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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年09月16日(月) 21時10分
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9月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年9月1日の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問@
 1年前の勉強会の中でジャン・ギャバンの映画「レ・ミゼラブル」の話がありました。その中で真祈りを深める為に参考になる映画が他にあれば教えて頂けますでしょうか?

河上さん
 また皆さんとお会い出来て嬉しく思います。参考になる映画、色々ありますけども、「マトリックス」ですか。あれはこの世を現世(うつしよ)と見せる、いい映画だと思います。
もう一つは「十戒」。それともう一つは…出てこない。ユダヤの貴族がね、ローマ兵の通るのを見てて、上から屋根瓦…「ベンハー」そして スターウォーズ。

質問A
 理想の社会の実現とは、神代(かみよ)の時代の再臨と考えて良いでしょうか?

河上さん
 その通りです。本当の意味はね、皆さまお一人お一人が自分の世界を創っているんです。この自分の言葉で創った世界を消し去ることが、この世での目的なんですね。自分とは何かというのを知ることでもあるんですけども。自分とは真(まこと)の神さまそのものであるということが解る為に印可書を読んで頂き、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」で籠めて頂いてるわけですけど、そうすると、自分の使ってきたマイナスの言葉が一切合切(過去現在すべて)サーッと消えるんですね。消えると神代(かみよ)に入れ替わります。それが究極にわかるのが、すべて真(まこと)の神さまだけってわかることなんですね。それって先生が「既に祈っている・悟っている・救われている」という表現と同じなんですけど、すべては自分とも言えますし、色々と表現は違うんですけど、これは真祈りして自覚してもらうしかわからないことなので、表現はバラバラになっています。この現世(うつしよ)を平和にするのでは無いということだけはね、覚えておいて下さい。
 皆さんお一人お一人の真祈りが何で大事かというと、皆さんお一人お一人がそれぞれ違った現世(うつしよ)を心に表現してるんです。自分の表現した世界だけ見ててもわからないから、皆の表現した世界を全部重ねて、この現世(うつしよ)となっています。だからこの現世(うつしよ)の一部は全部自分の責任なんです。でも重なって見えるということは、大なり小なり全部、自分の責任だということです。だから皆さんお一人お一人の真祈りがいるんですよ。自分一人祈らなくたっていいやではないんです。誰一人として祈らなくてよい人はいないんですね。すべての人が祈ってこそ、真(まこと)の悟りなんです。ですからともかく、今見えてるものは全部自分がね、本当はプラスなのにマイナスに見てるというだけなんだというのをわかってもらうと楽なんですけどね。中々現実を掴んでいると、それが「そんなん言うたって痛いし」となるんですけども。現実はすべて影でね、死んで持っていけないものは影なんだっていうのを先ずわかって下さい。だから影を見て怯えているようなもの、苦しんでいるようなものなんですね。それがわかれば、あっという間に現実も全部神代(かみよ)に変わるんですけども。でも、それも理屈じゃなくて、ただただ一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と籠め続けるね、真祈りにすべてがかかっています。ありがとうございます

質問B
 先生と縁のあった人は使っていくということについて。
縁のあった人という部分が理解が浅かったのですが、縁のあった人というのは、自由意志で先生の為に神さまの為にと少しでも願った人のことを指すのですか?

河上さん
 勿論そうですし、更には先生の凄い愛のお蔭でね、偶然先生を見た人も縁のある人になります。そういう人でも全部神さまの為に使っていくよ、使ってあげるよということです。

質問C
 また生前先生と交流が無かった人で、今先生の教えに触れ、自由意志で神さまの為にと願っている人は、新たな縁として使われていくのですか?

河上さん
 勿論その通りです。

質問D
 また一方で自由意志で神さまの為に先生の為にと願っていない人は、縁の無い人ということで、先生は使われないということでもあるのですか?

河上さん
 違います。先生を知ったすべての人は、縁のある人として使います。それが先生の大きな愛です。そのこっちを向けへんからほっとくわということはなくて、一人残らず連れていくというのが先生の最後のお言葉ですから。

質問E
 隙間なく祈り続けることの重要性について、改めて教えて頂けますか?

河上さん
 あのね、隙間なく祈り続けているのが本来のすがたなんですよ。重要とか重要じゃなくて、それが本来の自分なの。それを自分のマイナスの言葉でね、自分は祈ってないとか、自分は色々と捉われがあるんだとか、お金に執着があるんだとかって、勝手に自分で自分を縛って思い込んでるだけなんですよ。その縛りを自分の自由意志で解いて自由自在になれば、隙間なく祈る自分が出てくるだけなんです。

質問F
 真(まこと)の真祈り人とは、アクティブな与え続ける本心の自分の立場から祈る人のことですか?

河上さん
 その通りです。ですから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と素直に籠めていればね、自然に嫌でもそうしたくなります。

質問G
 向こうの世界の人は普段は帰って来られない人も、お盆と護摩の時は帰って来られると聞きましたが、護摩の時に地獄から参加できた人は、全員もう地獄に帰らなくて済みますか?またその人は何処に行きますか?

河上さん
 皆、地獄に帰らずに、本来の真(まこと)の本心の世界にいます。そして、地獄の時しか来れないといのは、こちらの人の言葉の縛り。或は向こうの人の言葉の縛りなんです。でも何時でも何時でも来れるんですよ。だからね、お盆の時以外でも幽霊って出るでしょう。来れなかったら幽霊も出ない。だから、みんな言葉の縛り。真祈りとは、言葉の縛りを解く為のものですから、自在に。この肉体を持ってないとね、持ってないといことは、全部預かりものって素直にわかるわけですよ。肉体があるとやっぱり、自分のこれ名前付けたもの、自分のもの、自分のお金って思うじゃないですか。でもなまじ肉体がないと、全部神さまの預かりものって言われたら、自然にあっそうだったってわかるのね。ほんで本心の世界に戻ります。だから、ただ肉体をもった人を通してしかお祈りできないし、理解できないんですよ。だから、地上での真祈り人を増やすことが必要なんです。

質問H
 近年、WHOでは終末期医療、緩和ケアの重視されています。医療に何十年も、従事させて頂いた者です。病院では、出産・死亡、神さまからの預かり物の体を色んな施術します。(きつい・汚い・危険な所も)印可書を病院に置いて来ても、捧げても、差し障りないでしょうか?

河上さん
 差し障りないです。神さまの愛というのは、例えば外科のお医者さんの腕を通してね、手術という形で現れるわけですね。勿論それを通さなくていいと思う人はいいわけですけども、皆の自由意志で自由に、例えば医療の治療も受けたらいいです。どの形もね、一番小さくなるようになってますから、手術してあの人たくさん苦しんだと見えてもね、本当はそれが一番いい事なんですよ。もし手術を逃げたらね、今度は交通事故に遭って痛い目に遭うとか、必ず辻褄(つじつま)が合うようになっていますから、どっちみち逃げられないのであれば、真祈りしながら、いいと思うことをどんどんされるのが、いいと思います。

質問I
 旧家のそばに、水かけお不動さんが在られます。灼(あらたか)な地下水が湧いて、お水を汲んで行かれます。お不動さまと旧家に印可書を置いたのですが、いかがなものでしょうか?

河上さん
 あの、それでいいと思います。印可書を置けばその場の色々エネルギーがね、神さまのエネルギーに変わっていきますので。例えばその井戸水は御神水に変わっていきます。それも汲んでいく人の言葉の縛り次第ですから、いらんことも言う必要もないし。お不動さんにはね、もし帰れる機会がたくさんあるのであれば、できるだけ帰って印可書を唱えるといいと思います。何でかと言うと、そのお不動さんに皆がマイナスの願いをかけるじゃないですか。マイナスの願いとは何かと言うと、神さまは完全円満で完璧大調和ですから、必ず一番いいようにしているにも関わらず、こうして欲しいって願うことです。それは神さまをけなしてね、お前力ないからわかれへんやろう、教えたるからこういうふうにせいって言いつけてるようなもので、傲慢になっているんですね。自分が神さまより偉くなっている。そういう思いをマイナスの思いと言います。その思いがお不動さんに一杯残ってますので、できたら印可書を唱えに、捧げにですね、奉納しに、唱えて奉納することを、機会がある限りして頂くといいと思います。

質問J
 昨年の9月にこの会場で真祈りの伝授が行われました。1年が経ちました。真祈りの伝授についてお話して下さい。

河上さん
 1年経ったんですよね。本当に素直に皆さんね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さったんです。今日の護摩は、最初の5分で終了しました。完成しました。だから、こちらは非常に楽で、いつもする祈りはしなくてよかった。もう護摩が完成しましたのでね。だから個人個人に特別にお祈り、今日はできたくらい良かったんですよ。
 皆さん自覚はないだろうけどね、自覚は後からきます。でも真祈りはできてるんですよ。だから後はね、自分が祈るというのだけ忘れて下さい。真祈りとは、無色透明になった自分。自分という意識が無くなった時に真(まこと)の神さまが降り立って、通り過ぎていかれる。それを真祈りと言います。真(まこと)の神さまが無色透明の自分に降り立って、働いていかれるとも言い換えれますけどもね。それが真祈りなんですよ。それどうするんや言うたら、今までは色々と理屈考えて苦しんだのね。ともかく素直に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めてたらいいんだよっていうことを皆縋(すが)ってね、その言葉に縋って素直に籠めて下さった。素直に籠めるということは、自分がどうこうじゃないね。自分がどうこうできないから、ただただ素直に信じて、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてくれたんですね、みんなね。すると、その時は無色透明の自分なんですよ。だから、真祈りとして大きく色んな働きがある。でも、その結果を気にしない。神さまがいいようにされている。素直に信じてたらいいです。
 自覚もうすぐ、本当にもうすぐですけど皆さんに来るんでね、きたら今度は皆さんが多くの人に真祈りを伝授する立場になりますのでね、もうそれが始まってますので、大丈夫です。

質問K
 お祈りの会のことですが、崩れるとはどうなった状態でしょうか?判断のポイントを教えて下さい。

河上さん
 「自分が」が出た時です。自分が祈る、自分がお祈りの会をしている。自分が仕切っている。自分が出た時は、それ間違い。真(まこと)の神さまに降り立って頂くだけなんですね。だから極端に言うと、真祈りの会っていうのは何も喋らずに、ただ集まった皆が呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めてね、1時間終わってもいいんですよ。本当はその方がいいかもしれない。でもそれだけだったら寂しいからね、先生の御本を読むとか、そういうのはいいんですよ。でもともかく、自分が出たという時はダメだと思って下さい。

質問L
 近くに日蓮さまをお祀りしているところがあるのですが「南無妙法蓮華経」の意味を教えて下さい。

河上さん
 「南無妙法蓮華経」の意味は、本当は「天照大御神さま今此処に在します。新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」という意味です。その天照大御神さまというのは、入れ子構造的に大きく、大きく受け取り直すと、天之御中主神さまとなり最後は真(まこと)の神さまとなるんですけども、一番地上に近い側の意識で言うと、天照大御神さま。
 これは古い古い昔の話ですけども、日蓮聖人と言われる方は、それがわかっていながらね、その当時まだ天照大御神というのが受け入れてもらえないから、「南無妙法蓮華経」とされたんです。いよいよ自分の死期が近づいて、もう最期だという時はね、実は、これは天照大御神さまのことなんだよ、真(まこと)の神さまのことなんだよと言うんですけども、お弟子さんの方がね、既に日蓮教団を作っていたんですね。教団を維持したいから、日蓮さんを毒殺しちゃうんですけども。日蓮さんはもうその時は悠々とね、お弟子さんの出す食べ物を食べられて、約40日それを食べられて亡くなられるんですけどね。本当のことを言うとね、誰も知らない話ですけども。それ位、日蓮さんというのは神さまに任せ切っていたんですね。だから、もう目の前に来るものは毒であろうが何であろうが、神さまの御心だと思って悠々と食べられた。その当時は、まだ真(まこと)の神さまと時期尚早だったから、結果として今の形になって残ってるということです。こんなん言って怒られそうやけどね。

司会者
 質問は以上です。お願いします。

河上さん
 ありがとうございます
また皆さんの元気なお顔を拝見できて嬉しく思います。ともかく皆さん自覚がないと思うけど、本当に真祈りが出来てきてるんです。ともかく真祈りが出来てるか出来てないかのポイントは、「自分が」が「自分が息してる」「自分が食べている」「自分がお祈りしてる」という「自分が」があるかないかで判断して下さい。自分が何かしていると思っている間はダメね。だから先月は、おトイレ行く時に、自分がしているとまだ思ってるやろう?とこう言うたわけですけど、本当に身近なところからね、全部神さまが働いておられるっていうのを自覚し直して下さい。その為に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」一切の思いを全部そこに籠めて、してもらっています。
 ともかく「自分が」が無色透明になるかならないかだけなんです。無色透明になれば、真(まこと)の神さまが自在に降り立たれて、自在に働かれる。それが真(まこと)の本心の自分という意味です。その自分、その状態にどないしてなるねんっていうことが方法論が難しかったんですね。でも先生が最後に、神さまとの約束事でもう一つ簡単なことを残していって下さったわけです。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めなさいってね。そうしてくれたら、どんな雑念が出てようが、どんな欲望が出てようが、真祈りするっていう先生の約束です。それを素直に信じてね、自分まだまだ自分がどうこうってあるねんと思いながらでも、どうぞ呼吸に籠め続けて下さい。そうするとね、自然に、本当に自然に、いつか知らん間に自分というのが消えてます。自分というのが消えたら、こんなに楽で、こんなに自在で、こんなに凄いんだってわかります。だから、もうちょっと素直に、もうちょっとでね、このままね、続けて素直に呼吸に籠め続けて下さい。忘れても大丈夫だからね。それだけは、もう自分忘れて暫くお祈りせんかったからダメだなんて思わずに、忘れる必要があった時は忘れる。でもお祈りする必要がある時は自然に籠めれると楽に思って、やって下さい。その楽に思うのが「自分が」が無い状態なんですよ。「自分が」があると、隙間なくお祈りしないとダメなのにお祈りしなかったんだ、どうしようとかね、自分で自分を責めちゃうんですね。だからそれさえ無くせば、悠々とね、自然に神さまのお仕事のお手伝いができる。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めながら、どんなお仕事もできるんです。

 ここで一つ大事なポイントを言います。もう皆さん、いわゆる上級者のところまで来てますのでね。
 先ず、歯を食い縛らない事。これを思って下さい。歯を食い縛ると「自分が」が出てます。だから何するにしても、歯を食い縛ってる時は、あー自分がすると思ってるんやと思って、反省して、もう一度お祈りし直して下さい。歯を食い縛らずにできるようになるといいんですよ。だから、おトイレの時に歯を食い縛ってるやろう、あかんでって言っているわけですけどね。だから、ともかく歯を食い縛らずに、悠々と呼吸に籠めながらやってみて下さい。
そうするとね、一番顕著にわかるのが、お仕事の時に疲れない。いつもだったら「あーもうしんどいな、休憩したいなぁ」って思う時でも何か動けるわっていう感じ。ただ動けるからと言って無理に動いたらダメです。それは自分が出てるのね。動けることを喜びながら感謝しながら、悠々とゆっくりやって下さい。するとね、へんに休憩するよりもたくさんこなしてるの、結果としては。1時間の内にこんだけしなくちゃいけないという、自分がという自分という縛りですね。それが逆に邪魔するんですよ。真(まこと)の神さまの働きを。真(まこと)の神さまの働きというのは、融通無碍(ゆうずうむげ)と言いましてね、ゆっくりの時もあるし凄いスピードの時もあるし、自在、自由自在なんです。だからいつも真(まこと)の神さまだから凄いスピードでやらなくちゃいけないというと、もう自分が出ているの。だからいつも神さまがいいようにしているからって、ひたすら呼吸に籠めながらね、やって下さい。動けるからって嬉しくなるとついつい無理するの。無理しちゃダメよ。いつもお祈りしながら、お祈りが崩れない範囲でやって下さい。そしたら意外と何でもどんどん効率よくこなせるようになります。それが一番 今月今回言う大事なポイントです。
 
 ほんで(それで)、理論的な構造的な事を言いますとね。おへそのちょっと下に、まぁ言うと、ゆっくりと力を抜いて首を回すと、そのおへその下の一点にしか力を籠めれないんですよ。その場所に「宇宙神ありがとうございます」っていう呼吸を籠めて下さい。ただここで注意しないといけないのは、その場所を知ったからには、その場所にいらん思いを籠めたらアウトです。例えば、自分の仕事が儲かって発展したいなんて籠めると、すぐに実現します。意外と早く。でもそれは真祈りではないので、極端な表現で言うと、宝くじ当たれって言いながら籠めるようなもんです。宝くじ当たれと言いながら籠めたら、勿論当たります。当たるけど凄いマイナスを背負うことになるんですよ。この世的にあんまり上手くいった時はちょっと怖いみたいに思って下さい。ただちゃんといつも神さまってね「宇宙神ありがとうございます」って籠めてる時は大丈夫です。それ以外に、あーしたいこうしたい、病気治りたいとか色々あるじゃないですか、お金儲けたいとか給料高くなれとかね、くそ上司辞めてまえとか、色々あると思うんですけども、そういうのを籠めないように、籠めるとスターウォーズじゃないですけどダークサイドに落ちます。ダークサイドに落ちると、ちょっと拾いに行けないんでね。何でかと言うと、自分の自由意思で籠めたから。人から強制されて籠めたんだったら拾いに行けるんですけど、自分の自由意思で籠めた時はちょっといかないんでね。そこだけ気をつけてやってみて下さい。自信無い時はそんなん意識せずに、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。ほんだら(そしたら)一番良いように必要なようになります。ただ何とか早く悟りたいねんという人は、ちょっと今の技術的なことを加えると早く悟れます。でも早く悟れるということは、マイナスも、持ってるマイナスも早く消す為に浮かび上がりますから、身内が病気になったり、倒れたりとかね、自分がちょっと病気になったりとかも出ます。真祈りしているのに何でこんなんなってんねんではないんですよ。自分が背負っているもの。自分が背負っているものというのは正確に言うと、縁者が背負っているもの、自分の縁(えにし)ある人が背負っているものですけど、それも全部自分ですから。それが急激に浮かび上がらせたいんだったら、今いうた技術的なこともやりながらして下さい。そしたら急激に変わります。どっちでもいいんです。ただ本当に神さまのお役に立ちたいと願うとね、自然に籠めて急激になろうとします。でもそこまで神さまのお役に立ちたいと願っていたらね、何が起こっても文句言わん。覚悟も出来ていますから大丈夫なんですけどね。まぁその点だけちょっと注意されて、自信無い人は、今まで通り呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてて下さい。それだけで大丈夫です。
 
 本当にね、皆さんの真祈りのレベルが上がったんですよ。今日は護摩が5分で終わっちゃった。5分で終わって本当に後はもう、なんと言うんですかね、より日本じゃなくて世界に向けてね、大きく変わる護摩になったんですけどね。そういう自覚も必ず後からついてきますから、私何もわからないねんっていうのが、本当は一番幸せだったってわかりますから。わかる方が大変だっていうのがね、わからないうちの方が幸せだと思って、ただただ素直にね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めて下さい。暑くなってきましたので短いですけど、これで終わります。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/Hvf2KRb0zig

 宇宙神ありがとうございます

お話


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年08月17日(土) 08時59分
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8月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年8月4日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問
 印可書を全部、暗記したので毎日唱えていますが、唱えている時、頭を空っぽにして、そらで唱えています。すなわち印可書の内容を理解しながら読んでいるわけではありません。それでもいいのでしょうか?

河上さん
 皆さん、ありがとうございます、今月もまた、お会い出来て嬉しく思います。
印可書なんですけども、印可書というのは、いわゆる紙に書かれた文章ではないんですよ、本当はね。だから、先生は読めと仰っしゃらなかったのは、色んな意味があるんですけども、神さまと先生との約束事で、これを奉じる時、唱えるではないんですね。神さまに捧げる時、真(まこと)の本心の自分の座に立たしてあげるよという、約束事のものなんです。だから、印可書の内容をね、理解しようとか、これはあーやこうやと思う必要はないんですよ。只々素直に、神さまのいのちの響きがそこに書かれてあるんです。まぁ、音楽のような感じなんですね。音楽というのは、歌詞がなくてもですね、その旋律だけで雰囲気を感じて、こう、うっとりするじゃないですか。歌謡曲であっても、民謡であっても、クラッシックであってもなんですけどね。印可書は神さまの音楽なんです。だから、本当に頭を空っぽとかいう説明も要らない。只々淡々と読めば、そのまま神さまの響きになる。だから、読んでいるうちは、自分は本心の座に立っているんです。
 だから、説明してくれという時は説明はしますけども、その説明の内容をね、どうこうって考える必要はないんですよ。前にイタリア旅行で説明したと思うんですね。イタリアの国って、そのイタリアの旅行のパンフレットを見てね、あーこうだこうだって、こう言っても、実際コロシアムに行ってみたら、そんなもん理屈抜きにもっと凄いじゃないですか。この現世(うつしよ)の出来事の古い古い遺跡のコロシアムでもね、実際に行ってみないと体験しないとわからない。
印可書も同じなんですね。真祈りをしないとわからない。真祈りをしないとわからないんです。だから、印可書を読むことは真祈りそのものですから、淡々と読まれたらいいです。ほんだら、印可書のメロディーが心の中に入り込んできて、ほんでフワッとわかるようになるんですよ。だから何もあんまり心配されずにね、ただ先生と神さまの約束事、先生の願いが神さまが聞き入れられて、これを読むものには真(まこと)の本心の自分の座、いわゆる悟りに立たせるよということですので、それを信じてね、淡々と読んで下さい。

質問2
 道端やお寺で見かけるお地蔵さまや観音さまに向かって印可書を唱えることは、神社で印可書を唱える事と同様、いいことなのでしょうか?

河上さん
 あのこれはね、道端にある祠(ほこら)というのはですね、色んな意味があるんですよ。いわゆるマイナスの怨霊を封じこめて建ててある祠もあります。その場合は、「あなたは此処に住んで下さいね」「よっしゃ、気に入ったから此処に住んでやろう」という感じで住んでおられるので、無理に印可書を唱えることはないの。だから、神社仏閣であろうが何処であろうが、或は古墳であろうがその遊園地であろうがね、どこで印可書を唱えてもいいんですけど、その唱えたくない時は唱える必要がないと、そう思って下さい。
それともう一つは、大事なのは、自分が印可書を唱えてやるではダメなんですね。只々神さまの御働きが自分を通して、印可書を相手に捧げるという感じでね、只々印可書を奉納するという感じで唱えて下さい。それでないとダメです。
 ほんで、例えば神社に行った時は絶対に鈴を鳴らしたらダメですよ。それわかって下さいね。お賽銭は入れてきて下さい。でも出来たら音のしないものを入れた方がいいです。どういうことかと言うと、この世の怖い怖い人のお家に行ってですね、扉に小銭を投げつけて、呼び鈴をバンバン鳴らして、ほんで前で大声で怒鳴ってるような感じなんですね。それは誰でも失礼でしょう。だから、出来たら音をせずに入れて、音のしないものを入れた方がいいですけど、呼び鈴もならさず、鈴も鳴らさずね、淡々と声を出さずにですね、唱えて帰ってこられたらいいです。
 それは道端の祠でも同じです。ただ、嫌だなぁ、怖いなぁと思う時は本当に行かないで下さい。「わしは、今ここ気に入って住んでんねんから邪魔せんといてくれ」という状態になってますので、それをどうして区別するんだっていうのはね、離れた状態で自分で印可書を唱えたらわかります。やっぱりやめておこうと思ったら帰ってきて下さい。やっぱり唱えたいと思ったら唱えて下さい。でも自分が唱えるって、印可書を与えるではないんですね。只々神さまが働かれて、逆に言うと、神さまが働かれるからこそ印可書が唱えれるんです。それをわかってね、只々奉納するというだけで、神さまが神さまに奉納するっていう気持ちでね、やってみて下さい。お願いします。

質問3
 勉強会で幽霊の出る所には印可書を貼るとおさまりますと聞きましたが、その幽霊は何処の世界にいかれますか?

河上さん
 これはね、印可書を貼るだけでその幽霊は救われるとそれだけです。だから、どういう理由で幽霊は出てくるかっていうことですけど、それは助かりたいから、救われたいから、悟りたいから出てきています。でも、出てきてもわかってもらえないから、ちょっとわかってもらおうとする形がね、脅かす形になったりするんですけども、でもいちいち唱えなくても貼っておけば、その印可書のレコードみたいなもんなんでね、印可書はコピーでも、だからそのまま貼っておくとその響きで変わっていかれるということです。ただ一気に変わらそうと思えば、素直に印可書を奉納すれば、一気に変わります。それだけです。
 どこの世界かというのは、三千世界すべてからです。三千世界一度に開く梅の花ってあるんですけども、「三千」というのは「無限の無限の」という意味です。無限の無限の世界がね、人間の自由意志によって創り出されているわけです。それをどう収納していくかは、真祈りしかないんですね。その真祈りの集大成が印可書なんで、それで印可書を貼ると消えていくんですけども、どの世界かというのは、無限の無限の世界です。この現世(うつしよ)は無限に無限に在るんですよ。でも実際の真(まこと)の世界はもっと凄いんですけどね、この現世(うつしよ)ですら無限の無限の存在なんです。だから、どこから来てるか?無限の無限の世界から来てます。そのたった一つの幽霊という形でも、無限の無限の存在の影響下になって一つに形成されていると、そういうことです。

質問4
 谷神(こくしん)について説明をお願いします。

河上さん
 谷神(こくしん)とは、一言で言ったら、真(まこと)の神さまの御働きそのものを示す言葉です。例えば、人間の血液の流れ、見えないですよね、表面から。でも凄く大事じゃないですか。でも、心臓を通して大変な働きですよね。そういうきつい、汚い、危険な仕事をそれって谷底の働きなんですね。谷底ってすべての汚れを飲み込んで、清(浄)めて流すっていう働きなんですけども、それで真(まこと)の神さまのことを老子さまはですね、谷神死せず、と呼ばれて、谷神(こくしん)と呼ばれたんです。

質問5
 宇宙神ありがとうございます
韓国は日本に対して色々不満を言ってきて、また問題が起きてきていますが、神さまのご意向でしょうか?何か意味がありますか?食べ物に全然気にせず感謝して頂いていますが、健康食品を勧められますが必要ですか?

河上さん
 先ず健康食品から。健康食品はね、見て自分が欲しいと思ったら摂って下さい。こんなん要らんわーと思ったら摂らなくていいです。もうそれだけです。何でかと言うと、その人によって食べ方って色々ありますし、一番の健康法は、ありとあらゆるものをちょっとずつ食べるのがいいんですよ。でも、お一人住まいの人だったら、やっぱり食べ物残るからね、だから偏ってくるわけですよ。だからそういう方は、健康食品で偏った分を補助されるのは十分だと思います。
 それから、今の政治的な話ですけどもね。別に神さまの御心ではないです。人間の欲望の流れのままに移り変わっているだけです。あんまり公の録音で言えないですけども、日本が輸出しているものを軍事的に利用してね、多くの人のいのちに関わるようなことにまで使っているので、ある国の要請に応じて、日本政府は輸出を止めたということです。それをどうこうというても、民族全体の思いの流れというのがあるんですね。それは真祈り人がどれだけいるかにかかっているわけですけども。比較して真祈り人が少ないと、ああいう風になって流れていくということです。
 日本もそんなにうかうかいうてられなくて、ここにいらっしゃる真祈り人が全部やめちゃったら、あっという間に大変なことになります。でも、真祈り人を増やしてね、お互いに喧嘩せずにね、支え合うという世界をね、再現していこうじゃありませんか。真祈りというのは、表面から言葉でね、どうこう言って人を変わらすということがダメだとわかった人が、使う技というか、祈りなんですね。
例えば日本でも、人を殺したら、こういう刑法でこういう罰則があって、ちゃんと決まってるわけじゃない。だからそれを読んだら人を殺したらダメだなぁってわかりますよね。でも人殺しはやっぱりある。或は、人を傷害暴行したらこんな罪だよってわかってても、やっぱり腹が立って殴る、っていうことがあるわけですね。だから、外から、法律や戒律、まぁ色んな律でですね、人を変えることはできないですよ。だから先生は組織を立てないとおっしゃったんですけどね。組織を立てるとはどういうことかというたら、戒律を立てるということです。でも戒律では、法律では、人は変わらないの。真祈りでしか変わらない。真祈りよって、皆さんの真祈りによって、真祈りとは何かというと、真(まこと)の神さまに降り立って頂くことが真祈りなんです。だから「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めたら、自分の回りにいる人の心の中に自分が降り立つんですよ。真(まこと)の本心の自分が、それを真(まこと)の神さまが降り立つと言うんですけど、そうすることによって、相手の内側から真(まこと)の本心が湧き上がっていくんです。そして変わるんです。全部内側から変わるんです。その為に、真祈りは最強なんですよ。

 だからね、皆さん呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてるだけだなぁと思っておられるわけですけど、実際は、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めるだけでね、自分の縁ある人すべての人の心の中に、自分が降り立つんです。真(まこと)の本心の自分が。それを真(まこと)の神さまと言います。そうすることを繰り返すことによって、相手が変わっていくんですよ。それは職場の雰囲気も変わります。色んな自分に関連するね、属している部分、全部変わっていくんです。町内会でも変わります。だから是非ね、真祈りは最強っていうのを信じてやって下さい。

 この現世(うつしよ)の出来事はね、すべて未完成なんですよ。だから常に常に一瞬一瞬新たに新たにね、受け直していかないと、変わらない。でも殆どの人は、現実を掴んでね、お祈りしても病気が治れへんやん、すぐ治れへんやんとかね、こう否定するわけですね、真祈りの力を。だから否定しながらやったって効果はないわけです。わかります?だから如何に現実を無視できるかなんです。現実は常に未完成なんです。その未完成の現実は放っておいたらいいの。新たに受け直した、新しい真(まこと)の本心の自分という、新しく完成されたすがたを相手の心の中に入れていくの。すると、どんどんもっといいもの、いいもの、いいものに変わっていくんですね。
だから如何に結果に一喜一憂しないとか、現実無視とか色んな表現をしますけども、結果を気にせずに真祈りし続けることができるかです。先生のお言葉を借りたら、大戦争の最中(さなか)、爆弾が爆発して、砲弾が身近で飛び交って爆発している時でもね、完全平和を思えて、真祈りできなあかんと仰るわけです。でもそれが本当なんですよ。だから、実際に戦争に行かれた方、うちの父親なんかは行った世代なんですけども、父親は助かって、横の人は吹き飛ばされてる。或は、父親が撃たれて墜ちたから、後の人は進んで行ってやっぱり砲弾に吹き飛ばされて死んだとかね。もうその必ずいいようになるんです、お祈りしている人は。
 だから、真祈りが最強だということをね、現実を無視して、できたら絶対大丈夫なんですよ。それをわかって下さい。だから熱があってしんどくて、真祈りしているけどしんどくてダメなんだって言うんじゃなくて、真祈りしててしんどいからこそ、一番いいんだっていうのがわからないと真祈りが最強にならない。自分で真祈りを否定する形になるんでね。だから、必ず真祈りですべてを悠々とね、どんな状況が見えても真祈りに入って下さい。

質問6
 この間の勉強会で自由意思と自分勝手にしているのが、一応説明頂いたんですけど、やっぱりなんかちょっとわかりにくいんで、もう少し詳しくお願いします。

河上さん
 本当の自由意志というのは、すべては自分という立場。つまり真(まこと)神さまの立場、つまり本心の立場に立っている時です。身勝手という時は、自分と他人を分け隔てて、自分だけ良い目をしようと、良い方に走っている時が身勝手です。いいですか?

河上さん
 他に質問がないようなので、暑いので短めにいきます。
いよいよね、普通お盆というと、13、14,15日なんですけども、どんどん天と地が一つになってきましたので、今年はもう今日からお盆に入っています。多分24、25日位までお盆続きます。この世的な形式的な行事はね、いつものお盆の時期にされたらいいんですけど、それ以外に、この8月の間はね、せめてこの8月の間は、何か誰か思い出したら、お友達でもお父さんでもお母さんでもいいですけど、思い出したら真祈りして下さい。それが供養になります。本当の効果がある真祈りになりますので、この8月いっぱいは、誰彼ってふっと思い出したら真祈りする。ほんだら、自分が意識する・しないに関わらず、相手の心に自分の真の本心の自分が立ちます。それを真(まこと)の神さまと言います。その神さまが立たれて、相手を変えていきます。内側から芽生えていきます。だから是非ね、今月は油断せずに悠々と真祈りに励んで下さい。

 皆さん本当にね、もう真祈りできるようになっているんですよ。後何が足らないかと言えば、先ず結果をちょっと気にしてね、祈ったって大して変われへんわっていう意識で、自分で自分で折角出しているのに、自分で否定してるんですね。それって例えば、泳げる人だったらね、本当は1キロ泳げるのに、そんなん自分は100メートルも泳いだら元気なくなって泳がれへんで、溺れるわーって決めてるようなもんです。それ位自分で自分を縛るということが大変なことなのでね、一番、いつも神さまがいいようにされていると信じて、悠々と真祈りして下さい。もうそれがすべてです。

 ほんでね、いわゆる普段ね、毎日同じように繰り返してるおトイレに行く行為がありますね、その時に自分がしてると思うでしょう、みんなね。そういう小さい事の隙間がね、真祈りを否定するんですよ。だからトイレで大も小も出す時も神さまが働かれて、いいようになって出てるって信じれなダメなんです。それを大して出なかったとかね。出へんから便秘で病気になるわーとかね。やっぱり自分で縛っていくんですね。先ず毎日されるトイレの時に神さまがいいようにされてる、これでいいんだって、真祈りに変えて下さい。食事の時も神さまと共に食べる、神さまの為に食べるですけども、食べてるうちに美味しいなぁーと流されますよね。その時も美味しいなぁと思った時は神さまに捧げて美味しいなって、神さまと一緒で美味しいなって、こう思い直してね、して下さい。そういう毎日の一つ一つのとこの、隙間が段々崩れてきて真祈りが信じれなくなりますのでね、よろしくお願いします。暑いのでこのへんで終わりますけど、何か質問があったら最後にお願いします。

質問7
 真(まこと)の神さま以外を認めた分だけ、マイナスを自分で創り出してるってお話だと思うんですけども、それは日常生活で色んな出来事がありますよね、どうしても。それを先程の現実無視にも繋がるんでしょうけど、どうしてもこう掴むっていう感じがあって、まぁ例えばその出来事に、起きた時に、真(まこと)の神さま以外を認めちゃいけないということですから

河上さん
 自分のものと思っている分だけそう思えちゃうんです。全部神さまからの預かりものが動いてるとなったら、どの形になっても気にならない。例えば仕事でも自分の仕事と思ってるでしょう。ほんだら、その仕事の成績の結果を出さなくちゃいけないと言って苦しむんですよ。でも神さまからの預かりものの仕事だったら、結果は気にならない。するとかえって良くなる。結果気にした分だけね、例えば営業職ですと、お客さんが緊張するの。余計拒否されるの。結果気にせずにこっちが心開くと、向こうも心開いて買ってくれるの、営業やったらね。それは他の仕事でも一緒なんですけども、例えば修理の仕事に行ってもね、こっちが心を開いて修理してたら、文句出ない、少々の修理でも。でもこっちが緊張して、結果気にして修理するとね、あの修理屋さん、こんだけしかできへんのにこんなにお金請求してみたいに怒られるのね。だからいかに、全部神さまからの預かりものと思い返せるかです。
 結局真祈りって何かと言うと、真祈りしたら神さまの光を、要するに真(まこと)の本心の自分が降り立つんですけども、降り立つ範囲がね、自分のものと思ってる範囲しか降り立たないの。だから真祈りしても中々ピンとけえへんという人は、自分のものというものをようけ(沢山)掴んでるわけですね。そやけど全部神さまからの預かりものとしたら、ある意味全部自分でしょう。だから大きく光を受けれて、大きく変わるんです。だから先ず、自分のものと思い込んでる部分を止めてね。だから例えば会社の上司から怒られても気にならなくなる位、神さまに任せきっていけなダメなんです。その結果、首になるんやったら、よしなんですよ。

質問者
 嫌な人が出てきたら、それ神さまの現れってみたらいい?

河上さん
 そうそう、そうです。本当は全部神さまが変身して消して下さっているすがたです。例えば、そんなん言ったって、あの人30年も病気で苦しんでるんやって理屈いいは言うわけですよ。でも実際は、1億年かかって消すことを、たった30年で消しているのに、なに文句言ってるねんっていう感じやねん、本心の側から見たら。そういうもんでね、だから先生は肉体側で一生七難八苦の連続でいいんだって仰るわけですよ。そやけど、それでは皆耐えられへんから楽しい事も出したろみたいな感じですけどね。だから、その中で自分がどれだけ神さまからの預かりものって思い返していけるかだけですね。

質問者
 そうすると真(まこと)の神さま以外のものを認めたことにはならない?

河上さん
 ならない。消えていくすがた。五井先生流に言うと、消えていくすがた。或は移り変わるすがた。

質問者
 消えていくすがた。神さまの働きで消して下さった。

河上さん
 そうですそうです。水で説明したでしょう、前に。水をバーッと撒いたらその先端は汚れるじゃないですか、水も泥水になるじゃないですか、でも次から次に受け直して新しい水を入れたら綺麗になるじゃない、必ず。この現世(うつしよ)でもそうでしょう。でも真祈りはもっと凄いんですよ。神さまからの預かりものとしてるから、次から次に受け直してるということなんです。自分のものとしたら、もう受け直すのを止めてるの。だから、水も止まって濁る。或は腐っていく。でもそれでも清(浄)めのすがたなんです。そやけど、一瞬一瞬新たに受け直すといことが大事で、その一瞬一瞬新たに受け直すといのが、中々みんなわからないのね。理屈では、一瞬一瞬新たに受け直すんやなって言うわけですよ。一瞬一瞬新たに受け直すってどうするんねんて、いや、一瞬一瞬新たに受け直してますと言って苦しんでるねん。わかったふりをしてわかってないねんけど、わかった気になる。理屈っていうのはそういうもんなんですね。
 一瞬一瞬新たにどうして受け直すかって言ったら、いつも神さまからの預かりものと思い返すことなんです。ほんだら、すべて神さまのいのち、御働きそのものってなって、全部ガラッと変わるんですよ。それを思い返さないと自分のものと掴んでいるから、例えば泥水を桶に溜めて抱えてるようなものなんです。自分のもんやからね。ほんで、臭いなぁ臭いなぁってわけやん。みたいなもんなんですけどね。
だから本当に、受け直す、受け直すとは、神さまからの預かりものって思い直す。それをもっとね、だから、神さまからの預かりものと思い直せたら、おトイレ行った時の毎日のおトイレの行為もね、預かりものだからって安心できるの。ほんだら沢山出たとか、出なかったとか、おしっこ出にくいとかね、要らんことを思わない。ちゃんとなるんです。出にくい時は必要で出にくい。でもちゃんとなって、また出るようになるんです。それを皆、おしっこ出にくいな、おかしいって医者に行くのね。ほんだら前立腺がんとかって言われてね、また苦しむんですけど。自分で苦しみに行くんやから好きにしたらっていう感じなんですけど、それも先ず受け直すこと。受け直す中でね、例えば病気でしたら、お医者さん行きたいと思う時は受け直す中で、神さまからの預かりものと思って、行きたくなったら、それは行ったらいいんです。行ってはいけないというのはないんですね。先ず、全部神さまからの預かりもの、死んで持って行けないものは全部神さまのいのちそのもの、預かりものって思い直せないと、財産一つとってもね、苦しむ。
 ハイ!ありがとうございます

河上さん
 皆さん真剣になってきたのでね、大事な部分が最後に質問がきてよかったですよ。
一瞬一瞬新たというのが一番ね、真祈りでわかりにくいんですね。でも本当に神さまから一瞬一瞬預かり直してるっていうふうに、だって預かりものと思っても、預かってついつい自分のものになってるわけでしょう。そしたら、もう一回預かりものって思い返していかないとダメです。

 例えば何百年も続く老舗がね、それを維持しなくちゃいけないとなった時に、老舗が維持できるところっていうのはね、決まってるんですよ。自分のものとしてないの。すると、そこの和菓子屋でも色々ありますけども、和菓子屋さんでも地域に役立つことをしているんですね。ボロ儲けしてないの、赤字にはならないけどね。それが神さまからの預かりものと思えてることなんですよ。この会社、自分のものと思ったら、もうダメになっていくのね。どんな会社、大きい小さいあっても、神さまからの預かりものと思ったら、ちゃんと役立っていくんです。そのへんがね、ついつい先祖から受け取ってきた、田地田畑やからどうこうしようとかね、思って皆苦しむのね。必ずいいようになるから、減ろうが増えようがなんですけども、心を揺るがさずに神さまに投げ出し続けるかなんです。
 神さまに投げ出していくというのは、全部すべて、神さまからの預かりものって思い直せることです。だから、うっかり水を飲む時でもね、ついつい自分が飲んでるとしてたら、自分の水を飲んでるなんですね。折角飲んだ水も役立たない。神さまからの預かりもののいのちの水を、神さま自身の自分が飲むってね、本心の自分が飲むって思い直していかないと、本当はダメなんです。だからトイレも本心の自分が神さまのいのちが働いて、おしっこが出ると思い直さないと、やっぱり色々差し障りが出てくるんですね。その毎日毎日の小さいことから、全部神さまの御働きと思い直していかないと、深い真祈りにはならないです。その部分をちょっと、この1ヶ月やって頂いて、また来月お会いできることを楽しみしています。

 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/15ltj4N1mVY

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年07月18日(木) 21時27分
PC

7月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年7月7日 護摩焚きで河上さんがお話して頂いた内容です。

質問1
 私は、「君が代」が好きですが、「君が代」は畏(おそ)れ多いと聞いた事があります。毎日お祈りの時に「君が代」を斉唱しますが、余り意味がわかっていないのに良いのでしょうか?凄く気持ち良くお祈りができます。

河上さん
 ありがとうございます  またお会い出来て嬉しく思います。
「君が代」なんですけども、「君が代」の「君」という意味がね、大事なんですね。「君」というのは、極(きわ)まる身(み)、極身(きょくしん)と書くんです。これ、真(まこと)の神さまのことなんですね。「君が代」というのは、真(まこと)の神さまの御働きを言葉で歌で現してあるんです。だから「君が代」を歌うと、真祈りになっていくんです。今まで何で「君が代」を歌っても真祈りにならなかったかというと、「君が代」の「君」というのをね、肉体のお身体をお持ちになっている天皇陛下というふうに、みんな勘違いしてたからですね。何でそれじゃ、真(まこと)の神さまは天皇陛下じゃなくて、真(まこと)の神さまなんだっていうことなんですけども、これが真祈りの一番大事な大事なとこなんですね。皆さんの御働き、皆さんの全部御働きなんですけども、どの方もみんな、真(まこと)の神さまの御働きなんですよ。それをどう実観(感)としてわかっていくかが真祈りなんですけども。だから、「君が代」の「君」も勿論天皇陛下なんですけども、天皇陛下の働きはそのまま、真(まこと)の神さまの御働きなんですね。すべては真(まこと)の神さまの御働きだけって実観(感)できたら、真祈りであり、悟りなんですけども、その一番大事なところの集大成をね、「君が代」は歌ってあるんですね。だから、あんまり理屈で意味を考えずにですね、理屈をこねずに、素直に「君が代」歌うと気持ちが良くなるのは当然です。

質問2
 地獄が無条件の幸せを感じる為にあるように、人それぞれが抱える困難や障害、悩みといったものも、感謝を深める為にあると考えればよろしいでしょうか?

河上さん
 その通りです。よくですね、あの人仕事もせずに怠けてるって言って、責め合うんですね。でも、仕事をせずに怠けている人というのは何かっていうと、地獄の体験が足らないから、神さまの働きの素晴らしさがよく理解出来ずに怠けちゃうんですよ。どの方もみんな等しく、本来悟った真(まこと)の神さまと不離一体の自分なんですね。その自分の真(まこと)の神さまと不離一体の悟った自分というのを、自覚するしないに関わらずですね、みんな心に持っているわけですよ。例えば、この世でずるく生きてね、さぼって、上手く楽して生きた人は死んでからどうなるかというと、死んでから最初の60日間位なんですけども、その間に自分が今回地上で何をしてきたかという事を自分の本心の光にあぶられてですね、浮かび上がってくるわけです。その自分の本心の完璧なすがたと自分の不完全なすがたを比較してですね、ほんで、この不完全さを完璧に自覚し直す為にということで、自分で選んで地獄に下りていきます。この地獄が必要なのかどうかと言ったら、必要であるんですよ。神さまが必要で御創りになった、神さまが御創りになったんじゃないんですけども。みんなが言葉で創ったものですけども、地獄があるわけです。その地獄に下りていって、色んな苦しみを体験してはじめてね、勿論縁者の苦しみも一緒に体験するわけですけど、はじめて一生懸命生きる、真剣に生きるという事をね、わかるようになるんですね。この世での、この世で逃げ回って、死んでから体験するということになるわけですけども。この世での不幸・不運・病気、色んなものがありますけども、この世で体験する方が地獄で体験する1万分の1以下で済むわけです。だから、この世で色んな苦労をした方が早く悟れるんですね。自分を自覚してないでしょう。だから何で自分こんなに不幸なのとかね。何で自分生まれついて、こんなに病弱なのって、僕の場合そうでしたけども、何でこんな病弱なの、喘息なのって、こう思ってしまうんですけども、自覚していないから。でも運命としてね、受けざるを得ないじゃないですか、逃げれないでしょう。それを体験することによって、本当の幸せがわかるんですね。

 いよいよ真(まこと)の世界、真(まこと)の神さまの世界でも、新しい神さま・古い神さまって色々あって、なるんですけど、あっちの真(まこと)の世界ですらね、色んな体験を積んだ神さまが尊敬されるし、大事にされるしってなるんですよ。それ何でかって言うと、地上に降りてきて苦労して、ほんで、もう一遍、真(まこと)の世界に戻ると、同じ真(まこと)の神さまの光ですけども、その光の感じ方がもっと深く感謝して受け取れるわけですよね。その為にわざわざ苦労するわけです。
この地上でね、ゲームで遊ぶ時もそうでしょう。簡単なゲームで遊んだって楽しくない。喜びが少ない。でも本当に難しいゲームをやってね、達成した時の喜びって凄いじゃないですか。雪山登山がそうですよね。寒い所が苦手な人やったら、何であんなん行くの?ですけど、わざわざ寒い所に行って、凄い苦労して登山してっていうね、そして頂上登った時の達成感って半端じゃないですか。そういう本当の達成感というのは、真(まこと)の神さまの深い深い響きの悟りというよりも響きなんですけども、真(まこと)の神さまの深い深い奥の奥の奥っていうことに繋がっているわけです。だから、どの方もね、自分はもっと苦労して深く悟りたいと思う人程、この世では、わざと不幸な運命を選んで生まれてくるんですね。それを生まれてきたことを忘れてね、文句言っているだけですけども、何でって思わなくなったら、その体験が自分の血となり肉となってね、凄く役立つんです。だから、基本的には今の質問の考え方でいいんですけども、それを自分が選んでしてきた、選んでしてるっていうのを思い出して下さい。すると、わざと選んでしているから、雪山登山はそうでしょう。自分で雪山に寒い所に行って登るんだって思うから行けるんで、そんなんそんな気のない人が突然そういう所に放り込まれてたって、かなんかなんって逃げるじゃないですか。でも、この世の運命・不幸というのは、自分で選んできているからね。どの形であっても、これが良かったって思って、こなしていくのが大事なんですね。

 こなしていく時の一番注意しなくちゃいけないことは何かというと、結果に一喜一憂しないということなんです。要するに、達成できるできないは関係ない。体験できることが大事なんです。それがわかれば、この世の不幸でも何でもスーッと消えていくんです。何で消えるかということですね。そんなん言うけど何で消えるねんっていうことで、やっぱり理屈で言わないとみんなわかってくれないんでね。ちょっと理屈で言いますけども。不幸とか病気とかっていうのは、求める心なんです。この世の波というのは、本来平穏でふわーっとしているんですよ。それを求める心だと引っ張っちゃうのね。引っ張っちゃうとグーンと沈んで、不幸とか運命になるんです。その波がくると次は、グーンと持ち上がって幸せな所に行っちゃうんですね。波瀾万丈になるんですよ。それが今生で繰り返すか、生まれ変わる中で繰り返すかは、その人によって違うんですけどね。過去世で凄い貧乏して苦労をした人は、今生では楽して出世してね、大金持ちになっているとか、それは色々ありますけども。どっちにしても求める心で引っ張った、引っ張ったが為に波瀾万丈になっているだけなんです。でもそれを与えに与え尽くす支える心になって、「ありがとうございます」って受け止めていくと、自然な波に変わるんですね。すると一遍に何でも消えるんですよ。

 だから、結果に一喜一憂しないということが大事なんです。今こうだからどうじゃなくて、ただただ神さまが、求める心も一緒なんです。神さまがその人にとって必要な体験だからわざと求める心を起こさしたとこはあるんですよね。だって、真(まこと)の神さまと本来の自分は不離一体なんですからね。わざと引っ張って体験しているっていうのをね、病気の人でも運命の悪い人でもそれをわかって下さい。それがわかれば、悠々と一つ一つこなしていけるんです。一つ一つこなしていく為には、結果に一喜一憂しないなんですよ。だから例えば、僕の場合そうですけど、字が下手なんですね。上手になろうとして練習する。でも中々上手くならない。でも上手くならなくてもいいんだ、ただ淡々と練習するのがいいんだって思い切ると、一気に直るんですよ。何でもね、結果を気にするから。例えば、英語の勉強がそうなんですけども、英語が私、苦手だっていう人はね、凄く結果を気にするのね。だからこの単語10個覚えなあかんっていうと、その単語が10個覚えるまでは、もうそこから離れられないの。ほんで結局、何もできなくなっていくんです。英語に関わらずですけどね。でも、結果に気にしない人は、まあ10個の内3つ覚えたからいいやって、また次いくんですよ。そうこうして3つ覚えているのが増えていけば、勝手に100になって、1000になっていくって、結果を気にしないんだけど、結果が整ってくる。

 すべてね、この現世でも、あちらの世界でも神さまの世界でも一緒なんですけども、結果を気にしたらできなくなる。何でダメかというと、結果を気にするというのは求める心だからです。だから真祈りも一緒なんですけども、自分が真祈りできないと卑下慢になってね、私なんかできないから私一人別にいいじゃないって思う事が、本当は大きな罪なんですよ。結果はいいの。だから例えば、上手い人はオーケストラでいいますとね、上手い人はバイオリンとかそういうのを担当して主旋律を弾かせるわけですよ。でも下手な人はトライアングルとかね、簡単にできることをさせるわけです。でも、オーケストラとして一つなんです。だから、ようけ(たくさん)できたからいい、ちょっとしかできないからいいじゃないんです。それはこの現世も同じなんですよ。真祈りをようけ(たくさん)しっかりできる人がいいじゃないの。たくさん真祈りをできる人、ちょっとしかできない人、その全部が一つ、一つなんです。どれが欠けてもダメなんです。だから一人、目立ってね、これだけの効果の真祈りができるってやったってダメなんですよ。ちょっとしかできない真祈りが全部揃ってはじめて、一つの、本当の真祈りになる。だから印可書には、すべては完璧なる一つっていうんですけどね。その完璧なる一つというところがね、みんな中々わかんないんです。自分という自ずから分けるものをもってね。自分と他人を分けて比べようという癖がついているから。この自分と他人を比べるのが虚栄心ですけども、その虚栄心によって、何もできなくなっていくんですけどね。
何もしないのが大きな罪なんです。神さまの働きというのは、大きな大きな働きですから、一瞬一瞬新たに、結果じゃなくてね、支える側に回ることが大事なんですね。そういうことがわかってくると、自分の不幸とか不運も気にならないし、先月お話しましたけど、真(まこと)の悟りというのは、どんなに痛かろうが何があっても心が揺るがないんだっていうのは、そういう意味なんですよ。だから今、本当に病気のすがたをとっている人、いらっしゃると思うんです。或は、非常な不幸なすがたで苦しんでいる方、身内にもうすぐ死ぬという人がいて苦しんでいる方とか色々いらっしゃると思うんですけども、どれもこれもがね、神さまが一番いいようにしているんです。それをわかって、悠々と真祈りできることが大事なんですね。勿論現世的には、一生懸命に色々したらいいんですよ。でも、した結果が報われないと思ったら、もうしたことすらも無駄になっていくんです。結果が報われるか報われないかは関係ない。自分が支える側に回ったということが大事なんです。それをしっかりと覚えておいて下さい。支える側に回るだけでいいんだ。支える側に回るのはどうするんだ。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけで支える側に回ってるんですよ。だからね、真祈りを難しいと思わずにね、悠々と呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めながら、色んなお仕事や日常の御三どんをして頂いたら、一気に世界は変わって、プラスに変わるんです。そういうふうに思い直して下さい、ということです。

司会者
 ありがとうございます
事前にお受けしてる質問は今の2点なんですけども、ご質問のある方いらっしゃいますか?よろしいですか?じゃあ、無いようでしたらお話の方よろしくお願いします。

河上さん
 護摩の時にね、前に出て「宇宙神ありがとうございます」というのはどういう意味か?というふうな質問が一つきていたんですけど、これは総責任者の自覚を深めてもらう為です。この護摩の会場で、自分一人あってもなくてもいいやと思うんじゃなくて、此処で真祈り、前に出て真祈りするということで、先生と同じ立場に立って祈るんだという、覚悟と決意とね、自覚を持ってもらう為に、前に出てお祈りしてもらっています。だから、この形がいい悪いじゃなくて、総責任者の自覚を持つということが必要ということです。総責任者の自覚とは何かと言ったら、すべては完璧なる一つというね、みんな自分だと思えることです。理屈言いに言わしたらね、自分と他人、分かれているじゃないかっていうことですけども、例えば自分の足の小指、普段意識しないじゃないですか。意識しないけど自分でしょう。だから、そういうもんなんですね。形の上で分かれて見えるけど自分なんです。もっと正確に言えば、すべて真(まこと)の神さまなんですけども。その総責任者の自覚を持って頂く為に、前でやって頂いてます。ほんで、そんなん言ったって前でやったって何も変われへんわって、今までそういうふうに返ってきたわけですけどね。そこが結果に一喜一憂しないというとこなんですよ。結果を掴んでいる間はね、永遠にできない。だから、皆さん歩いてるじゃないですか、普通に、ごく普通にね。それって、赤ん坊の時は歩けないでしょう。でも赤ん坊の時は、結果を気にしないから歩けるようになったんですよ。でしょ?四つん這いで、ハイハイしてね、最初に歩き出す時って、本当にフラフラして歩けないわけじゃないですか。でも結果気にしてたら、私なんぼ頑張っても歩けないから、もうダメだわって言って、歩けなくなるはずなの。でも、赤ん坊の時は結果気にしないから、歩けるんですよ。何で結果気にしないかって言ったら、赤ん坊の時は自分と他人を分けてないの。他人の事を気にしてない。だから、親が歩いていることも気にしてないし、勿論同じような赤ん坊が歩いていても気にしない。だから歩けるの。だから、本当にすべては一つで、結果を気にしなくなったら、すべては一遍にプラスに転じるんですけどね、中々色々あります。

 ほんで、天の岩戸が開かれたのは、もっと具体的にどうなのか、どういう意味なのかっていうふうな質問がきてまして、天の岩戸が開かれたということは、大きく天地に光が降り立ったということなんです。天地に光が降り立ったということはどうことかというと、降りると昇るが同時の状態なんですよ。ほんで、特にこの会場はいつも護摩をする時は、強く光の柱が立ちます。何でこの会場で真祈りの伝授ができるのかっていうことですけども、何でかって言うと、それ簡単なことなんですね。この会場に来て「宇宙神ありがとうございます」って祈る時は、支える心になってるんです。支える心になるとね、光の柱の横にスーッと立つと、吸い込まれちゃうんですよ。支えるから。自分が光の柱を支えようとするの。わかります?自分が光の柱を支えようとするのがこの会場で「宇宙神ありがとうございます」って祈ることなんです。支える側に回ったら、光の柱に吸い込まれてね、真(まこと)の神さまと不離一体になるんです。それを毎月毎月、不離一体の自覚をね、自覚なくても体験していくことによって、不離一体の自覚が湧いてくるんですよ。

 真祈りとは何かですけど、真祈りとは真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることなんです。じゃあ、真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることって何かと言うとね、無条件なんですよ。無条件の喜び・無条件の幸せ・無条件の輝き、もう兎も角(ともかく)、無条件で光輝いた喜び勇んだね、ワクワクした自分。具体的には、無条件に「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」って湧く心です。だから、皆さん真祈りが自分ができるようになったなぁっていうのはどこで観るかっていうと、無条件にいつもいつも喜びが湧いてたら、「ありがとうございます」って湧いてたら、「宇宙神ありがとうございます」って湧いてたらね、無条件です。だから自分にとって都合の悪い事が起ころうが何しようが、無条件に湧き上がるようになったら、本物です。そやけど自分に都合の悪い事が起こってきたらどうしようってなった時は、反省して下さい。ちょっと真祈り途切れたなぁっていうことでね。真祈りってそういう簡単なことなんです。

 その無条件で湧く為にはどうするかって言ったら、自分が無くなることなんです。自分があると、何でこうなるのって思って、無条件が無くなる、条件が付くんですね。だから真祈りしない人は、自分で条件付けてね、自分の願いが叶ったら嬉しい。思い通りになったら嬉しい。人が言うこと聞いたら嬉しいって、条件付くわけです。条件付いたら幸せっていうのは、その条件が外れたら不幸せになるの。真祈りしない人は、その思い通りになった、ならないで、嬉しいか悲しいかの波を繰り返すわけですね。それを輪廻転生というわけですけども。
だから、どうか真祈りに戻ろうということだけ。真祈りとは何かって言ったら、無条件に喜ぶこと、感謝できること、色々ありますけども。先生が、ありがとうございますの16項目とかね、印可書とか残して下さっていますけども、あれが自然に湧いてくるようになったら、真祈りが完成してます。真祈りの入り口に立っている時は、いつも申しますように、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて下さい。ほんでね、病気とか不幸の結果に一喜一憂しない。いつもこれが一番神さまがいいようにされているというのをね、わかって下さい。神さまの光を水に例えると、バーッと水がいくとその泥に染まって色が付くじゃないですか、それが病気や不幸の状態です。でも新たに新たに新しい水を送ったら、全部薄まって綺麗になっていくでしょう。新たに新たに新しい水を送るというのが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せ続けることなんですよ。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せている時は、一瞬一瞬新たに新たに、真(まこと)の神さまの光を、いのちを、喜びを受け止めているわけです。ほんなら結果なんていいように変わっていくだけなんですね。でも、結果気にして、まだまだ痛いねん、まだまだ汚れてるねん、まだまだ病気やねん、まだまだ喘息やねんと言うと、それは、またマイナスを自分で創ったわけですね。で、永遠に繰り返すんですね。だから、いかに結果に一喜一憂しないか。神さまが一番いいようにされるかっていうことをね、念頭に置いて、もう一度ね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。もう皆さんね、真祈りの入り口を越えて、真祈りに皆さん入っているんですよ。自覚してないと思うけどね。折角入ったんだから、ずっと奥に入っていきましょう。その為には結果を気にしないことです。
 
 質問があったらお願いします。そんなん言ったって病気やとか、色々何でもいいです。
無いようなので、兎も角(ともかく)ね、真祈りというのは、簡単なんです。それを勝手にできないとか、難しいって決めてるだけ。それ何でかって言ったら、結果に一喜一憂するから。結果を気にするから難しくなる。でもね、全知全能の神さまがね、その人に一番いいようにしかしないじゃないですか。真祈りしなくても一番いいようにして下さる。なら真祈りしてたら、もっといいようにして下さる。それを信じ切れるか切れないかだけです。自分の自由意志でね。今まで、例えば先生、印可書出されたけども、読めとも一切仰らないのは、仰らなかったのは、自由意志で選んでくれることが大事やったからです。
今回も同じです。本当はね、先生が印可書出された時に、それを選び取れなかった人は、まぁ落第だったわけです。でも、それを何とかということで、お願いして、今の形があります。ある意味、今回のこの現世では最後のおまけだと僕は思います。次は無いと思いますけどね。この、それを素直に受け止めて、するかしないかは皆さんの自由意思です。でも折角ここまで簡単になったんだから、是非やってみて下さい。今までだったらお祈りの部屋に何日も通ってお祈りしなくちゃいけないとかね、色々あったんですよ。でも、その縛りも全部解けて、ただただ呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めながらお仕事をするだけで深い真祈りになっているということで、おまけになっていますから、是非やってみて下さい。
3年前はね、護摩木に書くことが真祈りだって先生仰ったんです。だから護摩木を書いてくれ、そこまで先生譲歩して仰って下さったのに、護摩木に書くことを真祈りって中々みんな思ってくれなかった。だから上手く、あんまりいかなかった。でも今は、呼吸に籠めてもらっていますから、護摩木を書く時も真祈り、お仕事する時も真祈り、全部真祈りになりますからね、これで上手くいかないはずがない。でももし上手くいかない人がいれば、結果を気にして自分でマイナスを掴みにいってるからです。それでは永遠に煙草を持ちながら、煙たいな煙たいなぁって言ってるもんですから。だから本当に最後のチャンスなんで、是非自分の自由意志で選び取って下さい。結果さえ気にしなかったら、あっという間に変わる、今は晴天の真祈りの時期ですのでね。是非ご自分の自由意志でね、選び取って下さい。お願い致します。
 また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/m-EdXKfanXY

宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年06月21日(金) 22時10分
PC

6月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年6月2日 護摩焚きで河上さんがお話をして下さった内容です。長い文章になりますので2回に分けて載せさせて頂きます。この掲示板で文字化けする場合があります。修正して、再度載せても文字化け箇所が増えたことがありますのでこちらでは修正はしません。
後日、河上さんのホームページ「ありがとうございます ドット トップ」では護摩焚きのお話で間違い等を修正してから載せて下さっていますのでそちらをご覧下さい。
http://www.arigatougozaimasu.top/ohanasinoumi.htm

質問1
 YouTubeでこの前の護摩の時の河上さんのお話を聞きました。先生が因果の輪を断ち切って下さったと話されていましたが、これから私は色々参加させて頂きますが、今まで村に行ったことがなかった私にも先生は因果を切って下さっているのでしょうか?
これとよく似た内容で、先月の護摩の時に因果の輪を断ち切られたという話がありましたが、8月のその場にいなかった人も断ち切られているのですか?

河上さん
 ありがとうございます
 
 また皆さんとお会いできて嬉しく思います。金曜日の朝早く、先生からお話の許可が出ましたので、皆さんの真祈りが深まってね、熱心になってきたということで、嬉しく思います。
 3年前、もう4年前入っていくわけですけども、最後の8月の真祈りの伝授の時に、先生は、本当にみんなの因果の輪を断ち切られたんですね。それは、そこに参加している人ではなくて、すべてのすべてに先生は断ち切っていかれたわけです。ただ、先生に縁の深かった人の方がその自覚が早いであろうと。それだけのことですね。

 この因果の輪を断つというのは、何処の立場で立っているかという意味なんですよ。本当はね。だから、新たなる真(まこと)の神さまは、新たなる真(まこと)の本心の自分という自覚だけっていうのが、これが一番根本なんです。つまり、因縁因果なんてないんですよ。本当はね。でも、自分が色んな立場に立って、因縁因果を背負っていくわけです。

 それは何でかと言うと、すべて無色透明の輝きの真(まこと)の神さまの働きだけなんですけども、そこに自分のプラスとマイナスの言葉を添えて、画用紙に絵を描くようにね、色んな物語を作って楽しむんですね。それが因縁因果の輪です。楽しんでいるのに、その中に入り込んで、例えば小さい子がね、お化け映画のちょっと怖い番組を見たとするじゃないですか。そしたら、夜怖くて、あの幽霊来る、お化け来るから、怖くて寝れないと泣くじゃないですか。そういう状態ですね。親からみたら、「いやあれはもうテレビやから、終わったから大丈夫やねんで」って言っても、子どもの方は「いや絶対来るし怖いし」って泣くわけですね。そういう状態で泣き叫んでいるのが、今の人類です。その自分で作って自分で苦しむ。苦しみを楽しんでいるんですけどね。それをいつしか忘れるということです。

 でも、何でわざわざ自由自在の自分を制限して楽しむかというと、野球のルールでもそうね、金属バットを使わずに、飛ばないバットを使ってホームランを競うように、或は、将棋でもそうでしょう。みんなが強い役割したら勝てるけど、面白くないから角と飛車は行き方違うし、みんなそれぞれ制限をつけて、その中で楽しむわけじゃないですか。本来マイナスの言葉というのは、楽しむ為に、自分で制限をつけて楽しんだんですね。だから、例えば100メートルを何秒で走れるかという時でも、こういう条件と条件で、ゴルフもそうじゃないですか。ルールを作って、ゴルフの場合だと、なんぼ飛ぶこのドライバーを使ってもですね、やっぱり勝てない人は勝てない。そういうちょっと難しいルールを作るわけですね。そういうルールを作って楽しんでいる。わざとマイナス言葉で縛って楽しんでいるというのが本当のすがたなんです。それを忘れてね、辛い悲しいってやるわけです。例えば、大きな神さまの立場から観たら、すべてはプラスで楽しいことばかりなんですよ。

 皆さん小学校の時にね、九九を覚えさせられたと思うんですね。九九を覚えさせられる時って、凄く大変なのね。何でこんなしんどいことをせなあかんのと言うぐらい苦労して九九を覚えていくわけですね。その時の小さい小学生の立場から観たら、何で先生はこんな難しい宿題を沢山出して、覚えてこい、覚えてこいって言うねんみたいな、文句たらたらじゃないですか。でも大人になってみたら、九九があるお蔭で、簡単な暗算はすぐ出来る。なんでもサッと解かるようになってくるじゃないですか。

 大きい立場から観たら、すべてはプラス・喜びなんですね。でも、小さい小さい立場に立つと、全部苦しみなんですよ。因縁因果の輪というのは、小さい小さい立場に立っているが故の苦しみなんです。それを大きな立場に立ち返る、本来の自分に立ち返るということで、因縁因果の輪が断ち切れるわけですけども、それが中々自分で自分を縛って断ち切れない。それを一時的に先生が肩代わりして断ち切ったよということです。断ち切ったから、断ち切ったからこそ、例えば今、素直に印可書を読むと、スッと絶対の中心に光が通って、自分がスッといけるわけですね。或は、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」、呼吸に籠めなくてもいつも「宇宙神ありがとうございます」ってやっていると、スッと絶対の中心に立って、どんどん心境が変わっていくというのは、そのお蔭なんです。

 今までだったら、座禅がそうなんですけど、ただただ座れ座れって言ってね、作務衣(さむえ)って言いましてね、色んなお掃除をさせたり色んなことをさせるわけですね。その中で祈りに繋げていくという、苦労の時代があったんです。今はそんなことをしなくても、ただただ普段のお仕事の中で「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけで、籠めるのが困難となった時は、印可書を立ち返って読むだけで、スッと真祈りが出来て、お仕事そのものが生活そのものが、真祈り出来る時代になったということです。それが因縁因果を断ち切ったということなんです。

 だから、先生の所に来てない遠い人でも、断ち切っているのは間違いないです。ただ、それを自覚する為には、やはり先生の創って頂いた「宇宙神ありがとうございます」或は、印可書でもいい、或は「ありがとうございます」でもいい、或は「神の御光→みひかり 御力→みちから 御命→みいのち」でもいい「みんな既に悟っている 祈っている 救われている」でもいい。使い易い祈り言葉を使って自覚するだけなんです。その自覚の早い遅いは、本人の素直さだけ。神さまの絶対の愛を信じ切れるだけ、かどうかです。小学校の時に九九習った時でもね、絶対嫌だって言う人はやっぱり九九を覚えなかったと思うんです。でも、大きくなってから、色々苦労されていると思う。でもその時、先生がやれやれ言うし、親もやれやれ言うし、まぁ言ったら神さまがやれやれ言うんだから間違いないやろうと思って、やった人、素直に九九を覚えた人は、あと楽したじゃないですか。そういうもんです。

 因縁因果を断ち切ったというのは、素直に九九が覚えれる時代になった。昔やったら九九を覚えるのに大変苦労したけど、今は読むだけで覚えていける時代。要するに、読むだけで絶対の中心に心がスッと繋がる時代に入った。それが令和の時代だということです。それを見越して先生は、3年前に先に、皆さんの因縁因果の輪を切られてですね、

 全人類の先駆けとして、悟りを体に体現するする姿をとってくれということなんですね。それを受け取るか受け取らないかは、皆さんの自由意志次第です。先生に昔「先生にこれしていいですか?これでいいですか?」って聞いてもね、中々「うん」という、「ハイ」という返事は頂けない。ともかく、いいのか悪いのか、先生ははっきり返事されないというのが大半だったはずです。それ、何で返事されないかというと、みんなの自由意志を大事にされたんですよ。自由意志が大事なんです。だから、本人がやりたいと言うことを、真祈りして、自分で自分で確かめてね。自問自答って先生は仰ったわけですけど、それでやってくれということですね。すべての責任は我にありという、総責任者の立場に立ってやってくれと。

 先生が「やっていいよ」って言うからやるのでは意味がないんだ。総責任者の立場に立っていないから意味がないんだっていうことを遠回しに言っておられたわけです。それは、僕と先生と知り合って55〜56年になってきますけど、最初からずっと先生は、それは変わらなかったです。だから先生に相談に行ったら睨まれるだけで、僕の場合は、返事もうなずきも頂けなかったです、最初からね。まだちょっとしぐさを頂けるだけで皆さん幸せだったと思って下さい。ちょっと話が大きく流れましたけども、大体総まとめにしてそういうことです。

質問2
 真(まこと)の神さまは一つなんですか?それともそれぞれの人によって見ている世界が違うように、真(まこと)の神さまもそれぞれの人によって違うのでしょうか?

河上さん
 これね、真(まこと)の神さまを止めて見ようとする思いの癖なんですね。止めて見ようとしたら、どう違うや?みんな違うんか?一緒なんか?ってそういう疑問になるわけです。でもその川の水をね、大きな大きな無限大の貯水池があって、そこから水門があって川となって流れてきていると思って下さい。その川の水、貯水池の水と無限大の貯水池の水とね、川の水と、そして海に流れこんだ海の水とね、どう違うねんって言ったら、水であることには変わりないんですよ。勿論理屈で言えば海は塩だとか言いますけどね。それは横に置いておいて、水として見た場合ね。すべて水だけども、全部形が違うんです。一瞬一瞬新たに生まれてくるからです。それをね、理屈では受け取れない。ここが一番大事なんです。みんなね、何とか理屈で理解しようとするんですよ。でも、理屈では絶対に理解できない。

 例えば、川の水の分子一つ一つ、水の分子一つ一つとってもこの現世ですらですね、一つ一つ形が違うんですよ。構成要件は一緒ですよ、H2O(エイチツーオー)という。構成要件は一緒ですけど、形が違うんです。だから、水は色んなすがたに変化をするんですよ。蒸発したり、滝の時のこう飛び散ってみたり、大きな水圧になってみたりするのは、全部分子の形が違うからです。この現世ですら、一つとして同じものがないんですよ。でも同じものはないけど、H2O(エイチツーオー)としては一つなんです。大生命としては一つなんです。だから、大生命として大きな立場に立てば、すべては完璧なる一つなんです。でも色んな表現の立場に立って楽しむ時は、全部違うんです。だから全部違うし、全部一つですというのが、本当なんです。でもこれは、何処で理解できるって言ったら、無理に理屈で言えば、入れ子構造、重層構造、ところてん構造なんです。これ理屈で説明したら、切りなく切りなく、もう大変なんですけどね。例えばH2O(エイチツーオー)だけで言えば、H2O(エイチツーオー)の水素の原子の中の原子核の中に、またH2O(エイチツーオー)があってという感じでね、永遠に続くんですよ。永遠に支え合っているんです。それは、真祈りによってしか解らない。今だったら「宇宙神ありがとうございます」って祈り続けることです。呼吸に籠めようが、お仕事の一つ一つの動作に籠めようがね、やり易いようにやって下さい。

 祈り続けるしかわからないの。何があったって祈るしかないんですよ。祈って、直観(感)として、実観(感)として解るしかないの。もうそれ以外に解かる方法はないの。理屈では止めてしまうから解からないの。水もそうでしょう。川の水をなんぼ止めようとしたって、何処で堰(せき)たってわからないじゃないですか。永遠に解からなくなる。理屈というのはそういうもんなんですね。止めるから。

 この前バッティング理論で言いましたけども、ひたすら打つことによって、バッティングって解かるんですね。でも、「この角度で止めてなぁ。こうなって、あーなって」って言ってたら解からなくなっていくんですよ。それは剣道の斬るというのがそうなんですね。もうひたすら打ち込んで打ち込んで打ち込んでね、打ち込む自分が消えるんです、剣道の場合。打ち込む自分が消えて、打ってるのが自分なのか、竹刀を打つのが、打つのを、何て言うんですかね、ともかく竹刀と自分とがね、木刀と自分、剣と自分とが一つになって、自分が振っているのか、剣が動いているのかもわからなくなる。その境地になって初めて、剣禅一如(けんぜんいちにょ)というんですけど、すべては一つとわかって、剣の達人になるんですね。そこまでいかなくちゃいけないんですけども、それもひたすら振ること。剣でいう振ることというのは、祈ることです。ひたすら振るって言う、ひたすら祈るっていうのが大事なんですよ。

 これはもう、ひたすら祈るっていうと難しくなるのでね、力むとひたすらでなくなるんですよ。わかります「宇宙神ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って力んじゃうと、もうそれ祈りじゃないの。フワッとゆったりと途切れずに、ところてん構造ですね、ゆったりと途切れずに、でも途切れずに響き渡っている、これ重層構造になるんです。そういうのが実観(感)としてわかります。だから悠々と、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めて下さい。或は、お仕事している方だったら、お仕事の動作の中に籠めて下さい。何でもいいです。自分で色々と工夫してね、ひたすら籠めていくんです、祈りを。すると、祈っているのが自分なのか、籠めているのが自分なのか、祈り言葉が響いているのが本当なのか、渾然一如(こんぜんいちにょ)としてね、もうわからなくなります。その時に初めて、わかります、僕の言ってることが。重層構造、入れ子構造が解ります。そこまで自分を消し切って下さい。そしたら解りますから。

質問3
 イエスさんについてなんですが、磔(はりつけ)の刑にかけられたのはイエスさん本人だったのでしょうか?

河上さん
 あのこれね、実際はね、この現世(うつしよ)は、パラレルワールドといいましてね、色んな世界が同時に重なっているんですよ。それ何かと言うとね、何でそういうややこしい世界を、現世(うつしよ)というややこしい世界を創ったのかと言うと、皆さん肉体を神さまにお返ししてね、死ぬ時、何処の世界に行くかというと、自分と同じ響きの世界に行くんですよ。そしたら、死んでからは見るものずーっと一緒なんです。自分の思った通りの事ばかり見えるの。どういうことかと言うと、進歩も何もかも止まる。それで、あちらの世界に行ってね、まったく同じ映画を繰り返し見ている感じよね。なんぼ楽しい映画でも10回見たら飽きてくるじゃないですか。そういう感じで、上の世界に行ってから飽きるんですよ。飽きてどうするかと言うと、この現世(うつしよ)という映画館に来るの、みんな。上からみんな見ているの。だから、色んな響きがずれてあるんですよ。だから、イエスの弟が十字架にかかった世界もありますし、イエス様ご本人がかかられた世界もありますし、色々あります。「神よ神よ、何故自分を見捨てたまうのか」っていう、嘆かれるイエスさまの磔(はりつけ)のすがたもありますし、「エリ エリ ラマ サバクタニ」といいましてね「神よ神よこれで神さまの御心が成就しました。素晴らしいです。みんなの因縁因果が切れました」というイエス様の言葉もあるんです。色んな世界があるんです。

 どの世界を見るかは、皆さんがビデオ屋さんに行ってね、このビデオって選ぶじゃないですか。このビデオ屋さんで選ぶ行為が、皆さんの出された言葉なんです。皆さんの言葉で、どの世界かを選んで見ているんです。だから、同じこの現世(うつしよ)にいててもね、花を見て「綺麗な」と感じる人と、「うん、咲いてるだけやん」っていう人とあるのは、見ている世界が違うんです。同じ世界で見ているように思っていますけど、重層構造的にこの現世(うつしよ)は重なってますのでね。好きなビデオを見るのも、自分の好きなビデオを見ているんですよ。花が綺麗ではないと思う世界を見てる人は、綺麗じゃないなんですよ。でも、本当に道端で咲いている、ちょっとした名の知らない花でも綺麗なと思う人は、思うじゃないですか。そういう言葉で選んでいる。ご自分のお使いになった言葉で選んでいるんです。だから、この世は色んな意味での勉強になるんですけどね。
 ただ、いよいよ令和の時代に入って、この真祈りの時代に入りましたから、あんまり遊んでいる暇がない。ビデオを見て遊んでいる暇がないんですね。じゃあどうするんかと言うと、この最初にお話しましたけども、死んで持っていけないものは、すべて影って言ったのね。

 影とは何かと言ったら、すべて神さまからの預かりものっていうことです。この現世(うつしよ)といえども、神さまのいのちで構成されていますから、すべて真(まこと)の神さまだけなんですよ。でも、死んで持っていけないということは、自分が今、この肉体ですらですよ、自分の体だと思っておられるでしょうけど、この肉体ですら神さまからの預かりものなんですよ。じゃあ、預かりものは普通大事にして返すでしょう。レンタカーでも汚したまま返す人もあるけれども、普通はレンタカー借りて、返す時はそれなりに綺麗にして返すじゃないですか、それが礼儀でしょう。ちゃんとガソリンも満タンにして、満腹にして返すじゃないですか。なのに、みんな肉体を粗末にしてね、病気にしてボロボロにして返すでしょう。やっぱり自分のものだと思っているからです。 自分のものだと思っているから病気になるんだけれどね。神さまからの預かりものと思えば、病気なんてすぐに消えていくんですけども。それくらい、すべてはこの世のもの、すべては神さまからの預かりものなんですよ。

 だから真祈りして、全部神さまからの預かりものという大きな立場に立っていたら、大きな光を受け取れるんです。でも「このお金は自分のもの」「このお家は自分のもの」「この子は私の子供」ってね。「自分の子供」ってやっていると、自分のと思った分しか光を受け取れないのね。

 だから真祈りしても中々ピンとこないとなるんです。

 本当は、真祈りは簡単なんですよ。全部神さまの預かりものと思えば、大きく光を受けれるの。でも「このお金は私のお金、苦労して集めたお金」とか「この工場は苦労して作った私の一生の作品」とかね、要らんことを思うと、その分しか光を受けれないから変わらない。

 だから本当にね、死んで持って行けないものは神さまからの預かりものですから、大事に大事に使いましょう。そう思って真祈りしたら、一気に変わるんですよ。「私、宇宙神ありがとうございます呼吸に籠めるけど、何も変われへんねん」とかね。或は「河上そんなん言うけど、呼吸に籠めても何も変われへん、ワシは」って色々と文句の質問がくるんですけど、それ何が違うか。それ全部ね、神さまからの預かりものと思っているか、自分のものと思っているかの差なんです。自分のものと認識した分しか光受けれないのね。でも、全部神さまのもの、預かりものとしたら、全部自分のものです。大きな自分のものね、小さな自分じゃないですよ。だから、大きく光を受ける。だから本当にね、死んで持っていけないものは影です。預かりもんだから。自分のものというのはあきらめてね、あきらめて下さい。神さまからの預かりものなんだから、諦めて真祈りして下さいね。そしたら、お金を稼ぐ為に自分はつまらない会社に勤めていると思っている人でもね、そのつまらないと思う仕事が、大事な大事な真祈りの仕事なんですよ。
この前オーケストラで説明しましたけどね、本当にちょっとトライアングル打つだけの人というのは、ずっと寝ているようだけど、最後にカンカンカンカンと打つから曲が完成するじゃないですか。そういうものなんですよ。この現世(うつしよ)で今回はつまらない役に生まれたけど、次は大事な役に生まれるという風にね、代わりべんたん(代わりばんこ)になっているんですよ。どの役も大事なんです。演劇がそうでしょう。主役だけやったって、舞台装置作る人もあって、通行人の役をする人もあるから、劇として完成するわけじゃないですか。どの一つをとったって、必要でないものはないですよね。

 だからこの現世(うつしよ)も一緒で、必要でないものは一つもないです。全部大事な大事な神さまのお仕事なんです。でもそれをね、自分のものと思ったらわからなくなるの。神さまからの預かりもので、預かってしているとなったら、よくわかるんです。それをわかってね、どんな立場でも一番きつい・汚い・危険で、誰にも認められなくて誰にもわかってもらえない仕事が一番素晴らしい仕事です。はっきり言います。だから絶対、誰にもバレないようにしてね、みんな支えに回ったらいいんですよ。神さまは皆さんを支えて支えて支え切っているの。その支え切っているすがたを自分達がお手伝いするだけ。それね、神さまと同じように100しなくていいの。1支えに回るだけで、神さまが後ろにバーッとつかれてね、100の支えに変わるんです。それは、この現世(うつしよ)では認められなくて、誰にも知られなくていいんですよ。

 誰にも知られなくてするのが一番本当は幸せなんですけどね。あんまりみんなにこうして前に出て喋ってしまってね、バレてしまうと、だいぶ損しながら死ぬんですけどね。それは冗談として、ともかくね、何事も神さまのお仕事で素晴らしいものだというのをわかって下さい。例えば、自分の髪の毛をといで、ちょっと切るだけでも素晴らしい仕事なんです。それが解かれば、すべてが光に変わるんです。でもこの自分の身繕い(みづくろい)、つまらん事や、虚栄心やって思ってしまうとね、それはもうつまらんことになるんです。すべては神さまの響きだけ、いのちだけ、輝きだけ、働きだけってね、思い直さなくちゃいけない。でもそれ、理屈で言うと難しいから、すべて神さまの預かりもので神さまのお仕事のお手伝いをする。神さまと一緒のように支え合いに回るって、それだけを願って、特に難しい事をしようとせずにね、普段のお仕事をお祈りして、神さまのお仕事と思い直してね、やってみて下さい。

質問4
 最近、色々な神社に行って印可書を唱えていますが、印可書ではなく「宇宙神ありがとうございます」の言葉だけを何十回も唱えるだけでも、神社に与える効果は同じでしょうか?また神社やお寺以外にお祈りをするお勧めの場所はありますか?

河上さん
 これね、何が間違っているかというと、勿論「印可書でも宇宙神ありがとうございます」でもいいんですけど、神社に与える効果って言うでしょう。そこでもう間違っているのね。「神さまに捧げるだけ、印可書も捧げるだけ」。その「宇宙神ありがとうございますも捧げるだけ」なんです。それを勘違いしないで。
 
 印可書が出た当時にね、読むだけで悟れるからって言って、色んな方に読んで頂いたんですけど、ダメだった人もあるんです。それ何かと言うと、「読んでやっている」「読んで効果を与えている」みたいな意識があるのね。それは何かっていうと「自分が」です。「自分が読む」「自分が効果を与えている」「自分が神社に読みに行っている」という、自分があったら、もうこれダメなんですね。自分を消し切らないと神さまのお手伝い、支え合いに入れないんです。自分があったら、それをやったってるなんです。やったってると言うと、もうそれは、自分のものとしているから効果がないですね。もうただただ、自分が消えて、支えるだけにまわると、神さまの預かりものを全部自分のものとして、サッと使える。それはこの世的な形の上でね、どうこうじゃなくて、もっと奥でそうなるんですよ。
 
 だから、先生から頂いたコップ1杯の水が凄く僕の場合は美味しかったんですけど、それは、コップ1杯の水がただの水じゃなくて、先生の愛・神さまの愛がそこへ全部入っているんですね。それ何でかと言ったら、先生には「自分が」というのがないからです。だから、さっきちょっと剣の話ね、自分が消えるまで剣を振るんだという話をしましたけども、ともかく自分を消し切らないとダメなんです。

 自分を消し切る方法はね、自分なりに工夫すればいい。没頭すればいいんですから。それも自分だけの為に没頭するんじゃなくて、みんなの為に、支える為に没頭して下さい。そしたら、あっという間に自分が消えます。それがコツです。勿論、神さまの預かりものと思うことも大事ですけども。預かりものを使わして頂いて、お手伝いするんだって、みんなの支えに回るんだって思ったらね、例えば朝早く起きて、みんなに見られないところで、ひたすら駅前を掃除するとかする、その行為が同じ駅前の掃除でも、大きなことになるんです。そういうものなんですよ。


 だから「自分が」があるうちは、効果がないと思って下さい。だから「自分が」があるうちは会社で何しても怒られるの。でも「自分が」が消えてくると、仮に怒られても気にならないし、怒られなくなります。そういうものなんですよ。「自分が」あるから怒られるの。一緒です。神社に印可書を唱えに行くのも「自分が」って行くんだったら、行かないより行った方がいいですよ。でもあんまり力が出せないね。だって「自分が」っていうことは、自分の持っているものしか捧げれないでしょう。そしたら、神さまの側から見たら、そんなもん、別にちょっともらったって、しゃあないわって感じですね。

 全部神さまからの預かりものと思ったら、預かっているものをすべて捧げれるの、一瞬でね。神さまの方は、それが一大循環の相象(すがた)ですから、大きく受け止めて、大きく返して下さるんです。だから先ず「自分が」が消えるまでね、自分で工夫して色んな方法で何でも没頭してね、神さまの預かりものを使ってやってみて下さい。
ありがとうございます

宇宙神ありがとうございます




6月護摩焚き河上さんのお話A
宇宙神ありがとうございます

 令和元年6月2日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容の後半です。

質問5
 以前と違って、少しなんだか気持ちが重く感じる事があるのは、縁者の思いなのでしょうか?気にせず「宇宙神ありがとうございます」を唱えるだけでいいのでしょうか?

河上さん
 これは、もうその通り縁者の思いです。ほんで(それで)何で重く感じるか?「自分が」があるからですね。何を唱えても「自分が」があると辛いの、だから如何に自分を消し切るかです。それを仏教では無になれとか言うんですね。無念夢想というんですけど。無念夢想とはちょっと違うんです。神さまだけってしなくちゃいけない。無念夢想だと全く無しにしてしまって、暗黒の闇に陥るんですね。座禅でもそれで、無念夢想で失敗して落ちてしまった人が沢山いて、そういう人達はまた助けに、ひらいにいくんですけどね。それはまぁ先の話で、ともかく「自分が」が消えないと地獄にも降りれない。「自分が」があって地獄に降りたら二度と上がってこれませんから、自由自在にどの立場にもいって働かなくちゃいけませんのでね。だから先ず「自分が」が「自分が」っていうのを消し去ることです。もし「自分がする」って思ってしまった時はね、あーしまったって思って、例えば印可書をすーっとと読めばいいです。印可書を読んだ後は自分が消えてるというのを信じ切れることが大事です。一番の問題はねぇ、理屈いいの問題なんですけども「自分が」を消さなあかん、河上が「自分が」が出た時は印可書を読めと言ったとほんだら(それなら)読むと、それで本当に消えたんかって、また疑うんですよ。ほんで(それで)戻っちゃうのね。自分で堂々巡りをしてるんだけど、人の所為(せい)にしてるからわからないの。読むのは自分の責任。

 自分の責任で読んだ以上は自分が真剣に読めば「自分が」は消えてます。わかります。

 「自分が」を消す為に読むというたらもう消えないの。わかる。消す為に読むというたら消えないのよ。わかる。悟る為に読むというたら悟れない。わかりますか。何でか(何故か?)わかる?

 「自分が」を消す為いうたら、「自分が」があるというてるから永遠にあるなんです。

 「自分が」があるのも消すも無いも無くて、ただただ神さまに捧げるってなったら自然に自分が楽に消えるのよね。だから剣の修行でもね、師匠から一日千回振れ、一万回振れって言われるわけですよ。千回は振れるのよね。一万回というのは振れない。振れないことを師匠は言うんです。それ何かっていうたら「自分が」を消す為なんです。「自分が」振るって言ってる間は一万回振れ、あかんあかん二万回振れっていうてやられるわけですね。でも「自分が」が消えたら、一回振ったことが何十万回になってるのがわかる。そこなんです。でもそれは真面目にね、ひたすらやるしかない。ひたすら真祈りするしかない。今でいうとね。それでわかります。理屈ではなくて、それを理屈を超えてますのでね、どうぞ令和の時代に入ったのでね、本当に自然に真祈りができる時代なんですよ。素直であれば、だから真祈りできないって言ってる人は何かっていうたら、ほんなんいうたってこうやこうやって自分で理屈つけて、自分の言葉で縛ってるだけです。だから現象は無視。先生は現実は遠い遠い過去って言葉を変えて無視し易いように仰って下さったわけですけども、その遠い遠い過去をね、見なければいい。それだけなんです。

 悟りの神髄の本当の事をここでいいますとね、実は過去も現在も未来も今此処にしかないというだけなんですよ。それが実観(感)できると深い悟りで無限の無条件の喜びになるんです。例えばこの花を見たら普通は花が綺麗な、花が咲いてて綺麗なで終わりなんです。悟りが深くなるとね、種の段階からすべてを楽しめるの、種の段階で根っこをぐーっと出してるのも凄いなぁって喜べるの。芽を出してね双葉が出た凄いなって喜べるの。何もないところから、芽が出たってね。どんどん木が成長した凄いなぁって、ほんで花が咲いたら凄いなぁ、花が枯れたら凄いなぁなんです。何でか?花が枯れて実が出来ていくじゃないないですか。あーあ凄いなぁ。そのすべてを始まった時から終わりの時までのすべてをね、同時に楽しめる。だから無条件の幸せ、無条件の喜びなんですよ。喜び重なってるじゃないですか。どんな条件もない、いつも喜びなんです。するとそれが一大循環となって永遠に新しいものが繰り返されるんです。それが悟りの神髄。だから悟ると嬉しい楽しいだけなんです。でもこれ理屈での説明。今ちょっと、丁度みなさん真剣に聞いて下さっているんで、ちょっとだけ理屈で言いましたけども、それが実観(感)でわかります。過去現在未来が同時に楽しんでるんだって、それがわかったら現実のどんな姿も一番いいというのがよくわかる。風邪ひいててもいいなぁって、癌になっててもいいなぁって、わかる。理屈抜きにね。理屈いいにいわしたらダメですよ。癌になっていて何がいいんやねん、あほちやうんというわれるしね。風邪ひいてしんどいのに何を言うてるんって怒られるわけですけども。そうじゃないね、風邪ひくにはひくだけの、色んな苦労したものがあってね、その結果風邪になっていくわけじゃないですか。その苦労も全部楽しめるの。だってゲームがそうでしょう。いろいろなルールを作って縛って楽しんでるじゃないですか。将棋なんか、そんなんせんと王さんスッと相手持っていったらしまいやんって思うんですけど、いけないように縛って楽しんでるじゃないですか?一緒で風邪も楽しんでるの本当はね。それがわかったら楽になるんです。

質問6
 この世の未練を断ち切るにはどうすればいいですか?

河上さん
 未練ですね。これも一緒で「自分が」があるからです。「自分が」があったらこれは自分のものやからと未練があるの。これ自分の車やから、大事な自分の車やからって未練になるんですよ。だからお年寄りのことをあまり言えない歳に自分もなってきましたけども。車の運転をいつかやめなくちゃいけない。ほんだら今まで乗っていた車どうするねん。もったいないとか未練になるわけですね。それ自分の車、自分の運転だからです。自分のが消えちゃうとね。神さまから次はこの役割してくれって言われて「ハイ」だけなんです。運転の役割終わったんだなぁってすーっと終わるんです。定年退職して脱力状態になるというんですけど、みんなね自分の仕事、自分の能力でこなしてきたっていう「自分の」があるんです。「自分の」があるともう定年してから後はどうしようってなるんですね。そやけど神さまからのすべて預かりものやったら、お金になろうがならないか神さまのお仕事をすると決めたらね、もう何の悩みもないんですよ。神さまは必要なものは「われ汝の求める先立ちてすべて与えたり」っていうてね、必要なものは、欲しいものじゃないですよ。必要なものは常に与えておられるんですね。それがわかれば何の不満もおこらない。常に神さまは共に喜び共に楽しまんと仰るんです。「自分が」があったら、神さまそっちのけしてるからね、喜べないし、楽しめないの。神さまと共にっていったら、神さまっていう大きな立場に立ったらすべては喜びです。何で無条件の幸せなの、何で無条件の喜びなの、そんなんありえへんわーって言うて質問があったんですけど、まぁ今お答します。そういうことです。すべて神さまの立場に立ったら喜びなんです。それは神さまといつも共に喜び、共に楽しみという神さまと不離一体の立場に立たないとダメなんです。自分が喜ぶ自分が楽しむとなると欲しいものになるんです。必要なものじゃなくて、だから自分が何か欲しいなぁと思った時は、神さまと共に喜ぶのに必要かなぁと思えばね、すぐにこれは要らんわーってわかります。

質問7
 これから古い人から使っていくと言われました。私は2年前に病気になりましたが、これも使われたことになるのですか?

河上さん
 その通りです。古い人から使っていくというのは、その人が「自分が」というのを放してる放してないに関わらずです。今まではそういうことをしなかったんですけど、もう時間がないし最後なので、使います。何で使うのかっていうたら、なんやかんや言うても神さまのお仕事に参加した方が幸せでしょう。本人の自覚するしないに関わらず。だから神さまのお仕事に参加して頂くようにしています。だから色んな病気になるし、癌にもなるし、それで死ぬ人もいます。それでもちゃんと使っていますから。無駄死にではありません。

質問8
 本心の心で聞くのと思いの心で聞くのは、まったく違う受け止め方になるそうですが、まだ本心側に立てていない時はどういう心構えでお話を聞けばよろしいですか?

河上さん
 あの丁度、今日のテーマですね。これね。思いの側で生きると今何かというと自分が生きる。自分が楽しむ。自分がしてる。自分がこなしてる。色々ありますけど、「自分が」ある時です。それ思いの我って言います。本心の側で生きるというのは神と共に喜ぶ神と共に楽しむ神と共に苦労して楽しむです。正確に言えばねぇ。神と共に苦労して楽しむ。だから北海道の開拓でも大変な、北海道の開拓団が明治時代行くわけですけども。機械も何もない中、人力で開拓するわけですね。普通やったら、みんな、それめげてしまうところをめげないのは、やっぱりひたすら一生懸命にするから真祈りに入ってるのね。神と共に苦しみ神と共に楽しんでいくから開拓団が成功していくわけです。そういう感じでねぇ、ともかく神と共にっていうのが大事。神と共に神と共にっていう、いつも神さまと一緒っていうのがね。そうすると「自分」というのが消えます。その自分というのを消す一番簡単な方法は神さまと一緒なんです。それが出来たら少々の苦しみを苦しみではないです。その昔先生から先ず最初に僕が教わったことは、人の3倍働きなさいだったんです。本当に人の3倍、3倍以上やりましたよ。寝る時間を削ってね。その当時僕キャラバン、日産のキャラバンに乗っていたんですけど、あの当時のキャラバンは運転席と助手席が一体型のベンチシートだったんですね。コラムシートだったわけです。本当に疲れてくるとそのベンチシート、車を止めてねぇ、ベンチシート横になって寝やすかったんですね。あの頃の車は良かった。今のハイエースは横になって寝にくいからしんどい。でもそんなして(そこまでして)横になって、ちょっと1時間とか寝てね、また仕事してという、その繰り返しでした。そうこうしてるうちに何とか3倍こなしましたって先生に報告せなあかんからね、やりなさいって言われた以上は達成したかしないか報告しなくちゃいけないから報告したわけですね。ほんだら(そしたら)今度は人の10倍やりなさいって言うわけですよ。10倍となるとね、自分の力ではもう不可能なんですね。じゃあ、どうするかっていうと、本当に「自分が」が消えてね、「自分が」が消えるということはね、真祈りなんですよ。真祈りの伝授というのは、如何に「自分が」を消し去るようにもっていくかなんですけども、「自分が」が消えるとね、その例えば仕事をしていても、一々本当やったら、そこまで納品に行く、或は持って行かなあかんのに、その相手の人が来てるとかね。本当に、えーパズルみたいにパンパンとはまっていくやんみたいな。ジグソーパズルのピースがどんどん勝手にきて、埋まっていって絵になってるわーみたいなね。そういう感じになるんですね。それを先生伝える為に厳しかったですよ、僕には、どうするのって言っても返事もしてもらえないですから、自分で考えてやるんですけどね。そういうふうにしてやりました。結局結果は何か?真祈りは何か?って言ったら自分が消えることです。自分が消し去ることには没頭すること。没頭する為には、神さまと共にするとしないとね。自分がしてると思ってる間は永遠に無理なんですね。悟るも一緒なんですよ。神さまと共にするって言ったら、悟った神さまと不離一体だから、既に悟ってる自分になるんです。でも「自分が悟る為に祈る」「自分が悟る為に修行する」ってみんな勘違いしてるのね。ほんだら、ずーっと「自分が」があるから永遠に悟れない。ここが微妙で難しい説明なんですけどもね、今日みなさん熱心なんで、話がどんどん進んでます。だから本当に「自分が」っていうのが消えたらあっという間なんですよ。その為には神さまと共に生きる、神さまと共に楽しむ、神さまと共に喜ぶ、神さまと共に働くっていつも思って、いつも神さまと一緒ってやってみて下さい。ほんだら(そしたら)「自分が」が消えます。

質問9
 絶対奉仕について教えて下さい。具体的にはどうすればいいのですか?

河上さん
 この絶対奉仕っていうのは、先生が言葉の呪(しゅ→のろともいい、のろとは古語で、祈りのことです)を籠めておられる。祈りを籠めておられるんですけども、絶対というのは一切の対立がないということです。一切の対立がないという事はすべては一つということです。そうでしょう。対立する壁がないんだから、じゃあ何なのというと自分が消えること。自ずから分けるもの、自分というものがあってその意識があって、すべてを分けて苦しんでるんですね。だから絶対奉仕というのは神さまが神さまとして働くというんです。それ今言った、自分が消えて働くことです。自分が消えて働いていたら、絶対奉仕になります。

質問10
 勉強会等で先生と縁のあった人は使っていくということを聞いて知っていますが、そのことを知らない人に態々言う必要はありませんか?

河上さん
 これね、言うも言わないもなく、勝手に使われていってますから、どっちでもいいです。言われて、じゃあ頑張って真祈りしょうと思って、頑張ってという時は「自分が」が入ってるんですけどね。でもそこからでも入ったら、また工夫していかれるわけですから言ってもいいし、別に言わなくてもいいです。ともかく時間がないんで、どんどん神さまの為に使ってね。神さまの為に使っておくと真祈りし易くなるんでね。だから昔だったら先生は山の奉仕を手伝いに来いと手伝いに来さしたわけですよね。それ神さまが山の奉仕作業が、今でもそうですよ、昔も今も一緒なんですけど、山の作業は、神さまの仕事と先生が祈りを籠めておられるわけです。だから村に来てこのお仕事をして下さい言われたら素直にハイって言ってお手伝いするとね、大きな真祈りの代わりになりますから、村に時間的に来る余裕のある人は来て、お手伝いをどうぞして下さいね。時間的に来る余裕のない方は余ったお金を下さい。村に活動資金を置いていってあげて下さい。どれもこれも役立ちます。勿論ギブアンドテイクでお金を出したらダメですけど、どうぞお使い下さいと置いていったら、それは真祈りの助けになります。何かお金で引き合いにするではないですから、そこだけ間違わないで下さい。村にお金があるとか、ないとかも心配しなくていいです。神さまが必要な時に必要な人のお金を必要な所へ置いていくように神さまがちゃんとしますから、例えばお金を置いていく時でも神さまと共に置くという意識が大事です。自分が置くっていったら置かずに持って帰った方がいいです。神さまと共に置くとなったら置けます。そういう感じでね、本当に宗教と勘違いしないで下さいね。此処は真祈りの会であって宗教ではないです。本当の悟りを伝授する会であって宗教ではないですから本部にお金を置いて行ったって何の役にもたちません。でも神さまと共に村に置いていったら値打ちがあります。

質問11
 護摩に行く前日に、よく親戚の家に行く用事があるんですが、親戚、縁者の分を背負う事と関係ありますか?

河上さん
 勿論あります。だから用も無く親戚の家に行ったら「おお、お前何してるの、ちょっとおかしくないか」って言われますけど、用があってだったら「よう来たなぁ」って済むじゃないですか。これは神社にお祈りに行ってもらう事と関係あるんでけども、そんなんいうても此処で祈ってたらいいんちゃうんと理屈で言うとね、あるんですよ。勿論そうなんですけど、此処で祈りよりも出来るだけ行って祈る方がいいんです。だから行ける人は行って下さいってお願いしてます。勿論自分が行くんじゃないですよ。自分が印可書を与えにいくんじゃないですよ。それだけ勘違いせずにね、神さまと共に行き、神さまと共に祈るってね。神さまと共に行って下さい。するとその神社の場が大きく変わるんです。護摩の前にねぇ、色んな用事があって、親戚とか得意先とか何か護摩の前にゴタゴタあるなぁっていうのは、みんな体験した事と思います。僕もありますけども、それはそういう所の縁をねぇ、自分の肉体という塵取り(ちりとり)に引き取ってくるということです。だから護摩の前は何かバタバタ忙しいけど、諦めずに、頑張って回って下さい。お願い致します。追記、もちろんどうしてもお仕事とか法事とかで来れない時もありますけれども、その時は、その場で祈る必要があるのだと覚悟を決めて、護摩の時間と重なっている時は、その前後にわけて、宇宙神ありがとうございますと真祈りしていただくとよいです。

質問12
 自分にきた痛みは縁者の分だとわかりましたが、この世の地震等の災害を消す働きはまた別の痛みですか?

河上さん
 全部一緒です。全部人類のマイナスの言葉の結果を綺麗にしてるだけです。それを地震や火山にせずに、この火の形で燃やして消すのが護摩だから、まぁ出来たら護摩に来て下さい。そして騙してでも護摩木に「ありがとうございます」と書かしてね、それを持って来て下さい、ということなんですね。それ結局、此処で祈るよりも、その現場の祈りが此処に繋がるみたいな感じなんですよ。護摩木を通して、だから先生は護摩木は大きな乗り物宇宙船と仰ったわけですけど、宇宙船護摩木が大きな救いなのは、そのため。形は小さい護摩木ですけども、全然向こうでは大きいんで、例えば護摩木を書いてもらえない人の所に行く時は、親戚の家に行く時やお得意さんの所に行く時は護摩木をポケットにひそまして行ったらいいんですよ。その護摩木を此処で燃やせばいいです。それで効果があります。だから本当にね、この護摩という働きをね神さまと共に働くとしてそういう立場に立ったら、よくわかります。どんなに凄いものかって、自分が来てるという時は中々ね、何か燃やしてるだけやなぁという感じです。それも令和の時代に入りましたので、否応なしにみなさん自覚出来るようになりますので大丈夫ですので、ともかく神さまと共に働く、神さまと共に喜ぶ、神さまと共に楽しむっていうことをね、いつも念頭においてやって下さい。そしたら「自分が」が消えて、何事をするにしても楽しくなる。無条件に楽しむ。神さまは絶対ですから、条件要らない。神さまのすべてがすべてが喜びであり、楽しみであり、素晴らしいもんなんです。だから無条件の幸せになっていくの。だから先ず、神さまと共にと思ってね、印可書を読むのもこの護摩木を書くのもお仕事をするのもやって下さい。その神さまと共にというのを自覚する為にもね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」なんです。すると「宇宙神ありがとうございます」の言葉を使っていないけど、呼吸だけでも祈りになっているというのが自覚できます。それ自覚できたら凄く強いのが楽なの。お仕事してる時でも呼吸はしてるじゃないですか、でもそれが真祈りになってるから実観(感)でわかるの。ほんだら(そしたら)一気に変わります。それ神と共に働くっていうことなんです。だから先ず、「自分が」が消し切れるまではねぇ、ちょっとでも「自分が」が出たら印可書を読むなり、祈り言葉を唱えなおしてね、また色んな事を楽しんで下さい。

質問13
 護摩や勉強会に連れてくる、向こうの使いの人は来る人の縁者の方でしょうか?また肉体人間が来れないと縁者の方も来れないのでしょうか?そのような人は地獄からでも来れるのでしょうか?

河上さん
 これまた、色んなパターンがあるので、一概にこういう法則でなってますっていうのはないんですよ。何でかって言うと、入れ子構造・重層構造・ところてん構造というのがね、どんなに凄いものかっていうのが、まだ実観(感)としてわからないから、説明しようがないですね。これ実観(感)でわかればいいんです。例えば天王星の中で色んな嵐が起こってるんですけど、それですら今此処にあるんです。それが重層構造。この現世(うつしよ)の太陽系なんてしれたもんなんです。そのみなさまの意識から言うと天王星、冥王星って凄い遠いと思うじゃないですか、でもそこにある嵐ですら、今此処にあるんです。ていうのが実観(感)としてわかるのが、入れ子構造・重層構造・多層構造なんです。それがわかれば、一瞬で変わるの。今例えばね、地獄から来る、或は縁者がないと来れないとかいうのは、その何かというと地獄の人の言葉の縛りなんですよ。だから地獄の人でも「神さま」って素直に呼べるようになった人は、縁者関係なしに此処まで来れるんです。でも呼べない人は、呼べる縁者に従って来るんです。というふうに、どうだからこうというのはないんですね。後は本当に今日のテーマになりましたけども、この後、話が要らないくらいなんですけど、自分が消えるなんですね。自分が消えたら、もう一瞬ですべてが変わっていくんです。それを、真(しん→まこと)の真祈り人と言うんですけど、その真祈り人が増えたらあっという間に世界が変わるんです。

 先ず此処に集ってるみなさんは自分を消し切るっていうことを意識して下さい。どして消し切るか?っていうたら、神さまと共に歩む。神さまと共に働く。神さまと共に楽しむ。神さまと共に喜ぶという無条件の幸せをね、実観(感)として感じとって下さればいい。いつも神さまと共にと思えばいいんですよ。神さまが一番いいからこれを私にさしてるっていうのがわかります。ほんだら(そしたら)、どんなにきつい・危険・汚いって誰にも知れない、誰にも理解されない、誰にも評価されない仕事がどんなに素晴らしいことかもわかります。だって神さまこそ密やかな働きっていって、本当に目に見えない蔭の所で働かれてることの方が大事なんです。例えば心臓の動きの方がそうでしょう。目に見えない心臓がずーっと動くわけでしょう。それ神さまの働きなんですよ。その目で見えない心臓の動きをね、誰も評価しない。肉体人間側はね、一切評価ないでしょう。それくらい密やかな働き程、凄いんですよ。それもわかってきます。だから先ず自分を消し去るっていうことをちょっと思って下さい。自分がすると思った時、あーしまったと思って祈りなおしてね、やって下さい。祈りなおして印可書を読む、或は祈り言葉を唱えたら、自分が消えてるということをよく信じて下さい。その為の祈り言葉ですから、祈ったって自分消えへんねんって言ったらね、それ祈り言葉を否定してるからその祈り言葉を使う意味もない。先生が消す為に作ってるのに、その先生が作った力を信じないのかっていうことですね。そのへんね、わかって下さい。今まで先生ね、本当に優しくてみんなの自由意志を最大限大事にされたのでね、祈り言葉を使っても病気治れへんねんとか言うても、そうかそうかっていう感じだったんですけど。いよいよ時間がないし、みなさんもう真祈り出来る時に入ってきましたのでね。それくらい先生があっちいかれる時にみなさんを綺麗に綺麗にしていかれたのでね。後は残存する癖だけなんですよ。癖なんて、なおしたらしまい。

 今癖のなおし方をお前言えというから、これ言わさせてもらってます。先生からの伝言ですから、一篇(いっぺん)素直にやってみて下さい。自分が消えて楽に密やかな働きが出来るようになります。

司会者
 質問はこれで終わりです。

河上さん
 質問が沢山あったので、殆ど今日伝えろという内容が質問を通して伝わるようになってね。これみんなが深く真祈りしてきた証拠なので、いい質問がくるようになった。質問を通して、今日言うべき内容全部言っちゃったんで、もうこれ以上どう言えというくらい説明しました。でも今どうぞ質問、今日言うた内容で、そこのところ引っかかるねんというのがあったら聞いて下さい。お願いします。
いいですか?神と共に歩むっていうのは、凄い微妙な表現をしているんですけど大丈夫ですね。

質問14
 先程、会社の取引先とか、それから親戚の家に行く時に護摩木を書いてもらえないかもしれないときは、ポケットに忍ばしていくという言葉がありました。それをそのまま忍ばしていって、持って帰って?

河上さん
 相手の名前を書く。

質問者
 相手の名前を書く。宇宙神ありがとうございますを書いて裏に相手の名前を書けばよろしいんですね。はい、ありがとうございます

河上さん
 あの勿論ね、書かずにその白紙のままでもいいんですけどね。例えば今回の場合でしたら、お得意様と共に祈る。親戚と共に祈るということで、ご自分でその親戚の名前、お得意様の会社の名前を書いてもう一度祈りを籠められたらいいと思います。

質問15
 神と共に祈るというのは、神さまと共に、いつもやってますと心の中で思い返せばいい事ですか?

河上さん
 この微妙な表現を使ってるんですけどね。神と共に祈る、神と共に働く、神と共に楽しむ、神と共に喜ぶ。それを呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って集約してます。だから呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って言ってる時は、神と共に喜んでるんです。そこが大事なんですよ。こちらから一瞬で「宇宙神ありがとうございます」ってね神さまの光を受けて、お返しする。お返しすると同時にバーッとくるんです。それをまたお返しするという一大循環が呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠める時にはじまるんです。それが本当に実観(感)でわかるようになれば、すると自然に神と共に喜ぶ、神と共に楽しむってことが実観(感)になってきます。

 大体そうやなぁってわかったら、後は素直にね、勿論祈りのやり方は呼吸に籠めなくても、自分のこれって方法で歩きながら一歩一歩とか、人によってありますから、やって下さい。どっちにしても祈れば、祈り続けるということが大事なんです。

質問16
 今神と共に祈る、神と共に生きるというのを教えて頂いたんですけど、以前食事など頂く時に神さまのために頂くというのとは一緒でよろしいですか?

河上さん
 一緒。食事頂く時にね、神と共に食べるというと、いやそんなおこがましいわー、私そこまでっていうのがあるじゃないですか。だから神さまのために食べる。神さまのために食べるっていうことは、神さまに自分を捧げてるじゃないですか、それって神さまと共にっていう本来の意味に入っていくんですよ。でも嫌、私そんなん神さまと共になんて、とてもとてもっていう否定心があるのでね。神さまのために生きるとしてるんです。神さまのために働くの方がぴったりという人はそれでもいいんですよ。でも最終は神さまと共にという、神さまと不離一体。神さまそのものの自分を自覚していくだけなんです。

 質問がないようなので、本当にみなさんの真祈りが深まってきて、いい質問がくるんですね。いい質問がくるから、此処でまた喋る内容もないくらい全部終わっちゃいましたけども、どうぞ実観(感)するということを真祈りをして実観(感)することを心にちょっとおいておいて下さい。剣でいうと、ひたすら振って振ってる自分と剣が振ってるのか自分が振ってるのかわからないくらい、剣と自分が一体化しないと剣道の達人にならないですけどね。先生の剣道の得意技は飛び込み面だったんです。それって向き合った瞬間にね、既に先生、相手の後ろに立ってるの面を打って、それくらい先生の飛び込み面は凄かったんです。それ先生どうされたかっていうと1時間だけ時間を区切ってもう真剣に振るんですね。ほんだら(そしたら)もう、先生の言葉ですよ「剣を振っているのが自分なのか、剣が振ってる、剣が勝手に動いてるのか、わからなくなる腕と剣とが一体化してね。竹刀の先が自分の人差し指の先になってしまってる。そこまで1時間の内に振り切るんや」ってね1日ダラダラ振ったってならない。だから真祈りも一緒です。このここという時はね、祈りたいと思う時は座ってひたすら祈ったらいいです。でも座って祈らなあかんって、なったらもう違うんですよ。わかります。そこの自由自在性がないと不自由になって、不自由は神さまじゃないんです。神さまは自由自在やから、その辺の渡し(わたし)をつけるのが中々、説明しにくくていつも困るんですけどね。あいつはあんなこと言うてるけど、こっちではこんなこと言うてたやないかって、先生もよく言われたんです。先生あっちで言っていたのとこっちで言ってたのと全然違うっていうんですけど、本当は一緒なんです。一緒なんだけど言葉であらわしたら言いようがない。例えば木刀の先が自分の人差し指の先になってるねんって、そんなもん嘘やって理屈で言うたら、そんなん嘘やってなるじゃないですか。説明のしようがないんですけど、そうなる為にひたすら、ひたすら神さまに捧げて振るんですね。剣の場合は。だから色々ありますけど、お仕事でもね、ひたすらやればいいんですよ。本当に人の3倍働きなさいっていう時は、本当に車の運転で沢山距離、今でも距離走っていますけども、その車で20歳代の頃ですけどね。走ってるときは本当にね、このサイドミラーの先と障害物が紙1枚で平気で通れたですよ。それくらい殆ど仕事で車に乗っていたことがありましたけども、そういうものでねぇ。神さまに捧げてひたすらにやっていたら、必死じゃないですね。ただただ神さまどうかお使い下さいって捧げていたらね、一篇(いっぺん)に変わりますから、そんな長い時間なしにね。特に令和の時代に入ったから、先生が後ろで支えてますので、ちょっと真剣になってしもうたら(しまったら)あっという間に変わりますので、一度真祈りに一生懸命。一生懸命というとまた違うんですけど、ひたすら淡々とね、ふわっとゆったりとやってみて下さい。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
令和元年6月護摩焚き 河上さんのお話@(前半)
https://youtu.be/lNu6n7Me_O0

令和元年6月護摩焚き 河上さんのお話A(後半)
https://youtu.be/7v5Hm8HHfY0

宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年05月21日(火) 03時34分
PC

5月護摩焚き河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

令和元年5月5日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

司会者
 質問が4点程きています。

質問1
 何年か前の8月に、先生がその場にいた人達の因果の輪を断ち切られたという話を聞きました。因果の輪を断ち切られたということは、もう生まれ変わらないということですか?その場に立ち会わなかった人は、因果の輪の中にいるのですか?それとも「宇宙神ありがとうございます」を祈り続けることで、因果の輪を断ち切れるのですか?

 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
因果の輪を断ち切るというのは、凄く大変なことなんですね。これ何処から説明したらいいかというくらい深い内容なんですけども、例えば、こうしてお話するじゃないですか。先生の勉強会もありましたね。先生が言葉の上でお話をされる。みんながそれを頭の中で理解する。或は理解できない人もいたかもしれませんが、大体は頭の中で理解したと思うんですね。でも、心境が変わらない。ともかく、神さまの働きというのは、密やかな、秘めやかな働きなんですね。皆さんの気付かない、真奥下に入ってですね、下から支えて持ち上げていって下さるんですよ。先生がお話する時も、僕のお話の時もそうですけど、喋るのは一ぐらいで簡単なんです。でも、下から支えるのは、何万倍も大変なんですね。でも、支えないとわからないんです。
 今の宗教がそうなんですけども、理屈を言って言える人というのは、いわゆる摂理を唱えれる、説明できる人というのは、沢山いらっしゃるわけですね。でも、いくらその話を聞いても「あぁそうなんだ」と思うだけで、心境が変化しないんですよ。それを真祈りということによってね、真(まこと)の神さまを皆さまお一人お一人の心の奥底に立って頂くわけです。それどうするかというと、自分と皆さまが一つになっている実観(感)があって、真祈りすると自分に降り立って下さる真(まこと)の神さまが、皆さまは意識されないけども、皆さんの心の中にも降り立って頂くわけです。降り立って頂くと、下から支えて下さるので心境が上がるんです。もうそれだけなんですね。
 だから、昔お祈りの部屋で先生と一緒にお祈りすると、表面は何もわからない、わからないからみんな余り行かなくなっちゃったんですけども、本当は凄く、もう終わっちゃったことですけど、得難き場でありましてね、先生と一緒にお祈りしていたら、どんどん下から支えてもらって、ある日突然、心境が変わっているのに気付くというはずだったんです、予定では。でもみんな来てくれないんで、あのまま終わっちゃったんですけど。その一貫としてね、先生はお祈りの場とか、何々の場という縛りを一切、解(ほど)かれて、すべてのすべてに真(まこと)の神さまを立たせるということをされたんです。で、それ完璧に最後にされたのが、3年前の8月の護摩であったわけですけども。具体的には、その時に完璧に皆さんの因縁因果の輪を断ち切っています。因縁因果の輪を断ち切るというのは何かというと、生まれ変わるのも生まれ変わらないのも自由自在ということです。もっと別の言い方をすれば、そんなことは大したことないんですね。生まれ変わるとか変わらないとかいうのは。
 一番大事なことは、自分が過去世に積み重ねてきた一切のマイナスというものを、すべて消し去って頂いたなんです。それまでは、過去世からの一切のマイナスを一時的に棚上げして、それでお祈りし易いようにして、皆さんの自由意思でお祈りをしてくれよということやったわけです。でももう、それももう、そんな回りくどいことはしていられないということで、特別の大おまけで、皆さんの過去世の一切のものは既に消し去ったんですよ。でも、「そんなん言われたって、すっきりせえへんで」って言うわけですけど。それね、やっぱり、皆さんの表面の意識は、神さまと自分を分けているから「何で?」と思うのね。なんかちょっと足痛くなったら、「何で痛くなったの?」と思うわけです。すると、そのマイナスの言葉でわからんようになっているわけですね。本当は「ありがとうございますだけを言いなさい」って先生言うわけです。じゃ、自分の自由意思で先生仰るように「ありがとうございます」だけ言おう「宇宙神ありがとうございます」だけを言おうとしていたら、すーっと解かったことなんですね。でもまぁ、それも済んだ話で、これからね、素直に「宇宙神ありがとうございます」って、こうしてこの護摩の場でどんどんお祈りに来て頂いたら、あっという間に解ります。既に皆さんの過去世の一切は消しています。
 だからもう、真(まこと)の神さまそのものの自覚を皆さんは、自覚するしないに関わらず、あるんです。真(まこと)の神さまの自覚があるから、先月の護摩でもお話しましたように、「すべては自分」「すべては完璧なる一つ」が無意識に解ってるんですよ。じゃあ、何かって言うと、その地獄で苦しんでいる自分の縁者ですね、縁者を関係ないと思うか思わないかということなんです。「すべては完璧なる一つ」っていう、「すべては自分」って自分が大きくなるんですよ。真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまの自分っていうのはね。すると、地獄で苦しんでいる縁者も自分なんです。じゃあ、その縁者の痛みを半分引き受けるのは当然。無意識にね。引き受けようと思ったら「自分が」になっているから違うんですね。無意識に引き受けることになるんです。
だから、この令和の時代、真祈りの時代ですけども、真祈りの時代に入りましたのでね、皆さん、「なんか体、調子悪いな。痛いなぁ」とかね。「なんか仕事上手くいけへんなぁ」とか、「上司にいじめられるなぁ」とかね。「左遷された」とか、色んなマイナス的なことが皆さんの身の上に降りかかるようになります。それ何かって言うと、地獄の縁者の分を半分背負ってるんですね。背負って真祈りしないと消せないんですよ。地獄の縁者は自分と関係ないと思っていたらね、なんぼこっちから真祈りしたって、通じないの。相手と同じ立場に立って真祈りするから、通じるのね。あの、例えば、小さい子に泳ぎを教えるとするじゃないですか。そしたら、お前泳いでこいよって言って、浮き輪を渡して、泳がしていたって上手くならないですよね。でも、一緒に入って、一緒に抱っこしてね、一緒にこう一体となって泳がしているうちに、覚えてくれるじゃないですか。そういう感じで、相手の立場まで降りないと、真祈りが通じないんですよ。それをこの令和の時代は始まります。その為に先生は、因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切のマイナスを過去の世マイナスを消し去っているんです。
 だから、これから自分の身の上に降りかかることは全部、自分のことじゃない。縁者のもの。それを縁者を救う為に真祈りするんだっていうことでね。救う為に真祈りする為には、自分の身に背負わないとダメなんです。あのゴミを捨てるのでも、チリトリに集めて捨てるじゃないですか。それ以上どうしようもないでしょう。集めてこそ捨てれるでしょう。皆さんの肉体をチリトリとして使って、縁者の苦しみを集めて、それで消す。この世では、チリトリに集まったゴミはゴミ箱ですけど、真祈りでは、自分の体に集めて、真祈りで消す。そのお役目をね、先生に縁のあった方はみんな、今はもう来られなくなった方もみんな、あります。だから、もう逃げれないんでね。逃げれないという表現もおかしいんだけど、真(まこと)の神さまの自覚を持てば、逃げるとか逃げないではなくて、自然にそうするの。皆さん、もう意識・自覚は後からきます。だから自覚はしてないけど、自然にそうするんだと思い定めて、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」と祈って下さい。その為の因縁因果を一切消し切ったということです。よろしいでしょうか?質問あります?後でもいいですから、またこの後にじゃあ質問があったら言って下さい。

質問2
 人間は環境破壊など地球を汚す存在のように思えるのですが、なぜ地球に生まれてくるのでしょうか?
あと最後の審判について教えて下さい。

 最後の審判から。最後の審判というのは、「自分が自分で自分を裁く」ということです。何でかと言うと、皆さんお一人お一人、真(まこと)の悟りを既に得てるんですね。真(まこと)の本心の自分の自覚を持っているんですよ。無意識にね。だから、その本心の自分と今の自分を比べて、自分で自分を責め裁く、それが最後の審判です。でも、先生が因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切の過去を消しましたから、最後の審判の時になっても、皆さんは迷うことはありません。逆に、苦しんでいる人の分を背負って消してまわるということです。その時に具体的にどんなすがたをとるかは、またいずれ、もうちょっと迫ってきたらお話します。まだまだ先のことですのでね。
 この世に生まれてきた理由ですけども、この世に生まれてきた理由は、ただ一つ、楽しむ為です。先月お話しましたように、シナリオでね、楽しい物語、悲しい物語、淋しい物語とか、色んな事、自分で自分の言葉で作って、それを演技して楽しんでいるだけです。その楽しんでいる状態を忘れてね、「なんか苦しいなぁ」と言っているんですけど。映画でもね、やっぱり、例えば、刺されたら、こう血のりのあれを付けて、刺されたふりをして苦しい痛いってやるじゃないですか。それをこの現実ではもっと立体映画的にね、具体的に出るわけですよ。自分の言葉で神さま以外のものを表現したら、それが出ます。でも、わざとそれを表現して楽しんだんですよ。神さまと不離一体で完全円満完璧大調和というのは、ある意味つまらない。ある意味ね。だって、この世でもゲームがそうじゃないですか。わざわざ縛ったルールを作って、楽しむんでしょう?野球でも、金属バットを作ったらみんなホームラン打てるんでしょう。それ打てないバットにして、ホームラン競うわけじゃないですか。そういうふうに、わざとマイナスのルールで縛って楽しむわけですね。そういうことをみんな無意識にしてきたの。最初は意識的にしたのね。でも、演技しているうちに、演技していることを忘れて本番になっている。それで、それを迷いっていうんですよ。顛倒妄想(てんどうもうそう)というんですけども。それを積み重ねて今の状態になっているということです。
 じゃあ、何でこの世に生まれてきて、この地球にこんなに負担かけているのかっていうことですけども、人口的に増え過ぎたんですよ。人間はこんなにたくさんこの世に降りてきてはいけないのに、上から見ていて「あぁ面白いことやっている」とみんな一生懸命降りてくるんですよね。地球霊王さまから言えば、10倍多いと。1割でいいんです。だから、そこまで自然に減りますけどね、それだけです。人間というのは、霊長類の一番頂点に立つじゃないですか。生き延びる為にありとあらゆるものを根こそぎ食べ尽すんですね。だから、人間は増えてはいけない。その通りに真祈りしていたら、自然になりますので、大丈夫ですから。ただそれだけの理由です。だから自然に寿命の短い人がたくさん出てくるような感じで、人口が減ります。

質問3
 4月の勉強会で、「これからは人口を減らしていく。日本はその先駆け」とお話されましたが、国の政策では何とかして少子化に歯止めをかけようとして、保育所問題に対応したり、今年の秋からは保育、幼児教育の無償化などを決定しています。相反するものですが、この違いはどういうことなのでしょうか。私は子供がいませんので、少子化と言わわれると胸が痛みます。

 今の日本人の生活、今皆さんがされている生活あるじゃないですか。この生活を全人類がしたら、地球が3個か4個いるんですよ。これ凄い矛盾でしょう。みんな等しく平等であるわけですから、今日本で水道をひねったら水が出る。スイッチひねったら電気がつく。そういう生活を当然みんなが享受する権利があるわけじゃないですか。でも、今の地球上の全人類がそれをしたら、地球が4個あっても足らない。3個か4個あっても足らない。それぐらいのエネルギーを日本人は使っているんですよ。だから、少子化にならなくちゃいけない。本当にね、他の動物が全部圧迫される。動物も植物もね。例えば中国だと、食糧をどんどん作りたいから、ヒマラヤの木を伐って畑にしたんですね。その結果何が起こったかというと、黄河と揚子江というあの大きな大きな河に、河が水が流れなくなって、干上がる時があるみたいなね。それぐらい大変なことになるわけです。人間を生かす為に木を伐って畑を作ったのに、結果として人間を殺すことになっている。ということは、人口が多すぎるんですね。だから、何がいいかというのは、神さまの御心に添って生きるのがいいんですよ。神さまの御心に添えば、こんなたくさん生まれてこないの。じゃ何でこんなたくさん生まれたの?と言えば、向こうの世界から地上に降りてきたいという意識があって、その意識が若い人の性欲を刺激してね、子供が生まれるようになるんですけども。それは神さまの御心ではないんです。それでよろしいですか。

質問4
 令和の時代になり、皇位継承について男系女系の話が出ていますが、如何でしょうか?

 これはね、皇統連綿(こうとうれんめん)という一つの法則がありまして、女系で繋がったことは一切ないんですよ。何でか言うと、女系でいくとね、誰でもいいとなっちゃうんですよ。わかります?必ずお父さんが天皇であられた方が女性天皇としてなられるんです。お父さんが天皇でない方は、天皇になれない。それが女系男系の意味なんですね。だから、女性の天皇でもいいんですよ。でも、お父さんが天皇だから、その娘だからなれる。
どう言ったらいいのかな。今回の場合は、今簡単に説明しましたけどね、お父さんじゃない、御祖父さんか。ごめんなさい。御祖父さんが天皇である方で女性だったらOKなんです。そういう意味なんです。でないと、何でもありになるんですよ。天皇家の古い歴史はちょっと秘められたことなんであんまり大きく言えないんですけども、そのやっぱり途絶えた時があるんですね。すると、いわゆる、御祖父さん、曽御祖父さんがお父さんであった方の血筋の陛下をお連れして、繋いできたわけです。それぞれ神という字の諡(おくりな)をもった天皇陛下の時は、そういうふうに、外からもってきたんではないんですけどね。その御祖父さん、曽御祖父さんが天皇であった方の血筋の方をもってくるんですね。それが男系の意味です。天皇家は常にそうしてきたんで、都合4回ぐらいはそういうことをしています。今回は幸いにしてね、秋篠宮さまのところで、お生まれになっているので大丈夫なんですけども、そういう意味です。日本の天皇陛下というのは、神さまの代表としていらっしゃいますのでね、その血筋を絶えさせると日本が滅びるんですよ。皆さん色々仰るけども、女系天皇だと血筋が滅びる形になるのでね、それでダメなんです。だって御祖父さん、曽御祖父さんが天皇でない方というのは、何処にでもいらっしゃるわけでしょう。そしたら何でもありになるわけですよ。極端な表現で言うと。そういう意味です。

司会者
 事前に頂いた質問は以上です。他にいらっしゃいますか?

 いよいよね、本当に陛下も即位されて、完全な意味で即位されて、令和の時代に入ったわけですね。ともかく、何で平成の時代から地震が多かった。令和の時代もちょっと大変そうなんですけども、何でそうなのかって言うと、その天皇家でのご神事がね、どんどん消滅しているんですよ。それ何でかと言うと、天皇家のご神事というのは文献では表されてない。その口伝(くでん)でも表されてないんです。天皇家のご神事を一番よく再現されたのは、明治天皇の時なんです。明治天皇と言われる方は、凄く霊感というか、直観(感)がありまして、昔にされていた天皇家での祭祀を復活されたわけですね。でもその例えば、形の上でね、四方拝をしますと。四方拝といったら、北と南と東と西に向かってお辞儀してお祈りします、というのは伝えれるんですけど、お祈りの内容は伝えれないんですよ。それくらい真祈りというのは、本当は厳しいものなんです。その真祈りが天皇家に伝わっていたわけですけど、それがどんどんやっぱり、上手く伝わらないんですね。それで、この印可書が降ろされて、みんなが陛下の代わりとなって、真祈りをする時代となったのが、令和なんです。その為に先生が苦労して、印可書を降ろして下さったわけです。
 ですから、これからはね、五井先生や松下先生に、或は天皇陛下お一人に任せてしまって、真祈りをですよ、任してしまって、自分達は何もしないっていうのでは、ダメなんです。みんなが、天皇陛下というのは総責任者の自覚ということです。そうでしょう。天皇陛下は何があっても全部自分の責任ってされて、お祈りされるわけですよ。総責任者の自覚ですよね。だから、今、先生はみんなに総責任者の自覚をもって真祈りをしてくれって仰ったわけです。自分の自由意思で。逆の言い方をしたら、みんなが陛下の身代わりとなってお祈りするという時代なんです。みんながしなくちゃいけない時代になったんです。ですからね、皆さんの自由意思でね、「あぁそうだ、やろう!」という自由意思が大事なんですよ。言われたからするのでは真祈りじゃないの。自分の自由意思でね、どうか人類の身代わりとなってということです。陛下の自覚、総責任者の自覚ということはね。それは、最初にちょっとお話しましたように、地獄の縁者を他人事として見ないということです。この世だけじゃないんですよ。あっちの方がもっと大変なんです。あちらの世界の縁者の身代わりとなって、皆さんは真祈りして下さることが大事なんです。「真祈り、そんなん僕ら出来ないわ」っていうのが1年前の話やったじゃないですか。でも、真祈りというのは、できるできないじゃないんだよ。先生が「呼吸に乗せるだけでいいんだよ」と仰って下さって、もう皆さんは真祈りできる状態なんです。自分の自由意思でした時ですよ。言われたからするでは真祈り違います。自分の自由意思で、もうこれしか真祈りできへんわと思って、することが大事ですね。自分の自由意思でされたら、それは真祈りです。それで真祈りして、どんな状態でも真祈りできます。ただ大きく光を降ろせるか降ろせないかは、自分のものというのを掴んでいるか掴んでないかだけなんです。自分のものと掴んだ分しか光が降りませんのでね。じゃあ、全部神さまの預かりものとしたら、大きく光が降りるわけですね。だから本当にね、お金も財産も人にやる必要はないですよ。でも自分がずーっと持っていていいんですよ。持っていていいけど、神さまからの預かりものとして、真祈りをして下さい。
 今までの宗教はね、財産持っていたらあかんから本部に持ってこいってやるわけですけど、それはないですからね。そのままでいいんだけど、気持ちの上で神さまからの預かりものとして、そして真祈りして下さい。そうすればね、自然に、本当に自然に光がどんどん降りて、あっという間に変わるんです。みんな先生と同じ働きできるんです。だから先生は、もう安心したわって逝かれたわけです。それを素直に、先生が安心したわっていうのを安心させてあげて下さい。それだけです。
 本当にね、「自分なんか」っていう意識だけ捨てて、その自分なんかっていう自分が、「自ずから分けるもの」って書くんですけど、神さまから離したものなんですよ。自分の自由意思で神さまから切り離した意識を自分というんです。だから、その「自分なんて」という意識だけは捨てて下さいね。「自分なんて」という意識があろうがなかろうが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて、持っているものは全部神さまからの預かりものとしたら、本当に自然にね、深い真祈りとなって、神さまのお手伝いになるんです。いつも申しますように、真祈りというのは本当に密やかな働きですから、縁の下の力持ちで、縁石ですからね。みんなを下から支えるだけで、誰にも評価されず、誰にも理解されずっていうのが基本です。それ覚悟の上でね、ひたすら目立たないのが一番楽でいいんだって思って、真祈りして下さい。お願い致します。

 質問があれば、よろしくお願いします。今質問しておかなければ「私は真祈りします」と宣言したと同じになりますから、よろしいですか。疑問があったら聞いておいた方がいいですよ。いよいよ始まると、後戻りはないんです。だから、「こんな痛いんやったら、私悲しいから辞めとくわ」っていうのはないのでね。勿論これだけは絶対言っておきます。その人に耐えられる痛み、苦しみしかきません。だから、それは安心して下さい。神さまの絶対の愛というのは、そういうものです。その人の持てるぎりぎりを持たしてくれます。運命的な事もある、病気のこともある、痛みのこともあり、色々あると思いますけども、全部自分に耐えれる範囲ですから、めげずに真祈りに励んで下さい。

質問5
 ありがとうございます
これから何かを頂く、ということなんですけど、痛みとか苦しみとかを頂くということなんですけども、これがそれなのかなぁってわかるのか、それとも、そういうことがきたら全部?

 全部です。間違いなく全部です。だから、皆さんの一切の過去のマイナスを先生消し去ったの。自分のはないわけ。だから自分、何もしてないのに何でこうなるのって言ったら、そういうことです。全部、神さまのお手伝いになっている。

質問者
 先月の護摩の時にも同じような、これからそういうことが起こるよってことをお聞きしてましたので、「来るのかな、来ないのかな」って思っていたら、ちょっとありまして、やっぱりその時は、痛いとか眠いとかきついとか、つい心の中で思ってしまいまして…

 思ってもいいです。

質問者
 その後またお祈りをすれば…。わかりました。ありがとうございます

 予告しておいたらね、ゆとりがあるじゃないですか。だから悠々とお祈りして下さい。先月お話したように、本当の悟りとは、痛みがあっても嬉しい、楽しいなんです。それ何でかと言うとね、痛みが一瞬一瞬消えていくのがわかります。真祈りするごとに。また新しいのが来てるというのがわかります。だから、楽しい、嬉しい。これ、「同じ痛みずーっと続いているねん。大変やねん」って言ったら、もうそれは耐えれないじゃないですか。でも真祈りしたら、一瞬に消える。また次来るの、新しいやつなんです。「真祈りしても一瞬消えるけど、また来る。また痛いねん」って言うたらダメですよ。新しいのが来ている。それはもう、真祈り人は今、数が少ないからね、皆さんに負担がきているわけですよ。でも皆さんの真祈りのお蔭で、多くの人の心に、心・芯・親・神柱(しんばしら)って言うんですけど、真(まこと)の神さまが降り立たれるわけです。すると、多くの人がね、内側から印可書が解る、真祈りが解るとなって、真祈りに参加して下さるようになります。それがもう、連鎖反応的にね、ワーッと拡がりますから、それまでの辛抱なので、この今、最初に中心核となって祈る人次第なんです。だから本当に、何があっても「あー良かった。ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってね、悠々と祈って下さい。自分に耐えられないのは、一切来ないですから、それだけ。「自分なんて」っていう卑下慢の心になるとね、耐えれる痛みなのに耐えれない。耐えれる運命なのに耐えれないってなるんですよ。それだけわかっておいていて下さい。神さまの絶対の愛というのは、その人の耐えれる範囲しか来ないですから、どんな形でも。だから、これは自分に耐えれることなんだからと思って、悠々と真祈りして下さい。
 それでもう一つ。痛いとね、夜寝れないということになるんですけど、寝れなくても大丈夫なんです。みんなは食べなくちゃダメ。眠らなくちゃダメ、とかいう縛りを持っているんですけど、それもないですからね。だから眠れなくても大丈夫だし、僕の場合は、今噛めなくて鵜のみになっているわけですけど、うい飲みでも大丈文なんです。神さまをどれだけ信じ切れるか?自分が神さまの絶対の愛、或は神さまの全知全能無限力をどれだけ信じ切れるかだけです。自分の信じ切れた範囲しか効果は出ないです。神さまは必ず良いようにされるという絶対の信(しん)さえあれば、何事も悠々と越えていけれますので、よろしくお願いします。

質問者
 「今、僕もらっているよ」とか「来ているよ」とか、それはもう、あまり言わない方が…

 それ既に「自分が」って出ているでしょう。神さまが良いように使って下さるが一番良い。「自分が」じゃなくてね。神さまがいいように使って下さって、良かった良かったって、だから無条件の喜びなんです。無条件の幸せなんです。その「自分が」って言う時は、もう「自分が」っていう条件が付いているでしょう。条件付けたらそれだけ光を受け損なって、苦しくなるの。
 昔、白光真宏会というところがありましてね。五井先生が人類の業(ごう)を身代わりに引き受けて苦しまれるわけですね。そしたら、会員さんの中にも、「自分は今、人類の業(ごう)を引き受けて苦しんでいる」と言う人が出てきてですね、結構ややこしい事があったんですけど、それ何が間違いかというと、「自分が」なんです。
 真祈りというのは、自分というのが一切消え去るのが真祈りです。自分というのが一切消え去る自覚がとりやすいのが、呼吸なんです。呼吸って形ないでしょう。ということは、自分が消えちゃう。そしたら自分の呼吸だと思っているけど、自分がなくなって、呼吸だけ。それは天地の呼吸、神さまの呼吸になっていく。本来は、皆さんの呼吸一つが神さまの呼吸なんです。だから、お祈りする時、呼吸するじゃないですか。息止めないでしょう。呼吸そのものが真祈りなんです。そこまで自覚できるとね、もう無敵なんですね。呼吸できている間は、何があっても大丈夫。
 僕は、小さい時、喘息で呼吸困難で、呼吸が真祈りというのをそれで知るわけですけど、まぁ息止めて、何十分我慢できますか?っていうことです。「自分が」っていう時は、息を止めている状態です。そしたら、どんなに長い人でも20分止めれないでしょう。だから、呼吸が真祈りなんですよ。それを知る為に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めているのね。そしたら、「宇宙神ありがとうございます」の響き、言葉の響きの奥が呼吸と一緒だったって、解かって楽になる。それと、呼吸さえしていたら大丈夫みたいになって、楽になりますので、痛みが一瞬一瞬に消えては現れているだけっていうのが解って、楽しめるんです。

質問6
 毎朝、目が覚めてから一番最初にお祈りをしようと思って、一人真祈りの会をしているんですが、それはその日によって時間が、恥ずかしいですけど5分であったり15分であったり1時間であったりっていうふうに、まちまちなんですね。起きる時間もわりとまちまちで、始まる時間も終わる時間もいつも違うんですけれども、始まる前に「真祈りの会を始めます」と言って、終わる時に「終わります」っていうふうに、一応区切りをつけてやっているんですが、真祈りの会は色んな後ろの方もいらっしゃるので、前もって、今日、何日の何時何分から何時間ぐらいやりますみたいなことを言っといた方がいいんではないかというようなことを仰っている方がいて、私はそこまで深く考えて…

 それは理屈です。それは理屈。そんな言わなくていい。

質問者
 大丈夫ですか。毎日そんな今やっているような形で。ありがとうございます

 皆さんは自覚するしないに関わらず、絶対の中心に立っているんですよ。これ忘れないで下さい。先生がみんな光やって仰った意味はそうなんです。皆さんは自覚していないだけで、絶対の中心に立っているんです。絶対の中心のことを「今(いま)中(なか)」と言うんですけども、今中(いまなか)に立っている限りね、この現世(うつしよ)的には、1秒でも10秒でも、1分でも5分でも、1時間でも6時間でも、一緒なんです。6時間必要な時は、勝手に6時間やることになります。1秒でいい時は、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せた、これが1秒。どれもいいんです。どれも同じなんです。だから、この世的な概念に余り囚われずにね、悠々と。だから、呼吸に乗せていったら、楽になるわけです。いつも真祈りの場に立っている。皆さんの体が真祈りの場になっている。そして、この地上という響きのとこから絶対の中心、今中(いまなか)まで光が通っている状態なんです。それを天の岩戸開きと言うんです。皆さんが天の岩戸開きの神聖行事を執り行うんですよ。だから悠々とやって下さい。「自分が」というのが出たら、「あーしまった」と思って下さい。「自分が」っていうのが一切消えるのが真祈りです。「自分が」っていうのが一切消えると、時間も空間もすべて関係なく、一瞬で全部完結してるんですけど、必要だったら6時間でもするということです。一瞬でいいんやったら、そしたら長い時間しなくていいんやなぁ、というのは理屈です。神さまの御心に従って勝手に、そこは1分になるか5分になるか10分になるか、6時間になるか或は12時間になるかは勝手に決まります。だから「私は毎日8時間やっているのよ」というのは、もうこれは「私が」入っていますので、偽物なんです。なんか知らんけど、毎日座っていたら勝手に8時間なっていたというだけで、もうそれは人に言う必要もない。只々自分というのが一切消え去っていくのが真祈りですから、自由自在にやって下さい。

質問7
 ありがとうございます
自分の思いついた所に、行きたい所に行ってお祈りしたりとか、印可書を読ませてもらったりすることあるんですけど、ちょっとふと思ったのが、「古墳に行ってお祈りしたいなぁ」っていうふうに思ったんですけど、ただ躊躇(ちゅうちょ)する気持ちもあって…

 怖い時とか躊躇(ちゅうちょ)する時は止めて下さい。何でかと言うと、それは「自分が」が入っている。その自分が思いついて行きたいなぁまではいいんですけど、行ってお祈りする時は、「自分が祈る」というのはない。消えていないとダメなんです。「ただただ神さまに使って頂いているだけ」にならないとダメなんでね。向かっていて「何か行きたくないな、イヤ」っていうのは、「自分が祈る」というのがちょっと残っている時。そういう時は神さまが止めているので、行かなくていいです。

質問者
 わかりました。ありがとうございます

質問8
 先程、「すべてのものは神さまからの頂きもの預かりもの」っていうことで、それは、今の宗教団体みたいに出さなくていいけど、大事に使えばいい、それを感謝して使えばいいということだったんですけども、今、年齢が、ここにいらっしゃる方もそれぞれ年で、ゆくゆくは肉体を外すことがあると。そしたら、あの世に持って行けないっていうものは、前にもお話されたと思うんですが、今現在肉体がある時は、神さまからの預かりものとして、喜んでそれを大事に使わして頂く。ところが、現状として、この三次元的にはそれを次に引き継ぐ形になることが多いですよね。そういう時はどのように引き継げばいいですか?

 理想はね、理想ですよ、これはね。強制はしてませんからね。この大事な護摩を維持する為に出して下されば一番いいです。でも、もったいないと思う時は出さなくていいです。後は、自分が真祈りして、誰に渡せばいいかを決めればいいです。この護摩というのは、真祈り出来ない人でも、ここに来てお祈りするだけで、真祈り出来るようになる凄い護摩なので、先生は全人類を救う為にね、この護摩をおつくりになられたんですね。だから、その辺の所を考えて、良ければ、もうそろそろ自分はあっちの世界に行くなぁと思ったら、護摩の為にお使い下さいと言って出して頂くのが一番いいとは思います。でもこれは、強制でもないですし、皆さんの自由意思でそうしたいと思った時にして下さい。という感じですね。
 それくらいね、この護摩の始まりというのは、ある個人の方、弁護士の方が願われて始まったのですね。その時に先生が、すぐにはOKを出されなかったんですけど、凄い熱意をもって言われたので、始まったんです。始まった以上は、先生はもう、この護摩という形でね。最初はどういう形でするか決まっていなかったんですけど、護摩という形で始まったので、とことん護摩という形で来ているんですね。この護摩のこの会場の、ここの場所が凄く大事なんですけど、この場所を維持する為には、この護摩の形が一番いいんです。あまり具体的にはどうだっていうのは言いませんけど、この護摩の形にするお蔭でこの会場がずーっと維持できるんですね。だから、できれば自由意思で、護摩の維持の為にお使い下さい。出して頂ければ凄くいいと思います。

質問9
 宇宙神ありがとうございます
自分を出さないというところだと思うんですけど、皆さん「このいのち、真(まこと)の神さまにお捧げ致します。先生にお捧げ致します。どうぞご自由にお使い下さい」という風に決意されている方が多いと思うんですけども、つい知らず知らず、自分のいのちというところで、決心、思っているところがあって、神さまからの頂きもの、預かりもののいのちというところと、ちょっと忘れるところがあって、そのへんの、こうすっきりと、はっきりと神さまのいのちを捧げるんだっていうところを説明してもらえたら・・・・

 あのこれ一言で言うと、全託。全託ということなんですね。みんな全託が一番いいっていうのはわかっているわけです。神さまに全託します。それを易しい言葉で、今言い直しているわけですけど、その全託の誓いを何回も破るんです、自分で。それは自分の意識というね、他人と自分とを分け隔てる意識のある間は、どうしても出るんですよ。要するにどういうことかと言うとね、他人と言っている人も、神さまからの預かりもの、神さまのいのちそのものっていうふうに受け直すことによって、すべては自分になっていくんです。自分を大きくすればいいんです。わかる?自分を大きくしたら、自分が消えるの。本当の自分というのは、真(まこと)の神さまそのものの自分ですから、大きくするか消すかなんです。人によって、全託した以上はもう一切文句なしや「何で?」はないし「ありがとうございます」だけやって、いける人はそれでいったらいい。そしたら自分が消えますね。でも自分という意識でどうしても分けてしまう。地獄の縁者があっても自分とは関係ないと思ってしまう間はね、自分の意識をどんどん拡げる方が速い。どうして拡げるかって言ったら、全部、全部、真(まこと)の神さまが、自分の身代わりとなって、消し去るすがたとなって、自分の周りに現れて下さっていると、そういうふうに思うことです。その自分に悪さする人も。どんな形でもいいですけど、凄く怠けて見える人も、全部自分の中のマイナスを真(まこと)の神さまが身代わりになって消して下さっていると、そういうふうに見たらいい。
 今は、今回は、先生が一切のマイナスを消して下さっているから、無意識に自分の縁者のものを背負っているわけです。縁者のものを背負わなくちゃいけないじゃなくて、自分の一切のマイナスが消えると、勝手に縁者の分を背負うようになるんです。だから縁者の分を背負っている、その背負ったすがたを怠けた形で真(まこと)の神さまは消して下さっている。或はいじめの形で消して下さっている。そういう感じで、すべてを真(まこと)の神さまが自分の身代わりとなってやって下さっているというふうに観たらいい。すると、自分がすべてになっていくんです。わかる?起こっている現象をね「自分と関係ない」と思うわけですよ。例えば「あいつ、怠けているやんか」「あいつ、さぼっているじゃないか」というのは、自分と関係ない世界に置いているわけね。それが自分を小さくしているの。でも「あ、神さまが自分の縁者の分であろうが、自分の分でもいいんですけど、真(まこと)の神さまが背負って消して下さる形を怠けたすがたで見せて下さっている」というふうに思えば、全部自分になっていくんです。それは怠けている人じゃなくて、自分の怠けているものを神さまが消す為にそういう形で見せて下さっているという。全部、神さまの働きだから、自分になっていくんです。わかる?

質問者
 神さまから頂いているこのいのちを捧げるという事が本当だと思うんですけども。

 頂くという表現はちょっと違う。受けてお返し、受けてお返しするという、一瞬一瞬新たってそういうこと。受ける、何で受けるのか?って言ったら、神さまと不離一体の自分だから受けれるの。神さまと違う自分は、神さまのいのち受けられへん。ここが大事やねん。みんなね、神さまと自分が違うものだと思っている。違うものは受けれないの。わかる?どう言ったらいいのかな、響きが違うわけよ。違うものだったら。響きが違うものには、音叉(おんさ)ってあるでしょう。こっちの音叉をカーンって鳴らすと、こっちの音叉が勝手に響くじゃないですか。これ、響き合うものだから、同じものだから響くねん。神さまのいのちを受けてお返しするというのは、そういうことやねん。だから、受け直す毎に自分が真(まこと)の神さまそのものやったという自覚を深めているということ。頂いていると言うと、何か違うものから頂いてるみたいで、そこでずれるの。そしたら後は、その受け損なった分が、真(まこと)の神さまが形に現して消して下さっているって見たら、一切のマイナスはない。マイナスに見えるものは、プラスにして消して下さっているプラスだから。マイナスに見えるということは、自分と違うもの、神さまと違うものっていうふうに、自分が勝手に分けただけやねん。本当は全部一つ。

質問者
 受けるという話で言うと、自分が受けるんじゃなくて、神さまとしての自分が神さまのいのちを受ける。それをお返しする?

 その「自分」という言葉は、「自ずと分ける」と書くんだけど、神さまの意識をね、わざと小さくして楽しむ為にね、わざと小さくして、例えば、三輪車に乗る、自転車に乗る、オートバイに乗る、自動車に乗るみたいな感じよ。自ずと分けたもののすがたは、三輪車なのか自転車なのかオートバイなのか、車なのか飛行機なのか、みたいな感じよ。飛行機ほど自由自在に飛ぶ。ヘリコプターほど自由自在に飛ぶみたいな感じでね。自ずと分けた大きさが、自分なんですよ。でも真(まこと)神さまそのものであることには変わりない。わざと分けただけで、分けれないんだけど分けたようにしているだけだから、分けれないのね、光やから、わかる?すべては光でしょう。光は分けれないでしょう。そうだけど、ちょっとプリズム入れて、分かれたようにね。光もプリズム入れたら7色に分かれたように感じるじゃないですか。言葉というプリズムで、色を付けて楽しんだだけやねん。わかる?だから言葉というプリズムを、真(まこと)の言葉だけ「宇宙神ありがとうございます」の言葉だけに戻したら、無色透明の自分に戻れる。いい。

質問者
 ありがとうございます

 ちょっと理屈言い向けに、理屈をつけて説明しましたが、よろしいですか。
それでは、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/4m0nkSu0EqI

※しん柱の漢字については後日、先生のお話を載せさせて頂きます。

宇宙神ありがとうございます


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令和の意味・・・・ by 河上彰延 2019年04月22日(月) 23時40分
PC

4月護摩焚き河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます
2019年4月7日護摩焚き 河上さんのお話

質問1
 印可書を暗記したので、最近東京近辺の色々な神社・仏閣に行って、印可書を唱えているのですが、唱えるのは1回だけでも十分なのでしょうか?何回も唱えた方が良いのでしょうか?それと、お賽銭を入れる時、自分の住所・名前・生年月日を言っているのですが、そんな事はしない方がいいのでしょうか?また神社・仏閣以外で印可書を読むお勧めの場所はありますか?

ありがとうございます
昨日、本当に遅くに先生からお許しが出ましたので、またお話できます。ちょっとこちらに連絡できなくて申し訳なかったんですけども。
印可書なんですけども、印可書は、先生と神さまの約束事で作られたんですよ。真(まこと)の神さまというのは、人間の自由意思を尊重されるんですね。人間の自由意思を超えて何かをされてくることは一切ないんですよ。だから、印可書というものを作りたいという、肉体を持った先生がね、肉体側の自由意思として神さまにお願いして、そして降ろされたものです。細かい事情を言いますと、未完成で降ろしたので、先生一人がお作りになったんではダメだっていうことで、みんなでつくって欲しいということだったんですけど、みんな印可書はそっぽ向いちゃってダメだったんで、こちらでやりました。やったら、先生の方で本物が現れたとお墨付き頂きましたので、今の最終版の完成版の印可書というのがあります。
印可書は、そういう経過で出来ましたのでね、本当に素直に1回読むだけ十分効果があります。ただその場所によったら、もっと読みたいと思う時はね、2回でも3回でも読んでいいんですよ。それどういうことかというと、1回読んで納得した人は、みんな自由になって、縛られた人が縛りを解きたくて集まってくるんですね、神社・仏閣に。1回印可書を読むと、それで縛り解かれた人は喜んで行くわけですけど、後から後からどんどん来ている時は、また読みたくなるということです。だから読みたくなる時は読んで下さい。もういいと思う時はいいでいいんです。お賽銭も自分の自由に、そこの神社・仏閣を維持する為のお金ですから、自分の自由意思の金額をいくらでも入れればいいです。お名前はおしゃられてもおっしゃられなくても、神さまの力というのは凄いですから、言わなくても向こうはわかっておられます。勿論言いたい時は言えばいいです。

質問2
 お墓参りに行った時、自分の先祖の墓に向かって印可書を唱えることは、いいことでしょうか?

お墓はですね、この世にいてる肉体人間側の印であって、御先祖様のお住まいではありません。御先祖様は、もっと自由自在に好きなとこにおられます。ただ、肉体人間側の意識としてね、御先祖様に響きを合わせ易い形で、お墓という一つの、ここでも先生のお墓という形で作ってありますけども、モニュメントがあるわけですね。そのモニュメントを通して響き渡りますので、お墓の前で読まれて自由です。ただ声に出す、周りに人がいてる時は変に思われてもあれなので、声に出さず読まれたらいいと思います。

質問3
 まだ少しわだかまりが残っていまして、それは先生と生前にお会いする機会があったにもかかわらず、村に来なかったことです。やはり後悔があります。それで質問ですが、生前先生にお会いできなかったけど「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉を通して、お会いできているのでしょうか?会う会わないではなく、ご縁を頂けたのでしょうか?これは、今から「宇宙神ありがとうございます」に出会う方々にも共通なことだと思います。どうぞよろしくお願いします。

 所謂(いわゆる)真祈りというのは、時間・空間を超えるんですね。だから、先生にお会いした、肉体の先生にですね、お会いしたお会いしてないは、本当に関係ないです。素直に真祈りして、印可書を読んで、或いは「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠めて、或いはひたすら「宇宙神ありがとうございます」を籠めながら、祈りながらお仕事してってされる方は、みんな先生と不離一体なんですよ。それをね、覚えておいて下さい。そしてね、先生は、これからが本当に自分は有名になるんだっていうことをいつも仰っていたんです。亡くなられてから、死んでからの方が自分は有名になるんだって仰っていたんですけども、本当になまじ先生の肉体にお会いになってない方のほうがね、先生に甘えないの。だって、もういらっしゃらないから甘えようがないよね。頼りようがないじゃないですか。だから、かえって新しく来られた方のほうが真祈りが深いんですよ。なまじ先生とお会いした方はね、ちょっと先生に甘えがあって、真祈りに真剣さがちょっと足らんのね。先生がなんとかしてくれるっていう意識がちょっとあるんですね。それと真祈りは、ともかく自分の物って掴んだ分しか光を降ろせないんですよ。わかります?だから、すべては神さまの預かりものと思えたら、大きく光が降りるんです。でもこの体は自分のものとかね、このお財布のお金は自分のものとか色々ありますけど、自分のものと思っていたら、その思っている範囲しか光が降りないから、先生がいらっしゃる時に「ありがとうございます」という真祈りを先生は「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまの響きそのものって仰ってですね、或いは、「ありがとうございます」って祈れ祈れって、自由意思で祈れって仰ったんだけど、みんな今一(いまいち)真剣さが無かったのね。それ何でかと言うと、自分のものを持っていたから、「ありがとうございます」って祈ってもちょっとしか光が降りない。すると、あんまり変わらないからと言って、やめちゃうんですね。それでうまくいかなかった。でも今は、もう先生いらっしゃらない、甘えれない。それまでは先生の肉体がありますから、もうこうなったら先生が何とかして下さるだろうと言って、自分の方の努力というか、真祈りすることを、自由意思を放棄しちゃったんですね。今は先生がいらっしゃらないから、本当にもう、印可書と「宇宙神ありがとうございます」だけ。方法論として呼吸に乗せるとか色々ありますけど、それは皆さんの自由意思でね、やりやすいことをやられたらいいんですよ。でも真剣に真祈りされる方が多いんですね。だから、今の方が逆に言うと、新しい方のほうが深い真祈りができると思っていて下さい。

質問4
 新年号について一言お話頂けますか?

 「令和」という新元号についてですね。元号というのは、いつもいつもそうなんですけど、神さまの御心を降ろす言葉なんです。日本というのは、世界のひな型ですから、先ず日本が素晴らしくならないと世界はよくならないですよ。例えば「令和」という響きをどの立場から観るかによって大きく変わるんですね。この世の現世(うつしよ)の元号に関わらずですけども、この現世(うつしよ)での出来事もそうなんです。現世の出来事はすべて10通りの解釈がある、100通りの解釈がある、1万通りの解釈がある、10万通りの解釈がある、何万通りの解釈があるって先生仰るわけですけども、それ、何でそんなに解釈の種類が色々出るかというと、自分の立っている立場によって解釈が変わるわけです。本当の解釈は、真(まこと)の神さまの側に立つしかないの。真(まこと)の神さま側に立てば、すべてが氷解するし解るんです。真(まこと)の神さまの側に立つとは何か?と言ったら、それは真祈りなんですよ。真祈りしたら解る。真祈りとは何かって言えば、この1年間ずーっと言ってきましたけども、自分のものを神さまの預かりものとしてお返しする。常にそれが先ず第一です。「どうかこのいのち、神さまのお仕事にお使い下さい」って投げ出すことなんですね。これを御恩返しと言うんですけども、すべてを神さまにお返しするという、それを「このいのちお使い下さい」と投げ出すこと。その2つが絶対必要なんですね。後は方法論で呼吸に乗せようが、ひたすら唱えようが、色々自分のやり易いことをね、自分で工夫してやられたらいいと思います。その真祈りができれば、「令和」の意味がよくわかるんです。
「令和」の「令」という漢字は、冠(かんむり)へんと言うんですね。冠とは何かと言うと、本当のこと言いますと、ピラミッドのキャップストーンなんですよ。キャップストーンとは何かと言ったら、これは真祈りを受け取った時のすがたをキャップストーンです。その「令」という字は、その冠(かんむり)へんに人が傅(かしづ)いてるわけですね。「神さま、ありがとうございます」ってお辞儀しているすがたなんですけども、真祈りそのものの言葉なんです。だから、日本語で「命令」、「いのちのれい」と書いてね、絶対に動かし難い大事なもの、命令。命令と言ったら、逆らってはいけないものっていうのは、そういうことなんです。「令」という漢字は、そういう真(まこと)の神さま側から出た時は、そういう響きだったわけです。だから、真(まこと)の神さまから見れば、「令」は、「真祈りをこの世に顕す」という意味です。「和」というのは何かと言うのは、「和」はね、単純に円・輪を思って頂いたらいいんですけど、一大循環の相象(すがた)をこの世に現すとなると円なんですね。実際には螺旋ですけど、螺旋が重なって円になるわけですけども、円なわけです。だから、「真祈りを一大循環の相象(すがた)としてこの世に響き渡す、響き渡らす」というのが「令和」です。この世に真祈りを響き渡らす為には何が必要かと言うと、皆さま方お一人お一人の肉体が必要なんです。肉体がこの世での真祈りの受け場なんですよ。それを今までは、天皇陛下お一人に、先生お一人に、もう頼っちゃってね、任せちゃって自分たちはしなかった。でもこれからは、すべての人が総責任者の自覚をもって、真祈りをするんです。その先駆け・始まりを意味するのが「令和」という言葉です。この言葉をどう受け止めて、どう運用するかは、皆さまお一人お一人の自由意思によってるわけです。肉体側から見たら「令」というのは、凄いマイナスのね、マイナスの輪が出てると言って「嫌だ」と言う人が結構多いですね。でも、「令」というのは、神霊の「霊」でしょう。密やかな働きを「令」と言うんですよ。真祈りと言うのは、神さまの働き、真(まこと)の神さまの働きというのは、密やかな働きなんです。だから、前にもお話しましたが、例えば肉体でも血液の循環って凄い大事ですよね。でも見えない、密やかな働きでしょう。大事な働きほど密やかで、誰にも知られずに起こるんです。それが真(まこと)の神さま働きなんです。その真(まこと)の神さまに支えられて、支えられて、皆さま方の肉体があるし、ここに存在できるわけですね。それをもう一度神さまにお返しして、真祈りで受け直していく。これが一大循環の相象(すがた)の地上に舞い降りてきた状態なんです。それを「令和」という号令によって、皆さま方お一人お一人がね、真祈りに励んで、これからの世界を創っていくんですよ。ここで日本人がいがみ合ってね、喧嘩して足の引っ張り合いをしたら、それが世界に映って大戦争になっていきます。とりあえず真祈りが必要だし、皆さんもうできる状態なんでね、やって下さい。

「令和」の話が出ましたので一通りのことを言いますと、先ず水の洗礼、火の洗礼、霊の洗礼。水の清(浄)め、火の清(浄)め、霊の清(浄)めっていう風な順番でね、この現世(うつしよ)に表れるんですよ。今年は水の清(浄)めが多いです。だから、集中豪雨が降って大雨が出て、鉄砲水が出てとかね。海岸部が高潮で浸水したりとかいうのが結構出ます。先ずその水の洗礼があります。
次に、火の洗礼というのは何か?要するに、この地球世界がよくなる為に何が起こるかということを今言ってるわけですけど、火の洗礼というは、火山の爆発、或いは大地震です。地震というのは、下から熱が吹き上がって地震になるんですけどね。それで火の洗礼になる。その火の洗礼を形に表さずに消し去る方法が、この護摩なんですよ。だから、是非とも護摩には、何を差し置いても参加して下さい。そうすれば、ここの火の清(浄)めだけでね、すべてが終わっていくんです。火の清(浄)めとは何かと言うと、フェニックスの清(浄)めなんです。フェニックス、要するに色んなものを自分に纏(まと)って火の中に飛び込むんですよ。それで、本物だけ、真(まこと)の本心の自分だけが火の中から再生して出てくるんです。それを護摩木に託して燃やしています。だから護摩木もたくさん真祈りを籠めて書いて頂いて、宇宙船護摩木を書いて頂いて、そして是非ね、時間はできるだけ少々のことは都合をつけて、この護摩には参加して下さい。そうすると、火の清(浄)めが護摩だけで終わります。これは空海さんの時代にですね、富士山が爆発したりして大変だったんですね。空海さんが護摩というのをその時に始められて、日本の国が収まったんですけど、これはその2回目になります。
最後に、霊の清(浄)め、霊の清(浄)め。これは何かって言うと、これが真祈りなんですよ。だから、これを3つ同時にやっていくのが一番いい。そしたら、あっという間に何事も鎮まって、良いように変わるんですね。ですから是非とも、ご自分の自由意思でね、僕が言うからするとか、僕が言うから呼吸に籠めるじゃなくて、ご自分の自由意思で、自分のやり易い形でね、是非真祈りをされて、霊の清(浄)めにも参加して下さい。霊の清(浄)めに参加する方法は、いつも言うように、自分のものが無くなって、全部神さまの預かりもの、「どうかこのいのちお使い下さい」ってね、投げ出していくこと。その中から霊の清(浄)め真祈りができますので。印可書を読んでもいいし、「宇宙神ありがとうございます」でもいいし、「ありがとうございます」でもいいし、自分がしっくりする祈り言葉を使ってね、やって下さい。「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」の詳しい内容が印可書だと思って下さい。だから、使い易い方を使ってね、是非真祈りに励んで下さい。お願い致します。「令和」についてもう少し質問があったらお願い致します。

 そしたらね、もう本当に真祈りをよろしくお願いします。そして自然発生的にね、あちこちで真祈りの会をして頂いています。本当に先生が喜んでおられるし、これからもお願い致します。それでいつも言いますように、真祈りの会は、横の連絡を取る必要はないです。行きたいと思う会場に皆さんの自由意思で行って、そして、真祈りをするだけです。真祈りの会は勉強会ではないのでね、それは間違わないで下さい。先ず真祈りして、ちょっとここ、わからへんねんということを、印可書とか色んなものを見ながら皆で相談するのはいいんですけど、先ず真祈りがあるということを思っていて下さい。本当に真祈りをしていたらね、盤石の支えになるんですよ。盤石の支えになると、連絡を取らなくても、「あ、あそこに行こう」「あそこを助けよう」って、「支えよう」って勝手になって、自在に動くようになります。これを組織立ってね、本部があって、あそこに行けとか、言うことが出始めたら崩れますから、それだけは真祈りをされる方は、真祈りの会場を開催される方はね、心に秘めておいて下さい。自分の自由意思でするだけであって、外から一切強制されることはない。組織的な動きになった途端に、組織の業が集まって、全部崩れていきます。今までの宗教は全部、組織を作ったが為に崩れたんです。立教の時はみんな素晴らしい事を言っているんですよね。でも組織を作って、この命令に従わないとあかんとかやり出したらダメになるんですよ。それはね、よく覚えておいて下さい。それぞれの真祈りの会が主催地であって、中心の場所であると思ってやって下さい。人が集まらなくても、自分一人でも真祈りの会をするんだっていう覚悟をもって下さい。誰も来なくても大丈夫なんです。肉体人間以外の多くの方が来られていますから、真祈りの会をめげずやって下さい。お願い致します。

「令和」はいいですかね?ともかく「令」という字が、マイナスにどうしても聞こえるんですね。だから、多くの人が結構「令和って嫌だ」って言う人が多いんです。でも、そのマイナスの思いを全部消し去る為にも、真祈りでプラスにプラスに変えていきたいと思います。「令」というのは、「霊」が悪いのだったら何で「神霊」と言うの?何で「霊魂」と言うのって言うじゃない。それ、良い意味でしょう?神霊でもね。「霊」って、本来いい意味なんですよ。だから、いい意味にもう1回思い返す為にも、皆さんの真祈りが必要です。「令和」という新しい時代が始まったんでね、皆さんにちょっと覚悟を決めて頂く為に、長くなりますけども、色々と言います。

 先ず、色んなマイナスっていうのがありますよね。それは自分に縁(えにし)あるマイナスはね、自分の体に取り込まないといけないんですよ。取り込まないと消せないんです。その真祈り為に、皆さんの肉体が必要だと言うのはね、そういう意味です。だから、それを先生は、見本で見せて下さいました。先生は真祈りされていて、病気のすがたをとったり、痛みのすがたをとったされていたじゃないですか。先生ほどの人が何でそんなんするの?って、一旦自分の体に取り込まないと逃げていくんですよ、マイナスは。サーッと光を入れたら、サーッと逃げて行って、消せない。逃げるだけで。それをお祓いっていうんです。お祓いはできるけど、お清(浄)めはできない。お清(浄)めをしようと思うと、自分の体に取り込むしかない。自分の体に取り込んで真祈りするんです。

 悟りについての質問がきてたんで「悟りとはどういう心境ですか?」って仰るわけですね。大概の人は、悟りというのは、水鏡、鏡の如しと言うんですか、ピシッと静まり返った状態で、不動心で、静まり返った状態で、気持ちのいい状態が悟りだとみんな勘違いしているんですけど、本当の悟りは、違います。本当の悟りとは、本当の不動心とは何かと言うと、千早振る(ちはやぶる)すがたなんです。神さまの働きは千早振る(ちはやぶる)すがたですから、この体に如何なる痛みが現れようが、或いは運命的に如何なる不幸が起ころうとも、神さまがいいようにされているという、絶対の安心感がある不動心なんです。だから、どんなに痛くても、どんなに病気のすがたがあっても、或いはステージ4で後3ケ月の余命ですよと言われてもね、幸せ一杯、心が揺るがない、それが本当の悟りです。その本当の悟りの心境があるから、色んなマイナスを背負って、ちりとりとしてね、或いは雑巾として、表現は色々ありますけど、色んなマイナスを自分に取り込んで、消し去ることが出来るんです。それ、よく覚悟してわかっておいて下さい。「令和」の時代が始まりましたので、皆さまお一人お一人の体をね、先生は間違いなく使うと仰ってますので、何かが起こったら「あー使って頂いてるんだ。良かった」と思ってですね、心を揺るがさずに真祈りをお願い致します。いいですか?今のことで質問ないですか?皆さんの覚悟を問うてます。本当の悟りってそういうことなんですよ。
だから、事故に遭ってね、突然腕が落ちてバーッと出血して、出血多量で死にそうな時でも「ありがとうございます」なんです。どんなに痛くても心揺るがない。だから、不動心なんです。だから、それが無条件の幸せ・無条件の喜びなんです。条件ないでしょう?痛くても喜びなんです。苦しくても幸せなんです。それが、無条件の幸せ・無条件の喜びというのが、悟りの心境なんですよ。只々嬉しいだけ、有難いだけ、喜び勇むだけなんです。それ、わかって下さい。だからちょっとでも「痛い。わー大変」と思ったらね、神さま以外のを見てしまったと思って下さい。神さまだけ、真(まこと)の神さまだけを見ていたらね、幸せと喜びだけなんです。神さま以外のを見たら、文句が出ます。

だから、悟りの本当の神髄は何かと言うと、真(まこと)の神さまと自分と一対一に置きなさいと先生は仰っしゃるわけです。みんなその一対一の意味ががわからない。一対一とは何かと言ったら、全部真(まこと)の神さまだということなんです。全部真(まこと)の神さまだというのがわかれへん。何かと言ったら、すべては真(まこと)のプラスだけっていうことなんです。痛みがあろうが何があろうが、真(まこと)のプラスだけなんです。これ、「何で痛みがプラスやねん」って理屈言いは言うんですけど、神さまの働きを水に例えるとわかるんですね。大きな貯水池が絶対の中心だと思って下さい。そこからちょっと水門を開けると凄い水圧で出るじゃないですか。だから絶対の中心に近づくと、そういう凄い水圧の強い光なんです。そんな光だとマイナスは逃げていくだけで近寄って来ない。それをずーっと枝分かれして拡げてですね、皆さんの肉体まできて消すわけです。だから、水で例えるとわかりますけど、水をバーッと撒いたら汚れたところだけ色がつくじゃないですか。その色のついた姿が痛みなり病気であり不幸なんですよ。でも、それも次から次に流れてくる水で消えるじゃないですか。その消え去る姿を見てね、文句を言うからややこしくなるんですよ。文句を言うということは、もう一遍再生して作るということですから、いつまでも消えない。だから、この病気治しなさいって神さまに言ったら治らないのは当たり前なんです。自分が病気を作り続けているだけなんですね。それが解れば、どんなことが起こっても喜びだけになります。

質問ないですか?凄い今、神髄を言ってるんですけどね。この神髄を理解をする為には、重層構造・入れ子構造・ところてん構造が解らないと解らないんですよ。この細胞一つ一つに大宇宙があるというのが解らないと、実観(感)として解らないと、「何で不幸やのに嬉しいねん」「何で痛いのに嬉しいねん」「何で辛いのに嬉しいねん」「何で悲しいのに嬉しいねん」「アホ言うなよ」って理屈言いになってしまうんですよ。本当は、すべては神さまの御光だけなんです。だからそれをちょっとね、言葉でいじって遊んでいるだけなの。本当はね。本当は、それだけなんです。

草薙の剣ってありますよね。みんな草薙の剣というのは、十字だと思っているんですよ。でも、本当は違います。草薙の剣からは色んな色が出てね、左旋回。先の方は綿のように細かくなつているんです。その形をして色んなものを捉まえて消していくのが、草薙の剣の神髄なんですね。皆さんの肉体は、その草薙の剣の働きの最先端をしますから。みんなこの世の形ではレプリカ、レプリカではないですけどね、象徴として、熱田神宮に草薙の剣を置いている、その草薙の剣と皆さんの体は繋がっているんですよ。草薙の剣の清(浄)めの働き、天叢雲(あまのむらくも)九鬼サムハラ龍王(くきさむはらりゅうおう)の働きをします。それが「令和」の時代の始まりですから。喜び勇んでね。痛みでもそうなんですけど、痛みを痛いと思うと辛いんですよ。でも、「今日はこんな痛み方やな」「今日はズキズキやな」「今日はキャンキャンやな」とかね、痛みを楽しまなあかんのね。楽しむと消えるんです。それは不幸な運命でも一緒。「あ、こういう運命の展開、凄いなぁ」って楽しんでいたら消えるんです。でも、「こんな不幸で大変やねん」って言ったら、自分で作っていますから消えないですよ。何事も喜び勇んでって言うのはね、楽しんで、楽しんで下さいね。この世は楽しむ為にあるんだから。楽しんで消していかなあかんのです。それが神髄です。その楽しみを忘れたら、苦しい苦しいとなって、崩れ落ちますから。もう「令和」の時代でね、真祈り人は逃げれないんで、覚悟を決めて下さい。いいですか?質問があったらどうぞ。あんまり追い詰めたらあかんねんけど、今日は先生がとことん言えと言うから、言ってますけど。よろしいですか。覚悟決めて下さいね。「真(まこと)の神さまだけ」ですよ「みんな光だけ」「みんな既に悟っている、祈っている、救われている」っていうのは、そういう意味なんです。いいですか?終わりますよ。

質問5
宇宙神ありがとうございます
先生のことなんですけども、私達に数々の祈り言葉、一番最新の「宇宙神ありがとうございます」、そして印可書、真祈りの伝授と様々のことを私達の目の前に降ろして頂きました。その先生の苦労、御心、私達の為に降ろして下さったその気持ちを改めて伺わさせて頂けたらと思います。

 これは、54年前から遡(さかのぼ)っての話になりますけども。先生に最初にお会いした時に、先生が先ず仰られたことは、「どうしてこの人類を救うか、どうしてこの地球を救うか、自分はそればかり考えている」って仰ったんです。思わず「僕もそう思っています」って言って、意気投合したわけですけども。そこからが本当に色々と大変で、僕の方なんかは知れているんですね。先生の凄さというのは、もう全部自分で背負っていかれる。今、今、皆さんにお願いしたことを先生は全部、お一人でされたわけですね。それで、いわゆる天の岩戸が開くまで、要するに、素直に祈り言葉を唱えるだけで、すぐに真(まこと)の神さまと同じ働きができるという状態にもっていくまで、ひたすら祈って祈って、熱を出されて、その熱を湿布で抑えながらお祈りされているという苦労をされました。夜も本当に、ほとんど寝られないんですね。ただただ祈るだけ。今の僕がそうなんですけど、ひたすら座って祈っていて、10分位横になって、また座って祈っての繰り返しになるんですけど、それ別に眠れないからどうこうという不安もないし、こんなんしていて大丈夫かという不安もない。ただ嬉しいだけなんですね。神さまに使って頂いて嬉しいだけってなるんですけどね。先生は、神さまに使って頂いて嬉しいだけ。今言ったことは先生から伺ったことなんですよね。「痛みは楽しんで受けなあかんねんで」って。「痛いと思ったら、もうずっと自分で作ってしまって苦しむで」って言ってね、いつも僕が受けていた注意なんですよ。それをいよいよ皆さんにお願いしないかんので言ったわけでね。だから、本当に痛い時は、針でね、僕の場合は千枚通しでしたけど、千枚通しで膝を突くんやと。その痛みでね、こっちの凄い痛みは忘れるからって、僕も実際それをしました。確かに、きつい痛みは忘れて膝の痛みでは消えます。皆さんはそこまでしなくてもいいはずなんで、大丈夫ですけども。先生の苦労というのは、ただただ絶対の愛でした。人類を本来の真(まこと)の神さまと不離一体の意識にまで戻したいという、それだけの愛でした。それをひたすらされて。だから、先生の降ろされた祈り言葉をね、どの時代のものでも、今でも生きています。ただ、これがいいというのは無いんですよ。自分の使い易いのを使って下さい。「神の御光(みひかり)・御力(みちから)・御命(みいのち)」も生きてますし、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」っていうのも生きているんですよ。でも、その時その場に立って、言い易いのを使って下さい。一切の縛りは無いです。皆さんの自由意思で選んで使って下さればいいです。それで、痛みだけは痛いと思わないように、色々楽しんで受けて下さい。痛みも苦しみもね。そしたら、一瞬で消えていきます。ただ次から次に来るからね、痛いように思いますけど、次から次だと耐えれるんですよ。同じ痛みが続くと耐えれないの。だからそれ、わかっていて下さい。
実は昨日、もう本当に痛くて、メールひとつ打てない状態だったんで、大変だったんですけどね。この護摩の始まる前あたりから一気に、ちょっと運転もできなくて、運転もしてもらって来たんですけど、一気に引いて変わるんですけどね。いつもそういうもんなんですよ。必要に応じて、必要なように、いいようになります。それは神さまが全知全能でね、何でもできる力を持っておられると信じ切れるかどうかにかかっています。だから、神さまが全知全能の神さまがこうされているねんから、一番良いに決まっているってね、確信を持たないと、神さまのお仕事はできません。それだけは重々覚悟を決めて下さい。「申し訳ないけど、いやそんなん私、出来ないからやめとくわ」は、もうないですよ。先生と縁のあった方は逃げれないのでね、逃げても、ずーっと続きますから、どこかで覚悟を決めて真祈りに入って下さい。先生は先ず、使い易い人を使わなあかんのでね。全然先生を知らない人は使えないじゃないですか。でも、ここに来た人は、本当に先生と親しく色んなことをして頂いてね、先生が陰に陰に隠れて、皆さんの運命をよくしてね、本当に楽にしてこられたんですよ。それにみんな気付かないだけ。でも気付かなくてもいいです。でも、神さまのお仕事に使って頂きますので、使わせて頂きますので、覚悟を決めて真祈りに、もう入って下さい。お願い致します。

質問6
 確認なんですけども、先ほど言われた、入れ子構造・重層構造・ところてん構造を理解しなければということですけど…

 理解ではなくて、いわゆる実観(感)やね。

質問者
実観(感)。というのは、ひたすら真祈りをしていくことで…

解ります。理屈では解からない。
入れ子構造・重層構造・ところてん構造というのが、悟りの神髄の部分なんですけども、これは本当に実観(感)でしか解らない。理屈で考えたって、永遠に堂々巡りをします。どこかで覚悟を決めてね、真祈りに入って下さい。深くね。もう既に真祈りに皆さん入ってますけども、深く深く入るんだって覚悟を決めてして下さい。その重層構造・入れ子構造・ところてん構造というのが解ったら、「みんな悟っている・救われている・祈っている」って解る。「みんな光や」って言う先生のお言葉が、実観(感)として解ります。「神は光なり」というのが実観(感)として解ります。光だから、分けれないから、みんな光なんです。この前、SUN(さん)、太陽って言いましたけど、それが実観(感)として解らないと不動心にならないの。理屈では不動心になりません。理屈では、やっぱり痛くなってきたら「痛いなぁ」ってなるわけです。「痛いなぁ」と思った途端に、もう心が揺れているのね。「嬉しいなぁ」とならないとあかん。「なかなかこの痛み楽しいなぁ」となっていたら揺れていない。「痛いなぁ」と言うたら、もう心が揺れ動いて、崩れてますからね。それを自分の物差しにして、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」って色んな方法で祈り続けて下さい。

質問7
 @「令和」の「令」という漢字が、あの「令」ではなく、違う「れい」もたくさんありますよね。「麗しい」だったりとか、お礼の「礼」だったり色々あると思うんですけども、「れい」という言葉の響きのことが大事なのか?ということが1つ。
A先生は一切のマイナスがないと仰った中で、それであったとしても人の肉体を使ってマイナスを消すと仰ったところの質問

 Aの方からね。一切のマイナスはないんですよ。でも何で消さなあかんかって言ったら、今、痛みで説明してましたよね。痛みを「痛いなぁ、嫌やなぁ」要するに、自分、人類の言葉で作ったマイナスというのが溜まってるわけです。「あいつ、さぼっている」「あいつ、ずるい奴や」まぁ色々ありますけど。「お前、もっと働かないとあかんやないか」ってマイナスで責めているわけですね。自分の言葉で作ったマイナスが一杯溜っているわけです。それを消すという意味です。だから、神さまを水で説明しましたように、その言葉で作ったマイナスに水が色づきます。それ清(浄)めの第1歩ですね。後はどんどん真祈りをして、次から次に水が来たら綺麗になるじゃないですか。そういう消し方です。ただ水が染まるところが皆さん肉体で言うと、痛い。或いは、不幸な運命。或いは、病気ということになるわけです。でもそれも真祈りしたら、一瞬で消えていくんです。いいですか、今のマイナスについては。マイナスに引っかかることがあったら言って下さいね。

質問8
 入れ合い構造、禅宗の宗教の端くれなんですけど。このありがとうボランティアグループの教えをですね、お釈迦、達磨、芭蕉を尊敬しているんですけど、それとここの教えは、決して矛盾しなくて、非常に一致すると思うんですけど。芭蕉というのは、この花を見ても、月を見ても、雪を見ても、拝んで涙が出るっていう俳句を作っているんですね。これは宗教そのものです。今の俳句のもね…

 悟りの心境ですね。

質問者
 そういうことを皆さんにあれしたいし。入れ合い構造を私も解釈させて頂くとですね、形のないものと形のあるもの、言葉も形ですよね。表現というのも形です。霊というか神なるものは形がなくて、特大と極小に宿っていると、そういう解釈にできると思うんですけど、僕は自己主張しているつもりはないんですけど、本当に剣の達人で思い出したんですけど、山岡鉄舟という人は、死ぬ時に「腹痛や 苦しき中に 明けがらす」ってからすの鳴く声が聞こえると。これはもう立派な悟りの、辞世の句。

 そうですよ、「痛い」と言って文句言ってないですね、嬉しい嬉しいって

質問者
 剣の達人が痛いというのはおかしいって、一般の

 剣禅一如ですからね、もう剣と真(まこと)の神さまとは一つなんですね。禅というのはひたすら真っ直ぐに神さまだけを見つめよというのが禅という…

質問者
 お釈迦さんは、お釈迦さんと一体にならなきゃいけないし

 禅という漢字がね、単て書くじゃないですかね、神さまに単と書きますでしょう。それはひたすら真っ直ぐに、神さまを見つめよ、神さま・真(まこと)の神さまと一対一になれっていう教えなんですね。道元先生が悟っている、本来悟っている人間が、何で悟りを求めるんやっていうことをね、凄く悩まれて、禅を深められたわけですけども、その悟っているから悟りを求めるんだっていうことがすべてに尽きると道元さんは喝破されるわけですね。すべてはそこなんですね。「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」なんです。これを絶対に忘れてはダメなんです。そこを忘れてね、自分は悟ってないから祈るんだっていうのは、もう間違いですから。

質問者
 万人が救われていると

 もう既にみんな、本来完璧なすがたなんです。それが理解できる為に入れ子構造・重層構造・ところてん構造というね、光の、これは光の一大循環の相象(すがた)を端的に表した言葉なんですけども。この光の一大循環が解らないとダメなんです。光の一大循環が解ると、神はすべてのすべてであって、もうそれ以外に一切存在しないというのがね、実観(感)として解るんですよ。先ず先ず、「すべて祈っている・悟っている・救われている」っていうのをね、みんな、みんな悟っているっていうのが解ることが、もう禅の根幹なんです。道元先生が言われたことを松下先生はちょっと日本語を変えてですね、道元先生は別の言い方をされたんですね。

質問者
 先生は先生の表現ですよね。

 道元先生の言い方はあるんですけども、ここでは出す必要がないので、「既に悟っている・祈っている・救われている」とわかり易く翻訳されているので、言いますけど、禅の深さというのは凄いんですよ。禅で悟った人はたくさんおられるんですけども、中々その悟りを深められない。何でかと言うと、一般の人がね、禅というのは座らなくちゃいけないんだと、あんなしんどい事できるかと言って、近寄ってこないから。

質問者
 一生やっても悟れないかもしれない。

 いやいや、だから、そう思わせてしまったら失敗です。既に悟っているから座るんだっていう、そこだけなんですけどね。まぁそれで、先生は今、禅の形をとらずにですね、今の真祈りの形をとられて、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけでね、禅の神髄になるんだっていうことを仰られてるわけですね。よろしいでしょうか。ありがとうございます

質問者
 形のないものが神であって、勿論、形のあるものと形のないものは入れ合い構造なんですよね?

 形じゃなくて、いわゆるこのどうしてもね、理屈というか、この世の感覚で止めて見ようとするんですよ。
動いているものを止めて見ようとするの。例えば、野球のバッティング理論でもね、こう振るだけでしょう。それなのに、ただ振るだけなのに、この位置この位置と止めて見たら、何もわからない。止めて見る癖があるんですね。それが理屈なんですよ。一大循環の相象(すがた)っていうとね、なんかぐるぐる回っているだけかなぁってみんな思っているわけですけども、本当は流れで言うと、入れ子構造で、この細胞の一つの中にも大宇宙があるんです。本当にそれが実観(感)でわからなくちゃいけない。この人間の細胞一つの中に大宇宙があって、その大宇宙の中にも地球のところがあって、また人間がおってって、そういう構造が一大循環っていうんです。それがわかったら、もう盤石の支えに入れるんですよ。その一大循環の相象(すがた)をね、入れ子構造の相象(すがた)を、真(まこと)の神さまが盤石の支えで働かれている。だから真(まこと)の神さまそのものなんですけども、その盤石の支えにね、喜び勇んで自分達も参加できるようになるんです。その為にも真祈りをして下さい。そして、自分のお金と思っているものは全部神さまからの預かりものってね、財産でも何でも思い返して下さい。わざわざここに出すことはないんです。思い返すだけでいいんです。

質問者
 預かり物は生きる内に使わなくちゃいけないんだけど、活かして使うというのは難しいですね。

 だから、真祈りがあるんです。ひたすら真祈りの中から、自分の自由意思でね、自分の責任において、色んなことを自由に使って、お金を使って、やって下さい。その使い方に関して人からとやかく言われようと気にする必要はないんです。

質問者
 本心ですね。喜びの表現がね、僕の尊敬する師匠がね「尊くて、嬉しくて、有難くて」ってそういう言い方をしているんですよね。、同じことですよね?表現が多少自己流になっていいわけですよね。

 その人その人個性によった表現になります。喜び勇んでって言うのが、一言で言える言葉だと思います。
はい、ありがとうございます

質問9
 今回で平成が最後の護摩になると思うんですが、総括という部分と、あと、平成に作られた先生のご著書だとか、そういうふうな色んなものが生まれてきたものに対して、次の「令和」の時代にどう引き継いでいけばいいのか?というのをご教示いただけませんでしょうか。

 だから、平成の遺産とかね、平成でこうあったとか、過去振り返ることはもういらないんですよね。ただ先生が平成の時代に真祈りを降ろされたわけです。天の岩戸を開くというね、神聖行事というのは、そういうことだった。「神さまの神聖行事に参加しょう」と先生が言われた時に、誰も返事しなかったの。昔ね、あったんですよ。神書にもその時の文章が載っていますけども。「神さまの神聖行事、天の岩戸開きの神聖行事に参加しよう」と言われた時に、それってどうするんですか?って聞きにも来ないって先生は憮然としていたんですけどね。それくらいみんな、平成の時代は先生に頼って、甘えていたの。もうこうなったら先生が何とかしてくれるだろうと、自分ではどうしようもないばっかりを言ってね、文句を言って、してきたわけですけども。「令和」の時代は、今言ったように、真祈りの響き渡らす時代ですから、皆さんが総責任者となって、真祈りをするんですよ。そして、すべてのすべてが清(浄)めきって、光に変わっていくんです。具体的な光にね。そういう時代です。だから、平成のことはね、先生の遺された真祈りだけがあったらいいんですよ。後はもう、何も要らない。色んな真祈りがあります。祈り言葉があります。それを使ってね、皆さんの使い易い祈り言葉でやって下さい。ただ、真祈りの会をする方には、特に肝に銘じてお願いしますけども、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」というのを絶対に忘れないように。「あーこの人達迷っている」とか「おかしい」って言ったら、もう自分がおかしくなりますからね。それは自分の心であって、相手の心ではないんですよ。常に、みんな真(まこと)の神さまという大前提を崩さないで下さい。その為にも、みんな真(まこと)の神さまだから、痛みがあったって心が揺るがない。わかります?神さま以外のものを認めたら、心が揺らぐの。神さま以外のものは何かって言ったら、それは、自分の言葉で作ったものです。でも、さっきも言ったように自分で言葉で作ったものはね、炭の燃えカスのように固くなって残っているの。コールタールのようになって残っているの。それをどうして崩していくか?消していくか?そこに草薙の剣の働きがいるんです。それを真祈りといいます。天叢雲(あまのむらくも)九鬼サムハラ龍王(くきさむはらりゅうおう)の力なんですけども、真祈りなんです。だから本当にね、もう皆さんの体を使いますから、逃げれないからね。「いや、自分はちょっと」と言って逃げようと思っても、逃げれないからね。どうぞ覚悟して、真祈りに励んで下さい。お願い致します。

質問10
 体の痛みとかっていうマイナスだけじゃなくて、最近凄くゲームがやりたくなって、しかも何か殺し合いのとか、中にはそういうテレビ(サスペンスとか)が凄い見たくて、そういうマイナスを見たりやったりすることも消すことになるんですか?

 だから、それがね、一時的に自分に引き寄せて、自分が背負うということです。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」が楽やねん。ゲームしながら祈れるやろう。それで消していくんです。或いは、テレビ見ながら祈れるでしょう。映画を観ながら祈れるるじゃないですか。それでも心が揺らぐ時は、以前お話した現実無視のカギですね、十字に祈ってするのを使えば、流されずに消していけます。間違いなく大丈夫です。保証します。

質問7 Aの「令和」の「れい」が違うという質問

 「令和」の、何であの漢字を使ったかというは、真祈りということを示す為です。他の「麗しい」とかね、数字の「零」とかね、漢字の「零」ですね。霊魂の「霊」とかを使わないのは、真祈りそのものを表す言葉・漢字だからです。本来は、そういう意味の言葉だったから、「命令」とか「法令」とかね、動かしがたいものに「令」と付けるんです。

質問者
 元より日本は、大和言葉として音の響きだと思うんですが、「あ」とか「り」とか、「れい」だと「れ・い」という響きだと思うんですが、にも関わらず、あの漢字を使うことに関しての…

 「れ」は一大循環の「れ」なんですよ。れれれれれ…って流れでしょう。「い」は「いのち」の「い」です。大和言葉で説明しますと、言霊でいうとね。でも、その言霊だよということを漢字で表したら、今の漢字だということで、いいですか。他の漢字だとその言霊にならないの。麗しい、例えば「麗しい」という漢字を使えば、「れい」だけど「麗しい」という言霊になっちゃうんです。「令」というのは、一大循環のそのものを表すんでね、「令」、あの漢字なんですね。

ともかく「令和」の時代に入りましたので、本当に真祈りそのものの時代です。逆に言うと、真祈りする一番いい時期なんですね。いわゆる禅宗始まった時代というのは、暗雲ただめる戦乱の時代だったんですね。うす曇りとか土砂降りの中で、真祈りをしていた時代なんですね。真祈りがなかなか効果を発揮しない。でも今は、本当に今日のように健やかに晴れ上がった時代の真祈りなんです。ちょっと真祈りするだけで、大きく効果が出るんですよ。こんなに素晴らしい徳な時代はない。真祈りしないと損なの。だから、それを思って、少々の痛みは喜び勇んで、して下さい。それが本当の不動心です。禅宗で信長に焼き殺された方がいらっしゃるんですけども、その方は焼き殺される時に、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と言って、座禅の姿勢を崩さずに燃えていくんですね。それが本当の不動心なんですよ。それね、わかって下さい。この現世(うつしよ)の形じゃないんです。だから、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」まではいかなくていいですけれど、その方は生まれ変わってね、ベトナムでベトナム戦争に抗議して、やっぱりガソリンを被って燃やされて、お祈りの姿勢を崩さずに燃えていかれましたけども、そういう凄い方もいらっしゃいますけど、そこまではないですから、是非ね、真祈りをして下さい。お願い致します。ありがとうございます
また来月会えるのを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/6DBoucLyxRc

宇宙神ありがとうございます


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ご自分の自由意志で七難八苦を求めてこそ・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2019年04月15日(月) 14時42分
PC

 七難八苦をご自分の自由意志で、求めてこそ、真(まこと)の神さまの御心に叶うのです。
 自分だけが楽な立場に、逃げ込むのは、真の神さまの、御働きである、ひそやなかなちはやぶる働きとは正反対の立場になるのです。
 真の神さまの、御心は、常に、新たなる下座に立たれて、きつい汚い危険な立場から、すべてのすべてを支える働きをされるのです。

 お金をくれる人をいい人だと勘違いしてはいけません。
 神さまにとっていい人とは、真祈りをする人です。
 真祈りをする人とは、まことの神さまの立場に立って、すべてを支えようと祈り続ける人のことです。

 また、金品を受けるには、応供(おうぐ)できる人でなければなりません。
 応供とは、その金品にまつわる一切のマイナスを背負って消し去ることができる人のことです。

 具体的には、一瞬一瞬新たに新たに、真の神さまを受けなおして、無意識の呼吸と宇宙神ありがとうございますが混然一体となっている人にことです。

 金品とは、食事やその他の接待も含みます。他人のお金で食事をいただく厳しさを今一度覚悟しなければ、応供(おうぐ)を受けてはいけないのです。

 真祈りの会をする主催者は、そこまでの覚悟を持つ必要があるのです。

 ご自分が無意識にでも、楽な立場に立とうと思ってしまっていれば、今一度、ご自分の心を見直して、一呼吸ごとの宇宙神ありがとうございますに、突き進んでいきましょう。

 宇宙神ありがとうございます


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神社の役割は、地震鎮め・・・ by 河上彰延 2019年03月31日(日) 09時15分
PC

 神社への印可書 奉読についてのご質問ですが、・・・
 神社の役割はいろいろありますが、又、あまり明かしていけない内容もありますが、基本的には、地震鎮めが神社の存在理由です。

 しかし、神社に個人の願いを持って行くひとが大半でありますので、その、個人の神さまを信じない(神さまに願い事しないと、神さまは何もおわかりにならないと神さまの力を否定し、又、なおかつ、神さまに自分の願い事を実現させよと傲慢にも命令している)傲慢な思いで汚れていますから、その汚れを祓うためにも、印可書奉読が必要になってくるのであります。

 この真祈りの秘奥義を伝授するための印可書は、ありがとうございますと宇宙神ありがとうございますの秘奥義が詳細に書かれていますので、素直にたんたんと心の中で奉読しますと、汚れが祓われ、さらには、絶対の中心の真(まこと)の世界と改めて直結しますので、神社の格が上がるのです。

 具体的には、神社の働きが強くなるのです。

 ありがとうございますを感謝と誤解している人が未だに多い中、その、ありがとうございますの本来の秘奥義を奉読するだけで体得できるのが印可書なのです。

 ご質問は、神社で印可書を読ませていただいてるのですが、感謝の心でいいのでしょうか?・・・とのことですが、感謝の心にも、いろいろの段階がありまして、最初は、物や何かの恩義をもらって、ありがとうございますというギブアンドテイクの、感謝であります。

 これを卒業して、何があっても、すべていいようになっているとの、受けの達人のありがとうございますの感謝であります。

 これをさらに卒業して、一切を求めずに与えきりに与え尽くす心の、与えきりのありがとうございますという感謝であります。

 ここまでが、虚の世界での、つまり、因縁因果の輪廻転生の渦に巻き込まれたままの、ありがとうございますでありまして、これからが、本義のありがとうございますにはいるのです、

 自分という意識が消えてすべてを支えようと思いで唱えるのが本義のありがとうございますでありまして、この奥に、真(まこと)の神さまが通り抜けてすべてのすべてに支える、秘義のありがとうございますがありまして、さらにその奥に、入れ子構造重層構造ところてん構造を実感してとなえるありがとうございます宇宙神ありがとうございますという、真(まこと)の神さまをすべてのすべてに立っていただくという支え方をする秘奥義のありがとうございますがあるのであります。

 この秘奥義のありがとうございますを、具体的に説明し、響かせているんが、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書でありまして、一切の自分の願い、希望、欲望をいったん横においておいて、ひたすらにたんんたんと奉読するとき、真(まこと)の神さまの御働きがすべてのすべてに降り立つのであります。

 以上でありますので、神社にお参りして、印可書を奉読したいと思われましたら、たんんたんと奉読するとき、本来の働きが発動して、真(まこと)の神さまがすべてのすべてに降り立たれるのであります。

 宇宙神ありがとうございます


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病気や苦痛はこれだけ何億分の一にして消したよという確認・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2019年03月29日(金) 11時39分
PC

病気にや苦痛に、ついてのご質問がたくさん来ているのですが・・・・・

 病気の姿は、何億分の一に消し去った時に、ご本人に、これだけ、消し去ったよ・・という確認で現れる須賀田(すがた→相象)なのです。
 でも、なんで、いつまでも、続くの?・・・・なんですが、たとえ、虚栄心であっても、悟りという真(まこと)の本心の自分を探し求めて、本心の自分に戻りたいと願った人,あるいは、私は真祈りの伝授が終わって、真祈りができると、心の中であっても宣言した人は、真(まこと)の神さまと同じ救いの立場という真の神さまを与えきりに与えつくす、絶対の支え合いの立場に立つのです。

 それは、本人が自覚するしないにかかわらずです。それを、別の言葉で言えば、十字架にかかるともいいます。

 つまり、一切の何で?は、なくなり、ただただ、どんな痛みがあろうとも、無条件の幸せ、無条件の喜びが、あるだけ、湧き上がるだけ・・と覚悟して、ただただひたすらに、ありがとうございます、ありがとうございます 宇宙神ありがとうございますとなるのです。

 そこで、少しでも、何で?・・と思ったら、十字架での、苦しみを感じることになって、大変、肉体的に苦しいことになるのです。

 これは、どんな宗教に属していても逃げることができない現象でありまして、自分は真祈りができると思った瞬間から始まることなのです。

 その始まりのスタートは、今年の春分の日でありまして、2月の護摩でのお話の折に今年からいよいよ始まりますと言った神意なのであります。

 また、素直にたんたんと呼吸に宇宙神ありがとうございますと込められてきた方々は、真(まこと)の神さまが、その人の、神さまにどうぞおつかいください。と投げ出した分だけ、降り立って使ってくださるので、十字架に上ることまく、ゆうゆうと真祈りできますので、楽に神さまのお手伝いができるのです。

 その違いは何か?と申しますと、虚栄心であっても、真(まこと)の神さまと不離一体という悟りを得たいと、宣言されたら、その虚栄心ごと消し去ってしまおうと強い光を当てますので、少しでもその苦しみを少なくするように、十字架に上るという行為をされて、消し去るからです。
 もちろん、この現世での生死は問いません。なぜなら、たとえ、この現世で100年生きようとも、因縁因果の浮き沈みに流されて、輪廻転生の渦で苦しむよりは、真(まこと)の神さまと不離一体を自覚して、前述の無条件の喜び無条件の幸せを体得するほうが、魂にとって、最高の幸せであるからです。

 どうかみなざま、素直に淡々とご自分の自由意志で、呼吸に宇宙神ありがとうございますと込め続けていかれますように・・・。

 伏してお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・ by 河上彰延 2019年03月24日(日) 01時48分
PC

3月護摩焚き 河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

2019年3月3日護摩焚き 河上さんのお話

質問@
 呼吸に「宇宙神ありがとうございます」は小声でまたは口パクで唱えてもいいのでしょうか?それと伝授の期間中だと感じますが、大おまけは、いつまで大丈夫なのでしょうか?

 ありがとうございます
また皆さんとお会いできて嬉しく思います。

今の呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠める籠め方ですけど、これは自由自在にね、やりやすいようにやって頂いたらいいと思います。ただ満員電車の中とかね。人混みで声出してやると、ちょっとこの人おかしいと思われるんで、そのへんは場所を考えてやって頂いたらいいと思います。質問が終わってから、真祈りの伝授の期間とかいうのは、またお話しますので、質問先にお願いします。

質問A
 私のような勉強会やまだ護摩にも参加していない者でも大丈夫なのか教えて頂きますと幸いです。

 真祈りは、時間・空間を超えるんですね。だから「真祈りをしたい」「しよう」と思った時から既にもう悟ってる・救われてる・祈っているなんですね。だから、古い新しいは関係ない。今、来た人と、僕のように54年前に来た人とは同じです。時間的には関係ありません。

質問B
神さまから見たら、虚の世界はマイナスなのでしょうか?真祈り人が増えることによって、神さまの理想とする世界になるのですか?それは、どのような世界ですか?

 これ凄くいい質問なんですね。物質なし、現象なしどうこうっていう、理屈言いの人から見ると、この現世が必要なのか必要でないのかっていうことなんですけども。この現世はね、マイナスではないんです、神さまからみたら。全部プラスです。それはわかって下さい。どういう意味かと言うと、例えばね、この現世の人でも、映画を作る、或はお芝居をつくるとするじゃないですか。シナリオを書いて、映画で色んな着飾って表現してね、或は宝塚のレビューって言うんですか、あるじゃないですか、色んなことがね。それ全部、悲喜劇、色んなプラスやマイナスを織り交ぜて楽しんで終わるじゃないですか。映画でも最後がハッピーエンド終わるのもあれば、終わらないものもありますけど、すべて表現であって、実体ではないんですね。でも、白いキャンパスに絵を描いて楽しんでいるようなものなんですよ。でもそれはマイナスじゃないんです。楽しんでいるんです。だから絵でも色々ありますよね、美しい絵、楽しい絵、怖い絵、寂しい絵ってね、色々ありますけど、それは全部表現を楽しんだだけ。楽しんだ後は「ああ、寂しかったなぁ」「ああ、怖かったなぁ」「ああ嬉しかったなぁ」「ああ、良かったなぁ」だけでいいんですよね。たったそれだけなんです。だから、この現世はプラスとマイナスが拮抗して同時に存在しますので、色んな表現がとれるわけですね。最後は、そのプラスとマイナスが全部一つになって、ゼロになって、泡のように消え去るんです。その最後の消え去るところだけを掴むと、この世はない、物質ない、現象なしって、こう言うちゃうんですね。でもその途中は、表現を楽しんでいるから、あるとかないとかじゃなくて、楽しんでるんです。それね、この世でもそうですけど、永遠のものってないでしょう。例えば、ギターで音楽を奏でる。それ弦をつまんで弾いた時だけ音が出て、後は音が消えていくじゃないですか。この現世といえども、消えていくものなんですよ。それを一瞬一瞬、新たに受け直して表現しているだけ。分かります?だから本当にね、波を楽しんでいるんですよ。川の流れで例えると、川の表面の色んなこう、波立つ姿を見て楽しんでいるんです。或は、静かな池の表面を見て楽しんでいる。ただそれだけで、その池といえども流れてるんですけどね。川なんか分かり易いですけど、もっと流れているわけですね。流れ去っていくものを掴むこともないし、惜しむこともないし、どんどん上から流れてくるものを新たに受けて、その川の表面の流れを楽しんでいるだけっていうのが、この現世なんですね。それはいいとか悪いじゃなくて、楽しんでいるんですよ。それを分かればね、真祈りが楽になるんです。ちょっと難しいかもしれませんけど、本当にね、理屈言いはね、物質なし、現象なしって言うわけですよね。現実無視って言うわけですね。それ、理屈ではそうだけど、じゃあ何で現象があるように感じるの?ていうことなんですよ。そう言われるとみんな答えれない。何故か?それは、この現象の波をね、楽しむために来ているから、あるとかないじゃないです。楽しむために来ているだけなんですね。だから、あるとかないとかの理屈を言い出すと分らなくなる。その楽しむためだけに来てるというのが、よく分かるのが真祈りなんです。真祈りすると、この世はこのままで完全円満完璧大調和であると分かる。完全円満完璧大調和であるけど、あるとかないとかじゃないんです。楽しんでいるんです。映画がそうでしょう。観に行った時は、さもそこにそういうストーリーあるようにして楽しむけど、映画館から出たら忘れるじゃないですか。だからといって、映画はないのかって言ったら、あるじゃないですか。楽しむためにあるじゃないですか。そういう感じなんですね。だから、如何(いかに)に掴まずに喜び続けれるか、だけなんです。

質問C
 護摩焚きの時に一杯の縁者とは誰のことですか?自分だとわかるのですが、詳しく教えて下さい。

護摩焚きの時に来られる方というのは、自分のお祖父さん、お祖母さん、曾祖父さん、曾祖母さんだと思って下さい。それがずーっと続くんですけども。この世っていうのは、この世っていうより、この神さまの世界、神さまのいのちの表れの世界っていうのは、この世もすべてそうなんですけども、全部、重層構造・入れ子構造であって、ところてん構造。つまり切るに切れない。ずーっと繋がっているんですね。だから今、ここに一人の皆さんの肉体がいらっしゃるけども、その後ろには何十億人という縁(えにし)ある人がずーっと繋がってるんです。だから肉体として表現できるんですね。そういう意味です。だから自分の意識では誰もまだ認識できなくても、ずーっと繋がっている、いのちそのものの、すべてのすべてと思って下さい。

質問D
 護摩木を書く時に重くなってくるとお聞きしたのですが、どうすればいいですか?

 真祈りすればいいんです。護摩木を書く時に一時的に、こう熱が出たりする人があるんですね。先生がいらっしゃる頃に宇宙船護摩木の登録をして頂いたわけですけども、登録を外してほしいと、しんどいからっていうお話もあったくらいなんですね。
でもそれね、真祈りしてたら、すーっと消えていくものばっかりですのでね。逆に言うと、この七難八苦があった方が大きく消えて良かったと思えれば、もっといいです。そういうものなんですね。だから、この世が楽だから幸せじゃないんですよ。逆に言うと、熱が出るから幸せでもないんです。何があっても幸せ。それを無条件の幸せって言うんです。真祈りしていると、その無条件の幸せが実観(感)できるんですね。だから、痛かろうが熱かろうが、或は楽で幸せであっても、クーラーの部屋で涼しくて気持ちがいいとかね。ストーブがきいてて暖かくて気持ちがいい、とても幸せだし、或は寒い寒い中でバスを待っていても幸せだしみたいなね、そういう感じになるんです。だから、先ず真祈り。自分と神さまと一つに繋ぐだけ。本来一つの自分を自覚するだけなんですけど。先ず真祈りだと思って下さい。何があっても、先ず真祈りなんです。真祈りが最強なんですよ。だから、本当に極端な話で言うとね、パーンと自動車に撥ねられてね、重傷を負って、どんどん出血多量で死んでいくという時に、真祈りしたら幸せなんです。もうこの現世の姿はすべて一番いいような形で出ますから、そのプラス・マイナスの表現で言うとね、「ああ、可哀想だ」ってなるんですけど、その人にとって一番いい、一番いい形が常に出てますので、先ず真祈り最強だと思って下さい。真祈りしながら、極端に言えば、餓死することがあっても「良かった」なんですね。それは、もう色んな過去世からのすべての繋がりの中で、一番いいように神さまがいつもされてます。でも真祈りし続けていれば、できるだけマイナスにならずにどんどん消えるんですよ。形に表さずに消えるんです。だから、護摩木で、ちょっと護摩木を書いてちょっとしんどいぐらいはね、凄く大きく、小さい形に、大きな姿で消して頂いているということだと思って、ある意味頑張って書いて下さい。お願い致します。

質問E
 亡くなった母と最後まで心が通じ合わなくて、今でもわだかまりがあるのですが、これはどうしてですか?

 これはね、今のケースなんかは凄く楽なケースなんですね。親子で生まれて、子供を売りとばすっていう家が昔あったし、今でも地球の片隅ではあるわけですけど。それでも先生は、幸せ一杯だと仰るんです。それ何故かって言うとね、過去世で自分が売りとばしてきてるんですね。それを今生でまた売りとばし返すんですけども、真祈りしてないとそういう形で消すしかないんでね、なるんですよ。真祈りしてたから、通じ合わないくらいで済んだんです。とういう感じになっているんですね。常に、常に、一番いい形に神さまはおさめてるんですよ。だから、今は親子の繋がらない意識というお話ですけど、一般の人のほとんどの場合は、地球と意識が繋がらなくなる。地球霊王さまと意識が繋がらなくなると、大地震が起こるんです。でも、それも大地震という形で小さく消して下さっている地球霊王さまの愛なんですね。で、皆さんが真祈りして頂くと、地球霊王さまと心が通じるので、それで大震災も起こらないんですけどね。大きく言えばそういうことです。小さく言えば、そういう親子の関係でも、そういうふうになると。でも、それも一番いい形だったんだと思って下さい。

質問が以上ということなので、今日はね、いわゆる、護摩会場でしか真祈りの伝授ができないのは、もっと詳しく説明してくれという質問がきているし、先生からも、もっとわかり易く言えということなので、もう少しわかり易く言います。

「宇宙神ありがとうございます」って祈るじゃないですか。これね、まだ皆さんは、自分一人が祈っていると思っているんですね。これ肉体人間の癖だから、それ仕方ないんですよ。ところが、この護摩の会場に来てね、「宇宙神ありがとうございます」とみんなと一緒に祈る時は、自分では肉体意識で、肉体、自分一人が祈っていると思ってますけども、この会場全体のみんなが一緒に祈っている祈りになるんです。それ逆に言うと、自分が祈ってるのか、みんなが祈っているのかが融合一体化してわからなくなるんですよ。自覚するしないじゃないですよ。この会場ではそうなる。それが、もっとこの会場が拡がってね、この木の祈り、空気の祈り、水の祈り、全部「宇宙神ありがとうございます」なんですけど、みんなもうこの大地の祈りが全部ね、融合一体化するのが、この護摩の場なんです。そこで融合一体化するのが、真祈りなんですよ。わかります?

すべては完璧なる一つって、真(まこと)の神さまだけなんですね。だから「宇宙神ありがとうございます」って祈ると、全部が祈っているのがわかるし、或は実観(感)なんですよ。その実観(感)なしにその体験ができるのは、この護摩の会場なんです。だから、この護摩の会場に来れば、宇宙一体となった、本当の真祈りが体験できるわけです。で、その体験ができるから、真祈りの伝授ができるんです。真祈りとは何か?
宇宙全体すべてが一つになって「宇宙神ありがとうございます」って祈っているというのを実観(感)して解ることが真祈りなんです。その実観(感)がなくてもここにいてたら、それが体験できるんです。体験できると、真祈りの伝授ができて、自然に実観(感)が後からついてくるんです。だから、この会場に来て頂かないと真祈りの伝授ができないんですよ。

 僕が約50年程前ですけども、先生から真祈りの伝授頂きましたけど、その時は本当にね、喘息で呼吸困難で、もう死にかけていたんですね。その死にかけていても、もう止まりそうな心臓のままでですね、先生のところまで行って、自分はとても真祈りができなくて先生の足を引っ張るだけだからって謝ってですね。もう先生のところに来て邪魔しないようにしますって言うたら、そういう謝り方をしに行ったんですね。で、その時に先生が「アハハ」って笑いとばしてね。「河上さんの本心は祈っているやないか」って仰って、それでハッと解るんですけど、解るのは何でかっていうと、いのち、肉体のいのちが消えかかっていたからです。それって死ぬ時に、なんて言うんですか、真祈りの伝授がおこなわれ易いわけですね。それではみんな死ぬ時しか解らない。それはいかんということで、この護摩を先生が始められたわけです。
護摩の時は、ある意味みんな肉体を死に切っているわけです。死に切って神さまと一つになっている。だから、真祈りの伝授を受けれるんです。だから頑張ってね、親の死に目以外は護摩に行くんだ!ぐらいの気迫をもってきて下さい。
本当にいつまでこれを続けれるかわかりませんけども。

そして、おまけがいつまでかということなんでね。本当はここでお話させてもらってちょうど今、1年目なんですね。本当のことを言いますと、先生との約束は3ケ月だったんですよ。だから6月位だったんです。それが8月までってなって、12月までとなって、この丸1年目の今日までだったんですね。今日になって、急にまた先生の方から「後2年」って仰いましたので、後2年あります。後2年のうちにね。この2年間は本当に、今年入れると後3年ですよね。この3年間というのは本当に大変でね、世界的にも色んな事起こります。
起こる時にその状況に心を入れて、不安がらずに、いつも一番良いようになってるんだって、真祈りに努めて下さい。

今までは「真祈りってどうするの?」「私できないわー」っていうことがあったわけですけど、1年前の今日から、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せるだけで真祈りと同じにするからねっていう先生からのおまけだったわけですよね。このおまけを最大限に活用して、ひたすら呼吸に乗せていって下さい。すると、世界の情勢が日本の国の心としてプラスに移りますので、どんどん良いように変わります。だから、心を揺るがさずにね。

ただ、この3年の間には、日本で色々と大震災はどうしても止めれません。それ何で止まらないか?止めていいものは止めてこいということで止めに行ってます。正直に言いますと。ただ止めてはいけないのが、これからくるんですよ。それ何でかと言うと、それがないと世界が納得しないみたいなとこがあります。でもそれは、その場に来ないと分らないのでね。
ただ、日本で何が起こっても、例えば、まぁ極端だけど、それははないですけど、富士山が噴火してもですね、心を揺るがさずに、真祈りをして下さい。それができる真祈り人が頼りです。先生があてにしていらっしゃっているので、よろしくお願いします。
また来月お会いできることを楽しみにしています。

ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/wKN5qYgk_yw

宇宙神ありがとうございます


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