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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年05月21日(火) 03時34分
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5月護摩焚き河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

令和元年5月5日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

司会者
 質問が4点程きています。

質問1
 何年か前の8月に、先生がその場にいた人達の因果の輪を断ち切られたという話を聞きました。因果の輪を断ち切られたということは、もう生まれ変わらないということですか?その場に立ち会わなかった人は、因果の輪の中にいるのですか?それとも「宇宙神ありがとうございます」を祈り続けることで、因果の輪を断ち切れるのですか?

 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
因果の輪を断ち切るというのは、凄く大変なことなんですね。これ何処から説明したらいいかというくらい深い内容なんですけども、例えば、こうしてお話するじゃないですか。先生の勉強会もありましたね。先生が言葉の上でお話をされる。みんながそれを頭の中で理解する。或は理解できない人もいたかもしれませんが、大体は頭の中で理解したと思うんですね。でも、心境が変わらない。ともかく、神さまの働きというのは、密やかな、秘めやかな働きなんですね。皆さんの気付かない、真奥下に入ってですね、下から支えて持ち上げていって下さるんですよ。先生がお話する時も、僕のお話の時もそうですけど、喋るのは一ぐらいで簡単なんです。でも、下から支えるのは、何万倍も大変なんですね。でも、支えないとわからないんです。
 今の宗教がそうなんですけども、理屈を言って言える人というのは、いわゆる摂理を唱えれる、説明できる人というのは、沢山いらっしゃるわけですね。でも、いくらその話を聞いても「あぁそうなんだ」と思うだけで、心境が変化しないんですよ。それを真祈りということによってね、真(まこと)の神さまを皆さまお一人お一人の心の奥底に立って頂くわけです。それどうするかというと、自分と皆さまが一つになっている実観(感)があって、真祈りすると自分に降り立って下さる真(まこと)の神さまが、皆さまは意識されないけども、皆さんの心の中にも降り立って頂くわけです。降り立って頂くと、下から支えて下さるので心境が上がるんです。もうそれだけなんですね。
 だから、昔お祈りの部屋で先生と一緒にお祈りすると、表面は何もわからない、わからないからみんな余り行かなくなっちゃったんですけども、本当は凄く、もう終わっちゃったことですけど、得難き場でありましてね、先生と一緒にお祈りしていたら、どんどん下から支えてもらって、ある日突然、心境が変わっているのに気付くというはずだったんです、予定では。でもみんな来てくれないんで、あのまま終わっちゃったんですけど。その一貫としてね、先生はお祈りの場とか、何々の場という縛りを一切、解(ほど)かれて、すべてのすべてに真(まこと)の神さまを立たせるということをされたんです。で、それ完璧に最後にされたのが、3年前の8月の護摩であったわけですけども。具体的には、その時に完璧に皆さんの因縁因果の輪を断ち切っています。因縁因果の輪を断ち切るというのは何かというと、生まれ変わるのも生まれ変わらないのも自由自在ということです。もっと別の言い方をすれば、そんなことは大したことないんですね。生まれ変わるとか変わらないとかいうのは。
 一番大事なことは、自分が過去世に積み重ねてきた一切のマイナスというものを、すべて消し去って頂いたなんです。それまでは、過去世からの一切のマイナスを一時的に棚上げして、それでお祈りし易いようにして、皆さんの自由意思でお祈りをしてくれよということやったわけです。でももう、それももう、そんな回りくどいことはしていられないということで、特別の大おまけで、皆さんの過去世の一切のものは既に消し去ったんですよ。でも、「そんなん言われたって、すっきりせえへんで」って言うわけですけど。それね、やっぱり、皆さんの表面の意識は、神さまと自分を分けているから「何で?」と思うのね。なんかちょっと足痛くなったら、「何で痛くなったの?」と思うわけです。すると、そのマイナスの言葉でわからんようになっているわけですね。本当は「ありがとうございますだけを言いなさい」って先生言うわけです。じゃ、自分の自由意思で先生仰るように「ありがとうございます」だけ言おう「宇宙神ありがとうございます」だけを言おうとしていたら、すーっと解かったことなんですね。でもまぁ、それも済んだ話で、これからね、素直に「宇宙神ありがとうございます」って、こうしてこの護摩の場でどんどんお祈りに来て頂いたら、あっという間に解ります。既に皆さんの過去世の一切は消しています。
 だからもう、真(まこと)の神さまそのものの自覚を皆さんは、自覚するしないに関わらず、あるんです。真(まこと)の神さまの自覚があるから、先月の護摩でもお話しましたように、「すべては自分」「すべては完璧なる一つ」が無意識に解ってるんですよ。じゃあ、何かって言うと、その地獄で苦しんでいる自分の縁者ですね、縁者を関係ないと思うか思わないかということなんです。「すべては完璧なる一つ」っていう、「すべては自分」って自分が大きくなるんですよ。真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまの自分っていうのはね。すると、地獄で苦しんでいる縁者も自分なんです。じゃあ、その縁者の痛みを半分引き受けるのは当然。無意識にね。引き受けようと思ったら「自分が」になっているから違うんですね。無意識に引き受けることになるんです。
だから、この令和の時代、真祈りの時代ですけども、真祈りの時代に入りましたのでね、皆さん、「なんか体、調子悪いな。痛いなぁ」とかね。「なんか仕事上手くいけへんなぁ」とか、「上司にいじめられるなぁ」とかね。「左遷された」とか、色んなマイナス的なことが皆さんの身の上に降りかかるようになります。それ何かって言うと、地獄の縁者の分を半分背負ってるんですね。背負って真祈りしないと消せないんですよ。地獄の縁者は自分と関係ないと思っていたらね、なんぼこっちから真祈りしたって、通じないの。相手と同じ立場に立って真祈りするから、通じるのね。あの、例えば、小さい子に泳ぎを教えるとするじゃないですか。そしたら、お前泳いでこいよって言って、浮き輪を渡して、泳がしていたって上手くならないですよね。でも、一緒に入って、一緒に抱っこしてね、一緒にこう一体となって泳がしているうちに、覚えてくれるじゃないですか。そういう感じで、相手の立場まで降りないと、真祈りが通じないんですよ。それをこの令和の時代は始まります。その為に先生は、因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切のマイナスを過去の世マイナスを消し去っているんです。
 だから、これから自分の身の上に降りかかることは全部、自分のことじゃない。縁者のもの。それを縁者を救う為に真祈りするんだっていうことでね。救う為に真祈りする為には、自分の身に背負わないとダメなんです。あのゴミを捨てるのでも、チリトリに集めて捨てるじゃないですか。それ以上どうしようもないでしょう。集めてこそ捨てれるでしょう。皆さんの肉体をチリトリとして使って、縁者の苦しみを集めて、それで消す。この世では、チリトリに集まったゴミはゴミ箱ですけど、真祈りでは、自分の体に集めて、真祈りで消す。そのお役目をね、先生に縁のあった方はみんな、今はもう来られなくなった方もみんな、あります。だから、もう逃げれないんでね。逃げれないという表現もおかしいんだけど、真(まこと)の神さまの自覚を持てば、逃げるとか逃げないではなくて、自然にそうするの。皆さん、もう意識・自覚は後からきます。だから自覚はしてないけど、自然にそうするんだと思い定めて、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」と祈って下さい。その為の因縁因果を一切消し切ったということです。よろしいでしょうか?質問あります?後でもいいですから、またこの後にじゃあ質問があったら言って下さい。

質問2
 人間は環境破壊など地球を汚す存在のように思えるのですが、なぜ地球に生まれてくるのでしょうか?
あと最後の審判について教えて下さい。

 最後の審判から。最後の審判というのは、「自分が自分で自分を裁く」ということです。何でかと言うと、皆さんお一人お一人、真(まこと)の悟りを既に得てるんですね。真(まこと)の本心の自分の自覚を持っているんですよ。無意識にね。だから、その本心の自分と今の自分を比べて、自分で自分を責め裁く、それが最後の審判です。でも、先生が因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切の過去を消しましたから、最後の審判の時になっても、皆さんは迷うことはありません。逆に、苦しんでいる人の分を背負って消してまわるということです。その時に具体的にどんなすがたをとるかは、またいずれ、もうちょっと迫ってきたらお話します。まだまだ先のことですのでね。
 この世に生まれてきた理由ですけども、この世に生まれてきた理由は、ただ一つ、楽しむ為です。先月お話しましたように、シナリオでね、楽しい物語、悲しい物語、淋しい物語とか、色んな事、自分で自分の言葉で作って、それを演技して楽しんでいるだけです。その楽しんでいる状態を忘れてね、「なんか苦しいなぁ」と言っているんですけど。映画でもね、やっぱり、例えば、刺されたら、こう血のりのあれを付けて、刺されたふりをして苦しい痛いってやるじゃないですか。それをこの現実ではもっと立体映画的にね、具体的に出るわけですよ。自分の言葉で神さま以外のものを表現したら、それが出ます。でも、わざとそれを表現して楽しんだんですよ。神さまと不離一体で完全円満完璧大調和というのは、ある意味つまらない。ある意味ね。だって、この世でもゲームがそうじゃないですか。わざわざ縛ったルールを作って、楽しむんでしょう?野球でも、金属バットを作ったらみんなホームラン打てるんでしょう。それ打てないバットにして、ホームラン競うわけじゃないですか。そういうふうに、わざとマイナスのルールで縛って楽しむわけですね。そういうことをみんな無意識にしてきたの。最初は意識的にしたのね。でも、演技しているうちに、演技していることを忘れて本番になっている。それで、それを迷いっていうんですよ。顛倒妄想(てんどうもうそう)というんですけども。それを積み重ねて今の状態になっているということです。
 じゃあ、何でこの世に生まれてきて、この地球にこんなに負担かけているのかっていうことですけども、人口的に増え過ぎたんですよ。人間はこんなにたくさんこの世に降りてきてはいけないのに、上から見ていて「あぁ面白いことやっている」とみんな一生懸命降りてくるんですよね。地球霊王さまから言えば、10倍多いと。1割でいいんです。だから、そこまで自然に減りますけどね、それだけです。人間というのは、霊長類の一番頂点に立つじゃないですか。生き延びる為にありとあらゆるものを根こそぎ食べ尽すんですね。だから、人間は増えてはいけない。その通りに真祈りしていたら、自然になりますので、大丈夫ですから。ただそれだけの理由です。だから自然に寿命の短い人がたくさん出てくるような感じで、人口が減ります。

質問3
 4月の勉強会で、「これからは人口を減らしていく。日本はその先駆け」とお話されましたが、国の政策では何とかして少子化に歯止めをかけようとして、保育所問題に対応したり、今年の秋からは保育、幼児教育の無償化などを決定しています。相反するものですが、この違いはどういうことなのでしょうか。私は子供がいませんので、少子化と言わわれると胸が痛みます。

 今の日本人の生活、今皆さんがされている生活あるじゃないですか。この生活を全人類がしたら、地球が3個か4個いるんですよ。これ凄い矛盾でしょう。みんな等しく平等であるわけですから、今日本で水道をひねったら水が出る。スイッチひねったら電気がつく。そういう生活を当然みんなが享受する権利があるわけじゃないですか。でも、今の地球上の全人類がそれをしたら、地球が4個あっても足らない。3個か4個あっても足らない。それぐらいのエネルギーを日本人は使っているんですよ。だから、少子化にならなくちゃいけない。本当にね、他の動物が全部圧迫される。動物も植物もね。例えば中国だと、食糧をどんどん作りたいから、ヒマラヤの木を伐って畑にしたんですね。その結果何が起こったかというと、黄河と揚子江というあの大きな大きな河に、河が水が流れなくなって、干上がる時があるみたいなね。それぐらい大変なことになるわけです。人間を生かす為に木を伐って畑を作ったのに、結果として人間を殺すことになっている。ということは、人口が多すぎるんですね。だから、何がいいかというのは、神さまの御心に添って生きるのがいいんですよ。神さまの御心に添えば、こんなたくさん生まれてこないの。じゃ何でこんなたくさん生まれたの?と言えば、向こうの世界から地上に降りてきたいという意識があって、その意識が若い人の性欲を刺激してね、子供が生まれるようになるんですけども。それは神さまの御心ではないんです。それでよろしいですか。

質問4
 令和の時代になり、皇位継承について男系女系の話が出ていますが、如何でしょうか?

 これはね、皇統連綿(こうとうれんめん)という一つの法則がありまして、女系で繋がったことは一切ないんですよ。何でか言うと、女系でいくとね、誰でもいいとなっちゃうんですよ。わかります?必ずお父さんが天皇であられた方が女性天皇としてなられるんです。お父さんが天皇でない方は、天皇になれない。それが女系男系の意味なんですね。だから、女性の天皇でもいいんですよ。でも、お父さんが天皇だから、その娘だからなれる。
どう言ったらいいのかな。今回の場合は、今簡単に説明しましたけどね、お父さんじゃない、御祖父さんか。ごめんなさい。御祖父さんが天皇である方で女性だったらOKなんです。そういう意味なんです。でないと、何でもありになるんですよ。天皇家の古い歴史はちょっと秘められたことなんであんまり大きく言えないんですけども、そのやっぱり途絶えた時があるんですね。すると、いわゆる、御祖父さん、曽御祖父さんがお父さんであった方の血筋の陛下をお連れして、繋いできたわけです。それぞれ神という字の諡(おくりな)をもった天皇陛下の時は、そういうふうに、外からもってきたんではないんですけどね。その御祖父さん、曽御祖父さんが天皇であった方の血筋の方をもってくるんですね。それが男系の意味です。天皇家は常にそうしてきたんで、都合4回ぐらいはそういうことをしています。今回は幸いにしてね、秋篠宮さまのところで、お生まれになっているので大丈夫なんですけども、そういう意味です。日本の天皇陛下というのは、神さまの代表としていらっしゃいますのでね、その血筋を絶えさせると日本が滅びるんですよ。皆さん色々仰るけども、女系天皇だと血筋が滅びる形になるのでね、それでダメなんです。だって御祖父さん、曽御祖父さんが天皇でない方というのは、何処にでもいらっしゃるわけでしょう。そしたら何でもありになるわけですよ。極端な表現で言うと。そういう意味です。

司会者
 事前に頂いた質問は以上です。他にいらっしゃいますか?

 いよいよね、本当に陛下も即位されて、完全な意味で即位されて、令和の時代に入ったわけですね。ともかく、何で平成の時代から地震が多かった。令和の時代もちょっと大変そうなんですけども、何でそうなのかって言うと、その天皇家でのご神事がね、どんどん消滅しているんですよ。それ何でかと言うと、天皇家のご神事というのは文献では表されてない。その口伝(くでん)でも表されてないんです。天皇家のご神事を一番よく再現されたのは、明治天皇の時なんです。明治天皇と言われる方は、凄く霊感というか、直観(感)がありまして、昔にされていた天皇家での祭祀を復活されたわけですね。でもその例えば、形の上でね、四方拝をしますと。四方拝といったら、北と南と東と西に向かってお辞儀してお祈りします、というのは伝えれるんですけど、お祈りの内容は伝えれないんですよ。それくらい真祈りというのは、本当は厳しいものなんです。その真祈りが天皇家に伝わっていたわけですけど、それがどんどんやっぱり、上手く伝わらないんですね。それで、この印可書が降ろされて、みんなが陛下の代わりとなって、真祈りをする時代となったのが、令和なんです。その為に先生が苦労して、印可書を降ろして下さったわけです。
 ですから、これからはね、五井先生や松下先生に、或は天皇陛下お一人に任せてしまって、真祈りをですよ、任してしまって、自分達は何もしないっていうのでは、ダメなんです。みんなが、天皇陛下というのは総責任者の自覚ということです。そうでしょう。天皇陛下は何があっても全部自分の責任ってされて、お祈りされるわけですよ。総責任者の自覚ですよね。だから、今、先生はみんなに総責任者の自覚をもって真祈りをしてくれって仰ったわけです。自分の自由意思で。逆の言い方をしたら、みんなが陛下の身代わりとなってお祈りするという時代なんです。みんながしなくちゃいけない時代になったんです。ですからね、皆さんの自由意思でね、「あぁそうだ、やろう!」という自由意思が大事なんですよ。言われたからするのでは真祈りじゃないの。自分の自由意思でね、どうか人類の身代わりとなってということです。陛下の自覚、総責任者の自覚ということはね。それは、最初にちょっとお話しましたように、地獄の縁者を他人事として見ないということです。この世だけじゃないんですよ。あっちの方がもっと大変なんです。あちらの世界の縁者の身代わりとなって、皆さんは真祈りして下さることが大事なんです。「真祈り、そんなん僕ら出来ないわ」っていうのが1年前の話やったじゃないですか。でも、真祈りというのは、できるできないじゃないんだよ。先生が「呼吸に乗せるだけでいいんだよ」と仰って下さって、もう皆さんは真祈りできる状態なんです。自分の自由意思でした時ですよ。言われたからするでは真祈り違います。自分の自由意思で、もうこれしか真祈りできへんわと思って、することが大事ですね。自分の自由意思でされたら、それは真祈りです。それで真祈りして、どんな状態でも真祈りできます。ただ大きく光を降ろせるか降ろせないかは、自分のものというのを掴んでいるか掴んでないかだけなんです。自分のものと掴んだ分しか光が降りませんのでね。じゃあ、全部神さまの預かりものとしたら、大きく光が降りるわけですね。だから本当にね、お金も財産も人にやる必要はないですよ。でも自分がずーっと持っていていいんですよ。持っていていいけど、神さまからの預かりものとして、真祈りをして下さい。
 今までの宗教はね、財産持っていたらあかんから本部に持ってこいってやるわけですけど、それはないですからね。そのままでいいんだけど、気持ちの上で神さまからの預かりものとして、そして真祈りして下さい。そうすればね、自然に、本当に自然に光がどんどん降りて、あっという間に変わるんです。みんな先生と同じ働きできるんです。だから先生は、もう安心したわって逝かれたわけです。それを素直に、先生が安心したわっていうのを安心させてあげて下さい。それだけです。
 本当にね、「自分なんか」っていう意識だけ捨てて、その自分なんかっていう自分が、「自ずから分けるもの」って書くんですけど、神さまから離したものなんですよ。自分の自由意思で神さまから切り離した意識を自分というんです。だから、その「自分なんて」という意識だけは捨てて下さいね。「自分なんて」という意識があろうがなかろうが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて、持っているものは全部神さまからの預かりものとしたら、本当に自然にね、深い真祈りとなって、神さまのお手伝いになるんです。いつも申しますように、真祈りというのは本当に密やかな働きですから、縁の下の力持ちで、縁石ですからね。みんなを下から支えるだけで、誰にも評価されず、誰にも理解されずっていうのが基本です。それ覚悟の上でね、ひたすら目立たないのが一番楽でいいんだって思って、真祈りして下さい。お願い致します。

 質問があれば、よろしくお願いします。今質問しておかなければ「私は真祈りします」と宣言したと同じになりますから、よろしいですか。疑問があったら聞いておいた方がいいですよ。いよいよ始まると、後戻りはないんです。だから、「こんな痛いんやったら、私悲しいから辞めとくわ」っていうのはないのでね。勿論これだけは絶対言っておきます。その人に耐えられる痛み、苦しみしかきません。だから、それは安心して下さい。神さまの絶対の愛というのは、そういうものです。その人の持てるぎりぎりを持たしてくれます。運命的な事もある、病気のこともある、痛みのこともあり、色々あると思いますけども、全部自分に耐えれる範囲ですから、めげずに真祈りに励んで下さい。

質問5
 ありがとうございます
これから何かを頂く、ということなんですけど、痛みとか苦しみとかを頂くということなんですけども、これがそれなのかなぁってわかるのか、それとも、そういうことがきたら全部?

 全部です。間違いなく全部です。だから、皆さんの一切の過去のマイナスを先生消し去ったの。自分のはないわけ。だから自分、何もしてないのに何でこうなるのって言ったら、そういうことです。全部、神さまのお手伝いになっている。

質問者
 先月の護摩の時にも同じような、これからそういうことが起こるよってことをお聞きしてましたので、「来るのかな、来ないのかな」って思っていたら、ちょっとありまして、やっぱりその時は、痛いとか眠いとかきついとか、つい心の中で思ってしまいまして…

 思ってもいいです。

質問者
 その後またお祈りをすれば…。わかりました。ありがとうございます

 予告しておいたらね、ゆとりがあるじゃないですか。だから悠々とお祈りして下さい。先月お話したように、本当の悟りとは、痛みがあっても嬉しい、楽しいなんです。それ何でかと言うとね、痛みが一瞬一瞬消えていくのがわかります。真祈りするごとに。また新しいのが来てるというのがわかります。だから、楽しい、嬉しい。これ、「同じ痛みずーっと続いているねん。大変やねん」って言ったら、もうそれは耐えれないじゃないですか。でも真祈りしたら、一瞬に消える。また次来るの、新しいやつなんです。「真祈りしても一瞬消えるけど、また来る。また痛いねん」って言うたらダメですよ。新しいのが来ている。それはもう、真祈り人は今、数が少ないからね、皆さんに負担がきているわけですよ。でも皆さんの真祈りのお蔭で、多くの人の心に、心・芯・親・神柱(しんばしら)って言うんですけど、真(まこと)の神さまが降り立たれるわけです。すると、多くの人がね、内側から印可書が解る、真祈りが解るとなって、真祈りに参加して下さるようになります。それがもう、連鎖反応的にね、ワーッと拡がりますから、それまでの辛抱なので、この今、最初に中心核となって祈る人次第なんです。だから本当に、何があっても「あー良かった。ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってね、悠々と祈って下さい。自分に耐えられないのは、一切来ないですから、それだけ。「自分なんて」っていう卑下慢の心になるとね、耐えれる痛みなのに耐えれない。耐えれる運命なのに耐えれないってなるんですよ。それだけわかっておいていて下さい。神さまの絶対の愛というのは、その人の耐えれる範囲しか来ないですから、どんな形でも。だから、これは自分に耐えれることなんだからと思って、悠々と真祈りして下さい。
 それでもう一つ。痛いとね、夜寝れないということになるんですけど、寝れなくても大丈夫なんです。みんなは食べなくちゃダメ。眠らなくちゃダメ、とかいう縛りを持っているんですけど、それもないですからね。だから眠れなくても大丈夫だし、僕の場合は、今噛めなくて鵜のみになっているわけですけど、うい飲みでも大丈文なんです。神さまをどれだけ信じ切れるか?自分が神さまの絶対の愛、或は神さまの全知全能無限力をどれだけ信じ切れるかだけです。自分の信じ切れた範囲しか効果は出ないです。神さまは必ず良いようにされるという絶対の信(しん)さえあれば、何事も悠々と越えていけれますので、よろしくお願いします。

質問者
 「今、僕もらっているよ」とか「来ているよ」とか、それはもう、あまり言わない方が…

 それ既に「自分が」って出ているでしょう。神さまが良いように使って下さるが一番良い。「自分が」じゃなくてね。神さまがいいように使って下さって、良かった良かったって、だから無条件の喜びなんです。無条件の幸せなんです。その「自分が」って言う時は、もう「自分が」っていう条件が付いているでしょう。条件付けたらそれだけ光を受け損なって、苦しくなるの。
 昔、白光真宏会というところがありましてね。五井先生が人類の業(ごう)を身代わりに引き受けて苦しまれるわけですね。そしたら、会員さんの中にも、「自分は今、人類の業(ごう)を引き受けて苦しんでいる」と言う人が出てきてですね、結構ややこしい事があったんですけど、それ何が間違いかというと、「自分が」なんです。
 真祈りというのは、自分というのが一切消え去るのが真祈りです。自分というのが一切消え去る自覚がとりやすいのが、呼吸なんです。呼吸って形ないでしょう。ということは、自分が消えちゃう。そしたら自分の呼吸だと思っているけど、自分がなくなって、呼吸だけ。それは天地の呼吸、神さまの呼吸になっていく。本来は、皆さんの呼吸一つが神さまの呼吸なんです。だから、お祈りする時、呼吸するじゃないですか。息止めないでしょう。呼吸そのものが真祈りなんです。そこまで自覚できるとね、もう無敵なんですね。呼吸できている間は、何があっても大丈夫。
 僕は、小さい時、喘息で呼吸困難で、呼吸が真祈りというのをそれで知るわけですけど、まぁ息止めて、何十分我慢できますか?っていうことです。「自分が」っていう時は、息を止めている状態です。そしたら、どんなに長い人でも20分止めれないでしょう。だから、呼吸が真祈りなんですよ。それを知る為に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めているのね。そしたら、「宇宙神ありがとうございます」の響き、言葉の響きの奥が呼吸と一緒だったって、解かって楽になる。それと、呼吸さえしていたら大丈夫みたいになって、楽になりますので、痛みが一瞬一瞬に消えては現れているだけっていうのが解って、楽しめるんです。

質問6
 毎朝、目が覚めてから一番最初にお祈りをしようと思って、一人真祈りの会をしているんですが、それはその日によって時間が、恥ずかしいですけど5分であったり15分であったり1時間であったりっていうふうに、まちまちなんですね。起きる時間もわりとまちまちで、始まる時間も終わる時間もいつも違うんですけれども、始まる前に「真祈りの会を始めます」と言って、終わる時に「終わります」っていうふうに、一応区切りをつけてやっているんですが、真祈りの会は色んな後ろの方もいらっしゃるので、前もって、今日、何日の何時何分から何時間ぐらいやりますみたいなことを言っといた方がいいんではないかというようなことを仰っている方がいて、私はそこまで深く考えて…

 それは理屈です。それは理屈。そんな言わなくていい。

質問者
 大丈夫ですか。毎日そんな今やっているような形で。ありがとうございます

 皆さんは自覚するしないに関わらず、絶対の中心に立っているんですよ。これ忘れないで下さい。先生がみんな光やって仰った意味はそうなんです。皆さんは自覚していないだけで、絶対の中心に立っているんです。絶対の中心のことを「今(いま)中(なか)」と言うんですけども、今中(いまなか)に立っている限りね、この現世(うつしよ)的には、1秒でも10秒でも、1分でも5分でも、1時間でも6時間でも、一緒なんです。6時間必要な時は、勝手に6時間やることになります。1秒でいい時は、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せた、これが1秒。どれもいいんです。どれも同じなんです。だから、この世的な概念に余り囚われずにね、悠々と。だから、呼吸に乗せていったら、楽になるわけです。いつも真祈りの場に立っている。皆さんの体が真祈りの場になっている。そして、この地上という響きのとこから絶対の中心、今中(いまなか)まで光が通っている状態なんです。それを天の岩戸開きと言うんです。皆さんが天の岩戸開きの神聖行事を執り行うんですよ。だから悠々とやって下さい。「自分が」というのが出たら、「あーしまった」と思って下さい。「自分が」っていうのが一切消えるのが真祈りです。「自分が」っていうのが一切消えると、時間も空間もすべて関係なく、一瞬で全部完結してるんですけど、必要だったら6時間でもするということです。一瞬でいいんやったら、そしたら長い時間しなくていいんやなぁ、というのは理屈です。神さまの御心に従って勝手に、そこは1分になるか5分になるか10分になるか、6時間になるか或は12時間になるかは勝手に決まります。だから「私は毎日8時間やっているのよ」というのは、もうこれは「私が」入っていますので、偽物なんです。なんか知らんけど、毎日座っていたら勝手に8時間なっていたというだけで、もうそれは人に言う必要もない。只々自分というのが一切消え去っていくのが真祈りですから、自由自在にやって下さい。

質問7
 ありがとうございます
自分の思いついた所に、行きたい所に行ってお祈りしたりとか、印可書を読ませてもらったりすることあるんですけど、ちょっとふと思ったのが、「古墳に行ってお祈りしたいなぁ」っていうふうに思ったんですけど、ただ躊躇(ちゅうちょ)する気持ちもあって…

 怖い時とか躊躇(ちゅうちょ)する時は止めて下さい。何でかと言うと、それは「自分が」が入っている。その自分が思いついて行きたいなぁまではいいんですけど、行ってお祈りする時は、「自分が祈る」というのはない。消えていないとダメなんです。「ただただ神さまに使って頂いているだけ」にならないとダメなんでね。向かっていて「何か行きたくないな、イヤ」っていうのは、「自分が祈る」というのがちょっと残っている時。そういう時は神さまが止めているので、行かなくていいです。

質問者
 わかりました。ありがとうございます

質問8
 先程、「すべてのものは神さまからの頂きもの預かりもの」っていうことで、それは、今の宗教団体みたいに出さなくていいけど、大事に使えばいい、それを感謝して使えばいいということだったんですけども、今、年齢が、ここにいらっしゃる方もそれぞれ年で、ゆくゆくは肉体を外すことがあると。そしたら、あの世に持って行けないっていうものは、前にもお話されたと思うんですが、今現在肉体がある時は、神さまからの預かりものとして、喜んでそれを大事に使わして頂く。ところが、現状として、この三次元的にはそれを次に引き継ぐ形になることが多いですよね。そういう時はどのように引き継げばいいですか?

 理想はね、理想ですよ、これはね。強制はしてませんからね。この大事な護摩を維持する為に出して下されば一番いいです。でも、もったいないと思う時は出さなくていいです。後は、自分が真祈りして、誰に渡せばいいかを決めればいいです。この護摩というのは、真祈り出来ない人でも、ここに来てお祈りするだけで、真祈り出来るようになる凄い護摩なので、先生は全人類を救う為にね、この護摩をおつくりになられたんですね。だから、その辺の所を考えて、良ければ、もうそろそろ自分はあっちの世界に行くなぁと思ったら、護摩の為にお使い下さいと言って出して頂くのが一番いいとは思います。でもこれは、強制でもないですし、皆さんの自由意思でそうしたいと思った時にして下さい。という感じですね。
 それくらいね、この護摩の始まりというのは、ある個人の方、弁護士の方が願われて始まったのですね。その時に先生が、すぐにはOKを出されなかったんですけど、凄い熱意をもって言われたので、始まったんです。始まった以上は、先生はもう、この護摩という形でね。最初はどういう形でするか決まっていなかったんですけど、護摩という形で始まったので、とことん護摩という形で来ているんですね。この護摩のこの会場の、ここの場所が凄く大事なんですけど、この場所を維持する為には、この護摩の形が一番いいんです。あまり具体的にはどうだっていうのは言いませんけど、この護摩の形にするお蔭でこの会場がずーっと維持できるんですね。だから、できれば自由意思で、護摩の維持の為にお使い下さい。出して頂ければ凄くいいと思います。

質問9
 宇宙神ありがとうございます
自分を出さないというところだと思うんですけど、皆さん「このいのち、真(まこと)の神さまにお捧げ致します。先生にお捧げ致します。どうぞご自由にお使い下さい」という風に決意されている方が多いと思うんですけども、つい知らず知らず、自分のいのちというところで、決心、思っているところがあって、神さまからの頂きもの、預かりもののいのちというところと、ちょっと忘れるところがあって、そのへんの、こうすっきりと、はっきりと神さまのいのちを捧げるんだっていうところを説明してもらえたら・・・・

 あのこれ一言で言うと、全託。全託ということなんですね。みんな全託が一番いいっていうのはわかっているわけです。神さまに全託します。それを易しい言葉で、今言い直しているわけですけど、その全託の誓いを何回も破るんです、自分で。それは自分の意識というね、他人と自分とを分け隔てる意識のある間は、どうしても出るんですよ。要するにどういうことかと言うとね、他人と言っている人も、神さまからの預かりもの、神さまのいのちそのものっていうふうに受け直すことによって、すべては自分になっていくんです。自分を大きくすればいいんです。わかる?自分を大きくしたら、自分が消えるの。本当の自分というのは、真(まこと)の神さまそのものの自分ですから、大きくするか消すかなんです。人によって、全託した以上はもう一切文句なしや「何で?」はないし「ありがとうございます」だけやって、いける人はそれでいったらいい。そしたら自分が消えますね。でも自分という意識でどうしても分けてしまう。地獄の縁者があっても自分とは関係ないと思ってしまう間はね、自分の意識をどんどん拡げる方が速い。どうして拡げるかって言ったら、全部、全部、真(まこと)の神さまが、自分の身代わりとなって、消し去るすがたとなって、自分の周りに現れて下さっていると、そういうふうに思うことです。その自分に悪さする人も。どんな形でもいいですけど、凄く怠けて見える人も、全部自分の中のマイナスを真(まこと)の神さまが身代わりになって消して下さっていると、そういうふうに見たらいい。
 今は、今回は、先生が一切のマイナスを消して下さっているから、無意識に自分の縁者のものを背負っているわけです。縁者のものを背負わなくちゃいけないじゃなくて、自分の一切のマイナスが消えると、勝手に縁者の分を背負うようになるんです。だから縁者の分を背負っている、その背負ったすがたを怠けた形で真(まこと)の神さまは消して下さっている。或はいじめの形で消して下さっている。そういう感じで、すべてを真(まこと)の神さまが自分の身代わりとなってやって下さっているというふうに観たらいい。すると、自分がすべてになっていくんです。わかる?起こっている現象をね「自分と関係ない」と思うわけですよ。例えば「あいつ、怠けているやんか」「あいつ、さぼっているじゃないか」というのは、自分と関係ない世界に置いているわけね。それが自分を小さくしているの。でも「あ、神さまが自分の縁者の分であろうが、自分の分でもいいんですけど、真(まこと)の神さまが背負って消して下さる形を怠けたすがたで見せて下さっている」というふうに思えば、全部自分になっていくんです。それは怠けている人じゃなくて、自分の怠けているものを神さまが消す為にそういう形で見せて下さっているという。全部、神さまの働きだから、自分になっていくんです。わかる?

質問者
 神さまから頂いているこのいのちを捧げるという事が本当だと思うんですけども。

 頂くという表現はちょっと違う。受けてお返し、受けてお返しするという、一瞬一瞬新たってそういうこと。受ける、何で受けるのか?って言ったら、神さまと不離一体の自分だから受けれるの。神さまと違う自分は、神さまのいのち受けられへん。ここが大事やねん。みんなね、神さまと自分が違うものだと思っている。違うものは受けれないの。わかる?どう言ったらいいのかな、響きが違うわけよ。違うものだったら。響きが違うものには、音叉(おんさ)ってあるでしょう。こっちの音叉をカーンって鳴らすと、こっちの音叉が勝手に響くじゃないですか。これ、響き合うものだから、同じものだから響くねん。神さまのいのちを受けてお返しするというのは、そういうことやねん。だから、受け直す毎に自分が真(まこと)の神さまそのものやったという自覚を深めているということ。頂いていると言うと、何か違うものから頂いてるみたいで、そこでずれるの。そしたら後は、その受け損なった分が、真(まこと)の神さまが形に現して消して下さっているって見たら、一切のマイナスはない。マイナスに見えるものは、プラスにして消して下さっているプラスだから。マイナスに見えるということは、自分と違うもの、神さまと違うものっていうふうに、自分が勝手に分けただけやねん。本当は全部一つ。

質問者
 受けるという話で言うと、自分が受けるんじゃなくて、神さまとしての自分が神さまのいのちを受ける。それをお返しする?

 その「自分」という言葉は、「自ずと分ける」と書くんだけど、神さまの意識をね、わざと小さくして楽しむ為にね、わざと小さくして、例えば、三輪車に乗る、自転車に乗る、オートバイに乗る、自動車に乗るみたいな感じよ。自ずと分けたもののすがたは、三輪車なのか自転車なのかオートバイなのか、車なのか飛行機なのか、みたいな感じよ。飛行機ほど自由自在に飛ぶ。ヘリコプターほど自由自在に飛ぶみたいな感じでね。自ずと分けた大きさが、自分なんですよ。でも真(まこと)神さまそのものであることには変わりない。わざと分けただけで、分けれないんだけど分けたようにしているだけだから、分けれないのね、光やから、わかる?すべては光でしょう。光は分けれないでしょう。そうだけど、ちょっとプリズム入れて、分かれたようにね。光もプリズム入れたら7色に分かれたように感じるじゃないですか。言葉というプリズムで、色を付けて楽しんだだけやねん。わかる?だから言葉というプリズムを、真(まこと)の言葉だけ「宇宙神ありがとうございます」の言葉だけに戻したら、無色透明の自分に戻れる。いい。

質問者
 ありがとうございます

 ちょっと理屈言い向けに、理屈をつけて説明しましたが、よろしいですか。
それでは、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/4m0nkSu0EqI

※しん柱の漢字については後日、先生のお話を載せさせて頂きます。

宇宙神ありがとうございます


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令和の意味・・・・ by 河上彰延 2019年04月22日(月) 23時40分
PC

4月護摩焚き河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます
2019年4月7日護摩焚き 河上さんのお話

質問1
 印可書を暗記したので、最近東京近辺の色々な神社・仏閣に行って、印可書を唱えているのですが、唱えるのは1回だけでも十分なのでしょうか?何回も唱えた方が良いのでしょうか?それと、お賽銭を入れる時、自分の住所・名前・生年月日を言っているのですが、そんな事はしない方がいいのでしょうか?また神社・仏閣以外で印可書を読むお勧めの場所はありますか?

ありがとうございます
昨日、本当に遅くに先生からお許しが出ましたので、またお話できます。ちょっとこちらに連絡できなくて申し訳なかったんですけども。
印可書なんですけども、印可書は、先生と神さまの約束事で作られたんですよ。真(まこと)の神さまというのは、人間の自由意思を尊重されるんですね。人間の自由意思を超えて何かをされてくることは一切ないんですよ。だから、印可書というものを作りたいという、肉体を持った先生がね、肉体側の自由意思として神さまにお願いして、そして降ろされたものです。細かい事情を言いますと、未完成で降ろしたので、先生一人がお作りになったんではダメだっていうことで、みんなでつくって欲しいということだったんですけど、みんな印可書はそっぽ向いちゃってダメだったんで、こちらでやりました。やったら、先生の方で本物が現れたとお墨付き頂きましたので、今の最終版の完成版の印可書というのがあります。
印可書は、そういう経過で出来ましたのでね、本当に素直に1回読むだけ十分効果があります。ただその場所によったら、もっと読みたいと思う時はね、2回でも3回でも読んでいいんですよ。それどういうことかというと、1回読んで納得した人は、みんな自由になって、縛られた人が縛りを解きたくて集まってくるんですね、神社・仏閣に。1回印可書を読むと、それで縛り解かれた人は喜んで行くわけですけど、後から後からどんどん来ている時は、また読みたくなるということです。だから読みたくなる時は読んで下さい。もういいと思う時はいいでいいんです。お賽銭も自分の自由に、そこの神社・仏閣を維持する為のお金ですから、自分の自由意思の金額をいくらでも入れればいいです。お名前はおしゃられてもおっしゃられなくても、神さまの力というのは凄いですから、言わなくても向こうはわかっておられます。勿論言いたい時は言えばいいです。

質問2
 お墓参りに行った時、自分の先祖の墓に向かって印可書を唱えることは、いいことでしょうか?

お墓はですね、この世にいてる肉体人間側の印であって、御先祖様のお住まいではありません。御先祖様は、もっと自由自在に好きなとこにおられます。ただ、肉体人間側の意識としてね、御先祖様に響きを合わせ易い形で、お墓という一つの、ここでも先生のお墓という形で作ってありますけども、モニュメントがあるわけですね。そのモニュメントを通して響き渡りますので、お墓の前で読まれて自由です。ただ声に出す、周りに人がいてる時は変に思われてもあれなので、声に出さず読まれたらいいと思います。

質問3
 まだ少しわだかまりが残っていまして、それは先生と生前にお会いする機会があったにもかかわらず、村に来なかったことです。やはり後悔があります。それで質問ですが、生前先生にお会いできなかったけど「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉を通して、お会いできているのでしょうか?会う会わないではなく、ご縁を頂けたのでしょうか?これは、今から「宇宙神ありがとうございます」に出会う方々にも共通なことだと思います。どうぞよろしくお願いします。

 所謂(いわゆる)真祈りというのは、時間・空間を超えるんですね。だから、先生にお会いした、肉体の先生にですね、お会いしたお会いしてないは、本当に関係ないです。素直に真祈りして、印可書を読んで、或いは「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠めて、或いはひたすら「宇宙神ありがとうございます」を籠めながら、祈りながらお仕事してってされる方は、みんな先生と不離一体なんですよ。それをね、覚えておいて下さい。そしてね、先生は、これからが本当に自分は有名になるんだっていうことをいつも仰っていたんです。亡くなられてから、死んでからの方が自分は有名になるんだって仰っていたんですけども、本当になまじ先生の肉体にお会いになってない方のほうがね、先生に甘えないの。だって、もういらっしゃらないから甘えようがないよね。頼りようがないじゃないですか。だから、かえって新しく来られた方のほうが真祈りが深いんですよ。なまじ先生とお会いした方はね、ちょっと先生に甘えがあって、真祈りに真剣さがちょっと足らんのね。先生がなんとかしてくれるっていう意識がちょっとあるんですね。それと真祈りは、ともかく自分の物って掴んだ分しか光を降ろせないんですよ。わかります?だから、すべては神さまの預かりものと思えたら、大きく光が降りるんです。でもこの体は自分のものとかね、このお財布のお金は自分のものとか色々ありますけど、自分のものと思っていたら、その思っている範囲しか光が降りないから、先生がいらっしゃる時に「ありがとうございます」という真祈りを先生は「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまの響きそのものって仰ってですね、或いは、「ありがとうございます」って祈れ祈れって、自由意思で祈れって仰ったんだけど、みんな今一(いまいち)真剣さが無かったのね。それ何でかと言うと、自分のものを持っていたから、「ありがとうございます」って祈ってもちょっとしか光が降りない。すると、あんまり変わらないからと言って、やめちゃうんですね。それでうまくいかなかった。でも今は、もう先生いらっしゃらない、甘えれない。それまでは先生の肉体がありますから、もうこうなったら先生が何とかして下さるだろうと言って、自分の方の努力というか、真祈りすることを、自由意思を放棄しちゃったんですね。今は先生がいらっしゃらないから、本当にもう、印可書と「宇宙神ありがとうございます」だけ。方法論として呼吸に乗せるとか色々ありますけど、それは皆さんの自由意思でね、やりやすいことをやられたらいいんですよ。でも真剣に真祈りされる方が多いんですね。だから、今の方が逆に言うと、新しい方のほうが深い真祈りができると思っていて下さい。

質問4
 新年号について一言お話頂けますか?

 「令和」という新元号についてですね。元号というのは、いつもいつもそうなんですけど、神さまの御心を降ろす言葉なんです。日本というのは、世界のひな型ですから、先ず日本が素晴らしくならないと世界はよくならないですよ。例えば「令和」という響きをどの立場から観るかによって大きく変わるんですね。この世の現世(うつしよ)の元号に関わらずですけども、この現世(うつしよ)での出来事もそうなんです。現世の出来事はすべて10通りの解釈がある、100通りの解釈がある、1万通りの解釈がある、10万通りの解釈がある、何万通りの解釈があるって先生仰るわけですけども、それ、何でそんなに解釈の種類が色々出るかというと、自分の立っている立場によって解釈が変わるわけです。本当の解釈は、真(まこと)の神さまの側に立つしかないの。真(まこと)の神さま側に立てば、すべてが氷解するし解るんです。真(まこと)の神さまの側に立つとは何か?と言ったら、それは真祈りなんですよ。真祈りしたら解る。真祈りとは何かって言えば、この1年間ずーっと言ってきましたけども、自分のものを神さまの預かりものとしてお返しする。常にそれが先ず第一です。「どうかこのいのち、神さまのお仕事にお使い下さい」って投げ出すことなんですね。これを御恩返しと言うんですけども、すべてを神さまにお返しするという、それを「このいのちお使い下さい」と投げ出すこと。その2つが絶対必要なんですね。後は方法論で呼吸に乗せようが、ひたすら唱えようが、色々自分のやり易いことをね、自分で工夫してやられたらいいと思います。その真祈りができれば、「令和」の意味がよくわかるんです。
「令和」の「令」という漢字は、冠(かんむり)へんと言うんですね。冠とは何かと言うと、本当のこと言いますと、ピラミッドのキャップストーンなんですよ。キャップストーンとは何かと言ったら、これは真祈りを受け取った時のすがたをキャップストーンです。その「令」という字は、その冠(かんむり)へんに人が傅(かしづ)いてるわけですね。「神さま、ありがとうございます」ってお辞儀しているすがたなんですけども、真祈りそのものの言葉なんです。だから、日本語で「命令」、「いのちのれい」と書いてね、絶対に動かし難い大事なもの、命令。命令と言ったら、逆らってはいけないものっていうのは、そういうことなんです。「令」という漢字は、そういう真(まこと)の神さま側から出た時は、そういう響きだったわけです。だから、真(まこと)の神さまから見れば、「令」は、「真祈りをこの世に顕す」という意味です。「和」というのは何かと言うのは、「和」はね、単純に円・輪を思って頂いたらいいんですけど、一大循環の相象(すがた)をこの世に現すとなると円なんですね。実際には螺旋ですけど、螺旋が重なって円になるわけですけども、円なわけです。だから、「真祈りを一大循環の相象(すがた)としてこの世に響き渡す、響き渡らす」というのが「令和」です。この世に真祈りを響き渡らす為には何が必要かと言うと、皆さま方お一人お一人の肉体が必要なんです。肉体がこの世での真祈りの受け場なんですよ。それを今までは、天皇陛下お一人に、先生お一人に、もう頼っちゃってね、任せちゃって自分たちはしなかった。でもこれからは、すべての人が総責任者の自覚をもって、真祈りをするんです。その先駆け・始まりを意味するのが「令和」という言葉です。この言葉をどう受け止めて、どう運用するかは、皆さまお一人お一人の自由意思によってるわけです。肉体側から見たら「令」というのは、凄いマイナスのね、マイナスの輪が出てると言って「嫌だ」と言う人が結構多いですね。でも、「令」というのは、神霊の「霊」でしょう。密やかな働きを「令」と言うんですよ。真祈りと言うのは、神さまの働き、真(まこと)の神さまの働きというのは、密やかな働きなんです。だから、前にもお話しましたが、例えば肉体でも血液の循環って凄い大事ですよね。でも見えない、密やかな働きでしょう。大事な働きほど密やかで、誰にも知られずに起こるんです。それが真(まこと)の神さま働きなんです。その真(まこと)の神さまに支えられて、支えられて、皆さま方の肉体があるし、ここに存在できるわけですね。それをもう一度神さまにお返しして、真祈りで受け直していく。これが一大循環の相象(すがた)の地上に舞い降りてきた状態なんです。それを「令和」という号令によって、皆さま方お一人お一人がね、真祈りに励んで、これからの世界を創っていくんですよ。ここで日本人がいがみ合ってね、喧嘩して足の引っ張り合いをしたら、それが世界に映って大戦争になっていきます。とりあえず真祈りが必要だし、皆さんもうできる状態なんでね、やって下さい。

「令和」の話が出ましたので一通りのことを言いますと、先ず水の洗礼、火の洗礼、霊の洗礼。水の清(浄)め、火の清(浄)め、霊の清(浄)めっていう風な順番でね、この現世(うつしよ)に表れるんですよ。今年は水の清(浄)めが多いです。だから、集中豪雨が降って大雨が出て、鉄砲水が出てとかね。海岸部が高潮で浸水したりとかいうのが結構出ます。先ずその水の洗礼があります。
次に、火の洗礼というのは何か?要するに、この地球世界がよくなる為に何が起こるかということを今言ってるわけですけど、火の洗礼というは、火山の爆発、或いは大地震です。地震というのは、下から熱が吹き上がって地震になるんですけどね。それで火の洗礼になる。その火の洗礼を形に表さずに消し去る方法が、この護摩なんですよ。だから、是非とも護摩には、何を差し置いても参加して下さい。そうすれば、ここの火の清(浄)めだけでね、すべてが終わっていくんです。火の清(浄)めとは何かと言うと、フェニックスの清(浄)めなんです。フェニックス、要するに色んなものを自分に纏(まと)って火の中に飛び込むんですよ。それで、本物だけ、真(まこと)の本心の自分だけが火の中から再生して出てくるんです。それを護摩木に託して燃やしています。だから護摩木もたくさん真祈りを籠めて書いて頂いて、宇宙船護摩木を書いて頂いて、そして是非ね、時間はできるだけ少々のことは都合をつけて、この護摩には参加して下さい。そうすると、火の清(浄)めが護摩だけで終わります。これは空海さんの時代にですね、富士山が爆発したりして大変だったんですね。空海さんが護摩というのをその時に始められて、日本の国が収まったんですけど、これはその2回目になります。
最後に、霊の清(浄)め、霊の清(浄)め。これは何かって言うと、これが真祈りなんですよ。だから、これを3つ同時にやっていくのが一番いい。そしたら、あっという間に何事も鎮まって、良いように変わるんですね。ですから是非とも、ご自分の自由意思でね、僕が言うからするとか、僕が言うから呼吸に籠めるじゃなくて、ご自分の自由意思で、自分のやり易い形でね、是非真祈りをされて、霊の清(浄)めにも参加して下さい。霊の清(浄)めに参加する方法は、いつも言うように、自分のものが無くなって、全部神さまの預かりもの、「どうかこのいのちお使い下さい」ってね、投げ出していくこと。その中から霊の清(浄)め真祈りができますので。印可書を読んでもいいし、「宇宙神ありがとうございます」でもいいし、「ありがとうございます」でもいいし、自分がしっくりする祈り言葉を使ってね、やって下さい。「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」の詳しい内容が印可書だと思って下さい。だから、使い易い方を使ってね、是非真祈りに励んで下さい。お願い致します。「令和」についてもう少し質問があったらお願い致します。

 そしたらね、もう本当に真祈りをよろしくお願いします。そして自然発生的にね、あちこちで真祈りの会をして頂いています。本当に先生が喜んでおられるし、これからもお願い致します。それでいつも言いますように、真祈りの会は、横の連絡を取る必要はないです。行きたいと思う会場に皆さんの自由意思で行って、そして、真祈りをするだけです。真祈りの会は勉強会ではないのでね、それは間違わないで下さい。先ず真祈りして、ちょっとここ、わからへんねんということを、印可書とか色んなものを見ながら皆で相談するのはいいんですけど、先ず真祈りがあるということを思っていて下さい。本当に真祈りをしていたらね、盤石の支えになるんですよ。盤石の支えになると、連絡を取らなくても、「あ、あそこに行こう」「あそこを助けよう」って、「支えよう」って勝手になって、自在に動くようになります。これを組織立ってね、本部があって、あそこに行けとか、言うことが出始めたら崩れますから、それだけは真祈りをされる方は、真祈りの会場を開催される方はね、心に秘めておいて下さい。自分の自由意思でするだけであって、外から一切強制されることはない。組織的な動きになった途端に、組織の業が集まって、全部崩れていきます。今までの宗教は全部、組織を作ったが為に崩れたんです。立教の時はみんな素晴らしい事を言っているんですよね。でも組織を作って、この命令に従わないとあかんとかやり出したらダメになるんですよ。それはね、よく覚えておいて下さい。それぞれの真祈りの会が主催地であって、中心の場所であると思ってやって下さい。人が集まらなくても、自分一人でも真祈りの会をするんだっていう覚悟をもって下さい。誰も来なくても大丈夫なんです。肉体人間以外の多くの方が来られていますから、真祈りの会をめげずやって下さい。お願い致します。

「令和」はいいですかね?ともかく「令」という字が、マイナスにどうしても聞こえるんですね。だから、多くの人が結構「令和って嫌だ」って言う人が多いんです。でも、そのマイナスの思いを全部消し去る為にも、真祈りでプラスにプラスに変えていきたいと思います。「令」というのは、「霊」が悪いのだったら何で「神霊」と言うの?何で「霊魂」と言うのって言うじゃない。それ、良い意味でしょう?神霊でもね。「霊」って、本来いい意味なんですよ。だから、いい意味にもう1回思い返す為にも、皆さんの真祈りが必要です。「令和」という新しい時代が始まったんでね、皆さんにちょっと覚悟を決めて頂く為に、長くなりますけども、色々と言います。

 先ず、色んなマイナスっていうのがありますよね。それは自分に縁(えにし)あるマイナスはね、自分の体に取り込まないといけないんですよ。取り込まないと消せないんです。その真祈り為に、皆さんの肉体が必要だと言うのはね、そういう意味です。だから、それを先生は、見本で見せて下さいました。先生は真祈りされていて、病気のすがたをとったり、痛みのすがたをとったされていたじゃないですか。先生ほどの人が何でそんなんするの?って、一旦自分の体に取り込まないと逃げていくんですよ、マイナスは。サーッと光を入れたら、サーッと逃げて行って、消せない。逃げるだけで。それをお祓いっていうんです。お祓いはできるけど、お清(浄)めはできない。お清(浄)めをしようと思うと、自分の体に取り込むしかない。自分の体に取り込んで真祈りするんです。

 悟りについての質問がきてたんで「悟りとはどういう心境ですか?」って仰るわけですね。大概の人は、悟りというのは、水鏡、鏡の如しと言うんですか、ピシッと静まり返った状態で、不動心で、静まり返った状態で、気持ちのいい状態が悟りだとみんな勘違いしているんですけど、本当の悟りは、違います。本当の悟りとは、本当の不動心とは何かと言うと、千早振る(ちはやぶる)すがたなんです。神さまの働きは千早振る(ちはやぶる)すがたですから、この体に如何なる痛みが現れようが、或いは運命的に如何なる不幸が起ころうとも、神さまがいいようにされているという、絶対の安心感がある不動心なんです。だから、どんなに痛くても、どんなに病気のすがたがあっても、或いはステージ4で後3ケ月の余命ですよと言われてもね、幸せ一杯、心が揺るがない、それが本当の悟りです。その本当の悟りの心境があるから、色んなマイナスを背負って、ちりとりとしてね、或いは雑巾として、表現は色々ありますけど、色んなマイナスを自分に取り込んで、消し去ることが出来るんです。それ、よく覚悟してわかっておいて下さい。「令和」の時代が始まりましたので、皆さまお一人お一人の体をね、先生は間違いなく使うと仰ってますので、何かが起こったら「あー使って頂いてるんだ。良かった」と思ってですね、心を揺るがさずに真祈りをお願い致します。いいですか?今のことで質問ないですか?皆さんの覚悟を問うてます。本当の悟りってそういうことなんですよ。
だから、事故に遭ってね、突然腕が落ちてバーッと出血して、出血多量で死にそうな時でも「ありがとうございます」なんです。どんなに痛くても心揺るがない。だから、不動心なんです。だから、それが無条件の幸せ・無条件の喜びなんです。条件ないでしょう?痛くても喜びなんです。苦しくても幸せなんです。それが、無条件の幸せ・無条件の喜びというのが、悟りの心境なんですよ。只々嬉しいだけ、有難いだけ、喜び勇むだけなんです。それ、わかって下さい。だからちょっとでも「痛い。わー大変」と思ったらね、神さま以外のを見てしまったと思って下さい。神さまだけ、真(まこと)の神さまだけを見ていたらね、幸せと喜びだけなんです。神さま以外のを見たら、文句が出ます。

だから、悟りの本当の神髄は何かと言うと、真(まこと)の神さまと自分と一対一に置きなさいと先生は仰っしゃるわけです。みんなその一対一の意味ががわからない。一対一とは何かと言ったら、全部真(まこと)の神さまだということなんです。全部真(まこと)の神さまだというのがわかれへん。何かと言ったら、すべては真(まこと)のプラスだけっていうことなんです。痛みがあろうが何があろうが、真(まこと)のプラスだけなんです。これ、「何で痛みがプラスやねん」って理屈言いは言うんですけど、神さまの働きを水に例えるとわかるんですね。大きな貯水池が絶対の中心だと思って下さい。そこからちょっと水門を開けると凄い水圧で出るじゃないですか。だから絶対の中心に近づくと、そういう凄い水圧の強い光なんです。そんな光だとマイナスは逃げていくだけで近寄って来ない。それをずーっと枝分かれして拡げてですね、皆さんの肉体まできて消すわけです。だから、水で例えるとわかりますけど、水をバーッと撒いたら汚れたところだけ色がつくじゃないですか。その色のついた姿が痛みなり病気であり不幸なんですよ。でも、それも次から次に流れてくる水で消えるじゃないですか。その消え去る姿を見てね、文句を言うからややこしくなるんですよ。文句を言うということは、もう一遍再生して作るということですから、いつまでも消えない。だから、この病気治しなさいって神さまに言ったら治らないのは当たり前なんです。自分が病気を作り続けているだけなんですね。それが解れば、どんなことが起こっても喜びだけになります。

質問ないですか?凄い今、神髄を言ってるんですけどね。この神髄を理解をする為には、重層構造・入れ子構造・ところてん構造が解らないと解らないんですよ。この細胞一つ一つに大宇宙があるというのが解らないと、実観(感)として解らないと、「何で不幸やのに嬉しいねん」「何で痛いのに嬉しいねん」「何で辛いのに嬉しいねん」「何で悲しいのに嬉しいねん」「アホ言うなよ」って理屈言いになってしまうんですよ。本当は、すべては神さまの御光だけなんです。だからそれをちょっとね、言葉でいじって遊んでいるだけなの。本当はね。本当は、それだけなんです。

草薙の剣ってありますよね。みんな草薙の剣というのは、十字だと思っているんですよ。でも、本当は違います。草薙の剣からは色んな色が出てね、左旋回。先の方は綿のように細かくなつているんです。その形をして色んなものを捉まえて消していくのが、草薙の剣の神髄なんですね。皆さんの肉体は、その草薙の剣の働きの最先端をしますから。みんなこの世の形ではレプリカ、レプリカではないですけどね、象徴として、熱田神宮に草薙の剣を置いている、その草薙の剣と皆さんの体は繋がっているんですよ。草薙の剣の清(浄)めの働き、天叢雲(あまのむらくも)九鬼サムハラ龍王(くきさむはらりゅうおう)の働きをします。それが「令和」の時代の始まりですから。喜び勇んでね。痛みでもそうなんですけど、痛みを痛いと思うと辛いんですよ。でも、「今日はこんな痛み方やな」「今日はズキズキやな」「今日はキャンキャンやな」とかね、痛みを楽しまなあかんのね。楽しむと消えるんです。それは不幸な運命でも一緒。「あ、こういう運命の展開、凄いなぁ」って楽しんでいたら消えるんです。でも、「こんな不幸で大変やねん」って言ったら、自分で作っていますから消えないですよ。何事も喜び勇んでって言うのはね、楽しんで、楽しんで下さいね。この世は楽しむ為にあるんだから。楽しんで消していかなあかんのです。それが神髄です。その楽しみを忘れたら、苦しい苦しいとなって、崩れ落ちますから。もう「令和」の時代でね、真祈り人は逃げれないんで、覚悟を決めて下さい。いいですか?質問があったらどうぞ。あんまり追い詰めたらあかんねんけど、今日は先生がとことん言えと言うから、言ってますけど。よろしいですか。覚悟決めて下さいね。「真(まこと)の神さまだけ」ですよ「みんな光だけ」「みんな既に悟っている、祈っている、救われている」っていうのは、そういう意味なんです。いいですか?終わりますよ。

質問5
宇宙神ありがとうございます
先生のことなんですけども、私達に数々の祈り言葉、一番最新の「宇宙神ありがとうございます」、そして印可書、真祈りの伝授と様々のことを私達の目の前に降ろして頂きました。その先生の苦労、御心、私達の為に降ろして下さったその気持ちを改めて伺わさせて頂けたらと思います。

 これは、54年前から遡(さかのぼ)っての話になりますけども。先生に最初にお会いした時に、先生が先ず仰られたことは、「どうしてこの人類を救うか、どうしてこの地球を救うか、自分はそればかり考えている」って仰ったんです。思わず「僕もそう思っています」って言って、意気投合したわけですけども。そこからが本当に色々と大変で、僕の方なんかは知れているんですね。先生の凄さというのは、もう全部自分で背負っていかれる。今、今、皆さんにお願いしたことを先生は全部、お一人でされたわけですね。それで、いわゆる天の岩戸が開くまで、要するに、素直に祈り言葉を唱えるだけで、すぐに真(まこと)の神さまと同じ働きができるという状態にもっていくまで、ひたすら祈って祈って、熱を出されて、その熱を湿布で抑えながらお祈りされているという苦労をされました。夜も本当に、ほとんど寝られないんですね。ただただ祈るだけ。今の僕がそうなんですけど、ひたすら座って祈っていて、10分位横になって、また座って祈っての繰り返しになるんですけど、それ別に眠れないからどうこうという不安もないし、こんなんしていて大丈夫かという不安もない。ただ嬉しいだけなんですね。神さまに使って頂いて嬉しいだけってなるんですけどね。先生は、神さまに使って頂いて嬉しいだけ。今言ったことは先生から伺ったことなんですよね。「痛みは楽しんで受けなあかんねんで」って。「痛いと思ったら、もうずっと自分で作ってしまって苦しむで」って言ってね、いつも僕が受けていた注意なんですよ。それをいよいよ皆さんにお願いしないかんので言ったわけでね。だから、本当に痛い時は、針でね、僕の場合は千枚通しでしたけど、千枚通しで膝を突くんやと。その痛みでね、こっちの凄い痛みは忘れるからって、僕も実際それをしました。確かに、きつい痛みは忘れて膝の痛みでは消えます。皆さんはそこまでしなくてもいいはずなんで、大丈夫ですけども。先生の苦労というのは、ただただ絶対の愛でした。人類を本来の真(まこと)の神さまと不離一体の意識にまで戻したいという、それだけの愛でした。それをひたすらされて。だから、先生の降ろされた祈り言葉をね、どの時代のものでも、今でも生きています。ただ、これがいいというのは無いんですよ。自分の使い易いのを使って下さい。「神の御光(みひかり)・御力(みちから)・御命(みいのち)」も生きてますし、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」っていうのも生きているんですよ。でも、その時その場に立って、言い易いのを使って下さい。一切の縛りは無いです。皆さんの自由意思で選んで使って下さればいいです。それで、痛みだけは痛いと思わないように、色々楽しんで受けて下さい。痛みも苦しみもね。そしたら、一瞬で消えていきます。ただ次から次に来るからね、痛いように思いますけど、次から次だと耐えれるんですよ。同じ痛みが続くと耐えれないの。だからそれ、わかっていて下さい。
実は昨日、もう本当に痛くて、メールひとつ打てない状態だったんで、大変だったんですけどね。この護摩の始まる前あたりから一気に、ちょっと運転もできなくて、運転もしてもらって来たんですけど、一気に引いて変わるんですけどね。いつもそういうもんなんですよ。必要に応じて、必要なように、いいようになります。それは神さまが全知全能でね、何でもできる力を持っておられると信じ切れるかどうかにかかっています。だから、神さまが全知全能の神さまがこうされているねんから、一番良いに決まっているってね、確信を持たないと、神さまのお仕事はできません。それだけは重々覚悟を決めて下さい。「申し訳ないけど、いやそんなん私、出来ないからやめとくわ」は、もうないですよ。先生と縁のあった方は逃げれないのでね、逃げても、ずーっと続きますから、どこかで覚悟を決めて真祈りに入って下さい。先生は先ず、使い易い人を使わなあかんのでね。全然先生を知らない人は使えないじゃないですか。でも、ここに来た人は、本当に先生と親しく色んなことをして頂いてね、先生が陰に陰に隠れて、皆さんの運命をよくしてね、本当に楽にしてこられたんですよ。それにみんな気付かないだけ。でも気付かなくてもいいです。でも、神さまのお仕事に使って頂きますので、使わせて頂きますので、覚悟を決めて真祈りに、もう入って下さい。お願い致します。

質問6
 確認なんですけども、先ほど言われた、入れ子構造・重層構造・ところてん構造を理解しなければということですけど…

 理解ではなくて、いわゆる実観(感)やね。

質問者
実観(感)。というのは、ひたすら真祈りをしていくことで…

解ります。理屈では解からない。
入れ子構造・重層構造・ところてん構造というのが、悟りの神髄の部分なんですけども、これは本当に実観(感)でしか解らない。理屈で考えたって、永遠に堂々巡りをします。どこかで覚悟を決めてね、真祈りに入って下さい。深くね。もう既に真祈りに皆さん入ってますけども、深く深く入るんだって覚悟を決めてして下さい。その重層構造・入れ子構造・ところてん構造というのが解ったら、「みんな悟っている・救われている・祈っている」って解る。「みんな光や」って言う先生のお言葉が、実観(感)として解ります。「神は光なり」というのが実観(感)として解ります。光だから、分けれないから、みんな光なんです。この前、SUN(さん)、太陽って言いましたけど、それが実観(感)として解らないと不動心にならないの。理屈では不動心になりません。理屈では、やっぱり痛くなってきたら「痛いなぁ」ってなるわけです。「痛いなぁ」と思った途端に、もう心が揺れているのね。「嬉しいなぁ」とならないとあかん。「なかなかこの痛み楽しいなぁ」となっていたら揺れていない。「痛いなぁ」と言うたら、もう心が揺れ動いて、崩れてますからね。それを自分の物差しにして、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」って色んな方法で祈り続けて下さい。

質問7
 @「令和」の「令」という漢字が、あの「令」ではなく、違う「れい」もたくさんありますよね。「麗しい」だったりとか、お礼の「礼」だったり色々あると思うんですけども、「れい」という言葉の響きのことが大事なのか?ということが1つ。
A先生は一切のマイナスがないと仰った中で、それであったとしても人の肉体を使ってマイナスを消すと仰ったところの質問

 Aの方からね。一切のマイナスはないんですよ。でも何で消さなあかんかって言ったら、今、痛みで説明してましたよね。痛みを「痛いなぁ、嫌やなぁ」要するに、自分、人類の言葉で作ったマイナスというのが溜まってるわけです。「あいつ、さぼっている」「あいつ、ずるい奴や」まぁ色々ありますけど。「お前、もっと働かないとあかんやないか」ってマイナスで責めているわけですね。自分の言葉で作ったマイナスが一杯溜っているわけです。それを消すという意味です。だから、神さまを水で説明しましたように、その言葉で作ったマイナスに水が色づきます。それ清(浄)めの第1歩ですね。後はどんどん真祈りをして、次から次に水が来たら綺麗になるじゃないですか。そういう消し方です。ただ水が染まるところが皆さん肉体で言うと、痛い。或いは、不幸な運命。或いは、病気ということになるわけです。でもそれも真祈りしたら、一瞬で消えていくんです。いいですか、今のマイナスについては。マイナスに引っかかることがあったら言って下さいね。

質問8
 入れ合い構造、禅宗の宗教の端くれなんですけど。このありがとうボランティアグループの教えをですね、お釈迦、達磨、芭蕉を尊敬しているんですけど、それとここの教えは、決して矛盾しなくて、非常に一致すると思うんですけど。芭蕉というのは、この花を見ても、月を見ても、雪を見ても、拝んで涙が出るっていう俳句を作っているんですね。これは宗教そのものです。今の俳句のもね…

 悟りの心境ですね。

質問者
 そういうことを皆さんにあれしたいし。入れ合い構造を私も解釈させて頂くとですね、形のないものと形のあるもの、言葉も形ですよね。表現というのも形です。霊というか神なるものは形がなくて、特大と極小に宿っていると、そういう解釈にできると思うんですけど、僕は自己主張しているつもりはないんですけど、本当に剣の達人で思い出したんですけど、山岡鉄舟という人は、死ぬ時に「腹痛や 苦しき中に 明けがらす」ってからすの鳴く声が聞こえると。これはもう立派な悟りの、辞世の句。

 そうですよ、「痛い」と言って文句言ってないですね、嬉しい嬉しいって

質問者
 剣の達人が痛いというのはおかしいって、一般の

 剣禅一如ですからね、もう剣と真(まこと)の神さまとは一つなんですね。禅というのはひたすら真っ直ぐに神さまだけを見つめよというのが禅という…

質問者
 お釈迦さんは、お釈迦さんと一体にならなきゃいけないし

 禅という漢字がね、単て書くじゃないですかね、神さまに単と書きますでしょう。それはひたすら真っ直ぐに、神さまを見つめよ、神さま・真(まこと)の神さまと一対一になれっていう教えなんですね。道元先生が悟っている、本来悟っている人間が、何で悟りを求めるんやっていうことをね、凄く悩まれて、禅を深められたわけですけども、その悟っているから悟りを求めるんだっていうことがすべてに尽きると道元さんは喝破されるわけですね。すべてはそこなんですね。「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」なんです。これを絶対に忘れてはダメなんです。そこを忘れてね、自分は悟ってないから祈るんだっていうのは、もう間違いですから。

質問者
 万人が救われていると

 もう既にみんな、本来完璧なすがたなんです。それが理解できる為に入れ子構造・重層構造・ところてん構造というね、光の、これは光の一大循環の相象(すがた)を端的に表した言葉なんですけども。この光の一大循環が解らないとダメなんです。光の一大循環が解ると、神はすべてのすべてであって、もうそれ以外に一切存在しないというのがね、実観(感)として解るんですよ。先ず先ず、「すべて祈っている・悟っている・救われている」っていうのをね、みんな、みんな悟っているっていうのが解ることが、もう禅の根幹なんです。道元先生が言われたことを松下先生はちょっと日本語を変えてですね、道元先生は別の言い方をされたんですね。

質問者
 先生は先生の表現ですよね。

 道元先生の言い方はあるんですけども、ここでは出す必要がないので、「既に悟っている・祈っている・救われている」とわかり易く翻訳されているので、言いますけど、禅の深さというのは凄いんですよ。禅で悟った人はたくさんおられるんですけども、中々その悟りを深められない。何でかと言うと、一般の人がね、禅というのは座らなくちゃいけないんだと、あんなしんどい事できるかと言って、近寄ってこないから。

質問者
 一生やっても悟れないかもしれない。

 いやいや、だから、そう思わせてしまったら失敗です。既に悟っているから座るんだっていう、そこだけなんですけどね。まぁそれで、先生は今、禅の形をとらずにですね、今の真祈りの形をとられて、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけでね、禅の神髄になるんだっていうことを仰られてるわけですね。よろしいでしょうか。ありがとうございます

質問者
 形のないものが神であって、勿論、形のあるものと形のないものは入れ合い構造なんですよね?

 形じゃなくて、いわゆるこのどうしてもね、理屈というか、この世の感覚で止めて見ようとするんですよ。
動いているものを止めて見ようとするの。例えば、野球のバッティング理論でもね、こう振るだけでしょう。それなのに、ただ振るだけなのに、この位置この位置と止めて見たら、何もわからない。止めて見る癖があるんですね。それが理屈なんですよ。一大循環の相象(すがた)っていうとね、なんかぐるぐる回っているだけかなぁってみんな思っているわけですけども、本当は流れで言うと、入れ子構造で、この細胞の一つの中にも大宇宙があるんです。本当にそれが実観(感)でわからなくちゃいけない。この人間の細胞一つの中に大宇宙があって、その大宇宙の中にも地球のところがあって、また人間がおってって、そういう構造が一大循環っていうんです。それがわかったら、もう盤石の支えに入れるんですよ。その一大循環の相象(すがた)をね、入れ子構造の相象(すがた)を、真(まこと)の神さまが盤石の支えで働かれている。だから真(まこと)の神さまそのものなんですけども、その盤石の支えにね、喜び勇んで自分達も参加できるようになるんです。その為にも真祈りをして下さい。そして、自分のお金と思っているものは全部神さまからの預かりものってね、財産でも何でも思い返して下さい。わざわざここに出すことはないんです。思い返すだけでいいんです。

質問者
 預かり物は生きる内に使わなくちゃいけないんだけど、活かして使うというのは難しいですね。

 だから、真祈りがあるんです。ひたすら真祈りの中から、自分の自由意思でね、自分の責任において、色んなことを自由に使って、お金を使って、やって下さい。その使い方に関して人からとやかく言われようと気にする必要はないんです。

質問者
 本心ですね。喜びの表現がね、僕の尊敬する師匠がね「尊くて、嬉しくて、有難くて」ってそういう言い方をしているんですよね。、同じことですよね?表現が多少自己流になっていいわけですよね。

 その人その人個性によった表現になります。喜び勇んでって言うのが、一言で言える言葉だと思います。
はい、ありがとうございます

質問9
 今回で平成が最後の護摩になると思うんですが、総括という部分と、あと、平成に作られた先生のご著書だとか、そういうふうな色んなものが生まれてきたものに対して、次の「令和」の時代にどう引き継いでいけばいいのか?というのをご教示いただけませんでしょうか。

 だから、平成の遺産とかね、平成でこうあったとか、過去振り返ることはもういらないんですよね。ただ先生が平成の時代に真祈りを降ろされたわけです。天の岩戸を開くというね、神聖行事というのは、そういうことだった。「神さまの神聖行事に参加しょう」と先生が言われた時に、誰も返事しなかったの。昔ね、あったんですよ。神書にもその時の文章が載っていますけども。「神さまの神聖行事、天の岩戸開きの神聖行事に参加しよう」と言われた時に、それってどうするんですか?って聞きにも来ないって先生は憮然としていたんですけどね。それくらいみんな、平成の時代は先生に頼って、甘えていたの。もうこうなったら先生が何とかしてくれるだろうと、自分ではどうしようもないばっかりを言ってね、文句を言って、してきたわけですけども。「令和」の時代は、今言ったように、真祈りの響き渡らす時代ですから、皆さんが総責任者となって、真祈りをするんですよ。そして、すべてのすべてが清(浄)めきって、光に変わっていくんです。具体的な光にね。そういう時代です。だから、平成のことはね、先生の遺された真祈りだけがあったらいいんですよ。後はもう、何も要らない。色んな真祈りがあります。祈り言葉があります。それを使ってね、皆さんの使い易い祈り言葉でやって下さい。ただ、真祈りの会をする方には、特に肝に銘じてお願いしますけども、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」というのを絶対に忘れないように。「あーこの人達迷っている」とか「おかしい」って言ったら、もう自分がおかしくなりますからね。それは自分の心であって、相手の心ではないんですよ。常に、みんな真(まこと)の神さまという大前提を崩さないで下さい。その為にも、みんな真(まこと)の神さまだから、痛みがあったって心が揺るがない。わかります?神さま以外のものを認めたら、心が揺らぐの。神さま以外のものは何かって言ったら、それは、自分の言葉で作ったものです。でも、さっきも言ったように自分で言葉で作ったものはね、炭の燃えカスのように固くなって残っているの。コールタールのようになって残っているの。それをどうして崩していくか?消していくか?そこに草薙の剣の働きがいるんです。それを真祈りといいます。天叢雲(あまのむらくも)九鬼サムハラ龍王(くきさむはらりゅうおう)の力なんですけども、真祈りなんです。だから本当にね、もう皆さんの体を使いますから、逃げれないからね。「いや、自分はちょっと」と言って逃げようと思っても、逃げれないからね。どうぞ覚悟して、真祈りに励んで下さい。お願い致します。

質問10
 体の痛みとかっていうマイナスだけじゃなくて、最近凄くゲームがやりたくなって、しかも何か殺し合いのとか、中にはそういうテレビ(サスペンスとか)が凄い見たくて、そういうマイナスを見たりやったりすることも消すことになるんですか?

 だから、それがね、一時的に自分に引き寄せて、自分が背負うということです。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」が楽やねん。ゲームしながら祈れるやろう。それで消していくんです。或いは、テレビ見ながら祈れるでしょう。映画を観ながら祈れるるじゃないですか。それでも心が揺らぐ時は、以前お話した現実無視のカギですね、十字に祈ってするのを使えば、流されずに消していけます。間違いなく大丈夫です。保証します。

質問7 Aの「令和」の「れい」が違うという質問

 「令和」の、何であの漢字を使ったかというは、真祈りということを示す為です。他の「麗しい」とかね、数字の「零」とかね、漢字の「零」ですね。霊魂の「霊」とかを使わないのは、真祈りそのものを表す言葉・漢字だからです。本来は、そういう意味の言葉だったから、「命令」とか「法令」とかね、動かしがたいものに「令」と付けるんです。

質問者
 元より日本は、大和言葉として音の響きだと思うんですが、「あ」とか「り」とか、「れい」だと「れ・い」という響きだと思うんですが、にも関わらず、あの漢字を使うことに関しての…

 「れ」は一大循環の「れ」なんですよ。れれれれれ…って流れでしょう。「い」は「いのち」の「い」です。大和言葉で説明しますと、言霊でいうとね。でも、その言霊だよということを漢字で表したら、今の漢字だということで、いいですか。他の漢字だとその言霊にならないの。麗しい、例えば「麗しい」という漢字を使えば、「れい」だけど「麗しい」という言霊になっちゃうんです。「令」というのは、一大循環のそのものを表すんでね、「令」、あの漢字なんですね。

ともかく「令和」の時代に入りましたので、本当に真祈りそのものの時代です。逆に言うと、真祈りする一番いい時期なんですね。いわゆる禅宗始まった時代というのは、暗雲ただめる戦乱の時代だったんですね。うす曇りとか土砂降りの中で、真祈りをしていた時代なんですね。真祈りがなかなか効果を発揮しない。でも今は、本当に今日のように健やかに晴れ上がった時代の真祈りなんです。ちょっと真祈りするだけで、大きく効果が出るんですよ。こんなに素晴らしい徳な時代はない。真祈りしないと損なの。だから、それを思って、少々の痛みは喜び勇んで、して下さい。それが本当の不動心です。禅宗で信長に焼き殺された方がいらっしゃるんですけども、その方は焼き殺される時に、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と言って、座禅の姿勢を崩さずに燃えていくんですね。それが本当の不動心なんですよ。それね、わかって下さい。この現世(うつしよ)の形じゃないんです。だから、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」まではいかなくていいですけれど、その方は生まれ変わってね、ベトナムでベトナム戦争に抗議して、やっぱりガソリンを被って燃やされて、お祈りの姿勢を崩さずに燃えていかれましたけども、そういう凄い方もいらっしゃいますけど、そこまではないですから、是非ね、真祈りをして下さい。お願い致します。ありがとうございます
また来月会えるのを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/6DBoucLyxRc

宇宙神ありがとうございます


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ご自分の自由意志で七難八苦を求めてこそ・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2019年04月15日(月) 14時42分
PC

 七難八苦をご自分の自由意志で、求めてこそ、真(まこと)の神さまの御心に叶うのです。
 自分だけが楽な立場に、逃げ込むのは、真の神さまの、御働きである、ひそやなかなちはやぶる働きとは正反対の立場になるのです。
 真の神さまの、御心は、常に、新たなる下座に立たれて、きつい汚い危険な立場から、すべてのすべてを支える働きをされるのです。

 お金をくれる人をいい人だと勘違いしてはいけません。
 神さまにとっていい人とは、真祈りをする人です。
 真祈りをする人とは、まことの神さまの立場に立って、すべてを支えようと祈り続ける人のことです。

 また、金品を受けるには、応供(おうぐ)できる人でなければなりません。
 応供とは、その金品にまつわる一切のマイナスを背負って消し去ることができる人のことです。

 具体的には、一瞬一瞬新たに新たに、真の神さまを受けなおして、無意識の呼吸と宇宙神ありがとうございますが混然一体となっている人にことです。

 金品とは、食事やその他の接待も含みます。他人のお金で食事をいただく厳しさを今一度覚悟しなければ、応供(おうぐ)を受けてはいけないのです。

 真祈りの会をする主催者は、そこまでの覚悟を持つ必要があるのです。

 ご自分が無意識にでも、楽な立場に立とうと思ってしまっていれば、今一度、ご自分の心を見直して、一呼吸ごとの宇宙神ありがとうございますに、突き進んでいきましょう。

 宇宙神ありがとうございます


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神社の役割は、地震鎮め・・・ by 河上彰延 2019年03月31日(日) 09時15分
PC

 神社への印可書 奉読についてのご質問ですが、・・・
 神社の役割はいろいろありますが、又、あまり明かしていけない内容もありますが、基本的には、地震鎮めが神社の存在理由です。

 しかし、神社に個人の願いを持って行くひとが大半でありますので、その、個人の神さまを信じない(神さまに願い事しないと、神さまは何もおわかりにならないと神さまの力を否定し、又、なおかつ、神さまに自分の願い事を実現させよと傲慢にも命令している)傲慢な思いで汚れていますから、その汚れを祓うためにも、印可書奉読が必要になってくるのであります。

 この真祈りの秘奥義を伝授するための印可書は、ありがとうございますと宇宙神ありがとうございますの秘奥義が詳細に書かれていますので、素直にたんたんと心の中で奉読しますと、汚れが祓われ、さらには、絶対の中心の真(まこと)の世界と改めて直結しますので、神社の格が上がるのです。

 具体的には、神社の働きが強くなるのです。

 ありがとうございますを感謝と誤解している人が未だに多い中、その、ありがとうございますの本来の秘奥義を奉読するだけで体得できるのが印可書なのです。

 ご質問は、神社で印可書を読ませていただいてるのですが、感謝の心でいいのでしょうか?・・・とのことですが、感謝の心にも、いろいろの段階がありまして、最初は、物や何かの恩義をもらって、ありがとうございますというギブアンドテイクの、感謝であります。

 これを卒業して、何があっても、すべていいようになっているとの、受けの達人のありがとうございますの感謝であります。

 これをさらに卒業して、一切を求めずに与えきりに与え尽くす心の、与えきりのありがとうございますという感謝であります。

 ここまでが、虚の世界での、つまり、因縁因果の輪廻転生の渦に巻き込まれたままの、ありがとうございますでありまして、これからが、本義のありがとうございますにはいるのです、

 自分という意識が消えてすべてを支えようと思いで唱えるのが本義のありがとうございますでありまして、この奥に、真(まこと)の神さまが通り抜けてすべてのすべてに支える、秘義のありがとうございますがありまして、さらにその奥に、入れ子構造重層構造ところてん構造を実感してとなえるありがとうございます宇宙神ありがとうございますという、真(まこと)の神さまをすべてのすべてに立っていただくという支え方をする秘奥義のありがとうございますがあるのであります。

 この秘奥義のありがとうございますを、具体的に説明し、響かせているんが、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書でありまして、一切の自分の願い、希望、欲望をいったん横においておいて、ひたすらにたんんたんと奉読するとき、真(まこと)の神さまの御働きがすべてのすべてに降り立つのであります。

 以上でありますので、神社にお参りして、印可書を奉読したいと思われましたら、たんんたんと奉読するとき、本来の働きが発動して、真(まこと)の神さまがすべてのすべてに降り立たれるのであります。

 宇宙神ありがとうございます


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病気や苦痛はこれだけ何億分の一にして消したよという確認・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2019年03月29日(金) 11時39分
PC

病気にや苦痛に、ついてのご質問がたくさん来ているのですが・・・・・

 病気の姿は、何億分の一に消し去った時に、ご本人に、これだけ、消し去ったよ・・という確認で現れる須賀田(すがた→相象)なのです。
 でも、なんで、いつまでも、続くの?・・・・なんですが、たとえ、虚栄心であっても、悟りという真(まこと)の本心の自分を探し求めて、本心の自分に戻りたいと願った人,あるいは、私は真祈りの伝授が終わって、真祈りができると、心の中であっても宣言した人は、真(まこと)の神さまと同じ救いの立場という真の神さまを与えきりに与えつくす、絶対の支え合いの立場に立つのです。

 それは、本人が自覚するしないにかかわらずです。それを、別の言葉で言えば、十字架にかかるともいいます。

 つまり、一切の何で?は、なくなり、ただただ、どんな痛みがあろうとも、無条件の幸せ、無条件の喜びが、あるだけ、湧き上がるだけ・・と覚悟して、ただただひたすらに、ありがとうございます、ありがとうございます 宇宙神ありがとうございますとなるのです。

 そこで、少しでも、何で?・・と思ったら、十字架での、苦しみを感じることになって、大変、肉体的に苦しいことになるのです。

 これは、どんな宗教に属していても逃げることができない現象でありまして、自分は真祈りができると思った瞬間から始まることなのです。

 その始まりのスタートは、今年の春分の日でありまして、2月の護摩でのお話の折に今年からいよいよ始まりますと言った神意なのであります。

 また、素直にたんたんと呼吸に宇宙神ありがとうございますと込められてきた方々は、真(まこと)の神さまが、その人の、神さまにどうぞおつかいください。と投げ出した分だけ、降り立って使ってくださるので、十字架に上ることまく、ゆうゆうと真祈りできますので、楽に神さまのお手伝いができるのです。

 その違いは何か?と申しますと、虚栄心であっても、真(まこと)の神さまと不離一体という悟りを得たいと、宣言されたら、その虚栄心ごと消し去ってしまおうと強い光を当てますので、少しでもその苦しみを少なくするように、十字架に上るという行為をされて、消し去るからです。
 もちろん、この現世での生死は問いません。なぜなら、たとえ、この現世で100年生きようとも、因縁因果の浮き沈みに流されて、輪廻転生の渦で苦しむよりは、真(まこと)の神さまと不離一体を自覚して、前述の無条件の喜び無条件の幸せを体得するほうが、魂にとって、最高の幸せであるからです。

 どうかみなざま、素直に淡々とご自分の自由意志で、呼吸に宇宙神ありがとうございますと込め続けていかれますように・・・。

 伏してお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・ by 河上彰延 2019年03月24日(日) 01時48分
PC

3月護摩焚き 河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

2019年3月3日護摩焚き 河上さんのお話

質問@
 呼吸に「宇宙神ありがとうございます」は小声でまたは口パクで唱えてもいいのでしょうか?それと伝授の期間中だと感じますが、大おまけは、いつまで大丈夫なのでしょうか?

 ありがとうございます
また皆さんとお会いできて嬉しく思います。

今の呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠める籠め方ですけど、これは自由自在にね、やりやすいようにやって頂いたらいいと思います。ただ満員電車の中とかね。人混みで声出してやると、ちょっとこの人おかしいと思われるんで、そのへんは場所を考えてやって頂いたらいいと思います。質問が終わってから、真祈りの伝授の期間とかいうのは、またお話しますので、質問先にお願いします。

質問A
 私のような勉強会やまだ護摩にも参加していない者でも大丈夫なのか教えて頂きますと幸いです。

 真祈りは、時間・空間を超えるんですね。だから「真祈りをしたい」「しよう」と思った時から既にもう悟ってる・救われてる・祈っているなんですね。だから、古い新しいは関係ない。今、来た人と、僕のように54年前に来た人とは同じです。時間的には関係ありません。

質問B
神さまから見たら、虚の世界はマイナスなのでしょうか?真祈り人が増えることによって、神さまの理想とする世界になるのですか?それは、どのような世界ですか?

 これ凄くいい質問なんですね。物質なし、現象なしどうこうっていう、理屈言いの人から見ると、この現世が必要なのか必要でないのかっていうことなんですけども。この現世はね、マイナスではないんです、神さまからみたら。全部プラスです。それはわかって下さい。どういう意味かと言うと、例えばね、この現世の人でも、映画を作る、或はお芝居をつくるとするじゃないですか。シナリオを書いて、映画で色んな着飾って表現してね、或は宝塚のレビューって言うんですか、あるじゃないですか、色んなことがね。それ全部、悲喜劇、色んなプラスやマイナスを織り交ぜて楽しんで終わるじゃないですか。映画でも最後がハッピーエンド終わるのもあれば、終わらないものもありますけど、すべて表現であって、実体ではないんですね。でも、白いキャンパスに絵を描いて楽しんでいるようなものなんですよ。でもそれはマイナスじゃないんです。楽しんでいるんです。だから絵でも色々ありますよね、美しい絵、楽しい絵、怖い絵、寂しい絵ってね、色々ありますけど、それは全部表現を楽しんだだけ。楽しんだ後は「ああ、寂しかったなぁ」「ああ、怖かったなぁ」「ああ嬉しかったなぁ」「ああ、良かったなぁ」だけでいいんですよね。たったそれだけなんです。だから、この現世はプラスとマイナスが拮抗して同時に存在しますので、色んな表現がとれるわけですね。最後は、そのプラスとマイナスが全部一つになって、ゼロになって、泡のように消え去るんです。その最後の消え去るところだけを掴むと、この世はない、物質ない、現象なしって、こう言うちゃうんですね。でもその途中は、表現を楽しんでいるから、あるとかないとかじゃなくて、楽しんでるんです。それね、この世でもそうですけど、永遠のものってないでしょう。例えば、ギターで音楽を奏でる。それ弦をつまんで弾いた時だけ音が出て、後は音が消えていくじゃないですか。この現世といえども、消えていくものなんですよ。それを一瞬一瞬、新たに受け直して表現しているだけ。分かります?だから本当にね、波を楽しんでいるんですよ。川の流れで例えると、川の表面の色んなこう、波立つ姿を見て楽しんでいるんです。或は、静かな池の表面を見て楽しんでいる。ただそれだけで、その池といえども流れてるんですけどね。川なんか分かり易いですけど、もっと流れているわけですね。流れ去っていくものを掴むこともないし、惜しむこともないし、どんどん上から流れてくるものを新たに受けて、その川の表面の流れを楽しんでいるだけっていうのが、この現世なんですね。それはいいとか悪いじゃなくて、楽しんでいるんですよ。それを分かればね、真祈りが楽になるんです。ちょっと難しいかもしれませんけど、本当にね、理屈言いはね、物質なし、現象なしって言うわけですよね。現実無視って言うわけですね。それ、理屈ではそうだけど、じゃあ何で現象があるように感じるの?ていうことなんですよ。そう言われるとみんな答えれない。何故か?それは、この現象の波をね、楽しむために来ているから、あるとかないじゃないです。楽しむために来ているだけなんですね。だから、あるとかないとかの理屈を言い出すと分らなくなる。その楽しむためだけに来てるというのが、よく分かるのが真祈りなんです。真祈りすると、この世はこのままで完全円満完璧大調和であると分かる。完全円満完璧大調和であるけど、あるとかないとかじゃないんです。楽しんでいるんです。映画がそうでしょう。観に行った時は、さもそこにそういうストーリーあるようにして楽しむけど、映画館から出たら忘れるじゃないですか。だからといって、映画はないのかって言ったら、あるじゃないですか。楽しむためにあるじゃないですか。そういう感じなんですね。だから、如何(いかに)に掴まずに喜び続けれるか、だけなんです。

質問C
 護摩焚きの時に一杯の縁者とは誰のことですか?自分だとわかるのですが、詳しく教えて下さい。

護摩焚きの時に来られる方というのは、自分のお祖父さん、お祖母さん、曾祖父さん、曾祖母さんだと思って下さい。それがずーっと続くんですけども。この世っていうのは、この世っていうより、この神さまの世界、神さまのいのちの表れの世界っていうのは、この世もすべてそうなんですけども、全部、重層構造・入れ子構造であって、ところてん構造。つまり切るに切れない。ずーっと繋がっているんですね。だから今、ここに一人の皆さんの肉体がいらっしゃるけども、その後ろには何十億人という縁(えにし)ある人がずーっと繋がってるんです。だから肉体として表現できるんですね。そういう意味です。だから自分の意識では誰もまだ認識できなくても、ずーっと繋がっている、いのちそのものの、すべてのすべてと思って下さい。

質問D
 護摩木を書く時に重くなってくるとお聞きしたのですが、どうすればいいですか?

 真祈りすればいいんです。護摩木を書く時に一時的に、こう熱が出たりする人があるんですね。先生がいらっしゃる頃に宇宙船護摩木の登録をして頂いたわけですけども、登録を外してほしいと、しんどいからっていうお話もあったくらいなんですね。
でもそれね、真祈りしてたら、すーっと消えていくものばっかりですのでね。逆に言うと、この七難八苦があった方が大きく消えて良かったと思えれば、もっといいです。そういうものなんですね。だから、この世が楽だから幸せじゃないんですよ。逆に言うと、熱が出るから幸せでもないんです。何があっても幸せ。それを無条件の幸せって言うんです。真祈りしていると、その無条件の幸せが実観(感)できるんですね。だから、痛かろうが熱かろうが、或は楽で幸せであっても、クーラーの部屋で涼しくて気持ちがいいとかね。ストーブがきいてて暖かくて気持ちがいい、とても幸せだし、或は寒い寒い中でバスを待っていても幸せだしみたいなね、そういう感じになるんです。だから、先ず真祈り。自分と神さまと一つに繋ぐだけ。本来一つの自分を自覚するだけなんですけど。先ず真祈りだと思って下さい。何があっても、先ず真祈りなんです。真祈りが最強なんですよ。だから、本当に極端な話で言うとね、パーンと自動車に撥ねられてね、重傷を負って、どんどん出血多量で死んでいくという時に、真祈りしたら幸せなんです。もうこの現世の姿はすべて一番いいような形で出ますから、そのプラス・マイナスの表現で言うとね、「ああ、可哀想だ」ってなるんですけど、その人にとって一番いい、一番いい形が常に出てますので、先ず真祈り最強だと思って下さい。真祈りしながら、極端に言えば、餓死することがあっても「良かった」なんですね。それは、もう色んな過去世からのすべての繋がりの中で、一番いいように神さまがいつもされてます。でも真祈りし続けていれば、できるだけマイナスにならずにどんどん消えるんですよ。形に表さずに消えるんです。だから、護摩木で、ちょっと護摩木を書いてちょっとしんどいぐらいはね、凄く大きく、小さい形に、大きな姿で消して頂いているということだと思って、ある意味頑張って書いて下さい。お願い致します。

質問E
 亡くなった母と最後まで心が通じ合わなくて、今でもわだかまりがあるのですが、これはどうしてですか?

 これはね、今のケースなんかは凄く楽なケースなんですね。親子で生まれて、子供を売りとばすっていう家が昔あったし、今でも地球の片隅ではあるわけですけど。それでも先生は、幸せ一杯だと仰るんです。それ何故かって言うとね、過去世で自分が売りとばしてきてるんですね。それを今生でまた売りとばし返すんですけども、真祈りしてないとそういう形で消すしかないんでね、なるんですよ。真祈りしてたから、通じ合わないくらいで済んだんです。とういう感じになっているんですね。常に、常に、一番いい形に神さまはおさめてるんですよ。だから、今は親子の繋がらない意識というお話ですけど、一般の人のほとんどの場合は、地球と意識が繋がらなくなる。地球霊王さまと意識が繋がらなくなると、大地震が起こるんです。でも、それも大地震という形で小さく消して下さっている地球霊王さまの愛なんですね。で、皆さんが真祈りして頂くと、地球霊王さまと心が通じるので、それで大震災も起こらないんですけどね。大きく言えばそういうことです。小さく言えば、そういう親子の関係でも、そういうふうになると。でも、それも一番いい形だったんだと思って下さい。

質問が以上ということなので、今日はね、いわゆる、護摩会場でしか真祈りの伝授ができないのは、もっと詳しく説明してくれという質問がきているし、先生からも、もっとわかり易く言えということなので、もう少しわかり易く言います。

「宇宙神ありがとうございます」って祈るじゃないですか。これね、まだ皆さんは、自分一人が祈っていると思っているんですね。これ肉体人間の癖だから、それ仕方ないんですよ。ところが、この護摩の会場に来てね、「宇宙神ありがとうございます」とみんなと一緒に祈る時は、自分では肉体意識で、肉体、自分一人が祈っていると思ってますけども、この会場全体のみんなが一緒に祈っている祈りになるんです。それ逆に言うと、自分が祈ってるのか、みんなが祈っているのかが融合一体化してわからなくなるんですよ。自覚するしないじゃないですよ。この会場ではそうなる。それが、もっとこの会場が拡がってね、この木の祈り、空気の祈り、水の祈り、全部「宇宙神ありがとうございます」なんですけど、みんなもうこの大地の祈りが全部ね、融合一体化するのが、この護摩の場なんです。そこで融合一体化するのが、真祈りなんですよ。わかります?

すべては完璧なる一つって、真(まこと)の神さまだけなんですね。だから「宇宙神ありがとうございます」って祈ると、全部が祈っているのがわかるし、或は実観(感)なんですよ。その実観(感)なしにその体験ができるのは、この護摩の会場なんです。だから、この護摩の会場に来れば、宇宙一体となった、本当の真祈りが体験できるわけです。で、その体験ができるから、真祈りの伝授ができるんです。真祈りとは何か?
宇宙全体すべてが一つになって「宇宙神ありがとうございます」って祈っているというのを実観(感)して解ることが真祈りなんです。その実観(感)がなくてもここにいてたら、それが体験できるんです。体験できると、真祈りの伝授ができて、自然に実観(感)が後からついてくるんです。だから、この会場に来て頂かないと真祈りの伝授ができないんですよ。

 僕が約50年程前ですけども、先生から真祈りの伝授頂きましたけど、その時は本当にね、喘息で呼吸困難で、もう死にかけていたんですね。その死にかけていても、もう止まりそうな心臓のままでですね、先生のところまで行って、自分はとても真祈りができなくて先生の足を引っ張るだけだからって謝ってですね。もう先生のところに来て邪魔しないようにしますって言うたら、そういう謝り方をしに行ったんですね。で、その時に先生が「アハハ」って笑いとばしてね。「河上さんの本心は祈っているやないか」って仰って、それでハッと解るんですけど、解るのは何でかっていうと、いのち、肉体のいのちが消えかかっていたからです。それって死ぬ時に、なんて言うんですか、真祈りの伝授がおこなわれ易いわけですね。それではみんな死ぬ時しか解らない。それはいかんということで、この護摩を先生が始められたわけです。
護摩の時は、ある意味みんな肉体を死に切っているわけです。死に切って神さまと一つになっている。だから、真祈りの伝授を受けれるんです。だから頑張ってね、親の死に目以外は護摩に行くんだ!ぐらいの気迫をもってきて下さい。
本当にいつまでこれを続けれるかわかりませんけども。

そして、おまけがいつまでかということなんでね。本当はここでお話させてもらってちょうど今、1年目なんですね。本当のことを言いますと、先生との約束は3ケ月だったんですよ。だから6月位だったんです。それが8月までってなって、12月までとなって、この丸1年目の今日までだったんですね。今日になって、急にまた先生の方から「後2年」って仰いましたので、後2年あります。後2年のうちにね。この2年間は本当に、今年入れると後3年ですよね。この3年間というのは本当に大変でね、世界的にも色んな事起こります。
起こる時にその状況に心を入れて、不安がらずに、いつも一番良いようになってるんだって、真祈りに努めて下さい。

今までは「真祈りってどうするの?」「私できないわー」っていうことがあったわけですけど、1年前の今日から、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せるだけで真祈りと同じにするからねっていう先生からのおまけだったわけですよね。このおまけを最大限に活用して、ひたすら呼吸に乗せていって下さい。すると、世界の情勢が日本の国の心としてプラスに移りますので、どんどん良いように変わります。だから、心を揺るがさずにね。

ただ、この3年の間には、日本で色々と大震災はどうしても止めれません。それ何で止まらないか?止めていいものは止めてこいということで止めに行ってます。正直に言いますと。ただ止めてはいけないのが、これからくるんですよ。それ何でかと言うと、それがないと世界が納得しないみたいなとこがあります。でもそれは、その場に来ないと分らないのでね。
ただ、日本で何が起こっても、例えば、まぁ極端だけど、それははないですけど、富士山が噴火してもですね、心を揺るがさずに、真祈りをして下さい。それができる真祈り人が頼りです。先生があてにしていらっしゃっているので、よろしくお願いします。
また来月お会いできることを楽しみにしています。

ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/wKN5qYgk_yw

宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2019年02月08日(金) 08時10分
PC

2月3日護摩焚き 河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

2019年2月3日護摩焚き 河上さんのお話

質問@
 身振り・手振りを交えて「宇宙神ありがとうございます」を唱えるやり方について、そのポーズに籠められた意味や何種類かそれぞれのパターンの効果的な使い方などあればお教え下さい。

 皆さん、ありがとうございます
本当にね、今日は凄い護摩になりました。先生が言祝ぐ(ことほぐ)と仰いまして、そして、皆さんの宣言された分だけね、大きな光が受け取れるよということでメッセージがありましたので、最初にお伝えします。

 素直に宣言した人は得ね。「宇宙神ありがとうございます」って素直に宣言する人は得です。理屈をつけていくと、その理屈をつけた分だけ小さくなって、小さくしか受け取れないですね。今の身振り・手振りの事なんですけども、先ず先生がね、僕がお会いして50年以上になりますけども、この30年間でも、先生が本当に望まれたことは、真祈りして頂きたい、自分の自由意志で真祈りして欲しい、それだけなんですね。理屈じゃないんです。その神書も色々ありますけども、それはあくまでも真祈りを助ける為のことであってですね、理屈理論でどうこうという事は一切ないんですよ。本当に例えばね、皆さんの家庭内の事をいくら言葉で説明したってわからないし、小学校の先生が家庭訪問で家庭、お家を訪問されてもね、やはりわからない。実際にそこに住んで、一緒に生活しないとわからないじゃないですか。真祈りも一緒なんですよ。真の神さまと一緒に真祈りする。それしかわからない。どんなに言葉を尽くしたってね、説明の仕様がないの。それは絶対の中心からね、地獄の底まで、どの場所にも同時に意識がいくことが真祈りなんですよ。この肉体がだけとかね、絶対の中心が真の世界だけとか、地獄だけとかって言うから、おかしい。全部が同時に、同時に何処でも一瞬で立ってるのが真祈りなんですよ。それを絶対の中心って言います。でも、それ理屈で言いようがないよね。
 今の身振り・手振りなんですけども、その身振り・手振りもね、先生がその時その時のおまけなんですよ。この形を素直に一心でやっていけたら直ぐに悟らすよっていうことを、それは言えない。おまけの事は言えないね。こうしなさいっていうだけで始まったわけです。それを本当に素直にしていたらね、悟れたんです。でもやっぱりやっていると、「こんなんで大丈夫かなぁ」って思いが沸くしとかね、色んな形あるねんけど、どうするんとかって思い巡らすと、もうダメなんですね。残されていかれたものは、もう既に古くなってダメなのかって言うと、そうではないんですよ。ちゃんと素直に真祈りしていたら、今だったら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って先生が楽に易しくできるように、手振りでもダメだったら呼吸に乗せろっていうことで、されているわけですけど、素直に呼吸に乗せていれば、自然に、その時その時に応じた手振りがしたくなります。それをやればいいんです。ただ「こうしなさい」って人に勧めたらダメね。わかります?人の自由意志は絶対縛れないです。だから、素直にしていて、それを見て、あー私もやりたいわーって自由意志で真似して下さるのはいいけども、決して人に勧めないで下さい。自然にやりたいことが出ます。それは印可書を読みたくなるとか、神書を読みたくなるとか、もう人様々で、どれが良いじゃなくて、その自由自在が本物なんですね。こうでなくちゃならないって言えば、それはもう今までの宗教と一緒で、相手の自由を縛って、本物でなくなるんですよ。相手の自由を縛ったものは、全部偽物だと思って下さい。
ですから、この護摩は凄く大切なんでね、この護摩を維持する為に、護摩の木を買わなくちゃいけないとか色々ありますけども、出せる時は是非出して下さい。でもそれは、強制ではない。自分の自由意志で、この護摩をもっと盛り上げたいと思う方は、どんどん村の方にお金を置いていって下さい。お金の出せない人、当然ありますね。或いは、真祈りが凄くしにくいんだっていう人ね、そういう人は護摩木作りを手伝って下さい。或いは、ステージの除雪を手伝って下さい。それが深い真祈りになるんです。それが先生からのメッセージです。ですから、時間に余裕ある方は此処まで上がって来て、邪魔のならないようにね、自分が出しゃばって邪魔になるから、邪魔にならないように、護摩木作りのお手伝いするなり、除雪するなり、それも来れない人はお金出すなり、もう人それぞれ、みんなやりたいと思う方法をやって、このありがとうございます護摩をね、盛り上げていきたいと思います。
それで、何で護摩が大事かと申しますと、この護摩でしか真祈りの伝授ができないんですよ。本当のことを言いますとね。だから、この護摩に来て頂かないと、真祈りを受け取れないの。だから是非ね、護摩を維持していきたい。みんな護摩に来て下さい。それで、護摩に来れない時は、護摩木を書いて下さい。自分が護摩木を書いていると思うでしょう?違うんですね。護摩木を書く時に自分の縁者が、みんなの願いが結集して書いているんです。それは凄い沢山の縁者の真祈りが全部自分に重なっていって、自分は一回の「宇宙神ありがとうございます」って護摩木を書いているだけですけど、実際は、何十億倍の「宇宙神ありがとうございます」になるんですね。だから是非、護摩木を書いて下さい。その為にも護摩木が要りますから、護摩木を作りに来て下さい。或いは、護摩木を作るね、お金を持ってきて下さい。

そういう人それぞれ、本当にね、自分の内側から真祈りしていたら、自由に湧いてくる。真祈りとは何かって言うと、真(まこと)の神さまの真似事をすることだけです。真(まこと)の神さまの真似事をするっていうのは何か?それは、与え切りに与え尽くすっていうことです。何を与え尽くすか?真の神さまをすべての人の心に与え尽くすだけなんです。そんなん私に出来ないってね、みんな思っちゃって潰しているだけなんですね。でも実際は、みんな出来るんですよ。
 先月、お習字の話で説明しましたけども、例えば、私は小学生の祈り、私は高校生の祈り、私は大学生の祈りなんて言うのが何でダメか。或いは、この人が1級の祈り、この人は4級、この人は1段2段3段とかね。何でそういう段位をつけたり、そういうことをするのがダメなのかって言いますと、現実を掴むということです。書道でいうと、私下手な字なのって掴ますことが段であり、級なんですよ。わかります?私、小学生の祈りって言う時点で小学生の祈りって掴んでいるでしょう?もうそれだけで不自由で、真祈りじゃ無くなるんですよ。だから真祈りができるできないは、神さまが決めること。素直に先生の仰るように、素直に籠め続けるだけなんです。呼吸に、今は呼吸に籠めなさいだから籠めるだけ。でも、昔の手振りがやりたくなったら、素直にやればいいんです。それでちゃんと、ちゃんと、真祈りになるんですよ。それをね、ただ此処に来ずに、或いは護摩木を書かずに、或いは護摩木に協力せずに、真祈り一生懸命ね、お家で一人でしても効果がないんですよ。それは自分一人になる。でも、この護摩の会場に来れば、何億万倍という、みんなの縁者の願いが結集しますから、一人一人の小さなお祈りと思うのが何億倍になるんです。何十憶倍、何百憶倍ってなるんです。だから是非、護摩に来てお祈りして下さい。そして護摩木を書いて下さい。そして、護摩木を維持する為にね、色んな事をお手伝いして下さい。そのお手伝いが、与え尽くす心の神さまのお手伝いとなって、真(まこと)の神さまの働きとなって、真祈りに変わっていくんです。だから、私どうしても真祈りしにくいんだって言う人はね、除雪に来て下さい。護摩木作りに来て下さい。或いは、お金を持って来て下さい。強制ではないですよ。みんなの自由意志でそうしたいと思う事をやって下さい。お願いします。そういう自由自在の心が、すべてに通じるんです。

質問A
 先生の前世といわれるヨハネさんのなされたことについて、お教え頂けますか?真(まこと)の神さまは、何故先生のことを「坊主」と呼ばれるんですか?

 これはもう、奥さんと僕しか知らない懐かしいお話なんですけど。先生が本当に真の神さまに自分のすべてを投げ出しますって、こう宣言されることをね、形でこう、なんて言うんですか、神さまに示されたんですね。その時に坊主にされたんです。その心意気をね、神さまは非常に言祝がれて(ことほがれて)褒められた。言祝ぎ(ことほぎ)です。言祝がれて(ことほがれて)、それから先生のことを「坊主、坊主」と呼ばれるようになりました。
 もう一つは、ヨハネ先生のことです。過去世のことを言うのはルール違反なんですけど、ヨハネ先生は、その当時にできる最大のことをされたわけですね。それは何かって言うと、所謂(いわゆる)水の少ない地域でね、水というのが一番貴重な地域です、そんなところですから、水でお清(浄)めをするということをされた。水の清(浄)め、洗礼のヨハネ、水のヨハネってなったんですね。イエスさまは、まぁ別のやり方をするわけですけど、その水の清(浄)めがね、所謂(いわゆる)密教に伝わっていて、所謂(いわゆる)頂上かん頂っていうことですね。頭に水を垂らすそういう儀式があるんですね。その水というのは神さまのいのちそのものですから、それを使って、神さま、あなたは神さまのいのちと一つだよっていう意味で、その人の頭に水に、頭を水に、場所によっては川でガッと頭を沈めるとかね、色んな事をされました。

質問B
 私達の体は、クリーナーの雑巾の役目ですから、一番苦しい状態が一番で、使命を果たしているということですか?クリーナーになる縁者を代表してマイナスを消すというのは、体に痛みを感じたり、仕事で人が嫌がるような役を引き受けたり、何か責任が回ってきたり、取らされたり、というようなことでしょうか?みんなのマイナスを消すというところがあまり解っていません。もう少し、ご説明をお願い致します。

皆さん、この世に生まれてくる時にその決意をされてきてるんですよ。「何で私だけこんな損な役割をするの?」ですけども、真(まこと)の神さまの働きっていうのは、そういうもんなの。一番、一番下に立って、みんなを支えるというのが、真(まこと)の神さまの働きなんです。だから、表に出ない。表に出ないから、神さまって本当にいるの?とかね、神さまは働いているの?って、こうなるわけですけども。でも例えば、食べ物だけだと、勝手に消化するでしょう?神さまの御命が働かれて。そういうふうに一番目に見えないところ、でも大事なところを神さまは働かれるわけです。そして一番下のしんどい役割、汚れ役をされるわけですね。例えば、地獄で憎まれ役の鬼の立場をとられるわけです。針山ってあるでしょう。針山って何であるの?っていうことですけど、これ本当は、針の山っていうのは光の山なんですよ。何で光の山登ったら、針になって刺さるの?ですけど、人を責める思いが積み重ねてきた人の思いを消す為に、針の形になって、その人の足の裏を突き刺すわけですね。それで消すわけですよ。でも、地獄で消すよりも、地獄で針山に登ると、ドンと足の裏に針が刺さってですね、血が噴いて、非常に痛いけども、降りようと思ったら後ろから鬼さんがこん棒で追いかけてくるっていうことで、頂上まで登ったら、もうしんどくて倒れる。そしたら、すーっと変わって、また元気な体になって、下から登らされる繰り返しがあるわけですね。そのことを考えたら、この世での苦しい・つらいことなんて一瞬なんですよ。その一瞬で、本当に何十億、何百億という地獄の縁者を救えるわけですね。それがわかってやれば、救える。でも、「この痛み嫌いだ」「この病気嫌だ」って文句を言えば、それは救いにならずに、マイナスを積み重ねることになるんです。だから、神さまに使って頂いて「ありがとうございます」ってやれば、本来の使命を果たせる、自分の天命が果たせるわけですね。だから、先生がこの世は一生七難八苦の連続でいいんだよ。お金の無い、ただ働きが一番いいんだよって、よく仰ったわけですけど、本当にその通りなんです。でもそれに徹したら、決してそれは続かないし、もっと楽になるんです。それが解ります。逃げるから余計にしんどい。それだけ。ひたすら、もう神さまを信じてね、全部投げ出して、何事にも勇気をもって焦らずにね、悠々とあたって下さい。それで一番損な役割になって、例えば会社を首になることになっても、あぁ1番良かったんだっていうのが本当なんですよ。それで、本当に何億分の一で消えたんですね。それが解って、なったらいいんです。でも「私、首になった。こん畜生」って言うと、もうそれはマイナス積んでいるから意味ないよね。
だから同じ運命でも、プラスにするかマイナスにするかは、そこだけなんです。それが解れば、もうどんなに大変になっても、直ぐに変わるんですね。先生がもうこれからお祈り一本だけにするってなった時にね、管理人の仕事も無くなって、本当に何も無くなったんですね。そしたら、先生と奥さんと家族だけが本当に一つの布団に足を突っこんで寝るような状態が暫く続くわけですけども、そのうちに多くの人がね、「先生、どうぞこうして下さい」ってみんなするわけですよ。それ神さまがその人を使ってしてくるんですね。その時に、先生は「見本を見せる」って僕に見せてくれたわけですけども、何があっても心を揺るがすな、神さまへの絶対の信は潰すなっていうことなんです。それさえあれば、文句はない。何でこうなるの?もないし、ただただありがたいだけだなぁってなりますから。是非もう神さまが使って頂くんだから、一生七難八苦でもいいんだって覚悟を決めてね、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めて下さい。ちゃんとなりますから。
ありがとうございます

質問C
 印可書をコピーではなく、書き写して、光を入れたい場所に置いたのですが、さわりはありませんか?

勿論ありません。印可書は、真(まこと)の神さまと先生との約束ごとで降ろされたものなんです。印可書は何かって言うと、真(まこと)の本心の自分に自覚に戻すよっていう約束ごとのものです。それを絶対の自分の自由意志で選ばなくちゃいけないんでね。一番進めて欲しい人には反対させ、わざとですよ。だから、みんな汚れ役するんですね。一番嫌がられている僕が勧めて、それでも選び取るものだけが本物だ、みたいな感じなんですね。それで始まったわけですけど、今は完成された印可書になっていますので、誰もが素直に読むだけで、そして素直に書き写すだけで、光そのものになります。だから大丈夫です。

質問D
 霊魂魄について教えて頂きたく思います。

 霊魂魄というのはですね、何かっていうことですけど、簡単に言うと、絶対の中心から一霊四魂って、こう四つに分かれるわけです。それが霊。四霊に分かれて霊。それが八個に分かれて魂。それが十六個に分かれて魄。十六個から三十二個まで一気にいくんですけど、そういう形で真(まこと)の神さまの絶対の中心から左旋回で順番に拡がっていく様を、この地上の感覚だと拡がってくる。実際は、どんどん中心へ小さく限定して表現するわけですけども、その形です。だから今説明したから時間軸があるわけですよ。中心側が四つになって、それが八個になって、それが十六個になって、三十二個になってって、何か順番になるなぁって思うでしょう。思うともう間違いなんです。それが一瞬で同時にすべて完璧なんです。それが一瞬一瞬新たに新たに、なんです。でもその一瞬新たに新たに完結しているのに、時間軸使うというのが現実を掴むということなんです。掴んじゃうと、次のが受けないから、おかしくなるんですけど、ともかく一瞬一瞬、三十二層の魄、肉体ですね、肉体のすがたまで一瞬一瞬現れ続けてると思って下さい。だから、一瞬一瞬新たに受け続けていると、中々老けない。年をとらない。年をとる人は過去を掴んでいるから。

質問E
勉強会をさせてもらっています。先月の録音で、主催者の人は責任者として神書が読めて、勉強もできるというような話があったのですが、あまり勉強してなかったんですが、もっと内容の勉強をこれからでもすればいいですか?

これはね、理屈で掴もうとしたら、神書でもダメなんですよ。神書が読めない人の一番の欠点は、理屈で解ろうとする。解る解からないじゃないんですね。素直に読んでいると、すっと、印可書もそうなんですけど、素直に読んでいると絶対の中心へすっと、神書も印可書も神書もそうなんです。神さまと先生との約束事で降ろされたものですから、素直に読んでいると、すっと絶対の中心へ、所謂(いわゆる)本来の自分に引き戻してもらえるんです。だから、それを、「いや私なんか」ってみんな限定するのね。「私は解からへんから」とか「私は一行読んでても嫌になるから」とかね、限定で崩すわけですけど、あまりややこしく考えずにね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せながら神書を読む、印可書を読む、或いは書き写すってしてればいいです。すると、自然にすっと変わります。そういうものなんですよ。現実を掴まないというのは、そういう事なんです。
現実を掴むというのは、自分の結果「解ってない、解れへんねん」ってこうね。「解れへんねん」というのは、現実を掴んでいる。わかる?「解ってないねん。理解できへん。私アホやねん」とか言うたら、もうアホやねんという現実掴んで、本当にアホになる。「アホ」とか「私、頭悪いから」とか関係ない。みんな光ですから、みんな神さまと同じ力を持っているの。それをどう開くかだけ。素直に受けるかだけ。だから、印可書を読むのでも、誰が読まなくちゃいけないじゃなくて、自然に読んだらいいし、読めない時はあなたちょっと代わりに読んでよでいいしね。自由自在にやったらいいし、無理に読むこともないの。ただただ「宇宙神ありがとうございます」でいきますでもいいしね。その辺は自在、自在にやって下さい。お願いします。

他に質問が無ければ、河上さんのお話お願いします。

 あの、ちょっとこちらに質問がきてましてね。「河上先生って呼んでいいですか?」って言うんですね。それ違いますから。先生は、松下先生はお一人で充分です。「じゃあ、河上さまって呼ばしてもらっていいですか?」って言うんですね。河上さまとかいうのはね、メールとかでね、相手に送る時に、さま付けにしますけども、普段はそんなん「さま」と呼ぶ必要はない。みんな中川さん、谷口さんとか、山本さんとか、田中さんとか河上さんとか、みんな「さん」付けでいいじゃないですか。先生が仰ってるでしょう。みんな光や。みんな光だから、みんな「SUN(サン)」太陽でいいんです。だから河上さんなんです。わかる?中川さんなの、山本さんなの、石川さんの。もうそれだけ。だから、呼ぶ時はみんな、さん付けで呼び合いましょうよ。そしたら、みんな太陽だ、みんな光だって言ってるんだから。
 
 そういうことでね、本当にどんどん寒くなってきたので、話を早めに切り上げますけども。みんな光なんですよ。だからもう、自分で限定しているだけ。「私は光じゃないんだ」ってね。それを止めたらいいの。それを止める為に印可書があるし、神書があり「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めることがあるんですから、自分のやり易い事を素直にやって下さい。先生が「みんな連れていく」って仰っているので、それを信じて下さい。もう神さまを信じ切れなくても、先生を信じて下さい。お願いします。僕が言っているんじゃない。だから、素直に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めながら、好きな事をやって下さい。そうすれば、ちゃんとすっと先生が引き上げてくれますので。悟りというのはね、自分がのぼるんじゃないの。全部神さまが引き上げて下さる。でも今回は、神さまじゃなくて、先生が引き上げてくれるからね。絶対大丈夫ですから、素直に乗せていって下さい。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 
 お祈りする時にね、ちょっと手前で印可書を読むなり、神書を読むなり、或いは文章残っていると思うんですけど、護摩の前に、まーさんが宣言して読まれた文章があるじゃないですか、あれを読んでからお祈り、或いはお祈りの会をするようにして下さい。すると、どっと場が変わりますので、お願い致します。
また来月お会いできることを楽しみにしています。
ありがとうございます


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神書の奉読は、清めの力・・・・ by 河上彰延 [URL] 2019年02月05日(火) 09時14分
PC

 神書の奉読は、虚栄心に代表される思いを清め去る力があります。もちろん、真祈りを伝授する為の印可書も同じです。
 その力があまりにも凄まじいために、神書の奉読は、ご自分の思いやご自分の縁者の思いがその読んでいる最中に湧き上がってきて、読みにくい、あるいは、読めない・・という事態が発生することがしばしばあるんです。

 そんな時は、無理に読むのがよいのですが、どうしても読めない時は、ゆっくりと宇宙神ありがとうございますと真祈りされたらよいのです。

 真祈りとは、捧げあい尽くしあいの中にこそ、相乗効果を発揮するものでありますので、一人自分と他人をわけ隔てて小さい意識でたった一人こもって祈るよりは、ありがとうございます護摩の場に参加して祈ることが、大きな真祈りの効果を発揮するのです。

 真祈りの伝授が、ありがとうございます護摩の場でしか伝授できないと先生が申されたのは、そういう意味もあったのです。

 ご質問は、護摩を各地というか、それぞれの思い描いた場所で、執り行っても、祈っていれば、ありとうございます護摩と同じ効果があるか?・・・・ということでありますが、それは、ありません。

 逆に、危険でもあります。なぜか?と申しますと、すでに、執り行われているありがとうございます護摩を割ってつまり、わけ隔てる心でおこなっているからです。

 すべては完璧なる一つとして、捧げあい尽くしあいの実践的象徴として執り行われているありがとうございます護摩を無意識で否定することになるからです。

 筆者は、以前、ありがとうございます護摩の最中に高野山の奥の某所で、あるいは、伊勢神宮の奥の山中で、小さい護摩を行いましたが、それは、先生の指示があって、執り行ったものでありまして、決して、ありがとうございます護摩を割ってしたものではありません。

 しかし、なにをするにしても、自由意志でありますから、どうしようもないのです。

 そして、そのことを行った責任は、参加された方々おひとりおひとりが、重きものとして、背負うことになるのです。

 なぜなら、ありがとうございます護摩は、地上よりあちらの世界で有名であり、いつもいつもあたらしい縁者が集うのです。そのあたらしき方々が勘違いしてわけ隔てる思いで執り行われている護摩に参加して帰ることができずに、参加された皆さんにくっついたままになっているからです。それが、どんな結果になるかは、言葉にあらわすことすら恐ろしいことなのです。

 ありがとうございます護摩の時は、参加される皆さまの心境にかかわらず、その思いの半分を主催者が背負って神さまにお願い申し上げて、消し去りますが、わけ隔てる意識で行った護摩は、わけ隔てた時点で、絶対の中心という真(まこと)の神さまと響きがあわないから消し去る力がないのです。

 そこで、お願いでありますが、わけ隔てる護摩に参加された方々は、印可書を神書をどちらでも読めるほうでよいですので、ひたすらに、がんばって奉読されることをおすすめします。

 宇宙神ありがとうございます


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みんな既に祈っている悟っている救われている・・・・ by 河上彰延 [Mail] [URL] 2019年01月31日(木) 12時46分
PC

 、

 心境に、幼稚園、小学生、大学生、大学院と、順番に、お祈りするごとに上がっていくのですか?・・・

 という久々のご質問ですが、これはね、根本的なところで間違っているのです。

 どういうことか?と申しますと、真祈りを(悟りを)理屈で理解しようとしているからです。

 なんで、理屈で理解しようとしているか?ともうしますと、心境にランクを着ける段階で、悟っていない(祈って、心境をあげて、悟るんだとおもっている)と決めつけているからです。

 言葉で説明できることなんか、一つもないのです。たとえば、あなたの家庭の状況をいくら言葉をつくして説明しても、又、実際にあなたの家庭にいっても、実際に一緒に生活しないかぎり(真祈りにあたります)わからないでしょう?

 だから、五年や六年、あるいは、20年近く先生と一緒にいても、いつまでも、理屈でわかろうとしているから、なにもわからんかったのです。

 真祈りの伝授は理屈ではないのです。
 真祈りは、小さい肉体意識(これを過去や現実をあるとつかむ”我”といいます)で、祈ろうとしても、出来ないのです。

 真祈りとは、自分がするという小さい意識を、神さまに投げ出して、つまり、この生命(いのち)神さまのお仕事におつかいくださいと投げ出すことによって、真(まこと)の神さまが”我”を消し去ることによって、降り立ってくださり、真(まこと)の本心の自分として、祈ることが真祈りなのです。

 そこに、言葉による理屈は一切ないのです。ただただ、ひたすらに、神さまのお手伝いをさせてくださいとj自分のすべてを神さまに投げだし、そして自分の願いという虚栄心を一切すてて、人類の救済と得度にひたすら自分の生命(いのち)をなげだしますという与えきりに与え尽くす心になってこそ、はじめて、真(まこと)の神さまのひびきとあって、降り立ってくださるのです。

 その繰り返しの中から、すべての人の心に入って真祈りするという感覚になり、すべての人類の心に真(まこと)の神さまを降り立たせるという、天の岩戸開きの御神行のお手伝いができるようになるのです。

 かつて、理屈で真祈りを悟りを理解しようとして、神書を丸暗記し、それは、どのページにこういう風に書いてあると即座に答えることができるほど理屈で神書を理解しようとした人がありましたが、この方は、空飛ぶ円盤が銀色に見えると色つき(これが、理屈での感覚なのですが)でおっしゃった方でもありました。その後のこの方の消息を知りませんが、真祈りである宇宙神ありがとうございますをしないかぎり、いつまでも理屈をこね回して、人々を惑わす、つまり真(まこと)の悟りへの道を理屈によって邪魔するだけなのです。

 真祈りするしか、なにもわからないのです。そして、真祈りすれば、一瞬ですべてがわかるのです。その為に、おだやかな悟りの伝授(真祈りの伝授)として、呼吸に宇宙神ありがとうございますと御自分の自由意志で乗せるようにお願いしておるのです。
 もちろん、それが、嫌な人は、御自分が一番良いと思われる方法で真祈りされたら良いのです。

 どうか、理屈で理解しようと惑わされることなく、また、まだ、悟っていないから、幼稚園、大学と段位や昇級があるが如く思って、惑わされることなく、ただただ、みんな、神のみちからみひかりみいのち、みんなひかりや、みんな既に悟っている祈っている救われているを素直に受け止めて、たんたんと、真祈りに励まれますようにお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 [URL] 2019年01月14日(月) 21時01分
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河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます
2019年1月6日護摩焚き河上さんのお話を載せさせて頂きます。

  質問1
 「宇宙神ありがとうございます護摩焚き」の意義、月に1回、この日にどんな事が行われているのか?どういう姿勢で参加させて頂いたらいいか?総責任者の立場で参加するとは、具体的にどう捉えたらいいのか?

 先生はね、毎日護摩焚きをしようかと仰っていたんですね。それ位この「宇宙神ありがとうございます護摩」というのは、凄い護摩なんです。それ、どんなに凄いのかっていうのがね、みんな意外とまだ解っておられない。解っておられないんで、質問があったと思うんですね。この護摩木でもそうですけど、1枚燃やしたってね、ちょっとの炎が上がるだけじゃないですか。そして、火を点けるのも大変ですよね。でも、こうしてみんなで集まってやると凄い大きな炎になるんです。それと一緒で、「宇宙神ありがとうございます」ってお祈りしててもね、一人一人バラバラでお祈りしてても、ちょっとの光しか立たない。でも、ここでやると、何十憶倍になるの。大げさじゃなくてね。もっと凄いのは自分の縁者が参加できるんです。今、だから皆さんのお一人お一人の真祈りがね、いつも大切だって言ってるんですけど、どんなに大切かっていうのは、意外とみんな自覚してない。私の祈りなんかっていうことでね。

 この卑下慢について今日、先生が話をせいということなんでね、質問と関連してますけども、みなさんの肉体というのは、多くの縁者の代表としてこの地上に生まれてるんですね。肉体は、いつも言うように、本当にクリーナー役として、雑巾役として生まれてきますので、本当は一生七難八苦の連続が一番いいんですよね。でも、それでも、それが大変だからということで、美味しい物も食べさせてもらうし、楽しいこともあるんですけども、でも基本的な目的は、この肉体を通して痛みで出す、或いは悪い運命で出す、或いは病気で出すということをすることによってね、何億分の一、何十億分の一、何百憶分の一という僅かなことで、多くのことが消えるんです。ここで護摩でみんなが参加する、皆さんが参加するとどうなるかと言うと、その多くの背後の何十億、何百憶という縁者が相乗効果を起こしてね、全大宇宙に拡がる、そういう空間になるんです、此処は。それくらい空間の、肉体というのは本来、空間の交点なんですけども、それがもっと重なる場に先生がして下さっているんですね。だから、毎日したって惜しくない。或いはエベレストの頂上でやっても、そこへどんな生命をかけても、来て参加しなくちゃいけないくらい大切な凄いものだって仰るわけです。それがこんな来やすい所でやってるんだから、是非来いということですね。でも、どうしても来れない人の為に護摩木がある。護摩木に真祈りを籠めて書くことによって、此処に来て参加するのと同じ意味がある。じゃあ、此処に来て参加している人で護摩木を書いている人はどうなるかと言うと、もっと掛け算ですね。護摩木の数と自分と掛けただけの効果があるということです。皆さん自覚するしないに関わらずね、この護摩に参加していると、どんどん自分の思いが消えるんですよ。消してもらえるの。それで勝手に悟るの。勝手に悟る。でも、これは自分のものって掴んでいるのは消せない。だから、せっかく此処に来てるのに、勿体ないことをする人あるのね。「これは自分のお金」「これは私のもの」って掴んでいるわけ。「私の子供」とかね。色々ありますけども。だから掴んでいるものはね、その人の自由意志ですから神さまは消せない。せっかく此処へ参加して消して頂くんだから、自分のものっていうのをね、放さなくちゃいけない。無くさなくちゃいけない。じゃあどうして無くすのかって言うと、今持っている自分の財産、家族、子供、色々ありますけども、自分のものと思っているものが全部神さまからの預かりものだと思い直せばいいんですよね。神さまからの預かりものだったら、自分のことには使わないし、全部神さまのことに使いますから、自分のものは無い。そう思って参加していたら、本当にあっという間に思いが消されて、何でも解るようになります。真祈りが楽になります。

   此処までで1番目、あー総責任者言ってない。

 その総責任者の自覚とは何かなんですけど、これがね、総責任者の自覚とは何かというと、何か?これすべては真(まこと)の神さまだけっていうことが総責任者の自覚なんです。お釈迦さまが生まれられた時に「天上天下唯我独尊」と仰ったんですね。この言葉を思いの自分で聞くと、お釈迦さまがただ一人、尊くて素晴らしいんだっていう風に聞こえるわけです。でも総責任者の自覚の立場から聞けば、この天上天下ね、すべて神さまだけって言っているんです。唯我の我っていうのは、神さまっていう意味なんです。自我じゃなくてね。だから唯我。だから唯一の我。つまりすべてのすべてっていうことですね。そういう意味です。総責任者の自覚というのは、すべて真(まこと)の神さまの御働きだけって解ることです。真(まこと)の神さまの御働きだけってどうして解るかっていうと、自分のものというものを持って無かったら解る。だから何もかも神さまからの預かりもの、そして神さまの為に生きる。神さまの為に使って下さいっていう、自分・小さい自分全部、神さまに投げ出しちゃうのね。どうか神さまのお仕事にお使い下さい。このいのち神さまのお仕事にお使い下さいって投げ出せたら、総責任者の自覚です。ちょっとでも自分の生活がとかね、自分がと思っているうち、要するに明日の生活を不安に思っている間は、総責任者じゃないんです。

 総責任者というのは、神さまが唯一絶対であって、そして全知全能で万能でね、何でもご存じで、何でも一番いいようにされているということが解る自分です。それが総責任者。

 だから、神さまのことを信じれない人はね、今までの宗教がそうなんですが、神さまのことを信じれないから、この病気治してくれと言う訳です。或いは、この貧乏なおしてちょうだいとかね。この不幸をなんとかしてとか、まあ文句を言うわけですね。それ、神さまを信じてないのね。神さまは全知全能で何でもできる方だから、一番いいようにしかされてない。じゃあなんでこの今の状態、こんな苦しいの、こんな病気なのってみんな文句言う訳ですけど、それ生まれてきた使命忘れてるからね。この肉体はクリーナーですから。本当は一番苦しい状態が一番使命を果たしているんですね。それをみんな知っているの。知っているから此処に集まっているの。知らない人は、やっぱり病気治してほしいから治してくれる宗教に行きます。運命を改善してくれる宗教に行けばいいんです。何とか教会とか色々ありますよね。そういう所へ、何々教とかね。そういう所に行けばいいんで。それを解って、本当に総責任者の自覚っというのをね、みんな意識してないようで意識・自覚しているんです。意識はしてないけど自覚しているの、無意識に。無意識に自覚するから此処に集まるし、今の質問になるんです。

 で何か?

 本当にね、神さまは全知全能だから何を文句言っているねんなんですよ。神さまが今のあなたの肉体を通して一番いいようにしているの。その状態に何を文句言うか。例え今すぐ死んだって文句なしなんです。昔の歌にあるじゃないですか、「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」ってね。朝、総責任者の自覚を得たらいつ死んでもいいと言うんでしょう。それって、神さまが一番いいようにされているって解っているっていうことを自覚できるからですよ。それ自覚できたら、人間がね、死なないっていうのが解る。死ねない。永遠の生命だって解るのね。永遠の生命だって解ったら、蛹(さなぎ)がね蝶に変わるように、肉体があちらの世界のすがたに変わることがなんの恐ろしい事もないし、神さまが一番いいすがたにとって下さるって喜ぶだけなんですね。だから、何があっても「ありがとうございます」だから、間髪入れず何があっても「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」なんですね。

   質問2
 村に来られない月の参加はどのような形をとるのが一番いいのか?

 護摩木でまず参加してもらっています。もう一つは、できたら護摩の時間、お仕事中であっても、心で「宇宙神ありがとうございます」と祈って頂くといいです。大体9時半〜11時、決まっているわけですから、その時間は大体9時〜12時位に大きく幅をとってですね、お祈りしながらお仕事されたら、或いは用事をされたらいいと思います。それで充分。護摩というのは、時間空間を超えてるんでね。大丈夫なんですよ。ただ此処へ来た方がね、なんか本当に意識的にも来るじゃないですか。だから来れる時は来て下さい。お願いします。

  質問3
 護摩木を書かせて頂く時の心構えについて、再度教えて頂けますでしょうか?

 護摩木を書く時は、まず自分の願いを横に置いてというのがまず大事です。すべての人が悟る為に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて下さい。自分のことはもう自分は悟らなくても、すべての人が悟るまで自分は悟らなくていいっていう覚悟を決めてね、本当にみんなの一番下の縁の下の力持ち、縁石ですね。縁の下の力持ちになるという気持ちでね、書いて頂いたらいいです。この護摩木を書くことによって悟りたいとかいう気持ちがあると、崩れます。悟りというのは自分で悟るんじゃないのね。神さまが引き上げて下さるんですけども、神さまの働きっていうのは、常に前向きにプラスで、与えきりに与え尽くすだけなんですよ。悟りたいという気持ちはね、やっぱり求める心でマイナスなんですね。その気持ちで書くと、効果は無くはないですよ。でも薄まりますので、常に与えきりに与え尽くすつもりで、すべての人が悟りますようにっていうつもりでね。みんな神の御光(みひかり)、御力(みちから)、御命(みいのち)ですね。みんな神さまっていう気持ちで書いて頂いたら良いと思います。

  質問4
 ありがとうございます

 呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せる時の乗せ方について、何回かお話を聞いてるんですけども、特に決まりはなくて、一呼吸ごとに吸う息で「宇宙神」吐く息で「ありがとうございます」でもいいし、吐く息の時だけ「宇宙神ありがとうございます」でいいしと今まで思っていたんですけども、この前のお正月のお話をして下さった時に質問をさせてもらいまして、その時に自分が受けたものを頂いたものを、神さまが与えて下さったものを直ぐお返しするというか、真(まこと)の神さまから頂いたものを直ぐに与え尽くすのと、呼吸が吸う息と吐く息とか、そういうのが一つになって、やっぱり吸う時に「宇宙神」吐く時に「ありがとうございます」呼吸が長い時は、吸う時に「宇宙神ありがとうございます」吐く時も「宇宙神ありがとうございます」それが自分が意識してなくても自動的に自然と湧き上がってくるような感じで、かなぁと思っていたんですけど、やっぱりそういうのも理屈になってしまうんで、やっぱりすべて神さまにお任せして、もう神さまが一番いいようにされてるんだから、今言われたように、自分のものを持たないで、与え尽くす気持ちで「宇宙神ありがとうございます」を言った方がいいのかなぁってまた思い返したりとか、そんな感じでぼやっとしているところがあるので、何かよろしくお願いします。

 これはね、みんな時間軸にみんな心を奪われるの。この地上に生きているという時は、「過去・現在・未来」という時間軸に心を奪われるんですね。ところが「宇宙神ありがとうございます」の言葉の「う」の時にはもう「す」なんです。本当は。ただ肉体を通して喋ると、何か「宇宙神ありがとうございます」っていう時間がいるわけですね。でも本当は、「宇宙神」の「う」の時には「す」なんです。だからそれがところてん構造、入れ子構造、重層構造の真義なんですね。「う」って言った時は、もう全部終わっている。終わってるって、始まってるし終わってるし。始めと終わりが同時なんです。だから呼吸も、この肉体上の呼吸は吸ってから吐くじゃないですか。でも本当の呼吸は、吸った時には既に吐いているんです。吸うと吐くが同時なんです。もう吐くのと入ってくるのが同時で、だから一大循環なんです。解ります?肉体の呼吸って意識してしまうから吐いて吸うてって時間軸が出ちゃうんですね。でも本当は、吐いてる時はもう吸ってるんです。「宇宙神ありがとうございます」の「う」の時はもう「す」までいってるの。言ってるのを確認する意味で「宇宙神ありがとうございます」って言っているだけなんです。だからどの形をとっても自在なんです。素直に呼吸にね、籠めてるとね、途切れない真祈りになるじゃないですか。すると今の感覚が自覚できます。理屈抜きに。その時が悟りの第1歩。悟った第1歩です。そこからが大変なんです。どんどん先があるんですけどね。でも先ずそこまで行きつかないといけないですね。「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せていると、もう呼吸がね、本当にふわっと拡がってね。吸うも吐くも同時でわぁってなります。その時に、光一元に観(感)じる人もいれば、只々喜びだけ湧き上がる人もいれば、人によって様々です。様々だから自分が観(感)じた体験を人に言っちゃダメなんです。それを解らん人、まだ解らん人が聞いてね、じゃあ喜び湧かないと本物違うんだととらわれてね、その人の悟りの邪魔をしますから、自分が自覚出来るんだけども言わないでね。言わなくていいんです。言わずにただ黙って、みんなの為に祈ってるだけでいい。それが大事なのね。

   質問5
 一人お祈りの会をするにあたって、注意点などお教え下さい。

 もう各地で真祈りの会が自主的に行われてます。こちらからお願いしたわけでもなく、本当に皆さんが自分の内側から湧き上がって、しようということで、して頂いてるわけですね。それで先ず、真祈りの会は自分一人でいいんだとまず思い定めて下さい。みんなが集まらなくていい。その場を使ってすることが大切なの。極端に言うと、誰にも言わずにお家で一人祈るのも真祈りの会なんです。でも、その場を設けてする場合は、そうして下さい。それの方がお家でやるよりいいことはいいんです。でも誰も来なくてもいいの。肉体は来なくても多くの人が来てますから、それを解ってお祈りしなくちゃいけない。誰も来ないから今日は何もせんと会場閉めかて帰ろうとすると、せっかく集まった人が「いや、それは困る」ってなりますのでね。先ず誰も来なくてもしますって言う事が大事です。それで、誰か来てくれて頼る気持ちもダメです。総責任者ですから、自分一人が責任もって祈るんだ、だけでいいんですね。その覚悟があれば、例えば会場費もね、本当にみんなで出し合うという時は、それは断る必要ないですけど、自分一人が出して、自分が全部完結して、責任持ってするならいいんです。だから素晴らしい会場を無理に借りることもいらないし、自分のできる範囲の会場を借りてやればいいんです。それは自宅でも何処でもいいんですね。

   質問6
 関連して、ただお祈りをするのと一人お祈りの会をすることの違いは何でしょうか?

 あのこれは本質的には一緒なんですよ。ただお家でするとね、総責任者の自覚が浅いでしょう。気が緩んで。でも会場を借りてしたらですね、目に見えない人が沢山集まって下さっているんだっていうことで、責任もってするじゃないですか。そういう差です。だから、お祈りだけをしてもいいし、或いは印可書だけを読んでもいいし、或いは神書だけを読んでもいいし、或いはもう「宇宙神ありがとうございます」って大きい声出す必要はないですからね、小さい声でずーっと唱え続けてもいいし、それはその時その時によって自然に湧き上がります。あー今日は印可書読みたいな、あー今日は神書読みたいなぁ、今日はもうお祈りだけしたいなぁとか、自然に湧き上がりますし、また神書を開いた時でも最初の一行だけを繰り返しで終わる時もありますし、形にとらわれないで下さい。神書開いた以上はこの1ページを読まなくちゃいけないとかね。印可書開いたら全部読まなくちゃいけないとか、そういうもんじゃないのね。「宇宙神ありがとうございます」って言い続けようとしてもできなかったんだって、それでもいいんです。その時は先生のCDを聴けばいいんだから。それは、その時その時の自在に変化しますから、こうだ・こうしないとダメなんだって掴んだ途端に偽物になっていくんですよ。神さまのいのちというのは、自由自在の与えきりの相象(すがた)ですから、その時その時に応じて、例えば盆踊りのように踊ることがいい時もあるし、本当に自在になりますから。此処の直会(なおらい)の時のようなのをした方がいい時もあるしね、本当にだからと言って、お祈りの会の時に何か食べるものを出さなくちゃいけないとなったらまた違うんですけどね。そのへんは自在で、本当にその時にいい形が勝手になりますから。形に心を奪われないで下さい。お願いします。

   質問7
 今、形にとらわれないとあったんですけど、お正月のお話の中で、小さいミニミニ印可書を小さい読めるか読めないかわからないような小さい印可書を駅とか職場とかのゴミ箱とか飛行機のトイレに小さくして流せばいいという話があったんですが、家でコピーしたところ、本当に薄いコピーで全く読めない状態なんですけども、そんな小さい印可書でも…

  充分効果あります。大丈夫です。

   質問者
  同じ駅に月に1回ゴミ箱に入れるということもいい?

 それでいいんです。毎月1回入れなくちゃいけないとなったらもうダメなんです。やりたいように、自然に湧き上がるようにやって下さい。

    質問8
 何をするにも先ずお祈りをしてからって思ってお祈りをするんですけど、特に何かビビっとこうとか、これしたらいいみたいなのが特に湧かないから、お祈りはするけど、その時思いついたことをやってるんですけど、それでいいですか?

  それでいいです。

    質問9
 悟るという状態というか、さっき悟りについてお話頂いたんですけど、でも悟るまでは悟ろうとか思わないっていうことは、それまでは別に何も考えずにただ単に、自分じゃなくて人様が悟るようにお祈りして待っていればいいだけですか?

 それだけではダメなんです。神さまを恋慕うっていうかね。神さまを恋慕うって何かって言ったら、ひたすら神さまを想うなんですけど、その想う神さまが大事なんよね。全知全能で完全円満完璧大調和。一番いつもいいようにされる神さまって信じ切れることが大事なんです。それが悟りなんです。普通の人はね、神さまを信じないの。信じないからこの病気を治せって言うの。わかります?自分と神さまを遠くにしちゃってね、神さま何も知りはれへんのやと、だからこんな病気になってしまうんやとかね。そういうことがダメなんです。神さまを無意識のうちに穢(けが)しているか否定するの。自分の自由意識でね。否定しちゃうと神さまは離れるから、悟れないの。神さまを素直にすっと受け入れたら悟るの。みんな無意識に、何で自分だけ怪我するの、何でって。何でって言ったら、もうそれは思いを巡らす心で求める心なんですけども、神さまを信じてないからね。なんでって思って神さまに文句をいってしまうのです。いつもいつも一瞬一瞬本当にどれだけ神さまを信じ切れるかにかかってます。

  質問10
 信じようと続けていればいい?

 だから素直に神さまは完全円満完璧大調和でいいようにされていると素直に言葉でね、言い続ける必要があります。言葉で信念が創られる。心が創られるんですよ。みんな無意識に神さまを遠くに置いてね。神さまは遠い存在で、全然会ったことないわ、見たことないわーなんですね。会ったことないわって言った時点で、自分の心に壁を作ってるわけです。神さまにまぁいうたら、神さまに背中向けてね、陰が見えるようになってくるんです。陰が見えてきたらそれが全部マイナスだから、苦しみ出す。また文句言って、またその背中が大きくなって、なんでって文句言うごとにね、自分という背中が大きくなって、自我というのが大きくなって、神さまの光を自分の背中で遮ってね。自分が遮っているの、本当は。自分が拒否しているだけ。その拒否している癖をね、取らなくちゃいけない。どうして取るか?それ、言葉で取るしかないんです。

 質問者
 唱える?

 そうです。プラスの言葉をね。だから「宇宙神ありがとうございます」が一番だって、今は言ってるわけです。先生が今は「宇宙神ありがとうございます」でいきなさいだから。勿論印可書読んでもいいんですよ。でも普段は「宇宙神ありがとうございます」を籠めなさい。それだけで神さまの御心に合うからっていうことなんです。

 質問者
 神さまのことを想って「宇宙神ありがとうございます」

 そうです。そう。今までの失敗はね、希望実現の法則とかいう、訳の解らん事を言ってね、現実を掴んで現実をなんとか良くしようとする心が色んな宗教にあったわけですね。それが一番神さまを否定しているんです。解ります?希望実現じゃなくて、神さまは一番いいようにしかしてないのに、何を願う必要がこっちにあるねんっていうことなんです。それが解れば楽になって、素直に神さまのすべてを受け入れられる。

 質問者
 今のすべてを受け入れられる?

 そうです。だから「求めよ、さらば開かれん」っていう、求めよの意味をみんな勘違いしてね。自分の思い通りにしたい。思い通りになったら幸せって勘違いしている。でも思い通りになるのは幸せじゃないの。だって自分の小さい思い通りっていうことは、どっか人とぶつかるわけですよね。神さまが大調和になるように一大循環の相象(すがた)になるようにして下さっているのをね、わざわざ自分で否定しちゃうの。

 質問者
 例えば、思い通りという言葉と、例えば人様に笑顔をした方がいいなぁという思いを表現するって事とはまた違いますか?

 だってプラスを人に与える、まだ与える心でしょう。笑顔っていうのは。でも思い通りっていうのは、やっぱり求める心ですから、マイナスを出している。希望実現の法則なんていうのは、神さまを信じてない最たるもの、本当は。よく本屋に並んでます。でもあれは、良いようで良くはない。この世の現世(うつしよ)のもんというのは、前にパンで説明したと思うんですが、10人おって10人全員にパンを1個ずつ渡せるだけの物があると、あんぱん10個あって10人いてて、1個ずつ渡せると。でも中の1人がね、私3つ食べたいと言ったら、他の人にいき渡らない。それが希望実現の法則なんです。その時一時的に希望が叶って、自分が3つ食べても、3人は飢えるわけじゃないですか。マイナスの思い出すでしょう。その責任は、その最初に3つ食べたいと言った人にくるわけです。それは生まれ変わっての話になるんですけど、今生(こんじょう)では成功しても。だから輪廻転生の中に入っている人というのは、大金持ちと貧乏人を繰り返す。勿論もっと緩やかな人もありますけどね。その輪廻転生の波の間から抜け出さなくちゃいけない。それは神さまの完全円満性を信じ切れて、神さまは一番いいようにされている。当たり前なんですけどね。全知全能の神さまが一番いいようにしかしてないのに。それに文句言ってるからややこしくなる。だから現実は無視して、全部神さまがいいようにされてると受け取っていくと、どんどん良くなる。新たに新たに受け直すっていうのが先生の仰る一瞬一瞬新たに受け直すということなんです。ありがとうございます

   質問11

 河上さんのお話で答えは言ってたと思うんですけど確認で。怪我とか病気とかは、直ぐ「ありがとうございます」っていいように使ってもらってると思えるんですけど、つい感情の方が、何か直ぐ思えない時があって、それは自分のものって掴んでるから。

  それは癖ですから。

   質問者
 癖なんですか?

 だからそんなんはプラスの言葉で「宇宙神ありがとうございます」でどんどん消えていくから、あんまり気にしなくていい。

 質問者
 ちょっと遅れても大丈夫ですか?

 大丈夫。それは癖、癖でちょっとまた泣いてしまったとかね。癖で文句言ってしまった。しまったと思ったら、また「宇宙神ありがとうございます」で受け直すだけ大丈夫。

 ありがとうございます

  質問が無ければ質問はこれで終わります。

 先生の方からね、まだみんなが無意識に縛っているということで、その縛りを解いてくれということで、そういうお話をします。
 「あの私不器用で、器用な人のように上手くできないの」とかね。「私、字が下手で、上手いこと字が書けないの」とか、人それぞれ色々あるわけですけど、それ何でか?なんですね。「あの人何でも出来るのに、私出来ないわ」って言って、みんな。だから「私は私なんか真祈り出来ないねん」って段々卑下慢になっていくんですけども。それ何でかっていうことなんですね。それはね、一番微妙な難しい話になるんですけども、みんな自分が真(まこと)の神さまそのもの、光そのものっていうのを自覚してるんですよ、無意識に。無意識に自覚しているから、それと比較して、今自分が不器用なのを責めるの。自分で自分を。責めることによってね、結局、自分の神性を穢すんですよ。だから、神さまを否定しているの。神性を穢すというのはね。神さまを否定した分だけ離れていく、心が。余計不器用になる。それって、みんなの肉体的な感覚でいうと何かって言うと、先ずプライドが異常に高いです。プライドが異常に高いというのは、本当は自分が光だと知っているということなんですけど、それがちょっと歪(いびつ)な形で出ると、プライドの高さに出るんです。 もう一つは、プライドが異常に高くなると、気が弱くなるんです。この世の法則として。この世で気の強い人というのは、あんまりプライドが無い。だから、この世の気の強い人を見ていたら、なりふり構わずカーッといくでしょう。解ります?プライドの高い人はやっぱりなりふりから気にしますから、動けない。気が弱くてプライドだけ高いから、余計に自分を責めて、自分を縛って動けなくなるんですよ。
 だから先ずね、何でプライドが高くなるかなんですけど、それ自分と他人を分けて、こう見比べる癖があるから。解ります?自分と他人を見比べて、自分が上か下かっていうのがプライドなんですね。それ先ず無くさなあかん。だから、どうして無くすかですね。どうして無くすかっていうのは、自分と他人の分け隔てを無くさなくちゃいけないです。先生仰るでしょう「みんな真(まこと)の神さまだけ、神さまの御働きだけ」 でもその言葉聞いたって、あーそうなんやって、頭では解るけど、ついついまた人と分けて、あの人あんなんしているとかね、やるわけですね。だから、それをどこで変えるかっていうのは、先ずあの人あんなんって人を責める前に、みんな自分を責めているの。自分責めることによって身動きできなくなっている。
 昔、五井先生という素晴らしい方がいらっしゃったわけですけど、五井先生のお話の中にいつもあったのが「自分を赦し人を赦し」なんです。まず自分を赦しって五井先生は仰る。もう正にその通りでね、自分を責めるのを止めないと、何も始まらない。でも無意識に自分を責めているから、解らないんです。でも今、今日こうして話を聞きましたから、無意識に自分を責めるのを止めて下さい。自分は神さまの光そのものっていうのをね。だって、みんな光。光は分けれないからみんな光なのは間違いないんですよ。自分を責めるというのは、分けれない光を無理に分けて、”陰や”って言ってるようなもんです。先ずそこから入って下さい。それが解れば、自分を責めなくなったら、コツコツと努力出来るんです。

 それで、それでも努力できない人は何がダメなんかというと、結果を気にする。要するに現実を掴みすぎてる。
 みんなちゃんと歩けるでしょう。でも赤ちゃんの時はみんな歩けないの。でも、どんな人も努力してハイハイして、立って歩こうとするじゃないですか。赤ちゃんってそうでしょう。どこの赤ちゃんみたって、もう歩かれへんから止めっていう赤ちゃんいない。だからみんな歩いてるんですよ。だからみんな努力することは出来るんです。何でか?一生懸命コツコツやることは出来るんです。神さまのいのちそのものだから。神さまのいのちというのは光の大進軍ですから、常に一歩ずつ、確実に前に進めるんですよ。それを自分で勝手にね、自分を責めてね。何で自分を責めるかというと結果を気にするから。結果を気にして「あーこんな汚い字しか書かれへん。もうあかんわ」ってやってるわけです。

 だから書けない自分は捨てて、また新しい自分で書く。それは赤ちゃんがそうなのよね。歩けない自分は捨てて、歩こうととする。立てない自分は捨てて、立とうとするんです。赤ちゃんみんなそうなんです。だから、みんな立ってるし歩いてるの。だから、みんな本当は出来るの。赤ちゃんの時の気持ちを忘れているのね。赤ちゃんは素直に喜び一杯だから、結果気にせずにするわけ。だから、こけようが倒れようが、何しようが、ハイハイしては歩いて歩いて歩いて歩けるようになってくるじゃないですか。言葉もそうでしょう。喋れないのを喋れるようになってくるじゃないですか。だからみんな喋っているじゃないですか。みんなちゃんと出来るようになる。

 自分を責めない限り出来る。結果を気にしない限り出来るんです。

 だから結果を気にせず、結果を気にしないとはどういうことかというと、今生(こんじょう)で悟らなあかんとか、今生(こんじょう)で字が上手くならなあかんとか、そんなん勝手に自分が決めるからあかんの。決めなかったら直ぐ出来る。ここがポイントなんですよ。自分でこういう結果にならなくちゃいけないと決めなければ、直ぐ出来る。それこういう結果にしなくちゃいけない、でも出来ない。お前はダメだって言って、自分で自分を責めて、ついでに怠けてる人も責めてね。余計責め合いして、ぐじゃぐじゃになっていく。それでそのぐじゃぐじゃになって、自分の自由意志で自分を縛って、不器用な自分を創ってる。或いは引っ込み思案の自分を創っている。まあ色々ありますけども。だから先ずね、自分を責めるのを止めて下さい。二点目には、結果を気にするのを止めて下さい。今生(こんじょう)で出来なくてもいいんだ。ちょっとでも進んだらそれでいいんだ。ちょっとでも進んだらそれでいいんだ。ちょっとでも進んだら自分を褒めてやって下さい。その光の進軍(しんぐん)と言うんですけど、輝きって光の進軍(しんぐん)って書くんですよね。だから本当にね、輝きってそういうことなんですよね。結果を気にせずに、ただ淡々と進むんです。だから、いつまで練習しても私、字が上手くならないわって言うけど、突然上手くなるんです。ピアノやった人はよくご存じなんですけど、本当にこのフレーズが弾けない弾けない弾けないってずーっと続くのね。ある日突然、ポンと弾けるようになって、後は自在に弾けるようになる。その弾けるようになるまでが、結果気にしてたら待てない。ピアノが上手にならない人もそうなんです。結果気にして、私やっぱり弾けないわって縛るんです。そしたらずーっと弾けない。それはピアノに限らないのね。何事もそうなんです。だから今生(こんじょう)で出来ようが出来まいが関係ない。結果は一切関係ない。只々、前に進む力、進もうという神さまの御心があれば大丈夫。

 神さまは一瞬一瞬新たでね、真(まこと)の神さまっていうのは、天照大御神さまもそうですけど、同じ天照大御神さまは二度と出てこない。同じ真(まこと)の神さまは二度と出てこない。神さまはいつも、いつも新しくなって出てこられる。解ります?それと一緒なんです。自分もいつも新しくなっているの。だから書けなかった自分はもう捨てたらいいの。新しく書ける自分が出てくる。新しくピアノ弾ける自分が出てくる。新しく何々が出来る自分が出てくる。それを信じてね、それがもう一生かかっても構わないって、結果を捨て切れたら、楽に出来るようになります。結果気にしている間は、そこに自分の心を置くから、縛るのね。自分は出来ない。出来ないと縛った時点でアウト。赤ちゃんは歩けないって縛らないでしょう。立てないって縛らないでしょう。そして自由に立って歩いているじゃないですか。その赤ちゃんの時の自分を思い返してね、別に何でもいいんですよ。でも縛っている今の自分のすがたを解き放って下さい。それが簡単に解き放す方法がね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せることなんだから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せながらね、色んな事にどうぞ挑戦して下さい。

 あの今年は亥の年でね、平成7年と同じイノシシ年なんですね。平成7年というのは此処に引っ越ししてきて、本当に大引っ越し大変でした。もう上で建てる人も大変だったし、下で壊す人もね。今Kさんいらっしゃいますけど本当に壊すのも、Kさんは壊す方担当して下さいましたけど、大変だったんですよ。本当にみんなが大変でね本当に大変な思いして、ここに上がって来たんですよ。それ、なんであんな大変な思いしたかというと、もっと大変な事が起こる年だったんです。あの年は。でも阪神大震災とオウムとね、普賢岳でしたか。その程度で済んじゃったわけですね。あの今年も同じです。皆さん、生活色々と大変なことが起こります。それは本当に、人類の身代わりですから、喜び勇んで、結果を気にせずに、立ち向かって下さい。出来ないと自分で言わずに、自分を責めずにお願いします。本当に今年はね、此処に来た人は、集まって、先生に縁のある人はみんな本当に大変です。えーっていうくらい大変ですけど、喜び勇んで、何事もあたって下さい。ちゃんと解決していきますし、その皆さんの苦労のお蔭でね、地球が平安に済んでいきます。だから自分縛らずにね、私は出来ないからダメよって言わずに、赤ちゃんの時を思い出して、何事も悠々と「宇宙神ありがとうございます」であたって下さい。お願い致します。
ありがとうございます


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