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5月深夜勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2022年05月22日(日) 02時03分
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令和4年5月河上さん深夜勉強会−1(20220513−1)

河上さん:神さまがただで与えている無償の愛と言う象徴やね、空気も水もね。そういう無償の愛のもの、当たり前のように存在しているものやね。それは肉体もそうやね。当たり前のように心臓が動いてね、当たり前のように。だからみんな自然にそうなってるっていう感覚のやつ。それって全部、神さまの凄い愛の存在、光の存在やね。でも請求書が来ないから、何か勘違いして、それが大した事ないみたいに決めていくのね。それで、あれを食べないといけないとか、これを食べないといけないとか縛るでしょう?

質問:でもその縛りをといたら、さっき仰ったみたいに光の…

河上さん:そうそう、先生みたいに水とね、ちょろちょろっとあったら平気で。ちょっと足らないなって思いはった時は、生卵を飲むぐらいやってんけどね、結婚してからは。結婚する前はね、花の蜜…あ、奥さん、録音機置いてあるから(呼びに)行っといで(笑)
 結婚する前は本当にその辺を草を採って、たんぽぽ、はこべ、おおばこを採って食べてはったみたいな。虫さんを食べたりね、みたいな感じやってんけどな(笑)。それぐらい食べるものは、神さまが必要なものは必ず与えてくれているんだけど、人間の方が勝手にね、「こんなものは」ってなってるのね。
 でもちょっと、いよいよ時間切れになりましたので、1人頭10万円ずつぐらいの缶詰は買っときや。3年分ぐらいは買っておかないと大変やで。ちょっと今回、まあ、お祈りしてから喋るけどな、奥さん呼びに行ってるしね。だけど本当に家族5人やったら、50万円位。お金に余裕があるんやったら。

宮野さん:無いです。

河上さん:あったら買い込んどいてください。それぐらい買っておいても、今やったら買えるからね。もうウワーってなってきたら、一斉になくなってしまうから。

質問:缶詰というのは保存が効くから?

河上さん:うん。

質問:米ではなくて?

河上さん:いや、米でも乾麺でもいいんだけどね。だけど米やったらどう保存する?みたいな。

質問:長期戦ですか?

河上さん:3年て言ってるね。

質問:水とかはいいんですか?

河上さん:水はほら、泥水でも炊いたら(沸かしたら)すすれるよね。

宮野さん:あれを持ってたらいいね。アウトドア用の濾過するやつ。それなら炊かなくても、火を使わなくても。

質問:まぁそこへ入れてれば、ふやけていけると言う感じですか?

宮野さん:アウトドアのさぁ、そんな高くないのあるじゃない。ここにシャーと入れると綺麗に飲める水になるやつ。あんなんでいいんじゃないの、一個あれば。いちいち家族全員分のを沸騰とかさせてたら大変だろうし、熱をどうやって手に入れるかもあるだろうし。

河上さん:先生の小さい頃は、僕の小さい頃でもそうだけど、遊びに行って水がなかったら、水たまりの水をすすってたからね。別にそれが、それでお腹を壊すとか思ってなかったから平気やったけど。

宮野さん:だけどそれね、そんなん言って他の人がしたらお腹を壊してまた…

河上さん:そらそうや。だから炊いて飲んだらいいって言ってるね。

宮野さん:炊いてもやっぱりほら、あるじゃない、そういう耐性ができない人。今時の若い子やったら、ちょっとしたことであかんやん。

河上さん:死ぬ人は死ぬんやって。

宮野さん:公に言っているのに、そういうことを言うのはね。気をつけないと。また叩かれまっせ。

河上さん:もう時間切れや。叩くも糞もないわ。

宮野さん:時間切れやったら、3年間の食料も要らんのと違うの?

河上さん:それは言葉で縛らずに、自由自在になったら大丈夫。こんだけしか食べないからダメになるわって思わなかったら大丈夫。先生が20日間断食して10日間お食事してて、繰り返してはったわけでしょう。そんなんしたら普通あかんね。でも平気やったでしょう。別にそれでダメって思ってはらないね。と言う事は逆に言うと、断食しなくてもいいけど、今の食べる量の3分の1でいいって言うことや。

 1日今3食やから、1日1食で平気になるなる筈やっていう。全人類に食べ物を均等に与えようと思ったら、今食べる量の3分の1にしたらみんな平等にいくんだけど。いよいよ人間が勝手にいじって、せっかくの作物ができないようにしていくんでしょう。
 じゃー、ちょっとお祈りします。   ・・はい。 (質問を)どうぞ。

質問:宇宙神ありがとうございます。なんだかやる気が起きない時や、面倒な時は「印可書」を横に響かせる働きと思って、淡々と「印可書」を奉納するで良いと思うと。それにかこつけて「印可書」を読んでいるから良いね的に、言い訳に使ってしまっている時があるように感じています。こういう感覚も楽しませていただいているのが、これも真(まこと)の神さまの御働きなのだと、どんなときも只々、「印可書」に立ち返って淡々と奉納させて頂くでよろしいでしょうか。宇宙神ありがとうございます。

河上さん:だから「印可書」に向き合う気持ちやね。いろんな雑念、いろんな思いが湧こうが、もうこれに縋る(すがる)しかないっていうね。「これしかない」ってその向き合う気持ち次第。勿論、力む必要は無いから淡々とでいいんだけども。

 (無責任にね)「印可書」さえ読んでたらいいんやろってなったらもう終わりやね。まぁそれでも読まないよりはマシやけどね。だけど、「印可書を読んでるから悟らしてくれよ」みたいなとこに(求める心に)近づいていくわけやね。「印可書さえ読んでたらいいんやろ」っていうのは。その辺だけやね。せっかく大おまけで降ろしていただいた「印可書」やから、その大おまけを喜び勇んでね、受け止めて行くというひたむきさはいるのね。力む必要は無いけど。だから、これだけ読んでいるから効果あるかな、ないかなって思ってしまうと、微妙に「印可書さえ読んでたらいいんやろ」(→報い求める心)みたいな言い訳になっていくね。(たんたんとした印可書奉読は、ひたすらなる与え尽くす心)

 (印可書奉読はただただ与え尽くす心だから)だから結果に一喜一憂しない、だから「印可書」読んで苦しいままでも、先生の大おまけを信じきって行けるかどうかと言う、そこだけやね。

 「印可書」は凄まじいものやから、どんな状態でも光が降りてくるんだけどね。でもそれを100%受け取れるか(一切を報い求めずに与え尽くす心の場合は100%)、(少しでも報い求める心があると1%)1%かって言うのはそういう部分やね。

 だから「印可書読んで悟らしてくれや」って言うと、それこそ0.0何%しか受けれないみたいな感じだけで。それは昼間にね、太陽の光をパッとを受け止めるのと、こうして手で眼を覆って明るいのに「暗いわ!暗いわ!」って言ってるような感じやね。いわゆる自分のいらない意識を足していく。「印可書」に対して。只それだけやね。

 だから、言い訳になってしまっているっていう意識も本当は外してね、苦しいからひたすらこれに縋る(すがる)みたいな感じになるほうがいいんだけどね。だから「考えるな」って言うの。考えた分だけ、自分が肉体という意識。あのね、考えるなというのは肉体という自分を守りたいからやね。それで「考えるな」って言うんだけどね。そうでしょう?「お腹すいたから何か食べましょう」とか、「あの人に着いて行ったら楽だから着いて行きましょう」とかね、考えるというのは肉体を守ろうとしてるの。で、肉体を何で守ろうとしているかと言うと、肉体を自分だと思っているから。

 だから「この人に着いて行った方が得や」とか色々あるね。どれもこれもやっぱり無意識に肉体をどうこうのって思ってるね。そう思って考えるから、神さまの光を受け損なう。

 今、最初に言ったように空気も水もね、もう無条件に与えられているわけでしょう。それを素直に「はい」って受けれたら、それだけで栄養は足りるわけやね。極端に言うとね、先生のように。だけど、「空気と水だけでは体はあかんわ」ってね。やっぱり無意識に考えて潰すわけよね。もうそれだけやねんけどな。だから考えたらあかんて言うのね。要らんことを考えなくても神さまが良いようにしてるんだから。だから例えば、必要やったら食べるものも現れてきてね、その時はいただいたらいいし。必要でないから水も何もないんやって思えたら、不安にならないね。同じ水がない状態でも、不安になったら一気に崩れるね。「もう3日も何も食べてないからあかんわ」って言ったら、本当にあかんようになるんだけど。断食しましょうって思った人は、10日でも平気なわけでしょう。みんな要らん事を考えてダメにしているだけで。

 要らん事を考えそうになったら「印可書」を奉納してね、「印可書」奉納したら神さまのお手伝いだから、考えてる暇は無いよって言うそれだけやね。勿論、「宇宙神ありがとうございます」でもいいんだけど、「宇宙神ありがとうございます」だとやっぱり要らん事を考えるのね。「これで大丈夫かしら?」って思ってしまうのね。「印可書」は「これで大丈夫かしら」「これを言い訳にしてるんと違うかな」って言うのが入れにくいのね、長いから。「印可書」の1行1行に「言い訳にしてる、言い訳にしてる」を入れると大変やで。それくらい「印可書」は考える余裕をなくすようにしてるんだけどね。

質問:今、肉体が自分て思う…

河上さん:無意識にな、無意識に思ってるわけよ。だから「食べないとダメだ」とかね、「お金がなくなったら大変だ」とかね。

宮野さん:「こんなに無理したらアカンし」とか。

河上さん:そうそう。

宮野さん:「体をこんなに無理したらあかんの違うかな」「眠らないといけないんじゃないかな」とか。

河上さん:或いはその逆やね。「肉体を自分と思ってないから、私は眠らないわ、動き回るわ」って、それも一緒やね。やっぱり自分を肉体と思ってるね。

質問:神さまからの預かり物とか、そういうことも考えなくていい?

河上さん:いやいや、だから預かり物って言ったら、肉体が自分じゃないよね、神さまや。それで預かり物って思えって先生が言うのね。預かり物と言う事は、神さまの体や。だから先生は僕に最初言ったのは、「肉体は神の宮居(みやい)」って言って。お宮様やと、肉体は。そこに神さまが降り立つって言ってくれたんけどね。

宮野さん:因みに「みやい」ってどういう漢字?

河上さん:お宮さんと居宅の居。
 だから神さまのお家っていう感じかな、って言ってくれたけどね、11歳の時やけどな。だけどそれを別の言い方をしたら、神さまからの預かり物でしょう。だから自分の物じゃないね。それなら大事に使うみたいなね。

 一番大事なとこは神さまが1番良いようにしてるって言うそこやね。それなら肉体が自分という意識から見て、如何に不都合な事でも安心できるのね。要するに、この地上で100年生きる必要は本当はないのね。1秒後に死んでも構わないやね。って、そこまで神さまが必要に応じて生かすし、殺すし。殺すって言う表現もあれやけど、「自在に神さまに使って頂くだけ」って思ったら不安は無いわけね。それなら十字架に架かるのも気にならない。ちょっとでも肉体が自分って思った途端に逃げ腰になるね。もうそれだけ。

宮野さん:神さまからの肉体は、神さまからの預かり物だからこそ、自分では何もできない、いわゆる自分の我では何もできないっていうところに来るわけやね。

河上さん:そうやね。だけど自分でなんとかしようとして、なんとかしようというのは、もう考えてるでしょう。自分では何もできないっていう事は、考える必要ないのね。

「考えたらあかん」って言うのはそういうとこなんだけど、中々みんな考えたいのね。
 で、「病気になったらどうしよう」とか、或いは「病気なってえらいこっちゃ」とかね。今やったら、例えば糖尿病になったらもう絶対に治らないみたいな学説があるわけでしょう。虫歯みたいなもので、いっぺん糖尿病になったら悪くなるばっかりで。悪くならないようにちょっと止めれるだけみたいな言葉の縛りがあるだけで。本当は別に糖尿病にかかわらず、癌でも何でもそうなんだけど、必要に応じてどうにでもなるわけで。

 治るとか治らないの問題じゃないね。何でも治るとかじゃないのね。何でも治るというのは自分の都合の問題でしょう。神さまの都合に応じて、神さまの御心に応じてだけやね。それなら必要に応じて癌で死ぬ人は死ぬの。それが1番良い形というのがわからなあかんね。

 でね「過去世の事はわからないから、それが1番良い形ってわからない」って文句言う人もいるんだけど、過去世の事がわかったら、この程度の事では消せないわってまた逆に潰すのね。「こんな癌くらいで、私そんなん消せないわ」って言って、いらん掴みをするから過去世の事は決してあるの。

 だから僅かな癌と言う病気で消してもらえて、良かっただけやねんけどね。いつも神さまが1番良いようにしてるだけなんだけど、小さい肉体の意識の自分の都合で言ったら、文句ばっかり。「こんな旦那でかなんわ」みたいなね。「こんな嫁でかなんわ」とかね。みんな言うね(笑)。

 だけど、今の日本って地上天国でしょう。水道もガスも電気も何でも来てて。本当に地上天国なのに、わざわざ不満を探して文句を言ってるの。それやったらぽつんと一軒家にいてる方が生活に必死になって、文句言ってる暇がなくなって、かえって幸せやな。

 みんなの願いを聞き届けて、先生が神さまが地上天国に日本をしているのにね、余計に文句言うのね。

 ちょっと止め損ねてね、北海道の人には申し訳ないですけども、北海道はもうダメかもしれない。それくらい、今日は攻防が激しかったんだけど、防ぎきれませんでした。申し訳ない、僕のお祈りが足らないだけ。だからまた皆さんの護摩までの「印可書」の奉読で変わるかもしれないけど。

質問:やっぱり来ちゃうって言う?

河上さん:ちょっと今日は打ち破られて侵入させてしまいました。あっちの世界ではね。函館に上陸するんと違うかな。

質問:そういう時に私たちができる事はなんですか?

河上さん:「印可書」奉読するだけ(笑)。

宮野さん:真祈り。

河上さん:そこで武器を持って戦かわなあかんって日本がなったらね、もう地球が滅びていくね。それだけに来させたくなかったんだけど。

宮野さん:真祈りしたら変わるじゃない。

河上さん:そうそう。

宮野さん:真祈り最強なんだから。

河上さん:結局、みんな怯えているだけよ。疑心暗鬼で。いつ寝首かかれるかもしれんっていうて、疑心暗鬼になってるだけよ。どの国もね。世界中の国、全部がそうよ

質問:日本もそうでしょうか?

河上さん:だから日本はね、平和憲法を持ったわけでしょう?戦争放棄と言う。それはみんなを信頼しますよって。みんな仲良しで信頼しますよって、憲法は宣言してるわけやんか。自分の国の安全を皆さんに委ねるっていうね。本当は理想的な憲法やね。みんながお互いに支え合うだけやったら、何もならないんだけど。やっぱり肉体が自分っていう意識があるから、まず自分のとこを守らな。

 虚の世界の宗教なんかそうでしょう?まず自分の家庭を平和にしなさいってやるわけよ。自分のとこの頭のハエも追えないのに、何を理想論を振りかざしてって言うんだけど、ホントは逆やねんな。でも虚の世界の宗教はそういうもんやね。自分のとこの事を優先したら全部崩れるね。それって100人に100個のあんぱんの世界やね、本当は。だけど自分のとこを優先したら、先々のことを考えて確保しとかなってするやろ。それで食べれない人が出てきて、食べれない人は「あそこが囲い込んだから、うちが食べれないんやんか」って言って喧嘩になっていくの、それが戦争やね。

 だから原油でも、天然ガスでも必要な所へ分けますよって。その代わり、うちは食べ物ない時はくださいねっていう感じになったらいいだけやろ、本当は。だけど高く売って儲けようとかね、するわけやんか。それなら、足らないとこが出てきて、足らないとこは、どうせあかんようになるんやったら一か八かっていう。で、今回は時間切れなんで、そういう凄い戦争になる前にね、オミクロンの次のウィルスですけども。それが出てきてバタバタみんな死んじゃうけどね。でもそれと戦争とが同時進行するから、食べるものがなくなって大変。そこまでしたくないけども。次のウィルスは症状なし。

質問:いきなりぽっくり?

河上さん:ぽっくり行きます。出血するか、血が固まるかのどっちかの症状になるから、お医者様は薬の出しようがない。突然出るから因果関係がわからないね。PCR検査で反応しません、今回は。次のはね。

質問:反応しないと言う事は陰性で…

河上さん:だからわからないわけよ。わからないから突然ぱたって。「あー、心臓麻痺やってんな」って位の感じしか、だからお医者さんも言わないわけ。だけどいつも言うように、今の球形ウィルスと言うのは、8個から10個で発症するって言うからね、免疫力がなかったら。だから全員保菌してると思ったらいいね。後は免疫力だけ。で、免疫力は感謝の心よ。喜び勇んでたら、だから笑顔でしょう。それなら免疫力出るんでしょう?

宮野さん:そうそう。脳内ホルモンが出ます。

河上さん:口で笑顔って言って笑わない人は無理やけどな、言わなくても笑顔な人は大丈夫。笑顔って何かって言ったら、神さまが1番良いようにしてるって喜べることや。無理矢理笑ったって無理やな。

 だけど神さまがいつも1番良いようにしてるって言ったら喜べるね。でも肉体の意識から言って不都合やって言った途端にね、免疫力が落ちるのね。だから急に痛くなっても、急に熱が出てもね、神さまが良いようにしてる、使っていただいて良かったって喜べたら、免疫力上がるから大丈夫やね。


令和4年5月河上さん深夜勉強会−2(20220513−2)


質問:確認なんですが、肉体の反応とは別に、わっと思って暫くたって、アッ、やっぱり神さまが一番良いようにしているって、だけだからだって

河上さん:そうそう。勿論そうよ。思い返せたら良いね。それが段々短くなって、一瞬一瞬新たになったら深い悟りやね。

宮野さん:ほとんどの人は癖でもって、一瞬肉体の方の反応が大きいじゃあない?さっきの質問にしたって、別に自分が印可書を読んでどうこうじゃあなくて、勝手に湧き上がって来るもんかてあるわけでしょう?勝手に湧き上がってくるものの中で、アッととか、ムカッととか来た時など、何でも有るじゃあない?

 例えば別にどうこう思わなくても、テレビ見てて「いやー、この人こんなことをしているの!」みたいなね、事っていうのはあるのやろうけど「いやいや、みんなこういう事を演じてはんのや、そうそう、私もこれを今楽しんでるんやな」みたいな感じで、ハッと思って、印可書だけ読み続けると。

 よく似てるけど、ちょっと違うっていうのは、さっきの河上さんの説明やね。「印可書だけ読んでいたら良いんやろう?」と言うのと、印可書を選び続けているんやけど「ハッ、こんな事してる自分が居ったん、気が付いしてしまったわ、あぁ、印可書やった!」って思うのと大きな違いやろうっていう話しで。

 そこら辺は似て非なるものやから、足をすくわれるとこだよね。でも自分を決して責める事をする必要は無いっていう、とこゃから「アッ肉体の反応やったんや」っと思って、又、一に戻って印可書を読めば良いだけの話で。

 でもそこで凄く大事なんは、さっき言わはった「神さまからの預かり物」やから、肉体は自分の物ではない。我が入っては神さまは使って下さらない、っていうとこで、前もちょっと話したけどwさんに。やっぱりそこかなっと。何も出来ない自分に気が付くところから、神さまが使って下さる。

河上さん:そうそう、そこがスタートやな。何も出来ない自分というのは、肉体が自分でないと思っているからや。でも肉体が自分と思ったら、自分が印可書を読むってなるの。すると受け損なっていくの。

 自分は何も出来ないから、印可書を読む事によって神さまに使って頂く、或いは、神さまのお手伝いしてるっていうのが、大事やね。そこの差やねんな。肉体の自分が読んでるって言うと、印可書さえ読んだら良いやろうという言い方やね。

 肉体の自分で何とか出来ると思っているから、肉体の自分が印可書さえ読んだら良いんやろう、っていうのがなって来るんやな。すると、まー、印可書やから力は有るねんけど、勿体ないなー、みたいな。

宮野さん:もっと言えば、100%バンと使って下さる方が、良いじゃないって思うのね。同じ使って下さるんだったら。と思うから出来るだけと言うか、目指すところは我のは入らない自分ってとこですよね?我のは入らない、本当に人形の状態、空っぽの状態にするのが理想的ではある。でもそれをするには印可書ズーっと、ひたすら読み続けていれば、空っぽの自分というのは、時間の中で言うと、もっと沢山の割合、比率を占めて来るって感じかな?

 それ迄は我の自分みたいな、アッ私がやっているやん、みたいなところが誰しもあるんだけど、それが段々消えて来て、アッこれって自分が出来る事じゃ無いよねって、神計らいよねっていう事に色々と気付かされていく。その中の比率がどんどんどんどん大きくなって行って、神さまが使って行って下さる事に大きく気付いていくっていう。あぁ全ては自分の事ではなく、全ては神さまの御働きだたんだっていう、感じよね?

河上さん:そうそう。だから我の自分が出てる時はね、一日に印可書何回読んだら良いんですか?って出て来る。分かる?それってもう我の自分やね。

 神さまから預かった肉体で印可書を読むんだったら、回数とかじゃあなくって、1日に1回でも良い訳やけど、ひたすらというね。そしたら満足するまで読むから、回数は無いね。毎回全部読み通さなあかん、とかいう捉われも無くなって、ホントにひたすら淡々という表現になるねんけどね。

 印可書さえ読んだら良いんやろうという時になると、そしたら1日10回読んだら良いんかなとか、1時間に1回は読んだら良いんかな?とか言い出すともう違うね。それで印可書を何回読んで下さいね、っていうのは言えへんのやけどね。言うとみんな我の自分が出て来る。

 で、私は言われた通り一日10回読んでいるから大丈夫よ。いや、違うやろうって、私が大丈夫違うっていうのが。

 だから昔で言うと、南無阿弥陀仏って言いながら殺人を犯すみたいなもんやね。そしたら、印可書を読みながら殺人を犯して良いんか、みたいな事やねんけど、その違いはどこかと言えば、それは我の自分がというとこやね。

 そこが中々、無意識にね肉体が自分って思っているから、分かれへんね。だから熱が出て来て大変と思うのは、やはり肉体が自分て思っている。

 或いは、仕事の上で急に行き詰ったりとかね、会社首になったというのでも、「あぁ、良かった」と思えたら、だいぶ違うねんけど。

 何事も「神さま一番良いようにしている」と思い切れると、どんどん良くなって行くねんけどな、本当は。どうしようと思った途端に、マイナスに落ち込むね。

宮野さん:多分きっとね、どうにもならん。自分ではどうにもなら無い事っていうのは、諦めがつくねんけど、何か自分で頑張ったら何とかなるん違うか?って思うものはきっと。

河上さん:だから自分で何とか出来るという間は、自分に我っという意識があるね。自分で本当に何も出来ないって。結局、何で自分で本当に何も出来ないって分かるかと言ったら、神さまの凄い力を信じ切れるからや。神さまを信じ切れないと、自分で何とかしなくちゃっと思うの。神さまが一番良いようにしてると思ったら、一番良いようにしてるんだったら、自分ではどうしようもないんだと、分かる事よ。

 でも神さまが一番良いようにしてるって思いが少ない分だけ、自分が何とかしなくちゃって出てな、なるね。

宮野さん:突然会社が首になりましたとか、突然嫌な事を言われましたとか、突然仲の良かった人から、暴言を吐かれましたとかね、色々有ると思う。エッて、全然今までの、どういう事みたいな。そういう時こそ逆に言うと、何でじゃあなくて、これこそ自分じゃあない事やから、ただ、不自然な事やったら、不思議の事の様に思える事の方が、神さまの何かの気づきだったりとか、新しい面白さを下さっているのかな、っという風に考えるチャンスかなと。

 いまちょっと私の友達で面白い事、本人も面白いっていう風には、理解してくれているんだけど、すい臓がんが見つかりましたと。すい臓癌が見つかった段階で殆どアウトなんだけど、でもすい臓がんが見つかって、まだ生きているのね。
 すい臓がんが見つかって、手術しました。取り敢えず、それも成功しました。奇跡的な事である。にも係わらず、わけの分らない所で、又、癌が出てると。その段階で、ついこの間電話してきて、「私すい臓がんだったのよ」って。「今こんな状態で、大学病院行ってるんだけど、大学病院では処置のしようが無いので、もうその辺の病院、何所でも良いので言って下さい」って放り出されたんだって。不思議な話やなと。

 そこにきて、私の所に、別に生き永らえたいとか、どうとかいう話しではなんだけど、偶々連絡がありました。で、「印可書っていうのが有るんだけど、読んでみる」って。それは読めば助かるという事ではなく、最近どうという話しで「私印可書を読んでいるね」と話して「読んでみる?」。それは読みなさいじゃあなくて、こんなんあるんだけどって、まあー、見せた位の話しよね。電話だから直接見せてはいないんだけど。電話だからこんなんあるんだけどという表現。多分目の前だったら「私こんなん読んでんねん」っていう話しや思うのね。

 それをやって、じゃあー、私の中では彼女の寿命が見える訳やから、後は神さまがどう使って下さるかだけで、それをやって読んで(印可書を奉読して)病気が治るとか、治らないとかの話ではないと。本来のその人が持っている寿命とか運命が、全うされ易くなるだけの話で、どう使って下さるかだけの話であると。 

 それによって、例えば癌が治るんだったら、癌が治るんだろうし、癌がありながら寿命まで生き永らえる事もあるだろうしって。でも凄く不思議な状態で、病気に、お医者にかかっている状態の運勢になっているわけやから、より面白いなって思うから、アッ、これは印可書に触れあうチャンスかなみたいな。

 で、あかん場合はあかんって感じやけど、どうもそんな感じがしないから、面白いなと。そうやって私の仲の良い友達であっても、普通のいう末期の状態の中で、面白いなと感じるのは不思議な話しやね。

 そんな事「あんた薄情な友達やな」って話しやけど、でも面白いしか感じない。身近の人で、自分だったらそう思っても、周りの人に対してもそう思ってしまうっていうのは、神さまの計らいなんだろうなって?
 勿論、その子にも言ったけど、幸せでずーっといい生活をしてきた中で、「じゃあ神さまに向き合わなかったでしょう?」って。「今、歳が大分行った段階で、今だから向き合えるじゃあない」って。病気になって誰も何も出来ない。大学病院さえ処置の施しようが無いって、放り出されたから、初めて向き合う話しで、こんな事が無いと思わないよねって。

 その子も別に悲観してるわけじゃあないのよ。「あ、そうなん」みたいな感じで、それも不思議な話やね。普通だったらその段階だったら、もっと治りたいと思うのね。
 でもそれもそう思わない。別に私に話しを聞いてきたわけじゃあないし、村の事も知らないし、先生の話も聞いた事も無いしやけど、多分感じる時には、感じるんだろうなって。何を選び取るかはその人の自由だから、自由を縛る気も無いから、読めとも言わないし。ただ、印可書はこうやろうって言われたから、ちょっとそれを送ってって言うから送りました。後は読んでるっても聞かないし、どう?も聞かないし、それも聞かないのね。それ自由だからっていう話しで。で、何かあれば連絡してくるだろうしみたいな。もうその状況だけで面白いなって思うの。

 だからその、色んな状況が起れば起るほど、面白いって考えて、印可書を知っている方だったら、なお更、より自分の置かれた事、色んな事が起れば起るほど、楽しんで下されば良いのね、みたいな。

質問:完全に映画を見てるような、そんな感じですね?

宮野さん:そう、良く最初のほう、自分の事はもういいんです、自分の事は神さまが良いように使って下さるって分かっているんでって。でもいざ身内の事になった時には、そこは中々吹っ切れなくって、とかね。助けてほしんですとかね、言いはるよね。「いや、どうにもならないです」って冷たいですけど、どうにもならないですって。

 その神さまがどうされるかの話で。要はどうにもならないというのは、助けないとか、助すからないとかいう話しではなくて、人間の力では、自分の我ではどうにもならない話しですよ。神さまがどうされるかだけで、神さまがより良く、働きやすくするだけの、お手伝いをさせて頂くのには印可書しかないんですよっと。

 でもそれは助けるのか、助けないのかという事ではないと。その人にとって、神さまのお手伝いができやすいように、神さまが使って下さるだけだよっていう。その下からの支えを、私たちは印可書をする事によって行きますよ、っていうだけの話やね。

質問:神さまが一番良いようにして下さっているっていうのは、自分だけじゃあなく、全部に当てはまる法則?

宮野さん:でもどっかで自分は我慢できるんだけど、みたいな感じになるんじゃあない?でもそこをもっと信じ切れてしまうと、例え自分にとても大事な方であったとしても、それは良いようになっているんやって。例えばそれがもう助からない命であっても、あー、この形で一番良いように救って下さっているんだなっていう。長く生きる事が幸せでは無いし、って話しよね。

 どの状態であっても一番良い形になっているっていう。ただ、肉体の反応があるから、その反応は「アッ、辛い思いをしてしまった」というのはそれはもう反応で、消えゆく姿っていうとこですね。
 どうぞ、お話しください。

河上さん:もう完結したし、終わって良いかなと?

宮野さん:何でやの?

河上さん:いや、もう後なに足さないと?もう質問も無くなったし、みんな綺麗になったし。綺麗になったからもう質問も無くなったし。

質問:でも今、みどりさんが仰って下さったようにしてみると、本当に今、友達の旦那さんも今、大変な状況で、友人同士が集まった時に、何かもう可哀想だとか、大変みたいな事出るんですけど、何か全然同調できなくって。寿命やからって言っちゃうと、もうこればっかりは神さまがされる事なんでって・・

宮野さん:一応ね、お付き合いの上、世間体の状態では、「まー、大変ね」ってお言葉を掛けるよね、一応ね。でも心の中では印可書を唱え続けっるだけよね、っていう話で。

 結局、その大変やな、苦しいな、辛いな、私の旦那大変やねんと思っている中で、それを一々、いやそうでないでしょう?って言ったとしたって、それは相手を説き伏せようとしているっていう、相手の自由意思を阻害している形になるわけやから、それは相手にとって、「大変やな、そうなんやなー」って、大変これからどうするんやろうなって、感じで合わせといて、心のかでは「いやいや、神さまの働きだけなんや、お祈りお祈り」。

 自分では何も出来ないからね。結局その方を使って入れ子構造で色んな事を消して下さるわけやから、「あぁ、こうやって神さまが使って下さっているんだな」っと。わざわざ自分の耳に入るという事は、お祈りをしましょうっていう事で入って来るので、ありがたい話やねっていう、お祈りのチャンスを頂いたって感じで。
 喋って良いよ。

河上さん:結局、神さまが一番良いようにしてるっていうのが、一番分りにくいの。極端に言うとね、道歩いていて、後ろから包丁でグサッと刺されて死にました、っていう風な感じの運命に、もし、なってもね、良いようにしてるって喜べなあかんのやけど、そこが難しいな。

 そういう凄まじい状態が起った時に、イエスの言う十字架に架かった状態やね。これで成就しました。良かったですってイエスは言う訳やけどね、それ今が一番良いようになっているって分かっているからやね。神さまが一番良いようにしてるっていうね、十字架に架かるのが一番良い状態やって分かるから喜べた訳やけど、一緒よね。突然誰かに足出されて、バンと倒れたましたと。或いは、駅で何かぶつけられてこけて、骨折しましたっていう時にね、あぁー、一番良いようにしてるって思えるかっていう、絶対の信を神さまに何時も試されているみたいなとこ、まぁー、神さまは試せへんのやけどね、自分が自分を試してるんやけど、いうとこがあるよね。

 やっぱり一番良いようにしてるっていうのが、一番簡単な表現やけど、一番ある意味分りにくい。自分が肉体と思っている限りは分からない。神さまからの預かり物って分かったらね、どういう形にしても神さま一番良いように使っているって分るんだけど、自分は肉体と思うと、自分に不都合なことは全部文句になる。

 まあ小さい子持っているお母さんだったら、突然自分の子が死んだみたいな時にね、一番良いようにしてるって思えるかって?そういうある意味厳しい言葉なんだけどね。

質問:その信が養われるのは、印可書奉納ズーっと繰り返していると?

河上さん:そうやね。印可書を奉納していると、それが凄く簡単に立ち上がるみたいなとこがあって、先生の大オマケやね。今までは、「ありがとうございます」をひたすら思ったらみたいに言われて、中々みんな出来なかった。

 本当はありがとうございます、ありがとうございますを祈り続けるのは出来ない事は、先生とうに承知だったのね。でもどんなに祈っても、私無理なんです。苦しんです。これ以上神さまの足引っ張れないんですって言って、先生に謝りに来た人がおらんかっただけ。そうして謝りに来てくれたら、ポンと伝授できた、それだけやけどな。(ありがとうございますと祈り続けるのは)先生やから出来るってみんな逃げたの。

宮野さん:でもきっとね、日本語の難しい所かしれないけど、同じ言葉じゃあない?感謝の言葉の「ありがとうございます」と「ありがとうございます」。だからどうしても小さく捉えてしまう?という感じが有ったから、

河上さん:そうよ、でも先生はしつこくしつこく言ってはった。何遍もね、「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのものって、一杯説明し尽くしてくれはったやん。でも誰も受け取れへんかっただけや。

宮野さん:説明されても分らないから余計にやったのね。

河上さん:勿論、分らないけど先生をね、やっぱりなめてるというか信じ切れてない。先生は何か超能力を持っているから、先生とこ来てたら何か助けて貰えるんちゃうかな、位の甘えしかなかった。

宮野さん:それは多かったでしょうね。だからこそ今、印可書が分らないけど、印可書だったら分らないけど余計に良いなと思う。

河上さん:そうそうそう。で、みんなが先生の働きが出来るよっていうね、そこが一番大事。

宮野さん:印可書やったら考えてられへんものね。どういう事やろう?全然分らへんよね、言えば。冒頭から分らへん。「絶対の中心 外遥か彼方」って何処やねん?みたいな。

河上さん:いや、答えは書いてあるんやで「すべてのすべてへ」って書いてあるんやけど、その「すべてのすべてへ」って広がり過ぎて分らへんのやね。「今此処に(いまここに)」っていう言葉なんやけど。全ては今此処にありなんやけど、今此処っていう絶対の中今(なかいま)が分らへん。
 この世の今此処っていうのは分るんやで。でも絶対の過去、現在、未来を含む、全てを含む絶対の中今(なかいま)が今ここに在りなんやけど。

宮野さん:前回の勉強会で言ってた本やね?

河上さん:そうそうそう。無尽蔵の蔵書を持っている図書館なんやけど。

宮野さん:ようやく本腰を入れて来た。

河上さん:だから一寸先が分からないというのが、本当の楽しみっていうのが、分ってるようで、分らんという処が微妙なところやね。でもDVD3回も見たら飽きるやろうっていう。

 同じ映画3回見たら、飽きるくせにって思ってな。先分ってたら面白くないんや、やっぱり。結果が分かってたら面白くないの。結果分から無いから楽しい。そうなのに不安やって文句言う。面白いわ。

 結果わかってる方が安心だったらな、同じ映画を何十回と毎日見て下さい。喜んで(みてください)、でも喜ばれへんやろう?飽きて来るやろう?一瞬一瞬新たに生きるのが皆好きや。そうやろう?一瞬一瞬新たに生きるのが嫌やったら、同じ映画を何回も見てたら良いね。で面白いわ面白いわって喜べたら、一瞬一瞬新たに生きんでも生きれるの。

 でもやっぱり一瞬一瞬新たに生きたいから、一寸先分らんので楽しい、本当はやで。でも肉体の意識でね、肉体でどうこう思うと不安になって来る。神さまが一番良いようにしてるから、一瞬先が分らんでも楽しい。

 だって映画がそうや、自分ではどうしょうも無い。どういう筋で、どういう結末になるんか分からないけど、映画見始めた時よ、分らんけど、自分でその映画いじれないのにやで、喜んで見てるよ。それって神さまが一番良いようにしてるや。

 映画見る時は、全託出来てるの。全託出来て無かったら、映画見始めて、途中でこれはここで変えたらなあかんとか、苦しむで。でも映画見て苦しめへんね。

質問:私ネタバレOKなんですけど?

河上さん:ネタバレOK?

質問:ええ、全然何と言うか?

河上さん:いや、ネタバレOKで同じ映画何十回と見て楽しめる?

宮野さん:すぐ忘れるから、私も全然OKやけど。

質問:何十回は無理です。

河上さん:何十回でも見れなあかんや、ネタバレOKやったら。

宮野さん:全然OKやで。その都度その都度面白さがあるじゃない?おお、こんなんやったって。

河上さん:うん。だからその時は立場が大きく立ってるや。ね?この筋書きのものを、こうゆう表現にしたら、こうゆう風に面白いんやなとかね、大きい立場で見てる時は何十回と見れるね。だけどその物語の主人公に没入して見てたら飽きるの。あぁこういう配役やから、この人はこうゆう風に演技して、こうゆう風にしたんやね、とか。映画監督がこういうう風に指導して、こうさせたんやな、とかいうて見出すと何回も見れるんやで、本当は映画は。

 だけどそれは大きい立場や、でも小さい立場だったら、もう一回見たら充分。それでも映画見る時は絶対の信があるからね、危機一髪でも、必ず最後はハッピーエンドで終わるって信じてるや。

 映画だったら信じれるのに、自分の人生信んじない、おかしい?一番素晴らしい自分の映画という人生を信じないね。人の作った映画は信じるの。

質問:それ何ででしょう?神さま信じて無いから、自分を

河上さん:だから肉体の自分でどうこう出来るって、やっぱり肉体の自分が何とかして、何とかできるっていうのは神さま信じてないっていうことや。

 神さまを信じて無いってどういう事かというと、肉体の自分が考えて何とかなる、何とかしよう。

宮野さん:自分の理想があるんじゃない?こうあったら良いなっていう理想。野垂れ死ぬとかさ、孤独死がOKと思わない、きっとね、みんな。やっぱり何所かで。出来る事ならば、無くなる時は痛みも無く、お布団の上でみんな気が付いてくれる状態で死ねたらな、とか。何か腐乱した状態で、何か野垂れ死んでたら嫌やなとか、有るんじゃあない?きっとそういう事じゃあないのかな?みすぼらしいと言うか

河上さん:だから自分の借金知らんからや、もうそれに尽きる。だと言って自分の借金を知らすとな、この程度では消えへんって文句言うしな。中々難しいんやで。教えたら教えたで文句言うし、教えんかったら教えんかったで文句言うし。それやったら気い良く神さま信じてなって。(思うんだけどね)

宮野さん:死して屍拾(しかばねひら)うものなし。

質問:大江戸捜査網。

宮野さん:そうそうそう、だから結局、だれも寿命は分る分らないのあるけど、基本的には分らないわけでしょう?じゃー、どの状態で死ぬなんてわからないわけで、でも神さまが良いようにして下さってると思えば、どの状態でも良い状態で死ねるわけでしょう?

令和4年5月深夜勉強会−3(20220513−3)

質問:(この現世での人生での一生が)七難八苦(しちなんはっく)の連続だとしても、それは神さまが一番良いようにしていると思えば、ハッピーエンドで終わる?

宮野さん:そう、だってさ、その七難八苦を苦と思う人もいれば、苦と思わない人もいるわけじゃない。

河上さん:どの立場でみるかや。。

河上さん:だからエベレスト登るのも七難八苦やで、やっぱり。

宮野さん:楽しんではるわな。

河上さん:マラソンで42km走るのは七難八苦とちがう?ふつうは出来ないよ。

宮野さん:100メートルを8秒なんぼ走るのでも、七難八苦と思うけどね。

宮野さん:でも今日のそれ言ってた。100メートルを16秒台で走らんかったらマラソンは(オリンピック記録)走れないみたいなことを今日言ってたよ、うちの女の子ね。

河上さん:そうやね。マラソンを走ってるの、めちゃめちゃ速いよ。

宮野さん:追っかけようと思たって、そんなんついて行かれへんって言ってた。それは人によって違うね、しんどさが。

河上さん:それを七難八苦と言わずして何と言うんや?とか思ってしまうけど。

宮野さん:どれがその何なのか、今何なのか分からない?どれが苦なんか分からない。

河上さん:立場次第やね。

質問:大きい立場に立てば、全てはハッピーエンド?

河上さん:喜び、だから神さまの立場に立ったらな。

宮野さん:私なんか、毎回色んな事大変やなって良く言われる訳。大変やなって言われる度に、「だってめっちゃ面白いやん!」って。こんなん次どうなるかって自分では読めないから、イヤー神さまが次の展開に、どうして下さるかっていうのは、もうお任せしか思わないから、めっちゃ楽しみやわーと。その時まで思いっきり肉体を駆使し倒す。

河上さん:ジェットコースター乗るのに、わざわざお金払って乗っているんやで!だけど自分の人生、お金払わんでも、ただでジェットコースター乗せてくれて、山あり谷あり。

宮野さん:ワクワクするで。

河上さん:それも遊園地のジェットコースターみたいなちゃちなもん違うで。

宮野さん:そっちの方が怖いと思う。遊園地のジェットコースターは怖いで。人生の山あり谷ありの方が、面白いと思う。だって、絶対に谷ばっかりで無いからね。だって谷ばっかりだったら、それが普通だと思っているから、苦しいと思えへんや。ズーっと浮き上がって来るから、あー、あれ谷やたんやなと思って、あれ絶対、次、嫌やなって、思うわけでしょう?浮き上がらないでずっと沈んでたらさ、そう考えたらね、七難八苦ってさ、あのずっと苦じゃなく、上がって下がって上がって下がってあるだけの話で。

質問:大きい立場で言うと、その七難八苦が神さま目線で幸せ、肉体で言うと痛み、どうしても痛みは、こう、うーん。

河上さん:喜びや。だからマラソンを走れる。エベレスト登れる。肉体の苦痛が喜びやから。ボディビルできる。ボディビルなんかは大変やであれ。

質問:ねえ

河上さん:でもあの苦痛は喜びやからしはるね。肉体の苦痛は喜びやねんて。

質問:琵琶湖マラソンでも。

宮野さん:そうそうそう。

河上さん:いやほんまの話や。肉体の苦痛は喜びやね。だから逆に言うとね、あの刑務所に入れられて独房に入れられたら苦しいね。一番の刑務所での懲罰は、どついたり叩くことと違うやろ。独房に閉じ込める、そしてそれも光塞い(ふさい)で真っ暗な独房に閉じ込めるのが一番(の懲罰)、ほら、映画パピヨンで見たやろ。一番懲罰の時は全部閉めて真っ暗にしてしまって、閉じ込めるわけやんか。そしたら気狂ってしまった。とかね、

宮野さん:時間が分からない。

河上さん:何もさしてもらえないっていうのが一番苦しい。動き回るっていうのはある意味苦痛やけれども、一番楽しい。だから「暇で暇でしゃーない」って文句言うくせにね、忙しいは忙しいで文句言うしね。「どうせい?」ねって(どうして欲しいのか?)みたいなのがあるけど、それはみんな自分の意識を自在にあちこちおいて、楽しんでいるだけや。

 「暇は暇でかなわなんわ」と言って楽しんでるし、「忙しい忙しいでかなわなんわ」って言って楽しんでいる。本当は全部喜びやったんや。でも「かなわん」(いやだと)っていう楽しみをしているだけ。それが分かってくると「神さまが全て一番良いようにしている」って分かってくるね。

宮野さん:七難八苦じゃなかったら、どういうことが楽しいの?と逆に思う。

河上さん:そうよ。

宮野さん:そう。

河上さん:そう。何をするにしたって労苦を伴う。例えば映画を見に行くにしたって、歩いて電車乗ってとか、車運転してとか、何かせんと行かれへん 。

宮野さん: 旅行に行くのもあちこち下調べするから楽しいし、道に迷ったことも楽しい、っていう話じゃない。「どこや」「なんやね」って言ってさ、でもすっーてまっすぐ行けたら時間的にはスムーズにいったけど、でも楽しかったか?みたいな。新幹線に乗りました、はい東京、はい大阪着きました、はいどうぞ、終わり。みたいなよりは、とりあえず東京のどこどこまで行ってね、の中で、あの好きな行き方で行って良いからねって言って、うろうろしながら行くの方が楽しいんじゃないと思うね。

 そう考えると人それぞれの中で、七難八苦じゃない人生を歩みたいって言われた時に、じゃあ、どれが七難八苦じゃないんだろうという、どれが思う、それが全くないのが楽しいんだろうか、っていうのがよく理解できない。人それぞれどんなんだったらよいのかな?

質問:先生が「七難八苦が一番いい」と言われるのは過去・過去世のその積み重ねたものが大きく消せる、という意味も含めた上でのその七難八苦が一番いいとおっしゃた?

河上さん:だからな、過去を掴むから、要するに現実を掴むから、過去にこれだけマイナスを積んでいるのを、小さく消してもらえたという説明があるだけで、一切を掴まなくなったら喜びだけやね。「マイナスを消すとか消せへん」とかいうのと違うね。

 それって「神さまが一番良いようにしてる」っていうことやね、今の一瞬を生きていたら「神さまが一番良いようにしてる」って、分かるね。でもちょっとでも過去に生きるわけやね、みんな。でその過去に生きているともう永遠に苦しむから、神さまが肉体を持つ時に、過去の意識を消したってくれているわけやけど、まぁそれでもまだグチグチやっているだけや、ていうところやね。今の説明ちょっとあかん?

質問:いや、追いついて来ました。

宮野さん:追いついてきた!(笑)

河上さん:だから本当にね、掴むんよ、現実を。でもこの現実が先生の言うように既に遠い遠い過去や。

宮野さん:掴んだ瞬間から過去やね。さらさらと流し続けないと。

河上さん:本当にさらさらと流さないとだめだけど、つかむ。

 サラサラと流してる状態というのが、実は「今が一番良いようになっている。神さまが一番いいようにしている」っていうのがサラサラと流している状態。

 だって映画の中でね、「あーあそこ行ったらあかん落ちる落ちる」ってしないやろ。そうやってつかんでないからや。でも本当に「映画を掴んだら、もうヒヤヒヤして見られへんわ」って言って映画を見るのをやめてしまう、そういう状態を掴んでるって言う。

 うちの母親が霊的なものがかなりあった人で、すると映画でも危機一髪のあるやん。それ見ているだけでドキドキするから、「いやや」言って見えへんかったわ、それくらい波が合うわけよ。だから波が合うっていうのは掴んでるっていうことやね。

質問:はまってる?

河上さん:そうそうそう。

質問: まあ見るに耐えないようなこと、あるじゃないですか。

河上さん:そうそうそう。そういう感じや。

質問: もう見るの嫌って思って、離れるのも掴んでいるんですか?

河上さん:もう掴んでいるわけよ。 どの状態も本当は神さまが一番良いようにしているね。

質問:たとえドラマであろうと。

河上さん: そうそう、だから聖書にね、ヨハネの黙示録ってあるわけでしょう。人類の97%が死んでしまうようなこと書いてあるわけでしょう。でもなんでそんなこと書いてあるってかっていうたら、それでも神さまが一番いいようにしているっていうことをいっているだけやけどな。でもみんな掴むから「えらいことなる」って言うね。でも時間切れでそれが始まっただけや。

質問: その時間切れも。

河上さん:結局、みんな過去を掴んでね、過去を掴むから相手を疑心暗鬼にしているわけや。今でいうたらロシアでもウクライナでもアメリカでもそうなんだけど、疑心暗鬼なわけや。で怖いから、もうあのようになってしまうわけやんか。ソビエト連邦というか、あそこの国は特にそうや。もう隣の国が攻めてくるんではないか、と思ってすぐこうしようとしていくね。中国でもそうだけど、そうだれど、アメリカもそうやんか。結局怖いからするわけでしょ?なんぼ自分が力持ったって怖いね。相手が寝首をかくのと違うかって思う訳よ。それって現実掴んで過去を掴んでるから。

 それがお互いつかみ合いしてこう余計にマイナスを重ね合っている状態、今とうとうね。そしたらこれどちらか負けた方は、要するに面子(めんつ)立てへんほうが、だからもう「とことんやったれ」ていうふうになって、いよいよ昔と違って持っている武器が大変やからね、もう何が起こるかわからないところまで来てしまったわけや、よりによって。

 アメリカと小さい国がぐちゃぐちゃやっているうちはいいけど、いよいよでしょ? ロシアのプーチンの面子を立てる方法がどこにあるやっていうて、今なっているわけ。なのに面子(めんつ)立てずに悪い悪いってやってしまったら大変やで。

 これでプーチンさんが失脚して次の人が立ったらもっと大変や。そらそうやん、プーチンさんよりももっと、ロシアにとって良いことせなあかんねから、わかる?そうならないように持っていかなあかんし、だからもう大変やねんけど、ちょっと。

 でもそれがもう一番極端な例でいうと、暗黒の6日間に入るわけで、なんとか今のこの、今の現実という映画館を綺麗にしたいけどね。家でもそうでしょう?ある程度古くなったら立て替えた方が簡単やん。そういう感じに持って行きたくないだけよ。

 でも神さまの方は絶対の愛やから一番良い方法をとってくるからね。だからアトランティスでも滅びるわけよ。それは人間の方が、人間自分らで何とかできるっていう勘違いするからや。それを一番分かりやすく「今が一番良いようになっている」って言うけど、「一番いいようになってる」っていうところが一番分かりにくいやろ。わかっているようで分からない。現実をつかむな、過去をつかむな、というところやねんけどね。

自分で考えるから(自分で何とかできると考えるから→本当はなにも出来ない自分なのに)分からないようになるね。

 だから数式で現せるから、別に数式で説明してもいいんだけれども、一番基本的な三角関数一つ、ほとんどの人が分かっていない。sin(サイン)cos(コサイン)とちがうからね、三角関数というのは。キリなくもね、考えて分からせることは、例えばアインシュタインの相対性理論で数式で出ているわけやん。でもその数式を理解できる人が全人類で十数人いないというでしょ?いつも。数式で理解できる人は。ただ現象的に証明されているから相対性理論はあるんやな、っていうだけであって,あるんやなーって思うだけで分かったっていう人はおれへん。ぐらいね、考えたってどうせ分らないからもう考えないで、お願いだから「神さまのお手伝いしたい」って「そうして」っていっているだけだけどね、そしたらエネルギーが今ここにあるって分かるから、石油や天然ガスを使わなくていいから、喧嘩にならない。

 けれども疑心暗鬼だったら、今ここにあるエネルギーを出すと、それを使って喧嘩をするからな、もっと大変になる。もうどうせい(どうすればいいのですか?)って言うね、「もうっ」てなると神さまは「人類の好きにさせたらいい」っていうから。印可書選ぶか選ばないかって、迫っているだけや。どうぞご自由に。

質問:その追い込みは結構きつくなってきてますか。

河上さん:いや、だからもう時間切れ。後は先生のところに縁があった真祈り人がどれだけひたすら淡々と力まずにやで、印可書を読み続けてもらえるかだけや。

  あるいは護摩木書き続けて。印可書を選び切れない人は護摩木書くだけ、というふうに先生してくれた。あるいは護摩木も書けない人は護摩木作るだけとかね、色々と先生はおまけを作ってくれているわけやけど、それをどこまで先生のおまけが分かるか、だけやけどね。

宮野さん:おまけがわからなくても、そうなんやと思って、やるだけでもいいのとちがう?

河上さん:そうそうそう。そこが大事なんやけどね、やっぱり理屈をつけたがる。こんなんしていていいんやろうか、なんでこれがいるのだろうかって、要らんことを考えるの。だから考えるなって言うけど。 「考えへんかったら何もできへん」て、また言うしな、「好きにしたらいいや、どうぞご自由に」って(思うだけよ)。

 やっぱりみんなね、例えばウクライナとロシアのことでもね「プーチン悪い悪い」言いながらでも、よそごとやね。だから今日は朝からすごい攻防やってんけども、とうとう負けてしまったから、ちょっとどうなるかわかりません。

宮野さん:それって悲観的に考えることは無い。

河上さん:悲観的にって、まあみんなの自由に。

宮野さん:結果自分がどうこうできる話ではない。現状がそうであったとしても、真祈りするしかできないのだから。

河上さん:そうそう。みんなの真祈り。真祈り人の。印可書奉読して。

宮野さん:その中で神さまがいいようにするわけで、どの形になっても別に悪いわけじゃない。滅びる形になっても。

河上さん:もちろんそうやで。でも穏やかにいきたかったら印可書奉読をしてくださいというだけや。

質問:49対51で49の方になっちゃったということですか、河上さんの?

河上さん:49になったらもう6日間始まる。

宮野さん:一発逆転あるやん。

河上さん:なっ、毎月護摩あるから。

宮野さん:そう、まだまだ、この5月の護摩もね、良かった。

河上さん:ただね「えーっ」ていうことが起こった時に、みんな心を揺るがさないようにね、印可書奉読してね、って。やっぱり「えーえっ」ていうことがあっても「神さまが一番良いようにしている」っていう、そこに心を揺るがさないっていうことやね。

 (なにがあっても)絶対の信を揺るがさない。だって、十字架にかかってもいいようにしているっていうたんやから、それ以上の厳しいことはない。一番の拷問やもんな。

宮野さん:耐えれる人にしかなれへん。耐えれる人にしかならないですよ、大丈夫ですよ。全員がだって、十字架違う形の十字架やからね、あの状態になるのは耐えれる方しかならない。ね?

河上さん:ノコギリで首を切るよりは楽や。

宮野さん:それはヨハネ先生のね。だからといってね、どれがいいってことは無いから、それぞれその人たちにとってどんなに軽い状態であっても、その人にとっては十字架にかかるっていうのと変わらないわけやから。そうやってお伝えするわけで、十字架にかかることは辛いわけでない。

河上さん:ほな終わろうか。

宮野さん:えっ?

河上さん:えっ?

宮野さん:質問あるかもしれない。

河上さん:だって満足した顔してるもん。

宮野さん:じゃあ第一部は終了っていうこと?

河上さん:いやいや、もう質問終わってるもん。誰も聞きたいっていう顔もあれへんもん。満足して。

宮野さん:たぶん第二部なったと思います。

河上さん:なんで第2部。はい第2部の質問、はい。ほら。ないやん。

宮野さん:第2部の質問、血糖値が上がらない食べ方について。

河上さん:血糖値が上がらない食べ方?それは基本的に膵臓が弱っている時は糖質を全部避けたらよい。ご飯とかおかきとか、

宮野さん:同じものを食べてもあるじゃない?

河上さん:うん。うどんとかそばとかね、そういうの糖質、膵臓弱っている時には食べなかったらいいね。

質問:蕎麦もですか。

河上さん:もちろん。

宮野さん:そば100%だったらいい。十割そばってあるでしょう。あれは大丈夫。

河上さん:小麦粉があかんね。

宮野さん:ほとんどのそばがね、2、8とかちょっと入ってるでしょう。ちょっとではなく、だいぶ入っているけどね。

河上さん:だから神さまが今回はね、まず、糖質の小麦粉を減らそうとしてはるだけやね、本当はね。このままいったらみんな人類が病気になるから。

質問:カロリーはほんならまあ、野菜でとるとか?

河上さん:だからカロリー信仰ってね、それだけやね。水と空気だけで本当はいけるのにね。これだけのカロリーを食べないといけないという縛りがあるやん。だから色々と説明するけどね。だから例えば卵とかたんぱく質、肉とかね、鶏肉とか、お魚とかでカロリーをとったらいいだけやんか。カロリーっていうのを気にするんだったら。だけど実際感謝して食べていたら、そんないうてるカロリー取らなくても全然体平気なんや。だって断食しているとしている人そうやんか。 言葉の縛りないからやん。

質問:今の栄養学から抜けなあかんわけですね?

河上さん:そうそうそう。だって今の栄養学のカロリーは19世紀にできた、学説や。でそれも、あのカロリーはどんな計算しているか知っている?燃やすね。食べ物を。それでこれだけのカロリーやったっていうね。人間の体の中で燃やせへんで。

宮野さん:だって人によって必要なものは違ってくるからね。

河上さん:何よりも小腸の中でね、微生物が働いて栄養に変えてくれるね。だからうさぎさんとか牛さんはね、草だけで生きていけるね。でも人間も本当は大丈夫やね。だから青汁だけで何十年って生きている人いるでしょ。それは微生物が小腸に住み着くんだけども、それも神さまある意味絶対の信よ。神さまが一番良いようにしているっていう、青汁さえ飲んでいたら大丈夫っていう信があるから、そういう微生物がね、できてビタミンでも生成されるわけでしょ。

 だから食べ物がいるかいらないかっていうのは微妙な話やね、本当は。だから最後は先生は粘土でも食べやって言いはるけど。

質問:水と空気だけだと、カロリーとかゼロですね。

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:でも光が、光が食べれる。神さまの愛そのもの、光が入ってくるから、

河上さん: だから喜び勇んで食べれたらいいね、一番はな。だけど美味しいまずいとかね、色々あるね、いらん縛りをみんなつけている。

 神さまの命を頂いて嬉しいて言うてたらすむのに。そしたら今自分が一番必要なものを食べれるねんけれども、不必要なものを食べて病気になる。本来お米とか小麦とかね、ああいう糖質はお祭り事の時にお供えして食べるだけのものやった。だけど、あれは美味しいから、必死でたくさん作って食べるようになって病気になるね。

宮野さん:狩りに行かなくていいしね。

河上さん:そうそうそう。

質問:でも弥生時代から日本人の体はその穀物に向いているなんかそういうのをみんな信じています。

河上さん: 学説やろ?縄文時代はね、栗がいっぱい取れた。栗に対する病害、虫もいないから、もう栗は植えたら植えただけ取れるからね、食べることでみんな苦労はしなかった。 

 そしたら神さまの命をね、一瞬一瞬新たに受け直すのを忘れていくわけやね。それで神さまの方でね、病害、害虫という虫を作るわけや。 それで栗はすぐ虫が食ってね、栗食べれなくなっていったみたいな、どんどんなるんやな。それって神さまが一番良いようにしているんよ。

 一瞬一瞬新たに喜び勇んで生きるのが本当やのに、怠けてダラダラと同じことの繰り返しをしてしまうみたいなね。まあ毎日将棋を指して遊んでいるみたいな感じになるね。それは本来の神さまの命の表し方と違うから、そうならないようにしてくるだけ。

 結局はどんなに小さな肉体の意識から見たら悲惨なことでも、神さまが一番良いようにしているだけやね、本当は。それを人間の方で無理やりいらんことをするね。

 だけどまず医薬品が全然足らないようになるわ。このままいくと、だから色々な意味で印可書奉読して喜び勇む姿を見せていかないとね、手術ができない。

質問:麻酔ととか。

河上さん:麻酔よりもいわゆる抗生物質、あれがなくなる、今回の戦争で。この戦争に備えて食料を備蓄している国もあるんだけれども、神さまは厳しいからね、その食料が変化する。 

 冒頭に一人頭10万円ぶんの缶詰って言ったけれどもね、自分が食べる分と違うからね。みんな怯えないようにその時に分けるために買ってね、って言っているだけで、自分のために買ったら缶詰といえども腐るよ。厳しいで。

 何で缶詰かっていったら分け与える時にね、みんな缶詰だったら安心するやろ。缶詰以外やったらもう「賞味期限切れてあかんのちゃうの」って言い出す。それで缶詰って言っているだけで、でも余裕なくって置く場所もなかったら無理に買わんでもいいけどね。でも一時的にはかなりパニックになって大変。

質問:食料というよりも安心してもらうために渡す。

河上さん:そうよ。

宮野さん: マイナス感情を持っていたらそれさえも、焼け石に水っていう感じでしょ?

河上さん:うんだから印可書奉読しながら真祈りで、こう分け与える

宮野さん:パンをパンって一杯出さないと。

河上さん:だからあんまり先答え言わんと。(笑)

宮野さん:すいません。どうぞどうぞ。どうぞどうぞ。

河上さん: みんなが印可書を奉読していたら、神さまのお手伝いして大丈夫、っていう絶対の信を立ててくれんとね、奇跡も起こらない。

 だからみんなが松下先生の働きをするんだよ、神さまの働きをするんだよって、説明してるやん。松下先生は神さまに対する絶対の信があった。色々と大変なこといっぱいあったけど「神さまは楽させてくれへんな」とは言うても、ニコニコされていたようにね、それをどれだけみんなが見習えるかや。

 それって現実を掴まない、過去を掴まない、色々な表現はあるけどね、「今が一番良いようになってる」っていうのも「現実をつかまない」という意味やけれども、掴んだら文句が出る。掴んだら「嫌やな」掴んだら「しんどいな」掴んだら「邪魔くさいな」掴んだら「うっとうしいな」

質問:先生や神様に文句いってることにね?

河上さん:そうそう、だから映画でも、掴んだら鬱陶(うっとう)しいから見ていられない。「あんな危なっかしくしてたらもう嫌やわ」言うてな見られへんはずやで。

 だけど映画やからって思って、皆掴まないから、なんか言いながら「映画、映画や」でつかんでないから、みんな見れるね。あのミッションインポッシブルでもね、ああ、もう危ない、危機一発や、もう絶対無理やでって言って、パッといくわけでしょう。結末を知らないでも、必ずよくなるって、みんな思ってるから見れる。あれどうなるかわからんと思ったら、やっぱりヒヤヒヤして見られへんで。

 「そこで、そういうふうにしてよけますか」って言うて、そういう感じになってるだけや。掴めへんから。実際の現実もそう。捕まんかったら「おう、こういうパターンで来るのか」みたいに喜べるけど。

質問:気楽にいけるんだけども

河上さん:「神さまはこうしますか」みたいな,だけど、「こんなんしやがって」ってつかむから、苦しみになるね。「そういう反応しますか」や。


令和4年5月河上さん深夜勉強会−4(20220513−4)

宮野さん:無力、無力。自分が無力であるって知ったら、その、七難八苦が楽しいと思える。

河上さん:さらさらと見れるね。そう行きますか、みたいな。

宮野さん:何も出来んもん、しゃあないよね、ジタバタしてもしゃあないわね。そしたら、次どうなるの、ちょっと楽しみに待とうか、って話になる。そしたら、その、要はそう思った瞬間から手放していけるから、そしたら、動き始める。

 大きな石(大きな難問のたとえ)でも動き始めるっていうやつで。すると、動き始めたらもう、その次からは滅茶苦茶速くなるから、どんどんと展開が速くなって、どんどん面白くなる、面白くなるっていうやつやね。すると、そこからは、より自分らが、ワクワクするってなる。その、それが、その動き始めるところぐらいから、面白くてしょうがないって事だから、それを経験すると、もう、その前の、周りから見ては、七難八苦という状態が楽しいって。どこから来るの次って、みたいな。ワクワクするよって。 
 ねえ、良いで、ほんまに。そんなん普通ではね、経験できないような事一杯、私も一杯させて貰いましたけど。来月結婚しますっていう婚約者が死にまして、というところから、借金が山のようにできまして、とかさ。そう、婚約者が死んだ、周りが手のひら返しました、1000万以上の借金ができました、住む所無くなりました、という状態からどんどん色んな事が起こるんですよね。どれも楽しいって事で。渦中にいて、どうにもならんしなって事で。どうにもならん時はしゃあないよね。というか、それは過去に遡って見た時、あ、こういう事やってんなって思うけど、その当時から、どうにもならんやんって。死んだ人を生き返らせるわけにもいかへんしなって。

 あの時に、私があと5分早く病院に行ってたら生きてたんやろうか、とか、思わん事もあるけど。でもそれも時間がたてば、必要やったんやな、それは私が早く行ってても死んでたんやな、ていう、寿命やったいう事も分かるわけやし。1000万の借金を背負った事も、いや、それもそういうものなんやな、と。返しますけど、でも、すぐにお金ができるわけではないし、とかいう話とかもね。どれも、なかなか、経験できない事をさせてもらえたんだと。

 面白い。只々、面白いしかないね。今の現状に至っても色々あるよね。ただ知らないだけで。日常でいったら、先程みたいな、大きな、人から聞くと、おお、凄いな、っていう大きな話ではないけど、日常的に会社の中でも色んな事が起こるけど、いやいや、楽しいやん。さあ、次どうなる!?とか。ワクワクしかないよね。

河上さん:(レコーダーの)電池切れた、終わろうか?電池切れてん。

宮野さん:それ(もう一つのレコーダー)は光ってるで。3分間なってないで、ピコピコなってないし。

河上さん:片方(のレコーダー)は死にはった。

宮野さん:お前はもう死んでいる?(笑)

質問:電池切れですか?単に。

河上さん:電池切れです。

宮野さん:充電してないから、あかんのちゃうん。

河上さん:単4電池持ってないもん。

宮野さん:そんなん言ったら、(誰かが)出してくるで。

河上さん:誰も持ってない、終わろう。

質問:いや、持ってますよ。どうします?

宮野さん:ほらほら、見てみ?(笑)持ってるから大丈夫やね。それにあれよ、この音声はmさんが絶対録音してるから全然安心よ。皆、全員がバックアップ取ってる状態だから。スイッチは今日、入ってるしね。

河上さん:おもろすぎ。

宮野さん:そう、面白すぎ。

宮野さん:今日のテーマはwさんの為にあるな。自分が何もできないって知る事から、みたいな。

河上さん:wさんって言う名前だしたら皆なぶりだすで。どうぞって言ってるし(笑)

宮野さん:(この録音は)日本中に皆回ってるわけでしょ、日本外の人もこれ聞いてくださってるんだけどね。wさんって誰やろう?って思ってきっと聞いてる(笑)皆それぞれイメージがあるけど。いつも、この質問する人、こんな、なんか知らんけどいるよね、勉強会に来てるよね。いつも、この感じの声の人、とかあるじゃない?何人か、認識されてるよね。

質問:wさんに会いたかったら護摩に来てくださいって(笑)どの人やろうって。

河上さん:もう質問ないやろ。ありますか?

宮野さん:ごはんの食べ方分かった?

河上さん:だから、糖質を食べなかったら良い。野菜とタンパク質な、鶏さんと魚さんだけ食べてたら…

宮野さん:そうではなくて、食べる順番の話よ。だって、同じものを食べても(血糖値が)上がらないとかあるじゃない。人によってそれぞれやん。

河上さん:ああ、だから、納豆、海苔、昆布、野菜みたいな感じのものを先に食べて、それからどうしても糖質取りたい人はね、それから、ごはん食べたら血糖値はそんなにバーッてあがらない。

宮野さん:そうしたら、お腹を空かさない。

河上さん:その、納豆の上に、昆布、野菜みたいな感じのものを先に摂るでしょう?そうしたら、すい臓の方は(インシュリン作る)材料が足らないけど、ちょっとずつでもインシュリン作って出そうか、って出してきてくれるわけよ。ある程度出してきてくれたところで糖質が追って来るから間に合うの。いきなり糖質を摂ると、すい臓の方にすぐに多量にインシュリンを作る力が無い人は血糖値を上げてしまう。何よりも良く噛んで食べたらインシュリンを出す力になるけどね。どっちにしても、インシュリンを作る原料が要るでしょう?甘いものを食べてたら、インシュリンを作る原料(ミネラルという希少栄養分→昆布や貝類や納豆やお味噌等の発酵食品)を使い果たしてるから、作りたくても作れない。それでも、血糖値が上がったら緊急事態だから、無理して作って、すい臓自体が痛んでいく。

質問:ストレスとか、なんかそういった、ちょっと、ウゥッって思ったら、けっこう血糖値が上がりますか?上がりますよね。食べてもいないのに。

河上さん:上がる上がる。ストレスで胃潰瘍になるでしょう?だから、精神的にストレスを加えると、胃でも止まるんだから、それは腎臓でも肝臓でも、やっぱり影響を受ける。だから、喜び勇まないとあかん、笑顔や。

宮野さん:そうそう、そうそう。笑顔の出し方知ってるの(笑)作り笑顔でも良いってチャンと言っているのにな。

河上さん:だから、よく噛むと、内臓でも動くのね。だって、ストレスあったら、心配事とあったら、食べるのでも噛まずに飲み込むみたいな。まず食欲ないし、あってももう、こうな?なるやん。でもそういうストレスの時でも、たくさん噛んで喜ぼうって。噛むっていうのは、やっぱり神さまの命を喜べるからよ。単なる食べ物と思ったら飲み込んでしまうんだけど。神さまの命だから、喜んで喜んでってなるんだけど。

質問:早食いの人は、要するに喜んでないわけですね。

河上さん:そうそうそう。取り敢えずこんだけ摂っておこうみたいな感じでしょ?取り敢えずや、早食いってな。そんなん1番極端にいうと、朝の6時から夜の8時迄で14時間や。それで今、現代のあれでいうと、2800キロカロリーっていったら、ちょっと多いめくらいだけど、その1時間に200キロカロリーずつ摂っていったら血糖値は上がらないよ。1時間に200キロカロリー以上は摂らないって事にして。なかなかできないで、食欲ある人は。ずっと物足りないですむからな。

宮野さん:だから、仕事しもってパクッて。

河上さん:そうそう、極端にいうと、そうしたら良いの。そうしたらすい臓に負担はないの。それを1日に1回とか3回とかでまとめて摂るでしょう?

宮野さん:ポケットに入れとく。おやつを入れといて、モグモグと、ちょこっと。あの、お腹を空かせるとか、飢餓状態に持っていく前に、ちょっとお口寂しい時に(食べる)、みたいなね。

河上さん:それも、糖質を摂らずに、豆ね、大豆とか納豆とか。アーモンドとかくるみとか、あるでしょ?そういう豆類を摂ったら良いの。ピーナッツはちょっと糖質があるから(血糖値が)上がるけどね。

宮野さん:アーモンドは?

河上さん:アーモンドは上がらない。

質問:100均でお気に入りの栗があるんですけど。むき栗。

河上さん:栗は(血糖値)上がるよ。いもくりなんきんって甘味のあるものはあかん。

宮野さん:美味しいで、その代わり。めっちゃ美味しいけどね。

河上さん:甘いトマトも上がる。もちろんぶどうは上がるし。

質問:焼き芋も上がりますね。

河上さん:うん。

宮野さん:だから、それをね、たくさん食べないで、少しずつ食べれば良いのよ。さっきのように200キロカロリーではないけど。

河上さん:少しずつができない、甘いものは。

宮野さん:だから栗はね、これが1個ね、1000円すると思ったら一口が美味しい。

質問:袋から取ってるとあれなんで、最初から4等分とか6等分とか分けてしまわないと。

宮野さん:モナカでもそうよ。最初から分けておいて、その分だけ、みたいな。

質問:あの…いや、食べ物の話も大事なんですけど、冒頭に、時間切れの話と函館の話が出ましたけど、もう少し話して頂かないと、なんだか…

河上さん:函館?

宮野さん:一部に戻るって事ね。

河上さん:いや、結局、プーチンさんのメンツを立てるのにどうするかってなったらね、もともとヤルタ協定っていって、北海道迄はソビエトのものですって決まってたの。決まってたのが、いついつ迄にっていう日数に間に合わなかった。それで辛抱せえ、ってなってるだけなの。ヤルタ協定を破棄してない。辛抱せえ、ってなってるだけだから、あの時の約束通り、そしたら北海道迄来いやっていう事になったら、プーチンさんのメンツは立つ。というかロシアのメンツは立つからね、それで収まろうとしてるように思うよ。それでもややこしくなると、例えば日本が武器を持って戦うとなったらね、そうなって。そうしたら、多分、仙台あたり迄は来るんちがう?最終結果は分からないけど。福島の辺り迄来てしまうと思うけどね。

宮野さん:戦争はしたらあかんわ。

河上さん:そうや。もう、そうなったら本当に大変で。もう本当に泥沼やねんけどね。

宮野さん:和を以て貴しって言うたらなあかん。

質問:そうなる前に護摩と印可書で…

河上さん:うん、本当にそれだけやねんけどね。そうだけど、これだけ報道で、ロシア悪い、プーチン悪いってやってるやん。マイナスを重ねてるでしょ。それが一番問題なの。その、実際にその場に行って見てきてもよ。こっちが悪いって決めつけて見たら、もう本当の事なんか見えない。

 だって日本と中国が戦争が始まる時ってね、盧溝橋(ろこうきょう)で機関銃の銃声から始まるんだけど、あの時、蒋介石側も、日本軍側も一切弾を打ってないの。共産党ゲリラが両方に向けて機関銃を打ったの。それで、日支事変というのが始まって、日本にとっての15年戦争が始まるんだけどね。

 結局、真実なんていうのは、後の、それこそ50年60年経った時しか本当の事は分からないわけでしょう?今のウクライナでも、本当の事は誰にも分からないわけよ。それなのに、勝手にあっちが悪い、こっちが悪いって決めつけてね、してるけども。

 その(戦争という行為をせざるを得ないと)怯えさせたのは誰や、という事よ。そうだけど、もう、そんな事を言って、どうこう言ったって収まる状態になるわけない。 

 でも、真祈り最強だからね。みんなが松下先生となって印可書を奉読してくれたら。印可書を奉読してくれたら、皆が松下先生の深い真祈りになるからね。そこだけ信じて奉読してくれたら良い。私なんかと思ってても良いけども、印可書を奉読してる時は松下先生の深い真祈りと働きができるって信じてくれたら済むだけなんだけどね。

 もちろん、「宇宙神ありがとうございます」でも良いのよ。でも、「宇宙神ありがとうございます」やと不安やろっていう、それだけやけど。
 みんな、のんびりしてるけど、実際それくらいひっ迫してるし、あっちの世界ではそうなってしまってる、今日ね。

 それをこの地上に転写するかしないかは印可書次第。このまま放っておいたら、もう、ワーっと行ってしまうわ。行ってしまうけど、皆の自由意志にって先生が言うから、ある程度、今お節介を言っただけで。他所事だと思う人は思ってください。突然、他所事でなくなるだけ。

 だけど、人間の知恵でね、食べ物を備蓄したり、色んな事をするのだけど、神さまの方は一瞬で、いっぺんに何でも変えられるからね。あっという間になるの。本当に時間切れってそういう意味なの。あっという間に暗黒の6日間に行ってしまうから、今回は。何とかはならないの。それくらい、皆が積んだマイナスが大きい。いわゆる、バベルの塔やね。マイナスを積み上げて、最後に崩れるの。バベルの塔ってそういう意味よ。

質問:こちらに来られている方と話していた時に、現実を掴まないという、そういった意味も含めてか、ニュースとかを一切見てないって。だから、この前、河上さんが仰ったみたいに、今、ロシアが日本に対してどういう事になっているかというのも、全然(知らない)…

河上さん:別に知らなくて良いって。でもね、神さまのお手伝いをする、先生のお手伝いをするでね、印可書を奉読したら、松下先生と同じ深い真祈りになってるって信じて、奉読してくれたら済むだけよ。

質問:特に、その、こういった、知っていながらも知ってるけれども、淡々と真祈りをする…

河上さん:いや、あんまり教えたら教えたで掴むからな。どこ迄言って良いのか微妙なんだけど。でも、あんまり皆がのんびりしてるから、ついつい言ってしまっただけ。のんびりしてるってどういう意味かと言ったら、あんまり皆が普段の自分の生活に心を奪われているから。言ったら分かる?別に自分の普段の生活に心を砕くのは構わないのよ。だけど、砕くのと奪われるのは別よ。

宮野さん:なかなか、ちょっとその辺は難しいよね。入れ子構造になっているから、結果的には。日常の家のゴチャゴチャと起こっている事も、すべてはそのマイナスが大きくなるわけでしょう?すべては自分の中の事じゃない?ウクライナとロシアの事だって、地球の事だって、その裏の世界の事だって、全部自分の事なんだけど。でも心を奪われてるってなると、ウクライナとか、その大きく話を見た時に、「戦争の事?いや、それは他所の国の事やから、どうでもええねん。」というふうな考え方。

河上さん:それが現実に心を奪われてる。

宮野さん:奪われてるって感じよね。要は他人事。

河上さん:隣人に心を砕いている時は、ウクライナの事も我が事のように思って印可書を奉読するという事よ。

宮野さん:それは、どちらの事も、悪く取らないという話よね。よくいう、河上さんが言われる、小指はそんなに使わないから大事じゃないんやから、みたいな。そういう事ではないって話で。どれも自分よねっていう。すべては一つっていうところで思うから、じゃあ、ロシアの事も大事だし、ウクライナの事も大事だし、ゴチャゴチャ言ってるかもしれないけど、アメリカの事も大事だし、中国も大事だし、みたいな話よね。

河上さん:どこがあかんはない。それがみんな分からないのよね。あそこが悪いって言いたい。

宮野さん:焚きつけようとしてる事がどうかとか、そういう事ではない、と。どれも立場によって見たら、それぞれの正義があるんだろうけど、でも、どれもが大事で、という話で。

質問:たとえ、それが北海道を攻めて来ようとするロシアであっても。

河上さん:そうよ。だから、自分の右手と左手、おまえ、この左手、不器用やなって責めてるようなものよ。

宮野さん:せめて、たとえ、その北海道を攻めて来ようと言ってる時に、その言葉っていうのは、日本が大事っていう意識でいるわけじゃない。ロシア側にすれば、その言葉で接すると逆になるわね。何があかんのん?って話でしょう?

 でも日本側からみたら、え、うち攻めてくるの?って意識だから、その言葉が出てくるでしょう?という事は、家の事だったりとか、小さい事に意識を取られている状態、掴んでる状態だとそうなるわけじゃない。でも、すべてが一つと思っていたら、その言葉が出ない。要は国境が無くなるという事だから、どちらになっても良いよね、っていう話になるわけやね。そうしたら、どの状態であっても中和されるよね、和を持ってるよねって話になるんだけど。でも、そこで分け隔てをするから、攻めてきたっていう話でしょう?

質問:それが強くなると武器を持とうっていうふうになる。

宮野さん:なるよねって話し。でもそう思わなくって、どの状態にあっても、すべて自分なんだって、すべて一つなんだって、自他を分け隔てない。すべて真(まこと)の神さまだなと思ったら、そしたらそこでお祈りをすると、結局、普通、攻めて来ようと思ってるかもしれないその人も、真(まこと)の神さまのわけじゃない。そうしたら、真(まこと)の神さまが争いごとをしようとされないよねって話よね。

河上さん:まあ、もうちょっと平たく言うと、怨念が残らないの。長髄彦(ナガスネヒコ→永巣根火古)さんの時代にね、攻めて来られてしまうわけやな。長年住み慣れたところを皆追い払われてね、あるいは、ある程度の人は殺されて、足の筋切られてって酷い目に遭うんだけど、怨念を残さなかった、皆、真祈りをしたから。それやね、真祈りが要るのよ。真祈り無しやったら、もう怨念を残していくから、やったらやり返すってなっていくわけよ。

 だから、北海道に進駐して来てもね、神さまが一番良いようにしてるって、真祈り人は思いきれないとあかんの。必ず良くなるって。それなのに、武器を持って戦うとなったらね、真祈りが無くなるから、怨念が残っていくの。

 色々とあちこちの神社に行ってもらってるけれど、それは長髄彦さんの方の神社と天皇家側の神社と両方あるの。どっちにしても、長髄彦さんのほうの神社の方が多いのだけど、どの神社も天皇家の方は潰してないのよ。それは真祈りのおかげやの。潰してしまってたら、怨念になってるんだけど。色んな神社が、古い古い神社がたくさんあるんだけどね、大阪の生國魂神社でもそうなんだけどね、長髄彦さんの時代の神社なのね。

 でも、それを潰さずにちゃんと大事にして、残したというのは、真祈りのおかげ。だから、本当に真祈り、真祈り、真祈り。でも、真祈りって分からないから、印可書を奉読って言ってるわけ。

 もう、それは理屈抜きにやね。こんなん、口でどうこう言ったって納得しないって。長年、住んでたところを追い払われて、寒い寒い所に追いやられていく側にとったらね、怨念だけよ。でも、収まるのよ、真祈りで。寒い所に住むのが一番良いようになってるんだって、皆思い直して行くわけ、北海道へ。でも、そうして追いやられた人が住んでた北海道やから、逆にロシアが来るのよ。色んな因縁があるの。でも、それを一番やわらかく行きたいから、印可書奉読でと思うだけで。

 だから、考えたらあかん、理屈抜きよ。考えたら、何事も怨念が残る。例えば会社やったら、社長派と専務派でやって、何事が起こったって最後はしこりという怨念が残るわけでしょ。それは別に、会社でも自治会でも町内会でもそうやん。なんでもそうやん。ちょっとこう、組織とあれができたら、ぶつかって怨念が残るわけよ。負けた方は形の上では負けてるけど、ずっと根に持ってるわけでしょう?その根に持ってるのがマイナスとなってまた、積み重なるのよ。 

 長髄彦さんのようにね、真祈りで包み込んで、結局は勝つわけよ。形の上では負けてるけど。でも、心がね、真祈りで勝つから、長髄彦さんの大きな神社が全部残るわけよ。その1番大きいのが出雲大社でしょ?それ迄は、神在月(かみありづき)っていってね、それぞれの国のリーダーが出雲に集まって、話し合いをして国を治めていたの。

 それで良いやん、皆で仲良くしてるから良いやんって言ってるのに、色々とあったわけよ。今回も一緒でしょ?気い良くウクライナで生活してるのに、ワーっと来られたわけよ。それでも、真祈りがあったらなんとか収まるの。真祈りが無かったら、もう、あんなして怨念が溜まるわけよ、殺した、やったやられた。それで、どっちもメンツが立たないってなるわけでしょう?

質問:では、真祈り人の印可書奉読によって潜在意識に響き渡って、ウクライナの人々に…

河上さん:そうそう、あっという間に変わる。長髄彦さんの時と一緒よ。同じ事を繰り返すんだけどね。あの時も長髄彦さんが自分の命を十字架にかけて、1番大きく消して、逝くんやけどね。もう、毎回先生が、自分を十字架にかけて消すんやけどね。ヨハネ先生の時もそうだし。1番大きく先生が消してくれて、あとは、もうちょろっとしたもんよ。

 でも、今回はね、皆が先生の働きをしようって言ってる。で、終われるね?

宮野さん:と、思います。いかがでしょうか。

河上さん:ありがとうございます。そしたら、最後にお祈りをして終わります。


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5月勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2022年05月16日(月) 18時00分
PC

令和4年5月河上さん勉強会−1(20220508−1)

質問者:1個は預かってきたので、1個め。原文のまま読みます。
 暗黙の6日間の後はどうなるのかな?なぜ、6日間なの?地球がなくなるまで6日間だけ地球が生きているの?
 ここまでが原文です。月が入れ替わる時間という事ですか?

河上さん:いや、空間がね。要するに、映画館、新しい映画館、古い映画館あるでしょ?で古い映画館を解体して更地に戻すと。で新しい映画館建てましたと。そう移動する時間みたいなものやね、移動する途中の空間が暗黒の6日間なの、移動という表現もちょっと違うねんけど、はい。

質問者:2つ目、携帯です。
 先月村で携帯がつながらなくなりました。最初ちょっと電波の調子が悪いだけだと思っておりましたが、今までつながった場所に行ってもやっぱり繋がりません。ひょっとして今後こういうことがある?

河上さん:しょっ中起こります。 あります。はい。

質問者:ありがとうございます。以上です。

河上さん:この世の全てはね、全て電気で出来ているんですよ。だから細胞も遺伝子も何もかも、その最後の原子、分子、原子、原子核で、クオークでだんだん小さくなっていくんですけど、どの存在も電気で出来ている。その電気のことを人類は分かっていないだけです。分からずに使っているだけです。

その電気の使い方を間違うと、空間が潰れるのです。それを数式で表したってね、「何でいちいち考えるな」とかね、「理屈言うな」と言うと、例えば三角関数ひとつ、分からないわけでしょう。三角関数一つ分からない状態の頭で何考えたってそれは無理です。数式にきれいに表せるんだけど、その数式を見せて貰たってわからない、でも分からなくても、神さまの命を受けてね、表現を楽しんで生きるわけですよ。だから考えずにただただ喜んで喜び勇んでね、神さまの光を素直に受けていれば良い。

 ところが人間はその神さまの無色透明の輝きだと、なんか飽きてくるのね、無色透明というのは。まあいつも先生のおっしゃるね、「こんなに美味しい水があるのにね、何で色のついた味のついたものを、水をわざわざお金を出して買うんや」って、とおっしゃるような感じよ。先生だったら水だけで十分満足できるのに、みんなね、あのコーラとかジュースとかサイダーとか色々コーヒーとかあるんでしょう。味のついたものをお金出して買うわけ。そういう感じで無色透明の輝きを楽しんでいれば良いのに、色んな思いで色付けして、やはりあの自分なりの楽しみ方をするわけでそのす。

 それは服を着るのがそうでしでしょ。まあみんな同じような服を着ていても良いんだけれども、色々とデザインも変え色も変えて楽しむわけじゃない。そういう感じで、この皆さんお一人お一人自分の世界を作って、この世でお互いの世界を写し合いして楽しんでいます。それぞれ自分の世界だけど、自分はこういう表現をしているのは、まあ言ったら服を見せあっているようなもの。それを自分の人生というスクリーンをお互い見せ合って重ねてね、それでお互いに影響しあって遊んでいるっていうのが今の現世です。

 そこで遊んでいるってわかっているうちは良いんだけど、それが遊びでなくて苦しみになるのね。「あの人だけ良いめしてずるい」とかね、すると因縁因果という波に飲み込まれて 抜けれなくなるわけです。映画館から出れない状態ですね。

 全然出れなくなってしまうと、要するに自分でわざとマイナスを作って楽しんでいるわけですよ。意味をつけてね。あなたは男よ、今回は男ですよとか、女ですよとか、あなたは奴隷役とか、あなたは王様役よとか、色々ありますけれども、あなたは今回は音楽家よとかね、そうして楽しんでいたはずが、例えば音楽家で今回楽しもうとしているのにうまく演奏できない、うまく歌えない言うて、苦しんでいるわけ、苦しみ出すと 「今生ではあかんかったけどまた生まれ変わってもっと歌を上手くなろうろう、もっと楽器をギターを来世に生まれ変わったら上手くなろう」とかね、そういうふうに思い出すと因縁因果の波に はまっちゃって抜けれないんですね。

 そうして積み重ねたマイナスが溜まりに溜まって、もう身動き取れなくなる。自分の力、自分ではどうしようもなくなると、神さまの方は本来は人間の自由意志を尊重されますので、全部まかせっきりなんだけれども、もう身動き取れない、どうしようもないから、ちょっと強制的に引っ張り上げてくださる、救い上げてくださる、というのがこの前の護摩でお話しした状態です。

 で、この現世の根本的な原理は、天照大御神さまの最末端の表現である太陽のエネルギーをお月様が受けて、でお月様が、この昔でいう映画で言うと映写機ですね、映写機の光源の役割をして下さいます。そのお月様のエネルギーを受けて、この地球のみんなお一人お一人がお創りになる世界を形作って楽しんでいます。それが根本的なこの世の秘密なんですね。

 それをみんなマイナスを重ねてしまってね、身動き取れへんどうしようもないやないかという事で、一旦映画館、この古びたみんなが汚してしまってボロボロにしてしまった映画館なんですけれども、それを一旦取り壊そうということですね。そうなると太陽の方は科学的に言うと黒点を一杯増やして黒くなるんです、暗くなるんじゃなくて、黒くするんですね。要するに エネルギーの照射の内容をちょっと変えるということです。

 今でも黒点が増えると電磁波嵐がおこったり 、電気的に色々な影響があるんですけれども、それがもう全面的に最後は黒点になります。すると月が自動的に薄赤くなるのね、太陽の光が暗くなるから。月が薄赤くなった時が、その時はもう万事休す、人間の方ではできないから神さまの方でしてくださるということです。そういう状態でアトランティスが沈んだりムーが沈んだりしたわけですけれども、今回はもうこの虚の世界の全大宇宙を入れ替える、ということでなってしまいます。本来は人間の(眞祈りの働きという)力でしたいんですけれどもね。

 もうちょっと時間切れでまだ、まだ大丈夫ですよ。もしそうなった時に皆が慌てないように、心を乱さないようにということで言いました。

 太陽じゃなくて、その今の地球上を映写しているお月様の役目が終わったので、新しい映画館用の映写機ですね、新しいお月様を出してくるわけです、神さまは。

 (現象的には)一時的に月が二つになるんですよ。だってどっちか片方にしたらみんな居場所がなくなって困るじゃないですか。新しい月と古い月を入れ替えるその入れ替える一瞬がね、6日間の状態になるわけです。でそれは最後の神さまの愛で人間の方で少しでも神さまに全部任せるという気持ち、「今が一番良いようになっている」っていう気持ちを起こしてもらいたいがための、最後の神さまの大おまけです。 

 その6日間暗黒の6日間の時に、思いのある人は何も見えないの。本当に一寸先も見えないの。でも真祈り人はね、その真祈りの程度に応じて光る輝きが出るわけです。何で程度によって色々な種類があるかと言うとまぶし過ぎても来れない人があるわけね。だからそれぞれの人の縁に合った光をそれぞれ出してい頂いて、それぞれの縁ある人を連れてきて欲しいわけです。その6日間に入るとみんな「今が一番良いようになっている」と思えない、思えないからそうなっちゃったんだけど、真っ黒になってね、手探り、本当にもう鼻つままれても分からない、本当に真っ暗ですから、もう不安とかそんなんと違ってもうただただ怖いだけです。

 恐怖感だけです。そんな時に真祈り人の光を見てですね、灯台を見て「七つの灯台の点灯者の神示」ていうのが聖書にあるわけですけれども、そういう感じでみなさんが「七つの灯台」となって頂く。

 「七つの灯台」というのは「完成された全ての光」という意味ですけれども、七つの灯台になってい頂いて、光をその灯台を目当てにみんなついてきてくれるわけです。「何かわからんで良いからついて来いや」と言って連れて来て下さい。どこに行ったら良いかは、印可書を奉読さえしておれば自然に集まれますから、そして集まって新しい映画館に入る、それだけのことです。

 ただ真祈り人までがね、「真っ黒なって、お月さん真っ赤になってどうしよう?太陽黒くなってどうしよう?」とかね、狼狽えて(おびえて)もらうと(不安になってもらうと)困るので(先に言っています。説明しています。)。

 (どのような状態になろうともね)悠々と感謝して、いつも言うようにね、神さまが一番良いようにしてるって事です。一番良いようにしてる中で、人類の自由意志に一番沿った状態で、一番良いようにいつも神さまはしてくださるわけです。で、それがいよいよ切羽詰まってどうしようもなくなると、今言ったような一番最後の状態になるわけです。

 その一番最後の状態というのは、今までに体験したことのないことですから、やっぱり怖いよね、初めてのことだから。でその時に真祈り人こそがね、太陽が暗くなっても、月が真っ赤になっても、なんか知らんけど新しい大きいお月さん出てきても、「良いようになっているんだよ」ってということで、悠々と印可書を奉読していただくとね、それが神さまの愛の光となって、みんな安心してそれについていきます。

 それはほら小っちゃい子がね、道に迷って、「お母ちゃんお母ちゃん」って言ってね、やっとお母ちゃん見つけてね、お母ちゃんのスカートのその裾を掴んでね、ついてくる、そういう感じです。だからそういう風にね、ならないようにしたいですけれどもね、もしなってもちょっと、本当時間切れでかなり際どくなってきたので一応予備知識として持ってて下さい。 

 でもそれまでの間にね、色んな人が色んなことをして下さいます。それはどういうことかというと、やはり皆十字架にかかっていってくださる。最後の時というのはイエスが一人、十字架にかかるのではなく、みんなが十字架を背負うのです。

 だから具体的に言うと相手の自由意志を縛るというのは相手のマイナスを自分が十字架となって背負ってあげるということです。それをやっぱり無意識にやってしまうのね。

 こうしたらあかんとかね、あんたこうした方が良いとか、いらんこと言うてしまうね。特に仕事の上で先輩とかね、会社の上役とかなると余計やん。いらんことを言って相手のを 背負ってあげるわけですよ。そういうイエスキリストとしての働きを自覚せずにしてくれるから、今回はなんとかなると思っていますけれどもね。その日本自体がそういう十字架としての役割をします。

 だからこれから本当に向こうはね、「たまたま事故や、たまたま撃ったらミサイルが間違って日本に落ちたんや、本当は海に落とすつもりやったのが、なんか日本に落ちたんや、で、それがたまたま何か核弾頭ついていたんや、ごめんな」っていう感じのことかですね、色々あります。「たまたまちょっと、船がね、道間違ってこの港に上がってしまったから、悪いけどちょっと上がらせてもらうわ」とかね、そういう「たまたま偶然悪いけどなったからすまんな、(しかたないから)もうこうするわ」みたいなという感じのことが色々起こりますけれども、いつも言うように「神さまは一番良いようににしている」という絶対の信だけを持っていてもらえれば(おさまって)治っていきます。

 これは。長脛彦(ながすねひこ)さんの時代もそうだったわけです。もう本当にどんどん攻めてくるし、長年住み慣れたところを「立ち退け」と言われてね、「何でわしらがどかなあかんねん、平和に仲良くしよう」と言ってるのにね「一緒に仲良く一緒に暮らそうや」と言ってるのに、「なんでわしらがどいてあいつらが ここ住むねん」、みたいな感じでなるんですけれども、もう真祈りだけ、真祈りだけということでね、現実はどうなっても一番良いようになってるからという長脛彦さんの教えがあって、愛があって、全てを一つに包んでいくんです。もちろん包む過程において10年20年50年というね、色んなあるわけですけれども、それが神話となってですね、うさぎさんの話とかね、色んな形で、あるいは剣をね、偽物の剣と本物の剣を入れ替えてどうこうしたとかね、色々な形で。あるいは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から剣が出てきたとかね、色々な形を変えてそれも大きな争いの話にせずに良い話として残しているのは真祈りのおかげです。

 海外の神話だと戦争叙述史から始まるんですね。それは戦争によってその国が成り立ったからです。日本は真祈りによって成り立っていますから、神話でもその本当は凄い喧嘩になったんだけれども、喧嘩にならないような、例えば最近で言うと西南戦争でね、そのもの凄いことがあったわけですけれど、本当だったらあれでもう、恨みつらみでズーっと争いごとが続くのがね、西郷先生が一人自害することによって、全部一人で十字架を背負われて全部消されて、あれで治ってしまうみたいなね、日本は真祈りが基本です。

 真祈りというのは、結果にイエスのように十字架にかかってしまう、死ぬ形になっても失敗ではない。これを覚えておいて下さい。

 あの人印可書を奉読していて真祈り人だったのにあんな目にあってというのは勘違いです。大きな十字架を背負って消されていっただけです。それは一番最近の戦争で言うと、特攻隊の方々がね、行かれることによって、大きく清めていかれるわけですけれども、そういう感じです。

 だから特攻隊は形の上で見れば、犬死にであるわけですけれども、そのおかげで、例えば沖縄に特攻が行かれる、その沖縄に特攻している間は、地上軍アメリカ軍はその特攻機だけに精一杯になってね、というのは海軍の援護射撃があってはじめて地上軍が進めるわけですよ、でも特攻機が来たらそれに手一杯になって海軍が援護射撃できない、艦砲射撃できないから、その間地上軍が止まるんですね。

 その間に沖縄の一般の人がたくさん逃げて、あの命が助かったという形になるわけですね、実際のことを言えばね。

 でもそういうことを知らない人はやっぱり犬死だとか、形の結果だけを見てね、結果だけを見たら犬死になっても、大きな十字架を背負った大きくマイナスを消す形なんです。

 例えば西郷さんでも、別にあそこで自害する必要はなかったわけです。でもそこで自害をすることによって全てを消し去っていくというね、もうそういうことだけです。

 だからこの世的にはどういう自分にとってね、どういう運命になろうとも、例えばお釈迦様のお弟子の目蓮(もくれん)さんという方がいらっしゃって、本当に神通力が全てという方でね、お釈迦様よりも神通力があったわけですね。

 その神通自在の方が最後は首をはねられて死ぬという形を選ばれるわけです。それが一番良い形で大きく消せるというのが分かっているからです。あるいは釈迦族がほとんど滅ぼされる形になるんですけれども、お釈迦様はただ祈っているだけでね、何もされなかったわけですね。何もされなかった訳でなく、祈っておられた訳で、一番真祈りされたわけですけれどもね。この世的には何もされなかったから、釈迦族はほとんど滅びるわけですけれども、その当時の人類のマイナスを釈迦族の全ての人に背負わせて消されたわけです。

 で、今回も同じで、いよいよ今回は本当に最後なので、真祈り人の双肩に全てはかかっています。ただ1番良い形にね、持っていきたいから今からどんどん 印可書を奉読してい頂いて人類の潜在意識に、印可書を流し込んでしまえばね、そういう暗黒の6日間なんておこらずに、要するに人類の方が真祈りをして、きれいにするから映画館も建て替えなくてもね、今の映画館で綺麗に出来るわけです。建て替えない時は6日間はないわけです。

 神さまの方は「建て替える」って言えば一瞬やからね、建て替えないと言ったら、今人類の方で、今のこの映画館を綺麗にしたら良いだけ、お掃除したら良いだけ、なんですよ。

 でも人類の手でお掃除できない、もういよいよどうしようもない、ってなったら建て替えるとなるだけです。第2の月が現れないようにしたいだけです。

 今回のこの連休の間もね、黒点の数が増えてね、もうどうしようかっていう感じだったんですけれども、太陽風が地球の方にむかって吹かなかったんですよ。他に向いて吹きました。だから地球は大丈夫でしたけれども本当にまともに太陽風が来たら、もう電気が全部駄目になって、本当に携帯も通じないから、大混乱で凄いことになったんですけれども、何とか何とかなりました。皆さんの真祈りのおかげです。印可書奉読のおかげです。護摩のお蔭です。もう護摩木を書いて頂くのがね、本当に凄い力になっているのね、分かっていて下さい。

 本当に今もまだ明日、明後日がちょっときわどいですけれども、なんとかなると思っています。それで仮に大きな地震が起こってもね、一番良い形になっていますから、それを心を動かさないことをお願いします。次の質問があれば。

宮野さん:最初の冒頭のところで仕事をしている時に、「こうせなあかん」「ああせなあかん」ということで相手のマイナスを背負う、相手の自由意志を縛るっていうところでなんですけれども、という仕事のことということですけれども、これじゃなくて、例えば真祈りとか印可書とかそういう事、

河上さん:そうです。今までの宗教団体がね、なんで年数がたって崩れていくかと言うと宗教団体の古い先達やね、先輩、大体今の宗教団体というのは年数で誇るわけですよ、悟りの状態とか、心境の状態とかでなく年数で誇って、古い人が新しい人に「こうせねばならない」とかね、したり顔で言うわけですよ。

 それ自分が悟っていないのにさも悟った、本人は悟っていると思ってないんですよ、ただ相手に良かれと思って言ってるだけなんですよ。だけど新しい人の方は、この人古いから私より悟っているだろうと思っていますから、よけい新しい人のマイナスをね、無意識に背負ってあげる形になるわけです。

 そこで今までの宗教ですと、印可書はないのでもう背負うことによって余計に、要するに泳げないのに溺れてる人を助けに行って、一緒に沈んでいく感じ。だから宗教団体が古くなると、どんどんひどく、ぐちゃぐちゃになっていくわけですね。それがあります。

 ここではね、先生が「僕が喋る」って言っても「お前喋るな。真祈りだけや」ということで、本当にこの8年前まで、正確に言うと8年前まで、知っていますか?真祈りの伝授が始まったのは8年前ですよ。もう8年経った。

 護摩の時「「いよいよ待ちに待った真祈りの伝授が始まったのです」と言って宣言されたのが8年前ですけれども。先生から「勉強会をせよ」と言われたのが6年前から。要するに「お前が喋れ」って事になった訳です。

 なんでそこまで喋らせてもらえなかったかというと、まず真祈りなんですね。 まず真祈りがあって、真祈りで全てが変わるんです。本当にもう後ちょいと変わるとなって、初めて「喋って良いよ」なんですよ。それはどういうことかと言うと、(お話する人間が少しでも)相手が悟ってないと思っている間は喋ったらあかん、みんな「既に祈っている、悟っている、救われている」実感として分かって、初めて喋れる。わかります?

 みんな今ここにいらっしゃる方も護摩に来られる方も「みんな既に祈ってる、悟っている、救われ、いる」と実感として僕は感じるんです。感じるから喋った時にちょっとでも響いていくの。もう最初からね「この人祈ってない悟ってない」て思ってしまうと、もうそこで周波数が違うわけよ。だから何を言ったってみんな自分の都合のよいようにしか聞かないし、神さまの真意が伝わらないの。

 だから真祈りの真髄っていうのは何かっていうたら「既に祈っている、悟っている、救われている」を、実感として感じれるかです。それがちょっとでも感じないうちはね、喋ったら自分が相手の全てを背負うんだと。脅かしてない、本当の事言っています。になります。

 それでお互いに(マイナスを)背負い合いをしてキャッチボールをするだけになるの。

 だからほとんどの宗教団体でも会社でもそうですけれども、お互いにマイナスのキャッチボールをしているの。キャッチボールする毎に利息付いて膨らんでいくの。雪合戦がそうでしょう?最初は小さな雪だるまなげんねん。「やったなー」って言って次は大きな投げる。又、やったなー」って、だんだん大きくなるでしょう。ああいう感じでマイナスのキャッチボールをするんだけれども、そういう感じでね、相手に物を言うというのは、相手の全てを背負うんだという覚悟をもって下さい。それで言った以上は必死で印可書を奉読してね、祈って下さい。もうそれだけです。

 みんな自由意志だから、喋りたい人が喋るのは自由です。喋ったらあかんとは言わない。でも喋っただけの(責任を)総責任者ですからね、みんな背負うわけですよ。

 で、河上が頼りないということで、護摩の最初にわざわざしゃべってくださる方もいらっしゃって、ありがたい限りでね、もう護摩の会場というのは(スタートの最初の時は)もの凄い(マイナスの)ものが集まりますから、最初に喋るというのは(まだ眞祈りが始まっていないから→宇宙神ありがとうございますが始まっていないから)命がけなんですよ。でも喋って皆背負ってくださるから、(そのしゃべりたいという自由意志を尊重してしゃべりやすいように)(そして僕にとったら)楽になったところで(になりますが)いつもわざと遅れていきます。

 そういう感じでね、もう何事も自分が責任を負うだけです。誰のせいでもない、自分が選んで自分が責任を負うだけ。喋るのも自分が選んで喋るだけです。自分が自由意志で選んで喋った分の責任は、全部自分が十字架として背負うわけです。只々、それだけです。

 だから真祈りの会でもね、主宰する方がもの言われても構わないですけれども、言う以上は集まった人のマイナスを全て背負うんだと覚悟をもってね、でそれが怖くて嫌だという人は先生の本を読むだけ、印可書奉読するだけ、色々言ってますけれども、にして下さいね。相手に対してあんたはこうだよ、というコメント出すというのは相手の(マイナスの)全てを背負うというわけです。

 それは別に宗教団体とかこことか会社とか関わらず、世間一般全部そうです。だからみんな世間では「言うてやらな」ってやってるじゃないですか。「言うてやらな」って言って相手のを背負う。それで背負ってなんかおかしいことをすると、言われた方がまた「言うてやらな」て背負いかえしてくれるのね。それでなかなか見ていると、横で見ていると面白いんですけれども、 当人同士は大変。みたいな。

 だからほら大阪のおばちゃんの会話であるじゃないですか。全然話が噛み合わない会話っていうんね、あれはマイナスの投げ合いをしているわけで、お互いが背負い合いをしているわけね。異空間の話やなみたいな、異次元空間、次元が歪んでるやないか、いう感じですけれども。それぐらいね、相手に物を言うのは相手の全てを背負うんだという、わかって言って下さい。

 だから学校の先生は大変でね、ものを教えてるつもりなんだけれども生徒の全てを背負っていくの。それで先生は晩年が大変なんです、みんな。本当に生徒が分かるように理解してあげるように、教えてあげると良いんですけど、どうせこいつらわかれへんけれども、教えなしゃないと言うとそういう風に(生徒のマイナスを背負うことに)なります。

宮野さん:今言っているの確認なんですけれども、話をする、言うっていうのは、これはお勉強会とか真祈りの会で喋る,護摩の会場で喋るそういうことだけじゃなくて、個人一対一の場合でも一緒ですね。

河上さん:一緒、一緒。だから大阪のおばちゃんの会話や。

宮野さん:それも全て自分が背負うという。

河上さん:だからたわいない話でもね、相手をいう事を背負うんです。それがこわいねん。この神さまの話した時に背負うとか、そんなんと違うの。お互いたわいのない話、あんた「昨日、あんたとこのお父ちゃん機嫌悪かったなあ」って言うだけでも相手のを背負ってんねん。そういうもんやねん。だからもうほんとにね、真のプラスの言葉を駆使する自分なの。真(まこと)の本心の自分っていうのはね。それ以外は全部相手のマイナスを背負っていくの。それは喋るも同じだし見て責めるのも一緒。心の中で責めるのも一緒よ。「あんなことあの人してるわ」でも言わんとこって言ったって、してるわけで、思った時点でもうアウトなん。だから先生は「現実を無視しなさい。現実は遠い遠い過去だ」って優しくおっしゃってくださってているんですけれども、みんな現実を見るのが好きなのね、映画が好きなの。で、現実を見てね、現実のマイナスを背負って自分で苦しんで楽しむの。でもこれもね、(現実という)マイナスを背負って楽しむだけや、これだけは忘れないで下さい。

 だからいつも言うように難しいゲームほど楽しいでしょう?ね。簡単なゲームはすぐ飽きて面白くないねん。難しいゲームは楽しいね。だから楽しんでるだけや。だから現実もそうよ、何が起こるかわからへんから楽しいのよ。ビデオ、ビデオディスクのあれを見たってね、同じ映画は2回3回見れないでしょう。もう筋(あらすじ)が分かっているから(面白くない)、分からんから楽しい。だから分からんから相手を責めて自分が背負って苦しんで楽しい。

 「そんな言うけど、そんな相手の見たから何で私背負わなあかんの。そんなん知らんかったわ」って言うてますけど、分からんから面白いねん。分かってたらせーへんから面白ない。今とうとう答え言うてるから。あの真祈りだけにして下さいね。

 真祈りだけにしたら一瞬で全部清まって、変わっていくんですよ。だけど現実を掴んでどうこうして(言ってやってどうこうしようと)(あるいはあんなことしてあほやなあーと)見てたら、どんどんマイナスを積み重ねて、この世がいよいよ切羽詰まることになるんです。

 例えば今、報道だと「プーチンさん悪い、ロシアが悪い悪い」と言ってるじゃないですか。そんな事言っているから、余計自分がマイナスを背負って加担しているっていうのがわからないの。どっちが良い悪いじゃないの。この現実のマイナスを云々(うんぬん)言うのは間違い。

 本当は神さまの無色透明の無限の無限の輝きという喜びがあるだけなのにね、それにわざわざあんまり無色、水だけやったら美味しくないから、砂糖を足してみようとかね、ちょっとコーヒーを足してみようとかね、味付けして楽しむわけです。それをマイナスって言います。その部分のとこだけなんですね。だから素直に無色透明の水、真祈りを足せばどんどん綺麗になっていくの。もうただただ真祈り最強です。

宮野さん:あの基本相手の自由意志は、変えれないので、相手に物申すっていうのは何とかして時間の無駄ですね。

河上さん:時間の無駄やから相手のマイナスを背負える。な?相手が言うこと聞いてくれたら相手のマイナス背負えへん。相手が自分のマイナスを消すだけや。

宮野さん:それが、いくら良いこと正しいことだろうとしてもですよね?

河上さん:そんなん正しいとか良いことというのは

宮野さん:大抵そうでしょう?

河上さん:その人の判断が全然違うもん。例えば、今私眠っていたいねんという人ね。「眠っていたら電車遅れるで、学校遅れるで」という時でもよ、眠っていたい人は眠ってるって。起きないと、あんた学校、そのお母さんがね「あんた早く起きないと学校遅れるよ」と言ったら子供怒るやん。「うるさい、寝てんねんんからー」って言って。あれよ、あれが全ての形。その人にとっていま自分が気持ち良いことをしている。その結果大変なことになるよって言ったってね、そんな分かるぐらいやったらせえへん。

宮野さん:でも聞いていらっしゃる方がね「言ったって河上さん喋ってるやん」という話を多分思われる方もいらっしやる。

河上さん:うん全てを背負ってるんやもん。その覚悟はあってしてるだけ。まー護摩で喋るていうのは、普通はあんなもん3回喋ったら(運命的に)死んでしまう。




  令和4年5月河上さん勉強会―2(20220501−2)
  
  質問:質問なんですけれども、相手のマイナスを背負うっていうふうに表現した時に、それって、背負うのが良いことだって思う、良いことっていうのは変なんですけど、良いことのように誤解することもあるかもしれないっていうふうに思ったんですが。あの、相手のマイナスを背負うっていうのは、神さまに背を向けて地獄に降りることとはまた違うっていう…
  
  河上さん:違います。今、説明の便宜上ね「相手のマイナスを背負う」って言ってるけれども、良いこととか、悪いことという、その感覚、良いこととか悪いことという感覚がすでに虚の世界の感覚があってですね、それで、その、相手のマイナスを背負うもくそもないの、本当は。全部、自分なの。ただ、全部自分だけども、その部分、まあ、人間の体で説明するとね、指のここ怪我してると、そこに薬塗って、揉んで、こうすることによって、その揉んだ手の方が痛くなるみたいな感じですよ。それだけ。全部自分なの、只々。
  
   だから、神さまは全部自分だから、その例えば、もう、(マイナスが悪いものが)一杯になってしもてね、これはいちいち(きれいに)するより、新しく建て直した方が、要するに、この家を綺麗にクリーニングするよりは、いったん壊して、新しく建てた方が、コストも安いし、速いと。そうなったら建て替えはるわけですよ。

 いやいや、みんなで一生懸命やったら、建て替えるよりも安く仕上がるでって言った時は一生懸命綺麗にするの。それだけなの。それは全部自分だから。だから十字架に背負うというと、なんか凄いことのように聞こえますけども、本当は全部自分やから、背負うも背負わんもないんだけども。そない言うと、ピンと来ないだろうからね、みんな分けてる意識で聞いてるから。で、分けてる意識上で説明すると、十字架を背負う、という形になるわけ。相手のマイナスを背負うじゃなくて、十字架を背負う。十字架というのは、すべてのすべて、という意味です。過去も現在も未来も、一点に凝縮したすべてを十字架といいます。
  
  それをまあ、図書館でいうと、本だと言ってるわけです。本の中に過去も現在も未来も全部入ってるわけでしょ。でも、その本を開かなかったら、始まらない。意識を向けたらね。皆それぞれ自分の世界という本を持ってて、自分で台本書いてね、それで、わざわざ開いて楽しんでるだけ。だから、いったん閉じたらおしまい。いったん閉じたら、それを悟ったって言います。それで、その閉じている状態も、すべての状態を同時に見れるようになると、本当の深い悟り。浅い悟りの時は、閉じた本を戻して、また次の本を開く、みたいな感じですけど。それを別の表現でいうと、神さまの世界にも天国にも地獄にも、同時に自分の意識があるという状態。いちいち、その場所に行って見てるんじゃなくて、同時に見れる、感じれる感じが、一番本当の神我、大我です。浅い悟りだと、神さまの世界に行ってたり、地獄に降りたりとかね、飛び回ってる状態です。

 それを天狗さんていいます。飛び回ってるでしょう、天狗さん忙しくね。本当は飛び回らなくても、同時に瞬時にすべてのすべてなんですけど。只々、それだけです。でも、そう言ってしまうと、それで話、身も蓋もないからね、展開して喋ると、相手と自分を分けて、相手に「おまえ、そんなんしてたらあかんやないか。」って言って相手を背負ってっていう、展開した表現に、説明になってるだけです。いい?
  
  質問:あの、浅い表現で言うと、自分で自分を縛ってるという表現になる?
  
  河上さん:そうです。浅い表現でいうと、自分で自分を縛っているの。浅い表現って、ある程度深い表現やけどね。すべて自分って分かってる中で、自分やのに、自分を縛って、あそこあかんと思ってる状態やね。本当は、あそこあかんじゃなくて、そういう状態にして、楽しんでるだけよ。台本書いてるっていうでしょ?あなたは今回は奴隷役よ、あなたは王様役よ、あなたは女役よ、あなたは男役よってね。台本書いて楽しんでるだけじゃないですか?せやのに、「あそこのあの奴隷は鈍臭くて駄目だ。」って言って責めてる状態よ、演劇の中でね。で、それを演劇の中って分かっているうちはいいけど、分からなくなってる状態やね。それがもっと分からなくなって、お互いに完全に分け隔ててどうこうって言いだすと、ぐちゃぐちゃになっていくんやけどね。
  
  質問:只々、もう、印可書を奉納して、もう、神さまの表現を楽しんで、印可書を奉納してっていう。あの相手を縛ったり相手をどうのこうのって言うんじゃなくて、すべて自分だと。
  
  河上さん:印可書を奉読してるとね、真(まこと)の本心に自分に無意識に立てるの。立てるというか、立たせてくださるの、神さまが。本人の心境に関わらず。真(まこと)の本心の自分の立場に立つとね、楽しめるの、熱いのも苦しいのも。

 だから、例えば、わざわざ、エベレストに登るわけでしょう。何百万やね、あれ。何百万もお金払ってエベレストツアーに行きはるんやね、凄い怖いとこ行ってね。あれでも、やっぱり凄い楽しんでるわけでしょ?あんなん嫌いな人から見たら、お金払ってまで、なんで行くん?とか思うけども。そういう感じで、その、ちょっとでも本心の座に立てば楽しんでるの。

 山登りでも、なんでもそうですけどね。あの、アイススケートとか陸上競技とか、ああいうスポーツでもそうですよ。なんで、あんなマラソンでもね、なんで42キロも一生懸命苦しんで走るん?とかって苦手な人は思うけどね。それ、楽しみなわけでしょ?それって本心の側にちょっとでも立ってたら楽しめるの。現実の側に立つと苦しいばっかりよ。
  
   それが分かったら、心が自在になるねんけど、苦しいところに意識を置いてしまう。置いて楽しむのはいいねんで。だけど、楽しみすぎて、そこから抜けれんようになってる、皆。それは、皆ね、同じ世界に住んでると思うけど、全部(違う世界に住んでいる)なんで違う世界に住んでるかというと、皆この見てる世界は、自分の脳の中に作ってるだけよ、映像を。分かる?実際には無いねん。自分が脳の中に、こういうもんやと決めて作ってるわけや。作って楽しんでるね。だから、夢見るね。夢見てる時は現実やと思ってるやろ?

 これ、(この勉強会)今夢かもしれへんで?わかる?それくらい皆自分の世界に住んでるんよ。だから印可書を奉読して真(まこと)の本心の自分の立場に立ったらね、どの状態も楽しめるの。だから、神さま今が一番いいようにしてるって分かるの。小さい立場に立ってたら、「なに、河上、今が一番いいようにしてる言うけど、しんどいわ、そんなもん。辛いわ。」とか言うて終わりよ。
  
  でも、今は印可書があるからね、この説明が通じるの。ちょっとでも印可書を奉読してくださる方は、「ああ、そうやなあ、神さまは絶対の愛やから、今一番ええようにしかしてくれてないわな。してはるに決まってるわな。」って素直に思えるの。印可書が無い時代はね、なんぼそない言ったって、(いくらそう言っても)「そんなん言ったってしんどいもん。」でしまい。

 だから、暗黒の6日間は来ないうちに、皆でこの今の映画館を綺麗にしてね、ちゃんとできると信じています。大丈夫だと思ってるんですけど、ちょっとほんと切羽詰まって、ロシアが悪い、ロシアが悪いってするからね、もう、大変なわけですよ。
  
  その例えばそのロシアの話でもね、ソビエト連邦っていうのがあったわけですよ。エリツィンっていうロシアの大統領がね、各、ウクライナとか、ウズベキスタンとか、色んな、ソビエト連邦ですから、小さい国が集まって連邦になってるわけですね。ソビエトという連邦、ソビエトという国ではなくて、連邦なったわけですね。それが皆自由にしていいから、税金出さんでええよ、ってやっちゃったわけですよ。ソビエト連邦に税金が集まらなくなったの。まあ、ヤクザ風に言うたら、上納金が集まらなくなったのね。それで、組が維持できなくなったわけです。そして、その時の軍隊をそのままロシアが引き受けたの。じゃあ、ソビエト連邦として成り立つ軍隊をロシア一国で引き受けたら、お金足らんでしょ?こうなってくるのは当然なの。勿論、軍隊解散したらしまいよ。だけど、軍隊を解散するほど、皆、相手を信用できない。分かる?で、なんとか維持しようとすると、軍隊はお金かかるって。生産性無いわけでしょ。只々、飯食って走り回って練習してるだけや。そのオリンピックの強化選手作るのでも、凄いお金かかるでしょ。オリンピックですらあれよ。軍隊やったら、それにプラス兵器を作らなん、弾作らなん。もう、お金かかってしゃあない。そのソビエト連邦の軍隊をそのまま引き継いだロシアが財政的にひっ迫して、こう成らざるを得ない。そんなん自明の理やのにね、みんな無関心でしょ、人のことは。放ったらかしにするから、こうなってくる。
  
   だから、みんなの責任よ、本当はね。だけど、意識が小さい人にね、そんなん言うたってわからへん。だからこないになってます。で、報道で、どんどんロシアが悪い、プーチンが悪い、悪い、悪いってマイナスを煽るからね、余計マイナスが吹き上がって、もう、ちょっと時間切れの際どい状態なんで、暗黒の6日間の話まで先にしといた方がいいかな、と。ただ、暗黒の6日間だけ言ったって皆分からないから、その前兆としてね、イエスの言う、その、「いちじくの木に実の成るをもって知れ。」っていう意味をね、具体的に説明させてもらったわけです。でも、ちゃんと護摩木を書いて頂いて、印可書を奉読して頂いたら、そうならないですから、大丈夫です。
  
  でもね、マイナスを背負いたい人は、やっぱり何を言ったって背負ってくれるの。それでええんよ。背負う体験も必要だからね。で、もう自分で身動き取れなくなって、地獄まで落ちてしまって初めて気付く。そうならないようにする人はね、もう、いったん皆地獄の底まで経験してるの。あれは懲り懲りと思ってるから、しないだけで。経験してない若い人は、やっぱり一度は味わいたい恐怖のジェットコースターや(笑)。乗るな言うたって乗るやん。オカルト映画、一度は見たいオカルト映画、見るな言うたって、やっぱり見に行くんよ。一緒やな。それはそれで、皆自由にしたらいいの。色んなその体験を積むことによって分かることは結構多いですからね。

 ただ、素直な人は、イエスが言うね、「見ずして信ずる者は幸いなり。」というのは本当に真理で、素直な人は得。「只々、印可書を奉読してるだけでええんやな、良かった。」って喜べる人は得やけどね。「やっぱり、そんなん言うても…。」って言う人は体験するまで納得せえへん。どれも自由です。
  
  質問:先月の勉強会の時に、河上さんが、「皆さん、覚悟を決めてください。」って仰ったんですけど、それは何があっても、印可書で突き進むという覚悟っていうことですか?
  
  河上さん:そう。神さまが一番いいようにしてるって信じきれるっていうことね。信じきれない時は印可書を奉読して、改めて信じなおしてね、っていう、いわゆる絶対の信です。神さまがいつも一番いいようにしてるって、ここさえ揺るがなかったら大丈夫なんですよ。

 それが、「なんで私お祈りしてるのにこんな目に遭うの。」って言った途端に、「なんで私お祈りしてるに病気になるの。」とかね、色々ありますよ、その人によって。「なんで会社クビになるの。」とか色々あるけども、なんで?って言ったら終わり。
  
  質問:もし、一瞬マイナスを思っても…
  
  河上さん:思ってもいいの。
  
  質問:印可書で思い直して、進めばいい…
  
  河上さん:そうそう、印可書を奉読。今は印可書があるからそれでラクなの。それでいいです。はい。
  
  質問:現実的な質問になります。先日、1枚の護摩木に細かくたくさんの「宇宙神ありがとうございます」が書かれたものを見かけました。実際、自分でやってみたところ、「宇宙神ありがとうございます」をたくさん書くことができますが、奉納する護摩木の枚数自体は減ってしまいます。逆に考えると、少ない護摩木でも、「宇宙神ありがとうございます」、をたくさん書いて奉納することができます。護摩木の枚数か、「宇宙神ありがとうございます」を書く数か、どちらが、より神さまのお役に立てるでしょうか。
  
  河上さん:はい。これね、護摩木に細かく、「宇宙神ありがとうございます」と書く、目、視力やね、視力と書く力のある人はね、書かなくちゃいけないではないですよ、さっきの話と一緒でね、書きたいと思う人は是非書いてください。自分の自由意志でね。細かく、たくさん書きたいと思う人は書いてください。でも書けない人があるからね。細かく書かなくっちゃ、たくさん書かなくっちゃ駄目っていうと、もう崩れるわけですよ。だから、その人の体力、気力、視力に応じて、書いてもらえばいいです。
   
  護摩木の枚数は、この世的な枚数よりも、霊的な枚数がありますから、細かくたくさん書いたものは1枚が100枚、200枚に匹敵するんです。だから、本当はこの護摩木に「宇宙神ありがとうございます」を100書きましたという時は×100で申告してもらうのがいいんですけども、そうなると、数えなあかんとかね、ややこしくなるからね、細かくは言いません。皆の自由意志でやって頂いて。例えば、1年トータルで最終的に100万枚越さなかっても、ちゃんと効果が出るわけですよ。でも、目標をね、常に100万枚、300万枚っていうふうにしていきたいと思うんです。
  
  というのは、どんどん人類の潜在意識に印可書が染み込んでいけば、護摩木を書きたいという人が増えてきますから。その時はもう、書ける人は細かく書いて、1枚で100枚分にしてくださいってお願いする時期が来ますけどね。まだ今はもっともっとフリーで自由自在でいこうと思うんで黙っています。ありがとうございます。
  
  質問:護摩木の作り手の方の話なんですけど。私はボランティアに、そんなにしょっちゅうは来れませんが、来た時は、護摩木を作成するお手伝いとかをする機会があります。お話を聞いているとですね、これ、山の方のお話じゃないんですけれども、遠い所からわざわざ来られて、例えば2000の箱を作られるとします。1日かかられたりするんですよ。でも受け取った方は、それは分かりません。当然のごとく受け取る方もいらっしゃれば、ありがたく受け取られる方もいらっしゃるとは思うんですけれども。中にはですね、リターンされる時に、非常にこう、走り書きで、数えもせずに、そのままリターンされる方もいらっしゃるような話も、ちょっとこう、伺ったりすることがあります。そうなった時にですね、お互いボランティアなので、受け取った方も、きちんとこう、数えるぐらいは数えて、私、何枚送ります、とかですね、そういうふうなものを書かれたりだとか、実際は、よく来られる方はそんな箱を2000、一生懸命作られたものを受け取らずに、赤いネットのまま持って帰られて、自分で数えて、何枚でした、こんだけ余りです、とかってやってくだされば、ここに遠くから来て、2000の箱を1日かけて時間を費やさずに、もっと他の作業ができたり、ちょっと非常にレアな、すみません、込み入った話になるんですけど、そういうことを思ったりするんですけど。なかなか、それを、こう私が思ってても、なかなか、実際に今まで通りのやり方がコアにあって、なかなか変わっていかないというか。
  
  河上さん:うん、だから、自由意志と自由自在を基準にしてるからね。結果のどうこうは気にしても仕方ないのね。だから、そういう事情を知った人は自分で数えて返すとかいうふうに、自然に変わっていくようにするのがいいんで。こうしなさい、こうしなくてはいけない、いわゆる、「ねばならぬ」というのは一切言ってはいけない。それは、もう、神さまの意志から外れるの。それは、今までの宗教団体。
  
  その、村人の立場が厳しくてね。村人は、いわゆる、衣食住を安堵(あんど)してもらってるわけですよ。また、お金まで頂いてるわけですね。そこまで安堵されている方が、命がけで真祈りするしかない立場なんです。でも、村人になっても命がけで真祈りできない人もいらっしゃるわけ。そういう方は必死で山仕事に、山仕事というか、村の仕事、護摩木作りとか色んなことに没入しなくちゃいけない。でも、それでも、没入しきれない方もいらっしゃるわけ。どの状態でも責める必要はないのね。どの状態もその人の大事な体験なんです。

 だから、「あの人、村人のくせに怠け者や。」とかね、責めることもないし。どれもこれもその人の大事な体験ですから、結果に一喜一憂しない程度を基本にしてください。
  
  例えば、せっかくなんで言いますけど、いわゆる、村人、村に集まるお金は先生のお金、神さまのお金ですね。そのお金で一人、自分が贅沢してね、美味しいものを食べるとかしたら、凄いことになっていくわけですよ。そんなことは当然、先生も説明されててもやはり、する方はするの。それも、その人の体験だから、黙って見てたらいいの。

 だから、どの状態もその人の自由意志をね、縛ってはいけない。ただ、人殺ししそうとか、あるじゃないですか、殴り合いになりそうとか。そういう時はやはり、緊急事態ですから、ある程度は、自由意志を阻害してでもね、殴り合いになるのを止めたりとかはしますけども。それ以外のことは本人の自由意志に任せきるのが大事なんです。
  
  なぜかというと、神さまが、絶対の愛というのは、絶対の自由だからです。神さまの本質は絶対の自由だから。だから、その人の自由意志というのが最大限に尊重されます。ただ、泥棒に行くとかね、人を殴りに行くとか、人を怪我させに行くとかいうのは、それは、やっぱり止めなくちゃいけないですよ。でもそれ以外のことはね、もう本当に本人の自由に任せたらいいの。それによって背負うべきものを、背負うことによってしか分からない人は、背負わざるを得ないの。

 だから、今言ったように、「見ずして信ずるものは幸いなり。」でね、言われて素直に、はいって言える人は幸せなんですよ。でも大概(たいがい)は、やっぱり味わってみないとわからない、体験してみないとわからないですから。その体験、大変やなあ、と思ってこっちは見てますけども、それ以上言いようがない。(その人の自由意志を縛ることはできないから)そういうもんなんです。
  
  だから、真祈りの会でね、主催する方が大変なのは、ついつい、自分の方が、まあ本人は思わなくても偉いように、周りの人が思いますから、ついついその立場に立たされてしまうわけです。立たされて、うっかり喋ったら全部背負わならんからね。ここで僕が喋るように。

 背負ったら最後、必死でお祈りしなくちゃいけないんだけど、それもできないで、グチュグチュになっていく人も中にはいます。誰とは言いませんけどね。それも、でも本人の体験なんです。真祈りの会でもいらんこと言うなよって何べんも説明はしてますから、説明終わってるからね。あとは皆の自由意志なわけです。
  
  村人に関しては、先生が散々説明されてきたけども、覚えていらっしゃらない方もいるだろうから、今、また敢えて言いましたから、次はもう言いません。それぞれ、村人の背負うものは厳しいです。やはり村人というだけでね、外の人は、(村人のことを)ちょっと偉い、しっかりした人かな、と勘違いしますから。その分だけ余計、村人は背負わされる立場にいます。厳しいものです。
  
  一緒で、護摩木もね、今言った感じの説明はしたらいいです。2000枚数えたものは持って帰らずに、ガサっと持って帰って、自分で書いた枚数を数えて持ってきてください、とか、説明はしてもいいです。してもいいですけども、そうしてくださいって言っては駄目なの。

 私は時間ないからやっぱり2000枚のが欲しいわという人は、もう、それを渡せばいい。やっぱり受け取る側の人の立場があるじゃないですか。本当に生活が忙しい方なんていうのは、そんなことできないでしょ?そういう時間裂けない人のためにも、あるからね。どれもこれも神さまが必要に応じてしてますから、無駄なことはないの。で、どれがいいというのもないの。もう、それだけです。ありがとうございます。
  
  宮野さん:先程のね、村人がお金を頂いている、贅沢をしたっていう話の中でね。贅沢といっても人によってそれぞれかな、と。
  
  河上さん:あ、そうよ。だから、この世的に大した贅沢ではなくてもね、村人は厳しいの。神さまのお金だから。
  
  宮野さん:それをね、神さまのお金だと。神さまからの賜りものである、という中で、その中で、例えば、私達から見て、例えば私から見て、いや、それ全然贅沢違うよ、っていうことを思ってても…
  
  河上さん:そういうことでも、厳しい。
  
  宮野さん:でも、本人がこれを使わせて頂くって思って、認識して真祈りして使う分には別に…
  
  河上さん:問題ないです。真祈りして使えばね。
  
  宮野さん:要は、人がどうこう判断するわけではなくて、自分での感じですよね。
  
  河上さん:そうそうそう。だから、本当にね、村人は、勿論本当は普通の人も一緒なんですよ。その、お給料で頂いたお金でも、全部神さまからの頂き物ですから、真祈りして使わなくちゃいけないんだけど、村人はそれがもっと厳しい立場に立たされているだけです。ただ、それだけなんです。

   ただ、(村人は)なぜか?というと、生活に心を煩さなくてよい状態に置いてもらえてるわけですよね。普通の人は、会社に行って上司からボロクソに言われたりとかね、このノルマを達成しなさいとか、お前は今日一日、これだけの物を梱包しなさいとか、言われて、その中で、こう、うーってやるわけじゃないですか。だけど村人はそれがないの。ない分だけ真祈りに没頭しなさいと言ってる先生の愛でなってるわけで、だから厳しいだけです。
  
  だから、程度の差はあっても、一般の方もね、(村人以外の一般の)外の方も、その、例えば、ごちそう食べてもいいのよ。凄い高いレストラン行って食べてもいいんだけど、本当に真祈りして食べなくちゃいけないの。只々、欲望で食べたら駄目だっていうことです。

 それが、村人の場合は非常に厳しいだけです。それは先生が村人の心得というのを出されたし、色んなものを出されたんだけど、今は残ってないんでね。薄れてるかもしれないので、今また、敢えて、本当にいらんお節介してます。村人の方にとったら、そんなもん分かってるわい、って言うかもしれないですね。(笑)
  
  質問:すごく違う視点で見れば、真祈りの会で、主催者ではなくって、こう語る方がいらっしゃったとしたら、その方がそのマイナスを背負ってくださって、主催者の方すら助けてくださってるというふうに言えるのですね。
  
  河上さん:そうです。勿論そうですよ。ただ、今こうして説明したから、いいよ、何してもいいけども、マイナス背負う立場に立つからね、頑張って印可書奉読してね、っていうことです。責めてるんじゃないからね。

 みんな自由意志で自由だから、本当に何してもいいの。でも、自分の自由意志で自分の決めたことでしたことは全部自分が背負うから。背負う以上はね、頑張って印可書奉読してね、ってそれだけ。今は、印可書あるからラクなの。それだけです。

 だから、逆に言うとね、自分では(マイナスを背負う行為を)してないつもりでも、無意識にしてることもあるわけやから、普段でもね、一生懸命印可書奉読してね、ていうことです。
  
   それでもっと厳しく(本当のこと)言うと、そうして、自分ではしてないつもりで、知らずにやったことの方が厳しいのね。知ってやったことの方がラクなの。お釈迦様の言う(たとえ話)、やけ火鉢って、分かって握る時はぱっと手を離すけどね、あれ、単なる赤い人参やと思ってギュッと握ったら大やけどするでしょっていう。知らずに犯す罪の厳しさです。で、今、村人のも、やぱりお金の使い方が厳しいということをね、もういっぺん再認識してもらうために言いました。

 知らずに掴む恐ろしさをね。何してもいいよ、村人もね。自由にしたらいいの。でも、覚悟を決めて、自分ができると思う真祈りをしてください。印可書奉読が一番とは言いません。みんな自由に選んでいいからね。
  
  質問:もう、耳の痛いことばっかりなんですけども。昨日、もう本当に、無意識に失敗といういかね。コンビニ経営されてる方で。もうやっぱり、両方に店ができたり、バイパス通ったりで。
  
  河上さん:大変やな。
  
  質問:「山あり谷ありっていうけど、谷ばっかりや。」って
  
  河上さん:谷ばっかりですね、そりゃそうや。
  
  質問:「もう、いつかは成功したい」って言ってはったんですね。いつかは成功したいっていう言葉にちょっと(私が)反応してしまって。「いや、もうね、私の尊敬する先生が、言葉通りにって言ってはるからね、いつかいうたら、いつまででも、いつかなので、もう成功してると思ってください。」って言ってしまったんですよ。
  
  河上さん:(相手の方は)怒ったやろ?
  
  質問:(相手の方は)まったく、怒らなかったんですけど。「最低限の生活はもうコンビニで全部揃うんでね、もう成功してると思うんです。」って言ったんですけど。本当に、無意識にぱっと出てきた言葉も、そんなことも、いらんことは言わなくて…
  
  河上さん:いやいや、別に、だからね、言っていいんですよ。言っていいけれども、どっかで無意識にね、やっぱりどっかで自分が言ったって思ってるの。それがあかんね。要するに、我があるって何かと言ったら、この前言ったように、自分が肉体だと思ってるっていうのが、一番我がある証拠なんですよ、例えばね。

 それと一緒で、無意識に言ってるんだけど、やっぱり自分が言ったと思ってるの。その「自分が」を消したい。だから、印可書があればいいの。もう只々それだけなの。

 ただ、ついつい、その自由自在やというとね、いらんお節介が増えるのね。だから、あんまりいらんお節介までせんと、無意識に出るのはもういいけども、わざわざ言いに行くのはあかんみたいな。そこまでせんでも、印可書奉読してる方が早いよっというみたいな感じです。
  
  質問:この間、村で、その方は「宇宙神ありがとうございます」をお祈りされてて。ある人に、「真心を込めて『宇宙神ありがとうございます』を唱えられないから、どうしたらいい?って言ったら、『そのうち込めれるようになるよ。』って(言われた)。」という話を私にしてくれて。でも、私は、「真心なんか込めないで、只々淡々と。真心って言ったら、『自分が』になるから、淡々とした方がいいんじゃない?」って言っちゃったんですけど。
  
  河上さん:それでいいですよ。
  
  質問:言われた方は全然、「え、真心をこめた方がいいでしょ?」って言われて。「でも、じゃあ、真心って何?」って言ったら黙っちゃって。(笑)
  
  河上さん:だから、考えていくとね、理屈で考えていくと分からなくなることばっかりなんです。それは何かというと、自分が肉体だという意識がある人は、全部、考えたら分からなくなるの。もう、それに尽きるのね。で、その真心というのもね、自分が肉体だと思ってる人は、その肉体を動かしてどうこうしないと、真心が籠もらないと思うの。それで、よく分からなくなっていくの。本当に真剣に、「ありがとうございます」の(祈り言葉の)時代ですけども、「ありがとうございます」を真剣に唱えているとね、どうしてもスッと来ないんよ。もう、苦しくて苦しくてね、僕の場合ですけれども、なんぼ(いくら)「ありがとうございます」って祈っても、もう、どうしようもないの。

  それで先生にもう、自分はどうしようも、お祈りしてもね、どうしようもないから、もうこれ以上先生に迷惑かけられないからっていう話した時に、まあ、色々と、言葉以前の伝授があったわけですけども。そういうもんでね。
  
  その、ひたすら神さまを恋い慕うというのが要るんですよ。本当に神さま!神さま!神さま!って。その、お母ちゃん!お母ちゃん!お母ちゃん!って呼ぶような感じやね、小っちゃい子が。もう、それが真祈りなんです。そこはね、言葉とか理屈で説明できないの。小っちゃい子がね、お母ちゃんどこ行った、お母ちゃん!って呼ぶでしょ、あの気持ち、理屈では説明できないって。あるいは、あの、自分の飼い犬とか、猫さんとかペットさんが、そうでしょ。飼い主が留守してたら、飛んでくるじゃない、あの気持ちは理屈やない。ああいう、「神さま!」っていうね、そういう気持ちがないと真祈りならないんですよ。で、その気持ちはね、自分が肉体だって意識が消えないと、ならないの。

 自分が肉体だと思ってるうちはね。小っちゃい子はそうなんよ。お腹が一杯で、自分、肉体だと思ってるからね、お腹が一杯で余裕がある時はお母ちゃん無視して遊びに行くの。お腹空いてきたら、お母ちゃん!って呼ぶでしょ。そういう感じ。それは、もうお腹空いてくると、自分という意識が消えてくるのね。もう、お腹空いただけになって。そういう感じでね、まず、自分という意識が消えるまでは真祈りならないんだけど、その自分という意識を消すとこは理屈では説明できない。
  
  だから、禅宗でね、仏とは、これなんぞやっていう時にね、”糞かきべら、これ仏なり”、と。要するにトイレットペーパーが仏やとかね、いろんな禅問答で(表現する)。例えば、禅問答やと、隻手(せきしゅ)の音(こえ)を聞け、と。要するに片手で柏手打てって言うわけやね。へ?そんなんどないして打つん?みたいな、そういう訳の分からんのが仏やとかね、一杯あるんですけど。それは相手に応じて、その時そう言えば、相手が分かるからで、理屈じゃなくて、伝授なんですね。

   で、伝授は受ける側と受け渡す側との心がピタっと一つにならなくちゃいけないの。そのピタっと一つになることを敢えて説明するとね、小っちゃい子がお母ちゃん!って呼んでる、ペットが飼い主が帰ってきたら、パーって飛んでくる、あの感じなんですよ。その感じが湧くまではね、なんぼ印可書唱えてるねん、あれや言うてもなかなかいかない。ただ印可書をね、その感じがなくても、唱えてるときは真(まこと)の本心の自分に立たすよっていう神さまの約束だから、ラクなんです。
  
  それで、「ありがとうございます」とか「宇宙神ありがとうございます」っていうのは、その、「神さま!」っていうね「お母ちゃん!」っていうね、それが湧くまでは大変なの。それは自分がやってきて思う。本当にそこまでね、お祈りする人がいなかったから、今ここに至ってしまったの。はっきり言うけどね。もう、それだけです。

 それがやっぱり理屈やない。理屈やないから説明しようがない。でも、もう理屈抜きに分かる方法として、先生が印可書を残してくださいましたというだけなんです。その印可書ですら、自分の自由意志で、これしかないって選び取らないと本当に深く受け取れない。勿論、これしかないって選ばなくてもね、効果があるから凄いんですけど。でも、本当に悟りたい方はね、これしかないって(ご自分の自由意志で)選び取ってください。すると、あっという間に変わります。ありがとうございます




令和4年5月河上さん勉強会−3(20220501−3)

質問:繰り返し確認になるんですけども。つい最近職場で、すごくイライラすることがあって。同僚なんですけど、出来事に反応してすごくイライラしたの。でもそうであっても教えていただいたように、「印可書」を淡々と唱える、荒ぶっている中で「印可書」唱えるという状態なんです。今のお話をお聞きして、その時に同時に、いわゆる肉体の自分、本当に愛一杯の優しいって言う気持ちっていうのがすごいリアルに一方であって、そういう風になれない自分というのにイラってするという。でもそれは違うんだというふうに思いながら淡々と「印可書」を奉納してたんですけど、自分が肉体だっていう実感が…

河上さん:その肉体だという状態を楽しんでるってわかったら楽になる。イラついてる、このクソったれって怒った状態を楽しめたらいいね。だから本心の自分も自覚してるとね、肉体側はね、自動反応するから、叩かれて「痛いやないか!」って、中々、五井先生の様にね、叩かれて「ありがとうございます」とも言えないのね(笑)。やっぱり「痛いなぁ!」ってなるわけ。

 その「痛いなぁ」っていうの楽しんでるってわかったらいいんですよ。楽しまずにそこに、わざわざね、オカルト映画を、あれ本当に怖いってわかってたら見に行かへんって。でも、わざわざ怖い映画を見に行くやろ。あれって楽しみに行ってるね。「怖いな」って言いながら、怖いの楽しんでるね。あの状態になれたらいいね。
 小さい子は、親に連れられて行って、本当に怖がってトイレに行けないようになるね(笑)。親の方は「怖かったなぁ」って言って、映画館を出たらもう楽しんだだけやから忘れられるんだけどね。一緒で、肉体の方がカッ!と怒って、カッ!と頭に血が上っても、「血が上って面白かったな」って楽しめたらいいね。そこが大事なんですよ。名演技する役者さんていうのはね、演技を楽しまれるわけでしょう。でも、「はい、撮影終わり」って言われたら普段の自分に戻って、「どうや、中々、いい演技やったやろ」ってするじゃないですか。ああゆう感じで自分の演技を楽しむようになったら楽になります。そこに没入しないで。

 その没入してしまっている自分から本心の自分に戻る手立てがね、「印可書」の奉読なんですよ。だから怒ったままでいいから、ムカついたままでいいから、くそったれと思った状態でいいから、「印可書」奉読してねって。奉読したら、「あっ、くそったれというのを楽しんだんやな」ってわかる。すると、楽になる。怒った状態、くそったれって言った自分、人を責めた自分をね、責めないようにと言うのはそういう意味です。いいですか?

質問:怒りの実感を、それも楽しんでしまうと…

河上さん:そうそう。やっぱり肉体は楽しむためにあるからね。色々と反応するわけです。だからおいしいものを食べたらまずいなとは言わないね。やっぱりおいしいって反応するわけ。それはおいしいというのを楽しんでるでしょう。それはプラス側の楽しみやけど、マイナス側の楽しみもあるわけ。なんでマイナス側の楽しみがあるのって言うたら、それはマラソンする人がそうでしょう?エベレストに登る人がそうでしょう?それマイナス側の楽しみやね。あれプラス側の楽しみだとは僕は思えないけど(笑)。ボディービルもそうやね。あれ苦しいで。あの筋肉を作るのは。あれもマイナスの楽しみや、やっぱりね。どれもこれも楽しみに来てるというのをわかったら楽になるね。

 だから将棋が好きな人はそうや。あんな難しい将棋を楽しんでるんや。将棋のプロなんかそうでしょう。もう本当にそういうものです。まぁゴルフもそうでしょう。わざわざ小さい穴にしてね、そこへ3回で入れなあかんとか、5回で入れなあかんとかするんでしょう。パーファイブとか、パー4とかってそういう意味やろ。それ楽しみに来てるやん。難しくして楽しんでるやん。マイナスを楽しんでるね。

 人間はマイナスの方が楽しみやすいね。だから野球のゲームも0対1とか、2対3って僅差で楽しむわけで。あんなん金属バットにして、20対30ってしたら面白くないね(笑)。だから何でも楽しみに来てるというのね、思い出したら楽になります。

質問:最後には肉体どうのっていうのを全部手放して、本当に「印可書」だけでって…

河上さん:そうです。「印可書」だけになると、地獄にも天国にも、真(まこと)の神さまの世界にも同時に意識を置いている状態になれて、本当の喜び、本当の幸せ、無条件の喜び、無条件の幸せって言うんですけども。これが湧いてくる。そのなんで無条件の喜びが湧くの、なんで無条件の幸せが湧くのてね、理屈で考えるとわからないでしょう。

 でも地獄の1番下から天国、そして真(まこと)の神さまの世界、同時に自分の意識が通ったら全部無条件で喜べるね。これは説明のしようがない。今あえて説明しましたけども。その場に立たないとわからない。それだけなのね。それを先生は20歳の時に体験された。

質問:ありがとうございます。

質問: 2つ質問があります。1つ目。以前先生が3Kの仕事を喜んでやりなさいと仰っていたのですが、現在私は、3Kとまではいきませんが、人の嫌がる汚いキツい仕事をしています。その様な仕事を文句を言わずに、結果も気にせずに淡々とこなして行けば、自分を消すということに繋がるでしょうか?

河上さん:はい、その通りです。昔、先生と一緒に五井先生とお会いしたことがあるんですね。その時に先生と五井先生のお話が色々とあったんですけども。その中で1番印象に残るのが、風呂屋の三助を五井先生がしていますって言うのね。それに対してもっとすごい表現で松下先生が答えられて、お互いに笑いあわれたわけですけども。要するに風呂屋の三助ですよ。風呂屋の三助と言うのは、お客さんの垢を全部流してあげるのね。で、全部自分が泥を浴びて綺麗にする役目です。

 要するに十字架に架かるという事ですね。3Kの仕事というのは、下から支える大事な大事な働きなんですね。まぁこの世でわかりやすく言うと、ゴミ箱の仕事ですよ。ゴミ箱と言うのは、汚いものを放り込まれてね、自分も真っ黒になるわけでしょう。でもその働きがなかったら、世の中、綺麗にならないよね。そういう意味です。だから収入が悪くてね、まぁ先生はただ働きが1番いいって言うんだけど。収入が悪くて、きつくて、辛くてね、しんどい仕事というのが本当に真(まこと)の神さまの働きなんです。

 だから「山の中のポツンと一軒家」が僕が好きなのはね、もうあそこは全部自分で苦労してやるしかないでしょう。それってもうそれだけで真祈りになっていくの。どんどんプラスになっていくの。水道の水をひねるだけで水がじゃって出る。下に居てる者は地上天国に住んでるわけですよ。でも山の上の人は水道の水を引こうと思うと、まず水源地から探してね、その水源地の水を濾過して持ってくる間に途中でしょっちゅうね、砂を変えたりね、シュロを変えたりしないと詰まるしね。何よりも1番はね、途中の導水管があるでしょう。あの中にだんだん苔が生えてくるの。何年かすると何もしないのに水が通らないの。その度に入れ替えないとあかんのね。で、色々と大変でしたけども、途中に小さい穴をあけとくの。導水管に。ならそこまで水が来てるってわかるでしょう。で、水が止まったところから先がダメだから、そこで切ってその先だけ入れ替えるとかね。まぁそれを夏場に起こったらいいよ。あれは冬に詰まるのね。冷たい冷たい時に、かなんで(笑)。そういうものです。だから本当に辛い、きつい、肉体的に大変な仕事をね、大きく清めていただけるんですね。

 その最大がイエスの背負った十字架やね。或いは、ヨハネ先生がノコギリで首を斬られた状態がそうですね。

質問: 2月の深夜勉強会で、焙煎アマニの実のことを仰っていたのですが、手に入らない場合は、粉末アマニなどを摂取することで同じような効果が得られるのでしょうか?

河上さん:はい。あります。日本製粉で売ってるからネットで引いてもらえば。

宮野さん:アマゾンとかで売ってるよ。

河上さん:アマゾンで売ってる。

宮野さん:楽天でも売ってるよ。

河上さん:粉末も、粒も全部売ってます。

宮野さん:今、スーパーでも割と扱ってるとこ多い。

河上さん:うちが輸入して日本で売りだした頃は、誰も振り向かなかってんけどね(笑)。

質問:それはあまみの種って言う?

河上さん:亜麻の実。

宮野さん:亜麻の実。

質問:パンとかに…

河上さん:入れるやつ。そうそう。

宮野さん:亜麻仁油とか、最近オメガ… 胡麻みたいな小さな。

河上さん:あれは自分で栽培したら大変よ。皮むいて取り出さなあかんからね。胡麻もそうだけど。

質問:それをゴマすり機でつぶして…

河上さん:粉砕機も売ってるし、手動でやってもいいし、いろんなものがありますから。
粉砕した方が体に吸収しやすいからね。

宮野さん:粉砕したのも売ってるよ。売ってるし、ワンパックずつ小さいのに入ってるやつも。

河上さん:日本製粉で小さいのも売ってます。日本製粉で粉砕したのも売ってます。

質問:買って試してるのですが、あってるのかなと思って。

河上さん:大さじでね、最初は朝晩4杯位食べな駄目。

宮野さん:それはすごい量やね、最初はね(笑)

河上さん:只、水とかお茶にふやかして食べると食べやすい。

質問:あまり溶けないですね、お湯に漬けてて。

河上さん:トロトロになるでしょう?

質問:そんなにならないんですけど。

宮野さん:あの餅みたいにトロトロに。

河上さん:つける時間が短いんと違う?

質問:しっかり漬けとけばいいんですね。

河上さん:5分ぐらい漬けとけば出てくるよ。粉砕の度合いにもよる。

質問:ミキサーでやった方が?

河上さん:そうやね。その時の亜麻の実の出来具合にもよるし。お米と一緒よ。おいしいお米が取れる田んぼと、田んぼによって変わるじゃないですか。畑によっても変わるからね。

宮野さん:今のところ1番安くて、日本製粉の亜麻仁。ロースト亜麻仁。茶色のパックだけど、それが1番安くて、石も入ってないね。

河上さん:うん。あれ石取りが大変やね。石取り器に通すねんけど、取れないのがある。日本製粉は、1台4億する程の機械で色彩選別機というの通すから、重さが一緒でも石を飛ばしてくれるからね。

宮野さん:石に当たったことがないですね。

河上さん:無い。

質問:最近食べ物の話が多いのですけど。以前先生が、満腹と言えば、それはマイナスの言葉やと言われたことがあるんですけども。もう一つよく意味がわからないんですけど。

河上さん:満腹っていろいろ意味がありますけども。一番はスパイクの血糖値を出してね、体を潰していくでっていう意味です。

質問:そういう意味ですか?
食べれないから、満腹だから、もうこれ以上食べれないと言っているから、じゃないですか?

河上さん:いや違う。いろんな意味がありますよ、先生が言っている意味はね。もっと別の言い方でしたら、もちろん基本的には肉体的に血糖値をはね上げさして毛細血管が壊疽(えそ)して、内臓が弱って、老化がどんどん進んで病気になるっていう意味ですけども。別の言い方をすると、前言ったように、アンパンがね100人に100 個あると。でも私、アンパンを満腹になるまで食べたいわって言って5個、6個って1人が食べたら、残りの人が食べれないでしょう。そういう意味です。

 だから本当は腹三分目ぐらいやったら全人類に食べ物が行き渡るし、誰も病気にならないのに、みんなおいしいもの食べたいって山盛り食べてね、この地上でね、本当は神さまがどれだけ人口が増えたってみんなに間に合うような食料を与えてくださっているのに、食べれない人が出てくるんです。それは貨幣経済でね、お金持ってる人が偉い、お金持っていると何でも希望が、欲望が叶うみたいな勘違いがあって、奪い合いになっているからですけどね。 

 まぁどっちにしても、ピークの血糖値を出すと成人病になるんですけども。成人病になる原因が、血糖値のスパイク。140を超す血糖値を出す食べ方をしてたためです。

質問:はい分りました。

河上さん:若いうちはね、毛細血管の再生力が早いからあんまり病気にならないの。でも大体45歳を過ぎるとね、毛細血管の再生力が落ちるから、潰す方が多くなるの。で、食べ方が若いままやろ?で、どんどん、どんどん潰して、腎臓病とか、肝臓病とかね、なるの。お酒を多く飲む人でもね、肝臓病にならない人っているんですよ。そういう人はね、酒を飲むんだけど、あまり山盛り食べないのね。腹一杯食べるわ、お酒も一杯飲むわっていう人はやっぱり早く体を潰しますね。

質問: 4月の光の交流会で先生のお話を流してくださった時に、先生が命がけのお祈りということについてお話ししてくださったんですね。もうあと1分後に地球が壊れるとしたら、どんなお祈りをするかって。そういうことを河上さんも勉強会で言い続けてくださって、先生からもそういう話を聞いてるんですが、やっぱりまだ自分は甘いっていうか、それはやっぱり明日も命があるって思って生きてるからなんでしょうか?

河上さん:そうです。自分が肉体っていう意識がどこかにあるのね。肉体っていうのは、必ず明日の朝、目が覚めると勘違いしてるの。歳とっても(笑)。明日の朝、目が覚めないかもしれないんだよ。若くても、年寄りでもね。でもみんな、自分が肉体だと思ってるうちはそうなの。するとやっぱりね、肉体の癖、惰性に流されてお祈りしない。もうそれだけ。

質問:肉体の惰性って言うのは?

河上さん:やっぱり肉体は楽をしたい、1人で良い目しときたいってあるじゃない。自己保存本能っていうやつよ。だからさっきの質問じゃないけどね、きつい、汚いのみんなの支えに入るね、汚れ仕事というのを嫌がるでしょう。

 自ら積極的にね、泥まみれになって綺麗にしに行かないね。なんて言うかな、それって良い悪いじゃないの。この地上に生まれようとしたら、そういう意識をつけないと肉体は受肉できないのね。だからどうしても、まず自分は肉体であると思い込んで、他より良い目をしたいとか、いろんな意識を自分の体に、魂に擦りつけないとね、肉体を持てないから基本的にはみんな持ってるわけですよ。ただそれを持ってさっき言ったように、苦しみを楽しんで、怒りを楽しんでるってわかってくれたら、わざわざ肉体を持った意味が。でも只々、欲望に流れてたら何のために肉体を持って生まれてきたの、っていうだけなんですね。

 せっかく肉体を持って生まれてきたから楽しんだらいいのよ。でも楽しみは良いことだけと違って、苦しみも楽しんだらいいわけ。それが冬山登山であったりね、マラソンであったり、その人によって色々ありますけども。1番良いのはさっき言った、きつい、汚い、危険のね、低収入の仕事を喜び勇んでしたら1番いいよっていうことです。

宮野さん:その今のキツい、汚いの話なんですけども。それは実質、体が汚れるって言うことじゃなくても。

河上さん:うん、精神的にボロカスに言われるのもきつい、汚い仕事です(笑)。ボロカスに言われる方が辛いかもしれない。だって、お風呂に行っても流れないもん。

宮野さん:それも同じですよね。

河上さん:そうです。

宮野さん:で、安い給料でっていうのは、別に高収入を得てても、それ以上に働きに働いていたら、仕事を一杯やっていれば、それは一緒ですよね?

河上さん:そうよ。医療現場で働いている人ってそうでしょう。比較的、手取りとしてはいいんだけど、働いてる実働時間から見たらすごい低収入。それで病気で倒れても保証はあまりないしね。医療現場の人ほど。なんで医療現場の人に健康保険あまり効かしたらあかんのかよくわからないけどね。お医者様がそうでしょう。お医者様は健康保険ないね。だから歯医者さんなんか必死で歯を大事にするんよ。まず健康保険が効かないのと、自分が虫歯になったときにどこかの歯医者さんにしてもらうやん。お医者さん同士だから向こうはお金をとってくれないわけよ。ほんなら何か物をもっていくのもアレやし、お互い気まずいから、できるだけ虫歯ならないようにってがんばりはるのね。それは普通のお医者様でもそうよ。自分が病気になったからって診てもらうときにね、やっぱり大変やろ。だからお医者様は結構自分の体を大事にするのはね、そういう意味もある。

宮野さん:決して例えばその会社の社長とかいう役職がついてる方、肩書が付いた方々が高収入を実際には働いてないような格好だけれども、沢山の給料をもらいやがってではなくて、見えない仕事してるって言う事ですよね。

河上さん:そうです。中心者っていうのは給料分以上のマイナスを背負わされますからね、よっぽど徳があるか、でないと潰れていきます。だから社長で若死にする人多いのね。だから内閣総理大臣なんて長い間やれないでしょう、みんな。どこかで潰れていくでしょう、みんな。それぐらい背負っちゃうの。それも褒められたこと1回もなしや、総理大臣になったら(笑)。ボロカスに言われたまま終わる。

宮野さん:それから比べると先程の質問のきつい、汚い仕事っていう、どういう仕事か分かりませんけど、実質的に体を動かして、本人様は辛いかもしれないけど、今の話から言うと、まぁどちらがいいのかっていうと、体を動かせての方が真祈りに匹敵しやすい、より実感を伴えるんじゃないかなと思うんですけど。

河上さん:そうやね。だからほら、ぽつんと一軒家のおばちゃんが「大変でしょう?!」って言ったら「いや、気楽でいいよ!」って仰るのがそういうことやんな。思い煩うことなく淡々と全てこなしていくだけで、幸せ一杯よって仰るじゃないですか。

 都会の者から見たら、あの坂道を毎日登って、あの薪を割って、あの水を汲んで、あれやってとか思うけどね。

宮野さん:お風呂入るのに4時間ぐらいかかりそうやね(笑)

河上さん:そうそう(笑)。

宮野さん:因みにもう一つ質問。5月の護摩が割合遅くまで、割とここのところ早く終わってたのに、ちょっと遅くまで長引きましたよね。それに対して今回長いなと思ってはった方もあると思うんですけども。

河上さん:5月はね、本当に皆さんがずっと護摩を熱心にしていただいて、いわゆる真祈り人の真祈りが本当に地獄の底へね届いたんですよ。そのトンネルを通ってね、まぁトンネルというか、エレベーターというか、階段というか、ロックというか、表現いろいろありますけども。その地獄の底まで通ったトンネルを、それも縦には先生が通して下さっているんですよ。横にトンネルを掘るのが僕らの役目でね。その各階層に皆さんのトンネルが横に広がったの。それを通って続々来てね、ちょっと混乱して護摩の時間がね。もちろん早く始めていいんですよ、いつも通りスタートは構わないんですけども。

 どんどん集まってくるんで終われなかったんですね。それも途中でちょっと待ったれと言うことで、ちょっと車を止めて集まってくるのを待ってみたいな色々あって。で、僕らも行くのが遅れたんですけども。先生が「ちょっと待ったれ、みんなせっかく集まるんだから」ということで。一応、護摩が終了したのに、まだそれでもまだまだ来られるわけですよ。それで護摩の大事なのは皆さんの肉体があるからその横穴が通っているのでね。それで、申し訳ないけど色々とお忙しいだろうけども、ちょっとお話に付き合ってもらいます。で、ちょっとお話も長めにして、みんなが納得する状態で終われたので良かったと思いますけども。それはわかってる者がしたらいいことでね。わからないから駄目じゃないですから。それはわかっててください。

 仮に僕が死んじゃえば、また誰かわかる人が出ますし、大丈夫です。必ずちゃんと護摩は神さまが1番良いようにしてくださいますから。只この5月は本当にね、本当に皆さんの真祈りのおかげ。横のトンネルがたくさんできてね、ワッて集まってきたんですよ。

 この世で言うとゴールデンウィークの渋滞みたいな状態ですよ(笑)。ちょっと渋滞になって時間がかかったの。それだけです。だからちょっと今回の護摩は違ったでしょう?みんなの後の満足感がね。グワァっと変わったのはそのせいです。

 6月はもっと凄いと思います。今度は、まぁ言ったら高速道路をもうちょっと造りましたから、渋滞せずにみんな集まれると思うんですね。いろんな本当に神さまの予定通りに護摩が来てます。もうそれが、先生がいつも仰ったように、あっちの世界をまず清めないとダメなんだと。この世よりね。それが順調に進んでいますので。だからスタートの方は皆さんの自由意志でね、いつも通りしていただいて大丈夫です。(僕たちを)待つ必要はないです。ただ、終わりの方はね、ちょっと今回は色々と事情がありました。それだけです。良い悪いじゃなくて。

 本当に火山が噴火するか、ちょっとかなりきつめの地震が起こるかのキワキワのまま何とかいけると思ってますけども。もし噴火してしまってもね、心を乱さずに悠々と「印可書」奉読していてください。何とかいけると思っています。

質問:すごく珍しいというか、この前の護摩焚きの時のお天気が雨で、荒れ模様だったということが、覚悟というか心つもりの為に聞きたいのですが、今後もあり得ると思って心づもりをしておいた方がよろしいのでしょうか?

河上さん:もっと下の地獄に横穴が通ったら、やっぱりその時は雨です。雨と風です。
そういうことなんですよ。

質問:はい、ありがとうございます

河上さん:だから本当はいいことなんです。只、雨が多くなる。雨風で済んだら楽やな。地震では大変やもんな。

質問:日々、日常的に雨の日とか、風が強い日もそういう意味合いがあるというふうに心構えしといたらいいですか?

河上さん:だから天象地象というのはね、いわゆる人間の心に反応して神さまが1番良い形にされるわけです。で、人間のマイナスを消すのにね、大波とか大風とか、大雨とか雷とか色々するわけですね。だからどれもこれも大きなお清めの働きです。火山の噴火でも地震でも。お清めというか、1番小さい形にして消してある。火山や地震にせずに台風とか大雨とか大風で済ましていきたい。で、それも無しに行きたいわけです。本当は、何日かに一回、作物が潤う程度に雨が降ってという繰り返しになるんですよ。

 理想世界になるとね。今はまだちょっとそこまでいかないだけで。でも「印可書」が降ろされましたので、あっという間だと。悠々と20年持っていきたいと思っています。あと20年ほどの辛抱だから。これがいつまでも20年と言っているうちは大変だと思ってください(笑)。ちょっとずつ短くならないといけないんだけど。

質問:NHKの番組とかで、未来に希望が持てない若者が増えているようなことを番組としてやっているみたいなんですね。実際、若い方々が心の病になっている人がちょくちょく見受けられていて。これからの若い人たちや子供たちが、もしかしたら戦争とか物価が世の中が大変な時期の中で、未来をどういう心構えで生きていったらよろしいかを教えていただきたいと思います。

河上さん:だから本当はもうすでに地上天国でしょう?コックひねったら水が出て、お湯も出てね。スイッチ捻ったら明かりが灯ってっていうね。にも関わらず、「あいつ怠けている」とかね、「あいつたくさん給料もらってる」とかあるわけですね。その中で、便利な生活をしているのに心が病むわけでしょう?それって何が1番問題かと言うと、支え合う心なんですよ。支え合う心というのは何かと言うとね、まず「自分のことは自分でしようね」なんですよ。で、「余った力で人のことをしようね」が基本で。そこからさらに進んで行くだけなんですね。最初の「自分のことが自分でしようね」って、まぁ、あんまり僕も人のこと言えませんけども(笑)。自分の身の回りの整理すらできない状態の人が多いんですよ。あんまり僕も人に偉そうに言えないよ(笑)。

 でも、まず「自分のことは自分でしようね」ですから。自分なりに、自分の身の回りを整理して。先生、いつも小綺麗にされてたじゃないですか、この村でもね。そういうことをして、でも毎日掃除するのは阿保やと。10日に1回の掃除でいいから。そういうことをして、いろんなことをしていくという事を先生が示されたわけですけども。只々そこです。まず自分のことは自分でする、人をあてにしない。人をあてにするからノイローゼになります。人をあてにしてて、してくれなかったら腹が立つでしょう。だからいつも考えたらあかんと言うのは、人をあてにしないと言う意味ですけどね。

 だから小さい子でもそうでしょう?「もうお母さんのせいでこうなったんや!お母さんのせいや!」ってやってるじゃないですか。あれ自分のことは自分でせずに、お母さんを頼りにしてるからよ。でもみんな無意識にね、どこかお母さんのせいにして人を責めてるの。大なり小なりね。もうそれに気づけばいい。気づいたら人を責めない。人を責めないとノイローゼにならないです。ノイローゼは人を責めるから。責めるとは人を頼りにするから。それは、お金を払っているから、これをしてくれて当然やろみたいなとこもあります。

 いろんな理由がありますけどね。どっちにしたって、どんな理由をつけたって、人を責めたらあかんし、頼りにしたらあかん。
 逆に自分が応援に行ってあげる位でいいの。そうすればね、世の中はもっとうまく回るんですよ。だけど今、道にポイっとゴミを捨てる人、駅のホームでもゴミを捨てる人とか。今はマシになりましたけども、それでもまだまだね、公共的な所でもゴミ捨てる人、多いでしょう。外でゴミ箱にゴミを捨ててくるじゃないですか。あれは本当は持ち帰って家で捨てるべきでしょう。そんな所でもまだまだね、みんな。

 例えば、今回、高速を通っていつも来させてもらうわけですけど。高速道路のトイレに入ってね、今はアルコールで拭くようになっていますから、必ずトイレットペーパーにアルコールを染み込ませて便器を拭いてきてますか?って言われて、「はい」って言える人が何人いてるかですよ。その心遣いが、例えば高速道路やから、お金払ってるんやからトイレの掃除をしはって当然や、じゃなくて。そうしてみんなが1回1回の心遣いがあるから、トイレを掃除する人も短い時間で済むし、全てがうまく回るんですよ。

 でも、トイレが1番だと思うんですよ。汚しちゃって公共のトイレの時にね、公衆トイレの時に、そのままで行く人多いのね。それが全て。まず自分のことは自分でしよう、ですよ。




令和4年5月河上さん勉強会(20220508−4)

河上さん:そうしてトイレ、アルコール拭けばね、コロナでももッと変わります。トイレで1番感染するんだから。

 で、ちょっと新しいコロナが出てますので、全く症状なしに突然倒れます.だから感染力は云々は別にしても、今回はちょっと大変です。
 で、pcr検査で反応しないんでね。誰もわかんないの。ところが、肺炎、肺血栓、心臓麻痺、肝硬変みたいな症状で、ポロポロ死んでいくので、そうならないために、納豆嫌いな人も色々と苦労してで良いですから、1日、毎食納豆は食べるようにして下さい。納豆菌があると、いわゆる免疫力というのは小腸で作るんですよ。で、納豆菌は小腸の免疫力を高めてくれますので、もちろん他にも食べ物ありますよ。でも1番安くてすぐ手に入るのは納豆ですから、納豆嫌な人も色々と工夫して、少なくとも朝夕2回は食べるようにして下さい。納豆屋さんの回しもんではないですけど。(笑)

 今は納豆菌って売ってるからね。自分で納豆も作れるしね。何とでもなりますから、先ず免疫力を高めるしかないです。治療薬無いですから。

 その何で新しいコロナとかね、コロナ以降の、ちょっとまだ名前がついてないウイルスですけども、出てくるのかって言いますと、人間の体を元気にするためです。本当は。
 で、どういうことかって言うとね。ウイルスが人間の体のマイナスを背負ってくださるんですよ。だから、マイナスを溜めてきた人ほどね、コロナウイルスが入ると、コロナウイルス、あるいは新しいウイルスが入ったら、そのウイルスがマイナスを背負って動くの、それでああいう発症します。

 先ず、印可書奉読が大事ですけど、肉体も手入れして頂くために、納豆を取るようにして下さい。
 医学的にね。ちょっと今回、対処のしようがないんですよ。血が固まるか溶けるかの、両方の症状が出るんで、薬的には溶かす薬を投与して良いのか、固める薬を投与して良いのかが判断し切れない。お医者さんも困ってます。で、パニックになるんで、録音で言ってるけどね。医者、医学の素人の僕ということやから、みんな聞き流して下さい。そういう感じで納豆菌で止まります。

 ネットで納豆菌を買ってそれを飲んでも良いですけどね。高いからね。納豆を食べるのが1番安く済むと思います。はい。
 
質問:納豆の豆は遺伝子組み換えとかは気にせずに?

河上さん:今もう遺伝子組み換えみたいのは出てないでしょ?まあ、表示必ず書いてあるから、表示見て買われたらと思います。はい。あんまり安いのは。。今でも表示に書いてあるもんな。

 その遺伝子組み換えみたいなのが何でダメかっていうと、遺伝子組み換え自身が悪いじゃなくて、大豆の場合ですけど、殺虫剤と同じような成分を作るような遺伝子を組み替えてあるんです。で、大豆を育てる時に農薬を撒かずに育つの。で、アメリカとか殆ど全世界は大豆を油として使うのね。で、その実を食べないから遺伝子組み替えしたわけです。で、日本人は身を食べるからで、遺伝子組み替えの納豆食べると、何が起こるかっていうと、ちょっとお腹通すの。お腹の中で大腸菌とか、殺しちゃうもんね。

 それで遺伝子組み替えは避けて、でも全然それ平気な人もおるからね。その人の体質やから、一概に言えないので、食べてみてお腹通るような納豆を止めたら良い。
 何でも聞いて、ここに先生というデータバンクがあるから。(右肩の後ろ辺を指して)答えられないものはないです。(笑)

質問:ダイエットも兼ねてコンニャクをよく食べるんですけど、コンニャクは健康に良いですか?

河上さん:コンニャクはね、石灰を上手く抜けるかどうかが問題。先ず、石灰を抜かないと体に良くない。もう1つは、コンニャクは食べ方を間違うと、胃を痛めるのね。で胃潰瘍になって行くから、食べ過ぎないように。で、コンニャクを食べたからダイエットにはなりません。ただ、こんにゃくを食べることによって満腹感があるから、全体的な食べる量を減らせるというわけ。

質問:安物のコンニャクには石灰が?

河上さん:いやいや、どんなコンニャクにも石灰山盛り入っています。

質問:ほどほどにバランスよく食べる?

河上さん:そう、自分でコンニャク作るとわかるんだけど、自分でコンニャク作ったらね、3日から4日ぐらいで腐っちゃうの。で、そういうコンニャクは良いんだけど、売ってるコンニャクというのは、もう今、うるさいでしょう?腐るとすぐ苦情くるじゃないですか?だから、とっぷり石灰入れて作ってあるわけですよ。だから、逆に言うと、それをその石灰あく抜きをね、しっかりしないということです。

質問:じゃあ、生で食べるよりしっかり茹でて?

河上さん:そうそうそう、湯がいてね、湯は切り捨てて。だから、すき焼きする時に肉の横にね、シラタキ入れるでしょ?あれ、何でか知ってる?あのシラタキというコンニャに石灰が入っているから、その石灰で肉の蛋白が柔らかくなるの。肉にシラタキを入れて炊くと肉が柔らかくなって、

宮野さん:臭くなるの違う?

河上さん:いや、柔らかくなる、石灰で、アルカリ分解で。 それで、どっかの肉にある事をして、国産の肉として昔は売って、大儲けした人も。僕ちゃうで、僕ちゃうで、(笑)儲けた人もいます。教えてへんからな、教えてへんから。

宮野さん:教えてるんやな?

河上さん:いやいや、シラタキ入れたら柔らかくなるって言っただけ。でも、アメリカの方がね、ステーキ食べる時に、パイナップルと一緒に漬け込んで、冷蔵庫で一晩置いといてから食べられるじゃない?するとステーキ柔らかくなってるね。

質問:納豆は、朝と夜と2回で良いですか?

河上さん:2回で良い。

S:1パックで?

河上さん:1パック。ハイ。

質問:ありがとうございます

河上さん:でも、個人差あるからね。お腹の調子が良くなるように食べたら良い。食べ過ぎておかしくなるんやったら、遺伝子組み替えなのか、自分にとって量が多すぎるのかです。何でも量が多く、量食べりゃ良いちゃうからね。薬でもそうでしょ?適量の錠剤は飲むから良いんで、この薬を良く効くかたって、20も30も飲んだらおかしくなるやんな。何でも自分の体に合わせてやって下さい。
 
質問:あと、牛乳を飲みすぎると下すことがあるんですけど、それよりは豆乳にした方が良いですか?

河上さん:だから、牛乳が体に合わない体質だと思います。年齢に応じて、年取ってくると合わない人は合わないです。

質問:豆乳は?

河上さん:大丈夫です。

宮野さん:無調整?

河上さん:無調整でも、砂糖の入ったんでも構わないですけど、血糖値と相談してやって下さい。

宮野さん:そんなん言うたら、豆腐食べたら良い?

河上さん:豆乳を飲みたいと言っているのに、豆腐食べるとは、それは話の筋が違うん違う?(笑)液体で飲みたいって言っているのに、豆腐と言ったってな。

宮野さん:でも、豆乳と牛乳は一緒に成らないと思うけど。味が。

質問:基本的には、色んな種類を少しずつ?

河上さん:そうです。

質問:1週間かけてぐらい、1月ぐらいかけて?

河上さん:そうそう、色んな種類を食べるのが1番良いです。はい。

質問:毎日1日に色んな種類、食べようと思ったらけ、結構忙しいんです。

河上さん:それは大変です。第一飽きるやん。

質問:いや忙しいんですよ。

河上さん:忙しいしな。毎日同じもんして飽きるって。色んな種類を1口でくりっと、うん、一周させた方が。

質問:それは健康的な?

河上さん:そうです。食べ過ぎないようにね。大体、今の食べてる皆さんの食べてる量の3割ぐらいで、本来は間に合うんですよ。でもね、もうそれは皆さんの自由意思で判断してやって下さい。先生の食べ方(食べる食材)を見たらみんな逃げ出すからね、言わない。結婚前のね。
 
宮野さん:ちょっとは肉体を維持したいから、少しぐらいはね。

河上さん:うん。そうそう。だから、あんまりその理想を求めんじゃなくて、自分の体と相談して合うようにされたら良い。で、基本的には自分の言葉で決めてるからね。やっぱりこれだけ食べなくては体が持たないと思う人は、やっぱりその量を食べないと持たない。
 先生の様に、水だけで平気って言ったら、水だけで平気になるだけで、中々そこまで言葉を駆使できるかどうか?

宮野さん:いずれは多分、水だけで大丈夫なようになる、と思いますけど。

河上さん:うん。いずれはそうせざるを得なくなるだけです。大丈夫じゃなくて、追い込まれるだけです。

宮野さん:水を飲むだけで全てのものは、全てのものに変換していくっていう、体の中で全ての、そう満足度もそうだし。うん、栄養素も、全てのものは水で賄えるはずになる。

河上さん:深夜勉強会で言ったように、その辺の生えてる草でもね。その草の表面に、その草を栄養に変えるだけの微生物がついてるわけですよね。それを食べたら、お腹の中にその微生物が住みついて、その草を食べても栄養に変えれる。

 ちゃんと神さんの方はセット物にして良いようにしてあるんですよね。それを素直に受ければ良いんだけど、こんな草食べてどうなるねん、言うたら、もうどうしようもないわけで。こんなんでどないなるねんって言うんやったら、食べん方がまし。

 でも食べる物もなくなったらね、この話を思い出してありがたい事で、食べるようになります。食べるもんなくなる頃には、こっちが先逃げたりしてね。(笑い)

質問:いずれ水だけの生活は大峠というんか、後半の辺りで?水だけでいう、いや応なしに

河上さん:うん、いや、それはもう人類の意識次第ですよ。だから、ほんとに印可書奉読してね,ちゃんと行ったらそんなこと起こらない。もう只々そこなんですね。

 もう本当に真祈り最強。真祈りで全ては変わる。でも真祈りしなかったら、ちっちゃい子のままだから、お母ちゃん、お母ちゃんって逃げて泣いてる状態だから、神さんの方は、もうしゃあないから、もうっていうね、なるだけで。
 
宮野さん:その時が来なくても、例えばその震災とか起こった時に、何もない、電波も通じない。自分がその暗黒の6日間じゃなくて、それまでのもう少し軽い状態でも、自分が孤立した状態で置かれることってあると思うんですね、

河上さん:予行練習させられる人はいます。

 宮野さん:そういう時にね、食べ物もない、何も連絡もできない、その時に不安を持ったり、マイナス感情を持っただけで、それが増幅していく。そうでなくて、今、さきほど聞いたように、印可書をたたんと読み続けることによって、安堵感、神さまと一体、不離一体の自分ってものを認識できて、どんどん湧き上がってくるのね。そしたら、その時に、上から落ちてくる一滴の雨水が、体に全部の栄養素を渡るように変換されていく。神さまからの頂き物なんで、それはただの水ではなくて、神さまからのプレゼントって形で、体にどんどん行き渡る。そういうのがあるんだと、食べ物を食べないといけないんだっていうのでなくて、あっ、水がそういう風に変わるんだっていうのを知っていれば、いざその予行演習の時に何かあったとしても、あっそうだ,そうだ。水で全ての栄養を賄えるんだ、と。全ての細胞はこの水からできてる。神さまが仰る、水は全ての命の源である。水は神で、神は水であり、水は神である。全てのものは水で出来ているって、言われたことあるんですね、神さまから。その時にそれを知ってれば、あっつ、水で生き永らえるんだれるんだって。
 要はね、その暗黒の6日間だって、6日間生き抜き、生き延びれれば良いわけでしょう?たかが6日です。たかが6日祈り続けるだけ。水で耐え忍べば良いだけなんで。ただ、何も無い、どうしよう?お腹空いた。無かったら、余計にないものを欲しがるっていう状態でしょ?その時あっ、なくても大丈夫って。真祈りタイム、「神さま良いようにしてくれている」(笑)思ったら良いの。
 そう思っていると安心感が出てくるし、その心の中のゆとりがどんどんどんどんもっとプラスが湧き上がる状態。本来の神さまの働きをもっともっと大きく押し上げてくださる格好になるんで、あっという間に6日間という感覚が、一瞬にして変わるという感じですね。
言ってみてよかった?

河上さん:良いよ。その6日間に持って行かないようにしようとしている。

宮野さん:でもほら、予行演習あっただけなんだけどね。予行演習をやったら知ってたのね。あっつ、そうそう大丈夫大丈夫って。

河上さん:できたらこの世の映画館を綺麗にしていきたい。建て替えなしに、な。

宮野さん:きっと大丈夫よ。

河上さん:うん。護摩が上手くいったみたいに、どんどんどんどん上手くなってるし、深くなってるし。

質問:200人の真祈り人が1万人に、ということになったことなんですが、今は、どんな順調なんですか?

河上さん:順調です。あとはね、その要は、みんながどんだけ、普段の仕事に心を奪われる時間が減っていくかだけ。それってどういう意味かと言ったら、仕事しながらでも、言葉に唱えてないんだけど、真祈りしてる、というのが実感できてるようになってきます。そういう、その真祈りというのは、本当は言葉以前なんですよ。そうだけど、言葉しか入らないとわからないから、印可書から入ってもらってる。

 ほんとは、ありがとうございます、で入って頂く予定だったんだけど、中々難しいので、印可書という易しいのにしていただいてますけどね。
 で、印可書奉読すると、もうその奉読する前に、もう真(まこと)の世界に立ってる自分の実感が出てくるんです。すると、何してても、先生がトイレに行かれようが、お風呂に入られようが、何されてても、先生真祈りそのものだったんですけども、あの感じになります。 

 で、みんながそうして先生の働きをするようになります。すると、その仕事、難しい仕事でもね、あんまり心砕かなくても勝手に閃いていって、こなせるようになるんですよ。だから考えたらあかん、神さんが良いようにしてるだけ。考えた途端に自分がが入るからね。自分が考えるってなると、その途端に分からんように成るの。

 だから、本当は真祈りは1番簡単で、1番幸せになる方法なんだけども、その入り口がね、

 みんな分からなくてウロウロしたの。で、印可書という入り口ができたから、すごく楽になった。その成果がね、今回、地獄で真祈りで横穴を掘ってほしいという先生の願いが実現しつつあります。

 横穴掘るというのは、皆さんがあの糞ったれとかね、怒って頂くことなんですよ。真祈り印可書奉読する毎に、すると、横穴が掘れるの。

 印可書を只々ひたすら、奉読するだけにすると、真っすぐの縦穴なの。横穴は自分の縁、腹立つ縁とかね、ええ格好したい縁とかね、あるでしょう?自分にとって。美味しい物食べたい縁とか、あるじゃないですか?その縁の部分に光が通ってるの。

 だからさっき言ったように、もうこの、あんなん上司にされてっていうのも、それを楽しむって言うのもそういう意味なんです。印可書を奉読していると本当に悔しいと思っているのに、腹立つと思っているのに、その部分の地獄の横穴が掘れるの。

 ただ、悔しいとか、腹立ったとか、あいつサボっているって責めた自分を責めないように、何時も言う様に。責めて良いから、印可書を奉読に変えたら良いだけ。

質問:護摩の前の1週間とか結構きつい事が

河上さん:きついでしょう。それはどんどん真祈り人としての役割が、背負わされてきた、まあ、自分で背負うんだけどね、自分の自由意思で喜んで背負っているんだけど。で、色んな事が有ります。例えば躓いて怪我したりとかね。色んな事がありますけど、喜び勇んでて印可書に変えててください。少しずつ先生がやられてた事を、皆さんに振り分けて行くって言った通りにしています。

 ここで言った事は、護摩で言った事は、そのまま実現するから怖いんやで。

宮野さん:護摩の前に何にもないんやけど、それは私深くなって無いんやろうか?って心配される事も無い。

河上さん:無い。神さまが本当に良いように使っている。

宮野さん:皆さん、100%誰もの事、使ってらっしゃるんで、その気が付くか付かないかっていうのは別物。で、きつくなってきたと思う方もいらっしゃれば、そうでない方もいらっしゃるんで、皆さんが凄いやって下さるんで、護摩があんなに大きく、深く深く、大成功を続けて行ける事はそういう事かなと思います。

河上さん:まあ、色々有るよ。護摩の前にお腹空いて、何か食べたくてしゃあないとかね、色々有るの。どれこれ一つ取ったって大事な事です。

質問:確認なんですけども、感情が沸き上がって来たりとか、こうじゃあないやろう?って思わず言いたくなったりとかいう時、私の時は凄くエズキそうになったり、本当に○○的な反応で、やっぱりそれ慣れないなって思いながら

河上さん:慣れないから、効果あるの。これは演技やって分かってしまったらもう意味無い。

質問:ああー、はい。慣れないわって何時も思うんですけど。

河上さん:例えば、エベルスト登山を実際に行くから効果あるんで、頭でシュミレートしたってしゃあないやろう?そういう感じよ。だからこれもエベレスト登山なんだって、無酸素登頂なんだって思って。

質問:もう、優先の言葉というと、本当に印可書だけに。

河上さん:そうそう。

質問:私の近くで地震が頻発してるんですよ。で、いよいよなんかなって怖いんですけど。そういう時に近くの神社に行ったら良いんではないかっていう事を聞いたんですが?そういうことは?

河上さん:だから、行きたいと思う所に行けば良い。

質問:それは自分の住んでいる近くの所の方が良いんですか?

河上さん:それ自分が思う所に行くのが一番良い。

宮野さん:神社に行って助かるわけじゃあないし、神社が良い訳ではない。湧き上がる時に行くタイミングも全てがあるので、真祈りしていて湧き上がった所に行く。

河上さん:真祈りに行くだけよ。逃げている積りでも、真祈りに行っている。だからみんな怖いからって逃げて良いのよ。でも逃げている積りでも真祈りに行っているからね。

 だから印可書奉読だけは忘れないように。怖がっても良いし、逃げても良いし、何しても良いんだけど、その場で、行ったとこで印可書奉読すると思っていて下さい。

宮野さん:ハッと思いだしたとこ。あれテレビに映っていた、あそこの神社とか、ああそこの高台と思ったところはお祈りに入れる所、印可書を奉納する所だったりするので、どこどこのポジッションが必要とかいうのは色んな意味で、タイミングもあるし、色んな事があるので、我を持って行くというよりは、真祈りしている内に湧き上がったところに行って頂くのが理想的です。

河上さん:それで相手のマイナスを背負いだすと、兎も角無気力になって、この世的に言うと怠け者になるというの?何も手が付かないし、しんどいし、だるいし、になるのが一番楽と思っていて下さい。

 先生のように熱出したり、咳出したりする事から考えたらね。その怠けた状態になっても自分を責めずにね、真祈りして下さい。勿論、熱や咳で良いんやったら、それに変えるけどな。その方が大変やと思うから。

宮野さん:洗い物が残っているのに、洗い物ほったらかしにしているとか。かたずけなあかんのに、掃除せなあかんのに、気になるけど出来んし、みたいな感じ。
 本当は簡単に済むのに、中々手が付かないっていうのは、マイナスを背負って消している時。そういう時こそ、どうせ何も出来ないんだから、印可書奉読してよって、して下さい。

宮野さん:主婦にとってはありがたい言葉ですね。

河上さん:主婦だからこそ苦しいよね。ほっとく訳にもいかないし、でも出来ないしってね。

質問:先程の縦の穴、横の穴のお話しで、毎日の御仏壇のお世話でお線香をあげて、私は印可書を唱えています。それは横の穴を掘る事になると思って良いでしょうか?

河上さん:そうです。だから先祖供養が良いとか悪いとかじゃあなくて、先祖が自分だったって分かる事が大事。その地獄の亡者が自分だったって分かる事が大事なんですけどね。そこ迄一足飛びに行けないから、先ず地獄に降り立つ人は、自分の身代わりになって降り立って下さっている、から入る訳ですけど、ご先祖さまも一緒でね、自分の身代わりになって、先に向こうで苦労して下さっていると、感謝していくわけですけどね。

 でも本当は全て自分なの。その全て自分というのは、天国にも地獄にも、何所にも、自分の意識が同時にある状態を言います。理屈で言いようが無い。敢えて今、理屈で言いましたけど。そうかなしか思わへんやろう?説明しようない。只、そうなった時は、無条件の喜び、無条件の幸せ。先生の仰る、無条件に喜べるし、幸せっていうのがやっぱり出ます。ふつふつと嬉しいというね、喜び勇んでというのはこういう事だったんだっていうのが分かるわけ。その時に実感として分かりますけど、理屈ではこれ位しか説明できない。

 だから先生は、大戦争の真っ最中の中でも完全平和を思えっていう表現をされたわけですね。それって中々理解できないんですけど、全てのとこに自分の意識があるから、大戦争という状態の世界にも意識を置いているけど、完全平和の世界にも意識を置いているから、出来る事なの。これも理屈で言うと大分ズレるからね、「そうかなー」位にしか思えないんだけど。先生のお話しの中では、そういうお話しがありましたね。

宮野さん:そのようになろうと思ったら、ひたすら印可書を読み続ける。

河上さん:そうです。

宮野さん:いずれ出来るようになる?

河上さん:いずれではなくすぐになります。印可書を奉読してる時はそうなっているの。

 これだけは忘れないで。印可書を奉読している時は、自分の自覚に関わらずなっているの。それだけなんです。それが自覚に変わる迄、奉読するだけでね、だから、ほら、好きな歌謡曲って自然に頭の中で回っているじゃあないですか?そういう感じで、印可書が頭の中で回るようになれば、大丈夫。

 なんかフッとした時は、なにか印可書を頭の中で唱えているわ、みたいなね。まあ、頭の中と言うより、体の中なんだけど、命の中なんだけど。印可書は命そのものだから。

 難しいことは無いんで。本当は、本当に簡単な事だけだったの。既に悟っている自分というね。でも悟っていない自分と決める事によってしか、肉体を持てないから。最初の思い込みを付て肉体を持ったらね、今度はその癖が消えへんね、中々。だから色々と、簡単やけど、最初の入口さえ超えたら、後は一気に広がります。

 だからイエスがね、針の穴に通る難しさがある、天国に行くにはね、というのはそういう意味なんです。最初の入口はワーッと越さなあかんのやけど。

質問:先般の何かのお話しで、過去の昔の話とか、その時代時代に、それぞれの入れ構造があるというお話しをされてたと思うんですけど、昔の時代に思いを馳せたり、その時代に合わせて印可書を奉納する事が、その時代時代の入れ子構造を清めて行くという事になるんですか?

河上さん:うん、そうしても良いし、一々そんなん考えなくてもそうなります。その江戸時代、縄文時代ってあるでしょう。今此処に存在しているの。だから、過去も、現在も、未来も、遠い過去って先生仰るのはね、それ一冊の本の訳なんですよ。一冊の本の中に、過去も、未来も、今も入っているでしょう?そういう感じで、今此処に全て入っているの。それを絶対の中今って言うんですけども。

 皆さん、何時も絶対の中今(なかいま)に立っているの。立ってる中で、どの本を選んで見ているかだけ。たったそれだけなんです。

質問:今戦争をしているロシアとかウクライナ、その周辺諸国の歴史を今一度読んで、それに向かって印可書を奉納すれば、緊張が改善されるという事も?

河上さん:なりますけども、一番大事なのは、これが悪いからどうこうと思ったら、もうアウトなの。何時も言うように「みんな既に祈ってる、悟ってる、救われている」それが全て。「祈ってる、悟ってる、救われている」状態で、戦争映画を作って楽しんでいる、喧嘩して楽しんでいる、みたいなもんなんですよ。マイナスじゃあないの。わざとプラスとマイナスに分けて楽しんでいるだけ。

 だから本来は男と女という区別は無いんですよ。でも男と女に分けるから、恋愛して楽しめるんでしょう?お互い同じもんやったら面白くない。男と女があって愛しい人よとかね、あぁ、この人と一緒に成れそうで成れないとか、ドラマで有るじゃあないですか?ここで一つ、一緒に成れそうでなれない、又、分かれてしまったとかね、あれよ。

 あれは分けて楽しんでいるのね。中々、結婚できないとか、巡り合えないとかいう事で楽しむわけでしょう?あれ巡り合えてしまったら、もう終わったや。これもうちょっとで会うけど、すれ違ってってねってするわけでしょう?そうして楽しんでいるの一緒。戦争も一緒なの、やっぱりマイナスを楽しんでいる、本当はね。

 それが分かって来たら一気に変わるねんけど、これがマイナスなんだ、駄目なんだって言ったら、もうあかん。要するにみんな悟って無いって言ったらあかんの。「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が本当の事なの。それをわざと悟ってない状態にして、救われてない状態にして楽しんでいるだけ。わざと男と女に分けて楽しんでいるだけ。

 だから因縁因果の中では、ある時は男に生まれ、ある時には女に生まれてとして、みんな楽しんでいるの。自分で選んでいるんやで、女に生まれるとか、男に生まれるとか。

 ただ、過去世の事なんで分からんようにしているかというとね、例えば、自分が女に生まれいたと思って、今、男になるとね、ややこしいでしょう、意識が。だから過去世の事を消している。

 僕は分かるから、(僕自身は)微妙に微妙なとこがちょっと有ります。先生との縁なんか特に良く分るから、微妙なとこあるけど、もうそんな事言っても仕方が無いし。

 もうどれもこれも「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が基本。

 マイナスに見えても楽しんでいるだけっていうね。それを本当に悪い奴や、本当にアカンやつや、本当に怠けているとかやるでしょう?すると新たなシナリオを描いているわけ、分かる?で、新たなシナリオを作ったら、描いたシナリオはこなさないと消えないから、又、大変なわけですよ。

 まあー、エベレスト登山を旅行者に予約して、お金振り込んでしまっていると、するとどうしても契約上行かんと仕方がないみたいな感じやね。
 それを予約を解消する方法が印可書奉読なの。まあー、テレビで言うと、予約録画をしているのを消すのは印可書奉読したら消える。だから真祈り最強なん。でも印可書奉読する時も常に、「既に祈ってる、悟ってる、救われている」それが全て。それで相手に物を言いたくなった時でもね、相手が「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が基本です。ちょっとでも相手が、この人はアホで祈ってない、あかんねんって思ったら、自分がその位置まで落ちます。

 だから今までの宗教は年数経つほどグチャグチャになるの。みんなこいつ迷っているから、救ってやろうなんて人が多いいでしょう?迷ってないのにね。演技しているだけ。先生が何時も名演技って言わはるやん。本当に演技しているだけや。で、女に生まれた人は、今生で女を楽しむ。男で生まれたなら、男を楽しむ。男の演技を楽しむ、女の演技を楽しむ。

 だから宝塚歌劇とかね、歌舞伎で女形とか、違和感なく見るのはね、やっぱり自分が色んな立場に立って楽しんできってるからや。
 じゃあ、お祈りして終わります。ありがとうございます




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5月護摩 by 河上彰延 [Mail] 2022年05月10日(火) 00時04分
PC

5月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年5月の護摩焚きで、河上さんがたくさんの質疑応答と真祈り人の使命について、お話してくださいました内容です。

質問1
 神社での印可書の奉納について質問があります(五つ)。一つ目です。神社に行った時「〇〇神社の大神(おおがみ)様の、ますますのご発展をお祈り申し上げます。印可書を奉納させていただきます」と小声で挨拶をしてから、印可書を唱えています。このセリフは間違っていないでしょうか?

河上さん
 まぁ余計な一言ですね。神さまは全てご存じなので、いちいち言わなくても全て通るんでね、淡々と印可書を奉納というだけが一番です。

なぜ余計なというと、自分という意識が無意識にあるんですよ。我(が)というのは、何かっていうと、我(が)があるとか言うじゃないですか。何が我(が)があるというと、結局、自分が肉体だという意識をちょっとでも持っていたら、我(が)があるという事です。

 どんな方でも必ず、みなさん真祈りされています。ただ、それが何%かっていうだけですよね。100%を目標にするわけですけども、ちょっとでも自分が肉体であると思ってる間は、あまり何も入れない方がいいです。ありがとうございます

質問2
 二つ目です。神社には、引いたおみくじを結んで引っ掛ける「おみくじ掛け」というものがありますが、そこにA4またはB5サイズのぐらいの印可書のコピーの紙を結んでも良いですか?これは良いことなのでしょうか?お願いします。

河上さん
 木にね結ばなくていいです。何か置いてきたい時は、小さくたたんでね、神社のごみ箱というか、そういうとこに入れてきて下さい。

司会者
 わからないようにですか?

河上さん
 やはり、清掃管理されている方がいらっしゃるわけで、その手間を増やす形は、よくないです。おみくじの場合は仕方がないですけど。

質問3
 三つ目です。何かの本で読んだのですが、そこには神様がいなくなってしまった神社も数多くあると書かれていました。その情報は正しいですか?もし正しければ、運悪く神様不在の神社に行ってしまったら、そこで印可書を唱えても意味がないと思うのですが、どうなのでしょうか?お願いします。

河上さん
 神さまが不在ということは、ないんですよ。常に常に神さまの存在があるから、この現世もあるんです。質問の途中ですけど、ある程度本当の事を言いますとね。この現世というのは、お月さまを通して形成されるんです。お月さま、いわゆるツキヨミノミコトさまですけども、お月さまを通して、この現世の全ての入れ子構造が形成されるんですね。そのお月さまが存在されてるということは、この現世の全てに神さまが存在されてるという事です。

質問4
 四つ目です。最初の河上さんの勉強会のyoutubeを聞いていると、神社のみならず、古墳に行って印可書を唱える事も良い事だと仰っていました。理由は起こるべき大きな地震を小さくするためだと言っていたと記憶しますが、他にも理由はあるのでしょうか?お願いします

河上さん
 いわゆる、神社がある所というのは、元古墳だったとこです。古墳は本来神社なので、ただ、それだけなんですけどね。いわゆる、この世的な形としての御神体があって、それの祭祀をする、お祈りを捧げる場がというのが、前方後円墳の形なんですね。それを小さく小さく、御神体と御本殿があって神社という形に、鳥居があって神社という形にコンパクトに纏めたのが各地にある神社なんです。それだけですのね、同じ意味ですので、行ってお祈りしていただくのがいいんですけども、いつも言うように、どうしても行きたくない、嫌だという思う時は、無理して行かないで下さいということです。

質問5
 五つ目です。神社や古墳では、「宇宙神ありがとうございます」だけをひたすら唱えるのも貢献度は印可書を唱えるのと同じでしょうか?

河上さん
 同じです。ただ「宇宙神ありがとうございます」という時の宇宙という言葉ですね。宇宙という言葉を小さく捉えちゃうんですよ。小さく捉えたら捉えた分だけの効果しかない、そういう問題なんです。印可書というのは、たくさん並んでるじゃないですか。だから、これはこういうもんだという、捉えどころがないように先生が作られたわけ。

だから、印可書を淡々と読んでると、これは、こういうもんだと思う隙間がなくて、そのまま、すーっといけるわけですね。「宇宙神」というとね、宇宙というのが、「絶対の中心無限大の外遥か彼方」という「印可書の全て」が宇宙という二文字に籠められてるわけですよ。そこの宇宙というのがね、銀河系宇宙とか太陽系とか小さく捉えちゃうんですね。宇宙という言葉の定義を、みなさん常識的な感覚で捉えますのでね。そうしてね、捉えたら小さい分しか力が出ないから、先生が印可書にされたんだけど、印可書を選んでもらえないから、じゃあもっとコンパクトにということで、「宇宙という印可書」を、ぷっと一纏めにした、宇宙という言葉で「宇宙神」とされたわけですね。ところが、その「宇宙神」とすると、今度はまた、小さく捉えられちゃうということで、再度もう一度、印可書を展開してくれということで、また印可書になっています。

「宇宙神の宇宙」という時に印可書のこの感覚をですね、もっていただくと凄く効果があるわけです。その宇宙を理解してもらう為に印可書を奉読してもらってる。だから、勿論全て自由に選ばれたらいいわけで、ここは宗教ではないのでね。

宗教というのは、その団体に従順な信者(盲目的に従う信者→無責任な生き方の信者)を作ろうとするわけです。要するに相手の自由を縛って、相手の自由意志を縛って、お金持って来いから始まってね、色々あるじゃないですか、それが宗教です。

 ここは本当に、真(まこと)の神さまの御働きだけということを知らしめる場でありますので、みなさんの自由意志で、これがいいと思うものはして下さい。

 ただするにあたっての説明はします。今は、説明をしてるわけで、宇宙神ありがとうございますがダメだと言ってるのではなくて、その宇宙という言葉を大きく大きく拡げて受けとめてもらうために、印可書がある。それがわかって、宇宙を大きく大きく受けとめなおして受けとめなおして、お祈りしていただくのは、凄く大事な事ですし、いいことです。ありがとうございます

質問6
 先々月の護摩焚きでの河上さんの質疑応答の中で、河上さんが道端にあるお地蔵さんに向かって印可書を唱えることも、凄く良いことだと仰っていたと思いますが、お地蔵さんに印可書を唱えることが何故良いことなのか、その理由を教えて下さい。

河上さん
 お地蔵さまの働きはね、地湧(ちゆう)の菩薩っていいますけども、一番地獄の底の底に立たれて働かれるのが、お地蔵さまなんです。だから、一番底まで光が通るんでね、お地蔵さまっていうのを置いてあります。また、地獄の底に光を通しやすい場所、場所にお地蔵さまは建立されてるわけですよ。そういう意味でお地蔵さまに印可書を奉読していただくと、地獄の果てまで光が届くのでお願いしています。ただ、いつも言うように、どうしても嫌という感じがした時は、無理にしないで下さい。

 いつも言うように、寝てる人をね、無理やり起こすと眠いのにうるさいなっていう感じになりますので、眠たい、寝ていたいところの場所は寝かしておかないくちゃいけないんですよ。

 だから、古墳でも神社でもお地蔵さんでもそうですけども、寝ていたい人が神社としての本来の働きとお地蔵さんの本来の働きとは別ですよ。寝ていたい人がたくさんそこに集ってる場所ってあるわけですね。そういう場所は無理やり起こしてはいけないんで、そういうとこは嫌だと思うんで、感覚的にね。そういうとこは、されなくて大丈夫です。でも、どうしてもしたければ、遠く離れてやって下さい。

質問7
 やっと、ある事で人を責め、周りの人々を神さまと見てなかったかという事で気付きました。新たにできなかった事にも気付きました。ありがとう村にも迷惑をかけたかもしれません。今まで、おいていただけたと気付きました。(自分は)地獄に落ちても仕方のない人です。光一元、宇宙神ありがとうございますで乗り切ります。掴んだらダメだと教えてもらっていながら掴み続けてました。何もないのに頭が、おかしかったと思います。続けて頑張ります。新たにありがとうございますに目がやっと覚めたという感じです。お願いします。

河上さん
 これはですね、映画を観る状態に例えていいますと、真祈りしてるというのは、映画のシナリオを読んでね、台本を読んで、映画全体の流れを見て、この、こういうふうに表現したいというのをこういう演出でするんだなぁ、こういう角度で撮影するんだなぁ、こういう照明するんだなぁって見るのと、或いは映画の悪役をとかね、主役とかの台本を見て、悪役さんや主役さんが、こういう感じに演技をすることによって、迫真のリアルに見えるんだなぁって見るのと或いは、普段、僕らが見る映画の見方がそうですけども、その映画の主人公と一緒になって、悲しんだり、怒ったり、喜んだりして見るじゃないですか、今の方は主人公となって悲しんだり、怒ったり、苦しんだりしてる状態です。だから、どの立場に立つかなんですよ。

 掴むなっていうのは何かっていうと、そういう映画でいうと主人公の中に入りこんでね、出てこれない状態です。映画だったら出てこれなくても終わりになるからハッと気付きますけど、この現世の映画は終わりがないので、気付かないですね。ただそれだけです。それに気付く為に、要するに映画館のスイッチを切る為にね、印可書の奉読があります。

 先程、この現世は、お月さまを通してって言いましたけども、映画館で例えて言うと、お月さまが映写機なんですよ。だから、映写機のスイッチを一旦切らないと映画終わらないじゃないですか。印可書を読むと映写機のスイッチを切った状態にできるんで、あぁ終わったんだぁって思って行ったら、真(まこと)の世界に戻ってきて、また楽しみたかったら、また行くだけ、映画そうでしょう、この映画観てもまた次の映画観に行きたいなぁということで観るじゃないですか、そういう感じで観るだけなんですね。

 たったそれだけなんだけども、入り込んじゃってると、もう気付かない。自分がその中に入り込んでるからね。本当は難しいゲームを楽しみに来てるだけなのに、その苦しい、辛い、悲しい、腹立つ、もう色々ありますけども、それにはまっちゃってるだけです。そのスイッチを映画のスイッチを切るのが印可書奉読ですので、ぜひぜひ頑張ってね印可書奉読で突き進んで下さい。ありがとうございます

質問8
 お仏壇の事で、お尋ね致します。両親は既に他界しており、実家は空き家になっております。お仏壇の中、位牌だけを取り出し、新しく購入しました。小さな仏壇の中におさめタンスの上に置いて祀っている状態です。仏壇開きやお性根抜き、入れは何もやっていません。このままで大丈夫ですか?宗派は日蓮宗です。お願いいたします。

河上さん
 基本的ね、お祀りする側の心が全てですよ。だから、全然ご先祖様のお陰で、今ここに生まれてる、よかったとかね、そんな気持ちも全然ないのに、ただ祟られたら怖いから、ご先祖様は祟られるわけないんだけどね。祟られたら怖いからとか、しなければ運命が悪くなるからとかでするんだったら、あんまり意味ないんですよ。その為にわざわざお坊さんに来ていただいて、どうこうっていうのも、自分が全然その気がないのに人任せにしているから、意味はあんまりないんです。でもしないよりした方がいいから、気が済むようにお坊さんに来ていただいて、色々としていただいたらいいです。

 でも基本は、自分が本当に、そうでしょう、親がいなければ自分は生まれないんだから、そのお陰でよかった、ありがとうございますっていう、感謝の気持ちが、まず自分にないとダメなんですね。

 5周忌、10周忌とか何周忌ってあるじゃないですか、その何周忌っていうのも、或いは月命日ってありますけども、どれもこれも、ご先祖様の為ではなくて、死んだ方の為ではなくて自分の為なんです。だから仏壇も大きく開くやつとかコンパクトなとかいうのも気にしてるのは自分です。

前にちょっと言いましたけど、この世の盃の大きさの水がね、向こうでは琵琶湖以上の大きさだと言いましたけども、本当に、この世の形はあまり関係ないわけです。自分の方の感謝の心が大切なんですよ。そんなん言うけど別に親にどうこうもないし、感謝する気も起れへんわーっていう人もいらっしゃるわけですけども、そういう方の為にこそ印可書があります。

 印可書は何をどう思っても必ず光が通るようになっていますから、どうしても気持ちが乱れる方はね、印可書を奉読されて、そして、もしまだ気になるんであれば、ずーっと先祖代々続いてる色んな宗派のお経ですね、お題目とかありますけど、それを唱えられたらいいと思います。

 どれもこれも、基本は真(まこと)の神さまの光だけっていうことをね、どの宗派のお経でも言ってるんですよ。でも先ほどの宇宙神ありがとうございますに言いましたように、宇宙神ありがとうございますは真(まこと)の神さまの光が通るようになってるの、なってるのに、宇宙を真(まこと)の神さまって受け取れないんですよ。その分、光が通りにくいのね。同じでお題目でもお経でも祝詞でもそうですけども、真(まこと)のプラスの光が、無限に通ってるだけって受け取れたらいいけど、受け取れない分だけ効果が出にくいんでね、ただそれだけです。ですから、印可書で補強しながらね、色んなことをされたらいいと思います。ありがとうございます

質問9
 昔、インドネシア人の方から頂いた、羊の置き物があります。きっとインドネシアでお守りのような存在だったのだと思います。北海道のヒグマの置き物位の大きさがあります。玄関に置いていますが、場所もとりますし、どうしたものかと悩んでいます。ゴミとして出すには、いけないような気がします。何かいいアドバイスがございましたら、よろしくお願い致します。

河上さん
 どの形も、真(まこと)の神さまの働きを示してる置き物なんですよ。だからといって置き物に力があるんではなくて、置き物を通して、例えばお墓がそうなんですけども、お墓にご先祖さまはいらっしゃらない、勿論ね。ここの先生のお墓がありますけど、あの、お墓に先生が、いらっしゃるほど先生不自由じゃないです。でも、お墓というモニュメントを通して、或いは置き物というモニュメントを通して、神さまに心を通すという意味合いなんですよ。だから、あくまでシンボルですから、そのシンボルを使いたくないと思ったら捨てていいです。ただ気になるんであれば、印可書で包んで捨てて下さい、そしたら大丈夫です。ありがとうございます

司会者
 事前にいただいた、ご質問は以上です。今日、会場で何かご質問がある方、いらっしゃいましたら、前に出て来て下さい。いらっしゃらないようですので、河上さんにお話をしていただきます。よろしくお願い致します。

河上さん
 ありがとうございます また今月も、みなさんとお会いできまして嬉しく思います。ありがとうございます
 いよいよね、ウクライナの方も収まらずに、どんどん大変になってきたわけですけども、どちらもメンツがありますから、簡単には収まらないんですよね。本当に時間切れで色んな事が始まってしまってるわけですけども、ある程度、本当の事を言いますと。

 この世の姿は、お月さまを通して投影されています。その新しい世界ですね、理想世界を現す為には、今のお月さまの役割が終わって、新たな、お月さまが現れて変わります。その、お月さまの役目が終わられる時は、お月さまが赤くなります。お月さまが赤くなって、新たな、お月さまが現れる。一時的にお月さまが二つになるんですよ。その時がくると、もう本当にいよいよね、その時は、その映画館を交換するわけですから、太陽の方も光を弱めるんですね。だから、太陽が黒点で真っ黒になります。太陽が黒くなる、お月さまが赤くなるというふうな時がきたら、いわゆる暗黒の六日間の始まりです。もう、いよいよそのギリギリまで切羽詰まったまま、きてるわけですけども、まだまだ、みなさん、この現世の事の苦しみの質問がくるわけですけども、それはそれでいいんですよ。きてもいいけども、この世の苦しみを抱えたまま印可書を奉読することが、神さまのお手伝いになると思ってね、して下さい。

 今日はもう、この護摩にですね、色んなマイナスを集めに集めて、消し切ってて、まだまだ話を終わるのは、まだ終われないんですけど、話ちょっと長くなります。もし電車の時間とかね、帰る都合のある方は、どうぞ帰って下さい、後で録音を聞いて下さればいいです。

 その太陽が黒くなる、月が赤くなる。新しい月が出てくるという事態になると暗黒の六日間が始まるんですよ。いわゆる映画館の電源を落として真っ暗になる状態ですね。そうなると何が必要かと言うと、真祈り人の印可書、印可書を奉読できる真祈り人だけが、真っ暗闇の中で見えるんですね、全てが。印可書を奉読される真祈り人は光っておりますので、その暗黒の六日間の中での、なんというんですか、灯火になるわけです。その灯火を目当てに色んな人、みなさんのご縁のある方が集まって来ますから、その方を連れて、真(まこと)の世界に一旦戻っていただくちゃならないんですけど、その方法は何かというと共に、今のこの護摩と一緒です。共に印可書を読もうね。同じ様に続いて読んでねって言うてね、読んでいただいたら大丈夫です。それで何とか何とかなります。いよいよ時間切れなんでね、このまま後20年もっていきたいんですけども、その、このまま後20年位もっていけたら、緩やかに、そのチェンジが起こります。失敗すると急激なチェンジになるだけです。どっちにしてもチェンジの時は、どの状態でも暗黒の六日間というのはきますので、その時に、みなさん方、真祈り人の使命は重大で、ひたすら印可書を奉読して下さい。

 勿論、この暗黒の六日間にならないように、どんどん護摩を盛大にしてですね、印可書を奉読して、なんというんですか、六日間に持ち込んで縁者に光を送るんではなくて、この状態で、どんどん縁者に光を、この前説明しましたけど、人類の潜在意識を真祈りだけに変えていきたいと思うんですね。その為にも普段からね、ちょっとでも余裕があったら、宇宙神ありがとうございます、或いは印可書を奉読し続けて下さい。もうそれだけです。

 本当に一杯一杯になってきて、今日は雨を止められるんだったんだけど、もう止めるよりも、どんどんマイナスを消す方がいいのでということにしました。先生の方で雹(ひょう)が降るかもしれんけどということなんで、このまま、これ雹(ひょう)が降ってくるかもしれませんけど、今日はそれなんでね。もうちょっと、もうちょっとお付き合い下さい。

 みなさんの真祈りする体が必要なんですよ。みなさんが共に今、印可書を奉読してないけど、共に神さまに心を向けてるというのは、印可書を奉読とは何かといたら、神さまに心を向けてるということなんですよ。肉体が自分だという意識がちょっとでもあったら、そのちょっとの分、神さまに心を向けてないの、神さまに100%心を向けたら、もう肉体が自分なんて思わない。それを普段思って下さい。ちょっとでも肉体が自分だと思ったら、受けそこなったと思って下さい。受けそこなっただけなんです。神さまの方は平等にね、誰にもみなさん、お一人おひとり平等に無限の無限の輝きを送ってくださってるわけです。

 それをどれだけ受け止めるかは、みなさんの自由意志なんですよ。その自由意志で、どれだけ受け取れているかの判断は、判断基準は何かっていうたら、肉体は自分だと思ってしまっているかどうかです。

例えば、肉体は自分だと思ってしまってるかどうかというのは、例えば何かっていうとね、「あー疲れたわー」、或いは「こんな仕事をしたから疲れたわー」、或いは「これだけ掃除するんやったら、物凄く疲れるわー」とか先に思うとかね、そういう気持ちです。まず、まず何をするにあたっても、何かをした後でも、神さまのお手伝いが出来て、ありがとうございますなんですよ。

 それは、この世的には全然、評価されなくて、虐げられてね、馬鹿にされて、もう踏みつけられてる状態が、一番神さまのお手伝いをしてる状態なんです。この世で勲章をもらったりね、褒められたりね、「あの人凄いわー」って言われると、どんどんマイナスを背負ってる状態なんです。それが、この世の因縁因果です。

 ですから、本当にね、会社でおいても、或いは地域社会においてもね、ぼろ糞に言われて踏みつけられて、馬鹿にされて、もう全然という状態の時こそね、喜んで印可書を奉読して下さい。それが大きな大きな、この人類の大きなお清めなるんです。

 真祈り人こそね、その状態を喜んで受け止めていかなくちゃいけない。その姿を見てみんなが、真祈りに変わっていきますからね、どんな状況に置かれてもね、喜び勇むということをね、忘れないで下さい。

 本当に因縁因果で言うと、マイナスをプラスで、因縁因果で、この現世の世界は成り立っていますから、プラスが出た時は、どんどんマイナスを積んでいるんですよ。

 マイナスが出た時は、どんどんプラスを積んでるの。もう、本当に後がないんでね、みなさん申し訳ないですけど、色々苦しい境遇に立っていただきます。立っていただきますけど、そうして立っていただいて、どんどんプラスを積んでいただく事によって、その徳の、いわゆる神さまの全徳というやつですね。大きな大きな無限の無限の輝きを一杯、この地上に降ろしたいと思うんですね。それによって、大きく大きく変わります。

 もう言葉でね、話し合いで平穏なんてこないんですよ。話し合いで平和がくるんだったら、とっくにきてます。でも、もうどうしようもないのね。今は、ロシアの側もロシアに敵対する側も、どっちも原爆なんかおもちゃのようになるくらいの凄い兵器を持ってるんですよ。持ってるけど、お互いにこれを本当に使ったらどうなるかもわからないから、躊躇(ちゅうちょ)してる状態です。でも、お互いの面子が潰れたら、どっちかの面子が完全に潰れてしまったら、もう、やけくそだやったれってなっちゃうわけですね。そうなってしまったら、さっき言ったように、月が真っ赤になって、太陽が黒くなってきます。そうなってしまった時は、なってしまった時で怯えずにね。(ゆうゆうと印可書を奉読をお願いします。)

 何でこんな話を今してるかっていうと、そうなった時に怯えないで下さいっていうことです。月が赤くなった、白いお月さんが赤い、赤黒いは。太陽も黒いやんどうしようって思わないで下さい。そうなったらなったで、悠々と印可書を奉読して下さい。真祈り人の使命ですから、そうならないようにしたいから、是非ね、毎月の護摩に来てね、していただきたいんですよ。

 印可書が、印可書の凄さはね、わからなくてもイライラしてても、腹立ってても、あいつクソったれとと思ってても、凄い光が通るというのが印可書の凄さなんです。他の祈り言葉は、やっぱり自分の意識の分だけ神さまの光を通し損ねるのね。印可書だけはね、自分の自由意志で奉読したら、自分がどんなに悪どい自分でですよ、悪どい人間やなぁって、ダメな人間だと思っていようが、神さまの光が100%通りますから、是非是非ね印可書を奉読し続けて下さい。そこだけをね、ひたすら縋ってね、突き進んでいきましょう。

 何とか何とか、暗黒の六日間をこずに、この理想世界に変化、チェンジさせて、チェンジなんですよ。何ていうんですか、どんどん色んな改良して、世の中が良くなるじゃないんですよ。いつも、一瞬一瞬新たに、神さまの理想の状態を降ろすだけなんです。印可書を奉読したら、100%降ろせるんですよ。もうそれだけです。

 何で今神さまの世界を100%降ろせないかっていうたら、自分がそんなん無理や、こんな私では無理や、色々ありますよ。でも自分の自由意志でね、無理やって決めてるからです。ただ印可書は自分の自由意志で、そんなん私には、無理やと思っていても100%降ろせるから印可書を奉読して下さい。お願いしています。
 
 ここまでで質問があったら、今日は凄く大事な話なんで、ちょっとでも、こんな質問つまらんわーと思ってもいいからして下さい。お願いします。

司会者
 何かご質問のある方いらっしゃいますか?

質問10
 今のお話の中で暗黒の六日間を経た次の世界と暗黒の六日間経ない次の世界ていうのは同じものなのか?

河上さん
 同じです。ただ、できるだけね、みんなが苦しまずに、喜び勇んで受けなおしたいんですよ。

 そやけど、要するに何で、その暗黒の六日間がくるかというと、人間の自由意志では、(印可書を奉読出来なくなったときに神さまの方でマイナスを消すために来ます)

 要するに印可書まで降ろしてる。印可書さえ奉読してたら100%光を降ろして、どんどんマイナスが消せるという事まで、お伝えしました。それを信じていただいて、自分の自由意志で印可書を奉読していただいたら、いわゆる人間の自由意志でマイナスを消せるという事で、神さまは安心して任されるわけですよ。

 それってどういう事かというと、小さい子が泥んこ遊びをしていると、今までは、お母ちゃんもう汚れたわっていうて帰ってきて、あんたあかんやんかって言いながらね、泥んこを綺麗にして、また遊んでおいでっていうのが、今までの人類です。今は印可書があるから、泥んこになっても、自分で洗って、また、遊びに行ける状態です。

 その暗黒の六日間がくる状態というのは、もう印可書も選ばない、自分の力では、自分の自由意志では、溜め過ぎたマイナスが消し切れずに、押し潰されている状態。小さい子の遊びでいうと泥んこ遊びしてる、泥沼にはまって抜けれなくなってる状態です。

そうなると本人の自由意志では、どうしようもないじゃないですか。要するに人類の自由意志でどうしようもないくらいマイナスを積んだ時は、神さまの方で大きな絶対の愛でね、一瞬にマイナスを消して、新しくやり直されるわけです。

 それが今までの人類で、アトランティスが沈んだり、ムーが沈んだり、レムリアが沈んだり、もう色々ありましたけどもがあったわけです。今回は先生がね、今回は人類の自由意志でマイナスを消して、人類の自由意志で神さまの世界を建設できると約束されて、その為に印可書を降ろしていただいてあるわけですね。だから、今回は何とかできると思っています。

 ただちょっと本当に切羽詰まって時間切れなんでね。もしそうなった時のことを今、お話したわけです。そうなると言ってるんじゃないです。そうなった時に、真祈り人が心を揺るがさないという事が大事なんです。あー大変になってきたなぁって、なんでいうんですか、空気も水も汚れて、もうどうしようもなくてみたいな状態に入るわけですから、その時でも、悠々と印可書を奉読していただいたら、イエスのいうパンをね、一つのパンを3333個にも増やせれるし、何でも起こせるんですよ。それを見て、みんな真祈りがいいんだなぁ、するんだなぁってわかるわけで、だから、真祈り人、今、印可書を自由意志で選んだ人の使命は重大なんです。

 自分なんか全然ダメだと思っていていいですから、いいですから、印可書の凄さだけを信じてね、奉読していただけたら、そういう意味です。ありがとうございます

質問11
 お願いします。神さまが一番よくして下さってるとは思うんですけど、前に仰っていたように、電気、ガス、ガソリンが、今、高騰したりして、金銭的だったり、物理的に護摩に来れない時は、今いる場所で、ただただ印可書を奉納でよろしいでしょうか?

河上さん
 そうなんです。暗黒の六日間にならずともね、本当に携帯電話も通じない。お互い移動もままならないという状態は、一つ間違うときます。その時は真祈り人の使命が、本当に重大でね、その場で、そのいらっしゃる場所で、印可書を奉読していただいて、(意識だけは)護摩の会場に来ていただきたいんですよ。そうすると全てが変わっていきます。

 そういう時こそ、本当に印可書の力が凄い大きく動きますので、自分でも信じられないくらい、色んな奇跡も起こるし変わります。だから、それも本当に自由意志で印可書を奉読していただく事が大事なんですよ。河上が読めっていうから読んでみようかではダメなんです。この印可書しかないっていってね、自由意志で選んでやって下さい。そうすれば、必ず全て乗り越えれます。

 今、北海道が凄い大変な状態なんですけども、それも北海道にいらっしゃる真祈り人の試練で、北海道にいらっしゃる方には責任というか重責を押し付けて申し訳ないんですけど、それぞれの場所にお住まいになった縁(えにし)と使命ですから、別に北海道に限らないですよ。今、本当に全世界どこからでも、日本にワーッと来そうな状態になってるんですよ。それくらい日本だけが、今、素晴らしいです、この地上では。

 色々と先程も、この現世での日本での生活の色んな文句も苦情もあるわけですけど、日本ほど、天国のような世界はないんですよ。栓をひねったらガスが出る、水は出る、電気はある。夏は暑いと言ったらクーラーがある。寒いと言ったらヒーターがあってね。

 これは、もうちょっとひと昔前から見たら、もう極楽なんですよ。その極楽に住まわさせていただいてね、尚且つ、「あいつがうっとうしい」「あいつ偉そうにしよんねん」っていうてみんな文句言ってるの。いつも言うように文句を言ってていいから、どうぞ印可書を奉読して下さい。よろしくお願いします。ありがとうございます

質問者
 今、返答の中で、その場で印可書を奉納して護摩に来て下さいというのは、肉体じゃなくて、その場っていうのをちょっと、来れない時は?

河上さん
 その場が大事なんです。いつも言いますけども、毎月の護摩は集大成です。普段、普段の自分のお住まいになってる場所でのお仕事、生活の上での、印可書奉読が一番大事な護摩なんですよ。その積み重ねをここでね、集大成として、何十億倍に増やす為に護摩の会場がありますけども、普段の積み重ねをしていただくと、今まで来てる回数の何十億倍が、一回でいきますのでね、大きく変わるんです。護摩の会場で増幅できるようにしてあるの先生がね。この増幅によって、一大奇跡がおこるんです。普段の一瞬一瞬の印可書奉読をお願いします。

質問12
 印可書を読む時に、真剣に読みたいと思って、この前昔のテープで松下先生が、原爆が落ちてきた時に真剣に祈るだろうと、それぐらい真剣に祈る、1分の祈りを何回も連続するんだぁということで、やってみてるんですけども、物凄く真剣に祈ると疲れてしまって、その効果的な時間と効果の関係を教えていただけると有難いです。

河上さん
 わかりました。これ、真剣さが大事やし、疲れるっていうのも大事なんですけども、一番の大事なポイントはね、さっき言ったように、肉体が自分だっていう意識がね、やはり無意識にあるの。もうそこだけなんですよ。肉体が自分だっていう意識をどうして消し去るかっていうと、印可書を奉読するしかないんです。

 ですから、真剣に、ひたすら読む時もあるし、悠々と喜び勇んで読む時もあるし、ゆったりと読む時もあるしでね、自分なりに色々、こう混ぜてですね。ご飯でも同じ物が毎日続いたら飽きるじゃないですか。印可書奉読も一緒ですよ、奉読の仕方を色々と自分なりにね、もし音楽家の方がいらっしゃるなら、作曲していただいて、印可書を歌にしていいくらいです。それくらいにね、自由自在にね、唱え方をしてみて下さい。それが大切です。ありがとうございます

質問13
 ありがとうございます 遠く離れてる、例えば身内がいて、その者にはこのことは伝えていないんですが、印可書を認(したた)めて、中を見ないでいいから、とにかくどっかに置いておいてちょうだいというような事でも、助けることはできますか?

河上さん
 できます、大丈夫です。ただ相手が嫌がるからね、わかると。わからないように。

質問者
 お守りやいうてね、中、見ないでねって言うて封書した状態を送っておけば・・・。

河上さん
 そうです。わからない状態にして、中、見たら罰(ばち)が当たるでみたいに。その印可書じしんに凄い力がありますので、置いておくだけで光が出ます。

質問者
 プラッチックの大きなものではなく、手書きして小さく畳んでなるべく見えないように糊で貼って。

河上さん
 あるいは神社の御守を買って、御守袋を買って中に入れたらいい。ありがとうございます

 質問がないようなので、本当にちょっと時間切れで色々と切羽詰まってきました。どのバランスが一つ崩れても、あっという間に崩れます。もう本当に際際まできてるんですよ。どの状態になっても、ともかくお願いしたい事は、どの状態になっても、慌てないこと、怯えないこと、それだけです。いつも言うように、いつもいつも神さまが一番いいようにしてるという事だけはね、心をそこからは、外さないで下さい。必ず神さまは一番いいようにしています。勿論、神さまは人類の自由意志を邪魔されないのでね。

 だから、本当の宗教というのは、相手の自由意志を縛らない。本当の神さまは相手の自由意志を縛りません。だから、人類の自由意志で色々とマイナスを積んできて、その中でも、神さまはその中でも、一番いい形に、いつもおさめてるわけですよ。地震でも本当やったら、例えば阪神大震災ですけど、日本が真っ二つに割れて、もう大変になるような地震だったわけですけども。あの程度っていうたら、神戸で震災にあられた方には申し訳ないですけど、あの程度済んだとかね。東北の地震でも、もっと凄い津波だったのが、あの程度っていうたら、本当に申し訳ない被災された方にはね。いつもいつも神さまは一番小さい形にされてるわけですね。それをわかって下さい。

 だから、もしお月さまが赤くなってもね、慌てない事です。普通はお月さまが赤くなって、太陽が暗くなると、みんな不安でどうしようってなるじゃないですか。すると不安の心のマイナスの思いで余計に崩れるんですよ。ですから、是非ね真祈り人の真祈りで、真祈り人が悠々としてたら、みんな、そういう時はね、真祈り人を見るの、普段見てくれないのに、それで何で、真祈りしたらいいんやっていうふうになりますので、
 そういう時は、ピンチをチャンスなんですよ。凄い大変な時だけども、真祈りが、真祈りがよくなるんですね。真祈りでみんなが変わりっていうのがわかるわけです。

 ですから、是非ね印可書奉読を自由意志で選んで続けて下さい。どんな気持ちでやっても大丈夫です。印可書はそういう凄さなんです。今までの座禅でも勤行でも色々ありますけど、どれも自分の心次第で上手くいかない失敗することが多かったんですね。でも印可書は、どんな意識があっても、必ず光が通るようになっています。光が通ればどんどん自分が積んでた罪ですね、いわゆるマイナスを消していけるのでね、あっという間に変わっていきます。変わっていく事すら、また掴んでダメだダメだって言って、またマイナスを(掴んで)引き戻しても、どんどん消せますから。それもみなさんね、ご自分のマイナスだけと思ってるんでしょうけど、違うんです。本当にね、多くの縁者の人のマイナスを代表して背負ってきていますから、もうどれだけ大きな働きをしてるかっていうのを、ご自覚されていなくても大きな働きになりますから、是非、自由意志で選んで印可書を奉読して下さい。よろしくお願いします。また来月お会いできる事を楽しみにしております。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ

 https://youtu.be/__jP48cAUGg

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2022/05/08(Sun) 13:27 No.2557 [返信]
5月の護摩焚き
宇宙神ありがとうございます

護摩焚き前日(4月30日)の様子と5月1日(日)に行われた宇宙神ありがとうございます護摩焚きの様子を新着情報に投稿しました。

下記のURLをクリックするとご覧いただけます。

↓  ↓  ↓

http://makotono-arigatougozaimasu.net/blog/2022/05/06/2022%e5%b9%b45%e6%9c%88%e3%80%80%e5%ae%87%e5%ae%99%e7%a5%9e%e3%81%82%e3%82%8a%e3%81%8c%e3%81%a8%e3%81%86%e3%81%94%e3%81%96%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%99%e8%ad%b7%e6%91%a9%e7%84%9a%e3%81%8d/

ありがとうボランティアグループ 2022/05/06(Fri) 21:39 No.2556 [返信]
5月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年5月の光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。

 何も考えんでいいのよね、「ありがとうございます」を唱えてたら、力が湧いてくるじゃない、全部プラスに置き換わってくる。言葉の力よね、神さまの力よ。どんな問題でも消えてしまうよね、「ありがとうございます」を唱えるだけで、病気でもパッと消えるし、しんどいのもサッと消えるし、力がワーッと湧いてくるしってね、全部解決していく。鏡を見んと神さまだけっていう意味で、「ありがとうございます」を唱え続けたら、回り全部神さまに置き換わるでしょう。全部自分を支えに出てくる神さまのすがたに、鏡は本当に必要ないのよ。神さまだけっていう意味で、「ありがとうございます」を唱え続けたらいいだけよね。それも、バックが神さま、神さまが背負ってくれてるっていう意味なんだけど、もう一つ神さまだけっていえば、輝いて出てきてくれるでしょう。プラスばっかりっていうふうに出てきてくれるわね。もうひたすら「ありがとうございます」だけでいいのよ(笑)何見ても、聞いても「ありがとうございます」でいい。

 虚の世界から、本当の神さまの世界に戻る為に、どういう言葉を選ぶかっていうね、一番大事なのが言葉選び。本当の神さまの世界を言葉にしないと波が合わないから、絶対に戻れない。虚の世界の言葉じゃダメなの。虚の世界のプラスの言葉をいくら唱えても虚の世界で終わってしまう。本当の神さまの世界のすがたを言葉にしないとダメ。

 虚の世界から、すーっと目覚めたらいいだけでしょう。神さまの世界に戻ったら、もう全部消えてないのよ。だから虚の世界にいてる限りは、まだ神さまのことは何もわからない。本当の神さまの世界は、一瞬一瞬、新たな出会いばっかりっていう受け方でないとダメ。新たに新たに受けなおすっていう感謝の本当の出会いでないとダメ。一瞬でも過去を掴むようだったらダメなの。
 絶対の中心から現れてくる最高のものを一瞬一瞬、新たに受けなおして、絶対これも掴まないっていうのがいるのよ。受けては離し、受けては離しって、眺めるだけの感覚で受けなおすのよ。そうすると神さまの世界の中に、ずーっと住めるわけよね。何も掴んで過去を溜めないから、だから、みんな言葉の使い方が小さ過ぎたのよ。小さいものは掴みやすくなる。自分の方から波を合わしていこうとしないと神さまの方から波を合わしてくれない。神さまの方も一生懸命波を合わして助け上げようとしてくれているけど、自分の方からも真剣に波を合わしていかないとね、波の違いが物凄く大きいじゃない。言葉を選び続けないとダメ、本当の言葉をね。

 言葉が違ったら何をしてもダメ。本当の言葉を使うことが大事なの。がむしゃらにとかね熱闘とかなんか言わんでも、淡々とでいいの。本当に正しい祈り言葉を唱え続けると波が合ってくる。祈り言葉をかみしめながら、唱えるだけがいいの。神さまの世界はこうなんだっていうふうに、本当の意味をかみしめるような気持ちで唱えてると、それが一番の力になる。過去は無関係、今、新たに、神さまの世界の幸せを受け取るために唱えるの。常に、今、新たに神さまから何を受け取るか?神さまから受け取るための祈り言葉よ。これが一番大事なのよ。だから、常に神さまと自分と一対一の関係に置かないと。

 どういう自分になるかっていうのも、そうよね。言葉通りになるから、また、どういう世界に住むかっていうのも言葉通り。どういう番組を選んで受けるかっていうのも言葉通りなのよ。言葉選びで納得できる言葉を今探してるの(笑)納得できる言葉になったら、納得できる自分になるのよ。だから、言葉っていうのが物凄く大事なのよ。

 イエスキリストさんでも、心に思うだけで、思っただけで、その思ったことをしてるのと同じ事になるんだぁっていうでしょう。悪い事でも同じよ、悪い事をしたっていうて、人を責める人は、思うだけで悪い事をした人と同じ悪い事してるいう。もっと言うと、そういう言葉を使うだけで、例えば殺人だったら、殺人をしたのと同じだっていう、そのくらい言葉っていうのは大事なの。だから、マイナスの事を言葉にするだけで、マイナスの行いをしたのと同じになるっていうね。このくらい本当は厳しい。でもそこまで厳しく自分を見つめて、言葉を選んで点検して使ってるかって、そうじゃないよね、やっぱり甘いからね。そうとう甘いよね。だから、助けに助けてもらって修正してもらってマイナスが軽く済むようになってても、それで満足してるようでは神さまの世界に飛び込めないよね。

 神さまの世界に飛び込むために、プラスの言葉を選び続けなあかんの。虚の世界で幸せって感じるために、ちょっとプラスの言葉を使おうかなんて、そんなんでは違うのよ。そんな目的じゃないの。本当に神さまの世界に波を合わすために、最高のプラスの言葉を選ぶという練習をしているの。だから、途中で満足したらダメよ。七難八苦の苦しい思いが消えたから、一安心なんて喜んでいたらダメなの。虚の世界でどれだけ幸せになっても、そんなんつまらんっていうふうに突き放さないとね、本当の神さまと出会うまでは、みんな突き放してしまわないとダメよね。

 だから、祈りっていうのが一番大事っていうね、本当に一瞬一瞬の祈りを、ずーっと続けなあかんのよね。今、新たに新たに祈り続けなダメね。過去これだけ祈ってきたっていう祈りは偽の祈りになる。一日何万回祈った、こんなん偽の祈りよ。本当の祈りは一瞬一瞬よ。一瞬一瞬、真剣な新たな祈りよ。一番それが自然な楽な生き方になる。100%よ、100%全て神さまがしてくださってるっていう受け方が必要よ。自分は何もしてない、人も何もしてない。神さまが全てを100%してくださってるいうふうに受ける練習よね。何から何まで全て一から十まで、一から無限まで全てって、100%全て、全部よね、全部神さまがしてくださってるっていう受け方が本当の神さまの世界の受け方よ。だから「ありがとうございます」だけになりきるの。

 イメージよりも祈り言葉よ、祈り言葉を唱えてる内に、回数多く唱えてる内に中身が伴ってくる。一回よりも二回、二回よりも三回唱える程、中身が感じられてくるのよ。どんな言葉も同じだけど、繰り返す内に、その中身がよくわかってくる。本でも、読書百篇意自ずから通ずっていうけど、祈り言葉は、もうひとつそうよね。百回祈ったら百回の気付きあるし、一万回は一万回の気付きになるし、必ず繰り返す程、中身がよくわかってくるようになっている。

 だから、祈り言葉、無限の無限の何々が無限に無限に一杯唱えてる内に、その意味段々わかってくるの、この無限は、どういう意味ってね、深い意味が中から気付かせてくれる。だから、なんぼ言葉で説明してもらっても、本当の意味はわからない。自分が祈り続けて、繰り返して、繰り返して、この中から意味を感じさせてもらったら、わかったてなるの。必ず、そういう時が来るの。だから、繰り返すことよね、やっぱりね。淡々と祈り言葉を唱えたらいいだけね。繰り返したら気付くようになる。
 神さまの世界を感じ取ろうとして祈るのがいい。だから、いつも本当の神さまを相手にしようとしないと、本当の神さまと出会いたいという気持ちで唱えるほどいいの。そしたら、神さまも出てきやすいの。呼んでくれたら出てくるっていってるのね、神さまは。だから、祈り言葉は呼んでることになるの、神さまを呼んでることになるから出会えるようになるってくる。

 他の言葉を使うと色眼鏡ができてしまうじゃない。出てきてても、色眼鏡通して見るとまだね、神さまのすがたとは違うような感じ方になるでしょう。だから、他の言葉を使わないことが大事よ。祈り言葉だけを選び続けるほど早くなるじゃない。最高の大きいプラスの祈り言葉を唱え続けたら、必ず思いは早く消えるから色眼鏡消えてしまう。そうすると神さまを感じるのが早くなってくる。
 絶対から全てが生まれたといっても、矛盾するね。本当の世界が、ちょっとね、ちらっと映ってきてるだけでしょう、色眼鏡を通して、だから、虚の世界の絶対から生まれたんじゃないの。無の中から何も生まれへん。だから、どんな言葉でね、仮説を立てても、それを信じ切ったら、その通りになる。その人の世界がそうなる。無から生まれたったいうふうに言葉を使うと無から生まれたっていうのが、自分にとったら、それが全てになってくる。納得するようになるのそれがね。それでないと納得しないようになってるの、まず自分が、その言葉通りの自分になってしまうからよ。言葉を変えたらまた違う自分になるから、また考えが違ってくる。

 だから、一回、言葉の落とし穴にはまったら、抜けられないじゃない。言葉を変えていくのは難しい。言葉を自由自在に変えられたらいいけどね、一つの言葉に、はまったらもう、中々言葉の縛りから抜けられないでしょう。落とし穴にはまったんと同じよね。言葉を変えようがなくなる。一回虚の世界に落ちたら、中々抜けられない。そういうとこもあるよね。言葉の縛りで縛れてしまうから、この縛りを解いてくれるものがないのよね、中々ね。また違う言葉を使えなくなるのね、普通ね。
 現実がこうだからっていうと、言葉で全部縛れたら、同じことを繰り返すばっかりよね。特にマイナスを掴んだら、マイナスの泥沼にはまっていくだけ。だから、言葉を自由に選んで使えたら心配なくなる。自由自在になっていく。99.9%救われてる。99.9%、後ちょっと、後ちょっと言葉を徹底するだけ。「ありがとうございます」一言で、まだ浅いなぁと思ったら、確認の言葉を繰り返すようになるよね。それも自然よね。「ありがとうございます」を唱えてるとどんどん深くなっていくのね、深くしてくれる。気付きを与えてくるのは、神さまの方よね。みんな本当の神さまの中に飛び込むだけ。

 だから、最初の「ありがとうございます」は、まず唱えはじめの練習じゃない。唱えてる内に段々と神さまの方は、深くするために気付きを与えてくる、順番にね。中身を濃くしてくれる、色々教えてくる。一億回唱えたからって、これで卒業やないよ。永遠の中でみたらね、一億回なんて、この一生なんて短いもんじゃない、一瞬よ。神さまの世界は、常に無限に深くなっていく。気付きは大きくなっていかないとね。幸せはどこまでも、どこまでも、大きくしてくれる。中から神さまが気付きを与えてこないとダメ。神さまが出てきて気付くのね。神さまと自分とが一つになっていないとダメなの。祈り言葉を唱えてる内に神さまが呼び出されて出てきて、神さまが自分の中に出てきて気付きが出てくる。それを繰り返す内に、さらに大きく神さまが出てきて大きい気付きになる。神さまと自分とが分かれてたら偽物になる。本当の神さまが、どれだけ出てきたかよ。どのぐらいの割合として出てきてくれたかで、気付きが大きくなるか、小さくなるか。常に神さまを呼んでるというのがいい。神さまを呼び出してるっていう、神さまを呼び続けるだけよね、祈り言葉を通して、呼んだら神さまが出てきてくれるって単純な生き方よね。

 本当の神さまの世界においても言葉通りに浮かび出てきてくれるから、全てがね。幸せが欲しかったら幸せが浮かび出てくるでしょう。喜びがっていうたら喜びが浮かび出るように、言葉通りのものが全部、無色透明の中から浮かび出て、現実化して感じて受け取れるようになるからね。言葉選びが、どんどん変化していかないとねダメよね。絶対という言葉でも物凄く奥深いよね。虚の世界の絶対という言葉と本当の神さまの世界の絶対という言葉は、もう全然違うし、本当の世界に入ってからの絶対は、また意味が無限に段階があるじゃない。価値を見出すっていうんでも、言葉通りの価値を見出してる。だから、どういう言葉を使うかで、言葉だけの価値が出てくるね。どんな価値でも言葉通りに引っ張り出せるでしょう。本当の価値ってそうよね、言葉通りの価値よね、全部ね。
 例えばダイヤモンド一個あるとしてもね、ダイヤモンドが一杯ある世界だったら、石ころと同じよね、希少価値も何もないから、あぁ石ころがたくさんあるなぁっていう感覚だったら、全然価値を見出さないよね。でも世界に一つしかない大きいダイヤモンドっていったら、その通りの価値が出てくるよね。

 でも価値を与えてるのは言葉よね。言葉で、言葉だけの価値を与えてる。太陽一つみてそうでしょう、暖かいっていうふうに受けて感じたら太陽って暖かいよね。砂漠の暑い所だったら、あー暑いっていうたら太陽が悪者になってくるよね。悪魔っていうぐらいになってくるよね、焼き殺されるような感じになるからね。同じものを見てそうでしょう、言葉通りに全部違うのよね。
どんな価値も言葉で与えていけるよね。プラスの言葉を使ったらプラスの価値を与えられるし、マイナスの言葉を使ったらマイナスの価値しか、そこがね。それは、みんな神さまの世界にあるものも虚の世界にあるものも全部、言葉通りに価値を与えていく。名前を付けるっていうんでもそうだもんね、言葉で名前を付けて価値を与えてる。これ雑巾っていったら雑巾よ。布巾って言ったら布巾でしょう。言葉で名前で価値が変わるじゃない。言葉通りに名前がついて価値が出てくる。

 だから、言葉の凄さって凄いよ。言葉を自由自在に使えこなせる自分っていうのは、本当の自分。本当の神さまの世界で言葉を自由自在に駆使するのが感謝の真祈り、本当の祈りよね。虚の世界でも言葉を自由自在に駆使できたら、虚の世界を完全に支配できるもんね。だから、言葉の使い方が、物凄く大事になるよね。意識の拡大っていうのがね。全てプラスに見ようと思えば見えるでしょう。マイナスに見ようと思えば見えるもんね。何でもそうよ。地獄に降りててもプラスに見ようと思えば全部プラスに見えるよね。極楽にいてても全部マイナスに見ようと思えば見えるもんね。
 やっぱり言葉通りの自分がそこに出てきて感じとるから、言葉の力よね。言葉だけの自分が神さまの方へ出てくる。それと波の合うものを感じ取れる自分になってるの。プラス言葉を使ったらプラスを感じる自分になってるから、どこに置かれてもプラスに感じる。新たに新たに受けなおすお祈りをしてると、よくわかるよね。今の言葉がすぐに実現するし、感じるしっていう感じでね、一番高い世界にいったら、無限分の一秒の瞬時に言葉通りになるからよ。でも思いを一杯溜めたところは、過去の言葉が今現れて、今の言葉が遠い未来に現れるもんね。ズレがあるだけ気付きにくい、それだけの違いよね。本当は全部言葉通りになってるわね。今の言葉が必ず未来を創っていく。だから言葉で定めていくだけよね、自分がね。

 今の世の中みたらおかしいよね、プラスが欲しいのにマイナスの言葉使い過ぎてるもん。幸せを願いながら、マイナスの言葉を一杯使ってるもんね。マイナスを消そうとしながらマイナスの言葉一杯使ってるんだから、本当は正反対よね。マイナスを消したかったら、絶対マイナスを使ったらダメね、プラスだけを使わないと、使う程、増えてきているのに(笑)
 みんなそうよね、病気の名前だけでも病気増やしてるし、地震や災害の名前だけで災害増やすもんね。テロやって言うたらテロばっかり増えてくるし、言葉通りに増えてるもんね。だから、みんな言葉の力を忘れてる。現実の殺人よりも言葉の殺人の方が本当は働きは大きいの。現実の殺人は過去の言葉の結果が現れて消えてるだけじゃない。今のマイナスの一言が宇宙を駆け巡るかもしれない、どれだけ大勢の人に影響を与えるかもしれない。核連鎖反応、起こすかもしれない。何万人何億人殺す働きになるかもしれないよね。言葉の殺人の方が罪が重いかもしれない、マイナスに思うという事がね。一言、マイナスの言葉を見たり聞いたり言ったりするだけで、同じマイナスをしたんと同じなんよ。マイナスの行いと同じ価値がある。

 だから、無防備というのが大抵の人そうよね。勝手に聞こえてきたってね、見えたっていうんだけど違うわね、本当はね。自分が選ばないとダメよね、プラスを選ぼうとしないと損するね。だから、どんな場合もプラスの言葉を使ってプラスに思い返す翻訳しないとね。プラスの言葉だけを積極的に使い続けたら、マイナスの言葉、絶対入ってこないし影響受けない。何でもプラス思考で何でもプラスに翻訳してっていうのがいいよね。マイナスの言葉を聞かされてもプラスに思い返したらしまいでしょう。どんな思い返しもできるじゃない。マイナスを身代わりに背負って消してくれたって言えばいいじゃない。そしたら、マイナス消えてしまうじゃない。自分が背負って消してって言ったらしんどくなるけど、身代わりに背負って消してくれたっていうだけでマイナス消えていくし自分は軽くなる。人がマイナスの言葉を使ったって責める必要なんか全然ないもんね。「ありがとうございます」で喜んだら済むことよね。
 だから、プラス思考でプラスに言葉を使ったら全部プラスになるのね。あの人がマイナスの言葉を言うから聞いてしまったって言うたらダメよね(笑)自分がマイナスに見たからよね、マイナスに言葉を使ったからそうなるっていうだけよね。プラスに思い返したらいいだけよね。身代わりにマイナスの言葉を使ってマイナスを搔き集めて、背負って消してくれたって言えばいい(笑)そしたら大きいプラスよ。

 みんなのマイナスを身代わりに振り替えて、大難を小難で消してくれてるって、大勢のマイナスを身代わりに消してくれたって言えば、それで済むじゃない、代表的にってね。そしたらマイナスが消えて、プラスが出てくるようになるよね、言葉通りになる。プラスに翻訳してしまえばいいの。だから、マイナスっていう言葉がないって、全部プラスになってしまうっていうのがいいじゃない。だから、どんな価値でも言葉通りに見出せるから、暑い時、暑いって言うたら損するね。零下何十度の寒い時期が、今続いてるって思ってね、今日は、こんなに有難いって言うてね(笑)。こんな幸せな時は、ないっていうふうに言うたら、暑いのは消えるわね。
 だから、今の一瞬をどう受けるかよ。言葉だけで自分の気持ちがガラッと変わってしまうの、プラスの言葉は幸せな自分になってしまう。自分というんでも言葉通りに、みんな定めてしまってるもんね。だから、肉体が自分という人は、もう肉体は自分というふうに思い込んで、そういう生き方で小さくなってしまうでしょう。でも天照大御神さまが自分といった方がいいよね。幸せな大きい自分になれるしね。肉体は、入れ子構造の小さい模型、分身って言えばいいじゃない。それも輝いてくるじゃない。天照大御神さまの模型って言えば、入れ子構造の模型って言えば、大きく輝くよ。本物の模型になるじゃない、言葉通りに。

 祈り言葉は、本物の世界を言葉にしたら祈り言葉よね。本物の世界を感じ取るための言葉が、祈り言葉よね。虚の世界のは祈り言葉じゃない、念力になる、思いの力になる。真実の世界は、プラスばっかり受けるの。本当の世界は要らないよね。マイナスという言葉は必要ないよね。まだ途中ねマイナスに引っ掛かる人の場合、思い返すだけね。

 虚の世界眺めてる時は、そういう思い返しプラスにプラスに翻訳する。本当の世界に入ってないのは、本当に大きいプラスばっかりを受けなおすだけよ。時々本物の世界を眺めてるテレビの世界を眺めてる、その違いじゃない。テレビの世界は虚の世界よ。そんな感じで使い分けるだけでしょう。時々サングラスかけて見るという、自分でサングラスかけて見るんだったらいいじゃない、使い分けて見れるから、でもサングラス外して見るのと掛けて見るのと違い、自分が、よくわかってるから囚われない。色眼鏡かけたら色眼鏡が映るっていうのわかるじゃない。時々真っ赤な色眼鏡かけてみたら(笑)。
 本当は真実の世界だけっていうのが本当なんだけど、たまに楽しんでるんじゃない。言葉通りの遊びを、言葉通りになってるっていうのが、よくわかったらいいだけだけどね。それわからんかったら、のめり込んで、はまり込んで抜けられない。言葉通りになるっていうのが、本当にわかったら自由自在になれるけど。

 自由自在になったら、常に本物でしょう、本当の自由自在っていうのが、自分の自由を全部捧げ尽くして、絶対奉仕に生きるでしょう。そうすると全体から同じように無限倍にして、絶対奉仕と自由を与えてくれるじゃない。無限倍になった絶対奉仕と自由は、本当の自分の自由自在よ、誰からも縛られない。絶対奉仕されるばっかしっていうのね。それでも自分は絶対奉仕するんでしょう。これが最高の幸せな生き方っていう形で絶対奉仕に生きるんでしょう。つまらん生き方しないよね。全体を幸せにするための本当の最高の生き方が絶対奉仕だもんね。小さい自分だけの幸せなんて、わがままな自分勝手な自由なんて最低って見てるんでしょう。だから大きい縛りの中に入りながら縛りが消えて無限倍の自由を与えてもらうすがたよね。そこまで自由になった言葉の使い方って、凄いよこれ。

 神さまがいつも自由自在でしょう、自由自在の神さまが次から次へと新たに新たに出てくるのが本当の自由自在よね。絶対過去を掴まない生き方でしょう。常に循環してるっていうすがたよね、自由自在っていうのもね。
絶対奉仕が捧げ尽くして循環させてる働きなのね。幸せでしょう絶対奉仕してもらって、みんなから幸せ与えてもらうでしょう。でも自分が絶対奉仕しててこそわかるのよね。自分が絶対奉仕に生きたら同じように絶対奉仕されてるのに気付く。自分が絶対奉仕に生きないとわからないよ。自分と波の合うものを感じるだけっていうの、だから、言葉通りに感じるだけっていうのがそうよね。

 やっぱり、神さまのお陰っていう言葉が、相当きいてるんですか?

 それ最高の言葉じゃない。本当の神さまのお陰って100%そうだもんね。何から何まで全て、一から無限まで全て、100%全て、神さまの働きだけよね。自分が、人が、何かしてるっていうのは違うもんね、神さまが全部してくれているっていうのが本当よね。だから、神さまだけっていう受け方がいい。だから、神さまのお陰っていうのが最高の言葉になるでしょう。大きいプラスの言葉よね。だから自分が何もしなくても神さまが、全体が、全部してくれているっていう感覚になってくる、その通りになる、必ず、言葉通りに、言葉通りに全部変えてきてくれているでしょう。全て神さまのお陰ですって言うだけで、大きく変わるわね。

 言葉の定義を自分で定めていくの。私の神さまはこういう定義なんだっていう言葉通りの神さま。神さまっていう名前だけで争ってるじゃない、世の中の人全部。表面の言葉だけに囚われてるからよね。同じものを指してるかもしれんのに、それに気付かない。本当の神さまを指してるんだったら、どういうことになるのに争うことは全然ないよ。自分で言葉を選んで定めて使えるって凄いことよ。本当に断定的に使えたら凄いよね。絶対誰にも負けないじゃない。全て言葉通りに全部定めていける。幸せっていうたら幸せになれる。プラスだけって言えばプラスだけになる、必ず言葉通りに実現してしまう。
 プラスだけ、プラスだけでもいいよ。本当にプラスしか出なくなるよ。プラスばっかりになる。それで、また無限の無限のプラスだけって言えば大きくなってくる。
 イエスさんはね、人を評価する「他を量る同じ量りで自分を量る」って教えてるわね。普通、人のことを色々言葉で表現して、この人がこうだあーだって言ってるでしょう。でもそれは人を量りにかけて量ってることだけど、それは結局、自分を量ってるの、自分のことを言ってるの言葉でね。

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/fIGLnB3SW6I

 宇宙神ありがとうございます


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5月光の交流会 by 河上彰延 [Mail] 2022年05月07日(土) 19時47分
PC

5月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年5月の光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。

 何も考えんでいいのよね、「ありがとうございます」を唱えてたら、力が湧いてくるじゃない、全部プラスに置き換わってくる。言葉の力よね、神さまの力よ。どんな問題でも消えてしまうよね、「ありがとうございます」を唱えるだけで、病気でもパッと消えるし、しんどいのもサッと消えるし、力がワーッと湧いてくるしってね、全部解決していく。

鏡(現実)を見んと神さまだけっていう意味で、「ありがとうございます」を唱え続けたら、回り全部神さまに置き換わるでしょう。全部自分を支えに出てくる神さまのすがたに、鏡(虚の世界)は本当に必要ないのよ。神さまだけっていう意味で、「ありがとうございます」を唱え続けたらいいだけよね。

 それも、バックが神さま、神さまが背負ってくれてるっていう意味なんだけど、もう一つ神さまだけっていえば、輝いて出てきてくれるでしょう。プラスばっかりっていうふうに出てきてくれるわね。もうひたすら「ありがとうございます」だけでいいのよ(笑)何見ても、聞いても「ありがとうございます」でいい。

 虚の世界から、本当の神さまの世界に戻る為に、どういう言葉を選ぶかっていうね、一番大事なのが言葉選び。

 本当の神さまの世界を言葉にしないと波が合わないから、絶対に戻れない。虚の世界の言葉じゃダメなの。虚の世界のプラスの言葉をいくら唱えても虚の世界で終わってしまう。本当の神さまの世界のすがたを言葉にしないとダメ。

 虚の世界から、すーっと目覚めたらいいだけでしょう。神さまの世界に戻ったら、もう全部消えてないのよ。だから虚の世界にいてる限りは、まだ神さまのことは何もわからない。本当の神さまの世界は、一瞬一瞬、新たな出会いばっかりっていう受け方でないとダメ。新たに新たに受けなおすっていう感謝の本当の出会いでないとダメ。

 一瞬でも過去(過去という現実)を掴むようだったらダメなの。

 絶対の中心から現れてくる最高のものを一瞬一瞬、新たに受けなおして、絶対これも掴まないっていうのがいるのよ。受けては離し、受けては離しって、眺めるだけの感覚で受けなおすのよ。そうすると神さまの世界の中に、ずーっと住めるわけよね。何も掴んで過去を溜めないから、だから、みんな言葉の使い方が小さ過ぎたのよ。

 小さいものは掴みやすくなる。

 自分の方から波を合わしていこうとしないと神さまの方から波を合わしてくれない。

 神さまの方も一生懸命波を合わして助け上げようとしてくれているけど、自分の方からも真剣に波を合わしていかないとね、波の違いが物凄く大きいじゃない。言葉を選び続けないとダメ、本当の言葉をね。

 言葉が違ったら何をしてもダメ。本当の言葉を使うことが大事なの。がむしゃらにとかね熱祷(ねっとう)とかなんか言わんでも、淡々とでいいの。本当に正しい祈り言葉を唱え続けると波が合ってくる。祈り言葉をかみしめながら、唱えるだけがいいの。神さまの世界はこうなんだっていうふうに、本当の意味をかみしめるような気持ちで唱えてると、それが一番の力になる。過去は無関係、今、新たに、神さまの世界の幸せを受け取るために唱えるの。常に、今、新たに神さまから何を受け取るか?神さまから受け取るための祈り言葉よ。これが一番大事なのよ。だから、常に神さまと自分と一対一(神さまと不離一体)の関係に置かないと。

 どういう自分になるかっていうのも、そうよね。言葉通りになるから、また、どういう世界に住むかっていうのも言葉通り。どういう番組を選んで受けるかっていうのも言葉通りなのよ。言葉選びで納得できる言葉を今探してるの(笑)納得できる言葉になったら、納得できる自分になるのよ。だから、言葉っていうのが物凄く大事なのよ。

 イエスキリストさんでも、心に思うだけで、思っただけで、その思ったことをしてるのと同じ事になるんだぁっていうでしょう。(「姦淫かんいんするなかれ」と云いへることあるを汝等なんぢらきけり。されど我われは汝なんぢらに告つぐ、すべて色情しきじやうを懷いだきて女をんなを見みるものは、既すでに心こゝろのうち姦淫かんいんしたるなり。→マタイ伝題5章27)

 悪い事でも同じよ、悪い事をしたっていうて、人を責める人は、思うだけで悪い事をした人と同じ悪い事してるいう。もっと言うと、そういう言葉を使うだけで、例えば殺人だったら、殺人をしたのと同じだっていう、そのくらい言葉っていうのは大事なの。

 だから、マイナスの事を言葉にするだけで、マイナスの行いをしたのと同じになるっていうね。このくらい本当は厳しい。でもそこまで厳しく自分を見つめて、言葉を選んで点検して使ってるかって、そうじゃないよね、やっぱり甘いからね。そうとう甘いよね。だから、助けに助けてもらって修正してもらってマイナスが軽く済むようになってても、それで満足してるようでは神さまの世界に飛び込めないよね。

 神さまの世界に飛び込むために、プラスの言葉を選び続けなあかんの。

 虚の世界で幸せって感じるために、ちょっとプラスの言葉を使おうかなんて、そんなんでは違うのよ。そんな目的じゃないの。本当に神さまの世界に波を合わすために、最高のプラスの言葉を選ぶという練習をしているの。だから、途中で満足したらダメよ。

七難八苦の苦しい思いが消えたから、一安心なんて喜んでいたらダメなの。虚の世界でどれだけ幸せになっても、そんなんつまらんっていうふうに突き放さないとね、本当の神さまと出会うまでは、みんな突き放してしまわないとダメよね。

 だから、祈りっていうのが一番大事っていうね、本当に一瞬一瞬の祈りを、ずーっと続けなあかんのよね。今、新たに新たに祈り続けなダメね。過去これだけ祈ってきたっていう祈りは偽の祈りになる。一日何万回祈った、こんなん偽の祈りよ。

本当の祈りは一瞬一瞬よ。一瞬一瞬、真剣な新たな祈りよ。一番それが自然な楽な生き方になる。100%よ、100%全て神さまがしてくださってるっていう受け方が必要よ。自分は何もしてない、人も何もしてない。神さまが全てを100%してくださってるいうふうに受ける練習よね。何から何まで全て一から十まで、一から無限まで全てって、100%全て、全部よね、全部神さまがしてくださってるっていう受け方が本当の神さまの世界の受け方よ。だから「ありがとうございます」だけになりきるの。

 イメージよりも祈り言葉よ、祈り言葉を唱えてる内に、回数多く唱えてる内に中身が伴ってくる。一回よりも二回、二回よりも三回唱える程、中身が感じられてくるのよ。どんな言葉も同じだけど、繰り返す内に、その中身がよくわかってくる。本でも、読書百篇意自ずから通ずっていうけど、祈り言葉は、もうひとつそうよね。百回祈ったら百回の気付きあるし、一万回は一万回の気付きになるし、必ず繰り返す程、中身がよくわかってくるようになっている。

 だから、祈り言葉、無限の無限の何々が無限に無限に一杯唱えてる内に、その意味段々わかってくるの、この無限は、どういう意味ってね、深い意味が中から気付かせてくれる。だから、なんぼ言葉で説明してもらっても、本当の意味はわからない。自分が祈り続けて、繰り返して、繰り返して、この中から意味を感じさせてもらったら、わかったてなるの。必ず、そういう時が来るの。だから、繰り返すことよね、やっぱりね。淡々と祈り言葉を唱えたらいいだけね。繰り返したら気付くようになる。

 神さまの世界を感じ取ろうとして祈るのがいい。だから、いつも本当の神さまを相手にしようとしないと、本当の神さまと出会いたいという気持ちで唱えるほどいいの。そしたら、神さまも出てきやすいの。呼んでくれたら出てくるっていってるのね、神さまは。だから、祈り言葉は呼んでることになるの、神さまを呼んでることになるから出会えるようになるってくる。

 他の言葉を使うと色眼鏡ができてしまうじゃない。出てきてても、色眼鏡通して見るとね、まだね、神さまのすがたとは違うような感じ方になるでしょう。だから、他の言葉を使わないことが大事よ。祈り言葉だけを選び続けるほど早くなるじゃない。最高の大きいプラスの祈り言葉を唱え続けたら、必ず思いは早く消えるから色眼鏡消えてしまう。そうすると神さまを感じるのが早くなってくる。

 絶対から全てが生まれたといっても、矛盾するね。本当の世界が、ちょっとね、ちらっと映ってきてるだけでしょう、色眼鏡を通して、だから、虚の世界の絶対から生まれたんじゃないの。無の中から何も生まれへん。だから、どんな言葉でね、仮説を立てても、それを信じ切ったら、その通りになる。その人の世界がそうなる。無から生まれたったいうふうに言葉を使うと無から生まれたっていうのが、自分にとったら、それが全てになってくる。納得するようになるのそれがね。それでないと納得しないようになってるの、まず自分が、その言葉通りの自分になってしまうからよ。言葉を変えたらまた違う自分になるから、また考えが違ってくる。

 だから、一回、言葉の落とし穴にはまったら、抜けられないじゃない。言葉を変えていくのは難しい。言葉を自由自在に変えられたらいいけどね、一つの言葉に、はまったらもう、中々言葉の縛りから抜けられないでしょう。落とし穴にはまったんと同じよね。言葉を変えようがなくなる。一回虚の世界に落ちたら、中々抜けられない。そういうとこもあるよね。言葉の縛りで縛れてしまうから、この縛りを解いてくれるものがないのよね、中々ね。また違う言葉を使えなくなるのね、普通ね。

 現実がこうだからっていうと、言葉で全部縛れたら、同じことを繰り返すばっかりよね。特にマイナスを掴んだら、マイナスの泥沼にはまっていくだけ。

 だから、言葉を自由に選んで使えたら心配なくなる。自由自在になっていく。99.9%救われてる。99.9%、後ちょっと、後ちょっと言葉を徹底するだけ。「ありがとうございます」一言で、まだ浅いなぁと思ったら、確認の言葉を繰り返すようになるよね。それも自然よね。「ありがとうございます」を唱えてるとどんどん深くなっていくのね、深くしてくれる。気付きを与えてくるのは、神さまの方よね。みんな本当の神さまの中に飛び込むだけ。

 だから、最初の「ありがとうございます」は、まず唱えはじめの練習じゃない。唱えてる内に段々と神さまの方は、深くするために気付きを与えてくる、順番にね。中身を濃くしてくれる、色々教えてくる。一億回唱えたからって、これで卒業やないよ。永遠の中でみたらね、一億回なんて、この一生なんて短いもんじゃない、一瞬よ。神さまの世界は、常に無限に深くなっていく。気付きは大きくなっていかないとね。幸せはどこまでも、どこまでも、大きくしてくれる。中から神さまが気付きを与えてこないとダメ。

 神さまが出てきて気付くのね。神さまと自分とが一つになっていないとダメなの。祈り言葉を唱えてる内に神さまが呼び出されて出てきて、神さまが自分の中に出てきて気付きが出てくる。それを繰り返す内に、さらに大きく神さまが出てきて大きい気付きになる。神さまと自分とが分かれてたら偽物になる。本当の神さまが、どれだけ出てきたかよ。どのぐらいの割合として出てきてくれたかで、気付きが大きくなるか、小さくなるか。常に神さまを呼んでるというのがいい。神さまを呼び出してるっていう、神さまを呼び続けるだけよね、祈り言葉を通して、呼んだら神さまが出てきてくれるって単純な生き方よね。

 本当の神さまの世界においても言葉通りに浮かび出てきてくれるから、全てがね。幸せが欲しかったら幸せが浮かび出てくるでしょう。喜びがっていうたら喜びが浮かび出るように、言葉通りのものが全部、無色透明の中から浮かび出て、現実化して感じて受け取れるようになるからね。言葉選びが、どんどん変化していかないとねダメよね。

 絶対という言葉でも物凄く奥深いよね。虚の世界の絶対という言葉と本当の神さまの世界の絶対という言葉は、もう全然違うし、本当の世界に入ってからの絶対は、また意味が無限に段階があるじゃない。価値を見出すっていうんでも、言葉通りの価値を見出してる。だから、どういう言葉を使うかで、言葉だけの価値が出てくるね。どんな価値でも言葉通りに引っ張り出せるでしょう。本当の価値ってそうよね、言葉通りの価値よね、全部ね。

 例えばダイヤモンド一個あるとしてもね、ダイヤモンドが一杯ある世界だったら、石ころと同じよね、希少価値も何もないから、あぁ石ころがたくさんあるなぁっていう感覚だったら、全然価値を見出さないよね。でも世界に一つしかない大きいダイヤモンドっていったら、その通りの価値が出てくるよね。

 でも価値を与えてるのは言葉よね。言葉で、言葉だけの価値を与えてる。太陽一つみてそうでしょう、暖かいっていうふうに受けて感じたら太陽って暖かいよね。砂漠の暑い所だったら、あー暑いっていうたら太陽が悪者になってくるよね。悪魔っていうぐらいになってくるよね、焼き殺されるような感じになるからね。同じものを見てそうでしょう、言葉通りに全部違うのよね。

どんな価値も言葉で与えていけるよね。プラスの言葉を使ったらプラスの価値を与えられるし、マイナスの言葉を使ったらマイナスの価値しか、そこがね。それは、みんな神さまの世界にあるものも虚の世界にあるものも全部、言葉通りに価値を与えていく。名前を付けるっていうんでもそうだもんね、言葉で名前を付けて価値を与えてる。これ雑巾っていったら雑巾よ。布巾って言ったら布巾でしょう。言葉で名前で価値が変わるじゃない。言葉通りに名前がついて価値が出てくる。

 だから、言葉の凄さって凄いよ。言葉を自由自在に使えこなせる自分っていうのは、本当の自分。本当の神さまの世界で言葉を自由自在に駆使するのが感謝の真祈り、本当の祈りよね。虚の世界でも言葉を自由自在に駆使できたら、虚の世界を完全に支配できるもんね。だから、言葉の使い方が、物凄く大事になるよね。意識の拡大っていうのがね。全てプラスに見ようと思えば見えるでしょう。マイナスに見ようと思えば見えるもんね。何でもそうよ。地獄に降りててもプラスに見ようと思えば全部プラスに見えるよね。極楽にいてても全部マイナスに見ようと思えば見えるもんね。

 やっぱり言葉通りの自分がそこに出てきて感じとるから、言葉の力よね。言葉だけの自分が神さまの方へ出てくる。それと波の合うものを感じ取れる自分になってるの。プラス言葉を使ったらプラスを感じる自分になってるから、どこに置かれてもプラスに感じる。新たに新たに受けなおすお祈りをしてると、よくわかるよね。今の言葉がすぐに実現するし、感じるしっていう感じでね、一番高い世界にいったら、無限分の一秒の瞬時に言葉通りになるからよ。でも思いを一杯溜めたところは、過去の言葉が今現れて、今の言葉が遠い未来に現れるもんね。ズレがあるだけ気付きにくい、それだけの違いよね。本当は全部言葉通りになってるわね。今の言葉が必ず未来を創っていく。だから言葉で定めていくだけよね、自分がね。

 今の世の中みたらおかしいよね、プラスが欲しいのにマイナスの言葉使い過ぎてるもん。幸せを願いながら、マイナスの言葉を一杯使ってるもんね。マイナスを消そうとしながらマイナスの言葉一杯使ってるんだから、本当は正反対よね。マイナスを消したかったら、絶対マイナスを使ったらダメね、プラスだけを使わないと、使う程、増えてきているのに(笑)

 みんなそうよね、病気の名前だけでも病気増やしてるし、地震や災害の名前だけで災害増やすもんね。テロやって言うたらテロばっかり増えてくるし、言葉通りに増えてるもんね。だから、みんな言葉の力を忘れてる。現実の殺人よりも言葉の殺人の方が本当は働きは大きいの。現実の殺人は過去の言葉の結果が現れて消えてるだけじゃない。

 今のマイナスの一言が宇宙を駆け巡るかもしれない、どれだけ大勢の人に影響を与えるかもしれない。核連鎖反応、起こすかもしれない。何万人何億人殺す働きになるかもしれないよね。言葉の殺人の方が罪が重いかもしれない、マイナスに思うという事がね。一言、マイナスの言葉を見たり聞いたり言ったりするだけで、同じマイナスをしたんと同じなんよ。マイナスの行いと同じ価値がある。

 だから、無防備というのが大抵の人そうよね。勝手に聞こえてきたってね、見えたっていうんだけど違うわね、本当はね。自分が選ばないとダメよね、プラスを選ぼうとしないと損するね。だから、どんな場合もプラスの言葉を使ってプラスに思い返す翻訳しないとね。プラスの言葉だけを積極的に使い続けたら、マイナスの言葉、絶対入ってこないし影響受けない。何でもプラス思考で何でもプラスに翻訳してっていうのがいいよね。

 マイナスの言葉を聞かされてもプラスに思い返したらしまいでしょう。どんな思い返しもできるじゃない。マイナスを身代わりに背負って消してくれたって言えばいいじゃない。そしたら、マイナス消えてしまうじゃない。

 自分が背負って消してって言ったらしんどくなるけど、身代わりに背負って消してくれたっていうだけでマイナス消えていくし自分は軽くなる。人がマイナスの言葉を使ったって責める必要なんか全然ないもんね。「ありがとうございます」で喜んだら済むことよね。

 だから、プラス思考でプラスに言葉を使ったら全部プラスになるのね。あの人がマイナスの言葉を言うから聞いてしまったって言うたらダメよね(笑)自分がマイナスに見たからよね、マイナスに言葉を使ったからそうなるっていうだけよね。プラスに思い返したらいいだけよね。

 身代わりにマイナスの言葉を使ってマイナスを、かき集めて、背負って消してくれたって言えばいい(笑)そしたら大きいプラスよ。

 みんなのマイナスを身代わりに振り替えて、大難を小難で消してくれてるって、大勢のマイナスを身代わりに消してくれたって言えば、それで済むじゃない、代表的にってね。そしたらマイナスが消えて、プラスが出てくるようになるよね、言葉通りになる。プラスに翻訳してしまえばいいの。

 だから、マイナスっていう言葉がないって、全部プラスになってしまうっていうのがいいじゃない。だから、どんな価値でも言葉通りに見出せるから、暑い時、暑いって言うたら損するね。零下何十度の寒い時期が、今続いてるって思ってね、今日は、こんなに有難いって言うてね(笑)。こんな幸せな時は、ないっていうふうに言うたら、暑いのは消えるわね。

 だから、今の一瞬をどう受けるかよ。言葉だけで自分の気持ちがガラッと変わってしまうの、プラスの言葉は幸せな自分になってしまう。自分というんでも言葉通りに、みんな定めてしまってるもんね。

 だから、肉体が自分という人は、もう肉体は自分というふうに思い込んで、そういう生き方で小さくなってしまうでしょう。でも天照大御神さまが自分といった方がいいよね。幸せな大きい自分になれるしね。肉体は、入れ子構造の小さい模型、分身って言えばいいじゃない。それも輝いてくるじゃない。天照大御神さまの模型って言えば、入れ子構造の模型って言えば、大きく輝くよ。本物の模型になるじゃない、言葉通りに。

 祈り言葉は、本物の世界を言葉にしたら祈り言葉よね。本物の世界を感じ取るための言葉が、祈り言葉よね。虚の世界のは祈り言葉じゃない、念力になる、思いの力になる。真実の世界は、プラスばっかり受けるの。本当の世界は要らないよね。マイナスという言葉は必要ないよね。まだ途中ねマイナスに引っ掛かる人の場合、思い返すだけね。

 虚の世界眺めてる時は、そういう思い返しプラスにプラスに翻訳する。本当の世界に入ってないのは、本当に大きいプラスばっかりを受けなおすだけよ。時々本物の世界を眺めてるテレビの世界を眺めてる、その違いじゃない。テレビの世界は虚の世界よ。そんな感じで使い分けるだけでしょう。時々サングラスかけて見るという、自分でサングラスかけて見るんだったらいいじゃない、使い分けて見れるから、でもサングラス外して見るのと掛けて見るのと違い、自分が、よくわかってるから囚われない。色眼鏡かけたら色眼鏡が映るっていうのわかるじゃない。時々真っ赤な色眼鏡かけてみたら(笑)。

 本当は真実の世界だけっていうのが本当なんだけど、たまに楽しんでるんじゃない。言葉通りの遊びを、言葉通りになってるっていうのが、よくわかったらいいだけだけどね。それわからんかったら、のめり込んで、はまり込んで抜けられない。言葉通りになるっていうのが、本当にわかったら自由自在になれるけど。

 自由自在になったら、常に本物でしょう、本当の自由自在っていうのが、自分の自由を全部捧げ尽くして、絶対奉仕に生きるでしょう。そうすると全体から同じように無限倍にして、絶対奉仕と自由を与えてくれるじゃない。無限倍になった絶対奉仕と自由は、本当の自分の自由自在よ、誰からも縛られない。絶対奉仕されるばっかしっていうのね。それでも自分は絶対奉仕するんでしょう。これが最高の幸せな生き方っていう形で絶対奉仕に生きるんでしょう。つまらん生き方しないよね。

 全体を幸せにするための本当の最高の生き方が絶対奉仕だもんね。小さい自分だけの幸せなんて、わがままな自分勝手な自由なんて最低って見てるんでしょう。だから大きい縛りの中に入りながら縛りが消えて無限倍の自由を与えてもらうすがたよね。そこまで自由になった言葉の使い方って、凄いよこれ。

 神さまがいつも自由自在でしょう、自由自在の神さまが次から次へと新たに新たに出てくるのが本当の自由自在よね。絶対過去を掴まない生き方でしょう。常に循環してるっていうすがたよね、自由自在っていうのもね。

 絶対奉仕が捧げ尽くして循環させてる働きなのね。幸せでしょう絶対奉仕してもらって、みんなから幸せ与えてもらうでしょう。でも自分が絶対奉仕しててこそわかるのよね。自分が絶対奉仕に生きたら同じように絶対奉仕されてるのに気付く。自分が絶対奉仕に生きないとわからないよ。自分と波の合うものを感じるだけっていうの、だから、言葉通りに感じるだけっていうのがそうよね。

質問: やっぱり、神さまのお陰っていう言葉が、相当きいてるんですか?

 それ最高の言葉じゃない。本当の神さまのお陰って100%そうだもんね。何から何まで全て、一から無限まで全て、100%全て、神さまの働きだけよね。自分が、人が、何かしてるっていうのは違うもんね、神さまが全部してくれているっていうのが本当よね。だから、神さまだけっていう受け方がいい。だから、神さまのお陰っていうのが最高の言葉になるでしょう。大きいプラスの言葉よね。だから自分が何もしなくても神さまが、全体が、全部してくれているっていう感覚になってくる、その通りになる、必ず、言葉通りに、言葉通りに全部変えてきてくれているでしょう。全て神さまのお陰ですって言うだけで、大きく変わるわね。

 言葉の定義を自分で定めていくの。私の神さまはこういう定義なんだっていう言葉通りの神さま。神さまっていう名前だけで争ってるじゃない、世の中の人全部。表面の言葉だけに囚われてるからよね。同じものを指してるかもしれんのに、それに気付かない。

 本当の神さまを指してるんだったら、そういうことに(おなじものに)なるのに争うことは全然ないよ。

 自分で言葉を選んで定めて使えるって凄いことよ。本当に断定的に使えたら凄いよね。絶対誰にも負けないじゃない。全て言葉通りに全部定めていける。幸せっていうたら幸せになれる。プラスだけって言えばプラスだけになる、必ず言葉通りに実現してしまう。

 プラスだけ、プラスだけでもいいよ。本当にプラスしか出なくなるよ。プラスばっかりになる。それで、また無限の無限のプラスだけって言えば大きくなってくる。

 イエスさんはね、人を評価する「他をはかる同じはかりで自分をはかる」って教えてるわね。普通、人のことを色々言葉で表現して、この人がこうだあーだって言ってるでしょう。でもそれは人を量りにかけて量ってることだけど、それは結局、自分を量ってるの、自分のことを言ってるの言葉でね。

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/fIGLnB3SW6I

 宇宙神ありがとうございます


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4月勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2022年04月17日(日) 17時46分
PC

令和4年4月河上さん勉強会−1(20220413−1)

質問:毎回、護摩焚きの時の、護摩の燃え盛る火の写真を友人に送っています。その写真の中に、小さく人の顔がたくさん写っている時もあります。これは縁者が喜んでいる姿でしょうか?

河上さん:はい、その通りです。それだけ?

質問:それだけです。(笑)

質問:先程の写真の色んな不思議なものが写り込むという事は、今までもたくさん村で護摩の時でもあるのですが。基本それは、例えば良くないものでしたら、削除したりとか、お焚き上げするとか、そういうこともあると思うのですが。基本そういうものではないと思っといて良いでしょうか?

河上さん:はい。護摩の本来の役割になってきたのでね、昔みたいに光の玉が写ったりとかね、いろいろあったじゃないですか?そういうものと全然違うので、いわゆる3段階の護摩の本来の護摩になってますのでね。

 いよいよ時間切れでね、どうしようもなくなっちゃったんですけども、何が起こってもね、神さまが1番良いようにしてるというところに、心を置いて下さい。現実をつかんで、どうしようと思った途端に真祈りでなくなるし、因縁因果に流されます。

 入れ子構造になっているから、例えば、江戸時代の姿のまま、縄文時代の姿のまま、弥生時代の姿のまま、色んな世界が一杯ずっとあるんですよ、重なってね。どの世界も今だに存在しています。なんでそういう、例えば江戸時代のまま、或るいは、清水の次郎長一家のままの世界がね、続くかって言うと、現実を掴むから。現実を掴むって何かって言ったら、中々みんなわからないのね。

 それはまず神さまということを受け取れない。だから、神さま、すべて真(まこと)の神さまということを受け取れずに、真(まこと)の神さま以外のものを受け取っているから。

それは(神さま以外のものを)自分の言葉で作ってるわけ。「印可書」奉読して下さいってお願いしているのは、「印可書」は真(まこと)の神さまの言葉そのものですから、「印可書」奉読していたら真(まこと)の神さまを100%受け取れるから、すべて真(まこと)の神さまって、理屈抜きにね、実感として分かるようになるんですけども。

 普通は現実をあると掴むじゃないですか。で、現実はあると掴んで、現実があると思った時には、現実を言葉にしてるのね。

 今までの宗教というのは、その中でどうこうする宗教だったの。だから、だいたい宗教に入る理由、それは自分の運命が良くなりたい、病気を治したい、子供の引きこもりを治したいとか色々ありますけども。自分の利益を都合を優先したくて宗教に入るわけですね。

 今までの宗教はそれをいわゆる希望実現の法則とか、アメリカでいくと、マーフィーの光明思想とかいろいろありますけども、(プラスの)言葉で変えていくんだと、いうことを基本的にはどの宗教も言うわけですよ。

 過去、現実、未来とあってね、未来は今の自分の言葉で決まるみたいな因縁因果を言うわけです。因縁因果を抜けることが本来の宗教であるにもかかわらず、因縁因果の世界からみんな抜けれないのね。それは今までの宗教が悪かったじゃなくてね、因縁因果の世界でしか、みんな理解できないから、因縁因果の世界の教えしかなかったわけです。

 それを先生の言葉で言うと、マイナスの言葉と、プラスの言葉、この世のマイナスの言葉とプラスの言葉はどちらもマイナスなんだと。要するに、虚の世界のプラスとマイナスは全部マイナスなんだという、簡潔に先生が説明されてるわけですけど。

 やはり今だに、過去、現在、未来と掴んでね、言葉で未来を変えるんだ、みたいな言い方から抜けられない、要するに因縁因果から抜けれない人が多いんですよ。そういうことを言うと何が起こるかというと、その掴んだ世界に自分が落ち込んでいくんです。

 だから地獄に落ちた人っていうのは何かっていうと、現実を言葉として掴んでね、現実をあるって掴んだら、言葉として掴んだことになるんですけども。そういうことの結果として、だからほら、「10倍返し」とかあるじゃないですか?あれは現実を掴んで返すわけでしょう。そういう風に掴むと地獄にどんどん落ちていくわけです。

 その落ちていく途中の世界が、江戸時代の世界とかね、縄文の世界とかの中での天国地獄があるわけですよ。天国から地獄まであるんだけども、縄文時代の生活様式の天国から地獄もあるし、江戸時代の生活の天国から地獄もあるし、もう様々なんですよ。本当に種々様々、色んな姿があるわけですね。

 その中でこの世の宗教の教えとして、今の言葉によって未来を作っていくんだという風なことを言うとね、今の世界を掴んだまま下へ下へ落ちていくんですね。それが良い悪いじゃなくて、それが良いと思う人はそれで行けば良いです。落ちて行くのをなぜ止めないかと言うと、その人の自由意志だからね。自由意志で落ちていこうとしているのを、降りて行こうとしているのを止めるとね、怒るの。例えば、眠っている人を起こすとね、「眠たいのに何するねん!」って言うじゃないですか。ああゆう感じでね、降りて行きたいのに「うるさいわ」って言うんでね、止める必要もないんですけども。

 只、そういう風にして神さま以外の言葉を掴んだらどんどん。当たり前でしょう?神さま以外の言葉を掴むから、神さま以外の世界、自分の作った世界に降りていくわけです。要するに自分の作った世界に行くだけの事なんだけどね。別に難しい事でも悪い事でも良い事でもなくて、只そのままの法則なんです。自分の作った言葉の世界に自分が降りて行くだけです。

 それをわかりやすくですね、役者さんが台本を頂いて、台本通りの世界に住んだら演じてるわけでしょう?。普段は普通の日本人なのに、あなたは水戸黄門よ、あなたは悪代官よっていう台本をもらって、それぞれを演じてる時はその世界に住んでるわけじゃないですか?そういう感じのことを現実としてやるわけですね。で、それぞれ地獄ができるわけです。

 先生はその地獄がなくなるまで一緒に行ってくれるか?ということで、(今の僕の役割が)あるわけですけど。地獄をどうしてなくすかというと、真(まこと)のプラスの言葉を振り注ぐだけなんです。

 病気治しも一緒なんですけど。病気を治すんじゃなくて、既に完全円満健康なる姿を見つめるだけ。それは真(まこと)のプラスの言葉を駆使すると言うんですけど。たったそれだけなの。

 今、ウクライナが戦争になっておりますけども。世界平和も一緒でね、戦争を掴んでどうこうじゃなくて、ブーチンさんが悪いとかね、こっちのウクライナの大統領が悪いとか、そんなんじゃ無くて。ロシアが悪い、ウクライナが悪いじゃなくて。

 只々、理想世界の完全円満大調和の世界を認めるだけなんです。神さまの光を受け損なう、要するに現実というマイナスを掴んで、マイナスを作った分だけ皆さんの責任ですよ、今の戦争もね。みんなが掴んだ分だけが戦争という形になって。まぁ人間の体で言うと、オデキのように、ちょっと悪いものを食べ物で食べちゃうと、毒素が体に入るじゃないですか。それがどこかに集まってオデキのように吹くわけですね。その状態が、人類が色んな人を責めたりね、「あいつはあかん」とか言ってマイナスの言葉、要するに現実を掴むから、「あいつはあかん」でしょう。「あいつ怠けてる」と言うのも現実を掴んでいるわけですけど。そうして掴んで作ってきたマイナスのエネルギーが、今ウクライナに吹いてるというだけであって。ウクライナが悪い、ロシアが悪いじゃないです。たまたま1番被害の少ないところに吹いているわけです。

 だから自分らに関係ないって、みんな自分の責任だということをまず分かって頂いて。で、なぜ自分がそういうことを、要するに自分に深く関わりのある事ばっかりなんですね、現実に起こっている事は。それは全部自分がマイナスを掴んできた事の結果なの。

 今生だけじゃないですよ。だからそのマイナスを掴んできたことをやめて、真祈りだけに入る。要するに真(まこと)のプラスの言葉だけを駆使する自分になって頂いたら、あっという間に変わるんですよ。真祈り、最強なんですね。

 本当にみんなが真(まこと)の神さまだけっていうのが、実感として分かる為に、真(まこと)のプラスの言葉を駆使するだけって言ってるわけですね。それでもわかりにくいということで、「印可書」奉読ってしてますから。「印可書」奉読してたらね、もっと自在に真(まこと)のプラスの言葉を駆使できるようになります。例えば「印可書」奉読してたら、「ありがとうございます」の十文字が本当に真(まこと)のプラスの言葉って分かって実感として唱えれるようになります。

 今まではね、「ありがとうございます、ありがとうございます」って言っても実感としてわからないから、いまいち効果が発揮できなかったわけです。でも「印可書」奉読していたら、「ありがとうございます」、「あー」だけでも、「うー」だけでも、「すー」だけでも凄い力が発揮できるようになります。すると真祈り最強ってなるんですよ。

 それをみんなが一斉にやりだした時に、グワァーっと出るようにしてます。何故そうしてるかというと、色んな理由があるんですけども。例えば、真祈り最強なんですよ。

 だから、先生がされたようにね、真祈りしたらパっと病気が治るわけ。すると結局、病気治しの伝授を受けれたのは僕だけになってしまったんですけども、結果としてね。だけど何故そうなったかと言うと、何故みんな受けれなかったかと言うと、例えば病気治しという形で説明しますとね、「自分は病気治し出来るんだ」と思った途端に、もう真祈りじゃないの。それは魔術、呪い。形の上では同じように病気が治るけども、ただ「自分が」と言った途端に振り替えてるだけで病気を消してないの。それを自分に振り替えるか、その人の後に背負わしておくかだけなんですよ。すると一時的に、要するに魔術でね、呪いで病気を治すと、一時的に治るんだけど、後でもっとひどくなる、利息がついて。真祈りで病気治しをすると、綺麗に消えるから、消えるんですけどね。

 只、なんで(なぜ)もうその病気治しの奇跡を現さなくなったかと言うと、病気治した人に限ってな、あと真祈りしないのね(笑)。経験上はっきりと言いますけども、病気治しもあったし、宝くじを当てたのもあったし、持ってる土地を高いお金で売れたのも色々やりましたけども、どれやったってね、助けてもらった人程ね、あとお祈りしないね。助かってよかったで終わりや(笑)。だからもうしないんですけども。

 ともかく真(まこと)のプラス言葉を駆使するという真祈りが最強なんですよ。それをまず分かってて下さい。もう理屈で分かろうとしなくて良いし、理屈抜きにそう思ってて下さい。これから本当にね、「えっ?」て言うくらい大変になります。大変になった時に、「どうしよう!?」って思ったらもう真祈り違うからね。もう「えっ?」て言うくらい大変になった時に、「あぁ、神さまが1番良いようにしてるんだ」ということで、ひたすら真祈りに入って下さい。もうそれだけです。

 色々あって、ウクライナを見てるとそうですけども、ロシアが来たから武器を持って戦わなくちゃいけないってなってるじゃないですか。ああなったら終わりなの、日本人が(日本人が日本が戦わなければいけないとなったら、もう地球は終わりです。日本はまいのりだけで行かなければならないんです)。

 ウクライナでなってるうちは、まだ良いんですけど、日本で色んなことが起こっても、武器を持って戦わなくちゃいけない、或いは、核を持たなくちゃいけないって言っった途端に、もうゲームセットです。神さまが地球もこの現象宇宙全てが一旦消します。滅びるんじゃなくて消します。 

 簡単に言うと、小さい子が今まで泥んこ遊びをしてて、「お母ちゃん!」って言って帰って来るのが、まだ祈っている状態ですよ。帰って来るから、神さまの方で洗って綺麗にしてあげて、また遊んでおいでって、又、なりますけども。もう神も仏もあるものかってなってしまうと、泥んこ遊びをして、今度はその泥沼の中に埋まって身動きが取れなくなっている状態です。それがいわゆる日本人がね、「核を持たなくちゃいけない、戦わなくちゃいけない、武器を持って戦わなくちゃいけない」なんて言い出した時がそうなの。そうなるともう消しようがないので、一旦この世の勉強の学校は神さまの方で閉じると。みんなの持っているマイナスが背負いきれずにどうしようもなくなってるから、苦しみが増すばっかりだから、みんなの自由意志を超えて、一旦マイナスを綺麗に神さまが清められる時が、この現象宇宙を一旦消すということです。

 以前だったらアトランティスのように大陸を沈める。或いは、火山が噴火してね、火山灰の下に埋まるとか色々ありましたけども。その程度で済んだんですけども、今回は地球だけじゃなくて、現象宇宙の向こうの宇宙人の世界も全て一旦消します。ということになるんでね、ほんとに真祈り最強だし、真祈りがすごく大切なんです。それをもう理屈で分かろうなんて思わなくて良いですから、ひたすら「印可書」奉読していて下さい。

 その余裕があったら「印可書」奉読してる。もうそれだけです。勿論仕事に夢中になって、仕事に心を奪われてね、夢中になってる時は(仕事に夢中に)なって良いんですよ。でも、はっと気づいた時は「印可書」奉読するってね、常にそこに(立ち戻る)立ち向かう気持ちが神さまのお手伝いです。

 「そんなん言われても、ずっと私「印可書」奉読できずに、食べることについついおいしいと思って食べちゃったわ」とかあるじゃないですか。それでも良いの。良いけど気づいた時に奉読して下さい。それが大切です。先生が誰でもが真祈り出来るようにして行ってくださったのでね、是非それを実践して下さい。そうすると真祈り奉読(印可書の奉読のこと)している人の凄さというのがね、周りに分かるようになります。色んな形で凄い奇跡になる時もあるし、色々ありますけども、それを見てみんなも真祈りしてくれるようになるのでね、まずそこです。

 もう本当にね、皆さんが一生懸命、真祈りを奉読、神さまのお手伝いしたいって奉読して頂いたら、このキワキワのスリリングなまま 、20年持っていけると思うんですけども。うまくいかなかったら、もうここ3年ぐらいであっという間です。

 だから何が起こっても、凄い東北の地震がちょっとやったなと思う位の地震になるし。戦争も「えっ?そんなになるん!?」ていう位なりますけども、その時に心揺るがさずにね、お願いします。

 ちょっとでも「どうしよう?」と思ったら終わり。だから例えば自分が熱出た時にね、「こんな高い熱が出てどうしよう」って思ったら終わりなの。「あー、熱で使って頂いてよかった」なの。もうそこだけです。どうしようと思った途端に崩れるからね。で、思ってしまっても良いから、思ってしまっても思い返して下さい。そこが大事なんですよ。

 もう思ってしまったから終わりやからどうしようもないわって言うんじゃダメなのね。必ず敗者復活できるんでね、「印可書」奉読を忘れずにして下さい。ここ迄で質問があったらお願いします。


質問:殆どの方がこのお話を聞いてないという前提で。今、例えば戦争反対とかいうふうな考えを皆さんお持ちだと思うんですけども。それは政治家の方がすごく大事なキーポイントになると思うんです。例えば戦争反対とか戦争が起こらないようにしようと思ったら、政治家の方がそういう部分を担っていらっしゃると思うので、政治家の方の意識をやっぱり変えて頂く必要があるんじゃないかと思います。そうなると非常に現実的なお話になるんですけど、自民党政権ですよね。すいませんちょっとかけ離れた話題になるかもしれないんですけども。その辺で自民党の周囲の政党の方々に、どういう風にうまくコントロールすれば、そういう戦争を回避なり何なりっていう方向に持っていけるのか、お話を聞かせていただければと思います。


河上さん:あのね、現実をいじってどうこうなるんだったら、国際連合があるわけでしょう?どうしようもないでしょう?その日本の政治家がどうこうじゃなくてね、日本の国会がどうこうじゃなくて、今の場合だったら世界戦争ですから、国際連合があるわけじゃないですか?昔だったら国際連盟があったわけです。どうしようもないでしょう?

 例えば今ウクライナで話し合いをしようしようとやっているわけですね。でもどうしようもないでしょう?この世的にどうこうなんて言ってね収まる位だったら、とっくに人類は良い子になっています。収まらない。

 なんで収まらないか。お金のせいよ。お金を儲けることが正しくて、お金持ちが偉いっていう時代でしょう?お金儲けするのに1番儲かるのが戦争なの。だから。一部の人がですよ。一部の人が1番儲かるのが戦争なの。国家としては戦争したら大赤字です。

 なんで国家は戦争したら大赤字か分かる?例えば戦死するでしょう。そしたら遺族年金出さなあかん。或いは、戦争で腕とか足を無くして負傷するでしょう。そしたら傷病年金を出さなあかん。それ大体1人あたりね、今やったら生涯出すとしたら、1人1億円ぐらいかかる。戦争で何人死ぬ?そんなお金誰も出せないって。まぁ勿論無理して出していくわけやけどね。その決算をとったら大赤字や。そうして大赤字って分かってるのにね、人類は戦争をするんやね。今のは、戦争に行った人だけの話であって、民間人が負傷して死んだって保証でないからね。はっきり言うけど。でも民間人も負傷するし死ぬしね。それに対して誰が助け合うのって言ったら、ほとんど助け合わないわけよね。

 運が悪かったなで終わりでしょう?戦争ってそういうもんですよ。誰が冷静に考えたってしたらいけないものなの。でも相手が来るから戦わなくちゃいけないって、やっぱりやっちゃうわけ。やっちゃったら終わりなの。

 長髄彦(永巣根彦)さんの時代にね、戦争に持っていかないようにしていったのは、もう戦争にしたら終わりだから。あの時代も本当に国が収まらなくて大変だったんですよ。それを長髄彦さんが真祈りを教えてね、祈って祈って祈って、で何とかああなったの。真祈りというのは相手を自分の中に飲み込んで綺麗にしちゃうの。

 分け隔てて、お前あかんからどうこうっていうのはないの。実際そうなんですけど、勉強を教えるのでもね、「お前勉強できないんだからこうだ」ってやったって全然本人は勉強できないのよ。一緒になって、相手の心、勉強できない子の心を自分の中に入れて、その人の心の感情の動きに沿って一緒になって考えてあげて初めて勉強って教えれるの。

 勉強ですらそうなのに、この世のことなんてもっとそうなの。その相手を自分の中に入れてどうこうするというのが、何かというのが新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分であり、真(まこと)の支え合いなんです。助け合いじゃなくて支え合いなの。

 支え合いというのは、相手を自分の内に入れなくちゃいけない。それって大変なことなの。それを先生は実践されてたから人類のマイナスを一切自分の中に入れて消されたわけ。それであの熱を出され、咳を出され、痰を出されてってされてたわけですね。

 それをいよいよ皆さんお一人お一人に分担してやって頂きます。で、お一人お一人に分担するから先生ほど大変な事はないんでね、怯えずに怖がらずにひたすら「印可書」奉読していて下さいね。只それだけです。

 だから例えば、政治家の心を変えるって言いますけども、政治家よりも全人類の心を変えなくちゃいけないんですよ。全人類の心を変えるというのは何かと言うと、まず潜在意識を変えなくちゃいけないの。潜在意識とは何かと言ったら、皆の癖です。その人によって癖があるでしょう?それはその人が潜在意識に取り込んだ色んなマイナスの動きで、色んな癖があるわけよ。だから食べ物で言うとね、「私はお肉大好き」とかね、「私、甘いものが大好き」「私、アイスクリームが大好き」とかあるじゃないですか?

それって癖ですよ。その癖は何かと言ったら、自分が過去世から今世に至るまで積み重ねてきたマイナスの思いです。

 それをどうして消すか、潜在意識をどうして綺麗にするかだけなんですね。潜在意識を綺麗にする唯一の方法が真祈りです。それが真(まこと)の大奇跡なんですよ。

 イエスの時代に現した、或いは先生が現して下さった病気治しというのは、相手の潜在意識を一時的に綺麗にしただけなの。そうすると病気が消えるんだけど、潜在意識を綺麗にしただけではね、真祈りしてくれないの。何故かと言うと、周りの人の潜在意識の響きがズーっと寄って来るの。それでまたせっかく綺麗にしても本人が戻っちゃうのね。

 それで今回はその1部的(局部的に)にどうこうというのは、もうやめようと。一斉にやろうということで。だから申し訳ないですけども、既に悟りを、正覚を得ている方が沢山いらっしゃるんだけども、自覚を塞いであります。だから「私まだまだか」と思わしています。

 なんで”私まだまだ”とわざと思わせているかというと、「私が病気治しできる、私が真祈りできる」と言った時点で真祈りでないの。病気治しでないの。最初に説明したように、呪いであって、呪術、魔術になるの。魔術になったらもうどうしようもないのね。真祈りでずっといかなあかんの。

 真祈りというのは何かと言うと、「こんな小さな私には何もできない」って分かっていることです。だから「私の祈りなんて」って自信なく思ってくださる方が1番神さまが使いやすいの。「私ができる」って言う奴ほどな、使われへんね(笑)。わかります?それでわざと自覚を塞いで、みんなを自信がない状態においてあります。わざと置いてるんで、ごめんなさいね。

 でもそれが1番良いの。「私には何もできない、だから神さまだけ」ってして頂くのが真祈りだから。後は自分にできる事は、「印可書」奉読するだけで進んで下さい。勿論「ありがとうございます」でも良いですけどね。「印可書」奉読が1番楽だと思うので、それでお願いしております。

宮野さん:それ卑下満との違いは?

河上さん:卑下満はね、「本当は僕は良い子なのに、誰も褒めてくれない」と言うのが卑下満なの。

宮野さん:先程の、「こんな私なんかお祈りできないのに」とかね…

河上さん:だから、口に出してね、周りにどんどん「私は全然駄目で、お祈りできないのに」って言っている時は卑下満です。口に出さないけど「私、本当はあかんのよ」って言っている間は大丈夫ですけどね。周りにそういう自慢してるでしょう。ほら、よくね病院に行くとあるのね。年寄り同士がね、分かる?病気自慢。「私ね右手痛いの」「私は左足があかんのよ」って病気自慢。「私ね、いよいよね首回らんようになってね」とかね。「耳聞こえへんねん」「眼がトロくなってね」とかあるね。病気自慢してるね病院で、あれよ。あれを卑下満と言う。治りたいくせにな。病気自慢してどうすんねんって、余計に使ってどうするねんって横で見て楽しんでるけども。考えたらあかん。楽しんで見なあかんね、なんでもな。考えたら掴んでしまう。

 いつも考えたらあかんっていうのは何かって言うとね、考えると現実を掴んでるって言うことやね。そしたら自分の中にマイナスを取り込むのよ。考えずに楽しんで見てたら良いね。例えばオカルト映画でもね、あれは考えて観るから後で怖くなるのね。考えずに「あー面白いな」って見てたら怖くないねんけどな。「ここでこんなんが出てくるんや、ここでこんな凄い呪いがかかってこないなるんや」って考えるやんみんな、見ながらね。そしたらそれ考えたらことが取り込まれてるのね。それで夜トイレに行きにくくなるね、怖いで。違うか(笑)。だから何でも楽しんで見てたら良いね。で、ひたすら「印可書」奉読してたら良いです。


宮野さん:ちょっと話が戻るんですけども、1番最初の冒頭の部分で、言葉による過去、現在、未来ですね、時系列的に言うと。その中で、過去と未来は無いっていうのは既に言われている中で、今回は現在もない。

河上さん:うん。現在も遠い遠い過去やからね。

宮野さん:そこのところが多分、あれ?って皆さんが勘違いしはるんで、ちょっと説明を。

河上さん:だからその過去、現在、未来っていうのが1つの本なの。簡単にわかりやすく言うと。物語、小説と考えて下さい。映画の台本でも良いけどね。本として過去、現在、未来が書かれているわけでしょう。それが本棚に置いてある。そういう状態です。
 それを掴んだら過去、現在、未来。要するに、結局、過去でしょう。本としてあるというのはね。それを掴んだってなるわけです。未来も。あるのは今の一瞬だけなんです。
 例えば映画で言うとね、今の一瞬の画面だけが存在しているのであって、先の画面も、過去の画面も無いでしょう?それをあるって掴むから苦しみが始まる。

 それで、1番神さまが良いようにしているにも関わらずよ、自分の言葉で未来を変えようとしてるやろ、みんなね。自分の言葉で未来が決まるって言うわけよ。自分の言葉で未来を変えようとして、神さまを信じないわけ、分かる?で、神さまの命を、全然受け取らないのと違うのね、全然受け取らなかったらすぐ死ぬからね。無意識に受け取る部分だけで生きてるわけ。それを因縁因果に流されてるって言うのね。100%受け取ったら、「あー、何があっても神さまが1番良いようにしてるんだ、よかった、よかった」って喜べる。先生の様にね。(でもみんなは)無意識にちょっとだけ受け取って、でも生きてるみたいな感じやね。その中で、自分の未来を、神さまが1番良いようにしてるのによ、不安に思って言葉で変えようとして。自分の言葉で自分で未来を変えようとした途端に、神さまの光をどんどん受け損なうわけよ。で、受け損なった分だけどんどん因縁因果に流されてそういう世界に落ち込んでいくの。

 でも、演技を楽しんではるからね、落ち込みたい。それは仕方がない。その人の自由意志やからね。でもわざわざ落ちる事は無いから、その言った人も落ちるし、それを聞いて受け取った人も一緒に落ちる。だから言う人の責任は重いけどね。でも聞く人の責任も重い。

 それを護摩の会場で言うのは、もっと厳しいことなんです。でもそれも本人の自由意志だから止めることもないし、否定も肯定もする必要はないです。そういう世界に落ちたい人はね、やっぱりいっぺん落ちないとわからないね。だから好きに落とすしかない。

 要するに遊園地の、この怖いジェットコースターいっぺんは乗ってみたいって思うわけね。乗らないと納得しないから乗せないと仕方がないね。で、乗って1周してきたら、「もう怖かったからもう良いわ」って言うからね。それからしか拾いに行けないだけです。

 だから一旦は、行きたい人はそういう話を聞く、或いは喋って行きはるわけで、良い悪いじゃないし、責める必要も否定も肯定も、護摩で言いましたけども、マイナスの行為をする人をね、否定も肯定もする必要は無いので。只々、先生のお言葉をお借りして説明すると、なかなか名演技してるなって言って楽しんで見てたら良いっていう。だから考えたらあかん、楽しんで見てるだけで良い。

 水戸黄門でも映画でもそうでしょう?楽しんで見てたら大丈夫やね。それを考え込むとやね、「なんであそこで主人公あんなことしたんや、そしたらこうなったのに、何であそこであんなんしてん」って自分が落ち込んでどうするね、映画の中にって思うけどね(笑)。結構みんなオカルト映画なんかそうなんやで。わざと考えてみてそこに落ち込んでるから怖くなるね、後で。考えたらあかん(笑)。神さまが良いようにしてる。

宮野さん:因縁因果の輪を断ち切ったと言うのはでしょう。そしたら因縁因果の輪を断ち切ってしまってるんだから、何言ったって良いやんって思ってはるってことなのね。

河上さん:因縁因果の輪を断ち切ったからこそ、最終列車に乗りたいのね。因縁因果に乗っていたい人は。で、みんな最終列車に飛び乗って行きはるわけ。

宮野さん:ちなみにどこ行きですか?

河上さん:え?いやいや、そのなぁ、あんまり此処で言葉に出さんと。まぁ下の方や(笑)。そうやろ、神さまを受け取らないんやから。神さまの愛を100%受け取ったら良いだけや。そしたら「あー、神さまが良いようにしてる、よかった」だけやん。

 それを自分の言葉で変えたいって言ったら、神さまを信じてないね。そしたら、受け取られへん分だけの世界。要するに自分の作った世界よ。下の世界って全部自分が作った世界やで。神さまを受けそこなってこれだけのもんやって自分で作るわけ。で、そういう世界に落ちるね。

 勿論この世の皆さんの色んな能力もそうよ。「自分は不器用やねん」とかね、「自分はこれだけしかできへんねん」って、自分の言葉で決めたからそれだけの演技をするだけや。でもその不器用な自分を演技して飽きたら、得心したら自由自在になれるね。やっぱり得心する迄はな、「私は不器用やねん」「私、物覚え悪いねん」「私、勉強できへんねん」「私、英語できへんねん」って言って楽しむわけよ。で、「こんなアホな楽しみ方もうやめや」って、「もう飽きたし」って言ったら自由自在になるね。その「もう飽きたし」っていうのが「印可書」奉読してたら早く飽きるということやね。それだけ(笑)。良い?

宮野さん:はい。



  令和4年4月河上さん勉強会ー2(20220410−2)
  
河上:でも、みんな自由意志やからね。そうしてる人を責める必要もないし、あんた、そんなんしてたらあかんで、って言いに行く必要もない。一番大事なのは、ひたすら真祈りしてることなの。

 外からね、もの言うて、人変わらないから。そんなんで変わるんやったら、国会でね、論戦して、どんどん日本の国良くなる。あるいは、国際連合でね、話し合いしてどんどん世界は良くなるって、外からもの言って変わるんやったら。外からは変わらへん。全部、皆、中からだんだんと徐々にや。その「中からだんだんと」というのが潜在意識を清めるっていうことや。

  なんで潜在意識が中からしか変わらないかというと、要するに、人類の潜在意識、この現実で説明すると、人類の潜在意識は大地なんですよ。まあ、大地というか、もっとわかりやすく、池やと思って。池が人類の潜在意識。それで、その上に浮草で色んな草が芽吹くじゃないですか。それが、一人一人の人類よ、人よ。でも、皆、池という潜在意識で、一つなの。すべては完璧なる一ついうのはね、この虚の世界といえども、実現してるの。

 その完璧な一つの潜在意識のところを真祈りするだけで良い。それは、何かいうたら、要らんこと考えんと、神さまが一番良いようにしてるから、印可書奉読してお手伝いしましょう、だけで良い。

それで、肉体側の方で、印可書奉読してもらうと、その潜在意識にどんどん響くわけよ。そしたら、もう池の水が全部綺麗になっていくね。そしたら、その綺麗な池の水を吸って水草がどんどん変わって良くなるわけ。それだけ。簡単なことなの。

  ただ、形の上ですぐ現れないから、祈ったって何も変わらへんわって、ついつい思ってしまうの。思ってしまって、祈りが疎か(おろそか)になっていっただけ。

 あるいは祈りと願い事がごっちゃになっていっただけね。だいたい、願い事が必要ないというのがね、分からなあかんねんけど、願い事が要るという、願い事があるっていう分だけ神さまを受け取れてないわけよ。な、そうやろ?神さまは全知全能やから、最初に必要なことはもう既に与えてあるね。気付けへんだけや。そやのに、まだ文句言って願い事するわけよ。病気治して欲しいからあって、色々あるわね。この子もっと勉強できて東大行けますようにとか、色々あるやん。そんなん要らんことや。

  で、印可書奉読して頂いたら、神さまの大きなお手伝いになるからね、どんどん世の中は良くなります。それが、先生と大国主命様との約束の、「人類の方でちゃんと真祈りしてしますから。」ということです。あの、今日初めて具体的に本当のこと言ってます。まだ、早いん違うんですかって言って、ちょっと、だいぶ先生と抵抗してたんですけど、もう先生、言いなさいっていうことなんで。

   だから印可書奉読はね、すごく神さまのお役に立ってますから。もう、奉読するごとに、全人類の潜在意識が光に変わっていくっていうのを喜んでてください。その全人類の潜在意識という池の水が綺麗になったら、上に浮いてる浮草、肉体人間がどんどん綺麗になります。そしたらもう、皆、要するに相手のものを奪おうと思わないのよ。

神さまが一番良いようにしてくださって、必要なもの全部与えてくださるって分かったらね、もう、相手のものを奪う必要はないわけ。皆、自分にある、余裕のあるものをお互いに助け合うだけなるね。そしたら、揉めへんね。例えば、二人で一つのあんパンしかなかったら、じゃあ、二つに分けて食べましょうって平気でなるんよ。だけど、先々どうしようなんて思うと、隠しといて、ちょっとずつ自分だけ食べようって思うのね。

それが極端になったら、ああして戦争になっていくの。

 無限供給というのが分からへんねんな。でも、空気も水も無限供給で受けてるのにね。タダでね。皆、なかなか面白い。先生がいっつも面白いなあと思って見とけって言うから。たまに、あの、あんまり行き詰って、(うーと)なってくるとね、天王寺公園行って、おさるさんの檻の前でじっと見てんね。(笑)そしたら、皆、お猿さんが自由に(好きな演技)やってるやん。ああ、こういうことやねんなって思って、もう一遍、納得しなおすんや。(笑)おさるさんに人間の言葉通じひんから、何言うたって好きにするやん。だけど、人間も一緒よ。人間の言葉通じるようでな、通じひんの。皆好きにするって。(好きな演技するって→演技してることも忘れて苦しむまで演技するんだけど)

 この前、護摩の時に旦那が言うこときかないっていう質問あったんですけど、そんなん当たり前やん。旦那であろうが、誰だろうが、誰かて自分(あなた)、人の言うこときけへんくせに、言うなよ、みたいな。聞くふりしたって本当に聞けへんやん、皆ね。皆、自分の好きにするん。それでええんよ。それが本当の神さまの自由自在性だから。でも、本当の自由自在性は神さまの愛を生きることやからね。自分の都合に生きることではない。で、その自分の都合に生きずに、神さまの愛に生きるためには、ひたすらね、印可書奉読してたら神さまの愛に生きれる。

宮野さん:新たにここで、「宇宙神ありがとうございます」でもよろしいの?

河上さん:勿論。勿論、そうよ。だから自在に使えば良いんだけどね。ただ、印可書が一番、その、なんていうの、理屈抜きに神さまの愛を感じ取れるだけです。「宇宙神ありがとうございます」の場合は、その「宇宙神がすべてのすべて!」って、「宇宙神がすべてのすべて!」って実感せんと、効果をださへんのね。あるいは、「ありがとうございます」だけの時もそうだったんですけど、「ありがとうございますがすべてのすべて!」って実感できなあかんね。そこが難しい。印可書はもう、すべて真(まこと)の、要するに、「すべて真(まこと)の神さま」っていう実感できなあかんってことなんやけどね。

 で、印可書はその、「すべて真(まこと)の神さま」って実感できなくても、すべて光やって実感できなくても、読むだけでその状態にするよ、という先生と神さまとの約束事なんで、印可書って言ってますけども。勿論、「宇宙神ありがとうございます」で祈りたい時はそれで祈ってください。

宮野さん:日常的に生活してる中で、日々、日中を24時間+αでお祈りをしたいと思う中でね、印可書を読んでいたいと思うけども、仕事をしながら、何かをしながら、っていうことになると、印可書が飛び飛びになって、抜けていく…

河上さん:はい、それで良いんです。

宮野さん:ああ、それで良いんですか?はい。その中で、例えば、印可書読んでるのに飛んでしまって、途切れていけないと思う中で、「宇宙神ありがとうございます」を言う。で、また印可書戻る、でよろしい?

河上さん:そうそう、それで良いんです。はい。もう、本当にね、神さまだけで本当は良いんだけどね。神さまだけやったら不安になるから、先生が祈り言葉として残してくださったということです。

 ともかく、まず、真祈りは言葉以前なのでね。神さまが一番良いようにしてくださっている、良かった、だけなんやけどね、本当は。だけど、なかなかね、自分に不都合なことが起こったら、ついついね、マイナスに思うじゃないですか。そのために祈り言葉を残してくださったわけです。

宮野さん:不都合なことが起こるっていうのは、まあ、自分の都合によって、都合が悪いわけですけれども、それは、真祈り、神さまの方を向かせるため、というものではない?

河上さん:いや、ではない。結局、自分にとって不都合というのは何かいうたら、自分と他人を分けてるでしょ?だから、護摩の時に言ったけど、足の小指踏まれた時にね、小指だけが別の人格やったら、わしだけ痛い目してなんやねんってなるけどね。自分の体として見たら、ああ、小指だけで済んでよかったな、でしょ。それくらい、分けた意識がマイナスを作るの。だけど、わざと分けて、この世を楽しみに降りてきたからね、

皆。分ける癖があるわけ。その、わざと分けただけや、というのを気付かなあかんわけよ。

  ほら、小っちゃい子がおままごとというか、指人形遊びしてね、小指さん、親指さんこんにちはってやって遊んでるような状態なんですよ。だけど、本当は自分の体やね。本当は全部真(まこと)の神さまやね。それをわざと分けて楽しんでるだけやのに、その分けたことを忘れて、違うもんや、お互い違うもんや、てやって、いじめがあったり、なんていうのはね、違うもんやと思うからや。皆、自分やと思ってたら、何もなれへん。

宮野さん:分けて楽しんでる分には、それでは別に問題ない?色々、日常的に、例えば上司になんとか有るとか…

河上さん:うん。だから、そうそう、分けて楽しむけど、例えば、ゲームがそうでしょう?分けて楽しむわけや。でも、終わったら面白かったなあ、だけやんか。その辺がな、野球のペナントレースなると、最後まで引いて、ほら、来年こそは優勝とかってやっていく、いう感じでね、だんだん難しいゲームにしたら、終わって良かったなあーに、只、ならんと、来年はこっちが勝つぞ、とかって、やるわけね。それの繰り返しでどんどん分け隔てが出てしまう。本当は毎回毎回終わったら、ああ、面白かったな、って言うて。皆楽しかったね、勝った方は勝った方で面白かったし、負けた方は負けた方で惜しかったけど面白かったね、で良いのにね。

宮野さん:ということは、現実で起こってることっていうのは、もう、ドラマである、映画であるっていう認識でもって、実際起こってる状態のことを思ったら、裁判起ころうが、事故で相手があろうが、上司と何かあろうが、姑と何とかあろうが、それはもう、現実を掴まず、あ、面白いなあ、と楽しめば、それで良いわけですね。

河上さん:そうそうそう、だから、それで例えば、本当にお金なくなってね、食べられなくなって餓死する状態になっても、良かった、にしなくちゃいけない。なんでそういう、追いつめられるかいうと、自分がどんどん神さまを拒否したからや。要するに、そうでしょ?願い事ってそうでしょ?神さまが一番良いようにしてくれてるのに、してくれてへん、って言って、神さまをまず拒否するわけよ。だから、自分の思い通りにならへんって言うて願いを出すわけでね。その時点で神さまを拒否してるから、よりマイナスに落ちて行くねんけどね。

  だから、もう色々ありますけどね、その、神さまを受け損なった分がどんどん溜まっていって、最後はこういう戦争になって、人類が滅びるというとこまで行くんですね。今でも、本当にどっちかがブチ切れてね、原爆バーン、核バーンって出したら、やりよったな、やりやがったな、よし、負けてへんぞ言って、打ち合いなって、そしたらもう、またやりよった、ほんじゃ、こうじゃ、ああじゃ、ってキリないよ。あっという間やね、それこそ。

   だって地球を何百個って滅ぼすだけの核を全人類持ってるんでしょ、今。全員が打ち合いしたら終わりや。そういうことすら気付けへんよね。核さえ持ってたら何とかなるみたいな感じに、勘違いするの。

   今、ロシアもウクライナも核一杯持ってるで。もう、最後になったら、よっしゃ、ってなるよ。どうするん?って、どうしようもない。それくらい、現実掴んでどうこう言ったってどうしようもない。そのね、現実でぶつかる原因は、分け隔てていった、(その結果)神さまの光を受そこねていった原因やねんけど、それって全部、潜在意識に溜めてきたことから起こってるのね。だから、潜在意識を綺麗にしたらちゃんとなる。

質問:分けて楽しむって、先程、「『どうしよう』って思った時はすでに崩れてる」って仰られて、それで、分けて楽しむっていう癖なんですけれども、分けて楽しんでるっていうふうに、意識がある時、楽しめてる時、その中で、こう、隙ができて、いつの間にかこう、自分が、こう、転落してる時があるんですけれども。それが、こう…、その隙が…、ちょっと生き方が本当に甘いんだなと思うんですけど、そこはもう、本当に淡々と印可書を奉納するっていう…

河上さん:あ、そうよ。あのね、勉強教える時がそうやね。こっちは分かってるね。で、この子は全然分かってへんわけよ。そんで、この(こっちが)分かってることを教えたってな、勉強できへんね。その子の考えるパターンになって教えなあかんのね。それは現実の世界でいうと、相手の思いを全部自分の体の中に入れなあかんね。入れると一緒になって腹立ってくるね。一緒になって腹立った状態で初めて、真祈りがして、効果あるわけ。

 まったく、ああ、あほなことしてるな、って言って真祈りしたってな、光通っていけへんのよ。だから、あんな不倫して、あんなエッチして、って言うけど、一緒にエッチな思いになってあげんとね。例えばエッチなところへは光は通れへん。まあ、分かりやすくセックスでいうとね、エッチしてる、不倫してるっというのがあかんやないか、と言って言うてお祈りしたって駄目なんよ。本当に同じようにエッチしたくなって、もう、する寸前のあの気持ちになって、お祈りして初めて光が通るね。

  だから、病気治しがそうなんだけど、相手の症状がね、本当に自分の体に現れてくるまで、一緒に背負い込んで、初めてお祈りして、病気治しできるね。だから、先生はいつも熱出された。ひっきりなしにね。もう、それくらい、まあ、神さまの愛ってすごい。上からね、引き揚げようなんて神さましないの。新たなる下座に立って下から押し上げるね。

 下から押し上げるいうことは、一切の汚れを背負うっていうことよ。汚れを背負うっていうのは、背負うって一言や。でも実際に背負うっていうことは、ほんまに腹立ったりね、ほんまに憎いと思ったり、ほんまに責めたり。もう、本当に自分も一緒にマイナスの思いの気持ちになってあげて、なってあげたことすら気付かずに、自分も一緒になって腹立ってる状態になって、そこでお祈りをせなならん。そういうもんや。

   病気治しがそうやね。喘息で苦しんでる人を治すのにね、ただ、お祈りしたって治らへんのよ。ずっと相手の意識に合わせていくね。そしたら、もう自分の中に喘息の症状うわーって出てくるわけや。もう、どうしようも、こんなん、もう無理っていうくらい出てきたときにお祈りして、初めて消えるね。

  だから、病気治しをな、あんまり先生は、なんというんかな、引っかかる人には、結局伝授せんかってん。さらさらと流せる人しか、したらあかんね。でも、今は最後やから、皆がさらさらと流してやってもらわなん。ただ、受け止めた後さらさらと流さなんからね。その、さらさらと流す方法を、今は印可書があるからできるよって言ってるね。

   僕の時代は印可書なかったから、さらさらと流すのに、ああ、面白いなあ(名演技やなあ)、って見やんなんというか、難しいとこあったんよね。今やったら印可書あるから、どんなに腹立ってても、印可書読んでたら良いよっていつも言うてるやん。どんなにエッチな思い湧いても印可書読んでたら良いよ、ってね。どんなに食欲あっても読んでたら良いよって言うでしょ。印可書でさらさら流せるから。さらさら流すというのは、どんどん光を通して綺麗にしてるっていうこと。そういうこと。良いですか?

質問:もう、本当に何度も教えて頂いていて、同じこと何度も、お話し頂いているな、といつも思っているんですけれども、とにかく本当に、その、どんな渦中であっても、本音で印可書だけなんだって…

河上さん:うん、だからもう、例えば、印可書なんか読んだってどうしようもないやん、と思いながらで良いから、読んで欲しいんや。ともかく、印可書に縋る(すがる)しかないんよ。それだけでね。だから、病気治しの難しさはね、一つ間違うと病気背負ったまま逃げられへんようなるね。じゃあ、自分が倒れるね。何べんか僕は倒れそうになって。倒れそうになると、先生にも迷惑かけられないから、黙ってこうやってるわけやけど。先生、色んな用事作ってね、ここへ呼びつけるわけ。それも極力回避して、逃げようとすんねんけど、もう、ここに来ざるを得んように呼びつけられて、来たら当然さっと取ってくださるわけで。そんな先生に負担かけて…と思いながらも何度も助けられましたけれども。それくらいね、背負ってしまうと大変です。でも、今は印可書あるから、さらさらと大丈夫です。

質問:「印可書あるから、さらさらと流せる」と仰ってくださったんですけれども、でもやっぱり、生半可な気持ちで、ちょっと治してあげようとか、そんな風には思わない方がよろしいんでしょうか?

河上さん:いや、思っても良いけどな、思った分だけ自分がしんどいだけや。しんどなったら、必死で印可書 縋(すが)ったら良い、それだけよ。だから、可哀そうなって思う人が多いのね、可哀そうって。ああ、あの人、あんなになって可哀そうって思う人ほど背負ってあげるわけよ。それで、色々とあるの。

 で、今回も北海道が大変って、ついうっかり僕しゃべるとね、じゃあ、北海道の方にも電話して、みんなで応援してどうこうしようかしらって、こう、やっぱり可哀そうって思うんやろうね。思った途端に崩れてるのに気付けへんねんけどね。その、もし思ってしまって、背負ってしまっても、印可書で行くしかない。でも、不用意に思うことはないし、可哀そうって思うことはない。

 なんでかいうとね、可哀そうと思うのは何かいうたら、やっぱり神さまを信じてないんよ。まず、神さまが一番良いようにしてる、やね。その中でやはり応援しようとかね、どうこう思った時はしたら良いけど、可哀そうだからなんとかしてあげなくちゃ、っていうのは、もう傲慢なんや。

  だけど、女性ほど多いんだけど、やっぱり母性があるじゃないですか、お母さんの心が。だから、可哀そうだから何とかしてあげようっていうのがあるわけね。それが神さまの心とちょっと違うというのを分かっててください。

   まず、神さまが一番良いようにしている、なん(→なの)。それでも尚且つ、あれを送ってあげようとかね、こうしてあげようとか思った時はして良いです。でも、神さまが一番(良いよう)にしてるから、やね。

   もう、可哀そうって思った時は、神さまが良いようにしてないって、やっぱり(無意識に)受け取ってるわけよ、そやろ?それは、スタートが崩れるから大変なん。要するに、私が真祈りできてるから何とかしなくっちゃって思ってしまってるわけよ、無意識にな。本人はそう思ってないで。思ってへんけど、無意識にそうなってるわけ。

宮野さん:印可書はね、まあ、いえば先生と神さまの約束でもって、その、「宇宙神ありがとうございます」とまでね、投げ出して、信じきれなくてもなんとかなるっていうふうのがあるから余計にね、先程みたいな話で、まあ、病気治しであったりとか、人とね、その相手のことを、そのまま敢えてピタっと寄り添ってっていうことで、相手の分を背負ってしまうっていうのが、いけるんじゃないかと。それが下から支え合うということではなくて、どうしても、こう…

河上さん:上からな。

宮野さん:上からという…うん、してあげたらええんじゃないだろうか、までは思わないんだろうけども、こう…ちょっとでも助かるかなあ、みたいな気になってしまう。で、それが印可書で何とかなるから、みたいなのはちょっと違うのかな、と。

河上さん:ああ、違う違う。だから、神さまが良いようにしてることを信じてないからね。

宮野さん:まずは、やっぱり先生と神さまとの印可書の約束があっても、一番はやっぱりお祈りをして、真祈りして真祈りして、真祈りした中で、湧き上がるように、その自分が受けるか受けないかっていうのは、おのずから決まるもので、誰彼なしに、先程、最初に河上さんが言われたみたいに、治して、結局神さまから遠のいていく人もたくさんいらっしゃる。それでは、本末転倒である。一番は神さまの方にしっかり向いて欲しいな、もしくはその方の周りの方が神さまの方をしっかり向いてくださるっていうふうなことがあるから、おまけでもってしてくださる話やと思うんですね。それを、まあ、勘違いして、この人も一生懸命お祈りしようとしてんねんやから、病気くらい治してあげたら良いよね、みたいな感じは、ちょっと違うのかな、と。

  もしも、それがあるとすると、例えば、先程、「受ける」っていう中で、例えばもっと極端な話をすれば、じゃあ、この方が末期がんでした、という時に、じゃあ、あなたも一緒に末期にがんなるんですね?その覚悟があるぐらい、しかも、自分は印可書でそれが消せるかどうかなんていうのは、神さまの御心次第なんで、末期がんになっても大丈夫です。それはもう、神さまの御意思の通り、私も末期がんで亡くなる時は亡くなります。っていう覚悟でされるなら、それはそれの、またそういう道もあるのかもしれないけれども。

でもそれさえも、神さまの御意思とは違うんじゃないかと思うので、やっぱりお祈りをして、真祈りをして、印可書をひたすら読んで読んで、読み上げて唱え上げて、その中で、湧き上がるように、相手のものを受ける時には、勝手に受けるもんやと思います。そこが多分ね、あの…簡単に…

河上さん:そう。自分が、という意識でね、わざわざ関わることはない。関わりたくなくても関わらさせられるから、必要なことは。

宮野さん:勝手にね、あの、勝手に体が痛くなってくる、その方ね。例えば乳がんだったりとか、子宮がんなってたりとか、勝手にその、勝手にうつっちゃうみたいな。そんなつもりがなくても、みたいな。受けなあかん時には受けるでしょうし。そしたら、必死で本当に、必死のぱっちで、印可書読み続けますよね。そうなったら。ありがたいことに。

河上さん:嫌でも関わらさせられることってあるのね。それが縁なんです。縁者の縁というやつやからね、それは逃げれない。でも、もう要らん。それでもな、これ、何の縁でどうなったんやろって考えるからややこしくなるね。いつも言うけど、考えんでええね。印可書奉読してたら神さま良いようにする。その絶対の信だけがあれば良い。

 その中で、自分の体が朽ちてね、病気で死ぬんでいくんやったら死んでいくと、もうそれで良いって覚悟決めたら良いのね。どの状態になっても神さま一番にしてることには間違いないの。ただ、自分の都合から見たらね、私だけえらい目に遭ってるみたいに思ってしまいますけどね。

 例えば、癌になって、その癌の部分だけを切り落としたりするわけでしょ。だから、その形で癌になって切り落とされて、死ぬ形になっても一番良いようになってるわけね。どの形も良いようになってるから、まず、そこだけなんですよ。で、それが分かったら、本当にこの世的にも悪くはならないの。

  だから、先生はあんだけ熱出されて、肺も、もう、ちょっと握りこぶしくらいもない状態の肺の大きさでずっと、何十年も、おおかた60年以上生きられたわけですけども、その状態でも生きてるし、文句も言われないし、でしょ。あの小さい肺であんだけお話された(みんなの先頭に立ってお仕事をされた)というのはね、もう大変なことなんですよ。それだけでもね、もっと真剣に先生の話を皆聞かなあかんかってんけど、おまえ要らんこと言うな言うからずっと黙ってましたけど。

   その、真剣に聞け言うたら、又、それで力むから駄目なんだという先生のお話でした。要するに結局は先生の言うことも一緒でね。神さまが良いようにしてるから、要らん思いを出して、要らんことするなっていうのは、もう僕いつも怒られてました。

  一度だけね、先生の、その、要らんことするなっていうの破ってね。せっかくここのお祈りの部屋できた頃ね、せっかくできたんだから、先生がせっかく来いって言ってるんだから、皆、朝早く来てお祈りしようって、要らんこと言ったことあるんですけど。すると、一生懸命ここに朝お祈りしに来てね、途中で居眠り運転して事故起こされた方がいたんですね。だから、やっぱり、要らんことやったわけです。その、要らんこと言わずに、みんなの自由意志で来れるようにする必要があったのに、僕要らんこと言ってその人事故に遭わせたことがあります。

 だから、本当に神さま良いようにしてるからね。要らんことは言わなくて良い。口で言うことはない。ただただ、印可書を奉読して、すべての潜在意識を綺麗にしてたら良い。

  だって、口で言うたって誰も聞かん、変わらん、好きにする。わが身を振り返って考えてみ。言われて変わるか?聞くか?聞かへん聞かへん。そんなん嫁の言うことなんか、旦那の言うことなんか意地でも聞くかって思ってるのに。聞くふりはするで、勿論。でも本心は違う。なんであんたの言うこと聞かなあかんのん、って言ってるやん。

宮野さん:先程のね、相手の相手の相手と同じように寄り添う中でね、寄り添うのも反発するのも同じではないだろうか、と。

河上さん:一緒よ。一緒一緒。勿論、そうよ。

宮野さん:というのが、例えば、先程のね、例えば不倫の話で、不倫やってる人見ると、「いやあ、私も不倫したいわ。」なんてなかなか思いにくい話かなと思うけど、でも例えば不倫をしてる人を見て、「いや、あんなん嫌やわ。」とかって思うのも同じではないかと。

河上さん:そう、あの要するに不倫したいから、不倫してる人のことが羨ましくて、あんな不倫して汚いわ、あほやわ、ってやるね。

宮野さん:羨ましいはないかな(笑)

河上さん:例えば、不倫のことを気にしてへん人は、ああ、面白いなあ(名演技→迷演技?やなあ)、で終わりや。

宮野さん:まあ、ドラマでは面白いですけどね。

河上さん:そうそうそう。そういう感じやな。

質問:気にもならない。

河上さん:そうそうそう。面白いなあ、や。なかなか楽しんではるなあ、や。あの、ほら、阪神巨人戦でどっちの応援団もワーやってんの見て、面白いなあ、で終わりや。中に入って騒げへんだけでな。

質問:確認なんですけれども、分け隔ての癖がある場合に、思い方なんですけど、分け隔ての癖があるんだなー、面白いなー、みたいな感じで、フワっと流して印可書を唱えるっていう形で良いですか?

河上さん:そうそう、それで良いんです。だから、分け隔てて離せなくても良いし。慣れてくると、さらさらと流しながらお祈りできるけど、慣れんうちは、クソッタレが、とか思いながら、お祈り、印可書奉読したら良い。あのクソ上司め、で良いわけ。

  だから、例えばいじめでも、いじめられる方も、いじめる方もそれぞれの因縁があってね、起こるわけですけども、どの状態も只々さらさらと流して祈れたら消えるのね。だけど、掴むと30倍返しとかね、10年後に30倍にして返したろみたいな、なっていくわけですね。それがどんどん利息生んで、溜まって大変になっていく。で、最後は戦争とかなっていくんよね。

質問:今、癖のこと、ご質問されてたんですけれども、それぞれに、それぞれの癖があると思うんですけれども、その癖を、仰ったみたいに、持ちながらでも、印可書を読んで、そしたら、そのうち、その癖がだんだん…思いの癖が…

河上さん:はい。結局、まあ、自分の癖やと思ってるけどね、肉体に生まれるというのは宝くじに当たるようなもんで、多くの縁者の願いも結集(けつじゅう)してるの。だから多くの縁者の癖も自分の肉体に擦り込んできてるのね。だから、自分のものでありながら、自分のものでないんよ。それってどいうことかいったら、結局、全人類の自分のものやね。自分のものでないながら、自分のものでないんやけど、ないんやけど、縁者をずっと、前言ったように、ほら、自分の親どんどん手繰っていったら、もう、全人類なるわけでしょ?親から親からと増えるわけやもんね。ネズミ算式に増えるわけや。結局は全人類の縁ということは、結局は自分のもの。だから、総責任者の自覚や。だから、真祈りとは、総責任者の自覚っていうのはね、すべて真(まこと)の神さま、だから結局はすべて真(まこと)の神さまや。真(まこと)の神さまをどういう色合いにして楽しんだか、だけなのね。でも、その色合いの楽しみ方が、歪んでるから、印可書で綺麗にしていくだけ、みたいな。

  まあ、別の言い方をすると、絶対の中心に立って楽しむか、途中に立って楽しむかだけやね。地獄に立って楽しむかね、幽界に立って楽しむか、地上に立って楽しむか、だけなの本当は。でも、楽しんでたら良いねんけど、掴むからややこしなってくる。掴んでまた新たに作るからね。

  で、その映画やったら、1話完結やから、あんまりこんがらがらへんねんけど、この世は途中で掴んで掴んで一杯作るやん。じゃあ、ほんまにこんがらがって、どうしようもなくなっていくわけよ。そのどうしようもない最後が今の状態です。いよいよ核戦争になってもおかしくない状態まで入ってきたのね。これで、日本もこんなんでは、北海道を守らなあかんから、とか言うて、核を持たなあかん、核武装をせなあかんというのを、宗教団体まで言いだしてるわけでしょ。もう、そういう、だから、虚の世界の宗教ってそういうもんなんよ。戸締り論とかね、色んな理屈付けてね。戸締りしないからね、泥棒が入って来ようするんだから、入りにくくせなあかん。だから、核で鍵かけなあかんとかね。入り口開けたら爆発するから来るなよ、みたいにしとかなあかん、みたいなことを言うんだけど、理屈では。それで済むんやったら、あんな、ロシアとウクライナ、あんなん、なれへんって。お互い核持ってるもん。



令和4年4月河上さん勉強会ー2(20220410−2)

河上さん:結局はね、もうそこだけやねんね。本来人類って、地球に仲良く住んでたのね。どこでも全部自分の場所やと思っているわけ、お互いに。ウクライナは元々ロシアのものや、ロシアの国やったんやって行ったわけでしょ?それは正しいといえば正しいねんよ。でもウクライナもロシアは元々ウクライナのものだったわけよ。地球は全部人類のものやねんから、まあ神さまのものやけどね。それを一部に限定して分け隔ててするから喧嘩になるわけでしょ?

 その分け隔てする大きな原因がお金や。財政的に立ち行かなくなれば戦争が起こるわけや。特にコロナで全人類が、どの国も財政的に大変なわけでしょ?だから余計に戦争になろうとするわけや。いよいよ本当に大変で、次のオミクロンの次のウイルスがもう出回って、もう大変なんだけど。それだけでもまた経済的に大変になってね、本当に本当に、この世的には大変になります。

 でもその時に「どうしよう?」なんてと思わずにね、ひたすら印可書を奉読して下さい。真祈り人こそは、それが大きな大きな力になるの。分かっていて下さい。この世的にね、「ああしようこうしよう」とか援助したって、何をしたって変われへんて。変わるぐらいやったら、ウクライナの今の紛争すぐ収まっているよ。

 ね、 そうなのにポーランドで戦車何百台買ったとかね、もう火に油を注いでいるわけでしょう?どうしようもない。どうしようもない所に、あれ今は戦車買っているわけやけど、そのうち核を買うっていうことになるわけでしょ?結局、もう大変になるばっかりのことをしていることすら気づかない。それは分け隔てる意識、お金があるという意識のためだけれどね。お互いに助け合うのだったら、お金いらないでしょ?でもそういうものなんですよ。

 それをもう神さまの方で一斉にご破算にするか、人類の方でちゃんとするかだけです。もう色々と時間ぎれが迫ってたので、色々と焦ってとうとうここまで来てしまいました。 後は覚悟を決めて皆さんの絶対の信をね、僕は信じるだけ。

 まず「みんな光や、みんなすでに祈っている悟っている、救われている」そこだけです。それさえ分かっていたら大丈夫。でもあいつはマイナスやねん、あいつはサボってんねん、あいつは働けへんねん、この子は勉強せえへんねん、と思った途端に全部崩れていくの。できるものが淡々としていたらいいね。 はい。

質問:いくら援助しても変われへんて今「本当にそうやなって」思うんですけれども、私の仕事は心理カウンセラーなので、心理的援助をするのが生業(なりわい)なんですが。
 それでカウンセリングルームに訪れる方々というのは、本当に過去を掴んでいらっしゃって、さっきの不倫もそうなんですけれども、何で不倫に陥るかといったら、過去を掴んでいるところからっていうのとかも、分かるんですね。その中でこの人たちが祈りに繋がれる道が、絶対もうすべての人が救われているし、祈っているんだから、そのことに何て言うかな、気づかれる為の、やっぱり私は援助するのが仕事かな、役割かなと思っているんですが。

河上さん:はい。それでいいんです。 だから要するに、大きくは全人類の潜在意識、小さくはカウンセラーの相談相手の潜在意識に、どれだけ光を送れるかだけなんです。なぜ光を送れるかっていうたら既に光やからです。どの悩んでる人、苦しんでいる人も既に光なんです。ただ光をいじってね、さっき言ったように、色々な台本書いて、みんなままごと遊びをしているわけよ。 あなたは今回泥棒さん役よ、私はこれをとかね、探偵ごっこってそうでしょう?そういうままごと遊びをして、言葉遊びをして楽しんでいた、最初は。

 それがさっき言うたように、映画やったら一話完結やけれども、現実やから途中いじったりして余計にややこしくして、ややこしくしたのが自分なんだけれども、ややこしくしたことすらもわからなくなって、そこから抜けられなくなっているの。要するに迷路遊びをしてると、で最初は簡単な迷路描いて遊ぶのやけど、面白ないわけよ。複雑な迷路を書くね、そうして遊んでいるわけ。でもそれも面白くなくなってきて、途中で迷路を入れ替えるようにして遊びだすの。

 入れ替えているうちに、もうぐちゃぐちゃになってどうにも抜けれんようになっている、っていうのが今の状態で。その入れ替えている、いじったっていうのはマイナスの言葉遊びをしたという事なんです。マイナスの言葉遊びやから真のプラスの言葉という光を当てたら、雪のようにスッと溶けるの。今たくさん雪積もったですけれども、雨降った途端にに、あっという間やね。除雪される以上に雨で溶けてしまうのね。

 そういう感じを甘露の法雨というのですけれどもね。神さまの光の雨がさーと降ってきたら、全部きれいに洗い流される。でその甘露の法雨を降らせる、光の雨を降らせるのが印可書奉読なんです。

 だから心理カウンセラーされていたら、いろんなことを言われる。そしたら相手に合わせて適当なことを言う。ごめんね。適当に合わして言うてあげんな、あかん。でないと相手が反発するから、適当に合わせていろんなことを言うといて、後はひたすら心の中で印可書を奉読されていたら、相手の心が清まっててくるのね。そうするとすっきりして、こんがらがっていた糸が解けてわかる。自分でわかりはる。勉強もそうなんだけど自分でわからさないと進めへんね。こっちがその問題を解いてあげたって終わりよね。

 大体 勉強できへん子はそうやね。先生に解いて貰ったら、分かった気になっているけど、いざ入試問題になった時に、自分で解けないわけよ。自分でわかって貰わなあかんから、自分で解かさなあかんから、それは潜在意識に吹き込むしかないね。勉強でいうと、その子の考え方のパターンで分かる解き方を吹き込むわけよ。そしたら後、応用がきくね。

 だけど最初の一発目は印可書で、ひたすら印可書で、その人が自分の問題を解けるように持って行ってあげる訳やね。いっぺん解けたら、まあ光の流れの水が通ったから、どんどん通り出すね。それがね、もう間近やね。光通す、どんどん全人類に光通すのが間近やねんけれども、後はもうちょっと「皆さん覚悟を決めて下さい」というお願い。はい、ありがとうございます。

質問:すいません。先ほどの自分の親と繋がっていったら全人類につながる

河上さん:そうよ、親の親の親としたら。無限に増えるやろう。

質問:それやったら入れ子構造、ではない?

河上さん:だから、入れ子構造は両方から入れ子構造やからな。

質問:両方から入れ子構造?

河上さん:だから螺旋がね、左旋回に降りて右旋回に上がるんだけれど、どっちも広がっているでしょ?

質問:うーん。

河上さん:一瞬考えてるからや。今、一瞬図形で考えようとしたやろう、その時点でアウトなるね。
質問:アウト(笑)

河上さん:だから考えたらあかんって言うね。はは

質問:ふふふふふふ.

河上さん:考えた時点でアウトいうて。

質問:えー!

河上さん:考えてわかろうとしたやろ。

質問:今?えー!

河上さん:まあ勉強している時もそうやね、その子に変に考えさせたらあかん。

質問:別の言い方で?

河上さん:別の言い方でね。はい。
 だからその入れ子構造って言うとね、説明の時は一点から無限に広がっていくみたいな、ねずみ算式にね。一人親があって、そこから子供がふえて、ねずみ算式にどんどん増えていくっていうけども。じゃあ最初のその親は、また二人の親から生まれたでしょう?また二人の親から生まれたでしょう?だからどっちにも無限に広がっているね。入れ子構造というのはその一方向でどうこうと違って完璧に左右そろっているの、不完全は無い。入れ子構造は完璧な一つだから、完璧な一つって言うけど、完璧な一つっていうのは、右と左に分かれても完璧に同じ量やね。常に、どこもかしこも完璧にバランスが取れているね。というもんやねんな。それでわかる?

質問:そういうもんなんですね?

河上さん:そういうもの。だからダイヤモンドってね、一番硬くて無色透明でしょう?それは完璧なバランスが取れた構造体やね、この世的には。で無色透明で一番硬い。

宮野さん:あの親っていうのに限定したからややこしくなっているけど、親から生まれるわけではない。

河上さん:そうやね、まあ別に説明の都合上、肉体人間の親はまた二人の親から生まれでその二人の親はまた二人の親から生まれて増えるじゃない。

宮野さん:縁者的には全然別ですよね。

河上さん:そうやね。.子供の方もどんどん子どもがまた結婚して増えて増えるからっていうことでね

質問:何が聞きたかったかっていうと、真祈りをすれば印可書唱えれば全部に、

河上さん:広がります。

質問:全部に響く?

河上さん:そうです。だから印可書にね。全ては完璧な一つって書いてある。

宮野さん:代表ですものね。その繋がりでいうと、例えば護摩にたくさんの縁者を連れて、肉体人間である自分の肉体を持って、皆さん参加して頂いているでしょう。で、毎回毎回来て下さっている方、たくさんの 縁者を連れてきて下さってるけど、一体 どれぐらいになったら尽きるんでしょう?きれいに全部終わるのかな?

河上さん:ああ、永遠に続きます。(笑)そのみんなが真祈りしだす、するようになるまで永遠に続きます。たぶん20年で終わると思ってます。

宮野さん:ちなみに、最初に綺麗にした縁者さんが、もう1回繰り返してきてるっていう事はあります?

河上さん:来ます。要するに雑巾として汚れてまた来ます。だから昔の先生の勉強会がそうやってんね。先生の勉強会に出て綺麗なってすっきりして帰って、また大変になってきててね。もうずっとその繰り返しやったんで、先生が土曜日も日曜日もしてくださった。どんどん数増やしていかれて。そうこうしているうちに、もう「えい、キリない」って言ってひたすらお祈りだけに入られた。それで勉強会の数が減ったんですね。

宮野さん:すっきりというところで言うと「すっきり、皆すっきりしたでしょ?」とよく先生が

河上さん:わかった、わかった。だから今この場ではすっきりしているね。でも一歩出た途端にしんどなるよ。なんでか、どんどんどんどん来るから。綺麗になった途端に、要するにここでね、バスのせて、皆さんバスやと思って。ここで乗せてきた人、皆下車したわけよ。で、空っぽなったからすっきりしているわけよ。でも出た途端に「ああまた 救いのバスが来た」でまた乗るから、それだけです。ただ、勿論、ここに来て頂いたらいいけれども、護摩に来て頂いたらいいけれども、その護摩までの間はね、皆さんがひたすら印可書を奉読して、どんどん入れ替えてあげて下さい。ということです。

宮野さん:印可書を流し聞いて、走っているスクールバスですよね?一大循環の。

河上さん:そうそうそう。だからこんなに暗い気持ちになって私あかんわ、とかね、思ってもいいけど印可書奉読して下さい。自分を責めてもいいけど、こんなに人を責めて私あかんわ、と思ってもいいけど印可書奉読して。

宮野さん:因みに、そのすっきりしたの続いている方と、続いていない方。そのバスにどんと乗るかとね。

河上さん:ああ、その続く方というのはね、サラサラの流し方が無意識にうまくなっている。だから一瞬一瞬消せるん。そのサラサラがまだ「急に痛なったわ」と引っかかる人はそれが続く。それだけです。だからあんまりいかにサラサラとの、とこやねんけどね。ありがとうございますの「ざ」のところやね。サラサラっていうのは「ざ」のところやねんけど、そのサラサラができるかできないかやけど、それもね、サラサラと流さなくちゃと思って考えた途端に崩れるからな、いらんこと考えんでいいね。印可書奉読していたら勝手にできる。

 いつも考えるなって言うのはね、考えたら理屈に流れるから、理屈に流れると掴んでしまうね。それで掴んだらもう分かれへんのよ。川の水をいうてるでしょう?流れる川の水を見て「綺麗な」って言ってたらいいのに、掴みに行くから波風たってね、ややこしいし、手も濡れるしって、こうなるの。

 そしてもう一つは、掴めないのに掴んだって勘違いしているからややこしいね。本来何一つ掴めるものはないんよ、光やから流れているだけやから。でも掴んだと勘違いしているから余計にぐちゃぐちゃになっただけや。それ分かっていて下さい。すると印可書さえ奉読していたら大丈夫ってわかってきます。

 だから悪魔って何かいうと、その掴んだって勘違いしたエネルギーが、集まったものを悪魔っていいます。だから悪魔の側でどうこうする力はない。囁くしかない。囁いて、その肉体にさせる。

質問:ありがとうございます。和歌についての質問なんですけれど。枕詞っていうのはどういう意味があるんですか?

河上さん:枕詞っていうのは最初のこの歌の響きの、まあいったら、あらすじと言うか、目的、何が言いたいっていう事を、この歌では何が言いたいっていう事を表すために、枕詞で宣言します。だから「久方の」と言った時には、もう真(まこと)の神さまの光の美しさを言いたいということで「久方の」。

質問:それは言霊?

河上さん:言霊です。はい。

質問:枕言葉はやまとことばというんか?

河上さん: いや、言霊そのものです。

質問:ありがとうございます。

河上さん:はい。だから「あしびきの」って言うと何かといったら、無限に無限に富士山の裾野のように、神さまの光が広がっていく様を「あしびきの」って言います。それをね、山にかかるとか皆、勘違いして説明していますけれども、そうではない。「あ」っていう絶対の中心がびやーって広がっていくのが「あしびき」。新なる下座について広がるから「あしびき」や。言うたら分かるかな、例えばね。

 「たらちね」っていうたら、もう光が立ち上がってね、螺旋に広がっていくとき「たらちね」という。でそれに関係する内容の歌を歌いたい時「たらちね」で始める。まあ色々ありますけれどもあんまりね、真祈りまず第一なので、印可書奉読でお願いします。

 あの形にね、あまり心を奪われないことが大事です。悪魔の囁きというのはファッションで出てきます 。だから例えばミリタリールックってあるじゃないですか?その服を着ると戦闘意欲が湧くというかね、そういう感じのものを作ってくるわけですよ。だからあのローマ帝国のカブトとかはかっこいいよね。あれを着るといかにも戦いそうな感じがするわね。そういう感じで作ってくるので形に引っかからないように。本来神さまの形というのは無色透明の輝きですから。

宮野さん:今一、形にピンとこないんですけれども。

河上さん:そうやね。

宮野さん:ローマ帝国のそれを私着ないし、(笑)そんな人周りにいないし、もうちょっとわかりやすく。

河上さん:あんまり最近のことを言うと大変なんでね。過去のことを言っているんだけどね、そのファッションで統一してどうこう動き出すっていうのはかなり危ないっていう事。

質問:みんなが着だしたら。

河上さん:例えばそうやなあ。 例えばナチス党ってあったじゃない。その時はファッションを統一してワッとやったから、みんなそのファッションにも影響を受けてドイツでは広まっちゃったのね。

宮野さん:あれがかっこええと。

河上さん:そうそうそう。それはそういう囁きと形と両方で攻めてくるんやけどね。で、一時的には理想世界を作るの。 例えばドイツでナチス党が政権を取った時はね、 フォルクスワーゲン社でも、どこでも、どこの会社でもね、お昼ご飯無料やってん。そしたら働く人は幸せでしょう。お昼ご飯無料でお給料もちゃんといただけて、そういう感じで一時的には理想世界を作るんだけれども、みんなで真祈りをしていないから、それはやっぱり一時的な理想世界はどこかから搾取しているわけや、で崩れるの。

 だから本当の理想世界は、もうみんなが支え合う形になるの。それって自分の願い欲望を横に置いて置いて、とならないとあかん。だけど会社でお昼ご飯を食べるということは、自分の欲望を優先しているようなものや。

「お昼ご飯代儲かった」ってあるでしょう?そういうところでみんな勘違いさせてくるのね、悪魔の側は。

 だから、そんなん言ったって、みんなちゃんとやって、幸せにやっているからええやないかって、理屈言いなると、なってくる。「みんな幸せやからえーやん」 とやっていると、その分どこかで搾取してくるからね。例えば今でいうと百均で売っているものよ。あれ 安くてみんな幸せやん。便利に使っているというけれどもやね、その物を作っているところは、凄い大変な思いをして作っているわけでしょう?それにみんな気付けへんだけよ。それぐらい形の幸せの都合っていうのはね、囚われたらあかん。勿論あって便利やったら感謝して使ったらいいんよ。だけどわざわざ掴みに行ったらあかん。

質問:ありがとうございます。備蓄についてなんですけれども、缶詰の賞味期限が、シーチキンがだいぶ備蓄しているんですけれども、賞味期限が過ぎつつあるんですけれども。

河上さん:大体30倍もつね。30倍もつけど10倍はもちます。

質問:味は落ちるんですか。.

河上さん:味はだんだんと味は落ちます 。食べれるのは食べれます。

宮野さん:ぷくっと膨れたんですけども。

河上さん:膨れたらあかん。膨れるような缶詰、今日びない。

宮野さん:でもさ、昔のと違って、キコキコと開けなあかんじゃない?すっと開くプルなんとかっていうタイプの。

河上さん:一緒一緒。一緒やけど、最近のはあんまり、滅多にそんなん無い。

質問者:だいたい缶詰め類はどれも30倍。

河上さん:そうそうそう、30年経っても中でドロドロになっているだけで食べれる。(笑)

質問:何でも?

河上さん:だけどそんな長い間もたれへん。

宮野さん:もっと順番に回せばいいね。

河上さん:ちがうちがう。それを食べなあかん時というのはそんな先ではない。もう目前や。

質問:レトルトの備蓄も30倍。カレーとか。

河上さん:いけるいける、味は無くなって行くけど。(笑)

宮野さん:それは食べれない事ないっていうレベルじゃあない?

河上さん:食べても毒ではないよ、栄養として摂れるよ。

質問:ありがとうございます。

宮野さん:聞いてる人が聞いたら「えっ」てなるから。一応食品衛生の観点から。

河上さん:一応20年前のボンカレーであって、出てきて、食べてみてんけど、中ドロドロでもう形ないねんけれども、カレーの味はするし食べれる大丈夫。

宮野さん:食べれるですね?

河上さん:何もなかったらそれ土食べるよりいいやろ。

宮野さん:お腹壊さなかった。

河上さん:まあ本当にこのまま行けば食料危機になるのね。それで先生が奥さんと結婚される前の話。食べるものについてはお聞きしていて、言っていいものかどうか。でも、この成り行きやから言いましょうか。先生がある意味、人類が本当に食べていいものっていうことでね。それは米とか小麦は食べへん方がいいみたいな。食べるのは木の実、どんぐり、虫、蜂の子とかウジ虫とか、それもなくなったら珪藻土、粘土、粘土を食べるようにって。

宮野さん:それは究極の。

河上さん:いやいや、先生はそうして生きてはってん。ただ結婚をされて普通の人間の生活に戻しはってん。はい。だから奥さんは知らない。こんなん言うたら結婚早々奥さん逃げていくって。 だから結婚をされてすごい人間の生活に戻ったって、びっくりしたけど、喋ったらあかんて言うたから、喋らんまま来たけど、とうとう喋ってしもたけどな。

 それぐらい人間は食べ物に捕らわれているんよ。ちゃんと神さまが必要にしているからね、そういう類で十分いけるの。それで草を食べろっていうはってん。オオバコ、ハコベ、タンポポはご馳走やった。それ以外の草でも食べなさい。

 どういうことかというと、草にね、そういうウイルスというんですか、何と言うんですか、発酵菌がついているから、一緒に食べたら腸の中でその発酵菌が増えてね、草でも栄養にしてくれるっていうの。で実際今でも青汁、あの苦い青汁、毎日それだけで30年生きている人いるね。その人のお腹を見たら、その青汁を全ての栄養に変えるそういう酵素菌っていうの、がお腹に住み着いているわけよ。もうそれだけです。

 だから、神さまが必要でいいようにされている、っていうことを信じきれていたら、何でも食べるじゃないですか。そしたらちゃんと栄養になるんよ。だけど、こんな草食べてこんな粘土食べてどうしようもないやん、こんな古いもの食べてあかんやん、言うた途端に体に受け取られへんのね。どんな食料危機になっても、神さまが必要としていたら良いようになるの。だから印可書を奉読していたら、本当に路に生えている草でも食べれるし、ウジ虫も食べれるから。

宮野さん:今から練習しなてもいいってことですね?

河上さん:今から練習しなくていい。今からしないで。その時になったら、いやでもするから。勿論、そういう時が来ないようにしたいから、印可書奉読をして下さいってお願いしてます。でもとうとう来てしまったら慌てずにそうして。

 先生がそうして生きておられたから。先生にとってのご馳走は食用ガエル、アマガエルっていうの?、食用ガエル。もう琵琶湖の淵に三洗荘におられた頃は毎晩のようにカエルを取りに行かれてね、パンパンパンって足と手首を落として、皮をピャッとむかれてね、されていましたけれども。カエルなんかはものすごい美味しいご馳走やった。

質問:それはどうやって食べられたんです?

河上さん:うん、焼いて食べる。

宮野さん:唐揚げもあるよ。

河上さん:カエル料理は奥さんに聞いて。(笑)

宮野さん:おいしいよね、唐揚げしたら。

奥さん:おいしい。鶏と全然違うし。

宮野さん:おいしい。

河上さん:油けの無いおいしい鶏の味やね。せっかくやから・・・・。

宮野さん:いざその時が来たら、こちらへ来て、カエルを一杯持参して。

河上さん:琵琶湖の近くを潜ると、ばか貝って貝がが一杯取れるね。この辺の地元の人知っているわな。シジミの 味やね。この辺の地元の人は分かりはるは。○○さん知ってるわな?食べたことない?大きい臭いやつ。

宮野さん:大きい臭いやつ?

河上さん:そうそう、大きい臭い奴。

質問:でも備蓄のお米と小麦があったら、まずそれを食べてもいい?

河上さん:勿論いいよ。だから小麦もお米もないのにどないしてするねん、と思う必要はないということ。

宮野さん:まず、今ほどの摂取をしなくても生きていける感じになるかも。

河上さん:まあそうです。今いうたら先生のおっしゃるのを食べるとね、本当に摂取カロリーでいうと、今成人男子で2500カロリー取らなあかんて言うんですけど、本当に800キロカロリー以下で平気なんです。その青汁か?青汁で生きている人って、摂取カロリーでいうたら600キロカロリー以下なんですね。それでも健康体で元気一杯で、普通の生活肉体労働されているわけですけれども、そういうもんなんですよ。本来人間の体ってそういうふうにできているのね。それをまあ飽食で、何て言うか栄養を取り損ねる体にしているだけ。それは言葉の力でね。これとこれを食べなあかんとか、あるでしょう?それで自分を縛って自分を苦しめているだけよ。それで、これとこれを食べなあかんて食べすぎて、成人病なるんでしょう。腎臓病とか糖尿病とか肝臓病とかね。で癌になっていくんでしょう。あれは栄養の摂りすぎやもんね、本当は。

 要するに薪ストーブで言うと、薪を一杯放り込んで不完全燃焼を起こして煙を吹いている状態よ。で薪ストーブでもちゃんと薪を入れると綺麗に燃えるでしょう。本来はそういうものなんです。でも今からせんでいい。もしそうなったら、そういうもんだからっていうて、文句言わずにね喜んで下さい。そういう体験もできてよかったなあ。

宮野さん:その時になったら、とりあえず体が自動的に変化するわ。

河上さん:そうそうそう。だから印可書奉読がいるの。印可書奉読していないと言葉の力でね、こんな粘土食べられへんわ、こんなたんぽぽ食べてて、どうするのって思ってしまうわけよ。そう思ったらその通りになるね。要するに自分を縛ってしまうね。

宮野さん:今まで苦いと思っていたものが印可書を奉読していると、「あ、おいしいな」という味覚に変わり、それが栄養になり、まずは栄養とか食物でもって体を維持するのではなく、光でもって体が生かされるから、もっと循環が良くなると思う。

河上さん:だから野良猫さん見ていたら分かるやん。猫は草食動物と違うけど、野良猫さんちゃんと草を食べている。ちゃんと動物やから真祈りできるわけで、必要なモノ食べるやん。

質問:質問なんですけれど印可書を奉読していると、今まで自分が使っていた言葉というのが、本当にこういろんな過去の言葉がすごく集積されているんだなと気がつくことがあります。例えば「下座に立つ」と言う言葉なんですけれども、「下座に立つ」と言うと、すごく地味な目立たない仕事になるかもしれないんですけれども、例えば、それは目立つ仕事をなさっていても、「下座」

河上さん:「立つは立つ」。

質問者:なので、先ずは印可書を奉読して、その中で、今まで自分の使っていた言葉とは違うものが浮かび上がってきても、とにかく印可書を奉読して、もうふわっと 一瞬一瞬新たに新たにという繰り返したらよろしいでしょうか。

河上さん:だから印可書を奉読していると、今まで使っていた同じ言葉だけど、光に変わる。「おいこら」て怒っている言葉やけど光に変わる。だから先生がね「あかんやろ」って言って、めったに怒りはれへんけど、怒りはる時あるんですね。でも怒られている言葉は光やった。それでそういう風に変わらなあかんねんね。

 それを本当にマイナスに見て「おいこら」って言ったらあかんわけ。でも先生は皆、光やってわかって「おいこら」いうから通るのね。で、それぐらい同じ言葉でも要するに「私良い言葉しか使こてない」って言うたところでね、心でマイナスを掴んでいたら、マイナスの言葉になるわけです。それを思っていて下さい。

 だからまず、印可書を奉読していたら良いということで。あんまり考えるとね、また心を奪われてしまいますので。はい。



令和4年4月河上さん勉強会−4(20220410−4)

宮野さん:後、あれは地震は?地震とかの、あちこちで没発してる地震の件?

河上さん:あ、地震はね、その、ちょっとでもマイナスをプラスに変換するための働きです。で、それってね。みんなの早喰い、ドカ喰いのせいです。それがそれが積み重なって地震になってきます。いや、ほんまの話しですよ。

 だから昔ね、ローマ帝国とかムーでもそうですけど、繁栄して、食べ物が豊富なって、そういうことするわけよ。それで地震を起こす訳よ
 だから早喰いしたらあかんしな、どか喰いしたらあかんしな。で、例えばあんパン1つでも4つに切り分けて、1時間おきに食べる位にしなあかんの。そしたら4回楽しめるわけやろ?それを1回に、あんパン1個をワッて食べるから、1回の楽しみで終わってあかんね。

神さまの愛を受けてるんやったらね、美味しいもんは、出来るだけ小さく切り分けて、何回も喜びに変えないと。

 それを1個一遍に食べないと、食べた気せえへんわって言うて、欲望で食べるからややこしくなっていく。すると痴呆症にもる。

宮野さん:先生、それ欲望で食べなかったので良いんですか?

河上さん:うん、そうそう。欲望で食べなかったら、嫌でもどか喰いしないって。感謝して食べたら、一口で満足してく。
 (松下)先生ね、あんまり人と一緒に食事されないようにされてたんですけどね。なんでかと言ったら先生と食べてたら味しない。ちょんちょんちょんと食べたら、もうええねんもん。え!みたいな感じやね。

 それ感謝して食べておられるから、わからんもんから見たらね、もう。でも、それ位感謝して頂くとね。ちょっとで済むの。

宮野さん:と言って、食べたらあかんっていう事やないんやね、目の前に来たものは?

河上さん:食べたらあかんじゃないけどね。で、わざわざ食べる量を減らすこともないですけど、あの分けて何回も喜びに変えて食べて下さい。

宮野さん:お店屋さんとかやったら、分けて食べれないかな、と?

河上さん:そうそうそう、だから、なかなか外食はしにくくなるとは思いますが。お鍋持って外食に行って、それに入れてもらって帰るとかね。昔と違って今やったら、お鍋持っていったら入れてくれます。

宮野さん:いや、どっかのカレー屋さん、それ!(笑)

質問:以前、教えて頂きました、あの血糖値を測る装置をちょっとつけてみたんですが、なんていうか、美しい血糖値スパイクを、(笑)もうそれはスパイクを起こしている時点で、もう食べ過ぎと思って良いでしょうか?

河上さん:そうです。だからドカ喰いやね、早喰い。だから、その人によってね、スパイクの出る食べ物が違うの。こっちの人はバナナ食べて良いけど、こっちの人はバナナ食べたら一遍に出るとかね、その人によってあるから、それで自分で試してみて下さいって(いう)、お願いで。

 で、スパイクの出やすい白ご飯とかね、そういうの分けて食べるとかね。

宮野さん:食べる順番もある。

河上さん:でナッツ類はスパイク出にくいとかね、あるいは、最初に海苔とか海藻とか納豆とかの繊維質摂っといたら、後スパイク出にくいとかね、そういうのがあるんで、自分の体で色々と実験しながら、スパイク出ないようにして下さい。で、スパイクを10年出すと、大体成人病になっていきます。で、その時は手遅れです。先に、脅かしときます。

質問:スパイクってなんですか?

河上さん:だから、血糖値で140を一時的に超すこと。

宮野さん:例えば同じ高カロリーの、例えばアイスクリームを1箱食べても、私の出方と、まー例えば15歳の息子の出方というのは?

河上さん:全く違います。勿論そうです。で、若い時は出にくいの、若い時は出にくいから、みんな健康なのね。それで、みんな食べ方は若い時のままでしょ?それで、50過ぎてからね、40代から始まるけど、スパイクが。50過ぎてから、みんな成人病起こすの。その時はもう10年分の蓄積があるの。

 ただ、真祈り人はね、成人病起こしても、発症しても、印可書でどんどんか治るからね。何故、印可書で治るかったら、一瞬一瞬新たに受け直すことが出来るから。受け直せない人が成人病で苦しむ。

 だから、みんな光や、まずね。その光をね、血糖値スパイク出すようのは、やっぱり
光って受け止めてないから。「既に祈ってる、悟っている、自分」って受け止めれたらね、要らんもん、食べへんね。ドカ喰いせえへんね、な、必要なだけ食べて。

宮野さん:主婦の場合は勿体ないっていうのが出る。

河上さん:そうやね、勿体ないでたべて1番問題やね。勿体ないで食べて後、えらい目に合うねんけど、上手く残して保存して、また後で食べる方法をね、工夫して食べて下さい。お願いします。

質問:ありがとうございます。

宮野さん:神様からの頂き物やと思うから、食品ロスしないようにと思って、使い切りたい、食べ切りたいという思いが、やっぱり特に出てくるんじゃないかな?

河上さん:でも、今、冷凍庫あるんやからね、上手く工夫してやれば良いじゃない。それをようけ(沢山)買い込んで、ようけ料理するからややこしなるんや。その辺は工夫でね、丁度良い量を作るようにして、したら良いと思うよね。

 で、昔はね、お鍋に色んなものを入れて炊くだけで、火入れるから、また食べれるでしょ?で、お鍋に入ってる物が減ったら、また入れて炊くだけで食べてたのね。で、そうしてたら勿体なくないし、行けるんだけど、今の人は毎日、お鍋では持たんから、また考えて下さい。 

 昔は、あのちょっとした田舎行ったら、もうどこともそうだったの。で、殆ど、まずお米が貴重やったから、ご飯もね、大根が半分以上入ってる大根飯。大根飯でも、ほんとにご飯が1割位なのね。そういうので食べてたわけ。だから、血糖値のピークも出へんし、病気もなかった。それが、だんだん、そらご飯の方が美味しいやん、大根飯ばっかりよりね。で、美味しいもん、美味しいもんとかなってくるとね。
 それは欲望でしょ?食欲でしょ?神さまの命じゃないからね。で、みんな病気になっていくんだけど。

宮野さん:先の血糖値スパイクね、お腹が空き切らさないようにすると、上がりにくくなります。だからお腹が空いてないんだけど、口卑しい子みたいにね(笑)、ちょっともぐもぐすることが多い方が良いと思う。おなか空いてないけど、口に寂しくもないけど、口寂しいみたいな感じで、放り込んどく。お腹空かないけどチョコを掘り込む。お腹空かないけど、ナッツ放り込むみたいなことをやってると、安定してその血糖値がずっと出て続けるから、あの次に飢餓状態、ほら、「お腹すいた、今、栄養とらなあかんわ」みたいな、飢餓状態に入らないので、インスリンをドカンと出して、そのスパイクをあげることがないのね。

 それと、しかもお腹が空いてないのにちょこちょこ食べてるので、そんなにお腹一杯食べたくなくなる。なので、そうすると、あの随分マシになるかなと思う。
 
河上さん:せっかくなんで、血糖値スパイクをなんでうるさく言うかと言うと、血糖値が140を超すとね、すい臓が必要以上のインシュリンを出すんですよ。すると、そうして必要以上のインシュリンが出た時は、内臓脂肪に取り込むの、糖質をね。内臓脂肪に取り込んで、肥満が始まるの。で、内臓脂肪に取り込むと、あの内臓が動きにくくなるのね。で、そのそうこうしてるのと、プラス血糖値スパイク出すと、ヘモグロビン赤血球とね、糖質が絡み合って、血管の壁を傷つけるような物質に変わるんですよ。で、血糖値スパイク出すごとに血管の壁傷つけてボロボロにしていくの。で、ボロボロにしていくと、太い血管は平気なんだけど、毛細血管が潰れていくのね。で、人体の体の9割は毛細血管ですから、特に内臓なんかは毛細血管で動いてるから、あの内臓の働きが悪くなって、あの成人病になる。ただちょっとずつ毛細血管潰すから、痴呆症とかね、腎臓病とか、肝臓病とかいうのが、後から出てくる。

 で、出てきても印可書奉読してたら、一瞬一瞬新たに受け直していけるから、新しい毛細血管作れますけど、作れても、又、ピーク出してね、潰しに行ってたら切りないから出さないように、1度はモニターつけてね、自分の体が血糖値スパイク出ないような食べ方というのをして下さいってお願いします。 ちょっと地球のこと大変で、病気治しできないんでね。お願いしています。

質問:すいません。地球が大変なのに、低血糖については?

宮野さん:スパイク上げるから。

質問:ちょっと子供も、気になる点があって、センターをつけたところ、ちょっと夜間低血糖がかなり酷くって、寝てる時が大体50位。

河上さん:50やったら大丈夫。うん。

宮野さん:上は?その子の上はどれ位?

質問:上も同じ位ですね。アカン時は200弱位。

河上さん:要はピークの血糖値出すとね、インシュリンがたくさん出過ぎてしまうんですよ。それで低血糖を起こすの。で、人間の体は低血糖はすごく大変なことなんで、低血糖を起こしたら、インシュリンを効きにくくするようなものが一杯出てくるんですよ。それで少々はね、本当の糖尿病になってない人は、少々低血糖続いても大丈夫です。糖尿病なってしまうとね、コントロール効かないんで、色々と大変なんですけど、だからそれは大丈夫ですけど、ピークを出さないようにしたら、それも治ります。

質問:はいはい。ありがとうございます。

河上さん:だから病気がちのお子さんいうのは甘いもん大好きで、ピークで物凄く出すのね。すると、風邪引きやすいとか、免疫力落ちて大変なの。

宮野さん:チョコレートもね、72パーとかね。

河上さん:ああそう。チョコレートも72パー以上のカカオ入ってるやつだと、血糖値が上がらないんで大丈夫です。で、普通のチョコレートはドンって上がります。で、何でそのピークの血糖値と成人病との関係を、お医者様が言わないかっていうと、まだ具体的に証明しきれないんですよ。それで言えないだけです。

 お医者さんの方は、具体的に因果関係がはっきりしないとね、お前、なにええ加減な事、適当な事言ってるんや、って怒られるんで、大体そうじゃないかな、と分かってても言えない。要らん事、患者さんに言うたら、あのお医者さんええ加減なこと言うたって、噂立ちますからね、で、お医者さんは言われないです。

 ただ、色んなお医者様の研究でね、多分これが原因じゃなかろうか、というのは、今どんどん言われてるんですけど、まだ証明されてない。だから信じる、信じないも自由ですけど、基本的には上げない方が、何よりもね、ピークの血糖値上げないとね、元気なの、体が軽いの。それだけでも、それで眠くなくなる。ちょっとの睡眠時間で平気になっていくしね。

宮野さん:体脂肪も落ちるよ。

河上さん:体脂肪も減るし。

宮野さん:2週間で体重が3.5落ちた。

河上さん:だから、先生があんまり寝ずに平気でおられたのは、血糖値がほんとに上がるような食事生活されてなかったからだと思います。
 何よりも血糖値上がると、まず癌の原因になります。それは間違いない。大体癌になる人って、ストレスの仕事の人か、ストレス多い人なんですけど。ストレスがあったら食べなくても血糖値がバーンって跳ね上がるの。それは、ストレスで胃潰瘍になるのと一緒よ。ストレスなると胃液出なくて、胃潰瘍起こす。或いは出過ぎて胃潰瘍起こすでしょう?
 一緒で、インシュリンも同時にストレスなると、出すぎたり出なかったりしてね、で、ピークを起こして、で、それが癌になっていってね。だから、まず、ストレスの方はね、印可書奉読したら出ないから(ストレスにならないから)、後は食べる方を調整して下さい。ありがとうございます

質問:今のお話しで、あんまり食べ無いようにって、私は受け取ったんですけど?

河上さん:食べる総量は変わらないの。分けて食べるだけで、纏(まと)めて食べたらあかん。

質問:分けて食べるにしても、私の周囲に飲食店とかやってる人達がいて、私は逆にそういう人達の経営状態のことを心配し出すんです。ただでさえ、コロナで皆さん大打撃を受けている上に、まあ、食糧難だとか、小麦が高騰したりだとかいう風になってくると、おうどん屋さんとかですね、おそば屋さんとか、今後そういう、あるいは色んなお店を経営している人達が、どういう風にこう、心構えをかいていけば良いのか教えていただけるでしょか?

河上さん:ああ、はい。あのね、もうね、要するにみんなね、今の繁栄がずっと続くと勘違いしてるんよ。今の生活がずっと出来ると勘違いしてるけども、すでに石油が足らなくなってきてるのね。
 で、原子力を使うと、後の使用済み核燃料の処理ができずに大変なって行く。で、何よりもまず水がね、もうないの。で、それがある日突然来ます。ほんとにある日突然に。
 だから真祈りなかったら、3年で飛ぶっていうのはそういうことなんですね。で、水がなくなったらもう飲食店もくそもない。まず、みんな食べ物なくなって大騒ぎよ。
 そこでいかに真祈り人が沢山真祈りしててね、今まで10食べてたんが、3以下で平気になるんですけど、そう持っていけるかどうかだけのことなんですよ。
 今の飲食店経営とか、まあ、別に飲食店限らないですよ。色んな生活そのものがね、もう成り立たない寸前なんですよ。もう心構えもくそもない。
 みんな当たり前のように、車を運転して自由に行き来してるけども、燃料なくなって自由に行き来もできないし、電気もないし、携帯電話、勿論通じないし、っていうね。そういうとこが突然来るの。その時にどうして支え合うかだけのとこまで、本当は追い詰められてるんです。

 それを今から真祈りしてね、そうならずにゆっくりと軟着陸するように持っていきたいだけです。絶対に今の生活がこのまま続けることは不可能です。みんな今の生活の3分の1以下のエネルギーで食べるものも、電気も全て3分の1にしないと、もう全員が生き延びれないの。
 でも、それを理屈で説明したってできない。真祈りで、みんなの潜在意識を神さんに向けるしかない。

 どんなにね、既に科学者がね、色んな科学者が警告してるわけですよ。塩害が出て、作物が取れなくなってる、水が足らなくなってると、もう色んなやってるわけです。
 どこの国とは言いませんが、まず水がなくて滅びそうになってるんです、既に。それ、それが水を求めて、どんどん日本に攻めてくるような、もうそういうほんとにギリギリなんですよ。
 もうどうにもならないとこまで来てるんだけど。先生の言うようにね、噴火、火山の噴火口の上でね、いつまでも踊り狂って遊んでるっていう状態なんですね。

 勿論人類の選ぶことですから、どうなっても良いわけですけど、人類の希望通りになるわけですけどね。だけど、今の生活を続けることは、もうあっという間にできなくなります。 
 まず、なんて言うんですか、石油がなくなるから車が動けなくなります。その中でどうして生活していくかだけですよ。どんどん本当の事言ってますが。

宮野さん:真祈りが有りますから。

河上さん:そう、真祈りで上手く持っていきたいだけ。このままほっとくと、もうある日突然、えっていう状態になっていきす。
 それはそうでしょう?あのコロナでああして物流止まっただけでも、えっていう状態だったでしょ?あれはコロナだけの影響やったけど、今度は全てが影響しますから。
 
質問:タンクに水を備蓄し、貯めとこうと思うんですけど、水をタンクに、ペットボトルとかじゃなくて、タンクや、ペットボトルにしろ、その場合は、水道水の方が良いですか?蒸留水?水道水の方が良いですか?

河上さん:水道水で塩素が飛ばんように、密閉出来たら良いけどね。蒸留水は入れる時に雑菌混ざるからややこしくなるわ。備蓄用の水は炊き込んで詰めてあるから、あれは何十年でも持ちます。一応、ペットボトルの匂いが移るからね、5年とか賞味期限、いわゆる味の期限はついてますけど、水としては大丈夫。

宮野さん:まあ、でも。

河上さん:うん、それは地震対策であって、地球全体で水なくなったら、そんなもんあっという間。

宮野さん:空気中の水分取れるじゃあない?パックって。

河上さん:いや、面白いよね。みんなね、後何十年もまだまだ続くと思って、家を買ったりね、色んなことをみんなするんやけど、そんな余裕の出来る時代ではもうないねんけどね。でもまあ、まず真祈りやね。
 原発なんかどんどん動かしててね、大地震来たら、もう福島どころでもう済めへんって。もう、それだけでも滅びかねんって。だから、原発はずっと止めなあかんねんけどね、石油がなくなったから、原発動かさなあかん、とかっていう議論が正論として出るでしょ?だから対抗できへんよね、電気無かったら困るから。でも、地震対策して完璧な原発ってないもんね。

 本当はあの原発でもね、地面に穴掘って作らないと。で、水を溜める状態にした中に原発作って、なんかあったらその原発まるまるを、水に沈める位にせなあかんねんけどね。そんな建設費かけたら、コスト合わへんから、みんなしない、分かってても。
 で、何よりも使用済み核燃料をね、500年間も冷却し続けなあかん言うたら、総コストで言うたら大赤字。500年間やで、500年間で冷却せんと処理できへん。みんなその矛盾に気づかない。
 それって、結局は電気いじり過ぎて人類が滅びるっていうことやねん。この空間の全ては電気でできてるからね、電気いじったら空間が崩れていく。

宮野さん:厳しいお話でございましたな、今日は。

河上さん:あんまり言いたくはなかったけど、先生言え言えいうし。

宮野さん:でも、真祈り最強やな。

河上さん:真祈り最高。

宮野さん:結局、そこに戻ると、振り出しに戻る、真祈り最強。

質問:今までの生活がもう持たない。地球的にどう考えても持たない。で、環境問題も・・

河上さん:だからね、今現在ね、6千万人、統計的にはっきりしてないけど、少なくとも6千万人から8千万人の人間が毎年増えてるの。それって護摩の時に言うたけど、タイという国が毎年1つ増えてる状態や。それだけでも食料足らんようになって行くって。

質問:それを見据えた上で、勿論、真祈りを軸に暮らしていくわけですけども、生活していくわけですけども、どういった、これからのそういった時代に対応出来るライフスタイル?

河上さん:そんなライフスタイルみたいな(笑)、そんな余裕はないねん。みんな面白い。家買ってね、改造したりしてるんやけどね。家買った人が、後何年も生きられへんくせにね、自分は何十年も後生きれるぞって、買いはるわけやけどな。もうどれもこれもそうやねんけど、今の生活が後何十年も続くから、用意せなあかんって思って勘違いするわけやけど、もう続けへんね。
 ライフスタイルも何もない。只々、印可書を奉読して真祈りに入るだけ。

質問:でも、具体的にこう備蓄っていうことで、備えるわけですよね?

河上さん:備蓄はね、真祈りに入る前の間にね、みんなが心揺らがないように、不安ならないように、出来るだけ分かって人は備蓄して、みんなに分け与えてねっていうだけで、それで生き延びれるなんて思う必要はない。で、生き延びたい人は今言ったように、粘土食べてね、ウジ虫食べて、草を食べて生き延びたら良い。
 もっと具体的に言えって言ったら、なんでも言うけど、みんな怯えるで。

宮野さん:その時は来ないとわからないのに、今言っても、そのうん。

質問:食料にしたら備蓄

河上さん:だから食糧は草とハコベとタンポポと、オオバコと珪藻土と、うじ虫と位や。

宮野さん:蜂の子もいたって、イナゴとか。

河上さん:イナゴは滅多に手に入れへん。うじ虫はすぐわくから手にはいる。アリさん、フライパンで炒るとか。アリさん酸っぱいけど、食べれる。

質問:後、電気、ガス、水道というのは?

河上さん:もう、無くなります。

質問:ま、それに向けて備蓄並みの備えっていうのも、あの・・

河上さん:地面掘ってな、半地下にして住むね。そん時にした良い。今からやったら気違い思われるから。(笑)

質問:その時に対応したら良いっていう事ですか?

河上さん:だから、先生がいつも言ってたやん。洞穴があったら、ええだけやって。あれはほんとのことやって。

質問:でも、この今、明日から今ある生活を、この話聞いたね、あの・・

河上さん:でも、今からな、半地下式の住居作ったら、気違いやって思われるって。

質問:でも、今まで通りの電気の使い方、

河上さん:いや、それは必要だけ使って節約したら、良い。わかってる人は。それだけでも原発1つ止めれるよ。みんな無駄に使うわけでしょ?この村でも無駄にたくさん使ってるや。みんな当たり前のように電気があると思ってるやん。でも、電気は石油からできてる。
 
宮野さん:家で、自力、自分でこう回して発電したらね。

河上さん:そやな、その足踏の発電機ってあるやん。あれって1時間に何ワット発電出来るか知ってる?
質問:100

河上さん:80ワット、75ワットもできへんな。

宮野さん:休みなくやって。

質問:ああそうなんですか。

河上さん:うん。効率ええのでね。で、ずっと踏み続けてどうこうするって意味やったら20ワッとも作られへん。必死で踏んで75ワット位、それやから。
 まあ、みんな真(まこと)の神さまそのものって言って、真祈りしていかんとね。その神さんの方からの知恵はいつも降りてきてんねんけど、みんな受け取られへん。
 ほんとはそんな石油燃やさんでもね、エネルギーが今ここにあるん。護摩の時に見せた、これも見せるけど(右手を回される)、これがそのエネルギーそのものやねんけど、でも誰もわからへんね。で、この分かれへんのどう説明せいって言われてももうええねん。真祈りしてって言うてるやん、それ以上どうこう要らん。
河上さん:で、これがみんな出せるようになったら、自分で生活できる。

宮野さん:出来るようになってんねん、みんな。そう、既に悟ってるんやんか

河上さん:だから、イエス様のように水の上も歩けるようになるの。

宮野さん:歩かんで良いけどね。(笑)

河上さん:そうそう、歩かんでも良いけどな。要するに何でも出来るっていうこと。
 
宮野さん:必要な時は、必要な、ほら、アイデアがパッと自分で湧き上がるやない、中から、今でも。
 それがもっと具体的に印可書を読んでて、その時来たら、その時に必要な情報が降りてくるだけの話やなん。その時に情報が来るし、その時に必要なものが目の前に現れてくるので、心配しなくても印可書読んどけば、大丈夫という話しや。そんな心配するってことは、神さまは信用してないことじゃない?うん、だから心配しなくて良いのよ。

質問:心配ではないけど、この今の生活をこのまま続けるわけ、あの、このまま続けてはいけない?

河上さん:いや,感謝して続けとかんと、変人に思われるで。感謝して今の生活してないと、な?変人に思われるれて大変やで。

質問:今の生活を続ける?

河上さん:感謝して節約してね。だって、今、みんなね、神さん信じやんと、スマートフォン、iphone信じてん。困ったらiphone見てるやん。iphoneに頼ってる。
 でも、そのiphoneが全部通じなくなるん。なら神さまに頼るしかなくなるやん。その時に印可書と真祈りをね、出来る人がどんどん広めやんと、どうしようもなくなる。で、その時は初めて印可書読む人でも知恵が湧くようになるの。でも、そうするためにも今、印可書を奉読してね、皆の潜在意識を綺麗にしとかないと。潜在意識が綺麗になるから、神さまの知恵が湧くの。潜在意識が汚れてるから、神さまの知恵が湧いてんねんけど見えへん。それだけよ。

宮野さん:わかりやすいね。

河上さん:何時もわかりやすいの。(笑)ツッコミはいらんの。
 だから、真祈り人のね、自覚した真祈り人の責任重大や。具体的に、言葉でね、他人にどうこうって言う必要はないね。そしたら要らんおせっかいや、うるさいわって、怒られるだけ。
 でも印可書を奉読したら勝手に響いていくの。それはみんな完璧なる一つやから。
 誰も全ては完璧な1つ。「全ては真(まこと)の神さま、みんな光や」「既に祈ってる、悟ってる。救われている」に抵抗できへん。それが本当の人生やから、それが本当のことやから。それ以外は全部思い込んでる、偽物やから。
 みんな自分で思い込んだ偽物なんやで。あの人と私違うとか、あの人サボってるとかいうのはね。あの人、他人でサボってるというのは、自分が思い込んでるだけ、でも全部自分や。それが真実や。だから大丈夫や。
 そしたら、必要な人間は地上に残り、必要でない人間は神さまの絶対、一大循環の世界、
絶対の世界に帰る。何も恐れることはない。逃げるんちゃうで、喜んでたら良い。

宮野さん:遅かれ早かれね。100年も生きられへん。

河上さん:後20年しかないって言ってるやん、ちゃんと。時間まで言ったやん。

宮野さん:心配しなくてもね。

河上さん:後20年この体制で行きますって。だけど、真祈り人が上手い事いかんかたっら、3年で終わるよって言ってるだけ。

宮野さん:大丈夫!大丈夫!

河上さん:ほんと大変なんやで、ウクライナなんて。どっちも核持ってるんやも。どっちかブチ切れたら、今でもう終わりやで。
 逆言うと、どっちも核持っているから、お互いこれ以上無理言わへんやろうという甘えがあるから、余計怖い。
 だけど本当にやってしまったら、最後やな。核持ってるから、ここまで絶対しよらへんて、どっちも甘えている訳よ、甘え。でも、やっぱり追いつめられた方はするで、当然や。
 だから核なんて持ったって、何の抑止力にもならへんのやな。日本も核武装せなあかんとか、色んな議論が沸いて来ているの。そんな色んな事湧いてきたって、政治家に何いったって通じへん。そんなん分ってる位だったら、もっと政治家として色んな事、先にしてる。
 今回でも国連で何の役に立ったん?ロシヤが拒否権発動して終わりや。一番平和を願わなあかん常任理事国がするわけやろう。でもアメリカかて、あっちこっちでしたわけでしょう?
 理屈理論では、何の解決もせえへんね。何言ったって聞かんって、言う事を。自分が人の言う事聞かんくせに、よう人が自分の言う事聞くと思うわ。大きな幻想や。

宮野さん:最初に言った、みんなコロナでお金がない。ならば元よりこの現世は、プラスとマイナスが同じでしょう?そしたらお金が無いといったら、どこかにお金が集まってるわけでしょう?

河上さん:そうそう。

宮野さん:という事は、どこかで大きく得をしているところがあるという事でしょう?だから余計に歪むのね、という事ですね?

河上さん:うん。で、大きくお金を集めた所が、自分で崩れるの、ローマ帝国が滅びたようにね。大きくなった国はみんな滅びて行くでしょう?それは人の不幸の上に成り立つからや。
 老子先生のように、「大国は下流なり」って撤しってたら良いのにね。「大国は川の下流のようなもんやから、全てを飲み込んで、受け入れてね、赦して行かなあかん」って言うんだけど、中々出来へん。

宮野さん:という事で、皆さんに改めて、又、印可書の奉納を力まずに、宜しくお願いします。

河上さん:で、真祈りして終わります。


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4月護摩 by 河上彰延 [Mail] 2022年04月08日(金) 16時14分
PC

4月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年4月の護摩焚きで、河上さんが、みなさんの質問に答えて下さいました。ありがとうございます

質問1
 私は、何故か神さまの響きを受け取れると仰る方や、自分は悟っていると仰る方とたくさんご縁がありました。その中には、個性的な行動や言動をする人もいました。顕著だったのは、あの人は私のソウルメイトだと異性に一方的な好意を寄せる人、反対に暴力も辞さないほど、他者を激しく攻撃する人、この2パターンでした。そのような方々は、常に神さまの響きのもとに行動されているということなので、ご自身をも常に肯定されています。また、みなさん例外なく、お祈りにとても熱心で、深い信仰をお持ちでした。さて、前回の河上さんの勉強会での録音を聞いてあの方々の仰る、神さまの響きというのは、実は悪魔の囁きだったのでは?と思えてきました。先の例でも、悪魔が性欲や虚栄心に囁いた結果の行動で、その言い訳に神さまを使っていたのだとしたら、理屈が通ります。しかし、もしそうだとすれば、お祈りに熱心な方々でも悪魔の囁きに乗り、偽りの神を語りうるということになってしまう。私がマイナスを掴んでいるだけでしょうか?もしくは、このようなパラドックスが存在することもあるのでしょうか?存在するとすれば、何故そのような残念なことになるのでしょうか?よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます また、今月もお会いできて嬉しく思います。ちょっと足がダメなので座ったまま失礼いたします。

 その通りなんですね。まずお祈りとは何か?信仰とは何か?っていうとこが全てなんですよ。

 みんな、お祈りというのは、自分の都合良くなることを願うことが、自覚する、しないじゃないですよ。でも、みんな、お祈りして、自分にとって、自分と他人を分けてですね、自分にとって都合が良くなるようにというのが、お祈りになっているの。

 信仰も同じなんですよ。自分の人生が、運命が良くなるようにとかね。ともかく、自分と他人を分けて、自分が、みんなより良いようになるのが信仰だというふうに、自覚してる、してないは別ですよ、別だけど、そういうふうに願う方が大半なんですね。

 その中で自分の欲望ですよね、自分と他人を分けて、自分にとって都合の良い事というのは、その人の幸せを願うんじゃなくて、自分の欲望を優先して、神さまの名前を語って色んな事をされる。(それは、大変にマイナスを積むことになります)

 その形の上では自分が信仰が深い、自分は、お祈りをたくさんしてるというふうに見せるわけですけども、本当に、真祈りというものに入れば、神さまに対して全託ですから、まず、みんなの幸せを願うのは当然だし、いわゆる「新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分」ですよね。みんなを支える側にしか回らないのよね。

 例えば、もし自分の欲望があっても、それは横に置いておいて後回し、できるだけみんなが幸せになるように、みんなが自由自在に生きれるようにって願って、そうなるような働きをするだけなんですね。真逆の行動になるだけです。

 その方(ご質問の方)が感じられた通りなんですけども、ただ神さまは、色んな姿を通して光を通していかれますので、そういう姿の人も不必要じゃないんです。そういう姿の人があるからこそ、真祈りの素晴らしさが、わかるわけです。

 だから、邪魔な存在じゃないんですけども、だからといって大事な存在でもない。必要な存在であることは間違いないです。だから、それを肯定も否定もしなくていいです。神さまが、その存在を許されてるのは必要でね、許されてるんですね。神さまが、その存在を許されなくなったら、あっという間です。

 例えば、アトランティス大陸が沈み、ムー大陸が沈んで文明が滅びたという、ノアの洪水伝説とか色々あるじゃないですか。そういうのは何かっていうと、人類がマイナスを積み過ぎて、もうどうしようもないから一旦ご破算するということで、神さまの方で、(人類の自由意志を超えて)その存在をお許しにならなくなった時には、一瞬にして全部消え去るわけです。

 今、その存在があるのは、必要でおいておられるわけですから、それをどうこうすること、邪険にすることもないし、いじめることもないし、どうこうすることはないですけども、わざわざ、それに加担することは必要ないです。こっちのできることは、まず神さまのお手伝いをすること。

 真祈りというのは、神さまのお手伝いです。神さまのお手伝い、真祈りをすることです。今までは、真祈りの仕方がわからなかったけども、今は、どんなに自分の都合を優先しようという気持ちがあっても、人をあんな悪いことをしてという責める気持ちがあってもですね、印可書を奉読していたら、神さまのお手伝いになるよっていう、先生が大おまけの真祈りを残して下さいましたのでね。色々と悩みが湧くごとに、苦しいなぁと思うごとに、人を責めて辛いなぁと思うごとに印可書を奉読して、淡々と過ごして下さい。その中から、やっぱり自分の中から、こうしようというのが湧き上がってくるものが出てきますから、人に強制されてすることではなくて、自分の自由意志でね、やることができるようになりますので、ぜひ印可書を奉読して、色々と苦しいでしょうけども、奉読して進んでいって下さい。ありがとうございます

質問2
 長年不思議に思っていた事があります。私の住んでいるのは、長野県長野市です。家の近くに信州のピラミッドと呼ばれる皆神山(みなかみやま)があります。この山は、富士山と同じ独立峰です。この皆神山の東側すぐ近くに、あま飾り山・奇妙山(きみょうざん)という連なった山があります。この山の急峻な中腹に、日本最大の積石塚古墳である500基以上の古墳からなる、大室古墳群が皆神山を取り囲むようにあります。登山の時に「よくこんな場所に古墳を作ったなぁ」と感心をしていました。以前この皆神山を中心にした場所で、松代群発地震がありました。約2年程続き、有感地震だけで一日当たり最大585回もありました。私が小学生の頃でしたが、いつも揺れているという感じでした。この地震の原因は、今だに分かっていません。昔から皆神山、あま飾り山、奇妙山は不思議な山だと思っていました。今日、教えていただきたい事は、なぜ松代群発地震が起きたのか?ピラミッドと言われている皆神山の内部はどうなっているのか?500基以上、急峻な山の中復にある大室古墳では、どんな祈り方をしたら良いのか?以上3点を質問させて頂きます。よろしくお願い致します。

河上さん
 まず、群発地震ですけども、これは、当時、名前は出しませんけど、数社の会社がですね、地面の中に水を注入していたんですよ。何の為にしてたかも、もう言いません。ともかく、ある理由で水を注入しいていたんですね、地下の中に。それが皆神山の中にある、その聖なる池というか、水のタンクみたいなものが、皆神山の中にあるわけですけども、そこまで浸入しようとしていたので、神さまの方で、そこに水が混ざらないようにね、揺らしておられたというだけです。ある学者が、これは、地下水に圧力をかけているのが原因ではないかということがありまして、それを止めるようにという指示が出まして、それを止めた途端に止まった。学術的にね、それと地震との因果関係を証明しようがないので、未だに、わからないということです。それ実際、地面の中を開けて見たんかっていうことですからね、説明、証明のしようがない、ただそれだけです。

 山が三つあるでしょう、エジプトのピラミッドも三つあるじゃないですか。全部三つ、三つで、例えばピラミッド三角、山も三角、三という数字が、入れ子構造の基調なんですね。それで三つになっています。松代は、ひさかたの地と言いましてね、いわゆる絶対の中心に近い地なんですね、響き的には。

 それで、そこの、お祈りの場所として古墳があります。ですから、近くに行ってもいいし、行かなくてもいいです。麓(ふもと)の遠くからでもいいですから、印可書を奉読していただいたら、ありがたいです。それだけです。それで、お願いします。

質問3
 宇宙神ありがとうございます 質問させていただきます。
29歳、元々編集者をしておりましたが、結婚を機に専業主婦になりました。夫は19歳年上の48歳で、小さな美術出版社を経営しております。子供は一人で、この夏にもう一人産みます。
夫が、私の言うことを全く耳を貸さないのには、どんな理由があるのか伺いたいです。夫の仕事のことで相談があった時、何かいいアイデアがあれば、その都度話をしますが、聞いてくれるものの、実行に移すことはありません。プライベートのことでも、例えば、洋服のコーディネートに関することでも同じような対応です。年齢が離れているから、若くて甘い考えなのかもしれませんが、それ以外の理由があれば教えていただきたいです。よろしくお願い致します。

河上さん
 ありがとうございます ご夫婦の関係なんですけども、どんなに仲のいい夫婦でもね、相手の言うことは聞きません。みんな好きにします。聞いてるふりはしますけども、みんな好きにします。それが基本です、標準です。だから、具体的に、はっきり聞いてくれないとわかってる方が、気が楽でいいです。

 ただ、お互い(話相手として)相手をして欲しい者同士が夫婦になっていますので、相談されたら答えてあげたらいい、でも(相手は)聞く気はない。聞く気もないのに相談するなよって思いますけども、相談することによって、気が安らぐから相談されるわけで、真剣に答えてあげたらいいです。

 みんな好きにする、自由意志を持っていますからね。誰も強制のしようがないんですよ、それだけです。ありがとうございます

質問5
 お花見をネタに母を、ありがとうございます護摩に誘ったところ、来てくれることになったのですが、中身をよくわかってなくても、いきなり参加させていただいても大丈夫でしょうか?ちなみに護摩木に宇宙神ありがとうございますは、今、書いてくれています。でも普段祈ってないのに、いきなりありがとうございます護摩に参加すると、光が強すぎるのではないかと少し心配しております。

河上さん
 ありがとうございます 親の死に目以外は、少々の無理をしてでも護摩に参加して下さいとお願いしておりますけども、そのお願いしてる理由はですね。先生が、みなさんの肉体という体を使って、神さまのお仕事に使って下さるからです。

 それは、そういうこと(で無理やりでも連れてきてと言っています)。

 例えば真祈りを印可書をわかっていなくてもね、使っていただけるんですよ。使っていただけたら大きな徳を積めるから、あんまり、こうゆう表現を使いたくないですけど、運命的には、どんどん良くなります。

 護摩木を書くのも、ちゃんと先生が録音で残されておりますけども、護摩木を書いてくれたら、あなた方の肉体が護摩木を書いているように思っているだろうけども、真(まこと)神さまが、降り立って書いてくださるから、神さまのお手伝いになるんだよ、神さまのお仕事なんだよっていうことを言ってくださってますので、騙してでもって言ったらあれですけど、書いていただくことが大切です。もう、それにつきます。

 だから、是非ね、騙してでもって言うたらあれなんですけども、わからん方でも一度でいいから参加してくれて、参加してもらうといいですし、護摩木は、わからなくても何か良いことあるからって騙していいですから、書いてもらって下さい。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 事前に、いただいた質問は以上になります。会場で質問がある方は、前までお願いします。(会場からの質問がありました)

質問6
 いつも、ありがとうございます 河上さんの掲示板を拝見させていただいて、今回、事大(ことだい)主義の事について解説していただいた中で、僕は初めて、それを見たのか、わからないんですけど、眞祈りの「ま」の漢字が、難しい文字になっていたので、以前、その説明が、あったかどうかわからないですけど、ちょっと、もう一度お聞かせいただきたなぁと思いまして。よろしくお願いします。

河上さん
 眞祈り、眞(まこと)「しん」という字ですね。「まこと」という字ですけど、色んな意味があるんですけどね、光が本当に螺旋に降りてきてるすがたを、本来の形に近い漢字で書くと、旧漢字というんですかね、昔の本来の漢字なんですよ。今の真(しん)という字は略字なんですね。略字だからダメというんじゃなくて、略字の場合は、絶対の中心を表すような響きになってるんです。昔の漢字だと、絶対の中心から、印可書にありますように、左旋回となってという、左旋回までが表われてる。舞い昇り、舞い上がるをね表してる漢字が、あの漢字だということです。ありがとうございます

質問7
 以前、中空の竹という言葉を河上さん、仰ったと思うんですけども、本当の正覚を得ないと中空の竹という状態には、やっぱりならないということなんでしょうか?

河上さん
 中空の竹というのは、楽器で言うと縦笛っていうんですか、縦笛とか横笛とか、或いは尺八ですね。中空の竹で作ってるわけですけども、その、中空の竹っていうのは節を抜いてるじゃないですか、節を抜いてるっていうことは、一切引っかからないということなんです。一切の物事に心が奪われない、引っかからない、囚われないというのは何かっていうと、それを優しく言って、いつもいつも、どんな形でも神さまが一番いいようにしてるって、僕は言いますけども。

 先生は、大難を小難にしてもらってるんやで、小難を無難にしてもらってるんやって仰ってる言葉です。その、本当の正覚を得るとですね、何があっても神さまが一番いいようにしてるっていうことが、理屈抜きに、実観(感)としてわかるわけですよ。

 例えば、こう質問の後ね、突然何もないのに、つまずいて転けてですね、思わず手をついて、腕を骨折してしまったとなってもね、「あーよかった」って思える心が、真(まこと)の悟りの心です。それだけです。

 それは、「無条件の喜び」「無条件の幸せ」って、先生は表現されるわけですね。僕は、それを、もうちょっとわかりやすくと思って、全知全能で何でもできる神さま、愛そのもの神さまがね、一番いいようにしかしないよっていう。じゃあ何で、一番いいようにしかしないのに、例えば骨折に遭うとか、事故に遭うとか、病気になるとかするんだっていえば、それは、その形が一番いいという事を、自分が理解できないだけなんですね。

 それ何かっていうと、自分と他人を分けちゃうとね、自分だけ骨折したと思うわけですよ。自分と他人を分けなければ、例えば自分の体でいうとわかるんですけども、満員電車で足の小指を踏まれたと、小指さんがね、分け隔てた感じで見たら、「何で俺だけ、こんな痛い目に遭うんや」ってなるじゃないですか、でも自分の体で言ったら、「あー小指踏まれて痛いなぁ」だけで済むじゃないですか。小指だけで済んで良かったなぁでしょう?。

 そういう感じで意識が大きく絶対の中心という無限大に広がった時は、全部喜びなんですね。必要で痛みという形のものがあるというだけなんです。それは、無理に理屈でいいますとね、痛みがあるから色んな喜びが、わかるみたいなとこなんですよ。

 何ていうんですかね、陰影がつくから、よく物事でも見えるみたいなんがあるじゃないですか、そういう感じのものです。神さまが楽しんで、痛みも楽しんでおられる。例えば、病気で熱が出てもね、熱を楽しんでおられるみたいな感じですね。

 ですから、先生深く深く真祈りをされて、深い悟りを得られて方でもですね。一生、熱出して、咳出してね、なられておられたわけですね。「神さまは、楽させてくれへんなぁ」って仰っても、いつも辛いとは仰られない、喜んおられたじゃないですか、あれが全てです。ありがとうございます

質問8
 質問お願いします。天津神と国津神の違いについて、改めてかもしれないんですけども、一つの神さまを分けて見る、失礼は分かっているんですけども、その由来というか発生した、この二本の繋がりをより合わさって、日本の歴史がきけると思うんですけども。ちょっと、その先日、長髄彦(ながすねひこ)さまが、先生の過去だというのをちらっと聞いてイメージが、また変わったんで、ちょっと改めて、お願いします。

河上さん
 天津神、国津神というのは色んな意味があるんですけども、国津神というのは、いわゆる古い時代からの歴史、伝統、文化、そして叡智ですね、引き継いだ方々。天津神というのは、新しく生まれ出てこられた方々というのが基本的な分け方です。

 ただ、本当に、この現世を地上天国建設ですね。一番苦労をされたのは、国津神の方々だったんですね。それであえて天津神、国津神と分けてあるわけです。じゃあ国津神の方々が、地上をちゃんと上手く纏めたのにね、何で天津神が、こう政権交代ですね、交代が必要があるのかっていうことですけど、いわゆる地上天国建設をみんなが、何ていうんですか、この世的に楽しむことだけが幸せだと勘違いしていくんですよ。それは、本当は正しくないんです。その(本当は)、この世の(大自然の)、神さまのすがたに添って生きなくちゃいけないのに。(自分の都合のいいように変えていった)

 例えば、農業という形でね、あの時代は栗をたくさん植えたんですよ。栗というのは、あの頃は害虫というのがないので、植えれば植える程どんどんできるんですよ。食べるのに困らないでしょう。そしたら、遊ぶ事ばかり考えるようになるのね。遊ぶ事ばかり考えるというのは、神さまの、いわゆる無限創造というね、同じものを二度と創らないという、無限創造のすがたに反していくんんですね。そういう意味でちょっと、入れ替わっていくんですけどね。

 今の人類が、やはり、それに近いんですね。本来は、石油を使っちゃダメなんです。電気も無駄使いしちゃダメなんですよ。それを石油を使い電気を使い、どういう事かっていうと、例えば農業でもね、人間の、人間や家畜の糞とね、肥料を作って作れば、そんなにたくさん作れない。それを化石燃料を使って、いわゆるリンを窒素を固定化させて、合成肥料ですね、化学肥料を作って、どんどん増産したわけです。その増産する事によって、どんどん人口が増えているんですね。

 今の地球、みなさん自覚ないですけど、毎年、具体的な統計はないですけど、6千万人とも7千万人とも8千万人ともいわれるんですけども、毎年、それくらいの人口が増えていってるんですよ。6千万人ってどれくらい、8千万人ってどれくらいって、みんなわからないでしょう。タイの国が一個づつ増えていってる状態なんです、人口でいうとね。それって無茶苦茶なんですよ。

 じゃあ何で、そんな人口が増えるんだぁっていうと、化学肥料でたくさん食べ物を作ったということ。石油を燃やしてね、生存しやすい状態を作ったっていうこと。もう一つは、自分の欲望にまかせて、子供を作り過ぎた。

 本来、真祈りをしていたら、必要なだけしか生まれないの。でも、たくさん子供が生まれる事が幸せだと、また国津神の時代と同じようにね、人類は今、勘違いしてるの。

 子供をどんどん作って、このままいけば、誰の目にも明らかなように、もうすぐなってきますけども、まず水が足らなくなる、石油も足らなくなる、食べ物はもちろん足らなくなる。全員が、どうしようもない状態に、もうすぐなっちゃうんですよ。

 だって6千万人も毎年増えるんだからね。そういう状態にまで、人類は知らずにやってるのね。それを先生は火山の火口の上でね、みんなが踊り、遊びほうけて、踊り狂ってる状態だと、いつ火山が噴火するかわからないっていう状態になってるわけです。それをもうこのままいったら、どうしようもないから、神さまの方は、もう国津神、天津神の時代は交代するだけで済んだわけですけども、今回はアトランティスの時のように一切ご破算にする。地球霊王さまである大国主命さまの方から言ってきたわけですね。

 それを先生が、ちょっと待ってくれと人類の方で真祈りして、ちゃんとするからという事で、この護摩という形に結集して、今、進んでいます。

 とうとう時間切れでね、色んな事が追い詰められましてね。ウクライナの侵攻とか、色んな事があります。ウクライナの侵攻は、あくまでも発端です。あっという間に飛び火して、5月には大変な事になります。

 今日は、これ護摩、本当にバーッと成功しましたので、ちょっと先延ばしできました。また5月の護摩も成功させて、そうならないようにしたいと思いますけども。本当に、みなさんが思っている以上に大変です。いつも言いましたように、3年間の食糧備蓄をお願いしてましたけど、本当にそれが、とうとう現実化しそうなとこまできてしまいました。でも、いつも言うようにね、現実を掴まずに、神さまの絶対の愛を信じてね、淡々と印可書を奉納してて下さい。

 食糧を備蓄されている方が、たくさんいらっしゃると思うんですけども、本当に食糧危機になったら、みんなにちょっとずつ分けてねして下さい。もしそれで自分が食べれなくて餓死してもね、神さまが一番いいようにしてるということをわかって下さい。

 必要であれば必ず生きれます、食べなくても。必要でなければ死ぬし。オミクロンの次のやつが、もう、すでに蔓延しておりましてね、医学的には因果関係を証明できないだけなんですけど、本当に心臓麻痺、肺炎、その内臓疾患、なんとか出血という形で、どんどん今、死亡する人が増えてるんですよ。それは、新しいウイルスなんですけども医学的に証明できないから、いいようがないです。

 どんな形になっても、神さまが一番いいようにしてますから、それだけを信じて印可書を奉読して下さい。神さまを信じてたら、ちゃんと一大循環の世界に戻れるんです。

 疑うとね、絶対無の世界に落ちちゃうんで、今回は落ちても、ひらいに行きますけども、ひらいに行くのも大変だし、連れて来る時も、神さま信じてないから、無理やり縁(えにし)というロープで、ひっくくってるって引っ張ってくるのね、本人は「嫌だ嫌だ、神さまなんかあるもんか」って言ってるから、西部劇であるじゃないですか、ロープでくくっておいて、引きずり回すリンチがね。あーゆう感じでしか引きずって来れないのね。痛がりさすのも嫌なんで、できたら騙されたと思ってもいいですから、印可書の奉読をお願いします。ありがとうございます

司会者
 その他、何かございますでしょうか?無いようなので、よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます 本当に、もう時間的にゲームセットになったみたいな感じでね。追い詰められて、もうドンドン綻(ほころ)び始めているわけですけども。もう、ここの護摩だけが最後の、人類の最後の砦です。ここの護摩で何とか、断崖絶壁のきわきわをね、落ちそうで落ちないうちに歩いて行くみたいな感じでもっていきたいと思っています。ただ、どんどん形に出てきますので、その時に、怖がらずに、焦らずにいてて下さい。どの形になっても、一番いいようになってるという事だけは、必ずわかって下さい。全知全能の神さまが一番いいようにしてる、その中で、人類がその一番いい道のどれを選ぶかだけです。真祈りをしていたら、本当によくなるんですよ。でも、いつも言うように、51%の人が、まだ神さまと呼んでくれていると何とかなるんです。49%の人が、今は、人類は、神さまも仏もあるものかってやってるわけですよ。

 例えば、核武装しなくちゃいけない、それが富める国も貧しい国も核武装しようとするでしょう。それって神さまを信じてないのよ。相手を疑ってるから、核を持っていないと攻めてくるんじゃないかってやってるわけですよ。今のウクライナ見たらわかるじゃないですか。ウクライナもロシアも核を持ってるんよ、持ってるのに止めれないでしょう。これ、このままいけば、ウクライナ側が「そんなんいいわやってやろう」ってバーンとするとか、(あるいはロシアがパーンとするか)どっちにもなるわけですね。だから、核を持っていたって戦争は止まらない。それがわからないのね。

 真祈りだけなんですよ。真祈りしていたら、みんなで支え合うのが一番だって、みんな同じなんだって、みんな真(まこと)の神さまのいのちなんだぁってね、わかるの。今、人類、全人類がそうなんですけども、心臓を自分の自由意志で動かしてないのね。

 自然に心臓が動いてるとかね。生きてるから動いてるんやって、みんな屁理屈言いますけども、神さまのいのちで動いてるの、神さまのいのちという共通の意識で、みんなは繋がってるんですよ。みんな一つなの、それがわかったら喧嘩なんかしないのね。

 お互い国境線を引いてね、こっから入ってくるな。そっちはそっちでやれ、こっちはこっちでやるからと言う、いじめあう事もないんですけどね。それは、真祈りでしかわからない、理屈では、もう、理屈でわかるぐらいだったら、お釈迦さまが仏典を残してくださり、イエスさまが聖書を残してくださってね、アラーの神さまがコーランを残してくださってって、素晴らしい本は一杯あるわけでしょう。でも2000年経っても、3000年経っても人類理屈では、わからない。

 それは、何故かっていうと、全て理屈抜きに神さまの愛が通ってるからですよ。理屈で神さまの愛が通ってるんじゃないの、神さまのいのちが理屈抜きに通ってるの、だから真祈りしかないの。理屈抜きの真祈りしか、人類を救うすべはないんですよ。理屈抜きの真祈りをしたら、みんな、神さまのいのちに生かされてるんだぁ、みんな神さまのいのちでそのものなんだぁって、理屈抜きにわかるの、理屈抜きにわかったら、人を殺そうとかね、傷つけようなんて思わない。助け合うしかなくなるの。

 でも、お金という形があってね、今は、今の世はですよ。お金という形があって、お金持ちが偉い。お金があったら、どんなことでも願いが叶うって勘違いしてるでしょう。お金があって願いが叶うんだったら、お金持ちは、みんな100年以上生きますよ。お金持ちは、みんな100年以上、200年でも生きれるんじゃないですか。お金でいのちが買るんだから、でも買えないんでしょう。お金で幸せは買えない。お金で人の心は買えない。お金さえあったら、みんな言う事聞くかっていったら、聞かない。お金はもらって聞くふりはするよ、聞くふりはするけど、聞かないのね。それくらいお金では、どうしようもないんだけど、お金に対する、神さまよりお金を頼る人が多くなる。要するに49%を超えるとね。神さまよりお金を信じてる人が49%超えたら、人類が滅びちゃうの。

 お金も頼りにしてるけど、神さまを信じてる人が51%あるうちは、このきわきわをいくわけですよ。これが印可書を奉読していただいて、みなさまの真祈りの響きを全人類の潜在意識に流し込んでいけば、お金じゃないんだと、本当に、みんなで支え合って、助け合っていくのが一番幸せなんだぁって、理屈抜きにわかるようになるんです。

 その為に、護摩があります。ですから是非ね、護摩には、よっぽどの用事がない限り、無理して参加して下さい。勿論、どうしても来れない方はいいんですよ。それぞれの場所で、お祈りしていただいたらいんですけども、ここに来れる限りは来て下さい。  

 そして、真祈りを護摩を通してね、護摩木を書くことを通して、真祈りを全人類の潜在意識に拡め、響かせて、世界平和の理想世界を実現させたいと思います。ありがとうございます また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/iWR97afd2hg

 宇宙神ありがとうございます


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4月光の交流会 by 河上彰延 [Mail] 2022年04月07日(木) 01時28分
PC

4月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年4月の光の交流会で聴いていただいた、先生のお話です。

 言葉通りになるっていうのが本当にわかったらいいんだけど、どういう言葉を選んでるかって、自分の見たり、聞いたり、言ったりしてる全てね、自分が選んでるでしょう。本当に何を見て、何を聞いて、何を言っているか、みんな、その言葉通りの自分になる。その自分に波の合うものが、自分の世界として現れる。また自分の見る番組になるし運命になるから、どういう言葉を選び続けてるか?それで全て決まる。自分が、自分の自由意志でしっかりと選ばんかったら、全て支配できない。見えたからって言うたら奴隷よね、聞こえた言うたら奴隷になる。自分が、自由意志で選んで見ないと選んで聞かないと、本当に自分の自由意志で選ばないとダメよね。だから、普通はみんな勝手に見てしまう、聞いてしまう、惰性で言ってしまうっていうような感じよね。それ、みんな奴隷状態なの。それじゃあ運命も何も支配できない。

 祈り言葉を一つ選んで唱えるんでも、一瞬一瞬二者択一で、どっちを選ぶかってね、真剣に選び続けないと。「ありがとうございます」って選ぶんでも、虚の世界の選び方と本当の世界の選び方と全然正反対だけどね、まず虚の世界で選ぶんでも、たくさんの中から一つ選び抜かないとダメでしょう。本当のプラスを最高のプラスをっていうね。だから「ありがとうございます」が本当のプラスで最高のプラスだと思うんだったら「ありがとうございます」だけを選んで唱え続けてないと他の言葉が入ってくる。心の隙に入り込んでくる。

 この世を見てるだけでも神さまを見てないよね。この世が見えてるっていうことが低い番組を見てるということになるでょう。「ありがとうございます」を真剣に、命懸けで唱え続けてるっていうんだったら、この世は眼中にないはずなの。この世なんて、もう相手にしないっていうぐらいの気持ちが出てこないと。
 真の神さまの一大循環の相象(すがた)だけっていうふうに「ありがとうございます」って唱えるんだったら、本当に、天照大御神さまが入れ子構造的に、無限に無限に一杯輝いて、循環してるっていう、すがたにね、心を向けてないと。虚の世界の天照大御神さまと本物の天照大御神さまと全然違うよね。虚の世界の天照大御神さまは最高表現として、虚の世界で一番輝いたすがたよね。でも真実の世界では、天照大御神さまが一番小さい最小単位よ。この最小単位の天照大御神さまでも、虚の世界の天照大御神さまと比較したら、無限倍凄いのよ。だから、虚の世界のどんな番組を見てても、見たことがマイナスを見たと同じなの。
 虚の世界を見てるということが、もうマイナスを相手にしてることになる。だから、それを絶対に見ないようにっていうんだったら、「ありがとうございます」を一心不乱に唱えてないと、虚の世界が心の隙に常時入ってくる。ましてやテレビを見たり、新聞見たり、人の噂話を聞いたりっていうたら、わざわざ自分で選んで見たり、聞いたり、言ったりしてるよね。やっぱり自分の見たり、聞いたり、言ったりしてる通りの自分に、その時なってしまってるの。本当の神さまと一体の自分っていうのを忘れてしまってるよね。本当の自分を見失って、自分の言葉で選んだ通りの、言葉で創った偽の自分を自分って思い込んでしまう。その偽の自分に波長の合うものを自分の世界として、また見るのよね。ただ波の合うものしか見えない、出会うことも絶対ないよね。だから、マイナスの言葉を一杯使ったら、マイナスの世界になって、マイナスの番組になって、マイナスの運命になってってね、マイナスばっかり出てくるのは当たり前よね。言葉通りに全部なってしまうの。

 虚の世界は、みんな自分の言葉で創造する世界だから、自分が全部創り上げて、全部自分に返ってくるのよ。真の神さまの真実の世界っていうのは、流れが順流ね、プラスの流れだけど、これはもう、与え尽くすだけ、恩返しだけ、新たに受けなおすだけだから、方向が一定なんよ。順流の流れ、プラスの流れっていうのはね。
 虚の世界は反対よね、逆流よ。虚の世界にプラスとマイナスと両方の流れがあるというけども、どっちも逆流よ。求める心、マイナスの言葉、全部反対の流れになる。プラスとマイナスの流れが、ぶつかったら必ず強い方は弱い方を弾き飛ばす。真実の世界の言葉は、本当の「ありがとうございます」が必要になるし、「新たなる」という言葉がいるよね。「新たに新たに」でないとダメだし、「無限の無限の何々が無限に無限に一杯」っていうくらいの大きいプラスじゃないとダメよね。だから本当に感謝の真祈りを真剣に祈ってるか、本当に神さまを選んでくれてるかってね、いつも問い詰められるのよ。

 真の神さまは選んでくれないと飛び出してこれない絶対ね。他を選ぶんだったら他を先に済ませなさいってなってくるの。力があるだけに絶対出しゃばってこれないの。真の神さまは、全部を捨てて一つに絞り込んだ時に出てきてくれるのよ。ここが違うのよ。虚の世界の神さまはね、ホイホイと喜んで出て来てくれるよ。でも真実の神さまは、絶対それはない。一つに絞り込まないと出てこれない。だから、本当に選んでるか、絞り込んでるかって、いつも問い詰めてくるよ。真の神さまだけっていうふうに絞り込んでるかってなるのよね。人は、完全な自由を与えてもらってるだけに、神さまは余計な、お節介をできないのよ。プラスは元から与えてるし、完全な自由を完全に与えてるし、神さまの持ってるものを全部、先に与えているから、それ以上何ができるかでしょう。一つの道を起動として与えるのは簡単なことなんよ。それはダメなのよ。自由自在に、どっちにでも動けて、なおかつ正しい道を一本道選ぶんだったら、一本道選ばなあかん。

 神さまの側から見たら、人の自由を絶対に縛れない。だから人の自由意志で、しっかりと選ばないとダメ。だから、自分が普段、心で、どんなことを唱えてるか、どれだけ唱えてるかってね、質と量を試される。どの程度の質の言葉を選んでるか、どの程度の量を唱えてるかよ、この質と量が問題なのよね。
 今日一日しかない、後一分しかないと思ったら、一日最高の祈り言葉を命懸けで唱え続けると思うの。今、大陸が海没するくらいの大地震になってね、みんな海に沈むんだって思ってごらんよ、一分後にっていうたらどうする。必死で「ありがとうございます」を唱えるよ。そしたら、神さまの助けが降りたら、虚の世界がマイナスが消えるかもしれない。今、原爆が頭上でバーンと爆発して落ちたと思ってごらんよ。どうする、どうして防ぐ、もう諦めるのか。本当に命懸けて祈らなあかんじゃない、そうしたら、無傷かもしれない、放射能なんか全部消えるかもしれない。
 本当の神さまの助けが降りたら、虚の世界マイナス全部一瞬に消えるのよ。そのくらいの力があるのよ。でも呼ばないのよね。本当の神さまを呼ばない。本当に言葉を選んで呼び続けてないと波が合わないのね。みんな惰性に流されて、余裕を持って先へ先へ先延ばしにするからね。お祈りでも何年か先に一生懸命になったら、助けてもらえるだろうなんて甘いのよね。今しかないって言わないと、今、真剣にならないと次の一瞬になれないから、段々と惰性に流れて怠け者になる。今しかないって言うたら真剣になるのね。この今の一瞬なんよね、今の一瞬が勝負なんよ。今の一瞬勝負に負けたら次も負けるよ、負け続ける。惰性に流れたらみんな負け続けるね。

 お祈りを本当に深める人は、いつも背水の陣を引くのよ。これ以上下がれないというところで、命を投げ出して、絶対後ろに下がらんのよ。そして命を懸けて祈るのよ。一分間の祈りを命懸けでやるのよ。その一分間の命懸けの祈りを何回も繰り返すのよ。長い時間祈らん、呼吸を止めて祈るん。呼吸してたら隙ができるのよ。本当に吐く息の時だけに、ずーっと祈り続けたら、心に隙がないよね。そのくらいの真剣さが、やっぱりいるのよね。本当に必要だったら祈るはずなんだけど、まだ、その必要性をいやっていう程感じてない、やっぱり甘いのよね。
 いつ悟るつもりですかって言われた時に、今、悟ろうとしないのね。何年後、何十年後、先延ばしにすると生き方が甘い。何年後って、この世にいないかもしれないし。あの世にいっていてね、そんなチャンスがあるかどうかもわからないし。本気で悟りたいんか、本気で真の神さまに出会いたいんかって、自分に問いかけないとダメよね。本当に願ってるか、虚の世界を選ぶか真実の世界を選ぶかってなるのよね。虚の世界を選んでも楽しいっていうかもしれないけど、思い通りになっても、また反動がきて苦しむのね、七難八苦で一杯になる。同じこと繰り返してるの、みんなね。
 思い通りにした分だけ大きいマイナスまた背負うから、その度に同じ苦しみ味わって懲りてるはずなんだけど、まだ真実の世界まで戻ろうとしない。惰性に流れた方が楽なん。流れをさかのぼってでも、泳げるぐらいの真剣さが本当は必要なんよ、鯉の滝登りみたいにね。

 真剣というのは、常に死ぬか生きるかでしょう。真剣勝負って死ぬ覚悟でかからないとダメよね、いつもね。死に切るっていう所までいかないと本当は真剣になれない。だからお祈りする時も同じなんよね。命を投げ出して命と引き換えに祈らないとダメ。自分を残しておいて祈ったってあかんのよね。真心こもらんのよ。自分の命を投げ出して、祈り言葉の中に投げ入れないとダメよ。「この命、全てお返しします、捧げます」そして、祈り言葉を唱えたら真剣な祈りよね、それは神さまに届いて、古い小さい過去の自分を全部消してくれる、思いを消してくれる。
 思いの小さい自分を残したままで、いくら祈ったって、神さまの中へ投げ入れていないから消えない。それでいてまだ、プラスを受けようとするよね、求めて受けようとする。求めて受けるのは偽物なんよ。本当は、求めんと押し上げてもらうような受け方がいるのね。だから、恩返し一筋で、神さまに全部捧げ尽くして、全部神さまに預けないと、そしたら無限倍の押し上げる力が循環してくる、順流として流れ込んでくるから、グーっと押し上げてくれる。本当の無限倍の押し上げる力を受けるためには、絶対、恩返しにならないとダメ。

 同じ祈りを「ありがとうございます」を捧げるんだけども、自分の命は残しておいてって、反対なの。何のために「ありがとうございます」を届けるの。全部消してもらうために届けなあかん「ありがとうございます」をね。過去の全てを、古い全てを全部消し切ってもらうために「ありがとうございます」を捧げるの。だから、全部神さまにお返ししないとダメなんよ。全部神さまに捧げ尽くす気持ちで「ありがとうございます」を唱えたら消してくれる。そしたら、新しい循環してくる大きい自分に戻っていくのよ。

 真の神さまとしての本当の輝いた自分が出てくるのは、古いものを返してしまわないと、絶対古いものを掴みを離さないと、お返ししないと、でも思いの心は掴むのよね。思いの心で、生きようとしたらダメよ。いつも「ありがとうございます」の心になり切らないと、「ありがとうございます」の心は、新たに受けなおす感謝の心でもあり、恩返しのそのものでもあり、真の神さまの自覚を、そのまま与えてもらうから、本心の輝いた心よね。だから、いつも「ありがとうございます」の自分が、過去の全てを捧げ尽くして、お返しして、祈り続けないとダメ。
 でも言葉選びだから、やっぱり「ありがとうございます」」を最高の言葉としっかりと理解して、とらえて、その最高の言葉を選び続けてっていうふうにならないとね。本当に選んでるか、本当に「ありがとうございます」が最高って思ってるかっていわれるの。また他の言葉、もっといいのがあるんかって、ないのにね。ないのに他の言葉を選んだら、まだ他の言葉を選ぶんかって言われてしまうのよ。

 だから、お祈りほど真剣さを要求されるものはないのよ。それで他のことでも、何でも真剣にする練習を積み重ねるのよ。他のことが真剣になれなかったら、お祈りも真剣になれないよね。お祈りだけが真剣っていうのはいかない。

 だから、普段から全てにおいて真剣に生きる。自分の全てを捧げ尽くして何でもしていかないと真剣になる為の練習にもならないよね。何もない状態に置かれた人ほど真剣になりやすいよね。だから、大震災にあった方が、全部を託した方が、マイナスから出発する位の方が、真剣に、本当は、なれるのよ。
余裕があって、何でもあってっていうのは甘くなるのね。だから、そういう状態に置いたら自分が大きいい損をしている。何があってもいいんだけど、常に自分をゼロに置かないとダメね。もう一つマイナス無限大に置くぐらいの気持ちで、新たに新たに出発しないと、やっぱり過去を掴んでると自分のものとしてプラスを掴んで、プラスの立場から出発するよね。でも全部お返ししたら、プラスはないよ、ゼロよね。本当のゼロ、絶対の零(れい)までいかないとダメよね。絶対の零(れい)まで自分を置いて、そこから出発したら、本当のプラスの生き方になる。

 これも言葉の選び方一つよね。どういう言葉を選ぶかで決まる。常に「ありがとうございます」に生きるんだったら、神さまの全てを新たに受けなおすために、まず絶対の零(れい)に戻る。その為には恩返し一筋、絶対奉仕に生きないと戻れないのよね。
恩返しの絶対奉仕っていうのは、絶対の零(れい)に戻る為よね。絶対の零(れい)に戻ったら、神さまの全てを最高のプラスにして受けなおせれる。だから、ゼロから受けるより絶対の零(れい)から受ける方がいいのよ。本当のありがたさが大きく深くなる。ゼロからだとまだね甘くなるのよ。

 だから、神さまに本当は弟子入りして、神さまの助けを受け続けないと本当の悟りなんて深くなるものじゃないよね。ましてや虚の世界にいてて、弟子入りも何もできんで思いを消してもらおうなんて甘いよ。少なくとも弟子入りしようとしないと。弟子入りの条件、自分の全てを神さまに捧げ尽くして、恩返し、絶対奉仕に生きることでしょう。恩返しの絶対奉仕に生きようとしなかったら弟子入りしようとしていないことになる。
 弟子入りするというのは思いも全部消えて本心輝くまで、できないからね。でも少なくとも弟子入りをしようと命懸けになったら、助けてくれる。弟子入りのできるように、全ての思いを消してくれる。本心を拝み出して、引っ張り出してくれる。そしたら弟子入りができるよね。弟子入りした時から神さまとの交流よね。与え尽くし合いの交流で大きくなっていくよね。本当の悟りへと、どんどん深くなっていく。 
 だから本当の悟りを願うんだったら、弟子入りは絶対しないとダメなんよ。中途半端は大きい損をしている。自分の全てを神さまに捧げ尽くさないとダメ。ちょっとだけじゃあ役に立たないね。全てを捧げ尽くして神さまの全てを受けなおすぐらいにならないと大きく自分が変わっていけないよ。神さまとの与え尽くし合いで交換するんだから、自分の全てを捧げて、神さまの全てを受け取ろうしないとダメ。ちょびっとだけって言うんだったダメ、一体化しない、絶対ね。中途半端は神さまには通用しないのよ。本当の全て100%全部を、神さまに捧げ尽くして、それで神さまの全てを受け取ろうとしないと、全部は受け取れんけどね、受け取ろうとしないとダメよね。

 自分の捧げた無限倍が、いつも循環してくるのよ。無限倍っていっても神さまは入れ子構造で大きいからね、どこまでいっても無限倍が循環して押し上げてくる。だから神さまの全てを受けるなんて、本当は絶対不可能なんだけど、それでも自分の全てを捧げて、無限倍を受けようとしないと。
 本当の神さまと交流っていうのはそうよね。交流して本当に一体化していくの。神さまと自分との間で本当の与え尽くし合いがないと一体化しない。だから、弟子入り、まずしないとダメよ。
本当の弟子入りは、永遠の与え尽くし合いのすがたをとるのよね。どこまでいっても神さまは大きい。永遠に与え尽くし合って、一体化するの。だから、虚の世界で色んな愛の姿ってあるけど、みんな与え尽くす小さい練習よ。自分の全てを与え尽くすための練習をしてるのよ、ちょびっとだけね。でも本当は神さまとの与え尽くし合いの練習が、できてこないと、神さまに対して自分の全部を与え尽くして、交流できるようにしていかないとダメ。これが本当の弟子入り。神さまに弟子入りして、どんどん大きい自分に変えてもらう。

 虚の世界の弟子入りは、弟子が師匠を利用してようとするだけよ、そんなんで弟子が師匠に助けてもらえるわけないよ。本当の弟子入りは師匠が無限倍の力で助け続けるから、弟子が立派になるの。どれだけ、真の神さまを信じ切って弟子入りを志願して、弟子入りをしようとするかよ。最初から大きいままでは神さま出て来ない。無限に無限に小さいすがたで出てきても無限倍なの。自分が大きくなるにつれて大きいすがたを見せてくれる。どこまでいっても永遠に師匠の方が無限倍に大きい。これは真実の世界の弟子入りのすがたよ。弟子が師匠を凌駕(りょうが)することなんて絶対ありえない。弟子の方はいつも無限に小さいの、師匠は無限倍に大きい。虚の世界はね、弟子が師匠より偉くなったりするよ。そんなん偽物だからしょうがない、程度が全然違う。

 だから、真剣さを本気をね神さま求める。本当に本気か、真剣か、命懸けかってね。その真剣な心で、まず言葉を選ぶのよ。「ありがとうございます」、恩返しの絶対奉仕に生きます。全てを捧げ尽くしますってね。やっぱり最高のプラスの言葉を、いつも唱え続けてないと忘れたらダメよね。神さまに捧げる言葉をいつも用意しておかないと、恩返し一筋に生きます。これも真の恩返し一筋に生きますって言わないと、真の絶対奉仕に生きます、真の全託に生きます、真の感謝に生きますっていうふうに、虚の世界の生き方じゃダメなのね。真の生き方がいるの、これも言葉だけよ。
 言葉だけでいいのね、言葉だけで言葉通りの自分になるから、正しい言葉を積み重ねたら、その通りの自分になる。その自分が正しい生き方をとれるのよ。でも言葉を間違えたら、本当に自分に、なれないから偽物の自分では何もできない。まず正しい言葉を積み重ねないと、言葉通りの自分になって、初めて本当の弟子入りが可能なのよ。まず言葉通りの自分、この本当の自分を創らないとダメよ。正しい言葉を選んで積み重ねて本当の正しい自分を創らないとね、これが一番大事なの。

 今の自分じゃダメなのよ。今の自分はあかんよ、過去の自分はあかんよね、そんな偽物よね、みんな、つまらん小さい自分だから。新しい本当の自分を創らないとダメなんよ、言葉で。今の自分は過去の間違った言葉の出来損ないの自分じゃない。言葉を間違っていたから偽物よ、みんなね。つまらん言葉で創ったつまらん自分よ。だから、本当の正しい言葉で、正しい自分を創らないとあかんのよ。言葉通りの自分っていうんでもね。本当の自分を創り上げて、その自分が神さまと一対一で、本当の弟子入りして交流するの。偽物じゃ神さまに近付けない、弾き飛ばされるだけじゃない。本当の自分を創らないと神さまと交流の中に入れない。順流の流れの中に入って交流しないとダメだから、まず正しい自分、その自分が弟子入りして神さまと交流するの、縦横無尽の交流をして一体化していくのよ段々とね。
 だから、まず、どんな言葉を選ぶかよ。本当に真剣勝負で、これが最高っていう言葉を自分で選び抜かないとダメ。

 だから、神さまへの恩返しの絶対奉仕って、どうしたらいいか。過去の全てを、自分の全てを、自分の世界の全てを、全部お返しすることよね。全部お返しして、次に、新たに全てを受けなおすことよ。一瞬全部消し切って少なくともゼロに置いて、もう一回新たに受けなおさないとね。だから、いつも新たに新たにって、一瞬一瞬、新たに受けなおして、本気でお返ししようとしているのよ。今あるものを掴んでおいて、お返ししてるなんて言えない絶対ね。
 自分も、自分の世界も、自分のものも全部、連続して続いてように錯覚しててね、お返ししたなんて言えないの。全部消し切らないとダメなんね。自分の世界、消えないとダメなんよね、お返ししたというんだったら、全部消えたって、宇宙に何もないって言わないとダメ。全くゼロになったって。そこまでお返ししたら消えたって言えるよね。そしたら、新たに受けなおした宇宙だったら、新たに受けなおしたって言えるよね。でも、それしてても、まだ虚の世界なの。まだ真実の世界の一大循環の相象(すがた)の受けなおしじゃないから、思いを消してもらうための受けなおしの練習なの。一瞬一瞬、古いものを全部お返しして、新しいものに置き換えていくの。自分の見てる世界を一瞬一瞬置き換えないとダメ。今見てる世界を全部お返しして、一旦ゼロになったって言わないとね。新しい世界を受けなおして、これもまたお返しして、ゼロにして、常にゼロに戻して受けなおさないと、お返しの練習にならないよ。本気でお返ししてないと思う多分ね。

 今ある世界が過去の連続で続いてると思ってたら、何もお返ししてないことになってしまうね。少なくともお返ししてゼロになったと思い定めないとダメ。今現れたのは、新たな世界なんだっていう区切りをつけていかないとね。その区切りをつけて受けなおす練習をしていかないと、本当の一大循環の世界の受けなおしなんて不可能よね。だから、一回一回の「ありがとうございます」が全部お返しして全部新たに受けなおす練習ばっかり。恩返しの絶対奉仕、全託、これ「ありがとうございます」全部お返ししてるのよ。また「ありがとうございます」が、新たに新たに受けなおしてるのよね、神さまの全てを。
 だから、一回一回「ありがとうございます」を真剣に勝負で、全部お返しして全部受けなおすっていうね、古い自分もお返しして新しい自分を受けなおす。古い世界を返して新しい世界を受けなおす。古い番組運命を全部お返しして、新しい番組運命を受けなおしてるっていうね。全て古いものもお返しして、新しいものを受けなおしてないとあかんのよ。これが一回の「ありがとうございます」の中に全部あるんじゃない。「ありがとうございます」一回言ったら、それをしてないとダメなの。次の瞬間も「ありがとうございます」言ったら全部お返しして、全部受けなおさないと一回一回が真剣勝負よ。この世で思いの心で生きてるようだったらダメよね。どんな思いを生きたってあかんのよ。本当の受けなおしがいるもんね、新たな受けなおしっていうのが大事よ。だから、どういう言葉を本当に選んでるかってね、いつも問われるのよ。

 本当に神さまを選んでるかって、「ありがとうございます」を選んでるかって。自分のためにっていうのは求める心になってしまう、思いの心になるから、いかに自分を与え尽くすか、与え尽くすだけがいいの。自分のことは、ほっておいたらいいの。与え尽くすだけに生きたら、新しい自分に生まれ変わってる。
 これ逆にしてるよね、思いの心はね。自分のために神さまを利用しようとしてるけど、反対なんよ、損してるそれはね。神さまのためだけに、自分を捧げ尽くしたら一番得をするの自分が、これ絶対そうなの。
 求める心は、無限に小さくなっていく。与え尽くす心は、無限に大きくしてもらう。だから、自分のことはほっておいたらいいの、神さまのためだけに生きたら、大きい自分にすぐなれる。自分のことを中心に考えたら、どこまでも小さくなってしまう。いつも神さまのためだけにするの。お祈りもどんなことをするのも、神さまのためだけにって、神さまのためだけに生きないと、そしたら、大きくなる。どんどんマイナスも消してもらう、大きくもしてもらえるけど、ちょっとでも自分を中心にしたらダメね。神さまを自分に引き寄せて利用しようとすることになったら、反対に小さくなっていく。ただ神さまのためだけに、捧げ尽くす、与え尽くす、これだけいいの、そしたら無限倍がね、神さまの方が循環してきて助けてくれる。
 順流と逆流の違いよ。順流に生きた時は無限倍の助けで押し上げてもらうし、逆流は全部跳ね返すされて、鏡になって写ってくる。だから、順流の生き方だけ、与え尽くすだけ、恩返しだけがいいの、恩返しだけがね、お返しするだけがいいの。恩返し一筋これが一番いいのよね。

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/MiLCDi4z0d0

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2022/04/04(Mon) 05:38 No.2527


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組織の業について→事大主義 by 河上彰延 [Mail] 2022年03月27日(日) 21時02分
PC

事大(ことだい)主義と組織団体

 今までの宗教団体や組織は、事大主義に犯されているのです。
 しかし、これは、組織や団体の所為ではなく、日本人が根本的に持っている事大主義に犯されているからなのです。
 
 では、事大主義とはなにか?事大主義とは、大いなるものに事(つか)える主義の事です。
 
 具体的には、組織団体等において、ある役付きの立場に立つと、突然自分が偉くなったように勘違いして態度が豹変する輩(やから)のことです。→社長秘書になった途端に偉そうにするみたいな・・・。

 あるいは、組織団体等において、自分の立つ位置を確立しようとして、その組織団体等においての自分の入った年数において、それを役付きの立場のかわりにして、先輩ぶるもしくは、先達ぶることです。

 この自分の立場を確立したと勘違いした時点で、自分より下のものには、えらそぶり、ある意味邪険にあつかい、自分より上のもの(大いなるもの)に対しては、おべっかを使いゴマすりをし、へいこらするのです。

 これを組織の業といいます。今までの、宗教団体や、いろんな会社組織等や、お役所等々において、こうならないところは皆無なのであります。

 では、どうしたら、この弊害をなくすことができるかと申しますと、それは、眞祈りしかないのであります。眞祈りという印可書を奉読、呼吸に宇宙神ありがとうございますと乗せる、ひたすらに一意専心16項目を奉読しつづけることが大切なのであります。

 具体的には、

1,20人以上の単位の組織をつくらない。

2,新たなる下座につく真(まこと)の本心の自分という立場を徹底すること

3、尽くし合い捧げ合いを、眞祈りを根底に(印可書を奉読等を根底に)おいて、徹底すること

 以上のことを徹底することによって、その弊害をなくすことができるのであります。

 しかし、何故、日本人特有の事大主義があるのかと申しますと、それは、すでにみんな悟っている救われている祈っているからなのであります。

 神さまは完全円満完璧大調和の全知全能の愛そのものであられますから、今が一番良いように良いようにされているのであります。

 どういうことか?と申しますと、神さまの絶対の愛つまり、すべては、真(まこと)の神さまであるという実感がすでに、日本人には、無意識にあるのであります。

 ですから、大いなるもの(→本来は真(まこと)の神さまそのもの)に無意識に事える(つかえる)ようにしようとするのであります。

 ただ、この大いなるものを小さく捉えるから掴んでしまうから、前述のような組織団体等においての弊害となるのであります。

 ですから、毎月の護摩を盛大に成功裏に納めることによって、眞祈りの響きを人類の潜在意識に響き渡らせることによって、より大いなるものである真(まこと)の神さまに事えることになり、すべての分け隔てが消滅して、すべて真(まこと)の神さまの御働きとすべての人類が実感することによって、はじめて、人類平等という一切の差別の無い世界が出現するのであります。

 そのときこそ、真(まこと)の世界平和が、真(まこと)の神さまの理想世界という一大循環の世界が出現するのであります。

 宇宙神ありがとうございます

 日本人と仮に特定しておりますが、人類と置き換えて読んでいただいても大丈夫です。


 血糖値スパイクを測る装置、グルコースモニターシステムについての問い合わせがありましたので、フリースタイルリブレです。 FreeStyleLibre.comで検索してください。


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3月深夜勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2022年03月27日(日) 20時53分
PC

令和4年3月河上さん深夜勉強会−1(20220318−1)

河上さん:はい、質問。

質問:1月に吐き気がしてあまり食べれないと相談した者です。吐き気がしない程度に食
べる量を減らしたところ、相談時には身長152cmで、43 kgあった体重が2月には40 kg を下回りました。3月になってからは、腕に血糖値を測るものを貼っています。この間の日曜、縁があって自律神経にアプローチする整体院に行って、疲れている胃や膵臓を整えてもらいましたが、かえって血糖値が上がりやすくなりました。好転反応かもしれませんが、元気は食べ物ではなく神さまからというのも分かるのですが、体がどうなるのかと不安にもなります。よろしくお願いします。

河上さん:いやー、癌か何か不安でしゃあないんやろ?体重が増えないというのは癌じゃないかなって、怖くて怖くて検査に行くのも怖い。な?神さまにどれだけ投げ出せるかだけでしょう?皆、あと10年は生きるとかね、あと10年ぐらいは生きれるやろってなんか勘違しているよね。寿命がきたら泣いても笑ても死んじゃう。
 
その神さまに投げ出すというのが、みんなわかれへんねんな。何で神さまに投げ出されんと思う?明日死ぬって分かれへんから。明日死ぬって決めたらいつも投げ出されるね。それ一瞬後に死ぬって決めたらいつも投げ出せるよ。それを先生流に言うたら「一瞬一瞬新たに受け直す」や。「一瞬一瞬新たに受けなおす」というのは神さまに投げ出せるからやね。投げ出せるから全てを受け直せるんで。投げ出してなかったらつかんでいるぶんだけ受け損なうねんね。

 もう常にそれだけやね。だから、それをね、優しく何があっても神さまが一番良いようにされてるって言うねんけど、それもわかれへんね。投げ出したいうことは神さまが一番良いようにしているていうことがわかるということや。だから痛くても文句を言えへん、先生のようにね。「神さまは楽をさせてくれへんなー」。とはいうけど、「辛いなー」とは言えへん。

 だけど、まあ今体の症状で「辛いなあっ」て言うわけや。「辛いなー」って言うてしもたら、もうスタートでこけてんねんな。

 昨日おとついやったか電話があってね「肺癌なりました」って電話あったんやけどね。
その時、詳しく説明させてもらったんやけど、まず肺癌になってどうしようと思った瞬間から全部崩れんねんな。「あっ、肺癌ていう形で神さまが使って頂いてよかった」と思ったら一気に変わるねんけどな。それが投げ出すやね。「なんで自分だけ肺癌なるねん?」と言うた途端にもう崩れんね。

 で、みんなね、もう平等にたくさん悪いこと過去世でしるわけや。だから何があっても良うなることはないね、ということをまず気づかなあかんねんけど。自分だけは大丈夫かなって勘違いしてね、自分だけは何とかしてほしいってみんな思うね。

 でもそのなんで「この世の今回の映画一旦締めます」て言うか言うたら、マイナスで一杯で神さまの方はもう、個人の自由意志でマイナスを消すわけやけど。要するに個人が神さまのお手伝いをしたい、神さまに全て投げ出します、お任せします。神さんが一番いいようにしてます、って投げ出してくれたら、一瞬で(消せるわけ)。

 (ともかく)自由意思でね(神さまが一番良いようにしていると思えたら)、神さまを遠くに置いていないでしょう?神さまと共にあると思ってくれたら消せるわけや。

 だけど「直してください」という時はもう神さまと自分が離れてんね。「なんでこうなるの?」って文句言った時は神さまと自分が離れているわけや。離れたら離れたぶんだけ光受けられへんね。でマイナス消されへんね。それでもう大変なってんね。で、これもうどうしようもないから、一旦映画終わりにしてマイナス一旦消して、まっさらに真っ白にして、それでもう一度やったらいいやろ、って神さま言うてくれているわけやね。

 でそれを先生が「もうちょっと待ってください」「人類の方で神さまにみんな命投げ出してね、人類の方からも神さまとひとつになってします」ということで待ってもろてるわけやけど、待ってくれんとなったら、ダッてなるわけやな。

 それを地球の形、大陸が沈むとか宇宙が消えてしまうとかという形にせずに、まずみんなの体に表して消すということになってるわけや。それが時間切れでいよいよ始まっているわけです。その方もまあ魁(さきがけ)で始まってきてんねんけど。この前肺癌なった人もそうやけど、だからどの病名付く付へんは関係なしよ。「ああ、この形で使って頂いてよかった」がまず最初やね。

 例えば事故にあう。事故にあって足がもう片足本当に駄目になったとしても「あっ、この形で使って頂いてよかった」やね。そこの最初のステップを踏み間違えると、もう真祈りしようしようと努力するとは思うけどね、なかなかできへんね。要するに現実を掴んだっていうことや、「こんなんなってどうしよう?」って言うたらもう現実つかんでん。

 あの人たちは幸せそうにしているのに、私だけなんでこんな不幸な目にあうのやな、まあ簡単に言うと、平均標準的な言い方で言うたらね、私だけ、私だけって言った途端にもう分け隔てている、神さまから離れているから、もう真祈りしにくいまま、いってしまうね。

 でその状態でも 印可書を奉読してくれたら、先生が「神さまの働きとするよ」と言うてくれてるねんから、本当は印可書をひたすら奉読するしかないねんけどね。言いようがないのね。ちょっともう時間切れで、おまけを付けようがない状態、に入ったんでね。

 その先生から言われてるのはね「お前しかできへんことでもう一杯になるから、あとは皆に振り分ける」って言うてはる。だから振り分けられていきます。もうこっち手一杯やからどんどん溢れているから。

 で今回もこのあとお伊勢さんへ行って、あと和歌山行って、名古屋行ってって、ちょっと大変やねんけど、それだけがいるぐらいね、もう23日水曜ぐらいまでやなあ、水曜ぐらいまでがでがちょっと勝負なんでね、色々と大変やねんけど。

宮野さん:富山行って貰ってるし。

河上さん:行ける人は行ってもらってんねんけどね。まあどっちにしても時間切れの意味がね、分からんままここまできたからね、そういう質問が出るのも仕方ないねんけど。印可書奉読してくださいしか、神さまが一番良いようにしてるから、良かったと思って印可書奉読できたら、一気に変わります。

宮野さん:直してほしいと思ったて、

河上さん:そう直してほしいと思いながら印可書奉読したら、まあそれなりに行きます。何もしないよりはずっといい、今のとこ。

宮野さん:さっきのね、ほらあの好転反応ていう言葉を残してはったじゃない?

河上さん:うんそれは現実掴んでるという意味やね。

宮野さん:そこがもうスタートが違うよっていう話し。「好転反応ではないよ」って。もうその言い方その時代、その時はもう終わっちゃった。もうすでに一切のマイナスはないの状態に今入ってるから、そのね。

河上さん:うん。だからマイナスを認めるっていうのは、神さま以外のものを認めた。神さま以外の物っていうのは人間が作ったものであって、神さまが作ったものと違う訳よ。

 いつも言うように演技であなたは悪者よ、古い水戸黄門で言うと、あなたは悪代官で、あなたが水戸黄門よ、って言って、マイナスをわざと作って楽しむわけでしょう?人間が勝手にマイナス作っただけであって、神さまは作っていない。

 だけど時代劇でもね。いい人ばっかり出たって面白くないわけや。色々あるから楽し
いみたいな。そうして楽しむために人間はマイナスを作っただけやねんけど、その作ったマイナスに文句を言い出すということは、演技でも、例えば悪代官を掴んだらね、水戸黄門が終わっても「はい撮影終わりましたよっ」て言っても、本人悪代官のままから抜けられへんようになるやん、ね?つかんで無いから演技して楽しめて、悪役も楽しめて、普通の俳優さんに戻れる訳で。

 現実を掴むっていうのはそういうことや。掴んでしもうたらもうそこから戻られへんね。

 だから好転反応っていうことは、マイナスがあるからから、プラスに変わっていくっていう感じかなで言うてしもてんね。もともと古神道でも、神道でもそうやけど、神道の祝詞の中にね、「一切の罪という罪あらじ」って、ちゃんと言うてあんね。あの天津祝詞で十分効果あるねんけど、ほんまは。あんねんけどみんな信じへんから、先生印可書作ったんやけどね。

「一切の罪という罪あらじ」や。だけどその表現でもまだまだゆるいね。「全て真の神さまだけ」という先生の表現で正しい。

宮野さん:先生の中に、昔好転反応っていう言い方をしてはったから、今この、今になってもまだ、好転反応って言う言葉をたぶん使いはるんやろうな。

河上さん:印可書出る前の話やからね。その例えば「ありがとうございますは真の神さまそのもの」て先生言うねんけどみんながついて来られへんから、「ありがとうございますは感謝の真祈り」って言わんとね、みんな、ついて来られへんから「ありがとうございますは感謝の真祈り」って言ったら、今だにまだ「ありがとうございますは感謝の言葉」と勘違いしているのがおる、って先生怒っる話があるねんけどな、そういうもんや。今だにまだ好転反応って言ってるようではまだマイナスを掴みすぎ。それも自分と関係なしにマイナスが出たと思っている。自分の作ったマイナスが自分の体に現れるだけや、はっきり言うとくけど。

宮野さん:だからこそひたすら印可書を読み続ける。

河上さん:自分を責めたらあかんからね、縁者のものやって言うて柔らかく言ってるけどな、はっきり言うけど全部自分のものが表れるからな。

宮野さん:縁者も自分じゃない。

河上さん:そう。二つ(質問)め。

質問:引越し、転勤のシーズンで、自分の意思ではなく転勤で見知らぬ土地に住むこともあります。一度離れたのにまた元に戻ることもあります。それは偶然ではなく過去世で住んでいたとか、何かお世話になったことがあるとか、何かしらその時に縁があるということなのでしょうか?今はその土地で真祈りさせて頂くことに、大きな意味があると理解しております。

河上さん:うん。全て必然です。神さまは無駄なことはしません。それだけ。神さまがいいようにされただけ。はい。

質問:宇宙神ありがとうございます。河上さんの勉強会の質問になります。家族が癌になりました。まだ結婚していなかった若い姉妹です。乳癌です。手術の日も近づいています。命のこともあり心配しています。自分のことならお祈りをさせて頂いているので、松下先生のように自分が病気になる覚悟はどこかにあったと思いますが、家族のことになるとどうすればよいかわかりません。どう受け止めてよいかわかりません。「お祈りをしたら良いよ」と伝えているのですが、なかなかできないようです。真の神さまは自分の身代わりに家族の姿を通して病気を背負ってくれている場合もあるのですよね。真の神さまの愛の姿なのですよね。
 またこのお話とは別に目の前の人は演技をしているとお話もありました。私は映画館でまだ映画を見ているのでしょうか。松下先生が現実は本当の世界ではないと言っておられると思います。本当の真実の世界を知りたい。真実の世界を知ることが現実無視をすることだ、お祈りを深め、まことに真の神さまのお手伝いになるのであればそうしたい、松下先生はまた病気の人を真剣に拝み祈ることも以前に言っておられました。自分を死に切ると、これから具体的にどのようにお祈りをしていけば良いのか、教えてください。そして現実をどのように受け止めていいのか良いか教えてください。そして家族へのアドバイスとして、もう一度癌になるのはなぜか、何を気付けば良いのかアドバイスをお願いします。よろしくお願いします。全てに感謝。宇宙神ありがとうございます。

河上さん:家族といえどもみんな好きにします。その自由意志はしばれません。その一切は真の神さまの御働きっていうのが真祈りですから、そのマイナス、病気を、先生から病気治しを教わった時から、そうやったですけどね、病気を治すって言ってお祈りするのは病気直し違うね。ただただ、神さまの、あの当時は「み光み力み命」やってんけど、神さまの御光だけって、祈るのが、要するに現実無視が病気治しやったね。だから病気治しっていう表現の祈りもちがうねんけどな、真祈りしかない。ちょっとでもその病気、癌って認めたらもう終わり。

 だからこの前の質問の時でも言っているように、「癌っていう形で神さまに使って頂いてよかった」その自分以外でも、癌っていう形で使って頂いてよかった」と思うとまだ真祈りや。なんで癌の姿になったの。何のマイナスのせいで癌になったの、というのはもう真祈りと違う。それは虚の世界のマイナスが病気ですけれども、それに対して今までの宗教は虚の世界のプラスを持ってきて消そうとする。それで例えば「はい」って言えへんから肺癌になったとかな、まあ色々あるねんけども。そういう表現をして結局病気の人を責めるのね。今までの宗教は虚の世界の宗教やから仕方ないねんけど、もう五井先生の所の白光真光会以外は全部そうやね。虚の世界の話を、虚の世界のプラスで何とかしようとしただけやね。

 だからお祈りが強くできる人に頼ってなおるとかね、勘違いする。

 みんなが総責任者で真祈りするだけやのにね。いかに全ては真の神さまの御働きだけと思いなおせるかだけ。それっていつも言うように「神さまが一番いいように使ってくださっているだけ、癌っていう形で使ってくださっているだけ、 乳癌っていう形で使ってくださっているだけ、よかった」や。

 その結果すぐ死んでも或いは手術して死んでもよかった、やね。でそこまでわからないと、本当は治るものも治らへん。

宮野さん:まだ寿命がある。感じがするのよその人ね。

河上さん:そこまで言うん?そしたらどうぞ。

宮野さん:うん。でもね、寿命がある感じがするから、その手術をして死ぬかもしれないってわざわざ、その自分の言葉でもって「死ぬ」っていう言葉で、掴んでいってどうするのってね。何よりも病気で死ぬわけではない、癌で死ぬわけではない。寿命で死ぬわけなんで、寿命が来たら、それが事切れた時に亡くなる訳だから、この世的には死亡の病名を書かないといけないから,癌で死にましたとか、色々あるんでしょうけれども、みんな癌で死ぬわけではない。寿命がきたから死ぬ、最初に生まれた時、命をもらって降りてくる時に、寿命が来てその寿命が全うするまでの間に、いかに神さまに使って頂くかっていうて、お仕事をしたいと思って皆さん降りてきはって、というお話でしょう。

 そのお仕事が終わったから、出来ても出来なくても終わったから、期限が来たから戻るわけでじゃない。戻り先は色々にしても、とりあえず癌で亡くなるわけではない。本来の寿命がまだその人にはあるのに、その自分のその言葉でもって、その人の寿命を短くする恐れがあると思いますけどね。

 そんな暇あったらね、よく使ってくださっているんだって、何よりも自分と他人を分けているよね。自分の、子供でさえ他人として、分けているわけでしょう?自分だったら耐えれるのに、お祈り出来てって話やけど。でも自分の娘、娘だろうが例えば隣の人であろうが、それが全然違う国の人であろうが全部自分じゃない。分け隔てして耐える耐えへんの話ではない、と思うね。

 自分だったら耐えれるんだったら、自分で自分と一つであると思うその他人、娘でもあろうがみんなひとつやなんやから、自分の真祈りが足りないからこうなったかなっていう話だと思う。ひたすらお祈りをし続ける、それによって病気の形を取るかもしれないけれど、でも本来の寿命を全うできるんじゃないの。わざわざ言葉によってその寿命を短くしようなんて変な話かなって思うんですけど。

河上さん:優しい。時間切れでもあんだけ優しく言う。まだまだしゃべってくれるの。

宮野さん:そんなわけない。

河上さん:ちょっとトイレ行ってこようかな。

宮野さん:大丈夫。心頭滅却すればトイレも我慢できる。

河上さん:それだけ。

質問:ありがとうございます。

河上さん:まあね。もうおまけの時代が終わってしまったんでね。あれなんですけど。みんなが松下先生として働いて頂く。働き方はみんな自由です。本当にたくさん死ぬから。

宮野さん:だって皆さん、どうしたら不安じゃなくなるの?死ぬ日がわかったら不安じゃなくなるのかな?自分の死に方がわかったら不安じゃなくなるのか?

河上さん:死ぬ日がわかったらみんなもう、怖くて生きていかれへん。

宮野さん:そうでしょう?死に方も分かったらこわいでしょう。きっと。うちのスタッフとかに死に方、私、何やったかな、「肝硬変、肝臓悪くなるからそれ食べたらあかん」て言われてんねっていうから、あんた肝臓悪くなって死なへんからねって、死因は違うからっていうたら。「えっつ、私?」、「死因言うたろか?」って言ったら「それは結構です。」って。「死に方教えたるけど。」言うんやけど、でも自分が死ぬ原因で言い方悪いけど、寿命で死ぬんだけれども、あえてこのような肉体的に言う病気でその人は死なないのに、なのに違うことをすごい掴んでいるみたいな。

 掴まなかったらサラサラと別のスタッフ。あの大腸癌だったんだけど、大腸癌で一応ポリープあるし大腸癌だっていうことはわかっているんだけれど、行ってでも大丈夫だよって。

 大丈夫やからって、大腸癌になっても大丈夫やからって言って検査を受けたら、やっぱり大腸癌だったの。「言われた通り大腸癌でした」って。「でも大丈夫やったでしょ?」って。で

 その会話をした時に「はい先生に大腸癌で言われてどうするんですかって言ったら」「いやほっときましょう」って言われた。「えっ、ほっとくんですか?」って、「うん、ほっときましょう」って言って。それから1年後にまた検査を受けたら、そしたら消えてる。

 それから毎年受けているけどずっと消えている。今年も受けたのね。「今年もなんか出血しているんで大腸癌の検査行ってきます」って言うから「うん大丈夫やで」って言って、私もそう思うし河上さんに見てもらっても「あっ大丈夫、ポリープはあるけど大丈夫やね」ていう話をしていて、そしたら案の定やっぱり「ポリープはあっただけで大腸癌はありませんでした。」て「言った通りやったね」って。言われたけれども、掴まなかったらあそうやねんね、大腸がんでも掴まなかったら、そうなんやそうなん、使わなかったらそうやって勝手に消えていくっていう話。

 マイナスを掴まなかったらそうやってサラサラと消えていく、どんな問題もね。でその直さなくってそのまま生き続ける方法もあるし。っていう話やねんね。掴まなかったらその寿命まで全うするまで生き続けるていう話で。どうその病気と付き合うかっていう話で、進行させずにそのまま生きていくっていう方法もあるので。

 さっきの大腸癌でポリープだったという子は今度は「胃がん」って言われていたので「検査してくれ」も言わんのに一応検査されて「わたし頼んでもいないのに胃を検査されてしまって」て、で胃癌やって言われた。電話あってすぐに聞いたら「胃癌だった」ってそれも「でも大丈夫やからって」言って、「ちょっと焼くだけやから大丈夫やって」言われたから、前も経験しているから「ああ大丈夫やねんな」ていう。

 その病名を病名で掴むけど、「風邪ですよ」って言われても「あっ、そうなんや」て言ってつかまない、「大したことはない。」と思って。でも癌やって言われるとこうみんな構えてしまう。治らないかもしれない、命取りかもしれない、命取りかもしれないなと思うから、掴んで命が短くなってちゃう、ということね。自由意志は変えられへんから、先ほどのお手紙の方も、あの本人さんも大変なことがあった、死ぬかもしれへん、いうことを掴むから、死ぬかもしれへんは死ぬよねっていう話しやね。死に一歩でも近づいていくっていう話。自分で一生懸命、その本来ある寿命を一生懸命手繰り寄せて手繰り寄せて、短くしようという形になる訳やない。

 でも、いやいやあの癌でありながらも、例えばどんな状態でありながらでも、糖尿でありながらも、肝硬変になろうが腎臓病であろうが、いやいや「寿命を全うします」って「神さまの御用に使って頂くんだ」と思っていれば、その病名は医者が勝手につけてくれるんだけれども、そのまま進行しないでそのまま生き続けるということやと思います。

 病気一杯した人が長生きする人っているじゃない。そういうのはそうやと思うのね。まあ人の話聞いてへんというのもあるけね。その方もそうかなっね。寿命がまだある方なのにそうやって寿命を短くしてしまうのかっていう。あえてマイナスととらえない事やね。

(おかえりやす。ようお帰りで。)

宮野さん:マイナスをマイナスと掴まない。寿命が来るまで生き続ける。病気という形を取りながら生きていく。

河上さん:真の神さまっていうことだけや。それが一番みんなある意味難しいでしょう?簡単に言うたら怠けている姿とか、ずるい姿を見た時にね、それを許せないわけでしょう?許せないからマイナスと認めるねんけどね。そこだけやねんけどね。それが一番。だけどそれがマイナスと認めたとたんに戦争の原因を作っていくね。

 戦争当事国とか問題を起こす国、また人でも団体でもそうやけどね、そういうとこっていうのは、いわゆる先生の言う我の強い人が主導権を握っているね。我の強い人というのは何ていうの、その自分の身内いうのかな、身内だけ身贔屓(身びいき)してそれで引き上げてね、その身内以外をこき使うというか、ていうことをするね。結局内部崩壊していくねんけどね。でそれがちょっと国同士になるとああいった戦争になるね。

 だから前言ったようにね、20人以上の組織を作るとそれが始まるね。20人を超すとね、
上の方で身贔屓をやってそれはもうどこの会社に行っても、もう大きい組織だったら全部そう。それで幹部におべっかを使ってね、ごますりが出てくるしな、逆にそれに対してこう反発してなる人もおるしな、色々あるやん。全部それ何かって言ったら我の強い人の身贔屓から始まる。所謂差別にもなる訳やね。はじき出すみたいな。

 それってマイナスを認めるからやねんけども、その我の強い人がそんなんしているて言うてマイナスに見る方も、もうすでに認める同類やねんな、本当は。本当は同類やねんけど、自分らは違うけど、あの人らはずるいことしているみたいなになっていくね。もうそこだけやねんけどな。

 それを先生はものすごく悲しまれて、だけど、人の自由意思は縛れないから、ひたすらお祈りだけに入っていかれたわけですけどね。2000年ごろは、ここへ上がってきたころはたくさんお話してくださって、一杯一杯お話されたんやけど。結局いつもみんな分かれへんね、やっぱり人を責める。で身びいきがある。で使えん奴はおいだすみたいなね。


令和4年3月河上さん深夜勉強会−2(20220318−2)

河上さん:だけど、みんなそれを聞いて、「いや自分は違う」と思ってもな、例えば何かして、自分は一生懸命やったと。で、あの人はあまりしてないと。だけどそれによって例えば、そうやね、収穫の時期が来て、まぁ、りんごにしよう。果樹園のりんごを収穫に行ったと、一生懸命やった人は沢山りんごを集めてくるし、あまりしない人はちょっとしか集めれないけども、その時行った20人で、例えば200個のりんごだったら10個ずつ分けましょうと、平等に。と言った時に文句が出るね。それがあかんというのが分からへんね。

宮野さん:それがね、小さい子供、自分の子供とか孫やったらね、少なく貰ってても良しとするのね。小さい子が、「3つ採ってきたの」って言うよね。あんた○○○ 10個なって言われたらなるじゃない?身びいきの時。それが他人さんやったら不満が出る。小さい子はいいけど、若しくは身内だったらいいけどって感じじゃない。わかった?今、言った話。聞こえてる?もしもし?聞こえてます?

河上さん:だから全部、真(まこと)の神さまの御働きというのが皆分からないんでしょう。もうそれに尽きるわけや。身びいきであろうがなんであろうがね。そこだけやねんけどね。

 それはもう「印可書」を奉読するしか実感としては分からないね。あの人サボってたのにサボってた人にも同じように10個りんごを分けるの?みたいなね。捧げ合い、尽くし合いというのは、りんごを採るのが得意な人は採ったらいいし、運ぶのが得意な人は運んだらいいしというね、そういうもんやね。みんながりんごを採って、自分で運んで、そこへ集めて、じゃ無いねんけど。

 今の社会、組織、人類の意識というのは、皆平等に同じ事をせなあかんみたいな勘違いがあるね。

宮野さん:支え合いがあっての…


河上さん:それって働いたことが、お金で評価されるという為やねんけどね。それって虚栄心やねんけどね、褒められたい。お金がなかったら褒められたい。だからオリンピックなんかしない方がいいと思うね。あれって褒められたくてしてるみたいなところあるでしょう?オリンピックしてもいいんだけど、金銀銅なんてする必要はないと思う。

 最初のオリンピックは、ただ月桂冠を配っただけでしょう。それって競いあったんじゃなくて、お互いに支えあっただけやからね。

 実感として真(まこと)の神さまの御働けだけって。分かる? 或いは、怠けている姿も演技してるだけって分かるのは、もう「印可書」の奉読しかないよ。それに尽きるわ。

 だけど「印可書」の奉読が浅い人は今みたいにね、「癌になってどうしよう?」とかってやっぱり出てくるの。っていう説明を一生懸命してもう6年経つねんな(笑)。それでとうとう時間切れだから、もういいん違う?とか思いつつ、今また喋ってるけど(笑)。

宮野さん:だからきっとね、「印可書」を読んでれば、ほら、信じるか信じないかに関係なく、「印可書」を読んでれば効果あります。神さまの御用になってるんですよ、お手伝いになってるんですよというのが…

河上さん:いうのと、この世の不幸とは別です。

宮野さん:うん。多分そこをね…

河上さん:「印可書」さえ読んでたら、自分だけスイスイとくぐり抜けれるというのは違います。それやったら先生、熱出さない、咳出さない。ちゃんと先生、見本を見せてるね。真祈りしてても熱出して、咳出して、肺も無くなって、最後足も動かなくなって、口も動かなくなってでしょう。

宮野さん:だから多分そこら辺をね…

河上さん:で、それを勘違いした人がね、先生喋れなくなったから出て行った人が多いわけや。先生、ボケたみたいに勘違いしてな。最後の最後まで先生は、全部自分に背負い込んで持って行かれたわけやけど。

質問:ちょっとそれに関連するようなご質問を預かってきたんですけど。

河上さん:どうぞ、お願いします。

質問:3月の護摩焚き、河上公演で、「だからマイナスに心を奪われる癖があるけど、神さまがよく仰るのは、考えたらあかんって言うわけですよ。考えるのは何かって言うと、マイナスだから考えるのね。プラスだったら「ありがとうございます」で終わりでしょう。要らんことを考える。要するにマイナスを、現実を掴むとか表現いろいろありますけれど。マイナスをわざわざ掴みに行くんよ」とありますが。何も考えず真祈りだけで良いのでしょうか?河上さん、(松下先生も)、自身もかなり勉強し考え抜いて今があると。当然、それ以上に真祈りは欠かせなかったと思いますが、考えるというのは分け隔てるからとは言え、現代文明の発展や科学の発明等もその考えるという行為で行われてきている。その結果が地球危機となってきているのも事実。神さまの最終的アプローチとして、一切の現実無視により考慮癖を止め、真祈り、「印可書」奉納だけに生きることを推奨しているのでしょうか?できれば河上氏の現実無視の具体的な生き方、お仕事やおさんどん、生活一般について教授いただければ幸いです。

河上さん:屁理屈やな(笑)、一言。どういうことかと言うと、例えばこの世の科学の凄い発見とか、考えたから出来たって言うわけでしょう。考えたって発見できないね。

 例えば音楽の凄い、まぁ、ベートーベンの第九、ベートーベンが作曲するわけだけど、考えて作曲してないから。真祈りして神さまから直接受け取って、それを苦労して肉体表現、この世の表現に出すのに苦労はされるけども、考えてない。

 だから考えて僕は生活してないからね。表現、言いようがないけど、単なる屁理屈やね。考えることによって何かが生まれ出されて、考えることによって正しいことが行われるみたいに思ってるけど、違う。それを分からない限り、永遠に迷路に入っていく。

 それだけやからな、言いようがないね。気の毒やけど、勿論個人の自由意志だからね、どういう風に思って、どういう風にされるのも自由だけど、迷って苦しむだけやね。

 人生で言うと、人を責める、人のせいにする。人のせいにするというのは責めてるんだけど。人のせいにして生きて行きはるわけやね、考えるという事はね。考えるということは、そういうことや。そしたら、マイナスを積むやろ。そしたら個人的には色んな不幸が訪れるわね。

 それを神さまがいつも消して消して消してね、先生の言う、大難を小難に、小難を無難にしてもらってるんだけど、とうとう時間切れで、そのおまけが消えたからな。これからあっという間という、それだけです。それで大変だから「印可書」があるのでね。

 このマイナスに掴んでしまうと思う人は必死で「印可書」奉読してたら何とかなります。

質問:先ほどお話しされた中に出てきた、「印可書」奉読の浅い深いっていう、その部分の違いと言うのは?

河上さん:それはね、「印可書」に縋る(すがる)くらい深くないとね。「読めと言うから読んどこか」でも効果はあるけど。神さまのお手伝いをしたいって。「印可書」を読むことが神さまのお手伝いですよって言ってるね。「印可書」を読むことが神さまのお手伝いですよってね。神さまのお手伝いをすることがいいんだよって言っても、何をしたらお手伝いになるの?ってみんなわからなくて困ったわけや。「印可書」読むことがお手伝いですよって言ってるんだから、「そしたら読んでお手伝いをしよう」っていうのが深いね。

 だけど、お手伝いと思わずにね、「読んだらいいんやろ、読んだらいいことあるんやろ」で、読むのが浅い。「印可書」は凄いからね、「1日3回読んだらいいんやろ」でも結構効果があるの。だからやねんけどね。

 それでも「「印可書」を読んだら悟るんか?」って言うて読むと悟らないね。何でかと言ったら、既に自分は悟ってないって決めてるからやね。いかに「印可書」でも、その人の自由意志は変えれない。

 素直に「はい」やっていつも言うのはね、その人の自由意志で決めつけている部分を無くすためよ。自分はこれだけのもんやとか、自分は不器用やとか色々あるけど、全部自分が決めて自分が縛ってるの。そんな要らんことを考えんと、素直に「はい」って言って、「印可書」奉納したら、本来の自分が出て何でも出来るんだけどね。

 この人は自分で自分を一杯縛ってるんだけど、縛っていることすら気づかない。で、考えて作ったことで戦争が起こってるとか言ってるけど、考えで作ったことで戦争が起こるんと違うね。この人はそう言ってるやんな。そんなんで戦争起こらないね。人を責めたからや。人のせいにしたからや。それが溜まりに溜まって戦争になるのね。だって国のレベルでもそうやんか。「お前のせいでこないなったんじゃ!」って。「嘘つけ!お前がこんなんしたからこうなったんじゃ!」って国同士でやり合うわけでしょう。それで疑心暗鬼になって、「おいコラ!」って始まるわけやんか(笑)。それは個人の喧嘩でもそうやね。最初は言い合いからや。

質問:馬頭観音について。よくここは古墳だったのではなかったのかしら?という様な所に置いてあるのですが、どのような役割、役目をしているのでしょうか?

河上さん:何でそんなん知りたいんかなぁ?と思って(笑)。馬って霊感が強いんよ。だから危ない所には行きたがらないしね。馬というのは真祈りの象徴みたいなところがあってね。だから1馬力とかね、単位の象徴に馬を使うでしょう。別に馬じゃなくてもよかったんだけど馬を使うでしょう。真祈りの象徴なのね。

 そういう場所に馬が行くんよ、ほっとくと。で、馬がよく行くところを馬頭観音って。そこへ行って死ぬからな。ニャンコさんでもそうやねんけど、光の降りる所へ行って死ぬのね。

 古墳というのは、光を降ろす場所やからね。久方(ひさかた)って言うんだけど。それだけ。馬は草原の生き物だから、あまり石の所とかを歩きたがらないのね。で、蹄を入れるよね、蹄鉄(ていてつ)。で、石の所を歩かすんだけど、土が詰まってきたら、いわゆる人間で言う水虫になるねんな。だからしょっちゅうそれを掃除してあげなアカンし、大変なんだけど。それでもこないなってきたら、そういう所に行って死にはるのね。その水虫になったので、病気になって死ぬのね。だから馬って手入れ大変やね。で、蹄鉄に入った土を取ってあげるのに必死で擦るんだけど、やっぱり気持ち悪いとカって蹴りよるからな。気持ちいいように擦ってあげなあかんから。中々、馬の世話って大変。まだ牛さんの方がアレやね。

宮野さん:さっきの河上講演って、この辺にそんな名前の公園あったんかなと思って聞いてた(笑)。どこの公園の話やろうって。

河上さん:自分の方が偉いと思ってはるのね。だから偉いんやったら自分で分かるんやから聞かんでいい。僕より真祈りができるって思ってもらえる方が僕は楽やからいいね。全部その人に任すからね。

質問:そんなん思ってはるんでしょうか…?

河上さん:うん。先生はね、先生より真祈りが出来ると思う人が少なかったから、全部先生が引き受けないといけなくて大変やってんけど。僕は楽。

宮野さん:いいやん、みんなしてくれるから。

質問:福島にお住みの方なんでね。

宮野さん:大変ね。それぞれほら、さっきの話で。住むところが縁があって住むわけやから。だからねぇ。

河上さん:例えば昔あったんだけど、「先生、何の本を読んでいるんですか?」とかね。「先生、何を食べるんですか?」とかあったやん?それ聞いてどうするん?

質問:分からないですけど。聞いてはりましたね。

宮野さん:それと同じように、おさんどんどないするんですか?とか(笑)

河上さん:「先生、漫画読むんですか?」とかね。「先生、週刊誌読むんですか?」ってやるわけよ。「先生でも漫画読んではる、週刊誌読んではる」ってね、わけわからん人は言うわけ。先生がなんで週刊誌を読んでいたか、漫画を読んでいたか知らないね。

 なんで新聞をね全部集めて、5つ位やったかな。全部目を通しはるしね。週刊誌も。それでテレビも見はるね。なんでしてはったかって。誰も分からないね。「先生でも漫画読むんや」「先生でもテレビ、ああゆうドラマ見るんや」って先生を貶(おとし)めて言う人しかいなかった。

宮野さん:貶めない人もあったよ。親しく思う人もいたよ。

河上さん:なんか知らんけど、どうでもええ(笑)。

宮野さん:そんなにね、かわいそうじゃない、思った人が。近しい人みたいに感じたいからそういう風に捉えはった人一杯いらっしゃる。

河上さん:真祈りはね、もの凄い光が強いの。それを、どういうフィルターを通して弱めてお清めに使うかがすべてやってんね。それを新聞を通す、週刊誌を通す、漫画を通す、テレビドラマを通す、テレビで歌ってるアグネスチャン通すとかね、色々しはったわけ。で、勿論その為に色んな種類の村人を集めて、その村人を通して光を通すのもされたし。「こうやるんやで」って言って先生はすべて見せてくれたんだけど、誰も見てなかったんや。ちょっと怒っておくけど。

宮野さん:分からないと思います。怒られても。


河上さん:いや、僕は怒っとくけどって言うてんねん(笑)。

宮野さん:いや、だからね、分からないし。

河上さん:分からへんやないやろ。師匠に心を合わさんかい、とか思うけど(笑)。まぁいいや。

宮野さん:いや、多分、河上さんが言ってはるのが分からへんし。

河上さん:ともかく、ありとあらゆる、そうやね、声でやったら出ない音色をね、笛とかハーモニカとか使うわけでしょう。そういう感じのもの。

宮野さん:何が?

河上さん:だから先生の普段の生活よ。食べるものを通して光を送りはったしね。先生がされた一挙手一投足は全部、真祈りやって、その真祈りのサーチライトのような光や、先生はな。まぁ簡単にいったら。

 それをいかに懐中電灯の様な光に緩めて出すために苦労されたわけ。で、こういう風にするんやって見せられたから同じ様にやってます。それだけです。

 只、それをね、それを和光同塵と言うんだけど。慈悲喜捨(じひきしゃ)とも言うんだけどね。供に楽しみ、供に喜び、供に悲しみってね。その供に悲しんでいる部分を、或いは、この地上の方に表している部分をね、「あっ、先生でも漫画を読むんや」ってみんな勘違いする。「先生でもあんなテレビを見はるんや」みたいなね。違うやろって(笑)。

 だから相談事があった時、先生は一緒に泣いてあげてはったんや、よく。そしたら先生でも泣くんかって言うんか?その真祈りの仕方は色々あるんだけど、その色んなパターンをみんな受け取れなかったから、もう「印可書」に先生が集約しはっただけでね。だけど「印可書」を読み込んでいったら、奉読していったらね自然に分かる。

 その時に光を合わせてグッと出すときに、自分の体に癌が出たり、コロナが出たり、色々あります。あるけど先生のお姿を見てたら分かるように、次の一瞬は消えてるの。掴まなかったら。

 だから「印可書」を奉読してるのに、癌になったって癌を掴んだら、自分の自由意思で掴んでるから消えないよ。それを、「あっ、癌という形で神さまが使ってくださった」って言ったら、癌を掴んでないから一瞬で消えていくね。それを6年間一生懸命説明したんだけど全然通じない(笑)。もういいかなぁとか思うんだけど(笑)。

 現実を掴まないということを色々と、色んな角度から言ってみたんだけど、中々みんなやっぱり人を責めるのが癖、人の不幸を喋るのが癖だから。そのマイナスを掴みに行くのが好きやな。ほら、オカルト映画を見に行きたいとか(笑)。怖がりのくせにオカルト映画見るなよとかって思うんだけど、みんな好きやからな(笑)。楽しいことばかりだったら面白くないのね。で、やっぱりそういう不幸なものを見るんやな。

 映画もそうでしょう?幸せな映画ばっかりやったら面白くないのね。だからちょっとヒロインが苦労するような、「おしん」とか「スターウオーズ」とかあんなが良いわけよ。

宮野さん:古いなぁ。

河上さん:古いか、やっぱり。今やったら何やろう。

質問:韓国ドラマでしょうか。

宮野さん:非現実的なもの…

河上さん:もっと幸せなものをばっかり見ればいいのにな。なんかいじめられてどうこうというのって結構流行るやん。或いは根性もので、スポーツで猛練習して勝つのがいいみたいに。

宮野さん:巨人の星はあかんの?

河上さん:だからもう名前出さへんやん。

宮野さん:柔道一直線もアカンで。聞いてる人分からへんねんから。

河上さん:そうやな。昔は宴会芸で巨人の星を歌いながら、うさぎ飛びするのね。あれを受けたんや。

質問:そうなんや。

河上さん:知らん?「巨人の星」の最初のテーマの、「思い込んだらー巨人の星をー♪」っていう歌が流れる時に画面では、うさぎ跳びしてるやん。あれだけで受けたんやけどな、今はそんなんも知らないから。

宮野さん:誰もわからん(笑)。

河上さん:だからあれでも、ともかくわざわざ苦労してるのをみんな喜ぶんでしょう?そのくせ自分が苦労になったら文句を言うのね、分からへん?

 だけどそうやって苦労するのを見に行くから自分も苦労するんやで、もうそれが全てやねんけどな。だから先生は皆の苦労してるのちょっとでも消したいから、色んなものを見てしはってんけどね。

 で、そうやって折角、綺麗にしてもまた見に行ってな、泥んこになって帰ってくるね。よく先生は嘆きはったよ。あれだけ綺麗にしたのにまた泥んこにしてって言うてよく嘆いてはったわ(笑)。

 それで、「みんな好きにするんだから、先生もうよろしいやん」って言ったら、また怒られるしやな(笑)。「これ、お前の担当」って言って、お清めの分を渡しはるのね。あまりやりすぎると、こっちがちょっと死にかけるのね。死にかけるけども、意地になって先生のところに行かないから、用事を作って来いって言いはるの。

 それでも行かなかったら奥さんから電話がかかってくるの、「神さまの御用で呼んでるのにすぐに来ないのはあかん」言うて(笑)。死にかけてるのばれてるんやと思って仕方なしに行く(笑)。それで此処に来たらシール作れとか何か用事を言いはる時にパっと治してしまいはる。

 先生に治させたら先生の負担が増えるからと思って、此処に近寄らないのにな。で、あまり近寄らないから、月一回の勉強会に来いとかなって(笑)。

宮野さん:別に直接会わなくたって治してるよ、先生は。ちょっと違うことを仰ったんじゃない。

河上さん:もうあまり本当のことを言いなって。ちょっとみんなにわかりやすいように言ってるのに(笑)。

宮野さん:でも経験した事が無い事は分からないから。

河上さん:だからほんとに伝授やからね、師匠の心に沿おうと思っていたら、こうして近くに会ったときにね、受けるものが全然違うね。それだけやってんけどね。

宮野さん:この前の勉強会で言ってたのがよく解りやすいけど。みんな既に悟っているって言うやつ。登ったこともないのに、頂上が素晴らしいと思っているとか。全然経験したこともないのに、どうとかね、これは凄いんだと思っているっていうのは、既に悟っているからみんな真祈り、そうやなっていうのはそれはわかりやすいなと。

河上さん:だから空を真(まこと)の世界では自由に空を飛べるから、空を飛ぶって言って飛行機を作れるわけでしょう。それは飛んだ経験があるからや。鳥のように飛ぶんだと言った人をみんな馬鹿にするんだけ、リリエンタール(グライダーの開発者)でもね。みんな飛ぶわけでしょう。それは(真(まこと)の世界で)飛んだことがあるからや。

 空を飛ぶと言うだけやけど、悟るという事はみんなそうやね、既に悟ってるの。既に悟っているから肉体の心臓が勝手に動くのね。自分の意思とは関係なしに。悟ってないんやったら、自分の意思で心臓を止めれる。神さまに任せきっているから心臓が動くんやで。みんな神さまに投げ出さらへんって言うけど、投げ出してるから心臓が動いてるね。

 本当は指1本も投げ出しているから動くんで、自分の意思では動かされへん。ていうのが分かるとね。それが呼吸のとこで1番わかりやすいから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って言ったんだけど中々。

 呼吸って自分の自由意志でもできるし、寝てる時は無意識でするでしょう。一番神さまの御心と自分の自由意志とが重なってわかりやすい部分やね。だから呼吸にお祈りを乗せるということをしていたら、もうすぐ悟れるんやけどな。悟れるというか、神さまとひとつになるんだけど。それもねやっぱり、言いようがないね。一応説明した後はみんな自由に選んで、やから。

宮野さん:気がつくっていうか、いうのが何時かっていうタイミングだけの問題じゃない?みんなそれぞれ話してあるけど、「あっ!これやったんか」みたいにハっと思う瞬間というのがちょっとそれぞれ違う。既に受け取ってはいるんだろうけど、何か別のことをやっている時に「あっ!これか」みたいに気づくことがあるから。それかなぁと。

河上さん:11歳の時に先生と初めてお会いした時に、まず言われたのが、「天地(あめつち→真(まこと)の神さまのこと)は其れ(それ)たく籥(たくやく)のごときか」って言いはった。たくやくと言うのは、吹子(ふいご)やって言ってね。神さまというのは、吹子の様なもんやと、呼吸やって言いはったんやけどね。それがずっと頭にあるから、呼吸にしてんけど。まぁ、色々あるわ。

 でもみんなね、寝てる時、無意識に呼吸してるでしょう?それ神さまの御心に沿っているんよ。という事は自分の自由意志で呼吸しているようでも神さまの御心にすっと沿えるはずや。っていうのがわかってきたら、この「あー・うー・すー」でな、悟れるわけや。

 だけどその「あー・うー・すー」が真祈りやというのを実感として自覚する為に「印可書」がある、今はね。昔は「神の御光、御力、御命」とかね。「天之(あめの)造化主尊(ぞうかぬしのみこと)、産霊聖霊(さんれいせいれい)、守り給え、幸え給え(さきはえたまえ)」という長さの中に呼吸を乗せて入るように先生がしてくれはってんけど、誰もしない(笑)。

 「印可書」が出る前は、40日間ありがとうございますだけ言ったら、ニュースも(新聞も)(テレビも)見ずに一切マイナスを見ずに40日間何を見ても「ありがとうございます」って言ったら悟れるってまで言ってくれはったんやけど。40日じゃない、3ヶ月や。 3ヶ月やってんけど本当は40日でよかってんけどな。だけどそれができへんねんな、みんな。やっぱり何か現実に心を戻して責めてしまう。

宮野さん:40日普通に、40日の間言ってる人がいると思うのね。その限定が一切のマイナスを見ないでっていうところが多分。いわゆる現実を見ながら、40日ご飯も食べるし…

河上さん:いや、だから先生は何を見ても何しても「ありがとうございます」で行けって言いはったから。現実を見ないという意味やね。

宮野さん:だからそこをね、そこを言わないとよく分からないじゃん。聞いた人からさ、「いや、私は「ありがとうございます」を毎日言っていました」っていうのが噛むからさ。「夜の勉強会、そんなことわかってるわ、「ありがとうございます」くらい言ってるわ」って言う人がいたらアカンからな。まぁそういうことやったんってなるやん。解説付きやからな。夜は。

河上さん:だって「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのものって先生言ってるやん。なんでやねん。

宮野さん:そんなんで分かるんやったらみんなとっくに、みんな悟ってるし、地球は平和やし。

河上さん:あかんの?

宮野さん:いや、わからんかったから今来てるんやろ?最終段階に入ってるんやから。だからいるんでしょう。死なれへんねんやから。

河上さん:もう何もかもまとめてブルドーザーでバッと押しつぶせっていく寸前まで来たんや。

宮野さん:そんな可愛くないけどね。

河上さん:一気にいったら、ここ3年で全部なくなる。この現世も。

質問:一気にいくと言うのは?

河上さん:もう真祈りがぐちゃぐちゃになってね、みんなが好き勝手しだしたら。今でもウクライナがあんなんやから、トウモロコシと小麦がなくなる可能性が高いでしょう。このまま収まらなかったらね。トウモロコシがなくなると、牛さん豚さんがなくなるで。もうあっという間の連鎖反応やで。


令和4年3月河上さん深夜勉強会−3(20220318−3)

河上さん:でも、みんなどうしようもないと思ってる、真祈り知らん人はね。ここに縁がある真祈り人ですらね、この時期、この期に及んで、まだ自分の生活追われてるやろ、意識が。

 生活しながらひたすら真祈りっていう感覚が、まだつけへんやん。まあ、それを聞いてはるんや思うねんけどね。一挙手一投足、何してても、真祈りにならんなんね。先生は掃除されてても、ごはん食べておられても真祈りやってん。それがね、実感になったら本物の真祈りや。先生そのものやねんけどね。そこまでならへんでも、印可書奉読し続けたらっていうおまけやから。もうひたすら、こういう質問来ずに、まず印可書奉読でずっといって欲しいんねんけど。

 質問来てるから、細かく言うとね、その一歩一歩の歩くこと、だから呼吸やねん、呼吸が一番すべてやから。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」やねんけどね。
  もう、ごはんを食べてようが、仕事してようが、遊んでいようが、テレビ見ていようが、「宇宙神ありがとうございます」やね。まあ、それもできへんかったら、呼吸で「うーあーすー」でこうね、呼吸に全部乗せていってしもうたら何してても真祈りや。

 その真祈りいうのは、言葉以前や。だけど、言葉以前やけど、言葉で受けんなんから、印可書作ってくださった。天之造化主尊(アメノゾウカヌシノミコト)って作ってくださってんけど、なかなか言葉だけで、言葉で受けんなんねんけど、その言葉使ってくれへんから、少々雑に使ってもいけるよう印可書ってなってるだけでね。

   だから、一挙手一投足が真祈りにならんなん。お菓子を食べてようが、ごはんを食べてようが、トイレに入っていようが。トイレ入った時が一番真祈りになってなあかんねんけど。もうなかなか、なあ。出す時に、ありがとうございます、ってなれへん。

宮野さん:なりやすいけど。

河上さん:本当はな、なりやすいはずなんやけどな。

質問:トイレ入ったら印可書を唱える。

河上:そうそう。だからそうしてどんどんね、その、あんまり考えずに、する行為ってあるでしょう?そこに真祈り乗せるようになっていったらラクなんね。すると実感として涌くわ。言葉以前で光が天地を貫いていんのが。光が天地貫いてるってどういうことかというたら、真(まこと)の世界にも意識あるし、地獄の底にも意識あるのがわかる。なんでかいうたら、真(まこと)の本心の自分は真(まこと)の神さまそのものって書いてあるでしょう?。真(まこと)の神さまって、すべてのすべてや。だから、本当の真祈りなったら、すべてのすべてに意識合うから、全部に自分あるの。

  だから真祈りがね、真祈りが深くなったら、例えばベートーベンさんやったら、第九が降りてくるわけや、音楽家やったら。物理学者やったら、凄い物理の法則が、色んなことが。例えば職人さんっていうのは、グッと仕事に統一しやすいのね。考えへんわけよ、入り込んだ時。だから、職人技ができんね。考えたらあかんってそういう意味やね。こんなね、考えなね、何もできへんっていうのは、職人やない、屁理屈屋や。

  勿論、職人技のためにはね、組み立てていくという考えが要んねんよ。そやけど、組み立てるということも考えたら組み立てられへんね。それは職人として色んなことを没頭した人でないと分からんわ。例えば、うちは宮大工やったけど、鉋(かんな)引くのね。鉋引くの、考えてしまうと、もうできへんね。勿論、その、綺麗に鉋、薄い、こうピュピュってね、ピュピュっと巻けるように鉋を引けな宮大工ちゃうねんけど。そんなあれは難しいことちゃうねんけど、でも、それは考えたらできへんね、やっぱり。だけど、その前に、こうするための組み立てというのが要るね。組み立ても考えるとできへん。その先輩のやってるのをずっと見て、見て、見てね。見て、それを分解して、それを組み立てなおすだけで、その力加減どうやろとか考えたらもうできへん。力加減のとこは、もう考えたらできへん。あるいは、手斧(ちょうな)を打たなあかんねんけど、手斧も先輩の使い方をじっと見るんやけど、自分が使うとき、あんまり考えたらあかん。考えると裂けていくねん、ていう。それ、もう説明しようないわ、実際にやってみやんと。

  それって、例えば野球でね、ホームラン打てる才能のある人しか、やっぱりホームラン打たれへんねんけど、最後のとこは、ちょっとしゃくるんやとか、すくうんやとかね、言いはるわけや。それ、分かれへんやろ?それって考えてへんねん、感覚やね。例えば、バット振ることでもね。剣で、日本刀でもの切るときでも、考えて切ると目釘潰れんね。日本刀って本当はな、もう本当に難しいん。あれはわざと難しくしてあんね。

 思いがあって考えて切ると、目釘潰れるね。そんで捻じれるね。必ず、どんな名刀でも。本当に真祈りで切ったらね、目釘痛まへんし、刀も捻じれへん。

質問:そしたら、一般の人だったらどうなんでしょうか?ベートーベンでもなく、物理学者でもなく、野球する人でもなく、普通の、真祈りする人は…。

河上さん:いや、だから、人類にどうこうっていう形の時に、今説明しただけで、真祈りしたら無条件の喜びになる。真祈りしたら無条件の幸せに誰でもなんね。その中から自分のカラーのものが出るか出えへんか。出やんでもええねんって。無条件の幸せ、無条件の喜びなったらそれでOKや。

 だけど、そっからまた何かしたいってなるだけで。それが例えば、なんていうの、ちょっと美味しいうどんが作れたとかね、美味しいお味噌汁が作れたとかでええわけよ。

 そやから、わかりやすいように今、ちょっとホームランとか、宮大工とかでちょっと言っただけで。それは考えへんからできんね。

宮野さん:響かしてたら、必要なものは、中から湧き上がるし…

河上さん:そう、神さまの知恵が喜んで涌くから。

宮野さん:ただ、その例えばさ、知恵も中から湧き上がるものと、媒体を介して手元にくる場合とってあるってやつ?本だったりとかテレビだったりとかって、それがヒントになって、ああ、こうしたらいいんじゃないかな、みたいなのができ上がるみたいな。ヒントとして、そういうのも湧き上がってくるみたいなの、あると思う。

 でもお祈りしてなかったら、例えば、何かを自分でしないといけないと思うから、我がどんどん、どんどん湧き上がってきて、その我に塗(まみ)れた自分の考えで苦しむわけじゃない。

 凄く出来た!と思ったって、会社へ持って行ったら、なんでこんなんなん?って言われるかもしれないし。自分の中では良いと思ってても、全然違ったりするじゃない。でも、湧き上がるようにやったものっていうのは、結局、自分で掴んでないから、それが良いも悪いもどうでもいい、という中で、それがどんどん、どんどん極められていくから、凄いものになっていく場合もあるし、途中で、あ、これでいいやっていう妥協しても、なんてことない。

 人からくさされても何にも思わないし、ていう。そこらへんが、お祈りに、真祈りになるんじゃないかな、と。こだわらない。

質問:結果を気にしない…。

河上さん:そうそう、結果気にするな言うてるやろ。

宮野さん:それが日々、毎日のことかなと思う。

河上さん:どうしても自分と他人を比較してね、どうこうっていう意識やねんな。それがマイナスを見つめるっていうことやねんけど。もう、分けた時点で、すべて真(まこと)の神さまってしてへん。神さま以外のものにしてる。

 いつも右手と左手で言うようにね、これを他人同士に意識してるみたいな。本当は自分の手やのに、本当は全部真(まこと)の神さまやのに、他人やって言うてる。

宮野さん:うちのスタッフに話をしたけど、心臓と小指とか、河上さんああして、心臓と大腸とかの話で、「肛門は汚いからいらんか?」とかって話をね、この間もしてたんだけど。「どっちがいい?どっちの役がしたい?」とか話をしたら、「いや、そりゃ心臓。」「ちゅうことは肛門いらんってこっちゃなあ。」言うた(笑)「じゃあ、あんたはずっと糞詰まりで生きなさいよ。」ってとか話をした。「そりゃ肛門要りますよ。」

「じゃあ、肛門も大事なことやったら、人のことを、『ああ、あの人はできへんな。』っていう責め方はできひんやん。」って言って話したら、そやな、とか言って。っていうふうにこの間は理解しはりましたけどね。

河上さん:心臓はしょちゅう使ってるやん。肛門は一日一回や。

宮野さん:いや、私、三回やけど(笑)。

河上さん:ツッコミ無しや(笑)。一日一回でも大事な働きでしょう?だからみんな自分は大してやってへんじゃなくて、みんなでやってること一つ一つが大事な働きやね。

 それがね、結果気にしたら、比較してどうこうって言う。だから比較するな。比較するないうのは考えるなやね。神さまが一番いいようにしてるっていうのがね。自分はこんなしかできへん…いい?

宮野さん:大丈夫かなって思って。

河上さん:自分はこんだけしかできへんっていう意識が、すでに神さまを拒否してるね。

 だから、どんな痛みが襲ってきても、神さまに使って頂いてよかった、だけや。

  あのね。オミクロンの次に来るのがもの凄く大変やね。だから、絶対に恐怖を覚えんように。

 もし仮にかかっても。もう発生してしもたから止めれない。それで、その恐怖と、今の戦争(ロシアのウクライナ侵攻)で食料もなくなってきてって言って、不安となった途端に一気に崩れんね。みんながマイナスを思うでしょう?大きく。そうならないために、護摩で大きく真(まこと)のプラスを降ろしていかんならん。

  そんで、それが護摩がずっと成功していったら、あと20年くらいで勝負つくし、うまくいくし。失敗したらここ3年で、もう、みんな終わり。強引に真(まこと)の世界に帰してもらえるだけ。だから親の死に目以外は護摩に参加してください。勉強会は来んでいい。護摩が大事です。もう勉強すること無いしな。

質問:やっぱり、こう、時間が無い無いって言われた、ずっと言われてきた中で、とうとう時間切れになったと…。

河上さん:吹いてしもたでしょう?

宮野さん:何が?

河上さん:戦争として。具体的に食料危機に入りかけてるわけでしょう?エネルギー危機にも入りかけてるわけでしょう?原発ボッボーンってやられただけでも大変でしょう?それでみんな不安に思った途端に、どんどん地震と火山が吹いて、ますます大変でしょう?あ、ああーってあっという間やで。そうなるから時間がないって焦っててん。それを先言われへんからな。とうとう吹いてしもたから。

質問:そういう中にあっても、まだ日常の生活のことが、こう…重きを、真祈りにその…

河上さん:うん。だから結局ね、いつも言うように、呼吸に乗せたら、すべてが真祈りになるね、何してても。その、どうでもええ、この世的にどうでもええところを掃除してても真祈りなんね。っていうとこが、みんながわかったら、あっという間に変わるねんけどね。

 やっぱり、あいつは使えん奴や、とか怠け者とか言うてるような部分を、例えばこんなことしてても何になるんやろ、っていうのは同じ意識やね。人間だけでいうとね、あいつ怠け者で、ああやって言うけども。自分だけでいうとね、ウクライナであんなんなってるのにね、私、この自分の部屋ここ掃除してていいんかしらっていうのが、もう間違いやね。それもマイナスや。もう、それが実感として理屈抜きにわからなあかんから、考えるなって言うてんねんけどやな、やっぱり考えるから。考えたらな、もう世界が大変になってるのに私掃除してええんかしら、お風呂入っててええんかしらとかね、お化粧しててええんかしらとかね、なってくるわけや。

 ちゃうねんって。もう、そのすべてが真祈りやね。真(まこと)の神さまだけ。だから、それを先生はそれを簡単にね、すべて真(まこと)の神さまの御働きだけって言うてるね。真(まこと)の神さまの御働きだけやから、自分化粧してても、真(まこと)の神さまの御働きやね。自分の部屋を掃除しててもよ。お風呂入っててもやね。

  そこまでいってくれたら、本当は真祈りなるから、先生の働き、本当の先生の働き、印可書抜きでいけるね。先生に印可書はいらんからな。それはわかるやろ?先生の一挙手一投足、すべて真祈りやったんや。それをね、弟子は、先生に心合わせて気付かなあかんのにやな、もう、ええよ、済んだ話や。そんなん、どうでもええわ。ともかくすべて真祈りや。それをすべて真(まこと)の神さまの御働きって言うなり、説明は色々あるよ。

   あるけど、え、私こんなんしててええん?って思う時点でな、神さまと自分を離してるんよ。離してしもたら、マイナス作ってんね。わかる?神さまと自分を離したらマイナス作ってんね。それは戦争の元を作ってるんや。でも、そこまで言うと厳しすぎるからね、あんなサボってる奴め、とか、あのクソ上司めっていうのが戦争の元やって簡単には言うてるけど。もっと細かく言うたら、もう自分で一挙手一投足が真祈りにならなあかん。それは、まず、こんなんしてていいんかしらじゃないね。

  で、そのために呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って言うてんけど、なかなかそこにもなってくれへんし、まあ、色々あるけど、これからでも間に合うからな。で、それが難しいやん。ある意味な。だから印可書ひたすら、例えば、好きな歌謡曲やったら、何してても心の中でついついそのメロディーで歌うじゃない。

 そういう感じで、いつも心の中で印可書響くようにしてねって、何べんも言うてるやん。仕事がとか、なんかで、ついつい印可書が響かされへん時は、「あーうーすー」でええからって言うてる。それはもう、そのすべてが真祈りにならなあかんね。

 だけど、何しても、神さまと違う、離れたことをしてると思ったら、それはもうマイナスを作ってるんや。それで人類が滅びていくんね。

  それで、そのマイナス作る一番がね、評価よ、虚栄心よ。他人と自分を分けて、あの人より私の方が働いているとか、働いてないとか。あるいは褒められたいから、こんだけ給料欲しいからとかね、要らんことを言うからや。

 ただただ理屈抜きに(分け隔て考えずに)支えてたらな、喧嘩にもなれへんね。だって小っちゃい子のこと、親は自分の子供のこと責めへんでしょう?

 あんたこんだけしかできへんって(責めないでしょう)。

 みんな親やと思って、みんな自分の子やと思わなんね。そしたら、できるできへん関係無しに、できへん人はできる人が支えたらええだけで。自分のできることを必死でやるだけや。それが真祈りや。だけど、そこが繋がれへんわけよ、みんな。先生のお姿は爪切ること一つとったって真祈りやってん。

質問:じゃあ、自分で考えてやったと思ったことでも、全部神さまの働きの中で行われてること?

河上さん:そうよ。それを神さまの働きで、だからね、五井先生がよく言われる、指一本動かすのも、自分の意志で動かされへんって、五井先生言われてん。それがどういう意味か、みんな分かれへんわけよ。だから、みんな自分の自由意志で勝手に動いてると思うけど、神さまの御心のまま動いてるね。せやのに、動いてへんと思った分だけマイナス作ったんや。だけど、不安でしょう?本当に神さまの御心に沿い動いてるかどうかって。だから、その不安を消すために印可書がある。

宮野さん:ええ話やな。

河上さん:(笑)。だって、同じこと何べんも言ってる。

宮野さん:かみ砕いて色んな形で言わないと。

質問:なんか、今更こんなん聞いて河上さんがっかりさせてしまうの申し訳ないなとは思うんですけど…。

宮野さん:どうぞ(笑)。

質問:あの、その、呼吸に乗せる、がね。あの、どうしても、この呼吸に乗せんのちゃうかと思ってしまう時があって。

河上さん:いや、それでええねんて。

質問:でも、いや、それができひんから、できひんって言ったっていけませんよね。でもその、印可書をとりあえず唱えてれば呼吸に乗せてることになるのかなって。

河上さん:なります。勿論、そうです。だから、余裕ある限りは印可書をひたすら唱えてくれるのがベストです。それが一番、自分もなんていうか、得心するでしょう。安心するでしょう。「あーうーすー」だけやったら、大丈夫かしらって不安になるやん。

 印可書は不安になる暇がないように先生が隙間なく作ってくださった。だから、大丈夫。ともかく、自分のしてること全部真祈りってわかったらええねんけどね。それは自分がしてるんではないっていうのがわかったらええねんけどね。

質問:よくみんな、みんなって言ったら変なんですけど、これは自由意志でやってんのんか、神さまがやってんのかって分けて考えて…。

河上さん:そうそう、だから分けてマイナス、要するに隙間つくって悪魔を作ってるわけよ。隙間(すきま→あくま)=悪魔やねんな。神さまと自分を分けた時点で。それだけのことやね。

 例えば、日本刀で切るのでもね、先生が竹刀を1万回振りなさいっていうのはどういうことかいったら、自分が振ってる意識消えるわけよ。そしたら、あ、神さまが振ってたんやってわかるね、みたいなとこやな。

質問:そこまでいけば。

河上さん:そうそう、そうそう。昔はそういう厳しさがあってんけど、今は印可書を奉読してたら、あ、全部神さまがしてることやってわかんね。それがわかったら、もう無敵や。ようするに敵が無いね。敵と言うのは自分と他人を分けたから敵が出んねや。そうやろ?ゲームするためにわざと赤と黒か、赤と白か、分けるわけや。わざと分けただけであって、本当は一つのもん。だから、すべて真(まこと)の神さまの御働きっていう先生の言われた意味の深い意味がね、なかなかみんなわかってくれへんわけよ。

 「ああ、すべて真(まこと)の神さまなんやなあ。」って言ってるだけでな。だから、それはやっぱり考えてるからよ。あの人も真(まこと)の神さまなんやろうか、って考えてた時点でもう崩れてんね。

  なかなかこうね、微妙で説明しにくいねんけどな。だから、ついついやっぱり、みんな自分責めるのね。こんなんしててええんやろうかとか、色々あるけどね、だけど、どれもこれも印可書に込めていったら、すべてが神さまの働きになっていくん。すると本当に無駄な動きせんようになんね。本当は神さまが、こう動かしてくださって、鉋(かんな)引きでも竹刀振るのもそうやねんけど、神さまが振らしてくれてんのに、自分の意識で、ずらすわけよ。その分、無駄が出るね。

  例えば、一万回、竹刀振る、木刀振る、剣振るとするでしょう。そしたら、一万回いうと、自分で振ろうという意識を消さんと振られへん。自分が振ろうと思ったら、千回くらいでフラフラなんね。だけど、一万回いうけど、ほんまは一万回も振らんでええわけよ。自分という意識が消えた時点で、ああ五井先生、指一本も神さまが動かしてたんやって、実感が湧いたら悟りや。だけど、まだ自分がしてると思ってる間はな、自分がしてると思うと無駄があるから、また自分責めんね。責めたら、また神さまと自分、分けてるからな、永遠にきりなくマイナス増えていくね。そういう仕組みやね。

  だから、ひたすら、ひたすらね、どない言うたらええんかな、印可書奉読でいって。昔やったら竹刀振る、あるいは天之造化主尊とか色々あったんやけど、あるいは、「ありがとうございます」、先生の録音残ってるやん、「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」ってね。あれでいかなあかんかってんけど、難しいやろ、簡単なようで。

 呼吸に、「宇宙神ありがとうございます」ってやってると、スッと行くねんけど、みんないけへんかったみたいやから、これもやめとくわ、印可書でいって。なんでこれフッといけへんの?ってとかと思うねんけど。んー…、とかって考えんねんけどな、わからへん。考えたらあかんかったな。

質問:まあ、そういう段階も含めて、ようやく印可書でっていう意味になった?

河上さん:そうそう、どれもこれも、みんなようせんから、もう小っちゃい子向けに、もうはっきり言うわ、小っちゃい子向けに、印可書を作ってくださったんや。これさえしてたらええでって言って。で、それでもなおかつね、みんな好きに選んでくれたらいいわけで。ただ、時間が切れたから、神さまの方でどんどん、使ってくるだけ。

質問:消極的に使われる肉体に、痛みを持って使われるやり方もあれば…。

河上さん:肉体の痛みは一緒やね。肉体の痛み一緒やけど、印可書読んでたら痛みが痛みでないんよ。

質問:それは積極的に選んでいるから。

河上さん:そうそう。だから、山登りがそうやね。後ろから鞭で追われてね、ほら、地獄の針山やな、後ろから鬼が、「コラ、登らんかい!」言うたらもの凄い苦痛やけどね。これが楽しいわけでしょう?登山は、自分の意志で登る人は。

 だから、イエスが10里の行程を強いられたら、20里を行けって言うわけよ。それ、人に無理やりさせられて10里歩くのは苦痛やけどね。自分が喜び勇んだら20里ぐらい平気で行くでっていうやつや。

質問:それはもう始まったと。どっちを選ぶかはもう自由で。

河上さん:もう、自由もくそも、どんどん、なっていくだけや。

質問:もう選んでいる余裕はな無いって?

河上さん:ない。だから、同じ痛みはみんな来るわけや。例えば、痛みだけで言うとね、同じ10という痛みが来るねんけど、積極的に喜んで、要するに、同じ10里歩けって言われるわけよ、みんな。でも喜んで歩いたら、ラクして20里行ってる。だけど、嫌々歩いたら、10里で疲れ果ててへたる。それ、痛みも一緒で、10の痛みが来るねんけど、20の痛み来ても大丈夫ですってやったら…

質問:喜び勇めるから。

河上さん:そうそう、そうそう。無条件の喜びならんなんから、考えたらあかん。考えるいうのは、条件つけてる。なんで、私だけって条件つけるやろ。じゃあ、苦しみや。

 神さまがいいように使ってる、だから、癌なっても癌の形で神さまが使ってくださってよかった、やったらラクになるねんや。「なんで、わたしだけ肺がんになんの?」って言ったら苦しみや。なんで私だけ違う、わざわざ、あなたを選んで神さまが使ってくださって良かったや。敢えて分けて言うてもな。せっかく使って貰ったのに、まだ文句言うんかいや。

質問:オミクロンの凄いのが出たって仰ってましたけど。

河上さん:もう出ちゃった。

質問:あの、それは以前仰ってた、体が腐るっていうそれと…。

河上さん:同じウイルスやねんけど、その人によって症状が全部違うねん、今回は。だから、お医者さんがもの凄く困る。余計、治療法がみつけられない、症状違うから。

質問:じゃあ、もうワクチンなんか関係ないって感じですか。

川上さん:いや、だから、あれ、ワクチンちゃうもん。

質問:あ、そうか。

河上さん:ワクチンは、ジェンナーの種痘、天然痘も、あれワクチン、ウイルスでしょう?それは牛の天然痘からとった血清がワクチンや。毒蛇もウィルスでしょう?毒蛇の血清がワクチンや。そしたら、今回コロナやったら、コロナに罹った人の血清があったら、みんな助かるわけや。コロナに罹って治った人の血清があったら。ところが、ないね。それは、ワクチンちゃうね。

  それなんでかいうと、ちょっと今回のいわゆる、スモールラウンド…なんやったかな、SRSV(Small(小さな)Round(球形の)Structured(構造をもった)Virus(ウイルス))、球形ウイルスっていうのは、ちょっと特殊で、血清ができへんねんな。だからワクチン作られへん。だから疑似的なウィルスを作ってそれを打ってんね。毒性を弱めたウィルス。ところが、遺伝子レベルの話やから、みんな見てきたことのように言うけど。要するに同じ蜂に刺されても、きつい人と弱い人とあるやん。そういうとこまで研究できんうちにやってるだけや。

 だけど、お医者様の方はね、ちょっとでも、ちょっとでも、と思ってしてくださってるだけで、悪意はないで。なんか、悪意があって、ワクチンを打て言うてるみたいで、みんなマイナス好きやからな、言うけど、そんなことはないよ。

 だけど、喘息の人には打ってくれへん。アレルギー持ちには打ったらあかんねんな。それは別にどんな薬でもそやけどね。そのアレルギー反応の細かいとこまで、まだ分からんまま打ってるいうだけや。


令和4年3月河上さん深夜勉強会−4(20220318−4)

質問:護摩が成功するっていうのは、今回は護摩が成功したとか成功しないとか、ちょっと私には分からないんですけど、毎回これから護摩を成功させる、成功していくには、行くって自分で決めて、その中で真祈りをする。行かなくても、その場所で真祈りをして参加するだけでも・・

河上さん:効果あります。あるけど不安に思うとその分消えるからね。行ってないのに大丈夫かって、どっかで思うのね、みんな。だから来てって言ってる。不安に思わんかったら、大成功やね。で護摩に来たら、色々と悩みながら来てもね、帰る時護摩はスッキリして帰れるやろう?それだけ実感出るや、それで護摩の会場でって言ってる。

 護摩が終わったのに、暗い気持ちになる人は少ないと思うで。よっぽど暗く思い返さない限り。だから、後ここの直会、カラオケ大会でも良いんやけどな、本当は。でもまだそこまで心が自由になっていない。

質問:カラオケセットは十分、何時でも。(笑)

宮野さん:ウクレレも有ります。段々楽しくなってきてるよね。良いんじゃない。

河上さん:直会で何で歌謡曲のカラオケでも良いかといえばね、それ通して光送れるでしょう。だから一緒で、自分の部屋の掃除という行為を通してね、世界で掃除している人に光を送れるの。どれも無駄は無いの。ただそれが実感として湧くためには、印可書を読み続けたら湧くよって。

 先生は何をされてても、その行為の中に人類に光を送る事が出来た。

質問:漫画を読んでいても?

河上さん:勿論、その漫画を通してね、だからケンシロウって言って送れるの。(笑)

質問:「お前はもう光っている」(笑)

宮野さん:こんだけ一杯、分かり易くしてくれると、もうそういうこと無くなるね。

河上さん:もう大丈夫よ、まだ何かある?大丈夫?

宮野さん:ここに来て呼吸は大丈夫、わたし。

質問:お話しで、普段の一つ一つの行動が、まい

河上さん:真祈りそのもの。

質問:っていうのが、又、あの・・

河上さん:本当は全て真祈りそのものやね。だって先生さきに答え言ってるんやで「全て真(まこと)の神さまの御働きだけ」って言ってはるやん。という事は自分のやっている事全ては「真(まこと)の神さまの御働き」、つまり「真祈り」や。なのにこれは真祈りと違うと、自分で縛って神さまから離すの。その離した隙間が悪魔って言うの。

質問:その辺りが少しづつ、少しづつ繋がってきた。

宮野さん:あぁ、繋がり始めた。

河上さん:だから夜(枕元に髪の毛が長い足の無い)美人が立ったかって?いうて。違うか。(笑)

   =2分ほど省略させて頂きます。=
   
質問:そういう場所に行かされるというのは、お祈りの力があるという事ですね。

宮野さん:そうだよ。お金にこだわると、お金にこだわった様に縛られちゃうから、必要な物は神さまはチャンと、余分は無いよ、きっちり回って来るから。

河上さん:そうそう、恐ろしい位余分はないね。きれいさっぱり消えて行く。必要なら必要なだけ集まって。

宮野さん:なのでそこでお祈りするんだって、神さまのお仕事させて頂きますって、決めればその分というのは、欲しいじゃあなくて、勝手に回って来るっていう話しやね、必要であれば。

質問:どこかの地点で真祈りが深まる暮らしをしたいところで、気持ちが固まった時にポット動いたんですね。

河上さん:だからちゃんとなるんやけどね、道元先生って、(松下)先生やったんだけど、永平寺ってそうでしょう?動く禅、全てが禅やって言うでしょう?それが中々、禅が真祈りって分らへんから、苦しんではるわけやけどね。

 食事する事も何もかも、全部真祈り、禅や。禅っていうのは、神さまに「単」「真っすぐ向く」神さまだけっていう漢字やねんけどな。その禅の意味が中々、だから先生「真祈り」って言い換えはった。

 だから本当に普段の自分がしてる、詰まらんと思う事が全部真祈りや。それが実感として湧くか湧けへんかは印可書があるから、今は楽です。

 すると例えば街を歩いていてもね、何気なくこっち寄ったら、突然、横を車通り過ぎたとかって自在になって行くね。

 先生が16か17位の時にね、突然神さまって思ったら、前から車きてて、車の中スポット通り抜けてしまいはってん、っていう体験や。で僕が小学校4年生くらいの時に、忍者のように飛ぶんだって思って、パンって飛んで、歩いてる時に。そしたら突然車が(曲がり角から)曲がって来て、(眼の前に車が来たんだけど)車の上を飛び越えてって、先生とはだいぶ違うね。先生みたいに通り抜けられへん。(笑)

宮野さん:私当たったけどね、当たって12m位飛んだけど、無傷やった。

河上さん:色々体験あるのやけどね、僕の頃は丁度、忍者ブームやった。もうなんでも忍者やったんだけどね、あの頃は。

宮野さん:忍者やと思ったらジャンプやる。

河上さん:伊賀の影丸やったかな、何か漫画が有って。その一シーンを思って、思わずそのシーンのように飛んだら、車ギャーっと曲がって来ててな。

宮野さん:何でそこでスタントマンになろうと思わなかった?(笑)千葉真一行けるわ。

河上さん:だからちゃんとなるの。自分の要らん意識でね、自分を責めて自分を止めてるだけや。だからホームランバッターでもホームランを打つ時にね、ホームランを打とうなんて思って無いと思う、打てた時は。只々、無心にとか言うやん?

 その無心というのは真祈りや、自分が無い。消極的な表現で言うとね、積極的には印可書を奉読したらそう。

 で合気道もそうなんやね、投げようと思ったらあかん、相手の好きにさせなあかん。

質問:簡単なことやって言えば簡単ですね?

河上さん:そうや、簡単な事やねんけどね、自分で好きに縛るのが、やっぱりマイナスにするのが楽しいんやろうね。ゲームでも、やっぱりマイナスルールでしょう?双六でも、ちゃんとそのが数出ないと上がられへんみたいにして、最後のほうになったら行ったり来たりするや。あれ別にね、後3個までで6出たらOKみたいにしてたら良いだけやのに、3が出るまで行ったり来たりするやん、最後な。そういうやっぱりマイナスが好きなんやね。そうやって縛って動くのが好きなんや。

質問:みんなそれにもう飽き飽きしたというか、もうええはとみんな思ってはるんとちゃうんかと思うけど?

河上さん:思ったらオカルト映画なんて出来へん、消えるって。まあ、戦争映画もそうやけど。

宮野さん:まだ、非日常的なワクワク感が欲しいんやな、多分。

質問:ミッションインポシブル。

河上さん:そうそう、(笑)絶対主人公助かるって分かっていても、ワクワクしててワー危ないわって見るやん?

質問:今日はダイハードって映画有ります。

河上さん:絶対助かるって分かってんやで、でもハラハラドキドキやろう?

宮野さん:ダイハードって痛そうやけどな。

質問:話は変わるんですけど。

河上さん:はい。

質問:五井先生の法話?今ユーチューブで簡単に見れる様になっていまして、

河上さん:あっそう?無料公開しはった?

質問:法話の音声だけをユーチューブで沢山の数

河上さん:昔はCDで買わなあかんかってん。本部の収入にしてはるかして。

質問:本部の方で許可が出てるかどうかは分からないんですよ?個人の方がチャンネル作って法話を上げてはるんですよ。以前3年前に聞いた時は、音声が聞き取りづらいというのもあり、それ止まりだった。最近聞き始めたら何か、次聞いてみようと、するすると聞きやすいんです。今まで河上さんから五井先生の話は聞いていたけど、

河上さん:五井先生の話を聞いても、本当に分かった人が少ないんよ。それって五井先生の、まー松下先生もそうだけど、話と話の間の光を受け取られへん。それなんで受け取られへんかといったら、自分があるから、虚栄心があるから、それに尽きるね。

 それでね、結局、我がある虚栄心があるって何が一番出ると言ったら、事大主義 (ことだい・じだいしゅぎ→大に事える主義)。要するに上の者の権威を笠に着て、下のものを虐めるの、簡単に言うと。例えば村人になった途端に、偉らなったようなりはんね、先生の権威を笠に着て。

 会社やったら、社長が、部長が、言っているからって言って、事を推し進めようとする。社長秘書になったとたんに偉そうにして反発くらうんだけど、本人は気づかない、日本人ってそういう無責任な狡さがある。自分が責任を持って行動するってせえへん。全部上の者の責任、権威を笠に着てね、自分が無責任に動く。その意識があると、五井先生の話を聞いても分らへん。

宮野さん:でも、法話は別やけど、五井先生の真祈りだったら、まだ、統一だったら、入り易いんと違う?

質問:統一もユーチューブで流しています。15分とか。

宮野さん:流してます。映像で。

河上さん:五井先生ありがとうございます まで流れているの?
 統一テープやったら「世界人類が平和でありますように 日本が平和でありますように 私達の天命が全うされますように 守護霊様ありがとうございます 守護神様ありがとうございます 五井先生ありがとうございます」迄が入っているか、どうかが問題やの。そこを消したが故に、一気に世界平和の祈りが崩れた。五井の大神って言う、真(まこと)の神さまの別名ですけど、それがみんな分らへんかった。五井先生というのを単なる人間やと思った。

質問:それは法話のなかでもきちんと五井先生は説明されてた。

河上さん:そうよ。なのに何で「五井先生ありがとうございます」を消したかや?分からん。結局、事大主義や。その肉体人間の五井先生に感謝してるって思われるのは嫌やっていうね。

宮野さん:松下先生もそうやけど、肉体を持っているから人間だって捉える人が多かったと思う。五井先生でも、そして松下先生も。偉い人やっていう、その程度のレベルで神さまっていうのは分からなかったんじゃない?

河上さん:そうよ。だから話し聞いても本読んでも分らへん。神書を読んでも分らへん。

宮野さん:で何かそうなんかなっていう処まで来ているわけでしょう?そうなんかな?そうだったら、みたいな。

質問:その聞きたい事は、五井先生の法話の中に出て来る「宇宙神」、五井先生の捉えている「宇宙神」と、松下先生が出された「宇宙神ありがとうございます」,この「宇宙神」というのは?

河上さん:一緒です。一緒ですけど、お弟子さんというか、周りが受け取れんだけ。例えば「宇宙神」っていうとね、この銀河系宇宙位しか思わへん訳よ。宇宙の言葉の意味まで説明されておられるにも係わらずや。まあー、ええけどな、済んだ話や。

宮野さん:いつでもそうやけど、どの立場で取って行くかっていう、どう捉えるかによって大きくもなるし、小さくもなるじゃあない。最初から「ありがとうございます」を大きく捉えてくれると、苦労してなかったやろうし、小さく捉えてしまって、駄目にこうなったわけでしょう?

河上さん:だから「ありがとうございます」10文字が真(まこと)の神さまそのものって、みんな付いて来れんから、感謝の真祈りって、先生言葉を添えて言わざるを得んかったんでしょう?だからそういうもんや。

宮野;説明後にされても、やっぱり日常に使ってる言葉と同じ言葉やっていうので、どうしてもそれを切り替えれないんじゃあ、なかったんじゃない?

河上さん:お母さんと一緒の番組からね、普通の番組にどこで移行するかというとこやね。小さい子向けに言ってはるのを、途中からレベル上げて行くねんけど。僕もこの6年間でした積りなんやけど。

宮野さん:それで伝わった人達はドンドンと真祈りを深めていって下さっているわけでしょう。

河上さん:うん。で、いよいよ実践版。だから痛み出てもね、「この痛みで使って頂いて良かった!」或いは、仕事しようと思うのに凄いしんどいな、嫌やなっていう意識の形で使って頂いて、「良かった」って全部思い直せたら楽やね。だのに邪魔くさいなとかね、おさんどん邪魔くさいなとか、洗濯じゃまくさい、色々有るやん?それがあかんね。邪魔くさいという事は一切ない。全部神さまの喜び事やね。だから「神さまが良いように使って頂いて良かったなー」や。で「頭が痛い状態で使って頂いて良かったな」とかね、その人にとって色々有るわけよ。「体が腐ってくるという状態で使って頂いて良かったな」

宮野さん:段々と深くなるごとに、ハードルが高いというか。でも最初はそんな難しい事も無く、ハードルも低い状態やけど、段々と最初の質問みたいに、自分の事になったら大丈夫なんです。自分の事なら腹括ってお祈り出来るんです。でもいざ身内の事になってしまったら、っていう事になる。

 それはハードルが高くなったから、次のハードルが来てるわけで、そこで又、それを掴まずにお祈りをして行ったら、もっともっと深く深く入って行ける。それは自分の側にいる縁深い人は、その方を代表としてお祈りしているわけで、お祈りをした方が良いよって言って、勧めるのも変な話しかなっと。

 自分がお祈りしてたら自然とお祈りしようと思うもんだろうし、しないのもそれはそれだと思うし。でもハードルを自分自身が分け隔てをしている。わざわざ自分と離してお祈りってなるから、そこの時はね。先の話、乳がんの人は、分け隔てしたらあかんのと思う。

 でもハードルをわざわざお祈りが深くなったから、次のハードルが来たわけで、それはマイナスじゃあなくてお祈りを深くする為に、全然動じない不動心であるという状態の事をドンドン経験させて頂く中で、何が来ても絶対の信が持てるという状態まで、ズーっと深く深く入って行く、そういうのが来てるだけの話やと思うのね。

 決して怖い話でもなく、悪い話でもない。全然その全ては真(まこと)の神さまっていう中で、まあ言えば地獄から天国迄という中で、段々と下に行くほど怖いとか、恐怖とかが出て来るわけでしょう?でも一切の恐怖も無い、一切の苦しみも無いっていう風に、真祈りしてて絶対の信が有れば、そう思わなくてはいけないのに、ここでもって私の事だったら良いんですけどもって言ったら、そこはもう崩れるんじゃあないって話しやね。そしたらもっと大変な事が来た時は、もうズタボロやねって話しやね。

 真祈りの伝授が受けれた段階、もう既にみんな受け取っているわけやけど、どんどん深くなるしかない。受けてハイ終わりじゃあないから、ドンドン深くなるから、深くなればなるほど色んな事が起る。河上さんが言ったように、身体がいたい事もあるし、状況的に危機的な、具体的に生活している中で起る事もある。会社でリストラされる事もあれば、金銭に困る事もあるだろうし、家が無くなってしまう事もあるだろうし。全然自分がやってもいない事をやったように言われて、誤解を受ける事もあるだろうし、色んな事があるかもしれない。でもそれは全て真祈りで全然気に成らないようになる。状況的には起っているかもしれないけど、あー、映画を見てるように、あっそういう事もあるんだなって、サラサラ流せる状態、不動心の状態を、経験をドンドン積まして頂けるだけの事かなと言う訳で。

 それはサラサラ流れる毎に、お祈りがどんどん深くなって行くという。そこが来た時に、アッ次の事が来たんだな、っていうだけの話で、お祈りするチャンスを頂いたんだと思って、ドンドンドンドン深くするだけで、神さまの御用にドンドンドンドン深く深く、お仕事大きく大きく使って頂ける様になっているんだっていう事なんかなって。
 と思うんですが、河上さんみたいにね、11才でピユーっと行ってしまった人と違うからさー。

河上さん:だから、どうしようと思った時点でアウトや。

宮野さん:でもその中で必死でもがくから、みんな可愛い子やって、先生が大事にしはるね。

河上さん:そうそう、どうしようと思った時点でアウトやから、慌てて印可書にしたら良い。

宮野さん:そうやっている内に、どうしようと思わなくなって行くね。

河上さん:そうそうそう、もう時間切れやから、どうしようで印可書読めなくてワーッと流れてしまっても、神さまが使って下さる。だから救われる。ただ、1回で終わってしまうか、何回も使って頂くかだけやけど。

 だから「あの人あんな目にあって」って思わんでも良い。全部神さま良いように使った、だけや。1回は1回の値打ちが有るの、必要性があるの。

質問:今までは大陸が沈むっというやり方で、引き上げられたけど。今回は肉体に痛みを受けて使って貰って消して行く、という形になっているのですね?

河上さん:そうそうそう、ただ、それで不満に思う人が51%超えたらゲームセット。真祈り人が51でズーっと行ったら、どうしようと思っても印可書に立ち帰れる人が51%おったら、20年かかるってなる。それをズーっと多分、際々で行くのかなっと思って、楽しいなーって思って。

宮野さん:でもオセロと一緒だから、最後の最後でパタパタパタと全部白になるという展開もご用意されておりますので。

河上さん:そう、オセロがそうやな。コンピューターとオセロ対戦やったら腹立つもんな。(周囲全部自分の白にしていても)勝ってるのに最後負けるの。

質問:大量にひっくり返えすんですね。

河上さん:そうそう。そこでやるの卑怯やろうっていう。(笑)

宮野さん:そういうのが実際に真祈りしてて、最後の最後で絶体絶命からの、大どんでん返しがあるからさ。そういうのが用意されて無いわけじゃあない、用意あるからね。

質問:それって気持ち良いですね。

宮野さん:そうやね、みんなそこを知っているからね、そうなんやって分かってる人は、必死になって真祈りをして行くだろうしって思うね。

河上さん:だから宗教家が一番厳しくなってね、悪魔とかマイナスを認める宗教は本当に滅びて行く、真っ先に。邪魔やからね、神さまにとって。

 日本の神道なんかは、一切の罪という罪はあらじやからね、元々マイナスを認めて無いから、本来のもんやけどね。マイナスを認めるとこはどうしようもない。

 天理教でも本来はマイナスを認めてないんやけどね。今は認めている人多いいから、どうなんやろう?よう分からんけどな。「難儀は節や、節から芽が出る」って言ってね、難儀をマイナスって見てへんね、教祖さまは。だけど後の人はね、難儀をマイナスと見て、でも何とか良くなるみたいに勘違いしている。

宮野さん:大きくなると大変だわ。だから行った時にこう匂うのね。

河上さん:いやいや、だから事大主義やね。上の権威を背負って偉そうにしはるの、みんなね。別に天理教に限らへん、何所の組織も、どこの宗教でも、どこの会社でもそうや。

宮野さん:最初は良いのにね、何所も。

質問:それが組織の業というやつ?

河上さん:組織の業よ。

宮野さん:最初の方は、皆さんちゃんとした事をお伝えしているね、大半の人は。世の中の最近の新興宗教は別か知らんけど?

河上さん:天理教位ちゃうか、男と女を神さまがお創りになったのを、平等に作っている。他の宗教は、男から女を作ったとか、女を貶めているんやけどね。天理教なんかは、神さまの前にみんな平等という事をいうわけ。一列澄まして甘露台って言うのやけど、一列澄ましてっていうのは、「淡々と何事にてもこの世は、神の体や思案してみよ」って言ってね、全部真(まこと)の神さまって言ってるわけ。なのに天理教の中で序列が有るの。

 でも、ここもそうやんか?全部真(まこと)の神さまの御働きって言ってるのにな、みんな序列付けるわけや。で自分の行動まで序列つけて、こんな事してて良いんかしらとか、思ってしまう。序列つけてんやで。全部真(まこと)の神さまの御働きって言ったら、それしかないの。無いのに何文句言うか!だけど。(笑)

 考えようが無いんやんか、考えたらあかんっていうて、考えようがない位ね、完璧完全円満大調和やね。その中で人間の意識でちょっと制限つけて楽しんでいるだけよ。

宮野さん:ちょっと制限つけて楽しんでいるのは良いんですか?

河上さん:いや、制限つけんと面白くないんやろう?もう野球のルールがそうやんか、木のバットで飛ばんのを使わんでも金属使えよ、なんぼでもホームラン打てるぞ、みたいに思うけどな。

宮野さん:そんなん面白くないんやな?

河上さん:そうや。だから楽しんでいる内は良いねんけど、それを苦しみと思うからややこしい。

宮野さん:全て楽しめば良いのね?

河上さん:そうそうそう。だからマラソンするんでしょう?楽しいからやろう、あれ。普通は走られへんで、距離関係なく2時間走り続けなさいって言われたって。2時間15分位ね、今?2時間8分とか。

宮野さん:○○○・・

河上さん:いやいや、距離関係無しで良いから2時間走りなさいって言われたってしんどい。2時間休まずに走りなさいって言われるだけで辛いけどな。でも楽しかったら楽しい。
 もうこれで一切質問無くなるよな?

宮野さん:そんな事ないけど、一瞬一瞬。

河上さん:勉強会終わります。

宮野さん:ああ今日はね。


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事大主義と組織団体等において、の業について by 河上彰延 [Mail] 2022年03月27日(日) 13時57分
PC

事大(ことだい)主義と組織団体

 今までの宗教団体や組織は、事大主義に犯されているのです。
 しかし、これは、組織や団体の所為ではなく、日本人が根本的に持っている事大主義に犯されているからなのです。
 
 では、事大主義とはなにか?事大主義とは、大いなるものに事(つか)える主義の事です。
 
 具体的には、組織団体等において、ある役付きの立場に立つと、突然自分が偉くなったように勘違いして態度が豹変する輩(やから)のことです。

 あるいは、組織団体等において、自分の立つ位置を確立しようとして、その組織団体等においての自分の入った年数において、それを役付きの立場のかわりにして、先輩ぶるもしくは、先達ぶることです。

 この自分の立場を確立したと勘違いした時点で、自分より下のものには、えらそぶり、ある意味邪険にあつかい、自分より上のもの(大いなるもの)に対しては、おべっかを使いゴマすりをし、へいこらするのです。

 これを組織の業といいます。今までの、宗教団体や、いろんな会社組織等や、お役所等々において、こうならないところは皆無なのであります。

 では、どうしたら、この弊害をなくすことができるかと申しますと、それは、眞祈りしかないのであります。眞祈りという印可書を奉読、呼吸に宇宙神ありがとうございますと乗せる、ひたすらに一意専心16項目を奉読しつづけることが大切なのであります。

 具体的には、

1,20人以上の単位の組織をつくらない。

2,新たなる下座につく真(まこと)の本心の自分という立場を徹底すること

3、尽くし合い捧げ合いを、眞祈りを根底に(印可書を奉読等を根底に)おいて、徹底すること

 以上のことを徹底することによって、その弊害をなくすことができるのであります。

 しかし、何故、日本人特有の事大主義があるのかと申しますと、それは、すでにみんな悟っている救われている祈っているからなのであります。

 神さまは完全円満完璧大調和の全知全能の愛そのものであられますから、今が一番良いように良いようにされているのであります。

 どういうことか?と申しますと、神さまの絶対の愛つまり、すべては、真(まこと)の神さまであるという実感がすでに、日本人には、無意識にあるのであります。

 ですから、大いなるもの(→本来は真(まこと)の神さまそのもの)に無意識に事える(つかえる)ようにしようとするのであります。

 ただ、この大いなるものを小さく捉えるから掴んでしまうから、前述のような組織団体等においての弊害となるのであります。

 ですから、毎月の護摩を盛大に成功裏に納めることによって、眞祈りの響きを人類の潜在意識に響き渡らせることによって、より大いなるものである真(まこと)の神さまに事えることになり、すべての分け隔てが消滅して、すべて真(まこと)の神さまの御働きとすべての人類が実感することによって、はじめて、人類平等という一切の差別の無い世界が出現するのであります。

 そのときこそ、真(まこと)の世界平和が、真(まこと)の神さまの理想世界という一大循環の世界が出現するのであります。

 宇宙神ありがとうございます

 日本人と仮に特定しておりますが、人類と置き換えて読んでいただいても大丈夫です。

前回勉強会においての血糖値スパイクの測定用のモニターは、フリースタイルリブレです。グルコースモニターシステムで検索してください。


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