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1月護摩のお話 by 河上彰延 2022年01月16日(日) 12時43分
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1月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年1月の護摩焚きで、たくさんの質問に河上さんが答えて下さいました。ありがとうございます

質問1
 印可書について、確認の質問が3つあります。
@唱える時、たとえ小声でも声に出した方が、より効果的に神さまへの奉納になるのでしょうか?
A印可書を唱えている時は、真(まこと)の本心の自分になっているということですが、唱えていない時は、その限りではないということですか?
B以前の河上さんへの質問がらみの話の中で、般若心経や南無阿弥陀仏などは、虚の世界を相手にしている言葉だけど、「宇宙神ありがとうございます」は、真(まこと)の世界を相手にしているので、比較にならないほど、強力な言霊(ことだま)という話があったと思いますが、それは、印可書についても同じですか?

 よろしくお願いします。


河上さん
 ありがとうございます あらためて、明けましておめでとうございます。また今月も、みなさまと、お会いできまして嬉しく思います。

 まず、真祈りの唱え方ということですけども、声に出そうが、心に唱えようが、文字に書こうが、全部同じです。ただ、その人にとってね、書く方が籠るんだ、或いは声に出した方が凄く響くんだぁとかね、あるじゃないですか。その人にとって一番やりやすい方法を自由自在にね、していただければ大丈夫です。必ず声に出さなくちゃいけないとか、書かなくちゃいけないとか、いうことはないです。自由自在にやって下さい。
 
 もう一つ、今までの宗教はね、光が強すぎると、みんなが受けとめれなかったんですね。だから、虚の世界で病気が治るとか、願いが叶うとかいう事を主体にして、少しでもみんなの心を神さまに向けようという、神さまの愛で作られた宗教なんです。だから、虚の世界を対象として作られてる祈り言葉になります。いよいよ、色んな聖者方が出て来られてですね、人類のマイナスをどんどんどんどん消し去ってこられて、みなさまが、真(まこと)の光を受けとめれる状態になったということで、初めて「印可書」が「宇宙神ありがとうございます」が降ろされました。これ、言葉を降ろされただけではないんですね。

 松下先生が、まず、因縁因果の輪を断ち切られたので、それっていうのは、虚の世界を一旦ここで終了しますという宣言です。映画で言うと一旦ここで終わりですよと、一旦観客は外へ出て、ごはん食べに行ってきて下さい、おトイレ行って来て下さい。また上映する時は、呼びますからというね、そういうふうなことですね。一旦ここで終わりにしますということで、本当に表に出なくちゃいけないわけです。

 映画館の表というのは、映画館の中が虚の世界です。映画館の表に出るというのが、真(まこと)の世界なわけですね。表に出る、いわゆる、地図といいますか、方法というか、許可書というか、通行手形というか、表現色々ありますけど、表に出る為に、この祈り言葉がいるということです。これがないと映画館の扉を開けれないのね。いつまでも映画館の中で、ウロウロ迷ってる出口どこなの、どこなのっていう状態になりますので、そのために、先生がいのちと引きかえに「宇宙神ありがとうございます」という祈り言葉、或いは「印可書」という素晴らしいものを残してくださったのです。

 本来は「宇宙神ありがとうございます」だけでいこうということだったんです。まず「印可書」を出したんですね、「印可書」を出したけども、みんな選んでいただけないんで、受け取ってもらえないので、自由意志でね。先生が受けなさい、読みなさいっていうたら、それは、みんなの自由意志を邪魔することになりますから、本物にならないんですね。先生が、お書きになったものを、みなさんが自分の自由意志で選びとれたら本物になるわけです。ところが「印可書」を選んでくれなかったので、じゃあ、もっと簡単にしようということで「宇宙神ありがとうございます」という言葉にしました。でも、やはりそれも選んでくれないんですね。じゃもう一度、難し過ぎてもダメ、簡単過ぎてもダメ、じゃあ、その中間をいこうということで、もう一度「印可書」の方を、強い光から弱い光を混ぜれるような形のものににしろということで、今の「印可書」があります。今の「印可書」で完成になったので、先生は本物が現れたと、本当に相好を崩して喜んでいただきまして、今に至っています。

 本当に、自分という意識をどうして消すかっていうのが、永遠の課題なんですよ。自分がしてると思ってる限り、全て本物じゃないわけです。本当は心臓ひとつ、呼吸ひとつ、自分の力で動かしてないのにね、心臓、心臓を自由に動かせるんだったら、永遠に生きれるじゃないですか、でも寿命がくるわけです。自然に死ぬって、みんな表現しますけどね。自然に、自然に動いてる、自然になってるという表現が神さまのいのちの働き、御働きそのもの、真(まこと)の神さまの御働きそのものという事なんですけども、その御働きそのものを、いかに、そのまま受け取れるかというために「印可書」があります。今までの宗教でも、自分をなくす為に色んな事を、本当にするんですよ、座禅したり、本当に滝に打たれたりとかするんだけど、どうしても自分が消せない。

 今は、自分という意識があったままでも「印可書」を読んでいたら自分が消えるという説明をしています。そしたら、それって相(合い)矛盾してないかって、みんな言うわけですね。ところが、実際は違うんですよ。本当は、みなさん真(まこと)の神さまそのものだけが、本来のすがたなんです。そこに色んな、自分のマイナスの言葉を洋服として、或いは、お化粧として、自分の上に着込んでですね、簡単に言うと無色透明の粘土があるとします。その無色透明の粘土が、真(まこと)の本心の自分ですね。それに対してマイナスの言葉という、色のついた粘土を混ぜてですね、色んな色彩の粘土にして、そして尚且つ、形作って遊んでる状態が、今の虚の世界なわけです。だから、本来の自分が常にあるんですよ、本来のある自分を、ただ響かす、響かしきるだけのものだけでいいわけですね。

 その本来の自分、要するに俳優として、演じてる俳優の自分を自覚する方法が、「印可書」を奉読することなんです。俳優として演技していて演技してる自分は「水戸黄門だ」、或いは自分は「何々だ」ってこう思って演技してても、「印可書」を読んでると本来の自分が自然に浮かび上がってくると、そういう凄いものが「印可書」なんですね。本当は「宇宙神ありがとうございます」を「宇宙神ありがとうございます」って祈れば、真(まこと)の本心の自分が出るんだぁって信じきれたら、それで充分効くんですよ。

 でも中々ね、この言葉だけで本当に大丈夫なの?って、簡単過ぎて不安になるんですね。「印可書」は不安にならないくらい、たくさん真(まこと)の本心の自分を説明してあるわけです。だから、「印可書」でいっています、勿論「宇宙神ありがとうございます」が真(まこと)の本心の自分そのものって信じきれる方は「宇宙神ありがとうございます」でいかれて大丈夫です。

 もう一つ、何やったかなぁ?

司会者
 印可書を唱えている時は、真(まこと)の本心の自分になっているということですが、唱えていない時は、その限りではないということですか?

河上さん
 唱えていない時は、虚の世界の自分を演じている意識に合わしてる状態です。だから、簡単に言いますと自転車に乗るまでね、自転車乗れない状態じゃないですか?自分は自転車乗れない自分だって演じてるのが、「印可書」を唱えていない状態です。自転車の練習とか字の練習とかねいうのが、わかり易いやすいと思うんですけど、字の練習でもそうですけど、自分は字が下手だと思い込んじゃうともう練習できないのね。練習して下手な字を書いたら、それはクシャクシャと丸めて捨てて、また新しい紙、練習して書いていて、字が上手くなるじゃないですか。自転車も乗れない乗れないと思うんじゃなくて、必ず乗るんだぁ、乗れる自分があるんだぁと信じれるから乗れるようになるんですね。もう、それだけです。

 今、「印可書」を読んでいない時は、乗れない自分、字の下手な自分、不器用な自分、或いは、自分が器用に何でもできる自分とかね。自分という意識がある状態になっているのを「印可書」を読んでない状態と言います。よろしいですか?ありがとうございます

質問2
 私は、毎日護摩木を数十枚書いていますが、住んでる家が小さいせいか、護摩木を書いている時、家族が同じ部屋でテレビを見ていて、気が散ることが多いです。気が散ったり雑念が入ってくるままで、護摩木を書いても大丈夫でしょうか?

河上さん
 はい、それで大丈夫なんです。その周りの色んな縁(えにし)のある響きですね、それを全部巻き込んで、「護摩木」に籠めて持って来て下さい。ここで全て消していきます、大丈夫です。

質問3
 毎日30分以上、護摩木を書いていますが、印可書を唱えながら護摩木を書くこともありますが、それでもよいのでしょうか?

河上さん
 どの形でも、自由自在にやって下さい。「護摩木」を書く時は、本当に雑念が湧いていようが、色んな欲望が湧いていようが、全て真(まこと)の神さまの綺麗なお清めの強い光の御働きになりますから、どの状態でも、「護摩木」を書こうとし続けて下さ、書き続けて下さい。お願い致します。

司会者
 神社での、お祈りの奉納について質問をいただいております。長文ですが読ませていただきます。

質問4
 2年以上に渡って、あちこちの神社で、印可書を奉納させていただいてます。ところで以前、河上さんのお話の中で、色々な色彩の光を出す役割の神さまもいらっしゃるので、あんまり印可書の無色透明の光だと、よくない場所があり、その時は、印可書を唱えないでくれと、神社の神さまの方から響いてくるので、そのようになったら、何か唱えたくないなぁと思うので、その時は、無理して唱えない方がいいと言う、お話がありました。今まで、東京近辺の数多くの有名な神社を中心に足を運んでいますが、自分は勘が鈍いのか、霊感が全くないせいなのか、印可書を唱えないでくれと、神社の神さまからの響きを感じたことが一度もありません。だから、そのまま唱えています。大丈夫なのでしょうか?場合によっては、神社の神さまが有難迷惑と思っていることがあるのではないかと心配になることがあります。良きアドバイスをお願いします。

河上さん
 大丈夫です。もうそれで大丈夫です。本当に行ってはダメな時は、色んな用事ができるとか、前で何か事故があって電車が止まっちゃうとかね、色んな足止めがありますし大丈夫です。

質問5
 真祈りする人は、誰からも立派な人と思われなければならないでしょうか?雑巾役の場合、ボロカスに言われる場合、言う方から見れば私の事を立派に思ってないわけで、それはどう捉えたらよろしいですか?また、そういう相手も死んだらゲームセットとなるのでしょうか?死んでまで、ボロカスに言われたくないし、最初亡くなったら同じもの同士しか集まらないとお聞きしましたが、向こうの世界も神さまの世界と地獄とどちらかしかないので、お聞きします。よろしくお願いします。

河上さん
 松下先生がね、因縁因果の輪を断ち切られましたので、もう向こうの世界ってないんですよ。真(まこと)の世界か絶対無の闇の世界しか残ってないのね。その、まず今の質問で一番大事なところは、自分と他人を分け隔てる意識なんです。自分と他人を分け隔てる意識というのが、虚の世界の意識なんです。自分と他人を分け隔てたら、虚の世界として楽しめるわけ、「あいつに、ぼろ糞に言われた」とか「あいつ憎たらしい」とかね、「あいつさぼってるやないか」とか「あの人、頭が良くて何でも出来ていいなぁ」とかね、色々ありますけども、この虚の世界の楽しみというのは、自分と他人を分けた時点でできるの。

 映画でいうとね、俳優さんとしては一つでしょう、でも色んなシナリオ、俳優さんのシナリオをいただいて、分け隔てることによって、初めて悪役といわゆる悪代官と正義の味方が出て来てということが楽しめるわけじゃないですか。如何に、自分と他人を分け隔てを消すかだけなんですね。それって「自分がしてる」「自分が助けてやってる」或いは「自分が助けてもらってる」或いは「自分が仕事をしている」或いは「自分が家族を養ってやっている」色々ありますけども、自分がという意識をどう消すかなんです。自分がという意識がある間は、虚の世界で楽しめるの、苦しめるとも言いますけども、如何に自分を消すかだけなんですよ、今のお話の中でね、一番苦しい、辛いの問題点は、自分を消すために、どうするかっていう(ことなんですがその)ために、「印可書」が「宇宙神ありがとうございます」が、そして「護摩木」があります。

 是非ね、悩んだ時、苦しい時、辛い時は、「印可書」を奉読されて、或いは「護摩木」を書かれて、或いはひたすら「宇宙神ありがとうございます」と、いのちを籠めてね、お祈りされて突き進んで下さい。そうすると自然に自分が消えます。消えたら、全てが真(まこと)の神さまの御働きって、ごく自然にわかります。丁度、映画の中の悪役見てね、「あいつ悪い奴や」って映画で見てる時は思ってますよ。実際に映画の宣伝っていうんですか、(宣伝のあいさつで)俳優さんが舞台上に出てくるじゃないですか、舞台上に出て来て挨拶される時にですね、あの俳優悪い奴やと言わないじゃないですか、悪役の俳優さんを、あいつ悪人やなぁなんて言わないでしょう。それが自分がなくなったらわかるわけです。それが、全ては真(まこと)の神さまの御働きってわかる状態です。

 でも理屈ではわからないのね、自分という意識がある間は、どんなに理屈をつけたって苦しいの、それは虚の世界に生きることになるから、自分という意識を持てば、自分という意識さえなくなれば、真(まこと)の本心の自分に、本来の、本来のですよ。本心の自分を呼んでくるんじゃないのね、本心の自分の上に、自分という意識を被せて虚の世界で遊んでるだけですから、真(まこと)の本心の自分が、すーっと湧き上がってきて、全ては、真(まこと)の神さまの御働き、無条件の喜び、無条件の幸せが観じられる。

 俳優さんが凄い演技してるから、凄いなって喜んでるじゃないですか映画で、なんぼ(いくら)悪役が悪人をやっていてもね。あの人アカデミー賞並みの凄い名演技だーっていうて、やっぱり悪役を見てても喜ぶでしょう、映画で、それと一緒で、本当に自分というのが消えたら、虚の世界の全てを見たって無条件に喜べるの、ということになります。

 だから、ぜひ「印可書」を奉納してね、「宇宙神ありがとうございます」を祈り続けて、そして「護摩木」を書き続けてね、自分を消し去って下さい。自分が消し去るんじゃない、神さまが自然に消して下さいますので、後は楽になります。ありがとうございます

質問6
 この世的には、いい人でも、真祈り、印可書奉納がないと地獄、漆黒の闇にいきますか?そうだとしたら、大半が地獄にいっていますか?これから真祈りで一気に変わっていくと思いますが、既に亡くなっている方は腐らずに亡くなってますので助かりますか?

河上さん
 先生からの厳命は、全員を連れて来いという厳命ですので、一人も残しません、安心して下さい。(腐っている腐っていないにかかわらず)漆黒の闇に落ちるとね、真っ暗で本当に見えないんですよ。見えないんで、いわゆる腐る形の病気とか、色んな姿をとってですね、いわゆる神さまに向いてない方というのは、そういう形で、どの形でも神さまのお仕事に、(すでに死んでいる人でも)神さまが今回は使ってくるんですね。

 以前は、「どうか、このいのち神さまのお仕事にお使い下さい」って投げ出さないと、その人の自由意志を超えてですね、使ってこなかったんですけど、いよいよ今回、因縁因果の世界、最後ですので、全て(の生きている人も死んでいる人も)を神さまが雑巾役として、どの方も使ってきます。ただ使い方が「印可書」を奉納していると何度も使っていただいて、どんどん役に立つし、神さまの方を向いてない方は1回限りの使い方をされるわけです。(すでに死んでいる方でも、印可書を奉読されている方の縁を通じて印可書を奉読始めることができます→だから、皆様それぞれの立場で場所で印可書を奉読されることが大切なのです)

 その時に癌であるとか、腐る病気であるとか、ライ病とか色々ありますけども、凄い事故で死ねとかね、その形で神さまが使って下さいます。その形でも神さまのお手伝いになってますから、その形で、死んだとこが光るんですね、蛍のように、すると漆黒の闇に落ちても、光ってるんで見えるから、つれにいけるんですよ。とういう形のシステムに今回、先生が、するということでしたので、何があっても一人残らず、誰一人残さずに連れていきます。ただ連れて行き方が色々あるということです。(もちろんすでに死んだ方でも印可書を奉読されている方の縁を通じて連れて行きます)ありがとうございます

司会者
 事前にいただいてる質問は以上ですけども、その他、何か会場の方で質問がありましたら、前の方までお願いします。(質問者がありました)

質問7
 印可書を録音したのを、普段流してるんですけども、人前では流せないので、人がいてる時は、音を消して流しています。完全に消してしまってるんですけど、消してしまった方がいいのか、聞こえないくらい小さく音を出した方がいいのか、それでも響きはあるんですか?

河上さん
 消していても大丈夫です。以前ですね、松下先生の色んなお話をハードディスクに収めてですね、みなさんに希望者に配ったわけですけども、それは聴くためもありますけども、そのハードディスクを持ってるだけで光が出るの、真祈り人のかわりになるくらい出るんですよ。「印可書」を録音されて、音を出されなくても再生してるだけで、「印可書」の響きが出ますから大丈夫です。

 ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他に何かありませんでしょうか?(質問者がありました)

質問8
 今の質問の続きみたいなんですけど、書いたものも一緒ですか?

河上さん
 一緒です。だから、「印可書」を書いてですね、どんどん細かくちぎってでもいいし、折りたたんでもいいですし、ともかく小さくして、彼方此方(あちこち)のゴミ箱に入れてきていただくだけでも、凄い効果があります。(ありがとうございます)ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます その他に、何か質問ありませんでしょうか?ないようでしたら、河上さんお話お願いします。

河上さん
 ありがとうございます 今日はね、本当に200人の真祈り人が完成した、最初の護摩になるわけなんですけども、本当に早くワーッと終了しちゃったくらい完成しました。本当にいい護摩でした。これからね、先生が1万人の真祈り人にまで、するということなんです。これからも油断せずにね、「印可書」を「宇宙神ありがとうございます」を奉納し続けて下さい。あっという間に世界は変わります。

 壬寅(みずのえとら)という、この年なんですけども、壬(みずのえ)というのは、本当に陰陽が合体してね、最初の種を蒔いて芽が吹くところなんですよ。ということは、簡単に言うと(陰と陽とう)歯車がね、グッと噛み合って動き出すとこなんです。もうここらからは、一切後戻りはないです。それが、この200人の真祈り人が完成して進みますから、もうなんというんですか、絶対大丈夫なんですけども、それでもこの出来るだけ、一番いい形にもっていきたいのでね、みなさん方のこれからの真祈り次第ですので、よろしくお願いします。

 本当に何時(いつ)大きく揺れてもね、おかしくない状態が、ずーっときてて、こっちは、わかるものは冷や冷やしてるんですけど、先生の方は、もう真祈り人として、悟ったのが200人できたということなんですけど、自覚を塞いでおくと仰ってるんです。

 それね、知らぬが仏っていうのが、本当に幸せなの。これね、わかるとね、凄く辛いから、例えばその人そのままほっておくとね、例えば事業されていると、そっちの方にいかれたら、その事業失敗して倒産するよって、わかっててもね、その人の自由意志を超えてね、そっちいったらアカンとは言えない。その事業したらいけないよって言えないんですよ。勿論、もっとこっちの儲かる仕事あるでっていうふうな、誘いは掛けられますけど、その人の自由意志を超えられないですね。だから、見えない方が楽ですから、みなさん申し訳ないけど、悟った正覚を得た意識を塞いでいます。でもちゃんとみんな真祈り人として、大きく働けてますのでね、喜び勇んで、「印可書」を奉納して、「宇宙神ありがとうございます」を祈って、「護摩木」を書いて、「護摩木」を作って、(護摩に参加されて護摩木を奉納して)真祈りに、神さまのお仕事に、お手伝いに、突き進んで下さい。

 今年1年も、また、よろしくお願いします。ありがとうございます また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/F5EHQisNg0I

 宇宙神ありがとうございます


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元旦 by 河上彰延 2022年01月12日(水) 00時38分
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令和4年元旦河上さん新年のご挨拶(20220101−1)

河上さん:いつも、「あけましておめでとうございます」って言うじゃないですか。「あけまして」っていうのは、一瞬一瞬新たに真(まこと)の世界が響上がって(ひびきあがって)くるという意味で「あけまして」なんですね。

 だから象徴的に元旦の朝にね「あけましておめでとうございます」と言いますけども、本来は毎日、毎日が「明けましておめでとうございます」になります。 

 いつも一瞬一瞬新たにというとこだけをね、常に常に真剣に、まぁ、考えるって言ったらおかしいけど、受け止め直して下さいね。ついついね、明日も同じように目が覚めるとかね、当然、明日も生きてるとかね、思うわけですよ。

 その当然、明日も生きてるっていうのは、既に過去を掴んでるのね。一瞬一瞬新たやから、もう全く神さまが良いようにされるだけで何も分からない。でも良くなっていくだけっていう、絶対の信なんです。

 よくみんな先のことは分からないから不安じゃない?「地図さえもない、それも人生」みたいなね、そういうこと言うんですけどね。

 でもみんな例えば映画のビデオね、LDっていうんかな?あぁDVDか。でも1回見た映画2回見ないよね。もうわかってるのは面白くないね。分からないから面白いね。それに気づいて手探りで、まぁ言ったらみんな手探りで人生進むわけですけど、その手探りが楽しいというのがわからなくちゃいけない。
 
 その手探りというのが一瞬一瞬新たに受け直すための練習なんです。わかってたら全然面白くないね。分からないから楽しい。本当にわかってた方が面白いんやったら、同じDVDを何十回って見ても飽きない筈やね。でもよく見れて4回と違う?結末がわかってたらもう見ないよね。人生も一緒で、結末がわかってたら面白くない。

 でもなんで結末が分からないかというと、自分の受け取り方でどんどん変わるから。1番は神さまが1番良いようにしてるだけなんですね。そこをよくわかれば喜びだけ、無条件の喜び、無条件の幸せになる。

 なんで(なぜ)無条件の喜びが湧くの?なんで(なぜ)無条件に幸せが湧くの?って。無条件の喜び、無条件の幸せって先生が仰った時に、みんな疑問に思うけど質問できなかったのね。よくわからなかったから。

 でもその無条件というのは、もう本当に神さまに対する絶対の信が立ったら、もう良くなるしかないから喜べるだけになるね。でもちょっとでも不安に思うと喜べないからね。

 なんで不安に思うかと言ったら、過去を掴んで、過去の経験に基づいてどうこうって考えるからやね。だから夜寝る時に、明日も今日のように元気で目が覚めると思う浅はかさやね。誰だって朝、目が覚めるとは限らないんよ。そのまま死ぬかもしれないんやで。

 だから、いつもいつも悔いのないようにね一生懸命するだけっていう。それ悔いないように一生懸命するっていうのは何かって言うと、結果を気にしないということやね。

 みんな結果を気にするから、明日はこれして、明後日はこれしてって予定を立てるわけやけどね。勿論、そうやって一瞬一瞬新たに真剣に生きるのは良いことなんだけど、結果は関係ないのね。それをわかって下さい。ゲームで言うと、色んなルールで自分を縛ってね、まぁ野球で言ったら飛ばないバットでホームランを打つようなもんでね、わざと自分の能力を削ぎ落として、不器用になって生まれてきて不器用を楽しむ、不器用を練習するみたいなね。練習するというか、まぁ楽しむなんだけどね。その不器用の中でどれだけのことが出来るかっていうのを自分で、まぁ楽しむのよ。

 だから、「自分は勉強もできないし、不器用やからダメだ」じゃなくてね。神さまが色んなシチュエーションを使って楽しんでいらっしゃるだけなのでね。その神さまと共に楽しむ、共に喜ぶというのをわからなあかんね。だけど、みんな自分と他人を分け隔てて「あの人これだけ出来るのに、私これだけしかできないわ」或いは、その逆やね「私これだけ仕事してるのに、あいつ全然さぼってたしおれへんわ」とかね、ついつい思ってしまう。

 結果を気にしたらあかんのね。神さまは、いかにひたむきにしたかだけ、それだけです。まずね、今年はそれを思ってください。

 壬(みずのえ)って今年は付くんですね。その壬寅(みずのえとら)ですけど、その壬の意味があるんですよ。壬というのは、おしべとめしべがくっつくとかね、交合するっていう意味。要するに最初の命が始まって湧き上がってくるスタートなんですよ。ここからは待ったなしなのね。

 まず壬という年を過ごして、3年後に本当に色んな結果が出てきます。具体的には去年の冬至を過ぎたら、もう新年やったんですけどね。まぁ、今から新年で良いですよ。今から本当にね、マイナスを掴まないこと。マイナスを掴まないって何かっていったら、現実を言葉にしないという事なんですね。もうそこだけです。みんな無意識の癖でね、現実を言葉にしちゃうのね。今日の雪かきじゃないですけど、先生の働きは雪かきで言うと、大きな除雪車でグアーっと大きな道の雪を掻く働きだったんですよ。あとこの横の所はみんなで総出でやるでしょう。総出でやるからあっという間に片付くでしょう。

 だから今、「印可書」でみんなが総出でお清めの働きをしていただくわけですけども。

 人間というのはね、清めても清めても、積むのね、雪を、思いをね。それは何かと言ったら、現実を言葉に表してしまうから。だから先生は昔ね、「ありがとうございます」を3カ月間、もうそれだけ言い続けたら悟れるって仰ったの。その深い意味がみんな分からないから、そんなん不可能や、で終わるわけですけど。要するに何を見ても、どんな現実を見ても、「ありがとうございます」だけにしたら、一切の現実を言葉にしてないからマイナスを背負うことがなくなって、それで悟るの。

 「身心脱落(しんじんだつらく)」の状態になるんですけどね。「身心脱落(しんじんだつらく)」の状態を、雪崩(なだれ)のように自分の思いがガサガサっと崩れ落ちるんだけど、雪崩のように崩れ落とそうとしたら雪を降らしたらあかんね。

 雪を降らすというのは何かと言ったら、みんなが現実を言葉にしてることやね。現実を言葉にしたら雪を降らしてるのね。

 今回もそうですけど、除雪してもしても降ってくるでしょう(笑)。それ神さまの方の嘆きで、まぁ神さま嘆かないけどね。神さまの方からのアレで言うと、なんぼ綺麗にしても綺麗にしてもね、思いを積んでくれるみたいな(笑)。

 だから現実無視、或いは過去の結果に基づいてどうこう言わないと言うね。現実を掴まないとはそういうことなんですけど。

 それって何かと言ったら現実を言葉にしないです。現実を言葉にしないと言ったら「印可書」読むもあるし、神さまがどんな状態でも1番良いようにしてるって言ったら現実を言葉にしてないのね。「あー、こんなんになってどうしよう?」って言ったら現実を言葉にしてるわけ。

 だからいつもいつも神さま1番良いようにしてるんだって喜んでたら良いね。だから先生が「喜んで感謝して待っててくれたら良い」って。神さまの無限の無限の働きを「褒め称えて喜んで感謝して待っててくれたら良い」って、いつも仰ってたんだけど、中々みんな質問しないから、最初の神さまの無限の無限の働き、無限の無限の愛という部分まで聞けなかった。それだけです。

 だから今年は本当に壬寅(みずのえとら)なんでね、色んなことが始まります。だから逆に言うと真(まこと)のプラスに思い続ける、「印可書」を読み続けてくださってたら本当の神さまの働きをみんなできるようになるんでね。今もしてますけど、もっと本当に深くできるようになるんで、是非、今年はね、心入れ替えて現実を掴まないようにお願いします。壬寅(みずのえとら)という壬というのはそういう意味です。

 寅というのは何かと言うと、本当に具体的に、この世的な仕組みが組み立っていく姿を寅って言います。だから本当に始まるんですよ、真祈りが。真祈りが本当に具体的に根付くの、地球に。もちろん真祈り人次第やで(笑)人類に任されたからね。勿論、人類の方がもう真祈りしない、いらんねん(お祈りなんか意味ないからいらないです)って言ったら、又それに基づいてそれに応じた姿が出ますけどね。

 でも先生が地球霊王様と約束して、人間の方でちゃんとしますから、真祈り(まいのり→現実を言葉にしないこと、文句を言わないこと)しますからということで始まってますから。その先生の約束をみんなで守りたいと思います。

 今年はひたすら「印可書」を、「宇宙神ありがとうございます」をね、真(まこと)のプラスの言葉をよろしくお願いします。それすら思い切れない時は何があっても神さまが良いようにしてるから、よかったよかったって思いなおしてください。それだけで大きく違います。

 こんな怪我してどうしようって思ったらダメなの。こんなで済んでよかったよかった、何でもよかったよかった。もうそれだけで大きく変わるのね。怪我1つとっても、まぁ風邪1つとってもね、コロナ1つとっても、治り方が違う。コロナにかかったからダメじゃなくて、かかってもいいんだけど「あぁ、こんなんで済んでよかった」って思ったらあっという間に治るの。

 それを「こんなんになってどうしよう」って言った途端に、本当にどうしようってなる。それが具体的に今年から厳しくなりますので。いわゆる、おみくじ株、オミクロン株ですけど(笑)自分のマイナスに大きく反応するウィルスなのでね。ぜひ真(まこと)のプラスだけで進んでください。そして真祈りできない人の身代わりとなってね、みんなの分も自分が祈るんだってそう覚悟して、してください。よろしくお願いします。

で、今年のお話はここで終わりなのであと質問があったら。わかりやすかったやろ?(笑)

質問:何回か出てきてる話で、饅頭いつ食べるっていうのはどういうことなんですか?

河上さん:結局、饅頭いつ食べるっていうのは現実を掴んでいるっていう意味。だからみんなね、饅頭を食べる、口に入れるということを言葉にしないと食べれないの。分かる?だから例えば此処に饅頭があると、そしたら饅頭やって思ってるうちは食べれないね。本当はそういうもんやね。それをみんな無意識に言葉にして「さぁ食べましょう」とかしてるから食べれるだけでね。その饅頭いつ食べるんやっていうのはそういうことやね。現実を掴んでたらな、饅頭は饅頭で食べれないのね。分かる?食べてる現実を言葉にしないと食べれないのね。分かるかな(笑)。

 ここやね。これがな、みんな現実を掴むというのがよく分からないね。生まれてこの方、それを癖でね、当たり前のようにしてきてるから。

 例えばね、その饅頭毒入ってるって言ったらもう食べないでしょ?食べないって言葉で決めたから、毒入ってなかっても。分かる?だから饅頭食べると言うのも、これは食べれるおいしいものやって、まず食べれるって決めるから食べれるわけや。

質問:言葉で。

河上さん:そうそう。

質問:出さなくても…

河上さん:そうそうそう。だから毒入ってるって言ったら、言葉でね「これ毒やから食べないでおきましょう」って決めてるね。だから食べられへんね。饅頭いつ食べるってそういうことやね。

宮野さん:その時の話がセット物で、ほらウサギとカメの話がセットものであるじゃない。

河上さん:ウサギとカメも一緒よ。

宮野さん:いつ抜かすって。

河上さん:見てる方が、ウサギが当然亀を追い越すって言葉で決めないと追い越せない。だから既に悟ってる自分って言わないと悟られへんて、先生言うわけ。「10年修行して悟りましょう」って言ったら、永遠、毎年、毎年10年修行して悟りましょうってなるね。おるね、面白い人が。

 (永遠に)来年から…(笑)炭水化物を医者から制限されはったんやなぁ、そしたら、炭水化物を制限して、あんまり摂ったらあかんねや、甘いものとかな。それやのに「来年からするわ」って言いはるの。「永遠に来年からするわ」って言って始まらへんわけ、分かる?そういう感じよ。

 まず言葉で自分が決めないとあかんね。でも、その言葉を決めるのも真(まこと)のプラスを言葉だけにしたら、あっという間やね。それをもっとわかりやすく言うと神さまが1番良いようにしてるや。それをもうちょっとマイナス目に見たら、一切文句を言いなさんなや。「何で?」はないでって言うね、言うことやねんけどね。現実を掴まなかったら「何で?」って言わないし、良いように神さまが1番してるって思えるわけ。

 だけど現実を掴んでたら、「こんな怪我をして」とか「こんな病気して」ってなるわけよ。一緒よ、饅頭かってな。饅頭は毒入ってないから食べましょうって、自分で言葉でしてるから食べれてるね、みんな。毒入ってると思った途端に、毒の入ってない饅頭やで、それ毒入りやって言った途端に、みんなやめときましょうって言うて、永遠に饅頭いつ食べるや。

 だから悟りも一緒よ。いつ悟るんやって言われてやね、10年修行して悟りますとかな、此処にお祈りに通って悟りますってみんな言うわけや。それが違うっていうのが中々、分かってもらえない。

質問:もう悟ってるって。

河上さん:既に悟っている自分やね。だけど既に悟っている自分というのを言う。例えば自分で「既に悟っている自分」って言っても、そうかな?って思うやろ?それで「印可書」ができたんや。

 「印可書」やったら「私まだまだ悟ってない」って言ってても、悟った自分だよって決めてくれるから。勿論「宇宙神ありがとうございます」でもいいんやで。だけど「宇宙神ありがとうございます」って祈った時に、既に悟った自分だって決めれるかや。決めかねるから先生がもういっぺん「印可書」を復活させはった。

 それも、もっと柔らかい光になるように。「お前、光を弱らすの得意やろ」みたいに言われてやね(笑)。弱めさせて貰いました。だから前半は強くて後半は緩いから、使いやすいところを使ってもらったら良いんだけどね。

 だからその現実を掴まないと色んなことがあるんですけど。例えばわざわざ東京の遠い人にね、こっちの方のお祈りに行ってくれ、或いは広島の方のお祈りに行ってくれとお願いするわけですよ。そんなもん大阪の方の人が行ったらいいやんって普通は思うね。

 だけどそれは違うね。現実を掴まない人やったら素直に「はい」って行けるわけよ。現実を掴む人やったら「なんでこっちから行かなあかんの?そっちの人誰かいてるでしょ?」って。そりゃいてるよ、岡山の人もいるからね。岡山やったらもう広島は隣やから行けるんやけど、そういう問題じゃないね。それが分からないとあかんね。

 だけど、どうしてもみんな現実を掴むから、例えばどこそこって言ったらもっと近くの人に行ってもらってよとかね。例えばやで、お祈りのことで言うとね、そういう風に思ってしまうね。それが無意識に癖でね、現実を掴んでるわけ。

 だから先生のお話を聞いても素直に「はい」って言えないから、「先生やからできるけど私らにはできないわ」って言ってしまって、50年経ったんや(笑)。

 それで「あと、お前に任すからワシ行くわ」みたいに(笑)もう「印可書」あるし、大丈夫やし任したでみたいな(笑)いや、だけどみんな「印可書」選ばないしみたいな、大変やってんで(笑)。

 だけど「印可書」選んでくれた人がね、どんどん変わっていくんで大丈夫ですけどね。

 「印可書」というのは先生のお話の集大成なんですよ。それで先生のお話を入れたハードディスクがね、お守りというか真祈り人の代わりになるんであちこちに配っていただきました。でも肉体人間、肉体を持っている側がね、「印可書」を読むのが1番効果ありますので。

 だけど誰も「印可書」に振り向かない時はいわゆる、人形(ひとがた)ですね。人形としてハードディスクを使わせてもらいました。

 今でも全然お祈りをしてくれない所でこそっとハードディスクを埋め込んでくるとかしてもらって大丈夫です。

 やっぱり現実を掴んでないつもりやね、みんな。でも癖でね、あーや、こーやって言ってしまうね。1番わかりやすいのはやっぱり結果を気にしてるというのは、現実を大きく掴んでるのね。結果を気にしだしたら何もホントは手につかないのね。だってこの(お祈りの)部屋を綺麗にしましょうって思った途端にね、此処を本当に綺麗にしようと思ったら3時間位かかるよ。

 そしたら3時間もかかるんやったら、3時間、時間ある時にしましょうってなって永遠にできないね。

 結果を気にしないから、やれるだけを精一杯やりましょう、それで良いって分かるから。現実を掴まないというのは結果を気にしないから。一生懸命やるのが良い、精一杯やるのが良いのであって、どれだけの範囲ができるというのは関係ないのが分かるからできるね。

 そしたらちょっとずつでも毎日したら結局、綺麗になるでしょう。だからそれが極端になると、現実を掴むというのが極端になるとノイローゼになるんよ。あれもせなあかん、これもせなあかんって言うて、何も手がつかなくなって、グゥーってなりはる。ヒステリーって言うんですけどね。ヒステリーって結果を気にするし完璧主義者が多いね。あれもせなあかん、これもせなあかん、もう何もできへんわっ!てなるね。

 それで物も捨てられなくなるね。何かする時はこれいるし、あれする時はこれいるしって言って、置いていってどんどん積み上がって。どこに何があるかわからなくなって、グチャグチャになるんやけどな。なるんだけど、完璧主義で結果を気にするからそうなってしまう。 

 神さまは良いようにしてるから必要な時には必要になるわと思ったら、思い切って捨てれる。

 自分にとって必要な事しかさせてもらえないからね、本当は。神さまの予定通りしか本当は動けないのね。それなのにみんな結果を気にしてね、自分の役目以外のことをしようとしてグチャグチャになっていくのね。要らんお節介をするの。

 この世に生まれてきて神さまから色んな使命をいただいて来てるのね。みんな本当はそれを知ってるのよ。それは舞台で言うとね、いわゆる、主役の役をいただいている人と通行人の役をいただいている人やけど。通行人がいなかったら、一人芝居って面白くないやん。よくあるやん、一人芝居とか二人芝居ってやりはるけど、面白くないね。やっぱり通行人もあって、舞台装置を作る人もあって、こうあるから、舞台として楽しいでしょ。映画でもそうだけど。

 だから本当に単なる通行人の役でも大事だというのがわかったら、この世で不器用で何もできない自分が大事だっていうのが分かる。何もできないじゃないのね。本当はちょっとだけする必要があって、そのちょっとをやらなアカンのね。やる人がいるのね。それがわからなあかんね。

 それで全ては完璧な一つなわけよ。人間の体でも、右手だけがあったって仕方がないね。色んな働きの中で総合的に進むもんやねんな。それは完璧な一つで、肉体だけで言ったら自分の体として一つだと思ってるから、左手不器用でも喧嘩しないんだけどね。

これがある程度集団になると、不器用な人を責めたりするね。

 それでちょっとのことで人を責めるね。責めたのが全部、戦争の原因になっていくっていうのにみんな気づかないだけやね。それが全部溜まっていくね、ゴミのように。ゴミってそうでしょう、最初はちょっと落とす、捨てるね。そしたら何かそこに捨てても良いように思って、みんな捨てだしてな、(結局いっぱい)溜まるね。あんまりきれいかったら誰も捨てないで。ちょっとやる(捨てる)からあと(一杯捨ててたまっていく)。

 だから教義を立てれないね、組織を立てれない。組織も教義も過去の経験に基づいて作るもんやから。もし教義があるとしたら、神さまが1番良いようにしてるだけ。だって神さまは絶対の愛で、完全円満完璧大調和のお姿だから、良いようにしかできない。

 でも小さい人間の側の立場から見たら、不平不満だらけなだけや。まぁ車で言うたらタイヤの地面と擦(こすら)れるとこの役目をさせられる所が1番大変なわけやんか。

 でも必要なわけでしょう?でも、なんでこんな擦(こすら)れる役目を私せなあかんの?って文句言ってるようなもんや。一番大事な役目なのにね。

 でも本当にね、(今)200人の真祈り人超えてるのでね、大丈夫。只、本当に前も言いましたけど、自覚を塞いであるので。で、知らぬが仏って言ってな、私まだまだって思ってる方が楽やから(笑)。先、言っとくわ。

 なまじ(いろんな事)わかってから、それを(なにも言わずに)じっと耐えるのは大変やで。

 いやー、そんなんしたら怪我するのに、と思っても言われへん。言ったらあかんね。本人が自由意志で選んで行ってるのにね、止めたらあかんね。

 ちょっとぐらいは言うよ。こっちのご飯おいしいから食べに来ない?とかぐらいは言って、そこに行かんようにはするけどね。行ったらあかんとは言われへん。それって辛い。

 だから自覚がない方がいいから、ひたすら「印可書」を読んでてください。それくらいね、その人の自由意志というのが大事なんですよ。だから本人がしたいと言ってる時は止めようがないし、止めたらあかんね。みんな好きにするから大丈夫(笑)。

宮野さん:子供でも、ね。

河上さん:もう大人も子供も皆一緒や、好きにしかしない(笑)。納得して値打ちがあると思わないとしない。自由意志で好きにしてるのをね、してる事を止めて奪い取ってしたらあかんね。その人にやらせてたらキリないから、もういい、私するっていうのは絶対アカンね。どんなに能率が良くても、本人がしたいと言うのはさせていかなあかんね。

 それが神さまの光やね。満遍(まんべん)なく光が通っていくっていうね。

 自分だけが「もういいよ、私が全部やるから」って言うのは、もう我やね。「私が」が入ってるやろ。だから予定が例えば1月10日迄ってなっててもね、あの人に任せたら1月20日になると思っても、もう任さなあかんね。後はその10日の遅れをどう調整するかを自分が考えたらいいだけや。

 そういう事ができたら組織としてと言うかね、みんながわーっと心が1つになっていくね。だけど、「もうあんた不器用やからいい、どいといて」って言った途端に全部崩れていく。

 親と子供やったらよく分かるよ。小さい子がね、お手伝いしたいって言ったら邪魔や、はっきり言って。だけど「もういい、私する」って言った途端に、その子大きくなったら引きこもりになるね。なんでもかんでもさせとかなあかんのにね(させて経験させるのが必要なのにね)。

 この前もあるお母さんが来てね、「うちの子が引きこもりで」って言うわけや。もう40になるって言うねんな。「本人の好きなように、したいようにさせなあきませんよ」って言ってもね、出来ないのね。もうついつい(子供にさせずに親が手を出して)やってしまいはるね。「もうそれやめなあかん」て言ってもね、出来へんねんな。もうどうしようもないわ(笑)。

 「お母さん、泣いても笑ってもお母さん先に死ぬんよ。あと、その子1人残るんよ」って言ってもできへん(笑)。だからね、結果を気にせずに予定がどんどん遅れてもいいから、色んなことをさせなあかんね。

 だって神さまは、よく先生は僕に仰ったんですよ。「神さまは何十億年ってひたすら清めて、何十億年と清め続けてるだけや」って。「お前はたった1年が待たれへんのか。たった10年が待たれへんのか」ってよく怒られた。

 それでも文句言わずに黙っても清め続けなあかんね。みんな好きにして現実を言葉で掴んでまた溜めるんよ。それでその積もったのを、また除雪して(笑)ひたすら、永遠に除雪してるようなもんや(笑)。

 でもいよいよね、先生が因縁因果の輪を切ったから、なんていうんかなあ、あっという間やね。要するにもう降る雪はなくなった。後は持ってるもんだけ。持ってるものの中でそれを掴んで繰り返してるだけで、利息がつかなくなったのね。だからもう片付くの、いよいよね。今までは利息が付くから取っても取ってもやってんけどね。それで(これからはね)「印可書」奉読するだけでみんな悟れるの。

 本当はね、なんぼ「印可書」が凄くても利息が凄いから、十一(といち→十日に一割の利息が付く)どころやあらへんね(笑)。三日一(みっかいち→三日で一割の利息がつく)ぐらいの利息が付いてるからどうしようもないね。三日一ぐらいの利息が付いてるから過去の利息を棚上げにして、要するに過去世の記憶を消して地上で練習させるんやけどね。

 それでも今迄やったら利息が付くんやけど、先生が因縁因果の輪を断ち切って利息が付かない状態やから。あとはエンドレステープだけやからどこで切るかや(笑)。それ「印可書」で切れる。


令和4年元旦河上さん新年のご挨拶(20220101−2)

河上さん:そしたら質問無いし、終わりますよ。はい、どうぞ。

質問:先月の勉強会終わった後に、河上さんが蒸留水を勧めてくださったんですけど、あれは飲み過ぎても大丈夫?

河上さん:大丈夫です。

質問:はい。ありがとうございます。

河上さん:今、蒸留水作る機械が安いでしょう?3万ぐらいでネットで売っているでしょう?

質問:ネットで3万ちょっとで買いました。

河上さん:あの機械で蒸留してみたらわかるわ、こんな水飲んでいたんかというくらい凄いトゴル(機械の底泥が溜まる)やろ?あれ全部、身体入ってたんで、怖いやろ?

質問:一応、浄水器も使ってたんですけど、

河上さん:浄水器では取れない。

質問:ありがとうございます

河上さん:勿論、本当に真祈りしてたらね、そんな使わんでも大丈夫だよね、本当はね。でもなかなかね、水飲む時に喜び勇んで飲めへん。

 いや食べ物でもそうなんだけどね、結局みんなね、食欲で食べるから病気なるの、本当に神さまの命として喜んで食べたら、食べ過ぎしないし、必要なものしか食べない。

だけど、食欲で食べたら、甘いアイスクリームが欲しいしな、甘いショートケーキが欲しいしなってなるの。それで体に要らん負担かけるの。

質問:父親が甘いのスッゴイ大好きめちゃくちゃ食べるし、好きなもんしか食べないけど、無茶苦茶元気なんで、

河上さん:いや、それで良いの。そんなん好きにさせたら良いの、後ろの人が食べてるから。役目は終わったら、その途端に病気になって死ぬだけ。全然、ちゃんと、どんな人でも神さま良いように使うの。

 只、より大きく使っていただくために印可書あるの。印可書選ばない人でもちゃんと神さま使うの。使い方が違うだけ。だから大酒飲みってな、何ぼ(いくら)飲んでも酔えへんやろう?後ろの人が飲んでるね。で、後ろの人が変わる毎に、ビールになったり、焼酎なったりな、酒になったりな(笑)とかするね。見てたら後ろ憑いてる人が違うね。

 「もうわし酒止めてん」って言って、「ほんならビールも買っていかんでも良いな?」って言ったら「いやビールは買って来て」って言うわけや。後ろの人がビールを欲しがっているいるんやな。でも「私ビールも酒もやめて」って言うて、家行ってみたら焼酎買って置いてあるしな、(笑)「焼酎は別問題だ」って、後に憑く人がコロコロ変わっていく。

宮野さん:それと同じ、先ほど甘いものも?

河上さん:そうそう、甘いも一緒。

質問::コロコロ変わるっていうのは、縁者さんですか?

宮野さん:縁者じゃないのもあるよね?

河上さん:だから、あの、他人は一切ないの。白人であろうが、黒人であろうが、黄色人種であろうが、みんな、みんな身内よ。光やから、先生の言う(みんな光や)

宮野さん:通りすがりみたいなのも在るよ。

河上さん:そうそう、先生の言う、”みんな光や”からね、もうちょっとでも縁の深いとこへくっついてくるね。そのくっつかれたのを、印可書で綺麗にするか、その食べ物だったら食べ物で、お酒だったらお酒で綺麗にするかだけや。

 だから神さんはいいように使ってる、だけど印可書で綺麗にするのが一番大きく使ってもらえるからね、印可書が楽やでって言う。だってお酒飲めば、飲んだだけ肉体も傷んでいくもん。なんぼ何でもな。

 人の仕事を取ってしたら、やっぱり人の仕事を盗った人の肉体が傷んでいくの。

 要するに相手の自由意思は絶対阻害したあかんね。その相手の自由意思はやっぱり神さまの形を変えた光なわけよ。やっぱり神さまの働きを邪魔してるの。

 本当に極端に言うと殺人もね、止めたらあかんし、実際は止められないけどね。止めようがないから、あないんなる(ああ、なる)んやけど、止めたらあかんわけよ。その必要で起こることばっかりやね。

 ただ印可書を通したら、それがもう本当に必要最小限の小さい事で終わっていくからね、それだけ。

 本当は簡単なこと、神さまを信じ切れたら良いだけやな。イエスの言う「心尽し、思いを尽くし、命を尽くし、汝の全てを尽くして、汝の主なる神を思え」っていうのは深い深い真理で、簡単な事なんやけど、思えへんの、現実掴んでいたら。こっちのご飯、美味しいご馳走が気になるの。

質問:神書を読んでいたら、神さまの御心を知るっていうフレーズはよく目につくんですけど、それは印可書を読んでたら自然とそうなんですか?

河上さん:そうなんです。あの神書はね、わざと引っかかるような部分がいっぱいあるね。それを誰も質問に行けへんから、トウトウ、もう先生諦めはってんけどね。

 その「神さんの御心を知るにはどうしたらいいですか?」って聞かなあかん。「現実をつかまないためにはどうしたらいいんですか?」ってね。だけどみんなは、神さまのみ心知ったつもり、現実をつかんでないつもり。わかる?過去を掴んでないつもりになってた、それだけ。 

 いわゆる神さまの御心に沿う、神さまの御心に沿うってどういうことかというと、神さんのお手伝いしたいってまず願わないと。で、神さまお手伝いしたいって願ったらね。どうしたら良いのってなるわけよ。

 そこが前は、ひたすら祈るしかなかった。祈り方としては、一分間呼吸を止めてる間祈れとかね。あの先生は色々と仰ってくださったわけですけど、うまくいかなかった。

 呼吸に乗せなさいって、言っても、上手くいかなかったから、やっぱり印可書ってなった。

 印可書やったらもう、自分がどんなにぐちゃぐちゃ思ってても、あの野郎あの糞やろうと思ってても、印可書読んでる時は、真(まこと)の本心の自分が出てるからっていう、約束事なんでね。もう、苦しい時、糞たれと思った時、腹立った時、全部印可書に振り替えってください。

 相手を責めながらでいいですから。責めながらでも印可書の響きで全部変わっていきます。普通はこの責める思いがなくならんと神さまのお手伝いができないって、みんな思うの、だから一生できない。

 それはいわゆる「饅頭いつ食べる」や。この責める思いがなくなってから言うてる間は、責める思い消えへんのよ。責める思いがあるって決めてるでしょう?自分の中で。そしたら絶対消えへんね。もう既に責めない自分ってしないと、その既に責めない真(まこと)の本心の自分というのは、印可書がそのものやから。

 だから印可書を読みながら人を責めていても、印可書を読んでいたら真(まこと)の本心の自分だけが浮き出て来て、責める自分は身心脱落(しんじんだつらく)、この雪解けの如く「ガサっ」っと落ちるの。雪崩の如く体から抜け落ちて行くの。

 で、みんな抜け落ちてくれたから、ヤッターやけど、ちょっと自覚消しといて、先生が一万人まで持って行くって言ってる。もうちょっと頑張って印可書を読んでいて下さい。 

 大丈夫やからね。印可書を読みたいなって思ったら、ほとんど大丈夫やね。印可書を読みかねる間は大変やけどね。

質問:これから一万人になるのですか?200人から?

河上さん:そうです。それで一万人になったら目に見えて世の中変わって来るから。その時に先生が、みんなの自覚を出すのか出さないのかは、又、その時先生が決めるから、僕には分からない。

質問:自覚を出すという事は、何もかも分かってしまうという事?

河上さん:そうそう、分かるって辛いで、本当に知らぬが仏やで。

質問:自分の過去世も、全部分る?

河上さん:そう、勿論そうよ。分かるというのは辛いで。

質問:今世の悪事でも分かるんですか?

河上さん:そうそう、この世の悪い事でも気になっているのに、過去世のを見たらもっと恐ろしい。

質問:その心が動かなくなる・・

河上さん:完全に動かなくなるまで、自覚ふたしとくって先生言うの。

質問:良かった!(笑)

河上さん:いや、ほんまにそう、知らぬが仏や。

質問:その一万人って、200人の時も聞いたのですが、一応生まれる前に今生はこうしようっていう人が集まって・・

河上さん:そうよ。みんな神さまのお手伝いがしたい、人類の救いに立ちたいって願って生まれて来てる人ばっかり。

 だけどそういう願いを立てる人は、中々肉体を持たれへんね。だから縁者のマイナスを自分の体にこすり付けて、やっと肉体を作ってきた。その時に選んだ縁者のマイナスによっては、性欲強い人とか、食欲強い人とか、あるわけよ。名誉欲強い人とか、虚栄心の強い人とかは、縁者のマイナスをこすり付けるというより、練り込まないと肉体を持たれないから、練り込んでくるね。それで何か自分の物のような気がするの。

質問:それでみんな、それぞれの役割が違うという事?

河上さん:そうそう、それでその練り込んだ響きに合わせたとこの、お清めの役に使うわけ。

 除雪で言うとね、この狭い所は狭いスコップでないと無理やろう?機械は入らへんやろう?そういう感じやね。でも全部いるわけや。それである程度進んだら、最後は太陽照って来てね、一斉にサッと消える。 

 だけどその一斉にサッと消すのを、ある程度人類がしてからやるとスッと行くねんけど、人類がしないでやったら、あのアトランテスのように大陸沈むとか、地軸が傾くとか、色々有るけど、出来るだけその形を取らずに(いくの)、先生が約束して下さったから(大丈夫なの)。

 で、先生が約束して下さったという事は、先生がみんなを信頼されたという事。大丈夫、みんな真祈りが出来るからって。で印可書を作ったからもう安心やって行きはった。みんなにバトン渡しはった。

 で、まだ、やってみないと得心出来へん。だから印可書を読んでみないと、得心出来ない部分があるの。だから自然に、或いは、勿論、宇宙神ありがとうございますを選び続けられる人も居るから、勿論良いんだけどね、印可書が一番楽やなって、僕は思うだけで。

 質問無かったら、終わるで。明日の護摩の準備もあるやろうし、みんなお手伝いしてあげて下さい。良いですか?そしたらお祈りして終わります。

 その壬寅(みずのえとら)の働きがほんとに凄いというのを、例えばセックスしても(その結果妊娠するとしても)妊娠するの分かるの、3カ月後でしょう?

 それ位ある意味厳しいわけよ。今年は何もないように思うけど、自分の思う、選ぶ言葉によっても大きく変わる。後からは修正できないから、今年は本当にひたすら、ひたむきに印可書に向き合って下さい。

宮野さん:覆水盆に返らずやな。割れた皿は戻らんな?

河上さん:破れ鍋に綴じ蓋(われなべにとじぶた)とか(笑)色々言いますけど。

 いわゆる獣(けもの)の心を持つ人と、神さまの心を持つ人とに、パンと二つに分かれて行くスタートやね。今年現実を掴み続けていると、本当に獣の、獣の心ってどういう事かって言うと、我よしよ。自分さえ良かったらや。或いは、先ず自分が余裕出来てから人を助けましょうや。或いは、自分の家庭が収まってからね、どうこうしましょうっていうのは、もう身勝手やね。

 先ず神さまのお手伝いがしたいって願ってね、するから全てが良くなるっていうのが分らない。

 要するに、光がどんどん降りて来ているでしょう?光がどんどん降りて来ているから、変わるんであって、自分から光は出されないの。だけど先ず、自分の家庭を良くしてから、どうこうしましょうというのは、自分から光を出そうとしているの。

 或いは、自分が経済的に余裕出来てからね、何かしましょうっていうのも一緒よ。自分が光出そうとしているの。経済的余裕も、どんなこともなんやけど、全部神さまの光が降りて来て初めてなるんよ。

 だって心臓、自分で動かしてないやん?神さまがプンって切ったら、心臓プンって止まるんや。自分の意思では止められへん。

 だから何で自殺が駄目って言われるかって言ったら、神さまのみ心を全く拒否するからや。神さまが心臓止めましょうって言って、帰っておいでって言ってするのは普通の死でしょう?

 だけど自分の身勝手さで命を切ったら、神さまの光を本当に拒否したことになるから、拒否した状態で続いてあっちに行くから大変。で自殺は駄目よって。どんな事があっても神さまが一番良いようになっているんやから、小さい自分の意識で苦しい辛いと思っても、極端に言ったら、餓死する状態になっても、それが一番良いんだっていうのを分からなあかん。

 神さまが一番良いようにしてるって、先ず、そこよ。小さい自分の意識でどうこう思わずにね。本当に壬寅(みずのえとら)ですから、宜しくお願いします。

 それで寅という形で、寅の字ってこう十文字に組んでいるでしょう。あれでどんどん骨組みが出来てしまうの。それで寅は千里行って千里帰るとかね、良い言葉に使われるでしょう?それは縦横無尽の働きを寅って持っているから。

 12年前のここでの先生の元旦のお話しでね、寅についてそうゆう風にお話しされたんですけど、皆さん憶えているかどうか分からんけどね。懐かしい話です。

それでは、お祈りして終わります。ありがとうございます




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1月勉強会 by 河上彰延 2022年01月12日(水) 00時34分
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令和4年河上さん1月勉強会−1(20220109−1)

質問1:大雪で地震の振り替えとお聞きしましたが、先日、東京に雪が降りりましたが、大雪の地域が地震の振り替えの地域でしょうか?地震にならなくて良かったです。

河上さん:その通りです。

質問2:確認なのですが、映画俳優に例えるお話しで、自分の役柄が現実的にはあり良い役では無かったとしても、文句を言わずに淡々とその役柄をこなすという事が、天命を生きるという事に繋がっているのでしょうか?また逆に違う役柄を演じたいと思う事は、希望実現という、神さまを信じ切れていないという事になるのでしょうか?

河上さん:これは小さい意識という自分ですね、神さまと分けた、自(おの)ずと分けると書くわけですけども、小さい意識から見ると全部不平不満だらけなの。例えば舞台で主役の人が演じているけど、後ろに通行人がいるから舞台として成り立つわけで、主役と脇役の人、二人だけで芝居したってね、何の面白みも無いね。その脇役っていうのも、自分という意識が無ければ、脇役がどんなに大事かが分かるね。

 例えばこの地球でいうと、大地の姿は神さまのお姿ですけど、大地というのは如何に踏みつけられても、一切文句言わないでしょう?大きな意識の立場に立てば、全てが必要でどれも大事な物で、必要があって、欠けてはどうしようもない物ばっかりなのね。それが小さい意識でみたら、こんな詰まらんってなるの。

 でも何時も言うけど、オーケストラでね、最後のトライアングルのコーンコーンが無ければね、曲として成り立たないのね、いくら主役のバイオリンとかが一生懸命旋律を弾いてきたって、最後にそのわずかな事でも必要。

 映画でも後ろの通行人とか、見物人というの、殺人現場で、回りにざわざわと「あー、凄い、怖い」とか言う、そういうのがあるから成り立つわけで、この世でも職業に貴賤は無いといいますけど、職業以上にね、全ては神さまそのものなわけのですよ。真(まこと)の神さまという大きな意識を自覚出来るか出来ないかにかかっています。

 今のは小さい意識でね、「あー主役の人は目立って良いな、自分は脇役で目立たなくて詰まらないな」って言ってるだけ。でも名脇役、或いは、名通行人がいないと駄目なのね。

 映画でも後ろの通行人が、明らかに素人ぽく歩いたら台無しでしょう?ごく自然に時代劇だったら時代劇の雰囲気に合わせて、後ろの通行人が歩いて行くから成り立つわけで、こんな詰まらん脇役の後ろのちょっとした通行人に役だからっていって、素人ぽくしたら、どんな凄い俳優さんが主役を演じていても、台無しになるでしょう?どれもこれも必要で欠けてはならない者ばっかりなんですよ。

 それはこの前、組織を立ててはいけないの話しで言いましたけど、能力がある無いじゃあなくて、どんな姿も必要なの。能率が良いとか悪いじゃあなくてね。どの姿も必要であるというのを分からないと駄目なの。

 それは自分という意識が消えないと分からない。自分という意識は、本当に今は、印可書を奉納するだけで軽く簡単に消えて行くのでね。それが消える迄は色々と悩みますけど、悩んだ時は、まだまだ自分という小さい意識があるんだと反省して、印可書を奉納して邁進下さい。ありがとうございます

質問3:他から貶(けな)されたり、悪く思われたりしたら大きく喜んで、他から褒められたりしたら謙虚に反省しなさいという事ですが、この謙虚に反省するというという事が、ピンと来ないのでご説明お願いします。

河上さん:だから小さい意識があるよっていうのをね、神さまが教えてくれているだけですね。小さい意識に立てば、どんなことも不平不満になります。象さんとアリさんで例えますけど、象さんにとってはちっとした水溜りでもね、アリさんにとったら大洪水なわけですね。どの意識に立つかだけで、象さんの意識に立つから良い、アリさんの意識に立つから良いではないのですね。全てに立てなくちゃあいけない。全てに自分が立つという事が自分が無い。全て真(まこと)の神さまというね、真(まこと)の本心の自分が、新たなる真(まこと)の神さまそのものという自覚になるわけ。

 全ては自分という自覚、全ては真(まこと)の神さまという自覚になったら分かりますけど、小さい意識に分けている内は苦しいばかり。

 で、反省するとかしないとかじゃあなくて、小さい意識になっていたんだな、じゃあー、より大きくなろうって言うんじゃあなくてね、一瞬一瞬新たに真(まこと)の神さまを受け損なったんだなって、気付く事が大事なの。

 みんな勘違いするのは、「あっアリさんの立場に立つ事は駄目なんだな、では象さんの立ち場になろう」って思うんですけど、みんなね。それで(自分が)努力してなろうと思ったり、(自分が)お祈りしてなろうと思ったりするわけだけど、自分では何もなれないの。

 何時も何時も、例えば電気器具でもね、コンセントから電気が来るから動ける訳でしょう?この録音機でも電池から電気が来るから動くわけじゃあないですか?エネルギーが来るから。

 一緒で、人間も神さまから光が来るから動くのね。だから一瞬一瞬新たに神さまの光を受け直していかないとあかんのに、受けるのを制限していると小さい自分になるわけ。

 全て受けたら全て自分てなるわけ。要するに小さく受けるから小さい自分って意識するのね。大きく光受けたら、全ては真(まこと)の神さまってなるわけで、その大きく一瞬一瞬新たに受けす方法は今は印可書があるんでね、「印可書」で。勿論、「宇宙神ありがとうございます」で良いですけど、宇宙神ありがとうございます、或いは、「ありがとうございます」ってお祈りしてですね、大きく全て真(まこと)の神さまって思い直せるんだったら、それで良いです。

 でも普通は思い直せないのね、で、苦しむの、思い直せなくて。だから思い直せなくても、奉納するだけでなるんだよっていう、印可書が楽ですよって言っているだけです。ありがとうございます

質問4:長文で申し訳ありませんが、宜しくお願いします。
 昨年の2月3月に立て続けに胃腸炎になり、それ以降、体調のすぐれない事が多いいです。特に午前中に吐き気とか有り、そういう時はあまり食べれなかったりします。3月に胃カメラ検査をしましたが、異常はなく、年齢的に更年期かなと思い、秋頃から産婦人科で漢方を処方してもらっています。12月の後半に軽い胃腸炎みなり、その時は普通に食べれていたのですが、その後食べるのが気持ち悪くなったりして、又、急に食べれなくなりました。今も少し食べただけで、食べ過ぎたような満腹感でお腹が苦しい位の時が有ります。
 神さまが一番良いようにされているんだと思い、印可書や宇宙神ありがとうございますを唱えています。しんどいのが続き、それでも一瞬一瞬新たに受け直すように思い直すようにしています。明日や次の一瞬がどうなっているのかが分らなくて不安になる時が有りますが、一方で今生きている事がありがたいとも思います。でも出来る事なら小1の息子のためにも元気になりたいです。ご助言お願いします。

河上さん:小さくその人の意識だけで言いますとね、先ず、食べなくちゃあ元気にならないと思っているのね。神さまから一瞬一瞬新たに光受け直す事が元気になる事なのに、食べる事が元気になる事だと勘違いしているのね。

 食べれないのは何故かというと、その人、あんまり食べると糖尿病で死んじゃうのね。で神さまの方で止めてるだけです。

 だから何時も言うようにね、本当に一番良いようになっているのね。なっているのに、人間の方は自分の都合で考えてね、文句言う訳。「食べれないから倒れるんじゃあないかな?」ってなるわけですね。

 だから先ず神さまが一番良いようにされてるから、食べてはいけない時は食べれなくなるの。それは経済的な理由で食べれなくなったりね、体の不調で食べれなくなったり、心配事で食べれなくなったり、色々有りますけど、食べないように神さましてくるのね。

 先生のように自発的に断食される方もいらっしゃるし。色々ですけど。

 で胃腸炎の時は、白湯ですね、冷たくない生ぬるいお湯、あんまり熱くない体温位のお湯を、本当に痛い時に一口二口飲む、を繰り返して下さい。(それでおなかが空いてどうしようもないときは温湯→お湯に蜂蜜を溶いたもの、を飲んでください)そしたらそれで治ります。

 でも治ったからっていって沢山食べたら、又、病気になるからね、その辺はどう食べるかといったら、「神さまの命を頂きます。ありがとうございます」って言って食べるの。すると必要な量になったら満腹感が来て食べれなくなるのね。

 食べ過ぎて太る人は、もう食べる事を楽しんでいるんや。それで一杯食べちゃうのね。その食べる事を楽しんでいる間はあかんね。「神さまの命を頂きます。ありがとうございます」やね、それだけです。

 他(他)何か、質問聞いていたかな?それで全部、今、答えたと思います。ありがとうございます

質問4:悪魔に勝つ秘訣は何でしょうか?地獄から解脱する秘訣何でしょうか?真(まこと)のプラスの言葉を駆使するとは?言葉だけで現実がなおるのでしょうか?私が私になる為にはどうすれば良いのか?「ありがとうございます」で悪いものは消えて行くのでしょうか?本心開発で生まれ変われるのでしょうか?何かが間違っている様に思います。容姿も身体も精神もボロボロです。こんなに滅茶苦茶になるとは思わなかった。でも諦めません。

河上さん:いわゆる、今までの虚の世界の古い宗教の方に多いいですけどね。マイナスを認めて悪魔を認めるのね。認めて勝とうとする。まー、ゲームの世界に住んでいるわけですけど・・・・、

 人間は先ず何かと言うと、自分の使う言葉の世界に住むの。もうそれに尽きる。だから殆どの人は自分が正しいという言葉を使って、自分の過去の経験に基づいた良い悪い、と(経験にもとづいた)善悪で判断して、そのプラスとマイナス、善と悪、神さまと悪魔・・、みたいに、色々有りますけど、陰と陽とかね。自分はプラス側で、自分の経験に基づいた結果として違う事はマイナス側に、対極に置くわけ。で置いて責めてね、勝ちに行くわけ。

 勝ちに行くのね、まあゲームしているんだけど。本当はゲームセットになったら、終わりなんだけど、ゲームセットになると思っていないゲームをしてるわけ。それで人生、肉体が終わる時がゲームセットだと勘違いしてね、段々年取って来ると焦るのね。もうすぐゲームセットなのに勝てない、これは負け試合だって、そんな感じになるんです。

 この言葉の世界に遊んでいるの、みんな。だから私は過去世が見えると言う人は、私は他の人の過去世が見えるという世界に生きるの。本当はその人の過去世というのは、ゴキブリの時もあれば、もうアメーバーの時もあり全てなのね。だから「あなたは過去で何々だったですよ」って言うのは、そのある場所の時の事しか言ってない。だから過去世が分かるといいながら、殆どが分かっていない。本当に分かると全てだから、言う必要も無いんだけどね。

そういう感じでみんな言葉に生きるんですよ。

 で、この人は神さまと悪魔っという言葉で立ててね、それで悪魔に勝とうとする訳。

 違うね!悪魔というのは何かと言ったら、まだ光が照っていない所。光が進んだら自ずと消えるものが悪魔なんです。だからあいた間って書くの。隙間(あくま)って書くのね。神さまの光が今だ届いていない隙間(すきま)だから、あくま→あいた、ま、って言うの、日本語で言うとね。英語でも説明できますけど、そんな事どうでも良い事でね。マイナスを解説しても仕方ないから。(笑)

 只々、光が照り輝くだけ、だって夜明け前真っ暗でしょう?要するに、まあ言ったら悪魔だらけ。太陽が出て来たら一気に、神さまだけに変わるでしょう?天岩戸開きって言うんだけど、もうそれだけです。一瞬一瞬新たに受け直す事が天岩戸開きの神聖行事なの。

 昔ね、先生がこの神書作る前の文章でですね、「天岩戸開きの神聖行事に参加しよう」って、みんなに呼びかけるのね。誰も神聖行事ってどうするんですかって聞きに来ないって、憮然(ぶぜん)とされてたんですけど、今答えを言ってますけどね。一瞬一瞬新たに真(まこと)の神さまを受け直したら天岩戸開きの神聖行事。

 只、それだけです。太陽が出て来る、それだけです。そしたら、闇は自ずと消えるの。もうそれしかないんだけどね、勝つとか負けるとかじゃあないの。

 今の方の場合は、自分の言葉で神さまと悪魔が拮抗(きっこう)するものだと、先ず(自分の言葉で)決めてね、勝てるか負けるかぎりぎりでね、まあ巨人阪神みたいな物やね。非常に拮抗したチームがゲームするような感覚で受け止められているんですね。

 だから人を恨むとか、呪いたいとかいうのも、自分の過去世の経験に基づいた、善悪でどうこうしているのね。その過去を掴むことが、凄いマイナスだという事に誰も気が付かない。一瞬一瞬新たに受け直す事以外、要するに天岩戸開き以外は全てマイナスだという事に、みんな気が付かないんですよ。そこだけです。

 その天の岩戸開きの神聖行事を今はどうするかと言ったら、印可書を奉納するだけだから、私そんな天岩戸開きみたいな、そんな大それた事を私出来ないわって、思おうが思わないが淡々と印可書を奉納してたらそうなるからというね、神さまと先生の約束事ですから、只々、印可書を奉納して下さい。それでその方諦めないっていってるから大丈夫。もう私駄目だって言ってない、言葉でまだまだ私やりますって言ってるから、まだまだ印可書を奉納して下さい。大丈夫です。ありがとうございます

質問6:同じ方です。私には呪い殺したい人間が沢山います。先程呪いのまじないをしました。

河上さん:先読みをしてしまった。(笑)

質問続き:どうしても許せなかったからです。醜い人間は許せない。人に対して殺意を持つ事は悪い事でしょうか?もっと冷静に考えたい、なりたいのは当然です。悪い人間の事で自分が不幸になるのは神さまの本意に逆らう事になります。どうしてこんな地獄が続くのか。目には目を歯には歯を。復讐心。美しいはずの私が恨みの塊になっている。悪いものが天狗になっている。あんなものは、心の法則が始末してくれる。神に祈るだけです。ありがとうございます。

河上さん:だから、今、その方の心に合わせて答えたから、先読みして返事しましたけども、本当に聞いてたら分かるように、その人の言葉通りになっているだけね。

 だから善と悪とか、悪い奴が繁栄しているとか、どれもこれも天狗になっとるとかね、自分の言葉通りよ。だからどの姿を見ても神さまが必要で現わされたのね、例えばどんなマイナスの姿でも。

 それは何時も言うように、水道のホースから水が出て洗い流すじゃあないですか?その水を光と例えると、洗い流す先端は泥水になりますよね。そういう感じのとこを人間は見てマイナスだって言うの。でもどんどん一瞬一瞬新たに受け直して光が来るから、水道のホースで(水を掛けて水を流して)綺麗にしてたら、結局全部綺麗になっちゃうじゃあないですか?只、それだけです。

 どこを掴んで物を言うかなの。その水道の水で洗い流している、地面の泥水になっている所を掴んでものを言うのを、自分の過去の経験に基づいて良い悪いって判断するって言うの。

 自分の過去の経験、正しいとは限らんでしょう?何故かといえば自分の過去の経験というのは、小さい自分という意識にとって都合が良いか悪いかだから。だから常識に従ってというのを止めなあかん。もう一瞬一瞬新たに受け直すだけなの。

 でも先生の時代はね、印可書が無い時代はね、一瞬一瞬新たに受け直すっていうのは分かるんだけど、どんなにして受け直すの?っていう事だったのですね。だから何時も言うように印可書を奉納してて、そしたら一瞬一瞬新たに受け直すから、自分の心がどんなに乱れていようがね、もう先生と神さまの約束をひたすら信じてね、淡々と印可書を奉納して下さい。

 そしたら突然、本当に雪解けの様にガサッと崩れ落ちます。自分の意識にまつわり付いている自我というね、小さい意識が突然ガサッと崩れ落ちます。身心脱落(しんじんだつらく)という、脱落と先生が仰ったのはそういう意味なの。突然脱落するの、それが突然来るから、来るまでが不安でみんな悩むんだけど、今は「印可書さえ読んでいたら」って先生仰る。「護摩木さえ書いててくれたら、護摩にさえ参加してくれていたら」って仰るんだから、それに縋って悠々と行きましょう。必ず良くなるんだと信じて。ありがとうございます。

読み手:ありがとうございます、以上です。ありがとうございます

河上さん:後質問が有りましたら?

 兎も角ね、兎も角みんな自分の言葉の世界に住むんですよ。それで「いや、自分はそんな悪い事を言ってないよ」って言うんだけど、そうじゃあなくて、見たものを、見て心に止めたものは全部言葉で現した事になるんですね。だから如何にサラサラと受け直せるか、受け流せるかなんです。

 それの為に「考えるな」とか、「神さま一番良いようにしているから」とか「必要で現れているだから」って色々と説明しますけども、それは受け直す為の方便です。でもあれもこれも必要であった事ばっかりで、それは何で泥水の状態が現れるかといったら、自分が過去の経験に基づいて良い悪いといって判断して作った言葉のマイナスだからです。神さまがされたんではない。

 でも神さまの方は、小さい子は泥んこ遊びをするでしょう?でお母さんが「又、この泥んこ遊びして汚して」って、きゃあと洗って、洗うけどね、又、泥んこ遊びして来るの。でも「まあまあ」って又、洗うでしょう?お母さんは「この前してきてあかんって言ったのに、又、あんたはしてきて、もう知らん」って言わないで、必ず洗ってあげるでしょう?そういう事です。その洗ってる状態の泥流れてるのを見て、又、「あいつは悪いとか、あいつは不器用だとか、あいつは使い物にならない」とか色々あるよね。

「あいつは怠けもんやとか」言ってるだけです。

 その怠けものに見える人が自分の回りに現れている時は、自分が過去で怠けた姿を取って、それに基づいて「あー、怠けたらあかんな」って思っている意識が、怠けてる人を自分の回りに呼びます。それだけです。

 だから先生の回りに来るとみんな良い子になるのね。で先生から離れると元の自分の戻るというね、そういうもんです。だから只々、自分の使ってきた言葉通りだけなんですね。それをどう脱却するかだけです。それを自分が無くなったら消えるよとか色々説明しますけど、本当は数式で出るんだけど。今日はちょっと先に(名神高速のパーキングで)あった人に数式を見せたんだけど、もうそんな邪魔くさい事要らないね。印可書を奉納するだけで行けますので、是非ね、印可書を奉納して悠々と進んで下さい。何があったって神さまが一番良いようにしている事に変わらない。

 それで印可書を奉納して無い人でもね、神さまが一番良いようにしているの、必ず。只、気付かないだけ。で気付かないから同じ病気でもね、苦しいのね。何で自分だけ病気になるの?・・・でしょう?(笑い)

 でも例えば胃炎になったとしても「あー、神さまに使って頂いて良かった」と思うかね、或いは、「今沢山食べたら病気になるから、食べれないようにして下さって良かった」って思えたら楽なんですよね。でも「食べ無いと元気にならない。食べないと病気になる。食べないと倒れちゃう」っていう恐怖ですよね。過去の経験に基づいてお食事しなかったらしんどくなるという、そうでしょう?お食事しなかったらしんどくなるというのは自分の過去の経験に基づいて掴んだマイナスなの、本当は。本当は必要だったら食べなくても元気になる。

 それは医学的にも証明されてて、例えば、南洋諸島に行くとタロイモしかないの。動物性蛋白って無いの。でもみんな知っている?あのパプアニュギニアとかあっちの人、筋骨隆々でしょう?動物性蛋白取らないのに、筋肉あるの。

 医学的に昔はおかしいだったの。それが最近証明されてきて、研究される方がいらっしゃって、そのタロイモとか、そういうでんぷん質を取っても、小腸のところに色んな微生物、乳酸菌とか色んな表現が有りますけども、微生物を人間が生成、作って住まわせて、その微生物がビタミンとか蛋白とかに変えてくれるそうです。だから南洋諸島の人でも栄養失調にならない。

 それ位人間の体、神さまが必要なようにちゃんとして下さるわけです。だから動物性蛋白取らないと駄目とかね、そんなことは無いの。だから一瞬一瞬新たに光を受け直す事が大事。受け直せたら、その時の環境に応じた体に、ちゃんと神さまして下さるわけ。それを小腸がします。

 で、みんな頭でものを考えていると思うでしょう?これが大きな間違いなんですよ。人間というのは、腹で考えます。頭は一時的メモリー(記憶装置)です、コンピューターでいうと。CPU(中央処理装置(ちゅうおうしょりそうち))はお腹なの、で頭がメモリーなの、本当は。だから頭で記憶して、その記憶したのを一時的に引き出して利用しますけど、頭でどうこうは出来ないんですよ。だから腹が座るとか言いますけど、ちゃんと腹が座ってたら怖くないとか言うじゃあないですか。お腹で考えているのね。

 そのお腹で考えているっていうのは何かと言うと、「はら」って言うのは真(まこと)の神さまという意味です。広がるのを「はら」というんです。原っぱって言うでしょう?日本語でね。全ての全てを「はら」って言うんです。

 そのお腹が真(まこと)の神さまという、肉体でいうとね。それを一部的に言うと臍下丹田(せいかたんでん)だとか、お腹の中心だとか、体幹とか色んな表現しますけども、要はお腹で全てなんです。そのお腹で全てを考える、動かすのは何かと言うと、一瞬一瞬新たに受け直すことなのね。

 それを表現で言うと「一番良いようになっている」とかね、「考えるな」とか、「神さまが一番良いようにされる」とか、言いますけど、お腹で全てを受け直してたら良いの。

 だから印可書を読みながらね、お腹にお腹に収めてる位に思うと進みやすいです。でもあんまり形を言うと、又、崩れるから大体で聞いといて下さい。でもそれ位お腹で動きます。

 それが出来るとね、全身に均一に力こもるから肩凝ったり、足釣ったりしないの。

 その方法としてニャンコさんの手とか色々と言ってますけども、どれもこれも、そうしなくちゃあいけないじゃあなくて、自分なりに色々とやってみて、合うものを使って頂いたら良いというだけです。もうそんなに難しく考えないで。

 大和座法も一緒です。座れる人は座ったら良いし、お風呂でそういう座り方して、足の筋を伸ばして座り易くしてから座るのも良いしね、やってみて下さい。

 只、大和座法は天地の根本原理にかなった座り方なんで、お祈りしやすいっていうだけです。要するに足の裏を神さまに見せないわけ。右足の足の裏を左足で塞いで、左足の足の裏は自分のお尻で塞ぐわけね。

 だから正座と違って、神さまに対して失礼無い、みたいな感じやね。という事でなってるだけなんですけどね、でもそれが全てでは無いので。

 そんなん言ったらズーっと座ってなあかん。でも山仕事したり、農作業したり、色んなお仕事してる時だって真祈りでしょう。

 で印可書を奉納してるとね、本当に言葉以前で真(まこと)の世界にスッとつながります。繋がると、いわゆる不動心なんですよ。もう何が来ても驚かなくなる。勿論興奮したり、凄いとかね、感情は揺れるんですよ。感情は揺れるんだけど、だからといって怖くないの、嬉しいだけなの。要するに無条件の幸せ、無条件の喜びが湧くようになります。

 だから自分が本当に深い深い神さまと一つになって来たな、深い悟りになって来たなと思えた時は、(どういう状態かといえば)何があっても無条件に喜べるか、何があっても無条件に幸せを感じれるか、だけです。無条件に何があっても、無条件に嬉しいとなったら、本物です。

 だけど嬉しいと思おうと思って、「嬉しい嬉しい嬉しい」って言ったりね、するのは偽物です。もうそんなん言葉にする以前に、只々体全体が喜びに打ち溢れるんですよ。

 だから「神さまを褒め称えてね、感謝して、喜んで、待っていてくれたら良い」っていう先生の深い深い真理が有るの。それが自然に出来るようになった時が本物なの。まだそうしなくちゃあいけないと思っているうちは、まだまだそうしなくちゃあいけないという自分が有るの。自分がある間は苦しい。

 その自分は印可書の奉納で自然に消えますから、只々、それだけです。もう何時も何時も、今までの宗教も全部そうですけど、自分という小さい意識をどうするかだけなんだけど、それを本当に印可書で楽になるんでね。勿論、「宇宙神ありがとうございます」で真(まこと)の神さまの全てを受け直すんだって思えてね、思える人は大丈夫ですけど、思えなかったのね。あんまり簡単過ぎるのは駄目だという事で、もう一遍、印可書が新たに大きく完成されただけですので。勿論どれを選ぶのも自由なんで、あれですけど。

宮野さん:選ぶの中でね、さっきの言葉の中で、マイナスの言葉でありますけど、この世的にプラスの言葉も全てマイナスじゃあないですか?絶対プラスの言葉を駆使する自分でなければいけないでしょう?そうすると、

河上さん:真(まこと)のプラスの言葉だけですね。

宮野さん:そうするとこの世的に豊かであるとか、幸せであるとかはいうのは?

河上さん:一切関係ないです。

宮野さん:無いですよね。

河上さん:だから無条件に喜べたら、無条件に幸せを感じたら、もうそれだけです。


令和4年河上さん1月勉強会−2(20220109−2)

宮野さん:ちょっと前の先程の質問の中で、例えば自分と比べた中で豊かになる方とか、見目麗しいとか、お金持ちであるとか、自分から見て性格良さそうに見えるとか、色んな比べた時に起こることってありますけども、それは決してうらやましい内容では無いですよね?

河上さん:そうです。だからさっき説明したようにね、自分にとっての正義がみんなあるの。自分にとっての正義がね。自分の立場から見た正義やね。自分の立場から見た正義で、あいつが悪いとかねやるわけ。だから政治の世界って争いが絶えないでしょう。それは政治家さんのお互いの立ってる立場から見た正義で「お前の所、間違ってる!野党が間違ってる!与党が間違ってる!」ってね(笑)国会答弁見たらそうじゃないですか。もう責め合いでしょう。それは自分の立場から見た正義で言うわけです。自分の立場から見た正義ってね、自分の過去の経験に基づいた良い悪いじゃないですか。だから本当は1番マイナスやね、自分の立場から見たことが。

 だから例えば、自分は何もできなくて、あの人はできるとか。或いは、自分はできるけどあの人は何もできないとか言うのも一緒ですよね。自分の立場から見た正義なんです。それがあってみんな争いに巻き込まれていく。自分の立場にとって、だから殆どの人が言うじゃないですか、言うてやらなあかんって(笑)。「あいつ、あんな事してるから言ってやらなあかん」って大概の人が言ってるけど。あのおばちゃん等の会話を聞いていたら面白いもん(笑)。「そんなん言うたりぃや!」って(笑)。「言うたりぃや!」って散々相手にけしかけといてから、「私知らんけどな」って言うて(笑)。

 それ位ね、人を責め合うのが好きなの、自分の正義を振りかざしたら。それをやってしまうと、それが溜まっていくのね。今世だけじゃなくて過去世からのもあって、それがある日突然、ダムが崩壊するようにガンって崩れてくるの。それで突然の不幸となって襲われるわけね。

 で、「自分は正しいと思うことをしてきたのに、なんでこんな目に合う?」っていうのが大半で。それで世の中の人はみんな不平不満だらけなるの。その不平不満が溜まって、今度は大戦争、或いは大災害になっていくね。それで人間に任しといたらもう無茶苦茶になるから一旦ご破算にしようって地球霊王様が言うんだけど、「いやいや、ちゃんと人間の側で真祈りできますから」って言うて、ここまで来てますからね、是非、「印可書」で真祈り奉納をお願いします。

 本当にね、みんな自分が正しいって勘違いしてるの。だから職場でもね、結局、責め合うでしょう。それをお互いの立場で自分が正しいと思ってるから。だけど違うね。だけど大概ね、大きい会社程そうだけど、「うちの社長はな、もうあんなんで、こんなんで!」って言うわけよ。だけど社長の立場からしたら、もっと大きい立場から見てるからね。そんな細かい事はもういいんやっていうところがあるわけです。それなのに「これを正さなあかんのに、うちの社長はなってないんや!」とかね(笑)。やってるでしょう?

 或いは、1番よく分かるのは野球よ。みんな監督になったつもりでやな、「なんであそこで江夏を」古いな(笑)「なんであそこで江夏を出せへんの?!」とかね(笑)「あそこでなんで山本和、出せへんの?!」とか言って、みんな監督なってるやん。あれ自分の立場が正しいと思ってやってるわけよ。

 実際の野球チームの監督したらもっと色んなチーム事情があるわけやん。「江夏を投げさしたいけど、ちょっと肩痛いって言ってるから出されへんのじゃ。だけどそんなこと戦力を秘匿(ひとく)せなあかんから、隠しとかなアカンから言われへんわな!」とかいう、色々な事情があるけど、あるでしょう?それぐらいみんな過去の経験に基づいてね、それがいいって勘違いするの。でもその自分の立場に立ってものを言うのがどれだけマイナスかっていうことを思っててください。

 本当の物言いは、「印可書」を奉納した後に出てくる響です。すると大概祈っているだけになって喋らなくて済みます。

宮野さん:良い思いをしている方も実際は誰かに妬まれ…

河上さん:あぁそうよ。だからこの世的にお金持ちとか幸せな人ほどね大変なの。妬みが一杯溜まって大変な目に会うの。だから美空ひばりという凄い有名な歌手さんがね、やっぱり有名になるから有名税やね。、妬まれてものすごい運命的に落ちて、で、また上がって来てって、こう繰り返すでしょう。それ落ちたことによって、ざまぁみろで、マイナスが消えてね、で、こう繰り返すんだけど。それくらいね、この世的に幸せな人ほどね、真祈りを深めとかないと気づかないうちに他を押しのけてるのね。だからひたすら一瞬一瞬新たに受け直して、「印可書」奉納しといてください。どの立場であっても。お金持ちの立場であってもね、貧乏人の立場であっても、どんな立場でもそうなの。

 それで、いつもいつも言いますけど、食べれなくて餓死するような状態になったってね、神さまが本当に1番良いようにしてるから、喜んで喜んで「印可書」奉納していて下さい。仮にそれで餓死したってね、凄い悟りなんですよ。

 それは先生が昔、此処でお話しされたわけですけども、隠れキリシタンという人が昔、日本にいててね。それで体制側がイエス様の像の踏み絵やね、踏み絵をさせるわけ。そしたら形で踏んどいてね。後でお祈りしたら終い(しまい)なわけですよ、まぁ言えば。

 でも本当の信仰になったら踏めないのね。そしたら火あぶりになったり、暑い鉄板の上にね、蓑を着せられて暑い鉄板の上に放り出されて、蓑にも火をつけられてなぶり殺しにされるわけですね。だけどなぶり殺しにされても深い悟りになるんです。それくらいね、この世的な姿というのは関係ないの、神さまが1番良いようにしてるの。

 例えば今のその隠れキリシタンの人の受難ですけども、受難もそれを越すことによって大きなマイナスをね。その人のマイナスじゃないですよ、人類の大きなマイナスを身代わりとなって消す十字架なんですね。だからそれをその人は喜んで受け入れたから、大きな悟りとなって大きく変わるんですけど。一緒なんですよ。それはお祈りしてようが、してまいがね、神さまはいよいよ因縁因果の輪を断ち切ったので、みんな色んな形の十字架となって受難を受けるわけです。

 受けても喜ばなくちゃいけない。そこで文句を言うと、全然効果ないことないけど効果が小さくなるのでね。何事も喜んで受けててください。

 だからマイナスを沢山積んでしまった人程ね、競馬とか博打でスルの。その形が1番楽だから。病気になるよりね。で、「うちのお爺さんは、賭博に走って賭博と酒で財産を全部ゼロにしてしまったというんだけど、一族のマイナスをそのお爺さんが一身に背負って消してくださっただけなのね。どの形も本当は必要なことばっかりなんです。

 それに気づかないといけないんだけど。だって全知全能の神さまがね、良いようにしかしてないって。だけど小さい自分の立場から見たら、ウチ、こんなに財産あったのに、あのお爺のおかげで全部なくなったってね。まぁ、ウチでもそうですけど、お爺さまが白紙委任状にサインした為にね、山と財産、全部取られちゃうんだけど、そういうもんです。それが良い悪いじゃないのね。神さまが1番良いようにしてるだけ。    

 だから極端な表現で言うとね、餓死する状態になっても喜んで受けなくちゃいけない。それを喜んで受けないとね、今度は病気で食べれない病気になって苦しんで死ぬの。どの形でも、必要なものはどうしても出てくるから。

 まずそれは諦めなくちゃいけない。なんで私だけこんなにしんどい目をするの?じゃなくて、あなただったらそれに耐えれるからということで神さまが使ってくるだけなんです。だって雑巾でもそうでしょう。小さい雑巾と大きい雑巾だったら、大きい雑巾の方が沢山汚れ取れるじゃないですか。だから大きく取るという事は大きな苦しみね。で、ハンカチでちょっと洗ったらすぐ洗うだけで済むんでしょう。そういう感じで神さまの使われ方があるんですけど。「あぁ、より大きく使っていただいてよかったな」って。

 しんどい時程ね。苦しい時程思ってください。それが全てです。それを思たら、この世的にどんな形になっても1番良いことになりますから。だってこの世は単なる物語としての映画だから、どうにでもなる事なんですね。

質問:政治でも過去の立場があってっていう感じの話が先程出たと思うんですが。ちょっと現実的にいつもどう関わればいいかなって思うことがあって。例えばどこかを応援することになれば、どこかを応援しない、もしくは敵対してしまうということが出てくると思うのですが。端的なのは政治だったり、私たちだったら選挙とかいうような形だと思うんです。投票はするけど応援をする、選挙自体が代理戦争ということだとすれば、いつもどのように関わるのが1番良い道なのかなと考えることがあります。

河上さん:だから選挙なんてのは結局1番この人が良いってないのね。無難な人に入れるだけやな、いつもな。でも田舎だと、白票を投じても、或いは反対票を投じてもバレるの。中々、田舎の選挙は厳しい。だから適当に大勢に流されて入れたってね、どない言うの… 現れ方が違うだけで、神さまが良いようにする事には変わりないです。だから極端に言うと、戦争で消すのか、災害で消すのか、或いは揉め事で消すのかみたいな感じでね、どうなるかだけです。

 只、現れ方を緩やかに緩やかにするためには、只々、「印可書」を奉納していただくとね、真祈り人が増えたら本当に穏やかに穏やかに終わっていくの。今回みたいに地震の代わりに大雪で済みます。大雪って大変よね、凄くてね、交通も止まるしね。でも一時的なもので終わるじゃないですか、大雪というのは。でも地震だったら、東北の地震でもそうですけど今だに引きずるじゃないですか。だからそういう無難に終わるように持っていきたいのでね。大きな台風だけで済ましたい。勿論、台風来たら大変ですよ。

 でも地震とかね大災害から比べたらまだまだマシじゃないですか。より無難に終わっていくだけです。だから真祈り人を増やしたいだけです。

質問:もし選挙活動なるものに身を投じなければいけなくなったとしても、「印可書」を唱えながらという事であれば良いと言うことでしょうか?

河上さん:義理やしがらみに縛られるでしょう、この世はね。情に棹せば流されるみたいなね。だから形の上はね協力してあげたらいいの。でも真祈りしてたらいいの。そしたらみんなの心が穏やかになってね、変わっていくから。だからそんなに形の事は気にしなくていいのよ。

 警察関係の方が1番苦しまれるのね、そういう意味でね。役目柄、取り締まらなくちゃいけないとかあるじゃないですか。でも、どれもこれも必要であるからね、真祈りしてすることが大事でなんです。自分の正義感に囚われてするとね、因縁因果が引きずっていくの。

 だから本当はこの世でもね、エネルギーが今ここにあるんですよ。石油を奪い合いしなくても。原子力みたいな恐ろしいものをしなくてもね。例えば原子力発電なんていうのは、使用済核燃料の処理ができないのね、今だに。今のプルトニウム燃料だったら500年間冷却しないとあかんわけです。で、500年間冷却する電気代というかエネルギー代を誰が払うねんていうのは口塞い(ふさい)どいて、原子力発電をしようとするのね。

 それぐらい今は矛盾してるから、この今の状態で行くと、この世的には地球霊王様の方がね「こんな無責任な人間ばかりやったら一旦御破産じゃ」ってなるわけですけど。真祈りしてたらそれが変わっていきますからね。この世的にどうにもならないと思っても絶望的に、これだけ大事な事は、この世的にどうにもならないと思っても絶望感に打ちひしがれないようにです。

 例えばさっきの踏み絵でね、焼き殺されても本当は1番良かったっていうのと一緒で。

 或いは、タイタニック号ですか?救命ボートが半分しかなくて、半分の人は冷たい海に沈んで死ぬわけでしょう。でもだからといって死んだから駄目だったではないんですよ。もうそれだけです。この世的な結果は関係ないの。神さまがいつも1番ようにしてます。

質問:ありがとうございます。

河上さん:まぁ結局ね、みんな結果に心を奪われて苦しむの。でもなんて言うんかな、神さまが本当に1番良いようにしてるだけなんだけどね。だってどれも真(まこと)の神さまの命そのものだから。只、その命の向きをね、人間の言葉でちょっと曲げて楽しんでるだけ。例えば水があったら水だけでいいでしょう。それをわざわざ噴水にして遊ぶんやろ(笑)。別に噴水が良いとは思わないけど、あれが綺麗と言う人はそういう水の芸術ってするわけじゃないですか。そういう感じで神さまの光をみんな自分の言葉で装飾して楽しむの。その楽しんでる状態をね、1部の部分から見たら苦しみに見えるだけ。

 だからレオナルド・ダヴィンチという人はそれをよく知ってたから、作品が長持ちしないように書くの、崩れていくように。或いは、自分の描いた絵の上にもういっぺん書き足していくの(笑)。するんだけど、後の人が一生懸命保存してしまうから残ってるけどね。

 この地球上で「じゃあ、成功した文明はないんじゃないか?」ってみんな思うわけですけど。全部失敗してきたのじゃなくて、失敗する文明だから痕跡が残ったの。完成した文明というのは跡を残さないの。だからことわざでね、「飛ぶ鳥跡を濁さず」って言うでしょう。完成した文明は痕跡が残らないからわからないね。不完全だから痕跡が残っちゃう。

 例えばみんなにわかりやすい話をすると、トイレする。公衆トイレでもいいですけど、お家のトイレでもいいですけど。汚しちゃうとね、綺麗にして出てくるのが当然でしょう。でもみんなできないよね。此処の人のことを言ってるんじゃないよ。でも公衆トイレでも汚れてるじゃないですか。それぐらいみんな自分と他人を分けて無責任にするのね。「これは誰かがするからいいや」みたいなね。その無責任さが痕跡残るということです。完成した文明だったら、例えばトイレでもし汚れてしまったら、ちゃんと綺麗にして出て来るから、いつも綺麗なままで痕跡残ってないでしょう。そういう感じです。

 まぁ、せっかくだから言いますけど、公衆トイレに入って汚れていたら、自分が汚していなくても綺麗にしてください。そういう支え合いやね。一瞬一瞬新たな下座に立つ真(まこと)の本心の自分という意識になってたら、世の中は一気に良くなる。「これは、こんなしんどい事は嫌や、誰かするやろ」って思うからぐちゃぐちゃになっていく(笑)。

 だから組織作るとあかんのね。効率を優先するから、しんどい事を嫌な人に押し付けて余計ぐちゃぐちゃに効率が 、効率を優先させるつもりで効率が落ちていく。あんまりできない人は、できない人なりのできる事をさしてあげたらいいのにね。「同じ8時間かけて、あいつはあれだけしか掃除できないのか?」じゃなくてね。その人のできる事をさしてあげていったら、ちゃんと収まっていくの。

 で、みんなが何でもできるようになっていくのにね。みんな言葉で責め合って、言葉で縛りあって、お互いがお互いを縛りあって身動き取れなくなっていってるね。それでいよいよ身動き取れなくなって、今のこの大変な時代になったの。 

 例えばウクライナのとこね、バルカン半島のところで、この年末からすごい大変なんですけども。今は何が怖いかと言うとね、例えば対峙してる者同士が喧嘩するんと違うのね。対峙してる中で他の第3勢力がね、そこで原爆を爆発させたりとかさせて戦争を始めさせようとする。だから対峙するだけでも危険なの。それぐらい今は原爆があるから怖いのね、それも小さい原爆があるからね。だから本当に皆さんの真祈りがないと1つの火種で全世界に広がってあっという間に終わる。脅かしてるんじゃないけどね。

 それは昔々、日本と蒋介石軍がね、盧溝橋で対峙してたのね、お互いに喧嘩ならないように必死になってるのに、他の勢力がそこで両方に向けて鉄砲打ってね、戦争が始まって今のすごい大戦争に進んでいくわけですけどね。そういうもんです。でもそれもこれもね、仕掛けた方も何もかもが悪いんじゃないの。みんなの人を責める思いが溜まってそうなっていくの。だから皆さんの真祈りでそういうマイナスをどんどん消していくとね、起こりそうで起こらないで進んでいきますから大丈夫。

質問:前に200人の真祈り人から先生は10,000人を目指してる。そうなって大丈夫ですって言って、もうだんだん良くなっていきますって言われて。それと備蓄の話があったんですけども。よくなっていくってなってても、やっぱり備蓄っていうのは必要なんでしょうか。

河上さん:できたらしといてください。無理しなくてもいいけどね。できる範囲はしといてください。それで無駄にしたいんです、備蓄をね。「あー、あれだけ貯めたけど無駄になったなぁ」で喜べないかんのね。「これが必要だった」ってなったら大変なの。だから是非できる範囲でしていて下さい。明らかにね、なんていうんですか、人口が多すぎるんですね。 

 例えばアメリカでそうだったんですけど、狼がダメだと言うことでね狼を取っちゃうんですね。そしたら鹿が一杯増えて、木を食べて山が枯れ出したの。で、仕方なしにカナダから狼を輸入してね戻したという話があるんですけど。それぐらい人間の浅知恵で言うとね、「狼は人を襲うし、鹿を食べるからダメだ」って責めてるわけよ。でも本当は大きな流れから言うとちゃんとバランス取れるようになってるのね。

 それ何でかっていうと、例えば鹿が狼さんに襲われて鹿がかわいそうだと言うのは人間の勝手な思いなの。本当は大自然は弱肉強食じゃなくて支え合いなんです。だから鹿さんが狼さんの為に自分を捧げてるの。だから捧げても種族が滅びないような生殖能力を与えられてるの。狼さんの方は一杯増えないでしょう。子供を産んでも何匹か死ぬしね。それは狼が一杯増えたらそれこそ大変だからちゃんと増えないようになってる訳ね。

 だから食べられる側はそれなりの生殖能力を持たされて。お魚さんもそうですけど、小さい魚ほど一杯できるじゃないですか。それを鯨さんが食べて大きくなるわけでしょう。そういう風に与え合いになってる。支え合いになってる。でも人間側の小さい意識で見たら弱肉強食に見える。

 例えばさっきの隠れキリシタンの話でもね、大きなマイナスを消すための手段として神さまがそういう風にしただけなのにね。でも小さい意識で見たらね、受難でかわいそうだってなるわけですよ。まぁ、イエスの十字架でもそうですけどね。イエス様に大変なことをさしてしまったじゃなくて、必要で神さまがされたことを粛々と、淡々とするだけなのね。だからイエスが十字架上でね、「これで成就しました、よかったです」って言うのね。その「これで成就しました、よかったです」っていう言葉を後で弟子たちが伝え聞いて皆悟るんだけど。

 色々ありますけども、どれもこれも神さまが1番良いようにしてるってね、聖者方が昔から言ってる事は変わらないです。マイナスがあると見るのは人間の小さい意識だけです。神さまの側に立ったらすべては良いことばっかり。だって命を奪ったらあかんのやったら人間食べるもんないで。植物だって命だもん。ねぇ?穀物だって命じゃないですか?でしょう。みんな捧げ合いになってるだけ。

 それをね、組織とか教義とか作ると、作った段階でこっちが正しくてそれ以外は間違いになるわけ。だからその時点で組織も教義もマイナスに落ちちゃうの。だから一瞬一瞬新たに受け直すしかないの。受け直す方法が「印可書」になったから、もう誰もが、全人類ができるようになったの。だから大丈夫なの。だから先生200人の予定だったけど、「よし、そしたらこのまま10,000人行こう」って。で、10,000人まで行ったらまた先生がどう言うか知らないけど、あっという間ですよ。大丈夫です。だって今回の本当に東京ね、もうどうしようもないなっていうぐらいまで行ったんだけど、あのドカ雪でポンと消えた。

宮野さん:すいません、響で質問を捉えたんですけど。教義を作ってしまえば、それは間違いでマイナスであると、一切のマイナスはないというところでもってマイナスだというところの、多分言葉尻を捕まえての話しの質問、疑惑が湧いた心が今キャッチできたんですが、そこのところ質問を。

河上さん:だからいつもどの立場に立って見るかだけでしょう。蟻さんの立場に立つか、象さんの立場に立つかだけのことじゃないですか?でもそのどの立場に自由に立てるか立たないかだけでしょう。みんな不自由なのね、心が。だから自由に、どの立場にも自由に立てるというの自分がないって言う。わかります?大きな自分があるとも言うんだけどね。大我、小我と分けて大きな自分、真(まこと)の神さまそのものの自分とも言いますけども。どこの立場にも自由自在に立てたら、真(まこと)の本心の自分。この世的に言うと自分がない状態です。

 その状態に立ったら、全部の答えが見えるのね。だけど小さい意識の自分に立ったら、その自分から見て下はマイナスだし、上はプラスだし、だけです。それを理屈って言います。自分の立ってる立場からどうこう言ってる。だからそれが過去を掴むと言うの。自分の立場に立った経験に基づいてどうこう言うじゃないですか。

 まず最初は自分の立場に立って良い悪いって言うわけね。その次は経験で良い悪いって言うから。今を掴んで過去を掴んで全てを掴んでマイナスになっていくだけ。

 だから一瞬一瞬新たに神さまが受け直すだけ。受け直すというのは自分がない。自分がないというのは、もう何もかも分かる状態なんだけど。それっていうのは「印可書」奉納してる状態が自分がない状態、だけです。そこには理屈もないし教義もないの。

 今迄だったら、先生が「一瞬一瞬新たに受け直しなさい」って言ってもどうしていいかわからない、だったのが「印可書」のおかげで誰もができるようになったの。誰もが先生の働きをできるようになったの、それだけです。

 先生の働きはすべてのすべてだったわけですけども。「印可書」読んでたらすべてのすべての働きになります。神さまがその人の特性を使って良いように使ってくださいます。どう使うかは神さまが決めることで文句言わなくていい。

 だからイエス様を信仰した隠れキリシタンの人は、イエス様、神さまを選んだから神さまが1番良いように使ってくださったの。それがわからないとダメやね。でも小さい意識で見たら、受難を受けた、迫害を受けたってなる。それは天理教でも大本教でも迫害を受けるわけですけども。それぞれ大きなお清めのお役があってね、そうなっただけなんですよ。でも小さい立場で見たらね、時の権力に迫害されたってこうなるだけ(笑)。



令和4年河上さん1月勉強会−3(20220109−3)


質問:東京の方が雪で振替になったと伺ったんですけど。この1ヵ月、こちらの方でもかなりの雪が降りまして、私も何回か近くまで来ながら引き返したのですけど、こちらのエリアで雪が今までにない位降るっていうのは何か…

河上さん: 地球規模の場合はこの辺で降ります。

質問:それが振替だったというふうに…

河上さん:そうです。雪で、雪の形で、だって新記録でしょう、この辺も。ここでも元旦すごかったもん。みんな必死で下ろしても、下ろしてもね、屋根の雪を下ろしても下ろしても積もると言うね。

質問:私も元旦に来たかったのですが、全国的なNHKのニュースを聞いて断念したのですが…

河上さん:それはそれで良いよ。

質問:来たくても来れないって、そういう選択肢をするっていうのも有りなんですか?

河上さん:有りです。ひたすら「印可書」奉納しといてください。その自分の立っている場所で、居てる場所でね。象徴的に年末から元旦にそこそこの人数が此処にいらっしゃってね、雪を下ろせて上手くいったと思うんですよ。それって真祈り人が増えてる象徴的な事象です。もし真祈り人が少なかったらね、年末から元旦にかけて、此処に人数がいなくて、もう雪下ろしだけでも大変みたいな凄いことになったと思います。どんどん良いようになっていくばっかりなので。

質問:初めに先生がこちらに来られた時は雪が深かったとお聞きしたのですけど、今回の方が…。

河上さん:はい、今回新記録です。

質問:ああ、そうなんですか。ありがとうございます。

河上さん:先生がこられた時はまず除雪車がなかった。手で雪を掻くしかなかった。それで完全に埋められて電気も止まって大変になって。名前出さないけど近くの方にSOSで何とか灯油だけでも持って来れないかと言ってお願いしたんだけど、雪が深くて来れないみたいになってね、結構大変だったのね、その時は。みんな寒さに震えながら頑張ったんです。それはそれで象徴的に人類のマイナスを消すお役目だったわけですけどね。

質問:こういう自然の形で現れるのが神様の法則というか…。

河上さん:いや、神さまはどんなことでも使ってきます。只、この雪が1番、所謂(いわゆる)、恨みつらみが残さないよね(笑)。大変やなぁ、しんどいなぁって言いながらでも誰も恨まなくて済むじゃないですか。

 でも戦争とか色んな運命と言うのはね、誰かのせいでなったって勘違いする。本当はそうじゃないんだけど、誰かのせいでこうなったって恨みが残るからね。だから雨とか台風とか大雪のほうが良い。極端になってくると地震になるし津波になるけども、それよりは大雪で収まる方が良いって言うことです。  

質問:そういう収めていく形はあまり気にせずにそういうものだと思って、分数のように3分の1 ×3が1…

河上さん:いつもいつも結果に一喜一憂しない。いつもいつも神さまが1番良いようにしているだけなのです。だから「地震になってどうしよう」じゃなくてね、神さまが1番良いようにしたんだからこれぐらいで済んでよかった、ばっかりなんですよ。

質問:理屈で考えず、そういうものだと思って…

河上さん:そうです。みんな自分の小さい立場に立ってね、「自分が築いてきた財産が一瞬で津波に流されてしまった、どうしよう」ですけども。本当だったら何代も子孫に祟って病気とか色んな姿で出るのをね、一瞬で消えた。それも自分のところだけじゃなくて、全人類のも背負って一瞬に大きく消えたみたいなだけなんですけどね。

 でもその場に立てば、ですよ、自分の親が津波で死んじゃった、悲しいっていうのは当然です。天外孤独になっちゃった、寂しいっていうのはそれは当然です。大変なのは大変ですよ。でもまだ天災だから、誰に対しても恨まないじゃないですか。それだけでも大きく消えます。

 これが戦争中の大空襲に合えばね、アメリカのせいでうちの親が死んじゃったってなるわけでしょう。そういった恨みが残るじゃないですか。日本人はまだ恨み難いですけどね。

 昔ね、昭和30年位までソビエトのハバラフスクに抑留されて色んな大変な目にあった人の話を聞いたことがあるんですよね。

 その時に先生に(そのことを)お聞きしたことがあるの。なんでこんな目にこの人達は合わなくちゃいけないんですか?って。すると今のような返事でした。只、それをまだ誰にも言ったらあかんって。今言うと誰もわからないからっていう事だったので。今、「印可書」を読んでいただくようになったので、こうお話ししてもある程度わかっていただける。

1時間経ちました。質問がなければ終わります。

質問:ちょっと話は変わるんですけど。今日1月9日、一九、一休さんについてちょっと。どんな形だったのかってちょっと教えていただければと…。

河上さん:一休禅師のことやね。一休禅師さんはね、本当に悟りの深い悟りを深められた方なのね。文献に残っているかどうかは知りませんが、一休さんに響きを合わすとね、「死ぬるには死ぬるが1番良い、生きるには生きるが1番良い」みたいな感じですね。

 だから「恨まれるには恨まれるが1番良い。騙されるには騙されるが1番良い」悟りってそういうものです。神さまが1番良いようにしてるですね、言い換えるとね。一休さんてね、小汚い格好をするの。本当に乞食みたいな格好するのね。住んでる場所以外に行くとね、乞食だと思っていじめられたり。暴力受けたりするわけですよ。それでたまたま通りかかった人が、「あっ!その方は一休さんです!そんなことしたらダメだ!」って言って助け出されたりするんだけど。

 その時でもね、「殴られるのは殴られるのが1番良く」って言って、1番良いようになってるって仰ってた方です。でも沢庵禅師でもね、悟りを開いたお坊さんはみんな言ってる事は同じようなことですけど。神さまが1番良いようにしてるって、御仏が1番良いようにしてるしか言わない。お釈迦様でもそうですけどね。釈迦族が隣の国から責められて滅びるわけですけども、お釈迦様が存命の時にですよ。その時でも「1番良いようになってるから」って言ってするんですね。一緒です。言ってる事は変わらない。

 ただ現代はね、理屈が発達したからうっかりそんなこと言うと「お前はアホか」って言われるから中々言えなかっただけ。「何をアホのこと言ってるんや」みたいな感じでね。

宮野さん:オミクロン株、おみくじ株(笑)の6波の事がご心配のようでございます(笑)。

河上さん:冬至を過ぎちゃったので本当にマイナスにはマイナスが反応します。オミクロン株は本当にマイナスに大きく反応します。だから今はまだ日本人が怖いと思っていないから大丈夫なんですけど。海外で凄いのが出て来つつあるじゃないですか。で、怖いと思いだしたら、自分の心の人を責める思いとかね、人を羨む思いとかのマイナスに反応して、コロっと死ぬような状態にまで行きます。でもそれはマイナスの思いに反応してるだけなのでね、「印可書」を奉納して、「印可書」を奉納できない人の分まで身代わりになって祈る、奉納すると思って奉納し続けてください。すると自然に普通のインフルエンザ程度で収まって行きます。もう只々それだけです。

 「印可書」読んでない人はアホやなぁ、じゃないのね。読んでない人の代わりに自分たちが只々、奉納させていただく。すると読めない人の潜在意識に響いていってですね、みんなが自然に「印可書」を読む心境になっていきます。だからあまり形の上でねバタバタ死に出しても狼狽(うろた)えないように。これだけは言っておきます。

 オミクロン株じゃなくてもう一つの変異が出るんだけど、録音してるけど…まぁ良いや。まだ出るんだけど、出てどんどん死ぬ人がもし出てくるようになってしまってもね、狼狽え(うろたえ)ないことです。神さまが1番良いようにしてると思って悠々と「印可書」を奉納し続けてください。そしたら1番良いように収まっていきます。

 やっぱり凄い台風がきちゃってね、発生しちゃって、もうバァーッて来てる時ってもうどうしようもないでしょう。ひたすら耐えるしかないじゃないですか。でも過ぎたら、必ず過ぎるからね。だから台風の真っ最中の時に、例えばオミクロン株だったらバタバタ人が死ぬ状態になりますけど、必ず良くなると信じて奉納し続けてください。それだけです。

宮野さん:今、多い地震、活火山の件も同じですね?

河上さん:今回は本当に富士山がボンッていきそうだったからね。それがあれで止まりましたけど。別に富士山に限らないんでね。

宮野さん:トカラの方とか、それから奄美の方とかも結構…

河上さん:だからモグラ叩きのようにこうなってるだけなの。どこかへブッと行かないようにまたしてるだけなんですけどね。だから岡山の方にはちょっとアソコへ行ってくださいとかお願いしてるますけど。それもそういう感じのものです。皆さんが思ってる以上にね、この大地というのはフラフラで、凄く柔らかいものなんです。だから1つ、所謂、日本人の先祖がね、神武天皇以前の方々の真祈りによって今の地球の安定があります。

 その安定を崩さないように先生が出てこられて、もう一度真祈りしていますけども。なんて言うのかな、只々「印可書」奉納だけで行けますから。只、どうしてもいかなあかん場所というのがあるのでその時は行ける方にできるだけお願いしてます。行けない方にお願いしたってね焦るだけだから(行ける方に)お願いしてますけどね。どの立場に立っても悠々と「印可書」奉納してください。

宮野さん:行かなければならないと言う事はないですね。

河上さん:そうそう。だから行きたいと思ったら余裕があったら行ってください。余裕というのは自分で作るものです。

質問:いつもありがとうございます。年末に引っ越しまして、今住んでいる所がどうも古墳の跡地みたいなんですね。私が住んでる街に八王子神社が2つあるんです、街の中に。そんな所に住んでまして、住んでる市がですね発掘調査をしまして、市内に調査しただけでも90の古墳があって、形が残っているのが40あるって言うんですね。まだこれから発掘調査をするらしいんですけども。年末に来年は古墳に「印可書」奉納していきたいなっていうふうに思ったんですけど。そしたら他所から古墳というのは、河上さんからとても大事な所で、特に大事な所は神社がその上に立ってるよっていうお話で。確かに見ると神社が近くにある所もあるようなんですね。ですけど他所から小さい古墳というのは、そういう権力者が建てた古墳を真似して庶民が作ったんだから、行っても小さいところは意味がないんじゃないかっていうお話も聞きまして。それでちょっとお尋ねしたいんですけど。

河上さん:八王子ですか?

質問:八王子神社が同じ町内に二つも有るんです。

河上さん:その地域は800位古墳が有るんだけどね。(笑)ただ、もう整地して潰してしまったところもあるし、それで古墳はお墓じゃあないんですよ。庶民が真似して作った物でもないんです。その緩やかかな地面を安定させるために作ったもの。外国で言うとピラミッドとか、ストーンヘンジとか、シルベリー・ヒル(イングランドにある先史時代の人工の塚)とか、マヤの階段ピラミッドとかね、あれも全部そうです。お墓じゃあないです。それは必要で有るものですけどね、それを分からずに潰しちゃった所、まあ色々有って、その分地震が増えちゃった。それだけです。

 もう抵抗しても潰すのは潰すからね、あまり気にせずに。ただ、ある古墳は出来るだけ、上に登らなくて良いですから、そばから通る時だけでも印可書を奉納するとか、お祈りするだけで、それだけで大きく働きます。そういう事をしているとその古墳を取り潰されることは無いです。結構私有地に残っている事が多いいのでね。私有地に残っていてもよう潰さないっていうのが結構あるのんですけど、うちの河内長野なんかは結構潰しちゃった。その山潰したら、漬物石が一杯出て来てねって、古墳だったんだけど。それくらいのもんです。

 既になった事はね、例えば古墳が潰されても、必要でなったと思い直したら良いの。後は印可書を奉納し続けて下さい。入れ子構造的に大きな計画の下に作られたものばっかり。

 簡単に言うと例えば、前方後円墳って有るでしょう?前が円で後ろが台形じゃあないですか?その台形の面積と前の円に接する正方形の面積とが同じに成る様に作られているんですよ、どの古墳も。それ位綿密な数学的な計算に基づいて作られているものでね、庶民が真似して簡単に作られるような事ではない。

質問:ありがとうございます

河上さん:折角やから、円墳というのが有るじゃあないですか?円墳というのは、そのちょっと離した方墳とセットでなってるものばっかりでね、例えばピラミッドは方墳、四角いものなんですけど、それとシルベリー・ヒルがセットとかね、ちゃんと大きな計画の下に基づいて建っているんですよ。だから大丈夫です。

質問:年末に行きたいなーって、凄く思ったんですけど、やっぱり行かせて頂いた方が良いんですね。

河上さん:行きたい時は時間がある限り行って下さい。ただ、無理してね、行って事故したり怪我しても駄目だから、ちゃんと余裕を持って行って下さい。はい。ありがとうございます

宮野さん:大小関係ないのでは?神社と一緒で。

河上さん:そうそう、古墳の大小は関係ないの。

宮野さん:神社も一緒ね?

河上さん:神社も一緒です。

宮野さん:さっきの話に戻るんですけど、コロナの話なんですが、私の周囲を見て見ますと、特に若い人は、最近コロナが、3カ月前くらいの味覚障害、嗅覚障害というのはほとんど見られず、単なる普通の風邪になって来てるように、私の身近な人が

河上さん:いや、インフルエンザでも味覚障害になるんやで。

質問:でもそれさえもない位、普通の風邪ぽく変わってきているように思います。特に皆さんワクチンとかも進んでいますので。そういう中で日本の政府が何時迄も、非常に厳しい対応をしている様に思うんです。

河上さん:だってお医者さまはであろうが政府であろうが、そのオミクロン株が変異して、又、次が出るか出ないかなんて分んないでしょう?となると国とかの立場でいうとね、もっと恐ろしい変異株が出るのを前提に、これ以上風邪、いわゆる風邪ですね、風邪が広がらないようにしようとするのは当然じゃあないですか。先に手を打たないと、この前のコロナじゃあないですけど、広まってしまって手を打っても、後手後手になって国民の方も「国はいったい何をしてたんや?」ってね、大騒ぎになったでしょう?だから先手先手を今回打とうとしているだけです。その結果がどうなるかなんて誰も分らないよ。
 でも国の方は出来るだけ広がらないようにしましょうねって、持って行くしかないから、じゃあちょっとでも効果のありそうなワクチンを打って下さいねですよ。あのワクチンが効果あるか無いかってお医者さまでも分からないんだもの。だってインフルエンザのワクチンがそうでしょう?インフルエンザのワクチンが本当に効果ある人と、インフルエンザのワクチン打ったけど毎年かかるっていう人とあるわけですよ。
 要するにその人の体質に応じて、薬がそうでしょう?その人に合う薬、合わない薬ってあるわけ漢方でもね。でも数が無いからこのワクチンで取り敢えず行きましょうしかないわけやから。何で個人によって差が有るかといったら、個人の持っているマイナスの差だけなんです、ホントの事を言えばね。でも今そんな事を言ったって誰も受け入れてくれないから、分った者が印可書を奉納して、印可書を奉納出来ない人の分も奉納しましょうっていう事です。

質問:医療従事者の中にはですね、今のたんなる風邪のような人達の為にも保健所なり、特定医療機関で保養しないといけないから、今すぐに医療崩壊が目に見えて行くようにお見受けするんですよ。ですのでもうちょっとこうレベルを下げてですね、普通のクリニックとかでも十分面倒みれるように、私個人的な意見としては変えて貰えれば良いのになと思うんですけど。それはもう政府とか、そういう専門家の意見・・

河上さん:いや、医療崩壊と言うけどね、どのレベルの人を病院に入れるかだけの事でしょう?どのレベルかは誰にも分らへん。お医者さんだってコロナかかった人が、このレベルの重症やとか、要するにインフルエンザがそうなんだけど、42℃の熱が出るとするじゃあないですか?熱が出て悪化する人と、その熱が出た結果治る人と分れるわけでしょう?その時の症状診たってお医者さんだって本当は分からない。ただ、お医者さんの立場としてはこの熱が有るんだから、悪化するという前提で対応するだけじゃあないですか?だから医療崩壊というのも何を前提にするかだけで、でも誰も何も分からない中で、やれる事を精一杯やりましょうっていう事だけだからね、その無責任に医療崩壊って言う人達の立場っていうのが僕は分からないのね。

 本当にウイルス対策をするんだったら、今日本の医療機関でまともに出来る所はゼロです。空気感染するわけですから、ウイルスは。完全に、パンデミックの映画でね、凄いウイルスになった時に宇宙服みたいなのを着てやっているじゃあないですか。あれをしなくちゃあいけない、本当は。そんなん出来るわけない。この宇宙服みたいなのを着て、コンプレッサーみたいなのを繋いでね、空気をここ入れてやってはるわけですね。映画なんかでは、ちょっと動いて、ここパッと裂けてその人達もうつったみたいな映画になっているわけやけどね。(笑)本当はそういうもんなんですよ。

 でもそんな設備は日本の何所にも無い。勿論、一部の研究室には有りますよ。でも医療現場ではないですよ。それなのに何を言うか、みたいな感じやけどね。でもやれる事を精一杯するのが国の立場ですから、出来るだけの事をするという状態だけです。それを・・

質問:ヨーロッパの国々では集団免疫の為に、もうあんまり制限するのは止めましょうっていう・・

河上さん:いや、だからこのウイルスが集団免疫が出来るかどうかは、誰にも分からないんよ。分からない中で無責任な人が騒いでいるだけで、誰にも分らないから一応集団免疫も出来難い、治療法も無いに等しいから、ちょっとでもうつらないようにお互い、気をつけましょうねって持って行くしか、国の立場としてはそれ以上言えない。その立場をね、逆に突いてどうこう言うのは無責任の人の話よ。

 だってね、コロナウイルスの全部を検出して、コロナウイルスだって今だに特定できてないのよ。何故か分かる?どんどん変位するから。どんどん変位するから、元のコロナウイルスさえ分かってないのに。変移したコロナウイルスは検出するけど、そのコロナウイルスが本当にその病気を起こすのかというのが、医学的には証明不可能やね。何でかというと、コロナウイルスをみようと思うと電子顕微鏡でしか見えないの。電子顕微鏡っていうのは真空にしないと写らないの。真空にした状態の時はコロナウイルスは死んでいるの。分かる?こういうウイルスを写真撮影しましたよ、やけど、このウイルスが病気を移しますという事は誰も証明できない。それ位ウイルスの研究って難しいの。

 例えば普通の細菌、赤痢菌等だったらセリーの上にね、培地の上に置いとくと勝手に増えてくれるから、その増えた赤痢菌を例えば人間に移して、あぁ赤痢になったな、やっぱりこれが赤痢菌だったみたいな感じですよ。まあ、猿にやるわけですけどね。

 ところがウイルスはこのゼラチンの上にウイルス置いたって増えないの。何故かというと、細菌はいわゆる生物なの、自分で自己増殖できるの。ウイルスは生物と呼ぶのかどうか分からない、医学的に今だに分かっていないものなんです。ウイルスっていったい何なんだろうって?自分では増殖できないの。唯一増えるのは人間の小腸で新しい細胞をどんどん作って行くんですよ。その人間の小腸の所に入って、細胞の遺伝子を変えてウイルスが増えるだけなん。だからトイレ入ったら手を綺麗にしましょうなの。ウイルスに感染した人が小腸でウイルス増やして、トイレで出すじゃあないですか。それが飛び散ってトイレの中でウイルスだらけになっているから、トイレ入ったら手を綺麗に洗って出て来ましょうっていうの。

 そういう事を言ったらね、録音しているけど言うけどね、そういう事を言うとパニックになるから、国としては言えない。「そんなん言ったらどうしようもないじゃないか?」ってなるからね。

 ただ、日本でコロナが大きく広がらなかったでしょう?それは日本全国殆どの地域にウオッシュレットが有るじゃあないですか。ウオッシュレットできれいに洗ってするから、本当にウイルスが洗い流されて少なかったんですよ。でも海外はウオッシュレットが無いから、もう拭いちゃうと後少々洗ったって、付着したウイルスって取れない。

 何故かというとウイルスの大きさはね、ウイルスの大きさを人間の大きさに例えたら、人間の指紋は富士山の高さより高いの。それ位ウイルスって小さいのですよ。なら少々洗ったて落ちない、って本当の事を言うとね、パニックになるから言わないけどね。でも洗った方が良いから洗いましょう。アルコールで拭き取った方が良いから拭き取りましょうってやっている訳。やれる事を精一杯やるしかないの。でも本当の事を言えばマイナスに反応するだけだから、恐れることは無いの。

 でも普通の人は自分のマイナスをね、止めれないじゃないですか。そんなん言たってあいつ責めたくなるし、あのサボってるやつ腹立つねんって普通はみんな言うよ、当たり前や。真祈りしようとしてる人でも言うもん。だから印可書を奉納してたらという、説明の中を信じてね、奉納できる人は、奉納できない人の分も奉納するんだって、覚悟を決めて真祈りして下さいってお願しています。

質問:コロナも3年に突入するんです。経済なんかもかなり影響受けているんで、そういう所にも、とても心配しているんですけど、今仰ったように、お祈りをして

河上さん:そうよ。あのね、結局真祈りやから、結果に一喜一憂しないの、神さまが一番良いようにしてるだけなの。仮に経済が低調になったとしてもね、その事によって助け合いの精神が出るじゃあないですか。そうでしょう?だから景気が良いから幸せではないよね。景気が良くなれば成るほど我よしの人増えるじゃあないですか?身勝手な人が。だから何が良いなんて人間の側では分らない。神さまが一番良いようにして行くの。

 だからそれだけよ。その結果を掴んで心揺るがすのが良くない。それって結局マイナスを出している事になる。何時も何時も神さまが一番良いようにしている、神さまに使って頂いて良かっただけです。そう思い返しにくいから、印可書を奉納して下さいってお願しています。ありがとうございます

 そしたら真祈りして終わります。ありがとうございます


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12月深夜勉強会 by 河上彰延 2021年12月25日(土) 19時41分
PC

令和3年12月河上さん深夜勉強会−1(20211210−1)

河上さん:先生が此処のことをね、宗教でない、教えを立てない、教義を立てないって仰るでしょう。じゃあ、ここの働きは何なんですかという質問が有ってね、光の交流会のあの録音なんだけど。

お清めだけだって仰ったでしょう?みんなの思いを消し去るだけってね。それを、あの時の話は先生はそう言ってないけど、みんなは先生しかそれが出来ないみたいに思うのね。それがもう真祈りの伝授を受けれなかった大きな原因やね。その先生しか出来ないとかね、そういう分け隔てる思いがもうあかんね。

 それに尽きるけど、みんなは先生を奉(たてまつ)ってね、分けようとするやん。分けようとする意識があったら、もうもう既に真祈りの伝授が出来へんね。それで本当は弟子の方から、師匠の心に合わせ切らなああかんけど。「先生は特別や、先生しか出来へん」って言って、合わすどころか、分けてるわけよ。

 で先生の方から必死で弟子の方に、みんなに心合わそう合わそうとして、印可書を作って下さっただけ。印可書を下ろした段階で、先生がいつ死んでもおかしくないっていうのになるのはね、先生がいらっしゃったら先生は特別やっていって分けるからや。

 印可書が出た理由も有るねんけどね。それにも気付かんくらいみんな分けてはった。先生は特別やという事は、自分たちの間でも、自分とあいつは違うってもう分け隔てるわけよ。組織という物はそういうものや、ランクを付けるわけや。

 でランクを付けたらあかんね、でもランクを付けようとするね。(先生は)みんな真(まこと)の神さまって言ってるやん。

 分かり易い表現として、俳優さんがそれぞれの台本を貰って、色んな演技しているだけって言ってるわけでね。真(まこと)の神さまが色んな言葉という着物を着てね、色んな姿を楽しんではるだけやけどね、一切ランク付けたらあかんの。

 ランク付ける間は、先生がおったらランク付けるから、先生、逝かれてしまった、っていう事がね、先生亡くなられる迄みんな、亡くなられても分らなかったから大変やったけど。

 まだ先生がいらっしゃる頃で、護摩には出て来られない時、護摩の会場でちょっと喋らして欲しいって、ちょっとお願いしたのね。塩田さんという人を通してお願いしたのね。塩田さんが、じゃあ僕頼んできますっていって、行ったわけ。その時は、誰や?尾形さんか?尾形さんが仕切ってはったわけやけど、尾形さんに頼みに行ったのね。そしたら「私達と違うものが喋るという事を、先に話します」って言う訳。

質問:先生が?

河上さん:そうやなく僕。塩田さんが「河上さんに喋らして欲しいって」頼みに行ったわけ。「お話ししても良いけど、私達と違うものが喋ります」っていう事を言うわけ。

「生まれが違うものが喋ります」って言う訳。それは先生に対して失礼やからね、そんな事言うんだったらもう良いわって止めた。それ位先生を特別と思う事は、自分らの間でも分け隔てが有るの。そういうもんや、でもそういう分け隔てしてる事すらも気付けへん、本人は。本人も、特にあの頃の村人はな、分け隔てしている事も気付けへん。

 だから誰が素晴らしい、だれがあかんとかいっている内はもう全然、真祈りが分らへんかった。要するにお清めが出来へんね。お清めっていうのは、真(まこと)の神さまに降り立って貰うから出来るんや。

 一切のマイナスの思いを消し去る働きをしないとあかんのに、みんな一人一人がやで。先生がするん違うの、みんなが全ての人類のマイナスの思いを消し去る働きをせんならんの、雑巾として。その為には真(まこと)の神さまに降り立って貰わなんね。

 だけど降り立って貰おうと思ったら、あの人は祈って無いとか、あの人は印可書を選んでへんとかな、色々有るわ。そいうい言い方は一切あかんね。又、そういう思いもあかんんね。その分け隔てが全てを崩すね。

 特に真祈り、印可書を選んだメンバーは、印可書を凄いって分かって選んだメンバーはね、それをよく気を付けてないと、足元をすくわれるで。要するに印可書を読んでいる自分は偉いんだって、うっかり思ってしまうの。印可書を先に選んだ私の方が、選び切れて無い人より偉いんだって、やっぱり無意識に思うの。

 それはもう大きな落とし穴なの。そう思った途端に印可書を読んだって奉納にならへんの。それだけよく心に収めておいて下さい。

 全ては完璧なる一つが先ず第一にあるの。先生の仰る言葉で言うと「みんな光」や。

 「みんな光」だけど、色んなシチュエーションで神さま楽しんでいるだけや。それは印可書選び取る人、選びとらない人で楽しんでいるだけや、良い悪いやないの。

 春咲く花が良いのか、秋咲く花が良いのかっていうだけの事や。春が先と思う人もあるけど、秋が先かも知れん?ニワトリが先か、卵が先かみたいなもんや。古い人が良いのか、新しい人が良いのかっていうと微妙やで、全部一緒なの。

質問:河上さん、先程無意識に思ってしまうと仰っていたんですけど?

河上さん:だからひたすら印可書を選び取って行かないとあかんの。印可書を奉納し続けていないとな、ちょっとの油断があかんの。厳しいけど絶対ここだけは外したらあかんの。他は少々ね、偶には美味しい物食べましょうやね、食べ物で言うと。ちょっとね、偶(たま)には美味しいもの食べましょう。ちょっと贅沢しましようはかまへんの。

 だけど分け隔てする意識、私分け隔てしてないって言っても、無意識にどっかある訳。それを全部叩き潰していかないとあかん。

質問:雑巾役としていうならば、その分け隔てる気持ちも受けて消す働きもあるわけですね。

河上さん:勿論そうや。

質問:その分け隔てる気持ちが自分の中に沸いて来て、それを受けて消す?

河上さん:そうそう、だから沸いて来たっていうのが分かる間は大丈夫なの。だけど分からんとしてしまうの。

 例えば、明日も当たり前の様に健康で目が覚めると思うやろう?もうそれがあかんの。さあ美味しいご飯を食べましょうっていうね、それがあかんの。それは自分が入っているわけ。

質問:それが出ないようにズーっと?

河上さん:そうそう、一瞬一瞬新たに受け直すっていう事は、もうある意味本当に厳しい。只、一瞬一瞬新たに受け直せたら、本当に無条件の喜びや、無条件の幸せや。もう理屈抜きに嬉しい楽しいだけになる。

 その分け隔てる思いが沸いてこようが。人を責める心が沸いてこようが、嬉しい楽しいが根底にあるの。その時はお清めの働きなわけや。

 嬉しい楽しいがなくてな、只々、人を責める思いが出たり、あぁ美味しいご飯を食べましょうとかね、言ってる間はまだまだ隙がある。

質問:人を分け隔てる気持ちっていうのは気付きやすいんですけど、美味しいご飯を食べましょうっていうのは、中々気付かない?

河上さん:そうそう、気付けへんやろう?でも同じやね。

質問:先ず一緒っていうのが良く分らない?

河上さん:だから先生がね、味の無いものを平気で食べはるわけよ。又、逆に言うと味のあるものをあんまり食べようとされなかった。

 それって神さま一番良いようにしてるって事をね、身に染みて知ってはるからやね。

 だからあの録音(12月光の交流会)にもあるよね、美味しい水が有るのに、何で濃いい味の付いたものを、わざわざ買って飲むんやって仰ってるでしょう?本当に嬉しい楽しいっていうね、絶対の信が有ったら水が一番おいしんや。だけど水以外の物が美味しんやろう?未(いま)だにな。そういうすらもね、やっぱり分け隔てる意識の中にあるわけよ。そういう厳しさやね。

 だから先生のそういう全ては完璧な一つというのは、形の上で具現化するとね、永平寺みたいな生活になるの。だけど形だけすると、あんなにして苦しいわけよ。だからさっきも言ったように、形から入るのは出来るだけしたくないわけ。

 先ず、その為に印可書を出して貰ったから、先ず真祈りからやけどね。だけど印可書を奉納してても、常に常に自分の中でチェックして消して行かなあかんの。

 アッ、取って来て車の中に忘れてしまった。おもちゃ。

宮野さん:分った。ハイハイ。

河上さん:厳しいようやけど、真祈りを根底にしてたら全然厳しくないの。

 だけど自分が楽しむという(自分という)意識がある間は、本当は自分が美味しいご飯を食べましょうが楽しいように思っておるけど、凄い苦しみやっていうのが分かって来る。

 だって自分が美味しいご飯を食べるという事は、食べられへん人が出るわけや。その人らの事を考えてみ、自分一人美味しいの食べてられるかってなるわけ。

 な?そんなんも気付かんと、あっ、美味しいご馳走だって喜んで食べてるわけや。それってやっぱり隙があるね、っていう感じやな。で、そこまで極端にしなくても良いんやで、本当はね。

 だけど一瞬一瞬新たに受け直すって事を肝に銘じるためにね、美味しいものを食べましょうっていう・・・・。

  (宮野さん、車から玩具?持って来られる)
 これな、みんな理屈でね、どうこう言うやん。理屈では分からん姿がこれやね。これ三大根本神力やね、この三角が。この四角形が四大根本神力になって、丁度絶対の世界がこの世に映って来る時の姿その物の図形やね、これ。

宮野さん:どの部分が三角なんですかね?

河上さん:ここ。これ面白いのはここ潰すや、すると戻るの。

質問:ゴムやから?

河上さん:いや違う、(笑)何がどこでどう支えているかって理屈では分らへんで。

質問:何処押さえても?

河上さん:うん。

質問:どうやるんですか?こう?

河上さん:それ位な、理屈で分かろうっていうのは分らへんの。

質問:三角ここで、四角は何所やろう?(笑)

河上さん:な、理屈で見たら分らへんようになって行くやろう?でも三角と四角がちゃんと入っているやろう?その形が前方後円墳の基本原理やね。

質問:どの形が?

河上さん:それが。だけどな理屈で言うと分らへんやろう?前方後円墳をクシュっと一つに纏めるとそういう形になるの。

質問:丸と台形?以前教えて貰った現実無視の形、鍵、あれと又、複雑になっているんですか?

河上さん:あれもそうやし、これもそうやしやな。だから中々理屈で分かろうとするの無理やっていうのを、先ず、これを見て分かって欲しい。どこでどう支えているかって分らへんやろう?

質問:これは何のために作られたものですか?子供のおもちゃ?

河上さん:子供のおもちゃやけどな、不思議な形やろう?どこでどう支えているか理屈では分らへん。名前つけようが無い。作ろうと思ってたらおもちゃで売ってたから、作るより早いかなって思って。

質問:よくマカバって形、正三角形と合体させたような、あるんですけど。

河上さん:どの形もそうなんやけど、理屈で考えたら分らへんでっていう事で。

質問:理屈も見ても分らんけど?

河上さん:だからこの前言った、1÷3のね、0.333・・って有るやん。あれでも等比級数やからちゃんと計算立つけどな、きれいな数式で。でももういいやん、印可書があるから。

質問:綺麗な数式、数学的な規則正しくなっているって事も、調べたら出て来たんですけど、前回教えて頂いた432Hz(ヘルツ)・・・

河上さん:あれは1.0594630の倍数で432(Hz)になるの。

質問:そうするとネットの情報ですが、その振動数は宇宙の波動と言われていて、宇宙の運行やったかな、それと数学的にリンクしている・・

河上さん:だから綺麗に割り切れる感じや。

質問:それがバッハ先生が当時、ラの基準音として432Hzとして

河上さん:違う、432を基準にしたら、一つの音毎に1.0594630を掛けて行ったら、次の1オクターブ上がった時に、ドとドがね倍のエネルギーになるっていうのを、先生計算しはった。その基準は432でないと倍にならへん。もうあんまりややこしい事言わんとくは、この前みんなパニックになるから。

質問a:今度それで行くらしいで。

質問b:今度それで行くというのは、実際は平均率は440Hzで、ピアノもそれで調律されているというのを知ったんですけど、その432Hzを実際に今、演奏するとしたら具体的にどんな形になるんですか?

河上さん:唄ったら良いの、人間の声だったら432に合わせられるや、簡単に。

質問:楽器としては?

河上さん:楽器はバイオリン、ギター。弦楽器は調律できるやん。弦楽器を調律したら良いだけや。

質問:それに声を乗せて行く。和音が綺麗になるのですね?こう合い易い。

河上さん:いや、和音が綺麗と違うの、絶対の中心にスコント入るの。要するに割り切れなかったら、絶対の中心迄届けへんのよ。

質問:エッ、割り切れなかったなら、アッそこが。

河上さん:だから1.0594630や。その倍数で行ったら、432でないと割り切れへんね。でもややこしい事言わんとく、もうエエやん。だから1.0594630や。もう何遍も言うけど。パニックなってるからもう良いやん。

質問:今度のコーラスそれらしいよ。

河上さん:ハレルヤの基準ピッチを432でしてって言ってるの。

質問:歌い易い?歌い易くて・・

河上さん:歌い易いってな、それでやったら兎も角、嬉しくなる。それだけよ。で440(Hz)でやるとね、軍歌とか行進曲とか、それは440のが合うの。

質問:この前は(12月護摩のハレルヤ奉納演奏)何ぼでしたか?

河上さん:あれは440。だって楽器が440で合わしてあるもの。ピアノが440に合わせてあるもの。

宮野さん:バイオリンに合わせたら良いい?

河上さん:(バイオリンの他は)ギターか三味線やな。

(色々な声は省略します)

宮野さん:歌詩も変えるみたい。先生の言葉で無限の無限のとか。

質問:質問4っつ預かっています。

河上さん:どうぞ。

質問:消えて行く姿とは、真(まこと)の神さまが大きなマイナスの半分を消し去られた結果という事なのですか?

河上さん:消えて行く姿というのは、そういう半分背負って消すとかという事とは又、全然意味が違がうね。因縁因果の中でそれぞれの人が背負って、すり潰して行く状態を消えて行く姿っていう。

 五井先生の時代はね、五井先生お一人が背負って背負って消されたわけね。それでそういう働きやった。それは何でかというと、その当時はあんまり一遍に消すとね、まー、五井先生の表現で言うと、お茶碗にコビリついたご飯粒みたいなもんやと。だからそれもご飯粒が古くなってね、コールタールのようになってコビリ付いていると。それを一遍に取ろうとすると、例えば半分でも取ろうとすると、お茶碗を割ってしまわないとあかん。みんなの肉体が持たないよっと、だから五井先生の体を通して、まーお茶碗で言うとお湯に浸してふやかして、溶かして洗うでしょう。それを消えて行く姿っていう様に表現された。

 五井先生の働きが、いわゆる夜明観音の働きが終わって、松下先生の働きになって、それで半分背負って消すという形にして、先生の体をとことん潰した。誰も手伝わへんから。責めてんちがうで。

 で、いよいよ安心したわー、みんなに任せたっでっていう事やから、印可書読んでみんながしたら良いの。

 印可書読むというのは、半分背負うのと違って全部背負います。只、背負う量が今度は先生みたいに沢山じゃあなくてね、その人に応じた量で消すの。だから一人一人の消す量は知れているわけよ。でもみんなが一斉にするからアッという間。

 お掃除でもそうでしょう?凄いきれいにする掃除機があってね、ワーッて吸うて行くよりは、みんなが一斉に手分けして拭き掃除したらアッと言う間や。そういう感じ。その為の印可書です。

 勿論「宇宙神ありがとうございます」でも「宇宙神ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのものって信じ切れたら、「宇宙神ありがとうございます」って言ってる時は真(まこと)の神さまが降り立って頂けるって信じ切れたら良いんだけど、信じ切れなかったら意味無い。

 「印可書」の素晴らしさは、信じ切れなかっても、読んでいる時はその状態にするよっていう約束やから。「印可書」と「宇宙神ありがとうございます」と、或いは、先生残された「真(まこと)のプラスの言葉」との大きな差はそこにある。それを気付く気付けへんは別で、でもこれしかないんだって選び取れた人は幸せっていうだけ、自由意思でな。

 今まで印可書を読んで下さいってお願しても、読んでも全然変わらん人もある訳。

 それは「こんなん読んで変わるんか」って要らん言葉足すのね。それを気付いて貰う為に先ず、呼吸に宇宙神ありがとうございますを乗せましょうねってやってみたわけよ。

 すると「呼吸に乗せたくらいで何も変わらん」って質問が来た位ね、みんな要らん思いを乗せるの。

 印可書の時は少々要らん思い乗せてもね、真(まこと)の神さまの働きそのもの、神さま降り立って下さるって、信じれたら変わるね。だけどそれも信じ切れずに、先生と神さまとの約束を信じ切れずに、印可書を読んでも何も変わらんやないかって言ったら、変わらん。

 みんなやっぱりお祈りしてても不安になるでしょう?色んな思いが沸いてね。その不安になった時でも印可書の時は、真(まこと)の本心そのものにしてるよっていう約束やから、それに縋(すが)れたら良いの、もうそこだけよ。勿論、みんな自由意思やから、何を選んでも良いんよ。だけど印可書が一番楽だよって言ってるだけ。

 それは法然さん、親鸞さんの頃に南無阿弥陀仏も一緒やった。南無阿弥陀仏って言葉はそれ以前からあったの。でも法然さんの作られた南無阿弥陀仏は全然違うんだよっていう事を、親鸞が必死で説明するのね。で、それを信じ切れた人は皆悟ったの、妙好人として皆悟りを開いてくれた。

 今回も一緒よ、この印可書を読むときはどんな思いが沸いていようが、どう思おうが真(まこと)の神さまそのものっていうのを信じ切れてくれたらね、アッと言う間に変わるの。

 その昔、先生とお会いした時にね、11才の時ですけど「悟りってどんなもんですか?」って聞いた時が有るの。で先生が「なんやこんなものか」っていう感じやって言わはるの。それ位既に悟った自分やからちょっとの事や。要するに役者さんがね、私は水戸黄門って演じてるけど、演じるの止めたら元に戻るでしょう?

 それってなんやこんなものかでしょう?演じてる時は「おお、水戸の黄門だぞ」ってやっているわけやけど、演じるの止めたら素(す→もと)の自分やっていう位、「なんやこんなものか」っていう位の意識やね。

 ただ「なんやこんなものか」っていう意識が無限大に広がっているんやけどね。

 そのなまじ小さい意識というをつかんでいるから、無限大に広がった自分を予測できなくって、想像できなくてみんなは無理やって決めているだけ。決めてるのはみんなやで、神さまの方は真(まこと)の神さまそのものだよって、帰っておいでって言っているけどな。

 本当はわずかな事やね、自分で自分を縛っているだけ。その縛りを解くために印可書を先生が作って下さった。

 でも先生の作った印可書は光が強すぎてね、みんなが受け取らへんから、もう逆ピラミッド、この字やね、逆ピラミッドに強い光から弱い光までという事で、後半をお前らで作れっという事で作らせて貰った。で後半に行くほど光がゆっくりになっていてね、みんなが受け入れ易くなったはずやけどね。

質問:完成版の印可書見ると、こうなってこう戻って、こうなってますけど。今の話しで言うと完成版もこういう感じになっている?

河上さん:だから、いわゆる舞い降り舞い昇るのね、舞い昇るというのは、この世的に見たら、一点に集中して行く感じやろう?でああいう感じにした。このように小さい所から、うん、ていうとみんな不可能って思うやん。それこそみんなで支え合ってね、ズーっと行きましょうって感じの為に下を広げてある。

 それが表を通ってと裏を通っての意味やね。同じ軌道を通ってって先生仰るやろう?同じ軌道や。だけどそれをね、図形で言うとこれやねんけど、何や分らへんみたいな感じやな。

質問:立体になる?

河上さん:そうそう。だからもうあんまり考えんでも良いって言ってるやん。一々考えるなっていって。そのまま神さまって受け取ったら良いだけやね。だから先生の言う「悟りってなんやこんなものか」っていうのはそういう感じよ。

 自分という小さい意識がね、突然ガサガサと崩れ落ちるの、それで本当の自分だけが残るの。でもね、みんな自分という意識を掴むんよ。それが例えば美味しいものを食べましょうとか、分かる?さっき言った、それが無意識に掴んでいるのね。それを離して欲しいから、さっき、ちょっと厳しく言ったけど。

 みんな、自分を捨てよう捨てようとしてるわけ、みんなね。だけど無意識にどっか自分を掴んでいるの。

質問:美味しいものを食べたいわっていう、そういうのでも自分を掴んでいるとしたら、へたすると物凄い沢山あるんじゃないかと思う?

河上さん:そうそう、だから一瞬一瞬新たに受け直さないから、本当に、はっと思った時は印可書奉納と思ってね、「あーうーすー」ってね、そういう本当の真剣さがいるわけ。

 リラックスしてるんやけど、真剣さが要るの、ひたむきさがいるの。それを言う、只、フワってしてたら良いんと違う。何も考えたらあかんって言うやん。すると考えたらあかんというとフワッとしてたら良いんかというと違うわけよ、な?そこが難しい。

 だから親鸞さんの時やったら「南無阿弥陀仏って言って救われるんだったら、南無阿弥陀仏って言いながら人を殺しても大丈夫やな」って言いだすアホが出て来るの、理屈言いが、それは理屈や。本来の自分に戻りたく南無阿弥陀仏って祈るのに、何で人殺しするねん?おかしいやん。

 例えば本来の自分に戻りたくて、呼吸に宇宙神ありがとうございますって込めるわけや、そうなのに込めた位で何も変わらへんわってね、文句言ってどうするの。

 変わろうが変わらまいがひたむきに突き進まないといけないんやけど、宇宙神ありがとうございますではしんどかったから、やっぱり印可書やなっという事で、3年間は「宇宙神ありがとうございます」で始まって「印可書」に持って行った。

 中々苦労やで。

 そのセールスマンやないけどね、やっぱり印可書は凄い値打ちがあるって、どう思わすかや。必死のセールスしてるの、こっちは。みんな大得意やからな、上得意さんやから、テレビショップしてるんやな。(笑い)

宮野さん:先生が先に入ってはるからな。だから受け取り易くなってる。

河上さん:そうそう。



令和3年12月河上さん深夜勉強会−2(20211217−2)

河上さん:どうぞ。

質問:現実を言葉にすれば現実を掴むという事ですが、実行できなくても掴んでしまう時が有ります。その時は印可書を奉納して、真祈りに変えれば良いんかなと思うんですが、それも出来ない時は神さまごめんなさいとか、消えて行く消えて行くとと思いながら、呼吸に宇宙神ありがとうございますを乗せて奉納するようにしていますが、それでも宜しいのでしょうか?

河上さん:そのひたむきさがいるだけやね。要するに考えた時点で掴んでいるんよ、言葉にするしないじゃあなくて。それで考えるなっていうの。

 神さまが一番良いようにしてるって、受け直したら受け直せるけどね。何でって言ったら、もう掴んでいるの。

 ひたすら神さまのお手伝いがしたいって願う事が、先ず大事なんやで。

 神さまのみ心に沿いたいってね、本心の自分に戻りたいって、先ず願いは要るのね。

 だけどその後は考えたらあかん。神さまは何時も一番良いようにしてる、全知全能の神さまが自分にとって何時も一番良いようにしてるってね、そしたら掴めへん。

 だけど考えたら掴んでいるわけよ。


 でもこの世的なお仕事はね、(相手に合わせて)同じように考えてしてあげたら良いんやで。でも自分に降りかかって来る時は、そうゆう風に思い直していかないとあかん。一瞬一瞬新たな受け直しにならへん。

 そうゆう風に受け直してたら、もうちょっと楽になる。やっぱり今の質問はね、どっか考えているわけよ。だから苦しい。 次お願いします。

質問:真祈り人が200人になったので以前お聞きした通りドミノ倒しのように一気にひろがって、一万人さらにひろがっていきますか?

河上さん:行きます。

質問:また以前200人は決まっているといえば決まっていて、入れ替えもあるとお聞きしましたが、一万人も同様ですか、思いなおせば復活もありますか。

河上さん:復活もあります。

質問:もう一つ。ここのところ地震が増えてきましたが、地震の杭を抜いたのが影響してますか?

河上さん:勿論です。

質問:神社、古墳に行って印可書奉納、またその場で印可書奉納しています。アドバイスお願いします。

河上さん:奉納したかったらする、嫌だと思ったらしない、怖いと思ったらしないで良いです。其処(そこ)にどうしても行って貰わないといけない時はお願いしますけど、普段は行きたいと思ったところへ行って頂くだけで大丈夫です。

 地震が来るというのはちょっと追いつめられているけど、今日もかなり際どかったけど雪に変わったから、あれなんですけど。色々と大変ですから、それぞれ自分なんてと思わずに、神さまのお手伝いしたいと願って印可書読む時は、お手伝いになっていると信じて、どこにも行かなくても、今いらっしゃるお家でも、お仕事している場でもね、出来るだけ印可書奉納するようにして下さい。

 それが大事、そうしている間にどうしてもあそこに行ってお祈りしたいとか、そっちに向いてお祈りしたと思って印可書奉納して頂く時はそれで良い。

 兎も角、力まない事、力まない事やけど、じゃあ何にもしなくて良いんかじゃあないのね。神さまのお手伝いしたいと願わなあかん。只、今までは神さまのお手伝いしたいんだと思っても、どうしたら良いか分からなかった。

 今は印可書奉納するだけで、大きな力になっているよっていう事を、先生が仰っているわけやから、それに縋る事は良いと思うんですね。

 勿論、宇宙神ありがとうございますって言っても神さまのお手伝いになっているって思えたら良いですけど、思えないね。印可書読んでもお手伝いになっているって、思えないじゃあないですか?だけど印可書だけは読むだけで、思えなくてもお手伝いになっているからっていう。(まことの神さまの大おまけです)

 先ず、神さまのお役に立ちたい、神さまのお手伝いしたいっていう気持ちが大事なの。

 それが無い人が何ぼ(いくら)印可書読んでもやっぱりどうしようもない。

 要するに印可書読むから病気治せとかね、印可書読んでいるから悟らせてくれとかいうのは、神さまのお手伝いがしたいと違うでしょう?その差が分かってくれないとあかんのね。

 だから考えたらあかんと言うのもね、神さまのお手伝いしたいと思ってくれる人だったら分かってくれる話で、自分の都合の良いようにしたい人だったら、考えたらあかんと言ったら、無茶苦茶するよ。

 その辺が印可書が出て、初めて喋っても良いよってなったわけ。印可書出る前は、お前は一切喋ったらあかん、お祈りだけ、真祈りだけ、お清めだけしとけって厳しく言われてたんはそのせいや。印可書出て初めてお話しできるようになった。

 でも印可書出てからも中々喋らせて貰えなかったけどな。それ位印可書というものは凄いもんや。

 中々雑巾として自分の体に沁み込ませて、汚れるようになって消すという、理屈で言うとそういう感じなんやけど、そういう形になっているんか、自分が欲望に流れているんか、区別つかへんでしょう?だから印可書が凄いの。自分の欲望であろうが、人のを背負って映して消すのであろうがね、印可書読んだら全部消えるっていう、そこが凄いの。

 それ以前の祈り言葉はそれが無い。勿論、それ以前の祈り言葉でも、これがもう神さまのお働きそのものって信じ切れたら良いわけやけどな、中々信じ切れん。印可書は信じ切れんでも、神さまのお手伝いしたいと思っていたら、効果があるよっていう、先生と神さまの約束毎やから、凄いって。

 でも他の祈り言葉を選ぶのも自由やからな、印可書でなくちゃあダメっていうのはないんです。只、楽なのに、わざわざ大変な道を行くのも自由や。わざわざ雪山登山をする人がおるようなもんやな。

質問:ありがとうございます それで(頂いた質問)終わりました。

他の人の質問:真祈り人200人が出来まして、目標が1万人になりました。その事と以前先生がメッセージを出された内容とが凄くリンクするものが有りまして、ちょっとこのメッセージが有るんですけど、読ませてくさだい。

河上さん:読んで下さい。

質問:二つに分かれているんですが、2016年12月23日の先生のメッセージです。

「 大きい光がサーっと出て来た
大きいすがたがワーッと出て来る
小さな捉え方は要らない
本当の大きなすがたが見られる
色んな考えは関係ない
大きい心が本当のすがた
大きい一つのすがたが本当のすがたで すーっとなる
全体が一つになにもかもさーっと本当のすがたが感じられる
」 全部が一つに見えてくる
小さくならずに 過去をはなしてさーっとなる
さらによくなるだけ
1回で終わることなく さーさーさーが本当のすがた
よくなるだけ
ますますサー もっとさっ さーさーさー
1回だけではない これ程のものは何もない」

「闇が消え
最高のすがたの世界が現れる
必ずなる
   何もなかったように
   すーっと」
  
河上さん:印可書読んでいたからそれが分かるようになった。以前分からんかったやろう?(笑い)

質問:出た当時は、うん?って

河上さん:印可書読んで思いを消して貰えた。

質問:ありがとうございます

河上さん:素直に印可書奉納して下さる方がね、軽く200人を超えて、もう本当にバワーっと今ね、だけど悟った自覚を気付かすと、やっぱりどっかで崩れるのね。だから申し訳ないけど、自覚を全部封印しています。で、よしっていう時にするから。だから素直に印可書を奉納してくれたら。印可書を奉納するというのは、神さまを褒め称えるという事。

 喜んで感謝して待っていてくれたらいいになる、褒め称えているから。だから待っていて下さい。大丈夫です。

質問:この状態で。

河上さん:そうです。そう、何時も何時もその状態やの、本当は。もうそこなんやけどな、何時も何時もその状態やのにみんな自分で縛って、要するに自分で目をつぶっているだけよ。だから先生が悟った時に、どんな感じでしたかと言った(聞いた)時に、何やこういうものかっていうものは、つぶっていた目をパッと開いて「あー見えたわ」みたいな感じよ。

 でもそれもね、全然知らん世界を見たと違って、懐かしい故郷に帰ったような感じや。だから「あー、こういうもんやったんや」みたいな感じになって。全然知らん世界を見たんやったら、もう「凄かった、凄かった」や。それが「悟りってこういう感じなんや」って先生仰ったけど、それは本来のふるさと、本来の自分を見たからや。それは本来の自分を知っているからこそや。

 みんなもそうやね、「既に悟っている自分」や、それに気づいた時に「あーなんや、こんな感じか」という感じや。だから悟りの自覚を封印できるの。そのレベルやから。で、ある時一斉に開きます。僕がするん違う、先生がするんやけどな、勘違いしない。

質問:喜んで、待っていたら良い?

河上さん:そう。それが絶対の信でしょう?良いものが来るから信じるって言ったら、それは取引や。宝くじ当たるから信じるって言ったら取引や。まー言ったらな、お金が儲かるから信じるって言ったら取引や。そうやで無条件やな。

 その無条件で待てる、喜べるが印可書を奉納してたら分かるね。どんなに性欲が有ろうが、どんなに食欲が有ろうが、印可書を奉納してたら分かる。今までやったら印可書がないから、やっぱり食欲出たら、性欲出たら苦しむわけ。

 先生の方は何時も悠々、こっちはもうどうするどうするって必死やねんけど、先生はいっつも悠々で予定通り。

 只、この世的きわどい事はこっちが走り回っているからな、どうしようどうしようって思うんだけど。

 本当に難しくないけど、簡単な事なんだけどみんな自分でね、難しく縛るの。だから十年修業して悟るとかね、なら永遠に十年修業して悟るって言って進めえへんの。今悟って無い自分て決めてるから。既に悟ってる自分ってどうして決めるかといったら、本当は先生の仰る饅頭いつ食べるの話しやな、(例2001年5月3日他多々有り)だけやったんだけど、饅頭いつ食べるかが分からんから、印可書になった。

 印可書を奉納してる時は、悟ってる自分て信じ切れたら良いの。

 で、みんな素直に信じ切ってくれているから、アッと言う間や。アッと言う間やったんやけど、ここまで来たら1万人やって先生言うから。(笑)

 先生の予定にはついて行かれへん、素直に「ハイ」だけ、考えたらあかん。何時もな先生の予定変更は考えたらあかんの、素直にな「ハイ、ハイ」って行かないとあかん。

 もう「えー、えー」ばっかりやから、そんなんやったらもっと体大事に使っとくんやった、みたいなばっかりや。「ここでそうなりますか」みたいな。

質問:河上さんが、先生に「ハイ」っていうの見習うとこばっかりやなって。

河上さん:だからやっぱり、どっかみんな先生を信じ切れっかったから、ハイって言えんかったんやろう。それは先生しか出来ん、先生凄いって逃げるのはね、どっかで信じ切れんからや。

 五井先生にお会いした時にやっぱり、五井先生のお手伝いしたいってお願いしたわけやけど、先生もそうされたし、僕もしたんだけど、まー五井先生の対応は逆だった。あんまり内容は言えないけどな、白光の方が反発するから。

 でもいわゆる「新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分」をね、五井先生も(松下)先生もされてたという事やね。そういうお姿、五井先生はそういう対応だった。それ位素晴らしい、凄い方やった。

質問:先生にお会いする前に、五井先生にお会いされた?

河上さん:いや違う違う、色々有って結局、先生と奥さんが市川行かれて、お手伝いしたいという事で行かれて、その後行った時に僕も一緒に。そういうの色々有ったんやけど、あんまり白光の方反発するから、余りそんな事を言うと。

 もうどうでも良い事やしな。みんなが神さまのお手伝いしたら良いだけや。で白光の方は世界平和に祈りでお手伝いされたら良いだけの話でね。印可書を無理に進める事も無い。勿論選ばれるのも自由やけどね。

 世界平和に祈りというのは、五井先生と神さまとの約束事で出来ているからね、本当は凄い言葉やね。でもその五井先生と神さまの約束事というのを皆信じ切れへん、そこが問題や。

 まー印可書も一緒やけどね。信じ切らんと祈たってしょうがない。だから五井先生と神界の神さまとの約束事やから、最後に「五井先生ありがとうございます」が入っているの、そこで完結や。それをいじったらあかんの。だけど色々有って大変みたいやけど、それもみな自由やから。

 だから世界平和に祈りは、最後まで五井先生ありがとうございますまでを繰り返していると、グッと奥に入れる。僕それをやったからね、分かるけど、でもそれを信じ切れて祈れるかどうかやな。祈り言葉って全部そうやね、どこまでその祈り言葉を信じ切れるかやね。

 やっぱり組織を作るとね、不自由になって喧嘩になるのね。で、ここは個人の願い事を叶える場所ではないからね。みんなが松下先生と同じ、神さまと同じお清めの力を持って、神さまのお仕事をする場所やから、組織も教えも要らんの。誰が偉いとかね、誰がアホやとか要らんの。

 ちょっとでもね、ここにいるメンバーでも「あの人はなー」っと思った時は反省せなあかん、印可書奉納して下さい。ちょっとでも思ったらね、みんな真(まこと)の神さまっていうのは絶対間違いないんよ。只、どういうお姿を演じておられるかだけ。

 だから光の交流会でもね、先生の文章を読むだけ、或いは、先生の録音テープを聞くだけにして、あんまり要らん事を言わん方が良いっていうのはそこよ。喋る必要は無い、先ず真祈りやね。喋って、人変わるくらいだったら苦労せん。(笑い)

 ここでもそうや、僕喋ってるけど人変わらへん、ひたすらの真祈りで変わるの。先生の仰るここは清める場所って、本当にそうやね。話はどうでも良い、ある意味な、理屈でないから。ひたすらひたすら真祈りして、真(まこと)の神さまに降り立って頂いてお清めするだけや。

 それをちょっとへりくだって言うにしてもね、それぞれ自分の縁の有る範囲だけを清めますだけで良いと思うの。だけどお清めする毎に自分がどんどん大きくなるから、全てになって行くねんけどな。

 何でかというと、印可書をずーっと奉納しているやろう?常に全ては完璧な一つって宣言してるやん、だから嫌でも大きくなるの。印可書の凄いのはそこやね、な。どう思おうが、自分は小さい身分やと思おうが、全ては完璧な一つって奉納する毎に宣言するわけよ。すると全ては完璧な一つという事は、全ては真(まこと)の神さまって宣言しているわけや。すると全てに真(まこと)の神さまが降り立って行くの。

 だから印可書を読む時にどんな思いが湧こうが、どんなに卑下していようがね、これを読んでいる時は真(まこと)の本心の自分そのものになっている、真(まこと)の神さまが降り立って下さっているって信じ切れたら良い。そこを疑うとしんどいけどね。

 でも信じ切るしかないやん、もう苦しいのに。どうするん?って思うけど、他に方法あるんかいなって思うけどな。僕みたいに(50年前のように)ひたすら素振りしますか?ひたすら正拳突きしますか?

質問:色々なんか、これも有り(竹刀を振る動作)、、これも有り(正拳突きの動作)?


河上さん:そら色々有るよ。だって例えば剣の振りで言うとね、剣の振りが真祈りそのものやね。例えば真剣と真剣の刃と刃を合すとね、刃こぼれしてあかんのやね。だからバット切ってきた時に、こう刀で旋回するの。で相手の刀が来た時に旋回して、相手の刀の刃がこう来た時に、こう受けるのやな。こう受けて無刀取りにになるみたいな感じやけど、こう受けて投げるとかね、そういう姿が有るの。それって何かって言ったら左旋回や。
 要するに剣というのは剣禅一如って言うけど、お清めのはたらきやね。それでひたすら振りなさいやね。するとお清めになるの。

質問:お祈り?

河上さん:そうそう、でもな、それを自分で振る間はお清めにならへんわけよ。自分が振る意識消えたら、振るだけでお清めや。だからその神前の踊りって剣振るでしょう?あれはお清めやからや。こうしてはるやん、お祓いっていう時にな。

 でもそれも自分が振るやったらあかんわけや、だけど中々自分を消せへんから印可書が有るの、今は。例えば巻き藁を突くねんけど、先生は巻き藁にぶつけたらあかんって言うの。どの位置からでも巻き藁の寸前で止められる、っていう様にしなさいって言う訳。

 それ何かっていうと、自分が有ったら止められへんね、やっぱりぶつかるねんな。まー色々有るけど、昔はそういう自分を消すのに厳しかったわけやな。

 今は因縁因果の輪を断ち切ったから、因縁因果の輪を先生が断ち切ったから印可書が使えるのやで。因縁因果の輪を断ち切って無かったら印可書を使ってもあかんの、あかんて中々大変や、あかん事ないけどね。

 だから南無阿弥陀仏の頃は因縁因果の輪を立ち切っていないから、あんだけ(あれだけ)しか妙好人を作れんかった。で今回は全員や。全員悟らす、間違いない。

質問:1万人超えると、どっとという事ですね?

河上さん:それや、先生ちゃんと宣言してるやん。

質問:この前勉強会でお話しされてた、1万人を超えると誰の目にも分かるっていうのが、これ。

河上さん:嬉しいわ、それ分かる人が出て来てくれて、凄く嬉しい。だれも分らんと振り向いてくれんかった。

質問:ビンビン来ます。

河上さん:良かった。良かった良かった!

宮野さん:どんどんこう、絶対の中心に近づけば近づくほど、奥に行けば奥に行くほど、厳しくなります。

河上さん:でも厳しくなるけど、嬉しい。

宮野さん:そう、だから、何時も何時も神さまの方に意識をずーっと向け続けて、真祈りしてたら色んな誘惑があっても、でも何時も何時も大丈夫。登山した時、上に行けば行く程、滑落が大きいじゃない?下の方だったら滑ったって怪我一つしないかもしれへんけど、その分だけの厳しさは有るけども、その分だけの喜びも大きいという。なので大変でしょうが、喜びもひとしお。

河上さん:本当に無条件の喜びとなる。

宮野さん:となるともっともっと自由自在、縛られないかと。

河上さん:それでね村でも色んな人居るでしょう?必要やね。そう言う人の響きを使って引き寄せなあかんから。

質問:何を?

河上さん:色んなマイナスを。

宮野さん:わざわざそのマイナスの役割をして下さるわけじゃない。自らマイナスじゃあなくても、その方がして下さる事によって、その響きで湧き上がらせて下さって、消す働きが出来るわけやから、ありがたいよねっと。それは村だけじゃあなくって、お住まいの家の中であったりとか、地域であったりとか、仕事であったりとか、学校であったりとか、全ては入れ子構造になっているので、もっと小さく言うと人間の体の中、細胞、細胞の中にマイナスの要素があると病気とかいう形で現れるけど、それさえもっていう感じかな?ですかね?

河上さん:ハイ。だから理屈が本当に無意味やっていうのはね、今まで宗教がそうやね。今までの宗教は突っ込み所満載なんやで。例えば「類は類を呼ぶ」ってな、同じもの同志が集まるって言うやん、今の宗教はな。そしたら何で男と女が引き合うの?違うもんやって突っ込んだらみんな困る。あんまり突っ込まんようにしてるんやけどな。

 似たもん通し寄る(集まる)とかね、そういう風に言うやん、どの宗教でもね。そしら何で男と女が引き合うの?それはプラスとマイナスやからって言うの。いや違うやろう?似たもん通しだったらプラスとプラス、マイナスとマイナスが引き合うんと違うの?理屈では通らへん。

 神さまの大きな愛が響き渡っているだけや。その神さまの大きな愛が響きが渡っている状態を印可書として表現して下さった。そこには理屈はない。素晴らしいだけや、喜びだけや、嬉しいだけや。

 面白いやろう?今までの宗教は突っ込みどころ満載なんやで。神さまは絶対の愛やって言いながら、祈願祈祷するんやろう?それって祈願祈祷しないと神さま知らへんからやろう?失礼な話やな。病気平癒祈願、何とか退散祈願、神さま知らへんから大きな声で怒鳴らないと分らへんって、違うやろう?

 それは神社で鈴を鳴らすのもそうやろう?鈴鳴らさんと来てくれへん、違うやろう?そんなんせんでも神さま知っているわなっと。何のために鈴あるんとか思うけどな。

質問:最近コロナでも、ぶら下げて鈴のあれ、括りつけて鳴らさんようになった。

宮野さん:そう、鳥居はくぐらない。鳥居はくぐらない、鈴は鳴らさない。真ん中は歩かない。

河上さん:だけど自分の欲望を実現したかったら分らへんの。自分の欲望を実現したいと願う人、希望実現の法則を願う人は印可書が分らへん。

宮野さん:都合悪いもん、全ては一つっていって。実現する事は、人の物を取るわけでしょう?都合悪いじゃあない?誰かのマイナスによって、誰かの悲しみによって、誰かの苦しみによって成り立っているこの世の幸せでしょう?

河上さん:そうそう、あの100個のアンパンの説明で分かって貰えると思うわ。100人に100個のアンパンしかないの。

質問:虚の世界がそういう成り立ちになっているわけですか?

河上さん:うん、虚の世界はね、要するに舞台衣装ってそうやろう?凄い金持ちの衣装と貧乏人の衣装を作って演じるやん。だからわざとプラスとマイナスに分けて陰陽をつけて見るわけよ。だから絵でいうと、本来真っ白な画用紙が絶対の世界なわけよ。そこに黒と赤と黄色っていって限定したものをわざと作って、要するに光って無色透明な訳でしょう?でもプリズムに当てたら色が分れるやん。わざと色を分けて楽しむわけや。

 映画ってそうやんか、わざと良い役と悪い役と、水戸黄門とかを作って、それを楽しむわけでしょう?何であの正義の味方があんなに虐められて、苦しむん?とか言いながらこうやって、最後は正義の味方が勝って良かったやな。

 あのウルトラマンなんか最初から出えよって思うけど、さんざんやられてから初めてシュワッチってでるわけや。

宮野さん:もう3分しか持たへんわけやから、

河上さん:いや、3分間持たへんでも、最初からやったら良いね。

宮野さん:そのように言ってやって下さい、円谷さんに。(笑)

河上さん:みんなそういうね、難しいルールにしてね、楽しむわけでしょう?その困難さを楽しむのが虚の世界やからね、それでよ。




令和3年12月深夜勉強会―3(20211217−3)

宮野さん:ちょっとだいぶ前の話に戻りますけど、今日の食べたいものを食べるの話、そこまでいったん戻りますけどね。質問ね。

河上さん:どうぞ。

宮野さん:肉体を留めるのに食べたいものとか、好きなものを置いとくとかあるじゃない。それとか直会とかで食べるとか、それは別に食べたいから食べるというものと違いますよね。

河上さん:だから神さまのお手伝いをしてる時はね、必要なものが集まってくる。だから贅沢なように見えても贅沢じゃないね。いう感じやねんけどね。


宮野さん:それは例えば自分が食べたいからというよりは…

河上さん:支え合いでね一大循環させんなんでしょう。例えば僕の場合やったら、病気治しをバレないようにしててもバレる時があるのね。そしたらお礼を持ってきはるのね。でね、それを僕は断るわけ、そしたら先生が受け取らなあかんって言うのね。受け取って一大循環をさせなあかんって言うのね。そういう感じよ。そういう感じをこの現世でもしないと、この現世に留まれないね。だから直会がいるね。

 だから「印可書」奉納に行ったらね、そこのおいしいものを食べてきてねっていうのはね、「印可書」を奉納し続けたらな一瞬で肉体が消えて屍解仙(しげせん)って言ってあっちの世界に帰ってしまうのね。そういうもんや。

 だけどお清めの働きがあるから帰してもらえへんだけや。光一元にするっていう事は絶対の世界へ一瞬で帰るっていうことやね。だけど肉体を使って、わざわざ絶対の世界からこの現世の世界へ、肉体をわざわざ作ってみんな降りてきたんや。神さまのお手伝いをしたいために。それを地湧(ちゆう)の菩薩っていうんだけどね。そうやって降りて来て、せっかく降りて来たから、必死でそれをするわけ。

 だから肉体上は性欲があったり食欲があったりとか色々感じるわけ、権力欲があったりとかね。それを「印可書」を通してして、神さまがお清めしてっていう繰り返しだけ。

 その一環としてお食事したりね、色んなことをがあるわけ。それはね自分の欲望で食べに行ってるのと違うから良いね。

宮野さん:因みにどこどこに奉納に行きたいっていうのは、フっと沸き上がった中の分で、セットもんでここのこれが食べたいっていう…(笑)

河上さん:それでええね。

宮野さん:それでええのね?(笑)

質問:先にたつ時もあるんです?(笑)

宮野さん:そういうことなんですけども?

河上さん:うんたってもいいの。そこへ行かなあかんのを気づかないから、食べ物で釣るわけ。

宮野さん:あーやっぱりね。なんちゃら餅が食べたいなぁという時もあるわけね。

河上さん:そうそうそう。だから食べるものが目当てで行ってもかまへんね。神さまのお手伝いをしたいって願っている間はね。

 だけど自分の希望実現をしたいって思いだしたらもうあかんわけ。神さまのお手伝い、ひたすら神さまの御心に添いたい、神さまのお手伝いをしたいって願っていたら大丈夫。

 そこが大事やね。南無阿弥陀仏でもそうやね、御仏に沿うおうとしてるから南無阿弥陀仏で救われるわけであって。御仏に添おうとしてない奴が南無阿弥陀仏を唱えたって意味ないのに、「南無阿弥陀仏を唱えたら救われるんやな」って理屈を言い出してな、人殺しして南無阿弥陀仏を言う人が出てきたわけ。強盗する人が出てきて色々と親鸞さんが責められるわけよ。みんな大変やねんで(笑)。

 まず神さまの御心に沿う、神さまのお手伝いをしたい。それが本当はみんなの本来の願いなんだけどね。本来の願いだからやっぱり神さまのお手伝いをしたいって思う。だけどどうしたらお手伝いできるんやろうって思うことが、「印可書」になったから楽になった。で、先生と同じお清めの働きができる。

 だから「印可書」が出た時にね、先生と同じ働きができる「印可書」ですって一生懸命言うんだけど、(河上がなにを不遜なことを言うみたいに思われて→先生だけが特別で自分たちは違うと分け隔ていたから)みんな反発したんや(笑)

質問:とってもすみませんでした。

河上さん:いやだから後は先生の深慮遠謀に従ってじわじわと、「お前(河上)の真祈りが足らんから(みんなが)分からへんのじゃ!(反発するんじゃ)」ってぼろくそに怒られて(笑)。「もっととことん命をかけて祈れ」ってね。

 だから今、光の交流会が全国各地で起こったわけやけど。もう主催者はひたすら祈るだけって思わなあかんな。だから今までの宗教やったらね、本当に古い人がたくさんお祈りしてて偉いみたいになるのね。違うからね。それで分け隔ても一切ないね。

 あの人は祈ってないはないね。みんな既に祈ってるっていうね、先生の深い意味がわからなあかん。ちょっとでも分けて「あいつさぼってる」とかね、あいつ「印可書」を選んでないとか言ったらね、もうあかんね。みんな既に選べとってるんよ、例えば「印可書」で言ったらな、皆既に選びとっているやね。それがわからないと永遠にみんな選ばないね(笑)。

 ああやって最初みんな「印可書」を弾(はじ)いた。その時に既に祈ってる悟ってる救われてるって、みんな既に選びとってるって、必死でお前が祈れへんからやって、むちゃくちゃ怒られたんや(笑)、一緒やで。先生怒ったら怖いんやから、頼むはもう。

質問:この3年間で今「印可書」唱えて真祈りする人が増えたっていうのは、一応の計画通り?

河上さん:もう先生はいつも悠々やねんけどね。

宮野さん:どの形でも良いって仰る。

河上さん:只々もうね、「既にみんな悟ってる、祈ってる、救われてる」やね。それが思いにくいから「印可書」をひたすら奉納してくれてたら良いよ。

 一言で言うと只々、「みんな光や」やね。もう最初に先生にお会いした時に先生が言った言葉は「みんな光や」。「みんな命や」とかね色んな言い方があった。

質問:すいません。全く関係のないことを伺ってもいいですか?出産に関してなんですけども、産道を通って生まれてくるっていうのと、帝王切開があると思うんですけど。赤ちゃんとしてこの産道を通って生まれてくることの意味っていうのは何かありますか?


河上さん:産道を通る時にね、過去世の思いを全部消し去られてしまう。過去世からの借金を全部棚上げにしてもらうために、産道を通る。産道を通る時痛いね、思いっきり。


質問:生まれてくる方も?

宮野さん:覚えてはる。

河上さん:この痛みと引き換えに過去世のことを棚上げしてしてもらえる。

宮野さん:帝王切開は棚上げできるん?


河上さん:帝王切開?帝王切開はそのかわり死ぬ可能性が多いやろ。必ず帝王切開で成功する事はないやろう?

宮野さん:赤ちゃんが助かるとか…

河上さん:お母さんのほうも危険があるね。あるいは無痛分娩、麻酔で分娩するのもそうやろ。麻酔で産むや。本当は頭がいい子やのに普通の子になったり、ちょっと怪しい子になったりするね。

質問:麻酔のせいでですか?

河上さん:勿論そう。それは産道の苦痛を知らんから棚上げしてもらえない分だけ借金を背負ったまま出てくる。

質問:それは帝王切開も一緒ですか。

k:一緒一緒。空気に触れるまでの期間ていうのがあるのね。それを突然空気に触れるやん。まぁそれもこれも必要で起こるから、良い悪いはないねんけど。

m:どの状態も1番いい。

k:そうそうそう。だから堕胎、下ろすのもそうやね。いい悪いじゃなくて必要で起こる。やっぱり人を殺した人は殺される宿命を背負うからね。だから堕胎と言う形で殺されるのが1番楽や。恨みを増やさへんやんか。でも生理でね、女性は生理するだけで堕胎してるようなもんやから。だから女性に生まれるとどんどん清まるって言うね。

質問:ありがとうございます。

質問:もうないんですけど(笑)

宮野さん:全国区で入っていますよ(笑)

河上さん:だからといって結婚する必要もないね。結婚せなあかんもないし。結婚して子供を生まないと清まらないじゃないの。生理があるごとに清まっていくの女性は。だから女の人はつぶしが効くって言うね、何をしてでも生きていけるようになってるやん。男は潰しが利かへんからどうしようもない。ちゃうか。(笑い)

s:お祈りだけがんばります。

m:お祈りがあるから大丈夫。

k:お祈りがあるから大丈夫。(笑)やっぱり自分を捨てて支えに回るっていう意識があったらね、神さまのお手伝いになる。でもそれをより積極的に印可書で進めただけやな。

m:結局神習いするだけの話やね。

k:そうそうそう、神さまに沿うだけ。もうそれに尽きるんやけどね。

m:自分を捨ててっていうのはね、盤石の支えに入るだけやろうし。

k:そうそう。だけどどうしたら神さまに添える。どうしたら神習いになる。どうしたら神さまのお手伝いになるっていうところね、印可書に先生がしてくださっただけよ。それは宇宙神ありがとうございますでは無理や。

宮野さん:すいませんがそこなんで無理なんでしょうか?1つ。録音に入れていただくと助かるんですが。

河上さん:何?

宮野さん:何故「宇宙神ありがとうございます」は無理かと。

河上さん:神さまと先生との約束事が印可書だから。

宮野さん:さようでございますか。

河上さん:勿論、ありがとうございますがね、神さまと先生との約束事やってん、だけど先生がありがとうございますの10文字は真(まこと)の神さまそのものっていうて約束事で決めてくださったのに、誰も受け取らへんかった。やっぱりありがとうございますに色んな思いを載せるわけよ。それで宇宙神ありがとうございます、その印可書を受け取らないから宇宙神ありがとうございますにしたのに、やっぱりわかってくれへんねんや。「バーヤ」っていうのがわからへん。「さー」やってな、わからへんわけや。理屈抜きもわからない。そしたら仕方がない、もうちょっと印可書の光を強いところから弱いところまでっていうて後半を作らされたんや。

 その時に後半を作らされた時に、本当に神さまと先生との凄い約束事になった。それだけや、でもそれを選び取れない人は、選び取れなくていいんやって。そういう人の縁を使って引き寄せていかなあかんからね。あるいは漆黒の闇(に落ちた人)も今回はな全部(連れて行く→すくい取る)やから、1人残らずや。それってな大変やねんで。

 だけど腐らせる人とか色んな人を使って、漆黒の闇に落としとかなあかんね。そしたらそれがホタルイカのようにな、光ってくれるから漆黒の闇で。それをひらいに行けるわけよ。だから先生の深慮遠謀のもとに、すべて進んでるから大丈夫やって。

 印可書選び取らん役目の人もいるっていうから大丈夫やって。あちらの世界の方が大きいからね、この世より。だからあっちの世界のことを考えで色々とネタを振ってる。前振りがある。

質問:この間のお話で霊界と今何か…

河上さん:うん、重なっていくね。それは因縁因果の輪を断ち切ったから。因縁因果というのはこの世で生まれて良い世界に行くか悪い世界に行くかの繰り返しをするわけでしょう。「禍福は糾える縄のごとし」でだけど因縁因果の話を断ち切ったら、その流転する姿が一瞬で1つにまとまって1カ所に集まる。要するにすべては完璧なる1つを、先生が完璧に宣言しはったわけ。で1つになっていくね。1つになる手前が重なった状態で大変になる。

質問:交通事故が多いのとか変な事件が多いのとかも…

河上さん:あっ、そうそう。そうよ。

宮野さん:それは憑依みたいなもの?

河上さん:もう憑依やったらまだ何とかなるんだけど憑依と違ってね、地獄の様相の人がそのまま肉体に現れるの。だから憑依やったら払うとか色々手があるんだけど、直接肉体に現れてくるから止めれないね。

質問:昨日の大阪の…あれは放火って噂が…

宮野さん:そうそう。60代の男の人がね。紙袋を持ってきてそのまま受付のところで置いた瞬間液体が出て。ストーブか何かに引火してとか何かで一気に火が出てっていう。なんでストーブがあったかよくわからないけど。その人も重体ではあるけど収監されてるみたいな…。

質問:まぁ場所も悪いわあそこ。

河上さん:だけど「印可書」奉納する人が増えたらね、そんなんもずっと収まっていくね。その一環として食糧危機もあるわけ。で、先生はこのままで行くと3年間食べ物がないでって言うわけやね。

 もう遥か昔、平成7年頃に言われた話やけどね。 3年分用意しといたら何とかなるやろって。それをちょっとでも縮めたいと思っています。「印可書」奉納する方がどんどん増えてきたらから、縮めれると確信してますけど。「3年分食料用意しといたのに大丈夫やったわ!」って言う位にしたいのね。河上さんの言う事はハズレやみたいなんで行きたいねんけどな。

宮野さん:真祈りしてたら食べる量も減るしね。満足じゃないねんな… 食べれなくなるって感じ。おいしいとかまずいじゃなくて食べれなくなって、それで充分みたいな。あってだから少ないからといって痩せるわけでもなく。

河上さん:だから必要なものしか食べなくなるね。食欲で食べている時は必要でないものも食べて病気になる。只それだけやね。だけど必要なのか必要でないかわからへんやん食欲がある時は。だから「印可書」奉納していくの。そしたら必要なものしか欲しくなくなる。

質問:体中に○○○?

河上さん:そうそう。

宮野さん:すごく食べる時もあるし全く食べない時もあるしみたいな。食べるのが苦痛やっていう時もあるし。

質問:もう自分で食べるとかそういうのじゃないわけなんですね。

宮野さん:ないね。だからお祈りをして、只々、目の前に来るの食べていくみたいな。

河上さん:だからそれを「印可書」以外で形の上でもねこうやって言ってるわけ。

宮野さん:ん?

河上さん:骨と骨との間を、隙間を開いてやると光が通るからね、すると食欲も。こうしてるやん。これ下でやってるやん。これを上でこうやるとかな。


質問:あれそれ新しいのですか?

宮野さん:なぁ。新しいよね。あれ?あたしトイレ行ってる間にそれをやった?みたいな。

河上さん:ここでするやろ。それをこうやると肩甲骨がぐっと伸びるから。こっちこっち。
あーそうそう。そしたら肩甲骨がグっと伸びて上半身にバッと光が通るの。

質問:いきなりこれを教えるんじゃなくてここから、なるほど。

宮野さん:まずはこのまま、こう下へ下りたらいつものやね。

河上さん:こう落とすやろ。これをこのままこっちへ。

宮野さん:いつも下へポンと下ろす。

質問:手のひらが顔の方へ向くようにですね。

河上さん:そうそうそう。 それでこっち。

(音声では意味不明にて一部省略)

質問:段階的に教えてもらってますね。

宮野さん:それだったら猫のこっちの方が(笑)

河上さん:そうそうそう。まぁ猫の手が1番ね、みんなやりやすいから。

宮野さん:きっと聞いてる人は「猫の手ってなんやねん!?」って言う(笑)。猫の手の「宇宙神ありがとうございます」やね。手振りのことでございます。

河上さん:猫さん見ててハっと気づいてん。あの手がええやんって(笑)。ヒュイッ!ヒュイッ!ってしてるのね、ニャンコさんが。

質問:気温が低くなってくるとどうしてもね、ここにグって。寝る時でもグッと丸まってしまう時があるんですよ。

河上さん:そうそう、なるやろ。だからこう手を合してね、8の字で回すって言ってるね、前でね。。これを今度組み変えて、こう組んでやるとかね。逆に組んで8に回すというのをしたら良い。基本はここから始まる。或いはこうしてこうするやん。だけどこれもこの状態で8の字に回すだけや。っていうふうにして色んなバリエーションを作るとそこがグっと開くわけ。それを座ってやってもいいし仰向けに寝てやってもいいしやね。その辺が自由自在にしとかないとね必ず正座してやらなあかんとか、仰向けに寝てやらなあかんとかそうじゃないです。

宮野さん:なんかそれはじゃんけんする時ににやりそうやな。

河上さん:そうそう。まずじゃんけんしてこうする。これをして、組み替えてして。で、この手で8の字をしたらいい。

河上さん:だけどみんな体の硬さが違うからな、できる範囲でやったらいいね。絶対そうせなあかんてしたらもう不自由なわけ。

宮野さん:うんそうそう。自由自在。

質問:加齢のせいで体がこわばるわけじゃないんですよね?

河上さん:加齢のせいでこわばります。勿論。加齢と言うのは何かと言ったら自分の言葉で縛るの。先生がいつまでも若々しかったでしょう。自分の言葉で縛られない。歳やからしんどいねんとかね、無意識に縛ってるやん。歳やからこれうっとうしなってきたとかね。勝手に歳のせいにしてるわけでしょう。違うやん。

宮野さん:言ったことないけど私。

河上さん:いや、だからあんた、人間の会話に入らないでお願いだから。

宮野さん:入れてもらわれへん。

河上さん:そう、話がややこしくなるからな。

宮野さん:でも硬いんですけど。めちゃめちゃ硬い。

河上さん:そんなん、動いてる量が普通の人やったら死んでる。いやほんまの話や。

宮野さん:確かにそうかもしれない。

質問:体が硬くても動けるんですか?

宮野さん:動ける、だって自分で動かないから。

河上さん:違う違う,硬くて動けると違って動きすぎてカチカチになった。もうちょっと何とかせなと思うねんけど。

宮野さん:だって楽しいやん。

河上さん:あんまり(あなた)人間ちゃうのに話したらあかん。(人間と違って神人は、人間の会話に入ってこないで)(笑い)

宮野さん: 2,3時間でしょう。だって睡眠は厳しい苦しいじゃん。寝るのは辛いじゃないの(笑)

河上さん:考えたらあかん。寝てたらな、「座れ!」。座ってたら「立て!」。立ってたら「歩け!」や。もう先生厳しいって(笑)

宮野さん:よく眠れる時は車を運転している時。(笑)

河上さん:だから本当に神さまに添っていくとね,この世的には厳しいわけよ。でもうれしい。説明のしようがない。

 だけどみんな(肉体意識にとらわれた)人間はね、「こんなに動いたらだめや」とか、「しんどいわ」とか「歳や」とか言って自分を縛るわけ。

 縛った分だけ自分で苦しくなってるだけやね。「寒いから風邪引くわ」とかね。勝手にいらんこと言うからやで。「寒いから風邪ひくわ」とかな。あるやん、いっぱいあるで。「暑いから夏バテで食べられへんわ」とかな。勝手に決めてるやろう。

宮野さん:言葉やな。

河上さん:神さまはそんな言ってないで。いつも喜べ喜べだけや。

宮野さん:でも優しさで、神さまの愛で風邪とかひきそうな時っていうのはちょっと体をゆっくり休めなさいよってみたいな。

河上さん:あぁそうそう。だからちゃんとね、本当は神さまの愛の響きの内容がわかるわけよ。ちょっと喉が腫れぼったいなぁいう時は無理したらあかんねんなって。

宮野さん:カラオケ行ったらあかんねんな(笑)

河上さん:それやのに「この仕事せなあかんから」とか「休まれへんわ」とかって勝手に決めるわけや。色んなことあるけど、やっぱり先ず「印可書」奉納しないとわからんことばっかりやね。考える前に「印可書」奉納してください。考えたらあかん。



令和3年12月深夜勉強会−4(20211217−4)

宮野さん:そういえば私、今思い出した。この間の勉強会の質問ね。神さまが1番良いようになさってるんだから、じゃあ何もしなくていいっていうことですかっていう質問、それはまぁ良い質問やと。大抵の方がそのように多分捉えるだろうし、そこはどうなんだろうって聞くっていう…なんかあってね…


河上さん:さっきの南無阿弥陀仏しながら人を殺すようなもので。まず神さまに沿いたい。神さまのお手伝いをしたいが基本でしょう。自分の希望通りにしたいんだったら他所(よそ)の宗教に行ったら良いね。それが(今までの虚の世界の)宗教や、希望通りにしたいのは。

宮野さん:希望実現やからね。


河上さん:ここは先生があれだけはっきり仰ってるように「表現しにくいよね」って。「一切の人類のマイナスの思いをお浄めするのが此処の働きだ」って宣言されてるね。

 でもあれを聞いて誰もわからなかったんや、今まで。「印可書」のおかげでやっとわかってもらえるようになってきただけや。「お前の真祈りが足らんからみんなわからへん!」っていっぱい怒られて、僕は怒られっぱなしやった(笑)

宮野さん:さっきのお話の中で日常の事は朝飯前にやるっていうのは先生が仰ってるのね。

河上さん:そうそう、本当にその通りや。

宮野さん:だから何もしなくていいんじゃなくてできる事は、できる事はっていうのは自分に与えられている要素をフルに活用して生かし尽くすのかなっていう、その中で待つ。どんな状態になっても良しという状態なのかなと思う。あの時ちゃんと説明なく、お話を伝えれなかったかなと思うけど、そういうことなのかなと。

河上さん:そうやねんけどな、全力を尽くすというのが常に本題やね。だけど全力を尽くすと言うと無理する人がいるから中々…

宮野さん:伝えにくいね。

河上さん: 言葉として表しにくいのね。今までね、先生のところに来られた方でも全力を尽くすと言ったら、無茶苦茶するわけよ。それで潰れて来なくなる。例えば毎朝、ここのお祈りに通ってきなさいってするよね。そしたら必死で通うとして居眠り運転して事故を起こしたりとかね。なんていうんかな、無茶をするねんな、それちょっと違うね、その辺が。

 要するに神さまに対する絶対の信があってこそできることであって、疑いがある時は無茶をしたらあかんね。なんで無茶をするかと言ったら、自分の、要するに悟りたいという自分の欲やね、例えばやで。悟りたいじゃなくてもいいんだけど、何かしたいという自分の欲を取引に使うわけよ。無茶するという取引に。無茶してるから実現さしてくれ(みたいな)、そういう人は潰れるね。無条件にならなあかん。

質問:限界越えとはまた違うわけですか。

河上さん:そうやね。例えば「限界破りしてるから悟らしてくれ」とかね、「限界破りしてるからこうなってほしい」って言うんやったらもうそれは違うの。

 そこのところの説明がね、中々理屈では言い難いね。でも大概の人は例えば「竹刀振ってるから悟れる筈や」とかね、「素振り10,000回した」とか何かズレていくのね。いわゆる取引条件になるのね。

 無条件でなかったらあかんね。無条件やったら限界破りしてても無茶はしないね。その辺がな、なかなか微妙で言いようがないねんな。ついつい限界破りって言ったら無茶するのね、みんな。なんでみんな無茶するかと言ったら「こんだけ無茶してるんだから悟らしてくれや」とかね、それで「印可書」読む回数を言いたくないのは、これだけ回数読んでるんだからどうやねん?みたいな無茶を言い出すのね。

 違うって。神さまに沿うというのはそういうものと違うね。その辺がね。だから言葉で説明できないからまず祈れっていつも先生に怒られてた。祈って祈って何をするかといったら相手の神性を拝み出すことや。相手のマイナスをひたすら清め尽くせって。その人の表面に覆ってる言葉のマイナスをとってしまったら、本来のものが勝手に現れてくるっていうね。引き出すんと違う、勝手に現れてくるっていうか、それを中から段々と徐々にって言いはった。

 「その中から段々と徐々にをお前は待たれへんからあかんねや」ってよく怒られた。「一遍にやろうとしすぎる」って。「一遍にやろうとしたら相手が潰れる」って。で、まぁ何人かそれで潰しましたけど、はい。色々ありました。もう大丈夫になってるって(思って)バンって(強い光通して)やったら潰れるね。

宮野さん:仕方がない。

河上さん:その苗代を作るのにやっぱり(柔らかい影になった)光を当てなあかんやろ。だけど一遍に育てたいからついつい(強い)光を当ててしまうのね。そしたら苗の間は枯れるやろ?そういう感じで。それをじっと待たなあかん。

 で、先生はね、いつも「神さまは何万年って待つで」って、「何億年って待つで」って、「お前はたかだか10年が待たれへんのか」って怒られた。

 ここへ来たら要らんことを喋りたくなるからな、来ないようにしたら「それはあかん」って言って毎月1回の勉強会をしてくれはった。

質問:河上さんと先生の勉強会の音源っていうのは何回か聞いたことあるんですけど、まだ残ってるんですか?

河上さん:いやそれな、もう先生出さんでいいって言うね。なんでかって言うと、まぁ、今やから言うけどある意味邪魔しに来てはるわけよ。その人らの話に合わせてしないとあかんから、先生と僕との間は言葉以前で響くのね。後はもう付け足しの言葉だけの音源になってるのね。だからSさんもかなり録ったはずなんだけどね。聞いてもえー?って言う感じの内容が多いのね。それは話を、先生がほとんど喋られへんわけよ、僕の勉強会の時は。無言が多いね。無言の時に全部響いてくるんだけど、その無言が多いから何か喋ってもらおうと思って、話のネタとしての質問をしはるわけ、いろんな人が。(すると)それってしょうもない内容しか先生も答えないわけよ。それであの当時の録音を出してもあまり意味ない、それだけです

宮野さん:あの文字起こしをしたやつ?九州の文字起こししてるあれ?また違うやつ?

河上さん:違う違う。色々と手元に録音があるんだけどね。先生出さなくていいって言うし、まぁ出しても仕方がないなっていう内容やね。録音の内容としては。今は「印可書」があるからね、もう古い録音はいいと思うね。だけど2000年頃からの先生のお話はね、一貫して変わってないから、ここでお話しされた内容はね。それはホームページにあないして出したんや。ところが安物のホームページだから月間転送量があってね、段々みんなが聴き出したら転送量を超えてしまって止まるのね。で、申し訳ない、聞けない、リンク切れてますって言うねんけど。切れてないんだけど、月間転送量が超えてるのね。最初はこっちのホームページビルダーが潰れたのかとかね、色々としたんだけど違うのね。もう一つ上になると月8万とか10万かかるのね、サーバーを借りるのにね。それやったらかなりの転送できるんだけど、まぁそこまで必要なのかどうか。必要な人にはハードディスクで渡してるやん。あれをコピーして昔の先生の話を聞きたい人はそれでしてもらったらいいしと思って。サーバーに月間転送量があるのは知ってたんだけど、こんなにみんながアクセスするとは思わなかった(笑)。いずれ…

宮野さん:分けたらいいんじゃない?ドップとドットコムと…

河上さん:そんなん分けても一緒や。

宮野さん:そう?サーバーは違うでしょう?

河上さん:本物って言ったら怒られるけど、高いサーバーはね。要するに月間転送量の多いやつを借りるしかないね。それは自分でサーバーを立てても一緒やね。プロバイダーに払うお金やから。サーバーが高いんじゃなくて転送量が高い。要するに電話でいう通話料やな。それをどうするかやな。先々は全世界からアクセス来るようになる頃にはね,みんなでお金を出し合ってそういう風にしたらいいと思うんだけど。そうなると今度はセキュリティーの問題があるから本格的なサーバーにせんなんねんな。色々とこうなってきて、まぁその時になってから考えようかなみたいな(笑)。

宮野さん:大丈夫、大丈夫。さっさとその頃にはイチ抜けたってするやん。

河上さん:(笑)

質問:20年ずっと一緒にっていうのはお話に出てるんですけど。

宮野さん:20年間大丈夫って(笑)。

質問:伺ってますが。

宮野さん:大変ね、お弁当食べなさい。(笑)

河上さん:本格的なシステムエンジニアと違うからな、中々セキュリティーのとこが難しいねんな。

宮野さん:またそういうのが来るよ。

河上さん:サーバーを立てるのは簡単やねんけど。

宮野さん:そういうのが得意な人が来るって。

河上さん:掲示板とかあんなんはすっと作れんねんけどな、セキュリティーのとこが。どんどんセキュリティーは進化していくからついていかれへんね。それでうちの掲示板は書き込むのを僕だけに制限した。前は無茶苦茶にされて。
ハードディスクでみんなに配ったらいいんと違う?先生のは。あのハードディスク1台に入り切ったし。

宮野さん:ハードディスクだけなんやったら持ってきてもらったらコピーします、でもいいやんね。

河上さん:あぁ、そやそや。

宮野さん:なんかほら、こっちからこれなんぼって渡したら何となく商売してるみたいに思われたら嫌じゃない。

河上さん:まぁコピーするの時間掛かるしね、ハードディスクは。だけどもう「印可書」があるからな、もういいと思うねんな。

宮野さん:「印可書」があるからこそな…

河上さん:聞きたい?

宮野さん:聞きたいと思うわ。

河上さん:あぁそうなんや。

質問:「印可書」が出る前の先生のお話で、河上さんのホームページで聞いてるんですけど。上の段の方、2000年の方は下の方なんですけど、上の段に1番から140番位の…。
アレが2014年と15年のお話だってと思うんですね。

河上さん:そうそう。

質問:「印可書」出る前の。あれはやっぱりね…

河上さん:良いの?内容が良い?

質問:もちろん「印可書」を経てから聞くと先生が…

河上さん:良くわかる?
質問:「印可書」の内容、絶対の中心の話…

河上さん:あぁそうそう、「印可書」の内容をすでに勉強会で言ってはるやろ。

質問:はい、そうです、そうです。

河上さん:そうやね。

質問:この説明はちゃんともう既にされてるねんなって…

河上さん:そうしてはるねん。してはるんだけど、してはって、もう順番を追ってそれで満を持して「印可書」を出したのに「誰も受け取らへん!!」ってなったんや。「お前のせえや!」(眞祈りが真剣にできていないおまえのせいや!)ってえらい怒られてん。

宮野さん:だから説明したんやろ今。

河上さん:「お前の真祈りが足らんから見てみ!こんなんもできんやないか!」ってめちゃくちゃ怒られた。

宮野さん:だから必要なんじゃない。「印可書」をもっともっと知りたいと思う、知りたい人はあれが欲しいんだと思う。

河上さん:だからあれ…

宮野さん:そらのお話?

河上さん:500ギガやったかな?500ギガのハードディスクを持ってきてもらったらコピーします。 500ギガで入ったと思う確か。1テラ要らん、500ギガ。だけど今もう500ギガのハードディスクって売ってないかもしらんな。 

質問:買いました、売ってました。

河上さん:まだ売ってた?

宮野さん:何か1テラの方が安かったりするよね。

河上さん:まぁ別に1テラでも2テラでも良いね。何しか500ギガあったら入る。

宮野さん:なんか寺町通りみたい。

河上さん:うん?寺町通?そうそう。

宮野さん:大阪の人わからへんのと違うそんな話(笑)。

質問:まぁ最初のハードディスクの趣旨としては、それは聞くためのものではなくて、何て言ってたっけ?

質問:増幅器?

質問:増幅器の事をなんて言ったっけ?

質問:アーク?

質問:アークっていう言葉も…

河上さん:あぁ、そうそうそうなんだけどね、どんどんコピーして欲しいって誰も言わないからもうそのままほってある。一応説明はした。説明は終わってる。だけど受け取らないんだったらそれは自由やしってそれだけや。

質問:で、アークとして受け取る…

河上さん:だから其々のお家に置いといたらいいよって言うのにやな、是非うちにも置きたいって言う人が出てこないからな。

宮野さん:いや結構いた、いた、いた、いたよ。

質問:ひと通りまわってると思うんですけどね。

河上さん:ひと通りいった?

宮野さん:いってる、いってる。

質問:何個も持ってはる人いるし。

宮野さん:ほら本家本元まで行かないだけの話やな。

河上さん:そうなんや。

宮野さん:枝でダァ?って広がってる。

河上さん:そしたらそれでもういいやんか、どんどん広まってるから。

質問:真祈りができるまでの間の役目を果たしているって言うてましたね。

河上さん:そうそう。だから全世界に散らばらしたい。

質問:取り扱い注意っていうことで、そういう注意事項もお話しされてました。

質問:白手袋も買いましたね。

宮野さん:うわっ!そうやった?!知らんかった(笑)

河上さん:兎も角、どない言ったら良いんかなぁ。すごい光が降りる時は降りるからね、あれを通して。

宮野さん:そうなの?

河上さん:それで御神体と同じような感じでねあんまり粗末にはっていう事は言ったけどね。

宮野さん:あーそういうことね。

質問:3種の神器的な?

河上さん:そうやね。ただ常時光が出ないね。必要に応じてしか出ないからなかなか難しいところはある。なんで常時出さないかと言ったら、常時出すとね、効果発揮しないの。要するに隠しといていっぱい集まってからボンって行くやつや。

宮野さん:いっぱい集まってからって?

河上さん:要するに光り輝いてたら寄って来ないのマイナスが。

宮野さん:あぁそれか。そっち(笑)

河上さん:逃げていくの。それでなんで肉体がいるかと言ったら、肉体やったら引っ付いてくるの、少々光っててもな。それで肉体を雑巾として使えますって言ってるの。だから痛いのもあるし腐るのもあるしって。「印可書」読んでたら腐らないけど、読まなかったら腐る形で使いますっていう。「それで行きますか?」みたいな。「じゃあそうしましょう」みたいな。じゃあ腐るのを見てても知らん顔してますから、みたいな(笑)。

質問:今更ながらなんですけども、そのハードディスクを誰かの家に預けたりとか…

河上さん:うん、いいよ。それはそれでいい。

質問:今からでもいいですか?だって家にすごいたくさんあるので。

河上さん:ただね、どう言って預かってもらうかや。そういう問題やな。

質問:あっそうか、黙って置いてっちゃいけないんですね。

河上さん:黙って置いてってもいいよ。

質問:黙ってわからんように置いてっても構わない?

河上さん:いいです、いいです。

質問:わからないですもんね、ハードディスクって。これはなんだろう?って。パソコンいじらない人がね。多分わかんない。

質問:でも白い布に包んだりして…(笑)

宮野さん:もしかしたらこっちやったらどうしよう?とかって思われたり… (笑)

質問:折角なんで。

質問:いずれは全世界にさっきお話しされた…

河上さん:結局ね、真祈り人が少ない地域はあれを先に…まぁなんていうんかな…

宮野さん:人形(ひとがた)みたいな?

河上さん:人形(ひとがた)みたいな感じで置くということで始めたんだけどね。だから真祈り人の代わりに祈ってくれる。その効果で真祈り人が増えるっていうこの繰り返しで。

宮野さん:まぁ言うと「お守りやから」って言うて置いといたらいいよね。預かってもらったらいい。地震除けと津波除とかと言うて、いわゆるお口をタダよってやつやね。

河上さん:まぁでも地震除けになるからね。

宮野さん:この間もそうやもんな。あの社長のとこが。何か守られたみたいな、ホワホワって。

河上さん:東京が不安定やもんな。

宮野さん:そんなん言ったら誰か富士山の頂上に置く人がおったら困るで。

河上さん:またお鉢周り行ってもらわもらわな。

宮野さん:置いてけぼりにされんように。

質問:ありがとうございます、もう堪能しました。

質問:私もあんなしんどい事なかった(笑)

河上さん:上まで上がれたらたいしたもんや。

宮野さん:ちょっと若い時にやったほうがね。楽かな。
河上さん:上がったら下りて来なアカンもんな。

宮野さん:下りるのは簡単よ。楽々、全然楽。下りるのは楽々やもんね、楽しいし。上がるのは大変。下りるのは楽しいからもう一回行こうと思うね。

質問:神さまに行けと言われれば(笑)

河上さん:寒いもんな上は。

宮野さん:そんな冬場には(笑)

河上さん:いや夏でも充分寒いよ。寒いやろう。

宮野さん:もう7合目ぐらいになったらもう本当に真冬みたいなね。私夏休みやったもん。富士山に登る時はいつも。何回か。無理矢理連れて行かれて。

河上さん:F15のパイロットが20年前やけどね、一緒に登ってね。アメリカ人の。

質問:体力ありそうですね。

河上さん:そうやね。

宮野さん:あかんの違うあの人らは。

河上さん:空気を薄いのにも強いし、もう体力も凄いしまいったわ。

宮野さん:走れるわな。

河上さん:さすがパイロットってすごいね。戦闘機パイロットって伊達やないわ。寒さに平気やね。びっくりする。

質問:半袖かなんかで登った…

宮野さん:半袖多いよね。

質問:半袖で登ってはる。

河上さん:そやろ、寒くないんやあれ。

質問:汗かいてはるもんね。

質問:酸素薄いのにも慣れるんですね。

河上さん:そうそう。そりゃあんなとこと戦争して勝てるわけない。
質問:今でも?

宮野さん:今でも無理無理。

河上さん:体力的にも負ける。

宮野さん:平和が1番。

河上さん:でもね本当に戦争の原因をみんなわかってないからな。一人一人が作ってるのに。

宮野さん:それぞれの言葉?

河上さん:うん。「あいつさぼってる」って言う、その一言で戦争の原因になっていくのがわからない。自分という意識があるからで。ほんとにすべては完璧なる1つや。それを祈れないと響いていかないね。

 だから先生に怒られた頃はね、僕の中にやっぱりあの人ら祈ってないっていう意識があるわけよ。「そのお前の意識が邪魔してる!」って。その光を理屈抜きにね、順番に光がドミノ倒しのように行く順番があるわけ。その最初のスタートがお前やのに、何してるんやって言って怒られた。それで怒られた。で、今度は皆さん。皆さんが分けたらあかんね。

質問:「違うな」と思うのはやっぱりもう分けてるっていうことになるんですかね。

河上さん:そうやね、そうやね。だから先生の仰る「みんな光や」っていうのが一言で全てやね。あかんは無いね。

宮野さん:でも「違うなぁ」って思ってもそうやけど「あっ、いろんな人が居ていいネ」だったら別にいいんじゃない。

河上さん:そうそう。

質問:あーそこに持っていけばいいんですね。

河上さん:だから花でもいろんな花があるわけでしょう?

宮野さん:薔薇が1番いいわけじゃないし。

河上さん:そうそうそう。それなのに、まぁ言ったら「アレ色が違う」とかね、やってるわけやんか。「肌の色が違う」とかね、「言葉が違う」とかってやってるわけでしょう。

質問:考えが違うとか。

河上さん:そうそう、考えが違うとかね、それがもう違うね。だからいつも言うように真(まこと)の神さまがそれぞれ楽しんでおられるだけやね。いわゆるマイナスの姿ほど大変なわけやんか。苦しいし、わざわざ苦しんでくださってるのに。それがわからなあかんのにね。アホやなぁとかな。それぞれ神さまの大きな川の流れとして楽しんでおられるわけね。その川の流れを邪魔したらあかんね。川自身が自分で流れを変えていくのはいいね、自由意志でね。

 もう質問もないし、大丈夫?2時だし。始めて2時に終われる。ほんとにいいですね?初めて2時に終わります。深夜勉強会大体4時間コースやねんけど。今回…

宮野さん:雪だから。帰らなアカンからな。明日あるからな言うとくけど。  

河上さん:知ってるよ。

宮野さん:神さま待ってるで。

質問:お伊勢さんですか?

宮野さん:違います。

河上さん:もっと遠くになります。

宮野さん:雪で行けるのかしら。

河上さん:神さまの言う事に不可能は無い。

宮野さん:車でラッセルしながら。

河上さん:不可能は無い。そのために横浜のタイヤに変えたんや。横浜のスタッドレスが1番すべらない。(値段も)高い。

宮野さん:すべらないけどワイパーがあかんかったやん。

河上さん:もう修理したよワイパー。

宮野さん:あっそう。はいはい。

河上さん:終わります。


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12月勉強会 by 河上彰延 2021年12月23日(木) 23時00分
PC

令和3年12月勉強会ー1(20211212−1)

河上さん:結局ね、真祈りとは何かというとこやね。真祈りというのは真(まこと)の神さまに降り立って頂くだけなんですよ。それが皆、降り立って頂くということがわからずに来たわけ。

真(まこと)の神さまに降り立って頂く為の条件というのは、もうイエスの言う「心を尽くし、思いを尽くし、汝の肉体を尽くし、汝のすべてを尽くして汝の主なる神を思え」っていう、イエスの言い方で言うとね。それ何かって言ったら、先生の言い方で言うと真(まこと)の神さまと一対一。それ何かって言ったら真(まこと)の神さまの事以外のことを一切思わないということ。真(まこと)の神さまの事以外一切思わないって何かって言うとね、先生の表現で言うと「ありがとうございます」だけ。何があっても「ありがとうございます」だけ。

なんで「ありがとうございます」だけなんかって言うと、「ありがとうございます」と言うのはすべては完璧なる一つという意味なんですよ。

 だから人から何か頂くじゃないですか、そしたら「ありがとうございます」って言うことによってその人の心と一つになるの。或いはイエスが最後の晩餐をするわけですけど。なんで最後の晩餐をしたかと言うと、みんなと一緒にお食事をすると、みんなの心を一つに出来るの。だから宴会するとね、みんな仲間意識が高まるわけ。みたいな感じで全ては完璧なる一つっていうのが「ありがとうございます」の最初の意味なんですね。

だから「ありがとうございます」だけを何があってもね、この世的に何があっても「ありがとうございます」だけを言えたら、悟れるよって先生仰って下さったんだけど、みんなできなかった。

 で、もうやっぱりついついね、「なんで私だけこんな目に合うの?」とか、「なんでこんなボロカスに言われるの?」とか色々あるよね。ついつい文句が出るじゃないですか。

 でも文句が出ても何があっても悟れる、悟っている自分を、真(まこと)の本心を自覚する方法ということで先生が「印可書」を残して下さったわけです。それも先生の残された「印可書」だけだと光が強すぎて誰も振り向いてくれないのね。「印可書」がダメなのってとこまで、「印可書」言っちゃっダメだって言う人まで出てきたわけです。

 それで先生がこれは地上側のお前たちの方で残りを作ってくれないと天地を繋ぐ、「印可書」というのは天地を繋ぐ梯子なわけです、エレベーターというか。それが中間まで来てるけど下が作れてない、ということで作れとなったわけですけど、誰も「印可書」に振り向いてくれないので、このメンバーだけでやってしまいました。で、先生にお見せしては添削していただいて完成させたわけですね。だから最後の方は先生が本物が現れたって喜ばれたわけですけど。

 そうして苦労して作った「印可書」を使うと、文句を言っていようが不満を言っていようが真(まこと)の本心の自分の状態。まぁ、本来は真(まこと)の本心の自分だからね、それを自覚できるよと言う事なんですね。で、自覚している意識が何故ないかと言うと、自分と言う意識があるから自覚してないように感じるだけなんです。本当に何事においても忘我(ぼうが)の状態。この自分がしてると言う意識が消えたら真(まこと)の本心の自分を自覚できるんですよ。

だから仕事に没頭している時というのは、或いは遊びに没頭している時というのは、時間を忘れるでしょう?ぱっと見たら「あれ?もう3時間経ったん?」って言うじゃないですか。あれが真(まこと)の本心の自分を自覚した状態なんですよ。

 だから皆ね、無意識に真(まこと)の本心の自分を自覚してるの。してるけどまた自分が出てきてね、要するに「晩御飯食べなくちゃ」って言うのは、自分が晩御飯を食べなくなっちゃってなってるわけ、みたいな感じね。色んなことありますけど無意識に「自分が」というのがあるんです。その無意識に「自分が」があるのは何かって言うと、過去の経験に基づいて良い悪いって判断する癖なんです。「常識に従って」とかみんな言うじゃないですか。「それは常識から言ったらちょっと怪しいな」とかね(笑)言うじゃないですか。それ全部「自分が」があるという意味なんです。「自分が」があると言うのは過去の経験に基づいて良い悪いって判断するのが自分なんです。

真(まこと)の本心の自分は一瞬一瞬新たに受け直すだけだから自分は無いの。だから仕事に没頭している時はね、過去の経験に基づいてこれは良い悪いって考えてない。淡々とするでしょう。それが真(まこと)の本心の自分なんです。

 只その一瞬一瞬新たに受け直すというのがわからないから余計に不安になる。だから不安が出たとき、文句が出たとき、嫌だなぁと思った時、辛いなぁと思った時は「印可書」を読めば真(まこと)の本心の自分にするよっていう、先生と神さまとの約束だから、何が悩みがあろうが、文句があろうが、ひたすら「印可書」に立ち戻ってくださると、簡単に正覚(しょうかく)を得ている自分に気づくんです。

悟りを得れるんじゃなくて悟っている自分に気づくんです。ここが大事なんですね。「印可書」読んだら悟りを得れる、悟りがもらえる、じゃないの。「印可書」を読んだら既に悟っている自分に気づくだけなんです。

 ただその気づく、気づいた自覚を、あの申し訳ないけど今わざと塞いでいます。何故かと言うと、ついついね心境がふわっと広がるじゃないですか、嬉しくて人に言いたくなるのね。で、言うとまた色々とややこしいことが起こるので、今回は一応200人揃ったら開こうと思っていたのが、先生「一万人」って言っているからもうちょっとずれてる(笑)。先生の都合でちょっとまだ伸ばしていますけどね。だけどもう本当に緊急事態になった時はあっという間に行きますし。いつでももう大丈夫なの。大丈夫だけどとことん皆さんの真祈りでね、穏やかに持っていきたいと思っています。
、今はちょっと気温高いでしょう。本当にいつ揺れてもおかしくないのね。ちょっと揺れるの止めに行ってきます。で、皆さんの真祈りでね、全てが穏やかに収まります。

それで特に時間があって行って頂ける方には、無理を言ってあちこち行ってもらっていますけども、行くのも大事だけど、先ずは今ある場所でお祈りされるのが1番大事だと言うのを、それを先ず分かってください。

 皆さん方でもお祈りしててね「あそこの神社に行ってお祈りしたい」とか、「あそこの山でお祈りしたい」と思った時は自由に行ってください。行ってちょっと怖いと思った時はもう帰ってきてください。近寄らずに遠くで祈って帰ってきてください。そういうものなんですね。だから本当に真祈り人が増えてね、大きく雪崩れが打つように変わりつつありますけどまだギリギリで(笑)ずっと来てますので、毎年、年末になると追い詰められて。今日なんでこういう怖い話をしているかと言うと冬至が20日?21日かな?  


Aさん: 22です。

河上さん:22やな。去年もそうだったんですけど、今年がいよいよね本当の転換期に入ります。だからこの冬至を過ぎると本当に真(まこと)のプラスを思えない人は大変になるんですよ。じゃあ真(まこと)のプラスを思えない奴は腐って死ねや、みたいなわけにはいかないのでね。で、その思えない人の身代わりとなって、皆さん真祈りする覚悟を持ってください。「あー、あいつお祈りできてないから」「印可書選べてないから大変やのう」じゃなくて、「印可書」選べない人の身代わりとなって皆さんはひたすら、ひたすら「印可書」読み続けて奉納し続けてね、今以上に祈り続けてください。

 先生のお働きというのはこの前、光の交流会で文章を出していただきましたけども、組織も教えもないという1番大きな理由なんですけど、ひたすらお清めの働きなんです。

 それは五井先生もそうだったんですけどお清めの働きなんです。だから組織もいらないし、教えも要らないの、お清めするだけ。だからどうしてお清めするかっていう方法が色々あったけど、難しくてみんなできなくて先生しかできないになってたわけですね。

 それが今は「印可書奉納」するだけで、皆さんが真(まこと)の神さまの働きとしてお清めできますので、ひたすら神さまのお手伝いとしてね、「印可書を奉納」し続けてください。

 もちろん「ありがとうございます」の10文字が真(まこと)の神さまそのもの、すべては完璧なる一つという響きそのものって思える人は、「ありがとうございます」の10文字でいいんです。

 でも切羽詰まったら「ありがとうございます」も出ないからね。でも「あー・うー・すー」というのは全ては完璧なる一つの言霊ですので。もう本当に切羽詰まったら、でも皆言うよね、「うわぁ?」って。「うぅ?」って(笑)。その感じでね神さまと響きを合わせて行ってください。どんどんやって頂くと本当に呼吸毎にね、絶対の中心に立ち戻っている自分に分かってきます。でも分かってきても人に言ってはダメ。

 それぐらい「印可書」で大きく人類が救われるんです。大丈夫。ドミノ倒しのようにね、大きく変わりますから。

 ただちょっと今年の年末はきわいので。本来29日から来年の15日位までが八専(はっせん)と言ってね、ちょっと山の神さまの響きが強くなる時なんですね。だからあまり山とか山奥に入らないようにして頂く時期なんですけど、今年はちょっと切羽詰まっててもう既に入っています。だからあまり山に入らないようにしてください。入ってもちゃんとお祈りしながら入ってね。道のないところは行かないように。

 空間が歪むというか重なってるんで、そういうところに入ったら昔で言う神隠し、出て来れなくなる可能性があります。だからわざわざ行かないように。富士山の青木ヶ原の樹海があるじゃないですか。あそこなんか特にそうです。あそこに入って行方不明って言っても、そのまま違う次元の世界に滑り込んでしまう人もありますしね。入ると出て来れないのね。だから余りややこしいところに行かずに。だから神社でお祈り行きたいと思っても嫌だなと思う時はね、近づかないでくださいと言うのは神社も空間が歪む場所があるんで、そこに行って神隠しに会うということもありますので、嫌だなと思う時は行かずに遠くからお祈りしてください。それで十分に効果ありますから。

宮野さん:そしたら普段行ってる神社、皆さん行ってくださっている神社の中で普段は奥宮まで行くんだけど、八専にかかると河上さんが仰ってるからという事で、もう御本殿だけで・・

河上さん:そうです、その方が良いです。そうしてください。

質問:主人が林業で冬でも山奥に入ることがあるんですけど。

河上さん:林業の方はね、そんなんよくご存知で危ないところに行かない。

質問:大丈夫?

河上さん:そうなんです。そこはプロですから。山のことが本能的にわかるのね。なんで林業の方は本能的にわかるかと言うと、ちょっとした怪我でもすぐ降りて来れないでしょう。それが命取りになるんですよ。それはいつも仕事をされているからよく分かっておられて、本当に何事も慎重にされるんですね。救急車がすぐ来るとこだったら助かる傷でも、こっちまで降りてくるのに2、3時間かかる場所の為にね、降りてくる間に出血が多すぎてとか、動けなくなったりとかなるのでね。だから山仕事をされる方は必ず最低2人ペアで行かれるでしょう。1人では滅多に入らないよね。それは怪我をしても誰かが先に降りて助けを呼ぶとか、まぁ今は携帯電話がありますけどね。それでも、だから林業の方は大丈夫です。

 また知っておられてそういうややこしい天候の時というか、雰囲気の時は仕事をお休みにしてはります。そこはもう見事なものです。

 まぁ、真祈りというのがもうそれに尽きるんですね。真(まこと)の神さまに降り立って頂くだけ。それっていつも言うように真(まこと)の神さまに対する絶対の信ですよ。神さまが1番良いようにしかされていないというね。だからちょっとでも文句が出たら真(まこと)の神さまと響がずれたと思ってね、何が起こっても「よかった、よかった」って思えるように自分の一つの物差しとして持っててください。

 だから怪我しても、極端に言うと足を折ってしまってもね「よかった、よかった」って。「これで済んでよかった」って思えないとダメなんですね。神さまがその人を雑巾役として良いように使うだけなんですね

 。だって水の働き、空気の働きってそうでしょう。汚れを集めて海で綺麗にして、また天に登って綺麗な雨で降ってくる。空気も汚れたのを最後、台風の中心に持っていって綺麗にして浄化して出てくる。ひたすら神さまの御働きというのはお清めの働きですよね。それのお手伝いをするだけです。怖がる事は無い、只々、使っていただいてよかったよかったって。積極的にね、お手伝いしたいってされるのが1番得なんですね。すると100%の働きが出来るわけですよ。

 先生が因縁因果の輪を断ち切られたのでね、もう神さまの事なんか知らんっていう人でも使ってくるんですよ。只、その状態で使われると、どう言うんですか、100%光を受けれないから大変だし、大変な目にあった割には効果が少ないだけです。それでもちょっとでもお手伝いに使わさないと本当に絶対無に転落するのでね。全く神さまに心が向かない人は病気の形、色んな形で出ていくと思います。そういう形、たとえ病気の形でも今回のコロナがそうですけど、みんな不安がるでしょう。だからあまり仰々しくでないように皆さんの真祈りでね、穏やかに穏やかに持っていきたいと思っています。

 で、自分が真祈りしてね、みんな綺麗にしてるなんて思った途端にね、もう真祈りと違うからね。それだけは忘れないようにね。神さまは只々、良いようにしていただいてるだけっていう。それだけです。

 何故いつも神さまが1番良いようにされているかと言うと、皆さんが神さまと不離一体だから。どんなに理屈を付けようが、どんなに文句を言おうが皆さんと真(まこと)の神さまは不離一体なんですよ。だから良いようにしかならないの。でも小さい意識側から見たら文句が出るだけ。その小さい意識とは何かと言ったら、自分で役割を言葉でつけて楽しんでいるだけなのね。

 いつも言うようにゲームがそうでしょう。わざわざ難しいルールを作ってね、難しくして遊ぶわけじゃないですか。はさみ将棋でやったらすぐ勝負がつくのにね、角はこっち、飛車はこっちしか動けないとか言って難しいルールにして楽しむでしょう?そういう感じで真(まこと)の神さまが色んなことを楽しまれてるの、本当はね。だからそれだけ楽しまれるだけだったら簡単だったのが、簡単というか、すーっと収まっていくのに、楽しんでるのを忘れて苦しみにして要らん思いを出して、タコ糸がこんがらがる様にこんがらがしてるのが、今の状態です。

 それをゆっくりと解こうとしてるのが真祈りです。皆さん方のね。で、こんがらがってどうしようもないから、いっぺん包丁でスパンと切って解いてしまえ、というのがまぁ天変地変、アトランティスが沈んだりとかね、あったじゃないですか。そういう感じで起こるの。地軸が傾くとかね、いうのが気良くスパンと切って一旦ご破算じゃ!というのがそれです。
 今回は先生と神さまとの約束でね、人間の側でちゃんとできますからと言う事ですから。私たち地上の肉体意識を強く持っている人間側で、ゆるくゆるくぐちゃぐちゃに絡んでるのを、解いていきたいのですね。その方法はいつも言うように「印可書」奉納するか、何があっても「ありがとうございます」って喜べるか。「ありがとうございます」って喜べるかで、「ありがとうございます」を感謝するっていうのはちょっとずれるんですね。理屈抜きに何があっても「ありがとうございます」って喜べたら、もう僕の説明を聞く必要はないです。中々喜べないよね。ついつい痛いなぁって思うのね。熱が出てしんどいなって思っちゃうのね。しんどいなと思っても「印可書」さえ奉納したら、ちゃんとするよと言う先生との約束なんでね、ついつい文句が出ても、辛いと思っても、邪魔くさいなと思っても、「印可書」読んで立ち戻ってください。質問あれば。


質問:もう答え言って下さったんですけど、質問を預かってきていまして。その方やっぱり病気で普段寝てて目もだんだん見えなくなってきてるんで。「印可書」もテープで聞いてそれで一生懸命覚えはったっていう方なんです。以前はまだ「ありがとうございます」と「宇宙神ありがとうございます」と「本心の16項目」と4つぐらい河上さんがぐるぐるぐるぐる回して言えばいいって仰ってたのに、この4ヶ月ぐらいはもう「印可書」一本やりという感じになって、護摩炊きの話がね。その方にとっては一生懸命頭で覚えてるんですけども「印可書」が続かない時があるそうなんです。で、「ありがとうございます」とか「宇宙神ありがとうございます」だったら自分があったら元も子もない、自分があったら意味がないんです。だけど「印可書」だったら自分があったとしても読んでいる間にどんどん自分が消えてくるから「印可書」ですって仰って。そしたらその方にとっては「印可書」をずっとずっと寝てる間ずっとずっと…


河上さん:聞いてるだけで大丈夫です。

質問:あっ、そうなんですか?

河上さん:聞いてるだけでいいんですよ。聞いてるうちに自然に覚えれる形になったら覚えたらいいし、覚えれなくてもひたすら聞くだけでいいです。響きが大事なんですね。それで結局「印可書」が1番まぁある意味おまけが多いというか、入り口が広いんですよ。只、ギブアンドテイクになるとね、さすがの「印可書」でもちょっとしんどい。要するに「印可書」読むから悟らしてくれとかね、「印可書」読むから病気を治してくれって言うと、ちょっと大変なの。
 それなんで大変かというと、例えば「印可書」読むから悟らせくれと言う事は自分はまだ悟っていないって決めてるでしょう。決めている以上は悟れない。或いは「印可書」読むから病気を治してくれと言う事は自分が病気であると決めているでしょう。そしたらその自由意志は神さまが最優先するの。結局そこなんですよ。
 先生が「既に悟ってる祈ってる救われてる」って言ってるのに「はい」って受けられないのね、みんな。何かと言ったら自分はまだ悟っていない、自分はまだ救われていないってね、自分はまだ祈っていないって勝手に自分で自分を縛ったの。で、縛ったらその自由意志を神さまは解けないの。そこだけなの。
 だから奉納って言ってるんで。だから聞くだけで奉納になりますから。「印可書」を読めないけど聞くんだから、この病気治せよとかね悟らせてよって言ったら、自分でこの病気は治らない、自分で悟れないって決めてるわけ。そこがその縛り自分で自分を縛っておられる縛りを自分の自由意志で解く必要があるんですよ。でも中々解けない、癖があってね。解けないから先生が神さまとの約束事でね、この「印可書」読んでいるときは本心の自分なんだからっていうところが信じれたら、もう要らんこと思っててもオッケーなんですよ。それでも病気を治してくれとかね、悟らせくれって言ったら、すでに悟ってない、すでに病気だって決めてしまってるから逃げれないの。その決めたのはあなたや。神さまの方はお前は病気だとは言っていないの。お前は悟ってないなんて言ってない。すでに悟っている祈っている救われているって神さま言ってるのにね。自分が悟っていない、病気だ、苦しい、不幸だ。色々あるわね。自分で自分を縛っているだけ。
 その自分の縛りをどう解くかというところで、もう先生が祈りに祈ってくださってね。それで忘我の状態になって、なるまで「ありがとうございます」を言えとか色んなことを先生されるんだけどみんなしてくれないから。大和座法もその一つだったんだけどしてくれないから(笑)エイっ!てここ1発、もう神さまに全ての命を投げ出せって先生は命と引き換えに「印可書」を作って下さったわけです。で「印可書」を何も願わずにね、淡々と奉納してたらもうそれは本心の自分だよという、先生と神さまとの約束ですから、そこだけは信じてやってみてください。そしたらもう自分が消えて、で自分が消えたら「あぁこんな簡単なことだったのか」って思うの。
 それが自分をなくそうと思っている間はね、自分で自分をなくそうと思ってるからなくせないのね。自分を消した自分がまだ残るでしょう。で、その自分を消す自分がまた残るのね。永遠に堂々巡りするんだけど、そこをもうパンっと投げ出す方法なんですね。投げ出す方法が「印可書」奉納になって、で「印可書」奉納が最強なんでね、この頃は「印可書」って言ってます。
 もちろん「16項目」でもいいんですよ。ただ「16項目」は先生と神さまとの約束事でこれを読むときは真(まこと)の本心の自分とするよという約束事がないのでね、いわゆる真(まこと)のプラスの言葉だけなんですよ。だから「宇宙神ありがとうございます」でもね「ありがとうございます」でも「16項目」でも、必死でみんな読むんだけどいまいちすっきりしない。奥へ入っていた感じもしないし、なんかモヤモヤするのはそのせいなの。
 で、「印可書」はどんなにモヤモヤしててもね、変わっていけるのね、それで最強の「印可書」。それも先生の側で作られた分と地上側のこっちで作った分で天地上下にピタッと完成させたからね、梯子として登りやすいわけですよ、まぁ、梯子に例えるとね。前はちょっとその非常階段みたいなものやね、ちょっと飛びつかないと上の方にあってみたいな感じなのがスっと登れるようにしましたのでね、それで。
 だから「印可書」も後半の方はね、ある意味だんだん言う必要がなくなってきて前半だけで終わる、いわゆる「新なる秘奥義のありがとうございます」だけで終わるようになってきたらそれはそれで大丈夫です。後半は下から上る梯子ですので、そういうものです。

質問:「印可書」を聞くっていうのはどのように、YouTubeでアップされている「印可書」の音声を聞いたり・・

河上さん:うん、それでもいいです。

質問:自分でボイスレコーダーに入れて繰り返し・・

河上さん:或いは、人に入れてもらったのを聞くのでも大丈夫です。だから響かすだけなんですね。響かし方は聞くのも響かし方だし、見るのも響かし方だし、言うのも響かし方なんです。ただ奉読という形がね、なんていうんですか、自分の自由意志で選び取ったという感じが強いじゃないですか。すっと眺めているよりも、聞き流しているだけよりもね。だけどもちろん見てても黙読でも、或いは聞いてても自分で選び取っていたら、自由意思でこれが全てなんだって選び取れてたら、もちろん大丈夫ですけどね。読むのが1番自分の自由意志選び取っている感じがするじゃないですか。それで奉読と言っています。

質問:種火としての200人が10,000人になったというのが・・

河上さん: 200人超えたからね。

質問:順調に行ったから計画が変わってきたわけですか?

河上さん:そうそう。先生の方はもう、(笑)だから今、今日の勉強会で終わっても本当はもう大丈夫なの。大丈夫なんですけど、先生まだまだって言うんでまだまだ行きますけどね。

質問: 10,000人の方がより確実に・・

河上さん:いや、最初の予定は10,000人ですから。只、あまり「印可書」に誰も振り向かないんで、もう取り敢えず200人の確保ということでね、言っています。だから本当に自由意志で「印可書」を選び取れる人が200人越したの、よかった。

質問:これからは10,000人の充填率というか、みんなが上がっていくので時間がちょっとかかる・・

河上さん:そうそう。それで10,000人越したらね、もう目に見えて変わるから大丈夫。

質問:その分ちょっと時間はかかりますけど・・

河上さん:いや、だからこっちがな時間かかるとかな、もう要らんこと思わなくていい。神さまが良いようにする。

質問:変わらず・・

河上さん:そうそう。僕その200人できるまでね、時間かかるから大変だとか言わなかったでしょう。200人、200人って言うだけね。

 それは神さまがいつもいいようにされるの。そこを信じ切れたら人間の方は要らん思いを出さないからスっと光が降りる。いつもそうやね。人間の方がね「うわぁ!これは大変だ!」とか「うわぁ!これは邪魔くさい!」とか、わかる?「どうするん、こんな大変になって!」とかね。例えば津波が来てぐちゃぐちゃになってるじゃない。そしたら「こんなにぐちゃぐちゃになってどうするん!」って言ったら永遠にぐちゃぐちゃやね。一つずつ淡々とやりましょうって言ったら何でも片付くわけよ。結果を気にしなかったら片付くのに、結果を気にしたらもう大変でやってられへんってなる。

「ぽつんと一軒家」が僕好きなのはね、昔あれ山やったとこをあんなに開拓して畑にされるわけでしょう。それってすごい大変なことやけど、淡々とされたわけや。結果気にしてないからできたんや、あれな。あんなの結果気にしてたらもう途中で挫折するって。ああいうのは見習わなあかんね。神さまが1番良いようにするって言ってたら、結果気にしないから片付いていくんよ。だけど、これするのに3日かかるのに間に合わへんしどうするんよって言ったらもう手につかない。全部できないけどやれるだけやりましょうって、神さまが良いようにするからってやったら、意外とできてしまうねんな。

 結局みんな自分で自分を縛るの。例えばこんなの3日で片付けへんわっていうとこでもね、神さまが良いようにするって思ってたらね、色んなアイディアが湧いてきて片付くの。だけどこんなん大変やわって言ったら、自分で縛ってるから、アイディアが神さまから降りてくるのもわからない、みたいな感じやね。或いは、助けてくれる人の助けに気づかない。或いは、その好意に甘えれない。喜んで甘えたらいいの、助けてもらえる時はね。そのかわり自分がまた助けたらいいだけやね。いいだけやねんけど人間はしがらみの中でね、要らんとか言うねんな(笑)








令和3年12月勉強会ー2(20211212−2)

河上さん:だから逆に言うと邪魔する人でもね、ほっといたら良い。助けてくれる人も居るけど邪魔する人も居るわけやけど、それはそれで神さまが楽しんでるっていうのがわかったら、面白いなぁで終わり。

 いわゆるゲームは難しいから楽しいんでしょう。邪魔する人がいるから楽しい。なんでも簡単にスっと行ったら面白くない。もう野球が全てやな。金属バットでやって30対40にしたら良いのに、2対3で僅差でするのが楽しいんやろ。あれ胃に穴が開く位ストレスやと思うねんけどな、僕なんかにしたら(笑)。野球好きでない人から見たらな。だけど満塁であと1本が出るか出ないかとかな、してるやん。ツーアウト満塁やっていって。それってわざと点を取りにくくして、打ちにくくしてって、そういう難しさを作って楽しむわけでしょう。それが全てに当てはまるの、本当はね。
 
 だから神さまが良いようにしてるから、喜んで楽しんでたら良いね。だって今のゲームがそうやろ?クリアしたら難易度が上がっていくんでしょ、順番に。だけどまたわざわざその難易度の上がったステージに行って楽しむんやろ。邪魔くさいって言わないよねゲームやったら。

 でも皆さんのお一人お一人の人生一つをとっても、その楽しむゲームなのね。貧乏を楽しむゲーム、金持ちを楽しむゲーム、色々その人にとってありますけどね。勉強できないことを楽しむゲームとかね、本当はそうやね。

 すべてを体験することが真(まこと)の神さまそのものやね。だけど小さい人間の意識で見たらね、金持ちが良いとかね、頭が良いのが良いとかね、器用なのが良いとかね、勝手に決めてるだけよ。でも例えば不器用の中で出来たら達成感全然違うでしょう。器用やったら「あぁ、あんなのできて当たり前や」で終わりや(笑)そういうものだというね。だから結果を気にしない、結果を他人と引き比べない、自分と他人を分けないという、その全ては完璧なる一つさえわかったら気にならなくなる。

 分けるから結果が気になる。他人と分けているから結果が気になるね。あの人はあの人、私は私っていうのもちょっと違うんだけど。まぁ、だけどせめてそれくらいに思って気にしないとダメ。

 だって神さまが1番良いようにしてるからね。本当に極端に言うと餓死したって1番良いようになってるの。それは過去世でね、人のものを奪って食べてきた人やったら、やっぱり今生では、今の世で餓死と言うと糖尿病やな、食べたいものを食べれずに死んでいく。ああゆう形になるの。或いは、腎臓病かな、何か食べたいものが食べられへんよな。食べたいものが食べれない病気って多いよね。

 でも本当は神さまにとったら無限力やからね、治せない病気も何もかも一切ないの。一瞬で治せるの。だから一瞬で神さまは何でもできるというのをイエスは一杯見せるわけよ。なのにみんな信じない。イエスはちゃんと説明してるの、一瞬で治せるけど、治したらあかん人もあるんやって言って、治してないのもあるの。イエス様が治さなかったから、色々と恨まれて、色んな理由で十字架に追いあげられたの(笑)。

 だけど治したらあかん病気はあるの。その病気で消すのが1番楽やから、ほってあるというのはあるの。何億分の1で消すのにね、この世的に見たら凄い末期ガンで苦しんでるというのはあるの。今の世で説明するとね、末期ガンで苦しんでるけどそれが何億分の1で消えるからほっとくの。

 イエスの時代だとらい病で苦しんでいる片方の人のらい病は簡単に治したのに、こっちの人のは治してくれないってなって、色々とある(笑)。なかなか奇跡を表すのは大変なんやで(笑)、恨みを買う。

 だけどその形で消すのが1番だったら、神さまの御心にイエスは逆らわないからね。第一、イエスが治してるのと違うからね、神さまがされてるだけやから。いつもイエスが説明するように、ひたすら神さまの栄光を、無限の無限の輝きを表さんが為なりやからね。それは病気を治す治さないにかかわらず現してるの。

 これからも皆さん真祈りをされて、相手に気づかれないようにしていても、その人の病気が治ったりしますけども、気にしないように。神さまが良いようにされてる、もうここから絶対に離れないようにね。治ろうが治らまいが、苦しもうが苦しままいが、神さまが1番良いようにされてるっていうだけです。その人が過去世で何をしてきたかっていうのがあるんでね。

 で、その人が凄い悪いことをしてると思ったら大間違いでみんな同じ体験してるの。みんなは1度は大変なことをしてるの、大変な目に遭って。それでもう懲り懲りっていって真祈りに入ってくる。

 小さい頃はわんぱく遊びをして大怪我をしてね、もうそういう遊びをしないようなもので。でも1度はしたいのね。だから凄いマイナスのことをしている人を見てもね、責める必要はないの。1度は体験しないとわからないというのがあるから、みんな好きにさせるのが1番。でもできるだけ周りに影響を出さずに、上手く治るようにね、支える側は真祈りをして支えてあげたら良いの。

 形の上で支えなくて良いのね。ひたすら「印可書」を奉納していたら支えてあげれるの。すると凄い切れやすくて喧嘩っぱやい人がね、おとなしくなったりするの。でもそうなってもね「あっ、自分の「印可書」奉納でそうなったんや、とは思わないように。

 神さまが良いようにされた、いつもいつもイエスが言う「神さまの栄光を現さんが為に」神さまが良いようにされてるだけっていうのを忘れないでください。

 それさえ忘れなかったらもうみんな盤石の不動心という悟りに入る。不動心の悟りというのはそういうことです。悟りが浅いうちはね、ついつい自分がしたとか要らんことを思って崩れる。で、崩れるから今回はできるだけ正覚、悟りの自覚を被せて消してあるの。悟ってないと思っている方が気が楽やね。なまじスッキリして心境深くなったと思ってからね、「あーっ!」と思うとまた自分を責めて苦しむからな。悩んでる自分で行こう、当分な(笑)。

質問:すいません、正覚というのはどういう意味なんですか?

河上さん:いわゆる真(まこと)の本心の自分やね。新なる真(まこと)の本心は新たなる真(まこと)の神さまそのものというね、自覚です。真(まこと)の神さまと不離一体の自分。それというのはそうやね、色んな表現がありますけど無条件の喜びが湧いている、ふつふつと。無条件に幸せ感がある。それもワー!ワー!ワー!じゃなくてね、もう本当にヒタヒタと。なんて言うんですか、湧き上がる泉のように、尽きずに湧き上がるもんです。

質問:中今を生きている自分?

河上さん:そうそう。中今を生きている自分。

質問:戻れていると言う。

河上さん:うん。それで自由自在に色んな姿を楽しめる。勉強できない全然頭の悪い自分も楽しめるしね、何でもできる器用な自分も楽しめるし。それを自在に必要に応じて出せるの。自分があるうちは不自由なのね。いわゆる不自由な自分を演じてそこから逃げれない。

 だからこの世で器用な人でもね「俺、器用やねん」って言ってる人はもう不自由やね。そういうものなんです。だからなんて言うんかな、本当に一切条件がつかない。一切条件がつかずに喜べたら正覚です。

質問:ありがとうございます。

河上さん:で、一切条件をつけないからね、誰も責めないの。どんな姿を見ても、まぁ先生の表現で言うと「あー大変やなぁ」位しか言わない。それぞれその人の自由意志で楽しんではるだけなのね。本人にとっては苦しい苦しいやねんで。だけどお前苦しんでるけど、こうやねんでって言ってもだめなのね。

 だから真祈りの会が始まった時にしつこく言いましたけどね、言葉じゃないんだって、真祈りだけってね。言葉で相手を説得する事は不可能なのです。真祈りで相手を自覚せしめるだけなの。只、その自覚しやすいように、要するにひよこさんが卵の殻を割って出てくるじゃないですか。その時にちょっと出やすいように、ヒビを入れるのがこのお話だけなの。このお話で卵は割れない、卵を割るのは内側からの本心の自覚なのです。自分という個我の卵の殻をね、本心自分が割って出てくる。只、このお話をするとちょっと割れやすいように、ヒビを入れてあげるだけ。だけども割るのはできない、割るのはその人の自由意志だから。(老婆心ながら、付け加えますが、このようにお話をするというのは相手のマイナスの一切を背負うということです。護摩の会場であるならば、全世界の全人類のマイナスを背負うということです。本当に眞祈りして、一切の自分がしたと思う、自分が無い状態でないと、すごい、悪い運命になっていきます。つまり不運続きになります)

 だから真祈り最強で、まず真祈り。だから「あの人苦しんでるから言ってやろう」とかね、いうのはダメです。で、相談に来られてもね、あんまり言わないように。ひたすら祈っているだけ。だからこのお祈りの部屋で先生にね、「こんなんで大変なんです」って相談されるわけですね。そしたら先生がその人と一緒になって泣いてあげるのね。「大変やなぁ」って言って。で、あまりどうこうせえって言わないままに変わっていくんですけど。そういうもんなんです。

 で、まず真祈りをするにしても相手の心と一緒になってあげるから、同じように苦しい時は苦しみをこっちが感じるようになります。その時に崩れないように。神さまが1番良いようにしていると言うのね。「私、真祈りしてるのになんであの人と同じように苦しくなってくるの?」じゃダメなの。

 (相手の心に)合わせてひたすら祈る。だから痛かろうが辛かろうが悲しかろうが「印可書」を奉納するだけって。文句が出ようがね。だから文句が出てても本当は相手の文句を背負ってあげている場合もあるからね。というより本当はもうこれから皆さん全部そうなんだけどね。真祈り人は皆その役目。五井先生のように、松下先生のようにひたすら。(一切のマイナスを背負って、眞祈りで消し続けるだけ)

 只、五井先生や松下先生は凄い熱出されたり痛みで受けられたけども皆さん方はもうそんな大変な痛みはないです、不安も無いです。でも一緒に悲しい辛い苦しいって感じますから、感じた時には「なんか急に悲しくなってきた」とかねっていうのもあります。その時に「印可書」を奉納してください。それでどんどん変わります。

 まぁ感覚で言うと掃除機の口がね、皆さんが真祈りをしてくださったら大きく広がってまとめてバン!ってやっていく感じになってきてます。前は松下先生という口だけ、僕という口だけ、五井先生という口だけで必死に一生懸命こうしてたのが。

 だからいつも先生が僕に仰るのはね、響きとしてはですけども、もう年末になると毎年大変でウゥって思わず唸るんですけど、いつも先生が仰るのは」大丈夫、大丈夫、神様が1番良いようにしてるから」。「いや、地球が滅びる形でも1番良いんですか?」って聞いたら、それでも「人類の自由意志の中で1番良いようになってる」って仰る、その人類の自由意志をね、できるだけ神さまに振り向けたいのね。で、真祈り人の力でそうなります。

質問:いつも毎年年末にそういう形になるというのは何故なんです?

河上さん:冬至というのを境にね、大きく響きが変わるんですよ。その冬至までに総決算で、まぁ言うたら年末調整やな。税金で言う。払いすぎを返してもらうとかあるでしょう。ああゆう感じの総決算が来るので、それでです。

質問:うつしというか。

河上さん:そうです。だから12月は本当に昔は2人で走り回ってました。本当に。
年間5万キロ、6万キロ、今だに走ってるね、やっぱり(笑)

宮野さん:少ないかなぁ…。

河上さん:その場にどうしてもいかなあかん時もあるのでね。でもこうやって真祈り人が増えてきたから、九州やったらもう九州の人にお願いできるじゃないですか。前は弾丸フェリーに乗ってすっ飛んでいって、九州を走ってたからね(笑)。そういう意味では良くなった。


質問:最近の勉強会の話で、調和と進歩は同じ意味っていうのが分かるようで分かりづらいんで、ちょっと教えて頂けますか。

河上さん:進歩と調和というのはどの立場から見るかだけ。進歩したら調和していくね。調和したら進歩になる、っていうだけなんですね。だから結果をどの方向から見るか、中から見たら進歩かな、外から見たら調和、見る場所が違うだけ。

質問:創造と進化も似たような感じですか。

河上さん:そうです。だから火山のね、マグマ側から見たら進化とか創造やな。火山の形成する形だけで見たら調和、で良いかな?分かるかな?

質問:一瞬一瞬新たにだから常に進化であり…

河上さん:そうそうそう。調和であり。

質問:全部が全徳というか…

河上さん:一瞬一瞬新たにという事は一瞬一瞬新たに完成してるね。それでもっと完成する形がまた出るというだけで、いつもいつも。

 あの、これだけはね分かっててください。いつもいつも完璧な完全大調和なんです。いつもいつも完璧完全大調和はやったかな?と言う形になるんですよ。それをまたより完璧完全大調和っていうだけなんです。

宮野さん:完全円満・・

河上さん:あっ、完全円満完璧大調和なんですね。だからいつも神さまが1番良いようにしてるってなる。でも人間の側の小さい立場で見るとね、ここが不完全やってなるだけなの。

 だけど例えば、まぁ車でも何でも良いんですけど。新車出す時はもうこれが最新型だって出すわけでしょう。でもまた、もっと、って。いつもいつも出す側は、これが最終形って出すんだけど、やっぱりこうしようこうしようってなるじゃないですか。そういう感じ。

宮野さん:さっきの進歩と調和のやつって前の万博のテーマ…

河上さん:うん、万博のテーマ、人類と進歩と調和。

宮野さん:あっちの説明の方が分かりやすかった気がするけど。

河上さん:うん、もうそれは終わってるから2回目言わなくても前の聞いてもらったら良い(笑)

質問:「一瞬一瞬新たに新たに」っていうのも分かるようでちょっとまだ重ねてあるのが…

河上さん:「新たに新たに」っていうのは、奥へ奥へっていう意味なんです。

質問:一瞬一瞬は?

河上さん:一瞬一瞬も一緒で、入れ子構造的に奥へ奥へだから一瞬一瞬。本当はもっと一瞬一瞬が並ぶし、新たに新たにが並ぶんだけど、取り敢えず2つ並ぶことで無限ということを言っています。

質問:無限の無限のという?

河上さん:はい、だから無限も、無限に無限にって重ねることで空間的にも、なんていうんですか、次元的にも奥へ奥へって意味です。いうことです。

 もうひたすら奥には奥があってきりがないっていうんですけどね。だから次元上昇とかっていう言葉があるでしょう?あれは虚の世界の言葉なんですね。次元上昇じゃなくて、ひたすら次元が一杯あるの。あるのにどこにどんどん心を合わすかだけであって、上昇するとかしないじゃない。

 まぁ、言ったら図書館に一杯本があってね、どれを選ぶかだけであって。どの立場に立つのも常に自由で、それでどんどん心境が深くなると、ありとあらゆる立場に同時に立つ、それだけなの。その同時に立つ場所(自在に立てる場所)がどんどん広がっていくだけなの。それを奥には奥があってって言います。だから地獄にも今立ってるんです、本当はね。でも自覚がない間はわからない。ここが大事なんですよ、みんな同時に(すべての場所空間時間に)立ってるの。立ててないじゃない。みんな同時に立ってるけどその同時に立ってるのを自覚しないだけ。たったそれだけなの。

 それは俳優さんがね、「私、今回王様の役」って言って王様の台本をとって王様に入り込んでいる状態ですよ。本当は俳優という自分でしょう?でも今は何々の王であるって演技してるわけ。水戸黄門だって演技してるわけよ。演技する時は嵌り(はまり)込んで良いよ、一生懸命。でないと演技にならないから、その状態です。自分の言葉で台本を作って自分を演じているだけ。演じている自分に気づいたら、全部分かる。

 常にありとあらゆる次元に(本心の)自分は立ってるんです。だから今は不自由な自分でね、ちょっとしか気づいてない。肉体側の自分しかわからんみたいな、そんな感じ。

 だから虚の世界の教えで言うとね、上っていくっていう感じやね、分かる?自分が変わって修行してね、登っていく。次元を上昇させて行くとかね、いう感じですけど。広げていくとかね、広がるとか。そうじゃなくて既にあるの。あるのにどれだけ気づくかだけであって、広がるとか修行するとかじゃないね。

 だから10年修行して悟るって言ったら永遠に悟れない。だって永遠に修行せな(一瞬一瞬10年先と思っていることになる)(笑)。

 だって悟ってないから修行するんやろ(と思うのが虚の世界の宗教の教え)?

 修行はいらんね。すでに悟ってる自分やから。只、それを理屈で言うたって「そんなん言うたって私わからないし」ってなるから、わからんで良いよって、わからんで良い、考えんで良いよ。「印可書」奉納するだけで分かるからって。

 いらんこと考えたら余計わからなくなるから考えるなって。大きな川の流れ、光の流れに逆らう必要は無いね。みんなね、川の中の水を汲んできて、この水はなんやかんやって分析しようとしてるだけや。どんどん流れているのに(笑)。

 要するに考えるなっていうのはそういう意味や。「これがあれでどうでこうで」って。「この水はどうでこうで」って言ってるうちにどんどん(水は)過ぎて行ってる。それ既に過去の水やしみたいな。それが過去の経験に基づいて良い悪いって判断するっていうことや。

 もう大河の光の流れに逆らうの、みんな一生懸命。逆らいようがないね。本当は逆らいようがないのに、逆らったつもりになって苦しんでるね(笑)。

 (本当は)全然難しい事は無い。只、もう悩んだら「印可書」に戻ってたらスっと戻れていく。そういう風な約束事として先生が作ってくださったのね。

 只、ちょっと他の普通の人も選び取りやすいように、その選び取りやすいような下を作れということで作ってもらってね(笑)。

 だから自分があったら先生の事はわからない。もうそれだけ。でも先生は平成17年からこっちやね。平成17年の11月17日からこっちは、先生、もう、(お話をみんなに)わかってもらおうとされなかったのね。只々祈って清めるだけ。僕にも仰ったの、「もう要らんことを言うな」と。ひたすら真祈りだけって、ひたすら真祈りだけって。真祈り最強って言われた。で、ここまで来て、来てます。

 あとは皆さん方が真祈り最強で突き進んで、「印可書」で突き進んでください。真祈りしやすくなったからね。「印可書」奉納するだけで良くなったから。只、大和座法で苦しんでいる人がいるので、今ちょっと説明したけどね。

 まぁ、あまり形の上で言うとダメなんですけど。ニャンコさんがね、虫とか猫じゃらしのおもちゃが前にきたら、手でこうやってを払うでしょう。あの時のニャンコの手って指がちょっと曲がってるのね。こうはなってない。ちょっとこうなっている。この形をすると全身に均一に力がこもる。或いは、全身の力を抜くみたいな感じやね。だから「宇宙神ありがとうございます」ってこうする時に、ちょっとこうやって曲げてされてみたら良いね。

 いつもしなくちゃあかんじゃなくてね、色々やってみて、自分なりに一部に力がこもらないように手振りをしなくちゃいけないのね、「宇宙神ありがとうございます」の。肩だけとか手だけに力をこもって振ったって、それでも効果はあるよ。でも本当に効果があるのは、光だから全身均一に、肉体側で言うと全身均一に力がこもる。或いは、スポーツで言うよね「力を抜いてやれ」とか「力むな」とかって言うでしょう。色んな表現するけど、要は均一に力を込めれたら上手くいくのね、手振りも。ニャンコさんの手って自然にこうしてはるのね。こうやると手だけと違って全身使って遊べるんやな、ニャンコさんはね。そういう感じでしてみて色々やってみてください。そしたら手振りも全然変わります。光がぎゅっと。

宮野さん:それは鷹の爪の共通点ですか?力を入れないで分散するっていうのはそういう事でしょう?

河上さん:鷹の爪の方がやりやすい人も居るし、このニャンコの手の方がやりやすい人もいるから今ちょっと言いました。

質問:音声では鷹の爪の意味がよくわからなかったのですが。

河上さん:中指と親指と小指をくっつけます。

質問:最近、動きのものが、音声じゃちょっとわかりづらいのが多くて。

河上さん:鷹の爪というのは中指と小指と親指をくっつけます。つけた状態でやられて後、自然に離れていったら離していったら良いですと言うだけです。

質問:唐辛子ではないですか?

河上さん:えっ?(笑)

質問:検索したら唐辛子が出てきたんで。

河上さん:あぁ、そうそう。鷹の爪は唐辛子やであれは(笑)いや、ちょっと意味違うけど。むちゃくちゃウケてるし、今(笑)

質問:一応検索をしてみたんですけど。そのポーズが出てこなかったので。

河上さん:それは出ません。これは鷹の爪というのは大東流の技の一つなんです。大東流と言って合気道のもうちょっと大元の流派があるんですけど、その技の中にこの鷹の爪という手の形があって。要するに均一に力を込めるための技で。この形の変形が当身の手なんです。当身というのは殴るんじゃないのね。相手の健康になるところに光を通すのが当身なんです。当身されて気を失わない人ってあるんですよ。それ何かと言ったら本当に健康な人。普通はどこかが悪いから当身をされて気を失って、その間に体が修復される。その当身の形のちょっと手前がこのニャンコの手なんで。追い追い全部出しますけどね。あまりいっぺんに全部言っても困るからまずはニャンコの手で慣れてもらって。そしたらいずれどうしても当身の手を知りたいってなったらその時にまた教えます。

質問:そうやって体を使うっていうのが祈りにも大切と言うことですか?

河上さん:結局、力んでるという事は意識がどこかに滞っているっていうことでしょう。意識がどこかに滞るっていうのは自分があるということ。忘我の無我夢中で仕事をしている時って疲れないね。それはどこかに力を込めていなくて、均一でやってるから。要するに光が均一に通ってるから。

 だけど自分が何かをしましょうって時は肩凝るやろ。嫌やなと思って仕事をしたら肩凝るやろ。肩凝る、足釣るとかな。それは1カ所に力がこもってるんよ。だからあまり形を言うのもアレなんだけど、形もある程度いるから言っています。先生は手振りの時に誰も聞きに来ないから、そのまま終わっちゃったんだけど、本当はここまで説明をする必要があった。



令和3年12河上さん勉強会−3(20211212−3)


質問:骨の継ぎ目に光が入るっていうのはどういう意味なんですか?

河上さん:結局、その入れ子構造ですから、その空間の響きが凝縮して物質ができるのね。いわゆる仮凝身(かごりみ)の働き、限身(かげりみ)の働きってなるわけですね。仮凝身(かごりみ)から、限身(かぎりみ)に変わる所で、限身(かぎりみ)になった時に初めて骨と肉が現れるの。で仮凝身(かごりみ)ところは、そのちょっと手前なの。

 その仮凝身(かごりみ)の働きの部分というのは骨と骨の間なんでね、それで言ってます。

質問:細胞同士の?

河上さん:なんていうの、その光の干渉でこう筋が出来るじゃないですか?分かるかな?グラデーションっていうの。光の干渉で、ああいう光の干渉で肉体を作ってるだけやね。だから神さまの方から、光をポンと切ったら肉体がスッと消えるの。

 だから、今回も先生はその肉体を残してあっちに行かれるのに苦労されたわけ。ポンと切ると肉体毎(ごと)消えるのでね、それはそれで大騒ぎなので、色々とお前もこうゆう風にするんやで、みたいなね(僕に教えるのも兼ねて)、なったんですけどね。残し方はもあるって言うんですけど、仮凝身(かごりみ)の部分ですね。

 普通は深くお祈りしてて、プンと切ったら屍解仙(しげせん)って言うんですけど、突然肉体が消えちゃって終わり。老子さまの時はそうされた。だから老子さまは何時生まれて、いつ死なれたか分からない。維摩先生の事ですけどね。維摩先生の最後が分らない、消えちゃって。

質問:維摩先生は消えてまた老師さんに戻られた?

河上さん:いや違います。老子さまに現れて、そのままインドに来られて維摩先生となられて、お釈迦さまの家庭教師になった。

お釈迦さまの先生だから、お釈迦さまのお弟子さんは維摩先生を恐れた、太刀打ちならんから。維摩先生は面白いから、からかわれる訳ね、お釈迦さまのお弟子さんを。

「お前は何で托鉢をするんだ?何でお釈迦さまは金持ちのところに行かずに、貧乏人のところに托鉢に行けって言うんだ」ってイジメるの。色々有りましたけど。

質問:道元さんや空海さんが、中国大陸にわざわざ行かれたというのは何か行く理由があったんです?特別な?

河上さん:いわゆる師から弟子、まあ弟子では無いんだけど、真祈りの伝授やね、真祈りの伝授で真祈りが出来る人は、当時は中国におられた。それだけです。

質問:学びに行かれた?

河上さん:学びというより、伝授を受ける宿命というものを受ける側も知るんよ。宿命的に出会うようになるの。だから出会う為には、どんな困難も厭わんわけよ。肘を切り落とすのも厭わんし、雪の中に立ち尽くすのも厭わんし。向こうは向こうでホンマに伝授受ける気かどうかを知るために、冷たく当たるしね、厳しく当たるしやね。

 その逆もあって、達磨大師は真(まこと)の伝授を受けれる人間を作るためにね、面壁(めんぺき)九年されて足腐る迄座られたという、有るわけですよね。色んな、要するに神さまの光を地上に降ろすために、先生方はみんな苦労された。結局は人類のマイナスを、その形で消して行かれて、初めて出来るみたいな。

 今回は多くの人に真祈りを伝授出来る様にやっと来た。それまでは本当に一人か二人しか、殆ど一人にしか受け付けれなくて、大変だった。それ位、人類の意識が神さまを見ていなかった。神さまに向かすために南無阿弥陀仏を教えたりね、色々有るの。

 まず仏さまって思ってくれない、そっからが大事。だってその時代だったら、本当に神も仏も有るものかっていう位、大変な事が一杯あるわけね。盗賊に襲われて殺されたりという(理不尽な)事が、一杯有るわけでしょう。その中で神さまが有るんだよって言ったって、何でこんなに大変なのにってなるの。

 だからどんなに悪い事をしてても、1回だけ南無阿弥陀仏って唱えたら救われるよって騙してでも言わさんとあかん。1回でも言わさなあかんのね。だから印可書も1回だけは何とか読ませたいから、色々と苦労している。

質問:そこで悟られた妙好人の方々は、今どうしされてるんです?

河上さん:こないしてみんな集まっている。ホンマみんな懐かしいの、全部過去の事言っても良いんだけど、それを言うと又、ややこしいから、もういいやん。理屈抜きにこう集まって来てるやん。理屈で考えて来てないでしょう?みんな。まーみんなが受け取れる光の強さに段々強くして行ってるんだけどな。強く出来るようになって嬉しい。最初はあんまり強く出すと眩しがって逃げて行くの。今は強くしても眩しがらへんから良かった。

 印可書は光強いからね、中々最初に拒否する人多いいの。で、後半付けて光を弱めて、弱めたというか、弱い部分から強い光にスッと行けるように作ったわけね。完成させた。

 先生がお作りになると、強い光だけやねんな。だから最初の印可書は本当に強い光。で、あれをわざと縦書きにして弱めて見たり、工夫したんやで、横書きは光強いからね。

質問:お祈りとか護摩木を書く時に、強烈に眠く成る時が有るんですが、それは寝不足?

河上さん:ううん、じゃあなくて護摩木はみんな自分が書くと思っているけども、護摩木書く時は真(まこと)の神さまが降り立って書かれますっていう、先生と神さまとの約束で始まっているからね、その事実を知る知らないに関わらず神さまが降り立つの。だから騙してでも護摩木を書かせとか色々言うんだけど。

質問:その時に凄い眠い時が有るんですけど、それは寝不足?(笑)

河上さん:ううん、雑巾役でみんなの思いを背負っているのを、消す為に眠くなります。

質問:とんでもなく眠いんです。

河上さん:その時は寝て良いです。無理に起きて無くても大丈夫。その辺は自由自在に行ったら良いんですよ。ただ、どうしても起きて仕事しないとあかん時は、それなりに又、頑張って貰ったら良いけどね。

宮野さん:書きたいけど、眠たくなるんでしょう?

河上さん:そう、そうなる。それでも一枚でも書こうとするのが大事。印可書でも奉納したくても読めない人が結構いるんですけど、冒頭だけでも良いよ、一行だけでも良いよって何時も言うじゃあないですか?それが大事。

質問:そういう眠たい時っていうのは、見えない所ではどういう事が起っているのですか?

河上さん:みんな雑巾役でね、マイナスを身体に、肉体というより幽体ですけど、幽体に吸収するんですよ。吸収したままだったら病気になるんで、神さまの方は綺麗にお清めしてくれるの。お清めする時に、痛いなとか、暑いなとかね、要らん事思われると邪魔なんで、眠らせるの。眠ってたら何も思わへんやろう?で神さまがサッとするの。

 例えば大怪我するじゃあないですか、大怪我すると気を失うやん?それは何でかと言ったら、神さまは大怪我したらドンドン直してくるんですよ。でも痛い、こんなんじゃあ死んじゃうって、要らん事を思うやん。だから死んじゃうっていう思いを眠らして、消して修復するの。

 だから動物は要らん事を思わへんから、大怪我してもペロペロ舐めて治すやん、な?こんなん血が出たら死ぬはとか思わへん。ペロペロと舐めて治すでしょう?で、人間の方で木綿針で、糸で、あんまり大きい傷だったら縫うてあげるのね。縫われても怖がれへんから、それで治っちゃうね。人間だったら、こんな木綿針で縫われてどないするねんって、要らん事思うやん。

 今年は思い切り寒くなる。ドカ雪降ると思うんですけど、その時は地震の代わりになるの。ちょっと不便ですけど、文句を言わない様に。

宮野さん:逆に雪が降らなかったり、暖かかったらやばいという事ですね?

河上さん:必死で印可書奉納していて下さい。

宮野さん:この頃地震が頻繁に起こっている状態だとか、コロナの新しい株、何?

河上さん:あー、オミクロン株、おみくじ株って呼んでますけど。(笑)

宮野さん:それ言うからややこしくなる。

河上さん:その人にとって吉と出るか、凶と出るかおみくじや、マイナスに反応するだけ。只、皆さん方の真祈り次第ですけど、真祈りしていたらね、重症化しない、普通のインフルエンザ並みで収まって行くと思うんですね。だからひたすら印可書を奉納していて下さい。

宮野さん:巷でうわさされている冷凍食品について、触るだけでも感染していくみたいなうわさが流れ倒していますけど、あれも・・

河上さん:あれはね、冷凍食品がじゃあなくてね、ちょっと別のウイルスなんですよ。只、ウイルスっていうのを検出するのが凄い難しいのね。実際に今大騒ぎした前のコロナのウイルスすら、実際に抽出できた例は無いんですよ。要するに特定できてないの。

 まー多分これがそうやでって言うて来てるの。それ位ウイルスっていうのは研究しにくい。今回も一緒で、遺伝子構造分析してどうこうって言うんですけど、完璧に遺伝子構造分析し切れない、今の技術はね。逆に言うとね、分析したところでね、それがコロナかどうか確認しようが無い。分析する時はそのウイルス死んでいるから、。このウイルスはこの遺伝子構造だったっていうのは分かるけど、じゃー、そのウイルスがコロナのウイルスなのかというのを特定する方法がない。

 極端に言うと、もうコロナでバタバタ死んでますっていう位になったら、コロナだらけでしょう。だからある程度特定できるけど、どんどん押さえてしまったから、お医者さん研究する暇がなかった。天然痘の時は、本当に天然痘が一杯あったじゃあないですか?だから特定できた。天然痘もウイルスですけどね。その辺は本当の事言うとそうなんだけど、じゃあ特定できてないから心配せんでも良いじゃないかっていって、不衛生にしたらね、又、広がるじゃあないですか?だから大変だ大変だって言って、みんな手を洗いなさいとか、衛生的にしなさいとか、先ずさせなあかんから大変を先に言うの。

 只、あんまり先に言うと、こんどは怖いってマイナスを出すでしょう?で本当にマイナスになるし、中々難しいところが有るけど、皆さんの真祈りで変えられる、大丈夫。

宮野さん:と言う事は今回その両方だし、頻発してる地震の件、それと紐付けて考えられている火山と南海トラフ、津波の事とか言われていますけど、それも不安に思う事なく、一番

河上さん:そうそう、神さま一番良いようにされる。真祈りと言うのは、先ず神さまが一番良いようにされるなんですよね、何が起こっても。すると何も起こらない。要するに何か起るというのは、人間の側の勝手なマイナスで引き起こしているだけよ。神さまはね、良いように良いようにしかしてこないから、収まって行くばっかりやね。そうなのに、例えば風邪ひきで熱を出して収まって行くの。でも人間の側が勝手に「こんな40度の熱が出てどうするの大変やわ」って言って大変にするの。「あー、熱出てよかった。神さまが治して下さった」って思えば良いのにな、思えへんな。「しんどいは、どうするの」ってそういうもの、風邪で説明するとね。地震でも何でもそうなんですけど、神さまは収めるばっかり、戦争でもね。人間がやって、余計引きずるの。そのどうして引きずるかというのが、過去の経験に基づいて良い悪いって判断する事で、マイナスを作っているの。

 只、過去の経験に基づいて良い悪いって判断しないんだったら、どうして生きて行くのってみんな、右往左往じゃないですか?それで印可書が出たという事です。

宮野さん:それはあれですね?右往左往じゃあなくて、印可書が出来ましたというのは、それは印可書を読んでいれば自然と何をするのが良いかというのが、過去の経験ではなく湧き上がるという事ですね?

河上さん:湧き上がります。ハイハイ。で真祈り人になると、それが一瞬で湧き上がるようになって来る。最初はやっぱり要らん思い、出すからね、自分で。湧き上がって来たのに気付きにくいだけ。でも印可書どんどん奉納してくれたら、要らん思い、出さない。そしたら自然にこうしようってなるの。

 最初はね、印可書を読んでて、こうしようと思っても、これで良いんかなって要らん思い足すのね、それで迷うの。だからこうしようと思ってやって、アカンかったらアカンでやり変えたら良いね、っていうもっと神さまが良いようにされるから、どうなっても良いようにされるからって、先ず全託ですね、投げ出すって言うんですけど、それが必要です。

 で、何で投げ出せるかといえば、何時も言うように神さまと不離一体の自分だから。不離一体でないと思っているだけやからね。それで身心脱落(しんじんだつらく)なんです。ある時、突然自分というのが、雪が解ける様にがさがさと崩れて、表面から消えてね、本物の自分が現れる、それで身心脱落って、それで脱落って書いてあるねんけどね、中々あの身心脱落の意味がみんな分かれへん。

質問:寿命の話なんですけど、昔の時代の人は800才とか生きられてたという記述が有るんですけど、そうなると1年が1月みたいな感覚になるんです?

河上さん:違います。違うんだけど、何かというと、いわゆる俳優の演技したいという人が増えてきたわけよ。一杯下に降りて、演技したいという人が増えて来たから、そしたら舞台多く作らなあかんや、それで変わりべんたん(入れ替わり立ち替わり)順番にね、入れ代わり立ち代わり新しい映画作らなあかんや。すると寿命短くせんとね、回転せえへんやろう?それで短くしただけ。

 今は性欲で和合して子供が生まれるでしょう。だけど800才の時は、本当に空中から人間が現れる形。で死ぬ時も屍解仙(しげせん)って言ってね、スッと消える形の時代になると800才。

 色々とみんなの自由意思を神さまが尊重されて、みんなが遊びやすいように遊び場を作り変えたようにしてるだけです。

 地獄もこの世も一大アトラクションですから、この世では楽しみ少ないと言う人は地獄に行って楽しむ。要するにこの世だったら簡単に死んでしまう、無茶したら、終わってしまうから面白くない。というと、(地獄では死んでもすぐに地獄に生き返るから)地獄に行って何回でも生き返っては、針山登る楽しみがあるわけ。或いは、鬼さんごっこ、鬼さんが追いかけて来て鬼ごっこしはる、逃げ回らなあかんという。

質問:確認なんですけども、分るっていうのは凄く落とし穴が有るって思っていて、分からなくてもそれが一番良いですし、先ず真祈りをするが一番大切っていう風に、それでもひたすら祈るっていう。

河上さん:そうです。それで良いです。結局ね、分かるっていうのはやっぱり神さまを信じていない部分なんですよ。要するに分かったっていうのは違うね。神さまから一瞬一瞬新たでしょう?分かったっていうのは結果やね、それは一瞬一瞬新たと違うね、もう掴んでいるね。だから本当に自然法爾(じねんほうに)って書くんですけど、自然にね、自然に動く形が良い。合気道でも相手を投げようとか、倒そうとか思わない。相手が来たら自然に動いてさばけるっていうのが理想なんですけど、その辺説明のしようが無いね。

宮野さん:不離一体。

河上さん:そう。結局不離一体だから自在なんですけど、それは先生の言う「すべては真(まこと)の神さま、(真(まこと)の神さまの御働きだけ)、真(まこと)の神さまだけ、真(まこと)の神さま以外は認めない」という事なんですよね。
 11時で終わろうか?何か早く終われそう。(笑)

宮野さん:何か質問がしたいけど、持っている方がいらっしゃると思うけど。

河上さん:もう、代わりに答えて。

宮野さん:いやいや、聞いて上げて。

河上さん:いやいや、だから質問待ってます。ありますか?

質問:今年は丑歳で本物が現れる歳だったんですか?

河上さん:なんて言うんですか、いよいよ本物が動き出す。来年は来年の働きや。

質問:来年は虎で広がって行くという?

河上さん:一日の日の勉強会のお楽しみという、(笑)今言っても良いんだけど、今言ったら1月1日にもう来いへんで。(笑)もう言ったしな、もういいやんって。

質問:ありがとうございます

質問:全て神さまが一番良いようにしてるって事であるならば、何もしない方が良いのかっていう事が出て来るんでね。でもさっき一万人というお話しが出て来たので、私などはやはり海外に目を向けたいとか、或いはこの前、カフェで隣に座ってた留学生みたいな人が、英語喋っていたら良いなと思って、自分も話せたら良いなとか、或いはその方々に向かって印可書を唱えて、何らかその世界に印可書が広がれば良いなとか、そういう事を志向したいと思うんですけど、それは大丈夫ですか?

河上さん:結局、何で昔ね、先生がお前は喋るな、早急に過ぎるからまだ喋るなって怒られたかというと、神さまが一番良いようにしてるって言うとね、じゃあ何もしなくても良いんだという人が増えるんですよ。

 昔で言うと、南無阿弥陀仏と言うだけで救われるっていうと、人を殺してから南無阿弥陀仏って言う人が増えたの。そういう勘違いが出るんでね、それで何も喋るなって怒られた。

 先ず祈って祈って、みんなの心を神さまに向くように響かしてからって言って怒られたんですよ。要するに神さまが一番良いようにしてるってって自覚というのは、神さまが無限創造、絶対創造そのものっていうのが分らなくっちゃあいけないね。

 要するに神さまに全託出来るから、神さまが一番良いようにしてるって分かるんであって、全託もしていないのに、神さまが良いようにするんだったら、何もしなくても良いっていうのは、全託していないでしょう?神さまと自分が離れているじゃあないですか?

 神さまと自分が離れている人は、神さまが一番良いようにしてるって、先ず思えないのに、思えたふりして騙すわけ。で、余計地獄に落ちちゃうの。それでお前何も喋るな、要らん事を喋ったらあかんって言ってね、ずーっと封印されてたわけです。

 あんまり先輩風吹かす気はないですけども、先生と一番最初にお会いしたのは多分僕です。それで色んな事を受けたのも僕です。だから大先輩であるわけですね。だけど、その大先輩であることを知ってても聞こうともしない、というのは小さい自分の意識があって、神さまを信じ切れない人なんですよ。

 神さまを信じ切れないと、例えば呼吸に宇宙神ありがとうございますを込めたら良いって言ってもね、込めたって何も変わらへんやないか?或いは、印可書を読んら良いって言ってもね、印可書を読んでも何も変わらへんやないかって言いだすの。

 その全託させるところ、全託というのは別の言い方でいうと、自分がする、自分が祈る、自分が何々するっていう自分をどうして消すかですよ。要するに自分というのは神さまと分けた意識ですけどね、神さま以外に自分が有るという意識なんですけど。それをどうして消すかという処に全てかかっているの。それが消せない内はね、神さまが一番良いようにしてるって言えなかったの。もうそこなの。

 でも今だにね、自分を消せない人がいますから、自分が消せない人から見たら、神さまが一番良いようにしてるってっていったら、そしたら何もせんでも良いんやな、寝てたら良いんやなって平気で言うの。それがどんなに恥ずかしい事かも気付かないの。それは何でかと言ったら自分がが有るから、神さまが一番良いようにしてるって事は、自分は神さまのお手伝いしてるわけや、もし神さまと自分をちょっとでも分けててもね。

 自分が神さまのお手伝いしてるわけやから、神さまが一番良いようにしてるんやったら、神さまが一番良いようにされるように一生懸命お手伝いしようってなるでしょう?寝ててはいない、何もしなくては良いじゃあ無いですか?ね?

 で、その神さまのお手伝いの方法でみんな困るわけ。神さまのみ心に添うのが良いんだよ、全託というのは神さまのみ心通りにする事だよって言っても、神さまのみ心って何、分らへんやってなったから、印可書を奉納してたら、響いてくるから、でも響かなくても腐らなくても良いよ。私、印可書を奉納しても何も分からないって泣かんでも良いよって。印可書さえ奉納していたら、後は普段の生活しても、神さまのお手伝いにすいよっていう神さま、先生の愛なんですね。もうそこだけなんです。

 だから勿論、印可書を多くの人に知らせたいというのは良いんですけど、一番大事な事は、普通の宗教は相手の自由意思を縛るんですよ。でもここは本当の宗教というと又、喧嘩になるからあんまり宗教と言いたくない、お清めだけの響きなんですね。それはお清めの響きというのは、一切相手の自由意思を縛らないの、中から変えていくの。

 これは例えばセールスでモノを売る時でもそうですけど、これ良いから買ってや(買ってください)、って言っても、相手は絶対に買わへんの(買わないの)。

 相手が、電化製品でも服でも何でもそうですけど、自分がこれは良いって(値打ちのあるものだと)気に入った時に初めて買うの。分かる?自分の自由意思で(これは値打ちのあるものだと)決めなくっちゃあいけない。

 印可書もその人の自由意思で気に入って貰うしかないの。気に入らす方法は、こっちがひたすら印可書を神さまに奉納するだけなの。そしたら潜在意識に入って行って(みんなが)気に入る。(ようになる。)

 テレビショッピングってあるでしょう?あれはね、相手の潜在意識に入れるのが上手いの。なんやかんや言ってね、何かそれが凄い良いように思ってくるね。こんな手に乗る物かってこっちは見てるわけやで、ああやこうや言って、何言うてるん、そんな手に乗るものかって思ってるけど、なんか見てたら最後(すごい値打ちがあるように思ってしまって)買いたくなって来るのね。(笑)あれが潜在意識に入って来る。

 それをね、テレビショッピングでなくて、本当の印可書を奉納したら、本当に人類の心に入って、そしたらみんなね、争いごと止めて助け合うのが一番やなって(心の内側から)分かって来る。だから先ず印可書を奉納して行ってください。そしたら全ては解決する。ありがとうございます

質問:ありがとうございます

宮野さん:さっきの方の話は、やっぱり皆さん多分思ってらっしゃる事かなと、良い質問です。肉体それぞれの個性が有って、それぞれの花が有る。それぞれの舞いが有ってというのは、それぞれの方の色を活かすためかなと。なので印可書を唱えていて、じゃあその方が何をするかを湧き上がるように、その時に印可書を伝えたいと思えば、それは印可書を伝えるようなタイミングが出来ると思うんですね。こちらがしたいと思わなくても、お祈りしてた時にそのチャンスが無かったら、それは今の時期じゃあないんだと思うし、それぞれを神さまがお使いになるんで、何もしなくてもっていうのは、お祈りをしてたら勝手に沸く上がるんで、それを一つ一つ息をしてるだけでもお祈りになっているというのが、神さまのお役に立っているという事だと思うんです。なので全然印可書を読めない方、海外の方なんか勿論ご存じないと思うけども、それでも神さまのお役に立っているでしょうし、先程の方のカフェで横に座られただけでも、お祈りの波がその方には浸透していると思うんですね。なので伝えようという、神さまのお役に立ちたいという思いそのものが、神さまのお手伝いに繋がって行くのかなと、思います。

河上さん:だから肉体側の小さい意識でみるとね、ドンドン配らなあかんとか、色々と考えてしまうわけですけど、神さまが一番良いようにするからね、ひたすら印可書を奉納してたら必要な動きが自然に出来ます。

 何も分からん時は印可書を奉納して、普段の生活、仕事をされてたら良い。でもどんどん変わりりますから大丈夫。

 合気道がそうなのね、もうこんな形の上の練習だけしててどうするの、と思う位繰り返しさせられるんですよ。ある一定の時期を超えると、それだけで何でも出来るようになる。そういうもんです。だから印可書を奉納という形だけの練習ですよね、ある意味ね。でもしてても(ある日)突然変わりますから。

 先生から空手教わった時も、巻き藁、突くだけで良いんやって言う訳。それ以外しなくて良い、それを突く事によってある時、(はっとなんでも出来るように、わかるように)分かるわけですけど、そういうもんです。でも印可書奉納は楽ですから、ぜひ続けていって下さい。



令和3年12河上さん勉強会−4(20211212−4)

河上さん:まあ、あの時間もあるんで、もう昔はね(先生が奥様と結婚される前はね)、その日本刀の振り方も教わりました。懐かしい話ですけどね。日本刀というのは峰が弱いのですね。この刃の方から切ることについては凄い強いけど、逆にして打ったらもうすぐにダメになるんです。だから振る時でも、常に前切って後ろを切る時でもね、常に刃が下になるように、この上でも持ってなくちゃいけないのね。もう横にしたらあかん。振り下ろすときは必ず刃が下になるようにね。で寸止めが出来なくちゃあいけないの。何でかというと峰打ちって有るでしょう?映画で。あの峰打ちは寸止めしているの。ホンマに峰で打ったら日本刀駄目になる、とかね色々教わりました。あんまり言うとみんな羨ましがって、妬むから言えへんけど。奥さんと結婚される前の話です。

 今でも思うけど、東大阪のお家は寒かった。(笑)こんな小さい電気ストーブ一つポンとあるだけで、寒いから点けるかって、いやもういいです言うて。そんなん点けても全然温かくないしみたいな。よく奥さん結婚されて、あそこにお住まいなられたと思ってビックリする。あんな寒いとこよう住んでいはったと思って。

宮野さん:こことどれ位?

河上さん:ここと比較ならんくらい寒い寒い。だってすきま風だらけやもん。

宮野さん:外出たらこっちの方が寒いっていう事ですか?

河上さん:やっぱりお清めの場所にしてはったからね、色んなものが集まってそれで余計寒かったと思うわ。先生のいらっしゃる場所、今だったら先生のお部屋がね、お清めの場所になっているから、もう大変よ。あそこ入るのも命がけや。

宮野さん:いいね、光一杯になるから、お祈りされてね。すると向こうがお清めの場所ならこちらは?

河上さん:ここは真祈りの場所やね。要するにここは完全に増幅器になっている、護摩の会場と一緒で。だからここで真祈りしたら凄いし、ここで嫌やったわー、辛いわーて言ったら、それが増幅される、それだけです。

宮野さん:それは鳥居みたいな反応ですね?

河上さん:そうそう、鳥居と一緒。神社もそうですよ、神社も増幅器なんでね、神社でお祈りをするのはホンマは真祈り以外したらあかんの。だからお祭りって、秋祭りって神社でするでしょう?だから喜びだけでしょう?要らん願い事しないやん。豊穣を願って、穀物がお米が出来て良かった良かったって、みんなでお酒飲んで喜び合うんでしょう?だから喜びを増幅して良くなるのね。で神社だけやったら追い付かんからっていって、だんじりや神輿にして村を回るわけでしょう?喜びをドンドン振りまくってね。

質問:このお祈りの部屋で時には、発送の物を袋に詰めたりとか、いう事にも使われている・・

河上さん:うん、そうそう、だから光を発送する事をするから良いの。

質問:でその時にはあんまり雑談とかされている方とかはいないんですけど、その時のちょっとした発言だとか、そういう事も増幅して行くのでしょうか?

河上さん:だから発言された方が、責任もって処理して行く事になるだけです。自覚しているいないに関わらず。

質問:気を付けます。(笑)

河上さん:まあ大体、村全体がそうなんやけどね。

宮野さん:何処にいてもという事ですか?

河上さん:うん。

宮野さん:という事は、護摩の時の後の直会の時に、喜んでこう楽しくやっていると、それが増幅されて・・

河上さん:そうそうそう、だから先生ここで直会しなさいっていう事やね。それで逆に難儀な目に遇ってね、辛いねんってここに来られる方もおられるわけですよ。それはみんなが真祈りして上げたら良いの。

 今までは先生お一人に任せてたのね。だからみんなで真祈りして支えて上げたら良いだけよ。だから私印可書読まれへんの、という人の為に印可書を読むだけ、な!それだけやね、それが真祈り。

 あいつ不満を言いに来よった、というのは真祈り違うの。真祈りの会も一緒や、真祈りの会に苦しいからって来られる方がいる訳で、その人らの分を全部自分が引き受けて祈る、自分がっていうのも違うだけど、祈るっていうだけ。

 その祈るっていうのが、今まではどうして良いか分からなかったから、印可書を奉納するだけで済むから、簡単になったのね。

宮野さん:真祈りの会で、辛いから来られる方に対して、マイナスにそういう風に思わない方が良いよって言わない。それはもう自由意思を縛っているから・・

河上さん:うんうん、言う必要ない。大変やねー(だけ)で(他は他に言うことは)必要ない。先生そうだったでしょう?先生そうだったでしょう?色んな方が来られても一緒に泣いて、一緒に怒って、大変やったなってされただけや。そんなん思ったらあかんって言えへん。

 僕聞いている限りは一度だけ、電話でね、主人が浮気してしてね、相手のそのクソ女がおるためにね、主人が誘惑されてどうのこうのいう電話だったね。三洗荘の頃ですけど、琵琶湖の畔の頃ですけど、先生がずーっと電話でふんふん、大変やな、辛かったなって聞かれて、最後に一言だけ、どんどん先生お祈りされて清めていかれて、相手の心に本当に入るようになってから、最後ぽつんと「でもその女の人も神さまそのものやんやで」って仰った。それでもうスッと収まったみたいですけど。

 それ位、もし相手に言うにしても、こっちが命がけのひたすらなる真祈りが要ります。だからうっかりこっちが言ってしまってね、相手に反発されたら、本当に自分の真祈りが浅かったんやって反省して下さい。真祈り最強ですから。言いたかったら言っても良いんよ。

 でも相手が反発して受け入れてくれないというのは、自分の真祈りが足りない、浅い。でも神さまのお手伝い出来るから嬉しいしな。

質問:村に来ると夜空が綺麗で、何時も星空を眺めるんですけど、パッと見てすぐ分かるのがオリオン座なんですけど、オリオン座の謂(いわ)れはどんなもんですか?

河上さん:オリオン座ですか?オリオン座の謂れは太陽系で言うと火星になります。

質問:星が三つ並んでて、唯一分かり易くて

河上さん:三つ並んでいるのは、神さまの三大根本神力の働きの配列があの形なんですね。だから、地球上でも大事な場所は大体あのオリオンの三ツ星と同じような形で山が並んでいます。わざわざ造ったんじゃあなくて、そういう創造の働きからするとそういう形に。だから地図で見るとね、そういう三ツ星の形に並んだ山があっちこっちに在ります。それこそ無数に。そうゆう風に意識してみたら見えます。だからあんまりトンネル掘るなというのは、そういう三ツ星の山にはトンネル掘りたくないの。それが地震を治める、地球をまとめる働きになっています。オリオンの三ツ星みたいな形で大宇宙を纏める働きも色々有ります。あるけど、今はそんなん解明してる暇じゃあなくて、先ず真祈りで地球をね、地球の方がそれどころじゃあないんで、はい。

質問:後、流れ星とかは昨日2つ見たんですが、何か意味が有ります。

河上さん:流れ星とかはいわゆる、映画で言う場面が変わるのを流れ星とか彗星で表現ます。だから彗星が来たり、流れ星が流れると大きく場面が変わって行くんです。だから第1幕が終わって、これから第2幕が始まるよ、みたいなね。だから何とか流星群が来たら又、世の中変わるでしょう?流れがね。そういう感じの、何と言うんですか、象徴的な、天象地象人象って、天の働きと地の働きと人間の働きが全部入れ子構造で連動しているんでね、そういうもんなんです。

質問:別に願い事を唱えなくても・・

河上さん:願い事は、だって神さま一番良いようにしてるんだもの、願い事は要らない。みんなね、願い事をせなあかんというのが、どんだけ神さまを侮辱しているかって気付けへんね。神さまは全知全能だから、その人にとって必要な事は全てお分かりで、必要な事は全てされているのにね、要らん事を願うね。で願った分だけ自分が苦しむ。

 例えば何時も言うように、100人の人に1個づつのアンパンでしょう?でも3個食べたいって願って3個食べたら、3人が飢えるわけでしょう?で願い事を叶えたために自分も苦しむわけよ、最後はね、又。

宮野さん:きっとね、それを受けるとね多分、みんなの幸せを願ったら、その願いはええんちゃうかっていう風に勘違いされるね。人類が平和でありますように、家族が幸せでありますように、健康になりますようにとか、自分以外の事、人の事を願ったら良いんちゃうかって勘違いされる。

河上さん:だから今までの虚の世界の教えっていうのはね、光を強めるとみんな逃げて行くから、願い事は叶うよ、希望実現の法則が有るよって、だまさんと神さま振り向いてくれなかったから、それでそういう事を言ったのね。で多くの人の幸せを願うのが良いんだよとかね、いうのは今までの虚の世界の教え、要するに光を弱めざるを得なかった時の教えです。 

 でも先生がね、因縁因果の輪を断ち切っちゃったでしょう?だからもうそんなんも言ってる暇もない、だけなんです。真祈り人の力で一瞬に変えようと思う。本当に一瞬で変わるから。

 先生のお言葉で言うと、片栗粉をね、熱湯をいれて熱き祈り(熱祷→ねっとう)やね、熱湯を入れて(かき混ぜたら→左旋回の眞祈りをしたら)溶けたら一瞬で透明になるじゃあないですか、なる直前までは濁っているのね、突然透明になるでしょう?

 だからみんなの熱き祈りがいるって何遍も仰ったんだけど、皆祈ってくれなかった。でも(今は)みんなの熱き印可書奉納が要ります。ハイ!

宮野さん:お正月初詣に行って神社でする事は・・

河上さん:ありがとうございますだけ、印可書奉納だけ。

宮野さん:印可書すると沢山人が来はるから、

河上さん:だからありがとうございますだけを唱えて歩いてきたらいい。神社行くのに歩かなあかんやろう。

宮野さん:向かっている所から印可書を唱えるなり、宇宙神ありがとうございますなり

河上さん:そうそう、一歩一歩、自分なりにやれる方法でしたら良い。止まって立ち止まって祈らなあかんというのは捉われです。

宮野さん:それは登山の時と一緒という事ですね?

河上さん:そうそうそう、昔やったら六根清浄って登るじゃあないですか?あれや。頂上で祈るんと違うやろう、登る時から祈る。分かってる?登っている時から祈るんやで。(笑)

宮野さん:極(ごく)一部(の関係者だけに)しか分らへん(つっこみや)わ!(笑)

河上さん:ちょっと突っ込み入れてみました。(笑い)

質問:初詣となると三が日でなければいけないとか、そういう縛りが有るような、世間的には感じるのですが、何時もの平時に行くのと、お正月という時に行くのと何か違うという事があるのか、それとも縛られることは無いのか?

河上さん:違いは無いです。だから松の内って言って、本当は15日迄に行ったったら良いだけにしてあるのね。だけどみんな仕事の都合とかね、家族全員集まっている時いったら、この三が日のどっかしかない無いみたいでね、みんなで行こうとなると三が日になって行っただけですね。特に昔は奉公人は盆と正月しか休みが無かったでしょう?で余計そうなった。

宮野さん:という事は初詣として特に行く必要は無いという事ですか?

河上さん:そうそう、折角家族そろったのに行こうや、という感じから始まったわけ。本来は初詣でなくてお家でね、お家で神さまお迎えしてお祈りするっていうので、三が日は火を使わなかった。

宮野さん:歳神様?

河上さん:そうそう、その為におせち料理を作ったの。火を使ってもあかん、台所を使ったらあかんのね。それでやったんですけど、それは何でかというと、お月様が三日からしか姿現さないのね。一日二日は姿ダメでしょう?そういう感じで神さまの働きは三日目から出て来るから、その三日間はひたすら祈るみたいなね、そういう事でしてたんですけど、それが忘れられて色々とこう。過越し(すぎこし)の祈りって言うんですけど。でも今はそれを印可書奉納で替わる、要するに因縁因果を断ち切ったから、因縁因果の時代は過越しの祈りで、年の変わりに毎回(家長が代表して)神さま新たにお迎えしてみたいな事をしたわけです。

河上さん:因縁因果の輪を(切った)を別の表現で言えば、無限の借金を帳消しにして貰ったという事ですか?

河上さん:帳消しともいえるけどね、要はみんな地上のアトラクションで遊んでいるじゃあないですか。一旦お家返っておいでよ、お家帰ってご飯食べやって言ってる感じですね、遊ぶの止めて。ご飯だから帰っておいでって、神さまが仰って下さっておられるわけ。人間の側から戻ろうとしているというよりは、神さまが返っておいでって言ってる。で、一旦帰って、又、遊びに行きたい人は行くだけなんですけどね。だけど一旦引き上げてきれいにするんです。その引き上げ方を、緩やかに継ぎ目なく、行きたいなーって思ってるだけで。色んな引き上げ方が有るのね、そのアトランティスの沈没とかね、火山噴火したとか、地軸が傾いたとか、色々人類がやってきたわけですけど、というより人類がどうしようもないから、神さまが一気にポンとされたわけですけど、今回は人類の手で、みんなの真祈りでするっていう事で、緩やかに行けるはずなんです。

 これ神さまにお任せしたら、パンといってお終い。最初に言ったみたいにタコ糸パンと断ち切って、綺麗にするみたいなね。だけど今は、みんなの手でもつれた糸を解きましょうとしてるわけ。

質問:輪廻転生を無くして、一旦戻るようにして下さったと。

河上さん:だから地上に残れない。地上無くなるから。漆黒の闇か、真(まこと)の世界しかない。その漆黒の闇に行ったのも全部引き連れて来いっていうから、ちょっと難儀してます。それならちょっと腐らしてそこが光るようにしとくから、見えるやろう?

 見えたの連れて来いっていう感じで言われているので、余計に手間が増えたちゃうんとか思いながら、見えへんから分りませんでしたで逃げられなくなったなーみたいな。(笑い)

 ホントね、病気でも何でも一瞬で消えるんよ。でも消えないのは必要で残っているのを良く分っていて下さい。本当に神さまにスパーンと完全に投げ出したら一瞬で消える。で消えたんが分る自分で、で又、次のが現れて形の上では病気が続くけど、分かるから平気になる。先生がそうね、咳出されて大変な熱出されても平気だったでしょう?それは一瞬で消えるのが分かっているから「あー又、次の来たな。神さま楽させてくれへんな」やった。

 それはどんな病気でも一緒です。だから形の上で症状続いていてもね、文句言わずに喜んでいたら良いの。一瞬で消えたという自覚なくても、奉納したら消えているから。そこの信が有ったら心揺らがないからドンドン楽になる。

 まぁ先生のようにとことん使って下さいって投げ出したら、肉体的には楽にならへんけどね。それもその人の自由意思やから大丈夫。

 もう、今日は出て来るの無理やから、寝ときというのを無理して出てきてくれはった。今あんまり痛いから、向こう行った。ここで痛い顔したくないから引っ込んで。(宮野さん一時退出されました)

質問:数霊なんですが、今日は12月12日、12が重なっているんですが、どんな日です?

河上さん:言霊は6なんですね。6というのはどう言うんですか、空間的に安定した時が6、それだけですね。だから昔12月8日に戦争が始まったのね、やっぱり3と8やからなんですけどね、色々有ります。だから911とかね、いうのも言霊的には全部説明できますけど、説明してもしゃあないな。

 神さま必要で何事も起こるから、ツインタワーの事件でもね、色々と企んでしたとか言うけどね、結局は神さま必要でされてるだけ。どの形も神さまが一番小さい形でしているの。勿論、人間が汚した事を、それで綺麗にされたというだけですけどね。神さまはわざわざしないんで、人間がマイナスの思い積み重ねて汚して、一遍に崩れたら大変やから、ちょびちょうびと消す働きがああいうね、津波とか、ああいうテロとか出ます。

質問:暦的に誕生日が亡くなられた日になっている方とかも偶々ですか?

河上さん:偶々(たまたま)ですね。誕生日というのは、本当はお母さんのお腹に宿った時が誕生日やから、この世に生まれて来る来ないに関わらず、お母さんのお腹に宿ると、この世の体験を積んだことになるんです。だから高い魂ほどね、お腹に宿って流産で終わります。でみんな勘違いしてるのは、結婚しないとお腹に、要するにエッチしないとお腹に宿らないと思っているでしょう?女性は生理する毎に魂をお腹に宿しているの。だから女性は凄い救いの働きが出来るの。 

 だから私、生理つらいわーって、文句言わないように、大きな働きです。それが具体的な形で出る時は、セックスして出れますけど、霊的な形の時は普段の女性の月の生理がそうです。で、ちょっと大変な霊が宿った時は、ちょっと生理がきついみたいなね。

 肉体的にちょっと女性の場合薄い、響きを向こうと合わせやすい人程ね、生理がきついのね、不順だったりね。健康な元気な人は生理はそんなにきつくないし、不順で無いでしょう?まぁ色々有りますけど、そんなのあんまり説明しても必要ないのね。

 神さまが一番良いようにしてる、何時も何時も。只、女性は得です、男に比べたら。無意識に神さまのお手伝いが出来て。それでも文句言うから又、ややこしい。(笑)

 だから男はつぶしきかんけど、女性は何してでも働いて食べて行けるじゃあないですか?つぶしが利く。

 教えも教義も要らんでしょう?組織も要らんでしょう?この組織が要らんというのを分かって頂かないと、どうしても組織立とうとして来るからね。もう本当に何遍も言うように、組織というのは効率化を狙って組織立つからね。その効率化というのは過去の結果に基づいてしか決めへんからね、それで駄目になるのね。

 教えも一緒やね、一瞬一瞬新たに受けてたら必要なように受けれるのに、こうやったらこうってなるね。そしたら大和座法教わらないと駄目ってなって来るね、形の上で言うとね。或いは、ありがとうございますと言わないと駄目とかね、印可書読まないと駄目と言ったら、もうそれは教え教義であって本物では無い。

 読めない人は、読めない人の分を、読める人が読んだら良いだけであって、読まなくちゃいけないじゃない。相手の自由意思を縛るのを教義と言います。自由意思を縛らなかったら本物。だから教えも組織も要らん。

 もう小さい子がそうやね、出来るだけ自由に好きにさせて上げたら良い子になる。それしたらあかん、これしたらあかんって言うとね、引き籠りになったり大きくなってから大変。だから学校の先生の子供ほどね、中々上手く育たない。それ小さい時にあれダメこれダメってちゃんと教えるわけよ。それ縛られて苦しくなって、潰れてしまうのね。

 引き籠りの子ってもう、殆ど親が縛るのね。何でもすぐに面倒みるっていうのも縛ってるの。本人の自由に掃除でも何でもさせて行かんとあかんのに。そんなんしてたらあかん、こうするんやって親が先に手え出すの。で、縛られて苦しくなって行く。

それでは、お祈りして、11時半ですので終わります。


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12月護摩 by 河上あきのぶ 2021年12月17日(金) 14時05分
PC

12月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年12月の護摩焚きで、みなさんからの質問に、河上さんが答えてくださいました内容です。

質問1
 私の事を嫌って悪く言う人もいますが、逆にしたってくれて褒めてくれる人もいます。どちらが出ても、何も出なくても印可書を奉納するだけですが、過去世でのマイナスを与えた相手から同じものを返され、プラスを与えた相手から同じものを返されるように、神さまが相手の姿をとって演じているだけですか?私の答えは何も考えず印可書を奉納するだけですが、不思議なので仕組みを少しだけ教えて下さい。よろしくお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます また今月お会いできて嬉しく思います。ありがとうございます

 今の質問なんですけども、まず生まれて来た時にね、何で過去世の事を、過去世の記憶を消されているかが大事なんですね。過去世の事を知っていた方が、自分でも得心がいくし、ある意味辛抱もできるしと、みんな軽く思うんですけども、本当にね、凄い事をしてきてるのみんな、僕も含めてね。

みんな、過去世で凄い事をしてきてるの、こんなことをしていたなら、何をしたって許してもらえないということばっかりなんですよ。それを神さまが何億分の一で消してくださるのね。それが辛く当たる人とか、ぼろかすに言う上司とか色んな姿になって出てくるわけですけども、もし過去世の事を知ってたらね、こんな程度で消えるわけがないっていうて、また過去のマイナスを掴んじゃうんですね。

 だから、そういうことのないように過去世の事は消しておいて、今生で、色んな体験で小さく小さく消してくださるだけなんです。その、何もなかったら、消えたよっていうのが気付かないから、ちょっと現わしてくださる。それが、病気の姿であったり、事故の姿であったりするんですね。

 ただその時に文句を言っちゃうのね、みんな「何でこんな事故に遭うの」「何で私風邪ひいたの」「何でコロナになったの」みたいなね、文句言っちゃうんですよ。文句言うと神さまの力を疑ってることになるんですよ。神さまというのは全知全能の方ですから、最も愛深い方ですから、その人にとって一番いいようにしか、常にしてないんですよね、その人にとってですよ。でも、他人と引き比べてね、「あの人より私の方が大変な目に遭っている」って文句を言っちゃうんですね。ただそれだけです。(文句をいってしまうとせっかく消してもらったのを又つかんで引き戻してしまうんです。)

 その時に文句を言わせない為に、先生が出て来られてですね、真(まこと)の祈り、真祈りというのを教えられたわけですけども、そこまで至らない人は、やはり文句を言って因縁因果にまた流転するんです。ただ何億分の一で消してもらってるのを、また文句を言って何億分の一を何千億分の一に戻しちゃうだけなんです。それでもちょっとしか戻らない。また自分で掴んでマイナスを戻すから、またそれを繰り返す。ただ繰り返す程どんどん減っていくんで、魂の古い人程綺麗になってきているみたいな感じになるんですね。

 ただ魂の古い人が偉いではないんです。いつ生まれてどうこうするかっていうのは、神さまが楽しんでされてるんですね。みなさんが、花を春植え、夏植え、秋植えて春咲く花、夏咲く花、秋咲く花、冬咲く花として楽しむようにですね、神さまが楽しまれてるだけなんですね。その楽しんでるとこを、みんな苦しみだと勘違いしてるだけなんで、その楽しみ苦しみが、どこでわかるかっていうのが、印可書を奉納するごとに、わかるというそれだけです。

 印可書を奉納してたら、いつも言いますけど、この世の感覚で言うと、寒いのが嫌いな人だとね、何であんな重い荷物を背負って冬山に登るのっていう感じですけど、冬山登山が大好きな人にとったらそれは楽しみじゃないですか、同じ苦しみというんですか、苦労でも、ある人にとっては楽しみだし、ある人にとっては嫌なことなんですね。

 でも印可書を奉納してたら、全ては神さまが一番いいように使ってくださってるんだぁよかったって、ごく普通に思えるんです、ごく自然に思えるようになります。それが悟りです。それがわかれば、神さまの不離一体の自分だったんだぁ、神さまがこういう小さい肉体という意識に、わざと分けて楽しんでるんだぁ。神さまの大きい意識を肉体の意識に、わざと分けて神さまが楽しまれるんですけど、それはこの世でいうとですね、普段はこの現実の世界にいるじゃないですか、でもわざわざ映画館という狭い世界に行って映画を楽しむでしょう、そういう感じなんですよ、神さまが肉体意識に降ろして、今を楽しまれてるのは。

 みなさんは映画観に行ってる時は、例えば怖い映画を観に行ってもね、「わ―怖かったわー」って言うても、ちゃんとフィーネ、終わりって最後エンドロールがきますから、「わー怖かったわー、でも面白かったわー」で済むわけですね。でもこの肉体の映画は、死ねまでわからない。死んでから、はじめてわかるとこがあるんで、色々と奥深く楽しめるようになってるわけです。でもいよいよね、映画の上映も終わりに近付いてきましたので、みんな一旦お家に戻っておいでよっていう、神さまの大きな愛ですから、是非、印可書を奉納してね、一旦神さまのお家に帰って、ごはんを食べに行きましょう。またお腹いっぱいになったら、また遊びに来たらいいんです。ありがとうございます

質問2
 11月から新しい病気、腐るのが現れると聞きしましたが、先日出たオミクロン株のことですか?

河上さん
 はい。もうこれは、オミクロン株に関わらず一杯あるんですね。どういうことかと言いますとね、コロナもそうだったんですけども、要するに福島の放射能もそうなんですね。

 例えば、放射能だけで言いますと、ラジウム温泉に入ってね、元気になる人とならない人があるわけですよ。それ何かっていうと、コロナでも放射能でもオミクロン株でもそうですけども、プラスの言葉にはプラスに反応するんです。マイナスの言葉にはマイナスに反応するの、もうこれからずーっとそうなんですよ。

 だから、マイナスの言葉を使い続けてる人、いや私使い続けてないわって言っても、現実を掴むとマイナスなんですね。過去の結果に基づいて良い悪いと判断したり、あの人、自分と引き比べてね、あの人よう働けへんわとかね、そういうふうに思ったことはマイナスなんですよ。

 そういうマイナスに大きく反応する時代に入ったということです。だから、不用意に人を責めてね、どうこうしてると腐ってくるので、その腐る原因になるのが、オミクロン株であったり放射能であったり、色々ありますけども、どのすがたも神さまの愛で、必要のないものはこの世に現れないんですよ。

 勉強しやすいように、オミクロン株、例えばオミクロン株という、放射能という形で出てくるわけですね。その形にプラスは大きくプラスに反応し、マイナスは大きくマイナスに反応するだけなんんです。だからひたすら印可書を奉納されておれば、もう自分も他人も全てを超えて、みんなプラスに変わっていきます。ありがとうございます

質問3
 河上さんへ、いつもありがとうございます
奉納について質問させていただきます。神さまに捧げると解釈しては、おりますが、真(まこと)の奉納について教えていただけますか?宇宙神ありがとうございます

河上さん
 真(まこと)の奉納というのは、何かっていうと「自分がない」ということです。自分が真祈りをする、自分が宇宙神ありがとうございますって祈り続けてきた。自分が長年ありがとうございますって祈り続けてきたっていうね、今までの宗教はそうなんですよ。

古い人ほど自分の方が、たくさん祈ってきたとやるわけです。その自分がって言うのが邪魔というのがわからないんですね。真(まこと)の奉納っていうのは、自分というのがないんですよ。

その自分というのをなくす方法で、ずーっと人類は苦しんできたの、それを道元先生がね、只管打坐とひたすら座れとか、全て生活の日常全てが、もう禅だ、真祈りだってこう、喝破(かっぱ)されるわけですけど、言われてもやっぱり、「自分が仕事をしている」「自分がお祈りしている」「自分が食事をしている」一番は自分が食事しているです。自分が食事してると思うと病気になるんよ、わかります?

 そういう自分がが消えるまでね、大変なんですね。真(まこと)の奉納というのは、「自分が」が消えないと、真(まこと)の奉納にならない。じゃぁ自分達そんなもん無理だわーっていうことでね。松下先生のところへ古くからおられた方でもみんなそうなんですけど、先生だからできるけど、自分達はもう無理だぁって、やっぱり諦めたとこがあるんですよ。

 諦めたら永遠に消えない。じゃあどうするかっていうことで、本当に先生が、祈って祈って祈られてですね、神さまにお願いされて、そして自分のいのちと引きかえに印可書を降ろしてしてくださったわけです。それは何かっていうと、いずれ肉体としての自分のいのちは尽きるというのは、先生はおわかりですから、尽きた時に、みんなが路頭に迷うわけじゃないですか、誰を頼りに生きたらいいんですか、何を支えにして生きたらいいんですかって、みんなが嘆き悲しむわけですね、それは困るということで、それは、そうさせないということで先生が、ちょっと寿命を、本当のことをいうと縮められて、ある寿命を印可書にかえて降ろされたわけです。

 この印可書さえ読めば、自分というのが消えた状態に、要するに自分があるという意識があってもですよ、自分というのを消えた状態にする。真祈りそのものにする。印可書さえ読んでくれたら真(まこと)の神さまの降り立った状態にするよっていうことを、真(まこと)の神さまとの間の約束事として降ろされたわけです。

 一番大事なところは、そこだけは信じてもらわなくちゃいけないんです。例えば護摩木を書く時は、真(まこと)の神さまが書いてる状態にするよって先生仰ったわけです。じゃあ、そこだけは信じて護摩木を書かなくちゃいけないんです。自分が護摩木を書いてると思っていても、護摩木を書く時は、自分が消えて真(まこと)の神さまそのものが書いてるよ。真(まこと)の神さまのお手伝いそのものよ。あなたは真(まこと)の神さまそのものにするよっていうことを護摩木の書き方についても、先生は口説く教えて下さいました。それ印可書も同じなんです。印可書を読んでいる時は、どんなに自分がって思っても、色んな雑念が湧こうが、色んな欲望が湧こうが、真(まこと)の神さまそのものだからっていう、そこだけは信じてやらないと奉納にならないということです。

 例えば、宇宙神、先程、宇宙神ありがとうございますについて、護摩の最中に朗読していただきましたけども、あの内容もそうなんですけど、宇宙神ありがとうございますって読む時は、祈る時は、真(まこと)の神さまそのものだよっていうとこだけは信じなくちゃいけない。それが信じれないんだったら意味がないの、印可書を読む時だけは奉納になってる、自分が消えてるんだよっていう、先生の仰るとこをね、まずそこだけは信じないと進まないんです。こんなんを読んだって何になるのって言えば、その人の思い通り、「宇宙神ありがとうございます」でも「印可書」でも「ありがとうございます」でも、或いは他の「無限の無限の輝きが一杯!」でも一緒ですけども、こんなん言ったって何になるのっていうたら、その人の思った通り、何なるのしか出ないの。

 だから、そこだけは信じて下さい。先生が命にかえて出してくださった言葉は、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」「無限の無限の輝きが一杯!」とかね、「神の御光(みひかり)、御力(みちから)、御生命(みいのち)」とか色々あります。「印可書」もあります。どれでもいいですから、これを読む時は神さまそのものだぁっていうことを信じないと、そこだけは信じる必要があります。それをそこだけは縋らないとダメなんですよ。すると楽に自分が消えた状態に入れるんです。なかなかね、自分を消そうという自分が出てきて、自分、自分、自分のとこから、なかなか、みんなこう、自分を掴むなっていうても、自分を掴んで苦しむのね。苦しまない人は自分が真祈りできてるっていうて偉そうに言うだけで、結局は何もできない。

 本当に真祈りができたら、一大奇跡でどんな奇跡も起こるんですよ。でも先生は、どんな奇跡を起こせても相手に気付かれずにしろと仰るわけですけど、自分さえなければ何にでもできるのね。その人にとって一番いいように、いつもできるんです。

 でも自分を消す方法なんですよね、今いう奉納というのはね、奉納というのは自分が消えたら奉納なんです。そこは、まず先生の出された真(まこと)のプラスの言葉である、「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」「印可書」これを読む時は、自分が消えてるんだぁよって先生が仰ったら、それを信じてください。

 そこだけを信じて、自分が出てような気持になっていても、必ず先生がいいようにしてくださるから、神さまがいいようしてくださるからって信じて、縋ってください。そうすれば、ある日突然、悟れるんです、自分が消える。自分が消えるっていうのが悟り。自分が消えると全てが奉納になります。普段されてるお仕事も全て神さまへの奉納になるんです。もうちょっと説明した方がいい?これでいいかなぁ?

司会者
 これで大丈夫かと、ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

質問4
 運が良いとか、強運とかいいますが、どうしたら運が良くなるのでしょうか?

河上さん
 運というのは、神さまのいのちそのものなんですね。運が良くなるというのは、神さまのいのちを100%受けた時が、運が良くなるんですよ。じゃぁ神さまのいのちを100%受けるのは、どうするかっていうと色んな表現があります。例えば、今言ったように自分がなくなること、自分がしてるという意識が消えることとかありますけども。

 一番は、真(まこと)神さまは全知全能で何でもできる方で愛深い方で、自分達に、自分に一番いいようにいつもされてるということを信じきれることです。別の言い方をしたら五井先生の仰るように、文句を言いなさなんなぁです。文句を言わない、いちいちあーだろうか、こうだろーかと考えるな、思い巡らすな、考えるなぁっていうやつですね。

 ただただ、どの状態が起こっても「あー神さまが一番いいようにしてる、よかったよかった」と喜べたらいいんです。先生の別の表現で言ったら、「喜んで、喜んで神さまの働きを褒め称えて喜んで、こんなに神さまよくしてくださって、神さまの働きを褒め称えて喜んで感謝して待っててくれたらいいというね、それだけなんです。そこだけです。それができたら運がよくなります。ありがとうございます

質問5
 仕事をする上で、お祈りをどう活かしていくかお尋ねします。成果を求められる営業職です。会社からは、ノルマ、成果目標に執着して、追い求めなさいと指導されます。松下先生の教えと違う違和感を感じてジレンマに落ちています。努力する事や目標を達成することと、神さまに委ね任せることとの区別がつかなくなってきました。アドバイスお願いいたします。

河上さん
 これは、その別に営業職に関わらず、どんな仕事でもそうなんですけども、多分この方大きい会社の組織にいらっしゃる方なんですね。大きい会社程、方向転換が、なかなかゆっくりしか進まないんですよ。だから、これだけの利益をあげて、これだけの売り上げをあげてっていう目標を作って、その目標通りに達成しないと、いざ最後決算で締めた時に会社大赤字でどうしようもないということが起こるわけですね。だから、必ず目標を達成しろと言ってお尻を叩かれるわけです。

 何でそういうことが起こるかっていうたら、これは組織の業(ごう)なんですよ。それで組織というのはですね、過去の結果に基づいて良い悪い、だからこうしよう、あーしようってして、組織だつわけですね。その結果、過去の結果の利益はこうだから、今期もこの利益をあげないと結局お前らみんなクビ、職なくすんだぞーみたいになっていくわけですね。

 そのいわゆる、例えば営業目標、売り上げを達成する、利益を達成するのと、神さまの御心とどこが違うのかということですけど、本当は一緒なんです。一緒だけど何が違うかというと、自分が努力して営業目標を達成する。自分が努力して営業の目標の、大きい会社だと利益予算とか売上高予算とかいうんですけども、自分が頑張って売上高予算を売上高利益を達成するんだぁという事を思うと、それは組織の業に負けてるわけです。

 神さまが一番いいようにされるという中で最善を尽くす、全力を尽くす、すると自然に目標と一致していくんですよ本当は、そこがね、やっぱり、みんな自分がから抜けれないのね。自分がってすると、できの悪い部下を、「この使えん奴め、お前は何しとるんやん」みたいにね、ぼろ糞に言い出すわけですね。ぼろ糞に言い出すと、そのぼろ糞に言うたマイナスの言葉が自分に反応してきて、自分も、なかなか仕事ができなくなるんです。

 これは小さい会社の社長は、もっともろに感じてて、「こいつめ、あいつめ」って言うたら自分が余計に動けなくなって余計に苦しむんですけどね。大きい会社の一部門でも一緒です。部門長、部長とか課長は、そうして苦しむわけです。部下を責めるごとに自分が段々動けなくなって、余計何もできなくなって、ノイローゼになるんですね。

 まず自分を捨てなくちゃいけない。自分を捨てるって何かっていうと、色々ありますけどね。今は印可書があるんで、ひたすら印可書を奉納して、淡々と突き進むことですよ。その結果としてね、例えば、その会社では、達成できなくてクビになっても、いいんだぁっていう覚悟をまず、要するに神さまがいつも、どの形になっても一番いいようにするんだぁっていう覚悟がつくとね、例えば営業に行く時に緊張しないんです。緊張しないと自然に相手が自分のお父さんやお母さんや、或いは歳が近かったらお兄さんんやお姉さんや妹や弟に見えるの。そう見えると自然に心通じるから、売上が伸びるんですよ。

 ちょっと護摩の、この最中ですけど営業職の方もいらっしゃるんで、言いますけども、相手に物を買わすのはどうするかっていうとね、これは良い物ですから買って下さい。或いはソフトウェアだったら、これは凄いソフトなので、御社にとって役立つから買って下さいって言ったて売れないんですよ。

 みんなここ勘違いしているのね。人が物を買おう、あるいは印可書を選ぼうでも一緒ですけど、人が自分の自由意志で選び取るのは何かっていうと、これは本当に価値あるものだと、その人が得心した時に選び取るんです。それは商品であろうが製品であろうがソフトウェアであろうが一緒なんですよ、印可書であろうが。

 これは本当に凄いものだぁ、値打ちあるものだ、役立つ物だってわかった時しか買わないの。そう思わせるために何をするかだけなんです。でもそう思ってやるとテレビショッピングみたいになるのね。テレビショッピング上手くやってるよね、さもこの商品は凄く役立つように上手く言うじゃないですか、ああいう感じになっていくんですけど、それでは、まだ自分があるんですね。

 だから本当は印可書を淡々と奉納して、自然に動けるようになると、あんまりややこしく言わなくても勝手に意気投合して、「うん、じゃ河上のところだと買ってやろう」とこうなってくるんですよ。そこまで真祈りを深めていく。その結果その会社で上手くいかなくてクビになっても、必ず良くなるんだぁと信じ切れる、その、何と言うんですかね、神さまに対する絶対の信が、まず必要です。ありがとうございます

質問6
 先月の護摩の折に、様々な問題が降りかかる彼女との関係について質問させていただき「十字架にかかる」覚悟を決めたのですが、その後、彼女のワガママやお金遣いが、気になり、さらに悩んでます。苦しみを覚悟することが「十字架にかかる」ことだとは思いますがかなりビビっています。何とかなるものでしょうか?アドバイスをお願いします。

河上さん
 これね、まずね、一番の苦しみのもとは、相手の自由意志を、やっぱり無意識に縛っているのね。まず好きにさせないとアカンのですね。

 お母さんと子供みたらわかるんですよ。勉強せいって言う、お母さんの子供ほど勉強しないの、あなたの好きにしていいのよ、でも結果は責任あなたがとるんだけど、あなたが好きなようにやってごらんなさいっていう、お母さんの方が、子供は勉強でも何でもするの、同じです。

 それは夫婦でも一緒です。大きな川の流れなんですよ、奥さん旦那さんっていうのはね、その大きな川の流れを誰もいじれないの、自由にさせるのが一番。その自由にさせる中でね、とても自分が一緒にいれない、どうしても耐えれないんだったら、それは別れてもいい、もちろんそうよ。でも別れてもまた同じような人が来るけどね。そういうもんなの、まず自分が印可書を奉納して、神さまとピタッと一つになっていないとダメなの。神さまは、みんなの川を人生という川を自由に流してるじゃないですか、その神さまを見習わなくちゃいけないよね、まずそこです。

 例えば、こっちの(自分の)お金をどんどんお使いに、相手がなるとしてもね。「悪いけど俺にはこんなけしか金がないから、もうこれ以上は使えないけど、それは辛抱してくれ」ってお願いすればいい。それで向こうが愛想つかして出て行ってくれたら、それはそれでいいじゃないですか、そういうものです。

 ともかくみんな自由にさせてあげたらいいの。印可書も一緒よ、選びたい人が選べばいいの。選びたくない人は選ばなくていいの。宇宙神ありがとうございますでいくという人はそれでいいんですよ。自分が気に入ったもので、いかないと本物にならないから、こうしなさいと言ったって無駄、時間の無駄。

 みんなそれぞれ、河上川、山本川、それぞれの、松下川とかね、吉村川とか川が流れてるの、その川にジャブジャブ入って行って止めたってね、川は止まらないでしょう。無駄のことをしたらダメ。みんな好きにさせてあげたらいいの、その好きにさせてあげる時に、勝手にせいやじゃなくて、ひたすらこっちは印可書を奉納して真祈りをしてればいんです。ありがとうございます

質問7
 永海佐一郎(ながみさいちろう)博士という化学者が、人間の価値を天職に熱心な度×心のきれいな度という方程式で表わされました。そして、心をきれいにする方法は4つあると付け加えています。
@自分が人からされて嫌なことを人にしない。
A自分が人にされて嬉しかったことを人にする。
B人から受けた恩を決して忘れない。
C自分が人にしてあげたことは忘れる。
このC番が私のような凡人には、とうてい出来そうでないのですが、自然、宇宙、神は見返りを求めません。その自然、宇宙、神と同化し神の子であるという創造の源を見極めていけばいいのでしょうか?

河上さん
 これね、まだ自分がっていうのが書いてある間はね小さい立場からの動きなんですよ(無意識に相手を相手の自由を縛っている)。素晴らしいことを言われてるんですけども、なかなか凡人には真似ができないのね、自分がっていうのが入ってる間は、自分がが消えないと、みんな凡人からは抜けれないの、もうそれだけなんですよ。

 その自分がを消すための方法だけをね、いつも説明させてもらってるわけです。考えるな、相手の好きにさせたらいいとかね、色んな角度から説明させてもらってるわけですけど、ともかく自分がを消す方法だけです。神さまの本源を見極めるとかね、神の子と書いてる間は、神さまと自分を分けてるでしょう、分けてる間は苦しむの、神の子じゃなくて、真(まこと)神さまそのものなの、みんなね。

 真(まこと)神さまが肉体という一つの器を作って、その中に映画館として、その人の人生を楽しんでおられるだけなんですよ。そこまでわからないとダメなんです。でもそれを実観(感)する方法というのが、今まではね、先生は、お祈りの部屋に毎朝通って来いとか、1ヶ月は通えとかね、仰ったわけですよ。でも1ヶ月毎日来いっていうてみんな20日くらいで挫折するのね。あるいはもうちょっとあと2日くらいのところで挫折して止めちゃうの、どの人もね。それくらいその、大変だったわけですよ。

 でも今はお仕事の最中であろうが、おトイレしてる時であろうが、ひたすら印可書を奉納してたら、自分が消えるから大丈夫だよっていうとこがありますので、印可書さえ奉納してたら、神さまと不離一体だよっていうとこさえ信じていただけたら、あるいは宇宙神ありがとうございますを祈り続けたら、神さまと不離一体だよってことを信じれたら大丈夫なんです。

 昔はありがとうございますをね、40日間ひたすら言い続けたら悟れると、ちゃんと仰ってくださったんですよ。ありがとうございますをひたすら言い続ける条件がね、ニュースも見ないテレビも見ない、人の姿を見ても文句を言わない、責めないですね。そういうの一切なしで、ただただ何を見ても、ありがとうございますだけってしたら、40日で悟れると仰った。

 実際その通りなんですよ。でも40日の内に必ず、どこかで、あいつさぼってるとかね、何で私だけこんな、しんどい目するの、私お腹すくわとかで、なって崩れた。でも今は印可書がありますから、印可書でいきましょう。ありがとうございます

司会者
 河上さん、ありがとうございます
事前にいただいた質問は以上です。会場内で、この場で今、質問したい方いらっしゃませんか?(会場からの質問の声があがりました)

質問8
 ありがとうございます 印可書のことを大事だと思って、それまで般若心経を写経しておりましたが、印可書を一度、写し書きしようと思い立って、先日、耳付き和紙に筆ペンで書いてみました、大変でした。でも書き終えて、読むのと書くのと違うんだぁということをつくづく感じましたんですが、やはり書いた方がよろしいんでしょうか?

河上さん
 ありがとうございます いい質問です。これはね、その人の過去世の経験にあるんですけども、書く方が響く人は書いたらいいんです。読む方が響く人は読んだらいいんです。暗唱する方が響く人は暗唱したらいい。それは宇宙神ありがとうございますでもそうなんですけどね。ただ書くのが、いいとなるとね、書かなくちゃいけないとなるじゃないですか、そういうことはダメなんですよ。

 自由自在でやってください。書くことが、凄く響き渡る人があります。勉強で教える時もそうなんですけども、書くのが響く子はね、例えば難しい数学でも、公式の解き方なんかをね、ずーっと書き写させるんですよ、考えんでいいから写すだけでいいから、何回も写してる内に、先生わかったって言い出すのね、そういう過去世のもんがありますから、書いて響く人は書いてください。読んで響き人は読んでください。自由自在にやってください。

 ただ印可書を読む時は、本当に自分が消えて神さまそのもだよっていうね、先生の、そのお言葉だけは、ぜひ信じてください。

司会者
 他に質問ありませんでしょうか?ないようでしたら、河上さん一言お願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます 毎年ね、年末になるとギリギリに追い詰められて大変なんですけども、今回も、ちょっとこの護摩まで大変で、ちょっと親しい方には走っていただきました。あっちこっちに行ってお祈りしていただきました。また直接お祈りお願いすることもありますので、年末まで気を許さずに、お願いします。

 ちょっと今日は、もうこの後すぐ行って、お祈りに行かなくちゃいけない所が何か所もありますので、すぐに行きますけども、質問ある方は、ぜひ今のうちに聞いてくださいね。

 ともかく何が起こるかっていうと、どんどんね、地獄と現実の世界が重なってきてるんですよ。それは具体的に何かっていうと、今言ったようにコロナとか放射能とかを、縁(えん→えにし)にしてですね、プラスはどんどんプラスに現わすしマイナスはどんどんマイナスに出るということです。マイナスに出る形が、やさしく腐ると言いましたけど、要するに地獄の様相が形に出るということです。

 急に頭がぼけたりね、いうことが若年、歳が若くても痴呆老人のようになる方も出てくるみたいな、厳しい時代に入ります。それを極力少ない形でね、真祈り人が印可書を奉納することによって人類の潜在意識に真祈りの響きが響き渡りますから、すると地獄の様相が、どんどん消えますので、できるだけ小さい形にもっていきたいのでね、今だとまだ3年くらいは、本当に食料がなくなる時代がきます。

 いつから始まるとは、まだ言いませんけど、まだ大丈夫だからね、それくらいまだ厳しい状態です。それを3ヶ月くらい、できたら3日くらいとかにね縮めたい。 例えば食料危機に関しては。燃料問題も色々と厳しい状態に、物凄くなるんですけど、それを極力大変やったなぁ、みんなよかったなぁ、何とかしのげてよかったなぁと言えるような状態に、もっていきたいと思いますので、ぜひ印可書を選べる人は印可書、宇宙神ありがとうございますを選ぶ人は宇宙神ありがとうございます、強制はないので自由自在でいいですから、先生の残された真(まこと)のプラスの言葉をひたすらね、唱え続けて、奉納し続けてください。よろしくお願いします。
 また来月お会いできることを楽しみにしています、ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/UR5Nslb501g

 宇宙神ありがとうございます


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12月光の交流会 by 河上彰延 2021年12月09日(木) 12時56分
PC

12月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年12月の光の交流会で、先生が質疑応答に答えてくださった内容を聴いていただきました。

質問
 「ありがとうボランティアグループは、どういう所ところなんですか?」と聞かれた時に、どういうふうに、お答えすればよろしいでしょうか?教えて下さい。よろしくお願いします。

先生
 ここは、どういうとこですか?難しいね、本当の答えはね。

 ここは、人の色んな思いを全部消し切るための、お手伝いをする場所よね。色んな問題、一杯あるでしょう、世の中のね。思いを積み重ねたら、問題が一杯出てくるね。解決不可能な問題が一杯あるのは、思いを一杯積み重ねているからよ。だから、その思いを全部消し切ってもらわないと、問題解決していかない。だから、真の神さまに降り立ってもらって、全ての思いを消してもらう、このお手伝いに生きる場所よね。宗教団体とか、そんなん無関係ね。何かを教えているのでも何でもないのね。本当のお祈りをして、神さまのお手伝いをして、全ての思いを消し切ってもらうだけね。
 そうしたら、思いの霧が、すーっと消えたら、全て問題が消えて無くなる。本当にあるのは神さまの世界だけ。完全な調和した世界だけが、厳然と今ここにあるんだけど、思いの霧で隠されている。深い霧の中に、はまり込んだら言葉通りに何でも感じてしまうのよね。本当のすがたが見えなかったら、霧に隠されたら、マイナスの言葉を使ったらマイナスに感じてしまう。世の中の人みんなそうよね。正しいすがたが見えないから、言葉に負けてしまっている。だから、この思いの霧を全部消さないとダメなの。その消す方法は、神さまに降り立ってもらうことだけ。神さまが、すーっと入ってきたら消える。だから、神さまに降り立ってもらうための、お祈りが必要になる。これが本当のお祈りよ、真祈りっていうのね。
 だから、普通のお祈りと、真祈りとは違う。普通のお祈りは、マイナスを消そうとするプラスのお祈りよね、これでは消えない、思いの霧は絶対に晴れない。真祈りは、真の神さまが降り立つ祈り。だから、真の神さまに降り立ってもらうために、するのが真祈りよね。

 そうしたら、どうしたら、どういうお祈りが、真の神さまが降り立てるか?

 真祈り、真祈りっていうのは、24時間、一日24時間プラスαの祈りっていうね。一つの言葉でもね、選び続けないと真の神さまは降り立てないのよ。他の言葉を交えたら、他の言葉を、やっぱり優先しなさいになる。あまりにも力が大きすぎるからね、人の自由意志を無視しては何も出来ないからね。だから、一日24時間、言葉を選び続けないとダメね。

 「ありがとうございます」って選び続けたら、真の神さまは降り立てる。

 でも、一日24時間、唱えられる?不可能よね。そこにプラスアルファーがいるのね。プラスアルファーって何かって?例えば、守護霊さま守護神さまが一緒に祈ってくれたら、守護霊さま守護神さまのお祈りも加わるよね、プラスアルファー。ご先祖さまが祈ってくれたら、ご先祖さまのプラスアルファー加わるね。また、救済の神さまが大勢いてるね、一緒に祈ったら、プラスアルファーが増えるよね。もう一つ、真の神さまと一緒に祈るってなったら、プラスアルファーが無限大よ、大きいよね。だから、どれだけプラスアルファーを大きくして祈るかよ。一日24時間プラスアルファーの祈りになっていくね。
 そこへ、真の神さまは降り立てる、大きく降り立てる。ちょっとだけ顔を出すだけでは力は弱いよね、大きく降り立ってもらったら、大きい力になるからね。そうしたら、どんな思いも、すーっと消える。本当に、霧がスーッと消えるように晴れていく。そうしたら、今まで見えなかったプラスが、プラスが一杯ってなる。本当は、真のプラスだけなの、思いの霧を消せないからみんな苦しんでいるだけね。
 だから、思いの霧とか、思いの雲とか、思いの泥沼なんて、本当は無いの。本当は無いの、無い。虚の世界は本当は無いの、マイナスの世界は一切無いの。本当はプラスだけなんだけども、みんな思いに負けたら錯覚を起こす。
 だから、自分が先ず過去を掴んで、思いの心を自分の心ってすると、やっぱり思いを出し続ける。それが一番の問題よね。だから、お祈りを忘れたらみんなそうよね。だから、お祈りの練習をして、本当の真祈り、本当の祈りを祈れる自分にならないと、思いを出し続けているよね。いくら祈っているって言ってもね、マイナスを相手にする祈りは、思いを出し続けている。マイナスを消さなあかん、平和にせなあかん、病気を治さなあかんって祈っているのは、全部マイナスの祈りよ。本当のプラスの祈りじゃないから、思いが消えないのよ。

 だから、本当の祈りは、真のプラスだけを与え続ける祈り。だから、真の神さまを与え続けるって、「ありがとうございます」は、真の神さまを与え続ける祈りよね。それも、大きく全てに与え続ける祈りだから、プラスだけになるね。思いをすーっと消せるの、消してもらえる。また、真の神さまが降り立つからよね。だから、その思いを消すっていうのが一番大事なのよね。そうしたら、虚の世界全部消える。どんなマイナスも問題も、一切消えて無くなる。元から無いから、無かったって気付くぐらいにまでいくのよね。
ところが、思いの心を生きていると、問題が消えない、増えるばっかし、大きくなるだけね。いくら何をしても、マイナスが大きくなるだけ、増えるだけなのよね。それで、また掴んでしまうね。執着の思いって、なかなか掴んだものを放せない。消すどころじゃない、掴んで、ますます大きく増やしてしまうからよね。 

 だから、本当の、本当のお祈りの練習がいるの。だから、一日24時間、「ありがとうございます」を唱え続ける、この気持ちは大事よね。夢の中でも、寝ててもって。もう一切マイナスの言葉を使わないぐらいの気持ちは必要ね。その上に、守護霊さま守護神さまの助けとか、本当は、全体の大きい助けをバックに観(感)じながら祈るのね。そうしたら、24時間プラスアルファーの祈りになって、真の神さまが降り立てる。そうしたら、思いをずーっと消し続ける光が降りるのよね。本当の無色透明の輝きが、すーっと入ってくるのよね。無色透明の光が一番、力があるの。どんな光でも変身できるけど、変化できるけども、どんなものも一瞬に消せる力がある。
 ただ、その消すのも、必要な所へ降りて消すの。消して欲しくないっていう人の所へ降りても消さない。人の自由意志を絶対に無視してはしないのよね。だから、お祈りする人の所へ降りて、消せるのよ。だから、真祈りを祈って思いを消したいっていう人の所へしか降りられないのよ。だから、人の自由意志を尊重して降りる。
その為には、お祈りしてほしい、神さまね。本当に全ての思いを消して、思いの霧を消して、一切の問題を消し切りたいっていうぐらいの願いで、真祈りを一生懸命祈ってほしいの。そうしたら、そこへ神さまが降り立って、全ての思いを消せるのよね。そうしたら、どんな問題も、絶対に解決不可能っていう問題、全部一瞬に消えるの。そのお手伝いに生きるとこよね、ここは。

 だから、ここは、組織も団体も何も無い、会員制も何でもない。出入り自由だし、ここで何か教えを説いて、会員を増やしてどうのこうの無い、一切無いの。だから、自分も一切、人の出る幕は、どこにも一切無いのよ。ただお祈りをして、神さまのお手伝いをしたい、これだけよ。だから、ここは「ありがとうボランティアグループ」って仮に名前が付いているけど、何も無かったら何の事務連絡も出来ないからね、ただその為だけの名前よね。ただ、団体は無い、組織でもない、何にも無い、中身は何も無いのよ。そうしたら、誰が会員ですかって、誰もいない、何にも無いとこよ。ただ、お祈りをする。そして、神さまのお手伝いをして、思いを消してもらおうとしているだけよね。なんか得体のしれないとこだけど(笑)。

 やっぱり、我が出ると、思いが一杯溜まるからね。これが自分、自分のものって言うだけで、執着の思いを一杯溜め続けるから、思いが消えないよね、反対になるからね。一つ組織を作ったら、組織を維持する為に一杯思いが溜まるじゃない。思いを溜め続けたら、思いの霧が晴れるんじゃないもんね、色んな問題が一杯出てくるね、またね。だから、みんな反対のことをしているよね、世の中の人はね、良いことをしているようだけど、思いを出し続けて、思いを一杯積み重ねて、問題を大きくしているだけね。
 だからもう、余計なことを何もしなくなったら良くなる(笑)。反対よね、余計なことをしすぎて邪魔してるね、神さまの働きをね。
 本当に必要なだけをすればいいのにね。真の神さまは、必要なだけを与えてくるよね。本当に必要なだけを与えてくれるから、みんな幸せになるんだけど。この世の人はみんな、余計なことを一杯しすぎている。そして、必要なものが循環してこなくしているのね。余計なもので邪魔しているからね。

 食べ物一つがそうよね、本当に健康に生きる為の必要な食べ物って、僅か。ちょっとでいいよ、本当に必要なものは、ちょっとでいいよね。食べ過ぎたら病気になるぐらいね。今の世の中、食糧不足なんて騒いでいる所もあってもね、違うよ、もう10倍無駄に捨てているよ。10の1で、ちゃんとみんな幸せ一杯になるよ。それを正しくみんなで分け合ったらいいだけよね。そうしたら、農業でも機械化して、沢山作らなくていいよ。大自然と仲良く調和して、動物にもあげたり、蝶々にも、キャベツの皮ぐらい、一皮ぐらいだったら食べてもらった方がいいの(笑)。みんな共存共栄で生かし合って、それで、必要なだけを貰ったらいいのよね。食べ物一つそうよね、そうしたら、もう飢え死にする人なんて一人も無い。10分の1で充分よ。
 着る物もそうじゃない、みんな、着る物一枚だけ?違うわね。もう、本当に必要なものの10倍以上、みんな持っているよね。だから、沢山作りすぎているね、無駄よね、そんなんね。本当に必要なだけを、良いものをちょっと作ればいいのにね。そうしたら、大自然を破壊して資源を奪わなくて済むしね、ゴミを一杯出さなくていいよね。
 電気でも、原発を稼働してまで電気を生み出さなくて済むよね。なんで夜中に電気を点けなあかんのかなと思う。星のシャンデリアが輝いているのに。電気を点けたら、星の明かりまで消えてしまうね、見えないよね。本当の星空の美しさなんてね、見えないよね今ね。それで、お昼はどうかっていったら、お昼の太陽の明るさを無視して、建物の中に閉じこもって(笑)、中で電気を一杯点けているんじゃない、おかしいよね。そんなん、本当の仕事は、必要な仕事は10分の1で済むはずよ、10分の1の時間を働いたら、必要なもの全部生み出せるよね。お昼は、明るい時にちょっと仕事したらいいだけじゃない。電気はいらない。電気も、今の10分の1で充分よ。必要なだけに使うんだったら、充分間に合っている。
 だから、本当に余計なことをしすぎているよね。もう、つまらないこと、いらないことを全部やめたら良くなる。本当に必要なことだけをすればいいのよ。もう、家事でも何でも機械化しすぎて、運動不足で、運動不足になったら、今度はどっかのジムで運動しに行くんじゃない、お金を出してまで。それで、痩せる為の薬を一杯飲んだりしなあかんじゃない(笑)、馬鹿みたいじゃない。

 本当に思いが無くなったら、与える愛の心だけになったら、人から奪おうとしないからね、お金儲けに走らない、まずね。人を利用してお金儲けに走って、何の意味も無いもんね。それで、まず、人を疑わないよね、信じ合えるよね。そうしたら、もう、電車に乗る時は、切符は無くなるよね、まずね。改札は消えてしまうね「どうぞお乗り下さい」よね。運転手と機械を整備する人だけよね。みんなタダで乗れるよね、必要なだけはちゃんとね。
 どんな仕事も、いらない仕事が一杯出てくるね。それ全部、もう無くしてしまったらいいのね。そうしたら、みんな働く時間は10分の1、一日1時間働けば充分よ。今は働きすぎて、まだ幸せになれないって言っている(笑)。これは、もう無駄なことを一杯しすぎているから、反対になっている。働けば働くほど不幸になっているじゃない。
 だから、本当に必要なものは何かって、やっぱりこれを見極めないと。余計なことを絶対にしないようにしていく方が大事よね。本当に必要なだけに絞り込んだら大丈夫よね。

 農業でも、色んな農作物を作るのでも、先ず耕して、種を蒔いて、綺麗な状態で色んなものを沢山作ろうとするでしょ?だから時間もかかるし、人手もかかるし、肥料も一杯やってお金もかかる。それで、売ってお金にしようとするんだけど、本当にそこまでするのが正しいかどうかよね。売るのが目的ではなかったら、もう雑草と一緒に植えておくのがいい。自然の中で必要なものを種蒔いて、その中で一緒に育てた方が良いのが出来る、手間がかからない。だから、いらない雑草だけをちょっと刈るの。
 みんな本当は、共生で生かし合いになっている。共存共栄で生かし合いになるのね。そうしたら、もう手間暇一切かからない。放ったらかしで充分。土地が耕されて、自然に耕されて肥えてくるの。雑草って、だいたい、根を張って土を肥やしてくれる。ただ、お金儲けを考えている人がそれをすると、手間暇が余計かかるように思うのね、だから、しない。でも、本当は、自分達だけが食べるだけだったら大丈夫よね、その方がいいのね。本当に手間暇をかけずに、時間をかけずに、自然に育つ。ただ、収穫に行く時に、チョッチョッと手を入れるだけね。いらないものをちょっと間引いて、いるものだけをちゃんと伸ばすようにしておくだけよね。そうしたら、色んな昆虫も、みんな元気一杯に生きられる。
 雑草が雑草っていうのと違う、本当はね。本当は雑草でも、みんな人が雑草っていう名前を付けているけど、生命力が一番逞(たくま)しいのが雑草よね。その雑草を食べる方が、本当は人間は健康になる。だから、本当に活用できる雑草は植えておかないとダメね。それを全部、野菜よりも良いのよ本当は。雑草を活用して食べる方が良いのよね。だから、野草を健康食に変えて食べている人が大勢いてるじゃない。あれ、売っている野菜は、本当は健康食じゃない。お金儲けの為の野菜だから、見栄えは良い、早く成長して、手際よく出来るって、それぐらいの感じよね。本当の自然な方が健康に良いのね。だから、みんな、楽して良いものが手に入っているように思うんだけど、反対ね。大変な目をして、おかしいものを手に入れている(笑)。

 だからもう、田んぼを植えても、お米だけがいいって思っているよね。田んぼに、よく粟や稗が生えるよね、全部抜かなあかんって躍起になって抜いているけどよ、一緒に食べたらどうかと思(笑)。昔から、そういう粟や稗やって、全部健康食の一つじゃない。みんな混ぜて食べたら美味しいのにと思うけどよ、これも、やっぱり、お米だけがいいって思ったらそうよね、他を全部雑草にして、悪者にしてしまうけどよ。一緒に刈って、それを食べたらいいのにね。そうしたら、無駄なものは何も無い。
 先ず、神さまは、必要でないものは生み出してくれていないよね、まずね。みんな必要だから生み出してくれているはずよね、色んな作物全部そうだけどね。人間が勝手に、これだけがって思う方が間違いよね。わざわざ外国から輸入してまでね、食べなあかんものは何一つ無いと思うね、身近なもので全部まかなえる。充分、余り、有り余っている。
 お金儲けだけを考えて輸出する国の食べ物って、食べられないものが一杯あるよ、毒が一杯。消毒してあったり、殺虫剤だけじゃないよね、殺鼠剤まで付いていて大変みたいじゃない。それで、やっぱり、賞味期限が切れたのまで中へ混ぜ込んでやっているっていうね。お金儲けを考えたらそうよね。だから、毒を、みんな安いからって買って食べているけど、本当は安いんでも何でもないよね。自分達の周りで採れるものだけで充分、その方が健康に一番良いはずなんだけど、わざわざ遠い所から運んでこなくて済むのよ、無駄よ、そんなんね。
 食べ物でもそうよね、旬の食べ物が一番良いのよね。わざわざ温室で育てなあかんことは無いの本当はね。時期に合った旬の食べ物が一番健康に良いはずよね。

 みんな、最初の原点を忘れすぎている。生かされているっていうのもね、本当に必要なものを与えてもらっているというのに気付いたらいいだけなんだけど、人はもう余計なことをしすぎたからよね。余計なことをしすぎたら分からなくなるね。
 病気でも、みんな余計なものを食べすぎているからよ。もう、大抵の病気は、余計なものを食べなくなったら治る。ちょっとしばらく断食するぐらいで治る。薬なんか飲んだから治るのと違うよ。薬を飲まない方が治るのよ本当はね。薬が先ず毒。だから、一番自然な原点に戻ったら病気にはならない。まず、必要なだけ食べて、食べすぎなかったら病気には絶対になれない。余計な毒を食べすぎているからよね。  
 肉食でもそうよね、しすぎたら良くないよね。本当に必要なちょっとぐらいはいいかもしれないけどね、本当は肉に変えるだけでも、穀物を何倍か余計に消費するんじゃない。殺される動物が可哀想。牛肉でもそうよね、3年か4年で殺されて寿命が短いじゃない、可哀想じゃない。それを人間が食べたら、穀物だけだったら8倍ぐらいあるんじゃない。牛に食べさせて肉に変えたら、8分の1に減るんじゃない。口当たりがちょっと良いからってね、そんなのおかしいよね。そんなん牛を殺して食べて美味しいなんて言ってたらおかしい。牛だけじゃないよね、豚でも鶏でもみんな同じよね。そこまでしなくても、穀物をみんなで分け合って食べたらいいだけよね。

 だから、人が思いの心、特に求める欲の心を出し続けたら、マイナスをどんどん増やして大きくする。求める心を捨ててしまって、与える心になったら、思いは全部消えていくよね。
お祈りは与える心よね、お祈りっていうのはね、プラスを与え続ける心だから、言葉もプラスの言葉だけを与え続けるのよね。だから、思いを全部消していける、思いを溜めない生き方よね。
でも、求める心はみんな思いをどんどん溜め続けるね。だから、あれが食べたい、これが食べたいは間違いよね。「必要なものを与えてもらってありがとうございます」って受けるだけだったらいいけどね。食欲に負けて、毒を食べているようだったらおかしいもんね。もう、味覚が先ず狂ってくるね、思いの心、欲の心はね。濃い味のが美味しそうに感じるんだけど、味覚が狂っているのね。本当は、もう自然な淡白なのが一番良いのよね、健康に良いんだしね。

 日本なんて、美味しい水が一杯あるのに、余計なものを一杯作って飲まされているよね。そんなの、必要の無いものよね、みんなね。お水でいいのにね、美味しいお水が一杯あるのに、美味しいお水の無い所は、それに代わるものがいるかもしれないけど、水の少ない所は、水が高いのね。水の方が高いのは当たり前だけどね、日本は美味しいお水が一杯あるのにね、一番健康に良い美味しいお水を飲まずに、つまらない毒の入った、高いお金で出して買ったものを飲んでいるよね。
 お金でも、余計なものを持ったら無駄使いするね。必要なだけだったら、無駄使いしないのにね。お金でも、沢山持ちすぎたらダメよね。

 これからは、もう本当に必要なものに絞り込んでいくといいよね。必要なものには、真の神さまが降りるの、与える為にってね降り立ってくれるの、必要なものに。余計なものには神さまは降り立たない。だから、思いが溜まっていくの。だから、必要なだけを大事にするのよね、すると、真の神さまがいつも降り立ってくれる。だから、余計なものは全部捨てた方がいい、関わったらダメなのね。

 生活程度を、できるだけ質素な、必要なだけに絞り込むとね楽なの。お金も少なくて済む、余裕ができる。ちょっと大きい家に住んだからって幸せと違う、掃除だけでも大変。税金はかかるし、修理代も馬鹿にならないよ、余計なお金が一杯かかるようになる。
 昔から言う「寝て一畳、座って半畳」ってね。一畳の空間があったらいいっていう。後、何もいらない、余計なものを持たなかったらそうよ。一つの家族で小さい家一つでいいのよ、本当はそうよね、一番気楽でいいよね。本当に、大きい家を持ったら幸せと違う、反対なの。ローンを組んでまで大きい家を作っても、ローンの支払いで一生追われているじゃない。払い終わった時は、もう家も古くなって壊さなあかん時になっているし、また壊す費用も沢山かかるのよね。何をしているかわからないよね。もう、ちょっとの贅沢の為に追い立てられているような感じがするね、本当に。
 小さい家だったら、地震が揺すっても壊れようがない(笑)。小さいサイコロみたいな家だったら、壊れない(笑)、屋根が落ちることも無いし、押し潰されて死ぬことも絶対に無い、大きい家ほど怖い。

 本当は、宇宙が自分の家よね、地球が自分の家よね。わざわざ、これだけが自分の家って決めなくていいよね。寝るのに必要な場所が一つあったらいい。だから、一畳だけ(笑)、寝る場所があったら、それも屋根の下だけがいいのと違う。星空のシャンデリアの輝く所もいいかもしれない。涼しくって気持ちがいい。ちょっと木の間へハンモックを吊ればいい(笑)。動物なんか、自分の家を持っていないもんね(笑)。別にいらないよね、ちょっと洞穴を掘って入っている人があるけど(笑)。無くても生きていけるよね、気楽にね。まあ、人はそこまでしなくても、ちょっと工夫したら、住みやすい場所がちゃんと作れるから。
 はい、ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/SIKkq5bnQ4g

 宇宙神ありがとうございます


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11月深夜勉強会 by 河上彰延 2021年11月27日(土) 19時00分
PC

令和3年11月河上さん深夜勉強会1(20211119−1)

質問:質問2つあります。1つ目。喜んで待つの待つは、この世はすぐに結果が現れないので待つということでしょうか。最初、待つのは亡くなって向こうの一大循環の世界に行くまで待つことだと解釈していました。

河上さん:待つと言うのは…、どう言ったらいいのかな、結果を気にするかしないかやね。

結果が自分の希望通りになりたいと思っている間はずっと待たされるね。それで神さまが1番良いようにしてる、自分の希望通りではなくてね。自分の思い通りとは全く正反対の方向であっても、例えば事故にあっちゃってね、大怪我しちゃっても良かったと思ったら、もう待つじゃなくて、一大循環の姿そのもの。

 ずっと何を話してきたかと言ったら全託、全託を分かりやすく言い変えてきただけ。先生の「喜んで感謝して待っていてくれたら良い」っていうのも全託の心やね。待つというのは全託できていないから待つのね。全託できてたら待つではなくて「ありがとうございます」「よかった」「神さまに使っていただいてよかった」とかねいろんな表現がありますけど。「神さまが良いようにしてくれてよかった」とかね、ともかく喜べるだけ。喜べたら待つ状態じゃないでしょう。

喜べないから待つみたいなね。でもそれも感謝して待っていてくれたらいい、必ず良いようにするからっていう先生の約束事なんですね。悟りの自覚もそうなんですけど、実感というのは後から来るからね、やはり待つしかないのね。

 「印可書」を素直に読んでいただいたので、既に悟ったという人は沢山出てきたんですけど、塞いであります、自覚を。もう全員同時に行こうと思ってるからね。だから「そんなん言っても自分、そんな正覚(しょうかく)を得た感じ、安心立命を得た感じをしないわ」と思ってても大丈夫です。素直に「印可書」奉納できたらね。

 どういうことかと言うとね、結局真(まこと)の神さまと自分という間に隙間が普通あるわけですよ。その隙間というのは何かというと、自分で真(まこと)の神さま以外の言葉、要するにマイナスを使ってね、作っただけなの。実際は隙間ないのに、俳優さんがね、本来は善人なのに、私は悪人ですよって言葉で作るじゃないですか?でも悪人ですよって言葉で作っても言葉を着ているだけであって、本来は俳優さんは善人じゃないですか。そういう感じで本来は真(まこと)の神さまなのに、自分は肉体人間だよとかね。そういう風にしてマイナスの言葉を自分の中に、自分の着物として着てですね、演技する時でもそういういろんな衣装を着てするじゃないですか?そういう感じで、マイナスの言葉の衣装を着てしてるだけなんですね。

そのマイナスの言葉の衣装を着ているだけ、というのを気付く為にはどうするかというと、真(まこと)のプラスの言葉だけを使えば良いね。先生の仰る「全て真(まこと)の神さまだけ、真(まこと)の神さまの御働きだけ」というのを実感するためには、真(まこと)のプラスの言葉だけを使わないといけない。

 その「ありがとうございます」を真(まこと)のプラスの言葉と受け止めれたら「ありがとうございます」で行けるんだけど、普通は感謝と思うのね。それで中々「ありがとうございますって私言い続けているのになんで?」って文句言うのね。文句を言った時点で崩れてるんだけどね。

 「印可書」は文句を言っている暇がない。だから素直に淡々と「印可書」を奉納していただくと悟ってるのね。ただ実感がわざと塞いでいます。本当に全員同時に持っていこうと思っているので今回はね。1人でも先んずるとみんな拗(すね)るのね。それで前に出た人が潰されてしまうの、みんなの思いでね。で、同時に行こうと思ってるので是非待っててください。待っててください、それだけです。先生からのメッセージはね。

質問: 200人同時ですか?

河上さん:一応200人だけどもっと10,000人にいってしまおうと思ってるんだけどね。

質問:10,000人同時?

河上さん:そうそう。思ってるんだけどね。只、その手前でまぁ色々起こったら起こったでっていう感じでね、あるだけです。先生からは色々とこうなる、ああなるとは聞いていて、それをちょびちょびと明かしてるわけですけどね。どっちにしたって本当にね携帯も何も通じなくなるのね、大変になると。でも正覚を得た「印可書」を奉納してね、悟った人は本当に心が通じるの、それこそ地球の裏側でも。だからちゃんとみんな連携して助け合えれるの。その時になったらわかるよ。今それをするとね、又、つい言いたくなるやろ。その誘惑に勝てないようになるからね、ちょっと塞いでおきます。でも大体順調に予定通り「印可書」を奉納している方に対しては上手くいっています。

 まず先生が仰る真(まこと)の神さまと一対一というね、真(まこと)の神さまと自分の間に師匠も何も入れない。教義も組織も入れないというのがね、みんなわからないのね。だけどそれってもう一切のマイナスを認めないということやね、別の言い方をしたら。だけど一切のマイナスを認めないってわからないのね、やっぱり。それを別の言い方をしたら「一切文句を言わない」とか「只々喜ぶだけ」とか「印可書奉納するだけ」とかね、言って説明しているだけ。それを素直に選び取れたら悟る。

 「身心脱落(しんじんだつらく)」と言ってね、自分という意識がその雪が解けるようにね、ガサガサっと崩れ落ちて抜けてしまって、無色透明になるよっていうことをいうんだけどね「身心脱落(しんじんだつらく)」と言うのはね、そういう感じ。正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)という本に書いてあるわけ。でも中々その本意、真意がみんなわからないだけなんですけどね。

 要するに無色透明にならないともうこの地上では生き残れないんですよ。だから落第してしまった人は、もう本当に絶対無の世界にまで落ちていくだけでね。それを「あー、落ちていきよったなぁ」って言ってほっとけないからね。無色透明になったみんなで助け合って、それこそ人間の鎖を作ってね、上から順番にこう手で繋いで下まで降りていかなあかん。色々あるんですけど、まぁその時になったら「あー、これを言ってたんや」っていう感じで分ります。

 全部自分だから、「あっ、落ちよったな」って思ってもほっとけないの。だから「右手が器用、左手が不器用、アホか!」って言ってるようなもんやな。まぁ言うたら全部自分なんだけど。「この左手不器用やなぁ」って言って笑ってるんやけど、「いやあんたやし」みたいな。その感覚がね実感として湧くの。すると神さま以外のものを認めた為にね、先生の表現で言うと一大循環の姿を自分のものとして掴んだ途端にというやつなんだけど。

 それって神さま以外のものを認めた状態でしょう?自分のものって決めたら神さま以外のものを認めてるの。その時点で崩れていくのね。だから「あいつさぼってる、怠けてる」って言った時点で神さま以外のものを認めているわけ。そういう効率主義というか、みんなで競い合ってね、立派になるというのは今までの虚の世界の宗教だから。或いは自分の希望通りの事が実現するのが幸せと思う人はね、虚の世界の宗教に行かれたらいい。

でもそういうことに満足できなくて、先生に縁があってみんな集まってるだけやと思うんだけどね。それなのにまだ先生のところに来て虚の世界の繁栄とかね、幸せを求めるんやったらそれは本末転倒です。そういう人達はやっぱり自然に離れていくというかずれていくね、「印可書」を選び取れない。

 会社で出世したいとか宝くじ当たりたいとか、色々あるやろけどね。健康でいたいというのもそうやね。健康でいたいって願う、或いは明日もこのまま同じ生活が続きたいじゃなくて、続くと思うのも既に神さま以外のものを認めてる。神さまにとったら過去も現在も未来もないのね、今の一瞬しかない。なのに明日も普通に目覚める、覚めたいと思うのもおかしいし、覚めるのが当たり前と思ってるのもまだまだ現実掴んでるね。

厳しい言い方やけどね。今の一瞬以外ないね。本当にもうそれだけやね。それが真(まこと)の神さまと自分と一対一っていう先生の真意、本当の意味。それって一切のマイナスを認めないのね。

 だから「どうするねん?」って言ったら、ひたすら「印可書」唱え続けるだけでいいね。自分の力で「印可書」を唱えれない位唱えたらスコン!と行くね。だけどそこまで厳しく言うとみんなしてくれないから、奉納してくれるだけでいけるって、先生がそこまで緩めてくれてるのね。

本当はもう「印可書」読んで、読んで、読んで、もうこれ以上読まれへんわ、もう無理っていうところまで、自分という意識を追い詰めなあかんね、本当はな。でもそんなこと言ったら誰もしないね。だから奉納するだけで出来るように大オマケになってるからね、是非、自分の自由意志で選び取って奉納してください。

 1日3回4回の回数、あんまり回数言うと回数にこだわるから言われないけど本当にちょっとで済むね、本当はな。それくらい自分の自由意志で選びとって信じ切れたらね。だけど大概の人は「私1日に3回しか「印可書」読んでないからダメや」と思うね。これが問題やね。私がダメやと思ってるだけで神さまはダメと言ってない。そこが要するにどう言うの?全託ができていないわけよ。神さまに全託できてないから、自分で勝手に自分を判断して卑下するね、真面目な人ほどな。それで自我の強い人ほど「私は祈れてる」って言うね。その「私は」が付く時点で終わってるんだけどわからないね。

まぁ、どっちにしても「自分が」という、要するに神さまと分け隔てた意識をどうするかだけやね。

 それは非常に本当は人の10倍働いてね、もう限界で倒れるところまで行って初めてわかることやね。だけどプロの野球選手というのは本当に体がガタガタ震えてね、周りが紫に見える位練習して初めてああゆう一流、超一流になるんだけど、そこまでしても自分というのは消えないね。野球を極めたから悟った人いないでしょう?それくらい限界破りというのも、神さまに心を置いてやらないとできないね。そこは中々難しいのね。

 だから先生から空手を教わった時に巻藁を作って、只、それだけを手刀で打てと。それさえできたら全部できるって言われて。まぁ実際そうだったんだけどね。それくらい1つのことをとことん突き詰めて、自分がしてる意識が消えると全部できるようになるね。

 真祈りも一緒で、朝5時集合でね寒い寒い中で,うーっ 、って(夢中で)いったらズコーンっていった(まことに深く入った)わけやね。それくらい1つの事でとことんいかなあかんのに、みんなはあれやこれやってやりたがるのね。あれやこれやってして、あれもこれもできなくなっていくね。なかなか。

 だから逆に勉強できない子というのは、「もうここわからないねん」って言ってそっから動かないね。勉強できる子というのは「これちょっとわからないからほっといてこっちしましょう」って言って、「英語しましょう。数学わからないからもう英語しましょう」って暫くしてから戻ってきたら「あっ!こうやったんや!」ってわかるみたいなね。それ何かって言ったら「自分が」という意識が消えたらわかるね。自分が理解しようと思ってる内は、永遠に理解できないというのがね、別に数学に関わらずよ。

 何事もそうだけど。自分がやる、自分が理解しようとする、自分が祈る、なんしか「自分が」という思っているうちは何もかもわからなくなる、見えなくなる。だから自分がどうこうと思っている人ほどね、怠け癖がついてくるし、もう色々あるね。

 だからそれをなんとか取りたいから神さまが一番良いようにしてるんだから「考えるな」とかね、色々と全託の誓いの内容を説明さしてもらってるだけ。

 だから全託の誓いを言ってるんだけどね、全託の誓いを立てるんだけどみんな破るの。全託してるんだったら自分で良い悪いって判断したらあかんね。だから考えるなって言うのにな、全託してるのに自分を責めるんや。そしたらそれ神さまの命だから、神さまを汚していることになるのに気づかないね。

 あまり難しい事は言ってないけど意外とみんな「自分が」という意識の中に入り込んで何も見えなくなってるね。自分がどうこうというのは、今までの(虚の世界の)宗教でやってきてるから、今の(虚の世界の→現実の)宗教に行ってください。そしたら自分がどうこうして希望実現はできます。

 そのかわり禍福は糾(あざな)える縄の如しでね、マイナスの上にプラスが立ち上がりますから大成功したら次は大失敗、いわゆる、大富豪(大貧民)ど貧民ゲームやね。その繰り返しだけやね。

 だから今生でね大富豪になったら今生では失敗しないけど、生まれ変わったら大貧民(ど貧民)になるね。この虚の世界はそういう大富豪ゲームだから。又そういう難しいゲームが楽しいね。「私、そんなややこしいの要らん」と言いながらな、8時から水戸黄門見るやつや。簡単でよかったら結果だけ見たらいいんや。

宮野さん:因縁因果の輪を断ち切ったからもう次はないんじゃないの?

河上さん:次は無いけどまだこの世はもうちょっと後…まぁ何年とは言えないけど…

宮野さん:この世はあるでしょう。そしたらマイナスの上にプラス…

河上さん:いや、だけどこの世に幸せを求めている人は1回はそれを追い求めないことにはわからない。

宮野さん:違う違う違う。マイナスの上に立ってるわけでしょう。プラスを味わいたいと思った人は次はマイナスが待ってる、ドン底があるって言ったけどそれは…

河上さん:漆黒の闇だけや。

宮野さん:に落ちるわけやね。

河上さん:それは自分の自由意志で落ちるね。神さまは落とさないで。みんなね、結局自分で自己判断して良い悪いって言ってして自分を責めるね、あれよ。だからこの世で幸せを掴むよね、そしたら自分だけ幸せで、他の人の事を私知らん顔してたわって。この世の幸せってそうやんか。みんなで助け合うんと違うね。いわゆる、100個のあんパンやね。自分だけ5つ食べたら5人の人が飢えるっていうのが。でも飢えても欲しいわけや。でも後で気づくわけよ。で、「あの人らを苦しめてしまった」って自分を責めて「こんな自分はあかん」って言って勝手に降りていくね、それだけよ。

 真(まこと)の神さまは別に罰を当てない。(虚の世界の神さまは罰を当てます→虚の世界の宗教つまり現実の宗教はそういう風になっています)(本当は)自分で自分に罰当てるだけ。だからその自分の意識を消さなあかんから「印可書」って言ってるだけでね。 

 だけどそれも河上が言ってるから、「印可書」読んだら自分が消える、では消えないね。自分の自由意志で「印可書」に縋るしかないね。信じきるしかない。それが「印可書」であろうが「ありがとうございます」であろうが何でもいいではないわけよ。先生が「印可書」さえ奉納したらというまで簡単にしてくださって、神さまとの約束でね、先生が命と引き換えに、そうやって作ってくださったものだから効果があるだけよ。それも自分の自由意志で(これは本当にいいものだと)信じて選び取るしかない。

 だからといって「印可書」を選び取れない人をね、アホやと言う事は無いね。それはここに「印可書」今選び取れる人というのはね、過去世に散々そういう失敗をしてきたのね。もうこりごりと思ってるから、素直にスっと「印可書」を選べるわけで、過去世でそういうことをしてきてない人は、そんなん選ばなくても自分で何とかなると思ってやりはるね。止めようがない。

 ニャンコさんって若い仔猫は遊びたい盛りでな、一杯無茶するね。だけどちょっと歳取ってきたら賢くなってくるね。ああゆう感じ。それはみんなの自由意志でさせなあかんね。止まらない、止めようがない。逆に「するな!」と言って縛って連れて来たってな、無理矢理解いて行きはる。どうぞご自由に(笑)。只、「そんなやったら先言っといてくれな!」って怒られたらあかんから先に言ってるだけ。

 本当にそのどう言うのかな、平成17年頃からね、もう本当に光がまともに強くなってきてって先生が毎年仰ってたのね。いよいよ本当に光が強くなってきたので、ちょっとマイナスを出すと一編に体が腐るの。それがいよいよ始まりつつありますっていう事です。どうぞ。

質問:3つ目の質問です。個人的な質問で申し訳ございません。母が認知症になり実家に行き来して介護しています。いろんなことがあっても「これでいいんだ、神さまが1番良いようにしてくださっている」と気持ちをそこに持っていくようにしています。母は2年前に一度護摩炊きに参加させていただきました。今は護摩木を書かせていただいています。神さまが母に認知症という形を通じて使ってくださっているのだと思っています。母は最近、私に対してとても暴力的です。何事も娘の私が悪いと責められてしまいます。1年前の母とは全然違うので私が動揺してしまいます。ちょっと辛いです。母は自分が今のような介護保険も何もない時代に自分の姑の世話を1人でしてきた、だから今我が娘のしている事は自分の頃とは比べ物にもならないといいます。

河上さん:その通りです。

質問:当時、私は小学生でした。母の大変さを目にして子供ながらに理解し手伝っていました。母に責められるというのはこのことを通じて私のマイナスを消していただいているのでしょうか?よろしくお願いします。

河上さん:いや、その程度で済んでいるだけ。もっと大変になるのをね、その程度で済んでるだけなんだけどね。それ以上言いようがない。みんな文句言うのね。大変だって。だけどその程度で済んでることばっかりやねんけどね、本当は。それなのに、なんやろね、文句言う。

質問:大変って思うことが文句を言っていることに繋がってないっていう事なんですかね?

河上さん:いや、だから大変って思うのは既に文句を言ってる。それだけよ。だけど自分では文句言ってるって思わないしね、辛いしな。でも、まぁ言ったら自分でゲームを作って楽しんでる世界だからね、その大変さも本当は楽しんでるのね。雪山を登るようなものでね。それが自分という意識があると他人と引き比べるから辛くなるね、それだけやねんけどね。過去世との色んな繋がりがあるでしょう。その中でお母さんとの事も色々あるんだけど、それをどう簡単に小さく消すかって神さまは苦心してくる。で、いつもいつも1番良いようになってるの。なってるのに文句を言ってまたその因縁を残すのね。「あーよかった」って言ったら消えるのにね。「大変!」って言ったら又、それを掴んだから、又、先送りになる。先送りというかもう一編利息ついてくるね。

 なんでこの世に生まれて来る時に、過去世の記憶を消されてるかと言ったら、もうとてもこんなもの消しようがないって言うぐらいわかるの。もう最初から投げやりになってしまうのね。或いは自殺てしまうね、自分を責めて。それで過去世の記憶を消して、神さまが小さく消してくださるのにね「大変!」って言う。

 「自分は貧乏で大変」とかね。「離婚されて大変」とかね。「おもろい嫁や旦那で大変」とかな、みんな言うね。(笑)文句を言わなかったら良いね。神さまが1番良いようにしてるだけやねんけどな。あの「川の流れのよう」に言うて、みんな川の中に入って川を止めようとしてるね。それぞれ ひとりひとりの人生という川を流してるのね。

 「穏やかにこの身を委ねて」って美空ひばりが歌ってるね。穏やかに委ねてたらいいのに、全託してたら良い、神さまが1番良いようにしてるって。そしたら一瞬で消えていくのね、本当は。その一瞬に消えていくとこまで信じ切られへんね。「そんなん言ったって痛い」、「そんなん言ったって大変」って。もう神さまが必要なことしかしてないのは間違いないからね、本当に良かった良かったって喜んだら、一瞬一瞬って消えていくの。

 そこが中々待てないね。痛いもん、しんどいもん、辛いもん、お金ないもん、寂しいもん、色々あるわね。可愛いのはニャン子だけやしみたいな。でも水戸黄門を8時から見たがるようにね、本当はその苦しみというかね、難しさを楽しんでるだけやね。野球でも飛ばないバットでホームランを出ないようにして楽しんでるね。そんなん金属の棒にしてみたら100対80とかってやるんだけどそれやったら面白くないやろ。2対3とか1点差の僅差のゲームっていうので面白いね。もうちょっとで1点が入らない、イライラしながら見てるくせに面白いね。そんなにイライラするんやったら見るなよって思うんだけど。「なんで阪神ここでこける、なんでやねん」とかって言いはるね(笑)そんなイライラするんやったら見なかったらいいのにって。

 それは自分の人生も一緒やね。なんでここでもうちょいやのに上手いこといかへんかったっていうのを楽しんでいるはずやね、本当は。そらそうやで、何でもとんとん拍子に行ってみ、面白くないで。色々と大変やったから後で振り返って楽しい。それが中々ね、他人とひき比べると苦しくなる。本当は自分という宇宙だけしかないのにね。

 まぁ1番みんな苦しむのは性欲の部分なんだけど、性欲なんていうのは過去世の因縁が凄い一杯あってね、逃げれない人は逃げれないね。でもそれに立ち向かって行くしかないんだけどね。

質問:どのように立ち向かっていくんですか?

河上さん:喜び勇んで立ち向かうしかない。周りに影響を与えない範囲の方法で消していくしかない。その時に周りを引きずり込むとあかんね。本当は自分の言葉で、言葉のシチュエーションで想像するだけで大概のマイナスは消せる筈やね。でもやっぱり現実にしてみたいとか思い出すんやな。小さい子がママゴト遊びで泥饅頭を作って、「はい、おにぎりですよ」とかってやってるね、もうあれだけの感じやね、本当は。それなのに大人になってくると「いや、これは土団子やし」とかって勝手に言うね。本当は言葉で言ってるだけやから言葉さえ真(まこと)のプラスの言葉に変えたらスっと変わっていくのにね。

 だから「印可書」さえ奉納してたらスっと変わるって言ってるのに、そのスっと変わる、スっと消えるっていうところが信じられないね。それで自分で掴んで引きずるね、それだけやね。掴んでるのは自分や。



令和3年11月河上さん深夜勉強会−2(20211119−2)

質問:お祈りの時間とか気にするのもそうですか?短かろうが長かろうが気になら無くなれば良いんですね?

河上さん:そうそう、それで終(しま)いやねんな。自分で勝手に責めてな、決めるわけよ。それって自分が祈っていると思ってるから。

 真祈りというのは自分が祈るのと違うの、真(まこと)の神さまが降り立って祈る。だけど真(まこと)の神さまが降り立って頂こうおと思うと、全託するしかない。で、全託とは何かというとこがみんな分らへんわけよ。「私全託してます」ってみんな言うんよ。だけど全託とは文句を言わない事やとか、考えない事やとか色々説明しているや。

 それに皆ひっかる何かがある、その分全託出来ていない。ちゃんと全託について説明してるんやで、「神さまは全知全能で、愛深い方で何でも出来る方で、その人にとって一番良いようにしかしない」から全託出来るんやでっていう事は、何遍も説明するだけど、「私一番良いようにして貰われへんわ」って文句言うの。何一つ取ってもね、私お祈り出来てへんわっていう時点でね、文句言ってるの。

 だから先生は真(まこと)の神さまが降り立って下さる状態を、護摩木を書く事によってね するよ、印可書を奉納する事によってするよって仰って下さってるから、それを自分の自由意思でどう選び取れるか。それを具体的に言わずに微妙な言い回しで説明されたんだけど、真剣な人だったら、真祈りに苦しんだ人だったら、あの先生の話で分かるの。

 でもみんなどこかで「私には出来へんわ」っと放棄したから、分からんかった。責めてるんとちゃうで、責めてんちゃうからな。

 でも何処かで松下先生をね、信じ切れんかった部分が有ったと思う。その部分やと思う、先生の話を聞いて分からんていうのは。先生が「こうや」いったら「ハイ!」やって僕は何時も言ってたんやけど、みんな、分れへん。

 それは先生に対する全面的な信頼、いわゆる先生に対する全託が出来ていなかった。だから「先生、そんなん言うけど無理や」っていうのは全託せえへんやろう?先生がやれって言ったら、やれる事しか先生言わへんから「ハイ」ってして、しないとあかんかった。

 結果は関係ないの。だけど結果を気にするというのは、自分と他人を分けて、先生と自分を分けてね、してるから結果まで気にして崩れて行った。

 先生は人の3倍働け、人の10倍働けてって言われても、結果を云々言われた事は一切ないね。でも勝手に自分の方がな、結果で自分は働いてないとか言ってるんやな、不思議なもんやね。もう質問、それで良い?

質問:ありがとうございます
 
河上さん:本当にね、神さまは全知全能で何でも出来る方で、愛深い方で、その人にとって一番良いようにしかしていないってとこを信じ切れるかどうか、今が一番良いようになっているって信じ切れるかどうか、今の一瞬しかないから、過去も現在も未来も無いの。だから過去に自分がどうこうして来たから、どうって事は本来は無いの。

 だから文句言わんようになったら、考えんようになったら、神さまに使って頂いて良かったと言えるようになったら(一瞬一瞬新たに新たに受け直している状態だから)、待たんで良いの、スッと全部、スッと行く。

 そしたら先生のように熱出ようが、咳出ようが、「あー神さまは楽させてくれへんな」は言うけど、喜び勇んではった。痛い時でも、熱出て苦しい時でも、喜べるかどうか、それは神さまに対する全託の度合いによるわけ。そんなん言うけど、熱出てしんどいねんって言ったら、もうそれで終わるの。

 どんな状態でも「あぁ使って頂けて良かった」って喜べたら良い。だから先生が何時も喜べ喜べって言ったんだけど、みんなはこんなしんどいのに何で喜べるねんとか、貧乏なのに何で喜べるのとか、借金で追われてるのに何で喜べるねんとか、言ったら崩れるの。

 だから教義は要らん。教義というのは過去の経験に基づいて、どうこうとするから教義。組織もそうやね、過去の経験に基づいてこれやったらうまく行けへんから、こういう組織にしようって組織立ってするわけやね。だから組織も教えも立てたら、それはもう偽物、虚の世界の教えやね、本物では無い。勿論、それが好きな人はそういう宗教に行かれたら良いわけで、もう止めませんけど。

 先生がバッハの時は、まだ音楽の音階が確立していなかったのね。で、12音階を平均値で計算して、知ってる?

質問:Logですか?

河上さん:いやいや、等比数列や。

質問:えー。(笑)

河上さん:12の順番に何倍していったら、要するに1オクターブ、要するに倍の周波数になるっていう、そういう計算をしはった。1.059463っていう倍数、だからドの周波数に1.059643

質問:ドの周波数、ド、ド?

河上さん:ドレミのドに1.0594630を掛けるとレになる。

質問:レになるのですか?

河上さん:12音階が、それでちょうど2倍になる。というのを平均律といってね、バッハ先生がちゃんと組み立てて、それを基準にして今の音楽が出来ている。

質問:それもちゃんと神さまが降りてきたのですか?

河上さん:そうそうそう、だから数学が出来へんと本当は悟られへんのやけど、そんなん出来んでも悟るように先生はして下さった。(笑)

質問:お願いします。音楽も数学もあかんでもお願いします。(笑)印可書で良いの良かった。ありがとうございます 本当に、どうしようかと思った。

河上さん:本当は大変なんやで(笑)

質問:バッハ先生が当時降ろされた、音階に込められた響きというのは、お祈りっていうのは?

河上さん:一大循環の相象(すがた)や。

質問:お祈りとイコール、真祈りそのもの。

河上さん:うんうん。

質問:どの曲に対しても。

河上さん:だからバッハの作った教会音楽とか全部あるでしょう?あれ全部そうです。

質問:それを聞く、演奏するという事は真祈りそのもの?

河上さん:うん、そこを信じ切れたらね、自分の自由意思で選び取れて。だからマタイ受難曲でもね、響き聞いているだけで分かる人は分かって悟るね。だけどこれは受難の曲で痛いとか、要らん意識を被せるから分からない。それでヘンデルさんはバッハの要請を受けて、メサイア、メシヤという曲を作ったの、もっと一般向けに。これは痛みが無い喜びだけや。それを聞いても分らん人は分からんから、好きにせえ、もう知らんしって思いつつ、知らんしって言ったらあかんと言うから、色々と説明しています。笑)

質問:ハレルヤはもう喜びそのものの響き?

河上さん:喜び勇むっていうやつやね。

質問:喜び勇む、お祈りとして考えたら良いですか?

河上さん:だから音楽はもうそのまま祈りやね、歌謡曲でもな。”恨みを忘れて飛んでいけ”って先ず忘れなあかん。

宮野さん:なんのこっちゃ?分らへん。(笑)

質問:そんな歌有るんですか? (有ったの声)(笑)

・・・暫し、歌等の話で盛り上がる(割愛いたします)・・・

河上さん:でもお芝居ってそうやろう?最初と終わりだけ見たら良い、真ん中要らん。第1巻と最終回しか見ない。そしたら流れと結果が分かるから、もう良いねんけど、途中でぐちゃぐちゃするのが楽しいんやろう?人生も一緒や、そのぐちゃぐちゃを楽しんでいるのに文句を言ったらあかん。

 今、模型作りでもね、部品から作ってするんやろう、今?3Dプリンターが有るから、出来合いから作るんじゃあなくて、部品から作って色々作るんでしょう?そんな手間なと思うけど、楽しい人は、それ完成したら良いの、又、次作ろうとするやん。やっぱり困難を楽しんでいるんや。作る加工のとこは3Dプリンターがするけど、図面は自分がその計算して引かなあかんからな、大変や。売ってるプラモデルやったら、プチプチ切って繋ぐだけで良いけど。

宮野さん:そんな簡単じゃあないよ。プチプチ切るんだって。

河上さん:まあ好きな人はひたすら作り続けてしまう。

質問:鷹の爪について質問しようと思っていたんですが。この間方向は自由自在だと、ちょっと疑問を持ったんですが、今の話を聞いてあー自由自在で良いんだなー思ったんで、いいんですけど。

河上さん:兎も角ね、何で鷹の爪するかといったら、どこにも力を滞らさないという事や。神さまは一大循環の相象(すがた)やから、一大循環の相象(すがた)はどこかに力が籠っているんと違うの。均一に混ざっているという事。
 神は全ての全てって言うでしょう?全ては真(まこと)の神さまの御働きって言うやん。だから神さまの働きの濃いいところと薄いところは無いの。全部均一や。光ってそうでしょう?だから身体もそうやね、全部均一に力を込める、或いは力を抜くとか表現は色々有るけどね、どっか一か所に滞(とどこお)らしたらあかんね。それをみんな中々一か所に滞らせるから肩凝るね。肩凝ったって言うや、腰痛いねって言うや。それ一か所に滞らせて仕事したからや。

 で、鷹の爪、鷹さんが空を飛ぶ時にあの形に手をしはんね。そしたら全身に均一に力入れて空を飛べるわけよ。であの形が良い悪いじゃあなくて、あれをするとね、要らんとこの力が抜けるわけよ。抜けるというか、全身に力が籠るというか、どっちも表現一緒なんやけど、結果は。それでこれでやってみたらって言ってるだけ。

 だから「宇宙神ありがとうございます」するのでもね、手の力抜いてやると、どっか他の一か所だけ、肩だけ力を入れて回したりするやん?先生の言う「宇宙神ありがとうございます」は全身均一にやりなさいや。そこ迄誰も質問せえへんから、先生答えんまま行っちゃた。一生懸命にやる前に止めちゃったしな。まああんまり責めて言ってへんで、勘違いしたらあかんで。

 先生がやれっていう事はとことん突き詰めてせなあかんね。それが師と弟子との真祈りの伝授の部分やね。師の心に弟子が合わさなあかんのに、先生の方がみんなに合わそう合わそうと苦労されて終わった。逆やろうって思うけどな。今もそうやけどな、みんなに合わそう合わそうとしてますが。只、年代がずれて来て合わしにくくなっていますが。(笑)

質問:今日は大丈夫です。(笑)

質問:だから一本足で立っての祈りの時でも?

河上さん:も一つ教えようか、ピラミッドの祈りって言ってな。(笑)名前は何でも良いけど、形だけ見せとくわ。

宮野さん:又、見えへんし、録音から。

河上さん:見えへんでも良いや、又。
 足先を外へ両側に開いて、肩の幅くらいにして、グーっと背筋倒さずに垂直に下ろす。ここで止めて(相撲のそんきょの手前、膝が直角になる程度)辛抱する。すると股関節が開く、股関節開くと全身に力がバーッと巡るね。出来るだけここで我慢して、しんどくなったら戻す。すると股関節がグッと開いて一気に体元気になる。それ一応名前つけなあかんからピラミッドの祈りってしたけど、名前は無い。(笑)

宮野さん:何処がどうピラミッド?

河上さん:三角やし、階段ピラミッドみたいや。

質問:呼吸は?

河上さん:好きにしてあんまり色々言うと、又、あの。(笑)それでしんどくなる迄辛抱する。しんどくなったら立つ。それ3回位したら、股関節開いて体に力がグッと。まあ光が通るねんけど、スポンと。

質問:大腿四頭筋が痛いんやけど。

河上さん:スポーツやないんやから、自分のやりたいだけ好きな数してくれたら良いけど。

質問:お相撲さんはこういうの知ってはった?

河上さん:だからその形で四股(しこ)踏んだら良いけど、中々出来へんやろう。あれがマネできたら良いけど、出来へんものな、四股踏みが。それよりこの方(止めたままの状態)が良いやろう。四股ってあの状態から上げなならん、上がらへん、上がらへん。(笑)お相撲さんその状態から上げるや。膝を上げてるだけで(みんなは)お相撲さんは全体がグッと上がる。それが凄い。後映像ないから、後みんな教えてあげて下さい。

 簡単やろう今のは?ここの股関節開くのが大事や。中々股関節を開く仕事というか、普段の体の動きってないねんな。開いてやらないと、でも開かなあかんとなったら、又、崩れるからね、そのへん微妙なところやったからね、余り言わんかった。形ばっかり言っても良くないし、だから大和座法でもね、それに適した人はそれで良いけど、誰もがせなあかんでは無いから。でもこの頃体だるくてしんどいねんという人は、今の股関節開くのをしたら一気に治ります。

質問:手首、足首、肩甲骨、股関節、他に何かあります?(笑)

河上さん:まあー、一杯有るねんけど、一つづつ、ちょっとづつ、段々と中から。あんまり形を言うとね、その形をしなくちゃってなるから、微妙なとこやね。

質問:でも今のはこの形で良いんですよね?

河上さん:ハイ。

宮野さん:あれで「宇宙神ありがとうございます」をしなさいじゃあないんですね?

河上さん:別にあれでどうこうは無いんだけどね。

質問:何でも手振り入れたら良いんでしょうかね?今のポーズしながら手振り、片足立ちとか。

河上さん:勿論そうよ。それも良いし。

質問:それ無理じゃあない?

Iさん:私しているよ、家で片足立ちで。

河上さん:今の形で片足立ちは出来へんし。

1さん:あれは無理です。

河上さん:やってみ片足立ちで凄いよ、ピシって王選手みたいに動けへんで。見せて、今、みんな見たい、自信満々や。(笑)

 *Iさん片足立ちで鷹の爪の手(印?)で手振りを披露する。

宮野さん:やっぱり鷹の爪やと安定するね。

河上さん:うん、光が良く通るようになったもん。だけど又、あんまりこれを強調すると、そうしなくちゃあいけないってなるから、中々微妙。

 どういう事かといったら、師が弟子にね、一人一人教える事が違うの。あなたはこれ、あなたはこれって、その人に応じたのしか教えられへん。だけど今は時代が切迫しているから、ある程度言っといて、みんなに選び取って貰うしかない。だから先生、手振り一杯出しておきはったんだけど、あんまり記録残って無いから、あれはあんまり言わずに別の形で言ってます。

 先ず自由自在っていうのが大事なの。自由自在っていうのは何かっていうのは、自分の自由意思で選び取れるって事や。そこが大事やね、こう言われたからこれをしなくちゃあって言ったらもう違うの。自分の自由意思で、ヨシこれをやって見ようっていうのが大事。

 今までの宗教はね、こうしなさいや。するとこうしなさいと言った人の責任に押し付けて、みんな無責任に適当にしてきた。だから悟った人でえへんかった。で又、悟りを求めて宗教に行けへんしな。この世的な幸せを求めて宗教に入るからな、まーそれで良いねんけど、みんな好きにしたら。

 でもこの世的な悟りっていうのは、先生のお姿を見たら、五井先生のお姿を見たら分るけどね、熱出ようが、咳出ようが良かったや。神さまが一番良いようにしてるっていう絶対の信や、全託の誓いやね。「何を文句を言うか」五井先生がよく「文句を言いなさんな」って良く言うんだけど。

質問:先の2番目の質問の方も、神さまが良いようにされてるって分かっていらっしゃるんですけど、でも出て来る言葉は「大変」みたいに・・

河上さん:そうそう、自分にとって一番必要な事しか神さまはされないってとこ迄、いかなあかんね。だけど自分にとって必要でないと思うから、辛いとかね、悲しいとかね、なるわけよ。

 自分にとって必要か必要でないかって何で思ってしまうかといったら、自分と他人を分けるからや。全部自分やったら、どの体験も味わって、もうそのままやね、大きな川の流れよ。

宮野さん:頭の中では全託であって、絶対の信を持っている、持とう、持ちたいという、切なる願いが皆さんの中に芽生えているに関わらず、癖でもって、ついなる。

河上さん:そうよ、うん。なるね。でも痛いねんという癖が有るの。でもしんどいもん、でも眠いもんって。

宮野さん:その言葉を発する度に、「あー違う違う、絶対の信や」って戻るわけでしょう?

河上さん:だから印可書が有るね。悩んだ時、行き詰った時、苦しい時、印可書に立ち戻って下さい。それで乗り切って行けるって。

宮野さん:言ってしまう、発してしまう癖の物が徐々に無くなって行くだろうが、それまでは出しながら、印可書に戻り、神さまの方に向き直すっていう形を繰り返しながら、っていう事ですかね?あかんの?

河上さん:ハイ、良いです。そこはね、どう説明したってみんな悩んで苦しむわけや。だから悩んで行き詰まった時は印可書に立ち戻って。

 だから教えも組織も教祖も要らん。みんなが絶対の中心、総責任者。総責任者っていうのは絶対の中心者、絶対の中心者っていうのは全ての全てに真(まこと)の神さまを与えられる人や。全ての全てに真(まこと)の神さまを与えられる人っていうのは、一瞬一瞬真(まこと)の神さまが降り立てる人や。一瞬一瞬真(まこと)に神さまに降り立って貰おうと思ったら、自分が一切ない。自分が一切無いというのは、一切文句言えへん、な?神さまが一番良いようにしてるって信じ切れる人や。神さまが一番良いようにしてるって信じ切れたら自分が無い。自分が有ったら文句出る、痛い辛い。

宮野さん:感想はあかんのですか?(笑)

河上さん:だから楽はさせてくれへんなーは、かまへんのやけどな。だからさっきまで熱で熱いから、これフアンを入れといたけど、今度は一気に寒いから火いたいて、どんなんやっていう感じやけどな。

宮野さん:それは文句じゃあなくて感想ですね?

河上さん:うん、この服買って貰って便利や。熱出てきたら風当てて、寒くなって。

質問:そういう使い方ですか?

宮野さん:それ言ってもマイクの向こうの人(録音聞く人)分からないから。

河上さん:あぁ、風神服です。(笑)(風神服:服に付いた小型ファンで、服の中に外気を取り入れる)

宮野さん:両方使うね、電熱式ベストを着ながらその上に風神服を着る。

質問:(足に)カイロはって?

河上さん:今、一杯足にまとわりついて氷のようになったの気付いてくれて。

宮野さん:だって同じ症状ですもの。




令和3年11月河上さん深夜勉強会−3(20211119−3)

質問:大和座法の話が出ましたので、確かこれを習ったのは5年以上前だったと思うんですけども。まあ最初は1分もできない。で、ちょっとずつ伸ばしてきてやったり、或いは凹んだりしながら。最近、Wさんが凄くグッと入っているのを見て「あっ!」と思ってやっててある程度自分でこう…

河上さん:だからお風呂でしたら良いね。お風呂でしたら体重が軽くなるからやりやすい。

宮野さん:湯船の中で。

質問:でも1時間も入ったらのぼせますよ。

河上さん:いやお風呂の温度をぬるめにして。

質問:いや、そこで言いたいのはね、例えば2時間いかなくても自分の中で「あっ、ここ迄でいいな」と。まあ、この間も似たような事を言われていましたけども。思ったらそれでいいんじゃないかなという風な…。やっぱり2時間いるんですか?

河上さん:要するに座っているという意識がね、消えないとあかんね。もう一言それだけやね。座ってる意識があるうちはずっと偽物やね。只々、真(まこと)の神さまが降り立つだけやから降り立った瞬間に体重を感じないのね。すると24時間座れるようなる。只、おしっこ行きたくなるのよ。そしたらめちゃくちゃ怒られてな、「なんで水分とってきたんや!」って怒られるの(笑)。中々…、だけどそこまで考えなくていいからね、今は「印可書」があるからね。只、感覚としては座るというのが消えないとあかんね。

 例えば竹刀を振るでもね、剣を振るでもね、振るというのが消えたら本物やね。空手で巻藁を突くわけだけど、この突くというのが消えなあかんね。まぁ正拳突きでもいいんだけどね。この突いている意識があるうちは本物と違うね。突いてる意識が消えるとね、例えばバッと切られても、パッと避けれたりできるのは、普通なスポーツやったら「ちょっと待って、準備体操するから」なぁ、「筋切るやん、ちょっと体暖めるからちょっと待ってや」って言わなあかんね。だけどワァーって切り掛かってくるわけでしょう。それを一瞬で避けてパッと。それもスパっと動けるというのはね、自分という意識がないから。

 自分という意識があったら「ちょっとウォーミングアップしてから」とかになるわけ。だからプロ野球でもスポーツ選手でもウォーミングアップしてるでしょう。まだまだ自分があるから。自分がなくなったら。要するにウォーミングアップがいるというのはどこかの筋肉に力が籠ってるわけ。さっきの鷹の爪みたいに全身に巡らせたらウォーミングアップは要らない。だから普通はスポーツやったらね、ウォーミングアップをして終わったらね終末体操って言うの?最後の体操してゆっくり…

質問:クールダウン。

河上さん:そうそう、クールダウンって言うね、今はね。昔は終末体操やった。(笑)クールダウンね。それをしないと体を痛めるって言うんでしょ。それってどこか自分がやってるっていう意識、自分がやっているってなると、どこかの筋肉だけ力が籠るの。それは痛むの。だけど今の鷹の爪じゃないけど、あるいは大和座法でもそうだけど全身均一にっていうね。だから真(まこと)の神さまの働きに濃い薄いは無いのね。全部均一働かれてる。空気のように。空気って全部均一にあるでしょう、そういう。

 それが肉体人間の体に持ってくるとね、関節の繋ぎ目から股関節とか肩甲骨とか、骨と骨の繋ぎ目から光が湧き上がってくるからっていうことで、ちょっと形のような事を説明したけどね。だけどそれだけやっていったら違うわけよ。

 まずは真祈りやね。まず「印可書」から入ったから、今は色々なことも言いやすい。昔は「印可書」がなかったから、余り要らん事を言うとそれに囚われてまた崩れるのね。又、これ1つだけって言っても崩れるしな、素直に「はい」ってなかったから。先生が言うんだからもうそれだけ、とことんっていうのは僕だけやったね。で、先生の真似をしてとことん断食したら「お前はしたらあかん」って言われて「はい」って…(笑)。

質問:これも剣道の剣を振るのと同じで…

河上さん:そうそう。振りたまも振りたまを振っている意識が消える迄、本当は振らなあかんね。だけどあんまり形を言うと又、あれやから大体でいってください。まず「印可書」の奉納が根底にあると思ってください。

質問:先生が手振りを教えてくださったのも自分がやっているという意識が消えるまでやって欲しかった…

河上さん:そうそう。それだけで悟れたのねあの時は。だけど誰かが反対したのか、「嫌や」と言ったのか、あんな自然消滅するのは不思議やったね。なんであんなに簡単に止めてしまったんやろなって。先生は「止め」って言うわけないしな。みんなの自由意志があるから、もう先生黙ってはったんやろう。

 だから神さまは色んなご馳走を並べてくる、真祈りというね。神さまから来る真祈りというのは色んなご馳走で来るの。だからどれ選んでもいいの。選ばなかったからあかんではないからね、これだけは間違わないでね。止(や)めたら止(や)めたで構わないしね。只、あれだけで悟れるのに勿体ないなぁって思ってしまうだけで。

 体が凄い健康になるしね。しんどいであれ1時間以上続けてやるというのは。でもそれで凄い体がすごい健康になるのね。だから病気の人、ノイローゼの人はあれは1時間強引にやったらな、強引って勿論自分の自由意思でやらなあかんけどね。一編に治るんだけど。只「そうしたら治るんや」って言ったら治らないね。そこやねんな。だから形を言うのがもの凄い怖いのはね。それさえしたら治るんではないのね。

 只、「印可書」だけは、「印可書」奉納さえしたら悟れるというのは間違いない。

質問: 1分間の呼吸を止めるので、2秒・32回って教えていただきました。あれは32回終わってから呼吸を吸ったらいいわけですか?

河上さん:はい。

質問:ですね。で、32というのは天照大御神さまの象徴と考えていいんですね?

河上さん: 32という数霊、言霊やね。完全円満具足の姿やね。それは等比数列で出るんやけどまた嫌がるから、また綺麗な綺麗な数字やね。もうこの世はね、全部、等差数列、等比数列、階差数列でね、綺麗に出るね、もう恐ろしい位。もともと神さまというのはそういうものやね。だから二分割と言ったらすぐできるやろ?円を三分割って言うとちょっと考えるね。次、5分割って言ったら大分考えなあかんね。それ次、13分割って言ったらまた考えなあかんね。でもそれが全部ぴたぴたっと収まるようになってある。数式で証明してもいいんだけど又、色々あるからもうやめとく。「印可書」あるからな、もう今は。

質問: 16といえば皇室の菊の紋ですよね。その倍数で天照大神やというようなことを先生が言われていたと思うんですけど。

河上さん:うん。それで完全円満具足になるね。裏と表やから。裏と表で16で32や。

質問:表が16、裏が16。

河上さん:要するに右旋回、左旋回。その旋回の数が32やね。

質問:わかるようなわからないような(笑)。

河上さん:だから数式を出してこなアカンねんけど、まぁええやん。「印可書」あるんだからもう。

質問:はい、わかりました。

質問:結果を求めてはいけないんですけど、そういうのが数式で見えたら、ちょっと楽しいだろう、楽しいっていう言い方は変ですけど…

河上さん:数学に興味持ってきた?

質問:いや、どんな風に見えるのかなあって。どんな風にわかるのかなあって思うと…

河上さん:太陽系がね、地球も全部見事に運行するでしょう。あれを歯車で作れるんよ。

宮野さん:あるある。

河上さん:それ歯車で作れるという事は全部数式で表せれるからやね。

宮野さん:今そういうの売ってるじゃない。

河上さん: という感じやねんけどね。だから数式やから入れ子構造がわかるね。だから等差数列と言ったら、間が3やったら3ずつ足していった数字が並ぶ。等比数列と言ったら、例えば3ずつ掛けていく数字が並ぶわけや。3で言うとな、いう感じやねんけどな。 1 ÷ 3=0.333 の循環少数な。ずっと3が続くね。それに× 3が1や。

宮野さん:分数でいいん違う?

河上さん:いやいや、だけど0.999って思うでしょう?だけどそれは数列の和という合計で計算したら1になるね。綺麗に証明できるんだけどね。今言ってるのはそういうことやね。

 綺麗に見えるというのはね。普通は理屈で言ったら 0.333 × 3 = 0.999で1にならないと思うわけ。だけどずらして足すと1になるね。要するに裏返して足すと1になるね。例えば123。これで下に321って並べるやん。で、足してみっていう感じやな。全部4になるやろ。

宮野さん:次回から黒板も用意してください。(笑)

河上さん: 1・2・3て書くやろ、次3・2・1って下に書くやん。で、筆算したら全部4になるやん。綺麗と思わない?凄いと思わない?

質問:下に3・2・1って書くんですか?1・2・3の下に3・2・1なんですか?

河上さん:いや、例えば…

質問:表と裏っていう感じで考えたら…

河上さん:そうそう。

質問:ああ、逆にね。

河上さん:だから1・2・3というのは交差が1。順番に1ずつ足していった数字や1・2・3って。1に1足して2やろ。2に1 足して 3や。それを逆さに下に書いてね、足してみたら4になるし。引いたらどうなるかっていう感じでな。まぁ見事に綺麗に出るね。それがわかったら0.333 × 3は1っていうのが証明できるね。今、黒板ないし。此処で書いてもいいんだけど、又、ややこしくなるからもうやめとくけど。

 だけど屁理屈で言うとね、0.999で1にならないんじゃないかって言うんや。でもちゃんと数学的にも1になるように証明できるのに。そういう感じでね、神さまの世界が一大循環の姿でね、入れ子構造で、ところてん構造でっていうのも数字で出てるんよ。

 でも理屈言いは「わからない」って言うね。分かろうとしないだけやとこっちは思うんだけど、まぁええし、「印可書」あるしって。凄い楽になったんや「印可書」あるし。もう数式全部ほっとくしみたいな(笑)。その逆さまにして足すっていうのはね、数学の天才、大数学者ガウスっていう人が発見した。それに気づくのが凄いね。それも小学校2年生位の時に。

宮野さん:なんか数学の話多いなぁ。この前の勉強会は何か「ほぉ?、わかりやすい話やなぁ」って思ったけど今日は…

河上さん:だって数学って振ってきたからついつい流れてしまって、(笑)嫌やろうと思ってズラしてるのに、又、戻してくれたんや。

宮野さん:前回の勉強会みたいにさ、病気治しは病気を治すんじゃなくて運命を変えていくみたいな。これわかりやすい話やなぁとかさ。あの万博の話とかね、人類の…

河上さん:進歩と調和。

宮野さん:そう。

河上さん:進歩も調和って同じ意味やねんな。

宮野さん:それは凄いわかりやすかったなと思って。

河上さん:虚の世界に立っていると進歩と調和が別の意味やと思う。

宮野さん:あれは分かりやすかった。この間は冴えとったなぁ。

河上さん:その頃、ある宗教家が神さまから人類と進歩と調和が降りてきたって言ってな。言うてんけど業想念に踊らされている人やったからな、そういう事を言いはった。

 松下先生がボソっとな、「進歩と調和」って言って吐き捨てるように、同じ意味やのに。「神さまが同じ事を重ねるわけないわ」って言うてな(笑)。だけど自分と他人を引き比べて結果を気にする人にとったらそんなんの方が正しいと思う。結果を気にしたら支え合えられないね。使いもんにならない奴は捨てていくね。

質問:昨日、今日と太郎坊で鳥居作りがありまして。延べ40名位の方が奉仕に携わったんですけど。その中にはもちろん慣れた方もいてはるし、初めての方もいてますし、体が元気な人もいてれば、ちょっと足腰心配な人もいてる中で、それぞれ自分のできる…

河上さん:精一杯のことをしたらいい。

質問:精一杯のことをされて、結果終わってみれば23基建立できました。作業中はできた鳥居を見る機会ってなかったんですけど、次々と建てていくんで。でも後から振り返ってみると、それぞれができる範囲で支え合った姿が象徴的に感じられたんですね。鳥居という形で。とても参加できて良かったなぁっていう気持ちと同時に今、世の中が効率主義と競争社会が蔓延してる中で、真祈りしている人たちが奉仕作業…

河上さん:支え合いを見せないとね。

質問:はい。それが今回のことで響きが伝わったんじゃないかなって感じたんですけども。

河上さん:村こそな、誰も弾(はじ)いたらあかんね。差別があったらあかんね。それだけや。

 効率主義になると差別して弾くようになる。20人超すとな、特権階級とな、奴隷階級ができるね。1番大変なのは上に立った特権階級の人、背負うべき物が多いからね。よっぽど真祈りできないと、後が凄い大変。この現世の厳しさはね、その時には出ないのね、後になって噴(ふ)いて(噴き上がって)くるから。例えば切腹をして切腹をする時にはわからないね。後になって、もうどうしようっていう位痛いわけやんか、みたいな感じやな、極端な感じで言うと。

 だからちょっとやってみて、あかんからまたやり方変えたらええわっていうね。過去の経験に基づく経験主義というのが、ダメというのが中々みんなわからないね。今の一瞬一瞬新たに受け直してやっていくっていうね、「印可書」の世界、真祈りの世界が中々わからないね。

 でもいよいよね、光が強くなってきたから、ちょっとでも神さま以外のことを思うと体が腐るの。神さまの名を語って、神さまの以外のことをしたら、もっと腐る。

 只、もう「印可書」だけ。真(まこと)のプラスの言葉だけ。腐ってきてからな、もうオマケがないから、こっちからはどうしようもないね。本人が自分の自由意志で真(まこと)の神さまを選ぶ、「印可書」選んでやっと腐りを止めれる位で、戻せない。

お医者さんはね、色んな病名をつけるだけ、今回も。

質問:その腐った時点で「あー良かった」って思えたら…

河上さん:思えたら腐るのは止まるけど治らないね、今回はね。最後やから、そういう形で消していく、神さまに使っていただいて良かったって思える人ね。そのちょっとでも神さまの仕事を手伝わさないとね、助けようがない、もうはっきり言うと。

 昔、ある所へ就職しようとされてたんだけど徳がないから、不可能やったのね。だから先生がその人を呼び付けて「ちょっと今日1日この作業をしなさい」って山の作業させるわけ。山の作業をすると神さまの手伝いになる。で、それをさして帰すのね。そしたら通るの。で、就職できるの。

 先生はもうここでしたからどうこうって言わなかったけどね、その感じを今度は山の作業で追いつかないから、腐る形で使うわけ。全然神さまを思わない人でもね、腐ったいう形で神さまのお手伝いをさせるの。でも1番は「印可書」を奉納するのが1番楽で良いでって言ってるけどね。何を選ぶのも自由や。

質問:腐っているときは痛みを伴うんですか?

河上さん:はい。

質問:痛い?

河上さん:痛いです。痛みを伴わない場合はもっと大変です。気づいたときにはもう全く手遅れみたいな。痛いから早く気付くやろ。もう既に始まってるからね。まだ症状として具体的に出てない人が多いけど。ちゃんと11月からって説明したからね。もう11月半ば過ぎたし。それをね病名的に癌とか、何やったかな?カヨウ菌って言ったかな?なんかそんな菌やとかね、色々とつけ始まってるね。お医者さんの方で、新しい何とか癌やとかって言ってはるわ。お医者さんは病名をつけるのが仕事やから。

 先生がね「1人残らず連れて行く」って言ったでしょう。その約束は守りはるわけ。だから神さまに振り向いてない人は、腐る形で使って、神さまのお手伝いをさして連れて行くわけ。ちょっとでもその形でお手伝いしといてくれたら、漆黒の闇に落ちても微妙に光るのね。だから探しに行ける。腐ったところが光る。

質問:使ってもらったところが?

河上さん:そうそうそう。だからみんな怯える必要は無いね、「良かった」って喜んだら良いね。中々な痛い時に「良かった」って言いにくいね。そこで信を問われる。でも先生を見習わなな。先生は熱があろうが咳があろうが、ね。

 鳥居というのはね、十字架の象徴やね。太郎坊というのはね、イエス様の場所やからな。だって太郎さん赤い服着てたやろ?

質問:そうなんですか?

質問: イエスさんと赤い服は関係あるんですか?

河上さん:サンタクロースも赤い服着るやん。神さまはお仕事をする時、みんな赤い服を着るね。だからあっちの教会、赤い服を着てる偉いさん多いでしょう。赤というのはね、無垢(むたく)を表すね。無色透明を。だから赤ちゃんて言うでしょう。明るいって言うでしょう。

質問:赤は分かりましたけど太郎坊が何故イエス様と関係が…

河上さん:太郎さん赤い服着てたやん。

質問:あっ、名前の?太郎?

河上さん:まぁええわ、あんまり言わんとくわ(笑)

質問:ゆかりの地ではある?

河上さん:生石(おおしこ)神社とね、太郎坊と繋がってるね。どっちもイエスが関わっているね。

質問:但し書きには聖徳太子様も関わっている…

河上さん:だから聖徳太子ってイエスやろう。

質問:えっ馬子?その節はそうだったんですね。厩で生まれたというのも同じ?

河上さん:うん。ウマシアシカビヒコジノカミって言うでしょう。ウマシっていうのは完全円満完璧性をウマシって言う。だからご飯がおいしい、うまいって言うでしょう。完全円満完璧においしいからうまいって言う。だから赤ちゃんを産むって言うでしょう。神さまの命がグワっと輝きだす時に「うー」や。だから動くの「うー」やね。ちゃんと言霊になってるんやけどな。

 だから今は間違って使われてるけどね、ノロって言うでしょう呪いって。呪いって本当は祈りなんやね。のりごとの意味。のりごとの動詞形がノロやね。だから真祈りの事をノロって言うのね。それなのに呪うって今は間違って使ってるだけで。

 だから甲山ところに神呪寺(かんのうじ)ってあるんやね。神を呪う寺って書いてあるんだけど、あれは真祈りそのもの。まぁ空海さんの作ったお寺やけどね。みんなわからないのね。神を呪う寺なんやみたいな(笑)。

質問:沖縄の祈り言葉のことをノロと言います。

河上さん:そうそうそれ、元の言霊やから。だから日本語は本当は神さまの言葉やからね、ちゃんと使わないと。だから大変やねんて。日本語でな「あいつあかん奴や」とかな、あんまり言わん方が良いね。「全部神さまが良いようにしてる、良かった、良かった」っていうとこで1番安全。

質問:人の様子を見て「大変ですね」なんて事は言わないほうがいいですね。

河上さん:言わないほうがいい。だから結婚式もしなくなって、葬式もしなくなったから良かった。虚偽の言葉を使わない。なぁ、やんごとなきお方たちが結婚式しないのに、下々もしたらあかん。全部お上に習わな。上の方が結婚式しないのに、なんで下のものがするの?あかんやろう。違うか(笑)


令和3年11月河上さん深夜勉強会−4(20211119−4)

質問:太郎坊におられる神さまというのは以前、先生のお話の中でもこの話が出てきたと思うのですがもう一度。

河上さん:えっ、なんで?だから生石神社(おうしこじんじゃ)の、まぁ西の生石、東の太郎坊。

宮野さん:生石と書いてオウシコ。

河上さん:それの要石として太郎岩が伊賀にある。その3つで地震を止めてる。

質問:伊賀ですか?

河上さん:うん?

質問:日本の地震を?

河上さん:うん?もう最後やからな。そういう秘密を明かしても構わない。そこへ面白い祈りをしに行ったら、その人が大変になるだけ。「印可書」を奉納してたらいい。

質問:河上さんが今仰った、最後が、又、ちょっと気になったりするんですけど。

河上さん:何が?

質問:今仰った「最後やからもう言ってもいいやろう」みたいな。

河上さん:だからもう因縁因果の輪を断ち切ったから来世は無いね。真(まこと)の世界に帰るか、漆黒の闇に落ちるか2つに1つだけや。

質問:最後というのはそういう意味なんですか?

河上さん:だから地獄がどんどんね、この現世と重なってきてるのよ。それで体が腐ると言ってるけども正確に言ったら脳が腐るの。それで本当におかしい人が一杯出てくる。それは地獄の様相と重なるからや。とうとう、大変やね。

質問:脳が溶けるのと脳梗塞は何か関係あるんですか?

河上さん:そうそう。だから溶ける、そんなんやったら未だかわいい、楽や。それで死んで済むもん。だけど本当に痴呆症になるわけや。脳梗塞って言ったらある意味、脳全体が腐って死ぬだけや。だけど1部が腐ったら大変や。そしたら記憶を失う。大変やで、ちゃんと「印可書」を奉納しといてな。皆さんが「印可書」を奉納されたらプラスの真光やね、いわゆる、真祈りの響きが響き渡ってね、そういう頭がおかしくなる人も少なく済むわけ。だから護摩を盛大に本当にしたいの。

質問:まあそこですよね。怖がらせるようなことを一杯言われてるんですけど。

河上さん:護摩?

質問:護摩をというか盛り上げるだけ。

河上さん:うん。みんなで喜んでね。

宮野さん:ここのところずっと上手くいっているからあんな感じで…

河上さん:いやいやでも護摩に参加してくれたら、それだけでもだいぶ違う。護摩に来なくなったら大変や。

宮野さん:それはほら、又、そこら辺で変な解釈になるからさ。

河上さん:何が?

宮野さん:騙されてでも一回でも連れて来てって。でも護摩に来ないようになったらというのはどこにかかっている言葉なのかやな。

河上さん:まだ明かさない方がいいで。

宮野さん:はいはい。

河上さん:責めて言ってるんと違うからな。だけど下手に明かすと責められてるみたいに勘違いしはる。

宮野さん:やっぱりそっち?!

河上さん:うん、そっち。地球の存続に関わることや。

宮野さん:なので、いつも言う親の死に目以外は、無理しても参加しましょうという。

河上さん:うん。だから本当に1つ間違うと携帯も何も通じないから。そしたら自覚は無いけどすでに正覚(しょうがく)に達した同士は突然心が通じ合ってね、動けるけど、できるだけその事態は避けたいと思ってる。みんな仲良く一緒に。

 だから先生からは色々とこうなる、ああなるとは聞いているんだけど、そうならないようにしようとしてる。だからちょっとでも教義を立ててね、組織を立てようとした途端に地球は滅びる。もう凄いもんや。あっという間。そうなる時に、そうなるととりあえずまず連れて行けるのだけをという事になるから、心通じ合う者がみんなを引っ張って来てもらわな。でもそうしたくないからね、こんな大変な○○に。

 第一、総責任者も大変やでみんな。此処に座る恐ろしさがみんな身に染みてわかるようになる。でもそんなんしなくてもね、護摩でみんなで喜んで、お祭りでパッといきたい。

質問:それがこの今後20年という?

河上さん:だから護摩で上手いこといったらそれくらい持っていけるけどね。教義を立てる、組織を立てようとした途端にあっという間や。

質問:立てる人が現れるということですか?

河上さん:そのなんて言うの?教義を立てない、教えを立てないということが不安でたまらない人が出てくるやろ。真祈りしてなかったら、「印可書」奉納してなかったら。

 「印可書」は教義ではないしな。そこがね「印可書」を選び取れない人はやっぱり不安で仕方がないね。そしたらとりあえずこの教義を立てて、この組織を立ててってなってくる。組織になった途端になもう大変やね。先生が1人残らず連れて行くって宣言しているだけに大変。わかってる者だけ連れて行くやったらもっと楽なんやけどな。色んな意味で任された重さがいっぱあるんや。言えないけど、あまり言うと怯える人出てくるし大変やからね。まだ。もうちょっと「印可書」奉納する人が出たらもうちょっと明かせます。

宮野さん:質問がないのかな?

河上さん:うん、ないから終わるけどね。だけど…

宮野さん:えっ?ほんまかなぁ…。

河上さん:いや、ここでサラっと終わったら…
もうええわ、どうぞ言ってください。

宮野さん:いやいやいや。まだあるん違う?いつもほら、締めてからあるじゃん。

河上さん:ここから2時間は辛いな…(笑)それやとここから2時間になってまた4時になるやん。

宮野さん:うん、だから今聞いときましょうって。

河上さん:いや、だからいつもここでプって終わろうとするね。ここでうっかり聞くとあと2時間になるから。いいの?

宮野さん:いいの。

河上さん:はい、聞きますどうぞ。気づかないふりしてスっと今締めかけたのに。

宮野さん:もしかしたらみんなはもうこれで「あぁ、印可書だけや」って事でわかったから「よしよし」って。ピラミッドの祈りをして、鷹の爪をして、大和座法をして祈り続けるで良いよね?

河上さん:うん、問題ないよ。

宮野さん:体が固かったら風呂の中で股関節を緩める。で、入りながら「印可書」を読む、「宇宙神ありがとうございます」と言う。

河上さん:もうやりやすいことばっかり説明してみんなで出来るはずやねんけど。どれ選んでも自由やしね。全部しろって言ってないし。


宮野さん:で、ハレルヤを歌う。

・・・一部割愛・・・

宮野さん:あっ突っ込みが、入れないように思って小さな声で喋っていて、でも何か入れて、ツッコミの内容が理解できたって方もいらっしゃるし、それはあると思う。それでねお祈りが出来る、「やってみよう」、「あっ!こういうことやったんやな」って思われたらそれはそれで有難いかな。難しく言いはるでしょう?訳のわからんことをさぁ。もうちょっと簡単に言ってくれたらいいのにわざと難しくね。

河上さん:やっぱり引っかかるように言っとかないと。サラッと流れて終わる

宮野さん:それならにゃんこ子語で言ったらどうよ、にゃんこ子語で。なあ。

河上さん:にゃん子と喋ってるのバレてな(笑)。えらい怒られてん(笑)

宮野さん:猫と喋ってはるからね。

質問: 確認なんですけど、すべてのすべてに神さまの働きが、さっき仰ったみたいに空気のように…

河上さん:もう隙間なく。

質問:隙間なくすべてにですね。考えることとかも。

河上さん:そうです。

質問:それから漏れる法則…

河上さん:漏れる事は不可能なの。漏れたように自分で決めて演技するだけやね。だから先生がね「既に悟っている救われてる祈ってる」って仰ったのが本当やね。だから教義も組織も要らんわけ。だけど吉本新喜劇でね、アホ役しはるやん。アホの坂田とかな。だけど本当はアホやないやん、そうでしょう?藤山寛美でもアホを舞台の上ではしはるやんか。ああゆう感じでしてたのを、もう演技をしてるのを忘れて、その中に入り込んでるだけよ、みんな。

 だけど入り込んでるけどね「神さまは全知全能で、何でもできる方で、愛深い方で、あなたにとって1番良い事しかされないよ」って言ったら納得はできる。本来自分そのものだから。真(まこと)の神さまそのものだから。だけど演技してる自分とのギャップで苦しむ。

 それで真(まこと)の神さまの部分がもう本当にすべてでね、演技してる自分なんて本当に髪の毛1本もない位やね。たったそれだけやね。だから教義も組織も要らんね、一瞬の問題やね。だから待つとか待たないじゃなくて、一瞬なんだけど。その髪の毛1本にしがみついてると待つ状態になるわけ。「痛いねん」「でも痛いやん」って言うわけや。違うやろって、喜んでたらいいね。「神さまが良いようにしてる」って言った途端にパッと変わるのに。だから先生は熱出ても咳出てもね、一瞬一瞬やった。一瞬後には治ってはる、でも又、次のが来てというだけやった。 

 それはみんなも一緒やね、演技ってそうや。こういう演技としても、続けようとしないと終わるやん。それ頑張って続けてるの、私はこういう性格で、私はこんなすね虫、私はこんなに数学分からんって、勝手に決めてるだけや。みんな分かるんで、本当は。私は英語喋られへんって言ってるやろう?だけどみんな喋られるんや、言霊として分かってるんよ。それを分からん単語を憶えないとあかんって言うから、喋れんようになる。

質問:数学は?数学は何で分らへんやろうって思うからなんですかね。

河上さん:そうそうそう、それだけや!だから分からんようになったら、印可書読んでひたすら祈るっていうのが一番速い。だから真(まこと)の世界、神さまの世界に行くとね、勉強会と言うのは統一や、統一というのはお祈りよ、真祈り。要するに神さまのみ心に統(す)べる、統一する、ピタッと合わせる事が勉強や。で、先生が仰るに、真(まこと)の本心の自分でもね、真(まこと)の神さまからみたらこんなもん(指で小さい形を作って示している)やって。それをどんどんどんどん奥に奥に入って合わせて行かないと、あかんねっていうね。

 要するに「絶対の中心、無限大の外、遥か彼方」ってどんどん広げて行かないとあかんねって仰る通り、どんだけ広がっただけで、広がった分だけ全部分る。広がってへんから分かれへん。その広がる広がれへんも、自分が勝手に決めてるだけや。本当は無限大そのものの自分や。

 だから道元さんはね、心身脱落(しんじんだつらく)って言ったの。本来無色透明な自分の上にね、ちょっと言葉を重ねているだけや。だから座ったら、座ったらというのは神さまの心に合わせたら、それだけで。そうなのにな、一生座っても悟れるか悟れないか分からん、みたいなわけの分らん事を言うから、悟れへんね。

 道元さんは喝破したんでしょう?既に悟ってる自分やから悟り求めるんや。悟り知らんかったら、最初からそんなもん求めへんって、先生が喝破しはった。

 それを今回は「既に祈ってる、悟ってる、救われている」って言い換えて下さった。それすらも受け取られへんから、又、考えたらあかんとかな、言い換えているだけやで。川に流れの様に、穏やかに身を任せ、ぬかるみの道になっても晴れる日が来る。

宮野さん:エコー掛けようか?(笑)

河上さん:本当に川の流れや、同じ水違うもん。一瞬一瞬新たや、そうなのに同じ川やってみんな思っているだけ。だけどホンマに同じもんやったら年とらへん。一瞬一瞬新たに流れているからね、自分の意識で年取ったって決めて取るね。はっきり言っとくけどな。だから先生年取れへんかったやろう?勝手に自分で年取るって決めてるね。(笑)

質問:そうなんですか?じゃあ、勝手に老けて行く、日にち経ったら自分で老けていくっていうのも、自分で?

河上さん:そらそうや。

質問:誕生日で年取ったって確認している。

河上さん:先生が言うや、一瞬一瞬新たな自由なる一人や。その一人っていうのは、真(まこと)の神さまそのものっていう意味、小さい一人と違う。

 それは虚の世界の教えと違うからね、真(まこと)の世界の教えっていうのは、教えが無いわけ。真(まこと)の神さまだけやから、教えが要らない。

 でも虚の世界の教え、宗教側から見たら訳が分からん。分りようもない、自分が有るから。自分と他人を分け隔ててね、結果を気にするのが虚の世界の教えや。要するに幸せ求めてって、そういう事やろう。幸せって他人と分けて、自分が人より良かったら幸せや、そうやろう?(まわりの)みんなと一緒になったら、より上を求める、違うん?

 だからこの世の幸せってそうやんかっていうの。みんなと一緒になったら、もう一つ上の良い物求めるの。競争社会ってそうや、ちょっとでも勝ちに行くんわけでしょう?勝った負けたの世界や、ヤクザの世界やね。

 それでこの教義が正しいとかね、この組織が良いとか言いだすわけ。この教えが良いとかね、あの教えはあかんとか。宗教が争ってどうするねんとか思うけど、神さまを信奉するとこが喧嘩してどうするねん、と思うけど、組織と教えを持った途端に喧嘩になるの。

 無色透明の真(まこと)の神さまやから組織も教えも要らんね。でも虚の世界側から、小さな意識の自分側からみたら不安でしゃあない。掴みところ無い。掴みところないから、形の上でも色んな形から説明して、ちょっとでもって思っているけど。

 でも(今しゃべっている)これだけが全てと違うからね、ごく一部しか出していない。どこで大バーゲンセールにするかと思っているけど、それはちょっと真祈り人が増えてね、みんなが世界に向かって出て行く時にしようと思っている。

 いやでも(世界中から依頼が来て)(眞祈り人は)みんな来てくださいって言われて、行かざるをおえんようになって来る。それ位真祈りって凄いの、印可書って凄いの。でもじぶんって意識があったら、印可書の凄さも気が付けへん。

 勿論、自分という意識が無かったらこの「ありがとうございます」の10文字だけで充分なんやで。だけど自分という意識があっても、印可書を通して自分を消せるから、印可書って言ってるだけでね。

 だから内の12人のメンバーはね、最初の護摩の頃に、護摩壇の前でみんな必死で印可書唱えて祈って、バッと変わった。その実績があるから今は、でも印可書を必死で唱えたらなんて要らん事を言われへんから、黙って見てるけどな。別に護摩壇の前に出る必要ないからね。護摩の会場で必死に唱えるだけで変わるから。

 だけどそれも自分の自由意思で(この印可書はいいものだと価値に気づいて)選び取らんとあかんね。河上が言うから読んでみようでは違うの。

 あの最初の頃はな、読んでみるだけでも行けたけどな。それでも必ずこれでという素直さが要ったの。ギブ&テイクで物は試しでやって、何や変わらへんやなかいという意識があると、何や変わらへんで止まった。その辺は、真(まこと)の神さまはその人の自由意思を一番最優先するから、自由意思で何や変わらへんやないかって言ったら、それを最優先して真(まこと)の神さまは後ろにさがるの。で、折角印可書読んで神さま降りて来ているのに、気付けへん。

宮野さん:良く皆さま思われる中で、どうぞ神さまこの命お使い下さいって言って、ひたひたと印可書を唱える。宇宙神ありがとうございますを唱えるって、そう思って唱えているんだけど、使って下さっているんだろうか?というのが何時も皆さんの中では、湧き上がるんだと思う。

河上さん:そらそうよ。だから痛みで現す、苦しみで現す、いじめで現す。

宮野さん:痛みだったら止まるんだけど。

河上さん:だからいじめられて、職場で苦労したらってなってる。どうや使ってるで(と神さまが具体的にいじめ等々で具体的に示しているのに)、そうやのに文句言って潰すね。

宮野さん:そこが同じセットもんやっていうのがピンと来ないのかな?

河上さん:そうやね、真(まこと)の神さまへの全託っていうのは、真(まこと)の神さまの全知全能完全円満完璧大調和を信じ切れる事やろう。完全円満完璧大調和っていうのは虚の世界に居ててもそうやね。でも自分の都合で、痛いから嫌、暑いから嫌、辛いから嫌って言ってるだけや。

 (僕が小さい頃)喘息で凄い大変で、それでも先生とお会いした時にね、本当に普通の人の様に動けないし、凄い大変みたいな有ってんけど、先生が一言「神さまに使って頂けて良かったな」みたいに言われて、ある意味それでバッと分かってんけどね、そこをどう受け取れるかやね。

 神さまに使って頂いて良かった。「あー痛い、神さまに使って頂けて良かった」って受け取れたら良いけどね。「痛い、どうしよう?」って言ったらあかん。

 上役にボロッカスに言われて、「お前みたいなん、使えんやっちゃな」と言われた時に「あー、使って頂いて良かった」って思えたら良いけどね。「この糞」って思ったら、もうあかん。色々有るけど。

 全部必要で現れていること以外に何も無い、神さまは必要なこと以外しないからね。だから自分が過去にこんな事してしまったという事でもね、必要であったことや。それが分ったら、自分も責めないし、人も責めない。「昔あの人にあんな目にあわされた」って言って責めるでしょう?でも本当は必要であったことばっかりや。その逆もあるで「あの人あんなにイジメてしまった」とかね、あるけども全部必要であったの。

 後は神さまに心合わせて行くだけ、印可書を通して、そしたら全部それが生きて来る。でも文句言ったら折角現れたのを、又、順繰りにしてしまう、巡らしてしまうみたいなね。

 でも結局それを信じ切れるかどうかはね、神さまが完全円満完璧大調和が信じ切れるかどうかでしょう?完全円満完璧大調和だから、痛かろうが、暑かろうが、辛かろうが、一番良いようになっているって分かるの。でも神さまが完全円満完璧大調和と違ったら、絵馬とか祈願するんやんか?「何々大学に合格しますように」ってな、「神さま、あんたわしが受験するの知らんやろう?今教えるから通してや」って言ってるの。失礼な話やろう?祈願とか祈祷とかね、何々退散祈願とか言う。違うやろうって、神さま良いようにしているんやから、退散も糞も有るかいと思うけど。

 だから虚の世界の宗教は神さま信じていない、自分の都合の良い神さま像を作って遊んでいるだけ。完全円満完璧な神さまが知らんはずがないのに、祈願して知らしめなあかんって言って。その矛盾にも気が付かない、気付かない位神さまを信じていない。

 だって寝てる時でも心臓動いているだけでも、凄い奇跡だと思うけどな、当たり前やって言うわけでしょう?呼吸でもそうでしょう?寝てる時でも自然にしてるわけや。でも呼吸は意識とつながっているから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せたら大きく変われたんだけど、乗せたくらいで何が変わるねん?と思った途端にみな崩れている、もういいけどな。今は印可書に移ってますので、過去の事は言いません。ちゃうか?(笑い)

宮野さん:でも、それぞれに合った時に、お祈りが有るから・・

河上さん:そうよ、だから別に責めて言ってるん違うからね、みんな自由自在に自分の自由意思で選んで行ったら良い。
 寒かったらストーブ付けたら良いで。

宮野さん:えっ、そんな長丁場するの?

河上さん:だから、はい、終わります。ありがとうございます
 


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11月勉強会 by 河上彰延 2021年11月27日(土) 18時58分
PC

令和3年11月河上さん勉強会−1(20211114−1)

河上さん:先生は教えを立てない、組織を立てないを一番強調されていたんですね。その教えを立てない、組織を立てないが中々みんな分からない。何で教えを立てないのか、組織を立てないのかというとこが分からずに来たわけです。やっとみんな今日は説明しても分ると思うのでね。

 教えを立てる、組織を立てるというのは過去の経験に基づいて立てるのね。だから組織を立てたら、教えを立てたらマイナスになる。なぜかと言うと新たに受け直さずに、既に受けた古い物を基準にして、その上にそれを土台にして作る、組織もそうでしょう。何かの土台の上に良い悪いをして行くの。教えもそうやね、一つの言葉について、その言葉の解釈が先生のお話しによれば百通りも千通りも有るのにね、この方向だって決めて行くわけですよ。それで教えも組織も立てたらダメだと。でもじゃあどうするのかといえば先生は、一瞬一瞬新たに受け直していってくれだけなんですね。

 その一瞬一瞬新たな受け直しがみんな分からないから、パッとこう来ちゃったわけですけど(今にいたるわけですけど)、一瞬一瞬新た受け直すとこを(先生に)印可書で残して貰いましたので、みんな教えも組織も立てずにね、真祈り人として総責任者として。(ひたすら突き進んでいってください)。

 総責任者として立つというのは、教えも組織も立てない。何時も何時も一瞬一瞬新た受け直していくという決意だけです。だから前に言いましたように、結果でどうこう言わないという事ですよ。あの人は仕事ができるから、あの人は何々出来るから良い。あいつはどんくさくて何も出来ないから悪いっていうのは、既に過去を掴んで良い悪いって決めてるわけね、それが組織です。

 組織ってそうでしょう?一瞬一瞬新た受け直すってとこが今は印可書があるから、もう印可書だけで進んで下さい。真祈り人は総責任者としてね、立つためにも一瞬一瞬新た受け直す事が大事なんです。過去に基づいて良い悪い、あいつはサボっているから駄目だとかね、あいつは何を言ってもどんくさくって駄目だっていうのは、もう過去を掴んでいるの。組織っていうものはそういう物なのね。

 組織というのは効率化をする為に組織を作るの。分ります?だからここの部門はこれが出来る人をやって、ここのはどうこうという感じで振り分けるわけですけど。効率化を優先するというのは、既に過去を掴んで良い悪いって決めてるのね。それは現在社会の競争世界です。優しさの無い世界ね。

 だから優秀な姿を楽しむ為に生まれてきただけ、(本当はなにでもできるのだけれども)動けない姿を楽しむ為に生まれてきただけっていうのが分らないと、全ては真(まこと)の神さまの御働きだけとかね、全ては真(まこと)の神さまっていう事が分らないのですよ。

 全ては真(まこと)の神さまって先生は仰るわけ、全ては真(まこと)の神さまの御働きだけって仰るわけ、全ては真(まこと)のプラスだけって、マイナスに見たら既にどうこうって先生説明されるわけだけど、みんなやっぱり分らないのね。

それは競争社会の中にどっぷり浸かってね、そうでしょう?小さい時からテストで振り分けられて、いい学校行ってって振り分けられて、その中で出来ない子は駄目だってなって、捨てられていくわけでしょう?組織ってそういうもんなんですね。そこが分らないと駄目なの。 

 で大体20人超すと組織の業が出て来るのね。それで駄目な奴は、辞めて(やめて)まえとか、出て行けとか、或いはホンマに奴隷のようにこき使うとかね、こうしちゃうわけですよ。

 だけど出来ない子も色々とさせなあかんの。親が小さい子を育てる時もそうでしょう?小さい子がお手伝いするって言ったら邪魔なだけや、はっきり言えば。親がパパっとやれば速いね。だけど手伝おうという心が大事やから、ちょっとこれしてねって言って、仕事の手を止める、足を止める形になるんだけど、小さい子にさせるじゃあないですか、お母さんは。それを愛って言うんですよ。それを本当の優しさっていうのね。

そこが分らなくちゃあいけないんだけど、母親の愛としては感覚的には分かるんだけど、中々全体には振り分けて行けないね、他所の事はやっぱり別になって来る。それは総てね、効率・競争社会のせいなんですよ。先生の言う支え合いにならない、振り分け合いなの。

 で大体20人越すとそういう事が起って、いわゆる特権階級と奴隷階級という様に階層分けが始まる。真祈りをされる皆さんは、総責任者として立てば立つほど、色んな人が慕ってきます。でも自分の回りに集まる人は20人位に抑えて下さい。

(これからは)みんな真祈り人が一人一人20人くらいを担当してね、(すべての人が眞祈りできるように)行ける様に真祈り人を増やしていきたいと思います。増えるはずですしね。

 20人超えたら本当に心割(さ)いてね、20人毎に見る様にして下さい。全体を見るの大事だけど、20人毎に心割(さ)いてあげないと、いわゆる落ちこぼれ、現代社会で言う落ちこぼれを拾えない。1人でも落ちこぼれを出したら駄目なの、本当はね。

 だから昔だったら、丁稚奉公で入ってね、優秀な人は手代になるけど、一生丁稚さんのまま行く人もいる訳ですよ。でもだからといって丁稚さんが駄目だとせずにね、その丁稚さんの出来るお掃除とか、出来る事をさしたわけです。追い出さずに。でも今の会社だったら、出来ん奴は出来るだけイジメ倒して追い出していくみたいな、早く止めやみたいなね。そういう事が当たり前になっているんですけど、真祈り人は絶対それをしないようにね、お願い。 

 ちょっとでも出来ない子を駄目だって言ったら、それはもう組織の業に負けてんの。過去の基準に基づいて良い悪いって判断してるの。(どんなことでも本当は)必ずみんな出来るのね、只、早く出来るか遅く出来るかだけだから、それを(なにも出来ないからって)どうこう言うのはおかしいのね。それが分ればみんな真(まこと)の神さまって分かるの。

 20人位の組織だったら、トップの人も色んな仕事出来るし、下の人にも色んな仕事を任せれるし、組織の効率ってあんまり考えずに動いて行けるんですよ。でも100人200人になって来るとね、組織的に上手く動かした人が(前に)出来て来て、効率が優先される。すると大変な事になります。どんな形の組織であっても、会社でもね。だから意外と伸びる会社ほどね、1チーム20人以内。その中で優秀なリーダーを作れる会社は伸びるんですけど、やっぱり中々リーダーになる人少ないから、今は真祈りしないからね、すると大変になって行くんですね。 だから良くあの上役のせいでとかね、一杯文句が出るわけです。その辺分かっていて下さい。

 で村でもね、そういう事が起り得ます。それもある意味仕方ないんですけど、出来るだけそうならない様に皆さんが真祈りして支えて上げて下さい。お願いします。

 何でこんな話したかというと、もうそろそろ色んな本当の事を言って行かなくちゃあいけないんでね。先生からは、(お元気なころ、印可書を出されたころに)先生が亡くなれた後の事は色々聞かされています。最初に亡くなられた次の護摩の時に、お前が喋らせて貰えたら、出来るだけみんな真祈りしたいという人が多いいという事やから、(あれしてこれして・・・)という事で今になっています。もし喋らして貰えんかったら、それはそれで真祈りだけしてという事でね、なっています。

 その時にここを買いに来てるとこが有ったんですね。そこに売ってどうこうするっていう風になるから、それも止めずにみんなの好きにさせてくれっていう事で。先生の予言では、そうして売払った後ね、村に居てる者、本当は全部追い出されるんだけど、売る時は居ても良いよみたいな感じになるよって先生は言っています。でもそれを止めたいから、それはあんまり良くないから、最初の護摩の時に喋っても良いか、許可を貰え。許可を貰えたらどうこうという感じで今に至ってます。

 色々有りましたけど、いよいよこれからはね、本当に世の中は昨日のような状態が(明日も同じように)続かないの。11月に入って腐る病気も出ますし、世の中の基準通貨のお金がね、大きく変わるんですね。変わるというのはどういう事かというと、何で20人って言っているかといえば、本当に20人単位で色々と纏まって(まとまって)支え合わないと、もう今までみたいにお金さえ有ったら何と成る時代ではないんですね。

 本当にみんなで支え合わないと、どうしようもない時代が来ますので、それでお願いしています。

 もし村も、護摩の会場も無くなってもね、皆(真祈り人は)、印可書を中心に一人一人が真祈りしてやって下さい。場所や時間に捉われたらダメなんです。今は護摩が有りますから、毎月の護摩でやれば良いし、やれる限りやります。でも駄目になっても、お一人お一人が総責任者として、何時も困ったら印可書に立ち返ってやって下さい。僕、死ぬから言ってるんとちゃうからね。(笑)

 この前の護摩もね、スーっと抜けそうやったね。でもう立ってられへんと思って座ってね、このまま抜けるなって感じやったら、「鹿児島から来ました。初めて九州から来ました。」ってね、女性がやって来て質問されるんで、それで引き戻されて中々行かして貰えないように成ってますから大丈夫です。

 只、本当に携帯電話も連絡もつかない時代が来るんですよ。するとここに場所が有ってもここにも来れない、みんな居てる場所で真祈りするしかない時代が来ますので、それで(印可書を中心に)行って下さい。ここが在る無しじゃあなくてね、是非、ひたすら印可書に立ち戻って一瞬一瞬新たに受け直すという事を肝に銘じていて下さい。

 その一瞬一瞬新たに受け直すっていう事が大事なの。それには教えも組織も要らない。神さまからは常に同じものは来ないのね。常に一瞬一瞬新たに違うものが来るんですよ。

 だから教えも組織も立てれない、それ分かって下さい。(つまり)只、お互い新たに一瞬一瞬新たに受け直しても、お互いを責めることは無いわけですよ。

 (いつも印可書で新たに)新たに受け直しているから常に違う個性で動けるというね、それを思っていて下さい。

 あそこのグループは違う事をしているから駄目だじゃあないのね。お互いにどれだけ一瞬一瞬新たに受け直せるかだけを競ったら良い、もし競うとしたら。そうしていれば、ちゃんとお互い助け合って生きて行けます。

 もうお金出してもね、食べ物が買えない時代が来るんですよ、本当に。本当にね、それが3カ月で済むか、3年で済むか、1年で済むかはもう皆さんの真祈り次第です。その事態も来ないようにしたいと思っているので、護摩を盛大にしたいと思ってますけども。

 (いつものことですけれども)又、微妙に追い詰められて、何時も年末になると追いつめられるけどね、それで必死で祈ってみたいな繰り返しですけど、これでずーッと後(あと)12,3年ですけども、12,3年やっていきたいと思います。そこまですれば本当に真祈り人ばかりになってね、いわゆる無色透明な人ばっかりになるんですよ。

 そしたら本当に当たり前の様に支え合う事が当たり前なの。今は(無色透明になれなくて)で過去を掴んでどうこうしてるから、責め合いになるの。

 要するに責め合うというのは何かと言ったら、お互いの過去の基準が違う訳ね。それでお互いの過去の基準で良い悪いとして責め合う訳、あいつあんなんしてとか言って。

 だけどその人に取ったら物凄く病弱だったらね、あんまり出来なかったら、今はここ迄しか出来ないっていうのが有るわけですよ。だけど健康な人から見たら、あれ位して当たり前やろうって(これくらいはできるだろうってなぜ?出来ないんだ)なるわけやね。

 そして責め合うんだけど、そうじゃあなくて本当に、今の社会でも出来るだけ身障者の方にはね、出来るだけ特別な手当てを出して生活できるようにしていますけど、それをもっと国がするんじゃあなくて、みんなが当たり前に出来るようにする。その為には真祈り人が一瞬一瞬新たに印可書で受け直して行かなくちゃあいけない。ちょっとでも油断するとね、無意識に過去に引きずられる。

 だから何時も言いますように、文句出たり責めたりとなった時は、自分が過去に引きずられているの。勿論自分を責めても駄目よ。自分が怠けてるって文句言っても駄目なの。何時も何時も一瞬一瞬新たに印可書に立ち戻って進んで下さい。で印可書に立ち戻ってちょっととしか動けない時は動けないで良いの。一杯動ける時は動いたら良いの、結果に捉われないというのが大事。結果に捉われない為には、20人超す組織を作ると苦しい。

 20人(くらい)だと動けない人の為に、みんなが支えられるけどね、それ越すと色々と有るんですね。だから色々有りますけども、兎も角、一瞬一瞬新たに受け直すというだけを思っていて下さい。ちょっとでも文句が出たら、過去に自分が引きずられたと思って下さい。何があってもそこだけです。

 何時も揉める元というのは全部そうなんですよ。お互いの過去の基準が違うの。だからお互いの基準で責め合いになるの。だから「うちの上司はアホで出来へんね」って言うけどね、その人はその人なりに精一杯でそこ迄来ただけよ。良い悪いじゃあないの。

 だから支えられる者が支えてたら良いだけ。私支えるばっかりで損してるっていうのも、自分が過去の基準で判断してしまってるから。神さまから一瞬一瞬新たに受け直してたら、神さまのお姿ってそうでしょう?空気をタダで下さって、太陽の光もタダで下さって、タダで心臓動かして頂いっていう、それだけじゃあないですか。神さまは与え切りに与え尽して一切報いを求め無いじゃあないですか?その神さまのお姿を真似しようじゃないですか。

 自分たちも一切報いを求めずに、ひたすら支え合いに回っていたら良いの、支える側に回っていたら良いの。それで一生誰にも認められなくっても良いじゃあない、神さまだけが知っていたら良いの。それだけじゃあない?是非ね、一瞬一瞬新たに受け直す事だけに立ち戻って、人から何を言われようが、只々、支える神さまの助け合いの姿に真似て下さい。それが神さまのお手伝いになります。

 その為には最初の神さまのお手伝いというのが、印可書を奉納する事です。印可書を奉納してたら、今何をするのが一番良いのかが分ります。するとね、凄い手間な事でもするし、効率の良い事もするし、今こんなんしてても良いんかな、と思う事も出来ます。

 ついつい効率化社会でね、もっと効率良いように結果を良くしようと思うとね、ややこしい事が出て来る。結果を良くしようとするのは、既に過去を掴んでいるの、それが駄目なの。

 1970年の万博のあれ(スローガン)が本当は人類の進歩と調和が標語だったんですけど、本当は進歩と調和っていうのは同じ意味なんです。でも何で進歩と調和って分けてしまったかというと、進歩というのは結果を気にして進むことやと勘違いした。本当は調和と進歩は一緒で、進歩というのは本当は入れ子構造の奥へ奥へ入る事が進歩なの。

 結果がどんどん良くなる事じゃあない。でも虚の世界では逆裏(さかうら→真逆)ですから、結果が良くなることが進歩すると思っている。それ位みんな過去に捉われているの。先生が過去を摘むなって言って、あっ、じゃあ私過去を掴んでいませんって言うんだけど、本当は掴んでいるのね。

 先生がしつこく何十年も過去を摘むな(現実を掴むな)って言ってはるんでしょう?

 そしたら私(過去も現実も)掴んでもない積もりだなんて(思い込んで)、聞く人もいなかったくらい、過去を掴むという事について考えもしなかった。

 (それくらい)常識が当たり前だと思っていた。でも本当は常識っていうのは過去を掴む事でしょう?過去の結果、良い悪いって判断して常識が出来る訳じゃない。

 そしたら民族によってね、国レベルの常識が違うから、結局、民族同士の戦争になるわけでしょう。民族の常識だったらこれが正しいのに、こっちの民族にとったらこれが正しいとなって、戦争が起こるわけじゃあないですか。

 それに真祈り人は気付いて下さい。真祈り人こそはそれに気づかないと意味がない。本当の真祈りとは一瞬一瞬新たに受け直す事、その最初の根本は印可書を奉納し続けたら良いです。印可書は考える必要ないのね、分かり易い言葉だけ書いてあるから。

 だから印可書の意味はどうのこうのなんて考える余裕がないように、先生(印可書)造って下さった。だから黙って奉納してたら、本当に本来の意味が奥底から湧き上がるのです。

 「宇宙神ありがとうございます」とか「ありがとうございます」って言うとね、感謝の言葉かな、とか要らん事を考えるのね。で折角「ありがとうございます」という真(まこと)の真理の言葉に要らん事と足しちゃうわけ、みんな。それで感謝や感謝やって思いながら「ありがとうございます」「ありがとうございます」って言うから本当の響きが入って来ない。全然入らないことは無いんですよ、ちょっとは入るんだけど、先ず感謝というフイルターかけちゃうから、ちょっとしか入って来ないね。サングラスかけちゃうわけですよ。

 「ありがとうございます」は感謝の言葉ってサングラスかけたら、もう真(まこと)の神さまの御働きとしての響きがちょっとしか入って来ない。で先生の仰る事素直にね「ありがとうございます」の十文字は真(まこと)の神さまそのものって「ハイ」って受け止めれたら良いんだけど、やっぱり感謝かなーとか要らん事思うね。「宇宙神ありがとうございます」っていったら、宇宙の神さまかなとかね、何か要らん事を思うわけですよ。で思えない印可書になって今すけど、印可書を選べる人は、是非選んで一瞬一瞬新たに受け直して下さい。

 一瞬一瞬新たに受け直すというとこが、もし先生の教えがあるとしたらそれだけです。

 それが先生の教え、だから教義にもならないんですよ。只、一瞬一瞬新たに受け直すというとこが、一番ある意味分り難い。それは今までの宗教は虚の世界を相手にした宗教なの。先生のはもう宗教って呼ばないんだけど、それは真(まこと)の世界を相手にしているから。真(まこと)の世界というのは一瞬一瞬新たに新たに新たにだけなんです。だから一瞬一瞬新たに受け直していなかったら、真(まこと)の世界に立ち戻れないの、虚の世界に転落しちゃうの、それだけです。

 只、一瞬一瞬新たに受け直すってどうするのって、みんな右往左往するから、先生が印可書を残して下さいました。印可書さえ奉納してたら、一瞬一瞬新たに受け直す事になっていますから、悩んだら、苦しんだら、辛かったら、印可書を奉納して進んでいって下さい。お願いします。ここ迄で質問あったら宜しくお願いします。

・・・・・・

 兎も角、教義を立てない、組織を立てないというのが先生の基本です。それは今までの宗教は虚の世界を相手にしてたけど、先生は真(まこと)の世界に立ち戻る事を基準にしているから、最初の基準が違うのですね、虚の世界を相手にする為には組織と教えが要ります。でも真(まこと)の世界に立ち戻るんだったら、組織も教えも要らない。

 だって組織も教えも過去を摘む事で(なりたっているから)、真(まこと)の世界に立ち戻れないから。

 だから組織も教えも無しにね、みなさん真祈り人として総責任者として、悠々とやっていけるんですよ。

 只、人数的にね、出来るだけ20人越さないようにして下さい。でないと落ちこぼれを作っちゃう。一人も落ちこぼれを作らないっていうのが先生の基本ですから、何があっても全員連れて行くっていうね。

宮野さん:落ちこぼれっていうのは逆に言うと、上に立って・・

河上さん:そうそう、特権階級になっても落ちこぼれる。だから人間の細胞って先生仰るんですけど、順繰りに巡って行くのね。だから肛門の細胞になったり、目の細胞になったり、脳の細胞になったりして順繰りに巡って行くって言うんですよ。それ入れ子構造ですから、例えば組織でも20人だったらね、上でああしよう、こうしようって言う人でも、一番下の事でも出来るし、みんなが変わり弁たん(入れ替わり立ち替わり)にね、入れ代わり立ち代わり、要するに新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分ですよ。

 この現世的には20人位やったら、何時も何時もみんな下座に立とう立とうとしてね、みんなを支え合う事が出来るわけ。20人超すと心が行き届かないから、ついつい落ちこぼれ作っちゃう。要するに「私無視されているわ」って言ってすねる人が出て来たり、色々あるわけです。

 或いは、命令してたら俺は楽で良いはみたいな形でね、形の上では凄い働いている様に見せながらね、心は特権階級に立つ人とかね、出て来るわけ。

 勿論、この現世的に、この世の一般の人とお付き合いする時はね、過去いわゆる常識に従って合わせて上げたら良いんですよ。合わせて上げないと、光が送れないからね。でも自分は一瞬一瞬新たに受け直しておけば、それを判断基準にして。

 もう愈々ね、大変やからね、いざ腐りだすと戻せないのね、これからね。だからちょっと腐って来たから何とかしてって言われたって、どうしようもないから先に言ってます。腐ってきたら、ああ腐って良かったって思えたら、自分であったら止めれるし、本当に(印可書で)深く入れたら治せます。でも外からオマケがもうあんまり出せないの、申し訳ないけど。

 だから先に言っておかないとね、「そんなん先に言っておいてよ」って後で文句言われたら困るから言っています。この話を聞く聞かないはみんなの自由だもんね。でも一応言いましたよっていう感じね。




令和3年11月河上さん勉強会−2(20211114−2)

河上さん:だから今みんなマスクされていますけど、今世間の常識でマスクしないといけないから、勿論したら良いんですよ。でも先ず毎日洗って下さい。或いは毎日新しいのと変えて下さい。洗ったら出来るだけ太陽の光に充てて紫外線干し、殺菌干しにして下さい。今度の新しい病気はマスクで蔓延します、自分の中で。だから新しいの毎日変えるか、本当に何十枚も買って洗って順番に窓際に干しといて、こう使って行くかね、して下さいね。

質問:不織布の使い捨てのマスクはそのままでも良い?

河上さん:あぁ、だから毎日変えれば良い。出来たら朝昼晩変えたい位やけどね。晩は要らないか、朝昼やね。朝変えて昼変えて。

宮野さん:太陽に当てなくても、紫外線で殺菌する機械も有るのじゃない?

河上さん:有るけど本当に電気が高くなって、出来んようになって行くの、いよいよ、電気も何もかもね。だから20人単位でお互いが支え合っていかないとね、どうしようもなくなって行くの。

質問:マスク無しだと、良くないですか?

河上さん:いや、マスク無しで良いんやけどな、他の人が嫌がるやん。だからしたら良いね。だけどする為にはそうしたら良い。口から湿疹出て来て、それが体内に入って体内で腐るみたいな感じや、簡単言うと。それがその人の何処に出るかは、又、その人次第。腹黒い人は腹に出るみたいな。あんまりそんなん言うとな、肺に出たら、あの人ハイって言えへんからやとか、又、要らん事を考えるから要らん事言わんとくけど。(笑)

 あんまり言葉のダジャレにしてもアカンしね、その人の普段の思いの響きの方向やから、だから一瞬一瞬新たに印可書を受け直してたら、無色透明になって何も出ない。その無色透明になる、綺麗になれ、或いは、思い出すなとか言われてもね、今までだったらどうしたら良いか分からんかった。今は印可書さえ奉納してたら無色透明になるって神さまと先生の約束で決めて下さったから、それに縋るべきです。と僕は思うけどね、みんな自由です。

 自分の自由意思で選ばんとね、その縋る縋らないのも、言われたからするんだたら選んでないの。

 分ります?自分の自由意思で選ぶっていう事が大事なんです。言われたからするだったら、もうそれはしない方がマシ。自分の自由意思でもう印可書しかないんだって選べてこそ本物になります。

 だから印可書出た頃はそこそこオマケあったんでね、読むだけでって言ったんだけど、本当に、読むんだから悟らしてくれやって言う人が出て来てね、何ぼオマケ出すにしてもそれは無理なのね。読めって言うからほんなら読むは位の方が良かったんだけど、読む以上は悟らして貰わなあ、みたいな、或いは、病気治して貰わな、みたいな感じになって、中々、何というか神さまに添うというのは(自分があったらむずかしい→自分の思い通りになりたいと思うこと)、その人の本当に自由意思が大事なの。人から言われたから、先生から言われたから、河上から言われたから、ほんなら印可書読んだら神さまに添えるんやな、神さまのお手伝いになるんやなでは駄目なの。

 ここが一番大事なとこなんです。だから僕を信じ無くて良いから、先生のいう印可書を信じて下さい。
 
質問:これから20名以下のグループが出来て行くっていう話の中で、

河上さん:いや、自然に出来ます。

質問:あっハイ。そのリーダーシップとされる方が、心構えを間違ってしまうと大変な事になると思うんですが、心構えはどういう風に?

河上さん:だから今言った、印可書を奉納して、一瞬一瞬新たに受け直してだけです。それ以上ないです。

質問:例えば何か世間一般的なリーダーシップ的な意識を持ってしまうと、派閥なり・・

河上さん:リーダーシップ的な意識っていうのはね、世間で言う一般的なリーダーシップというのは、過去の経験に基づいて良い悪いって判断して右左って決めるじゃあないですか?もうそれは全く意味をなさない。20人以下だとね、(20人全員が)必死で祈って何とかなるの。でも20人超すとね、本当にリーダーに頼る人が出て来るの。頼られてそれを消すだけの力があったら良いけど、要するに自分がするという意識がちょっとでもあったらダメなんですよ。

 頼られてもね、全部自分がするんでなくて、全部神さまの御働きだけってなっていたら。そうですね、例えば護摩の時にね、司会者にみんなの思いを全部集めるんですよ、一旦。それでその司会者の思いを消しています。神さまが。今は僕とこの人通してですけどね、神さまが消していますが。それは何で出来るかといえば、自分がするなんて一切こっちが思っていないから、出来るんですよ。

 でも司会の方が河上さんより真祈り出来ていると、ちょっとでも思ってくれると、思った分だけはその人の担当になる。それで常々に20人のリーダーに、リーダーは頼って貰うつもりが無くても、やっぱりみんな不安になったら頼るじゃあないですか?その時に頼られたら本当に体が重くなったり、動きにくくなったり、熱出たりとか、その人によって色々ですがなるんですよ。

 なった時に本当に印可書を奉納してね、清めて行かなくちゃあいけない。それを自分がするとちょっとでも思ったら、もうアウトになって行くの、リーダーの体も腐ります。

 で腐るから良く分ります。或いは、腐る前は先ず文句とか不満とか、あいつめと責める思いとかがリーダーに真っ先に出ます。ちょっとでも神さまが一番良いようにしてるって思えない時は、すぐ印可書に戻るという癖をつけていれば、それがリーダーの心得です。良い?

質問:ハイ。

質問:今のお話しを伺うと、今既に20人以上の組織の中に身を置いている方って、私もそうなんですが、そういう方一杯いらっしゃって、「わっ、20人より多いいからアカンやん」と思うのも、又、違うように思うんですけど、それは淡々と奉納させて頂くで良いですか?「ハイ、ありがとうございます」

河上さん:だから勿論、20,30(40,50)になるんですけどね、だけど常に全ての人に心を行き渡らすという決意がいるの。只、そうしていると20人位が一番やり易い。それを越すとどうしてもね、自分はいわゆる特権階級、上に立っている気が無くても、自分の周りの人が上に立って来るんですよ。要するに組織で言う幹部やね、幹部になって来るの、それが怖い。

 幹部というのは要らないね。みんな一緒でみんなで助け合うっていうのが大事なんです。

 今まで虚の世界で色んなそういう共同体的な、ソビエトでいうとコルホーズとか、イスラエルで言うとキブツとかね、そういう理想郷を求めて始まるんですけど、全部上手く行かないのね。何故かというと今言った幹部が出来て、幹部が偉いんだと成った途端に、自分たちの力で組織を動かしているってなるわけです。すると組織の業が出ておかしくなって行くの。すると落ちこぼれが出来てね、不幸せになる人が出て来る。

 みんなが喜び会えるように助け合わなくちゃあいけないのにね。その為には効率化というのは犠牲にしなくちゃあいけない。でも今の社会は効率的な事が正しい事で、非効率の事は良くないとなっているわけ。又、そうでなくては生きていけない時代じゃあないですか?それがみんなで支え合ったら、だってそうでしょう?

 農業がそうでしょう?農業って効率化しようがない部分って一杯あるじゃあないですか?

 例えば肥料やるとか色んな事機械化出来ても、最後の収穫は手でするしかないとかね、ミカンとか林檎とかブドウがそうでしょう?その部分の手間賃考えたら、市場価格であんな値段で売ったって合わない。合わないのにそれが通ってしまうのは効率化社会だからです。それはお米一つ取っても何でもね、本当はお米も農薬を使わない方が良いに決まってるね。

 でも農薬使わないとなると、もっとあいだ開けて植えないと虫が発生した時に全滅するわけですよ。今の田んぼの収穫の半分くらい(しか出来ないくらい田植えの列を間を開けて)で植えなくちゃあいけないね。だから田んぼが倍要るとかね、倍なればなる程、人間の働く範囲広がって大変でしょう?

 でもそういうとこ分かれば、効率化が良いんじゃないんだって分かって来るんだけど、今は国通しの経済的戦争みたいなもんだから。効率化して近代化した国が勝つみたいな世界じゃあないですか?それって真祈りないからや、虚の世界の競争世界にいてるから。

 真祈りして真(まこと)の世界に立ち戻ったら、そういう競争社会は出ないのね。助け合いの理想郷が出来る。それを作るのに後、約20年頑張りたいと思っています。

 本当にね、皆さんの真祈り次第。で真祈りとは何かと言えば、印可書を奉納する、一瞬一瞬新たに印可書を奉納する次第です。そうすれば例えば周りでね、大きい組織に属していて一杯なんか言って来る人いてても、そういう人達が変わって行きます。前も言ったように200人の真祈り人が出来たら、真(まこと)の神さまの響きが潜在意識として、全人類の心に潜在意識として入って行くじゃあないですか?それの縮小版が自分の所属している組織で起ります。今まで社長あんなん言ってたのに、この頃社長変わって来たっていう風になります。それは間違いなくあります。

 只ね、それを(真祈りしている)自分が一切認められずにという覚悟を持って下さい。

 認められたいと思った途端に過去を掴んでいるの、分かる?誰にも理解されなくて、ひたすら後ろ指差されても、神さまさえ分かっていれば良いというそこに尽きます。それ分かっていて下さい。

 ついついね、認められたいって出るの。認められたいと出たら幹部になりたくなるの。で幹部に成った途端に自分がするになるの。自分が組織を動かしているになるの、(そう)成った途端に崩れて行くの。

 まだ先生から言われてる事は一杯あるけど、まだ出せないんでおいおい出していきます。今日は一部ちょっと本当の部分を言いました。

質問:それは近い内にそういう風になって行く?

河上さん:そうそう、いよいよ世の中が変わるんでね、前に言いましたけど、今の日本人の生活を平等に全人類がしたら、地球が五つ要るのね。それ明らかに矛盾でしょう?

 みんなが、今、日本人が享受している生活を1/5の不便さに落とさないとダメわけよ。それって効率を犠牲にするしかない。例えば水道だったら、今電気でポンプで送って来て水がじゃっと蛇口から出るわけでしょう。でも昔だったら、ちょっとした田舎だったら皆水汲みだった。だからみな台所に水甕(みずかめ)って有った、知ってます?みんな水汲みして水甕に入れて、そこで杓子で洗ってねってして、お米のとぎ汁は置いといてそれを洗剤代わりに使ってねっていうのが当たり前だったのね。そういう非効率な事をするしかない、本当は。だからそこまでする為には、真祈りしないとみんな我慢できない。それだけです。

質問:自然にそういう生活に追いやられれるじゃあないですけど・・

河上さん:だから自然(小さい肉体意識の求める心のまま)にして行くと、もう奪い合いになって行くの。自分だけ楽したいからもうぐゅちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃになったら、あっという間にこの世界終わります。そういう終わり方を人類が望んだら、望むんで止めようがない。

 でも先に言っているからね、「そんなん先に言ってくれな」とかなって怒られたらアカンから、いま先に言っているのね。そうならない様に真祈りしようね、印可書を奉納しようねって言ってる。

 もう過去の常識に基づいて良い悪いっていう事になれば、効率化が良いに決まってる、楽が言いに決まってる。ね?そしたら自分らが楽するために周りを犠牲にするわけです。昔のローマ帝国見たら分るじゃあないですか?ローマ帝国が何であんだけ領土を広げて周りを侵略したかというと、奴隷が欲しいから。今で言う石油・ガスのエネルギーは昔は人間の力やった。だから自分らが楽するために奴隷に働かさなんから、奴隷を確保するためにこうなって行った。それの繰り返しよ、人類は。

 今は地球霊王様の体を蝕んでいる。地球霊王様の血を吸っているわけよ、石油として、ね?アカンでしょう?本当は。でも便利だからといって冬、灯油無しで過ごしてごらん、電気無しで過ごしてごらんって言ったら、今誰も出来ない。

 昔は火消壺って有ってね、山で柴刈りして来て、ご飯炊いたりするじゃあないですか?ある程度イコってる(炭になって燃えている)木を火消壺に入れるのね、で消し炭を作って利用したもんなんです。そんなんも知っている人が減ってしまって、僕の年代くらいが最後で、僕より若い人は知らない人が多いいんですけどね。

 冬になったらお湯一つ貴重になるわけです。洗うのもお湯で洗うなんてありえないしね、そういう生活に今すぐ戻れるかといえば、それは戻れない。でも印可書奉納して奉納してね、一瞬一瞬新たに受け直してたら、先生のように冷たくても平気になる。僕冷たいの苦手ですけど。(笑)

 それは昔の先生の部屋は寒かった。もう一言、寒かった。東大阪のお家は寒かった。暖房一つない、隙間風だらけ、寒い。それでも先生平気だったけどね。

質問:それでは真祈りを奉納する生活を基本に置けばうまく回って行くという?

河上さん:うん、だから印可書を奉納していればね、神さまのみ心を一瞬一瞬新たに受け直す事になるんですよ。自分が自覚するしないに関わらず。印可書を奉納して神さまのみ心を受け直していたら、間違ったことはしないのね。すると自然に不自由な事でも苦痛にならないわけ。今だったらちょっとタクシー呼んで行けば良いわけでしょう?まあいわば。或いは電車乗って行ったら良いわけよ。でも電車の本数も減るし、タクシーも減るしってなった時に歩いて行かなあかん、ってなった時にワア―嫌やなって思うようだったら大変になって行くの。その一人一人がワア―嫌やな、辛いなーって思うでしょう?その嫌やな、辛いなが重なって戦争になる。マイナスの思いってそういうもんなん。

 みんなは簡単にわー邪魔くさ、わー会社行くの嫌やわとかね、簡単に不用意に思っているでしょう?でもそれが戦争の火種を作っているというのに気付かなくっちゃいけない。あいつ怠けてるって思わず言うじゃあないですか?何で私だけ働いてあいつ働けへんって言うでしょう?それが戦争の種になっているのが気付かない。人類の歴史は戦争の繰り返しでしょう?でもその戦争のスタートって凄い謎なところが多いいでしょう?

 それは別にきっかけは何でも良いわけよ。みんなの不平不満の思いが溜まって崩れる時に戦争になる。できっかけはメンチ切ったとかね、メンツ潰したとかね、何でも理由になるわけよ。喧嘩のスタートってそうでしょう?喧嘩のスタートってあんまり大した理由ないね。でもなんかグーっとなっててお互い、でちょっとの事で喧嘩なるの、肩触れたって喧嘩するわけでしょう?

 だから一瞬一瞬新たに受け直す事が大事なの。でもそれが分らなかったから印可書を残して下さった。印可書が完成したから、もう安心やって行かれたわけです。その印可書を皆さんの自由意思で選んで、印可書を奉納する事が一瞬一瞬新たに受け直すという事を自由意思で選んで、是非実践して下さい。その実践が有ればみんなをちゃんと正しく進んで行ける、導いていけます。

質問:それはこの前、河上さんが護摩の時に言った思い、右旋回が無くなって行くという事?

河上さん:で別の言い方をしたら十字架を背負って頂きますという、十字架を背負うっていうのは、皆さんがイエス・キリストとなって救いに立つという事です。

 その救いに立つというのを自分が救いに立つと勘違いしたら、虚の世界の教えになる。真(まこと)の神さまが降り立って、真(まこと)の神さまのお手伝いとして、救いに立たして頂くだけなんですね。だから全然認められなくても、気付かれなくても良いの。

 だから先生と会って色んな病気治しさせられましたけど、絶対に相手に気づかれるなっていう厳命でした。それは神さまがされるんであって僕がするんじゃあないから。気付かれる必要も無いし、気付かれたら勘違いされてややこしくなるっていう。

 その病気治しっていうのは、具体的に言うと運命直しです。みんな病気を治す事は病気を治す事やと思っているでしょう?違うね、運命を修正するの、すると勝手に病気が消えるの。要するに病気というのは自分がマイナスの思いを積み重ねて、そういうマイナスの運命、要するにシナリオを書くわけね。で書いて現しているだけ。自分で書いて自分で現しているだけやけど、自分で書いたことを忘れている。要するに邪魔くさいな、あーあいつイヤやな、あーあいつ怠けているなっと思った事が積み重なって病気になるね、はっきり言うと。

 そんなん(人を責めること)一杯やってるやろう?それを分からんように修正していくだけやけどね、こっちは。でもそのオマケもそろそろなくなって来るからね、みんなが真祈りして、みんなでする様にしなくちゃあいけない。

 今までは先生お一人にして貰ってたから、何か困ってきたらね、先生が何かしてくれるやろうと先生頼みや。もうそれではアカンの。

 今までの宗教はそうなのね、教祖様に頼っていたら何とかなるは、虚の世界はそうです。でも真(まこと)の世界に立ち戻るのは宗教じゃあなくって、真(まこと)の世界に立ち戻る運動ですから、皆さんが真(まこと)の世界に立ち戻ったら良いだけ。それを一瞬一瞬新たに受け直すって言います。今日は完璧に単純で分かり易いやろう?だから教えも組織も要らん。

宮野さん:さっきのね、病気の話ね、自らが発した言葉でもって積み重ねた事が病気を、

河上さん:そうです。

宮野さん:ある程度年が行ってれば、なる程なあと、一杯積み重ねてきたって分かるけど。小さい赤ちゃんの段階で、それは過去世の問題?

河上さん:過去世の問題やから。只、過去世の事を何で知らされないかというと、ホンマに前に言いましたけど、過去世の事を知るとね、こんな自分どうしようもないはって、自分を責めるの。こんな悪い事した自分は自分でも、もうカスやって思うの、で最後は自殺しちゃうの。それでは生まれ変わってきた意味がないからね、記憶消して一旦棚上げしてするだけです。でもそれが神さま平等ですから、この世的運命で最初から不運続きとかね、病気続きとか色々出るだけです。

宮野さん:悪い事っていうのは、例えば神さまの方を向いていないという、例えば人を殺めたりとか、人を傷つけたとか、マイナスの言葉を発してきた事が過去世に有ったというだけではなくて・・

河上さん:そうそう、神さまに振り向いていない事が悪い事なんです。だから過去を基準にして良い悪いって決めているのは神さま見ていないでしょう?神さまを基準にして良い悪いって言えば印可書奉納なんです(一瞬一瞬新たに受け直すことになる)。分かる?神さま基準にして良い悪いって決めれる時は、一瞬一瞬新たに受け直しているの、
印可書を奉納している時なの。

 普段は過去を基準にして良い悪いって決めてるの。だから自分が良いと思ってしてきたことが全部マイナスやった。恐ろしいやろう?でもほんまや。

宮野さん:でも印可書を読めば

河上さん:そう、一瞬で変わって行くの。

宮野さん:それは今からでも遅くない?

河上さん:遅くない。印可書さえ奉納できたらね、勿論自分の自由意思でね、印可書を奉納する事が、一瞬一瞬新たに受け直す事だって先生が決めて下さった事を、信じ切れたらね。何ぼ印可書を奉納しても、色んな人を責める思いも沸くしあれやこれやと思っても、先生が神さまと約束して決めて下さったからというのを信じ切って選べたらね。

 読めというから読むんでは選んでないの。自分の責任で読むというのはそういう事です。信じ切って読むが奉納になるし、信じ切って読むが自分の自由意思で選び取った事になります。だから腐る前に読んでねっていう感じで、ある意味脅かしているんだけどね。いやホンマ脅かしてって、先に言っといって、腐りだしてから「そんなん今言われたって、もっと早う言うとってえなー」って言うから早く言ってるだけです。(笑)でないと後で怒られるからね、もう先に言いましたから。

宮野さん:確認ですけど、自分の回りで印可書を知らない方、若しくは小さくて読めない方、外人だったりとか、読めない人の代わりに自分が代表として読み続ける。

河上さん:そう、そうそう、それだけです。そしたら縁の近い人から、自分から印可書を興味持って読み出します。無理に進めなくてもね、黙ってトイレに貼っとくとかさ、さりげなくチラッとしといたらね、これ何凄いやんって言って読みだしますから大丈夫です。それが本当に200人の真祈り人が出来るとね、エッという位浸透しだすので、今はせめぎ合いでギリギリのところでちょっと止まってます。

質問:自問自答するっていう事ですが、自問自答するっていう事は印可書を奉納する事ですか?

河上さん:ハイ、はい。




令和3年11月河上さん勉強会−3(20211114−3)

河上さん:質問があればお願いします。

質問:表現が難しいのですが、前からうっすらと思っていたのですがこの世の自分1人しか存在していなくて自分の作ったシナリオ通りに神さまが周りの人を作って周りの人の姿をとって演じているだけなのかなと思いました。

河上さん:その通りです。

質問:例えばこの世に2人しかいなかったら…

河上さん: 2人もいない。1人しかいない。いつも1人しかいない。

質問:もし…

河上さん:もし、もない。(笑)

質問:もし(強めに発声)実在する人が2人いたら、もしその相手が殺される運命だったら私が殺さないといけないと言うことになるでしょう。もし実在していたら。

河上さん:そうそう。

質問:そんな事は私はしないので1人しか…

河上さん:現れない。

質問:そう。となると結局自分1人しか存在しないので皆さんの周りの人も神さまが、神さまということ。全ては1つなんですね。いつも引っかかるのが全ては1つなので自分と人とを分けないということになるんですけど。例えば空を飛べても人前では空を飛べないとか、「印可書」ちょっと教えてあげられないとか、そういうちょっと人にどうせ言ってもわからないって思ったりする事があるので、人と自分を分けてるって事に…

河上さん:いや、そうじゃなくてね。みんな自分の世界を表現してるんですよ。ただこの肉体界、この現世の特別性なんですけど、この世の世界と言うのは雑巾をぎゅっと絞ったような状態で、あちらの世界が両方あるんですけど絞った真ん中のところなんです。ぎゅっと絞ってるから重なるの。みんなの持っている世界が重なるの。映画で言うとスクリーンが1枚でしょう。でもみんなが上演してるの。で、スクリーンが何枚も重なって、さも一緒にいてるように見えるの。

質問:例えば自分がミスをして怒っている上司に、自分がマイナスの思いを出させたんだけど、上司さんそれ戦争の種ですよって心の中で言ってしまうんですけど、それはもう相手が演じているだけ?

河上さん:そうそう。だからどう思ってもいいけども「印可書」に立ち戻って消しておけばいいの。なぜ人前で空を飛んではいけないかと言うとね、それだけで他の人が要らんマイナスを出すでしょう。「あいつは悪魔や」とか。どっちでもいいんですけど、天使やとか悪魔やとかね。要らん思いを出した分だけまたその人が要らんストーリー作るでしょう。要らんストーリーを作らさない為にあまり目立つなって言ってるの。

質問:それは実在する人?

河上さん:いや、みんな一人一人ね自分の世界にしかいないの。只、その世界をスクリーンを重ねて、さも一緒にいてるかのように思っているだけ。だからこの世ではね、スクリーンを重ねてもらえるから松下先生という素晴らしい人とも会えるわけ。あっちの世界だったら凄い人は凄い人だけしかいないのよ。人を羨む人は羨む人ばっかりが集まるの。人を羨ましいばっかり思っている人の世界では、感謝もできないし真祈りもできないの。この世だと松下先生と一緒にいてるように勘違いできて真祈りがわかるわけ。そういう世界なのこの世は。

 だからみんな一人一人だけど相手に影響しあえることができる、映像で。映像で影響さしてるだけやね。でもその映像を見てね、作るからややこしいね。戦争もそういうことやね。映像を見てお互いがマイナスを作ってお互いの中に大きな戦争を作るの。それもね、スクリーンを重ねているだけだからスクリーン同士の中が影響しないように思っているけども、そのスクリーン同士の中で影響するエネルギーができるのよ。それをこの世では悪魔とかねマイナスの軍団、何やったかな、何かいろんな表現あるじゃないですか?その神さまと悪魔の戦いやとか言うでしょう。それはこの虚の世界のスクリーンの中での話なんですよ。それはスクリーン同士でも影響しあってね、出るの。まぁ詳しく言うとね、あんまりこの辺詳しく言っても真祈りに戻ることが先決やからあまり言わないですけどね。

質問:周りの姿は、怒っている上司は向こうの番組ということ?

河上さん:向こうの番組、そうです。だから只々「印可書」に立ち戻っていたらいいの。逆に言うとねスクリーンが影響しちゃうから向こうが怒ってくれたらこっちのマイナスを全部背負ってくれるの。無理に背負わしたらアカンで。(笑)

質問:分かりました、ありがとうございます。

河上さん:だから、上に立っている人ほど晩年すごい病気をするのね。それはいろんな人の思いを背負っていくの。だから例えば護摩やったら、司会者がある意味中間的な上に立っているわけね、司会と言う進行をするから。で、司会者にウワァーっと集まるのよ。それでは申し訳ないから全部綺麗にするわけですけど。「いや、私がやります」って、「私の方が真祈りできてます」って言ってくれたらその分だけはその人が消すわけ。

 すると司会をするとちょっと調子が悪くなるということで司会者が減ってきたんでね、今ちょっと種明かしをしましたから大丈夫。「印可書」さえ奉納してくれて司会してても大丈夫ですから。自分がすると思うからややこしくなるんやで。まぁ別に司会者に限らないね。何をするにしても自分がすると思うから自分が背負って苦しむの。全て神さまの御働きってしなくちゃいけない。でもその神さまの御働きってどうやって思うかって言ったら「印可書」を奉納してたらどう自分が思っていても神さまの御働きにしてもらえるから、今はね。だから是非それでやってみてください。

質問:過去世の罪はもう…

河上さん:「印可書」を奉納していたら一瞬で消えていきます。何故かというと本当は真(まこと)の世界というのは過去、現在、未来が1つなんです。それを僕は図書館に表現しますけどね。真(まこと)の世界は図書館みたいなものだと。その中から好きなストーリーの本を選んで開く。本には過去から現在、未来が描かれているわけでしょう、物語として。そういう状態。だから「印可書」を奉納したら一瞬で全部消える。光一元に戻る。本来光一元を、だから本がそうでしょう。真っ白な紙なわけやんか、本体は。

 そこに字で過去、現在、未来を書くわけでしょう。それでいろんな物語を書いて楽しむわけでしょう。漫画でもそうだけど、それだけなの。それを神さまがいろんな物語を描いて図書館を作ってね、選んで楽しむときに虚の世界として現れている。映画もそうやんか。一生懸命映画を作ってね、それで映画館で楽しんでね、終わりが出たら終わるね。だけど人間の世界は、今の虚の世界はね、みんな終わりやでって言うんだけどわからないね。それで神さまの方でもうそろそろ終わりだからご飯食べに帰っておいでって言ってるわけ。それだけです。

宮野さん:今日は調子ええな。冴えとるな。例えがわかりやすい。

河上さん:いやいや、ここまで言いなさいという先生からのがあるのでね。それは先生がひたすらね、皆さんの心に降り立って清めに清めて、あまりオマケをしてるっていうのを言うとまた怠ける奴が出るんやけど、まぁいいでしょう。いつもいつも先生が清めに清めに清めてくださるの。清めたからここまで言ったら分かるから、ここまで言えって言ってちょっとずつ種明かしをしてるっていうのが本当のことです。僕は何もしてない、先生がしてる。まぁ神さまがしている。はい。

質問:自覚をする、しないというのは、自覚というのがあまりよくわからないんですけど。

河上さん:自覚というのはね、安心立命よ簡単に言うと。要するに何があっても喜べる。痛くても、もう癌で明日死ぬよと言われても、「あーよかった」と喜べるのが自覚です。要するに神さまが1番良いようにしてるってわかることね。だから先生の言う、「喜んで感謝して待ってたらいいんや」っていう。「あーよかった」って喜べるとこも感謝できるとこも、神さまが良いようにしてるって待てることも自覚です。でもどこかみんなできないところがあるね。1番は待てないやね。結果を気にして。その結果が死ぬことやから嫌やと言ったらもう待てないという事やね。でも 1番神さまが良いようにしてるってなった途端に、待つ待たないじゃなくて一瞬で終わるんだけどね。

宮野さん:神さまと不離一体であることを思い出すこと、実感できること…

河上さん:そう、実感できることが安心立命。待たずに一瞬で終わるのがイエスの十字架の形、磔刑の形であったり色々あります。あるけどそれも自分が選べます。だから楽な方がいいと思ったら楽なものを選べるんですよ、「印可書」奉納していたら。只せっかく生まれてきたのにそんなんではカッタルイわってみんな思いだすからね。「イエス様の十字架ぐらい平気よ」ってなってくるんだけどね。只、それをまとめて十字架の形にするか、ちょびちょび出してするかだけです。皆さんの場合はちょびちょび、後20年あります。20年後私は死んでるわと思ったら大間違いやからな。誰も死なないからね。頑張ってな。甘くはないで。

宮野さん:もう一つ言っておかないと。ほら。元気でとは限らないという。

河上さん:あぁ、そうそう。自分の思いで無茶をしたらね体を潰して大変だから真祈りしてね動ける時は動くし、今日は動きたくないっていう時は結果を気にせずにじっとしとくとかね、それは自在にやってください。結果を気にするとどうしてもこれだけはしなくちゃいけないって無理するの。人間の体っていっぺん壊すと中々戻せないから大事に使ってくださいね。食べるものもドカ食いしないこと。腹6分目やで、8分目じゃないで、6分目やで。腹6分目にして1日5回食べたら良いから、わかる?1日1回でドカ食いするからアカンね。もちろん腹6分目で1日1回で済む人はそれでいいんやで。だけどそれは先生だから。そんなの真似しなくていいからね。だからちょっとずつ食べてやってください。腹5分目とか6分目がいいです。ちょっと物足りなんなぁ…位で食べるのを止めて。おかずとかが残っていても勿体ないから食べようと思わずにやってください。体を潰すと大変だから。できるだけサポートしますけど切りないからな、みんなで守ってください、自分でやってください。

宮野さん: 20年。

河上さん: 20年は長いで。まあ、あっという間やねんけどね。

質問:もう一つすいません。「印可書」を奉納していると急に最初の上のところは出るんですけど、下のところが「え!」って真っ白になる時があるんですけど…。

河上さん:その時は別に読まなくていい。どうしても読みたいと思ったら(紙を)出してきて読めばいいしね。

質問:ずっとこの上の部分を…

河上さん:それならそこだけ繰り返して…繰り返したかったら繰り返したらいいし、1回でいいと思ったら1回でいいし。それは自在でいいの。ただ自然に全部なっていくから。

宮野さん:必要でそこの部分を消されたり…

河上さん:そうそうそう。なるからね。

質問:食欲で腹6分で収まらない人はたっぷり食べる得意技…

河上さん:たっぷり食べるとやっぱり病気になるのね。

質問:得意技ではなしに?(笑)

河上さん:得意技ではなくてやっぱり若いうちはね、貯金があるから。この肉体を維持するための貯金というか充電してもらった分があるのでね、行けるんだけど。はっきり言うと50を過ぎたらもう貯金がないのね、自分の管理に任されるの。50を過ぎてドカ食いをしていると、すぐ結果出ないからね、みんなわからないけど。64、5になってから大変になるんだけどね。

質問:結構食欲があるんですが上手く騙して…

河上さん:いや、だから分けて食べたらいい。

質問:しっかり噛んで食べるとか。

河上さん:しっかり噛んで食べてもようけ食べたら意味がない(笑)。

宮野さん: 3回を5回に6回に…

河上さん:そうそうそう。分けたほうがいい。

質問:分けて食べて楽しみにして…

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:間におやつを食べるとか…

河上さん:例えばお弁当を買うにしても、たくさんの量を買わずに小さいのを買って割高でもね。或いは冬だったら大きいのを買ってもいいけどそれを3回に分けて食べるとかしてください。それが昔からの健康の秘訣なんですけどね。

質問:よく食べてしまうんですけどそれは得意技じゃないんですね。

河上さん:ないです。

質問:食べないといけないのかなと思って。

河上さん:食べないといけないんですけど、まとめて食べると良くない。まぁ若いうちは大丈夫よ。でも50を過ぎたら。只、50を過ぎてから急に分けて食べようと思っても、もう食べるのが癖になっていて止めれないのね。だからうまいことやってください。   

質問:真祈り?

河上さん:そうそう。腹5分目で「印可書」を読んで辛抱する(笑)

質問:ありがとうございます。

質問:先月の護摩の時の事なんですけども。僕はその現場は直接見ていなくてお話を伺ったんですが。ステージの正面に祈願柱が立っています。そこにはお花が生けられていたんですけど、護摩炊きのどの時点かはわからないのですがパァン!という音とともに砕け散ったという話を聞いてそんなことがあるのかなと。

河上さん:そら色々あるよ。(笑)だって東京の勉強会に行った時に、もう話を始めたらバリバリバリバリ!って音がして大変やった。あれ凄かったね。

宮野さん:一杯あるからわからない。ありすぎて、日常茶飯事。

河上さん:光が降りてきてね、強い光が降りてくるとちょっと急激に現れる。今の護摩はね、みんなが強い光を受けれる位無色透明になってきたの。だから本当に強い光が降りるから。

宮野さん:そうね。今回も奥へ、奥へ…

河上さん:だから自分の思いがある人はもう護摩の会場へ来れなくなると思います。

宮野さん:今回の護摩も先月のとちょっと違って早く終わったね。

河上さん:うん、みんなが本当に喜び勇んでくれてあっという間やった。あっという間でこっちもあっという間でスっと抜けそうで立ってられなくて座って。「あっ、このまま抜けるし、抜けるし」と思ってたら「質問!」って来はって(笑)護摩の最中に。鹿児島やったかな、鹿児島から初めて来ましたって言うてね。初めて来られたって言うのにやっぱり握手もせなあかんやろしと思ってスっと戻ったんや。戻してくれはったんやね、神さまが。

質問:それは河上さんがもう松下先生と同じように首の皮1枚でこちらの世界におられるからですか?

河上さん:いや、地上に残ろうと思うとね、地上に対する執着を何か一つ作っとかないとあかんのね。それを五井先生はカツ丼大好きにしてはったとかね。カツ丼と違うわ、何やったかな?何か大好きというのを作っておきはったとかね。色々あるんだけど。だんだんこの大好きが減ってきたの。ちょっと地上に残すのにと思って、又、頭に図面が湧いてくるからね、スピーカーを作ってみたりねしてるんだけど。護摩の会場の時はパッと真祈りするやん、ほんならもう現世のことを忘れてしまうのね。で、忘れたら危ない、それだけです。普通はみんな護摩の会場に来ててもね、残してきた子供どうしてるやろか?とか何かあるわけよ。帰りどうして帰ろうかな?とかね。

宮野さん:晩御飯どうしようかな?とか。

河上さん:そうそうそう。晩御飯どうしようかな?とか、何かあるんだけどそれもパンっと消えてしまうと危ない。危ないって、ちょっと表現のしようがないね。だから松下先生が最後の3年間ぐらい護摩に来られなかったの。それはもう護摩の会場に来たらスっと行っちゃうから行けなかったの。なんで先生最後の方、護摩に来られないかというのを誰も聞かないんだけど、本当はそういうことです。もう護摩に来られたらやっぱりより深くお祈りされるわけじゃないですか。すると肉体止めれない。それこそ肉体ごと消える感じやったから。で、「どうしても行けない」とか言ってね来られなかったです。で、「ちょっとそっちでやっといてくれ」ってみたいな依頼があってそっちでやって。

宮野さん:ちょこっと一つ質問。護摩の会場にお見えではなかったですけども、こちらの大和?そこでやってた時は先生がお立ちになられた…

河上さん:ここだったら先生が自分の部屋にね、引っかかるものを作っておられたから。でもずっと居られなかったでしょう?ちょこっと出られただけでしょう。それはそういうことです。

宮野さん:この間の護摩の時に質問を受けたんですが、金縛りにあうという方がありまして。その金縛りにあうことに対して「印可書」を読めないなら側に置いてください、「宇宙神ありがとうございます」って言ってくださいとお伝えしたのですが。

河上さん:「印可書」を小さく畳んで体に貼っておくとかね。あっちこっちに。

宮野さん:耳なし芳一!(笑)

河上さん:うん。神さまが良いように使うんですよ金縛りでも。だから神さまが良いように使うから喜べたらいいの本当は。でも金縛りやったら怖いんよ。怖いから余計にかなわんってなるでしょう。するとマイナスの思いを出すね。だから貼っとけば金縛りになっても貼ってるから大丈夫って思えばいいしね。

宮野さん:先生の仰る「一切のマイナスは無い、怖いものは無い」と言うところを信じきれるかどうかですね。

河上さん:だから絶対の信を立てなならんねんけど、立てる方法は自分で工夫したら良い。自分なりにね。今が1番良いようになってるというのは間違いないの。でも思えない時は思えるように工夫してください。ほら、小さい子が「怖いよー」って言ったらお母さんがうまいこと誤魔化すじゃない。「大丈夫よ」とか「ああやねぇ」とか言ってね。ああゆう感じです。自分で自分を誤魔化してやってください。

質問:金縛りとか肉体的に起こる事は単純に疲れてるから起こる場合もある?

河上さん:そうです。何よりもまず肉体的なエネルギーが弱っているときに起こります。女性に多いのはね、そういう人は大体貧血症の人なのね。もともと体力的に薄い、朝方なんかは心臓の活動が1番緩くて血圧が下がるの、そういう人はね。貧血症の人というのは、それで朝方によく起こる。

質問:毎朝足が攣るのですがそれも疲れているから?

河上さん:塩分が足らない。(笑)もうちょっと塩分を摂って下さい。摂り過ぎてもあかんよ。でも「印可書」奉納してたら必要な塩分摂れるから。

質問:ありがとうございます。

河上さん:それも純粋の食塩で取らずにね、、梅干しとか或いは粗塩とかであるじゃないですか。そういう天然の精製してない塩を摂って下さい。醤油がいいかもしれない、何もなかったら。だから日本の料理って醤油を入れてお出汁にするじゃないですか。醤油は塩分としては1番取り込みが早い。
 何とか上手く持っていこうと思っていますけども、本当に突然ね携帯も通じないしっていう時が来ないとも限らないので今先に言っています。その時に不安にならないようにね。これだけは人類の総意だからね。やっぱり51%の人が神も仏もあるものかって思った途端に起こるの。ギリギリでずっと来てるんだけどやっぱり、はい。

 ただ本当は例えば福島の放射能とか言うじゃないですか。放射能が悪いものってみんな決めているからね、放射能が悪いもので影響受けるのね。でも放射能って強い光っていう意味です、逆の言い方をしたらね。だから自分の受け止め方次第なんだけどね。だからラジウム温泉とかへわざわざそこへ入りに行くわけでしょう。行ったら治るんやろ。良いと思って行ったら治るんや。だけどラジウムって放射能やでって言ったら死ぬで。(笑)
 何時も何時も神さまが1番良いようにしてるっていうそこに立ち帰れるかどうか。それは一瞬一瞬新たに受け直せるかどうか。その一瞬一瞬新たの受け直しがね、受け直してるか受け直せてないかがわからない、という不安でみんな行き詰まってたからね、先生の残された「印可書」でそこを打破してください。

 本当にね、先生と同じことしか僕言ってないよ。ただ別のわかりやすい言い方に変えているだけ、今のみんなにね。その当時はこの言い方をしたらみんな逃げていったの。だから「お前は一切喋るな」ってよく怒られた。河上は早急に過ぎるって言うわけね。

 何とか早く分からそうと思って説明をしすぎるって言ってよく怒られた。今がそうなんですけどね。だから本当は神さまが1番良いようにしてるだけなんやで。だけど痛いやん、しんどいやん、人から虐められるやんとか文句出るわけよ。「印可書」がなかったらこの説明はみんなわかってくれない。

 神さまは全知全能って言ったらみんなわかるんやけど。全知全能の神さまがなんでこんなひどい目に私を合わすのって文句を言うね。それ全知全能って認めてないやんっていうのがわからない。なんで認められないかって言ったら受け直さないから。もう常にそこに尽きるのね。だから食物がわかると思うね。種を植えて育てるのでも光がなかったら育たないでしょう。一瞬一瞬新たに光を受けているから育つじゃないですか。もうあれに尽きるよ。人間の場合は一瞬一瞬新たに光を受けるのが「印可書」奉納だと思ってください。

質問:すいませんよろしいでしょうか。「印可書」のことを今だに先生がお作りになったものではないと思っていらっしゃる様にお目受けされる方がいらっしゃると思います。先生以外の方がお作りになったんじゃないかと思っていらっしゃる山に来られている方々に対してどのように…

河上さん:そんなん説明のしようがないって。だって先生が作られて、もう忘れもせんわ。先生が「印可書」を作られてね、まとめて、説明のあれも全部まとめて、赤いやつね。発送の準備をするようにって言ったら村人がしてなかったの。で、先生もの凄い怒られてね。「なんでせえへんねや!!」って。で、たまたまその時僕お祈りに来てて、その横にいてて一緒にお祈りしたけどね。そういうもんや。先生がお作りになってなかったらそんなんならない。後半をこっちで完成しろということでしましたけど。嫌やったらその元の原文の「印可書」だけされたらいいだけでしょう。それも受け取られへんというのは自分の思いがあって見えないというだけです。でも見えない人を責める必要もない。その見えないのを楽しんではるの。例えば護摩に来たってね、護摩のことをわからないまま来る人も結構いるんですよ。それも楽しんではるだけやからいいの。

質問:その場面で先生が命よりも大事なものだという風に仰ったと…

河上さん:いや、「印可書」にも書いてあるね。

質問:先生がそう仰ってたということを最近私も聞きまして。本当に先生がどれだけ「印可書」を本当に大事に思っていらっしゃった…

河上さん:そうね、命に代えて先生がお作りになりましたからね。

質問:ありがとうございます。

宮野さん:後の文、増えてる文の中では先生に確認をして、先生が「あっ、これはいらない、これはいる」って言って追加されたものも先生は確認されています。その音源もウチの勉強会の時にしたのでそれは残っています。はい。



令和3年11月河上さん勉強会−4(20211114−4)

質問:「神書」なんですけど、「神書」も先生の音声を文字起こしにした…

河上さん:いや「神書」はね、此処にその当時、先生の前に集う人がいろんな問題が起こったわけ。その問題に対する答えとしてあの当時は先生は言葉で伝えずにプリントで伝えたの。その1回1回のプリントの答えをまとめたのがこれです。まとめたというか集めたのが。だからどこのページのどこは、誰それの何のあれでこれでって全部僕は言えるけどね、言ったって仕方がないでしょう、過去のことを。

質問:全体的にそのプリントをまとめられたのが「神書」?

河上さん:集めたのがね。まとめたのじゃなくて集めたのが。結局いわゆる全人類の悩みを代表してみんながいろんな問題を出してくれはったの。それに対して先生がみんなの悩みに応える形で、全人類の悩みに応える形で「神書」として最後まとまったの。必ず先生はあの何文字ですか?あの1ページにピタッと収まるのね。収まらそうと思って書かれないんだけど収まるの。僕が書くと短かったり何かあったりねバラバラだけど、先生はすごいパチンとくるの。そういうものです。

 この「神書」の場合は特にそうなんですけど、行間に光が詰まってるの。だから自分という思いがあったら苦しくて読めない。そういうもんです。だから「印可書」もそうなんだけどね、「印可書」も自分という思いがあると苦しくて読めないの。だから本当に「神書」もね、読んでわかろうとかいらんことを考えずに「印可書」と一緒でこのページを神さまに奉納しますと思って読むのが1番良い。ほんなら自然にわかってくる。行間の光で清まってわかってくる。そういうものなんです。絶対必要なものなんで残ってあります。それの緩い版がそれぞれ此処にあります。どれも同じ効果があります。ただ1番の集大成が「神書」だと思ってください。

質問:「印可書」はそれを何千冊も…

河上さん:そうそう。「印可書」はさらにそれを集約して、もうそのわかるわからないはいいんやと。奉納さえしてくれたらもう真祈りそのものやと。無色透明の自分そのものやと。絶対の信を建てる自分そのものとすると。するってね、本人の意識とは別にするっていう神さまと先生の約束でしたのでもっと強力です。でも「印可書」奉納してて読みたくなったら「神書」を読んでください。すると大丈夫です。どれもこれも必要で残っています。「神書」の場合はここ20年の間にね、このページって聞かれたら、名前は出せないけどそれはある人がこういう問題でこうなった時に出たこういうことなんですけど、みたいな説明はいつでもできます大丈夫です。でもそんなん要らんやろ、懐かしい話やな。古い人はみんな知ってるね、色々とな。

質問:ありがとうございます。

質問:「神書」の中にも出てくるし、先生にも言われたし、河上さんにも言われたんですけど、人の10倍働いたらいいって言うのを結局実行できない、どうしていいかわからなくて「印可書」だけでいいんですか?

河上さん:みんなそうよ。はい、「印可書」だけでいいです。じゃあそこを説明します。結局ね「印可書」でも「ありがとうございます」でも「「宇宙神ありがとうございます」でもそうなんですけども。自分がする。自分が「ありがとうございます」って言う。自分が「宇宙神ありがとうございます」って言う。自分が「印可書」を読むっていう間は全然効果を発揮しないんですよ。「印可書」の場合は奉納するいう事で自分を消してもらってます。「ありがとうございます」の場合は先生の説明を借りれば自分が「ありがとうございます」と言っている間は真(まこと)の神さまは降り立てないから、自分が「ありがとうございます、ありがとうございます」って必死で言ってね、もうこれ以上言っても言っても、もう自分では言えないくらい言えと。そこで初めて自分が言っている意識が消えるから真(まこと)の神さまが降りたって悟れると。それで3カ月間、寝てようが起きていようが仕事していようが「ありがとうございます」って言い続けなさいと。それなら悟れるからって言ったんだけど誰もできなかった。

 それでできないから先生は普通に働いてたら、所謂自分の過去世のマイナスを消せない。倍働くと自分の今生でのマイナスをちょっと返せるぐらい。3倍働くとやっと自分の過去世の分をもうちょっと返せるぐらい。だから3倍働いて当たり前だと。仰ったわけです。10倍働けっていうのは何かって言うと10倍働くというのはもう、3倍働くまではね自分が働いてるの。自分が動き回っている、自分が働いてるっていう意識があるわけ。なんで10倍って言いわれたかって言うと、まあ4倍でも本当よかったんだけど。もうその自分が働いてるという意識を越えれるのね、10倍を目標にすると。すると自分が消えるでしょう。消えたら真(まこと)の神さまが降り立つのであっという間に変わるよということやったんです。でも誰もできなかったの、今の質問のようにね。

 それで自分を消す究極の方法は何かって言うことを先生は祈りに祈って祈られたわけです、最後は断食されて。それで「印可書」を出された。だから今は10倍働かなくても「印可書」奉納してればいいんです。みんなが楽に真(まこと)の神さまに立ち帰る方法が出来たのです。どれもこれも真(まこと)の神さま、真(まこと)の本心の自分は真(まこと)の神さまっていうね、真(まこと)の神さまに立ち帰れるれる方法を先生は説明されてやってくれって言ったわけですけど。まぁ誰も実践できなかったのね。

「先生やからできるけど私らは無理やわ」って言ってしまったわけ。「私ら無理やわ」って言えない方法を最後作って「安心したわ」って言っていかれたわけですね。これができないと言うんやったら、まぁ好きにしてやみたいな。だけどできなかったらこうなるでって言うのは先に言っとかないとね。いざ腐ってきてからですね「そんなの「印可書」奉納しないから仕方ないやん」「そんなの先言っといてや」みたいになるでしょう。

 だから今、先に先に言っています。腐ってくるのを止めれるけど治せないのね、今度は。御自分では大丈夫かも、治せるかもしれないけどね。まぁ脅かしているようで脅かしているけどね。(笑)本当のことだから。だって戦争で来るよりいいでしょう。地震であっという間になっちゃうよりいいでしょう。

宮野さん:「印可書」を覚えられない方がね…

河上さん:覚える必要は無いね、読むだけで良いね。

宮野さん:目の前に紙を持って見ながらだったら読めるんだけど、でも日常の中では「印可書」をずっとそれを読めない。例えば冒頭のさわりだけを言える方があったとしても全部は言えない。

河上さん:だからさわりだけでも良い。

宮野さん:さわりだけでも良い。

河上さん:それすらできなかったら「あー・うー・すー」で良いって言ってるね。

宮野さん:「宇宙神ありがとうございます」でも良いですか?

河上さん:でもいいよ。でも「宇宙神ありがとうございます」って意外とな切羽詰まったら言えないね。やろうとしている人はわかるけどな。怒る方が先や。だから「あー・うー・すー」って言うてるけどね。それもその「あー・うー・すー」の言霊が「印可書」そのものって信じ切れなあかんけどね。でも切羽詰まったら信じ切るしかないよね。他に方法がないからね。

宮野さん:切羽詰まるような出来事を神さまが用意してくださるわけですか?

河上さん:うん。やっぱり神さまの方は真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまそのものを自覚させよう、させよう、させようとばっかりしてくるね。いつもね。消し去ろう、消し去ろう、消し去ろう、一切のマイナスを消し去ろう、消し去ろうとしてくる。でも人間の方が過去を掴んでね。掴むでしょう?それならその掴んだ自由意志の部分を消せないの、それだけです。

 それでその過去を掴んでどうしようもないように追い詰めて、離さそうと神さまがするわけ、先生がするわけ。それで「一生懸命お祈りしてるのになんで病気になるの?」とかね、「なんで癌になるの?」とかね、なんで腫瘍ができるの?」ってなるんだけど、過去を掴んでるとこを離させるためにね、色々と追い詰めてくる。先生の表現で言うと業を叩き潰してくるって言うんだけど。叩き潰すときに痛み、熱、腫瘍、癌、いろんな病気になってくる。今回は叩き潰すときに腐るようになる。

宮野さん:その時に改めてもう一度確認ですが、そういう状態になっても、「これで一切のマイナスが消えていくんだ」って。「ありがとうございます」って思って「印可書」奉納すればいいですか?

河上さん:そうそう。使っていただいて良かったと思って喜べて奉納できたらいいけどね。なかなか腐ってきて痛い時に喜べって言っても「痛いのに喜べるかい!」ってなってくるからね。そうなる前になる前にってお願いしてるだけです。でも痛い目に合わないとわからない人は痛い目に合うだけや。でもそれも本人が選んでいる。難しいゲームを選ぶみたいなものやね。

質問:痛い時に「使ってもらっている、よかった」って思ったら一瞬で消える時もあれば…

河上さん:色々あります。

質問:消えない時もあるんですけど、それは「前は消えたのに」ってつい思ってしまうのですけどそれは良いように…

河上さん:もう過去を掴んでるやろ。前は消えたって。それでアウトやね。

質問:続いてもそれはそれで続く時は続いて…

河上さん:そう、良いの。だからゲームが優しいか難しいかだけ。

質問:続いたら、「うまくいかなかったのかなあ」とかつい思ってしまう。

河上さん:どの形も喜んでたら良いね。

質問:それが続いても別にお祈りが浅いからとか…

河上さん:そういう事は無い。だからいつも痛くなってね、行き詰まって悩んだら「印可書」に立ち戻ったら良いね。それなら神さまが良いように使ってくださる。

質問:結果は関係ない。

河上さん:そうそうそう。

質問:はい。ありがとうございます。

質問:すいません、「神書」の中なんですけど。「過去世の借金返しとは親孝行や子供の養育のことです。子供は過去世の恩人です。だから自分の身を削ってでも尽くさせられるのです」とあるんですけども。子供はやっぱり過去世での恩人なのですか?

河上さん:勿論色々あるんですけども。その人の時はね、子供がシンナーをしてね、グレてね大変で、もう私の手に負えないわっていう相談やったのね。その時にね「自分の子だけどどうしようもないわ」ってマイナスに思ったらあかんからね、プラスに思い変えさせるために、もちろん過去世の恩人がなってくる場合もあるし色々あります。親が恩人で子供が生まれてくる場合もあるしね、それはやっぱり色々ありますけども。その時はそういうことやったんです。だからある意味「神書」がね先生あんまり強調されないのは、その時の相談に応じた内容が入ってるんでね、必ず子供が過去世の恩人ではないです。過去世の恩人やったらね、どんな形でも最後はすごい親に尽くしてくれます、子供は。でも逆に親が子供に世話になっていたら親が子供に尽くしたまま終わります。どっちでもいいの別に。それも印可書奉納してたらね、自在に行けるわけですよ。それなのに例えば「神書」の中にそこで子供は過去世のあれやからって縛ってしまうと終わりなのね。だから教義が要らないの。「神書」も強調されなかったの、「神書」を教義にしたらあかんの。そんなことを言うとね「神書」の中にも相矛盾した事が一杯あるのね、あんまり言わんとくけど。誰も読まないから気づかないし黙ってるけどな。

質問:よく分かりました。

河上さん:只、先生が方便でもないんだけど、いかに相手がマイナスに思っていることをプラスに変えさせるかという、いろんな方法がそこには書かれているという事です。あんまり具体的に言うと、誰の事やったってわかるのでちょっとこの辺ぐらいで…。

質問:すいません。数霊なんですけど。今日は14日ですけど、バッハさんは14という数字を大事にされていたと聞いたんですけどそれはどういう意味なのですか。

河上さん: 14というのは言霊で言うと5なんですよ。5というのは、英語で言霊の響きでGOって言うでしょう、行くって。5というのはプラスからマイナス、マイナスからプラスへ変化していく意味なんですよ。本当の5というのは一瞬一瞬新たという意味なんです。それで先生は5をものすごく好まれて。5というのは13とかね、23とかね、41とか色々ありますけど。音楽的には14が使いやすかったと思うんです。

質問:13も5?

河上さん:13は違う。23。

質問:ありがとうございます。

河上さん:難しい教義はないでしょう。本当に絶対の信を立てるだけ、それだけなんですよ。立て方がね、色々と先生が言われたんだけどみんなできないから、最後の「印可書」を残していかれたわけです。それでも真祈りに本当に苦しんでいた人だとね、「印可書」を見たら本当に救われのね。でも真祈りじゃなくてこの世の自分にとっての繁栄とかね、お金儲けとかね、自分がこの世の幸せを求めてる人にとったらわからない、それだけです。

 だからこの世の幸せを求めるって人は虚の世界の(→現実の世界の)宗教に行けばいいの。今いろんな宗教があるじゃない、どの宗教って特定する必要は無いですけど。虚の世界の宗教に行けばこの世の幸せを得れます。得れますけども、いつも言うように幸せはマイナスの上に立ったプラスだから、いずれ崩れます。

 この世の世界というのは崩れるようになってるからね、永遠のものはないの。だからそれを例えとしてバベルの塔とかね、いろんな例えがあるじゃないですか。建てたら崩れるって言うね。それは映画したら最後は終わりで消すでしょう。虚の世界は崩れるようになってあるからね。だから映画の上で私は王様やって言っても終わりが来たら終わるね。人生と言う映画にみんな生きている。楽しんでるね。

質問:護摩の時の質問でですね、女性の方で過去に堕胎をした事があると言うことで。自分の苦しい胸の内と、それについては河上さんから的確な答えをいただいてるんですが。この方が最後に「お腹に来てくれた子は今は安らかな世界にいるでしょうか?」っていうのが最後にありまして。ここへの言及がなかったかなと言うことでお母さんは…

河上さん:みんな一大循環の世界という素晴らしい世界に戻るんです。戻ってから本人の自由意志でまた行きたい人は好きな世界に行けますけど。みんな(一度は)一大循環の世界に戻ります。戻ってもやっぱりもうちょっとこのゲームをしたいって言う人はそのゲームの世界に(現実という現世に)降りるだけ。それはなんていうんかな、その人、その子の自由意志なんです。だから必ず一大循環の世界には戻っています。戻ってもうちょっと遊び足らない人は(現実世界という現世に)遊びに行くの。

質問:ありがとうございます。近いところでしたら今、不妊であるとか流産であるとかどれも一緒と捉えてよろしいですか?

河上さん:どれも一緒です。いいです。不妊症と言うのはね、全部流産してるんです本当は。生理が不順な人ほど不妊の人が多いんだけど、それって本当は流産してるの。だから女性はね、女性として生まれただけでどんどん清まるって言うのね。そういう形で神さまのお役に立てるから無意識に。だから女性の方が長生きするでしょう。神さまのおまけも多い。男は身勝手にやりすぎて早く潰れるね。

質問:ありがとうございます。

質問:以前、護摩の会場で鳥が空を横切った時は清めてくれているって仰られていたんですが、動物はそういう働き方をしてくれるんですか?

河上さん:動物は神さまの御心のままに動きますので。必要に応じて必要なところに現れてっていうことです。だから例えば人間が傲慢にね、地球の資源を使い潰すのね。すると山に食べ物がなくなってお猿さんとか熊さんとかね猪さんが降りてくるでしょう。

 それで降りてきて人間の畑を荒らすでしょう。あれは荒らしてるのじゃないのね。取られた分を取り返してるだけや本当はね。そういうもんなんですよ。それも動物さんの方は別にどうこうしたいとかじゃなくて神さまの御心に従って動くの。動物に自由意志は無いのね。だから思いというのがないわけで、なんて言うかな、従容として死ぬでしょう、動物って。野良猫さんを見たらよくわかるのね。食べ物をもらう人もなくなって、食べ物がなくなったら本当に狭いところに入って餓死するじゃないですか。それを別に猫さんは恨まないのね。そういう感じです。

宮野さん:護摩の最中は鳥は上を横切らないよ。

河上さん:いや、横切る時もあるよ。

宮野さん:ある?ほとんどないと思うよ。

河上さん:ほとんどないけど必要な時は。

宮野さん:必要な時はね。

河上さん:その時はちょっといろんな意味があるんだけど、もっと深く祈って、みたいな感じで。

宮野さん:完璧には駒壇の上を横切る事はほとんどない。

河上さん:ない。

質問:この間の深夜の勉強会の中で1番下の世界に行き出すと、カラスが一杯出てくるでって言ってたのは、出てきたらアカンのですか?

河上さん:別に出てきてもいいんやけどね。でも漆黒の闇の世界は怖いでって言ってるの。

質問:日本って言う言葉は日の本って思ってたんですけど、この前2つの大陸は2本重なってできたって言う意味もあるって仰られてたんですけど。

河上さん:両方あります。日本から全てが始まって世界に散って行って人類がね。それで日本にまた戻ってきて真(まこと)の理想世界の世界はひとつになるんですよ。だから日本と言う国は表立って目立ってはいけないし、いつも下座に立たないといけない。下座に立つ役目なんです。元は1つなのに5つ、まぁ大きくは5つの民族に分かれてね、白人、黒人、黄色人種、赤人、青人ってあるわけですけど。そういうふうに分かれて出て行ってね。また戻ってくるんですよ。例えば天皇陛下という、まぁ録音してるけどいいか。

 天皇陛下という象徴、シンボルがあるでしょう。それって時代によって天皇族も政権を委譲して帰るわけですけども。何が言いたいかと言うと、結局、大陸からでも、南からでも、今も昔もですけど、日本に帰って来るのね。帰って来た時に「うちの先祖はこんなんで偉いんや」ってお互い自慢しあって喧嘩するのよ。中国のこんな偉い人が来てこうなってるんやとかね。南のこんな偉い大富豪が来てこうなってるって喧嘩するの。

 それでは困るので天皇というのが本来すべての元なんだということで象徴的に立っていただいて、日本という国をまとめて来たのです。だから天皇陛下が偉いとか悪いとかじゃなくて、本来の元の人類として、日本から始まった象徴として天皇にいらっしゃっていただいています。天皇家には今の「印可書」に匹敵する祈り言葉が残っています。

 何かは言えないですけど。その祈り言葉を使うと日本の本当の危機をいつも回避できます。天皇陛下はその大事なお役目を担っておられます。今の天皇陛下も一緒です。そういう感じのものですのでね、それで日本を日の本と言います。これからは天皇陛下お1人に苦労させるんじゃなくて、みんながイエス・キリストとして、天皇陛下はイエス・キリストの働きなんですけども。みんながイエス・キリストとして、皆が支えあってやりましょうと言うことです。要するに支え合うと言うのは一瞬一瞬新たに受け直していきましょうと言うことです。その方法として「印可書」がありますよと。魔法の言葉としての、本当は魔法の言葉なんですけどね。「印可書」を読めたら、奉納したら全ては解決するの。でもその奉納という方法は自分の自由意志で神さまと先生との約束を信じ切れて奉納できるかどうかだけです。

 天皇陛下はその伝わっている苦難を退ける祈り言葉を信じ切られておられるのですごい効果があります。だからいよいよ、例えば日本沈没っていう映画があるでしょう。ああいう事がもし起こりかけても陛下がちゃんとお祈りされるから大丈夫です。でも今度は陛下1人にお任せするんじゃなくて、みんなでしましょうということです。本当の理想世界というのは誰かに頼るんじゃなくてみんなで支え合わなくちゃいけないの。今までやったら天皇陛下に頼ってたの。でもみんなで支え合わなくちゃいけない。もうそれが本当の一大循環の姿です。

ありがとうございます。ではお祈りして終わります。


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11月護摩のお話と松下清則先生 のお話 by 河上彰延 2021年11月13日(土) 21時14分
PC

11月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年11月の護摩焚きで、たくさんの質問に河上さんが答えて下さいました。ありがとうございます

質問1
 護摩の質問です。
私の勘違いで、相手を怒らせてしまい、私の事をずーっと嫌いという態度をとってます。何も考えず、印可書奉納をしていますが、どうしても引っかかる事が湧き出てくるので、質問お願いします。2点あります。
1、自分が原因を作って、相手にマイナスの思いを出させたと思うと重たくなり、まさか映画の役割でそういう演技をしているという両方が出てきます。どう解釈すべきでしょうか?

河上さん
 ありがとうございます また、今月お会いできて嬉しく思います。ありがとうございます

 それは演技で楽しんでいるだけです。過去世の事を言うのはルール違反って言うんですけども、何故過去世の事を言うとダメなのかって言うと、過去世の事を知るとね、みんな、こんな悪い私なんかどうしようもないんだぁって、スネ虫になって、しまいに自殺しちゃうんですよ。それくらい、みんな悪い事をマイナスを積み重ねるのね。何でマイナスを積み重ねてきたかというと、前も言いましたように過去の経験に基づいて良い悪いのうちの、良いと思う事をしてきて、良いと思う事なのにマイナスを積み重ねてるわけですね。その積み重ねてる中で、この方の場合は、人に誤解されて、ぼろかすに言われるものを持っちゃったわけですよ。

持ったのを、ぼろかすに言われて苦しむのを楽しむために本当はしてるんだけどね、本当はね。でも迫真の演技で、みんな(演技に没頭して)入ってるから苦しむ状態で演技してるっていうだけなんです、もうシナリオ(過去の結果を基準にしていい悪いと判断したこと→過去を掴む)通りなんですけどね。それを、どうして実観してわかるのか?そんなん言われたって?
 理屈ではそうかもしれないけども、理屈ではそうかもしれないけども、そんなんわからないねん、実際、私苦しいねんってなるわけですね。何で、そこで文句が出るかって言うと、神さまの力を信じきれないだけなんです。いつもここに、この原点に立ち戻るんですよ。

 先生が全ては真(まこと)の神さまの御働きだけ!真(まこと)の神さまだけ!って仰るわけですけども、それどういうことかって言うと、みなさんもそうですけども、神さまは全知全能で何でもできる方、愛深い方って言うのは、誰も否定しないのね。それは、わかってるわけ、理屈として、でも実観としては、わからないから、何で愛深い神さまが私をこんなに苦しめるのってなるわけですよ。

 それって神さまと自分を分けた時点で始まる苦しみなんですね。それを別の説明で言いますと俳優さんがね、俳優集団としては一つじゃないですか、要するに神さまと一つ。俳優さんが色んな台本を分けてもらって、その台本を読んで色んな配役を楽しんでるわけじゃないですか、そういう形だよって言ってるだけなんですね。

 それを、この現世では自分と神さまをわざと分けて、要するに俳優という自分を忘れて、その中の配役に没頭するじゃないですか、そういう感じで神さまと自分をわざと分けて、そういう苦しいすがたを楽しむんです、本当は。

 何でわざわざ苦しいすがたを楽しむのっていうと、ゲーム、難しいゲームが楽しいでしょう、みんな、一緒。簡単じゃ面白くないから、わざと難しくして楽しんでるだけなんです。その楽しんでる自分に気付くためには、何かっていうと、神さまと本来、不離一体の自分に気付けばいいの。要するに俳優だった自分に気付けばいいの。でも気付く方法が今までは難しかったのね、

 先生が仰る「ありがとうございます」は、真(まこと)(まこと)の神さまそのものだよって言われて、「はい!」って言うんだけど、実観が湧かない。「宇宙神ありがとうございます」は真(まこと)(まこと)の神さまの御働きそのものだよって言われて、「はい!」って言うのみんなね。違うとは言わない、先生の仰ることだから、でも実観が湧かない。実観が湧かないから不安になって文句が出て苦しいってなるんですね。

 それで、先生が色々とお祈りされてですね、印可書を作られたわけです。印可書を読んでいる時は、不安であろうが、苦しかろうが、神さまを信じていなくても、神さまを信じてる本来の、神さまと不離一体の自分にするよ。自覚があるなしに関わらず、(どんな心境の時でも)するよっていう、先生と神さまとの約束事なんですね。そこの部分だけを信じ切れて、印可書を淡々と奉納できたら、本来の神さまと不離一体の自分がわかって、今の俳優という話もわかるんです。

 印可書に立ち戻ってもらわないと、なかなか理屈でね、俳優として、私、演技して、苦しむのを演技してるんだなぁと思おうとします、でも実際苦しいからね、腹立つしね、だから思えないの。この質問の方も、まず印可書に必死で立ち戻ってもらわないと、最終的な実観は、喜びは湧かないと思います。ありがとうございます

質問2
 同じ方からの質問です。それとも雑巾役だったのでしょうか?もしそうなら出てくるのは自分のマイナスはなく、縁者の分とお聞きしましたが、私か相手の縁者の分でしたか?

河上さん
 だからね、全ては完璧なる一つなんですよ。縁者も神さまも自分も全部一つなの。だから、理屈で言うと分けて言うから、自分のものなのかなぁ、縁者のものなのかなぁとか、雑巾役なのかなぁとかね、考えちゃうわけ、もうその、神さまと分けた時点で苦しむの。本当に常に印可書に書かれているように、全ては完璧な一つなんです。その一つを、(たとえば)完璧な粘土があると、その粘土をちぎって色んな形にして、粘土遊びするじゃないですか、それだけなんです。

 粘土遊びをして終わったら、また全部集めて一つに戻して、また違う人形を作って遊ぶじゃないですか、そういう感じだけなんですね。だから、まず全ては完璧な一つというところに、神さまと不離一体の自分というところに戻るために、印可書を奉納するしかない。たったそれだけで戻れますので、是非そこに立ち戻って下さい。ありがとうございます

質問3
 同じ方で質問が3つあります。まとめて読んでしまいます。河上さんへの質問です。
1、河上さんは地震の起こる場所も時間もわかるということは、向こうの世界で、すでに起こっているという事でしょうか?そのマイナスを真祈りで消して運命のフィルムが差し換えられて、この世では無難か小難で済んでいますか?
2、十字架にかかるという事は、どういう事でしょうか?雑巾役とかで、使われるということですか?
3、11月に入り腐る人が出てくると、お聞きしましたが今の所、周りには出てきません。これから起こりますか?また腐って亡くなったら、漆黒の闇に落ちないので救われますか?

河上さん
 いつも神さまが、一番いいようにされるんですね。地震でも、あちらの世界では大きく、すでに起こってしまっています。それをいかに、途中で、綺麗にしていって、この世に現わさないようにするかだけなんですね。あちらの世界で大きくすでに起こると、大体もう、こっちの世界で、いついつか、どこで何時ごろ何が起こるって決まっちゃうわけです。でも決まるけども、現れる前であれば、真祈りによって修正できるわけですね。ただそれだけです。それを信じる信じないも、みなさんのご自由で、信じれる人は印可書を奉納していただいたらいい。

 素直に信じていただける方には、特にお願いして、時間をさいていただいてですね、どこそこに行って奉納して下さいとかって、お願いしておりますけども、たったそれだけなんですね。

 例えば11月から腐る人が出てくるわけですけども、何故出てくるかと言うと、今にも戦争が起こりそうなんですよ。戦争が起こっちゃうと恨みに恨みを重ねるのね。あの国が攻めてきて、自分の子供が殺されたとか、そしたら、またやり返してみたいとかって、本当に因縁因果が、またぐちゃぐちゃに重なっていくわけですよ。それだったら戦争じゃなくて、病気で現す方がいいだろうという、神さまの愛でね、腐りはじめるというのが出ます。ただ、どんどん護摩を盛大にして、今日も大成功でしたけども、護摩で真祈りを、この護摩の会場というのは、真祈りを数万倍に増幅できるアンプ、拡声機みたいな場所ですので、ここでみなさんが真祈りを奉納していただくとね、どんどん消えて収まっていくわけですよ。すると現れないっていう、それだけなんです。だから、なんや河上言うけど、食料危機ならないやんか、戦争も起これへんやん、病気も起これへんやないかでいいんですよ。

 別に僕のことは信用しなくていいの、ただ、ここの護摩で、護摩をして真祈りを奉納することでね、本当に大きく全ては収まっていくんだぁっていうことだけは信じて、是非、護摩をね盛り上げて下さい。ありがとうございます


質問3
 いつも、ありがとうございます 河上さんの予言が、いつもぴったりなので、驚いています。10月末に、お腹に腫瘍が見つかりました。喜んで「ありがとうございます」と言っていました。神さまがして下さった事、喜んで過ごすことですね。不安もありますが打ち消して感謝して「宇宙神ありがとうございます」を唱えてます。よろしくお願いします。
 心構えもよくなかったと思ってます。腐る病と言われて驚いています。ちょうどいい時なのかもと思っています。お願いします。

河上さん
 もう、その方に関わらず、みなさんに色んな形で出てくるんですけど、例えば、今のお腹の腫瘍でしたら、まず「腫瘍ですんでよかった」なんですね。まずここなんですよ。例えば風邪ひいて熱がバーッと出るじゃないですか、「熱ですんでよかった」なの、「咳だけですんでよかった」なの。そこで、まず喜べなくちゃいけないの、それだけです、心構えとしてはね。それ何で喜ぶのかっていうたら、神さまに対する絶対の信ですよ。神さまが全知全能で、いつも一番いいようにしてるっていうとこが、わかれば、一番いいようになってるのね、だから喜べるの。

 先生がいつも言うように、神さまの働きを褒め称えて、褒め称えてっていうことは、神さまは全知全能で何でもできて、愛深い方だと信じきれることです。褒め称えて、ありがとうございますと感謝して、喜んで、喜び勇んで、喜び勇むというのは、神さまの御心そのものだから、不離一体になると喜べるんですね。喜んで待ってたらいいって仰るの。みなさんいつもね、喜びまでは何とかいくのね、待てないの、わかります。待てないんですよ、「この腫瘍があるから」とかね、待てないの。待たなぁいかんのですね。

 何で待てないかっていうと、やっぱり不安になるのね。神さまがいいようにしてるんだけど、「治らないしなぁ」とかね。要するに結果を掴んじゃうわけですよ。だから、本当に待てる心境になったら一瞬で終わるんです、待たなくてよくなるの。待てない心境だから、待たされるんです。ちょっとでも神さまに対して不安に思うことがあるわけね、文句が出てら待てないの、待てないから待たされるんです。もうそれだけなんですよ。

 その不安に思った時こそね、ぜひ、印可書に立ち返って下さい。「どうしよう」と思ったら、「なにくそ」って思ったら、「嫌だ」と思ったら、「痛い」と思ったら、「あつい」と思ったら、「辛い」と思ったら、印可書を奉納して下さい、淡々と。もうそれに立ち返ることによって、神さまと不離一体になるから、待たずに一瞬で終わるんです。

 不離一体でない間は、待たされるの、待つというのは、神さまと自分が分かれてるじゃないですか、神さまと一つになったら、待つも待たされるもないのね、そのままなんです、ただそれだけです。ありがとうございます

質問4
 私は、過去に堕胎をしたことがあります。月日が過ぎてもお腹に宿ってくれた子に申し訳なく、思い出しては苦しくなります。この気持ちと、どのように向き合って、私は生きていけばいいのでしょうか?そもそも、私は生きていてもいいのでしょうか?お腹に来てくれた子は、今は安らかな世界にいるでしょうか?

河上さん
 堕胎の件ですけども、堕胎って女の人一人で出来ないよね、男の人もいるわね、わかります?どっちの人のものって、いちいち詮索することはないんですけども、人を殺してしまった、過去世でね。人を殺してしまった人は、殺される運命をもつわけですよ。それを堕胎という形で消していく、天使の役割をお母さんがしただけなんですね。だから、あんまり結果を、いつも言うように結果を気にしなくていいの。いかに神さまと不離一体になっていくかだけなんですね。結果を、今の場合はそう、一番そうなんですけども、堕胎をしたという結果を掴んで自分を責めてるわけ、それは、神さまと自分を分けた状態で、自分が堕胎、人を殺してしまったと思ってるわけですよ。でも殺されるべき人は殺されるのね、でも堕胎の形で死ぬのが一番恨みが残らないでしょう。人に殺されたら、殺した相手を恨むじゃないですか。一番優しい形で神さまは消して下さったのね。それを喜んで印可書を奉納してたらいいです。

 何事も喜ばないかん、喜んべるように、神さまと不離一体の気持ちであればわかるの。神さまと分けるとね、喜べずに自分を責めちゃうの。いつもいつもどの形も、神さまが一番いいようにされたということをね、信じて下さい。すると印可書を奉納できます、ありがとうございます

質問5
 以前お付き合いしていた女性とよりを戻しつつあります。ところが、彼女が家に来て料理を作ろうとすると、水道の蛇口が外れてたり、ドアを開けた瞬間に、今年最初で最後の巨大なゴキブリが現れたり、一緒に出かけると思ってもない言葉が、口をついて出てきて雰囲気が悪くなったりと・・・関係が良い方向へ進もうとすると振り出しに戻り、険悪な雰囲気になってしまいます。この状況をどう受けとめ、どう対処していったら良いでしょうか?お願いします。

河上さん
 これもね、何をどうしようと自由なんですよ。彼女とごちゃごちゃなっていくのを楽しむのもいいし、止(や)めてもいいし、ただそれだけです。例えば、これだけトラブルの起こる彼女だから、嫌だといって逃げてもね、また別の彼女が出てきて同じようなことが起こります。だから、神さまと不離一体じゃない間は、そういうもんなんです。

 因縁因果で遊ぶから、逃げようが、何しようが、受けるべきものは受けなくちゃいけないんですね、それを十字架にかかると言います。先程の質問忘れちゃったけど、十字架にかかるというのは、そういう意味なんですよ。神さまに全てを託して、神さまが一番いいようにしてると信じきって、受けることを十字架にかかると言います。

 だから、イエスがね、罪もないのに磔刑にかかるわけですね。凄く痛いんだけども、十字架の上でね、「これで成就しました、これでよかった、神さまよかったです」ってイエスは叫ぶんだけど、その叫びを聞いてイエスのお弟子さん達も悟るんですけども、その、神さまがいつも一番いいようにしてるっていう覚悟を決めなくちゃいけないの、その人にとってね、必要だったら殺されるし、極端にいうとね。必要だったら事故に遭って死ぬし、必要だったら癌で死ぬしっていうもんなんですよ。だから腫瘍ができて、それが悪化して死ぬでも、よかったって喜べたら十字架にかかったなんです。でも嫌だなぁ、これ嫌だなぁ、もうどうしようどうしようって逃げ回ると十字架にかかってないの。

 同じ結果としては、この世的にはね、癌で死ぬとか、人に殺されるとか色々ありますよ。事故に遭うとかね、同じ結果だけども、それをどう覚悟を決めて受けとめるかで十字架にかかるか(消え去ったか)逃げ回ったか(消せずに因縁因果の残したか)になるんです。いいかなぁこれでわかるかなぁ?ちょっとわからないというところ聞いて下さいね。すごく言葉に表わしにくい微妙な部分なんですけどね。

司会者
 もうひと押しお願いします。

河上さん
 要は十字架にかかるというのは、何かっていうと、神さまに対して絶対的な信を持ってるだけなんですよ。それって何かっていうと、先程言ったように完璧な一つという意識なんです。完璧な一つだから自分も他人もないの。だから作ってしまったマイナスは全部自分がしたことってわかるの、わかるから色んな形で消すのね。それを象徴的にイエスは、磔刑、十字架にかかる形で見せたわけですけども、普通の人はそれが、一族のものを背負って癌で死ぬとかね、色々あるわけです。色んな不幸な形があるわけですよ。

 結果は同じ不幸の形だけども、神さまが一番いいようにされている、これが一番いいんだぁって喜べたら、十字架にかかって、一切のマイナスが消えたということなんです。それを「癌で死んでどうしようもないんだ」って、「こんなもんどうしようもないんだ」って言うたら、逃げ回ってるから消えなくはないんですけども、完璧に消えないんですよ。

 (みなさんが)十字架にかかるというのは、この世がいよいよ終わりですのでね、みんな覚悟を決めて背負って下さい。印可書を奉納するのを十字架にかかるになります。奉納していただいたら、完璧な十字架にかかってるから、一瞬で消えていくんですよ。いつも微妙にずれた意識のままだから、苦痛が続くのね。じゃイエスが何で十字架で長い間苦痛が続いたのっていうことですけども、それはみんなと心が一つだから、神さまと心が離れてる人の気持ちにイエスがピタッと合わしたのね。合わしたから、苦痛という形で、消せたの。神さまに合わしてしまったら、十字架にかからずに、すーっと昇天しちゃうのね。それでは地上に降りて来た意味がないから、イエスは、みんなの心に合わしたんですよ。だから人類の身代わりじゃないの、イエスにとったら身代わりじゃなくて、自分そのものなの。自分そのものだから、神さまと離れたみんなも自分なの。

 全ては完璧なる一つというと、神さまと不離一体の人で一つだぁって、みんな理屈では思うんだけど、違うのよ。演技で苦しんでる状態じゃないですか、みんなね、その苦しんでる状態とも一つになるの。それを演技で消さずに十字架で消した。今だったら印可書で消せます。それだけです。みなさんに十字架にかかっていただきますというのは、印可書を奉納していただいたら、十字架にかかって消してる状態に、今は楽だからね、なるんでお願いしますと言ってます。

 印可書を選ばない人は印可書を選ばない形の背負い方をしていただきますっていうことです。すくなくとも、別に僕を信じなくていいんでね、僕より真祈りが出来てると思う方はそれでいいんですよ、その宣言が大事なんです。私は真祈りが出来てる、実際できていなくても、真祈りが出来てるというだけで、神さまのお手伝いができるの、その形で、私は真祈りが出来てると思ってても癌だったわーと思ってもね、癌という形で消せたんだって喜んだらいいんですよ。今は印可書があるから、もっと簡単に消せるんだけど、消し方はみんなの自由なんです。それだけなんですね。これでいいかなぁ、もうちょっと押す?ありがとうございます

質問6
 真祈りの会で、注意事項を時々、お話して下さってますが、求める気持ちが強くて、マイナスの思いを出してしまってます。そうしては、いけないと分かっているはずなのに、我が強しぎるのでしょうか?どうしたら良いでしょうか?
 それから、すべてどんな思いが沸き上がってきても、相手に不快なことをしてしまっても、良かったと思い返すと消えてゆくという事ですが、それは、自分の都合の良いように解釈してることにならないでしょうか?よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ちょっと説明、間(あいだ)が抜けているのね。よかったと思う前に印可書を奉納しないと良かったにならないです。それだけです。本当はね、神さまと不離一体の悟った自分でないと、お清めができない。今でいう十字架にかかって綺麗にできないわけですよ。でもそれだったら、みんな私じゃ無理だわってなるじゃないですか、だから、先生がずーっと祈って、祈って、祈られてですね、最後に真(まこと)(まこと)の神さまと先生との約束事で作られたんです、印可書をね。自分が人を恨もうが、人を妬もうが、色んな我が出ようが、印可書を奉納してる時は、その時いかに我が出てる自分と思っていようが、真(まこと)(まこと)の神さまと不離一体の本当の悟った自分に奉納してる時はするよっていうことなんです。

 迷う時、苦しむ時、悲しむ時、辛い時、我があると思って自分が嫌になる時こそね、印可書を奉納されたらいいんですよ。その繰り返しの中で、いつも言いますように心境は後からきますから、すーっと変わります。その後からくる心境、心境がくるのをね、みんな待てないのよ。こんなんいうたって私、我があるのとか、こんなんいうたって私、人を責めてしまうのというんだけど、人を責める時はね、自分の思いで責めてても、縁者の思いで責めてると思いなおして、ちょっと楽にしといて、印可書を奉納して下さい。

 縁者も自分だからね、結局は、どんな説明をしたって全部、自分なの。説明の仕方は色々ありますけども、だから、苦しむ事に印可書を奉納してね、十字架にかかっていって下さい。そしたら、全部消えていきます。消えるのを喜んで待っていたらいいだけです。ありがとうございます

質問7
 印可書の下座に立つ意味と行いを教えて下さい。お願いします。

河上さん
 「新たなる下座に立つ真(まこと)(まこと)の本心の自分」っていう部分ですね。「新たなる」というところが大事なんです。ただ下座に立つだけでは意味がない。「一瞬一瞬新たなる下座に立つ真(まこと)(まこと)の本心の自分」なんですね。やり方ということですけども、行いということでね。一瞬一瞬新たなる下座に立つというところが、ある意味、みんなわからない。何故わからないかというと、癖としてね、過去の経験に基づいて良い悪いと判断しようとしてるから、一瞬一瞬新たに受けなおせないの。一瞬一瞬新たに受けなおすというのは、何かっていうと、一切結果を気にしないということです。だから、印可書を読んでも、やっぱり人を責めてしまったわーとかね、色々あるじゃないですか。印可書を読んでも下座に立てなかったわーとかね、それでも、印可書を奉納するという、そのひたむきさがいるんです。神さまは結果なんか求めてないの、ひたむきさ。真剣さって言うんですけども、ただただ神さまっていうて添い遂げてくることだけを求めてくるんです。それができたら、一瞬で、全部完成するんです。

 みんな、その完成するまでが待てない、待てないのね。印可書を読んでも変われへんやないかって、こうなるわけですけど、そこは待つしかないんです。だから先生が待っててくれたらいいっていうね、深い言葉があるんですけど、待てないのねみんな、結果を気にするから、結果を気にしないで。

 だから、結果として、この世的には、例えば収入が無くて、食べる物も無くて、極端にいうと餓死するんだぁみたいになってもね、喜んで待てなくちゃいけない、印可書を奉納して。それを新たなる下座に立つなんです。

 印可書を奉納してないと、自分で何とかしようとするじゃないですか、すると下座で立たずに勝手に動き回るになるわけです。新たなる下座に立つということは、一瞬一瞬新たに、新たに受けなおすということです。いい、大丈夫?もうちょっと押す?

司会者
 行いというのは、おそらく下座に立つという事が、具体的なこと・・・。

河上さん
 その具体的な方法でしょう、だから、具体的な方法っていうのを結果を気にするから、具体的な方法と思っちゃうわけ、わかる。結果を気にしなかったら、上手くいかなくても、いこうがいかなくても、ひたすら印可書を奉納していくの、そしたら、一瞬一瞬新ただから、どんなに上手くいっていない結果が続こうと大丈夫なの。だから、それで最悪ね、収入も何も無くて、食べる物が無くて餓死してもいいわけ。そこが一瞬一瞬新たに受けなおして印可書を奉納してたら、そこが不安にならないから、不安にならないと餓死もしないの。

 だから、先生が3ヶ月ね、水だけで断食されても元気一杯なんですよ。断食あけでもね、60キロの米俵を(両手に合計120キロ)ぽっと持つぐらいの力を見せて下さったことがあるんですけど、両方にこう持って、ひょいひょいと歩かれたんだけど、米俵じゃなかったですけど、その時は、もっと重い物でしたけども、それは、一瞬一瞬新たに受けなおしてるから、食べ物を超えて神さまのいのちが受けれたわけね。

 それは、食べれないという結果を気にされなかったからです。だから、結果を気にしなくなるまで、印可書を奉納し続ける、ひたむきさがいります、それが行いです。ありがとうございます

質問8
 いつもありがとうございます 神さまのお名前は無いのでしょうか?真(まこと)(まこと)の神さま・宇宙神とアメノミナカヌシ(天御中主神さま)の神さまや、先生が最初に仰っていました、天照大御神など、入れ子構造の関係で、奥へ奥へ入ったら印可書になるのですか?お願いします。

河上さん
  基本的な理屈はそれでいいです。ただ神さまは全ての全てだから、名前を付けようがないんですよ。名前を付けるというのは、自分と神さまを分けて、ここの働きという時に名前が付くわけです。天照大御神さまという働き、アマテラスオホミカミさまという働き、天之造化主(あめのぞうかぬし)さまという働きとかね、出るわけですけども、どの働きにしても、働きを限定する時に言葉になるの。全ての全てって限定しない時は、無色透明ですから、言葉にならないの、だから、名が無いんです。いい?わかる今ので、それだけですね。答えになりましたか?大丈夫?本当に全ての全てだから、神さま無色透明だから、表現のしようがないの、名前が付かない、だって全部だもの、名前を付ける必要がないの。

 名前を付けたら、これ、あれ、カナヤマビコノの神さまというと山の神さまになったりね、鉄分の神さまになったりとかねいうて、働きとして限定するわけです。鉄の働きの神さまになったとかね、なるわけですね。だから仏教でいうと不動明王っていうて炎の神さまとかね、いうじゃないですか、それだけ。

司会者
 名前が付くと、絶対の一つにならないという。

河上さん
 ならない、一部の働きを示す時、だから、あれとかあそこという代名詞もそうじゃないですか、あそこっていうて限定するからいるわけで、全部っていう時は、いいようがない。一様全部っていうだけで、それを無色透明とかって言いますけども、だから、それを具体的に神さまっていうだけで、まぁそれを今までいう神さまと違う、全部、無色透明の神さまだっていう意味でね、先生は真(まこと)(まこと)の神さまって仮に付けられたわけです。ありがとうございます

質問9
 同じ方から質問が2つあります。まとめて読みます。
1、深夜の勉強会で話されていた、皆を左旋回にするの大変と言っていましたが、左旋回にするには、真祈りできるということですか?よければ、詳しく教えて下さい。
2、先月の護摩の河上さんのお話の時、河上さんが眩し過ぎて(実際に光っていないのに)目を開けてられませんでしたが、気のせいですか?お願いします。

河上さん
 要するに、みなさん左旋回なんですよ、常にね。常に左旋回なんですよ常に。ところが、思いという右旋回を出すの、すると左旋回と右旋回が、ぶつかるでしょう、それで、みんな体重があるの、重力を感じるの。無色透明になると自由自在になって、先生それこそ、山登られる時でも飛ぶように登られるんですけどね、先生に体重ないからなんですよ。本当は自由自在に空も飛べるんだけど、そんなんするとまた、いらん事を言う人がおるんでね、あえてしないわけで、イエスが水の上を歩いたのも、重力、真(まこと)(まこと)の感謝、真(まこと)(まこと)の真祈りになつたら、重力の影響を受けないから自在だよっていうのを見せただけなんですけどね。その左旋回、右旋回の思いを左旋回に変えるのちょっと苦労してますということを、ちょっとその時は言いました。

 もう一つは、眩し過ぎてというのは、こっちに真剣に心を合わして下さったから、こっちの本体が、ばれて見えたというだけです。

質問10
 同じ方から質問が2つあります。まとめて読みます。
1、地震保険についてお尋ねします。これは必要でしょうか?入ると地震を掴んでしまっているような気持ちになります。
2、護摩焚きや勉強会で、河上さんのお話を伺っていると眠くなります。先月は河上さんのお顔が眩しく目を開けているのが、やっとでした。眠くなるのは、消して頂いてるとのことですが、眠くならない方に比べてマイナスが多いのでしょうか?

河上さん
 だから、そんなことを考えなくていいのね。神さまがいいようにしてるだけ、眠い時は眠ればいいんですよ、ちゃんとしてますから大丈夫です。本当にね、やっぱり、みんな結果を気にするのね。眠ってしまう、話を聞いてない自分、あるいは話がわからない自分はダメだと思っちゃうじゃないですか、それがダメなんですよ。それが、いわゆる過去を掴んでね、過去の経験に基づいて、良い悪いと判断してることなんです。

 でも無意識に、みんな思うでしょう。結果を気にして、「あぁ私怠けてしまったわー」「私あんまり今回お掃除しなかったわー」とか色々ありますけども、やっぱり結果を掴むのね、そこだけです。
 結果じゃないの、ひたむきに神さまに心を添わすだけ、それを印可書で簡単にできますよっていうてるだけですから、悩むごとに印可書に立ち返って進んで下さい。
 
 もう一つ、地震保険はね、別に地震掴む掴まないじゃなくて、本当のことをいうと地震保険の原資は、例えば、いくらとは決まってないですよ、勿論決まってるんですよ。仮に1億円とするじゃないですか、地震の範囲が被害が少ないところだったら、例えば1億件で1億円で、1億件の被害があったとしたら、1件あたり1円しか出ないの、わかります。被害に遭った人が少ないと、その少ない割で出るだけで、気休めです、大きく地震が起こったら。今度は、範囲が限定された地震だったら、どっからどこまでを保険の対象範囲にしますというのが出ますから、本当に気休めだと思って、入っても入らなくても大丈夫です。

質問11
 長文の質問です。
 職場で、あまり勤務態度がよくない人がいます。仮にAさんとします。私は、Aさんの事が心に引っ掛かり、Aさんの名前を数か月にも渡って、護摩木に書いて奉納していました。ある時、私とAさんは深刻なトラブルとなりました。原因は、Aさんが直属の上司である、私を通さずに、頭越えをして所属長に相談に行き、自分の有利になるよう業務を進めようとしたことでした。私は所属長に迷惑をかけた申し訳なさと、自分の立場を潰された怒りで激しくAさんを叱責してしまいました。また怒りの渦中で私の頭に真っ先に浮かんだのは、「私は、今でもAさんの名前を護摩木に書いてあるんやで」ということでした。
 時間の経過と共に少し冷静になりました。私は護摩木にAさんの名前を書いて、奉納してあげているのに、何でAさんは私の都合のよいようにならないんだぁっていう気持ちが、多少あったのだと思います。最初はAさんに感謝を送ろうと護摩木を書いていましたが、いつの間にか、念や呪いに近いものを護摩木に乗せて、奉納してしまったのではと怖くなってきました。他人をどうにかしたい、自分の都合のよいようになって欲しいという我の思いで、護摩木に名前を書いて奉納してしまったため、このような返しが来てしまったのでしょうか?周囲はAさんに味方をする人が多く、辛い立ち場です。毎日、印可書を奉納する毎日です。お願いします。

河上さん
 凄く素直な質問で、わかりやすかったと思うんですね。恨みを籠めようが何しようが、護摩木に書かれたらいいです。そして護摩木にして燃やしてるからね、その程度で済んだというのが本当のことです。その、この世的なことでね、自分を飛ばして頭ごなしに上司に言いやがってとか色々ありますけども、本当はもっと過去世でのシナリオがあるんですね、その結果が出てるだけなのでね。ただそれも本当に億分の一になって出てるだけですから、いつもいつも言うようにどの結果がきてもね、喜べるようにならなくちゃいけない。どんな理屈をつけてもいいから、これは自分のものじゃなくて、自分の縁者のものだから、自分が身代わりになって受けてるんだからとか、どんな理屈をつけてもいいですから喜べるようになって下さい。喜べたら神さまと響きがあっていくんで変わります。どうしても喜べない時は印可書を奉納して下さい。印可書を奉納してたら喜びに変わります。変われば結果が気にならないから、どんな針の筵(むしろ)に座ってても平気になるんです。やっぱり針の筵(むしろ)に座るというのはね、自分が結果を気にしてるからですよ。

 僕なんか、(河上のこと)みんな好き勝手に言ってますよ。気にしないだけでね、そういうもの。結果を気にしたら神さまからズレるの。人から何か言われてるのを気にしてるというのは、神さまからズレてるの。神さまが一番全てをご存じだから、人はどうでもいいの。でも、その自分を針の筵(むしろ)に座らしてる他人もね、自分だぁってわかってくるの。全部が自分とわかってくると、これはゲームで遊んでるというのが、わかるのみたいな感じなんですけどね。だからもう苦しいだろうけど、今はひたすら印可書を奉納し続けて下さい。ある時、あいつ、こいつめという人と自分が一つとわかってきて、楽になります。苦しいというのは、もう分けてるわけよ。神さまと自分あるいは、自分と他人ってね。分けたら、もう腹立つばっかりよ。だから、考えたらアカンって、全部自分やから考えたらアカン。美空ひばりの歌にあるように、あぁー川の流れのようにですよね。川の中にジャブジャブ入って行って、流れを変えようと思っても変えれないでしょう。神さまがいつもいいように、全てを流してるんだから喜んでたらいいだけ、ありがとうございます

質問12
 護摩木を火に、おささげしている時、木の一枚一枚が、松下先生のような、全てを捧げ尽くしたいのちそのもののような気がして涙がこぼれました。これでは小さく受け取っていることになりますか?

河上さん
 その通りです。

質問13
 以前、無色透明の人が200人になったら、この世がより良くなると言われたと記憶しているのですが、無色透明になるまでには、身と口と心を整え、清め、神に受け入れられ、無欲になり、全体と自己の境がなくなることなのでしょうか?又は印可書を無心で読み唱えれば良いのでしょうか?まだまだ道のりは遠いと思えてならない時があるのですが、こちらへ足を運ぶ、印可書又は宇宙神ありがとうございますを唱えることにより、間違いなく無色透明に近付いていると信じていいのでしょうか?

河上さん
 理屈でいいますとその通りです。無色透明になってるかなぁ、なってないかなぁって不安になるわけですね。それが結果を気にしてるなんです。神さまと不離一体になると結果はないのね。ただただ川の流れがあるだけなの、光の流れがあるだけなの、その光の流れの中で、光の、この渦巻き方でね、痛みがあったりとか、色んな姿を楽しんでるだけなのね。だから、淡々と印可書を奉納してたらね、結果を気にしなくなって、痛くても楽になります。結局自分と他人、自分と神さまを分けてるうちは、苦しいの。何で分けるかというたら、結果を気にするからよ。何で結果を気にするかっていうたら、自分の過去の経験に基づいてね、これがいい事、これが悪い事ってしてしまったからだけなんですね。

 だから、過去を掴むなって、先生仰ったように、過去の結果に基づいて良い悪いがなかったら、今の結果を気にならなくなっちゃうんです。するとそのまま、一瞬一瞬新たに神さまの光を受けとれる。だから、美空ひばりのように、川の流れのように、人生に身をゆだねてってなるわけです。ありがとうございます

質問14
 私は印可書を奉納する時は、どんな意味なんだろうと思ったりしながら唱えているのですが、ある時、湯舟の中で唱えていた時、自分の声の響きが気持ち良いなぁと感じました。自分の奉納している印可書を、その響きを気持ち良く聴いている感じなのです。こういう唱え方、奉納の仕方でも良いのでしょうか?自己満足になっているのではないかと心配しています。

河上さん
 不離一体に近付いているから大丈夫です。

司会者
 ありがとうございます 事前に、いただいていた質問は以上です。今、この時に質問されたい方、もしくは質問を提出されたのに読まれていないなどということが、もしあれば、こっそり教えて下さい。質問ございませんでしょうか?(会場からの質問はありませんでした)では河上さんよろしくお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます 今日は本当に大成功で、本当に早くに仕上がって、凄くよかったです。みなさんの印可書を奉納するね、気持ちがどんどん純粋になって、素晴らしい状態になっています。印可書を選ばない人の事を気にしないで下さい。みんな自由意志ですから、印可書を選ばずに進む方もいらっしゃいます。先程説明しましたように、印可書という、印可書を奉納するという形で十字架を背負う方法もあれば、色んな形で十字架を背負う方法があるわけですね。今までだったら、逃げ出した方は、或いは、印可書を選ばない方は、その人の自由意志で任すわけですけども、もう先生が因縁因果の輪を断ち切って最後なのね。どんな形でも神さまのお手伝いに使いなさいという指示を受けてますので印可書を選ばなくても、十字架に、かかっていただきます。

 その時に文句を言わずにね、喜んで下さいね。印可書を読まなくていいから、それだけお願いしておきます。印可書を読む読まないに関わらず、神さまがいつも一番いいようにしてることには、変わりないんですよ。ただ一番いいようにしてる事を、実観として喜べるから印可書を奉納して下さいとお願いしてるだけでね、だから、これから本当に色んな事が起こりますけども、それが一番楽にね、誰もがあんまり苦しまずに済むように、護摩を通して変えていきたいと思いますけども、どの形があっても、喜び勇めたら悟ってると思って下さい。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/uGx2bJ3s0nk

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2021/11/12(Fri) 20:00 No.2316 [返信]

令和3年11月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年11月光の交流会で、聴いていだいた先生のお話です。

 質疑応答

質問
 ありがとうございます プリントをたくさん頂いて、読んでるんですけど、ちょっと正直わからないことが凄く多くて、何度読んでもわからなくて、最初に戻ってしまったような、かえって全然わからなくなってしまったような、それで一回プリントを読むのを止めて、取り合えず何も考えずに、「ありがとうございます」を言ってみようかなぁとも思ったり、やっぱり何度も何度も読み込んた方がいいのかと思ったり、忙しさを理由に、護摩木を書かないで寝てしまう時もあるし、そういうプリントとか先生のお話を、もっと自分の頭で、先生は勉強しなおさないといけないって仰っていたので、前のプリントとかを読み込んで勉強をしなおしたりした方がいいのか、そういう時は一度止めて「ありがとうございます」を無心に唱えるだけでもいいんでしょうか?

先生
 自分が何かしなければというのは、大きい間違いね。自分にできることは、何一つない、全くの無力。神さまが全部してくれている。まず生かしてくれている、存在させてくれている。必要な勉強を順番に与え続けてくれている。その背後に、どれだけの大きい支えがあるかよ。

 悟りへの易行道、絶対他力の一番易しい易行道って、どうして生まれたか?普通は自力よね、自力で山あり谷ありの困難な道を、悟りへ向けて順番に登っていったり降りたりして、悟りの道を歩むよね。自力では絶対不可能に近い、無限の年月をかけても、悟れない。

 それで他力が生まれる。でも他力もね、阿弥陀様でも、五劫の間って、無限の年月修行に修業を重ねている。やっと阿弥陀様の悟りに到達した。それでも、まだ本物じゃない。それで自分の到達した境地へ、南無阿弥陀仏一言に縋りついた人を、そこまで引っ張り上げる約束事をしているね。

 でも本当の絶対他力の易行道、これは真(まこと)の神さまが全部するのよ。阿弥陀様の支えくらいではない。阿弥陀様の無限の無限倍、大きい支えをまず用意してきている。山あり谷ありってね、どんな障害も全部消しきってくる。その下に盤石の支えが、全部下からずーっと降り立って、支えてきているのよ全部、道の全てを、その支えが全ての色んな神々のすがたなの。だから、この「ありがとうございます」の絶対他力の悟りへの行、一歩、その道を歩むだけでも、無限の無限の神仏の大きい支えがあるからできるの。

 自分が何かするんじゃないの。自分には何もできない、したらダメなの。自分がしているというのは大きい間違い、大きい我になる。生かされている、お祈りをさせていただいてる、神さまが全部してくれている。

 勉強も同じ。気付きを大きく与えようと思って一生懸命、神さまが必要な勉強材料を与えてくる。自分がするとなったら、無力な自分がするから、負担になる、苦しい。

 でもこれが神さまからの大きい愛のプレゼントと考えたら、拒絶する方が間違っている。そのまま「ありがとうございます」になったら、全部与えてもらえるの。

 だから自分が何かしているというのは、大きい錯覚、大きい我になる。自分には何の努力もできない、全くの無力、これに気付かないとね。

 自分のする事と比べたら、守護霊さんでも、万倍・億倍の力を持っているじゃない。守護神さんは、もっと凄いじゃない。さらに本心の自分だったら、無限倍・無限倍じゃない。その本心の自分でも、真(まこと)の神さまの前に立ったらゼロと同じなのよ。

 だから、真(まこと)の神さまの本当の盤石の支え、無限の無限の支えが、無限に無限に一杯、絶えず降りつつあるのよ。

 その支えで、絶対他力の「ありがとうございます」の真祈りの行があるの。だから、自分は何もしてない、したらダメ。神さまの愛を、支えを受け入れるだけ。そしたら一番楽になる。もう本当に血液の流れのように循環する、神さまの光。ああ、ありがたい、この気持ちだけ。無条件の幸せだけが循環する、必ず。だから我を出さないこと。
真(まこと)の神さまに、全体に、みんなに大きく支えてもらって、今自分が存在している。ああ幸せ一杯、これでいいの、全部消える。

質問
 毎回、毎回なんですけど、仕事でですね。同じことを先生に毎回質問してまして、絶対プラスに見よう、絶対プラスに見ようと思うんですけど、やっぱり会社が良くなるようにとか、業績が伸びるようにとか、現実的なことを見て、ついマイナスに見て怒ったり、それダメとか、そんなんじゃダメみたいな事を、ついつい言ってしまう私がいて、ここに来る度に、心が綺麗になって帰るんですけど、会社に行くと又、徐々になって、護摩木を書いたりとか、お祈りをする時間も、護摩から帰った時は、高いテンションなんですけど、段々こう下がってきて、頂いて帰ったシールも、こんな大切なものを頂いて帰ったので、貼ろうと、ずーっと貼ってなくて、貼ったらなんか、またエネルギーが凄い家の中に満ち溢れたような、そんな感覚にさせていただいてる、今日この頃っていうか、そういう毎日を暮らしてます。何かよろしくお願いします。

先生
 印可書にね、真(まこと)の十界、真(まこと)の真(まこと)の十界っていう言葉が載ってるよね。真(まこと)の神さまが虚の世界に救いに立つ時、まず神さまは、全てに波を合わして、マイナスを半分取るの、半分背負う、振り替える。半分消す姿がマイナスに見えるかもしれない。でもマイナスを半分取って消してるすがた。そしたら虚の世界にマイナスが見えても、真(まこと)の神さまが働いてるってわかったら、マイナスを半分ずつ取り続けてくれてる、消し続けてくれてるすがたなの、大きいプラスよ。何見ても引っ掛かる必要ないの。大きいマイナスが半分に減ったって見たらいいだけ。

 一瞬一瞬そうなの。自分の回りも遠い世界も全部そう。真(まこと)の神さまがマイナスを半分取って消してくれるすがただけって、これが印可書に解かれてる。それで「真(まこと)の神さまだけ!」って断言するのよ。虚の世界をそのまま認めないの、真(まこと)の真(まこと)の十界って認めるの。

 それで救われたら、救われていく側から見たら、真(まこと)の十界って見るのよ。小さくだったら救われる側よ、救う側に立ってないからね。そしたら、真(まこと)の十界って見るのよね。真(まこと)の神さまが、回りの自分の縁者の全部のマイナスを半分消して下さってるって見るの。これが、真(まこと)の十界と見るすがたよ。

 自分が救いに立った時は、神さまが、全体を大きく救い続けるすがたね。マイナスを半分消し続けるすがた。神さまの救いの働きを真(まこと)の真(まこと)の十界ってとらえるのよ。

 そのうちにね、この十界が消える、虚の世界が消える。真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)だけに置き換わってくる。そこまで神さまは与え続けてくるのよ。虚の世界全部消し切るまで、与えて与えて与え続けてくるのよ。

 ただ、一変に、ぱぁっとできないのは人の自由意志が、マイナスでも選んで掴んだら、自由意志を無視して勝手にできない。それで、半分ずつしか取れない。半分取って確かめる、半分取って確かめる。時間をかけるのはそこなの。半分取ってもらった時に、ちょっと、プラス思考になるはずなの、その時に神さまの方に向いたら大きく消せる。それでもなお、マイナスに向くんだったら、もう一回半分取らないとダメよね。いつ神さまの方へ向いてくれるかって、向いてくれるのを待ち続ける。

 そしたら、「真(まこと)の神さまの働きだけ!」って認められたら、自分の心、安らぐよね。(結果に)引っかからなくなる。だから虚の世界を見るんだったら、真(まこと)の真(まこと)の十界、真(まこと)の十界として捉えることよ、そしたら、大丈夫。

 何故、真(まこと)の神さまが降り立ってくださらないか?原因は一つだけ。我の自分が何かしようとするから。だから、自分の無力を骨の髄まで、味わないとダメ。自分では何もできないって。自分が何かしたから、真(まこと)の神さまが降り立つんじゃないの、反対。

 自分には何もできない、本当の無力感に打ちのめされるくらいになったら、神さまのお蔭、100%神さまのお蔭、1000%神さまのお蔭、段階ごとに、パーセンテージ上がるよね。本心の自分だったら、無限%神さまのお蔭って全託するのよ。

 上へのぼるほど、本心の自分になるほど、我がない。自分ができるって絶対言わない。自分がしようと絶対しない。だから自分が何かしたから、神さまが降り立ってくれるんじゃないの、反対。

 自分が何かしようとしたら、何かしたら、神さまは降り立たない。絶対降り立たない。

 我を出すところには、神さまは自由を縛ってまで降りられない、絶対。我を出したら、好きにしなさいになるの。神さまは引っ込んで時期を待つだけなのよ。強制力は絶対使えない。

 だから、我を捨てて謙虚になること。神さまが降り立ちやすいように、我を捨てること。自分を主張しないこと、自分で何かしようとしないことよ。全て神さまが全部してくれるのよ。

 みんなの、この世の体験、全部間違い。自分がこうしたからこういう体験をした、みんな大きい間違い、錯覚。神さまのしていることは、もっと大きいことをしてきている。気付かないだけ。無限のマイナスを持っているのを、神さまが全部消しきってきてる。それに気付いてない。ちょっとしたマイナスが、どうのこうの言ってるよ。こういうプラスの生き方をとったからマイナスが減ったとか、この世に原因はないの。神さまの働いた結果だけが、出てきているだけ。

 もっと楽になった方がいい。赤ん坊がお母さんに任せきるような気持ちになることが必要なのよ。赤ん坊が自分で生きようなんて大間違い。自分で何かしようなんて、尻拭いなんて自分ができないじゃない。生まれたての赤ん坊に何ができる。真(まこと)の神さまって、本当の親じゃない、全部必要なことを全部してくれる。段階ごとに必要なものを的確に与え続けてくれている。自分のすることなんか微塵もない。

 「ありがとうございます」と祈ったから、どうのこうのじゃないの。祈ったから何か起こるんじゃないのよ、祈らずにおられないのよ。

 真(まこと)の神さまをしっかり認めるしかないからよ。真(まこと)の神さまの凄さに圧倒されるだけ。無限パーセント全部、神さまがしてきてくれている、これに気付いたら、「ありがとうございます」って言うしかないの。「すべて真(まこと)の神さまのお蔭」って、赤ん坊がお母さんって言うような感じじゃない。

 神さまが自分の中を降り立ってくれたら、全部わかる。天才教育よ神さまがするのは、下から積み上げて育てる凡才(盆栽)教育とは違う。神さまのすることは天才教育。上から降ろす。神さまを受け入れたら、神さまの無限力、全知全能、全部スーッと降りる。最初からわかった自分。全部答えがスーッと降りてくる。でも下から登りたい人が多いよ。そしたら「ありがとうございます」一言でもそうよ、最初一回唱えたら全部わかるのかって、わかっていない何も。一億回唱えたら、「ありがとうございます」の意味が本当に分かっているか、わからない。無限億万回唱えても、まだ本物にならない。「ありがとうございます」の中身が奥深い。自分が努力して、どれだけ祈り続けたって、無限分の一とらえることは不可能。

 だから+αの真(まこと)の神さまの大きい支えで祈らないと、気付かせてもらえない。そしたら他の真理の言葉、一つひとつ全部そうなのよ。自分がどれだけ繰り返して神さまに問いかけたか?入れ子構造って、どういうことですかって、神さまに何回問いかけたか?無限回問いかけても本当は、わからない。本当の入れ子構造は奥深い。無限の段階の入れ子構造なんて、実観するまでわからない。でも無限回問いかけたら、必ず神さまは降り立ってくる。神さまが降り立って本心が出てきたら、全部スッとわかる。

 だから真剣に問いかけてくれるのを、神さまは待っている。問いかけたら、答えとして降りてくる。言葉で答えを出すんじゃない。神さまが降り立って答えになる。必ず降り立ってくれる、真剣に唱えたら。本当にわからなくて、本当に知りたかったら、真剣にそれを繰り返したらいい、問いかけたらいい。

 人生の目的でもそうよ。人生の目的とは何かって、わからないって、いくら考えてもわからない。色んな勉強をしてきても、全然答えも、どこにも書いていない。どうしたら人生の目的、本当の人生の目的はわかるのか?神さまに問いかけたら答えが出てくる。

 どこまで真剣に問いかけるか。「この命、肉体の命はいりません、もし答えを与えてもらえなかったらもう死にます」って言う位の真剣さがあったら、神さまが必ず降りてくるのよ。本当の人生の目的はこうだって、神さまが降り立ったらわかる、すぐに。

 だから神さまは、いつも呼びかけてくれる、問いかけてくれるのを待っている。本当の気付きを与えたいから、神さまが降り立ちたいからよ。お母さんと呼んだら、神さまはすっとくるじゃない。本当の親の神さまはすっと寄ってくる、寄ってくるというよりも、先にきてる。身近に寄り添っている。気付くように、すぐにしてくれるよ。それが「ありがとうございます」の一言じゃない。

 「ありがとうございます」も、どこまで奥深いか、無限に無限に奥深い。全てが中にある。他の言葉では、真似できない、太刀打ちできないのよ、どんな他の真理の言葉って言ってもね。「ありがとうございます」には、かなわない。だから最後は一言よ、

 「ありがとうございます」だけになる、必ず。「本当の真(まこと)の神さまそのもののありがとうございます」に、必ず戻る。あと、全部捨てないとダメ。それでないと「ありがとうございます」を小さく落としてしまっている。真(まこと)の神さまを小さく落として馬鹿にしているのと同じよ。「ありがとうございます」が本当の真(まこと)の神さまだったら、これが一番大きい最高のすがたよ。それをどこまで、しっかりと自分が認めるかだけ。小さくしてしまったら、罰当たり、本当に無礼千万くらいじゃない、無礼億兆、もっと上よ。神さまを馬鹿にして神さまが降り立つわけないじゃない。

 だから真(まこと)の神さまがどれだけ愛深いか。自分をどれだけ護りに護ってくれているか、これを受け入れるだけじゃない。その気付きを、みんなで分かち合うんじゃない。自分が気付いた気付きを、みんなに共有してもらう。回りのみんなの気付きを、自分が全部もらう。そして気付きを大きくすればするほど、神さまのことがよくわかってくる。わかればわかるほど、神さまが降り立ってくる。だからまず、本当の自分の無力感をしっかりと味わうことよ。

 だから一旦、地獄のどん底へ、マイナスの極へ自分を置かないとダメ。そこへ置いたら、自分は何もできない、何もない、マイナスだけがある。そこから出発したら、すぐに神さまが、スッと入ってくる。虚の世界が一瞬に消えるかもしれない。地獄が極楽に変貌するくらいじゃない、そんなの小さいことよ。虚の世界が一瞬に消えるくらいにならないと、本当にマイナスの極に立って、神さまを認めたことにならないと思う。それはもう「ありがとうございます」一言で済むことよ。

 はいありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/s78bhqCOnTg

 宇宙神ありがとうございます


[/61.125.124.250] Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/95.0.4638.69 Safari/537.36

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