令和7年1月2日河上さんお話し−1(20250101−1)
河上さん 先生が、ともかく僕が11歳の時にお会いしたときから一貫しておっしゃっておられたのは、「みんな光や」ね。一番簡単な表現でね。で、それは色々と分解して言うと、「神さまの御心が地上に現れますように」とかね、「御心のままにみんなが生きていけますように」とか、色々あるわけですけども、その「みんな光や」というテーマで、あの神書は書かれています。で、その神書だけで読むと、ちょっと難しめに書いてあるんで、簡単に言うと、要するに「思い巡らす心、やめろ」ですね。五井先生で言うと、「想念停止」です。
で、それだけ言われたって、やっぱり分らへんねんっていうのは、何でか言ったら、みんな思い巡らすもん。なんかトラブルがあったらどうしよう、ああしよう、こうしようってね。それは当然なんですよね。ただ、思い巡らすのを、その神さまの御心として思い巡らすか、自分の都合で思い巡らすかだけなんですよ。だから、同じ思い巡らすでも全く違うわけね。自分の都合の思い巡らしというのは、ちっさいものを積み重ねていって、大きいものを作るみたいな感じ。
そうでしょ?会社でも最初小さい創業して、大きい会社にしていくとか、車でも簡単な車からだんだん複雑な車になっていくとかね。それが人間の側の思い巡らす心です。
で、神さまの御心のままにというやつだと、もっと人間の叡智を超えた姿がそのまま降りてきて現れるんです。だから、神さまの叡智を表した時は、最短距離。迷路で言うとね、迷路っていうのは、色んなところを通って、通って、コンピューター式にやるとですよ、迷路とかいうのは、もうありとあらゆる経路を探って、やっと行き着きましたみたいな感じね。これ、コンピューターも人間の思い巡らす心の表れですから、そういう感じになるわけですよ。 でも、神さまの叡智が降りてきたら、迷路でも最短距離をすっと描ける。それが神の叡智なの。で、その神の叡智というのを信じれるか信じれないかというのは、人間が大自然に対しての感謝があるかないかで決まっていくわけですよ。そうでしょ?もう、種蒔いたら物が出来るのは当たり前。肥料をやって、耕して、水やって、こうしたらその食物が成長してね、お米でも成長して実がなるのが当たり前というふうな感じに皆なってるのね。神さまの命が現れて、神さまの叡智そのもので全てが成り立っているということをもう忘れてるわけ。なんで忘れるか言ったら、自分と神さまが違うもんだと思ってるから。 でも違う、分けようがないんだけどね、分けたら死ぬんだもん。分けないから死んでない。ね、そうでしょ?肉体って、あの機械のようにボルトで繋いでね、溶接したりとか、車がそうでしょ?ボルトで繋いで溶接してくっつけて動くわけです。命のないものだから。
でも肉体って接着剤もないし、ボルトもないし、何もしてないのに繋がって、命として繋がって動いてるわけです。でも死んだら、その繋がっている命が抜けるから、一気にバラバラになって腐っていくんでしょ?
あるいは生きてても切り落としたら、切り落とした先は崩れていくんでしょ?そこが分かってるようでみんな分かってない。それが大きく民族や家族や社会や国家や全人類として一つということで分からないとダメ。
でも、みんなは、例えば宗教団体でもそうだけどね、違う宗教団体ダメだってやるわけでしょ?あるいは社会党とかね、政党同士でも「あいつとこはこれでダメだ。」とかやってるでしょ?分け隔てて。その分け隔てるっていうのは、自分の手を切り落としているのと一緒なんだよっていうのが分からない。
で、村人も同じように分からない。みんな一つだっていうのが分からないから、河上グループとかね、何組とか、なんかわけ分からん隔てを作るわけですよ。そういうことをしていることすらも分からない。なんで分からないかと言ったら、自分が一番正しいと思っているから。神さまじゃなくてね。自分が一番正しいと思っているから、自分以外のものはダメだってなるわけ。
ほんで、村人に限らずですよ「あいつはサボってる」とか、「あいつ怠けてる」とか、「あいつは勉強せえへん」とか色々あるけど、どれもこれも分けてちぎっているから。で、ちぎって命の一大循環の相象(すがた)と命の還流を邪魔しているからね、ぐちゃぐちゃになっていくんですよ。
だから手でも切らないまでもね、ここぐっと縛ってごらん、血の巡りが悪くなって腐るじゃない?そういう感じのことをみんなしているのよ。で、してるけども、自分が正しいと思っているから気づかない。
だから村でもその上からの命令が全部徹底して逆らえないようになっているわけですよ。 逆らえないようになってるんだけども、その結果起こったことに対しての責任を誰も取らないという状態。それは別に村だけじゃないですよ。日本の政府でもそうですよ。
首相とかが指示して、例えば外務省になんか交渉させるでしょ。上手くいったら首相の成果、上手くいかなかったら外務省の責任ってなってるくらいね。別に村人に限らない、どこもかしこも自分は責任取らずに命令だけするシステムになっているんですよ。
ちょっとトヨタとかね、民間企業の方がまだマシよね。前、アメリカでプリウスの欠陥車問題が大騒ぎになった時に、社長はある意味関係ない、トヨタの社長はね。プリウスを作ったその現場の人の責任なんだけど、そんなことは関係なしに、トップとして社長が自ら責任取られて、アメリカに行かれて謝られて、こうだこうだって。んで、こういう対策しますってすることによって収まったでしょ?
ね、中心の人はある意味全然関係ない。組織が大きくなったらよ。小さいうちは自分も関わっているけどね。でも、関係なくたって、中心にいる人は責任を取るのだから。天皇陛下も終戦のときに責任を取られて、巣鴨に入れられている連中は全部、自分の命令でしたんだから、全部釈放しなさいと。戦争の責任は全部自分にあるのだから、私を絞首刑するだけでいいんだから、みんなを釈放してくださいとマッカーサーに頼みに行くんでしょう?
それでマッカーサーが感激して、一気に日本に対する態度が変わるわけですけど。そんな凄い姿を日本人は見せてもらっているのに、やっぱりみんな、要するに天皇陛下は総責任者の自覚を持っておられたということですよ。
それを先生は「総責任者の自覚」ということで口を酸っぱくして言っていうんだけど、村人ですら、村人のこと笑えないよ、みんなもそうだけど、「総責任者の自覚」を持てない。
持てないから、先生が亡くなられた後に先生の身代わりとなって真祈りしましょうと言う人が一人も出てこない。で、こっちから「これからはお一人お一人が先生の代わりをして、真祈りして先生の働きをするのですよ。それを先生は100されたけど、みんなそれぞれ1とか2とか3とかって言うて説明したけれど、中々聞いて貰えないくらいみんな無責任なんですよ。人のことは笑えない、みんな無責任なの。
無責任というのは何かと言えば、聖書に書いてあるように「蛇がリンゴを食べたら神さまのように叡智がつくよ」って唆(そそのか)すわけやね。でも、「リンゴを食べなさい」とは言っていない。ただ「食べたら叡智がつくよ」って言っただけで、イブに対してりんごを食べなさいとは全然命令してないよね。でもイブは「蛇のせいで食べました。」って言うし、アダムも、イブはただアダムにリンゴを手渡しただけなんです。
どのギリシャ語の聖書を見ても、どの辺のとこの翻訳までを調べてもイブはアダムにリンゴを手渡しただけ。で、アダムにしたら、リンゴを手渡されたら、『お前、これ神さまに食べたらあかんって言われてるやつやないか』って言わなあかん立場やのに、食べたんでしょ?
で、神さまは『リンゴを食べたか食べていないか?』しか聞いていない。要するに、自分が責任を持ってしたのかしてないのかを聞いてるわけですよ。なのにね『女のせいでリンゴを食べました。』とか、『蛇にそそのかされて、蛇が“食え”言うたから食べました。』みたいな回答をするわけでしょ?それくらいみんな肉体を持つと、自分は責任逃れてね、誰かのせいにして逃げたいという“原罪”を持つわけです。それを“原罪”と言うんですけど。
だからと良い悪いじゃなくて、それをどう乗り越えていくかです。それが動物と人間の違いなんです。で、そこが分かるとね、"話し合ってどうこう"なんて言う事がいかに無駄かが分かるわけですよ。話し合うっていうのは、お互いに『自分が正しい』と思っているから収まるわけがない。真祈りしか、お互いが『一つだ』と分かるまでは収まらないの。
そこが未だに分からない。総責任者の自覚を持てば、お互いに『一つなんだ』と分かるから、お互いが、自分が今何をすべきかも分かるから、喧嘩にはならない。でも、自分が正しいと思っていたら、なんか自分のしてる事の方がしんどいように思うねんな、みんなな。で、相手が楽しているように勘違いしていくね。そしてなんか『あいつが楽しとる』『あいつがサボっとる』って言い合いしていくのね。
それは贈り物の贈り合いしてもそうですよ。『こんだけのものやったのに、あいつは1しか返してこなかった』ってお互い思ってるね。お互い自分は10のもの送ってるのにあいつ1しか返してきよらへんかったって(返してこなかった)、お互い思っている位ね、自分が“正しい”と思ってたら公平に何も見えない。そういうもんなんですよ。 その逆もあるんです。例えば鯛焼きを半分こ(半分づつに)して食べましょうとするでしょ。ほんなら尻尾と頭とどっちがいいかってみんな自分が正しいと思ってるから、思ってしまうわけよ。で、そんなふうに思われたら嫌だから『もういいよ、私はいいからあんたが食べなさい。』って言われたら、(相手が)喜んで1匹食べるかって言ったら食べないね。相手は相手で『そんな気を悪いことするなよ。』ってなるわけやね。それくらい自分が正しいと思って、お互いに思い巡らせて話し合おうとしたら揉めるだけなの。 鯛焼き一つとっても。何故それに気づかないと言えば、総責任者としての自覚がないから。総責任者としての自覚がないと、お互い違うものだから。違うものということは、相手だけ得していると思うんよ。『隣の芝は青く見える』って言うじゃない?その立場に立ってみたら全然違うんだけど、はた目から見たら凄い楽したように見えるの。それはその総責任者の自覚がないから。
だから妬み(ねたみ)嫉(そね)み、虚栄心というのは、そういうことよ。他人と引き比べてどうこうするか。で、先生は世界の雛形として村人を集めたから村人には特に顕著に出てるんだけど。ただ、ここを聖地と村人が分かった(理解している)以上、もう誤魔化しが利かないのね。オマケがなくなったから。
今迄は先生がいらっしゃったから、村人が真祈りせず、ただ山仕事だけしててもよかったんだけど、今は真祈りする方がいらっしゃらないから、村人が真祈りするしかないの。真祈りが何か分からないまま来てるから、してるつもり、してるつもりだけど、真祈りが出来ない。出来ないことに気づいているのか、気づいていないのか僕は知らないけども、真祈りが出来ていないから喧嘩があるの。村人が仲良く出来ない。
そんなもん話し合って仲良く出来るくらいだったらね、この6年間で村人が仲良く出来ないはずがない。村人同士が仲良く出来ないから、当然、外の人とも仲良く出来ないわけです。 色んな意味であるんですけど。先生は村のことはこっちで出来る人を作っとくから、僕とみどりさんに対しては、もうそれ以前から東京で月2回勉強会をやってましたから、そっちの方で自由にやってくれとのことだったんですけども。色んな事情で今こういう立場に立って、てんてこ舞いしてますけどね。
せやけど(だけど)、何よりもこういう誰かを中心にする時代は終わったんですよ。みんなが真祈りして、みんなが総責任者として、みんなが真(まこと)の神さまとして働く時代に入ったわけです。そこだけは忘れないでください。
すると、あいつがどうこうとかいう話じゃないのね。お互いに助け合って、真祈りし易いようにし易いように、持っていくのが本来の姿なんですよ。だから、じゃあ先生のところに、1番先生のおそばにね。長い間いてる村人さんだから、真祈り出来てるんだろうとみんなも勘違いしてたし、で、本人たちもそう思ってたんだけど、出来てないからこんな状態になってきて、能登半島も揺れるしね、色んなことが起こるわけ。
で、それをどうするかだけなのね。で、真祈りの仕方を、ともかく先生から預かって説明させてもらっただけです。で、本当の真祈りは、ともかく、24時間途切れずにひたすら「ありがとうございます」と唱え続けて、自分で感得するものです。でも、それが出来る人が少ないから、先生はこのお祈りの部屋に来てお祈りしろとおっしゃった。
で、この部屋で、本当はあの頃、先生がいらっしゃる時は、40日、たった2時から6時までの4時間をひたすらにお祈りするだけで悟れるように先生はされたんだけど、誰もする者がおらんと、ぶ然たるもんで終わった。もう只々それだけです。
で、そのオマケでは無理だからということで、「印可書」を作ってもらったという、そういう経緯だけです。で、その「印可書」も無理だからということで、手振りの「宇宙神ありがとうございます」を作ってもらいました。これすら無理だと言うんだったら、人類は滅びるだけで、皆さんの自由意志だというだけですね。それが経緯です。
それで、いよいよ村人が真祈りしないので、オマケもないので、今にも村が崩壊しそうな状態になっています。それは、最初にちょっと言ったように、石垣の下をちょっとずつ崩しているようなものでね、「そんなの全然大丈夫だろう」と思ってるやろうけど、ある日突然、ガシャッといくわけですね。いったら最後、修復のしようがない。バベルの塔も崩れたら最後、終わりだったようにね。その直前までとうとう来てしまったんです。それがこの巳年の始まりです。神さまの光が、蛇が脱皮するように、在りとあらゆるところに染み込んでいき、光が充満する年なんです。
すると、真祈りしていない者は、色んなマイナスを全部浮かび上がらせて体が腐ってきたり、お腹が腐ってきたり、腐るというのは病気という意味ですけど、なる時代に入ったわけです。でもそれが聖地に住む村人に真っ先に来るからね。
実際、体に出てしまったら「痛い」と出るじゃないですか。その痛みを無視してお祈りするんだって言ったって大変だから、出る前に、出る前にと思って、色々と嫌われ役をやっていますけども。だから、呼吸法も教え、手振りも教え、色々と説明してきましたからね。あとは皆さんで工夫してやってもらったらいいだけなんですけどね。 ここまでで質問があればどうぞ。
質問 真祈りということで…「印可書」を奉読と、「宇宙神ありがとうございます」の手振りセットが真祈りとするということをお伺いしたのですが。
河上さん だからそれが一番、オマケ付きの簡単な真祈りという事です。だから先生が仰ったように「ありがとうございます」をひたすら24時間途切れづにやれば、それはそれでちゃんと真祈りができます。ただ、そんな難しいことをする人がおらんという事でしただけです。 だから、それしかないと言うことではないです。
質問 中には先生から直接手振りはいらないというふうに聞いた方がおられまして…。
河上さん その手前の前後をちゃんと言わないと狡い。でも聞いた人は、自分に都合の悪いことは忘れてるから、どうしようもないです。
質問 現状、僕が身に置き換えた場合に、やっぱり先生から直接その前後をこう…。
河上さん いや、勿論そうですよ。だから、先生が直接そう聞かれたんだったら、なぜそれを真剣にしないのか。それだけです。
質問 手振りなしの「宇宙神ありがとうございます」を?
河上さん うん。そこまで直接聞いて、なぜしないのか。無責任じゃないか?そう聞いた人は、総責任者の自覚を持って、それをひたすらやって、このやり方で僕は行けたんだよというとこまで行ってくれないと困る。聞いただけ!それ無責任やろ?実行してなんぼや。
質問 はい。で、これからが大事っていう部分でちょっとお話させてもらいたいんですけども、やはり真祈りしたいっていう気持ちは、本心の自分から出ることだから当然持たれてると思うんで。で、その真祈り、河上さんのお話を聞いて、その真祈り、「宇宙神ありがとうございます」とセットだよっていう風に聞いた部分と、どうしても、その当時、先生から聞いた部分を…。
河上さん:だからね、真剣にしたら分かる話。真剣に「宇宙神ありがとうございます」やってたらね、途切れるんやって。その途切れるのを防ぐために先生が作ってくださった。でも、真剣にやれへんから、「手振りいらないんじゃないですか?」ってバカなこと言うてね。で、先生は相手の自由意思を縛らないから、「そうだね」って言いはるん。それだけよ。真剣にまずやれよって僕が怒るのは、真剣にやってみたら分かるって。いかに「宇宙神ありがとうございます」で難しいかって。
でも、手振り入れたらすっと行くじゃないっていうのが、真剣にやってたらわかるね。せやけど、誰も先生からお聞きしても真剣にせえへんねや。このお祈りの部屋にお祈り来なさいって言っても、2時間すら連続して来れない。ここの村に住み込んでるんやったら、せめて2時間は毎日来いよ。先生は朝と夜と来いって言ってはったんや。
誰も来えへん。その2時間すら。要するに4時間がしんどいんやったら、朝の2時間、夜の2時間にしなさいって先生言われたんや。聞いてるか聞いてへんかは知らんけど。毎日、ここへ通ってるだけで、たったの40日、先生は40日とは言えへんで。そんなん言うたら、もうギブアンドテイクなるからね。 でも、たったの40日で悟れたんや。なんで誰もしないか?生活も安堵してもらって、食べるもんも安堵してもらって、ここに住み込んで、通う手間もなくて、なんでしないか?今更何を言うか。先生亡くなられてどうするんや、これから。いよいよ人類が滅びる寸前やでっていうくらいな、大変やねんって。 せやから、もう理屈はええから、仮にそう聞いた人は、ぜひ「宇宙神ありがとうございます」を必死にやってみて、それから言ってください。やりもせんとね、こう聞きました。あるいは「印可書」も、先生は古い「印可書」を燃やしていきました。読みもせんとね、何を無責任なこというか。先生の作られた最初の「印可書」拒否したのはあんたらやないか。読みもせんと何を言うかっていう感じやね、僕にしたらな。 そういう感じやけど、まず真剣にしなさいや。その先生からこう聞きましたっていう人は、別に顔出して言うたら恥ずかしいのかなんかね、隠れって言うのはずるいけど。
質問: いや、僕が勝手に思って言ってます。
河上さん うん、勝手でもええよ。せやけどともかく、そう聞いた人は、それをまず真剣にしてからの話や。真剣にしたら、いかに難しいかが分かって、なんで先生がこうね、お前「印可書」もっと緩めにして、やり易いようにしてくれとか仰ったかってのは分かるよ。で、何よりも神書を真剣に読んでたら、最初に出された先生の「印可書」で十分やったんや。
でも、真剣に読んでる人おれへんからこうなってきただけで。それでも先生はみんなを連れてこいって言うから、オマケも出して、説明もして、してるだけでね。せやけど、いよいよオマケがもう終わったから、もうあとは皆さんの覚悟を問うてるだけ。
その全人類の数からいうたらね、わずか100人あるかないかや、本当に真剣な人がね、ここへ集まる方がね、護摩に集まる方が。その中で、そんだけの数だけで十分人類が変わるって先生仰ってるのに、こんなちょっとで何も出来へん位にしか思ってない甘さがある。
だから、親の死に目以外は護摩に来いって言うたって、色々都合が悪くて来られん人もおるしね。もう色々あるけども、そんなこと、もう済んだこと言うても。いつも言うようにね、済んだことはもういいんです。さらさら流れていくんだから。これからどうするかだけやな。
いつもそれ言うんだけど、みんなは済んだことで、先生がこう仰ってたとかね、先生やったらこうしてくれたって言うわけよ。もう先生いらっしゃらないやん、どうも出来へんのじゃ、「自分たちでするしかないんだよ」っていうのが分かれへん。で、このまま何もせんと、わっと流れていって、地震が起こって、富士山も噴火して、わあって大変なって、大変やなぁでみんな死んでいったらええやん、別に。で、死んでいったらみんな聞かれるわけよ。「あなたはそのお金をどう使いましたか」ってな。で、色々と言い訳してなったら、犬や猫に落ちて終わるわけ。 で、とりあえず、この地球というこの秒速30万キロの虚の世界は一旦全部解体してなくなる。要するに、この30万キロの映画館は解体されてしまってね、新しくどうなるかは、もう落第した人は知らんでええから教えへんだけ。それだけです。
せやけど、先生はちょっとでも落第する人間を減らして連れてこいって言うから、でも相手の自由意志を縛れないから、出来るだけお願いしてるだけです。
第一、こうせい言うたって、みんな自分で納得せなせえへんや。出来るだけ納得しやすいように、色んな方法で説明してますけども。せやけど、ただ、そういう先生からこう聞いたっていう人はね、何が卑怯かって言ったら、先生から聞いた以上は真剣にしろよ。真剣にもせんとね。あーやこーやっていうのは卑怯や、あるいは狡い。そんな神さまごとをね、クラブ活動か何か遊びか知らんけどね、互助会みたいなつもりで考えてもろうたら大間違い。
村は私設生活保護みたいになってるやないか。誰も真祈りせえへんから、それだけです。
せやけど、もう泣いても笑ってもオマケがなくなって、今年からはね、本当に真祈りしてなかったら、どんどん体が大変になるよ。なるけど、こっちはもうオマケ出せないということやから、ちょっと皆さんの自由意志を縛り気味でね、強引なことを言ってるだけです。
あんまりもう、ある程度言うたら、もう何も言わなくなりますから、どうぞご自由に皆さんしてくださいっていうだけなの。どっちにしたって自由にしかせんから。もうほら、親が子供に勉強せえって言うのがそうやん。勉強する気ない子に何を言ったってせえへんって。いかにする気になるかって持っていくだけや。 だから僕もいかに真祈りしようなって思ってくれるように必死で持っていってるだけ。そやけど、村人がね、河上の話は聞くなとか、河上はあかんとかっていう空気を作ってる以上はね、それは神さまを邪魔してるから、村人として大変になるよっていうことは言わないかんからね。病気とか色んな形で出てからね、どうしようって言われたって困るからね。先に言ったように、僕の邪魔したらいけない。
東京で色んな仕事してたわけですけども、先生がこっちにいてるんやろって仰って、人の自由を縛らない先生がそう仰ったから僕は帰ってきましたけど。勿論それ以外にも色々理由があって、東京で仕事してること邪魔する人がね、その商売だからやっぱり邪魔する人おるじゃないですか。その人たちがどんどん癌とか交通事故で死んでいくんよ。ある意味あいつは悪魔だみたいにね、呪いかけてるみたいに言われる時期に入ってきてたんでね、その両方でこっちに帰ってきたわけですけども。 神さまの働きをする、神さまのために全ての命を捧げるって、(僕は)先生に宣言してね、(生命のすべてをかけて)してるわけですから、僕の邪魔をしたら大変になります。ただ、オマケがあるからすぐに現れないようにしてきましたけど、これからは大変です。
で、村人は僕の邪魔をしてることすら気づかんとやってるから、もっと大変です。それだけ。まず先生からお聞きしてんやったら、なんで真剣にしなかったか、それを聞きたいですね。
質問 というのは、今までは僕の言葉で言うと、真剣にしなくても村で生活出来ていたけども、今年からは問われるということで、真剣さを問われるということ。
河上さん いや、村人が真祈りしないということは、神さま邪魔してるやん。真剣とかそんなレベルやあらへん。ここは真祈りの聖地や。真祈りの聖地にいてるもんが、真祈りしない。
神さまの邪魔してない?それ言うてるだけやで。そうなると一気に村が崩れるから。村が崩れると、何年後とは言わんけど、本当に全世界が崩れます。
崩れてしまったら困るしね。色々と世界の入れ子構造の世界の模型として、雛形として村があるんだよということを何遍も言うんだけど、全然気づかない。いつまでも村の中で争いしてるから、世界に戦争が絶えへんやないか。なんでそれすら分からへんのか?村の中で仲良しになるわけないなんて言う馬鹿までいてるんやろ。ええ加減にせえや。
宮野さん それは昨日と一緒ですけど。聞いてるここにいる全然村人じゃない人たちもそうなんだと。
河上さん 一緒やで。ただ村人はすぐ出るだけ。皆さんはゆっくり来るから、その分ゆとりがあるからまだ楽だっていうだけです。
宮野さん 逆に言うと、いい見本って言ってはなんですけれども。そのね、やっぱりこういうことなんだな、厳しいんだな、私たちは村には住んでいないけど、厳しいところを見せていただいてるんだなということを改めて感じていただき、で、あっ他人事じゃないんだ、真祈りせなあかんねや。神さまの邪魔したらあかんねや。他人と分け隔てしたらあかんねや。争いしたらあかんねや。
自分の目に映ること、聞くこと、吐くこと、全てがマイナスを掴んだらいかんねやってことを改めて感じるのは、肉体があるから感じるし、それがあるから逆に言うと肉体を維持してるとこあるんですけど、それをすぐに真祈りチャンスを考えて真祈りをしていくということでしょう?
河上さん はい。今まではね、真祈り言うたって先生しかできへんやんってみんな言ってたわけよ。
「ありがとうございます」を24時間連続で唱えるなんて無理やんって言ってたから、じゃあー、これさえすれば真祈りとなすって先生がオマケを作って下さったわけやから。
その「印可書」も選べない、「宇宙神ありがとうございます」も選ばないって言うんやったら、自分達は真祈りしないんだから、此処には住みませんって言えばいい。それが本当の責任者の自覚や。村人やったらやで。せやけど、村人以外の人は(関係ないでは無くて)、(みんな)じゃあ真祈りしなかったらどうなるかって言うたら、世の中が大変になって、地球がいよいよ滅びるっていうだけよ。
あのね、今ね、本当に核爆弾を飛ばす必要ないの。持ってる核爆弾を勝手に爆破させる技術がある。だから本当にいざとなったら、あちこちで勝手に核が爆発してね。だから抑制というか抑止力がないわけよ。なんや知らん間にバンバンバンバンってなって、もう、えっ?えっ?て言ったらもうそういう状態や。で、地球霊王様はそうしたくないから、その前に地震とか火山とか、あるいはムー大陸のようにね、大地を沈めてとかっていう風にしたいんだけども、するんだけど、(何回、大陸を沈めるとか、大洪水とかしても、つまり、やり直しをしても、人類は、同じことの繰り返しだから)もう今回は終わりにしたいって仰ったわけです。そういうこと(やり直し)ではなくて、もう終わりにしますと。 それを僕が11歳の頃ですけど、先生が地球霊王様とお話しになられて、『もう少し待ってくれ、人類が真祈りをするようにするから』というて、ここまで来てるわけですね。それは何度も先生はお話するんだけど。こんなことをしていたら火山が爆発して地震が来て大変なんだって、阪神大震災の4年程前から言われてですね。で、暗黒の星が地球にぶつかって大変なるよ、あれやこれやって起こることを全部言われたんだけど、先生はたまにそういう厳しいことを言われるだけやって、みんなは、のほほんとしてた。
で、いよいよ暗黒の星がぶつかるって時に、先生は血の涙を流されて、それだけは止めてくださった。で、『これでもういいか?』と僕ら2人に言われて、もういいかと言われても、もう少しいて欲しいと交渉しましたが、行かれてしまったということです。だから、これからはみんなで真祈りをしなくてはいけません。
勿論、どうしようもないのは、僕の命で止めますけれども、あとはみんなでして下さいね。みんなでしなくちゃいけないんだから。誰かが中心になってするというのではダメです。全員が真の神さまとして自覚を持って、総責任者の自覚を持って真祈りをしなくちゃあいけない。逆に言うと、全員だから楽なんですよ。
1人やったら100人分を引っ張らなければならないけど、100人で引っ張れば簡単に動くじゃないですか?そんな時代に入ったということです。だから巳年、辰よりも小さいものになったんです。
質問 みんなでするお祈りの具体的な形が護摩焚きということで。
河上さん そうです。護摩で響かせたら、本当にみんなが分かるわけですよ。お金なんて何の役にも立たないって。今はお金が役に立つと勘違いしてる。村人もだけど。だからお金でなんとかなると思ってるけど、お金でなんとかなったら戦争は止まる。災害は起こらない。地震も起こらない。お金でなんとかなるんだったらね。ならないでしょ?だって、1万円札の価値は22円しか価値ないんやで。
宮野さん 24円だから。
河上さん 24円か?24円しか価値無いんやで。調べてみたら、22円から24円くらいっていうて。というのは、国はそんなん発表しないからね。印刷業者さんが発行枚数とこの印刷やったら、こんな原版がいるから、この手間でこれやから、ほんで造幣局に勤めてる人間の数と給料分をだいたい計算して、22円から24円くらいっていうわけですね。それはあれですけども、お金って所詮そういう事でしょ?みんなが価値があると思っているだけで。
今、大量のお金が市場に出回る寸前になっていますから、もし大量に出回れば、一気にお金の価値はなくなります。でも、お金の価値がなくなっても、みんなで助け合えば、苦しいことはないよね。今のように自分と他人が関係ないと思っていると、お互いに奪い合いになる。お金で物が手に入らないでしょ?それなら、暴力沙汰がどんどん起こるようになるわけ。
そうならないように、真祈りを広めておけば、お互いに困った人を助け合ってちゃんといくんですよ。本来、そんなもんなんです。だから能登でも東北の地震でもね、暴動は起こらないんでしょう?何やかんや言いながら大変な時はみんなで助け合って、能登でも炊き出しをしてね、現地の人が苦しい中を持ってるものを持ち寄って助け合いって生き延びてるわけでしょ?
そやけど、これが地球規模で起こったときに、それが出来るかどうかってなるから、そうならない手前、手前でもっと収めていきたいんです。で、人類が90億人を超えると地球は滅びると先生は仰ったんだけれども、90億人を超えても、みんなで分け合えば十分やっていけるんやって。 そやけど100個のパンの話やないけどね、私、あんパン5つ食べたいと言った途端に、全部崩れていくね。誰かが『私はあんパン5つ食べたい。』と言うと、みんなが『私も食べたい』となるわけよ。本当にあっという間やね。それが、今の地球規模のレベルで起こっているわけでしょ?先進国が財力で物を買い込んでね、国としてお金のないとこは飢えが広がるわけでしょ?
本当だったら、食べられない人に分けてあげて、みんなで仲良くしたらいいだけなんだけど。話し合って仲良く出来るんならね。だけど、話し合って仲良くは出来へんのやて。みんな自分が一番正しいと思っているから。それはアメリカとか、国のレベルでも笑っておられないんやで。みんな個人的にもそうなんやて。結局は、自分が一番正しいと無意識に思ってんねん。思っているから、こないなってん。 そうじゃなくてというね。みんな光やって。命のレベルで、真(まこと)の神さまとして、一つの命として繋がっているんだよということが、真祈りでしか響かせられないんよ。なんぼ理屈で言ったって、肉体として分かれているでしょ?分かれてたら、やっぱり違うやん。で、最後いよいよ物がなくなってきたら、せめて自分の家族だけでも助けようとなって来るねん。映画でも色々あるけどね、あんまり映画の題名は出さんとくわ。 それくらい最後は、自分さえ良ければになっていくんよ、真祈りがなければ。話し合いでは収まらへん。話し合いで収まるくらいなら、お互い助け合っていきましょうねで終わるけど、それやったら戦争は起こってないで。
でも、真祈りしたってそんなんもう直らへんと思う人は、それも自由だけど、自由だけど、そう思う人はここに(村に)いてたら邪魔だから出て行ってくれと言っているだけです。
真祈りの邪魔をしてるやろ?真祈りしたって意味がないという人は。この村が聖地だと分かっているなら、この村は神さまのものであって、誰のものでもない。それすら理解出来ない村人ばかりだったら困まる。それだけでも、神さまを邪魔してる。なんでそれが分からんか、というだけやけどね。 そやけど分からない理由は、真祈りしてへんからや。だから真祈りしようねって、真祈りが難しんやったら、簡単な真祈りの方法はこれやでってテレビショッピングでやっているだけや。ここで特別に値引きして、この値段でどうかと言うのを特別に真祈りを簡単にして、「印可書」奉読にしました。特別に真祈りを簡単にして、「宇宙神ありがとうございます」と手振りにしましたって、そんな感じでテレビショッピングをしているだけや。選ぶ、選べへんは自由や。だから、そんなテレビショッピングを見て「『宇宙神ありがとうございます』と言ったって真祈りになれへん。」と思う人はしたって意味ないよ。
でも、その人は(真祈りにならないと思う人は、真祈りできないと思う人は)ここにおったらあかん、邪魔になるから。神さまの邪魔をするから。先生を信じてないやん、それやったら。先生を信じてないんやったら、ここにおってもしゃあないやろ。何しに来てんねん。村人だけちゃうで。みんなもそうやねんで。護摩でもな。
せやけど、みんな、それが力がある神さまの御心を行ずることだって(心のどこかで)分かってるから、護摩に参集してくれるんでしょう?そしたら、村人はもっとそうしてくれないといかん。だって神さまお陰で生かして貰ってるんやから。
だから山の神さまが、もう今年が、もう去年の秋口ぐらいからどんどん怒ってくるのね、おまけが減ってきたから。おまけが減ってきたから、「真祈りせんと木を切っておる。」って言って、もの凄い怒ってるんだけどね。そのうち色々あるやろうけど、そうなる前に真祈りしてほしいから、もう言ってるわけ。
で、全然村のことを僕が知らんと思ったら大間違いやで。ここを立ち上げる時から全部知ってるんだから。そのためにどんだけ走り回ったか。なのに嘘をつくからね、怒るんです。嘘をついてごまかそうとするから。ごまかす気はないのかどうか、知らんかったから嘘になってるんか知らんけど。でも、知らんかったでは通らんことばっかりや。
まあ、そんなこと済んだことはいい。でも、そんな済んだことはええから、これから真祈りしようって言ってるだけや。それが分からんのやったら、村人は出て行きなさい。真祈りを信じられないのやったら、ここにおってもしょうがない。ここは真祈りを信じる人だけが参集して真祈りする場所です。
護摩のない日は護摩のない時は、ここでみんなが真祈りする場所だから。その場所で真祈りを信じない人がおるんでは困る。先生以外の本を配るようでは困る。いいかげんにせえや。何をどう思ってるか知らんけど。
質問 例えば、これから先のことで。大変になってから慌ててこの真祈りを…
河上さん そんなもんね、例えば代表的なものやったら富士山が噴火したら大変でしょう?その状態で、噴火してる状態を無視して真祈り出来るんやったら大丈夫。でも、もう気になってしょうがないやろ?実際に、もうそれこそ、あの阪神大震災クラスがね、同時に3つぐらいババンと起こってね、その状態を無視して、や。無視せんと消えへんね。無視して真祈りできたらいいよ。出来へんやん、気になってみんな。だから、そうなる前にって言ってるだけや。で、出来へんから、みんな噴火や地震やらを掴むでしょう?掴んだらまた起こるわけよ。
で、もう、あとは相乗効果でね、もう次から次に起こって、そしたら食べ物がなくなる。食べ物がなくなると奪い合いになる、奪い合いになると戦争になる…の繰り返しよ。ヨハネ伝(黙示録)やったかな、ほら最後のハルマゲドンの描写があるじゃないですか。ね?あれはそういう意味です。現実を掴む癖のある人ばっかりいてたら、ああいう感じで一気に最後までいってしまう。
宮野さん 先生がおっしゃっていたね。「地震、もう終わってるやん。何もないやん。」っていう…
河上さん そうそうそう。あの3.11のときにね、「ちょっと揺れただけやないか。」っておっしゃってたあれなんすよ。先生はあれを、みんなは「なんで先生止めてくれなかったの?」やねんけど、違うやろって。みんなが真祈りせえへんからどうしようもなくなってきたんや。で、今はもっとそれが進んでいるわけです。 本当はもう、皆、のほほんとしてるからね、先生が亡くなられたから、あとは僕が1人、ドンと祈ってしようとしてたら、先生からえらい怒られたわけですよ。「お前の1人で真祈りしてどうするんや。」って。「ええかげんにせえ。」って言ってね。「それを身勝手って言うんや。」って言って(怒られた)。
でもみんな自由意志があるのに僕の話聞きませんやんって言って、もう。「聞きませんって決めてるお前が悪い。」とまた怒られてな、色々あるねん。あるから、ひたすらテレビショッピングしますけど、何を選ぶかは皆さんの自由です。
宮野さん 先生が1人1人に降りたったんやって。
河上さん そう。降りたって頂いたのに、それを受け取れへん、受け取るもなんも自由やけどね。
宮野さん 真祈りしやすいように降り立ってくださった。ただ役割は皆さん違うから、ずっと前に河上さんが言ったみたいにね、小っちゃな灯もあれば、懐中電灯で言いはるよね、大きな光もあれば小っちゃい灯も要るよねっていう。しかも役割が皆さん違うから、それぞれのお祈りが真祈りが絶対必要。だから先生は皆さん一人一人に降り立ったと。
降り立っていらっしゃらない方は誰一人いない。でも、降り立ったからって何がどうなんっていうのは、多分誰にも分からないと思う。分からないけど、ただ淡々と真祈りするだけと。それが報い求めずっていうことかなと思いますが。
河上さん そう。結果を掴むな、現実を掴むなっていうのは報いを求めてるからや。もうそれに尽きるわけ。だから、「なんで地震揺れたの?」って掴むとね、報いを求めてるからまた揺れるの。要するに何で地震揺れた?って本当はみんなのせいや。なのに神さまのせいで揺れたみたいにみんな勘違いして。あの3.11の時でもね、そういう質問になってたんや。 先生はそれを笑ってごまかしてね、その人が(揺れたのは、神さまが、したみたいに、決めつけて)それ以上マイナスを積まないようにと思って、笑って笑ってごまかして、ああいう説明してくださったわけですけども。3.11の時の録音を、また皆さん聞かれたらいいと思うけどね、ここでみんな集まって聞いたわけですけど。どっちにしても現実を無視できなあかんの。済んだことはもうええねん、常にね。もうええから、これからどうするかやねんけど。これから真祈りしてくださいってお願いしてるだけ。
村人も一緒です。済んだ事はいいから、これから真祈りしようとしてくれないと困るっていうことをね。なのに自分は先生からこう聞いたっていう人がおるから、今まではあんまり言うと、その人を責めることになるし、かわいそうだと思って言わなかったけど、今はっきり言いましたけどね。
先生から直接お聞きしてんやったら、なんで真剣にしてなかったか。真剣にできなかったんやったら聞いたという意味にはならない。先生は一度しか言われないからね、いつも言うように。聞き逃したら終わりやし。幸いにして聞いたんやったら、なんで本当に命がけでやらんかったか。それは先生を信じてない。頼ってるだけやからや。甘えてるだけや。甘えてる人間が、自分は先生からこう聞いたってね、言って、神さまの働きを邪魔してもらったら困る。
これからはおまけないから、それなりのことはその人の体に表れます。僕がするんと違う。神さまを邪魔したことによって、神さまの光を受け損なって肉体の調子が崩れる。今まではおまけがあるから、神さまの事なんかないわっていう人でも、ちゃんと肉体が維持出来るようにして貰っていただけです。おまけは村人だけじゃなくて全人類に対してのことですよ。 これからは、同じようにワクチンを打っててもね、神さまの光を受け損なってる人はどんどん色んな症状を表すし、神さまの光を100%受けている人は何回ワクチンを受けたって全然影響を受けません。当たり前や。ワクチンで生きてるんと違うもん。神さまの命、光で生きてるんやから。で、神さまの光を100%受ける方法が真祈りやから真祈り。でも真祈り難しいから印可書奉読と手振りと「宇宙神ありがとうございます」と言ってるだけ。
本当は「ありがとうございます」の十文字が一大循環の姿として躍動してるんですよ。ところが、みんな止めてしか受け止めないからね。ほんで「う」の言霊を入れて「う ありがとうございます」に先生にしようかと言うから、いや「う」ではみんな、あれ?って言うから、そしたら「宇宙神」でいこうということで、「宇宙神ありがとうございます」なったわけ。それによって、「ありがとうございます」がウッと動く感覚が、みんな分かるからね。なのに「宇宙神」を小さく捉える人もおるし、なかなか大変やから印可書にしたりしてるわけですけども。本当にどれを選んでいったら、「みんな光」を選んでいただいてもいいわけですよ。 でも真剣にやってみたら分かる。やっぱりやりにくいって。で、「なるほど、先生が大おまけとして出してくださったのが一番やりやすい。」っていうのは、真剣にやってもらったら分かります。やりもせんとね、ああやこうや言うのは止めていただきたい。それはこれからは本当に神さまの邪魔したことになるから光を受け損なって、自分で苦しくなるだけ。息を止めるようなもんよ。光を受け損なうというのは。 この空気がこの現世は光なわけですけども、息止めたらもう苦しいやろ?そういう感じ。神さまの邪魔したら息が止まっていって、自分で苦しむ。僕がするんちゃうから。僕にはそんな力はない。みんな神さまの光で出来てるけど、受ける受けないは、みんなの自由だということです。
で、もう一つのおまけは、このお祈りの部屋は真祈りしやすい場所にしてあるんです。護摩の会場とここはね、だからもっと、ならなあかんけど、ただもう毎日でもここに通って真祈りしてくださいっていうとね、無理して通って途中で事故を起こす人も出てくるから、あんまり言わないだけで。ゆとりある限りは、ここへ来てお祈りされる方が、やりやすいのはやりやすいです。でも無理してね、やっぱり遠距離の人ほど途中で居眠り運転なったりね、お金もかかるしね、ありますから、そこはちゃんと自分の責任の総責任者としての範囲においてね、誰にも迷惑はかけない状態で来れる方は来てください。 村人は勿論すぐ来られるんだから来てください。眠いという言い訳は通りません。たかだか朝2時間、夜2時間ぐらいなんやねんとか僕は思うけど。
宮野さん 質問。昨日の中で、隙間をうまく使う真祈りに隙間を使うという話があったと思うんですが、例えば2時間、村人だけに限らず、こちらでお祈りをするのに2時間という時間を言われてますけど。
河上さん うん10分でも1時間でもいいのよ、本当はね。ただ、ご自身の感覚としてよ、する人の感覚として10分やったら足りないんじゃないの?1時間で本当にいいの?っていうのがあるだろうから、2時間という目標に対してした方がと思って言ってるだけで。1時間なんてお祈りしたらあっという間やからね。
宮野さん 逆もあって、「たったこんだけの時間やけど、それでもいいんやろか。」って思う。それでもここに来て、1分で2分でも5分でも10分でもしようっていうのも…
河上さん 勿論ありです。ありですけど、要するに自分の職場とかね、家庭とかの周りの人に迷惑をかけない範囲で来ようと思うと、わずか1分のために1時間もかけて通うなんてのは勿体ないじゃない?っていう感じですね。勿論それでもいいです。
宮野さん 村人に関してでもです。いかがですか?
河上さん 村人はな、そんな甘いこと言うてられへん状態にあるねんって。今までしてたらそんでいけたんやって。(おまけの無いこれからは、必死で、真剣にしてもらわないと、ご自分の体に、不調がでます。)
宮野さん 今までは別としても、今ほら、これからのことを言ってるわけで
河上さん これからは、もう凄く追い詰められてるから村人は大変やねん。
宮野さん でもそのね、追い詰められてる中で、ちょっとでもしていくっていう…
河上さん 優しいね、あなたは、もう。どうぞ今決めてください。僕はちょっとトイレ行ってきます。トイレに行ってる間に決めてください。
宮野さん さっさと帰って来てね。
水車でも風車でも最初の少し動かすのを、何事もまず最初の少し動かすっていう少しずつの力が要るのかなと思うんですね。
たくさんのことをハードル上げて、今までやってなかって、さあ今からいきなり2時間、さあ今から一日中やろうって言ったって、そうそう簡単に出来るもんじゃないかなと。
気持ちはあっても、出来るもんじゃないかなと思うんで。でも最初のひと転がしからが大事なのかなと。そしたら、先ほど言った風車とか水車でも、最初は力が入らないと動かないけども、ちょっとずつ動かしてれば、だんだんだんだんと大きなものが動いていくっていうのと一緒やと思うんですね。
真祈りは、やっぱり無限大無限力なので、神さま力は絶大なものなので、最初の小っちゃな力からスタートしよう、真祈りしようという気持ちからがどんどんどんどん大きくなってくる。大きくなっていても感じていったら、もっともっとお祈りしようというふうになるんじゃないかと。
確かに河上さんのおっしゃるように、本当に切羽詰まってて厳しい状態で、昨日もかなり、こちらが終わった後もかなり厳しい状態だったんですけど、それでも皆さまの1人1人の真祈りが必要なので、ちょっとずつでもいいので来て、真祈りをするっていう。皆さん多分私○○○ですけど、知ってないわけじゃないと。皆さん知ってらっしゃるでしょうし、知ろうともなさってると思うんですけども、でも、状況がかなり切羽詰まってて本当に地球が存在するのかなっていうぐらい、危ういところまできてます。 先ほど言ったように、必ず皆さんが全然(現実を)無視出来るんであれば、現実を掴まない、そんなことが平気よ全然出来るからって。横でミサイルを撃ち込まれても全然平気よ。もっときつい言い方をすれば、身内で真横で自分の身内がいきなり爆破されました、死にました。という状態であっても、いや、現実無視できますっていうぐらいのことが平気で起こるけども、それでも大丈夫、それも必要で起こってるんだっていうぐらい真祈りができているならば、そんな必要もないでしょうけど、それが出来ないからこそ、起こる前に、皆さんの真祈りで少しでも神さまのお役にお手伝いができればということで、河上さんがかなり厳しいことをおっしゃるんですね。
決して村人のことっていうのは凄いチャンスで、村人を責めるんではなくて村人の姿を見て、村人はまあちょっとですよね、外にいらっしゃる方が多いわけですから。そしたらその姿を見て、緩やかに来ている私達はもっと時間があるんだ。時間はないですけど時間がある、少しは遅れてくるわけだから。そしたらやることが出来るんじゃないって話ですよね。 村人はあんなふうに言われてますけども、でも言われてることは実際には、私達1人1人が言われてることの方がもっと厳しいと思います。聖地にいるからって言われてますけども、でも外にいる私達が、真祈りができてないから、現実に目を奪われてる。毎日の生活に心奪われてるから、どうしても他人に頼ってるんやろね。「村人がお祈りしてへんからやろ。」もしくは、「あの人がこう言ったからやろ。」って、人のせいにする言い訳をする。それはもう一緒のことかなと思います。
全て今起こってることが全部自分の世界なんだという中で、真祈りをひたすらしていただければ、きっと私はまだチャンスはあるのかなと。でないと、こんなふうに生かされてるはずがないですもんね。河上さんの寿命を延ばされて、皆さんがここに来れる状況を作ってくださって。昨日も言いましたけど、空気を与えてくださって、こちらに来れる環境を作ってくださって。健康と生活とお金と…、ここに来るだけのものは皆さん与えてくださってるから、ここに集うことが出来るわけでしょう? 勿論、先生に対する信仰心もありますけど、信頼っていうのもありますでしょうけど、先ず、こちら来れるっていうこと自体がもう奇跡だと思います。その奇跡が、与えられてるチャンスをなぜ棒に振るのかなと。今、せっかくのチャンスなので、甲辰が進んで巳年が来たこの今、本当に際どい中を皆さんで乗り越えられればと思ってますので。
河上さんは厳しいことをおっしゃいますけど、村人に一つ任せるんじゃなくて(村人まかせにするんではなくて)自分たちが支え合うことの方が大事なのかなと思います。
…けど、如何?おかえりやす。早く帰って来てほしかったわ。後ろで聞いてんと。はい、補足!
河上さん まあ、本当にもうこっちの寿命もないし、もういいやん、みんな好きにするんやからっていうことで。かなり、もうみんな好きにしてっていう感じに僕はなってたんですけど、まだまだおまけ出してするって言って、みどりさんが伸ばしてくださってるんでね。だから、今のみどりさんの言われた内容のようにして、みんなで支え合っていきたいと思いますね。
まず、例えば村人と自分をね、分けた時点でも、もうやっぱり真祈りできてないねんて。それは自分と人類を分けている時点で、もうなってない。だから、ウクライナで凄い大変なこと、ガザ地区でも大変なことになってるんだけど、やっぱりよそ事でしょう?あれを、あのニュースを聞く毎に、本当に胸がね、ズキンズキンと痛むぐらいは一体感が欲しいんです。それがないと真祈りになってないの。それくらいのものなんですよ。だから、まずそれを分かってください。
宮野さん あの、すみません。そこちょっとね、矛盾してるとこで難しいなと多分思いはる。「現実無視で置いとかなあかん。」っていうところと、さっき「自分のものとしてズキンズキンとくるようにせなあかん。」ね、そこって凄い難しいかと思うんですけど。
河上さん ああ、そうか。いいわゆるゲームの世界でね、みんな遊ぶじゃないですか。今、テレビゲームというか、あるじゃないですか。その時、ゲームをしてる自分とゲームの中は別でしょう?別だけどゲームの中を掴んで楽しむんじゃないですか。そういう感じなんですよ。金剛不壊心(こんごうふえしん)としての真(まこと)の本心の自分としての自分は、ゲームの外に座ってるの。で、そのゲームの中へ入れ子構造的に入ってね、それぞれゲームの主人公となって対戦相手と戦ったり、あるいは今のネットゲームやったら、麻雀でも遠距離からお互い麻雀出来るでしょう?そういう感じで画面の中の麻雀でやるじゃないですか。そういう感じの、もうちょっと大がかりな、この3次元の現世の世界というのをね。 現実は無視なんですけども、まず現実を掴んでる人の方が多いでしょう?で、掴んでる人の心を我が心として、まず響きを合わさないとあかん。だから、ガザ地区とかウクライナで凄い状態になって苦しんでる人の状態をね、感じて、それで真祈りしてっていうことが要るんですよ。
これは病気直しの時の、先生から教わった基本原理なんですけども、いろんな病気の人が来るじゃないですか。で、相手の症状を一旦こっちに受け止めるんです。どんな病気でも、いったん、症状を自分の体に表してからお祈りして消し去るんです。というかたちを取らないと、入れ子構造的に光が通らない。それを今までは難しかったんだけど、今年の巳年から光が全部に行き渡る年になったので、その先生からの大おまけの真祈りするだけでね、心を痛めながら真祈りするだけで変わりますから。心痛めるのも、そういう状態があるとして掴むんじゃなくって、要するにタンスの裏を照らすのにね、懐中電灯でないと見えないでしょう?サーチライトを持ってきたら眩しくて見えないでしょう?そういう感じで、弱い光にしていく時に、同じ痛みを感じないとあかんのですよ。でもそれでも何億分の1なんですよ。でもそういう感じなの。 だから掴むんじゃなくて感じ取るっていう微妙なとこですね。掴んでどうこうじゃないんだけど…、でいいかな?ちょっと質問して。なかなか説明しにくいところですけど。同慈、同悲、同喜、同捨っていうてね、慈、悲、喜、捨の心なんですけども。
宮野さん 分かりにく。
河上さん あかんな。この病気治しも伝授の部分やったからね。
宮野さん 病気直しの場合は全然私は分かる。他の人は分かってへんと思うわ。タンスの光の話とか、ちょっとこう…もうちょっと。まださっきのゲームの話の方が没頭してる自分がいるのと、そうじゃない現実は自分がいる方が、まだ分かりやすいのかなと思う。
河上さん ああ、そうやね。だからゲームに没頭してる自分で、ゲームの中に入り込んだら永遠に終わらないでしょう?
宮野さん だからアバターの状態。
河上さん うん。だから、一時的には常に本心のゲームをしてる自分に戻らないとね。完全にゲームに取り込まれるじゃないですか?そういう、取り込まれないようにするのが真祈りなの。
でも真祈りをしてると、ゲームをしないじゃないですか。ね。でも、ゲームの中に取り込まれてる人がいるから、ゲームをして、ちょっと中に入りながら、繰り返すわけですね。それを往相還相(おうそうげんそう)の呼吸法と言って、呼吸法とセットにしてやるんです。
宮野さん 往相還相の呼吸法…
河上さん だから、吐く息、吸う息、吐く息の呼吸法で、ふいごのようにね。例えば、煙があるとするじゃないですか。ふいごのように煙を吸って、ふいごの中で綺麗にして綺麗な空気を出すという。そういう感じが真祈りの効果なんですね。 だから、それは要するにマイナスをあるとして掴むんじゃなくて、マイナスをふいごの中に吸い込むでしょう?吸い込んだらマイナスはないからプラスになって、綺麗にして出せるということなんです。だからマイナスを綺麗にするんじゃなくて、一体化したら全部プラスになるの。
それはインク瓶をね、琵琶湖に入れるようなもの。インク自身は真っ黒でマイナスだとするじゃないですか。でも「絶対の中心」というね、「無限大の外、遥か彼方」という真(まこと)の本心に一体化させたら、もう琵琶湖の綺麗な水になってるでしょう?ああいう感じです。それを今、言ったんですけど。それくらい自分と関係ないわと思った時点で、自分を小さくしてるから真祈りができなくなるということです。別の言い方で言うとね。
色々と迷った時は、神書の目次を読んでください。神書の目次に大体、色んな迷った時の回答が書いてあります。その目次だけで分かる人はそれでいいし、分からなかったら、もう一遍、中の目次の部分を読まれて。声に出して読まれたら分かります。声に出して読めば、全然自分が分かってないところが分かりますから。そこはまた。質問に来ていただくなり、色々して頂いたらいいです。
(みんなが集まって、声に出して読むというのは、宗教団体のやることで、文章の一部づつ、順番に輪読するということでも、自由意志を縛るから、意味がありません。)
(おひとりおひとりが、それぞれ、自分なりに、真剣に、声を出して、読むから、ご自分がわからないところが、わかるようになるのです。また、集まって、読まないと、読めないというのは、甘えであって、真剣ではないので、いみがありません。)
(なぜ、集まって、輪読するのが、よくないかと申しますと、虚栄心が、出てくるからです。いつも、申しますように、”見栄””うそ””愚痴(いいわけ)”の、マイナスのループという、繰り返しの負の連鎖に入ってしまいます。)
宮野さん 質問に来て頂いたりって、質問に。いつどこで聞けるんですかね?
河上さん 護摩の時とか。一応僕のメールアドレスは言ってあるから。
宮野さん みんな聞きたいやん。
河上さん うん。だから答えは基本的には、メールアドレスに来た答えはここの掲示板に書いてるわけです。
宮野さん もしくは護摩の会場でお話をする。
河上さん そうです。だから、ここの掲示板に書いてるのは。僕が勝手に書いてるのと違って、来た相談に対して書いています。
で、この前のはお受験のお子さまを持っておられる親御さん達の質問がたくさん集まってきていて、それで…、あなた(参加者kさんに対して)は質問出してへんからな、分かってるよ。でも、やっぱり今はみんな大変やからね。勉強の仕方を学校で教えなくなったんですね、長い間。それは何故かというと、出来ない子を居残りで教えることが駄目ってなってね。僕らの頃は出来ない子は居残りで残して、先生が、「それは、こういうふうに考えてこうしてだから、算数を解こうと思ったら、まずこういうふうにまず勉強してね、ある程度自分なりに解いてみて、分からないところを作ってから授業を受けなさい。」とか色々と教えてくださったんです。その教わった内容を掲示板に書いたんですけども。それが今は、もう居残りが出来ないから、授業だけだったら、付いていけない子は、そのまま振り落とされるだけで、どうしようもなくなってるんで色々書きました。
で、リクルートの(スタディサプリ)は、10年ほど前に僕は見てたんですけど、この前早速調べてくださって、2800円ぐらい?月額2800円に値上がりしてるそうです。でもあれは凄くいいものでね、何べんも繰り返して見れるし、色んな科目を見れるし、でも今は科目ごとに値段がついてるかもしれんけど、それはそれなりに調べてやってください。でも、凄くいいものはいいものです。あれがあるのを忘れててね、この質問が来た時にお祈りしていてふっと思い出した。そうやった、あったと思ってね。その時にちゃんと調べて値段を書けばよかったんだけど、10年前の値段を(書いてしまった)。
だから、あいつは自分と違うんだという意識が、もうマイナスの思いなんですね。そこだけです。それって結局自分が一番正しいってね、自覚するしないに関わらず思ってるから。みんな大なり小なりそれを持ってるからね。持ってるから、ご近所のトラブルとかね、会社のトラブルとか、色々トラブルが出るの。トラブルのままで済めばいいけど、辛抱しきれんかったら喧嘩になっていってね。国会の論争を見ててもそうでしょう?歯車の噛み合わない論争をしてるわけ。 本当はみんなで支え合ってやから、大きな国のレベルで言うと、みんなが10のうちね、2とか3を辛抱したら一番うまくいくわけですよ。せやけど、自分のところが一番良くなるようにって主張しあうわけでしょう?国会なんかはね。そういうものです。だからまず真祈り。
「みんなが完璧なる一つ」とか、「真(まこと)の神さまと一つ」とか、理屈で言えば、そうかなあ、なんですけど、理屈で分かっただけでは、さっきの「先生から、こう聞いた」というのと一緒よ。理屈で「先生から、自分はこう聞いた。」、「手振りは要らんって聞いた。」っていうだけやね。手振りが要らんって聞いた人は、手振りなしで必死でやってみたら、手振りが要るんかどうか分かるから。もう一辺先生が生きていらっしゃる時やったらね、「やっぱり先生、手振り要りますわ。」って言うていかないとあかん。
せやけど、聞くだけ聞いてせえへんやろ、みんな。その人を責めてるんと違うで、みんなそうやもん。先生の話ね、聞くだけ聞いてせえへんねん。それでも、先生はそれを神書に残してくださったんや。でも読みもせえへん。読み方も分からん。(先生は)神書は声を出して読むようにって指示してるんだけど、(先生は相手の自由意志を縛らないから)1回しか言えへんからみんな聞き落とす。もう色々あるけど、済んだことはいいから、これから色々工夫してやってください。
例えば真祈りすると眠らなくて済むとかね、いろんな現象が起こってきますけど、そういう一時的、一時的じゃないんですけど、そういう現象を一つ一つに心奪われたら駄目なんですよ。なぜかというと、本当に真祈りというのは無限力だから、そんな一時的な、そんなんだけとは違うの。もう、もっと凄いもんやねん。せやけど、光が見えたとかね、幸せいっぱいの気分になったとかのところでみんな止まるの。それが終着点だと思って。そうじゃなくてもっと凄いからね。どの姿も、例えば光が見えたら喜んで感謝してたらいいだけ。眠らなくて済んだら喜んで、眠らなくて済む分だけよく勉強出来るとかね、感謝してたらいいだけ。一々人にも(他人にも)言わんでいいし、只々、どの時も神さまが一番良いようにしてくださってるから喜んで感謝して、それを楽しんで、どんどんどんどん奥へ入っていかなあかん。それが真祈りです。
だからどの状況が起こっても喜ぶだけ。せやから逆に言うと、真祈りして凄く痛くなったっていっても、それを喜んだらいいの。そしたら、その痛みだけで消えたということやから。そこがね、なかなか痛みになると、みんな文句言うからね。それで、痛みにならない時に、みんなで真祈りをしようねって、一生懸命今言ってる。
もう、いよいよ今年からは待ったなしやからね。いざ痛いのが出てからな、それを無視して真祈りするねん、それが真祈りやって言うよ、僕は。言うけど、本人は、痛いし、そんなもんって言って、どうしようもないやんかっていうことです。
だから、自分の都合は横に置いといてっていう意味は、そういう意味なんですよ。痛みがあろうが何があろうか自分の都合は横に置いて真祈りするねん。そしたら本当に消えるんよ。せやけど、「この痛いの消してくれ!」って言ったら、もう自分の都合やから消えへんの。自分の都合を優先するのは現実をつかんでるということよ。神さまは一番良いようにしてるんだから、今のある状態に文句を言ってもしょうがないの。 だって、例えば収入が少なくてもね、食べて生きていける状態にして貰ってるだけで良かったやのにな、まだ文句を言うから喧嘩になるんやろ?また村人に戻って申し訳ないけど。な、もうそんなもん文句言うてる暇はないんやけど、みんなは自分の都合を優先するから文句になってくる。
だから文句が出た時は、思い巡らしてるからってね。自分の都合は横に置いといてって、神さまの都合を優先してって。神さまの都合って真祈りですっていうことを一生懸命言ってるだけで。
それでね、本当に印可書奉読をひたすらしてたら、印可書奉読は神さまのお手伝いということを信じててよ、あるいは手振りを入れながら「宇宙神ありがとうございます」、勿論(手振り)入れなくてもいいよ、「宇宙神ありがとうございます」って言ってお祈りすることが、真(まこと)の神さまのお手伝いって本当に信じられたら、無限の知恵が本当に涌いてくるから。同じ仕事をするにしても、トラブルなしに効率よく収まるねん。すると、人の3倍じゃなくて人の10倍働けるようになる。 先生が人の十倍働きなさいっていうのは、普通は試行錯誤するわけでしょう?こっちやってみてあかんから、こっちでやり直そうとかあるわけですけど、本当に真祈りしてたら、全部透き通るように見えてな、スススっと行くの。行くから、かかる時間が10分の1になって、何でもこなしていけるようになっていくの。また逆に真祈りしてると、どんどん人が助けてくれるの。で、人の10倍働けるようになるんです。人の3倍はね、自分が寝る間も惜しんで死ぬ思いで働いたら人の3倍は誰でもできます。でも10倍となると真祈りしないと出来ない。
でも、その教え方では通じないから、もっと簡単にね、印可書奉読にしてくださったわけです。印可書奉読を信じてやって頂いたら、あるいは「宇宙神ありがとうございます」を手振り無しでも(手振りありでも)信じてやって頂いたら、本当に知恵が涌いて、今言ってる意味が今年はよく分かる年です。ダイレクトに出ます。
逆に言うと、信じていない人は光を自分がよう(うまく)受け取れないからね、どんどん体が不調になるだけです。で、真祈りを広めることに失敗、要するに、ここに集ってくださっている皆さん方の真祈りがうまくいかなかったら、人類の7割が死滅する状態までいきます。光を受け取れないからね。勝手に枯れるんよ。今まではおまけでみんな生かしてもらったんだけど、ここだけじゃなくて全人類がそうなんだ。 だからここの人の真祈りが本当に大切なの。で、ここの人の真祈りが響くとね、本当にみんながね、助け合うのがいいんだって分かるのよ。理屈抜きに。理屈で分かってたってみんな出来ないの。やっぱり家族大事、子供大事ってなるからね。でも真祈りしたら、理屈抜きに助け合うだけでいいんだって分かるの。そしたら、今の受験の問題でもね、子供同士で教え合いしたら一気に理解できて、みんなの学力は上がるんよ。でも今は、教え合いしたらもったいないみたいな世界やからね。余計うまいこといかない。
で、もうそんな、そのレベルのことは、もうスタディサプリに任して…、違うか(笑)
宮野さん 回し者?リクルートの回し者やな(笑)
河上さん 数学をちょっと復習したい時に、10年ほど前ですけど、それを使ってよく分かったんでね。分かったけど、コロッと忘れてた。もう本当にいろんな意味で今忙しいからね。
令和7年1月2日河上さんお話−2(2025年1月2日−2)
質問 はい。1点、意識の確認です。この度、本当に久しぶりに勉強会をして下さって本当にありがとうございます
河上さん うっかり返事したらずっとせなあかんから今ちょっと、詰まったわ。(笑)
質問 それで改めて意識の確認です。神書の方に甘えの心は本心開発を妨げるっていうのがございます。
河上さん そうそう。
質問 で、護摩で質問を受けてくださっているっていうことがあるんですけれども、やっぱりその、そこに甘えがないか?
河上さん いやそうやねんで。そやねんけどね、まず、神書読もうというみんなのこのワッていうあれが湧き起らない限りは、あるいわ神書読めないけど、先生のテープはね、録音はみんなで聞きましょうというも、まだ湧き起こってへんから、もう甘えがあるのは仕方ないと思ってしてます。
結局、みんな全人類の自由意志の総合で人類の運命決まるわけですけども、甘えがなくなっていかなかったら僕の真祈り足らんかったせいで、申し訳ないけど滅びてください。それだけです。(笑)いやほんまやて。ほんまの話。本当にそれだけです。ただ、巳年ですので、みんな心の中に光を染み込ませる年になったんでね、大丈夫だと思ってますけども。
質問 こういうことを、状況説明するのはよくないのかもしれないんですけどけども、私自身の問題と思いながらお話すると、やっぱりそこにいくら質問をしても、やっぱりそこに甘えがあると結局どんどんどんどん欲望が湧いてくる。それただ、あの冒頭におっしゃったように、思い巡らすにしても、自分の都合で思い巡らすのか、それとも神さまの意識というか神さま・・ 河上さん うん。
質問 思いめぐらしっていうのがやっぱりあると思っているんですけれども、自問自答するっていうことがとても大切だと、やっぱりこういう本当に一緒に勉強させていただくお祈りを一緒にさせていただけるチャンスっていうのはすごく貴重なもので、やっぱり今一度、この貴重性っていうのをやっぱり、しっかり受けとめるというか、 河上さん うん、でもそんなんな、分かる人は分かるけど分からない人分からないから。 質問 わかりました。はい。なに言ってるかどうかですけど。 河上さん その真剣さというのはな、もう、その人の自由意志やからどうしようもないよ。例えば私は「宇宙神ありがとうございます」って聞いてるって言うて、言う人がおったわけでしょ、さっきの話だとね、手振りなしでね。ほんだら本当に真剣な人やったら、先生からそれを聞いたら、必死で「宇宙神ありがとうございます。」ってするよ。聞くだけ聞いてせえへんだけ、真剣でないし、無責任や。ね?自分がしてないのにこういうふうに聞いたんだ、手振りはいらんのだって人に言うなんてもっと無責任よ。先生から手振りいらないって聞いたって言うんやったら、まあ手振りの話をよけといても「宇宙神ありがとうございます」。って聞いたのだったら、真剣にしろよ、してから人に言えよ。真剣にもせんと人にどうこう言うのはもう無責任極まりない。
印可書奉読は先生から最初に出して頂いたのを真剣にしてみて、これは、光強すぎて読める人少ないですからって、先生にお願いして、もうちょっとしてくださいって言ったら、あとは「お前が作れ」って言われてやっただけでね、やっぱりこっちが真剣に試してみて試してみて、よりやってみて、ほんで、先生にお願いしたから、先生も答えてくださったわけで、その中で作り上げたものを先生お見せしたら、「本物が現れた」って、もうすごく喜んで頂いてというそれだけです。 何を先生がどう聞いたか、色んな人おるからね、あれですけど、聞いてんやったらなぜ実行しなかったか?実行してから人に言え。せやのに実行もせんと印可書は駄目だとか、いうのはもう無責任を超えて神さまの邪魔してることに今年からはなるから、色々と大騒ぎしてます。 今まではおまけがあったからまあまあですんだわけですけどね。そうでしょ?先生から聞いたんやったら、まず自分が責任持って真剣にやってみて、そこからや、人に言うのは、それを無責任に自分がやりもせんと「こうやってんで。」って噂話じゃないねんから。いやほんまの話や。笑っているけどな、噂話だったらそんなもんや、「ああやってんて、あの人あんなにしてんてー。」ってやるけど、これは真祈りやから、真祈りを弄(もてあそ)んでもらったら困る。
質問者 ありがとうございます
質問 先ほどの噂話なんですけれども、神書で先生はっきりと(神書339p:人の噂は決して信じてはいけない)・・
河上さん 書いてるよ。神書に書いてあるけどな、みんな神書読まないもの。だから、中身を読まなくていいけど目次だけを見てくれって言ってるわけよ。目次見たら、ともかく概略はちゃんと分かるから。その目次の見てズキッてくるからね。ズキッときたら本文読める。
宮野さん: みんな都合悪いからね、読みやすいところから読む。自分にとって差し支えないところから読む。ズキッと来たところ読めない。(笑)
河上さん まだそれでも読むだけマシや、読みもせえへんみんな。本当はね、先生は残された金で神書を一杯刷ってくれっていうことやったんです。そやけど、村人の自由意志に任せてくれやったんで、ずっと黙ってます。それぐらい神書は凄いものなんです。どうぞ。
質問 神書の話が出ましたので、この前から読んでいてちょっと一度お聞きしたいなと思ってたところなんですが、193ページの「全大宇宙は一大調和のパノラマ」という所で十界ですね、地獄界から仏界まではそのままで、宇宙絶体神の全徳が、無限の無限の輝きを持って光一元に表現されている最高傑作なんです。そのままなんですが、十界は本心が種まかれ発芽し、成長し、花開き、実を結ぶ、その成長過程の全てを表現しているわけですということで、十界とお聞きしますと、何故か、あの虚の世界というイメージがすぐしてきます。 河上さん だから、真の世界の十界があってね、ほんで、どんどん入れ子構造的に虚の世界の十界まで、簡単に言うと一直線で、本当はもう枝わかれしてもっと凄いんですけど、簡単に説明すると真の世界の十界があって、で、一直線状に螺旋状ですけど、その流れのままで虚の世界の十界がある。だから虚の世界の十界の地獄といえども、完全円満完璧大調和の姿。 その地獄の阿鼻叫喚の姿をね、あの苦しい大変な世界だって見えてるでしょ?みんな。見えてるのは自分の心のマイナスやね。真のプラスの言葉で見たら、どの姿も完全円満完璧大調和。だからほら、遊園地のね、お化け屋敷、あれ怖いようにしてあるけど、ちゃんと燃えないようにしてあるやろ?ああいう感じで見えるね。あの地獄がね、遊園地のアトラクションのように見えるわけよ。そうでしょ?わざわざ怖いジェットコースターに乗るんやろ、わざわざ何かほら、この遊園地でもね。地獄もわざわざ怖いのを体験しに行ってるわけよ。そういう意味では、完全円満完璧大調和や。 もし大調和でなかったら、地獄行ったら命が消えるわけよ。消えへんやろ?毎回針山登ってはまた楽しかったよって言って、また登らされるわけや。それは人を責める心の人は人を責めるのが楽しいから責めてきたわけよ。ね?その楽しみを地獄でもう一遍楽しませてあげようと言うて針山登らせてもらう。それで人責めるのは楽しくないわって分かったら登らなくて済む。 でも、いつまでも、俺がこんな針山登らなあかんのは、あいつのせいや、って責めていたら、何べんも登らせて貰えるけども、命はなくならないでしょ?それで完全円満完璧大調和。ちゃんとみんなが勉強出来るのは凄いアトラクション。で、それすら嫌だという人は、犬猫に落ちるわけで。犬・猫に落ちたら、努力向上する気持ちがないということだから、二度と人間に戻ってこれない。そういうことなんで人間に戻ってこない理由はね。 みんなね、何やかや言ったって、赤ん坊のときは歩けなくて喋らなかったのに、努力向上する目的を持ってて出来たわけですよ。それを放棄するのはもう人間を放棄するっていうことや。で、人間と動物の違いは何かいうと、動物は出来るか出来ないかの判断しかしない。コンピュータも一緒なの。AIっていうのはね、出来るか出来ないかの判断しかしない。ね?でも人間はね、やるかやらないかを決断出来る。 それを分かり易く言うと、飛行機のない時代にコンピュータがあったとしましょう。わかりやすく説明するために。ほんだら、その当時の飛行機ない時代のコンピュータに「人間は空を飛ぶことが出来るか?」って聞くと「できません」って言います。当たり前やろ?データがそれしかないから。またその当時の大半の人も「空飛ぶんや」って言ったら「あほか!こいつ。なんで人間空飛べんねん、鳥やないのに」って言うわけでしょ?でも、やるかやらないかで「やるんだ空を飛ぶんだ」って決断したら、夢を持ってね、色んなことを考えて、リリエンタールとかあったわけでしょ?ちゃんと空を飛べるようになるわけじゃないですか。その違いなんですよ。 動物は受動的なままで、進むことはないの。でも人間はどんどん進めるわけ。で、それを放棄したら動物に戻る。それだけ。で、それを放棄しないように地獄で楽しましてですね、頑張って、その努力するというのを覚えるわけ。でも自由意志を大事にするからね、地獄が嫌かどうかは聞かれるわけ。「嫌です」って言ったら、犬猫になって終わる。本人幸せやで。勉強せんでいいし、ご飯もらえて寝るとこあって、可愛がって貰えてやから。 質問 真の世界に十界があるっていうのは、ちょっとわかりづらい。
宮野さん ああ真の十界って言い方
河上さん 真の十界というのはね
宮野さん 基本的には十界です。 質問 十界が真の世界にあるというのは分からないです。真の世界と、真の世界にある十界とは違う、表現が違うので。
河上さん うーん、だから、真の世界というのが、人間の英知を超えた世界なんですけども、無限の無限の輝きで、無限の無限の幸せのね、無条件の世界。無条件ということはありとあらゆるものがある、ありとあらゆる表現があるわけ。 例えばね、この現世(うつしよ)もそうですけど1年中桜咲いていても面白ないやろ?桜が散って、夏は夏の花が咲いて、春は春の花が咲いてね、もうあの秋は秋の花が咲いて、あるわけでしょ?それが楽しい。そういう感じでありとある表現が常に現れては消えていくのが真の世界です。
だから、真の神さまが一瞬一瞬新たに現れて、同じ真の神さまは二度とないって言って、先生が書かれてるわけです。その中で十界としてね、色んな表現がバーンと広がって、一瞬で消える。「三千世界一度に開く梅の花」っていうんですけど、梅というのは真の神さまの命そのものの表現なんです。で、あるんですけど、梅、うずめるとか,動くとか、目で見るとかね、そういう色んな言霊が梅という響きに入ってるわけですけども、そういうものなんです。だから、その一大循環の世界が真(まこと)の世界ですけども、それ、光輝いた光だけの世界と思ったら違うわけ。光で出来た色んな表現、それを現世に移してきて、色んな表現が固定化してるように見えているけども、この現世といえども、サラサラと流れているわけ。だから人間歳とる。これ固定化していたら歳取れへんで。固定化していないから歳とるし、いつも言うように怪我しても、内側から治るわけ。サラサラと流れて、ね?そういう意味で、いいですか?
質問 はい。分りました。もう一点お聞きします。今日ですね、来るときにCDを先生のCDを聞いていたんですが、「まあこの世の中はあちらの世の中を助けるための縦穴なんだ」と、いうお話がありまして、で、ここがあるがゆえにあっちの世界を助けることが出来ると、この世はこれからなくなりますよね。
河上さん そうなんですよ。 質問 だからその場合、助ける役目が。
河上さん ちがう、ちがう。もう全部一旦消すの。
質問 あちらの世の中も含めて?
河上さん うん。地球霊王さまの体ってね、地球だけ違うねん。全宇宙全部地球霊王様の身体っていうの。ほんで、この今いらっしゃるこの秒速30万キロの現実という現世というこの世界は特殊な世界でね、松下先生のような凄い方も、大悪人も同時に共存出来る場所なんです。これが、あっちの世界、あの世行くと、もう完全に分かれて、同じ者しかいない世界になるわけです。で、向こうの人は全部この地上を見ているの。地上を見て、真祈りを見て悟っていくの。だからこの世が大事なの。 だから先生がこの世に降りてきてくださって、真祈りの伝授をしようと必死にされて、上手く行かなかったから、「後任すわ!」って言われたから、「いやそれはあかん、何か作ってもらわないと」と印可書とかね、あったわけで、印可書受け取れへんから「宇宙神ありがとうございます」とか後、流れが今回あるわけですけども。その最後のおまけも選ばないんだったらみんな好きにしたらいいし、一旦この秒速30万キロの映画館は、解体します。
新たにどうするかは、もうみんな落第やから言うたって仕方ない。勿論それで終わりちがうからね、新たに、又、ありますけども、その時はみんな落第してるわけよ。落第してもらったら困るから、新たに建て直す、映画館にまた入って貰いたいから、色々と言ってますけどもね。新たに入る映画館に、新たに作った映画館に入る通行手形が印可書なんです。だから先生は通行手形って書いてくださってるわけで。でも何やっても、みんな、もっと自由やからな、「好きにせいや」って言うてんのに、翠さんが「もうちょっと、もうちょっと」言うから、優しい。「もうええやん」とかと思ってる。
質問 はい。あの以前も同じような質問をさせて頂いて、そのときの答えも覚えているんですけど。そのときの河上さんのお答えも覚えているんですが、昨日今日とお話を聞き、そしてそれ以前からお話を聞いている中で、もう本当にいよいよ本当に切羽詰まってきているっているのをひしひしと感じるんですね。それで私自身の個人のことを言うと、私は講師という仕事をしていて、そしてそれ以外にいくつかの団体や活動の代表っていう立場でもあってその講師とか代表っていう立場っていうのは、良きにつけ悪しきにつけ影響力があるんですよね。
河上さん はい。 質問 集まってから来られる方々に影響力がある。私はなぜそういうことをやっているかっていうとこれはただ一つ。ご縁ある人がみんな本心開発の道に繋がることっていうのを思ってやっています。なので自分の講座とかではあの印可書の奉読から始まり、神書の音読で終わるというようなこともやっているんですけれども、それは自分の思いでやっていて、集まって来られる方々はもう印可書とかはもうそらんじてらっしゃるんですけれども、中には、今先ほど甘えのことについての質問もあったんですけれども、どう言ったらいいのかな。それぞれに温度が違う中で。
河上さん 甘えのレベルが違うでしょ?
質問 はい。その中で私はもうこんな切羽詰まってる中でね、同じことをずっとしていてええんかなっていうことを凄い感じて。 河上さん 同じことをし続けるしかないって。だからいわゆる落語しか聞けん人もおるわけですよ。そういう人には、落語のレベルで光を通さなあかんしね。だから巳年なんですよ。落語のレベルでも光が通るようになった。だから色んなレベルを使ってやっていかなあかんから、みんなの真祈りがいるんですよ。それだけなんです。だから今までと同じようにやって頂いて大丈夫。必要に応じて必要な知恵が湧いてね、必要なことを、またさせられて、どんどん忙しくなるだけで暇にはなりません。楽はさせて貰えないですけども、そういうことなんです。
質問 以前も、いや、今のやっていることをそのままやるようにっていうことなんですね。
河上さん 必要であれば閉じれるし、
質問 閉じれるし?
河上さん 閉じれるし、それは自在にできます。
質問 なるほど。
河上さん 勝手にちゃんと収まるからね。だからそれは、考えなくて、いいから兎も角ひたすら祈って、今まで通り進んでいくだけ。それだけです。そのひたすら真祈りしいてることによって本当の知恵が湧くからね。自在に動けるんですよ。それが自分の都合ちょっとでも混ざってくると、不自由なるの。で、何よりも自分の都合が混ざるとね、人情が入ってきてね。見捨てにくいねん。こういう言い方をしたらあかんけどな。
質問 そこをお伺いしたくて。それを私は咎めずっていう気持ちで行こうと思っているんだけど、でもやっぱりさっき言ったみたいに色んな温度差がある中で
河上さん そう甘えの多い人にはね、もうもう巳年過ぎちゃったから、ずばっと「真剣になれへんあんたはどうしようもないねんけども、真剣に選ぶか選ばないか、あんたの自由やからか、勝手にせいや」でいいわけですよ。「好きにしいや」っていうことで、そういう時代に入ってしまった。今までだったら、先生から「宇宙神ありがとうございます」って聞いています、っていうだけでね、もう「そうか」ってほっとくわけですけど、これからは本当のこと言わなあかんね。
先生からお聞きしたんやったら真剣に命がけでやってみいや。「やってから人に言え」っていうね。それと一緒で受け取りに来るんだけど受け取りに来た人にね、要するに三回までは同じ答えしていいです。
質問:三回?
河上さん 甘えてる人は同じことを何回も聞くからね。三回過ぎたら、はっきり真剣になってもらわないと、これ以上はあんたが進みようがないから、進まない。どこ、どの道を選ぶのもあなたの自由であるから、選ぶ道だけは示して、見捨てたらいい。もう時間がないからね。
質問 時間がないっていうのを凄い感じていて。
河上さん だからより真剣な人を大切にしていかなあかんのでね、真剣でない人は見捨てていくしかない。別にこっちが見捨てるということではなくて、真剣でない人は今年から光を受け取れないから、勝手に病気とか運命が悪化してね、落ちていくの。その落ちていくのを、もうおまけで助けんでいいというのを見捨てると言っています。
質問:はい、わかりました。ありがとうございます
河上さん 突き放してじゃなくてね。あくまで「こっち行った方がいいね」とかいうのは勿論言うたらいいんですよ。「真剣になった方がいいね」とかね。
質問 ありがとうございます
河上さん だから村人責めて言うてるのと違って、みんなそうやで。先生から聞いたって実行せんからこんなややこしなったんや。もうそれだけや。本当はここで、「ありがとうございます」って祈るのね、朝、2時間、夜、2時間しいてるだけでも悟れたんや、そんなに楽な時代があったんや。とくに村人はここに住んでいるから、一番早く悟れた時代やねんけど。それをみんな失っただけ。失ったけど、もうちょっと何とか拾えって言うからしてます、っていうだけで、どれを選ぼうと勿論みんなの自由です。ただ本当に今年からはおまけがないから、神さまを拒否したら拒否した分だけの状態を自分で選んでいっているだけです。
だから神さまを100%受け取るのどうするのって言ったらそれは印可書奉読か手振り付きの「宇宙神ありがとうございます」か、勿論「宇宙神ありがとうございます」で、やりたいのであれば、やったらええやん。やってみたら分かるって、受けにくいっていうのが。 僕は「天の造化主の尊、産霊精霊守り給え、幸はえ給え」でスッといったからね、あれでええねんけど、そのあれがなぜ先生お使いならなかったかいうたら、天の造化主の言霊の響きがみんな受け取れない。産霊精霊の言霊の響きは受け取れない。護り給え、幸え給えの言霊の響きは受け取れない。意味もわからずに読んでもしゃあないからダメやってん。
出来るだけ意味をわかって、言霊を響かせれるということで今の状態になってます。だから「神の御光,御力、御命」でいくっていう人はいったらいいけど、「神の御光、御力、御命」っていうのはもうその言霊として凄い響きやね。みんな受け取られへんやろ?ほんで先生やめはった。 受け取れたらいいけどね、受け取れたということは信じ切れるという事。全て「神の御光,御力、御命」で信じれるかや。そんなん言うたって都合悪いこと一杯あるやんってみんな、つい思うね。思たっら、「神の御光,御力、御命」の祈り言葉が効力を失うわけ。印可書の奉読も一緒や。印可書の奉読したら、神さまの光を100%受け止めて神さんのお仕事のお手伝いになるって信じきれなかったら、それはもう無意味やね。
それは「宇宙神ありがとうございます」もそう。「宇宙神ありがとうございます」もすることによって、神さまのお手伝いなるって信じ切れるから役立つね。信じ切れにくいから手振りを入れたわけ。手振り入れると、いらない思い入れにくいから。でも、それはそうして神さまのお手伝いになっているって信じきれてこそ役立つのであって、真祈りになるんであって、ただ言うたらええんやなって言ったら、(自分の都合を入れているから、無条件でないから)それ真祈り違うやん。神さまのお手伝い違うやん。それを「神さまのお手伝いとする」って先生が真の神さまと約束してくださったんだから、それを使わなあかん。 その五井先生のところの世界平和の祈りがね、なんで上手く行かなかったと言うと、五井先生が世界平和の祈りのところ光一元とするという神さまと約束してくださったわけですよ。でも、世界平和の祈りをしたら光一元になるというところをお祈りする人が信じきれんかった。もっと簡単に信じきれてやれるものということで、今ここにきていますけどね。白光真宏会の方は勿論、あの世界平和の祈りで行きたかったらそれ行かれたらいいんですけど、そこをまず信じきれることです。この祈り言葉を祈れば光一元なんだって。どんなにマイナスが見えたって光一元なんだって、信じ切れたら「神さまの手伝いになっているんだ」って信じきれればいいんですよ。 でもみんなお祈りしながらね、あの嫁があんな文句言うたからとか、お母さんが「こんなんせよ」なんか言ってるとなーとかな、色々あるわけよ。それに心奪われたらあかん。お祈りする時は、それだけです。 宮野さん 湧き上がるのと、心奪われるは違いますね。
河上さん そうそう、だから心の底から色んな思いが湧き上がってくるんよ。うん。その湧き上がってきたのに、心奪われずに祈れるようにしてくださったのが、印可書奉読であり、「宇宙神ありがとうございます」や。その湧き上がってきていても、神さまのお伝いになっているよって先生おっしゃって下さっているんだから、そこを信じきれんのやったら、そんななんぼ「宇宙神ありがとうございます」とやったって一緒や。 せやけど、本当はね、先生から言われてんやったら、もう信じるとか信じへんと違ってね、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」って突っ込まなあかん。とことんな。そんでとことんやってみて、「やっぱり無理なんです」って言ったときに先生が後押ししてくださったんや、ほんまはな。僕のときと一緒で。なのにみんなそこまでとことんせえへんから。そやけど、今はな、通行手形として印可書奉読とね、あるんやから、やってみてください。
質問 先生が真祈りに対して決めてくださった、あの、これが神さまのお手伝いになるんだよって決めてくださった。そのことを信じるからこそ真祈りになるんだよ…
河上さん そうそう。今まではね、信じ切れんかっても、どうしても信じれんかっても、護摩木作ってくれたら、護摩木のお金出してくれたら、真祈りするという大おまけがあったわけです。でもあの肝心の村人が、ね、どうしようもなくなってしまったんで、こういう状態にもう一辺先生が追い込んで来たの。もうあんまり甘い大おまけあってもしゃあないと、ほんだら護摩木さえ作っていたらいいんやろう、護摩木さえ書いてたらいいんやろ、ってなってしまったから。護摩木を書くことがお手伝いなんだ。護摩木を作ることは神さまのお手伝いなんだって素直に思ってやってたら、おまけは消えへんねけどね。護摩木作っているからええやろう。山仕事しているからいいやろう、護摩木書いているからいいやろうでは、それは違う。ということがみんな分からんまま甘えているからもうそのオマケは全部消えちゃった。
質問 今残っているお祈りに対して、真祈りに対して、
河上さん もうそう、今残ってる真祈り。最後のおまけやからね、いつ消えるかわからへん。消えたら消えたで、又、みんなで、もうそこまでは知らん。この最後の大おまけはどうしようもないんやったら、しらん。
質問 あくまでもそれは先生が言霊で決めてくださったから効力を発揮してるわけですよね。真祈りとして。
河上さん わかりやすく言うたら、真の神さまとの約束事です。せやけど、本当はそこが分かれてないんやけどね。
質問 となるとこれは憶測、ひょっとしたら、先生が決めてくださった事を信じる、お手伝いになると信じきれない方っていうのは、ひょっとすると、先生自体を信じてないから、
河上さん 勿論そうよ。先生を信じてないけど、先生に甘えて頼っている人は一杯います。ただそれでも甘えて頼ってきていても、せっかく縁があるんだからということでね、山仕事したら真祈りにするよ、護摩木を作ったら真祈りにするよ、護摩木書いたら真祈りにするよ、っていう大おまけを出してくださったわけですよ。 にもかかわらず、オマケだと思わずにね、山仕事しているからええやろ。護摩木書いているからええやろ。護摩木作っているからええやろ、ってなったから全部終わっちゃったんや。それは甘えているやろ。「させて頂いている」んじゃなくて、「したっている」やろ、「したってる」になったら全部崩れる。何事も奉読させて頂いているであって、奉読したっているというと、これは奉読でなくって、読んだっている。印可書読んだっているからええやろ、やったらそれは違う。「宇宙神ありがとうございます」手振りしてやっているからええやろ。一日二百回もやっているからええやろ。「違うやろ」、「したっているやないやろ」、「させて頂いている」「お手伝いさせて頂いている」や。そこが分からんと甘えたままやから、ぐちゃぐちゃなってきているわけ。 それでも印可書奉読と手振り付きとはね、それでももうちょっと大おまけしていこうということで言っているわけです。だから「したっている」とね、「させていただく」は大きな違いやけど、ついつい自分が正しいと思っているから、したっているになっているね。
具体的にそう思っているねんで。せやけどよう考えてみ「したっている」になっているやん、要するに「言い訳してる」いうことや。したっているっていうのは。印可書奉読を言い訳に使ってないか?護摩木作りを言い訳に使ってないか?山仕事を言い訳にしてないかって?言い訳にしているやん。
言い訳にしているからな、村人同士、喧嘩するんや。あるいはここの人でもグループ同士で喧嘩になったりするんや。お互いに言い訳して、自分らだけが正しいって言い訳して、それは思い巡らす世界であって真祈りではない。
宮野さん 自分で生きているって思ってはるからね。
河上さん そうそう。
宮野さん 生かされているのに。
河上さん これからは自分で生きていると思う人は光を受けそこね、拒否しているからね、息止めるようなもんで苦しんでいくだけや。
宮野さん 息するのも頂いているわけやし、肉体を維持するのも全部して頂いているわけじゃない。ただ寿命というのも自分が積むわけじゃないでしょ?だから生かして頂いている中で、真祈りをするっていうのは自分がするんじゃなくて、していただくわけでしょ?体を生かして貰って、それを使って。山に行く作業も、護摩木を作る作業も、書く作業も全て神さまが与えてくださったものを使っているだけでしょ? だから自分の方向性として私(護摩木を)書きますってやっているけども、でも生かして貰って使っている、生かして貰っているこの体は、神さまじゃない。神さまがしてくださるわけでしょ?神さまなのに、自分がしているって言うたら、それは違うよって話よね、具体的に言うとそんな感じでしょうかね? 河上さん そうそう。だから自分がしているって言って柔らかく言うから、分らへんね。してやっている。してやっているっていうから。なにをしても、ダメになっていく。
宮野さん 皆さんは多分してやっているっていう意識がないから
河上さん そりゃそうやけどな。
宮野さん 神さま側からすると。
河上さん 言い訳につかったら、してやっているやん。そんなもん。言い訳するなよ。言い訳しているから喧嘩なる。させて貰っていたら喧嘩もくそもない。
宮野さん 全て与えて貰っているのに文句を言う。
河上さん だって呼吸はそうでしょう?自分の意識で呼吸をしようとしたらしんどいで。無意識に呼吸しているやん。あの無意識のとこが真祈りや。でもそれが理解、体得できへんから印可書奉読とか、手振りの「宇宙神ありがとうございます」と色々言っているだけでね、本当はみんな皆さん、ごく自然に寝てるときに呼吸しているやん。心臓を動かそうと思わなくても自然に動いているやん。それが真祈りやね。でもそれが真祈りってわからんから、気づかすために先生が苦労されている。 なのにね。山仕事したっているになっているね。させて頂いているやったら、文句も喧嘩も出えへん。文句も喧嘩も出るのはしたっているやね。自分が正しいから、自分のやり方が間違いないんじゃって。それ傲慢や。謙虚なふりして傲慢って先生おっしゃったけどね、村人は謙虚なふりして傲慢なんやって、よく言うてはった。 さも神さまに奉仕しているような顔をしてな、したってるになっている。本人も気づいてないのやで。気づいてないからそうなるんやけどね。気づいていたらすぐ変わるって。せやけど、ついついな、やっぱり無意識に自分が正しいと思ってるから言い訳するねん。アダムやイブのようにね、素直に「リンゴ食べたかったから、食べてしまいました。ごめんなさい」言うたら許して貰えるのにな。「いや、こいつに騙されて食べた」とかな、言うやん。言い訳するやん。言い訳した時点でな、もう傲慢やねん。本当は。
質問 神さまに生かされているということを気付かずに。
河上さん そうよ。みんな気づいてないよ。ご飯食べて生きていと思っている。な?みんな、ご飯食べて生きていると思っている。違うよ。
質問 感覚が麻痺していました。
河上さん うん、みんなそうやで。
質問 その感覚の麻痺したものを本来の真の神さまを、もう、命そのものって感じるためなのが、感じるための方法が真祈り。 河上さん そう。既に悟っている自分を気づくために真祈りするんだけどね。既に悟っている自分やから気づけるね。悟ってなかったら気づかない。
宮野さん 既に悟っている自分っていうのが多分また、もう一回言う。神さまと不離一体っていうところを言わないとあかんのかな。
河上さん そうそう、既に悟っているってなんでか言うたら、神さまと不離一体やから。それはね、最初に言うた腕切った時点で先腐るでしょ?神さまと切り離したとこはね、切り離してないから生きている。
そやから、それに気づかないから、してやっているなんて、なっていくわけよ。言い訳しているのはな。それは無意識に神さまと切り離してるねん。今年からそないしてしてやっているとかね、神さま切り離して自分がしたとか言うたら、色々と体が不調、光が通らんからね、不調になりますよっていう。わかりやすい時代だから。
質問 自覚がないけどその麻痺している神さまから見て、麻痺している状態だと、今言った今年からは症状に現れてくる。 河上さん うん、今年から出るんでね。ちょっと体調子悪いんです、腰痛いんやけど何とかなりませんかねっていうても言いようがない。例えばね、腰痛だったっていう時に、こうしたら治るよって言って、素直にすぐした人は治るね。でもな、みんなすぐせえヘんね。先生がお話にも言ってるけど、青信号のときに渡れって言うてんのにすぐ渡らんと、グズグズしてて赤信号なんかで渡って大変なるって言う、みんなそうやね。 だから例えば「宇宙神ありがとうございます」あれだって先生から聞いたときにすぐせなあかんねん。それをすぐせえへんからこんなややこしいなるね。同じ内容やけど、まあ野球がそうやんか?ボール来て、バット振るからホームランになるわけで、ボール来る前から振ったってあかんよ、あるいはボール過ぎてから振ったってしゃあない。そういうことがみんなわからへん。
それくらい先生に甘えてる頼ってるけども、信じてないから。先生信じてたら先生が言うたら素直に「はい」やって(だと)、何遍もぼく言うた。素直に「はい」やろって言うんだけど、みんな素直に「はい」ってすぐせえへん。なんでか知らんけど。 宮野さん 我があるから。
河上さん 素直に囲炉裏作れるのにすぐせえへんね。
wさん 完成してます。
宮野さん 祝完成。
河上さん それぐらいな、神さまのやることは一瞬一瞬新たやから。一瞬新たやから、うっかりずらしたら間に合わへん。だから先生「今日も来て、やれ」って言うからした位ね、今年は大事なんですよ。だから素直に印可書奉読するなり「宇宙神ありがとうございます」自分で選べるものを選んでね、真祈りしてください。 出来なかった、又、今度またやる気になったらしようと思う人はみんな自分で落ちていくだけで、止めようがないというだけです。もう待ったなしになっちゃったの。村がどういうふうに崩壊するかも聞いていますけど言いません。崩壊させずにみんなで真祈りしてください。それは村人だけじゃないね、みんなが真祈りして村を支えなあかんのやで、な!
質問 腰痛い時はどうしたら良いんですか?
河上さん ホームセンターのスポーツのところに行ったらこれ位の直径のパイプ状のものを売ってるわ。あれ何て言うのかな?
kさん ホームローラー。
河上さん ホームローラー?これ位のサイズ(長さ約30c、太さ、両手指でで輪を作る位、宮野さん)を売ってるからね。それを仰向けに寝て腰に当てて下さい。
宮野さん 筋膜をリリース(解放)。
河上さん 最初は痛いから0.1秒とかそんなんで良いから、いきなり無理しない。やってる内に出来るようになるからね、やって痛い時は1回してすぐ止める。そやけど毎日やって下さい。要するに筋が固まっているわけよ、腰痛って、ここの筋(腰椎周辺)がね、ここを伸ばさなあかん。みんなここの筋を固めて、お年寄りなって腰曲がる。腰やないでこっち(前)を固めてはるねん。で、こっちがドンドン縮んでいくからこない(前屈み)なるんね。
質問 でも背中にするんですか?
河上さん そうそうそう。背中にするの。で、こっち(前部)を縮めるから余計腰の筋肉で腰を支えようとして腰が痛くなるの。先ずこう伸ばして下さい。それで治ります。何か言う事?
質問 股関節っていう事ですか?
河上さん いや、股関節ではなくってもっと全体やな。仙骨、腸骨って腰が4,5つに分かれてんねんけど、その間の筋が固まってるのね。腰ってこうしたり(前後に曲げたり、左右に捩じったり等)自在に動くでしょう?それは腰の骨が五つ、六つやったかな?仙骨,腸骨、ヨウコツって分れててそれが自在に曲がるから捻れるとかあるわけ。そやけどそれが段々固まって来てね、動きにくくなって来ると、それでも立たんなんや?ほんなら一番立つ時に使う筋肉が負担来て痛くなって来る。
で固まっているから最初は0.1秒だけで痛いと思ったら止めて、もう止めて無理せんとね。これ言うとね、教えるとね、極端な人居るね。で、無理やりガーッとしてね、「もう痛くってどうしようもないんです。」って、だから話聞けって言っていう感じやね。痛かったらすぐ止める。で、その内にある程度やっても気持ちよくなってくるから。そうなったら、腰が治っても、やめずに、毎日寝る前は伸ばすようにしてください。そしたら大丈夫です。
質問 ありがとうございます
宮野さん 大概痛いよ!筋膜リリース。乗ってられへんと思う、最初。だからちょっと最初は手で支えながら全体重を掛けんように使われるのが一番かと。つまり痛いと思うと筋肉が別の筋肉が反応して行って、又、そこが違和感があって出て来る。なので徐々に徐々に、ね!
質問 ありがとうございます 今同じ質問を何回かさせて頂いてるんですが、手を当ててそったらダメなんですか?
河上さん いや、反らなあかん。反って前を伸ばさなあかん。
質問 でも反ってやったら逆に腰が痛くなって…
河上さん:いや、だから長時間やり過ぎ。0.1秒でええって言ってるやん、最初は。
質問 はい。分かりました。
河上さん 最初は0.1秒で、それでも毎日やるね。0.1秒やから効けへんと思うやろう?それがアカンねやて。素直に言う事を聞いて0.1秒ですぐ痛かったら止めるね。それを毎日欠かさずにやっていたらホント伸びて来るから。それを急に伸ばすと今言ったように他の筋肉が変に反応して出来へんようになる。何事も、極端にしたらアカンって。だから膝上げを1日4回でも良いから毎日するというのが大事なん。止めたらアカン。沢山せんでいいからね。
例えば朝起きた時、夜寝る前にお臍より上に膝上げをね、4回しましょうで良いから、その代わり必ず毎日4回はするとしてたら全然違うね。腰の筋肉が伸びて来てね、腰痛も治るし。だから何事も極端にせずにちゃんと必ず良くなるからと信じて、ちょちょっとやって下さい。で、痛すぎた時はしないように。痛いと思ったら止めて、そやけど伸ばさなアカン。
で、それが大変な時はあの(ホームローラー)太いパイプじゃあなくって、コカ・コーラ―みたいな炭酸の丸いペットボトルあるやん?2Lの。あれのちょっと(ホームローラーより)小さいので中に水を入れといてやったらいい、ね!それで太いので痛すぎる人は、それで慣れてきたら太くしたらいいし。
質問 後すみません。もう一つなんですが、手が痺れる。朝起きたりして手が痺れたりするときグッパをしてるんですけど。
河上さん 昨日言ったように。
宮野さん 昨日いてはったかな?
質問者 昨日は来ていません。
河上さん 来てなかった。ああそうしたらこうして下さい。(仰向けで、手を組んで上に挙げた手を後ろ頭の上に下ろす)これ握ってやっても良いし、こうして(離して)やっても良いし、ここは自由にね。それを必ず仰向けにしたままして、起きたらして。で、夜寝る前もして、仰向けに寝てまたしてって。この範囲は痛くない範囲やったら出来るだけ大きくやったら良いです。で、これもこうしてやったり、場所狭かったら片手だけでやったりとかね、ちょっとの時間の時は必ず肩より上に挙げてやって下さい。すると手の毛細血管が強化されて。今見てたらここの筋肉まで固まっている。血が通れへん。これしてへんやろう?上に手を挙げてないな?だから。
慣れてきたら仰向けに寝てる時は手をバンザイしたままで寝るとかね、色々自分なりに工夫して行ったらいい。ここを挙げないとね、ここ(肩)の血管が詰まって来るね。詰まって来るというより筋肉が固まって血管を圧迫するの。すると手が痺れて来る。で、若い時はそんなんしなくってもね、筋肉に柔軟性があるから大丈夫やけどね、年取って来ると硬くなって来るね。
宮野さん それぞれもうオマケがないから、自分でメンテナンスをして頂かないとね。
河上さん そうそうそう。オマケがある時でもこうせえって言ってもすぐせえへんし、しても言う事聞けへんからな。極端にしたりな。もうみんな好きにする。どうぞご自由にや。
宮野さん 呼吸法の何か言ってなかった?
質問 神さまのお手伝いになるためにお伺いします。言霊と呼吸法の関係についてお伺いしたいんですが。去年護摩焚きだと思うんですが、言霊、本来なら一音一音。そこで出て来たのが「あー、うー、すー」あーの言霊、うーの言霊、すーの言霊。その時のお話しでは、まだその響きが世に現れていないというようなくみ取り方だったんですけど、その事と呼吸をどのように関係しているんではないんかなーと思って、漠然とした質問となるんですけど…
河上さん あのね、呼吸法というのは神さまの御心に統一するためのものなんですよ。神さまの御心に自分の心をピタッと合わすためのものが呼吸法なの。だからマラソンで走る時にね、2回吐いて2回吸うでしょう?あれも基本的な呼吸法で、身体が激しく運動する時はその呼吸法を使うと神さまの光が通り易いの。例えばね。
そういう感じで必要に応じて色んな呼吸法があるんですね。だから勉強のできない子っていうのは、その呼吸が出来ていない。で、勉強が出来る子っていうのは、例えば速読する時にね、ゆっくりと息を吐きながら本を読むんですよ。ほんだら速く読めて理解が出来る。或いは数学の問題を解く時でもね、無意識にゆっくり息を吐く。で、勉強出来ない子は数学読む時でも、本読む時でも息止まるね。で、息止まって息上ってね、集中する時間短いから中々勉強進めえへん。 それくらい呼吸法って大事なんですけども、自分に合った呼吸法ってそれぞれあるから、一概にどれがベストっていうのは無いんです。それで印可書を奉読して頂いてたら、自分に応じた呼吸法が自然に出て来るから。でもより出やすいよいうにね、色んな呼吸法を去年はバタバタと出したわけ。 質問 呼吸法と言霊っていうのは殊更…?
河上さん 言霊は真(まこと)の神さまの本心そのものや。
質問 呼吸は神さまの御心?
河上さん (神さまの御心)に、要するに本心に合わすための呼吸法やからね。だから呼吸法が出来たら言霊がスッと出るし分かるっていう事。
宮野さん 統一する為の手段ですね?
河上さん そうそうそう。肉体側のね。
宮野さん 呼吸は統一するための手段?
質問 神さまの御心に統一する?
河上さん そうそうそう。
宮野さん 合わせる為の手段。
河上さん だから先生がお祈りの時にここに出て下さった時はひたすら耳で先生の呼吸を聞いて、目で見ても分り難いから呼吸音を聞いて僕はひたすら真似ました。で、それを隠してないよ。去年全部のバリエーションを去年の護摩の時に全部言ったわけ。あれが先生が色んな時に色んな状態でされた呼吸法です。
で、陰陽五部(半々ということ)の呼吸法は普段まあ、みんなしてるやん?だから敢えて説明せんかった。自然に吸うて吐いてるでしょう?
質問 自然に吸うて吐く事が陰陽五分(半々ということ)の呼吸法?
河上さん うん。それを自然に吸うて吐くのをゆっくりにしてとか、自分なりに利用したら良いわけ。何もせん時は普通の吸うて吐いてやけどね、走る時は、ほれ、2回吐いて2回吸うとか。あれも陰陽五部(吸う息吐く息が半々)の応用です。で、問題解く時とか、勉強する時とか、本読むとかの時はフーと吐いて、スッと吸うてやるとかね、それは自分なりに工夫して貰うしかない。これがベストというのは無いの。その人の体に応じた長さがあるので30秒以上吐けとかね、いう事はね、ベストではないの。
宮野さん:長く吐いてちょっと吸って。
河上さん そうそう、で、慣れて来ると45秒とか1分とか1分30秒とか 吐けるんやけど、うっかりそれを言うと、又、無理して酸素不足で頭おかしくなったとか言うからね、あまり秒数も言わないから、自分に応じた長さをやっていたら必要に応じて長なります。
質問 意識するのは吐く息の長く吐くのを…
河上さん 基本は長く息を吐くというのが基本です。
質問 で、鼻から吸う?
河上さん 鼻からでも口からでもいいからプッと吸う。ただ、口から吸うとね、ゆっくり口から吐くのが崩れて行くんよ。だから鼻から吸うと、しとくと、もう口は吐くだけってなるから、崩れにくいというだけの事で、別に口から吸っても大丈夫、崩れなかったら。
質問 普段は呼吸の事は当たり前にしているんで、意識はしていないんですけど、そういった呼吸法を意識して呼吸する事によって、それが神さまの御心に合わす事に…
河上さん そうなんです。だから先生は中心に立つものに対してはね、朝4時から起きて2時間勉強しなさいって言われた。勉強って何かと言うと呼吸法なの。呼吸法が出来ないと勉強出来へん。で、自分は本読んでいても集中力ないなとか、すぐ飽きるとか、算数とか数学の問題を考えても嫌になるとかいうのはね、呼吸法が出来ていない。 そやけど今言ったように自分でお祈りしてね、自分で手繰(たぐ)ってせんならんから、4時から何があっても勉強しなさいという事を仰ったわけですけど、1回しか言われないからね、相手の自由意志を縛れないから、みんな聞き逃しているだけ。
質問 はい。今の状態から十分です。ありがとうございます
河上さん だから朝4時から2時間は僕は言われて、僕はそのまま実行しますけども、皆さんは1日1時間は何か勉強しようとか決めてその1時間を五分づつね、12回に分けても良いし、隙間の時間を利用すれば勉強する時間は必ずあります。纏めて取ろうと思うから無いだけでね、隙間時間はいっぱいあるからね。だからトイレに印可書貼れって言ってんね。トイレの時は印可書読めるやろうというね。それ位はしてなっていう感じです。
で、トイレに入っている時にね、これをする(上半身前かがみになり、次に後ろに反らす。出来たら両手も前に伸ばして連動する)。するとウンコがよく出る。で、腕がだるくなったらこうやってね(手を休まして上半身だけ前後する)。
宮野さん 昨日と違う人がいはるから。
河上さん こうお辞儀して、上がる(反らす)。便器に座ったままでね。そして歯を食い縛らない状態でね、これをグーっとやっているとグーっとウンコが出ます。力まずに。すると痔にもならないし、歯を食い縛らないからお祈りになる。お祈りは歯を食い縛ったら出来へん。まー一辺歯を食い縛ってお祈りしてみ。20秒続かへん、疲れてしまって。歯を食い縛るのを力むっていうの。自分で何とかしようって思う時は歯を食い縛っている。
だから合気道は技をかける時でもどんな時でも、歯を食い縛った時は怒られた。合気道は自分が投げるんちゃうから、神さまが投げる。それを今の合気道はそう思わずに体得していくしかないから難しいって言われる。もっと真祈りを入れてね、神さまが光通るから飛ぶんだっていうのが解かったら楽になるんだけど、みんな神さまと自分を分けてはるからね、合気道も教えようがない。
だから合気道の達人は指1本でぱんと投げたりするんだけど、それは力で投げたりするんではなくって、神さまの光がファーと通るからだけねんですね。で、合気道では無理なので先生は真祈りで、大オマケの真祈りでって、誰でもが出来る事でっていう事で。こっちがお願いしたんですけどね、誰でもが簡単に出来る事で真祈りが出来るようにして貰わないと、そんなもん、あと任したでって言われても出来ませんって拒否した。なら先生が又、工夫、されて今のを作って下さった。
でも印可書を最初のを弾かれたから、宇宙神付けて手ぶり付けてってして、それでも弾かれたから、もう1辺光弱めて印可書でっていって。まー色々先生のご苦労やで。まー、僕が我儘言って誰でも出来るようにして貰わないと困るって言って。先生の方は真剣でないと「あくかい(あかん)」っていう感じやったんやけど。そんなん真剣って言ってもみんな出来へんのやから、先ずは簡単に出来る事からってお願いしたんですね。
でもみんな自分が正しいと思っているから、ちょっとでも自分の正しいからズレる事は弾くわけ。それも自由やからもうええんちゃうと思ってのに、みどりさん「まだまだ」って言うんやもん。(笑)
宮野さん ギリギリまで!
河上さん あの車が潰れる迄。
宮野さん ああ、やば!(笑)シルバー頑張れ!
河上さん もう全然部品無い。
宮野さん 知ってるよ。ぶつけるから。
こうお辞儀するのは腸の全体を動かすんですよ。だからトイレで無い時でもね、こういう椅子に座った状態とかで、或いは立った状態でもいいけど、お辞儀されると、自然に腹筋も鍛えられるからね、身体弱まらないからね、免疫力も上がります。
宮野さん 若い人はね、簡単に腹筋できるけど、ね。
河上さん 若い人は何もしないでも大丈夫やけど、年取って来ると。
宮野さん そう。下手に変な腹筋して腰痛めたりね。
河上さん そうそうそう。スポーツでやる腹筋はやり方を間違うと腰痛めるからね、そんな負荷かけんと、普通のお辞儀で十分。
宮野さん ただ丸めるだけって、そこのお腹をキュッて丸める感じ、意識的には。
河上さん ただね、一時も欠かさずせなあかん。それだけがポイント。数はせんでいいから。
宮野さん トイレ行って印可書を読みながら、キュッキュッてせめて。
河上さん:せめて1回だけでもしましょうって決めて、毎日しててそのうちに数したくなるから。
宮野さん すると腸が良くなって、免疫力上がって体が維持してどんどん若くなって、よりお祈りをもっともっとしやすくなって。信じるか信じないかはそれぞれな、通販なんやからね。 河上さん みんなの心の中にまでは入り込まれへんからね。だから、法律でね、人を殺してはいけないという法律がないのは、それや。それで人殺し無くなるんだったら法律で決めたらいいね。人を殺してはいけない。でも殺したらこういう罰則がありますよとしか書けないのは、人の心の中の自由は、誰も強制できない。神さまも強制できない。
だから、ある時、夫婦げんかの場に立ち会ったんやけど面白かったですよ。6畳の間のの向こうとこっちで喧嘩してあんねん。で、旦那さんがお前あんなんしてるからこんなんなってくるやろうって怒鳴ってるわけよ。こっちで奥さんが座ってんだけど旦那さん立ってんねん。で、こっちで6畳間のこっちの、8畳間か?ちょうどこの部屋ぐらい。この部屋の向こうとこっちで喧嘩したわけよ。あの真ん前で喧嘩したら大喧嘩になるよ。で、お互いちょっと遠慮して離れてやったわけよ。それ旦那がガーって文句言うわけよ。奥さんが座って聞こえん声でね、僕もその奥さん側に居ったんやけど「勝手にほざいとけ!」ってやってるわけよ。(笑)
だからお互いの心の中は縛られへんから喧嘩したって一緒。だけど、村人でも喧嘩すんのはね、相手の心の自由を縛れと勘違いしてるから。もう何言われたって「何言うとんねん糞ったれが、アホが。」ってやってるわけやな。それくらいお互いの自由を縛ることは不可能。だから喧嘩したって無理。で、話し合いしても無理なのはそこやね。
いくら話し合いしたって相手の心の中に入れない以上は、変えようがない。だから、みんなが自主的に支え合えたら変わるわけよ。それが真祈りしかない。話し合いで変わったらな、国会でもあんな揉めへんし、国際連合があんねんから戦争収まる。 宮野さん みんなマウント取りに行きたいから。 河上さん そうそう、無意識でみんな相手の上行こうとするね。自分が正しいと思ってるからよ。自分が間違ってると思ったら喧嘩なれへんわな。ごめんやったなで終いや。でもなんか、相手を自由にできると思うんやな。だから、大概大阪のおばちゃんに多いけど「言うたらなあかん」って言うわけや。言うたって変われへんわなとか思うけどね「言うたらなあかん」あの子あんなんしてる「言うたらなあかん」(笑) 宮野さん 上下関係になると特にじゃない?例えば家族間だったら子供にだったりとか?
河上さん 大阪のおばちゃんは他人同士とは思えへん「言うたらなあかん(言って聞かせないとダメだ」ってお互い全然違うことを言い合して終わる。全然話噛んでないやん。 宮野さん だから喧嘩なれへん。大阪のおばあちゃんね。 河上さん 好きなことを言い合いして終わる。“空間が歪んでいる”というか話し合いが立体交差してる。まあね、それくらいみんな自由であって、神さまの絶対の自由という本心を持ってるから、それが肉体側に現れてくるとそういう小さい自分が正しいと、本来の本心の自由意志があるからそうなるん。だから真祈りして自分の本心に合わさないと収まらへん。小さい肉体が、要するに自分の都合出してしまったら、喧嘩だけ。最後は殺し合いになるだけ。最後は「ボケ、アホウ、カス」ってなって、次は手が出てね、次は殴り合いで収まらないから武器が出てきて、最後は鉄砲の打ち合いになるわけやんか。どんどんエスカレートしていってね。 だから江戸時代は敵討ちを認めてたでしょ?あれは何であんなん認めたか言うたら、もう永遠に切り無くなるやん?なるからお互い刀持ってても殺し合いが中々なかった。だから、実際に敵討ちの話が残ってるのが数少ないでしょ?それはそこまでいったら大変ってわかるやん。敵討ちしたらまた向こうが自分の親殺されたって敵討ちにくるわけや。
もう永遠に切り無いし、武士やからお家断絶にもなっていくやん。全てがもう消えてなくなってしまうから、敵討ちを認めるということで、逆に言うともうみんな辛抱した。せやけどそういう辛抱で収める時代ではないわけね。これからはね、真祈りで収めなあかん。
だから江戸時代は本当に殺人って少ないよ。それはもうちょっとしたら、あの江戸時代の場合は、一族まで罪人として獄門ですか?市中を引きまし獄門晒し首ってやつやね。になるから、自分の恨みだけでは収まらないわけよ。全部に影響するから、みんな殺し合いにはならへんかった。よく時代劇でね、火盗改め方とかって言うのは、押し入って人を殺してどうこうというのがあるように書いてあるけど、あんなことはめったになかった。いわゆる鼠小僧次郎吉みたいにね、盗むのはあるけどね、殺すのはまずなかった。
でも、これからは真祈りでそういうのはみんな、みんな自分だ。で、イエスの言葉は本当に誤解して伝わっているけどね、「汝の隣人を愛せよ」ってみんな思ってるでしょ?違うからね。イエスが言うたことは本当に言ったことは「汝の隣人を自分のごとく愛せよ」や。ということは、自分と一緒にせなあかん。な!それが肝心なところ抜けるんやな。 だからちゃんと真祈りしかないの、これからは。今更キリスト教の人にね、いや、イエスは「汝の隣人を自分の如く愛せよ」って言うてるでって言うたって、うるさいわって言われますから、まず真祈り。 ちゃんと聖書をね、ヘブライ語からずっと調べて行くと、ちゃんと最初のあたりはちゃんとなってるのに、途中から変わっていくんやな。でもそういうもんやろね?伝言ゲームやから。昔は印刷機ないでしょ?だから筆写じゃないですか?全部ね。筆写して配るから、筆写するごとに自分の都合が入っていく。 質問 自分の子供の頃にやっぱり歯医者さんで歯を抜いてもらう時に失敗なのか何か分かんないすけど、それでそれ以来体の中にこの拘縮(こうしゅく:関節の可動域が狭くなる)が、どっかの筋がそれなんか雷が当たったよいうになって、それ以来その筋が固まってるのが分かるんですけれども、それでこれは治りますか?
河上さん 治るよ。
質問 真祈りしかないとは思うんですけど、でも… 河上さん その首の筋がこの順番に固まってるって見えるから、前教えたようにこうして(手首の甲を腰の括れたとことに当てて、反対の手で肘を体の中心の方にゆっくり引いて、首を左回転右回転にゆっくり回す。数回したら反対の手で行う)首をゆっくり回すのを必ず毎日やってください。ほんなら治ります。 質問者 はい。 河上さん 今やってみ、回りにくいやろう、首が?。 宮野さん これをこうやって回すのは回り難いんじゃない?
河上さん だから、しょっぱなから無理せずにね、これを肘をちょっと引っ張って、あるいは壁に当ててね。
河上さん ゆっくりと回る範囲でいいからゆっくり回してください。 質問 一応、基本的に伸ばしてストレッチを毎日…
河上さん ゆっくりとすれば直ります。それを必ず毎日ね、数しなくていいからせめて1回は絶対回すんだって。トイレ入った時はこうして回すんだとかね。決めといてやってたら直ります。一時でも止めると、元に戻るからね、今は。ある程度伸びてきたらそこそこ融通ききますけど、でも基本は毎日欠かさずが大事です。
だから、ご老人でね、寝たきりで1週間位なった途端にもうガタガタになるのはね、体を動かすことがなくなるからだから。毎日ちょっとでいいから動かすのが大事なんですよ。膝上げもね、毎日4回って必ずするってしてるだけでも全然違う。
質問者 ありがとうございます 宮野さん こっち側もね、こっちもやってるこっちもね。うんはい。
河上さん 後は色んなストレッチを見てね、見られて、そのストレッチをされたら良い。オマケのある去年やったらすっと直すんけどオマケがないから(こっちは僕としては)出来へん。
宮野さん 治らんもんと治るものがあって、治る。 河上さん うん。基本は治らんもんはないねんで。せやけど時間掛かるか掛からへんかや。ほんで大概毎日欠かさずするんやけど、例えば1年たっても殆ど変わらへんになると嫌になって辞めちゃうんだよ、みんなね。せやけど本当は治らないものはないね。必ず3年したらなるもんばっかりや。でもみんな3年間我慢できへん。それは3年間なんぼ(いくら)やったってこれ変わらへんってなるとな、いやなるって毎日やし。そやけどある日突然すっと動くね。
それぐらい人間の筋って色んな筋が絡み合ってついてるから、全体が固まった場合、全部緩むのに3年はかかるわけ。その3年がみんな待たれへん。 宮野さん 信じて! 河上さん そうそう。ほんでこんなんしたって伸びひんって思ってやったら無駄やからもう止めて下さい。体が硬い人ってみんなね、自分は身体が硬いから何したって伸びひんって思いながらストレッチしはんねん。ほんだらいつまでも伸びひん。 もう一つはある程度伸びてきたら、どんどんどんという感じで、ちょっとあの衝撃を与えると伸びるけど、最初はしないで。自分でもこれはちょっとした方が伸びるなと思われる時がありますから。ほんならトントンとしながら、こう伸ばされると急激に伸びる時期があります。でも基本的には3年間はほとんど変わらないなぐらいに諦めて、でも必ずなると思ってやってたら。 宮野さん 3年間は大丈夫ってことですかね?(笑)うっかり言いましたね。 河上さん でも村人次第やで村で崩れたらどうしようもないねんから、頼むやわ。 宮野さん でもそれには、私達1人1人が真祈り。 河上さん そうそうみんなで支えてやけどね。 質問: お祈りの時間で、朝は2時から4時、先ほどお話を… 河上さん 先生いらっしゃる頃はね。夜はね、8時から12時やったんですよ。それは先生いらっしゃる、このお祈りの部屋を。ここの村ではここを最初に建てたんです。それも色々紆余曲折があってね、先生が今日中に建てるっていうのに、みんな村人その頃の村人がですよ、今の村と全然違いますけど、疲れ果てて、先生の指示を通り、みんな動かんかって、その日に、要するに棟上げが完成しなかった。ほったら先生怒ってね、せっかく建てた柱全部引き抜いたの。もうこのお祈りの部屋の大切さが分からんようではどうしようもないって言ってね。もう人類もおしまいだみたいな感じで、全部引き抜かれたの。ほんでみんな村人ももう一遍シャキッとしてね、必死でここ作ったんですよ。
それくらい大切なお祈りの部屋なんです。最初にみんなが集まってお祈りする時に、こっから(上から)蜘蛛がスーッと降りて来たの。それを先生がさっと手に受けられて、胸に収められて、その蜘蛛がこうして降りて来るのは瑞祥であると、これは素晴らしいことだと言って、そのときに朝2時から4時くるように夜は8時から10時に真祈りするようにっていうことをおっしゃったんですけど、2日目は、村人の部屋を順番にまわって、戸口で、柏手を叩かれて、村人を起こしてされた。でも、あとは、自由意志にまかされて、村人が自主的に出てくるのを、待たれた。
それで、3日も続かなかったんよ、みんな。まー色々あるん。スタートからつまずいてな色々あって。で、お前大阪から走ってこいって言って、毎晩2時に間に合うに大阪、12時ぐらいに出てですね。ここへ来て先生と一緒に2人でお祈りして、そうしたら、みんなも出てくるようになったんだけど、一応の基礎固めだけして、あとみんながそうしたら悟れるようにしたんですけど、僕が来なくなったら、村人は出てこなくなって、みんなしてくれなかったという。もう先生いらっしゃらないからその時間にしてもね、それよりは印可書奉読された方がいい。
宮野さん 時間はいつでもいい? 河上さん 時間はいつでもいいよ。はい。4時間もいなくても大丈夫。 質問者 ありがとうございます 河上さん だから大事な事がね、全然伝わらんまま終わってるんですよ。で、村人は自分の責任がね、わからんまま、ここへ来ちゃったから、あの村人自身はそうしなくちゃいけないことを全然聞いてないとこがあるんで、余計なんですけど。でもなんていうんかな、そういう大変な立場であるということもわかってない状態だったんだよね。いろんな意味でもうこっちから言いたいのはウズウズするんだけど先生が、まだ好きにさせておいたらいいっていうことだったんでね。おまけのある内は好きにさせといててっていうことで。でもオマケなくなったんで、先生がもういいって言うから、地球はもういいって先生は言うんだけど、みどりさんが頑張るって言うから、だから先生ももうちょっとってなってという今の状態です。先生は完全にもう(ほっといて)(見捨てて)いいって仰ったんだけどね。 宮野さん 捨てたもんやないって。
河上さん もう優しいんだから、 宮野さん いやだから厳しいからこそ。
河上さん あの時間ですのでお祈りして終わります。もし質問があったら最後一つだけ受けます。もうこういうのはまた来年の正月までないからね。 うん。ちゃんと収まったし、お祈りいかなあかんとこたくさん残して今日作っていますから、お祈りして終わります。(以上でお話しは終わりです) (以下はお祈りの中のお話しです) お祈りしながら聞いていってください。あのDDNの問題を言えという今降りてきたんで。DDNの問題は村人の真祈り次第によっては蒸し返されますけども、町田くん名義の口座ということで、お金を返してくれという人は町田くんのところに来ますけども、あとは町田くんの方で処理してもらいます。
そういう感じですね。DDNの事で借金してまでDDNのお金を出された方がたくさんいらっしゃいますので、その借金が債権上本人から他に移って回収に来ると思います。そういう色んな形で村が崩壊するかもしれないという危機に立ってますし、DDNはその最初にくる問題だということです。もうちょっとお祈りします。
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