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9月勉強会 by 河上彰延 2021年09月18日(土) 23時42分
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令和3年9月勉強会―1(20210912−1)

河上さん:今日は後お祈りに行かないといけないので、11時半には終わりますので、質問がある人は先に。後で質問ないので今して下さい。ないですか。はい。
 
なければ、ともかくね、自分を責めるというのが1番傲慢なんです。それをよくわかってください。真面目な人ほどね、自分を責めちゃう。責めて自分を縛って動きが取れなくなって。動きを取れない自分をまた責めてしまって、という堂々巡りして下へ下へ落ちていっちゃうのね。

なんで(なぜ)自分を責めるとダメかっていうと、すべては自分、すべては真(まこと)の神さまというのが大原則なんですね。全部神さまの命でできてるの。その中で色んな表現としてね、自分という小さい意識を楽しんだり、全体としての意識を楽しんだりするわけですけど。

 この虚の世界に落ちてる人は、自分という小さい意識の中で楽しんでる。その中で本当の自分というのをみんな知ってるからね、本当の自分に戻ろうとして足掻(あが)く。足掻く時に人を責めちゃう。もうそこだけなんですね。それが中々、理屈で説明したらそうなんだなぁ、なんだけども無意識に人を責めちゃう。或いは人を責めると回り回って自分を責めてるになるんですね。これ若かろうが歳取ろうが人生経験があろうがなかろうが、全部そうなんです。

 その責める基本的な部分は何かっていうと、こうするのが良いという常識に縛られるからです。こうするのが良いのにこう出来なかったから、或いはあの人はこうしてないからって責めちゃうのね。だから本当はお仕事行って一生懸命働かなくちゃいけない、或いは村人になって一生懸命働かなくちゃならないのに、あの人はサボってるって責めるわけですよ。

 そのサボってる姿が良い悪いって何で判断してるかっていうと、自分の過去からの経験に基づいてね、サボるよりは働く方が良い結果が出るからとか決めてるわけ。

 この世の常識ってそうなんですけど。こうするのが良いって決めた過去の経験に基づいて決めた事は全て過去を掴んでる姿だから、本当はこうするのが良いというのがマイナスなんです。そのマイナスに従ってどうこうしようとして出来ないから、余計にマイナスを感じて自分を責めるというね、堂々巡りなんですよ。

 もうこれが一瞬一瞬新たに受け直すという一番大事なところと重なってるのね。一瞬一瞬新たに受け直したら、要するにいつもいつも神さまだけって。一瞬一瞬新たに受け直すってどういうことかっていうと、もう全部真(まこと)の神さま、全部真(まこと)の神さまの御働きだけ、全て真(まこと)の神さまだけって実感出来ることなんです。

 一瞬一瞬新たに受け直したら過去は関係ないでしょう。すると「こうしなくちゃいけない」は無くなるの。それが無くなったら初めて今が1番良いようになってるって思える。今が1番良いようになってるんやでって。神さまは全知全能だから今が1番良いようにしかしてないよって言ってもね、みんなピンとこないし、どこか抵抗があるのね。

 それ何かっていうと、自分が過去を掴んで良い悪いって判断した結果とズレるから。そこに尽きるんです。でも自分の常識に従って良い悪いって判断してる事が過去を掴んでる姿だっていう事に早く気づかないといけないんですよ。

 いつもいつも神さまが1番良いようにしてるだけで自分の判断の良い悪いは関係ない。それに気づくと無条件の幸せがわかる。

 なんでね(なぜ)、先生が無条件の幸せ、無条件の喜びって言うのが、わからないかと言うと・・・。

 これがあるから幸せなんだ。家族がいるから嬉しいの。子供がいるから幸せなのってみんな条件を付けるわけね。でも、「それは本当の幸せじゃないんだ」っていつも先生は言う。

 「無条件の幸せ、無条件の喜び」って言ってね。それは理屈では分かるけど、実感として湧かないのは、自分の過去の経験に基づいて良い悪いって判断した過去を掴む思いが邪魔してる。そこを捨てなくちゃいけない。

 それを捨てさす為にね、神さまは全知全能だからどんな形も今が1番良いようにしてるんだよって説明するんだけど。理屈ではね、全知全能の神さまが良いようにしかしてない、そりゃそうやってわかるのね、理屈ではな。

 だけど自分の過去から掴んだ経験で良い悪いって判断してることがズレるのね。それは、あいつサボってる、あいつ怠けてるとか、あの人ズルいわとかね色々ありますけども。勝手に自分の経験に基づいて、ついつい責めるのね。

 それって結局は自分を責めるから。自分を責め裁いて本来の神さまの命である自分の命を曇らせてしまう。自分の命って神さまの命そのもの(なのです)やねんな。

 それ理屈では分かるのね。分かるけどその命を無意識に汚す。罪って、包み隠すっていうでしょ。神さまの命を包み隠すから罪なんだけど。それって自分を責めることが1番の罪なの。そうでしょう?神さまの命を包み隠す。自分を責めるってそうでしょう、

 「自分はうまくやってない、自分はちゃんと出来てない」って言って責めるわけ。神さまの命だからいつもちゃんとしてるんよ。

 先生が「結果に一喜一憂しない」って仰るわけね。「結果は関係ないんだよ」って仰るんだけどみんな結果を気にするの。で、こうしようと決めて、こう出来なかった自分を責めるの。(ほんとうは)ひたすら淡々と全力を尽くすだけであって結果は関係ないというのがね、わからないといけないんですよ。

 だからその人にとって、その人の選んだ役割にとって一生懸命やったって、この世的には1しか出来ない。(あるいは)別の人の選んだ役割にとっては一生懸命やるとこの世的には100出来るっていう差があるんですよ。

 それなら100出来る人から見たら1しか出来ない人は、「なんやあいつ何もしてへんやないか」って「使えない奴やなぁ」ってなるわけ。「仕事の出来ない奴やなぁ」とかね。家庭の主婦やったらお姑さんからね「ほんまに情けない嫁やな、家1つ片付けられへんのか」みたいに怒られちゃうわけ。でも家一つ片付けられなくても良いの、本当は。

 一生懸命してたら。神さまを思って一生懸命してたらね、結果は関係ない。結果ゴミ屋敷になってもよ、極端に言うと。関係ないの、本当はね。そこが分かる迄は、結果に心を奪われる間は(自分を責めて苦しむのです)。

 結果に心を奪われるとは何かっていったら、自分の過去からの経験に基づいて良い悪いって判断するからや、わかる?過去を掴むから結果が気になる。過去を掴まなかったら結果は気にならない。それなら人からどう言われたって気にならない。だから「元より後ろ指刺されるのは覚悟の上」って先生いつも仰ってたわけ。人から何を言われても平気の平左やったわけやけどね先生はね。それはそういう意味やね。過去を掴まないから気にならない。

 人間の言う良い悪いの判断では無いから。神さまが良い悪いって決めることや。でも神さまは悪いって決めないのね。すべて良しやね。ここが問題やねんな(笑)。みんな神さまも良い悪いってされるやろうと、だから神さまが罰当てるって言うね。

 神さまは罰当てないのね。神さまは全て良しやね。それは何でかって言ったら全部神さまの御働きだけやから、その御働きをいろんな役割に分けて楽しんでるわけ。それは強い光、弱い光。或いは赤色、白色、黒色って役割を付けて陰影をつけて楽しんではるだけやね。その陰影を付けた所謂、縁の下の力持ちの方やね。黒子の部分、舞台でいう黒子の部分ね。そこだけ見たらたいして働いてないように見えるわけ。でもその黒子の部分がないと沢山働ける人が働けないのよ。

 歯医者さんのお友達が多いんですけども、歯医者さんはね、歯科助手さんがいないと仕事にならないって言うわけ。歯医者さんは全部できるわけよ。でも歯科助手さんはやることが限られているわけ。でもその人たちが電話をとって応対してくれて、それで先生が歯を削っている時に横から掃除機みたいなのを突っ込んでね、サァっとしてくれるから沢山仕事できるけど、これ1人でやれって言われたら何も出来ないって言うんだけど。もう本当にそこなんですよ、全ては1つなの。

 光は分けようがない。ただ神さまは陰影を付けて分けて楽しんでおられるだけっていうね、それがわかったら結果は関係ない。でもその黒子の部分もね、結果の働きとしてはちょっとだけど、全力を尽くさないと意味ないでしょう。それだけです。

 それがわかったら人を責めなくなる。人を責めなくなったら自分を責めなくなる。人を責めるいうのは結局自分を責めるんですよ。全て自分だから。実感として分かってようが分かってまいが関係ないのね。

 でも無意識に全て自分ってわかってるから。だから人を責めてるうちに自分も責め出す。或いは自分を責めているうちに人も責め出すの。両方どっちもありますけど。それが全て。 

 これがわからないと真祈りに入れない。過去を掴んでいる間は真祈り出来ない。みんな「過去を掴むな」って言われて、「いや、掴んでません」って言うわけ。何が過去を掴むかが分からないから過去を掴むって言うんやけどな。その過去を掴む意味を今、こと細かくわかり易く説明しました。ここで質問して下さい。過去を掴む、「いや、でも私掴んでない」とか。或いは今のここが分かりにくかったいうのがあれば聞いてください。いい?分かりやすかった?それならもうこれで過去…、はい、どうぞ。

質問:自分のことじゃなくて、社会一般的に過去の事例というものをいつもこう引き合いに出して、今ある問題をどう解決するか、というふうになっていると思うんですけど。

河上さん:そうそう。だからいつも人類が滅びていくのね。どの文明も。

質問:じゃあどのようにすれば…

河上さん:だけど一般の普段の生活はね、大体そのみんなの常識に合わせて付き合ってあげたらいいだけやけどね。だけど自分自身は人から何を言われても一生懸命するだけや。それだけです。

質問:いつも一生懸命やっていたらそれでいいっていうのが、ぐーたらしたい時とか何か一生懸命やってないからとかって…ちょっと…

河上さん:あのね、自分で気になる間はね一生懸命してるんよ。本当に一生懸命してない人はね、気にならないね(笑)。わかるかな?逆説的やけどね。自分はここは手を抜いてしまったなとかあるじゃないですか。それわかってる人は一生懸命してるわけよ。

 「私一生懸命してる」って言う人はな、その自分の過去の経験に基づいてこれが一生懸命やって決めてしてるだけやね。わかる?一生懸命を過去の経験に基づいて決めてしてるの。だからそういう人程ね、いっぺんズレるとものすごい悩む。それでノイローゼになっちゃう。だから常に常にね、神さまに立ち戻らなあかんのね。本来の自分の神さまにね。そのいつもいつも立ち戻ることを一瞬一瞬新たに受け直すって言うんだけど。

 それを「ありがとうございます」の10文字を唱えたらね、立ち戻れるの。でもその「ありがとうございます」って唱えても神さまの大きな意識に自分戻られへんのってみんな決めつけてしまったから、「宇宙神ありがとうございます」を出して、「印可書」を出してって先生苦労されてるだけ。だから「印可書」さえ読んだら、「ありがとうございます」って淡々と唱えれたら、神さまの意識そのものなんだってまず信じなあかん、

 実際そうだから。でも勝手に自分でね、過去からの経験に基づいて、「そんなんありがとうございますって言ったって何も変わらへん」って、要するに何も変わらへんって過去の経験に基づいて判断するわけよ。そうして縛って崩すの。だから過去の経験、常識に基づいてどうこう止めって。で、考えたらあかんっていうのはそこなんですよ。

 素直に「ありがとうございます」って唱えたら神さまそのものってフッと受けとらなあかん。それなのに必ずみんな「ありがとうございますって唱えたら神さまの立場に立つから良くなる筈や」とかね、わかる(笑)?まあ、極端に言うと奇跡起こる筈やのに、或いは体が楽になる筈やのに、仕事が簡単にいくようになる筈やのに、なれへんわって縛るの。その時点で全部崩れてるの、真祈りになってないの。

 真祈りというのは考えないの。神さまが「ありがとうございます」って言ったら、(
ありがとうございますの10文字が)神さまそのものだって言ったら「はい」や。で、神そのものだから、しんどくても、寒くても、暑くても、「あぁ、神さまが必要でこうしてるんだ、よかった」や。そこだけ。

 だけど過去の経験に基づいて判断したら、「なんでこのクソ暑いのに「ありがとうございます」やねん」「なんでこんなしんどいのに「ありがとうございます」やねん」って言い出して「ありがとうございます」の祈り言葉が(真(まこと)の神さまそのものっていうことが)うまく伝わらなかったのね。で、今度は考える隙も無いくらい沢山書いたわけ。「印可書」として。するとこのしんどいのになんで?って思う暇がないくらいようけ(たくさん)あるから「印可書」にしたんやけどね。

 「印可書」でもね「これだけ「印可書」読んでるのになんでこんなにしんどいの?」って言ったらもう終わりよ。条件がついてるでしょう。真祈りというのは無条件やから。無条件って何かって言ったら素直に「はい」や。 

 だから護摩木を書いたら真(まこと)の神さまが降り立って下さって、真(まこと)の神さまのお手伝いになってて、真祈りそのものだよって先生仰ったわけ。

 それなら素直に「はい」で護摩木を書かなあかんね。なのに「護摩木を書いても何も変わらへんわ」とかな、いらん事を思うからややこしいね。だけど護摩木はもう何を思っても良いから書いてと。それを持って護摩焚きに来てくれたら、もうどう悩んでても真祈りにするよって先生がそこまでおまけして下さってるから護摩は盛り上げていかなあかんね。

 だから先生は「なんやったら毎日護摩しようか」って仰ったくらいやね。もう毎日して頂いた方が良いくらいやね、本当は。だけどまぁ月に一回で行きますけども。その最初の素直の「はい」やねんね。それは過去を掴んで良い悪いって判断しないことよ。だから考えるなや。考えたらあかん。考えたら腹たってくるの、わかる?何でこのしんどいのに「ありがとうございます」って言わなあかんの…。はいどうぞ(笑)。

質問:何回も聞いてることなんですけど、なんかちょっと今日はのんびりしたいなぁとかそういう思いが湧いた時は「印可書」を奉納して、そのまま今日はちょっと休もうと思ったら休んだらいいし。やっぱりやろうと思ったらやったらいいってことですか。


河上さん:うん。その時にのんびりしたいなと思って、「印可書」読んでものんびりしたいなと思ってするじゃないですか。その時に自分を責めてしまうのね。

質問:良いのかなーって?

河上さん:そうそうそう、それがあかんの。そこでいいのかな?って思ったらやっぱりもう一回「印可書」を読まなあかんね。なっ、その繰り返しやね。今日はのんびりしたいなぁ、でもまず「印可書」読んでから、奉納してからとして、それでものんびりするって決めたら素直に「はい」やけど。それでものんびりしたい「いや、やっぱりこれ私怠けてんのと違うかなぁ?いいんかなぁ?」って思ってしまってもいいから。思ったらまた「印可書」読む、で行ったらいいの。それならもう悩む事はない。

 だからもう考えたらあかんって。考える前に「印可書」奉納するだけにしろっていうのはそこやね。考えると自分の過去の経験に基づいた良い悪いが出てきて腹が立ってくるね。自分に対しても他人に対しても。それで「ちゃんとこれだけ仕事せなあかんのに出来ない自分どないやねん」とか「動きよらへん、あいつはなんやねん」ってこう考えたら、腹が立つから考えたらあかんね。考えずに「印可書」奉納してたらいい。それなら今は「印可書」奉納してたら真祈りそのものって先生して下さるからスーッと進めるの。

 以前やったら雑念が湧いた時にそこで行き詰まるわけよ。せっかく深く入りかけてるのに戻ってしまうの、自分でな。自分で戻るんやで。神さまはスッとおいでってやってるの。素直に「はい、はい、はい」って行ったらスッと上がるのにやな(笑)自分で「こんな自分では」って言うわけや。神さまは「こんな自分でいいから来い」ってやってるねんけど「いや、やめときます」ってみんな帰るのね。もうずっとその繰り返しやけど、いよいよ因縁因果の輪を断ち切ったからね「印可書」奉納するだけでスッと行けるの、今は。因縁因果の輪を断ち切ってない間は「印可書」奉納してもやっぱり思い巡らす心が湧き過ぎるのね。今は「印可書」奉納したら思い巡らす心が、要するに過去の経験に基づいて良い悪いで判断してる過去を掴む心が湧きにくいから大丈夫なの。

 だからそんなに難しくは無い。だからちょっとでも行き詰まったら「印可書」奉納して、別に「ありがとうございます」で良いんやで、10文字で良いんやけどね。「ありがとうございます」を奉納して進んでいかなあかん。それで仕事の最中やったら「あー」で進めって言うやん。それは「あー」が真(まこと)の神さまそのものやから。「うー」がそのものやから。「すー」がそのものやからね。只1文字やったら不安やから10文字になってるし「印可書」になってるだけやからね。そこを絶対の信を立てるかだけ。立てれたら全知全能の神さまが一番良いようにしてるだけやね。それなら仮にね、腕を切り落とされようが何しようが平気になる。

 真祈りとは色々ありますけども、自分は肉体という意識を捨てれることやね。自分が肉体という意識がなくならなあかんね。でも神さまを中心に置いてなくならなあかんのね。昔は「印可書」が無いから「ありがとうございます」が無いから自分をなくす事だけに集中してね、そこで行き詰まるのね。

 例えばね、今スポーツ選手やったらそれをする前に準備運動してから身体を温めるでしょう。そうしないと怪我するとか筋(すじ→たとえばアキレス腱とか)切断するとかやるじゃないですか。それは自分が肉体だと思っているからや。わかる?だけど昔の剣豪小説じゃないけども、日本刀で切り合う時代やったらね、突然襲われるわけやんか。それなら「おっ!ちょっと待ってくれ、まず準備運動するから!」って(笑)言わないでしょう?向こうも突然切りかかって来るわけや。突然切りかかって来たのを突然受けて別に怪我しない(筋を切って故障しない)でしょう?それは何かっていったら、もう肉体は自分ではないっていうとこまで修行してるから。

 要するに剣を1日1万回振るって決めるとね、それを10万回振るってなったらもう肉体では振れないから肉体の自分でないというのが分かるわけね。だけど神さまに意識合わせてないから、肉体は自分でないで止まるの。それを天狗さんって言うんやけどね。天狗になるって言うわけね(笑)。本当は、肉体も魂もすべて自分でなくて真(まこと)の神さまだけまでいかなあかんねんけどね。肉体が自分でないって分かってくると色んな奇跡も起こせるし、色んな事が出来るんですよ。それを修験道って言ってね、山で役行者って言うんですか?走り回って「行」された方っていうのは色んな超能力を発揮するのね。それぐらいは誰でも出来るの。

 でもそれではまだまだ因縁因果の世界の中の話であって神さまと繋がってないのね。神さまと繋がらなあかん。神さまと繋がるのはね、所謂、自力他力の世界なんです。修験道の世界、今言う肉体は自分でない迄はね、自力で出来るんです。自力では深い悟り、だから肉体は自分でないと思うと1つの悟りは悟りなのね。だけど小さい悟りなの。

 すべては真(まこと)の神さまというのは大きな悟り、大悟(たいご)って言うんですけど大きな悟りなんですよ。その大きな悟りというのは自分では何も出来ないって分かることなの。自分では何も出来ないって分かって、自分は肉体では無いって分かるのが大きな悟りなんです。そうなるといらん奇跡も起こさないし、いらん事もしないし、必要な事しかしなくなる。

 只、その大きな悟りというのは神さまに引き上げてもらうしかないんです。自分からは上れないの、常にね。松下先生といえども、みんなそうなんだけど。それで自分から上らない方法が今言った、過去を掴む自分を捨てて、今が1番良いようになってるって信じ切れること。全知全能の神さまが1番良いようにしかしてないって信じ切れることが、神さまに引き上げてもらう要件なの。素直に「はい」って。一言でそれを素直に「はい」やでって言ってるけどね。もうそこだけなんですよ。

 でもみんなついつい過去の経験に基づいて良い悪いって判断して、良かった悪かったってやってるわけ。その良かった悪かったを捨てなあかんのね。だから考えたらあかん、考えたらあかんて言うのね(笑)。絶対神さまは良いようにしかしてないから考える必要がないのね。只々喜んでたら良い。だから先生が「喜んで感謝して待っててくれたらいい」って仰るのはね、喜んで感謝してもすぐには何も変わらないから待たなあかんのね。そこで皆待てないのね。「理屈で喜んで感謝してたらええねんな」、今の話でもそうですけど「神さまは全知全能で1番良いようにしてるんや、それならもう喜んで感謝してたらいいんやな」迄は分かるのね。だけど待てないのね(笑)。

 それは考えるから。ついつい過去の経験に基づいた結果を気にするから。無意識に過去をまた掴みに行くんよ、何も起こらないと。「印可書」を読むと無色透明になるから本当に何も起こらなくなる。すると不安になってついつい過去を掴みに行くわけよ。過去の経験に基づいて良いんか悪いんかって思おうとするのね。だから考えるなっていつも言うんやけどね。考えたら腹立ってくるでって。どんな形でも「「印可書」読んだって何も起こらへんやん、なんやねんこれ!」って言って腹立つわけや(笑)。理屈言い程やで。

 だから「印可書」が出た頃にね、理屈でわかる人ほど「印可書」を読んで下さったの。だけど理屈言いやから「「印可書」を読んでも何も変わらへんわ」って腹を立てはるの、極端に言うとね。それで読まなくなる。そういう感じで要らんことを考えることもない。

 大悟(たいご)というのは神さまに引き上げてもらうだけやから素直に「はい」やからね。もう淡々と「印可書」奉納してたらいい。その時に過去の経験に基づいてこれが良いんかな、悪いんかなぁって考えない事やね。何も起こらない事を喜ばなあかんのね。或いは何か起こった事を喜ばないと。痛い事を喜ばないと。病気になった事を喜ばないと。暑い事を喜ばないと。寒い事を喜ばないと。まずね。そこからやね。喜んだら後は感謝して待つだけやね。そこを待たれへんのね。なんで待てないか、神さまが全知全能って信じ切れないからや。全知全能の神さまがその人にとっては今暑く感じる方が健康になるときは暑く感じさせるの。ガタガタと震わした方が健康になるときはガタガタと震わすの。それなのに寒いからどうしようってやるわけ。もちろん寒いから服を着たらいいんやで。だけど「なんで寒なるん」って文句を言ったらあかん。暑いからといって服脱いで水かぶってもいいよ。だけど「なんで暑なるねん」って文句言ったらあかん、わかる?ここが大事やね。何も考えるなって言ったらひたすら辛抱することと思ったら違うの。それがわかったら神さまにスっと引き上げてもらえる。

 幸いなことに「印可書」奉納したら神さまの大きなお仕事のお手伝いになってるからあっという間に。まぁ引き上げというより神さまが後押しするだけやけどね。後押ししてもらって上に上がる。それで神さまは平等にね、まぁこの勉強会の時でも皆さんに僕、平等に光を出して平等に清めるんですけども、過去を掴む分だけみんなが受け取れないだけよ。わかる?いつもいつも神さまはね、大きな大愛で皆さんを押し上げてるの。だけど受け取らないのよ。自分で勝手に自分を責めて。「私なんか」って言って。「私なんかいいです」って遠慮するのね。それだけ(笑)。なんで「私なんか」って遠慮するかって言ったら、自分の過去を掴んだ経験に基づいて良い悪いって判断して「こんな私なんか」って言うからや。

 どの経験も、どんな体験も神さまが必要で与えて下さったものやから喜んでたらいいだけやね。それなのにそれを掴んでどうこう言うからややこしいね。だから考えるなって言うのね。喜んでたらいいだけやね。いつも神が良いようにしてるよって喜んでたらスーっと押し上げてもらえるの。






令和3年9月勉強会―2(20210912−2)

河上さん:はい。

質問:積極的に行動に移す時には、考えに基づいて動こうとするのですが?

河上さん:それはそれで良いの。それはそれで良いねんけどね、それでやりだした結果に心奪われない事や。だから例えば、新しい機器を開発すると、こうしたらこうなるから、こうしようあーしようって改良していく事は良い事やね。だけど、こんだけ一生懸命にしたけど上手い事行けへんわって掴んだらあかん。上手い事行けへんかったら、あっ、また別のやり方しましょうっていう、自由自在性がある事が考えるという事。

 掴むっていうのは、こんだけ一生懸命してきたのに全然あかんかったって言ったら、掴むや、過去をね。これはこれであかんかった、ではこうしましょう、こうしましょうって自由自在になったら良いの。良い?

質問:動く時は過去の経験に基づいて動いても良いけど、出た結果に対しては掴まない。

河上さん:そう。結果に一喜一憂しない。

質問:分りました。

宮野さん:評価も。

河上さん:そうそう、周りの評価も自分への評価も関係ない。気にしたらあかん。あっ、これしたらあかんって分かって良かったやな。そうなのに3年もかけてやってきたのにこれか!って言ったらあかんの。3年で分かって良かったやな、本当はね。本当はそうなんやで、そんな短い時間で分かって良かったなー、やね。
 それがコロナに対しても一緒なの。コロナはあかんって決めてね、これは病気だからあかんて決めてコロナと敵対するから、余計熱出して苦しむ。

質問:コロナの話題が出ましたので、コロナと共に生きるっていう事が、どういう事かなっていうのを自分なりに考えたんですが、例えば、インドでしたらまだワクチンが、スエーデンだったかな?沢山の方が亡くなってから、今の時点では自然免疫が出来たのか、感染者数が少ないと。
 対してイスラエルはワクチン接種率はとても高いけど、感染者は又、激増しているっていう現実が有って、コロナと一緒に生きるっていう事は、スエーデン的な感じなのかと?そうするとこの場合は広大な犠牲というか、死者とかそういうものを受け入れるっていう事が、共に生きるっていう事なんでしょうか?

河上さん:違う。あのな、スタートが違うの。神さまは無駄な物は一切お創りにならない。先ずここだ大事やね。全部必要な物をお創りになる。必要な物を喜んで受けたら良いだけやね。そしたら必ずプラスに働くの。

 ところがコロナはあかん、ウイルスはあかんってマイナスに責めるやろう?その思いが反応してウイルスが変化するんと違って、人間の体が勝手に悪いように変化する。それがウイルスという機会を使って、神さまは全部それを消してくるんよ。その人が過去に人を責めてきたとか有るじゃない?文句言ったとか、それが全部その時に束になって出たら死ぬの。で、死ぬ形で大きく消して貰えるの。だからコロナで死んだから可哀想じゃないの。もう全てはそこやね。

 例えばあんな悲惨な戦争が有って、あんな残虐な事が有ってって言うじゃないですか?でもあの小さい形で消したというだけやね、本当は。
 或いは津波で亡くなって気の毒だって言うけどね、あれで神さまのお仕事に大きく役立っただけやね、本当はね。そこが分らないと永遠に又、結果のマイナスを掴んでね、堂々巡りするんよ。で色んな理由で考えたらあかんって言うの。神さまが良いようにしてるんだから文句言うなって言うの。

 先生の言う「喜んで、感謝して、待ってたら良いんやで」っていうのが、それが本当に深い真理やね。何があっても「喜んで、感謝して、待ってたら良い」ねん。でもみんな待たれへんね。
 そんなん言うけどしんどいもん、そんなん言うけどお腹空いてるもん、そんなん言うけどこのまま行ったら餓死するもん、とかね要らん文句言うの。文句言った時点でアウトなるの。

 だから先生良く食べ物で仰ったわけですけど、断食しようとしてる人は3カ月位水だけで平気やっていう訳。でも山で遭難した人は、もう三日も食べられんかったらアウトなるっていうてね。
 要するにプラスに受けるか、マイナスに受けるかやね。だから喜んで、感謝して、プラスに受けて、要する喜んで、感謝してという事は、プラスに受けて、神さま一番良いようにしてるって、喜んで待ってたら良い。そしたら良いようにしか成らへん。
 それを途中で文句言って、自分で自分を縛って崩れるん。自分で自分を縛って小さくなった分だけ、どんどん下へ落ちて行くの。

 今回は地獄を無くすから、漆黒の闇に落ちるから、そこに落としたくないので、今、色々苦労している。「全員助けるから、連れて行くから」って言ったら、じゃあ、何しても良いんやなって訳の分からん事を言って、無茶する(人)のおってね、そんなんは(そんな身勝手な人は)漆黒の闇に落ちるから、ちょっと予定外になって来てる。中々説明難しい。

質問:コロナと関係あるか無いか分らないんですけど、河上さんが秋位から体が腐って来る人が急増すると。実際まさかと思うんですけど、私の身近な方のお身内の方が、ちょっとしたことからあっと言う間に体が全部腐って、

河上さん:なるやろう?

質問:で凄く大きくなって、

河上さん:もうどうしようもない。勿論本人がね、本人が神さま良いようにするって信じてね、印可書奉納したら違うよ。でも回りからはどうしようもない。
 あの転換期、今日が転換のポイントですと言った、深夜勉強会の日(8/13)があるわけですけど、あの日過ぎてからは本当にオマケ無いの。本人が奉納する以外ね、もうどうしようもないとこ迄来たん。いよいよ間引きが始まるみたいなもんやな。本人がちゃんと印可書奉納を選んだら良いだけやけどな。選ばない人は選べない形で消すわけ。
 印可書の奉納で今までのマイナスを消すか、違う形で消すかだけで、どっちが良い悪いではない。

質問:その方にはお会いした事も無いんですけど、その方を思いながら、こう

河上さん:お祈りしたら良いんだけど、もう以前と違ってそのオマケがあんまり効かないの、これから。その転換期だったんだけどね、もう過ぎちゃったから、峠を超えちゃったの。

宮野さん:お祈りしてギブアンドテイクもないし。

河上さん:そう、お祈りもギブアンドテイクは無い。この印可書を奉納するから病気治れって言ったら、もう奉納でない。只々、神さまに印可書を捧げるだけ、結果は関係ない迄、行かないとダメです。

 特に神さまの名を騙って、マイナスを積み重ねた人が沢山いるのね。そういう人らは腐って行くの仕方ない。どういう事かというと無責任な人です。この人のせいにしてついて行ったらエエわっていう無責任な人ね、そういう人らが腐ります。

 それはアダムとイブの物語が聖書にあるでしょう?それをマイナスに解釈してね、女が男を騙して、イブがアダムを騙して、この罪人の世界に引きずり込んだと、だから女は一番の極悪人の罪人やから、男の言う事を素直に聞かなあかんという、神さまの名を騙ってそういう事を言う人らがいらっしゃるわけ。そういう事をする方も大変だし、それを信じて無責任にね、神さま以外の人間の男の言いなりになるのも間違い。

 それを今までだったらオマケで何とかして来たけど、そういう無責任な事をしてる人は全部腐っていく。腐るという形で消します。もう時間がない。
 だから皆さんの回りでエッという位、沢山の人が死ぬようになりますけども、ひたすら印可書を淡々と奉納していて下さい。

 何とかしたかったけど、あの転換期までに変えれなかったです。僕の真祈りの出来なかったせいで申し訳ない。もっと深く真祈りしなくっちゃいけなかったけど、入りきれんかったです。色々有りましたけど。
 でもね、大きな岩を一人でなんぼ(いくら)押そうとしたって、時間が掛かるじゃないですか?でも100人集まって押したらスッと動くでしょう?そういう感じでみんなが真祈りしたら良いの。だから200人の真祈り人って言ってるけど、200人に別にこだわって無いね。みんなが真祈りしたら一気に変わるから。でも今の状態で行くと、今言った形で消すという事です。どれを選ぶかは皆さんのご自由だという事です。

宮野さん:遅いっていう事は無いですね?

河上さん:無い、それで神さまに素直にならなあかん、ね?その目の前の男の人の言うなりに素直になるんと違う、勘違いしたらあかん。神さまに素直になるっていうのは、最初に説明したように、今が「喜んで、感謝して、待つ」っていう事や、印可書を奉納してね。

 だから家の嫁はいう事を聞かんなーで良いの、男の方から言ったらね。女性の方からしたら、一々旦那の言う事を聞かんで良いの、神さまの言う事を聞かないと。それは只々、印可書を奉納するだけや。

質問:何回もお話し頂いている事で、本当にこれは確認なんですけども。誰かを責める、自分を責めるというのは過去を掴んでいる。過去を掴んでいるっていう事は、真祈りの入口に入れない。

河上さん:真祈りの入口には誰でも入れる。そっから奥へ行けれない。

宮野:なので毎日、日常の事などで誰かを責める、或いは自分を責める事が有ったら、兎も角、淡々と印可書を奉納して、何も考えず淡々とフワッとし続けるという

河上さん:そう、何も考えるなっていうのは、結果を一喜一憂するなっていう意味やね。考えたら結果気になって腹立って来る。喜んで、感謝して、待ってるというのは、結果を云々したらあかんわけよ。待たれへん、結果気にしたら。だから考えたらあかん。

宮野:現状はきっとね、形が変わっても同じだと思うのね。パレートの法則みたいのが有って、例えば凄い嫌だなっと思う人の癖、嫌な人、嫌な言状、ね。色んな嫌だって思うところが有って、その嫌な部分を排除したら、後快適になったと思う中で又、嫌な事が増える。同じような割合で出来るわけやからエンドレスでもってそうやと思うのね。
 でもエンドレスじゃない方法は何かというと、神さまと不離一体の自分、祈り続ける事で、排除しなければいけないという、その2割の部分が気にならなくなる。でも現状は何も変わらない。でも自分はそこに心を踊らされなくなる。動かされなくなる、不動心という状態になると思うのね。状況は何にも変わらない、何時も何時も嵐の状態かも知れないけど、でもその嵐に自分の心が揺らぐ事がないって話やね。

河上さん:そう、現世の世界だから最初に説明したように、幸せは不幸の上に成り立っているの。必ずそれは間違いないの。なら全体としてここがマイナスやとするや、例えば1割がマイナスとするやん、それを切り取って排除するやん、な。排除して燃やすとするやん。すると又、その全体を支えるために1割のマイナスが出来るの。正確には50:50やけどね。只、マイナスもプラスも比率が有るやん?凄いプラスとちょっとのプラス、ちょっとのマイナスと凄いマイナスね。凄いマイナスとプラスはどっちも1割くらいやね。その凄いマイナスが凄く気になるわけよ。「あの使えん奴め、あの怠け者め」って言ってね。組織上それを排除するやん、するとその組織の中の誰かがその役目になるの。それまで一生懸命働いた人が急に怠ける様になるの。面白いで。だから排除したって排除したって絶対出るんよ。そういう表現の世界やからやね。そういう約束でなるようになっている。

 要するに真っ白な画用紙だったら面白くないから、黒い墨を入れて絵を描いたわけや、その黒い墨、気に要らんて外したら、やっぱり又、その今の状態見るために黒い墨がいるの。永遠に出て来る。それは良い悪い違う訳よ、私は今回黒い墨の役割をしますってしてるだけや。肛門の役割私しましょうねて、してくれてるだけやのにな、あいつ使えん奴やってやるのね。給料泥棒めみたいなね。

 そして伸びて行く大きい会社っていうのは、そういう使えん人も上手く使って行くの。周りが給料泥棒と思っていても、お給料払って使うのね。そういう感じやのね。だから結果に一喜一憂したらあかん。考えたらあかん。

 神さまが何時も一番良いようにしてんの。これが虚の世界を超えて真(まこと)の世界に入ったら、プラスだけの一大循環の素晴らしい世界だけになるんやけどね。その一大循環の素晴らしい世界だけで飽きてきた人がな、要するにわざわざオカルト映画を見に来たわけ。行くなって言ったって見に行くやろう?おもろい映画を。何回か見たらもう飽きて観にいけへんはな。だから飽きる迄行くみたいなもんや。

質問:この虚の世界にいる間は、じゃあー幸せを求めない方が良いという訳ですか?(笑)

河上さん:いや、違うねんて、今の説明で言うとね、怠けてる人もセットで喜んでたら良いの。それが気になるというのは受け取れてないんよ。要するに一部しか受け取れんと不幸やね。だから一部だけ受け取ってね、私今幸せの絶好調やねっていうのも、本当は不幸やね。だから禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如しって言ってね、良い時が有ったら悪い時がある、その波が大きいほど落ちるのも大きいって言うでしょう?その通りやね。その全てを楽しんだら良いね、大きい立場で。そしたら喜べるけど、小さい立場に立ってたら、暑かった寒かったみたいなもんよ。甘い辛い甘い辛いみたいなな、お金一杯お金全然ない、一杯全然ないみたいな。それを楽しんでんの、本当は。だから小さい立場に立っても楽しんでるの、だからゲームに入って楽しめるんやんか、それも難しいゲームにな。何でわざわざ、あんな難しい時間かかるややこしいゲームするん?って思うけどな、みな難しい方が面白いってするんやろう?
 野球でも飛ばないバットの方が面白いんやろう?あんな金属バット使って30対50とかしたら良いんやけど、2対3の僅差で勝つのが面白いってやってるわけや。

 大きい立場に立ったら全部幸せやね、それだけ。その大きい立場、神さまの立場に立つ方法が印可書を奉納する事やから。そしたら真の世界も虚の世界も全部ひっくるめて楽しめる状態になっているのを悟りっていうの。

 だから真(まこと)の世界に居てた人が、わざわざ虚の世界に落ちるっていうのはね、全部を楽しめなあかんからやね。だって神さま不必要な物作らへんわけでしょう?虚の世界といえど神さま創ったんや。勿論、人間が神さまのエネルギーをマイナスでいじって作ったわけやけど、それでもエネルギーを出して下さったのは神さまや。必要なかったら神さまエネルギー切ったらええね。映画館でいったら後ろの光源、スイッチ切ったらスクリーン消えるやん。消すのは簡単や神さまも。でもそれでは面白くないの、全部を楽しめな。

 だからこの世でもそうでしょう?普段普通に生活していてもオカルト映画見に行って、ウワーあの映画怖かったなーってやってるわけやんか。楽しんだだけや、怖がったの違う、本当はな。でも映画館の中にいてる時は、怖いわ,怖いってするわけやろう?でもそれも楽しんだんや。
 でも大きい立場に何時も何時も立ち帰らな、それを一瞬一瞬新たに受け直すって言うの。でもそれが分からんから印可書を奉納して、すると一瞬一瞬新たに受け直してるからって。でも受け直した時に考えたらあかんでっていうわけよ。結果考えたら腹立つからな、待たれへんって言いだすから。何時も何時も全能の神さまが必要で一番良いようにしてるの、その人にとって。

 だから辛いなー、毎日仕事ばっかりにこき使われて、辛いなーって言いながら喜んでなあかんの、必要でその状態があるんやから。沢山働けたらいいのに中風になって、この不具合で生きて行かなあかん、嫌やなーと思っても、それが必要でやっているんだったら、それで喜ばなあかん。

 だから先生、全身が中風のようになって動かなくなった時もあるのね。でも先生はどうしようと思えへんわけよ、喜んではるだけやった。そしたらちょっとの期間で元に戻るの。でもどうしようと思ったら一生続くの。

 である人がここ(村)に来てて、中風になって寝込むの。すると先生が十日間水だけ飲んでたら治るって仰るわけ。素直にそれをハイってしたら良いんやけど、出来へんね。問題はそこやねん、神さまが一番良いようにしてる、一番良いようにしてる事を、まだ先生が翻訳して下さって十日間水だけ飲んでたら治るよって仰っても出来へんね。それ位結果を掴んで文句言うの、みんな。文句言ったら自分で自分を縛るから続くんよ。今のは誰の事とは言いませんけど、知ってる人はしってるわな?そういうもん。

 だから逆に言うとね、病気が治ろうが治るまいが喜んでいたら良いの。そしたら本当に健康になる必要が有ったら、健康になるような方法が自然に沸いてくるし、その形で消す必要が有ったら、一生それが続くだけよ。それを喜ばんならんね。だから一生七難八苦の連続で良いって先生は何時も仰っていたやん。なのにまだ文句言うか。
 今日はホンマに11時半で帰るから(笑)、密度濃く言ってるんで、分らんとこが有ったらすぐに聞いてや。ちょっとホント地震とね、大変やね。すぐ行かなアカンので、はい。

質問:もし、例えばこういう方が居たらという仮定の話で、ひたすら印可書を唱えています。悟っています。みんな悟っているんだから私も悟っています。護摩木もたくさん書いています。だから私の言う、やる事事は正しい。私は、私の言葉は神さまと同じです。私が人を責めても、それは私は印可書を唱えたうえで責めてるから正しいっていう方が、もし居たとしたら、

河上さん:いや、沢山います。(笑)

質問:だって河上さんも言ってたしとか、そういう感じの方がもし居らっしても、私は何か違うような気がして。でも、なんかチャンと理詰めで説明できないので

河上さん:そう、違う。もう説明する必要ないもん。結局、そこが一番の永遠の命題やね、私がっていう。自分が読んでる、自分がしてるからみんな抜け出されへんね、自分という小さい立場から抜け出されへん。自分がしてる、私がしてる、私が読んでるという小さい立場に立っている間は永遠に苦しむん。

 だから小さい立場に立って、昔で言うと、ほんなら(それなら)南無阿弥陀仏って唱えて人を殺しても良いんやなっていう奴や。

 小さい立場に立って南無阿弥陀仏唱えてもあかんね。小さい立場に立って印可書を唱えたってあかんねん。だから先生は印可書を読めって仰らなかったの。印可書を読めって言ったら、小さい自分でみんな読むから意味無かった。な、ここやった。で自分で読むというのを如何に外して貰うかで、淡々と奉納して下さいとか、結果を気にするなとか、求めるなとかね、求めるというのは小さい自分があるから、分る?小さい自分から見て、要するに過去の経験に基づいて良い悪いって判断しているのを小さい自分というわけ。その小さい自分から見て良い事起るって言って、印可書読んだって効果ないやろう?

 だから神さまが一番良いようにしているから、淡々と印可書を奉納して何も考えなって言ってるやん。考えたら腹立つから、結果気になって。というとこやねん。結果気になって腹立たんように考えんと喜んでたら小さい自分と違うわけ。結果気にして、ああやこうや言い出したらもう小さい自分なわけよ。そしたらあいつ怠けてるってなるの。大きく全体で見たら必要な姿やのに。

 学校でいうとね、どんなに教えたって勉強出来へん子てやっぱり居るんよ。でもその人らが居るからこそ、勉強出来る子が出来るね、っていうのが本当は分からなあかん。で勉強出来へん子は出来へん子なりに、一生生活できるようにみんなで支え合わなあかん、本当はね。そうなのに、あいつは何も出来へんから捨ててまえってしてしまうわけよ、ついつい。
 分かる?これで良い?そこが一番難しい、やっぱり。

質問:ある意味、清々しい位、考えていらっしゃらなくって、ある意味素直な方かなと思えてしまって、もしもそういう方が

河上さん:違う違う、自分がって言っている間は、自分で自分を誤魔化しているだけ。

質問:自分のやった事は神さまのやった事とか、

河上さん:だから、自分がやった事は自分がした事で、神さまがした事ではない。(笑)

質問:○○・・神さまが消して下さったとか、自分が凄くマイナスを周りにちょっと、マイナスとか私には見える事をやってて、人間関係なんか焼き畑農業だなと感じる、

Aさん:不離一体じゃないのね、分け隔てしてるよね。

河上さん:みんな結局は好きにするんよ。どう説明したって、好きにして自分なりに苦しんでね、気ずくだけやね。それが今気づくかね、今回は一旦漆黒の闇に落ちて、何百億年後に気づくだけや、そこまではその自由意思を縛る事は出来へん。只、ひたすら必死でね、説明はさせて貰うよね。

 自分というのは小さい立場とかね、自分というのは過去の経験に基づいて、良い悪いと過去を掴んだ結果で出来ているのが、自(おの)ずと分けるもの、自分やね。過去を掴むから自分が出来るだけやでとかね、もう事細かく説明したつもりです。だからそれを分かる分らんはみんなの自由や。

 只、常に常に神さまは全知全能で一番良いようにしかしない、という事を否定してしまうんよ、みんな。要するに自分にとって都合が良い悪いが、幸せ不幸せって言ってるわけでしょう?それって神さまの全知全能性を否定してるんね。神性を汚してるね、だから罪って言うの。だから善人ほど罪人やって親鸞さんが怒るのね。この善人ボケどもめって怒るんわけやけど、そういう意味やねん。私悪い事してへんってやってるわけ。違うって、それが一番悪い事やっていうのがね。

 そんなん悪い事してへんじゃなくって、神さまのみ心に立ったらね、無意識に必要な人を支えてるって。自分だけお金儲けしてね、自分だけええ物食べてとかせえへんって。自分にとって必要な物をしたら、後は余力は全部みんなの為に使っているって、本当はな。なのに今そんな人居らへんや。みんな老後病気になったら困るから貯金しとこうってするわけや。それで老後病気になってお金を使う。(笑)自分の言う通りになるんやけどな、ホンマわ。

質問:だって勝手に口が動くんだもんとかも。

河上さん:だって、自分がしてると思うんだもんって言ってるわけや。

宮野さん:神さまの名を騙(かた)ってるだけじゃない?

河上さん:そう、神さまの名を騙ってね、小さい自分の意識で動きはるね。でも今回はそれで漆黒の闇に落とすの敵わんから、そういう人みんな腐らすん、厳しいようやけど腐って貰う、そしたら漆黒の闇に落ちずに消えるやん。神さまが先生がみんなを連れて行くって約束されたから、先生は絶対約束守って来るな。で転換期過ぎたから、もうそういう屁理屈言いは腐るん、腐る形で消す、それも幸せやね。それがコロナのせいやとかね、新しい病気のせいやとか色々と理由は付くよ。でも実際はそんなん理由じゃないの、自分のマイナス、特に神さまの名を騙ってしたことが一番のマイナスやから。




令和3年9月勉強会ー3(20210912−3)
 
河上さん:どうぞ。

質問:あの、此処の人はみんな「印可書」読んでるんですけど、普段の生活の自分の周りの人が、まぁそんなこと全然知らん人がね、そういう人がみんな腐るという事ですかね?

河上さん:うん、だからいつも言うようにね、自分の真祈りの深さ次第よ。だから総責任者やね。自分の真祈りが足らなかったからみんなが苦しむっていうのは知ってないとあかん。

質問:もう自分が真祈りするしかないという事ですか。

河上さん:そう。自分が深く真祈りしたら自然にみんな「印可書」を選んでくれるの。自分がお祈りしてなかったら、そうやろ?美味しい物をね、自分が食べて美味しいって知ってるから勧めてもみんな喜んで食べるよね。だけど自分が食べてもないのにね、「これ美味しいで」って言ったって無責任や。無責任やしみんなも信じないよね。「あんたほんなら食べたんか?」って、「いやまだ食べてへんねん」っておかしいやろそれって言われるよね。そういうことよ。自分が深く祈ってないのに「印可書」は広まらない。自分が深く祈ったらこれ美味しいでって響かせてるわけよ。それならなんか「印可書」凄い良いなってみんな分かるね。だからまず淡々と奉納して下さい。それが深い祈りになって行くから。なってるから、なって行くからじゃなくてなってるから。

 「印可書」を淡々と奉納してる時はね、深い祈りっていうのね、信じなあかんのね。もうここが1番の大事やね。やっぱりどこかでね、「まだまだ自分はアレやけど印可書奉納しよう」やねんな。その「まだまだ自分が」が邪魔やね。その「まだまだ自分が」が出ないくらいひたすら淡々と奉納して下さい。その為に人によって色々ありますけど、糖尿病の形で出たりね、血圧が高いって出たり、凄い会社で大変になったりとかね、色んな形が出ます。それを深く深く「印可書」を読んで深く入ってくれっていう合図ですから。

宮野さん:でもあれやね。毎回多分、先程仰った質問の事は皆さん多分「印可書」を知らない人は山盛りいるじゃないって。身に触れることもないのに、分からないのにどうやって皆さんに、この知らない人達に知らせるのかなっていう、そういう事ですね?

質問:そうです。口頭で知らせるか、自分が真祈りして…そういう事です。

宮野さん:ですよね。その中で河上さんが今までよく仰ってた中で、先生もよく仰ってた中で、例えばご自分が代表して、お祈りをする者の代表としてこの世に生を持ってみんなそうなんだけど。でも先生の近いところに縁があって来られたというのは特にその「印可書」。「ありがとうございます」でやって来られたかもしれないけど、今は「印可書」、「宇宙神ありがとうございます」っていうところでもって、先生が大きくお祈りし易く、響かせ易いようにして下さったわけでしょう。じゃあそれを、まぁご自分がそれをお祈りする立場を頂だけたんだと。そしたらそれを祈ってたら他の人たちは「印可書」を知らないけど、何かの拍子に「印可書」に触れることがあったら、「印可書」にすぐ気が付くだろうし。それ以外「印可書」をわからない場合でも神さまの方に向いて下さるようになる。響でもって「神さま、あぁ!」何かあった時に「神さまなんだ!」って信じて下さる。そちらの方に顔を向けて下さるっていう、響きが伝わってくるんだと思う。世の中がどんなに暗黒の世になろうとも、お祈りをされてる方の周りには「あぁ、もう神さましかないんだな」って向いて下さるだけでいいわけ。そういうので「印可書」わかる人は「印可書」奉納されるのは勿論そうなんだけど、知らない人はせめて神さまの方に向いて下さるようにっていう事だと思うのね。そしたら自分が一生懸命、まぁ今わざわざ自分がという言い方をしましたけども、真祈りをするから神さまが「印可書」を読むためにお役割を下さったのならば、それをやってれば、奉納すれば周りの人に自然と響き渡る。今、河上さんがご自分のお祈りが浅かったが為にって仰ったように、お祈りが深くなればなるほど沢山の方に「あっ、「印可書」がわからなくても神さまなんだ。神さまっているんだ。」ってそれは日本人じゃなくったって海外の人だろうが、みんなそういう風な響きを持つよねって話で。だから「印可書」を…上手く言って。


河上さん:はい。要はね、すべては完璧なる1つって言うでしょう。それみんな実感としてわからないじゃない。でも人類の深層心理として共通意識があるわけ。この現世といえどもね。その人類のいわゆる深層心理、共通意識やね、潜在意識とも言うけど。その潜在意識の部分にまで「印可書」を響かすわけよ。するとパッと変わるの。それってお猿さんがね、芋を洗って食べる習性が始まったのね。それで99匹のお猿さんが芋を洗っている間はその地域のお猿さんだけが芋洗って食べたの。でも100匹目の猿が芋を洗った途端にね、日本全国のお猿さんが芋洗い出したの。それはお猿さんの潜在意識がそれだけ広がったわけよ。で、200匹のお猿さんを作りたいわけや(笑)。200人、別にいいんだけどね、最低200匹は要るっていう。それだけ。自分の潜在意識はみんなの潜在意識と共通やね。それがオーケストラでね、1人が楽器を弾いたって音知れてるよね。だけど100人のオーケストラで弾いたら100台の楽器以上の音が出るわけでしょう。それが護摩やね。護摩で演奏したら真祈りがワーッと広がるの。それとは別に200人の人が毎日毎日ひたすら淡々と「印可書」を奉納してくれたら全人類の潜在意識にバァーって行くの。それだけなんです。

宮野さん:という事は別に「印可書」を知らない周りの方にわざわざ「印可書」やねんでって言わなくたってっていう事なんですね。

河上さん:表面から言ったって無理なの。なんでかって言ったら怪我するでしょう?内側からしか治らないの。「印可書」を人に勧めるというのは怪我してる上から揉んでるようなものや(笑)。こう「治れ、治れ」ってね、怪我した上を揉んで治そうとして余計に悪くする形になるの。だから表面からは治らない。先生がいつも仰ってたのは「中から段々と徐々に変わる」って言う。もう傷口がそうやんか。怪我して「うわぁ、どうしよう」って思ってるけどちょっと絆創膏してね、忘れてたら内側から治ってるわけでしょう。だけどしょっちゅう絆創膏外してね、「どうしよう、どうしよう」って言ってたら中々治らないよね。そういう感じよ。だからまず「印可書」を皆さんが淡々と時間を惜しんで奉納して下さったら良いです。それが神さまのお手伝いになるっていうてる。お手伝いになる理由を今細かく言ったんです、はい。

質問:護摩の時にヘンデルさんがハレルヤがもう8合目くらいで…

河上さん:41番目やね。

質問:今が8合目だから真祈りも、もう頂上は近いという事ですね?

河上さん:はい。ただ、夜明け前が1番暗いからね。

質問:だからもう一踏ん張りだから…

河上さん:まぁもう一踏ん張りという表現も違うんだけどね。ただ夜明け前なんよ。今はね。夜明け前って1番暗くて寒いのよ。でももうすぐ太陽登ってくるね。夜明け前でそのちょっとの間はまだ寒くないね。まぁ一晩寝ずにお祈りしてたらわかるわ。4時ごろが1番寒いね。そこから一番寒いし、1番暗い。まぁ6時位にお日様登るとしたらね。そのもうすぐ光が出るんだけど1番大変に見えるの、結果としては。今がその状態なわけ。だから今にも戦争が起こりそうだし、今にもっていうのばっかりがあるわけね。大地震が起こりそうだし、東京なんかはボロボロになりそうだしみたいなね。もう今にも今にもがいっぱいあるんだけど、それに一喜一憂せずに淡々と奉納することが大事。それを気にしたらいちいち絆創膏外して傷口を見てるようなもの。だからこの先生に縁がある人でも「印可書」なんてっていう人もね、まだまだ居ると思ってもそんなん関係ないの。まず自分が響かさなあかん。響かしたら勝手に変わる。だって先生が深く深くお祈りしてね、皆さんをお清めしてね内側を変えて下さったからね。先生亡くなられた後に僕が喋り出してもみんな分かってくれるの。それまでに(先生が生きていらっしゃるころは)なんぼ(いくら)話したって振り向きもしない(笑)。それくらい内側からが大事なんです。

質問:ありがとうございます。

河上さん:はい。

質問:つい2,3日前のNHKのニュースでトヨタが40万台生産できない。なぜならば部品が入ってこない。東南アジアの方に頼っていて。それはコロナのせいでその現地の工場が閉鎖してるからっていう事だったんですが、私には何故かアルカイダがアフガニスタンが政府が新しく樹立できたり、まぁそこが中国と関係だとかね、色んな意味合いで何か故意にこっちに入ってこなくなってきているように何か思えたりするんですけども。まぁ○○とか。

河上さん:ああ、神さまの大きな計画の中でね、その地震で消すか、大噴火で消すか、戦争で消すか、がいつも同時並行で動くの。だからその結果ね、アルカイダがどう、中国がどうの、アメリカがどうのとか、或いはもっと闇の組織、イルミナティ?ですか?なんかどうのとか皆言うけどね、そんなん結果や。神さまの予定の中にどうして消すかだけがあるの。それは神さまの大きな会議があってね、どう消すかがいつも相談されるの。それだけです。その中で1番穏やかに消す方法はね、皆さんの真祈りにかかってるわけ。「印可書」の奉納にかかってるだけです。人類の自由意志に関しては任すから、その自由意志の中で「印可書」奉納するんやったら、この形で消そうとかねするわけ。

 それでも神さまの中で1番小さく消える方法をいつも相談されるの。それが地震の方が良いのか、戦争の方が良いのか、大津波の方が良いのかとか、大陸が沈むのが良いのかとか、地軸を傾ける方が良いのかとかっていう色んな選択肢があって、それが同時並行的にいつも出てくるのね。で、それをもうちょっと待って下さいっていうことで、今回は九州にお祈りに行ってもらったり、色々してお願いして待ってもらってる状況が続くだけなんです。でもそうやってお願いする真祈り人が増えたら一気に変わる。いわゆる潜在意識が変わってね。みんなが真祈りしだして、もう神さまの手を煩わせなくてもね、幸せになる。もうそれだけ。

質問:中東の方で特にアフガニスタンとか男の人が女の人すごくこう…その辺はさっき仰ってた男の人の方が偉いんだとか女が従えとか…宗教上にそういう考えがあって。まぁ、例えばアラーの神さまがそういう風に仰ってるんだったら。

河上さん:アラーは言ってないそんな事。要するにね、神さまは間違った事は言ってないのよ。だけど後の宗教家がね、自分の都合の良いように曲げているだけ。

質問:その辺りもその国々の人たちは皆そう信じてても此処でそういう分かってる人たちが「印可書」をお供えすることによってさっきのその…

河上さん:うん、潜在意識が変わって変わるよ。

質問:大丈夫なんですか?

河上さん:大丈夫、勿論。神さまが必ず良いようにしか言ってないのね。それを宗教家の方が自分の生活のために歪めて言うの。例えばアダムとイヴの物語でもね、イヴが騙されて、イヴが蛇に騙されてりんごの木の実を食べて、アダムを騙してってなってるでしょう?でも、あれは騙してと違うのね。女性ってほら堅実よね。だから出来るだけ現実を良いようにしとこうってするやんか。要するに現実を掴むことがダメだよっていうことを言ってるんだけどね。蛇の知恵ってそういう意味やねんけどね。蛇というのは物質波動の象徴よ。蛇ってこう動くでしょう、ウネウネと。物質波動の象徴を蛇って言うの。要するに物がないと困るってね、女性ほど「何もなくてもいいよ、餓死してもいいよ」とは言わないわけよ。やっぱり子供の為、親の為にちょっと確保しとこうってするじゃない今でもね。そういう現実を掴む気持ちが罪で、それが結局は大きく膨らんでね、こうなったっていうのが楽園追放の意味やね。本当の意味はね。カゴメの歌もそうやね(笑)。

宮野さん:カゴメ?トマトケチャップみたいな。

河上さん:そうそう、カゴメの歌もそうやんか。物質の方が大事、要するに過去を掴む、現実を掴んだ方が良いっていう気持ちがね、真(まこと)神さまを籠の中に閉じ込めてしまうね。鶴と亀が滑ったっていうのはね、そのプラスとマイナスが一つに統合された。滑る(統べる(すべる))って統合という意味。で後ろの正面だあれって言うでしょう?後ろの正面、全て真(まこと)の神さまだけって言うてるの。な、簡単な事なんやけどな。全部同じような事を、どの宗教も、アラーの神さまでも同じ事を言ってる、ゾロアスター教の神さまでも同じ事を言ってるの。

 だけど結果を気にするな、考えるなっていう部分は(小さい肉体意識の自分という自我は)気に要らんのよ、みんな。考えたいの、結果を掴んで良い悪いを言いたいの。だってゲームがそうやんか、結果を出して勝った負けたを言いたいわけやろう?勝った負けたは無いのに。それで教祖様の言う大事なとこは聞かんと、やるわけやね。

 例えば、生長の家だったら、人間神の子罪無し。病気無し、ってやるわけよ。実相独在(じっそうどくざい)ってやるわけよ。そこだけを素直にハイって受けたら良いんだけど、心の法則っていう訳よ。だから素直にハイって言わないから肺病になるとかね、人を責めだすね。それはあくまで実相独在を説明するための補助やのに、そっちの良い悪いをつけたいわけよ人間は。で良い悪いのとこだけをやりだすの、で現実を摘みだす。で物質無しって言われても受け取れなくなる。

 良い悪いじゃなく、人間の側が現実の結果で判断したがるね。現実の結果で判断すると、それはすぐに過去になるから過去を掴んでいる事になるの。掴んだらもう身動きとれんようになるの。

 例えば、ここに私は住みたいねんって言ってもね、もうすぐあの火山噴火しそうだったら、そこ捨てて他に移動せんとあかんわけでしょう?だけど殆どの人はここが良いねんて動けへんね。或いは、私ら代々ここに住んでいるのにね、何で立ち退かなあかんねってやるわけよ。それで戦争になるねんけどね。こっちからどんどん攻めてきた、で立ち退きなさいって言われて「何で立ち退かなあかんの、私らずっと此処に住んで来たのに」ってやるわけ。だけど神さまの大きな立場から言ったら、形の上では誰かが攻めて来て立ち退けやけど、立ち退くことが必要で、それが一番良い事やねん、本当はな。だけど小さい立場で見たら何で故郷捨てて、そいつらに渡さなあかんのってなるわけ。

 だから日本でいうと昔にね、神武天皇とそれ以前の王朝とがある訳やけど、どっちも3種の神器を持っていて、神さまの子やね。だから上の立場の人は話し合いで、あっ、じゃぁ新しい神武天皇さんにお任せしましょうって言って、譲るわけ。だけど下々の方は、私ら長年ここに住んでいるのに、何であいつらに渡して立ち退かなあかんのって言って、大戦争が起こる、みたいな感じやね。それは現実を掴むから。だから考えたらあかんし、神さま一番良いようにしているっていうのがね、大きい立場でないと分らへん、小さい立場に立ったら、私はここに先祖代々住んでいるんやってなるわけ。だけど本当は大きい立場だったら、そこを立ち退いて新しいとこで新しい体験を積むことが必要やね、本当はな。

 だけど小さい立場では分らへん。それは総てに置いてや。だから何で私病気になるのってやるわけ、何で私糖尿病になるの、何で私高血圧になるのってやりだすの。必要でなったん、喜んでたら良いの。それが分らへん。で先生とこ来てるのに何で病気になるんとか文句言いだす。文句言うなって言うているのに、分らへんやつやな。(笑)

 考えたらあかんって言うのは、結果を気にするなという事。現実を掴むな、過去を摘むなという事。考えるというのは、過去の経験に基づいて良い悪いを判断する事を、考えるというわけや。だから給料多くなった、減ったとか、会社首になったとか、新しいいい会社に入れたとかいうのがそうや。子供を大き良い会社にいれたとかね、結局過去を掴んでいるやん。その会社の過去からいって、ここ入れといたら将来も給料もらえるとかね、勘違いするわけや。

 昔でいうとね、陸軍海軍は入るのが一番安泰やった。陸軍海軍入って良かったなーやった。だけど全然ならへんやろう?或いは、昭和に入って、戦争こっちだったら銀行に就職するのが一番幸せだった。分かる?だけどあかんやろう?今は。現実として安定しているもんなんて無い訳よ。神さまが何時も一番良いようにするだけよ。その中で喜んでいたら良いの。自分にとって必要な体験を積むだけや。どの体験も必要で積まされるんであって、嫌がたって何時かは積まんならんね、嫌がったってな。

 それは子供の勉強がそうでしょう?何時かはどっかで勉強せんならん。今生でせんでも、又、來生になったらせんならんみたいなもんや。だから「喜んで、感謝して、待ってたら良い」、考えたらあかん。

 難しいことは無いんやで、でも現実掴むことが好きやね。或いは、良い悪いって白黒つけるのが好きやね、みんな。(だからといって)灰色に置いといてもあかん、全部白(真(まこと)のプラス)で喜ばなあかん。小さい立場に立ったら白黒や、大きい立場に立ったら全部白(真(まこと)のプラス、真(まこと)の神さま)でプラスや。だからプラスに見えん時は自分が小さくなっている時よ。

 だからアリさんと象さんで何時も言うけどね、小さいアリさんから見たら水溜りも大洪水や。大きい象さんから見たらちょっとした水遊びや。大きい立場に立たなあかん、その方法が、神さまに立場に立つ方法が一瞬一瞬新たに受け直す方法が、印可書を奉納する事やから。 

 今は楽やね、印可書を奉納するだけで済むから。昔みたいに朝5時に集合、橿原神宮に行って、寒い寒い中で座ってお祈りしてとか要らんの。これ先生全員にさせるんかなと思ったらさせんかった、僕一人だった。先生が結婚される前の話しですけどね。結婚される前は先生本当に厳しかった。それはひじを切り落とさないと入門させてくれない、厳しい厳しい先生だった、過去世の先生は。

質問:印可書がどうしても環境や現実に影響されて、思いに捉われて唱えられない時に、先生の、達磨大師さんの時の9年間の壁に向かって祈られた時の、苦労とかを思い浮かべて励まそうとするんですけど、達磨大師さんにとっての9年間は、喜び勇んであっという間の9年間だったんですか?

河上さん:そうです。ハイ、一瞬です。だから座ってお祈りしてはっと気が付いたら、足腐っていたというだけ。

質問:イエスさんの40日の断食も喜んでいたから、あっという間に、40日でしたか、断食して

河上さん:40日です。正確には44日だったんだけど。だから要するに小さい立場に立ったら何事も苦しいね。大きい立場にたったら何事も喜びやね。な、それが神さまの立場に立ったら、もう無条件の幸せ、無条件の喜びになるね。その大きい立場に立つ方法が、みんな分からんし苦労したわけよ。それをありがとうございますの10文字で、宇宙神ありがとうございますの祈り言葉で、印可書で先生がこれさえ奉納してくれたらってあるわけ。それも苦しいやろうから「あー、うー、すー」を言ってるわけで、それで頑張って貰うしかないんやね。

質問:印可書を出来ない時は護摩木を書いたり、色んな手段を使って・・

河上さん:そうそうそう、護摩木を書くのも良いし、村のお手伝いに来たら良いし、

質問:一通りやってたら印可書も又、唱えられる自分に戻れますね・・

河上さん:出来る。要するに護摩木を書くというのは自分が消えるね。村のお手伝いに来ても自分が消えるね。でも村のお手伝いに来て病気治れって言ったら消えへんわけ。自分って掴んでいるから、それだけやね。

 それで村に来れんくらい遠いい人はね、普段の生活を淡々とひたすらする事や、あぁっと思いながら。それが大事やね、考えたらあかん。ここやねんな、考えてついつい良い悪いって判断しようとするから苦しむ。

質問:印可書唱えられ時は、もう目の前の仕事をありがとうございますを唱えながらでも・・

河上さん:ひたむきにしたら良い。苦しい時、印可書を読めない時というのは自分というのがあるからやね。小さい小さい立場に立ったら本当に印可書を読めない。小さい立場に立ったら本当に印可書は読めない。小さい立場で印可書を読もうとする時はどうしたら読めるかといったら、印可書を読む変わりに病気治せとかしたら何とか読めるね。

 でもそれは読めるだけで意味ないわけよ。だから小さい自分を消す為の印可書やから、淡々と奉納するだけ。でもそれが読めん時は小さい自分という意識消す為にね、ひたむきに仕事に打ち込むとか、お掃除でひたむきにひたむきに床を拭いているとかね、

質問:後は神書を読んでみたり、

河上さん:そうそう、

質問:音声を聞くのでも良いんですか・

河上さん:良いんです。だけど自分という意識があるか無いか、自分という意識があるか無いかは文句を言うか言わんかや、結果を気にするかしないかや。結果気にしてる間は小さい自分や、大きい自分になったら結果気にせえへん、あぁ神さま一番良いようにしてるなって分かる。
  
宮野さん:床掃除しながらしたら良い。楽にできるよ。
  
河上さん:そうそう、床掃除しながらするのが一番楽やね。
  
宮野さん:4時関してるよ。
  
河上さん:4時関してる人おるな。(笑)受けてますが。
 それでも4時間床掃除して、肩パンパンに張ったって文句言ったら意味無いね。そこやねんな。形やないの。
  
宮野さん:4時関したっていうのは、どれ位したのって聞いたら、4時間くらいっていう感じの雰囲気やった。
  
河上さん:だから文句が出た時は、小さい自分になっているね。それを判断にしてひたすらして下さい。兎も角、一瞬一瞬新たに受け直す、つまり神さまの立場に立つという事が大事。立つためにどうするかだけ。

質問:神書の中から質問しても良いですか?言葉が分らなかったので、紙垂(カミシデ)は宇宙創造のアシカビの働きを、天津金木の運行に模したものです。と有ったんですけど?

河上さん:アマツカナギ(天津金木)です。

質問:アシカビとアマツカナギ(天津金木)が分らなかったので?

河上さん:アシカビっていうのは神さまの命が沸き上がる様をアシカビっていうのです。この世でいうと発酵とかね、発酵する事によって食べ物が美味しくなるでしょう?あれ神さまの命が働くわけ、その姿がアシカビです。
 アマツカナギ(天津金木)というのは、所謂、仮凝身(カゴリミ)の働きの所で、具体的な働きの設計図が出来る所、要するに神さまの働きってね、隠身(カクリミ)の神さまって、真(まこと)の神さまやね。働きとして全てに広がるわけ、全てに存在してるわけ。それのもうちょっと表面に出てきたのを仮凝身(カゴリミ)っていうの。それはちょっとした設計図。それが駈身(カケリミ)の神さまになって具体化してくるね、光となって出て来る。この世的な光となって出て来る、波動となって出て来る、音声とかね。それを輝身(カガリミ)って言います。それが具体的にどんどん出来だす。それを天照大神さまの働きって言います。それを具体的に物質化すると限身(カギリミ)になる。今の皆さんの肉体とかね、だから全て真(まこと)の神さまの御働きなんです。只、それを段階を追って説明したら今の言葉になるだけで、憶えんで良いよ。

 これは真祈りしていたら、自然に沸いてくるから憶えんでも大丈夫。ここを分かって下さい。例えば昔ね、古事記の解釈を始めた頃に、古事記を暗唱しようとした方がいらっしゃったの、熱心な方だから。だけど先生がそれは要らないって仰る。暗唱しなくても本当に真祈り出来たら、勝手に湧くからって。実際にその通りなんで、勿論、神書読まれたら良いし、こういう様に理解されたら良いんですけど、無理に憶えようと思わないで下さい。

 勉強出来ない子ほど無理に覚えようとするの。英語でもそうだけど、勉強出来る子は英単語無理に憶えようと思わへんけど、自然に覚えている。英語出来へん人程ね、この単語こんだけ憶えなあかんってやるわけよ、単語帳作って、それで又忘れる。その差は何かと言ったら、自分が憶えようとしている間は憶えられへん。既に憶えている自分があるだけやな、知ってる自分があるだけやね。英語でも、英語という小さい事で言うと・・・。でも神書も一緒やね、勿論、読まれたら良いし、分かろうとされるのは良いですけど、暗記しようとしないで下さい。自然に沸くようになります。それが必要なのね。

 だから昔から河上は何でもよう知ってるって言うんだけど、何聞いても答えるって言うんだけど、別に憶えているんと違う、自然に沸く。先生がもそうだった。必要に応じて沸きます。今の仮凝身(カゴリミ)、駈身(カケリミ)もね。
 勿論、古事記の解釈の所に説明していますけどね。だけど読みに行って分かるのは良いけど、憶えようとしなくて良い。何時も何時も無理に覚えようとしたら。読みに行って理解したら忘れたら良いの。そしたら必要で思い出せますから。それが本物や、無理に暗記した事は、忘れてしまう。

 だから英語ができる人って英語が好きでしてるね。無理に暗記してへんね、で勝手に英語を憶えてんね。英語苦手な人程な、このセンテンス憶えておかなならんとか、ウイを何々やとか、口を何々こうやねんって覚えようとして忘れるの。でも、もっとそんなん小さい事や、真祈りのとこで真理の部分をそうして下さい。
 これで質問がなかったらお祈りして終わります。大丈夫?じゃぁお祈りします


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9月護摩のお話 by 河上彰延 2021年09月18日(土) 23時39分
PC

9月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年9月護摩焚きで、河上さんが9つの質問に答えてくださいました内容です。

質問1
 いつも、ありがとうございます 質問させて下さい。(今回、この方からの質問は5つあります)
 家を出されて、長男と10年前より妻と子2人、離婚させられて家に転がり込む。許さなければ、よかったと思う。お金をせびられ、家を2年程出てアパート生活又家に戻る、体調崩し怖くて。4月以来会社に行かず家に居て、女の人を夕方出かけて車で連れ帰り、火・水・土・日と繰り返し、その間にカードと暗証番号を盗られる。わかった時点で「あなたしかいない」と言っても「ボケが何言ってる」という態度で、一旦家を出て責任をもってやっていってと話をしました。今もそんな調子です。見たら罰金で家を出てもらうと言ったのですが、まだ続いています。神さまがされる事、ただ祈るだけですね。一緒にいるのが怖いし、ガサゴソ夜してる感じです。ノイローゼ気味です。神さまからの借り物と家やお金は思えばいいのですが、他の兄弟にも分けたいのです。

河上さん
 ありがとうございます 今月も、みなさんとお会いできて嬉しく思います。ありがとうございます
 お金にはね、プラスのお金とマイナスのお金があるんですね。自分が気付く気付かないに関わらずですよ、いただくお給料の中には、プラスのお金マイナスのお金が入ってるわけですよ、どんな形でもね。
 昔の先生のお話で言いますと、あるヤクザの親分の家を大工さんが修理してくれと言われて、安いお金で修理してあげたんだけども、マイナスのお金を正当な報酬ですけどね、マイナスのお金を受け取って、その大工さんの運命が大変になっていくんですね。そういう感じで、どうしようもないものってあるんですよ、お金・財産っていうのはね。それを自分が放蕩して潰すか、身代わりになってしてくれるかだけです。だから淡々と印可書を奉納する以外、一番いい方法っていうのはないんですね。

 マイナスのお金だから、何かの形で、いわゆるゴミ箱に捨てなくちゃいけない。所がお金というのは、これマイナスのお金だからといってゴミ箱に捨てたって消えないんですよ。形の上は消えてますよ、でも背負ったものは消えないのね。いわゆる大酒飲みになるとか、アルコール中毒になるとか、女遊びするとかですね、男遊びするとか、この世的に、あんなんしてという形で消すしかないわけですね。それを自分がするか身代わりになってしていただくかだけなんです。どの形をとっても、その姿をね、現実を掴んでもう一度自分の心の中に入れちゃうと永遠にエンドレスのように繰り返しちゃうんでね。ただただ印可書を淡々と奉納して、いつも言いますが「神さまが一番いいようにしてる」んだぁっていう、まず、諦め、明らかにする諦めですね。諦めを持たないと「あんなことをして」って掴むじゃないですか、掴んだらまた自分の心に入れますから、するとまた代理で、それを現してくれるという繰り返しになりますので、現実をどうこうという間はね、条件付きの幸せなんですね。

 現実にこうだから幸せだ。それは、例えばご飯で言いますと「お腹いっぱい食べたから幸せ」でもお腹いっぱい食べたら、次もう食べれないでしょう。それが条件付きの幸せなんですよ。

 本当の幸せっていうのは、もう、ひたひたとただただ幸せ・喜びが湧くだけなんですね。これ無条件の幸せっていうんですけども、そこの心境に至るためにはね、淡々と印可書を奉納して、いつもいつも神さまが一番いいようにしてるんだぁ、ありがとうございますって持っていくしかないんです。

そうすれば現実を掴まないから、綺麗に消えていくんですけどね。まずは、とりあえず現実を無視してっていうのができないから、印可書を淡々と奉納してですね、ただただ神さまが一番いいようにしてるんだぁということを、祈っていただくのが一番の現実がよくなっていく、本当は現実をいじる必要はないんだけど、現実がよくなっていく近道です。

 自分の自由意志ですから、掴んで責めてもいいです。掴んで責めてそれを、たくさん形として出すというのもね、目に見えてる以上はマイナスがあった時はなるんで、掴んだ自分も責めないで下さい。ただただ掴んしまっても、神さまごめんなさいとして、印可書を淡々と奉納していかれる。いつもいいますように印可書を淡々と奉納して突き進んでいくしかありません。ありがとうございます

質問2
 手相に星の形が大小2つ現れました。先生のお陰・神さまのお陰と思い、誰にも言わず淡々と祈るだけですね。本当に不思議に綺麗な星の形です。神さまのお陰です。10年来の件が解決できそうです。誰にも言っていません。2ケ月程前からです。

河上さん
 手相に、星型の形というのは、五黄という吉相なんですね。五黄というのは、何かというと動かなくなった現実を動かす力、動かなくなった現実を動かす力という、五黄という働き、黄色なんですけども色的には、五黄という働きは何かっていいますと、一瞬一瞬新たにプラスに変わっていく働きなんですね。ですから神さまが一番いいようにしてる形を具体的に、もうすぐどんどん出てくるよっていうことで手相に現れたんだと思います。ありがとうございます

司会者
 すいません、今の方ちょっともう少し、今の質問にプラスがありました。
(先程の質問2の続きです)2ケ月前からです。涙が出ます。神さまと先生に感謝しています。不思議で、ボールペンで形を塗ったりしています。

河上さん
 涙という形で消えるのが一番楽じゃないですか。理由もなく泣くというのを喜んでいたらいいです。

質問3
 生命線を見ると深く曲がり、しわしわ。神さまにお任せですね。

河上さん
 手相の生命線というのはね、これ手相見の鉄則なんですけども、素人の方は、手相に出てくる線を見て、これが吉相だとか良いとか悪いとか言うわけですね。でもそれが、消えていく線なのか、これから現れてくる線なのかっていうのを見極めなくちゃいけないんです。
 手相の本を読んでね、自分の手相はこうだからとか言うて、ほとんど当たらないのは、消えていく線を見て「俺の運命が良くなってきた」とか勘違いをするわけですね。そういうもんですから、吉相が形に現れたからどうこうというのは、あまり気にせずにね、ひたすら祈り続けるのがいいんですよ。

 いわゆる無条件っていうのが一番、無色透明なんですね。これが出たからこうだ、あれがああだからこうだっていうのは、条件付きだから苦しむだけなんです。

 みんな病気が治ったから、病気さえ治ったら幸せになるって、みんな勘違いするのね。病気が治ると今度は違うことで悩むの、わかります。この悩みさえ取れたら、自分は幸せなんだぁって思うん、でもその悩みが取れたら、次の悩みがくるの、わかります?条件付けてるからね。

だから、まず無条件、無条件なるためには何かっていうと、神さまが一番いいようにしてるんだぁって、神さまの全知全能を信じ切れることです。無条件になれば無色透明なので、全知全能を信じ切れますので、神さまの全知全能の全ての叡智を受け取ることができるんですよ。すると何でも、逆に上手くいくんですね。

でもこれを良くしなくちゃいけない、これがこうだ、あれがこうだって条件付けてるうちは、神さまの全知全能に条件を付けてるの、だから条件付けた分しか光が受け取れないの、当たり前よね自分の自由意志だから、受け取りそこなった分だけ苦しむの、という繰り返し、これを因縁因果っていうんですけども、何て言うんですかね。

 その因縁因果をどうして超えるかっていうことでみんな苦しむのね、昔は現実を掴むな、現実を無視しろ、色々ある。物質なしとかね、色んな言い方をしたんですけど、今はもう現実のことが、気になっていいから、その人の子供のことで悩んでいいから、その悩んだ状態で印可書を淡々と奉納してたら無色透明になるよっていう、先生の大きな救いがありますので、どうぞ印可書をね、やっぱり淡々と読んで下さい。どの形が出ても喜んでいたらいいだけ、そのこの悩みが出てどうしようと思うと掴んじゃうんですよ。

でも良かったと思えたら掴んでない。だから先生は喜んで感謝して待ってくれてたらいいって、いつも仰ってわけですけども、何がきても喜んでたらいいの、喜ぶためには、印可書を読んでいると喜べますので、よろしくお願いします。ありがとうございます

質問4
 兄とコロナの関係もあり話さない。コロナなのに何で外部から連れ込むのと思い、消毒と換気と掃除に明け暮れてます。兄には神さまの心、もてません。もてる時もあります。夜寝れない時もあります。本心の16項目・真(まこと)の自分を読んでみますと、あまり考えないようにしてますが、まだまだ足りない自分と思ったりします。

河上さん
 あのね、世の中コロナで大騒ぎなんですけども、新しい変異株というのは、全く別のコロナですので、大変にはなっていくわけです。ところが一番大事なことはね、神さまは必要なものしか現わされないということなんですよ。コロナも必要で現れてるの、いつも言いますけども、だからそれを敵対して、コロナがダメだってやると、自分が敵対して、こいつダメだっていう姿がですね、コロナに反映します。

コロナが毒性を発揮して、心臓麻痺とかね、脳梗塞とか色んな症状が出るわけですけども、コロナと共に生きるんだぁ、神さまと共に生きるんだぁって、喜んでいたらいいんですね。すると毒性が出ないんです。

 これは赤痢菌がそうなんですけども、赤痢菌を外で培養しても毒性が出ないんですね、人間の体に入れてはじめて毒性が出るんですよ。それも赤痢菌を飲んでも毒性の出ない人と出る人があるわけです。これ何かっていうと、神さまが大きな愛でね、人間が間違って作ってしまった、マイナスの思いというのがあるじゃないですか、これをどういう形で消すんだと、例えば腕が切り取られて消えるとかね、足折れて片方歩けなくなって消えるとか、色々あるわけですけども、病気で消すのが一番楽なんですね。そういう形でコレラ菌でもあるんですけども、コロナの場合はそれが、もっと全面的に大きく出る形になってるわけです。神さまの方はコロナと共に生きよっていうんですね。必要で出してるんだから、喜べって、すると毒性が出ないんです。

 どうして喜ぶんだぁっていうことですけど、いわゆる無条件の喜びをどうして出すんだぁっていう、いつもの命題に入るわけですけど、それはもう人を責める思いが出てもいいから、お兄さんを責める思いが出てもいいから、淡々と印可書を読むことによってね、全てが綺麗になっていくという、それだけです。

神さまの光がひたすら通っていって、光が通ったら闇は消えるじゃないですか、光の進軍の最先端が印可書なんですね。だから、どうぞ印可書を読んで、光の進軍に参加して下さい。そうすれば大丈夫です。ありがとうございます

質問5
 四柱推命で、晩年悪いと言われました。今も神さまのお陰で生活させてもらってて、色々書きましたが、あまり辛いと思わないのですが。

河上さん
 だから、四柱推命も同じで、消えていく卦なのか、これから現れてくる卦なのかは、素人にはわからないんですよ。四柱推命の占いの方にね、占っていただいても、当たる時と当たらない時があるでしょう。本当に四柱推命に精通してる方だったら、これから現れてくるもんだけを読み取れるわけですよ。でもいわゆる、四柱推命学として学んだだけの人は、形しか見ないから消えていくものを掴んで、どうこうというのね、それで間違うわけです。いつも言いますけど、四柱推命も何も、もう要らないのね。一番いいようにしかなっていかないの、一番いいようにしかなっていかないだけなんですよ。だから喜んでたらいいの。喜べない時は印可書を読んで喜んでたらいい。

 その理屈言いわね、「そんなん淡々と印可書を読んだって、全然喜び湧いてこない」って言うわけ、だから湧いてこなくても本当の喜びが湧いてるんだよっていう、先生の大きなおまけというか、赦しなんですね。だから色々不平不満があっても、あのくそったれめ、あの怠け者め、あの使えん奴めとか色々ありますけど、色々思ってもいいから、淡々と印可書を読んでね、全てを真(まこと)の神さまの御働きだけって入れ替えて下さい。すると、本当はね、全て真(まこと)の神さまの御働きだけなんですよ。それに気付くために印可書を読むだけなんですけども、印可書を読んで入れ替えるんじゃないんだけども、どうぞ淡々と印可書を読んでね、光一元に見て下さい。ありがとうございます

質問6
 神さまの中に、無限健康・完全健康が与えられている姿を、心の中で受け入れるとは、具体的にどのようにすればよろしいのですか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 これね、なんていうんですかね、後は淡々と印可書を読むことを信じ切れる、自分の自由意志でね、選び取って、信じ切れるかだけです。なんぼ淡々と印可書を読んだって、神さまの完全円満性をね、無限健康性を感じ取れないから、こんなもん意味ないやないかって思う方はね、やっぱり読むだけ時間の無駄ですよ。もうそこだけです。いつもいつも、その自分という意識を、どう消すかに人類は悩んできたのね。

 イエスが「思いを尽くし、心を尽くし、精神を尽くし、自分の全てを尽くして、汝の神さまを思え」って言うのね。言うけど中々、全てを尽くして神さまを思えないの、神さま以外のこと、「明日のごはん、これ作ったら美味しいなぁ」とかね、「これしたら楽しいなぁ」とかね、要らんことを思うのね。

 中々、それが自我、自分という事なんですけども、それが消されなくて、みんな苦しむの、イエスが全てを尽くして神さまを思うだけでいいんだよって、それで全てが変わるんだぁって言うのに、思えない。思えなくてみんな苦しむの。もう本当にね、ありがとうございますは、真(まこと)の神さまそのものって先生が仰ってね、ひたすら、ひたすら、ありがとうございますだけに心を籠めたらって仰っても、心置けない。宇宙神ありがとうございますって言われても置けない。真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)となって、厳然と今、此処に在します!先生作ってくださったわけでしょう、でも思えない。

 最後、じゃあ思えなくても何でもいいよ、悩みながらでもいい、怒りながらでもいい、悲しみながらでもいい、人を責めながらでもいいから、これさえ読んでくれたら、自分の自由意志で選び取って読んでくれたら、真(まこと)の神さまの響きだけにするよっていうのが印可書なんですね。

だから、印可書を読んでる時に、全然、心すっきりしないんだよ、全然悟った気にならないんだよ、人を責める思いが沸き上がるんだよでいいの、それでも印可書を読んでる時は、神さまのお手伝いになってる、神さまの立場に立ってるということを信じ切るだけです。もうそこしかないの、信じ切れない人は、自分がいいと思う方法を、どんどん試されたらいい、でも上手く人類が、それでできなかったのね。もう最後、これしかないよっていう形で出てるわけですから、完全健康という言葉でいうのは簡単です、でも実観(感)として受け取るのは、難しいよ。無条件の喜び・無条件の幸せ言葉で言うのは簡単なんです。でも実観(感)としては、全然ピンとこない。印可書を読んでても、淡々と読んでても無条件の喜びとか、幸せが全然湧いてこないよ、それでいいの。

 今は、印可書を読んでたら、必ず必ず、自覚する、しないに関わらず、無条件の喜び・無条件の幸せにしてるよっていうね、先生と神さまとの約束事を信じ切れるかどうかだけです。それを信じ切れない人は、他のことをすればいいんですけども、勿論16項目も、先生と神さまとの約束事なんですけどね。

 祈り言葉を祈ってる時、自分が自由意志で選び取ってですよ、祈ってる時に、それで神さまそのものなんだぁっていうのを、いかに信じ切れるかだけです。信じ切れるまで、ひたすら読み続けるのだって覚悟を決めるだけ、そこしかないの。

 そんなもん印可書を読んで、なにがなんねん、呼吸に宇宙神ありがとうございますって籠めたってなんも変われへんやないかと思う人はね、自分が変われると思うことをされたらいいんです。もう本当にね、これは強制してどうこうじゃなくて、自分の自由意志で選び取らないと、わからないことなんですよ。

 ありがとうございますの10文字で、本当は全てが救われるんです、本当は。でもみんな自分の自由意志でね、ありがとうございますは、真(まこと)の神さまそのものって、選び取れなかったの、そこが一番の問題だったんです。宇宙神ありがとうございますが、真(まこと)の神さまそのものってね、受け取れなかったんです、信じ切れなかったの。今度は信じ切れないのはわかった。疑うのもわかった。悩むのもわかった。先生がですよ。みんなが苦しむのはわかった、苦しんでてもいいから、人をぼろ糞に思っててもいいから、淡々と、これさえ読んでくれたら、ちゃんとするからという、先生からの遺言なんですね、それが印可書ですので、色々ありますでしょうけど、これしかないと思う方は、自分の自由意志で選んで、印可書で突き進んで下さい。それ以外の方法でやると思う人は、勿論それでやってみられたらいいんです。

 自分の人生ですから、自分の自由意志でされることが全てですよ。誰にも責任取らない。どの形であっても、みんな総責任者、自分のことに全ての責任が背負ってるわけですから、僕は印可書をお勧めしますというだけです。ありがとうございます

質問7
 全国的にコロナ感染者が急増しております。改めまして、いつ頃コロナが終息するのか、よろしくお願いいたします。

河上さん
 以前のコロナは、既に終息しています。新しいコロナというのは、全く別物のコロナですので、ただそれだけです。でもさっきお話しましたように、コロナと共に生きよです。どの形でも神さまがいいようにしてるのね。コロナで死ぬ、例えですよ。今度のコロナは体が腐る形が出てきますけども、腐って死ぬことになってもね、一番いいようになってるの、一番楽な形で消して下さってるというのを信じて下さい。ただ、そのコロナで消す前にね、印可書で消しましょうよということです。

 でもそんなもん、この現世でね、印可書を選び取って読んでくれる人なんて、ちょっとしかいないじゃないかって、なるわけですけども、それはね、この護摩でカバーできるから、是非、親の死に目以外は護摩に来て印可書を奉納して下さい。それで全ては消えていきます。ありがとうございます

質問8
 いつも、お話の中で、全ては自分、分け隔てをしない、相手を責めないというお言葉があります。日々の生活の中で相手を責めるつもりはなく、分け隔てるつもりもなく、ただ「あ、この人とは考え方が違うんだぁ」という見方、割り切り方、納得はよくないのでしょうか?これも分け隔てることになりますか?

河上さん
 全ては真(まこと)の神さまの御働きなんです。それを別の言い方でいいますとね、俳優さんがね、色んな台本を渡されて、色んな役をされてるということです。どの形も真(まこと)の神さまが、自分に条件・制限をつけて、いわゆる不自由な姿を楽しんでおられるわけです。ただそれだけなんですね。だから分け隔てではなくて、あ、あの人は不自由な姿を楽しんでおられるんだなぁ、神さまは楽しんでおられるんだなぁと思って下さい。何でね、わざわざ不自由な姿を楽しむねんっていうとね、ゲームがそうでしょう、簡単なゲームみんな面白くないじゃないですか、不自由な難しいルールのゲーム程、面白いって言ってやるわけじゃないですか、そうでしょう。全て、わざと不自由にして楽しんでるの、それがわかれば、全ては真(まこと)の神さまの御働きだけってわかります。ありがとうございます

質問9
 なんとか本日の「ありがとうございます護摩」まで、もたしたいと思いますと、お聞きしましたが、どうだったでしょうか?今回は護摩と護摩の間が5週間35日ありましたが、いつもの4週間28日と5週間35日では、いつもより特に大変ですか?ただただ印可書を唱えるだけですね。

河上さん
 もうその通りです、本当に大変でした。色んなメンバーの方が、今まででしたらですね、こちらから、どこそこに行って、お願いしますって指示を出してたわけですけども、指示を出さなくても、必要な所に行って、お祈りして下さるようになりましたので、今回は、ウーンどうしようかなぁ?あそこに行ってくれって言おうかなぁと思う前に、サーッとみんな行ってくれるのね。それで上手くいってます。

 どんどん印可書を淡々と奉納されてる方は、必要に応じて動けるようになってきたのでね、あんまり不安には思ってないです。淡々と印可書を奉納、どこそこに行って奉納することが大事じゃないんです。今、この場で、ひたすら祈ることが大事なんですね。この場でひたすら祈ってると、必要なように行こうと思う時は行くし、ここでと思う時は、ここで祈る感じになるんですね。その感じの人が200人超すと、あっという間に世界は変わるというだけです。また来月の護摩まで、もたしたいと思うんですけどね、色んな意味で、みなさん真祈りされる方が増えてきたので、安心はしています。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 事前にお預かりした質問は、ここまでです。会場のみなさまの中で、ご質問ある方いらっしゃいましたら、どうぞこちらまでお願いいたします。いらっしゃいますでしょうか?特にございませんか?(会場からの質問はありませんでした)では河上さん、お話お願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます 本当に世の中、コロナがね、どんどん大変になってきてるわけですけども、いつも言いますように、病気というのは、神さまが一番いい形で消す姿なんですね、だからどの形もいいようには、なっています。ただ、よりいいようにしたいから、真祈りがあるわけですね、それだけです。

 その、神さまの完全円満性を100%受け取れたら、もうこの世は地上天国になるわけですよ。でも演技してる姿を見てね、ダメだって、要するに神さまの書かれた脚本に従って楽しんでるのをね、あの脚本気に入らんって言って文句言うわけですね。あいつはさぼってる、本当はさぼってる姿を演技されてるしかすぎないのに、何で俺だけたくさん働いて、同じ給料貰ってるのに、こっちはこんだけ働いて、あいつら殆ど働いてないって、みんな言って責めるんだけどね。それぞれの役割をみんな果たしてるだけなんですよ、それを喜んで見てたらいいだけ、ただただ、それだけです。

 喜んで、無条件に喜んで見るたびにね、淡々と印可書を奉納して下さい。自分の自由意志で選び取ってですけども。これ人から強制されて、じゃあ、読めというから読んでみようっていうて、淡々と印可書を読めと言うてるから、淡々と読んでみようっていう間は、全然ダメなんですよ。何故かというと印可書も全て神さまの言葉で書かれてるというのを、信じ切れるかどうかにかかるわけですね。先生と神さまの約束事で、この印可書を読んでる時は、どんなマイナスの思いを出していようが、人を責めていようが、どんなに悩んでいようが、真(まこと)の神さまの御心そのものにするよっていう、大きな救いなんですよ。

 そこを信じ切れるかどうかは、自分の自由意志で信じて、自分の自由意志で選び取らないとダメなの。それは、選び取れたら印可書が効果を発揮します。河上が言うから読もか、あの人が言うから読もかでは、効果は出ない。出ないという、ちょっとは出ますけどね、信じる量分しか出ないのね。

 常に常に、神さまは完全円満完璧大調和のおすがたですから、それを信じ切れたら、自分の周囲は完全円満完璧大調和になるんですよ。信じ切れない分だけマイナスが現れるの。色んな表現がありますけどね。だから、いかに全てを信じ切れるかなんだけど、全てをイエスの言うように「心を尽くし、思いを尽くし、命を尽くし、全てを尽くして、汝の主なる神を思え」っていうてね、全てを尽くせないのね、みんなね。その全てを尽くす部分を印可書に変えて下さったの。だから、そこをね、印可書が本当に大きな救いなんですよ。こんなに人を責める自分なんて、こんなに人を妬む自分なんてっていうね、もうその、その悩んでる自分のままで、救いに立てるというね、大きな救いですから、どうかそこのところを信じ切られて、先生と神さまとの約束を信じ切れるかどうかだけですけども、信じ切って、淡々と印可書を奉納して下さい。

 これがね、信じ切れる、信じ切って印可書を奉納される方が200人超すとね、今度はみんな理屈抜きに読み出すんですよ、全人類が、それで大きく変わるの。もうちょいなんで、そこまで何とかもっていこうと思っています。この200人の核になる方、実際は300人になるか1万人になるか、まだ決まってないわけですけど、最低200人は欲しいという先生のお話なんですけども、全人類を変えるんですね。

 色んな奇跡をね、みんなが現わせるようになるんですよ、本当はね。でもそれを今回は全員が同時に一斉にできるようにしたいと思っています。だから、印可書を読んでいても、護摩をしても何も変わらないんじゃないかって文句を言わずにね、どうぞ淡々とやっていって下さい。まずは水の上を歩けるように、みんなしたいと思っています。簡単な事なんでね、でも、一人だけやれるとね、他の人の心が乱れるんよ、だから、全員が同時にパッパッとできるようにもって、今回はいこうと思っています。

 だから色んな、色んな自分の感覚でね、あんなマイナス、こんな苦労、こんな辛いことって、あるでしょうけども、神さまがいいようにするんだぁって思って淡々と印可書を読んで下さい。みんなが、受け取る感覚を喜びに変えれたら、一気に変えれるんです。もうちょっとです。いつも、もうちょっとですというて中々、お前変われへんやないかって怒られるんだけども、本当にもうちょっとなの、本当にもうちょっとなんですよ。みんな、八合目をもって半ばとなすっていうじゃないですか、もうそこなんですね。

 ヘンデルがハレルヤっていう歌を41番目にもってくるんですけど、八合目なんですね、そこで半ばで、そこからのラストで、神さまの世界にプッといく音楽になってるんだけど、全部そうなんです。八合目、ほとんどいってるのにみんな、なかなかいってないと勘違いする。そこは、後は絶対の信なんですよ。絶対の信は、印可書を奉納してたら、確立していきますから、どうぞ、それが先生と神さまとの約束なんです。今までは、ここまできたけどやっぱり自分はダメだぁって自分が出ちゃうの、自分はダメだっていう自分がダメなんですよ。

 でもその自分がダメという自分を消そうとして、また自分が出て来て苦しむのね。でも今回は、自分はダメだという自分が出て来ていいから、どの状態でも、いいから印可書を奉納してたら真(まこと)の神さまの働きそのものにするよっていうね、先生の大おまけなんですよ。

 その大おまけの部分をね、大きな救いとも言えます。救いの御船とも言えますけども、その大おまけの部分をどんだけ信じ切れて、自由意志で選び取れるかだけです。是非ね、来月の護摩まで、一瞬一瞬が勝負だと思って、淡々と印可書を奉納し、お仕事の最中は「あ・う・す」でね、一瞬一瞬真祈りに、神さまに神さまにって自分の全てを尽くして、主なる神を思って下さい。よろしくお願いします。ありがとうございます また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます


 音声はこちらからどうぞ

https://youtu.be/T_0YUKqk4LI

 宇宙神ありがとうございます


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8月深夜勉強会1 by 河上彰延 2021年08月22日(日) 21時32分
PC

令和3年8月深夜勉強会―1(20210813−1)

河上さん:質問、今日ある?どうぞ。

質問:先週の河上さんの勉強会をYouTubeで聞きました。その中で無くなった親の名前を護摩木に書いたら夢に出て喜んでくれたという話しがありました。自分も父親が10年以上も前に無くなっています。生きている間は心配ばかりかけてきたので、親孝行のつもりで護摩木に父親の名前を書こうと思います。この事に付き質問が4つあります。
@書き方の確認ですが、表に黄色いペンで「宇宙神ありがとうございます」とか書き、裏に殺いペンで「宇宙神ありがとうございます」を描いた後、その左下辺りに同じ黒いペンで名前を書けば良いのでしょうか?

河上さん:はい、それで良いです。

質問:A書くと、書かれた相手は更に上の世界に行けるのでしょうか?

河上さん:あー、そんなん考える必要ない。神さまが良いようにする。人間の勝手な要らん思いやね、どうこうっていうのは。

質問:B一人に付き一枚だけでなく、何枚書いても良いですか?

河上さん:良いです。気の済むまで書いて下さい。

質問:Cこれは亡くなった人のにみならず、現在肉体を持って生きてる方を対象にしても良いですか?

河上さん:勿論いいです。

 人間が理屈でね、要するに思い巡らすって言うんだけど、理屈でどうこう思うわけなのね。過去の経験に基づいて良い悪いと判断したり、色々と自分で小さい意識でどうこうと判断する事を正しいと勘違いしてるね。

だけど例えば、1÷3といったら0.333と続くやろう?その0.333×3は幾ら?って言ったらみんな分らへんやろう?だけど1/3×3は1やろう?なっ、そしたら0.333×3は1や。でも理屈では分らへん。

 でも神さまの入れ子構造、重層構造、ところてん構造はこの数式に出てるんやけどな。でも人間の思い巡らす小さい意識では絶対分らへん。これやったら良いやろう?Logと違って。(笑)これは習ったやろう?

a:いつか計算やった(笑)

河上さん:1÷3は0.3333・・やね。で×3はって言われたらエッて思うやろう?でも1/3×3は1っていうのは分かる。そしたら理屈では分らへんやろう?それ位人間の小さい意識というのは、平たい1空間だけの所に止まった感覚やから、本来分かった積もりになっているけど全部分っていない、間違っているね。それを尚且つ、間違ってると分らないから余計マイナスを積むねんけどな。間違っているというのは、マイナスを積んでいるという事やねんけど。

 例えば単純に1/3という事だけ一つ取ったって理屈では分らへん。1÷3は0.3333って永遠に続くのよ。×3はって言うたら0.9999で1では無いと思うの、理屈ではな。でも1/3×3は1や。だから0.3333×3は1や。この考え方を発展させて微分ていうのが出来るんやけどな。だけどそれは重層構造、入れ子構造、ことろてん構造というのが数式で現されているからや。でもそれを理屈では分らへん。

 だから勉強できない子は理屈で考えて分からんようになる。勉強で来る子は素直にハイって受け取って組足して、数学出来る子ってそうやねんけどな。出来るんやけど。それ位小さい意識で思い煩したって何も分らへん。

 でも神さまが全知全能で何時も一番良いようにされているのは間違いない。それを素直に「ハイ」って受けれるかどうかだけや、何時も何時も。で、過去の経験に基づいて良い悪いっいて判断して、なんで私だけこんな目に遇うのって文句言うからややこしくなる。

 或いは、人と比べて、自分一人幸せやって、喜ぶのも間違いや。何で私こんな目に遇うのって文句言うのも間違いやけど、私こんなに幸せです。嬉しいって言うのも本当は間違いや。それに気付かんとみんなマイナスを積み重ねていってな、だからこの世に生まれ転落してんけど、はっきり言って転落したんやけど、何で転落したかっていうとそういう事や。

 でなんぼ(いくら)生まれ変わってね(体験しても)、輪廻転生って言って。どんどんどんどん下へ落ちていく、上がることは無い。本当の話や。あんまりこんな事を言うと怖がるからいうて、先生はズーっと禁じてはったんやけどね。

 それ位小さい意識でどうこう判断するのは間違いや。でもこの現世では常識に従ってというのが正しい事となっている訳や。でもその常識は、自分の過去の経験に基づいて良い悪いって判断しただけや。

 だからアダムとイブでイブがアダムを騙してね、どうこうして、だから女の方が悪いみたいな(罪人みたいな)言い方をする人もおるけども、そんなん、なー。全ては完璧な一つから考えたら分けた段階で間違っているというのが分らへん。でもこの現世は分けて、分けて表現する世界やからね。その分けて表現する世界であって、神さまの創造する世界ではない。それがみんな分らへんね、現実を掴んで、これが本来あるもんやとして、どうこう言って喧嘩するの。

 或いは、人と引き比べて私は幸せ一杯って言って。私は幸せって言ってる人は、人と引き比べて幸せって言ってるんやで。神さまの愛に活かされて幸せ一杯って言う人は居らへん。神さまの愛に活かされて幸せ一杯だったら、一切文句言いへん。先生の様に熱が出ようが、咳が出ようが何が当たって、神さまは楽させてくれへんなーって笑ってはるわけやね。喜んではる。それが本当の無条件の幸せやな。殆どの人は条件付きの幸せ、人と比べてどうこうや。人よりもええ車乗ってとかな、人よりええ服着てるとか、人よりええもん食べてるって言って幸せやっていうの。

 それを死んでからもするから、どんどん下に落ちるんやけどね。この輪廻転生の輪を強制的に先生が立ち切ったから、みなさんの自由意思で印可書を選ぶしかない、救われの道は本当は無いの。あんまり脅かしてもあかんねんけど、あんまり脅かして無理やり読ましてもあかんのやけど、あんまりこういう言い方はしないのやけど、本当はそうなんやね。過去を掴かむってのは本当はそいういう意味や。

 だから先生が過去を掴むな、現実は遠い遠い過去の結果って言っても、誰も真剣に考えへんから、質問も行けへんであのまま終わってしまったんやけどね。

 只、このお話しするにしても、まあ塾で物を教えるにしてもね、先ず興味持たさなあかん。分かる?興味持ってない事は人は聞けへん。だから興味持たすように騙してな苦労するんよ。やっとみんなね、真(まこと)の神さまに付いて興味を持ってくれるようになった。それは先生がひたすら真祈りしてね、みんなの要らん思いを消し去って、消し去って、消し去って下さったから。それだけでも先生に大恩義があるからね、是非是非、自由意思で印可書を読んで先生のお手伝いをして下さい。

質問:8月の勉強会で、間引きされることによって新たに生まれ変わると仰ってたのですが、輪廻転生が無い今、人も野菜の間引きの様に、あっちの世界に行っても、肥料のように吸収されて、一体となって働けるという事でしょうか?

河上さん:その通りです。もうそれだけ。小さい思い巡らす意識でね、この世的にあの人病気で死んだ、だから不幸やって言うのは違うね。その病気で死んだ形やけど、その人がマイナスを積み重ねて死んだのか、色んな人の身代わりとなって死んだのか、いうだけでしょう?

 本当に身代わりとなったかどうかなんて誰にも分らへん。にも拘わらずみんな傲慢にもな、あの人マイナスを積んだから癌で死んだとかね、色々言うねん。言うて又、その人のマイナスを又、背負ってあげるね、みんな優しい。

 兎も角、全ては完璧な一つやから、自分の出来る事を常に精一杯全力を尽くしてやらな、もうそれに尽きつのね。こう比較対象の中で自分が楽しようってみんなするんよ。

 で、ナメクジのような生き方をするの。人(他人)に難しい、邪魔くさい事とか、しんどい事押し付けといてね。お金という媒介があるからややこしいんやけどね、お金持ち程、人にしんどい事押し付けて、自分楽するん。で、どんどんナメクジの様にゴロゴロ生きるんよ。分かる?

質問:ナメクジそうなんですかね?

河上さん:いやいや、ナメクジさんに悪いけどな、(笑)それで筋肉も縮んで、筋肉も固まって病気になって行くねんけどね。

 本当に支え合いに生きるって事は、神さまのお手伝いをするって事でしょう?神さまのお手伝いするって事はもう、全力を尽くして生きるや。でもその全力を尽くすっていうのは、歯を食い縛ってどうこうじゃなくてね、淡々とや。

 で、淡々とは何かと言えば、先ず自分の事は自分でしましょうやね。余った力で困っている人を助けましょうだけで良いの。でも自分の事、自分で(して)どんだけ(どれだけ)の力余る(与力ができる)とか、要らん事を考えてみんな出来んようになるね。

 今は印可書があるから、どこ迄がどうとか悩まんで済む。印可書をひたすら奉納してその中から出来る事を淡々としたら良い。だから休む勇気も要りますけども、一休みして元気になったら、又、っていうそういうのが必要です。

 何か今が一番良いようになってたら、そしたら何もせんで良いんやろうって理屈言いが出て来るからな、そんな理屈言いには先の0・333の話をしたら良い。0.333×3は幾らやって言ったら殆ど答えられへん。勿論証明できるんだけどね、証明してるんだけど、そんな数学的な話はせんで良いから。ちょっと0・333×3は幾らやって、かましてね「理屈で考えても分らんやろう」って先ず諦めさせなあかんからね。Logで説明しようと思ったけど、抵抗大きいから止めた。(笑)でちょっと色々考えて分数だったら大丈夫だって。

質問:分数なら。

河上さん:分数ならって(笑)

質問:さっき、冒頭、新しい世界に変わると仰ってた、その新しい世界というのが今の自分では想像できないんですけど、そんなん考えなくても?

河上さん:いや、違うの結局ね、因縁因果の世界に落ちてるって事は、過去現在未来を掴んだっていう事。三千世界一度に開く梅の花っていう、神さまからの神示が有るねんけど、三千世界というのは無限の無限の、この今の入れ子構造の表現宇宙も入っているのね、その三千世界一度に開く梅の花っていうのは、先生の表現で言ったら一瞬一瞬新たに受け直すや。それを別の良い方したら絶対の中今(なかいま)に生きるという事。

 今を生きるって言うけどね、絶対の中今(ぜったいのなかいま)に生きる。絶対の中今には過去も現在も未来も、そして入れ子構造的な多層構造の全宇宙の全てが入っているね。だから一瞬一瞬新たな世界や。みんなそこに立ち帰らなあかんのに、図書館に整理された本の中にポンと入れたらスッキリしてるやろ?でもこれも読まなならん、あれも読まなならんって本を一杯開いてな、今みんな行き詰っている状態やな。

 過去を掴むっていうのは、小説を色々読んでその小説が全部重なってグチャグチャになっているの。只、説明の便宜上ね、こういう風になって新しい世界が始まるって表現するけどね、本当は今の一瞬一瞬が素晴らしい世界。だから先生は今の状態がね、一大奇跡やって仰る。一大奇跡(大奇跡の本・真の言霊のありがとうございます)のあれに書いてある。誰も読んでないやろう?ちょっと責めていますが。(笑)

 な?真剣になった積もりでも先生のご本一つ真剣に読んでいない。別にかまへん(かまわない)のやで、(つまり)その思い巡らす心の内は(あいだは)、読もうと思っても読まれへんから仕方ないねん。

 只々、神さまのお手伝いがしたい、感謝の心、報恩の心、感謝と報恩って先生仰るねんけど、感謝の心も報恩の心も何かと言えば、神さまのお手伝いがしたい、自分の事は横に置いといて神さまのお手伝いがしたいと願うと感謝と絶対奉仕に入れるね。そうなったら本がスッと読める。

 だから先生の本を、先ず神書やね、神書を読みかねる間はまだ真祈りに深く入っていないと反省して、頑張って印可書を奉納して下さい。

 これは数学出来る子と出来ない子の違いみたいなもん。数学出来る子っていうのは最初に答えが湧いてくるみたいな感じや。それをどう説明する、証明するかみたいな感じやね。一緒でね、先生の本を読んで分かろうと思ったら、もう分らへんね。只々、喜んで読むっていうのが大事や。喜んで読んだら、分る分らないは考えない事や。

 だから印可書も一々意味を考えるなって言うでしょう?印可書で練習して貰っているけど、段々本当の事言ってるけどな、印可書で練習して貰ってるの。何も考えるな、だから考えるなって言うやん、考えたらさっきの0.333×3が何ぼ(いくら)か分からんようになる。な?考えんかったら1ってすぐ分かって来る。それが分ったら証明するのも簡単になるのやけどね。

 みな逆やねん、分らへんから何とかしようというてる間はな、永遠に分らへんの。だって自分で分らへんて決めてるから。

 だからっていって分かったって思たって分らへんね、それは分らへんから、分ろうとしている「自分」があるから、な。

 みんなここで堂々巡りするね。だから禅問答が有ってもね、禅問答一杯読んでも悟れない人が多いいのは、そこやね。自分が禅問答読んで分かろうとしている。或いは、自分が座禅を組んで悟ろうとしている。その間は全然悟られへんけどね、既に悟っている自分に気づくだけって言われたら、悟っている自分に気づかなあかんという自分が出て来る。もうそこの堂々巡りよ。

 只々、素直に先生が全ては真(まこと)の神さまって言うのを素直にハイって受けるだけや。それを受けかねるから、印可書を素直に淡々と奉納してくれたら、受ける状態になっているよって先生決めて下さった。

 だから1÷3が分らへんから1/3という形にしてね、1÷3を0.333(循環小数)なんて書くのを止めて、1÷3は1/3やでって決めたん。そしたら1/3×3は1ってすぐ分かるようになる。もうそれだけやねんけどな、数学で説明するとな。

 だけど悟れない人、勉強できない子は1/3で止まるの。それで何でそれを1/3って書かなあかんのって言うの。で何で1/3として書くん、表現するんって言うの。それが分らへんって。いや違うん、1÷3は1/3って形にしましょうねって、ルールで決めただけや。決めたら、後は1/3×3は1ってすぐ分かる、っていうだけやねんけどな。

質問:この前の勉強会の時に、「皆共に行き巡り合い合い働くなり」の時のいきるは、生の方じゃなくて行くなんですかという質問が有ったんですけど、それを聞いてて、いやそんなん考えた事も無かったなーって思ってしまたんですけど、印可書を・・

河上さん:いや、違うの。考えたって分らへんから考えんでも良いって言ってる。今のな、0.333(循環小数)×3は1って考えたって分らへんやろう?なに無駄な努力してるんっていう事。でも1/3×3は1やから、ああやっぱり1やねんなーって思うねんけど、その0.333(循環小数→ここでは3が永久に続く)×3は1になるっていうのを一生懸命考えたってな、ズーっと0.999(循環小数ここでは9が永遠に続く)ちゃうんって思って分らへんやろう?本当は1やねんけど。

質問:あれと違う?何で聞いてけへんという、あれが有ったから聞かなあかんのと違うやろうかと思ってするんじゃない?

河上さん:それは先生がいらっしゃった時の話や。

質問:ええ、そうなんですか?今も違うの?

河上さん:今はもう印可書の秘儀を言ったから、聞く必要は無いの。だからもう(僕はあっちの世界に)帰って良いかって言ってるの。印可書を淡々と奉納するだけで皆分かるようになっているの。

 で今何でこんな話をしているかと言えば、印可書を淡々と奉納していれば必ず分かるねん。なのに自分は分らないという意識を止めて下さいっていう事やね。素直にハイでね、印可書を淡々と奉納していたら既に悟っている自分なんだよっていう先生の言葉をね、素直にハイって受け入れて欲しいね。それさえ受け入れてくれたら印可書の奉納が凄い、完璧なん。まだどっかでね、その印可書を奉納してもまだ分らない自分、悟らない自分って何か(掴んでいる自分)が有るねんな。

質問:何でしょう?

河上さん:それ考えるからや。

宮野さん:印可書読んでいた時にね、読んでて全て分かるからって今言われたけど、全て分かるんだけど、良く分らないようで分かる。言葉にしたら終わってしまう、言葉にもできないような、何となく分かったような、分らんようなみたいな感じで入って来るって事やと思うのね。あぁ、分ったこうこうこうなんですなんて言ったら、全然違うと思うのね。よう分からんのやけど、何となく分かったような気がするわ、みたいな感じで。実際じゃー何なんって言われたら人には説明なんかできない。自分の中で何かフワッと何か湧き上がるような物があるっていう感覚が入るみたいな、そんなようなレベルやと思うのね。そっからどんどん深く奥に入って行くやろうから、それぞれの感覚違うだろうし、深さも違うだろうしってするんだけども、全てが分かるっていうのは、これはこれだっていう話しではない。物事が良く分ったり、見える様になったりするっていう事は、印可書を奉納する中で必要に応じて見えてきたり、見えなかったり。見えない聞こえない分らないっていうのは、必要でないから、その必要が感じられないから、その人には見えないだけの話しっていう事やろうね?

河上さん:そうそう、その分かるっていうのも理屈抜きに先ず分かる。人に説明する都合上ね、後で理屈付けるだけで。例えば0.333×3は1って理屈抜きに先ず分かるね。分かるけど、理屈で考える人は分らへんて言うわけよ。それをどう説明するかという事で1/3という分数が出来ただけやけどな。

 だから1÷3と1/3の関係性っていうのは、別に説明するために出来ただけで、本当は理屈無しで答えが先に出てるね。透き通るように分かるってそういう事や。だからその思い巡らす心って言うんだけど、考えるなって言うの。もう考える時点でね、自分と他人を分け隔てて、比較してるのね。考えるってそういう事や。だから分らへん。数学で言うと0.333(循環小数)×3=1というね、右と左を分けて考えるから分からんようになる、本当は一つやね。いう感じやねんけどな。

 だから数学は=(イコール)って統合記号付けるやん、それは一つっていう意味や。数学の数式で入れ子構造、重層構造、ところてん構造がポンって出る様になってるのやけど、今のは重層構造では無くて、入れ子構造のとこをね、分数って形で表現してるだけやけどな。

 それをこの肉体の小さい意識のこの空間だけって思うと0.333×3は0.999(循環小数ここでは9が永遠やのに続く)何で1やねん?って言うけど、本当はこれが入れ子構造やから1や、っていう感じやねんけどな、理屈で言いだすと余計分からんようになるから、あんまり説明せんようにしてるけど悩むやろう?悩んだらあかん、考えたらあかん。(笑)

 だけど先生が仰る重層構造、入れ子構造、ところてん構造っていうのは綺麗な数式でちゃんと現れているの。それも数式で分かろうと思ったら分らへんね。何でかと言ったらその数式分かってないって自分が思っているから。

 もう勉強出来る子って、みんな先に答えが出てるね、面白い位。それは神さに素直にハイって言う部分があるのね、過去世で。IQの高い人っていうのはそういう過去世の賜物(たまもの)やね。すね虫の理屈言いはIQ低く生まれて来るの。

質問:この前、河上さん、高いって仰ったんではないですか?

河上さん:えっつ?

質問:違いましたか?間違いました。

河上さん:え、録音した?別にIQなんてどうでも良い事や。真祈りが大事。IQなんて過去世の結果や。

 神さまは本当に平等やからね、やっぱり働いた分だけの物を結果として出る様になってる。だから人を虐げてきた人はやっぱり虐げられる立場に立つし、助けてきた人は助けられる立場に立つし。この表現の世界では、プラスとマイナスに分けて表現するからそうなるだけで、絶対の世界に入ったら助けるとか助けないじゃなくて、もうお互いが支え合った一大循環の相象(すがた)になってるだけや、僕には因縁因果もないし、マイナスがプラスを支えているとかじゃなくて、だけやねんけどな。只、この虚の世界でプラスマイナスに分けた中でね、支え合いを勉強したら分かり易い、っていうだけや。

 だって「無限の無限の幸せが無限に無限に一杯」っていったら、ピンと来いへんやろう?だから「無条件の幸せ」って証明して、説明し直しただけや。でもその「無限の無限の幸せが無限に無限に一杯」っていうのは無限に無限にお互いに支え合う状態に入ってる事を言うねんけどね。だから無条件やから支えられるねんけどね、条件つけた時点で支える事は出来へん、って言葉で言うと微妙にずれて行って又、分らんようになるからあんまり喋ったら本当はあかん、印可書を奉納して貰うのが一番。

質問:この前の真祈り人200人について伺いたいですけど、200人は何所かの段階で自由意思で、残るとか残らないとか、真祈り人として残りますとか、どっかで自分で決めてきたもんなんですか?

河上さん:だから過去を掴んで、過去の経験に基づいて良い悪いって判断してる間は、選ばれへんだけや。それを止めたらみんな真祈り人になる。

質問:選ばれるんですか?自分で選ばれるんですか?

河上さん:自分が選ぶん、自分の自由意思で選ぶんだけど、何ぼ自分の自由意思で印可書、真祈り、或いは、真(まこと)の神さまって選ぼうとしても自分の過去の経験に基づいてこれは良い、あれは悪いって判断してる間は選べない。先生のご本も読めない、読んでも分らない。だから考えるなって言ってるわけ。

宮野さん:それは何でかというと、神さまが入らないからだね?

河上さん:そう、自分が入るから。

宮野さん:真祈り人でしょう?祈り人ではない。祈り人だったら自分の我が入って念力でもって祈る事は出来る。でも真祈りは神さまがされる訳でしょう?神さまと不離一体の自分が、神さまが自分を使って祈って下さるわけでしょう?そしたら我が有れば神さま使えないよねって話し。分かり易いよね!

 すると200人て言われているけど、神さまは何時でも何時でも生きとし生ける人、全ての人を真祈り人にしたいって思っていらっしゃるわけでしょう。真(まこと)の神さまである先生がみんなに全ての人に降り立ったって仰ってる事は、みんなにチャンスが有るんだよって話しやない。

 でもそのチャンスをどうするかっていうのは、その自由意思それぞれに任せてありますよっと。でないと自由意思が我が出てしまったら、結局自由意思があるから、分りました。自分の我じゃないやろう?自分自らが真(まこと)の神さまと不離一体の自分を望んで「神さまどうぞこの命お使い下さい」って、私なんて言わず、「我」は要りませんって事じゃない。そう言わないと、投げ出さないと神さまは使えない。そうした時に初めて真祈り人として、神さまは使って下さるわけでしょう。そしたら200人てアッという間ね。とても簡単な話し。

河上さん:だから考えたらあかん。考えた時点で分けてしまう。完璧な一つとして受け入れるだけや。

宮野さん:神さまは、分(わ)けないもの。

河上さん:光は分けれられへんって言ってるやん。光分けられへんのに、分けれると思って頑張るんや、みんな。0.333×3は0.999(循環小数ここでは9が永遠に続く)やって頑張るの、1やのに。どこまで行っても1にならへんて言うて頑張るの。でも1/3×3はって言ったら1やって。(笑)

宮野さん:大半の人の我を出すっていうのは、自分が生きてきたという所が、消えてしまう事が怖いという事じゃないかなと?

河上さん:そらそうや。

宮野さん:そこがあるからみんな自分というものを、私がって思うわけでしょう?過去が無い、未来がないって言ったら自分が消えてしまっている状態じゃない。イヤイヤ、小さい時お婆さんにこうして貰ったのにとか、そこの玄関でこけてんとか記憶にあるのに、えーでも過去は無いんだよねっていう話しでしょう。

 有るのに無いって、じゃあ今自分が存在しているこれは何って、これは夢なのっていう話しで、凄く不安で怖いっていう感じなるのやろうと思う。だから印可書を読むと消えてしまう感覚を受けた時に、印可書を読むと怖い、読めないなーって人がいるんじゃないんかなと?それを認めたくないからと思うかもしれないし、そこ迄感じなくても何故だか分らないけど、というところかなと。

 でもそれを越えない事には神さまは(その人を)使えない。何も入っていないお人形さんの状態でなければ神さまは使えないよね。そしたら神さまが一番良いようにして下さるから、無限の無限の幸せだったり、喜びが湧くわけで、どんな状態で有っても一切の不安がないっていう状態が有るのに係わらず、ちっちゃな自分でもって「いやいや、あのこけた時の記憶置いときたいねん、ここで負った傷があるのを置いときたいねん」っていう話し。

 そんな事忘れてしまって、そんな怪我なんか有った事もみんな忘れキレイにしてしましょうって神さま言って下さるのに、いやこの怪我が後生大事なのって言っていると同じって話しでしょう?

 印可書はそれを忘れさせてキレイに何時でも何時でも、一瞬生まれ変わったばかりの(罪人でない)新しい自分をあなたにあげましょうって言ってる話しなのに、何かそれをみんなは、今の自分が消えて行くから(今の自分→罪人として自分で自分を縛っているのに)「いや、それは結構なんです」っていう話しやね。良いものは欲しいけど、怖いと思う未知なるものは、イヤイヤそれは受け取れません、みたいなとこあるんじゃないかな。スッと分かった河上さんには中々理解できないかも分りかせんが、一般人はそんな感じがするんじゃないかな?(笑)


令和3年8月深夜勉強会―2(20210813−2)

河上さん:家は田舎の宮大工でしたけど、お爺ちゃんがね。でも本当の職人とね、それなりの職人との違いって、何かって言えば、カンナを手取り足取り引き方を教えるやん、するとそれなりの職人しかならへん。本当の職人にしようと思うとね、手取り足取り教ええへん。ひたすら見習わすだけ、見せるだけ。それも掃除とか雑用させてチラチラと盗み見させるだけ、をせんならんのやね。

 それ何でやと思う?何で手取り足取り教えたらあかんと思う?これがな思い巡らす考えたらあかんのところや。要するに手取り足取り教えるという事は、お前はカンナ引かれへんでって決めてるわけよ。すると永遠にカンナ引かれへん、それなりにしか。で手取り足取り教えずに、只々、見せてるっていうのはね、お前はもう本当は引けるんや、それ受け取るだけっていう事。だから3年も5年も見習いをさせといて、突然ある日やれってするの。すると突然みんな出来るようになる。その突然できる時を見極わめるのは師匠の仕事やけどな。何時やれってさせるかみたいな。

宮野さん:真祈りと一緒やね。

河上さん:そう、真祈りと一緒やね。だから勿論見習う方はひたすら陰で自分で練習するんやで、勿論。剣道もそうやね、柳生流とか神道夢想流とか色々有るけど、どの剣でもね、手取り足取りって一切教えへん、全部見取り稽古っていって見せるだけ。その中で伝授を受け取れる弟子が何人いてるかだけやね。それは何でかと言ったら、既に出来ているって決めているから。手取り足取り教えた時点でお前は出来へんやつやなって決めてるね。もうここに尽きるんよ。だから先生はみんなにね、本当に手取り足取り教えてくれんかった。なのにみんな拗(すね)ねてな、先生やから出来るんやって言ってしまった。

 そこで殆ど失格になるねんけどな。それでも失格やから帰れって先生は言えへんから、真祈り出来る人はこのシールを持って帰ってとか言って、全部引きずれる様に引っ掛かけて、ここに残しはった。なー、みんなシール持って帰ったから真祈りせなあかん。

宮野さん:真祈り出来るから持って帰ったんでしょう?

河上さん:そうや、真祈り出来るから持って帰った。出来るんや大丈夫。

宮野さん:分らなく持って帰った人は、無意識に真祈り出来るってちゃんと確信持って。大丈夫。

河上さん:そうそう、大丈夫。もう虚栄心に尽きるのね、自分と他人を分ける所が虚栄心やけど、虚栄心が有る事さえ気が付かない状態にみんな居るのね、虚栄心のある人は。

質問:増大するんですけど、どうしたら良いんですか?(笑)

河上さん:面白いな、それ。だからそれ分けるからや自分と他人を。

質問:夢に迄、我が出て来てしまってもう、目覚めた時に・・

河上さん:いや、夢で消して下さっているの。

質問:そうですか?うわーっと思って、今日慌てて印可書を読みました。目覚めて。

河上さん:そうそう、それで良いの。そうやけどね、まだ虚栄心て気付くようになった事でも、凄い事や。普通は気付けへんもん。だから私は若く見えてますとかね、平気で言わはる。僕67や、私66ですけど若く見られているんですよ。それでしゃあないからちょっと褒めとかなと思って45に見えるわって言ったら、もの凄い不機嫌そうや。30台に見て欲しかったんや。中々難しい褒めるの。

s;見極めが?

河上さん:見極めが、そうそう、違うやろう。(笑)
 だけどそれ位虚栄心が有る事すら気が付かない。逆に言うと、この人間界でお金儲けしようと思うと、虚栄心で生きるしかお金儲け出来へんな。人よりええ服着たい、どうこうしようと思ったらお金儲けせんならん。で最後は結局、騙してでもお金儲けになって行くでしょう?あの広告でこの商品は凄くエエみたいにして凄く高く売るわけや。テレビショッピングなんか完璧や、あれ。本来の値段より4倍くらい付けるんや。ちょっと待って下さいって、半額セールとか言って倍で売ってる訳やもん、完璧や、あれ。今から30分以内にって(笑)

宮野さん:ちょっと突っ込まれないように、個人の感想で(個人の感想であって効果効能を示すものではありませんといって)って。

河上さん:そうそう、個人の感想で有って効能を示すものではありません。完璧やな。(笑)

質問:虚栄心って見た時に、周りの姿が虚栄心て自分が感じた時に、それは私の虚栄心なんですか?

河上さん:そうそう、自分に虚栄心がなかったら虚栄心が見えへんね。肉体を持つ以上は必ず虚栄心とか、食欲とか、色欲とか、名誉欲とか五欲を持たないと肉体を維持出来へん。肉体を持っている間は必ずゼロに出来へん、それは憶えといて。だから相手の虚栄心を感じ取れて印可書を奉納してあげれるん。虚栄心を全くゼロにするやん、そうすると先生の様に肉体がはち切れてポンと終わるん。その五欲をちょっとでも残しているのをね、掴んであの人はあんなキレイ毎を言ってるけど、まだあんなんやーとか言うしな。みんな好き勝手言うんやけど、どっちにしても肉体を持つっていうのは五欲が残っているからや。

 だけどその五欲を使って、その五欲の響きに合わせた光を送らなあかんからね、だから肉体がいるって言うの。それを五欲を消せないまま死んだ人の為にやる。五欲を消せないまま死んでしまうと、肉体が無いから消しようがないまま苦しんではるわけや、あっちの世界で。だから印可書を肉体側で奉納してあげると、もう向こうの人は肉体が無いゆえに、一瞬で残してた欲が消えんね、で悟れるわけ。

質問:会社に行くと、虚栄心ばっかりしか見えないんですけど、今仰ったそれは無色透明でない自分が居るからそう見える?

河上さん:だから見えるのをチャンスにして印可書を奉納することが必要やね。電波ってそうやねんけど、音声波というのは電波として飛べへんね。高周波というのは、高い周波数は電波として空間を飛ぶの。高い周波数が基本に有って、それに音声を乗せて、高い周波数を音声の形に変化させるの、そうする事によって又、それを受信できるんやけどね。それと一緒で虚栄心、要するに五欲という響きに、要するに光という高周波を五欲の中に乗せて送れるの。肉体があるから、それが大事や。

 それが無いと、要するに先生が何で肉体を持たれて地上に降りて来られたかっていう理由や。肉体が無いと地上というより全ての世界、表現世界を変えられへん。表現世界に細かい光を送られへん。勿論強い光をバンと出すだけで良いんやで、消そうと思ったら。するとアトランティスみたいになる、ムーみたいになる。地上側でね細かい光に分ける、要するに真祈り人が居らんようになるやん、だけど神さま愛やからどんどん光を送ってくるやん、で受ける人居らんようになったら、ムーやアトランティスみたいになるの、レムリアみたいに。

 今回は真祈り人がいるから、先生がちょっと待ってって、ここまで来てるから。でも私ら真祈りできへんて拗(すね)ねるん違って、印可書を奉納してくれたら真祈りになっているから(印可書を奉読してねとおっしゃっている)、ここ迄言って選べん人は自由やけどな。それだけやね。その欲に応じて光送れるん。変調させた光をね。

 別の説明で言うとね、ちょっとした狭いとこ見るのにね、やっぱり懐中電灯便利でしょう?このタンスの隙間見るのにね、こんな細い懐中電灯で照らすほうが見えるやん?こんな大きいサーチライト持って来たって眩しくて見えへんや。場所に応じて光を弱めなあかん。それを五欲を持っている肉体を通してしか出来へんね。で人によって性欲の強い人、食欲の強い人、色々有るやん?その強い部分を通して、それぞれの人の担当や、あんた性欲担当、あんた食欲担当みたいなもんや。そういう感じで通していくの。だから肉体を持った真祈り人がいるの。

 だけど肉体を持っていると、真祈り出来へんってみんな拗(すね)ねるから、印可書を作っただけや。これさえ読んだら神さまのお手伝いになっているし、あなたの食欲だったら、食欲を通して食欲の部分に光が行く。食欲の部分に光が行くとね、普通だったら物を食べたいから人の物を奪ってでも食べるんやけど、例えばサツマイモやけど、こうゆう風に調理してより美味しくして、みんなに喜んで食べる貰うっていうのが、本当の食欲の現し方や。

 単なる食欲だったら、それこそ飢餓状態でお腹空いていたら、サツマイモ掘り出して生でもかじるみたいな感じになって行くわけや。それもまだ人の持っているのを奪ってっていうね、そうじゃないね。五欲を使ってより豊かな色彩に変えなあかんのやね。

宮野さん:うーん、又、理屈の話やねんけど、

河上さん:理屈でしか説明出来へんの。

宮野さん:違うの、実質、実践編としてのさっきの話ね、先ほど河上さんが言ったのは他人の虚栄心が一杯おっての話を、まあ

河上さん:見えるから真祈り出来るのであって、見えなければ真祈り出来へん。

宮野さん:今のは理論編ね、じゃあ実践編としたらどういうのって話しした時に、皆思うのは、実践編として印可書を読めば良いのよねとか、宇宙神ありがとうございますを言えば良いのにね、

河上さん:あーうーすーとかね。

宮野さん:ちょと待って。(笑)だけど実際に・・

河上さん:ちょっとタッチするから(ここに)座り(笑)

宮野さん:先ず、じゃー、みんな困っているのは何かというと、最終的に印可書って分かっているけども、でも何で印可書なんやろうってとこが、ストンと落ちて行かない事には印可書読むんけど、何で印可書なんやろう。何で印可書読んだら、その理屈は分かるんだけど実践とうまくかみ合わないんだと思う。

河上さん:だから先生と神さまとの約束事やねん。

宮野さん:そうなんだけどね。何でかというと、元より河上さんの話の中でよく出て来る、自分以外の他人は好き勝手やると、ね、自分以外の人間は好き勝手やるんやから、そんな人達に対して、あの人はこう、あの人は優しい人やな、この人は親切やな、だけどあの人はイケずやな、あの人はめっちゃケチやわーってっていう事あって。イヤイヤもとからそういう風な、それぞれみなさんそう言うねん、そういう色を出してるだけの話で、じゃーその人それぞれの色があるから結果その人に有る縁によって光が通って行くわけやから、それぞれの役割をしていると。

 じゃー自分がその人達を見た時に、どの立場でもってどう批判するやって話しなのね。

 じゃーそれぞれの光を通す為に神さまが色んな光を出してはるのに、なぜ自分がその神さまの造られている光の中の事を、一々文句付けるのって話しやね。って考えた時にアッ違うわ、それぞれが有って良いんやなって、その人はわざわざ悪い役割を何でしたいねんと思うけど、わざわざ悪い役割をしてはるんなー、いけずな役割しとってんな―、金の亡者のような役割しとってんやなー、気の毒やなーと、という話しやけど、それはそうゆう役割なんやなーと、そういう縁の人に、あっちこっちの世界の人に繋げないといけないわけやけど、色んな光、先程言った河上さんの話しで言えば、そのサーチライトから懐中電灯も色んな懐中電灯がいるよね?そしてLEDを使った懐中電灯でないと分らない所もあれば、昔の電球玉でないと分からんような、光が強すぎるから小さい球でないと分らない場合も一杯あるやん。

 そういうのっていうのは神さまが用意しはった色んな光の人達のわけじゃない。それが全然本来は接点がないけども、この世界にみんな集まったように感じているだけで、そう感じている自分が神さまと不離一体だったら、あの人はああゆう役割してるよね、っていうのが分かるよねって話しやね。自分が神さまと不離一体だったら、あっ今ケチな役割しとってんやな、あーあの人は親切な役割しとってんやな、あーこの人は地位名誉ばっかりやな、この人は家族の事ばっかり思う人やねんな、他人の事はどうでも良いねんな。色んな役割があるっていう、そういう○○役をやってはるんやなっと。

 自分が神さまと不離一体だったら、神さまのお仕事が分かるからスッとそう思うから、その人達に対して物を言おうと思わないって話しやな。心揺るがないって話や。あー只々、そういう風に色々見えてる皆さんお仕事大変なんやなーっと思った時に、あー神さまのお仕事もっともっとスムースにはかどれるように自分はお祈りするだけやねんなって。

 神さまのお仕事をはかどれるようにするっていうのは印可書を奉納するだけなのね。それが神さまのバックアップ、神さまが自分を使って下さるんだけど、自分の方自らがお祈りをする、真祈りをするって事で神さまのお仕事をもっともっと助長する、お手伝いする仕事になるわけやから、あー他の方がいらっしゃって、ややこしい事があったって、あーお祈りする事によって、これが一番良い形でキレイに収まって行くんやなーって話が、自分で何となくわからんけど、何か不快な事もあるねんけど、何か分からんけどええねんな、って収まって来る。不快やねんけど収まって来る。でもその不快が先生の言葉を借りれば大きな余り波が無い、上がったり下がったりがない感じやね。フワーッとこう一定の所、サラサラと上がり下がりが無いような状態で過ぎてゆく。静観した感じで過ぎて行くって感じで。

 そのマイナスを見てもこれで良いんやなってマイナスを感じない。これこうゆうのは必要なんやってスッと思えるように自然と入ってく、収まるって感じやねんな。するといわゆる不動心っていう、どんな事が起っても全て良しって入るから、結果河上さんのさっきの理論の所に戻るって話しやね。でも実践編とすると、じゃー自分たちは何で印可書を読むんかなーというのはさっきみたいな話しだと思うんだけど分り難かったかな?

質問:まだ、0.999(循環小数ここでは9が永遠に続く)が1と分かってない状態なので、印可書唱えている時1って理解できた時には、回りの人が本当は神さまの働きをされてる、自分が意地悪に見えたり、自分が虚栄心を持っている様に見えた人は、本当は神さまの仕事をされている様に見える様になるから、ずーっと印可書を読むしかないと思っていればいい・・

宮野さん:だから我慢をする為に、収めるために印可書を読むんじゃなくて、どっかで

河上さん:良くしようと思って、

宮野さん:そういう事ではない。全て神さま、例えばね、私が凄いひどい人だったとするね、凄い虚栄心まみれで、ボンボンと自分の部下を罵詈雑言でもって怒りまくって、自分の立場を固持しようとするような上司だったとするじゃない。でもそれであっても、この人にも私にも神さまが付いていらっしゃるんだっと思った時に、不離一体の神さまがつくられた、若しくは松下先生がピトっと入っていると思ったら、それが見えたら、もし見えたら思わないよね、あっ意味が有ってしてはるなーって思うなって話やねん。

 それを何時も何時もちょっと癖付けとしてするのは、自分以外の人間は好き勝手するねん、っていう事を割りと口に出して言っていると、その内にそういう役割を皆さんしているんやっていう風に思えるようになる。

 そうしたら先ずはやり方として、色んな方がいらっしゃって、皆さんそれぞれ好き勝手しとってんやって、自分の事をどう評価されようが、相手は自分の事好きに思うわ、悪口も言おうがそれも好きに言うわって、指摘したって腹の中で思っているやんって話しやね。

 そんなん別にええやん、そんなん変えられへんからね。そう思った時に、そうやって自分は誤解された時に、逆の側でなくてラッキーって話しやね。でその人達にはパンと後ろにちゃんと松下先生が付いているんやと思ったら、あーとんでもない事を思ってたな(笑)すみませんって思うね。はー申し訳ない事をしてしまいました。申し訳ない事を思ってしまいました。先生ゴメンなさいって、一生懸命お祈りしますってなるじゃないって話しやね。っていう感じで実践編って話しやったのね。

 そしたらその時に自分がすぐにリセットできるようにする癖として、「宇宙神ありがとうございます」若しくは、その宇宙神ありがとうございますを言ってても、自分のムカムカしたのが沸き上がって来る時には、印可書を唱える、トイレ行って印可書を唱える。

 そうすると何か分からないけど、そうやそうや、「あれは松下先生だったんや」(神さまが)乗り移ってはったんや、そうやって凄い悪い、私の中に入っている松下先生がお清めして下さっていたんやなー、そうやって消えて行く姿やったんたなーと思ったら、自分の中でそれが消化していった時に、じゃーそこに見える自分たちはどうなんだろうと?同じ様な事をやってもさほど思わないっよねって話し。自分の気持ちが動かなくなる。

 若しくはもっと違う形で、もし凄くひどい人が、自分が知らなかったけど凄い自分の大恩人だったら、「こいつこんな事言ってて!」ってよう考えたら自分の娘を助けてくれた大恩人やったと思った時に、「おまえな」っては言えないって話やね、極端な話しね。

 でもそれは自分が知らなかった話し、でも知ってるからやりますか?知らないからやりませんか?って話やないと思う。何時も何時でも神さま、松下先生は一番良い形で全ての人にそうやって、入ってその方の縁有る方達の所に光を通すようにお仕事されてるわけじゃない。その時に自分たちがその人を、いやあの人は違うからって、分けたりしないって話や。それを癖付けてスッとリセットして分かるようになるのは印可書。

 だかた自分の中でわっさわっさし出したら印可書を奉納するとそのへんがスーッと霧が晴れやすくなるっていう。じゃあ何で霧が晴れやすくなるんていったら、さっき言った印可書を読んだら霧が晴れるって決まりを作る。言葉で言葉を立てる。印可書を読んだから何かが出来るわけじゃない。もうこれは印可書を読んだからスッキリする。印可書を読んだら悟れるって話でない。でも自分の中で印可書を読んだらスッキリするねんって言葉を立てるってのは自由じゃないって話しや。

 そういう理(ことわり)は言葉通りになるって信念の中で言葉を立ててしまえば、何時でも不快な事が起る、若しくは自分と他人を分けたりする自分が沸き上がってきた時は、イヤイヤ他人は好きに言うんや、先生がちゃんとその方を通して光を通して、お仕事をしてはるんや、あー他人と自分を分け隔てした自分、あーここは一つやから印可書を読みましょう、スッキリするんやっていうふうな形のリセット方法を自分でルーテインを作ってね。

 そうすると段々と肉体的、精神的、魂的にその癖がつくから、さっき河上さんが言ったみたいな理論が良く、アーそういう事やってんなって、入って来ると思う、実践編に。だと思います。

質問:ありがとうございます

河上さん:タッチしようというのに、タッチ握ってくれへん。(笑)
 

宮野さん:せえへんわ。そんなん大変やもの。

河上さん:あんな(あのね)、何で(なぜ?)人って好き勝手して言う事を聞けへんと思う?

 (それはね)みんなな、例えば同じ部屋に集まっているって勘違いしている。でも(本当は)みんな別の宇宙にいて、只、肉体界は重なって見えるから、同じように居てると思うけどね。

 で印可書を響かすというのもね、別の宇宙が重なっているだけやから響いて行けへんね、本当は。だから意見してやっても、注意しても聞かへんやろう?誰も。それ別の宇宙やから、お互い自分の世界にしか住んでない。人の世界に何ぼ言ったって、まー言えば戸締りしているから入れへん。

 じゃー自分の宇宙どうして作っているかってとこやね、神さまから命を頂いて自分という個性で(自分の言葉で創造)表現させた自分の宇宙をみんな造っている。

 みんなご飯を頂いて、お肉を食べて、お魚頂いて肉体を維持する。肉体を維持するのは、自分の命を維持してるみたいに思うけど違うの。だから神さまだけやけどね、神さまの命で宇宙を、一つのシャボン玉をつくってるね。

 で印可書を読むとね、その神さまの命の部分に響くから、で相手が内側から変わる。もうそれだけやね。内側からしか変えられへん。例えばね、山で自然に生えた木ってあるの。鳥さんが木の実を食べて糞にして落として、そっから出た木ってあるの。そういう木は根太(ねぶと)と言ってグッと深く地下に根を張って(いるの)、ところがここも、又、日本全国殆どそうやけど、ヒノキとか杉を植林したでしょう?植林というのはこれ位の穴掘って苗木を植えるんよ。要するに種から伸びた木と違って苗木から植えた木っていうのは根が張らへんの、浅くしか。それであの伊豆の時でもそうやけど、ガサって来るん。

 要は何が言いたいかといえば、外から言って変えさせようとするのは植林してるようなものや。一時的に相手が変わったように見えても根は張ってない。だから種から変えなならんから、印可書という大元から響きを送るしかない。印可書を奉納するとね、全ての人に真(まこと)の神さまを立てるって言うでしょう?立てるっていうのは相手の宇宙、みんなね色んな宇宙、大きい宇宙、小さい宇宙ってみんな持っているわけ、要するに心の広い人、心の狭い人って、あいつ腹の小さい奴やって言うやん?

 それ何で腹の小さい奴になるかと言ったら、神さまの光を受ける量が小さい。神さまの光を沢山受けたら、先生みたいに大きい世界に住んでる。その神さまから受ける光を印可書を奉納したら、相手が受ける光が増えるの、で変わっていくの。

 只、それをね、一人の人の宇宙がこっちの人の宇宙に影響及ぼしていたら知れているやん。でも200人って相乗効果になるわけよ、それが護摩の会場だったらもっと凄い。護摩の会場はパワーアンプというかアンプになっているから、増幅できる。で真祈りで増幅出来るからもっと凄くなるから、真祈りせえへん人でも、1回は騙してでも連れて来いって言うのはね、それだけでその人の心は大きく変わっていくの、いずれ。

 護摩に連れてきたから変わるんじゃないけどね。何事も中から徐々にやから焦ることは無い。

 でも先生が因縁因果の輪を断ち切ったからね、変わる時は一気に変わる。もうそこだけ。ついつい同じ所(同じ世界)に自分が居てるように思うから、言うてやらなって思う。或いは、言うてやらない迄も、あの阿保たれがって思う。(本当は)別の宇宙やから。どう思たって影響でえへん。

宮野さん:説明上手やな!(笑)

河上さん:本当の事、言ってるだけや。(笑)もう敵わんなー、突っ込み敵わん。(笑)

質問:それぞれの宇宙の違いは心の大きさの違い?

河上さん:いや、違う違う、神さまが好きな状態の、要するに光の量を調整した状態を演じて楽しんではるだけや。みんなもそうや、ご飯食べる時にな、今日はカレー、明日はラーメンって変えるやろう?そういう感じで、神さまの方も色んな光の量を楽しみはるの、だけやね。それは印可書を奉納したら自分もそれに気づくね。要するに完璧な一つって気付くわけよ、理屈抜きにな。兎も角、理屈抜きに完璧な一つって分からん事には悟りやない。ちょっとでも自分と他人を分けて感じてる間はな、まだまだ浅い。

質問:お話しでそれぞれの階層を代表して集まられているのは?

河上さん:説明の都合上色々言うけどね、要は神さまが色んな表現を楽しんでいるだけやね。その色んな表現を楽しむ中で、お互いに印可書を奉納し合ってね、助け合う表現も楽しむって分かったら悟りや。

 だけどマイナスがあるから、要するにここやね、マイナスがあるから変えなあかんって言ってる間は何も変わらへん。例えばこれお互い別の宇宙やけど、あの宇宙がマイナスやって思っている間は変わらへん。みんな真の神さまが楽しんでいるって分かったら変わる。

 さっきのカンナやないけどな、手取り足取りはあかんの。

質問:あんまり細かく、階層とか言われたなーとか、考えなくても・・

河上さん:だから何も考えんで良いって、考えたらあかんって言ってるやん。淡々と印可書を奉納するだけでポンと変わる。考えたらマイナスと思う、マイナスと思ったら永遠に変わらへん。

質問:以前の勉強会の話しでは、それぞれ階層代表して集まってって、その階層も無限の宇宙をもってる。

河上さん:いや、だからどの立場から見て説明するかだけや。今は真(まこと)の神さまの立場から見て説明した。真(まこと)の神さまが楽しんでいるってね。だけどもうちょっと下の立場から見たらそういう感じやし、入れ子構造やし、ピラミッドやしとかなるだけよ。


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8月深夜勉強会2 by 河上彰延 2021年08月22日(日) 21時29分
PC

令和3年8月深夜勉強会―3(20210813−3)

質問:立場としては階層の代表者の自分らは、この肉体を持って「印可書」、真祈りをしないとその宇宙全員に届かないっていうような話だったんですけど。

河上さん:うん、だから支え合い、要するに一大循環の姿を楽しもうとするのね、神さまはね。それをより制限した状態でも一大循環の姿を楽しめるように持っていきはるわけ。だからわざとプラスとマイナスに分けた世界という宇宙をね、1人の宇宙って、今みんなが持ってる1人の宇宙はプラスとマイナスに分けて表現している宇宙や。それってマイナスって分けてるから、ついついマイナスを認めたくなるんだけど。認めたくなるんだけど本当は完璧なる一つやね。その認めたくなるような状況の中を楽しみはるわけや。

 だから最初に言ったように0.333・・・・(循環小数) ×3=1やね、本当は一つや。0.333・・・ ×3=1っていうのは=で結ぶっていう事は本来一つやから。だけどそれでわかりにくいやろうから1/3 ×3=1っていうて一つを見せるわけやけどね。どっちにしても理屈はいらんのね。ただ神さまは1/3という表現も楽しむけど0.333・・・ ×3の表現も楽しむわけ。それを一瞬で楽しんだら面白くないから0.333 ・・・×3=0.999・・・違うの?って楽しむわけ。いや本当の話やで、笑ってるけどね。

 だってみんなそうでしょ?ゲームがそうやんか。はさみ将棋のルールでやったらいいだけやんか本当は。でも色んな、角は斜めに行く、飛車は横に行くとかね、わざと難しいルールにして遊ぶわけでしょう。スゴロクでもすぐ上がりにしたらいいねんや。全員水戸黄門でいったらいいの。悪代官はいらん。だけど悪代官と水戸黄門で楽しむわけでしょう。なんやかんやいったって楽しんでるよ。水戸黄門のあの悪代官、あいつあかん奴やなぁって言わないよね。

宮野さん:越後屋もよな。

河上さん:越後屋もなぁ、そうそうそう。楽しんでるやろ。映画の世界やったら楽しめるのに自分の世界を楽しまれへんのおかしい、本当はね。それだけやね。それを真(まこと)の神さまの立場から見たら全てを楽しんでる。でも小さい肉体の意識から見たらね、マイナスがあかんってなるのね。自分の性欲があかん、食欲があかんってなる。自分の虚栄心があかんってなってるけど本当は虚栄心を楽しんでるの。

質問:あってもいいっていうこと?

河上さん:あってもと違う、楽しむために作ったの。  

質問:自分で?

河上さん:それで要するに着飾ったのを綺麗っていう人も作って楽しむわけ。着飾りたい人だけを集めたら面白ないで。誰も見てくれへんで。(笑)或いは金持ちをいいって言う貧乏人がいてるから金持ちが楽しめるだけで。金持ちばっかりおってみ、また金の量で区別して何とかしようってして苦しみはる。

 この現世の世界というのは必ずマイナスがプラスを支えているだけや。だからどっちがいいの?違うやろ、逆に言ったらマイナスのほうがいいんや。マイナスがないとプラスが見えない。っていう楽しみ方をしている世界。だから0.333・・・ ×3=1っていうのを最初から1やって言うたら終いやねんけど面白くないやん。だから0.333・・・・ ×3=0.999・・・・・ やけど1なんかなぁって言って楽しまな。

 それを楽しめる子は数学ができるんよ。楽しめない子はなんで0.999・・・・やのに1になるんって言うて苦しむの。一緒全部。なんで水戸黄門あんなに苦しむの?なんでいじめられるの?って言うて8時40分まで行き着かない人が多いのね。素直な子はちゃんと8時40分まで行き着いて「あっ、葵の御紋が出たわ!これでみんな万歳や!」って、こうしていけるのな。

宮野さん:その前に由美かおるのお風呂タイムがある(笑)

河上さん:お風呂タイムもあるしな。だけどみんな途中で引っかかって止まるの、考える子は。だから考えたらあかんのね。水戸黄門かって考えたらビデオで見ててみ、考えたら途中で止めて考え込んでまうで。あれ放送やったから無理矢理見せられて行けただけで、考えるというのはビデオ止めて考えてしまう、な。みんな止めて考えてるの。認めるっていうのはそういう意味や、見て止めている。だから考えたらあかんし認めたらアカン。

 只々喜んでたらいい。「喜んで感謝して待ってたらいいんや」って先生言うやろ。もうその通りやのにな。喜ばないで考えるの。「考えるなっ」て言っても考えるやろ。中々面白いで。そら考えたい人は好きに考えて楽しんだらいいから、あんまり止めてもアカンねんけど。

 「まぁそろそろ遊びを終りにしような」って言うて(笑)もうゲームを終わりにしてリセットしようなっていう時間や。「お腹空いてきたんと違う?」って感じやねんけどな。みんなお腹空いてきてるのね、本当は。「おうちに帰ってご飯食べよう」っていうとこやね。

宮野さん:お弁当食べなさい。

河上さん:そうそう。「あなたも大変ね、お弁当を食べなさい」って言わな。お弁当食べたら悩みが消えるのね、完璧や。

宮野さん:現実無視やな。何の脈絡もない演出、完璧やな。

河上さん:あれは真理の言葉やったんや。あ、違うか。(笑い)

宮野さん:誰も意味わかってない(笑)今日はあれやね、ボレロのような今日の勉強会やね。

河上さん:そうなん?

宮野さん:少しずつ同じやのに、また同じに変わるまた、さー、また同じに変わるっていう。

河上さん:ああ、でもボレロあれは入れ子構造の楽曲やけどね。

宮野さん:ボレロみたいな。

河上さん:ここで短調になるの?えっ、ここでまた長調に戻るの?おかしくない?みたいな感じだけど。

宮野さん:それでまた戻ってくる。

質問:それは少しずつ変化して。

河上さん:そうそう。ビートルズのミッシェルもそうやな。えっ、ここで短調にするん?えっ、これ作曲のセオリーからいったら違うよね。でもいい曲やなみたいな。

質問:元々は神さまは唯一独在で。

河上さん:そうよ、神さまがいろんな姿を楽しむの。

質問:だから元々の自分の考えでは神さまはそれを体験したいんだなって考えてたんですけど…

河上さん:体験したいんじゃなくて楽しむ。だからみんなゲームをわざと難しいのを楽しむやん。

質問:体験よりも味わい尽くす方が。

河上さん:そうそう味わい尽くすだけ。


質問: それは「神書」にも書かれている。そっちの方が正しい。


河上さん:そうそう、正しい。味わい尽くすというのは。だから入れ子構造やからね、神さまの姿を人間も入れ子構造で写すやん。それでゲームするのね。ポーカーするの。麻雀するの。

質問:この世のチャネリングとかの本には体験するためにって。体験っていうのを強調されてるんですけど。本当は味わい尽くすのが…

河上さん:いや、チャネリングいうのは小さい意識に立っての話やろ。神さまはゴキブリもネズミさんもいろんな姿を味わい尽くして楽しんできてるのにな。あなたの過去世って何って言ったらやな、ネズミの時もあるのね。猫さんの時もあるのね。

宮野さん:猫はないなぁ。

河上さん:猫は無い?(笑)なのに、織田信長やったとかって言われて喜んでるわけや。だから過去世見える霊能者ってツッコミどころ満載やねんけどな。あんまり突っ込んだらかわいそうやから好きにさせてあげてるだけで。

宮野さん:いっこも当たらんしね。

質問:後、ロズウェルのUFO墜落とか実際は宇宙問題はまたそういう…

河上さん: UFOってな、違う世界とちょっと重なったとこの姿やんか。


質問:そのスクリーンを見て楽しんでる人たちの世界なんですか?

河上さん:そうそう。

質問:それが重なって見えてるだけで。

河上さん:そうや。だからトカゲさん?とか言うんやろ?知らんけど。

質問: グレイとか。

河上さん:そうそうそう。トカゲさんとか。

質問:爬虫類系とか。

河上さん:なっ、言うんやろ?

質問:それは言葉で作って遊んでる…

河上さん:そうそう楽しんでるわけ。もちろん、もちろん。

質問:重なって見えるから…

河上さん:漫画でもそうやんか。ポケモン、ピカチュウと一杯あるやん、あの感じやね。

質問:えっ?あの感じ?

河上さん:あの感じやん。あの、何?レプリアンか?なんやったかな?よう知らんけど。レプリアンやんな、確か。

質問:アメリカはそういう宇宙人の技術を利用して…

河上さん:どうこうとか言うやろ。

質問:それもそういう…

河上さん:そういう物語にして楽しんでるだけよ神さまがね。だからピカチュウの世界を作って人間が楽しむよね。

質問:コロナにしてもいろんな受け取り方をするのは、いろんな世界を楽しんでいるだけで。陰謀説として捉える人もいるし。

河上さん:うん。だから神さまは不必要なものを現さないからね。コロナも必要で現れてるのに、コロナがダメやとか言うからダメな姿を自分が受け取るのね。

質問:中国陰謀説とか唱えて…

河上さん:そうそうそう。まあ、楽しんでるねんな。

質問:ワクチンにはマイクロチップが入ってて。それで打たしといて人類を家畜にするとか…それも遊んでる?

河上さん:そうそうそう。心で遊ぶんよみんな。だってオナニーする時みんな適当に想像してするでしょ?心で遊んでるよね。それが1番分かりやすいと思う。いろんなシチュエーションを自分でイメージして遊ぶやん。

質問:真相は神さまが良いようにされてるだけなのに…

河上さん:楽しんではるだけ。

質問:それにちょっと脚色して…

河上さん:いや、脚色やなくてそれがあるものやと掴むからややこしい。サラサラと受け流して喜んでたらいいのにね。性欲でもそうやけど、サラサラと受け流して喜んでたらいいのに、これがないとダメでつかんだ途端に苦しみになる。

質問:良いようになってるとか、喜んでいればよかったのに凄い…

河上さん:そうそうそう。だから考えたらあかんて言うの。例えば性欲やったら、年取ったら出来ないようになるよね。でもこれがないとダメって言った途端に、苦しみになっていくわけ。男と女って分け隔てるから性欲があるわけやな。或いは他人って分け隔てるから。本来完璧なる一つやから性欲の形で一つにしなくていいわけホンマはね。

 だから一つにせなあかんのやったら必ず結婚せなあかんてなって苦しみになる。神さまは自由自在にしてるからどの形も全て良しやね本当はね。だから考えたらあかん。考えるというのはもう分け隔てて考えるから苦しみになる。

 だけど、そしたら何も考えへんのやったらナメクジみたいにじっとしてたらいいのねってなってしまうからな、冒頭にちょっと説明したけど。神さまは入れ子構造で人間も神さまの姿を映すから、神さまは休み無いやろ。だから本当は人間も休んだらあかん。

 だけど肉体やから休んでもいいけども、淡々とひたすら働きなさいよっていう。神さまがひたすら支え合いに入ってくれるようにみんなも支え合いに入りましょうねっていうだけやねんね。

質問:あとピラミッドとか御陵のおまけはもう無くなってるんですか?前回の勉強会で…

河上さん:あのな、ピラミッドとか御陵というのは骨格、骨組みやね。それを基に地球が出来るの。まぁ神社もやけど。だからそこで「印可書」奉納することによってね、地球霊王様が楽になるんやけどね。

質問:今もそのおまけはなくなって…

河上さん:うん、だから「印可書」が出たんや。みんなが「印可書」を奉納せなあかん。ただ入れ子構造やから地球霊王様の体としてはその形やけど、みんなの肉体も地球霊王様の体そのものの入れ子構造の縮小版なわけよ。だからまず肉体で奉納してねって言ってるの。

 肉体も神さまの入れ子構造の縮小版やから肉体もひたすら淡々とね、働くのが良いのね。だから「山の中のポツンと一軒家」を僕が好きなのはね、文句は言わんと黙々と働きはるやん。それで健康やろ?あれが全てや。何も考えんと。考えんとやってはるやん、凄いと思う。それが真祈りやねんな、本当は。

質問:11月とかこれから色々厳しくなるというか変わっていくと言うふうに…

河上さん:だから要するに人を責める思いでね、要するに免疫力というのがあって人間の体に。免疫力があるから例えばコレラが発生しても、全員コレラにならないでしょう。

 免疫力のある人は発症しない。コロナというのは一番最初に人類がコロナウィルスで出たのがノロウィルスなの。それでノロ中毒と言って大変やったわけよ。で、ノロの変形がコロナやね、今の。ノロ・SARS・コロナって来てるんやけどね。8個から9個のウィルスで発症すると言われてるの。だけどみんなノロウィルス持ったんやけど、発症する人は免疫力の落ちた人だけやったのね。お年寄りとか幼い子供とかね。或いは前の日に深酒をして体力を落とした人とかね。今回も一緒やね。

 コロナかって8個から9個で発症すると言われているのに殆ど発症しないでしょう。なんで発症するかと言ったら人を責める思い。人を責める思いがあったら免疫力が低下するの。なんで低下するかと言ったら人を責めるやろ、そしたら自分の中でもお互い攻め合いするの肉体側の。で、肉体側の免疫力が本来は外に向いた働いてるのが、お互いの細胞とか内臓を自分の免疫力が攻め合いして落ちるの。それでコロナで発症したように見えるだけで。

質問:意識は自他を分け隔ててるから…

河上さん:そうそう。だからまず真祈り。だけど真祈りを広めるって何かっていったら、今はね「印可書」の奉納をするという事を広めるだけなんだけど。それも「印可書」を読みなさいよって言ったら違うわけよね。自由意志で選んでもらわないと。自由意識で「印可書」奉納してもらおうと思うと相手に神柱を立てる。真(まこと)の神さまを立てるだけやね。

 真(まこと)の神さまを立てる方法は何かって言ったら、「印可書」を奉納してくれたら、あなたの縁のある人の心に真(まこと)の神さまを建てれるよって、先生が決めてくれたの。だから淡々と「印可書」奉納し続けてくれたら、みんなの縁ある人の心の中に神柱が立つの。立ったらどんどんみんなが変わるの、「印可書」選んでくれるようになるの。その最初の大きなスパークの火花が200人いるって言うてるだけ。本当は1人2人でもいいの。だけど200人、一気に行きたいからね、200人。

質問:そういう大事な時に会社のことを心配したりとか、虚の…

河上さん:それで良いの。心配して良いんだけどいつも言うように、この現世の生活はね、普通通りにしてあげないと「印可書」を響かせないの。だから現世の生活は、いわゆる自分の体験の良い悪いの中で、要するに常識に従って判断してあげたらいいわけ。

 だけどそれとは別に真(まこと)の神さまとして自分が「印可書」奉納するわけ。「印可書」を奉納するというのは、自分が真(まこと)の神さまとして響き渡らすという事。それってね、みんな殆ど人類全員が常識に従って動いているわけやね。でも心臓は常識を超えて動くでしょう?呼吸は常識を超えて動いてるよね。常に真(まこと)の神さまは働き続けてるの。それをより多く自覚させる為の「印可書」だけ。

 だからこんな人類90億にね「印可書」なんか響き渡るわけなんか無いわって思うのは勝手だけど、みんな心臓が動いている限りは「印可書」は響き渡るの。みんな寝てる間は勝手に呼吸してるの。神さまが呼吸さしてくれてるの、全人類が。だから必ず「印可書」は響き渡るの。だから呼吸そのものやっていってな最初は呼吸に乗せてから入ってんけど、呼吸ではみんな止めてもらったら、今度は止めることに集中するしやな、

 色々と大変やったから呼吸を止めて「印可書」だけにって言ってるだけでな。

質問:「印可書」も唱えてれば自然に意味は分かってくるって事なんですけど…

河上さん:そうそう。理屈抜きに答えが湧く。だからまず、なんでもそうやけど理屈抜きに答えが湧いたら本物。

質問:そう聞いて3年経って余りわからないんですけど。(笑)それは捉え方が浅いのかそれなりの…

河上さん:要するに自由意志での選び取り方がね。

質問:甘い?

河上さん:うん、だって普通に生活できるやろ?「印可書」唱えなくても、だから。でも先生優しいから普通に生活できるようにしてくれてるけどね。もう「印可書」を唱えないと生きていけない位の覚悟を持った方が本当はいい。


質問:その一方で3年間の中に「印可書」についての質問を色々答えて下さって。個々でも一通り教えて下さっているのが…

河上さん:もう言い尽くしてるけどな。

質問: 3年間でバラバラなのでちょっとざっとでいいので流れがどこでどう言われたかなというのがわからなくなってしまって。(笑)

河上さん:必要な時に思い出すよ、大丈夫。

質問:あれは言われたけどってテープを探すのが大変。

河上さん:うんでも必要な時に思い出すから大丈夫。これは覚えておいて。先生のお話でも聞いてた人はね,必ず必要な時は思い出せるの。只、「自分が」って思ってるうちは思い出せない。理屈抜きに答えが出るっていうのは自分が消えた時や。自分があるときは理屈が入ってくるから1 ÷ 3=0.333・・・,それ(0.333・・・)×3=0.999・・・・って自分が入ってるからよくわからない。

質問:最初は意味がわかったほうがより…

河上さん:うん、だから理屈抜きにわからなあかんのね。

質問:それは職人さんのように自分で気づくもの…

河上さん:そうそうそう。だから伝授の部分というのは手取り足取りは出来ないのよ。でもかなり手取り足取りをしてしまったんだけどね。掟破りを大分してしまって、「その分はお前が1人で消せ」みたいに怒られているわけやけど(笑)

宮野さん:理屈で一杯教えるから、結果的に理屈で考えなあかん、頭で考えなあかんてことなんちゃうかったのね。あくまで…

河上さん:いや、だからやっと考えたらあかんていうことを言っても受け止めてもらえるようになっただけや。それまでは考えたらあかんて言ったら逃げていくで。どうしろっていうの?みたいな。

宮野さん:あと先生の本でもさ、行間が大事なわけでしょう?

河上さん:いや、だからそう言ったら誰もみんな分からなくて難儀したんや。

宮野さん:文章じゃないよ、文章を読んだらあかんねん、その間やねん。どこを見るのって思うでしょう?一緒やねこれも。

河上さん:だからやっとみんな考えたらあかんが分かってくれるようになって来たんや。

宮野さん:「印可書」を読む時のその響きだけの問題。すると必要な事はふわっと湧き上がる。

河上さん:だから考えたらあかん。淡々と読むだけで良い。

宮野さん:あれだけ一杯質問されたから既に入ってるんですよ。

質問:真祈りをしてれば地球の裏側が分かるって言われても、それもそんな余計なこと、いらんことを考えたらあかんてその河上さんの言葉が聞こえて…

河上さん:要するに考えるという事は自分と他人を分けるから分けた時点でわからんようになる。

質問:思い巡らすという事も同じですか?

河上さん:そうそう、一緒、一緒。だから0.333・・・・ ×3がね0.999・・・・やって考えてしまうから。それは0.333・・・・と×3をね、分けてるからやね。本当は一つやから1やね。

質問:それも自他を分けることになるんですか?

河上さん:そうそうそう。だから数式はイコールで分けたらあかんよ、一つやでって言ってるんだけど、=って書いてるのに違うって考えはるのみんな。 0.333・・・・ ×3=1、「ハイ」って言わなあかんねんけどね。要するに無理数と有理数は本当は一つやったのね。だけど表現上、無理数、要するに0.3と続くの無理数で、1というのを有理数って言うわけやけどな。 まぁ、あんまり数学的に言うと又遠ざかるからやめとくわ(笑)

宮野さん:例えばさっきのさぁ、地球の裏側の事が分かるようになって,,それを考えてもわからない。でも考える必要がないからわからない。必要があったら勝手に思い出すし。だから人によってそれぞれの違う形によって情報の現れ方がする。例えばテレビをつけている時にその情報が自動的に別に見ようと思ってないのに欲しかった情報がテレビの形で出る。もしくは人から情報が入る。それは神さまが色んな形を介して分かる。

 色々人によっての特性が違うから。例えば何の媒体もなくて分かる人もあれば、媒体を使って分かる場合もある。その媒体も色んな形の場合もある。テレビであったり,人であったり,本だったり,写真だったり,絵画だったり,音楽だったりっていう。

 だから思い出さない、何もわからない、例えば明日、もう何秒後に死ぬかなぁって思った時に「いやっ、今ブラジルはどうなってるんやろう?」って考えないよねって話よね(笑)。 別に何か裏のことを分かるって言うから考えてみましたっていう位の事かなと。

 でも先生は何かというと、地球の裏側まで色んな所まで、お祈りを意識を大きくして先生はお祈りをするから、裏の事までわからないといけなかったから、裏のことが分かるって話だったの。

 でも私らは今、地球の裏側のことを分かってお祈りする必要があるだろうか?今ここでお祈りするっていう状態でいいんじゃないのかな?そこから意識が広がっていくからどんどんと大きなことがわかってくるだけの話かなっていう。すると分かろうとしなくても自然と分かったっていう形になる。

河上さん:だから「印可書」を音楽でいうたらマタイ受難曲そのもの。

宮野さん:そしたら又もっとわからへんやろ?

河上さん:そうかあかんのか。

宮野さん:あかんね。それは読んでて…

河上さん:音楽に詳しい人やったら分かるかもしれないね。

宮野さん:Aさんとかね。

質問:河上さんのお話もバッハのマタイの受難曲とかとアレですよね。そんなに…

河上さん:まぁおんなじやけどな。

質問:同じじゃだめ?

河上さん:同じでええねんけど。ええねんけど何でも考えたらあかん。素直に「ハイ」って受けてたらいい。

宮野さん:誰か乗り移ってる(笑)お盆やし。

河上さん:思い巡らすというのは自分と他人を分けて比較して考えるでしょう。考えるってそうやろ。比較して考えるよね。プラスとマイナスに分けてとかね。その時点で表現の世界であって本物の世界と違う。白い画用紙に白で一色で完璧な一つなわけやんか。そこへ黒とか茶色とか色んな分けるものをつけて表現としては楽しいんだけど、本物ではない。本来は無色透明の白い画用紙なわけや、そういう感じやね。

 だから考えるというのは表現の世界に入ってるから分からんようになる、結果や。自分では考えているつもりやけども結果を掴んでいってるから。だから地図を辿っているだけで実際には行ってないみたいな感じ。あかんかったかな?うまく表現できんかったけど。

質問:亡くなった方が49日まではこの現世にいて、それからまた帰るって、だから49日までは一生懸命毎日こう食事とか作って差し上げていたんですけど、そういうものって?

河上さん:正確には50日です。50日間ね。だから神道では50日祭っていうんだけど。50日目にやるんだけどね。

質問:それはやっぱりまだありますか?

河上さん:うん。その50日間の間にお世話になった人にお礼を言いに行ったり、虐められた人には「このやろう」って言いに行ったり、それは色々ある。それで虐められ続けてきたとか色んな事があった人はね、その50日が過ぎても帰らない。それは地縛霊っていう。

質問:帰れない人もいる?

河上さん:心が不自由、掴んでしまったら。だからその場所に居座ることになる。その居座ったところに(知らないわからない人が)家を建ててね、また影響を受ける人も居るし。

質問:そういう人も「印可書」をあげれる縁者がいたら、あげてあげたら違いますか?

河上さん:もう全然違う。一変に変わってしまう。

宮野さん:でもこれもギブアンドテイクであげたらあかんよね。

河上さん:そうそうそう。ギブアンドテイクになったら「印可書」の響きが通じない。

宮野さん:これをしたら「印可書」をするとこうだよね?

河上さん:じゃなくて淡々と。要するに真(まこと)の神さまの働きってそうでしょう。ギブアンドテイクと違うよね。空気でも水でも太陽の光でもね。或いは心臓を動かすのでもこれをしたるからお金をくれとか対価を求めないでしょう?真(まこと)の神さまは。真(まこと)の神さまのお手伝いだから「印可書」読むことについて対価を求めたらあかんのね。だから奉納ってお願いしてるんやけどね。それだけよ。真(まこと)の神さまのお手伝いっていうのを、「印可書」を読むのは奉納するのは、お手伝いだったいうのを忘れたらあかん。お手伝いやったら真(まこと)の神さまの真似せなあかん。だから一切報いを求めない。一切の報いを求めず与え尽くすというのが神さまの大きな愛やね。

 みんなはその一切報い求めずに与え尽くされて来ている大きな愛をね、一部だけ受け取っている、全部よう(うまく)受け取らんでいる。自分って自ずと分けて小さくなって、小さい世界、大きい世界を作る。

 だから日本語はまだ個別の宇宙というのをある程度認識しているからね、「あいつは腹の据わった奴や」「あいつは腹の大きい奴や」「あいつは腹の小さい奴や」とかな。

「腹括ってないな」とか言って、それぞれの宇宙があるのを表現してるのね。腹(ハラ)というのは無限に広がる螺旋の響きを腹(ハラ)っていうわけやけど。一つの宇宙という意味でね。象徴的に「腹切り」って言うでしょ。本当はここを切ったって中々死なへんで。だけど宇宙を消すという事で「腹切り」って言います。

質問:先程、呼吸を止める、息を止める、一分間の呼吸ね、少し話がありましたので。まぁ、私が頭に来たんですけど。その時に宮野さんの方から止めるんじゃなくて吐き続ける、若くは吸い続けるも止めると同じだという事で。

河上さん:一緒。

質問:それ今ずっと吐き続ける1分間の呼吸をやってまして。大分楽になってきましてね。

河上さん:良かった(笑)

質問:その内に1分間も全然へっちゃらになりそうやなっている気がするんですが、そうなった時は本来神さまに投げ出すわけですよね?命を投げ出すと。楽になってしまったら何か投げ出せなくなるような。

河上さん:いや楽やから投げ出せる。力んでいる間は投げ出せない。

質問:楽にスーっと行けても…

河上さん:楽やから投げ出せてる。

質問:あぁ、凄い勘違いですね。


河上さん:うん。だから歯を食いしばったらあかんって言うやん。歯食いしばったら投げ出せないの、力んで(ダメなの自分が出てるの)。フワっとしてるから(自分がなくて投げ出せるの)。

質問:あっ、力を抜いた方がもの凄く楽に出来るというのは分かったんですけど。そういうことですか?

河上さん:そう。でもフワっとしてるんだけどお腹には力が入ってる。お腹に力入ってるけど歯を食い縛ったらあかんのね、感覚的にはね。歯を食い縛るとお腹よりもここ(肩)に力が入って力むようになるのね。息を吐きながら歯を食い縛らずに、息を吐きながらここに力を入れたら何でも結構楽に。

宮野さん:ここって丹田?前にやったこのトンっとした…

河上さん:そうやねぇ…例えばここに全体重を相手に乗せられてもね、簡単に…あーこんなんで言っても余計にわからへんか(笑)

宮野さん:うん、もっとわからへんと思う。

質問:合気道的な?

河上さん:まぁ、合気道というか… 別に柳生流でもそうなんだけどね。柳生の剣と体術とは一致してるんだけど。力まなかったら何でも出来ることばっかりなのね。

宮野さん:ほらさっきの話しじゃなくてさ。映像が無い状態で録音してるから。するとここって言われたら、それどこのことなん?って話じゃない。

河上さん:いや、別に身体の何処を押さえ付けられても一緒やから。まぁえーやん、もうその話やめよう。わからへんようなるから(笑)

宮野さん:とりあえず力まない。

河上さん:要するに力まない。力まないというのは奥歯、歯を食い縛らないと言うこと。

宮野さん:そしたら口を開けとこうか(笑)

河上さん:みんな勘違いするのは、歯を食いしばって仕事とかするんよ。で疲れたっていうの。山登りが1番分かるわ。歯を食いしばって登ってみ、すぐ息上がるで。歯を食いしばるずに淡々としたら頂上まで上がれるんだけど。食いしばって坂を上ってみ、まぁ5分も持たんのと違う。

 なのに普段みんなな、結構歯を食いしばって何かするのね。それで疲れたとかね、肩凝ったとかね、いろいろ文句を言って自分でやって自分で文句を言っているか世話ないからどうぞご自由にやけどな。

質問:シンバシラは神柱ですか?心柱ですか?

河上さん:いや、真(まこと)の柱とか書き方は色々あります。でも真(まこと)の神さまを建てるということで先生は真柱っていう。

宮野さん:真実の真?  

河上さん:真実の真をあてても良いし…

宮野さん:今日、河上さんが言われた真柱を建てるって言われたのは?

河上さん:神を建てるでも、真理の真を建てるでも。

宮野さん:どちらでもいいんですか?

河上さん:うん、どっちも同じ意味やもん。

質問:意味としては同じ意味なんですね。

河上さん:うん。

質問:ありがとうございます。



令和3年8月勉強会―4(20210813−4)

質問:「印可書」は淡々と奉納してれば真祈りになるという事ですけど。

河上さん:それを素直に受け取れるかどうかだけやね。

質問:後は今まで学んだの応用して呼吸法とか丹田呼吸とかできる人は…

河上さん:そう。自分に使いやすい方法を使ってもらったら。これしか無いは無いのね。

質問: 発展形と言うことで。自分にやりやすいように…

河上さん:呼吸に乗せるのがやりやすい人は呼吸に乗せてくれたらいいしね。もうみんな。例えば振る方がやりやすい人は振ったらいいのね。例えばね、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に込める1つの方法としてね、片足立しながら「印可書」を読むのね。

質問:新しいのが出ましたね。

河上さん:やってみ、今立って。片足で何分立てるかや。長い間立ってられへんかったら年寄りやで。そうそう、それで「印可書」読む。えらいフラフラやん(笑)若くないな、危ないな(笑)

質問:これで一本下駄を履いたら…

河上さん:あぁ、そうそう。完璧やな。

質問:やってみます。

河上さん:すると力みにくいのね。勿論それで歯を食い縛ってたらあかん。だけど歯を食い縛って片足でやってみ、もっとバランス崩れる。な、体がものすごい硬くなるやろ。振られへん。歯を食い縛ると体が硬くなるの。歯を食い縛らなかったら体が柔らかいから全身を振る状態になる。振るというのは光が通る状態なのね。今、片足立ちをしてもらったのはその振るの状態。だからお相撲さんが四股を踏むでしょう?あれって片足立ちを極端にしてるんよ。

質問:今ので集中して奉納できる?

河上さん:そうそう。これだけと違うよ。みんな其々やり易いのをしてもらったら良いのね。

質問:だから丹田呼吸で唱えるのもひとつですよね?

河上さん:そうそう。

質問:短い息で吸ってゆっくり吐きながらとか。

河上さん:だけど座ってするより立ってする方がいいね。立ってするより片足立ちを交互にする方がいい。っていうのは歩くのも片足立ちの一つ。

宮野さん:「印可書」を読むのに大体5分くらいかかるじゃない。

河上さん: 5分かかる。

宮野さん:ね。そしたら片足立ちが5分耐えれなかったら…

河上さん:いや、だからそれはな、5分にこだわったらあかん。例えば「印可書」のね…

宮野さん:短いのとか?

河上さん:いや、短いじゃなくて「印可書」を唱えててこっちしんどくなったらこっちに変えたらいいんや。それは自在にしたらいいね。だけど棒立ちでするよりは光が通るって言ってるの。

宮野さん:だったら歩いとってもいいってことやね。

河上さん:だから歩いてもいいんだけど大雨の時歩けないでしょう。歩かなくても歩く方法を今言ったの。或いは刑務所に入れられたら歩けない。独房に入れられたら、その時は片足立ちでお祈りするの。極端な話やで。

宮野さん:キッチンとかで主婦は片足で…洗い物とかしながら…

河上さん:そうそう。お医者さんは散歩しろって言うやん、お年寄りに。だけど散歩よりも片足立ちの方が効果あるのね。あるけどお祈り知らんかったらアホらしくてやってられないよね、片足立ち。すると光が通るから体が健康になって免疫力が上がります。

宮野さん:増えましたな、また。(笑)

河上さん: 一本歯の下駄言ったって、どうせ買わないやろうからちょっと考えたんや。

宮野さん:どこに売ってるか分からへんよな。

河上さん:ネットで引いたらすぐ出てくるよね。

質問:もう買いました。

宮野さん:買ったん!?

質問:もう履いてます。

河上さん:全然違うやろ?体が楽になってきたやろ?

質問:まだ2日目なんで…

河上さん:まだ2日目はまだ…

質問:まだ鼻緒が痛い。

河上さん:片手立ちで練習していったらいいんやで。どっか掴んで。

質問:家の中で履いてるんです。

河上さん:それでいいです。

質問:それだと1歩1歩に本当に集中できますね。一歩一歩に。今の1歩が大切なんだよっていうことに気づけますよね。

質問:手振りしながら「印可書」もいいんですよね?   

河上さん:いいよ。ただ人にあんまり見られたら(笑)

宮野さん:怪しい(笑)

河上さん:見られんようにな。怪しまれるからな。それだけや。要するに人にマイナスの思いを出させたらあかんからね。とうとうあの人おかしくなってきたわって。

質問:雷落ちたみたい。

宮野さん:怪しいって思われてもね。でもすごい楽になるこれね、振ると。

河上さん:朝、スッと起きる方法教えようか?仰向けに寝てるやろ。寝てて起きなあかんやんか。そしたら左手の上に右手を重ねてこれで八の字を描くの。寝ながら八の字。

質問:手の平のここにものが乗っている感じのイメージ。

河上さん:逆も同じでな。八の字。縦でも横でもいいから無限の形に書いてもいいし。

宮野さん:ちょっとここに物が乗ってるイメージ。

河上さん:そしたら肩甲骨がバリバリいうやろう?

宮野さん:それを落とさないようにこうする感じ?イメージは。

河上さん:そこを動かすと元気になるの。だから朝起きる時な、仰向けに寝てるよね。寝た状態でそれをするの。そしたら起きやすくなるの。固いな(笑)年齢の割に固いな(笑)

質問:玉を回す感じ?

河上さん:それしといてくれたらこれが出来るからここに玉が出る(笑)

質問:前、護摩の時にしはったやつね。

河上さん:これは先生に教わった技やけど誰も聞いてないねんなぁ。先生はチラッとしか見せないからぱっと受け取らなあかんねんけどね。

質問:先生よく食堂でみんな先生じっと立ってるように思うけど本当は体を動かしてるんやでって。片足立ちになったり踵を上げたりずっと動かして。

河上さん:そうやで、ちゃんと見てないから。その一部を今教えたわけよ、片足立ち。まだあるんやけどね。あんまり全部言ったらそっちばっかり言うから。中々大変やねんで、言う方は。呼吸を止め言うたら、止めるばっかりになるよね、一緒や(笑)。

質問:それはお月さんや太陽に向かってやるのもいいですか?

河上さん:いいですよ。だけど人に見られないようにね。おかしいと思われるで。怪しいなぁとかって(笑)先生から教わった事は一杯あるんだけどね、あんまり言うとまたそこ、タイミングがあります。

質問:「あー、うー、すー」で手振りやってもいいですよね?

河上さん:そうそう、だから先生はそれを具体的に手振りで言ってくれはたんけど、完全な記録をされなかったから、あまりそっちは追求せんとやりやすい片足立とかで行きます。

宮野さん:勿論、自由自在やからな。

河上さん:自由自在やからな、どれがいいとか違うから。言った内の使いやすいの使って貰ったらいい。先生は必ずつま先立ちで歩いてはったからな。踵をつけてない。紙1枚ぐらい踵を浮かすの、1番しんどいで。やってみ、紙1枚踵浮かすの、立って。めっちゃしんどいで。

質問:片足立ち?

河上さん:いやいや。歩くのにな、立ってる時でも踵をつけないの、紙1枚だけ浮かすの。上げ過ぎたらあかんのね、凄いしんどいやろ?それをやってたら絶対膝が痛くならないの。みんな膝が痛くて階段降りられないとか年取ったらなるよね。

宮野さん:そしたらこの人違うん?この人違うん、1番。

河上さん:何が?

宮野さん:自分違うん(笑)?

河上さん:違う、これは感覚がなくなってるの。感覚がないから。これもここの感覚がないからやな、地面の距離を測るのにこれを使ってるだけや。

宮野さん:先生と同じように踵、紙1枚の…

河上さん:やってるやん。

宮野さん:やってんのかいな?

河上さん:心配せんでも。

宮野さん:失礼いたしました。

質問:そのつま先歩きは「印可書」を奉納するのにも有効ですか?

河上さん:いいですよ。だから最初は大きくつま先立ちでもいいけどね。あのな、半紙を濡らしてなベタって貼っとくの。それでその上を先生が歩くの。全然、半紙動かないね。

宮野さん:半紙を濡らして?

河上さん:普通は半紙を濡らして床に貼っとくやん。それでその上を歩いたらキュキュキュってなるよね。ならないの先生は。

質問:着地面が少ないから?

河上さん:違う違う。一切の囚われがない歩き方やから。蹴るとか蹴らないとかな。

宮野さん:明日から半紙売れまくるんと違う、また(笑)

河上さん:それってな、歩くときにな普通の人は一歩前に出すと思ってる、足を。先生の歩き方は違うで。まず上体を倒していきはるのね。倒す分だけフっと足が出る。あんな、歩くのしんどくなるやん、歩いてて、駅まで行くのに。その時歩くのやめて自分の上体を倒すの。倒れんように足出るやん。それでまた倒れんように足出るやん。早く楽に歩けるで、先生の歩き方や。最初は極端にやるしかないけど先生の様に、倒してるか倒してないか分からない位でやるのが理想やけどね。その爪先立ちと一緒よ。紙一枚。

宮野さん:階段の上り方と一緒よね。

河上さん:ああ、そうそうそう。

宮野さん:階段を上がるのをそれすると楽や。

質問:前のめりに?

宮野さん:そうそうそう。前のめりに。

河上さん:やってみ。立ってな、ちょっと前のめりにしてその状態でブッと足を出したらいい。そしたら簡単に歩けるよ。  

質問:それは芸事の奥義みたいな…

河上さん:違う違う。自分で歩くということをやめたらいい。

宮野さん:だって前に倒れそうになったら勝手に足が出る。こけそうになるから。

河上さん:先生のやる事は全部自分がないの。みんなは自分が歩くと思って足を出すの、それで疲れる。

宮野さん:自分でこう足を出す。でも倒れそうになったらパっと出るじゃない。

河上さん:だから先生のすべての動作に自分は無いのいつも。それをよく見て盗まなあかんねんけどね。

質問:それは先生がわざわざ半紙を濡らして歩いて見せたんですか?

河上さん:僕には見せてくれはった。奥さんと結婚される前の話だけど。ある時からいつ行っても先生いないの、「もーっ」と思って。奥さんに先生とられてしもた(笑)

宮野さん:そらしゃーないな。

河上さん:しゃーない。それまでの話。

宮野さん:大変そうだよ。ほら。

質問:あってます?(8の字)

河上さん:えっ?こうや(笑)

質問:今日覚えて帰らんと家帰ったらわからへんようになるから。

河上さん:だから、こう手を添えるよね。ここで8の字を書きなさいって言ってるの、手のひらで。

質問:ここ上向いとかんとあきませんよね。この手のひらは上ですよね。

河上さん:違うやん、だから縦の8でもいいし、横の8でもいいから。

宮野さん:まずはこれから。

河上さん:そうそうそう。手のひらで8の字を書くのね。

宮野さん:そしたらそれが出来る様になる。

質問:玉転がしじゃないですけど。

質問:これは並行で8を書くだけでいいんですか?

河上さん:そうそう。

宮野さん:最初はね。

河上さん:だけど慣れてきたらここの面で8の字。わかる?

宮野さん:手首がすごく柔らかくなる。最初は硬いから、手首がこう、要はこれがこう、ちゃんときっちり入る。

質問:これはあってます?(笑)
 
質問:今回オリンピックが1年遅れでありましたけど、真祈りの響きは世界に注目されたことで世界に響きましたかね?

河上さん:だからそんなん考えんでええね。神さまが良いように使って、良いようにされるの。そこが大事やね。これ例えば「印可書」を読んで、これがどれだけ効果あったかなとか言うのは、もうすでに自分が入ってるわけよ。さっきの先生の歩くのと一緒よ。自分が入らないのね。必要で歩くだけで必要がなかったら歩かれない。歩かない時はすっと踵が浮いてる。それもその時になったら逆に前を浮かしてあるのね。紙1枚。

質問:でも自分が動かそうと思わないと、自分が…

河上さん:紙1枚になったらな自分があるとできない。こうしてるうちは自分がやけどな。紙1枚になってみ。本当は何でも先生の事は知ってるんやけどな、あんまり言うとまたみんなスネるからな。ちょびちょび出してるだけやで。そんなん11歳からお会いしてるのにどれだけ沢山教わったか。あんまり沢山出してもな、出来ないって言ってまたみんな逃げるしな。みんなが出来るようになったからって言うだけ。だから興味持ってくれな言えない。

質問:メンデルさんでした?ヘンデルさん?

河上さん:ヘンデル。メサイアね。

質問:最後のサビは凄い聞いたことのあるハレルヤって言う。

河上さん:メサイヤで1番有名なハレルヤの歌やな。あれは真ん中や。

質問:あそこが頂点というか。

河上さん:いやそんなことない。ハレルヤはみんなの心をね、喜びに満ち渡らずための響きや。あれ聞くだけで嬉しくなるよね。

質問:あそこだけ聞きたいなと思って…

河上さん:もちろんあそこだけ聞いてもいいね。

質問:なかなかたどり着けなくて。あれだけでも音楽が出てるんですね、ハレルヤマーチというか。

河上さん:もちろん出てる。

質問:ハレルヤって日本語みたいですね。まるで。

河上さん:言霊やからそのままやね。

質問:全く一緒なんですね。

河上さん:イエスがエリエリ、ラマ、サバクタニにいって言うやん。そのエリエリって言うのね、このエリの言霊やからエリって言うねんけど、なんでヘブライが日本語やねんて突っ込む人も居るね。だけどもう阿呆にはものを言わんからほっとくの。言霊やから一緒やね。

質問:それってお盆と同じ意味なんですね?

河上さん:うん。
 だから梵語やからお盆は逆さ釣りとか適当なことを言ってるけどな、そんな意味ではないね、本当は。盂蘭盆か?盂蘭盆で逆さ釣りって言うんだけど。まぁ確かにお盆裏返したら逆さ釣りみたいなもんやけどな(笑)

質問:バッハさんとヘンデルさんは生きられた時代は違うんですか?

河上さん:(場所は)違うよ。

質問:ヘンデルさんの頃はゲーテさんがいたりとか。

河上さん:うん。それぞれ人類が大変になる頃になるとね、みんな神さまから降りてきて神さまに心を向けるようにみんな頑張るのね。例えばモナリザを見るだけで心洗われるでしょう?そういうことを現すために降りてくるわけよ、みんな。

質問:あれはまだ有効ですね、癒されますね。

河上さん:うん。癒されるでしょう。神さまの響きが表現されつくしている完璧なものっていうのは。だからモナリザの絵でもね、どこ1つ隠したって崩れるの。小さいこれくらいの紙をモナリザのどこに貼ったってね、崩れてしまう。どれ1つ、逆にいうと不必要なものを一切書いてない。必要なものしか書いてない。

質問:どの角度から見ても同じように見える。

河上さん:そうそう。必要なもの(だけを)書き込んだらそうなるの。本物というのはそうなの。必要なものだけ書いて不必要なものは一切ない。偽物はな、必要でないものまで書いてあるから適当に手でおおっても見れるの。

質問:ルネッサンスの頃はすごい偉大な人が集中して現れたんですけど…

河上さん:明治維新の時に立派な方が沢山現れたんと一緒や。

質問:それはお互いというか、リーダーが清めてみんなが目覚めた…

河上さん:もちろんそう。例えば明治維新の時だったら西郷さんがね、してしまうわけやけどね。ただ西郷さんが働きやすいようにね、松下村塾の吉田松陰さんが出たりとか、どんどんみんなが苦労というか助け合いするの。

質問:吉田松陰さんもそのまんまですね。松下先生を表現されたお名前ですね。松下村塾って。

河上さん:うん。そうやな(笑)

質問:すごいなぁと思って。

河上さん:だって松下村塾って1年半ぐらいしかやってないねんで。

質問:そこから偉大な人がたくさん出て…

河上さん:そうそう。

質問:吉田松陰さんは結構個性的な方だったんですね?身なりをあんまり気にせず…

河上さん:ううん、個性的と違って自分というのが一切ない人やった。

質問:ありのままで。

河上さん:うん。だから後ろ指さされることを一切気にしない。

質問:だからそれが個性的に映ってしまう。

河上さん:うん。だけど自分がない。西郷さんも自分が無いし。それを見てお弟子さん達がね、自分を消す、所謂支え合いに生きるという事をするわけや。その時代に応じた。今は今の時代に応じた支え合いが「印可書」奉納ってなったわけ。

質問:ダヴィンチさんに戻ったらダヴィンチさんも全知全能というか万能な方だったんですね。受験で習った時は100メートル走も出来て文学も出来てとかオールマイティーな能力の方だったって言われてたんですが。そういう感じだったんですか?

河上さん:綺麗な人やったで。

質問:えっ?女性だったんですか?

河上さん:いや。松下先生もそうやけど男性女性の人格が割れてないでしょう。

質問:モナリザが自画像っていうのは本当だったんですか?

河上さん:要するに分け隔てないから男と女って分けないのね、自分の意識でも。男の体で生まれても。まぁ逆も一緒でね、女の人で生まれても分け隔てがなかったら。だから性欲というのがあんまり無いのね。性欲というのは分けてひっつきたいから性欲や。だから「印可書」奉納するとな、1番は性欲が消えるから余計嫌がるのみんな(笑)。意外とな性欲を持て余してるようで欲しがるのね(笑)

質問:ダヴィンチさんが亡くなられてからあの日記が見つかったんですけど、あれも見つかるのを計算して残されたんですか?政策ノートみたいな。

河上さん:まぁ、なんていうの…伝授やからな、何もそういう事は考えないね。本当に例えば聖書があるわけでしょう。そしたら聖書を読んで悟らなあかんわけやけど悟らないでしょう。「神書」があるけど「神書」を全部隅々まで読みましたっていう人は居るけど、その人悟ってへん、伝授というのはもう言葉以前だから。だけど命がけで「神書」読んだら悟れるんやで、でもそこまで「神書」に命を込めれない、殆どの人はね。もちろん聖書もそうやねんで。本当に命がけで聖書を読んだら悟れるんだけど、そこまで読めない。命がけで読む気はあるんだけどな。

 自分があるうちは読めないの。だからまず自分を消さないと全ては進まないのに自分を消せない。

 で、そのすべてを進まない自分を消す「印可書」が出たから今回は心配してない。今までは座禅しなさい、なんでもそうなんだけど自分を消すためにコレせい、アレせいってさせるんだけど「自分が」を消せなくてみんな苦しんだんや。で、結局は先生やからできるんや、私らは無理やってなったんや。

 本当は先生の歩き方1つでもジーっと見てな盗み取っていってたらよかったんやけどね。その歩き方でも盗み取ったから、そしたら見せてやるって言って半紙の上を歩いて見せてくれはったの。

 例えば寸止めってあるでしょう。今、オリンピックで寸止め失敗して金メダルを失った人がいたけどね。あの寸止めの意味でも本当の寸止めはあんなんと違うからね。真剣でも木刀でも握り拳でも、全部寸止めが出来て当たり前なんやけど。その寸止めって自在の意思で止めれるっていうこと。

 だから僕の額にご飯粒を乗せといてね、先生は居合刀でプスっとご飯粒だけを切りはったわ。自在に止めれる。それで先生がビュっと切ってくるからフッと入り身で避けるとビュっビュってくるの。自在に止めて横に切れるの。これ逆風の太刀っていうんだけどね。わざと相手を切らずに下までやっといて下から切り返す。まぁこれ鎧兜を着ている相手のためにする技やけどね。そんなんとかでも自在に先生しはったわ。それってビュって振ってるんだけど、どこにでも止めるっていうね、それが本来やね。

 それって自分があったら止めれないのね。自分が剣を振る、自分が殴るって思っているうちは止めれない、ぐらい一緒やねんけどね。要するに自分があったら全部出来ないようになるのね。だけど、どの形でも自分を消せずに苦しむわけで。

 今回はもうそんな剣や綱引きや、ややこしい事はやめて「印可書」だけになってるの。後は自分で自由に選んで下さい(笑)

 村で先生と一緒にみんな長い事生活をしたんでしょう。でも歩き方1つ呼吸の仕方1つ盗み取れんかったんや。それって先生やから出来る、私らは無理やって決めたからや。盗み取れんかったんが悪いって言ってんのと違うよ。自分には出来ないって決めた時点で終わってるの。

 先生のように真祈り出来るんだ、お祈り出来るんだってまず決めなあかんかってんけど。先生のお手伝いするんだって、神さまのお手伝いをするんだって決めなあかんのに、

「私らには無理や」って。だから「印可書」もな、「印可書」を分かろうと思った時点で分からんようになるの。「印可書」は分からないって決めてるから。

 だから考えるなって言うの。考えたら分からんって決めてるの。考えへんかったらスって入ってくるの。考えんとサラサラと受け流すのね、だから喜んで感謝して褒め讃えて喜んで感謝してってくれたからいい。感謝して待っててくれたらいいって先生がもう口を酸っぱくして言われたの。その褒め讃えるという事は無条件に神さまを受け入れるということ。

 褒め讃えるって別の言い方をしたら文句を言わないやろ。今が1番良いようになってるやろ。今が1番良いようになってるから褒め讃えれるの。文句を言いながら褒め讃えられない。な、難しいことじゃなかってんで。

 だけど中々みんな真剣にそこまで行く前に先生やから出来る、私らには無理やと思ってしまった。その私ら無理やっていう思いをどう消すか、「私ら」をどう消すかという事で先生が真剣に真剣に。真剣って必死でね、必死でというか、もう神さまにお願いしてお願いしてっていう。で、出された「印可書」やからね、大丈夫、自分というのは消えます。

 でも分かろうと思った時点で「印可書」が分からないって決めてるから永遠に苦しむ。考えるなってね(笑)考えようって思った時点で苦しむの。ちゃんと神さまが良いようにしてるんだから素直に受け取ったらいいだけやね。何を文句言うねんとか思うんだけどね。ほんまに難しい事は言ってないのね。だけどみんな自分で考えて難しくしていくの。


質問:1/3はこうなんだっていうように「印可書」を読んだらもう自他の区別がない、真(まこと)の本心の自分になっていると?

河上さん:素直に「ハイ」って受けなあかんね。せやのに読んでも読んでも自分が消えないとかね、どうこう思うからあかんの。考えたらあかんの(笑)まぁそれ「ありがとうございます」の時から一緒やねんけどな。でもみんな「ありがとうございます」を言っても何も変わらへんわとか。

 五井先生も「文句を言いなさんな」って言うのにみんな文句言うしやな。こんな簡単な事やったのに。過去を掴んだら考えてしまうのね。

 それで結婚したいって思うの。男と女と分けて考えて。みんな完璧な1つやから結婚するもせえへんもないのにな。だから先生は自分のことをいつも一瞬一瞬新たな自由なる1人やって言いはった。それを一瞬一瞬新たに受け直す意味やって言いはったな。って昔は言いはったけど誰も聞いてない。

宮野さん:誰も聞いてないじゃない。都合よく聞く。

河上さん:ああそうや。みんな自分に都合よく受け取るから聞こえてないねんな。

宮野さん:都合の悪い事はみんなスルーって。基本的にはみんな聞きたくない事はするって抜けちゃうのね。

河上さん:でも基本は真似から入るんやから先生の真似しないと。まぁ先生の真似して何遍も断食して何遍も栄養失調になってるからあんまり言えへんけど(笑)

宮野さん:他は?もうすぐしたら2時ですけど。

河上さん:もう2時やからいいでしょ終わって。

質問:もう1点、あんまり気にすることじゃないかとアレなんですけども、この大雨の意味とかも1番きれいになっている…

河上さん:大雨はもちろんお清めよ。水のお清め。地震よりはな、くそ暑いか、一杯水出るかのほうがいいやろ。地震やったらまた揺れるんじゃないかって不安になるやん。

 でも台風やったらくるまでに心の準備ができるし、まぁ今の大雨でもそうやけどね、気象予報が出て準備ができるよね。あー通りすぎたなぁと思って安心できるやん。

 でも地震はわからへんもんね。これが本震なんか余震なんかと思ったらずっと不安やで。だから地震の代わりにしてるだけや。

 だから先生の話は簡単すぎて余計にみんなわからんようになったんやね、と思うわ。ありがとうございますだけって簡単すぎたんや。宇宙神ありがとうございますだけって。

 で、ちょっと真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)となって厳然と今ここにましますって言ってるのにそれはそれでまた受け取ってもらえない。その教訓を元に考えずに印可書を奉納してください。考えなかったらスッと入ってくる。

質問:物心ついた時から考える癖がありまして。

河上さん:みんなそうよ。それで自分の経験に基づいて良い悪いを作っていくでしょう。だから仕方がない。肉体を持つためにはそういう分けることを意識しないと肉体は持てないからね。でも持ったら勝ちやから今度は分けるのをやめなあかんね。要するに自分の肉体を持つという事は自分の世界を作るということ。
 そしたらお祈りして終わっていいですか?

質問:はい、ありがとうございます


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8月第二日曜勉強会 by 河上彰延 2021年08月13日(金) 10時05分
PC

令和3年8月河上さん勉強会−1(20210808−1)

質問:コロナに関する質問です。コロナは既に収束しているのにもかかわらず東京は5000人を超え全国でも数が増えています。人類の自他を分ける思いが強くなっているのでしょうか?違った人類の総意があるのでしょうか?終わっている筈なのにどうしたかと気になりました。

河上さん:もうコロナは収束しているんですけど、もう次のが来るのね。それだけです。ちょうど今日が地球霊王様の大きく変わる境目でね。今まで人類はオマケをもらって生きてきたわけですけど、もういよいよオマケが無しになるということです。具体的には本当はコロナでみんなが元気になるのね、本当はね。

ところが分け隔てる意識でね、例えばコレラ菌が駄目ってやってきたでしょう。それと一緒でコロナが駄目ってやったのね。以前はSARSがあってその前はノロウィルスがあったんですけども。そのノロウィルスでも昔からある。急に現れたんではない。だけど人類の分け隔てた、いわゆる差別の責める思いですね。あいつは怠けてるとか、あいつはあの人種やからダメやとか、まぁ色々と分け隔てる理由は適当に人間が勝手につけてるんだけどね。みんな神さまの命として一つであるにも関わらず適当に分け隔てて、あれは男やからダメ、女やからダメから始まってね。子供やからダメから始まって色々ありますけども。その責める思いがどんどん溜まりきっていよいよどうしようもないのね。

どうしようもないとこへ来たから、神さまの方がコロナを出してきてコロナと共に生きよということをされているわけですけど、そのコロナもやっぱりダメってするわけね。 
 ダメってしていよいよ何が起こるかというと、神さまは必要で無いものは出されない。いつもいつも言いますけど、神さまは必ず必要なものしか出されてないのね。だから「今が1番良いようになってる」って言うんだけど、この「今が1番良いようになってる」っていうとこが1番みんな分らない。分らないから以前はこの表現もできなかった。

 それは南無阿弥陀仏の時もそうだったんですけど、「南無阿弥陀仏と唱えてたらいいんやな」っていうことになって、無責任に唱えて南無阿弥陀仏を唱えながら人殺しをするみたいなことがあるわけですね。南無阿弥陀仏というのは「みんな一つだよ」っていう意味やのに分けて殺すみたいなね。

 (それと)一緒でこの「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」まあ「印可書」でもそうですけど、それを要約して今が1番良いようになってるって説明するわけだけども。例えば呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せてて、それで好き勝手していいんかって屁理屈を言い出すわけですね。そのまず分け隔てる意識がダメなんだよ、みんな神さまの命で完璧なる一つなんだよ、というとこに意識がいかないのね、みんなね。

 毎日の生活に追われて無意識のうちに自分さえよければって思う。自分さえよければという意識が人を責める思いになるんですよ、わかります?自分と他人を比べて、あの人は楽してる、あの人はいい物食べてる、あの人はいい着物を着てるとか色々あるけど。どっちにしてもあの人はいいめ(一人だけ得して)をしてるって責めるわけ、無意識にね、責めてるんよ。私一人苦労してる、私一人大変な仕事してるとか色々ありますけど、どっちにしても自分と他人を引き比べて責めるの。そのマイナスの思いが1番だめなのね。

 その責め方は色々あるけども1番タチの悪いのがね、自分の過去の経験から良い悪いって判断して人を責めるわけね。で、自分は良いことばっかりしてきてるから悪くないってやるんだけど自分は悪くないっていうのはやっぱり人を責めてるわけよ。あの人は悪いんや、私は悪くないってやっぱり責めてるでしょう?自分では責めてるつもりではないけどね。そういう責める思いというのが人類の免疫力を大きく低下さしていくんです。

 これからはもう神さまのオマケが無いんでね、いよいよこの因縁因果の世界、先生が因果の輪を断ち切って下さったというか、「もうここで卒業で終わりやぞ」っていうことで先生が終わりと宣言してしまったの。

 今まではオマケでね、少々人を責めてても免疫力はそんなの落ちなかったの。だから一生の間で人を責めてきた思いが溜まってきてる御老人ほどね、病気になるわけ。何で人は歳取って病気になるかというと人を責めてきた思いが溜まって免疫力が低下して病気になる。まぁその典型が癌なんですけど。癌と言うのは虚栄心の強い人ほどなるのね。何で虚栄心の強い人がなるかと言ったら虚栄心というのは「自分さえよければ」があるから。人によく見られたい、人より若く見られたいとか。或いは人より金持ちに見られたいとか色々ありますよ。あるけどどっちにしたって自分と他人を分け隔てて他人より自分が上だと見て欲しいという小さい心ですね。小さい心だからそんなこと思うのね。

 大きい心だったら全部自分だから比較することもないし無意識のうちに助け合う。

 人間の体ってそうでしょう。どっか痛んでも支えあってまた戻っていくわけじゃないですか。だけどなかなか意識が離れると分けてしまうのね。分けてしまうと、分けて人を責めてしまうと免疫力が落ちるんです。免疫力が落ちると何が起こるかっていうと、遺伝子情報を伝えることができなくなる。

 人間の細胞というのは40日間で全部入れ替わります。これは医学的にもわかっていることで。それで骨の細胞といえども90日で入れ替わる。だから骨髄でどんどん細胞を作ってやるわけですけども。新しい細胞を作った時に遺伝子情報で伝えて再生していくわけ。だから顔の形があんまり変わらない。それでも人を責めるから年取ると変わっていくんだけどね。人を責めない人はもっと穏やかな顔になるんだけど。それも遺伝子情報がいじられてしまうわけですね。すべての病気は遺伝子情報が正確に伝わらないことによって起こる。特に癌の場合はそれが極端に出るわけですね。

 これからはそれが免疫力がオマケがないんで、人を責めた人は本当に免疫力を失って。例えば今までだったらちょっと切り傷してもほっといたら治ったわけ。それがちょっとの切り傷でも化膿してくる、人を責める人はね。それが外側でも起こるし体内でも起こる。体が腐ってくる状態になってきて大変になっていくんですこのままだと。

 もう皆さん方の真祈りでね、一切のマイナスが無い、真(まこと)の神さまだけっていう祈りがあれば、マイナスは無いからちゃんと行くんですけどね。いよいよそこに入ってきたの。

 この11月からは特にそれが顕著に出ますけども。その転換期がちょうど今日なの。偶然というか、ちょうど今日がその転換期で今日を過ぎると午前中と午後みたい。12時過ぎたらお日さんがこう変わるじゃないですか、そういう感じの転換の時です。

 これからはいよいよマイナスの思いがあったら免疫力が落ちて、バって癌になります。だから皆さんの真祈り次第。護摩を大成功にいつもいつも持っていきたいと思います。先週の護摩も大成功で終りましたけども、本当にもう護摩だけに全てがかかってるようなとこになって、ある意味先生のとこに集まられた皆様方の責任は重大であります。もっとね、総責任者として護摩を遂行する重大さを自覚してください。

 そのコロナを弾(はじ)いたが為に、新しいデルタ株とかわけ分らんことを言ってますけども、あれは全く違うものが出てきてるわけです。

 本来ワクチンというのは免疫力を強めるものなんです。だから種痘(しゅとう)を打ったら一生かからないじゃないですか。疱瘡(ほうそう)にかからないってなる訳ですけども。今のあれワクチンて言ってるけどそうじゃないからね。それであんまり効かないし、色々と大変なんですけども。

 ワクチンを打ってもいいんだけどワクチンに頼る心がダメなのね。神さまに頼らないと。神様に頼るって何かっていったら真祈り。真祈りって何かって言ったら全托とも言うんだけども。神さまに全てを投げ出す、託すことです。全てを託すという事はこの世的な表現で言うと今が1番ようになってるなんですけども。理屈言いはね、「今が1番良いようになってるんやったら、そしたら何もせんと寝てたらええんか」みたいなこと言うわけですね。

 だけどこの現世といえども入れ子構造ですから肉体も神さまの御働きそのものなんです。神さまの御働きそのものという事は、いつもいつも全力を尽くすということです。だって神さまは24時間休みなしでね、太陽の光を与え、空気を与え、水を与え、そして地球の全てを再生して、一大循環させてですね、人類の今此処の生存環境を作ってくださるわけですね。人間も一緒で常に一生懸命、一大循環の相象(すがた)の一環としてね、全力を尽くさなアカン。

 ところがこの全力を尽くすというところが中々みんな分からないんです。何でかというと「全力を尽くしなさい」って言うとね、全速力で走ろうとする、わかります?だからいつも山登りに例えますけども、力んでね「全力を尽くせ」って言ったら、力んで歯を食いしばって走って登ろうとするわけ。それで息切れて倒れちゃうの。それは力んでるから。要するに自我が出てるから。自分が登ろうとしてるから。

 全力を尽くすというのは全托と意味は一緒なの。神さまに全てを託すやから、素直に淡々と今自分のできることをひたすら淡々とするということ。だから山登りだったら自分の体力に合った状態で淡々と休まずに登る。コツコツと休まずに動く。皆さんのお仕事とか普段の生活だったら、コツコツと休まずに働き続けるということが大事なんです。

 このコツコツと淡々というところがね、自分という意識があるとできない。何故かというと自分と他人を引き比べてね、「あの人あんだけできるのに、私こんだけしかできない」って言うて力んでしまう。わかる?

 だから人は関係ないの。何で人は関係ないかというと、みんないつも言うように、みんなそれぞれ自分の世界しか持ってないの。只、この肉体界という現世はね、お互いの世界を重ねて見れるから人の行動、姿を参考として見れるわけ。
 だから松下先生のような素晴らしい世界の方に触れることができて真祈りがいいってわかるの。これ死んでしまうとね、全く自分の世界だけだから進歩がないんですよ。それで自分の過去の経験に基づいて良い悪いって判断するのが何で駄目か、何でマイナスなのかって言うと、死んでしまうとね、みんな自分の体験に基づいて判断するの。自分の体験ていうのは小さい世界でしょう?小さい世界を比較するから余計小さい世界に入る。要するに小さい世界に入るという事は地獄に落ちて行くということです。

 より大きな世界に自分を入れていこうと思うと真祈りしかない。でもその真祈りって何かって分らないから先生が「印可書」で残して下さったのね。「印可書」を淡々と読んでいたらより大きい世界に自分が広がっていけるから、清まって大きく影響するんですけどね。

 どっちにしても自分の世界だけしかないから、なんぼ(いくら)人が優秀でバリバリやっててもね関係ないの。自分にできる精一杯のことを淡々としてたらいいの。だから体力のある人はこっちから見たら走って登ってるように見えるけどね、そんなん関係ない。自分が淡々と登れる範囲を登ったら良い。それも体力がある人はすぐ頂上に行って降りてくるけど自分は頂上まで行けなくても良いっていうことを分らないとダメです。

 その頂上まで行くという結果じゃないの。常にひたむきに淡々と神さまだけにすべてを投げ出していけるか、だけなんですね。神さまに投げ出すいうのは、結果を一切気にしないということなんです。何故かというと悟りに頂上は無いから。奥には奥があってずっとあるの。だからここまで行ったらいいんだって思う。力む人はね、自我のある人っていうのは、あそこまでいったらいいんだと思って行くわけよ。それで落ちるのね。行って満足して落ちるの。これを天狗さんというのね。或いは日本語で天人五衰(てんにんごすい)という綺麗な言葉がありますけども。天上人といえども五劫(ごこう)という長い時間経つとね、地獄に落ちちゃうっていうのね。

 それ何かっていったら目標を作っちゃうから。或いは結果を気にするから。あそこまで行ったらいいんだ、或いは1人でこん(これ)だけやってきた、自分の過去の経験でね、1人こんだけやってきたんだっていうことを掴んでしまうと落ちて行くわけ。いつもいつも神さまが1番良いようにされてるから自分が精一杯のことをしてたら、もうそれが神さまの御心にかなっているんだっていうことをね、信じれなアカンねんけど、結果を気にして周りを見るから、駄目だって自分で自分を責めちゃうのね、真面目な人程。

 あの人あんなに一杯できるのに私できない。あの人ちょっと勉強してすぐ英語喋れるようになってるのに、私なんぼ(いくら)勉強しても英語出来へんわとかね。結果を気にして駄目になる。

 例えば英語でいいますと、英語が喋れることが良い悪いじゃない。だってこの現世のわずかな小さい言語や。そんなん喋っても喋れなくてもどうでもええんやほんまを言えば。だけど必要に応じて淡々とするのが大事というだけなの。そういうのがわかればね、一瞬で答えが出てきて何でも出来るようになるの本当は。

 それが一瞬で何でみんな答えが出ないか、一瞬で地球の裏側がスッと手の届くようにわかるんだけど、何で分らないかといったら自分があるから。要するに意識が小さいから。簡単に言うとね、意識が小さいから何も分らないの。小さい子がそうでしょ、自分のお父さんお母さんという家庭という世界以上は知らない。社会というのを知らないじゃないですか。だから外へ行ったら迷子になるの、自分が小さいから。この世でもそうでしょう?だから小さい子が遊園地に行きたいと思ってもお母さんお父さんに連れて行ってもらわないと行けないわけや。

 この世も一緒よ。神さまの世界というのがあるのに、神さまの世界に行けない。何故か?意識が小さいから。蟻さんにとったら大洪水でも象さんにとったら水溜りチャプチャプで楽しいなって、いつも言いますけども、意識の大きさの差です。その意識の大きさの差をどうこうしようとするのが自分の意識。本来無限大の大きさの自分、真(まこと)の神さまと不離一体そのものの自分なんですよ。それをスっと受け入れるだけなんですけど、受け入れようとする意識が自分。わかる?ここが大事なの。

 だから考えるなって言うの。考えたら自分が考えてる。自分ていう意識で考えたらもう意識が小さいから永遠に分らへんね。だから考えずに済む「印可書」を先生が残して下さったの。だから「印可書」を淡々と読めと、奉納せえと。読めと言ったら考えるから奉納せえと言ってるの。もうそこだけで自分の意識を消してね、本当に悩んだ時は「印可書」を読んで淡々とやって下さい。歯を食いしばったら駄目よ。歯を食いしばったら走り回って倒れるからね。もうそれだけです。

 今のコロナもコロナという形でね、人類を神さまが追い立てて来るだけです。免疫力落ちた人をね、真祈りして助けてあげる。その奇跡を見て助けてもらった人はどうか分らないけど、大体病気を治した人はお祈りしてくれへんからな、あれやねんけど。それを見た周りの人がどんどん変わるしね。皆さん方は只、ひたすら「印可書」を奉納してたらいいの。そしたら勝手に周りで奇跡が起こります。それであの人に直してもらったって周りから言われてもね、イエスと同じよ、自分がしたんと違う、神さまがしただけだからっていう事を、真祈りだけだからっていう事を言ってやって下さい。

 そうしたらどんどん真祈りも広まって一気に人類が変わるのでね。ともかくもう待った無しです、免疫力がどんどん落ちて。

 今でもね免疫力の落ちた病気っていうのが出てるのね。それを膠原病(こうげんびょう)といいます。膠原病というのは本来外に向かって働く免疫力が、お互いを敵やというて攻め合うの。何か人類の世界に似てるやろ。小さい意識に分けてあいつはどう、こいつはどうって言ってるやろ。同じ命で神さまの命でね、みんな仲間でみんな一つなのにね、あいつはどう、こいつはどうってね。家庭内でもやってるやん、兄弟喧嘩とか色々あるやん。それをどうして変えるかだけやってんけど、もう真祈りしかないの。でも真祈りってどうするのって、「印可書」奉納するだけで出来るから、余り考えずに行きましょう。考えると自分が考えてるから分らんようになる。

 それで道元さんは「只管打坐(しかんたざ)」只々、ひたすら座ること。淡々と座ることとか色々と言葉を変え手を変え品を変え説明するんだけど。或いは禅宗だと「隻手(せきしゅ)の声を聞け」片手で柏手(かしわで)を打つ音を聞け。片手では聞かれへんけど聞けって言うのね。わかる?片手でどうして聞けるかっていったら、神さまに投げ出したら聞けるの。自分が叩こうとするから聞こえない、っていうことを禅宗では言うんだけど「そんな難しいことを言ったって、片手で柏手の音なんか聞けるかい、隻手(せきしゅ)の声を聞けってどういうこっちゃ」って言うて自分の意識で考えると分らなくなる。その自分の意識で考えるのを無くす為に禅宗の色んな禅問答があるんだけどね。それも理屈で考える人には分らない。

 それは先生のお話も同じ。先生の話を聞いて理屈で考えた人はみんな分からなくなる。それは「印可書」もそうよ。「印可書」を理屈で分かろうとしたらみんな分からなくなる。だから理屈で考える人ほどね、「印可書」あんな分からんもん勉強する意味もないわって言い出す。だから「印可書」は勉強するものじゃないからっていうのがやっぱり分らない。

 自分が勉強して、自分が努力して、自分が祈って悟る、立派になるっていう意識がみんな無意識にあるの。自分がどうこうしてっていうのを消さなアカンねんけど、そこが一番難しいのね。
 今が1番良いようになってるって言うたら自分がどうこうしてを外さなアカンねんっていうて、(無意識でも自分で小さい意識で考える人は)そしたら自分は何もせんでええねんなってなってるのね。今が1番良いようになってるって言うて、そしたら何もせんでええねんなって言ってる中には「自分が」が入ってるの。入ってるうちは違うの。

 「自分が」が消えたらね、今が1番良いようになってるって言って本当に寝てても良い時は寝てるし、動かなアカン時は自由に動ける。でも自分があるうちは不自由だから今が1番良いようになってる、あっそ、そしたら何もせんと寝てたええんやなって。

 或いは今好き勝手しててもええんやな、良いようになってるねんもん。思い通りに動いててもいいんやな、良いようになってるねんもん、ってやるんだけど「自分が」が入ってるうちは全部違う答え、偽物の答え。「自分が」が消えて初めて本物の答えが出る。

 そこがな理屈で今説明したけど「自分が」を消したらいいねんなって言うて、その消したらいいねんなっていう自分がまた出てくるからなややこしい。で、もう先生が本当に祈りに祈られてね、もうみんなの為にみんなが楽に自分を消す方法をということで「印可書」を残して下さった。

 それでも先生から「印可書」を読めって言ってしまうと、自分が読まなアカンねんなってなって、「印可書」の意味が無くなるから、中々「印可書」の真祈りの伝授というとこで、非常に苦労しておりますけども。大体みんな分かってきてくれたからね。淡々とどうぞ奉納して下さい。ともかく「自分が」っていうのが必ずあるっていうのをね、

 悩んだ時は(自分があるかどうか)思い直したら分かる。それで無我夢中でしてるっていう時は「自分が」が無いからね、結構上手くいくのね。だけど理屈を言ったら「自分が」ってなってるわけやな。それで理を曲げる、つまり理屈って言うんやけどね。そうよ。

 だから素直に淡々と先生の言うことに素直に「はい」やって何遍も言うんだけどね、中々みんな先生に素直に「はい」って言われへん。先生に投げ出したんだったらもう一切文句言うたらアカンのにやっぱり文句言う。文句を言うのは「自分が」やな。「自分が」が無ければもう文句が無い。

 いつも言うように足の小指だけを踏まれて痛い時にね、小指・親指・人差し指で分けたらね、小指だけ、私だけなんで痛い目したんって拗ねるけどやね。この体と一つで見たら「あぁ痛いな、大変やな」って思ってお互い助け合って、しばらくしたら治るし大丈夫やでみたいな感じやんか。そうでしょう?分けなければ一つという意識になればいいのね。

 でもその自分が全ては一つっていう意識になろうってするからまた崩れるの。「自分が」って言った時点で小さくなってるというのにみんな気づかないんだけど。言葉がそうでしょう?自ずと分けるって書くんや、自分って。自ずと分けて小さくしてるのね。その自ずと分けて小さくする意識のある人ほどね、人の自由意識を縛ろうとする。それは分けてるから。分けてなかったら自由意志を縛るも縛らないもないの。今が1番良いようになってるやから。後は自分の意識で小さくなって苦労してはったら大変やなぁ、 や。

 よく犬やお猿さんでね、くるくる回って自分で自分をリードが巻きつくみたいなもんや。そのくるくる回るのを止めて素直にすっとやれば済むのに。人間の場合はそのくるくるが二重、三重、四重になって大変なだけ。もう邪魔くさいからハサミで切りましょうということになってね、そのハサミが「印可書」やね。みんなが縛ってる「自分」っていうて意識を縛っているのをプッツっと切ってくれるの「印可書」は。だから淡々と奉納して下さい。そしたらプツプツっと切れて一瞬で自由になっていきます。

 自由になるとね本当に例えばグサっとここを包丁で切ってしまってね、指切って「あー、血が出た」っていう時でも「あー良いようになってる」ってわかる。自由な意識になってる時は。だけど小さい自分の意識になってる時はパーンて切って「うわっ!切ってどうしよう!」って思う。

 動物はね、怖いっていう意識がないからね。鳩でも犬でもそうですけど、この前ある金物屋さんの犬が車にひかれて骨むき出しになる位足が割れたのね。それでそれ木綿針で縫って「頑張れよ」って言って置いてたら、1ヵ月半ほどちょっと寝てたけど、もう今元気に動き回ってます。それ恐怖心ないから。こないなってどうしようって人間は思うから恐怖心で免疫力を落とす。なっ、犬は自分ていう意識がないから縫ってもらって動けるようになったら跛(びっこ)引いてでも動くの。痛かったら歩くのやめてとしてて治っちゃうのね。

 それは鳩飼っててもそうだけど、鷹に襲われてこの辺が胸がブスっと裂けてね、餌を食べても胃からポロポロと餌が出てくるんよ。鳩さんがね。それを縫い針で縫ってあげるわけ。そしたら治るの。こんなんなって大変!こっからもうどうしようなんて思わないわけよ。動物は神さまに全てを投げ出しているから。死ぬんだったら死ぬがいい。生きるんだったら生きるがいいって考えない。だから考えたらアカンて言うのね。もちろん人間でもそうだけど怪我したらちゃんと修理したらいいんよ。治療したらいいんよ。

 いいんだけどそれでどうしようって悩んだらアカン。神さまが良いようにするって喜ばなアカン。だからいつも先生は「喜んで感謝して待ってたら良いんや」って何遍も言うんやけど文句を言うのね。文句っていうのは自分っていう意識があるから。簡単なことやねんけどな。簡単なことやねんけど自分という意識があったら悩む。

コロナの問題でもね、PCR検査がお医者さんの国家試験に出てるの。PCR検査の陽性のセイガン率は何%ですかって。18%が答えなのね。だからPCR検査をして8割位が擬陽性や。陽性って出ても。でもお医者さんはそれを言ったらアカンて言われて言えへん。これ録音で言ってしまっていいかな?(笑)それPCR検査のネットで引いたらわかるけどPCR検査の何ていうんかな、説明書があるんだけとそれにもちゃんと書いてある。それくらいなのにね。PCR検査をね、例えば東京駅の駅前で1時間に何人アトランダムで検査しましたとか言うんだったらわかるけどね、違うでしょう。そしたら何千人って出たとか出ないとかっていうのは何を根拠にしてるのか謎。だけど行政側としてはね、もっとみんな一生懸命注意して欲しいっていうことでしてるだけやねんけどね。だけどそれがちょっと裏目に出てみんな怖がっている状態になってるでしょう。で、怖がるから余計にアカンのね。怖がらないようにしなアカン。で、ワクチンを打てば免疫力が上がるから大丈夫ですよって国の方で言うてワクチンを打ちましょうねってやってるわけ。

 ただ今のワクチンを打って免疫力がすごく上がる人と効果のない人とがあるの。あるんで自由意志で打っても打たないでもいいですよって国はずっと逃げてるわけ。今言った事は厚労省のホームページに出てますから興味ある人はホームページの隅の方を探してもらうと出ても来ます。ちゃんと国は嘘をついてないのね。只みんなが恐怖心で困らないように、パニック起こらないように色々と注意されてるだけです。

 でもその神さまの方はね人類の心が真祈りに向くように追い詰めてくるので。マイナスの心さえ持たなかったらすぐ良くなるし。だから真(まこと)のプラスの心って何かっていったら真祈りだけ。真祈りって何かっていうと全托の心。全托とは何かっていうと1番簡単には「印可書」奉納して文句を言わないこと。「印可書」奉納して自分のできることを淡々とひたむきにすることです。

 あんまり難しい事と違うんだけど、みんな自分がどうしようって考えた途端にまず自分の家族どうしようってなるしね、色々と自分が自分がってなってそれで結局は人を責めてしまって人で責めると免疫力が落ちるんだけどもう仕方ないねみたいな感じやね。

 でもほんと200人の真祈り人ができたら真祈りの凄さがワーって広がるから大丈夫。だからもう護摩次第です。




令和3年8月河上さん勉強会―2(20210808−2)

河上さん:ここ迄で質問があったらどうぞ。

質問:冒頭に戻りますけど、人を責める思いが免疫力を下げる。

河上さん:落とします、はい。それって自他を分け隔てるから、意識が小さくなるから。

質問:自分を責める思いも同じ?

河上さん:同じ。自分を責める思いも同じです。だから自分の世界しかないのにね、人の世界を見てね、あの人あれだけできるのに俺はできへんわって責めてもアカンし。俺はこんだけするのにあいつはあんだけしかできへんって責めてもアカンし、どっちも一緒やね。それぞれ役割分担で神さまから与えられたお仕事をしてるだけや。どの仕事も必要なの。だから結果じゃないね。それが分からなアカンねんけどね。だけど自分と言う意識があると分からなくなる。自分と他人を比較して良い悪いって判断する癖がついてるじゃない。だから余計に・・・・。 

 只、その結果を気にせずに淡々とやり出したらね、本当に答えが先に湧くから何でも出来るようになるの。本当に塾で教えてても思うけど勉強できる子と言うのはな、教える前から答えが湧き出してきて先生分かったって言うのね。それはやっぱり勉強できる子ってあんまり何も考えない。すっと受け入れる。そしたら受け入れたこと組み合わせてね、あーこれとこれを組み合わせたらこれになるんで分かるの。

 だけど勉強できない子はその最初の公式とか、最初の説明を受けれない。まぁコンピューターで言ったら何でエンター押すのって言うのね。いやいや、エンターを押すルールにしただけやって言うのが。まぁ携帯で言ったらね、何で指で擦ってこうするんって言うようなもんや。いやいや指でこうしたら動くようにしてるだけやねんけど。だけど何で指でこうせなアカンのって言い出すわけ。そしたら何も進まないのね。勉強できない子に限ってそういう最初のところでつまずく。だけど笑ってられへんで、みんな自分の意識を小さくして何でって言う。何で私だけこんな目に合うのってやってるのは、何でこないしてやるのって言ってるのと一緒やねんな。それが分らないのね。自分と言う意識があればあるほど。

 でもこのままいくとね、本当に免疫力が低下してどんどんみんな病気になるし、大変になるからな、ほんとに真祈りが要るんです。あんまり脅かしてもアカンねんけど、ちょっと急かさないとアカンから急かしてます。本当に護摩の時はひたすら印可書を奉納してってください。その中で手を振りたくなったり宇宙神って言いたくなれば言えばいいんですけどね。余り護摩で雑談する人なくなったから。何ですけどもっとバーッとこう、それも淡々とやけど喜んで印可書を奉納できるようにならなアカンね。

 祭りってそうでしょう?理屈抜きに楽しいからやるやん。あぁゆう感じ。掛け声がそうでしょう?「よさこい」って言うたり「ようやさ」って言ったり、色々とその地域によって掛け声があるけど、その掛け声をかけるだけで楽しい。うちの河内のほうの掛け声なんか他所の人が聞いたらミルクセーキに聞こえる。ミルクセーキって言ってるって、ちゃうねんけどな。説明せいへん。(笑)そりゃ地域によってみんな違う。でもそれを言うだけでみんな嬉しい。それくらい印可書を喜んで淡々と奉納できるようになれば良い。まだ、印可書読んでね、何も湧かない内はまだまだ初歩やと思ってね。読んでるだけですごく嬉しくなるから。

 するともうなんていうか印可書の文面じゃなくて響きだけになってね、先生が「宇宙神ありがとうございます、バーや、サーや」って言ってるのが分かる。もうあれは理屈抜きやから先生が「バーや、サーや」って言ってくれはんねんけど、みんなついて行かれへんかってん。

 それはちゃんと「喜んで感謝して待ってたら良い」って言うのを受け入れへんかったからや。何でこんなにもしんどいのに喜ばなアカンのって文句言うから、理屈言うからや。

 自分の小さい意識で言ったら全部文句の事ばっかりや。文句出た時は自分と言う小さい意識やなぁって思ったらいい。真(まこと)の神さまってなったらな文句は無い。それぞれ必要なパーツの部分、この現世で言ったらよ、必要なパーツの部分で働くだけ淡々と。誰にも認められなくても評価されなくてもいいって分かる。

 だって大自然の鳥さんでも猫さんでも動物ってね、淡々と死ぬでしょう。最後、文句言わない。猫さんでもちょっと隅っこにすっと入って死ぬし、怖がらない、死ぬことな。

 人間だけや死ぬことを怖がるの。それは自分と言う小さい意識に入ってるから。それで死んでからも怖がってるね。いや笑ってるけどほんまやで。

 だけどその死んでからの世界ももうなくなる。みんなね、先生が因縁因果の話を断ち切ったっていう意味を中々分かってないんだけど因縁因果の輪を断ち切るっていう事はあっちの世界もなくなるの。みんな真(まこと)の神さまの世界に帰るしかないの。それで地獄に降りていったのも引っ張ってくるっていうけどな、引っ張るもくそも地獄もなくなっていくからな、居場所がなくなるだけよ。只、居場所がなくなったときに漆黒の世界に落ちるか落ちないかの境目があるからね、ちょっと色々とするねんけどね。

 それも自分と言う意識があるかないか。どっちにしても自分という意識が仮にあってもね、あぁ神さまが1番良いようにしてるんだって喜べたらね、自分が消えるの。文句を言ったら自分が出る。もうそれだけ。

 ちょっとでも文句が出たら、あー自分という小さい意識になったんや、落ちたんやと思っていいし、何があっても喜べたら、あー大きな神さまに意識になってるって。その何があっても喜ぶの、理屈抜きにね。実感してもらうために先生が印可書残してくださっている。だから淡々と印可書を奉納しててください。そしたらもう本当に「印可書」をちょっと読むだけで嬉しくなってきたら、あーいよいよ本物になったなぁと思ってね、喜んでください。やっぱり朝起きてしんどいなぁ、何でこんなしんどいなか会社いかなアカンのって思ってるうちはまだまだ。

質問:「印可書」の文言で「皆共に行き巡りあい合い働くなり!」の「皆共に行き」が生きるではなくて、行くっていうところがちょっと何でだろうって。

河上さん:あれは一大循環の相象(すがた)を具体的に示したかったから。生きるって言ったらなんかよく分らないけど、行くって言ったらほら巡り合ってるやん。それでその巡り合いを強くするために行くっていう形にしてあるの。1大循環の相象(すがた)っていうのは本当にもう、入れ代わり立ち代わり下へ下へお互いに支えあってね、回るの。それが無限大に広がりつつね。それをこの現世的な感覚で言うと「皆共に行めぐりあいあい働くなり」要するに共に巡り会ってお互いに支え合っていくという事をね「皆共に行き巡りあい合い働くなり」って表現したの。

質問:ありがとうございます。

河上さん:はい。色々とわざと引っかかるように書いてるから引っかかっていいんですけどね。そのうちにどんどん分かって嬉しくなるみたいな。だんだん良くなる法華の太鼓やないけど、だんだん良くなる印可書。でももう本当にみんなね、自分と言う意識がなくなってきてるからもうちょいや。あせらず淡々と。先生が全員連れて行くってその約束は絶対ほんまから。だけど連れて行って貰えるんやから好きなことしてていいや、って言うのは間違いやね。その連れて行って貰えるんやからって言う時点で自分がが入ってるからね。

 自分がが入ってたら連れて行かれへん。だから自分がを消しながら、消すために色々とコロナもあるし色々。で仕事の上でボロクソに言われるとかね、生活が大変とかみんなそれぞれ色々あります。あるけどどの状態も喜べたら良い。神さまがほんとに良いようにされるんだ良かったって。

宮野さん:今までのところで2つぐらい質問が上がってるようなんだけども。1つは200人て言われている中で今どれくらいの人が、どれくらいの割合で、どんでもどんなもんでしょうかねっていう、なんかご質問が湧いて上がってますね。

河上さん:もう200人決まってるの。200人決まってるねんけど、あと中のほらエネルギー充填率は何%みたいなもんや。(笑)じわじわじわじわとな。それでその真祈りっていうのは100でないとアカンの99ではアカンの。その100にくる迄もうちょいやねんけど。うーん…もうちょい。(笑)

宮野さん:その200人て言ってる中で、例えば今170人とか160人とかっていうそういう話じゃないね。200にはもう行ってるんだけどその%、後のこの充填率の問題やろ。

河上さん:充填率そう。それでそれがね、ちょっとまだ低い人も居るし、もうちょいまで来てる人も居るし。だからその充填率がバラバラやから中でポンて100に行った人が出てもね、私分かったわって言ったらアカンでって言うわけや。分かったわって言った途端に自分がってなるから落ちるの。

 もういつもここが一番最後のね。例えば、だからイエスにもお釈迦様もね、最後悪魔が出てきて囁くでしょう?あそこよ。あそこでサタンよ去れって言わんならんの。虚栄心よ去れ、はっきりと言うとね。虚栄心よ去れって言わなアカンのやけど、虚栄心にみんな負けるの。

宮野さん:悪魔のような形じゃないからね。

河上さん:そうそうそう。虚栄心と言う形でささやかれるの、悟ったって。

宮野さん:美味しいことやな。

河上さん:そう。悟った、意識フワッと広がった。私、意識広がった。人に言った途端に虚栄心が出て落ちるね。だから逆に言うとね99の人ほど危ない。それでまぁ本当はね、ポンポンポンていけるんやけど、ちょっと99のところで止めて焦らしてるみたいな、じらしてるみたいなところがある。下の人が上がってくるのを待つ。というのは全員同時にポンていきたい、理想はな。あんまり答え言ったらアカンけど、全員同時にポンで行きたいから、それも護摩の会場でポンで行きたいからちょっと色々と工夫しております。

 でないとなぁ、やっぱり言いたくなるんやって。ついつい地球の裏側が見えてくるとね、何か分かるようになったわって言いたくなるのね。言ったら終わりや。虚栄心という悪魔に負ける。だから絶対に言ったらアカンて言うても言うんよ。中々な。それは護摩の前の日にすごい意識がこうなりましたねってうっかり言ってしまう。録音を編集してた時にパッパッパって凄かったのって言ってしまう。言うたら終わりや。でも言うてまう。今は先に答えを言うてるからな、言ったらアカンで辛抱しいや、言いたなった時はまだまだ自分があると思って反省せなアカン。

宮野さん:もう1点の質問はね、自分の我があったら先生が連れて行けないっていう所と、その前にも言ったもう因縁因果の輪を断ち切ったから、もう向こうの世界死んでからの世界がなくなった。ならばみんな連れて行ってくれるんやったらええやん、ええやんと思ってるのにさっきのほんのちょっと前の我があったら連れて行けないって。えーやんって思ったのに連れて行かれへんの、連れて行かれへん自分はどこに行くのみたいなね。

河上さん:連れて行かれん自分は、漆黒の闇に落ちます。

宮野さん:無色透明の神さまと不離一体の自分に戻るか、漆黒の闇に落ちるか、どちらも無やけど

河上さん:古事記に書いてあるねんけど、海彦山彦の話の中でね、釣り針を失ったって出るでしょう?あの釣り針って曲がってない、真っすぐや。神さまの救いって真っすぐな針や。先生の表現で言うとロープたらしてるだけっていう。だから一生懸命縋るっていうか、神さまと心合わさなアカン。だから連れて行って貰えるんやなって言ったら、自分がって入ってる間は掴んでいないの。その神さまの真っすぐなロープを掴もうと思ったら、自分という意識があったら掴まれへん。簡単なんやけど自分でみんな苦しむからな、

宮野さん:失礼、そこで掴まれへん、どないしたら掴めるの、って今入りました。

河上さん:だから先生が印可書を残してくれた。掴まれへん、どうするのどうするのって苦しむから、印可書を淡々と奉納してくれていたら神さまに縋っている事になるよ、全託したことになるよ、真祈りしたことにするよって残してくれはった。

宮野さん:印可書を憶えられへんのやけど?

河上さん:だから奉納するやから読んでいるだけで良い。

宮野さん:ありがたい話やね(笑)

河上さん:ひたすら淡々と読んでいたらね。憶えてしまうって。又、逆に言うと憶えようとせずに読んでて憶える位、淡々と奉納せなアカンの。それ位はして下さい。(笑)一回読んだだけで助かるなんてのは甘い。

 それは騙してでもね、一回は読まさなアカンからね。一回読んでも凄い効果あるって言うけどね、勿論あるんやけどね、あるけど本当に印可書を最大限利用するというか、活かすのはやっぱりね、ひたむきさが要るんです。自分で消すとこを苦しむから。先生が残して下さっているからね。いや、勿論「宇宙神ありがとうございます」でも、何時も言うけどほんま良いんやで。でも「宇宙神ありがとうございます」やったら納得出来へんからっていうだけやねんけどな。納得できるんだったら良いけどね。納得というより得心やね。「宇宙神ありがとうございます」って言ったら、もう何があっても文句言わない心境になれるんだったら「宇宙神ありがとうございます」で良い。

 だって「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのものでしょう?そしたら「ありがとうございます」って唱えてる時は一切文句は無いの。なのにみんな文句がでてる。だから印可書にしたん。印可書だったら文句言ってる暇ない、一杯あるから。分かる?先生の苦労考えて・・・。「ありがとうございます」だったら短すぎて、間に文句を言う暇が出て来るねんけど、印可書は文句言ってる暇はない。

宮野さん:文句言ってる暇ないけど、湧き上がって来る。

河上さん:沸き上がってきてもそれを相手してる暇がない。それで淡々と印可書を奉納して下さいってなってます。先生の苦労に苦労を重ねた、もう渾身の大作品ですから。
 兎も角、自分がってあったら文句出るからね、文句出たら落ちていくだけや。それも自分が好んで行くんやけどね。

 要するに神さまって無限大の世界でしょう。自分ががなかったら無限大の自分やから存在してる。だけど自分って自(おの)ずと分けるや、分けた途端に小さいとこ目指して行ってしまう。だから小さい子が怖い映画とか見たら、布団被ってこもるでしょう?あれよ、ああいう感じでみんな下に降りて行くの。「怖い怖い、眩しい眩しい」って言って。本当は眩しくないけど眩しいって降りて行く。それは分けたから、分けなかったら眩しくない。喜びやね。聞いてな?質問してな?簡単過ぎて質問出来へんなるやろう? 
 教義は要らん、本当は簡単な事や。本当は簡単な事やのに、自分という意識で分からんようにしているだけ。

宮野さん:今また、質問みたいなのがあるよ。 頭で分かっているのに、でも日々マイナス言葉出したらいけないと思っているのに、口に出さずとも心に出て来る。

河上さん:だから縁者の思いが映ってるだけやねんね、みなさんの場合はね。その映ってきた時こそ印可書を奉納してあげんね。すると後ろに来た人が肉体が無いゆえに、印可書を奉納したら一瞬で悟りはるから、後押ししてくれる。

 だから悟りって自分一人が、先生のお言葉を借りて言うとね、自分一人がひたすら祈たって一生の内に一億回も祈れないって、そんな数では悟れないって言う。みんなが支え合って助け合う事によってね、大きく悟るって先生言うねんけど、それを今具体的に説明したわけ。要するに印可書を奉納すると、後ろに来てる縁者が肉体ないからすぐ悟るの。それで皆さんを支えてくれるの。それで一気に悟りが深まるの。でそのエネルギー充填率が99とかね、今もうちょいやからって言うてるわけ。それで充填率が16位の人でもね、携帯のメモリーじゃないけど、バッテリー16位の人でもね、印可書奉納すると99の人の縁者が助けに行くの、支えに行くの。それで一気にバン―って上がるの。それが200人全員が100になった途端にね、全人類に波及するから、それで一気に変わる。何で一気に変わるかと言ったら、この世の事より本当は縁者の事の方が本当は大事なの。そっちの方が凄く多いいの。あっちの人は肉体ないから悟り易いんだけど、肉体が印可書を唱えないと受け取れない。だから各皆さんが縁者の分を引き受けて印可書を奉納するだけで良い。

 だから自分の心境とか、自分の感覚とか、痛いとか、辛いとか、ボロクソに言われたとかは横に置いといてと、お願いしているのは縁者の響きで色んな運命が出るからね、それはもう仕方ない。だけど印可書を奉納したらドンドン後ろの縁者が変わるからね、悟って支えてくれるから一気に変わるんです。
 それは五井先生がね、最初に悟りを開かれた頃っていうのは、ちょっと地獄の人を救うのでも大変やったんですよ。

 ところがどんどん救っていくと五井先生を支えて支えて、要するにみんな五井先生に合体していくわけ。要するに真(まこと)の神さまと合体していくわけね。それで五井先生の意識がどんどん、悟りに切り無いからね広がって、地獄でもスッと手が届くようになる。なっていかれて、それがブッと広がり過ぎるとこの世の影響を及ぼせなくなって、帰神されるということになる。

 松下先生も今回そういう感じで肉体がはちきれそうになってね、到頭(とうとう)行かれちゃったわけですけど。僕との約束毎もありますので、皆さんの心に降り立って下さっている状態です。だからその為に、皆さんの心に降り立っているのを示す為に、印可書を残して下さった。だから印可書を奉納している時は松下先生と不離一体なの、間違いなくね。

 だから真(まこと)の神さまと不離一体と思えなくても、先生と不離一体ですから、何でも出来る。それを受け入れる受け入れないは皆さんの自由。信じれたら自分が消えてる、信じれなければ自分がある。要するに「印可書を読んだくらいでなるん?」って言ったら自分て意識があるわけよ。自分が消えたらスッと入るだけなんですね。

 でもどの宗教も自分を消すことで苦しんだわけで、自分を消す方法がこれ以上簡単な方法は無いと思う。禅宗だったら「何時、饅頭食べるんや」って言う。「お前は何時饅頭食べるんや」って聞かれるわけ。で「へっ」て。(笑)で一緒やね「お前は何時悟るんか?」って言うね。「既に悟ってる自分に気が付かんのか?」って禅宗ではよく怒られるけど、それで悟れた人は少なかった。どうしても自分を消せない。禅って感じは神さまに単って書くでしょう?ひたすらに神さまに真っすぐ向けっていうだけやねんね。

 素直に神さまに向かって「はい!」って言ったら悟りや、それを禅という漢字で現してるんやけどね、分らへん。で一生座っても悟られへんとかね、十年修業して悟るとかねわけ分らん事を言い出すの。

 十年修業して悟るって事は、永遠に十年修行せんならんからね、切り無い。一生座っても悟られへんとか言ったら永遠に悟られへん。既に悟ってる自分に気ずくだけやけど、既に悟っている自分という事は、自分という意識を無くすしかないわけで。

 自分という意識を無くす一番簡単な方法として印可書を奉納がある。それは肉体ない人に取ったら物凄く分かり易い。肉体があるからね、やっぱり分かれてるやん。だから自分てついつい思うけど、死んだ人は肉体ないから、印可書を奉納して貰ったら一瞬で変わる。

 これは南無阿弥陀仏の時もそうだった。それで南無阿弥陀仏って唱えると妙好人って悟った人が増えたけど、それは後ろの人がどんどん救われた。それのお蔭で今だに日本という国は運が強いんですけど、それをもっと、もっともっと大きくという最後の仕上げです。で「最後の仕上げは必ず大丈夫やから」って先生言っているので、僕には何時も崖っぷちのぎりぎりを見せられているんだけど、大丈夫だと信じて、悠々と悠々と大地を、「天下を歩め」って先生は仰る。そんな焦らんで良いし、怯えるな悠々と歩めって仰る。だから崖っぷちなんだけど、悠々と。(笑)

 でも今日が大きな転換期なんで、本当にマイナスの思いの人は大変になるんでね、真祈り人の使命は重大です。





令和3年8月河上さん勉強会−3(20210808−3)

宮野さん:又、質問が入ってる。ずーっと縁者の話が出てた中で、タイミング的に今、お盆に入ろうとしてますけども、そのお盆の時に先祖帰りで皆さん帰っていらっしゃる、一杯いるっていう風に世に中で言われている中で、今すべき事、より気を付けなければいけない事って有りますか?って事。

河上さん:印可書を奉納してたら良いだけ。この世的には色んな風習が有るじゃないですか?地方によってお盆の風習がね、それを淡々としてたら良い。勿論しなくても何も言われない時は、する必要は無いですけど。周りの人が気にするでしょう?あの人は何もせえへんて言ってね。だから気にさせたらマイナスの思い出させるから。要するに何で風習に従いなさいって言うかというと、それをしなかったら周りが責める思いを出すじゃないですか?出させたくないのね。だからそれなりにしてたら良い、お墓参りをね。

宮野さん:それは自分、自らが信じているどうこうじゃなくて、嫁いだ家だったり、そういうとこの家の宗教が、自分が納得いかなくてもそれに合わす?

河上さん:合わせてあげていたら、回りが責める思いを出さなくて済むやん。わざわざ責める思いを出させることは無い。

 何でお盆て言うか知っている人?何でお盆て言うと思う?結構みんな無責任やな、分らんとやってるんや。中々面白いで、大概みんな分からんと皆してんね。

 例えば仏壇でも、お墓でもね、何でこっち向けてお供えする?みんな分からんとしてる。例えば供養でね、ご先祖様にお食事をお供えするわけでしょう?仏壇にいらっしゃると仮定してしてるわけやんか?そしたら仏壇に向けて供えなんやろう?何でこっち向けて供えるん?神棚でもそうでしょう?何でこっちに向けるでしょう?
 みんな面白いね、お墓参りしてもこっち向けて供えるやん。お墓に供えなあかん。

宮野さん:全部自分やから?

河上さん:いやいや、ご先祖さまって神さまなの、

宮野さん:だから自分と一緒やから、不離一体やから。

河上さん:神さまからの光、神さまからの光を一瞬一瞬新たに受け取って、一大循環になっているわけでしょう?それも普通は神さま直接じゃなくて、ご先祖様を通してくるわけや。守護霊様、守護神様を通して、ご先祖様を通してね。だから何時もご先祖様から、光を頂いて「ありがとうございます」っていう事で、ご先祖様から食べ物でも頂いているという事で「ありがとうございます」でこっちを向けて飾るね。あんな小さい食べ物で満足せえへんて、仏壇でもね。それでご先祖様に「さあ、食えや」って向こう向けたら失礼なんや。違うの、ご先祖様から何時も頂いているから、先ずご先祖様から頂いて、みんなで頂くってしてるの。

 だから人から贈り物貰うでしょう?貰ったらまず神棚に供えてから、昔は貰ったの、食べたの。それは何かと言ったら、人から貰ったけど神さまから頂いたっていう事を、改めて、喜んで、感謝するために神棚に祭った。普段のその何気ない行為一つ取ってもね、本来の意義が忘れ去られているね。

 例えば神道で玉串奉奠(たまぐしほうてん)ていって、やる時に、必ず根をぐるっと回してするでしょう?あれはもう根こそぎって言って、自分の全てを神さまに捧げるっていう意味や、本当はね。玉串(たまぐし)っていうのは、自分の象徴、神さま命の象徴なんです。

 要するに一瞬一瞬新たにサラサラと、受けては流しってしてないとあかんっていう事やねんけどな。だけどそんなんも忘れ去られていくね。どれもこれも意味があってしてるねんけどね。

質問:仏壇とかお墓に印可書を奉納する時に、1回で良いんですか?

河上さん:いや、好きなだけしたら良いけどね、周りに不審がられないようにしましょうっていうだけや。

宮野さん:あんまり長いと。

河上さん:分る人は良いけど、分らん人は変な事をしてるって思う。又、そんなマイナスの、思いを出させる必要も無いし。だけど人から反対されても印可書を選ぶという信念は必要です。

宮野さん:わざわざ、見せる事はないけど。

河上さん:見せる事はないです。

宮野さん:なので奉納する時に、ちょっと横によったりとか、人にあんまり迷惑の掛からない様なとこで、っていう事ですね?

河上さん:で、お盆の意味は聞かんで良いねんな?

宮野さん:いや、今から言うんちゃうん。さっさっと言ってや。(笑)

河上さん:お盆てこう縁(ふち)があるでしょう?神さまの救いの場にみんな入れてしまって、光一元にするっていうのでお盆。

宮野さん:そしたら、うら盆は?盆ひっくり返っているけど。

河上さん:あれ裏(うら)って言えへん。うらの意味が違う。うらって喜びっていう事や。えっ?漢字で裏(うら)って書くか?裏って書きへんで。漢字、こっちの盂蘭(うら)や。宇宙の宇と・・

河上さん:その梵語(ぼんご)から来てるとか色々言いますけど、言霊から来てるからね。神さまの救いって色々有って、大きくワッと広げる救いとか色々有るるねんけど、先ず最初は縁の有る人を囲いに、網に追い込んどいて、変えるっていう事から始まる。

 それをイエスは羊飼いに例えてね、羊追い込んでどうこうって言うんだけど、迷子になった羊の方が可愛いって言うわけね。要するに本当に一握りも残したらアカンってイエスは言う訳。分かる奴だけ、勉強できる奴だけ連れて行ったら良いんじゃないのね。勉強できない子は出来る子が教えてあげてという、要するに支え合いやね。

質問:大和言葉というのは、最初に出来た言葉ですか?

河上さん:そうです。

質問:それが理解できれば言霊も理解できるんですか?

河上さん:先ず真祈りしないと、だけやけどね。
 例えば、奈良っていう地名があるでしょう?奈良という地名はどういう意味かと言ったら、奈良は池とか一杯あったのね。それを埋めて均(なら)した。で均(なら)したから奈良って言うんだけど、じゃあー何で地面埋めて均(なら)すって言うじゃないの。何で均(なら)すっていうか?って言ったら、草を薙(な)ぐって言うでしょう?それで均(なら)すって言うんだけどね。

 泣くとか言うでしょう?涙を泣くとかね。水が湧き上がって来るから泣くって言うんだけど。湧き上がって来て広がるから、薙(な)ぐとか均(なら)すとかの言葉になる。言霊の素の「な」という意味がそれやね。例えばね。一番みんなが受け入れやすい奈良を、今例えにしたけど。

質問:もう一つ、カタカムナ文字ですか。あれはどういう意味ですか?

河上さん:カタカムナ文字はね、あれは数列の文字。数列を幾何模様にしたら、あの形になる。

質問:それは古い言葉なんですか?

河上さん:そうです。神さまの響き、言葉というよりはね。

質問:ありがとうございます

河上さん:何で服と言うと思う?何で膨らむって言う?そういうのを直感的に受け取って行くと言霊が分かる。吹くって「ふー」ってするでしょう?口膨らませて「ふー」ってするやん?人間の体って神さまの体に似せて作ってあるから、その「ふー」っていう言霊した時、やっぱりその形象がでるわけね。で服でもペッチャンコの物を膨らまして着るから服や。それをもっと形になって来ると、服がもっとつづまって靴になる。靴って服から来るのね。例えばね。

質問:神さまは「ことば」で創造する?

河上さん:そうそう、だから故郷(ふるさと)って言うでしょう?要するに息を「ふー」ってするから、命の素から息が吹き上がる、それの素やから故郷(ふるさと)。だから神さまが創造された時、振るって言ってね、振るじゃない、神道でもね。振ってお清めするけど、あれは神さまの創造の働きを姿を表すの。それで振魂(ふりたま)とかね、振るとか言って、そういう神さまの命がよく昔集まったとこを古市って言ったりね、地名に残るわけ。

質問:創造する前は響きで存在しているだけですか、喜びだけとか?

河上さん:いやいや、そういう小さいもんと違うの。もう無限大の、もう言いようがない。 

 例えば人間の身体がちょっと疲れて来たらね、振るのが良い。すると一気に回復していくの。振るという神さまの命の働きが働くから。振るためには、こう筋を伸ばしてね、固まってたら振られへんでしょう?フワーッと振ろうと思ったら、どんどん筋伸ばさなあかんから、出来るだけストレッチしなさいよって言うの、健康のために。ストレッチしといて振るのが良い。

 それでね、一本歯の下駄を履くとね、身体が治るの。何時も振る状態になるから。だから50過ぎた方は一本歯の下駄がネットで売ってますから、履くようにして下さい。そしたら一遍に元気になります。それは振るという状態を、身体全体で体現できるから。

 振るというとね、ワーッて振らんなんと思ってるやろう?違うね。だって心臓は何時も振る状態やねん。心臓も血管も振る状態になっている。その吹くって処に、命の根源の全てが入っている。言霊言い出すと切りがないから、この辺で止めときます。(笑)

質問:数列の数という言葉・・

河上さん:だから1から9で終わりでしょう?後は無限大に戻るでしょう?それが入れ子構造になって、入れ子構造をもっと塊で現したら数列になる。それを1から9で零にするか、1から2で零にするかで違うわけ。

質問:それを数字で表した言葉?

河上さん:そうそう、だから256と言ったら、2の8乗っていう感じになってるわけやけど。そうやな?Log2の256は8やな、確か?その8という数字が、無限広がりになってとかいう感じで入れ子構造で作ってある。
 言うたらだんだんチンプンカンプンになって来るから止めとくけど、

質問:その創造原理が119でなしに、全宇宙の共通原則?

河上さん:そう、だからみんなね、例えば地球が滅びるって言ったら、地球だけやって思っているやん。違うねんて、この全宇宙が一瞬に変わるね。その全宇宙と言ったら遠い世界と思っているでしょう?だけどみんな、お一人お一人が全宇宙を持っているの。それに気付かなあかん。それ位みんな責任重大なん、ある意味。

 だから自殺は絶対アカンて言うわけよ。自殺したら一つの宇宙が消えるの。それは大変な事や。それが分ったら自殺なんかせえへんし。その自殺っていうのは、今の苦しみから逃れたくてするやん?要するに死んだら全部無くなるから大丈夫、みたいに勘違いしているけど違う。死ぬに死ねない永遠の命をみんな持ってるね。只、表現体として肉体を使うになるか、どの形になるかだけであってね。だから死ぬに死ねないのに、死のうとする事が既に怪しいねんけど、やっぱり痛いの文句を言うから、苦しいのを文句言うからやな。意識を小さくして文句言いだすから、自殺になっていくねんけどね。何で私だけこんなになるん?って言った途端、何で自分だけって分けた途端、苦しみになるの。

 だからウサギさんで例えるけど、ウサギさんは小さいとこ閉じ込めててもノイローゼにならへん。何でかといえば、心がウサギ族として共通やから、野原を駆け巡っている体験も同時に味わえるから。でも人間は心小さいから、閉じ込められたら狂って行くね。

 だから印可書に書いてある「全ては完璧な一つ」に尽きるんやけどね。だからこの肉体の細胞の一つに宇宙があるの。だからこの細胞一つも宇宙なんやで。だから肉体一つとっても凄い宇宙の数持っているね。その肉体を自殺で潰したらどないなるん?みたいな感じやけどな。だから逆に言ったら、印可書を奉納したら、この肉体の全ての宇宙に広がる。

 だから先ず、一人一人が印可書を淡々と奉納するところから始まる。そしたら全部にバーッと響き渡りだす訳よ。それはドミノ倒しみたいに凄いの。

 難しい教義ないやろう?簡単な事やねん。喜んでいたら良いだけやって、神さま良いようにしてるだけや。でも自分も神さまとの、神さま人のものやから、神さまと同じように淡々と働くだけやっていう、それも結果気にしたらアカン、自分に出来る事を淡々として行くだけやっていう、それだけや。

 怠ける人とかいうのはね、殆どはっきりしてるのは、自分と他人を引き比べて、自分を責めて動かんようになる。あの人あんなにパンパンと掃除するのに、私こんだけしか出来へんわ。これやったらしない方がマシやってなって、動けんようになるの。

 人は人、自分は自分て、その時はね、思った方が良い。

質問:油断するとそうやって対立してしまう?

河上さん:そうそうそう。

質問:右手左手と思えば良いのですね?

河上さん:みんな働きの違いやという事をね。例えば凄く仕事出来る人というのは、仕事できない人が居てるから、対比で出来るって分かるだけや。全員が仕事出来てみ、又、その中で対比して苦しむ人出るで。分かる?永遠に切り無い。比較したらアカン、分けたらアカンね。

 それは肉体の各機能の働き見たら分るやん。肛門さんは一番可哀想や、何時も臭いの通して、なー?でも絶対必要な働き。耳でも目でも鼻でも、片方が無くなったら大変やで。普段は意識しないけど。完璧な一つというのを理屈抜きに受け入れなアカン。受け入れたら自然に助けるし、自然に支え合うしな、文句言えへん。

質問:一大循環というのは、その役割を色んな事をしている自分がいるっていう・・

河上さん:そうそうそう、常に常に神さまとして働いている。で色んな相象(すがた)の働きを楽しんでいるんよ。だって自分でもそうでしょう?わざわざ辛いカレーを食べて楽しむんや。そんな激辛カレー食べんでもいいんや。でも一度は楽しむんや。そんな不器用なところ、激辛カレーと一緒や、不器用な自分として楽しむん時がある。で不器用な自分を楽しむから、器用な自分が嬉しい。分かる?比較の世界を楽しむってそうや。

 だから映画だったら、水戸黄門やったらね、黄門さんと悪い代官さんと比較できるから面白い、あれ。全員水戸黄門だったら面白いも、何もあれへん。(笑い)わざと分けて楽しんでいるだけというのが、わからなアカン。神様もわざと分けて楽しんでいるんや、この現世の世界を。それが分かれば何も悩む事はないわけや、私何も出来へんて。

 その出来へん状態を楽しんでいるのが分かったら、何でも出来る自分に戻れる。それを自分は何もできない自分って、自分で縛ってるだけやからな。楽しんでいるって分かったら縛りは解ける。だから「喜んで、感謝して、待ってたらいい」って先生、口を酸っぱくして言う。先ず喜べ、理屈抜きに喜べ。喜ぶためにどうするんやっていう事をみんな考えんかった。そんなん言ったって大変やしとか言って、先生やから出来るんやとか言って、言うからアカン。本当は「先生喜べって言うけど、どないして喜べますん?こんな状態やけどどないしますん?」って言って僕のように聞いたらよかった。真剣に悩んで聞いたら先生は答えて下さった。

質問:現世的な水戸黄門というドラマは楽しいですけど、今、天の岩戸開きという一大神事というドラマも神さまにとっては・・

河上さん:もっと楽しい。

質問:今、クライマックスという感じで?

河上さん:そうそう、だからマタイ受難曲という凄い音楽を先生は残していかれたけど、印可書を読んでいたら、マタイ受難曲の響きが印可書そのものやって実感できます。それだけで、うん、位、先生は凄いものをあっちこっち残してあるんやけどね。でマタイ受難曲を受け入れがたい人の為に、メサイアをヘンデルが作って行った。どれもこれもちゃんと行くように先生準備してあるから大丈夫。

 本当は簡単な事やもんな。みんな難しく考える。だから田植えする時でも、先ず苗揉みして苗作るじゃないですか?その時にまず塩水に入れて浮いた籾殻は捨てるでしょう?そういう感じで選別するのもそれでそれは構へん。どの形も一番良いようになっているのですね。それを理屈言いだったら全部平等にせなアカンって言って、ややこしくなる。籾殻、籾としても捨てられる役、運命を楽しむみたいなところがあるのね。どれもこれも。

 だから作物植えても伸びの悪いのは間引きして抜くでしょう?あれで良いの。間引きされる事によって、新たに生まれ変われる。今大事な事を言ったんやけどな。ちょっと憶えといて。

 だから身体腐って来ても慌てることは無い、淡々と印可書を奉納してたら良いから。地上に残って働く人は治るし、あっちに帰った方が働ける人は死ぬしだけや。結果として助かったか助からなかったかは関係ない。永遠の命やからね、この世的にどうこうなっても一緒やねん。大事な事やから憶えといてね。 もう本当に言い尽くしたから質問も出えへん。簡単過ぎて質問も出来へん。

 だから自分がってなって、小さくなった途端に分からない事だらけや。でも大きくなったら全部分る。大人やったら地図見てどこでも行けるけど、子供は地図見いへんからどこにも行けない、意識小さいな。意識大きいと地図見て、又、大きく意識広げてどこでも行けるみたいな感じやね。その地図が印可書やね。だから印可書という地図を淡々と読んでたら良い、奉納してたら良い。こう、入れ子構造的に小さく表現して印可書にしてあるから、先生は印可書を真(まこと)の神さまそのものって仰る。実際その通りだからね。だから真(まこと)の神さまそのものを奉納し続けるから、真(まこと)の神さまそのものの自分を自覚出来るっていう、本当は簡単な事やねん。

 でも小さい意識の自分でこれは「何や、何でや」って言った途端にギブアンドテイクになって崩れる。虚栄心になるのね。ギブアンドテイクっていったら虚栄心や。「あいつよりこんだけしたったのに」って。



令和3年8月河上さん勉強会−4(20210808−4)

河上さん:それで突然ね、最後のおまけで。大体死ぬ時が近づくと余り疲れを感じなくなる。であまり眠れなくなる。そうなると死ぬ時が近いから、親しい人とはお別れして、ひたすら印可書を読んで下さい。若い内はそれで死ぬ時が近づくます。

 年取るとその手前で急に身体が固くなるから、毎日のストレッチを欠かさないようにしていても、固くなって来たらそろそろって分かるから、そういう段取りにして下さい。

質問:今ちょっと眠りが浅いんですけど?(笑)

河上さん:疲れは?

質問:疲れてませんけど。

河上さん:後は自分でお祈りして下さい。(笑)

質問:身体が固くなるとか、眠れなくなるとかは、老化と加齢とかと区別がつきますか?

河上さん:だから老化とか加齢とかは何かと言えば、みんなオマケを貰って生きているんよ。だから一瞬一瞬新たに神さまから受け直していないけど、お小遣い貰って生まれて来るのね。だから真祈りしてへんけど生きていくわけ。そのお小遣い使い尽くしたら寿命が尽きるわけ。だけど一瞬一瞬新たに受け直してたら、もうお小遣い使い果たしても関係ないやろう、収入が有るから。その一瞬一瞬新たに受け直す事を印可書を奉納するっていってる。だけど印可書を奉納しててもね、地上でのお役目が終わるという時があるんで、それで今説明した。

質問:分りますか、それ?

河上さん:分ります。はい。

質問:ありがとうございます

質問:印可書をしっかり唱えればもうちょっと、伸びるとか・・

河上さん:いや、神さまが良いようにするって。必要やったら地上残るし、必要なかったら残らないだけでね。

質問:その200人の真祈り人というのは、地上に残らずあっちの世界に・・

河上さん:いや、200人は残ります。肉体が要るからね。

宮野さん:そこに入りたいなーって。(笑)

質問:それは初めから決まっているのですか?

河上さん:本当の事を言えば、初めから決まっているねんけど、只、脱落する人もおるんで入れ替わりは有ります。

質問:そう言う人は護摩に来れないとか?

河上さん:護摩というより、もう神さまから離れてしまうね。脱落した人というのは、それも本人の自由意思やから。本当は脱落した人程、先生にとっては可愛いから、何とかしたいねんけど、もう。

 例えばセクハラ騒ぎでね、先生なんか、何やーって出て行った人というのは、もうどうしようもないわな。事実関係を確認せんと、噂を信じて出て行ったわけやろう。でも先生が一切何も仰らなかったという事は、何もされなかったという事や。何かしはったら、してるとかしてへんとか言う。先生は嘘つけへん。

 そうやけど先生が何も言わないというのを、逆に取るんでしょう?まあ或る意味、神さまを選ぶか何を選ぶかって試されはったんでしょう?みんな。それも仕方ない、ある意味絶対の信を軽く試験された。

宮野さん:復活戦は有るんですか?

河上さん:復活戦はあるよ。あるけど本人の自由意思であってね、こっちから強制のしようが無いから、印可書は示してあるから、ネットにも出してあるから。

宮野さん:この録音を聞いて、あっ復活戦をって。(笑)

河上さん:いや、それはあるよ。本当は200人って言ってるけどもっと欲しいねんからな。限定してないもん、別に200人限定じゃないから、本当は1万人やから、もっと膨らんでくれないとアカンのやけどね。

質問:護摩に参加したり、こちらに来てたりしながらも、その200人に入っていなかったり、脱落してしまったりした人おられますか?

河上さん:そんなん要らん思いや。(笑)神さまが良いようにするからね、どんだけ絶対の信が深くてね、全託して神さまに先生にひたむきか、だけやんか。そのひたむきさはその人にしか分らへん。結局、ひたむきな分だけ受け取れるわけよ。

 もうはっきり言うけどね、先生はみんなにもう存分の光を与えているの、何時も何時も。でも何時も何時もみんなが受け取れへんだけよ。ひたむきに淡々と印可書を奉納したら、その全てを受け取れますよって言ってるだけや。

 受け取る受け取らないは、みんなの自由意思に任されているの。只、受け取り方がみんな分からんかった訳よ。で文句言いなさんなって言っても、文句言うし、喜んで感謝して待ってたら良いよって言っても、喜ばれへんしって言って、文句言いながらここまで来たん。

 でも文句を言わない方法として、先生が印可書を残してくれたから、喜んで印可書を読んでたら良いやって。

 後は絶対の信の深さって自分でしか分かれへん。だから自分がどんだけ受け取るかも、自分が分かっているだけや。本当に深く絶対の信を立てたらね、全てが分かるようになったって、その分かる全ての自分の力を利用してみんなを支えるだけで、俺はこうなったとか言えへん。ちょっと今、この場に立たされたから僕は言いましたけど、普通は言う必要ない。だってズーっと言わんかったやろう?(下支えに隠れてたやろう)ちょっと先生からバトンタッチされたから言ったけどね。

宮野さん:護摩に来てないし、勉強会にも来てないけど、絶対の信を持っている人は居る。全くここに現れないけど、そういう人は何人もいるよ。

河上さん:それだけで十分。只、自覚を深めるためには、だましてでも護摩に連れて来いって言ってるだけで。本当は護摩の会場が溢れかえってどうしよう?っていう位にならなアカンのやけどな。

宮野さん:縁者は山盛り来てるけどな。

河上さん:縁者は山盛り来て溢れ返らんばかりやけどね。でもあんまり護摩の会場溢れ返ったら、近所から文句出るのもあるんで、神さまがちゃんと調整しているのもあります。ここ車でそこ渋滞しても又、苦情出るやん。神さまがちゃんとしてるから大丈夫。
 だから普段のお仕事そのままで良いのね。只々、印可書を奉納してたら良い。文句出ても良いのね、文句出ても印可書に変えていくだけ。そしたらその内に喜びだけに変わっていく。

 喜びだけに中々変わらんかったらね、自分の縁有る縁者は、凄い数なんだって思ったら良い。実際その通りや、そこが大事やねんな。その魂の大きい人程、縁者の数が多いいから、ある意味大変や。でもそれが無いと、要するに肉体を通ってしか光通らへんからね、色んな世界に。だから必ず要る(いる)訳。

 だからどうしても護摩の会場に行けないと言いながらね、印可書を読んでいる人もあるし、そんなん大丈夫なの。だから実際遠いい、例えばアフリカとかオーストラリアとか毎月護摩に来なさいって言ったって大変、来られへん。

質問:例えばの話で、この前アルコール依存症の方の話が出て、それは縁者の方の影響が出ていてッて話だったと思うんですけど、それはどうしようもない事で、止められない事だったと思うんですけど。逆のようなパターンで、自分がマイナスな事をしてしまうのは縁者の影響なんだと、自分で言っちゃうパターンというのは?

河上さん:あぁ、言っちゃったら良いよ。只、マイナスの行為が出た、人を責める思いが出た、をきっかけに印可書を読むきっかけだと思い直さなアカン、それだけや。

 要するにね、何が大事かと言ったら現実を掴まないという事が大事。それを結果に一喜一憂しないとかね、人が出来る事と自分が出来る事を区別しないとか、色んな表現しますけども、五井先生の言う「現実は消えて行く姿なんだよ」っていう事なんですよ。

 掴みようが無いし、掴んだってどうしようも無いんだ。現実というのは、その線香の煙の部分でね、火のついた部分じゃないね。その煙をどうこうしようと思っても、どうしようもないのね。だけどきっかけになるように出て来るから、人を責める思いが出た時をきっかけに、「宇宙神ありがとうございます」って祈れば良いのね。それだけ、そうしたら現実を掴まないから。

 縁者の人の思いを一旦肉体にちょっと形に映して上げないとね、俺の消して貰ったんかなって不安になるよ。だから人を責める縁者がパッと来て、ちょっと責める思いが出て、それで「宇宙神ありがとうございます」に変えて上げるとね、あって言って変わる。

 それを「あーうーすー」でも良いし、印可書でも良いしって、色々やり方は説明しましたけども、その時やり易い方法を使ってね。要するにどういう事かというと、縁者の思いっていう表現をしているけどね、要は自分という小さい意識やから、縁者関係ないって思うわけでしょう?自分が大きかったら縁者も自分や。だから自分の思いとかどうこうとか考える必要ない訳や。必要で神さまが使うだけっていう、そうするとお祈りに変えやすいし楽になる。実際の話やけどね。

 だから先生は必要で神さまが使うっていうのを、よく知っておられたから、神さまは楽させてくれへんなって感想述べられて、でも喜んでおられた。沢山使って頂いて良かったって。凄い痛いんやで、先生の身体は。凄い痰出されてゼイゼイされた、五井先生もそうだったけど、それでも喜んでおられた。それは意識が大きいから、意識が大きいって何かといったら、「何時も何時も神さまが一番良いように使って頂いて良かった」や。それが肉体の痛みであるか、仕事でボロクソに言われるか、家族でボロクソに言われるかとかね、色々有るわけや。

 自分にとって都合が悪いって事が出た時は、神さまが良いように使って下さっているっていう事や。

 この肉体を通して消すしかないからね、肉体を通して消さなくて良いんだったら、先生があんな見本を見せない。熱も出されないしね、凄い病気の姿取られながらという事をされない。

 一番最初に先生にお会いした時に、先生から言われた事は「これから見本を見せる、ひな型を見せる」って言われた。あぁ恐ろしいなって聞いたけどね。ずーっと先生の色んなお姿を見せて頂いて、ひな型を見せて頂いたわけで。どの姿も僕らから見たら苦難の連続や。でも先生は喜び勇んで全てをされた。それを見習ってね、仕事の上でボロクソに言われようが、例え首になろうが、収入無くなって餓死しようがね、喜ばなアカン。

 そうして現実掴まなかったら、全ては良くなって行くね。掴むから(現実が)変わらへん。

宮野さん:自分にとって都合の良い場合もあるじゃない?ね、それが悪魔の囁きなわけやから。

河上さん:そうそう、例えば宝くじが当たったっていうのが一番怖い囁きやね、一番マイナスの思い背負うからね。だから良い事も、悪い事も神さまに使って頂いた良かったって、ひたすら喜んでいたら良いだけや。
 そうなのに良い事は自分の事ってしてしまうの、ついつい。例えば臨時ボーナスで100万円でたとするやん。良い事や、でもついついその100万自分の事に使ってしまったら崩れるわけや。

質問:自分がアルコール依存症で大変な事になっているのに、これは縁者がいてて自分がやっているんじゃないっていうスタンスでいるのは、お祈りが伴えば悪い事ではないという事ですか?

河上さん:だから自分と関係ないと思う時点で崩れるねんけどな。崩れるねんけど、印可書を奉納したら、そこで崩れてもちゃんとするよっていう事。勿論、お祈りで良いねんけど、お祈りにならへんからな、普通は中々、で印可書を奉納してねって言ってるだけで。

 何時もそこやねんな、現実掴む人というのは結局、自分と他人を分けているから掴むんよ。あんな周りにあいつ迷惑かけやがってとか、色々有るけどね。あいつ怠けもので、狡い事しやがってってなるわけやん。あの糞上司めってなるわけや。
 それ全部な、やっぱり分けてるわけよ。だけど上司も自分やねん。怠けとる人も自分やねん。なっ、それを神さま楽しんでいるから、楽しんでいるのをよく実感する為に、よく印可書を読むだけ、奉納するだけで良いねん。だから考えたらアカン、考えると腹立って来るからな。で考えるの何かといったら、自分と他人を分けるから考えるねん。

 全部自分やったら考えてる暇あらへん。良い?

 そろそろ時間なんですけど、質問ありますか?

宮野さん:後で追って皆さん。

河上さん:いやいや、追って来てももう、今まだ元気になっているけど、終わった途端にがくって来るから今の内に聞いて下さい。元気なうちに聞いて貰う方が良い。
 本当にね、難しい事は何も無いんよ。だけど自分という意識で縮めて考えた途端、何でも難しくて分からんようになるね。小さい子が遊園地行こうとしたら分らへんってね、小さい意識やからでしょう?大人だったら意識広げてるから、地図という大きな物を見て遊園地に行く方法が分かるわけや。まー今やったら携帯あるけどね。それだけやねんけどな。

 でも結局自分という意識からみんな抜けれんで苦しんだから、その抜ける方法が印可書を奉納するだけで、先生が抜けれるって決めてくれたからね。その先生の救いをどんだけ信じるかだけや。信じられへん人はその人の自由よ。

宮野さん:縁者の中には自分が飼っていた動物、ペットもあるんでしょうか?

河上さん:あります。

質問:自分の生んだお子様もいらっしゃいます。

K:勿論。

質問:今、松下先生は無間地獄にもおられて活動されてるんですか?

河上さん:はい、

質問:それは無間地獄の苦痛を半分背負っては消されるんですか?

河上さん:無間地獄は半分背負われへんね。あぁ無間地獄は半分背負えます。漆黒の闇は背負えない。無間地獄は半分背負ってやります。でも先生の大きさが遥か彼方になっているからね、無間地獄の半分てしれてる。

質問:漆黒の闇にも先生は働きに行かれてるんですか?

河上さん:行くけど逃げおんね、眩しいって言って。それでちょっと中々な。要するに全員連れて行って貰えるんだったら、今好き勝手にしてて良いやろう。自分は好き勝手しててええやろうって自分があると漆黒の闇に落ちて、自分があると眩しいの敵(かな)わんて逃げるの。真っ暗で寂しくて敵わんって言いながらな、眩しいて敵わんて言って逃げんの。それは漆黒の闇だったらほんまにローソクの光以下の小さい光で丁度いい。そこへな、例えばサーチライトの灯台のレンズみたいな光の前に立たされるようなもんや。そしたら眩しくて敵わんでしょう。それで逃げるの。

質問:それじゃー、ガイド待ってる、案内人を待ってる状態なんですか?

河上さん:いや、案内人も待たれへんから漆黒の闇に落ちるん。無間地獄やったらまだ待ってるんよ。待ってるから引き剥がして来れるんやけどな。要するにまだ掴んでくれた方が止まっているから引っ張れるけど、漆黒の闇は彷徨(さまよ)いや。

宮野さん:自分さえも分らないじゃない。自分も分らない、何も分からない。なにも見えない、何も分からない。無そのものやね。

河上さん:要するに自分さえ良ければが、一番縮んだ最小の点や。

宮野さん:引っ掛かるしかないみたいな。

河上さん:まー、ブラックホールなんやけど、正確にいうと。

宮野さん:落ちたら最後無理よねって言いたくなるような。

河上さん:ブラックホールって残っている様に現代科学では言うけど、本当はブラックホールになって消滅するの。そして又、次の・・

質問:それはホワイトホールと違う?

河上さん:そんなんと違う、ブラックホールって漆黒の闇の事なんやけど、ブラックホールってポンと消えるねん。消えたらもう一つ下の漆黒の闇に出て又、消えてってしてどんどん降りて行くだけやねんか。それで探しに行かれへん。そのみんなね、漆黒の闇、或いは無間地獄っていったら、そういう世界一つの世界だけが有って、そこだけと思っているでしょう?違うの、あっちも入れ子構造やから。入れ子構造やから色々と。
 でホワイトホールというのは、そのブラックホールとホワイトホールの消える前のね、相対の状態をこの現世での、宇宙での言っているだけで。只、この現世の宇宙も無限の階層が重なっているから、その階層のつながりがブラックホールなんだけども、何と言うかちょっと説明しようがない。要するにどんどん落ちていくだけや。

宮野さん:行ってみたら分るよね。

河上さん:行ってみたらわかる。行ってみて。難儀や。

質問:無間地獄の下が漆黒の闇?

河上さん:そうそう。それはもう自分さえ良ければの極みやね。だから、どうぞ。

質問:確認なんですけど、私の場合は特に職場なんですけど、印可書が唱えにくい唱えやすいという事で、印可書が唱えにくいと思う時が有るんですが、それは自分が分け隔てしてるからっていう事で反省して、余計な物を思わず印可書を唱え続けるっていう・・

河上さん:そうそう、もうそれだけやね。

質問:唱えやすい唱えにくい場所っていうのは無いっていうふうですね?はい。

河上さん:自分で勝手に縛っただけやからね。後はどんだけ印可書という先生の救いに縋るかだけ。その縋るで良いと思う。最初は言葉で縋るしかないから、その内に自分が広がったら縋るという意識も消えるけど。最初は小さい意識の自分は縋らんと、何所に飛んでいくか分らへん。

 だけど自分さえ良ければという意識が一番大変やね、本当は。それは肉体持っている内にね、自分さえ良ければという意識が強くなるとね、もう死ぬのを凄く怖がるの。何でかと言ったら、自分が漆黒の闇に落ちるのが神さまから知らせて来る、響いてくるからね。もう死ぬの怖がる人程、そういうとこに行っちゃう。

質問:無神論者の方はそういう方が多いいのですか?

河上さん:そうです。只、無神論者の人はね、死んだら眠っているようなもんやと、安眠とかいうでしょう?永眠とか、ていう掴みがあるから眠った状態で止まるの。それでも自分さえ良ければが強かったら、眠った状態で下に落ちるから、そうなったらもっとややこしい。

 只、200人の真祈り人が出来るとね、その漆黒の闇に落ちてる人の心にも真(まこと)の神さまの種が宿るん。だから200人が最低要るの。先生だと光が強すぎて行かへん。色んな人の縁を使って、ふぅ~って行かないと。

 だからみんなで支え合ってというね、それで護摩やね。護摩はその肉体を超えて全ての階層に繋がる場やからね。で、なんであの場所が大事かという、色んな理由もあるねんけど、もうそんなことはどうでも良い。今そこでしてるからね、そこでどんどんしたら良い。

 先ずは印可書を奉納して下さい。自分が怠けものだと自分を責めずにね。自分を不器用だと責めずにね。

質問:後この時期、お盆は普段より欲望とか湧きやすいのですか?

河上さん:沸きやすいです。色んな人が来るからね。

質問:それも喜んでお祈りすれば?

河上さん:そうそうそう。

質問:先日の護摩で、友人が護摩木に2年前に亡くなったお父さんの名前を書いて焚いて貰ったんですが、そしたら翌日夢に出てきたって言ってたんですが、喜んでおられたんですか?

河上さん:喜んでおられた。そうそう、ホントそうよ。だから頑張って縁有る人の名前を護摩木に書いて。名前を書かなくても思い出して書けば良い。お願いします。

 もうこんなに同時に沢山救えていくチャンスってないからね。その救う側の立場に立てるチャンスって滅多にないから宜しくお願いします。護摩木を書くだけで良い。印可書読めない人はね。読める人は護摩木書くのと読むのと両方でお願いします。

 本当にこのまま上手く行かないと、ちょっとの怪我で、そこから破傷風になって死ぬとかね、バタバタ人が死ぬようになっちゃうから。そうなるとそれはそれで世の中が不安定になるでしょう?出来るだけみんな平穏に持って行きたいからね、皆さんの真祈り次第。

 ともかく、免疫力を潰すのは人を責めるマイナスの思い、という事だけです。神さまを信じない思いが免疫力を潰します。

 その人類にオマケを残す為にね、ピラミッドとか御陵とか色んな物を神さまは残して下さったのね。でも、いよいよそういう働きが一旦ご和算にする時期が来ちゃったの。

 それでも神社とか残して下さっている訳で、ちょっとでも延命処置を取りたいので神社にも、あっちこっち印可書の奉納に行って貰ってますけども、どっちにしてもいよいよ後がない。今回で大成功で終わりたい。成功で終わるか、大成功で終わるか、良かったなーで終わるか、大変やったなーで終わるか、選ぶのは人類です。

 難しい事ないやろう?簡単な事。こうして勉強会に参加すると、暫くはスッキリしてるやろう?きれいにきれいにオマケでしてますからね、何時までこのオマケが続くか分からんから、スッキリした時に頑張って印可書読んで欲しい。スッキリした時に印可書読むのが一番効果あるからね、お願いします。奉納してね、今日は一日。

 良いですか?ちょっと時間がオーバーしてます。お祈りして終わりにします。終わってからの質問無しですよ。終わった途端にガタガタになるからね。ではお祈りにします。




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8月護摩のお話 by 河上彰延 2021年08月13日(金) 08時29分
PC

8月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年8月の護摩焚きで河上さんがお話してくださった内容です。

質問1
 以前、神社に行って、印可書を奉納するという河上さんのお話の中で、例え小さな神社でも、そこで真祈りをすれば、コップ一杯の水が、あちらの世界では琵琶湖くらいの大きさになるようなことを確か仰っていたと思いますが、このことについて、もっと詳しく説明してもらえませんでしょうか?

河上さん
 ありがとうございます 今月も、またお会いできて嬉しく思います。ありがとうございます

 あの、今のご質問なんですけども、絶対世界と、この表現の世界は逆裏(さかうら)の関係なんですね。例えば、この現世で中心といえば、円の中心、一点じゃないですか、でも絶対の世界の中心というのは、もう全ての全て、遥か彼方全ての全てが中心になりますね。
 だから、この世でコップ一杯ということは、向こうでは本当は、琵琶湖に例えましたけども無限の大きさになるわけです。そういう感じなんですけどね。

 だから例えば、この世では、プラスとマイナスに分けて表現するんですよ。例えば、この世で幸せだと、現実的にね幸せだ、或いはお金が儲かった、或いはお給料がたくさん貰える立場になったとかね、そういう、この世での栄華(えいが)、幸せというか、繁栄ですね。

 自分が幸せになるという事は、逆にいうと多くの人の不幸の人が出たということなんです。だからこの世で幸せな人というのは、多くの不幸な人に支えられてるだけなんですね。それで因縁因果っていうんですけども、「輪廻転生」とか「禍福は糾える縄の如し」というわけですけども、この世で凄くいい目すると、次は凄く大変な目に遭うみたいなね、なるんですね。

 それは何故かっていうと、そういうプラスとマイナスに分けた表現の世界だからです。そのプラスとマイナスに分けた表現の世界だからこそ、絶対のもの程、この世では小さく見えます。

 例えば空気というのは、神さまの凄い大きな愛の神さまそのものなわけですけども、その存在を感じないでしょう?小さく感じるわけですよね。もう本当に空気は凄くて全ての全てなんだけども、その存在を感じないじゃないですか、そういう感じで、この世では、例えば小さな神社程、本当は大きな働きをしてるんです。だから小さな祠でもね、ここで印可書を読みたいなぁと思う時は読んでいただくと大きな力になっていくということです。ありがとうございます

質問2
 最近の河上さんの勉強会や護摩焚きでのお話では、神さまに印可書を奉納することの重要性を繰り返し説いているように思います。自分も印可書は生涯を通じて唱えるつもりです。ところで以前の話だと、ひたすら呼吸に合わせて、宇宙神ありがとうございますを唱えるのが良いということでしたが、このことは最近、河上さんはあまりお話していないように感じます。この呼吸に合わせて、宇宙神ありがとうございますを唱えることは、印可書を唱えることと同じぐらい、今も大切なことであると判断してよろしいのでしょうか?

河上さん
 はい、その通りです。呼吸に宇宙神ありがとうございますというのは、あの呼吸というのがね、みなさんが思っている自分の呼吸じゃないです。でも本当は、この天地の呼吸があって光が通って、この現世が保たれているわけですね。神さまの愛という天地の呼吸が、まずあるわけです。それが入れ子構造的に、うつしてきて人間の肉体の呼吸、猫さんの呼吸、犬さんの呼吸と色々ありますけども、その呼吸に宇宙神ありがとうございますと乗ってると、まず自分の呼吸に宇宙神ありがとうございますだけなんですね、最初は。

 でもそれを、ずーっとやっていると自分の呼吸というのが消えていくわけです。動物たちの呼吸とリンクしてるのがわかるし、地球、地球霊王さま、地球の呼吸とリンクしてるのもわかるし、最後は神さまの愛という神さまの呼吸とリンクして、大きく広がるわけです。ところが、呼吸に宇宙神ありがとうございますと乗せたって、(宇宙神ありがとうございますと)言ったって何も変わらんやないかとかね、色々文句が出たわけですね。何故その文句が出るかっていうたら、自分の呼吸というところから離れられないからです。

 いつもいつも色々と説明するのは何かっていうたら、小さい自分という意識が、いかに消せるか?消す方法の手段の方法論を色々と、お願いしてるわけですね。例えば、呼吸を止めてお祈りしてくれとかね、呼吸に乗せろとか色々ありましたけど、或いは歩きながら、一足ごとに、一歩ごとに宇宙神ありがとうございますを籠めなさいとかね、まぁ自分のやりやすいの選んでくれといって、お願いしたわけですけど、どのやり方も、何が目的かって言うたら、(小さい肉体意識の)自分を消すためなんです。

 そやけど、今までの宗教もそうなんですよ、いかに自分を消すか、自分で生きている、自分がした、その自分をいかに消すかだけに、みんな苦労するわけですね。その自分を消すことが本当に大変で、結局、自分を消す自分がまた出てくるみたいなね、常に自分というのが消えないんですよ。

 例えば宇宙神ありがとうございますっていうのも、もうこれ、もう自分はこれに縋るしかないんだぁ、この方法でいくしかないんだぁってこう、覚悟を決めてね、ひたすらしてもらうと、もう呼吸、呼吸ってそうでしょう、自分が意識して呼吸してないじゃないですか、意識してもできるけども、意識しなくて呼吸してる方が多いんです。だって寝てる時みんな息してるじゃないですか、意識してないのに、だから呼吸っていうのは、神さまの呼吸と自分の呼吸が一番リンクして一番広がりやすいとこにあるわけですよ。

 自分でもするけど、自分ではしてないっていう。だから、その呼吸のとこに宇宙神ありがとうございますを乗せていくと、命懸けでね、乗せていくと、自分でしてるつもりが、神さまそのものの本心の自分がしてるというのに響き渡るんで、呼吸にとお願いしたわけですね、でも中々自分の呼吸から、みんな抜けれないの、それでこの方法では、中々みんな難しということを判断しましてね、これはまぁダメじゃないけど横に置いといて、印可書だけに今、絞ってるわけです。

 印可書の場合は、自分が読んでんだけども、読むだけで自分が消えるという立場に、いわゆる自分が消える、本心の自分ですね。本心の大きな神さまの立場に立たすという、先生と神さまとの約束で作られたものなんですね。だから印可書さえ淡々と読んでいれば、だから読むというと自分が読むになるんで、神さまに奉納して下さいという感じで、お願いしてるわけですけども、印可書さえ淡々と奉納してたら、その時は自分が消えてるの、それさえ信じてもらえたら、小さい自分が消えた状態が実観(感)できてくるんで、凄く楽に、心境が変わるわけです。実際そういうふうに素直に淡々と印可書を奉納していただいて、みなさん心境、大きく今、変わりつつあるんです。ただ自分の心境が変わったことを人に言わないでっていってるんで目立たないですけども、この心境が変わってきた意識を、なぜ人に言ったらいけないかっていうと、人に言うということは、自分と他人を分けてるじゃないですか、分けたら自分が出るの、わかります?。

 自分が消えると全部神さま、全部自分なんですね。だから印可書を読んでどんどん心境が変わるんだけど、人に言わないように、言えば自分と他人って分けて、意識的に分けてしまうから崩れるわけです。そういう感じで淡々とひたすら印可書を奉納し続けて下さいってお願いしています。ありがとうございます

質問3
 ひょっとしたら、前にも説明されていたかもしれませんが、印可書に「新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」の一文がありますが、この中の全徳というのはどういう意味でしょうか?

河上さん
 全徳というのは、真(まこと)の神さまの、全ての全てという意味ですね。イエスの言う「神の栄光を顕わさんが為なり」という栄光という言葉でも言えますし、なんていうんですかね、無限の無限の喜びが無限に無限一杯!とも言えるし、無限の無限の幸せが無限に無限に一杯!、或いは無条件の幸せ、無条件の喜び、ただただ無条件の喜びというふうにも表現できるのが全徳です。もう全ての全てに響き渡った、神さまの大きな愛を全徳と言います。ありがとうございます

質問4
 印可書の中の、左旋回という言葉で、いつも疑問が浮かんできます。どうして光は右旋回ではなく、左旋回なのでしょうか?

河上さん
 これはですね。この現世に現れる時に左旋回で出てくるんです。例えば太陽から地球に降り注いでる光も、左旋回の光なんですよ。これは円偏光というて左旋回の円偏光だというのが、科学者によって発見されているわけですけども、立体映画って今あるじゃないですか、あの立体映画っていうのは、左目で見えるのが左旋回の光で映して、右目で見えるのは右旋回の光で映して、あの眼鏡をかけると立体に見えるみたいに作ってあるんですね。昔の立体映画は青と赤で映して青と赤の眼鏡をかけたわけですけど、今は円偏光をとれる偏光眼鏡をつけて立体映画を見るんですね。そういう感じで、この現世は右旋回と左旋回の両方の光の流れがあるんです。

 それ何かっていうと、左旋回で上がって右旋回でかえるからなんですけどね、鏡で映すようになってますので、それだけで、例えば、なぜ左旋回ですかっていうと、そこには何故はないんですよ。まぁそれは、具体的に数式で表すと左旋回にならざるを得(え)ないんですけどね。

 また数式に囚われるじゃないですか、だからあれなんですけども、数列の流れが左旋回なんですけどね、あまり口で説明もしにくいし、いずれみなさんが真祈り人が増えたら勝手に数式が、みんなわかるようになりますのでね、数式では言わないですけど、ともかく左旋回で出るのが、古事記に書かれてるように、最初の流れ、最初のなんていうんですかね、神さま、絶対の中心からワーッと湧き上がる時が左旋回なんですよ、ただそれだけなんです。

 絶対の中心から湧き上がるのが、何で左旋回なんですかっていう質問はね、逆に言うとじゃあ、何で神さまは絶対の愛なんですかっていうてるようなもんなんですよ。神さまは全知全能で何でもできる方だっていうのは、誰も考えないし、当たり前のことでしょう、理屈抜きに神さまは絶対の愛で、みなさんに一番いつも一番いいようにされてる、全知全能で何でもできる方だということをね、神さまは全知全能で何でもできる方だっていうて、それ何で?(なぜ?)できるのとは言わないじゃないですか、それの光のすがた、神さまの光として現れた、おすがたが左旋回であって、そこに何で?(なぜ?)、はないんです。

 ただ数式で現わすと例えば太陽の周り、地球も左で回るでしょう。この世の全ては、そうして左で作られてるんですね、左旋回で、だからなんですけども、そのスタートの左旋回が何故かって言われたら、それは(なぜ?)神さまが全知全能で何でもできる方なの?って聞いてるようなもので、何で(なぜ?)はないんですけどね、左旋回だからなのって(しか)いいようがないです。ありがとうございます

質問5
 来年、初めてお米を作ってみようと考えています。60代女子です。ところが母に反対をされ、色々考えてしまいます。助言をいただけたら嬉しいです。

河上さん
 その、いわゆる結果を気にするとね、反対されると思うんですよ。例えば田んぼを始めるじゃないですか、よそと同じように稲刈りまでできなくちゃいけないのに、途中で失敗して枯らしてしまったら、かっこつかないみたいなとこがあって反対されてると思います。その地域によるし、自分の持ちものの田んぼなのか、借りた田んぼなのかと、色んな事情がありますから、この世的な世間体を気にされるお母さまですからね、それをあまり否定せずに受け入れてあげたらいいと思うんですよ。

 もし田んぼされる場合は必死でしなくちゃいけないから、初めてだと色んなことがあって大変だと思うんでね、もしされるんだったら、小さいとこで練習されて、あんまりいきなり沢山植えずにね、小さいところで練習されて、色んな経験を積まれてからされたらいいと思います。ありがとうございます

質問6
 主人が、アル中を再発してきました。10年近く断っていたアルコールを、はじめ1週間で、ブランデー3本空くようになりました。私にかくれて昼間にもコーヒーに入れたりしている様子です。ブランデーを買って来た時は、エッと思いを、グッとこらえ、神さまがいいようにして下さっていると無理に納得しましたが、ここ1ケ月、徐々に量が増えてくると小言を言いそうになり、まだまだ私の覚悟が至りません。ここで河上さんにお話をして、自分の覚悟が定まり楽しんでいられる様、アドバイスをお願い致します。ありがとうございます

河上さん
 あの、本当にいつも申しますようにね、この世の結果っていうのは、この世の幸せというのは、人様の不幸によって成り立ってるんですよ、自分が気付く気付かないに関わらずね、だから、その例えばアルコール中毒というんですか、どうしても飲みたくなるというのは、その方が飲みたくなるんじゃなくて、縁者の方が飲みたくて寄って来て、だから、10年断てたのに、また縁者の方が一杯寄って来て飲むという形になるんですね。

 それ、この世的には飲まさない方がいいということになるわけですけど、どうしても縁者の方が、その方の一族の縁者の方でアルコールの因縁があってね、どうしても飲みたいという方が一杯来られたら、これは、止めれないです。

 その、じゃ何でアルコール中毒の人に飲ましたらダメなのかっていうと、アルコールを飲むと暴れるとかね、色々弊害が出てくるからですけども、もうここは、ひたすら印可書を奉納して真祈りしてですね、進むしかないです。その結果、アルコールを飲むけど平気なのか、アルコールを飲み過ぎて死んじゃうのか、アルコールを飲み過ぎて暴れるのかは色々出ます。どの結果も一番小さく出るんだぁっていうことを思い定めないとダメですね。

 結果を気にしたら、結局、本来あるべき一番いいすがたに治まるとこが、治めれないです。治めれないと因縁因果が始まるの、前にも言いましたけども、神さまは完全円満ですから、百人の人に百個のあんパンをね、必ず用意して下さるわけです、だから必ず、みんな一人一個のあんパンは食べれる状態になってるわけです、あんパンで例えますとね。でも自分が二個食べたいんだ、三個食べたいんだって言うた時に、神さまから受けなおせばいいのに、この世の因縁因果っていうのは、人のを奪うんですよ、具体的な形の上で奪わなくてもね、今のお金の制度ってそうなんですけども、無意識の内に自分が贅沢をするということは、誰かのを奪っているの、だから、その形になりますのでね、お酒を飲んで暴れる形になっても、一番いいようになってると思い定めていけば、すーっと治まるんですよ。でもこうしなくちゃいけない、こうならなくちゃいけないってなった途端に、もっと他でアルコール中毒で大変な思いをする人の分に、何て言うんですかね、もういっぺん散らすようなもんなんです。

 せっかく神さまがそこに集めて消そうとしてるんだから、喜び勇んで進むしかない。この世的に大変なのはね、覚悟のうえにならないと因縁因果は消えません。そこだけです、そこをまず思い定めて突き進まないと、それから逃げれば、余計に借金を増やすだけなんですね。 

 だから例えば、お金持ちがいらっしゃってね、自分だけ贅沢となると、その苦しめる人を無意識の内に増やしてるわけです。それは借金なのね。その借金の利息というのは、貯金するより高くつくんですよ。この現世でもそうでしょう。貯金の利息より借金の利息の方が高いじゃないですか、それが、この因縁因果の世界では、トイチ(10日で1割の利息がつくこと)の利息よりもキツイんですよ、借金の利息がね。だから、折角10年断って、また飲み出したという事ですけども、そのことによって、大きく消えるんだぁという覚悟を決めていただいて、後は印可書をひたすら奉納していただくといいと思います。

 そういう因果が消えればね、そのすがたは消えますし、どんどん消すためにもっと深くなるか(ひどくなるか)は、もうわからないです。

 わからないというより、イエスが十字架にかかるじゃないですか、あれと一緒です。みんな、これから十字架にかかるんです。まぁ別に、これからじゃなくて、いつもそうなんですけどね、いつもみんな十字架にかかろうとして逃げ回って、余計大変にしていくんですけどね。逃げ回らずに突き進むしかないというのが、印可書の精神です。だからひたすら、大変なのはよくわかりますけども、神さまを信じてひたすら読んで下さい、奉納して下さい。その中で一番いいように必ずなります。ありがとうございます

質問7
 自己処罰について、教えて下さい。

河上さん
 自己処罰って何かっていうとね、結局、自分で自分を二つに割って責めてるんですよ。この現世の特徴なんですけど、プラスとマイナス、幸せな人と不幸せな人という感じで、陰陽に分かれて表現する世界ですので、自分の中でも良心と怠け心というか悪心っていうかね、自分の中にも良心と業想念があるみたいに分けちゃうんですね。自分を分けて、いつもいうように、全ては完璧な一つだから、分けるなっていうんだけど、自分を分けて、自分で自分を責める状態が自己処罰です。

 神さまは必ずいいようにしてますからね、例えば何でこんなに、今日は仕事に行くのが嫌なの、何でこんな汚れ仕事をしなくちゃいけないのとかね、嫌だなぁっていうのは、必ず出ます。出た時に自分で自分を責めて、こんなん嫌だなぁっていう自分、怠けたいなぁと思う自分、仕事に行くのが嫌だなぁと思う自分、例えばですよ、思うのはいいんです、思ってもそれで、神さまがもっと真祈りを深めなさいよって言うてるんだなぁと喜んだらいいんですけど、この嫌だという、自分を責めちゃうのね。すると嫌だという自分を認めたことになるから、余計大変な嫌な自分が出てくるんです。それを自己処罰といいます。

 だから、色んな思い、エッチな思いが湧いたりとか、どうしても権威欲が湧いたりとかね、目立ちたいという虚栄心が湧いたりというのは、あります。でもそれが湧くごとに、これは真祈りを深める神さまからのサインだと思ってね、ひたすら印可書を奉納して下さい。そうすれば必ず消えます。掴まなければ消えるんですよ。でも自己処罰っていうのは、こんな怠けものの自分、こんなずるい事をする自分ってね、マイナスを掴んでるの、掴むから消えない。これは自分の縁者のものを全てを代表して、自分の肉体を通して消してるんだぁって喜んだらいいんです。そのただ消してるんだぁって言うてもね、消えるかどうかわからなくて不安じゃないですか、だから印可書を奉納して、神さまに消していただくんだぁって、そう思って、ひたすら自己処罰しそうになったら、印可書を奉納して下さい。ありがとうございます

質問8
 相手の本心を拝む、具体的な祈り方を教えて下さい。よろしくお願い致します。

河上さん
 相手の本心を拝むというのは、先生の表現をお借りしますと、真(まこと)の神さまを相手の心の中に立てる、しん(真)柱を立てるとか、或いは相手に真(まこと)の神さまを通り抜けていただくとか、色々ありますけども、具体的には何かっていうと、自分と他人の分け隔てが消えたら真祈りになります。分け隔てる間は、まだまだ真祈りになってないの。じゃ分け隔てをどないして消すのっていうことですけど、分け隔てを消そうと思うと絶対消えないんですよ。何故かっていうと自分と他人って、まず掴んでるじゃないですか。掴んだ状態、さっきと一緒、掴んだ状態からは逃げれないの、自分が掴んでるから、何事も自分で自分を縛ってるだけなんです。

 結果、それをね結果を気にするというんですけど、結果を気にして自分で自分を縛るの、それを先生の表現で言うと過去を掴むっていうんです、わかります?

 過去の経験に基づいてどうこうと思う意識なんですね。その過去を掴むスタートは、自分と他人を分けたところから始まる。自分と他人を分けると、もう無意識に過去を掴んでいくんですよ、良い悪いと判断して。だから、まず自分と他人を分けるのを止めなくちゃいけない。でも、その止める方法が、みんなわからなくて、困ったんですね。今はもう他人と見えてもいいから、ひたすら印可書を奉納するだけでいいです。

 その真(まこと)の本心、相手の本心を拝むっていうのは何かっていうとね、一番は、自分と他人を分けて相手の本心を拝んで、相手を変えようという意識が一番問題なんですよ、それが過去を掴むすがたになっていくんですけど、何故かっていうと、相手もどんどん変わってるのに、今、今のすがただけを掴んでどうこうしてるわけでしょう。相手が真祈りしてないから、こっちから真祈りして本心を拝み出そうっていう、既に祈ってる、全て祈ってるのに、祈ってないと決めてするから、ダメになるわけです。

 だからもうひたすらね、印可書を奉納してると、もう全ては真(まこと)の神さまだけ、全ては完璧な一つだけって書いてありますから、自然に自分でどうこうする意識が消えてね、神さまがいいようにされるの。

 まずどんなすがたがあっても、神さまが一番いいようにされてるんだぁっていう、絶対の信を立てないと印可書も奉納しきれない。印可書を奉納するというのは、どういう結果が出ても神さまが一番いいようにされてるんだぁって信じ切れることです。それが信じ切れたら、どんどんよくなるんですよ。でも普通はそれを信じ切れなくて、いや自分にとって、これ都合が悪いねんって掴むわけ、掴んだところは自分で自分を縛ってるから永遠に変わらない。

 だから、全て真(まこと)の神さまって、まず見なくちゃいけないんだけど、真(まこと)の神さまと見にくいから、本当に全ては完璧なる一つとかね、全ては、既に祈ってる自分とかね、先生の色んな、真(まこと)のプラスの言葉を、16項目でもあるわけですね。勿論どれを使ってもいいんですよ、今は先生が印可書っていうんだから、印可書を奉納されたら、相手の本心を拝むとか拝まないとか考えずにね、淡々と奉納されると全てが変わります。

 すると淡々と奉納してる時が、相手の真(まこと)の本心を拝み出してることになります。それは何故かっていうと、真(まこと)の神さまが一番いいようにされてるから一番いいように拝み出されてくるんです。自分がするのではない。印可書を奉納するというのは、自分がするんじゃない、真(まこと)の神さまがされるから全ては上手くいくんです。先程の飲酒の話もそうですけど、印可書を奉納されたら、真(まこと)の神さまが一番いいようにされるから、すーっと変わっていくんですよ。そやけど、自分でお酒を飲まさないようにしなくちゃいけないとかね、相手の本心を拝み出さなくちゃいけないと思っているうちは、何も変わらないです。だから淡々とひたすら何も考えずに印可書を奉納して下さい。すると真(まこと)の神さまが降り立たれて、全てに働かれて、全てがよくなるというふうに言っております。ありがとうございます

質問9
 先月(7月)の護摩焚きの帰りの事ですが、いつもなら、多賀方面に下りて帰るのですが、その日は、東近江市に用事があったので、八日市方面に下りて車を走らせていましたら、パンクをして立ち往生している方がみえて、ありがとう村までお乗せして別れ際に、不安を抱いた時は、どうすればいいのですか?と尋ねられました。パンクしても、怪我をしても、例え殺されても、宇宙神ありがとうございます又は、ありがとうございます、勿論不安を抱えて、その重さが重い程、己をなくすくらいに、ありがとうございますを唱えれば良いのでしょうか?

河上さん
 これは、パンクした方を、ありがとう村まで乗せて行かれたのね、その時にパンクで不安に思ったけど、どうしたらいいのかと尋ねられたということですね、はい、わかりました。
 
 まず絶対の信を確立するだけなんですけども、その確立しきれない人にはね、強制する必要はないんですよ。こちらがひたすら、印可書を奉納し続けてるだけでいい。勿論、宇宙神ありがとうございますでいいんですよ。宇宙神ありがとうございますと唱える時に、真(まこと)の神さまが降り立たれて働いて下さると信じきれたら、印可書はいらないです。宇宙神ありがとうございますでいいんですよ、勿論ありがとうございますの10文字でいいんですけどね、本当は。ありがとうございますの10文字だけで、ありがとうございますと唱えた時は、真(まこと)の神さまが降り立たられて働いて下さるって信じきれたらいいんですけどね、そやけど、まだみなさん自分がどうこうするっていう意識があるから、印可書でお願いしてますけども、その自分にとって不都合、要するに過去を掴んでる状態ですね。不都合でどうこうで不安だぁっていう方にね、無理に不安でないと思えっていうたって、それは無理です。

 だからまず、過去を掴まないように印可書を奉納するだけですとしか言いようがないんですね。そやけど、印可書を読めない方が、たくさんいらっしゃるわけ、だから、その方々の代わりに自分がひたすら印可書を奉納して読むんだぁっていう覚悟を決められるだけでいいと思います。この世的には、大変でしたね、困ったでしょうぐらいでいいし、もしパンクを修理してあげれるというか、お手伝いできるんだったらしたらいいし、時間があればね、ない時はどっか連絡してあげるとかで充分だと思います。ありがとうございます

司会者
 会場の方から、ご質問のほうはございますでしょうか?大丈夫でしょうか?(質問がないので)よろしくお願い致します。

河上さん
 ともかくね、分け隔てる意識というのが、無意識にあるんですよね。何でみなさん分け隔てる意識を無意識に持ってるか?っていうことなんですけど、これはね、肉体というのを受肉(じゅにく)して地上に降り立つためには、分けれる意識がないと降り立てれないんですよ。

 何故かというと肉体ってほら、分かれてるでしょう。だからまず分かれてるという意識を自分につけないと、肉体を持てないから、肉体を持つためにみんな自分と他人を分けるということが、当たり前にしてあるんです。でも一旦肉体をもったら、今度は全ては完璧な一つの意識に戻っても、肉体は消えませんからね。わかります?一旦肉体をもったら、もうこっちのもんだから、後は分け隔ての意識を止めて、全ては完璧な一つに戻るんです。そうすると肉体という全ての階層と繋がる交点なんですけども、肉体という場を通して、肉体は顕微鏡ともいうんですけどね、色んな世界を細かく見れるんです、肉体を通すと。

 それで肉体の側で真祈りしていただくと、全ての階層に光が通って変わっていくんですね、それで印可書をお願いしてますけども、その最初のスタートが肉体、自分と他人を分けないと肉体を持てないのでね。どうしても自分と他人を分けちゃうんですよ。自分と他人を分けると、それがどんどん進んで自分を責めだすの、自分を責めだすと神さまの働きを、お手伝いしたいと思って地上でお手伝いをしたいから、肉体を持つんだぁという、最初の大目的(これを大菩薩業という)をね忘れちゃうのね。

 (自分と他人を分けて)自分と他人を責めて自分だけが幸せなりたいというふうになって、因縁因果に流転していくんです。

 神さまの方はそうなってしまうことが最初から、おわかりなので、そうならないようにね、五井先生や松下先生や素晴らしいイエスさまとかお釈迦さまとかもうマホメットさまとかね、孔子さまとか素晴らしい方をどんどん地上に降ろされて、みなさんが因縁因果に流転しないように流転しないように、されてこられたわけですね。西郷さんもその形のために、今の日本を作られたわけですけども。そのいよいよ、この地上の因縁因果の流転が終わりのところに今ありますので、是非ね印可書を読めば、自分と他人を分ける意識が消えていきますから、自分と他人を分ける意識を消そうと思うと、今も言ったように消そうと思った瞬間に分けてるという自分を掴むんですよ、で消せないの。或いは自分という自分がしてる自分というのを消そうと思うと、消そうと思った瞬間に自分がしてる自分を掴むのね、掴んだら消せない。だからそこが非常に難しいかったの今まではね、それを今は印可書を読めば必ず消した状態にしてますよという、先生と神さまの約束ですので、是非ね印可書を読んで奉納して、自分という意識、自分と他人を分ける意識をね、消し去って下さい。

 消し去るというより勝手に消えます。そうすれば、真祈りの伝授が成功したということで、自分が消えたらみなさまは救世主としてね、マイトレーヤとしてイエスキリストとして先生として、働ける状態になるんです。それを神さまのお手伝いをするという状態と言っています。だから是非ね印可書を奉納して下さい。するとすーっと変わります。

 もうそこにね、印可書を奉納することによって自分という意識が消えろとかね、言った途端に自分を掴んでるの、わかります?

 だから、結果に一喜一憂するなとか色んな表現してますけども、要は結果を気にしたら、その時点で結果を掴むのね。

 例えば塾で子供を教えているとわかるんですけども、この子勉強できないと教える側が掴んだ途端に、永遠に教えれないんですよ。

 必ずこちらから、勉強できないと思ってるだけと大丈夫できるから、まず信じなあかんのです、教える側が、次に勉強できない子というのは集中力がない、5分くらいしか続かないんですよ。5分だけ国語したらな休憩したらいいからって、まず騙しとくわけです。5分終わったら、よしもうちょっと休憩せんといけるやろって算数させるわけです。算数を5分して休憩していいでって騙しといて、またもうちょっとできるんちゃうかって、理科をさせるとして5分づつさせると、いっぺんに勉強ができるようになるのね。一緒です、みなさんも今の、その5分づつは何かっていうたら、結果を掴まさないためです。

 勉強できない子ほどね、結果を掴むんですよ。だから5分してわかれへんって言うわけです。わかれへんでいいから次しよう、わかれへんでいいから次しようってしていくうちに、わかれへんという結果を掴まなくなってわかるようになる、同じです。

 できない自分とか自分があるとかいうのを掴まずに、ただただ神さまを信じて印可書を奉納してたら、すーっとできるようになりますから、勉強と同じで、だから、どうぞね、そのために印可書を5分くらいで読めるようになってあるのね。ちゃんと5分なんですよ。印可書を読んでやってみて下さい。するともう、その印可書を読むからどうこうなんて考えずにね。印可書を読んでる時は神さまが働いて下さってるんだぁってどうぞ信じきってひたすら印可書を読んで下さい。

 自信がついてきたら、ありがとうございますの10文字に立ち返って下さい。ありがとうございますの10文字で印可書の同じ効果が勿論あります。そやけど、ありがとうございますの10文字は頼りないのね、何か不安なのね、だから印可書でお願いします。

 是非ね、地球的には非常に今、なんというんですかね、木も空気も水も本当に全ての資源がね、今にも立ち枯れる寸前まできています。みなさん安心していますけど、アトランティスの時もそうだったんです。ずーっと当たり前のようにきて、突然全てがなくなっちゃった。大陸までなくなって沈むんですけどね。今度は地球ごとなくなる寸前まで本当はきています。

 でもこうして真祈り人がね、この日の、この時の為に、みなさん、この令和の時期に真祈りできるように間に合うように、みなさん地球、地上に降り立ってきていただいてるんですよ、その最初の使命をね、湧き上がってきますから、どうぞ印可書を読んで、折角その目的の為に降りてきたんですから、その使命を果たして下さい。よろしくお願いします。ありがとうございます また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声は、こちらからどうぞ
https://youtu.be/WAks267f_UU 

 宇宙神ありがとうございます


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7月深夜勉強会 by 河上彰延 2021年07月22日(木) 12時19分
PC

令和3年7月河上さん深夜勉強会−1(20210716−1)

質問:世の中コロナの収束を願っている人々がごまんといるというのに人類の心が収束を遅らせているというとはどういう意味なのでしょうか?

河上さん:えっ?そんなん言うた?収束してるって言ったで。もうコロナは収束して行きます。但し11月から全く新しいものが来るだけ。今のワクチンとは全く無関係の。どの形になるかはわからないけど今度は腐るんと違うかな。

質問:改めて真祈りとは「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」を唱え続けること、あと「印可書」を奉納し続ける事ということですよね?再度ご回答ください。

河上さん:本来真祈りってね、響以前、言葉以前、もう言霊その物のモノだから言葉で表せない。全く心と心が感応しあってね、真祈りの伝授ってそうやねんけど。師匠の心にピタッと添わなあかんのね。松下先生に全て投げ出しますっていうくらい投げ出して初めて心と心が響あって真祈りの伝授が出来るの。

 ところが松下先生に本当に投げ出した人がいなかったのね。投げ出したつもりの人はいたけど。投げ出したつもりのままで真祈りの伝授をできないから、先生の方からちょっと無理に引っ張り上げて下さったのね。それで此処のお祈りの部屋で光を見たとかね、或いは護摩の前日に凄い気持ちが高揚したとか。まぁその人によって色々あるんだけど。スーっと剥がして行ったとかね、色んな感覚があったわけです。あったんだけどもそれを虚栄心でね、みんな、どの人もです。色んな先生に引き上げてもらった人、全員がね、虚栄心でそれを人に言っちゃったの。いつも言うように言ったらあかんって言ってるのね、言えば虚栄心になるわけ。

 何故かというと自分と他人を分けてしまった。「私はこんなに良かったのよ」或いは「凄かったのよ」或いは「お祈りができたのよ」というのを言いたくてついつい言ってしまった人ばっかりなのね。言った時点で折角の先生の大おまけがなくなった。黙って喜んで感謝して待ってたらいいのにな。

(ついつい他人に)言ってしまう。言ってしまうと虚栄心が出てるから自分が出る。自分が出たらもう真祈りでないっていう。

 先生は色々と苦労に苦労を重ねられてですね、というよりもお祈りにお祈りを、真祈り真祈りを重ねられて、いかなる人も必ず真祈りできる方法というのを追求されて、色んな方法を試されたわけですね。色んなことをされたんだけど、結局みんな虚栄心から抜け切れない。要するに自分という意識から抜け切れない、の繰り返しを来たんですね。

 だから1番最後の試験でもないけど、例えば真祈り出来る人だけがこのシールを持って帰ってねって言う厳しい試験があったんだけど、全員が持って帰ったという、中々、先生の色んな試験を全部みんな落第していくのね。最後はとうとう先生も諦めらてバイバイって言って帰ってしまうわけだけど。

 それでもゆっくりしていってねっていうのはね、後もうちょっとおまけがあるからっていう意味で、今のおまけになっています。

 護摩木を書くことは先生がちゃんと説明されているように、護摩木を書くときは真(まこと)の神さまが降りたって書いて下さるからっていうことを信じれたら。

 「宇宙神ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのもの。「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのもの。他に何もない。只そのものっていうのを信じ切れたら。

 「印可書」を読むときは真(まこと)の本心の自分そのものっていうことを信じ切れたら良いだけです。

 それを絶対の信と言うんだけど、絶対の信って、じゃあ何か?って言うとね、いつもいつも常に神さまが完璧な愛を降り注いで下さってるの。だから自分のものを持つ必要がないんですよ。だから先生は自分のものというのを一切持たれなかったのね。外へ行かれる時でも財布というのを持たれなかったのは、いつもいつも神さまから無限の無限の愛を受け取っておられたから。神さまから無限の無限の愛と輝きが来るのを分かっておられたから。信じ切れておられたからですね。

 でも殆どの人は、これだけは自分のものにしようとするの。これだけは持ってないと不安だっていうのがあるわけ。「私、何も持たなくて何の不安もないです。神さまがいつも生かされていらっしゃるので何の心配もしてません」って言える人はすでに悟ってるし、真祈りの伝授を受けてるわけね。

 だけどどっかで自分のものって持ってるわけ。そのどっかちょっとでも持ってたら真祈りにならない。そのどっかちょっとでも持ってるものを横に置いておく方法としてね、護摩木を書くこと、或いは「ありがとうございます」って唱えること、「宇宙神ありがとうございます」って唱えること、「印可書」を奉納すること。というのを先生は残して下さった。そのうちのどれでもいいからやりやすいの一つだけしてくれたら、後は真祈りとして(しまう)ねっていうだけなんです。

 その一つだけするというのも信じ切れるかどうかだけ。本当は神さまがいつも完璧にされてるからっていって喜べるだけでね、自分のものをこれだけは明日の食べる為に要るお金とかね、わかります?

 これだけわっていう自分のものというのが無くなったらいいの。だから先生は「ちょっと洞窟に住むだけでいいんや」って。「家も何も要らんねや」って仰るわけね。でも、じゃあ今から洞窟に住めるかって言ったらみんな住める人はいない。それくらい自分のものというより神さまの愛を信じ切れない。まぁ信じ切れないからこの虚の世界に落ちてるんだけど、転落してるんだけどね。

 その自分というものを、神さまを信じ切れない部分を先生は唱えるだけで、奉納するだけで、書くだけで(まいのりとするよっと)、変えて下さったのね。

 それをどれだけ、今度は神さまを信じきれないわけでしょう?でも先生を信じ切ってそれを出来るかどうかだけです。

 先生を信じ切って出来れば大丈夫です。だから先生の書かれた「印可書」をね、先生を信じ切れてたら素直に受け取れた筈やね。勿論、先生が「ありがとうございます」の十文字は真(まこと)の神さまそのものって仰ったことを素直に受け取れたら良かった。「宇宙神ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのものって仰ったことをね、素直に受け取れたら良かった。

 どれもこれも素直に受け取れたら良かったのね。でも受け取れなかった。何が邪魔したか。虚栄心。或いは神さまを信じ切れない心。だから明日、食べ物がないと不安だ。会社クビになったらどうしようってやっぱり思うのね。或いは村を追い出されたらどうしようとかね(笑)。色んな不安があるわけみんな。

 どの状態になっても神さまが1番良いようにしてるって絶対の信ですね。僕の表現で言うとね。いつも今が1番良いようになっていると言うそこだけ。それだけです。だから方法論でどうこうとかね、そんなん要らないの。本当は護摩木を書くこともね、「宇宙神ありがとうございます」って唱える事も要らない。神さま信じ切れたらいいだけ。

 今が1番良いようになってるって信じ切れて、「じゃあ、お前今が1番良いようになってるんやったら服も全部脱いで素っ裸で出て行けよ」って言われて「ハイ!」って出て行けるくらいの凄まじさがあったら大丈夫なのね。要するに1秒後に死んでも喜べる心。

 それはPL教団の御木徳近先生という立派な方がいらっしゃってですね。その方が僕に仰ったのは「今ここで日本刀で真っ二つに切られても喜べる心や」と仰ったの。凄まじい表現ですけどね。いつ死んでも悔いはないという。

 どの凄い教祖、例えば天理教の中山ミキ先生は「何事も神の体や思案してみよ」って言うてね。もう全ては真(まこと)の神さまそのものって仰ってるのね。松下先生と仰ることはみんな変わらへんね。真(まこと)の神さまだけっていうのをね、淡々と何事を見てもって言うてね(笑)「全ては神の体や思案してみよ」って仰るわけ。

 それがみんなわからない。「神の身体やのに痛いやん」とかね。文句言うのね。文句を言わずに喜び勇めたら真祈りです。もう言葉以前のものなの。だけどそんなん言ったってわからないっていうのが大半でしたから、先生がそんだけの事に集約してね、「これさえしてくれたら」って仰ってる。それを信じ切れてしたらいいのであって、ものは試しでするようでは効果無いことはないんですよ。でも効果は少ない。只、護摩だけはね、騙してでも連れて来て(笑)行くだけで効果があるから。それで護摩はって言ってますけど。で、いいかな?

質問:そういうのにバロメーターはいらないと思うんですけど、神さまの神意について文句が出なくなったらちょっとそうなってるのかなって…

河上さん:文句が出なくなったら?

質問:自分で文句を言わなくなったら。

河上さん:そうそうそう。だからいつも喜び勇めたらいいね。だから五井先生がね、足の親指に凄いオデキができてたのね。満員電車でそれを踏まれてね、もう激痛を超えた痛みが走ったんだけど、痛いという感覚があるんだけどありがとうございますしか、喜びしか出なかったっていう、そういう心境ですね。

 自分にどんなに不都合なことが起こっても喜べる心境が悟りです。つまり神さまに対して絶対の信があるという。神さまがいつも1番良いようにしかしてないっていうね。

質問:神さまが1番良いようにして下さってるっていうのなんですが。先日、頂いたメールの中に全てが良いようになっていますよね、みたいなやりとりの中で出てきたんですけども。何か自分の中でちょっと違和感が凄いあって。

河上さん:あー違和感それはそうよ。(いますよねって自分に言い聞かせているということは少しは)疑ってるでしょう?理屈抜きに喜べなあかん。それが絶対の信であって、ちょっとでも理屈がついたらあかんね。

 だからいつも考えたらあかんてね。そのまま受け取ったらいいやって言って言うのはね、考えたら腹が立つの。なんでかと言うと、考えるというのはもう自分と他人を分けてるのね。例えば全ては1番良いようになってるんですよねって聞く時点でね、自分と他人を分けて比べてるの。私よりあの人楽してないとか。いろんな表現ありますけども。

 分けた時点で全ては完璧なる一つと言う真(まこと)の悟りからずれてるの、分けたら終わりや。理屈抜きに喜べると言うのは分けてない、分けられへんのね。光は分けれないでしょう?完璧な一つだから。人間の体で言ったら足の小指だけ痛いけど外は痛くないわけや。だから喜べるのね。みたいな感じでね。分けてたら小指さんだけがすねるだけ。なんで私だけ痛い思いをしないといけないのって。だけど一つだから小指だけ拗ね(すね)ないよね。

 でも意識的に分けるから拗ね(すね)る人、あるいは他人と引き比べて良い悪いって思う人。その他人と引き比べて自分は幸せだと思うのも間違いやね、わかる?プラスもマイナスも一緒、この世的には。もう自分と他人を分けた時点で全てマイナスなのね。それがわからないから人類はね。それに気づかないから自分の経験で良い悪いって判断して良いことばっかりしてきた。自分がいいと思うことを。

 でも自分の経験で良い悪いって判断する事は自分と他人を分けてや。分けた時点でマイナスというのがわからないのね。自分の経験で良い悪いっていうのは過去の結果を良い悪いって判断するでしょう。という事はもう既に過去をつかんでいるのね。

 五井先生の表現で言うと消えていく姿で世界平和の祈りって言うんですけども。一切の現実は消えていく、掴みようのないものなんです。掴みようのないものを掴んで良い悪いって判断するからぐちゃぐちゃになるんだけどね。

 それでも普通の人は経験上良いことばっかりしてきたって言って目連さんのお母さんみたいに、良いことばっかりしてきたんだけど餓鬼道に落ちる。でも良いことしてたから餓鬼道で止まったの。良いことというか、まだ愛に満ちた行為だったから餓鬼道に止まったんだけどね。あれだけ愛に満ちた行為をしてた人がね、なんで餓鬼道に落ちるのって言ったら、自分と他人を分けて過去を掴んだから。その過去を掴むと言うところがね、みんな意外とわかっているようでわかっていないのね。

 自分の経験に照らしてどうこうって言っている時点でもう既に過去を掴んでいるんやろっていうのがね、中々わからないのね。常識に従ってって言うやん。その常識は自分の経験に基づいた過去の結果でどうこう言うからね。

 だから今のこの現世の科学はね、正しいものが一つもないって言うわけ。実験結果に基づいて良い悪いって作っていくでしょう。それは本物ではない。

 で、数学が間違いではないというのはね、数学は結果に基づいてと違うのね。そういうふうに決めてそういうルールにすると整理されて考えやすいということを積み重ねて数学という理論ができてるの。でも考えたらあかんのに考える人はね、そのルールを作ったところで考えてわからんようになるの。常用対数、習ったやろ(笑)わからへんて?

宮野さん:休みやったかも知れんし?

河上さん:休みやったかも知れんて。(笑)要するに指数とか対数のところでみんなわからないようになるんだけど。なんで指数っていうかって言ったら0がたくさん並ぶと計算しにくいのね。でも0の数を数えたのを指数って言う。例えば、今みんな携帯でね、メモリー何ギガとか、何キロとか、何メガとか、何テラって言うでしょ。あれは何キロって言ったら10の3乗、0が3つ。何メガって言ったら10の6乗、0が6つ付くのね。それで何ギガって言ったら10の9乗、0が9つ付くのね。テラって言ったら10の12乗、0が12個付くのね。それだけの数の大きさの差があるわけ。だけど0が12個も付いたら見ただけで0を数えないとわからないよね、位が。それをキロ、メガ、ギガ、テラって言うて表現してるわけ。そしたら簡単に大きさが区別つくしっていう感じやねんな。わかりやすいように、みんなが理解しやすいように、本当はした(の)、単なる約束事やね。10が12個付くやつをテラにしますと。10が3個付くやつはキロですよって言って約束事やね。

 なのに「なんでキロが3つやねん」って言って、「10の3乗やねん」って考えるのね、みんな。で、考えた人はわからんようになるのね。そりゃそうや、理屈やない、そうしたら後で便利やからそうして計算しましょうっていう約束事やから。

 神さまの世界は数学の数字だけで構成されているの、本当は。その数字はそういう約束事の入れ子構造の繰り返しによって作られている。実に見事な。音楽もそうですけども。そこには理屈は無いのね。素直に「ハイ」って受け取るだけ。

 だから虚の世界に落ちる人ほどね、考えるのね。で、考えて悩むのね。で、考えて腹立てるのね。考えたらあかんって言うやん、そのまま受け取って喜んでたらええのに。本当は簡単なことやねんで。それやのにみんな難しく考えるのね。なんで考えるかって言ったら自分と他人を分けるから。

質問:「印可書」を読んでいたら自他の区別は無くなる?

河上さん:無くなってしまう。

質問:無くなってる?

河上さん:なくなってる。自分と言う意識が消えるからね。もうそれは凄いもんや。先生が自分の命と引き換えに作られた凄いことや。だから神さまを信じ切れない人ほど「印可書」読めないの。「印可書」を読むと自分が消えるのね。自分が消えると不安で仕方がないの。例えば、そうやね、どう例えたらいいかな… 自分という意識がある時はこの白い平面やねんな。或いは、歩いている道が細い道か広い道かが自分の意識があるとわからないのね。だけど自分と言う意識があるから転落するのね。例えば、細い道を、崖の、なんて言うの?綱渡りしている状態。綱渡りでも普通の平地を歩いていると思ったらスっと渡れるのね。だけどこんな細い道やと思うから怖くて渡れなくなる、或いは落ちるのね。だけどそれは考えてそうしているだけで、本当は神さまの愛だから、何処にいてても落ちないのね。絶対無の世界、漆黒の無の世界に落ちる人があって、その人らを助けに行きようがないの、見えないからね。でも落ちた人はどうしたら助かるかって言うと、答えを先に言っとくわ。「あっ!こんなに真っ暗にしていただいて、あのまぶしい光が和らげられて良かった!」って喜べたらスっと上へ上がるのね。その漆黒の闇の真っ暗で何も見えない状態をね、喜べたらいいの。その喜ぶ方法はね、自分にとって都合の良いように適当に考えたらいいのね。まぁ1番わかりやすいのは、「あんなまぶしい輝きを、この闇で緩めてもらったから見やすくなって良かった」。だからサングラスをかけるような感じやな。濃いサングラスをかける感じで良かったって喜べたら、要するに「神さまが1番良いようにしてる」簡単に言うとな。なんしか喜べたらいいのね。どういう理屈をつけてもいいから。その時は理屈をつけていいからね。どの状態にあっても喜べたらいいの。本当にこの8月が過ぎると、もうこのままいくと大変になります。

 どういうことかって言うと、もう世界的に経済が行き詰まっているでしょう。行き詰まっているっていうことを隠してるのね。でも日本ですらこんだけ財政的に逼迫しているのね。だからこれ財政的に余裕のない国はもうとっくに破綻してるの。国の経済が破綻するっていう事は大変なことなのね。その時に破綻した国の人を喜んで受け入れられる状態が真祈りやね。真祈りができないと「お前ら来るな」ってするのね。国が破綻したら来るで。難民として。それ国境線で撃ち殺すか?みたいな感じや。それくらい真祈りがないとどうしようもない時代がもう目の前やねんな。だから何があっても200人の真祈り人って焦るんやけど。焦ってはあかん言うんで悠々と行きますけどね。

 だけど誰の目にも大変というのがこの8月を過ぎたら来ます。で、11月になるとどの形になるかと言うと新しい病気がまた湧いてきます。それが良いのか悪いのかって言ったら良いことなのね。その新しい病気に対してみんなが力を合わせて何とかしましょうってなって心が一つになる。に持っていかなあかん。それが真祈り。

質問: 8月までに200人の真祈り人ができた後でも11月はそんな感じに…。

河上さん:できるよ、大丈夫、大丈夫。いやいや、真祈り人ができたらね、例えばみんな難民となって押し寄せて来ても、「おいで、おいで。ご飯を分け合って食べましょう」ってね。余ってる服を分け合ってとか、着てる服も分けてとかみんな何とか助け合って行きましょうってなるの。経済的にやったらね。それで病気やったら、みんなで力合わせてこの病気を治す方法を作って。或いは、倒れた人はみんなで看護し合ってっていう感じでね、なるわけ。

 だけど真祈りが無かったら「感染するから来るな」ってするわけやろ。或いは、破綻した国の人がワァーッて押し寄せて来たら「お前らくるな、あっち行け」ってやるわけや。そのどっちになるかってもう真祈りしかない。

 真祈りがあれば理屈抜きにみんな助け合える、支え合える。だからガソリン、燃料も上がってくるし大変でしょう。例えば、電気自動車にしたらいいって言うわけでしょ。CO2が増えるから。
 でもみんな誰も知らないけど、電気自動車にみんなするとするやん、日本で。そしたら東京電力ぐらいの電力会社があと2ついるのね。不可能やね。要するに電池に充電する方法がない。だからソーラーパネルを日本全国に並べるとするよね、そしたら今度は光を遮るから木も食べ物もできない。どっちにしたってもうそんなエネルギーを無駄に使う事はできないの。

 だからみんなで支えあって、それこそ昔のようにね、水道の栓をひねったら水が出るのと違って、水汲みに行って出来るだけ電気を使わないようにしてと言うことを今すぐにでも始めないといけないし。そういうことをしなかってどうこう言ってるうちに電気は空間を歪ますからね。地球がグチャって潰れて終わり、みたいになるし。どっちにしても精一杯のところには来ています。みんな結構のんびり、明日起きても今日のような生活が続くって勘違いしてるけど。ある日、目を覚ましたら大騒ぎになってるみたいなのが目前に迫りつつあるんですけどね。

 だから来月の護摩を大きく盛り上げてね。護摩木の数とかそういう形の事は本当はあんまり関係ないの。だけど目標として護摩木の数をやっぱり積み上げていかなあかんし、みんなの気持ちを一つにせなあかんけどね。

 もう誰がどうこうじゃなくてみんなが松下先生になるの。みんながイエスキリストになるの。みんながマイトレーヤ、弥勒菩薩としてね、人類救済の立場に立たなあかんの。

 その人類救済の立場に立つのが真祈り。真祈りがないと助けられないの。助けられなかったらぐちゃぐちゃになるの。人間の心がぐちゃぐちゃになった途端にもう地球霊王様が「はい、お終い」って言うて地球をグシャっとして一旦ご破算になるだけ。

 その時は何が起こるかと言うと、そうやね、突然な、窓の外がな、明るなったり暗なったりしだすの。朝が来たと思ったら夜になるの。夜が来たと思ったら朝になるの。えらいフラッシュしだしてるのね。なんやろ?なんやろ?って言ってるうちに真っ暗になるのね。で、漆黒の闇に入るの。暗黒の6日間が始まるの。そこで、まぁ最後のチャンスをね、真祈り人が結集しなかったら「お終い」みたいになるの。そこまでは持っていきたくないし、何とかと思ってるんだけどね。結構まだ、ほら、今が1番良いようになってるんですよね?って質問が来るようではな、ちょっと寂しいよな。もう説明し尽くしたから今が1番良いようになってることを疑問に思うようではもうちょっと大変やね。

 神さまの絶対の愛と言うのはもう言い尽くしてしまったんでこれ以上どう言えっていうの?神さまは全知全能で完璧で1番良いようにされてる。なぁ、そしたら今が1番良いようにしかなってないのに。



令和3年7月河上さん深夜勉強会−1(20210716−1)

河上さん:まだ質問があるね、どうぞ、「出して下さい。

s:個人的な質問ですが、誘われている職場が有って、行こうかと思っていたのですが、そこはワクチン接種必須だそうです。今の職場は拒否も尊重してくれたのですが、わざわざ打たれるのに転職するのはどうなのでしょうか?勿論喜んで接種すれは良いと思うんですが、わざわざ打つのが分かっている所に行くのが引っ掛かります。自分の都合で無くお祈りをして決めるのが一番だと思うのですが、印可書を奉納しても自分の都合なのかどうなのか決め手が正直分かりません。どちらに決めても良いようになっていると思って、アミダくじででも決めてよいですか?

河上さん:それな、覚悟が無いの。いつ死んでも良いっていう覚悟、別の表現で言うと、いつ破産しても良いという覚悟、いつ病気になっても良いという覚悟、いつ事故にあっても良いという覚悟、まあマイナス側でいうとね。或いは逆に言うと、いつ宝くじに当たっても良いという覚悟、宝くじに当たっても大変やからな。そのいつどうなっても良いという覚悟がないと迷う。

 でいつどうなっても良いと思っていたら、転職するもしないもない。ワクチン打つも打てんもない。打っても大丈夫やし。打てんでも大丈夫。その覚悟を付ける為、印可書を読む、奉納する。だから印可書を奉納してて、自分の自我がどうか分からんというのは、まだまだ奉納し切れないし、覚悟つかへんね。

 神さまに対する絶対の信というのは、そういう覚悟。極端に言うといつ死んでもいい覚悟。逆に言うとどんなに苦しんでも良いという覚悟。だから先生は「今の現世の人生は、七難八苦の連続が一倍良い」いって仰る。七難八苦の連続が一番良いっていう覚悟がいるの。そこまで覚悟を決めたら、本当に印可書を奉納できる。だけど心のどっかで印可書を奉納する事によって楽になりたい、幸せになりたい、給料上がりたい、まあ色々有るけど、ようするに自分と他人を比較した中で、自分が都合よくなりたいというのがあるとね、覚悟が決まらへんの。

 先ず自分が都合良くなりたいというのを捨てなアカンのな。何故かというと、自分と他人を分けてるでしょう?既に、ね。自分と他人を分けて、自分に都合良いように成りたい、という時点でもう既に崩れている訳よ。

 いつ死んでも良いとか、いつ七難八苦の連続が続いても良いっていうのは、もう自分と他人がないね。只々、神さまの御働きだけ、神さまの為に働きたいだけになるの。そうなると大丈夫やけど、それが出来ん間は、無意識に自分と他人を分けてるの。

 だから印可書を奉納すると自分と他人を分けなくなるんやけど、奉納できてないと、自分と他人を分けるの。分ければ苦しい、するとそういう風になります。厳しいようやけど、もう後がないからね、ちょっとオマケを出せない。申し訳ないけど、もうオマケを出してる余裕がない位、時間はひっ迫しています。

宮野さん:さっきのどっちでも一緒やな?

河上さん:そうそう、そうよ。だからいつ死んでもいい、いつ七難八苦が続いても良いって覚悟が有ったら、何をしようとも一緒や、全部一緒。

宮野さん:全ていつでも、「神さまの御働きのみ」の訳やから、例えば先生の言われる結婚したい人、「結婚したいんですけど」と言われたら、「目の前に来た人とすれば良いんじゃない」って言われた。要するに誰とか、どんな条件とか一切無いわけでしょう?いつも何にも。それと同じ様なもんで、仕事の話が来ました、それで受けても良いし、受け無くっても良いし。その時その時、いつもいつも良いようになっていると思えば、受けた状態で「良かった、良かった」自分に都合が良い事が起っても、それはそれで神さまの御働きやし、凄い都合の悪い事ばっかり起っていても、「あー、これでお祈りさせて貰えるチャンスを貰えたんだ」という、どっちにしても良い話ししかないという。

河上さん:喜べるだけやね。

宮野さん:都合が良いか悪いかなんていうのは、自分の経験上の良い悪いの話しやから何が来ても一緒やね、という。何が何でも良いんじゃないよっていう。

河上さん:先ず覚悟がないと選べない。やっぱりこっち行ったら大変なるんじゃないかな?と思ったらもう動かれへんわな。うん。

宮野さん:条件をつけてそのワクチンを打たなければいけない、という状態で行くとするじゃない?本当にその人が神さまからして打たなくても良いっていう状態であるとすると、ワクチンを打たなくていけないって行ったのに、突然高熱が出てとか、若しくは、湿疹が出てとか、若しくは、急な疑義がでて受け無くなってしまうっていう事が、周りにも起こっているのね。そういうのって、その人は打つ必要が無いって、神さまが止められて場合はそういう事が起る訳やから、打たなければ、そこに勤められないって言ったって、受けれないかもしれない?
 それは自分の中でその条件として選ぶ一つの原因では無くて。どの状態でも良いよねっていう。

河上さん:だからその病気するしないっていうのは、免疫力の問題なんやけど。みんなコロナのウイルスを全員持っているのね。陽性反応が出ようが出まいがね、全員持っているの。だけど発症するかしないかは免疫力の問題や。

 免疫力って何かと言ったら、絶対の信が有るか無いかだけや。絶対の信が浅いだけ免疫力が弱るねん。どう弱るかと言えば、本来免疫力というのは遺伝子情報を伝えるとこに出るんやけど、正しく伝えて行くん。だから健康な遺伝子情報の細胞の、遺伝子情報が伝わって行っていつも健康や。で人間の体って40日で全て入れ替わるからね、細胞が、40日よ。40日で入れ替わって行く。その時に入れ替わる毎に遺伝子情報を伝えて行って、新しい細胞を作るから、みんなそれぞれ顔が違う。これ遺伝子情報が狂うと、こんな顔になったりね、癌細胞が増殖して顔が腫れる人とかあるやん?そういう感じになって来るね。その遺伝子情報を伝える力が、免疫力。

 今までは神さまのオマケでね、少々人を責めるマイナスの心が有っても大丈夫だったけど、これからはマイナスの心が有ると免疫力が弱るの。どう弱るかといえば、お互いが攻撃するん。人を責めるって攻撃でしょう?細胞自身が、お互いの細胞どうしが攻撃し合うん。それと本来の免疫力が落ちるわけ、要するに内乱や。外向いているのが内乱になってな。そういう感じで11月に来る病気というのは、それを絡ました状態の形で、どんな症状になるかはまだ決まっていません。

 多分腐るでしょう?血が固まるか、血が出過ぎて腐って行くみたいな。それはもう待ったなしなんやけどね、欲望のままに走り過ぎた人から出ます。

 なんでみんな五欲、性欲とか食欲とか持って出て来ているかといえば、この現世といえども、素晴らしく建設するための、原材料として持ってきているのね。だから例えば、食欲だけでいうと、食欲をじかに出したらね、人のもの奪って食べるだけや。兎も角、自分の食欲満たすだけやもん。兎も角奪ったら良い、奪ってでも食べたら良い。

 でも本当に食欲を生かして使うとなると、ちょっとでも美味しく食べて頂きたいっていって、色んな料理を研究したり、色んな新しいものを作ろうとしたりしてなるわけ。でもそれは食欲有るから出来るわけ。例えば料理一つ取ってもね。

 それは性欲でも、権力欲でも、名誉欲でも一緒なの。名誉欲でも名誉を得たいというて、頑張って色んな研究してノーベル賞ってなるわけでしょう?だけど単純に名誉だけ得たいのだったら、人を殴り倒してでも、その地位を取ろうとする訳や。そういうようにして必要である五欲でもあるけども、それを活かせるか活かせないかは、本心次第。

 肉体側は五欲を裸で突然動かそうとするからね、それを本心が肉体を使いこなして、この前、絵具で言ったけど、キャンパスに綺麗な絵が書けたら大成功。ぐちゃぐちゃにしたら灰色になって、漆黒の闇になるみたいなね、そういう感じやね。

 だから欲望を、例えば以前良く言ったけど、その性欲を否定するんじゃなくて、食欲を否定するんじゃなくて、どう生かすかだけなん。それが出来ない間はぐちゃぐちゃになって苦しむんだけど、もういよいよオマケが無くなったから、欲望に生きた人から免疫力が落ちて、身体が腐り始めるみたいな。それに対する対処法が今回は、まー、見つかるようにみんな力を合せれたら良いんだけど、真祈り次第やな。

 その200人の真祈り人が出来たら、当たり前の様に、お互いが助け合うのが当たり前になのだけどね、今は何か助けると、あいつ助けたのにお礼一つ言えへんってなるわけや。もうそれは助けたんちゃうねん、無償の愛やから。神さまが空気も水も太陽も光も無償の愛で下さっているんでしょう。だから人間の側も一緒よね、無償の愛でいかなアカンのやけど、何か見返りを求める。それを真祈りでね、真祈りをしたら本当の無償の愛が出来る。

 でも真祈りしなかったら、やり過ぎるかやり足らんで終わる。やり過ぎるというのは、この前も説明したけど、本来その人が勉強して卒業試験受けなアカンのに、代わりに身代わりに試験受けて上げて、合格証を作ってあげるようなもんやね。それはやり過ぎ見たいな感じで。そのやり過ぎとやり足らんの区別は真祈りでしか分からない。印可書を奉納してたら分かる。それも印可書の奉納も覚悟がいるのね、神さまが一番良いようにしてるって。一番良いようにしてるから、自分にとって七難八苦の連続がが来ても嬉しいってなる。

 なのに、こんなにクソ熱いとこで働かなあかんの?と思ったら終わり。なんでタクシー止められて、あそこまで歩かなアカンの?みたいな。あぁ歩るかして頂いて良かったってなったらね。

 でもほんとにもうエネルギーが使えなくなるから、みんな頑張って動かなあかんね。

s:今、仰っていたオマケが無くなったという、そのオマケは?

河上さん:結局ね、もっとはるか以前に地球霊王様が終わりにする、人類に見込み無いってなったわけでしょう?それを先生がお願いしてここまで来ているだけで、その最後のオマケも200人の真祈り人が出来るか出来ないか。それって何かと言ったら、自ら進んで、人類の為に全てを捧げますという覚悟の人が、200人出るか出ないかだけ。

 全てを背負うっていう事は、一切文句を言いません。全てを背負うってどうするんですか?じゃないの。全てを背負うって今説明した、七難八苦の連続が続いても嬉しいってなったら全てを背負ってるの。

 だって全部が自分やからね、イエスが喜んで十字架に登った事が分らなアカン。お釈迦さまが喜んで腐った食べ物を食べた事を分からなアカン。

宮野さん:覚悟を決めるって、実際に本当にね、例えば、一歩出た瞬間から転んで怪我をして、足の骨を折ってという事が次々と来るわけじゃないから。

河上さん:そうよ、ホンマそう。

宮野さん:だから、エライこっちゃなー、もう一歩でた瞬間からドンドン有るんちゃうんやろうとかね、という話しではない、という事。

河上さん:要するに覚悟を決めたら思い巡らせへん、考えへん。そしたらスッと行くね。それ覚悟決めへんうちは、何でこうなるんやろうかって考えるんよ。考えたら余計自分と他人を分けて、腹が立って来るん。考えたらアカン、そのまま受け取ってたら良いて言ってるのに。サラサラと受け取ってたら良いのに、何であいつはあんなんするん?足引っ張ってとか、色々有るやん?

宮野さん:その絶対の信で、神さまに対する喜びっていうのと、大変な事っていうのは繋がらないじゃない?大変な事、しんどい事、痛い事が有っても、それを喜ぶことは全然違う、神さまに対して。で自分で生きてるわけでもないし、死ぬのも自分で決めれるわけじゃない。自殺しても死ねない、生きたいと思っても生きられるわけじゃない。生きようと思って生きてるわけじゃないから、神さまの意思でもって行(生)かされている訳やからね。

河上さん:そう、何を文句を言うかやな。

宮野さん:そう、すると、この世に折角生まれたのやから、一杯経験して楽しまないと、っていう話しやね。

河上さん:みんな一番大きな勘違いは、お金さえ有ったら何とかなると思うん。そしたらお金持ちみんな長生きせな。でも病気で死ぬ、お金では治らん。

宮野さん:お金が有るから逆に言うと、色んな事を心配するん。自分が亡くなるとどうしようかなっとか、お金が有っても有っても、そのお金を減らさないようにする不安が付きまとう。色んな逆に不安が一杯。自分の物が一切無いと思えば、逆に言うと、ものが無くなってしまっても何も思わない。何かいいように消して下さったのねって、自分の身代わりか何かになったのかな?って考えられる。

河上さん:そうよ、足引っ張る人というのは、一切のマイナスを集めて、一身に背負ってくれてるだけや、それが本当。なのに何であいつはとか言う、何であいつだけ怠けてるって言う。一切のマイナスを背負って地獄に降りる覚悟を決めて背負ってはるね。

宮野さん:ありがたいね。

河上さん:だから、怠けてる人程、死ぬの怖がるの、自分が死んだら行くとこ分かっているから。

宮野さん:死んだらどうなるんやろう?って。

河上さん:金持ち程、死ぬの怖がるっていうの。金持ちっていうのは死んだら大変なところに落ちるからね。勿論、お金持ちでも、人の為どんどん使ってる人は大丈夫やで。でも普通はお金持ちというのは自分に抱え込んでいるからお金持ちや。

s:無意識の内に怖がる。

河上さん:そうそうそう。怖がるともう助けようがない、死んだ時。もう全然お金(だけ)を見て、神さまを見いへんやろう?ならしゃあないから、落ちるとこまで落ちて、そこに(お金に)しがみ付いている状態にまでほっとかなアカン。

 しがみ付いてくれたらそこで止まっているから、引き剥がして連れて来れるみたいな、な。でも降りる間はその自由意思は止めれない。

宮野さん:同じ匂いのするとこに行きたがるからね。肉体無くしても。

河上さん:そう、だからお金持ちはお金を掴んでいるところに、降りて行くし。

宮野さん:下の方で金の匂いがするって思って、下へどんどんどんどん行くわけや。

s:匂いが出てるんですか?

宮野さん:そう、引き寄せられる感じやね。次、死んでその金どうやって使うんでしょう?やね。

河上さん:でもお金っていったらまだたやすい。まだ霊能者とか言う人は大変。なまじ神さまを信じてる積り、だから過去が見えるっていって自分の虚栄心を満たしているだけで、実際は見えてへんからね。

宮野さん:どの辺まで見えるかというと、うっすらと断片的に見えるとかいう人は居るじゃない。でもどの辺まで見えるか分らない?

河上さん:そんなん過去世なんて無限にあるのに、何処見るねん?突っ込みどころ満載なんやで(笑)。「あなたは過去で何だった」って言うや。いやいや、生まれ変わっているから無限に有るのに、ゴキブリの時もあるねんで、ハッキリ言うけど。あなたもゴキブリやって言ったら全部当たっている。全てを体験してくるから、そうやで。

s:人間だけ違うんですか?

河上さん:違う、全てを体験してここまで来るからね、だから過去世って言うても一杯あるから、何を言っても当たりや。どこを取っただけでね。そうなのにみたいな感じやね。

 過去世で分けるっていう事は、既に過去世を掴んでいるから、自分と他人を分けてるやん。だから先祖供養なんて言うんやけど、先祖は自分やから。

宮野さん:過去世を言われると、そこに止まっちゃうから、良くないのね?

河上さん:余計過去を掴ますしね。だからあなたの過去は何なんですって言って、本人の虚栄心を満足して、例えば相手に、過去は織田信長だったって言ったらね、そこを掴ますわけでしょう?それは大変な罪を犯さすから、余計自分も背負わなみたいなね。

 だからテレビに出て来る霊能者って晩年が大変なんや、みんな。それはみんなに過去を掴ましたからや。

宮野さん:まだ生きている方もいるけど、なかなか楽しい事をしてるからね。

河上さん:そうやね、それは占い師とか、手相見も一緒やね。「貴方はこうや」とか言って掴ますでしょう?で自由を縛るわけやね、無意識に。本人は縛ってるつもりちゃうで、「あの子は結婚線が出てるから、あの人と結婚できる」とか言ってるわけや。でもそれで相手を縛っているから大変になって行く。

宮野さん:占い師は当たらないと意味無いわけでしょう?じゃあ、当たるようにという、その念力が有るじゃない?

河上さん:今が一番良いようになっているって言うてるのに、何で手相が要るねん。(笑)突っ込み処満載やけど、中々面白い、みんなね。

宮野さん:「あれが良いわ」って適当な事言ってて、「そうなんですか?」、「知らんけどな」(笑)って、それ位阿保らしいという感じだったらね、まあねって思うけど。

河上さん:そうやな、大阪の人間は大体過去を掴ませんな。さんざん言ってて、「知らんけどな」って。(笑)今まで(説明してたのは)の何やったの、あれはとか言って。

宮野さん:真剣に聞いているのに何やみたいな。

河上さん:必ず(大阪の)おばちゃんはみんな言うね、最後に「知らんけどね」って言って、たつ(断つ)ときはんね。完璧やね。

宮野さん:あの店美味しで、これこれ美味しいでなーって、メチャやらしいわって言って、「ホンマ?」って聞いたら、「知らんけどな」って言って、100パー(%)あります。(笑)

河上さん:大阪住んだら楽しいで。

宮野さん:それ位、ふわっと、風に流されるようにふわっと、生きてたら良いんかなっと思うわ。
 ちょっと戻るけど、印可書読んで何で不安が消えてしまうかっていうのは、この方は元から、全然そんなとこ経験してはらへんから、多分ピンと来ない。そう?

河上さん:何で不安になるか分らへん、正直なところ。

宮野さん:でしょう?いやいや、不安になるって、そんなんややこしい、消えて行くって感じが全然分んない方ね。

河上さん:みんな将来不安言うやん。成る様になるやんって、なんで不安なのって僕は思うねん。そしたらそれが通じいへんから、どない言ったら良いか分らへん。

宮野さん:でもその辺りはもう良いんやけど、でも印可書を読んだ時に何故こう、消えて行く感じがするかとか、自分が消えるような不安になるかというのが、多分理解が出来ない。

河上さん:できへん。

宮野さん:でそうでしょう?あれって何でやけど、無色透明になるから、何で無色透明になって行くの、印可書を読んだらっていう話しやけど。

 元より自我っていうのは印可書読んだら消えて行って、神さまと不離一体を印可書を読んで感じるようになると、そした神さまと不離一体やから自分というものが無くなっても当たり前。つまり我が無くなるっていう事でしょう?そしたら自分てものがどんどんと、読めば読むほど、唱えれば唱えるほど、すーっと消えて行くような感じやね。

 でもそれはあくまでもそれぞれの感覚なので分らない。個々の方でも全然感じない人もおられるのですね。どんどん消えて行く時に不安になって、肉体さえも消えてしまうような、ふわっとした時が怖いって思う時があるのね。それが不安になって印可書を読めないっていう。いわゆる自分というものがここに居るのに、自分の事さえも認めて貰えない状態が、起こっているんじゃないかみたいな不安感?それが今、命が消えてしまうんじゃないかな?ここに存在した事も無くなってしまうんじゃないかなっていういう、そういう不安みたいなものが、ワーッて湧き上がってくるのね。でもそれって、それを越えて越えて、それでも真(まこと)の神さまだけっという、思って、神さまと不離一体になれるんだーと思って、最初は呼び込んでいく、そのままずーっとお祈りを深めて行ってると、そしたらその我が消える、そしたら神さまと不離一体やから自分がやっているなんてことはあり得ない。どの状態でも、あーこれが一番良かったんだって、何でって言う言葉が無いという状態に入って来るんで、まー何が起こっても、色んなことが瞬発的に、感覚的な事は感じるんだけど、でもえー何でやねんってみたいな事が起らない。例えばね。

河上さん:どうせ成るようにしか成らへん。どうしようもない。

宮野さん:そうそうそう。特急電車に乗ってるんやからしゃあーないわ、自分で運転してるんじゃあなくて、乗せて貰ってるんやからみたいな感じ。

河上さん:新幹線から飛び降りようと皆する。

宮野さん:降りられへんっていうのに。

河上さん:素直に乗ってたら良いのにな。乗ってたら自然に東京っていうて悟れるのに。

宮野さん:偶に名古屋位で飛び降りるのんがね。

河上さん:先生の表現だったら、「新幹線の中でまだ走り回っている奴がおる。」(笑)じたばたと。

宮野さん:何かしないと不安で消えてしまいそうなるって事やないかとおもう。

河上さん:でもじたばたしたって何もならへんのに。

宮野さん:だからそれに気が付くまでの、真祈りをひたすら続ける。その内に全て無駄なんや、ならば真(まこと)の神さまの御働きのみっと思って、楽しく来たこと来たことを一瞬楽しむっていう形やね。何が来ても楽しむ。だから美味しいものが目の前に来たら、あぁ美味しいなと思って、わーって喜んで頂けば良いし。机の角で足の子指引っ掛けても、ああこれ楽しい事、いいや、痛いけど無視って、痛いって事は生きてるやんというのがね。喜びと、痛いとかギユーて思う事は、全然違うって感じやね。肉体的に反応するけどね、大変やな―ってな事は起るけど、大変やなーやけど、それがわくわく成る様な感覚が段々となって来たら、あー我が消えてきたんかなと思っても良いんかなって。
 人生一杯イヤな事をされる、人手がなくて無茶苦茶大変、どうするねんみたいな事が、身内がこんなん言ってるけど私にはどうせいって言うねんみなたなね、有るけどね、自分ではどうにもならない事、若しくは病気になる。自分の事は諦めるけど、大切な自分の身内の人が何か起る、でも自分ではどうしようも出来ないと思った時に、成る様にしかならないよな、真祈りだけやしな。若しくは真祈りしている中で知恵を神さまから授けて下さるっていう。そしたら、その中で湧き上がるように知恵を授けてくれた時に、より楽しくなるっていう。それを1個1個経験していくと、それが経験なんだけど過去を掴む形ではなくなる。掴んでは消して行くから、離していくから、次来た時は、それは先生の言い方するといわゆる「知恵」っていう形になっているから、知識でなくて知恵になっているから、勝手に動くよねって話しやね。

s:ゲッと思うから、今仰った良い循環にはならない訳なんですね?

宮野さん:ゲッは一瞬の感覚的な反応。

s:ゲッは良い?

宮野さん:ほら、ここコンと足でポンとあんな感じよ。

河上さん:先生の良く言われた「神さま楽させてくれへんな」というのが、ゲー。(笑)そうやけど「良かった」ってなる。

宮野さん:一瞬はゲッてなるやん。ゲッて!

河上さん:だから先生「敵(かな)わん」とは言われへん。

宮野さん:そうそう。

河上さん:「楽させてくれへんな」とは言わはったけど、「そんなんで大変や」とか「敵わんな」は言われなかった。

宮野さん:ゲッまではOKで、いややなーってなったらそこはちょっと、ゲッ!(笑)

河上さん:ゲッまでで良かったや。



令和3年7月河上さん:深夜勉強会−3(20210716−3)

質問:「印可書」の奉納についてちょっと伺いたいんですけど。神社とかに行って淡々と読むのは奉納、普段、淡々と読むのは奉納ってわかるんですけど、他のことを考えている時になんとなく頭のこの辺で何かこう、「無条件の喜び」とか「印可書」の一文が流れてて。「えっ!?もう終わりに来てしもたん?」なんか「秘奥義のありがとうございます」になってしもたみたいな。

河上さん:それで良いんよ。

質問:でもそれ奉納になってます?

河上さん:なってる。

質問:そんな別のことをこちらでは。

河上さん:違う、「印可書」を読む時ほどないろんな思いが巡るのね。

質問:道を歩いてて「いや、この家大きいなぁ」って思いながら…

河上さん:そうそう。そうよ。「印可書」を奉納してる人の肉体を使ってみんな救われるからね。「印可書」読んでるとわーってみんな寄ってくる。寄ってきた人のいろんな思いが湧く。

宮野さん:どうでもいいような話が起るわけでしょう?

質問:ええ。なんか、この草どうのこうのとか思いながら、何の花なんやろうとおもいながら。

河上さん:それでええねん。

質問:思いとかそんなんじゃあないんですけど。

宮野さん:わざわざ考えようと思わないような・・

河上さん:只、その巡らす思いをね、「なんでこうなる?」とか「なんで?」とかって考えたらあかんのね。

 そのまま受け取ってそのまま流す。さらさらと。そしたらみんなの肉体を通して多くの人が悟るの。

 向こうの人はね、肉体が無いから「印可書」を読んでもらうだけで悟れるのね。それで200人の真祈り人。要するに常に「印可書」が響き渡っている人を作ったらワァーッて変わるわけよ。今は何人かやな、それがどんどんと変わるわけ。

 それで200人できると、もうそれが種火としてワァーッと燃え上がるのね。で、みんなイエス・キリストとして働いていることを自覚できるようになる。それまでは自覚できないけどなんか嬉しいから「印可書」読みたいになるんやけどね。

 自覚できると不動心ができるから、本当に考えなくなる。神さまが良いようにしてるって。

宮野さん:どの状態でもね。

河上さん:いつも僕「なるようにしかならない」って言うやん。神さまが成らすように成らしはるだけやからなるようにしかならへん。

 神さまが良いように成らしはるの。だから喜んでたら良いのね、なるようになるって。そやのに「クビになったらどうしよう」とかね、「もう全然ご飯買うお金無いしどうしよう」なんて思わんとね。

 餓死できたらできたで良いしっていう。何があっても喜べる覚悟があったらいいのね。やっぱり不満に思うっていうのは自分と他人を分けているからやね。兎さんとか猫さんでもそうなんだけど、動物見てるとそうやね。一族として一体の意識があるから、自分が飢えて死ぬ時でもなんも文句ないのね。感じとしては、冬山に登って凍傷で指が落ちる時でも、落ちる指が文句言わない感じやね。

 そういう感じで一体感があったら不安は無いのね、喜べるだけやね。一体感を外した途端にね、引き比べて文句を言い出すの。だから人間の体でいったら重いものを持ってきてね、足の小指が潰れたとしてもね、小指さんは文句言わないのね。その形で消せたって喜ぶだけでね。まぁ無理に理屈を言えばね。まず完璧なる一つだけっていう一体感が「印可書」を読んでると湧くのね。

 一体感が湧いたら一切考え込まないし文句言わない。なるように鳴り響くのね。成るように成るっていうて鳴り響く。神さまの愛が鳴り響くだけやね。

質問:地球の裏側のことが分かろうが分かろまいが、別に構わないですよね。

河上さん:そんなん別にどうでもいい。

宮野さん:必要な時に必要なものが勝手に沸き上がる。

河上さん:そうそうそう。だから相手の過去世なんてな無限にあるのにやな。ゴキブリの時を見るか、鼠さんの時を見るか、ニャンコさんの時を見るか、みたいな話や本当はね。そこ見えへんの?みたいに突っ込めるねんけど。


宮野さん:相手が言って欲しいときの、その過去世を言って欲しいだけの話なわけじゃない。例えば先生にご縁のあった子らの先生の何々の時にご縁の有った人らですって、言うて欲しいとかね。あのどこどこの番組やったら、あなたは過去、巫女さんでしたとかさぁ。そういうことを言って欲しいわけでしょう。
 一杯ある中でさ、一杯ある中でその一瞬だけ言われたってなんやねんて話しで。

河上さん:過去を知る必要はないやろ。無限にあるから。で、未来も無限にある。過去も未来も本当は無限にあるの。それを絶対の中今という。今の一瞬に全て収めてあるだけ。

質問:「ありがとうございます」や「印可書」、真祈りに繋がる人達は先生を含む皆さんのどこかのところで何らかのご縁があったと?

河上さん:そうそう。だから本能的に「印可書」を選べる。その「印可書」を選んで奉納してくれる人の周りの人がやっぱり本能的に響き出すの。

質問:凄く感じるのですが、電波共鳴っていう

河上さん:そうそう。結局、真祈りの伝授というか、真祈りというのは言葉以前やからね。「印可書」を奉納してると、もう言葉以前に響いていくのね。だからよくわからんけどこれ良いもんやからって渡すのは無責任やね。

 まず自分が真祈りしないと。でも真祈りが分からないんだったら、「印可書」を奉納するだけでも真祈りやからってしてあるねんから、どれかを選んでしてくれな。まず自分が祈って真祈りしてって。

 自分が変わらんと人は変わらんのね。何故か?自分の世界しかいないから。みんなの世界にあなた1人やのね、本当はね。だから、戦争の時にこっちに座ってる人は爆風で飛んで死ぬけど。横に大砲の弾が飛んできたりしてね。本当に真横の人は死ぬねんけどこっちの人は全然平気みたいなことが起こるんだけど、みんな住んでる世界が違うからやね。奇跡でも何でもないのね。争いの世界に住んでる人が死ぬし、住んでない人は戦争の真っ最中でも死なへん。

 だから先生は大戦争の真っ只中、完全平和を思えなあかんって言うねんけどね。現実無視って言う。ちょうど映画で戦争映画を見てる座ってる側に立たなあかんのね、本当は。だけど中へみんな入り込むねんな。

宮野さん:みんなリアルで見て入りたいからね。ゲーム感覚でね。

河上さん:だから映画を観て泣くのね。いやいや、映画やしって、思うねんけど泣くねんな。みんな、真剣や。

宮野さん:現実が嫌やから、映画の中だけで仮想で楽しみたいわけやろ。逆に言うと本当は現実の状態でも、その仮想の状態で楽しむっていう風にすると不動心やな。

河上さん:そうそう。それが良いようになってる。なるようになるっていう楽しみ方やねんけどね。 

宮野さん:夢を見てるように現実を楽しむ。

河上さん:神さまの側に立ってたらね、何でも楽しめるのね。だけど自分と他人を分けた小さい側に立つと不公平と思うのね。あの人だけなんで楽できるん?とか。あの人だけなんで給料いいの?とかね。あの糞(くその)上役、がみがみ言ってみたいに、不公平に思うねんけど、神さまの側から見たら、ガミガミ言う上役を楽しんでるし、給料を多くもらう人を楽しんでいるし、給料をもらえずにひたすら働く人を楽しんでいるし、だけやねんけど。

 色んなシチュエーションで楽しむのね。みんな想像して楽しんでるくせに、現実になったら文句言うのね。あの美味しいものをこうして食べてみたら、美味しいやろうなぁとかね。あそこに旅行行けたら楽しいやろうなとかね。みんな宝くじが当たったらああして、こうしてって想像して楽しめるくせにな、現実になったら文句言うの。面白いで。

質問:良い事しか想像しないから(笑)

宮野さん:質問はあるの?

質問:私は一個だけ。

河上さん:そしたら終わります。ええやろ?終わるよ?質問ないんやろ?

質問:そしたら、はい。(笑)さっき仰ってた「印可書」を読むと自分が消えて怖くなるの話でね。我が消えていくことで掴んでいたものが消えて怖くなる?

宮野さん:自分自身の存在がなくなっていく感じが怖くなるんだと思う。

質問:その話と、「印可書」を唱えていくと内から喜びが湧き上がってくる。それも無条件の。

河上さん:だって神さまは喜びそのものやから。

質問:「印可書」を唱えて自分が消えて怖くなる部分と、「印可書」を唱えて喜びが・・

河上さん:消える時になんで怖くなるかって言ったらね、例えば職人さんやったら腕のいい宮大工さんやったらね、こういうことを自分はできるんだ、或いは、一生懸命、英語とか何か勉強してきてね、私は通訳以上に喋れるんだとかいうふうに掴んでいる間は、それは全部消えるわけ。せっかく勉強してきたのに、せっかく体験してきたことが全部パーになると思って不安になるの。

宮野さん:無色透明になっていく感じかな。最初の段階では喜びやね。それが過ぎていくと、今度は全部自分が消えていって無色透明になっていって、何もない状態の中にただ自分ひとりポツンと居るって感じの感覚で。

 それが不安でどうしたらいいのっていう不安の状態。それでもずっと「印可書」を読み続けていくと、すると今度は神さまと不離一体であるっていうことにフッと気がつくんじゃなくて、中から湧き上がるように一つに解けるみたいな感じかな。そしたらどの状態になっても。

河上さん:成る、鳴り響く。成る様になるっていうのが分るようになる。

質問:その時に鳴り響く?

宮野さん:すると一切の文句が出なくなる。最初の頃は、その前場は、ちょっとおまけみたいな感じで気持ち良かったり、良いことが、ウーみたいな感じがある訳。良いことみたいな感じの見えやすくなる。光を感じた。

 昔でいう光が見えました。いいことだよね、ありがとうございますって言ってラッキーが続きました。そういう感じやね。

 でもそれを「印可書」を読み続けると、そんなものは何もなくて何も感じなくなる。

質問:中から喜びも沸き上がってこない?

宮野さん:それが過ぎて今度は何もない、何もない状態が続く。それが過ぎると飽きてしまうような感じやねんけど、それでも、うんて頑張って頑張ってる感じがもうこれしかないやって読み続けていくと、すると今度はその中で自分が消えそうな不安に駆られる。それでももうこれしかないやって読んでると、もう今度はもう無色透明、もう消えてしまってもいいわっていうふうに過ぎてしまうと、今度は神さまと不離一体の自分なんだ、ということで一切のマイナスを見ない感じないって感じやね。だからその「何で」が無くなる。

質問:その時、本当に「何で」がなくなる?

宮野さん:そうそう、完全に「何で」がなくなる。

河上さん:神さまと不離一体になった途端に何でもわかるし、何でもできるから不安もないよ。

 何もわからないし何もできないって思うから不安になる。自分というのがあったら何もできない自分がある。何もわからない自分が不安やから、それを解消して一生懸命勉強してきた人は、それ消されるのが嫌やし。できない人ができない人でまた色々有るわけや。

宮野さん:何もかもなくなってしまう感じやねんな。自分が歩んできたものや、過去に一杯持っているその実績を全部パーンって消されたら、記憶喪失なるみたいな感じになる感じ。

質問:それって今生の記憶だけでなく、過去も・・

宮野さん:全部、完全に、

河上さん:過去が消える方が怖い。  

質問:過去、過去世の成功体験…

河上さん:そのほうが怖い。

宮野さん:全部消えちゃう感じ。それが怖いなって思うから読めなくなってしまうとか、でもそれでも自分がここにいて、消えても消えてもこれしかないやって思って読み続けると、すると長いトンネルの中やったら、もしかしたら突然ポンって短いトンネルかも知れないし、凄く長いトンネルの先に、向こうに見えてるんだけどなって思うかも知れないし。既に抜けてしまってるのに、トンネルの中にいてると思っているかもしれないし、それは色々なのね、感覚的には。でも読み続けると、ある日突然、何にも文句が無くなっちゃうっていう。「全ては神さまの御働きのみなのだ。何でもないな」って。

河上さん:それを分りやすくする為に、過去世の記憶を消してある。でも無意識にみんな持っているからね。自分はあんだけ西郷さんを助けたんだ、自分はあんだけ過去世で先生に尽くしたんだってのがある訳。そんなん掴んでいる人程、あの人嫌いとかって言いだす。

質問:無意識にっていう事ですか?

河上さん:そうそう一応記憶は消してあるんだけど、やっぱり掴んでいる人は潜在意識に持っているわけ。

宮野さん:で印可書を読めないんですね?最初から読めないんですね・

河上さん:そうそう、それ読んじゃうと先生の為にあんだけ働いたっていうのが、全部消えるからね。西郷さんにあんだけ自分がしたっていうのが消える。でも西郷さんに先生にした事が、凄い良い事やって思っている。良い事やで、良い事やけど、掴んだらアカン。

質問:過去の栄光?

河上さん:そうそう、掴んだら終わり。

宮野さん:結局消えてしまうから、ああいう形になるんかなって思うだけど。

河上さん:でも先生に縁が深いから、やっぱりッてな(る)んね、色々有る。段々ホントの事を言ってますが。(笑い)

質問:トンネルの話というのは、やっぱりこれは必ず通る道なんですか?

宮野さん:ずーっと深いね。まだ、私のもっともっと深いね。読めば読むほど、唱えれば唱えるほど、奥には奥が有るから、はい、ここでオッケーというのは無いのね。延々とトンネルなわけ。

河上さん:いや、この世でも現世(うつしよ→写し世)やからね、あちらの世界の事、写ってるやん。そしたらメモリーもそうでしょう?最初はKB(キロバイト)やったのがね、MB(メガバイト)になって、GB(ギガバイト)になって、TB(テラバイト)になって、千倍づつ増えるんや。千倍づつって凄いで、この世的には。本心の世界だったらしれた事やけどな。でも千倍づつだっからゼロ(0)で言ったら数えられへん。K(キロ)M(メガ)G(ギガ)T(テラ)って言ってるから、簡単に1T(テラ)のハードデスク買ったって言ってるけど、G(ギガ)から言ったら凄い0(ゼロ)の数やねんで。そういうもんで印可書を読んでいたら、もうG(ギガ)T(テラ)どころやないね。

宮野さん:肉体を持っている間は、一生生きてる間は、神さまに使って頂く、神さまに印可書を読んで頂くっていう事が喜びなんだ、っていう状態に入って行く感じかな。最初は自分が読もうと思って一生懸命読みはるんだろうけど、でもそこを過ぎて行くと、今度は読むのは辛くなるんだけど、印可書しかないんだ、印可書を読めない時に、偶に16項目だったり、宇宙神ありがとうございますだったり、ありがとうございますだったりしながら、お祈りをするんだけど。でもやっぱり印可書に戻るわけよね。そうする中でずーッと読んでると、今みたいな感じで、あー神さまが私の事を使って下さるんだな、っていう状態で、だから自分が消えないと使って下さらないんだ。我があったら使って貰えないんだ。過去の記憶栄光があったら使って貰えないんだ。だから消して下さるんだなっていう。

質問:理屈でなくて、その時は素直に思えばいい?

宮野さん:うん、ただ苦しむところっていうのは、自分が消えそうになった時に、消えないと神さまが使って下さるというとこが分かる迄。あっ、来はった来はったと思う迄が、苦しいのね。でもそれがそうやったんだと思うと、どうぞ消して下さいって、言えば。

河上さん:自分のしてきた事という、自分という小さい意識で凄いって思っているだけで、本当は大した事が無いっていうのが分かって来る。そうでしょう?人間のやる事なんて知れてる。

宮野さん:自分が消えちゃうと、そしたら神さまのお人形として使って下さるわけやから、必要に応じて自由自在、無限に使って下さるって話しやね。だから寝る時間かって、別に8時間寝なかったって、2時間がズーっと続いても平気やね。

質問:そのトンネルを超える時に、一番最初にお話しされた、覚悟が必要な?

宮野さん:覚悟がいるよね、全て真(まこと)の神さまだけっていう絶対の信を立てる。

質問:その覚悟でトンネルを抜けていく感じ?

宮野さん:それの中の一つが雪山みたいなもんじゃない。

河上さん:この道を歩いて行ったら、必ず富士山の頂上に行けるよっていう信念はいるわな。この道歩いて行ってホンマ大丈夫なんかしら?って思っている内は無理や。途中で引き返してしまう。或いは、新幹線乗ってたら必ず東京に着くのにやな、静岡で降りる。不安になったら降りるで。

宮野さん:大丈夫なんかしらって思う事が、例えばさっきの質問の「神さまは一番良いようにしてるのよね?」っていう、ね?っていう処よね。「いや、してるのに決まってるやん」って話よ。してるのよね?っていう疑問なのね。きっと良いようにしてるよねっておかしい話やね。それしかないじゃん。

質問:トンネルの入口と出口があるとしたら、入口の段階では良いようにしてるって断定で思い定めて行く。

宮野さん:きっとこうなんだっていうところで良いんですよね?

河上さん:だから最初は言葉から入る。

質問:入口として?

河上さん:言葉を唱える事によって、響きが合うん。だから最初は自分が読むでしか入れない、自分があるからな。自分が読むになるんやけど、印可書は真(まこと)の神さまそのものやから、印可書読んでたら自分が消える。そこが凄い。

宮野さん:印可書の先生が出された後に付け加えた中で、凄いこれは成るほどなーと展開系で優れているなと思えるところは、「”我”真(まこと)の神さまなり!彼我一体なり!不離一体なり!神我一体なり!」ってとこがあるでしょう?そしたらあの言葉を私は先に立てる癖がついているのね。
 ”我”真(まこと)の神さまなり!不離一体なり!って宣言してから、読み始めるんだけど、それって絶対の信が有りますよって、神さまに宣言しているみたいな、思わず。
 ”我”真(まこと)の神さまなり!って言っているのに、私は神さまですよって言っているのに。そやのに、そこから神さまいうことです、信用出来へんのって言われへん話しやねん。その宣言をした後で、お披露目に入るわけやから。

 でもまだそこ迄、まだちょっと言い難いんという人は、例えば、彼我一体なり!神我一体なり!

質問:光の加減がされている?

宮野さん:要は自分との対比よね、最終的には神さまと紙一枚も挟まれない、ぴったりと一つのものであるっていうという状態で行くというより、元よりここの状態に戻るだけの話なんだけど、ここに来るのが一番。でもそこが分からんかったら、神さまと私っていう神我ところのね、神我一体、私と神さんというのね。でも「と」が付いているって話しやね。神さまと分け隔てしているね。

質問:それは先生の言う1対1?

河上さん:本来は1対1ではアカンのやね。でもみんなその段階、1対1でないと分らへんやないの、そんな畏れ多いいって思っているから。分けてわざわざ説明、最初の頃は そういう説明なのね。でも目指すところは神さまと不離一体であるという処なんだけど、みんな畏れ多いいと思うから、神我一体っていう事でしょう?でも神我一体も畏れ多いいと思うと、彼我一体。先ずは私とあなたが一緒になりましょう。そこで自他が分け隔てしないとこに来たら、じゃあ私と神さまっていう状態に入って、私と神さまは大丈夫ってとこを過ぎて、不離一体ねって話や。

 不離一体の状態に入るのに、一番最初に宣言として言葉を立てる。「”我”真(まこと)の神さまなり!」言葉を立てる、そこでお祈りに入って行くと、宣言してるんだなーって、後からついてくる感じやけど、印可書の中では後の文章として入っているけど、でもあの言葉が入っている事によって宣言しているって話や。

 本来なら、前の状態だけで充分なんだけど、でも前の分だけで読んで神さまと不離一体なんですよって中々感じにくいだろうから、あそこの後ろの部分が付け足されて、解説されたというか、こう分解されて、みんなの中に何か分らないけど、あの言葉を唱えてる段階で、こう緩やかに神さまと不離一体に持って行けるって話しやね。

 それは読んで頂くと、段々と実感を伴って頂けるかなと。でもそれぞれの縁の中でと思うけど、気持ち的には「われ真(まこと)の神さまなり」ってパーンと言って、その後腹にパンと、河上さんが言うドンとこう、落とす感じやね。その丹田にドンと落とした状態の中で、「”我”真(まこと)の神さまなり!」。落とした状態で、「絶対の中心、無限大の外、遥か彼方」で読み始めて、それでさっきのIさんの言う様に、あの別にこの花なんやろうか、とかあるわけやけど、入ってても。最初の宣言、覚悟みたいなんが、先ず大事だろうと。

 その中で息止めるのも有りやし、死にかけん程度に。(笑)

河上さん:歩きながらが一番みんなやり易いとちゃうんかな、歩くと良く光が通るし。或いは、ひたすら床を拭き掃除。

宮野さん:あーそうそう、Hさんが床拭き掃除してるって。物凄い光って。

河上さん:肩がパンパンになるまで拭きまくる。お家も綺麗になるし。




令和3年7月河上さん深夜勉強会−4(20210716−4)

質問:すみません。全徳という言葉は真(まこと)の神さまの一つの表現ですか?

河上さん:そうそう、だから全託・・

質問:いや、全徳です。

河上さん:全徳というのは「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」っていうのをね。全ての徳性って言うでしょう?全徳って。全ての徳性っていうのは無限の無限の輝きっていって。

宮野さん:それって重なっているって事?「新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」っていう言葉は?

河上さん:違う違う、ダイヤモンドの中心に立って全ての面を見てる感じ。だからここ見たら全徳、こっち見たら輝きや。

宮野さん:はっ?(笑)

河上さん:ダイヤモンドの中に自分が入るね。

宮野さん:あーあ、ありますね。(笑)

河上さん:144面のどのカットを見て表現してるかだけ。この世のダイヤモンドだったら144面カットだけやけど、神さまの世界のダイヤモンドはそれが無限の階層が有るわけや。1面だけ違う。1面って外側だけでいってもズーっとカット面が有るね。だから入れ子構造やねん。

質問:そのカット面全部で全徳じゃなくて、・・

河上さん:一つが全徳。

質問:一つが全徳?一つが無限の無限の輝きとか、無限の無限のじゃなくて、1個のダイヤモンドだったら一個のカットが全徳になるんですか?

河上さん:要するに、どの立場で見るかだけや。この世の言葉で現すという事はどの立場で見てますかだけの表現や。

宮野さん:今少し?(笑)

河上さん:だから、神さまって全ての全てに立たれている生命原理やね。だから神さまが何処にいるのって、みんな何時も疑問に思うわけや。でも全ての全てにいらっしゃるから神さまや。どの全ての立場の、どの立場で表現しているかだけや。その立場っていうのを、みんな小さい立場で考えるやろう?

 (でも本当は)違うね、大きい立場で重なっている。言葉に現すとズレて行くねんけどな。だから音楽でいうとドレミファソラシドや。

宮野さん:えっつ、より分かり難いぞ。(笑)

河上さん:いや、だからドも、レも、ミも、ファも、ソも無限の無限の輝きや。でも音色が違うやろう?そういう感じ、或いは、色彩の色が、色んな綺麗なのがわッってあるやろう?そういう感じ。それが本当は数字や。(笑)本当は数式やけど、(色や音だったら)それは分かるわ。実感として。

 この世のアンプとかね、電子回路の奴でも数式で組まれてるわけやね。それは入れ子構造でこの世に電子回路みたいな、コンピューターとか有るやん?そんなんもあの世の数式がこの世に映って来てるからや。

 それの純粋なんが、数学者の難しい数学。アインシュタインの有るやん、そういうのがそうやけどね。それで神さまの世界の響きをこの世に現わすのが難しいわけ。本当は数式で現したら終いやねん。でも数式だったらみんな考えへんな、分らんようになる。数式も考えんかったら分かる。いう感じやな。

質問:それはちょっと数式自体が、数式が何やったかなって、何か。

河上さん:そうそう、って成るからな、それで先生が印可書にしはった。最初は数式でって事で作ったん。で「これで行きます」って言ったら「もうそれは良い」とか言われて、えー折角したのにー、みたいな感じやったんやけどな。

質問:数式を出したとして、それを真祈りに結びつける・・

河上さん:いや、真祈りの数式を出したんや。先生がそうせいって言うから、真祈りの数式出したん。そしたらそれは数学者が見たら、本当のよう分かる数学者が見たら分かるはずやねん。でも世界に3人しか分らないから止めって先生言わはった、で終わった。

 「僕の名前で出さんと誰かの名前で学会に発表したら」みたいな、「アカン」って言われて「あ、そうですか」で燃やしてしまった。ここ(頭の中)には残ってるけど、もう紙にはない。(笑い)

宮野さん:まーどっちでも良いね。

河上さん:そう、何時もそう。

宮野さん:結果に一喜一憂しない。

河上さん:で数式止めて「ふることふみ」(古事記)になった。「ふることふみ」もみんな読んでくれへんから、すー○○(すー あ ぽ ち)?、すーだけやで、印可書になった。それだけやで。印可書をわーって展開したら、あの「ふることふみ」のあれなってんけど、古事記になってんけど読んでくれへん、もうええねん。(笑)すねてるし。(笑)

宮野さん:結果に一喜一憂しないやろう?な。

河上さん:印可書あるからもう良いねん。

宮野さん:そうそう、印可書あるし、無尽灯シール有るし。

河上さん:だから「ふることふみ」の所には一部数式で、天之尾羽張(あめのおはばり)を書いてあるんやけどな、読めへんやろう?知らんやろう?

質問:読みましたけど、ちょっと。

河上さん:数列で書いてあるやろう?ああいう感じや。ええねん、ええねん、印可書が有るから大丈夫。考えたらアカン。

宮野さん:頭でっかちかな?

河上さん:いいやー、あれは頭でっかちやないけど、ええねん、印可書が有るから良いねん。

宮野さん:すね虫は嫌われるで。

河上さん:はっはっ!もう終わろうか?もう質問無さそうやし。

宮野さん:大丈夫?

質問:富士山?

河上さん:あのがけ崩れで形を変えたんやね。どっちにしたって小さい形にして11月にな、そういう新しい病気が出るわけ。要するに何で又、そんな病気出るのやけど、一番ましでしょう?バーッと地震で大変になってようけ(沢山)死ぬとかね、何したって恨みでるけど、病気だったらどうしようもないしな、みたいな。そうやけど、みんなで力合わせてしましょう、みたいになって、真祈りが有ればね。なかったら、こいつら感染しているから来るなとかね、ややこしくなるしやな。

質問:11月迄に真祈り人も200人?

河上さん:大丈夫やろう。心配してないんやけど。

宮野さん:何も心配する必要ない。

河上さん:只、具体的に11月って出て来てしまったけど、それは外れて欲しいしな。ちょっと頑張ってみんな真剣になって欲しいから言いましたけど。だけどね、朝、目が覚めても今日と同じように続くって思っているのはのんびりし過ぎ。何時も何時も今日で終わりと思って印可書奉納していかな。

 だから明日読みましょうではアカンの。今、今、今、今読むと思って、何時もその、今、今、今、っていうのがいるの。明日とか無いの、過去も無いし、未来も無いの。この絶対の中今という、今、今、今、というそこに入ったら悟りや。

宮野さん:今、今、今、通った後にトンネルや。

河上さん:そう。

質問:トンネルの中?

宮野さん:トンネルの中に、ずーっとその中にいてる状態が、今、今、今、と思っているから、トンネル抜けている時もあれば、トンネル入っている時もある、トンネル向こうの方かなと思っていても、それが今、今、今。

河上さん:って考えたらアカン。只々、喜んで印可書読んでいたら良い。

宮野さん:そう。そして困った時には、何ともないかー、で。(笑)

河上さん:考えるというのは全てを対比してるやろう?対比するというのは、もう過去を掴むっていう事。自分の経験に基づいてって考えてしまう。考えるというのは自分の経験に基づいて比較しようとしている。それはアカンの。

 だから成る様(よう)になるだけで、考えてもしゃあない。神さまが何時も良いように響かしてる。

宮野さん:パーンとね、投げ出した途端、変わる・・

河上さん:だからお祭りの時、太鼓叩くでしょう?神さまが良いように響かしてるっていう象徴や。でみんな太鼓の音聞くと、何かわくわくするの。

宮野さん:雷もですけど。

河上さん:雷も、はいはい。

質問:えっ、そうなんですか?わくわくする?

河上さん:シンバルで雷なった。インデアンか?雷が神さまの大きな清めっていうんで、雷鳴り響くと、踊りはるね。

質問:最近多いいから、じゃー嬉しい時・・考えたらアカン。

河上さん:考えたらアカン、そのまま受け取とって。そこで何でって考えるから苦しみになる。

質問:この前、護摩が段々盛り上がって来たら、それぞれがフワーッて出て来る祈り言葉をみんなが言って、自由に手振りとか分け出て来ると、もっと盛り上がると仰っていたんですけど、盛り上がってくる言葉とかいうと、どうしてもつい過去の事なんですけど、以前護摩壇の回りを歌いながら回っていた人をフト浮かんじゃうんですけど、そういう感じではないのですね?

河上さん:うん、違う。やっぱり先生の残された真(まこと)のプラスの言葉だけよ。それもお互いが邪魔にならないような音量でね、みんなが自由に唱えてお祈りを始めるみたいな感じやな。手振りし出すにしても、お互いがぶつかり合わないような状態にしてね、小さく降るとか、やり方はみんな自在に出来るはずやな。だけど自分という意識があると要らん歌を歌いだす。

質問:最後、ずーと出て来てくれた人が行きましょうって言って、舞台の袖に連れていって下さった、そういう意味じゃないはずやと思う。もっと一大シンフォニーみたいな感じになる?

河上さん:そうそう、それは印可書で盛り上がらな無理やな。印可書で自分が消えるから。要は全ては完璧な一つに入らなアカンの。考えたら自分と他人を分けてるやん。思い出しても一緒やな、どれもこれも分けてる意識やから、分けてる内は全部分らへん。人間の顔って分けてへんから各パーッツが文句言えへんのやな。分けた途端に文句言うで、一緒やな。

宮野さん:まー、ちゃんとなるわ。

河上さん:そうそう、だから印可書があるの。

宮野さん:先生に抜かりはない。

河上さん:先生の深慮遠謀には勝てん。 良いですか、質問無いですか?ホンマに終わっちゃうで。

質問:言霊についてなんですけど、

河上さん:言霊っていうのは神さまの命そのものっていう意味。自分という意識があったらもう言霊違う。それでね、言霊が真祈りなんやけど。言霊が真祈りなんやけど、自分という意識がある人が言霊出せない、真祈り出せないってなるやん。

 だから印可書を作って下さった。印可書は自分という意識があろうがなかろうが、神さまそのものとするっていう先生と神さま、との約束事や。印可書を奉納する時は、真(まこと)の本心の自分とするというね、先生と神さまとの約束事。

 だから印可書を奉納する時は、大きなオマケを何時も頂けるの。それを信じ切れるかどうかだけよ。信じ切れた分だけ受け取れる。印可書を奉納すると真(まこと)の神さまそのものになっていると信じ切れたら、その瞬間変わるの。でもどっかで信じ切れないから、信じ切れないでも、ちっとは信じた分だけ受け取れるわけや。で何遍も印可書を奉納してる内に、ちょっと信じる自分が段々増えて行くわけ。ホンマは一遍に行って欲しいんやけど、まーその辺は個人の自由やから。

 何時も何時も大事な事は自由意思を絶対縛ったらアカンのやね。だから印可書の奉納もその人の自由意思に任せきって、お願いはしてもそれ以上何も出来へん。

質問:一遍に行く、生き方もあるんですか?

河上さん:それは信じ切ったら終いや。それってさっき言った覚悟を決める。な、何があっても嬉しいって覚悟決めれるかや。七難八苦が続いても嬉しいって決めれたら、信じ切っているから1回の印可書で済む。

 あの南無阿弥陀仏の時もそうだった。阿弥陀様がちゃんとして下さるって信じ切れたら、1回の称名念仏で済む。

質問:本気で思っていたら?

河上さん:だから文句を言わない状態になったらな。やっぱりどっかで文句を言うやろう?痛いってな。だから成る様になるねんな、いわゆる神さま鳴り響かせてくれるん。

 それはみんな色んな種類の楽器なんよ。楽器に優劣は無いわけや。大っきい音色を出せる、大きい音が出せる楽器、法螺貝のようにね。小さい音しか出せない楽器、でも綺麗な音色は出せる楽器とか色々有るわけや。みんながそれぞれ肉体を楽器として響かすだけよ。で自分は大きい音が出ないって考えるから崩れる。

 分かる?考えるなって言ってるやん。一番良いように神さましてるから、だから例えば、印可書読んで色んな思いが沸いたって考えたらアカン、喜んでたら良いの。或いは、印可書中々読めないって考えんで良いの。読めないで良いから、読もうとしてたら良いの。憶えれないで良いから読んでたら良いの。その淡々と読むっていう事が、奉納するっていう事や。

 でも普通読むって言ったら考えるね。すると理屈で読むと印可書は矛盾だらけや。だって「完璧な一つ」って言ってるのに「絶対の中心(無限大の外、遥か彼方」」って分けてるように見えるやん。でもわざと引っ掛かるようにしているの。引っ掛かってその分け隔てる色んな意識が消える様に作ってあるのね。

 で一番しょっぱなに「絶対の中心(無限大の外、遥か彼方」」って衝撃を与えるわけ。

質問:数学の話が出ましたけど、16っていう数字は何か意味があるのですか?

河上さん:16は7やろう?いわゆる2進数にしたら7やね。その7っていうのが大事や。7を分解していくとどうなって行くかやけど、その辺になって行くと録音ではみんな悩むやろうから、言わんとこ。
 2進数で7っていうと、どないなんていう感じやな。2で割って行ったら良い。1が三つと0(ゼロ)やね。2で一つ桁上がるや?要するに7÷2を何回するかや。ににんがしの、ににんがしちゃうん?後3残って、違う。2で4残って、2で3、1残ってやろう?ああ、110か?

質問:1が三つ、0って仰った。

河上さん:7を2で割って行ったら良いの。2進数に変えようと思ったら。分かる?

質問:7を2で割ったら3.5ですね。

河上さん:あそうや、2の桁上がりで終わるの。だから2で割って一つ上がるね。まず2が立つやん。2で割って最初の1が立つやん。で5が残るやん、もう一辺2で割って3が残るやん。もう一辺2でわって1が残るや、それで0や。で1110ちゃうん?間違ってないと思うけどな、間違ってたら誰か訂正して下さい。

河上さん:いや、2進数やから2で、2立ったら、一つ桁上がるわけや。
   えーっ!(笑)最初2引いたら5残るやん、2引いたら3残るや、で2引いた1残るや、だから1110や。
   
質問:その数字が大事なんですか?違うん?

河上さん:いやいや、もうここで行き詰っているから止めとく。又、大変になるから。

質問a:聞きたかったのそれ?

質問b:単純に16項目っていうから、16ってなんか意味があるのかな?って。

河上さん:16というのはね、もういいわ、やめとく。あんまり数字で説明したら、又、それにひっかる人出て来て大変やもんな。

宮野さん:学校でその時休みやったから、よう分らへんなって。(笑)

河上さん:対数がいる。常用対数っていったら10が底やけど、2を底にしたら良いだけや。(笑)もう止めとくわ。(笑)
 
宮野さん:家の猫だったら死んでるとこや。(笑)

河上さん:考えたらアカン、そういうルールにしただけや。そういうルールにしたら後、大きい数字が計算しやすいようですとかね、或いは10進数を2進数に簡単に変換できますよとか、それだけのルールや。そうやのに算数苦手な人は、何でそうなるの?って言うの。いや違う、そうゆう風に書きましょうって決めただけやのにな。

質問:分らないので、何でそうなるのって考えちゃうのですね?

河上さん:そうやね、だから常用対数いったら10が底ていうのは、要するに10の何乗っていうのを、log10の1は10って決めましょうっていうだけ。log10の100は2って決めましょう。10の2乗やから、2って決めましょう。logの1は0って決めましょうってそれだけや。10の何乗した数がlog10の何ですかっていう、それだけやねんけどな。そうやって決めてだけやのに、何でそうなるって言われると説明のしょうがないやん。
 
 で塾でも悩むの。そこで考えて貰ったらみたいな。そういう風にルールとして決めたんやけどな、って。そういうゲームやっていったら分かってくれる。

宮野さん:分数の割り算と一緒?

河上さん:あーそうそう。3分の1って何で分数が要るのって言ったら、0.333って永遠に書き続けなあかんやん。1÷3は何ですかといったら0.333って永遠に書き続ける、要するに無理数っていうねんけど。そんなん現しようがないやん。だから単純に1/3って書く事によって0.333の代わりにしましょうって約束やねん。そうなのに、みんな分数で引っ掛かるの。書かれへんから1/3に書きましょうや。そうなのに分数の足し算とか、分数の割り算とか言った途端に、みんな分からんようになりはるの。それは本当は0.333×2ってしたら、物凄く計算大変や。だけど1/3×2だから、2/3ですって言って簡単に計算できるやろうってだけの事やけどな。

質問:そういう風に学校で教わってないのですけど。

河上さん:いや、そう教えてます。(説明の仕方は違うかもしれないけれど)(笑)もう、1割る3はいくらですか?かけないでしょう?だから1/3にしましょうねって、言ってるんだけどね。だれも何で1/3になるんって考えるの。イヤー、違うってそういう風に決めただけや、っていうのが。(笑)

 だから印可書も一緒や。先生が印可書を奉納したら、真(まこと)の本心の自分になりますって決めてくれはったん。それを信じなアカンのやけど、何でというからややこしくなる。勉強出来へん子に限って何でって言うの。でコンピューター教えてもな、何でここでエンター押すのって言うの。(説明するの)物凄く詰まるで、教える方は。イヤー、エッて、「なんで先生ここでエンター押すの」って言うの。えー?えー?えー?いやーどない言うん、みたいなね。

 だからここで入力という事でエンターを入力としてるねん、って言うんだけど、「何で?」って。イヤー、「えー」って、こっちがエーや、ホンマに。でもそういうもんやて。勉強出来へん子ほどね、変に考えるね。で「何で?」って言うの。「いや、そこは何でやなくって、そこはエンター押す事で入力って決めただけ」みたいなね。

宮野さん:印可書にも

河上さん:そうそう、だからプログラムでも1+2は4って、プログラムの場合はね。なのに「1+2は3や、先生」って言うの、「いや、違う」っていうね。プログラムではそう決めただけやね。

質問:それ素直とか、そういう事と関係ない?

河上さん:そうそうそう、ルール作りの処を、例えば土俵でいったら、「何でその小さな円の中で相撲取らなあかんの」って言うようなもんや。将棋でいったら、「何で角は斜めにしか行ったらアカンの?」、「いや、そういう風な動きをする駒として、先ず決めたわけや」せやのに、何でって言うねん。「それを何でって言われたら」みたいな。

 そうでしょう?ありがとうございますは真(まこと)の神さまそのものって先生が言うたら「はい」や。何時も僕言ってたやろう?「先生が言ったら、素直にハイやろう?こら!」とか言うねんけど、みんなは「何でありがとうございますが真(まこと)の神さまなん?」っていうわけや。イヤーって思うけど、ほんなら言霊で説明したら分かるんかって、言霊で説明しても分らへんね。どない言えってなって印可書になったの。

 あーうーすーの言霊を説明したって、ピンと来ない人は来てへんや。どー、えー、どう説明するんっていったら、先生が印可書を作ってくれはった。その印可書を素直に受け取れんかったら、もう好きにして、知らんし。(笑)みんなの自由意思や、どうぞご自由にって。帰って良いかなーって感じになって来るんやけどな。さっきも引き戻されて、すーっと行きかけた。

 な、ホンマに考えたらアカンのやて、素直にハイや!そこだけやねんけどね。だから神さまの数式でもね、等差数列って言って、2づつの差で数字が繋がりますいうだけやね、例えば、等差数列の場合ならね。1,3,5、7なのが等差数列なわけや。それを等差数列って言うだけで、それで色んな物表現しますって言ってるだけやのに。何でそうなるのって言わはる。違うって、足して2づつになる数字を並べたやつを等差数列って言うね、決めただけや、っていうのが。

質問:何でって言う人は、何でそう言いはるんでしょう?他人事のようですが。

河上さん:だから例えば神さまのキレイなね、この現世でも綺麗な風景が有るわけでしょう?なら何で夕焼けって真っ赤になるのって言ってるようなもんや。いや、美しいだけで良いやん。何で台風になったら、風が強く吹くの?いや、強く吹いてるのが、凄いで良いやんでええやんか。何で冬なったら雪ふるの?いや、雪降って喜ばなアカンや、雪だるま出来るで良いやん。なのに何で雪降るのとかな、言う訳。

宮野さん:虚栄心?

河上さん:さあー、分らへん?それは僕には分らへん。只、意識小さしたら何でも、何でと思うと思う。意識広げたら喜べるだけやけどな。だからほらアリさんのような小さい意識になったら、何で雨降ったら水たまりで大洪水になるのって感じやんか。だけど大きな象さんと一緒やったら、あーあー水浴び、ちゃっぷちゃっぷで楽しいなで終わりや。だから意識小さくすると何で何でと思いだすと思う。

質問:意識を広げる。

河上さん:そうそう、意識を大きくしたら良い。だから等差数列でも一緒や。2づつって意識広げてたら全然何とも思わんけど、小さい意識でみたら、何で1の次に3来るん?3の次に5来るん?5の次に7来るん?ってなるだけやと思うわ。で意識広げる方法は、印可書を読む事でって、先生が言うたんやから、そこを素直にハイやろう。そこを素直にハイって言えんのやったら、好きにしてってなるねん。何億年、何十億年も旅するのも自由やし、こっちはツーリストやないから付き合いません、みたいな。

宮野さん:個人でどうぞやね。

河上さん:そうそう、個人旅行でよろしく。団体旅行では有りません。付き合いません、みたいな。(笑い)

質問:なんでも旅になっちゃう。

河上さん:そうそう、なんでも旅やな。

宮野さん:終わりそうやね、今日は。

河上さん:ありがとうございます




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7月勉強会 by 河上彰延 2021年07月18日(日) 12時36分
PC

令和3年7月勉強会−1(20210711−1)

河上さん:質問があればどうぞ。

質問:地震に関することです。以前は足が痛かったんでお医者さんに行ってたんですけど、これそういう問題じゃないですね。

河上さん:そういう問題じゃないです。

質問:今は行ってないです。それで台風だったらこんなんとかやったんですけど、地震に関しても「印可書」だけで…

河上さん: 地震に関しては神さまが1番良いようにするっていう絶対の信を立てるだけやね。いわゆる、川がサラサラと流れているのが地震のない状態やね。それをそのまま受け入れて喜んでたらいいわけやね。「あぁ、川がきれいに流れているな、美しいなー」って喜んでたらいいのに、「あそこに石があるの邪魔と違う?」とかね要らんこと思うのね。神さまが1番良いようにして石を置いてあって、そこで水しぶきが立ってきれいに流れてるのに「あれが川の流れを邪魔してるんと違う?」とかね、要らんことを思って取りに行くの。それで、まぁ川の中に入って色んなことをして水しぶきが立って水が濁ったりするじゃない。

 人類ってそうやねんね。神さまが1番良いようにしているのを信じきれずに「こうせなあかん、あぁせなあかん、言ってあげなあかん」とかね要らんことを思うの。で、思った分だけ神さまの光を受け入れられない。受け止めない。邪魔するの。これを過去を掴むっていうねんけどね。何であの石を退けた方がいいんと違うって思うかと言ったら、自分の過去の経験に基づいて良い悪いって判断してるわけや。だからあそこは退けた方がいいっていう判断の基準は何かって言ったら過去を掴んだ自分の思い。何で過去を掴むかって言ったら神さまが1番良いようにしてるっていうことを信じ切れないから。或いは、今してもらったことが1番良いようにしてもらってる良いことやったと思って、でも良いことやったから「ありがとうございます」って神さまに返さなあかんよね。それを返さんと良いことやからい良いものやって自分のものにするんや。それを過去を掴むっていう。

 だから「自分はこれだけの経験がある」とかいうわけでしょう。「自分は先輩や」とかね。それは過去を掴んでるわけよ。本当は先輩も後輩もなくて、ベテランも新人も無いんだけどね。一瞬一瞬新たに受け直していくだけが全てなんだけど、やっぱり過去を掴んで良い悪いって判断する。良い悪いって判断したときに無意識に自分という思いを出して要らんことをする。その良い悪いと判断した時点で神さまの光を受けれない。受けれないからそれが一人一人たくさん集まってね、もう光がどうしても入らんようになるの。入らんようになると、パンッ!パンッ!パンッ!(手を叩く音)こうして光を通してもいかへんね。それでいかないからパンッ!パンッ!パンッ!(手を叩く音)こう通すのはやめて、こう話すとか色んなことに変えてふわっと持っていかなあかんのね。すると神さまの方でもグッと光を通せないから色々とこう持って行く形が地震とか台風とか災害になってくるの。それの顕著なのが地震なんだけどね。

 地震は要するに地球霊王様の体に人類がまぁ、がん細胞の形になって、要するに身勝手に動いているっていうことやね。自分勝手に動いて、がん細胞って自分勝手に動くじゃない。一緒でがん細胞のように身勝手に動いて地球霊王様の体にやるわけ。そしたら「痛いなぁ、むず痒いなぁ」って、もうずっと地球霊王様は辛抱しているんだけどしまいに「ちょっともうこれは痛いし硬いから」ってこうバリバリって伸ばしはるのね。それが地震になる。その地震を真祈りで、要するにみんなが自分勝手な思いを真祈りで自分の体に受けて消すことで地震をマシに出来るの。

 だから地震の時に真祈りをすると腕が痛くなったり、足が痛くなったり、頭が痛くなったり、目が痛くなったり、もう色々ある、その人に応じて。それぞれのその人の体の1番強いところを使って神さまが。

 要するに真祈りって何かって言ったら神さまに投げ出すことでしょう、「どうぞお使いください」って。すると神さまは使えるから。みんなの体を使って光を通したら地震という形にせずに消していけるの。それで地震の真祈りというのは具体的にどうこうというのがあんまり無くて、只々神さまが1番良いようにしてるっていう事を信じ切れる事やね。

 要するにこの世的な姿を見てね、良い悪いって判断した時点で過去を掴んでるんよ、わかる?みんなね、一番の勘違いやね。この世で何か起きるやん、そしたらこれは良いことや、悪いことやって無意識の思ってるやろ?でもその良い悪いって何で判断してるかって言ったら、自分が過去に掴んだ経験、知識で判断してるね。もうその時点で大きなマイナスや。だから小さい自分の意識でね、どうこう思ったって仕方がない。

神さまの大きな立場で神さまが1番良いようにしてるのね、どんなに抵抗したって。どんなにそうやなって言ってもね、神さまの大きな知恵と絶対の愛の前には誰も勝たれへんのね。それで神さまがちゃんとしてるのね、それを素直に「ハイ」って受けるのが真祈り。「ハイ」って受け入れるときに「どうぞお使い下さい」って投げ出してるから神さまが1番この世での1番使いやすい肉体という草薙の剣を使ってね、お清めをして下さるの。

 以前は松下先生、五井先生お一人にお任せしてたから五井先生も本当に癌のような姿をとられて。松下先生はいつも咳、熱を出されてねされてたわけ。それは1人にお任せしてたからその1人に全部集約したからね、集中するから当たり前や。

 でも今回はみんなでみんなが救世主として、イエスキリストとして働くっていう時代なんですよ。イエスキリストの再臨というのはそういうことなの。それでみんなが真祈り、真祈り人はみんながイエスキリストや、当たり前や。で、みんなが真祈りしてくれて、護摩で決意表明してね、こうするわけ。そしたらみんなの体を神さまが使いやすいから使ってするの。それで真祈り人はちょっと腕が痛くなったり、指が痛くなったり、なんかの折に指骨折したとかね、何か不注意で指骨折したとかいうのもあるんだけど、それも良いようにそうして使って頂くのね。それでそれを喜べてたら良いの。「何で?」って思った途端に過去を掴んでるのね、わかる?

質問:前はどこなんだろうかと。この痛みは何所なんだろうと?

河上さん:そうそうそう(笑)

質問: この痛みはどこなんだろうと?YouTubeで答えが出とって、地球の裏側がわかったらここが痛かったり、どこじゃろうかっていうのがあるけど。あっそうか、地球の裏側が分からんのにどこじゃろうかじゃないから只々ひたすら祈るだけ・・
 

河上さん:そうそうそう、その通り(笑)だから本当にもう後は真祈りというのはこっちからの感覚でいうと投げ出すだけ。神さまからいうともう不離一体になって神さまが自在に使って下さるだけなのね。

 地震に関してはもう台風のように移すんじゃなくて、只々神さまの絶対の愛を信じきれる自分を再確認していく。それを「印可書」を読むとか。「宇宙神ありがとうございます」もそうやね、本当の意味はね。神さまが1番良いようにしてるって信じきれてる自分を再確認するのに「宇宙神ありがとうございます」っていうのね。今が1番良いようになってますって言い換えやね、それだけや。それができていくの。

 最初は引っかかったり色々するけどね。その引っかかるのも神さまの予定通りの中で引っかかる姿を通してしか光を通せないところもあるからね。だからこれから本当に色々あるけどね一番勘違いしないで欲しいのは、どの人も神さまが必要で現してるの。

だから「あの人あんなアホなことをして」とかね、「あの人あんな反発して」とか色々あるけど,どの人もその姿が必要で神さまが使ってるっていうのをね分かっていて下さい。だから神さまが1番良いようにしてるって分かってない人がいてるけど、その神さまが1番良いようにしてるって分かってない人の姿も必要なの。どの形も必要で存在してるっていうのを分かって下さい。でもそれがみんながわかったら1番良い形にどんどん変わるの。

 今はこれが良いってみんな自分で思ってるやん。なっ。自分でこれが良いって思ってるからその形から変えられへんのね。或いは色々あるけどね、「自分は不器用だ」って決めてるとかね。色々ある。どの形も「自分はこうだ」って言った時点で過去を掴んでるわけ。


質問:病気とか痛いとかっていうのは、「あぁ、なんか使って下さってるんだなー」って思うんですけど、全部一緒だとは思うんですけど、つい怠い(だるい)とか眠いとか痒い(かゆい)とか何か自分の怠け心とか、なんかちょっと自分が良くないとか思っちゃって。

河上さん:そうそう。あのね、元気な時に動こうという意識があるのね。元気な時に動こうという意識があるから、怠い(だるい)という自分は怠けてるからって責めてしまうのよ。でもそうじゃなくて、神さまが1番良いようにしてるからね。

 どの状態でもまず働いてから、動いてから休もうって思うようにしたらいいね。その動く時間は5分でもいいのね。5分でいいから、じゃあ5分間お掃除してから休みましょうってするのね。それで例えばね、 3分でもいいねんけどな。まず1分でもいいのね。だけど今、話の流れで5分っていうから。まず5分しましょううって。5分してやっぱりしんどかったら休憩しましょうって思ってしたらいい。すると動いていい時はずっと動けるの。動いたらあかん時は本当にしんどくなって休憩するから。

 これはね、勉強出来ない子にもの凄い役に立つのね。勉強出来ない子っていうのは何かっていうと、飽き性やね。例えば勉強出来るっていう子は飽きないのね。だから長い時間出来るのね。勉強出来ない子にはね、何をどうするかっていうと、国語と算数と英語と理科と4つ置いとくのね、問題を。それで5分だけせえと、で、嫌になったら算数せえと。それで5分だけせえって(笑)嫌になったら理科せえっていうて5分毎にさせるのね。そしたら出来るようになる。そういうもんやね。

 要するに苦手な人は何かって言ったら自分で自分を縛ってるの。過去を掴んでな。過去を掴んで自分はあれして失敗したから不器用やって勝手に決めてるわけよ。その決めた思いに自分で縛ってるのね、誰も不器用って縛ってないのね。自分が自分で自分は不器用だって縛る、或いは自分は怠け者だって縛るのね。それでもう最初からその縛られた状態から抜けられへんようになるのね。

 だけど5分だけしてっていうてやっていくと、5分の間は神さまに任してるから動けるんよ。そしたらその任した状態がフっと続くとずっと出来るようになるみたいなね。そういう感じ。それで本当に体が悪い時は5分したらしんどいから休んだらいい。だから何事も5分だけして休みましょううと思ってしたら。


質問:朝起きた時に「印可書」を唱えるとスっと起きれるっていうので、今迄は特に意識せずに「印可書」を寝てる時とかの繋がりみたいな感じだと思ってたんですけど、それを聞いてから意識的に起きた時に唱えるようにしたら気持ちよくなって、また寝ちゃって(笑)逆に起きれなくて。今日も村であまり寝坊ってしたことないのに今日寝坊しちゃってなんか…

河上さん:それは又、真祈りに入れてんけどね。だけど気持ちよくなって寝てしまう時っていうのはちょっと体を休める必要がある時やね。それは目覚ましを置いといたって寝てしまう。だから目覚ましが鳴っているのに起きれない時はね、無理に起きない方がいいのね。だけどどうしても約束があってね。行かなあかん時はそれは無理にでも行かなあかんけどね。あんまりそういう無理な約束をしなかったらいいのね。だからしんどいなぁって思う時は朝早くからどうこうっていう約束はしなかったらいい。例えばね。だけど会社に行かなあかん人は必ず行く時間があるから仕方ないけどね。でも例えばそうやって寝てしまう時はその1日あんまり無理しないって決めたらいい。いい?

質問:はい、良かったです。

河上さん:その辺が過去を掴んで、例えばどうこうって決めてるから自分を縛ってね、病気になったりするのね、結果として。例えばどうしても行かなあかんからってしんどいのに無理して行くとかっていうのもね、やっぱり過去を掴んだ自分の経験で良い悪いって判断してるからやね。だから先生は「一瞬一瞬を新たにを受け直しなさい」ってもう口を酸っぱくしていうんだけど、中々その「一瞬一瞬新た」がわからないわけよ。自分で良い悪いって判断することが一瞬一瞬新たじゃなくて過去を掴んでるんだっていうのがわからないねんな。それでついついこれは良いことだからやりましょううってやって神さまの邪魔をしてるのね。

宮野さん:さっきのってね、さっきのってなんか腑に落ちた?

河上さん:落ちひんの?

宮野さん:そのほら、体が怠く(だるく)なって何もしたくなくなるみたいなそういう感じの時ってね、さっきの説明で「あっ、納得!5分間だけやったらいいのね!」って感じで納得ってした?何か違う感じじゃない?何か言ってる質問と答えがピタっとしないなぁと。

河上さん:ちょっとフワっとずらしたのに追求しないでくれる(笑)そしたらもっと正確にいうけど、どういう風に正確に言ったらいいですか?

質問:え??!

河上さん:いや、今のはね、すごい微妙なものが重なってるのね。色んな人の思いとかね、そういうのを背負うと怠い、しんどいのね。先生いつもそうやってんね。いつも先生の体ってスッキリしたことないのよ。もういつも怠い、しんどい、辛いやのね。でも辛いって先生言えへん。痛いって言えへん。先生は怠い、しんどいを超えて痛いやな。痛いの方が多かったけどってなるわけね。だけど神さまが良いように使って下さるからって喜ぶだけやね。それでも先生がいうには、まぁここから大事なとこですけどね。

 先生がいうには「動かないと光が入らない」っていうの。わかる?だから夜寝てるとね、「寝るな、起きろ」って言われるわけ。それで座ってると、「座ってるな、立て」って言われるの。それで立ってると「立つな、歩け」って言われるの。それ何かっていったら、厳しいんと違うの、動いた方が光が通るの。だから真祈りも座って祈るより、歩きながら祈る方が光が通るの、本当は。只、あんまり形をいうと又それにみんな囚われるんでね、微妙にいつもごまかして、こうフワっとはぐらかしとくんやけど。まぁ、いよいよ切羽詰まってるからいう方がいいんやね。

 それで会社、お勤め、みんな大概お勤めされてるわけで、仕事せなあかんわけやね。その時に怠いのに、しんどいのにどうするのってなるわけやけど。まず5分動くわけよ。動くと光が入るから動けるようになっていくのね。それを今フワっとちょっとずらしながら言ったのね。それで、お仕事ない人でも家庭の中のでのお掃除とか、おさんどんとかお洗濯とか、或いは、色んなことを通してね、それで真祈りしにくい時は散歩しながら一歩毎に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるとか、「印可書」のアレを籠めるとか、自分なりにやりやすい方法を工夫してね、動きながらお祈りすると良いの。するとどんどん光が通ります。只、その今言ったように、やっぱりどうしても動かなあかん時がある時ほど光がよく通るのよ。

 だからあんまりしんどいだけど仕事しなくちゃいけないしっていう時こそね、5分間だけやりましょううってやると、ずっと光が通って本当は5分間以上ドっと動けるの。でもその最初の5分間をしなかったら光を通す機会がないからずっとしんどい、しんどいで寝てしまうの。で、寝てしまうとね、しんどいしんどいでゴロゴロしたという過去を掴んでや、ここやね、過去を掴んで自分は怠け者やって決めてまう。で、決めてもうて自分は不器用やし動かれへんしって決めて動けなくなっていく人が多いね。過去を掴むからやね。だからまず過去を掴まないことが大事やねんけど、その過去を掴むという意味が中々みんなわからへんわけよ。例えば学校で試験がありましたと。それで自分は25点で成績悪かったと。そしたらもう僕は算数が苦手なんだって、25点という過去を掴んで決めつけて行くわけよ、わかる?だからそれを止めて一瞬一瞬新たに神さまから受け直すっていうのを決めると新しく変わるのね。その一瞬一瞬新たに受け直すを具体的にいうと5分間動きましょううやね。

 だからうちの塾で勉強できない子にどうしたかっていったら、今言ったように5分毎に変えてやれっていうのはそれやのね。そしたら5分で国語は飽きたけど、そこで休憩せずに次のさせる、騙して。(笑)本当は5分したらしんどなったら休憩せえよって言うねんけど、そこを騙してな、5分したら次は算数やって、で、算数5分したら次は理科やっていう風にしてさせるの。するとズーッと光が通ってやれるようになって行くのね。過去を掴む暇がないのね。

 みんな一緒よ。自分の経験上過去を掴んで自分は不器用やとかね、自分は暗記が悪いねんとかもう色々あるわな。それ全部自分が自分で縛ってるの、過去を掴んで。自分で自分を縛る一番の得意技は何かって言ったら、良い悪いって判断すること、自分の経験で。自分の経験でこれは良いこと、これは悪いことって判断するのが1番自分を縛ってるの。それがわからへんのね。それを打ち破るために、今が一番良いようになってんねんで、神さまが1番良いようにしてるねんでっていうねんけど、まだ分からん人の方が多いねんな。

 だけど本当は良い悪いって判断することが1番悪いことやね。それでみんな善人ぶって「善人ボケめ!」って怒られるわけよ(笑)私は悪い事してない、良いことばっかりしてきましたって、みんな死んだときにいうのね。それで向こうの世界で大笑いされるんや「アホかお前は」って(笑)。それは生きてるうちに今言いました。だから間に合います。あっ、違うか(笑)。

 そこやねんな、どうしてもみんな常識に従ってっていうのが正しいことやって思う。だけどその常識って何かって言ったら自分の経験に従って良い悪いって判断したことや。すると人類が戦争起こすのね。それは文化・風習の違いで良い悪いの基準がだいぶ違うわけよ、世界の国々で。なっ。その良い悪いの基準の違いで喧嘩になるのね。わかる?

 だから一瞬一瞬新たに受け直すのがすごい大事やね、それが真祈りやね。だから「印可書」読んでたら一瞬一瞬新たに受け直すになってるのね。それで普段の具体的な行動でいうとね、まず5分動きましょうや。神さまに投げ出してね、「これが真祈りです」って神さまに宣言してお仕事したらいい。そしたら「へっ?!」ていう位疲れずに仕事が出来るようになっていきます。それでもね、仕事が出来るけどもずっとお祈りするんよ。そしたら動けるけども「あっ、今日はここでやめましょうう」って思えるから。

 でも結果を掴んでたら、「あともうちょっとしたら仕上がるから無理してやろう」ってなるのね。それで体痛めるからね。そこを自由自在にならなあかんね。

 あんまり具体的な方法論をいうとついつい動けるもんやからみんな無理する人がおるから。みんな真面目やからな、ついつい動けるから「もうちょっとでやれるからやっとこ」なんてして体潰すから、自在性という自由自在に神さまに心を置いてるというのをね、忘れないで下さい。ついつい仕事に没頭すると神さまを忘れてな仕事に心を置くのね。それもアカンね。

 いつもいつも心を神さまに置かなあかんのね。で、その心を神さまに置いていることを再確認するのが「印可書」であり「宇宙神ありがとうございます」であり「ありがとうございます」の十文字やね。だから先生は「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのものって仰って。ほんとその通りやね。「ありがとうございます」に心を置いてたら自在に動けるの。で、自在に仕事を途中で止めれるのね。掃除かてね、この部屋を全部掃除せなダメって思うからしんどくなるの。でも「ありがとうございます」に心置いてたら半分しかしてなくても「やめましょう」って止めれるのね。或いは、いわゆる、丁寧にせずにある程度の掃除で全部してしまうとかね、そういう自在性が出来るのね。でも結果に心を奪われると綺麗にしなくちゃいけないと思って、例えばここの部屋のお掃除でも2時間も3時間もかけてしまうんよ。それで他にするべき事の時間を潰すの。真祈りしてたら必要なように上手く動けるから。それは地震を止める祈りも一緒。台風を止める祈りも一緒なのね。で、まだダメ?

宮野さん:いや、同じなのかわからないけど。例えば仕事をする24時間+ α真祈りしている、神さまに絶対奉仕をするっていうふうにやっている状態の中で、普段の仕事も含めて動いてる中で。まぁ例えば普通の仕事をしてます、家に帰りました、若しくは仕事の間、休憩時間、フっと空いた時に、例えばその間にお祈りをしてるんだけど、でもどういうわけか例えばゲームに夢中になる、スマホ触る、若しくは漫画を読む、ドラマを見るっていうことに没頭する。

河上さん:あっ、そんなんあるんや?(笑)

宮野さん:そういう風なのに何か別のものに集中してしまう。

河上さん:そんなんあるの?

宮野さん:ドッと落ちるとね。

河上さん:ほんま?!(笑)

宮野さん:それに集中してる、でもそんなことをする時間なのに、あるのに、でも他のことも出来るのに、でもそれに引きずられてしまう状態から抜けれない。でも頭の中、心の中、魂の中、芯では神さまが1番、「印可書」が1番、「宇宙神ありがとうございます」が1番って分かってるのにこういう状態に引きずられるってどういうことなんでしょううか?っていうてはんねんね。

河上さん:なるほど。まぁ、方法論だけでいうとね、どうしてもゲームをしたいやったら5分間だけしてやめましょうって決めなあかんね。或いはもうゲームしたいけど取り敢えず止めといて、しなくちゃいけないという仕事を5分間しましょうとかね。5分間してからゲームしましょうとかね。そういうふうにして、まず自分の心を自分で時間で縛ったら良い。それで自在に使えばいいし。方法論としてはね。だけど具体的な説明でいうとすべては真祈りや、これを忘れたあかんのね。すべては真祈りやね。真祈りやから、だけやねんな。先生の言葉でいうと「すべて真(まこと)の神さまの御働きだけ」っていう。すべて真(まこと)の神さまって、先生最後、まぁ最後って昔からやけど、ずっと仰ってた意味やね。だから例えばゲームすることも真祈りそのものやね、本当は。

 只、あんまりそこだけをいうとね、「そしたらゲームだけしてたらええんやろ」ってなってな(笑)要するになんで、例えばゲームすることも真祈りやけど「そしたらゲームだけしといたらええんやな」ってなると真祈りでなくなるのね。なんでそうなるかって言ったら、「ゲームだけしといたええんやろ」って自分縛ってるやろ。そしたらもう真祈り違うのね。だからすべては真祈りやけど縛ってなかったらいいのね。縛る、縛らないは何かっていうと、「これをしなくちゃいけない」っていうのが縛りやね。そしたらみんな「ゲームをしなくちゃいけない」ってするわけや、まぁいうたらな。(笑)

 そうやろ。そらそうや、無理にしなくてええもん。漫画は読まなくちゃいけないって読むわけや。義務のように。だけどそのしなくちゃいけないっていうのが縛りやね。だから神さまの自由自在性は一瞬一瞬新たに受け直すやから、なにで自分を縛っているかっていったら時間で縛っているわけよ。今はゲームをする時間って縛る。今は漫画を読む時間とかね。

質問:携帯を触ってて、記事とか見てて、もう読みたくないし頭は痛いし目も痛いしやめたいのにやめれないの縛ってるんですか?

河上さん:そうそうそう、そらそうや、やめたいのにやめれないって(笑)

質問:もう本当にやめたいのに。

河上さん:だから言ってるやん。どうしてもそこから離れられへんことを横に置いといて5分間違うことをしましょうって、方法論としてね。5分間違うことしましょうということで、勿論すべては真祈りって信じやなアカンで。例えば「これは汚れ仕事やから神さまの仕事と違うわ」とかね。いうふうに思うのは間違いやね。何時も言うようにどの形も神さまが必要で表してるから無駄なものはないのね。ただ自分にとって必要か、自分にとってすることかっていうのは又、別やけどね。でも目の前に来たことを5分間するっていうふうに決めていくと5分間だけしましょうで、5分間たったら他のことをしましょう、慣れてきたらね。慣れないうちは5分間してから休憩しましょうで良い。

 5分間してからコーヒー飲みましょうで良いから、兎も角、動かないと光通らないのね。そこが大事やね。

宮野さん:勝手な動きではあかんわけですね。(笑)

河上さん:そうそうそう(笑)だからこの世のボランティアでね、駅前の掃除とか、自分の家は掃除しないくせにやで(笑)、ウケてるけどな、駅前の掃除とかするだけでも心がすっきりするの。それは動くことで光が通るから。だけど神さまのためにするのが1番いい。それは「宇宙神ありがとうございます」って一呼吸に込めながらとかね、「印可書」唱えながらとか自分で色々と工夫してください。「あー」って言いながらとか、「うー」って言いながらとか、「すー」って言いながらとか方法は色々と説明しました。後は自分のやりやすいことを選んでしてもらえばいいんだけど。兎も角やはり動かないと光は通らないのね。

宮野さん:その時にね、こういう時にはこうしましょうって言って決めてやるとなるとそれはまた縛りにならないのかなぁとか。

河上さん:だから5分間って縛っとくのね。

宮野さん:それはもう縛るとまた違う、癖付けの。癖付けとも違うなぁ。

河上さん:要するに自分がやりたくないことを5分間するという事は神さまに投げ出してることや。自分がやりたいと思うことをするのは自分や。で、自分がやりたいというのは自分で自分を縛っているわけよ。わかる?本当は必要なこともいっぱいあるのにな。

 自分はコレしたいねんってするわけや。それは自分で自分を縛ってるのね。過去の経験に基づいてこれは自分にとって都合がいいってするわけや。自分がしたいというのは。

 過去の経験に基づいて過去を掴んで縛ってるのね、自分がやで。誰も僕は縛ってないで、みんな自分で自分を縛るの。その縛りを自分で解かないといけないから、5分間違うことをする。方法論として。

宮野さん:それは全然、人によって、それは、あの、なんていうの、お仕事っぽく見えなくても構わないわけね?

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:例えば、「もうごろごろして寝ときたいし、もう今日お風呂入るの嫌やわ」と思ってたって「いや、がんばってお風呂入ろう」と思ってお風呂に入ってお祈り。

河上さん:そうそう、5分間お風呂入りましょうや。

宮野さん:5分間入らなあかんの。(笑)

河上さん: 5分間お掃除しましょうとかね、5分間拭き掃除しましょう。まず5分ってしたらいい。そしたら5分の間、光が通ったら変わるから。もしそれで変わらない時は体が疲れているから休んだらいいね。そこが自在に。要するに本当に体がしんどい時はそのまま休んだらいいしね、いろんな思いを受けてしんどいって感じているだけの時やったら、5分間光を通したら、それが全部綺麗になるから、動けるようになるのね。

 昔から働き者っていって、よく動ける人というのはみんなね、5分間じゃなくて働いてから休みましょうっていう感覚の人やね。よく動けない人はみんな、休んで元気になってから動きましょうっていう人。それで永遠に元気にならないのね。その働いてから休みましょうっていう人は働いているときに、やっぱり無意識にすべては真祈りに通じてるから光が通ってきてね、動けるようになるのね。

 それで畑仕事をすると元気になるのはなんでかというとね、畑は待ってくれないでしょう?どうしてもやらないとアカンやん。やっぱりあれちょっと雑草抜いてからとか、水やりしといてからってまず動かないといけないから、光が通って動けるようになる。

 それが自分の都合で先延ばし出来ることやったら構想10年とかね、構想100年になるのね(笑)。予定だけは立てるけど永遠にできない、明日しましょうって。それの極端なのが10年して悟りましょうみたいなやつやね。10年修行して悟りますとかね、みんな勝手に決めてるのね。ここに何日間か通って座って悟れるとかね。

 今すでに悟ってるのに、わかる?自分で自分を縛ってるだけやねんで。それを1番極端なのがそういうことやね。本当は真(まこと)の神さまと不離一体の自分や。すでに悟っている自分やね。だけど過去の経験で良い悪いって判断してな、過去を掴むから自分を縛って悟ってない自分って決めてるの。

 それだけやでみんな(笑)、自分は悟ってないって決めてるのね。真祈りできたら悟るから地球の裏側までわかる。なのに何も分からないくせに「私は真祈りしてます」っていうしな。それも自分の経験で過去を掴んで自分で縛って真祈りしてますって言ってしまうの。それで真祈りしてますって言った以上は、神さまは真祈りしてるしてないに関わらず使ってくる。それでどんどん引きずり込まれていくという、神さまの深慮遠謀の元にすべてはあるのね。過去を掴もうが掴もまいが「真祈りしてます」って言わしたら勝ちみたいなところがあってな。それで先生は無尽灯のシールをね、「真祈りしてる人だけ持って帰ってな」って言って罠をかけたんや。それでみんな真祈りしてますって言って持って帰った以上はもう逃げられへんね(笑)。


令和3年7月河上さん勉強会−2(20210711−2)

河上さん:もう先生は必ずつかみ取るように、あっちこっちに罠を仕掛けてるから、皆その罠に嵌っていく。だから誰一人連れて行ける。

 只、神さまを最後まで否定してしまうと、もうその人が神さまを呼ぶ迄、その人が何処に居てるかも分らないようになってしまう。漆黒の闇に落ちるっていうね。それだけはどうしようもない。 

 神さまを全然否定するって何かっていうと、自分の思い通りにするっていう事です。自分の好き勝手に、欲望通りに動くと神さまを否定してるの。分かる?

 神さまは五欲とか性欲とか色んな欲を使って、色んな表現をする為の材料として、エネルギーとして呉れているわけ、五欲をね。それをそのまま、裸のまま使うと、絵具でこの前、説明したけど、キャンパスに画用紙に綺麗な絵を描きなさいよって言って、24色の欲望の色を神さま下さるわけ。その色を使って綺麗な絵を描かなあかん、本当はね。だのに欲望のまま動いたら全部の色を混ぜてしまう。それで灰色になる。灰色になると、それをドンドン混ぜていると真っ黒になって行くね。それで漆黒の闇に落ちるんだけどね。

 要するに、欲望のまま動いたら神さまを否定しているの。本当に欲望のまま好き勝手してしまうと、漆黒の闇に落ちてどうしようもなくなるね。それで性欲で好き勝手に、一番ひどいのはね、神さまの名を騙(かた)って、相手とエッチしてしまうのね。1対1でも多数でも、何でもエエねんけど。それをドンドンやってしまうと、もうグチャグチャになって、もう神さまを否定しているの。欲望のまま動くついうのは神さま否定しているわけ。

 本当は、例えば性欲だったら、相手を喜ばして上げたいだけや。それやったら本当に大事な人にしか出来へんね。だけど欲望のままやったら、相手の事と関係なく自分だけやから、グチャグチャになるね。

 そうなると、そうゆう人らは救いようがないの、神さまを否定しているから。相手を喜ばしたいっていうのは、神さまの愛の心やから神さまを否定していない。でも自分だけ楽しみたいっていったら、もう神さまを否定しているの。自分だけって分けてる時点でもう神さまを否定しているの。

 だから印可書に全ては完璧な一つって書いてあるの。完璧な一つやね、自分と他人は無い。もうちょっとでも自分と他人を分けた途端に落ちるん。落ちるし分からんようになる。

 でも、自分の経験で良い悪いを判断するというのは、既に自分と他人を分けて、この関係で良かった、悪かったを決定しているやろう?だから常識に従ってというのは、一番過去を掴んだ罪や、本当は。

 でこれは今まで中々言えんかった。何でかというと常識を否定するというのは「あいつは、阿呆、アカン」ってなるからな、でも・・はい。(どうぞ)

質問:普段日常の中で、色んな判断下したり、人間関係においてその関係の中で、常識的な判断で対処するわけですね?仕事にしても日常生活にしても、対、人に対しても。その時の判断基準が良い悪いっていう、過去に自分が掴んだ自分の基準でなければ、勿論真祈りだと思うんですが、それは、あの・・

河上さん:だから、それ一瞬一瞬新たに何処で受け直すかというのが、分からんという事やろう?

質問:はい。

河上さん:過去の基準で対応せなアカン、けど過去の基準を使いながら、何処で一瞬一瞬新たに受け直すかや。一瞬一瞬新たに受け直さずにね、過去の基準だけでどうこうと判断して動いて行ったらマイナスや

質問:それは説明聞いていたら分ります。

河上さん:分るやろう?なら一瞬一瞬新たにどこで受け直すかだけや。それを今、5分間のあれで言うた。あーうーすーで動けとか、自分にとってやり易い方法で、何時も心を神さまに置いて下さいって。

 心を神さまに置いたら一瞬一瞬新たに受け直してるの。心を神さまに置かんかったら受け直してない。その心を神さまに置いてるか置いてないかというのは、自分と他人の区別が付くか付かないかや。

 そしたら仕事の上でもね、過去の基準と常識に従って対応してるけど、相手を他人と思わなくなっていたら、本物や。完全に他人やと思っている内はアカンの。

 具体的には、自分より年上の人はお父さん、お母さんと思うとかね。同じような人は兄弟と思うとかね。年下は弟や妹と思える位になってこなアカン。すると真祈りになっているの。この人全く知らん赤の他人や、と思っている内はまだまだ。だからボランティアってそうでしょう?他人やって思っていないから出来るんや。全くの他人と思ったら、何で私この人にこんなんせんとアカンのってなるやん。ボランティアする時は、かなり他人の意識消えている訳や。せめて身内の意識にならな、な?それがどんどん進んで一体化するんねんけどな。

 全て真(まこと)の神さま迄、行かんならんねんけど、最初は親兄弟とか、身内とかね、一族とか色々自分なりに有って良いけどな。先ず一体感から入るね。一体感が有ったらね、過去の判断、或いはこの世的な常識でどうこうしてても大丈夫、光が通るの、具体的には。

 自分が良い悪いって、神さま関係無しで自分が良い悪いって判断してやれば、光通らへんからマイナスをどんどん相手に渡してる事になる。だけど真祈りを込めて、呼吸に宇宙神ありがとうございますを込めてとか色々説明しました。あーうーすーを込めてとかね、要するに心を神さまに置いてたら光が通るの、どの形を通しても、又、その形を通さんと光が通らない。

 だから神さまは必要で、過去を掴む姿も置いてある、本当は。だからどの姿も利用せなならん。だけど利用せんならんけど、それに使われたらアカン。それが何処かといったら心を神さまに置いているか。心を神さまに置くというとこは、置いているか置いていないかの判断基準は何かと言ったら、具体的には、何でとか文句を言った時は、心を神さまに置いていないね。な?

 何時も一番良いようになっているっていう中で、自分の常識とか色んな判断で対応していくのは構まへん。で良い?まだしっくり来えへん?

質問:やってみます。

河上さん:やってみます?そうそう。先ずやってみます、やけどね。

宮野さん:それでも、あれやったら、集中して印可書唱えるか、宇宙神ありがとうございますを言うとか、集中してガーっと、リセットする・・

河上さん:ああそうよ。だからその人にとってね、やり易い方法って色々有るから、これが全てでは無いの。どうしてもワーッてなってる時は、ちょっとトイレ駆け込んでね、印可書をウッと読んでするとかね、或いは、「ちょっと待ってね」って、こうしてる(腕で顔を隠す等)振りして「ウーウー」として「神さま、ウー神さま」ってするとか、その人にとって色々有るよ。

 でも常に心を神さまに置いてるって事。心を神さまに置くって具体的にどうこうって言ったら、何でとか、文句を言えない時、何時も神さまが良いようにしてるって喜べる時は神さまに心を置いているの。それなのに「何でこうなるの?」って言った途端に神さまから心離れているの。離れたら巻き込まれてお互いマイナスを積み重ねるようになる。

宮野さん:全ての出来事は、神さまが形を現している訳でしょう?

河上さん:だから真祈り人が200人欲しいのはその為やね。そうしたら200人の真祈り人が、200人の常識に従って光をふわーって通せるの。今は常識に従ってというのが、正しいと思われているやん?そこへ光を通す方法が無いの。今200人の真祈り人がこの方法でね、常識に従ってこの世的に動くんだけど、その時にこころ神さまに置いているから、そこで常識に従ってという意識の中に光を通せるの。そしたら皆が真祈りに変わる、それでワーッて変わるね、一瞬で。その為に200人の核が要るんよ。昔は一万人と言われたんやけど、先生が「もー、しゃーない、人類のため堪忍したろう」っていうことやからな、200人どうしても作りたい。

質問:人類の常識がそれで光が通って行く?

河上さん:通ったら変わる。

質問:それでしか変わらない?

河上さん:そうそう、例えばね、常識ってどんな怖い事かって言ったらね、明治維新の手前で黒船来るやん?黒船がホンマに品川沖の目の前に来るまで、誰も気付かんかった。何でか分かる?常識で帆船とかゆうのは分かる。あー船が来たって分かるんやけど、帆を開いて無いね、蒸気で動く、黒い煙を吐いて出す黒いもんて、船と認識せえへん。で気付かんかった、遠い間はな、小っちゃいからな。それでいよいよ目の前来て、ワーッて大きくなって初めてワーッてビックリする。それ位常識って分らへん、メクラになる。

 だからみんな常識に従って動いて、正しいと思ってるけど、常識に従ってるから、見えてん事が一杯ある。その常識に光通すとね、みんな神さまが見えるようになる。要するに常識に従って一番見えてないのは神さまや、みんなが。な?

 神さまと自分遠いって思っているやん。それみんなの常識や、遠慮といってね、神さまを遠くに置くのが常識やね、今は。だから印可書で「真(まこと)の神さまは、真(まこと)の本心の自分」というね、そういう部分がみんな一番抵抗があるの。

 「エー」って、神さまと不離一体というのが一番抵抗があるの。それは神さまと人間は別やっていう常識があるから。な?その常識をどう光を通して消して行くかや。

 イエスの祈りでも「み心の天になるが如く、地にも成らせたまえ」っていう祈りだけで良いの。そしたら「神さまが一番良いようにしてる」っていうのを別の言い方をしてるだけやねんけどね。だけどそこに「我らを試みに会わせず」とかね、「日々の糧を与え給え、ありがとうございます」とかね、要らん事を、祈り言葉を誰かが付けたの。イエスはあんな事言えへん。付けた途端に、神さまと自分を遠くに置いた祈り言葉やねんな。

 「日々の糧を与えて下さって、ありがとうございます」違うやろうって。そうやないねんけどな、そういう祈り言葉を言った途端に、神さまと自分を離している。
 だからその常識を光で消さなあかん。その為には今言った事やね。

質問:具体的な方法の確認なんですけども、例えば・・

河上さん:考えたらアカンで。(笑)

質問:私の場合であれば、例えば凄く気になる仕事が有れば、どうしても早くやりたいっていう気持ちが物凄く強くなる時が有って、どうしても早くやりたい、どうしてもしたいって、その為に凄く無理をする時があるんですけど、そういう時は河上さんが仰った事を思い出したりするんですけど、只、いつも自分の中で確認するのが、今とか、例えば河上さんからお話しを聞いている訳ではないんですよね。なので光が通る、一瞬で心境が変わる。職場の中で色々○○した時に何かおかしい感じになる時が、返ってかたくなな感じになる時があったり、印可書を唱えているけど、やっぱり早くしたいこの仕事とか思ったり、全然光が通っている感じじゃない自分になる時が有って。そこでもうひたすら印可書を・・

河上さん:結果に心を置きすぎてね、自分を縛るからやね。もうそれ理屈で分かってても縛るんやろう?理屈で分かってても縛るやろう。それは過去の経験に基づいてね、要するに過去の経験に基づいて良い悪いっていう一番の問題は何かと言うと、自分と他人を引き比べて褒められたいとか、色んな事があるん。あるから常識に従ってとなるの、で人に後ろ指差されんようにってなるの。結果を気にするのは後ろ指差されるのが嫌とか、褒められたいとかが無意識にあるのね。その中で何で苦しいかというと、自分にとってどうこうっていうのが有るから苦しいの。

 だから何時も言うように神さまが今を一番良いようにしてるっていうね。要するに悟りの深さがそうだけど、ここが終わりっていう到達点が無いの。永遠に未完成、永遠に未完成だけどな、完成させようとして苦労するやろう?

質問:絶対完成しないって何度も言い聞かせて、永遠にこれやって・

河上さん:だから他の事を5分間、やりたい事を横に置いといて、他の事を5分間という様に振り分けたら良いの。な?どうしてもやりたい事をしたい、っていうのは自分にとってやからな、それは苦しみやね、結局ね。勿論、好きな事をしたら良いんで。好きな事をしたら良いねんけど、神さまは完全円満でオールレンジやからね、私はこれだけ得意なのというのはやっぱりアカンね。スペシャリストやったらアカンの。ゼネラリストって言ってね、何でも出来なアカンの。でも何でも出来るのは自分やないの、神さまなの。で神さまと不離一体の自分を自覚して初めて何でも出来るの。

「自分では何も出来ない」っていう思い定めが未だ足りんの。やっぱり自分が何か出来るって思っているのね。「自分は本当に何も出来ない」って思い定めてくれたら始めて神さまが使えるの。此処が一番大事やの。自分はここが得意やと思っている人は神さま使われへんの、自分はって言っているから。自分では何も出来ない、神さまが全てですってね、なった途端に何でも出来るようになるね。でもやりだしてちょっとでも、自分がって思った途端に崩れるね。

 だからイエスは何時もね「我が技を為すにあらず、神の栄光を現さんが為なり」って口を酸っぱくして言うねん、奇跡を出す毎に。でもみんな分らへんね、イエス様がしたって言うけど、違うね。イエスはしてない、神さまがしたんや。何時もそこ、自分では何も出来ないってイエスは何時も知ってたの。

 で神さまが良いように使うって、覚悟を決めなアカン。ならぼろっかすに言われる立場に立っても文句出えへん。やっぱり神さまが良いように使うって覚悟を決めなあアカンね。ついつい神さまが良いように使うっていうと、自分にとって都合の良い事だけ、させて貰うと思いたい。でも自分にとって都合の悪い事も一杯来るんよ。でも神さまは良いようにしてるね。それが分らないとね。

 だから神さまに投げ出す覚悟は何時も要るねんけど、先生が良く言われたのはね、「皆、全託するって覚悟を決めてくれるけど、それを直ぐ自分で破ってしまうね」って、で「何回も破るけど、全託の誓いを、又、立てたら良いんや」って、「それを一瞬一瞬新たに受け直すって言うんや」という事で説明して下さっているはるんやけど、中々みんな自分は全託したからもう大丈夫だとかね、要らん勘違いがある。

 それは真祈りもそうやね、自分はもう真祈りが出来ているから大丈夫って、自分は って言った途端に崩れているのが分らへん。

 本当に空気の様にならな。空気って全ての全てに存在しているけども、その存在を感じさせないでしょう?ね!地球の全ての所に空気は有るね。でもその存在を感じさせない。神さまってそういう、でも無かったらどうしようもない存在。神さまってそういうもんや。

 職場でも空気のようになったら良いね。その人が普段居っても居らんでも、要するに一切評価されてなくても良いね。でもその人休んだ途端に、何もかも動けへんわってなるような存在でないとアカンの。だから盤石の支えに入る。盤石の支えに入る事は一切評価されないし、分かって貰えないけども、そこを支えないと、どうしようもないとこだけを、支えて上げるん。

 盤石っていうと全てを支えると思ったら大きな間違いやで、この地上で言うとね。その人でないと支えられないとこだけを支えているね。だからその人が休んだ途端に、職場がガタガタになる、普段分からんでもね。そういう存在にならなアカン。
 それをちょっとした会社の、大きな会社の社長とかね、みんなそうなんやね。一番盤石の支えに入ってんね。

 だから内閣総理大臣がそうなんやけどね。大きい組織のリーダーってボロッカスに言われるだけや、あの人何もしてへんって、でもちゃんとしてるね。してるから組織が動くね。ちゃんとしてなかったら、ガタガタになって何も動けへん。
 今の日本でも、何やかやと言いながらも、オリンピックでも進んでいるでしょう?ちゃんと総理大臣が盤石の支えに入っているねん。大きい会社もそうよ、大きい会社の社長って普段何もして無いように思うけどね、その人突然に死んだ途端に会社ガタガタになるね。そういう存在にならな、それを自分が無いっていうの。

 その為にはね、何時も心を神さまに置くの。神さまに心を置くってどういう事かといったら、何でって言えへん。文句言わない、何時も何時も神さまが良いようにしてるって「良かった良かった」って喜んでいる事や。

 それを具体的に先生が説明して、「喜んで、感謝して、待っていてくれたら良い」って仰るね。神さまが一番良いようにしてるって喜んでいればいい。どんなに自分にとって都合の悪い事が起ってもやで。もうそれだけやね。もうここまで喋れるように、先生がみんなを清めて下さったことが、本当に僕は嬉しい。

 以前はこんな話したらみんな逃げて行く、ね?お前は喋るな、お前が喋ったらみんな逃げて行くから、喋るなってよく怒られた。やっと喋らして貰える立場に立った。
 それってみんなの心を綺麗に綺麗に清めてね、その常識が一番というのを清めて清めて、先生がみんなを育てて下さった。はい、どうぞ。

質問:Jさんに頼まれまして質問が三つあります。一番最初の質問は、本来護摩の時の質問なんですが、手違いがあって1週間遅れとなりました。
 何回も質問させて頂き、ありがとうございます 全て神さまのして下さる事と信じて、祈りの時間を深めたいと実行に移しています。何が起きてもどっしりと構えて居られる自分になれそうです。ありがとうございます
 という事で、今まで何回か質問があった方からです。

河上さん:良かった。本当、心を神さまに置くって事だけやね。その置くっていう事が一切文句を言わないっていうね、神さまが一番良いようにしてるって信じ切れる事やから、それだけを自分の判断基準にして、どんどん真祈りを深めて頂いたら良いのね。本当に自分が真祈りしているって思う事から入るからね、自分が真祈りしているから入るで良いんよ。だけど自分が消えるんよ。消えたか消えてないかは、どんな自分にとって都合の悪い事が起っても、一番良いようになっているって信じ切れる事。すれと今の心境の盤石になって行く。

 もうみんな小さい立場で見るから、文句が出るんよ。大きい立場に立ったら一番楽な形で消えてるというか、立たして貰っている事が分かるんやけどね。

 だから過去世で一杯性欲の好き勝手した人はね、今生では男性や女性に縁がなくて、全然性欲苦労する立場に立たされたりなるんやけど、どの形もそれで一番小さい形で消すのね。だから過去世で人のもの奪ってでも沢山食事をとってきた人はね、本当に食べ物出来ない土地で、食べるのを苦労して生きていくみたいになるねんけど、それも一番良い形や。

 それなら何で過去世迄、教えてくれへんの?やけどね。その過去世を知ったらこんなんで消えるわけないって思うの。わかる?自分が過去世でしてきた事をしったらね、これ位でそんなん消えるわけないわって、又、要らん事を思う。だから分からんようにしてるね。ちゃんと上手い事、神さましてんやで。そんなん過去世の事分らへんもの、何で今が一番良いようになっているって分らへんって、理屈言いは言うけどな、言うけど本当に何億分の一にして消して貰ってるんよ。だけど真面目な方ほど過去世の事知ったら、「イヤー自分はこんなんで消えるわけない」って言うんよ。折角神さま消したろうって言ってるのに消させへん。だからちゃんと本当に一番良いようになっている。本当に一番良いようになっている。だから本当に、今の自分にとって都合が悪い事が起っても喜べなアカンの。それが分かって真祈りし出すとね、地球の裏側が分って、すると過去世も未来も全部分って、あー盤石だったんだって分かるの。それで終わるの。終わるというか絶対の世界に、一大循環の世界に戻って行くの。もうそれだけ。ありがとうございます

質問:二つ目です。日々極力自我を捨て、神さまのみ心のままに印可書を読んでいます。つきましては、新型コロナウイルスがいつ頃完全に収束するのか教えてください。
 並びに病気を治す方法を教えて下さい。(笑)

河上さん:もう、コロナはね、収束してるの。後、人類の心で引き延ばしているだけ。だからその人類の引き延ばす心を消す為にね、ワクチンが良いと思う人はワクチン打ったら良いしね、真祈りが良いと思う人は真祈りしたら良いしだけ。

 で病気治しは本当はオマケなんです。大オマケ。イエスの現した奇跡も全部、大オマケです。ただ、経験上言いますと、病気治して治した人は真祈りしてくれません。只、治った姿を見た周りの人がね、真祈りしてれくれるけどね、中々オマケを与えた本人はね、喉元過ぎたら熱さを忘れるでね、アカンねん。これは真祈り出来るようにグーっと引き上げても一緒だった。病気治しもあったし、まだその心境でも無理でも、無理に引き上げて真祈り出来るようにしてみたりとか、色々練習させて貰いましたけど、どの形もして貰った本人は喉元過ぎて、忘れます。それを見た周りの人が変わります。みたいな感じでなるんやけど。

 要は今が一番の大奇跡や、今の姿が一番の大奇跡。例えば今、癌になっている人、今、肺炎になっている人、今、結果うつになっている人、今、コロナになっている人ってあるけど、それが一番の大奇跡で一番良い姿や、本当は。只、それで苦しい苦しいって言うからちょっとオマケでするけどね、病気治しっていうモノは基本的にそういう物で、必要ない。

 本当は過去世から見たら本当に一番小さい、こんなんで消えるはずないっていう状態で消して貰っているの。只、本人は無意識になって憶えていないけど、凄く掴んでいる罪の意識をね、消したよっていう事で病気の姿現しているだけや。それは今生で気付かんと、例えば病気で死んだとするやん。死んでから初めて分かる。あぁ、あれで良かったんやって。

 例えば交通事故で突然死ぬ人っているでしょう?すると突然やから分らへんや、何で死んだかも。だけど突然跳ね飛ばされて死んでからね、あっ良かったんだって死んでから分かる。だけど今は生まれ変わりなくて、もう最後やから、死ぬ前に分かるように説明してるだけで、以前はその説明も必要ない、死んでから分かるからね。それだけなんですね。

 だから病気治しも先生と一緒に色々しましたけど、それ何でというのは、先生の勉強は僕の勉強だった。そういうオマケ与えてもオマケ与えた人は何も変わらへんでとかね、色々と。

 先生も最初の頃そうだったし、僕もそうですけど、光を調整出来ずにね、強くオマケでとことん綺麗にしとこみたいなところがあるの。でもとことん綺麗にしたらアカンの。ちょっと残しとかなね。ちょっと残しておく事によって、本人が自覚して変わるの。それをとことん行ってしまって一杯失敗しました。で基本的に病気治しはしないわけですけど。する必要も無いしね、みんな真祈り出来るからね。

 病気を治そうなんて思わずに、神さまが一番良いようにされているって、確信を深めるために真祈りして下さい。そしたら必要に応じて神さまの光が強く通るの。で通ったら勝手に治るの。でイエスは何時もそこを説明しているわけ、「我が技を為すにあらず」、神さまの光が通ったって示さんが為にやけどね「神の栄光を現さんが為なり」って言うのはね。

 だから今の病気治しの基本は、ひたすら印可書を読んで下さいで良いの。今が一番良くなっている、良かったって喜んでね。今が今が一番良くなっている、良かったって喜こばなアカンのやね。喜びが真祈り、喜べるから笑える。それが本当の笑顔。はい。

質問:ありがとうございます


令和3年7月河上さん勉強会―3(20210711−3)

質問:最後ですが、真(まこと)の神さまだけの意味が、今一つ分かりません。詳しく教えてください。

河上さん:本当に大事な処やね。全て真(まこと)の神さまっていう処がね、みんな一番印可書でもひっかると思う。秘奥義のありがとうございますだけ!っていうのは、全て真(まこと)の神さまだけって言っているんですけど。それって外から見てたら真(まこと)の神さまって見えへんね。全て真(まこと)の神さまだけっていうのは、中から見やんならん、、絶対の中心から。

 「無限大の外遥か彼方」が絶対の中心やけど、この世的な感覚で言うと逆裏(さかうら)ですから、先生の説明をお借りしますと、ダイヤモンドの中心に自分が居てると思って下さい。要するにダイヤモンドは無限の無限の輝きが一杯の象徴です。ダイヤモンドの中心に自分が居てて、ダイヤモンドって原石は光らないでしょう?色んな綺麗なカットして、きれいキラキラ光るやん。144面カットとか、物凄い色んなカットの仕方が有ってね、その一つ一つのカットの仕方が一人一人の肉体の現れなんです。ダイヤモンドの中心から色んな肉体の現れを見ているから、全ては一つやし、全ては真(まこと)の神さま。中心から見てるから。分かる?だけど外からダイヤモンドのキラキラ見てたら、色んな144面とか、色んなキラキラがあるでしょう?だから全て真(まこと)の神さまって思いにくい。中心から見たら、中心の光から色んな姿に変えているから、もう全て自分て分かる。

 タコでいうと、吸盤一つ一つ見ても分らへんけど、タコの意識になったら全て自分やろう?そんな感じやけどな。だから肉体でいうと指で分けて見たら、親指中指薬指ってなってんねんけど、自分という意識でみたら一つや。

 だから全て真(まこと)の神さまというのは中心に立たなあかんのやね。中心に立つというのは一大循環の相象に戻るという事やね。その中心に立つという処が、一番説明しにくいし、理解しにくいし、分り難いし、こう実感しにくい。当たり前や、悟らな分らへんものな。でもその中心に立つ実感をね、先生は印可書で残して下さったのね。印可書を読んでいる時は中心に立っているね。これだけは信じて下さい。ここを信じないとブレークスルー出来へんね。自分と他人の意識を、分けてる意識を切り崩せない。印可書を読んでいる時は自分と他人が無くなっているね。それを信じて読んで下さい。だから奉納って言ってるんだけど。そしたら自然に分かります。

 具体的には文句言わなくなるし、一番良いようになっているって分かるし、何よりも何よりもそんな理屈以前に、喜びが沸きます。だから先生何時もニコニコされていたでしょう?身体がどんなに痛くても、神さまは楽させてくれへんなって言いながら、ニコニコされていた。あれは兎も角(ともかく)喜びが沸くの、理屈抜きに。それは身体が、元気だったら温かくなって来るやん、しんどかったら身体冷とうなるやん、そういう感じで温かくなって、なってくる感じで喜びが湧き上がるのやね。もう説明のしようが無いわ。「無限の無限喜びが無限の無限に一杯」という言葉しか言いようがないけど、喜びが沸く。それが「無限の無限の幸せが無限に無限に一杯」という、喜びが沸き上がり過ぎて、今度は幸せが沸き上がり過ぎる。で笑顔が沸き上がり過ぎて、もう言いようがない、そういう感じが実感が沸きます。

 でもそれを印可書でね、皆体験出来るから。印可書を読んでいる時は、小さくてもそれを体験しているの。その体験がどんどん広がるから、印可書を奉納する毎に。だから是非ね、あんまし回数を言うのはあれなんだけど、一日に3回は印可書を読んで下さい。あんまり回数言うのは嫌なんだけどね。

 だから寝る時に読んで、朝起きる時に読んで、トイレ入る時に読んだら、最低3回は読むやん、みたいな感じで。それ位、印可書を奉納する事は、大切な大事な凄い事なの。
 今までだったら滝に打たれとかね、ひたすら座禅するとかね、ひたすら木刀を振るとか、色々自分を消す為に苦労したのね。今は印可書を奉納するだけで自分が消えるから、是非それで入って下さい。

 僕なんかはお風呂入るの嫌いだからね、お風呂を滝行やと思って頑張って入ってますけど。(笑)それ位印可書を読むことが大事。印可書を奉納して下さい。

質問:印可書を唱える毎に縁者の方も救われて・・

河上さん:変わります。印可書が何で凄いかというとね、自分よりも縁者の方の方がどんどん変わるの。変わった縁者の方が、必死で後ろから押し上げてくれるね、それで自分の心境が変わるの。

質問:自分の実感が少なくても、唱える事自体が価値がある?

河上さん:そうです。その肉体を通してしかみんな気付かへんの。縁者の人は、縁ある人の肉体に乗っかってね、何とかお祈りしようとしている訳。でも肉体側の意識が真祈り出来ているって思わないから周りも分らないわけよ。でも印可書を奉納してくれたら真祈りにするって先生決めてくれたから、喜んで印可書を奉納してたら、もう肉体持っていない人の方はすぐ分かるの。で一遍に変わるの。変わったら恩返しで、その肉体持っている人を支えてくれるの。それで大きく変わって行くの。それが護摩の会場の時は、もっと1回の護摩の会で、何億倍になるから、是非、だまされても1回は護摩に来てねって言うんだけど、という感じで変わります。

 兎も角、肉体が大事なの、肉体を通してしか皆変わらないから、肉体が全ての階層の中心点。だからそれで変わるんです。

 何で印可書を読んで悟れとかね、印可書を読んで病気治しするとダメなんかというと、その時点で印可書を貶(おとし)めてるの。要するに印可書を読むだけで全てが変わるのに、印可書を読んだるから悟れせてくれとか、印可書を読んだるから病気を治してくれとかとは、既に印可書を信じてないね、それでアカンの。 

 だから要らん事を思わずに印可書を神さまに奉納する。印可書は本人気付く気付かない関わらず、真(まこと)の本心の自分やから。真(まこと)の本心の自分を神さまにお返しする事を絶対奉仕、絶対感謝、恩返しっていうの。

 恩返しの恩て、字が大の心て書くでしょう?絶対の中心に自分の心を戻す事を恩ていうの。でそれが出来るわけ。だから印可書を奉納して下さいってお願しています。奉納する毎に、自分の自覚とは別に周りの人が変わるから、縁者が。で縁者がどんどん支えてくれる。さらに縁者が縁者を呼ぶの。呼ぶから肉体側は何時までも変わらない感じがする。だけど只々、素直に信じて、折角頂いた大事な肉体を使ってね、働いたら良いの。

質問:しんどいなっと思う時も、無理にでも唱えるもあり?

河上さん:しんどい時ほどね、印可書を奉納した方が良い。はい。

質問:それはありがとうございますでも、恩返し?

河上さん:勿論そうです。只、ありがとうございますの10文字が、真(まこと)の神さまそのものって先生が説明してもね、ピンとこないでしょう?でも印可書は具体的に説明してくれているから、考えずに読んでも、やはり入ってくるやん。一大循環の相象(すがた)としての真(まこと)の神さまがね、それで変わるの。勿論、ありがとうございますの10文字の言霊を完璧に理解してたら、もうありがとうございますで良い。

質問:唱えてたら恩返し?

河上さん:ハイハイ、只、ちょっとでもありがとうございますでウンっと思う時は、印可書の方が良い。本当にありがとうございますの10文字が、真(まこと)の神さまそのものって分かってたらね、勝手にありがとうございますが沸いてくる、喜びとしてね。ありがとうございますの響きの喜びとして湧き上がる、それを無条件の喜びっていうの。

質問:ありがとうございますの説明書が印可書?働き?

河上さん:まあ説明書と言っても良いです。でも本当は一緒のもんやけどね。一緒のもんやけど、まあダイヤモンドの、どのカットを見たかみたいな感じやけど。

質問:印可書の話が出たので質問なんですけど、先般の護摩の時に、自然発生的にみなさんで印可書をお唱えするっていう事があったと思いますが、来月からの護摩会場は、宇宙神ありがとうございますで10回を唱える人もいれば、そういう風に皆さん一緒にっていうものと、アレンジしていくような・・

河上さん:だからみんな自由自在にしたらいい。こうしなくちゃいけないは無い。みんなが好きにするん、それが大事やね。ダイヤモンドに144面カットがあるでしょう?どのカットも大事や、どの姿も大事や。だから極端にいうとね、極端というより本当の事なんやけど、護摩には絶対に行かないという人の姿も大事や。それだけはみんな憶えとかな。だから先生は極端な表現でね、殺人する人も必要で置いてある、っていう事を仰るんだけど、本当にそうなの、どの形も無いと光が通らない。だからこうしなくちゃいけないは、要らない。

質問:皆さん自由にお祈りしたら良い?

河上さん:そうそう、だから、今はマイク置いて前に立ってやって貰っているけどね、もう自然発生的に、みんな護摩壇の周りに集まって唱えだしても構まへんの。

質問:じゃあ一人の方が言ってたとしても、後ろの方で自分のお祈りを、声をあげて・・

河上さん:そうそう、したら良いんだけど、その時にね、お互いが邪魔しないような音量にしないとアカンの。な?私だけ祈ってますって大きな音量にしたら、私が出てるわけよ。みんな自由自在にしているけど、本当にわーってなるねん。それはこうしなさい、あーしなさいって言う必要も無いの。自然にわーってなるし、後ろの人が、縁者が救われて喜び勇んで、ありがとうございますって言い出したらたら、その人もありがとうございますって言うし、印可書を言いだしたら、印可書を自然に言うようになって来る。もう内側から湧き上がりだす。
 だから護摩に参加した人がね、内側から湧き上がるように色んな祈り言葉が出る様になったら、いよいよもう本物や。今はまだその途中なの。本当はわーって喜びが沸き上がるの、その喜びをありがとうございますって表現するか、宇宙神ありがとうございますって表現するか、印可書で表現するかだけなの。或いは、もう感極まって手振りだけで表現するとかね、もう本当にそれが融合一体化するん。だからこの印可書や真祈りが凄いかっていうと、過去現在未来に響き渡るから。だからどんなに過去に悪い事をしててもね、全部消せるの。それって今しか無いの。だから因縁因果の輪を断ち切ってね、先生が全てを救い取らんって宣言された。

 その象徴的な行事が月一回の護摩だから、もう護摩は何があっても続けたいし、続くと思うし、みんなで盛り上げてくれると思うし、みんな喜ぶと思うしね、何よりも護摩だけでみんな喜んでくれると思うよ。喜ぶというより喜びが沸き上がってね、何か知らんけど護摩だけは行かなアカンって。だから親の死に目以外は来てねって言うのはそれやし、みんな親の死に目以外は駆けつけるようになるの。それ位凄いものになるの。

宮野さん:一応確認で、注意事項としての話ですが、印可書を過去のマイナスを消してしまうって言う事で、じゃー悪い事をしても大丈夫なのね?って思って印可書が消してくれると思って、そこは?

河上さん:だから、それは全然、本末転倒でしょう?

宮野さん:だからね、それをそういう風に捉える人もいる訳じゃない?

河上さん:さっき説明したやん、欲望のおもむくままにするっていう事、要するに自分にとって都合が良い事だけをするっていう事は、神さまを全否定している事や。

宮野さん:全否定している状態で印可書を唱えても駄目ですよって?

河上さん:全否定してたら印可書を唱えられへん、読めるけど。

宮野さん:そこを一応・・

河上さん:読んでもね、全否定しているから響きへんね。だから印可書読むから悟らせっていうのが何でダメなのかと言ったら、要するに神さまを否定している訳よ。欲望のままにしていて、後印可書を読んだら行けるって言うけど、欲望のままして神さま否定しているのに、神さまを否定している人が何を読んだって一緒や。

 一意専心念仏すべきものなりっていうね、一意専心というのがいる訳でしょう?ひたすら神さまだけって思わなあかんでしょう?先ず。ひたすら神さまだけが無い人が何したってどうしようもないの。だから常識に従って善人ボケしている人をね、どうしようもない奴やって親鸞さんが怒るわけよ。神さまを信じてないくせに、私は悪い事をしてへんて言って、地獄落ちるんじゃ、阿保たれがって怒るんだけどな。分かる?常識に従がうって事は神さま信じてないね。それではどうしようもない。

 でも信じて無い人でも、神さまの愛によって心臓が動いてね、呼吸が出来てね、寝てる間も生かされているね。生かされているっていう事は神さまが必要で置いているからね、あの人神さまを否定しているからアカンねん、好き勝手にしてるからアカンねんって思う必要は無いの。どれもこれも神さまの大きな深慮遠謀の下に置かれてるからね、何が良い悪いは無い、全て良い事やけどね。小さい意識でみると良い悪いって思ってしまうけどね。

 でも分かってる人はわざわざ欲望のままに動く事も無いし、神さま否定する事も無い、それだけです。

 だから今生でも好き勝手に生きてきた人でもね、あーあんなんしてたらアカンかったんや、神さまが全てやったんやって、思い返せる人は大丈夫やで。思い返せない人はね、要するにあんな悪い事をしてきたけど印可書を読んだら消えるんやろうっていうのは、もう既に取引しているやん。取引しているって事は神さま信じて無いやん。ね?そういう人でも必要で置いているっていう意味がみんな分らへんの。

 神さまに絶対の信を置いていたら取引にならへんの。取引にならんかったら一瞬で全て変わっていくの。一瞬で変わるけど、神さまがその配役で楽しんでいるっていうのが分かるの。楽しんでいるのが分かっったら、自在やからどうでもなるっていうのが分かるの。でもそれが分からん間はもうどうしようもないって思って絶望に落ちる。だから漆黒の闇に落ちたってね、神さま一番良いようにしているって思い切れる人は直ぐ上がって来れる。自分で、こっちがどうこうする必要もないねんな。でもそう思えんから落ちるんやけどな。そう思えん立場を楽しむ為に行くんやけどね。何時も言うように映画でね、わざわざあの怖いオカルト映画見に行くんや。行かんでも良いのにな。わざわざそんな世界に心を合せに行く必要ないのに、行って夜トイレ行かれへんわって言うんやろう?止めとけば良いんや、でも行きたいって、一度は行きたいんやな。だからそれはそれで良いねんけど。

 色んな配役を楽しみたいというのが有ってね、神さまの世界絶妙でぶわーんて行くから本当に端っこまで行くと、神さま忘れて楽しみだすのね。勿論、神さまそうなる事もご承知で今のこの大オマケが有るねんけどね。そういう神さまを忘れて色んな事をして、それを繰り返す事によって神さまを忘れなくなる。

 だから何時も言うように、春夏秋冬のどこがスタートかといったら誰も分らへん。だから春咲く花が偉いでもないし、秋咲く花が偉いでもないのね。だから後から出てきた人は、神さまを否定して一遍はその体験を積みたいから、行くねん。でもそれも必要で行ってるからそれで良い。だけど出来るだけ苦しまない方が良いやろうという、要らんお節介をしてるだけや。分からん人は最後まで分からへんで、それは仕方ないって、その人がどうしてもそれを味わいたいや。激辛カレーは一度は食べたい。一度食べたら二度とは要らんわって言うけど、一遍はせめて舐めてみたいっていうのがあるの、食べなくても。それだけは誰も否定出来へんやろう?そういうもんや。
 
質問:すみません、もう一度。先程のこんな話したらみんな逃げて行くから、先生に口止めされたというお話しされましたけど、今現在このお話しはここだけじゃなく、・・世界各国・

河上さん:みんなが分かる時代になった。先生が全てを清めに清めて、みんながこの話しが分かる状態にして行きはった。

質問:という事はオールマイティーに縁がある方々が、到達点に達しているっていう・・

河上さん:だから、Iさん一番よく知っているね、昔な、僕喋ったらみんな逃げて行くから、喋るなって言われてんねって、Iさんに言ったね、昔な。遥か昔やけど、40年、50年前の元水茎(もとすいけ)の時やけどな。そんなんやけど、本当に先生がね、自分の肉体に全て集めて清めに清めて行かれた。だから今はみんな分かるの。

 本当は、本当は皆既に悟っているの。後はどう気付かすか、自分で悟って無いと縛っている縛りをどう解くかだけに今はかかっている。
 それは何所で自分は悟ってないと縛っているかといったら、自分の過去の経験に基づいて、良い悪いって判断しているところが自分の縛りやねん。それ止めたら縛りが解けるから悟った自分に戻れる。

 でもこの世の生活が有るやん、だからどうしてもある程度、常識に従って対応せなならん。その辺が難しいけど、そうしないと光通らへんから、後はこころ神さまに置いて、自分の過去の経験に基づいて動いても良いんだけど、こころ神さまに置かんな。こころ神さまに置いてるのは何かと言えば、何遍も言うけど、「今が一番良いようになっている、自分にとってどんなに都合が悪くても神さまが良いようにしてる」って信じ切れる心よ。文句言わない心よ。

 だから腕が痛くなっても、お医者さん行っても良いの。行っても良いけど、神さまがお医者さまを使って頂いて良いようにされているって、信じ切れてお医者さまにいかなアカンの。お医者さまを信じないで、お医者さまに行ったって治る物も治らへん。
 だから全てどの形を通しても、神さま良いようにされているというのを分からなアカン。

質問:印可書と宇宙神ありがとうございますは、ありがとうございます 先生の出されて真(まこと)のプラスの言葉は過去現在未来に渡って光が通るから、自分が今こだわっている常識、過去の経験に基づいて、その過去の経験も光で消して貰える?

河上さん:そうそう、消えて行く。

質問:消えて行くって事ですね。

河上さん:だから縛りが溶けるね。で印可書読ませたいけど、中々読むとこ迄、持って来れんかったから苦労した約3年。先ず読ますとこから、今度は読ますを超えて奉納させるとこ、中々大変なんやで。

宮野さん:この間の護摩が良かったっていうのを、過去の縛りでもって、じゃーあんなように褒められるよう(笑)にしようっていう様なのが出て来るとも限らないじゃない?みんなそれは良い護摩にしたい、神さまに喜んで貰いたいと思う中でしようとするわけでしょう?

河上さん:今説明したの。自分という意識があったらね、目立ちたいから自分だけ大声でやって、周りの邪魔する。だけど自分という意識がなかったら、みんなが丁度こう融合するようにね、丁度合った音量で唱えるやん。

宮野さん:そうじゃなくて、この前も別にそういう形で発生したもんじゃなくて、前で・・

河上さん:自然に発生した。

宮野さん:違う、あれは印可書を読み始めて、強制するわけじゃないけど「よろしかったら皆さん、良かったらどうでしょう」って形で促してる訳じゃやない?でもそれは強制じゃなくて、良かったらという状態で、そこから湧き上がったもんじゃない?でも最初の発端はそうやって先ず、前のマイクでもって出しました。それに響いた人達がね、宇宙神をやっている状態の人もあれば、その中で印可書がわーって湧き上がって大きくなったわけでしょう?そしたら次の段階も、じゃあ前にこんなに上手く行ったし、褒められたから、じゃー前で印可書良かったら行きましょうってな事が起るんじゃないかと。それが良かれと思って、褒めて欲しいじゃなくて、悪い意味じゃないけど、良いと思って、過去の経験に基づいてもう一度それをやろうと、その同じ方じゃなくてもね。そういう風にってのはどうなんだろうっていう?

河上さん:みんな色々と画策する訳や、自分の思い動かしてな。それも神さま利用して使って行くからね、人の自由意思を縛らなければ、少々の事は問題ないよ。

宮野さん:そしたら次もあれ良かったから、私もやってみたいなって思ってするのは・

河上さん:しても良い。只、強制したらアカンだけよ。だから真祈りの会もこういう事して下さいって言った事、一切無いわけや。自然発生的に起こった、それが大事や。真祈りの会の主催者は、その地域のマイナスを一切背負って行く形になるっていう事も説明してあるからね、みんな覚悟を持ってしてくれてるしね、それは素晴らしい事やったと思う。で聞いてへん人が今これ聞いて、いやそれ敵わんっていったら、それ止めたら良いだけや。(笑)自由で良いねんけどね。

質問:しっかりお祈りすれば良いんですね?

河上さん:そうそう、印可書を奉納してたら良いだけでね。

質問:ちょっと焦ったんですけど。(笑)改めて。

宮野さん:いや、勉強会では無いものね。真祈りの会はね。

河上さん:そうそう、勉強会にしたらホンマに背負い切って大変やから。

宮野さん:それ言っとかなアカンちゃう?勉強会と真祈りの会の違いっというのを、今一度。

河上さん:じゃあ、真祈りの会はね、例えば先生の神書を読む朗読会だったら良い。先生の神書を読むとか、先生のお話しを聞くとかね、それは大丈夫やけどね、自分の都合で説明しだしたら、別にしても良いけどな、説明しだしたら、本当に自分が背負い切らなアカンから、大変やでって言うだけ。大概は潰れます。だって喜び湧いて無いから、喜びが沸く状態になったらしても良いけどね、そうなったら無理にせえへん。

宮野さん:先生のじゃなくて河上さんのを出したらどうなんですか?

河上さん:別に僕のをみんなで聞いても良いけどね。その内容を又、要らん説明をかけん方が良い。

宮野さん:この間こういうのが有りました。

河上さん:ぐらいで良いと思う。説明した分だけその人が背負わなアカン。勿論自暴自棄になってね、自分潰れても良いからするんだという人はそれでもいいし。どの形でも神さま使って下さるから、どれが良い悪いはないです。只、大変だよって今説明しただけでね。

宮野さん:結構しまったという響きが(笑)

河上さん:そんなん覚悟決めてしたら良いんや。どうぞ。

質問:私、河上さんの勉強会の色んな深夜とか、護摩焚きとかめっちゃ聞いてて、何十回と聞いているんですけど、毎回私アホなんかなと思う位(笑)初めて聞いた感じになるんですよ。これなんでか、絶対聞いてたはずやのに、途中でもう一回戻して聞くと、始めましての・

河上さん:違う事言ってるやろう?それはな、僕のよりも先生の方がもっと凄いねんけど、先生のテープなんかは、何回聞いても飽きへんね、本当は。それ位ありとあらゆる階層に向かって響かせてある。勿論僕のもそうしているけど、僕のはもうちょっと響かす範囲がちょっと違うのね。それは役割の違いやから、良い悪いじゃないのやけどね。
 いわゆる自分という意識が消えて行くとね、何回も違う事が聞こえる。自分という意識があるとね、あぁこれ前聞いたわって飽きるの。それの究極が真祈りの訳なの。自分という意識が消えたらもう勝手に「ありがとうございます」が沸くの。自分という意識があると沸けへんね。だけど自分という意識を消す為にも印可書を奉納してね、ありがとうございますを奉納してね、宇宙神ありがとうございますを奉納してね、ってお願してますけどね。最初は自分から入るしかないからそれで良いんだけど。自分という意識が消えたらこの録音でも、何遍も聞こえるし、本当に自分という意識が消えたら、地球の裏側が分かって、世界の全部が分って、過去未来の全部が分かるようになる。

質問:真面目に聞いて無いんや、憶えてないんやって(笑)・・

河上さん:いやー、違う違う。そうじゃなくてその時の自分の意識で聞いているだけ。只、昔はね、先生の意識が高すぎてね、特に先生の昔の録音程そうなんやけど、聞きかねる位光が強いの。で色々有ってんけどね。
 最初の頃は、録音禁止やったの。こんなに人が沢山集まって無いころの話やけどね。録音はダメやし、メモ取っても僕は怒られた。メモ取るという事は真剣に聞いてない、真剣に聞いていたら全部覚えれるはずやって言って、それ位厳しかった。それが録音しなさいになって、メモ取っても先生怒られなくなったんだけど。メモ取った人程、真祈りしてへんで。何でか分かる?メモ取るという事は、自分の都合の良い処だけ書いているの。それでは本当のとこ受け取られへん。それだったらまだ録音にして繰り返し聞いた方が良いかもしれん。で録音がOKになったのね。
 だから色々あるけど、要は自分がどうこうっていうのを消すだけやねんな。その自分を消す方法がどんどんハードル下がって簡単になったっていうだけ。だから是非是非印可書を奉納して自分を消してしまって下さい。そしたら楽になるし、嬉しくなるから。
 だからまだまだ喜びが沸かない内は、或いは、何でとかちょっとでも文句でる内は自分があるから。もう自分が有るかな無いかだけやね。

 もう本当にね、自分が良いか悪いかを判断するっていう事でしょう?自分が良い悪いって判断するのが常識でしょう?それって過去を掴んでいるし、自分と他人を分け隔てるしやね。それがどんだけマイナスなんかっていう事を、みんな勘違いするね。良い事やからって(いうけど)、違うのね。

 サラサラと流れてる川を眺めるというのは、この世で言うと一瞬一瞬神さまにお返しせなアカン。宇宙神ありがとうございますってお返しせなアカンのね。皆、お返しせんと受け取るだけやから、重くなって積み荷一杯になって船沈む。それで地獄目指して沈んでいくの、みんな。途中で積み荷捨てたら浮かび上がるのやけどな。

 本当は簡単な事なんやけど、簡単過ぎるとみんな信じへんから、中々神さまの深慮遠謀の下に難しくしといてね、座禅とか色んな難しくしといて、それでやっと簡単にして、いよいよ最後やからってパッと出されたみたいな。

 それの最初の練習段階が南無阿弥陀仏だったのね。南無阿弥陀仏の時も本当に悟った人が沢山出た、日本でね。だから世界で日本の国だけは運が強い。運が強いし何があっても、又、発展する。戦争であんなボロボロになってもね、高度経済成長起るみたいなね、事があるのはその真祈り人のお蔭。

 で今度は本当に200人の真祈り人にしたいから、そしたら全世界が真祈り人になる。今度こそ成功させようと思ってますから、宜しく、皆さん次第です。
 本当に皆さんを頼りにしているんだから、頼みます。本当に頼りにしてんだから。そのダイヤモンドの一面一面が大事やねん。一面だけが光輝いてもそれは、みんなが輝いてみんなが働かなアカン。それでこそ本当の真(まこと)の神さまやね。



令和3年7月河上さん勉強会−4(20210711−4)

質問:最初は1万人の真祈り人という事だったんですけど、この200人が祈れば、又、その1万人に響いていくんですか?

河上さん:だから1万人とか、千人とか、200人とかあったんだけど、お猿さんがお芋洗うのがね、100匹越えた途端にね、全世界のお猿さんがお芋洗って食べるようになったっていうのがあるね。そういう感じで、みんな本来心は一つに繋がっているの。繋がっているけど最初の火種、湧き上がる火種をどうするかだったのね。で最初は1万人の火種が要るだったんだけど、それが千人になって、先生が自分の身体に一身に受けてみんなを清めてね、200人で火種になるようにして行って下さった。だから何があっても200人は作りたいし、作れると思うし、大丈夫だと思うし。

質問:その1万人も本来、先生とご縁のあった方々だったんですか?

河上さん:そうなんだけど、先生に、もうはっきり言うよ。先生にセクハラ騒ぎという、いわゆる濡れ衣を着せてやね、そういう人らの縁を切ったんよ。で先生は、又、色々と苦労されただけや。

質問:それで200人に少なくなってしまった。

河上さん:そう。今回も僕に濡れ衣を着せて、それを阻止しようとする動きがあったんだけど、今回は先生の深慮遠謀の下に、用意周到やから濡れ衣を着せられようが無かった。先ず僕にはこまめに日記を書きなさいって、何があったかをこまめに書かせるようにして、常にこの人がピタッと側について離れないようにっていうて、先生の細かい指示が有って、どうしようもない。

宮野さん:嵌められなかったね。

河上さん:そうそう、向こうが嵌めようがなかった。

質問:そんな形で先生はみんなを守って下さった。

河上さん:先生の深慮遠謀には勝たれへん。碁で捨て石って言うやん?先生の全部は捨て石違って、全部は生き生きや。エッていう所に石おいてはるね。それでアッ今この為に、ここにこうして在ったんかみたいな事ばかりや。それは全国真祈りに行ってもね、

 エッここにも先生のこれ置いてあるみたいな。もう既に先生が先に用意してあったみたいなね、そのお蔭で簡単に行けるみたいな事ばかりで。

質問:安心して、大船に乗ったつもりで・・

河上さん:そうそう、みんな心配せんとね、印可書を奉納してたら良い。そしたらあっという間に変わる。護摩をしてたら良い。印可書読めない人は一生懸命護摩木を書いて、護摩をしてくれたら良い。どうしても印可書イヤやという人はね、護摩をしてくれたら良い。
 護摩木を書く時は、その人に真(まこと)の神さまが下りたって(くださって)真祈りとなすって、先生が説明して行ってくれてるのね。それを理解してなくても、書く時はそうなるから、護摩木を書いて貰った方が良い。騙してでも護摩木書かした方が良い。ありがとうございますって書いてね。はい。

質問:ちょっと前に河上さんがバッハのマタイ受難曲、ヘンデルのメサイアを、何か音楽聞いている方がズーっと流してても飽きないし、凄い幸せが沸き上がったり・・

河上さん:それで良いよ。それで3回は読んでね。

質問:はい。

河上さん:バッハとあられた時の先生も凄かったからね。完璧なマタイ受難曲という曲を書いていきはった。先生には勝たれへん。

質問:先生は古神道の働きを示すような形で、芸術だったり、色んな教えで伝えておこうという計らいだったんですか?

河上さん:もう先生が全ての場面に色んな姿で地上に下りられて、色んな事をされて行った。

質問:芸術だったり、宗教だったり、音楽だったり、文学もですか?

河上さん:西郷さんとして現れた時も凄かった。で反対する人を海外に、西郷さんが「ちょっと世界の国を視察して来いって」言って、国外(欧米視察団として)にやる。その留守の1年間の間にね、今の日本の基礎となる全ての改革をやってしまう。もう凄かった。であーもう自分は仕事終わったからって九州帰ってしまうんやけどね。どの時もどの時も先生の働きには勝てん。いつもそばで見させて貰ってきたけど。

宮野さん:今日のお話しの確認なんですけど、過去を掴まないという処というのと、自分では何も出来ない。全ては神さまの御働きであるっていう処・・

河上さん:同じ意味。

宮野さん:同じ意味で良いんですね。その為にはそれを実感する、若しくはそれを忘れそうなときには印可書をひたすら奉納するっという形で良いわけですね?

河上さん:そう。ちょっとでも文句出たら忘れたという事。神さまから離れたら文句出る。そんなん全知全能の神さまが一番良いようにしかしてないって、心配せんでも。例えばどんな津波が来てね、どんな大地震が来ても一番良いようになっている。でもみんなが真祈りしたら、それがもっと緩やかに緩やかに変わっていくだけよ。みんなが真祈りせんかってもね、神さまが一番良いようにして、一番良いようにするわけ。でも今回はみんなでしますって先生が約束してくれはったから、みんなでしよう!みんなで出来るんだから。

 だから2代目を河上が継いだとか、そんなん違うんやて。みんなが先生の後を継ぐの。みんなが先生のお働きをお仕事をするの。
 無責任になるとね、何かこの人偉いから、この人に付いて行ったら良いわみたいになるのね。で自分は真祈りせんでもこの人に付いて行ったら良いわてなるのは無責任や。

 みんなが真祈りしないとアカン。それは総ては完璧な一つやから。だから身体がそうでしょう?普段はそんなに思っていないけど、足くじいた時とか、手ちょっと骨折した途端凄い不便や。完璧な一つでやっているから、当たり前の様にやっているけどな、もうちょっと足の指くじくだけでも歩くの不便やし、大変やろう?だからどの形もみんながせなアカンの。それで完成するの。で泣いても笑っても今回は最後やから、みんながするん。

質問:ありがとうございますの祈り言葉は、太古の昔からあったんです?ヨハネさんの頃もあったんです?

河上さん:うん、あったよ。あったけど隠されていただけ。何処にもあるようにして隠した。だから逆に何処にもある言葉やからみんな信じへんかった。今回は。それで宇宙神ありがとうございますにしたんだけどアカンから、真(まこと)のありがとうございますにしてんけどアカンから印可書。で印可書を読んで「ありがとうございます」に、又、立ち戻れば良いだけやから。

 真(まこと)のありがとうございますを先生だされた時も、先生ちゃんと説明してんのね。真(まこと)のありがとうございますで入って、最後ありがとうございますに戻りなさいって、説明してるんだけど、誰も聞いてへん。簡単過ぎた。

質問:イエスさんが伝えようとしたこともありがとうございます?

河上さん:そうよ、ありがとうございますってね、全ては神の栄光を現さんが為なり、っていう意味と一緒やから。「無限の無限の輝きが無限に無限一杯」と「ありがとうございます」は一緒やからな。その「無限の無限の輝きが無限に無限一杯」を具体的に説明すると「ありがとうございます」や、それをもっと具体的に説明して「印可書」になっただけやからね。

 イエスの時代は具体的にあんまり言えん時代やね。というのは当たり前のように、盗人が居ってね、当たり前のように殺人が有って、色んな事があった時代やからそんな事言ったって通じへんのね。で通じるような言い方をする。何よりもみんな現実を変えようとする、いじって。現実をいじっても変わらへんというのが分らへん。川の流れに手を突っ込んで何とか変えようとするようなもんで。

 大きな光の流れがあるのを、受けては返すだけでやのにね。今までの宗教は川の形に色んな石おいて、流れを変えて希望が実現したように思わせただけ。これからそんな宗教が必要ないのね、みんなが真祈り出来る時代やから。それだけなんですけどね。

質問:直接真祈りとは関係ないのですが、日本という国とイスラエルという国、とても関係が深い国という

河上さん:表と裏です。

質問:それは大和とユダヤと一緒ですか?ユダヤ、イスラエル、イコールでは無い?

河上さん:言霊のとこやから大和ってどういう意味や?みんなまだ言霊分からんやろう?あなたを責めて言ってるんじゃないで、大和って「無限の無限の輝きが無限に無限一杯」っていう言霊やね。ありとあらゆる、印可書やねんけどな。「と」と言うのはそこに集中してゆう感じやね。で「やー」イヤーというのは光輝くやね。それが纏まって一か所に集まる、ヤマト。それって印可書の前半の部分。全ての一点に向かってという。
 でユダヤっていうのはもう少し意味が違うから、その言葉で対比は出来ない。

質問:イスラエルとユダヤは、又、別物?最初に答えて貰った日本とイスラエルが裏表?

河上さん:どっちかというとヘブライやね。

質問:その辺がごちゃっとしてまして。

河上さん:今はわざと隠してある。

宮野さん:真祈りしていたら、又、見えて来るんじゃないの?

質問:分りました。

河上さん:だからユダヤってみんな分かってへんやん?だけど本当のユダヤ教というのも正しく伝わってへんしね。どれもこれもが、それはイエスの教えが正しく伝わっていないのと一緒や。良い悪いじゃなくて。要は神さまと不離一体という、旧約聖書の本当の意味は神さまと不離一体を言ってるんやけどね、それを離してみるでしょう?イエスでも神さまと不離一体を言っているのに、みんな神さまと自分を離してみるやん。それはどの宗教もそうやね。ゾロアスター教でも神さまと不離一体、だから炎と一つって言うんだけど、陰と陽に分けてね、何でもプラスとマイナスに分けて説明したがるわけよ。プラスとマイナスに分けた途端にズレて行くん。

 だから良い悪いじゃなくてね、今度は宗教じゃなくて、教えじゃなくて、不離一体を真祈りだけを、広めるというより響かせて行くだけやね。理屈抜きに響かす訳。あー神さまと不離一体だったんだ、全知全能の神さま一番良いようにしてるんだっていう。こんなん教義やあらへん、当たり前の事や。これが当たり前の常識になるんよ。全知全能の神さまが何でも出来るお見通しの神さまがね、絶対の愛深い神さまがね、そん人にとって一番良いようにしかするはずがないんよ。一番良いようにしてる、しかするはずがないっていうのが常識になるね。今迄の常識は神さまと自分を離して、初詣でもそうや、大学に合格しますように、商売が繁盛しますようにってね、神さまと自分を離してるから、お願いごとに行かんならんわけよ。で神さまはアホウやから、お願いしないと分からんみたいに、要らん事を思って崩して来たんや。その常識を全部真祈りで消して本当の常識、神さまが一番良いようにしてるって常識を、広めるというより響かせる。もうそれだけ。だから全ての宗教が融合一体化する

 全ての宗教は説明の都合上、プラスとマイナスに分けてしてたのが、何かプラスとマイナスに分けて、要するに善と悪が、神と悪魔があるのが当たり前のようになってしまった。説明の都合上しただけやのに、そう説明するしかしようがなかったから仕方がないけどね。

 何でかと言ったら、神さまを信じずに漆黒の闇に落ちるのがおるから、それを説明するために苦労した結果、説明だけが残って真意が伝わらなかった。みんなそうだけど、理屈の方が好きだから、説明の所だけ掴むの。

 で偶(たま)に先生が出て来て戻すんだけど、中々その深慮遠謀の中に老子さまの時代から始まって、まあもっと前からあるねんけど。先生が苦労に苦労を重ねられてここまで持ってこられた。

 政治のやり方でもね、西郷さんとして現れて見本を見せていかれたわけ。だから江戸城の無血開城が起るのね。絶対に戦争になって凄い事なるとこを。あの時、勝海舟と西郷さんが、まあ山岡鉄舟さんがちゃんと下準備していくんやけど、最後、勝海舟と西郷さんが公式会談で会って、江戸城無血開城を決めるんだけどね、その時でも勝海舟は武器は渡します、慶喜の殿様はこっちに預けますとか言うわけや、言うけど実際は江戸では戦争の準備しているし、幕府の海軍はもうこっち迄来て責めようとしている状態やので、でも勝海舟は平気で武器を渡します、こうします、ああしますっていう訳。そんなもんどう見たって現実で見たら嘘なわけや。勝海舟にそんな権限があるんかホンマにという状態や。状態やけど、西郷さんは「色々と問題もありましょうが、この吉之助が一身に引き受けてやります」って言って、全部飲んでしまうのね。で西郷さんが言えば官軍の方は、西郷さんが言うんだったらしゃあないわ、もう攻めるの止めようってなった。あれ他の人やったら、そんなん何を言ってるんや、あそこで鉄砲うつ準備してるのに、そんなもん出来るかって戦争になっているんやけどね。

 そういう総責任者の立場を政治家は示していかなアカンね。そしたら世界平和がなるん。その為にはみんなの真祈りが要るの。あの頃は先生お一人が一身に背負って、何時も何時もやけどな、いよいよみんなが、みんなが一身に背負って真祈りするん。

 だから西郷さんは自分というのが一切ないからね、官軍側の人が西郷さんの名誉を回復するのね、西郷さんは悪い人ではなかったってね。普通そんなんあり得へん。

 だからあの時は全国の不平士族があっちこっちで反乱起こすのね。九州の薩摩の士族が一番強くて、最強だった。誰かが束ねて纏めて上手く消さなアカンかった。で西郷さん、先生が一身に背負って消して下さった。あの時ホンマに戦う気だったらね、熊本城なんかほっとく。ほっといてぷっと東京に行ったら西郷さん勝てたん。勝てるのも分かってるの、でもそんなんしたら、大変なるの分かってるから熊本まで来るね。西郷さんの心が分ってる人が官軍側に居ててね、熊本城に火を点ける。西郷軍が熊本の側に来たら、火つけたら「燃えてるやないか、これ攻めれるで」って皆思うやん。で攻めさせてあそこで時間潰させてっていう、深慮遠謀の下にしたん。どれもこれも神さまの大きな愛の響きがね、下りて日本を救っていくの。それ位凄い事ばっかり、それは真祈り人やから出来た。でも今はみんなが真祈り人やから大丈夫。

質問:すみません。ちょっとさっき仰った、川に石を○○○あったと思うんですけど、昨今色々豪雨災害とかありましたが、やっぱりどうしても今までの体制では足りないという事で、ダム建設だとか、この前の熊本豪雨の時もダムを止めたからこういう災害が起こった、球磨川が氾濫したという事でもう一度ダムを造ろうとかいう動きに変わっていっている様に思うんですけど・・

河上さん:ダム作ったって防がれへんで。

質問:でも熊本の知事は凄く10年前に・・

河上さん:いやいや、あのダム作るのは今までの経験に基づいた、降雨量に基づいたサイズしか作られへんね。だけどもう今の集中豪雨って経験外の豪雨が降るでしょう?だからダムなんか作ったってすぐ溢れる。

質問:じやーどうすれば良いんでしょう?

河上さん:クヌ木、ケヤキ、ヒバの木という広葉樹を植えて回らなあかん。そしたら山に保水力出来て起らへんの。杉、ヒノキでは無理なん。要するに広葉樹が一杯落ちてね、腐葉土が出来て。要するにな、僕ら田舎の子やから知ってるけどな、山歩いたらふにゃふにゃだったの。本当にね山歩きするのに、山靴とか要らんのよ。本当にふにゃふにゃでどう歩いたって楽だった。それ位広葉樹で腐葉土が有ってだったの。それが今のヒノキ、杉の木の山になってからはな、山登りの靴でないと足が痛くなって歩かれへん。それ位土が固いし水溜めへん。それは戦後ね、わざと広葉樹とって杉ヒノキを植えさせたからやけどね。色々あるんねんけど、広葉樹を日本でも世界でも植えてイカンならん。でももう手遅れに近いちゃうかって言われてる。だから形の上でどうこうも要るねんけど、先ず真祈りが要る。真祈りしないと間に合わへん。木も人間が紙としてドンドン消費するから、一杯取り過ぎてもう切る木が無いんよ。日本には報道されてないけど、世界的にこれ以上切ったらもう大変。というとこ迄来ているし、何よりも切りに行くにも山奥過ぎて切れん位取れる所は取ってしまった。だから木も紙も無くなります。それアッと言う間やからね、そうなる前に何とかしたいって必死になっているだけで、あー録音してるとこで言ってしまった。(笑)

 ムーも、アトランティスの時もそうやけど、突然来るんよ。みんな明日も今日の様に続くと勘違いしてるけど、もう突然来るから。その突然を真祈りで引き延ばして、ドンドン変え変えて緩やかにこうしたいのね。
 だって伊豆のもあれでしょう?どんどん造成してて突然来るでしょう?だから過去の経験の判断で良い悪いと言うなというのよ。ああいう造成でも、造成した業者は、過去の判断でこれ位は大丈夫との判断の中でやったと思う。でも経験した事のない雨が降る事によって、崩れるわけや。ダムでも一緒よ、今、既にあるダムでもこれからは大変やね。梅雨前にどんだけ放流するかで。頑張って放流しても間に合わん位の雨が降るからね。でもうっかり放流したら、今度もし雨降らへんかったら水不足来るやん。だからダムの管理者も大変やし、色んな意味で大変。

 でも真祈りしてたら、真祈りが成功したら緩やかに、何でかと言えば真祈りによって地球霊王様の身体が癒されて行くから。今は地球霊様の身体をドンドンほじくって食べ尽くしているよ、人間が。

 だって僕小学校の頃は、大阪の市内でも電気なくてランプの人がおった。それ位電気も大事やったし、色々あってんけど、今は何処でも電気があるでしょう?その電気を作るために石炭も石油も燃やして、もう地球の全てを使い尽くしてんねん。
 でも本当は神さまが言うように、10億ちょっとしか無理っていうのね、この世的には。そしたら70億とか90億とかある人口どうするねん、とか色々あるやん。でも神さまは絶対の愛やからね、70億でもちゃんとみんなに分けたら行けるようにしてあるね。でも今は奪い合いするからぐちゃぐちゃになっているの。

 で電気もそうやけど、ちゃんと感謝して使わへんかったら、電気というのは空間を構成する大元やから、一遍に空間が歪んでぐちゃってなるの。もうどれもこれも突然に来るのが目前に迫ってるのね、ほんとうはね。

 今日の勉強会最後になって何かとことん言ってるけど。だから本当にね、どれもこれも感謝して大事に使わならんし、まず真祈り。真祈りしてたら無駄な事はせえへん。それが大事です。

質問:エネルギーの件で、今化石燃料から電気へシフトして行こうという流れなんですけど、それプラス水素エネルギーとか、どれを選択していくのが今の段階では良いのですか?

河上さん:いや、真祈りしないと本当のものは生まれへんね。

質問:今のエネルギー論議はあまり良くない?

河上さん:どれも、例えば太陽電池が良いって言うでしょう?でも太陽電池作るのにどんだけ資源がいるか、誰も計算せえへん。太陽電池は時命があるの、約20年。20年過ぎたら入れ替えんならん。その時に要るエネルギーはどんだけかって誰も考えへん。もう本当にね、みんな先のこと考えんとやっている。で原子炉だったら放射能をどう処理するかを誰も考えてない。

 どれもこれも真祈りから生まれるねんけど、何で真祈りから生まれるのかと言えば、要らんエネルギーを持たしたら戦争するんよ、人類は。だから持たさんようにしてんね。それを真祈りで、要するにみんな一つやから、仲良くなるからエネルギーも出て来るわけよ。今やったら分け隔ててするわけでしょう?であいつアカンてやってるわけや。そしたらそれが国同士だったら戦争になって行く。要らんエネルギー持たしたら、それこそアトランティスの時の様に地球が滅びる。

質問:今出てるエネルギーはフリーエネルギーではない?横取りに歪を起こしてしまう?

河上さん:無いです。特に一番怖い電気を使ってる。

質問:世の中は電気自動車になるような、それも真祈りで何とか・・

河上さん:だから電気を使う事自身がね、大変な事やねん。常用対数ってね、log10の1000は3やね。要するに10の3乗という意味やけどね、そういうlog、常用対数でしか現せない位のレベルのエネルギーの変化が起こるの。起ると空間が歪むの。この現世の世界を構成している大元が電気やね。だから原子核、電子が回っているって言うでしょう?みんなの体を構成しているのも電子が全てやね、本当は。その電子の一部を引っ張り出して使っているからややこしい。

質問:そういうのも含めて改めて行かないと大変に・・

河上さん:でも真祈りしないと変われへん。だってみんな、先ず自分の家庭さえよければ、自分の国さえ良ければって入ってるやん、スタートが。その間は奪い合いやから争いは絶えへん。だからこの村では電気を物凄く節約してくれてると思うけどね、それ位先ず真祈りしているとこから先ず始めないとアカンの。

質問:前に神社にお参りする時に、喪中の人は鳥居をくぐらなかったら良いって、横を通って行くんですか?

河上さん:はい、そうです。それはね、喪中の時はマイナスを背負っているという意識が、日本の常識ではあるからね、マイナス背負った状態で神社を穢(けが)してはいけないので、横っていうの。本当はね、神社参りする時は喪中でなくても、鳥居はくぐったらあかんね、本当はな。だけど今は常識でくぐっているから何も言えへんけどね。或いは、神社の参道あるでしょう?真ん中は神さま通る道やから真ん中は通ったらアカンの、両端通らな。鳥居はそれの大きな象徴やから、余計くぐったらアカンの、本当はな。だけどそんなの今の常識では通じいへんから気にしなくて良いけどね。真祈りが広まったら又、変わる。

質問:端は右でも左でも、どっちを歩いても良いですか?鳥居をくぐらずに、参道。

河上さん:右でも左でもどっちでもいいです。左旋回やから左通るのが正しい。でも今はもうそんな。

質問:若しくは真ん中でもお祈りしながら・・

宮野さん:いや、真ん中はいかんでしょう(笑)

河上さん:基本、知ってたら通らん方が良いわ。只、狭い参道だったらそんなん言ってられへんから、ある程度切り無い範囲でやれば良いけど。

 だから欲望のおもむくまま生きてきたと思う人程ね、本当に印可書を奉納して下さい。間に合わなくなります。最後の締めとして。
 後質問がなければ、もう11時半なんで終わりますけど、良いですか?質問無いようなんで、お祈りして終わります。


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7月護摩 by 河上彰延 2021年07月18日(日) 12時35分
PC

 宇宙神ありがとうございます

 令和3年7月の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 呼吸は真祈り、そのものということですが、呼吸と息吹(いぶき)の違いについて教えていただけますか?

河上さん
 はい、ありがとうございます
今月もまた、みなさんとお会いできて嬉しく思います。ありがとうございます

 呼吸も心臓の鼓動も、全て真祈りなんですけども、息吹(いぶき)というのは何かって言いますと、印をきるってあるじゃないですか、そういう感じで特定の部分に、光を強弱を与えて出す時に息吹を用います。

 息吹って、じゃあどうするのっていうことですけども、息吹というのは意識してしなかったら、息吹なんです。意識しているうちは、自力なんですね。どういうことかと言いますと、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って自然に乗せていくじゃないですか、乗せているうちに、自然にそれが、長くなったり短くなったり、或いは途中で止めたりとかいうのが、自然に起こるようになるんです。その状態が息吹です。だから、今、その時、自分にとってというより、全てにとって必要な状態の呼吸が自分の体を通して起こる状態が息吹です。ですから、息吹をしようという間は、自分が息吹をしようとしてるわけですから、息吹ではないわけですね。息吹の真似をしている。何事も真似から始まりますから、勿論、息吹をしようという意識から始まっていいわけですけども、例えば印可書を読もうというのも、印可書という、真(まこと)の神さまそのものの、真似をしようというところから入るわけですね。でも最初は真似なわけです。自分が真似をするから入るわけです。言葉で入るしかないですからね、例えば手振りでも、まず形を教えてもらって、まず振ってみて、そこから自然に無意識に振るようになるまで振るわけですね。

何事も、ある程度、型から入りますので、真似から入るのはいいんですけども、例えば息吹をしようという意識が消えるまで息吹をしなくちゃいけない。でもそうなるとまた自分が出てきて、苦しむんで素直に呼吸が、真祈りそのものだ、真(まこと)の神さまそのものだって信じて、「宇宙神ありがとうございます」って乗せるわけですね。呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」って乗せようと思うと、本当は乗せれない。

どういうことかっていうと、呼吸をするという意識と乗せようという意識が邪魔するんですよ。でも乗せよう、神さまのお手伝いをしよう、神さまの心に添おうっていう、神さまのお手伝いをしたいっていう気持ちで、やってる内にですね、本当の真祈りの響き、真(まこと)の神さまの喜びが湧き上がるわけです。そうなると、その一呼吸が「う」であり、「ちゅう」であり、「あ」でありっていうのがね、わかってきて、宇宙神って乗してるのが、「う」で吸って「ちゅう」で吐いて「しん」で吸って「あ」で吐いてみたいな感じがね、ごく自然にできるわけです。だから、一息(ひといき)の時に「宇宙神」って吸わなくちゃいけないとかね、いう意識が消えるんですよ。そうなると息吹なんです。それが無意識にできるようになると、「あー」だけ「すー」だけ「うー」だけも自在になる。そういうふうに自在になってきた時が、息吹です。だから息吹というには、内側から喜びとして湧き上がってきた呼吸になれば息吹だと思って下さい。ありがとうございます

質問2
 キリストの十字は回転するとIになると考えればよろしいですか?

河上さん
 これね、要は、一大循環の相象(すがた)、真(まこと)の神さまのおすがたである、一大循環のお相象(すがた)をどう説明するかだけなんですよ。だから説明の都合上、時間軸を止めて十字であると言ったり、]型であると言ったり、卍型であると言ったり、円であると言ったり、色んな表現があるわけですね。でも一大循環の相象(すがた)そのものなんです。じゃあ一大循環の相象(すがた)って何かというと、これ頭で考えたってわからないんですよ。でもわからないけど、わからなければわからないままで終わりますので、印可書という先生が残していただいた響きの中に乗っていけばね、自然にわかるようになるんです。印可書を奉納していると、本当に印可書がね、漸化式という、等比数列、等差数列、階差数列という、数列の綺麗な数字で並んでるのが、直感的にわかります。そこまでわかるようになれば、大丈夫ですですけども、それがわからなくてもね、読んでる時は、真(まこと)の神さま、そのものの自分なんだぁっていうのを信じて読み続けて下さい。その目標の場所を変に定めると自分が出るんですよ。だから、悟りというのは、到達点がないんです。永遠に深くなるんだぁと思って下さい。だから、そこまでいかなくちゃいけないって、言うた途端に自分が出るの、ただただ神さまのお手伝いがしたいと、投げ出して、どれだけ投げ出していくかだけなんですね、どれだけ投げ出すというのは、無限の無限の響きであって、永遠に奥には奥が、五井先生の表現で言うと、奥には奥があってと仰るわけですけども、永遠に深くなっていくんです。それも永遠に深くなっていくって、理屈で考えるとまた自分が出てきますので、あまり何も考えずに、ひたすら印可書を奉納されてたら、例えば十字がXであり、卍でありっていう、その全てがね、何で十字という表現を使うのが一番わかりやすいのかっていうのも、わかるようになります。

 とりあえず一つだけ答えを言いますと、ありがとうございますが10文字ですから、十字(架)です。はい、お願いします。ありがとうございます

質問3
 はじめて護摩に参加させていただきました。炎の勢いが凄いのに、そばに行っても、それ程熱く感じないのは、どうしてなのでしょうか?

河上さん
 神さまと一体化してるとね、この世的な感覚というのは消えちゃうんですよ。ただただ喜びだけになるんですね。だから、この世の感覚だと炎は熱いという感覚なわけですけど、それを超えてしまうと、熱いを感じないから、ちょっと体験的にね、こういうことなんだということを神さまが教えて、くださったんだと思って下さい。ありがとうございます

司会者
 事前にいただいた質問は以上です。後、会場の方で、この場で質問のある方は、いらっしゃいますか?
(会場からの質問者がいましたので)はい、どうぞ。

質問4
 真祈りの日々が実践なんですけど、その中でですね、現実無視のところが、ちょっと、ごちゃごちゃに今なっていまして、ちょっと、そこをお聞きしたいなぁと。
例えばですね、みんな健康であってほしいって、こう現実化しよう、神さまの御心を現実化しよう。例えば健康、みんな健康であってほしい。実際に色んな病気の方が周りに、いらっしゃるんですね。色んな情報を集めて自分で勉強して、色んなことをお伝えしたりとか、お祈りしてあげたりとか、そのやってるわけですけども、ふとですね、これ現実掴んでるな、そしたら、もう逆に、お節介は止めてですね、全部、見ざる聞かざる言わざるって、無限健康を、真(まこと)のプラスの言葉を、お祈りして与え続けた方がいいのかなぁと、どうでしょう?

河上さん
 それ両方がいるんですね。まず真(まこと)の神さまの立場に立って、全ては完璧っていう立場をいつも持たなくちゃいけない。真(まこと)の神さまの立場に立っている時は、一切の現実は無視なんです。でも現実を掴んで苦しんでおられる方にね、例えば物質なし、現象なし、病気なしって言ったって、通じないじゃないですか。真(まこと)の神さまの立場で言えば物質なし、現象なし、実相完全円満という、生長の家流の言い方ですけども、先生の言い方で言えば、全ては一大循環のお相象(すがた)、真(まこと)の神さまのお相象(すがた)だけってなるわけですね。でも現実を掴んで苦しんでる方にね、そんな事を言ったて通じないでしょう?。

 だから、小さい立場に自分もね、いわゆる共に喜び、共に楽しみですから、自分も一緒に立ってあげてね色んな事を言うのも大丈夫なんです。ただ自分も現実を掴む意識になって(流されて)言うとね、意味がないのね。

 神さまは完全円満で一番いいようにされてるっていう立場に立って、現実的な対処的な事を言ってあげると、言葉以前に相手のマイナスが清まるんです。だから印可書を奉納し続けてると印可書の内容の全てが、「あ」「う」「す」に集約されて、体に入ってますのでね、そういう言葉以前の響きのままで、色んな対処的なことをされたらいいんです。

 だから、そうしてると要らん事は言わない、本当にその人にとって必要な事しか言わなくなりますので、お節介ではないんです。
 
 常に真(まこと)の神さまの立場に立つということが、まず第一前提なんですね。立つ為に印可書を読み、それを染み込ませておくわけですね。

 今の質問の時もそうです、今日の護摩の時に自然発生的に、ここで印可書を共に読みましょうということで、僕はお願いしていなかったわけですけども、なったわけですね。本当に、みんなの自由意志で始まったら、これ僕がお願いしていたら、今日は、あんなに上手くいかなかった。でも、みんなの自由意志で印可書を読もうとなったんですね、今日はね。そしたら、みんな本当にワーッと唱和されて、今日の護摩、本当に凄かったんですよ。言葉に表せなかった。あまりに美しくて、こう会場のみなさんを、ずーっと見回していたんですけど、それくらい凄かった。

 印可書って、そういう凄さがあるんです。その凄さのまま、日常生活をされればね。印可書を読んでるから凄いんだぁって思ったら崩れますよ。そんなことはどうでもいいのね。日常生活のことをされてたら、本当に必要なことが、必要なように収まります。全てが一番いいようになっているっていうのがわかります。

 ともかくね、教義とかね(文章や)理屈じゃないんですよ。何かっていうと神さまに対する絶対の信が、あるかないかなんです。

 神さまに対する絶対の信が、あるかないかっていうのは、本当に神さまが一番いいようにしてるっていうのが、わかるかどうかです。

 昔の例えば、日本の神道の場合は、大祓いしかなかったんですね。だから間違って現実掴んで、現実を掴むの、掴み、罪っていうんですけどね。罪、現実を掴んでしまった罪、穢れを大祓いで祓ってだけだったんですけど、今は絵馬があったり、祈願があったりね、するじゃないですか。祈願とか祈祷とか希望実現の祈祷ですね。如何に神さまを冒涜してるかっていうのが、わからない状態になってるだけなんですね。神さまは全知全能だから、その人にとって一番必要で一番大事なことしか、一番大事なことをいつもされてるわけ、それをただ喜んで受けるだけ、その状態をわかるのは、真(まこと)の神さまの立場に立てばわかる。でもそれが、わからずに自分の思い通りにしたいわーっていう人の為に、今お話したように、相手の立場に立ってお話してあげたらいいだけですね。対処療法の部分は、その時いったら、後、忘れて下さい。

質問者
 忘れる。

河上さん
 こういうふうに、せいと言うたやないかって言う必要はないの。例えば、こういうふうにしなさいよって言うじゃないですか、相手しない、大概はしません。大概みんな好きにしますけどね。相手がしなくてもかまわない。それだけ、結果に一喜一憂しないということなんですよ。それが現実を掴まないということなんですよ。共に相手と一緒に現実を掴んであげるんだけども、自分は掴まない、それがお清めなの。だから、一緒に、例えば、相談にのってね、一緒に自分も掴みにいったら、お清めじゃなくて、自分がまきこまれている。わかります?

質問者
 そこが見極めが、ごちゃごちゃ・・・

河上さん
 見極めはね、神さまが一番いいようにしてるって信じきれること。だから、どういう結果が出ても一番いいようなってるというのが、見極めです。結局、一人一人不公平じゃないか、結果が違うじゃないかって、理屈言いは言うんですけど、神さまの大きな立場から見たらね、その人にとって一番いいようになってるんです。例えば、この前の深夜勉強会で、ちょっと言ったんですけど、いわゆる飢餓の状態の国に生まれる人は、何故かっていうと過去世で人の分まで奪ってまで食べてきた人なんですね。だから常に、あの人に差別して虐められるわーって言ったら、やっぱり過去世では自分がやってきたことが、その一番小さい形で消してもらってるだけなんです。何万分の一でね。それを先生は好転反応とか、何万分の一とかで消してもらって、良かったんだぁとか仰るわけですけど、それでも、みんな、まだ苦しいからって文句を言うわけですけど、そこは、共に苦しんであげて、お祈りしてあげるだけでいいんですね。

 実際に苦しんでる立場の方っていうのは、その苦しみを放せないですから、そこから逃げれないんですよ。だから同じ気持ちに、同慈同悲同喜同捨っていうんですけども、同じように慈しんであげて、同じように悲しんであげて、そこで自分がお祈りしてね、同じように喜びに変えてあげてっていう、本当の真祈りになるから、同じように現実を捨てれる。慈悲喜捨という四文字が生まれるわけですけど、その相手は、喜びと捨てるところまでついてこれなくていいの、後は自分がお祈りをするだけ、全ては真(まこと)の神さま、全ては自分だから、全ては自分の責任だから、それがわかっていればね、何が起こっても、心揺れないから、心揺れないというのが真祈り。心揺れなければ光が通って清まっていくんです。
 
 本当に、先ず、ここにいらっしゃるみなさん全てがね、イエスキリストとして、弥勒菩薩としてね、全ての人のお清めを、できる力がもうあるんです。今、言ったお清めのメカニズムを、今ちょっと細かく説明したわけですけども、ともかく慈悲喜捨の心でね、その為には、印可書を読んでいないと、自分の心揺れますから、揺れなければ、それができるんです。できたら自分がしたと思ったら崩れる。神さまがいいようにして下さっただけ。イエスが言う、いつも、神の栄光を顕わさんが為に、神さまの喜びを顕わさんが為にっていう、それが全てです。ただただ神さまに使っていただいて良かったなぁ。すると足が痛くなってもね、使っていただいて良かったなぁ。

 例えば足が痛くなった、或いは手が痛くなった時に、治らなくてもいいやって、要らんことをみんな思うのね。それ要らん思いですから、神さまがいいようにするだけ、結果としてすぐ治るか治らないかはいいの。一瞬一瞬新た(あらた)だから、常に治ってるんですよ。治っては受けて悪いように見えてるだけなの本当は、それを治らなくてもいいやなんて思うと、一瞬一瞬新たに受け直すが潰れるので、自分も一緒に崩れます。

 要らんことを思わない、いつもいつも、思うことは、神さまが一番いいようにしてるって、喜んでたらいいの、だから先生は喜んで感謝して待っててくれたらいいって、いつも仰っていたんですけどね。その喜ぶというのは、神さまが一番いいようにしてるって信じきれたからこそ喜べる、いいですか、これ。

質問者
 日常生活も、全てを、そういう今の形で清める、清めながら・・・

河上さん
 そうです、どの形の現実になっても、神さまが一番いいようにしてるって喜べたら現実を掴んでない。何でってなった途端に、現実掴んでるの。

質問者
 掴んでるのか、本心の立場に立ってるのか?

河上さん
 だから、それがね神さまが一番いいようにしてるって喜べたら掴んでないの、神さまが一番いいようにしてるはずなのに何でこうなるのって、何でって言うとね、小さい立場に立ってるわけ、それがもう、小さい立場に立つというのは何かっていうたら、掴んでるから小さい立場に立ってるの。

 だから苦しんでる人の為にね、同じ立場に、同じように掴んであげて、まず、掴みにいかなあかんのですよ。同じように苦しんで、そこからは、自分が真祈りして消すだけなの、すると共にの、相手に合わせた人も一緒に綺麗になるの。先生はいつもこれをされてたのね。だから色んな人が来られたら、みなさんは、ご存じないですけど、みんなが帰った後、本当にお祈りの部屋で苦しんでおられた。それは同じように、わざと同じように掴みにいって、背負ってあげたからなんです。それを背負うっていうんです。背負っても掴んでないから、すぐに光に変わる。その辺をみなさん、よく覚えておいて下さい。

 だから、背負った時は、痛いし辛い悲しいし、色々あります。あるけど、そこで神さまが一番いいようにしてるので、良かった、使っていただいて良かった。先生はいつもそうだったんですよ、ただ感想としてはね、「神さまは楽をさせてくれへんなぁ」って、よく仰ってました。でもいつも喜んでおられた。だから、いつもいつも、みなさんは、どの状態でも神さまに使っていただいて、良かったって思えたらいい。すると一瞬一瞬新たが始まるんで、いわゆる一大循環が始まるので、何でもサラサラと流れます。

 川の中に手を突っ込むというのがね、現実を掴みにいくなんですけど、突っ込みぱなしでも、本当はいいんですよ。突っ込みぱなしでも、その水しぶきが綺麗なと喜べたら、大丈夫なんです。

 先生は、一瞬一瞬新たに突っ込みぱなしにされて、体が、ああゆう状態でしたけど、神さまに使っていただいて、良かったなぁ。その突っ込みにいくのも、神さまが突っ込ませてくれるみたいなぁね、自分からいくことはなくなります、印可書を読んでたら、最初は自分からいきます。それも構わない。でもいつもいつも神さまに使っていただいて、良かったなぁと喜べたら現実を掴んでいません。ありがとうございます

質問5
 ありがとうございます
護摩を最優先に選んで、参加しようと思って来られてる方が、今回、東京方面が悪天候で足止めをくらって、中には、それを乗り越えて来られた方もいらっしゃるし、中には引き返した方もいらっしゃいます。今日の話で、全ては一番いいように・・・

河上さん
 そう、神さまがいいように使ってくださっただけです。

質問者
 そう思いますが、何か、特に今回初めてだったんで、そういういつも、馴染みの顔ぶれが・・・

河上さん
 ちょっと寂しいよね、会えないのがね。

 今回ですね、その本当に、ある程度、消えつつあるんで、もう喋りますけど、海ほたるの所を震源にして大きく揺れるとこだったんですよ。それと連動して富士山が噴火するという感じになっていましたので、本当にどうしたものかっていうくらい追い詰め、今回追い詰められて色々と走り回っておったわけですけども、あの大きな、もちろん土石流で亡くなられた方は、お気の毒でお悔やみ申し上げますけども、あの形、一番小さいあの形で、今回大半が消えました。まだまだ油断はできないですけども、その形で消えた時に、来れない方は来れないだけの役目をもって使っていただいたというだけです。

 来れた方は来れただけの役目をもって使っていただいた。ただただ、それだけなんですね。今は護摩に来れた来れないですけど、これから先、護摩があまり上手くいかなくて、ぐちゃぐちゃするとですね、本当に食べ物が無くなっちゃうのね。食べ物の場合は、もっと切実で、食べれる人と食べれない人が出てくるわけです。でも食べれなくても、餓死する状態になってきても、神さまに使っていただいて良かったなぁと思えるくらいね、絶対の信を深めておいて下さい。そうならないように、もっていきたいし、みなさんも護摩をやっていただけてますので、大丈夫だと思いますけども、もしそうなっても、食べれないって一番きついじゃないですか、食べれない時でも神さまが一番いいように使っていただいてるんだ、良かったって思って下さい。そう思うと一気に変わるんです。

 それが、食べれなくてどうしよう、今回だと、例えば、護摩に来れなくてどうしようと思った途端にね、大変になっていくんですよ、わかります?
 いつもいつも、この状態で一番良かったんだぁって喜べたら一気に変わる。でもどうしようどうしようどうしようって言った途端に、もうどんどん大変になっていくわけです。

 ちょっとの差ですけど、大きな差になりますので、今の質問の事で拡大的にお話しましたけども、ともかく、いつもいつも神さまが一番いいようにしてるんです、その人にとって、その人の役割分担なんでね。例えば、たくさんお清めする立場が偉いとかね、村のお掃除だけしか来ない人がダメとかじゃないんですよ。どの役割も全部神さまにとっては大事なことばかりなんです。

 この世的に見たら、この優劣が、この世的な小さい意識だったらね、優劣つけるわけです。だから、今回だったら、護摩に来れた人がよくて、引き帰した人はよくなかったみたいな感じに思っちゃうわけですけども、そうじゃないの、どれもこれも神さまが必要でお使いになりますから、どの立場に立っても喜べるということを、絶対の信だとわかって下さい。ありがとうございます

質問者
 ありがとうございます

司会者
 他に質問のある方はいらっしゃいますか?では、ないようなので河上さんありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます
本当にね、今日は凄かったんですよ。どんどん晴れてきましたでしょう。雨はどんどん止んでいく形だったんですけども、護摩の最中に雨を降らす理由がありまして、護摩の最中は、あまり止(や)まなかったんですけどね。それくらい、ちょっと今、大変なんです。地球霊王さまの体が、なんというんですかね、一番熱を出されて苦しんでおられるような、そういう病気の状態なので、護摩で雨の状態で一番、それで、「さぁ、人類の自由意志に任す」ということなので、こちらからは、今回は本当、何も誰にも発信してなかったんですね。でもここで、一緒に印可書を読みましょうという、自由意志でなったのが、もう本当に先生大喜び、神さま大喜びで、本当に今日の護摩は凄かったです。

 予定よりも、ずーっと早く(護摩が)完成(成功)しましたし、素晴らしかったと思います。ともかくね、現実を掴まないということが、全てなんです。現実を掴まないというのは何かっていうたら、絶対の信があるかないかだけです。神さまに対する絶対の信があったら、全知全能の神さまが一番いいようにしかしない、というのがわかるわけです。すると護摩に来れようが来れなくて、良かった。来れて良かった。お母さんが死んで良かった、という全てなんですね。

 例えば、今日お母さんが朝亡くなられて、それでも護摩に来られてる方もいらっしゃるわけですけども、それでも、もっと地球の裏側にいててね、親が死んで、会いにもなにも全然来れないというのと全然違うじゃないですか、いつも一番いいようになってるんですよ。それがわかれば、どの状態がきても喜べます。常に常にそこをね、自分の現実を掴んでるか掴んでないか、要するに罪を重ねる。マイナスを出してるか出してないか、現実を掴むって、掴む罪なんですね。罪を重ねてるかどうかっていうのが、わかります。

 何があっても何でと思った途端に、あー現実を掴んだと思って下さい。何でと思った時でもですね、神さまは全知全能だから、一番いいようにされてるんだぁ、良かったという、それだけなんですね。

 イエスキリストはね、「日々の糧(かて)を、いつも与えて下さってありがとうございます」って、祈りを教えるんですけど、後の人は、我ら試みあわさずにとかね、要らんことをつけるんですね。神さまは試みに合わすことはないし、一番いいようにしかされてない。だから本当に何もかもがなんですけども、人と自分をひき比べた時点で、現実を掴んだと思って下さい。

 それぞれ神さまが必要でお一人お一人のすがたをお使いになって、現わされて自由自在に働かれてるんですよ。現実を掴む、自分という意識があると、その自由自在に働いてる神さまの意識を、止(とど)めるんですね、止めるから罪というんですけど、色んな事が起こるんですけども、ほとんど晴れてきましたけどね、そういう状態が始まるわけです。だから常に常に一番いいようになってる、もうそれだけです。何でと思っても神さまが全知全能で一番いいようにされてるって、それだけです。その人その人、一人ひとりのね、お一人お一人をお使いになって、完璧な働きをされてるんです。難しい教義(おしえ)は一切要らない。神さまが完璧だけ、神さまは完璧素晴らしい。

 だから先生はいつも神さまを褒め称えてたら、いいんやーって、仰るわけですよね。みんないつも、先生がいつも神さまを褒め称えてたらいいっていうのが、みんなわからないのね。何故かっていうと、自分に願いがあるから、この願い叶えてくれてないのに、どないして褒めるんやみたいなね、屁理屈を言うわけですよ。でも本当は神さまが一番いいようにしてるし、何でもできる方で凄い凄いって褒め称えてらいいんです。その神さまが凄い凄いって言う分だけ、神さまの力を受けれるの、神さまは僕の願いを聞いてくれないというた分だけ神さまの力を受けれないの、だから、願い事をすればするほどね、神さまの力を受けれないから、余計に願いがかなわないんです、本当は。するとどう、何が起こるかって言うと、横取りが始まるんです。

 いつも言うように、100人の人に、神さまは完全円満完璧大調和ですから、100人の人に100個のアンパンを、いつも用意されるんです。みんながアンパンで例えますよ、みんなが、一人が一個づつのアンパンを絶対食べれるようになってるわけですね。ところが希望実現欲望を出すと、私は5つ食べたい、私は10個食べたいって言うて、人のを奪っちゃうの、すると食べれない人が出てくるの、だから何で私だけ、こんな目にあうのっていう、因縁因果が始まるわけですけど、その因縁因果の輪を先生が断ち切られたのでね、今回。断ち切られてるから、このお話をしても、みんなわかってくれるの。

 是非ね、神さまに対する絶対の信だけって思って下さい。全知全能の神さまが一番いいように、自分にとって一番いいようにされてるんだぁって思って下さい。するとね、自分にとってっていうのが消えて、全てにとって一番いいようにしてるってわかります。

 それが悟りです。ですから自分と他人が意識的に分かれてる内は、まだまだ、それが分からなくなります。人間の指そうでしょう、5本の指、5人いてるみたいなもんじゃないですか、親指さん、小指さん、中指さん、人差し指さんってね、5人いてるけど、これが2つ、腕になってこう一つになっていくわけでしょう。全ては完璧なる一つなんです。でも神さまは、こういうふうに色んな指に分けて、色んな姿に分けて、楽しんでおられる。楽しんで働いておられるだけっていうのが、わかって下さい。

 それが絶対の信の、絶対の神さまに対する絶対の信の確立です。ただただそこだけです。だから何でって思った時は、神さまの凄さを思いなおして下さい。もうそれだけです。その神さまの凄さを思い直す為に、先生が印可書を作って下さいました。

 どうぞね、ご自由に、自分の自由意志でね、印可書をどんどん奉読して、本当にみんな先生と同じ悟りに到達できますので、よろしくお願いします。また来月お会いできることを楽しみにしています。本日は、ありがとうございます

 音声は、こちらからどうぞ
https://youtu.be/kqXgetbnTiU

 宇宙神ありがとうございます


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6月深夜勉強会 by 河上彰延 2021年06月26日(土) 08時35分
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令和3年6月深夜勉強会(20210618−1)

河上さん:まあ、イエスの予言にもあるように終末の時になると「我はキリストなり」とかね、「我は弥勒菩薩なり」とか言って色んな人が出てくるのね。

それをイエスは「そういうのは全部偽物だ」って言うんだけど何故かわかる?

「我は」って言ってるから。「自分はキリストである」って(笑)「自分は弥勒菩薩だ」って。「自分はお釈迦様である」って言うねんな。もう自分って言った時点で偽物や。みんな完璧なる一つ、だけが全てやねんね。その完璧なる一つから意識をちょっとでもずらすのを虚栄心って言うねんけど。まぁ、今回、先生が何を怒ってるかと言ったら、「一心誠実実行万里を知るに勝る」。

 まず真祈りやって言っているのに、まだ真祈り以外に心を向けてるって言って、先生は怒るの。真祈りっていうのは1番簡単で1番難しいのね。ただ先生は簡単にして行って下さったわけです、今回はね。

 今は真祈りって何かって言ったら、護摩木を書くこと、護摩木を作ること、護摩に参加すること、「印可書」を奉納すること、「宇宙神ありがとうございます」を奉納すること、「ありがとうございます」を奉納すること。

そのどれか1つだけ出来たら良い。って言うて優しくして下さっているわけね。そのどれか1つをしてるとね、いつもいつも心を神さまに置けるの。真(まこと)の本心の自分に心を置けるね。すると何も一々考えへん。

神さま以外のものに心を向けていると一々考えるの。考えると腹が立ってくるのね、自分と違うからね。考えるっていうのは何かって言ったら自分と違うわけよ。すべて完璧なる一つやったら考える必要は無い。わかるかな?いつもそこやねんけど。

 「オギャー!」っと生まれてきてからね、まぁいうたら生存競争でしょう。兄弟間でもお菓子の奪い合いがあり、学校でも競争がありってね、どうしても自分と他人を分ける癖があるから、自分と他人との違いを考えるという癖があるのみんなね。で考えて腹が立ってくるね。あいつはあんなんしてるって(笑)。あいつはズルいとかね、色々あるけどいつもいつもそれやねんな。それであいつが何々してるっていうだけで、あいつは偽物やとかね、あいつは本物やとかね、何でも一緒やで。自分と分けた時点でね、すべてマイナスやねんね。そのマイナスの思いを出している間はどんどんどんどん下に落ちていくの。

 だからこの世に生まれてね、目連さんのお母さんのような優しい立派な方でも餓鬼道まで落ちるの。というのはそれね、この人間界に絶えず戦争が絶えないのも、そうしてみんなが出してきたマイナスが積み重なって、大きな業として崩れる時に戦争の形になるのね。もうそれだけ。だからもう真祈りだけやねんね。以前やったら真祈りって言うとちょっと敷居が、ハードルが高かったのが今は「私、真祈りどうしたらいいかわからへん」って言う人でも、護摩木を書くときは真(まこと)の神さまが降り立って下さって一緒に書いて下さるよって。それを真祈りにするよって。ね、護摩に参加するときは真祈りにするよって。もう簡単になってるのにな、まだそれ以外のことに心を砕くんやね。

それ以外のことに心砕いた途端にな考えるね。な、いつも言うてるやろ、考えたらあかんって(笑)。そのままスっと受け取っときって言ってるのにな。考えたら色々といらんことをするね。

 1番みんなが引っかかるのがね、血筋とかね、或いは、結局はまぁ無責任なんだけど、この人について行ったらいいっていうのがね、みんな1番すぐその辺に乗ってしまうねんな。

それでお金さえ出してたらいいとかな、色々あるけど。自分が総責任者として真祈りしなくゃいけないの。いつもいつも真(まこと)の神さまと不離一体になってなあかん。

真(まこと)の神さまの事だけを思ってなあかん。表現は色々ありますけども。自分が真祈りしなくちゃいけないのに、それは横に置いといて誰かについていったらいいみたいになってくるのね。だから今回でも僕の息子がなんかやってるとか(笑)それ血筋の話やろ?別に誰がやっててもええねんけど、その辺にすでにみんな引っかかってるのね。それが先生が真祈り以外のものに心向いてるって、今回は特にそれで怒ってる。

 「ここまで真祈りを簡単にしてるのに、みんなが真祈りできるようにしてるのにまだ他のことに心を向けるか」。だから先生の後、二代目として誰か継いだとかね、もうそんなんはもう遥か昔の古い宗教の話であって、今はみんなが先生の働きをせなあかんね。みんながイエスキリストの働きをせなあかん。それが真祈りって言うね。みんなが弥勒菩薩として働くんよ、それを真祈りって言うね。

まず真祈りがあって、その結果としてハードディスクの録音を配るとかね、それはかまへんね。だけどまず真祈りやね。それは置いといてこれはええ話やからみんなで聞いてねって持っていってもあかんのよ。わかるかな。まず真祈りしないとあかん。

 あのね、先生のお話でも僕の話でも聞いたから悟るのと違う。まず真祈りするからみんなが変わるね。もうここが大事やねんね。だから神書も一緒やね。神書はね、自分が読むから変わるんであって人に読んでもらったものを聞いても変わらへん。昔ね、神書をね、朗読してインターネットに上げた人が居るんですよ。その人は自分では真祈りしてるつもりなんだけど、自分で、自分が祈っているやったから真祈りになってないのね。結局その神書の朗読を聞いた人の思いを全部被っていくわけ。

 ここでお話をするというのはそうやね。先生がお話をしたらその先生のお話を聞いた人の思いが全部先生に行って先生が清めなあかん。僕がお話ししたら僕のところでみんなの思いが全部来て僕が清めなあかん。今、説明の都合上僕がって言ってるけどね。綺麗にせなあかんわけね。だから真祈りができてなかったら潰れるの。だから色んな宗教が最初は素晴らしいんだけど途中で狂っていくのは、中心者が真祈りできなくなっていく。一杯背負ってきてね。

 だからそのお話しすると言うのはね、お話ししてるんやけど本当はお清めしてるだけや。だから真祈りの覚悟がないとね。真祈りの覚悟って何かって言ったら、いつもいつも言うようにね、神さまが1番良いようにしてるや。一切文句言わないや。だから神さまが1番良いようにしてるから、しゃべる立場に立ってしまったからって言うても逃げないし、喋った結果、その話をみんなが配ってね、全然僕許可した覚えないけど、みんな好き勝手に配るわけでしょう?(笑)それで配ってみんなの分が来るわけや。来たからといって文句を言わずにそのままするわけね。それは良いとか凄いじゃなくて、役割分担やから関係ないの。

それが素晴らしいではない。みんなそれぞれの役割をするだけ。それは人間の体で言ったらね、目の役目の人、口の役目の人、指の役目の人って、みんなどれも必要な役目でしょう。どれ1つ欠けたってみんな不便するわけや。耳1つ欠けたって不便するわけでしょう。だからどれが凄いじゃない。それぞれが大事な働きや。それが真祈りや。だから自分と他人を分けたらアカンし、自分と他人を分けて考えたらもうあかんね。

 考えるなよって言ってるやん(笑)そのまま受けて、神さまが1番良いようにしてるんやから、そのまま受けてたらいい。サラサラと、先生の表現で言うとサラサラと受け流すってね。一瞬一瞬新たに受けては受け流して神さまにお返しするていうのが大事やね。そこで心を神さまに向けてなかったらお返しできないからため込んでいってね。

それで、まぁ船で言うと、どんどんため込んでいくとな、積荷一杯になったら船沈むやろ。それでみんな沈んで地獄に降りて行くの。

 だからこの「罪悪深重の凡夫(ざいあくじんじゅうのぼんふ)め」って親鸞さんが怒ったんや。みんな自分は善人やって(って言うから)。「この善人ボケが」って言うてね「善人ぶってみんな地獄に降りるんじゃ!」って一喝入れるんやけどね。

 もうほんとにいらんことを考えるからよ。神さまだけを思ってたら良い。その神さまだけを思う方法をね、先生が簡単にしていって下さったの。それで「ありがとうございます」でみんな失敗したから、「宇宙神ありがとうございます」で失敗したから、「印可書」と護摩木を書くことと、護摩に参加すること、護摩木を作りに来ること、村のお手伝いに来ること、を全部真祈りにするってね。山作業することを真祈りにするって先生決めて行って下さったの、だからもう安心だって。でもそれを信じれずにしたら意味ないのね。

 もう村人に今も昔もですけど、村人になるというのは大変なことで、村人になった途端にみんなの思いを全部背負っていくのね。そこで素直に淡々とね、村のお仕事、山仕事、護摩木作り、村の仕事全てですけども、淡々と喜んでやってたらいいねんけど、ちょっとでも文句言うともう村人になったが故に大変になって、狂っていくっていうたらあれやけど、落ちていく人が多いのね。それも予定の中にあるんでいいんですけども。

 村人の心得というのを先生ちゃんと最初に出してるからね、それを見る見ないはみんなの勝手で。

 だけどそれはね、集約して村人って言ってるだけで本当はみんなが同じ役目をするわけね。ただちょっと楽なだけ、外をいてると。でももうね、いよいよ切羽詰まって後がない、ほんと後がないの(笑)。

 それでな免疫力ってあるでしょ?免疫力と言うのはマイナスをプラスに修正する力やね。ところがみんな自分と他人を分けて考えるやん、考えた時は大概な、人責めるね、わかる?

 考えて人褒めてる時あるか(笑)?ないやろ。大概考えたら腹立つでって言ってるのは人責めるから腹立つね。それで無意識に人を責めるんよ。これからはね、それが具体的に出るの。

 人責めるとな自分の免疫力が狂うの。それで自分で自分を責める形になるの。そうなると癌になったりね、する。膠原病とかね、色んな病気が今あるでしょう。それで糖尿病もそうなんだけど、どの病気も何かというと免疫力を、自分で自分の免疫力を破壊してるの。破壊の仕方によってね、腎臓病になったり糖尿病になったり、色んな色合いが出て楽しいねんけど、(笑)癌になったりとかね、それで癌でも色んな種類があるでしょう。癌は特に免疫力が破壊されてなる病気なんやけどね。その本来正しい免疫力が、免疫力同士が攻め合いしてね、狂っていくという形にいよいよなってしまったの。

 それでこの直近的にこれからよく出る病気は、考えて人を責めてたらやで(どんどん病気になっていくの)。

 真祈りしてたら大丈夫やで。考えて人を責めてる人は血液が固まるか、溶けるかのどっちかになる。固まれば心臓麻痺とか脳梗塞やね、解ければエボラ出血熱みたいなやつ。内出血バァーッてしてな。目が見えなくなったりとかね。それがちょっと極端に出ます。

 それでそうならないために200人の真祈り人がいるし、みんなの真祈り人の光でそういう攻め合うマイナスをね、消しきっていきたい。だからここに先生に縁のあった人がね、真祈り忘れてもらっては困るって言うて先生が言う(笑)。もう後ないでって。本当にあっという間やからな。みんな甘く考えてるけども、本当に急に作物が育たなくなるの。それで急に水が足らなくなるしね。するともうまず食べ物がないってなる。

 そしたらもう本当に世の中混乱するの。なんやかんや言っても食べるものがあったらな、文句言いながらでも収まっていくんよ。でも食べるものがなくなったら本当の奪い合いが始まるの。そうならないためにも真祈り人の働きがいるの。もう(ね)みんなを先生が頼りにしてるの。

 これからは一人の人が五井先生が、松下先生がお祈りしてね、人類の危機、地球の危機を救う時代ではない。みんなで真祈りする時代。みんながイエスキリストにならなあかん。そのためにも、もう考えるのはやめて、真祈りだけ(笑)。もう今日の話はこれだけです、質問があったらどうぞ。

 もう難しい事は1つもありません、考えんなよって。そのまま受け取って喜び勇まなあかん。どの状態でもね、その人の縁を使って神さまが1番良いようにしてる。その人の体を使ってお清めに使いはるわけね。だから風邪ひいたとか熱出たとかっていって先生いつも熱出しておられたの、咳出しておられたの。文句言われないでしょう、先生の体を通して神さまがお使いになっただけでよかったって言われるの。

 それを見習ってね、いつもいつも神さまが1番良いようにしてるという絶対の信を立ててください。それを真(まこと)の神さまを立てるって言うんです、もうそれだけです。

 だから「なんで手痛くなんの?」とかね、「なんでこんなにボロカス言われんの?」とかいうのはやめましょう(笑)。今が1番良いようになってるの。全知全能の神さまに不可能は無いの。だからその人にとって耐えれることを、その人にとって耐えれる部分で人類のマイナスをその人の肉体を通して消す。

 肉体がないとね消せない。手をインクとか墨で汚すとするでしょう、そしたら一生懸命こうやって手を洗おうとしても中々落ちへんね。だけどな、雑巾がけするねん。で、かけては雑巾を洗っててみ、知らん間に手が綺麗になってるで、わかる?

 だから皆さんの肉体も雑巾として神さまに使っていただいたら本当に綺麗になる。それをね、自分1人が此処へ来て座ってお祈りしてお祈りしてしたってね、こうして(自分一人で自分の手をこすって)洗ってるようなもんや。中々綺麗にならへんね。だけど神さまに雑巾として使っていただいたら、あっという間に綺麗になる。

 その雑巾として使って、今までは「使って下さい!」って願ってもなかなか使ってもらわれへんかってん。なんでかっていったら真祈り(以外)、神さま以外のこと思ってるから。

 でも今は神さま以外のものを思ってもいいよと、でもひたすら護摩木を書く、「印可書」を奉読する。ね、簡単な方法を先生が、もうどうしても心悩む時は、村へ来てお手伝いしって言ってはるわけやからね、もうそれだけなんだから。是非、肉体が痛くなろうが、運命的に悪くなろうが、本当に食べるものがなくなって自分が食べれ無くなろうがね、文句言わずにひたすらひたすら「印可書」を奉納して、「宇宙神ありがとうございます」を奉納して真祈りに邁進していきましょう。

 みんなイエスキリストとして働ける。イエスキリストはね、十字架に架かるときにちゃんとそれを説明してるねんけどな。十二弟子はまだそれがわかったからするんだけど、後の人はやっぱり真祈りの伝授は十二弟子までで失敗したのね。十二弟子、十二使徒にはちゃんと真祈りの伝授できてんけどね。その辺があるんですけど、今回は失敗しないと思っています。

 イエス様は罪が無くて、人類の罪を身代わりに背負って十字架に架かったなんて勘違いしてるのね。そういうふうに間違って伝えてしまってるけども、イエスはちゃんとお弟子さんには言ってるのね。「すべては自分やから自分の罪を背負って消す」って言うてね、ちゃんと説明してるし、お弟子さんもイエスが十字架上で「これで成就しました。よかった」ってね、喜びだけを示したのを見てみんな変わるのね、一緒よね。

 まあ、イエスはヨハネ先生のを見て変わるんだけど、みんな一緒。今回はもっと真祈りが簡単になってるのね、だから大丈夫。みんなできるから。それでみんなしないとどっち道、地球はお終いだから。

 だからその「自分は悟ってる」とかね、「自分はイエスだ」とかね、その「自分は」と言う人のは全部偽物だから。それだけわかってたら惑わされない。みんな完璧なる一つ、もうそこだけに尽きる。

 村人になるとね、色んなものを背負うから余計完璧な一つがわからんようになる。で、自分が偉くなったように思うね。それで非常に大変な立場やねんけど、その立場を乗り越えてこそ立派になるから頑張ってください。それ以上言いようがない。それぞれ自分の、なんて言うかな、神さまに対する絶対の信があるかないかだけを問われるわけよね。

 ただ問われ方が村人の場合は厳しい。山作業でもきついしな、村人間の人間関係も厳しいからね、一般社会以上に。その中で絶対の信を問われるわけ、今が1番良いようになってるって。厳しいで。差別も一杯あるからな村は。その中で差別されても1番良いようになってるって思い定めなあかん。

質問:それは人類の雛形として。

河上さん:そうよ。

質問:人類の代表として。

河上さん:うん。だって僕が1番古いってみんな知ってる話や。だけど河上はあかんってもう最初の頃はすごかったんや。失礼にも程があるで!って(笑)。大先輩に対して!ちゃうか(笑)。昔は本当に僕が1番古いのを知ってる人が多かったから、僕にはモノをよう言わへんかったね。だから先生が(僕を村から)ちょっと遠ざけてんけどね。それでも知識としては知ってる筈や。奥さんと結婚以前から先生と一緒にやってたっていうのをね。

 せやのにそれがどうこうっていうのは差別や。それは何かって言ったら自分と他人を分けて、あいつは偉いとか悪いとかね考えるからや。なっ、今日のテーマ、考えたらあかん(笑)。考えたらアカンねんて!神さまが、全知全能の神さまが1番良いようにしかしてないね。難しい教義は無い!神さまに対する絶対の信をいつも問われるだけよ、

 みんな。それが真祈り。何があっても神さまが一番良いようにしかしてないの。何もを文句言うか!五井先生がいつも「文句を言いなさんな」って言うねんけどみんなわからへんかってん。「文句言いなさんな、すべては消えていく姿で、世界平和の祈りだけや」って言うて。もう五井先生も優しく仰ってたんだけど、みんな文句言ってんな。それで悟った人出てけえへんかってん。あっ、島田先生は悟りを開かれたけどね。島田先生すごい方だった。

 (でも他の人は)今だに文句言ってる、みんなな。どの宗教でも(笑)。文句を言わない宗教はないんちゃうかな。だけど此処は文句言うのやめましょう!考えるのやめましょう(笑)!神さまが一番良いようにいつもしてるんやから。

 もしな、自分にとって良いように神さましてへんって言うだけでな、神さまの全知全能を否定してるわけよ。神さまの全知全能否定した途端に、自分と神さま分かれてるから、余計に苦しくなるね。もうそこだけよ。

 神さまは本当に平等やからね、その人の全て、過去・現在・未来の全てを見て1番良いの持ってくる。だから「なんで私だけこんな目にあうの?」と違うのね。1番それが1番楽な形で神さまはいつもしてくれてんねんけどね、本当は。だけどみんな文句言うんや(笑)「私、勉強できへん」とかね。「私、不器用や」とかね(笑)「私、記憶力ないねん」とか色々あるわな(笑)。「私は美人じゃないねん」とか(笑)。神さまから見たらみんな愛し子やのに、「私は神さまに愛されてない」って勝手に思い込むね。

 みんな拗ね虫(すねむし)。考えるっていうのはそうやねんで、拗ね虫やねんで。簡単な話やったやろ。どうぞ質問があったらして下さい、今日はもうそれだけのテーマで話は全部終わっています。先生が大笑いしたまんまやねんけど(笑)

質問:さっきのYouTubeの件に関してもなんですけども、それと考える考えてしまうっていうのは…

河上さん:あのな、まず真祈りしてね、それでこれを配ろうやったらよかってん。だけど自分の真祈りは横に置いといて「これはええ話やから配ったら」っていうのが違うね。わかるかな?なっ、自分がこう真剣にね、命がけで真祈りしてて、その結果「このハードディスクを配りたい」ってなったんやったら全然問題ないね。中身何でもええねん、

 極端に言うと。「あー」の一言で相手が気づくね。極端に言うとな、話いらんね。だけど自分の真祈りは横に置いといて「自分はよくわからんけどこれええ話やから聞いてね」はあかんね。それは違うね。以前は本を配るポスティング運動ってあったでしょう。あの時は特別のオマケで「これさえ配ったら」にしたんや。だけど真祈りを込めてって先生ちゃんと条件付けてんね。なのにみんな真祈りは横に置いといて「配ったらええやろ」ってなったんや。それで先生中止、中止いうかまぁアレになってんけどね。ちゃんと先生は説明してんねんで。与える心起こしてって言うて。求める心を出さない為に与える心を起こすといっても難しいやろうからこの本を配ることで与える心に変えるからって言うてちゃんと説明してはんね。せやのに100万冊、300万冊やったかな。それを「その数だけ配ったらいいんやろ!」になったんや。全然先生の話聞いてない。だからあの特別なおまけはなくなってん。で、今度は真祈りを第一に持ってこないと仮に本を配るにしても、自分にとって精一杯の真祈りをしてそれで配りたいと思った時に配らなあかんわけで。

 真祈りしてるから配るっていうたらもうしてるから、真祈りしてるからって言うのは、もう真祈り違うわけよ、わかるかな?

 真祈りしてるからっていうのはもう「自分が」が入ってるね。そうじゃなくても本当にね、今が1番良いようになってるやね。何があっても文句言えない状態になったら、

 文句言わない、喜べる状態になったら真祈りできてるね。真祈りは言葉以前のもんやね、本当は。だけど言葉から入らないとわからないから、先生が色々と苦労して「印可書」であり「宇宙神ありがとうございます」であり、色んな言葉を作って下さったんやけど、それでもまだその真祈りを第一に持ってきてない。神さまを第一に持ってきてない。その神さまを第一に持ってきてるか、きてないかのリトマス試験紙というかね、判断基準を”今が1番良いようになってる”って言ってるわけや、なっ。

 何があっても自分に都合が悪い、小さい自分の意識にとって都合悪いことが起こっても喜び勇める状態にならなあかん。

 それを神さまを信じるっていう。それでね、自分の希望通りになるというのが何がダメかって言うと、結局希望通りになると言う事は人のものを奪いとってるっていうことや。ね、この前あんパンで100人に100個のあんパンで説明したけど。神さまは完璧やから100人に全員に行き渡るように100個のあんパンをパって用意してくれんや。

 でもそこで自分は3つ食べたいから、5つ食べたいからやって人のを奪い取ってしまうねんな。それが自分にとっての希望実現。神さまにとっての希望実現やったら、100人に一個ずつ100個のあんパンを配るのが思い通りになるっていうことや。本心の自分の思い通りになるっていう事は、100人の人に一個ずつあんパンを配ってっていうのが本心の自分の思い通り。神さまの御心のままにっていうやつやね。

 だけど自分の希望実現で言ったらね「私4つ食べたい」ってなるわけでしょう。そうして奪うの。それがもっとこの世では極端やね。するとお金を介在しないでも売春してるようなもんや。例えば性欲を自由にやってしまうとね。そしたら大きな借金を背負ってって大変になっていくの。だから「私、結婚したいのに全然結婚できへんの」っていうのはね、過去世でやり過ぎてるの、みたいな感じやな(笑)。それは例えば、食べ物ができない所に生まれて飢える人っているでしょう?それは過去世で人のものを奪って食べてきた人やってなってあるわけよ。だけど神さまが1番良い形で小さく消えるようにして下さってるから、その飢える姿の時でも喜ばなあかん。なっ、これよく覚えといてな、これからほんまの食糧危機が来るからな、自分が食べられへんようになっても喜ばなあかん。それで餓死することがあっても喜べなあかんね。いつもいつも神さまが1番良いようにしてる。そこでそれだけ考えるなと言う、いわゆる思い巡らさなかったらね、良いようにスッと変わるね。

 いつも思い巡らすことによって神さまの働きをみんな邪魔するんよ。それで邪魔して余計に苦しいって言って苦しむんやけどね。

 それをまぁ別の言い方でしたら今の立場を味わい尽くさないとね、次の新しいものがこない。それで味わい尽くすというのが一瞬一瞬新たに受け直すという事で。それって今が1番良いようになってるって、もうサラサラと受け流して喜べたら返せてるの。だけど考えたらあかん、サラサラと受け流せって言って喜べなかったら返せてないから溜まっていくの。だから先生はね「喜んで感謝して待っててくれたら良い」っていうのはそこやって。何でも喜ばなあかんね。

 それはなんで喜べるかって言ったら神さまは全知全能やから、その人にとって1番良いようにしてるから、それを先生は別の言葉でね、大難を小難してくれたからとか、好転反応やとか色々と先生も言葉に苦労して説明して下さってるのに、みんな自分の都合の良いようにしか聞かない。やっと先生がみんなの思いを一身に背負って清めに清めてね、今が1番良いようになってるって言う表現を使わせてもらえるようになってん、僕は得な立場や(笑)。

 僕が凄いんじゃないで、先生がそういうふうにちゃんと深慮遠謀のもとにしてくれてるだけ。それのちょっとお手伝いを僕してるだけで(笑)。ただ本当にね、真祈り人がバッと大きく上手くいけば自然に収まるけど、今の状況で行くとちょっと急激に変化して大変になるかもしれない。例えばキュウリの種を植えるやん、キュウリならへんねん、突然。お米植えるやん、芽は吹くねんけど実ならへん。それが突然くる。だからお米の穂がね、今やったら全部実が入るのに3割ぐらいしか実入らないであと残り小さいしかならへんみたいな時が突然来るんや。このままいくとね。もう皆さんの真祈り次第。あんまり脅かしてもアカンねんけど、でも皆さんの責任は重大です。


令和3年6月深夜勉強会―2(20210618−2)

質問:それは以前仰ってた、土の結合が溶けて、砂漠になるような、そんな事ではないんですか?

河上さん:いやいや、そんなんが総合的にわーて、全部一斉に来るね。土の結合が崩れるのは何かといえば、今言った人間のね、免疫反応とか、ああいうの全部、人間の体の中でも起るわけよ。人間の体の中で起ったら、癌になったり心臓麻痺になったりとか、突然たくさんバタバタと来るね。入れ子構造やから、地球霊王さんの身体がそうなるという事は、人間の体もそうなるん。そう持って行きたくない。出来るだけみんな、喜び勇んで終わりたいからね、それだけ。

 なのにみんな、今回は真祈りを横に置いて動いているから、先生がちょっと怒れって言って怒ったわけや。先ず真祈り、何しようじゃなくて、先ず真祈り。ひたすら真祈りした結果ね、その人にとって真祈りとは印可書を奉納する事なんか、護摩木書く事なんか、村にお手伝いに来ることなんか、どれでも良い。先ず真祈りした結果、どうしても、これしたいってするのは大丈夫やね。

 でもそれ横に置いといてね、この本は良い本だから読んで下さいって、先ず配りに行くのは違うの、自分が祈って無いのに、人に祈れっていうのはおこがましいやろう?

 例えばな、美味しい物、先ず自分が味見して美味しいから、どうぞって言うんでしょう?だのに自分食べても無いのに、これ美味しいでって言ったら嘘つきや。

 な、自分がお祈りしてないのに、これお祈りする良い本やから読んでって言ったら、やっぱり嘘つきや。自分がその本読んでお祈り出来るようになったから、是非読んでって言ったら本物や。だから先ず真祈り。

 ただ、真祈りの仕方が今回はハードル下がってね、どれか選んでやってくれたら良いから。

質問:それは印可書を渡す時も、その気持ちで?

河上さん:勿論そうよ。何かよう分からんけど、これ良いやつやって言ったら、それは無責任やろう?やっぱりな。自分がひたすら印可書奉納してみて、やっぱりこれ凄いねっていって渡せたてこそ本物や。な当然や。

質問:逆はどうですか?逆って言うか、印可書を渡してから必死になるという。渡した分だけ。

河上さん:そんなん理屈や、先ず祈らな意味無い。先ず種火があって火を点けないと広がらへんや。

質問:中途半端で渡しちゃった場合は?

河上さん:だから草だけ沢山積んで火を付けようとしても、今度火がつけへんで、沢山積み上げてたら。

宮野さん:でもさ、真祈りをしてるからね、その人に差し上げたいと思う訳やから、湧き上がるように。その知っている人には変わって貰いたいからといって差し上げたら違うかもしれないけど、湧き上がるように、ぷっと何か浮かんで、この人に差し上げたいと思った事は、それは真祈りしているから・・

河上さん:ああそうよ。勿論そうやで。

宮野さん:でも例えば、意識的に真祈りしているか、してないかなんて、もうずーっとやっていると分らないじゃない?自分の中でずーッとお祈りが回っている訳やから、神さまがされているだけで・・

河上さん:だから言ってるやん、自分がよう分からんけど配るっていうのは、もう違うって。

宮野さん:よく似てるけど、分り難いね?此処。

河上さん:そうなんか?

宮野さん:分らないけど渡しちゃうっていうのと、湧き上がって分からないけど、何かこの人の事、急に渡したというのと似てるよ、どう説明する?(笑)聞いている人スッキリするの・・

河上さん:スッキリする方法はもう(たった)一つやわ。”今が一番良いようになっている”って喜べるかどうかだけが、判断基準やね。文句の出ない状態の時だったら、何も考えないで渡しても真祈りになってるよ。だけど普段の自分の生活で、文句出ている時にな、文句出てる時に渡すのは違うと思う。

 真祈りというのは、具体的に言葉とか行為で無いから、只々、神さまに対する絶対の信が立つ事を真祈りというわけやからね。小さい自分にとってどんな不都合でも喜べる状態だったら真祈りや。或いは、喜ぼうとしてたら。要するに、痛くて辛いけど、神さまが一番良いようにしているんだから、良かったって思え直せたら真祈り。

 先生が何時も、ニコニコされて熱出ようが咳出ようが、文句言われなかったやん。あれを見習わないと。

 真祈りは理屈やないから、理屈で説明する事は出来ないけど、今が一番良いようになっているって、小さい自分にとって不都合な事でも、喜ぼうとしてたら真祈りになっている。喜ぼうとしたら、大きな立場の自分に戻れるもの。文句言ったら小さい立場の自分に縮んでいくだけや。

質問:まず真祈りという場合、何かをしようとする前に、お祈りするという事ではないんですか?

河上さん:いやいや、それで良いんよ。先ず言葉から入らなんからね。だけど勿論、そういう癖も付けとくんやけどね、普段。例えば五井先生がそうだったんだけど、足の親指にオデキが出来ていてはったんね、凄い痛い。満員電車でそれ踏まれるわけよ。その時に痛いけど「ありがとうございます」って出たっていうのね。要するに理屈抜きに今が一番良いようになっているって、実感していはったわけや。それを今ちょっと理屈で、今が一番良いようになっているって言っているだけで。

 だから小さい自分にとって不都合な事があっても、良いと思うるようになっていたら、良いわけやね。そういう状態に自分を持って行くために、言葉を使ってお祈りに入る。それを印可書を奉読するとかね、宇宙神ありがとうございますとか色々有るわけですけども。

 だからあいつ祈っている、祈って無いというのは、既に分けてる時点でね、ズレているわけ。その大きい立場というのは、自分と他人を分けへんね。親指と小指の差位にしか見えない。でもここ(腕)は一つというね。

 だからこの現世でも、右翼と左翼って右と左に分けるやん。分けるけど本体は一つや。そんな感じやけどね。あんまり理屈の処は、神さまが全知全能で一番良いようにされているだけの理屈で良いと思う。それ以外は考えると腹立つからな。何であんなスカタンしとんねんとか、ついつい考えたら腹立って来るで、考えたら。

 あの形で神さまが消しているんだと思えな、な。そんなん思い切れるんだったら考えん方がましや。神さまが一番良いようにしてるって。

 先生と最初にお会いした時に、先ずそれやったのね。先生とお会いする前に、僕が神さまから受けた響きはね「我、汝の求むるに先立ちて全て与えたり」っていう言葉だったのね。それを先生に確かめて、色々と有ってんけど。その時はもっと難しい表現でね、天の造化主の命とか色々有ったけど、もうそれはいいから、今が一番良いようになっているが一番分かり易いから。

 今が一番良いようになっているの、入れ子構造のもうちょっと上に行くと、天の造化主の命やね。一瞬一瞬新たに、神さまが素晴らしいものを輝きだしているっていう意味やねんけどな。それ今が一番良いようになっているやろう?一瞬一瞬新たに輝きだしているから。輝き出しているって言うても、みんな、いや輝いてへんしって文句言うからね、(だから言い換えて)今が一番良いようになっているて言うて、もうちょっと柔らかく言っています。

 もう大丈夫?もう質問無いですか?今日のテーマ完成しております。

宮野さん:お手紙来てるんとちゃう?

河上さん:どうぞ、読んで下さい。早よ言うてえな、終わりかけたで今。

質問:4点ほどあります。
 虚の世界は無に始まり、無に終わるという事ですが、今から約138億年前に誕生したといわれる宇宙も、いつかは無くなるという事でしょうか?又、今の宇宙が誕生する以前には、別の宇宙が存在していたのでしょうか?

河上さん:呼吸てね、吸うて吐くやん?吐いた時終わってるん、で吸うた時始まるの、それ。それを立場を変えて、年数でみたらそういう感じやけどね、一瞬一瞬新たにっていう事は、一瞬一瞬終わっているという事や、始まりと終わりが同時やねんけど。始まりと終わりが同時やねん、本当はね。だけど説明の都合上、始まって終わりましたって言っているの、でも本当は同時やね。それ絶対の”中今(なかいま)”やけどね。

 ただ、始まって終わっているって言ったらみんな、エッて言って分らへんから、ちょっとこうビューッとこう引き延ばして言っているだけで。これで良い?

質問:この世はあの世を救うために在るとお聞きしましたが、七難八苦を喜んで受けたら、あの世を清める事になるんでしょうか?又、逆に文句を言ったら、あの世の人を苦しめる事になるのでしょうか?

河上さん:その通りです。だから、神さまが一番良いようにしてるって、思い切れたら文句言えへん。でも神さまを信じ切れんかったら、神さまの全知全能を信じ切れんかったら、文句になるわけでしょう?そしたら、あの世の人も迷う、戸惑う。

 あの世の人は、この肉体という顕微鏡を通してみているからね、肉体側がどう動くかで全ては決まる。だからこの現世が無いとあの世は救えない。エクスキャリパーって言ってね、この世が”中今(なかいま)”の中点になる。

 何でこの現世が絶対の”中今”なん?ていう理屈やけどな、表裏一体やねんな、常に何でも。だから肉体でいうとね、この皮膚を擦(こす)ってマッサージする事によって、中の血管が広がって健康になるわけでしょう?まあ言えば。肩凝ったといったら肩叩いて、外からするやん。

 だけど中の無限の働きに、働きかけるわけでしょう?叩くというだけで、肩こりをね。それって全然中触って無いやん。中触れへんのにマッサージ受けに行くわけでしょう?みんな。マッサージ受けに行って気持ち良くなるんよ、みんな。中、肉体切り開いて触ってへんで、そういう感じやね。

 土耕すんでもそうでしょう?土は耕かしているけど、それと種を植えて芽がわっとこう成るのとは、直接関係ない。でも影響し合うでしょう?そういう感じで絶対の”中今”って言っても、過去現在未来がそこに集約されていて、それをこっちからコンって叩くとね、右からコンって叩くと、ドンドンドンと左へ響いていくね。そういう感じのもんやね。それが肉体界とか、あっちの世界とか、在りとあらゆるものになるね。それを人間の意識だけで言うとね、本心の自分が肉体の自分を使いこなすって言う。

質問:この世の?

河上さん:そうそうそう、この世の肉体を本心の自分が使いこなしたい。具体的に使いこなすって何かと言ったら、肉体側を使いこなせんかったら、肉体というのは欲望のまま動くん。でも欲望というのはエネルギーの元なわけね。でエネルギーの元をそのままバンって出したって何の意味もない。それを色んな形に整えてするから良いわけ。

 例えば絵具をね、ぐちゃまぜにしたら灰色になるだけや。肉体が欲のまま動くっていう事は、そんなんして灰色に持って行くだけや。だけど本心の自分が使いこなしたら、絵具で綺麗な絵が描けるでしょう?そういう感じ。だから欲望のまま動くなって、動くと灰色になって、灰色というのはもう凄い利息が、この世でいうとサラ金がらね、お金借りて旅行に行ったり、遊びに行ったりするわけよ。遊んでいる時は良いけど、欲望の思うままやから。でも一杯利息貯まるやろう、この世でもな。そういう感じで、サラ金からお金借りるんやけど、肉体のおもむくまま動くと、大きな借金となって苦しむの。で良いですか?はい。

質問:祈願柱はどんな意味と効果が在るのですか?

河上さん:祈願柱は真(まこと)の神さまそのものね。もうそれだけです。でもそれを真(まこと)の神さまそのものと受け止めて無い人の側に置いてても、効果があるという凄いもんです。それだけです。だからベットの下とか床下に置いとけって言うの。見えんでも良いから。絶対の世界とこの世を繋ぐ、空間の交点にあるるのが祈願柱です。はい。

質問:何かスッキリしない満たされない事が在るのですが、精神的な事、霊的な事、物質的な事、解決するでしょうか?

河上さん:今言った欲望の話と一緒やな。欲望をそのまま開放したら、不平不満だけになる。要するに、思い巡らすっていうのを欲望を開放するって言います。そしたら要らんこと考えて腹立って来る。腹立つか、不安になるか色々やけど、思い巡らす、考えるというのはそういう事やね。この世の事は考えんでもね、神さまが一番良いようにしてるもん。それが分かると、先生が良く仰っていたけど、数学の問題を一々式立てて、答えを出すやん?でも真祈りしてたら答えが先出るって仰る。そういう感じよ。だから思い巡らさずに、考えんなよって、そのまま受け取れって言うてるのね。一番良いようになっていると受け取ってたら、答えが真っすぐに出るの。だから一瞬で全て解決して行くようになる。
 それを透き通るように見えるとか、色んな表現するけどな。

質問:ついうっかり、思い巡らしてしまった時は、すぐに印可書を読んで・・

河上さん:印可書を読んで戻ったら良い。そうそう。今は戻り易いからね。だから勉強のできる子って過去世で真祈り出来た人が多いいのね。イチロー選手でも過去世でかなり悟りに近いとこまで行きはったんやね。だからバッテイングに関して極める事が出来たわけやけど、それも一々考えんでも、答えが先に出て出来た。

質問:近いとこ迄、行った?イチロー凄いと思うんですけど、近いところまでしか、しかとか言ったらいけませんね?(笑)

河上さん:いやいや、それはね、お金が一杯集まってくるでしょう?そのお金に付いた思いに埋まって行くんよ。それは仕方ないわ。その集まってきたお金をね、本当に色んな人の為に役に立ててたら良いけど、中々出来へんもんな、お金があると余計、これ位は自分の為に置いておこうと思っただけでアウトや。だけどお金なかったら、自分の為に置くも置かないも、その日暮らしやから、気い楽やね。

 先生がそうだったのね、財布とか持って外に出られる事は無かった。だけど先生が必要とされることが有ったら、突然誰か現れて、お金を先生に渡して買うとか、或いは、直接貰うとかしてね、してはったわけ。もう神さまに対する絶対の信を、身を持って示されていたわけやけど、それが全てやもんな。結局、こんだけのお金を持ってなければあかんというのは、そんだけ神さまを信じ切れてないの、はっきり言うけどな。

 先生の様に神さまに対する絶対の信が有ったら財布要らんね。食べれなかったら、食べれないで良い。でも先生良く仰ってたや、何ぼ断食しようと思っても、みんな食べ物を口に放り込んでくるってね、そういうもんや。そこまで絶対の信を本当は立てなあかんの。だけど本当はやで。でもそこまで立てって言えばみんな逃げるからね、印可書を奉納するだけで良いって言ってるんやから、頼むわー、お願いですよって感じや。これ以上どうせいっていうの(笑)

 ここまでハードル下げて貰って、まだ文句言う人はどうぞご自由に!

質問:預かった質問です。
 個人的な質問ですみません。今月の7日に母が道端で倒れ救急車で運ばれ入院しました。今までもふらーっとして転げたり、又、何時も頭痛があるって言っていました。診断の結果、
心臓が悪く脳に血液が十分巡って行かなかったのが、原因と分かりペースメーカーを入れました。明日退院の予定でしたが、今日も頭痛が有り、一人で生活する事に不安を感じ、急遽退院を延期して貰ったといいます。私は今、母と離れてまして、真祈りする事だけです。ペースメーカーを入れたので頭痛が治ればと願いますが、全て神さまが一番良いようにされているのだと思います。河上さんのお言葉を頂きたいです。よろしくお願いします。

河上さん:良かったや、倒れて死なんかって、それに尽きると思うで。パッと倒れて死にはったら物凄く自分でも悔いるで。側にいて上げたらよかったとかね、一緒に生活してたら良かったとか。死なんかった。それだけが全てちゃう。良いようになってるやん。なあー、で一番良い形で消している訳でしょう?いわゆる、五井先生流で言うと「消えて行く姿で世界平和の祈り」やけどね、今やったら「消えて行く姿で、印可書」かな?「宇宙神ありがとうございます」でも良いんだけどね。如何に喜び勇めるかだけや。

 それは大きい立場に立ちきらなあかんね。五井先生とこで、名前出さないけど、子供さんが次々死んで、ご夫婦だけ残るのね。それでも神さまが一番良いようにしてるって、その方が言われて五井先生が凄く褒められた事があるんやけどね。この世的に子孫繁栄と違うわけでしょう?子供が先に死んじゃうんだから、3人いらっしゃたけど、3人死んじゃうのね。それでも喜ばれたんだけど、それ位の絶対の信が有ったら大丈夫。絶対の信があるから、良いいようになっていると思いますと言えるの。な!だから大丈夫。はい。

質問:それともう一つ。この方が良く行かれる公園に、ピースポールが立っているらしいです。そこに黄色い宇宙神ありがとうございますのシールを貼りたいと思うんですけど?

河上さん:貼って大丈夫です。みんな自由意思のままに。祈願柱を立てただけで光の柱が立つの。だけど祈願柱を信じて無い人はそれを受けれないの。この(黄色の)祈願柱も一緒やね。信じ切れない人はその量しか受けられへん。だから隠して入れといても大丈夫。逆に言うとね、祈願柱なくても、神さまが一番良いようにしてるって心広げたら、すべて受け入れるから、その人のいる場所が祈願柱になる。それを真祈り人という。だから200人欲しい。200人の人が一切文句言わんようになったら良い。そしたら完成。

 今までやったら、真祈りというたらね、印可書読む事とか、祈り言葉を唱える事とか、みんな勘違いしているけど違うね。本当は言葉以前の神さまに心を置くという、神さまに心を置くという事は神さまは全知全能で何でもできる方だから、今が一番良いようになっているって喜べることや。神さまに心を置いていたら喜べる。でも神さまと自分を離してたら、何で自分だけこんな目に遇うのっていうの。神さまと一つやから一番良いようになっているって分かる。

 神さま色んな形をとって働くわけでしょう?それが痛い形か、暑い形か、悲しい形か、辛い形かあるけど、その形を使って神さま消す訳でしょう?みんなの神さまから離れたマイナスの思いを、そういう形にして消す訳や。それが地震であったり、火山であったり、戦争であったりと色々有るけども、個人的には病気であったりとかね、運命であったり、辛い悲しい事であったりとかあるんやけどね、全部良いようになっているね。だから親に売り飛ばされた子供さんでも幸せなんだって先生仰ったのね。

 そんなん、親に売り飛ばされてしまって、可哀想やんっていうのは小さい立場なの。それは過去世も未来も見通せない小さい意識の人だったら文句言う。全てを見通ししている人だったら、一番良いようになっているのはすぐ分かる。

 具体的には最初の感覚だったら、地球の裏側がスッと分かるようになる。その辺迄なってくると後は速いんだけどな。すると次何所が揺れるかって分かって、ある意味大変やけどな。

 まだ、岡山は危険水域にありますので、岡山のメンバーの方々、宜しくお願いします。まだ解除していませんので、お願いします。(笑)ちょっと、次は豊後水道か岡山やな。と言ってちょっと鞭打っといて。

 でも真祈りせずにこのまま放っとくとね、東南海だけと違って連動して一斉に揺れる状態になるわ。そうなったら日本の半分が崩れる。海の下に沈む。がけ崩れの様になって。だって日本列島の大平洋側って断崖絶壁やろう。いつ崩れてもおかしくないね、本当は。日本列島だけが頂上で、ぐらぐらって行ったら、ワーッて行くね、真祈り無しやったらな。だけど先生護摩残して下さって、みんな一生懸命護摩木作ってくれて、一生懸命護摩木書いてくれて、一生懸命護摩に参加してくれて、喜んでくれてるから、これで止まってる。ホンマの話やで。

質問:さっき仰ってた、食べ物の事とかも、今仰った事とかも全部ひっくるめて、今・・

河上さん:来るよ、真祈りしてなかったら。でも護摩がこうして盛大に続いている限りは、毎回毎回大成功で終わっているからね、こないして来てるけど、でも真祈り200人にしたい。そしたら大分安心や。

 で、お願いできる人には、お願いしてあっちこっちお祈りに行って貰ってる。お願いする方も大変やで。お祈りに行って貰って、事故に会って死んだら終わりやから、中々頼む方も大変や。簡単に指示してるように思わないで下さい。別にお祈りに行って死んでも悔いはないという位の覚悟の人だったら、気い楽なんやけど。



令和3年6月深夜勉強会ー3(20210618−3)

河上さん:質問が無ければ終わります。今日文句無しやろう?(笑)

宮野さん:何か個人的に、したいけどなー、って思っている響きが有る?

河上さん:個人的に?

宮野さん:聞きたいなと思っているけど、みんなが居るからどうしようかなっていう響きやで。

河上さん:もうそれ拾わんとく。拾わんけど、何か勘違いする人おってね。もっと全体的な部分で言うと、今回は最後やから、地獄に落ちた人全部拾っていきますって言って、言うてるからね。そしたら必ず助けて貰えるんだったら、今好き勝手な事をしとこうという人が居るね。

 あんまりホントの事を言うと、怯えるからと思って言ってないだけで、やっぱりちょっと本当の事を言っとくとね。本当に神さまの事思わずに好き勝手なことされると、漆黒の闇っていうところに降りてしまうね。それは助けに行かれへんから。地獄やから助けに行ける。地獄はまだ神さまの場所やね。一番きついのは、乱交パーティーやね、セックスの。乱交パーティー、それも神さまの名においてやるようなやつね。そんなんがあると、凄い借金をし切ってしまうね。そうなると、要するに神さま以外の事で楽しんでいるから、もう漆黒の闇に落ちる。

 具体的には、その乱交パーティーをしてる最中に、悪魔に魂を全部食べられるね。食べられてしまうと、要するに魂があるから探しに行けるんやけど、その目印が無くなるから、もう探されへんねん。その漆黒の闇の所を悪魔の世界と言います。

宮野さん:そんなネタ晴らししたらみんなビビるやん。

河上さん:ちょっと言うとかんと、真祈りせんと、どうせ助けて貰えるんだったら、好き勝手しようという、楽しい人が多すぎて困っている。

質問:それは今迄話された無間地獄ではないのですか?

河上さん:無間地獄は助けにいけるって、地獄とついてる間は。

 漆黒の闇、絶対無の世界ってあるん。だから悪魔に魂売るとか言う表現があるでしょう?そういう状態やね。要するに悪魔に魂を売るって何かと言ったら、自分の欲望通り好き勝手をするという事。そうでしょう?人の都合関係無しや。自分の思い通りにしたいだけや。それって悪魔に魂売る事や。それこの世で言ったら、殺してでもお金を取りに行くとかいうのもそうやし、殺せへんでも、相手が悲しもうが何しようが奪い取るとかね、色々有るやん、そういう事。

 ただ、親鸞さんも言ったけど、法然さんも言ったけど、先生も言ってるけど、今やったら印可書を読んだら、過去現在未来全てに響き渡るから、大丈夫。
 でも助けてくれって読む間はあかんの、求めてるから。印可書を読むっていうのも中々な、形の上で読むのは簡単やけど、本当の意味での奉読っていう、奉納というのは大変なんよ。その報い求める心というのを捨てんならんからね。

 その報い求める心をどうして捨てるかといったら、神さまは絶対の愛で、何でも分かっている方で、一番良いようにされているって信じ切れる事や。文句言わなくなったら報い求めてへん、分る?文句言っている間は報いを求めてるわけよ。文句言いながら印可書を読んだって意味無いねん。

 どう?これでどう?無茶苦茶寒いねんけど、さっきから。どうですか、もう質問無い?大丈夫?

質問:昨今の色んな一連の事は、先生から真祈りだけだという事だと、さっき頂きましたけど、大きい意味では一番良いようにしている。

河上さん:そうそう、だから文句を言いなさんなに尽きるわけ。喜んで、感謝して、待ってたら良いよって先生仰る深い意味がある訳やな。

 何で喜べるかや、神さまが絶対で、一番良いようにされてるから喜べる。自分にとって都合が悪くっても。何時も喜んで、感謝して、待ってたら良いよって言うのに、みんなね、そんなん私、都合悪い状態なのに喜べませんわって聞きに行った人おらへんの。

 それが一番の問題やった。恥を忍んででも聞きに行かなあかんかった。そしたらその時点で先生が、そこ迄真剣なのはってしてくれるけどね。

 何時も何時も、みんな勘違いしたらアカンで、印可書読んで自分が昇るんと違うで。印可書読んで報い求める心が消えて、神さまが押し上げて下さる。引き上げるというよりもね。それを分かってなアカン。だから印可書を読んで、自分が上がると思っている自分がある内は、印可書を読んでない。勿論、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」もそうやってん。報い求める心無しに「ありがとうございます」って祈れたら悟れた。でも、みんなどっかでね、病気治れとか有るやん?で文句言ってたん。

 文句言う間は報い求めてるわけや。そうなら文句言いながら「ありがとうございます」って言っても真祈りになってへんかった。
 ただ、印可書は本当に光の言葉の羅列やから、文句言いながらでも読んでる内に心が清まってね、どんどん変わるって凄さがあるんで、印可書を出来たら読んでねってはお願してます。

 実際、文句言いながら印可書読んでいても、必死で読む人は変わる。だけど印可書を信じ切れんという人は回数読めへんものな。読んだけど変わらんわって、後読めへん。もうそれこそひたすらこれだけと思い定めて読み続けたら、それだけでも変われるんだけど、中々そこ迄、根性入る人も居らへん。

 でもそんなに根詰める必要も無いわけ、報い求めなかったらね。神さまのお手伝いしたいだけで読んでたら、そんなん要らんけどね。要は根詰めるも何もかも、自分がという小さい意識を、どうして消すかだけやからね。

質問:人に喜んで貰えたらとか、喜んで貰いたいとか、そういうちょっとでも報いの心が有ったらダメ?

河上さん:だから人に喜んで貰いたいという時点で自分と人を分けているやん。

質問:あーん!

河上さん:印可書というのは、全て完璧な一つって言うてるやん。全て完璧な一つって印可書言うてるやん。だから何時も言うように自分と他人と分けているように思っているけど、自分の世界にいてるだけや。自分でシナリオ書いて、自分の映画を作っているだけや。映画という中では自分一つや。分かる?

 映画作る時でも、何々組って監督の名前つけたり、するわけでしょう?要するにみんな身内として映画作るわけや。映画の中では悪役とか敵、仇(かたき)とか分けているけど、みんな身内として作るやん。ああいう感じで全部自分やん。他人と思っているけど自分や。

宮野さん:しかもあれやね、喜んで欲しいとか喜びとか感覚的な物っていうのは、感情も、全部それぞれ違いがあるから、人によっての喜びは自分とはね。ほら小指の感じと親指の感じと違うし、頭と小指と一つなのに、頭と小指の痛いのは違ったりするじゃない?でも自分だよね、というところで。逆に頭は凄い幸せで脳内ホルモン一杯出てるわーって思うけど、小指は凄い幸せやろうかって分からんよね。でも痛い事も無いし別に良いわって思ってるかも知れん。上手い表現ではないけど、一つよねっていう。(笑)

河上さん:だから自分の世界やというのが分ったら良い。ただ、お互い自分の作っている世界を、お互いスクリーンを重ねて見てるからね、さも同じところに居てるように見えているだけで、それがこの肉体界の凄さやね。だから肉体界を通じてありとあらゆる階層の人が交流し合える。みんながスクリーン重ねて見るから。その重なったところが日本の国という部分で重なっていると、日本人同士という意識になる。それが大阪という部分で重なっていると大阪に住んでいる人という意識になるねんな、それだけやけど、本当は。

 だからそういう事が分っている維摩先生はね、老子さまは、ヨハネ先生は一瞬にしてあっちこっちに姿現した。どこの重なってるスクリーン中にポンとだせるわけや。

宮野さん:松下先生もやで。

河上さん:松下先生もやけどな、言いな、もうそれは。(笑)な、雪の足跡ないのに後ろ来はってんな?な、こちらにしか来られへんのにな。

宮野さん:そう、大地震の時に、足悪くなって松葉杖だったでしょう?あの時に先生の話をしながら雪掻きをしてたら、前もここに先生に来はってねって話ししてたら、あっと顔上げたら、もう立ってはった。先生やって言って、勿論足跡が無い。

河上さん:で突然どこか行っちゃったのね。

宮野さん:そう!でもちゃんとそれも見てるからね。○○ちゃんも○○ちゃんも見てるからね。やっぱりねって思って。それはその時だけじゃなくって、やぱり何回もあるから。先生には(そういうことは)た易い(たやすい)事やね。

河上さん:そう、相手の心のスクリーンにポンと出るね。それは何でかといえば不離一体という意識が完璧やからね。どの人の心にもピタッと合わせられるから、移れるね。

宮野さん:先生が何処にいらっしゃっても、色んな作業の状態の事を細かくご存じやった、ここは危ないよって仰るのは、先生は良く分っていらっしゃった。

河上さん:で、今は(先生は)みんなの心にピタッと一つになっていらっしゃるからね。(先生との一体化を)自覚するしないは皆さんの自由です。印可書読んでいたら自覚出来るようになるから大丈夫。

 だからみんな松下先生と同じ働きが出来るの、印可書を読んでいる時は。

宮野さん:それぞれの役割が違うだけやね?

河上さん:うん、役割の違いに文句言わん事よ。

宮野さん:私あの役したいわー、主役したいわって言われても困るのね。

河上さん:そうそう、本当は脇役の方が楽で良いんやけどな。こんだけ喋る毎にどんだけ沢山の思いが来るか。ちょっとでも文句言ったら終わり。寒いなーって言ってるけど、文句は言ってないからな。ただ、正直に寒いから寒いって。今ヒーター最大にしてるんだけど。

宮野さん:感想は良いのね?

河上さん:感想はかまへん。

宮野さん:何か知らんけど、痛いんだけどみたいな。

河上さん:だから先生よう言っていはった。神さまは楽させてくれへんなって。それは先生の正直な感想。よう言ってはった。けど楽させてくれへんからって厭やとは仰らない、喜ばれただけ。沢山使って頂いて良かったっていう感じやね。

 だからより痛い時ほど、より辛い時ほど、あぁ沢山使って頂いて良かったって喜べたらいい。小さい意識に立ったら、痛いし辛抱出来へんしって成るねんけどな。

宮野さん:小さい意識に立つと痛い、痛さとか色んなものが一緒なんだけど、でも大きく捉えてると、一瞬一瞬新たに受け直すから、凄く痛くてどうにもならないんだけど、身体が動く、普通に仕事も行ける。普通にあっちこっちお清めも行ける。河上さんもそっちやもんね。もうそろそろ死んでる、みたいな感じやけど。(笑)

河上さん:猫がチクる。イカンあれは!(笑)

宮野さん:死んでますけど、みたいな。心臓止まってますけどって、猫がね。でも護摩の時とかになったら、割りとフラフラでも身体が動けるみたいな。楽はさせて貰えませんけどね。車の中でゆっくりなんかさせて貰われへんからね。結構護摩も大変やけど、勉強会も大変なのね。

河上さん:うん、護摩の時はみんなお祭りの様に、神さまって行ってるやん。でも勉強会の時はここへ集中しているやん、その差やね。それ録音にして又、集中させるやん。増幅器付きやん。

 でも先生がそれを利用してみんなをドンドン清める。本当にね、神さまが綺麗にして下さる。神さまが下から押し上げて下さる。もうそれだけ。それを邪魔しているのは自分という意識。で思い巡らすという、考える意識。もう考えるな、考えると腹立つから考えるなって言ってるやん。分かり易く。

宮野さん:真祈りする事で、神さまがより働き易いようにして下さるから、みんなそれぞれが自由に動ける感じやね。我だけで動いてたら大変やものね。

質問:祈りに始まり、祈りに終わるっていうのは、寝る前に印可書を読んで3回って仰ってましたか?

河上さん:だから回数は良いのよ。印可書を読んでる内に寝てしまったらそれで良いの。

質問:朝起きた時は・

河上さん:朝起きた時も、印可書を読みながら起きるね。そしたら途中で印可書消えて、急に目が覚めて起きれるようになるから。その 朝って眠たくて起きにくいやん、だから印可書を読むの。そしたら1行目か10行目かは別にして、元気になって動けて、印可書忘れて動く、それで良い。

 要するに何かと言えば、印可書読むことによって、神さまに対する絶対の信をもう一辺確かめてるわけよ。印可書読んだら、神さまが一番良いようにしてるって宣言してるようなもんやから、元気になる。元気になるというか動けるようになる。

宮野さん:昔の人だったら、太陽を拝むようなもんやね。

河上さん:そうやね。

宮野さん:昔の人やったら、朝起きてお天道さん(おてんとうさん)にご挨拶してみたいな、あんな感覚みたいなもんですかね。

河上さん:いわゆる、あーとか、嬉しいとか、凄いっていう「あーうーすー」なんやけど。

宮野さん:なので必ずしも全部言ってからでないと、起きたらアカンとかじゃない。(笑)あー最後まで間違えたから、起きられへん、起きられへんという話しではない。

質問:遅刻してしまう?

宮野さん:そうそう。(笑)

河上さん:本当は心臓動いている事が、印可書を奉読している事やね。だけど自分という意識がそれを邪魔するね。全部そうやね、自分という意識が邪魔しているね。だから思い巡らしたら、考えたらアカン。何時も何時も神さまが一番良いようにしてるから喜んでいたら良い。

質問:それだけで?

河上さん:そう、そしたらこんなようけ(たくさん)掃除せなアカンのっていう事も無くなって、淡々として、尚且つ、全部掃除できなくてもスッキリする。だけど自分という意識があると、こんなようけ(たくさん)かなわんなー、こんなようけ掃除するの敵わんなーやし、逆に言うと半分しか掃除できへんから敵わんなーってなるの。

宮野さん:逆もあるで、こんなに出来て凄かった。

河上さん:あー、それもあるな。

宮野さん:こんだけ出来た自分って凄い!みたいな逆もある。

河上さん:どれもアカンね。

質問:結果に一喜一憂してるから。

河上さん:だから自分は不器用でね、記憶力も無くてダメだじゃないの。神さまを信じて動いてたら良いだけや。その結果食べる事が出来ずに餓死したら、そんなに凄いことは本当は無いんやで。でもそんな風には成らへんけどな。

宮野さん:もう少し言葉にすると少しずつズレるよね。

河上さん:そうそう、だけど言葉で受けるしかないの、最初は。

質問:ちょっと戻りますけど、さっきの例えば、フリーセックスの話にしたってね、神の名をかたった状態でフリーセックスは、悪魔に魂を食われてしまうっていう話しだけど、同じセックスでも、欲望、いわゆる性欲っていうものの中で、自身が楽しんでいるという状態のものも有りますよね?

質問:それは恋人同士とかいう事?

宮野さん:そう、若しくは・・

河上さん:それな、小さい立場でやっているから、本人同士は良いと思っているけど、回りは迷惑している事一杯あるよ。要するにこの世的には上手く行ってるんやで、だけど交わったらイカン霊系統どうしで交わるっていうのがあるね。

質問:夫婦でも恋人でも?

河上さん:そうよ。だからそれがロミオとジュリエットの話よ。結ばれない恋って言うけどね、それは交わったらアカン霊系統よ。だからある意味昔の方が幸せだった。ほら許嫁(いいなずけ)親が決めて、見合いでこうするやん。それが一番揉めへんね。それが今は恋愛でするやん。で交わったらあかんのに交わる。だから途中で離婚したりな、

質問:それは本人たちが知らないところで?

河上さん:そうそうそう、でその時は良いのんで、途中からもう相手が嫌になるね。交わったらアカン霊系統の場合は。当たり前やけどな。

宮野さん:それは例えば、あんまり名前は出せませんけど、某海外に行ってらっしゃって、法律の勉強をなさって、どこどこの偉いお嬢様と結婚したいと言っている、ああいう感じの事もそうなんですかね?

河上さん:そらそうよ。だから自分という思いでやるからや、分る?小さい意識で選ぶからや。大きい意識だったら選べへん。

宮野さん:先生は結婚したいっていう質問の時に、「目の前に来た人と結婚したら良い」って言ってはったね。

河上さん:それって大きい意識になるって意味や。

宮野さん:誰と結婚しても一緒よ。

河上さん:自分の都合で結婚するから、ぐちゃぐちゃになって行くの。このハンサムな人とでないと嫌やとか、美人な人とでないと嫌とか、ややこしい事するからぐちゃぐちゃになる。

 だから何時のポツンと一軒家やったかな?「何か知らんけど、帰って来たらこれが嫁やって言われて、結婚してここまで来たんや」って言ってるおっちゃん居たけど、揉めんと仲良くしてるでしょう?「戦争行って帰って来たら、これがお前の嫁やって言われてな、一緒になった」っていってはった。それって自分の都合が入って無いでしょう?だから良いね。

 自分の都合入れたら、いわゆる好き勝手が入ってるわけやね。そしたらどっかで崩れて来る。だから先生は結婚したいという(男女のペアカップル)二人が来るやろう?まず何を言いはったかといえば、先ず、何があっても相手の好きにさせる、相手を許せる、それが尽くし合うという事やっていって言いはってん。でみんなそれでハイって言って結婚して、又、別れはるんやけどな。全然話聞いてへん。(笑)

 先生の前に来るやん、先生綺麗に清めるから、二人も(本人同士も)分らんとハイって言うんだけど、又、離れると色々思い(巡らし)だすん(はじめるん)。みんな好きにするからね、好きにさせれる相手でないとアカンの。それってお互いが苦しめへん、好き勝手出来る相手やねんな。

 結婚したらあかんという相手は、お互いが好き勝手したら、もう耐えられへん好き勝手をする組み合わせやねん。それは何ぼ辛抱しようと思っても無理なん。だから最初から無理って分かってるからアカンて言うんだけど、小さい自分の意識で(結婚)するって言うの。だから恋愛結婚の方が離婚が多いいの。

 「戦争から帰って来たら、何かこれがお前の嫁やって言われて」って何か不満そうに言ってるんやけど、その割には80迄一緒に居てはるわけやろう?全然不満と違うやん。

質問:相手が好き勝手してるっていうのは、自分の立場から見てっという事ですか?

河上さん:そうよ。勿論そうよ。自分の立場から見て、だからお互いが自分の世界を映し合うねんけどね。その映し合う範囲が大きくズレていると、喧嘩になるの。良いですか?この説明で?

 はい。だから思い通りになると碌なこと起れへん。結局小さい自分の思い通りでしょう?それって結局は奪ってるの。過去世でイジメられた奥さんはね、やっぱり今生では最初大好きで結婚して、旦那を苦しめるとかね、その逆もあるし。

 だから大好きでっていうと大変や!大好きで結婚してっというのは怪しいねん、もう。その最初の大好きっていうとこが怪しいの。だってそうやろう?お互い20年とか25年別の生活して来てな、3か月とか、長くて1年、まあ5年位付き合う人も居るけど、高々(たかだか)5年付き合ってな、相手の25年分かるわけないや。それでより相手の新しい事、見えて来るね。見えてくる毎に、こんなはずではなかったってやめんね。

 そやけど25年分やから、ずーっと違うこと起るに決まってるやん。それを喜べなあかん。わあ、こんな新しい姿があるんや、この人はみたいな。こんな癖が有ったんやって喜ばなあかんねんけど、耐えられへん。

宮野さん:それは自分の価値観の尺度でもって、相手を・・

河上さん:そうそう、小さい自分の意識でどうこう言うからやな。神さまの意識で言ったら一番良いようになってる。だからほらモーツアルトの奥さんは悪妻やったっていう訳でしょう?でも悪妻やったけど、モーツアルトはあんだけ凄い音楽が作れたんや。

 モーツアルトにとっては良妻やった。音楽家に多いいで、余り名前上げんとくけど、有名な音楽家に多いい。メンデルス、ああ言うてしもうた!(笑)でも凄い音楽作れるでしょう?

宮野さん:何をもって悪妻とするか、とかやね?

河上さん:そうそう、だから端目に見て勝手に言ってるだけで、本人同士は別やろう?

宮野さん:そういうのが快感やと思っているかも知れんな?

河上さん:快感では無いねんけど、引きずり上げて呉れるみたいなところが有るねんな。グワッシャっていう事で、ガッと引きずり上げられて、自分の新しいものを出せるみたいな。

宮野さん:結局別れないという事はそういう事なんと違う?

河上さん:そうそうそう。結局は結婚は助け合いやからね、支え合いやから、どんな形でも。

宮野さん:という事は、恋愛にしても真祈りをしている者同士で有れば、自然と神さまが縁を結ぶこともあれば、結ばない事もあるって事。

質問:そうそう、だから先生は何時もわざわざ離婚することは無いって言わはるけど、しはるね。どういう事かというと、わざわざ離婚したってな、又、次好きな人出たって苦しむだけやから一緒やでって言ってはるんやけど。今が一番良いようになっているっていう別の言い方やねん。だけど中々分らへんね、文句言って。

宮野さん:それはさあー、他人同士が一緒になるから、そんな話しやけどね、生まれてきた自分の子供に関してはもっと大変じゃない?自分の子供だったら、もっと自分との繋がりがあると思うし、生まれてきた時から、ずーとこの子の事、知ってると思うけど意外に知らへんよ?

河上さん:それは過去世見えへんのやから分かるわけないや。

宮野さん:そう。結局そのスクリーン上で一緒に住んでいるだけの話で、

河上さん:だって仇がね、子供と生まれて仕返しに来るのに、はっきり言うとくけど。だから手に負えん子供ってそうやで。だから良いようになってるんやて、その形で仕返しして貰ったら小さい形や。でも他人同士で仕返ししたら恨み合いになるやん。だから、どんな状態でもホンマ一番良いようになっているんやで。チャンと言うとくけどな。だけど小さい自分の意識で言ったらな、敵わん(かなわん)敵わんってなるの。で殆どみな(自分の)子供(親の)言う事を聞かんやろう?(笑)

宮野さん:子供だけじゃなくて、旦那も?

河上さん:旦那も言うこと聞かへんやろう?ウーって言ってるし、みんな好き勝手するやろう?だから好き勝手するって明らめ(あきらめ)たら良い。すると神さまが一番良いようにしてるって分かる。それを何とか言ってやらなアカンていうから苦しみになる。




令和3年6月勉強会−4(20210618−4)

質問:えっとですね、話は変わるんですが、(笑)先程、悪魔が魂を食べるって言いましたが、悪魔って何なんですか?

河上さん:悪魔ってね、人間のマイナスの思いが固まった物。例えばなオナニーする時でも妄想するやん?色んなシチュエーションを妄想するやん?旅行行きたい人が旅行できなかったら、やっぱり色んな妄想して旅行するやん。これを思い巡らすっていうの、これを。その思い巡らすとエネルギーとして残るんよ。消化されへんわけや。旅行行きたい行きたいで妄想したら、そのエネルギー残るわけ。実際に旅行行きたい行きたいって妄想して旅行行ったら消えんねん。分かる?な。みんな思い巡らして妄想する訳よ、色んな。美味しい物食べたいから一杯あるわな。それが消えずに残るわけや。それが磁石の様に集まるの。で集まって悪魔、八岐大蛇(やまたのおろち)っていうの、これを。

質問:何処にいるんですか?空間に?

河上さん:だからみんなの心の中に居るの。その漆黒の闇ってみんな心の中に持っているわけよ。

質問:ちょっと思い巡らすって事が、思ってた思い巡らすって事と全く違ってました。

河上さん:いやいや、色々有るよ、思い巡らすには。でも、

質問:どっか行きたいとか、そういうのも思い巡らすですか?

河上さん:勿論、思い巡らしているやんか、どっか行きたいって。(笑)どない言えっていうの?どない説明せいっていうの?

質問:想像と創造?

河上さん:だから、想像と創造は一緒でな、エネルギーとして出来るわけや。

質問:思い巡らすって、何か画策するみたいな何かこう、変に頭使って・・

河上さん:でもそれかて、そういう世界を創るやん、やっぱり。

宮野さん:でも例えば、一人で想像してる分には問題ないけど、誰かに念を飛ばして、あの人こうやったら良いのになとかさ、もうちょっとこうしてくれたらなーとか、いやいや、あんな奴こけたら良いのにさーとか、思い巡らすと思う。でも例えば

河上さん:そうして相手に念飛ばすやん、ほんなら今度は自分が縛られる立場に置かれる。

宮野さん:天唾(てんつば)でなるよね。でもそれじゃなくって、私が普通に、例えばテレビ見てて「あー、ここの山行ってみたいなー」とかね。

河上さん:だから、それでその山にエネルギーが溜まっていく。

宮野さん:あー山に溜まって、あー。

河上さん:そういう状態のもんが、お互い磁石の様に集まってね、それぞれのもんを作るわけよ。だから妖怪、猫のお化けとか、タヌキのお化けとか、狐のお化けとかは動物さん、猫さんがなるんと違うからね、人間が作る。狡い思いとかは狐とか勝手に決めるやん、狐さんに迷惑や。(笑)分かる?あの古狸めって狸さんの名をかたる、狸さんに迷惑や。私らそんなに悪ないって言って。(笑)
 そういうのが出来て八岐大蛇(やまたのおろち)になるの。

宮野さん:白いごなん食べたいわー、炊き立ての白いご飯食べたいわーって思えば・・

河上さん:勿論、そうよ。

宮野さん:世の中の人全員違うの、それ?

河上さん:だからこの世に生まれて殆ど、地獄に落ちるって言ってるやん。目連さんのお母さんでも落ちたやん。

宮野さん:それ逆に言うと、そう思わない生活というのは、あーまあー。

河上さん:だから真祈り、印可書や。印可書は過去現在未来に広がるから一遍に消えるね。

宮野さん:ご飯を食べる時も印可書を唱えながらっていう。

河上さん:もう最後やから、先生が大負けで、もう凄い、いわゆる草薙の剣としての印可書を出してくれてるわけやね。

宮野さん:それもっと早く出して呉れんと、アカンかったんと違うの?

河上さん:いやいや、だってこの話する前に、先ず印可書に食い付いてくれて無いのに、こんな話したってしゃーない。

質問:自分の想像も喋る事すら何か。

河上さん:だから思いを動かしたらアカンね、無色透明の自分て言うでしょう?ね、無色透明の自分てそういう事よ。だから先ず考えるなから言ってるわけよ。

宮野さん:だって今までだったら、自他を分け隔てしないとか、結果に一喜一憂しない、不平不満を言わないっていう感じで、こういう状態で真祈りをしたい、どうぞ神さまの御用の為にお使い下さいってお祈りするだけで良いっ思ってて。思い巡らす心!えっ私今日食べたいものあったけどな−、と思って、今日私ドリア食べたいと思ったのに。

河上さん:いや、違うの。肉体で思い巡らして遊ぶのはかまへんの。でも印可書で消さんなんて(消さないだめだと)いうだけや。

宮野さん:それも早く言っといてや。

河上さん:いや、だから言ってるやん、印可書は過去現在未来に一瞬で行けるって言うて。ただ、マイナスのエネルギーの集まった悪魔という、八岐大蛇という一つのエネルギー体として力があるからね、それを悪神と言うんだけど。善神と悪神って言ってこの現世の神さまとしてね、悪霊、悪神って言うんだけど、その人らのエネルギーがあるから、その人らの影響を受けてる人は、印可書を死んでも選べへん。それ選ばれたら自分ら消えるから、選ばさんように持って行くよ。それだけや。

質問:八岐大蛇という悪魔を、草薙の剣で・・

河上さん:作ったのも自分やし、それを消すのも自分や。

質問:草薙の剣という印可書で?

河上さん:うん、だから八岐大蛇の尻尾から草薙の剣が出て来る。剣は不離一体、表裏一体や。だから表裏一体やから過去に(悪いこと)一杯してても消せるわけや。要するにマイナスを思った時は何時も裏にプラスが来てるから、それをグッと混ぜて一体にするミキサーの様な役目が印可書やから、一瞬で消える。要するにマイナスを思ったらプラスが出るねん。プラスを思ったらマイナスが出るの、この虚の世界は。それをグッと混ぜたら消えんの。それを一瞬一瞬新たに消したら良いのにやで、消すという事は神さまにお返しするという事や。お返しするという事は印可書を読むという事や。な。一瞬一瞬新たに受け直せって先生言うや。それはそういう事や。だけど受け直さんと持っているね。で重さで沈んでいくんねん。それだけやねんけどな。だけど、どうせ助けて貰えるんだったら、今好き勝手しとこうと言うたらね、どんどん背負ってしまって、どうしようもなくて、見えへんとこ行きよんね。さすがにそれは見えへんから無理や。

宮野さん:絶対プラスの言葉を使わない以外は全部悪神に変化するという事やね?

河上さん:そうそう、勿論そうやで。だから私悪い事してへんのにって言うけどな、あいつ、あーやとか、言うてやらんとアカンとかな、責めてるやん。

宮野さん:そんな事、あいつって言う事の話は明らかに悪い言葉じゃない?(悪い言葉でしょう?)でもこの世的に言う絶対プラスでない言葉は、普通のプラスの言葉じゃない?

河上さん:それはマイナスやから。

宮野さん:そうでしょう?そしたらよく神社とか皆さん、家族全員幸せになりますようにとかね、健康でありますようにとか、コロナが早く消えてみんなが幸せになりますようにって、一見良さそうな言葉やけど、

河上さん:それは大きなマイナス言葉やで。

宮野さん:マイナス言葉やな?

河上さん:だって私は神さま信じてませんって宣言してんやもん。祈願てそうやで。

宮野さん:それは今でいう、先程の悪魔を自分たちが作っている事やね。

河上さん:そう。

宮野さん:だから神社に行くと一杯汚れているんやね。

河上さん:だから印可書を奉納するしかない。常に常にどこであってもね。それだけやねん。だけど印可書を選んでくれているから喋れる話で、選んでくれてない時にこんなん言たってなー、しゃあないや。

宮野さん:印可書だけじゃないよね?先生が仰った。

河上さん:勿論、そうよ。「宇宙神ありがとうございます」も、「16項目」も、「ありがとうございます」も、そうやけど、ありがとうございますでお返ししてるって意識にならへんのやろう?って言ってるだけや。先ず意識的にも神さまにお返し出来たっていうのが要るから、それだけよ。でも最後はみな「ありがとうございます」の10文字に戻れる。それは間違いない。

宮野さん:先生が出されたものやから、どれ一つとして無駄な物は無いし、っていうことやね。

河上さん:そうよ。だから十字架も十(じゅう)や、ありがとうございますも十文字や。ちゃんと完璧になってるんやけどね。

質問:草薙(クスナリ)の剣もですか?又違う?

河上さん:なんて?

質問:十(じゅう)でクロスになっているから、草薙(クスナリ)の剣も?

河上さん:草薙(クスナリ)の剣もそう。ちゃんとなってる。

質問:草薙(クスナリ)と草薙(クスナギ)は同義語?

河上さん:だから草薙(クスナリ)が回転しだすと草薙(クサナギ)になる。卍型になるけどな。それが右回転、左回転両方セットで揃って円になる。それが一瞬になって、点になって、次の次元に移って又こう、それの繰り返し、繰り返しというより、もっと入れ子構造で凄いねんけど。説明上はその繰り返し。だからピラミッドの頂点行ったら、又、すぐに底辺になっての繰り返しやねんけど。繰り返しではないねんけど。だから肉体の内側に無限の無限空間が有るねんけどね。

宮野さん:大丈夫、文章起こしするの?さっきややこしい言い方したけど。

質問:言葉にするのはややこしくないですけど、理解できるかは(笑)

河上さん:言葉としてはな。いや言葉にした途端に崩れるからね。やっぱり印可書もそうねんけど、言葉として受け止めたら崩れるね。それで言葉を超えて読んでくれたらっていう。

質問:神さまが一番良いようにされているっていうように思えば、思い巡らす心も無くなってくるのでしょうか?

河上さん:思い巡らしようがない、一番良いようになっているのに、何文句あるの。(笑)そうやろう?その何も食べる物なくても良いと思えたら良いのやけど、食べる物ないから、あんな美味しい物食べたいわとか、おはぎが食べたいわーとかするわけや。

 だから戦争が終わってね、甘いもんとかが凄い売れるんよ。それ戦地に行った人がね、おはぎが食べたいなー、あの甘いおはぎとあんころ餅の違いは何やとかお互い言い合いしてな、(笑)そうする位甘いもの、食べる物に飢えるわけやけど、そのエネルギーが残ってて戦後はもう甘いものが凄い飛ぶように売れてん。今度それが大分消えたから、この頃甘いものがそんなに出えへんな。で、ポテトチップとかスナックとかあんまり甘くないものが売れたん。

 でも今度はプラス・マイナスのぶれ合いやから、又こうなるねんけど、おはぎとかこう繰り返すねんけどね。流行でもそうやんか、スカートが長なったり短くなったりって繰り返すやん、そういう感じ。昔のフアッションが流行るって言うんだけど、要は繰り返しでしょう?

 この現世が終わったら、プラスとマイナスが揺れ動くだけよ。ただ、大きく動かすと又、大きく返るだけ、波乱万丈になるだけ。今が一番良いようになっているって喜んでたら、本当に幸せになる。大きな波無いからね、楽やね。でもやっぱりジェットコースターが良いっていう人は乗りたいからな、大きな波や。バンジージャンプが良いって、一度はやってみたいバンジージャンプやろうな?きっと。で凄い事なるわけでしょう?あれが一番極端な波みたいな感じかな。

 だから印可書を神社に奉納に行く毎にね、心境が変わるね。それは行った人にしか分かれへん。だけどそれは最初に言われへんのはね、行って心境変われって思ってしまうから。だから意味無いの、報い求めたら意味無いの。

 神さまは一切報い求めない。空気も水も報い求めすに与えて下さっているでしょう?それを真似なアカンのね。だから一切報い求めずに印可書を全ての場所に奉納したら良い。別に神社に限らへんけどね。勿論「ありがとうございます」の十文字で良いんやで、本当は。だけどピンとけえへんでしょう、という事や。 終わるって言って1時間経ちましたが。(笑)

 だから悪魔っていうのも人間が作ったもんや。だから人間が消すしかないの。それに尽きるねんけど、だけど作る人もおるから中々残って行ってるだけ。

宮野さん:人間が消すから人間の肉体が草薙の剣なのでしょう?人間が作った事やから人間が消さないといけないわけでしょう?

河上さん:そうそうそう、だから肉体が要る。

宮野さん:だから肉体が草薙の剣となるという事?

k;草薙剣といえばの色んな肉体以外の色んなの在るのね。在るのやけど、この世では肉体がその役目になるわけ。だから先生が一生熱出されて、咳出されて、肺もこれ位になってされてた。

宮野さん:凄ーい、俗ぽい話し質問すると。例えば、草薙剣の形のないものの中の話をしていたじゃない?熱田(神社)さんにある草薙剣は?

河上さん:霊的な存在だけど、この世的な本物やけどね。

宮野さん:草薙剣って言えば、三種の神器でも熱田さんに置いてあるもんやっていうイメージが有るじゃない?で、ここにもみんなそれぞれ持っている。

河上さん:肉体が草薙剣やん、その思いを思兼命(おもいかねのみこと)と鏡作命(かがみつくりのみこと)が集めて、今の本物の草薙剣を作った。本物というか熱田神宮にあるね、草薙剣を作った。で、絶対に見たらアカンやつやな、あれはな。戦争中必勝祈願の為にっていって、あれを出してきて祈願する。どんな祈願したかはちょっと言えんけど。その時祈願してたら、草薙剣がバーッといって動き出した。それで絶対見たらアカンのやけど、動き出したもんやから責任上自分が抑えなアカンと思って、手え出して触った迄は良かったけど見てしまった。その人の姿一瞬で燃えて消えてしまったらしい、

 本当の話や。それ位凄いもんや。それが日本にあるっていうのは凄い事や。三種の神器の全ては日本にあります。何処にあるかは言えないけど。熱田神宮の草薙剣はみんな知っているから言えるけどね。残りはどっかにあります。

質問:元の本物が現存してるって事ですか?

河上さん:うんうん、だから日本という国が必要なの。でもその三種の神器のね、本当の働きを具現化するのが印可書や。だから印可書奉納したら、みんながイエスキリストとして、弥勒菩薩として働くの。

 いわゆる天皇陛下というのは救世主やね。だけどもう天皇陛下にお任せしない。五井先生にお任せしない。松下先生にお任せしない。みんなが、みんながする、それが今の時代や。

 だから我キリスト也っていうのは偽物や。みんながキリストになるの。成らなくちゃいけない、成れるの。その為の印可書や。でもあんまり最初にこんな話したらな、キリストになりたい為に印可書読むやん、「自分が」ってなって崩れるから、中々ここ迄話し持って来るの大変や。でも今はいよいよ切羽詰まって来たから。まぁ、間に合わずにね、ほんとに食べ物がなくなって「うわー!」ってなってきたら、この話を思い出してみんな本当に真剣になれるから大丈夫。でもそこまで追い詰められずにやろうよ、って言うのが正直なところ。

宮野さん:大丈夫、大丈夫。捨てたもんじゃないぞ。

河上さん:そうよ先生がね、大国主命様と今の人類は捨てたもんじゃないから大丈夫ですって言うて約束されてんもん。その先生の約束は生きてるのまだね。だから宗教とか宗派とか教えとかいうそんなんもう要らんのね。だって全知全能の神さまが良いようにしてる以外に何もないねんもん。それを具体的に「印可書」と言う形で示しているだけ。

 どんな理屈言いが来ても勝てるで。全知全能を信じ切らんかったら向こうが勝つけど。全知全能の神さまっていうところで誰も抵抗できへんもん。ほんなら1番良いようにされてるしかないんちゃうん?って言われたらみんな返事に困って帰りはるね。「でも私たちはね、これなんですよ」って。一応パンフレットを置いて行きはんねんけどな(笑)それで「もっとよくわかってる人を連れて来ます」とか言って(笑)

質問:勝てないでしょうね。

宮野さん:勝てないね。

河上さん:究極の理屈やと思うで。難しい教義は要らない。。

質問:水戸黄門で言えば印籠みたいなもの?

河上さん:もう8時40分になってるね常に。

質問:これが目に入らぬか…

河上さん:そうそう、何をどう抵抗するん?みたいな。神さまを否定したら抵抗できる。だから神社の祈願とかね、言うのも神さまを否定すると言うのを気づかないね。”我、汝の求めに先立ちて全て与えたり”が答えやったんや。
それを11歳の時に先生に具体的に説明していただいてね、すごく嬉しくて色々あって。まぁ、何よりも過去世の昔話で花咲いてそっちの方が楽しかった(笑)本当に先生がうれしそうにされてね。

宮野さん:この人はあれじゃない?この人はさあ、やっぱり自分、先生が凄く苦労なさったのはやっぱり自分の思い通りにならないっていうことが神さまの御心であることもあるっていうことじゃない。

河上さん:そうよ。

宮野さん:ね、それをどう理解してもらえるのかなって言うところが難しかった…

河上さん:そうそう。だから立場が小さいか大きいかだけやねんけども。中々みんな自分の立場から離れられへんね。

宮野さん:今でも、例えばこうやって皆さんがいらっしゃってるこの状態。皆さん、いらっしゃっている方はやっぱりもうよくわかってらっしゃるからと思うけども。でもいざ、じゃあ、自分の身内のことになったりとかすると、ちょっとそこはなかなか難しかったりとかっていって、やっぱり揺らぐよねって言う話やね。どうにもならなくたって、でもその状態の時にやっぱり「印可書」を読むと「あっ、自分の小さい意思で、これは神さまにお任せするしかないんだ」、命に関わることであったとしても「自分が命を紡げるわけではないんだ」「私は何もできないんだ」って言う事を改めて知ることで、神さまがちゃんと動いて下さるっていうことなのね。「何とかして欲しい!」って言ったらもう神さまは一切お手伝いできない状態やから、揺らぎそうな時こそ「私は何もできないんだ」っていうことを再認識させて頂いたんだと思って、「印可書」を読み続ける。そしたら神さまがしっかり動いて下さって、1番良い形に収めてくださる。それは助けて下さる事ではないんだけども、1番良い形に動いて下さる。

河上さん:そう、神さまが働きやすい。「自分が」ってした分だけ神さまの働きを邪魔する。だからこれから人類の肉体上にね、いわゆる抵抗力とかね、免疫力と言う部分が神さまの働きやね。免疫力と言うのは神さまの大きな働きやねんな。それをみんなの好き勝手な思い巡らす意識でね、邪魔するの。で、本来正しいとこに向く免疫力を曲げてしまうの自分の意識で。それで血液が固まったり、血液が固まるというのは出血を止めるための免疫力でしょう?それが体内で起こる。その逆もやねんけどね。出血したらあかんところでいっぱい出血して、なるみたいな感じのが増えてね。「えーっ!こんなに死んじゃうの?」っていう感じになります。かなり近い将来。あんまり何時って言うとみんな焦るから。でもそうならないように護摩をしっかりして、「印可書」を読んで頂いてと思っています。

宮野さん:何時も何時も外れればいいよね。(笑)神様の御心…

河上さん:そうそう、外れて欲しい。

宮野さん:お食事が、ご飯が、食べるものが無くなっちゃうっていうのも外れる事も多々あるよね。

河上さん:うん、外れて欲しい。

宮野さん:お祈りが皆様出来て、どんどんどんどん深くなっていくから「あー食料を持っとかなくても大丈夫だったんだ」っていう。期限切れになって勿体ないかっていう話よね、と思うね(笑)

河上さん:でも種子法って言う法律が通っちゃったから、決められた種以外は使ったらあかん様になるのね。そうすると突然ダメになっちゃうね。それが通ってしまったからね。でも日本の国と言うのは真祈りがあるからそれでも突然変異で変わると思う。真祈りがあったらF3と言う第3雑種ばっかりやと滅びるねんけど、また新しい突然変異が起こる。でも真祈りがないと食べ物がなくなります。さっき言ったようにお米に実がならないとかねってなってしまう。

宮野さん:真祈り有るのみ。

河上さん:真祈り有るのみ。だから絶対これだけは分かってて欲しいのが、役立つ人があって、大して結果として役立たない人があっても、それぞれ必要なものを持ってるね。だから絶対(役立たないと)弾(はじ)いたらあかん。みんな神さまが必要で現してるっていうのを知ってて下さい。

 だからアイツあんな悪い奴っていう人でもね、必要で存在してるっていうのは間違いない。何時も何時も言うように、それを1番良いようになってるって言うんですけどね。それぞれみんな色んなことを楽しみたいから、それを邪魔したらあかん。だから漆黒の闇に降りたい人は降りるしかない。いずれは上がってくるけど、ちょっといかへん。どうなるかと言うと本当に自分が寂しくて辛くてね、漆黒の闇で、でも神さまを否定してるから神さまも呼ばれへん。で、神さまを呼べるまで助からへん。でも呼べないんよ。だって「何々叶って欲しい」って言ってる間は神さまを信じてないやろ?今が一番良いようになってるって言うたら信じ切れるけど。という事は漆黒の闇に落ちても、どんなに寂しくても「あー、いいようになってる!よかった!」って言えたら神さま呼べてるねんけど。それを呼べる位やったら降りへん(笑)

 で、そこの漆黒の闇のところは助けれません。助けれないと言うよりもどうしようもないね。で、よろしいですか?これでほんとに終わっていい?長いとまた文章起こし大変やなぁ。(笑)ありがとうございます、ほんなら終わります。 

  ありがとうございます



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