と小指を腕に当てているだけの状態になります。これでもいいでしょうか?やってみて感じた範囲では、当てているだけでも十分だと感じました。以上よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ありがとうございます おおむね、それですべて正しいです。それで、基本は親指と小指の先端を、どっちもずらさずに合わすということだけで、あとは自在にやってください。印を組む時でも親指と小指をこう…何?こう…繋げる人は繋いだらいいし、繋げない人は、この指先重ねるだけでいいし。合掌も一緒です。繋げる人は繋いだらいいし、繋げない人は、こう合掌の形にするだけでいいみたいな感じで自在にやってください。

 どういうことかというと、体の筋肉を固めた固め方がみんな全部違うのね。完全に体の筋肉が理想的な状態、要するにオギャアと生まれた時の状態になると、何時間でもこうして(手の親指と小指を合わせた状態)いられるの。でも、普通はもう生まれて、いろんな癖あるじゃないですか。右利き左利きから始まってね。そういうことをしてると、あんまり長い時間できないんですよ。できなくても、やれる間はして、しんどくなったら、ちょっと休憩して。またやれるようになったらするという気持ちでね、要するに絶やさずにやっていくんだという。ずーっとこうしなくちゃいけないとかいう囚われをやめて、この形をできるだけやろうとするんだということで、していただいたらいいです。

 それで、ラジオ体操する時でも屈伸する時でも、この手を使うと本当に体が楽になるんでやってみてください。あるいは先生が教えてくださった金魚運動をする時でも、この形を使うと金魚運動の本来の意味がわかります。だから、いろんな形を自由自在にね、ぜひこうしなくちゃいけないじゃなくて。最後に、今日、誰でもができる、朝晩できる、寒い日でも暑い日でもね。しんどい時でも体が辛い時でもできる運動というのを、先生から降ろしていただきましたので、この前で実演しますけども、それもそれを踏まえて、いろんなことをやってみてください。

 なぜ体を動かすかというと、体を動かす時に光が通るんですよ。それで、先生のように、過去生からずーっとお祈りしてきた方はね、座るだけで光を通せるわけです。でも、先生の真似して長い間お祈り部屋で座っててもね、座り切れない。あるいは座ってても、雑念湧くだけで何してるかわからないということで、みんな挫折したと思うんですけれども。もういよいよ、いよいよ本当にね、切羽詰まって一つ間違うと、いつ地球が滅んでも、おかしくない状態が3年前から続いてるわけですけども、いよいよ誰の目に見えても、なんかわかるような状態になってきました。

 目に見えてわかるような状態になってきてる、わからない人もいますけども、わかるような状態になってきてるんで、怖がらせないためにもね、怖がっちゃダメなんですよ。神さまが一番いいようにしてるという絶対の信が要るんで、そのために体を動かして光を通すことをしないと、真祈りが深まらないということで、先生にお願いして今回この形が出ています。

 だから、いろんな形で、その例えば、お掃除する時でも、何分に一回はこういう形を使って、ほうき握るとかね、いろんなことを工夫しながらやってみてください。体さえ動かせば光通る。もちろん、最高の真理の言葉を駆使しながらですよ。形だけやったってダメですよ。これだけ間違わないでね。形だけやってするんだったら意味がないわけです。最高の真理の言葉を駆使しながら、この手の形を使ってください。

 だから、『印可書』でもいいし、『宇宙神ありがとうございます』でもいいし、『ありがとうございます』の十文字でもいいし、『みんな光や』でもいいし、『神の御光、御力、御命』でもいいし、先生がいろんな祈り言葉を作ってくださったのでね、その使える言葉を使って、やってみてください。もう散歩する時でも手をこうして(手の親指と小指を合わせた状態)、散歩をしながら、いろんな祈り言葉を唱えてみてください。散歩をしなくても動ける、体を元気にする方法というのをちょっと寝たきりの人もいるので、お願いしますということで、先生にお願いして、降ろされた形があるので最後に実演します。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 4人目の方です。

質問4
 いつもありがとうございます 先週のお話のことで質問させてください。ガザ地区やウクライナの大変なことが他人事になってしまっているお話がありました。この1週間、今まで報道番組で見た映像を思い出し、痛みを分かち合わせて頂きたいと思いましたが、その一瞬だけで続かないのです。できませんでした。世の中は、ワールドカップ開催や、スペインでは、サグラダ・ファミリアのイエスの塔が完成しローマ法王がメッセージを送っていましたが、ガザ地区やウクライナの惨状を伝えるニュースは少ないです。本当に他人事になってしまう自分が弱いな〜と思います。何かアドバイスがございましたら、よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます これはね、みんな、無意識に自分の都合を優先する癖があるわけですよ。だからまー言うたら、極端な表現で言うたら「食わしてくれ。」だけなんです。毎日食べ物があって、それで雨風しのぐ、泊まる所があって、それでちょっと遊びに行くお金があってねっていう感じでね、それさえあったら、もう満足しちゃうのが、自分の都合を優先してる心です。それがね、もういい悪いじゃなくて、癖になってるからね、それ、仕方ないんですよ。だから、その癖になっている癖を簡単に取る方法ということで、この手の形を出していただいて、先生に出していただいて、それでそのあんまりね、丹田の位置を具体的に示すのは、1つ間違うと、念力なるんです。

 それで、今まで座禅を長い間した人とか、あるいは剣豪といわれるすごい剣の達人というのは、丹田にその込める方法を、まあ、実感、体感できるわけですね。すると、すごい剣の達人になったり、座禅でも、凄くふわっとやれる人が出たり、あるいは合気道が出来るようになったりとかあるんですけど、どの、どの人もそれで悟ったという人が出ないんですよ。あるいは、千日回峰行も、やはり丹田に力がすっと込めれるようにならないと出来ないんですけども。どういうことかと言うと、あんだけの少ないカロリー数の食べ物でね、千日回峰が出来るというのは、そういうことなんで。だからといっても、悟れないんですよ。

わかります?ただ、丹田だけを意識させてもダメなの。まず真祈りなの。だから先生、亡くなられてから、すぐに丹田を言わずにね、いろんなお話をさせて貰いました。それは、「最高の 真理の言葉を 駆使すれば 自ず 開かん 悟りの華は」のとこのスタートだったからです。まず 「最高の真理の言葉を駆使すること」。要するにね、真祈りをすることが大事なの。真祈りをしようとする気持ちになってから、初めて、丹田に意識することによって、上手く行くんですよ。ところが、丹田に意識すると、過去世の関係で、すぐに丹田に込めれるようになる人があるんです。そういう人は、込めれた途端に真祈り忘れて、動ける自分を前へ出てくるのね。自分の都合。だから、合気道でも上手くなっても悟れないはそのせいなんです。あるいは剣豪でも剣が強くなっても悟れないのは、そのせい。あるいは座禅でも、その禅問答はすごく言えるようになるんですよ。でも、悟れないの、真祈りにならない。そういう感じでね。

 例えば、比叡山の昔、そうですね、40年ぐらい前ですけど、親しかったお坊さんがいらっしゃるわけですけど、比叡山登る時にね、この手をこうやって(手を上げてっ開くと)パッと開くと光の玉がポッと出るんですよ。見える人は、そうですね。そばにいてる人の10人中8人ぐらいが見えてね。だから、それがどうなのっていう、わかります?それは出来るようになっても悟らなかったら一緒でしょう?というところが、やっぱりね、そのみんな自分の都合、要するに虚栄心。自分の都合って虚栄心のことです。虚栄心満足させて止まっちゃうの。だから、まず虚栄心を満足とか、虚栄心云々(うんぬん)をなんとか潰しといてということで、ここまで来てます。いよいよもう切羽詰まって四の五の言うてられないんでね、先生に無理言ってこうして貰いました。

 これは、はっきり言うときますけど、賞味期限付きなんで、今、素直にやる人は得です。これを使って、最高の真理の言葉を駆使して、丹田に溜めてください。丹田というのは、何かというと、肉体で言うと、ここから命が吹き上がる場所なんです。火山の噴火口みたいなもの。ここから命が吹き上がるんだけど、みんな平等に、ここから神さまの光が丹田から吹き上がってるんですよ。でも、病気になるでしょう?なんでか言うたら、この丹田から吹き上がってる光を、みんなマイナスの言葉で塞いでいるの。塞いだ分だけ、命が通らないから、病気になる。だから、病(やまい)って気が病むって書くでしょ?丹田から気が湧いているのに、マイナスの言葉で塞ぐからです。そのマイナスの言葉で塞ぐの、何かって言うとね、自分の都合を優先することなの。自分の都合を優先したら、マイナスの言葉で塞いでいることになるんです。だから、「私、そんな人を責めたり、なんとかしてないわ」と言うてもね。

 自分の都合優先して、例えば、食べ物が本当になくなってきた時に、どんなに自分が餓死しそうに、お腹ペコペコでもね、人にみんなに、その僅かでもちぎってみんなに配れるかという事です。それが出来たら、自分の都合を優先してないけど、やっぱりほとんどの人は、まず自分が大丈夫になってから、人を助けようと思う。それって、もうすでに自分の都合を優先してるから、ボランティアがね、上手くいかないのは、自分がちゃんとしていて、初めて人を助けるというのは、もうそれは本当はボランティアではないんです。まあ、ボランティアなんだけど、要するに真祈りではないんです。真祈りになったら、自分の事は全部後回しにして、人のために神さまのために尽くすだけなんですね。

 それ先生の生きてこられたお姿を見てると、もうそれそのままななんですね。自分の都合は一切優先されない。だから、人に後ろ指さされて、ボロクソに言われても、気にもされない。村人を集められた時に、虚栄心の強い人ばっかり集めたんですね。それでもう、こっちは心配してね。先生がその集めた人「なんや、先生の周りに集まる人、こんなひどい人ばっかりか!」みたいに思われるからって言うて、心配して先生に言うとね、笑い飛ばされたんですよ。「人類の虚栄心を消すために、その代表として村人を集めているんだから、それでいいんだ」って言うわけね。「それ、先生、結局でも、先生のことを慕って来て、でも、先生のことを誤解して去っていく人あるじゃないですか?」って言うたら。「それはもうそれだけの縁(えにし)や」って言うて笑い飛ばされてね。いつも話の最後はニッと笑われて、「元より後ろ指さされるのは覚悟の上やろ。お前もそうやろ。」って言われて、「はい」で終わるわけですけども。それぐらいね、自分の都合を優先しないことが大切なんです。そこだけ。

 自分の都合を優先する、しないはどこでわかるかって言うたら、「なんで」って思わないことです。「なんで私だけ掃除せなあかんの?」「なんで私だけこれせなあかんの?」と思ってるうちは、自分の都合を優先してるの。人がどんなにサボってて寝転がってようが、何しようが淡々とね、神さまが必要で、これがあるんだと思って出来たらいいんですよ。だから、大きい会社ほどそうですけども、サボってる人の方が多いんよ。それで、ほとんど自分1人がね、仕事をひっかぶってね、ひたすらやらなあかん。でも、誰も評価してくれないということが多いんですけども、それでいいんだというのがわかったら、悟りです。自分の都合を優先してないから。そして、自分の都合を優先させないために、そういう色んな七難八苦が、この悟りに近い人には来るわけです。だから、ここへ集う人が、いろんな意味で、社会的にね、大変な目に遭ってる方が多いと思うんですよ。それがわかれば、もうちょっと、丹田に込め方も何もかもがわかってきます。ともかく、自分の都合を優先しないこと。「なんで」って思ってしまったら、「しまった」と思ってください。

 「なんで?」と思うのは、何か言うたら、いつも言うように結果を掴むからです。結果を掴むのは、何でかと言うたら評価してほしいから。でも、神さまは全部知っておられるんだから、人間に評価して貰わなくっていいのよ。人からはボロクソに言われてなんぼ。元より後ろ指さされるなんか、先生のお言葉で言ったら、「元より後ろ指さされるのは覚悟の上」であってね。だから、いつも申し上げますように、一生ね、虐げられて、ボロクソに言われて、評価されなくて、踏みつけられるのが一番いいんだというのは、そういう意味です。その状態が一番、神さまが評価してくださいますし、一番神さまと不離一体になれることです。でも、本来、不離一体だから、心臓も呼吸もね、動いてるんですよ。それだけ寝てる時でも息が出来てるでしょう。心臓が動いてるでしょう。それは、そういう神さまの命と不離一体だからです。それがわかれば、そこに気づけば、人からボロクソに言われようが、結果がどうなろうが気にしなくなります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 5人目の方です。

質問5
 今年の6月21日の夏至についてです。世界の先住民族のリーダーが、この日本が、この世界の祈りのカギとなると、今、日本に集まってきていると聞きました。ますます、私たちの責任は重大だと感じてしまいました。何か、そのようなことに関して、お話をお聞かせください。よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ありがとうございます これね、まだ自分の都合を優先する意識残っている形の質問なんですよ。その、日本が世界の真祈りの中心になるのは、もう、そうですね。1965年から、はっきりと決まっています。そのために先生が来て、いや、来てくださったわけなんですけれども。なかなか、そこが難しいところでね、その真祈り中心になるという意味がわからないわけですよ。真祈り中心になるためには、何が必要かと言いますと、その昔々、そうですね、三洗荘の時代ですけども、ある人が結婚したいという方がいらっしゃってね、「どういう人を結婚の基準として選んだらいいですか?」という質問を先生にされたわけです。そしたら先生は一言、「全人類の中で最低最悪の人と結婚するのが一番いいんだ。」とおっしゃったわけです。「あっ、そうなんですか」って言うて、その人はわからずに帰っちゃったんですけれども。その時にその話を奥様が伝え聞いてね、人から。それで先生に質問されるわけですよ。「全人類の中で、最低最悪の私だから、結婚してくれたん?」で、その時に先生のお答えがなんだかというと、「みんな光や」で終わりなんです。僕はその言葉を聞いて、本当に悟りがもっと広がりました。でも、みんなわからなかったのね。

 これが全てなんですよ。みんな光なんです。みんな真(まこと)の神さまなんです。でも、この世に現れてる時は、線香の光もあれば、ろうそくの光もあれば、こういう護摩の光もあれば、ね。まあ、電気でいうと大きなサーチライトもあれば、懐中電灯もあればという現れ方をするわけです。雪かきの話でしたこともありますね。あの大きな除雪車の働きもあれば、スコップの働きもあれば、小さくね、屋根の上はスコップで降ろすしかないじゃないですか。そういう色んな働きがあって、その働きの結果で優劣はつけれないんだということをね。あるいは耳かきだからこそ、耳の中使えるわけで、それ以外はスコップ持ってきたって、耳の中は掃除出来ないじゃないですか。だからといって、耳かきの働きは、こんな小さなちょっとのことしかしないって言わないでしょう。神さまの働きは色んな形に自在に現れるだけなんだ。その現れている形を見て、優劣をつけてね、云々(うんぬん)することが間違いなんだということに気づくと、『みんな光や』という事がわかるんです。ここに気づけば、光ですから掴みようないの。だから、結果も掴まないの、掴めないの。人からボロクソに言われても、気にならないのは、光だから掴みようがないの。ボロクソに言われるのも、光の線香の働きなんです。だからといって、それがいい悪いじゃないのね。神さまが必要で表してることばっかりなの。だから、「文句を言いなさんな。」って、五井先生はおっしゃったし、そのまあ、「なんでって聞くな。」、「なんでと思うな。」とか、色んな表現をしますけども、その「言い訳をしなさんな。」という五井先生の深い深い意味がね、白光真宏会の方でも、ほとんどわかって頂けない。まあ、どの人もそうですけど、現実を掴んで、「でも、あいつはちゃんと仕事してるじゃないか」「でも、あいつはサボってるじゃないか」というのが、白光真宏会の中でも、色んな宗教の中でも優劣つけてね、「俺は、ここへ来て30年だ。」とかね、やるわけです。年数と違う。真祈り。最高の真理の言葉を駆使出来るようになったかどうかが大事なのに、ここ来て「私は古いんだ。」とかって言う人が、ここでもあるじゃないですか。

 だから、先生は、ここは宗教じゃないから、いろんな意味で僕が一番古いということをずーっと隠し通されてですね。最後の最後で表していくわけですけども。宮野さんの事でも、年ばれるけど40年前から先生と僕は知ってて、あれなんですけど、やっぱり最後まで隠し通すというのは、年数とは関係ないんだっていうことです。だから。そこさえわかれば、引っかからないんですけどね。まずそこだけです。それがわかれば日本が中心であるというのが自然にわかります。

 日本が中心であるということは、日本が一番苦労するという事です。ここはわかっていてください。すべての総責任者の自覚ということは、例えば会社で言えば、ほとんどの人がさぼってる中で一人悪戦苦闘してるっていう感じです。でも結果を掴まないから悪戦苦闘してても楽しいの。もし結果を掴んだら、「こんなに苦労して大変な目に遭ってるのにみんなわかれへんねや。」ってなるわけですよ。みんなわからんでいいの。わかる人は自然にわかるようになっていくだけ。それは何でみんながすぐわからないか?自分の真祈りが足らないだけです。それに気づいてください。そしたら、日本が中心になってるのもわかります。そして、本当にみんな大変に苦労するけれども、大きな大きな働きをするというのがわかります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 事前にもらった質問は以上です。会場の方で質問のある方はいらっしゃいますか?(会場から質問がありました。)

会場からの質問1
 ありがとうございます 私は、童謡唱歌の熊さんが好きでした。熊さんと出会っても、仲良くするっていう、そういう気持ちで生きてきて、この頃の熊が人を襲ったりするとか、ニュースが出てくると、元は人間じゃないかと、まあ、思うようになってですね。なんか熊が、一族が本当に路頭に迷っているように見えてしょうがないんですが、そこのところお諭しくださいませ。

河上さん
 熊の働きというのは、神さまの働きの象徴なんです。だから、熊という姿をどう見るかなんですけど、昔の人はそれを知っていてですね、熊というのを神さまの、その使いだとかいうことで、わかっていました。だから、熊の胃でも、肝臓でも、心臓でも、その手の平でもね、全部漢方薬になるんですよ。神さまのお使いで、神さまの命そのものだから。それが集約したのが熊の形です。今、全国に熊が現れてるのは、いろんな意味がありますけども、神さまの光がいよいよ、具体的に現れ出したということなんです。神さまの光を具体的に現れるとどうなるかというと、本当に日本は苦労を背負って、マイナスを消す働きをしなくちゃいけないということです。それの象徴的な姿が、今の状況ですけれども。その、何みんなの苦労をちょっとでも減らすために、熊の姿を取って、大犠牲の姿を取ってくださってるのが、昨今、ニュースで報道されてる状態です。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます (会場から質問がありました。)

会場からの質問2
 親指と小指をくっつけた状態で手振りをするという状況の時について教えてください。以前に、その指先を真っ直ぐにしておくっていうことで、お聞きしてるんですが、その親指と小指をくっつけた状態で手振りをする時に、まあ、かなり意識しないと、こう指が真っ直ぐにならないのですが、この状態の時も指を意識した方がいいのでしょうか?

河上さん
 本当はね、体中の癖が全部取れていたら自然に伸びるんです。(質問者:はい。)ところが、みんなもう「この辺凝ってる。」とかね。「ここ肩痛いねん。」とかあるじゃないですか。「首痛いねん。」とか。そうなると自然にこれは曲がってしまいます。それで、毎日たゆまず続けることが大事だから、無理に伸ばそうとせずに。あるいは無理に長時間、この指をつけようとせずにね、しんどくなったらちょっと休む。でも、またやれるようになったらするということの繰り返しをしてですね。毎日ちょっとずつやっていただくと、こうラジオ体操とかするのにこの形でやっていただくと、体の凝りが全部取れて、指は自然に伸びてきます。前はこの形で教えたのは、それで指を伸ばしてほしかったんだけど、あんまりみんな毎日出来ないし。何、やってくれないからね。いつでも出来る形ということで、これを降ろしていただきました。(質問者:ありがとうございます)

司会者
 ありがとうございます 他にありませんか?(会場から質問がありませんでした。)ないようなので河上さんよろしくお願いします。

河上さん
 あの、ちょっと体大変なんで。先生から毎日、朝晩15分、暑い日でも寒い日でも、どんな時でも必ず出来る体操というか、体の動かし方を降ろしていただきましたので、今実演して説明します。それで、目標は15分。目標は15分ですけども、最初は3分も出来ません。でも、3分やって、ちょっと休憩して、またやるとか。あるいはもう今日は3分出来たから、それでいいとか。毎日たゆまずこれをやっていただくと。毎日できる運動なんでね。先生から降ろしたから間違いないんでやってみてください。

 本当は上着脱ぐといいんだけど、ちょっと熱で。(司会者:撮影していいですか?)ああいいです。もう撮ってください。どっちみち記念写真みたいなもんだから。最後、最後葬式の時は、その動画使ってください。

 まずね、要するに朝起きる時とか、夜寝る時ですね。仰向けに寝てるじゃないですか。この仰向けの状態で、その手を上に上げて振る、両手を。あるいは両足を上に上げて振るなんです。それで手は必ず出来るから、まずは両手を上に上げて振って、それで片足ずつとか。あるいは両足をやっても、両足はしんどくなったらすぐ止める。でも、また動かせるようになったらするの繰り返しでやってください。それで僕の動画、あんまり映してほしくないのは、もう今、体が大変で硬いから綺麗な形じゃないの。でも、一応、理想は手も足も垂直に上がる形だと思ってください。でも、上げれない人は、僕のように曲がった形で、ほとんど上がらなくてもいいからやってほしいということです。

 それで、本当にこれ毎日出来るから、毎日そのせめて1分でもと思ってね。理想は印可書を読む間はやれるようになってください。印可書3回が目標です。そうだけど、いきなり印可書終わるまで出来ないからね。そこは自分なりに、例えば印可書を読みながらやって、しんどくなったら、ちょっと休憩して読みながら、印可書を読み続けておいて、また振れるようになったら、振ってという繰り返しをしてください。

そしたら、ちょっとだけ、ちょっとだけです。実演します。
実演の動画はこちらからどうぞhttps://youtu.be/I-b5--RYi3I

 これが寝る時とか、朝起きる時の最初の仰向けの状態じゃないですか。それで、いや、みんな邪魔になって映れへんっていうから(マイクを持つ方が現れました)。これで先ず手だけやってみますね。

 親指と小指はつけてね。これで印可書3回ぐらい出来たら、最後の理想ですけど。最初は30秒でも1分でもいいのでやってみてください。それで、足も最初は片足ずつでいいから振る。しんどくなったら足を変えて振る。それで出来るようになったら、両足を振る。これを手と足と同時にやっていくのが理想ですけども、これも足がだるくなってきたら、止めて手だけでもするとか、いろんな形でやってみてください。理想の形は、僕の体、理想の形にならないけど見せておきます。

 こういう感じですね。こういう感じで、あのやってください。これだったら、寝起きにも寝る時でも必ず出来ますので。最初は無理せずに、しんどくなったら、もう一回で止めてもいいですし、ちょっと休憩してもう一回やろうと思う時はやってもらって、それぞれの形を、形というか、やっていけるようにしてください。すると、この本当に体の力、血液がですね、これのいい、先生の説明によりますと。人間の体は、足の指先、手の指先までが大事なんだと。でもみんなは特に足の小指なんかは意識もしてないと。それがよくないんだということで、それで足を上げてやる時は、足の中指を中心に振るという意識で。手でやる時は手の中指を中心に振るという意識でやるようにと。それで印可書3回分ぐらいできるようになると。本当に足の指先、手の指先全体に血液が巡って、本来の姿、人間の体の本来の姿に戻るから健康になる。これを振るとですね、自然に丹田に力が籠るんですよ。だから、丹田の位置がわかるし。これの時に印可書を読でたら、印可書が丹田に込められるんで、一石二鳥も三鳥にもなるということでした。何よりも、心臓が丈夫になるということでしたので、ぜひお試しください。

 質問があったらお願いします。

実演についての質問1
 親指と小指も?

河上さん
 もちろん親指と小指を合わせた状態で振ってくださいね。

実演についての質問2
 宇宙神ありがとうございます ちょっと真似してやってみますので、指導をお願いします。

河上さん
 そこでやって。はいはい。はい、そうです、そうです。それで印可書を唱えて、あ、それでバタバタでもいいし、はい。両足しんどい人は片足ずつでもいいし、はい。手も疲れてきたら、一旦下ろしてちょっと休憩してまたするというね。何があっても15分、要するに印可書を3回しんどくなってもするんだじゃない、スポーツじゃないからね。根性物語じゃないから、自然に毎日やってたら、楽に15分出来るようになりますから、先生のお話なんで間違いないんで。

 あの振らないとダメなんです。はい、指先、足の指と手の指を振るということが大切なので、それでお願いします。足の指は、中指を中心に振るで、手も中指を中心に振るという意識で振ってみて、そうです、そうです。振ってみてください。それをやるといいんです。

 それで、一番は心臓が丈夫になる。心臓が丈夫になるということは、血液が浄化されるんです。それで印可書を唱えてますしね。もう一遍やって。すると、ほら、丹田に力自然に籠るでしょう、足を上げている時ね。込めないと足を上げて触れないわけです。その時にチャンスとばかり印可書を唱えて、丹田に込めながら振ってください。一石三鳥四鳥にもなる方法。心臓が丈夫になるんで、血液が浄化される。血液が浄化されると免疫力が上がります。免疫力が上がれば、病気はないし。いわゆるお年を召した方は、ピンコロリ、最後までピンピンでコロッと死ねますから、ぜひやってみてください。

実演についての質問3
 頭上げてなくていいです?

河上さん
 上げなくていいです。つけたまま。頭を上げてやると首痛めます。

実演についての質問4
 これも八の字でもしていいんですか?

河上さん
 それは自由に変形は好き勝手にやってください。ただ、手を振らないと意味がないんでね。指を振らないと意味がないんですよ。

実演についての質問5
 八の字の時は、輪(手の親指と小指を合わせた状態の左右の輪)を組んでも?

河上さん
 輪を組んでもいいんですけど、指振れないじゃないですか。だから、指振る形を考えてみて、いろんなパターンしてもいいですけども。あ、親指と小指呼びつけて、はい、それで指を振って。そうそう。必ず手の中指、足の中指を中心に振るという意識でやってみてください。よろしいでしょうか。

質問者
 ありがとうございます

河上さん
 また、来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/Kjd1PHHvvqs

 実演の動画はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/I-b5--RYi3I

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2026/06/15(Mon) 10:39 No.4334 [返信]
6/14護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和8年6月14日護摩焚きで河上さんがお話してくださいました、音声です。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ

 https://youtu.be/Kjd1PHHvvqs

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2026/06/14(Sun) 11:53 No.4331 [返信]
Re:6/14河上さん真祈り運動
今日の護摩焚き会場のお話しの中で真祈り運動につき河上さんが実演してくださいました。
その動画を河上さんの許可を得てYouTubeにアップしましたので、こちらに掲載します。
参考にされて実践して頂ければと思います。以下のURLクリックでご覧ください。
 https://youtu.be/I-b5--RYi3I
   ありがとうございます
モリモト


[/218.220.249.195] Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/149.0.0.0 Safari/537.36

8年6月7日護摩 by 河上あきのぶ [Mail] 2026年06月11日(木) 18時28分
PC

令和8年6月1週目護摩焚き河上さんお話し(20260607)

司会者
 河上さんへの質問。私には大きな執着があります。愛情、幸せ、喜び、楽しみ等の感情を身近に感じることなく育った私に、愛、喜びや幸せという感情の実物を感じさせてくださった大恩人を悲しませて、涙をたくさん流させて逃げるように別れてしまいました。どうしても大恩人に御恩したい一心で、真(まこと)の神さまへの弟子入りを志願しています。

 すべてを捨て去って、真(まこと)の神さまへ飛び込むことが大恩人への恩返しになると頭では分かっていますが、どうしても今、今生の肉体を持った人生で、再び会って喜びを共にしたいと願ってしまいます。どうしても大恩人との思い出を掴んでしまって手放せません。大恩人を思うほどには、真(まこと)の神さまや本心の自分を思えません。印可書の奉読や書き写し、神社参拝の他に、何か良いアドバイスはございますでしょうか?日本と世界が平和でありますように。宇宙神ありがとうございます 6月7日。

河上さん
  ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
 今の方の質問ですけども、何が問題か、一番簡単なことなんですけど、簡単であって一番難しいことなんですけども「自分が何々する」から抜けれないんですね。だから、「自分が大恩人に恩返しする」、「自分が印可書を読む」、「自分が真祈りする」、ま、別にその人だけじゃない、ほとんどの人がそうなんですけど、「自分がする」から抜けれない。

 それが、その「自分がする」が抜けれないと、結果を掴むの。すると例えば、大恩人に恩返しするのに、要するに淡々と自分が印可書奉読したら、神さまにも大恩人にも恩返しになってるんだけど、結果として相手に通じないと思うじゃないですか、「自分がする」と思っているから。で、結果を掴むと、あとは苦しいばっかりで。すると、因縁因果の世界に落ちるの。
 
 要するに、極端な表現で言うと「やった、やられた」の世界、やられたから仕返しする。今回は逆に恩返しするですけど、どっちにしたってギブ・アンド・テイクの世界に落ちていくんですね、結果掴むからです。で、結果掴むのはなぜかと言うと、「自分が何々する」なんですね。
 
 だから、よく世間であるのは、例えば何かして貰って、お礼に何か持っていくじゃないですか?ほんなら相手は10してやってんのに、1しか返しよれへんとかね、そういう風にみんな勘違いしていくわけですよ。それって「自分がする」と思ってるから結果も掴んで求めるから、ぐちゃぐちゃになっていくんですね。もうそれだけなんですけど。

 じゃあ「自分がする」というのをどうして消すか。ま、ここで言うと「自分が真祈りする」という意識をどうして消すか。これが一番の問題なんです。で、いつも言うように、「自分がする」の「自分」を消そうという「自分」が出てきてね、で、「自分がする」を消したけど消した「自分」が残る。で、その「自分」を消そうとしてまた「自分」が残るという、堂々巡りするんですね。だから因縁因果と言って、輪廻転生に落ちてるの、肉体界に落ちてきたって言うんですけどね。

 で、「自分がする」って、みんな何故勘違いするかと言うと、例えば単純に、簡単に分かりやすいことで言うと、心臓も呼吸もね、「自分がする」ってしなくて動くでしょ?で、例えばお食事、美味しいもの頂く、不味いものでもいいですけど、何か食べ物いただく。ほんなら「胃よ、動けよ」、で胃が動いたら「小腸動けよ」、次は「大腸動けよ」って命令しなくても、自然に動くでしょ?それって、真(まこと)の神さまが降り立ってくださってるからなんです。

で、真(まこと)の神さまが降り立ってくださらなくなったら、すぐ死んじゃうの。分かります?だから、みんなすでに真(まこと)の神さまと不離一体なんですよ。それを「自分がする」という意識で断ち切ってるだけ。断ち切った分だけ神さまの光を受け損なって、ほんで神さまの光を受け損なうと、心が物足りないのね。本来は光でいっぱい満たされてるのに、無色透明の光だから受け取ってないような、貰ってないような気がして、ほんで何かこの世的に目に見えるもんが欲しいとなるわけ。分かります?

ほんなら結果を掴むわけ。で、それが、文化功労賞のような勲章とかの名誉であったりね、あるいは大金持ちになるという、あるいは株で大儲けするとか、競馬で儲けるとか色々ありますけど、結果を、目に見える結果を掴むわけです。

 すると「自分が」が消えない。でも本当は、皆さん印可書奉読する時でもね、自分が印可書奉読してるんじゃないんですよ。神さまの降り立ってくださった肉体が、印可書を神さまの御礼としてね、生かしていただいた御礼として唱えてるだけなんです。

 だから、神さまのお仕事のお手伝いなんだよと言ってるんですけど、そこに気づいていただいたら「自分がする」という意識は小さくなります。でも無意識に「自分がする」と思ってるの。思ってるけど、「自分がする」という意識があったら何が起こるかと言ったら、「何でこうなんの?」真っ先にね。「何でこうなんの?」あるいは「何であいつあんだけしかしてくれへんの?」「何であいつサボってんの?」とか、分かります?そういう「何で」が出てくるのね。

 で、もう1つは全部「何で?」ですけどね。「何でこんなに努力してんのに貧乏なの?」とかね。「何でこんなに努力してんのに勉強できないの?」とか、その人によって色々ありますけども、「自分がする」と思ってるうちは何もできないんだということに、早く気づかなくちゃいけない。

 みんなは自分で何とかできると思ってるの、無意識にね。出来ないくせに。誰も出来ないよ。自分では何も出来ないよ。神さまがして下さってるだけなんだから。だからそれが分かれば、すっと楽になるんだけど、自分が何とかしようと思う。だから、お掃除でも「自分がしましょう。」なんです。お洗濯でも「自分がしましょう。」、おさんどんのお料理作んのも「自分がしましょう。」と思って苦しんでいくの。分かります?

 だから、例えば印可書の奉読でも「自分が印可書を読む」と思ってる時は、最初から最後まで一語一句間違わずに読まないと気が済まないの。間違えたらまた読もうとする。でも「神さまが、神さまの命で読んでくださってる」「読ませていただいてる」表現色々、その人のしっくりくる表現でいいですけど、「自分じゃないんだ」というのが分かったら、例えば印可書の冒頭の1行だけでも納得するし、要するに結果を掴まない。

 そうなったら全部自然に動くんですけどね。いつも言うように、「この漫画のあらすじね、後でテストに出すから、この漫画しっかり覚えなさい。」言うたらみんな読めないのね。覚えられないのね。でも「テストする。」なんて言わんと読ましたらね、スラスラと全部覚えてるじゃない。それは「自分が読む」と思ってないから、「神さまが漫画を楽しんでる」からすっと入るんです。でもテストとなったら自分が読んで覚えなくちゃいけないと思うから出来なくなる。それくらいの大きな違いであり、ちょっとの違いなんです。

 だから、まず「自分が何も出来ないんだ。」っていうことに気づかなくちゃいけない。心臓1つ自分では動かせないんだ。呼吸1つ自分では動かせないんだって気づいたらね、「ああ、神さまがしてくださってるだけで良かった、良かったな!」なんです。

 で、それがもうちょっと進んだら「神さまがして下さってる、ありがとうございます」なんですけど、一気にそこまで行くとまたちょっと意識がずれるんでね。先ず最初は「神さまが何でもして下さってる、ありがとうございます」なんです。ほんだら寒いとこ行ったら体温自動的に上がるしね、暑いとこ行ったら汗かいて体温が下がるように自動でなるんでしょ?自分で「あ、暑いから汗出よう」と言わないじゃないですか?

 それが分かれば、結果を掴まない。ともかく結果を掴まなくなったら自分が出てない。一時、自分の都合を優先するのを止めなさいっていう表現しましたけど、自分の都合を優先するっていうのは何か言うたら「自分が出てる」ということですし、それは何か言うたら結果を掴む。

 あるいは、結果掴むから、例えば自分の経歴を誇るとかね、あるいは卑下して「自分は何も無いからダメだ」とかって言うわけですけど、神さまの大いなる命がありとあらゆるところに働いて、色んな働きとして出るわけですよ。

 だから例えば、雑巾の働きで神さま命が出てきたらね、雑巾最初真っ白じゃないですか。でも汚れを拭いてね、あと濯いでも茶色なままでしょ?じゃあそれ「茶色でダメなのかな?」じゃないじゃないですか?その働きとしてはそれでいいわけで。だから職業に貴賤は無いわけです。どの働きも必要、ビルのお掃除のおばちゃんの働きも必要だし、どの働きも必要なんだというのが分かったら、「自分がしてる」のが無いって分かるんですけどね。たったそれだけです。

 だからまずその「何で?」って思わないことで、「自分がしてる」と思わないこと。神さま命に生かされてるだけっていうのが分かったら、それが自然に分かるはずです。分からないうちはそんなもん、「自分がしてる」と思ってるうちは、自分で心臓動かせると勘違いしてるのね。

 それが分かるまで淡々と印可書を奉読してください。ここはもう理屈じゃないんで、実感の部分なんで、それを今無理に言葉に表しました。なんとか分かってもらえたかとは思いますけど、あとは実感として分かるため、自然にね、朝目覚まされたら、「あぁありがたい、生かされてる」って喜べる気持ちになるまで印可書奉読してみてください。ありがとうございます

司会者
 はい。ありがとうございます
 (質問2枚目−@)この前から体をゆすって、貧乏ゆすりとか、ゆすってお祈りすることを仰っておられます。この動作を首を回すお祈りの仕方ですると、動きがとても難しくなり、うまくできません。
 そこで、普通のお祈りの仕方、(腰の手を下ろし、首を回さず)で印可書の最初から、「一大循環の相象(すがた)の完璧極まりない一つの流動体となっている」まで、印可書の約3分の1まで貧乏ゆすりをして祈り、あとの印可書の部分で、貧乏ゆすりを止めて、首を回すお祈りをしていますが、それでも良いでしょうか?
 Aつ目
 次はやり方についての質問です。貧乏ゆすりしながら肩の力を抜いて首の力を抜いて、それでもまっすぐに立ててすると、教えていただいていますが、畳の上に座ってする時、体をまっすぐに立てて、ゆすっても、下腹部を感じ取りにくいです。
 そこで、息を吸った後、軽くお腹に力を入れてゆすると、下腹部、丹田というのでしょうか?感じやすくなった気がします。そのやり方でもよろしいですか?よろしくお願い致します。

河上さん
 ありがとうございます 
 やり方については、ほぼそのやり方でいいです。おへその下に、自分の握りこぶし、親指をおへそのところに当てて、小指のあたりですね。そこは、だいたい丹田というんですけども、そこに力まずにね、軽く力を込める方法は、各自工夫してやってみてください。

 で、貧乏ゆすりしていると、結構、楽に、力むんじゃなくて、丹田に、スッと力が入るように感じになるんでね。ほんで、その丹田というのは、「全宇宙のすべての働きの交差点」なんです。だから、ここに最高の真理の言葉を、ためるという、「最高の 真理の言葉 駆使すれば 自ず開かん 悟りの花は」という、駆使するというところを、誰も聞きに来ないから放ってあったんですけど、駆使するというのは、具体的にはこの丹田にためてください。

 だから、この「丹田は無限大の円がいくつも重なっている場所」ですので、いわゆる腹が据わるとかね、言うじゃないですか、日本語でもね。腹を決めてやれとかね、その腹の部分なんです。で、ここに真(まこと)の真理の、最高の真理の言葉をためたら、自然に悟れます。 だからやってみてください。
 
 そんで、そのここに軽く力を入れる方法ですけども、今朝方、先生から直接、「もうみんな苦労してるから、おまけ出す」という事で、やり方を今言います。よく聞いててくださいね。
 
 親指と小指を合わせます。親指と小指の先端は揃えてくださいね、ずらさんと。はい。で、これが軽くできる人は、かなり心境進んでます。それでこうしてるのが辛い人は、やっぱりどっか捉われが残っているんで。この状態でスッと光通りますので、例えば、これで「宇宙神ありがとうございます」(親指と小指を合わせて手振りをする)とやると、光の通り方が全然違います。

そんで、例えば、ラジオ体操でも何でもいいですけど、こう体操する時もこの手でやってみてください。すると、全部の筋肉がほぐれて、肩こりとかいうのがあっという間に落ちます。あるいは前屈、ストレッチですね。
こうするときでも、こうやって(親指と小指を合わせて)やってみてください。ほんなら、今まで後ちょい伸びないなっていうのが、すっと伸びるようになりますから。先生が言ってるから、間違いない。はい、それをやってみてください。

 で、その貧乏ゆすりの僕が言ったのは、そのここ(丹田)に軽く力を込める体感を実感を持ってもらうために言ったわけですけれども、これ(手振り)でも出来ますし、貧乏ゆすりにこだわらずにね、各自工夫して自分が一番しっくりくる事をやってみてください。

 ただこの親指と小指をこう合わせてやるのは、もう間違いなく光すっと通りますので、やってみてください。そやけど、自分が光を通すと思ったら、ダメよ、神さまはしてくださるだけですからね。はい。それでお願いいたします。
 
 これでみんな、例えば印可書奉読する時でもね、例えば座って印可書奉読する時でも、前に印可書を立てておいて、こうしてやってみてください。ほんなら、こうするところに意識いくから、自分が印可書読むという思っている暇なくなって、神さまが読んでくださってる実感がしやすいです。

 で、お祈りする時でも、これ、先生が手を組まれてた手の組み方なんです。本当は。みんなちゃんと見てないでしょう?先生お祈りの時、パッと組んではったでしょう?「あれどなしてするんですか?」って、誰も聞かへんからね、あれだったんですけど。
 
 これ、手の組み方なんですけど。ただ、みんなそれぞれ癖がありますから、ここの輪っかを通して組むのが楽な人は、輪っかを通して組んでくださればいいし、輪っか通すのがしんどかったら、適当に指を合わせて、してお祈りするみたいな感じでね、あるいは合掌、合掌をするよりは、あの、このここの合わせてこうするとか、こうやってやってみてください。
 
 で、あんまり人前でしないでね、また変な宗教と思われるからね。でも、こうすると、楽なんでやってみてください。先生が光通す印として降ろしてくださいました。それで、今の質問に全部答えてると思うんだけど?

司会者:
 はい。

河上さん
 あ、どうぞ。

質問者aさん
 ありがとうございます
 今、教えてもらったのは、親指と小指を合わせるっていうことなんですけど、以前、えっと、この形にプラス中指を添えて鷹の爪っていうことを教えてもらったんですけど、この今日のんと鷹の爪はまた別ものなんですか?

河上さん
 傾向的な流れ一緒なんですけど、中指を合わせるとね、みんなやりにくいのね。(質問者 あ、これを足すと?)
 足すと。だから誰でも簡単にできる方法なん。ほんで鷹の爪というのは、本来、この3本指なんで。ほんでね、例えば手の痛いとかあるとするじゃないですか?ほんだら、こっちは小指、親指を合わせて上あげてね。ほんならどっかたいところあるとするじゃないですか。ほんなら今度は、親指と小指でここをもむんです。(質問者:親指と小指?)うん。で揉むの、この腕の痛いところ。ほんならスッとほぐれるから。
 
 で、例えば、この前屈でも、この親指と小指で、痛いところもみながらやってみるとかね。あの、そういう光の通る方法なんで。で、中指というのは、本当はあの何かというと、前、つま先立ちを言ったじゃないですか?で、つま先立ちができるだけの筋肉がついてきたら、次のステップとしては中指で立ってほしいんです。

質問者:足の中指ですか?

河上さん
 うん、ただ立ち続けるんじゃないよ。ちょっと力入れたら戻すといいんですけど。で、それが体の中心を通す光なんです。それができると、例えば剣道しててもね、すっとよけれる。

質問者
 軸ができるということですね?

河上さん
 そうそう、体幹の軸ができるんで。でも、それが光を通る方法なんです。で、そのなんて言うんですかね。あんまり技術的なことをたくさん言うと、混乱するし、あれなんでちょびちょび言いますから、ちょびちょび質問してもらって進んでいく。その前は、先ずこれで色んな事をやってね、自分なりに質問が出てきますから、まずこの基本的な形からやっていただいて。

質問
 じゃあ、その次の段階として中指を足すとか。

河上さん
 うん、この前いっぺんに言いすぎたからね。なんで中指足すのを今しないかというと、こう合わすだけでもしんどい人多いんですよ。楽にふわっと合わせれない。ね、だから、先ずこの状態で腕を回すとか、色んなって体、筋肉をあちこちほぐすと楽にふわっとやれるようになります。ふわっとやれるようになってから、次なんです。ということで、まあ、今日はここまで、ちょちょびちょびと出さないと、話のネタなくなる、違うか。(笑い)はははは。そんなことで。それは冗談ですけど。

 まあ、そんなことで、それは冗談ですけど、ちょっとそういう形で先、このみんな、これが楽に、どう回しても楽にすっと、何時間も合わせれるぐらいになったらいい。やけど、無理に何時間もしなくていいからね。5分やってしんどくなったら止めていいですから、そこだけは間違わない。

 でも、本当に全身の筋肉が緩んで力を抜けるようになると、これがふわっとできます。ほんで、力を抜くことができたら、どんな仕事しても肩凝らないんです。「力が抜ける」と「力を抜く」とは別なんで、だから、よくほら、あのスポーツでね、もっと肩の力を抜いてってやるじゃないですか?

 あの表現が難しいのね、力を抜いてって、どうしたらいいか分らない。あるいは合気道でも力を抜いてやれとか言うんですけど、その「力を抜く」のと「力が抜ける」のは別だというのがね、なかなかみんな分からない。
 
 で、力が「抜くことができる」というのは、今言った丹田に自然に力が込めれてね。で、これがスッとできる状態になると抜けてる。で、そうなると何が起こるかいうと。例えば今あなたが立ってるでしょう?で、これを、どんどんついてみると、後ろ下がるやろう?(質問者の右肩を軽く河上さんが押すと)そやけど、ここに肩突かれると、後ろ下がるじゃない?それは力がこもっている。肩に力が入っている状態。
 
 そんで力を抜けって言うとね、あの、本当に抜けてしまって、立ってるもしんどくなる。でも、本当に臍下丹田に自然に込めれて、これができる「親指と小指が合わせるようになる」と、自然に自分の意識で、意識も超えて抜けるんで、抜くんで。「抜けるというより抜く」んで、トンと突かれても、ふわっと肩が逃げるだけになるの。
 
 剣道で言うと、剣道の達人みんなそれができるんですけど、その力を自分で抜いた状態、抜けたじゃなくて、抜いた状態で竹刀を持つので、相手がパーンと竹刀払うわけですよ。ほんなら、ここ(竹刀を持つ手)ふわふわっとした抜いた状態やから、払われた竹刀はパンと弾かれるの。でも、抜けてるから、すっと戻して、突きも何もできるから、相手がまあ負けていくんですけどね。
 
 別に、これは合気道でも、柔道でも、高段者になれば、それができたけど、今のスポーツ柔道はそれができなく、もう昔の柔術だけしか残ってないですけども、そういう感じです。

質問者
 というと、普段、その何も考えなくても、この力が入っているっていうのは、これ、自分っていう意識が力になってて。で、これ(親指と小指を合わす)をすると、自分という意識が抜けて、同時に力も抜けて丹田にこもるという?

河上さん
 だから何も思わなくてもね、神さまの命が降り立って、心臓が動いて呼吸ができているわけじゃないですか?ね。にもかかわらず、自分で動くんだ、自分でするんだってやって、肩に力が入っている。そうそう、そう立ってるのでも、自分が立ってるんだっていうのが無意識にあるわけ。だから、今肩突かれたら後ろへボーンとさがるの。で、それがこっちがもっと脱力した状態でやるとね、ちょっと…(マイクから離れたので聞けず→押すだけで)…それをやると、ドーンと落ちるんで。今、本気でやったらパンと倒れるんだけど。まあそれくらい神さんの命が働くのは凄い事なん。

 で、それが本来の合気道であり、古流柔術でもあるんですけど、ここは武道教えるとこではないんで、真祈りを教えていくとこだから。でも、真祈りも一緒で、自分がするというのを消すためには、こういうことは必要なんで。必要なんでと言うより、あんまりみんなが出来ないから、先生が見かねて、今降ろしてくださいました。

質問者
 じゃあ、印可書と通ずるものがあって…
 
河上さん
 そうです。だから印可書奉読と言ってもね、やっぱり自分が読むというのが無意識にあるわけですよ。で、それをどう消すかということで、先生にしつこく(お願いして)突っ込んでいくと、これで(親指小指の先端を合わす)いけと。だから印可書読む時も、こうして、まあ、別に手をこうでも何でもいいんですけど、この親指と小指だけ(先端)付けて(親指小指を軽く合わせて)読んでみてください。ほんなら全然違います。ありがとうござい
 
質問者
 分りました。ありがとうございます

司会者
 では、会場の皆さんでご質問のある方おられますか?はい、どうぞ。

質問者bさん
 宇宙神ありがとうございます 
 
 貧乏ゆすりの推進というかえ、印可書奉読するときに貧乏ゆすりしながら奉読してもいいんです?
 
河上さん
 結局、貧乏ゆすりの方に意識いってね、自分が印可書読むという余裕がなくなるの。すると、神さまに読んで頂けるようになるから、貧乏ゆすりと言いました。ほんで、貧乏という言葉が、今、世間的にはマイナスに誤解があるんですけど、あの本当は「ひひんぼー」っていう「ひ」が2回重なってるんです。それで「ビー」ってなるんですよ。で、光の柱が立つという意味でビンボーって言うんですけどね、本当は。
 
 だから、金持ち学者、後回しって言うんですか?貧乏の人の方が悟りが早いっていうのはそういう意味です。だから、貧乏ゆすりしながらそうしてもらったらいいし、今のこれ(親指と小指をつけて)もセットで貧乏ゆすりしながらやって。あと1週間、また来週までにやってみてください。全然変わるから。
 
 うん。これでやっと全員を連れて行けるって思って嬉しくなっているんですけれども。

質問者
 あとは他の真祈り体操に貧乏ゆすりを応用してもいいんですか?

河上さん
 いいです。いいです。だから、その辺はね、この形でなくちゃいけないというのはなくて、自由自在にされたらいいんですよね。で、はい。
 
質問者
 それによって丹田に力が籠もるという感覚を得る。得れればいいということで?
 
河上さん
 そうです、そうです、その実感なんですね。感覚なんで、言葉で説明しようないんでね。だから、先生は、いろんな言葉で説明されて、最後、今までのは全部方便だった、偽もんじゃって言って、ちょっとブチ切れてね、あんまりみんながしっかりしてくれないから、ぶち切れて仰った時もあるくらいね。その言葉に取られたらダメなんです。
 
 いろんな形で説明しますから、その説明した内容を色々と試してみて、実感が取れたらいいんです。だから、これだけでないとダメとかね、貧乏ゆすりしないとダメとかね、真祈り体操でないとダメとかね、あるいは、こういう呼吸法でないとダメとかじゃなくて。
 
 例えば、マラソンというか、走る時はね、いやでも、口から吸って、口から吐くじゃないですか?ね、で、じっと座ってる時は、鼻から吸って、口から吐いたり、口から吸って、鼻から吐いたりとか、できるじゃないですか?必要に応じて、自在な呼吸法が、人間は本来できるようになっているんですよ。だから、この呼吸法でなくちゃいけないというのはないから、あるいはこの体操でなくちゃいけないともないし、ただ、体の力を抜くために、自分の意識で抜くために、この親指と小指を合わせてやってみてください。

 まずは、これを試してもらって、これでうまくいかんというと、また先生に文句言って、新しいの(降してもらいます)。でももう、おまけ出して貰えないかもしれないけど、まずは試してみてください。
 
質問者
 あと、貧乏ゆすりのやり方を念のため。足をジタバタするのが基本パターンですか?

河上さん
 いや、だから、その人の体に応じてね、出てくるから、(質問者:下半身が揺れてればまあ?)
 そうです。要は、ふくらはぎの筋肉を使えたらいい。うん、ふくらはぎの筋肉を使うことが大事なんで。で、ただ、もちろん、ふくらはぎの筋肉を使うとなると、散歩とかね、階段を登っていくのがいいとかあるんですよ。

 あるけど、雨の日でも、寒い日でも、どんな日でもね、寝起きにすぐできることを言ったら、貧乏ゆすりだと思うから、その毎日できることが大切なんですよ。英語でも、勉強でもそうですけど、毎日ちょっとずつしかできへんけど、ちょっとずつが大事であって、あいだ空けたらなんぼ、10日にいっぺんね、すごい時間、勉強したって、役に立たないの。

 なんでも毎日ちょっとずつするのがいいんです。で、みんなね、ちょっとずつすると結果をつかむ人は、こんなちょっとしかせえへんから効果ないって勘違いするのね。でも、そうじゃないんです。そのちょっとずつしようという前向きな心が悟りなん。

 後ろ向きになったら、結果につかまってね、苦しんでるの。結果を意識せずに、前向きに喜んでやれたら、悟りなん。だから、先生は一生穴ぐら暮らしていいってね,お家なんか要らないとおっしゃったんですよ。ちょっと雨風防げてね。ほら、イノシシさんとか動物さんが穴ぐらに住むじゃないですか。あんなんで十分なんだって極端におっしゃいますけどね。それはそういう意味です。だから、自在に自在にやってみてください。

質問者
 貧乏ゆすりの要(かなめ)は、丹田に力をこもるのを意識できるという…

河上さん
 そうです。先生は僕には金魚運動で教えてくださった。正座して左右に振るんですね。ほんなら嫌でも、この臍下丹田に自然に力こもるから金魚運動でおっしゃってくださって。みんなにも言ったはずなんですよ。誰も聞いてへんし、信じてないし、しないし。僕だけしか言ってないことないからね。僕の聞いてることは全部みんな先生は仰ってるからね。

質問者
 貧乏ゆすりのスピードにこだわる必要はないですか?

河上さん
 うん、もうその人の体力とかに応じてね、出来ることがありますから。

質問者
 気分によっては高速でやっても?

河上さん
 そうそう、そうそう。

質問者
 踊るようにやってもいい?

河上さん
 いい。いい。

質問者
 でも、肝心は、丹田に力をこもるのを意識するためと?

河上さん
 そうです。それと、やり方を人に押し付けないこと。みんな自由意志で自分の体に合った方法を自分で見つけていってください。だって、そうでしょう?身長がある、あるいは腕の力がある、ね、みんな違うじゃないですか、体の形は。なのに同じことをさせたら、それは無理です。だから、それぞれみんな自分で工夫しながら、この1週間やってみてください。これはすごく効果あります。

質問者
 腕を抱えて貧乏ゆすりするのは、立った状態の時でもやっていいんですね?

河上さん
 いいです。で、その時にこれ(親指と小指を合わす)やってください。そう、そっち(腰につける方の)の手。あ、そうそうそう、うん。それで今やって。

質問者
 脇に抱えているところの親指と小指を、

河上さん
 でそうやって。こっちはあの…

質問者
 腕を囲む方は普通に…

河上さん
 違う。親指と小指で掴む。いやいや、親指と小指で掴む。ああ、そうそう。ほんでやってみて。今ちょっとやったらわかるわ、全然違うから。

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(説明)
・片方の手で親指と小指の先端を合わせて、指先をくっつける。
・その状態で手の甲を腰につける。
・反対側の手を伸ばして、その腕の二の腕(肘より上)をつかむ。
・つかむときは、反対側の手の親指と小指を使って二の腕を掴んで保持する。(掴んでいる手の親指と小指は互いには触れない)。
・その姿勢を保持しながら印可書を唱え、首を回す。
--------------

質問者
 貧乏ゆすりをやっても?

河上さん
 うん、好きにやって。人前でしないでね。ここ怪しいとこと思われるから。

質問者
 人目のないところでは積極的に?

河上さん
 お部屋の中で誰も見てへんところでやってください。

質問者
 ありがとうございます

河上さん
 じゃないと、気い狂った思われんで(笑)

司会者
 ありがとうございます はい、他にご質問は?はい、どうぞ。

質問者cさん
 一つ、印可書の一文で、ちょっと意味が分からないところ質問させてください。「新たなる真(まこと)の十界だけ」というところがありますけれども、十界って、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、仏、菩薩というのありますけど、真(まこと)の、真(まこと)の世界にも、地獄、餓鬼、畜生…というのがあるという意味なのか、ちょっとそこの「新たなる真(まこと)の十界だけ」っていうところの意味を教えてください。

河上さん
 あのね、「新たなる真(まこと)の十界だけ」でしょう?その次に、「新たなる真(まこと)の真(まこと)の十界だけ」ってあるじゃないですか?で、これ、入れ子構造の世界で、光を受ける側が「真(まこと)の十界」なんです。で、光を与える側が「真(まこと)の真(まこと)の十界」なんです。で、これが入れ子構造で、本当はそんだけしか書いてないけど、その「真(まこと)」が増えていくわけ。

 そんで一番上に真(まこと)が無限に増えた世界は、完璧なる一大循環の世界なんです。で、それを映して映して、いわゆる制限加えていくわけですね。だから「真(まこと)」、「真(まこと)」という言葉が無限にあるから、一大循環の世界。それが有限になってくるにつれて、有限ということは動きが鈍いじゃないですか。だから制限がかかるじゃないですか。ほんで、いわゆる一大循環の世界に近い十界と一番地獄に近い十界と、という感じでね。順番にあるわけ。

 で、その十界というのは何かというと、一大循環の世界から現世(うつしよ)の世界に映った時点でね、真(まこと)のプラスというのはないんですよ。で、そのいわゆる、みんなにわかりやすく言うと極楽と地獄があるわけです。その間に8個あるわけですけど、その極楽と地獄が同時に存在するの、現世の世界は。だから、どこまで行ったって、地獄は残るんです。

質問者
 ああ、そうなんですか。

河上さん
 そうです。それで、これが一大循環の世界に完全に戻ると光一元に変わるわけ。でも映した段階ではスクリーンに映ってるから、本物じゃないからね。で、本物でないものを表現するのに、例えば白い紙にね、一大循環の世界を白い紙だとしたら、そこに表現するために黒と白を使うわけでしょう?それが天国と地獄なんです、簡単に言うと。それで表現しているだけなんで、天国と同じの数だけ地獄があるの。

 だから、この世でお金儲けるでしょう?お金儲けたら儲けて自分が贅沢するんじゃないですか。だから、その分だけ地獄の人が同じ数だけ苦しむの。だから、先生は贅沢するなと。もうほどほどでいいんだっていうことをね。お釈迦様も中庸でいいんだ、中庸っておっしゃるんですけど。中庸でいいんだっていうのは、極端なことするなって先生おっしゃる、お釈迦様もおっしゃる、イエスも、すべては神の栄光に帰さんがためなりと言ってね、すべて神さまの御働きだけで、あとは何もないんだって言って、中庸をやっぱり言うわけですよ。贅沢するな、貧乏するなってね。みんな言うんだけど、みんな贅沢したいからね。で、贅沢したら貧乏を味わうしという。この、それを因果というわけですけど。贅沢、要するに天国と地獄をみんな行き来して楽しむのね。

 で、地獄行ってる時は、文句言って、天国行ってる時は増長慢になってという繰り返しなんですけど、それの基本的なすがたが受ける側と与える側のすがたとして、そういう表現にしています。

質問者
 受ける側と、与える側の…

河上さん
 そうです。要するに上から順番に降りてくるわけですから。一大循環の相象(すがた)になれば、真(まこと)が無限大にある十界っていうことは、もう数がない。「無限の無限の」ってなるわけですね。だから「無限の無限の」というわけですけど。それをちょっと制限加えた時点でそうして。で、わかりやすいように「真(まこと)」2つと「真(まこと)」1個で説明してますけど、本当はこの「真(まこと)の真(まこと)」の上に「真(まこと)」が4つ付いたのがあって、8個付いたのがあってって、わかります?16個、32、64、128って増えていくわけですけどね。

質問者
 はい、ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他に質問はございませんか?はい、そしたら河上さんお話をお願いします。

河上さん
 ありがとうございます 
 護摩の日が雨になるというのは、よっぽどで世界がすごい大変なんですね。で、先生、生きていらっしゃる頃も1度ありましたし。いや、約2回あったんかな?2回から3回ありましたけど、今回もこれ、護摩の日の雨って2回目になるわけですけど、本当に地球が大変な状態です。

 で、今の石油不足も真祈りが足らなければ、あと2年ぐらい続きます。その間に、いろんなものが不足したり、食物が足らなくなったり、なりますけども、どの状態になっても、ひたすらね、真(まこと)の神さまだけということを信じて祈り続けてください。もうそれしかないです。ただ、毎回、護摩を重ねることによって、どんどんいいようにいように変わりますのでね。それだけは思ってください。これ、護摩、なかったら、とっくに大変なんです。

 どうなるかというと、例えば、第三次世界大戦が起こる前に、それを止めるために富士山が噴火したりね、日本全土にあちこち大地震が起こって、戦争どころでない状態を作って、神さまくださるわけです。ほんなら、こんなん戦争してる暇ないで。

 あるいは、もう既に3種類のいろんな、もうあんまり具体的に名前言いませんけど、病原菌ウイルスが出てきてましてね。で、それがどんどん蔓延して。潜伏期間、1週間ぐらいで、バタバタ死ぬとか。1つは本当に3日とか1週間で死ぬ。1つは1ヶ月ぐらいの潜伏期間で死ぬというふうなウイルスが出てきます。ほんだら、もう病気病気でね、そんなん戦争してる暇ないわっていうふうになるわけですけども。そういう形が、芽が出ています。で、そうしないために真祈りがあります。それくらい大変は大変なんですよ。

 でも、ガザ地区の大変なことでもね、ウクライナの大変なことでも、みんなやっぱり他所事で胸が痛まないでしょう?だから、胸が痛まないくらい、みんな心がまだまだ狭い。狭いということは真祈りがまだまだ浅いということです。それぐらいは反省してもらってですね。

 で、もう、なんで?と思わずに、今言った手の形で光を通して、ぜひ1週間やってみてください。ほんだらいろんな疑問も出て、質問もありますでしょうし、それ以前に悟れる人は悟れます。ただ悟った意識をわざと止めてますから。それでも、なんかこの頃なんでって思わへんようになったなって思った時は、もう十分OKですから。でも、それ人に言わないでね。そこまで行ってない人が焦るからね。お願いします。

 ちょっと今日すごい熱でね、立ってるのも大変なんで、これくらいで終わりたいと、雨も降ってますし、終わりだと思いますけれども。あと1つ質問があったら聞いてください。

司会者
 はい、ございませんか。はい、ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます ぜひ来週もね、できるだけ、親の死に目以外はっていつも言っていますけど、できるだけご参加ください。ありがとうございます また、お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます


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j人生の目的は悟りを開くこと by kawakami [Mail] 2026年05月13日(水) 15時41分
PC

この世に生まれて来た目的は悟りを開くこと

 悟りを開くという悲願を達成せんが為に、村人を志願して、なった人ばかりのはずなのです。

 体を動かすことと、真祈りについて、やはり、わからん・・・という別の方からのご質問ですが、いつも申しますように、松下先生のところは、宗教ではないのです。

 宗教とは、教祖とか、教団幹部にたよって、責任をなすりつけて、無責任にただ、言われたまま、ついていったら、いいわ。・・・ということが、宗教です。

 ですから、寄付も必要で、また、教団の販売する、いろんなグッズを買うことを要請されるのです。

 松下先生のところは、宗教ではありませんので、村が、グッズを買えとか、寄付を要請することはないのです。
 
 では、松下先生のところは、一体何か?・・と申しますと、悟りを開きたいという、真実の願いを達成したい人々の願いに応えて、はじめられたことなのです。

 それが、真祈りであり、真祈りを結集する、ありがとうございます護摩であり、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書であるのです。

 ですから、悟りを求めていない人々は、村人といえども、立ち去るしかないのです。一般の方は、立ち去るだけで良いのですが、村人は、立ち去らないときは、その肉体を神さまの御用につかっていただけて、真祈りをせずに、村という、聖地に住んでおると、いろんな、病気や、不運の運命に、なっていくだけなのです。

 いずれにしても、神さまにつかっていただけるわけですから、幸せであることには、かわりありません。

 さて、体の動きと真祈りの関係とは、積極的に明るく、前向きに、生きるためには、今までつかっい続けてきた、マイナスの言葉の集積(これを業という)を、消し去らないまでも、払い続けて、進む必要があるのです。

 そのためには、体を動かしながら祈り続けることが、大切なのです。

 動かしたは、貧乏ゆすりをはじめとして、呼吸にのせるとか、手振りにのせるとか、お掃除に乗せるとか、いろいろ、各自それぞれ、自由に、自由自在に工夫されれば良いのです。

 肉体といえども、神さまの命そのものでありますから、動かすことによって、光がとおるのです。

 ただ、マイナスの言葉を使いながら、肉体を動かすと、病気になります。そのためにも、最高の真理の言葉を駆使しながら動かす必要があるのです。

 自覚なくとも、なんで?どうして?と文句を言いながら動くと、マイナスの言葉を駆使したことになりますので、注意が必要です。

 いよいよ、おまけがなくなり、言葉通りに展開する時代になりましたので、ウソをついたり、そのつもりでなくとも、神さまの働きの邪魔をすると大変なことになりますので、よろしく真祈りのほどお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます 河上


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令和8年5月3日護摩 by 河上 [Mail] 2026年05月05日(火) 13時05分
PC


令和8年5月1週目護摩焚き河上さんお話し(20260503)

司会者
 護摩木に対する「おまけ」がなくなったとお聞きしています。そこで2点につき質問いたします。
 
 1点目、以前は、縁者や知人の名前を書くことにより神さまからの助けがあったと記憶しています。現在は名前を書いても、そうした意味はないのでしょうか?
 
河上さん:
 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
 要するに「おまけがなくなった」というのは何かと言うと、以前は「護摩木さえ書いていたら真祈りになっているんやろ!」「護摩木さえ書いていたらいいんやろ!」「護摩木さえ作っていたらいいんやろ!」という状態でも、真祈りにするよというおまけがあったという意味です。

 でも、それはある意味で「無責任」ですから、総責任者の自覚なしに、要するに護摩木という制度を作った先生のせいにしている。「先生が言うから護摩木さえ書いたら良いんだろう!」、あるいは「縁者の名前を書いていたらいいんやろ!」というふうに、自分が責任者にならずにね、他の人のせいにして書いているから、それでもおまけがあってOKさんだったわけですけど、いよいよそのおまけがなくなったわけです。それでおまけがなくなったと言っています。
 
 もちろん、自分が「総責任者」として、「真(まこと)の神さま」として護摩木を書いて頂く、あるいはメモ護摩木を書いて頂く、あるいは縁者の名前を書いて頂くというのは、もちろん有効ですから大丈夫です。ありがとうございます

司会者
 同じ方からです。護摩木の表には「宇宙神ありがとうございます」と記入し、裏には印可書の一文を書きたいという気持ちが今湧いて来ています。例えば裏面に「絶対の中心 無限大の外遥か彼方、 無限の無限の彼方から、全方向からすべてのすべてへ…」とか、「新たなる真(まこと)の神さまだけ!新たなる真(まこと)のプラスだけ!」とか、謹書したいと思います。すると何か書く意欲や嬉しさが増すように感じます。いかがでしょうか?
 
河上さん
  そうしていただいて大丈夫です。ただし、先ほど申し上げましたように「総責任者の自覚」ですね。「総責任者の自覚」というのは何かというと、「我 真(まこと)の神さまなり」の自覚なんですけども、もっと具体的に言うと、普段の生活で、ですね、「なんで?」と言わない。

 「なんで?」と言うことは、人のせいにしている。人のせいにしているという事は、自分と神さま、自分と他人を分けているじゃないですか?そういう時は意味がないということです。だから「すべて真(まこと)の神さま」「すべて自分」「すべて神の御光、御力、御命」というんですけども、すべて神さまだという前提でね、書いて頂いたらいいです。

 もちろん「そんなん言ったって、私そう思い切れないわ。」でいいんですよ。でも、生活しているうちで必ず「なんで?」って言わないように。もし「なんで?」と言ってしまったら、「印可書」なり「宇宙神ありがとうございます」なり「ありがとうございます」の真祈りに戻ってですね、して頂いたらいいんですけど、戻れるということは、真祈りができる自分だということです。
 
 それを「なんで、なんで?」と言って、人のせいにばかりして、ぐじゃぐじゃになっていくというか、堂々巡りしていくと、因縁因果の輪に堕ちたという、 何と言うんですか?神さまの命を信じ切れなくなった自分になって。で、神さまの命を信じ切れなくなると、癌になったり、いろんな病気になる。要するに神さまの命を受けないですからね。それだけのことです。だから総責任者の自覚、つまり「なんで?」と言わずに生きていけるようにして、頑張って書いてください。ありがとうございます

司会者
  いつもありがとうございます
 爪について質問します。爪に線が入ったり、同じ場所が割れたりします。光を受け取れない部分があると思います。アドバイスがいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
 
河上さん
  これ具体的にね、爪に縦の線が入る分にはそれほど問題はないです。爪が割れてくるというのはカルシウム不足です。若いうちはね、基礎代謝が高いですから、少々食べても太らないし、しんどくならないから、それなりに食べてカルシウムが取れたんですよ。でも歳を取ってくると、基礎代謝が低いから、あまりお腹も空かないし、食べなくなってくるんで、無意識のうちにね、まぁ食べない分体も動かないんですけど。ただ絶対的な食べる量が減ってくると、カルシウム不足になったり、ビタミン不足になったりするわけですね。
 
 で、この症状、爪が割れるというのはカルシウム不足です。もちろんちりめんじゃこを食べるとか、出汁じゃこを全部食べるとか、牛乳を飲むとかでいいんですけど、食べる絶対量が減っているからね、もう気よくにカルシウム剤を飲んでください。そうしたら大丈夫ですから。
 「ワダカルシウム」のEX錠やったかな?ちょっと高い方があるので、そっちはカルシウムを吸収しやすくするようなビタミンEですかね、何か忘れちゃったけど。「ワダカルシウムEX」やったかな?忘れちゃって適当に言っていますけど。その「ワダカルシウム」の高い方、ブルーの箱の分ですけど、それを買って飲んでみてください。そうしたら、そうですね、1ヵ月もしたら治ります。

司会者
 河上さん、いつもありがとうございます。
 (次の質問)私は毎日夜寝る時は左右の肩どちらかを下にして寝ていました。今年の初めごろから夜中に目を覚ますと両方の肩に痛みがあり、横向きに寝ることができなくなっています。肩に布団がかかっているのに冷え切って痛みが出ています。最近では両肩の付け根にも痛みがあります。原因は両肩の筋肉なのか骨なのかは分かりません。真(まこと)の神さまが良いようにされるだけと喜んで、真祈りと手振りをさせてもらったらよろしいのでしょうか?ご教授よろしくお願いします。
 
河上さん:
 はい。ありがとうございます 
 ちょっと歳を取ってこられたんですね。一番は体の運動量、基礎代謝が減っているということなんです。で、今までと同じような生活習慣の本人はつもりですけども、絶対的な動く量が足りないんですね。で、お年を召されてきたら、人目を気にしない時は貧乏ゆすりをしてください。何で貧乏ゆすりって言うかというと、もちろん体操とか何でもいいんですけど、毎日必ず続けてやれることが大事なのです。1日でも空くのがダメなんですね。
 
 だから最近、手術する前に先に筋力トレーニング的なことをしてですね、基礎代謝を上げて体の筋肉をつけさせてから手術するんですよ。で、手術をすると2、3日は絶対安静で寝るじゃないですか?すると約半月とか1ヵ月分位の筋肉が減っちゃうんです。減っちゃうから先につけておくと、減ってからまた戻せるので、今そういう風になったわけですけど、それは手術という極端な話で、皆さんの場合は寝込まなくても、普段の動く量が減っているの、若い時に比べてね。もう自分では忘れているだけよ。
 
 でも若い時だったら、例えば部屋の隅にちょっとゴミが落ちていてもね、さっと行って拾っていたと思うのね。でも歳を取ってくると「まぁええか、次、掃除するからええか。」とほっといて、だんだんと体が動かなくなっているのね。で、体が動かなくなると、今まで以上にこれからは筋肉が縮みます。そして無くなります。すると肩が痛い、首が凝る、足が攣(つ)る、色々ありますけど、色んな症状が出ますので。
 
 それを防ぐためには何が必要かというと、体を動かすことなんですけども、雨の日であろうが、寒い寒い日であろうがね、どんな時でも必ず出来ることって色々と考えましたら、貧乏ゆすり。もしくは人目が一杯あるところしか普段いない人だったら、靴の中で足の指をグッパー。で、この足の指のグッパーを30分続けられるくらいになれば大丈夫です。
 
 でも最初は5分もできないからね、5分してしんどかったらやめて、また元気になったらしてということをやっているうちに、20、30分は平気でグッパーをできるようになります。手でもね、手でもいいんですよ。もちろん貧乏ゆすりでいいんですよ。だけど貧乏ゆすりをして変に思われる場所にいらっしゃる方は、やはりそういうことをして指を動かすことが先ず大事ですね。昔の人は草履を履いていたでしょ?草履ってね、足をグーにしないと歩けないんですよ。だから昔の人はね、そんな厚着をしないのね。薄着でも寒くないし、元気で病気も少なかったのはそういうことです。
 
 で、現代は靴でしょ?靴だからそれができないのね。それで足の指を動かさずに歩けるから、人間って体が横着ですから、楽して歩きたい。そうしたら足の指を使わずに踵(かかと)で歩き出すの。でね、試さなくていいですよ。でも踵でね、1ヵ月歩いたら腰が痛くなります。でもみんな無意識にそれを極端にはしていないだけでね、足先を使わずに踵で歩いているのね。だから調子悪いわって言う人の靴の踵を見たら分かります。底が斜めに減っています、靴の後ろが。そういう人は気をつけてください。ああ危ないねって言って。
 
 だから足の指で土を掴むようにして歩くというイメージで、座っている時でも親指で土を掴むということをやってください。で、人間の手の方もやって頂くといいです。ただ人目があるときにね、こんなんしていたらあいつおかしいと思われるから。昔ありましたね、指回し。あれはしたらいいと思います。そういう感じで動いていただければ治ります。
 
 心臓というのは全身の筋肉の動きを司るものなんですけど、いわゆる神さまの命の働きというのは絶対の平等で、どっちが上か下は無いんですよ。だから皆さんは心臓がメインで、心臓が血液を送って全身を巡って健康になっていると勘違いしていますけども、そうじゃなくて、心臓は全身の働きを司っている、統一しているだけ。
 
 全身の筋肉を動かすことによって、心臓に血液を戻しているんです。戻してきてくれるから、心臓は余った血液という表現もおかしいですけども、全身に戻せるんですよ。だからまず人間の体の端っこの方を動かしてやらないと、心臓はもう動けなくなっていって、すると爪が割れたり、あるいは血液が巡らないからね、巡らないと筋肉が減るのもあるし、何よりも具体的に出るのは筋肉が硬くなります。
 
 それが昔やったらゆっくり来るんで、歳を取ってくると腰が曲がるってなるじゃあないですか?あれちょっとずつ腰が曲がってなるんですけど、いよいよ、もうおまけもない最後の時代に入りましたので、この世的にも極端に出ますし、皆さんの体にも極端に出ます。

 だから、そうならないように積極的に動かしてください。もちろん積極的に、こまめにお掃除されてね、したらいいんですよ。そうやけど、それが出来るくらいだったら苦労せえへんからね、せめてじっと座ってテレビ見てる時ぐらいは、足の指こう(ぐーぱー)しながらテレビ見るとか、自分で考えて毎日どんな寒い時でも、暑い時でも、クーラーの効いてへん部屋でも、毎日必ずできることを自分なりに工夫してやってみてください。
ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 
 えっと、あらかじめいただいている質問は以上になりますが、会場の中から質問のある方、いらっしゃいますでしょうか?よろしいですか?

河上さん
 いよいよおまけのない時代に入りまして、世界的にもいろんな状況があります。で、表に現れているニュースとは別に、陰の方で、神さまの大きな働きがあって、今の姿になっています。で、これ、連休を開けると、もっと大変になって、いろんなものが不便になりますけれども、その、不便が不便なりにいいんだと、諦めて、真祈りを止めないようにしてください。それくらい大変になってきました、
 
 で、具体的にその霊的な状態で言いますと、今まで幽霊とか見えなかった皆様方でも、ここに来られている方は、大半が幽霊が見えるようになります。見るようになってきたら、ああ、見えなかった時がどんなに幸せだったかというのが分かりますけど。でも、いやでも見えるようになってきますので、なってきても、慌てず、騒がず、ひたすら真祈りしてください。そんで、もうちょっと感覚の鋭い人は、具体的には夜寝てるとね、黒い影が覆いかぶさってくるの。

 1つ2つの時はいいんだけど、何十ってくる時もあるんですけども。で、それでその時に怯えると、怯えると肋骨が折れますから。で、折れても痛いけどね、それでよかったと喜んでやってください。でも、そうならないように、怯えずに印可書を奉読してください。
 
 もうちゃんと説明したからね。寝てて肋骨折れたんだからと言って来ても、こっちは何もしないからね。だって、全員来たら大変や、そんなもん。それぞれ各自でやってください。それくらい地獄とこの現世が一つになってきたんです。というより神さまの方が、地球霊王様の方が、もう人類いいんじゃないかと、一辺、一旦畳もうじゃないかという事で、畳み始めておられるわけです。その具体例として、幽界と霊界と、そして地獄が一つに押し詰められています。

 で、具体的には魔界以外はですね、なくなってきたんです。それって、向こうの人は居場所なくなるでしょう?難民になったわけ。難民はどこに押し寄せるかと言うと、この現世の肉体に押し寄ってきます。で、それ良い悪いじゃあなくって、どんどん入ってくるの。で、入ってくるから、先ほどの方のように、もちろん運動不足もあるんだけど、入ってくるから肩が凝るというのもあります。

 で、どの形でもですね、自分の中に入れるからお清めできるんですよ。だから、今までだったら、印可書奉読しても離れてるからね、効果が少なかったのが、今度は中に入ってくれてるから、印可書奉読したら、すぐみんな清まってくれるの。だから、ひたすら清める、入ってくる。清める、入ってくる。の繰り返しになりますから。ある意味幸せなことですし、ある意味、印可書読むのが苦手な人は大変ですけども。
 
 もう理論的な説明しましたから、もうそれだけで十分できますので、やってください。で、それをせずにほっとくとどうなるかというと、具体的には、先生には真祈りされたけど、それ以上にたくさん来てたから、体にですね、真祈りしてても、先生の場合、現れましたけど。皆さんは真祈りしなかったら、まず肋膜炎になります。

 で、その次は肺炎になります。で、その次は肺結核となります。で、その次は肺がんになってという症状が出てきます。で、どの症状になってしまっても、慌てず騒がず、印可書を奉読してください。もうこれからはそれしかありません。

 僕はあと多分2年ぐらいで帰りますから、それまでに頑張ってくださいね。はい。ちゃんと説明しましたからね。ここの部分で聞きたかったら聞いてください。ただ、神さまはもうこの世を一旦閉じようとされています。

 ただ、人間の側で、先生と地球霊王様との約束ですけど、人間の側で真祈りしたら。引っ越しの準備したけど、じゃあ引っ越し止めとこうか、みたいな感じで、ちゃんと戻りますから、終わりじゃないんでね。終わりじゃあないんで、神さまの、神さんの絶対の愛で、今の人類にとってどうするのが一番いいかの中で、畳もうとなっているだけで、みんなが真祈りしたら畳む必要ないからね。それだけのことです。はい、あと、ここまで質問あったら、ちょっと聞いてください。

司会者
 会場の中で‥‥はい。

質問者A@
 宇宙神ありがとうございます 
 松下先生は晩年は肺がもう小さくなられていたということで、肉体に現れるのは、僕は脳梗塞とか、その辺の症状で現れるのかと思ってたんですが、肺に一番現れるんですか?

河上さん
 いや、その人によります。ただ、脳梗塞、大変でしょう?動けなくって。、だから、できるだけ動ける状態の症状になるように、今ちょっと誘導しただけです。今、ここで脳梗塞言うたら、皆どんどん体動かなくなっちゃうからね。それだけです。

質問者AA
 分りました。はい。だから肉体は草薙の剣だから、いろんなものが肉体を通して…

河上さん
 いや、結局すべては真(まこと)の神さまの命。将棋盤で言うように。すべては木という、将棋盤で言うと、木という真(まこと)の神さま、そのものなんですよ。で、それに言霊でいろんな働きを制限してやってるだけです。で、ただ、もう地球霊王様が一辺、この将棋というゲームを止めようかというのはね、みんながマイナスの言霊で身動き取れないようになっているの。
 
 もう、戦争もにらみ合いになって、身動き取れないでしょう?もう何もかもが、お互いこう身動き取れなくなって、どうしようもなくなったから、まあ言ったら、ゲームでいうと、ほらフリーズしちゃったわけですよ。フリーズに近づいているわけね。で、フリーズしたらリセットするでしょ? ね?一緒で、神さんの方もフリーズしちゃいそうなので、そろそろリセットの準備をしようかなっていうことです。

 でも、あのちゃんとフリーズしないで、みんなで真祈りして、神さんの光を通してですね、一大循環の相象(すがた)をこの地上に現すということができたら、何の問題もないだけです。

質問者AB
 で、あと、肉体以外にも自分の境遇や、えっと、そういう人間関係とかで現れることもあるんですか?

河上さん
 あのね、結局、その生まれてから、今までに使ってきたマイナスの言葉プラス、過去世で生まれ変わりした時に使ってきたマイナスの言葉の、まあ、成績表があるわけですよ。アカシックレコードというんですけれども。そのマイナスの記録通りの内容のものを体に受けるということです。だから、同じような人がどんどん、要するに、同じ人にしか入ってこれないの。
 
 で、まあ、ちょっと例え悪いかしれないけど、特急の切符を持ってないと、特急に乗れないじゃないですか。新幹線の切符を持ってないと、新幹線に乗れないでしょう?そういう感じで、まあ、マイナスの言葉をたくさん使ってる人は、各駅停車の切符しか持ってないと、ほんなら各停車しか乗れないみたいな、そういう感じで、その人の使ってる言葉の内容の魂が入っていきますけども、どの魂が入ってこようとも。自分には変わりないんでね、「ただただ印可書奉読しましょう。」ということです。
 
 だから、一番大事なのは入ってくるのがね、自分ではないんだと勘違いしないように、ということです。いいかなこれで?

質問者AC
 すべては自分の縁者ということで?

河上さん
 そうです、そうです。(質問者A 自分はその代表だから)代表というより、この世に肉体を構築したからね、肉体という家があるわけです。その家に入ってくるということです。

質問者A
 すべてを自分で、自分をこの世に出してくれた縁者の方が、真祈りしてくださいということで。

河上さん
 はい、そうです。

質問者AD
 あと、お化けの話何ですけど、それは日中でも見えたりするんです?

河上さん
 日中も見えますし、寝てる時は、特に顕著に分かります。ほんで、日中に見えて、見えてそれに気づいてない人は事故を起こすんですよ。わかる?運転しててなんかわって出てきたっていって、変にハンドル切って、この変な怪しい事故多いでしょう?あれって、かなりそれが多いです。それは見えてそうなるか、憑依されてそうなるかですけども、どっちにしても、街歩く時でも、あるいは車を運転される時でも、そういうのを前提に周りを注意しながら、運転してください。だから、スピード違反なんかしてる余裕はなくなります。はい。

質問者AE
 だから幽霊が見えるのは、逆に真祈りにしなさいよ、のお知らせと思って印可書奉読すればいい?

河上さん
 そうです。まあ言えば、今だったら縁者の方がですね、もうしびれを切らして、この護摩の会場でしか皆さんの体を使って清めることができなかったのが、もう普段からも全部護摩になってしまうみたいな感じですね。油断できない、息つく暇もないという状態に、本当に言った通りだなって、皆さん体験できるようになります。分かりやすくていいですよ。はい。

質問者AF
 夜間にこうジョギングしたりすることがあるんですけど、(河上さん:それはしたらいいです。)
その時に幽霊に見えても、まあ無視すればいいんだなと思ってたんですが?

河上さん
 無視してもいいし、(質問者A:真祈りしていたら安全?)そうそう見えたからって、ほっとくんじゃなくて、真祈りしてください。それは祈り言葉は短いのから長いのからありますから、どれでもいいです。

質問者AG
 ジョギングの時は「あ・う・す」とか唱えながらやってますが…

河上さん
 そうです。それで大丈夫です。それで大丈夫でない時は、「あ・う・す」を真(まこと)の神さまって思い切れなかったと反省して、印可書にまで立ち戻って、「あ・う・す」を強化してください。ありがとうございます

質問者B
 ありがとうございます
 私、3月の第1週目の護摩の日の朝に、自宅の階段から、まあ、あの下にちょっとビニール系があって、両手に荷物持ってて、すごく派手にこの背中を打ちまして、結局、あの背骨がちょっと圧迫骨折ということで、あの薄くなってしまって、非常にあの、もういよいよ私ももう今年、河上さんが言われた通りのことが、すぐに起こってしまっている自分がありまして、その後、いろいろあのえーと、CTとかいろいろな検査でしたっけ?あの精密検査を受けたんですけど、その肋骨とかこの辺りも結構痛かったんですけど、それは大丈夫だっておっしゃるんですね。でも、今これ、コルセット巻いてるんですけど、それでもなんか息を吸うと、この辺がこういうの、
 
河上さん
 それ以降に折れたんでしょ?寝てるときに。
 
質問者B
 はい、そういうふうに、もう今、あのお話ししてくださった通りのことが、自分のこの体で起こっているということで、本当にこう身にしみて、あの今、

河上さん
 その先駆けとして楽しいからいいじゃないですか。
質問者
 本当に先駆けだなというふうに、はい、私も自覚しておりまして、ええ、そういう中で、今のお話を聞きまして、あの私もまあ、まだ仕事をしていたり、まあ、日常生活でいろいろこうコンサートに出かけたりとか、あの普通のこう一般の方々と同じような、あの生活も送って、いるんですけど、その中で、その常に印可書とかも、もちろん毎日やってる、あの家のところで、寝る前に、必ずとかいろんなルーティンはあるんですけど、それでも、そういういろんな事故、事故も、実はこの間、高速道路ですごい事になりかけて、一瞬でそれはあの助け、えっと何事もないように済ませていただいて、本当に感謝してるんですけど、車の運転も去年ぐらいから、本当にもうこの、えええ、ここの山道下るところでも、正面衝突が何回かあるぐらい、あの非常に逼迫しておりまして、あの印可書をお唱えしてても、えっと、そういうふうなことが起こり、

河上さん
 あのね。まだね、印可書と自分の体の動きが一致してない。だから、指1本動かすのも真祈りだというのが分かるまでは、もうちょっと印可書奉読、頑張ってみてください。印可書を奉読しているとね、その自分の都合を優先する思いが消えるんですよ。だから、「なんで?」って思わなくなっていくんです。 で、「なんで?」って思わなくなったら、この動きが真祈りそのものってわかります。
 
 だから、先生、昔ね、みんな先生に甘えていて、「先生、なんとかして。」て言ったら、先生がちょっと頭さわるだけで、あのね、病気が治ったり、先生と握手するだけで、元気になったりとかあったじゃないですか?あれは、先生の細かい一挙手一投足そのものが真祈りだったんです。で、それが本来の姿なの。皆さんは動くことが真祈りになってるんだけど、自分の言葉で真祈りになってないと、私なんか動いても仕方ないとかね。私なんか、こんなにしてても仕方ないって、勝手に否定して、その働きを止めているだけです。

  まあいったら、電球が光ってるのに、自分の心のマイナスの言葉で、電球の周りを包んでですね、暗くしている状態が、今の皆さんの状態。これが全部晴れると悟りというんですけど、光輝く先生の状態になります。それだけなんで、その結果としてどうなんとか、ああなんとかも考えずに、ただただ印可書奉読に戻るといいです、苦しい時は。

 で、普段お仕事してる時は、「あうす」とか「ありがとうございます」とかね。自分なりに、「真(まこと)の最高の真理の言葉を駆使する」ということを、体の動きに合わせて駆使するんだと思ってると、動いているだけで駆使になっているのがわかります。
 
 そのそれを「無意識に動くのが駆使なんだよ」ということがわかるように、先生は手振りをしてくださったんですけど。みんな、なんか変な宗教みたいな感じでね、受け止めて否定するから、上手くいかなかったんですよ。素直に先生に「はい」だったらよかったんだけどね。それだけです。だから、もうもうちょっと頑張ってやってみて。そしたら、その歩くこと一つとってもね、真祈りになってるのは分かるし、そんでそれが分かってくると、無意識に足の指がグーするようになってます。それがふわふわっと歩いているのは、お祈りが抜けている。
ありがとうございます
質問者
 ありがとうございます

司会者
 他に質問はありますか?大丈夫ですか?では私から。いや、もう感謝しかないんで ありがとうございますえっと、

河上さん
 もうちょっと隙間あるんでしょう?この自分の体の動きと、真祈りとに。
 
質問者
 その私自身の?
 
河上さん
 そのなんともいえん焦燥感があるんですよ。
 
質問者
 あーそうですか?
 
河上さん
 説明しにくい、ちょっとね。それ、みんなそうなんですけど、「私、これでいいのかしら?」と、ついつい思っちゃうわけですよ。でも、本当は皆さんがお仕事されていること、あるいはご家庭の主婦だったら、おさんどんされる事とかあるじゃないですか?そのすべてが本当は真祈りなんです。呼吸が真祈りそのものなんです。

 だから、先生の後、預かって最初の護摩の時にですね、「真祈りって難しいよね。呼吸に『宇宙神ありがとうございます』にのせましょうね。」って言って、スタートをそれで始めたわけです。でも、皆さんはまず「宇宙神ありがとうございます」の言葉を信じない。「宇宙神ありがとうございます」と言えば、真(まこと)の神さまがそのまま降り立ってくださるんだということを、まず信じきれない。で、それを信じきれないから、「呼吸に乗せたって何になるの?」

 あるいは、それを逆に屁理屈で言ってですね、「じゃあ、呼吸に『宇宙神ありがとうございす』って、言ってたら、人殺してもええんか?」とかね、そういう質問まできましたね。それくらい、その「最高の真理の言葉」ということを信じきれない。「最高の 真理の言葉 駆使すれば 自ず開かん 悟りの華は」ですけど、最高の真理の言葉が、何かがみんなわからないんです。
 
 分からないから、先生は最高の真理の言葉を示してくださったわけです。「ありがとうございます」の10文字で、それが物を貰う「ありがとうございます。」に変わってきたから、「宇宙神ありがとうございます」とかね。「神の御光、御力、御命」とか、最高の真理の言葉はこれなんだ!ということを示してくださったわけです。それを素直に「はい」って信じないと、何も通じません。
 
 ね、だから「ありがとうございます」は、「真の神さまそのもの」っていうのをまず信じてくれないと、乗せようがないんですよ。で、それを乗せていくとね、もうその「ありがとうございます」の「あ」の手前の響きが真祈りそのものってわかるんですよ。ね、印可書の「絶対の中心の絶対」っていう「ぜ」の前がね、真祈りそのものというのがわかってくるんですよ。

 それなんでか言ったら、自分の思いという心が無色透明なるから。それが悟りなんです。それがわかると自分の動き全部が真祈りってわかる。もう、ただそれだけです。だから、それ分かってもらいたいから、最初の頃は「呼吸に乗せましょうね。」って言ったんだけど、みんなの乗せてくれないのね。

 で、乗せてくれない、みんなの心をじっと見てると、要は最高の真理の言葉ということを信じ切れない。「『ありがとうございます』言ったって何も変わらへんわ。」とかね。「『宇宙神ありがとうございます』って祈ってみたけど、何も変わらなかったわ。」ってみんな言ってるわけ。誰もがですよ。全員が。ここにいてる全員がね。
 
 あるいは「神の御光、御力、御命」で古い人なら知ってるはずなんだけど、「それを言ってみても、何も変わらなかってん、熱下がらんかってん。」とかね。文句言ってるわけよ。だけど、それね、信じもせずに言うたって効果ないんだから、熱も下がれへんし、何も変われへん。

 「宇宙神ありがとうございます」信じてもしてない人がね。ただ「言うたらええんやな?」って言って、先生のせいにして言ったってね、そんなもん、何も変わらへんって。だって認めてないねんもん。そうでしょう?
 まず素直に「はい」だって何べんも言うんだけど、みんな中々分かってくれないけど、いよいよ、切羽詰まって、最後のところきました。
 
 だから、具体的に皆さんの体にも現れるし、寝てる時にもそうなるし、肋骨も折れるしって、具体的に出てくるから、本当に信じてやってね、知らんでって言って。こっちはあと2年ぐらいしか、面倒見いへんしな。面倒を見るも見えへんもないんだけどね。

 そういうことを、言うとこまで追い詰められちゃったんですよ。本当は、先生は衣食住を安堵した村人がみんなの先頭に立って、真祈りしてくれるだろうって、期待をかけて信じてね。ひたすら真祈り、村人一番に真祈りの光を当ててされたんですけど、人間ってね、衣食住を安堵されると、怠けるのね。

 で、先生が「やっぱりもう、帰るわ。」みたいになってですね。でも「帰るって?えっ!ほんだら、せめて」って言って、印可書みたいなものを作ってくれ言うと、作ってくれないしね。仕方ないから、読み込んでる神書のところに栞(しおり)ばーって挟んでですね、これとこれをマトメて一つのあれを作ってくださいっていう事で、今に来てますけど。

 その印可書があるんだから、あとは具体的に皆さんの身体にこれから現れてきますけれども、頑張ってやってください。そうしてたら、先ず、その「真(まこと)の最高の真理の言葉」、「真(まこと)の真理の言葉」ということを、まず信じること。信じてから駆使してください、わかります?信じてない言葉は何ぼ駆使しても一緒だからね。
 
 でも、最高の真理の言葉が何か分からないから、先生が教えてくださったんじゃないですか?それを信じてやってみてください。もう逃げ道がないからね。具体的に身体に現れて来るから。
 
 ほんで、真祈りしそこなったらどんどん肺がんとか肺結核で死ぬからね。死んだら「あっ、真祈りしそこなったんやな、大変やな!」って言いますから。違うか!(笑い)まあ、そういう感じで、それは冗談ですけども。まず「最高の真理の言葉」ね、先生がお作りになった祈り言葉を信じて駆使してみてください。すると、自分の体の、普通にあること、普通にお食事頂くこと、普通に呼吸することが真祈りそのものってわかります。
 
 わかったら、もう怖いもんなしなんですよ。何の不安もね。無条件のそれが分かると、無条件の喜び、無条件の幸せになります。もう、あの、なに、「なんで?」はないの。で、そこまで行けるように印可書をしてありますから。どうしてもそんなん言ったって「最高の真理の言葉って信じ切れないんだわ?」という人は、印可書で言ってみてください。

 で、もちろん、「宇宙神ありがとうございます」先生がおっしゃってくださったんだから、「真の神さまそのものだ」って信じ切れる人は「宇宙神ありがとうございます」でね、行ってみてください。言うことで、これでいいかな?
 
司会者
 信じて駆使します。

河上さん
 はい、よろしくお願いします。ありがとうございます
 
司会者
 はい、ありがとうございます
 他に質問はある方いらっしゃいますか?

質問者C
 ありがとうございます
 今後、これから大変っていうのは、もうヒシヒシ感じてるんですけども、真祈り、駆使するということで乗り切っていくということは分かりました。この世的に大変っていう現状が現れてきつつあるんですけども、それは食糧についてであったり、エネルギー的な燃料であったり、そういった面も日常の生活の中での大変さに対して、どのように真祈り人は過ごしていけばいいでしょうか?

河上さん
 あのね、今、地球の人口が80億あるというんですよ。で、本当にみんなで支え合って生きていけても40億しか無理だと言われるわけです。このまま行くと地球のすべてを人類が食い尽くして地球霊王様の体が潰れます。それくらいの状況に今あるわけです。それでも真祈りがあれば80億でもなんとか支え合ってやっていけるわけです。でも、とてもお互いに支え合うような状況にね、ないわけですね。だから大変なんです。

 で、本来、例えば貨幣経済ですけども、貨幣経済でも5倍から10倍の収入差ぐらいは社会が安定するんです。だから、大卒の人が仮に20万円もらっているとしたら、そこの社長クラスとか、あるいは内閣総理大臣とかね、上の人は2000万…、違うわ10倍、5倍から10倍やから20万…200万か。月収200万ぐらいでの差であれば、社会はそんなにおかしくならずに、お金は回って、みんなが幸せになる。

 それが今(収入差が)100倍、1000倍なんですね。そんなら逆に1000倍もお金貰った人ってね、使い切れないんですよ。じゃあ貯金するでしょう。貯金すると、みんなにお金回らない。すると、いわゆる毎日ご飯を食べられなくなる人が出てくるわけです。で、それを生活保護で補ったらええというのは理屈であって、本当はみんなが支え合って、みんなにお金回るようにしなくちゃいけないわけです。だから、それの理想の社会を一時作りかけてたんです、日本はね。いわゆる高額所得者は8割以上税金だったわけです。それで格差を10倍ぐらいに収めてたわけです。今はそれなくなりましたので、世界的にね。ほんでグチャグチャになってるんですよ。もう、只々それだけ。

質問者C
 金持ちと、まあ言ってみれば、貧乏がこう極端に分かれ始めたということですか。

河上さん
 うん。だからもちろんね、たくさんの収入がある人でも、支え合いというこということを、助け合いじゃなくて支え合いですね。助け合いと言うと、なんか上から目線になるじゃないですか?そうじゃなくて本当に支え合いということがわかれば、なんぼ収入あったって、そういうばら撒き方をするわけでしょ?いわゆるフリーエネルギーの研究のために研究費で出すとかね。あるいは、そのなんて言うんですか、社会福祉のね、本当に貧困に喘いでる人のために、お金を出すとかいうことを、ごく自然にできたらいいですよ。

 でも、ほとんどの人は、ここが大事なんですけど、神さまを信じきれないから、お金を信じてるから、お金を抱え込むの。で、お金抱え込むと、お金が回らなくなって戦争が始まる。

 あのね、結局ね、戦争が始まるのは、何かと言ったら人口が増えるからなんですよ。どういうことかというと、100万円があると、世の中に。で、10人の人がいていると。世の中にね。わかりやすく小さい数字で言いますけど。そしたら100万円を10人の人が10万円ずつ分け合って生活してるから、みんな幸せなんですよ。でも、人口増えるでしょう。増えても元の100万円は変われへんねん。そうなんですよ、変わらないから、どんどん手取りが減って喧嘩が始まるの。

質問者C
 偏っているということですね?

河上さん
 いや偏りじゃない、平等に分配してても。だから人口が増えたらダメなんですよ。

質問者C
 はい、わかりました。

河上さん
 だから人口が増えたらだめなん。そやけど、みんなは老後の不安とか、いろんなことで子供を増やそうとしてね、嫌でも人口が増えるやろ?増えれば戦争になる。例えば、歴史上で言うとね、ドイツという国が戦争で負けて、いろんな賠償金も課されて苦しむわけですけど。そのドイツで、窒素リン酸カリという化学肥料を発明するんです。で、化学肥料が発明できたんで、ドイツの人はジャガイモを食べるんですけど、ジャガイモが3倍5倍って取れるようになったんです。そうすると、どうなるか。ドイツの人口が増えたんですよ。増えると国内が貧困に喘ぐの。で、外へ取りに行くようになって、ああいう戦争になった。要するに人口が増えたのが問題なんです。

質問者C
 元のパイは決まっている。それをどう分けていくか。

河上さん
 そうです。で、今の世界はどうなっているかというと、人口が80億も増えたけど、アメリカが我慢してね、ドルをいっぱい刷ってね、ごまかしてくれているわけです。でもある時ハッとみんな気付くわけですよ。「なんかドル紙幣ばっかりが世の中に溢れてるんじゃない?これって紙違うん?」っていう寸前が今なんです。で、それ気づいた時はもう奪い合いになるんです。神さまを信じてないから。

質問者
 何の奪い合いですか?ドル?

河上さん
 働いた対価として今は具体的には世界の人がドルを貰っているわけでしょ?日本でもドル基準で円を貰ってるわけでしょ?そのドルが紙切れやってわかったら貰うものないでしょ?具体的に奪い合いが始まるのは戦争でしょ?その始まりが今あるわけです。
 
 でも神さまは、そんなんで滅びるんじゃなくて、神さまの体を食い尽くしているのもあるし、もう助け合う気持ちが人類にないんだと。要するに真祈りがないんだったら、この現世(うつしよ)というゲームがフリーズしてきたわけですね、簡単に言うと。だから一旦リセットしようかという寸前です。
 
 それを具体的にリセットすぐにするのは待ってくれ待ってくれと言うと、まず皆さんの、皆さんという全人類の体にですけど、今日説明したようなことが始まるということ。でも真祈り知らんかったら怖いからね、余計大変になるということです。

 でも、神さまの方から見たら、一番平等にしてくれますから、過去世からの全部を決算して平等にして、皆さんの体に現われているだけなんですよ。でも、皆さん、お一人お一人から見たら、「なんで私だけすぐ最初に病気なるの?」「私だけなんで先駆けなんの?」とこうね、見比べて文句言うんだけど、神さまは平等にしているだけなの。でも、それすら分らんくらい真祈りができなかったら、一旦リセットするという地球霊王様の意向です。

質問者C
 かつ全人類に体に現わしていくと。

河上さん
 現われてきます。はい。

質問者C
それがもうあの…

河上さん
始まります。

質問者C
真祈り人は先駆けとして、それが全人類の…

河上さん
 先駆けとして真祈り人から始まってくるわけです。

質問者C
 で、全人類の肉体に現れていくという。

河上さん
 もちろん。はい。その前にみんなで真祈りでね、変えてほしいんですけどね。

質問者C
 わかりました。じゃあ、ちょっと一番最初に戻るんですけど、その日常の中で食料であったり、エネルギーであったりっていうところで、どのようにこう対処対応していったらいいですか?

河上さん
 ああ、だから一切「なんで?」と言わないこと。要するにぼーっとしててね、準備してなかったから食べる物がないわ、あるいは燃料がないわという色んな事があってもね、神さまが一番いいようにしてるんだということだけは信じて、喜んで餓死してください。したら、ちゃんと一大循環の世界に戻ります。文句言えば魔界に落ちます。わかりやすくなりました。

質問者C
 はい、どんな状況に置かれても、日常生活の中で文句を言うなという。立ち返って…

河上さん
 うん。文句を言ってしまったら印可書に戻って頑張ってください。それでもう、どうしようもない時は魔界に喜んで自分が行ったということです。神さまは魔界に突き落とさないからね。堕ちてほしくないから。でも、自分の都合を最優先したら、魔界に堕ちちゃう。魔界の内容は詳しく説明しないでおきます。みんな怖がって大変になるから。

質問者C
 わかりました。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 他に会場では何か質問はありますでしょうか?大丈夫ですか。それでは河上さんよろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます
 ほんで、あの連休を明けると、えっ?ていうくらい、どんどんいろんなものが変わってきますけども、慌てず騒がず文句を言わず、只々、印可書奉読して、餓死する立場に立ってしまったら、自分の過去世からの行いでそうなっただけだからと喜んで、それを喜んで受けてください。ほんなら一大循環の相象(すがた)に戻れますけど、死ぬ間際に「なんで?」って言ったら魔界に落ちます。もう凄い分かり易いですから、それだけ肝に銘じていてください。来週の護摩が、ちゃんとできることを願っています。また来週お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます


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令和8年2週目 by 河上 [Mail] 2026年04月19日(日) 18時11分
PC

質問
 印可書の中の、「表を通って、無限大が無限小となり、裏を通って無限小が無限大となり」という箇所の表と裏とはどういう意味があるのか?。

司会者
 はい。お願いします。

河上さん
 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。「表を通って」と「裏を通って」というのは、入れ子構造の無限循環の働きって先生おっしゃるわけですけども、一大循環の働きというのは、無限循環が無限に無限に集まった状態を一大循環です。集まったというよりも、無限循環が入れ子構造にどんどんいくんですね。

 この世的な感覚で言うと、メビウスの輪ってあるでしょ。紙をねじって表と裏を繋いで、どっちが表かどちらか裏か、通っていくと永遠にキリないっていう。あれが一大循環の相象(すがた)のわかりやすい形なんです。あれは一つの平面だけですけども、それが空間を通して全ての全てに入れ子構造を開くわけです。もうちょっとこの世的な感覚で言うと、「咲き栄え(さきはえ)」っていうんですけども、根っこが太い、太い根っこがどんどんどんどん枝広がって進んでいくじゃないですか。あるいは、木の枝が枝を伸ばして、どんどんどんどん広がって、尚且つ幹が太くなっていく。それが一大循環の相象(すがた)の一部のすがたです。その形を言葉で、言葉だけで言霊だけで表現すると、その表現になるんです。

 だから理屈で考えると、表を通ってね、無限小が裏を通ってとかね、なんのこっちゃわからんようなってくるんですけど、一大循環の相象(すがた)の入れ子構造の本来の働きを表しているものですので、理屈でね、わかろうとせずに、只々また暗記しようとせずに、ただひたすら淡々と唱えていただきますと、真(まこと)のプラスを駆使する自分になっていきますから自然に本来の意味がわかります。

 これは印可書だけじゃなくて、勉強もそうなんですよ。勉強も、ほとんど勉強のできない人というのは、例えば数学でしたら、シグマの記号(Σ)の意味が最初からわからんわっていうて逃げる。あるいは英語の単語が全然覚えれないわって言ってやめちゃうわけですよ。それは結果を気にしてね、覚えなくちゃいけない、わからなくちゃいけないって理屈で考えてるの。勉強は理屈じゃないの真祈りなんです、本当のこと言うと。本当なんですけどね。勉強も真祈りなの。だから神さまがしてくださるの。だから肉体側の小さい自分の都合優先する意識でね、わかるとかわからないじゃないの。只々喜んで、単語だったら、英語の単語でしたらね、一つ出てきたとする。覚えにくいとしたら、紙に書いて目に付く所に貼っておく。それをたくさん覚えるなんて思わずにね、1個2個とか10個だけ貼っといて、トイレの前に貼っといてね、毎日見てるうちに自然に覚えていくもんなんです。そういう感じで、本心の自分は何でもできるんだけど、自分の都合を優先してる小さい自分は何もできないんです。

 でも、みんな小さい本心の都合、要するに自分の都合を優先してる小さい意識でね、あれもできないこれもできない、もう何もかも駄目だっていうふうになっていって、真剣に悩む人は最後は自殺しちゃうんですけど、それは小さい自分の都合を優先してるからです。だから、できるできないという自分の都合を捨てて、神さまが全部してくださってるから、結果として覚えれなくてもいい。結果としてわからなくてもいいけど、ただ淡々とするんだって。印可書の奉読と一緒なんです。そこまで結果を放棄すると、どんどんできるようになって、「あれ?私ってこんなに記憶良かったの?」とか気付くようになります。それが真(まこと)の本心の自分だから。だから一緒です。理屈で考えずに、ちゃんとわかるように先生がしてくださってますので、印可書を淡々と奉読していってください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 二つ目の質問です。 

質問
 河上さんが使われているアスコルビン酸のメーカーはイワキ産業ですか。それでも違うメーカーのものがあるのでしょうか。

河上さん
 イワキのアスコルビン酸です。なぜこれをわざわざ名前を挙げてしてるかというと一番間違いないのね。もちろん、例えば食品添加物でね、今ビタミンC入りのお菓子とかよくあるじゃないですか、チューインガムとか。そういう食品添加物としてのビタミンCというのが、安く売ってるんですよ。それをサプリメントとして安く売ってるとこがあるんです。ところが、本当に純粋に安全かどうかということを言うと、イワキが一番安全なんです。ちょっと安物飲んでもいいですけれど、それは自由意志だからと言って飲んでくださった方がいらっしゃるんですけど、何か体調崩されるのね。ほんで、値段にして2割も変わらないから、主食じゃないじゃないですか。だからちょっと高いけどイワキのを飲んでくださいってお願いしたら調子が戻ったのね。たまたまなのかもしれないし、わからないですけど、主食やないからね。高いけどイワキのを飲んでてください。一番間違いないですよと。ただ、オブラートに包んで飲んでねということで。喉焼けちゃったり色々しますからね。みんな無茶するからね。はい、ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます ちょっとそれにちなんでなんですけども。水とかちょっとジュース系統とか、そういうのに混ぜて飲むっていうのは?

河上さん
 いや、全然みんな好きにしてもらったらいいんですけどね。量的に取れなくなるんですね。理想は、お医者様行ってアスコルビン酸、要するにビタミンCの注射をしてもらうのが理想なんです。あるいはビタミンCの点滴してもらうのが理想なんですけど、お医者様に行けばお金もかかるしね。お医者さんによったら、ビタミンCのそういう効果を信じない方もいらっしゃいます。信じてるお医者さんは打ってくださって、そこ通ってる人みんな調子いいんですよ。ですけども、そんなん金掛かるしね。みんながみんなお医者さんのところに殺到したら、また大騒ぎなんで、アスコルビン酸というふうに言っております。だから近所で、でそういう知り合いというか、お医者さんで打ってくれるとかあれば行ってもらっても大丈夫です。

司会者
 はい、ありがとうございます。はい、次の方の質問です。

質問
 宇宙神ありがとうございます マイナスの極からプラスの極に向かって、光一元に仰ぎ見るとは、どのように見るのでしょうか?ご説明よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ありがとうございます マイナスの極とかプラスの極というのは、所詮、虚の世界の話なんです。だから、虚の世界でマイナスの極に立とうがプラスの極に立とうが、所詮は一大循環の相象(すがた)から見たら、もう小さい埃の塊にも過ぎないような世界のことであってね、どうこうではないんです。プラスの極というのは、わかりやすく言うと、将棋でいうと、神さまの命という木(氣→命)、というね、木の駒の上に「王」書いてるのがプラスの極だと。マイナスの極というのは一番将棋で力のないのは「歩」ですかね。「歩」って書いてるのがマイナスの極だと思ってください。でも、そのマイナスの極でさえ、裏返ったら、「と」おる(通る)わけでしょ。だから「と」なんですけど。光が「と」おる(通る)って書くぐらいね。どれもこれも虚の世界のマイナスの極もプラスの極も同じものなんですよ。それをどういうふうな表現に分けて(将棋盤という木の上で碁盤の目で制限した世界で)表現してるかだけ。

 例えば紙で言うとね、一大循環の相象(すがた)の世界というのは真っ白の無色透明なんですよ。「無色透明の耀きだけ」っていうでしょ。それってある意味楽しめないのね。やっぱり絵を描いて楽しむ、字を書いて楽しむ、まあ水墨画にして楽しむとか。制限をつけて白い紙に黒だけで書くんだとか、あるいはいろんな(色で)書くんだというね、そういう楽しみ方をしてるのが、この虚の世界なんです。だから虚の世界は、あってもなくてもいいもんだよって先生がおっしゃるわけ。でも敢えて虚の世界の言葉で表現すると、全てを光一元に見るための練習として、真(まこと)のプラスの極…真(まこと)じゃないな、プラスの極とマイナスの極を味わうわけです。味わうことによって、どっちも真(まこと)の光そのものなんだということが、わかったら、悟りです。正解なんです。

 わからない内、要するに、「プラスの極がいいんだ。マイナス極は駄目なんだ。」と思ってるうちは、なんていうんですかね、因縁因果の世界でぐるぐる回りしてるのね。全ては神さまの命だけ、全ては真(まこと)の神さまだけっで先生のおっしゃったことは、本当にその通りなんです。神の御光、御力、御命っいうんですけど、全て神の御光、御力、御命なんです。それを敢えていろんな表現に分けることによって楽しんでるだけ。ただ、楽しんでるのを忘れて苦しんでるから、そのマイナスの極でも光りそのものなんだってわかるように、いろんな運命とかね、いじめられるとかね、虐げられるとかいろいろある。あるいはノーベル賞で表彰されるとか、いろんな体験を積んでわかっていくわけ。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます。次の方の質問です。

質問
 ありがとうございます 先週の護摩で、聖書の終末思想の質問がありました。そのお答えを伺い、次のように思いました。人類の潜在意識の中に、まだ救われていないというマイナスの思いがある。その思いが現実化すると、一つ間違えば最終戦争まで行ってしまいます。そうならないために、既に救われているという本心の自覚を印可書という最高の真理の言葉で、人類の潜在意識に響かせるしかないんだと受け取りました。よろしいでしょうか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます まだもうちょっと足らないのね。要するに、「最高の 真理の言葉を 駆使すれば 自ず開かん 悟りの華は」という先生のお歌、ただ一つの歌がありますけども、その最高の真理の言葉を駆使したらどうなるか。それは、神さまと自分との境目がなくなるの。真(まこと)の本心の自分は、真(まこと)の神さまそのものっていうね、その自覚になるわけです。(救われていないというマイナスの思いとは、真の神さまと自分を分け隔ててしまう思い込みのこと)

 人類が最終戦争にまで今どんどん進んでるのは、自分の都合を優先してるからです。自分の都合を優先してるのは何かというと、神さまと自分を分けてるから。だから神さまと自分を分けてる間は人類は滅びるんです。

 でも、そのキリスト教の人にでもイスラム教の人にでも、ユダヤ教の人にでもね、聖書を信じておられるわけです。その聖書本当に正しかったらどうかは別です。でも聖書の中で神さまと自分の契約というふうに書かれてるから、そっからは絶対離れないんですよ。だからどうするか?いつも言うように表面から言ったって変わらないんですよ。真祈りを響かして、真(まこと)の本心の自分は真(まこと)の神さまそのものという、みんな神の御光、御力、御命という響きを潜在意識に響き渡らせなくちゃならない。

 それを先生は真(まこと)と真(まこと)が感応するっておっしゃったんですけど、だから真(まこと)のプラスの言葉、「真(まこと)の真(まこと)のありがとうございます」とか、いろいろ先生おっしゃったんだけど、みんなわからないまま聞くのね。例えば、「真(まこと)のありがとうございます」とか「真(まこと)の真(まこと)のありがとうございます」って先生、表現された時があるわけですよ。それについて、もうしつこく聞いてね、自分でも必死でお祈りして考えて質問した人がいないのね。だからここまで来ちゃってるんだけど、別にいい悪いを言ってんじゃないよ。それくらいみんな先生に甘えて頼ってただけで。お手伝いしよう、先生のお手伝いしようと思ってたら質問できたのね。助けて欲しいだけだからね。もうどうしようもないんだけど。

 村人ですらですよ、先生と輪になって手を繋いでたら天国連れてってもらえるねんっていうのでレベルですからね。だから私達は大丈夫なんて昔言って。今は知りませんよ。昔言っておられたぐらい、助けて欲しいだけ。それは助けて欲しいという間は自分と神さまを分けてるから、どうしようもないんですね。

 ただ、世界の大半、半分以上を占める宗教がね、神さまと自分を分けるとこから始まってるわけですよ。神さまと人間との契約から始まってるのね。そこが大きな大きな問題なんですけども、それを表面から言ったって、聖書に書かれてるんだから。

 例えばアダムとイブがね、リンゴの知恵の木の実を食べるじゃないですか。でも、蛇も「食べたら神さまと同じような知恵が得られるよ。」と言うだけで食べろとは言ってないのね。イブもアダムが「お前何してんねん、そんなん食べて」って言うた時に食べろと言ってない。ただ、アダムに手渡しただけ。ほなアダムさんはね、「何言うてんねん、これは神さまが食べたらあかんって言ってるやろ。」って言うて、言うだけだったらよかったんだけど、自分食べちゃうわけでしょ。もうそこまでも神さまはある意味、人間は自分の都合を優先する癖があるから仕方ないと思ってるんですよ。

 ただ、神さまが来られてね、アダムに聞くわけね。「なんで食べたんや。」「すいません食べたかったら食べたかったから、もうたまらなくて食べちゃいました。」って言うたら許された。ところが、「イブが食べろ」と言ったって言うのね。自分が責任取らずに人のせいにしたの。ほんで今度はイブの方は、「イブお前なんで食べたんや?」ってまた神さまが聞くわけね。ほんだら、いや、蛇が食べろと言いましたって。蛇も言ってないですよね。そうして、そうして楽園を追放されるというのは、要するに人のせいにすることは、自分と神さまが不離一体を捨てたということです。

 だから、エデンの園では、ここも(陰部)隠さないで素っ裸で平気なんでしょ。それなんでか言うたら、神さまと不離一体だから、みんな真(まこと)の神さまだから、恥ずかしいとか隠すとかいらないわけですよ。もう、ここ(エデンの園→本心の世界)では。象徴的にここ(陰部)を隠すとかね、隠さないと、言いますけど、それは心を全てさらしてね、お互いにさらし合って一つになって信じ合ってるからです。それをお互い分け隔てて、分けた時点で自分の都合を優先するじゃないですか。で、自分からエデンの園から出ていっただけ。人のせいにするということは、既に分ける意識が出たわけです。分ける意識が出たら駄目なの。そういうことなのね。

 その分ける意識をいかにして消すかということで、真祈りしかない。でも真祈り難しいからみんなしません、あとはお前、任すわ、言うてもそんなもん無理です、嫌ですって言ってですね、本来僕の方が先生より寿命短いのになんでっていう感じですよ、僕にしてもね。ほんで、いろいろあったわけですけども、神書(まとめて)、印可書のようなものを作って欲しいとお願いしても無視されてね。(それで)神書を持ってきて、神書を読み込んで、ここが一番大事なエッセンス、ここは大事っていうのを全部お見せして、この神書の言葉を一つにうまく繋がるようにまとめてくださいということで印可書ができた。だから印可書を奉読して、全人類の潜在意識に神さまと不離一体の自分、神の御光、御力、御命そのものということを響かせていくしか、もう最後の救い救われはない。それだけです。はい、ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 事前にいただいてる質問は以上なんですけども、会場の方でご質問の方は?(会場から質問がありました。)はい、お願いします。

質問者
 いつもありがとうございます もう先ほどのお話で全て答えはいただいてるんですけど、ちょっと気になってるところ2点だけお願いいたしたいと思います。今、世間でちょっと話題になっている学校教育、教育とか家庭環境っていう問題なんですけれども、事件とか事故が起こりました。ちょっと未解決になっている部分もあるんですけれども、例えば子供さんが失踪しているとかいう事は、なんか日本国内で年間1000人近く行方不明になったりしているっていう問題が去年ぐらいから耳にするようになってまして、事故とか事件とかあるんかもしれないんですけど、その辺りどうやったらもうちょっと社会がそういう原因があるから、そういうことが起こるんであって、その原因をそういう祈りとかでなくすにはどうすればいいかというのが1点と。

 あと学校教育でですね、例えば政治家の話を呼んででお聞きするとかですね、あるいは例えば、宗教とかキリスト教の学校、仏教の学校いろいろあると思うんですけど、そういう時間の教育の一環で平和学習とか、そういう中で、もし事故が起こったときにやっぱり風評被害っていうのがすごく出てきて、本当にその渦中にいらっしゃる方の本当ご心中いかばかりかと察するんですけれども、その中で何かいろんな野次馬的なコメントで苦しんで結局学校当局ももうこんなことになるんだったらもう何もかももうやめようとか、そういう教育もやめようとか、そういう何か基礎から基礎から応用に発展することも、もう怖いからもう全部やめちゃうとかいうふうな風評被害に対する恐れから、そういうこともやめようっていうふうな流れになっていくのかなって思って、それはそれでちょっと私もなんか自由な学習とか勉強とかそういうところでちょっと懸念してるんですけど、そのあたり2点いかがでございましょうか?お願いいたします。

河上さん
 これはね、親子ですら、お母さんと子供ですらね、子供言うこと聞かないでしょ?ましてや学校で言うと聞くわけない。だから何をしても、要するに表から表面をいじろうとする、よく大阪のおばちゃんでありませすやん?「あの人に言ってやらなあかん。」って言ってね、言うてやらなあかんと言いながら、言うてしもうてから、「私知らんけど!」って逃げるわけですけども。(笑い)それぐらいね、表面から何言ったって一緒なんですよ。だからいかに潜在意識に響かすかだけ。

 それを五井先生が先ず先駆けとして、松下先生とされてですね、また五井先生が亡くなられてからは松下先生がそれを(つまり)潜在意識を清めるというんですけど、真祈りの響きを潜在意識に響かせてくださったわけです。あとはみんなでしなくちゃいけないから、今に至ってます。ほんで潜在意識で変えていくしかないんですけど、なんで今回ちょっと押し負けてね、いろいろ大変なってるかと言うと、枝分かれしだしたんですよ。皆さんの分かり易い事で言うとマイナスが。だから五井先生の時代、松下先生の時代は根元で何とか止めれた。でも、やはり止めきれないからここへ来てるわけですけど、それが先生亡くなったときにパチッと枝わかれしたんです。本当は村人がね、先生がいらっしゃらなくなったら、「私達が身代わりとなって頑張ります。」ぐらいは言って欲しかったんですけど、あの「助けて欲しい。」が全てやからね。だから先生やったらこうしてくれたって平気で言うぐらい(甘えていたということ)ですからどうしようもないんですけど。それが枝わかれしたから、もう皆さんの真祈りでしか止めれないんですよ。わかります?1人では2人では、止めれなくなったの。どんどん枝分かれして来た。いよいよっていう状態になってます。

 もう具体的には、今週の土曜日が一つの山です。今週の土曜日にうまく収まらなかったら、ニュース上でね、収められなかったら大変なります。それまでに、今日の護摩が成功したんで、ちょっと何とかなる。あとは土曜日まで、あの土曜日までというより、皆さんにとってはですね、来月の護摩までは、それぞれ皆さんがそれぞれの立場で真祈りしてくださることが大切です。

 大事なのは真祈りというのは、普段のお仕事、顔洗うこと、呼吸すること、あることの一つ一つが真祈りだと知ることなんですね。それをするためには「真(まこと)の言葉を駆使」してたらそうなるんですよ。でも一番わかり易いのは、「何で?」って言って仕事をする、「何で私掃除せなあかんの?」「何で私この仕事せなあかんの?」「何で私、子供らの面倒見なくちゃいけないの?」。いろいろありますけどね。何でって思うじゃない?何でって思った時点で真祈りからズレるんです。全て神さまが必要で、自分に全ての場を与えてくださってるのは、疑いようのない事実なんですよ。絶対の愛である神さまがね、その人に不必要なことを与えてない。

 だから、世間的に叩かれようが、ぼろ糞に言われようが、もう色んな事がありますけども、いつも言うように一生虐げられてね、もう認められなくて、もう本当にひどい運命になっても、それが最高の人生なんだということを説明していますけども、如何に現実を掴まずにね、ひたすら「真(まこと)の最高の真理の言葉を駆使する」かです。

 「印可書」もあります。「神のみ光、み力、み命」もあります。どれもこれも最高の真理の言葉ということを信じてね、使いやすい言葉を使ってください。「神のみ光、み力、み命」が出た時は、もうこれでいけると僕は喜んだんですけど。皆さんね、その当時の村人もそうですけど、「神のみ光、み力、み命」、これ三洗荘の頃の話ですけどね。「神のみ光、み力、み命」を信じきれない(まことの言霊、最高の真理の言葉として、受け取り切れないから)から、「神のみひから、みひから」ってなるって言うんですよ。「なる訳ないやろう!」と僕は思うけど。(最高の真理の)言葉としてしか捉えてへんからそうなるのね。それは「ありがとうございます」も一緒ですよ。言葉としか捉えてないからどうしようもなくなっていった。

 だから全て「最高の真理の言葉」つまり、全て「真(まこと)神さまそのもの」の響きということを信じてやってください。だからどの言葉もいいんですよ。いいんだけど、そこを信じ切れてなかったら、例えば印可書だけはね、そこを「信じきれない不安な自分でも大きな効果が出るよ」というふうに作っていただいたからいいんですけど。ただ印可書はこう仕事してる時とかね、お掃除してる時に唱え難いじゃないですか?だからそういう時はやっぱり「ありがとうございます」とか「神のみ光、み力、み命」とかね、もう「宇宙神ありがとうございます」とか、自分なりに工夫してやってみてください、という事です。

 その毎日毎日の歩く事、呼吸する事そのものが真祈りになっていくんだ。真祈りそのものなんだと信じてね、やってみてください。すると「あっ今日は印可唱えるの忘れたから、真祈りできてなかったんだ」と思うことはなくて、本当に喜びだけで満たされ、無条件のね。何でっていう時は条件付けてるわけですよ。「何で私こんなんせなあかんの?」「何でこうなるの?」っていうのは条件付けてんのね、無意識に。それって自分の都合を優先してるんですよ。「無条件」って先生仰ったのね。「無条件の喜び、無条件の幸せ」それは「無限の無限の喜び、無限無限の幸せ」。「無限の無限の」って何か言ったら、「真(まこと)神さまそのもの」っていうことです。

 だからそこだけを信じてやってみてください。どうしても信じきれん時は印可書に頼ってもらって大丈夫です。ただただ、皆さんお一人お一人の小さいと思ってる、その小さい真祈りが必要なの。だって枝分かれしてるから。根元に深いとこはね、雪かきで言うと大きな除雪車でいいわけですよ。でも枝分かれしたのは、スコップとかシャベルがいるし、人間の体は最後は耳かき要るのね。耳かきなかったら耳かゆくて仕方ないよ。どの働きも必要なんだから、皆さんそれぞれ、それぞれの立場で「最高の真理の言葉を駆使」してみてください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他の方ご質問ありませんか?(質問がありました。)お願いします。

質問者
 先ほどの質問のアスコルビン酸のことなんですけど、私はネットで安いアスコルビン酸買ったんですよ。それをだからメーカーは全然わからないんですけど、多分、あの河上さんがおっしゃってるアスコルビン酸と違うような気がする…

河上さん
 だから安いやつをたくさん買っちゃったらね、それは毎日のおかずに酸っぱくならない程度、お味噌汁とかね、チョビチョビ入れてったら無くなるじゃないですか。そうして使えばいいです。ただ、まとめて飲むのは本当の純粋の原末に思える岩城の方が(微粉になっているから)いいということです。

質問者
 そういう形で嗜好したらいいという事ですね?

河上さん
 そうそう、酸っぱさが出ない程度に混ぜて使う分には全然問題ない。だから、食品添加物ですけど、安いアスコルビン酸はね、お菓子とかチューインガムとか入れても問題にならないのは、一編に大量に摂らないからです。

質問者
 そうですか、はいわかりました。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他の方、(会場からの質問者がありました。)ありがとうございます お願いします。

質問者
 ありがとうございます 前回、印可書の期限があるということでしたけど、ちょっと過去の護摩焚きでのお話とか、勉強会の話の、ちょっと読んでいってるんですけども。世界にこの真祈りの言葉が広がっていくっていう時に、印可書だとすごく長いですし、日本語わかんない人も今すぐたくさんいますので、その時にやっぱり言っておられたのが、「あ」と「う」と「す」ですか。それで伝わればいいっていう事だったんですけども。その時の勉強会か、護摩焚きでの話では、まだその「あ」と「う」と「す」の言霊の力が乗り切ってないとかそういった事をおっしゃってたと思うんですけども。

河上さん
 そうなんです。だから、別に「あ」だけで本当はいいんですよ。だから日本語でね、新しいものを見た時に「あ」って、驚くじゃないですか。あるいは、神さまの命より凄く現れてるもの、「凄い」言うでしょ。ほんで、楽しい時は「嬉しい」って言うじゃないですか。日本語の言葉の中に「あ」「う」「す」というのは入ってるわけです。でもその「あ」という発声がね、真(まこと)の神さまそのものっていうことが入らないと意味がない。いうことですよ。それだけなんです。だから、だから本当は、「ありがとうございます」の十文字で十分なんです。ただ翻訳できないのは言霊だからです。でもどれもこれも真(まこと)の神さまの命そのものということ、真(まこと)の神さまそのものということが必要なんですよ。印可書も「ただ読んだらいいんやな」ってなってしまうと、真(まこと)の神さまそのものというのが消えていくじゃないですか。そしたら、そのマイナスの言葉に覆(おお)われて、効果が薄くなって賞味期限が出てくるというふうな意味合いです。

 だから先ずは、真(まこと)の最高の真理の言葉を駆使すればです。最高の真理の言葉というのは、真(まこと)の神さまそのもののことなんです。そこだけわかっていただいて、していただくと、自信、自信がない時は印可書が効果的ですよというだけで。あの真(まこと)の神さまの命そのものって。神の御光・御力・御命が僕は思えたんですけどね。思えたら、それで凄い効果があるんです。でもみんなは、あの当時神の御光御力御命って言っても、ただこう光がポッと出てね、力ってなもん出てね、命というものがこう出たぐらいの小さく捉えたのね。それで駄目だったの。天之造化主尊(あめのぞうかぬしのみこと)、産霊聖霊(さんれいせいれい)守り給え幸え給え(まもりたまえさきはえたまえ)ともいう祈り言葉も入れ子構造的にブワッと光が広がるんですけど、わからない人にとったら、なんか天之造化主さんがおるんやなぁ。産霊さんがおるんやなぁ、聖霊さんがおるんやなぁぐらいしか思わなかったんで駄目なんです。

 印可書も一緒で、ただ読みさえすりゃいいんやなぁって言った途端に、全ての響きを失います。ただようわからんけど、これが最高の真理の言葉として響かせられるんだって信じてくれたら、それだけでも凄い効果になるように先生がしてくださったから、印可書、印可書って言ってますけども。どの先生が残された祈り言葉でも最高の真理の言葉、真(まこと)の神さまの命そのもの。真(まこと)の神さまそのものって思えるようになったら、「あ」「う」「す」で十分なの。もうちょっと説明しますから何か質問してください。

質問者
 そうですね。最高の真理の言葉を駆使する。駆使するっていうのは、例えば印可書だったら奉読する。自分の都合をのけて?

河上さん
 そうです。(質問者:ありがとうございますとか?)他の言葉だったら、その自分が息する時とか、動く時とかにいかに乗せれるかです。(質問者:もう一度お願いします。いかに乗せれるか?)「あ」「う」「す」でもね。真(まこと)の神さまのそのものの「あ」ということを思いつつ、息に乗せる。腕動かすので乗せる。僕の場合、今、この頃は、ちょっと貧乏ゆすりやってみてますけども。貧乏ゆすりをして乗せる。

 何で貧乏ゆすりにしてみたかというと。みんな普段ボーっとする時あるじゃないですか。ホッとしてじっとしてる時ね。その時に貧乏ゆすりをわざとして、それで響かすわけですよ。それが貧乏ゆすりして、あんまり人目のとこでやったらね、また怪しまれるから、一人で誰も見てないところでしてくださいね。ただ工夫として、貧乏ゆすりするだけで、下手な散歩するよりは、体力、付きますし、心臓も強くなりますし、単純に形の上だけでもね。それにお祈りを乗せたら一番だから今言っています。そういう感じで、その自分が動くということは、神さまの命が動くことなんです。泣いても笑っても、自分がどう思おうとね。ということは、神さまの命が動くときに、神さまの真(まこと)の神さまの響きそのもの、あえて乗せるというのは大事なことなんです。だから、ちょっと休憩しようと思う時にじっとしてる時に、わざと貧乏ゆすりしてね、手をあげて上に振ってみたりとか自分なりに。自分なりに、あるいはこうしてみたりとか。自分なりにその人目のある時は、あんまりこう指回しとかなんかあるじゃないですか。人が見て変に思われない行動をとりながら、あの祈り言葉を乗せてみてくださいということです。それが大事なんですね。そのために色んな祈り言葉もあるし、印可書もあります。

 ちょっと何か届けへんな。何がわからん?

質問者
 いや、わからないというか。

河上さん
 まだピンとけえへんな。

質問者
 何となく。

河上さん
 何となく。

質問者
 何とも言えないです。

河上さん
 これだけはね、実行するしかないんですよ。だから、あんまり過去世の事を言うのは、ルール違反なんですけども。先生とお会いして、(僕が)すぐ真祈りできたのは、やはり過去世の効果が大きいです。だからそれは何かって言うたら、実行が大事だからです。

 五井先生が『真理は万里を知るに勝る。百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)一歩を超えよ』と言ってですね。「一意専心(いちいせんしん)実行、万理を知るに勝る。」っておっしゃったんですけども。一つの真(まこと)の行為は理屈をなんぼ勉強しても意味がないんだと。聖書をなんぼ読もうが、仏典をなんぼ読もうが、一つの実行が大事なんだとおっしゃったわけです。

 その一つの実行というのは、体が動く時は神さまの命が動く時ですから、その動く時に、みんなは神さまの命が動いてるとは思ってないでしょ。マイナスで否定してるわけ。だから、体を動かしすぎたら病気になるとかね、要らんことを思うわけですよ。でも先生は病気の時は、より動けとおっしゃった。命を響かせれるから。ならば動く時にこそ、真(まこと)のプラスの言葉を乗せようと、駆使しようという意味です。

 動かし方はね、自分で動かしやすい方法が、みんなありますから、足踏みとかね、こうして伸ばすとかありますから、人前ではあんまり変に思われないような、何かやり方を考えて、それなりに考えていただいてね、なんか筋伸ばしてはんねんなぐらいの動かし方しながら、とか、指回ししながら、「神の御光、御命、御力」と乗せるとかね、していただくと。

 ほんで、人のいない時は貧乏ゆすりはすごい効果あります、こうやると。あるいは手をこう振るとかね。振りながらお祈りすると、すごく光通るんで、やってみてください。あんまり人目のあるとこは変に思われない方法を考えて。こんなんしてたら、あいつ危ないんちゃうかって思われるからね、それはありますけども。ちょっと動きながら、真(まこと)のプラスの最高の真理の言葉を駆使するということを考えてみてください。意外とやりやすくなって、スッと清まっていきます。

質問者
 あと、一つですけど、どうしても文句を言わない。自分の都合を退けるということ。やってるつもりですけどもどうしてもやっぱできてないんじゃないかなっていう・・・

河上さん
 そうですよ。だからついつい何でって思っちゃうんですよ。何でと思った途端にね、最高の真理の言葉の駆使することに変えるわけ。何でって思ったら、「あいつがさぼってたからや」とかね。何でって思ったら、「あの子が汚すのにまたここ汚したからや」とか。お母さんで言うと、何でって思うのは、「せっかく綺麗に洗濯したのに泥んこ遊びして来て」とかね、あるじゃないですか。そこに何ではないんだ、必要で起こってるんだって喜べるためには、真祈り、最高の真理の言葉を乗せるしかないんです。

 何でって思うのは仕方ないと思ってください。でも思った時にいかに真祈りに変えられるかということが大切なんです。そのために体を動かせながらとかね、真祈りしにくくても何かできる方法を自分なりに工夫してみてください。ありがとうございます

司会者
 他にご質問はありますでしょうか?(質問がありました。)お願いします。

質問者
 宇宙神ありがとうございます またちょっと食品の質問に戻るんですけど、先週、カルシウムについての質問がありまして、僕は普段、ワダカルシウムの粉のタイプ、お料理カルシウムっていうような名前のを常用してるんですけど、それと一緒にアスコルビン酸に混ぜて飲んでも問題はないですか?

河上さん
 問題はないです。そのワダカルシウムのEXというのはですね、ちょっと高いですけども。(質問者:僕の場合は錠剤じゃない。)錠剤。それは何でそれを薦めたかというと、年を取ってこられた方って意外と食べる量少ないんですよ。意外とビタミンとかタンパクが不足するんでね。そういう状態でも吸収しやすい状態にしたのがワダカルシウムEXなんでお薦めしてるだけで、色んな物をまんべんなく食べれる人は、普通のカルシウム剤で錠剤でも粉末でも大丈夫です。

質問者
 摂るタイミングとしては食後の方がいいんです?カルシウム剤。

河上さん
 いつでもいいです。(質問者:いつでもいいですか)うん、あのだから全体食というんですけども、本当にカルシウム綺麗に吸収できるのは、ちりめんじゃことかだし雑魚とかね、なんですよ。本来は牛乳もいけたんですけど、今牛乳はいろんな成分表示の関係で、いろんなものを添加したりしてるんでね。牛乳飲むとお腹の調子を崩す人多いんですね。だから牛乳を直接飲むんじゃなくて、何かに混ぜて調理に使うとかして、するとなると飲む量が減るので、それでもう手っ取り早くカルシウム剤ということを言っています。

質問者
 あと、安いアスコルビン酸を大量に購入してるんですけど、それは入浴剤にして使ったりとか。

河上さん
 そうです、そうです。自分なりに工夫して使ってしまってください。

質問者
 しっかり飲む場合は、岩城薬品?

河上さん
 岩城製薬やったかなぁ。岩城のアスコルビン。(質問者:岩城製薬のそれを購入して飲んだ方が安全。)薬局で岩城のアスコルビン酸と言えばわかります。黄色い箱です。(質問者:安いタイプは添加物が入ってるから危ないということですか?)違う。安いタイプは体に吸収しやすい形になってないということです。粒末には変わりないんですけども。(質問者:効果的ではないということ?)効果、だからその食品に混ぜて食べる分には十分吸収できるんですけど、大量に摂る時に、お腹を通しやすいということです。(質問者:はい、わかりました。ありがとうございます)

司会者
 はい、ありがとうございます 他にご質問はありませんか?(会場からの質問はありませんでした。)河上さんの方よろしくお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます ともかく全人類の潜在意識に響かせるということが、真祈りです。それは頭の片隅に置いといてください。だから一番わかりやすいのは、印可書をね、誰かれなしに進めたって選び取れる人と取れない人がいるじゃないですか。それぐらい人間っていうのは、表面からどうこう言うて変わらないのね。もし表面から理屈言って変われるんだったら、イエス様が生まれて二千年ですか。ということは、あの聖書ができて二千年近く経つわけです。でもその聖書を読んで誰も変わらないんでしょ。いうことですよね。それぐらい外からでは変わらない。内側から響かすしかないという。内側から響かすというのは、もうちょっとわかりやすく言って、潜在意識に響かせるという表現にしていますけども。内から響かせるということです。

 要するに潜在意識の一番根本のところは、真(まこと)の神さまそのものなんですよ。その本来の真(まこと)の神さまそのものの潜在意識の響きの上にね、皆さんはマイナスの言葉を重ねて、今の潜在意識を作ったわけです。それと肉体との意識が乖離してるからややこしくなってね。こんなぐちゃぐちゃなってきてるわけですけども。肝心の大本の潜在意識のとこを表面に乗ってるマイナスの言葉をですね、真(まこと)のプラスの言葉。真(まこと)の最高の真理の言葉で、変えていくことに清めていくことによって変えれることができます。それは二百人の人が真祈りしたら変わるということなんです。

 だから、動く体を動かす時にいかに真祈りを乗せるかということを工夫してですね。やってみてください。

 だからといってね、例えば散歩しながら印可書唱えてるからいいじゃないかっていうふうに思うともう駄目なんですよ。わかります?ここは難しいとこなんです。体を動かしながらと言うたら、今度は散歩しながら「私は、毎朝散歩しながら印可書唱えてます」ってやるわけですね。それ言い訳になってるでしょ。そうじゃなくて神さまの響きを乗せるんだっていう。神さまのお手伝い。もっと正確にいうと神さまのお手伝いをさせてもらうんだっていう気持ちで、奉読。

 だから奉読なんですけどね。一つ間違うと、散歩しながら印可書を唱えてやっているんだってなってるわけです。本人はそう思わないですよ。思わないけど、言い訳に印可書奉読を使ってるとそうなってしまうのね。だからそれは奉読と言わない。印可書の言い訳になります。

 そこのバランスが難しいから先生は、先生の立場からは印可書を読めって言えなかったんです。「先生が言えっていうたから読んでるんや」というと先生のせいになるでしょ。もうそれは、総責任者の自覚から外れるわけですよ。なのに、「先生が読めと言わなかったから読んだらあかんのや」っていう屁理屈を言う人もおったしね。それはマイナスの言葉を重ねてる人だから仕方ないんだけど。ただただそれだけです。

 だから本当に印可書を読むこと。あるいは最高の真理の言葉を駆使する時は、神さまのお手伝いになってるっていうことを喜んでしてください。「自分がしてやってるんだ」と思った時点で、全て狂う、ここだけ。「自分がしてやってるんだ」と思った時点で全て崩れますから。ただただ自分の力は、ほとんど何も無い。ただ神さまのお手伝いしてるだけということで、最高の真理の言葉を駆使してください。ありがとうございます (司会者:ありがとうございます)

 もうあの質問ないと思うんでね、ともかく言えることは、いつどうなってもおかしくないくらい大変になってきました。それ、あの村人は世界のシンボル、象徴として先生集めましたんで。本当に虚栄心の強い人ばっかりを村人として集めたの。はっきり言いますけど。先生が自分の周りに集めたの虚栄心の強い人ばっかりなんですよ。先生に昔聞いたことある。「何でですか?そんなんしたら先生自身も誤解されるし、大変になるじゃないですか?」って言ったら。「一番、虚栄心を消すのが大変なんだ。だから先ずこれを消さなくちゃいけないんだ」って言うてサンプルというかなんか象徴として、虚栄心の強い人ばっかりを集めたのね。だから、虚栄心と虚栄心がぶつかって、村人の間では争いが絶えなかった。未だにですけども。それ仕方ない。

 要は、お清めなんですね。要するに、間違って使ってしまったマイナスの言葉をいかに最高の真理の言葉で消し去っていくかいう引き算だけですから。足し算引き算だけですので。それを昔は先生しかできないと思ってたの。今は皆さんお一人お一人ができるんです。ただ、してやってるんだと。虚栄心が出るとね、印可書を奉読してやってるんだってなるわけ。だから虚栄心が出ないように、神さまの自分は微力だけど、神さまのお手伝いさせてもらう。神さまのお手伝になって嬉しいと思ってやってくださいという、あの微妙な言い回しをして、虚栄心が出ないようにお願いしてますけども。虚栄心が出てしまうと、何でって思うんです。

 虚栄心ってわかります?自分と他人を引き比べて比較する心です。だから「あいつより私の方が勉強できる」とか、「あの人の方が勉強できて私は駄目だ」とか、どっちもあの虚栄心なんですよ。私は駄目だと思う方を先生は、謙虚にして傲慢な心とおっしゃった。謙虚なふりして傲慢とおっしゃったんですけど、それも虚栄心です。どっちにしても、比較したうちは駄目なんです。全て真(まこと)の神さま、全て神の御光・御力・御命。全て真(まこと)の神さまだけって。それがごく自然に思えるようになったら悟りです。思えない間は、何で?と思ってしまいます。何で?と思ったら、印可書に戻ってください。印可書戻る時も「読んでやってるんだ」と思った時はもう、虚栄心が入ってるわけ。だから常に常に謙虚にね、神さまのお手伝いになってると思って、最高の真理の言葉を自分が信じれ切れる言葉を駆使してみてください。

 また来月お会いできることを楽しみにしています。何とか今週の土曜はね、この護摩も成功したから何とか乗り越えると思いますけど、気を緩めずに皆さんそれぞれお帰りになられたら、ひたすら今説明した真祈りをやってみてください。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます
 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/xQOQw_IUCiE


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