令和4年5月河上さん勉強会−1(20220508−1)
質問者:1個は預かってきたので、1個め。原文のまま読みます。 暗黙の6日間の後はどうなるのかな?なぜ、6日間なの?地球がなくなるまで6日間だけ地球が生きているの? ここまでが原文です。月が入れ替わる時間という事ですか?
河上さん:いや、空間がね。要するに、映画館、新しい映画館、古い映画館あるでしょ?で古い映画館を解体して更地に戻すと。で新しい映画館建てましたと。そう移動する時間みたいなものやね、移動する途中の空間が暗黒の6日間なの、移動という表現もちょっと違うねんけど、はい。
質問者:2つ目、携帯です。 先月村で携帯がつながらなくなりました。最初ちょっと電波の調子が悪いだけだと思っておりましたが、今までつながった場所に行ってもやっぱり繋がりません。ひょっとして今後こういうことがある?
河上さん:しょっ中起こります。 あります。はい。
質問者:ありがとうございます。以上です。
河上さん:この世の全てはね、全て電気で出来ているんですよ。だから細胞も遺伝子も何もかも、その最後の原子、分子、原子、原子核で、クオークでだんだん小さくなっていくんですけど、どの存在も電気で出来ている。その電気のことを人類は分かっていないだけです。分からずに使っているだけです。
その電気の使い方を間違うと、空間が潰れるのです。それを数式で表したってね、「何でいちいち考えるな」とかね、「理屈言うな」と言うと、例えば三角関数ひとつ、分からないわけでしょう。三角関数一つ分からない状態の頭で何考えたってそれは無理です。数式にきれいに表せるんだけど、その数式を見せて貰たってわからない、でも分からなくても、神さまの命を受けてね、表現を楽しんで生きるわけですよ。だから考えずにただただ喜んで喜び勇んでね、神さまの光を素直に受けていれば良い。
ところが人間はその神さまの無色透明の輝きだと、なんか飽きてくるのね、無色透明というのは。まあいつも先生のおっしゃるね、「こんなに美味しい水があるのにね、何で色のついた味のついたものを、水をわざわざお金を出して買うんや」って、とおっしゃるような感じよ。先生だったら水だけで十分満足できるのに、みんなね、あのコーラとかジュースとかサイダーとか色々コーヒーとかあるんでしょう。味のついたものをお金出して買うわけ。そういう感じで無色透明の輝きを楽しんでいれば良いのに、色んな思いで色付けして、やはりあの自分なりの楽しみ方をするわけでそのす。
それは服を着るのがそうでしでしょ。まあみんな同じような服を着ていても良いんだけれども、色々とデザインも変え色も変えて楽しむわけじゃない。そういう感じで、この皆さんお一人お一人自分の世界を作って、この世でお互いの世界を写し合いして楽しんでいます。それぞれ自分の世界だけど、自分はこういう表現をしているのは、まあ言ったら服を見せあっているようなもの。それを自分の人生というスクリーンをお互い見せ合って重ねてね、それでお互いに影響しあって遊んでいるっていうのが今の現世です。
そこで遊んでいるってわかっているうちは良いんだけど、それが遊びでなくて苦しみになるのね。「あの人だけ良いめしてずるい」とかね、すると因縁因果という波に飲み込まれて 抜けれなくなるわけです。映画館から出れない状態ですね。
全然出れなくなってしまうと、要するに自分でわざとマイナスを作って楽しんでいるわけですよ。意味をつけてね。あなたは男よ、今回は男ですよとか、女ですよとか、あなたは奴隷役とか、あなたは王様役よとか、色々ありますけれども、あなたは今回は音楽家よとかね、そうして楽しんでいたはずが、例えば音楽家で今回楽しもうとしているのにうまく演奏できない、うまく歌えない言うて、苦しんでいるわけ、苦しみ出すと 「今生ではあかんかったけどまた生まれ変わってもっと歌を上手くなろうろう、もっと楽器をギターを来世に生まれ変わったら上手くなろう」とかね、そういうふうに思い出すと因縁因果の波に はまっちゃって抜けれないんですね。
そうして積み重ねたマイナスが溜まりに溜まって、もう身動き取れなくなる。自分の力、自分ではどうしようもなくなると、神さまの方は本来は人間の自由意志を尊重されますので、全部まかせっきりなんだけれども、もう身動き取れない、どうしようもないから、ちょっと強制的に引っ張り上げてくださる、救い上げてくださる、というのがこの前の護摩でお話しした状態です。
で、この現世の根本的な原理は、天照大御神さまの最末端の表現である太陽のエネルギーをお月様が受けて、でお月様が、この昔でいう映画で言うと映写機ですね、映写機の光源の役割をして下さいます。そのお月様のエネルギーを受けて、この地球のみんなお一人お一人がお創りになる世界を形作って楽しんでいます。それが根本的なこの世の秘密なんですね。
それをみんなマイナスを重ねてしまってね、身動き取れへんどうしようもないやないかという事で、一旦映画館、この古びたみんなが汚してしまってボロボロにしてしまった映画館なんですけれども、それを一旦取り壊そうということですね。そうなると太陽の方は科学的に言うと黒点を一杯増やして黒くなるんです、暗くなるんじゃなくて、黒くするんですね。要するに エネルギーの照射の内容をちょっと変えるということです。
今でも黒点が増えると電磁波嵐がおこったり 、電気的に色々な影響があるんですけれども、それがもう全面的に最後は黒点になります。すると月が自動的に薄赤くなるのね、太陽の光が暗くなるから。月が薄赤くなった時が、その時はもう万事休す、人間の方ではできないから神さまの方でしてくださるということです。そういう状態でアトランティスが沈んだりムーが沈んだりしたわけですけれども、今回はもうこの虚の世界の全大宇宙を入れ替える、ということでなってしまいます。本来は人間の(眞祈りの働きという)力でしたいんですけれどもね。
もうちょっと時間切れでまだ、まだ大丈夫ですよ。もしそうなった時に皆が慌てないように、心を乱さないようにということで言いました。
太陽じゃなくて、その今の地球上を映写しているお月様の役目が終わったので、新しい映画館用の映写機ですね、新しいお月様を出してくるわけです、神さまは。
(現象的には)一時的に月が二つになるんですよ。だってどっちか片方にしたらみんな居場所がなくなって困るじゃないですか。新しい月と古い月を入れ替えるその入れ替える一瞬がね、6日間の状態になるわけです。でそれは最後の神さまの愛で人間の方で少しでも神さまに全部任せるという気持ち、「今が一番良いようになっている」っていう気持ちを起こしてもらいたいがための、最後の神さまの大おまけです。
その6日間暗黒の6日間の時に、思いのある人は何も見えないの。本当に一寸先も見えないの。でも真祈り人はね、その真祈りの程度に応じて光る輝きが出るわけです。何で程度によって色々な種類があるかと言うとまぶし過ぎても来れない人があるわけね。だからそれぞれの人の縁に合った光をそれぞれ出してい頂いて、それぞれの縁ある人を連れてきて欲しいわけです。その6日間に入るとみんな「今が一番良いようになっている」と思えない、思えないからそうなっちゃったんだけど、真っ黒になってね、手探り、本当にもう鼻つままれても分からない、本当に真っ暗ですから、もう不安とかそんなんと違ってもうただただ怖いだけです。
恐怖感だけです。そんな時に真祈り人の光を見てですね、灯台を見て「七つの灯台の点灯者の神示」ていうのが聖書にあるわけですけれども、そういう感じでみなさんが「七つの灯台」となって頂く。
「七つの灯台」というのは「完成された全ての光」という意味ですけれども、七つの灯台になってい頂いて、光をその灯台を目当てにみんなついてきてくれるわけです。「何かわからんで良いからついて来いや」と言って連れて来て下さい。どこに行ったら良いかは、印可書を奉読さえしておれば自然に集まれますから、そして集まって新しい映画館に入る、それだけのことです。
ただ真祈り人までがね、「真っ黒なって、お月さん真っ赤になってどうしよう?太陽黒くなってどうしよう?」とかね、狼狽えて(おびえて)もらうと(不安になってもらうと)困るので(先に言っています。説明しています。)。
(どのような状態になろうともね)悠々と感謝して、いつも言うようにね、神さまが一番良いようにしてるって事です。一番良いようにしてる中で、人類の自由意志に一番沿った状態で、一番良いようにいつも神さまはしてくださるわけです。で、それがいよいよ切羽詰まってどうしようもなくなると、今言ったような一番最後の状態になるわけです。
その一番最後の状態というのは、今までに体験したことのないことですから、やっぱり怖いよね、初めてのことだから。でその時に真祈り人こそがね、太陽が暗くなっても、月が真っ赤になっても、なんか知らんけど新しい大きいお月さん出てきても、「良いようになっているんだよ」ってということで、悠々と印可書を奉読していただくとね、それが神さまの愛の光となって、みんな安心してそれについていきます。
それはほら小っちゃい子がね、道に迷って、「お母ちゃんお母ちゃん」って言ってね、やっとお母ちゃん見つけてね、お母ちゃんのスカートのその裾を掴んでね、ついてくる、そういう感じです。だからそういう風にね、ならないようにしたいですけれどもね、もしなってもちょっと、本当時間切れでかなり際どくなってきたので一応予備知識として持ってて下さい。
でもそれまでの間にね、色んな人が色んなことをして下さいます。それはどういうことかというと、やはり皆十字架にかかっていってくださる。最後の時というのはイエスが一人、十字架にかかるのではなく、みんなが十字架を背負うのです。
だから具体的に言うと相手の自由意志を縛るというのは相手のマイナスを自分が十字架となって背負ってあげるということです。それをやっぱり無意識にやってしまうのね。
こうしたらあかんとかね、あんたこうした方が良いとか、いらんこと言うてしまうね。特に仕事の上で先輩とかね、会社の上役とかなると余計やん。いらんことを言って相手のを 背負ってあげるわけですよ。そういうイエスキリストとしての働きを自覚せずにしてくれるから、今回はなんとかなると思っていますけれどもね。その日本自体がそういう十字架としての役割をします。
だからこれから本当に向こうはね、「たまたま事故や、たまたま撃ったらミサイルが間違って日本に落ちたんや、本当は海に落とすつもりやったのが、なんか日本に落ちたんや、で、それがたまたま何か核弾頭ついていたんや、ごめんな」っていう感じのことかですね、色々あります。「たまたまちょっと、船がね、道間違ってこの港に上がってしまったから、悪いけどちょっと上がらせてもらうわ」とかね、そういう「たまたま偶然悪いけどなったからすまんな、(しかたないから)もうこうするわ」みたいなという感じのことが色々起こりますけれども、いつも言うように「神さまは一番良いようににしている」という絶対の信だけを持っていてもらえれば(おさまって)治っていきます。
これは。長脛彦(ながすねひこ)さんの時代もそうだったわけです。もう本当にどんどん攻めてくるし、長年住み慣れたところを「立ち退け」と言われてね、「何でわしらがどかなあかんねん、平和に仲良くしよう」と言ってるのにね「一緒に仲良く一緒に暮らそうや」と言ってるのに、「なんでわしらがどいてあいつらが ここ住むねん」、みたいな感じでなるんですけれども、もう真祈りだけ、真祈りだけということでね、現実はどうなっても一番良いようになってるからという長脛彦さんの教えがあって、愛があって、全てを一つに包んでいくんです。もちろん包む過程において10年20年50年というね、色んなあるわけですけれども、それが神話となってですね、うさぎさんの話とかね、色んな形で、あるいは剣をね、偽物の剣と本物の剣を入れ替えてどうこうしたとかね、色々な形で。あるいは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から剣が出てきたとかね、色々な形を変えてそれも大きな争いの話にせずに良い話として残しているのは真祈りのおかげです。
海外の神話だと戦争叙述史から始まるんですね。それは戦争によってその国が成り立ったからです。日本は真祈りによって成り立っていますから、神話でもその本当は凄い喧嘩になったんだけれども、喧嘩にならないような、例えば最近で言うと西南戦争でね、そのもの凄いことがあったわけですけれど、本当だったらあれでもう、恨みつらみでズーっと争いごとが続くのがね、西郷先生が一人自害することによって、全部一人で十字架を背負われて全部消されて、あれで治ってしまうみたいなね、日本は真祈りが基本です。
真祈りというのは、結果にイエスのように十字架にかかってしまう、死ぬ形になっても失敗ではない。これを覚えておいて下さい。
あの人印可書を奉読していて真祈り人だったのにあんな目にあってというのは勘違いです。大きな十字架を背負って消されていっただけです。それは一番最近の戦争で言うと、特攻隊の方々がね、行かれることによって、大きく清めていかれるわけですけれども、そういう感じです。
だから特攻隊は形の上で見れば、犬死にであるわけですけれども、そのおかげで、例えば沖縄に特攻が行かれる、その沖縄に特攻している間は、地上軍アメリカ軍はその特攻機だけに精一杯になってね、というのは海軍の援護射撃があってはじめて地上軍が進めるわけですよ、でも特攻機が来たらそれに手一杯になって海軍が援護射撃できない、艦砲射撃できないから、その間地上軍が止まるんですね。
その間に沖縄の一般の人がたくさん逃げて、あの命が助かったという形になるわけですね、実際のことを言えばね。
でもそういうことを知らない人はやっぱり犬死だとか、形の結果だけを見てね、結果だけを見たら犬死になっても、大きな十字架を背負った大きくマイナスを消す形なんです。
例えば西郷さんでも、別にあそこで自害する必要はなかったわけです。でもそこで自害をすることによって全てを消し去っていくというね、もうそういうことだけです。
だからこの世的にはどういう自分にとってね、どういう運命になろうとも、例えばお釈迦様のお弟子の目蓮(もくれん)さんという方がいらっしゃって、本当に神通力が全てという方でね、お釈迦様よりも神通力があったわけですね。
その神通自在の方が最後は首をはねられて死ぬという形を選ばれるわけです。それが一番良い形で大きく消せるというのが分かっているからです。あるいは釈迦族がほとんど滅ぼされる形になるんですけれども、お釈迦様はただ祈っているだけでね、何もされなかったわけですね。何もされなかった訳でなく、祈っておられた訳で、一番真祈りされたわけですけれどもね。この世的には何もされなかったから、釈迦族はほとんど滅びるわけですけれども、その当時の人類のマイナスを釈迦族の全ての人に背負わせて消されたわけです。
で、今回も同じで、いよいよ今回は本当に最後なので、真祈り人の双肩に全てはかかっています。ただ1番良い形にね、持っていきたいから今からどんどん 印可書を奉読してい頂いて人類の潜在意識に、印可書を流し込んでしまえばね、そういう暗黒の6日間なんておこらずに、要するに人類の方が真祈りをして、きれいにするから映画館も建て替えなくてもね、今の映画館で綺麗に出来るわけです。建て替えない時は6日間はないわけです。
神さまの方は「建て替える」って言えば一瞬やからね、建て替えないと言ったら、今人類の方で、今のこの映画館を綺麗にしたら良いだけ、お掃除したら良いだけ、なんですよ。
でも人類の手でお掃除できない、もういよいよどうしようもない、ってなったら建て替えるとなるだけです。第2の月が現れないようにしたいだけです。
今回のこの連休の間もね、黒点の数が増えてね、もうどうしようかっていう感じだったんですけれども、太陽風が地球の方にむかって吹かなかったんですよ。他に向いて吹きました。だから地球は大丈夫でしたけれども本当にまともに太陽風が来たら、もう電気が全部駄目になって、本当に携帯も通じないから、大混乱で凄いことになったんですけれども、何とか何とかなりました。皆さんの真祈りのおかげです。印可書奉読のおかげです。護摩のお蔭です。もう護摩木を書いて頂くのがね、本当に凄い力になっているのね、分かっていて下さい。
本当に今もまだ明日、明後日がちょっときわどいですけれども、なんとかなると思っています。それで仮に大きな地震が起こってもね、一番良い形になっていますから、それを心を動かさないことをお願いします。次の質問があれば。
宮野さん:最初の冒頭のところで仕事をしている時に、「こうせなあかん」「ああせなあかん」ということで相手のマイナスを背負う、相手の自由意志を縛るっていうところでなんですけれども、という仕事のことということですけれども、これじゃなくて、例えば真祈りとか印可書とかそういう事、
河上さん:そうです。今までの宗教団体がね、なんで年数がたって崩れていくかと言うと宗教団体の古い先達やね、先輩、大体今の宗教団体というのは年数で誇るわけですよ、悟りの状態とか、心境の状態とかでなく年数で誇って、古い人が新しい人に「こうせねばならない」とかね、したり顔で言うわけですよ。
それ自分が悟っていないのにさも悟った、本人は悟っていると思ってないんですよ、ただ相手に良かれと思って言ってるだけなんですよ。だけど新しい人の方は、この人古いから私より悟っているだろうと思っていますから、よけい新しい人のマイナスをね、無意識に背負ってあげる形になるわけです。
そこで今までの宗教ですと、印可書はないのでもう背負うことによって余計に、要するに泳げないのに溺れてる人を助けに行って、一緒に沈んでいく感じ。だから宗教団体が古くなると、どんどんひどく、ぐちゃぐちゃになっていくわけですね。それがあります。
ここではね、先生が「僕が喋る」って言っても「お前喋るな。真祈りだけや」ということで、本当にこの8年前まで、正確に言うと8年前まで、知っていますか?真祈りの伝授が始まったのは8年前ですよ。もう8年経った。
護摩の時「「いよいよ待ちに待った真祈りの伝授が始まったのです」と言って宣言されたのが8年前ですけれども。先生から「勉強会をせよ」と言われたのが6年前から。要するに「お前が喋れ」って事になった訳です。
なんでそこまで喋らせてもらえなかったかというと、まず真祈りなんですね。 まず真祈りがあって、真祈りで全てが変わるんです。本当にもう後ちょいと変わるとなって、初めて「喋って良いよ」なんですよ。それはどういうことかと言うと、(お話する人間が少しでも)相手が悟ってないと思っている間は喋ったらあかん、みんな「既に祈っている、悟っている、救われている」実感として分かって、初めて喋れる。わかります?
みんな今ここにいらっしゃる方も護摩に来られる方も「みんな既に祈ってる、悟っている、救われ、いる」と実感として僕は感じるんです。感じるから喋った時にちょっとでも響いていくの。もう最初からね「この人祈ってない悟ってない」て思ってしまうと、もうそこで周波数が違うわけよ。だから何を言ったってみんな自分の都合のよいようにしか聞かないし、神さまの真意が伝わらないの。
だから真祈りの真髄っていうのは何かっていうたら「既に祈っている、悟っている、救われている」を、実感として感じれるかです。それがちょっとでも感じないうちはね、喋ったら自分が相手の全てを背負うんだと。脅かしてない、本当の事言っています。になります。
それでお互いに(マイナスを)背負い合いをしてキャッチボールをするだけになるの。
だからほとんどの宗教団体でも会社でもそうですけれども、お互いにマイナスのキャッチボールをしているの。キャッチボールする毎に利息付いて膨らんでいくの。雪合戦がそうでしょう?最初は小さな雪だるまなげんねん。「やったなー」って言って次は大きな投げる。又、やったなー」って、だんだん大きくなるでしょう。ああいう感じでマイナスのキャッチボールをするんだけれども、そういう感じでね、相手に物を言うというのは、相手の全てを背負うんだという覚悟をもって下さい。それで言った以上は必死で印可書を奉読してね、祈って下さい。もうそれだけです。
みんな自由意志だから、喋りたい人が喋るのは自由です。喋ったらあかんとは言わない。でも喋っただけの(責任を)総責任者ですからね、みんな背負うわけですよ。
で、河上が頼りないということで、護摩の最初にわざわざしゃべってくださる方もいらっしゃって、ありがたい限りでね、もう護摩の会場というのは(スタートの最初の時は)もの凄い(マイナスの)ものが集まりますから、最初に喋るというのは(まだ眞祈りが始まっていないから→宇宙神ありがとうございますが始まっていないから)命がけなんですよ。でも喋って皆背負ってくださるから、(そのしゃべりたいという自由意志を尊重してしゃべりやすいように)(そして僕にとったら)楽になったところで(になりますが)いつもわざと遅れていきます。
そういう感じでね、もう何事も自分が責任を負うだけです。誰のせいでもない、自分が選んで自分が責任を負うだけ。喋るのも自分が選んで喋るだけです。自分が自由意志で選んで喋った分の責任は、全部自分が十字架として背負うわけです。只々、それだけです。
だから真祈りの会でもね、主宰する方がもの言われても構わないですけれども、言う以上は集まった人のマイナスを全て背負うんだと覚悟をもってね、でそれが怖くて嫌だという人は先生の本を読むだけ、印可書奉読するだけ、色々言ってますけれども、にして下さいね。相手に対してあんたはこうだよ、というコメント出すというのは相手の(マイナスの)全てを背負うというわけです。
それは別に宗教団体とかこことか会社とか関わらず、世間一般全部そうです。だからみんな世間では「言うてやらな」ってやってるじゃないですか。「言うてやらな」って言って相手のを背負う。それで背負ってなんかおかしいことをすると、言われた方がまた「言うてやらな」て背負いかえしてくれるのね。それでなかなか見ていると、横で見ていると面白いんですけれども、 当人同士は大変。みたいな。
だからほら大阪のおばちゃんの会話であるじゃないですか。全然話が噛み合わない会話っていうんね、あれはマイナスの投げ合いをしているわけで、お互いが背負い合いをしているわけね。異空間の話やなみたいな、異次元空間、次元が歪んでるやないか、いう感じですけれども。それぐらいね、相手に物を言うのは相手の全てを背負うんだという、わかって言って下さい。
だから学校の先生は大変でね、ものを教えてるつもりなんだけれども生徒の全てを背負っていくの。それで先生は晩年が大変なんです、みんな。本当に生徒が分かるように理解してあげるように、教えてあげると良いんですけど、どうせこいつらわかれへんけれども、教えなしゃないと言うとそういう風に(生徒のマイナスを背負うことに)なります。
宮野さん:今言っているの確認なんですけれども、話をする、言うっていうのは、これはお勉強会とか真祈りの会で喋る,護摩の会場で喋るそういうことだけじゃなくて、個人一対一の場合でも一緒ですね。
河上さん:一緒、一緒。だから大阪のおばちゃんの会話や。
宮野さん:それも全て自分が背負うという。
河上さん:だからたわいない話でもね、相手をいう事を背負うんです。それがこわいねん。この神さまの話した時に背負うとか、そんなんと違うの。お互いたわいのない話、あんた「昨日、あんたとこのお父ちゃん機嫌悪かったなあ」って言うだけでも相手のを背負ってんねん。そういうもんやねん。だからもうほんとにね、真のプラスの言葉を駆使する自分なの。真(まこと)の本心の自分っていうのはね。それ以外は全部相手のマイナスを背負っていくの。それは喋るも同じだし見て責めるのも一緒。心の中で責めるのも一緒よ。「あんなことあの人してるわ」でも言わんとこって言ったって、してるわけで、思った時点でもうアウトなん。だから先生は「現実を無視しなさい。現実は遠い遠い過去だ」って優しくおっしゃってくださってているんですけれども、みんな現実を見るのが好きなのね、映画が好きなの。で、現実を見てね、現実のマイナスを背負って自分で苦しんで楽しむの。でもこれもね、(現実という)マイナスを背負って楽しむだけや、これだけは忘れないで下さい。
だからいつも言うように難しいゲームほど楽しいでしょう?ね。簡単なゲームはすぐ飽きて面白くないねん。難しいゲームは楽しいね。だから楽しんでるだけや。だから現実もそうよ、何が起こるかわからへんから楽しいのよ。ビデオ、ビデオディスクのあれを見たってね、同じ映画は2回3回見れないでしょう。もう筋(あらすじ)が分かっているから(面白くない)、分からんから楽しい。だから分からんから相手を責めて自分が背負って苦しんで楽しい。
「そんな言うけど、そんな相手の見たから何で私背負わなあかんの。そんなん知らんかったわ」って言うてますけど、分からんから面白いねん。分かってたらせーへんから面白ない。今とうとう答え言うてるから。あの真祈りだけにして下さいね。
真祈りだけにしたら一瞬で全部清まって、変わっていくんですよ。だけど現実を掴んでどうこうして(言ってやってどうこうしようと)(あるいはあんなことしてあほやなあーと)見てたら、どんどんマイナスを積み重ねて、この世がいよいよ切羽詰まることになるんです。
例えば今、報道だと「プーチンさん悪い、ロシアが悪い悪い」と言ってるじゃないですか。そんな事言っているから、余計自分がマイナスを背負って加担しているっていうのがわからないの。どっちが良い悪いじゃないの。この現実のマイナスを云々(うんぬん)言うのは間違い。
本当は神さまの無色透明の無限の無限の輝きという喜びがあるだけなのにね、それにわざわざあんまり無色、水だけやったら美味しくないから、砂糖を足してみようとかね、ちょっとコーヒーを足してみようとかね、味付けして楽しむわけです。それをマイナスって言います。その部分のとこだけなんですね。だから素直に無色透明の水、真祈りを足せばどんどん綺麗になっていくの。もうただただ真祈り最強です。
宮野さん:あの基本相手の自由意志は、変えれないので、相手に物申すっていうのは何とかして時間の無駄ですね。
河上さん:時間の無駄やから相手のマイナスを背負える。な?相手が言うこと聞いてくれたら相手のマイナス背負えへん。相手が自分のマイナスを消すだけや。
宮野さん:それが、いくら良いこと正しいことだろうとしてもですよね?
河上さん:そんなん正しいとか良いことというのは
宮野さん:大抵そうでしょう?
河上さん:その人の判断が全然違うもん。例えば、今私眠っていたいねんという人ね。「眠っていたら電車遅れるで、学校遅れるで」という時でもよ、眠っていたい人は眠ってるって。起きないと、あんた学校、そのお母さんがね「あんた早く起きないと学校遅れるよ」と言ったら子供怒るやん。「うるさい、寝てんねんんからー」って言って。あれよ、あれが全ての形。その人にとっていま自分が気持ち良いことをしている。その結果大変なことになるよって言ったってね、そんな分かるぐらいやったらせえへん。
宮野さん:でも聞いていらっしゃる方がね「言ったって河上さん喋ってるやん」という話を多分思われる方もいらっしやる。
河上さん:うん全てを背負ってるんやもん。その覚悟はあってしてるだけ。まー護摩で喋るていうのは、普通はあんなもん3回喋ったら(運命的に)死んでしまう。
令和4年5月河上さん勉強会―2(20220501−2) 質問:質問なんですけれども、相手のマイナスを背負うっていうふうに表現した時に、それって、背負うのが良いことだって思う、良いことっていうのは変なんですけど、良いことのように誤解することもあるかもしれないっていうふうに思ったんですが。あの、相手のマイナスを背負うっていうのは、神さまに背を向けて地獄に降りることとはまた違うっていう… 河上さん:違います。今、説明の便宜上ね「相手のマイナスを背負う」って言ってるけれども、良いこととか、悪いことという、その感覚、良いこととか悪いことという感覚がすでに虚の世界の感覚があってですね、それで、その、相手のマイナスを背負うもくそもないの、本当は。全部、自分なの。ただ、全部自分だけども、その部分、まあ、人間の体で説明するとね、指のここ怪我してると、そこに薬塗って、揉んで、こうすることによって、その揉んだ手の方が痛くなるみたいな感じですよ。それだけ。全部自分なの、只々。 だから、神さまは全部自分だから、その例えば、もう、(マイナスが悪いものが)一杯になってしもてね、これはいちいち(きれいに)するより、新しく建て直した方が、要するに、この家を綺麗にクリーニングするよりは、いったん壊して、新しく建てた方が、コストも安いし、速いと。そうなったら建て替えはるわけですよ。
いやいや、みんなで一生懸命やったら、建て替えるよりも安く仕上がるでって言った時は一生懸命綺麗にするの。それだけなの。それは全部自分だから。だから十字架に背負うというと、なんか凄いことのように聞こえますけども、本当は全部自分やから、背負うも背負わんもないんだけども。そない言うと、ピンと来ないだろうからね、みんな分けてる意識で聞いてるから。で、分けてる意識上で説明すると、十字架を背負う、という形になるわけ。相手のマイナスを背負うじゃなくて、十字架を背負う。十字架というのは、すべてのすべて、という意味です。過去も現在も未来も、一点に凝縮したすべてを十字架といいます。 それをまあ、図書館でいうと、本だと言ってるわけです。本の中に過去も現在も未来も全部入ってるわけでしょ。でも、その本を開かなかったら、始まらない。意識を向けたらね。皆それぞれ自分の世界という本を持ってて、自分で台本書いてね、それで、わざわざ開いて楽しんでるだけ。だから、いったん閉じたらおしまい。いったん閉じたら、それを悟ったって言います。それで、その閉じている状態も、すべての状態を同時に見れるようになると、本当の深い悟り。浅い悟りの時は、閉じた本を戻して、また次の本を開く、みたいな感じですけど。それを別の表現でいうと、神さまの世界にも天国にも地獄にも、同時に自分の意識があるという状態。いちいち、その場所に行って見てるんじゃなくて、同時に見れる、感じれる感じが、一番本当の神我、大我です。浅い悟りだと、神さまの世界に行ってたり、地獄に降りたりとかね、飛び回ってる状態です。
それを天狗さんていいます。飛び回ってるでしょう、天狗さん忙しくね。本当は飛び回らなくても、同時に瞬時にすべてのすべてなんですけど。只々、それだけです。でも、そう言ってしまうと、それで話、身も蓋もないからね、展開して喋ると、相手と自分を分けて、相手に「おまえ、そんなんしてたらあかんやないか。」って言って相手を背負ってっていう、展開した表現に、説明になってるだけです。いい? 質問:あの、浅い表現で言うと、自分で自分を縛ってるという表現になる? 河上さん:そうです。浅い表現でいうと、自分で自分を縛っているの。浅い表現って、ある程度深い表現やけどね。すべて自分って分かってる中で、自分やのに、自分を縛って、あそこあかんと思ってる状態やね。本当は、あそこあかんじゃなくて、そういう状態にして、楽しんでるだけよ。台本書いてるっていうでしょ?あなたは今回は奴隷役よ、あなたは王様役よ、あなたは女役よ、あなたは男役よってね。台本書いて楽しんでるだけじゃないですか?せやのに、「あそこのあの奴隷は鈍臭くて駄目だ。」って言って責めてる状態よ、演劇の中でね。で、それを演劇の中って分かっているうちはいいけど、分からなくなってる状態やね。それがもっと分からなくなって、お互いに完全に分け隔ててどうこうって言いだすと、ぐちゃぐちゃになっていくんやけどね。 質問:只々、もう、印可書を奉納して、もう、神さまの表現を楽しんで、印可書を奉納してっていう。あの相手を縛ったり相手をどうのこうのって言うんじゃなくて、すべて自分だと。 河上さん:印可書を奉読してるとね、真(まこと)の本心に自分に無意識に立てるの。立てるというか、立たせてくださるの、神さまが。本人の心境に関わらず。真(まこと)の本心の自分の立場に立つとね、楽しめるの、熱いのも苦しいのも。
だから、例えば、わざわざ、エベレストに登るわけでしょう。何百万やね、あれ。何百万もお金払ってエベレストツアーに行きはるんやね、凄い怖いとこ行ってね。あれでも、やっぱり凄い楽しんでるわけでしょ?あんなん嫌いな人から見たら、お金払ってまで、なんで行くん?とか思うけども。そういう感じで、その、ちょっとでも本心の座に立てば楽しんでるの。
山登りでも、なんでもそうですけどね。あの、アイススケートとか陸上競技とか、ああいうスポーツでもそうですよ。なんで、あんなマラソンでもね、なんで42キロも一生懸命苦しんで走るん?とかって苦手な人は思うけどね。それ、楽しみなわけでしょ?それって本心の側にちょっとでも立ってたら楽しめるの。現実の側に立つと苦しいばっかりよ。 それが分かったら、心が自在になるねんけど、苦しいところに意識を置いてしまう。置いて楽しむのはいいねんで。だけど、楽しみすぎて、そこから抜けれんようになってる、皆。それは、皆ね、同じ世界に住んでると思うけど、全部(違う世界に住んでいる)なんで違う世界に住んでるかというと、皆この見てる世界は、自分の脳の中に作ってるだけよ、映像を。分かる?実際には無いねん。自分が脳の中に、こういうもんやと決めて作ってるわけや。作って楽しんでるね。だから、夢見るね。夢見てる時は現実やと思ってるやろ?
これ、(この勉強会)今夢かもしれへんで?わかる?それくらい皆自分の世界に住んでるんよ。だから印可書を奉読して真(まこと)の本心の自分の立場に立ったらね、どの状態も楽しめるの。だから、神さま今が一番いいようにしてるって分かるの。小さい立場に立ってたら、「なに、河上、今が一番いいようにしてる言うけど、しんどいわ、そんなもん。辛いわ。」とか言うて終わりよ。 でも、今は印可書があるからね、この説明が通じるの。ちょっとでも印可書を奉読してくださる方は、「ああ、そうやなあ、神さまは絶対の愛やから、今一番ええようにしかしてくれてないわな。してはるに決まってるわな。」って素直に思えるの。印可書が無い時代はね、なんぼそない言ったって、(いくらそう言っても)「そんなん言ったってしんどいもん。」でしまい。
だから、暗黒の6日間は来ないうちに、皆でこの今の映画館を綺麗にしてね、ちゃんとできると信じています。大丈夫だと思ってるんですけど、ちょっとほんと切羽詰まって、ロシアが悪い、ロシアが悪いってするからね、もう、大変なわけですよ。 その例えばそのロシアの話でもね、ソビエト連邦っていうのがあったわけですよ。エリツィンっていうロシアの大統領がね、各、ウクライナとか、ウズベキスタンとか、色んな、ソビエト連邦ですから、小さい国が集まって連邦になってるわけですね。ソビエトという連邦、ソビエトという国ではなくて、連邦なったわけですね。それが皆自由にしていいから、税金出さんでええよ、ってやっちゃったわけですよ。ソビエト連邦に税金が集まらなくなったの。まあ、ヤクザ風に言うたら、上納金が集まらなくなったのね。それで、組が維持できなくなったわけです。そして、その時の軍隊をそのままロシアが引き受けたの。じゃあ、ソビエト連邦として成り立つ軍隊をロシア一国で引き受けたら、お金足らんでしょ?こうなってくるのは当然なの。勿論、軍隊解散したらしまいよ。だけど、軍隊を解散するほど、皆、相手を信用できない。分かる?で、なんとか維持しようとすると、軍隊はお金かかるって。生産性無いわけでしょ。只々、飯食って走り回って練習してるだけや。そのオリンピックの強化選手作るのでも、凄いお金かかるでしょ。オリンピックですらあれよ。軍隊やったら、それにプラス兵器を作らなん、弾作らなん。もう、お金かかってしゃあない。そのソビエト連邦の軍隊をそのまま引き継いだロシアが財政的にひっ迫して、こう成らざるを得ない。そんなん自明の理やのにね、みんな無関心でしょ、人のことは。放ったらかしにするから、こうなってくる。 だから、みんなの責任よ、本当はね。だけど、意識が小さい人にね、そんなん言うたってわからへん。だからこないになってます。で、報道で、どんどんロシアが悪い、プーチンが悪い、悪い、悪いってマイナスを煽るからね、余計マイナスが吹き上がって、もう、ちょっと時間切れの際どい状態なんで、暗黒の6日間の話まで先にしといた方がいいかな、と。ただ、暗黒の6日間だけ言ったって皆分からないから、その前兆としてね、イエスの言う、その、「いちじくの木に実の成るをもって知れ。」っていう意味をね、具体的に説明させてもらったわけです。でも、ちゃんと護摩木を書いて頂いて、印可書を奉読して頂いたら、そうならないですから、大丈夫です。 でもね、マイナスを背負いたい人は、やっぱり何を言ったって背負ってくれるの。それでええんよ。背負う体験も必要だからね。で、もう自分で身動き取れなくなって、地獄まで落ちてしまって初めて気付く。そうならないようにする人はね、もう、いったん皆地獄の底まで経験してるの。あれは懲り懲りと思ってるから、しないだけで。経験してない若い人は、やっぱり一度は味わいたい恐怖のジェットコースターや(笑)。乗るな言うたって乗るやん。オカルト映画、一度は見たいオカルト映画、見るな言うたって、やっぱり見に行くんよ。一緒やな。それはそれで、皆自由にしたらいいの。色んなその体験を積むことによって分かることは結構多いですからね。
ただ、素直な人は、イエスが言うね、「見ずして信ずる者は幸いなり。」というのは本当に真理で、素直な人は得。「只々、印可書を奉読してるだけでええんやな、良かった。」って喜べる人は得やけどね。「やっぱり、そんなん言うても…。」って言う人は体験するまで納得せえへん。どれも自由です。 質問:先月の勉強会の時に、河上さんが、「皆さん、覚悟を決めてください。」って仰ったんですけど、それは何があっても、印可書で突き進むという覚悟っていうことですか? 河上さん:そう。神さまが一番いいようにしてるって信じきれるっていうことね。信じきれない時は印可書を奉読して、改めて信じなおしてね、っていう、いわゆる絶対の信です。神さまがいつも一番いいようにしてるって、ここさえ揺るがなかったら大丈夫なんですよ。
それが、「なんで私お祈りしてるのにこんな目に遭うの。」って言った途端に、「なんで私お祈りしてるに病気になるの。」とかね、色々ありますよ、その人によって。「なんで会社クビになるの。」とか色々あるけども、なんで?って言ったら終わり。 質問:もし、一瞬マイナスを思っても… 河上さん:思ってもいいの。 質問:印可書で思い直して、進めばいい… 河上さん:そうそう、印可書を奉読。今は印可書があるからそれでラクなの。それでいいです。はい。 質問:現実的な質問になります。先日、1枚の護摩木に細かくたくさんの「宇宙神ありがとうございます」が書かれたものを見かけました。実際、自分でやってみたところ、「宇宙神ありがとうございます」をたくさん書くことができますが、奉納する護摩木の枚数自体は減ってしまいます。逆に考えると、少ない護摩木でも、「宇宙神ありがとうございます」、をたくさん書いて奉納することができます。護摩木の枚数か、「宇宙神ありがとうございます」を書く数か、どちらが、より神さまのお役に立てるでしょうか。 河上さん:はい。これね、護摩木に細かく、「宇宙神ありがとうございます」と書く、目、視力やね、視力と書く力のある人はね、書かなくちゃいけないではないですよ、さっきの話と一緒でね、書きたいと思う人は是非書いてください。自分の自由意志でね。細かく、たくさん書きたいと思う人は書いてください。でも書けない人があるからね。細かく書かなくっちゃ、たくさん書かなくっちゃ駄目っていうと、もう崩れるわけですよ。だから、その人の体力、気力、視力に応じて、書いてもらえばいいです。 護摩木の枚数は、この世的な枚数よりも、霊的な枚数がありますから、細かくたくさん書いたものは1枚が100枚、200枚に匹敵するんです。だから、本当はこの護摩木に「宇宙神ありがとうございます」を100書きましたという時は×100で申告してもらうのがいいんですけども、そうなると、数えなあかんとかね、ややこしくなるからね、細かくは言いません。皆の自由意志でやって頂いて。例えば、1年トータルで最終的に100万枚越さなかっても、ちゃんと効果が出るわけですよ。でも、目標をね、常に100万枚、300万枚っていうふうにしていきたいと思うんです。 というのは、どんどん人類の潜在意識に印可書が染み込んでいけば、護摩木を書きたいという人が増えてきますから。その時はもう、書ける人は細かく書いて、1枚で100枚分にしてくださいってお願いする時期が来ますけどね。まだ今はもっともっとフリーで自由自在でいこうと思うんで黙っています。ありがとうございます。 質問:護摩木の作り手の方の話なんですけど。私はボランティアに、そんなにしょっちゅうは来れませんが、来た時は、護摩木を作成するお手伝いとかをする機会があります。お話を聞いているとですね、これ、山の方のお話じゃないんですけれども、遠い所からわざわざ来られて、例えば2000の箱を作られるとします。1日かかられたりするんですよ。でも受け取った方は、それは分かりません。当然のごとく受け取る方もいらっしゃれば、ありがたく受け取られる方もいらっしゃるとは思うんですけれども。中にはですね、リターンされる時に、非常にこう、走り書きで、数えもせずに、そのままリターンされる方もいらっしゃるような話も、ちょっとこう、伺ったりすることがあります。そうなった時にですね、お互いボランティアなので、受け取った方も、きちんとこう、数えるぐらいは数えて、私、何枚送ります、とかですね、そういうふうなものを書かれたりだとか、実際は、よく来られる方はそんな箱を2000、一生懸命作られたものを受け取らずに、赤いネットのまま持って帰られて、自分で数えて、何枚でした、こんだけ余りです、とかってやってくだされば、ここに遠くから来て、2000の箱を1日かけて時間を費やさずに、もっと他の作業ができたり、ちょっと非常にレアな、すみません、込み入った話になるんですけど、そういうことを思ったりするんですけど。なかなか、それを、こう私が思ってても、なかなか、実際に今まで通りのやり方がコアにあって、なかなか変わっていかないというか。 河上さん:うん、だから、自由意志と自由自在を基準にしてるからね。結果のどうこうは気にしても仕方ないのね。だから、そういう事情を知った人は自分で数えて返すとかいうふうに、自然に変わっていくようにするのがいいんで。こうしなさい、こうしなくてはいけない、いわゆる、「ねばならぬ」というのは一切言ってはいけない。それは、もう、神さまの意志から外れるの。それは、今までの宗教団体。 その、村人の立場が厳しくてね。村人は、いわゆる、衣食住を安堵(あんど)してもらってるわけですよ。また、お金まで頂いてるわけですね。そこまで安堵されている方が、命がけで真祈りするしかない立場なんです。でも、村人になっても命がけで真祈りできない人もいらっしゃるわけ。そういう方は必死で山仕事に、山仕事というか、村の仕事、護摩木作りとか色んなことに没入しなくちゃいけない。でも、それでも、没入しきれない方もいらっしゃるわけ。どの状態でも責める必要はないのね。どの状態もその人の大事な体験なんです。
だから、「あの人、村人のくせに怠け者や。」とかね、責めることもないし。どれもこれもその人の大事な体験ですから、結果に一喜一憂しない程度を基本にしてください。 例えば、せっかくなんで言いますけど、いわゆる、村人、村に集まるお金は先生のお金、神さまのお金ですね。そのお金で一人、自分が贅沢してね、美味しいものを食べるとかしたら、凄いことになっていくわけですよ。そんなことは当然、先生も説明されててもやはり、する方はするの。それも、その人の体験だから、黙って見てたらいいの。
だから、どの状態もその人の自由意志をね、縛ってはいけない。ただ、人殺ししそうとか、あるじゃないですか、殴り合いになりそうとか。そういう時はやはり、緊急事態ですから、ある程度は、自由意志を阻害してでもね、殴り合いになるのを止めたりとかはしますけども。それ以外のことは本人の自由意志に任せきるのが大事なんです。 なぜかというと、神さまが、絶対の愛というのは、絶対の自由だからです。神さまの本質は絶対の自由だから。だから、その人の自由意志というのが最大限に尊重されます。ただ、泥棒に行くとかね、人を殴りに行くとか、人を怪我させに行くとかいうのは、それは、やっぱり止めなくちゃいけないですよ。でもそれ以外のことはね、もう本当に本人の自由に任せたらいいの。それによって背負うべきものを、背負うことによってしか分からない人は、背負わざるを得ないの。
だから、今言ったように、「見ずして信ずるものは幸いなり。」でね、言われて素直に、はいって言える人は幸せなんですよ。でも大概(たいがい)は、やっぱり味わってみないとわからない、体験してみないとわからないですから。その体験、大変やなあ、と思ってこっちは見てますけども、それ以上言いようがない。(その人の自由意志を縛ることはできないから)そういうもんなんです。 だから、真祈りの会でね、主催する方が大変なのは、ついつい、自分の方が、まあ本人は思わなくても偉いように、周りの人が思いますから、ついついその立場に立たされてしまうわけです。立たされて、うっかり喋ったら全部背負わならんからね。ここで僕が喋るように。
背負ったら最後、必死でお祈りしなくちゃいけないんだけど、それもできないで、グチュグチュになっていく人も中にはいます。誰とは言いませんけどね。それも、でも本人の体験なんです。真祈りの会でもいらんこと言うなよって何べんも説明はしてますから、説明終わってるからね。あとは皆の自由意志なわけです。 村人に関しては、先生が散々説明されてきたけども、覚えていらっしゃらない方もいるだろうから、今、また敢えて言いましたから、次はもう言いません。それぞれ、村人の背負うものは厳しいです。やはり村人というだけでね、外の人は、(村人のことを)ちょっと偉い、しっかりした人かな、と勘違いしますから。その分だけ余計、村人は背負わされる立場にいます。厳しいものです。 一緒で、護摩木もね、今言った感じの説明はしたらいいです。2000枚数えたものは持って帰らずに、ガサっと持って帰って、自分で書いた枚数を数えて持ってきてください、とか、説明はしてもいいです。してもいいですけども、そうしてくださいって言っては駄目なの。
私は時間ないからやっぱり2000枚のが欲しいわという人は、もう、それを渡せばいい。やっぱり受け取る側の人の立場があるじゃないですか。本当に生活が忙しい方なんていうのは、そんなことできないでしょ?そういう時間裂けない人のためにも、あるからね。どれもこれも神さまが必要に応じてしてますから、無駄なことはないの。で、どれがいいというのもないの。もう、それだけです。ありがとうございます。 宮野さん:先程のね、村人がお金を頂いている、贅沢をしたっていう話の中でね。贅沢といっても人によってそれぞれかな、と。 河上さん:あ、そうよ。だから、この世的に大した贅沢ではなくてもね、村人は厳しいの。神さまのお金だから。 宮野さん:それをね、神さまのお金だと。神さまからの賜りものである、という中で、その中で、例えば、私達から見て、例えば私から見て、いや、それ全然贅沢違うよ、っていうことを思ってても… 河上さん:そういうことでも、厳しい。 宮野さん:でも、本人がこれを使わせて頂くって思って、認識して真祈りして使う分には別に… 河上さん:問題ないです。真祈りして使えばね。 宮野さん:要は、人がどうこう判断するわけではなくて、自分での感じですよね。 河上さん:そうそうそう。だから、本当にね、村人は、勿論本当は普通の人も一緒なんですよ。その、お給料で頂いたお金でも、全部神さまからの頂き物ですから、真祈りして使わなくちゃいけないんだけど、村人はそれがもっと厳しい立場に立たされているだけです。ただ、それだけなんです。
ただ、(村人は)なぜか?というと、生活に心を煩さなくてよい状態に置いてもらえてるわけですよね。普通の人は、会社に行って上司からボロクソに言われたりとかね、このノルマを達成しなさいとか、お前は今日一日、これだけの物を梱包しなさいとか、言われて、その中で、こう、うーってやるわけじゃないですか。だけど村人はそれがないの。ない分だけ真祈りに没頭しなさいと言ってる先生の愛でなってるわけで、だから厳しいだけです。 だから、程度の差はあっても、一般の方もね、(村人以外の一般の)外の方も、その、例えば、ごちそう食べてもいいのよ。凄い高いレストラン行って食べてもいいんだけど、本当に真祈りして食べなくちゃいけないの。只々、欲望で食べたら駄目だっていうことです。
それが、村人の場合は非常に厳しいだけです。それは先生が村人の心得というのを出されたし、色んなものを出されたんだけど、今は残ってないんでね。薄れてるかもしれないので、今また、敢えて、本当にいらんお節介してます。村人の方にとったら、そんなもん分かってるわい、って言うかもしれないですね。(笑) 質問:すごく違う視点で見れば、真祈りの会で、主催者ではなくって、こう語る方がいらっしゃったとしたら、その方がそのマイナスを背負ってくださって、主催者の方すら助けてくださってるというふうに言えるのですね。 河上さん:そうです。勿論そうですよ。ただ、今こうして説明したから、いいよ、何してもいいけども、マイナス背負う立場に立つからね、頑張って印可書奉読してね、っていうことです。責めてるんじゃないからね。
みんな自由意志で自由だから、本当に何してもいいの。でも、自分の自由意志で自分の決めたことでしたことは全部自分が背負うから。背負う以上はね、頑張って印可書奉読してね、ってそれだけ。今は、印可書あるからラクなの。それだけです。
だから、逆に言うとね、自分では(マイナスを背負う行為を)してないつもりでも、無意識にしてることもあるわけやから、普段でもね、一生懸命印可書奉読してね、ていうことです。 それでもっと厳しく(本当のこと)言うと、そうして、自分ではしてないつもりで、知らずにやったことの方が厳しいのね。知ってやったことの方がラクなの。お釈迦様の言う(たとえ話)、やけ火鉢って、分かって握る時はぱっと手を離すけどね、あれ、単なる赤い人参やと思ってギュッと握ったら大やけどするでしょっていう。知らずに犯す罪の厳しさです。で、今、村人のも、やぱりお金の使い方が厳しいということをね、もういっぺん再認識してもらうために言いました。
知らずに掴む恐ろしさをね。何してもいいよ、村人もね。自由にしたらいいの。でも、覚悟を決めて、自分ができると思う真祈りをしてください。印可書奉読が一番とは言いません。みんな自由に選んでいいからね。 質問:もう、耳の痛いことばっかりなんですけども。昨日、もう本当に、無意識に失敗といういかね。コンビニ経営されてる方で。もうやっぱり、両方に店ができたり、バイパス通ったりで。 河上さん:大変やな。 質問:「山あり谷ありっていうけど、谷ばっかりや。」って 河上さん:谷ばっかりですね、そりゃそうや。 質問:「もう、いつかは成功したい」って言ってはったんですね。いつかは成功したいっていう言葉にちょっと(私が)反応してしまって。「いや、もうね、私の尊敬する先生が、言葉通りにって言ってはるからね、いつかいうたら、いつまででも、いつかなので、もう成功してると思ってください。」って言ってしまったんですよ。 河上さん:(相手の方は)怒ったやろ? 質問:(相手の方は)まったく、怒らなかったんですけど。「最低限の生活はもうコンビニで全部揃うんでね、もう成功してると思うんです。」って言ったんですけど。本当に、無意識にぱっと出てきた言葉も、そんなことも、いらんことは言わなくて… 河上さん:いやいや、別に、だからね、言っていいんですよ。言っていいけれども、どっかで無意識にね、やっぱりどっかで自分が言ったって思ってるの。それがあかんね。要するに、我があるって何かと言ったら、この前言ったように、自分が肉体だと思ってるっていうのが、一番我がある証拠なんですよ、例えばね。
それと一緒で、無意識に言ってるんだけど、やっぱり自分が言ったと思ってるの。その「自分が」を消したい。だから、印可書があればいいの。もう只々それだけなの。
ただ、ついつい、その自由自在やというとね、いらんお節介が増えるのね。だから、あんまりいらんお節介までせんと、無意識に出るのはもういいけども、わざわざ言いに行くのはあかんみたいな。そこまでせんでも、印可書奉読してる方が早いよっというみたいな感じです。 質問:この間、村で、その方は「宇宙神ありがとうございます」をお祈りされてて。ある人に、「真心を込めて『宇宙神ありがとうございます』を唱えられないから、どうしたらいい?って言ったら、『そのうち込めれるようになるよ。』って(言われた)。」という話を私にしてくれて。でも、私は、「真心なんか込めないで、只々淡々と。真心って言ったら、『自分が』になるから、淡々とした方がいいんじゃない?」って言っちゃったんですけど。 河上さん:それでいいですよ。 質問:言われた方は全然、「え、真心をこめた方がいいでしょ?」って言われて。「でも、じゃあ、真心って何?」って言ったら黙っちゃって。(笑) 河上さん:だから、考えていくとね、理屈で考えていくと分からなくなることばっかりなんです。それは何かというと、自分が肉体だという意識がある人は、全部、考えたら分からなくなるの。もう、それに尽きるのね。で、その真心というのもね、自分が肉体だと思ってる人は、その肉体を動かしてどうこうしないと、真心が籠もらないと思うの。それで、よく分からなくなっていくの。本当に真剣に、「ありがとうございます」の(祈り言葉の)時代ですけども、「ありがとうございます」を真剣に唱えているとね、どうしてもスッと来ないんよ。もう、苦しくて苦しくてね、僕の場合ですけれども、なんぼ(いくら)「ありがとうございます」って祈っても、もう、どうしようもないの。
それで先生にもう、自分はどうしようも、お祈りしてもね、どうしようもないから、もうこれ以上先生に迷惑かけられないからっていう話した時に、まあ、色々と、言葉以前の伝授があったわけですけども。そういうもんでね。 その、ひたすら神さまを恋い慕うというのが要るんですよ。本当に神さま!神さま!神さま!って。その、お母ちゃん!お母ちゃん!お母ちゃん!って呼ぶような感じやね、小っちゃい子が。もう、それが真祈りなんです。そこはね、言葉とか理屈で説明できないの。小っちゃい子がね、お母ちゃんどこ行った、お母ちゃん!って呼ぶでしょ、あの気持ち、理屈では説明できないって。あるいは、あの、自分の飼い犬とか、猫さんとかペットさんが、そうでしょ。飼い主が留守してたら、飛んでくるじゃない、あの気持ちは理屈やない。ああいう、「神さま!」っていうね、そういう気持ちがないと真祈りならないんですよ。で、その気持ちはね、自分が肉体だって意識が消えないと、ならないの。
自分が肉体だと思ってるうちはね。小っちゃい子はそうなんよ。お腹が一杯で、自分、肉体だと思ってるからね、お腹が一杯で余裕がある時はお母ちゃん無視して遊びに行くの。お腹空いてきたら、お母ちゃん!って呼ぶでしょ。そういう感じ。それは、もうお腹空いてくると、自分という意識が消えてくるのね。もう、お腹空いただけになって。そういう感じでね、まず、自分という意識が消えるまでは真祈りならないんだけど、その自分という意識を消すとこは理屈では説明できない。 だから、禅宗でね、仏とは、これなんぞやっていう時にね、”糞かきべら、これ仏なり”、と。要するにトイレットペーパーが仏やとかね、いろんな禅問答で(表現する)。例えば、禅問答やと、隻手(せきしゅ)の音(こえ)を聞け、と。要するに片手で柏手打てって言うわけやね。へ?そんなんどないして打つん?みたいな、そういう訳の分からんのが仏やとかね、一杯あるんですけど。それは相手に応じて、その時そう言えば、相手が分かるからで、理屈じゃなくて、伝授なんですね。
で、伝授は受ける側と受け渡す側との心がピタっと一つにならなくちゃいけないの。そのピタっと一つになることを敢えて説明するとね、小っちゃい子がお母ちゃん!って呼んでる、ペットが飼い主が帰ってきたら、パーって飛んでくる、あの感じなんですよ。その感じが湧くまではね、なんぼ印可書唱えてるねん、あれや言うてもなかなかいかない。ただ印可書をね、その感じがなくても、唱えてるときは真(まこと)の本心の自分に立たすよっていう神さまの約束だから、ラクなんです。 それで、「ありがとうございます」とか「宇宙神ありがとうございます」っていうのは、その、「神さま!」っていうね「お母ちゃん!」っていうね、それが湧くまでは大変なの。それは自分がやってきて思う。本当にそこまでね、お祈りする人がいなかったから、今ここに至ってしまったの。はっきり言うけどね。もう、それだけです。
それがやっぱり理屈やない。理屈やないから説明しようがない。でも、もう理屈抜きに分かる方法として、先生が印可書を残してくださいましたというだけなんです。その印可書ですら、自分の自由意志で、これしかないって選び取らないと本当に深く受け取れない。勿論、これしかないって選ばなくてもね、効果があるから凄いんですけど。でも、本当に悟りたい方はね、これしかないって(ご自分の自由意志で)選び取ってください。すると、あっという間に変わります。ありがとうございます
令和4年5月河上さん勉強会−3(20220501−3)
質問:繰り返し確認になるんですけども。つい最近職場で、すごくイライラすることがあって。同僚なんですけど、出来事に反応してすごくイライラしたの。でもそうであっても教えていただいたように、「印可書」を淡々と唱える、荒ぶっている中で「印可書」唱えるという状態なんです。今のお話をお聞きして、その時に同時に、いわゆる肉体の自分、本当に愛一杯の優しいって言う気持ちっていうのがすごいリアルに一方であって、そういう風になれない自分というのにイラってするという。でもそれは違うんだというふうに思いながら淡々と「印可書」を奉納してたんですけど、自分が肉体だっていう実感が…
河上さん:その肉体だという状態を楽しんでるってわかったら楽になる。イラついてる、このクソったれって怒った状態を楽しめたらいいね。だから本心の自分も自覚してるとね、肉体側はね、自動反応するから、叩かれて「痛いやないか!」って、中々、五井先生の様にね、叩かれて「ありがとうございます」とも言えないのね(笑)。やっぱり「痛いなぁ!」ってなるわけ。
その「痛いなぁ」っていうの楽しんでるってわかったらいいんですよ。楽しまずにそこに、わざわざね、オカルト映画を、あれ本当に怖いってわかってたら見に行かへんって。でも、わざわざ怖い映画を見に行くやろ。あれって楽しみに行ってるね。「怖いな」って言いながら、怖いの楽しんでるね。あの状態になれたらいいね。 小さい子は、親に連れられて行って、本当に怖がってトイレに行けないようになるね(笑)。親の方は「怖かったなぁ」って言って、映画館を出たらもう楽しんだだけやから忘れられるんだけどね。一緒で、肉体の方がカッ!と怒って、カッ!と頭に血が上っても、「血が上って面白かったな」って楽しめたらいいね。そこが大事なんですよ。名演技する役者さんていうのはね、演技を楽しまれるわけでしょう。でも、「はい、撮影終わり」って言われたら普段の自分に戻って、「どうや、中々、いい演技やったやろ」ってするじゃないですか。ああゆう感じで自分の演技を楽しむようになったら楽になります。そこに没入しないで。
その没入してしまっている自分から本心の自分に戻る手立てがね、「印可書」の奉読なんですよ。だから怒ったままでいいから、ムカついたままでいいから、くそったれと思った状態でいいから、「印可書」奉読してねって。奉読したら、「あっ、くそったれというのを楽しんだんやな」ってわかる。すると、楽になる。怒った状態、くそったれって言った自分、人を責めた自分をね、責めないようにと言うのはそういう意味です。いいですか?
質問:怒りの実感を、それも楽しんでしまうと…
河上さん:そうそう。やっぱり肉体は楽しむためにあるからね。色々と反応するわけです。だからおいしいものを食べたらまずいなとは言わないね。やっぱりおいしいって反応するわけ。それはおいしいというのを楽しんでるでしょう。それはプラス側の楽しみやけど、マイナス側の楽しみもあるわけ。なんでマイナス側の楽しみがあるのって言うたら、それはマラソンする人がそうでしょう?エベレストに登る人がそうでしょう?それマイナス側の楽しみやね。あれプラス側の楽しみだとは僕は思えないけど(笑)。ボディービルもそうやね。あれ苦しいで。あの筋肉を作るのは。あれもマイナスの楽しみや、やっぱりね。どれもこれも楽しみに来てるというのをわかったら楽になるね。
だから将棋が好きな人はそうや。あんな難しい将棋を楽しんでるんや。将棋のプロなんかそうでしょう。もう本当にそういうものです。まぁゴルフもそうでしょう。わざわざ小さい穴にしてね、そこへ3回で入れなあかんとか、5回で入れなあかんとかするんでしょう。パーファイブとか、パー4とかってそういう意味やろ。それ楽しみに来てるやん。難しくして楽しんでるやん。マイナスを楽しんでるね。
人間はマイナスの方が楽しみやすいね。だから野球のゲームも0対1とか、2対3って僅差で楽しむわけで。あんなん金属バットにして、20対30ってしたら面白くないね(笑)。だから何でも楽しみに来てるというのね、思い出したら楽になります。
質問:最後には肉体どうのっていうのを全部手放して、本当に「印可書」だけでって…
河上さん:そうです。「印可書」だけになると、地獄にも天国にも、真(まこと)の神さまの世界にも同時に意識を置いている状態になれて、本当の喜び、本当の幸せ、無条件の喜び、無条件の幸せって言うんですけども。これが湧いてくる。そのなんで無条件の喜びが湧くの、なんで無条件の幸せが湧くのてね、理屈で考えるとわからないでしょう。
でも地獄の1番下から天国、そして真(まこと)の神さまの世界、同時に自分の意識が通ったら全部無条件で喜べるね。これは説明のしようがない。今あえて説明しましたけども。その場に立たないとわからない。それだけなのね。それを先生は20歳の時に体験された。
質問:ありがとうございます。
質問: 2つ質問があります。1つ目。以前先生が3Kの仕事を喜んでやりなさいと仰っていたのですが、現在私は、3Kとまではいきませんが、人の嫌がる汚いキツい仕事をしています。その様な仕事を文句を言わずに、結果も気にせずに淡々とこなして行けば、自分を消すということに繋がるでしょうか?
河上さん:はい、その通りです。昔、先生と一緒に五井先生とお会いしたことがあるんですね。その時に先生と五井先生のお話が色々とあったんですけども。その中で1番印象に残るのが、風呂屋の三助を五井先生がしていますって言うのね。それに対してもっとすごい表現で松下先生が答えられて、お互いに笑いあわれたわけですけども。要するに風呂屋の三助ですよ。風呂屋の三助と言うのは、お客さんの垢を全部流してあげるのね。で、全部自分が泥を浴びて綺麗にする役目です。
要するに十字架に架かるという事ですね。3Kの仕事というのは、下から支える大事な大事な働きなんですね。まぁこの世でわかりやすく言うと、ゴミ箱の仕事ですよ。ゴミ箱と言うのは、汚いものを放り込まれてね、自分も真っ黒になるわけでしょう。でもその働きがなかったら、世の中、綺麗にならないよね。そういう意味です。だから収入が悪くてね、まぁ先生はただ働きが1番いいって言うんだけど。収入が悪くて、きつくて、辛くてね、しんどい仕事というのが本当に真(まこと)の神さまの働きなんです。
だから「山の中のポツンと一軒家」が僕が好きなのはね、もうあそこは全部自分で苦労してやるしかないでしょう。それってもうそれだけで真祈りになっていくの。どんどんプラスになっていくの。水道の水をひねるだけで水がじゃって出る。下に居てる者は地上天国に住んでるわけですよ。でも山の上の人は水道の水を引こうと思うと、まず水源地から探してね、その水源地の水を濾過して持ってくる間に途中でしょっちゅうね、砂を変えたりね、シュロを変えたりしないと詰まるしね。何よりも1番はね、途中の導水管があるでしょう。あの中にだんだん苔が生えてくるの。何年かすると何もしないのに水が通らないの。その度に入れ替えないとあかんのね。で、色々と大変でしたけども、途中に小さい穴をあけとくの。導水管に。ならそこまで水が来てるってわかるでしょう。で、水が止まったところから先がダメだから、そこで切ってその先だけ入れ替えるとかね。まぁそれを夏場に起こったらいいよ。あれは冬に詰まるのね。冷たい冷たい時に、かなんで(笑)。そういうものです。だから本当に辛い、きつい、肉体的に大変な仕事をね、大きく清めていただけるんですね。
その最大がイエスの背負った十字架やね。或いは、ヨハネ先生がノコギリで首を斬られた状態がそうですね。
質問: 2月の深夜勉強会で、焙煎アマニの実のことを仰っていたのですが、手に入らない場合は、粉末アマニなどを摂取することで同じような効果が得られるのでしょうか?
河上さん:はい。あります。日本製粉で売ってるからネットで引いてもらえば。
宮野さん:アマゾンとかで売ってるよ。
河上さん:アマゾンで売ってる。
宮野さん:楽天でも売ってるよ。
河上さん:粉末も、粒も全部売ってます。
宮野さん:今、スーパーでも割と扱ってるとこ多い。
河上さん:うちが輸入して日本で売りだした頃は、誰も振り向かなかってんけどね(笑)。
質問:それはあまみの種って言う?
河上さん:亜麻の実。
宮野さん:亜麻の実。
質問:パンとかに…
河上さん:入れるやつ。そうそう。
宮野さん:亜麻仁油とか、最近オメガ… 胡麻みたいな小さな。
河上さん:あれは自分で栽培したら大変よ。皮むいて取り出さなあかんからね。胡麻もそうだけど。
質問:それをゴマすり機でつぶして…
河上さん:粉砕機も売ってるし、手動でやってもいいし、いろんなものがありますから。 粉砕した方が体に吸収しやすいからね。
宮野さん:粉砕したのも売ってるよ。売ってるし、ワンパックずつ小さいのに入ってるやつも。
河上さん:日本製粉で小さいのも売ってます。日本製粉で粉砕したのも売ってます。
質問:買って試してるのですが、あってるのかなと思って。
河上さん:大さじでね、最初は朝晩4杯位食べな駄目。
宮野さん:それはすごい量やね、最初はね(笑)
河上さん:只、水とかお茶にふやかして食べると食べやすい。
質問:あまり溶けないですね、お湯に漬けてて。
河上さん:トロトロになるでしょう?
質問:そんなにならないんですけど。
宮野さん:あの餅みたいにトロトロに。
河上さん:つける時間が短いんと違う?
質問:しっかり漬けとけばいいんですね。
河上さん:5分ぐらい漬けとけば出てくるよ。粉砕の度合いにもよる。
質問:ミキサーでやった方が?
河上さん:そうやね。その時の亜麻の実の出来具合にもよるし。お米と一緒よ。おいしいお米が取れる田んぼと、田んぼによって変わるじゃないですか。畑によっても変わるからね。
宮野さん:今のところ1番安くて、日本製粉の亜麻仁。ロースト亜麻仁。茶色のパックだけど、それが1番安くて、石も入ってないね。
河上さん:うん。あれ石取りが大変やね。石取り器に通すねんけど、取れないのがある。日本製粉は、1台4億する程の機械で色彩選別機というの通すから、重さが一緒でも石を飛ばしてくれるからね。
宮野さん:石に当たったことがないですね。
河上さん:無い。
質問:最近食べ物の話が多いのですけど。以前先生が、満腹と言えば、それはマイナスの言葉やと言われたことがあるんですけども。もう一つよく意味がわからないんですけど。
河上さん:満腹っていろいろ意味がありますけども。一番はスパイクの血糖値を出してね、体を潰していくでっていう意味です。
質問:そういう意味ですか? 食べれないから、満腹だから、もうこれ以上食べれないと言っているから、じゃないですか?
河上さん:いや違う。いろんな意味がありますよ、先生が言っている意味はね。もっと別の言い方でしたら、もちろん基本的には肉体的に血糖値をはね上げさして毛細血管が壊疽(えそ)して、内臓が弱って、老化がどんどん進んで病気になるっていう意味ですけども。別の言い方をすると、前言ったように、アンパンがね100人に100 個あると。でも私、アンパンを満腹になるまで食べたいわって言って5個、6個って1人が食べたら、残りの人が食べれないでしょう。そういう意味です。
だから本当は腹三分目ぐらいやったら全人類に食べ物が行き渡るし、誰も病気にならないのに、みんなおいしいもの食べたいって山盛り食べてね、この地上でね、本当は神さまがどれだけ人口が増えたってみんなに間に合うような食料を与えてくださっているのに、食べれない人が出てくるんです。それは貨幣経済でね、お金持ってる人が偉い、お金持っていると何でも希望が、欲望が叶うみたいな勘違いがあって、奪い合いになっているからですけどね。
まぁどっちにしても、ピークの血糖値を出すと成人病になるんですけども。成人病になる原因が、血糖値のスパイク。140を超す血糖値を出す食べ方をしてたためです。
質問:はい分りました。
河上さん:若いうちはね、毛細血管の再生力が早いからあんまり病気にならないの。でも大体45歳を過ぎるとね、毛細血管の再生力が落ちるから、潰す方が多くなるの。で、食べ方が若いままやろ?で、どんどん、どんどん潰して、腎臓病とか、肝臓病とかね、なるの。お酒を多く飲む人でもね、肝臓病にならない人っているんですよ。そういう人はね、酒を飲むんだけど、あまり山盛り食べないのね。腹一杯食べるわ、お酒も一杯飲むわっていう人はやっぱり早く体を潰しますね。 質問: 4月の光の交流会で先生のお話を流してくださった時に、先生が命がけのお祈りということについてお話ししてくださったんですね。もうあと1分後に地球が壊れるとしたら、どんなお祈りをするかって。そういうことを河上さんも勉強会で言い続けてくださって、先生からもそういう話を聞いてるんですが、やっぱりまだ自分は甘いっていうか、それはやっぱり明日も命があるって思って生きてるからなんでしょうか?
河上さん:そうです。自分が肉体っていう意識がどこかにあるのね。肉体っていうのは、必ず明日の朝、目が覚めると勘違いしてるの。歳とっても(笑)。明日の朝、目が覚めないかもしれないんだよ。若くても、年寄りでもね。でもみんな、自分が肉体だと思ってるうちはそうなの。するとやっぱりね、肉体の癖、惰性に流されてお祈りしない。もうそれだけ。
質問:肉体の惰性って言うのは?
河上さん:やっぱり肉体は楽をしたい、1人で良い目しときたいってあるじゃない。自己保存本能っていうやつよ。だからさっきの質問じゃないけどね、きつい、汚いのみんなの支えに入るね、汚れ仕事というのを嫌がるでしょう。
自ら積極的にね、泥まみれになって綺麗にしに行かないね。なんて言うかな、それって良い悪いじゃないの。この地上に生まれようとしたら、そういう意識をつけないと肉体は受肉できないのね。だからどうしても、まず自分は肉体であると思い込んで、他より良い目をしたいとか、いろんな意識を自分の体に、魂に擦りつけないとね、肉体を持てないから基本的にはみんな持ってるわけですよ。ただそれを持ってさっき言ったように、苦しみを楽しんで、怒りを楽しんでるってわかってくれたら、わざわざ肉体を持った意味が。でも只々、欲望に流れてたら何のために肉体を持って生まれてきたの、っていうだけなんですね。
せっかく肉体を持って生まれてきたから楽しんだらいいのよ。でも楽しみは良いことだけと違って、苦しみも楽しんだらいいわけ。それが冬山登山であったりね、マラソンであったり、その人によって色々ありますけども。1番良いのはさっき言った、きつい、汚い、危険のね、低収入の仕事を喜び勇んでしたら1番いいよっていうことです。
宮野さん:その今のキツい、汚いの話なんですけども。それは実質、体が汚れるって言うことじゃなくても。
河上さん:うん、精神的にボロカスに言われるのもきつい、汚い仕事です(笑)。ボロカスに言われる方が辛いかもしれない。だって、お風呂に行っても流れないもん。
宮野さん:それも同じですよね。
河上さん:そうです。
宮野さん:で、安い給料でっていうのは、別に高収入を得てても、それ以上に働きに働いていたら、仕事を一杯やっていれば、それは一緒ですよね?
河上さん:そうよ。医療現場で働いている人ってそうでしょう。比較的、手取りとしてはいいんだけど、働いてる実働時間から見たらすごい低収入。それで病気で倒れても保証はあまりないしね。医療現場の人ほど。なんで医療現場の人に健康保険あまり効かしたらあかんのかよくわからないけどね。お医者様がそうでしょう。お医者様は健康保険ないね。だから歯医者さんなんか必死で歯を大事にするんよ。まず健康保険が効かないのと、自分が虫歯になったときにどこかの歯医者さんにしてもらうやん。お医者さん同士だから向こうはお金をとってくれないわけよ。ほんなら何か物をもっていくのもアレやし、お互い気まずいから、できるだけ虫歯ならないようにってがんばりはるのね。それは普通のお医者様でもそうよ。自分が病気になったからって診てもらうときにね、やっぱり大変やろ。だからお医者様は結構自分の体を大事にするのはね、そういう意味もある。
宮野さん:決して例えばその会社の社長とかいう役職がついてる方、肩書が付いた方々が高収入を実際には働いてないような格好だけれども、沢山の給料をもらいやがってではなくて、見えない仕事してるって言う事ですよね。
河上さん:そうです。中心者っていうのは給料分以上のマイナスを背負わされますからね、よっぽど徳があるか、でないと潰れていきます。だから社長で若死にする人多いのね。だから内閣総理大臣なんて長い間やれないでしょう、みんな。どこかで潰れていくでしょう、みんな。それぐらい背負っちゃうの。それも褒められたこと1回もなしや、総理大臣になったら(笑)。ボロカスに言われたまま終わる。
宮野さん:それから比べると先程の質問のきつい、汚い仕事っていう、どういう仕事か分かりませんけど、実質的に体を動かして、本人様は辛いかもしれないけど、今の話から言うと、まぁどちらがいいのかっていうと、体を動かせての方が真祈りに匹敵しやすい、より実感を伴えるんじゃないかなと思うんですけど。
河上さん:そうやね。だからほら、ぽつんと一軒家のおばちゃんが「大変でしょう?!」って言ったら「いや、気楽でいいよ!」って仰るのがそういうことやんな。思い煩うことなく淡々と全てこなしていくだけで、幸せ一杯よって仰るじゃないですか。
都会の者から見たら、あの坂道を毎日登って、あの薪を割って、あの水を汲んで、あれやってとか思うけどね。
宮野さん:お風呂入るのに4時間ぐらいかかりそうやね(笑)
河上さん:そうそう(笑)。
宮野さん:因みにもう一つ質問。5月の護摩が割合遅くまで、割とここのところ早く終わってたのに、ちょっと遅くまで長引きましたよね。それに対して今回長いなと思ってはった方もあると思うんですけども。
河上さん:5月はね、本当に皆さんがずっと護摩を熱心にしていただいて、いわゆる真祈り人の真祈りが本当に地獄の底へね届いたんですよ。そのトンネルを通ってね、まぁトンネルというか、エレベーターというか、階段というか、ロックというか、表現いろいろありますけども。その地獄の底まで通ったトンネルを、それも縦には先生が通して下さっているんですよ。横にトンネルを掘るのが僕らの役目でね。その各階層に皆さんのトンネルが横に広がったの。それを通って続々来てね、ちょっと混乱して護摩の時間がね。もちろん早く始めていいんですよ、いつも通りスタートは構わないんですけども。
どんどん集まってくるんで終われなかったんですね。それも途中でちょっと待ったれと言うことで、ちょっと車を止めて集まってくるのを待ってみたいな色々あって。で、僕らも行くのが遅れたんですけども。先生が「ちょっと待ったれ、みんなせっかく集まるんだから」ということで。一応、護摩が終了したのに、まだそれでもまだまだ来られるわけですよ。それで護摩の大事なのは皆さんの肉体があるからその横穴が通っているのでね。それで、申し訳ないけど色々とお忙しいだろうけども、ちょっとお話に付き合ってもらいます。で、ちょっとお話も長めにして、みんなが納得する状態で終われたので良かったと思いますけども。それはわかってる者がしたらいいことでね。わからないから駄目じゃないですから。それはわかっててください。
仮に僕が死んじゃえば、また誰かわかる人が出ますし、大丈夫です。必ずちゃんと護摩は神さまが1番良いようにしてくださいますから。只この5月は本当にね、本当に皆さんの真祈りのおかげ。横のトンネルがたくさんできてね、ワッて集まってきたんですよ。
この世で言うとゴールデンウィークの渋滞みたいな状態ですよ(笑)。ちょっと渋滞になって時間がかかったの。それだけです。だからちょっと今回の護摩は違ったでしょう?みんなの後の満足感がね。グワァっと変わったのはそのせいです。
6月はもっと凄いと思います。今度は、まぁ言ったら高速道路をもうちょっと造りましたから、渋滞せずにみんな集まれると思うんですね。いろんな本当に神さまの予定通りに護摩が来てます。もうそれが、先生がいつも仰ったように、あっちの世界をまず清めないとダメなんだと。この世よりね。それが順調に進んでいますので。だからスタートの方は皆さんの自由意志でね、いつも通りしていただいて大丈夫です。(僕たちを)待つ必要はないです。ただ、終わりの方はね、ちょっと今回は色々と事情がありました。それだけです。良い悪いじゃなくて。
本当に火山が噴火するか、ちょっとかなりきつめの地震が起こるかのキワキワのまま何とかいけると思ってますけども。もし噴火してしまってもね、心を乱さずに悠々と「印可書」奉読していてください。何とかいけると思っています。
質問:すごく珍しいというか、この前の護摩焚きの時のお天気が雨で、荒れ模様だったということが、覚悟というか心つもりの為に聞きたいのですが、今後もあり得ると思って心づもりをしておいた方がよろしいのでしょうか?
河上さん:もっと下の地獄に横穴が通ったら、やっぱりその時は雨です。雨と風です。 そういうことなんですよ。
質問:はい、ありがとうございます
河上さん:だから本当はいいことなんです。只、雨が多くなる。雨風で済んだら楽やな。地震では大変やもんな。
質問:日々、日常的に雨の日とか、風が強い日もそういう意味合いがあるというふうに心構えしといたらいいですか?
河上さん:だから天象地象というのはね、いわゆる人間の心に反応して神さまが1番良い形にされるわけです。で、人間のマイナスを消すのにね、大波とか大風とか、大雨とか雷とか色々するわけですね。だからどれもこれも大きなお清めの働きです。火山の噴火でも地震でも。お清めというか、1番小さい形にして消してある。火山や地震にせずに台風とか大雨とか大風で済ましていきたい。で、それも無しに行きたいわけです。本当は、何日かに一回、作物が潤う程度に雨が降ってという繰り返しになるんですよ。
理想世界になるとね。今はまだちょっとそこまでいかないだけで。でも「印可書」が降ろされましたので、あっという間だと。悠々と20年持っていきたいと思っています。あと20年ほどの辛抱だから。これがいつまでも20年と言っているうちは大変だと思ってください(笑)。ちょっとずつ短くならないといけないんだけど。
質問:NHKの番組とかで、未来に希望が持てない若者が増えているようなことを番組としてやっているみたいなんですね。実際、若い方々が心の病になっている人がちょくちょく見受けられていて。これからの若い人たちや子供たちが、もしかしたら戦争とか物価が世の中が大変な時期の中で、未来をどういう心構えで生きていったらよろしいかを教えていただきたいと思います。
河上さん:だから本当はもうすでに地上天国でしょう?コックひねったら水が出て、お湯も出てね。スイッチ捻ったら明かりが灯ってっていうね。にも関わらず、「あいつ怠けている」とかね、「あいつたくさん給料もらってる」とかあるわけですね。その中で、便利な生活をしているのに心が病むわけでしょう?それって何が1番問題かと言うと、支え合う心なんですよ。支え合う心というのは何かと言うとね、まず「自分のことは自分でしようね」なんですよ。で、「余った力で人のことをしようね」が基本で。そこからさらに進んで行くだけなんですね。最初の「自分のことが自分でしようね」って、まぁ、あんまり僕も人のこと言えませんけども(笑)。自分の身の回りの整理すらできない状態の人が多いんですよ。あんまり僕も人に偉そうに言えないよ(笑)。
でも、まず「自分のことは自分でしようね」ですから。自分なりに、自分の身の回りを整理して。先生、いつも小綺麗にされてたじゃないですか、この村でもね。そういうことをして、でも毎日掃除するのは阿保やと。10日に1回の掃除でいいから。そういうことをして、いろんなことをしていくという事を先生が示されたわけですけども。只々そこです。まず自分のことは自分でする、人をあてにしない。人をあてにするからノイローゼになります。人をあてにしてて、してくれなかったら腹が立つでしょう。だからいつも考えたらあかんと言うのは、人をあてにしないと言う意味ですけどね。
だから小さい子でもそうでしょう?「もうお母さんのせいでこうなったんや!お母さんのせいや!」ってやってるじゃないですか。あれ自分のことは自分でせずに、お母さんを頼りにしてるからよ。でもみんな無意識にね、どこかお母さんのせいにして人を責めてるの。大なり小なりね。もうそれに気づけばいい。気づいたら人を責めない。人を責めないとノイローゼにならないです。ノイローゼは人を責めるから。責めるとは人を頼りにするから。それは、お金を払っているから、これをしてくれて当然やろみたいなとこもあります。
いろんな理由がありますけどね。どっちにしたって、どんな理由をつけたって、人を責めたらあかんし、頼りにしたらあかん。 逆に自分が応援に行ってあげる位でいいの。そうすればね、世の中はもっとうまく回るんですよ。だけど今、道にポイっとゴミを捨てる人、駅のホームでもゴミを捨てる人とか。今はマシになりましたけども、それでもまだまだね、公共的な所でもゴミ捨てる人、多いでしょう。外でゴミ箱にゴミを捨ててくるじゃないですか。あれは本当は持ち帰って家で捨てるべきでしょう。そんな所でもまだまだね、みんな。
例えば、今回、高速を通っていつも来させてもらうわけですけど。高速道路のトイレに入ってね、今はアルコールで拭くようになっていますから、必ずトイレットペーパーにアルコールを染み込ませて便器を拭いてきてますか?って言われて、「はい」って言える人が何人いてるかですよ。その心遣いが、例えば高速道路やから、お金払ってるんやからトイレの掃除をしはって当然や、じゃなくて。そうしてみんなが1回1回の心遣いがあるから、トイレを掃除する人も短い時間で済むし、全てがうまく回るんですよ。
でも、トイレが1番だと思うんですよ。汚しちゃって公共のトイレの時にね、公衆トイレの時に、そのままで行く人多いのね。それが全て。まず自分のことは自分でしよう、ですよ。
令和4年5月河上さん勉強会(20220508−4)
河上さん:そうしてトイレ、アルコール拭けばね、コロナでももッと変わります。トイレで1番感染するんだから。
で、ちょっと新しいコロナが出てますので、全く症状なしに突然倒れます.だから感染力は云々は別にしても、今回はちょっと大変です。 で、pcr検査で反応しないんでね。誰もわかんないの。ところが、肺炎、肺血栓、心臓麻痺、肝硬変みたいな症状で、ポロポロ死んでいくので、そうならないために、納豆嫌いな人も色々と苦労してで良いですから、1日、毎食納豆は食べるようにして下さい。納豆菌があると、いわゆる免疫力というのは小腸で作るんですよ。で、納豆菌は小腸の免疫力を高めてくれますので、もちろん他にも食べ物ありますよ。でも1番安くてすぐ手に入るのは納豆ですから、納豆嫌な人も色々と工夫して、少なくとも朝夕2回は食べるようにして下さい。納豆屋さんの回しもんではないですけど。(笑)
今は納豆菌って売ってるからね。自分で納豆も作れるしね。何とでもなりますから、先ず免疫力を高めるしかないです。治療薬無いですから。
その何で新しいコロナとかね、コロナ以降の、ちょっとまだ名前がついてないウイルスですけども、出てくるのかって言いますと、人間の体を元気にするためです。本当は。 で、どういうことかって言うとね。ウイルスが人間の体のマイナスを背負ってくださるんですよ。だから、マイナスを溜めてきた人ほどね、コロナウイルスが入ると、コロナウイルス、あるいは新しいウイルスが入ったら、そのウイルスがマイナスを背負って動くの、それでああいう発症します。
先ず、印可書奉読が大事ですけど、肉体も手入れして頂くために、納豆を取るようにして下さい。 医学的にね。ちょっと今回、対処のしようがないんですよ。血が固まるか溶けるかの、両方の症状が出るんで、薬的には溶かす薬を投与して良いのか、固める薬を投与して良いのかが判断し切れない。お医者さんも困ってます。で、パニックになるんで、録音で言ってるけどね。医者、医学の素人の僕ということやから、みんな聞き流して下さい。そういう感じで納豆菌で止まります。
ネットで納豆菌を買ってそれを飲んでも良いですけどね。高いからね。納豆を食べるのが1番安く済むと思います。はい。 質問:納豆の豆は遺伝子組み換えとかは気にせずに?
河上さん:今もう遺伝子組み換えみたいのは出てないでしょ?まあ、表示必ず書いてあるから、表示見て買われたらと思います。はい。あんまり安いのは。。今でも表示に書いてあるもんな。
その遺伝子組み換えみたいなのが何でダメかっていうと、遺伝子組み換え自身が悪いじゃなくて、大豆の場合ですけど、殺虫剤と同じような成分を作るような遺伝子を組み替えてあるんです。で、大豆を育てる時に農薬を撒かずに育つの。で、アメリカとか殆ど全世界は大豆を油として使うのね。で、その実を食べないから遺伝子組み替えしたわけです。で、日本人は身を食べるからで、遺伝子組み替えの納豆食べると、何が起こるかっていうと、ちょっとお腹通すの。お腹の中で大腸菌とか、殺しちゃうもんね。
それで遺伝子組み替えは避けて、でも全然それ平気な人もおるからね。その人の体質やから、一概に言えないので、食べてみてお腹通るような納豆を止めたら良い。 何でも聞いて、ここに先生というデータバンクがあるから。(右肩の後ろ辺を指して)答えられないものはないです。(笑)
質問:ダイエットも兼ねてコンニャクをよく食べるんですけど、コンニャクは健康に良いですか?
河上さん:コンニャクはね、石灰を上手く抜けるかどうかが問題。先ず、石灰を抜かないと体に良くない。もう1つは、コンニャクは食べ方を間違うと、胃を痛めるのね。で胃潰瘍になって行くから、食べ過ぎないように。で、コンニャクを食べたからダイエットにはなりません。ただ、こんにゃくを食べることによって満腹感があるから、全体的な食べる量を減らせるというわけ。
質問:安物のコンニャクには石灰が?
河上さん:いやいや、どんなコンニャクにも石灰山盛り入っています。
質問:ほどほどにバランスよく食べる?
河上さん:そう、自分でコンニャク作るとわかるんだけど、自分でコンニャク作ったらね、3日から4日ぐらいで腐っちゃうの。で、そういうコンニャクは良いんだけど、売ってるコンニャクというのは、もう今、うるさいでしょう?腐るとすぐ苦情くるじゃないですか?だから、とっぷり石灰入れて作ってあるわけですよ。だから、逆に言うと、それをその石灰あく抜きをね、しっかりしないということです。
質問:じゃあ、生で食べるよりしっかり茹でて?
河上さん:そうそうそう、湯がいてね、湯は切り捨てて。だから、すき焼きする時に肉の横にね、シラタキ入れるでしょ?あれ、何でか知ってる?あのシラタキというコンニャに石灰が入っているから、その石灰で肉の蛋白が柔らかくなるの。肉にシラタキを入れて炊くと肉が柔らかくなって、
宮野さん:臭くなるの違う?
河上さん:いや、柔らかくなる、石灰で、アルカリ分解で。 それで、どっかの肉にある事をして、国産の肉として昔は売って、大儲けした人も。僕ちゃうで、僕ちゃうで、(笑)儲けた人もいます。教えてへんからな、教えてへんから。
宮野さん:教えてるんやな?
河上さん:いやいや、シラタキ入れたら柔らかくなるって言っただけ。でも、アメリカの方がね、ステーキ食べる時に、パイナップルと一緒に漬け込んで、冷蔵庫で一晩置いといてから食べられるじゃない?するとステーキ柔らかくなってるね。
質問:納豆は、朝と夜と2回で良いですか?
河上さん:2回で良い。
S:1パックで?
河上さん:1パック。ハイ。
質問:ありがとうございます
河上さん:でも、個人差あるからね。お腹の調子が良くなるように食べたら良い。食べ過ぎておかしくなるんやったら、遺伝子組み替えなのか、自分にとって量が多すぎるのかです。何でも量が多く、量食べりゃ良いちゃうからね。薬でもそうでしょ?適量の錠剤は飲むから良いんで、この薬を良く効くかたって、20も30も飲んだらおかしくなるやんな。何でも自分の体に合わせてやって下さい。 質問:あと、牛乳を飲みすぎると下すことがあるんですけど、それよりは豆乳にした方が良いですか?
河上さん:だから、牛乳が体に合わない体質だと思います。年齢に応じて、年取ってくると合わない人は合わないです。
質問:豆乳は?
河上さん:大丈夫です。
宮野さん:無調整?
河上さん:無調整でも、砂糖の入ったんでも構わないですけど、血糖値と相談してやって下さい。
宮野さん:そんなん言うたら、豆腐食べたら良い?
河上さん:豆乳を飲みたいと言っているのに、豆腐食べるとは、それは話の筋が違うん違う?(笑)液体で飲みたいって言っているのに、豆腐と言ったってな。
宮野さん:でも、豆乳と牛乳は一緒に成らないと思うけど。味が。
質問:基本的には、色んな種類を少しずつ?
河上さん:そうです。
質問:1週間かけてぐらい、1月ぐらいかけて?
河上さん:そうそう、色んな種類を食べるのが1番良いです。はい。
質問:毎日1日に色んな種類、食べようと思ったらけ、結構忙しいんです。
河上さん:それは大変です。第一飽きるやん。
質問:いや忙しいんですよ。
河上さん:忙しいしな。毎日同じもんして飽きるって。色んな種類を1口でくりっと、うん、一周させた方が。
質問:それは健康的な?
河上さん:そうです。食べ過ぎないようにね。大体、今の食べてる皆さんの食べてる量の3割ぐらいで、本来は間に合うんですよ。でもね、もうそれは皆さんの自由意思で判断してやって下さい。先生の食べ方(食べる食材)を見たらみんな逃げ出すからね、言わない。結婚前のね。 宮野さん:ちょっとは肉体を維持したいから、少しぐらいはね。
河上さん:うん。そうそう。だから、あんまりその理想を求めんじゃなくて、自分の体と相談して合うようにされたら良い。で、基本的には自分の言葉で決めてるからね。やっぱりこれだけ食べなくては体が持たないと思う人は、やっぱりその量を食べないと持たない。 先生の様に、水だけで平気って言ったら、水だけで平気になるだけで、中々そこまで言葉を駆使できるかどうか?
宮野さん:いずれは多分、水だけで大丈夫なようになる、と思いますけど。
河上さん:うん。いずれはそうせざるを得なくなるだけです。大丈夫じゃなくて、追い込まれるだけです。
宮野さん:水を飲むだけで全てのものは、全てのものに変換していくっていう、体の中で全ての、そう満足度もそうだし。うん、栄養素も、全てのものは水で賄えるはずになる。
河上さん:深夜勉強会で言ったように、その辺の生えてる草でもね。その草の表面に、その草を栄養に変えるだけの微生物がついてるわけですよね。それを食べたら、お腹の中にその微生物が住みついて、その草を食べても栄養に変えれる。
ちゃんと神さんの方はセット物にして良いようにしてあるんですよね。それを素直に受ければ良いんだけど、こんな草食べてどうなるねん、言うたら、もうどうしようもないわけで。こんなんでどないなるねんって言うんやったら、食べん方がまし。
でも食べる物もなくなったらね、この話を思い出してありがたい事で、食べるようになります。食べるもんなくなる頃には、こっちが先逃げたりしてね。(笑い)
質問:いずれ水だけの生活は大峠というんか、後半の辺りで?水だけでいう、いや応なしに
河上さん:うん、いや、それはもう人類の意識次第ですよ。だから、ほんとに印可書奉読してね,ちゃんと行ったらそんなこと起こらない。もう只々そこなんですね。
もう本当に真祈り最強。真祈りで全ては変わる。でも真祈りしなかったら、ちっちゃい子のままだから、お母ちゃん、お母ちゃんって逃げて泣いてる状態だから、神さんの方は、もうしゃあないから、もうっていうね、なるだけで。 宮野さん:その時が来なくても、例えばその震災とか起こった時に、何もない、電波も通じない。自分がその暗黒の6日間じゃなくて、それまでのもう少し軽い状態でも、自分が孤立した状態で置かれることってあると思うんですね、
河上さん:予行練習させられる人はいます。
宮野さん:そういう時にね、食べ物もない、何も連絡もできない、その時に不安を持ったり、マイナス感情を持っただけで、それが増幅していく。そうでなくて、今、さきほど聞いたように、印可書をたたんと読み続けることによって、安堵感、神さまと一体、不離一体の自分ってものを認識できて、どんどん湧き上がってくるのね。そしたら、その時に、上から落ちてくる一滴の雨水が、体に全部の栄養素を渡るように変換されていく。神さまからの頂き物なんで、それはただの水ではなくて、神さまからのプレゼントって形で、体にどんどん行き渡る。そういうのがあるんだと、食べ物を食べないといけないんだっていうのでなくて、あっ、水がそういう風に変わるんだっていうのを知っていれば、いざその予行演習の時に何かあったとしても、あっそうだ,そうだ。水で全ての栄養を賄えるんだ、と。全ての細胞はこの水からできてる。神さまが仰る、水は全ての命の源である。水は神で、神は水であり、水は神である。全てのものは水で出来ているって、言われたことあるんですね、神さまから。その時にそれを知ってれば、あっつ、水で生き永らえるんだれるんだって。 要はね、その暗黒の6日間だって、6日間生き抜き、生き延びれれば良いわけでしょう?たかが6日です。たかが6日祈り続けるだけ。水で耐え忍べば良いだけなんで。ただ、何も無い、どうしよう?お腹空いた。無かったら、余計にないものを欲しがるっていう状態でしょ?その時あっ、なくても大丈夫って。真祈りタイム、「神さま良いようにしてくれている」(笑)思ったら良いの。 そう思っていると安心感が出てくるし、その心の中のゆとりがどんどんどんどんもっとプラスが湧き上がる状態。本来の神さまの働きをもっともっと大きく押し上げてくださる格好になるんで、あっという間に6日間という感覚が、一瞬にして変わるという感じですね。 言ってみてよかった?
河上さん:良いよ。その6日間に持って行かないようにしようとしている。
宮野さん:でもほら、予行演習あっただけなんだけどね。予行演習をやったら知ってたのね。あっつ、そうそう大丈夫大丈夫って。
河上さん:できたらこの世の映画館を綺麗にしていきたい。建て替えなしに、な。
宮野さん:きっと大丈夫よ。
河上さん:うん。護摩が上手くいったみたいに、どんどんどんどん上手くなってるし、深くなってるし。
質問:200人の真祈り人が1万人に、ということになったことなんですが、今は、どんな順調なんですか?
河上さん:順調です。あとはね、その要は、みんながどんだけ、普段の仕事に心を奪われる時間が減っていくかだけ。それってどういう意味かと言ったら、仕事しながらでも、言葉に唱えてないんだけど、真祈りしてる、というのが実感できてるようになってきます。そういう、その真祈りというのは、本当は言葉以前なんですよ。そうだけど、言葉しか入らないとわからないから、印可書から入ってもらってる。
ほんとは、ありがとうございます、で入って頂く予定だったんだけど、中々難しいので、印可書という易しいのにしていただいてますけどね。 で、印可書奉読すると、もうその奉読する前に、もう真(まこと)の世界に立ってる自分の実感が出てくるんです。すると、何してても、先生がトイレに行かれようが、お風呂に入られようが、何されてても、先生真祈りそのものだったんですけども、あの感じになります。
で、みんながそうして先生の働きをするようになります。すると、その仕事、難しい仕事でもね、あんまり心砕かなくても勝手に閃いていって、こなせるようになるんですよ。だから考えたらあかん、神さんが良いようにしてるだけ。考えた途端に自分がが入るからね。自分が考えるってなると、その途端に分からんように成るの。
だから、本当は真祈りは1番簡単で、1番幸せになる方法なんだけども、その入り口がね、
みんな分からなくてウロウロしたの。で、印可書という入り口ができたから、すごく楽になった。その成果がね、今回、地獄で真祈りで横穴を掘ってほしいという先生の願いが実現しつつあります。
横穴掘るというのは、皆さんがあの糞ったれとかね、怒って頂くことなんですよ。真祈り印可書奉読する毎に、すると、横穴が掘れるの。
印可書を只々ひたすら、奉読するだけにすると、真っすぐの縦穴なの。横穴は自分の縁、腹立つ縁とかね、ええ格好したい縁とかね、あるでしょう?自分にとって。美味しい物食べたい縁とか、あるじゃないですか?その縁の部分に光が通ってるの。
だからさっき言ったように、もうこの、あんなん上司にされてっていうのも、それを楽しむって言うのもそういう意味なんです。印可書を奉読していると本当に悔しいと思っているのに、腹立つと思っているのに、その部分の地獄の横穴が掘れるの。
ただ、悔しいとか、腹立ったとか、あいつサボっているって責めた自分を責めないように、何時も言う様に。責めて良いから、印可書を奉読に変えたら良いだけ。
質問:護摩の前の1週間とか結構きつい事が
河上さん:きついでしょう。それはどんどん真祈り人としての役割が、背負わされてきた、まあ、自分で背負うんだけどね、自分の自由意思で喜んで背負っているんだけど。で、色んな事が有ります。例えば躓いて怪我したりとかね。色んな事がありますけど、喜び勇んでて印可書に変えててください。少しずつ先生がやられてた事を、皆さんに振り分けて行くって言った通りにしています。
ここで言った事は、護摩で言った事は、そのまま実現するから怖いんやで。
宮野さん:護摩の前に何にもないんやけど、それは私深くなって無いんやろうか?って心配される事も無い。
河上さん:無い。神さまが本当に良いように使っている。
宮野さん:皆さん、100%誰もの事、使ってらっしゃるんで、その気が付くか付かないかっていうのは別物。で、きつくなってきたと思う方もいらっしゃれば、そうでない方もいらっしゃるんで、皆さんが凄いやって下さるんで、護摩があんなに大きく、深く深く、大成功を続けて行ける事はそういう事かなと思います。
河上さん:まあ、色々有るよ。護摩の前にお腹空いて、何か食べたくてしゃあないとかね、色々有るの。どれこれ一つ取ったって大事な事です。
質問:確認なんですけども、感情が沸き上がって来たりとか、こうじゃあないやろう?って思わず言いたくなったりとかいう時、私の時は凄くエズキそうになったり、本当に○○的な反応で、やっぱりそれ慣れないなって思いながら
河上さん:慣れないから、効果あるの。これは演技やって分かってしまったらもう意味無い。
質問:ああー、はい。慣れないわって何時も思うんですけど。
河上さん:例えば、エベルスト登山を実際に行くから効果あるんで、頭でシュミレートしたってしゃあないやろう?そういう感じよ。だからこれもエベレスト登山なんだって、無酸素登頂なんだって思って。
質問:もう、優先の言葉というと、本当に印可書だけに。
河上さん:そうそう。
質問:私の近くで地震が頻発してるんですよ。で、いよいよなんかなって怖いんですけど。そういう時に近くの神社に行ったら良いんではないかっていう事を聞いたんですが?そういうことは?
河上さん:だから、行きたいと思う所に行けば良い。
質問:それは自分の住んでいる近くの所の方が良いんですか?
河上さん:それ自分が思う所に行くのが一番良い。
宮野さん:神社に行って助かるわけじゃあないし、神社が良い訳ではない。湧き上がる時に行くタイミングも全てがあるので、真祈りしていて湧き上がった所に行く。
河上さん:真祈りに行くだけよ。逃げている積りでも、真祈りに行っている。だからみんな怖いからって逃げて良いのよ。でも逃げている積りでも真祈りに行っているからね。
だから印可書奉読だけは忘れないように。怖がっても良いし、逃げても良いし、何しても良いんだけど、その場で、行ったとこで印可書奉読すると思っていて下さい。
宮野さん:ハッと思いだしたとこ。あれテレビに映っていた、あそこの神社とか、ああそこの高台と思ったところはお祈りに入れる所、印可書を奉納する所だったりするので、どこどこのポジッションが必要とかいうのは色んな意味で、タイミングもあるし、色んな事があるので、我を持って行くというよりは、真祈りしている内に湧き上がったところに行って頂くのが理想的です。
河上さん:それで相手のマイナスを背負いだすと、兎も角無気力になって、この世的に言うと怠け者になるというの?何も手が付かないし、しんどいし、だるいし、になるのが一番楽と思っていて下さい。
先生のように熱出したり、咳出したりする事から考えたらね。その怠けた状態になっても自分を責めずにね、真祈りして下さい。勿論、熱や咳で良いんやったら、それに変えるけどな。その方が大変やと思うから。
宮野さん:洗い物が残っているのに、洗い物ほったらかしにしているとか。かたずけなあかんのに、掃除せなあかんのに、気になるけど出来んし、みたいな感じ。 本当は簡単に済むのに、中々手が付かないっていうのは、マイナスを背負って消している時。そういう時こそ、どうせ何も出来ないんだから、印可書奉読してよって、して下さい。
宮野さん:主婦にとってはありがたい言葉ですね。
河上さん:主婦だからこそ苦しいよね。ほっとく訳にもいかないし、でも出来ないしってね。
質問:先程の縦の穴、横の穴のお話しで、毎日の御仏壇のお世話でお線香をあげて、私は印可書を唱えています。それは横の穴を掘る事になると思って良いでしょうか?
河上さん:そうです。だから先祖供養が良いとか悪いとかじゃあなくて、先祖が自分だったって分かる事が大事。その地獄の亡者が自分だったって分かる事が大事なんですけどね。そこ迄一足飛びに行けないから、先ず地獄に降り立つ人は、自分の身代わりになって降り立って下さっている、から入る訳ですけど、ご先祖さまも一緒でね、自分の身代わりになって、先に向こうで苦労して下さっていると、感謝していくわけですけどね。
でも本当は全て自分なの。その全て自分というのは、天国にも地獄にも、何所にも、自分の意識が同時にある状態を言います。理屈で言いようが無い。敢えて今、理屈で言いましたけど。そうかなしか思わへんやろう?説明しようない。只、そうなった時は、無条件の喜び、無条件の幸せ。先生の仰る、無条件に喜べるし、幸せっていうのがやっぱり出ます。ふつふつと嬉しいというね、喜び勇んでというのはこういう事だったんだっていうのが分かるわけ。その時に実感として分かりますけど、理屈ではこれ位しか説明できない。
だから先生は、大戦争の真っ最中の中でも完全平和を思えっていう表現をされたわけですね。それって中々理解できないんですけど、全てのとこに自分の意識があるから、大戦争という状態の世界にも意識を置いているけど、完全平和の世界にも意識を置いているから、出来る事なの。これも理屈で言うと大分ズレるからね、「そうかなー」位にしか思えないんだけど。先生のお話しの中では、そういうお話しがありましたね。
宮野さん:そのようになろうと思ったら、ひたすら印可書を読み続ける。
河上さん:そうです。
宮野さん:いずれ出来るようになる?
河上さん:いずれではなくすぐになります。印可書を奉読してる時はそうなっているの。
これだけは忘れないで。印可書を奉読している時は、自分の自覚に関わらずなっているの。それだけなんです。それが自覚に変わる迄、奉読するだけでね、だから、ほら、好きな歌謡曲って自然に頭の中で回っているじゃあないですか?そういう感じで、印可書が頭の中で回るようになれば、大丈夫。
なんかフッとした時は、なにか印可書を頭の中で唱えているわ、みたいなね。まあ、頭の中と言うより、体の中なんだけど、命の中なんだけど。印可書は命そのものだから。
難しいことは無いんで。本当は、本当に簡単な事だけだったの。既に悟っている自分というね。でも悟っていない自分と決める事によってしか、肉体を持てないから。最初の思い込みを付て肉体を持ったらね、今度はその癖が消えへんね、中々。だから色々と、簡単やけど、最初の入口さえ超えたら、後は一気に広がります。
だからイエスがね、針の穴に通る難しさがある、天国に行くにはね、というのはそういう意味なんです。最初の入口はワーッと越さなあかんのやけど。
質問:先般の何かのお話しで、過去の昔の話とか、その時代時代に、それぞれの入れ構造があるというお話しをされてたと思うんですけど、昔の時代に思いを馳せたり、その時代に合わせて印可書を奉納する事が、その時代時代の入れ子構造を清めて行くという事になるんですか?
河上さん:うん、そうしても良いし、一々そんなん考えなくてもそうなります。その江戸時代、縄文時代ってあるでしょう。今此処に存在しているの。だから、過去も、現在も、未来も、遠い過去って先生仰るのはね、それ一冊の本の訳なんですよ。一冊の本の中に、過去も、未来も、今も入っているでしょう?そういう感じで、今此処に全て入っているの。それを絶対の中今って言うんですけども。
皆さん、何時も絶対の中今(なかいま)に立っているの。立ってる中で、どの本を選んで見ているかだけ。たったそれだけなんです。
質問:今戦争をしているロシアとかウクライナ、その周辺諸国の歴史を今一度読んで、それに向かって印可書を奉納すれば、緊張が改善されるという事も?
河上さん:なりますけども、一番大事なのは、これが悪いからどうこうと思ったら、もうアウトなの。何時も言うように「みんな既に祈ってる、悟ってる、救われている」それが全て。「祈ってる、悟ってる、救われている」状態で、戦争映画を作って楽しんでいる、喧嘩して楽しんでいる、みたいなもんなんですよ。マイナスじゃあないの。わざとプラスとマイナスに分けて楽しんでいるだけ。
だから本来は男と女という区別は無いんですよ。でも男と女に分けるから、恋愛して楽しめるんでしょう?お互い同じもんやったら面白くない。男と女があって愛しい人よとかね、あぁ、この人と一緒に成れそうで成れないとか、ドラマで有るじゃあないですか?ここで一つ、一緒に成れそうでなれない、又、分かれてしまったとかね、あれよ。
あれは分けて楽しんでいるのね。中々、結婚できないとか、巡り合えないとかいう事で楽しむわけでしょう?あれ巡り合えてしまったら、もう終わったや。これもうちょっとで会うけど、すれ違ってってねってするわけでしょう?そうして楽しんでいるの一緒。戦争も一緒なの、やっぱりマイナスを楽しんでいる、本当はね。
それが分かって来たら一気に変わるねんけど、これがマイナスなんだ、駄目なんだって言ったら、もうあかん。要するにみんな悟って無いって言ったらあかんの。「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が本当の事なの。それをわざと悟ってない状態にして、救われてない状態にして楽しんでいるだけ。わざと男と女に分けて楽しんでいるだけ。
だから因縁因果の中では、ある時は男に生まれ、ある時には女に生まれてとして、みんな楽しんでいるの。自分で選んでいるんやで、女に生まれるとか、男に生まれるとか。
ただ、過去世の事なんで分からんようにしているかというとね、例えば、自分が女に生まれいたと思って、今、男になるとね、ややこしいでしょう、意識が。だから過去世の事を消している。
僕は分かるから、(僕自身は)微妙に微妙なとこがちょっと有ります。先生との縁なんか特に良く分るから、微妙なとこあるけど、もうそんな事言っても仕方が無いし。
もうどれもこれも「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が基本。
マイナスに見えても楽しんでいるだけっていうね。それを本当に悪い奴や、本当にアカンやつや、本当に怠けているとかやるでしょう?すると新たなシナリオを描いているわけ、分かる?で、新たなシナリオを作ったら、描いたシナリオはこなさないと消えないから、又、大変なわけですよ。
まあー、エベレスト登山を旅行者に予約して、お金振り込んでしまっていると、するとどうしても契約上行かんと仕方がないみたいな感じやね。 それを予約を解消する方法が印可書奉読なの。まあー、テレビで言うと、予約録画をしているのを消すのは印可書奉読したら消える。だから真祈り最強なん。でも印可書奉読する時も常に、「既に祈ってる、悟ってる、救われている」それが全て。それで相手に物を言いたくなった時でもね、相手が「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が基本です。ちょっとでも相手が、この人はアホで祈ってない、あかんねんって思ったら、自分がその位置まで落ちます。
だから今までの宗教は年数経つほどグチャグチャになるの。みんなこいつ迷っているから、救ってやろうなんて人が多いいでしょう?迷ってないのにね。演技しているだけ。先生が何時も名演技って言わはるやん。本当に演技しているだけや。で、女に生まれた人は、今生で女を楽しむ。男で生まれたなら、男を楽しむ。男の演技を楽しむ、女の演技を楽しむ。
だから宝塚歌劇とかね、歌舞伎で女形とか、違和感なく見るのはね、やっぱり自分が色んな立場に立って楽しんできってるからや。 じゃあ、お祈りして終わります。ありがとうございます
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