令和8年8月10日夜の勉強会河上さんのお話しー1前半
その真祈りっていうのが何かっていうのがわからぬままね、先生、逝かれてしまい、あと、みんな右往左往するだけで大変なわけだったけれども。謙虚なふりして傲慢な人は、私は真祈りなんか出来ないから、先生のようにはお祈り出来ないし、神さんのお手伝いなんかとても出来ないわって言うし。逆に自尊心の強い人、虚栄心の強い人は私は真祈り出来る、或いは私は悟ったのみたいな。私のついたら真祈りでないのね。私がついたら真祈り違うんだけど、まあ、そういうのも分らんまま、先生に質問もしないまま、先生に甘えて頼ってたらね、分らんままで来てしまう。
先生がね、凄い熱出されたりね、血の涙を出されたり、大変な時にね、ちょっとでもお手伝いしたいと思う人が何人いたかみたいな感じやね。で、一番の問題は、真祈りというのは、自分が出来ないというのが分かれへん。自分では真祈りできん。真祈りというのは、真(まこと)の神さまがされるだけやね、分かる?
だから、自分をなくさないと、真祈りになれへん。で、いつまでも、もう先生亡くなられていよいよ8年目ぐらい入ってるんだけど、いつまでもみんな自分が真祈りするというのはね、意識してるか、してないかは別やで。でも、どっかで、どっかでって言うより、常に無意識でも、自分が真祈りしようとして、で、出来ないって苦しんだり、あるいは出来てるつもりだったりとか、色々あるわけだけれども、その真祈りが、結局、最後まで分らんままくる。で、その色々ある、説明の仕方あるんですけども、呼吸というのは自分でしないのね。
みんな自分でしていると思ってるけども、寝ている時は神さまがさしてくださるわけでしょ?ということは、どんな状態でも、神さまが呼吸させてくれているわけ。ね。
だから、呼吸に真祈りを乗せたら、祈り言葉を乗せたら、一番分かり易いかなとスタートに思って、呼吸に「ありがとうございます」を乗せましょうねって始まるんだけど、みんな熱心に出来ないままで。このやり方ではダメだからって、まあ、色んなやり方をこうずっと来たわけですけども、結局はみんなその指1本動かすのでも、自分が動かしているという勘違いから抜けきれない。ね。 自分が動かせるんやったら、肉体は死ぬことない。分かる?自分という意識は死んでも残るからね。それが幽界、霊界、地獄でさまようわけでしょ?そうやけど、自分が動かせるんだったら肉体を死なすこともない。すべて、神さまが動かしてくださっているだけ、というのが分かってきたらね、神さんが動かしてくれてるのに、何で自分が動いてるんやろうみたいな矛盾を感じてくれなあかんねんけど、その辺は、ほとんどの人は、人類全体はね、その生きているというのは、自然にそうなっているんだと。
で、その生きてる命を、自分が好き勝手に使ってるんや。好き勝手とも思ってへんけどね。お金儲けに使ったり、色々あるじゃないですか。自分の虚栄心を満足させるために使ったりね。そういうふうに、みんな勘違いしたままなんですけども、本当は神さまに生かされているだけ、動かして頂いてるだけ。ほんなら、今の自分は何なの?っていうところに気づくとね、ちょっとは変わるん。そやけど、その今の自分というの何か分からないまま来てるんです。
で、はっきり言うと、今の自分って何かといったら、肉体の意識、肉体の自分。で、肉体の自分というのは、具体的な事例で言うとね、自分の都合を優先する意識。あるいは自分さえ良ければの意識。先生は我よしっていったかな?先生の表現使うとね。自分さえ良かったらいいということは、逆に言うと、あっ、逆ではなく別の言い方をすると、自分にとってしんどいことは嫌、わかります?
邪魔くさいことは、自分にとって邪魔くさいことは嫌。それが肉体側の意識なの。で、そのオギャーと生まれて、ちゃんとそれを調教しないとね、本心の自分がですよ。調教しないと、いつまでも自分の都合を優先して病気治してほしいとかね、お金儲けしたいとか、神社の絵馬を見たら、分かるじゃないですか。家族どうこうとか、学校だったら、東大に合格しますようにとかね、自分の都合を書くでしょ?あれが肉体側の自我という意識なの。で、それは、肉体というのを受肉した時点で、必ず持っているものであって、善いとか悪いじゃない。
だから、肉体を維持するために生存競争をするのね。だから、兄弟が多いとこだったら、おやつ1つの皿が出てきたら、我勝ちに早くとってね、するじゃないですか。あれが生存本能といって、肉体側に付随している意識なんです。で、この意識を、ちゃんと鍛え上げていかなあかんのですね。そんで、本心の我(われ)というね、意識が肉体側の自我の意識を調教していくんです。
ところが、本心の我(われ)、要するに印可書にある、真(まこと)の神さまは、真(まこと)の本心の自分とかね、いう不離一体の自分は、神さまと不離一体の自分とかいう言葉では分かっても、自覚出来ない。本心の自分を。で、本心の人を自覚出来ないから、今までの宗教だったらですよ、戒律をつくってこうしなさい、こうしてはいけないとか、ちょっと。こうしてはいけないとか、一杯あるじゃないですか?今の宗教は。 ほんでここは宗教でないというのは、何かというと、戒律がないわけです。これはしてはいけないとか、暴力を振るっていけないとか、そういう相手の自由意思を縛る、なんていうんですか?法律いうか、憲法というか戒律というか、そういうのはここはないんです。
必ず相手の意志を尊重して好き勝手にさせる。で、そこで好き勝手にさせる、先生がそうだったのね。だから、手元に村人一杯、一番虚栄心の強い人ばっかり集めたって、先生おっしゃってたけどね。手元に集めていて、ほんで、その人たちにこうしてはいけない、あるいは印可書を読みなさい、あるいは印可書を読んではいけないとかね、そういう相手の自由意思を縛るい言い方は一切されなかったわけ。だから、ほとんどの人は勘違いして、先生がダメだって言わない限りは、やってもいいんだって勘違いして、ぐちゃぐちゃになっていったわけですけど、それでも先生は言われない。
なぜかというと、皆さんの真(まこと)の本心の自分の意識が出るを…まあ、花が咲くのをですね、悟りの花というんですが、本心の花が咲くのをひたすらお清め、お祓いをしながら、お祓いというのは、お清めなんですけども、払い清めるでセットです。払うだけじゃなくて、清めるだけじゃなくて、払って清めます。払い清めをいつもずっとされたわけです。
ただ、先生の方からうっかり払い清めって言うとね、先生にお清めして貰わなくちゃいけないって言って、甘えてくるの増えるから、先生の方から、具体的にそう言われることはなかったです。 ただ、払い清めの方法は、この2人だけが授かってしまった。本当は全員に授かってほしかったんだけど、みんな自分の都合を優先してる人には受け取れないのね。
ほんで、もう色々とこの8年間説明しました。本当に色んな方法を説明したんですけど、自分の都合を優先するなとかね、現実掴むなとかね。で、その例えば、現実掴むというのは、何かというと、本心の自分と肉体側の意識の自分がごっちゃになって、で、現実はあるとつかんで巻き込まれている状態を現実を掴むという。だから、ほとんどの人は、現実を掴んで流されている自分にすら気づかない。
先生の説明で言うと、川の上に、激流の上に木の葉がこうくるくる回ってね、翻弄されているだけで、さも自分が動いてるように思ってるけど、そうじゃないっていうのを現実を掴む状態っていうわけ。で、その後、色々、色々説明を考えてね、兎に角、お前分かるように説明せいと。で、みんなに分からせという事で。で、理屈で分かると違ごうて、直感的にというんですか?実感として分かるように説明せいと、何べんも怒られつつ、色々とトライしているわけですけど。 ともかく、無意識で自分がしていると思ってるじゃないですか?ね。意識している人があります。あ、これは自分の自我でやってしまったって意識していますけど、大半の人は、自分がしてることすら、だって指動かすの自分が動かしたと思ってるんだもん。それは、すでに肉体側の意識に落ちてるの。 ほんで、その真(まこと)の本心の自分が、自分の肉体を調教して、制御してね、鍛えあげなくちゃいけないんだけど、もう出来ないのね。真(まこと)の本心の自分が分らないから。ほんで、その真(まこと)の本心の自分が分かる為にっていって、この神書の色んなページにしおり挟んでですね、ほんで線引いて先生に渡して、これをもうちょっとマトメてしてくれということで、今の印可書を作ってもらった。 それ、なぜ、そんなことを先生にお願いしたかっていうと、印可書は肉体側の自分が読むという意識で読んでいても、本心の自分に戻してしまうという力を、呪(しゅ)を込めてもらった。そんで、まあ、8年間、色々護摩を続けてですね、護摩に参加したら、その印可書の一回の参加で、何万回も読む効果があるというふうに、先生に呪を込めて頂いて、8年たったんで、やっと皆さんの自分の自由意思でね、印可書を読めるところまで来たわけです。 ほんで先先月からですけども、その、常に印可書を読み続けて、仕事でも、運転でも、何でもしてくださいという説明が出来るとこまで来たわけ。で、何で常に印可書を読んでくれって言うかというと、肉体側の自分の意識で、無意識でも、意識しててもですね、肉体の自分の意思で仕事する、本を読む、テレビを見る、やってるわけですよ。
で、それをやってしまうと、因縁因果に巻き込まれて、もう苦しいだけ。楽しいというはないわけ。もちろん、自分の都合の条件から見ていいことは、楽しいこと。自分の都合、条件を見て、しんどいことは嫌なことは苦しいことになるわけですね。要するに、常に条件がつくのは、肉体側の自分の意識だと思ってください。 本能の意識というんですけど。 それで、その無条件の喜びになるのは、真(まこと)の本心の自分だけなんですけども、その真(まこと)の本心の自分が現れようとするときに、肉体側の自分が動こうとしている。無意識にですよ。ほとんどの人は、無意識に動こうとして邪魔するわけで。で、みんなどうしようもなくて、悩み事があってね。子供が勉強せんから始まってね、色々もう一杯あるわけ。
もうその人それぞれ、あいつはサボってる分もあるし、何で私だけこんな目に遭うんやとかね。何で私だけこんなにイジメられるのとかね。何でこんなんて、みんな何でって付くわけ。何でって付く間は、肉体側の自分の意識。常にね。で、無条件にならないわけ。 ほんで、色々と8年苦労してですね、護摩を重ねたおかげで、なんとか自由意思で印可書を読めるとこ迄で皆さん来たわけ。ほんだら肉体側の、動いていると思い込んでいる意識ですね、自我というんですけど。その自我の自由意思で印可書奉読出来るようになったわけ。やっと。 で、これでチャンスなの、ほんだら自分がしようとしてる意識を全部印可書の奉読に持っていくの。先々月からお願いしているのは、自分のしようとする意識で、印可書を読んでくれって。だって、自分のしようとする意識しかないねんから、自分が指動かしてると思っている意識しか、皆さん自覚してないから、その意識でいいから、その自分でやろうとする意識は、印可書を読んでいる時。そうやけど印可書を読みながら仕事してる。すると、自分のやろうとしている意識は、印可書の方に行ってるから、仕事してる自分は本心の自分になっている。だから仕事でも、凄く、試行錯誤せずにフアーと出来るようになるし、本もね、パッと見開きだけで分かるようになるというのは、本心の自分だから。 そんでその、肉体側の自分の都合を優先する意識はどうするかというと、自分の都合を優先する意識で、印可書を読んで貰っています。ほんで印可書は、先生に呪(しゅ)を込めて貰ってますから、自分の都合を優先する意識で、印可書読んでたら、勝手に自分の都合を優先する意識が消えるの。で、常に本心の自分だけになって、それも実感としてわかって、透き通るように、何でも分かるようになりますという説明していて、実際、もうすぐそうなります。この半年のうちにみんな出来るからね。 ただ、そうなったら、私悟ったと言って、また崩れるからね、先に先に説明して、色んなことも分かって、病気治そうと思ったら本当に治せます。でも、それは大した悟りじゃない。あくまで悟りのちょっと手前。で、そこからが勝負でね、本当に先生の悟りまで行かないと意味がないから、もう、透き通るよう分かってきたら、分かるようになってきたら成るほど、印可書奉読に集中してください。
それをやってると、先生の悟りとなったら、こう触るだけで分厚い本が分かります。僕まだ薄い本しか分からないけどね。それだけレベルが違うわけ。そやけど、触るだけでわからなくても、本読むのでも早いしね、何でも、いわゆる、この世的な仕事は、朝飯前に片付けるようになる。すると、余った時間で、より印可書奉読して、深くお祈り出来るから、真祈りが出来るようになる。で、真祈りができたら、自然に支え合います。
印可書にあるように、お互いに干渉せず、邪魔せずっていうね、支え合いが実感としてわかります。もう部分は、印可書のお互いに干渉せずにっていう、支え合ってというね、部分は、理屈で説明出来ないの。実感で分かるだけです。で、そのとこまでみんながもう自分の自由意思、ほんで、ここが大事何ですけど、自分の自由意思で悟りを深めないとダメ。
こっちからこの形にして、この手振りにして、で、こういう風にしてやれって言うってもいいんですよ。やって、何人か悟らしたんだけど、落ちていったのよ。要するに本人の自由意思じゃなかったから。本人は頼って真似してやってみて、でも、それでも透き通るとこまで行くんだけどね。でも、自分の自由意思ちゃうから、自分の自由意思はやっぱりあれしたい、これしか残ってるから落ちていっちゃう。
でも、今度は自分の自由意思で印可書奉読して貰ってるから、落ちることはない。それでも無色透明でなってきてね。何でも分かるようになってくると、ついつい自分悟った、よかったって自分が出てしまってね、崩れるからしつこく言ってるわけです。 だから、ただ無色透明になっていることは、色んなことが簡単にこなせるからね、時間も作れるし、色々と楽になるんでね。楽になった分を、印可書奉読に持って行ってください。ほんで、本心の自分が現れているかどうかが、一番分かりやすいのは、邪魔くさいこと、しんどいこと、辛いこと、嫌なことが、無条件でやれるようになる。 だから、いちいち人を責めんでもね、あ、ちょっとここ汚れていると思ったら、さっと拭いとくとかね、さっと履くとかね、先生、いつもそうでしたけど、いわゆるきつい、汚い、危険の仕事を、ごく普通に当たり前に喜んでされ、無条件で喜びになるわけですけど、そういう嫌な事、邪魔くさい事、しんどい事がスッと出来るだったら、だいぶ本心現れてきたなと思ってください。 で、いや、これ邪魔くさいから止めとこ、あるいは明日しよとかね、みんなそうやった。だから真祈り分らへんから、真祈り明日しょう、明日しようって8年たった。まあ、先生のそばにおった人だったら、40年ぐらい経ってる人もいるけどね。結局、そういうことなん。
だからもう、只々、本心の自分を自覚するだけ。で、自覚する、今回が一番いいところまで来たと思うんです。印可書を出して頂いて、護摩で唱えて頂いて、先生が、護摩で唱える印可書を、1回は1万回、10万回にするって言って、呪を込めて、毎回毎回込めて、数を増やしてくださってね、ここまで来てますから、自分の自由意思で印可書奉読しながら、仕事でもテレビ見るのでもするんだって。で、最初は何回も失敗して、テレビ巻き込まれるよ。本に巻込まれるよ。仕事に巻き込まれるけどね、結果は気にしない。本心の自分は結果を気にしない。
ただただ、努力するというのも違うんだけど、淡々と繰り返してやっていくの、やれるようになるまで。で、そのそういう淡々と繰り返してやるのが、神さまの愛の光だから、無条件に嬉しくなって、結果伴なわなくても、頑張っても違って、淡々としていけるようになります。それを頑張ってやろうと思っている時は、まだまだ肉体の自分が出てると思って下さい。 頑張ってがあったら、結果を気にしているの。分かる?結果が一切気にならなくなったら大丈夫なの。大事なところなんですけど、今まではこういう説明しても、みんな結果気にしてね、私、「不器用だから出来ないわ。」ってこうなって、えらいややこしい、なってたわけですけど、先生が作ってくださった印可書のお陰で、やっとなんとか目標達成まで来てます。
だから、結果、気にせずにね、それぞれやってください。どういうことかというとね、それぞれ、その人の持って生まれたこの使命があるんですよ。この世での。その使命に応じて、その結果が伴わない人、伴う人ってあるわけです。で、伴わなくても構わないの。やろう、神さまの御心に添おうとする意識があるだけで、繰り返して添えなくても、また添おうとするというね、その意識があったら、それが大きな愛の光。 で、何で、例えば、結果を伴う人、伴わない人があるかといったら、神さまさえ振り向かない人に響き合わせるためには、そういう人の響きがいるの。ということなんです。で、それぞれ神さまの方は、いわゆる雪の日に説明したようにね、耳かきの働きの人、スコップの働きの人、パワーショベルの働きの人、大きな除雪機の働きの人って、神さまが作って現してくださっているだけで、どの働きも全部必要なの。
大きなスコップで、耳垢取れないでしょ?全部必要な働きだっていうのがわかったら、結果を気にしないから、お互いに支え合ってになる。そうでしょう?耳かきもスコップもショベルも、みんな支え合って働いて、どの働きも全部、全部完成して、完璧、完全円満完璧大調和になるわけです。
ここまでで質問をしたい人?
質問aさん ありがとうございます 今日も道中で河上さんの去年の話とか聞いてたんですけど、その中でも、とにかく一歩踏み出すのが大切という話が流れてて、千里の道も一歩からということで、その一歩踏み出すのが大切で、結果的に千里の道でなくてもいいということですね?
河上さん そう、あのね、結局、最初の一歩を踏み出すのがみんな出来ないの。出来ずに明日やろうとするの、みんな。出来ない人はみんなそうやね。で、何で踏み出せないか、結果気にするから。で、人から後ろ指さされるの気にするから。まあ、結果気にしてと一緒やけどね。だから、「あいつ同じように踏み出したのに、全然進めてけえへんな。」って、こう言われるのが嫌なわけ。で、そうじゃないんだ!耳かきの働きは、本当に牛歩のようにってなるだけでね、牛歩がいい悪いじゃないっていうのが分かれば、みんな一歩踏み出せる。で、踏み出したら、あとは自然に流れていくわけです。
川の流れが分かるじゃないですか?真ん中は速く流れるでしょう?岸はゆっくり流れて渦巻くじゃないですか?ちょっとバックしたみたいにね。でも、渦巻いたって流れていくじゃないですか?それで全体1つで、川として完成しているでしょう?それがわかったら、結果を気にしないから、その川の岸の方のね、渦の流れの働きをするんだって思ったら、楽にやれる。
それでも「ゆく河の流れは絶えずして」、どんどん流れて行って、河口というね、大きな悟りのところにみんな行くんです。だから、横の人、周りの人の進み具合とかは全然気にせずにやって下さい。
で、すき通るように分かってきても、人に言うたらあかん、言った時点で自分崩れるから。「俺、何でも分かるようになってん。」っていう、俺がついた時点でアウトや。分かる?だから、自分が褒められたいという意識があるとね。私、何でも透き通るように分かるようになって来てんって言ってしまうん。で、うわー凄いねって言われたい、その時点でアウト。 どの状態のどの働きも神さまが必要としているのね。で、完璧に完成しているの。一つ一つは完璧に完成する。でも、肉体側の小さい意識で見たら、全部不完成、未完成。でも神さまから見たら、一瞬一瞬に完成している姿。それが実感として分かるようになったら、悟りやし、その時は自分というのがないから、一生ぼろくそに言われても気になれへん。まあ先生そうだったしね。
良寛さんもそうだったけど。だから人から言われて気になる間は、まだまだ肉体側の自分の意識。で、練習としてね、本読みながら印可書ずっとバックグラウンド。まあ、コンピューターで言うと、バックグラウンドで動いているじゃないですか?あいう感じで、印可書を唱えてみてください。最初は必ず本の方に巻き込まれるから。だって、そういう癖がついてるからね。
でも、巻き込まれる小さい自分は印可書奉読に持って行って、本を分かろうと分ろうとするんじゃなくて、パッと見るとなると、わっと分かるようになんの。ここな、説明して分かる?説明しにくいねんけど、肉体側の意識は一言一句を理解してわかろうとする。でも、本当は分からないものはなくって、すべて分かっている、本心の側は。
だから、本心の側が現れてきたら、スッと分かる。で、これ、まあ、数学苦手な人に言うとあれなんやど、ある程度数学好きな人、得意な人だったらね、本当にそうして悟ってくると、答えが先でるね。ほんまに、ほんまに出るね。で、ただ、その答えを、例えば、アインシュタインさんだったら、E=mc?っていう答えが先に出はった。でも、それをどう説明するかっていうだけの問題やったんやけどね。
だから、この世を、現世(うつしよ)と言うけども、物質というのがね、光そのものだっていうのは、E=mc?で現せている。mというのは物質のことです。ああ、mじゃあない。Eっていうのは(エネルギーの事)。で、E=mc?でしょ。つまり、式を変形すると、M=エネルギー割るCの2乗、つまり、本来の大きな命(この現世ではエネルギー)を、光が舞い降り、舞い昇る、つまり、光の2乗という意味。それで、光が、cの光がぶつかることをcの二乗っていう。印可書で言うと、「舞降り、舞昇る」とこ。「舞降り、舞昇る」ところで物質化して、この現世の姿を見せているの。
だから、一瞬一瞬新たに光になって、消えては現れ、現れては消える。まあ、もうちょっと簡単に言うと、壁、まあ鏡があると、ね、霊的な鏡があると、で、そこに神さまに光が来る。で、鏡に反射して帰ってくるでしょう?帰ってくる光と神さんから来る光が、まあ、ぶつかるんじゃないけど、絡み合った時をmc?、Cの2乗と言っね、その絡み合ったところだけが物質化して見える。だから先生のおっしゃる「一瞬一瞬新たに」というのはそういうことだ。 だから、この固定して手として見えてるけどね、本当は一瞬一瞬新たに光が来て、手の形を映し出してるだけであって、一瞬一瞬新たに進化している。新たに新たになっている。だから、先生は人間はね、老化しない。年取る事はない。でも退化するよ。怠ったらね。 だから、退化しないように、色んな真祈り体操を降ろして貰って言っています。最低限、真祈り体操はして、体が退化しないようにしてください。年とって腰曲がったとか、背丸くなったとかね、色々皆さんありますけど、あれはその、まあ、真祈り体操ない時代だから仕方ないんだけど、真祈り体操してたら、そういうことは起こらない。それも今回は15分15分って言って頂いてるからね。朝の15分。で、寝る前の15分。 その、本当に最後に完成したら、15分連続してできますけども、最初は10秒も出来ない。でも、手おろして休んで、またやるを15分間、印可書を唱えながらですよ。形だけしたって意味ないからね、やってみてください。 で、それ、真祈り体操が何で良いかというと、15分ぐらい続けるようになるとね、自然に肛門が閉まるんですよ。肛門を閉めろと言っても、中々みんな出来ないって苦しむんだけど、そういう部分があるんで、真祈り体操をお願いしています。ゴキブリ体操じゃないからね。ゴキブリというとまたややこしくなるからね。
ゴキブリ体操は何かいうたら、ただこう手を振るだけなんです。真祈り体操は親指と小指合わせて、中指を中心に振る。これ、大きな違いで、凄いね。これにプラス印可書があるからですよ。印可書ないと意味ないからね。 だから、本当に昔の勝海舟さんでもそうですけど、剣を振ってね、座禅を組んで、凄い悟りのところまで行くんですけど、最後のブレークスルーがないんですよ。何でか言うたら、「最高の真理の言葉を駆使」するという部分がなかった。で、まあ、あの時代は最高の真理の言葉は何かも分らんしね、色々とそういうことなんです。 で、例えば南無阿弥陀仏は最高の真理の言葉だったんです。でも、その常にその最高の真理の言葉は賞味期限がつくんです。何でか言うと、その最高の真理の言葉、つまり南無阿弥陀仏に頼りだすの、みんなが。わかります?頼りだしたら汚れていくのね。それで、だから、お葬式の時に唱えるでしょう?まあ、それ輝かないじゃない。で、どんどんどんどんその思いがついてね、効果がなくなっていくわけ。だって、南無阿弥陀仏と唱えながら、人殺してもいいんやな、になっていくわけです。
まあ、ここでもそうでしたけどね。先生、亡くなられた最初の護摩、2回目の護摩ぐらいかな?質問で、じゃあ、「宇宙神ありがとうございます」と唱えながら、唱えてたら人殺してもええんか、みたいな質問がありましたけどね。録音に残ってますけど。それくらい、みんなは、その言葉の力の凄まじさとかね、そういうのが分からずに。 で、無意識には言葉の力が凄いのを知ってるからね、逆に言うと、その言葉に頼る、頼って汚していくわけです。頼るんじゃなくて、真(まこと)の本心の自分が唱えるんだっていうのが分からなくちゃいけないんだけど、まあ、その真(まこと)の本心の自分が唱える真(まこと)の本心の自分が分らないから、堂々めぐりするわけです。 で、先生が「そろそろあっちに帰るから、あと頼むで。」っていう時に、もう「ちょっと待って、それはあきません。」って言ってね。「これさえ唱えてたら、真の本心の自分が自覚できるものを作ってもらわないと。」と言っても、無視されて、それで神書にしおりをはさんで、つけて、その時は、もうそのややこしいことは言わずに、ともかく、これをマトメて1つ作ってくださいとお願いして、作って頂いた。
だから、まあ、一番僕にとったら、謎やったのは、ほとんどの何人かの人はね、ほとんどとは言わんけど、何人かの人はこの神書を読み尽くしたという人がたくさんいたわけですよ。でもね、この神書に先生のたった1つ作られた句が残っているわけでしょう。「最高の 真理の言葉を 駆使すれば 自ず開かん 悟りの華は」それを気づいた人がいないって、やっぱり読んでないな、って言ったら怒られるけどな。真剣に読んでたんじゃなくて、頼って読んでたからです。 要するに、自分の都合優先して読んだら、どんな素晴らしいものでも理解できない。だから、先生が「ありがとうございます」の10文字や、真(まこと)の神さまの働きそのもの、真(まこと)の神さまそのものって仰っても、自分の都合で聞いている人には分らない。いつまでたっても、物をもらっての「ありがとうございます」になってしまって、「ありがとうございます」で悟れなかった。で、もう思い巡らす暇のないような形で作ってもらったからね。あれ、読んでる間、要らん事を思いようがないからね。次から次から出てきてね。いう事で、やっとここまで来てます。 頑張って、頑張ってという表現もちょっと違うけども、淡々とね、印可書、奉読し続けるという意識で。でね、最初は途切れてもいいんです。で、はっと気づいたら、仕事に熱中してて忘れたとかね。パッと気が付いた時は、本読む方に熱中してて忘れたでいいですから。でも、気づいた時は立ち戻る。気づいた時は印可書に立ち戻るということを繰り返してやってください。それだけで叶う。真理の言葉を積み重ねていく毎に、駆使して、積み重ねていくと、ある一点で、本心の世界に届くんです。 積み重ね、積み重ねないと届かないんです。皆さん、それも皆さんの自由意志で積み重ねないと届かない。だから、先生は一日にね、20回は印可書を読みなさいとか、30回読みなさいとか、あるいはまず読みなさい、ということも言わない。言われなかったわけ。それは自由意志で読まないと意味ないから。すると、先生が読みなさい、言うてへんから読んだらあかんにまでなってね、色々と、色々とありましたけれども。 そうして神さまを邪魔した人は、ご本人が邪魔しただけで、意識するしないは別にしてね。その分の背負っているのは大きいから、より頑張って印可書を奉読してくださいとしか言いようがない。精一杯の説明しましたけど、聞いてへん。みんな自由やからね。まあ今も一緒ですけど、頑張って!はい。
質問者bさん まずは印可書を奉読を積み重ねます。
河上さん それ質問ちゃうやん。(笑い) 質問者bさん 質問、質問です。
河上さん 目が悪くなってきた?頭も悪くなってきた?気つけや。(笑い)真祈り体操しないと。そうそう。
質問者bさん 村で行われる暴力についてお伺い致します。当事者が一番向き合う事柄だと思いますが、同時に、世界の縮図である村で起こったことなので、村に集われる方にとっても、無関係でいられない事柄だと思いますので、村で何が起こったかを私の捉え方になりますが、まずは共有したいと思います。宜しいでしょうか?
河上さん うん、どうぞどうぞ。だってモヤモヤしてる人おったら大変や。真祈りできへん。
質問者bさん 最初に村で私が暴力の現場を見たのは、3年ほど前に、ここお祈りの部屋でのことです。村の方々と集まりがあったときです。いきさつは省略しますが、その方は、自分の思いに反発する人の頭を殴りました。次は、皆さんもご存知だと思いますが、昨年の護摩会場での河上さんに対する暴力行為です。次は今年の冬、私とその方との2人の間で、雪かきの作業をしていた時、暴力的な言動を受けました。ここで言う暴力とは、自分の思い、都合を力でねじ伏せて、言うことを聞かすことを言っています。つい最近も、その意味での物理的な暴力行為を受けました。 これまでは、自分に起こる出来事だったのですが、先日は、他の方にもお祈りの部屋で、暴力行為が行われました。私はその場にいなかったのですが、本人から話を伺いました。ここで、こうして過去に起きた暴力を話しているのは、その方を責めるために言っているのではないことは、わかっていただけると思うのですが、では、なぜ、このように暴力がステージやお祈り部屋や村で起こり続けるのかと問いたいからです。毎回村の方々にどう思われますか?と伺うのですが、ある方は「真祈りだけですよね」と返ってきました。では、真祈りしているのに、どうしてこう暴力が起こり続けるのかを聞いてみたいと思いますが、なかなか話がかみ合いませんので、いまだに聞けていません。改めて、どうしてこの真祈りの聖地で暴力が起こり続けるのか、もう誰も無関心でいられない私たちにお話をしてください。ありがとうございます
河上さん 別に、暴力ってね、形もあるし、いじめという心の暴力もあるし、口で言う、ね、暴力もあるじゃないですか?で、そんなん村では、もう日常茶飯事で、昔から。
で,ちょっとこう作業に身いらん人がおったらね、食事の量でいじめたり、言葉でいじめたり、いろんな辛い作業をさせていじめたり。っていうのは、もう一杯あるわけです。
で、最後にその頂点に立つ方がね。形の暴力をするわけで、それって別に世界の縮図やな。 力の強い国がね、弱い国をいじめていくわけでしょ?で、いじめられている方は、最後、ここまでされるんやったらって言ってね,戦争になるわけや。強い国から攻めることはめったにないもの。必ず強い国は、まずいじめて、いじめて、いじめて、そんでそこまで侮辱されるんやったら、「もう」って言うて、もう窮鼠(きゅうそ)猫を噛むってあるでしょう?
で、弱い国に攻めさせて、ほんで、お前、戦争を始めたな。日本もそうやね、真珠湾攻撃で、ね、卑怯な騙し討ちしたなっていって、わっとやるわけでしょ?どんな戦争もそこから始まる。 第一次世界大戦を見ても、オーストリアの皇太さまを刺すわけやね。で、それ大した問題とちがってん、でも、それを理由にいろんな国がうわーっと、重なって、あっという間に、第一次世界大戦なってん。で、その結果、ドイツが一番悪いってなってね、凄い賠償金をやって、云々ってなって。で、ドイツはドイツでもう苦しくなって、最後またやるわけでしょう?だから、第1次、第2次世界大戦で分けてるけど、あれは1つのものやね。ちょっと休戦期間があったというだけで。それくらい、その分け隔てる意識がすべての根源にある。 それ何かいうたら肉体側の自我の意識。肉体側の自我の意識は分け隔てるわけよ。で、あ、あの子の方が食べ物ええもの食べてるとかね。あの人の方がサボって、仕事を楽して給料をもうてるとかって分けて見るからや。さっき言ったように、耳かきの働きの人が一番いろんな形の上ではどうこうでないんだけど、意識的にはね、耳かきの働きは一番辛い思いをするの。卑下慢になるの。私、こんなにしかできへんし、みんなでぼろくそに言われるわってなってね。でも、どの働きも必要で、すべては完璧な一つというのが、本心の側から見たら見えるの。 それがすべてなんだけれども、今の世界は、肉体側の自我の意識でうごめいているわけ。だから、イスラエルが何であんな強硬だって言ったってね、実際にそのホロコーストというんですけども、もうユダヤ人を根絶やしにしようということでね、ナチスドイツというヒトラーさんはね、ユダヤ人を根絶やしにしようとして、本気でそれをするわけですよ。 で、一日にね、コップ一杯の薄い薄いスープと、そんで、サイコロのようなパンしか与えない。それで重労働させる。で、骨と皮に痩せ衰えてバタバタと死んでいくという、そういうことをしたわけですよ。で、実際にどれだけの人が殺されたかも、記録に残らないくらい、凄いことが、あの時期あったわけです。で、(たくさんのユダヤ人が列車で連れ去られるのを見ていて)それをうすうす知っていても、ヨーロッパの人は見て見ぬふりをしたんですよ。全然知らなかったはずはない。で、そのユダヤ人、純粋なユダヤ人もそうするし、ユダヤ人の血が混ざっていると思っているポーランドの人とか、同じドイツの人でもユダヤ人に混ざってると思う人も、一緒に、そして殺されていってね、凄いことがあったわけです。だから、イスラエルというユダヤ人の国はね、その、どんなに世界にこう誤解されようがね、最後まで戦って、自分たちを守る。それで滅びるんだったら、仕方ないという決意を持っているわけです。それくらい、凄いことがあったし、今もあります。
イランという国は、前の前の大統領さん、イランの大統領さんが言ったわけですけれども、イスラエルという国をこの世から抹殺するまで、自分たちは戦うというの。それで世界から非難轟轟を受けるんですけど、それがイランの国の憲法として成文化されてへんけど、意識何ですよ。だから、イランとイスラエル仲悪い。で、ああいう、今でいうややこしい事が起こっているわけですけどね。 でも、これ、話し合いでは解決できない。真祈りですべてを祓い清めるしかないわけです。で、そのすべてを、先生は今の事態のことまで予言して、僕は聞いてますし、で、みんなが真祈り失敗して上手くいかなかったら。今回ので成功させれると思ってますけど、上手くいかなかったら、どうなるこうなるも、全部すべて聞いてます。ほんで、最悪のパターンのことを言うと、「粘土食べなさい、ネズミさん、食べなさい」って言ってるわけですけど、そこには持っていきたくないから、色んな事があるわけですけど、まずは真祈りで祓い清めるしかない。
で、祓い清める方法も具体的に聞いてます。この2人は。でも、皆さんがまず自分の自由意志で本心の自分を自覚していただかないと、祓い清める方法を教えられない、何でかいうと、形、祓い清める形だけをすると、色んな宗教団体の教祖様見たらわかるけど、晩年大変でしょう?要するに、祓い清めの形をしても、実際には消せないから、全部自分が背負って崩れていくの。
で、真祈りで祓い清めを先生がお1人でしてたから、先生の肉体大変だったでしょ?でも、先生、ちゃんとお話で言っておられるように、真祈りというのは、みんなで支え合ってするもんだと、1人がするものじゃないっていう、あれがすべてなんです。皆さんで支えようとしたら、具体的な祓い清めの形も教えれますし。で、皆さんで支えようとしてたら、それで祓い清めらるからね、本当に。皆さんの体も大丈夫だし、ちゃんといける。 で、まあ、印可書を反対した人が大変だというのは、その祓い清めができへんくせに、祓い清めるのが自分たちはできるということを、本人の自覚とは別ですよ、宣言した形になるんです。それで一杯背負っているの。それが村人の現状です。 だから、一杯背負ってるから暴力になります。いじめになります。もう仕方ない。でもここからね、今からどうするか、いつも。一瞬一瞬新たやから、ここから真祈りを選ぶのか、今の今まで通り、惰性に流れた肉体意識の自分で生きていくのか?まあ、みんなの自由意思だから。でも手遅れじゃない。今から真祈りを選んだら、全員変われる。ただ、村人は変わりにくいから、外の人を今変えてるの。で、外の人が変われば、村人も必死で真祈りするようになるから、それだけです。 で、それで皆さんの真祈りが間に合わずにですよ、村の暴力が殺傷型、まあ、殺すまでいけへんでも、その血を流す状態が起こったら、村は崩壊します。で、そうすると、そこから10年後に地球は滅びます。という流れになってるんで、村を崩壊させたくないから、まだ殺傷沙汰になってない間はね、知らん顔してるだけ。 で、だから責める意識がないんだったら、分け隔てしなければ、村人も自分も同じ神さまの御光り、御力、御命、真(まこと)の神さまそのもの。ただ、耳かきのより小さい働きが村人してるだけと思えばいい。これで分るか?何か、もうちょっと言って。まだ引っかかるやろう?
質問者bさん どこにひっかかっているかが分かりました。
河上さん あ、そうか、それ分け隔てるから。村人と自分を分けたら腹立つ。何でもそうや。何でも「何でこうなるの?」っていう時は分けてんね、相手と自分を。そんでね、その肉体側の自分の意識というのが、我よしの意識とか、自分の都合を優先する意識が、何か都合悪いかというと、ストレス溜まる。まあ、簡単にわかりやすく言うと、交通信号を守ってね。交通ルールを守ってやったら、事故起こらないでしょ?その交通ルールを守る、ごく自然に守ろうとする意識が、本心の自分です。分かりやすい例えで言うとね。 それで、自分の都合を優先するね。好き勝手にする意識が肉体側の意識。すると、「俺は赤信号でも行くねん。」って言って行くわけですよ。わかる?ほんだら、お互いこうやったら、大事故を起こすばっかりでしょ?そういう形で、自分の都合を優先する人は、思い通りにならないから、ストレスが溜まるばっかりになる。子供、勉強せえへんというだけで、ストレス溜まるばっかりや。別に、いや、子供の勉強する、せんというのは、みんな自分の都合の優先の中に入っているわけね。で、そんなのはもうある意味どうでもいいの。神さまがいいようにするの。 まず、神さまいいようにするというところに立たなあかん。それが本心の自分なんです。ね、この世的には全部未完成なんです。でも、本心の側から見たら一瞬一瞬完成や。ね、だから、神さまいいようにすると、わかったら、暴力する状態もいじめている状態も神さまいいようにしてるから。具体的に言うと、因縁因果の中でね、いじめられる人はやっぱりいじめの状態を体験するしかない。でも、本心の側の意識でいじめを体験したら喜べるねんけど、自分の都合の意識で体験したら、苦しい。暴力も一緒。ただそれだけや。
だから、まず真祈りするだけ。相手の自由意志縛ってね、暴力ふるったらあかんやないか、とかね、そんな人は、もう村から出て行けとかね、言うてもまず聞かない。まあ、極端な表現で言うとね、この村も護摩の会場も昌代ちゃんの名義のものです。大地主をなんていうんですか?ね、だから、昌代ちゃんが「出て行け。」と言ったら、出て行かざるを得んわけよ。ま、昌代ちゃんの許可がないと、ここでは何もでけへんねん。昌代ちゃんのもんやから。でも聞けへんやろ?それくらい、みんな好き勝手にすんねん。肉体側の自分の意識というのは。 だから、みんなが真(まこと)の本心の自分に自覚して、真祈りするしかない。自分の都合を優先する意識になると、癌になります。何でか言ったら思い通りにならないから、ストレス溜まんねん。わかる?ストレス溜まったら癌なるね。癌の原因ってはっきりしてるの。だから。何でストレス溜まると癌になるか言うと、癌というのは、本来、人間の肉体というのはね。一瞬一瞬新たに入れ替わっていくの。だから、破壊細胞と再生細胞が同時に働いて潰しながら再生してるの。骨もそう。骨も潰しながら、新しい骨を作っているわけ。ところが、ストレスがあると、その再生する細胞がね。ストレスに対抗しようとして、ワーンって頑張るね。頑張ると、作りすぎて癌なるね。癌って異常増殖でしょ?それがそういうことなんです。 で、アルファ型の癌とね、ベータ型の癌ってあって、アルファ型の癌というのは、普通の肉体、正常細胞の周りに癌細胞ができる。ベーター型の癌というのは、癌細胞の周りに普通の細胞ができるね。で、これはそれぞれ、内向的なストレスか外向的なストレスか、その形が出るわけね。それぐらい形にはっきり出るねん。で、ストレス何で感じるかいうたら、自分の都合を優先したい。自分の都合を優先せずに、本心の自分だったら、神さまがいいようしてると分かるから、因縁因果上もいいようにしてると分かるから、「ああ、よかったな。」 だから良寛さんのようにね。「暑い時は暑いがよく、寒い時は寒いが良く、雨が降る時は雨が降るがよく、雪が降る時は雪が降るがよく」って言って喜ぶだけ、無条件に。自分の都合を優先しなかったら、無条件になる。自分の都合を優先したら、条件つくから腹立つ。普通の、何で台風が来るん?みたいな感じよ、何で地震が来るん?必要で起こっていることばかりやねんけど、何で地震が来るん? で、特に地震や台風とか、天候に関するものは、皆さんの真祈りで、どんどん小さくなるだけ。真祈りしなかったら、大きく揺れるから、九州行って、震度7だったら、みんなで笑たるから。(笑い)プレッシャーかけてますけど、それは冗談ですけど。まあそれくらい覚悟を持って真祈りしながら行ってください。どこ行くにしてもね、そういうものなんです。 やっぱりどっかでね、無意識に自分で動いている。自分の都合を優先しているの。みんなね。だから、暴力見ても引っかかる。いじめ見ても引っかかる。でも、全部必要であらわれてて、村で現れるということは、大きく世界に現れるのを小さく現しただけや。でも、そんなうかつに村人に言うとね、今度は私たち、小さく集めているから何してもええやなんて、まだ勘違いする人も出てくるから、今までそういう説明はしなかったんですけども、本当はそういうこと。だから、わざわざ先生は仲が良くならない人ばっかりを集めて、もう先生の深慮遠望は凄いもんや。
で、印可書を自由意志で選んで、奉読出来る人が増えたから、やっとこの説明ができる。前に、こんなんしたらね、ほんなら、私らは何したってええんやって村人勘違いで、しっちゃかめっちゃかになるからな。これでわかる?もうちょっと引っかかる。
質問者bさん 自分に対しては、自分事に対しては向き合って真祈り深める方に、気持ちが切り替わってる。切り替わったんで、プラス最近色んな方法を教わっているんで、それがあれば大丈夫です。ありがとうございます
河上さん だから、他の人が気にすると心配しているんやろう?うん。 質問者bさん そう、僕以外の人。 河上さん うん、そうそう。うん、そうやけど、もうそれな、何ていうの?皆さんの真祈り次第や。で、皆さんの真祈りあるからね。血を流すとこまで行かんかってん。そやけど、血を流すとこまでいってしもうたら、最近は訴える人、訴えるのが好きやからね。警察に言うて、そんで、そういうことを言ったら、もうあっという間や。ネット上でも騒がれるから、もう一瞬で、ここは飛ぶ。護摩の会場も飛ぶ。で、先生はそれを予測して、次の護摩の会場を指定してきてるけど、できるだけここで行きたいから、みんなが真祈り、頑張ってね。印可書奉読ずっと24時間途切れずに、最後は途切れずに24時間印可書奉読できます。 そこまで行ったら、悟りの初めて第一歩です。まだ、第一歩やで。そんでそれができるようになるとね、あとは、もう説明のしようないのあるから。あるからということは、どういうこというたら、肉体の自分の都合で言うと、大変なことばっかりがある。先生のように、もうね、肺が無くなるくらいの病気になったり、熱出したり、呼吸止まったりとかいうのがあるんだけど、先生は神さま一番ええようにしてるからって言って、喜ばれただけや。もう、肺が本当に無くなってね、呼吸できない状態になって、まあ、羽曳野の病院に入院されたわけですけど。先生は「病院には行かない」って言うんだけど、もう周りが心配で、無理やり入院させて、宏君が先生の奥さんのお腹で、8ヶ月位の頃です。だけど、その頃そういう説明を誰にしても分かってもらえないから、「お前は他には言うな。」って言って、僕だけに言っておられたわけですけどね。 それぐらい、神さまはどの状態も1番いいようにされているわけです。で、できるだけ地球上の人類に及ばないように、先生の体で神さまがなんとかされた。でも、今度は全員で支え合ってて真祈りするから、みんなの体に影響出ないうちに、全部を祓い清める。皆さん、自分で本心の自分で祓い清める力が出るから。祓いだけじゃない。祓い、清め。祓って、祓ってということは、要するに塵取りに集めること。それをまとめて燃やしてしまって消すのを清めといいます。だからゴミってそうでしょう?塵取りに集めておいて、焼却炉で焼いたら灰になって消えるじゃない。そういう感じです。 で、先生の場合は、その灰になった灰の形の分だけが、熱とか、色んな症状でありました。だけど、みんなで支え合ってしたら、その灰も消せるの。1人で祈るとああなる。先生の別の表現言うと、冷たいコップにね、お湯を入れると、熱いお湯を入れたら、ひび入るじゃないですか。それを何遍も繰り返している状態が、今の僕の状態やとおっしゃった。で、とうとう最後、コップが粉々に割れて、あっちに逝かれた。で、その粉々に割れるとこを、この人がみどりさんがガーッと縛ってね、割れないようにして、3年延ばしてくださった。
色々、本当に色々ありましたけれども、それでも、最後は限界があって。どういう限界かと言うと、先生の体が無限大に大きくなったの。一番最後。でみどりさんがこの世に残す、残っててもらうって縛っているその光の輪をパッーンと割れてね、行かれた。だから、凄い喜びやったんですけどね。分らない人はみんな悲しんだ。
で、先生がいらっしゃらないから、みんなで先生の代わりに真祈りしなくちゃって思ってくれなかったから、まあ、もうほっとこうって思ってね、ほっとこうと思ったんだけど、一応、先生が奥さんに聞けって言うわけです。 「次の護摩でしゃべっていいか」聞けっていうから、奥さんに聞いたら、「喋ってください」って言うんで、とうとうここまで来た。質問があればどうぞ。はい。
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