雑念があるままで
雑念というか、いろんな思いが、湧いてくる状態でも、お清めの働きができているのか? ・・・という、印可書の奉読についての、ご相談ですが、印可書の奉読は、本来、雑念が湧くものなのです。なぜなら、本来、真の神さまそのものであられる皆さまが、この、現世(うつしよ)という、世界のゲームに参加しようと思うと、色んな、性欲や、食欲や、虚栄心等々の、自分と他人を分け隔てて、比較して、優劣を感じることで、勝った負けたという、ルールを、喜びにすると、決めて来ているからです。
そのために、色んな、小さい心を持つことによって、勝った、負けた、と感じて、競い合って楽しんでいるのです。 この本来、無限の無限のという、一大循環の相象の心という、これを、本心といいますが、本心を分割して、小さい心になって降りてきたから、楽しいのです。 楽しすぎて、帰れなくなった状態を、因縁因果の輪に、ハマった。と申します。(笑い)
そして、印可書の奉読を行いますと、本来の一大循環の相象の心という本心の心に、戻ることができますので、その、無限の無限の大きい本心の心と比較したとき、いろんな雑念という形で、心に去来し、苦しみと感じるのであります。
しかし、真の神さまの大愛は、この、雑念の去来の状態を利用して、すべての、すべてに、お清めの働きとして、使ってくださるのであります。
たとえば、あの人より、自分のほうが、上であると、思ってくださる心を利用して、神さまは、その分け隔てた心を利用して、耳かきの働きとして、すべてのすべてをお清めしてくださるのです。 具体的には、河上より、自分の方が上であると思っていただくと、思った方々の、住んでおられる世界のお清めの担当となり、その地域の、いろんな、霊魂の身代わりとなって、真祈りというお清めの担当となるのであります。 急に体が重くなった、急に背中になにか、重い板がはりついた感じがする、急に無気力になって、なにもする気にならない・・・等々の症状となってあらわれましたら、甘い物やたばこやお酒に逃げずに、ひたすらに、印可書の奉読をされますようにお願い申し上げます。
宇宙神ありがとうございます
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