令和5年9月河上さん勉強会お話し−1(20230910−1)
質問:ありがとうございます。先月の勉強会でも、お二人が分かりやすく説明して頂いたんですが、「真(まこと)のプラスの言葉」と「虚の世界の両極に分かれたプラスの言葉」の違いなんですけども。どうしてもプラスの言葉だと、無意識の癖で安心してしまうところがあって。でも、説明では、お話の中では、真(まこと)のプラスの言葉以外は、すべて、プラスもマイナスも、マイナスなんだというところのお話がありました。中々、その違い、区別というところが無意識のうちにできなくて。何度も説明を聞くと思うんですけども、今回の説明をお願いします。
河上さん:はい。虚の世界のプラスの言葉というのはね、自分にとって都合の良いことをプラスに言うの。小さい自分にとってね。だから、自分にとって都合が良かったらプラス。だから、家族が健康でありますようにとか。身近な例で言うとね、娘が幸せでありますようにとか、お父さんが病気が治りますようにとかね。年を取ってきたら、親父が病気が治りますようにとか、治って良かったとか、健康で良かったとかね。自分にとっての結果が、都合の良いこと、プラスですけど、それってマイナスだというのが、中々、みんな分からないんですよ。その虚の世界の結果をね、要するに現実を掴むと言うんだけど、それが、どうこうというのが、なんで意味を成、中々、みんな分からへんのね。 それって、もうちょっと分かりやすく言ったら、ゲームで勝った負けたと言ってるだけで、分かります?ゲームで勝ったても負けてもというだけで、ゲームで勝手も負けても、まあ一緒やろ?楽しんだだけで。それだけなんですね。だから虚の世界での、その人にとってのプラスというのは色々あってね。例えば、冬山に登るのがプラスの人がおるわけでしょう?あるいは42キロのマラソンを走る人が楽しくてプラスなんでしょう?あるいは野球でも将棋でもそうだけど、麻雀でもそうだけどね、ポーカーでも。ルールで縛って、その中で勝った負けたをプラスマイナスと言ってるわけ。小さく言ったら、そういう形やし、大きく言ったら、自分の生活での幸せとか幸せでないとか言うのを、プラスマイナスだと言ってるわけね。
でも、自分にとっての幸せは、他の人にとったらマイナスなんですよ、この虚の世界では。例えば、たくさんお給料を頂くということは、儲けたということでしょう?それって他が安月給で働いた人がいるからのおかげで、自分にたくさんのお給料が来てるだけで。それって、先生のお言葉で言えば、ようけ(たくさん)給料を貰うのは借金なんだと。
それの最たるものが、宝くじに当たるのが一番の大きな借金だとおっしゃるわけだけど。だから、虚の世界のプラスって宝くじが当たったら幸せってなるわけですよ。極端で言うと分かりやすいと思う。宝くじが当たったら幸せ。でも本当は、みんなのマイナスのお金を集めて、当たるんでしょう?宝くじって喜んでお金を出さないよね。ギブ&テイクで。当たったら取らぬ宝くじの皮算用やと言ってね。当たったら皆におごってあげるからなとか、色々言うわけだけども。実際はマイナスのお金を貰うから、ものすごく不幸になるんですけどね。宝くじで言うとね。
でも、それは普段のお給料でもそうよ。大して働いてないのに、ようけお給料を貰う人ととね、一杯働くけどもお給料をあんまり貰えない人とあったら、どっちが幸せかと言ったら、先生は、一杯働いてお給料を貰えない人の方が幸せだと言うわけですよ。
だから、お釈迦さまはね、阿難さんに、托鉢に行く時に金持ちの家は行くなと。明日食うお米にも困っているような貧乏人の家に行って、托鉢をしてこいって言うわけですよ。阿難さんは、そんな生活に困ってる人からお金を取ってどうするんですかって。素直だからね、阿難さんは素直に聞けるのね、虚栄心がないからね、聞くわけ。そしたら、お釈迦さまはおっしゃるわけね。今、先生のおっしゃったようなことを。金持ちのお金はマイナスで意味がないんだと。貧者の一灯がね、本当のプラスで値打ちがあるんだとおっしゃるわけですけど。本当にその通りで、この世のプラスなんてのは所詮マイナスなんですよ。
いつも言うように、100個のあんぱんを、100人に神さまは用意してるわけ。だから要するに、今が一番良いようになってるっていう意味ですけども。ちゃんと今が一番良いように、全知全能の神さまが、この虚の世界といえどもしてるわけ。その人にとって一番のことしか神さまは用意してないの。でも、みんな文句を言ってね。あんぱんで言うと、私は5つ食べたいわとか、あるいは明日のあんぱんも確保しとかなくっちゃって、3つ4つって取るわけでしょう?要するにお給料をようけ取るわけや。そしたら、あんぱんを食べられない人が出てくるわけでしょう?100人のうちからね。そういう感じで、自分にとってあんぱんをたくさん取ったというのはプラスです。でも、食べられないマイナスの人が出てくるの。それって借金なんです。
だから、この世は言葉通りになるって言ってね、自分は幸せになるとか言うのは間違いなんですよ。それを先生は口を酸っぱくして色々と説明するんだけど、みんな分からへんの。言葉通りになるという、自分に都合の良いところだけを捉えてね、プラスさえ言っていたら良いんだみたいにやるわけですよ。現実を掴んでな。現実を掴んだ時点で、要するに、今の自分がマイナスだから将来プラスになりますようにって、現実を掴んで言った時点でマイナスを積み重ねていることすら気付かないくらいにね、みんな自分が正しいと思ってるの。この前の護摩の話じゃないけどな。それで何も分からんようになってるわけよ。もう、只々それだけよ。
宮野さん:多分、先程の、その自分に関しての話を多分ね、自分にとっての話を分かりやすく、まあ、分かってるとまでは分からない、なんとなく理解はできるんやと思うんですね。ただ、例えば、人に対しての言葉、「私、病気になってん」とか言う時に、「え!大変やな、大丈夫か?」とか言うね。もしくは、その人にとって、なんか悪いことが転じて、良くなったのって、「ああ、良かったな」っていう、その「良かったな」という言葉はプラスの言葉やないのか。その人にわざわざ嫌なこと、マイナス的な言葉をかけることが、どうなんだろう?それ。プラスの言葉で言ったことやのに、そのプラスの言葉が、あかんのちゃうか?という風なところの、その見極めが難しいのかなという。
河上さん:いやいや、実際はあかんよ。
宮野さん:そりゃ、勿論あかんねんけど、そこが分からないんじゃない?
河上さん:実際はあかんねんけど、因縁因果も何も知らん人にね、「病気になって良かったな」って言ったら叩かれるからね。その慰めの言葉としてね、好転反応とかね、どうこうというのは言ってあげたら良いですよ。この世の、ある程度の常識の線で従ってやらないと、後ろ指を指されるからな。それは適当に合わせてあげたら良いけども。でも、ちゃんと本当のことを知っておいてね、印可書をね、その人に気付かれないように奉読してあげることが、真(まこと)のプラスの言葉を駆使することになるわけですよ。
だから、この世の虚の世界のプラスをどうこうっていじったって、結局はマイナスを重ねているだけというのをね、要するに現実を掴んでどうこう言うのはマイナスを重ねているだけっていうのに早く気付かないとあかんねんけど、みんな現実を掴んでどうこうしましょうってなってるわけ。現実を掴んでどうこうしますってどういう意味かと言ったら、自分の力でどうこうしましょうってやってるわけよ。
真(まこと)の神さまだけってなったら、神さまが一番良いようにしてるだけ、しか出えへんの。真(まこと)の神さまだけになったら、そしたら自分の我も真(まこと)の神さまなんかっていう言葉は出えへんわけよ。もう神さまが一番にしてるだけって喜ぶだけなの。喜んだら現実を掴んでへんから、サラサラと流れて、すべては良いように変わるんやけどね。現実を掴んでいる間は変わらへんの。
現実を掴むということは全知全能の神さまを汚しているでしょう?この世を作ったのは神さまと違うの。みんなの言葉で作ったの。マイナスの虚の言葉で。虚のプラスであろうがマイナスであろうが、虚の言葉で作ったことであって、神さまをお作りになった世界ではないの、この世はね。皆が自分の言葉で、自分のルールで自分を縛って、色んなすがた形になって、いろんな能力になって楽しみに来てるだけよ。映画館に入っている状態よ。そうでしょう?映画館に入ったら、その映画の主人公に、みんながなって見るわけでしょう?楽しいも悲しいも色々あるけど、どれもその状態に、みんなそれぞれ自分の映画を作って楽しんでるだけよ。
なのに、その自分が作った、自分の責任で作った現実を掴んでな、「神さまはこんな不幸なことを(自分には)してる。」とかね、「神さまは私にこんな目に遭わせてる。」とかな、神さまを汚すわけでしょう?それって自分が正しいと思ってるからや。神さまが正しいと思ってへんの。全知全能の神さまを信じ切れたら、自分の力なんかこれっぽっちもないって分かるから、文句は言えへん。
だからいつも言うように、ちょっとでも文句が出たら、「宇宙神ありがとうございます」に投げ込まないと、真祈りの伝授を受けてないんや。先生の中で一番古い大先輩の言うこと一つよう聞かない。自分が正しいと思ってるからや。(僕の言うことを試しに)聞こうともせえへん。
別に聞かんでも良いけどな。それくらいね、みんな自分が正しいから抜けへんの。現実を掴んで。それで現実を掴んで文句を言うわけよ。
でも、その現実は誰が作ったん?あなたや!ということすら気付けへんぐらいな、ゲームの中に没頭してるの。だからほら、映画、怖い映画を見てね、小っちゃい子がそうでしょう?怖い映画を見て、それにもう抜け切れないから、夜寝るのが怖いって言うわけでしょう?「あの映画のオバケが来るから怖くて寝られへん、お母ちゃん寝られへん。」って言ってる状態よ、みんな。もう、その映画を見てることすら忘れてる。
でも、どの運命も、どの自分の運命もね、今やってる仕事も、もう、その男という役割も女という役も、全部ね、自分でこれをやりたいって言って選んで、これを味わうと言って選んで来てるだけや。自分で選んで来て、何を文句を言うか、やねんけども。映画に没頭したら、普通はオカルト映画を見ても、怖かったなあって、楽しみやけど、本当に小っちゃい子みたいにのめり込んだらね、もう夜も眠れないくらい怖くなるはずや。あるいは、昔やったら、石原裕次郎の映画を見たらね、みんな裕次郎の歩き方をして映画館から出てくるくらいな、それになり切るみたいな感じやな。その状態になってることすらみんな気付かない。
それで、尚且つ(なおかつ)、人の助けを求めてね、助けてもらって良かったってなるの。生活保護を受けられて良かったな、なんてのたまうひとが出てくるの。大変やからそれは早く抜け出さないとって教えれる人も一人もいない。先生の教えを50年受けてきた人間ですら。それくらい、みんな現実を掴んで現実から逃げられへん。でも、その現実を作ったのは自分だって気付かないと抜けられへん。まあ、抜けなくても良いんだけど、楽しんだら良いだけなんだけどね。
楽しまれへん。現実をもっと楽しまないとあかん。自分が楽しむために来てるのに。それがプラスとマイナス、現実の虚の世界の。
ちょっと質問して。よく分からない顔してる。
質問:マイナスの事柄とか、自分で文句を言うということは、比較的気付きやすいんですが、例えば、周りの方のプラスの行い、プラスのすがた、まあ現実を掴んでると思うんですけども、それに対して褒めることっていう、そのプラスの言葉…
河上さん:それは褒めておいたら良いけどな、褒めてサラサラと流しておいたら良いの。要するに掴まないというのが大事なの。だから結果に一喜一憂するなって言うやん。例えば、良いことをその人がしはっても、結果的にうまくいかなかっても、褒めておいたら良いということよ。そうだけど、現実の言葉、現実を掴んで、現実のプラスの言葉に振り回されてマイナスになっていくのはね、結果を掴むからや。
あの人は勉強できへんとかな、あの人はサボってるとかな。色々あるやん?結果を掴んでしまったら、もう本当にマイナスを駆使したことになる。本当の駆使になっていくんや。
サラサラと結果を掴まないで、この世的に合わせてね、楽しんでいたら良いの。演劇やからね、映画やからね。落語の世界よ。「なんか面白い奴が集まってワーワー騒いでおります。」やったら良いわけや。そうやのに、落語やったら、「ちゃんと取った出汁を捨ててしまったんか、アホたれが!」って言ったら、それはもう現実を掴んでるの。「あーあ、せっかく出した出汁を流してしまって、もう面白いのばっかりが集まって、ワーワー騒いでおります。」って言ってたら良いの。
そこがな、大事やねんけど、中々、みんなサラサラと流されへんの。だから先生は手振りをつけて、サーサーサーってサラサラサラって言ってるのにな、変な宗教みたいに言うから、それも、凄い言霊やってんで。「宇宙神ありがとうございます、サーサーサー」というのはな。凄い言霊やってんけど、みんな分からへんし、先生を疑うからや。先生が仰るんだから間違いないってやったら、ちゃんとみんなあの時スッと悟れてんけどね。疑ってやな、変な宗教みたいに言うからやな、もうそれやったらって言って終わるの。
先生の苦労が色々あるねんけど、みんな分からへんけどな。分かる?今ので分かった?結果を一切掴まない、サラサラと流したら、この世的に適当に合わせてね、褒めてあげたり慰めてあげても構わないの。でも、「本当に、がんになって大変ね」って掴んで慰めたってあかんの。相手にはね、「がんになって大変ね、きっとなんとかなるよ。」って言っといたら良いの。で、印可書を奉読したあげなあかん。「宇宙神ありがとうございます」の中に全部投げ込んでいかないとあかん。
質問:がんを掴んで、それをプラスに変えようというのが掴んでること?
河上さん:もうマイナスにしてる。神さまはがんを作れへん。人間が勝手に作ったやつやから、神さまに任せたら簡単に治るんや。でも、人間がな、どうしようって掴むんや。風邪ひいた時もそうや、熱が出てきた、どうしようって掴むから余計に悪くなるの。「ああ、これで神さま、ちゃんとしてくれた、良かった。」って言ってたら良いのにな。
だから先生は、熱を出そうが、咳痰が出ようがね、「神さまはラクさせてくれへんな。」って感想は述べられるけども、それで辛いとかは一切おっしゃらない。喜んではっただけや。
質問:現実を掴んでプラスに変えようということが、既に掴んでるマイナス…
質問:そうそう、だから先生のセクハラ騒ぎの時でも、僕はその騒いで先生を疑った現実を掴んで怒ったから、めちゃめちゃ先生に怒られた。「現実を掴むんやったら、当分来るな。」って言ってな。
分かる?だから何があっても印可書に、印可書奉読に戻ったら掴んでても離して貰えるから印可書がラクなの。「宇宙神ありがとうございます」でいくんやったら、掴んだ自分を必死で自由意志で「宇宙神ありがとうございます」の中へ投げ込んでね、気にならなくなるまで「宇宙神ありがとうございます」の中に投げ込まないといけない。ひたすら。「宇宙神ありがとうございます」で祈っても、「あいつ、あんなんしてる。」とかね「あの人がんやって。」思ってしまう間はあかんの。先生から「宇宙神ありがとうございます」って聞いてんやったら、そこまで真剣にやらなあかん。みんな先生を疑っているから真剣にできへんの。「宇宙神ありがとうございます」を祈っても何も変わらへんわってどこかで思ってるから、こんな面白い事になってるんや。はっきり言うけど。
印可書はな、本当に印可書読んでいても大丈夫かなあ?と思っていても、それを吸い込んでくれるように先生がしてくれてるから、僕は印可書をお勧めしてますけども、「宇宙神ありがとうございます」でいけるで。その代わり、本当の真剣さが要る。もうお祈りができなくて、もう先生に迷惑がかかるから、もう…って泣いて先生に謝った、僕のような感じの真剣さが要る。この中で誰がな、必死で先生の言うとおり、お祈りしようとしたけど、できませんって言って泣いて謝った人がおるか。みんな甘すぎるんや。でもそんなん言ったら付いて来られへんから印可書って言ってるやん。
これで大体分かった?もうちょっと?
質問者:いや、かなり…。
河上さん:質問してや。今、大事なところやからな。あなたを責めて言ってるのと違うし。だけど、みんなが思ってる疑問なの。代表して聞いてくれているから、本当に、ちょっと徹底して質問して。
質問:今ので聞いた理解なんですけども、がんを掴んでいる周りの方がいてて、「あ、良くなったら良いのにな」っていう、そのプラスの思いは虚のプラスの思いで、掴んでる思いだから、マイナスだという。
河上さん:そうです。
質問:神さまは一番良いようにしてるんだから、サーサーサーと流していればよい。
河上さん:そう。それでサーサーサーって流されへんやろう?本当は、あの人ががんやって掴んだ思いをね、必死で「宇宙神ありがとうございます」の中に投げ込むの。宇宙神ありがとうございます、宇宙神ありがとうございます…まあ、僕の時は「ありがとうございます」やったけど、本当は「天之造化主尊」やったけど、ありがとうございますの中に投げ込んでね、あの人ががんっていうのを忘れるくらい。絶対健康って思う必要もないの。もう神さまだけって。要するに、神さまだけってなったら良いの。すると病気は治るの。これが病気治しの秘儀やってん。
質問:それが今では、印可書というプラスの言葉で…
河上さん:そうそう。誰でもできる状態に、先生がしてくれはったんや。だから先生やったら病気を治してくれたのにとかね、甘えている時代ではないの、もう。それは、おまけで先生が、みんなの甘えを聞いてくださった時代で。これからはみんなが先生の働きをするんやって言ってるやん。
それで、働きをするためには、印可書が一番ラクで、先生の神さまのお手伝いになるからね、印可書を奉読してねって、ここまで柔らかく言って分からんのやったら、好き勝手したらええんねんけどやな。「宇宙神ありがとうございます」に、ただ本当に投げ込んでいかなんね。「ありがとうございます」の十文字でもそうやねんけどね。
質問:がんの方が今までいてたとしたら、治りますように、というマイナスの思いをしていたけども、今与えられている印可書で、真(まこと)のプラスを…
河上さん:ひたすら奉読するだけ
質問:奉読すれば、神さまが一番良いようになってるんだなっていうことが分かる。
河上さん:そうそう。
質問:縛りが取れたということですね。
河上さん:そうそう。だからね本当はね、この世的なゲームでルールで、要するに自分の言葉で縛って楽しみに来てはるから、がんを楽しみに来てる人もいるの、本当はな。だから絶対に治さなくちゃいけないはないの。
ただ、印可書はね、凄いもので、こっちが奉読するだけで、むこうの心にも印可書が響き渡るんよ。そしたら、その人が、がんを楽しもうと縛ってる、楽しもうのルールを外すから病気が治るの。それを昔は、「天之造化主尊」でね、放り込んで、病気治しをしてたんよ。でも、なんぼ病気を治してもな、喉元過ぎたら熱さを忘れて元に戻っていくからな。もうこんなんしてても意味ないなってことで、おまけは止めはったんや、先生。
で、まずはみんなが印可書できるぐらいまでは、綺麗にしようと。自分が正しいとの思いを消そうと。お前の真祈りが足らんからって怒られてやね、ひたすら本当にしたんや、ひたすら、命を削って。本当に削りに削ってしたんや。だから本当はもうちょっと早く死ぬ予定やねんけど、なんかおかしい状態やけど、そないしてしたんや。それで99%、この前の護摩で言ったように、みんなの「自分が正しい」という思いを消しました。本当に消してるからね。でも残りの1%は自分の自由意志で投げ込んで貰わないと、悟りって言えへんの。それだけや。もう、そこだけや。
だから、この現実を掴んで、病気が治るとか治らへんとか要らんの。いつも言うように、神さまが良いようにしてるだけで、あとはサラサラ流していったら良いねんけど、流されへんから印可書奉読に持っていったら良いというのがラクかなあと。テレビショッピングと違いますけどね、個人の感想であって(笑)。
宮野さん:あの、「投げ込む」っていう、先程のね…
河上さん:「投げ込む」が難しいんやな?
宮野さん:そう。「投げ込む」が難しくって。必死になって、例えば「宇宙神ありがとうございます」の場合、護摩の時も必死になって…
河上さん:淡々と読むだけ。
宮野さん:そう。「淡々と」なんだけど、先程言ったみたいに、がんだったのを忘れるぐらいに必死になる時に、必死になると「我」が入る場合と「淡々と」の、その差が難しいところかなと。
河上さん:うん、だけど、その「我」が入っても良いから、「宇宙神ありがとうございます」に投げ込んでね、そのがんを忘れる状態に持っていかんなんね。それがその、「ありがとうございます」とか「宇宙神ありがとうございます」とか「天之造化主尊」もそうやってんけど、ある意味難しいわけやね。そこまでひたむきに神さまを信じ切るという。それで、印可書は何が凄いかと言ったら、「本当に真(まこと)の神さま、(ちゃんといいように)してくれるんかなあ。」みたいなね、不安があったままで大丈夫やから凄いの。
要するに、小っちゃい子がね、「お母ちゃん、お手伝いするよ、ちょっとキュウリを切らせて大根を切らせて。」って来るわけや。お母さんがお料理しててね、トントンと大根を切ってるキュウリを切ってる時にね、小っちゃい子が来てね、「お母ちゃん、お手伝いさせて。」って来るわけや。そしたら、そんなん、手伝いをさせたら余計時間がかかるし、まともに切られへんのも分かってても、そのお手伝いする気持ちが嬉しいから、お手伝いさせるのね、親というのは。神さまもそういうものなの。
だから、印可書を奉読するというのは、もう本当に拙いね、真祈りにもなっていない状態でも、「お手伝いをしたい!」という気持ちの隙間を通して神さまがパンッ!と(光を通して)してくれるの。
だから、印可書は神さまのお手伝いというところだけは信じ切ってくれて、やって頂かないと。「印可書を読んだらええんやろ?」ではあかんの。それで、奉読って言わせてもらってるわけ。
印可書を読めとは言わへんのね。先生も読めとは言わなかったんは、その「お手伝い」というのが分からないとあかんから。でも、奉読というのは「捧げ奉る」やからお手伝いになっていくんでね。「奉読」という言葉を選びましたけども。それだけやねんな。
で、要するに、現実無視できる、現実を掴まない、現実無視できるのが一番大事やねんけど、現実は、先生の言葉を借りて言うと、遠い遠い過去の結果なの。で、色んな人は、マイナスの、今言ったね、現実を掴んでどうこうっていったマイナス言葉を積み重ねてるから、今使った言葉が現われてこないから、余計現実は変わらないものや、正しいものやって勘違いしていくの。
本当に先生のように真祈りに入ってしまうと、出した言葉はすぐ出るから、なんでも言葉通りに現実も変化するというのが分かるからね、言葉も選びはるし。だから滅多なことで、「あの大バカ者め」っていうことを先生はおっしゃらないけど、まあ何人かには言いはったけどね。それくらい先生は言葉を選びはったの。でも今は印可書があるから、「あのサボったヤツめ」とか「あのアホタレめ」とか言っても、印可書でなんとかなるよというだけです。そこまで小っちゃい子がやれるように先生がしてくださったのね。
それでも、「宇宙神ありがとうございます」を選びたいという人は、そりゃもう、それで良いって。でも、本当に命懸けでやったら良い。「聞いてる」ではあかんの。「私たちは『宇宙神ありがとうございます』って聞いています。」ではあかん。聞いたら実行せえよ。なんで実行せえへんねや。
だけど出来へんねんって。最初にね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せましょうね、真祈りは難しいから、そうして乗せましょうねって言ってね、乗せ切れた人が一人もおらんの。まあ乗せきれないのを分かっていて言ってたんだけどね。それぐらい、その簡単な言葉ほど逆に言うと難しい。一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」を乗せるだけやねんで。でも忘れるやろう?で、忘れた自分をね、責めてもあかんし、なんて言うんかな、責めずに「ああ、しまった」と思ってひたすらしないとあかんのやけど、それすらもできへんの。まあできへんのは承知の上でやっててんけどね。だから印可書だよっていう風に持っていくのに時間をかけてるんやけど。
印可書やったら、ひたすらしょっちゅう読まれへんからね。読める時にひたむきになっていくの。ちょっとトイレに入っている間にとかね。ちょっと、さあ寝ましょうって寝る時に寝ながらとかね。自分の中で絶対に印可書が読めるという時間ってあるわけやから、その時にひたむきになっていくから、その時に、さあ寝ましょうという時に印可書を読むだけで神さまのお手伝いになるってこんなラクなことないの。
でも、それをそこまで詳しい説明をせえへんのは、それはみんなが創意工夫をしてね、自由意志で、創意工夫をしてやって頂きたいから。あんまり、そこまで言ったら自由意志を縛り過ぎになってね、こっちの体が、あと動かんようになるから、言えへんと言って、今言ってるけどな。
もう難儀なものやな。みんなが自由意志で創意工夫をして神さまのお手伝いをしようとしたら良い。
神さまのお手伝いをしなさいって、先生がこの本のポスティングの時に、言いはったわけやね。だれも聞いてへんの。聞いてたらな、「私たちは『宇宙神ありがとうございます』って聞いています。」なんて無責任なことは言えへん。聞いてるぐらい分かってるわい。実行せえよ。実行せえへんやったら何にもなれへん。神書も読まないと何にもなれへん。飾っといてどうすんねんとか思うけどやな。まあまあ、それは良いから、とりあえず印可書を読んだら神さまのお手伝いになるから、しようねって言ってるだけ。で、この世的な… ああ、どうぞどうぞ。
質問:この間の護摩で、護摩の時の話で、知恵の実を食べるっていう。それを聞いてから日常生活を送っていると、100%知恵の実を食べながら生きてるということに気付いて…
河上さん:そりゃ、みんなやってるよ。それを現実を掴むっていうの。
質問:だから、何かをする前に、自分が、そのどうしても過去の経験が浮かぶので、印可書で消して…
河上さん:そうそう。せめて、「神さま!」って呼んでからする。そうそう。
質問:で、そしたら、神さまの知恵で、考えてやるんじゃなくて…
河上さん:すっと動く。
質問:そういうことだったんですね。
河上さん:そうです。そうそう。
質問:それが分かったというか。
河上さん:あの映画の「ランボー」の話で良く分かるやろ?現実を掴んで、結果を掴んでするんやったら、みんなも怪我したらな、あのマッチの頭の薬を削ってな、(傷口の上に)並べて火をつけないと(笑)
質問:それが、最初に聞いた時は、どうやって…?だって絶対考えてからやるんで、どうしたら、それで印可書を…
河上さん:そうそう。だから、みんな「自分が正しい」があるからね、正常な意識を保ってるしね、自殺をしないで済んでるから、凄い微妙なバランスやねんで。だけど、その「自分が正しい」と思った分だけ、神さまの光を受け損なってるの。要するに「自分が」というのは「神さまとは違うもの」と分けてるからよ。で、真(まこと)の本心の自分になったら良いだけやな。で、そこを印可書を通してなれるよというだけでね。それで普段も、自分でどうこうって思ってもね、まず「神さま!」って思ってからする癖を付けていくとね。
質問:印可書までじゃなくても、その時に一瞬、「神さま!」って…
河上さん:そうそう。だから、印可書がない時代はね、「お祈りをしてからせえ!」って、(みんなに言ってん、それで)僕は、うるさい言って嫌われてんけどな。みんな、その「お祈りをしてからせえ」の「お祈り」が分からへんから。
それは、やっぱり自分の判断で自分が正しいと思っているから。そしたら、先生の話を聞いても分からんしな。そりゃ、自分の正しい範囲以外のことは受け取られへんもん。そしたら永遠に「因縁因果の輪」や言うねんけど、堂々巡りするわけよ。自分の正しい常識の範囲以外は一切受け取れへんから。でも大概の人は「常識に従って」とかね、「過去の経験に基づいて」ってやるわけよ。それで、この因縁因果の世界へ流転するの。
で、この世界で流転してたら良いねんけど、最後は地獄で流転するの。それで、血の池地獄とかね、八寒地獄とかね、八熱地獄とか恐ろしいところへ連れて行ってもな、自分の判断の中で逃げ回るの。中々、みんな頑固やねんで。あの針山を登る苦しみの中でも自分の判断から離れへんねんな。もう散々やって疲れ果てさせて、初めてな、自分では無理って分かって地獄から出てくるねんけどね。それを追い回す鬼さんの役目は大変やねんから(笑)痛いの分かっててさせなんからね。
でも、痛いでないと気付けへんの、みんな。幸せやったらな、今で良いって思うの。でもそれは違うのっていうのがな。要するに現実のプラスがプラスでないねんっていうのが、中々、みんな。「今、幸せやからええやん。」て言うわけよ。「今、家族が健康やからええやん。」って言うの。いや違うねんっていうのがな。今、家族が健康ということは、将来、大変なるよということなの。この世はプラスとマイナスがね、糾える縄のように交互に来るわけ、誰でも。
で、お釈迦さまはせめてちょっとでもと思って「中庸(ちゅうよう)が良い」と(おっしゃった)。幸せ過ぎてもあかんし、不幸すぎてもあかんし、中庸で喜んどけって言うわけ。今が一番良いようになってるというのを、あの時はもうちょっと柔らかい言葉で言ったわけやけど。
今が一番良いようになってるのだから喜べ喜べって、お釈迦さんもちょっと言うねんけどな、中庸という言葉で。分からへんの。「大金持ちになりたい」ってみんなやるわけよ。「良い車に乗りたい」とか「良いお洋服を着たい」とか。それで、次、大変にな目に会っていくねんけどね。
でも、所詮は虚の世界のプラスマイナスなの。それを乗り越えるのは、「自分が正しい」という「自分」を捨てなあかんねんけど。それが、みんなできへんから、自分というのを「我」というねんけどね、自分というのを消せないから印可書奉読で。で、普段は「神さま!」って呼ぶ癖を付けたら良い。そしたら分かってくるわ。だけど実際ね、車の運転でもそうやけど、いちいち過去の経験に基づいて運転してたら事故起こすで。一瞬の判断でやってるやん。ああいう感じになっていかないと。
だから野球でもそうやけど、ホームランバッターっていうのは、もう、いちいち、練習に練習を重ねた結果、「自分がバットを振る」を超えるねんな。そしたら、ホームランが出るの。だけど、過去の経験に基づいて理屈で言ってる間は、「ストライクが来たら、振ろう」ってやってるわけよ。「ストライクが来たら振ろう」と言ってるうちは当たらへんの。自分が振ろうとしてるから。
それは剣道でも、なんでもそうやんねんけど、自分がどうこうと思ってるうちは達人になれへんの。達人になると、その自分が消えてるねんけど、それだけではあかんわけよ。「神さまだけ!」ってなるまで行かないとあかんのやけど、殆どの人は、イチロー選手でもそうやけどね、名人・達人の段階で止まるの。神さまと繋がれへん。で、先生は印可書を作ってくださったわけ。この世的に、名人・達人にならんでも、印可書を読んだら、真(まこと)の本心の自分を自覚できるよって。 2 令和5年9月10日河上さん勉強会−2(20230910−2)
質問:テレビで指の生まれつき指のない男の子が、施設に預けられたんですけど音楽を聞いてるうちにピアノを弾きたくなって、ある日弾いてみようと思って触った事もないのに指もないのに全部弾けたっていうのを、やっててそれはそういう、だから教わらなくてもできたりするのですか?
河上さん:ああそうそう。だからその人はそういう自分にルール作ってね、指が動かないとか、いろんな縛った状態でそういう事ができるように楽しむためにこの世に来はった訳や。で、またそういうのを見て他の人が感動するでしょう?「人間の能力は無限やな」って、その為やね。
マラソンの選手でもそうでしょう ?なんであんな40何kmもひたすら走るんと思うけどやね、近道したら終いやん(笑)。そうやろ。それをルールにのっとってその40何キロのコースを坂ありね、もう必死で走るわけでしょう? あれも自分で色々な状態を限定作って、ルール作ってね、その中でどんだけ神さまの命を発揮できるか、楽しんでいるだけよ。 走るのが苦手な人から見たら苦痛やけどな 、走るの楽しんだ人にとったら楽しみや。 それは冬山登山でも何でもそうやん。 ラグビーでもサッカーでもね。 サッカーなんか手を使ったらあかんわけでしょう?あんなん手使ったらしまいや。で、その手を使わないという縛った中で、どんだけ、できるかをお互い楽しむわけでしょう?
だから本当にみんな自分で作って、自分の運命も作って自分で楽しみに来ているだけやね。 それに気づいたら楽しみに来ているだけやから、結果どうこうて気になれへんね。気になれへんようになったら、苦しみと違って楽しみやね。で、マラソンでも本当にオリンピックで優勝できる人は限られているわけやんか。そしたら普通はそんなもん自分なんか絶対無理やっていう人でも、ボストンマラソンなんか走るわけでしょう?それは楽しみやからや。結果掴めへんから、ボストンマラソン出場できるんや。結果を掴んでいる人やったら 、優勝ね、せめて3着までに入らないんやったら出られへんってなっていくけどな。 オリンピックでもみんな出るわけでしょう? 結果掴まないからや。掴んでいるようやけど、掴んでへんからや。
で、又ね、そのように頑張ったな、凄いなってみんな褒めてくれるわけでしょ?金メダル取れへんかったからあかんとは言えへんやん。今ちょっとややこしい風潮はあるけどな、だけどなそういうもんや。みんな楽しみに来ているね。 結果は関係ないね。
だから空海さんはね 高野山でもね、ほとんどのところは 未完成で残しはった。それは結果を掴まさないっていうのと、もう一つは一瞬一瞬新たに変化していくっていうのを、示しはったわけやね。わざとどっかを未完成に置いてあるわけやけどね。東寺もだけど。京都の東寺もどこか未完成で置かれているのは、その一瞬一瞬新たを教えたかった。その一瞬一瞬新たが分らなあかんのだけれども、一瞬一瞬新たは印可書を読まないと分かれへんね。自分がどうこうしようと思っているうちは、一瞬一瞬新た違うね。自分がどうこうしようとしているのは結果を掴んでいるからや。今の結果も過去の結果もね。で、その辺が理屈で言ってそうかなーじゃなくて、もう実感として、湧くまで行かなあかんからね。
「宇宙神ありがとうございます」はそこまでたどり着くのに大変なわけよ。本当にその人が神さまに対して 絶対の信があって真剣でないとあかんね。私たちは「宇宙神ありがとうございます」で聞きました、では困るね。でも大概の人は真剣さがないからな、いや、ないのが普通やねんで、責めて言うてるのと違うで。
だからそこに投げ込まれへんねんな。で、真剣さがなくてもちゃんとお手伝いになっているって信じてくれたら印可書奉読は、神さまがちゃんと連れて行くよっていう最後の大おまけ、若しくは護摩木を書いてくれたら連れて行くよっていうね、護摩に参加してくれたら連れて行くよっていう、もう最後の先生の大おまけよ。病気直しの大おまけをしても仕方がないっていう事でね、
先生がこのシステムで行くという事で、事細かい事を指示していかれた。そんでそんなん言われても「 僕の言う事なんて誰も聞きませんで」って言ったら、先生がニッと笑って、神さまはちゃんとするやろって言って、「ああ、はいはい」。文句言ったらあかんな、でここまで来てます。
質問者: ありがとうございます。
河上さん:どうぞ。
質問:先ほど人類の言葉で、この社会ができているという事ですが、本当に正確に言うと自分の見ている世界がという。
河上さん: そうそう。うん。だから自分の見ている世界しかないね。ただあっちの世界、死んだらね、本当に自分の見ている世界しか出ないから、余計に堂々巡りするね。で、この肉体があるこの世界だけが、自分の見ている世界、あなたの見ている世界、あなたの見ている世界が重なるの。だからちょっと他人の世界を垣間見る事ができるわけ。それが救いやね。
だから先生は先生の描いている理想世界を皆さんの心の中に重ねてくれはったわけよ。だから先生を慕ってくるんやけどね。で、理想世界を重ねるという事は光を重ねるからお清めができたの。お清めの原理やねんけどね。病気直しの原理でもあるねんけれども。そういうのができるのがこの現世の大おまけや。
だからお釈迦様は肉身得難しと言うねんけどね。肉身得難し言うて、こんな大事な世界に大おまけの時に生まれているのに粗末にしたらあかんて 言ってお釈迦様は言うんだけれども、みんな文句を言って、私はこんな不幸でこんなダメで言って、みんなお釈迦様に文句を言いいにくるわけよ。それをそんなもん言うててもあかんのじゃ言うてもあかんから、合わして合わしてね、いろんな方便を使ってくださったわけ。
だからみんな自分の世界しか見ていない、本当はね。でも先生の良いプラスの世界を見せてもらっているからね印可書を読もうかなっていう気になる。もう先生が自分の体に全部ふりわけて、自分の体で全部消してしてくださったんや。ちょっとぐらいお前もこの後ぐらいはせいとか言われて、一杯ありましたけれども。
質問:まあ見ている世界はそういう事だと思うんですけれども、例えば自然そのものは神さまが作られたわけですね?
河上さん:そうです。だから 自然、動物もみんな神さまがちゃんと作られてね、ちゃんとしてあるの。でも人間の側の思いをつけて人間側の思いから見てね 色々なマイナスをのせるのね、
だからせっかく神さまが チャンとした絵を書いているのに、それに落書きをするわけよ、思いで。それでどんな落書きをするかといえば、例えばね、人間の思いで見たら、自分が正しいっていう思いで見たら、弱肉強食の世界でしょ? 動物は。でも本当は捧げ合いの世界やね。だから上の方の虎さんとか、大鷹とかね、駆除してしまうとねずみさんがいっぱい増えるとかね、鹿さんがいっぱい増えるとかオオカミ駆除したから鹿さん一杯増えるとかね、いうて弊害が出るでしょう?ちゃんとしたバランスが勝手に崩れるわけよ。人間の勝手な思いで。
それは今、石油掘ってね、勝手に使うんでしょ?人間が。それ地球霊様の体や。それを勝手に使うから、だんだん崩れて凄い状態になっているね。ちゃんと木を植えて炭にして燃料として使っていたらええねんけど、人間が増えすぎてるのもあるし、贅沢しすぎているのもあるし、もうぐちゃぐちゃやねんて。それの集約した形が戦争として出てくるけどね。でももうそれももう追いつかなくて、でも護摩でだいぶ消しているねんけれども、いよいよ切羽詰まってきて、また今地震があったでしょう、外国でね。いう感じであれがが止まらずにどんどん来たらちょっと大変やね。
土曜日のそうですね、朝9時半頃がもの凄く大変でね、もう日本が揺れそうで大変やってんけど、どうなるかと思ったぐらい、もう何とか消しましたけれども。いつまで先生がそのおまけをしていいっておっしゃるかは、僕には分らないからね。おまけがあるうちにみんな印可書を奉読してください。本当にお願いします。
消せる限りは消すし、止めれる限りは止めるけど、先生がもうええ言ったら終わり。 僕の意志ではどうしようもないです。そういうぐらい切羽詰まっています。
人間が何でも食い尽くすやろ?木も山もお魚も何もかも 食い尽くして。みんなで分け合ってね、捧げ合ってやってたらこんな食いつぶしは無くていいのにな。そのようになっている事を、自分はみんな関係ないって思っているやん。そんな事はないで。この日本で極楽のような生活を送っているのは食い尽くしてるで。
栓ひねったら水出るねんもん。その動力から何からどこからとってんねん? 地球霊王様の体から取っている。本当は水を汲みに行くか、山の水を引いてくるかとかせんならんのに。ポツンと一軒家見たらわかるやろ、水の大変さ。「 田舎暮らしはな、大変なんじゃ」と言って、お婆さんが凄い山登って水場を整備しに行くやん。あの水場でも枯れるんよ。枯れるからまた湧いたところに行って、そう引いて来るとか、もう大変やねんな。だけど皆そんなせんですむわけや。
勝手に命の大元である 琵琶湖の水を飲んでいるね、みんな。 関西の人はな。関東の人は、霞ケ浦 の上の何とか湖の水を飲んでいる。どっちも大きな湖は全部、命の素やねんけどね。それも必要なだけ使ったらいいんでしょ?でもみんな贅沢に使うやん。
先生はお風呂に入る時ね、洗面器いっぱいのお湯しか使われへん。だから先生の服すぐこの首のところ 垢だらけになって 奥さんがよく困ってはった。それぐらい 洗うのでも石鹸でも水でも始末してね(大事にしてね)、石鹸っていうより、水を始末して入られたからね。でもあんまりそんなん言うと、また色々あるから言わんまま来ていますけど。みんな先生の真似をしようとして体調を崩すからな。体調を崩したら意味ないから。
先生が3週間断食をされて1週間食べはってっていうのを続けてはったんやね。それはようせんから3日断食して1日だけ食べてってやってて、栄養失調なって倒れかけたから、先生は断食やめられて、食べるようになりはった。僕のように自分の側の勝手な思いで真似をしたらあかん。
でも本当はみんな今食べている3食をね、1食にするだけで十分やね。本当はな。でも3食を食べなあかんて勝手に自分で縛って無駄なものを食べてるね。これ忘れてや、極端な表現で言っているからね。だけど本当はそないしたら人類全体に食べ物が行き渡るからね、戦争も起これへんね。だけど、今そんなん言ってもね、無理やから、先ず印可書奉読してください。印可書奉読をしたら神さまのお手伝いになるから。そしたら大きく変わります。
質問: 少し話は変わるんですけれども、先月の勉強会で祭壇はいらないと話がありまして凄く心に来たんですけど、もう少し詳しくお話しして頂けませんか?
河上さん:祭壇を作ると、まあ形式ができるやん。形式出来ると自分のところが一番って思いたがるね。で、本当は「宇宙神ありがとうございます」を出した時はね、先生はこれを作る予定と違ってん。だけど何もないとみんな不安がるから、これをしてん。でも護摩の会場の額は何れ燃やしたいと思っています。あそこにこの「宇宙神ありがとうございます」の額を置くと舞台が祭壇になってね、これが一番って言い出して全部が崩れるから、何れ勝手に燃やします。勝手に撤去して燃やします。はい。みんなの総意でって言ったらまた揉めるから、もう僕の責任で燃やします。護摩の会場のは、いずれ。それぐらいね、その自分のところが一番って言った時点で偽物になるの。要するに自分の所って言ったら神さま以外のもの作っているでしょう?真の神さまだけやから一番もクソもないね。でも教えを立て、組織を立てたらこの教えが一番、この組織が一番ってなるね。もうなった途端に全部崩れるね。
それは一番最初は「ありがとうおじさん」って勝手にみんなが名前付けてん。先生は「つけたらあかんあかん」て言うねんけれども、みんなつけるから、押し切られてやってて、ぐちゃぐちゃになったんや。名前でもね。
だからもう先生って呼ぶのは松下先生お一人で十分っていうて、先生を作ったらこの先生が一番って言い出すね。そしたらもうあかんね。真の神さまだけあって誰もないね。「みんな真の神さま、みんな光」やって言っているのに。「光分けられへん」って言ってるのに、まだ分けようとするか、みたいな感じやねんけどな。それは結局自分が正しいってね、自分の経験に基づいて判断する癖があるから、自分のところが一番って言いたなるね。
質問: まあ私の部屋の床の間と言うんですか、いつのまにか祭壇風にまつっているんですけど・・
河上さん:いやいや自分がね、自分の好みでするのは構わへんね。でもそれをね、これが標準形式であるとかね、これええやろって人に見せたらあかん。だからホームセンターで売っている神棚を買ってきてな、自分がそれを気にいってたら祀っても構わないけれども、それを人に見せたらあかん。あるいは見せても、「これが一番や」って言ったらあかん。それだけよ。
だから五井先生は「神」っていう字を書いてしはっただけやけれども、本当は五井先生もあれは作りたくなかってんけれども、みんなが不安がるから作っただけや。真の神さまだけっていうのは空気・光・水でしょ?無色透明やから作りようがないんやて。 作りようのないものを作るからややこしいね。 でもな、どうしても「自分のところ一番」って言いたいね、みんな。言いたいからほら「日本が一番」とか「アメリカが一番」とか「ロシアが一番」とか言いたいから戦争になって行くんやんか。みんな、動物、マウンテング(自分の方が相手より上と示そうとする行為)するんやな、上に立ちたがる。
質問: 家の祭壇をですね、全て無くすと凄く自由だなと感じたんですね 。
河上さん: うん。ほんなら無くしたらええやん。
質問:無くして良いですね。まあアドバイスが頂ければ。自分の思う通りやったらいいですか?
河上さん:適当に叩き壊してゴミ箱に捨ててもいいし、それが いややったら 護摩のところに持ってきて最後に燃やしたらいいやん。
質問:はい、分かりました。ありがとうございます。もう1点ですけれども、昔、先生が例えば給料なんか貰ったたら、一度神棚に、供えて…
河上さん:そうそうそう。
質問:お礼して神さまから頂くと。
河上さん:そうそう。だから形をした方が神さまから頂いたって言う気持ちになる人は形をとったらいいし、そんな一々とらんでもな、会社の社長から貰ったと違って神さまから頂いたって、すって思ったらええだけやね。 でもその辺が微妙に思えんかったら 印可書奉読したらええだけや。いう感じやねんけど。
質問:だから神さまが無限大の外、はるか彼方と
河上さん:そうそう。
質問:思えたら、そう思えたら、何所の場に居っても、その場でありがとうございますと?
河上さん:だから印可書は凄いやろ?あの冒頭がすごかってん。だから逆に言うとね、自分が正しいと思いこんでいる人は印可書を選ばれへんね。だって「絶対の中心、無限大の外遥か彼方」って自分を退きひらくやん。自分が消えるから不安でしようがない。で、その人らのために「 宇宙神ありがとうございます」をね、先生は残してくださった。で、どうしても,今生で選びきれない人のためにね、最初の強い光の印可書はね、わざとね、みんなの目の前で燃やしてしまいはった。でないと印可書を選び取れない人が行き場を失うからね。先生は「全員連れて来い」っていう指示やから、全員が連れて来れるようにしています。そんで 「宇宙神ありがとうございます」を選んだ人がどうしても投げ込み切れんかっても、必死で投げ込もうとしてくれていたら、引っかけて来れるけどもね。私ら「宇宙神ありがとうございます」って聞いています、だけでやろうともしない人は引っかけようがないから、もうそれは仕方がない。 本人の自由意思やね、やっぱり。神さまの方に向いているか、向いていないかっていう事や。
まず神さまに向かなあかんね。で、恥ずかしがらずに呼ばなあかん。でもその呼ぶ神さまが小さいからややこしかった。でも印可書やったら無限大の真の神さまとしてね。「 宇宙神ありがとうございます」を選ぶ人は「宇宙神 ありがとうございます」は真の神さまそのもので信じ切ってくれなあかん。「 宇宙神ありがとうございます」で大丈夫やろうか?とかねやっぱりどこかでみんな否定するからややこしい。
だから「宇宙神ありがとうございます」って言いながらね、殺人を犯してもええんか?とかね。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せましょうねってやった時にね、次の護摩で質問が来たわけよ。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せたら真祈りしているんだから 呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せながら殺人をしてもええんか?強盗してもええんか?っていう質問が来たんだけど、そんなん論外や。もう根本から先生の事を信じていないし、聞いてへん。
そんな理屈を言っている暇はない。まあ理屈言うてる人は好きにさせるけどね。「全て真の神さま」って先生 言ってるやん。「みんな光」やて言ってるやん。それをよけといて、自分は正しいって判断するからそんなおもろい質問が来るね。自分の我も真の神さまか?とかな、おもろい事言うのは自分が正しいから抜けきられへんね。「全て真の神さま」って言ったら「自分が正しいはない」んや。自分が無いねんから。
だから印可書はね、自分が信じきれんかっても冒頭で自分を無限大に広げていくからね、大丈夫よって言っているね。印可書の凄さやね。あれを最初みた時に震えた。こういう風にするんかみたいな。先生が命に代えて作ってくださった印可書や。本当に命と引き換えにあの冒頭を作ってくださった。でも自分が正しいと思っている人はもう拒否して拒否して拒否した。責めて言っていると違うで。
だから選べない人はどうぞ 「宇宙神ありがとうございます」に縋ってください。「 宇宙神ありがとうございます」が「ありがとうございます」が 光そのもの、真の神さまそのものって信じきってね、縋ってください。単なる言葉やと思ったら何の意味もないです。
だけどそんなもん印可書もそうやろ。単なる言葉やいうたら何の意味もない 読むだけで、分らなくても読むだけでお手伝いになっているところだけは信じてください。そこだけは要ります。
それでも印可書が真の神さまそのものと思うよりは楽やろ?お手伝いなるって思う方がな。それぐらい印可書はおまけが多い。「みんな真の神さまを思え」って言うたってな、思われへんねんて。みんなの思う神さまは小さいね。
で、今までは「真の神さまを思え」っていうのは不可能やったから、いろんな宗教の形にして色んな色合いに付けた光にして神さまは降ろして下さったわけや。それぞれの何々の大神とかね、色々な神さまの名前がついた宗教があるわけ。あるのに自分ところが一番って言い出してな、喧嘩になっているわけでしょ?神さまが絶対の愛なのになんで神さま同士で喧嘩になるねんっていうのは、「自分が正しい。自分のところが 」って言って それぞれの教えを汚していっているだけやねんけど、汚している事すら気づかないぐらいね、自分が正しいと思ったら何も見えへんね。でも自分が正しくないと思うと自殺するからな、正しいと思っていていいから 印可書奉読してたら神さまのお手伝いになるよ、っていうのが一番楽やと思うね。
もう終わりが近いから(河上さんの寿命)本当に最後のところを説明してます。後3年あと4年,3年で終わるからな それまでに みんなしっかりと悟ってな。
宮野さん:「悟ってな」っていうのと8月8日と、悟っているとの関連性を・・
河上さん:いやもう既に悟っているから自覚してほしいだけよ。 ただ 8月8日過ぎたから、なんて言うの、まあ練習やね。真祈りの練習に、本当に真祈りの練習に入った。要するに神さまのお手伝いしてっていう練習に入ったわけやね。それだけに逆に言うとつまらない思いを入れていたらどんどん病気になるよっていう、つまらない現実を掴んでね、マイナス思ったらおまけが無くなったから、どんどん病気になるけど、それはそれでその形で使って頂けたっていう事を分かって欲しいという。病気になって、ああこういう風に使って頂いてよかったなあや。「なんで病気になった?」と 思わないでね、という事で8月8日以降はそうなったんでね。
ただ肉体に現れてくるのは3ヶ月とか半年とかな、せやろ?悪いものを食べていても影響が出てくるのはズレるやん。 それはある意味救いやから。うっかり現実を掴んでマイナスを作ったんを忘れて印可書に戻っておいたら大丈夫やけど、ずっと楽しく現実を掴んで遊んでいたらそれなりの状態に体がなります。これからは。
なっても修理をしないからね。言うてこんかったらおまけをせん事もないけど、言うてきたら知らんからなって言って、言うて脅かしてな、真剣になってもらおうと思って。
まあそれぐらい その8月8日を過ぎて地獄とこの世がピタッと一つになってきたんでね。 色んな意味で、逆に言うたら病気も治りやすくなったっていう事です。逆に言うたらややこしい病気も出やすい。どっちも両方向に出ます。だから印可書奉読をひたすら、自分が奉読したら縁者に全部響くからね。親類縁者兄弟友達に響いていくから、皆さん印可書奉読は責任重大です。
深夜勉強会をやめたのはそれくらい体力的にググって落ち込んできてん。色んな意味で大変やねんけどね。だけど約束やから、あと4年間は持たせますけれども。もうかっくん行けるかな? はい 。
質問:なぜ4年なんですか?
河上さん:先生がそれでええって言ってるから。僕の都合はない。まあ先生がいて、神さまの都合やな。神さまの都合、神さまが良いって言ったら、ただそれだけ。
質問: 護摩焚きの成功が続いていけば結果次第でどんどん状況も変わっていく?
河上さん:勿論、そらそうよ。だけど今の状態では。だって誰も護摩の会場の額を下ろそうなんて言い出せへんもん。 誰か何時か言ってくれるかなって思っていたけど、もう勝手に自分でやります。ここはね、まあちょっとお祈り来るときでも何か無いと不安やから残しておきますけどね。でもこの形が一番とかいらない事を言わないようにね。ちょっとした墓石のようなものやね。
モニュメントやね。で、こんなん言うとな、理屈言いはな、そしたら印可書ここに書いたらええやん、とかな言い出すからな、そういう問題ではないね。本来は一切の形はいらんね。 組織も立てない、教えも立てない、そういう事は一切の形を立てないや。だから護摩の時に ほら貝を吹かへんしな、白い衣装を着てこうしないしなっていう。ほら貝吹いたらかっこええでやっぱり、始まる時。そのために大きいホラ貝も用意をしてんけどな。「吹いたらあかん、ほら吹くな」って言って怒られた。(笑)
まずその「教えを立てない組織を立てない」という意味をね、実感として分って下さい。 みんな光やから「みんな祈っている悟っている救われている」やね。 「みんな既に悟っている救われている祈っているや」、もうそれだけ。「みんなみんな神のみ光み力み命や」。分けようがないねんていう。そこが実感として分かったらもう何の怖いものも、不安もない。怖いでなくて 不安が無いねんな。死ぬとか生きるとかもうない。すると、このもう尽きた寿命をどう延ばすかも分るから無理に伸ばしてるけど、もう、ちょっと、あんまり文句は言わんけど。死ぬ時って体が硬直するやん。 それ毎晩硬直する訳。毎朝伸ばさなあかんね。結構大変やねんで。
大体死ぬ時ってな、先言うといてあげるわ。本当に体ぶわーって(熱く)なってね。次にバーッて冷たくなるね。それで無色透明になっていくね、思いが無かったらな。思いがあったらその思いの世界が見えてくるね。で、見えた世界に自分が行くの。それがどんなに掴んでいるかによったら地獄やったり、決まった世界に連れて行かれるじゃなくて、自分がそこへしか、そこが良いと思って行くんよ。
護摩の時に話したように 神さまの世界は光そのものやから、掴みようがないの。そしたら自分が光やったら掴みようがあろうがないとか関係ない。だから大丈夫やけれども、地面ないと不安な人は、ふっと見ても地面なかったらな、地面のあるところまで降りるわけよ。 地面のあるところはあちらの世界で言うと地獄なんよ。もうちょっと気持ちが薄い人はって順番に上がっていくだけ。それでもみんなが思っている天国っていうのは、まだしょせん形があるわけよ。 極楽って言うでしょ?まだ形があるのは偽物よ。 無色透明の輝きだけになるね。はい。
質問:死にそうになった時は印可書を奉納?
河上さん:印可書を必死で奉読したら無色透明になって大丈夫。だからな、本当に自分の心に沁み付くぐらい印可書を奉読しとかんとな、うろ覚えやったら死にそうになったら、思い出されへん。で、その時慌てても、もう目も開けられへんから読まれへんからな、それを言ってねんけどな。
だから、音楽ってあるでしょう?音楽っていうのはまあ真の神さまに近づいていく響きそのものやね。 音って見えないじゃないですか? みんなが感じる音楽っていうのは丁度肉体が踊る感じの響きやね。でも本当の音楽は数式そのものやね。で、数式というのは本当は光そのものやね。一番奥の奥のっていう感じやね。だけ、を言うとくわ。分る分らへんは別にして、一応説明しておかんとな。 やねんけど、その数式ですらね、一々に考えなくても閃いて分るというものばかりなわけよ。 音楽ってそうでしょう?いちいち考えなくても響いてきて感じるじゃない?ああいう感じで音楽の真髄というか、本当の部分は数式で感じれるね。それは見事に美しいものよ。
それはみんなが思っている極楽世界があってね、このきらびやかな、どうこうっていうそんなものじゃない。本当の重層構造に重なった、先生のおっしゃっる無限の無限の輝きが無限に無限に一杯で美しいねんで。
本当はね、その世界にいつも自分が立っているのよ。皆さんもね。それが自覚できたらこの肉体がペットのような存在である事がわかるわ。自分のペットよ、可愛い。するとね、ペットにちょっとこういう何て言うの?猿回しがね、お猿さんに芸を教えるじゃない。 そんで 色々な事をさせるやん、そういう感じやね、皆さんの肉体というのは。
それでその優秀なお猿さんを持ちたい人は優秀なおさるさんを持ってきて色々な事をするしな、ちょっとどんぐさい子で行きたいなっていう人はどんぐさい子でいって。ただそれだけ。たったそれだけやね。その動き難いものを動かして楽しむか、自在に動かして楽しむかだけでね。
でもゲームでもあんまり簡単やったら面白くないや。だからこの世で IQ 200以上でね、天才で何でもこなす人という人はある意味面白くないわけよ。そんなん別に真の世界行ったらもっと凄いねんから。だから余計に凄い人ほどね、わざとどんくさくして降りてくるね。
それ分かってな。そしたら本当に楽しんでいるのわかるし、で、そのペットの方が印可書を奉読してくれたら、もろに真の本心の自分が使いやすいねんな。で、本当に自在になっていくね。
本当は真(まこと)の本心の自分が(肉体という)ペットを作ってやってんねんけれども、ペットの方が勝手に自分が正しいってやっているからな、勝手に動き出したわけよ。で、ややこしいね、今。でも印可書を奉読してくれたら真の本心を自分が(ペットの肉体の自分を)自在に動かせるから一気に治まるね。だから肉体が少々ね、つらい状態になっても文句言ったらあかんね。
だからね、走る事で真(まこと)の本心と自分が繋がっている人はマラソンが苦痛じゃなくて楽しみなわけよ。 雪山登山で登山の部分で真(まこと)の本心の自分とつながっている人は 雪山登山が楽しいてしゃないね。 みんなそれぞれ他の人から見たら何やねんと言うのを楽しいやろ。 それは本当は仕事も楽しんでるはずやね。うるさい、小うるさい上司で、給料ようけ貰えんでこき使われているの楽しんでいるはずや、本当はね、でも文句を言うからいよいよ分らんようになってくるし。大事なところやで、今。
令和5年9月河上さん勉強会お話しー3(20230910−3)
質問:この事とずれるんですけど、この間からも噂話がダメっていうので。そう聞くと、なんか常に噂話しかしてないなと思って。
河上さん:そうよ。だからその噂話には乗ってあげたらええけどね、「印可書」奉読して消していったらええ。
質問:自分もしてて楽しいなって。(笑)
河上さん:楽しまな乗られへん。せやろ?噂話してる時にね、1人しらけててみ、 「なんやこの人!?」とかって怒られるで。だから楽しんであげたらええねんで、キャッチボールをな。だけど、「印可書」奉読して消していくね。
質問:してもいいけど、楽しんでさらさら流して、「印可書」で。
河上さん:そうそう。 映画でもな、あれ作りものって分ってるけど、楽しめるでしょ?そういう感じよ 。ほんまに作りもんって思い込んでしもたら、この前説明したけど、オカルト映画見たっておもろないで。 「あー、ここでびっくりさせるためにあれがびゅっと出てきよるねんな」とかね。「お、天井走っとるやん。どないして撮影したんかな」って思ったら面白くないやん。でも、「いやー」ってこう、みな楽しむやん。そういう感じで楽しんだらええね。 でもすぐに真(まこと)の(本心の)自分に戻さなあかんから、「印可書」奉読したら戻れてるわけ。
「印可書」奉読してる時は真(ま事)の本心の自分と繋がるの。その繋がり方が、奉読が深まればね、余計深くなるしっていうだけやね。 でも、1回でも奉読して頂くと、繋がるんでね。で、それは護摩も一緒やから、騙してでも1回は護摩に連れて来いって言ってあるんだけど、 なんとか本心と繋がらそうと思って言ってますけども。ちょっとでも繋がったら、それが機縁になって。水でもそうでしょ?ちょっとの穴から漏れ出したら、 どんどん大きくなる感じでね、色々とやっています。
質問:先生の録音を聞いてる時にぱっと聞こえた事で、「どこかに探しに行くんじゃないよ」っていうような事を言ってらっしゃった時があって、私、その話を今回初めて聞いたかもしれなくて、その時に、あっ、 今更だけど今が1番に良いようなってるって言い聞かせつつも、やっぱりどこかに探しに行こうかと思っていた事に改めて気付かされる…
河上さん:みんな隣の芝生は青いやから(笑)
質問:やっぱり現実のマイナスを掴んで、それを「印可書」で消そうみたいな事をしちゃってるやん。違うやん。もう今ここは…
河上さん:ここがそのままやねんけどもね。 だから、イエスの言う「be heaven at hand」やねんね。「天国は今ここにあり」やねんけど、みんな気づけへん。
質問:実際現実でも、現実的に、私が周りの人に感じてる時の方が、多分、ひたすら「印可書」にすがるしかなくて、 多分「印可書」ガァーっといっぱい言えてて、で、その後、ちょっと現実的なプラスの事が巡ってきたりしちゃうと、多分自分でいる。で、またガァーっときて、うわーだから「印可書」やんかみたいな。
河上さん:だから、現実のプラス来たら、次は必ずマイナス来るからね。
質問:だからやっぱりその波に溺れちゃって。
河上さん:その因縁因果の波というのは、結局は地獄と一緒で、神さまは気づかすためにそういう風にしてあるの。 ただ、マイナス来た時にね、みんな耐えられんで余計崩れるからな、中々加減が難しいね。それで、殆どの人は プラスがあって、マイナス巡る時のマイナスには大おまけで消してんね。それすらも気付かんくらい、みんなね、流されてる。 だけと、そうして戻っていったらいい。
質問者:もうひたすら「印可書」奉読します。ありがとうございます。
河上さん:そうです。だから地獄と今繋がってるからね、こうしてお話すると、地獄の人が今大きくな、かなり改善できた。よかった。みんなのいい質問でした。
そういう意味では本当に一気にどっちにも変わる時代になったの。みんながマイナスで辛い辛いって言ったら、ほんまに一気に地球が滅びるし。ただ、もうどうしても「印可書」選びとれん人いうのあるからね。絶対にその人はおもろいやっちゃ以外言うたらあかん。頼むで。うっかり「あの人ら選ばれへん」って言うたらえらい事になる。マイナスに思ってるからな。
質問:今本当に目の前に強烈におもろい人が居てるんですけど。
河上さん:強烈におもろいやつね(笑)。
質問:後ろから、羊飼いのようにっていう教えもよぎるので。でも、それがよぎる時って、やっぱり、どこかで自分が上に立って、この人なんとかしたらなっていう虚栄心が同時発生してる。
河上さん:そうそう。虚栄心を使ってね、愛の心を呼び起こすからね、一概にどうこうではないね。
質問:日頃の仕事にしても、私、虚栄心のお陰で動けてるって本当に思えちゃってて。
河上さん:虚栄心で一生懸命させるとこがあるからね。だから、さっき言ったように、ただ自分が正しいと思ってるから、気狂わずに、自殺せずに済んでるとこがあるわけよ。だから、その微妙に虚栄心の心というのは必要なんやね。真(まこと)の本心の自分を自覚するまでは。
だから、虚栄心って消しにくいし、最後の虚栄心が消しにくいのはね、最後の虚栄心消すときは凄い不安なんよ。もう誰もがね。で、今のあなたの形で持っていってたらええねんけど、先生はもう、先生を慕って、村人とか来た人とか、そういう人にはね、もう大おまけでお清めして、もう後ちょいというとこまで持っていくわけよ。
それで、もう最後の虚栄心だけは自分で消してもらわなあかんから、「あなたは悟った」ってやるわけ。それで、うっかり人に言うて崩れるねんけど。それぐらい、その虚栄心というのは、最後まで持っとかなあかんし、消さなあかんしというね、微妙なバランスのものなので。 1番大事なのは、虚栄心のある自分を責めない事よ。要するに、虚栄心すら神さまがいいように使ってるからね。それが分かると楽なんねんけど、自分の虚栄心と思うやろ。それ結局自分…
質問者:そうですね。
河上さん:うん、そうやねん。結局、なんやかんや言ったところでね、自分のものは一切ないね、本当は。だけど、自分が正しいと思った時点でね、自分のものを作るわけよ。で、虚栄心も自分のものとするから、ややこしくなっていくね。 神さまから頂いたものとしてたらね、ちゃんと神さまは虚栄心を利用して、肉体の特性のためにね、虚栄心を利用して肉体って動きたがれへんわけよ、しんどいの嫌なんや。でも、虚栄心を使って、限界破りさせるとかね、ちゃんと使ってきてるわけ。 だから、「いつも喜んでたらええで」やね。今が1番になってると喜んでたらええというのは、その、自分が虚栄心が出ても喜んでたええ、一生懸命したらええねんっていう部分なのね。
で、間違ってもその虚栄心を責めるとね、結局は全部神さま命でできてるから、虚栄心でも、食欲でも性欲でも、神さまの命でできてんね。当たり前や。みんな光やから。で、神さまはそれを利用して、なんていうんかな?肉体側を上手く使ってるだけやからね。それを責めたりしたらあかん。
例えば、1番分かり易いのは性欲やね。性欲というのは子孫を作るためだけやったらな、こんなに沸かんでええねん。動物ってそうでしょ? 繁殖期だけ性欲出るわけや。普段出えへんね。
それは子孫作るためだけのもんやからね。で、人間はいつも出んね。それなんでか言うたら、男と女と分けた時点で、男と女が本来1つのものだよと知るためにあるね。でも、喜んでしてたらええのにな。こんな性欲してて、汚い自分やとかって変に責めるから、もうややこしなんね。
それはお釈迦さまでもイエス様でもね、尼さんとこう、分けてどうこうだって一切してないのに、後の人間が分けてね、一生結婚したらあかんとかって、いらん事を、結局自分とこ1番にしたいがためにね、結婚したらあかんとか、するわけよ。で、それが逆に性欲を変に歪めてしまうねんな。それだけやねんけどね。
もう、全然イエスさま、お釈迦さまの言う事、みんな聞いてへんね。それは、教えを立ててね、組織を立てて、祭壇作ったからや。そしたら、他所よりも凄いと思わさんなんから、もう仏門に入ったら、結婚したらあかんとかな、あるやん?尼さんになったら結婚したらあかんとか、もう凄い、(いろんな縛りを)作るでしょ?
で、それをする事によって、一般の人からね、「あの人らは性欲を克服してる凄い人たちや」って。要するにあれは虚栄心やね、本当は。だから、親鸞さんはね、結婚したの。で、おめかけさんも作ったの。そういう、誤解を消すためにね。だけど、みんなはね、「親鸞は汚れてる。結婚しよった、子供作りよった、あれを作りよった」って、ボロクソに言うね。親鸞さんの方は元より後ろ指さされんのは覚悟の上やから、 なんでもするんやけどね。そういう部分や。
だから、虚栄心が あるからどうこうって思わずにね、もう全部神さまが必要で揃えてるというのは間違いないね。怒りっぽい自分も神さまが必要で揃えてるんよ。それによって体験する事で知る事があるからよ。優しい自分というのもそれによって、その人にとって必要な体験を勉強させたいから神さまが用意してるだけやね。
だから何もかもどれも喜んでて、神さまが1番良いようにしてるっていつも言うやろ。神さまが1番良いようにしているって喜んで、その中で反応してる自分を楽しんだらいいね。ただ、自分の中で自分を思わず責めそうになったら、「印可書」奉読したらいい。
質問者:はい、ありがとうございます。
河上さん:それで、うっかり人を責め続けるとな、もう誰も口聞いてくれへんようになるからすぐ分かるわ。人を責めすぎたって(笑)。 それは言葉に出さんでも、心で責めてたって、相手は気づくもんやで。恐ろしいもんやで。で、口聞いてくれへんようになる。僕の中学校時代とか、そんなんがそうやってん。なまじ全部見えて分かるから、ついつい、しらけるねんな。そしたら、「偉そうにしてる」とかな、もう本当に無視された。「人を小馬鹿にしてる」とかな言われて嫌われた。
質問:面白い、面白いっていう風に思う、その事にする事が、 徹する事だ、「印可書」奉読をす事が徹する事にも繋がるというか、イコールだっていう風に思っていて。 で、ほんとに、実際そう思うと面白いんですね。色んな人が。
河上さん:みんな面白い事するやろ?
質問:面白いし、自分自身も滑稽というか、凄く面白いし。自分でゲームを作っては、上手くいかない事、上手くいかないゲームを作っては、上手くいかない事を確かめてるみたいな。
河上さん:上手くいかない事こそ面白いな。ゲームってだからステージ上がるようになってある。
質問:面白いな、面白いなって、思い続けていて、実際渦中にあって、後で見てもやっぱり面白いなと思える。で、その中で、どこかこう、面白い面白いって思ってると、凄くこう、 おぼつかない感じになって。で、前のパターンに暗示しようとする時が出るというか。
河上さん:あ、それは出るで。もう癖として残ってるもんは、最後の最後まで絞り出してくるからね。
質問:で、徹するっていう事を考えた時に、考えるというか、した時に、本当に徹し切るっていうところが、やっぱり、甘いなって自分が 思う事がありまして。で、その、本当にこうもうひたすら「印可書」を奉納し続けるだけだと思ってるんですけれども、やっぱり甘さっていうところを、自分の甘さをやっぱり許してあげるっていう事が大事だなと。
河上さん:大事です。甘い自分を許さなあかんねんで。先生のようにな、厳しく厳しくできる人はおらん。 先生だけ。でも、先生は昔はそのまま厳しかったからな、僕には厳しかったよ。 でも、厳しくしたって誰もついてけえへんっていうのを、先生お分かりになられて、本当に優しくなられた。そんなに先生甘いの?優しいの?っていうのは(僕は)いつも思ってたけど。
でも、それはなぜかって言うと、今言ったように、甘い自分という材料を使って神さまが教えてる部分があんね。だから、どれもこれも必要な材料やねんな。で、それを、お料理がそうやねんけど、 どれも残さずに全部食べたら、栄養が偏れへんねや。だけど、お肉好きやからお肉だけしか食べへんって言うたら、栄養偏るでしょ?あるいは、野菜しか食べへんっていうのも、それも偏るわけ。全部全体的に食べてこそ本物やろ?
そういう感じで、自分に与えられて持ってきた素質というのはね、全部必要やね。甘い自分も必要やね。怠ける自分も必要やね。で、その例えば怠ける自分があるからこそ、怠ける人が分るね。勉強できない自分があるから勉強できない人の気持ちが分かるね。それくらい必要なもんや。それを責めたらあかん。
なまじ勉強できると教える時に難儀するんよ。なんで分かれるのかなってね。それで、勉強できへん状態にまで自分をいっぺん落として、 落としてっていう表現もちゃうねんけど、制限して、そっから立ち戻って教えるんやけどね。そういう感じやね。だからもう統一力やねんけど、神さまって呼ぶ力、神さまって縋る力がいるねんな。まず神さまやね。
だけど、みんな「自分が正しい」があるからね。甘い自分とか、考える自分とか出てきて、何もかも見えんようになっていくね。甘い自分、怠ける自分、考えてもわからん自分という材料を使って楽しまなあかん。本当はね、その勉強がいるね。
だからなまじ何でも出来る人は神さまと繋がれへんもん。できてしまうからな。できへんからこそ、神さまと繋がる。僕はお祈りできなかったから、繋がってん。どうしても先生の言うように呼吸に込めて、(その当時の昔に→50年前)先生に教わったわけよ、呼吸に込めなさいというのは。
で、1分間息を止めて、ひたすらに祈って、そのあと息を吸って、僕の場合はね、一呼吸毎みたいに甘くはなかった。1分間息止めて、ひたすらに祈って、で、1分間息して、また1分間息止めて、ひたすら祈ってっていってね、仕事のない時、そうして。で、仕事とか動居てる時は、 一呼吸ごとに乗せてって言うて厳命されたんや。で、もうなんぼやっても、どっかで途切れて失敗すんねんな。で、もう泣いて先生に謝って、「もうとても先生の期待通りできないんで」って言って謝った時に、ボソっと先生が仰った、笑いながら。 「河上さんの本心は、ずっと祈ってるやないか。」それで、はっと気づいてんけど、それはなんで気づいたか言ったら、そこまで必死でもうね、したからや。でも、それもお祈りできへんからしたんな。
だから、お祈りできへんから、お祈りできへんって思い込んでる皆にお話ができるね。 最初からできてたら、話してもみんなに通じんない。だから「印可書」も、「お前やったらもうちょっと光弱めれるから弱めといてくれ」って言って、第二の「印可書」を作らされたわけや。それは、お祈りできへん苦しみを知ってるお前やったらできるやろ、という事やってん。みんなの気持ちが分かるやろという事でしました。
だから、河上の作った「印可書」嫌いな人は「宇宙神ありがとうございます」言ってください。あるいは、先生のお作りなった「印可書」でいったらええねんけど、燃やしたからあれはあかんねんと思う人はね、「宇宙神ありがとうございます」が残ってるから、それで行かれたら大丈夫です。
でもお願いだから神さまを呼ぶ事を忘れないでね。もう間違っても、神も仏もあるものかって思わないでください。もうそこまで思われると持っていきようがないね。やっぱりちっちゃい子でもね、「お母ちゃん、お母ちゃん」って来るから連れていけるんで、お母ちゃんもなんもいらんねんってどっか行きよったら、もう探しようないって。やっぱりちっちゃい子はどっか行ってもお母ちゃんって泣いててくれるから、要するにお母ちゃんって呼んでてくれるから探せるわけでしょ?
だけど、神も仏もあるもんかって言ってしまうと、もう泣きもせえへんから、どこにおるかも分らへんっていう状態になって。どこに居るか分からんって、こっちは居てるとこ分るねんけど、引っかけても手掴んでくれへんわけよ。で、全ては綱引きやね。ロープは垂らするけど、自由意志でロープを掴んでくれんと連れていかれへんねん。で、必死で光の強い人には太いロープを垂らせるわけよ。で、光の弱い人には細いロープを垂らすね。で、どっちにしたって掴んでくれなあかんね、自由意志で。選んでくれなあかんねんけど、選んでくれない人は連れていきようがない。
そういう問題やな。だから、色々と苦労してます。苦労してるというより色々と楽しんでます。おもろいなって。良い?
結局はみんなの自由意志です。自由意志で何を選び取るかが全てです。だから、神さまが絶対なんとかしてくれるわ、でいいんだけど、なんとかしてくれと言った直後からは、一切文句言ったらあかんね、喜んでなあかん。ちょっとでも文句言うたら、なんとかしてくれてへんってなるから、神さまを離した事になってね、で、地獄落ちる。
だから地獄に落ちてもね、神さまが何とかしてくれる、神さまが良いようにされているって喜んでたらスっと上がるんよ。でも、「なんでこんなとこで、こんな痛い目せんなんの?こんな熱い目せんなんの?」言うてるうちはあかんね。「自分が」があるから。
だから、三途の川をね、本当は渡らんで、スっと済むねんけどね。だから本当は地獄よりも楽なね、三途の川の石積みをさせるわけよ。で、石を積み上げていくねんけど、鬼さんが来て、蹴って倒すねん。「なんでここまで積み上げたら行ける言うてんのに、倒すねん」って文句言うてるうちはあかんわけよ。「もう神さまが1番良いようにしてるんだ」って、倒されても喜んで積んでたら、自分が消えるから、地獄行かんと悟れるねんけど。そこでまだ文句言うてるとしゃあないから、三途の川を渡らされて。渡ったら最後、地獄の大アトラクションに入れる。入場券を買ったようなもんやな。
で、その三途の川の石積みでもね、人をいじめてきた人は、その河原で積ませて貰われへんねんな。冷たい川の中へ入って、 川の中の石を拾ってきて、積まされるねんな。余計大変やね。
まだ人にええ事してきた人は、 あったかい状態で積むだけで済む。それでも自分が正しいが皆あるからね。その自分が正しいが消えるまでは石積みさせられる。それでも「自分が正しい」って言ってる人は三途の川を渡らされる。
神さまは気づくように気づくようにしてるんやで。でも、「自分が正しい」と思ってうちは気づけへんねん。「なんでこんな目に合うん?」って言うね。1番ええ目にあってんねんけどな。それを先生は「大難を小難に。小難を無難に」って仰ってくださってるのに文句言うね。五井先生が「文句言いなさんな」って言うのにな。文句言った時点で神さまを離してる。
「喜べ喜べ喜べ」って先生言うのに。「こんな痛いのになんで喜ばなあかんねん」って文句言うね。本当はそれだけの痛みで済んでんのに。
本当は簡単な事やねんけどね、自分が正しいと思ってたら、もう不都合な事ばっかりやね。自分が正しいじゃなくて、神さまがいいようにしてるって喜んでったらええね。もう難しい理屈もいらんね。そしたら教えも組織もいらん。みんな光や。そんなん教えのうち入れへん。みんな真(まこと)の神さまや。 神さまが1番良いようにしてる。今が1番良いようになってるだけや。
教えって言えへん。組織もいらん。教える人もいらん。文句言うたら、言うた文句を祈り言葉に印可書に、どっちにでもいいけど投げ込んだらいいだけや。組織もいらんし、 お金を出さんでもええし。ただ護摩は維持したいからね、護摩木の分ぐらいはみんな出してねってお願いしてますけども、出せる範囲はね。
質問:先ほど動物のお話とかが少し出てたと思うんですけれども、私が比較的近い地域に熊が出まして、とあるの方の手を、噛んだりとか…
河上さん:熊を撃つわけでしょ?
質問:で、その後は、ちょっと私、どうなったかは存じないのですけどやっぱり、住民の方が非常にやっぱり心配されてますし、で、観光地でもあるんで、非常に有名な…
河上さん:だけど大元はね、人間が勝手に木切って、どんぐりの木を切り倒すからや。どんぐりの木を残しといたら、クマさんの食べ物残ってるから降りてけえへん。人間がクマさんの食べ物を奪いとったから、どんぐりの木を切ってね、勝手に杉を植えたんや。杉を植えたってクマさん食べられへん。それが大元の原因や。本当は上の杉の木を切ってね、どんぐりの木をどんどん植えていったらね、クマさん困らへん。食べるもんないから、そら食べもん探しにくるよ。人間でも食べるもん奪われたら、他所に食べるもん奪いに行くや。それが戦争でしょ?で、大元の原因は全部人間が作ってる。動物のせいではない。
質問:最近は、非常にやっぱり、どこの地域でも、大雨が降りますと、山からスライド…
河上さん:そうよ、どんぐりの木やったら山崩れ起これへん。杉やヒノキはね、根が浅いね。だから、保水力もないし、土砂崩れ起こすね。でも、どんぐりとか、ナラ、クヌギとかはね、こういう木は、根が根深って言うて、根が深いね。保水力もあるし、山は崩れへんね。
質問:それで、あちこちで、そういう地滑りで、もう山肌があちこちで出始めてるんですね。
河上さん:出てる、出てる。
質問:で、やっぱり急斜面のところが、もう山肌がこう現れて、もう本当に、私がもう今までに見た事のない光景が、もう普通にどんどん、どんどん、それが広がってきている状態が…
河上さん:そうよ、もう最後やもん。地球霊王様も怒りまくってるもん。それで。
質問:それで今から、どういう風な心がけや。もし、その…
河上さん:いや、まず真祈りよ。まず真祈りしないと。例えば山の地主さんはね、スギ、ヒノキを植えて儲けたいわけでしょ?で、また国の補助金が出るから、スギ、ヒノキ植えるには、植えたら補助金出て生活できるからね、それを植えるしかないんや。でも、みんなが真祈りしてね、そういうのではなくて、っていう風に行くしかないね。理屈で言うたら、みんなの利害があるから誰も動けへん。で、果たして間に合うかどうかぐらい、本当はせっぱってんねんけどな。ウクライナの問題でもそうだけど。
質問:うち地域の中に、本当に、こちらにまつわる、お墓参りしたり、天皇のお墓だとかいうのがあったりもして、かつて私もそこには行ったりできたんですけど、やっぱり、クマさんのエリアになっているので、やっぱり、もう…
河上さん:もう行ったらあかんよ、危ない。
質問:そしたら、そこが、もう誰も、人たちが入らなくなると、もう、ますます、あれって言ったら変なんなんですけど、そうなっていくのをただ放置するだけで宜しいですか?
河上さん:だから、利害が絡んでるからね、勝手な事が誰もできへんのよね。本当は、クマさんのためにね、どんぐりの木をようけ残さなあかんかってん。どんぐりの木は強いからね、何しても育つから。だけど、人間が石油焚いてね、原子力焚いてね、色んな事するから、どんぐりの木すらも今は病気で枯れるね。だから人間が刈らんでも勝手に枯れ出してる。色んな意味でもう凄い状態やね、本当は。もう地球霊王様はね、松下先生が待ってくれ言うから待ってるけど、「もう待てん、もう待てん」って。「お前にできるんか?」って僕は怒られてんねんけどやね。「みんなに真祈りしてもらいます」しか言いようなくて、護摩を頑張ってね、してますけども、それでも護摩を一時中止しようとする状態に一時なったぐらいね、もう大変なんが来てる。
いざ、もうノアの洪水のようにね、あれは地軸が傾いたんやけど、いざ、地軸傾き出したら、もう万事休すよ。で、その時の状態の事をもう想定して、色んな話し合いをしてます。イエスの奇跡を表わせるからとかね。それくらい切羽詰まってます。もう今更、あの利害が重なっててね、対応のしようがない。
ただ、みんなの真祈りが深まったらね、あの山の地主さんも分ってくれてね、「じゃあどんぐり植えよ」とかってなってくるけどね。まず地主さんの了承がいるもん。そんなもんどうしようもないよ。色んなとこで、もう昔とは全然違う状態にね。先生が柿本人麻呂であられた頃に色々とあちこち作ってくださった大事な場所も、もう木が生い茂げて近づかれへん状態になってる。
危なくて行けないし、まず何よりも生い茂ってね、50年経ったら道も分らへんね。全くもう、この山でこっから入ってんって言うんやけど、もう生い茂って道もないし、ハチさんはいっぱい居てるし、近づく事もできへん。本当は近づいてお祈りしたいんだけど、できないっていうぐらいの状態。本当に、最後の最後に来てるんやって。みんなのんびりしてるけどな。 別にかまへんねん。みんなの自由意思やから。
先生が僕に仰った事は、きついようやけど、「お前に任すけども、別に人類が滅びても滅びなくてもどっちでもいい」って言われてる。要するに、「みんなの自由意志に任せなさい。 だから一生懸命説明はしてくれ。でも、みんなが自由にどうするかはみんなの総意。」
ただ、護摩のとこのあの額だけはね、みんなの総意って言うたらまた揉めるやろから、勝手に燃やしますけど、護摩の会場の額は。
ここのお祈りの部屋のは残します。
質問者:ありがとうございます
河上さん:別に厳しい事言ってないからね。ごく普通に今の状況を説明してるだけですから、脅かしてもないです。 本当に色んな意味で、例えば、北極の氷が溶けてきたりね、もう なるんですよ。で、北極の氷が溶けると地軸が傾くの。重さのバランス崩れるから。で、地軸が傾くとノアの大洪水みたいになるわけ。先生はどの状態に地軸が傾くまでは僕に教えていってるんで、そうなる前になんとかせえよって言われて。そうなる前、あと4年。 みんなね、例えば電気でもなんでも無駄に使いすぎるんや。もっと本当にね、みんなで助け合って、せんなんねんけど、みんな各家族ごとに分かれて住むやろ。暖房1つとっても、電気1つとっても、ようけいるわけや。もっと、仲良く集団生活したらな、食べ物でもロス減るし、電気でもちょっとで済むわけやんか。
だけどな、できへんやろ?まだ。それは真祈りが沁み渡ってないから。自分たちが正しいがあるからや。その自分たちの正しいをどう真祈りで消していくかや。自分たちが正しいって言ってる間は、教えも組織もいるし、ウチとこが1番、自分とこが1番、自分とこは真(まこと)神さまやから大丈夫とかって言い出すね。違うやろって。その自分というのが間違いやって言うのが分らへん。
「みんな光や」って先生言うてるやん。「みんな真(まこと)の神さま」って先生言うてるやん。なんでそれが信じれないか。 簡単な事を先生言うてんねんけど、みんな自分が正しいで受け取れへん。
「そんなん言うたって顔も形もちゃうし、分かれてるやん」。 いや、全部別やから1つやというのが分らへんねんな。同じもんが2つあったら、2つや 。1つって言えへんねんな。全部違うから1つやね。それがわからなあかんねんけど、自分が正しいという過去の結果に基づいてどうこう言ってるうちは崩れるね、バラバラなっていく。
特にこの現世は、いっぺんバラバラになったものはマトメられへんからね。サラサラと流して消し去っていかなあかんねんけど。 前も説明したように、光の状態やったら、プリズムで七色に分けても、またその七色を合わせると無色透明に戻るんだけど、この現世はその光の反射した、もう一旦反射した段階のとこやから。絵の具がそうやけどね、 絵の具は光を反射して発色してるだけやから、絵の具をいっぱい集めたら黒になる。だからこの世には地獄がある。
全部1つにしましょうって勘違いして1つにして地獄ができる。一瞬、一瞬、新たに受け直さなあかんのにな。現実を掴んで過去を掴むから、その現実を掴んで過去を掴んで合わせていくと真っ黒になって地獄なる。地獄で済んだらええけど、漆黒の闇までできてる。
だから一瞬一瞬新たに受け直さなあかん。それを難しいやろから「印可書」奉読でって言ってるわけで。その説明が沁み通らんかったら、人類がそういうのを選んだというだけの事やから。
令和5年9月河上さん勉強会お話しー4(20230910−4)
河上さん:あまりに責任が重いから「先生、そんな絶対みんな好きにするから無理ですよ!」って言ったら、先生が笑って、「好きにさせたらえねん」って言いうから、「お前はひたすら説明だけしてたらえねん」って言うから、聞く聞けへんは皆の勝手と思って説明してるんだけど、ちょっとでも聞いて欲しいから、みんなの自由意志を縛ってね、印可書奉読を言ってるだけで。
この世のもんで永続的なものは一切ないというのに気づけばね、一瞬一瞬新たに受け直すしかないって分かるねんけど、何時までも若いと思うやろ?それが一番の問題やね。 質問:2点あるんですけれども、1点目は先程のみんな何時までも若いと思うやろ?それが問題なっているという事をもう少し教えて頂きたいです?
河上さん:だからね、本当に一瞬一瞬新たに受け直してたら、死ぬまで若い姿で死ぬね。先生そうやろ?お年寄りの姿と違ったやん。死ぬと思わんかったやん。そないして一瞬一瞬新たに受け直してる見本を見せてくださった。みんなもな、年寄りになってきたら恥ずかしいと思わなあかん。一瞬一瞬新たに受け直してたらな、若い状態で死ぬ。
やっぱりこの世で自分の選んだ宿命があるから、要するに命を宿すって宿命って書くわけやけど、100年とか50年とか30年とか10年とか60年とか80年って自分でまず長さを決めて降りてくるんよ、その長さ分は嫌でも死なれへんけども、そこから先は嫌でも伸びへん。
でも、ちゃんと一瞬一瞬新たに受け直してたら、80って決めたら80までは若いままで死ぬ。みんなね、年取っていたから物忘れが多いとかね、年取っていたから体が硬なったとか、勝手に自分で縛っていくん。一瞬一瞬新たに受け直してたら大丈夫やねんけどね。
ただ肉体が車でもそうやけど、古くなってくるから、手入れとしては毎回筋伸ばさなんとかね、若い時以上に手入れに手間がかかるのは仕方ないよ。車でも中古車になってきたら手入れに手間かかるやん。それは仕方ないけどね。その手入れに文句言い出すからややこしいね。
ご飯ようけ(沢山)食べたらあかんようになってきたとかね。食べんで済むようになったって喜ばんとあかんのやけどね。お腹一杯食べたいとか文句言うからあかん。ちゃんと真祈りしてたら必要以上食べる気になれへんね。でも食べたら美味しいで食べるやろ?で、必要以上食べて病気になる。その量はあかんやろっていうのを食べるもんな、みんな。気持ちは若いからな、みんな。気持ちはみんな10代の青年少女や、少年少女やな。みんな10代から意識が変われえへん。
質問:2点目の質問です。言葉の使い方の確認です。みんな光、みんな真(まこと)の神さまが,この後何ですけども,みんな不器用を楽しんでるっていう言い方は、落としめてる言い方になるんでしょうか?
河上さん:落としめてる言い方はなれへんけどね。みんな不器用を楽しんでるというと、不器用をうっかり掴むからな。だから、そういう表現をせんほうが良い。落としめてはないけど、怠けてておもろいやっちゃって、僕言ってへんやろ?おもろいやっちゃって言えって言ってるやん。
うっかりマイナスの表現のほうは一切使ってはあかん。先生も一切使えへんね。おもろいやっちゃだけ。先生の場合はもうちょっと違ったけど。
だから先生はダメって言われへんわけよ。で、先生に聞いてね、先生がダメって言えへんだったから自分は正しいって、みんな勘違いしてぐちゃぐちゃになっていくねんけど、そうなるのも百も承知で先生は真祈りだけって僕に厳命しはってん。
もう(全然みんなわかってないから)僕が喋ります、説明しますからって言っても、お前は喋ったらあかんってずっと怒られて。それはまず真祈りでお清めせんとね、何も始まれへんって。
でも最後の1%は皆にして貰わなあかんから、説明する時期に入った。
質問:おもろいやっちゃって言い切る。もうそれをひたすら繰り返す?
河上さん:もう言い切ってたら良いやん。
質問者:ありがとうございます
河上さん:みんな光やからおもろい芸をしてんね。悪いことはしてない。どうぞ。
質問:もし、答えを仰ってたら申し訳ありません。ぼーっとしてたんかもしんないんですけど、先ほどの三途の川と地獄の話何ですけれども、石積みのところで終わる人と、三途の川を渡って地獄のアトラクションを楽しみに…
河上さん:殆どの人は渡る。
質問:渡っちゃう?その境目って自分で行っちゃうとは思うんですけれども、三途の川を渡ってアトラクション…
河上さん:今が一番良いようになってるって言ってね。結果を掴まなかったら。(大丈夫なんです。それは、具体的には、自分の石積みは横においておいて、ほかの人の石積みをたすけるようなことです。)
そこまではみんな思い切れへんけど、「鬼さんが蹴り倒すのはそれだけの理由あるんやろ、すいません」って言って、素直にまた積み直せたら結果を掴んでないでしょ?結果掴まなくなったら大丈夫。でも結果はみんな掴むね。段数まで言わんけど、ある高さまで積まなあかんというのがあってね。又、それ言うと、死んでからみんな苦しむから言わんとくけど、それを積もう積もうとするわけよ。そうじゃないね。積むじゃなくてっていう、神さまが一番良いようにしてるだけど、もう分かるかな。結果を掴まなくなったらええね。
質問:文句も言わなくなったらええ?
河上さん:鬼さんが蹴り倒すのはそれだけの理由あるんやろ、すいませんって言って、素直にまた積み直せる人は結果を掴んでへんやんか?だからええね。だけど「蹴り倒しやがって、また積まんねん、何であんな悪さすんね、てんご(悪さ)しやがって」って言うて、みんな文句言いながら積むんや。そう言う時点でもう結果掴んでるやろ?結果掴むって決まったら、もっと掴みたくなって川渡る。
質問:川渡っちゃうのはやっぱり、よっぽど自分であっち行かなあ、あたしあかんわみたいな感じなんですか?あっちいってちょっとあったら...
河上さん:身体がものすごい熱くなってくんね、怒ってるから。ほら、火吹きダルマっていうか、ほら怒ったら真っ赤かに、漫画でも描くやろ?ああいう感じでチンチンなんね、チンチンって。この辺でやかんがチンチンって言い出すわけよ、頭のやかんが。熱うて敵わんから川入りはんね、本当の事言うてしまった。これ知ってても熱なって敵わんから入るよ、みんな。怒るね、みんな蹴られて。「クソタレがって」。
それで今やったら肉体持ってるからな、みんな怒っても熱なるのがしれてるやん?あっちはな、肉体ないから限度がない。本当にチンチン、真っ赤かになる。
質問:すいません。石積みで、鬼さん何か理由があるんやろうなって思って…
河上さん:要するに文句言わんようになるわけや。「倒されるだけの落ち度が私にあって、ごめんね」とか言うて、すいません、すいませんって言うて、喜んでたらええねんけどな。それは結局喜んでる形やから、文句言ってないからね。
質問:それで許してもらえる?(笑)
河上さん:そうよ。だからトイレに鍵かけられても、怒らんと文句言わへんからスッと行くね。そういう感じでこの前質問あったけど、「トイレに鍵かけられて入られへんようにしましてん」って言うて喜んではるわけよ。だからスッとするね、この世で言うとね。
石積みも一緒よ。積んでも積んでも倒されても「やっぱり私に悪いことあるんやろう、ごめんね」って言うて積んでたら、結果を掴まんしね、それは結局は喜んでる形やからええねん。
質問:許して貰って...
河上さん:許して貰うんじゃなくて、自分が結果掴めんからスッと行くんや。
質問:そう何ですか?賽の河原…
河上さん:要するに、鬼さんと自分と分けて考えてる人は、そういうのが分からへんね。だけど鬼さんが何かの理由でね、してくださってるんやって言うていくと、自分と鬼さんが一つになってる。鬼さんって真(まこと)の神さまやから、一つになる範囲が大小あろうが、ちょっとでも繋がったらわざわざ降りていくことはない、上へ上がれるやん。神さまと繋がったら無色透明に近づくから、それだけよ。
質問者:分りました。ありがとうございます
河上さん:だから感覚で言うと、宇宙空間にパッと放り出された場所が真(まこと)の神さまの世界や。無限無限の輝きで、あんな真っ暗じゃなくてね。それって地面も何もないわけよ。空中にポンやね。それを喜べる人はいいけどな、大概は不安なわけよ。落ちるんちゃうかな?とかね。ほんで降りていくね。
その落ちるんちゃうかなという意識というのは、自分が正しいとか文句言う気持ちよ。だから肉体あるうちにね、「宇宙神ありがとうございます」に「放り込む癖」をつけとかないと、どうしようも無くなるなるね。印可書を読める人は「印可書を読む癖」つけとかんとね。
死んでからやったら、宇宙神ありがとうございますも出えへんね、えぇかげんな気持ちでおったら、「宇宙神ありがとうございますって言われました」というレベルではな、死んだら「宇宙神ありがとうございます」を忘れるね。で、賽の河原から川渡る。それくらい自由意志というのが大事やね。
だから自由意志で「宇宙神ありがとうございますって言われました」という間はな、自由意志で選び取ってへん訳や、祈り言葉は。
だから肉体を失うと忘れるね。自由意志で選び取ってたら、もうこれしかないと選び取ってたら、忘れてへんから大丈夫や。それでも投げ込むのが大変やから色々と苦労しはるけど、その苦労もその人にとって必要な体験やからね、別に良い悪いではない。その人の自由意志で選んだ楽しみや。
そうだけど、地獄も本当は楽しみや。そこまで分ったら地獄からすっと戻れるねんけどね。何事も楽しみってわかった良いねんけど、苦しみって言うから、もうややこしくなるねんけどな。
だからマラソンで説明するとね。あんなしんどいこと何でするんと思うけど、走ってる人は苦しみと違って楽しみでしょう?っていう。真(まこと)の本心の自分と繋がってる部分はみんな楽しみやね。水泳が好きな人ってね、泳ぐの苦手な人から見たら何で泳ぎに行くんとか思うけどね。面白いんやろ?水上スキーでも何でもね。そういう部分は神さまと本心と繋がった部分やから楽しめる。
この世に色んな趣味あるけどね、何であんな邪魔臭いことするの? 昆虫採集でも何でもそうやけど、興味ない人からみたら、何でお箸の袋集めてる人なんか何が楽しいねん?と思うけどね。
それ本心の部分と繋がっててやってたら、それは楽しみなわけよ。だからどうこうじゃなくて、真(まこと)の本心の自分と全部繋がったら、全部が楽しみやね。
でも自分の自由意志で真(まこと)の本心の自分と切ってね、苦しいって言ったら、自分の自由意志で真(まこと)の本心の自分と切ってるわけよ。切った分だけ苦しい苦しって言って、地獄に流転するのよ。で、苦しいに飽きるまで流転するのよ。でも最後は飽きるわけよ、疲れ果てて。もう無理って「神さま助けて」って言ったらすっと上がるね。
それでも一番上まで上がらへんけどね、そのレベルではね。それでも神さまって呼べなあかんね。神さま呼べない人が地獄流転する。何でこんな目にあうねんってばっかり言ってるの、地獄降りた人は。自分で降りてんねんけど。そうやろう?「何でせっかく積んだ石、蹴るねん?アホたれが」って文句言うからや。
ちゃんと神さまの方はその人の自由意識で気付くように気付くようにしたアトラクションを用意してくれてる。
宮野さん:結局神さまと分け隔て、分けてる?
河上さん:そうそう分けてる意識がなくなるまで楽しめるね。
宮野さん:自分っていう物を掴んでるって事を手放すのは自分しかないから、自分自身で手放さないとどうにもならない。それが印可書である。ひたすら印可書を読み続け、自分ってものを何もできない、何もないって無色透明、全て神の神さまだっていうところまで行くってことですね。
質問:そしたら河原で石積みをしたり、川を渡ってアトラクションをしなくても、それはこの世でも十分に出来てる事ことですよね?
河上さん:だからこの先生のところに集まった皆はね、後1%だけまで清めたから、この1%くらいは印可書を奉読してやってよって、宇宙神ありがとうございますってやってよってお願いしてるだけよ。それも自由意識だから、そこから先を強制できない。好きにしてくださいとしか言われないけどね。でも、テレビショップで個人の感想であって、効能を示しものではありませんと言いながら印可書、印可書と囁くね、耳元で。
宮野さん:確認ですけれど、肉体を維持するのに多少なりとも無色透明になってしまうと、肉体を維持するのは難しいので、先ほど言われた1%というところを虚栄心であったりとか、
河上さん:そうやね。だから、癖とかを持つことによって肉体を維持できる。その虚栄心とか癖とかを全部自分が楽しめたらいい。そうやけど、楽しまないと責めるからややこしい。
宮野さん:若しくは掴む、後生大事に。これが自分だと思うから。
河上さん:そう、「こんな怠けておもろいやっちゃうな」って自分で自分をおもろいやっちゃうと言ったらいい。そしたら掴めへんからサラサラと変わって行くんだけどね。
それでも色んな個性でその人なりのカラーを持ってないと肉体を維持できへんからね。色々と持つねんけど、だんだん持つのがなくなってくると、もう無理かなって、後4年くらいかなって思ってるだけです。 宮野さん:それでも神さまは色んな形で使い切られると思うので、必要あらばどの状態も展開はあるってことですね?
河上さん:そうそう、神さまは無限の無限の輝きやからね、みんなの自由意志、ようするに皆の希望に沿ってくださる。
宮野さん:今のところ、皆さんが短い、後わずかな時間がないところでもって、して頂くというのは、「自分の我を外す」「自分の一番大事なものを捨てる」っていう…
河上さん:「自分が正しい」を、どれだけ「おもろいやっちゃうに変えれるか」や。
宮野さん:それが印可書?
河上さん:印可書。印可書を奉読していたら、食欲のある自分、性欲のある自分、色んな自分を楽しめるね。でも印可書を奉読していなかったら、こんな私って自分を責めるんよ、無意識に。それが病気の原因やねんけどね、本当は。あんまりそこまで言うと、みんな病気なるからあんまり言えへんけど。今うっかり言ってしまったけど。色んな意味で病気なんのはそれやね、自分を責めるからや。
宮野さん:自分を責めるっていうのは、自分ってものを掴んでるってことですね?「自分が」
河上さん:或いは、何があっても自分とは関係ない、私関係ないわっていう気持ちやね。
宮野さん:両方ですね?
河上さん:両方。
宮野さん:私関係あるも、私関係ないも同じですね?
河上さん:うん。まだ自分を責めてる人の方が助けようがある。
宮野さん:助けようが?
河上さん:ある。分かってるから。自分と関係ないって言うてる間は自分のこと全然分かってへんから、どうしようもないとこ。だから先生は総責任者の自覚って言うて、全部自分の責任やって一生懸命言うてくれはってんけど、みんな他所事や。おもろいで!
質問:8月8日に真祈りの伝授が完成したというお話の中で、みんな印可書を選び取った?
質問:そう選び取った。印可書を選び取ろうとしてた人はね、選び取れた。 「選び取れた」と、「自分が正しいを印可書に投げ込んだ」とは別やからな。
質問:ちょっと固まりました。もう一度。(笑)
河上さん:だから自分が正しいがいつも出てくるやん?その「自分が正しい」の「自分を責めず」に印可書を奉読出来たら良い。自分が正しいを何とかする為に印可書を使ったらええ、って選び取れたという。
質問者:はい、分りました。
河上さん:それで護摩の時に説明したけどね。それで「自分が正しい」を印可書に放り込んで一瞬はスッキリするけど、またワッとなるって言うてる。それは縁者やからって言うてるやん。それが最終的に全人類になった状態になったのが先生。なんぼ無色透明になっても、次、背負って消して、次、背負って消してってされたのが先生。その一部は僕はしてます、今もね。
そういう感じで、先ずみんなは自分の縁者から。縁者が終わったらっていう順番に、永遠に切り無いけども楽しいわけよ。無限のアトラクション。
質問者:分りました。ありがとうございます。
河上さん:ただね、その印可書を選び取れない人が当然ある、っていうのをあまり言いたくなかったんだけどね、8月8日過ぎたから言いますけど、印可書を選び取れないおもろい人があるのは先生の想定内で。で、宇宙神ありがとうございますも残してくださった。
宇宙神ありがとうございますの場合はね、何があってもとことん筒一杯(精一杯)行ったるぞっていう気迫がいるんよ。ちょっとでも文句を言ったら「しまった」って思って、また「宇宙神ありがとうございます」ってね、もう凄い気迫がいるね。だけど殆どの人は途中で挫折するからね。それでも選んでてくれたら何とかするよ。
でも「聞いてます」では選んでないからどうしようもない。ちょっとでも宇宙神ありがとうございますのに投げ込もう、投げ込もうとしてたら選んで取ってるけどね。宇宙神ありがとうございますって聞いてるから、何とかなるやろって。選んでないやろう?それ?聞いただけや。電化製品の説明書、取扱説明書をね、見ただけや、読んでない。
この前有ってん「ホンマに取説読んだんか?」って言ったら、「読んだよ」って「嘘つけ、見ただけやろ?」って言ったら、「うん、確かに見たな」って言うてるの。「あんたな!」って。(笑)
ランプついたら充電完了やのに充電できへんって怒ってんねんや。「いや違うの、ランプが消えたら充電完了で、ランプがついてたら充電中やって意味や」って言ったら、「そんなことあらへん、ランプついてるから充電完了や」って聞かへんわけ。それで「お前、説明書読んだんか?」って言ったら「読んだよ。取説読んだよ」ってな。「見て、みいや」って言ったら。「ああ、見ただけやったな」って読んでない。
それくらい皆ね、自分に甘いんやな。取説を見てもう分かったつもりや。ハンディの按摩機やねんけど、繋いだらランプついて充電中って出るの。消えたら充電完了やねんな。そんな簡単なもんやからもう一々読めへんわけや。取り敢えず使い切って電池なくなったから充電しはるわけや。で、ランプついてるから充電完了やな、動けへんねんって、壊れてるわってやってるわけや。
そんなもんや、みんな。見ただけ、聞いただけやねんな。見ても聞いても実行せんかったら意味がない。実践しなくては意味がない。
その実践の度合いは神さまは問わへんね、本当は。ちょっとでもしようとしたら行けるね、小っちゃい子のお手伝いと一緒でね。でもどっちにしたって印可書も宇宙神ありがとうございますも、それが神さまお手伝いなんだという部分を信じてくれないと、どうしようもない。
宇宙神ありがとうございますに投げ込んで行く事が、神さまのお手伝いになるって信じてくれんとね。そこだけは絶対外されへん。ただ、「宇宙神ありがとうございます」って言ったらええんやろでは、それは信じてないからあかん。
印可書も一緒や、印可書読んだら神さまのお手伝いなるって信じてくれないと。印可書読んだらええんやなでは全然あかんね。そこだけは外せない。先生が先生の言霊で宇宙神ありがとうございますに、ありがとうございますに、印可書に、真(まこと)の神さまそのもって決めてくださって、これを読むときは神さまお手伝いになるって言霊で決めてくださった。そこは信じやんとあかん。そこは先生に対する絶対の信が要る。先生が命に変えて作ってくださった印可書や。それだけは奉読することが、宇宙神ありがとうございますに祈ることが、宇宙神ありがとうございますに自分のマイナスを文句を投げ込むことがね、神さまお手伝いになるというのはそこは信じてください。
それを信じやんとな、ただ読んだらええんやなって言ったら、それは単なるギブアンドテイクや。神さまを召使いに使っているというだけや。
宇宙神ありがとうございますって言ったら、神さま助けてくれるんやろ。印可書読んだら、神さま助けてくれるんやろって。それって神さまを召使い扱いしてる。失礼にも程がある。そこだけは間違わないように。だから印可書は奉読って言ってます。宇宙神ありがとうございますは真祈りって言ってます。真祈りというのは、神さまをこき使う事とちゃう。神さまのお手伝いすること。それを履き違えないようにね。
宇宙神ありがとうございますしか選び取れない人でも、そこだけは間違ってはあかん。だから宇宙神ありがとうございますって聞いてますではな、全然お手伝いになってない。
質問:仰る、宇宙神ありがとうございますと聞いているという方は?
河上さん:大半や。方がじゃなく、殆どの人がそれで終わってる。
質問:今、お話を集まって聞いてる方、録音で聞いてる方も全てですが、印可書を選ぼうとされている方が多いと思うんですが、宇宙神ありがとうございますって聞いてますっていう方は、多分聞かれない方が多いと思うんですけども。
河上さん:印可書を選ばないよな。
だから、最初に先生から、本当にすごい人類の命運という責任を受けたわけやけど、余りの重さにね、「やるのはかまへんけど、誰も僕の話し聞きませんよ」って、先生にはちゃんと言うた。
なら「別に聞く聞けへんはかまへん。お前は、只、ひたすら説明したらええねん」って。で、自由意志縛ってまで説明せい、とは先生おっしゃらなかったけど、ちょっと僕のおまけでしてるけどな、それ以上はええねん。
そんなもん選んでへん人に何ぼ言ったって、どっちみち聞かへんって。そこは自由意志がいるの。それはみんな真(まこと)の神さまそのものやから、その人の自由意志が最優先される。そんなのはどうしようもないよ。それでええねんって、ほっといたらええねん。
だから言ってるやん、地獄の体験が必要な人は必ず体験するねん。一度は食べたい激辛カレーよ。二度と食べたくないけども、どんな味かなとは、やっぱ思うもん。
質問:聞く聞かないっていう結果に捉われてるんではなくて、説明だけはさせて貰っているっていう事なんですね?
河上さん:そりゃそうや説明はするよ。だって、大先輩やん、あんまりこんな事言いたくないけどな。みんなから見て僕というのは本当は大先輩や、先ず一度は大先輩の言うこと聞けよ、本当は。聞く気も無いんやろ?聞きたくないんやろっていう人は、それは自由やって。
普通は先生、亡くなられてね、残された者の中で、一番最初に、22歳のころの先生にお会いしたん僕やから、本当に大先輩やし、先生と一緒に病気治しもしてきたし、古い人はみんな知ってるよ。空飛ぶ円盤作ろうとして色んな事をしてる事みんな知ってるよ。そんな古い人、ほとんどここへ来ないようになったけどな、そういうもんや。
そうしたら信じる、信じへんは別やけど、一度は聞けよ。聞く気もないんやったらその人の自由やって、そこまでは縛られん。
一度は聞いて本当にええんか、悪いんかね、判断しはったら良いと思うけど、聞く気もない人は聞かんで良いって。そんな自由意志縛られん、みんな真(まこと)の神さまやで。
だから光の勉強会始めるときにね、念を押したんや。「みんなすでに祈ってる、悟ってる、救われてるって思えんかったらすぐやめてください。絶対ここから外れたらダメよ」って。何をしてもいいけども、「みんなすでに祈ってる、悟ってる、救われてる。」みんな光やっていうね。「神のみ光、み力、み命。みんなみんな神のみ光、み力、み命」というとこから、ちょっとでも自分の意識がずれて、みんな悟ってへんと思ったときは、すぐ中止してくださいって厳命した。
それを守ってくださったから、光の勉強会はうまく来てるね。
一緒や。それは何か?と言ったらみんなの自由思想を一番優先しなさいや。みんな光やからその人の自由意志が一番大事や。だから、みんな好きにさせたらええんや。勿論、要らんお節介して宇宙神ありがとうございますを選ぶんやったら、こうやでっていうのは、勿論、言ってええよ。
言うてええけど、普通聞かへん。自分が正しいと思ってるから。
ここよ「自分の我」というのは、自分が正しいと思ってるから、自分が思う通りにしか宇宙神ありがとうございますを選べへん。そんなら宇宙神ありがとうって言ったら助けてもらえるんやろって勘違いするわけや。それもその人の自由思想やからほっといたら良いの。あとは、体験として分かり合うわけや。
できたらわざわざ苦しい体験せんと分かって欲しいから、要らんお節介は精一杯するけどね、
それでもいよいよ、時間が迫ってきただけや。時間が迫ってきたからついつい本当のことを言ってしまう。 宮野さん:肉体が全てやって思ってはるからな、みんな。自分が正しいと、死んだ先の事なんか分からないと思ってるから、今が良かったら良いっていう。肉体がある時だけが良かったらっていう意識に、やっぱりどうしても捉われやすいんじゃないかな。
河上さん:肉体の時間ってな、長くて100年。向こうの時間の方が長いっていうのをみんな忘れてん。地獄で何億年って楽しみはんねんで、みんな。
宮野さん:長いアトラクション、お楽しみやな。
河上さん:時間切れないから地獄は。ここで一旦閉園しますとかない?今日は休日ですわ。365日休みなし。
宮野さん:一応説明はしたしね。
河上さん:質問がないようやったら。みんなすっきりしたやろう?もう綺麗にお清め終わってるからね。1%は残ってるから頼むで、印可書で宜しくお願いします。そしたらお祈りして終わります。
本当に自分の自由意志というのを絶対忘れないで、何々言われたからしなくちゃじゃないからね、自分の自由意志で好きに選んでくださったら良いだけで。もう本当それだけ。それぞれ自由意志で選んだ通りの自分の選んだ楽しみ方をするだけやね。ここだけ忘れずにね、楽しみ方をするだけで、苦しみちゃうからね。
だから地獄の鬼さんに石を蹴られても楽しいなって思えたらええのよな。文句言うからややこしい。文句言った時点で、神さまから大きく離れた自分っていうのを気づかなくちゃあだけどな。
中々肉体が全てと思っている人には、肉体にとって都合良い時は良い。だからお酒大好きやね。お酒大好きなのは、本当はお酒飲んだら体、肝臓痛むわけでしょ?脳細胞がプチプチ死んでいって、ボケが早なるわけやんか。でも肉体のその時の気分の良いのが好きで、お酒やめられへん。
タバコ吸う人でも、甘いの好きな人でも色々あるけど、肉体のその時の一時的な楽しみを掴むわけよ。肉体が全てと思ってるから。で、いずれまた色んな体験して気づくからね。
でもやっぱり何事も楽しんだよっていうのだけ、ちょっと片隅に入れて貰うと気づきやすい。ではお祈りします。
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