令和5年5月河上さん勉強会−1前半(20230514)
質問:今日は質問無いです。
河上さん:令和の5年の5月5日を過ぎたんでね、本当にみんなにオマケがないですね。基本的に先生が行かれた後は、先生はみんなに任せていかれたんですね。人類をどうするかを、それ自覚するしないは別にしてね、もう「大丈夫」って言って行かれたんですね。みんなが先生としての働きが出来ることを「大丈夫」って言って行かれたわけで、それは素直に「はい」って受ければ出来るわけ。
で卑下慢になればね、出来ないつもりになるだけ。でも先生と縁のあった人はみんな先生の働きをするというか逃れないというか、逃げれないっていうか自分で選んで先生と一緒に地上に降りて、「人類を救う」という先生の大悲願のお手伝いをしますということで、覚えてるかいないかは別にしてね、降りてきたから、この先生の周りに集まってきた。
色んな人の縁(えにし)を手繰(たぐ)ってね、もう探しに探して集まった人もありますし、すぐそばに縁(えにし)があってすぐ来られた方もあります。色々ですけれどもね。どの状態でも先ず自分が人類救済のために神さまの働きのお手伝いをしたい、ていうそういう悲願を立てて、この肉体を持ってきたわけです。
その一番大事なことはね、その肉体というのは分け隔てる意識を持たないと持てないんですよ。だって他人になるでしょ?親子でもね。でもまだその分け隔ての意識の中に全て一つの自覚をするためにお母さんになった人はね、子供だけは特別じゃないですか?特別じゃないお母さんもいるかもしれないけど、ね、やっぱり自分から生まれた分身ということで、一つという意識が自覚しやすいですね。女性はそういう意味では悟りやすいんですけれども。でも我が子だけってなったらまた崩れるから、悟りやすいけど難しさがありますけどね。
どっちにしても、その自分と他人の意識を分ける段階でね、色んな役割をみんな選ぶわけですよ。自分と他人の意識を分けるっていうのは何かと言うと虚栄心です。この虚栄心があるから肉体を持てたんだけど、でも虚栄心を捨てないと人類救済に立てれない。先生の働きが出来ない。先生のお手伝いが出来ないというジレンマにあるわけですね。
それを先生は一括して「みんな光や」とかね、「みんなすでに祈っている悟っている、救われている」て言って一括されるわけです。それを質問に来ればいいんだけれど、「みんなって言うけど全てっていう意味ですか」「みんなってどういう意味ですか」と聞きゃいいんだけど、わざとね、松下先生はみんなって言ったけれども、本当は全てなんですけれども。「全て光や」がほんとだけどね。みんな光やっていう言葉で言われたわけですけど。
その虚栄心の部分だけがね、いつまでもみんな離せなくて、なんか訳が分からんうちに先生がなくなられた、訳が分からん内にここまで来てしまった、いう人が今でもやはり大半だと思うんですよ。
その虚栄心があると何が邪魔するかって言うと、そうですね野球で言うたらね、ホームランバッターとかエースピッチャーとか、いわゆる主役ですね、主役をみんなしたいわけ。でも野球ってチームがあって先頭バッターも一番打者もいるし、8番打者もいるわけですよ。で、どの人もみんな支えているからチームとして勝つわけでしょう?
あるいは映画で言うとね、主役の方だけが要するに主役・準主役、2,3人ですよね大概。その3人だけが映画の中でね、演技したって面白くないわけでしょう?後ろにいる美術担当の人とか、道を歩く通行人とが、あって、はじめて映画として一つの世界作れるでしょう?
どの働きも結果として掴んだら、主役がすごいけど、どの働きも大事な働きっていうのを気づくのは虚栄心があるかないかで分かる。虚栄心があると、私はこんだけ要するに耳かきの働きがダメだと思うのね。でも虚栄心がなかったら、耳かきでしか出来ない働きっていうのがあるわけでしょう?
スコップでは耳の掃除を出来ないからね。そういうことが、虚栄心がなければ分かる。
虚栄心がないっていうのは何かって言うと結果を掴まないです。結果を掴まないっていうのは何かって言うとね、先生のおっしゃる過去を掴まない。現実を掴まないっていうことです。それがわかったら神さまの働きなんです。で、神さまの御働きはこの前の光の勉強会でも出てましたけど、谷神(こくしん)って言ってね、いつもあちらの世界とこちらの世界を逆裏(さかうら)に出ますので、神さまの大きな働きっていうのは、(この現世→うつしよでは)奥へ奥へ入っていくように見えるんですよ。これを天(あめ)のおしお、天(あめ)のおしころって言うんですけれども、古神道ではね。
だけどその奥へ奥へ入っていくような働きなんですけど、これは真(まこと)の世界で言うと、どんどん湧き上がってくる働きなんです。その湧き上がる働きの部分をね、どれだけ、なんて言うんですかね、自覚出来るかが、虚栄心が無い・あるなんですよ。虚栄心があると、もう比較しているからね、目立たない自分が嫌んです、になっていくわけね。
肉体を持ちながら真祈りしないと駄目だから、虚栄心を持ちながら真祈りしないと駄目なんです。ここが難しいところなんです。虚栄心を持つんだけれども、虚栄心にとらわれないっていう、一番難しいところをしなくっちゃいけない。
みんなね、もうこんなしんどい生活やったら死んだ方がマシだって思うのね。死んだ方がマシだって、本当は死んだ方が大変なんだけれどね、死んだ方がマシだと思うのは結果を掴むからなんです。虚栄心があるからなんです。虚栄心がなかったら別にどの状態でも文句はないからね。
そこなんですけれども、でも真祈りをするためには虚栄心を持っててもらわないとだめなの。なぜかと言うと人類が虚栄心を持ってメクラに入ってっているわけね
。虚栄心のために不安がなって喧嘩するわ、戦争するし、会社でもね、あいつサボってるとかね、あいつ大して働いてないのにね、給料をようけもうてる(たくさん貰っている)とか、あるいわこんなに仕事させてるのに、こんなちょびっとしか給料くれへん、ていう文句は虚栄心のせいですよ。
それは本当はなくさなくちゃいけないんだけれども、でもこの世に降りてきた真祈り人の使命としては、その虚栄心を持ちながら真祈りしなくっちゃいけない。一番難しいところを皆さんにしてもらわないといけないんですよ。
先生は虚栄心が一切ないからね、先生の真祈りだけでは、人類を清められなかったんですよ。いつも言うようにね、怒る心、ねたむ心を通してしか、怒り心、ねたみ心に光通らないからね。もちろんその怒り妬みというのは虚栄心があるからよ。だから虚栄心を持って真祈りして貰ってこそ光通るからね、自分にまだまだ虚栄心あると自分を責めるんじゃなくって、神さま一番いいようにしているから、この虚栄心のある自分、食欲のある自分、性欲のある自分、お金に執着のある自分、色々ありますよね、みんな、それぞれね。あの権力に執着のある自分、とかがありますけれども、その自分を通して光がとおすんだと覚悟を決めて頂きたいですね。
「宇宙神ありがとうございます」の祈りでいく時は、虚栄心を消していかれないんですよ。なぜなら「宇宙神ありがとうございます」の中には、自分の全てを投げ込まないと真祈りにならないんですよ。で、自分の全てを投げ込むいうのは、虚栄心が無い状態なんです。なぜ先生が印可書を残され、もうちょっと柔らかい印可書にしろって言われて、「本物が現れた」と喜ばれてね、印可書って言われたのは、その虚栄心がある状態で光を通して貰いたいたいから。
だから印可書読んでいる時は真祈りとするよという先生と神さまの約束のお陰でね、虚栄心があろうが、だから食欲があろうが、性欲があろうが、ねたみ心があろうが真祈りが出来るわけです。で、その状態で是非、印可書を奉読して下さい。印可書を選べれる人はね、自由意志で。
選べない人は、もう「宇宙神ありがとうございます」にね、自分の全てを投げ込んで下さい。その「宇宙神ありがとうございます」に自分の全てを投げ込むというのは、どういうことかって言うと、いつも言うように本当に「宇宙神ありがとうございます」に全てを託さなければいけないんですよ。すると何が起こるかって言うと、一切文句を言わないってなる。不平不満が出た時は、投げ込めていない。
それでは「宇宙神ありがとうございます」をただ唱えているだけで、真祈りにならないわけですよ。それを先生は一意専心とかね、命がけでとか、色んな説明でね、ひたすらとか淡々とか色んな説明で言われるんですけれども、わざとね、自分のすべてを投げ込むとかいうことは具体的におっしゃらなかったです。
それは聞きに来てもらいたかったから。聞きに来てくれるとその人をぱって引き上げれたの。でも誰も聞きに来ないのね。それでここまで来てますけれども。
今はもう本当に時間切れでね、令和5年5月5日を過ぎた時点で一切のオマケはもうないんですよ。今までだったらオマケで、まあお祈りしなくても、まあまあもうちょっとなんとかみたいながあったんですけれども、もう真祈りをしないとどんどん病気になって死ぬとか、色んな運命に巻き込まれて死ぬとかね、それも苦しんで死ぬんですけれどもね。要するに翻弄されて運命に翻弄される、病気になるのもそうですけれども、翻弄されるっていうのは、苦しんで死ぬっていうことです。
よく、朝見たら、お風呂入って亡くなられて、あの人は大往生やって勘違いしてますけど、そのお風呂の中ではもがき苦しんでいますから。もがき苦しんでいるけれども、まだ人の世話をしたりね、助けてきた人は最後は柔らかい死に顔になっているだけで、人をいじめてきた人は苦しんだ死に顔になって死んでいます。
それもいつも言うように、この世で起こることは一億分の1で済むからね。神さまがその人にとって一番良いようにされた結果なんで、「あの人ももがき苦しんですごい形相で死んだからダメだ」ではないっていうことだけ、先ずわかってください。それだけは分かってください。どの結果もその人にとって一番いいように神さまはされるわけだから。
だから例えば印可書を自由意志で選び取れない人は、選び取れない役割を持っているわけです。で、どうしても印可書を選び取れない人に光通すためには、その人の存在が必要なわけでね。どの存在も必要でない存在はないんだということをね、先ず分かれば、「みんな光や」っていうのが分かってきます。ここが大事なんですよ。
あんな奴おってもおらんでも、しゃないわ。みんなついつい思うわけね。「こんな勉強せえへん子は私は私の子ではないわ」って叱るんだけれども、そうじゃないのね。そこが大事なんですよ。どの働きも必要でそうされているだけなんです。その働きが必要でされていると分かったら、もう次の働き出来るから、どんどん変わるんですよ。
でも「こんなんしかしよれへん(こんなことしか出来ないやつだ)」って言うとね、この働きから逃れないの。それで一番この現世の厳しいところっていうか、面白いところは、相手が怠けているように見えてるでしょ?本当は自分が怠けてるんですよ。
だから言えば言うほど自分がね、動けなくなっていく。だからその会社の上司っていうのは大概ね、成績あげて業績上げて上役になるわけなんですけど、上役になった途端におかしくなっていくんですよ。それはなまじ自分が仕事ができたからね、出来へんやつをボロクソに言うわけ。「こんなんしとったらあかんやろ、あーや、こうや」ってね。言うた時点で自分がどんどん動けなくなる。
どういうことかって言うとね、自分の中にないものは見えないですよ。分かる?だから自分に怠け心とかずるい心があるから、相手のずるい心とか怠ける姿が見えるの。だから先生から見たら、ずるい人とか怠けているという人はいなかったんですよ。先生にはないから。よくあの人あんなんで言ってきてもね先生、「ふんふん大変やな」って言ってやっぱり一番最後には、でも「みんな光やからな」とかね、「みんな神さまやから」っておっしゃるんですよね。
でもそれでは光を通しきれないから、後みんなに任したよ、自分がいてたら自分にみんな頼ってくるだけで意味がないから、神さまが引き上げてくれて行っちゃうみたいな感じで、もう1年だけってお願いしたんだけれども、まあダメでした。本当はもう1年延びる予定だったんだけれども、もう色んなことでね、色んな結果も、ああいう結果になりましたけれども。まあ全てよしですから。
それで地球の運命も人類の運命も真祈り人が選ぶ通りになります。人類の自由意志に神さま任されているけども、その自由意志の(人類の運命の)総結集は真祈り人の自由意思に任されているんでね。
もうね、皆さんの選びとられる通りになっていきます。それをよく分かっていってください。
だから何が言いたいかって言うと責めててもいいけどね、印可書に立ち戻ってねっていうことです。もうそれだけです。難しいことは言いません。
どの状態でも今の自分の個性が必要で神さま残しているわけですよ。個性と言うか癖ね。人を責める癖とか怒りっぽい癖とか、みんな自分で自分が一番よう知っているわね。それを残してくれているの神さまはね。消そうと思ったら簡単に消せるわけです。神さまは全知全能やからね。
いつでも消せるのになぜ消さないか、必要だから。それを通して祈ってください。ともかく印可書に立ち戻ってもらったら光が通るんでね、この繰り返しでこれからお願いします。
本当にね、地球上で人類の人口があと9割減らないと駄目なくらい、もう地球がボロボロなんです本当はね。でも真祈りしたら、みんなで助け合って、なんとかなるようにはなるんです。
どれを選ぶかも、もうみんなの自由でね、みんなが神さまなんかあるものかっていう人が49%を超えて51%になった途端にね、種まくでしょう。今やったら田植え始まってます。田植え始まったけど秋になっても実がならないってなる。本当に食糧危機が始まって、食べ物ないとね、真っ先に争うのね、人間て。奪い合いが始まるから。もうすごい状態になりますけどね。
仮になってもね、真祈り人はその現実を掴まずににね、1回は掴んでもいいんですよ、掴まないと光を通せないからね。「わー、大変やねーあんなんして」って1回は掴んでくださいね。でも掴んでください言わなくても掴むから、大丈夫やから。その瞬間に印可書に戻ってもらったらいいです。で、そうして光を通せばどの状態に傾いても(良いように)戻ります。それだけなんです。だから真祈り人次第です。
そんなん言ったってそんな100人もいないじゃないかってみんな思うかもしれないけども、その最初の100人が大事なんですよ。お猿さんの世界でね百匹目のお猿さんが芋を洗ったとたんにね、全世界のお猿さんが芋を洗いだしたっていうのがあるじゃないですか。あの数をちゃんと先生は用意をして行かれていますから。大丈夫です。もうただただそれだけで、どんどん逼迫してしまって追い詰められて凄い状態ですけれども、あっという間にどっちかに傾きます。どれもみなさんが選べるわけ。そういう状態に入ります。只々、それだけです。
もう具体的に報道というか、本も出てね色々となっていますけれども、人類の1%の人がね、8割の富を握ってるんですよね。残りの9%の人が、残りの1割の富を握っているんです。要するに人類の10%の人で90%の富を今握っているんですよ。大半の人はどれぐらいの富かって言うたら3%も持っていないのね。そんな状態なんです。それって何かって言ったらお金なくてもみんな生きていけるやんっていうことですよ、逆に言うたら。わかります?一部の人が富持っているんでしょう。ほとんどの人はお金を持っていないわけや。でもみんな生きていけるやん。楽しく生きてるやん、映画見て、テレビ見て、な?ということはお金要らんねん、っていうのが一瞬でみんな気付く寸前まできた。
で、お金が要らんねん。っていうことは真祈りに入れるって言う事や。みんなお金を稼ぎたくって「そんなお祈りどころやあるかい。仕事じゃ。」とかね、「明日食うご飯ないねらんから、先ず、働かにゃ」とかね、「お祈りの前に先ず働かにゃ」とかなるわけでしょう。それがお金が要らんのやったらもっとワーてなる。
そのためにはどの人の働きも必要なんだということが、みんなが自覚出来るようにならなくっちゃいけない。要するに「怠ける人の働きも必要なんだ」っていうこと。
例えばあの人生活保護を受けてってなりますけれども、生活保護を受けた人は生活保護に関するマイナスを一切背負うっていう覚悟なんですよ。本人の自覚は別ですよ。そういうもんなんです。何を選ぶかもみんな自由なんだけれども、先ず、先ず印可書を選んだらいいのね。
そしたら神さまを選んでいるから自在になっていくんです。それで印可書を選んだ人が自在になっていくと、みんな真似するのね。印可書を読むのがいいんだみたいな。それで一気に変わります。それがこのわずか100名足らずの真祈り人の力でなりますからね、大丈夫です。大丈夫だというのを知っていて下さい。そこが大事なの。神さまが一番良いようにするから大丈夫。
でも肉体側がね、肉体人間側が印可書を選らばないと動かないんだっていうのも。要するに神さまがなんでも出来るわけですから、一瞬に清めて理想世界を作るのは簡単なわけですよ。
でもそれをやったら、先生がいつもおっしゃるように、みんなロボットだって。ロボットになっちゃうわけ。それは意味がないのね。動物たちの世界はそうなんですよ。動物たちに自由意志はないの。神さまのほうでパンパンで決めて、動いているだけなんです。
それは神さまにとったら、まあ本来の本当の姿を現していないわけです。何故かって言うたら、神さまの本当の本来の根本的な姿は絶対の自由なわけです。自由意思ね。だからみんなが自由意志で神さまの御心を選び取ってくれたら本物なんです。
何故ならみんな神さまの命だから。真(まこと)の神さまそのものだから。真(まこと)の神さまを分けて表しただけだからなんですよ。真(まこと)の神さまの本質という絶対の自由を表してくだされば本来の姿に戻るんです。ただ絶対の自由の表し方がね、わからなくてみんな苦しんだという事です。
でも印可書を選び取ったら絶対の自由とするというね、「何処でもドア」を先生が作ってくださったからね、印可書さえ読んだら、もう真(まこと)の神さまになっているという、「何処でもドア」です。だから印可書を通してね、いつも真(まこと)の神さまのすべてに立てるという、真柱を立てる行為をね、してくれたら大丈夫です。神さま働きという、そういう絶対の自由の完璧な働きが起こるんですよ。
その絶対の自由を分かるか、分からないかなんですけどね。みんな自分の好き自由にやってると、好き勝手にやってると思うんですね。本当は好き勝手にしてないんです。運命に翻弄されているの。わかります?
このここが一番難しい分かりにくい所なんですね。絶対の自由と好き勝手にやっているは別なんです。例えば食欲があって、もうどうしても色んなものが食べたい、あるいは性欲があってどうしてもあちこちでエッチをしたい、あるいは金銭欲があってね、人を騙してでもどんどんお金を稼ぎたい、というのはこれは絶対の自由じゃないんです。これは自分が積み重ねてきた言葉、マイナスの言葉。
なんでマイナス言葉を自分が作ったかって言ったら肉体を持つためにはマイナス言葉で形作らんと肉体が出来ないから、仕方ないんですけれども。そのマイナスの言葉のエネルギーに押し流されているだけ。運命に翻弄されるって言うんですけれども、だけなんです。みんなが好き勝手にしている状態は。
で、絶対の自由を発揮するときは、神さまの御心が発揮出来る時は、絶対の自由です。それで、じゃあ神さまの御心を発揮したら絶対の自由なるんやな、どうしたらええんや?になったわけですね。絶対の自由がわからんのに「絶対の自由を発揮せえ」言われてもわからへん。
前はそんな言われても「先生絶対の自由って何ですか」って聞きに来てくれたら伝授できたの。でももう伝授いちいちしていられないから、印可書を出されたんだけれど、誰も選べへん。約12名しか選ばなかったんで、色々と先生が苦慮されて「宇宙神ありがとうございます」にしてみたんだけれども、やはり選び取れない。「宇宙神ありがとうございます」になり切れない。で、もうちょっと柔らかい印可書ということで、作ってですね、「本物が現れた」って喜ばれて、「もうこれで安心や。任したで」ていうことで今の印可書になっています。
だから今の印可書を通して絶対の自由を発揮できますから。虚栄心を消そうと思わずに、出た時点で楽に印可書を読む。それを淡々と奉読してくださいとかね、色々手を変え言葉を替えして説明していますけど、そういう意味なんですよ。
だから自分はまだまだこんなんで駄目だと思ったらあかん。ダメじゃなくて「こんなんで面白(おもろ)いわ」で印可書読んでくれると、うまくいきます。ここ大事だからね。私もまだまだあの、ご飯いっぱい食べたいの、色々とエッチしたいの、「ダメだ、ダメだ」って思った時点でアウトなんです。「なかなか面白い自分」と思って印可書奉読して。まだまだこんなん思える面白い自分と思ってね、要するに面白い演技ができている自分なんですよ。「ダメだ」なんじゃない。だって名演技でしょう。ダメだって言うから名演技を否定しているからややこしいなる。
みんな名演技をしているだけやからね。真(まこと)の神さまが。だから面白い自分だと思いながら印可書読んでください。そしたら一気に、本当に全てが一気に変わりますから。本当に毎日が大奇跡の連続になります。
まあある意味このお話が出たというのはそれぐらい色々切羽詰まったとも言えるしね。色々ありますけど、どんなに切羽詰まってもね、うわーこんな、例えば大津波が来ちゃてね、わーとなってしまって、ぐちゃぐちゃになってしまって、「ダメだ」と思ったらあかん。「面白い状況になったな」言うて印可書に戻ってください。するといけるんですよ。
だから自分にとって都合悪いこと嫌な事をね、しましょうねっていうのはね、何かって言うとね、自分にとって都合の悪い事っていうのは要するに「自分がダメ」だって思ってるからよ。わかります?
面白い自分と思っていたら都合悪いことも、結果気にせずに出来るのね。ダメだと思うのは結果を気にするからよ。じゃまくさいなー、っていうのは結果を気にするからよ。でも面白い自分だなーって、「これ嫌がるのはなかなか自分は面白い」って言ってやったら、とにかく面白くて楽しんでやる。そしたら無条件の喜びが分かる。
ともかく「ダメだ」って言わないことよ。「ダメだ」っていうのは結果を掴んでいるから、もうそこから身動き取れないのよ。でも「面白い自分」て言ったとたんに結果掴んでないから、スルスルと行けるの。そう思ってやってみてください。するとね、重いものを持ったりとかね、そのしんどい仕事が楽になります。逆に言うと結果を掴んでいないから、その人にとっては3回運ぶだけで終わりでいいっていうのが分かるの。
結果を掴んでるからね、みんな10回この重いの運ぶのに、私も10回運ばなくって言って嫌になっちゃうの。こんな面白い自分でって喜んでやってみてください。するとね、みんな自分がやっているって、勘違いするからね、邪魔くさいとか嫌だとかだめだがあるんだけれども、本当は自分がやってることなんてひとつもないの。自分が指を動かしてると思ってるでしょう。でも違うの。神さまが動かしているんよ。でも自分のマイナスの言葉で自分がしているって決めつけただけ。決め付けたぶんだけ「だめだ」っていう結果を掴んでね、余計に身動き取れない。
だって掴んでるんだから。離したら走れるのにね。運動会で用意ドンって言ってるのにね、何か物を掴んで動けないわーってやっているようなもんです。結果を掴むっていうのはね。
例えばそうでしょ?運動会で用意ドンでもゴール向こうでしょう。あんな遠いところ行かれへんわ、って思ってゴールをつかんでいるわけよ、みんな。分かる?結果掴むって現実を掴むってそういうことなの。
常に常にね、未来しかないの。現実ってないねん。運動会の用意ドンがそうでしょう?ゴールは、遥か先や。50mか100mか色々あります、10mとかね、幼稚園行ったら10mかな?駆けっこがありますけれども、結果は未来でしょう?今ないね。ないのにあると掴んで、それをマイナスの言葉って言うんですけれども、あるとつかんで縛るわけ。
縛るから身動き取れない。だれもあなたを縛っていない。自分で自分を縛ってるだけ。だから私はあれが苦手だって勝手に縛っているだけでね、本当は何でも出来る自分なんです。先生は本当に何でもできたけどね。何でもご存知で数学的なことでも、もうすごかったですけれども。一切見せない。見せる必要もないしね。そういうもんなんです。だから先ずね、「中々、面白ろい自分」やと思ってやってください。ダメな自分と思わない。
ダメだと言った時点で結果を掴んでいるからね、もう本当に身動き取れないから。それは別に僕でもそう。駄目だと思った途端に動けないから。当たり前や。駄目なとこつかんでるもん。それ、分かってくださいね。出来るだけ今分かり易く言ったつもりなんだけどね。質問してください。はい、お願いします。どうぞ。
質問:ありがとうございます。以前説明していただいた、この世に生まれてくるのは難しいゲームを楽しむためにきている。ということで今日の話では虚栄心を持ちながら、真祈りをするという・・・
河上さん:それは難しいゲームや。そうそう。
質問:それを楽しみにきている?
河上さん:本当はね。本当は楽しみにきているから、先生が無条件の喜び、無条件の楽しみとおっしゃる。だってゲームかって難しいゲームを楽しんでやってるんやろ?
質問:はい。
河上さん:あんな難しいルールで縛る必要あれへん。将棋でも、はさみ将棋だけにしたらええねん。そしたらややこしないやん。な、だけど難しいせんと面白くないやろ?
質問:虚栄心を持ちながら真祈りっていうのは、やっぱり難しいこと?
河上さん:一番難しいことですね。
質問:それをこう・・・
河上さん:だって自分と他人ってないねん。全部光やから、全部自分とか全部真(まこと)の神さまなわけよ。それを無理やり分けれない光を無理やり分けてやで、困難を作って、するわけでしょ?まあ言うたら、わざわざ冬山登山に行きはるわけやんか。わざわざ崖っぷちをロープ掛けて登るんでしょ?あれなんて言うの?ロッククライミングっていうの?わざわざするんやろ?そういうことをみんな大なり小なりどんな姿であっても、しに来ているわけよ。
だからわざわざ男と女に分かれて出て来るね。ほんでエッチしたい、結婚したいっていうけどね、みんなね。分けてるから結婚したい。男と女のその区別消すとね、何もないね。或いは食べ物でも美味しいもの食べたいと思うやろ?それは色んなもの分けているからよ。全部一つにするとな、味も何もない。無色透明や。光がそうでしょ?色んな光全部集めたら無色透明になるんでしょ?わざわざプリズムで分けて楽しんでいるわけやんか、この世は。
本来は無色透明の真(まこと)の神さまの光だけや、な?それをプリズムで色んな色に分けて、その色を組み合わせてというのを、過去に、過去を、言葉に言葉を重ねて色々言いますけど、作るわけや。
まあ映画で言うとね、台本ってそうでしょ?この人は悪役で、こういう役でどうこうと、言葉で重ねて物語創るわけでしょ?で、ヒーロー作る為にね、あの極悪非道の大悪人みたいなのを作るわけでしょ?あの悪代官を作るわけでしょ?水戸黄門を上に光らす為にね。お代官、悪代官様を作っりとか、色々するわけでしょ。
それも本来は光のものを、光無いって決めてるだけで、みんな光は変われへんね。でもその中にはまっている中からね、ハマり切った中から出て来るのは大変なんです。だって将棋がそうやんか。あのややこしい飛車は横で角は斜めでとか、ルールつくっているけどな、そんなもん、ルール無しでやったらええやん。せやろ?せやけどわざわざ縛った中で苦しんで苦しんで言うか楽しいんでしてるわけでしょ?
でも僕は将棋嫌いやから、苦しみでしかないけどね、あれは。でも楽しい人は、あれはもう楽しいんでしょ?そのそこで楽しみにいてたらええのが、苦しみになっただけやからね。でも苦しみに落ちるのも、先刻分かっている中で神さまが、もうひたすら救いに救いに救いを重ねてという形で、オマケにオマケを重ねてね、全てを救い取ろうとして来られているだけです。
その神さまの、もうオマケのオマケの中で皆さんが今言うた最後のね、印可書読んで喜びまわるという事、入れるわけです。
質問:難しいゲームをクリアーすると喜びが大きいから難しいゲームにチャレンジするのでしょうか。
河上さん:そうですよ。みんな例えば、模型創りの好きな人やったらね、最初は既成のプラモデル作るわけや。だけど、この頃テレビでやっているやん。わざわざ部品創って、模型作るんやろ?作って完成したら「ああ完成した。よかったなあ」で、もうそれ要らんねや。模型創りの人は面白いわね。完成したらもう要らんね。完成したら誰かもうてくれれへんかな、みたいな。僕のスピーカー作りでもそうやけどね。完成したら誰か貰う人おらへんかな、みたいな。そしたら何のために作るねん、やけど色々と困難を楽しむわけでしょ?
令和5年5月河上さん勉強会―1後半(20230514)
質問:そうすると虚栄心を持ちながら、印可書を奉読・真祈りをすると、ゴールというか、そのゲームをクリアーしたその先には、神さまの無条件の喜びというのが・・
河上さん:先生が仰っていたのですけど、ズーっと真(まこと)の世界に住んでいる人と、一旦地上に降りて来て戻る人と、真(まこと)の世界での尊敬のされ方が全然違うねんって仰るんですけど、それは11歳の時に先生にお会いした時に先ず聞いた話ですけどね。
凄く体が僕は大変でしたから、喘息も大変だったから、大変でどうこうで色んな話をしていたら、ワザとその状態になるようにして降りて来たんやと。自分でもそう思っているから「そうなんすんですかね?」って聞いたら「そうや」っていう事で言われたんですけど、その中で本当の真(まこと)の神さまの響きをもう一度発揮してね、戻ると真(まこと)の神さまの凄さがより分かると仰った。
どう言ったら良いんだろう?より深く真(まこと)の神さまを知ろうと思ったら、より困難中からクリアーして行くから、神さまの凄い霊妙不可思議な奥深い働きが分かるんだって仰った。
それを分かるためにしてるんだみたいな仰り方をされたわけで、本当にその通りで。だから例えば開拓者、開墾してされる方って結構晩年スッキリされている訳、その苦労を乗り越えているからね。そういうもんで制限を受けた中でして乗り越えていくから楽しい。なのに「こんな病気で苦しい」とかね、「こんな生活で苦しい」とか制限に文句言うからややこしい。
で、文句言っている内はまだ良いですけど、こんな生活に苦しんでいる自分は駄目だって言った途端に、凄い運命に翻弄される虚の世界に落ち込んでいくの。マイナスにマイナスを重ねてっていうね。自分は駄目だって言った途端に落ち込むの。実際言葉の上でも落ち込むしね、駄目だって言った時点でね。だから「面白(おもろ)いやっちゃ」と思って楽しんで行くと良い。
一番大事な事は成功したかしないかじゃあない。結果じゃあないっていうのがね。だってゲームってそうでしょう?クリアーしなかったら、又、次のゲームしようで終わりや。アカンかったな、又、一辺やり直そうとかね、これおもろない、これ上手くできないから違うゲームしようとかするやん?あれで良いのにね、これ出來へんかったから死ぬしかないってやるわけでしょう?結果掴むと。
だから結果掴むから苦労しに行けへん。楽しようとする、みんな。結果掴まなかったら喜んで大変な事して行くよ。自分にとって嫌な事が有るっていうのは、苦労をしたくないの、楽したいからや。自分にとって嫌な事は、大概自分にとって辛い事や、な?結果掴むからや。
結果を掴んだら辛い事や。掴まんかったらどの状態でも楽しい事や。だから何時も言うようにね、この部屋全部掃除しましょうって言ったら辛いの。ここだけで良いからやりましょうって言ったら楽しい。すると知らん間に全部出来るようになるの。結果掴んでいないからな。結果掴んでいたら「こんだけしなくちゃあいけない」って先ず掴むや。自分の思うとおり綺麗にするには3時間はかかるって思うや。するとその3時間どうやって作るねって思った途端にもう嫌やって、動かれんへん、動かれへん。部屋の掃除一つとってもそう。それは仕事の上でも何でもそう。
運動会の駆けっこでもそうや、ゴールを見たら嫌になるって。みんなゴール一着で着きたいって思ったら嫌になるって。
だけど(みんな)あんまり考えずに走っているだけや、みんな、運動会なんかはな、結果が重大で無いから。だけど運動会の駆けっこで一等は1億円とかなった途端にな、辛い。要するに結果掴んだからや。結果掴まんかったら楽しめれるね。それ分かって、そしたら駄目な自分って思わなくなるから自由に動けて何でも出来るようになるし、何よりも楽しくなる。
楽しくなったらアッという間に地上天国や。いまの地上が大変ていうのは、駄目な自分とかね、色々とマイナスで否定したからや。それは国どうしでもそうでしょう?「あの国は駄目だ」ってやるわけでしょう?まあ日本でもそう「今の首相は駄目だなんだよ」って、野球で考えたら分るやん。「あの監督だったらダメや」ってやってややこしくしてるだけよ。
その駄目だっていうマイナスを使わないように、「面白くやっている」「中々面白い状態や」って言って楽しんだら良い。今、凄い大事なとこやねんけど。(すごく大切な大事な悟りの要諦を言っているんだけど)そしたら気楽になるし、スルスルと動けるの。
どうしても生存競争の中でね、結果主義でしょう?全世界的に。もうキャリアがどうとか、何所の大学出たとかね。その結果主義の中で結果を掴むっていう癖をみんな持たされている訳やけど、その結果を掴む癖を離したらいい。そしたら何でも出来るようになる、先生の様に。
だから先生の場合はある凄い大学にね、合格してたんですよ。でも出来なかった。もう言って良いんかな?良いでしょう。先生やのに名前書くのを忘れはった。で、通らんかったんやけど。
(まわりの家族は)神さまに聞くわけやね。先生は(神さまの)御心やからって聞かれないんですけど、周りの人が(清則が合格しないのは)おかしいって言ってね、先生のお父さんに聞きはって、お父さん(を通して神さま)から降ろしてきた言葉が色々あったんですけど、どっちにしても、このまま行かしたら虚栄心で崩れるみたいな。要するに経歴(という結果で)で崩れる。だから有名な大学出たっていうだけでね、縛りが出るっていう事で駄目だったんですけどね。
それ位、今の世界っていうのは結果を気にする。だからどこそこの大学出た人の言う事やから正しいとか勘違いするやろう、みんな。そういう所で判断しようとしているや、無意識に結果を掴んでいる。それを止めたら良い。止めたら結局は自分が楽になる。みんな結果を掴んで自分で自分を縛っているだけだから。
だからそれぞれみんな色んな立場に立たされているわけよ。それ必要で立っているのに気付いたら楽になる。「何でこういう境遇に私はいるの?」って思った途端に、駄目な境遇って思っておるわけ。で、駄目って言った途端にもうそれを掴んでいるから動けへん。
必要で楽しい境遇、楽しい運命をさせて貰っているって思ったっらね。そしたら無限力が発揮できる。みんな結果掴んで有限力なの。で、疲れたからもうダメ、動けない、もう死んだ方がましだ、見たいになるの。
本当は無限供給だからね、ちょっと休憩したらスグ元気になるんだけどもね。それをこんだけ働いてしんどいから、1時間寝なくちゃあいけないとかね、みんな勝手に自分を縛るわけよ。
こんだけの物、食べんと(疲れたからこれだけの食べ物を食べないと)元気にならへんとかな、分かる?
アッしんどいから甘い物食べて元気出しましょうとかな((笑)、勝手に自分で縛っているだけやで。先生みたいに「お水飲んでいたら元気になる」って言っていたらお水で元気になるのにな。
お水ではあかんのやろう?色の付いた甘いもんでないとアカンのやろう?((笑)どれもこれも結果掴んでいるだけ。だから。
はい、どうぞ。
質問:以前にも教えて頂いたと思うんですけども、結果を掴まないという事で、仕事が途中で終わってしまったと。その時も他の人から「なんや途中迄しか出来てへんやないか」とか「こんなんでやりぱなしや」とか言われた時にも、「アッ出来ませんでした。すみません」で良いのか・・?
河上さん:良いの、良いの。
質問:私はこう思いましたとか言わなくても?
河上さん:そんなん言わんで良いの。それで「何や、こんなんしか出来へんのか?」って言わして、言わした言葉を自分が印可書を奉読して消して上げたら良い。するとみんなマイナスを言わなくなって行くの。折角言ってくれた、その人が「あんたこんだけしか出来へんでどうしたのよ?」って言う、そこに光を通せるのよ。
先生の立場やと先生に向かって、「あんたどうしたん」って言えへんわな?みんな。(笑)そうしたらそこに向けて通す機会がなかった、先生は。だから皆の真祈り人の働きが要るわけ。だからボロ糞に言われて何ぼや!お願いします。
質問:はい、ありがとうございます
宮野さん:先程のちょっと戻りますが、先程の難しいゲームをしに降りてきている、という中でゲームその物が肉体を持って降りてきたために、虚栄心が必要で虚栄心だらけで降りて来るわけですけども、虚栄心その物は気が付かないっていう状態が結構多いい思うんですね。
虚栄心って何やろうって、多分皆さんの中で人と比べてみたいな感じなんですけども、虚栄心そのものが罠みたいなもんで、
河上さん:そうよ。だから虚栄心って結果を掴むのを虚栄心って言うんだけどね、そのみんな結果を掴むとこを虚栄心って思っていないだけ。
宮野さん:虚栄心があるから結果、人と比べる、分け隔てをする、自他を分け隔てする、物を分ける、なので虚栄心ですよね?人と人を比べるから、あの人より自分が良く思われたい。先程の質問にあるように、あの人にこんな事を言われた。「いや、私あの人より出来ていないんやろうか?」「なんであんな風に言われるんやろうか?」それ分け隔てしているから、結果虚栄心ですよね?
河上さん:言う方も言われる方も虚栄心。
宮野さん:そう。そして結果を気にするっていうのは何も、誰も自他の分け隔てしていなければ結果を気にすることは無い、評価を気にすることは無い。そして虚栄心があるからお金に執着をする。自分の立場に執着をする。物に執着をする。
河上さん:そう。自分を守ろうとするのね。
宮野さん:そう。この世にある全ての物は虚栄心があるから故に成り立っている事なのかなっと思うけど、実は自分が持ち続けている事に気が付かない事の方が恐ろしいかなっていう。「アッ、こんなとこに自分は虚栄心を持っていたんだ」という?
河上さん:そうそう、そういう難しいゲームをしに来ているからね、楽しみに来ているって言っているの。
宮野さん:なので「アッ、自分にこんな虚栄心がまだ残っていたんや」。それは虚栄心の中でも大きい小さい、人から見て「ああ、あの人虚栄心だらけやな」と思う人もあれば、「いや、あの人にあんなところ有ったん?」位の気が付かない虚栄心もあるけど。でも虚栄心に大きい小さいは無くって、全て虚栄心ですよね?その虚栄心に気が付いたって処でもって光が通せる。
河上さん:そうです。一番大事なのは自由自在心というか、自由意志ですね、自由意志でするというとこが大事なんですよ。
今までの宗教の問題点は何かと言ったら、自由意志を縛ってね、これを信じなさいやね。それはな、逆に言うと縛っている虚栄心なの。縛るっていうのは虚栄心なの。
だから今までの宗教では救いがなかった。只々、それだけなの。ここは宗教ではないって言うのは、みんな自由意志を発揮して楽しんで喜んでいるから。こうしなさいっていうのは一切無いの、此処には。だから「宇宙神ありがとうございます、一本で行きたい」「行って下さい」なのですよ。是非それで行って下さい。それだけ。
只、やり方は余計なお節介やけど、わざわざ余計なお節介させて貰って説明しているだけです。「宇宙神ありがとうございます」だったら、自分の一切をそこに投げ込みなさい。虚栄心であろうが、何であろうが、欲望であろうが一切を投げ込みなさい。そしたら何々したいっていうのが無くなるから、投げ込んでいたら。
投げ込んでいない間は、「こうしたい、あゝしたい、あいつあんなん駄目だな」って思うの。それは自分が残っているから。どうこう思う自分を全部「宇宙神ありがとうございます」の中に投げ込まないと駄目なの。それを一意専心とかね、ひたすらとか、淡々とか色んな表現をしますけども、呼吸に乗せるとか。呼吸に乗せるっていうのは思う暇がない、本当は。
宇宙神ありがとうございますで呼吸に乗せていたら、あいつアカンとか良いとかな、自分駄目だとか思っている暇はない。呼吸乗せるのに必死やから。そしたら全て投げ込めるんやけど、出来へんのやろう?っていう事で先生がもう一辺、印可書を作れっていう事だけなんですね。
先生が「新たに印可書作れ」、そして「本物が現れた」っていう時にね、必死で先生の食い下がってね、「どの本物が現れたんですか?」って聞く人も居ないし、もう色々ありましたけども、別に責めて言ってるんと違うからね。みんな救われたいが先やから、そこまで進まんかっただけです。
でも自分が救われたいも横に置いといて、楽しんでくださいってお願いしているわけです。救われたいっていうのは結果を掴んでいるでしょう?結果を掴む間はそれ虚栄心だから、救われたいっていうのはそれ虚栄心なのよ。此処大事やで。
自分救われたいって思うのは虚栄心なの。要するに、自分だけが先に救われたい訳やから。だから今までの宗教がおかしいのは、教祖だけが悟ったって言う訳よ。それ本当は虚栄心よ。皆が悟って本物の悟りやって先生仰ったでしょう。
だから「あなたは悟った」って言われたら、「いや、先生それおかしい。まだ他の人悟っってない」って言わないとアカンのやけど、「私は悟った」ってみんな舞い上がった。それ位虚栄心がある。という位色々あるんですけども、兎も角、ひたすらね、何事も楽しんでください。面白い自分やなって思って。駄目だと思ったらあかん。面白い自分やなって思って、例えば一杯美味しい物食べたかったら食べたらいい。チョコレート食べたかったら食べたら良いし、面白い自分と思いながらね。こんだけチョコレート食べてしまって駄目だとかね、思うと駄目。駄目だって言うと掴んでいるわけ。どんどんチョコレート食べたい面白い自分と思うと、掴まないから食べづに済むんです。
宮野さん:虚栄心の見つけ方が多分皆さんの中でどうやって見つけるのかな?って、
河上さん:結果気にした時は虚栄心。
宮野さん:ですよね。なので何時も言われている事で、自他を分け隔てする、結果を気にする、不平不満を言わない、今が一番良いようになっているっていう、ここら辺を押さえると・・
河上さん:そう。それで今が一番良いようになっているっていうのを結果を掴んで言う人が居るから、ややこしい。今が一番良いようになっているっていうのは、結果じゃあなくって、どんどん良くなっている姿なの。なのに今が一番良いようになっているから何もしなくってっていうのは、今という今を掴んでいるからな、それ掴んでいるから良いようになっていないの。掴んだら駄目な状態やっていう部分があるねんけどね。でも今が一番良いようになっているって表現しか出来ないからしてますけど。
宮野さん:後は先程の掴んでいるっていう処で言うと、どの状態も良いっていう、ねばならないっていうのは決して、それは自由自在ではないよねっていう話し。
河上さん:こうしなくっちゃいけないとか、こうなっていなければいけないとか、こうでないととか言ったら、もう結果を掴んでいるよね。
宮野さん:大きくなると仕事の事とかなると思うんですけど、もっと日常的に身近な事で言うと、例えばスーパーに買い物に行きました。「いや、これ何時もやったら定価で買う奴やけど、今20%引きや。いや、あの人30%の持っていはるや、どないしよう?」とかっていう、ちょっとした事でもそうやけど、これはやっぱり見栄で「私こんなに安い物買っていたら貧乏人に見られるやろうか?」みたいな虚栄心だったりするんですよね。(笑)心の中では20%、30%あの人のあれ欲しいわって思っているんやけど「いやいやいや、さっき知り合いに会ったしな、私こんな20%貼っていたら恥ずかしいしな」とかしょうもない事やって思うんですけど、そういう事だったり。
でもそれは20%がアカン、定価で買わないとアカンという話しでは無い。どの状態でも良くって自分が自由自在にっていう状態ですよね。日常的にそういうのを自分自身でやっている行動がどの状態でもOKだと、ねばならないという事は決してないと。
だから何時も何時も自分にOKを出して「あゝ、神さまありがとうございます」って
河上さん:喜んでいたら良い。
宮野さん:そう。ちょっと回りを気にするっていうのは、そこで自分自身について下さっている神さまを否定するっていう感じですよね。それこそ虚栄心。「あっ、今虚栄心が出たな」って思う時が真祈りチャンス。そう。「あゝ、やってしまった」じゃあなくって、「あゝ、チャンスやわ。今、真祈りをするチャンスを貰ったんやわ」って気付きを頂いたっていう。
印可書、真祈りそのものは時間空間を全然問わないので、思った瞬間。その時にスーパーで買い物していて「いや、今日酢豚買わないとあかんのやけど」って思いながら、「印可書読まれへんわ」って思うかもしれないけど、冒頭の部分だけでも良いから、一節でも良いからちょっとお祈りをするってなれば変わりますよね、っていう。
それが真祈りチャンスって何時も何時も癖を付けておられると、日常的に自他を分け隔てる事もなく、結果に一喜一憂する事もないし、他人の言葉、目を気にする事がドンドン少なくなって来る。
実際には気にしているんだろうけど、それをあまりサワサワっていう事が無くなって来るっていう、そうゆう風にして、いずれ肉体を外して行って、結果虚栄心が無くなるという事は、肉体とバイバイってする恰好でしょう?その時は神さまの世界に戻して貰うのに一杯汚れ付けていたんでは、離れたいのに離れないんだねっていう、重い重い泥だらけの汚れの付いた服を着てなアカンという状態になるんで、ドンドンこの世界、肉体を持っている間に真祈りチャンスを掴んで消していく。消えゆく姿を経験して頂くのが良いのかなと思ったりしますが、どうなんでしょう?
河上さん:その通りです。はい。
質問:2点あって、1点は確認で、1点は質問です。1点目なんですけど、自分を振り返ってみた時によく出る虚栄心が、相手の姿を見て「こういう事をされていると、凄く勿体ないな」とか、「そういう事をしたらいけないのに」っていう風に相手を評価してしまう時があって。で、今、一番必要な勉強を神さまから頂いているっていう風に、そこで印可書を奉納していくっていう事が一番大事だっていうとこが、いつの間にかズレていくっていうその時に、仰ってたみたいに結果を気にせずに少しで良いから、何かをする印可書を奉納したりするっていう事と、後それでもズレるなっていう時が有って
河上さん:あのね、結局みんな本当の事を言えば、自分の世界しか見えていない。どういう事かと言ったら、相手が鏡やね。自分の姿しか本当は映していない。たったそれだけや。
自分の姿しか映していないから、喜んでいたら良いだけやね。面白いなって言って。相手が勉強してないとか、サボっているとかじゃあなくって、本当は自分がサボっているだけやね。
さっき別の言い方でね、自分にサボる気持ちが無ければサボるのが見えないって、例えばね。そういう感じで結局全部自分の世界なんですよ。だから先生は自分の世界をお清めできるけど、相手の世界に中々干渉し切れなかった。で、今は皆さんの心を使って色んな世界に干渉できる状態に先生がいらっしゃる訳、印可書を通して。
だから印可書を奉読して頂いたら、先生がその印可書を通して皆をお清めして下さるの。本当言うとね、あんまりややこしく言うと又、あれなんで印可書を読んでね、で済ましていますけどそういう事です。その確認ですね?
質問:はい。そこで楽しむっていう事を、面白い自分だなって言う風にしていけば良いてすね?ありがとうございます
2点目なんですけど、質問で絶対の自由、神さまに自由を捧げるっていう、それは我儘な自由ではなくって絶対の自由を捧げるっていう。それは神さまに印可書を奉納するっていう事が
河上さん:そうです。それで結局、絶対の自由を捧げれたら何が起こるかって言ったら、先生の仰る無条件の喜びが湧く、無条件に幸せになれる。一切条件が付かないわけよ。ひたすら嬉しい、楽しいってなるの。それ具体的には神さまの働きを褒め称えて、喜んで、感謝してっていう感じやね。
で、先生はよく「褒め称えて、喜んで、感謝して、待っていてくれたら良い」って仰ったんですけど、その褒め称えるっていうとこがね、みんな神さまが働いているのが分からへんから、ピンと来いへんわけよ。で、褒め称えるのが印可書になる訳ですよ。印可書を読むと神さまを褒め称えているの、讃嘆しているのね。
褒め称えるっていうのは相手と一つになれるの。だから先生が褒めてくれた時って物凄く嬉しいでしょう?それ先生とその時一つになっているから。それ位褒めるっていう事は凄い事なの。
でも神さまが働いて全てが動いているって、みんな気が付かないからね。本当は神さまが働いて全てが動いているし、決まっているの。なのに自分がしたと思って文句言っている訳。分かる?只々、それだけなんですよ。どの状態でも何時も一番良いようになっているっていうのは、それは神さまが働いてるっていう意味なの。神さま働いているから良いようにしか成っていない。
でも小さい自分の都合にとったら、都合の悪い事が一杯ある訳よ。分かる?
アリさんの立場で見たらちょっとの雨でも大洪水やけど、象さんの立場で見たら小雨でしょう?そういう感じで意識の広がりで喜びが変わるだけなんです。
絶対の自由というのは一番無限に広がった状態ですから、喜びだけなんです。それをいわゆる「秘奥義のありがとうございます」とかね、先生は色んな表現をされるわけです。絶対の自由を発揮するというのは「秘奥義のありがとうございます」のとこなんです。
で、印可書はラストの{秘奥義のありがとうございます}で纏まるでしょう?だから喜べるの。でも「そんなん言ってても、私喜びが湧けへんわ」で良いから、ここが大事。印可書読んでも喜びが湧かない私は駄目だって言った途端にぐちゃぐちゃになって行く。駄目だは一切ないっていうのを分かって下さい。どの働きもどの姿も神さまが働いた結果なんで、駄目なものは無いんですよ。良いようになって行く途中の姿なのにね、人間の方が勝手にダメって決めてマイナスの響きを重ねて、先生の表現で言うと色眼鏡で見てしまうからややこしくなって行くだけ。
何時も言うように、火山が噴火する事によって色んな養分が出て来てね、食べ物でも出来るわけですね。砂漠では何もできないでしょう?でも溶岩が有って、火山の噴火の養分で色々と変わって行くんですよ。でも火山の噴火だけ見たら凄い都合の悪い事でしょう?その辺が立場小さいと分からない。自分の立場を絶対の自由という真(まこと)の神さまのそのものの処に持って行けるのが印可書だから、印可書を読んでいる時は絶対の自由を発揮できているから。
質問:自由って言うと全てがそうだと思うんですけど、自分の言葉の解釈で凄くおとしめて、、浅い意味で受け取ってしまう事がよくあるんですけど、
河上さん:好き勝手と自由を一緒にするわな?
質問:そうです。此処で言う絶対の自由っていうのは、真(まこと)の神さまを褒め称える事を絶対の自由っていって
河上さん:そうそう。真(まこと)の神さまを褒め称えたら、真(まこと)の神さまのみ心を自分が実行できているね。神さまを褒め称えるが全てなの、本当は。だからみんな褒められたら喜ぶの。誉めそやされたら喜ぶの。褒められただけではお金くれへんのにな、褒められただけで喜ぶやろう?いや、褒めんでも良いからお金くれって言ってたら良いけど、言えへんや。それ位褒めるっていうのは神さまの本質なんでね、喜びそのものなの。だからそれで良い。
質問:ありがとうございます
河上さん:印可書読めば褒め称える事になるから、自然に喜びにかわる。でも印可書読んでも何も分からない自分を駄目だって言わないっていう事が大事。駄目だって言った途端に、いわゆる結果に、過去を掴んで、現実を掴んで、未来を掴んで、掴む状態を重ねて分からなくなって行く。駄目だって言う事はそういう事なの。
駄目だってそうでしょう?あの時は駄目だった、今も駄目だし、こんなんだったら先も駄目だわって、な?
駄目だって言う言葉は全部を掴んで縛るの。それで分からんようになる。本当は自由自在に動けるのに。はい、どうぞ。
質問:真祈りの事に戻るんですけど。みんなと全てというのが考えていて、みんなというのが例えばご飯粒々だけど一個というのと、全てはお餅みたいに分けれないというイメージ?
河上さん:そういう意味でもありますけども、要は何かというと、みんなと言うと肉体人間のみんなって思うわけですよ。でもこの虚の世界と言えども石ころ一つ、水滴一つ、水蒸気の一粒々すべてがっていう事で、
質問:全ての全て、みんなって言うと人間だけっていう
河上さん:人間だけっていう風に勘違いする。でもわざと先生は引っ掛かるように言われたわけです。引っ掛かるように言われた訳だけど、みんなはそこまでに引っ掛かる前に、助けて欲しいが先よ、この病気治して欲しいとか、この職場での苦労何とかしてほしいとかな、そっち先で見えんかっただけ。本当はすべてなの。
例えば肉体人間側の感覚で言うとね、バラバラになったものをもう一辺、お結びのように一つに纏めるのを良いと思っているでしょう?でもそうじゃあないんですよ。絶対の中心から湧き上がってくるのを直接受け取れたら完璧なの。絶対の中心から湧き上がって来て、どんどん枝分かれして最終この現世になっているわけですよ。どれもこれも神さまの命には違いないけど、枝分かれしたやつはそのまま流し続ければ良い。
噴水で言うと噴きあがって来る水だけを受け止めれたら良いわけ。それで色んな形を作っている訳よ。でも作った奴は流し去るやろう?流し去らなアカン。でもその流れさしてる水をもう一辺集めて一つにしようとして、この現世っていうか、この地球人類が苦しんでいるの。
国際連合にせなアカンとかね、一つの政府にせなアカンとかやっているやん。で、民族的にどうこうって言うけど、無理やり一つにしようとしているからや。一つにせんで良いの、この表現の世界は。それぞれの個性を、癖を楽しんだら良いだけ。だから楽しんだら良い。
だって民族的に言うと色んな世界が有って、生まれついて食べる物から全部違うわけでしょう?生活習慣が。それを一つにしようなんて無理や。やっぱり日本人は味噌汁が良いわけや。味噌味が良いの。外人さんに取ったら味噌は、或いは納豆は変な臭いって言うんでしょう?
日本人は納豆が良いけどね。或いは関東は納豆は良いけど、関西の人は納豆嫌いやとかあるやん?それを無理に一つにしようっていうのは間違いなの。それはどんどんサラサラ流して喜んでいたら良い、お互いを。その喜ぶ一つ手前としてね、「みんな面白いな」って言っていたら良い。駄目って言うからややこしくなるの。そういう意味。
令和5年5月河上さん勉強会−2前半
質問:ちょっと戻るんですけど、さっき河上さんが、いよいよになった時でも、「印可書」奉納したら変わるけど、その変わった先を選ぶのは真祈り人って仰ったと思うんですけど、選ぶって別に何も考えなくて、「印可書」奉納してたら。
河上さん:そうそう、さらさらと流せたら完璧なんですよ。でも、その時でも掴んでしまってもいいからっていうことです。掴んでしまったから失敗だ、じゃないの。ここやね。掴んでしまってもいいけど、失敗じゃなくて、ダメだじゃなくて、おもろかったなぁにしていかないと。
映画がそうでしょ?いろんな映画見るけどね。結果も掴むわけやんか。主人公があんなことになってしまったとか、でも、どんな悲劇的な映画でも、面白かったなぁで終わるでしょ?悲しかったなぁで終わらへん。あのオカルト映画がそうや。怖かったなぁやけど、面白かったや、その最終は。本当に怖かったら、もう現実の生活戻られへん。映画のようにいつも面白かったなぁで最後終わってるわけよ。悲しかったなぁの映画でもね、本当に悲しかったら、掴んでたら、現実の生活に戻られへんって。ずっと悲しみ続くから。でも続かないでしょ?さらさらと流して、面白かったなぁやんか。どのスタイルの映画でも。
それは現実も一緒やね。だから掴んでもいいけど、面白かったなぁに持っていかなあかん。 で、その現実で掴んでしまって面白かったなぁに持っていこうと思うと、「印可書」読むしかないんよ。そこだけやね。それがわかったら、要するにダメだと思ったらあかんよ。ダメだというのは掴んでるから。面白かったなぁやったら掴んでへんね。わかる?ちょっとの差やけど凄い大きい差やね。
質問:嫌だぁ、逃げたいと思って、面白いって思えば…
河上さん:うん。だからその間を「印可書」で繋いだら、面白かったなぁに思い変えせるから。最初は嫌だっていいよ。せっかく嫌だと思ったから、嫌だに光通すために「印可書」読んだら面白かったなぁに変えれるから。最初は「印可書」読んでも嫌だのままだから、それでいいね。だけどダメだと思わないように。
質問:それでもいいっていうのが…
河上さん:そうそう。お願いします。
質問:ありがとうございます。
河上さん:ありがとうございます。 質問:先般は地震活動のことを聞きまして、あの、珠洲市の方でもついに被害が出るような地震が起こってしまっております。で、私の知り合いが、珠洲市に住んでいらっしゃる方がいらっしゃって、年賀状のやり取りぐらいしかないんですけれども、こういう時っていうのはやっぱり、そういう、まあ、知る者としてお見舞い申し上げますとか、というのが、こう、世間一般的な、まあ、社交辞令とかあると思うんですけれども。でも、ここでそのお祈りをするものについては、まあ、「印可書」とかお祈りをするっていうことの方が、まあ、大切っていう風にも受け止められるんですけど、ただ、気になる時は、どうですかとか、お見舞いとか、そういう風なことはしても構わない。
河上さん:いや、それは言ってあげたら、相手喜ぶやん。喜ぶことをする、いいんじゃないですか。
質問:それと、その他の地域でも連動しているように、起こり始めておりまして。例えばご家族が、東京の方に住んでいる方がいらっしゃったら、やっぱりすごく心配されたりとか、いう風なお話を聞くんですね。で、そういう中で、お祈りをする者においては、お祈りをして、それで、そういう風な、震災にならないように、お祈りをするという姿勢でよろしいでしょうか?
河上さん:だからお祈りというのが何かやね、もうそれが全てなんですよ。だから、今言ったようにね、ダメだと思った時点で、もうお祈りにならない。ここが大事なんですよ。
あいつサボってる、ダメだってなった途端にね、どんどん崩れる。地震が起こった、ダメだと思った時点で崩れるの。地震が起こった、大変だ、ぐらいまではいいのね。でも、もうダメだって言ったら、ほんとに、マイナスを重ねてしまうの。
だから、腹立つわーでいいねんけど、あんな腹立つやつ、ダメだ。あんな嫌なやつ、ダメだと思った途端に崩れるね。「わー、嫌だわー!」はいいね。「地震、火山、大変だ!わー!」はいいねんけど、ダメだって思わないようにする為に「印可書」があります。それが、真祈りです。
普通のお祈りというのは、願い事なんでね。地震が起こらないように、地震が起こっても大変ならないように、ということをするんだけど,それは何がダメなのかというと、結果を掴んでいるからです。結果がまた良くなるようにというのは、もう違うの。要するに、結果を弄(いじ)るどうこうしようと思っているうちはね、マイナスを重ねているから、ますます崩れていくの。
で、常に常に、一瞬一瞬、新たに新たに、受け直すって、先生は仰るでしょ?それは、結果を弄るんじゃなくて、より真祈りして、新しいものを受け直すという風な。で、その受け直すというとこをね、今日は、私ダメだわって思わないようにって言っているわけです。
私ダメだよって言った途端にね、(ダメになっていくんです)まず自分の真祈りが中心ですから、どれもこれも皆さん、ご自分の世界しか見えないからね、当たり前なんだけど。
だから、まず自分を否定しないことです。私ダメだわと思った途端に、自分の世界を全部否定してグチャグチになっていくね。で、運命に翻弄される。
だから、もうどうしてもチョコレート食べたい、どうしてもお金欲しいって言っているのは、自由意識じゃなくて、好き勝手に、好き勝手というのも、好きにしているんじゃなくて運命に翻弄されてる。
なんで運命に翻弄されるかと言ったら、私ダメだわって言ってマイナスを重ねたから。 マイナスを重ねるでしょ。重ねると先生の表現で言うとね、録画予約をしている状態やね、 分かる?これが怖いねんって。
例えば、現実的に悪いことをするのは一回で済むわけよ。でも心に思うというのは何回もできるやろ?ところが、現実にする以上に心に思うことって予約録画が大きいね。で、私ダメだわダメだってやったら、ダメだという私を、もの凄いたくさん予約してしまうね。で、その予約に応じて現実に現れてくるの。
肉体を持つというのは、これのプロセスを作って肉体を持つのよ。私はこういう出来ないこういう人間、人間って一杯ね、まず録画予約をするわけ。それによって初めて肉体が形付けられるの。
本当は自分の体ってむちゃむちゃ大きいから、こんな小さくできへんのよ。で、小さくするために、まず一回マイナス言って半分にするわけ、マイナスの予約してね。で、またマイナス予約して、4分の1にして、小さく小さくして初めて受肉という肉体を持てるわけ。そこまでたくさんマイナスを予約して初めて肉体を持てたから、肉体を持ってからみんな苦しいわけよ。
でも、その苦しい、でもそれをね、何でわざわざそれをしたかって言ったら、難しいゲームが楽しいからやね、本当は。本当は肉体を持って楽しんでみたいから、わざわざマイナスを重ねたんや。で、マイナスに翻弄される状態が肉体や。だから肉体を持った時点で、何て言うかな、原罪とかね、罪人とかいろんな表現するのはそういう意味なんですよ。本当に悪いじゃなくて。
で、その録画予約をどのようにして消すかだけなの。で、録画予約を一瞬で消す方法をね、「印可書」というので先生が決めてくださったから楽になったの。前は予約したものを、録画予約したものをひたすら「宇宙神ありがとうございます」に入れるしかないね。ひたすら入れなあかんね。入れてる間は文句出ないね。でも入れんの忘れた途端に、止めた途端に、しんどいわ、辛いわ、嫌やわって、ダメだわって文句出るね。出たらまたマイナス予約を重ねるから、もの凄く、賽の河原に沈むじゃないけどね、凄い大変なわけよ。「宇宙神ありがとうございます」で行くにはね。
で、そんな大変なのを皆ようしませんでって、僕が文句言うもんやから先生が「印可書」を作って下さったんです。でも誰も選び取れんから、みんなが選べる、お前やったら出来るやろ、みたいなね。お前の方がマイナス得意や、みたいに言われてね。ボロクソに言われてるけど(笑)で、ちょっと柔らかい「印可書」にしただけでね。そういう意味です。
だから地震が起こっても何が起こってもね、まず大切なことは、もうダメだと思わないことです「。大丈夫だったですか?」とかね、勿論、言ってあげたらいいんですけど、もうあんなんで、あの人とこはダメだわと思いながら言うんだったら意味ないです。そういうことです。今ので良い?
質問:もう一点だけ、先ほどのお話の中で、例えば自分以外の方に何か言われたときに、その人が自分が持っているからその姿を見せて下さっているというお話があったと思うんですけど。
河上さん:それだけですよ。
質問:私、絶対それじゃないって言い切れるぐらい、その人の姿や言葉を聞いてギョッとなるようなことを最近よく言われるんですね、職場とかで。
河上さん:それは過去世の問題だからね。要するにね、初めてこの肉体を持って生まれてきたんとちゃうからな。じゃあなんでその過去世の記憶消しちゃうの?ややこしいやんって思うやろ。
ところがな、過去世のマイナスの予約録画を全部出したらな、すぐ自殺してしまうね。もうこんな私では無理だわって言って。ダメだわじゃなくて、無理だわになる。
だから神さまがね、過去の分を一旦棚上げ。神さまは消せるねんで。過去世の分をパッと消せるんだけど、なんで消さないかというと、本人の自由意志でね、神さま消してくださいって言わないから。その自由意志を超えてもね、でも半分は消して下さるんだけど、それでも残りの半分は棚上げしてあるわけ。
色んな意味でそういうのをね、最終、先生が綺麗に綺麗にされても、最後にその人の卒業試験でね、あなたは悟ったって言うわけよ。その時に虚栄心が残っている人は崩れるんだけど、それくらい過去世に棚上げされてるからね。ただ、そろそろこの人にはこれくらい見せたって大丈夫だな、お祈りできるなっていう部分が出てくるの。それでとても自分にはないと思うことが出るんよ。出るけど本当は過去世のもんやね。
ただ、あんまり過去世を説明するとね、また結果をつかみ出すから、あんまり説明せずにさらっとね、ダメだと思うなと、おもろいって思えって言っているわけです。
質問:ありがとうございます
河上さん:はい。
質問:確認と質問が合わさったようなものになるんですけれども、この勉強会も含めなんですけれども、本心を開発するっていうことが目的だと思っています。
河上さん:そうよ。
質問:お祈りを深めることと。それで一瞬一瞬新たに自分にとって不利益なことがあったとしても、一番いい、一番的確のものを神さまから頂いてるっていうところに立ち戻って、本当にそれを実践、日常でしていくっていうことが一番お役に立てることっていうふうに理解しているんですけれども。この一瞬一瞬新たっていうのを、もっともっとお役に立てるように祈っていきたいと思っているんですけれども、もうそれは力まず?
河上さん:力まず淡々と「印可書」奉読やね。
質問:淡々とですね。
河上さん:結局ね、みんなね、本当に自分が幸せな立場に置かれていることを自分のマイナスの言葉によって気づいていない。例えばね、今、水道ひねったら水出るわけでしょ?薪拾いに行かなくてもガスが出る。それだけでもすごい幸せなのに文句言っている。
仕事の上とか、旦那があれやとか、子供があれやとか。このまま荒野へポンって放り出されてみ。自分で薪拾ってきて、家も建てて、もう家が間に合わなかったら穴掘ってちょっと屋根掛けて住まなあかんと思ったらね、すごい今は幸せな状態にあるにも関わらずやで、私はダメだってやってるわけや。わざわざマイナスを重ねてるね。だからマイナス重ねんでいいからね、おもろいおもろいって言ってたらいいね。これだけクーラーもあってね、暖房も楽なんでしょ?ちょっとひねるだけで済むわけやん、今。
だから後あることなんて知れてるね。「おもろい事や、おもろい事や」って言ってたら良いのにな、ちょっとのことをダメやダメやってやってるわけや。で、余計マイナス重ねて身動きとれんようになっているだけよ、っていう部分です。
だからそれに気付けって言うたって、理屈で言うたってね。そんなん言ったって今しんどいもん、辛いもん。あいつに言われて腹立つもんになるから、「おもろいやっちゃと思って印可書奉読して」って。そしたら自然に変わって来れるからっていう事に先生がオマケを付けて下さっているわけ。
その大オマケを利用するしないはみんなの自由意志でね、「印可書」奉読という大オマケを使えば楽やし、使わない人はひたすら「宇宙神ありがとうございます」に文句も何もかも投げ込まなあかん。「宇宙神ありがとうございます」に文句投げ込んでたら、あいつの言ってることは違うとかね、あいつダメだとか、あいつ怠けてるとかね、一切出ないんです。
出る間は、『宇宙神ありがとうございます』に投げ込めてない。
それくらい、「ありがとうございます」の祈り言葉も「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉も「天之(あめの)造化主尊(ぞうかぬしのみこと)、産霊聖霊(さんれいせいれい)、守り給え、幸枝へ(さきはえ)給え(たまえ)」も一緒なんですけど、今までの祈り言葉もどれも厳しいんですよ。その祈り言葉に全てを投げ込まなあかん。一切の文句出ないくらい、厳しい。
でも「印可書」は文句出しながらやってくれということなんでね。ただ、ダメだとは思わないでくれなんです。それが今日の先生からの、特にここは伝えてくれというのが「ダメだと思うなと」。せっかく「印可書」でプラスに変えてるのに、またマイナスを重ねてどうするんやみたいな感じです。分かり易いやろ?今日は。
質問:力むっていうのも虚栄心?
河上さん:力むも虚栄心です。そうです。山登りに私は走って登れるよってやってるようなもんや。息切れして潰れるのにな。自分のできる範囲の中を喜んでしてたらいい。そんなら、どんどんできる範囲が増えるのね。
宮野さん:この世はほとんど虚栄心だらけやね。
河上さん:そうそう、虚栄心があるから肉体を持ててん。
宮野さん:遠慮っていうのもそうやし。
河上さん:神さまを遠くに慮(おもんばか)るというね。でも、神さまを遠くに置かんと肉体を持たれへんからね。
宮野さん:なかなか矛盾してますね。遠くに置かないと持てないけど、でも神さまをひたすら恋願うわけでしょ?
河上さん:恋願う、本来神さまそのものやからね。ただ、本来神さまそのものの自分やからね、悟りを求めし、恋願うしやね。神さまって呼ぶしやねんな。
ただ、神さまって一つになるとな、肉体持ってても、例えば、昨日ちょっとガックリ来てんけどな。チョコレート食べても甘くないね。コーヒー飲んでも苦くないね。一切の味がなくなっていくねんな。だからある程度はみんな楽しんだほうがいい。あんまり一気に行くと楽しみないで。チョコレートなんかな、甘なかったらな、ネバネバするだけで、難儀なもんや。
チョコレート大好きやったのに、とうとうこれもなくなったのかみたいな(笑)。
宮野さん:罰ゲームが出来るね。
河上さん:罰ゲームか。これは罰ゲームやったんか?(笑)。
宮野さん:わさび入れたりとかさ。
質問:ちょっとパターンが違うというか、子供が、あの、俺はもうダメやし、ええねんみたいなことを言って…。
河上さん:結果を掴ましすぎたんやな。
質問:いるけれども、なんていうか、その、まあ言ったら勉強分野だけはもういいねんみたいな。あとは、まあ多分楽しく生きていける子やなっていう。
河上さん:勉強もね、結果を掴まさないような教え方したらいいだけよ。だから、数学苦手、国語苦手って勉強できへん子ってみんなそうやねんけど、結果を掴むんよ。だから、例えば数学やったら、結果を早く出したいから、公式を丸覚えして解こうとする。その時は解けるわけよ。でもちょっとひねった問題とか、パターン変わったら、公式当て嵌めかねて解けなくなる。
それ、結果気にしてるからよ。答え出さなあかんって。そうじゃなくて、この公式を数学で言うたらよ、この公式になるためにはどう考えたらこの公式になったんかなというのが分かったらね、公式忘れても大丈夫やね。
大体、凄い勉強できるというか、東大の数一、数二のところに、理学部とか行かれた方って、大概の人は公式なんか覚えてない。公式の出し方を覚えてるだけ。だから、毎回聞いても面白いのは、公式を言うたら、何やそれっていうね。分かる?いちいち公式覚えてはらへんわけよ。でも公式を見せ出す思考パターンを知ってるから、さっと解けるね。それくらい結果を気にしたらあかんね。
だから、面白いのは、すごい数学できる人と食事行くやん。で、割り勘になるやんか。ほんなら、二人の時はええね。三人、四人なったら計算できへんね(笑)。面白いで。それくらい、逆に単純なことは公式的なパターンがないから理解できへんね。で、電卓ないんか?とか言って(笑)。そういうもん。
だから、結果を気にしないことをもっと教えたらいい。勉強も成績上がらんでいいから、どう解くんかとかね、そんなんだけを言っていったらいい。そういうことを教えれる家庭教師をつけたらいいやん。
質問:それを、介入するべきか、本人に任せるべきか。
河上さん:説明をしたらいいよ。結果を掴むから嫌になるんやでって。別に数学にかからず、人生すべてがね、結果を掴むから嫌になるね。頭のいい人ほど自殺するんよ。何でかと言ったら、結果を掴み出したらな、何でわざわざこんな苦しい事をせんなんねんってなるね。どっちみち100年したら死ぬんやろってなるの。そしたら今死んだ方が早いってなる。芥川隆之介なんか、そういうことをちゃんと書いてある。書いて死にはった。頭が良すぎたんや。
あの人の文章を見たら、こんな頭の良い人がって言う。それは三島由紀夫さんでもそうやけど、みんなそうやで。
だから、結果を掴んだらあかんね。頭が良い悪いと違ってね。
質問:例えば、反復練習とかができないっていう子は、その先の結果を掴んでるからやらない。
河上さん:そうそう。結果を掴むから反復練習できへんね。反復するんじゃなくて、どう考えるかだけ分かろうとせえって言うたらええね。語学がそうやねんな。語学の事はあんまり僕、人のこと言えんけどやね。単語を覚えようとして反復練習したら覚えられへんね。語学で単語を覚えるコツはね、覚えようとしないことやね。ほんならは覚えれる。
だから、要するにどういうことか言ったら、例えば英文の下にね、日本語で意味書いて言うわけよ、単語の。でも毎回目通すけども、例えば、(カァンファタァブル)気持ちいいって書いてね、(カァンファタァブル)気持ちいいって覚えようと思わんと、何遍も読んでたら勝手に覚えてるね。(って)いう部分やねんな。
勉強できへん子ってみんな、覚えなくちゃいけないって縛るんよ。ほんなら覚えられへんね。喜んでたらええ、楽しんでたらええ、おもろいって言ってたらええだけやのにな。
だから漢字なんかね、読めない子がおるんやけど、ルビの振った漫画を読ますのね。漫画は読めるから。そしたら漫画のルビのとこに漢字にルビ振ってあるわけよ。吹き出し言うんか、吹き出しのとこに色んな漢字書いてあるんだけど、どんな漢字でもルビ振ってくれてあるね。で、それをバーっと何回も読ませとくやん、色んな漫画。漢字書かれへんけどな、みんな読めるようになる。それは覚えようとは思ってない。楽しんで漫画読んでるだけや。その辺をうまく持っていける家庭教師と、親もそういう感じでうまく持っていけたらいいね。
念力でな、結果を掴まそうとしてるんや、あなたは。
一緒に考えてあげな。子供と一緒に子供の思考パターンで考えてあげたら納得する。だから学校行くと何が苦しいかと言ったら、本人の能力のペースとは別に学校のペースがあるでしょ。それでみんな嫌になる。でも家柄によったらね、出身校とか大学とかってうるさく言うからね、子供は余計苦しみになる。別に大学に行けなくてもいいよって、しとかなあかんねんけど、今の世の中は大学出てへんかったら相手してもらわへんからな、色々あるけど。
それでも今の世の中で、大学出た人で値打ちある人は少ないけどね。何でか分かる?大学卒業できる必要条件ってあるね。英語は喋れなくても読み書きできる。これができないと大学は卒業できへんね。大学卒業した人はみんな英語喋れないけど読み書きできるはずやん。英字新聞は読めるはずやんって、いじめたら凄いことになるからしたらあかんで。大学出たんやろ?読んでくれっていじめてみ、えらいことになるから。
勿論、大学出ても当然のように読める人もいてるんやで?だけど今の日本の大学では少ない。だからそんなんが海外にバレてきてね、とうとうこの前は、日本の医科大学を卒業してもアメリカの医師の国家試験を受けれなくなってん。すごいそれは屈辱やけど、向こうは実利主義やからね。日本の医科大学出ても医者としてのあれが全然備わってないって判断されたのね。
だから国家試験を受けさせてくれへんねんから。受けてあかんかってダメよって言うのやったら分かるけどな、まず受験資格をもらえなくなった。
それくらい今の日本の大学制度がね、ちょっと崩れてるけども。それでもその大学に行かしたいんやったら、行かすためには子供の思考パターンに合わせて色々と説明してあげるしかない。でないと結果を掴ましていくと本人が嫌になって一切せんって言う。頭の良い子ほど、芥川龍之介やないけど。どうせ100年後に死ぬんや、今死ぬほうが早いわってなるね。 結果掴むってそういうことよ。
そうやろ、みんな100年経ったら死ぬんや。何をわざわざ苦しむん(苦しいことするの)?今死んだ方がマシやってなるで。結果だけ掴んでたらな。
それよりも、もっと色々と楽しいことしたいと思ってる人は死なんで済むけどね。どれもこれもつまらんと思った人は死ぬね。
質問:はい、ありがとうございます。
質問:確認なんですけども。今、本当に必要なことを的確に現れてくる、的確にキャッチするっていうことがすごい大事かなと思ってるんですけども。よく職場でも堂々巡りをして、自分も含めてこう掴んで楽しんでるなっていう方を拝見することがあるんですけども。 それは自分自身が姿でもあるし、すごく演技を楽しんでるっていう風に色々なものを。
河上さん:結局ね、みんな得心するまで終われへん。得心というとこやねんな、納得じゃなくて。
だから自分にとって嫌だと思いつつも、それが好きでしてるのばっかりや。過去世のことを入れるとね。ただ過去世を棚上げしてあるから、自分にとって嫌なことだと思ってるだけで、過去世から足すとね、自分のやりたいことやってん。っていう部分があってね。
だからみんな死んでからな。神さまは地獄に突き落とせんねんで。自分で地獄を下りるんや。
この地上でやるべきことを逃げ回ってしなくて。要するに、真(まこと)の神さまとしての、真(まこと)の本心の自分があるでしょ?それが本来の自分や。その本来の自分、肉体が無くなって死ぬとね、その本来の自分がはっきり自覚できるね。
それでも、真(まこと)の本心の自分でも大きさが色々あるわけよ。で、小さい真(まこと)の本心の自分だから、大概の人は。で、小さい真(まこと)の本心の自分の正義感から比較してな、こんなに怠けてきた自分はダメだって言って、もっと苦しまなあかんって言って地獄を降りる。それだけや。で、それのちょっとした地上版が今言ってる堂々巡りや。 質問:とにかくどんな姿も、真(まこと)の神さまの現れだと。 河上さん:そうです。
質問:思い定めて、「印可書」を本当に淡々と。
河上さん:喜んで。
質問:喜んで奉納していくっていう。
河上さん:そうそう、楽しんでたらいい。もう、嫌だと思っててもな、おもろいやっちゃ、おもろいやっちゃと思ってたらいい(笑)。悪いやっちゃって言うからね、マイナスを自分に重ねてしまうね。何でもおもろいやっちゃって言わんなんね。あいつ怠けてるって言うから、自分が怠け心出てくるの。おもろいやっちゃ、おもろいやっちゃ言ってたら、おもろいで終わっていく。楽しんで終わっていける。
だって、落語の話ってそうでしょ。怠け者の人と、色んな人が出てきて、おもろい話になるわけや。そやけど落語の中でね、何やかや言いながら、その怠け者の人を責めてへんね。おもろいで終わってるやろ。だから落語が続くね。あれ落語の中でな、あんな怠け者はあかんね、もうどうしようもないねんって責めたら落語になれへんし、そんなの続けへんね。落語の世界こそ悟りの世界よ。おもろい、おもろいで終わらすの。そこが大事。何でもおもろいと思わさな。
質問:責めるっていうのも虚栄心。
河上さん:そうそう。
質問:喜んでいくってゆう。
河上さん:だから落語は一人で演ずるわけよ。だから全部おもろいで終わらせるね。あれ、二人でやるとちょっとけったい(おかしい)。
質問:ありがとうございます。
河上さん:落語はね、もう先生が徹底して研究しろって言うから、やり尽くしたよ。どの古典落語でも現代落語見ても、おもろいで終わってんのね。先生が研究するようにって言っただけの値打ちはあってんけど、それくらい何でもおもろいで持っていかなね。でもどうしても癖があっておもろいって思えない時は、「印可書」読んでおもろいと思おうとしていってください。お願いいたします。
昔はね、(僕は)人と会うのが嫌でね、人と喋るのが嫌で、人前で喋るなんてもっと嫌やってん。
ほんなら先生が徹底して落語を研究せえって。で、古典落語の演目をたくさんネタふりして覚えて、徹底してたら、そういう、どんなに物語上、怠け者とか出来損ないとか出来る人とかの組み合わせで演目はできてるんやけども、みんなおもろいで終わるようにしてあるね。
それが全てやってん。ダメや、こんなんしてたらあかんわ、あかんわって言うたらもう終わりや。ダメやって言うたらあかんね。おもろいわって言っていかんなんね。
質問:先ほどね、ボロカスに言われたりとかすると、そこから光り通すっていうこと、それはもうよく分かってるんですね。
ちょっと言うのをはばかったのはね、すごい褒められるんですよ。褒められるし、それから私が代表やってる会とかあるんですけど、それが凄く上手い事良くんですね。いって、それで、上手い事行かそうと思ってないけどうまい事行く。で、集まる人たちが、ちょっとやらしいんですけど、みんな私のファンになって、すごい褒めて、一生ついてきますじゃないけど、そんな感じになる。これっていうのは悪い気はしないけど、どないなんかなって?
河上さん:だから嫌なやつ、ダメなやつね、あかんわって一切言わないでしょ、あなたは。 だから一切のマイナスが無いからプラスにプラスが重なっていくだけやね。相乗効果的な。
もしちょっとでも、もし虚栄心が残ってたらね、そこで褒められて、ついつい舞い上がって、ドンッという時もあるやろし、もし残ってたらね。だけどそれはそれで楽しんだらいいというとこやね。ここが大事や。虚栄心があってもいいのよ。あって色んな事が起こってもそれを楽しめたら。おもろかったなっていうふうに、楽やないけどね。持っていけたらどんな状態に来てもおもろい、一言(笑)。 質問:今はおもろがってたらいいんですね。
河上さん:そうそう。
質問:昔やったら有頂天になって、私ってすごくないかって思うけど、今は思わない。
令和5年5月河上さん勉強会―2後半(20230514)
質問:それがその、昔やったら有頂天になって、私ってすごくないかとか思うけど(笑)…
河上さん:思えへんやろ?
質問:うん、思わない。
河上さん:だから、それはそれで良いやん。
質問:だから、あんたら言い過ぎやでって。あんたらっていうか、皆さん言い過ぎですよ、みたいな。
河上さん:言い過ぎでもな、プラスを言ってるうちは喜んでたら良いの。マイナスをちょっとでもね、あかんわとか言い出した時は、「そう言ったらダメよ。」って言うと、またこっちがマイナスを重ねるからね、そう言わないように持っていかなんねん。
だから先生が難しかったのは、色んな人がマイナスを言ってくるやん、それを「そんなんはダメだ。」って先生は絶対おっしゃらないんですよ。それは先生がマイナスを重ねたら大変やから。それで先生は絶対「ダメだ。」って言わないわけ。そしたら「先生に言っても、するなとかね、ダメだとか言わなかったから私は正しい。」って、みんな勘違いしてややこしくなっていくねんけど。
(ほんとうは)先生が、ちゃんと「みんな光や」とか説明してるやん。光やから、もうマイナスを一切言わないってね。真(まこと)の神さまだけって、先生は宣言してるわけやから。
先生に何を聞いたって、まともな返事をされない時は、あかんことやっていうのが分からなあかんねんけど。みんな分からんとね、「先生が、したらあかんって言わなんかったからやっても良い。」みたいに勘違いしてぐちゃぐちゃになっていくねんけど、それでも先生は相手の自由意志を縛らないから言わない。ただ、ひたすら祈ってるになるわけ。
だから、もしマイナスを言い出したらね、まず自分の真祈りが足らんと反省して、ひたすら印可書奉読していくしかないの。
それでも、先生でもね、(先生の周りでお弟子さんになるといった人でも)こんだけマイナスの中でグチャグチャになる人がおったくらいね、みんなの自由意志を縛らないから、どの状態になっても「面白(おもろ)かったなあ。」にもって、自分をね、もっていかないとダメなだけですね。
それくらい、みんなの自由意志を縛れないし、大変なの。それぐらい、みんな好き勝手にしたい。自由意志じゃなくてね、好き勝手にしたいわけ。過去世の色んな思いに、自分の思いに押し流されてね、好き勝手にしたいがあるんですよ。でも、先生が良いって言ったってふうに勝手に自分で解釈して、グチャグチャなことがいっぱいありましたし、今もありますけどね。
「あなたは悟った。」っていうのは、その最たるものやね。先生がわざわざ「悟った」って言ったら怪しい(笑)。悟りなんて言われんでも分かることやからな。それもそれくらいも分からんくらい、みんなね、甘えてたんよ、先生に。
本当は命懸けで悟りたいんやったら、そうはならへん。でも、それもそれぞれの人の立場と経験と得心やからね。良い悪いではないです。みんな勉強なの。色んな意味で色んなすがたで、色んなとこで色んな勉強をして、みんな変わっていくんよ。喜んでいくやけどね。変わっていくというより、喜んでいくだけやねんけど。
神さまが、今言ったように、難しいゲームでね、喜んでるだけや。そのゲームの途中でね、行き詰って苦しんでるように思うだけ。ゲームってそうでしょう?最後には喜べること、途中は非常に苦しむやん。難儀なパターンなったな、みたいなね。どないするねんこれ、みたいなのあるでしょう?そういう感じだけなんですね。でもゲームのように、もうあかん時はクリアじゃ、止めじゃ。また別のことするわで本当は良いのよね。
(でも)もう、こんなんしたら俺の人生終わりやみたいな、勝手に結果を掴んで苦しむの。
だから、どんな恐ろしい結果になってもよ、「面白(おもろ)かったな」にもっていかなあかんの。ゲームがそうしょう?どんなに、難しいゲームでも「面白かったな」やん、本当は。野球がそうやんか。ツーアウト無死満塁とかになってな、もうここで逆転、押し出しても何やっても負けみたいな、胃の痛くなるようなゲームがあるわけでしょう?それでも見る訳やろ、楽しんでるわけやんか。胃が痛くなるくらい心配するわけでしょう?打たれたらどうしようとか、あるいはフォアボールやったらどうしようとかね。なんでバント一つも打たれへんねんとかね、みんな勝手に苦しんで、なんでこの監督ここでこんなんしやがってんとかね、勝手に苦しんでるの、
ゲーム見て。でも楽しんでるやん。「面白かったな」や。いつもそれを忘れたらあかん。 だから野球で説明したら、みんな、そのツーアウト無死満塁のところで、打球をずっと掴んで苦しんでるようなもんよ。野球やから、どう苦しもうと終わるわけや。でも自分の人生は掴んだら終わらない。掴んだら苦しい時が続くの、野球と違って。映画とか野球は自分がどうしようが(なにがあっても)終わるんや。映画やったら必ず「おわり」って出るの。野球やったら、必ずどっちかが勝つか負けるかで結果が出るの。自分がどう思ってようと。でも自分の人生は、掴んだ苦しい状態が続くんよ。
質問:肉体が死んでもですか。
河上さん:勿論、だから、できるだけな、面白いなって喜びやって言ってる。
質問:面白がる方法としての、落語ですか。
河上さん:うん。
質問:興味を持ったんですけども、おススメの落語はありますか。
河上さん:あのな、それはもう甘えてるの。例えば昔、先生にね、「どんな本を読んだらよいですか。」って。悟るためにね。「どんな本を読んだ良いんですか?」って聞く人がおった。で、先生は怒るのね。「そんなもん、自分で探さなあかんやろ。」って言って。それ、何が問題かと言ったら、甘えてるんよ。甘えてるうちは何も分からへんの。例えば塾で言うとね、数学の問題を解いてくれっていう生徒やねんな。それで、黒板にバーっと解いてみたら、それを写して、できたわってみんな勘違いするの。だからその問題を解けるけれど、ちょっと捻ったら解かれへんようなるねんな。要するに先生に解かせて、先生に答えを言わせて納得してるうちはあかんの。
自分が解かないとあかんの。現実の問題の解き方は、面白いなって喜ぶことや。そこだけよ。
だから落語、なんで今、どの演目が良いかって言わないかと言ったら、自分に合った演目ってあるの。嫌な演目を言わしたら読まれへんって。落語の研究するのでもね、自分が読める楽しい演目から入らなんねん。楽しい演目をネタ振りして、ネタ振りというのは、何回も何回も読むということやけどね。落語用語でね、ネタ振りって言うねんけど、覚えるんじゃなくて、ひたすら読み込めっていうの。ネタ振りって言うの。
質問:聞くと思ってたんですけど。
河上さん::違う違う。
質問:演じるんですか。
河上さん:違う。演じるんじゃなくて読む、まず。演じるなんて、そんなん遥か先の話。まず、ネタ振りよ。それも、ありとあらゆる演目がネタ振りできるようになるまで読み込んで初めて、な。落語はそうやけどな、今やったらな神書があるの。
誰が神書を読み込んでるか。(あっ)今の話(神書の読み込み)は忘れて。
今は印可書があるからな。そうだけど、印可書がない時代はもっと神書を読み込まないとあかんかったんや。それくらいね、みんな甘えているだけで、真剣さがなかったんや。はっきり言うけどな。
せやけど甘えてても先生の縁を頼って来てるだけでもね、真祈り人の値打ちというか資格があるわけね。だから「みんなに任せたよ。」って行かれたわけ。その資格があることは忘れないでください。
ただ、その資格をね、発揮しようと思ったら、「ダメだ」とか「あかん」って言ったらあかん。「面白かったな」でいかないと。だからもし詐欺師に会って、詐欺に遭ってもね、「面白い奴やったな。」なの。
「あんな悪い奴おらへんわ。」って言った途端に自分が悪くなっていくから。分かる?
どんなに騙されても、「面白い奴やった」って言わなんねん。「あいつはあかんで。」って言ったらあかん。「あいつサボってるで。」って言ったらあかん。「面白い奴や」って言わな。それくらいプラスにプラスにもっていかないと。
落語っていうのは、どんな演目見ても、「面白い奴」で終わってるんよ。「こんな失敗ばっかりするアホの奴や」とは思ってへんわな。全部面白い奴で終わらしてある。それがすごくうまいの、落語は。だから落語って続いてるんよ。あんなもん、「あんな八っつぁん、アホであかんわ。」って言ってたらな、落語なんてもう続いてへん。
それで先生は落語をせえ、研究し尽くせって指示があってしたわけですけども。一緒でね、もちろん落語やってみたら、やったら良いねんけど、演じるん違うよ。まず、読み込むことよ。それもまず、自分が読めるものから読む。耳じゃなくて読まないとあかん。聞くでは入らないの。
質問:入らない。
河上さん:だから英語がそうやねんけどね。昔よく、聞く英語?聞き流すだけで喋れるようになる英語ってあったやろ?あんなん大嘘やし。そんなんで喋れたら誰も苦労せえへん。まず、英文を読まないとしょうがない。読むために読んでくれてるのを聞いたら良いねんけどね。せやけど、その読む英文でも、自分が読める英文を探さないと。ケネディ大統領の演説だけとかね。色々その人にとって興味のあるものがあるやん。例えば英語で説明したらよ、とりあえずケネディ大統領の演説だけを読んで覚えましょう、それだけは聞くだけで分かるようになりましょうってしたらね、それがある程度重なった途端に全部分かるようになるの。そういうもんや。それくらい、その甘えてたらあかんのな。自分からしないとダメ、自分の自由意志で。
質問:聞いて楽しむっていうのも甘えてることですか。
河上さん:いや、聞いて楽しむは良いけど、それでは全然入っていかへん。だから、先生は、先生のお話をね、文章化せえって言ったわけ。にもかかわらず、文章化しただけでみんな終わってるの。分かるか?
先生(の話)を文章化せえと言ったら、厳しいもので、とことん自分がその文章を理解するまで読み込まないとあかんかったんや。先生の話を文字起こしして、尚且つ読み込んでいかないとあかんかったのが、分かったつもりになるの。っていうくらいな、師に対して真剣ていうのはそういうもんなの。
宮野さん:目的が違うんじゃない?楽しそうやからちょっと落語やってみようかな、聞いてみようかなっていうぐらいの確認じゃないの?さっきのは。
河上さん:そ、そんなん言うたったら(質問した人の)立場があれへんやんか。そんなん分かってるけど言うてへんのに。かなわへんな。(笑)身も蓋もないことは言わない。あ、ここ録音で消すわ(笑)かなわへんな。
宮野さん:でもさっきの、あの読み込むという、なんかね、読み込むっていうのは、英語でもね、口で出して発音できることは耳で聞き取れるっていうのね。これは英会話の学校でもみんな言ってて。発音できたことは聞き取れますって言って。いうんであるから、だから実際に、この聞き流すだけで、いわゆるなんちゃらラーニングがあったと思うんですけども、ああいうのも勉強の仕方が、ちょっとまた違うと思うんですけども、ネイティブの人達が早く勉強、英語を喋れるようになるっていうのは、まず口に出して口で覚える。発音することを覚えて、そして聞き取れるっていう。発音したことは必ず聞き取れるんで。
そういうのと同じように先程の話も読み込む、読み込んだ分だけ入っていくっていう。印可書も覚えようと思ってるうちは中々覚えないけど、でも、ずーっと、ひたすらひたすら見て読んでたら、勝手に口をついて出て来るよねっていう話で。覚えようと思ったっていうんじゃなくて、ただ、見ないと全然読めない、間違えてはいけないからと思って、みなさん最初は多分ずーっと見てやってらしたと思う。見てやってたらそのうちに気が付いたら、あ、覚えてたわ、っていうなもんで。落語の先程の分も、読み込むっていうのはそこなんだろうな、と。
河上さん:そうそう。語学ができる人でも、勉強できる人って何が違うかと言うと、映像で思い浮かべられるんよ。
宮野さん:右脳。
河上さん:うん。だから文章を読んでも映像が作れるの。だから映像やから覚えてるの。映画ってそうでしょう?映像やから結構中身を覚えてるの。あれ、映画のシナリオだけ見たって中々覚えられへん。せやけど、勉強ができる人は、結構、文章から映像が思い浮かぶの。
その辺をね、苦手な人でも、さっき言ったように、例えばケネディ大統領の演説を何遍も読んで聞いてしてたら、映像的に動き出して、それを何回か重ねると、何でも映像的に動き出して分かるようになるの。それで語学の得意な人は何ヵ国語も喋るんよ。それは、どの単語をやってる時でも、頭の中で映像が出るわけっていうことやねんな。だから一番英語が進みやすいのはね、できるだけ標準的な英語で喋られている映画を選んでね、自分の好きな映画をやで、選んで、そのセリフの、あれ何て言うの?シナリオっていうの?セリフのあれを取り寄せてね、それを全部訳して自分なりに見といて、それで映画を見たら良い。そしたら映像と言葉が全部同期やから映画の英語を覚えやすい。例えばね。
宮野さん:別に英語を覚えなさいっていう話じゃないからね。
河上さん:それくらいね、それって何かと言ったら、楽しんでるの。楽しんでなあかん。嫌々いうのは、やっぱり無意識にマイナスで否定しているからな、何事もできへん。だから落語も一緒でね、自分が楽しめる演目を読み込まないと。入って来ない演目をなんぼネタ振りしたってな、無理なの。それでどれが良いっていうのは言いにくい。
質問:落語も映像ですね。
河上さん:そうそう。映像や。
質問:中で入ってる。
河上さん:完全に映像ならんとあかん。うまい落語家はそれを喋るとね、聞いてる人がみんな頭の中に映像を浮かべられるの。でその…まあ、落語の話してるのと違うから。あれや、もうやめとこう。これ喋らせたら、ひたすらキリがないから。
宮野さん:昼が夜になりますね。
河上さん:そうそうそう。そのみんなの心をこう、いかに引き摺るかとかね、突き放す言葉という、独特の落語の世界でのテクニックっていうんかな、なんか技があるねんな。その技も分かって忘れた時にできるようになるの。これが一番大事なの。技を分かった段階ではできない。技を分かって忘れたらできるの。
合気道でも色んな技をするねんけど、技を忘れた途端に使えるようになる。それって何かと言ったら、「自分がする」が消えるからよ。そこまでね、神さまがすべてされるって分かるためにね、印可書を奉読したら良いって言ってる。自分がすると思ってるけど、印可書を奉読してたら、「自分がする」が消えるの。それくらい印可書はすごいもの。だから何があっても苦しかっても辛かっても、面白かったと思って印可書を奉読しなおしてやってるとね、「あ、全部神さまがされてたことなんだ。」って分かる。分かったらラクなの。
自分がしてると思うから苦しい。自分がしてると思うから疲れる。自分がしてると思うから嫌になるの。全部神さまがされてたことなんだってある時気付くわ。それが悟りや。だからあなたは悟ったって言われた、言われる必要はないのよ。「あ、全部神さまがされてるだけだ。」っていうのが自然に分かるから。自分がしてると思う間は悟ってないの。
だから自分がしてると思うからな、嫌なことがあるの。邪魔くさいことがあるの。自分がするんやから、辛いことがあるの。「自分がする」が消えたら全部できるねんけど。それ理屈で言ったらそれだけやけど、それを具体的に実感してもらうために、人にとって違うで、自分にとって辛いこと、嫌なこと、邪魔くさいことをね、喜んでするようにしたら良いって言ってるだけ。
それでも邪魔くさいことは嫌やと思ったら、印可書を読んでまたやってなって。それも結果を掴まずに、このお祈りの部屋だったら、この1uだけお掃除できたら良いわと思ってやるだけで良いんだよって説明してるわけです。
うまく、お祈りの話にもどって良かったわ。このまま落語の話で流れていくかと思った(笑)。
質問:私もちょっと確認なんですけども。先程、詐欺に遭った時の、詐欺師も面白いやっちゃなって思っておいたら良いとおっしゃって。そういう時、詐欺に騙されて…
河上さん:遭わないように逃げるのが一番良いねんで。騙されてしまってからの話。
質問:騙されてからの話。うん、会いに行く必要もないですよね(笑)その時に騙された自分自身を、ああ、あかんと思わずに、ダメやなあと思わずに、そういった騙されて…
河上さん:騙す方も騙される方も面白い奴や。
質問:困ってる自分を楽しむというか。
河上さん:そうそう。その難しいゲームをさせられて良かったなあ、や。
質問:どっちも面白いなって。
河上さん:だって、みんなな、平々凡々やったら退屈で堪らんわって言うやん、誰でも。何もせんでええわ、食事も全部用意するから何もせんでもええって言われたら、もう退屈で退屈で堪らんって文句言うやん。
せやのに難しいことが起こったら、また文句言うんやで。どないせえ言うねん、みたいなとこやけど。でも本当は難しいことが起こった時の方が楽しい。だから、ほらプラモデル。プラモデルみたいに最初から部品あるのを作るよりは、一々部品を作って、ややこしいことをするのが面白いわけでしょう?難しいことが面白いねや。プラモデル作りやったらやるくせにな、現実やったら嫌っていうのもおかしな話。現実こそもっと楽しめるはずや。より困難やから。
質問:ありがとうございます。
質問:他の方から良く相談されるシチュエーションとして、職場だとかで、すごくボロクソ言われてしまうと。でもその時にお祈りをすることで光が行くんだよっていうことで。私は、ボロクソ言う立場の方なので、お祈りをしつつ、子どもに毎日ボロクソ言ってると。いうことを、もうずっとやってる。これをどうしようと。
河上さん:いや、自分の寿命を縮めるだけや。子どもにボロクソに言うやろ?子どもの方が素直やからな、「うるさい、お母ちゃん、お母ちゃんなんか死んでしまえ。」って思うんや。
質問:あ、良く言われます。
河上さん:なら、それが結局?年後に死ぬことになるの。死ぬ本人も子どももすごい悲しむんやけどね。そういう結果になります。はっきり言ったで。
質問:はい。
宮野さん:このお祈りの部屋で言っちゃったからね。
河上さん:あとは印可書を奉読して進んでください。
質問:今までのお話を聞いてると、ボロクソ言う方に光が…なんていうんかな、ボロクソ言う私は結局も何もしてない…
河上さん:そうよ。だからちゃんと説明してるやん。子供の思考パターンに降りて一緒に考えてあげないと。なんぼ相手の自由意志を縛ってね、こうしなさい、ああしなさい言ったって相手は動かへんよって。大人、子どもに関わらずやけど、特に子ども。
ましてやお母さんと子どもの関係やったら余計やねんな。それだけです。だから、ちゃんと子供の思考パターンに沿ってね、一緒に考えてあげないと、お母ちゃん死んでしまえって言われます。親子の場合はそのエネルギーがきついから。すぐに実現させたら大変やからね、ちょっとずらしてですけど実現します。それまでに印可書を奉読して変えてください。
質問:はい…はい。
河上さん:まあ、おまけがなくなったからな、はっきり言っていくしかないの。本当やったら言わんと消すんやけどな。おまけがないんで消されへん。自分でお祈りしてください。
質問:はい。
河上さん:まあ、そのくらいね、おまけがなくなったというのは裏返して言うと、みんな真祈りできる状態になるということです。神さまのお手伝いができる状態にあるということだから、もっと喜んでね、面白い面白いと思ってやっていったら良い。
面白い面白いと思ってたら真祈りになるのよ。でもあかんとか、嫌や嫌やと思いながらやるとね、真祈りにならへんの。だから何でも面白いと思い返して。そうしたら、真祈りに変わっていくから。印可書奉読する時でもね。あいつ怠けてる、腹立つと思って良いから、でも面白い奴や、と思って印可書を奉読をしたら、より光が通ります。
念力で縛り過ぎやね、子ども。好きにさせたら良いの。羊飼いと一緒やからね。羊は好きにしかしよらへんの、動きよらへんの。でもこっちに行くほうが面白そうやなって羊に思わせるのが、アルプスの少女のハイジの話や。追うて行くんやけど、一緒よ。子どもがそっちをやる方が面白そうやなっていかに思わせるかが親の責任。縛り過ぎるとね、本来の子どもの能力を発揮できへんの。
それで、よう小さい時から勉強できるとかよくできる子というのはな、親が全然縛ってない。お片付けさせるのでもね、「片付けなさい。」とは言わへん。「一緒にしようね。」から入ってね、「こうした方が結局はラクでしょう?」というのを得心させる。お片付けした方が次する時ラクでしょう?なの。
お片付けしないとグチャグチャにしたら、次それで遊ぶ時でも一々探すの大変っでしょうっていうのを得心させられるんよ、例えばね。その為にはもっと親が勉強しないとあかん。
質問:はい。
質問:確認なんですけれども、虚栄心から来る質問と、本心からの質問っていうの…
河上さん:どっちも大事です。
質問:はい。すごく、それは自由なので、すごくどれも大事だっていうふうに思っていて。その中で、自分自身はやっぱり神さまから一瞬一瞬新たに一番良いものを今頂いている。それを的確に受け取っていくっていうことが一番大事だと思っていて。そうなった時に、本当に必要な自分に勉強っていうのは、とにかく印可書を奉納する、真(まこと)の神さまを褒め称えるっていうことを、徹していくことを、これはもう本当に繰り返しの確認なんですけど、それに尽きる…
河上さん:もう、そう。そこを徹するしかないの。本当に悟るとね、もう一切文句出えへんのよ。喜べるだけ、幸せ感一杯なだけなの。理屈で言うとや。でもそれが分からないからみんな困るわけでしょう?
その一つ手前はね、神さまを褒め称えていくだけなの。印可書を奉読したら褒め称えになるから、まずそこから始めるしかないねんな。結局、大なり小なり無意識に結果を掴むから、幸せ感、喜びがないの。無条件にならへんの。大なり小なり結果を掴むから何か条件ついて、文句、不平不満、色々出るわけ。幸せにならへん。喜びにならへん。
そうだけど、もう一切無条件にってなるためにはね、無条件というのは、神さまの絶対の自由と同じ意味なの。神さまは一切の条件を付けないわけよ、人間に対して。只々、すべてを与え尽くしてくださるだけでしょう?どんな我儘な子の心臓も動かしてくださるわけや、無条件や。
その無条件の神さまに沿おうとしようと思うと、無条件に印可書を読んでたら無条件に沿えるの。無条件に重ねたら、無条件に神さまを褒め称えてるから神さまと一つになれるの。それだけ。
だから、喜びや幸せが湧かないうちはな、どこか条件を付けてると反省して、無条件に印可書を読んでください。
質問:ありがとうございます。
河上さん:もちろん、条件を付けて読んでても良いのよ。でもそのうちに印可書を奉読してたらな、条件を付ける暇がなくなってくるの。まだまだ条件を付けてる間は、自分という意識に余裕があるねんな。
だから先生がほら、全力を尽くしなさいとかね、もう一杯言いはったでしょう?それは自分という意識に余裕をなくならすためや。自分という意識に余裕が無くなってきたら、あ、全部神さまが動かしていると分かるわけ。だから山仕事にでも先生は追い込もう追い込もうとしはってん。
せやけど、なかなか、みんなな、しんどいの嫌やからな、精神的にも肉体的にもね、どんなすがたでもしんどいの嫌やから逃げるのね。邪魔くさいことから逃げるんよ。もちろん結果を掴んでるからやけどな。そうだけど、その結果を掴む癖がないと肉体を待たれへんという堂々巡りの中にあるからね、印可書でその輪を断ち切ってくださるというだけです。
だから結果を掴んでも良いしな、あのクソって思っても良いけども、面白い奴やと思い直して印可書を奉読してください。そして、何をするにしても全力を尽くしてね、全力を尽くすというのが、自分でどうこうするという意識が消えていくの。消えると神さまがされてるのが分かってくる。
だって心臓を動かそうと思ってないのにしてるんでしょう?それ、別に心臓に限らへんの。手でも、今こんなに喋ってることでも、神さまがされてるだけやねんて。自分がというのはないの、本当は。ないのに、わざとマイナスのエネルギーを色々つけてね、楽しんでるからさ。
さも自分が、あいつが悪いと思ってると思ったりするの。さも自分が「あのクソボケめ」と思ってると、思うだけで。思うだけや、本当は事実ではないの。すべてはそこに尽きるのね。
だから事実ではないから、「面白いこと」や「面白い奴や」にしたら良いわけ。それをちょっとでも、「あの人あかんわ。」「あんなんしてたらあかんわ。」って思った時点でな、自分を縛って苦しくなるの。「あんな面白い子おらへんわ。」って喜んでたら良いの。そのために印可書があるからね。
だから子どもに本来どうしたら良いかと悩む間はあかんの。印可書をひたすら読んでたら自然にできるようになるから。そこがみんな分からへんねんな。仕事でどうこうしようって悩むからあかんの。悩まんと。一々考えんで良いって言ってるやん。ひたすら印可書奉読してたら自然に動けるから。
動かれへんうちはまだまだ印可書をね、神さまの方を称えるのがまだまだ足らんのやと思ったら良い。自然に動けるようになるのが本当やね。それはさっきの落語で言うとね、色んな技が分かるんやけど、その技すら忘れた時に初めていけるの。
合気道でも色んな技を習うねんけど、例えば合気道で言うと、相手がこう来た時に、こうしてこうしなさいっていうふうに技は習うわけよ。こっちに右によけて、クルっと回ってこうしてやりなさいみたいなね。そうだけど、実際の時になったら、相手がどう動くか分からないわけでしょう?そうだけどその技、どうこうする技すら忘れたら自然に動くんよ。
そのくらい、自分がするという意識を消さなあかんねんけど。自分がするという意識を消すねんっていうのは理屈や。実際に消すにはもう、印可書を奉読するしかないから。
もちろん、「宇宙神ありがとうございます」の中に全部を投げ込んだら同じことが起こります。
でもどの状態の時でも、文句が出たり、不平が出たり、自分でどうこうしようと思うのが出てる間は、まだまだ投げ込めてないの。「宇宙神ありがとうございます」の中に投げ込むのはものすごく大変なわけよ。でも印可書奉読の時は投げ込もうと思わんでも進めるから。どっちを選ぶのも自由です。でも、そこまでいかないと、本当の神さまのお手伝いになっていかない。もちろん、印可書奉読するだけでも、お手伝いになるからすごいねんけどね。
宮野さん:悪かったなあ。
河上さん:もう、おまけがなくなったんでね。ちょっと厳しいようやけど、はっきりと言って。でも分かりやすくて良いやろう?
質問:はい。
河上さん:だから色んな立場に神さまの方から必要で立たせてくださってるだけっていうのをね、まずそれを分かってください。
だから自分は(今の)この立場に立たされてるんです。神さまが必要でその立場に置いてくださっただけ。
それを喜んで喜んで、やっていったら良いだけよ。
なのに自分の都合で考えてな、辛いしんどい不幸や嫌やっていうからややこしくなる。
そこで(ダメだと)マイナスを重ねんと面白いわ、面白いわと言ってったら良いの。ちょっとのことやけどすごい差なの。ついつい無意識にね、(もうダメと)いらんマイナスを重ねてるんよ。
面白い面白いって言ってたら良いのに。だからみんな落語を聞きたいわけでしょう?それはなんでかと言ったらマイナスを重ねへんの。面白い面白いで終わっていくわけよ。
八っつぁんや、なんやかんやしてこう、寅さんやら出てきてね、ハチャメカをするわけやんか。
ハチャメカするねんけど、まあ、貧乏長屋でもそうやけど、こんにゃくを刺身と思って食うの、そこがあれやとか言って。「そこで気を練るんや、刺身や。こんにゃくやと思うからこんにゃくなんや。刺身と思って食べるんだよ。」って言ってね。「この番茶をお酒と思って飲むんや。」って言って、やるわけや。それマイナスを重ねない、面白い面白いって言って重ねていってるわけよ。あれを見習わなあかんの。「こんにゃくやん、これ。」「これ、沢庵やん。」「違う違う、これを刺身やと思って食うんじゃ。気で気を練るんや。」って言ってね。あの気持ちが要るの。
面白いっていう。
それを現状を掴んでね、「こんな沢庵なんで刺身やねん。」って言うからややこしくなるの。
でもみんなはそれをやってるんよ。わざわざマイナスを重ねてるの。マイナスを重ねんで良いねんて。
刺身は食べれないけど、沢庵を食べる立場にあるだけでも喜ばないとあかんのにね。何もないよりはあるんやから。「お酒はないけど番茶やけど、番茶があるやないか。なんでそれを酒と思って飲めへんねん。」って言って花見に行くわけや。貧乏長屋へな。
宮野さん:貧乏花見。
河上さん:あ、貧乏花見か。そういうプラスにプラスに重ねる気持ちが要るの。それを今「面白い奴や」ということで説明しました。だから面白い面白いでやってください。そしたら、お祈りして終わります。ありがとうございます。
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