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山より引用・・真祈りの伝授・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2018年09月06日(木) 20時31分
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9月の護摩焚きでお話して下さった、河上さんのお話を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
昨日の夜遅く、やっと先生からおまけ来ましたので、またお話できます。お話できることを嬉しく思っています。

先生からのメッセージですけども、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せる。乗せても、何か何も感覚変わらないし、何も変わらないし、という事でね、自分で否定してしまっているから、先生の方はやりにくいと仰るんですね。素直に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せている時は、自覚が有る・無しに関わらずね、真の神さまと不離一体。宇宙神と不離一体。絶対の中心と不離一体なんですよ。だから、その感覚が無くてもね、何も感じないからって否定しないで下さい。
もう先生が仰っているんだから、「あー、これで神さまと一体となっているんだ。良かった。」と素直に思っていて下さい。すると、先生はスッと引き上げられるので。否定しないでほしいんですね。素直にやって下さい。そしたら、スッといけます。

本当は、悟りというのは簡単なことなんですね。真の神さまだけって解れることが悟りなんですけど、だからみんな解っているよね。「神さまは光なり」って言ったら解るし、「あ、全部光っている。光や」って、この世のものは光に見えるわけでしよ。全部真の神さまの働きだけって本当はみんな知っているんですよ。知っているんだけど、自分でね、マイナスをわざと作ってね、楽しんでいるだけなのね。楽しんでいるのも忘れて、責め合いになって苦しむのだけど。本当は、みんな悟っているんですよ。それをね、素直に解って下さい。神さましかないっていうのがね、本来の相象(すがた)だし、それを知っているから、光、神さまは光だって思えるんです。だから、神さまは光だと思える人は、既に悟っているの。自分で悟ってないってね、縛っているだけ。だから、悟ってないと縛っている人はどうなるかというと、一生懸命お祈りしてね、何年もお祈りして、修行してね、悟るんやって決めているわけです。それはね、永遠に悟れないの。

今、悟るだけ。常に真の神さまだけって知っている自分が、今ここにあるって知るだけなんです。それは、自分で否定しない限り解るの。みんな無意識に否定しているだけ。「そんなん言ったって、この肉体で5kmも昨日歩いたらしんどいし、痛いし辛いし」って言うわけね。それは、自分が勝手に「痛い、辛い、しんどい」っていうのをつくっているだけなんですね。「神さま、ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってやっていたら、自然に動ける。楽に動ける。そしたら、しんどくなったら、休む時は休むし、動ける時は動けるしって、自由自在になっていくんです。でも、自分の力、自分の言葉でね、「神さまは遠いところにいる」とか「神さまは働いてない」とか言ってね、縛るわけね。縛って解らなくなっているだけなんですね。そこの縛りだけを解くことが必要なんです。

今、皆さんが何をすべきかと言うとね、自分で自分を縛っている縛りをどうして解くか、それだけなんですね。それで、なかなか理屈でやり出すと、解くに解けない。何かいつまでもぐちゃぐちゃやっているみたいになってくるんでね。それで、呼吸に素直に「宇宙神ありがとうございます」って乗して下さいとお願いしてます。乗せている時は間違いなく、真の神さまと不離一体ですから、それを素直に信じて下さい。そしたら、勝手に縛りが解けてきて、祈りに始まって祈りに終わる生活ができるんです。

質問を先に読んで頂けますか。

司会者「河上さんへの質問が4つあります。」

質問@
体の症状、痛みや痒みが良くなったり、また新たにぶり返すのは、もっともっとお祈りを深くする為ですか?

方便で言うと、そういうことになります。でも本当のことを言うと、全部真の神さまが働いているだけなんですね。それで、或いは痛み、或いは悲しみ、或いは喜びっていうのを全部ね、楽しんでいるだけなんです。いわゆる絶対の中心、無限大の外遥か彼方っていう、この真の神さまのすべてのすべての存在っていうのは、凄く大きくて、完璧な創造なんですね。その完璧な創造を全体で観たら完璧ですけども、もっと細かく観たい。でも全体を観ていると細かく観えない。どうするか?そこで神さまはね、自分と言って、皆さん方お一人お一人を分けたわけです。分けて小さく分けて、わざと小さい意識にして、そして、小さい立場に立たせて、ありとあらゆる所から自分の完璧な創造を楽しもうとされたんです。それが今のすがたです。これが本当の真理なんですね。

だから、本当はみんな楽しむ為に来ているの。神さまと一緒に。神さまの意識そのものとしてね。わかります?小さい部分を楽しむの。例えば、ここから遠くの木を見たら、「あぁ、木やなぁ」となるわけですけど、あのそばに行って見たら、「こんなに綺麗に葉っぱが咲いている」とか、「こんな花が咲いているじゃないか」とか分かるじゃないですか。そういう小さな部分を楽しむ為に、神さまは皆さんを意識的にお分けになって、実際は分けれないけど分けた形にして、色んな立場に立たせて、神さまの完璧な創造を楽しむんです。その完璧な創造の一つの中にね、痒いのも痛いのもあります。本当はそれだけなんです。だから、喜んでいたらいいんです。

先生のお言葉を借りるとね、神さまの御働きを褒め称えて、ありがとうございますと感謝して、喜んで待っていたらいいって仰るわけですけど、その喜んで待って楽しむということなんですね。それが今皆さんの立っている立場なんです。そういう状態なんです。それでいいですか?

質問A
朝起きて直ぐ「痒い、暑い」とつい一瞬思うけど、直ぐ「宇宙神ありがとうございます」と思い直しているのはいいですか?

表現にいわゆる捉われているということでしょ。今の質問は。この現象に捉われているということじゃないですか。その現象に捉われている自分をね、どういうふうにプラスに見返すかというのは色んな方法があるわけですね。自分がやり易い方法で、例えば、昔の観音さまの信仰ですとね、観音さまがこんな煩悩ばかりの自分をね、守って下さって、この程度で済まして下さっている、「ありがとうございます」と思うとかね、色々あるわけですけど、その自分の思いやすい方向で、プラスに受け取り直すということをね、自分で工夫されたらいいと思うんです。だから、どの形でもいいです。でも、真相は神さまがさっき言ったように、楽しみに来ているだけなんです。痛みも辛いのも楽しみに来ているんですよ。何でね、痛みと辛さとかね、苦しみとかいうのを楽しみに来ているねんと言うわけですけど、それは、ひとつ、先生のお言葉を借りると絶対のマイナスの極をですね。一番下に立ったら、あと全部光やろ、プラスやろ、って。そういう楽しみ方をしないとあかんねんって。ただ天国にずっとおってね、「あー有難いな」とふわっとしているだけではね、神さまの本当の創造、本当の喜びを感じ取れないんだって。辛い、苦しい立場を知っているから、「あーなんて有難いんだ」とわかるんです。すると例えば、夏でしたら、今はどこの家にもクーラーがあるわけですけど、クーラーが無い時代だったらね、本当に暑い中を働いて汗びっしょりになって、そこでちょっと水浴びするとか、ちょっと濡れタオルで拭くだけでも、「あーなんて幸せ」ってなるじゃないですか。そういう感じで、本当の喜びを知る為に、苦しみ・悲しみがある、ということなんです。でもそう思えない時は、もっとプラスに思い返せる方法を自分なりに工夫されたらいいと思いますから、その形でも良いと思います。

質問B
何でも神さまの為なのに、つい忘れて、ご飯を食べて、気付いて、「神さまの為に食べました」と思い直すのは如何ですか?

充分それで大丈夫です。いわゆる真祈りの凄さ、凄まじさっていうのをね、皆さん意外と自覚されてないんですね。真祈りってどんなに凄いかと言うと、例えば、自分の過去から未来に至る一切のものを全部清(浄)める力があるんです。今の一瞬にすべてを光に一元に変えてしまうというね、その凄まじさが真祈りの凄さなんですよ。だから「あー自分は過去にあんな悪いことしてきた。こんなことしてきた」って思っていてもね、真祈りをしたら一瞬で消えるんです。それがわからないと真祈りにならない。実際に真祈りできると、一瞬で消えるのもわかります。だから、無条件の幸せなの。だから、無条件の喜びになるんです。わかります?一切の条件を付けないのね。こんな良いことがあったから嬉しいねんとか、こんなことがあるから結婚できたら幸せやねんというのは、条件付きなんですね。無条件の幸せは、もうそんなん全部どんな状況であっても沸々と喜ぶ、喜びなんですよ。それが真祈りという醍醐味なんですね。その真祈りは、本当は皆、誰でもが出来ているんですよ。出来ているんだけど、例えば、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗したら「何も感じないし変わらないやん」って自分でまた縛り直すの。それで、真祈りで無くなってしまうの。だから、素直に呼吸に乗せていって下さい。ご飯を食べる時も神さまの為にってしたらいいね。仮に、忘れても、自分を責める必要はないんですよ。全部神さまですから。自分も神さまですから。責めずに、「あー忘れていた。また、これは必要で忘れていたんや」と思って、今のように「神さまの為に食べました」でいいと思います。ありがとうございます

質問C
一生懸命なつもりですが、真剣さが足りない。真剣になるのがよくわかりません。どうすればなれますか?

真剣さというのがね、一番解りにくいと言えば解りにくいですね。真剣というのは、真(まこと)の言葉の剣(つるぎ)っていう意味にも取れるんですよ。言葉次第という事なんですね。じゃあ、どう言葉を使うと言ったら、プラスの言葉を使うだけ、ってなるわけです。プラスの言葉を使うだけということは、今でしたら「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけでいいんです。それが真剣さなんです。その「宇宙神ありがとうございます」を籠めている時にね、籠めている時にですよ、「あー帰ったらあれ食べよ」とかね、或いは、「このお金を使って、今度はあそこに旅行行こう」とか思ってる内は、やっぱり真剣に籠めてない。「宇宙神ありがとうございます」って籠め出したら、もう他の事を思う余裕が無いんですよ。真剣ってそうでしょ。「宇宙神ありがとうございます」を籠めたら、それ以外に思う余裕が無い。要らん事を思う余裕があると言うことは、真剣でない。「宇宙神ありがとうございます」以外のものを認めて、あれ、これと思っているから、そういう質問になるんですけどね。真剣というのは・・・、もう何でここまで真剣さを言うかというと、今悟るんです。今悟るんですよ。これを絶対にね、忘れてはいけない。一生懸命お祈りして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて、それで悟れるんやと思って、自分を縛るんですよ。今、真剣に、一瞬で一言「宇宙神ありがとうございます」と言えば、悟れるんです。実際悟っているんです。それを何も解れへん、感じないと言って縛るから、ややこしくなるの。素直に先生が「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めたら、悟っているんだよと仰ったら、それを素直に「ハイ」なんです。それを先生は一言で、「本物が現れた」って仰ったんです。本物が現れたと言われたら、言われたお弟子さんはね、皆お弟子さんでしょ?「ハイ!」って言わなあかんね。でも、本物が現れたって言うけど、「いや、まだ…」と自分で否定してしまうのよね。それが失敗で、先生はやりにくい。本物が現れたと言ったら、素直に「ハイ」。「宇宙神ありがとうございます」を籠めなさいと言われたら、素直に「宇宙神ありがとうございます」。籠める以上は「宇宙神ありがとうございます」以外は、もう何も言わないくらいの決意が要るんですよ。それが真剣なんです。本物が現れたと言われて「ハイ」と受けるのが真剣なんです。そこに理屈で返すと、もう偽物になるね。真剣さが緩くなっている。だから、今の一瞬に悟るっていうのはそういうことなんです。一瞬一瞬、真剣になるか、ならないかだけなんです。一瞬一瞬、真剣になれない時は、迷う。そういう時に真剣になれたら、思い切れるから、迷わない。わかります?本当に簡単なことなんですけど、理屈で物を言い出すと解らなくなっちゃうのね。そんなん言ったって、子供が病気しているからとかね。そんなん言ったって、旦那、会社クビになって帰ってきているし、どうするの、と思うわけでしょ?それをもうそういうのを一切忘れてね、籠めていかないといけないのですよ。それが真祈りなんです。先ず現実無視できないと、真祈りには入れないのね。今のこの現実というのは、皆さんが過去で使ってきたマイナスの言葉が現れているだけなんです。もうそれは、一切本当の話です。

それで、どんどんマイナスのことが現れてきて、地球霊王さまはもう怒っちゃってね、一切合切全部ご破算にするというとこまで追い詰められているわけですよ。ある意味ね。もう時間が本当にないの。だから、真祈りしたら、その過去世で使ったマイナスのことも一切消えちゃうのね。一切消えるんですよ。そしたら、地球霊王さまはホッとするのね。本当の神さまの真の創造だけを子供達もしてくれた、人類達もしてくれた、良かったとなるんです。今までは、要らん事を言うわけですね。「あいつ、さぼっている」「あいつ、仕事しない」「子ども、勉強しない」とまぁ色々ありますけど、人を責めてしまうわけですよね。無意識のうちに。それは自分と他人を分け隔てたからですけども。責めても自分だから責めようがないのに、分けてね、「こいつがあかん、あいつがあかん」宗教だと「あいつが祈りよれへん」とかね。まあ色々あるわけですけど、そのマイナスの思いが、今のこの現実のすがたの原因なんですね。それを真祈りで一瞬にして消し去れるんです。でも、皆さまお一人お一人が真祈りしないとダメなの。何でかと言うと、真祈りしなければ、自分が過去でこれだけマイナスを使ってきたということを掴んで放さないから、消しようがない。その人の自由意志を超えてまで、神さまは消すことが出来ないです。それで、いよいよどうしようもないとなると、地球霊王さまは一旦ご破算だと言って、皆の自由意志を超えて、ワッと綺麗にしちゃうんですね。するとまた文明のやり直しということが始まるわけですけど。もう、もう、何回も繰り返して、もういいだろうということで、それでこれだけ真祈りできる人が集まっているんだから、もう大丈夫だろうというところに今は来ているわけ。

今日は、真祈りの伝授を先生がするし、出来ると仰ったので、安心して今お話しています。このお話で皆真祈りの伝授を受けれたんですよ。本当はね。でも、感覚、変わらないやん・・・・、変わらなくていいんです。「宇宙神ありがとうございます」って籠めていたら、必ず、神さまと不離一体なんだという、そこだけ信じて下さい。そしたら、自分の過去にやってきたマイナスも、今まで人を責めてきた思いも、全部一瞬にして消えるんですよ。それをやらなくちゃいけない。一瞬一瞬ね。何か心が迷って引っ掛かったのは、構わないです。また一瞬一瞬、真祈りに戻るんです。一瞬一瞬真祈りに戻るんです。それが悟りになっていく。悟りなんです。本当はね。縁者の思いのお蔭で迷ったように自分が感じるんだけども、本当は自分が悟っているの。ここに自由意志で護摩に来てね、先生のお話を聞いてね、先生の本を読んだ人はね、既に悟っているんですよ。でも、自分で悟ってないと縛っているだけなんです。だから、その縛りを解くだけ。解くのはどうするか?真剣さで解くだけ。一瞬一瞬「宇宙神ありがとうございます」籠めて、籠めた時は、神さまと不離一体だと信じ切ること、それが真剣さです。大丈夫、皆、出来ますから。どんな感覚が襲ってきても、一瞬一瞬真剣さで真祈りするだけなんですよ。そしたら、あっという間に何でも変わりますから。ありがとうございます
後、もし何か質問があれば、お願い致します。

質問D
例えば、思いが沸いてきた時とかも、それも全く無視して、一瞬一瞬真剣に「宇宙神ありがとうございます」を選べばいいんですか?

先生の所に既に集まっている人はね、もう先生がご自分の思いというのは全部先生が消しているの。次、何かというと、縁者の思い。それだけです。だから、縁者の思いを「あっ、こうして自分の肉体に現して、感覚にして消しているんだな」ということなんです。何でね、肉体を通さなくちゃいけないか。例えば、先生は人類の業を消すのに、熱を出されたり、病気のすがたをとられたじゃないですか。それ何故なの?先生だったら、無しでいけるんじゃないですか?って質問したことが昔あるんですね。
すると、やっぱり形に表しておかないと、例えば「お前、怠けているやないか」と言われた方、言われた方が納得しないんですよ。だから、最後の最後のちょっとは形に表すんやって、そのちょっとが出ているだけですから。出てきたら、これはもっと一生懸命ではなく、真剣に真祈りするチャンスだと思って、「宇宙神ありがとうございます」籠めて下さい。
ありがとうございます

ともかく、現実無視がね、皆なかなかね、わからずに引っ掛かっちゃうわけですね。自分の欲望とか色んな思いが出てきたと言って、引っ掛かるわけですけど、それをね、どれだけ一瞬一瞬、真剣に真祈りに変えていけるかだけです。例えば、先生は悟りを開かれていたわけでしょ。なのに、なんで病気のすがたをとるの?ということじゃないですか。理屈で言えばそうなるわけね。でも先生は、全然現実掴んでないから、神さまが一番良いようにこの体を使って働いて下さっているだけだったんですよ。「ありがとうございます」だけだったんです。

今、先生は皆さまにね、先生の働きを委譲されたわけです。みんな自分の働きをしてくれよって仰っているわけです。だから、素直に何が現れてきても真剣にね、「宇宙神ありがとうございます」って籠め直すだけ。真剣に籠め直すだけ。そしたら、神さまの御働きをお手伝い出来て、一気に変わっていくんです、地球が。皆さんが変わるんじゃないんです。地球が変わるんです。あのね、自分の祈りなんかなんてね、皆、卑下しちゃうんね。卑下してまた自分の言葉で縛るわけですよ。その言葉の縛りを止めましょう。ここにいてる人は、必要だから集められているんですよ。だから、素直に真剣に、一呼吸ごとに、「宇宙神ありがとうございます」籠めていたらね、必ず神さまの働きをしているし、地球がよくなるんです。戦争と思いが消えていきます。本当に皆さんの使命は重大なんですから。現実的に、現実というのは要するに自分の意識的に、例えば「あんパン食べたいなぁ」とかね、色んな欲望が沸いても、それは適当に処理して真祈りに変えて下さい。お願い致します。
ありがとうございます
また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声は、こちらからどうぞ。

https://youtu.be/lEQZz0gz94k

宇宙神ありがとうございます

じょうし 2018/09/04(Tue) 03:50 No.957 [返信]
Re: 河上さんのお話
じょうしさん、書き起こしありがとうございます
尚、護摩焚きの後、多くの質問に答えた河上さんのお話しが有りました。
大変奥深い内容となっていますのでこちららも是非お聞きください。

https://youtu.be/DLxCWL_5040
モリモト 2018/09/04(Tue) 08:16 No.958


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中心者の真祈りについて・・・ by 河上あきのぶ [Mail] 2018年08月30日(木) 13時06分
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 中心に立つ人の真祈りについて・・・のご質問ですが、


 中心者のお祈りというのは本来ものすごく厳しいもので、すべての人類をお祈りで助けるという覚悟が必要なのです。その場合、まず人類のマイナスを一旦自分が引き受けなくてはなりません。そして自分の命と引き換えにその人類のマイナスを取ってくださいと神さまにお願いして消していただくのことが大切なのです。自分も一瞬一瞬死ぬ気でやります。そして、一瞬一瞬新たに新たに神さまに命を捧げる気持ちでお祈りに入ります。引きうけたものがたくさん溜まってくると消しきれない部分(燃えカス)が出てきますので。背負ったマイナスの燃えカスが形の上で肉体に、いろんな症状として出てきます。先生のように消えるまで重病人の姿を取ることもあります。自分はそうではありませんが、先生の場合はひどい時は何ヶ月も大変な状態が続いたことがありました。眠ろうとしても呼吸が止まりそうになって眠れないという感じになります。かなり体力も落ちるし、気持ちの上でも「もうダメかな」というくらいに追いつめられることが多々あります。

 そんな時に一番注意しなければならないのは、虚栄心です。つまり、お祈りしている姿を人に見られたら(見せたら)ダメなのです。もし、人に見せる形で、真祈りだと言っている人があれば、偽物です。あるいは、自分は人類のマイナスを消すためにこんなに苦労しているんだという感じにみられる(見せる)ことがあれば、偽物です。

 真祈りとは、どんな状態におかれても、神さまが一番良いようにされていると絶対の信をもてることが真祈りなのです。痛いなー眠いなーしんどいなーと思っても、ああ、使っていただいてありがとうございますと無条件の喜びがわかなければ、本物ではないのです。

 真祈りになっているかいないかは、

   自分と他人を分け隔てているかどうか?。→分け隔ててたら、偽物

   人にこれだけ苦労して真祈りしていると見える(見せる)かどうか?→見えたら見せたら偽物

   理屈抜きに、色んな条件ぬきに、ただただ、無条件の喜び幸せが、ふつふつと湧くかどうか?→どんなに苦しくてしんどくても、喜びがふつふつと湧いたら本物

   で判断されるとよいです。

   中心者の祈りとは、総責任者の自覚であり、総責任者の自覚とは、救世主宣言であるのです。

   宇宙神ありがとうございます


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思いの世界に生きるか?感謝の光の神さまの世界に生きるか?・・・・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2018年08月24日(金) 12時43分
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思いの世界、闇の世界、しゃば世界に生きるのか?感謝の世界、光の世界、神さまの世界である、一大循環の相象(すがた)の世界に生きるのか?地球人類は”今”、二者択一(にしゃたくいつ)を迫られているのである。

 思いの世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱えなければよいのである。

 感謝の世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱え続けさえすればよいのである。

 そうすれば、すべての思いを消し去ってもらえて、感謝の心を生きることができるのである。

 「ありがとうございます」の神さまは、無限に無限に謙虚なのである。

 人の自由を決して縛ることはないのである。

 だからこそ、感謝に生きたい人、感謝に生きようとする人は、「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、心に唱え続け、神さまを受け入れる必要があるのである。

 ほかにちょっとでも心を向けたら、そちらを優先しなさいと、「ありがとうございます」の神さまは引っ込んでしまうからである。

 最後の最後に絞り込み、到達する唯一無二の心の故郷・生命(いのち)の源・最高(無条件)の幸せの本源である。


 思いの心は必要でないものまで欲しがって、重荷を一杯背負い込むのである。

 感謝の心は、本当に必要なものだけに絞り込んで、いつも自由で軽やかである。

 
 「ありがとうございます」と唱え続けているだけで、本当に必要なものは、神さまから必ず的確に与え続けてもらえるのである。

 本当に必要なものを与えられたときに、人は最高の幸せ、無条件の幸せを感じ味わうことができるのである。

 だから、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」を唱え続けている人は、必ず、最高の幸せ、無条件の幸せを味わい続けることができるようになっているのである。


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皆さまの真祈りが役立っています・・・ by kawakammi [Mail] 2018年08月21日(火) 11時06分
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 皆さまの真祈りが地震と災害と戦争を防ぐのに役立っています。

 今一度、呼吸に宇宙神ありがとうございますとのせて、すべてを神さまに投げ出して、現実無視をお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます


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すべては完璧なる一つ・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年08月21日(火) 09時14分
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★ ハードディスクの中のお話を聞いて・・・疑問に思った点です!

常々、役割がみんな違うから・・・。生まれた時の役割がある・・・。と聞いていて
私としてもそれなりに理解し、
私としての使命があるのだなと認識しているのですが・・・。

先生のお話の中で、

「役割の違いがあったらだめなの」 

と言うところが、どう、理解したものかと・・・悩んでいる次第です。


(お話、一部抜粋させて頂きました。)・・・真実の世界への道しるべ(3) 「今ここが真実の世界(9)」

お祈りを世界に伝えたい。
ありがとうございますが段階が色々あるのね。

同じ伝えるんでも本物を伝えないとダメね。

本物を伝えるためには、自分が本物になる事よねまずね。

一番難しいね、これ



(中略)



本当の自分とは何か、人生の目的とは何か、本当の神さまとは何かってね

一番の根本の問題を、しっかり考えて考えて考えて抜いてね、悩みぬかないとだめよね。

真の神さまは完璧よね。一つよね、唯一無二。絶対よ。永遠の存在よね。

最高の理想の言葉一杯並べ立てて、まだ足りない位よね。

だからこの世とかあの世のね虚の世界とは全然違うのよ。

そんなつまらんもんじゃ、ないのよ。

虚の世界は全部対立してるの。

対立っていうのは、

プラスとマイナスに分かれたり、光と闇に分かれたり、相対の両極に分かれて

その組み合わせで全てのものが生み出されているけど、

対立するようなものは、本当の神さまじゃないよね。

この世は全部対立しているでしょ。



(中略)





虚の世界転落したからだめなんだけど、落ちてしまったのね。

その落ちた原因、この肉体に生まれてくる人生目的って色々言うよね。

あの世からこの世生まれてくる人生目的とかね、それ色々言うけど

そんなん本当の人生目的なんでもないよね。

みんな偽物よ。虚の世界生まれてくる目的なんか本当はないのよね。

反対よね。虚の世界から真実の世界早く戻らないとね。

本当の人生目的はないのよ。

だから真の神さまをどういう風に捉えるかって一番大きい大事な問題。

まず対立がないっていう風に見るとね。

みんな一つにならないとだめなのね。

完璧な一つにならないとね。

また、差別がないのよね。一切の差別がない。

上下関係あったらだめよね。



役割の違いがあったらだめなの。



沢山のものが本当に一つのものになるというのは、

色んな意味合いで想像を絶する様な働きなかったら一つにならない。

たとえば米粒を一杯集めて、塊を作ったて、これバラバラなもんが集まっているでしょ。

(以下、省略)



宇宙神ありがとうございます

・・・・というご質問ですが

 これはね、一切は完璧なる一つ・・ということがわからないと理解できないのです。

 本当はね、本当は、神さまが神さまに働いているだけなんです。

 つまり、自分が自分に奉仕して楽しんでいるんです。

 それを、思い巡らす心では、一人の神さまがしていると想うんです。でもね、本当はね、一瞬一瞬新たに新たに、全く新しい真(まこと)の神さまが、無限に無限に現れて、創造されているんです。そして、その創造を楽しんでおられるのです。

 それを、共に楽しみ 共に喜ばん!って言われれるんですよ。

 それがわかると、ありとあらゆる相象(すがた)をとることがわかるんです。この相象(すがた)の一部をとらわれて見ると(自由自在の立場に立てない状態→天の浮き橋に立てないこと→真祈りすなわち、真(まこと)の神さまだけを見ることができずに、神さま以外のものを見ている状態)、差別や、上下の分け隔てがあるように感じるんです。

 本当は、すべては完璧なる一つ・・なんですけどね。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2018年08月08日(水) 13時12分
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宇宙神ありがとうございます
8月の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
8月にまたお会いできて、嬉しいです。昨日の夜の10時半頃、先生からおまけ通達在りましたので、またお話できます。良かったです。

質問が一つ、来てましてね。「何も私、悪いことをしてないのに…」っていう質問ですけどね、何も悪いことしてなくて、普通に生活しているけど、私は普通に天国に行けるでしょうか?みたいな質問だったんですけども、これは、答えは、地獄に落ちます。これが、小人閑居して不善をなすっていうやつなんですね。神さまのおすがた、現世(うつしよ)の大自然のおすがた観たらわかるんですけど、与え切りに与え尽くすでしょ。太陽でも光を与え切りに与えて、平等にくる。雨でも、ごく自然に降って、一番下座に下座に流れていくじゃないですか。それは、与え切りに与え尽くすというすがたなんですね。神さまのおすがたというのは、常に与え切りに与え尽くすという偉大なものなんです。

みんな、この「宇宙神ありがとうございます」を祈ってますけども、この「宇宙神ありがとうございます」を小さく捉えているね、まだね。小さく捉えているから、さっきの「別に私、悪いことしてないのに、人に褒められてしかるべしなのに…」っていう感じの話になってくるのね。この世で何も悪いことをしてないというのは、悪なんです。マイナスなんです。それ、わかって下さいね。

一番大事なことは、神さまのお相象(すがた)に真似てですね、与え切りに与え尽くすという事なんです。何を与え尽くすかというと、真の神さま、宇宙神を与え尽くすというのが一番素晴らしいことなんですね。それは、一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」を今、込めてもらってますけども、それが一番、与え切りに与え尽くす心の一番良いすがたです。だって、途切れなくお祈りできるじゃないですか。ただ、そこで「私、何も悪いことしてないのに…」っていう質問が何で出るか?お祈りしているのに、何で出るかということですけど、それはね、結局、「宇宙神ありがとうございます」が小さいの。小さいから、まあ言われているから、宇宙神ありがとうございますって呼吸に乗せておこうという感じでね、小さく捉えたままにしているんですよ。小さく捉えて、自分で縛っているから、「自分、何も悪いことしてないのに…」みたいになるんですね。「宇宙神ありがとうございます」を大きく捉えていたら、自分は真の神さま、宇宙神をすべての人に与え尽くしているっていう感覚になるんですけどね。そうならないというのは、まだ祈り言葉が小さい。小さいと祈りにならない。それは、何で小さいか?何で祈り言葉を小さく捉えてしまうかというとね、結局は、真剣さが足らないんです。自分は真剣なつもりだって言うかもしれませんけど、真剣さが足らないんですね。何で真剣さが足らないかって言うと、自分のことはもう横に置いといて、ほっといて、神さまの為にどうぞお使い下さいっていう投げ出し方が真剣さ。
完璧に投げ出したら、真剣って言えるのね。でも、ちょっと自分のことも何かしてほしいという願いが少しでもあると、もう真剣じゃないの。それだったら、どんどん崩れていくんですね。だから、ともかく「神さまの為にどうかお使い下さい」ってね、例えそれで自分が今一瞬で死んでも、呼吸が止まってしまってもいいですぐらいの覚悟がいるんです。そこまで投げ出したら、宇宙神というのが凄く大きくなる。大きくなるともう自在になっていくんですけどね。これ理屈じゃないんです。今、理屈で説明しましたけど、理屈で説明するとちょっといびつなんです。理屈じゃなくて、真祈りなんですよ。それは「どうか神さま、お使い下さい」って言う、真剣に投げ出すという真祈りなんです。「どうか神さまお使い下さい」と投げ出すのを決意して、神さまに示す為に、「宇宙神ありがとうございます」って込めるんです。それを込めているとね、「宇宙神ありがとうございます」が真(まこと)の悟りのすべてっていうのがわかります。或いは、真の神さますべて、宇宙神のすべてだってわかってきます。それ、理屈じゃないんです。だから、祈るしかない。今までの人は、なかなか祈りでわからないものだから、理屈でわかろうとして、余計崩れちゃうんですね。

ともかく、「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」言葉もそうなんですけど、真の悟りのすべてが含まれているんです。え〜って言う感じに湧いたら、まだまだ。あるいは、朝、目が覚める時にね、パッと目が覚めて、「宇宙神ありがとうございます」が出ているようだったら、かなりわかるんです。他のこと思っているうちは、わかんないです。それって、自分では投げ出しているつもり。自分では神さまの為にどうかお使い下さいって投げ出しているつもりだけど、どこかで生活が大事とかね、なんか自分を守っているの。無意識に。それが消えるまではね、呼吸に乗せて下さい。それで、ちょっとでも自分を守ろうとする意識は、先生がどんどん消しながら応援するからっていうことなんでね、今は、基本的には、先生が「宇宙神ありがとうございます」って仰っているのですから、言える人は「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に込めて下さい。勿論、込めにくい人は、「ありがとうございます」でもいいし、本心の16項目でもいいんですけど、先生がわざわざ「宇宙神ありがとうございます」を指定されている時は、素直に、できたら「宇宙神ありがとうございます」でやって下さい。自由を縛って言っているんじゃなくてね、やはり、師に習う、師に添うというのが大事だと思うんですよ。先生がおまけを下さっている。僕がしているのと違うからね。先生が神さまがおまけを下さるのだから、そのおまけを下さる言葉が「宇宙神ありがとうございます」って仰っているんだから、素直にそれを使える人は、使って下さい。どうしても使えない人は、自由にどの言葉を使っても、それは大丈夫です。ただ、どこまで真剣になれるかという真剣さをね、神さまに示す。神さまに示すというのも変な具合なのよね。神さまは全部わかっておられるからね。自分自身に示すんです。小さい自分で示して、どんどん大きい自分に入れ替えていくという、その言葉として、「宇宙神ありがとうございます」になります。

先々月、説明しました、「宇宙神ありがとうございます」の宇宙神の大きさというのは、現代科学でわかっている全大宇宙を、無限倍に集めて、またそれを無限倍に集めてという、何倍も無限に無限に無限にって重ねたね、そういう偉大な大きさなんですよ。だから、イメージでは掴めない。言葉では掴めない。だから、素直に先生の後押しに乗せてもらって、呼吸にね、ひたすら淡々と、「宇宙神ありがとうございます」と込めて下さい。その通りにお仕事ならお仕事、御三どんなら御三どんをして下さい。今されている、毎日やっている、当たり前のごく平凡なことが真祈りに繋がるんです。それを忘れて、滝に打たれて祈らないとダメだとかね、みんな勘違いしているんですよ。毎日の平凡な繰り返し、繰り返しじゃないですよ。毎日ちょっとずつ変わっていくんですけど、一瞬一瞬新たに。現世と言えども、一瞬一瞬新たにですからね。ちょっとずつ変わっていくんですけども、それでも平凡な繰り返しに飽きて、滝に打たれないとあかん。なんか川に入らないとあかん。海に入らないとあかんとかね。座禅組まないとあかんとか、色々変わっちゃうんだけど、それちょっと違うんですね。それは自力と言って、自分でどうこうしようという意識なんです。自力の自分と言うのは、小さい肉体意識の自分なんですね。そんな小さい肉体意識の自分で何をやったってね、地球一つ変わらない。だって、自分の意識で地球の裏側にすらわからないじゃないですか?行けないじゃないですか?。だから、自力ではどうしようもないんですね。かと言って、「先生お願い」「神さまお願い」って他力にしたってダメなんですよ。それは無責任なだけで、全然本物にならないですね。本物は何か?と言ったら、自分の自由意志で、「どうか私の命、神さまのお仕事にお使い下さい」って宣言することなんです。その宣言の裏書ですね。自分で宣言したことを間違いなくしますというサインとしてね、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に込める。その「宇宙神ありがとうございます」の宇宙神というのは、唱えるごとにどんどん大きくなるって、意識していればいいです。ただ言葉の「宇宙神ありがとうございます」じゃないってね。わざわざ先生がお作りになった、神さまと約束されてできた祈り言葉なんですね。だから、「ありがとうございます」ではみんなできなかったから、宇宙神って付いているので、付けて下さいね。必ず、みんな真祈りできるようになりますから。それは実観でわかります。人から言われてではなくてね。

何かここまでで質問があれば聞いて下さい。「宇宙神ありがとうございます」についてでもいいです。

無いですね。ともかく、「私、何も悪いことしてないのに…」っていうのだけはね、勘違いしないで下さいね。積極的に祈るから、本物のプラスなんです。何もしてないと言うのは、マイナスなんです。この世での善行ってあるじゃないですか。駅前での掃除とか、奉仕作業とかありますけども、それもマイナスなんです。プラスではないです。もし、一切人に教えずに、誰にも見られないところでしたらプラスにはなります。でも、それよりは、毎日のお仕事を、御三どんの中で「宇宙神ありがとうございます」と込めるのが、一番のプラスです。神さまの与え切りのすがたの象徴なんです。

先ず、心をどこに置くか?なんですね。心を真の神さま、宇宙神に置いてもらう為に、祈りを込めてもらっています。先ず、心をどこに置くかが大事なんです。心をどこに置くか?なんて言うとね、みんな迷うので、ややこしいことを言わずに、常に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に、その一呼吸に込めてもいいし、その五呼吸に分けてね、「宇宙神ありがとうございます」を込めてもいいし、ともかく、途切れないようにして下さい。もし途切れても、必要で途切れたんだからと言って、自分を責めないことです。みんな光ですから、自分を責めるということは、神さまを責めるということなんです。あ〜、また自分こんなんしてしまった、なまけてしまったって、責めたらダメなんです。それを忘れないで。自分を責めると、本当に地獄に落ちます。

(質問者)
真剣になるには、呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と言っていれば、だんだんだんだん真剣になっていくのか?それとも…

(河上さん)  なります。

(質問者) それでよろしいんですね。それ以外の…

(河上さん)  要らん事を考えることないです。先生が後押ししているから、ひたすら素直に込めていればなります。込めている間にする作業は、全部神さまのお仕事になるんです。みんなね、自分で勝手に自分のやっている仕事は、つまらないと決めているの。わかる?
つまらないかすばらしいかは、神さまが決めること、それは。お祈りを込めていたら、全部素晴らしい仕事なんです。どんな良いことをしていても、お祈り込めてないやつは、偽物なんです。祈りに始まって、祈りに終わるって言う。

呼吸に「宇宙神ありがとうございます」込めていてもね、先ず祈ってから。例えば、お腹空いてる時、すぐご飯を食べようとするでしょ?お腹空いている時に、すぐご飯を食べようとしていると、これは思いに流されている。お腹がどんなに空いていても、先ず祈るの。するとね、何を食べたらいいかがわかる。そしたら、太らないし健康になる。ただ、お腹すいたら食べようとするでしょ?要らんものを食べて太るし、病気になる。或いは、風邪をひいたり、病気の時も一緒。お医者さんに行く場合じゃないんですね。病気になったら、先ず祈るの。そしたら自然に、どこの病院に行こうかとか、どこの接骨院行こうかとかね、勝手にわかってくる。そうして行くのが大事なんです。それを祈らずに病院に行くでしょ?つまらん病院行ってね、関係ないところをほじくられるの。先ず、祈りに始まって、祈りに終わるっていうのが大事なんです。それが大切なんです。

今まではね、先生が生きていらっしゃる頃は、みんな先生に頼っていたのね。先生を信じてないの。頼っているの。あーもう、こうなったら先生が何とかしてくれるやろう、となるわけね。先生が何とかしてくれるやろうというのは、求める心なんですよ。わかります?求める心は、先生助けようがない。だから、山作業というのをね、そういう質問があったんですけど、何で先生は、山作業をさせるようになったんですか?という質問があったんです。それは、与える心を創らす為なんです。普通のお仕事だったら、与える心になりにくいから、先生のところのお仕事で、奉仕作業をさせて、与える心、奉仕という与える心を創らせておくと引き上げれるから、先生は始めた。それなのに、山仕事して来てやった、しに来てやっているんやとか、畑仕事しに来てやっているんやという形で来ると、ちょっと値打ちが減るのね。

(質問者) さしていただいているんだ、という

(河上さん)  
さしていただくという、神さまの為にお使い下さいと来るのはいいんですね。先生が生きていらっしゃる時よりも、今の方がもっと極端に効くんです。何でかと言ったら、すべての人に先生が立っていらっしゃるから。もうちょっとのことでも一瞬で効くからね。だから、ある意味、先生が逝かれてからはね、みんな厳しい立場に立っているんです。ちょっとこれくらいはいいかなって言うので、グサーッと落ちるし、常に、祈りに始まって、祈りに終わる。例えば、息抜きしたい時でもね、ちょっとしんどいし、ちょっと休みたいわと言う時も、先ず祈る。そしたら、本当に休んでいい時は休みたいと思うし、祈ったら元気になって動ける時もあるし、祈って動けじゃないですよ。先ず祈るんです。全部終わる時も、先ず祈る。そしたら、もっと片付けて帰った方がいいのか、或いは、ちょっと準備体操して帰ったらいいのかとか、そういうのも、わかるんです。

(質問者)
【聞き取れませんでした】

(河上さん)
それもせずに、バーンと終わって帰ってくるから、疲れたとなる。

(質問者)
やる前と終わりには、必ず祈って。

(河上さん)
1秒でいいから、一言でいいから、祈る。そのうち慣れてきたら、それがもっとできますからね。その心が大事なんです。いつも神さまに心を向けているという姿勢が大事なんです。
思いに流れて苦しむのは何かというと、神さま以外のものに心を奪われた時なんです。神さまを忘れている時。食べ物にとか、異性にとか、お酒にとか、ビールにとかね。やっぱり酒飲まなあかんとかね。その時は、思いに流れて苦しむ。それを流れないように、いつも心を神さまに向け続けておく為に、呼吸に乗せるのよね。呼吸はいつもあるから。それがもう癖というか、自然になってくるとね、「宇宙神ありがとうございます」という言葉が要らない。神さまを指す指は要らない。呼吸がそのまま、真の神さまそのものと自覚できます。

そしたら、先生いつもね、祈り言葉を唱えておられなかったんです。祈りのご本尊の先生がね、「ありがとうございます」と唱えているのをあんまり見ないでしょ。それはもう、祈り言葉を超えておられた。この今の自分を観てほしいって、3年前の8月は、よく言われたんですけど、誰も見てくれない。そういうことなんですけどね。でも、それが今度は、皆さんが自覚できる。必ず後押しするからって、求める心を出すのはやめて、ひたすら神さまにお使い下さいって投げ出してくれって先生が言ってますので、素直に投げ出して下さい。それも、「何々する」って捉えることはない。

先ず「宇宙神ありがとうございます」と祈ることが、神さまに投げ出して、神さまのお手伝いになっていますから、先ずそれをして下さい。それをしていたら、自然にあれしよう、これしようって出ます。それをやれば、あっという間に変わっていきます。やっぱり、みんなお仕事していて、疲れるのは何でかと言うと、神さまの為にしていると思ってないから。何か自分の為にしているし、嫌やなぁーってどんどんどんどん疲れるのね。今お勤めになっている会社、つまらん会社って自分で思っていてもね、そこでやる、お祈り込めてする仕事は、神さまのお仕事なんです。それを忘れてはいけない。水って多い所にしみわたるでしょ。だからみなさんの会社のお仕事も、どんなお仕事あります、どれも大事な仕事なんです。本当は。でも、それはお祈りしないとわからない。大事な仕事とわからないと値打ちがない。だから、祈りを込めて、普段のお仕事をして下さい。そして、余裕があれば、どんどん村にお手伝いに来て、山仕事・畑仕事して下さい。お願いします。ありがとうございます

後質問あります?
なければ長くなるので、この辺でみんな暑いしね、終わりますけど、いいですか?
また、おまけがありましたので、9月まで楽しみにしています。今日はね、あっちの世界の方がお盆ですから沢山来ています。お帰りになる時も、祈りを途切らさずに、もう下の蛍の橋あたりまでは、押すな押すなのぎゅうぎゅう詰めなんですよ。萱原とかあの辺も、一杯集まっておられるのでね、お祈りしながら帰って下さい。お願い致します。
ありがとうございます
音声はこちらからどうぞ。

https://youtu.be/jvFZKl-HOnk

http://arigatougozaimasu.top/free/akb481/43


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テープを聞いても救われない、本当に祈りを実行してこそ・・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2018年08月06日(月) 15時46分
PC

 本当に本当に、必要な大事な大切なことは、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と心に唱え続けることだけである。

 ほかのことはすべて、救われを邪魔しているだけである。


 ありがとうおじさんの本を読んでも、テープを聞いても、本当に救われるのでは無いのである。そんなことを喜んでいるのは、思いの世界の話である。

 そんな人が1億人できても、神さまは少しも喜ばない。神さまの何のお役にも立てないからである。

 『ありがとうございます」『宇宙神ありがとうございます」と祈りを実行してくれる人だけが、神さまのお役に立てるのである。

 祈りを実行してくれる人の誕生を、神さまは切に切に願い続けているのである。


 本を読んで喜ぶ人は、本を読んで喜ぶ人をふやすだけである。テープを聞いて喜ぶ人は、テープを聞いて喜ぶ人を増やすだけである。

 本当に「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と祈りを実行する人をふやす為には、自分自身が祈りを実行する以外、方法は無いのである。

 自分自身が祈りに祈って、祈り続けることだけが本当の神さまのお手伝いになるのである。

 ありがとうおじさんも、名無しの権兵衛も、つまらない教えを立てて、しゃしゃり出てはいけないのである。出しゃばってはいけなかったのである。

 「ありがとうございます」の神さま以外、全面に出てきてはいけないのである。

 「ありがとうございます」の神さまと人の間に、いかなる者も物も立ちはだかってはならないのである。間に立ちはだかることは、神さまの救いを大きく邪魔することになるのである。


 「本物」と一対一の関係で常に常に向き合わなければ、決して「本物」にはなれないのである。

 「本物」は『ありがとうございます」の神さまだけである。

 にせものである人の教えにだまされてはならない。

 にせものである人の言葉に縛られてはならない。
 
 すべてのにせものを自分の中から葬り去ってこそ、本物になれるのである。


 地球人類は、長歳月の間、思いの世界に生きて来たのである。自分の思い通りになれば幸せなのだという、間違った錯覚の世界に自分を置いていたのである。

 自分の想い通りに生きようとすることは、他人を不幸にし、自(みずか)らも不幸になることに、ちょっと気づきはじめたのである。

 自分の思い通りに生きようとすれば、他人の自由を縛り、七難八苦に見舞われ、地獄に落ちてゆくのである。

 この厳然たる事実に目をそらしていては、永遠に救われないのである。

 謙虚に反省して、神さまの導きに耳を傾けなければ、幸せな自分には、戻れないのである。


 思いの世界に生きるのと、感謝の世界に生きるのとは、全く正反対の生き方なのである。

 思いの世界は、七難八苦が影のようにつきまとう世界である。

 感謝の世界は、七福八楽が光となって降り注ぐ世界である。

 


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宇宙神ありがとうございますは究極の~名・・・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2018年08月06日(月) 15時01分
PC

 『ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」というのは、宇宙の大神さまの究極の~名である。

 「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」の神さまは、宇宙の大神さまである。最高の神さまなのである。

 これ以上の神さまは、古今東西どこにも存在しないのである。

 『ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と心に唱えるのは、この神さまと一対一の関係で向き合い、この神さまを感受し、一体化する為である。

 否、既に一体化であることを確認する為である。

 「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」の一言の中に、すべてのすべては存在しているのである。

 「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」はすべてのすべてである。

 「ありがとうございます」をお礼の言葉だというのは、一知半解なとらえ方である。お礼の意味も無限の中の一つとして存在しているというだけである。

 
 「ありがとうございます」の神さまの働きのすべてを把握する為の言葉は、この『ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」の一言である。

 この言葉以外、何も必要としないのである。

 「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」の一言に絞り込んで、ただひたすらに『ありがとうございます」『宇宙神ありがとうございます」唱え続けているだけで、心の奥からしののめてくる。浮かび上がってくる。湧き上がってくるのである。

 この幸せは絶対に崩壊することの無い、永遠の本物の幸せである。

 ”今”、神さまは何を願い、何を必要としているか?

 ”今”、神さまが本当に必要としているのは、”今”、神さまが一番必要としているのは、ただただ、ひたすらに「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と唱え続けてくれる人である。

 ただひたすらに「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と祈り続けて、神さまを受け入れてくれる人である。


 地球人類は今日まで、自分勝手な思いを出し続けて、神さまを受け入れることを拒絶し続けてきたのである。

 神さまを受け入れて神我一体、不離一体とならなければ、いかなる調和も生み出すことが出来ないのに、神さまを無視し、拒絶し続けてきたのである。
 地球滅亡を前にして、まだ悪あがきし続けるのか、神さまに任せて救ってもらうのか?二者択一を迫られているのである。

 「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と唱え続けてさえすれば、必ず救われるのである。

 「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と唱え続けるだけで、本当の幸せを体得した人が、どんどん、殖えているのである。

 心の奥底から最高の幸せ、最高の喜び、最高の安らぎが湧き上がって、これ以上の幸せは無いという人がどんどん、殖えているのである。


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光源と光線の違いをはっきりと理解しておく必要・・・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2018年08月06日(月) 13時55分
PC

 光源と光線の違いを、絶対神と救済の神々の違いを、はっきりと理解しておく必要があるのである。

 本当の救い主は、宇宙の大神さま(宇宙神)だけである。

 どんなに救いに立つ神仏も人も、あくまで使いであり、パイプ役でしかない。

 
 謙虚に謙虚に、自我を滅却して、すべての栄光を宇宙の大神さまに帰し、本当の救い主は、宇宙の大神さま(宇宙神)であることを、はっきりと示さなければならない。

 途中でその栄光を横取りしてはならないのである。


 救われる側の人に対して、本当の感謝は、宇宙の大神さまへ(宇宙神へ)捧げるべきであることを、くどいくらいに教えなければならないのである。



 自分が自分がと”我”を出せば出すほど、パイプは、”我”の心で詰まってしまい。宇宙の大神さま{宇宙神)の救いの光は流れなくなるのである。
 
 宇宙の大神さまの救いの光が無ければ、過去、現実を掴む人の思いは消えないので、決して人は救われることは無いのである。


 救う側も、救われる側も、宇宙の大神さまに(宇宙神に)感謝してこそ、どちらも本当の意味で救われてゆくのである。


 これまで救う側に立つ神仏や人が、あまりに自我を出しすぎたのである。

 いろいろな神仏が、教祖が、教えが、わがもの顔で出しゃばり過ぎたのである。

 自我を滅却し、謙虚にしりぞいて、宇宙の大神さま(宇宙神)のみを、全面に押し出さなければならなかったのである。

 それを逆にして、自分を出した為に、枝葉にとらわれさせ、対立を生じさせたである。


 世界の戦争の根本原因は、この枝葉にとらわれた対立の思いにあるのである。

 特に宗教宗派の思いの争いは深刻である。

 枝葉の神仏が自分を主張すれば、対立が生ずるのは当然である。

 すべての神仏を束ねる宇宙の大神さま(宇宙神)が、全面に出て来なければ、収拾がつかなくなっているのである。

 だから、「ありがとうございます」(宇宙神ありがとうございます)の宇宙の大神さまが、出現することになったのである。

 『ありがとうございます」と、「宇宙神ありがとうございます」と宇宙の大神さまを呼び続ければ、宇宙の大神さまが現れて、すべての対立の思いを消し去って下さるのである。

 「ありがとうございます」は、「宇宙神ありがとうございます」は、世界平和の為の最後の切り札である。


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護摩がどれだけ、重要か・・・・ by 河上彰延 2018年08月06日(月) 04時20分
PC

昨日の護摩は最初の5分で一瞬にして完了しました。大成功であるといえます。肉体人間側の思いとは、別に、真(まこと)の神さま(宇宙神ありがとうございます)の主催される護摩が、粛々と執り行われたのです。
 
 命を神さまに真剣に投げ出す・・これを絶対奉仕といい、神さまのために生きるというのですが、なかなか、この真剣さということがわからず、ご自分の家族や団体の為に生きることをまだ、第一にしているにもかかわらず、それすら、わからぬ人が多かったのも事実でありますが、現実無視でありますので、捨て置けの指示のまま、自在に命を使うことにしたのです。

 台風のあと、お盆の状態に入っておりましたので、今回の護摩では、肉体人間より、あちらの世界の方の参加が多く、大変な混雑でありました。

 しかし、肉体人間側が、護摩の意義について、いまだ、わかっておられない方がおられますので、改めて、護摩の意義を、つまり、どれほど、護摩が必要で、どれほど、大切かを、先生のお話から、護摩の重要性を説かれた内容から以下引用します。

 護摩の護という字は「まもる」という字で、護るというのは完全なものを燃え上がらすように本物を現すという意味があるのです。

 摩のほうは麻に手で、麻を細かく切り裂いて消し去るという意味です。

 だからこれは偽物を細かく砕いて消し去る、そして本物を現すというのが護摩の姿です。

 仏教とキリスト教と神道と大きく分けると三つの働きがあるのですが、

 キリスト教は洗礼といいます。水というのは汚れを洗い流します。形の水の洗礼は模型で、霊の洗礼です。水の清めは柔らかい優しい清めです。

 護摩の方は仏教のやり方で、火の洗礼というより火の清めです。
 不動明王が中心に立ち、汚れたものでも火にかけると回りの汚れが焼けて消えて本物が出てくるのです。ちょうど不死鳥・本物が飛び立つのです。

 神道は玉串奉天(たまぐしほうてん)で、玉串というのは天照大御神様の玉体(ぎょくたい)を指すのです。元々の由来が榊・永遠の生命の象徴です。

 そこに紙垂(かみしで)階段状に作った段だらの状態のものをくくりつけます。あれは螺旋構造を表す、宇宙創造の仕組みなのです。

 玉串というのが天照大御神様の最高表現を指していて、本心の自分とか天照大御神様を指しています。それを神さまの前に捧げるというのは、捧げる時に回して逆に根のほうから捧げます。根こそぎ・自分の全てを一切を捧げ尽くして、そして神さまから新たなものを受け直すということを象徴的に動作に表しているのです。

 だから、天照大御神様の玉体を受け直すというのが本来の意味です。
 小さくいうと、小さい自分の命も全部捧げて新しい自分を受け直すという意味があり、神さまへの全托です。神さまにお任せすることによって自分のマイナスを一切消してもらい、プラスの本心の自分を受け直して、清らかな自分として出てくるのです。

 全てを包容して全部中に持つ大きい救いの働きが古神道です。

 清めというのも、浄化の浄と清らかな清と二つあって、水の清めは浄化の浄です。三ずい・水が争うというのは激しく動き回るという意味です。

 速い厳しい強い流れにさらすほど汚れが取れます。これが浄化の浄です。

 清めの方の清らかな方は、三ずいに青で、水が青いというのは本質です。この清めの方は本質を現すという意味です。表面の汚れを取るというより本質を現して清めるのです。火の清めがそうです。火にかけることによって本質が出てきます。護摩というのはそういう意味で、護摩木に自分の名前を書く、これも自分を捧げ尽くしている姿です。捧げ尽くして、例えば「ありがとうございます」と唱えると、そこは光り輝いた姿・燃え盛った姿をとるのです。一本でも明るいです。

 二本寄ると相乗効果を起こして、三本寄るとまた起こしてというように、たくさん寄るとそこが一大巨火に変化します。これは個人的な汚れを取る段階をはるかに超えてしまいます。大きい一大巨火になったら世界を照らす光になり、闇を消す・マイナスを大きく消す働きをします。そういう意味で護摩というのは大切で必要なのです。

  宇宙神ありがとうございます


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