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2月勉強会 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年02月22日(木) 11時53分
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令和6年2月河上さん勉強会お話し−1(20240211−1)

河上さん:昨日ちょっと火葬場の骨を捨てる場所があって、ズーっとそれが山のように塚のようになっている場所、明日も行くんですけど、ちょっと行ってきて、熱下がらないんで、今日は(服装は)このままで首も巻いたままで行きます。

 一番大事な事は、神さまは一切のマイナスをお造りにならないというそこだけです。だから何時も言うように神さまが一番良いようにしているっていうのは、一切のマイナスをお造りになってないわけですよ。でも人間の体で見たら分るけども、右手器用で左手不器用でしょう?なら,いわゆる分け隔てて考える癖が皆あるからね、それを虚栄心って言うんですけど。それで行くと右手という意識で考えたら、「左手のお前はどんくさいな」でしょ?自分の体なんだけど。もうたったそれだけなんですね。

 先生が「全ては完璧な一つ」或いは「みんな光や」とかね、仰ったように、どんなに嫌でも切っても切れないものばかりなんです。全部自分なの。全部真(まこと)の神さまなんですね。ただ真(まこと)の神さまさまから頂いた光を、みんなそれぞれ自分の色んな思いで色付けしてね、楽しむわけ。

 だから遊園地に在るじゃあないですか?わざわざお化け屋敷作って楽しむんやろう?別にわざわざお化け屋敷作らんでもエエと思うんやけど、作って楽しもうとして、又、わざわざお金を払って入りたいという人が出るんでしょう?それは楽しみに来ている訳で、「怖かったな!面白かったな!」だけじゃあないですか?それはお化けという事がマイナスじゃあないという事でしょう?みんなの意識で作って楽しんだだけ。

 まあゲームでも何でもそうなんですけどね。将棋でも運動会でも赤組白組って分けて楽しむだけであって憎い相手ではない。そこだけなんですよ。

 だから例えばこの世の普段の会社というチームだったり、学校というチームとか色々ありますけども、平均的な処理能力の低い人があるわけですよ。それは生まれついてのもんであって、わざわざそれは平均的な処理能力が低い事を選んで、要するに難しいゲームをしようとして、出て来られた方であって、その人がドン臭くってマイナスではないんですよ。

 それに気付かないとね、同じ給料を貰っているのに、あいつだけ大した仕事しょうれへん(しない)とかね、サボりやげってとか、本人に取ったら精一杯一生懸命なんですよ。でも、本人の能力から行くと平均的な処理能力が、普通の人がもし100だとしたら、70とか60しかないだけ、の事なんですよ。それは右手器用だけど、左手は上手くね、右手で器用にお箸持てるけど、左手では持てないと一緒。だからといって、お前ドン臭いから出ていけって言うようでは困るのですね。

 そういう分け隔ての意識、虚栄心って言うんだけど、その意識が積もり積もって戦争になって。で、神さまの方はそれを消すためにね、地球霊様の体で言うと、マイナスの様に汚したわけですね。汚した、或いは肩が凝る状態ですよ。人間でも肩が凝ったらこう回したり、揉んだりするじゃあないですか?そういう形で人類の作ったマイナスを揉み解して戻そうとする働きが今起こっている地震です。それのそれの軽い働きが竜巻とか台風です。

 で、神さまが台風や竜巻をお造りになったんではなくって、人間が作ったマイナスをキレイに洗濯して行く途中の過程ね。最初洗濯機の中で洗剤で洗っている状態ってドロドロじゃあないですか?最後すすいで初めて無色透明になる訳ね。そういう感じの状態なんですよ。

 でも人間というのは分け隔てて考えるから、あいつが悪いって言いたいのね。でもあいつが悪いあいつも自分なんだというのがね、分かる為の護摩なんですけどね。

 護摩というのは全ての人を一つの炎に、要するに神さまという命にして受け取り直すというので護摩をしています。で、神さまの命として一つに燃やし切ったら無色透明になってね、わずかに灰が残るじゃあないですか?そのわずかな灰がね、今の皆さんで言うと、風邪を引いた症状とかね、癌の症状とか色々ありますけど、わずかな燃えカスについて、みんな又、文句を言うのね。折角燃えカスになっているのにね。で、又、掴んでどうこう言っている繰り返しだけです。

 今生の人類は男と女に分かれていますけど、男と女が一つの時代の人類もありましたし、もっと大きい体の時の人類もありましたし、色々あるんですけど、どの形の表現を取っても上手く出来なくて、一旦、御破算(ごわさん)にされている訳ですね。

 それはノアの大洪水とかアトランティスが沈んだとか、ムーが沈んだとか色々あるじゃないですか?或いは火山で沈んじゃったとかね、それは全部そういう働きの結果です。

 まあ何回目とは言いませんけども、今回の地球人類も、もう神さまは無理だろうと。要するに疑心暗鬼ですよ。自分と他人を分け隔てた途端に、疑心暗鬼になる。相手が信じられなくなるの。相手を信じて上げて「騙されたら、騙されたで良いじゃあない」って思えない。その心が全部大きな戦争になって行くのね。

 それは神さまの御心とズレているから、神さまはキレイにキレイにされるんだけれども、基本的にみんな神さまですから、自由意志を真(まこと)の神さまは尊重されるわけですね。で、本人がどうしてもこれをしたいって言ったら、先にそれしといでって。

 小っちゃい子がそうなんですけど、遊びたいって言ったら、先ず遊ばす訳。で、お腹すいたら帰って来るじゃあないですか?それ遊ぶのあかん、先にご飯食べって言ったって、もし食べたって剣もほろろ、本当にパッパッとかき込んでろくすっぽ食べずに行っちゃう訳ね。

 だからお腹すくまで遊んどいてって、神さまは何時も待っていださっているだけです。でも何時まで経っても帰って来んとグチャグチャになっているからっていうのが、今の人類ですけどね。もう只々それだけです。

 だからマイナスを認めてどうこう言うのは、今までの宗教です。で、ここは宗教ではないですから、一切のマイナスは無いんです。認めないとかじゃあなくって、無いの。それが分からないと駄目なんですね。

 だから本当に宗教というのはね、過去で何かして来たからどうこうとか、人を虐(いじめたからどうこうとか、もうマイナスを認めてそのマイナスを下から罪だと。で、罪を解き解すのに、罪を消すのにどうこうしなくちゃあいけないとかね、ってする訳ですよ。で、護摩は、勿論大きなお清めではありますけども、マイナスを認めて護摩をしているのではないというのを先ずここに集った方は分かって下さい。

 今までの護摩は人型とか護摩木とか色々な形を使ってマイナスをそこに書き込んで、それをお清めとして燃やして、或いは水に流してとか色んな形をする訳です。それは宗教です。マイナスを認めてそれを消すというね。で、そうじゃあないんですよというのが分からないと駄目だし、ここは宗教ではないからマイナスは認めません。認めないというより無いだけ。一切の罪穢れは無いんですよ。

 これは古神道の基本的な教えで、天津祝詞(あまつのりと)にもね、「罪という罪はあらじ」って宣言されている訳ですけど、その通りで。人間の方がマイナスを、いわゆるお化け屋敷を作って楽しんでるだけにすぎません。

 それが分かったら勝っても負けても悔しいは無いの。分かります?マイナスを認めるているから負けたっていうマイナスで悔しい訳。よくゲームでも何でも負けて悔し涙を流しているけどね、あれはそこに没頭し過ぎているだけです。悔し涙を流して悪いじゃあないですよ。でも悔し涙を流すほど、そこに没頭し過ぎて抜け出せれないようでは困る。

 だから映画館で言ったらね、オカルト映画を見て怖かったわって言って、もう出てきたらそこから抜け出して、普段に戻る訳じゃあないですか?でも小っちゃい子はオカルト映画を見たら、もう今日から夜はトイレ行けないよって成るわけでしょう?抜け出せてないよね?人類が抜け出せていない人がドンドン増えて来て、今のややこしい状態になっています。

 それを神さまの方で一変にするとなったら、今回の人類はどの形で滅びるかはわかっていますけど、言えませんけど、言いませんけど、滅びます。地球霊王様がもういいって仰っているからね。

 それを松下先生が「ちょっと待ってください」っていう事でお話があって、今に来ています。で、松下先生と地球霊王様との話合いがあったのが何時かと言いますと、大阪の布施に居られる頃です。その時に話し合いがありました。

 それは僕が11才の時にお会いして、そこから5,6年、僕が二十歳前後の時だったと思います。5,6年後の話しですけど。で、そっからですよ先生は痰を詰められたり、熱を出されたり色々ありましたけども。最後は凄い状態の病気になられて、それでも先生は入院されないというのを無理やりみんなで入院させてですね、とか色々ありましたけども。どれ一つとっても、只々、人類がマイナスをあると認めて、要するにマイナスがあると認めるというのはどういう事かを言うと、自分と他人を区別したという事です。

 せめて親兄弟と思わなくっちゃあいけないんだけど、兄弟とも思えない。で、親兄弟どおしでも喧嘩している。普通親子なんだから「可愛い可愛い」しといたらええだけでしょう?でもあの子はアカンねんって言う訳。或いは家の親父はアカンねん、オカンあかんねんって言ってる訳。ね?その時点でもう戦争に加担しているのね、みんな。っていうのに気付かなくっちゃあいけないんだけども、何で気付かないんかというだけなんですけどもね。

 何で気付かないかというのは、もうハッキリしているんですよ。条件を付けるから。分かる?平均的な処理能力しかない人をドン臭い奴やって、会社でもイジメるわけね。何でかと言ったら足引っ張られるからね、業績にね。何でイジメるかと言ったら条件付けているからや。もうそれに尽きるね。要するに結果に心奪われるからや。

 神さまの愛っていうのは無条件なんです。じゃあ人類の方も無条件で受け止めなくっちゃあいけない。なのに条件付けて文句を言うからややこしくなって行く。もう只々、それだけ。

 だから悟たって何所で分かるかって言うと、一切の条件付けなくなるの。誰に対しても。だから先生は誰が来られてもニコニコされていたでしょう?お前普段こんなんしているからあかんっとは仰らないわけ。何をしていてもその人の自由意思だから条件付けずにニコニコと全てを受け入れて、只々、その人のマイナスをお清めされて、この部分はお前の担当っていう感じで、あんまり細かい事は言いませんけど、こっちの担当は担当でしてたわけですけど。

 もうその時期は過ぎて護摩にそのお清めというか、大きな働きが移っているだけですけどね。只々、それだけです。

 だから本当にね、護摩の会場に集った時はね、みんな完璧な一つなんだっていう、それをもっと強く意識して下さい。あの人遠くから来て大変やったなって思っても良いですけども、だからといってあの人と自分が別ではなくって、神さまの大きな護りを受けようとしての熱意で一つなんだ、位はせめて思って頂かないと駄目です。

 護摩の会場で虚栄心、要するに自分と他人を分け隔てているようでは困ります。全てはそこですよ。

 ここは宗教じゃあないからね、分け隔てて先輩も後輩もないし、古い人も新しい人もないし、只々、感謝と報恩に、感謝と報恩というのは愛ですけどね。一言で言ったら愛です。

 「愛と真に生きる」って先生は仰ったんですね。愛って言うとみんな理解されないから、それをもうちょっと分けて感謝と報恩って言い変えたわけですけど。その感謝と報恩って言った言葉すら、まだみんな分かってないんだけれどもね。分かってないんだけど、もう細かい事を言っていたら切り無いんで、護摩に全部纏めようという事で、護摩に纏めて進んでいます。

 毎回護摩が大成功で行っていますのでね、色々と細かいトラブルはありますけども、何とか上手く行ってますから、大きな地震にならずに持って行けると思います。

 で、今年から大変だって言ってもね、結構みんなの心が「もっと印可書を奉読しよう」とか、なんか「ウっと」こう今一行かなかったんですね。すると元旦から揺れちゃったんですけどね。揺れたからもうちょっと皆さん引き締まって真祈りして下さっていると思うんで、宜しくお願いしますね。ここ迄で質問があったらお願いします。

 今日は先にお清めしちゃったから質問出にくいと思いますけど。熱出て大変なので、終われそうだったら早く終わろうと思ってますから、先にお清めしちゃったんでごめんね。質問があっても先に消えちゃったと思いますけども。

 お清めとは何かと言ったら、一言で言ったら「全ては完璧な一つ」って「みんな光」だってする事です。だから琵琶湖がね、大きな光だとするじゃないですか。すると光じゃあないって思っているインク壺1個ポンと琵琶湖に落としたって、光に変わるでしょう?そういう感じです。要するに他人という別の物が居てるというイメージが無くなればいい。それがお清め、病気治しの基本原理なのですね。

 その部分は今言葉で説明しましたけども、ちょっと伝授の部分なので具体的にこれ以上説明のしようがないだけです。でも印可書があるんでね、印可書を奉読している内は大きなお清めの働き、お清めっていう表現がちょっと違うんだけど、一切のマイナスがない、一切のマイナスがないという表現も違うのね。「みんな光」だなんですよ。先生が最初に仰った言葉が全て。「みんな光や」って言うのが印可書の全てです。

 だから印可書を奉読して頂いたら「みんな光」やっていう事でお清めの働きになっていると思って下さい。 

 お清めって表現も僕, 嫌いなんですけどね、マイナスが無いんだから、ただ、映画館から出てきたら何時までも裕次郎の気分でいてるなよとか、何時までも幽霊が居てると思うなよ。何時までもジョーズがいてると思うなよ、みたいな感じですよね。ちょっと目覚めてよねっていう感じで印可書奉読があるという事です。

 だからほんとに宗教じゃあないからね、先輩後輩もないし、何も無いんですよ。「みんな一つなんだ」「みんな光なんだ」それだけがここの全て。それをちょっと分けて言うと「感謝と報恩に生きる」。「感謝と報恩と真(まこと)に生きる」という風にちょっとづつ言葉が分かれていくわけですけど。

それは昔先生は村人になる条件としてね、真(まこと)の神さまに弟子入りしなさい。でも弟子入りしたと思ってもすぐ破っちゃうんだと。だから一瞬一瞬新たに弟子入りしなさいって、一言で言うとそういう感じで仰った訳ですね。

 で、弟子入りって何かと言ったら、師匠に対して無条件という事です。条件付けたらそれは弟子入りではない。だから無条件の喜び、無条件の幸せでね、条件付けなかったら何でも喜べるんよ。分かる?あぁこれだけでも食べれて良かったな!でもも、付かないんだけど。

 でも条件付けたらね、こんな粗末なもんとかね、文句を言い出すの。文句を言い出したらマイナスばっかり気になって、マイナスを自分で作って余計、マイナスを作ると動きが鈍くなるの。動けなくなるの。

 だから怠ける人とかね、やる気が出ないっという人は何かと言ったら、マイナスばっかり掴んでるんよ。マイナスっていうのは止める働きだから。で、真(まこと)プラスっていうのは光の進軍ですから、喜び勇んで何でもやれるの。只、そういう説明するとね、山を全力で駆け登ろう見たいな勘違いがあるんだけど、そうじゃあなくってね、自分が出来る事を淡々と喜んでするだけです。人から何を言われてもね。

 だから平均的な処理能力が低い人は低い人なりに、その人なりに精一杯やっていたらそれが良いわけですよ。人が何を言おうとね。「なんやあいつ一日かかってこんだけしか出来へんのか?」って言われても気にしたらあかん。自分が誠心誠意真(まこと)を尽くしていたら、勿論サボっていたら駄目よ。でも自分の出来る精一杯をやっているんだったら、何を言われても気にする必要はないし、会社を首になったってね、自分の出来る精一杯をやっていたら、必ずちゃんとなるんですよ。

狡く逃げ回っているから狡い運命を自分で作っちゃうんだけどね。狡く逃げ回っていると狡い運命ばっかりになって、最後は大変になる。

 そこまで行くとタコ糸が絡まったみたいになってね、解(ほど)きようが無くなって行くんですよね。そうなるとスパッと切って解くしかないんで。スパッと切って解くと色んな痛みとか苦しみとか悲しみとかになって消えていく。
 だから皆さんが例えば悲しいな辛いな苦しいなって思うんは、みんな条件を付けた結果なの。でもその条件付けた結果を悲しい苦しい辛いという意識で消して貰っているだけです。勿論、殆ど消して貰うんだけど、最後の燃えカスが悲しい辛い苦しい痛いになるんでね、皆さんが感じている不幸というのは燃えカスのほんのわずかなもんなんですよ。殆どは神さまは絶対の愛ですから、キレイにキレイにされるの。

 でも護摩でも必ず灰は残るでしょう?あんだけの凄い量の護摩木でも灰は残る訳。それが皆さんの体で感じる痛みとか不平不満なの。それ出ても良いけどね、健康でいれて、出てもそれちゃんと神さまにお返ししてたら良い。不平不満が出ても、これだけで生きていれて、健康でいれて、或いは病気でもこんだけ動けて、喜ばなきゃあ。病気で寝込んでいても痛みが無くて良かった。或いは痛みが出ても、こんだけの痛みで済んで良かったって喜び直したら良いのです。理屈で言うとね。

 でもそれが中々出来ないから、もう何があっても印可書に立ち戻って下さいってお願いしています。ごめんやで、質問出にくいから大変やろうけど、早めにお清めしてしまいました。どうぞ。

質問:ありがとうございます お二人から質問を預かっています。一人目の方。

 ありがとうございます 母と妻は、結婚した嫁ぎ先で病気となり、肉体との別れをしています。(母は享年62歳、妻は享年48歳でした)いろいろな原因があると思いますが、例えばその家系のマイナスが多く、それを消すために若くして肉体との別れを選択することはありますか?もしそのようなことがあるようてしたら、印可書を奉読させていただくことで、少しでもお手伝いになればと思っております。よろしくお願いします。

河上さん:偉い傲慢な質問やな、一言。質問者の名前出てへんから言っとくけどね、その人の一切のマイナスを背負って二人が死んだだけ。だから印可書を奉読されてたら良い。自分と関係無いんじゃない。一切その人のせいで死んだ。

 もう甲辰(きのえたつ)やからね、本当の事をどんどん言って行かないとな、オブラートには包みません。次どうぞ。

質問:二人目の方です。

 ありがとうございます 私は自宅で、一人暮らしや同居家族が居ても支援が必要な心身に障害を持たれている方の身体や生活の支援をする仕事を20年余りしています。真理を学ばせていただき、楽しく仕事が出来ていますが、その中の1人の方が 7年程支援させて頂いていますが、どうしても喜んで支援できません。その方は自分が優位に立ちたいのか、私が知らない事や、忘れている事があるとバカにされ、ミスがあると激しく責められます。大半は「面白いやっちゃ」で通り過ごせていますが、どうしてもムラムラと怒りが込み上げ、その方に意見する事もあります。そのような時は「言い過ぎた。」と言われる事もありますが、収まりません。帰宅途中に印可書を奉納しながら車を運転しています。

この怒りは、
@相手を分けて考え自分が正しいという思い。
A相手が自分とわかっているから腹が立つ。
B印可書の新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分だけの理解ができていない。
自分で考えたのは以上3点です。アドバイスをお願いします。
 また、印可書の「新たなる下座立つ真の本心の自分だけ」の説明をお願い致します。

河上さん:優しいからね、相手の全部受け止めてはるわけや。で、受け止めたら腹立つから腹立った分を相手にぶつけてキャッチボールして遊んであげるわけね。それだけです。 

 だから結果を掴みすぎやな。結果掴んで怒ってしまったとか、腹立って収まらへんとかやけど、それは結果を掴むからでしょう?何があってもわざわざオカルト映画を作っているようなもんでね、わざわざ言い合いをするストーリーを作って楽しんだだけなんだってね。面白かったなって先ず思わないとあかんね。面白いやっちゃじゃあなくって、やっぱり面白かったなやね。

で、中々自分が気が済まん位の状態で怒らないとあかんくらいの立場で立ちにくいからね、そういう体験出来て面白かったなーやねんけどね、本当は。

 その新たなる真(まこと)の本心の自分というのは、今説明したように結果に一喜一憂しないという事。何で結果に一喜一憂しないかというと、そういうシチュエーションにね、要するに条件付けたらですよ、条件付けたら自分にとって不都合なシチュエーションに、普通はわざわざ自分で立に行かない。適当に逃げるじゃあない。不都合な事わざわざしに行けへんな?それをわざわざ立たして貰える、体験させて貰えるという事を本当は喜ばなあかん。自分から掴みに行けへんで、火中の栗を。それを掴ませて貰ったんや。で、中々体験出来へん事を体験出来たって喜べないとあかんの。

 これって難しい営業の基本的な条件やな。普通は殆どの人逃げ回る訳よ、苦手な客なんていうのは嫌やね、クレームの多い客はな。そこをわざわざ楽しみに行くんやって言ってね、上司に諭(さと)されて、お前もっと楽しんでこなアカンっていって怒られてじゃあないけど。この頃は(上司は)、怒ったら終わりやからね、諭(さと)されて上手い事言い包められて経験に行くんですよ。営業って逃げられへんからね。だけどそれは結婚してたら自分の奥さん、自分の旦那さんっていうのは最大の大得意先や。何時も何時もみんな営業しているの。だからそれを楽しまなあかんね。

 要するに条件付けんかったら楽しめんね。だけど自分というプライドとか色々あるじゃない?条件を。条件付けたら腹立ってくるね。腹立ってくるね。いや腹立ってくるんじゃあなくって腹立ってくるのが収まれへん。何時までも尾を引くね、条件を付けているから。 

 無条件、新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分というのは無条件という事やね。で、無条件やったら別に面白かったなーであって、腹は立てへん。腹を立つシチュエーションを楽しめたけども、尾は引かない。

  で、そこまでやれるとね、例えば営業でクレームの多いお客さんとこもう一辺行って来いって言われて、お客さんにぼろ糞に言われて、上手く行かなくても上司に報告したらね、上司は許してくれるね。そやけど普通は上手く言い逃れるんやな、上司に報告する時に、それで余計に怒られるんやけどな。言い逃れるっていうのはもう違うね。

 別に営業に限れへん。人生って全部そうやね。条件付けたらあかんね。無条件が全て。だから先生は何時も僕にはね「元より後ろ指指されるのは覚悟の上やろう」ってね。条件付けているから後ろ指指されるのが腹立つのやって。無条件やったら何の事も無いやろう?ってよう言われた。

 「新たなる下座に立つ」って、新たなるって条件が無いんや。条件があったら新たなると違うの。な?新たなるの意味がみんな分かってへん。で、条件付けて自分の都合のところに逃げようとする。で、逃げれば逃げるほどな、マイナスが追いかけて来る。何でかと言ったら、自分の作ったマイナスやから。泣いても笑っても。要するに自分の影や。影消そうと思ったら、ちやんと光のど真ん中に立ったら、要するに太陽の中に入ったら影は出来へんね。全部が光やから。でも逃げ回ったら何時までも自分の影が付いている訳よ。振り返ったら影があるの。それは太陽の外に出ているから。

 神さまと自分を分け隔てたら影が出来て、必ずマイナスが付きまとうね。神さまの中に入ったら、要するに印可書を奉読したら光の中に入っているから、一切の影は出来へんね。マイナスは無いの。本来はみんなマイナスの無いところにいるんやけど、それをわざわざ影遊びみたいなもんやね。影遊びして遊んでいるのが、いつや知らん間にハマっているだけ。それだけ。

質問者:ありがとうございます



令和6年2月河上さん勉強会お話し‐2(20240211−2)

河上さん:だから条件をつけたところに来るし、本当に先生はよく言われたけれども、極端に言うたらもう会社クビになってね、で、家も借家も例えば追い出されてね、住むところも何もないって言ってもね、それで後は食べるものも飲むものもないから「 餓死するしかないんだ」って言っても「 それでいいんや」と覚悟ができたらね、要するに、それは無条件っていうことです。

そこまで無条件、裸一貫、神さまだけってなったらね、いやでも食べ物を周りの人が口に放り込んでくると仰ったわけですね。それを先生はわざわざ実験しはったわけやね。無理に断食する、断食しても周りの人がいるみたいな感じでね、色々とされたわけですけれども。 その先生のされてきたことをみんな頼るばっかりやったから、なぜ先生がそうされたのかは分かってないからね。それだけや。

 だからこの世的に悪魔がおるとかな、色々あるねやん。それは宗教であって、ここは宗教ではない。 悪魔はない。マイナスはない。悪魔もマイナスも自分が作って楽しんだだけや。何のことはない。だから色々な予言があるじゃないですか。 この地球最後の日が来るとか、7の月か、7の月に天から大魔王が降ってくるとかね、色々あるやん。それマイナスを認めるやつは全部そのマイナスを作って楽しんでいるんや、みんなが。楽しんでいるはずがね、映画の中で楽しんでいるのにやね、その映画そのスクリーンを現実やと思っているね。

 で、この世はいつも言うように皆さん お一人お一人が色んなスクリーンを見ているのだけれども、それが重なっているからね、ある意味救いやし、ある意味ややこしい。だから同じ話をしても、本当にいつも言うように、同じ花を見てもね「まあ 綺麗なお花。」っていう人と 「なんや小さな花 咲いているだけやん。」という人と別れるわけでしょ? 同じ花を見ても。それぐらいね、結婚かってそうや。「えっあんな人と結婚するん」やけども本人にとっては「大好きや」。 大きなお世話や、っていうぐらいね、お互い自分のスクリーンで楽しんでいるだけや。

 本当は簡単なことや。でも条件をつけた途端に見えんようになる。だから宗教家は条件をつけて お前の先祖の因縁でとか、一杯あるやん?マイナスを認めて マイナスをつかませて 「こっちに来ないと救われへんぞ」みたいにやるわけでしょ?

  それは宗教や。ここは違うっていつも言ってるね。でもそれにすら気づかない人のために先生は護摩をしてくださっているわけ。 神さまが護摩をしてくださっているわけ。だからまあキリスト教的な言い方をすれば 宇宙船護摩木はノアの箱舟やね。それに乗って神さまの世界に連れて行って貰えるわけやからね。仏教的に言ったら弥陀の願船、宗教によって色々言い方はあるけれど、要は大きな神さまの愛のかたまり、大きな救い、大きなお清めです。だから護摩は絶対に止めれない。はい。

質問:先ほどの質問に関連することなんですけれども、「原因を作った人間ではなく、原因の周囲の人間にお亡くなりになったりとか、そういう結果が来てしまう」っていうのはどうしてなんでしょうか?

河上さん: いや 原因とかね、云々言っているのはね、分け隔てて比べてどうこうと言うわけでしょ?わかる?だから条件をつけているわけや。条件をつけるから、原因があるね。でも条件はつかへんね、本当は。映画ってそうや、条件つけて シナリオ作って楽しんでいるけどね、役者さん同士に優劣も条件もないわけやんか?だから無条件や、本来。無条件やからそれをもうちょっと柔らかい表現として「 今が一番い良いようになっている」とかね、色々と言いますけれども、「神さまが一番い良いようにしている」って言いますけれども。

  でもそれは自分の都合から見ての話であって、本当は「全ては完璧な一つ」で「全てはすでに祈っている 悟っている、救われている」でね、条件さえつけなければどんな形でも喜べる。だから人間の体がそうじゃない?条件をつけていたらな、肛門の部分は何時も何時も臭いウンコたらしやがって、「くそったれが」って言って怒るで。でも怒らないでしょ?無条件やから。

 人間の体の各器官はね、無条件やから一生聞く、音を聞くだけの働き、 物を見るだけの働き、ものを食べるだけの働きで文句言わへんやん。条件をつけてへん。 自分の体一つ取ったって 条件付けずに動いているね。だからみんな条件をつけんかったら、一切の疑問はなくて喜びだけなんです。わかる?

質問: 条件をついているから 「なぜ早くお亡くなりになったのかな?」っていう。

河上さん: そうそうそう。 出てきてね。どの形でもね、寿命で死んでいるのは間違いない 。それは生まれてくる前からね、自分でそういう寿命と運命とシチュエーションを選んで楽しみにしているだけやねんな。だからもう、さっきの最初の質問なんかは、まあそう言ってわからないやろうから、もうちょっと具体的なシナリオの中を言った訳。「その人が背負っているマイナスを一切背負って 働きましょう」って言って選んで生まれて来られたお母さんと奥さんだけっていうことでね。
 
 だから、原因を作った自分が悪いでもないね、本当は。うん。そこが分からないとあかん。自分が そういうシチュエーションを作っただけや。で、それが分かったら一瞬で「全ては完璧な1つ」で「みんな光や」になっていくねんけれどもね、そこを選ばずに、「もうちょっと楽しみたい」ってみんな思っているわけよ。分かるかな? うん。もうちょっと苦しみを楽しみたい、みんなね。わざわざ苦しみを楽しみに来ているねんで。ゲームがそうやんか。 難しいゲームするんやろ?はさみ将棋でいいのに難しい将棋をするんやろ?それで有段者とか名人を作るねんやろ?でも将棋ってあれ大変やで。 僕、将棋苦手やから、余計に思うけど。凄い考えて苦しむわけでしょ?ゲームしている時は、楽しんでいないと思うで。それぐらい みんな苦しんで楽しんでいるね。それだけです。

 だから責めあう必要もない。 「ああ そういう感じで楽しみはってんな」や。だって僕から見たらなんでわざわざお化けの映画を見に行くのと思うけどな、オカルト映画見に行くんと思うけど、楽しみに行くんでしょう?「 怖かったな」って言って楽しみに行くんでしょ?怖がる必要ないのにと思うけど。で、それでもね、オカルト映画でも作りもんやと思ってしまったら、もう面白くない。映画のスクリーンの中に没頭するからあれ怖いんやで。 オカルト映画を作っている現場を想像しながら、見ていたら何のこともない、お化け屋敷がそうやんか。作り物と分かっていても怖がるんよ。それはわざとそれをそのようにして楽しみに行っているね。現実も一緒や。いじめる方もいじめられる側もそれを楽しんでいるだけや。

 だから先生が村人になる条件としてね、 真の神さまの弟子入りって仰ったんだけれども、中々それがみんなそれが分らずに、ここまで来てしまったけれどもね。「弟子入りするから 命がけにならなあかん」とかね。 理屈で言うわけやけれども、そうじゃないっていくら 言っても分かって貰えないないから、もう押し黙っていますけど。

 だけどそれは別に村人と笑われへん。みんなそうやねで。みんなその本当に真剣に何をする必要があるかって言ったら無条件になる必要があるね。 無条件っていうのが一瞬一瞬新たっていうことやから。

 なんで無条件になれるか って言ったら「神さまは絶対の愛で 全知全能でね、いつもいつも一番い良いようにされている」っていうことをわかるから 無条件になれる。ちゃんとして貰えないって分かっていたら条件つけるやん、そうやろ?

 だから神さまを信じきれない分だけ条件つけて苦しみを楽しむ。だけどそれがあんまり グチャグチャになったらね、要するに 落書き帳に落書きするところがもう愈々なくなってきたわけや、この地球上で。それで「一旦ご破算にしようか」って言われてんね。

 あのね 例えばね、江戸時代でもそうなんですけれども、江戸時代、日本でもそうなんですけれども、例えば奈良から都が京都に移るでしょう?何で移したと思う? 皆なかなか分かってへん。 理由は簡単や。都っていうのは 都市っていうのは人が集まるでしょう?人が集まる時は煮炊きして、お風呂入ってっていう燃料がいるやん。あの頃は薪や、木や。なら奈良の都におったら、もう木を使い尽くしてね、周りが禿山になってきたんや。で、燃料無くなったから、木の豊富な京都に移った。それは最初に長岡京とか移って行くのは 一番木が入手しやすいところに移った。京都があってずっとなるんだけれども。

 例えば家康がね、最後大阪夏の陣ですか、夏の陣で勝ってね、天下を取るわけでしょう?そしたらそのまま西国大名は敵方やから外様大名って言ってね、大阪か京都に幕府を置いたら良かった。で、何故家康が置かなかったっていったら、グルっと見回したら、もうすでに木が刈り取られて裸やったから。それで木の豊富な江戸に行きはった、エネルギーの豊富な。で、江戸幕府がなんで滅びたか。一番 具体的な理由はね、もう木がなくなった。

 勝海舟の回想録を見ていたらわかるけど、貧乏で困ってね、薪を買う薪が高くなっちゃって、薪を買うお金がないから 、あまり寒い冬は家の壁の木を板や柱をちょっと取って木を燃やして暖を取ったっていうのね。 それぐらい木材、燃料が高騰していたわけ。で、どうなったかって言うと石炭ブームやね。黒船、黒船はあれ木炭を燃やして木を燃やして来てないよ。石炭燃やして来てる。石炭ブームやっていうエネルギー革命を、日本は受け入れただけや。で、そうこうしてこのようにしてここまで来たら、もう人類が増えに増えてね、エネルギーがもう無いんや。地球霊王様の体を食いつくしてきているね。いよいよ最後や。もう地球霊王様は「これ以上ね、自分の体を壊しても、もう壊すものがないぞ」て言ってはるね。 

 だから人口が減るしかないのにね、まだ神さまを信じ切れないから自分の老後を見てもらう子供を作ろうとするんよ、みんな。子供を作る大きな理由は自分の老後の不安やで、本音で言ったら。だけどもう燃料が無いんよ。何があっても 何があっても大きな波は来るの。

 それが地震という形で人口が減るのかね、どの形で来るのかは 護摩次第。それぐらい大変なところに来ているんだけれども、みんなのんびりとね、電気を使って、灯油を使ってのんびりしてはるね。

 もう甲辰(きのえたつ)やから、もう本当のことを言うたらあかんいう事を、もう今年からは言うてええから言っていますけれども、別に厳しいことを言っているのではなく、ホンマのことを言っただけ。

 それはね、幕末にね、例えば幕末にアメリカとかロシアとか、例えば幕府と通商条約を結びに来るわけでしょ?船から日本の広島とか岡山、瀬戸内海通ってくるからね、見るわけよ。そしたら「禿山だらけだ」っていう記述があるわけよ。 それぐらいもうすでにあの幕末は人口が増えてね。要するに家康さんのおかげで平和な時代になったわけや。それまでは戦国時代やから何やかや言うても、人口減ったわけね。で、平和な時代になったら、もう勝手に増えるやん、人殺しがないんだから。それで 今度は燃料がもう愈々になっていたのね。 財政事情どうこう言うけどね、まず燃料がなかった。

 で、日本人は優秀だからすっと石炭を受け入れて、このうまく維新っていうのがね出来たわけですけれども。天皇陛下のおかげですけれどもね。だけれども海外は色々と植民地になったり、大変になっていくわけ。だけれども人口が増えすぎる。それは人間の不安の思いです。老後の。

 だからいつも先生は僕には仰っていたわけですけれども、「食べるものも住むところも着るものもなくなって餓死するしかないって言っても喜べなアカン」って言ってね。「神さまの絶対の愛を信じきれる」っていうところですけれども。 それだけなんですね。

 「だからおまえらはこんなんするから駄目なんだ」というのは今までの宗教です。人を責めまくるね、その「責める思い」があかんのやっていうのが分からへん。「分ける思い」があかんのやっていうことが分からへん。「みんな一つや」っていうのが分かったら、老後でもちゃんとみんな助け合って生きていけるね。

 でもね、(年老いた体にエネルギーとして必要のない)いらないご飯を食べ過ぎて、頭ボケていくね。ハッキリ言うで。

  食い過ぎるから頭ボケていくね。口だけはみんな若いまんまやね。若い時は食べなあかんわ、色々とね 動き回るしね。でも動かなくなったらそんなに食べたらあかんのに食べるんやろ?で、ボケるね。糖尿病になるね。成人病になるね。 食いすぎや。

 まず 真祈りをしないとね、自分がどれだけの量を食べていいのか 何を食べなあかんのかわからないでしょう?でも「真祈りが難しいから、印可書を奉読することで真祈りに変えるよ」って、先生が仰ったんだから、そこにすがるしかない。

 でも印可書奉読して考えるからあかんね。 印可書奉読してすっと受け止めるな。考えたらあかん。 考えるというのは自分と他人を分け隔てて、もう印可書からまた離れてる。 印可書で全ては一つって言わしているのにね、印可書を奉読してから「さあ、どうしよう」って考えるね、みんな。

 だから「奉読」って言っている。「読め」って言ってないやろ?中々。で、考えたらもう分けているから全部わからんようになってくる。要するに考えるって言うのは 条件をつけているやん。あの人はこうで 自分はこうで、結果どうこうだってね。で、「条件をつけたら苦しむで」って言ってるやん。考えたら苦しむね。

 だからいつも営業の話をする、 営業がね、一番分かりやすいと思って、僕は営業で苦しんだから、思うねんけれどもね。お客さんがどう出るなんかはね、行ってみないと分らへんねんね。だけど考え出すとね、行く前から考えて苦しくなって行けなくなる。無茶苦茶怒ってはるねん、なんとかお前してこいって言われてね「 いや、怒ってはんねやろ。 あの怖いおっさんやろ、いややし、またボロカスに言われるやん」と思った途端にもう行かれへんね。もう殴られることはないんやから、ともかく頭下げて行ってなんぼやねんからみたいに諦めて行くとね、 意外と「よう来たな」と言いはるねんけどもな。

  まあ それぐらい 営業って こっちの心をお客さんに映すだけやけれども、ね。 それは営業に限らない。みんなそうや。 自分の心が相手に映っているだけや。それをわかると条件をつけんかったら向こうは無条件になるから、すっと収まる。

 でも国と国との交渉みたらわかるやん。お互い条件をつけて「こうや」って言うからね、まとまらへん。

 その無条件を楽に実践する方法が印可書奉読だよっていう。せっかく印可書を奉読して、無条件になっているのに、また条件つけて考えるのやめやって言ってんの。何のために 印可書奉読したんみたいな。

 だから焼き場の骨をね、捨ててうず高くなったところは、なんで大変かっていうと みんな条件をつけて死んでいるからや。条件をつけて死んで骨に思いを残して死んでいくからね。どこかで大掃除しなければならない。それだけ。

 それは護摩だけでは追いつかないから色々な役割、たまたまこの役割 回ってきてしているだけで、より好みもしないし、別に。だからっていって大変もないし。 只々、淡々とやけどね。そういう風に条件をつけなかったらいいねんけどね。条件をつけた途端に辛いで。

 だから先生はね、「結婚はね、そのパッと出会ったその人とね 結婚しなさい」って言うの。「無条件で結婚しなさい」って言う。いつもそうやったけどね 無条件やったらいいねんけどね。無条件で結婚してお互いに見つめ合うもの、目標にするものが一緒にせなあかんねんね。だけど、たいがい結婚したら珍しいペットが来たみたいなもんや、お互いな。3年ぐらいは楽しいね、ペットが珍しいから。3年するともう飽きてくるね。大体3年過ぎたらみんな離婚するね。あるいは 結婚しているけれども実質こうな、心が離反しているとかが多いねんけどね。 それ条件がついているからよ。で、ここに来て神さまに無条件でって言うね、お互いの目標が1つやと夫婦は、仲がいい。

 だからここは宗教と違うからな、よう分かっててな。だから先生は一切宗教とおっしゃらなかったでしょう?だから教えも組織も立てないし、教えも組織もいらんね。無条件っていうだけや。無条件なんか教えに入らない。だって神さまは絶対な愛で完全円満完璧やのに、何の条件をつける必要がある? おかしいわ。でもみんな条件をつけて考えて苦しむねんけどね。だから考えたら分からんようになるでって。

 でも大概はみんな条件をつけて考えるからね、それでご利益があると思ってご利益信仰で色々な宗教に入りはるね。それ条件をつけているからや。ここに入ったら東大に通ったとかね、ここに入ったら病気が治ったとかね。 その条件を外さなあかんねんけど。まあ 宗教やから条件をつけていいけどね、それが宗教だから。

(ちょっとしんどいからもたれます。)

 そやから宗教までいかなくても、みんな占い師に結構な、占い見てもらうのね。で、大体の占いっていうのはね その占い師は取り憑かれてしまっているけどね。運命を予告しておいて、後ろについているものがそれを実現させるわけ。もうすぐ事故に遭うぞって予言しておいてね、それで事故に合わすね。で、あの占いの人、先生「 当たったわ」で騙されていくね。 ほとんどマッチポンプ。占いを家業にしたら大変よ。どんどん 取り付かれて行きます。だって条件をつけるわけでしょう?「あなたはこうなります」って条件をつけたらあかんのに。その責任は重い。占い見てもらう人より 占いをする人の方がね、晩年は大変や。どうぞ。

質問:ありがとうございます あの事故で亡くなった人のお話があったと思いますが、最近ヤフーニュースを見てまして、町長さんとか働き盛りなのに、前日まですごく前向きにいらっしゃた方が突然 事故でお亡くなりになったりとかのニュースを見かけまして、それ以前もこの3年ぐらいの間に、町長さんであったりとか 区長さんであったりとか、事故で急にお亡くなりになったとかいうニュースがあると思うんですけれども、それは 皆さんのマイナスを背負って急遽 そういう事故に遭われたりとか?

河上さん: 勿論、説明上はそうだけれどもね、でも寿命はそこまでっていうは間違いない。だから長い寿命がね、縮むのではないの。その寿命は決まっているね。ただ「せっかく死ぬんだったら、同じ死ぬんであったら 背負って消す働きにしましょ」って言うだけや。

質問: それは先ほどからのお話の中で、ご自分が生まれる時にそういう風な人生を選んできた?

河上さん: 勿論、そう。

質問:選んで。来たことなので・・・

河上さん: ただ、そのように言ってしまうとな、宗教やったら、身も蓋もないね。金にもならんね。だから色々と、さも何かどうこうっていう 宗教上は言うけれどもね。でも本当はもう本人の自由意志で定まったことをするだけや。だってみんな好きなことしかせえへんや。

質問:何かそういう人々の代表になった方は、その周囲の方の怨念だとかそういうものを背負ったりたりだとかっていうことで不慮の事故が起こったりっていうことが・・・

河上さん:だからどの働きもお清めの働きなんですよ。その事故の大小とか病気の大小に関わらずにね。お清めの働き、要するに 地震とか台風のすごい災害になる前に人間の体で止めてくださるといるというだけです。 別に松下先生に限らず、どの人も。で、それは後ろの守護霊様の方でせっかく死ぬんだったら、本人の徳を積ますためにも、そうされるだけで、全ては良しなんですよ。

質問:ちょっと話がずれるかもしれないんですけれども、今回の能登の地震とか私もちょっと知り合いだとか、他人ごとでないものの、だからと言ってなんかどうですかとか、今までだったら連絡をしたりとか、何々をしたりとか出来たのですけれども、今回だけは黙って大変な被害にあったところに方に敢えて何も連絡をせずに静かにいるんですけれども。あのそこの方々はそういうお役目なんて言ったら本当に失礼になってしまうのかもしれないんですけれども、そういうお役割があって、そういう風なことにあってくださっているということ・・・だから感謝・・

河上さん:だから生まれてくる時に、自分は選ぶんだけれども、生まれてくる時に一切の記憶が消されるでしょう?だから選んだことを自分は知らないだけです。 でもどの形もいい悪いはなくて一番いい形になっているのね。

 それが、それを言ってしまったら 宗教になれへんね。わかる?だから宗教の場合は、これを例えば「あなたはこういう 寄付をしていたからね、これだけのお金を出していたからその程度で済んだのよ」とか、言わなあかんからね、 あるいは「そうならないように もっとお金を出しなさい」と言わなあかんから、色々と 理屈をつけますけれども。

  本当は実も蓋もないくらい全ては完璧な一つで、もうすでに 「みんな祈っている、悟っている、救われている。」の状態の中で色々な神さまの大きな働きの分担をね、本人の自覚とは関係なしにしています。だからどの状態も神さまの大きな働きには変わらない。

 ただ、みんながこうして遊びたいっていう中でね、遊びたいカラーリングの中でのいろんな癌になったりね、あるわけですよ。でも本当はね、働き盛りでぽっと死ねたらこんな幸せな事はないで。寝込んでね、周りの人の世話になってね、下の世話もしてもらって、本人も辛いし周りも辛いやろ?って無条件やったら思えるね。でも条件をつけていたらな、「働くだけで死んでしまってね、 残された人、どうするん」てなるわけよ。

 で、そこに宗教のつけいる隙ができるわけ。残された人がそうならんようにどうこうとかねあるやん、色々な宗教で。詳しくは知らんけど。そういうのをつけいったらあかんね。 無条件で喜べなあかんね。

質問者:ありがとうございます




令和6年2月河上さん勉強会お話し―3(20240211−3)

宮野さん:一杯、湧き上がってるから…。

河上さん:まあ、先生がね、色んな説明をしてくださっても、みんな先生に頼るばかりで受け取れんかってんけどね。ちゃんと説明してはるんですよ。例えば、「『ありがとうございます』は悟りそのもの、真(まこと)の神さまそのもの」ってね。それが分からんから、「宇宙神」という真(まこと)の神さまそのものの呼び名を作って。「宇宙神」と「ありがとうございます」は同じ意味なの。せやけど、その「宇宙」を小さく捉えてね、どうこう言うしな。要するに条件を付けるんや。先生の仰ったことに条件を付けるから分からんようになるねんけどな。もう、すべてそうよ。

 だから印可書にも条件を付けて文句を言うわけでしょう?色々あるけども、条件を付けたから分からんようになってるの。分け隔てて考えるから分からんようになってるだけやけどね。「『ありがとうございます』で悟れる」って先生は仰ったんや。それは「ありがとうございます」が真(まこと)の神さまそのものやったんや。「ありがとうございます」が悟りそのものだから。でも、それを受け取りかねるから、もう先生に懇願して印可書に代えて頂いただけでね。選ぶのはみんなの自由。

宮野さん:さっきのね、さっきの質問にちょっと関連する話なんですけど。釜の蓋が開いている状態なので色んなものが湧き上がって、その人のそれぞれの思いに寄ってきて後押しをする形になりますよね?

河上さん:なる。なる。

宮野さん:で、その状態で起こってる感じなので、目に見えて、普段でも気が付かないことが大きく取りだたされている状態なんでしょう?今は。

河上さん:そうそう。

宮野さん:なので、例えば、普段だったらそんなに、例えば、事故に巻き込まれて亡くなるとか。この間、普通に歩道に歩いている人に(車が)突っ込んで、たくさんの人を殺しちゃったとか、怪我しちゃったとか。犬が暴走して何人も噛み倒していったとか。それから震災のことだったりとか。ええ!?みたいなことが多々ある。で、先程の話のように、ちょっと有名な方だったりとか芸能人だったりとかがポコポコ死んでると。

 でも、普段だったらそんなに、まあ平和な状態だったらそんなに気にもしなかったところが、特にここのところは釜が開いてる状態なので。寿命はもちろんそうなんだけれど、目立って起こってるという風な感じ方が多いのかなと思うんですね。

河上さん:だから甲辰やからね。甲(きのえ→氣延枝)だから、もう全員に光が行ったんよ。以前は本人の自由意志を越えてまで光を出さないのね。全員に(光が)行ったということは、全員が松下先生の働きをする。神さまの働きを自覚するしない関わらず、して頂きますから。その人が出来る最大のお清めをみんなしてるだけ。犬に噛まれる形でお清めになったりとか色々ありますけども。それだけや。

 だから、それをね、今説明したように、条件を付けて考えたら辛いわけよ。無条件で喜べたら一番良いんだけどね。本当の事故に遭った人も、例えば地震に遭われた方も地震で亡くなられた方もね、大きなお清めをして大きな働きとしていくんだけど、

 条件を付けて可哀そうやったとか色々と言ってしまうと、そのお清めの働きが半減していくのね。

 だから、これから本当にバタバタと色んな色んな形で、あんまり具体的にね、言わないけど、色んな形でみんな死んでいくんだけど、全部喜んでいかなあかん。神さまの大きな働きで、キリスト教的に言ったら、十字架にかかって頂けた、良かったなあ、です。みんな嫌でも十字架にかかって頂きます。かかる内容はそれぞれ、あんまり言えんけどな。でも、本物の十字架に比べたら大したことない。痛くない痛くない。十字架ほど痛くない。大丈夫。

宮野さん:それぞれに合った、人それぞれに合ったことしか来ないからということですね。

河上さん:そうそう。その人に耐えられることしか来ません。

宮野さん:逆に言うと、子どもさんの事しか耐えられない事は、子どもさんの事で起こるだろうし、親御さんの事やとそうだろうし。

河上さん:そうよ。だから、本当に耐えられないことで死ぬとね、本当に浮遊霊になるの。この世に未練を残すから。ほとんどの人は残らないんよ。でも、周りの人が条件を付けてね、可哀そうやったって思いを乗せるから浮遊霊になっていくの。それだけやねんけどな。

 だから、先生はお墓を作るなって言うの。お墓を作ると要らん思いを乗せるから。どの状態で死んでも神さまが良いようにしてるのは間違いないんよ。なんで文句を言うかやねんけどな。

質問:確認になりますが、「釜が開いた」というのは、地獄の釜が開いたという…

河上さん:「すべては完璧な一つ」が実行されつつあるということです。だから、今までやったら住み分けてね、その人達の自由意志を大事にして大事にしてね。だから、地獄の人を助けに行ったら怒られるんよ。はっきり言うけど。楽しんでるのにって。いや、本当の話やねんで。

 だから昔は大変やってん。先生と僕との約束でね。「地獄が無くなるまで、僕と一緒に地獄に行ってくれるか。」って先生が仰って、「はい。」って言って。その約束で、もうずっと地獄に降りてたんやけども。降りていっても怒るんよ、助けたら。で、また降りていくのっていうね、繰り返しやったのが、本当の自由意志、要するに真(まこと)の神さまそのものの自覚を最優先することに変わって。この甲辰からは益々それがなってるわけですね。

 だからみんなの本来の真(まこと)の神さまの自覚を最優先しますってことになったわけ。要するにもう、「ああ、遊ぶのそろそろ止めや。」ってお母ちゃんが言ってるわけよ。神さまが「もう遊びは終わり。」って。それだけ。で、完璧な一つだから、それを時の時間の経過で言うと、地獄の蓋が開いたみたいな感じやね。開いただけと違って一つになって行ってる。あの、プレスパッカーって言って、ゴミ収集車ってゴミを入れたらプシューって圧縮していくでしょう?あんな感じや。何もかも一括り、一つにしてるの。

 ただ、それが村人から優先的に始まるよって言って。この前ちょっと言っただけ。実際そうだから。だから、これからまず、村に色んなことが起こって、それに似合ったことが世間にも起こってっていうことになっていきます。まあ、今までもそうなんだけど。

質問:すべてがということは、地獄とも一つになるし、神さまとも近いというか一つになるということ…

河上さん:だからね、みんな光やというところに戻りますよということ。だから、マイナスとみんな思ってるけどそうじゃなくて、マイナスという映画を作って楽しんだだけやけど。前に言ったようにね、このみんなの楽しんでる映画館を一旦解体工事をしますってやってるわけや。古くなってきたから、傷んできたから、地球霊王さまの体が傷んできたから、今の地球霊王さまの映画館は一旦閉じます。…ということになってるのをね、地球霊王さまの方で一方的にガシャンと潰さずに、人間の方で解体工事をして立て直しますという約束を先生はされたわけ。

宮野さん:ちなみに地球霊王さまの体を修復する方法というのは…

河上さん:みんな光や。要するに無条件になったらや。

宮野さん:すべての人が無条件になったら

河上さん:そうよ。だから食べ物でもね、お金を持ってる人が優先的に取らずにね、みんなで助け合って分け合って生きていける人口に減るわけや。本当は、はっきり言うで、今の人口のままでみんなが助け合って分け合って生きてね、食べ物とかエネルギーを分け合ったら生きていけるの。な?でもみんな条件を付けて、私は寒いのは嫌やとかな、暑いのは嫌やってクーラーを付けてストーブを付けてするわけやろう?で、要らんエネルギーを使ってエネルギーが足らんようになって、廻ってこない人は死ぬわけや。それだけよ。

 でも、無条件になるためには真祈りやねんな。でも、真祈りというのは真(まこと)の神さまの本心の自覚というだけや。で、真(まこと)の神さまの本心の自覚というのは、みんな光やというね、肉体人間に真(まこと)の神さまの種を植えるんと違うねんて。みんな光があって、光の表現として肉体人間が出てるから、最初の光のところに種を入れるわけよ、新たなる。で、最初の光の自覚がみんな内側から湧き上がるということよ。

 だから理屈抜きに、要するに損得抜きに助け合うようになるって言ってるの。真祈りがみんな出来たら。損得があるうちはな、死ぬ人もおるし色々あるけども、それも大きなお清めだからって言ってるわけ。護摩を止めなかったらなんとかなるよ。護摩を止めたら止めたなりになんとかするけどな。もう全部どれもこれも先生からは、すべての状態は説明を受けてるからどれでもするけど。出来たら護摩でいきたいです。

 護摩を続けるだけのお金は先生は残してくれています。そういう風に聞いています。先生からね。無駄に使ってなかったら大丈夫。

質問:護摩を続けていけばマイナスを消し切れる日は来ますか?

河上さん:もちろん。だから宇宙船護摩木、宇宙船やね。真(まこと)の神さまの大きな救いの船、宇宙船。宇宙船という意味をね、みんな小さい、なんかほら宇宙旅行するあの…あんなみたいに勘違いしてるやろう?先生の説明をよく聞いていたら分かるけど、何人でも乗れる船やって仰ってるやん。それを弥陀の願船とかノアの箱舟って言うの。まだ分からんか!みたいな感じやけどな。

 だから、みんなが護摩木を書くごとに何艘(そう)ものノアの箱舟が出て行って、みんな救われていくの、地獄の人がよ。ちゃんとそういう風に先生は説明してるやん。聞きたくないのは勝手やけどな。何のために印可書を作ってくださったか。何のために護摩を作ってくださったか。何のために護摩木を作ってくださったか。ちゃんと説明してある。

 で、どんな状態でも聞けるようにね、録音にして先生は残してくださったんでしょう?じゃあ全部聞けよ。なんで聞かへんねんって思うけど、まあ聞かへん人のためにおまえが説明せえって言って、説明させられてるだけやけどね。

質問:そもそもがマイナスのない世界であったということですか。

河上さん:いや、今、ここがマイナスのない世界や。みんな普通の生活をしてるわけやん。でもわざわざ映画館に行って楽しんでるやん。その感じになってるだけよ。普通やったら映画館に行くという行動と時間があるけど、この現世というのは、それ無しに常時映画館に入ってる状態になってるわけよ。だからいつも映画を見ながらでも、「あ、これは映画や。」と思いながら見れるかね、本当に没頭してしまって一緒に涙流すか、うわっとびっくりするかというだけのことよ。

 でも、楽しんで見られる人というのは何回でも映画を見られるし、でも没頭して見る人は一回見たら飽きるの。みたいな感じやな。楽しんで見られる人やったら、例えば映画やったらね、「あ、ここの美術的な色彩は綺麗やな。」とか、「あ、ここの演出は凄いな。」とか思うから何回も見られるねんて。でも映画に没入して、それが本物みたいに見る人は一回見たら、もうあと2回見ない、みたいな感じで。

 それくらいね、真(まこと)の本心の自覚があったら条件が付かへん。条件を付けへんということは、すべての条件を付けて喜べるということや。暑かったら暑いで楽しい。寒かったら寒いで楽しいっていう。

宮野さん:自分っていうものが強すぎるから、結局その渦中にいる状態やから、マイナスに掴んでしまい易いのかなって思う。だから本来その「自分が」って無かったら、自我っていうものが薄かったらね、自分は何者でもなく、真(まこと)の神さまであるって思えば、自分がやってることではない。色んなものが、目の前で出来事が起こっていても、「あ、面白い!」としか思えない。病気であっても、「あ、私、病気なん?ふーん!今度はこういうことを楽しめるねんな。」っていう楽しみ方。お金に苦労すれば、そりゃ自分から自らこんな苦労しようと思わへんけど、こんなんで楽しませてもらえるの?って話やし。

 で、自分から、起こることはすべて面白いことなんやっていう風に、ワクワクして楽しんで待ってて、「こういう展開なん!?」っていう風に思えば、自分がやってるわけじゃないから、自分の、自分ってものは、人って一旦横に置いてる恰好で見れるから。だから人のことやったら見えるやん、まあ言えば。友達、友達とまでは言わなくてもドラマだったら見れるやん。「この人不倫してはるわ〜。」って。「いや最近多いわ、このドラマ。」みたいのとかね。「コンプライアンス無視めっちゃ多いな。」とかね。もの凄く他人事であれば、わりあい、うーんと思って見れるけど、でも自分がその立場になった途端に「なんで私がこんな目に遭わなあかんの?」っていう話になる。

 でも、そうじゃなくて自分の我っていうものを外してしまって、そのドラマの主人公と同じように楽しむだけってなってたら、そしたらそれは楽しんでる過程で、どんどんどんどん、どんなことが起こっても楽しいしかないのね。凄くしんどくっても、凄く苦しくっても、過ぎてみれば「あ、なんか凄い、色んな経験をさせてもらったな。」っていう。人間の肉体を負って、受肉をした段階で色んな経験をして楽しんで、肉体を外していけるんだっていう、その経験値を凄く楽しませて貰えるっていうそっちの方が面白いと思える。

 でも楽をして生きようと思うと、じゃあさあ、果たして肉体を外した時に「私は何をしてきたかな。」って。人に振り回されて人のせいにして。楽して、金儲けして良い立場に置いてもらって。人に「あなたは素晴らしいわね、偉いわね。」とか言って褒め称えられて良いようにばっかり言われて。もしくは蔑まれて、それを卑下して生きて。さあ、せっかく受肉したタイミングこのチャンスを、なんでこんな風に過ごしてしまったんだろうってならへんのかなと。その楽しみ、今を楽しんでいたら、我、つまり自分というものが、そういう風なのが無い状態であれば楽しめるだけ、と思うんですけど。凄く自分っていうのを持ってるから。

質問:「マイナスが無い」ということと「マイナスを消す」ということが、よく分からなかったけれど、マイナスを楽しむということで…分かりました。

宮野さん:マイナスを本当に楽しむと、楽しめば、その渦中を過ぎた段階でちょっと振り返ると、あると思う。だからお子さんを持ってる方やったら、オギャアと生まれた時は「ああ、もう嬉しい幸せ。」って思うと思う。でも、だんだんと小っちゃい子が色んなことをし始めて、手がかかるようになってから「なんであんたはこんなことするの〜!」という風なことでイライラする。自分の体調は悪い。子どもはイライラする言うこと聞かない。周りが自分の事を認めてくれない。ということが色んなことが重なって、それをマイナスに思うかもしれない。でもそれが過ぎて小学校ぐらいに行くようになりました。「ああ、あんなことこんなこと一杯あったけど、過ぎてみればあれも面白かったなこれも面白かったな。」っていう話やと思うのね。でも過ぎてみればの話で、渦中にいる段階では「凄い、えらいことやってんで、私。」って話じゃない。「こんな大変な目に遭ってるのに、誰も何も気が付いてくれへんの?」っていう話やけど、でも過ぎて見れば、「ああ、過ぎて楽しかったな、あの時代。」って。じゃあ、もう一回あの頃、経験ちょっとしてみたいこともあるかもな、とかって楽しめるくらいの余裕ができてる。

 でも、どうしてもその渦中にいて、それをマイナスだと掴んだ瞬間、凄いしんどいよねって。でも、同じように子育てをしてる人、渦中にいる人だって、「あなただって渦中にいてしんどいでしょう?」「いや、私はしんどくないです。」っていう人いるじゃない。それは、それを楽しんでる。だから、どう楽しむかというのを自分の中で、「あ、凄い、お祈りチャンスを貰えたんだ。神さまの向き合う方の面白いことが今来たんや。」って私はいつもいつも思う。「ああ、来た来た来た来た来た!」って思うわけ。それを皆さん、経験して過ぎた時に、「あ、これなん?」みたいなことで感じた時に、一つ、その一個が転がり始めるんかなと思う。

 でも、渦中にいる自分って「ああ、私って、こういうのも良いんじゃない?」っていう風に、ちょっとマイナスを美徳って感じるところ、頑張ってる自分を美徳と感じたりとか。それはちょっとしんどいことの雪だるまが増えるだけと思うのよね。同じだったら、肉体を外した時に外れる時に、「あー楽しかったわー。一杯経験したわ。あんなこともこんなことも。」って思えるぐらいの経験値を積んだ方が面白くないかな?で、それは受肉してる自分達に光を通す。それぞれの色んな経験をすることで、色んな光が行くから。

 だから色んな経験をしてもらいたいという必殺大サービスやね。必殺大サービスを避けて行っても違う形が来るだけで。もっとしんどいと感じるだけかなと思う。

 だからマイナスはないのね。どう捉えるかというのを、自分というものを掴んで、そこを「私!」ってなるからしんどい。「私」が無かったら他人事やから。意外に引いて、一歩引いて見ると、「あ、これちょっと楽しんでみるかな」って。って感じるともっともっと楽だと思うし。別に楽じゃなくても良いと思うねんけどね。楽しみ方は色々あるから。いかがでしょうか。

河上さん:はい。

質問者:はい。ありがとうございます

宮野さん:今日のは面白いね。自由意志をね、触らないけど本心の自由意志っていうのは。

河上さん:そうそう。甲辰の楽しさやね。それは24年前に先生が「いよいよ今年から光が強くなります。」っていう。この新年のね、お話で仰ったんです。

 だから、みんな口は若い時のままやろうけど、ちゃんとお祈りをしてたらね、必要なものしか食べなくなるから病気しないよ。病気したら食べ過ぎたんだと思って。でも、例えば癌になってもね、わざわざ癌になりたいと思わへんから、そういう体験が出来て良かった、やで。それだけやねんけどな。

 だから宗教的に言ったらね、人を切り刻んで来たから切り刻まれる手術を受けなあかんねんってなるんやけど、そういうもんじゃなくて、もっと楽しみやねんな。

 で、もう本当にね、正覚(しょうかく)を得たって、悟った方が増えたんですよ。でも申し訳ないけど、ちょっと今、意識を止めて。全員同時に行こうね。同時に行こう、同時に。正覚を得たっていうのは自覚が無くてもね、だんだん無条件になって来たら、ああそうなんだな。自分はそうなんだなって喜んでいてください。条件が付いてるうちはまだまだ。

宮野さん:終わりが無いんですよね?

河上さん:終わりが無いし、自我を消すだけど、ちょっとの自我がずっと残っていくのね。それをひたすら消していくだけ。消していくというのは無条件になっていったら消えてる。条件が付いてるうちは自分というものがあるから条件がつく。そうでしょう?自分と他人と分けて条件を付けるわけで。無かったら条件は付かへん。

宮野さん:確認ですけど、悟ったと思うところに、悟りに終わりがないってことですね。

河上さん:そうそうそう。だから無条件や。終わりがあったら条件がついてる。だから宗教はね、条件を付けてどうこう言うやろ。だから偽物やねんけど。まあそれで、ねえ、楽しむわけやから。良い悪いではない。本人の自由意志やな。

質問:このやり方で良いですかという確認でもあり質問なんですけれども。今まで教えて頂いた中で解釈したりとか考えたりとか、これってどういう意味があるんだろうっていうことは、もうそれは条件を付けているので、自分はずれているというサインだと思っています。
 で、印可書をまず奉納すること。そして今までの自分の隙間、楽をしたいという思いだったり、気を抜くところだったり。色々河上さんから教えて頂いているにもかかわらず、実践を実際にしてこなかったこと。そういうことが色々あるんですけども。まず第一に印可書、そして本当によりひたむきに。色んなことを教えて頂いて、色んなことを試していこうという風に思ってるんですけども。これでよろしいでしょうか。

河上さん:そうよ、何でも楽しんだら良いねんて。せやから、こういう体操をしたら良いでとか色々と言ってもせずに、ああ、せえへんだったからこうなってきたなって楽しんだら良い。それだけやねんて。みんなな、楽しまんと分からへんね。
 だから何でも体験せな分からんねんけど、その体験を楽しみと思わないとね。楽しみって思ったら自分が無いの。自分があると苦しみになる。条件が付くからな。

 自分が無くなると条件が無いからなんでも楽しみやね。なかなかわざわざな、大変なところへ飛び込んで行かへん。みんな逃げるって。それを大変な目に遭うんや。遭うなら楽しませてもらえてるの。で、楽しめたらスッと消えるのにな。苦しい辛いって言うから消えない。

質問:体験を一瞬一瞬新たに楽しんでいくっていういくことですね?

河上さん:そうそう。だってわざわざな、そんな目に遭えへんって。遭えへんけど、楽しめるように遭わせてくれはるね、周りで。神さまではないねんけどね。でもそのお互いに支え合ってっていう部分を、色んな形で支え合いがあるわけよ。だから苛められるのも支え合いの一つやね、本当を言うとね。せやけど、それを言い出すと因縁因果とか、またグチャグチャになるんで、もうややこしいことを言わずに、どの状態も楽しめたら良いっていう無条件になるのが一番近道やね。

 因縁因果を説明するとね、そこを掴んでもう上に動けないようになるの。要するに過去を掴むって言うねんけど。で、過去を掴んだら最後、もう身動き取れへんのよ。だから楽しめたら見動き取れるねんけどね。だから映画の中で入り込んでしまったら身動き取れへんでしょう?出て来れるからオカルト映画を見てもトイレに行けるんで。映画の中に入り込んだら夜にトイレに行くのも怖くてしょうがないよね。そういう状態で、映画という過去を掴むとね、小っちゃい子はオカルト映画を見て、映画という過去を掴んでトイレに行けないって泣くわけや。せやけど小っちゃい子のことを笑われへんのね。人間はみんな現実を掴んでどうこうって言って怒ってるわけや。掴むから怒るんで。楽しめたら、楽しい面白かったなあや。あんな面白いことしよったなあみたいな感じやねんけどね。
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令和6年2月河上さん勉強会お話し−4(20240211−4)

河上さん:どうぞ。

質問:先月来から、損得ということを言ってくださってるんですけれども。損得を考えなくなったら、本当に無条件っていうとこになるのかなと。

河上さん:そう、条件ついたら損得やわ。

質問:もし損得を考えた時には、損を取って、それを喜んですれば、なんとかなるんでしょうか?

河上さん:それはもう理屈やね。(笑)

 例えば、あんまりね、損得で説明しなかったのは、みんな理屈で考える癖あるから、「ほんなら損ばっかりしてたらええねんな」ってなるわけよ。極端に言うたら、ほんなら今、財布にあるお金ね、この周りにいてる人みんなに配ったらええねんなってなるわけよ。それが違うというのが分かれへんとこがね、理屈で考えた時、条件つけた時にそうなる。

 ほんで、あんまり損得というのは言いたくなかってんけど、あんまり損得言わんと分からへんから、損得つけたら色々と大変やねんけどな。

 だから、もう無条件で「印可書」読んでたら、例えば、要するに夫婦やったら、或いは親子やったらね、親が年取ってきてね、わがままな親やったら、「あれしてくれ、これしてくれ、あれ買うてくれ、これ買うてくれ」とか、もう大変なわけよ。それを思い通りにさせてあげるのは、いいことやないねんな、当然やねんけど。

 だから、そこはもう「印可書」読まないとわからないと思うね。損得で考えたらね、自分損してでも、親の思い通りしたらええんやけど。でも、親の思い通りにしてあげると、その思い通りにしてもろうた親がすごい損してるっていう事になんねんな。

 だから、そこは「印可書」読まないと、本当の損得は分からへんからね。だから、なかなか説明は、みんなすぐ理屈で考えるからな。考えたら分からんようになるでって言ってる。考えるというのは、もうすでに条件つけてるから、親と子とかね、旦那と嫁とかね、条件つけたらね、嫁のくせに、旦那のくせにとかってなってくんね、もう。永遠にきりない世界に入っていくの。お互いに思いのキャッチボールしてな。

質問者:はい、分かりました。ありがとうございます。

河上さん:だから、できるだけ思い通りにしてあげないことが、相手にとっては1番得やね。思い通りというのは、人間側の自分と他人を分け隔てた、自分という意識でしょ?

 その自分という意識の思い通りにしてあげないことが1番いい。でもなかなかね、色々あるから。

 ほら、ちっちゃい子がそうでしょ?ちっちゃい子はチョコレート、アイスクリームとかお菓子食べてたらええんや。ご飯なんかいらんねんな。だけどそんな思い通りにさせたら病気になるだけや。だから「ちゃんとご飯食べなさい」って親はするわけでしょ?そういう部分は「印可書」を読まないとわからない。損得だけ言うたらな、もう子供の思い通りにお菓子ばっかり食べさせてたらええね。ほんなら病気になって死ぬ。虫歯なって苦しむとか、色々あるわな。

質問:今の損得のお話で、日常によくあるなと思うのが、例えば自分が損をしても、これあげた方がいいんちゃうかなとかいう時点で引っかかってるので、無条件に与えるっていう気持ちになってないんやったら、あげない方がマシかなとかいう風に思ったり。

河上さん:いや、だから、その損得なんだけど、相手の、自分という意識のね、欲望や。それを欲望って言うんけど。自分という意識の欲望を満足させたらあかん。まず、そこやねんね。そこを分かりにくいから、もうひたすら「印可書」奉読してって言ってるわけやけどね。だから理屈だけで言ったらね、さっき言ったように、今、財布にあるお金を、此処のみんなに配ったらええんか?みたいな感じになるわけよ。そうじゃないよね。

 本当に神さまの御心に沿ってるかどうかや。だから、神さまの御心に沿うためにね、全財産投げ出してもええわけや。先生は神さまの御心に沿って、全財産をいつも投げ出してはってん。それが凄い事やってん。入ってくる収入を全部ね、神さまのために使ってね、シールやね、色んな事に使って、お祈りに行くためのガソリン代とかに使って、自分の食費には使いはれへん。それでも、「色んな人が食べ物を口に押し込んできたよ」って仰るわけ。そういう意味や。

 神さまの御心に沿って、損得を考えたらあかんわけで、人の欲望に沿って、損得を考えてあげたら、相手が余計マイナス背負うだけや。
 
質問:神さまの御心に沿う?

河上さん:そう。神さまの御心に沿うというのは、みんな分からへんから、「印可書」奉読をひたすらしてたら、御心がだんだんと響いてきてね、なんとかなんね。そやけど、「印可書」奉読して、どうなんかなって考えた途端にな、奉読が帳消しになるから、単なる読んだになるからね、考えるなって言ってんね、いつも。スっと受け止める癖を付けなあかん。どうしても、みんな考える癖があるから、「印可書」奉読して、「さあ、どうしましょう?」って。いや、「さあ、どうしましょう?」って言ったら、もう奉読したことになってへんねんけど、皆な、もう、そこは癖や。それしゃあないねん。

 でもそれ、自分と他人を分ける意識やね、「その、さあどうしましょう」というのは。でも、その攻めぎ合いやねんけどね。

質問:なんか言うたら、今のお話が、そこの、「さあ、どうしましょう?」は余計ではあるけども、そこで、「印可書」唱えてるってのが、何かのことがきっかけに、「印可書」を唱えてるのは、まあ、そこは良しとしてもらいながら。

河上さん:そうそう。

質問:ひたすら、ひたむきに奉読させてもらう。

河上さん:そうそう。「神さま、神さま」って呼ぶっていうのは大事なんや。「神さま」って呼んでるつもりで呼んでない人が多いから、「印可書」奉読したら確実に呼んでるから。で、呼んでたら、勝手に神さまの中入っていけるのね。ただ呼ぶだけやったら不安やから、 先生は「印可書」奉読したら、神さんのお手伝いになってるよって仰ってくださって。で、実際お手伝いになるねんで。お手伝いになると呼ぶじゃなくて、神さまと共になるから、だからお手伝い。

質問:それは神さまの中にも自分がスポッと入ってるっていう事ですか?

河上さん:入ってるから、分かる分からんじゃなくて、そのまんま御心に沿っていけるわけや。でも、「印可書」奉読して「さあどうしましょう?」っ言った途端にお手伝いやめてな、「どうしましょう?」って言ってるから崩れるわけ。

質問:お客さん的な感じになっちゃってるわけですか?

河上さん:そうそう。

質問者:はい、ありがとうございます

宮野さん:この間の護摩の時も、物をあげるっていう行為っていうのが、こちらの、あげる側のマイナスが一緒にくっつ付いて行くっていうのを、先生がお話前にされてますでしょう?

河上さん:あ、そうそう。

宮野さん:で、まあ、この肉体を持ってると、物をあげるっていうことは、割と日常的に起こることなんだけど、さっきの話のように、どっか虚栄心があったりとか、お世話になってるから、お返ししとかなあかんかな、何時も頂いてるから、お返しせなあかんかなとか、そういうのは、どうしても、ついて回るところが難しいとこかな?と。

河上さん:そうよ。だから物よりお金の方がもっと乗せやすいからね。相手にマイナス送りたい時はお金送るの1番。(笑)今やったら、あのなんとかカードとかあるやんな?

宮野さん:クオカードとか、Amazonカードとか。

河上さん:Amazonカードとか、あれで送ったら1番自分のマイナス相手に送れるからやってください。ちゃうか(笑)

 それぐらいね、なんて言うんかな、物のやり取りって大変なのね。でも現実にはそれがお金を介していっぱい起こるわけでしょ?

 だからお金持ちになるほどね、神さまを信じなくなるんよ。お金に頼るようになるね。それはお金についてるマイナスが全部集まってくるから。マイナス集まったら、神さんは信じない。頼らない。お金に頼るようなるね。

 でもな、お金に頼ったらな、ほんなら、お金がなんとかしてくれんやったら、ガンなっても治るんやろ?でも金持ちでもガンなるやろ?お金ではどうしようもないって気づかなあかんねんけど。みんなはお金に対する信仰が結構深いねんな。「お金さえあれば」と思ってんね。お金さえあればと思った途端に病気になるよ。大変になるよ。

 みんな自由意志やから止めようが無い。この甲辰からはおまけがないね。おまけ出しようがないからね。みんなそれぞれ、頑張ってください。光強いっていうのはそういうことよ。

宮野さん:でも逆に言うと、光が強くておまけがないってことは、先生が最初にしはった、みんなそれぞれに先生が降り立ったってことでしょ?

河上さん:そうそう。

宮野さん:ということは、真祈りを深めるって、今日よく出た話の中で、今を楽しむ。

河上さん:うん。

宮野さん:という、いかなる状態であっても楽しむって、そこを、そこをずっとやってれば。

河上さん:楽しめるようになったはずや。

宮野さん:そしたら、それは、例えば言われたように、渦中にいても、楽しんだらそれがすぐに次の展開になっていくから終わっていくっていう感じですよね。

河上さん:そうです。

宮野さん:おまけが無いけども、過ぎていくのは早くなるっていう。

河上さん:だから、今が1番になってるって喜んでたらいいね。でも、その1番良いようになってるを掴むからな、一瞬一瞬、新たいう部分がいるから、それを「印可書」奉読でっていう。

宮野さん:甲辰で、すごい心配して、「えっ、おまけがなくなったんや」って心配してるっていうのは、自分ってものを外せない。お祈りをするっていうのに、もっと意識を向けてもらえない。え?違うな。日本語か違う。えーと、甲辰というものになって、お祈りがどんどん、どんどん深めれるようになれば、特にそのおまけがなくても。

河上さん:おまけがいらん状態なったんや。

宮野さん:ってことですよね?

河上さん:今までは、その、小っちゃい子やからね、ちょっと、もう、あの、なんとかしといてやってくれっていう、先生の依頼通りにしてたのが、もう、せんでいいってなったから、もし歩けなくなっても、色々起こっても、自分で頑張って下さい(笑)。

宮野さん:今までは、あれですもんね。病気治しても、いろんなマイナスに思えるようなことを改善しても、結局それを過ぎて、喉元過ぎれば、また元に戻ってしまうっていうのがあるから、やっても一緒という。

河上さん:そう。やってもやっても一緒やけど、小っちゃい子やから、まあ要するに、なんぼ怒っても、泥んこ遊びしてきても洗らったるやろっていう感じで先生仰ってたんでね、 洗ってたんだけど、もう洗わなくていいよっていう。
 
 それでも、もうちょっとおまけ出したいから、わざと1年サバ読んで、5年って言っててんけど、本当は微妙なとこや。リクゴウ(六合)って言ってね、6年間はおまけ出せっていうことやってん。

宮野さん:いやいやコレは駄目、まだ。

河上さん:あんまり難しい言葉使うな言うから止めときます。はい。

宮野さん:文字起こしの時ややこしいな。

河上さん:漢字は教える。
 これからは、おまけ出していいのは奥さんだけってなってん。、奥さん以外にはおまけ出せません。

質問:神さまの愛が感謝と真(まこと)ということで教えていただいたんですけれども。

河上さん:感謝と報恩。

質問:報恩ですか?

河上さん:感謝と報恩の真(まこと)を生きるや。

質問:その真(まこと)を生きるですね。

河上さん:だから、感謝と報恩を一言で言うと真(まこと)やね。それをもっと一言で言うと愛。

質問:その場合の真(まこと)というのは、誠実の誠なのか、真実の?

河上さん:いや、言霊です。絶対の中心という意味です。

質問:それはこの世的な言葉で…

河上さん:現しようがない。

質問:現しようがない?

河上さん:うん。

質問:どちらでも表せないからその時の…

河上さん:だから、その時のこの世的な雰囲気に合わせて、いろんな漢字を当てはめるわけね。だから、旧字体の眞を入れたりね、十字の今の真を入れたりするわけ。十字が左旋回になって旧字体になるんだけど、ちゃんとそういう風に漢字はできてるんやけどな。そやけど、この世的は絶対の中心から必ずずれた結果でしょ?離れた結果じゃない?だから(まこと)という言霊があって、いろんな漢字の表現があって、カタカナ、ひらがながあってみたいな。

質問者:分かりました。ありがとうございます

河上さん:だから、感謝と報恩の真(まこと)を生きるって先生がね、もう敢えて付けられたわけでしょ?でも、それをもっとしつこく質問してね、具体的にって言うて聞けばええねんけどね、みんなわかった気になって聞けへんから。 で、もう、ともかくそれを、全てを事細かく説明した状態というのを「印可書」にしてもらった。だから「印可書」が全ての答えになるからというのは、先生の話を聞けって言っても聞けへんやろ?だから「印可書」にして貰ろうたんや。なんでもお見通しだい。ちゃうか(笑)。

 やっぱり1番無条件っていうのが1番分かりにくいよね。どうしても自分と他人を分けて考えるという癖があるから。何があってもまず考えようとするやろ?でも考えると言った時点で、自分と他人分けてるねんっていうのがね。でも、もう自分と他人を分けるのが当たり前と思ってるからね、なかなか大変や。

 でも、右手と左手分けてるけど自分やんっていう感覚がね、分かって欲しいねんけど。左手、どんくさいからって、切り捨てへんやろ?どんくさいなりに使い道があるんでしょ?包丁で切る時でも、左手は不器用やから、物を押さえる方に回ってくれるわけでしょ?「わし、一生懸命なんでも切ってるけど、お前、ただ押さえるだけかい」って言えへんやん。そういう感じでね、みんなで助け合わなあかんねんけど。

 それぞれの人が出来る事をさしてあげてね。 その人はね、20も出来てへん。でも同じ給料貰ってるでええねんって、本当は。
 大きい会社で言うたらね、玄関とかトイレとか掃除する人おらんかったら困るんでしょ?本当はみんな同じ給料でもええわけよ。それでも給料に差があるんでしょ?その差があってもまだ文句言うんやろ?なかなか面白い、皆な。

 裏方さんが必要なん。平均的な処理能力ない人は裏方に回って耐えてるね。でも耐えてる状態はまだまだやね。裏方に回って喜ぶようにならな。

 だから工事現場で、車の交通整理する人おらんかったらね、工事現場大変や、な?そういう裏方の方の地道な働きがあって全てが成り立ってるんや。どの事を何をしたって自分は偉いねんって思った途端に狂ってんね。ただただ喜んで自分のできることを精一杯してるっていうだけやのにな。

 「あいつダメやな」と思った時点でな、反省せなあかんね。条件つけてるし、その全ての大きな働きを読めてない。だからお給料制なんてせんとね。只々みんなで支え合って食べ物を分け合ってってしたらええねんけど、それでは文句出るんやろ?出るからお給料制してんねんやろ。会社でもなんでも。今すぐ欲しいもんあった時はお金があった方が手に入るからな。お金なかったらしばらく辛抱せんなんとかなるから。それがみんな嫌なんやろ?

 でも、神さまが1番いいようにしてると思ったら、すぐ手に入らんもんは必要ないもんやって分かるねんけど。

 まあ極端に言うとダイヤモンドとかな、ルビーの指輪とか、すぐに手に入らんもんやけど、本当に必要かいうたら、必要ない。でも欲しいんやろっていう感じや。バッグとか服とか、もうみんな色々あるやん?その人に応じて、食べ物とかな。
 ぜひ欲しいもん、ぜひ欲しいもんやけども、本当に必要なものは、先生の表現で言うとね、それがなかったら生きていけないものは必要なものやけど、それがなくても生きていけるものは必要でないってはっきり言い切ってはる。

 それをもっと身に染みてもらわな。でもな、欲しいもんでも、ちょっとは食べやって言って、先生は許してくださってるだけやんか。だから、口はみんな若いまんまやけどね。それが無くなったら、生きていけないもの以外は食べないって決めてみ。かなり楽になんねんけどな。みんな辛抱できへんやろ?

 お酒やタバコや色々あるやろ?コーヒーとか甘いもんとか、ケーキとか。でも、先生の教えというがね、言われたことに立ち返ったら、もうそれがなかったら生きていけないもの以外は必要でない物や。そこまで厳しくしろとは言わんけど、いつもそれを思って、辛抱するんじゃなくて、今あることで喜んでください。まずその練習からお願いします。

 それが無条件ということよ。自分の生きていくために必要なものは条件つけていいけど、自分で生きていくのに必要でないものは全部無条件で喜ばな。

 まあ、どっちにしてもエネルギーの問題で大変なるから、みんな防寒具を買うときや。ほんとに灯油も何もかもなくなって寒い寒い冬を越さなあかんようになるからな。洗濯もある程度手で洗うこと覚えとかんと大変やで。言うたで。あと準備するせえへんは勝手や。

宮野さん:夏は?

河上さん:夏は思いっきりクソ暑なんねんって。それも1年中クソ暑いねん。で、もうこれから暑なるから温暖化やし大丈夫やって油断させといてな、寒くする。そこは神さまの面白いとこよ。

質問:何年スパンで考えといたらいいでしょうか?

河上さん:もうすぐや。

質問者:すぐ。はい。

河上さん:そんなことも分からんとな、ぐちゃぐちゃ騒いでんねん、みんな。
 それくらいみんな小っちゃい子や。先生が「可愛い可愛いしといたらええねん」って言うねんけど、「もうおまけは出さんでええ」って言うから、可愛い可愛いだけして、今ちょっとおまけを言いました。

 だから気候でもずっと人類の歴史上ね、暑くなったり寒くなったりを繰り返すわけよ。それは人類の思いのせいやねんけどね。で、それを清める形となって、氷河期が来たりね、小氷河期になったり、あったかい時が来たりをずっと繰り返すね。
 でもその変わり目は極端なんよ。みんなが思う程ゆっくりではない。だから縄文時代は氷河期やから、海がね、日本海は歩いて渡れたわけでしょ?

 で、氷河期過ぎたらやね、氷溶けるから、奈良まで海やったんでしょ?奈良盆地までね。
で、また氷河期済んできてっていう繰り返しやん、ずっと。只、それが今度は早く起こる。

 もう地球霊王様が「ええかげんにせえ」って怒ってはるんや。もうちょっと待ってくださいって、ずっとこっちはお願いする側でずっと来てるだけで。でも甲辰(きのえたつ→氣延枝断つ)に入ったからな、なかなか。
 
 だから一切の暖房なしで冬越せるというのを頭の片隅に置いて色々と段取りしてください。一切の暖房なしで冬越すというのが何が大変か言うと、洗濯やねんな。シラミをわかしたら最後、発疹チフスが蔓延してバタバタ死ぬからね。寒いけども洗濯はせなあかんね、厳しいで。「おしん」の時代が来るんや。手で洗濯せなあかんからね。ということでお祈りして終わります。


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2月護摩 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年02月19日(月) 11時15分
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2月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年2月の護摩焚きで、皆さんからの質問に河上さんがお答えくださった内容です。ありがとうございます

質問1
 真祈りの会の主催者からの質問です。始める時は、一生懸命だったのですが、今はそこまでではないので、申し訳ないと思いました。今、護摩木も収めてなくて、山へも行けてません。只、お祈りだけはしています。お祈りの会を続けて良いか悩みました。教えてください。

河上さん
 またお会いできて嬉しく思います。

 今、言われたのは最初に一生懸命というのは、もうすでに力が入ってるのね。緊張してるというか力(りき)んでる訳です。力(りき)んでたら、それは、真祈りにならないのね。真祈りにならないとすべてがうまくいかないから、なっていく訳ですね。

 最初の時にお話ししましたけども、「自宅でされても、会場を借りてされても、誰も来なくても一人でお祈りして下さい」ということはお願いしています。それは、肉体を持って来られるか、肉体を持たずに来られるかだけの違いだけで、必ず必要でその場所が、そこで真祈りの会をしようということが決まったわけですから、それはご本人が決められたか周りで決めたかは全く別で、神さまの御心が降り立ってそこでするということになっていますので。仮に会場を借りてやられてて、もう会場を借りていないという時は、ご自宅でされたらいいと思います。もうただただそれだけで、神さまのお手伝いをするということが大事なんですよ。

 いつも言うように損得が入った途端に何事もやる気を失うんです。仕事でもそうなんですけども、損得が入ると「同じ給料やのに俺は一生懸命やってるけどあいつは怠けてる」ってついつい思ってしまうんですけども、損得が入ったら、もうそれは、お祈り、真祈りではないんです。

 損得は宗教のものです。ここの宗教に入ったら、「ご利益がある」とかね。あるいは、「お賽銭入れるから大学に合格させてくれや」みたいな感じですね。損得は宗教ですけども、ここはいつも言うように宗教ではありませんので、損得抜きに働くというのが基本なんですよ。

 真(まこと)の神さまの働きというのは損得が一切ないんです。だから、空気も水も太陽も全て無尽蔵に与えられてるじゃないですか。「お前、これだけ使ったから今月これだけ払え」って神さまおっしゃらないですよね。もう全く損得抜きに働かれるというのが神さまの働きです。

 その神さまの働きのお手伝いをしようというのが真祈り人ですから、損得抜きにただするだけですよ。だから人が来ようが来まいが、あるいは会場を借りずに自分のお家の小さい部屋であろうがですね「真祈りの会します」とやってお祈りされたらいいです。それは1時間されなくても、「印可書奉読」したら大体5分くらいかかりますからその5分間だけでもいいです。ともかく、「します」と宣言してお祈りして「今日はこれで終わります」というふうに宣言されたら良いと思います。ありがとうございます

質問2
 宇宙神ありがとうございます いつもお世話になっております。

 神書426ページ「本心の心は既に救われている」の項目の中に「本心の心の自覚が深まってから、他を救う働きをしようと思っていたら、永遠にそのチャンスは訪れて来ないのです。」とあります。友人に伝えたい思いながら、自分の言動に自信がない為に、又結果を気にして実行に移せない時があります。そのような時のアドバイスをお願いします。

河上さん
 これは本心の働きについて誤解があるんですね。本心の働きというのは、今、今、今、今ね、みなさんの生きてることすべてが本心の働きなんです。だから形の上で、言葉で何か話するのが働きだと思っておられますけど、そうじゃなくて、真祈りを響すというのは、先生のお言葉を借りてお話しすれば「相手の心の中に真(まこと)の神さまを立てる」という事なんです。それは言葉で説明して立てるんじゃなくて、こっちが真祈りをしてることによって相手の心の中に真(まこと)の神さまが降り立つんですよ。

 なぜ降り立つかというと真祈りすると自分と他人の区別がなくなるのね。すべて自分になるから自分の中に降り立った真(まこと)の神さまがすべての人の中にも降り立つわけです。それを慣れてないうちは特定の誰かという形でなるだけでありまして、ただただ神さまのお手伝いをしてると思って、ひたすら「印可書奉読」されてたらいいだけなんですね。

 宗教じゃないから、宗教だと言葉で布教と言うんですか、なんかしに行かなきゃいけないんですけど、そうじゃないからね。本当の真祈りというのは言葉はいらないんですよ。心で響すだけなんです。

 それは、真祈りというのは自分と他人との区別をなくなるからです。自分と他人の区別がどうしてなくなるかというと本当に、これが一番わかりやすいと思って、この頃、損得という言葉を使ってますけど、損得があるうちは自分と他人が別れてるのね。損得抜きになったら、もう相手も自分になってるわけです。そうでしょう。自分のためにはなんでもするんでしょう。他人のためには、やりかねる訳じゃないですか。それは損得が入ってるからね。損得が入らなかったら全部自分だから必要なことを必要なだけできるようになるんですね。

 どれだけしたらいいのかというのは、まず「印可書」を奉読してたら勝手に決まりますから、「印可書奉読」して何もする気なかったら、形の上では何もしなくていいです。ひたすら、いろんな人のことを思いながら「印可書」を奉読されてるだけで十分本心の働きとなります。ありがとうございます

質問3
 十界とミニ十界の違いを教えてください。

河上さん
 十界というのは、いわゆる、この写し世でない世界。だから、あの世とか天国地獄っていうじゃないですか、それを十界といいます。ミニ十界というのは、この写し世の世界です。どういう違いがあるかというとミニ十界というのは、いろんな人の思いをぐわっと混ぜ混ぜて、ごちゃ混ぜにして表してる世界なんです。

 それで十界になるとそれぞれの菩薩界だったら菩薩の人ばっかりとか、地獄界だったら地獄の人ばっかりとか餓鬼道の世界だったら餓鬼道の人ばっかりということになるわけです。そしたら、同じ人しか見ない見えないから進歩しようがない、勉強のしようがないんですね。この世は、わっと混ぜて見せてくださるから、松下先生のような方を見ることができて色々と勉強になって進歩するわけです。

 ただ、このミニ十界の写し世といえども、ぐわっと混ぜても、例えば、水に泥とかいろんなものを混ぜてガッーってかき混ぜるじゃないですか。そしたら、水は混濁した混ざった状態ですよね。しばらく置いておくと一番上の透明な水と下にどんどん分離していくでしょう。そういう感じで、このミニ十界もみなさんがお年を召していくと、ミニ十界と言えども皆さんお一人お一人のミニ十界なんですね。

 自分の見てる世界と人の見てる世界違うんですよ。だから同じものを見ても「わぁ、きれいな花」っていう人と「ああ、なに咲いてるだけや」っていう人あるじゃないですか。それくらい自分の世界見るんですけど皆さんお年を召していくと、生まれた時は、きれいに混ぜて見せてもらってるものがだんだん沈澱していくのね。その時に「印可書奉読」できてる人は、上の澄み通ったところが見えるわけです。でも損得で生きてる人は、どんどん下のものを見るわけ。ただそれだけです。そのために救いのため、勉強のために神さまはミニ十界を作ってくださいました。ありがとうございます

質問4
 宇宙神ありがとうございます いつもありがとうございます。

 1月の勉強会のお話で、アルコールは波動が変わってきているので飲まないようにということでした。私はアルコールは飲めないのですが、家族はワインや焼酎を夕食時に楽しんでいます。ストレスで飲むというよりは楽しんでです。そこで私が「飲まないほうがいいんだって。波動が変わってきてるらしい」などと言ってもうまく伝わりません。私は何も言わず、家族が飲み始めたら印可書を唱えるとかお酒そのものに印可書を唱える、お酒に印可書を貼る…。どのようにするのが一番いいのか教えて下さい。よろしくお願いします。

河上さん
 人は好きにするだけで言うことは聞きません。だから言っても時間の無駄。何言ったって好きにしかしません。だから先生は「皆んなの心に真(まこと)の神さまを立てることが真祈りだ」とおっしゃったわけです。何を言ったって言うこと聞かないからね。心の中から変えるんだということです。今おっしゃられた、お酒に(印可書を)貼ると嫌がるから、それはやめて、お酒に「印可書」を奉読する。それで飲んでる方に「印可書奉読」するでいいと思います。ありがとうございます

質問5
 宇宙神ありがとうございます 護摩木を書いていた際に束ねていた護摩木が突然消えました。神隠しでしょうか?よろしくお願いします。

河上さん
 それは神隠しで必要なところに行ったから大丈夫です。

 昔、三洗荘の時代というか一番最初の頃に先生が「空飛ぶ円盤を作ろう」ということで、いろんな数式も降ろされて、実際に空飛ぶ円盤を作りました。実際に飛びました。なぜ中止になったかというと、飛んで消えたんです。まだここまでの理論では制御しきれないから、取りあえず止めようと。どういうことかというと皆んなの真祈りがないと本物の円盤は作れないから、皆んなの真祈りができるまでは、一旦中止しようということで中止になったんです。

 それくらい、この写し世というのは空間の歪みがたくさんありまして、いろんなことが起こります。暦に八専という時期があるんですけども、今月でしたら末の方からあるんですけど。その八専の時期に例えば山に入ると神隠しにあって帰って来ないというのが多いんですね、昔から今もですけど。だから八専の時期は、木こりと言うんですか、山仕事される方は絶対に山に入られないんですけども、今は知りませんよ、昔はね。

 それくらいこの世は、特に山とか谷とか川とか海というのは空間の歪みが出やすいんで、いろんな意味で、まだまだ人類では分かってないことばっかりなんですね。その中の一つです。ありがとうございます

質問6
 内向的で甘やかされて育った小1の外孫、2学期から登校拒否。中1の姉がいます。娘婿、夜勤ありの不定期勤務。娘、コールセンター勤め。1月から在宅勤務を週に数回させて頂き、中1の姉がズル休みの時だけ2人で留守番し出社。最近は、娘婿、私(祖母)との留守番も嫌がりママにベッタリになってしまいました。収入が減少分こちらからの応援になっています。これも不労所得になりますね。夫婦仲もギクシャクし私は只々お祈りをさせて頂き、見守っているだけしかないかと思いますが、あれこれと気を揉んでしまいます。いやいや真祈りだけと気持ちを振り戻しますが、いかがなものでしょうか?ありがとうございます

河上さん
 これは、もう先ほどの質問と同じ典型で、人は言うこと聞かないです。引きこもりになるお子さんというのは、何が原因かと言うとお母さんが何でもしちゃうのね。お母さん、おばあさんでも誰でもいいんですけれど、周りにいてる人が、その子のして欲しいことを何でもしちゃうの。だから自分で何もしなくていい状態で育ってきたんですね。

 だから、いわゆる幼稚園とか学校とか世の中に慣れるために行くわけじゃないですか。そういう、いわゆる最初の組織ですね。組織に入ると自分でしなくてはいけないことが出るでしょう。それをするのが苦手で嫌だと拒否になっちゃうわけです。だから、何でも自分でするようにさせていくしかないんだけども言うこと聞かないからね、お母さんも。だから、ひたすら「印可書奉読」するしかないです。

 いろんな役目を背負って、出社拒否とか会社や学校に行かないとかとか言うのは、いろんな理由が複合的にありますので、一概に今、言っただけの理由ではないので、もう責めるのではなくて、ひたすら、お祈りしてるだけがすべてですね。言って変わる位だったら誰も苦労しないし、大体、人は言われても言うことを聞かない。ありがとうございます

質問7
 ありがとうございます 私ごとで申し訳ありません。約20年前に離婚しました。2週間ほど前、あるセミナーで元旦那さんのお母さんと一瞬会いました(私に会いに来たそうです)。後、姑さんの友人によると元旦那さんは、鬱になっていて働くことができず、家からも出れない状態だそうです。20年前、会うことは家族に反対されてます。それからというもの、時々頭の中でどうしたらいいのか?と思うとすぐ「お祈り」という言葉が浮かび慌てて「印可書」を唱えたり、「宇宙神ありがとうございます」と言いながら、光を送るイメージでお祈りさせていただいてます。そのセミナーの講師の先生に相談すると「お母さんの話をしっかり聞いてください。」「無の心で聞いてお母さんの気持ちを溶かしてあげて下さい。」とアドバイスをいただきました。しかし会う勇気もなく、また元旦那さんが家から出れない状態と聞くと幸せを祈るしかないです。それでよろしいでしょうか?20年前に会うのを禁止されていて自分も少し怖いです。「印可書」をひたすら唱えるだけでいいでしょうか?

河上さん
 はい。それでいいです。それでいいです。

司会者
 続きがあります。元旦那さんも姑さんもみんな幸せになるイメージを持ってお祈りさせていただくことでいいでしょうか?

河上さん
 イメージはいらないです。何も考えなくていい。

司会者
 自分から会いに行くことは、今は自分にとって厳しいです。よろしくお願いします。

河上さん
 無理に会いに行く必要はないです。

 結局、引きこもりになる人というのは、学校に対してでも会社に対しても社会に対してでもですけど、普通の人が平均的な物事を処理する能力あるじゃないですか、(それ)よりも下なんですね。いわゆる大阪弁で言う「どんくさいやっちゃな、使えんやっちゃなあ」という言葉で言われる人たちなんです。

 それがいい悪いじゃなくて、平均的な能力で下だから、本人は一生懸命真剣にやってるんだけど、周りは「何をサボってるんや、何を怠けてるんや」と言うわけですね。言われるから余計辛くて出れなくなるわけですよ。

 そういう平均以下の方を責める言葉が戦争に繋がっていくというのだけは覚えておいてください。だから会社で、いわゆる組織で処理能力が平均より劣る方はサボってるんじゃなくて、本人は必死だけど側から見ているとトロトロとどんくさい、どこで何さぼってんねんと手抜いてんねん、というふうに見えちゃうわけですね。

 見えた部分を責めただけ、それが、そのマイナスのエネルギーが戦争になっていきますので、せっかく縁あった仲間だからちょっと助けたろ、という感覚で、手助けはしないまでも本人のできる範囲のことをさせようというふうにもっていくのが本当はいいんですけど。今の競争社会では、どんくさい奴は追い出されますので、そういう出社拒否が出てきます。

 これも結局は、真祈りがみんな浸透してないから、損得を考えるじゃないですか。だから最初に言ったように「同じ給料あいつも俺も貰ってんのに、あいつは何をサボってるんや」っていうんじゃなくて、本当は、その人は処理能力が低いだけなんだけども、まだ一般の生活できるだけは優秀なんですよ。でもそれでも処理能力が低いだけでそう言われちゃうんですね。それをいかに皆んなで支えてあげれるか、なんですけど、その辺が、まだまだ損得あるうちは無理なんです。

 だから皆んなが真祈りできるようにならないとそういう事は解消しませんので、まずは「印可書」を奉読して、すべての全人類の人の心の中に真(まこと)の神さまを立てるんです。すると真(まこと)の神さまの種が皆んなの心の中に宿るの。宿るとそれが芽をふいてきますから。内側からしか変わらないの、人間は。外から何言われたって誰も言うこと聞かないから。ご自分の事振り返って考えて下さい。人から言われて言うた通りした試しはないから。一部を聞いて、それは真似します。やりますけれども十言われて十やれる人は、まずいません。そういうものです。

 それは真(まこと)の本心の自覚があるからなんです。あるからこそ自分でできるって皆んな思うのね。ただ、その思う自分が大きいか小さいかだけなんだけど、その大きいか小さいというのは真(まこと)の神さまの種を皆さんの心の中に入れないと大きくならないんでね。外からは大きくできないんですよ。
それはわかりやすく言うと卵からひよこ孵るじゃないですか。でも、そのひよこが殻を自分で割るからこそ孵るんであって、まだ孵る時期でないのに無理にその殻割ってあげちゃったら死んじゃうじゃないですか。そういう感じで、そのどんくさい人は、要するに処理能力の低い人を責めるいうのは、その人を殺してるようなもんなんですよ。だから、それが溜まり溜まって戦争という形になって出てくるんでね。その辺は理屈で言うとこうなるんですけども、そんなことを理屈で言ったって今の競争社会では、「そんなんしてたら会社は赤字になって潰れる」とか言われるだけですから。まず「印可書奉読」を真祈りをしてください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 事前にあずかった質問は以上です。会場の方から質問があります。

質問8
 ありがとうございます 自分の意識、肉体の意識で考えずに、何事も印可書を奉読、真祈りをしてから行動に移そうねっていうことだと思うんですけども。その印可書奉読、真祈りをした後に移った行動が、一生懸命を越えて、力むっていうところの癖が出た場合に、どのあたりでバランスというか…。はい、お願いします。

河上さん
 肉体意識で考えるなとか言いますけどね、要するにどういうことかと言ったら、損得で考えるなですよ。だから「印可書奉読」した後でも損得で動いてる時は、まだまだ自分は未熟だなあと思ってください。要はそれだけです。だから損得が働いたら変に力んでしまったり、要するに人からどう見られるかという損得が働いて無理したり。あるいは自分の体を過剰に守ろうとしてね、損得で手を抜いたりとかというふうになるわけです。だから、損得になってるか、なってないかだけです。

 「新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分」にならないと駄目なんですけど。その新たなる下座に立つかどうかというのを「印可書奉読」で沁み込まさないと。理屈では永遠に分かりません。ただ、理屈で考える癖が皆さん付いてるんでね。この前から、損得になってないかと、無意識のうちにも損得になってないかと考えてくださいというふうにお願いしています。

質問者
 印可書の奉読が、もっと深くっていうことで。一言で言うと。その部分が大事だということですか?

河上さん
 はい。

質問者
 分かりました。

河上さん
 だって無意識に損得になってるじゃないですか。無意識になってる時に気付かないでしょう?(はい。)

 例えば、仕事を一生懸命やっていてね、疲れてくるじゃないですか。疲れてきたときに、あと一時間無理して頑張ったら、この仕事は片付くと思って、無理してしまう人としない人とあるんですけど、どっちも間違いなんですよ。その辺がね、理屈では分からないの。だから損得という指針を持って、ある程度動けば良いんですけど、理屈で損得ばっかり考えると、もうそれは真祈りじゃないんですね。それだけなんですよ。

 だから真(まこと)の本心の自分の自覚を持つしかないんですけど、いつもいつも神さまのお手伝いをする、すると思っていればね、無理をする必要がある時は楽に出来ますし。体は辛いんですよ、体は辛いけどギリギリまで動けるんですよ。その辺の見極めは、もう「印可書奉読」してないとね、無理なんですけど、最初は。

 だから若いうちじゃないと中々悟りに近づきにくいというのは、若いうちはね、無理しても体を潰すことはないから、その限界を見極めていけるんですけど。年取ると無理すると、次、回復しないからね。だからあんまり年寄りには言えないし。何よりも一番は、まず「印可書奉読」して、本心の、真(まこと)の本心の自分を自覚することですよ。それが出来なければ、どんなに理屈で考えたって永遠に堂々巡りします。

 因縁因果の世界というのは理屈の世界なの。理屈というのは、自分と他人を分け隔てて損得で動いている世界を因縁因果って言います。その因縁因果の損得の世界に入ってしまうと、絶対に誤魔化し切れないわけですよ。だから、今生でズルをして損得の得だけを取っていても、生まれ変わったら損ばっかりを背負わされるということがあるわけです。それが因縁因果というんですけど。でも、その輪廻の輪を越えていかなくちゃいけない。それは真祈りしかない。それは真(まこと)の本心の自分を生き切るしかないの。それはもう、ひたすら「印可書」を奉読しないと。理屈抜きの部分なんですよ。

 昔は、道元先生の場合は、ひたすら座り続けたということですね。そういう、ひたすら淡々と、という損得抜きに只々神さまにすべてを捧げるというところなんですよ。無理に理屈で言うとね。でも、今そんなことを言ったって、この現代社会、競争社会でね、成り立たないじゃないですか。だから「印可書」をひたすら奉読しましょうということでお願いしています。「印可書」を奉読していたら必ず見えてきます。限界をいつも破っていくというのが。

 先生のお言葉で借りると「限界破りをしなさい」なんですけど、それって意外と難しいんですよ。先生がいらっしゃる頃は、「限界破りをしようって、こうしたんだけど、ついつい居眠りしてしまいます。」って言ったらね、ある人にはですよ、先生は「それは、全然お祈りになってへんからや。真剣さがなってへんからや。」と言うし、あるい人には「あ、そういう時は休んだら良いねん。」っておっしゃるわけですよ。それぐらい、その限界破りっていうのが理屈では分からない難しさがあったわけです。それがあるんで、もう一人一人を相手にしてるほど、先生ほど僕は神経が強くないので。みんなが同時に一斉に出来ることをしてくれと。理屈抜きで、もう只々これだけで、真(まこと)の本心の自分になれるんだということでお願いして。お願いしたら、命を縮めて作ってくださった「印可書」です。

 だから、そこをね、「印可書」を信じ切れるかどうかだけですね。損得で、「そしたら、「印可書」を読んだら悟れるんやな。」っていう損得になった途端に、もうそれは「印可書」を読んでるだけなの。だから奉読、神さまのお手伝いとして奉読してくださいとお願いしてるのは、神さまのお手伝いとして奉読する時は損得勘定が入らないのでね、お願いしています。

 そういう感じの「印可書」の奉読をされていたら、一斉に同時にみんなを、今回は悟らせる作戦ですから大丈夫、いけます。それまでは自分なりにギリギリまでいつも頑張ろう、若い人はね。あなたのように若い人は、倒れる寸前までいつも頑張ろうってされたら良いと思います。楽をしようと思った途端にすべてはパァです。ありがとうございます もうちょっと?はいどうぞ。

質問者
 印可書奉読で、損得勘定とか自分特有の癖が出る場合は、まだまだ印可書がこう…深まってなくて…

河上さん
 だから、さっき止めた。

質問者
 印可書の奉読によって、本心の自覚が得れるまで、一生懸命なんだけど力まず淡々とひたすら印可書を奉読し続けるっていう…。

河上さん
 生命のすべてを尽くしてっていうのが要る。

質問者
 ひたすら淡々に、同時に生命を尽くして、すべてを尽くして…

河上さん
 自分のすべてを尽くして。

質問者
 自分のすべてを尽くして、ひたすら淡々と力まずにフワっと印可書を奉読し続けるっていうことで。

河上さん
 あんまり理屈で言うと分からんようになる。

質問者
 はい、分かりました。ありがとうございます ありがとうございます

質問9
 すみません、今の質問で。例えば、友達にプレゼントをあげたいっていう気持ちはあって。でも、そのあげたいものが自分の思っていた予算より高くて。やっぱり損得で、「あ、高い。どうしようかな。」と思ったけど…。

河上さん
 無理はしなくて良いから諦めたら良い。(諦めて良い…)

 例えば、安いものを渡してね、相手が喜ばなくても、その結果に一喜一憂しないという覚悟が要るんですよ。今のだとね、「高いほど喜んでもらえるんじゃないかな」という無意識の損得が働いているのね。そうじゃなくて、「本当に印だけなんだけど」で、相手が「なんやこんなものって」思われても良いから、自分の真心(まごころ)だけを送れば良いんです。だから極端に言うと、物を動かさなくても「印可書」を黙って奉読してあげたら、それで良いんですけどね。それでも何か物の形で差し上げたいなと思う時は、それで差し上げられたら良いんですけど、それで相手が喜べる喜べないは関係ないと思ってください。

質問者
 はい。もう一つ。お賽銭なんですけど。金額は本当に関係ないと思うんですが、偶々、手に取ったのが五千円で。千円を入れようと思ったのが五千円を取っちゃって。「あっ…」って持ち替えて千円にしちゃったんですけど。

河上さん
 それで良いです。それで良いです。(良いですか)良いです。もちろん。無理することはない。(はい。分かりました。)

 ただ、明らかに、ここの神社は大変そうだなと思う時はね、自分が無理でなければ五千円を入れてあげたら良いですけど。やはり、ある程度維持して、神社を維持していかないと地震が起こるんですよ。神社というのは地震をとどめるために建てられたものばかりなんです。でも今はどんどん神社が無くなっていってね。そのせいで今年から本当に大変になってるんですけど。只々それだけなんですね。

 それで、村の小さい神社ほどね、「もう、いいんじゃないか」っていうふうに今はなって来て。「もう、いいんじゃないか」じゃないんだけども。やっぱり、総代をするというのは大変ですから。総代をしてくださる方がいらっしゃらないと。神社は神主のものじゃないんですよ。氏子さん全員のものなんですね。本当は全人類のものなんですけど。小さくは氏子さんのものなんです。その氏子さんの代表が総代ですから。総代の方の匙加減一つで神事が決まってしまうわけですけども。本当に小さな石の祠になってでも維持しなくちゃいけないものが神社なんで。本当はそうしたいんですけど、まず、まず真祈りからです。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他、会場から質問がある方はいますか?(質問者がいました)はい、どうぞ。

質問10
 宇宙神ありがとうございます 今、自分の解決したい問題を抱えてまして、考えながら今、損得の話を聞いてたら、ちょっと頭の中が、こんがらがってきまして、その自分が解決したいという問題も損得て考えて解決するのもいいんですか?

河上さん
 いいです、もちろんいいです。

質問者
 1月14日の勉強会で、アルコールは止めてくださいっていうのをお酒は止めた方がいいですって聞かれて、僕、お酒を生きがいにしてたんで、かなりショックを受けまして。

河上さん
 いや、あのね、お酒を楽しむんだったらいいんだけど、お酒に頼るでしょう。(はい)それが問題なんですよ。(それで、お話聞いて)神さま以外のものに頼ると病気になるということです。だから、それはお酒に限らず、ご飯でもカレーライスとかお肉とか色々ありますけど、どれも食べてもいいんだけど、その頼って食べるでしょう。

 例えば、みんな人のことを笑ってられないんだよ。疲れた時に「あ、疲れたから肉食べましょう」とかね。「疲れたから何食べましょう」「ステーキ食べましょう」とかあるじゃないですか、その人によって、それって神さまに頼らずに物に頼ってるのね。そうして頼ってると例えば、それが癌になっていくわけです。いろんな病気になっていくわけです。

 その病気になるというのは神さま以外のものに頼ったからなんです。それは、お医者様に行くなという意味じゃなくて、お薬を飲むなという意味じゃなくて、すべて神さまの働きでお医者様を通していただく、薬を通していただく、ご飯を通していただく、ステーキを通していただくと思ったらいいんだけど、物に頼るでしょう。そこが問題なの。お酒も一緒です。

 御神酒として神さまの生命としていただいたらいいんだけど、神さまの生命ていただくと、あの「美味しいなぁ」だけで終わるわけですよ。でもお酒に頼ってるともうとことん飲んじゃうのね。飲めばやっぱり神さま以外のものに頼ってるから病気になっていくんです。ただそれが若いうちは、おまけをもらってるから病気にならないけど、大体45歳を過ぎるあたりから成人病って起こるじゃないですか。それは、おまけが消えていってるからです。

質問者
 今回、響きが変わったからアルコールに特に影響が・・・。

河上さん
 だから、影響が特に強く出るように早く出るようになったから若い人でも癌が出ますよという意味です。

質問者
 ただ響きが変わる以前にも、やっぱりアルコールというのは良くなかったんですか?

河上さん
 いや、だからアルコールが悪いんじゃなくて、今、言ったように神さま以外のものに頼ってる心が悪い。それが今までは、45歳を過ぎたら成人病として出てきたのが、これからは若くても癌が出て、癌とか癌に限りらずですけど、いろんな病気が出てというのがなるんで、もったいないからね、若い人せっかく命いただいて、これからこの世を楽しむのにね、楽しめないんじゃないかと思って、ちょっと足しました。

質問者
 勉強会の話を何度も聞いて、その中で解決策は二つあったんですけど、それは、それも損得で二つを選べばいいんですかね?一つは、だから損得で言えばお酒が大好きで美味しいっていうのがあって、それは自分にとって得なんですけど、損で言えば、その代わり病気になって死ぬよいうことなんで、結論は、まあ止めた方がいいっていうのがあるんですけど、(止めれないでしょう)お話の中で、なんか抜け道のような話があって、それは感謝して喜んで飲んだら大丈夫みたいな話なんですけど。

河上さん
 いやだからね、酒に頼るんじゃなくて、神さまの生命としていただいたら、「ああ、美味しい良いお酒だったなぁ」ということで、その最初の一杯で終わるわけですよ。でもお酒に頼ってたら何杯も欲しくなるの。お酒の利き酒そうなんですけど利き酒するって本当に最初の一口だけでしょう、後は味わからないの。わかります?だからお酒もコップ一杯で十分なはずなのよ。それこそ、盃一杯で十分なはずなの味を楽しむだけだったら、でもアルコールに頼るから次から次に飲むの。ビールでもそうでしょう、最初の一杯は「うまい」って言うわけでしょう。みんな働いた後の夏汗かいて働いた後の最初の一杯うまいなと後はもう味わからんと惰性で飲んでるんでしょう、それがダメだって言ってるの。

質問者
 だから、試飲程度で済ます、感謝して飲めれば、おとそのような感じでお正月の?

河上さん
 そう、そうなんですよ、あんまり理屈で言うとまたわからないようになるから「印可書」を奉読して神さまの生命として喜んでいただくっていうふうにしていったら、段々収まります。

質問者
 ただ僕の場合は、感謝しているふりをして、すごく飲んでしまいそうになるので、これは、もうちょっと解説とアドバイスいただかないと決心がつかないなって、本当に1月14日・・・。

河上さん
 本心の自分でないとね、決心はつかないんですよ。だから、なんであんまり理屈で考えたらわからなくなくなるっていうのは、理屈というのは、いわゆる本心でない思いの自分なんです。思いの自分は、いつも堂々巡りするの。だから、決心つくとかつかないって永遠につかないの。本心の自分しか決心はつかないの。本心の自分は「印可書」を奉読しか自覚できないから、もうどうしてもわからない時は、コップ一杯飲むごとに「印可書」を奉読したらいい。

質問者
 一応お話を聞いた次の日から止めれるか減らす?

河上さん
 いや、だから先ずは飲む前に「印可書」を奉読して、それでコップ一杯いただいて、また「印可書」を奉読してやっていたら収まります、大丈夫です。

質問者
 うまくまだいってないので、次の日が飲んでもないのに二日酔いになってしまって、飲んでもないのに吐いてしまったんですよ。

河上さん
 それだけ今までお酒の量が多かったいうことです。

質問者
 そう飲酒量は増してたんで全般的に大好きだったんで、本来なら護摩から帰った日は、晩酌でお酒を飲むんですが、それぐらい全てに・・・。

河上さん
 「印可書」を奉読して飲んで、また「印可書」を奉読して飲んでってしたらいいです。

質問者
 だから、止めれるようには、やってたんですけど・・・。

河上さん
 あのね、止めようと思うとね止めれないんですよ。なぜかと言と止めれないと決めてるから止めようとしてるのね。だから、永遠に止めれない。これは、食欲でも性欲でも権威欲とか色んな欲望ありますけど、どの欲望もみんないいとは思ってないんですよ。名誉欲でもね。いいとは思ってないんだけど止めようと思うんだけど止めれないというのはね、止めようと思ってる時は、既に止めれないって決めてるのね。だから無理なんです。だから理屈で考えるとわからなくるよって言うんですよ。だから止めるとか止めないとかもう一々考えずに「印可書」を奉読だけに徹したら、自然に収まります。大丈夫です。

質問者
 後、細かい部分の確認をしときたいんですけど、甘酒、米麹から作る甘酒と酒粕から作る甘酒は大丈夫ですか?どっちも?

河上さん
 どっちも大丈夫ですけど、あれは糖質がすごく多いのでね、年寄が飲むと糖尿病になります。若い人でも飲みすぎたら糖尿病になります。

質問者
 これもあまり飲み過ぎないように?

河上さん
 だから、先ず「印可書」を奉読してね。

質問者
 後、料理にお酒を使うのは大丈夫ですか?

河上さん
 大丈夫です。

質問者
 これが、ちょっと手強かったんで結構多めに入れて・・・。

河上さん
 料理にお酒使うのはね、いろんな意味でそのいわゆる発酵という部分が神さまの生命なので、それを料理に入れてアルコール分は加熱するごとに飛んで、主成分だけが残る。発酵成分だけが残るからそれはいいことですよ、大丈夫です。

質問者
 禁酒を始めても料理には、しっかり使っても?

河上さん
 大丈夫です。熱を加えてくださいね。

質問者
 作りおきの梅酒もあって、梅だけ食べるようにはしてたんですけど、やっぱりちょっと名残惜しんで、スプーンですくって、ちょっとなめて・・・。

河上さん
 だから、「印可書」を奉読してやってください、どれも。「印可書」を奉読してなめて、また「印可書」を奉読してなめてってしたらいいです。「印可書」から逃げるとね止めれなくなるから。

質問者
 代わりにコーヒーとか緑茶を飲み出したんですけど、将来的にそれもダメっていうことにはならないです。

河上さん
 ならないです。

質問者
 どれもこれもダメになったら、もう辛いな思って。

河上さん
 「印可書」を奉読してたら必要なだけを取るようになるから大丈夫です。

質問者
 もっと究極的には食べ物全体の波動が響きが変わったとさらっとおっしゃられてったんで・・・。

河上さん
 それどういうことかというと、いやいやどういうことかというと例えば、今までだったら一日ご飯は、朝昼晩、例えば、おにぎり三個が朝昼晩一個ずつ最低はいったという状態だったんですけど、これからは、本当にそれの十分の一でも大丈夫な時代に入ったということです。だから、本当にもう天変地異が起こるわけですよ。だから、いろんな意味で植物、お米でも小麦粉でも何でも取れる量が減っちゃうのね。減っちゃうけど慌てることはない。響きが変わってきたから少ない量で大丈夫になるんですよ。でも食べるものに頼ってる人はね、その少ない量が耐えれないの。神さまに頼ってたら少ない量で十分満腹感もあるし元気も出るんだけど、これだけ食べなくちゃいけないとみんな思い込んでるからね。そういう人は大変苦しいよということです。

質問者
 だから、基本的にはお祭りとか正月に食べるような糖質類は、なるべく取らないように心がけて。

河上さん
 そうですよ、あれは本来、お餅でもお米でもそうですけども、祝い事の時に神さまにお供えして、そのお下がりをいただく、みんなで、ここでやってる護摩の後にやってるような感じで、みんなでその神さまの生命、喜びを分かち合って、分け合って食べるという意味ですから、そういうものが糖質であって、普段食べるべきものではないんです。また昔は、それくらいお米も小麦粉も取れなかったの。お祝い事の時以外は取れなかったから、田植えの後の半夏生でね、暑い中、田植えして御苦労やったなぁということで、みんなでちょっと休憩も兼ねて半夏生餅食べようとかね、地域によって色いろでありますけども、あるわけですね。お正月はお正月で新しい年を喜び合うということで、そういうことをしたということです。何よりもお正月は火を使ったらいけないんでね。昔は冷たいままのお餅を本来は食べたんです。今はそんな言うたら誰もできないからお正月三が日から火を使ってますけども、本来は三が日は火を使ったらいけない。もうでもそんなことを言ってたら、また宗教になっていくから、もうそんなの今のままで大丈夫です。

質問者
 後、ちょっともれてたのがお酒を原料とする、ビール酵母を元にしたサプリメントとかは変わらず大丈夫ですか?

河上さん
 大丈夫ですよ。

質問者
 後、発酵食品とかも変わらず大丈夫ですか?

河上さん
 大丈夫です。ただ、どの形にしても発酵食品は、神さまの生命が大きく働いてるから体にいいわけですよ。でも、その神さまに頼らないといけないのに、例えば発酵食品に頼るようだったら本末転倒なんです。だから、まず「印可書」を奉読して、神さまに全てを捧げるという気持ちになってから食べられたら大丈夫だということです。

質問者
 だから、ちょっと今、禁酒してましたけど、感謝してお神酒程度に嬉しき、楽しき、有難き。

河上さん
 だから、「印可書」を奉読して飲まれたらそうなります。

質問者
 先ず一杯までなら大丈夫です?

河上さん
 だから、量はね、「印可書」を奉読して、何杯も飲みたいでしょう。一杯で収まれないじゃない。

質問者
 はい、それが問題なんです。

河上さん
 だから、「印可書」を奉読したら飲み、「印可書」を奉読したら飲みってされていったら自然に収まります

質問者
 ありがとうございます だいぶ大おまけいただいて、はい、もう本当にもんもんとしてたので助かりました。多分、食べ物自体の響きがもう変わってきたいうことなので

河上さん
 そうです、ちょっと量で間に合うようになったんです。

質問者
 だから、いざとなったら粘土食べるぐらいの努力も始めてた方がいいんです?

河上さん
 もちろんそうですけどね、今、食べ物がある時に粘土食えっていっても食えないでしょう。だからいいですよ。何もなくなったら、そういうのも食べてちゃんと生きていきますよという。要するに神さまは、いつも一番いいようにされてるからみんなを困らせるようなことはしないんですよ。だから、なんで小麦粉も米も取れないのにどうするのって言けどそのちょっとの量で生きていける状態になったから、そうなっただけなんです。それをわかればいいんだけどわからない人は取り込むじゃないですか。取り込めば取り込んだ奴のを取りに行こうって言ってね。昔の米騒動じゃないですけど打ちこわしじゃないですけど、喧嘩が始まって戦争なっていくからということです。

質問者
 こんな重要な話は、ここに集まられてる方は聞かれてますけど世間一般は、響きが変わって。

河上さん
 いやだから、まず真祈りでみんなの心に真(まこと)の神さまの種を蒔かないとね、なんぼ口で言ったって信じない人は信じないし、大体仕事で指図したって誰も言うこと聞かない。よく言われたようなことはするけど、ちょっと違うことを必ずみんなするからどんな優秀な部下でも上司の指示通りしたためしはない。どんな世界でも。それぐらいみんな言うこと聞かないって。

質問者
 すいません、ちょっと緊急に聞きたかったもので、だいぶ日がさしてきましたので、前向きに生きれそうです。ありがとうございます ありがとうございます

司会者
 他ないですか?(会場からの質問はありませんでした。)では、お話お願いします。

河上さん
 あの本当に甲辰(きのえたつ)の、先生が亡くなれて丸ちょうど6年経ちました。今年から7年目に明日から7年目に入るわけですね。まあ、先生からは6年で勝負決めてまえって言われてますので、その勝負の年です。勝負の年に色んな意味で、なかなかあって、今年は本当に色んなことが起こります。起こるけども必ずいいようになりますから現実に起こってる状態を悲惨だと思わずにお願いします。

 この護摩の真祈り次第で、どんどん例えば。あと震度7が3回ぐらい起こるんですけども、この護摩の真祈り次第で震度6とか5で、震度6とか5を10回ぐらいで収めれるとかというふうに変わりますのでね。最悪のパターンは、本当の真祈り人にはちょっと言いましたけども、ここでは言わないでおきます。その最悪のパターンを起こさずになんとかもっていきたいと思ってますし、今日も護摩はうまく成功してましたし、大丈夫だと思っています。ありがとうございます また来月お会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございます 

司会者
 ありがとうございます 本日焚き上げた護摩木の枚数は9万9498枚でした。来月3月の護摩焚きはステージを予定しておりますが、積雪や道路状況によって、ありがとうボランティアグループの敷地内になることもありますので、掲示板や掲示板が見れない方は、ありがとうボランティアグループの方に問い合わせしてくださいということです。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/wtbnyFF5R0Q

 宇宙神ありがとうございます


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2月光の交流会 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年02月19日(月) 10時52分
PC

令和6年2月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年2月光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。(You Tubeありがとうございますmt 通205:色んな意味を込めて真(まこと)のありがとうございます20120505前半の一部カットした内容です。)

先生
 真(まこと)のっていう言葉がどれだけ大事かってよくわかる。神さまから受け取るって言っても、神さまも真(まこと)の神さまと虚の世界の神さまとある。真(まこと)の神さまっていうのは、真(まこと)って付けないとわからない。

 真(まこと)の神さまからのプレゼントは、その言葉通りに受けるんだけど、真(まこと)の神さまの世界にあるものを言葉にしないと波が合わないと受け取れない。虚の世界は、真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)の受け損ない。受け損ないだから、残像、足跡、余韻の世界。その後は言葉通りの夢、幻、錯覚の世界になる。後は、もう言葉通りよ全部、プラスもマイナスもね。

 まだ残像、足跡、余韻の間はいいのよ、本物の響きを感じてるの大きくも小さくもね。でも、その後よ、後、余韻が消えていくと虚の世界は言葉通り。言葉で作って、言葉で現実化して、言葉で言葉通りに感じてるだけの世界。だから、本当に真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)を感じ取れるかどうかって、単なる言葉じゃ波が合わない。

 まず「ありがとうございます」唱えてるけども、「真(まこと)のありがとうございます」を唱えないと真(まこと)の神さまをキャッチできない。「真(まこと)のありがとうございます」って何かって、それも色んな意味の言葉を全部、中に収めてないと「真(まこと)のありがとうございます」になっていかない。浅い小さいものでは、「真(まこと)のありがとうございます」にならないから、唱えてるようだけども引き合わない。

 だから、「ありがとうございます」って、単なる「ありがとうございます」だったら、虚の世界の「ありがとうございます」、プラスの言葉の一つになってしまう。それを「真(まこと)のありがとうございます」にまで高め上げていかないと言葉通りに受け取るって言っても真(まこと)の神さまを受け取ることはできないかもしれない。だから、常に真(まこと)の真(まこと)のって付けないと虚の世界のものになってしまう。

 天の岩戸開きっていうでしょう。それも虚の世界の天の岩戸開きと本物の天の岩戸開きと全然違うよ。同じじゃないよ、同じじゃないよ。虚の世界の天の岩戸開きでも色々段階があるよ。

 本心の心って言っても、本物の本心の心と虚の世界の本心の心とあるよ。例えば、空に雲が一杯漂っているでしょう。黒雲が一杯って、太陽の光が見えないって状態で、雲の裂け目ができて、太陽の光が差し込んだら天の岩戸開きと同じよね。思いの心で一杯の所へ思いが消されて、光がすーっと入ったら、天の岩戸開きかなぁって錯覚するでしょう。

 だから、天照大御神さまって言っても虚の天照大御神さまがある、それも段階が色々よ。だから、思いの世界がちょっと思いの雲が消されて、虚の世界の天照大御神さまの片鱗がちょっと入っただけでも、天の岩戸開きって喜ぶ人があるよ。みんな暗黒の世界にいてたらそうよね。それまだ虚の世界の低い段階の天の岩戸開き。

 虚の世界でも、もっともっと大きい天照大御神さまと出会っていかないとダメよ。だから次元が変わると感じ取れない、波が違うから。だから次元が違うっていうことがもう、岩戸になっている。絶対開かない岩戸、岩の戸になっている。

 だから、光の世界を抜けたからって、そこからまだ次元を高めて、より本物のっていう、虚の世界でも、より大きい天照大御神さまと出会っていくのよ。これも天の岩戸開きが何回も起るよ。より本物の天照大御神さまに近い、虚の天照大御神さまに出会うの。だから小さい光から無限に大きい光まで段階があるよ。

 一番最初の初歩の天の岩戸開きは、思いの雲を抜けて、虚の世界でも光、プラスの方の大きい光を感じたら天の岩戸開きって、みんな思っているの、最初はそうよ。光の世界を抜けてから、今度は、より高い次元の天の岩戸開きをしていく。本物、より本物に近い天照大御神さまに出会っていくのよ。それも波の合わせ方で、どんどん変化していく。

 本物の天照大御神さまに出会うっていうのは全然違うよ、また。虚の世界から本当に抜け出て、本物の天照大御神さま、それも真(まこと)の世界の一大循環の入れ子構造の天照大御神さま、一番末端の小さい天照大御神さまと出会うだけでも、本物だから、虚の世界の一番上の天照大御神さまより無限倍、素晴らしい。

 本物の世界に入るっていう天の岩戸開きは、光が虚の世界に入ってくるのと違うの、反対なの本当はね。虚の世界から抜けていくの、自分が虚の世界から、真(まこと)の神さまの世界に入っていくのが、天の岩戸を開いて出会っていくの。虚の世界は下から上に上がれない、だから入ってきてくれる光を受けて喜んでる。

 でも本心の心の自分に戻ったら、真(まこと)の神さまの方に入っていくのよ。自分を与え尽くして捧げ尽くして、神さまの中へ飛び込んでいくの、その時に天の岩戸を開いて、神さまと一つに合体していくの。神さまを呼んで来てもらうのと違うの、今度は自分の方から神さまの中へ入っていく、自分を与え尽くしていくの、本物の世界の天照大御神さまと出会うのはそうよ。

 思いの世界のは、虚の世界のは、まだ求める心があるから、求める心と与える心は全然違う。ちょっとでも求める心があったら、まだ思いの心。だから、与えてもらうのを待って、受けて喜ぶ。本物の与える心だったら、自分の方から与え尽くして、神さまの中へ一つになって溶け込んでいく、一体化していく。本物は常に自分を与え尽くすしかない。一切報いを求めないで、与え尽くすだけっていう生き方で、神さまに溶け込んでいかないとダメ。

 虚の世界は求める心と、また与えて求める心と、与えるだけっていう心と三つあるよ、虚の世界ね。でも、虚の世界の与えるだけっていう心も、まだ純粋じゃないよ。多分、与えたら循環して与え返されるっていう期待する裏心があるのよ。与えたら循環してくるって思ってるのまだ。だから、求めてるのちょっと。

 表面に出てないけど求める裏心がある。これ、まだ虚の世界。いくら報い求めて、与えてる、与えてるって言いながら、本物にまだ成り切れてないのはそうよね。本物は絶対、報い求めない。何も期待しない。本当の恩返しもそうよ。与えられたから、ありがたいから幸せだからって、後、報い求めないと、恩返しに生きるでしょう。恩返したから、また与えてもらうとは期待しない。

 本物だったら、また与え尽くしてもらう。神さまの愛が、一切報いを求めず、与え尽くすだけの働きだから、ちょうど波が合うの。恩返しに生きても一切求めてないからピタッと波が合うから、一大循環の相象(すがた)が循環していて感じ取れるになってくる。でも、ちょっとで求める裏心があったら、波が合わない。ちょっとズレてる。だから、一大循環の本当の神さまの愛の響きとは、ちょっとズレてしまう。だから、一大循環の相象(すがた)がわからない。本物の神さま、真(まこと)の神さまに出会えないってそこよね。だから、波がどれだけピタッと合うかよ。

 だから、同じ与える心って言っても、真(まこと)の与える心よ。やっぱり、真(まこと)って付けないと、付けないとわからない。単に与える心だけではダメ。本当に純粋な真(まこと)の与える心よ。

 でも、虚の世界も実の世界もそうだけど、次元を上げていく方法は、与え尽くすだけで、押して扉が開いていく、上への扉はね。プラスを与えて扉が開く。神さまの方へ向かって、プラスを与えて扉を押して、押して開くようになってる。求める心は必ず、引っ張るでしょう。引っ張って開く扉は、下の扉なの。これは元々、下へ落ちないようにしてある。落ちにくいようにしてある。押して落ちるんだったら、重みだけで落ちる。だから、下へ落ちにくくしてくれてるんだけど、求めたら、下への扉を引っ張って開ける。それで下へ落ちていく。

 だから、求める心を起こすほど、下へ落ちていく。与え尽くすだけで上の扉が順番に開いていく。これも、上へ登りやすくしてる。神さまに向かって前へ進めば進むほど扉が開いていく。道が開いていく。上へは登りやすくなって、下へ落ちにくくなってる、元からそうなのね。でも、これを上手に活用しないと、求める心は下へ落ちていく。

 元々、虚の世界から真実の世界へ登るためにっていうふうに、別に神さまそんなの何も考えてない。本当は虚の世界に落ちないようにって一生懸命、護ってるはずなの。だから、一大循環の相象(すがた)でも、スピードが早い、物凄いスピードで変化する。だから、これは、掴んで自分のものにできないようにしているの。掴んだら、自分のものにしたら、次、絶対、新たなプレゼントを受け取れない。だから、絶対掴めないように自分のものにできないようにしてるんだけど、それでも掴んで、自分のものにしたって思ってしまう。思いだけだけど。これを掴んだ、自分のものにしたって思うだけで思いの虚の世界へ転落する。

 でも、実際掴んだんだったら、もっと大変。掴んだんだったら、遠くまで飛ばされる。単に掴んだと思ってるだけだから、まだいいのよ。だから、残像の世界だけっていう。それで、すぐにもう一回、新たな受け直しができるようになったら虚の世界から、すーっと抜けられる。

 実際掴んでしまったら大変よ。お返しするだけで大変よ。掴んだものをお返しするって大変なことになる。でも、掴んでないの、掴んだと思っただけ。だから、錯覚よ。だから、すぐに変わる。新たに新たに一大循環の相象(すがた)を受け直せたら、すぐに神さまと出会えるようになる。本当に言葉だけなのよ。本当のプラスの言葉を使えたら、神さまを受け直せる。ちょっとズレたらダメ、波が合わない。

質問
 全部、錯覚?

先生
 虚の世界、全部、錯覚。本物を受けるまでは全部、錯覚。だから、錯覚っていうのは、まだ言葉が足りない。だから、同じ一大循環の相象(すがた)って言葉で言ってても、本物の一大循環の相象(すがた)は、言葉を超えて想像絶する凄い動きのすがたよね。それを具体的に捉えていくのが、真(まこと)の祈りになっていく。

 だから、祈りって言うだけではダメ、真祈りって言わないと。単なる「ありがとうございます」祈りって言ったら、虚の世界に祈り。真(まこと)のありがとうございますの真祈りが本物の真祈りになっていく。

 だから、もう常に思いの自分じゃなくて、本心の自分が祈るのよ。思いの自分の祈りは偽物よ。いくら「ありがとうございます」を唱えたって、「真(まこと)のありがとうございます」だって言ったって偽物よ。本心の自分が真(まこと)のありがとうございますを唱えるって言えば真祈り。

 だから、どこまでもどこまでもそうよ、「真(まこと)の自分」って言わないとダメ。真祈りでも、真(まこと)の祈り、「真祈り」って言わないと。やっぱり言葉が足りないと、波が低くなってしまう。

 本当に言葉通り。言葉通りにしか受け取れない。だから、どこまでも、どこまでも神さまを褒め称えて、感謝して、恩返しに生きて、全託に生きて、本当に愛する心をしっかりと持たないとっていう。「ありがとうございます」の持ってる全ての働きを総動員しないと神さまを感じ取るまで波を合わすのに大変なの。

 まあ、虚の世界のプラスで喜んでるんだったら、それはそれで仕方ないけど。その程度喜んでるんだったら、そんなのお祈りも何も必要ない。でも、本当の神さまと出会いたい、神さまの愛を感じ取りたいって、そうでしょう。本当の神さまのプレゼントを受け取りたいって言うんだったら、受け取るためには真剣さがいる。惰性に流れては受け取れない。

 川の流れでもそうよ、川の流れでも、押し流されたら、惰性に流れて本源へ近付けないじゃない。だから、真(まこと)の神さまは絶対の中心って、そこへ近付こうと思ったら、川の流れの流れを遡るぐらいの真剣さが必要になってくる。より新たに新たにって、受け直さないとね。

 だから、そういう言葉が必要になる。より大きい言葉、より新たな言葉、本当に新たな一言選ぶのでも大変になる。

 だから、これ本当の言葉を選べてるかどうかって、いつもこう試されてるのよ。戦争で、そうでしょう。爆弾が落ちて、弾丸が飛んでくる中で、そうでしょう。「ここが完全平和」って本当に自分が実感できるかよ。地獄絵図の中に置かれて「ここが、神さま世界」って本当に言えるかどうかなの。言えないとダメだよ。地獄に心奪われてるようだったらダメなの。戦乱の真っ只中にあっても、そういうのに心奪われたらダメなの。やっぱり言葉選びができてないって言われる。

 だから、現実っていう、そうでしょう。言葉通りの結果としての現実は、後からついてくるもんじゃないみんな。現実だからって、それをそのまま受けてるようだったら奴隷よ。それは、運命の奴隷なの。新たな一言を選んで現実を変えないと運命の支配する自分になれない。

 だから、必要な言葉を選んで、しっかりと駆使する、使えて、はじめて運命を支配できる。現実を言葉通りに作れるのよ、変化させられる。だから、常に試されてる。

 本当に言葉選んでるか?言葉で支配できてるか?現実に振り回されたら支配されてる。現実で影響を受けて言葉を選んでるようだったら、もう運命の奴隷、環境の奴隷よ。だから、反対にならないと。だから、地獄絵図の中でも、「ここが極楽世界」って言えないとダメ。

 病気になってても「完全健康」「完璧な自分」って言えないとダメなの。常にそういうふうに言えないと言葉選びができてないってなる。だから、現実っていうのは、過去の残像としての現実なんて相手にしてたらダメよ。

 ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
  https://youtu.be/y8TY4KsmmLE
 
 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2024/02/04(Sun) 07:32 No.3173 [返信]


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つらいいじめつらい仕事ばかりさせられるとき by 河上あきのぶ [Mail] 2024年01月22日(月) 13時01分
PC

誠意を尽くす・・・。

 誠意を尽くして精一杯動くについての重ねてのご質問が多いので、再度説明いたします。
 精魂込めてを別の言い方として、誠意を尽くすと申し上げました。

 具体的には、自分にとって、邪魔くさくて、めんどうくさくて、苦手で、いやなこと、逃げたいこと、避けたいこと、を、喜び勇んで行うことです。
 そのためには、それが、一番の神さまへのお手伝いであり、真いのりの近道であると、信じることです。

 それを、辛抱して、いやいや、ストレスをためながらすると、どんな作業をしていても、お互いにぶつかり合い、けんかが絶えないということになるのです。
 では、どうすれば?ストレスを貯めないか?と、申しますと、一番は、まず、損得勘定をすてさることです。
 なにがあっても、自分にとって都合悪い、つらいことは、一番の神さまへのお手伝いと信じ、喜ぶことです。
 過去世から眺めれば、どんなつらいことも、一番、小さく楽に済まされいることばかりなのです。

 肉体を受肉して、この写し世に生まれてきてこれた、幸運を思い、宝くじの確率よりも小さい確率で、生まれてきた幸せを知れば、どんないやなことも何万分の一で済まされて行くことばかりなのです。

 そればわかれば、捨て石となって、みんなのすべてを支える覚悟ができ、一切のマイナスを自分のものとして背負う覚悟ができ、いつも、割にあわない、不遇ばかり続くことを、喜び勇んでこなしていけるようになります。

 宇宙神ありがとうございます


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1月勉強会 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年01月22日(月) 12時37分
PC


質問:いつもお世話になっております。私は介護の仕事をしているので、マイナスの現実を見る事があります。神書319ページに「現実を見るのであれば、マイナスの極から光一元に眺めて、すべてをプラスに見直して、褒め讃え・感謝し・喜ぶことが大事なのです。」と書いてあります。自分自身、現実をどのように見るのが良いでしょうか。よろしくお願いします。

河上さん:現実というのが、遠い遠い過去だというのが、まず分からないと駄目なんだけども。

一瞬一瞬新たなところから見たら、現実はもう、本当に遠い遠い過去なんですよ。先生が仰る通りでね。でも、その遠い遠い過去の部分を今だと思ってるでしょう?それが一番の間違いの始まり、苦しみの始まりなんですね。色んな表現で説明しますけども、いわゆるマイナスの極にとって、すべてを真(まこと)の神さまとして拝み上げるということなんですけども、そんなん言われたって分からへんわね。

 でも、その現実に向かう時に、一番どういう心持ちが大事かと言うと、その責め裁く思いですよ。自分と他人、自分と神さまを分け隔ててね、比較して理屈で考えて、駄目だ駄目だって責め裁く思いが一番の問題なの。

 で、今までの宗教のほとんどはね、日本は悪魔の国だとか、天皇陛下は韓国に来て土下座せえとかね、もう責め裁く思いばっかりなんですよ。そういう責め裁く団体というのは、自分が責め裁かれて、どうしようもなくなっていくというのすら気付かないくらいね、その現実を、みんな掴むのね。

 で、結局は、介護の仕事をしてたら、ご老人という、この世的に見たら何も出来ないマイナスの姿ですよね。そのマイナスの姿は、やっぱり無意識に、「なんや、こんなんも出来ないんか」っていう感じで責めていくわけですよ、無意識にね。

 それは例えば、印可書を読むのをね、淡々と読めって言っても、どこか無意識に損得勘定が入ってるんだけど、それに気付かないくらい、みんな、要するに損得勘定ですよ、自分と他人を分けるというのは。自分にとって得か損かというのが無意識に働いて、それが結局、責める思い、マイナスの思いになっていくの。

 だから逆に言うと、自分にとって得なことがあったって、それはマイナスの思いなんですよ。だから損得って考えたら、どっちをどう見たって全部マイナス。

なぜかと言うと、損得ということは自分が一番上であってね。要するに、自分にとって得かどうかですから、自分が一番上って、すべてを下に見てるわけ。もうその時点で、大きな差別というか、分け隔てがあって。分け隔てた途端にね、すべて本来光なのに、分けれないものを分けようとして苦しみ出すわけです。

本来、光のものを分けられないのね。海の中に入ってね、まあお風呂でもいいや、「水と自分は別だ!別だ!」って一生懸命思って、必死で水を避けたって、分けられないでしょう?水と自分が、お湯と自分が一つになるじゃない。でも、なんとか分けようとしてもがき出すんですよ、自分と他人を分け隔てて考え出すと。

 だから考えるなとか、理屈を言うなとか、理屈で考えるなとかいうことを言うんだけども。損得が働くと理屈が働くわけですよ。もう、そこだけなの。そこだけだけど、損得が働いてないつもりにみんななってね。

善人ボケって言うんだけど。「自分はそんなんしてへん、自分は…」とこう思ってるわけ。でも、「自分は、そんなんしてない」と言う時点で分けてるんだよというのがね、それすらも気付かないくらい、人類は過去を掴む。要するに、それを過去を掴むっていうんですよ。そこから逃げられないのね。現実を掴むというのは過去を掴むことなんですけど。そういう部分が、今理屈で説明したら、そうなんかなあ、なんだけども、実感としてみんな分からない。

 で、責め裁いてる方が楽なのね。自分が安全な立場に立ってるような気がするから。だから先生という鎧を被るとね、先生って呼ばれると、みんな舞い上がって崩れていくのはね、先生と押し上げられると、もう自分が一番安全な位置に立っててね、それでお前ら分かってないって言って…なるわけですよ。それが一番分け隔ての、要するにマイナスの最大の思いなのに、「お前ら分かってへんやろ、教えたろか」と言った途端にね、地獄に落ちていくの。

 だから、先生と呼ばれるほどのアホは無しとかバカは無しって言うんだけどね。だから、どんな職業、どんなことに関わらずにね、先生と呼ばれた途端に、みんなおかしくなっていくの、良い人でも。それは先生と呼ばれただけで、もう自分は安全地帯にいるように勘違いするのね。でも、安全地帯にいるというのは、すでにもう、分け隔ててるから、それは地獄に落ちる最大の行為なの。マイナスを積む最大の行為なのね。もうそこだけなの。

 そこをね、理屈抜きに分からないと駄目で。理屈でそうだなあと思っても、無意識に損得が働いてね、(損得で)みんな動くの。

 それは、オギャアって生まれてから、色んな意味で兄弟同士の生存競争というか、あるわけでしょう?親からもね、お兄ちゃんは勉強出来るのに、お前は出来へんなあとかな、一杯言われるわけや。その中で卑下慢になったりね、増上慢になったり、もう色々あるけど、どっちにしたって、「私はあかんねん」って言っても、「俺は出来るねん」って言ったところで、「私」、「俺」って言った時点で分けてて苦しみが始まってるの。

 だから、いつも言うように、結果に心を奪われるなってね、結果を気にするな、人から後ろ指を指されても覚悟の上やって言うのはね、分け隔てたら後ろ指を指されるのも気になるし、結果も気になるし、出来る自分も、出来る自分は出来る自分で、もっと出来ないかって気になるし。出来ない自分は出来ない自分で、出来ないから自分は駄目だって気になるしっていうね。しなくて良い苦しみを勝手にみんな苦しむの。本当は、そういうシチュエーションを楽しみに来てるだけなんだけど、本当はね。本当はそうなんだけども、それすら忘れて苦しむのね。損得が働いて。そこだけなの。

 でも、こないして理屈で説明したってね、やっぱり分からへんのね。それは理屈で説明するということは、分け隔てた状態から説明してるから、それは本来の状態と違うから分からないの。

 いつも言うように、みんな光や。すべて完璧な一つであって、上も下も無い。上も下も無いというのが分かるとね、一番絶対のマイナスという地獄の一番底に立ってから、上を仰ぎ見たって全部光だって見えるの。でも、上も下も決めてる内はね、たとえ地獄の下に降りたってね、全部マイナスに見えるの。だから、なんでマイナスに見えるかと言ったら、分けて見るからよ。すべて光やったら、分けられないから見えないんだけどね。

 みんなは、ゴミ溜めの中からダイヤモンドを、せめてね、ゴミ溜めの中からダイヤモンドを探そうとしてくれたら良いんだけど、そのダイヤモンドすら、よう探さずに、「ゴミばっかりや!」って言って大騒ぎしてるの。要するに分け隔てたからや。本当は全部がダイヤモンドなのに。自分の心で分け隔てて、「これはダイヤ」、「これはゴミ」って決めてるだけなのにね。その分け隔てたダイヤすら、よう見つけないくらい、絶対のプラスというね、真(まこと)の神さまの光から自分を分け隔てて遠ざけてるの。

 自分でやで。神さまは、みんな平等に一様に真(まこと)のプラスの光を与えるんだけど。それをこの前はね、大きな滝から自分という小さな器で水を受けてね、飲んでる状態って説明したわけだけどね。みんな自分の口から出す言葉の大きさの分しか受け取れない。

 だから、いくら絶対の無限のマイナスに立って、すべて上に仰ぎ見ましょうっていう先生の説明を聞いてね、そうしましょうと思っても、自分が小さかったら、下へ落ちたら余計にグチャグチャになるだけやねんな。だから自分を大きくする、まあ、「大きくする」っていう表現も違って、「自分を無くす」っていうことやね。真(まこと)の神さまと不離一体の本来の自分を知るとか色んな表現があるけども。そこだけなんだけども。

 それを知るためには、ほら、昔の日本の陸軍がね(フィリッピンのジャングルで飢餓状態でさまよっているとき)、チーズという食べ物を知らないから、チーズというのが。本当に飢餓状態でね、お腹が空いてるのに、チーズって分からずに食べすに行ったくらいね、自分が自分の口から出した言葉以外のものは本当に受け取れない。チーズというのを言葉に出してないから、チーズを知らなかったんや。一緒よ。真(まこと)の神さまというのをね、自分の口から出さないと認識出来へん。受け取られへん。

 で 、「真(まこと)の神さまそのものだよ、『ありがとうございます』の十文字は真(まこと)の神さまそのものだよ、悟りそのものだよ、一大循環そのものだよ」って先生は仰るのに、信じ切れないんでしょう?で、「『宇宙神ありがとうございます』は真(まこと)の神さまそのもの、悟りそのもの、一大循環の相象(すがた)そのもの」って先生は仰るのに、やっぱり信じ切れへんのでしょう?で、「『宇宙神』の宇宙というのは太陽系の宇宙か?」みたいなぐらいしか、要するに自分の口から出した言葉分しか受け取れないからね、分からない。

 最初に、そこを信じ切れなかったら分からないんだけど、「真(まこと)の神さまそのものを信じようがないのに、どうするんですか」って先生に、もう僕は泣き言を言ったわけ。で、散々泣き言を言って。信じ切れずとも何とかなるものを出して貰わないと・・・、となると、すると、それは先生の命のすべてを縮めて、先生のすべてのすべてを込めて作るしかないというのが分かってね。もう、それはやっぱり止めてください。(と先生に申し上げた。)もう本当に先生とは色んなことがあったんですけど。でも、一度お願いすると先生は後へ引かないのね。で、自分のすべての命を縮めて、すべてを込めて印可書というのを作ってくださいました。

 だから先生のすべてを込めた印可書だから、印可書は訳が分からなくとも、出来るだけ損得勘定抜きで読めばね、入るようになってるの。それさえ口から出してたら、自分の口から出した言葉は全部受け取れるから(印可書は眞(まこと)の神さまそのものだから)、真(まこと)の神さまを受け取れるようになってね、これだけ今、皆さんの心境がグっと上がったの。もうちょいなんだけど、いつも言うように、ちょっと自覚を止めてますから。みんな一遍にいくからね。あれですけども。

 ただ、「宇宙神ありがとうございます」でいく人はそれなりの覚悟を持ってやってください。どう説明して良いか分からないですけども。ハッと気付いたらね、印可書を選んだ人だけがいってて(悟ってて)、自分は取り残されてたということになりますけども、本人の自由意志までは縛れないんで。真祈りを選び取れない子は見捨てます。また、そういう人は無間地獄に降りていかないと気付かない。実際、体験しないと気付かない。イエスの言う、「見ずして信じる者は幸いなり」や。実際に見て体験しないと信じない人は、見て体験してもらう。

 どういうことかと言うと、無間地獄というところはね、自分でどうこうしようと思う人が行くところなの。自分でなんとかしなくちゃという人はみんな、どんな優秀な人でもですよ、IQが180あってなんでもこなす人でも、自分でなんとかしようと思ってる人は、みんな死んだら、死んだらね、無間地獄に落ちるの。無間地獄というのは真っ暗で音も聞こえず、もう一切の感覚がなくて、只々押しつぶされていく感覚があるだけです。で、その中で、自分でなんとかしようと、もがきにもがいて、もういよいよ自分の力で何も出来ないってハッと気づいて、「神さま!」と言うまで、無間地獄を彷徨うことも出来ない。そこでじっと縮こまっているだけです。その体験をしないとね、みんな分からないのね。

 で、印可書を選び取られた人というのは、その無間地獄で散々その体験をしてきた人だから、無意識にね、やっぱり印可書しかないと分かるわけで。もうその辺だけは、本当は、もう全員連れて来いっていう先生の厳命なんで、全員なんとかしようしようと6年頑張りましたけども。とうとう甲辰(きのえたつ)に入ってしまったから。申し訳ないけども(印可書を)選び取れない人は見捨てます(おまけを出せなくなったということ)。見捨てるというより、本人が自由意志で行くというのを止められないのね。もうそれは仕方ないです。

 そういう感じでね、一番下から仰ぎ見るというのは、それくらい、自分の意識次第で、理屈で言ったらその通りなの。でも、それを言って散々悩んで苦しんで、「どうしても下から仰ぎ見たって光に見えへん、全部マイナスに見えます」と言ってね、泣いて聞きに行かなあかんかってんて。そしたら先生がパンって引き上げられたんや。今は印可書で引き上げる時代なんで、やり方が違いますけど。印可書で全員一斉に引き上げますから。

 でも自由意志ですから、選べない人は選べない。その人の好きな所へ行けば良い。誰も止めようがない。止めたいけど止めれない。そんなん我が嫁さんでも言うこと聞かへんのに、誰が聞くねんっていう、いつものフレーズですよ。我が旦那すら言うこと聞かへんのに誰が言うこと聞くねんって。だって先生の言うことを聞いてきてなかったから、こないなったんやん。こんなん言ったら怒られるけどね。ちゃんと素直に先生の言うことを聞いてたら、こないならへんわ。

 もういよいよ切羽詰まって、本当にどこでどの地震が起こっても、おかしくない状態になって。どこでどの戦争が起こってもおかしくない状態になってしまって。だから、気候、気象で言うとね、この日本でもすごい竜巻がどんどん起こってきます。それはちょっとでも、その戦争や地震なんぞを止めるために、竜巻で台風で起こるわけですけども。それが突然つむじ風みたい感じで吹いて色々とあります、これからね。
 
 もう、いろいろあるけども、そこまで持って行きたくないから、先生は、あっちの世界は、もう大変な状態だから、護摩で真祈りでって、もう絶叫されてたわけですけども。護摩でもお話でね、「あっちの世界は大変なんだよ、こんなんしてたらもう…」って言ってんのにな、みんなのんびりしてたんや。自分の病気がどうの、自分の就職がどうの、自分の進学がどうのとか訳の分からんことを言って。でも、もうそれは終わったことですから。これからどうすべきかをいつも説明させてもらってるだけで。選ぶのは皆さんの自由。

 で、今の神書の部分はそういう部分なんですね。下から仰ぎ見るというのが一番大事なポイントで。だから、例えば介護の仕事をしてたらね、このクソったれのオジンが、クソッたれのオバンが、で構わない。構わないけど、ひたすら「神さま!」って呼んで、自分が誠を尽くすだけっていうこと。それは結果としてね、その人に対して100%その人が都合の良いようには出来ないですよ。おじいさんに対してね。せやけど、自分の出来る精一杯を尽くすというのが大事なんです。でも結果に心を奪われてたらね、腹が立ってくるの。出来へん自分に腹が立つしね。協力せえへんオジンに腹が立つしね。あのクソババアってなってくるしね。結果に縛られるからよ。

 だから特に介護の世界は人出不足でね、決して理想通りに出来へんの。出来へんで当たり前や。出来なくても良いけど、自分が誠意を尽くす、そこだけなの。自分が誠意を尽くしたら真祈りですから、それは。心が響いていってね、オジンもオバンもね、協力してくれるようになるの。そやけど、結果を気にしてたらね、こうしなくちゃ、ああしなくちゃいけないって思ってると、あんたもこうしてくれやって、こっちはなるやん。そしたらお互い縛り合いになって身動きが取れんようになるの。お互いもやし、自分自身でも縛ってるわね。結果をこうしなくちゃ、今日は何人の人をお風呂に入れなくちゃと思ったらね、もうしんどくなるし、入れられる方も辛いしって、全部グチャグチャになるの。

 真祈りというのは、本当に「誠を尽くす」って。だからこの、ありがとうボランティアグループの頭にね「愛と誠を尽くす」って先生が付けられたのは、真祈りそのものだからですよ。でもね、その名前をネーミングしてもらった時に「『愛と誠を尽くす』ってどういう意味ですか?」って、よう聞かんくらいね、みんな先生に頼ってて甘えてたんや。だから村人の作業をしなくて良いって河上が言ってたとか、平気でそういうことを言うの。

 愛と誠を尽くすって言ったら、作業をするとかせえへんじゃない。損得勘定抜きに誠を尽くすだけや!何を言うか、本当にもう。

 でも、本当にね、奥さんだけ。特例があるのは。あとの人は、村人といえども特例は無いからね。自分の自由意志で好きなところへ行けるだけや。それは何を選んでるかや、本人がね。プラスを選ぶか、マイナスを選ぶか、絶対のプラスという真祈りを選ぶかという、本人の自由意志がこれからは最優先されるだけ。もう、こちらは止めようがない。今まではちょっとね、止めようがあったんで、おまけで止めたり邪魔したり色々したきましたけど、もう甲辰(きのえたつ)なんで出来ない。あとは、みんな好きにどうぞおやりください。構わない。ただ、説明したからね。どれを選ぶかはみんな自由だけどね。で、内容全部言えたかな。どうですか?足りないところがあったら言ってください。

質問:この質問の方が、印可書を奉読されてるかどうかは、この内容からは分からないんですけれども、今の話で言うと、誠を尽くす、誠意を尽くしていれば…

河上さん:うん、誠を尽くしたら良いの。せやけど誠を尽くすのをね、自分で誠を尽くせてるかどうか分からんやろう?自分は自己満足でやってるんかな、本当に誠になってるかなっていうのが分かる人なんておらへんて。偽善者だけや。「私は誠を尽くしてます。」って言うの。

 真面目な人ほどな、一生懸命やっても、これが本当に誠を尽くしてることになってるかどうかなんて分からへんて、そこで悩むの。その時に印可書奉読という救いがあるよというだけでね。

 印可書が嫌な人は、悩みながら苦しみながら、頑張って進んだら良いの。これが自分にとっての誠意なのか誠なのかってね。でも理屈で考えてたら、しまいに全速力で走ろうとなってね、自分も潰れるし周りも潰れる、になるねんけどね。でも、それもそういう体験をしないと分からん人は体験するまで何を言ったって聞かへんけどね。そういうことです。だから今、印可書の部分を、今、重点的に説明したんやけどね。

 その「誠を尽くす」というのが、本当に誠になってるのかどうかって、そんなん誰も分からへんで。で、一々、例えば、もし先生が生きていらっしゃったとしてもよ、一々聞きに行かれへんやん、その現場から。一々聞きに行かれへんから、その時に本当に悩んで、みんな先生に、「一切、仕事をしてる時にこうやってんけど、もう本当にもう…」って言ってね。泣いて「私はやっぱり一生懸命できません」って泣いて先生に謝るくらいの人やったら、先生はパッと引き上げられたんや。いや、もう済んだ話やで。今は印可書があるから印可書でいけるから大丈夫やけど。そういう意味です。

質問:誠を尽くすっていうことが、真祈りに繋がるんだけれども…

河上さん:誠というのは真祈りそのものよ。「真(ま)の言葉(ことば)」っていってね。誠というのは真祈りそのものや、本当は。

質問:それは本当の真祈りなのか、損得勘定が被っている真祈りなのか…

河上さん:そうそう。結果を気にする、人からどうかを言われるのを気にしてる間は誠になってへんの。だから、結果を気にしてる間はな、誠を尽くせてないの。人から「何、あんたなんや、こんだけしか出来へんかったんか。」って言われても良いから、自分なりの誠意を尽くせたら良いの。でも、その時に言われて気になる時は印可書奉読しいや、ということです。

質問:で、印可書に立ち戻って…

河上さん:立ち返って。

質問:立ち返って。その時に感じる誠を尽くしていく。

河上さん:そうそう。

質問者:分かりました。ありがとうございます。

質問:続いて次の質問。今日は私にとって緊急の質問となります。私の妻が余命2週間と宣告を受けました。印可書の奉読と護摩木を書くことを中心に進めております。妻の代わりに妻のために、光の柱を立てるという思いで印可書を奉読すると良いでしょうか?

河上さん:はい。まずね、余命2週間って宣告されたらね、喜ばなあかん。だってな、あと2週間や。そしたら、自分の思うね、精一杯のことをしてあげられるやん。普通は、明日死ぬかも分からん。でも2週間って決まってんから。まずそこで、自分の悔いが無いようにしてあげたら良い。もうそれだけよ。そしたら、自分の中でね、真祈りが一番良いのか、美味しいものを食べさせるのが良いとか、あるやん?でも、自分が納得する、してあげたいことを、させてあげられるわけや。2週間という余裕があって。そこを喜んでしたら良いの。

 で、印可書を読めば、奉読したら、損得勘定抜きにね、助けて欲しいとかはいうのは抜きに奉読したら、すべての人に真(まこと)の神さまは降り立つからね。もうそれで済むわけ。

 でも、それで納得出来ない時は納得出来ることを、どんどんしたら良いだけよ。どっちにしたって、2週間という余裕が頂けたくらい嬉しいやん。普通はね、まだまだ大丈夫ですって言ってポッと死なれてみ?悔いが残るで?あれをしといてあげたら良かった、これをしといてあげたら良かったわって。いつ死ぬか、みんな分からへんの。せやのに、喧嘩別れしてね。みんなそうやねん、悔いる人って、みんなそうやねん、喧嘩別れするんよ。ワーって言って喧嘩になるの。で、喧嘩になって別れた後に事故で死にはったとかね。もう色々あるの。そんな人は、もの凄く悔いるんよ。せやけど2週間も貰ったんよ。喜んで、出来るだけ自分が納得出来ることをしてあげたら良い。

 それでね、病気を治して欲しいとか、命を助けて欲しいというのは、もう損得が入ってるからな、崩れていくの。神さまが必要やったら良いようにする。

質問:今のお話で。印可書を奉読してあげられていたら、それで済むというのは?

河上さん:いや、それがな、損得の理屈やね。古い宗教にはあるねんけど、「自殺をしかけてる人がいます。これをどうするんや。」とかいう、訳の分からん質問が良くあるの。それ、損得やというのが分からへん。自殺であろうが病気であろうが事故であろうが、寿命が来たら死ぬんや。せやのに、損得でその寿命を延ばそうとすることが幸せだとういう風に、みんなに勘違いさせてね、地獄に叩き落とすんよ。

 まず、神さまが良いようにするから、寿命が来ても神さまが良いようにするの。それを人間の勝手な損得の思いでね、長生きしてくれたら嬉しいわとか考えるから、その人までグチャグチャに引きずり込んでいくの。

質問:印可書を奉読してあげれば、それで済むというのは、神さまが良いようにするっていう意味の?

河上さん:絶対の信を確立出来るの、印可書を奉読してたら。確立出来ないと思っても喜んでいたら良い。

 だから先生が、いつ死ぬというのは、こっち(河上)は分かってたけど、先生が一切言われなかったのはね、周りが要らん思いを湧かすからよ。で、結果として、先生がね・・・・、あんまりそんなん言うと、周りにいてた人を責めることになるから言わんけども、まあ色々あったわけや。それだけ。

 せやけど、寿命があったら死なないし、寿命が無くなったら何があっても、要するに元気に働いていても突然心臓麻痺で死ぬわけよ、寿命が来たら。長生きしたから幸せではないの。この地上に残って、神さまの響きをどれだけ響かせられたかが幸せなの。どれだけ真祈りできたかが幸せであって、長生きしたから幸せではない。
 
それで、質問の内容は全部言えたかな。

質問者:はい。

河上さん:はい。

質問者:ありがとうございます。




令和6年1月河上さん勉強会−2(20240114−2)

質問:預かってきた質問です。3点あります。1点目。先ほどの質問と重複する部分があるかもしれません。1月護摩のお話で自他を分け隔てして損得勘定が生まれ、マイナスを積み重ねると教えていただいています。神我一体感、自他一体感を得るためには真祈り印可書奉読が大切と教えていただいていますが、日常の自分の生活の中で 損得勘定で動いていないかチェックすることも一つの手段としてあるのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

河上さん: あー、その通りです。そのチェックする方法としては結果に心を奪われない。自分なりに精一杯したら、それが結果としてね、自分が思っている10からみたら1しかできていなくてもいい。例えば、このお祈りの部屋を掃除しましょうと思ってね、いうても電話がかかってきて「ちょっと早く帰ってきて」と言われたら、もう本当にこの辺だけ掃除できても、あーこれで良かったと思って、思える心や。それがあったら損得勘定と違うねん。結果に心を奪われたら、損得勘定に入っているや。分かる?人から後で、「あの人掃除するって言ったのにこんだけしかしてないやん」って言われたらどうしようとかね。あるやん。そういう事です。

宮野さん:あれは?あの、忘れたな。ほら、自他を分け隔てするでしょ?損得だけじゃなくて。

河上さん:だから自他を分け隔てするから、その他人からどう思われるかと思って損得勘定で気になるねん、結果が。全部自分やったら自分から何を言われても気になれへん。

宮野さん:相手に対して、批判だったりとか、悪い言葉もプラスの言葉もかけてるから、結局、相手に対して物申す。自分のいう事を聞かへんてなる訳ね?

河上さん:そうそう。先生は、その自他の分け隔てを止めてね、全部自分やと言うのを思わすために、せやけど、「私あんなに悪くないわ」とみんな思ってるやん。でも他人はあなたの過去世の姿とか、過去世の過去世の姿だとかね、あるいは親はあなたの過去世の姿とかね、子供はあなたの過去世の姿だったかと言ってね、方便でね、結局あなたなんですよ、ということを教えてくださったんだけれども、誰も聞いてへん。聞いてへんか聞いても受け入れへんか、知らんけど。

 もうそんなややこしい説明、ややこしいというか、ダイレクトに言う方がもう早いと僕は思うから、全部自分って。せやけど、自分と思えへん分だけね、結果気になって、あれやって言って説明していますけれど。

 先生のお言葉を借りて言うたら、他人は自分の過去世の姿。自分であることには変わりはない。せやのに他人は自分の過去世の姿いうたら、自分と関係なくて、自分の過去世の姿を他人が取っているみたいにしか受けとれへんねんな。そこが問題やった。自分と関係ない(と違って)、全部自分やねんっていう、そこやねんけど。全部自分やっていう響きを響かせる為に、先生はもう清めに清めてね 皆さんの分け隔てる意識をできるだけ消していかれた。だからこの説明が今通るね。あの頃そんなん言うても、はじかれて聞かへんかった。聞けへんからこないなったんやけどな。

 もう本当はね、もう護摩 7年前ぐらいの護摩から完璧に持って行かなあかんかってんけど、あの辺で凄いもたついたんでね、色々、本当に色々あった。色々あったけど、それは繰り言であって済んだことはもうええね。これからどうするかだけや、常にね。それが結果に心を奪われない、過去を掴まないっていうこと。

 過去を掴むっていうことは、もう悔いるばっかりよ。もちろん体験上、経験上悔いてもいいけれども、これからその悔いの結果、これからどうするねんだけや。これからどうするねんっていう、前向きに心向いてたら結果に心を奪われていないんだけれども。「これからどうしよう」っていうのがなくなって、あの時せんといたら(しなかったら)良かったとか、あの時あれして失敗やった、ばっかり思っていたらな、それは心を奪われている。
 
質問:2点目です。最近の社会環境の変化やインターネットの普及により知らず知らずのうちにより、より一層損得の中に置かれているように思われます。 支払時のポイントを稼ぐとか有利なクーポンを探すとか、マイナンバーカードで高額な現金を貰ったり、ポイントを稼いだりだとか、否応なくそんな中に置かれているように思います。どんな風に考えて対処したら良いでしょうか。

河上さん:はい。これはね、お金という形のものが存在して、お金というのが利息が付くという形の物が存在する間はね、超えれない、避けれない問題やね。本来この現世にあるものは全て消滅していくものでしょう?小麦粉でも卵でも服でもね、へたっていくものや。価値が増えるんじゃなくって、価値がなくなっていくものばっかりでしょう?で、金も金としてあるだけで、価値が有る無いじゃないわけや。そうやけど、価値が無くなりにくいように見えるから金がいいって言われるわけよ。

 だけどお金だけ唯一な、人に貸したら増えるね。おかしくない?そのおかしくないに誰も気づけへんね。お金も例えば 小麦粉とか、お砂糖とか卵とかお洋服とかね、全部総合して大体、年間3% 価値がなくなっていくって、みんなで決めてね、そしたらお金もじゃあ毎年 3%価値がなくなっていくってなったら、こんなややこしいこと起こらへんね。なのにポイントでもそうでしょ?価値が無くなる物の中に価値をつけるわけや。そしたらいやでも損得働くやん。働かすなと言っても無理やしな。それをゲームやと思って楽しんだらええね。これとこれを使ったら、こういうポイント増える、これをゲームとして思っていたらいいねんけども、得やと思ったらあかんね。ゲーム感覚でやっていたら、もうちょっと楽になります。いいかな、それで。はい。

質問:ありがとうございます。3点目です。2024年から大峠がいよいよ始まっていますが、次なる問題を少しでも小さくしていく方法は真祈り、特に護摩の成功にかかっていると、1月の護摩でお聞きしました。護摩の成功のために我々は何をどのように行動したら良いのかを教えてください。よろしくお願いします。

河上さん: もう毎日が護摩なんです。そしてその護摩と言う意味がね、みんな今一、分かってへんねんな。先生は説明してはるねんで、「偉大なる護りだ」っていうのをね。

 本来神さまが常に皆様を守ってね、愛してね、平等に光を降り注がしてね、それはこの世的には空気とかね水とかね、無料で与えてくださるわけでしょ?太陽の光とか暖かさとかね。平等にみんなに与えているのにね、それにまだプラスをして、みんなが積んだマイナスを消すために、「偉大なる護りとして護摩をします」っていうことで始まった訳です。なんで護摩で燃やすのか。神さまに自分の全ての命を捧げる象徴として燃やすって、先生説明しているやん。聞いているか、聞いてないか知らんけどな、もう、まあええよ。だから聞いてない人はもう護摩をやめようとまでしたんや。

 もうそれぐらいね 護摩の意味が みんな分かっていないけれども、護摩は大おまけの大きな神さまのお清めなんです。「 偉大なる護り」っていうのは、「護」というのは守り、「摩」と言うのは「偉大」っていう意味です。それも摩訶不思議って言って、もの凄い大奇跡の偉大さを表す「摩」なんですよね。その摩訶不思議って言うでしょ?日本語でね。そういう意味です。 それが護摩です。

 だから本当は護摩訶不思議っていうべきなんだけれども。まあややこしなるから、もう護摩でいいけどね、それぐらい凄いもんなんですよ。 凄いものを皆さんの日常の中に溶け込まさなあかん。そのために護摩木を普段書いてねっていうことでね。お仕事の最中はひたすら神さまって思っておいて、「寝る前とか朝起きた時に護摩木書いてください」って先生おっしゃったわけでしょ?ね。毎日1枚 書いたって30枚書けるって。書ける人は10枚書けるやろって、先生一生懸命おっしゃってくださったのに、「ほんなら枚数さえ書いたらいいんやね」っていう、また損得の働く人が出てきてな、色々ややこしくなったから護摩をあんまり強調せずに印可書を強調してみたり、色々とな苦労やでこっちは。右に左になだめてね、しているだけで、神さまの偉大なるお清めという愛の大きな愛をね、ただ素直に「はい」って受け止めるだけでいいんです。

 で、そのためにはもう一応形の上ではね、護摩木のためにお金を出す、護摩木を作りに来る、護摩に参加する、護摩を書くっていう色々なことを言いました。で、どれもこれもできる範囲のことを皆様がしてくださればいいんです。

 せやけど、一番大事なのは 毎日が護摩。 毎日自分の命を神さまに捧げることが大事なの。で、その自分の命を神さまに捧げるって理屈で言われて、あっ、捧げたらええんやなで、みんな止まるから話がややこしけど、捧げるって言うのは何かって言ったら「損得抜き」ということです。誠を尽くす、損得抜きで誠をつくすのが神さまに自分の命のすべてを捧げる事です。ちょっとでも損得が働いたら「自分の都合で動いているな」と思ってください。これで分かるかな。

 そういう毎日の護摩をしていただいたら大丈夫。で損得を抜きにしているとね、自然に護摩木を書こうとか護摩に行かなくちゃとかね、護摩にお金を出さなくっちゃとかね、損得抜きに思えるようになります。損得抜きに思えるようになってきたら、もう完成が近いということです。いいですか。

質問者:はい。ありがとうございます。

質問:人からの頼まれ事をですね、それをこう今のタイムリーな時期であれば PTA のお誘いであるとか、役員をどうかとか、よくあるのですが、まあ今まで断ったことはないんですが、いつもはあ・・どうしよう?はあって言うのがあるのですが。思ってめちゃくちゃ 損得というか 忙しくはなりたくないなー。色々。

河上さん:そらそうやろな。
 だから「自分のできる精一杯しかできませんよ」ってもうハッキリ断言して、もう最初に言ったらいいね。お受けしますけれども、自分なりに精一杯しますけれども、皆さんの希望にそうようになるか、なれへんかは分りません。皆さんの期待に添えない時は、誰か変わっていただくか諦めていただくかって言って、先に振っておいたらいいね。そしたら過剰な期待もしないし、ちゃんと行きます。やっぱり、この人やったら何でもしてくれるってみんな勘違いして、言ってくるね。せやけど、一杯かぶせられてもやれる範囲は限られているから、だからその中でそういう説明をしてね、やったらいいね。断りようはないからな、そういうのは。でも受けたからと言って責任があるからっていって全部しようなんて思ったらあかん。やれる精一杯をするだけで。それで人からボロクソに言われても気にしない覚悟があったら受けたら良い。

 結局な、ボロクソにな言われるやろ?あの人何もしてくれへんとかな、ある程度していても。大体こっちが10したってな、1してくれてへん、しかみんな思えへんからな。一切見返りを求めない。ボロクソに言われても気にしないと思ったら受けてください。
 
質問者:はい。

河上さん: 一杯渡しているねんで。 そやけど みんな 大したことをしてもらってないと勘違いしているね。 そんなもんやね。だって子供がそうや。 親から一杯受けているんだけどね、子供は親からあんまり大したものして貰ったと思わへんね。親が死んだ時にはっと気がつくぐらいや。先生にいろいろしてもらっても先生にこれだけして貰ったって気づけへん人ばっかりやのに、どないすんねん。今のボヤキ聞かないで。

質問者:ありがとうございます

河上さん:そうやね。今年はまだ序の口で来年からは、今度は火山も噴火してきてね、凄く大変になるんですよ。仮にバッと大噴火があってもね、心を奪われずに護摩が出来るように持って行きたいんです。もうちょっと本当に追い詰められて止められなくなってきたんでね。

 でも噴いても揺れても心奪われずにね、その時できる自分の精一杯のことをしながら悠々と真祈りしてください。そうならないようにできるだけ引き伸ばして上手く持って行きたいと思っていますけれども。今の時点では来年はかなり際どい。まだ今年が始まったばかりで来年のことをいうのはあれなんですけれども、もっと追い詰められていくんですね。で、それを護摩でなんとかしたいと思っています。

 護摩木の枚数をこだわるのはね、真祈りが全然知らんとか、真祈りをできない人でもね、だまして書いて貰うだけでも真祈りになるのでということで、頼んでも書いてくれない人は、自分がその人の身代わりとなって書いて、書くことによってね、その人に真祈りがを響かせれるんで、言ってるわけで。ただ、枚数書いたらええやなーって、自分がウワーって枚数かくっていうのは、ちょっと違うという事だけは分かっておいてください。自分が結果としては100枚を書くんですよ。 書くんですけれども、100人の人を思って書いてください。それが必要なんです。 その人の護摩の枚数が欲しいんですよ。だから何故か言うたら 自分がひたすら書くっていうたら、自分のためだけに書いていることになるやん。

 だから無意識に損得が働いてくるね。せやけど色んな人、小学校時代の友達とか顔を思い出したり、思い出されへんだとしても 小学校時代の名簿をみてね、名前を読みながら書くだけでその人に真祈りが響いて行くからね。そういう事を色々と自分なりに工夫をして、枚数を書いてください。 そしたら損得が入りようがなくなってきて、人の為にしているからね、それが結局神さまの為になっていくから。その為の枚数を言っています。
 
質問:護摩木のことですが、人の為に自分の縁のある方を想い浮かべていく時に、やはりそれは名前を書いた方がいいんでしょうか?

河上さん:いや、そんなんいらん。

質問 :いらない?

河上さん:ありがとうございますだけ。宇宙神ありがとうございますだけでいい。

質問:思い浮かべるだけで。

河上さん: 思い浮かべるだけでその人が書いていることになります。

質問者:はい。 ありがとうございます。

河上さん: 神さまそんな脳なしで…、いちいち名前を書かなくても分かっている。 よくあるやん? 護摩木に自分の名前を書かなとかね。昔よく質問があったんやけどもね。それって神さまを侮辱しているって分かれへんね。「宇宙神ありがとうございます」って書いたら神さま誰が書いたかぐらい分かっているって。一々河上が書いたぞって、河上って書かんでもな。ね、そういう感じで名前はいらん。それぐらい神さま全知全能で凄いものや。

 ただ自由意志で神さまを振り向いてくれないと、ようするに自由意志で滝の水をたくさん受け止めようとしないと、どうしようもないね。神さまはひたすら無限の無限の光をね、滝の水のようにザーっと流してくださるだけよ。それを受け止めようとするかしないかは、皆さんの自由意志です。いうことです。「護摩木を書く」って言うのは「出来るだけ沢山受けとめる」という事です。

 「印可書読むっていうのは奉読する」って言うのは、「全てを受け止めようとしている」ということ。その点印可書は凄いのよ。真(まこと)の神さまって全然わからんわって言いながら印可書読むだけで真(まこと)の神さまになっていく。もうその色々な祈り言葉でね、失敗してきた結果、ここにたどり着いたわけ。で、いずれ数式でないと分からない人が増えてきたら、その時は数式を出しますけども。まずは印可書だけでとことんいってみたいと思います。

 というのは 数式を下手に出すと「俺ら数式が分かるけどお前らわからんやろ?」とまた ややこしい 意識が出るね。みんな大変やねんで、ほんとう。無意識に損得出るね。それがあかんのね。だからもう、印可書だけでとことんいこうと思っています。数式はね、「私このように受け留めて、こうなったんです」。って持って来た時には答えるけれどもこっちからは出すつもりはない。

 みんな 真祈りし出したらね、なんて言うんかな、食べる量も何でも減るね、欲望で食べへんから。ほんならちゃんと行き渡るね、すべての人にね。今はね、着るものがそうやんか、欲望で、服ってそんなに沢山要らんね、ほんまはな。そうやけど男も女もよ、どっちもや、おしゃれするわけやろ?この格好って言って、要らんものを買うんや。その分だけ地球に負担をかけるね。せやけど真祈りをし出したら、それが普通に収まっていくね。だから全てが本当にうまくいくね、あっという間に。

 今、みんな損得、欲望っていうのは損得や。そうやろ?人より得をしたい欲望や、それがある間はなかなか大変や。だから土地、地球って地球霊王様のものでしょう? そやのに土地を売るとか売れへんとか言っているやん。こんな失礼な話は本当はないね。そうやけど土地を売るとか売れへんとか、あるいは国のもんや、うちの国のもんや、この土地から向こうは 、こっちはうちの国のものやって、土地の奪い合いをするわけやろ? 領土争いでな。で、戦争になるんでしょ?そういう部分やね。

 すべて真(まこと)の神さまってなったら、揉めることはないね、本当はな。揉めるっていうのは損得の欲望の中で自分が得をしたいからや。その中で力こそ正義になっていくわけや 。だって力があったらようけ(たくさん)取れるもん。ようけ取れるのは正しいことや、それは金持ちの方が偉いみたいな感覚があるやん、いまだに。貧乏人はあかんみたなね。違うやろ、と思うけどね。それすら分かれへんね。だからしょうもない宗教ほどな、教祖が立派な格好しているね、お金持ちで。

 それ見ておかしいと思えへんね、 みんな金もっているから偉いと思うね。それ誰もおかしいと思えへんねんで。それぐらいみんな損得に犯されているね。要するに自分と他人を分けているね。人類みな兄弟って言ってても分らへんのやろ?

 ほんでみんな真(まこと)神さまって言っているだけや。兄弟でも兄弟争いするもんな。やっぱりあかんわな。本当はややこしいことはないねんで。もうみんな真(まこと)の神さまでみんな光やから、揉めようはないねんて。わざと分けて揉めて楽しんでいるだけやで、みんな。

 もうゲームとか全部そうでしょ?赤組白組に分けて運動会でも、わざと分けて楽しんでいるだけで、運動会が終わったら、同じ学校の全校生徒っていう感じでしょう?

 でも分けて楽しむのもかめへんねんで。楽しむんであって苦しみとか憎しみと違うからな。もうな、その辺に気がつけばいいけれども。損得で自分のものになったことがもの凄くええ事やと思っているからや。自分のものになるほど大変やのに。

 先生がよく言ったでしょ?財産ようけあったら管理するだけで大変やでって。お家が大きかったら掃除をするだけで大変や。自分ら生活をする場所だけあったら掃除もすぐ終わるのにな、ひたすらたくさん掃除せなあかんようになるね、お家が大きかったら。たまには拭き掃除もせなあかんしやな、切りがないで。ほんで何年かに1回屋根吹き替えなあかんやろ。壁も塗らんなんし、大きいほど大変や。
 
質問:最善を尽くすということについてもう少し教えて頂きたいんですけれども。勉強会で最善を尽くすっていうことをおっしゃっておられて、そのことを意識して生活をするようにしているんですけれども。まず印可書を奉読する、そして結果に心を置かない。とにかく自分の役割が耳かきだったとしても、最善を尽くすという事を意識しているんですけれども、まだ尽くせていないなっていう気持ちが凄く出てくるんです。 全然これでも。でもやっぱり印可書の凄さをもっともっと実感できて行くんだろうな、という事を思っているんですけれども?

河上さん:だから永遠にね、結果に心を奪われる状態が続くねんて、肉体を持っていたら。

 何でかって言ったら肉体は歳をとっていくやろう?それだけでも結果に心を奪われているね。だから先生は本当に最後まで若々しかったでしょ?でも最後はみんなのマイナスを一身に背負って、もうボロボロになっていかれた訳ですけれども。結果にやっぱり肉体をもつ以上は、心奪われるからね。気になるのは仕方がない。

 それは逆に言うと、肉体を持っているから救われやすいね、気になるごとに印可書を読めるもん。チャンスが増えて喜んでいたらええね。
 一瞬一瞬 新たっていうところがね、肉体を持つ以上は常に気になるね。一瞬一瞬新たも肉体を持つ以上は微妙にね。例えば呼吸でも一瞬一瞬吸えたらいいのに、何秒か吸って何秒か吐く訳でしょ?それだけでもちょっと過去に心を奪われていくわけよ。呼吸を一つとってもね。だからどの状態でも常に常に気になるねんけども、気になるごとに印可書を読むチャンスだと思って喜んでいたらいいね。それで何を見ても喜べれるように、如何にもっていけるかや。

 だから人から言われて気にならなくなったら、喜びやすいやすいんやけども、気になったら腹立つね。クッソたれと思うね、気になったらな。「なんやお前はこれだけしかできへんのか」って言われても「はい」って素直に言えたらいいけれども。「すいません」って言いにくいんやな。ムカってくるんやな。

 結果に心を奪われているね。生まれついて違う能力で楽しむために生まれて来ているからね、お兄ちゃんは優秀やのに弟はどんくさいっていうのはどこにでもあるわ。それ別におかしいことではないね。その逆もあるしね。お兄ちゃんはどんくさいけれども弟はハシカイ(賢い)なとか、頭が良いなとかね。でも頭がええから幸せではないし、どんくさいから駄目ではないし、それをもっと気づかなあかんねんけどな。結果に心奪われたら気になる。

 でも肉体を持つ以上は嫌でもな毎日毎日受けていくやろう? 結果気になるね。老けるって思うだけでも結果気にしているね。一切の結果を気にせずに喜んでいたらいいね。だから神さまがいいようにするって言っているやん。ますます良くなると違うね、良いようにするね。神さまが一番良いように何時もするね。それを喜んでいたらいいね。 文句言うから曲がってややこしいね。

 で、神さまが一番いいようにするって喜んでいたらね、誠意を尽くせるね。せやけど自分がしていると思っているから、尽くし足らんのかなとかね、尽くし過ぎたのかなとか、やり過ぎたんかな、とかね思うね。神さまがいいようにする中でやっていたら、今日はとてももう仕事しんどいわと思った時に素直にすって止めれるね。でも自分がしていると思っていたら、これもうちょっとしなくちゃいけない、尽くしていないわ、全力でしてないわって理屈で考えてな、で、体を潰す。

 だからお年寄りでも長生きして元気な人ってな、結果気にせんと喜んでやっているだけや。90幾つで現役で魚の行商をしているおじいさん、一辺テレビに出ていてね、あのおじいさんなんか喜んでるもん。動けることを喜んでいるもん。ほんでお客さんが「おじん、もっとこれ何とかの刺身にしてくれや」って言われたら、「そんなもん、できるか」って感じでな、「わしの仕入れてきたものに文句を言うなら、買うな」みたいな感じや。喜んでるやん。あの楽天さがいいね。だから天パでいったらいいね、楽天的に、何でも。で、最後は和田アキ子で笑って許してって言って、笑って逃げといたらいいね、ハハハって。そしたら誠意を尽くせるの。

 やっぱりどこかね、人から評価されたことを気になるね。気になるから苦しくなるね。でもそんな人も自分やねんて。自分で自分をボロクソに言ってるだけと思ったら楽になってくる。

質問:自分で自分をボロクソに言っている?

河上さん:そうよ。本当はそうやねんで。 自分が出したボロクソの意識が跳ね返って相手から言われているだけで、自分が喜んでいたら相手も喜ぶだけや。だからその行商のおじんなんかは相手を責めてへんからなボロクソに言い合いしたってな、お客さんも怒らへんし、 ボロクソに言い合いしながら買いにくるわけでしょ?きっとねスーパーで買う方が安いと思うね。でもそのおじんから買うのが楽しいんでしょ?お客さんもね。そういう喜び合える世界にせなあかん。金額ではなくてね。



令和6年1月河上さん勉強会−3(20240114−3)

質問:機会ある度に印可書を唱えるチャンスだと思って、前向きに歩く?

河上さん:そうよ。だから先ずね、自分で自分をぼろ糞に言っているのに気付いたらいいねんけどんな、どうしても他人やと思うからややこしい。

その自分で出したマイナスはどっかで消さんならん。まあ、他人と思っていてもその人がマイナスを背負って逆にね、消して下さるからぼろ糞に言ってはるというのが、それでも正しい世界ですよ。だからぼろ糞に言われるほど、消して貰って良かったや。でもぼろ糞に言われたらめげるやろう?気になっているから。気にしたらあかん。喜ばなあかん。

 そやから言っているやん。神さんが何時も一番良いようしてるって。だからぼろ糞に言われても一番良いようになっているの。

 でも子供はね、親からぼろ糞に言われるのが一番こたえるからね、中々親子というのは大変や。

宮野さん:ぼろ糞に言われたら、まあ、良いわけでしょう?そしたらめっちゃ褒められる場合は?

河上さん:一緒よ。

宮野さん:危ないよな。

河上さん:めっちゃ褒められてもマイナスを積む。だから逆に言ったら、褒められた時はマイナスを積むの。だから褒められんように逃げなあかん。だからイエスは右手でしたことを左手にも教えるなっていうの。良い事をしたっていう事を一切言ったらあかんの。

 褒められたら良い事したこと全部無駄になる。でも今までの宗教は褒めそやしてダマすの。誉めそやして先生って呼ばしたりな、先輩って呼ばしたりな、この教えに入ってワシは何年やってとか言い出してな、上手い事ダマしていくんやけど、違うって。一瞬一瞬新たやから、何時入ろうが関係ない。

 10年もおって何も分からんのか?っていう、本当は恥づかしいねんな。先生とこ来て何年って言ったら本当は恥ずかしいんやで。「あんた、先生とこ来て何十年にもなるのに何も分からへんの?」って自分で恥さらしてるの。

 一瞬一瞬新たっていうのがある意味厳しいし、ある意味楽しい事やね。素晴らしい事やね。

 だから文化勲章なんか貰ったら大変な事や。マイナス背負ってぐちゃぐちゃになって行く。そういう勲章やね。勲章の類を貰うと大変。

 でも先生は絶対人の自由意志を縛らへんからね、先生のお墨付きをもらたってみんな勘違いをしてぐちゃぐちゃになって行くん。この人と結婚して良いでしょうかって聞きに来るわけや。聞きに来る時はしたいから聞きに来てるわけやから、先生は良いも悪いも言えへんし、先生が良いっていうふうな返事をする迄しつこく聞くから、誤魔化した良いような返事をして終わるわけやね。そしたらもう先生のお墨付きを受けたからって。

 だけど厳しい言い方をしたらな、例えば結婚でも、仕事でも一緒やけど、先生のお墨付きを貰ってやった事は一切文句を言ったらあかん。先生に決めて頂いたんだったら、どんな状況に陥ろうが一切文句言ったらあかん。文句言うんだったら聞いた意味がない。

 あんまり厳しい事言ったら言ったらあかんから、もう言わんとくけど、先生から今怒られた。「要らん事言うなって」

 でも本当はそう、文句言ったらあかん。だから「文句を言いなさんな」って言うやん。神さま良いようにしているからな、文句の言いようがない、ホンマは。自分の損得で考えて文句言っているだけや。本当は人からボロカスに言われた方が徳が積めてええね。

 まあご夫婦やったら、旦那から暴力受けた方がマイナスが沢山消えて良いね。だけどあんまりそんなんを言うとな、またドメスチックを肯定してるみたいに言われるから言えへんけど、それ位本当は神さまが一番良いようにしている。

 みんな過去世の事分からんからな、損得考えて文句を言うけどね。自分が過去世でどんだけ恐ろしい事をしているかって、あるねんけどな。

宮野さん:そういう事は一番最初の質問のところと被って来る話で、現実は遠い遠い過去であるっていうところの、ですね?

河上さん:そうよ。だから一瞬一瞬新たに受け直したら過去の一切は関係なくなるの。でも損得になった途端に、過去を掴んで判断しているから、過去の事のマイナスを清算しないとあかんようになって行くの。すると戦争の形になったり、色々と出来るだけ小さな形で神さま消して下さる訳やけど、本当は自分が一瞬一瞬新たになったら、その一瞬で全ては光一元に変わるの。

 何時も言うようにね、琵琶湖にインク壺の分のインクを落としたって無色透明に変わるでしょう?琵琶湖を真(まこと)の神さまに例えたらね。それ位一瞬一瞬新たに受け直すっていうのはそういう事や。

 でもみんな過去の物を全部後生大事に掴むの。自分の財産、自分の財布とかを、自分のお洋服とかね、自分のお家とか思っている人は皆過去を掴んでいるんや。全部神さまからの頂き物って喜んでいたら掴んでへん。

 だからお給料を貰ってもね、一旦神棚に上げて神さまから頂いたと思い直しなさいって先生言うのにやな、分かれへんのやろう?あんまり回りくどい事を言わずにダイレクトに今は言っている。又、言える位先生がお清めをしていって下さった。

 だから先生とこに縁あった古い人は恥ずかしいと思わなあかん。未だに分からんのかって。自慢やなくって恥ずかしい。そうして思えたら過去を掴んでないから、一気に変わって行く。

 結局、損得というのは過去を掴んでいるんよ、分け隔てしてね。もう損得に立ったらもう苦しみばっかり。でも理屈で考えたらな、損得抜きやから自分の財布のお金みんなで分けたら良いんやろう?みたいに勘違いするね。それは違うからな。その辺が中々、理屈言い、要するに分け隔てて考える人に説明するの難しいのね。

 例えばみんなにお金を分けても良いねんけど、分ける時にちょっとでも惜しいと思うんやったら分けたらあかんね。惜しいといったらもう損得が入っているから、それは違う訳や。で、又、損得入っていなかったら必要な人にしか渡せへん。無制限に渡すっていうのは損得入っているの。無制限に渡す方が自分にとって結果得やなみたいな。

 だから自分の財産を全部寄付してとかね、結局それ免罪符でしょう?免罪符をお金出して買って、罪を消して貰おうっていうのは損得や。損得で免罪符買う訳や。宗教によって本であったり色々あるけど、免罪符には変わりない。それ損得で買うんやったら消えるわけないやん。先ず損得なくさなあかんのに。

質問:ありがとうございます。非常に具体的な話で申し訳ないのですが、組織に勤めておりまして、それで専任と非正規でやっている内容は同じ仕事でも給料に差があったりして、同じ仕事なのに非正規である人に、やっぱり文句を聞くんですね。ほんとに個人的な話で申し訳ないんですけど、私の方はちょっと…

河上さん:正規の方に居てるわけ?

質問:はい、そうです。やっぱり文句を非常に受けている方なんですけど。それを解消するには組織としてフラットにする必要があると私は何処かで思っているものの…

河上さん:そんなん無理や。

質問:そしたらそれぞれの立場がその不満なり、不平等を解消するには具体的に…

河上さん:あのね、組織というのはゴミ箱やね。だから正規社員とか部長とか課長になるほどね、大きなゴミ箱やね。一切のマイナスを集める場所になるの。そういう意味で組織が必要なの。だからこの世的な結果で見たらね、凄い不条理な事が起これるねんけど、ゴミ箱として一切を背負って死んで行って下さるだけ。

質問:そしたら差がある賃金を具体的に

河上さん:だから先生が何時も極端に言うけど、ただ働きが一番良いんやって仰る訳ですね。ボランティアが一番良いんやって言うんだけど、それ位、お金頂くっていうのは大変な事やね。それでお役所的な組織程そうやねんけど、大きなゴミ箱やね。で、そこへそこへマイナスを集めてね、現さずに、現すと大変やから死んで背負って行ってもらうためのゴミ箱やね。それだけやね。だから普通は役所の偉いさんになったり、会社でもそうなんやけど、あんまり上に立たんほうが良いの。

 だから日本で言うと内閣総理大臣が一番大きなゴミ箱でね、一番多くを背負っていくわけよ。だから昔からね、大臣になったら八代たたるっていうの。それ位大きなマイナスを背負うの。それ位のもんや。だから分け隔てた云々の話しはしてるけどね、兎も角一番良いようになっているのは違いないの。

 だから自分に取って損得で考えたら理不尽な事も喜んでいたら良いね。そしたら背負う事は無いの。喜んでいなかったら自分が背負い込んだ事になる。

質問:例えばという話しですけど、自分が退職というのを選択すれば、その今の…

河上さん:組織からは逃げられるけど、この世に生まれて来る時にね、自分はこんだけのマイナスを背負う役目っていうのはみんな憶えてえへんけども、決めて来てるね。だから辞めても別の形で背負うだけで一緒。だけど今居てる場所が辛かったら、他所移ったら良いね。そしたらもっと辛くなって楽しめるから。(笑)

河上さん:いやいや、笑ってるけどホンマの話しやね。

質問:日々日々自分は能力がないから、自分に○○しているんですけど、そうじゃあなくって、日々日々私の粛々というか…

河上さん:だから精一杯やって行ったら良いの。精一杯やってな、ぼろ糞に言われて何ぼやって思てたら良いの。で、そないして喜べてたら背負わんで良いし、マイナスは消えていくね。それで上役は怒るばっかりやろう?怒る毎に全部背負ってくれはるね。笑ってるけどホンマの話しやて。だからお役所の偉いさんで退職して5年以内に大概は死ぬんよ。癌とかあんなんで。それは背負っているからや。もう良い悪いとかそんなんと違ってそういうもんなんやな。

宮野さん:もとよりこの世に降りて来るのに、どの状態でも楽しめるっと思って、色んな演技をしようと思ってきてるわけで、そしたら今の現状の自分、どの○○もそうやけど、喜んで渦中に入りたい方なんて多分誰もいらっしゃらないと思うのね。でもわざわざそういうシチュエーションが起こった時、理不尽な事で嫌がらせをされる。若しくはこの度の様に震災に会う。若しくは家庭内で何か、人間関係のトラブルが起こるとかって、わざわざそういう事が起こりたくないのに係らず起こるというのは、それを楽しむっていう、そんな楽しい事をわざわざ与えて頂いた、めっちゃくちゃ凄い良い人生で、物凄いお金持ちになっていて、もの凄い人からも慕われて何にも無かったら、神さまの方、向かないじゃあない?お祈りも何もしないのとちがう?誰もかれもがお祈りしてたら、こんな世の中にはなっていないと思うんですね。

 でも誰もが自分の事しか考えない、若しくは自分の身内の事しか考えない。小さな意識の中で捉えられて損得勘定で生きているから今の状態になっている。ならば今の自分の思い通りにならない、マイナスに巻き込まれているようであれば、それを「あっ」楽しむんや、そしたらどんな面白い事になるんかなって、喜んでお祈りしてて、そこ一杯一杯生きていたら、

 そしたら、あっ、そんな展開が有ったんかなっていう、その面白さ喜びっていうのが、又、先に見えて来るわけですよ。でも自分の思い通りになった方が良いと思っているっていうのは、小さな意識やから何時まで経っても思い通りにならへんっていう状態やと思うんですよね。

 折角肉体を持って降りて来て、あちらこちらに光を通す役割で受肉されたならば、今の現状で起きた事を楽しむっていうのを、ちょっと頭に思い出して頂くと、もっと今の現状が楽になるのかなっと思ったりしますけど。如何でしょう?

河上さん:うん。その通り。だってゲームは難しい方が楽しいんやろう?簡単なゲーム面白くないやん?もうどうしようっていう位が楽しい訳やから。もう僕の事であれですけど、年末辺りから絶対不可能っていう修理をせなアカンようになってね、絶対無理やっていうのを何とか結果としては上手く完璧に修理出来るわけやけども、そのかかる時なんかは全く手探りよ。でも諦めてね、アカン時はアカンのやって諦めてやってたら見えて来るんやな。そういうもんで、やっぱり楽しまなあかん。苦しいと思ったら嫌やな。その状況を楽しんだら結構楽しんでやれる。でも肉体的には凄く大変やったけどね。

宮野さん:起こりえない事が起こるから楽しんでしょう?

河上さん:そうそう、起こりえない事が。又、次の機械がなっているから、又、楽しみで待ってます。でも人間と違って機械は嘘つけへんから可愛い。裏切れへん。やった通りの事の結果しか出せへん。人間は逃げていくからな。

宮野さん:でも人間はあれよ。自分の想像を越える所の動きを取ってくれるから、それはそれで面白いよ。

河上さん:そういう面白みがあるよね。機械はやった通りにしか動けへんけどな。ニャンコさんと一緒やな、予定外の行動をする。

宮野さん:どう捉えるかによって自分が、今この場が凄い幸せかそうでないかっていう現状は変わらないけども、それを感じれるか感じれないかっていうのは、自分自身が作り出せる事なのかなっと思います。

河上さん:そうそう、だから楽しんでやるっていうのは一瞬一瞬新たに受けしているんよ。わーどないしょうっていうのはもう過去を掴んでいる。

 機械の修理にたとえてだったらね、自分の経験から照らしてとても不可能っていう状態なわけよね。もうそれだけ掴んでいたらもう進めへんわ。

 だけど何とかなるやろうって思ってやってたら、それって一瞬一瞬新たに受け直してるからね、行ける。

 絶対手に入らない修理道具をわざわざ持ってきてくれる人が突然来たりね、色んな事がやっぱり起こるし、そういうもんや。

宮野さん:そう来ましたかっていう面白さがあるね。

河上さん:そうそうそう。うん。高圧酸素が無くなってね、年末やから何所も閉まってるから手に入らんわけよ。それないとどないにも進めへんわけやな。絶対間に合わへんね。

 ふっと気付いて溶接専門にやっている溶接屋さんがあるから、そこに電話して悪いけどちょっと出てこいやって。「今、家の大掃除してるわ」って言うて。「大掃除止めてちょっと来い」とか言って無理やり酸素を貰ったりね。普段お互いに楽しんで手伝ったりしているから、そないして助けてくれる。そういうもんやわ。

宮野さん:機械はそうやし、人間関係もとことん嫌で反吐が出る位嫌やなって思っている人も、嫌は嫌なりに付き合っていると、突然人間が変わったように変わるっていう事も。

河上さん:そう。こっちは誠意尽くしているだけやからね、それを通じる通じないを気にしていなかったら通じる。気にしてると通じひん、結果掴んでいるから。

宮野さん:その変わる一瞬を出会えると、何と面白いんだろうって思う。だから凄く大変な時っていうのは、どんなに楽しい事が次に起こるのかなって思って、わくわくして待っていると良いなって思うのね。

河上さん:そうそう。喜んでするっていうのは責めないという事や。責めるっていうのは辛がっているんや、自分が。辛がっているから何で手伝ってくれへんねんとかね、何でこんな時こんなん言うねんって言って責めている訳よ。で、喜んでいたらね、それも何とかするわって言ってやって行くと、みんな変わるね。よっしゃよっしゃ何とかするから全部持ってこいとか言うと、結局持って来た人が全部自分でやり出して手伝ってくれるみたいな。色々ある。

 でも先ず喜ばなアカン。神さまが一番良いようにしてるって。何で喜べるかって言うと、どの状態も自分の損得で考えたら都合悪いけど、神さま一番良いようにしているのは違いないから喜んだら良いの。そしたら良いように変わるねんけどね。自分の損得でやると責めるからね、責めたらそのマイナスが跳ね返って増々ぐちゃぐちゃになる。もうそれだけやね。

宮野さん:あれよね。先程の上司から正規雇用の話しとか、理不尽な場合もね、小さな社会、会社の中だけ、組織の中だけで見れば、そこでプラスマイナスのやり取りがあったりするけど、もう一つ大きな世界に行くと、相手から嫌な事言われているかもしれないけど、違うところで自分を評価されていたりとか、若しくは嫌な事を言ってる上司が違う世界でもって、又、巻き込まれているっていう、そういう入れ子構造にはなっていますね?

河上さん:なっている。だからどの状態もぼろ糞に言われて何ぼって思って喜んでいたら良いの。ぼろ糞に言われるのが自分の仕事みたいに思っていたら楽やねんけどな。ボロ糞のような自分の仕事やって思っているやろう?だから腹立つねんな。いや、ホンマの話しや。

 神さま一番良いようにしてるからなぼろ糞に言われるの一番良い状態やねんて。そこに気付いたら楽やねんけど。中々今は評価を気にするやん、皆な。で、あかんの。アカンようになって行くの。自分で潰すねんけど。

 だから勉強でも仕事でも何でもそうやねんけど、スポーツでもそうやねんけど、評価気にするっていうのは緊張しているのよ。人を責めるっていうのは緊張しているね。だから自分も動けへんようになるの。楽しんでいるっていうのはリラックスしているから、何でも分かるようになって行くね。勉強でもスポーツでもそうや、卓球でも良いけどね。緊張してみ、出来へんで。あれは楽しむから出来るの。ボウリングでも緊張したら投げられへん。そういう感じでね。

 勉強もそうやね。リラックスしてたら分かるもんが、分からなあかんってみんな緊張しはるん。勉強出来へん子みんなそうやね。真面目やからな、これ分からなあかんって緊張するね。なら絶対分からへん。これ憶えなあかんって緊張しはる。そしたら英単語一つ憶えられへん。だから英単語憶えられへん子にね、憶えるようにさせる為にどうするかって言ったら、歩きながら読めってさせるの。歩かなあかんから緊張出来へんや。なら自然に憶えられるみたいな。如何に緊張を解くかだけやねんけどね。

 それを具体的には一瞬一瞬新たに神さま良いようにしているから、喜べたら緊張は解けるの。だけど上手くしなくっちゃあいけないと思った途端に緊張するからな、結果に一喜一憂するなっていうの。上手く出来なくていいから楽しめっていうのがな、中々みんな分からへんね。

 だからぼろ糞に言われるのが自分の仕事位に思っていたらな、リラックス出来る。「又、あの上役から小言食らった」って思ったら辛い辛い。もう真(まこと)の神さまが今の一瞬一瞬、一番良いようにしかしていないのは間違いないから、信じれる信じないは勝手やけど。良いようにしているから喜べるの。だから楽天的に天パーになっていたら良いの。喜んでいたら良いの。で、都合悪い事言われても笑ってな、誤魔化してたら良いの。「ハハハッ」って。怒られてる上司の前で笑ったらあかんで。余計怒られるからな。
 
 ともかく地軸が物凄くブレ出して来たんよ。だから思いっきり寒いのが来たり思いっきり暑いのが来たりとかいうのが来ます。空気は動けへんからな。地球だけが動くからな。それをどう止めれるかだけやけど、それは本当にみんなの喜ぶ心やね。人を責める心が地球霊王様の体を刺し潰していくんやね。で、地球霊王様の体が硬くなった、いわゆるリラックス出来へん状態やから地軸がブレ出して、地震も起こるし火山も噴火するし、それでも止まらんかったらもっと大変な事が一杯あるんやけど。大陸沈むとかね、もう兎も角みんなが喜ばなあかん。それに尽きるんよ。結果気にせんかったらみんな喜べるねんて。そやけど理屈で言ったって分かれへんから、もう真祈りだけやね。だから護摩だけよ、ここ迄来たら。護摩しか全てを治める方法はないわ。

 だって印可書読めって言ったって、読めへん人は読めへんのでしょう?なら読めへん人に響かすのは護摩しかないんや。でも分かる人はドンドン選んでいってくれるからね、それとの競争やね。

 地震一つね、何一つ分からん人がね、印可書は駄目だ、これだって偉そうに言うたってな、その無責任さに気の毒やなって思うね。神さまのお仕事を、自分が邪魔してるっていう事が分からん哀れさやな。無責任やわ。人類の運命を背負う覚悟もなくして、一切のマイナスを背負う覚悟も無くして、ほんまに要らん事言うな。

 先生は一切のマイナスを背負うっていう覚悟をね、先生の人生の全てにおいて見せていかれた訳でしょう?なら先生のお弟子やと思う人は先生を真似て、一切のマイナスを背負う覚悟を持ってください。一切のマイナスを背負う覚悟というは、今が一番良いようになっているって喜べるわけよ。だって一切のマイナスを背負っているから、損得で言ったら損ばっかりや。損ばっかりでも喜べるの。熱出ようが、痛かろうが、咳出ようが、仕事の上で大変になろうがね、喜べる心や。一切のマイナスを背負うっていうのはね。

 本当はそこまで厳しく言わんなんやけど、まー、そこまで言えへんからお願いやから、護摩木書いて護摩をして下さい。

 ただ、甲辰(きのえたつ)で本当の時間切れなんでね、神さまの働きの邪魔をする人は足が動かなくなったり、色々もう止めれないから起こって来ますけど、それもその形でその人に働いて貰うという風に皆さん思っていて下さい。だからあの人大変になったから何とかしてって持ってこないで。印可書を既に教えてあるんだから、選ぶ選ばないは自由や。



令和6年1月河上さん勉強会−4(20240114−4)

河上さん:あの、今日連れて来た縁者も全部、今綺麗になったから、もう今すぐ止めれるねん。せやけど、一応2時間と思ってるから、 あと30分と思っているから質問してください。はい。もう綺麗になってスッキリしたやろ?

質問:ありがとうございます。護摩焚きが人類の救いっていうことがよく分りました。日々、毎日が護摩焚きなんだよっていうことを、日常の中で、護摩を溶け込ますっていう表現だったと思うんですけど。それは具体的には護摩木を書くこと。他にもっとそういう気持ちを感じれる方法ないていうのは?

河上さん:だから、誠意を尽くすよ。愛と誠のね、愛と誠を尽くすいうことや。だから、山を全力で駆け上るんじゃなくてね、いつもいつも、自分の出来る精一杯をするって、惜しまずに。損得無く働くとかね、惜しむから、惜しまずにするのが、誠意を尽くすやね。

 誠を尽くすや。いつもいつも先生の表現で言うたら、限界破りしなさいや。 限界破りっていうのは、山を全力で駆け登るのと違って、自分が登れるギリギリまで1歩1歩登るということ。それを毎日ね、惜しまずにせな(しないと)あかん。ほんなら悟ってしまうねんけどな。悟りというのはそういう部分にあるね。惜しまずに神さまに誠を尽くす。それは日常のことやったら、お仕事の上でも お家のことでも惜しまずに動くっていうことや。動くのが祈りそのものやねんな。

 もうそこだけやねんけど、お祈りしてへん人に限ってな、ゴロゴロしてんね。お祈りしてって言いながらゴロゴロしてんねや。違うからな。 先生が動かれてない時は体の痛みとして持っておられただけで。僕はまだまだなんで、痛いって思わず言ってしまうけど、先生はそういうことは仰らずに悠々とされてましたけども、自分の肉体的に受け入れるギリギリをいつも受けておられた。それをみんなにせえって言うたら、またみんな逃げていくからな。それをせえとは言えへんから。

 只、「印可書」選び取れへんけども、先生に縁のあった人は、その体で受けて貰うことにしました。 その方が神さまのお手伝いなるからね。もう、猶予期間なし、おまけなしで、それだけなんですけども。 只々ひたすら。

 例えば、この部屋を掃除しましょうとするやん。で、色々と時間切れの都合で半分も出来へんかったと。だから、半分のちょっとだけして帰りましょう、みたいな感じやな。その、ちょっとの部分がいるね。

質問:ひたむきな部分。

河上さん:そうそうそう。で、それは人の評価を気にせずにできたら、ひたむきになるねんけどな。気にしてると全力で走ろうとしたりな。全力で山を駆け登ろうとしてんのは、人目を気にしてんね。「なんやあの人、ゆっくりしか登ってないからや」って言われて、ぼろくそに言われてなんぼやから。 自分なりに一生懸命したらいい。

質問:ひたむきに全力を尽くす、誠意を尽くすというのが護摩焚き、毎日のこの?

河上さん:うん、なるの。護摩というのは、神さまの命を捧げるって意味。護摩木は皆さんの肉体の象徴や。 それを護摩の火というのは、真(まこと)の神さまの象徴。火の中に投げ込んで、全てを完璧なる1つにして無色透明にしてるわけ。護摩木という見えるもんがね、無色透明に消えていくわけでしょ?で、いずれ本当に護摩が成功したらな、一切の灰残れへん、言うとくわ。 それができた時はもう、大大大大…やけど、まあ、それは、まあ楽しみにしとこ。

質問:先ほどの「今日は綺麗にしたから終わっていいんだけど」の件なんですが。常々思っていたんですが、河上さんが仰る「綺麗にする」っていうことを詳しく教え下さい?

河上さん:だから、今みんな悟った心境にあるの。無色透明にして。だから質問が出えへんね。あと、無理に質問してもうてるけどね、もう、「え、何聞くかしら」って思うくらいスッキリしたやろ?で、これが悟りの心境やね。あとは、これにプラス、誠意を尽くす気持ちが出たら、本当の悟りになんねんけどね。 せやけど、まあ、とりあえず、この感覚を体感しといてもうて。すると、自分が悟り開く時にわかる。で、今回はみんな一斉に持っていくからね。やけど、一斉に持っていった時に、みんな一斉に顔を見合わせて「あ、これやったんや」って言って喜べるように今の感覚を体験してもうてます。それだけや。

 悟るとね、この状態を自分で出来るね。自分の状態を一旦消して、一杯吸い込んどいて、で、ワッと消しての繰り返しをすんねんけどね、呼吸のように。それを、自分でできないから、綺麗にして見せただけ。自分でできないから、 勉強会終わって帰ってしばらくしたら、普通の自分に戻ってきてな、また文句を言ったりする。

 それを本当はどんな状態でもね、どんどんマイナスを背負って消していかなあかんわけよ。

 消すのは「印可書」奉読という形で教えてあるけども、本当に「印可書」奉読ができたら、どんどん背負って消していくのが実感できます。で、実感できた時は悟りやねんけど、その実感を今わざと消してるからね。みんな「なんかようわからんな」言いながら来てると思うけど、ちょっと信じてこのまま行っててください。全員同時にしないとね、もうややこしいから。何遍もそれで失敗してるから。

 今のはいい質問なんですよ。今の質問聞いて、この話聞いて、勉強会終わってお家帰ってね、また色々と日常茶飯事のことでこうなって、ウワッてなってくるやん。その時に「印可書」読むと、フッと今のこの感覚に戻れたら、かなりバッチグーやなと思って、それでも人に言わずに黙っててください。いい質問です。

質問:いずれは神さまと共にですが、自分で。

河上さん:だから先生にね、(僕が)みんなが誰でもが簡単に出来るようにする方法を作ってくださいってお願いして、作ってくださった「印可書」ですから、素直に信じて淡々とやってたら大丈夫。それで、極まった感覚は、今のこの感覚やから、これだけは実感、 体験させんとわからんからね。

 それで、護摩の時もするんだけど、護摩の時はもう戻るのも早いから色々と難しいのね。で、勉強会の時は、結構この状態をある程度時間維持出来るから、それはなんて言うかな、ここではあんまりね、マイナスの思いで来はらへんから、やり易い。勉強会(護摩の言い間違いです)(護摩)の時は、色んな思いが混ざるんで、その思いも満遍なく消そうと思うと、色々と、あんまり強い光出せなくて、で、ちょっと護摩の時は護摩の時のやり方が。色々大変やって(笑)。ほら、オーケストラの指揮者がね、オーケストラの団員の癖に応じて上手く調整せなあかんね。そういう難しさやね。

 ピアノ協奏曲で、ピアノが弾きはって、オーケストラが弾きはるでしょ。それが混然一体とならなあかん。指揮者が本当に凄かったら、個性の強い癖のあるピアニストを使ってもね、混然一体に持っていくんよ。 だけど、失敗すると、ピアノだけ勝手に鳴ってて、オーケストラだけ勝手に鳴っててになるね。そういう感じで、お清めというのも、色んな思いの人をそれぞれ上手く合わせて、1つの大きな響きに持っていかなあかんのでね。

 それは、五井先生の頃はもっと大変やって、本当に色んなレベルの響きがあって、それを1つ1つ調整されてんけど、松下先生の時も一緒で。だから松下先生がここで一緒にお祈りされてね、もうほんまに背負い切って、ガクンってこうなられるわけね。ほんなら「先生、お祈りしてる時寝てはるみたい」に、訳分からんとね言う人もおったしね。もう「寝てるんちゃう、死にかけてはっただけや」みたいな、こっちは思うけども。そんな大変だったんですよ。でも、先生が本当に綺麗にしていってくださったんで、僕はある意味、楽に美味しい部分だけさせてもらってます。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:だから、そのお清めのやり方1つ、病気直しのやり方1つね、これはある意味職人技なんで、手取り足取り教えようがないわけです。 だから、五井先生がされたこと、松下先生がされたことをじっと見てね、盗み取るいう表現もあれなんですけど、学び取ろうですね、(そう)いう気持ちがなかったら受けようがない。

 みんなは助けてほしいが先でね、先生のお手伝いがしたいがなかったから。神さまのお手伝いをしたいがないと、それは学び取れないからね。で、学び取った人間はこの2人だけやったという寂しい結果やったわけですけども。それでも先生は他に色んな人を作ろうとして苦労されたんですけどね。みんな虚栄心に負けて、色々あったんですけど。ま、もう済んだ話だから、今は「印可書」あるから大丈夫。

質問:今日は真心尽くして、ひたむきにっていうお話が色々出てきたと思うんですけど。質問というのは、楽しんでやることと、肉体との付き合い方を教えて頂きたいんですが?

 というのは、私は自分の本職のことではなくて、色んなことをやってるんですけど。色んな授業というか、色々やってるんですけど、どれも楽しんでやってるんですね。 結果も気にせず、楽しんでやっているのですが、楽しんでやっていると、気が付いたら、朝になったりとかなるんです。河上さんに会うと、「あんた寝えや」って言われるんですけど。

河上さん:いや、何も飲まんと食べんとね、寝やんとどんどんやるからな。せめて寝えって言ってるだけで。結局楽しんでるとね、飲むのも食べるのもいらんでしょ。飲むのも食べるのも寝るのもいらんやろ?だから、先生のようにとことんやってもいいんだけど、今は先生がみんなでやりなさいなんですよ。

 だから1人だけね、あんまり勝手に突っ走ってもうても困んね。わかるかな?みんなをこう押し上げなあかんから。すると、みんなの意識に合わそう思うと、みんなと同じように美味しいものは美味しいな。まあ、僕も人に言えん、何も味わからんからね。そやけど、喜んで食べて、喜んで寝て、喜んで飲んでというのをしないと、みんなの響きに合わせれないからね。それで、楽しんでたら疲れも出えへんし、とことん動けんねんけど。

 もうちょっとみんなに響き合わせてくださいということです。楽しんで食べて、楽しんで飲んで、楽しんで寝てな。その寝る時間は3時間でもいいですから。先生は本当に40分ぐらいしか寝られなかったですけど。それではみんなに響きが合わなかった。だからせめて3時間は寝て、出来るだけみんなと同じシチュエーションというか、ローテーションをしてあげないと押されへんね。

 羊飼いで言うと、羊飼いは羊を直接押せへんけど、後ろから色んな響きでね、追うわけよ。その響きが羊に分かるようにせんなんからね。こっちがあんまり無色透明になると、空気のように感じて、なんも分かってくれへんようになるから。そういうことで、いつも、「もうちょっと寝て」とか言って、「食べ飲め」まで言うともうキリないんであれやったんですけど。そういう感じで、出来るだけ、なんて言うんですかね、

 イエスがね、一緒に取税人と一緒にお酒を飲んでね、卑猥な話をして参加するのね。で、それを見てみんな責めるんだけど。「あんなお酒飲んで、あんな人らとエッチな話して」って言うんだけど。そうじゃなくて、そうしないとこうできへんね。 それくらいね、肉体を持つ時に、肉体を持ついうのも、そういうことをして初めて肉体が持ててん。

 で、先生に縁のあった人は、本来みんな悟った人やからね。本当はもっと簡単に悟れんねんけど、肉体持つ時に色んなもん背負いすぎてややこしくなってるだけ。せやけど「印可書」があるから戻せんねんけど、でも、それでも簡単に戻ってもうたら困るわけよ。もういっぺん下に降りて降りてっていうね、その下に降りて降りてがいる。その降りて降りては、お酒は飲まんでいいんですけど、なんて言うの?

 だから、先生はよく週刊誌を読まれた。 週刊誌に書いてる卑猥なこととか、色んなことの響きを体に入れて、皆さんに合わせていただいたようにね、最低限飲む、寝る、食べるをしないと、みんなには合いませんから。で、先生は、その飲む、寝る、食べるが苦手やったからね。先生の話は、いまだに聞いてもようわからん人が多いね。それぐらいね、先生はやっぱり凄い方だから、余計肉体側に合わすのは大変。

 僕らはその中間にいてるんで、もうちょっとこう。で、河上の話は分かり易いちゃう、みんなに近いだけ。そういう感じです。だからもうちょっと人間らしく、飲んで、食べて、寝てください。お酒は飲まないでね。

質問:え、飲まない方がいいんですか?

河上さん:うん、あのね、お酒はね、ちょっと以前のお酒と、今、変わったんですよ。で、本当に今のアルコールは飲むと癌になります。だから我慢出来る人は飲まないで、ノンアルコールビールにしといてください。

宮野さん:ワインも?

河上さん:結局ね、そんなん言うと、もう食べないでになっていくねんけどね。食べ物自身の響きが変わったわけやけど。ただ、そういうのの1番悪い部分がアルコールに出てくる状態になってきたんでね。それやから、メチルアルコールかな、飲むと目潰れるじゃないですか?飲むアルコールはそれが入ってないんですけども、波動が変わってね、そういうのに近い状態になってるんですよ。 だから、アルコール飲んでると、今度は目が見えなくなるんじゃなくて、凄い癌になりやすくなっていくみたいな状態にちょっと響きが変わってきたんでね。もちろん感謝して飲んだらいいんやけど、感謝したらアルコールいらんやろ?そういうことです。アルコールはストレスで飲むからね。でも、辛抱できない人は飲んだらいいよ。 そやけど、喜んで飲んで(神さまの為に飲むということ)くださいね。

 ただ、ストレスをアルコールで、あるいは食べることでストレスを誤魔化すようでは困ります。それは癌の元です。だから、飲んだり食べたりでストレスを紛らわすと癌になる。まあ、1番わかりやすく言うとね。もうストレスは「印可書」で消してください。で、それが性欲にも出てきて、エイズと梅毒が重なったような状態の病気が今増えてきてね、ちょっと大変なんですよ。だから、そっちの方は上手く誤魔化して、流れないようにしてください。でないと、梅毒とエイズ重なってると直しようないんでね。

 まあ、それくらい地獄とこの世が1つに重なってきたからなんですけど。その具体的な理由は、誰かが悪さしてんじゃなくて、地獄とこの世と言うより、全てが完璧な1つに今、神さまは戻そうとしてるからね。で、あっちの世界とこの地上とが重なってるの。重なってるから、マイナスを責め裁いてる人は、マイナスを背負ってね、凄いなんかややこしい殺人があったりするでしょ? それは、そのマイナスばっかりを見てくる人はそういう影響を受けるわけ。

 それが食べ物にもあって、アルコールがちょっと影響があるんでということです。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:どうぞ。

質問:お酒の件で質問なんですけれども、 波動が変わったっていうことで、それは全般全てなのか、最近製造されたお酒がということなのか?

河上さん:もうアルコール全般がそうなんですよ。なんでかって言ったら、アルコールを作る元のとこで響きが変わったの。だから、なんて言うんかな、糖質をあんまり取らん方がいい世界に入ってきたんですよ。 でも、みんなはご飯大好き、パン大好きでしょ?だから、あんまりそれ言うと、もう大変な騒ぎになるんで、あんまり言いませんけども。

宮野さん:先程のはビンテージ物(古くて価値が高いワイン等)とかってどないですかって話でしょ?

河上さん:いや、いや、そうじゃなくて、響きが地獄と1つになる。

質問:全て?

河上さん:うん、そうそう。例えばイエスがね、 水をワインに変えるわけよ。それ、響きで変えるわけや。そういう感じで、古いお酒、古酒であろうがなんであろうが、アルコールに地獄の響きが重なってきてるから色々と影響がありますよという。 だから、逆に言うと「印可書」をね、素直に奉読できたら、イエスの奇跡を現せるから、水をおいしいワインにも変えれるわけ よ。そこまで自信ができたら、もっと自在やねんけど。

 あんまり今、ややこしこと、もう言わんといて、もう一斉に行きますから、もうちょっと待って。

 取り敢えずはちょっと、ストレスであんまりアルコールは飲まないでねということで。あるいは、ストレスであんまりおかきとかね、うどんとかね、糖質を食べないでって。普段のお食事で食べる分はいいですけど、大体、ストレスで食べんね、食べすぎの人っていうのは。そのストレスをごまかすのに食べるというのは、ストレスで食べずに「印可書」読んでから食べて(神さまと共に食べるということ)。

宮野さん:ということはお酒も御神酒だったら?

河上さん:そうやねん。

宮野さん:多くでなければ良いと。

河上さん:そうそう。だから、お祈りしたらええねんけどな。だから「印可書」奉読したらな、飲みたなくなるしな、なかなか難しいとこやね。「印可書」奉読してから飲めって言うたら、「印可書」奉読したら飲みたくなくなって面白ないって言い張るから、好きにしてって言ってんねん。中々みんな面白い。飲みたなくなったらそれでええやんとか思うねんけど。

質問:アルコールと聞いてビールを思い出したんですけれども、ビール酵母からできている…

河上さん:あかん、ビールはあかん、もうノンアルコールビールにして、ビールは特に影響あんねん、今。

質問:ビール工場で働いてる人たちや、そういう会社関係の方々はどういう気持ちで…

河上さん:いやちゃうねん、原料がな。今、ビール会社は大変やね、原料の確保で。それなりにビール売れるやん。だから作らなあかんやん。でも原料ないね。

 まあそうやね、お茶で言うたら、こんなん言ったら怒れるんやけど、お茶で言うとね、お茶を作らなんねんけど、売れ過ぎて来て、お茶作られへんね、ペットボトルのお茶。ほんなら、もう本当に、そのお茶の葉がね、作るとこで、モーターの上に積もってるお茶までこう掻き出してね、お茶の葉で持っていくみたいなとこあんねん。今、極端な表現ですけど、それくらい原料が足らんで、色んな原料集めて作るから、あの、その過程でややこしいことが起こってる。せやけど、それをね、医学的には説明できへんから、あんまり録音で言うたらあれやねんけど、ちょっと、まあ、ついつい喋ってしまっただけです。

宮野さん:先ほどのビール工場で働いてる方のお気持ちはって言うことは、最初の段階のお話のところと一緒ですよね。

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:ね?先ほど最初に質問された正規雇用とあの話の答えは一緒なので、どの状態に置かれても、1番良いようになってる。そして、もう1つ、もう1つ、最初の話の、今日の1番最初の話の今起こってること、現実は遠い遠い過去の話であるっていうところに結びついてくるわけだから、結局は目の前の出来事は全部自分と1つ、他人のことも他人ではないので、自他を分け隔てせずっていうところなので、結局は目の前に起こってること全て自分のこととして真祈りするだけというところで収まるのですね。

河上さん:そうです。はい、ありがとうございます。ほんならお祈りして終わります。


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元日のお話 by 河上彰延 2024年01月08日(月) 15時34分
PC

令和6年河上さんの新年のお話
 宇宙神ありがとうございます
 
 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 令和6年元旦 河上さんの新年のお話、冒頭30分の文章化です。後半部分は天の岩戸開き(http://lmt1945.livedoor.blog/)にてアップされますので、そちらをご覧いただけますようお願い申し上げます。

河上さん
 新年あけましておめでとうございます。

 今年は辰年なんですけども、辰年でも甲辰(きのえたつ)って言って、一番最初の辰になるんですね。24年前になりますけども、同じ辰年の時に先生がですね、この新年のお話の中で「これから、太陽がますます光を強くする。要するに神さまの光が年々強くなっていく最初の年です。」ということを宣言されまして、それから年々光が強くなってきてるわけです。

 いよいよ今年からは待ったなしで、本当の光が出ます。出ますので、甲(きのえ)というのは神さまのいのち、気ですね。気が延枝(きがのえ)隅々まで広がるという意味です。

 神さまの気が隅々まで広がって、真祈り人の真祈りによって、すべてのすべての人に真(まこと)の神さまが降り立つようになる最初の年です。

 ですから、どういうことかと言うと、本当に光が強いので、損得勘定で生きてる人は生きていけなくなる時代に入るということです。だから既存の宗教のような損得勘定を基準にしているところは、全部組織的に維持できないというか、組織に携わっている人がどんどん炙り出されて損得勘定の損得を炙り出されて要するにマイナス、損得というのはマイナスの思いです。マイナスの思いが炙り出されて、いろんな病気で死んでいく時代に入りました。またそうしないと戦争でむちゃくちゃになるんでね、地球が。神さまの方でそうなる前に強い光をいよいよ出すというのがこの甲辰(きのえたつ)、これはもう24年前から決められてたんですけども、今、初めて明かすということです。

 なぜ明かすことができるかというと、皆さん一生懸命、護摩をしていただいてね、護摩木を書いていただいて、護摩木を作っていただいて、あるいは護摩木を作るお金を出していただいて。先生が人類最後の大きな護り、神さまの大きな護り、人類最後の救いであるという護摩を盛大にやっていただきつつあるので、もうお話しても大丈夫だろうと。また逆に言うと皆さんに自覚はなくても真祈りの伝授ができた人が大体増えてきましたので、それと両方です。

 真祈り人の使命はますます重くて、ともかく淡々とひたすら損得勘定抜きに「印可書」を奉読する「宇宙神ありがとうございます」を祈り続ける。「ありがとうございます」を祈り続ける。どれを選ばれても自由ですけども、ひたすら真祈りに励んでください。

 本当に真祈りが深まると、自分の呼吸が真祈りそのもの。自分の一挙手一投足が真祈りそのものって、ある日わかります。わかっても人に言わないでね。そうなると本当に真祈りの中に入っていって、神さまの本当のお手伝いになっていきます。

 その神さまの御心に添うっていうのが、どの宗教でも言うわけですけども、神さまの御心が何かわからないから、御心に添うがわからないということだったわけですね。

 神さまの御心というのは何かと言ったら、もういわゆる「新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分」って言いますけども、みんなを下から支えていく力。絶対の下座に立っている。要するに絶対のマイナスに立ってすべての人を支えていく力を神さまの御心って言います。

 だから、新たなる下座に立つのはどういうことかといったら損得勘定を持てないということです。新たな下座に立つということは損ばっかりするということです。損ばっかりするけども、ひたすら神さまの御心に添って、ただただ新たな下座に立って、すべての人を支えていくということです。

 神さま、真(まこと)の神さまというのは、絶対に相手の自由意思を縛らないのね。だから、今までの宗教は「こうしなさい」「あぁしなさい」あるいは、戒律で「こうしてはいけません」「あぁしてはいけません」っていう縛るわけですよ。縛る宗教でないとみんながわからなかったから、あったわけでいい悪いじゃないんですよ。今までは縛らないとみんなわかってくれないので、縛る宗教があったわけですけども。

 真(まこと)の神さまの真(まこと)の教えというものは教えもない。一切の縛りがないわけです。じゃあどうするかって言うたら、ただただ、すべての人を新たな下座に立って支えるだけなんですね。それは、大自然の姿、空気、水、光、すべては人類に与え切りに与え切るだけであって、一切の報いを求めないんでしょう。損得で言うと損ばっかり真(まこと)の神さまはされるということです。ただただ無条件に与え切りに与えてるだけ。無条件ですから一切の結果を求めない、神さまの方はね。一切の結果を求めずにただただ与え続けてひたすら、支え続けてというのが、神さまの大きな大きな愛です。

 だから、こちらから何々して欲しいってね、願うなんてことは一切必要ないわけですよ。何々して欲しいと願うということは、「神さま、あんたわからんやろ。わからんからこれして欲しいって教えてあげるから叶えてくれ」って言うて、神さまを侮辱してるわけですけども。その損得ですよね、何々して欲しいっていうのは。その損得を持った途端に、神さまの御心から離れるわけです。

 何で損得があるかと言ったら、自分のものとして持ちたいから損得があるわけですよ。自分のものとして持った途端にマイナスを積むことになるんです。そのマイナスを人類は無意識のうちに積んで積んで積み重ねて、今に至ってまして。その結果がね、そういう特定の場所に戦争や争いの形で起こってるわけです。それが、いよいよ吹きに吹き出して、ちょっと収まる見込みがつかなくなってきたんですね。

 だから、本当に今年からは、甲辰(きのえたつ)という、もうすごい年に入った、時期的にも入ったし、またその時期に間に合うように、真祈人が真祈りの伝授を自覚は無いですよ。なくても、受けれた人が沢山増えましたので、いよいよ勝負、神さまの勝負の年に入りました。

 ここから、あんまり年数言うのもあれなんですけども、ここから3年6年9年12年だいたい3年刻みで、大きな大きな色んなことが起こりますけども、今年が最初に色々と起こりますけども、それをその起こったことに心奪われずにね、神さまが一番いいようにしてるんだからという喜びだけで、真祈りをしてください。

 真祈りしない方は、護摩木を書いてください。護摩木を書く時は、真(まこと)の神さまが降り立って、手を添えて、一緒にお祈りしてくださるからという、先生が言霊で決めてくださったことですから、損得を抜きにね。「護摩木書いたら病気治してくれ」とかね、損得抜きに書いてください。もちろん損得付きでも効果ないことは無いですけど、本当の効果は損得抜きですることです。

 神さまは損得抜きで皆さんにすべてのすべてを与え尽くしておられるんだからね、それを真似て自分たちもすべてのすべてを神さまにお返ししていくわけですね、損得抜きに。そのお返ししていく方法がね、直接神さまにお返しする方法もあれば、すべての人を通してお返しする方法もあるということです。

 その辺を理屈で考えると、なんかもう受け取ったら、すぐ神さまにお返しするんだみたいな感じですけど、そうじゃなくて、水が染み渡るように、すべてのすべてを通して、神さまにお返ししていく。もちろん直接お返しするのも一瞬一瞬新たという形であるわけですけども。どの形をも通っていきますので、ただただ、ひたすら「印可書」を奉読していただけたら大丈夫です。もうそれだけです。

 「宇宙神ありがとうございます」の場合は、自分がマイナスに引っかかった部分を「宇宙神ありがとうございます」に包み込んでお返ししなくちゃいけないんでね、ちょっと大変だと思いますけど、好みですから、自分の好みにあったのを選んでいただいたら大丈夫です。

 ただ今年からは、そういう意味でオマケなしで厳しくて、だから損得勘定を持って、損得勘定を持つというのは何かというと、自分のものって掴むんですけど、自分のものって掴むとマイナスを積んでいくんですよ。ただ今年からは、その積んだマイナスを強い光であぶりだされていくんです。それが皮膚病になったり、内臓の病気になったり、あるいは癌になったりとかいう形でね、どんどん出ます、出るようにしてます。

 何故かと言うと戦争で消すよりは、ずーっとマシだから。神さまの方で強い光にして、それぞれの病気の形にしてます。例えば、今は大変あんまり報道はされてないですけど、梅毒とエイズが重なった状態になってきてね、そういう病気が増えて、一応ガンで死んだって発表されますけども、そういう形で死ぬ人も増えてるしという事です。各自治体の遺体を焼く場所ですね。それが間に合わないくらい、ちょっと増えてきてますけども、今年からはいよいよそれが増えます。

 なぜ人口がどんどん減るかと言うとそういうマイナスを積んでいた人を一番楽な形で消すために病気で死んじゃうのもありますし。人類が大自然から奪い取り過ぎてるんですね。その奪い取り過ぎてる形をちょっとでも消していくためにも人口は減ります。大体10分の1までは止めようがなく減ると思います。でも、真祈り次第ですけどね。

 あんまり大きな節目の年がいつかと言うのは言わないでおきます。何故かと言うと(そこで限定されて決められてしまうので、)(そうならないように)護摩次第でどんどん延びて、表さずに済むのが理想ですから、色んなことを先生から託されたし、だいたいこの年にこうなるからということも聞いておりますけども、それは誰にも言わずに、そうならないようにしろということでね。

 例えば、3月11日の東北の大地震の時もそうなんですけど、本当は、あれは大地震じゃなくて、あることが起こるというふうに聞いておったわけですよ。これは、もう大変で、お前の担当分はこれやと言うことで、あの頃は熱出して大変だったんですけども、なんとか上手く地震の形に変えれたというだけです。

 これから毎回毎回ちょっとそういう大震災クラスが起こりかねないし、起こるかもしれませんけども、どの時もその形で一番小さく消せれたと喜んでいただいて、結果に心奪われずにですね、ひたすら真祈りしてください。

 例えば津波で亡くなられた方は気の毒だということですけども、その形で一番大きな神さまの働きをお手伝いができたということは間違いないんでね。もちろん亡くなられた方に哀悼の意を表するわけですけども、どの形も神さまの大きな愛の中で、一番いい形でなってるということだけは、肝に銘じててください。肉体の目で見たらね、こんな悲惨なことということがいっぱいありますけども、それでも一番小さい形で済んでます。

 だって、ムー大陸やアトランティスの時のようにね、大津波が来て大陸が沈んで、火山が噴火してなんて大変でしょう?そこまでもっていきたくないんで、大国主命さまは地球霊王さまはもうそうするって。あのそうですね、三洗荘(さんせんそう)に先生が移って来られた頃に仰ったんです。その頃に三洗荘(さんせんそう)では、もうひたすら先生お祈りされてたんですけども、大国主命さまとの話し合いの中でね、自分が責任をもって人類に真祈りさせるからもうちょっと待ってくださいということで、ここまで待ってもらっています。

 本当はもう、とても予定より早めて、あの頃に全部御破算にするみたいなことがあった訳ですけども、先生が責任もってするという事でされました。いよいよ、先生最後まで責任もってされる予定だったんですけども、今、本当のこと言いますけど、血の涙を出されても止めれないくらいの事になってきましてね。何が起ころうとしてたかは、ちょっと今言いませんけども。それをもう一度来る時は、僕の命に代えて止めますから、後はみなさんでやっていただきますけども。

 ともかく小さく消して上手くしたということだけはわかってください。先生も予定の命を縮めて縮めて、後の人のためにさらに縮めて「印可書」を作っていかれたということです。説明は、お前に任したということで、説明役だけで、それまでは、先生はもう地球人類全体のことなんで、個人の病気治しは、お前の担当ということでね、二人三脚できたわけですけども、これからはもう、個人の病気は、それぞれ皆さん自分で真祈りしてください。後は、もうひたすら神さまの御心をこの世に降ろすために真祈りするだけです。そういう年が今年から待ったなしに始まります。それを甲辰(きのえたつ)と言います。

 厳しい話と違うね、みんなが本当に真祈り出来るようになったからこそ、またそれに間に合わされて、間に合わすことが出来たのでね、ちょっと肩の荷が下りてホッとしてます。「そんな言うても私らようわからんわ」でいいんですよ。でも、毎月の護摩を大切にしてね、護摩木を作って、護摩木をひたすら書いて、護摩を盛り上げてください。それが大きな真祈りですから。それさえしていただければ、自然と普段も真祈りするように変わってきます。

 その一番の大きな皆さんのネックは何か言ったら、自分で自分を縛るんですよ。その自分で自分をどう縛ってるかというのもわからないから大変なんです。いよいよ今年なので、甲辰(きのえたつ)なので、どうして縛ってるかって言うと自分で何とかしなくちゃと思って縛ってるんです。わかります?神さまが一番いいようにするから自分で何とかする必要はないねん。でも自分で何とかしなくちゃっと言って縛る。

 ただ理屈でこう説明するとじゃあ寝てたらええんかって勘違いするので、ここが問題なんです。その神さまの御心を知ることが大切なんですけど、神さま御心はどうして知れるかって言うと先生のお言葉で言うと限界破りをしなさい。限界破りをしなさいと言うのは、山登りを走って登るんじゃなくて全力を尽くすということです。走って登るというのは無茶をするということです。わかります?

 限界破りって言うとみんな無茶をして潰してきたんですよ。先生はどう説明したらわかるんやろなって、僕には、「お前の真祈りが足らんからみんなわかれへんやないか」って怒られるわけですけども、要は限界破りって何かって言うたら、自分にできる精一杯の全力をいつも尽くしてるということです。無茶をするんじゃないですよ。だから、眠たくなったら寝たらいいんですよ。限界破り言うたら、じゃあもう寝るのも辛抱してやらなくちゃいけないとかっていう無茶をやろうとする。無茶じゃなくて、自分のできる誠意を持ってやれる、精一杯のことを常に何事においてもするという。

 その精一杯をしてる時に初めて理屈抜きに自分では何もできないってわかるんです。ここなんですよ。自分でも、自分では何もできないって知らないと神さまの御心はわからないとかね、理屈では説明できるけども、みんなも理屈では自分では何もできないんだって思うとするんです。そう思うと理屈で思うと理を曲げてますから「じゃあ寝てたらいいんやなぁ」と自分は何もしないでこうしてたらええんかっていうふうに勘違いするわけです。

 そうじゃなくて神さまの御心を知るというのは、理屈抜きのいわゆる何て言うんですかね、魂と魂、心と心が神さまと命と命が響き渡る部分なんですね。その響き当たる部分というのは、小さい自分のこちょこちょした思いを精一杯全力尽くしてね、出し尽くすわけですよ。出し尽くす時にすっとわかるんです。それが神さまの御心を知るというコツなんです。だから先生は、全力を尽くしなさい。人の3倍働きなさい。10倍働きなさいって言うんだけど、みんな無茶をして潰れてできなかったんです。今、正確に今、説明しましたからね。

 だから、悟後の修行(ごごのしゅぎょう)と言って悟ってからの修行の方が大変なんですよ。みんな悟ったら別に何もしなくてもじっとしてたら何でもわかって、楽に何でもこなしていけると思うでしょう。そうじゃない、悟るといよいよ全力を尽くさなくちゃいけない。全力を尽くせなかったら、すぐ悟りから落ちるんですよ。天人五衰(てんにんのごすい)と言うんですけどもそれくらい悟後の修行(ごごのしゅぎょう)って厳しい。

 ますます神さまを真似て全力を尽くしていかなくちゃいけない。真(まこと)を尽くしていかなくちゃいけない。真(まこと)を尽くすと言うんですけどね。それを肉体的に言うと全力を尽くす、誠意を尽くすということです。それをひたすらしてたらいいんです。だから、悟る悟らないじゃなくて、悟りていうのは、いつもそのギリギリのとこにいつもあるわけです。だから、いつもそのギリギリのとこに精一杯するというね、無茶をするじゃないですよ。精一杯するということをいつもしてないと悟りではない。

 最初の悟りが来るといつもその精一杯しようとして休むという気がなくなるんですけど。逆に言うと精一杯してたら、神さまの御心がわかるから今は休むべきだという時は休める。自由に休めるようになるわけですよ。そういうことになりますのでね、ただただひたすら何事においても損得感情を捨てて、すべての人に役立つようにひたすら働きましょう。

 でもそれを結果掴まないということが大事なんです。自分は一生懸命やってるけど何の役も立ってないんじゃないかと思った途端に自分でどうこうしようと思ってしまう。

 わかります?精一杯してたら神さまいいように使ってくださるのね。そのいいように使ってくださる結果は、いつも言うように耳かきの働きなのか、大きな除雪機のパワーシャベルの働きなのか、スコップの働きなのかは、神さまがしていることで、こっちでどうこう思う必要はないわけです。でも耳かきでないと耳クソは取れないのね。スコップでは取れないでしょう。絶対にどれもこれも必要な働きなんです。ただ肉体側からの意識から見たら、ちょっとしかやってないと思うだけ。そのちょっとがいる(絶対に必要だ)というのが(みんな)わからない。

 お掃除の時でもそうでしょう。ホウキで掃くけども、木の桟(さん)とか狭いところは、この筆のような刷毛で掃き出さないと埃は取れないわけじゃないですか。掃除機を使ったって、筆で掃き出しながら吸うわけでしょう。だから、回転ブラシ付きの掃除機まであるわけでしょう。そういう小さい働き。いわゆる回転ブラシの先の働きというのは、ちょっとの働きなんですけど絶対にいる働きなわけですね。だから、あの結果に心奪れずにひたすら誠意を尽くして、自分なりに全力を尽くしててください。それが真祈りです。もちろん「印可書」を奉読し続けるのは大事ですけども。

 なぜ「印可書」を奉読し続けるかというと人間というのは、自分の口から出す言葉以外は受け取れないんですよ。ここが大事なんです。だから、今までの宗教があったわけです。というのは神さまを思えって言っても、みんな思ってくれないからお陰がある。要するに損得、みんな損得で動いてるからね。損得を餌にして、お取り合いをしてですね、損得で釣っといて、ちょっとでも神さまを思わせようとしたのが今までの宗教です。

 でもいよいよ、もう待ったなしなので、今までの宗教では、どうしようもないとこまで来ましたので、損得抜きで真祈り人は是非全力を尽くしてください。もうただただそれだけで、すべてはうまく好転します、嘘っていうくらい。そのイエスが3000人に8個のパンを配れたように8個のパンが3333人分に増えたように、嘘というような奇跡が自分で起こせますから、でも起こした時に自分がしたと思っちゃダメですよ。イエスが言うように「すべての栄光、すべてのお陰は神さまに返さんがためなり」って言うね。「神さまの栄光を現さんがためなり」って、イエスは言うんだけど、「すべては神さまのお陰です、ありがとうございます」先生流に言うとね。「すべては神さまのお陰です、ありがとうございます」(つまり、すべては)神さまがされたことばっかりなんですよ。

 何で神さまがされたことばっかりかというと自分と真(まこと)の神さまは不離一体だからです。ここが大事なんです。自分と真(まこと)の神さまと不離一体、理屈抜きにその時にわかるんです。もし自分がしてるのに何でって思った時は、不離一体からズレたわけね。だから文句を言ってしまった時、「何でこうなるの」って言ってしまった時ですね。そういう時は不離一体からズレた。真祈りからちょっとずれたなぁと思って反省して、また「印可書」奉読に戻るなりね、精一杯全力を尽くすなりしてください。

 でも山を全力で駆け足で登るんじゃないからね。これだけはわかってください。無茶をするんじゃなくてひたすら淡々と精一杯するということ。それはお掃除でも何でもいいんです。何をされても大丈夫ですから。

質問
 ありがとうございます 総まとめ的なお話ありがとうございます 今、最後にひたすら淡々と(全力を尽くす)全力を尽くす、(誠意を尽くす)誠意をを尽くす。よくわかりました。さらに真祈りを深めるっていうところでそれプラス、真(まこと)の神さまが一番いいようにしているんだっていう信、信じる気持ちを乗せていくっていうことの?

河上さん
 だから、その絶対の信って理屈で言うとね、「ああ絶対の信がいるんやなぁ」なんですけど、理屈ではわからない部分なんですよ。だから真祈りの伝授。先生は伝授という言葉を使いなされたんですね。絶対の信も伝授だったんです。その伝授の部分をもう一人ひとり、その伝授してる暇がないので、今、言う全力を尽くして、ひたむきに淡々と誠意を尽くすとね、その自分の力を出し尽くした時に初めて、先生の表現で言うと自分が全力出すから初めて神さまが後ろから後押してくださるという。神さまの光りが初めて本当に降りるんですよ。

 自分が何もしてなかったら余裕あるから自分でやりなさいって言って、神さまは手を出して助けてくれない。自分がもう精一杯して、もうこれ以上自分ではどうしようもないってなった時に初めて、じゃあ助けて上げる、後押ししてあげよって言って光が降りてくるわけですね。それが悟りなんです。それが絶対の信なんです。悟りも絶対の信も全部同じ意味なんですけども、理屈ではない。

 例えば昔だったら、全託とかいう言葉を使ったけど、「全託したらいいんやなぁ」「すべてを神さまに託したらいいんやなぁ」って理屈ではわかるけど、どう託すかはいつもわからんかったんです。昔は「全託しようと頑張るんだけど、どうしようもないんです」って泣いて先生に聞くくらいの僕のような人がいなかったので、先生は直接伝授ができなかった。本当は必死で先生のおっしゃることを真似てやろうとして、ひたすらやって、やっぱり自分ではどうしようも出来ないって言って、泣きながら先生に尋ねに行ったら、その人は悟らせてもらえた。引き上げてもらえた。

 悟りというのは自分から登るんじゃなくて、引き上げてもらうしかないんですよ。でも引き上げてもらおうと思うと自分が全力を出し尽くした時にしか引き上げれない。本当は、どんな状態でも引き上げれるんよ、神さまは、全知全能だから、でも楽してる(なまけている)人間を引き上げると落ちていくねん。はっきり言うとな。

 見本を先生見せてくださって、お前も一度引き上げてみいって、僕も何人か引き上げてみて、落ちて潰してますけど、その誰とは言いませんけどね。

 そのようにして、みんな落ちていく時は、今いてる場所よりももっと下へ落ちていくからね。そうだけど全力尽くしてたら、ちゃんとすっと上がっていける。それは、結果も気にしない。すべて神さまのお陰っていうのが、もう無条件にわかる。要するに無条件になるためには、全力を尽くすしかないねん。余裕があったら条件がつくのよ。「これだけしたから悟らしてくれ」、「これだけ印可書を読んだから悟らしてくれ」。

 だから、「印可書」の読む回数を指定しないのは、例えば100回って言うでしょう。1日1万回でもいいわ。1万回「印可書」を読んだら悟れるって言うたら、「1万回読んだらいいんやなぁ」って言うて条件、交換条件。損得になるわけです。それは、もう違う。条件ついたあかんねん。無条件に神さまに投げ出さなあかん。無条件に神さまに投げ出そうと思ったら、もうひたむきに、ひたすら淡々と誠意を尽くして精魂込めるしかないねん。そしたら、無条件になるからパッと悟るねん。もうそれだけよ。

 今までは、先生が全託せいと言ったら、必死で全託しようとしてね、或いは真祈りせいと言ったら、必死で真祈りしようとして、どうしても自分でも、どんなに頑張ってもできませんって泣いて聞きに行って、初めて僕のようにっ引っ張り上げてもらえるんだけども。誰もいなかっただけや。今度は、もう時間切れやから一斉に同時に一度にやりますから、そうやけど、一度にやるけど、全力尽くしててくれないとほっていくからな。真祈りしない子は見捨てるからな、全力尽くせへん子は見捨てるからなっていうことです。

質問
 今のお話お聞きしましたらね、「蜘蛛の糸」ってお話があるじゃないですか、杜子春(とししゅん)。杜子春(とししゅん)の蜘蛛の糸。結局二通りか何かの時に杜子春(とししゅん)が蜘蛛の糸を見つけるんですね。それに縋るんですね。「ああ助かった」って地獄からもう引き上げてもらうんですね。ところがその細い細い蜘蛛の糸に縋った杜子春の後から又候(またぞろ)地獄から這い上がろうとしてる人たち乗ってくるわけですね。杜子春(とししゅん)は思うんですね。「俺だけが助かろうとしてるのに後から」

 ☆「蜘蛛の糸」の主人公は、カンダタですが音源のまま、掲載させていただきます。ありがとうございます

河上さん
 自分の足元で糸切ったらよかった。(笑)

質問者
 それ言うたんですよ。そしたら全部落ちたんです。杜子春(とししゅん)も落ちたんです。

河上さん
 そりゃあ落ちる。自分だけという意識は無理やね。損得を考えたら、あかん。ちょっとでも損得を考えたら、ああしまった。ちょっとでも文句が出たら、ちょっとでも「あいつサボってるやん、俺だけ何でこんなしんどい目してんねん」っていうのは、損得なんですよ。

質問者
 それを今、感じました強く。ありがとうございます

質問
 思いを尽くす。

河上さん
 誠意を尽くす。思い違う違う。思いを尽くしてもしかたない。

質問
 取り直して、誠意を尽くす。

河上さん
 誠意を尽くすと言うのは、損得感情を抜きでするということ。ギブアンドテイクなしでするいうこと。だから、それをただ働きが一番いいって先生よくおっしゃってたんです。

宮野さん
 それって、あれですね、評価もなしですもんね。

河上さん
 そうそう、だから結果は一切関係ない。

質問
 先に一番後に戻ってもらって、三つの秘訣、誠意をを尽くす・・・?

河上さん
 ひたむきに淡々と全力を尽くす、誠意を尽くす、いのちを尽くす。それは損得勘定抜きということや損得感情があったら、人間って肉体を持ってるから肉体を持ってるいうのは、ある意味悟りにくいねんけど逆に言うと悟りやすいの。どういうことかと言うと肉体持ってるからしんどいってなるでしょう。ひたむきにやってたら、疲れてくるじゃないですか。疲れてきてしんどいから損やって、みんな損得勘定に入ってしまう。それで肉体は罪深いとか言うわけです。汚いとかって言うねんけどね。そうじゃなくて、損得勘定抜きになるとしんどくなってきても動ける範囲は動こうとするんですよの。それが全力を尽くすなんですよ。

質問
 わかりました。全力を尽くす、とことん尽くすっていう、とことん尽くすことと淡々と「印可書」を奉納するということは?

河上さん
 同じ意味です。同じ意味だけど淡々と「印可書」を奉読してたら、ひたすらに全力を尽くそうとするようになっていくの。そやけど損得勘定で「印可書」を奉納してる間は、「印可書を読むから悟らしてくれ」とか「印可書を読むからいいことあるやろ」とか無意識にですよ。そんなん露骨に誰も思えへんで、でも無意識にどっか心の底に損得勘定が忍び込むの。忍び込んでる間は、なかなか動けへん。

 だから動きたくないなぁと思った時は損得勘定が忍び込んできたなと思って、それで一生懸命やってたら疲れてくるじゃないですか、疲れてきても疲れてきた範囲の中で動ける限りは動こうとするのを全力を尽くすと言います。無茶をするというのはもう疲れてきてももうこのままいったらぶっ倒れるわと思いながらぶっ倒れるまで走ってしまうことを無茶をするって言います。だから、一生懸命走ってても疲れてきたら、歩いて一歩でもいいから前へ進もうとするのが全力を尽くすです。

質問者
 ありがとうございます






令和6年元旦河上さんお話―2(2024年1月1日−2)

質問:思いを尽くす。誠意を…?

河上さん:「誠意」を尽くす。「思い」と違う違う。思いを尽くしてもしょうがない。

質問:飛びました…。「誠意を尽くす」。

河上さん:はい。誠意を尽くすというのは損得勘定抜きでするということよ。ギブアンドテイク無しでするということ。だからそれをね、タダ働きが一番良いって先生はよく仰ってたの。

宮野さん:それってあれですよね、評価も無しですもんね?

河上さん:そうそう。だから結果は一切関係ない。

質問:すみません、さっきの一番あとに戻ってもらって。三つの秘訣。「誠意を尽くす」…?

河上さん:うん。…え?(笑)

質問:三つ…?

河上さん:うん、三つ言ったやろ?

質問:はい。「誠意を尽くす」…

宮野さん:言ってあげなはれ。

河上さん:え?「ひたむきに淡々と全力を尽くす」、「誠意を尽くす」、「命を尽くす」。それは損得勘定抜きということよ。損得勘定があったらね、人間というのは肉体を持ってるから、肉体を持ってるというのは、ある意味悟りにくいねんけど、逆に言うと悟りやすいんです。

 どういうことかと言うと、肉体を持ってるから、しんどいってなるでしょう?ひたむきにやってたら、疲れてくるじゃないですか?で、疲れてきてしんどいから損やってみんな損得勘定に入ってしまう。それで肉体は罪深いとかって言うわけですよ。汚いとかって言うねんけどね。

 そうじゃなくて損得勘定抜きになるとね、しんどくなってきても動ける範囲は動こうとするんです。それが全力を尽くすなんですよ。

質問:はい、思い出しました。全力を尽くす、とことん尽くすという、その事と、淡々と印可書を奉納するっていうことは…?

河上さん:同じ意味です。同じ意味だけど、淡々と印可書を奉読してたら、ひたすらに全力を尽くそうとするようになっていくの。

 せやけど(だけど)、損得勘定で印可書を奉読してる間はね、印可書を読むから悟らせてくれとか、印可書を読むから良い事あるやろうとか、無意識にですよ、そんな露骨に誰も思わへんで。でも、無意識にどこかね、心の底に損得勘定が忍び込むんよ。で、忍び込んでる間はな、中々動けへんの。だから動きたくないなと思った時は損得勘定が忍び込んできたなと思ってね。

 それで一生懸命やってたら疲れてくるじゃないですか。疲れてきても、疲れてきた範囲の中で動ける限りは動こうとするのを全力を尽くすと言います。

 無茶をするというのは、もう疲れてきても、もうこのまま行ったらぶっ倒れるわと思いながら、ぶっ倒れるまで走ってしまうことを無茶をするっていう。だから、一生懸命走ってても、疲れてきたら、歩いて一歩でも良いから前に進もうとするのが全力を尽くす、です。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:だから、全力を尽くしやすいようにね、囲炉裏にしてね、一生懸命部屋掃除せえって言ってたんや。もうせんでええで、もう。(笑)

質問:継続…

河上さん:継続してやれるんやったら頑張ってみて。

質問:継続中です。これから本番を迎えます。

河上さん:全力を尽くす練習やね、すべての人はね。この世に生まれてきたっていうのはね、肉体を持ったというのは、全力を尽くしやすいわけ。

 向こうの世界やったら、なんぼ(いくら)やってもひたすらキリなくあるんやけど、この世やと肉体が疲れてくるから、その疲れてきた中でどれだけ一生懸命やろうとするかというね。無茶をするんじゃなくてですよ。動ける範囲は出来るだけ動こうとうするのが、し易いわけです。

 だから、人の10倍働きなさいって先生がおっしゃったのは、そういう意味やってんけど、3倍働いた時点で、皆は3倍もいけへんし、行った人は3倍働いた時点で倒れて風邪をひいたりとかね、無茶をするから。

 だから本当は、あの頃やったらですよ、3倍働いて乗り越えられなかったら、乗り越えられないから自分はどうしようもないですって泣いて先生に頼んだら、もうちょっと分かってんけどな。今は先生はおっしゃらないから、いらっしゃらないから、無いものねだりをしても仕方ないから、一々人に聞かなくても分かる方法を説明してるわけ。

 だから、本当に疲れ果てて、もう動けないわっていう時は自分自身に問うてね、もう少しも無理やなって思ったら、そりゃ休んだら良いの。

宮野さん:真祈りしてたら分かりますけど。

河上さん:うん、印可書奉読してたら分かるわ。だから、「休みたいな」か、「サボりたいな」かどうかは、休みたいなって思った時に印可書奉読して見たら良い。そしたら、まだまだやろうと思うか、もうとりあえず休憩しましょうと思うか、寝ましょうと思うか、お風呂入りましょうと思うかみたいなね、人によって色々あるやろうけど、休憩の仕方はね、分かるはずです。

 もう悟るとね、色んなことが分かるから。あっ自分は本当に悟ってきたなと分かります。分かっても人に言ったらダメだし、そうなってきた時ほど、より全力を尽くそうとせなあかんねんけど。いつも、その最初の悟りから魔境があるのはね、色んなことが分かってくるでしょう?そうしたら結構、色んなことをスイスイとこなせるんだけど、こなせるから楽しようと思ってしまうの。すると落ちるの。

 神さまはいつも、神さまはお休みがない、全力を尽くしておられるから。神さまに沿わないとあかんから。何があっても全力を尽くさないと。そういう厳しさが悟れば悟るほどあります。楽ではないです。

質問:全力を尽くしながら、印可書を奉読していくと一番…?

河上さん:いやだから、全力を尽くしていて、しんどいな休みたいなと思った時に、これがサボってるのか休んで良いのかを判断するのに印可書を奉読したら分かりやすいっていう。

質問:肉体無意識で判断しないということですか?

河上さん:そうですね。本当に疲れてるのか、まだまだ動けるのに損得勘定でね、これ以上動いたら肉体が傷むから止めとこうと思ってるのかが分かります。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:だって、例えば肉体が疲れてきたから止めようというのをね、極論で言うとね、スポーツ選手はじゃあ立派にならへんやん。練習しててよ、「あ、ちょっと疲れてきたわ、もう今日はこの辺にしときましょう」って言ってたら、そんなん練習にならへん。プロになる人ほどそうやけど、もう倒れるギリギリまで追い込んで追い込んで練習して、初めてあの体を作るわけでしょう?

 大谷選手でも、ワールドシリーズのを見てた時に、大谷選手がぼやいてるわよね。楽しよう楽しようって思ってしまってね、動かなくなるんだよって言って、ぼやいてはるのが映ってたけど。あの人でもそう思うんやと思うくらいね。あれだけプロになって体も作ってどうすることが一番良いっていうの分かってても、やっぱり楽したいと思うんでしょう?

 それくらい肉体ってそういうもんなんやな。それをどう精一杯全力を尽くしていくかというのは、それぞれその人の個性によって違うからね。どの形が良いなんて言えないですけど。ただ、休みたいなと思った時は印可書を読んでから決めてっていう。

 それとあと、動いたらね、必ずストレッチ、筋伸ばしはして下さいね。肉体は使えば使うほど縮みますから。出来るだけ伸ばして下さい。それで、伸ばす時にね、みんな見てたら面白いの、ストレッチで伸ばそうとしてるのに、痛いから伸びない伸びないって言ってるの、心でな。それ意味ないからな。痛い時こそ伸びる伸びると思ってやって下さいね。

 みんな自分で自分を縛るのよ。で、自分はこれだけしかできないって縛るから動けないようになっていくの。でも本当は無限力をね、神さまは与えられてるから、その人にとって限界はいつでも破れて(超えられて)いくの。筋伸ばしもそうよ、伸びない伸びないと思ってるから、いつまでも硬い。伸びる伸びるってやっていったら、勝手にどんどん伸びていくって。そういうもんよ。

 だから体がすごく柔らかい人ってあるやん、中国雑技団とか。そういう人はそないして自分を縛ってへんわけよ。伸びる伸びると思ってストレッチしてるから、あれだけ柔軟な体になるわけでね。

 で、それは何事においても一緒よ。自分はこれだけしか動けないって勝手に縛ってるだけよ。自分はこれだけしかできないって縛ってるだけ。

質問:限界を自分で決めてしまってるってこと。

河上さん:そうそう。だから勉強ができない子はそうやね。分からんから分からなあかんと思ってやってはるねんけど、分からんって最初に決めてるから永遠に分からへん。

質問:いや、私、個人的な話で申し訳ないんですけど、結婚してから9年。9年前にここで、ありがとう先生に主人がね、どうしたらよいでしょうかって相談に来て、支え合っていきなさいって言って。で、主人と私は結婚したんですけど、9年前に。猫背が治されへんって。河上先生にも、猫背を治したら方が良いよって背中を撫でていただきながら。

河上さん:いや、あとは自分で縛ってるから、そこまで責任持てない。

質問:そしたら言葉で返してくる言葉がね、この頃すごいんですよ。やっぱり65歳ですね、この方も。猫背が良いんやって言うようになったんですわ。

河上さん:ええやん、自分の好きにしたら。

質問:で、有名人の猫背の人の名前をあげつらうわけですわ。

河上さん:好きにしたらええ。

質問:好きにしたらええわね、好きにしなはれや(笑)。

河上さん:みんな好きにしかせえへんて。心配せんでも好きにしかせえへん。だってな、質問に来はるの。でも質問に来はる時はな、自分のしたいことを決めてはるんよ。

質問:答えを決めてるわけですね。

河上さん:それで、こっちがどう答えても、自分のしたい部分だけ受け取って帰りはるの。で、全然そんなん言ってへんねんけど、こっちはって思っても、そういうもんよ。只々、自分のしたいことが正しいという実印が欲しい。

質問:それって傲慢ですよね。考え方としては。

河上さん:そうそう。本人が要するに、神さまより自分の方が偉いって傲慢に思ってるだけよ。神さまが一番すべてを知っておられるからね。だから全力を尽くして結果がどうあっても神さまが一番に良いようにされてるっていうは正しいけども、何もせずに、神さまが一番良いようにしてるから何もしないっていうのは、それは神さまを侮辱してる。神さまは全知全能で、本当に神さまこそね、お休みないの。せやろ?お休みあってみ?空気無くなるで。今日は日曜日やからお休みしますって空気を止められたら、みんな死ぬで。(笑い)

 それくらい神さまはお休みがない。人間はまだお休みを貰えるだけでも素晴らしいんだけども。どっちにしても人間の勝手な思いでね、良い悪いって決めてマイナスを溜め込んでるの。

 で、なんで良い悪いって決めるかって言ったら、自分のものにしようとしてるからよ。あの人は私の言うことを聞かないから悪い。あの人は私の言うことを聞くから良いっていう風にね、例えばですよ。そういう風に損得勘定で自分にとって損か得かで決めるわけ。決めた途端に自分のものにしてるんよ。自分のものにした途端にね、マイナスを背負い込んでるの。自分の思う、願う願わずに関わらずね。で、背負い込んで余計、例えば今のストレッチやったらね、もう自分は体が硬い硬い、硬い硬いって勝手に固めていくんやけどね。

 どっちにしたって、神さまは全知全能で自由自在やから、不可能はないの。不可能はないから、それを信じ切れた人が飛行機を作ったわけよ。昔の人は空を飛ぶなんて、「何をアホな、空を飛べるわけない」って言うわけでしょう?でも夢を描けてね、神さまを信じ切れる人がその限界を破るわけでしょう?何事においてもそうやん。人間より早く走れる自転車を作った、自動車を作った。もうすべてそうやねんけども、神さまに限界はない。自分が勝手に神さまより偉いからな、縛るわけ。神さまは縛ってないんやで。自分が神さまより偉くなって縛るの。それは神さまと自分を分けたから。

質問:分け隔ての…、この間ジャーナリストの息子さんで、OYさんという方、学校を出ないで、なんか天才的なことやってる…誰やった?

河上さん:誰でもええ、そんで?

質問:その人の話を聞いていたら、壁を作らきゃ良いんだって言ってましたから。今のお話、やっぱり壁を作り過ぎるんですね、私達。

河上さん:いや、壁を作るんじゃないの、自分で自分を縛ってるだけ。

質問:壁が縛りになってるわけですね?

河上さん:いや、壁やったらまだ自由があるやん。壁までの自由が。壁までもよう行けへん。

質問:自分で自分をがんじがらめにしてる?

河上さん:がんじがらめにしてるだけよ。だから勉強の出来る子というのはな、分かろうとか分からないとか言わへんの。数学やってみるやん、分からんかったら放っとくの。で、他の事してるの。遊んだりなんでもええねんけどね。

質問:好きなことをね?

河上さん:うん。そうしてる内に分かるの。勉強もそうやねんけど、理屈抜きに分かるもんばっかりやねん、本当は。でも勉強できへん子に限ってね、理屈で分からんと先に進んだらあかんと決めて、もう身動きが取れへん。

 で、数学でもそうやけど、ピタゴラスの定義でもなんでもね、理屈抜きにまずあるねん。それを後で理屈で説明しただけ。だから理屈で分かるんじゃなくて、まず理屈抜きの部分があるの。その理屈抜きの部分て何かと言ったら、真祈りの伝授の部分やね。神さまの御心を知るというとこやね。

 真祈りの伝授っていうのは神さまの御心を知るというとこやね。で、神さまの御心を知るというとこは何かと言ったら、いつも先生が言う、限界破りのとこや。だから自分が精一杯全力を尽くして、尽くして尽くしたところに初めて神さまの御心が降りてくるの。

 ただ、そこにプラス印可書があるから、自分の口から神さまの御心を言ってるから受け入れやすいよって。だから印可書は得やでって言ってるの。もちろん、「宇宙神ありがとうございます」も神さまの御心そのものやねんで。せやけど、「宇宙神ありがとうございます」は短すぎて、神さまの御心そのものなんやなあ…?(と思ってしまうの、無意識に疑ってしまうの)

 例えば、先生は「宇宙神ありがとうございます」も「ありがとうございます」の時もですけども、例えば「『ありがとうございます』は一大循環の相象(すがた)」って先生はおっしゃってるの。一大循環の相象(すがた)というのは神さまの御心やからね。せやけど、みんなそれは聞いただけで、信じへんの。印可書は信じてなくても読むだけで御心を実現出来るからっていう強さがあるから、印可書読んでね、そしたら御心が入ってくるよって。

質問:(大晦日に美容院でヘアセットをしてもらったけど、家に帰ったら頭が痛くなって寝れなかった。)

河上さん:寝ずに頑張るしかなかった(笑)

質問:(結局、セットを外してしまった。)

河上さん:なんや、外してしまったん。

質問:外しました。ちょっとだけお正月気分を味わったから良かったと自分に言い聞かせて…

河上さん:言い訳したのね。

質問:(みんなにセットした髪を見せられなかった。)

河上さん:写メっとかないと。せっかくやから記念に写メっとかないとあかんわ。(笑い)

質問:ああ、その状況を。じゃあ、それは明日に喋ります。ありがとうございます。それで、印可書をいつも携えて持っておりましたので、そういうことがあったんだなと思います。ありがとうございます。

河上さん:だから、どうしても肉体というのはね、疲れてきたら傷むという言葉の縛りをみんな持ってるからね、出来るだけ怠けて楽しようとするの。それは損得やというのを分かって下さい。で、損得があったら神さまの御心から外れてるの。

 だからこの教えに入ったら得があるって言ってる間は違うの。それは教えという形があるからよ。ここは組織も教えも立てないという先生の宣言があるわけですけども。その通りで、損得を考えないということです。

 だから逆に言うとね、先生のお金(先生のお金というのは、神さまの働き以外には使ってはいけない)で車を買ってもらったり、生活したりした人は大変なの。結婚されてた奥様以外はね。大きな借金を背負い続けていってるわけですね。

 もう、いよいよ辰年で、甲辰(きのえたつ→氣延枝、神さまの光が木の枝が伸び広がるようにすべてに立つ)なんで本当のことをちょっとずつ言っていきますけど。光が強くなるからね、些細なことでみんな喧嘩し出すからね。真(まこと)祈り人はひたすら印可書を奉読しといて下さい。

宮野さん:些細なことで喧嘩になるというのは、光が強くなるというのは?

河上さん:マイナス、自分が溜め込んでて無意識に溜め込んだマイナスが浮き上がってくるから。それが病気になるか喧嘩になるか、事故になるかは、その人の選び方。その人の選んだ姿です。私はどうしても病気は嫌やって思ってると、そういう形で出てくるということです。出来るだけその人の自由意志をギリギリまで神さまは尊重されますので。

宮野さん:そういうことは、事故に巻き込まれた、こんな目に遭ってではなくて、過去に使っていた言葉?

河上さん:いや、大体、事故に巻き込まれるのは、自分がマイナスを一杯掴んで溜め込んだからや。「あの人サボってるわ」「私だけ同じ給料で一杯働いてるわ」って言って文句言ってる人はそうなるの。

宮野さん:病気もそうですね?

河上さん:病気もそう。

宮野さん:人間関係もそうですね?

河上さん:うん。だからほら、大きい退職金もらった途端に病気になって死にはるやん。

質問:宝くじが当たって亡くなるとか。

河上さん:そうそう。大体、大きい退職金貰って4〜5年しか生きへんやろう、みんな。その4、5年の猶予期間の内に神さまに感謝できたら良いねんけど。真(まこと)祈りができたら良いねんけどね。

宮野さん: もう一つ 退職金を自分で稼いだと思ってはるからね 。

河上さん: そやね。

宮野さん: 全ては神さまからの授かりもの。

河上さん:そう。 だから 代表して働きに出ている、まあ 男性でも女性でもそうですけれども。 働きに出ている人が代表して受け取っているだけで、その神さまはその背後にいてる家族の人みんなのために出されているだけです。だから 「わしが食わしてやっている」「私が家族を養ってやっている」っていうのは大きな勘違い。 家族の徳のお陰で仕事で失敗せんと働けているだけや。

 だから先生はよくね、頂いたお給料 一旦神棚に預けて神さまから頂き直せとか、分かりやすい言い方をよくされてたんだけれど、中々自分が養っているからみんな抜けれなかったからね、もうそういう説明もなくなった。先生は頭のいい方だから、この説明で分らなかったら それは止めて次にこの言い方、あの言い方ということでね。

 だから真(まこと)の神さまという表現が中々受け入れて貰えないんで、長い間 天照大御神さまという表現をお使いになったんですけれども、この真(まこと)の世界の最小単位の表現が天照大御神さまなんで、まだ皆その形の方が掴みやすいかなということで表現されたんだけれども、天照大御神さまと言った途端にね、神道の一派かとかね、勘違いが出てきたのでね、もう色々先生の苦労は絶えない。で、それもこれもお前の真祈りが足らない、お前の責任だ。その通りですけれども、その通りですけれども僕のせいなんですけれどもね。はい。

  皆さんに分かっていただけないのは僕の役目の真祈りが足らんかったから皆さんに響き渡すことができなかった。先生から受けたものをどう響き渡すかだけのことだったんですけどね、中々。だから出来るだけ隠れた存在で隠しておいて頂いたんですけれども。

 そのどういうことかと言うと、あんまり目立つとね、僕の邪魔をするだけで、足が動かなくなったり手が動かなくなったり喋れなくなったりとかってなるんです。あるいは癌になったりとかなるんで、出来るだけ先生は隠して下さいました。 いや、この2人をね 。この2人の邪魔をしたらあかんね。知っている、知らずに関わらずにね。何や分らんから、よう分らんわでほっとくのが良いのですけど、邪魔をしないようにっていう事なんですけれども、無意識に邪魔をする人もおってね、 色々あったんで。
 
質問: 無意識で邪魔をされる方が現れた時はどのように対処されたのですか。

河上さん: どうしようもない。本人が崩れていくだけや。

質問: そのままで相手が、

河上さん: 癌で死んでいきよるだけや。

質問: あっ、そういうことですね。

河上さん: 10年ぐらいのスパンで癌で死んでいく。僕と関わったのが10年前やけど10年間の猶予期間が過ぎて死んでいくみたいな感じやね。

質問: ただひたすらですね?

河上さん: そうそう。 最初の頃はもう東京で仕事をしていたんですけどね。そしたら 僕の邪魔をしてようけ(たくさんの人が)死ぬわけよ。

質問:はい。

河上さん:で、そうこうしているうちに先生が 関西に居てるやろって、絶対人の自由を縛らない先生がね、 関西にこっちに居てるやろって、おっしゃったので、もう人の自由を絶対縛らない先生が僕の自由を縛ってね、「こっちに来い」みたいな感じでね、 言われたんで覚悟を決めて向こうを全部捨てて、こっちに帰ってきたんですね。色々ある。

 こっちに帰ってきてからでも僕の邪魔した人は死んでいくねんけど、こっち帰って来てから目立っていないからね。向こうでは、目立っていたんで。

質問: やっぱり その河上さんに限らず真(まこと)祈り人でずっとやらして頂いていると、分岐点というのが、やはり来るんですかね?

河上さん: いやそんなんはないよ。一瞬一瞬新たやから。

質問: 一瞬一瞬ですか?

河上さん:うん、その分岐点というのは過去を掴んでね、どうこうって決めているでしょう?もうその時点で縛っているね。 ただ先生がこちらにいらっしゃるから、僕は向こうで五井先生のお手伝いをして出来るだけと思ってたらね、まあ色々あってこうなったわけですね。それは先生が後を託せる人を作ろう、作ろうとされて、まあ何回か失敗された頃の話です。

宮野さん:少し話戻りますけれども、先ほどの給料を神棚に先生が神棚に一旦あげて、というところありましたが、先生が神棚を上げてっていうところで「神棚 」という言葉を使われていますけれども 神棚がある方がいいっていう話ではないですね?

河上さん:ない、ないです。 ただ あの頃は神さまから頂き直す」って言うとね、ほとんどのお家にはまだ神棚がある時代だったので 神棚っていうってことでされましたけど。今はまず、その神棚がほとんどお家にないからね

宮野さん: わざわざ作ろうと思う事も無いですね。真(まこと)神さま以外一切ないのにそのような物をつくる必要はないという事ですね。

河上さん:そうそう。 昔は伊勢神宮に行ってお社を買ってきてね、で、必ずお家には飾ったものです。仏壇以外に。

質問: 東向き 南向きでね。

河上さん: そうそう、で、あったわけですけれども今はもうそういう時代ではないわね。 形にどうこうっていう時代ではないという意味です。真(まこと)の神さまが全ての全てですから、神棚みたいな狭いところにはいらっしゃらない。まあ、そこにもいらっしゃるけれどもね。

質問: 立ち寄り所みたいなもんですね?

河上さん: 立ち寄りでもない。全てに何時もいらっしゃる。一切の分け隔ては無い。

河上さん: ただ言えることは一切、人の自由を縛らないのね。 だから人間の方も真似をしてね、一切人の自由を縛らないって覚悟を決めなくちゃいけない。

 だからみんな好きにするって諦める。 みんな好きにする中でどう追い立てるか。本人は自分の自由意志でやっているように思い込んでいるけれども上手く追い立てたら良い。

宮野さん:他人にはできますけれども家族には、ということをよく悩んでいらっしゃる方が多いですね。

河上さん:うん 家族はな。だから家族はな、みんな好きにするって、他人だけでなく全て好きにする。わが旦那もわが嫁さんも言うことを聞けへんのに、何で他人が言うこと聞くねんっていつも説明しているやん。

質問:で、その時ですね 人を変えようと思ったら、まず自分が変わらなければいけないというなんか理論があるらしくて。

河上さん:まあそれは理屈やね。虚の世界だから 全て自分の世界なんですよ。だから自分の前に展開しているのは自分の心で作ったものというので間違いないのね。 だから夫婦だと言ってもお互い自分の姿を映しているだけでね、旦那の前ではこうするけれども、他所では違うっていうのは一杯あるでしょう?あるいは皆そうやねんけれども、お家ではこうやけれども、外では違う。 それは自分の世界が写しているだけやから。

質問: やっぱり自分らしくありたいという気持ちの方が、妻らしくありたいという考え方よりも、自分らしくありたいという考え方の方が大切なようには、私は個人的に思います。

河上さん:だから 自分らしくと言うとね、もうあの神さまの御心からずれるのね。

宮野さん: すいません出来るだけマイク 通してもらいますか。個々の話ではないので、 他の方聞いていらっしゃる話なので。

質問者:すみません。

河上さん:自分らしくてって言った途端に自分と神さまを分けているのね、分けたらもうずれて行くね。だから神さまの御心をいつも知らなあかん。そのためにまず 印可書を奉読があって、その次は 印可書を奉読していたら、損得勘定抜きにね 一生懸命体を動かそうとするから。 損得勘定抜きで体を動かそうとしていたら病気になれへんね。

 それが損得勘定で行くとね、寝転がっていたいわ。今やったら寝転がってテレビ見ていたいわってなるわけや。 寝転がってテレビを見ていたら病気になる、当たり前や。

 動けへんねんから。人間の体は動くように作られているわけで、寝転がっているようには作られていないからね。そのへんがね、損得勘定があったらね 寝転がってゴロゴロしているねんな。

 それでお金持ちは結構病気になっていくねんな。で、まあだいたい女性の方が長生きするでしょう?それは何でかって言ったら 家族のためにいろんな人のために一生懸命お家のお掃除でも洗濯でもお料理でも こまめに動くじゃない。だから光が通る。

 じっとしていたら光が通れへん。だから ここではね 先生がこのお祈りの部屋でもお祈りされるし、じっと座ってお祈りされる時もあるけれども、もう作業の時は 先頭立って誰よりもたくさん全力を尽くして作業をされた。それを見習わなあかんのに誰も見習えへんから 今の状態になったんやけれどもね。 もう今更手遅れ、これから皆さん お一人お一人の真祈り人の力を必要とします。

2


令和6年元旦河上さんお話し―3(20240101−3)

河上さん:はい。

質問:一点質問です。 これから争いが増えて行く、光が強くなるというふうに話されてきたのですけれども。 争いの中で真祈りを深めていく為には、その中でひたすら印可書を奉納するには?

河上さん: そう先ずね、結果を気にしないが一番大事なんですよ。結果を気にしないということは ボロクソに言われても平気っていうこと。 まずそこなんね。先生がいつも僕には言われたんですけど。 元より後ろ指刺されるのは覚悟の上やろっていうて。

 「いや、そんなんされたら先生 誤解受けてえらいことになりますやん」って言ってもね、「人間が何言おうと関係ない」言うて、それでニッて笑って「もとより後ろ指刺されるのは覚悟の上やろ」って言ってね、ある団体が先生を貶めようとして色んな事をして、色んな事があったわけですけれども、どの時も先生はそうおっしゃってます。

 それぐらいね、神さまに対して素直であって、人間に何を言われても関係ない。虚の世界の話ですから。

 この虚の世界というのはプラスとマイナスが増減する世界なんですね。だからお金持ちが増えたら貧乏人が出て、いうね。もうそのプラスマイナス足したら結局 ゼロになる無の世界なんですけれども、その中でお金を集めようとする団体があったり、会社でも出来るだけ高い値段で騙して売りつけて利益を出すとか、するわけでしょう? 騙し合いの世界なわけやけれども、そういう虚の世界ではなくて一大循環というのは、もう無限の一定なんです。

 増えも減りもしない、増減がない。真(まこと)のプラスっていうのはそういうもんなんです。それって今 理屈でこう言ったけれども 皆さんでは捉えきれない。

 なんでか言うたら一大循環という限定した形と思うでしょ?そうじゃなくて無限が一大循環なのです。 その一大循環の無限の中には増えるも減るもないの。いつも大調和した姿だけや。だから一大循環なんです。先生が無限循環とおっしゃられずに、「真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)となって厳然と今ここに在します」、とおっしゃったのは一大循環の意味なんです。でもその一大循環を誰も質問に行かないからね、もう 憮然とされて、繰り言はいいですわ。とにかく一大循環っていうのはそういうものなんです。

  だからその損得というのは増える、減るの世界だから損得を考えた途端に一大循環からズレる。神さまからズレる。 一大循環というのはもう真(まこと)の神さまそのものなんですけれども、損得を考えた途端にズレるから、先ず損得勘定を捨てて下さい。

 ほんで(それで)無茶をするんではなくて自分の出来る精一杯をいつもやっていて下さい。休んで良いか?判断に迷う時には印可書を奉読して決めて下さい。

 それだけで、もう今よりももっと深い悟りに持って行けますのでお願いします。
 
質問者:ありがとうございます。

河上さん:はい。やっぱり損得勘定があるからね、ボロクソに言われても 非難されても何言われても腹立ってくるね。損得勘定なかったらな 何を言われても気になれへん。神さまに言われたことだけが気になる。でも神さまは何を言われてるかは精一杯全力を尽くしていないと、ひたむきにやってないと、わからへんね。

 だから天理教の教祖でも大本教の教祖でも女性でしょ?で、その悟られる前というのは、そのお家のためにね、誰よりも朝早く起きて誰よりも遅く寝て、ひたすら働かれた。全力を尽くされたわけ。精一杯。で、悟るわけですね。

 悟りの姿っていうのが全て大本教祖でも天理教の中山先生でも見せてくださっているんですよね。常にみんなの支えに入って全力を尽くすっていうことをして、悟られていくわけですね。 女性教祖があるっていうのはそれ、なんて言うんですかね (すべての女性のために、女性を下に見る世界のなかで、そうではないんだと)悟りのための限界破りを見せてくださったということです。

 無意識に損得入っているからな、そして損得が出た時は文句出ている。なんで俺だけが、なんで私だけが、あるいは、なんでこうなるの?なんでこんな目に合うの?とかね、その時は損得がはいってるね。一生懸命やって何が起こっても良かったしかないね、(無条件で)一生懸命やっていたら。

 せやけど、損得勘定で動いているから一生懸命のつもりやで、自分は、自分は一生懸命のつもりやけど損得勘定があるから、なんかあったら何で?っていうの。何でっていうのが出た途端にアウトや。

  五井先生が「文句を言いなさんな」ってひたすら言うねんけれども、誰も質問に行けへんからみんなわからんまま終わる。 もう今はどこも一緒やけどね。人の事笑っておられへん。

 先生のおっしゃる通りひたむきに一生懸命やってみようって誰もせえへんね。ここでもそうよ。先生の仰ること一生懸命やろうとせんとね、もう泣きついて行ってね、先生にお金出して頂いて、車買ってもらったりとか色々あってんけど、 そうなった人はみんなその分のマイナスを背負わして死なされへんから、色々な形にして先生はされていくのね。

 で(先生のお金を使った人で)まだ生きている人はこれを聞いたら一生懸命印可書を奉読して下さい。(どうなっても)知らんで。

  先生のお金っていうのは神さまのためにって言ってみんなが出したお金でしょう?だから神さまのため以外は使われへんね。特例は奥さんだけ。奥さんだけは大丈夫だけど他の人に特例はない。

 まあ甲辰(きのえたつ)で厳しい話との様に思われるかもしれないけれども、本当は素晴らしい話なんですよ。だって誰もが悟れる時代に入った、やっと。

 やっと誰もが悟れる。無条件に一生懸命やって無条件に印可書を奉読していたら、誰もが悟れる時代になったんや。 滝に打たれるとかね、 ひたすら千日勤行とかね、あるじゃないですか、そんな修行をしなくても誰もが簡単に悟れる時代に入ったということで喜んで下さい。

宮野さん:この前も悟ったら終わりみたいな風に勘違いされている方があったんですが、悟ってもまだ奥に奥に。

河上さん:そうです。いつも言うように 悟りって言うのはその全力を尽くした 精一杯 一生懸命やっているときが悟りなんですよ。それでひとつパッと引き上げて貰うと、もっと色んなことを精一杯せなあかん。ひたすら悟後の修行って、悟りの後の修行っていうのは大変なん。

 大変やけどもそれは無条件で喜びや。今度は。だから損得さえ入れんかったら大丈夫やねんけどね。悟った後でも損得を入れる人がおるんやね。おった途端に落ちていくのね。

宮野さん: つまり悟りに最後の終わりはないわけですよね。

河上さん:ない。

宮野さん:どんどんどんどん奥に。

河上さん: 神さまは無限やから果てはない。それを一大循環の相象(すがた)って言います。

宮野さん: よく私悟ったんですって言ったというのは、そこで終わりでは無いですね?

河上さん:悟ったって言った途端に過去形になっているやろ?過去形になった途端に、終わるねんな。茗荷(みょうが)に例えはったのかな先生は? ひたすら皮を剥いても剥いても皮を剥いても剥いても切り無いっていうやつな。

 ちょっとでも人を責めたら損得勘定入っているんね。そしたらもうずれてるね。だから先生は人を責めなかったでしょ?ちっちゃい子やから可愛い可愛いとしたらええねんっておっしゃってたと思うね。

 だから人を動かそうと思ったらな、30日のテレビでやっててんけど、面白い言い方してはったわ。ちっちゃい子にな、「お片付けしなさい」って言うたら絶対せえへんねんけど、「お片付けしていただけますか」って言ったらしてくれんねんて。それ、ちっちゃい子だけやなくて大人にでも効くと思うわ。「何々していただけませんか」って言ったら結構してくれるけど、「何々して欲しいねん」って言ったら「嫌や」って言うわ。

 それは真(まこと)の神さまという自覚はみんな無意識にあるからね。「何々していただけませんか」って言うと、相手の本心に語りかけてるから動いてくれるね。「何々にせえよ」って言ったら、思いの姿に語りかけてるから動けへんね。思いというのは、できるだけサボろうとする心やから。だからサボろうとする心をね、要するに、思いを消すために全力をひたむきに淡々とするわけ。精一杯するというのはそういう意味。

 精一杯しないというのは、思いがあんねん、まだ、損得の。私だけ動いたら損やわってなるからサボろうとする。で、職場のチーフがいない時はサボってね、チーフがいてる時は動くみたいな感じやね。だけどみんなそんなんやったら職場動けへんからな。そういうもんで。だから、総責任者の自覚というのはそういうことです。総責任者というのは、思いでどうこう、損得でどうこうじゃなくて、ひたすらするということですね。

 もうこんだけ説明したら、もう勉強会いらんな。護摩もみんなに任そうかな。これ以上簡単に説明できへんとこまで今日はできたと思いますが。やっぱりね、「人の10倍働きなさい」とか先生仰るわけでしょ?その時に「なんで10倍も働かなあかん」のとか、「なんで3倍も働かなあかんの」って、やっぱり聞くべきやってんけどね。聞く勇気もみんななかったんやね。

 だってそこまでようせんから。でも、やっぱり理屈抜きに、損得抜きに必死でやってたら、質問、もう悩み切ってしたと思うんですよね。ほんなら、ぱっと引き上げてもらえたの。まあ済んだ話ですけど。だけど今度はもっと、いちいち悩まんでも、ただ実践するだけで引き上げてもらえるから、楽になってんからね、やってね。

 これでせえへんかっても(実行しなかっても)知らんで。真祈りしない人は見捨てる。(笑い)

宮野さん:過去にこういう方がいらっしゃいましたけど、「作業をしなくてもお祈りしとったらいいんですよね」って言って作業しないっていうことを質問された方いましたよね。

河上さん:そうそう、約3名いたんですよ。1番古い時にここで1人と最近2名いたわけですけども。要するに、全然話聞いてへんから、そないなんねん(そうなる)けどね。

 要するに山の作業、特に村人の作業は損得感情でしたらあかん。作業するから悟らせてしてくれとかね。ギブアンドテイク入ったらもう作業の意味でないね。それを言うたのに、そのギブアンドテイクは抜けて、お祈りだけしてたらええんやなって、みんな自分の都合の良いようにしか聞かへんね。もうそれね、真剣に質問してへんからそんな受け取り方なるんよ。

 それは別に山の作業にかかわれへんよ。普段の皆さんのお仕事もそうなんですけど、今説明した通りで、損得勘定抜きに、ギブアンドテイク抜きにね、ひたむきになんでもしなくちゃいけない。会社のお仕事でもね。

 ただ、村人は神さまに全て捧げますという誓約のもとに村人にならせてもらってるからね、厳しい言い方を僕してるだけ。

宮野さん:それは本人が知ってる、知らない、別して。

河上さん:知らんはずないやろ。先生がちゃんと言うてんのに。

宮野さん:でもさ、あの最後の方の質問されてたあの方は、そういう質問受けてないよ。制約受けてないみたいよ。

河上:先生の後継いだ人がちゃんと説明してるはずや。そんなことはない。(怒声)

宮野さん:そこは知りませんけど、でなかったらあんな質問されないと思いますよ。

河上さん:聞いてへんだけや、本人は。

質問:今、聞く耳の話が結構出てたので。

河上さん:うん、だから、あのね、自分の口から出る言葉以外は受け取られへん。

質問:実はこういうことが、28年前の阪神淡路大震災、私は遭遇いたしまして。その後1年足らずの時に、 私は友人3人を失いました。それはある喫茶店でした。もうそろそろあなた1年も経つんだから、これ飲みなさい、あれ飲みなさいって、眠れないから眠り薬。精神安定剤、そういったものを彼女たちが私の目の前に突きつけて、水をハイってやるわけですよ。で、私はそういうものを飲んでまで自分の日常を過ごしたくはない方の考え方を持っていましたので、 「いや、悪いけど、私はこれ飲まれへんわ、 ちょっと心療内科の先生に相談しに行ってくるわ」って、その場逃げようとしたら、「もうあんたとは友達でもなんでもない」と宣告されましたんで、「おおきに、ありがとうさん」で決裂したんですが、その頃からのずっとがあって、この3.11があった時にも、 やっぱりその、安定剤飲んだり、そういうことしたっていう話が結構ありまして。で、やはり私は心療内科の先生が良かったんです。先生が、「そういう飲み薬はありますが、これを処方して常用すると、常用しなくても常用するようになってしまう」と楽だから。「常用していくと認知症が早く来ますよ」と、 だから飲まない方がいいんですという風に私に言われたので、じゃあ、私は41でしたから、認知症そんな早く来たら困りますから飲みませんって宣言できて、お薬一切関係なしの、自分の好きなことを探してくださいと言われて、5年ほどのたうち苦しみましたが、口から歌が出ましたので、 歌を歌って世のため人のためになるという風になってしまったわけです。
ま、そんなことで、友人3人は失いましたが、歌が残ったという。なんか、すいません。

河上さん:だから、自分の口から出したことしか受け取れへんからな。みんな自分の好きにするだけ。

質問 その3人は亡くなりました。私より若い人でしたけど。

河上さん:いい悪いじゃなくて。で、それも薬で死ぬんじゃなくて、寿命で死んだだけです。みんな勘違いするけどね、病気では死なないからね。 癌では死なないからね。睡眠薬では死なないからね。寿命で死ぬんですよ。それが大きな勘違い。 要するに、人のせいでは死なない。自分の寿命で死ぬだけ。誰のせいでもない。

 だから、元気にしてたのに突然事故で死んだっていうのは、寿命が来ただけなんです。あるいは癌でね、余命3年って宣告されても、 20年生きる人もあれば半年で死ぬ人もあるのは寿命が来ただけであって、病気では死なない。

 で、それも、その寿命はどこで選んでるかって言ったら、自分の口から出した言葉で選んでる。過去世からのね。で、それはもう本人はわからへんわね。悟ればわかるけど。

質問:まあ3対1で辛かったです。

河上さん:だから、よく自殺ネタを出してどうこういう宗教があるんだけど。自殺ネタじゃなくて、自殺は寿命がきて死ぬだけで、良い悪いではない。色んな要素が絡まって自殺に見えるだけっていうことですね。

 でも、どの形も人のせいにして、要するに損得感情というのは人のせいにするということですけども、損得感情が絡んで、そういう運命というもんに翻弄されるだけなんですよ。

 損得感情抜きで動き出したら、運命の縛りから解かれて自由自在になる。

 だから「私は運が悪い悪い」っていうのはね、損得感情で生きてきたからよ。損得感情を抜いてやってたら、そういうのはなくなります。で、いつも自分にとって損か得かって、やっぱり無意識に思うよね。それを捨てなあかん。

 それどこで判断するかって言ったら、文句出た時とかね、「なんで私だけこんな目に合うの」とかね。疑問に思った時はそうです(損得勘定で無意識に判断している)。

 (無条件に)精一杯全力尽くしてたらね、何起こったって諦めつくって。自分が何もしてへんから、文句がでるね。損得感情抜きに精一杯頑張ってみてください。「印可書」奉読しながら、それだけで悟れます。

 だから、「河上は村の作業せんでええって言うた」っていう噂が広まってるけど、そんなん言うてへんからな。「損得勘定でしたら、作業する意味ないで」って言ったはずや。

 その時は損得感情って言わずに、「ギブアンドテイクでしたら意味ないで」って。

 だから、村人になったから悟れる、村人の作業したから悟れると違うから。それはギブアンドテイクであって作業ではない、奉仕ではないって説明してんけど、都合よくね、「奉仕せんでええ」とこだけ取りはるね。それはその人の口から出る言葉が損得だけやから、損得の部分しか受け取られへん。

 だから「印可書」をね。あの、言うて悪いけど騙してね、「印可書」奉読してくれってやったわけですよ、まず。約6年前にね。で、皆さん騙されながらも「印可書」奉読した。

 で、奉読したら、口から真(まこと)の神さまを出してるから、真(まこと)の神さまの御心が受け取れるようになって、今こうして、ほとんど悟る寸前まで来たんや。だから「印可書」やって言ってんねんけどね。

 だから「ありがとうございます」が一大循環の相象(すがた)、真(まこと)の神さまそのものって先生が仰ってるから、そこをちゃんと受け取れる人は「ありがとうございます」で十分、「宇宙神ありがとうございます」で十分です。でも、受け取られへんと思うで。受け取れたら、もう6年経ってんから悟れてるはずや。

 そういう部分は聞こえてないねんな。ちゃんと録音にも残ってんのにね。それは口から出す言葉しか受け取られへんからや。

 だから、騙されてでもええから「印可書」読んでてねって言うてんねん。ほんなら口から出す言葉は真(まこと)の神さまやから悟りが入ってくんね。簡単なことやってんけどね。その最初のとっかかりをどう騙して、読ますかで苦労してきたんだけど。テレビショップやな、「河上の感想であって、効果、効能を示すものではありません」って言うた方が読むやろ?ちゃうか(笑)。

質問:ありがとうございます。今更こんな話を、この場で簡単に聞くのは本当にお恥ずかしいと思うんですけど、「印可書」の 読み方なんですけれども、「無限どおり」と言う方と「無限とおり」という、 言う方がいらっしゃると思うのですが、どちらが正しいか教えていただけますか?



河上さん:どっちも正しいね。

質問:そしたら、それはその人が言いたいように、言えばいいのでしょうか?

河上さん:だから、無色透明で純粋に通るときは「とおり」や 。色んなものを背負いながら絡めていく時は「どおり」になるだけでね、その時になって適当に変わる。適当では無くて必要で変わる。ええ加減に変わるん違って必要で変わります。「とおり」って言うつもりで「どおり」になったりね。

質問者:ありがとうございます。

宮野さん:いい質問ですね。

河上さん:いい質問ですよ、今のは。だから、「印可書」に括弧で色々とつけてあるのも読みたくなったら読んだらいいし、括弧のとこは飛ばしてもいいし、みたいなね。色んなパターンにしてあります。「新たなる真(まこと)の神さまの座に立つ」っていう部分が飛んだりする時もありますけども、飛ぶ時は飛ぶでいいと思ってください。

質問:先ほどの質問から思ったんですが、みんな同じ「印可書」を読んでいるように見えるけれども、そうではないということでしょうか?

河上さん:うん、だから、「印可書」は真(まこと)の神さまそのものやからね。いわゆる数式や、あれは。言葉の数式やね。設計図ってそうでしょ?数式があって、それに骨や肉がついて、色んなものに変わるわけでしょ? ね。例えば車やったら、エンジンがあって、変速機があって、車輪があって動くが、数式や。でも、外につくボディーの形とかね、色んなものが変わるじゃないですか。そういう感じ。だから、色んな形で自在に展開するね、「印可書」は。だからすごいね。一大循環の相象(すがた)そのものやね。

 一大循環の相象(すがた)という数式があって、それが無限に色んな相象(すがた)に展開する。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:基本的に肉体というのは動くように作られてるからね、じっとしてられへんのが本当や。それが、じっとしてたいと思うのは、じっとしてないとしんどいと思うのは、損得感情が入ってる。いつもその辺を判断基準にして、 ひたむきに一生懸命やってみてください。全力を尽くす、でも結果やないからね。それだけは忘れないように。

 自分は一生懸命やっても、こんだけしか出来へんでいいのよ。耳かきとスコップとパワーショベルの働きの差なんだから、その結果は関係ない。どの働きも必要。

 先生がよく時計で説明されたんですけど、「時計の中のどの歯車1つ抜いたって動かなくなるやろ」っていう。只、自分の口から出す言葉しか受け取れへんからね、「印可書」を口から出しといたら、全て受け取れて、すぐ悟れる。

 一大循環の相象(すがた)そのものを言葉の数式として出すからね。それで神さまの御心がわかりやすくなる。




令和6年元旦河上さんお話しー4(20240101−4)

質問:生活の中で、ずーっと休みたいなとか常にあるものの、状況がそれを許さないので何とか動かせて頂いているような部分が多いいんですが、その常に動きたくない休みたいという心持ちが、だいぶ神さまとは離れてると思った方が?

河上さん:だから損得が無意識に入っているから休みたいが出るの。それと結果を気にする心が無意識に入っているから、休みたいやね。結果を気にせずに損得を気にしなかったら、動ける範囲で動いてやっていくの。だけどこんだけしなくちゃあいけないという結果を掴んでいるからね、その分を何とかこの時間で、要するにこの時間でこんだけしなくちゃあと思った途端にな、しんどくなるの。休みたくなるの。

 別に「今日出来なくても良いけど、やれるだけやりましょう」常に「やれるだけ精一杯やりましょう」やね。そしたら動けるね。だけど今日中にこんだけやりましょうと思ったら、それはもう縛りやから、縛ったら動けなくなる。それで(つまり)人から何を言われてもええねんて。やれる事をやったら「うるさいわ」でほっといたらええねん。(笑)

質問者:ありがとうございます

河上さん:だって何時も言うようにこの部屋のお掃除かて完璧にしようと思ったら、3,4日かかるで。そうやろう?隅から隅まで全部キレイにしようと思ったら。結果を気にしなかったら精一杯やって、「あぁ、良かった!」で済むね。そしたらひたむきにやれるんだけど、結果気にして時間気にしたら、もうしんどくって嫌な事ばかりやって。

 勉強出来ん子って特にそうやね。結果気にして時間気にする訳。今日中にこんだけ分からないとアカンって思うね。思った途端に勉強する気にもならへん。だから大学でも高校でもそやけど、課題出されてね、こんだけの論文出しなさいっていうのをみんな苦しむわけよ。時間制限と内容が決められているから。自由研究って言ったら結構みんなしてくるんよ。

 楽器の演奏でもそうやね。上手く弾きたい弾きたいと想い出して自分の演奏を気にしだしたら、もう何も出来へんようになって来る。音楽を楽しんで弾いている子はどんどん上手くなるの。それは僕はピアノ好きやからピアノで言うと、小っちゃい子が弾くトルコ行進曲の方がね、耳当たりよくって心地良いの。何でかと言ったら楽しんで弾いているから。で、凄いプロが本来のスコア(楽譜「総譜」)通りにトルコ行進曲を引くやん。確かにうまいんやで。確かに上手いんやけど、何か重いの、楽しんでないの。上手く弾かなくちゃ、キレイに弾かなくっちゃ、スコア通りにやらなくちゃーとか、自分の表現スタイルにしなくちゃあとか有った途端に苦しみになって行くのな。そういうもんなの。小さい子は結果気にしてへん、楽しんで弾いているだけや。な?

 結果も時間も気にせんと、ひた向きに一生懸命。そうやけど小さい子も一生懸命弾いているやん。適当に弾いてへんからな。その一生懸命があったん、ひた向きさが。

 まー、プロの音楽家は大変やけどね。例えば歌謡曲で説明したら、美空ひばりそっくりに歌える人は何人も居るね。でもだからって言って誰も喜べへんやん?だからピアノでもクラシックでもそうやね。凄い演奏通りに弾けるんやで、プロになる位やから弾けるんやで、みんな真似して。真似して弾けるんやけど、真似したらアカン。真似しない中で自分の表現ちゅうのが苦しみなんやね。でも楽しんで弾けばいいと思うんやけど、何でも大変や、結果気にしだしたら。結果気にしなかったら、もっとみんな自在に自由にのびのびと色んな事が出来るはずやね。

 それは音楽に限れへん、普段の仕事でもね。何気ない普段の事一つ取ってもね、結果気にせんかったら、のびのびと楽しんで精一杯やれるよ。結果気にしだした途端に、もう苦しいねんて。1時間でここキレイに掃除しなくちゃあって思ったらな、何ぼしたって気になって気になって、最後辛くなって来るの。


質問:1年か2年位前から私も見返りを求めずに歌を歌ったり、生きていこうかと思ったら地区センターで歌を歌わせて貰ったり、自治会長もやらせて頂いたり、任期が2年なんですけど、辞めさせて頂けるかと思ったら、後任の方が居られなくて、後2年やらざるをえなくなって…

河上さん:そんなん永遠にやったらええやん。(笑い)

質問:ああそうですか。それで後2年は続けなくちゃあいけないなと思ってんですけど、近頃良く思う事は、纏めて行くのは見返りを求めずと、支え合っていく事を目的にして行けば何とか上手く纏まるんじゃあないんかなと思うんですけど?

河上さん:そうよ。だから一切何々して欲しいとあてにしない事。信じて上げるんだけど、頼らない、あてにしない。だから殆どの人はやる気はあるんだけど出来へん(出来ないの)、って言うの。

 それは何でかと言ったら、理屈で逃げてるんと違ってね、殆どの人は結果を掴むから。やる以上はちゃんとしたいし、でもちゃんと出来へんから出来へんて言って、みな逃げちゃうんよ。結局損得とか(虚栄心とか)そういうのが混ざって行くねんけどね。

質問:私が総会で喋ると前自治会長がこんだけやったとか、私が何も出来ない事を言って

河上さん:いや、事実やからその通りですと、私が頼りないので申し訳ないですと謝っておったらいい。で、気に入らなかったら他の人探したらいいって(お願いすればいい)。

質問:昨年は膿が出る年やと、膿出しの年やから、卯年やって。で、今年は辰年で光が

河上さん:よう憶えてんな?(笑)

質問:覚えてます。で、昨年は本当に膿が出て新たにそういう年になったなって思うんですね。光が立つ年、それは光が立つって言ったら、それは素晴らしい事のプロセスに違いないんだけど、きっと色んな事を私たちは体験する事になるんかなっと。

河上さん:そうよ。

質問:で、その中で答えは真祈りと結果に執着しない、結果を気にしないという事に帰結すると思うんですけど、敢えてこの年における日本人と日本の役割を教えてください。

河上さん:日本人と日本の、いわゆる甲辰(きのえのたつ)年を基準にね、起点にしてひたすら「新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分」に入って行く事です。だから形の上では一杯税金を取られてね、取られた税金を全部海外の為に使うという形になって行きます。で、自分らは税金取られるけど、自分たちの生活、例えばゴミの収集も毎週1回来ていたのが月1回しか来ないとかね、自分らが不便を強いられる年に、まだ今年はそこまで行けへんけどね、そういう風になって行くっていう事です。それを喜んでしなくちゃあいけないのね。

 何故かと言うと、今まである意味世界を搾取して日本は経済発展してきたわけですよ。石油でも何でもね、安く買って。その分はやっぱり世界にお返しして行かなくっちゃあいけないね。みんな自分やから、不便な人をほっといたらいいっていう事は無いでしょう?

 みんなを助け合わなくちゃあいけないから、その具体的な助け合う形を、いわゆる経済援助という形で世界にしていくという事です。ただ、日本の凄さは経済援助しても見返りを求めないんですね。見返りを求めないからみんな喜んで受け取るし、色々と生かして使って頂けるわけですよ。だけど日本の国民としてはね、そんなん(お金)出すだけかいっていう風に成って行くんで、後は護摩と真祈りでそういう気持ちを大調和のね、一大循環の相象(すがた)の心、与え切りに与え尽くすというね、絶対奉仕の心を響かしていくしかないんですね。

 それは結構綱渡りなんだけれども、毎月の護摩焚きで何とか成ると信じています。世界縮図が村人に現れますので、村人の動向を見ていても、ある程度見えて来ると思います。

質問者:ありがとうございます

河上さん:結局一番のマイナスをね、日本人に係らず人類がどんなマイナスを積んでいるかと言えば、電気を使う事です。電気を使う事が一番大きなマイナスなんですよ。だから先生はここの電気を消して消して消して回られたんですよ。感謝して使わなくっちゃあいけないし、一切無駄にして使ったらいけないという事でね。今はどうなっているかは知らないけど。

 それ位電気を使うっていうのは大変な事なんですよ。でも水道を捻ったらそれ電気使っているでしょう?だって水源地にある水を全世帯のおうちにあげる(供給する)の電気で(ポンプまわす)でしょう?

 今の生活で電気無くては考えられない事ばっかりなんですよ。その電気を使うと空間が歪んで凄い大変になって行くんだけど、原子力も一緒なんだけど。何よりも電気という形で大自然から引き抜いているのね。

 何でって言うやろうけども、人類は未だにね、電気がどうして発生するか分かっていないんですよ。発電機の様に導線の回りに磁石を回したら電気が起こるというのは知っているけども、じゃあなんでそんな事をしたら電気が起こるのかは知らない。

 それは永久磁石がそうなんですけど、何で永久磁石が磁力を出し続けているかというのをね、人類は知らない。知らないけど使っているでしょう?磁石として。で、電気も一緒で、本当は磁力も電気も同じ力なんですけども、今(先生から言うなと)止められたからここで止めときますけども、真祈り次第です。皆さんの真祈りで一大循環の相象(すがた)を下ろす時に全てを明かす事が出来ます。

 本当は永久磁石みたいな形で使っている内は良いんだけど、それを使って無理に電気を発生させてそれを使うっていうのは、余り良くはない。勿論感謝して使えばいいんですよ。でもみんな感謝せずに当たり前のようにして使っているやろう?そこが問題やね。

 で、逆に言うとフリーエネルギーというのは真祈りがないと現れない。もう50年経ちましたけど、50年前に三洗荘でね、空飛ぶ円盤を作ろうという事で、本当の事を言うと小型の円盤を作って飛ばす事も成功しました。色々とありましたけど、先生と僕だけの秘密にしてそれを途中でやめたのはね、真祈りがうまく進まなかったからです。

 だから何事に於いてもね、ちゃんと行くんでね、答えは全部僕持っていますんで、是非護摩を成功させ続けて行って下さい。もう真祈りだけです。今日言ったようにね、ひた向きに一生懸命にしてね、神さまの御心を知って下さい。そしたら一気に変えれますから、お願いします。

 三洗荘の頃に円盤を飛ばしたんですけど、その三洗荘の頃でもある宗教団体の教会の方がいらっしゃったんで、そこではせずに飛行実験は家の工場でやりました。先生来られた時にね。一応飛ぶのは確認したけど、先生がもうここまでにして一切隠すという事で今納めたままで終わっています。
 
 質問:護摩木を作ってそこに文字を書くという行為は古代から葉っぱに書いたりを色んな事があって続いている事って、変だと思うんです。でも今年年賀状を書くねって言ったら、いいよ、スマホで賀状代わりに。賀状代わりにスマホであけましておめでとうございますで入ってきたりしていて、要するにスマホで年賀状を書かない人が増えつつあるんですが、この現状はどう思われますか?

河上さん:だから、今まで、よそで執り行われて来た護摩炊きでの護摩木を書くのとね、ありがとうございます護摩での、今の宇宙船護摩木を書くのとは全然別の行為です。

 今までの護摩と此処でやっている「ありがとうございます護摩」とは全く別のもんなんですよ。それをちゃんと先生は説明しているけど、みんな聞いているのか信じているのかどうか知りませんけどね、それでもそういう説明を越えてね、実践して頂くために色々と言っています。でも「宇宙船護摩木」という形はね、真祈りがつたない、本当に自信がない、おぼつかない子供達でもお習字の時にね、字を上手く書けない子供の筆をお習字の先生が手を添えて描くでしょう?そういう形で護摩木を書いてくれる時は真(まこと)の神さまが降りたって真祈りのお手伝いをして下さるから、真祈りにするよっていうね。それは印可書も一緒なんですけど、印可書読む時は真(まこと)の本心の自分、悟りの自分になっているよっと、真(まこと)の神さまが降りたってして下さるよっという事を何遍も説明して来ましたけど、信じる信じないは勝手やけど、でも騙されたと思って読んでみてって言って読んでもらっている訳で、一緒です。

 それ位「宇宙船護摩木」というものは今までの物と全然違うものなのです。今までの護摩は何かの願いを込めて、願いを護摩木に書いて護摩として燃やしたわけですね。で、ありがとうございます護摩は真(まこと)の神さまが直接降りたって頂いて働かれる場として集大成が護摩の会場であり、普段の護摩が護摩木を書く事であり、作る事であり、護摩木のお金を出す事なんですね。護摩木のお金の為にっていって、護摩木の為にっていって出して頂くお金は、出す時に真(まこと)の神さまに降り立って頂いてっていう、そういう説明を先生はされていて、録音にも残っていますけども。それを口から出した言葉で聞いてへんってみんな言うけど。まあ、録音残っているからいいや。そんなんどうでも良いや。兎も角ひたすら真祈りとして護摩を進めていきたいと思います。そういうものなのです。

 だから今年からはうっかり不用意に要らん事思っていたら、形の上で病気みたいな痛みとかね、色んな物が出ますけど、出た時慌てず騒がずひたむきに印可書に戻って下さい。そしたら大丈夫ですから。で、戻れるだけの自信というかゆとりをね、要するに結果を掴まないという、指が痛くなっても痛い指を気にしないっていう心がけがあれば大丈夫です。 

 そうなのにこの痛い指何とかしてくれって言った途端にね、もうズレているからダメなんです。先生はどんなに体が痛くてもニコニコしされていたでしょう?それ位結果に心を奪われない事が大切なんです。

 今日はお祈りの最中心臓が止まってね、どうしようかと思う位アレやったんですけど、痛いしね。心臓止まると痛いんでね。でもちゃんと神さまは良いようにして下さる訳なんですね。だから何が有っても大丈夫ですから。その結果を一切掴まないという事を覚悟を決めて頂いたら、大丈夫です。

 みんな結果掴んで慌てるわけ。熱でたらどうしよう?足折れたらどうしよう?車にぶつけられて足折れたどうしよう?とかね、そうじゃあなくって一番良いようになっているって喜んだら、結果掴んでいない事になるからすぐ対処できるのね、何でもね。でもどうしようと言った途端にね、何したら良いか分からなくなって、対処が遅れて大変になって行くの。

 勿論怪我したら手当したらいいんですよ。勿論どこか痛くなったら、お医者さんに見て貰ったら良いんですよ。でもその時に印可書奉読していたら一番良いお医者さんに行けるの。しょうもないお医者さんにひっかからへんの。やっぱり最初が大事やからね。

 そこは結果を掴まなければ上手く行きますから。治療するなとかそう意味ではないですから。

 昔、4,5年前ですけど、ある人が腰痛で手術を受ける事になって、印可書を奉読していたのでそのまま腰痛の手術を受けてね、お医者様が自分で言うのは何ですけど、今回は完璧に出来ましたって言ってくれた位ね、ちゃんと上手く行くんですよ。お医者さんに掛かってはいけないじゃあなくって、手術したらいけないじゃあないですけど、先ず印可書を持ってきとって下さい。なあ、お兄さんの完璧やったな?

宮野さん:普通は言わないものね。

河上さん:お医者さんが自分で言うのもなんですけど、完璧に出来ましたなんて普通は言えへん。ちゃんと全てを通して真(まこと)の神さまが働いてくださいますから、狼狽えることはない。
 時間?もう終わって良いですか?2時間経ちました。予定の時間ですので、お祈りして終わります。


 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/LAcrjLYYHqQ
 
 宇宙神ありがとうございます


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1月光の交流会 by 河上彰延 2024年01月08日(月) 13時45分
PC

令和6年1月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年1月光の交流会で聴いていただいた、先生のお話 最後の審判とは!(自由意志で新しい言葉(世界)を選ぶ)(YouTubeありがとうございますmt 203より)です。

質問
 CDで言ってる話で聞いたんですけども天の岩戸が開いて、光の柱が降りたと同時に、もう最後の審判が始まっているというお話をされているのを聞いたんですけど、それでよろしいですか?

先生
 はい(笑)でも、その最後の審判の意味をどういう意味かっていうのを、これ言葉選びを自分の自由意志でするっていう意味。その言葉通りにすべてなるっていう。普通、過去の思いが一杯あると負けてしまう。無限の思いがあったら無限の思いに負けて、その奴隷になって言葉選びできない。

 天の岩戸が開いて光の柱が降りて、身近まで光降りると熱い壁が全部消えてる。だから無限の思いを一時、神さまが預かってるような感じで思いのない状態に置いてもらう。そこで新しい言葉を選ぶ。そうするとその自由意で選びやすい。思いに負けてたら選べにくいマイナスしか選べない普通。でも軽くしてもらったらプラスでもマイナスでもどちらでも選びやすい。

 それを自分の自由意志で選んだのが最後の決断下したのが自分っていうのが、最後の審判になる。他人が神さまがしたのではダメなの。最後の決定が自分でないとダメよね。だから自分がどういうものになりたいか、またどういう世界に住みたいかって、これ自分の自由意志で決定するのが大事なのよ。神さまがここへ行きなさいって言われていくのでは、また他へ行ってしまう。それでは、最終的な最後のものにはならない。それで自由意志を発揮できるようにしてくれてるのが最後の審判。

 自由に何でもなれる、どの世界にでも住めるっていうふうに、それで無限の思いを一時棚上げにして軽くしてもらってる。普通、厚い思いの世界を上へ抜けていくっていう不可能。厚い壁を抜けて上まで出ないと自由な心になれない。でも身近にすっと光の柱降りてきたら横へ抜けたらしまい。横にちょっと入るだけでも光の柱入ったら上へ抜けたのと同じなるから、それで身近に光の柱が降りてるっていうのが、やっぱり無限の思いを肩代わりしてくれてる姿。それで自由意志を発揮しやすくなってる。

 それでも人によったらプラスを選ぶ人、マイナス選ぶ人分かれるのよ。やっぱり苦労の足りない人は、まだマイナス選ぼうとする場合が多いよ。マイナスに懲りて苦労した人ほどプラスを選び直そうとする。それも自由意志を神さま尊重する。苦労が足りなかったら、もうちょっと思いの世界でってなるわけよね。そういう意味の最後の審判。だから悪いこと起るっていう意味じゃない。

質問者
 言葉、先生いつもおっしゃってるように言葉を選ぶことが以前からおっしゃってますけども、より本当に真剣に選んでいかなきゃもう・・・。

先生
 うんそうね、そういうふうに良い言葉選べるように助けてくれてる。大体が宇宙の絶対法則っていうのもそうよね。すべて言葉通りになるっていうのが絶対法則。これは、もう誰ひとりの例外もない、何ひとつ例外もない、もう必ずそうなってる。それが神さまの世界も思いの世界も同じなの、言葉通りになる。

 言葉通りに全部なってるし、言葉通りになっていくし、必ず言葉通りになるっていうのが、もう絶対変わらない。ただ神さまの世界は、本当にあるものを受ける。言葉通りに受けるの神さまから。本当にあるものを言葉通りに受け取れるの。だから言葉通りの自分になれるし言葉通りの世界を受けていける。

 でも思いの世界は、本当は無い世界。虚の世界だから神さまの世界にないものは、虚の世界で受けるしかない。だから闇もマイナスも思いもって、いろんな虚の姿全部、神さまの世界には無いもの。だからそれは、虚の無い世界で受けないと受けられない。だからマイナスの自分っていうのは、マイナスの言葉でマイナスの自分になるけども、それは虚の世界でしか受け取れない。本来ないものをあるかのごとく、虚の姿で受けるのよ。夢、幻、錯覚っていうな感じよね。だから、マイナスの姿は、やっぱり虚しい儚い感じで受ける、無い世界だから実態のない受け方、やっぱりね。

 夢見てる時も幻見てる時もそうよ。実際は無いのを見てるんだから。だから、神さまの中にあるものだけが本物で無いものは虚の世界にしかないという感じ。ただその虚の世界は目の前のウロコ一枚ぐらいなの、神さまから見たらそうよ。汚れたウロコが一枚目の前覆ってるというぐらい。それ通して見てるからマイナスが見えるっていうぐらい。ウロコっていうとなんか実体あるように見えるけど目の前ついたら目ヤニっていうぐらいかもしれない。目ヤニがついてて目があかんからぼーっと見えてるっていう感じかもしれない。それもマイナスの言葉の積み重ねがそういうふうに目ヤニになってるのよ。

 だから本当は、もうプラスの言葉だけをしっかり使ったら、もうすぐにプラスの世界に抜けられる。マイナスの世界は虚の世界は無いんだってよくわかる、すぐにね。特に今の時期はそういうふうになっている、それが最後の審判。

質問者
 虚の世界とかっていうのは、もちろん神さまが作ってるわけではない?

先生
 ない、作ってない。

質問者
 それぞれ、人それぞれの自分の思いとかで、それさえなければ本当は、すぐにその素晴らしいだけが見えると?

先生
 見えるね。だから目が、心の目が開いてない、目ヤニがついて開けられない状態。だから、心の中で言葉通りに想像してる世界。想像する世界は何でも想像できるじゃない。特にマイナスの言葉使ったらマイナスの姿でいろんなもの想像できる。だから言葉通りに想像してあるかのように錯覚して感じてるだけの世界。

 目が覚めたらよくわかるんだけど、目が開いたら、目が開いたら光だけってわかるじゃない。本当にプラスだけなの。それも目を開けるのは言葉よ、やっぱり。神さまの世界にあるものを言葉に変えて受け取るんだから、大きいプラスの言葉よね。それを繰り返したら、神さまの世界に波が合ってそれを感じる、感じ取れるようになる。

 だから祈り言葉を繰り返すだけで、すぐにこう変わってくる自分自身ね。言葉通りの自分になって、その波の合うものを感じ取る自分になる。大体思いの世界でも言葉の洗脳ってあるじゃない。言葉をいっぱい吹き込まれるとその通りの自分になってしまうじゃない、みんな。だから言葉通りの自分になってしまうのよ、やっぱり。

 プラスの言葉いっぱいで天才教育って施したら、みんな天才になるし。マイナス言葉いっぱい聞かしたら、やっぱりマイナス人間になってしまう。嘘ばっかり教えたら嘘を信じ込んでしまう。それ、みんなもう言葉通りになってるだけの話。

 だからもう神さまの世界も虚の世界も全部、一貫してすべて言通りになるっていうのが法則。その通りですね。だから言葉通りにすべて言葉通りになるっていう人は、必ずすべて言葉通りになるよ。ならないっていう人は絶対ならない。でもどっちも言葉通りになってるっていう。一方は気づいてるし一方は気づかない、気づけないだけで、必ず言葉通りになる。神さまの世界まだわからないの?

Nちゃん
 わかってる。

先生
 わかってる。

Nちゃん
 もうここが既に神さま世界。

先生
 その言葉を繰り返したら輝いてくる。本当にそうよ、みんな言葉通りになってしまうよ。だから、何で神さまの世界を感じにくいかって、現実の世界が過去の残像だから、現実をみんな言葉にするじゃない。だからマイナスの言葉をいっぱい使ってることになる。過去を言葉するのは、みんなマイナスなのよ。

 神さまの世界は絶対の中心から新たに新たにって出てくる、無限のプラスの言葉よ。この言葉を使ったら神さまの世界がすぐわかるんだけど、やっぱり過去を言葉を使ってるっていう、マイナス言葉をいっぱい使ってることになる。それがやっぱり、この世に心をうつしてる原因、だから言葉通りよね。

 だから小さい子が現実を無視し空想力いっぱい、心働かしてる時なんてすごいよ。だから現実を無視して言葉を先に使ってないとダメよね。小さい子が、ままごと遊びをしてる時は、これが御馳走やって言って泥の塊りを美味しそうに食べてるじゃない。ああいう感覚が大事なのよ。現実を言葉してない、先にいい言葉を使っている。だから先に言葉がこないとダメよ。それですべて言葉通りになるっていうのが正しい。

 でも大人は過去を掴んで現実が先よ。現実が先で現実の通りの言葉が生まれてくるじゃない。そうするとまたそれを繰り返す。言葉通りまた現実が同じような現実積み重なる。または同じマイナスの言葉いっぱい出てくるじゃない。それはもう環境の運命の奴隷よ。だから、その現実から抜けられない。同じような世界から抜けにくくなる原因がそこよ。

 だから現実が先じゃない、言葉が先よ。これも気づいた人は言葉を先に立てるから運命を現実を変えていける。簡単に変わっていくの。だからすべて言葉が先よ。言葉を先に立てたら運命を支配する。現実を先にしたら運命の奴隷になる。だから現実を言葉にしないっていうのが大事よ。絶対に言葉にしないっていうのが、いつも新しい、新しい言葉を先使わないとね。お金がなかったら宇宙銀行総裁っていう自分って言わないと(笑)

 でも思いの世界でそうだけどいろんな夢を願いを叶えた人は、みんな言葉を先に立ててるよ、例外なし。本当に夢を言葉にした人が、みんな言葉通りになってるだけよね。だから、成功した人も失敗した人も同じ、言葉通になってしまってる。だからどういう言葉をずーっと使い続けてきたかって、これちゃんと記録できてたら、その記録した言葉の通りになってるはずよ。絶対例外なし。

 だから、どんな言葉を使ってきたかて隠せないよ。結果がそのまま出てるから。だから言葉と心と形っていうのは同じ、一体なの。だから言葉通りの自分よ、やっぱりね。例外あるか?ないよ。一つでも例外があったら法則じゃない。だから、後は言葉を選ぶだけ。それで何億年一回の神さまの愛の働きで、最後の審判って降りるの。いい言葉選びやすいようにしてくれる。それでも何億年一回ってすごいで。百年に一回でもすごいなと思うけど、何億年、生きようと思ったら何回生まれ変わるの?

Nちゃん
 その何億年っていう感覚もどこから来てんのって思ってる。

先生
 大体、この世の感覚も何億年よ。低い世界もっと長くなるから。でもこの世の感覚で億年待てる?虚の世界から実の世界抜けるのにチャンスを与えてもらえる、この年数って何億年たたないと次にチャンスないと思ったら気が遠くなる。

 百年の一生として、百万回生まれ変わるような感じよ。一万回でも大変よ。大体生まれ変わりってそうじゃない、百年生まれてきたら向こうで百年ぐらい、また二百年ぐらいっていって、また生まれてきて、また向こうでちょっと長くいててっていう感じでしょう。だから、何億年いうたら、百万回生まれてきて、あの世で、また何百万回向こにいてるじゃない。この世に生まれてくる回数百万回よ。気が遠くならない?それだけ修行してもチャンスないっていうんだったら大変じゃない。

Nちゃん
 もう諦めてしまう。

先生
 一回でも大変じゃない。そうでしょう、もう一生いのちがけで修行しても抜けられないでしょう。十回しても抜けられない、百回してもダメ、一万回修行し続けても抜けられないっていうの大変よ。百万回したって抜けられるかどうかわからないのに。だから今抜けないとバカみたいなもんじゃない。それでもわからない、気づかない思いの世界にいてるとね。

 神さまの世界と感謝の世界、正反対になるから、思いを積み重ねるように積み重ねるよう生きてしまうのよね。ますます思いの中に入ってしまって抜けられなくなる。あの大体、その精神統一ってあるじゃない、精神集中って、みんな思いの世界で修行してるって言うけど、この精神集中、精神統一が間違って反対なのよ。神さまの感謝の世界と思いの虚の世界とやり方が正反対になってる。

 思いの世界は、一点集中っていうのも無限にあるものを一つに絞って一つだけ選ぶの、無限の中一つ選ぶでしょう。その一つを見てるとこれまた無限に広がるの小さい意味でね。また、その中一つ選んで小さくなるのよ。さらにまたその小さいものを無限に広げて、またその中の一つ一点を選んで小さくなる。最後にいくとこは無の一点なの。だから到達するところは何も無いっていう無なの、思いの世界の修行はね。それで無になったって喜んでるのよ。

 だから間違った、この悟りの境地、無の境地って、そこは、その悲しみも苦しいもないっていう境地だって喜んでるのね。悲しみも苦しみも小さくなってるよね。それは、それで小さくなってるけど何も無い状態、そこにはプラスも喜びも何も無い。これは思いの世界のみんなやってる一点集中の精神統一の修行なのよ。無に到達しようとしてるだけ。

 でも神さまの感謝の世界は正反対。どういうやり方かって言うと今、見えてる無限のものをこう一点に凝縮する。自分が大きくなったらこうなるの小さくなる。無限のものを一点にこう持ってきたらいいだけ、全部凝縮して目の前持ってきたら、小さく収まるよ。結局自分が大きくなっていく、宇宙が自分っていう感覚で大きくなる。そうするとそういう宇宙が無限にある、また。それをもう一回また、全部自分って持ってくる。それで、また大きいのが出てくるからまた大きく自分って、だから入れ子構造的にどんどんどんどん大きい自分になっていく。

 最後に到達するのが絶対の中心よ。そこが神さまの本源よね。それと一体化するから本当の悟り。そこは、もうプラスが無限に無限に一杯、そのぐらい違う。ありとあらゆるいいものを全部、いっぱい詰まってる世界、本当の悟りよ。

 だから、マイナスも闇もそんなんあるわけないよ、そういうところにね。だから、そのやり方まで違うでしょう、本当の精神集中、精神統一、一点集中って言ってもね。だから、本物になろうと思ったら本物の世界に入らないとそんなんわからない。思いの世界にいてる人には、それわからないの、何度説明してもわからない。

 感謝の側に立った人にやっとわかり始める、気づくのそうよ。同じこの話を聞いてもわからない人はわからないのよ。チンプンカンプンで思いの心になってる人には全然わからない。逆に反発するだけ、わかってるやろう。わかってる人は感謝の側に立ってる。これ正しい精神集中、一点集中できる。入れ子構造的に大きくなっていく自分なる。それで感謝が深くなって、神さまのプレゼントを大きく受け直していけたら、どんどんどんどん神さまの中へ入っていけるじゃない。神さまと一体化していける、大きくなっていける。どこまでも大きく神さまのプレゼントを受ける直すのができるじゃない。

 感謝がぐんぐん深まる、大きい自分になっていける。これちょっとでも、ちょっとでも信じられたら、自分が感謝に生きてるのよ。もし感謝の心全然ない人には全然わからない、チンプンカンプンで何にもわからんと思う。全然耳に入らないかもしれないし入ったら反発してくると思う。反発しないのね?(笑)

Nちゃん
 言葉通り、言葉通り。反発しない、わかる、わかる。

先生
 たいしたもんや。思いの世界に生きてる世の中の人って、みんな現実が先ず第一よ。現実が先だから、みんな現実を相手にして、そこから言葉を引っ張り出してるよな感じよ。だからテロだ、テロだって言ったら、もう現実のテロを見てね、もう言葉がテロになってしまうじゃない。するとテロをいっぱい作り出す。それで収まること絶対ないよ。その世界に巻き込まれて、本当のテロの世界になっていく。戦争も同じだし、病気も同じ。みんな言葉通りに、どんどんどんどん、そのマイナスを増やしていってる。怖いぐらい、それね。

 言葉をプラスに変えなさいって言って怒るよ、実際そうだと思うよ。病気って言葉を使わなかったら治ると言ってもね、もう怒るぐらい違うよ、何されるかわからない。もうテロを相手に、こうテロを止めようとしてる人に言葉だけ悪いんやって言うたら、なぁどんなことになると思う。こんなん信じるわけないやろう。

 だから言葉通りに言葉が先に立つっていうのがわかる人は、たしたもんよ。そういう人は、もう神さまの世界にすっと抜けていける、抜け出せる、思いから抜け出せるけど、思いがいっぱいあって、思いの奴隷になって、そういう傾向を握ってる人にとったら、なかなか抜けがたい。天の岩戸開いて、光の柱が降りててもわからない。この壁一枚抜けられない。神さま苦労してるのね。自分の色眼鏡の汚れっていうのに気づかないものね。そう見えてるだけって言っても通らない。

 自分がプラスに生きようとしてる時に自分が持ってるマイナスを一身に背負ったら自分の見る世界、マイナス一杯になってしまって大変じゃない。マイナスの言葉いっぱい、自分の口から出てくるかもしれないじゃない。周りがこれマイナスをとってくれたら、自分が言わなくて済むマイナスの言葉。周りの人が一杯言ってくれる姿でとっていってくれたら、自分がマイナスの言葉を積み重ねなくて済む。その分どんどんプラスに変わっていくじゃない。

 だから、周りからいろんなマイナスの言葉聞かされた時は、自分のマイナスをとってくれたと思ったら、どんどんマイナス減っていくよね。だから褒められた時ほど用心しないとダメよね。悪くけなされた時ほど喜んだらいい。マイナスが消えていく。悪く言われて、けなされた時ほどマイナス消えていく。身代わりにとって、持って、持ち出してくれる。褒められた時は自分のプラスの言葉持ち出されてる(笑)

 はい、ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/JDL8g-3kQNk

 宇宙神ありがとうございます


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12月護摩 by 河上彰延 2023年12月09日(土) 07時24分
PC

12月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和5年12月の護摩焚きで、皆さんからの質問に河上さんが答えてくださった内容です。ありがとうございます

質問1
 以前、先生が新築の家を建てると木の命を奪うことになるので、徳を失うことになると言われたそうですが、古い家を購入して修繕して住んだ方がよろしいでしょうか?家購入の際のアドバイスをお願いします。

河上さん
 ありがとうございます また今月お会いできて嬉しく思います。ありがとうございます

要は簡単にいうと人間は自分の出す行為、言葉だけしか受け取れないんですよ。だから求める心とか人を責める心のある人は、人を責める人とかもっと何かして欲しいってお願いされるばっかりで、神さまの大きな愛を受け取れないんですよ。自分の出したものしか受け取れないの。ただそれに尽きるんです。

 自分に出したものしか受け取れないんだったら、じゃあどうするのかということですけど。真(まこと)の神さまっていうのはすべてのすべてでしょう。

だから真(まこと)の神さまの働きをしたら、真(まこと)の神さまのすべてを受け取れるわけですよ。それで皆さんには、神さまのお手伝いしましょうね、ってお願いしています。だから神さまのお手伝いをしたら、神さまからお手伝いしていただけて全部受け取れるわけですよ。

 でも神さまのお手伝いしたらいいんだなぁって言われても、何したらいいかわかんないというのが今までだったんですね。もちろん先生は、それについても具体的に質問が来たら答えようとされてたわけですけども、神さまのお手伝いをするとか、それを先生は「絶対奉仕」とかという言葉で示されたわけです。

じゃぁ「絶対奉仕」ってどうするんですかって言われた時に、それについての質問をする人がいなかったんで、ここまで来たわけですけども、いつものパターンなんですけど。

 神さまのお手伝いを「絶対奉仕」ですね、「絶対奉仕」を一番簡単に「印可書」奉読に先生は言霊で決めていってくださったわけです。だから「印可書」奉読をしていると、神さまのお手伝いになって神さまの全てが受け取れるわけですね。

 受け取ると何をしても、今自分にとって何をすることが本当に具体的な神さまのお手伝いかっていうのもわかってくるし、わからないうちはひたすら「印可書」を奉読して神さまのお手伝いをしていれば良いと言うだけのことなんです。

 今の新築の家云々は、その神さまのお手伝いをしていない人の場合のお話なんです。神さまのお手伝いをしておられたら、そういう法則は当てはまらないです。ただ、可能な限り古い建物があれば、それを修繕して使うか、あるいは解体して、その材料を使って建て直すかということをする方が良いと言う。今で言う、いよいよやっと人類も目覚めて、再生可能な運動というのがありますけども、そのことをもっと昔にですね、それは平成11年頃の話ですけれども、そういうことをお話しされたわけです。ただそれだけですよ。

 まず神さまのお手伝いということを思って、「印可書」奉読をされたら、新築の家が必要ならば、新築の家を建てるようになるし、そうでないんだったら、ちょうど良い物件が見つかるとか、解体修理するとかですね、いう部分がちゃんと出ますから大丈夫です。ありがとうございます

質問2
 実家が5年以上空き家になっています。遠方にあるためなかなか掃除にも帰れません。仏壇の位牌もそのままになっています。以前、先生から空き家になると霊の棲家になると聞いています。ある方に土地の浄化をお願いすると数十万円かかると言われました。自分でする浄化の方法を教えていただけたらありがたいです。

河上さん
 空き家にすると霊魂が棲むと言うのは、いろんなパターンがあるんで一概に決めれないわけですけども、例えば仏壇が必要か必要でないかと言えば必要ないんですね。仏壇があるからどうこうという心配はないです。気になるんならば、仏壇は解体して、ここ(護摩壇)で燃やせばいいし、位牌もここで燃やして大丈夫ですけどね、わざわざすることもないです。

 お清めの方法と言うのは、昔は先生しかお清めできなかったわけですよ。今は「印可書」というものがあって、「印可書」を奉読するだけで、先生と同じ働きをするんだよと言うことを先生が言霊で決めてくださったわけですね。

 だから「印可書」奉読に行かれたらいいし、「印可書」をあちこち、お家に貼ってこられたらいいと思います。それだけで充分です。

 ただ、なかなか「印可書」奉読することが神さま、先生のお働きになるというのを信じ切れない部分があるから、その不安の部分だけは不安が収まるように自分なりに必死でするとかですね。いっぱい貼ってくるとか、それこそ畳の下まで入れるとかはされたらいいですけども、どの形であっても、神さまの(光が通る通るという形で)先生の(光が通るという形で)神さまのお清めの働きが「印可書」を通して降りますので大丈夫です。

 ともかく先生が、みんなに任したよって逝かれたわけですけど、それは自分の働きをみんなに委託するよ、ということです。委託された(先生に縁のあった、みなさま)方は「印可書」奉読することによって、先生の働きが神さまのお手伝いができるよと言うことをわかってくだされば、もう一気に全てが変わります。

 もちろん「宇宙神ありがとうございます」でいいんですよ、本当は。でも「宇宙神ありがとうございます」だったら不安で(気持ちというか、いろんな)すべてが収まらないんですよ。

 もっと正確に言えば、最初の「ありがとうございます」の十文字でいいんだけど、それで収まらない。先生は「『ありがとうございます』は悟りのすがたそのもの」とか「真(まこと)の神さまそのものだよ」って、「真(まこと)の神さまの降り立ったすがたそのものだよ」(とおっしゃって説明してくださったんだけど、そうだからと)と言ったって理屈ではわかるけれど、そうかいな?本当にそうなの?って言うだけで(いまいちわからない、理解できないので、素直にハイと)受け取れないのね。

 受け取れないからここに(今という今まで)きたんです。

 なぜ受け取れなかったかと言うと、みんな求める心だったわけです。

 今日最初に言ったように(人間は、すべての人は、このうつしよの法則として)自分の出したことしか受け取れない。だから、求める心だったら求めるしか受け取れないから、神さまから何も来ないの(本当は、来ているけれども何も分からないの)。

 「ありがとうございます」と、お祈りする時も神さまのお手伝いと思ってお祈りしたらもっと受け取れたんですよ。でもそこを先生は、お手伝いと言わずに「絶対奉仕」そのものとおっしゃったんだけど、そこも誰も聞いてない。

 「絶対奉仕」ではわかりにくいだろうと思って、お手伝いって翻訳しているわけですけども。

 何でもいいんだけど、ともかく、どの祈り言葉も神さまそのものなんだっていうのが信じ切れるんだったら、どれを使っていただいても大丈夫です。でも信じ切れない時は「印可書」を使ってください。「印可書」は信じ切れる切れないにかかわらず、大きな働きをします。だから不安でしょうから、「印可書」奉読で「印可書」を貼ってこられたら大丈夫だと思います。ありがとうございます

質問3
 神社のことでお尋ねします。茨城県日立市にあります御岩神社に行ってみたく色々と調べていましたら、宇宙まで届く「光の柱」が立ってることで有名とありました。アポロ14号の宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めた時1ヶ所だけ、すごく光っていた場所があり、緯度経度を計測したところ御岩神社だったという話や日本人宇宙飛行士 向井千秋さんも日本に光の柱が立っていて調べたら日立市の山中だったとおっしゃっているそうです。御岩神社は何か特別な場所なのでしょうか?よろしくお願いします。

河上さん
 御岩神社は特別な場所です。ただ言えるのは虚の世界の光の柱が立っている場所なんです。それは今に変わらず、ずっと昔からです。(たまたま、地球の地軸の傾きとそれを安定させようとする、日本のピラミッドの働きで、たまたま、宇宙から見て、強くそこに光として見えただけで)ずっと昔から立っている場所です。

 その場所は、御岩神社に限らず奈良県の長尾神社もそうですし、もちろんお伊勢さんもそうですし、出雲大社もそうですし、虚の世界での光の柱の立っている場所です。だからダメではないですけども、もうそれだけではどうしようもない状態に今ありますので、絶対の中心から要するに天照大御神さま、絶対の神さま、真(まこと)の神さまが直接降り立ってくださっているこの光の柱の立っている場所というのは、この護摩の会場なので、護摩をお願いしていますけども。

 もちろん、例えば長尾神社に、例えば御岩神社に、例えばお伊勢さんに、あるいは出雲大社に行きたいなぁと思う時は是非行って「印可書」奉読して来てください。ありがとうございます

質問4
 真祈りをして本心開発をすること、悟りを開くことと今、この現世、虚の世界で生きていてお金を稼ぎより豊かに生きたい、成功したいという欲との狭間に苦しんでいます。松下先生は求める心は良くない、借りを作ることだと言われていたように思います。どうしたら、この虚の世界で生きる私達が経済的にも精神的にも豊かに幸せになれるでしょうか?仕事や事業で成功することを願うのは、浅いことでしょうか?経済的に豊かになりたいと願う事の罪悪感をどうすればよいか悩み苦しいです。どうかアドバイス、コメントをお願いいたします。

河上さん
 このご質問はね、お金があったら何でもできる、経済的に豊かになったら幸せになれるって勘違いされているわけです。

 なぜお金があったら何でもできる、経済的に幸せになったら豊かになったら幸せだって勘違いするかと言うと、自分と他人を分け隔てるからです。

これを大きく虚栄心って言うわけですけども、自分と他人を分け隔てたら自分だけがいい目をしたい、自分だけがいい目をすることが幸せだと勘違いしていくんですね。だからややこしくなるわけです。

 いつも言うように100人の人に100個のパンがちゃんと神さまは与えているわけですね。でも不安になって自分だけたくさんのアンパンを取りたいというのが、経済的に幸せになりたいと願う心です。

それは100人という意識じゃなくて1人という意識に小さく縮んでいるからですね。もうただただそれだけです。

 でもじゃあ小さくなった意識を100人分まぁ100個のアンパンの世界で言うと、100人分に広げたらいいんだなと言うのは理屈ではわかるわけです。でもいざ現実になったら、明日食べるアンパンもないからちょっと横に取っとことみんなやはり思うわけですよ。思わない人いないって。子供の分も取っとかないと明日どうしようって思うわけです。

それって何かって言ったら神さまの無限供給を信じ切れないからです。なぜ神さまの無限供給を信じ切れないかと言うと、小さい自分になっているからです。その堂々巡りです。

 自分を大きくしたら良いのはわかっているわけで、理屈ではみんなね。求める心は小さい自分の意識だと、神さまの心は与える心というのは大きな神さまの心だっていうのは、理屈ではもうね、長年先生のお話を聞かれているから皆さんわかってるんだけど、じゃあどうして大きくするんだというのがわからない。

 真祈りだ、真祈りなんですけどね、真祈りというのがわかっているようでわからない。もうただただそれだけなんです。でも誰でもが真祈りしなくちゃいけないし、誰でもが先生の働きをしなくちゃいけないから、(僕は昔)もう先生に本当お願いしたわけですよ。

 僕は「ありがとうございます」でというよりは「天の造化主の尊(アメノゾウカヌシノミコト)」ですけど。この祈り言葉でパッといったけど。これ他の人選び取れない以上、何とかしてもらわないと困りますって文句言ったわけです。

 (そのとき)先生はもうすごい頭のいい方ですから、いろんなものブワッとものすごくたくさん出されたわけです。「お前この中でどれがわかるんや」っておっしゃって「印可書です」ってなったわけです。それで「印可書」を先生出してくださいました。そのブワッていっぱい出す時に、もう本当に先生の命を削って出されたわけです。

 そして僕には、この「印可書」は、もう真(まこと)の神さまそのもの、つまり松下清則そのものという事で、これ(印可書)を奉読する時には、この世的に言えば松下清則のお清めができる。大きく言えば、真(まこと)の神さまとしてのお清めができるから、働きができるから、お手伝いができる、どれ言っても同じ意味ですけどということで、「印可書」をいただきました。

 ただちょっとこれは光が強すぎて、もうちょっとって言った時に先生ニッて笑われて、まずこれでいくからということで「印可書」に関するいろんな経緯があるわけですけども、ただそれだけです。

 だから自分を大きく広げないと「無条件の幸せ」にならないんですよ。自分が小さいからあいつとこいつとこいつとの間での自分がいい目してるという、条件をつけるわけですね。条件付きの幸せしか感じない。

 条件付きの幸せっていうのは必ずこの世は、何でも朽ちていくでしょう。付けた条件は必ず変化するわけですよ、ですぐ不幸せになるの。

 だから、いくら経済的に豊かになったって幸せじゃないっていうのがわからないんですよ。条件付きの幸せは幸せじゃないというのはわからない。一番みなさんにわかりやすい言葉で言うと、お金さえあったら幸せになるんだったら癌になっても治るんでしょう、お金で。治らないじゃないですか。病気になった時にお金さえあったら長生きできるんですか?できないでしょう、病気治らないでしょう。条件つけてる幸せは全部偽物なんです。

 真(まこと)の神さまの意識に広げた時に条件が付けようないのね、分けてないから。だから「無条件の幸せ」になるんですけど。いつも言うように、光、みんな光なんですよ。

 光で(すべては完成されて動いて)いってんのね。

 (たとえば)この世といえども太陽の光でできてるの。光は分けれないの。どんなに抵抗したって、みんな一つなんですよ。

 それに気付きさえすればいいんだけど、なかなかみんな頑固で気付かないから、「印可書」奉読してたら気付くよと言うふうに先生が言霊で決めてくださったので、「印可書」をお願いしてますけども、もちろん「宇宙神ありがとうございます」でいく方はいかれたらいいし、それぞれ自分がこれでいくということでいってください。

 ただどれもこれもやってみられて、やっぱり(いまいち、ピンと来ない)っていうのが必ず来ます、真剣にされたら。その時に初めて「印可書」のすごさがわかると思います。ありがとうございます

質問5
 神書666ページ、「物事を正しく見抜く、洞察力・眼力が必要」という項目で、「肉体という道具・器を動かしている、中身は一体何者かを見抜かなければならないのです。」「一人の肉体人間を通して現れる姿は、中身の入れ替わり・変化に従って、コロコロと大きく変化し続けているものなのです。」とあります。宇宙の大神、副守護神、副守護霊、先祖霊、背後霊、憑依霊、動物霊、業想念、他からの念力が動かしているとありますが、自分自身が感じる想いは、こういうものに動かされているのでしょうか?

河上さん
 はい、その通りです。「からだ」っていうでしょう?人間のことをね、「からだ」っていうじゃないですか。あれは言霊的に言うと「から→殻」。「から」で出来ているから、「からだ」なの。その中には、さっき一番最初に言ったように、自分が出したものの響きのものが、体の中に入るんですよ、正確に言うと。だから自分さえ良ければの人は、自分さえ良ければの霊魂が入るの、わかる?

 だから「印可書」を奉読したら、真(まこと)の神さまが入るのは当たり前なんです。自分が「印可書」というのを出したから、「印可書」そのもの、真(まこと)の神さまは自分の中に入ってくださるというね。それだけの繰り返しなんです。

 悪魔というのは、自分の独りよがりの、自分さえ良ければの思いが溜まったやつを悪魔って言います。さっきで言う、経済的に豊かになりたいとかね、お金持ちになりたいというのは、そういう自分さえ良ければの気持ちですね。これが一杯溜まると悪魔という姿になって、やっぱり体の中に入って動きます。ただ、それだけなんです。だから、自分の体を何に任せるかだけなの。

 絶体奉仕というのは自分の体を神さまに任せるということなんですけども、どうして任せるかがわからなかったのね。繰り返すことですけど、「印可書」奉読したら神さまに任せ切れるからということで、「印可書」というのは、真(まこと)の神さまを出す、口から出すことですから。すると出したものが受け取れますので、真(まこと)の神さまが自分の中に入ってきて、無条件の幸せが感じられるようになってくるわけです。

 だから余裕がある限り、時間のある限り、トイレに入った時くらいは「印可書」奉読してね。それがものすごく楽で悟りへの近道だよって、こう、テレビショッピングしておりますけども。横には個人の感想であって、河上の勝手な感想であって、効果効能を示すものではありません(笑)っていうのを流しながらね、いつも説明させてもらってるわけですけども。只々、自分の出した言葉だけなんです。

 だから、例えば「ありがとうございます」の十文字で、なぜみんな悟れなかったかというと、「ありがとうございます」を真(まこと)の神さまそのものと思わずに出すから。じゃあ、自分の思った意識の「ありがとうございます」しか受け取れない。「宇宙神ありがとうございます」も、太陽系の宇宙神くらいにしか思わないから、じゃあ、そのレベルのことしか受け取れないということだったわけです。

 「印可書」は、そういうことを考えなくても、真(まこと)の神さまそのものに響きになるという凄さがあるんで、凄まじさがあるんで、「印可書」でいってくださると楽ですけどね、という感じだけですね。

 ともかく、「から」の「からだ」を何に任せるか。任せるのはもう只々、自分の出す言葉によって、出す言葉のものに任すわけですね。それだけです。実に単純な原理です。ありがごうございます

質問6
 神書488ページ「真理を学ぶこと」について。本心の自分は神さまと一体・常楽我争で、一切のマイナスは無いとあります。もし、まわりにマイナスを見たのなら自分の心のマイナスを見ているだけ、そのマイナスが見えた時「宇宙神ありがとうございます」と唱えれば消えていきますか?「番組を楽しんでいる本当の自分と、番組の中で演じている自分とは、別個なのです。」とありますが、番組の中で演じている自分が、マイナスであると気付いた時、そのマイナスを消していただけるチャンスが来たと感謝することが大切ということですか?

河上さん
 微妙に理屈で説明、今された質問なんですけど、微妙にズレていて違うんですね。先生はちゃんとおっしゃってるんですけど、先生はいつも、先生の頃は「印可書」がないんでね、いわゆる伝授の部分ですので、「この神書のここの部分がね、よく分からないんだけど。」って聞きにきてくれたら伝授できたような書き方をされてるわけ。

 要は、例えば、演じている自分というのが真(まこと)の神さまであるというのは、みんな本当は知ってるんですよ。ただ忘れているだけなんです。その演じている自分と真(まこと)の本心の自分を切っている状態が問題なんですよ。思い出せば良いだけ。

 役者さんがね、その役に没頭してお家に帰れない状態になってるようなもんです。みなさんね。役者さんというのは、「はい、カット!」って言って「はい、今日の撮影はここまで!」と言ったらですね、ハッと本来の自分に戻ってお家に帰るわけでしょう?でも、「はい、カット!撮影はここまで!」と言っても、まだ一生懸命に演じてるというのが、皆さんの今の状態なんですよ。それに気付くだけ、本心の自分と演じている自分を繋ぐだけなんですけども、そこを「ありがとうございます」と唱えたら繋げられるんですよ、本当は。

 でも、そのためには、「『ありがとうございます』は悟りそのもの」、「『ありがとうございます』は真(まこと)の神さまそのもの」という先生の言霊で決められた響きをね、信じ切らなくちゃいけないんだけど、簡単すぎて信じ切れなかったの、みんなね。信じ切れないというか、わからなかったというか。

 わからなかったというのが正しいでしょうね。「感謝の言葉が、なんで真(まこと)の神さまそのものやねん、なんで悟りそのものやねん、へ?」という感じですね。受け取り切れなかったというべきでしょう。

 でも真祈りしかないんですよ。その演じている自分と本心の自分を繋ぐ方法はね。真祈りしかないの。その部分の真祈りにかわる一番簡単な方法として、真祈りとは神さまのお手伝いそのものですから「印可書」の奉読ということを先生は作ってくださったわけですよ。もう只々それだけです。

 だから、神書は色々とありますけれども、どれも最後の部分は直接伝授の部分なんですよ。なんぼ(どれだけ)繰り返し読んでも、理屈では微妙にズレてわからないの。

 その直接伝授の部分を、こっちは先生の寿命がわかってるからね、間に合わないじゃないですか。僕に全部任されたって、どないもできないですよっていうことで、もう必死の懇願ですよ。最後の、そうですね、平成20年過ぎたあたりからは、もう必死の必死の懇願であったわけですけど。色々、本当に色々あったんですけど、その中で色々と怒られ続けてきたんですけども。

 その中で先生がね、もう本当は、あと5年は長生きされる予定やった5年を全部削って、「印可書」に換えてくださったんです。

 だから、今は「印可書」がありますので、色々と行き詰った時は「印可書」を奉読して神さまのお手伝いをしたら、この神書に限らずね、普段の生活でも行き詰まった時は、ぜひ「印可書」をね、必死でひたむきに奉読してください。そしたら必ず新しい道が見えてきて開けます。本当にね、先生がいつもおっしゃってたんですけど、四面楚歌で周りが全部壁でも天はいつも開いているからって言って、おっしゃるのね。それが真祈りなんです。

 ただ、真祈りがわからないでしょう?だから「印可書」奉読が真祈りですから。ぜひ「印可書」奉読してね、一切の困難を乗り切っていってください。ありがとうございます

質問7
 神書480ページ 神さまの最高表現に波長を合わせるためには、「スピード化する」ということが大事な要点になると書かれていますが、どのような所にポイントを置いて練習すれば良いでしょうか?

河上さん
 これは、神さまの働きというのは、千早振る(ちはやぶる)っていう表現を日本語で言霊で使うんですけども、すごい猛スピードで回ってる駒ような感じです。駒って回転が速いほど安定して回るでしょう。ああいう感じですね。すごいもうスピードで回転してる姿っていうのは何かというと、人間の普段の生活で言うと何かというと、結果に心を奪われないということです。

 結果に心を奪われなかったら、ありとあらゆるものを同時に手がけてやっていけるわけです。普通は結果に心奪えてる(奪われている)から、「これを仕上げてしまわないと、次やったら全部、虻蜂取らず(あぶはちとらず)なるわ」と。「二兎を追う者は一兎をも得ずだから、先ずこれを仕上げてしまわないと」と思って、みんなそこで掴んで行き詰まるんですよ。

 (そうじゃなくて、すべてを)同時にやるんです。結果を気にせずに。同時にやったら、本当の正しい道が一つあるんです。

 それで、できるようになる。それを千早振る(ちはやぶる)働きというんです。同時に全ての事をやってるから、もう本当忙しいのね。忙しいけど、結果気にしてないと、結果気にしないから、本当の事がすっとわかってくるんですけどね。

 これ勉強できる子とできない子の差なんです。勉強できない子というのは、この算数の問題1つ、先ず解いてしまわないと次に進んだら余計にわからないようになるわーと思ってね、もうそこで、「わー」ってやってるわけですよ。

 でも、勉強できる子というのは、そのうちまたやったらわかるようになるやろって言ってほっとくのね。あと英語したり国語したり、もう理科したりとか、好きな事をしてるわけです。それも、英語やったらいちいち覚えようと思わない。国語も覚えようと思わずに楽しんで読んでるみたいな感じですね。そうしてるうちに全部できちゃうんですよ。

 結果を掴まなかったら全部できるんです。

 なぜなら、神さまは一瞬一瞬新たな存在だから結果を掴まないの。結果を掴まないからこの宇宙は、永遠に一大循環の相象(すがた)として、無限に生成発展するんですよ。結果を掴んだら行き詰まって動かなくなる。ただただそれだけです。

 だから結果掴まないということ。掴まずに色んな事をやれる限り全力を尽くしてやるのが千早振る(ちはやぶる)働きであり、スピードアップということです。ありがとうございます

質問8
 河上さんの11月の勉強会で言われたことに対する質問です。11月の護摩の話の時は邪魔が入ったと言われていましたが、どのようなことが起こったのでしょうか?その事について、私たちはどのような対応をすればよろしいのでしょうか?

河上さん
 はいはい。もちろん、その邪魔をするエネルギーというのは、皆さんに直接関係ないんですよ。ただ、いろんな形を通して、なんとかこう止めよう、止めようと。要するにね、思いの心というのは、ストップをかける心なんです。神さまの心、真祈りの心というのは、今言ったスピードアップすること、どんどん進める心なんです。

 だから、ほら、怠けたい人っているでしょう。あれは思いの心になってるから、求める心になってるから、自分で自分の働きにストップかけるのね。それで、怠けちゃうんですよ。

 本当はここをお掃除、自分の部屋ですよ。例えば、自分の部屋の掃除したら綺麗に片付いて、自分も気持ちいいんだけど、思いの心、求める心があるから自分で自分にストップかけて、「何か知らんけどやる気でえへんわ」って言って怠けるの。それが、思いの心、マイナスの心なんですけども、それが大きく固まって、この護摩の時にやっぱり、出てくるわけですよ。それが色んな形を通して出ますので、あるわけですけど、少なくとも、この宮野と河上がやってることに一切近づかないでっていうことです。近づかなければ大丈夫。また危険でもあります。

 皆さんにマイナスがいかないように、この2人に全部引き寄せますから、あんまり近づくとよくない。こっちから触りに行く分は大丈夫ですけどね。あんまり、皆さんの方からはあんまり近寄らないでっていうことです。もちろん近寄って来られたらマイナスいかないようにしますので、その分、こう色々と手間取ってね、ちょっと段取りが崩れることがあるので、それを言いました。ありがとうございます

質問9
 保存食についての質問です。有事に備えて備蓄する保存食についてお尋ねします。梅干し、ラッキョ、味噌、漬物などの加工して長期保存できるもの、または生命力の強いニラ、ツルムラサキ、オカワカメなど自生させておく。また、缶詰、その他にカップ麺などは水や燃料が必要になりますが、最小に、最善の保存食を備蓄するにはどのような内容がよろしいでしょうか?

河上さん
 だから、缶詰になったものは大体一番いいです。それだけです。それで、もちろん、護摩がどんどん成功してるので、最悪のパターンは起こらないとは思ってますけども、

 いろんな最悪のパターンがあって、例えば、芽は出るけど実がならなくなってるとかね、本当に食べる物が急に無くなる。あるいは、石油が本当に取れなくなってね、今の日本というのは海外から船で来る。色んな物で潤ってるわけですよ。その船が来なくなる。だから日本だけで自給自足しなくちゃいけないとかね、色々なパターンがあるので、できるだけその時に、自分が困らんのじゃないですよ。みんなが困って暴動を起こさないように、ある程度みんなの心を沈めれるくらい(収めるくらい)配れる、その時に配っていただくために缶詰とかって言ってます。

 真祈りしてたら、いつも言うように、1個の缶詰で1000人に配れるからね。それは大丈夫ですから、その時になったらみんな、「そんな、私そんなんできないわ」じゃなくて、「印可書」奉読してたら自然にできますから。イエスの8個のパンを3333に分けて配ったように、(あのときは)実際は本当に一かけらしか、みんなに配ってないでしょう。

 でも、その一かけらでみんな満腹して、満足してお家に帰れたわけです。

 そういうことが可能ですので、でも、そういうことが起こらないのが理想ですから護摩をどんどん頑張って護摩木を書いていただいて、やっていきたいと思いますけども、そういうことでお願いします。だから、そういう意味では、缶詰が一番、長期保存がきいていいと思います。

司会者
 ありがとうございます お預かりした質問は以上で終わります。会場の中でご質問がある方はどうぞお願いいたします。(会場からの質問はありませんでした。)よろしいでしょうか。それでは、河上さんにお話をお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます あの、本当にね、自分の出したことしか受け取れないんですよ。

 だから、修行しても悟れないの。修行というのは、自分が悟ってないから修行するわけでしょう。だから、自分が心の中で、心の中の言葉で、「自分は悟ってない」って出してるわけですよ。だから、悟ってない自分しか受け取れないのという単純のことなんですけどもね。だからお釈迦さまは、「苦行は悟にならず、修行は悟の印にあらず」っておっしゃったわけですよ。それは、五井先生も松下先生も、ヨハネ先生もみんな、そういうことはおっしゃってるんですけども、(悟りとは)ただ、ただ、真(まこと)の神さま、神さまにどれだけ全て投げ出せるかだけなんですね。

 それをイエスの場合は、「先ず神の国と神の義を求めよー」とおっしゃるわけです。

 それはもう、真(まこと)の神さまだけを、真(まこと)の神さまに全てを投げ出せ、無条件で投げ出せという意味なんですけどね。「絶対奉仕」とも言いますけども。それはなぜかというと、自分の出したものしか受け取れないからです。それを自分が正しいと思う心だと思ってください。

 自分の出したものしか受け取らないって、(そんなこと言っても)僕(自分)はなんでも出してると思ってたら大きな間違いで、自分が正しいと思い込んで出してるわけですよ。だから、自分が正しいと思うやつ以外は受け取れない。だから皆さんね、「私はまだ悟ってない」って言うから、ずっと悟れない。もうただただこれだけなんですよ。

 先生は、もうずっと昔から、僕はお会いした本当に60年前からね、ずーっと「みんな光や」っておっしゃってるわけです。「みんな悟ってる、祈ってる、救われてる」って、もうずっと昔からそれしかおっしゃってないんですよ。でも、それをみんな受け取れないから、言葉を変えて、手を変え品を変えていろいろ説明され、もうそれでもダメだから護摩にされて、護摩でも、護摩は本当は偉大な護り(摩→偉大な、護→まもり)だって先生おっしゃってるわけですよ。

 ここに光の柱、真(まこと)の神さまという、光の柱を立て、降り立ってくださってる、すごい場なんだって言うんだけど、みんなわからないのね。「あ、そうなのね」でしまいなわけです。

 それで「印可書」も出していただいて、もう一番「絶対奉仕」しやすいようにして、後、任したでということで、皆さんに任せていかれましたのでね、ぜひ「印可書」を奉読されて、先生の働きを、真(まこと)の悟りそのものを実感、実感していけます。

「印可書」を奉読するごとに実感の度がちょっとずつ増えていきます。ある時突然、全部わかります。

 その時は、その手前、ちょっと手前は何かというといつも言うのように歯を磨いてる時、顔を洗ってる時、お食事をいただいた時も、「あ、これは真祈りそのものなんだ」「神さまの光そのものなんだ」ってわかります。わかってきたら、もう、まだ、それは、悟りじゃないんですけども、あの、もうかなり近いんでね、そういうふうになります。

 そうなったら、さっき言ったように、お金がたくさんあればいいのになぁとかね、経済的に豊かになればいいなぁなんてとか思わないですよ。経済的に豊かになったって幸せではないですから。本当の幸せは、神さまの無限供給を信じれることですよ。

 あの小さい子で、いつも説明しますけども、お母さんがおやつや食事くださるわけでしょう。そしたら、兄弟3人4人いてたら、早く食べないと無くなると思って、まぁ言うたら今の人類の形で言うと、貰ってるものを隠し込んでまで取ろうとする状態が今の人類ですよ。でもお母さんは必ず、次の日になったらまたこの子らお腹空いたなと思って、ご飯もくれるし、おやつもくれるわけですよ。無限供給をお母さんしてくださるの当たり前じゃないですか。それも神さまの無限供給は皆さん信じないのね。自分が働いて稼がなくちゃいけない、自分でなんとかしてこうしなくちゃいけない。だから、人のことより先ず自分のことで溜め込もうとするわけですよ。それがどんどん積み重なったら、国と国との争い、戦争になっていくわけですよ。

 神さまを信じ切れない、絶対の信というんですけども、神さまの絶対の愛を信じ切れないことから起こるんです。もういつも簡単に言いますけども、絶対の愛でね、もう本当に愛そのものの神さまがね、皆さまにいいようにしかしてないんだよというのが全てです。

 でも小さい自分が正しい(という)意識から見たら自分は不幸だと言ってるだけよ。神さまの働きから見たら、全ていいようにしてるんですよ。

 それを僕は人間の体で例えてね、肛門の働きも一番になってる状態なんですよ。でも肛門だけを覗いたら臭いうんこがあってね、もう汚い汚いってね、みんな勝手に思ってるわけですよ。小さい意識で見たら。でも、肉体という大きな体一つで見たら、大事な大事な働きじゃないですか。その大事な大事な働きを、皆さんお一人おひとり、誰一人として皆さんが担っておられるんですよ、なのに文句言ってるだけ。文句言わなくなったらわかるんです。

 だから五井先生はね、もう口癖のように文句を言いなさんなって言うんだけど、みんなわからないの。それくらいね、みんなその神さまを信じ切れないんだけど。でも、少なくとも、五井先生の元に集い。松下先生の元に集ってきた、来られた方はね、あの、どっか、無意識に神さまを信じ切れたから集ってくださったんです。後はそれ、直接神さまと繋いでくださる「印可書」があるので、「印可書」を奉読して本当の悟りを手に入れてください。

 皆さんが本当の悟りを手に入れたら、一気に人類が変わります。先ず、人数は言いませんけど、これだけの人数が「印可書」を奉読して悟れたら変わるということは、先生から言われていますので、もうあっという間です。大丈夫ですから頑張って護摩木を作り、護摩木を作るお金も出せる人は出して、護摩木を書ける人は書いて、「印可書」を奉読できる人は奉読して、「宇宙神ありがとうございます」いく人は「宇宙神ありがとうございます」でいって、真祈りに真祈りを重ねて、人類のために神さまのために働きましょう。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/XwZCaPzVMCA

 宇宙神ありがとうございます

じょうし


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12月光の交流会 by 河上あきのぶ 2023年12月04日(月) 16時41分
PC

令和5年12月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和5年12月光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。

 「真」を付けたら『真のありがとうございます』になると思う?  (YouTubeありがとうございますmt no189より)

先生
 ありがとうございます 今日は、『真(まこと)のありがとうございます』が流れましたけど『真(まこと)のありがとうございます』とは何か?

 「ありがとうございます」に「真(まこと)」を付ければ、『真(まこと)のありがとうございます』になると思います?ならないよ。ちょっと違うよ。

 真(まこと)のプラスの言葉と虚の言葉、区別できますよね。虚の世界は対立のある世界。比較の差別のある世界。対立や差別のあるのは全部、虚の世界の姿。虚の世界を現す言葉は全部、虚の言葉。本当に言葉だけの言葉、軽い言葉、重みが全然ない。

 夢、幻、錯覚ってあるでしょう。夢見てる時は夢と思わない。夢から覚めたら、「あ、これは夢だ」ってわかる、区別がつく。幻もそう、幻覚から覚めたら、「あ、幻だった」ってわかる。

 錯覚っていろんな錯覚がある。これはもう真実を知ったら錯覚だったってよくわかる。でも、虚の世界にいてる限りは、虚ってわからない。虚の世界が真実って思ってしまう。だから、真(まこと)の神さまの世界、真実の世界に戻った時に初めてこれが虚だったって区別がつく。

 虚の世界の全ては言葉通りになる。言葉だけの世界。無から生まれて無に戻る。儚い虚しいものばっかり。全てが波でできてるの。波の変化っていうのは、細かい波も荒い波もどちらも浮き沈みがある。ただ、虚の世界だと、過去を掴んで思いをいっぱい溜めるほど、どんどん小さい自分になっていくの。そうすると、小さいさざ波でも大きいものに感じる。だから波が大きい小さいよりも、自分が大きくなるか小さくなるかで感じ方が違う。無限に小さい自分になったら、さざ波でも大きいうねりに感じる。波乱万丈よね。天国へ昇った思ったら、どっと地獄に落ちたような感覚になる。

 思いを積み重ねると、なぜ小さくなるか?それはもう、思いの網模様を加えていくと、どんどん、どんどん一つのものを細分化してしまう。細かくバラバラにしてしまう。そして、それを掴んでしまうと小さい自分になっていく。だから、過去を掴む思いの心は、どんどん小さい自分になっていく。

 本心の自分に戻ろうとする。本心の自分は全体を大きく束ねて、全てを神さまにお返して、さらに大きい自分に戻っていこうとする。大きくなったら、波の変化なんて取るに足らない、眼中にないぐらいになる。無限の遠いとこから地球の海の荒れた波を見ても、ただ太陽の光が当たって輝いてるぐらいにしか見えない。どんな大きい波もプラスにしか見えない。だから、自分が大きくなるかどうかよね。本心の自分に戻ろうという生き方を取ってたら、大きくなっていく。大きい自分には、波の変化なんてなんでもないの、全てプラス。

 それで、真(まこと)のプラスとは何か?『真(まこと)のありがとうございます』は、いったいどういうものか?

 「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのもの。真(まこと)の神さまっていう重みがある。「ありがとうございます」って唱えて、真(まこと)の神さまを感じ取れたら、この「ありがとうございます」は、無限の無限の重みのある言葉よね。『真(まこと)のありがとうございます』になる。

 また「新たなる無限の無限のプラスが無限に無限に一杯!」「真(まこと)のプラスだけ!」っていう受け方ができたら、「ありがとうございます」は、無限の無限の真(しん)の価値のある言葉。この時「ありがとうございます」は、『真(まこと)のありがとうございます』

 必要なものを的確に与えてもらう、この一大循環の相象(すがた)。これを感じ取れたら「ありがとうございます」は、本当に実のある「ありがとうございます」  実態があるの。神さまの愛のプレゼントという実態のある「ありがとうございます」になってる。

 そういう「ありがとうございます」が、『真(まこと)のありがとうございます』 この『真(まこと)のありがとうございます』を神さまに捧げ尽くす。

 恩返しっていうのは、受けたものをそのままそっくり即座にお返しする、全てをお返しする。ちょっとでもこれが自分、これが自分のものっていうふうに掴んでしまったら、残像の世界に入る。これは虚の世界に落ちてしまう。ちょっとでも掴んだら虚の世界よ。全てお返しするのがいいのよね。

 流れてくるままに100%全てお返ししたら、一切の我が消える。全ての自分を捧げ尽くして、死に切って消し切ったことになる。だから、「ありがとうございます」で受けたものを全部そっくりそのまま「ありがとうございます」でお返しすることが、自分を死に切って消し切ることになる。そしたら無色透明の空っぽの自分よ。そこに新たな真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分というすがたで現れてくる。それを受け入れて自分になるわけよね。

 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分っていうのが本物なの。ちょっとでも過去を掴んで、どれだけいいものでも残像として残したら、最後に残ってるのは虚栄心の心になるのよ。つまらない執着心とそんなんは低いものだけど、残像でも素晴らしい残像を掴んでる姿、最高の虚栄心よ。最後に残るのが虚栄心よ。これが自分を惑わしてくる。

 だから悟りの寸前、魔鏡があるのよね。悪魔やサタンが惑わしに来るっていうのは、最後の虚栄心が自分を惑わしに来る。本当に自分を死に切って消し切ってるかって。過去の全てを消し切ってるかって試される。過去の全てを掴みを離してお返してなかったら、新しいものは受け取れない。小さくてもちょっとでも掴んだ分あるだけに新しいものは受け取れない。何も掴んでないから真(まこと)の神さまを受け入れて受け取れる。だから、過去を掴んでる限りは新しい神さまを受け直せない。

 それで、この最後の虚栄心を消し切るのが一番必要になるの。だから、「真(まこと)の神さまだけ!」徹底して受け直して、全部「ありがとうございます」でお返しし切らないとダメ。そしてまた受けるのは「真(まこと)の神さまだけ!」って受ける。それを徹底して繰り返して、初めて我(が)のない自分になっていく。

 ただ、本心の自分の生き方っていうのは、常に全てを束ねて、大きく真(まこと)の神さまへ全てお返ししていく。これ、入れ子構造的に大きくなっていかないと本物の本心に戻れないから。だから、自分と他人って分けた状態で、自分だけっていうのはこれ間違い。これは思いの生き方。

 本心の生き方は、自分と他人と全部、自分の中に束ねて、そして大きく全てを神さまに捧げ尽くしてお返しする。だから、自分の見てる世界全部お返ししないとダメよね。だから、真(まこと)の神さまから受け直した全部を、小さい自分じゃないもんね。全大宇宙全てそのものを、それを全部お返ししないとダメ。そしたら、過去を掴む自分が消える。思いを持っている自分が消える。一切の我(が)の自分が消える。

 我(が)っていうのが色んな我(が)がある。種類が無限にある。大きい我(が)小さい我(が)、高い我(が)低い我(が)って、色んな種類の我(が)一杯あって、自分の我(が)も人の我(が)もあるの。蝶々の我(が)もあるしって、種類が多いの。でも、全ての我(が)をお返ししたら消し切ってもらえるから、我(が)のない自分になれる。そこに真(まこと)の神さまが、すっと入ってくる。

 一大循環の流れそのままに入ってくる。一大循環の流れが、そのまま妨げられることなく循環するだけがいい。だから、自分っていう器もいらない。自分っていうパイプもいらない。邪魔するのあったらね。ただ一大循環の流れのままに、これは神(かみ)ながらのまま、神(かん)ながらっていう、神さまの働きだけがある。

 本当の心の安らぎを求めて、みんな虚の世界を何億年以上さまよったと思う。虚の世界では、どこを探し回っても答えがないのよ。虚の世界は全部言葉だけの世界。みんなゼロから、無から生まれて無に戻る姿だけだから、心の安らぐ通りは絶対ない。何のために生きるのかっていう答えも出ない。どんな目的を定めても全部虚しく消えていくのよ。

 でも、「真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分」っていうふうに、神さまの自覚を自分の自覚として受け直すんだったら、本当の目的も定まる。心の安らぎも湧き上がってくる。本当に無条件の幸せ、無条件の喜び、無条件の安らぎって湧き上がらないとみんな偽物よ。

 無条件っていうと、数え上げる条項はないっていう意味よ。言葉を変えたら新たなる、例えば、無限の無限の幸せが無限に無限に一杯!っていう、これが無条件の幸せ。たくさんある、大きい。それがいつも湧き上がる。

 一大循環の相象(すがた)で降り注いでくるのよ全方向から。一大循環の相象(すがた)は、入れ子構造の天照大御神さまの舞のすがたよ。舞い降り舞い昇る舞のすがた。愛のプレゼントを携えて、贈り物を的確に与え尽くしてくる、天照大御神さまのすがたよね。

 だから、真(まこと)の神さまっていうのは、もの凄いすがたを取ってるよね。単なる完璧っていう言葉では表現できない。普通完璧っていうと一つ玉のように固定したものに見るけど、真(まこと)の神さまの完璧っていうのはそんなんじゃない。中身は入れ子構造だし、全部重なり合った重層構造だし、同じ次元の世界じゃない、無限の次元の世界になってるし、ところてん式に全部、隙間なく連なってる。微塵も隙間がない。それで全方向から降り注いでくる。

 言葉では表現できない本当はね。でも、それが真実なの。真(まこと)の神さまだけが全てなの。それ以外何もないの。真(まこと)の神さまだけしかない。だから、虚の世界をあるって見るか、真(まこと)の神さまだけをあると見るか、どちらに比重がかかってくるかよね。真(まこと)の神さまだけっていうのが100%にならないと本物じゃない。思いの心が一杯溜まると100%虚の世界になる。思いがどんどん消されて少なくなって、本心の自覚がどんどん蘇って輝いてくると割合が変化する。50と50ぐらいだと大したもんだよ。虚の世界50感じながら、真(まこと)の神さま50感じるってね。かなり本心の自覚が大きくなってるの。でも、もっともっと100%に近づけないとね。

 「真(まこと)の神さまだけ!」って本物にならないとダメよね。

 本当に真(まこと)の神さまを受け直すためには、自分も本当に価値あるものを真(まこと)の神さまに捧げるしかないのよ。恩返しの心で捧げ尽くした程度に比例して受け直せる。だから虚の言葉をいくら捧げても虚の姿しか受け取れないの、本物は受け取れない。「ありがとうございます」も言葉だけだったら虚の姿だけを受け取ってる。

 『真(まこと)のありがとうございます』を捧げないとダメ。中身の濃いものを捧げないとね。だから、真(まこと)って付けなくてもいいの。「ありがとうございます」って捧げるんだけど、中身のある「ありがとうございます」。真(まこと)の神さまそのものとしての「ありがとうございます」を捧げる。真(まこと)のプラスそのものの「ありがとうございます」を捧げる。一大循環の相象(すがた)そのものの「ありがとうございます」を捧げる。そしたら、真(まこと)の神さまと出会える。真(まこと)の神さまを感じ取れる。本当のプラスだけっていうふうに感じる。一大循環の本当の愛の相象(すがた)だけを一瞬一瞬感じ取れる。それが恩返しの生き方。「ありがとうございます」受け直したものを全部お返しする。全てをお返しするのが本当の恩返しの生き方。一大循環の流れのままに。流れを止めるのは掴むから、掴んだら流れが止まる。

 そして今度、求める心を起こしたら、逆流を起こすの。一大循環の流れは、与え尽くす愛の流れだからプラスの流れ、順流。思いの心は、過去の残像の世界だから不足の心。だから、求める欲の心になる。求めると逆流になる。逆流を起こしたら必ず波立つ、波が荒くなる。

 だから、与える心と求める心とは交わらない。神さまの方は大きい力のある与える心だから、求める心、跳ね飛ばす。だから、求める心を起こした時は、全部跳ね飛ばされるから鏡になるのよ。だから、自分の求める心、思いが周りの全てに写る。跳ね返された姿が、そういうふうに鏡となって写ってる姿に見えるのよ。だから、思いの求める心は必要ない。恩返しに生きる練習だけが大事。

 ただ、恩返しも、与えてもらった恩を、恩恵をしっかりと認めないと、本当の大きい恩返しにはならないよ。だから、しっかりと神さまの愛を感じ取ろうとしないとダメなの。前に「ありがとうございます」は1回1万円って言ったね。その次に1億円になった。1兆円になったんよ。でも、この「ありがとうございます」は、『真(まこと)のありがとうございます』と違うよ。虚の「ありがとうございます」よ。本物じゃない、喜んだらダメよ。

 そして、いつも大難を無難にして、無限の無限のマイナスを免除してくださって「ありがとうございます」って、この「ありがとうございます」も虚の世界の「ありがとうございます」よ。 実の「ありがとうございます」と違うの。だから、真(まこと)の神さまと出会うための「ありがとうございます」にはなれない。

 だから、『真(まこと)のありがとうございます』を唱えるようにならないとダメ。これは求める思いの心ではできないのよ。本心の自分がする。真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分っていう。本心の自分が「ありがとうございます」を唱えないと『真(まこと)のありがとうございます』にならない。

 真(まこと)の神さまに出会える自分は本心の自分だけよ。五感や六感の感覚で神さまを感じるのと違うよ。感じ取れない。五感で感じるのは偽物、虚の世界。六感も偽物。あの世に一杯いろんな神さま、仏さま出てくるよ。六感で感じる世界全部偽物。真(まこと)の神さまは出てこない。どれだけ素晴らしい神さまっていうすがたで出ても偽もの、全部。なぜかって対立してるからよ。自分と神さまとは別れて対立して存在するでしょう。これは偽物なの全部。本物として出てくるのは、真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分として出てこないとダメ。一つになってないとダメなの。これが本物なの。

 だから本当の審神者(さにわ)って本物か偽物って見抜く、審神者(さにわ)の力が必要になる。虚の世界の高い神さまだったら、いくらでも自由自在に化けられる。低い神さまが化けてっていうだけじゃないの。高い神さまも化けるのよ。本物らしく出てくる。悪魔やサタンって低い神さまに騙されるのも馬鹿だけど、虚の世界の高い神さまに化かされるのも馬鹿よ。これ、どっちも本物じゃないの。

 だから、虚の世界で、例えば、肉体人間として自分が守護霊さんや守護神さんの導きを受ける時でもそうなのね。自分と対立して守護霊さんが出てきて、守護神さんが出てきて、色々教えてくれる時は偽物なの。本当の導き方は、守護霊さんが、守護神さんが自分の中に入ってくるの。自分として導いてくる。自分が考えついたように、思いついたように、対立せずに降りてきて教える、一体化してくる。本当の導き方って全部そうなの。それでないと無理なこと言われたら実行できない。

 だから、対立してるときはダメなの。本物の神さまを相手にする時、「ありがとうございます」って祈り続けてる時、守護霊さん、守護神さんも真(まこと)の神さまの現れとして、本物として出てくる。虚の世界でも、本物の助けとして出てきてくれる。だから、守護神さん、守護霊さんが、真(まこと)の神さまがそのまま出てくるように、謙虚に自分を隠して、自分を出さずに 神さまの心をそのまますっと伝えて、自分の心として、知恵として湧き上がるようにしてくれる。力も添えてくるから、無理なくできるようにするのよ。これは本当の助けになる。

 これ何故かって、自分が我(が)を殺して消し切ってるからそうしてくれるのよ。自分が我(が)を出したら、それ受け取れないよ。「ありがとうございます」で我(が)を消し切っていくから、真(まこと)の神さまはそのまますっと出てきてくれるのよ。

 虚の世界のすがたと真(まこと)の神さまの働きのすがたと違うのはどこかってね。真(まこと)の神さまは谷の神さま谷神(こくしん)っていうの。自分を隠して出さない。全部を下から支えるだけ。山のように表出ない。表に出たら虚栄心の塊になるの。だから、下から下から支えるだけがいいの。それが真(まこと)の神さまの働きのすがたになってる。だから、自分も下から全体を支えるだけって。その時に真(まこと)の神さまの支えが大きく支えてくれる。

 ただ、真(まこと)の神さまは入れ子構造で、支え方が入れ子構造だから、どれだけ自分が大きくなっても、さらに無限倍で大きく支えてくるよね。自分に合わせていくらでも無限倍に支えを与えてくれる。今の自分が今の世界の全体を下から支えようとしたら、一段階上のところから大きく支えてくれる。でも、上へ出ようとしたらダメよ。上へ出ようとしたら、今度は自分が虚栄心の心に負けた状態になる。そしたら、権力欲が出てきたり、名声欲が出て負けてしまうの。

 世界のいろんな歴史の姿を眺めたらそうじゃない。権力握って王様になったらどうなってるかってよくわかるじゃない。権力を握ったら必ず贅沢するよ。贅沢するっていうのは大き間違いなの。本当の中心に立つっていうのは、自分が一番謙虚になって質素に生きないとダメよね。そしてみんなの苦しみを身代わりに受けないとダメなの。自分が一番下に立たないと、本当の神さまの支え、助けがない、本物になれない。

 だから、虚の世界は、やっぱり正反対でしょう。自分が偉くなってしまう、権力握ってしまう、贅沢させられてしまう。これはもう大きい借りを作って、大きいマイナスを背負ってしまう。いつの間にか心が狂っていくのよね。みんな、王様に生まれたら幸せと思う?反対よ。大きいマイナスをたくさんの思いを背負うのよ。全部捨てた方が賢いのよね。本当の幸せを早く掴める。真(まこと)の神さまと早く出会える。

 ここは、惟喬親王さんの御陵があるでしょう。惟喬親王さん、本当は天皇陛下になれたのよ。でもならなかった。権力争いに負けたんじゃないのよ。自分から避けたの本当、逃げたの。謙虚に生きようとした。自分を死に切ろうとした、消し切ろうとした。だから、下から下から謙虚に、みんなを支えようとして、恩返しに生きる生き方を教えたのよ。だから本物の輝きがあるの。

 御陵の前に「敬天愛人」って、西郷さんの言葉があるじゃない。西郷さんもそうよ。自分を死に切ろうとした人よ。いろんな役職を与えてもらっても、お給料をたくさんあげようって言ってもらっても、自分はこれだけで食べるだけでいいって全部お返しするのよね。権力を握ろうとしない。お金もたくさんもらおうとしない。必要なだけでいい。子孫に美田を残すなって言ってるじゃない。本当に子孫の幸せを願うんだったら美田を残したらダメだってね。財産を残すな。財産はみんなから借りた借りだって言う、借金だ。思いが一杯ついてくる。それを背負わせて子孫の幸せなんて考えられない。反対なの本当は。

 真(まこと)の神さまから受け直さないと本物にならないから本当の幸せを掴めない。虚の世界の栄は、本当の虚栄心の栄よ。虚の栄はみんな虚しい。幸せって思ってるのが、みんな反対になる。

 言葉っていうのは大事よ、本当に。どういう言葉を選んで、それをしっかり使いこなせるか。自分の選んで使いこなす言葉通りの自分になるの先ず。その自分に波の合うものが寄ってくる。チャンネルが合うのよ。それで、自分の番組、世界、運命が決まってくる。

 だから、自分を言葉で変えないとダメよ。世界が良くなるのを待っててもダメよ。そんなこと絶対ありえない。2012年がどうのこうのってあるよ。待ってても絶対変わらないよ。自分を変えることによって、自分が変わることによって、世界は変わる。

 だから、プラスの言葉をしっかりと使いこなして、自分をプラスに変えたら、自分の世界はプラスに変わる。言葉通りに変わる。世界が変わるの待ってるのは奴隷よ。自分が運命を支配することはできない、運命の奴隷になってしまう。

 だから、人に助けてもらって喜ぶのは良くないの。神さまが助けてくれてありがたいっていうのも間違いなの。虚の世界の神さまにどれだけ助けてもらっても、借りを作るだけよ。自分を立派に変えること違うのよ。神さまだから、ただで助けてくれる、厚かましいって、甘いのよ、違うよ。虚の世界の助けはみんな借りになるよ。返し方が色々違うだけで、自分がちょっとでも力がついて立派になったら返さないとダメだよ。無理やりむしり取ってはいかないけど、自分が力がついてきたら、恩返しで返していかないとダメよ、借金返し。

 でも、真(まこと)の神さまはそんなことはないよ。救ってあげようっていうふうに出てくるんじゃないよ。既に救われてるよって出てくる。既に悟ってるよっていうふうに出てくる。既に幸せ一杯だよって出てくる。貸し借りがない。だから、真(まこと)の神さまを受け直すだけが、本当の正しい生き方よ。

 昔からいろんな言葉が予言として出てくる。でも、予言の言葉なんて本当は大したことないよ。また、いろんな宗教の教えとして、いろんな言葉が一杯出てくる。でも、本当に真(まこと)の神さまを言葉にしてるか、真実の世界を言葉にしてるかって考えたら、なかなかそこまでいかないのよ。

 宗教の教えで古神道って、素晴らしいって言うよ。最高だって言うんだけど、これもやっぱりまだ虚の世界の最高なの。古事記に解かれてる古神道の教えって、はじめがあり、終わりがあるのよ。天地初発之時 於高天原成神名 天之御中主神の神ってね。やっぱり初めがあるの。はじめがあったら終わりがあるの。虚の姿よ。ただ、虚の世界の成り立ちを理路整然と説いてる、わかりやすい。無から相対の両極に分かれて、振り分けられて生まれて、その組み合わせによって全てが生み出されてくる。差別ある姿が生み出されてくる。虚の世界の教えとしては素晴らしい。

 でも、本当のプラスだけじゃないから、 やっぱりマイナスも認めてしまう、それではね。いくらマイナスをプラスに思い返しても、マイナスはマイナスよ。真(まこと)のプラスだけの循環ではない。ここが心の安らぎのないところなの。肉体の自分、魂の自分っていう有限の小さい自分を掴んでたら、そういう教えでも無限に大きいものだから、ちょっとは安らぐかもしれないけど。でも、本心の自分から見たら、そういうのは有限のつまらないものになるのよ。本当の安らぎにはならない。

 みんな本心の自分が知ってるのよ。真(まこと)の自分はこうでないとダメっていうのをよく知ってるのよ。真(まこと)の自分が全部定めてくる。真(まこと)の自分は、本当の神さまは永遠でないとダメっていう。永遠の本当の実在でないと真(まこと)の神さまじゃない。それで、完璧でないとダメだ。全知全能でないとダメってね。そしたらこの世界、全知全能の神さまの作った世界じゃないよね。マイナスがあるっていうのは、出来損ないの神さまの作品じゃない。病気があり、貧乏があり、戦争がありってね。これ、真(まこと)の神さまが作ったなんて言ったら大間違いじゃない。真(まこと)の神さまは全知全能だから、そんなつまらない世界を作らない。

 本心の自分は全部わかるの、わかってるのよ。だから本物を目指す必ず。本当の神さまとの一体感を深めようとする。それも対立した姿じゃなしに、真(まこと)の神さまを受け直したすがたで一体化しようとする。だから、真(まこと)の神さまとの自覚って、これはどこまでも大きく深くなっていくのよ。無限に無限に大きく深くなる。真(まこと)の神さまの自覚を得たって言っても、最初は小さい、浅い。それがどんどん無限に無限に大きく深くなっていく。

 真(まこと)の神さまの自覚をどこまでも大きく深くしていくのが、本当の人生の目的。それも行き止まりはないの。どこまでもどこまでもよ、極まるところはないっていうのが本物なの。

 だから、本心の自分っていうのは、どこまでも大きくなれるから楽しい。楽しいっていうのは、自由自在にのびのびと大きくなれるからよ。楽しいっていう言葉はそういう意味よ。「た」っていうのは、「て」っていう意味よね。手を自由自在に伸ばす。自由自在に大きく伸びていけるからよ、楽しい楽しいっていうのはね。

 ありがとうございます護摩って、なぜ生まれたか?なぜするようになったのかってね。神さまの計画は最初から決まってる。これ『真(まこと)のありがとうございます』を全部一纏めにして、大きく捧げるようになって、一人ひとりが大きく神さまに恩返しの生き方をとって、本心の自分に早く戻ろうとしてる。

 自分一人、いくら小さく祈っててもダメよ。何億年かけて祈っても大変かもしれない。でも、みんなの祈りを一つにして、大きく束ねて、相乗効果を起こして一纏めに、大きく捧げる。みんなが同じように総責任者になって、大きく捧げることによって、自分だけがじゃないよ、みんなも一緒にって、本当の自分に戻る。本心の自分戻っていくのよね。

 真(まこと)の神さまの世界は、みんなが幸せを大きくするほどいいのよ。みんなの幸せが少しでも大きくなるほど、自分の幸せもその分大きくなる。自分の幸せと他人の幸せ、別個じゃないの。今の自分の幸せは、周りの人の幸せ全部束ねていくの。本心の自分のすがたって全部そうよ。だから、真(まこと)の神さまは全部の幸せを束ねるよね。だから、どの段階の自分であっても、本心の自分は、束ねられる限りの全てを束ねて、その全部の幸せを自分の幸せにする。だから、一人でも小さい幸せでも、ちょっとでも加えてほしいのよ。それで、少しでも幸せを大きくしていく。

 だから、こういう護摩焚きっていうのが、そういう意味で一番理想的な生き方になるのよ。みんな同じレベルじゃないよ。同じ「ありがとうございます」捧げるわけじゃない。でもいろんな「ありがとうございます」捧げながら、全部を束ねながら、みんなに束ねてもらいながらよ。自分が束ねるだけじゃないよ。みんなにも束ねてもらいながら大きくなるのよ。

 この世に生きてる人だけじゃないの、あの世からも真実の世界からも、いろんな神さまが降りて来て助けて、束ねて、引き上げるのよ。だから、目に見えないけれども、いろんな働き大きく加わってるの。表面だけ見てたらわからないよ。だから木の木目と同じで、見えないところに大きい働きがあるの。表面だけでは浅い。入れ子構造的に奥深いすがたで助けてもらってるから、自分の感じてる無限倍、常に助けがあるの。

 それをしっかりと認めるってね、言葉で認めないとダメよ。いつも無限倍の、無限倍だけじゃ足りないかなぁ。無限の無限の助けのおかげで、どんどん、どんどん本心へ戻してもらってるよね。

 どんな神さまの助けも、一人ひとりに合わせて的確に必要なだけの助けを与え続けてもらっている。だから、自分の成長に比例して、変化に比例して、その時その時に必要なものを与え続けてくる。必要なものを与えてくる、必ずそうなる。

 だから、今の自分をどう変えていくか?本当に過去は無関係よ、今の自分をどう変えていくか?大きくプラスに変えるためには、真(まこと)のプラスの言葉を選んで使いこなさないと。一番早い方法は、そうなのよ。真(まこと)のプラスの言葉を真(まこと)の祈り言葉をしっかりと唱えることよ。これが一番早い。

 虚の世界は、あまり見ないことよね。目を閉じた方がいいかもしれない。真(まこと)神さまだけって、この大自然見てるだけがいいかもしれない。つまらんニュースなんか見るだけでもちょっと入ってくるマイナスがね。本当に祈りに祈る時間が1分でも1秒で増える方がいいよね。

 環境、世界を変える一番の方法は、真剣に祈りに祈ることよ。そしたら、先ず、自分の周りの環境、運命、祈りやすく変わる。でも、ちょっとプラスに慣れてしまうと甘くなるから、また真剣になるように問題も出てくるかもしれない。でも、問題が出た時が真剣に祈るチャンスだから、真剣に祈る時間をもらうのが一番幸せよ。

 だから、みんなを真(まこと)の神さまそのものっていうぐらい拝む練習よ。周りの人が肉体人間に見えてたら間違いなのよ。みんな真(まこと)の神さまっていうふうに見えてくるまで拝む。本当に天照大御神さまの無限の輝きを持ったすがたに感じ取るまで拝み続ける。病気の人を拝んで健康体って見るぐらいじゃダメなのね。みんな無限の輝きで一杯っていうふうに、天照大御神さまっていうぐらいに見ないと本当に拝んだことにならないよね。

 だから、周りの全部を少なくとも天照大御神さまって拝み続けるのよね。全部を束ねて、大きい入れ子構造の天照大御神さまを拝む。もっと大きいのが真(まこと)の神さまよ。だから、マイナスに見えたらごめんなさい。つまらんもんに見えたらごめんなさい。「みんな、真(まこと)の神さま」「真(まこと)の神さまだけ」「ありがとうございます」っていうぐらいね。

 はい、ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/PvY8rVwiybc

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2023/12/04(


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11月勉強会 by 河上あきのぶ [Mail] 2023年11月18日(土) 07時36分
PC


令和5年11月河上さん勉強会−1(20231112−1)

質問:ありがとうございます。真祈り以外で、普段何気に自分が思っていることの積み重ねが、今、中東で行われている現実になっているということを伺っても、中々、その現実を身近に感じることができません。質問ではないんですけど、現状報告として。

河上さん:あぁ、護摩の時、護摩に一杯邪魔が入って、あの時大変で、お話の方はバババッと言ってしまったので伝わらなかったと思うんです。この前の護摩の話は失敗で、みんなの心に入らなかった。

 要はすべては完璧な一つというところが、この現世といえどもね、例えば食べ物、食べ物だけで見ても、太陽の光があって、地球ができて、大地ができて、そこから芽生えてくるのを太陽の光を受けて、食べ物になるわけでしょ?食べ物を一つとってもね。それって太陽って神さんの命でしょ?だから食べ物は神さん命なんですよ。でも殆どの人は食べ物と自分とを分けるし、まず食べ物を美味しいとしか食べんはな?神さん命としては食べないでしょ?

神さんの命として食べれたら、先生のように水だけで3ヶ月でも平気なの。それくらい分け隔てた意識というのがこの現世の姿なんです。

 なぜ分け隔てるかというと、知恵の木の実を食べるからです。知恵の木の実を食べるってどういう事かというと、過去を掴むということです。過去を掴むというのが、「我(が)、自我」つまり自分が正しいという思いです。最初に大きく過去を掴むんだけど、どんどん小さく小さく掴んでいって溜まっていくのね。過去を掴むのが増えていくほど小さい自分になっていくんです。

 先生はイチョウの木が大好きでイチョウよく言われたんですけども、イチョウの葉っぱって、(元の一本があって、)わーって開いてるでしょ?だから、最初に一瞬一瞬新たな光があって、それがバッと枝分けられして、この世の表現があるわけですよ。

 その表現のところを楽しむだけだったら良いのに自分の物としちゃう。それを知恵の木の実を食べるっていう。自分の物とするというのは、こうすることが正しいとかね、これが一番良いとかね、要するに神さまの命と切り離して物として掴んだら、知恵の木の実を食べるなんです。

 一旦,自分のものとして掴んだ途端に小さい自我、自分が正しいが出来る。それを知識として積み重ねるとね、だから学者は後回しって言うんですけどね、知識を積み重ねると、小さい自分が正しいが凄い強固になって、何も受け入れなくなる。

 でも本当は神さまの命というのは自在応変(絶対に、二度と同じものを作らない)の働きといって、一瞬一瞬新たに(新たに)どんどん変化してるんですよ。

 過去の経験に基づいて解決できることは一つもない。でもこの現世は過去の経験に基づいて判断する。で、過去の経験に基づいて判断するとね、あの時、騙し討ちにあったとか色々あるわけよ。ついつい自分を守りたい為にあえて騙して、こんなんしたとかね、もう全員がですよ、誰もそれのない人はいないの、この現世にいてる人というのはね。
全員がどこかでね。自分を守りたい為に何か嘘ついてきてる。嘘ついて、騙してしてるわけね。

質問:それは過去世の事ですか?
 
河上さん:過去世でも、今生でもそうやって。例えば兄弟でね、このオロナミンCを分けて、一本を二人で分けて飲みなさいと渡すとするでしょ。そしたら兄弟で一口づつ最初は飲んでるわね。だんだん減ってきたら、ちょっと欲しいから一口がちょっと多くなったりするよな。なるやん?それって結局は騙してる。だけど、それ騙していると意識なく皆するわけよ。だから知恵の木の実やね。

 まだ騙してるとかね、相手の為に何もしてないって、分かってしてる内はええねんけどね。何よりも自分のことが最優先やね、みんな。

 尽くし合い、捧げ合いって言うんだけど、神さまの働きは(新たなる下座に立つ絶対奉仕の自分という)助け合いなんですよ。尽くし合いだけなんだけども。

 それって自分のことは後回しなの。だけど殆どの人は自分のことが最優先や。だから自分の思い通りにならなくて、腹立って喧嘩になるね。

 例えばサボってる人を見て腹立つのはね、自分は真面目にやってるのに、なんであいつだけ狡いやないか、というふうに自分の思い通りになってへんから怒るね。

 でも神さまは良いようにしてるからな。サボって大変な目に遭うのはその人であって、自分関係ないね。せやのに、わざわざ自分までサボって大変な目に遭う人のマイナスを背負いに行ってはるだけやねんけどな。それ、ぐっと正確に言うとな。だからあいつサボってるやないか、あいつ狡いやないかって言ってたら、その狡い人のマイナスを、自分が優しく背負ってあげてるだけやねんけどなっていう。それくらい完璧な一つなんですよ。

 自分の身体で言うとよくわかるって、右手器用な人やったら左手不器用でしょ?そしたら、こいつ左手不器用だから邪魔やとは言えへんやろ?それがわからなあかんね。泣いても笑っても理屈抜きにすべては完璧な一つやねん。そっからは誰も逃げられへんねんけど、何とか分けて自分だけ良い目しようという無意識の意識が働くねんな。自分だけ良い目しようとした時に騙したり、まあいったら狡いことするわけや。

 本当やったら、お母さんが子供に物を食べさせとるきそうでしょ?自分食べなくても子供に食べさせようとするやん?あれが神さまの愛の姿よ。自分の事は横に置いておいて、相手の為にしてあげるわけやな。それが結果としてぐるっと回って自分にもしてもらえるわけよ。

 でも自分だけ欲しい欲しいってやってたらな。それが餓鬼道の世界って言うんだけどね、求める心があると餓鬼道に落ちるわけ。自分だけ欲しい欲しいって、お互いに欲しい欲しいって与えあえんからね。

 それを先生は腕より長いお箸を持ってるって言うわけね、みんなね。で、天国の人はお腹一杯食べれるって言うね。長いお箸で食べ物を相手の口に放り込みに行くからお互いに支えあって食べれるね。で、地獄の人は目の前に御馳走があるんだけど、腕より長いお箸だから食べれなくて苦しむっていうわけよ、餓鬼道でもね。それは自分を優先するから長いお箸で自分の口に入れようとするんだけど、腕より長いお箸だから口に入れへんっていう訳ね。

 そういう風に先生を例えて仰ったんだけども、自分を優先するのが仕方ないって、みんな思ってるんや、先ず。自分を守るのは当然やと、自分に余裕ができてから人をなんとか助けましょうっていうね。

 それは神さまの御心とは違うね、それは神さまの御心とは正反対のことやねん。でも、そこがみんな分れへんね。それだけやねんけどね。だから神さまの御心を知ることが悟りやね。神さまの御心を知ったら悟りになるねんけど、御心をどうして知ろうかと思うと、神さまのお手伝いしたいって願ったらわかる、というのは何故かというとね。

 神さまは尽くすだけなの、与え尽くすだけなの。それが分ったら全てが一大循環に入れるね。この現世の世界は一大循環の世界ではないからね、奪い合いになるね。
 だから先生はお風呂でよく説明されたのね、お風呂でお湯を自分の方にやったらね、余計に逃げて行くねんな。相手の方へ相手の方へ温かいお湯を回してあげると、結局ぐるっと回ってきて、自分が一番早く温まるとおっしゃるんだけどね、或いは、お盆に小判を積んでると、自分の方に欲しいから、お盆パッと引き寄せしたら小判が崩れて取れないね。だけど、あなたどうぞと言ってすっと押してあげたら相手の人が受け取れるね。先の長い箸と一緒よ、お互いにあなたどうぞとやったらみんなが幸せになるね。

 だけど例えば食べ物で言ったら、まず自分がお腹一杯になってからや、な?何で自分ががって言うと、自分の体を守って元気だからこそ、人になんとかしてあげられる理屈がある。だからまず自分が元気になって、お腹一杯になってからってするの。

 それが進むとね、前に言うようにいつも言うように100人に100個のパンだけどまず、自分の分を確保して、自分を元気にしとかないと思ってパンを沢山自分の周りに集めるわけやね。結局食べれない人が出てくる。そういう感じのことを無意識にみんな、それが正しいことのように言い訳して生きてるんやな。

 だから実際そうでしょ?先進国の人がお肉を食べるんでしょ?でも牛に食べささずにみんなで食べたら、地球人類全員の食べ物があるのにね、肉や豚にして食べようとするから足らんようになるんでしょ?結局はそういうのが全部積み重なって、争いの心が積み重なって、疑心暗鬼になるわけよ。

 バルフォア宣言という国連の決議があるわけね。その時にナショナルホームという英語で書いてある。ナショナルホームをあの地に作ることを認めます。それは今年の2023年の10月31日まではナショナルホームを作ることを認めますという国連宣言がある。それによってあの中東の地域に入植が始まるわけやけども、ナショナルホームという英語の解釈が難しくて大変になっているだけよ。それって何かと言ったら、仲良く一緒に住んだ良いだけやね、本当は。

 そうやけど、俺のところはここや、お前らは出て行けとかね。そうやけど、そんな人のこと言われへんて、日本でもそうやね。自分のところだけってするねんって。それって笑ってられへんねんて。さっき一番今最初に説明したことやねん。まず自分がお腹一杯になってから人を何とかしましょうという気持ちがね、もう全てなんや。ナショナルホームやったらみんな仲良く一緒に助け合いましょうでええのに、ここは自分のところやからお前らは出て行けってするのはね、先ず、自分が、自分がちゃんとならないとどうこうっていう、我儘(わがまま)というか恐怖感やね。神さまを信じきれない恐怖感がみんなあるの、大なり小なりね。

 神さまをホンマに信じきれたらね。生きるも死ぬのも神さま次第。神さまが一番良いようにしてるとなったら、もし本当に食べ物がなくなって餓死するんだったら、それも良いって諦められる心。死ぬが良ければ死ぬ方がいいようになるんだっていうね、その心がいるの。

 そうやけど、みんなは自分の都合でやで、自分の肉体が安泰で、楽で、まあ言ったら水道も出てね、冷房暖房があってねっていう。ライフラインがね、ライフラインが完備するところにまず自分が住まないとあかんわけでしょ?その心誰一人、私持ってない人、おれへんって。

 人類がそんな心やから、それがどっか一箇所に固まってね、どうこうなっているだけでね。ウクライナのこと、何所でもね、他所事として、ある意味、なんであんな争いするんて、笑ってられへんねんて。悲しんでられへんねんて。結局は自分の責任やね。全員がそれが分ったら一気に世界平和になるねんけどな、まだまだお互いを信じきれない。それは神さまを信じきれないからや。なぜ神さまを信じきれないかっていうと、全ては完璧な一つで、みんな真(まこと)の神さまというところから離れるからや。

 お互い真(まこと)の神さまやから信じきってあげたらええねん。それでもし、この世的によ、騙されて殺されてもそれでええねんっていうのが分ったら一気に平和なるね。

 そうやけど、例えば騙されて行き違いでね。本当は行き違いで騙し合いになって殺し合いになるねんけど、行き違いで殺し合いになったら、昔の日本でいうと敵討ち(かたきうち)でしょ?(お互いに)敵討ちに入るわけや。永遠にきり無いわけや。

 今、時代劇でね、敵討ちの映画って結構あるけどね。敵討ちって、結局は、又、その殺された人の敵討ちを、又、するわけでしょ?敵討ち、敵討ち、敵討ち、永遠に終わらんわけやんか?だけど、やったらやり返すというね、求める心、求める心同士では、もう何も収まれへんね、人類が滅びるだけや。

 でも神さまの御心というのは、みんなの自由意志で一切を報い求めずに与え尽くす心というね、絶対の愛と言うんだけど、にならなあかん。そう言われて、そうしたらいいやなってしている間はあかんね。みんなが自分の自由意志で、一切を報い求めずに与え尽くす絶対愛を実践しようと思ったら、真祈りするしかないねん。ただ真祈りとは何かというね、そこの根本が分からへんから、ぐちゃぐちゃ話になるんやけどね。

 真祈りというのは、真(まこと)の神さまに降り立って頂いて、お祈りすることやねん。もっと具体的にどうやねんと言ったら、相手の心に真柱を立てる真(まこと)の神さまを立てるということや。そこまで先生具体的に仰ったのに誰も聞きに行けへんからね、「真祈りとは、真(まこと)の神さまを相手の中に入って、真(まこと)の神さまを立てること」やとか、「通り抜けること」やとか、一杯色んな説明のし方されたんだけど、それって具体的にどうしたらいいんですかって、誰も聞かへんね。聞かへんけど、(先生このままでは大変になるからもっとみんなが簡単に誰でも出来る)具体的な方法を作って貰わんと、こんな話進みませんでって(先生との話し合いで)なってやね、宇宙神ありがとうございますも、ありがとうございますが、先生はちゃんと答え言ってんねんで。「ありがとうございます」ひたすらこれをね「ありがとうございます」が、真(まこと)の神さまそのもの。「ありがとうございます」が、悟りそのものって先生が仰ってくださってんね。

 先生が仰ったんだから「ありがとうございます」って唱える時は悟りそのものって、どうして信じ切れないかやね。それを信じ切れる者がおらんから「ありがとうございます」で失敗したんや、ってなるんやけど、そんなん怒ってもしゃないからな。もう出来へんもんしゃあないから、なんとか出来るようにしょっていうことで、先生が自分の命を削りに削って印可書を作ってくださっただけよ。

 作ってみたら最初の試作品はね。光強すぎてみんなよう選ばんからっていって、今の改良型があるだけでね。どれ選んで貰ってもみんな自由よ。最初の試作品の光の強いのが好きやいう人はそれ選んだら良いね。どれが良い、どれが悪いじゃないからね。勿論「ありがとうございます」の十文字に立ち返れますという人は立ち返ったらいいしね。どれもこれも今だに生きているんだけど。どれもこれもね、「印可書」を読む時は、「ありがとうございます」と唱える時は、「宇宙神ありがとうございます」と唱える時は悟りそのものだというのを、そこを信じきれなかったら何にもなれんねんて。

 すると絶対奉仕も絶対感謝もね、すっと分かるね。一切を報い求めず与え尽くすという絶対の愛がわかる。そしたら一気に世界平和になるね。外からね。どうこういじったって何も変われへんねんって。変わるくらいだったら、国連がバルフォア宣言をしてね、中東でみんな仲良く住みなさいと言った時に、仲良く住んでるって。なれへんのでしょ?

 それは肌の色が違うからとか。文化が違うからって、お互いに邪魔し合うんでしょ?「出て行け、出て行け」って言ってイケずし合うんやろ?(そんなん)せんでもみんな神さまの命で、みんな真(まこと)の神さまで一緒やのにね。只々、それだけよ。

 だから完璧な一つからみんな逃げれないからね、護摩のときに説明したけども、例えば犬さんとか猫さんが面白いことしてても、あるいはテンゴ(わるさ、いたずら)したって腹立てへんやん、コラって言って終いやん。それは動物と自分らは別ってわかってるからよ。

 でも人間はあの人らは他民族やとかね、肌の色違うとか言いながらよ。完璧な一つから逃げられへんから、誰が何しても腹立ってくるね。サボりおっても、狡いことしよっても腹立つねん。動物が狡いことしても「おもろい事しとんな」で終わんのにな。

 それくらい「完璧な一つ」というのがもう当たり前のことやね。当たり前すぎてみんな気づけへん。只々、それだけやねんけどな。当たり前すぎて気づけへんから、なんか遠くで戦争が起こってるなぐらいしかみんな思えへんね。

 だけど、それは自分さえよければがあるからよ。もっと正確に言ったら、自分が正しいという意識があるからよ。自分さえよければやって言ったら語弊(ごへい)があるからね。自分が正しいという意識があるわけよ。だから自分が正しいから、他人から見たら、あの人自分さえよければしてるやけど、本人にとったら自分は正しいことをしてるや。な?

 他人から見たらあの人狡いことしてる、サボってるやけど、本人から見たら自分は正しいや。

 それくらいみんな自分が正しいというね、過去を掴む意識が抜けへん。

 自分が正しいという気持ちはどうして起こるかって言ったら、過去の経験に基づいて掴んでるからやで。一瞬一瞬新たに真祈りして受け取っていたら、自分が正しいはない。

 これは武道でいうとよくわかるんだけど、剣道でも上段者で剣道をする時は打ち合えへんのよ。もう殆ど構えてするだけで勝ちました。負けましたってわかるね。それ何かと言ったら、武道でも上へ行くほどお祈りに近づくわけよ。だからこう来たらこう討ちましょうとかいうね、過去を掴んでのどうこうのもんはないね。だから本当に一番上の人だったら、打ち合えへんね。打ち合わんと分るわけ。

 もっと具体的に言うと、合気道っていう位ね、合気っていう位でね、お互いが真祈りしているから争いは出へんね。争いが出るのは過去を掴んで、こう打ってきたら右に寄って、こう打ってあげましょうとかね、面を打ってくるから抜き胴で切りましょうとか、過去を掴んでどうこう言うてるうちは争いがあるね。剣道で説明するとね。合気道だとそれはもっと進んでね、試合はないと言ってあるんだけど、まーこれはいいわ。そんな感じでね、過去を掴んだら自分が正しいが出るね。

 過去の経験に基づいて自分の正しいを作るね。作ったとこから知恵の木の実を食べたくなるの。それが分かれへんね。だから殆どの人はね、自分が努力して生活しましょうや。

 自分の力でなんとかして生活していきましょうと思ってる。それが日本でも世界でもそうやけど、それが正しいことだと思ってるわけよ。

 本当はそうじゃないねんけどね。先ず、真祈りして神さまの命を頂いて知恵を頂いて自然に動いて行って助け合っていったらっていうだけやね。

 だけどお金というものがあってね、借金というのがあって、利息というのがあってね、(お金さえあれば、なんとかなる、幸せになると勘違いしているから)、そういうのが見えなくなってるわけよ。それは自分だけがいい目をしたいっていうのがあるからね。自分だけがおいしいものを食べたい。自分だけがアンパンを何個か食べたいやな。
100個のアンパンが100人分しかないのにね。真祈りしてたらね。100人に100個のアンパンしかないって分かる。だからどうこうって思えへんね。

 真祈りしてたら神さまが必要なだけね、いつも出してくださるってのは分かるね。だから真祈りや。でも真祈りが分からんやったら「印可書」読んでる時は、奉読してる時は真祈りそのもの、それを信じてください。

 或いは、「宇宙神ありがとうございます」って祈る時は真祈りそのものやね、悟りそのものやね、そこを信じられなくなったらどれを使たって一緒やん。

 それはなんで「宇宙神ありがとうございます」は悟りそのものか、なんで「ありがとうございます」の10文字が悟りそのものか、なんで「印可書」奉読は悟りそのものかと言ったら、「先生が言葉で定めてくださった」からやん。そこを信じられなくなったら何したって一緒やん。自分の信じることをしてください。それ信じられんかったらな。

 だから今までここを宗教のように勘違いする人も居ったし色々あったけども、どれもこれも一番悟りの要諦、いわゆる真祈りの伝授というところですけども、悟りというのが何かって言ったら言葉ではないというところやねん。不立文字で言葉ではないね。直接響かすしかないね。でも、その一人一人を響かして悟らせて行ってたら、もう間に合えへんから、それを一気に勝負に出たわけよ、先生はね。で、「ありがとうございます」は悟りそのものって、口を枯らして言うんだけど、誰も信じへんね。しゃあないから宇宙神ってつけたけど、また宇宙神を太陽系宇宙の神さまぐらいしか思えへんから失敗してね、で、印可書にしてって色々あるけども、どっちにしてもいまだにどの祈り、言葉も生きています。「天の造化主」も生きています。はっきり言います。

 でも例えば「天の造化主の尊、産霊精霊護り給え、幸栄え給え」は悟りそのものやねん。
僕はちゃんとそれを聞いたけど、あの当時の人はそれを聞いてへんから、天の造化主の尊に失敗してんけどな、だけど別にどれも一緒やん。どれも「先生」が「宇宙神ありがとうございます」って言う時は、悟りそのもの。「ありがとうございます」は悟りそのもの。「印可書」奉読は悟りそのもの。悟りそのものというのは何かとは、真(まこと)の神さまが降りたって下さるっていう事やん。

 そこを信じられへんかったら、何か(わからんけど)印可書奉読したら良いんやなって、何ぼ奉読したって一緒よ。或いは、昔がそう、「ありがとうございます」って言ったら良いんやろうって言ったら、感謝が足らんって、お互いが責め合ってな「ありがとうございます」が足りんのやって言ってな。違うって、「ありがとうございます」が悟りそのものって信じて言わなアカン。

 それは法然さんが南無阿弥陀仏の時にちゃんと説明されているんだけどね。それは昔の話しなんで、今は「ありがとうございます」と、「宇宙神ありがとうございます」と、「印可書」だから、良いんだけど、そういうものやね。

 先ず、神さまと直結できる方がね、イエスさまとか、維摩先生とか、ヨハネ先生とか、お釈迦さまとか色んな方が降りて来られて、天と地を繋ぐ光の柱を立てて下さる訳。

 松下先生の時は「天岩戸が開らかれた」って言って光の柱を建てて下さった訳。建てて下さったら、建てて下さった方が「言霊」で決めて頂いた、「悟りそのもの」という言葉を奉じたら、(みんな光の柱に入れる)皆悟りに入れる。でもその最初のとこを迂闊(うかつ)にも皆、迂闊(うかつ)にも聞き逃しているのか、信じられないのか僕には分らないけど、僕はちゃんとそのように聞いたし。「河上はそんなん言うけど、先生はそんなん言うてへん」っていう人は言いに来てください。ちゃんと録音も何もかもお見せ致しますから、っていうとこやけどな。でもそれはええは。

 兎も角、先ずそこを信じ切れなかったらどうしようもないんよ。もうそれだけなんやけどな。

 だから先輩やからとかね、私はここに30年も居てるからとかね、それで偉いんと違うねんて。祈り言葉が悟りそのものって。「宇宙神ありがとうございます」が悟りそのものって信じ切れる人が値打ちがあるの。偉いとか、偉くないとかは無いけどね。値打ちがあるかどうかやね。

 なぜそれが信じ切れるかと言ったら、みんな真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまそのものやからね。だからニャン子さんにね、「宇宙神ありがとうございます」は悟りそのものっていたって分かれへんのよ。勿論、ニャン子さんも真(まこと)の神さまそのものなんやけど、波動圏が違うからね、それはそれで良いんだけど。

 どっちにしたってみんな本来の自分を知っているね。知っているから必ず分るから、先生が言霊で定めて下さったことを信じ切れたらスッと分かるね。でも「いや、そんなことはない。宇宙神ありがとうございますは真(まこと)の神さまではない」って頑固に拒否するんよ。それを遠慮って言うんだけどね。自分が神さまそのものである事を、遠くに慮って離すんよ。自分は神さまでないって言うからややこしくなるの。だから今までの宗教は全部あかんって言うのよ。

 「あなたは真(まこと)の神さまそのもの」って言っていない。生長の家位や。五井先生とこもそうやけどね。でもみんな信者さんは「実相完全円満」を受け取れなかったし、「世界人類が平和でありますように」っていうね、「五井先生ありがとうございます」を受け取れんかった。「五井先生ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのものって言っているんだけど、みんな受け取れんかっただけよ。それはみんな遠慮してね、自分と神さまは別の物やと。で、五井先生は修行して悟られたんだと、お釈迦さまは修行して悟られたんだと、松下先生は修行して悟られたんだと勘違いしているからや。

 お釈迦さまが「苦行は悟りの因に非(あら)ず」「修行は悟りの因に非(あら)ず」って仰っているのにね、遥か昔に。で、松下先生も修行して悟ったんじゃあないって、はっきり仰っているのにね。そういうとこは聞けへんのやな。やっぱり修行して悟るってカッコいいはな。滝に打たれて悟るって格好いいでしょう?

 で、滝に打たれて悟るんと違うね。滝に打たれると自分ではどうしようもないって事がはっきりと分るから悟るんだけどね。悟りとは何かというと、自分が正しいという小さい自分ではどうしようもないんだという事を知ったら悟れるの。

 ああ、神さまだけで何も無いんだって、神さまだけで何もないねんて、ホンマは。だから泣いても笑ってもみんな完璧な一つやね。でも神さま以外の自分というものがあると、自分で思い込んで生きているからややこしんだけどね。だから喧嘩もするの。





令和5年11月河上さん勉強会−2(20231112−2)

質問:考えてみると、肉体を持っているが故の部分で、自分を守るために、正義、自分が正しいんだという気持ちと、で、肉体と真(まこと)の神さま、神さまそのものとは違うんではないかという肉体意識が強く働いているからではないかなと。

河上さん:いや、それはそうやで。だって役者さんがね、役作りをしてその役に入るんでしょう?ね?で、みんな真(まこと)の神さまそのものの自分がね、今回はこういう役で楽しんでみたいって言って役作りして出てくるねんから。役作りした自分は神さまそのものではないわ。それだけや。

 例えば、お洋服ね。例えばウエディングドレスを着たら、あ、結婚式やなっていうことでしょう?結婚式のお嫁さんやなって。違う洋服を着たら違う人やなっていう風な感じでね。みんな自分の好きな洋服を着て降りてきて楽しんでるの。だから、それを映画館で例えてるわけよ。映画、今のこの現世(うつしよ)の映画でもね、例えば自分はヒーローではないけども、ヒーローものの映画を見に行ってヒーローになった気持ちになって楽しむわけでしょう?あるいは自分は不幸な役目ではないけども、例えば「おしん」ですか、おしんとかあるやん、不幸な物語が。あれを見て楽しんでくるわけやろう?でも映画館から出たら自分に戻ってるやん、一緒や。この現世にいながらでも、現世から出たら真(まこと)の神さまそのもの自分が感じるの。みんな映画館に籠もりっきりや。

質問:それは肉体意識が掴み過ぎているということですか?

河上さん:いやだから、知恵の木の実を食べすぎや。過去を掴みすぎや。経験、体験を掴みすぎてるの。みんな、オギャアと生まれてきてね、なんやかんや言いながら生存競争の中にいるわけよ。例えば兄弟多かったら、お母さんがおやつをお皿に盛って出してくれたらね、早く食べないとなくなるわけやろう?その辺から生存競争が始まるわけやん。あるいは学校に行ったら、グズグズしてたら何もないわみたいになってくるやんか。で、そのね、まず自分のことを確保しましょうという癖がついてるわけよ。だからや。それだけやねんけどな。

 それは何かと言ったら、神さまが必ず良いようにするって信じ切れんからや。なんで信じ切れないかと言ったら、一瞬一瞬新たに受け直されへんからよ。要するに、お母さんがね、子どもにおやつをくれましたと。そしたら、もうあと二度とお母さんはくれないと子どもは思ってね、おやつの取り合いをするわけやんか。せやけど、お母さんは必ず、又、おやつをくれるんでしょう?そしたら今回は貰えなかったけど、次は貰えますって安心したら終いやのにな、という感じで、みんな過去を掴む、自分を掴む、財産を掴む、兄弟を掴む、親を掴む。色々あるわな、子どもを掴むとか。

 無限供給やねんて。一瞬一瞬新たに無限供給や。何を怯えるか。仮に供給がこの世的に途絶えて何もなくなったら、あ、やっと映画館から出られるなあと思って喜んだら良いねんけどな。なんとか長生きしたいって思うんやろう?体が動かんようになっても長生きをしたいって、ほとんどの年寄りは、早く死にたいって言う年寄りはおらへんもん。本当に大変になってからでも、もっと生きていたいって言う。まあ、それで良いねんけどね。自殺されたらかなわんからね。

 まあ、それはそれで良いねんけど、でも本当はもっとね、一瞬一瞬新たに受けなおす真祈りができないとあかん。それで真祈りを、「宇宙神ありがとうございます」を信じ切れない人のために、印可書を信じ切れない人のために、先生はまだ用意してくださったわけでしょう?宇宙船護摩木という。「この護摩木を書くときは、真(まこと)の神さまが降りたってくださっているんだ。」と、「真祈りとする。」と仰ってくださったんや。それはもう信じる信じないに関わらずそうなるんだって言って仰ってくださったんや。

 だから(なにもわからない人は、是非だまされたと思っていてもよいから、疑っていても良いから)護摩木を書いてください、護摩木百万枚ぐらいまで頑張ろうってね、後ろから(支えて)押してるわけよ。で、その総決算みたいな感じが毎月一回してるわけで。

 本当は毎日が護摩なわけ。だから護摩木を書いてたら、(理屈抜きで)悟りそのものを体験していくから、無意識に悟れるの。さらに、それに護摩に参加したら、もっと相乗効果で悟りが深まるから、護摩にだけは親の死に目以外は来いって言って。言っても遊びに行って来ない奴もおるけどな。あんまり言わんとくけど。

 そこまで先生がね、もう三段構え四段構えにして、なんとか全員連れて行こうとしてくださってるんだけど、それでも行かへん言う奴は行かへんで良いけど、別にみんなの自由意志や。僕は先生ほど優しくはない。好きにしてください、や。もちろん説明はするよ。護摩木についての説明も、もう何遍もしたけど、また今したけどね。

 だから、何もかも信じ切れへん、そんなん言っても嘘やと思っても護摩木だけは書いてね。護摩に参加できない遠くの人は、そりゃ参加しなくて良いですけど、参加できる限りは来てください。一年に一回でもね。それくらい護摩は大切なものです。

 護摩に参加してたらね、肉体が自分というのは消えていくよ。いつ消すかはちょっと言えないけどね。結局ね、肉体が自分とか、そういう意識は、もう神さまに引き上げてもらうしかない。要するに悟りというのは、神さまがピュンっと引き上げないと悟れないのよ。

 自分から悟るということはないの。なんでかと言ったら自分と言う意識は過去を掴んでるから離れられない。神さまは、もうそろそろ大丈夫やなと思った時、要するにどういうことかと言ったら、バーンと引き上げても過去を懐かしんで降りて行けへんなと分かった時に引っ張り上げるの。で、その場所が護摩の会場ですよって先生はおっしゃってくださっているのに誰も聞いてへんやろう?まあ良いけどな。

 だから滝に打たれても悟れないし、修行しても悟れない。それで本当はね、もうここに居られる方も本当に何人かの方に、先生は特別のおまけで悟らすんよ。でもみんな過去を懐かしんで降りていくの。だからワッと心境が上がったのに、私は先生に悟ったって言ってもらったって言ってしまうの。それは過去を掴んでるっていうのが分からへんの。自分が過去を掴んでることすら分からん。だから誰でも今でも、すぐ全員を悟らせられるねんで。でもみんなすぐ降りるから、もうせえへんだけや。時間の無駄やし、こっちはエネルギーを使い過ぎて大変になるからな。それだけやねんけどね。

 私は光を見たとかな、すごい心境がフッとなってんとか、宇宙と一つになった気がしてんとかってみんな言うの。言った時点で過去を掴んでることに気付かへん。一瞬一瞬新たに無条件の喜びにならないと。本当の真祈りになったら、もう祈ろうとか祈るじゃなくて只々湧き上がるのよ、喜びが。その喜びを具体的に表現したら「宇宙神ありがとうございます」やったり「ありがとうございます」の言葉やったりね、印可書であったりするだけで。もう祈るとか祈らないとかじゃないねんって。真祈りが本当の真祈りやったら湧くだけよ、こんこんと。昔のあれや、「押せば生命の泉湧く」の指圧の宣伝文句じゃないけどね、押さなくても生命の泉が湧くの。そういうもんよ。

 でも、知恵の木の実を食べるのを止めてくれないとあかんの。過去を掴むのを止めてもらわないとあかんの。自分が正しいとか自分でなんとかしようという意識を止めてもらわないと引っ張られへんの。ここまで大おまけの手の内を見せてるから頼むで、みたいな感じやけどな。

 本当にね、引っ張り上げるのは簡単やけど、勝手に降りて行くんやって。もうここまで来たらもう降りへんかなというところでやらないとあかんの。それを先生は僕の体験のためにね、色んな人を引っ張り上げて失敗する例を見せてくださったし、僕も何人かやって失敗したし。本当は今すぐやりたいねんけど、そのウズウズとしてるこの気持ちを抑えて、ひたすら祈ってます。中々こっちはストレス大きいで。

 みんな光やねんて、みんな真(まこと)の神さまやねんて、みんな命、みんな完璧な一つや、みんな光やからな。完璧な一つという言葉にするのも要らんねん、光やもん。分けようがないんやって。光を分けれるか?分けてみいや、無理やろう?

 だから「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」というのが真祈りそのものやねんけどね。でも、もうなんと言うかな、やっぱりそれも、みんなが信じないのな。どの言葉を使っても信じないから、できるだけ簡単な言葉で勝負したら、またそれも信じないから、じゃあもう説明書付きみたいな感じで印可書ってなってるだけでね。印可書やとウロウロ考えてる暇がないくらい、ようけ(たくさん)あるからな。

 もう、先生はもう本当に頭の良い凄い方でね。一杯出してこられるんだけど、そのうちで「おまえの分かるのはどれや」みたいな感じでね。「これと、これと、これです。」「そしたら、これと、これの中のこれやな」ってことで印可書になったんや。本当はもっと一杯あるねんけど、先生が結局これって決めてくれはったの。

 そうでしょう?みんな仲良く一緒に住んだら良いだけや。せやけどお互い嫌や言って、あんた、あっち行けってするんでしょう?その「あんた、あっち行け」がみんな無意識にあるやん。あいつ嫌いやから、あっち行けって。その「あんた、あっち行け」が戦争の元やんか。な?一緒に仲良く楽しく面白いこと言ってな、笑い合って生きてたら良いのにな。あんた、あっち行けって言った途端にややこしくなるの。

 だから今までの宗教はどれもあかんって言うの。自分のところが一番って言うからよ。自分のところが一番と言うことは、おまえらあっち行けってやってるの。そんな宗教は偽物じゃって言ってるわけよ。そんな宗教を信じてどうすねんって思うけど、まあまあ、みんな自由やから構わへんねんけどな。

 今日は分かりやすいよ。自画自賛。違うか(笑)。

 それくらいな、みんな自分が正しいから逃げられない。難儀なもんや。過去を掴むねんな、無意識にな。自分の体験が正しいと思うの。自分の体験に基づいて判断して生きていることが正しいと思うの。そしたら、その正しいと思った以外は全部受け取れない。だからなんぼ「『ありがとうございます』は悟りそのもの」「『ありがとうございます』の十文字は真(まこと)の神さまそのもの」って先生がおっしゃってもね、「ありがとうございます」というのは、ものを貰う時に受け取る感謝の、相手から物をもらってありがとうっていうね、喜びを伝える言葉くらいしか抜けられへんかった。

 だから、そういう挨拶のありがとうございますとは違うでっていうことで、「宇宙神」をつけるんだけど、やっぱりあかんかってん。

 だから、ほら、「印可書は違う、『宇宙神ありがとうございます』しか聞いてない」って言う人がね、一番面白いでしょう?そない言う人は「宇宙神ありがとうございます」に命懸けてね、悟るはずや。悟ったらそんなこと言わへんねんけど、分け隔てたことは言わへんねんけどな。せやけど、なんやろね、「『宇宙神ありがとうございます』が悟りそのもの」というのが聞こえてないねんな。自分が正しいという意識の中には「こんなんを言ったところで、悟りになれへん」という無意識の思い込みがある。だから短い祈り言葉が失敗したんや。誰か短い祈り言葉で悟ってくれて、「大丈夫!これでもいけます!」って証明してくれると嬉しいんやけどな。そんな勇気のある人は少ない。どうぞ。

質問:真柱を立てるというところの辺りの話に戻って。真柱を立てるというか、すべてが真柱が既にあるという感じかなと思って。

河上さん:そうそうそう。もう、その通りやで。その通りやけど、まず立ってないってみんな思ってるやろう?だから立てるという表現で導入せんとあかんの。

質問:それで、私たちは真柱を共有している感じかなと。

河上さん:だから、光そのものやねん。その中でこの世的な表現としては、あのほら、木がこう立っていくでしょう?ああいう感じで柱が立つの。命の柱が。それで真柱が立つという表現。

質問:それで、それはみんなが持っていて…その…

河上さん:考えると分からんようなるやろう。

質問:祈り言葉を唱えると、真柱全部に響く…となって…

河上さん:まあ、どういう感じのイメージで受け取っても構わへんねんけど、要するに、こういう形で、こういう風にして、こういう風になるんやなという考え方は捨ててね、只々神さまが良いようにすると思って、印可書を奉読でも良いし「宇宙神ありがとうございます」でも良いんだけど、祈り言葉を唱える、神さまに捧げ続けるやね。唱え続けるというよりは、神さまに祈り言葉を捧げ続けたら良いの。そしたらもう、真祈りや。

 その、神さまのお手伝いとして捧げるという気持ちがあったら、お手伝いをしたいという気持ちの中に神さまは降り立つの。で、真(まこと)の神さまに降り立ってもらわないと悟りにならへんの。で、降り立ってもらうためには、神さまのお手伝いをしたいと言うと過去を捨ててるの。自分のことをしたいと思ったら過去を掴んでるの。だからまず、神さまのお手伝い、自分のことは横に置いといて神さまのお手伝いをしたいと思ってね。この世的な仕事とかね、普段の生活は普通にしといたら良いんよ。只々、神さまのお手伝いをしたいと思って祈り言葉をね、神さまに捧げたら良いの。
 
 それをしてるとね、普段してる自分の仕事、例えば、もっと極端に言ったら、顔を洗うとか歯を磨くこととかね、お風呂に入ることそのものが真祈りになっていうことになってることにハッと気づく時があるわ。すると、かなり悟りに近い。一挙手一投足が真祈りそのものになっていくのが分かるの。でも、それは自分のためにしてるんじゃなくて、神さまのために、神さまのお手伝いのために歯を磨きます、神さまのお手伝いのために顔を洗います、神さまのお手伝いのためにごはんを食べますというね、その気持ちになってくる。

 もうお手伝いお手伝い、神さまのために神さまのためにってなった途端に変わるの。

質問:自分と神との境界が分からなくなる…?

河上さん:なるなる。そうそう。お手伝いやから一つになるやん。だってそうでしょう?仕事もお手伝いもそうでしょう?ある会社の仕事のお手伝いをしましょうって言ったら、その会社に入らないとできへんやん。形の上で入らんでもやで、その仕事の内容に自分が入らないとできへんでしょう?。お手伝いというのは相手の中に入らないとできへんやん。仕事のお手伝いでもな。

 それを神さまのお手伝いと思ったら、この世のやってるすべてが神さまのお手伝いになるの。それが分かると無条件の喜びが分かる。それでその、分かるという表現じゃなくて、もっともっと直感的なもんやねんけどね。で、それが分かったらな、子どもが勉強してへんとか考えへんようになる。神さまが良いように子どもをちゃんとしてくれるって分かるの。

質問:だいぶ(子どものことは)どうでもよくなってきた感じです(笑)

河上さん:(笑)

質問:その、祈り言葉で祈ることで、すべてに響かせられるから…

河上さん:そうそう、そこでね、祈るというのを、結局ね、今まで、みんな何が失敗したかと言ったら、自分の力で生きていかなくちゃとかね、自分の力で生活を立てなくちゃっていう意識があるでしょう?その意識の中で、自分の力で祈らなくちゃってあるの。それは神さまのお手伝いと違うの。それで、いくら「ありがとうございます」って唱えていても失敗したの。神さまのお手伝いとしてしないとせんなんねん。

 ただね、「ありがとうございます」とか「宇宙神ありがとうございます」だと、お手伝いと思い切れへんわけよ、簡単すぎて。でも印可書やとね、これを全部奉読するのに、お手伝いと思ったら、なんとなくそう思えるねんな。それで印可書が楽やって言ってるだけで。ともかく、まずお手伝いに入ったら良い。そしたら極端に言ったら、自分のお家のお掃除をするのも神さまのお手伝いなの。極端に言わんでも本当はそうやねんけどな。全部神さまの命でしょう?だから自分のお家のお掃除もお手伝いや。ただそうなると、もっと他も綺麗にしましょうとかね、今自分がやるべき必要なことが自然に分かってくる。

 それを理屈で頭で考えるとね、自分のお家のお掃除だけじゃダメで、周りもしましょうとか、あそこのお家もしてあげましょうなんていうのは要らん考えや。すべては完璧な一つというのは、お互いに支え合ってるから、自分ができることを自在にさせてもらえるだけや。余計なことはしなくなる。

質問:祈り言葉を駆使してお祈りをすることで、すべてに響いていくことで…

河上さん:そうそう。真(まこと)の真柱が立っていくの。

質問:そうですね。ですから、紛争地域でも、すべてに響いていく…

河上さん:そうそう、収まっていくんよ。

質問:だからお祈りだよ、ということですね。

河上さん:だから、本当にそうでね。例えば今の日本でもそうなんだけど、海外から働きに来はるわけでしょう?ね?それ、一緒に隣に住んでも仲良くしましょうが本当やねんけど、やっぱり日本でもそれが出来へんからね。それぞれの外国の人が集まった地域ができてくるわけでしょう?無意識のうちにね。それはやっぱり仲良くできへんからよ。仲良くできてたら、もう本当に家族のように全部一緒やからね。せやけど、やっぱり文化習慣が違うとね、微妙なズレがあるから、ついつい避けるんやな、お互いが無意識に。弾けへんまでも避けるからやねんけど、その避ける心が危ないの、ぐらいね。でも、まず真祈りがあったら、そんなんが消えていくの。もうそれだけやねんな。

 今のバルフォア宣言のナショナルホーム(National Home)っていうね、National Home
っていう英語がね、仲良くしましょうっていう英語やと思うのよ、お家やから。「National」ってすべてのお家っていう意味でNational Homeっていう英語があると思うんねんけどね。それを自分達の国とか、自分達のどうこうって言った途端にね、争いになってるの。それぐらい逆に言ったら、「おまえら、何他所から勝手に来てんねん」というのも、あかん心なの。「困ってるの?そしたら一緒にやりましょう。」って、「ここに住んだら良いよ」ってね。自分の住んでるところを半分にして分けてあげる心が要るの。

 昔、長髄彦(ナガスネヒコ)さんのね、国にね、神武天皇がやってくるわけやけど、その時に「おまえら、なんで他所から来て、出て行けって言うの?」というのは、最初の失敗があるの。他所から来たのを一緒に仲良くしましょうって言える人と、こんなん来てもらったら困るって言う人があってな。で、一緒に仲良くしますって言う人の方が多かってんけど、それでも勝手に来るなよと言う人がおるだけでね、あれだけの争いになったの。
 
 それくらいね、弾く心、要するに、すべて自分という意識が、すべて真(まこと)の神さまの意識がなかったら、争いが、争いの種って炎のように燃え上がるから、ややこしくなるの。そういうもんや。

 だからまずは印可書奉読よ。「そんなん言ったて遠くの世界のこと」とかね、「いや、あんな人ら、やっぱり肌の色の違う人が来たら嫌やわ」とかね、有ってもね、有ってもまず真祈りで変えていかなあかん。「私はやっぱり、それどうしても我慢できない」と思っていても。印可書に替えていったら一気に変えられるの。それで「いや、私はどうしてもね、色の違う人は嫌やねん。」とかね「言葉が通じへんから嫌やねん。」って思ってる人の、その響きの中で、印可書を読んで頂くのが役立つの、いつも言うようにね。
 
 だから、私は嫌やと思ってるねんで良いから、ぜひ印可書奉読の真祈りに持っていってください。もうその、今の、この先駆けとしてね、今先生のもとに集まった、縁あって集まった人のみんなの真祈りが要るんです。それだけで変わるの。「いや、私はもう、そんなんあかんねん。」という、その気持ちが要るねんて。その気持ちで真祈りするのが要るの。でないと通らない光があるからね。いつも言うように。だから、是非ね、印可書奉読は神さまのお手伝い、「宇宙神ありがとうございます」は神さまのお手伝いって信じ切ってね、やってください。そしたらもう、その「私なんて」っていう意識を持っていても消えていくしね。

 なんでかと言ったら、神さまのお手伝いと言った途端に、自分が無限大の外に広がってるの。そういうことなの。なんでかと言ったら、神さまのお仕事は広大無辺、物凄い大きいことだから。例えばね、ある会社のお仕事をお手伝いしますとなった時にね、小さい会社のお仕事のお手伝いだったら、小さい範囲のことをするわけでしょう?でも大きい会社のお仕事を言ったら、大きい範囲のことをするやん。でも、お手伝いと言った途端にその範囲のことが見えてすることになるでしょう?自分が大きくなるやん。

 それが真(まこと)の神さまといったら、もう広大無辺の大きさになってお手伝いやから一瞬で自分が広がっていくの。その広がりを繰り返すことによって、悟りを実感できるの。広がるということは差がなくなってる。

質問:「一つ」が分かるということですね?

河上さん:そうそう。だから、それで分かるというより、完璧な一つなんや、本来な。それから逃げられへんのに逃げ回ってただけやのに、ハっと気付くの。違うと思ってたけど、みんな一緒やったんやって。あの人は色が黒い、あの人は色が白いって思ってたけど、カラーリングが違うだけで一緒やったんだって分かるの。そしたら、ネコさんも一緒やった、イヌさんも一緒やったって分かってな、ネコさんの気持ちが分かるようになるの。そしたら飼い猫さんのストレスが減るで。違うか。(笑)

質問:次に、知識の木の実のことでお聞きしたいんですけれど。例えば私は村に行く時に、去年どんな服装で何を持って行ったかを記して、11月とかは結構(気候に適当な服装や持ち物を)当てにくいので。で、それを見て持って行くものを決めているのですけれども。

河上さん:それで良いの。それで良いねんけんど、それをね、それを掴んで、要するに知恵の木の実を食べるというのは、それにプラスね、絶対にこうしなくちゃってなっていくの。

質問:ですよね。だから、それを参考にするのは良いけれども、今年の今の暑い状況、先週の凄く暑い状況とか今週の寒い所も感じながら自在に決めるっていう

河上さん:自在にできたら良いねん。そうそう。

質問:それが一瞬一瞬新たに受け取るっていうことですね。

河上さん:そうそう。一瞬一瞬新たなに繋がっていくの。うん。だからみんなは自分が正しいと思い込んだら最後ね、そこから抜けへんの。

質問:そう、今までのデーターが正しいから絶対これっていうことが…

河上さん:そうそう、あかんねん。

質問:知恵の実を食べるということですね。

河上さん:そうそう。その通りです。で、その一瞬一瞬新たのところをね、印可書奉読でないと無理や。この世的な情報を何ぼ集めても限度がある。

 せやから例えばね、気象情報で今日は朝はこんだけの温度になりますよって言うけど予報でしょう?実際はもっと寒くなるかもしれへんやん。それは印可書奉読でないと分からへん。で、これからは特にそうなの。もう予測外のことが起こるからね。例えば台風が来ますと。予報では、あの程度の台風やなのにね、いざ来たら凄い風やったって去年でもあったでしょう?大きい台風やと言うけど、そんな強い風やとは思わんかったいうぐらいのね。そういうことが印可書奉読してたら分かって対応できるようになるの。そういうのが分かるようになると、地震も起こらへん。結局、地震は何かと言ったら、自分勝手さやな。

 まあ、せっかくやから、ちょっと言うと、病気ってね、細胞が自分勝手に動いてね、助け合えへんようになるの。そしたら霊的に見ると黒くなってるんよ。で、自分勝手に動いて、要するに信号無視してるの、お互い。お互いが信号無視してぶつかり合ってる状態が病気なの。それを一番するとガンやねんけど真っ黒になってんねんな。で、それをどうするかと言うと、一旦ね、そうやね、光やねんけども太鼓のような光やね、太鼓の音のような光をね、ボーンボーンボーンって送るんよ。送ると、それに揺すられてね、ガーってぶつかってんのがね、ワーッて広がるの。広がってからね、神の御光、御力、御命ってね、光そのものってするわけよ。そしたら、それぞれの細胞がハッと気付いて助け合いになる。で、病気が治るの。

質問:そこは印可書だって良いわけですよね。

河上さん:そうそう。それをね、今はみんな簡単に印可書奉読でやれるから。でも間違っても病気を治そうなんて思ったらあかんの。本来の元の光の状態にするだけって喜んでたら良い。が、病気治しのコツです。

 それで、それがまだプラスね、すぐにならへんの。この世から。それのスペアをたくさん背負ってるから、欲しい人にはその病気をあげられるの。ちょっと冗談やけど。あげようと思ったらあげられる。それくらい、あんまり病気治しをしようなんて思わなくて良いけどね、印可書奉読してるだけで大丈夫やけど。具体的に早くどうこうしようと思うと、そういうものになって、背負っていかなあかん。

 それ、地球霊王さまの分も背負っていくと、こういう状態の体になるだけや。それもわざわざ自分がどうこうじゃなくて、神さまに任せ切ってたら必要に応じて使っていただけるだけって喜んでなあかん。どの時も、「なんで?」って思ったら終わり。全部必要に応じて神さまはしてくださっている、良かった良かったや。いつも言うようにな。神さまは一番良いようにしてるだけや。だから、印可書を奉読してたら神さまのお手伝いって喜んでいたら良い。




令和5年11月河上さん勉強会−3(20231112−3)

質問:河上さんは全てが一つという事で資格というか、とても失礼なんですが、されているのと同時に、私達もそうであるっていう事を…

河上さん:そう気付いていなくてもね、みんな潜在意識で一つというのを知っているの。知っているから責めて腹立つの。

質問:で、何というか河上さんにご相談をしても、まあ大丈夫やって、基本には大丈夫やって返ってくるのは自分もそうであるし、私達もそうである事が深く深く…

河上さん:そうやし。みんな自分の都合で判断している。で、自分の都合で判断して文句を言っているだけ。でも例えば極端な例で言うと、大学も落ちたし高校も行けんかったしってなってもね、その子に取ったら音楽をする方が才能が伸びるとかね、今生でなくてもよ。その子に取ったら音楽するほうが良いとかあんね。それに応じたように神さま持って行ってるだけやね。要するに絶対必要な体験しか神さまさせへんね。無駄な体験は一切無いの。ただ、自分の都合から考えると無駄な体験をしていると考えるから腹立つね、っていう感じやね。だから絶対良いようなっているね。

 それ世間的に後ろ指指されてね、あそこの子は出来へんなって言われても、そんなん関係ないわけや、本当はね。そうだのに皆色々と苦労しはんね。だからあの親の子やからこうならなあかんと言うのは間違いや。そんなん言うと子供が縛られて苦しいだけ。

 だから大体そうでしょう?親が音楽家だからといって子供が音楽家にならへん、殆どな。親が凄い絵描きやけど、子が凄い絵描きには成らへんでしょう?そういうもんやて。うちなんかはズーっと宮大工のアレやったけど、だからといって僕は宮大工の腕は大したことはない。

 だから必要な体験しかないって喜んでたら生きて来るね。それが自分の都合でね、あんな無駄な事してとか、あんな可哀そうなってとか要らん思いを足すのね。足すから結局必要な体験が体験し損なっていく、完璧に出来へんようになって行くみたいなのがあるから。

質問:よくある例として、ブラック企業でご自分が背負わないと、みんな逃げて行って自分がどうしようもなく背負わないといけない立場になって、結局過労で自殺をしてしまったという事があったら、なんて可哀そうな、気の毒なんだとか、会社が悪いとか、そういう思いはいらなくって、世間的に悲しい結果だけども、それが一番良かったと…?

河上さん:勿論勿論。結局ね、みんな自分が正しいから抜けられない間で経験するんやけど、自分が正しいと思っている内は因縁因果から逃げられへんね。過去世でした事は必ず果たさなあかん。只、神さまは愛やから過去世で1000して来た事を今生の10で済まして下さっているわけ。だから今言った内容でも小さく消えただけやねんな。

 だから飲酒運転の人に撥ねられて家の旦那は死んでしまったわって言っても、一番良い形や。極端な例で言うとね。それ位どっちが悪いは無いの、本当は。だから先生は一番極端な例でね、親に売り飛ばされたと、あの親に、自分は人買いに売り飛ばされたという状態でも喜ばなあかんねって言わはった。もっと極端な例で言うと、大戦争の真っただ中にあっても、完全平和を思えって仰るのね。それ位一番良いようになっている。一切の形は無視して真祈りをしているだけ。

 だって11才の頃先生にお会いした頃って、先生の手な、松かさみたいになっているの。それ真冬なのに、ランニングシャツ違うけど半袖のシャツしか着てはらへんしな、足は勿論裸足やし、なんて言うの、寒さを感じん位の状態というか、それ位何もない状態の中で生活されていた。で、何もないから一番喜べるんやって仰っていた。で、積極的にそうして受けとってていたら一番の幸せやねん。それを寒いから嫌やとか、辛いとかって逃げ回っていたらって、僕には言ってくれはった。

 でもそんなん言っていたら、他の人逃げていくからね、それ以降他の人には言ってはらへんけどな。それ位本当はどの状態でも神さまは一番良いようにしている。その先生の話をちょっと柔らかく言い換えて、みんな説明させて貰っているけどね。

 だから突然癌になりましたと、というても喜べなあかんの、本当は。喜べたらアッという間やけどね、色々とあるんや、自分の都合で考えてな。何があっても、一番分かり易いのはみんな美味しいで食べるやろう?お腹すいたから、これ美味しいねんてガツガツ食べるやろう?それがもう自分の都合や。一番分かり易い例。お腹すいた時は脇目も振らずに食べるやろう?お母さんくらいかな、自分お腹すいていても先ず子供に食べさすのは。(笑)

宮野さん:みんな色々やで。

河上さん:色々か?

宮野さん:自分だけ食べるのも居るで。お前だけか、みたいな。

河上さん:お前だけ何か食ったんかって言うて。(笑)

質問:前回も同じような事を聞いたんですけど、今の話しを聞いてて結局、その時に自分が感じて何かしようと思って、しても兎に角、印可書を喜んで奉納出来たら…

河上さん:そうそう。結局ね、理屈で言うと「一切を報い求めず与え尽くす」っていうのが真(まこと)の神さまの働きやね。何ぼ理屈で分かっていても、やっぱりどこか報いを求める心がある訳、肉体を持っている以上は。それでついつい自分を責めてしまって、ややこしくなるから、もう印可書奉読に戻っていたら一番楽。

質問:この前の護摩の話しで、諦めてもう一つだというのを聞いて、仕事とかでも私凄い狡かったり、凄い一杯自分が一番やっぱり得したりとか、そういう思いで一杯一杯の自分だったから、やっぱり何処か責めていたんですけど、諦めて、あー、だから良いんだと思って、そんな自分が印可書を…最低の自分がむしろ価値があるような気がして、

河上さん:そうそう。勿論それでいいよ。

質問:それで良いですか?

河上さん:それで良いです。もし必要ないんやったら、先生が真祈りされてね、この地上に降りられた時点で世界は平和になって全ては終わっている。みんなキレイに清めて終わりや。でも先生の凄いサーチライトのような光では通らんとこがあるんやって。耳糞はスコップでは取れんでしょう?耳かきが要るんやって。みんな耳かきの働きをするね。だからそれで良いです。

宮野さん:忘れない内に、先にお伝えしようかと思うんですが。先程私が席を外しかけた時に河上さんが言われていた、「在庫を一杯持っています」っていうのが有ったと思うんですけども。護摩をやっている時、若しくは護摩の前からそれぞれが一杯寄って来て、在庫を一杯持っている状態になっているんですね。

河上さん:この辺に一杯付いているね。足とか肩にくっ付いているね。だから触らないように。

宮野さん:そう。足とかよく引きずっているのは、それは身体の調子が悪いわけではなくって、そういう在庫を一杯持っている状態になっているので

河上さん:しがみ付いてはんね。

宮野さん:その状態になっている中で、その状態で尚且つ、護摩をするって状態を神さまからさせられる、させられるといえばおかしいけど、そのようにってなっているのを下手に触られると、結局それは邪魔をしている形になるので、知らない方は、「知らなかったから」っていうのは先生の仰る、それは「知らなかったでは済まないね」っていう処なので、折角なのでお伝えしておこうかと思うんで、護摩の時は

河上さん:触らないように。

宮野さん:触らないで下さい。河上さんとか私とかの場合、そのまま(相手の人に病気やもろもろのマイナスが)移行してしまう場合もありますし、それでも自由意志なので喜んで私は背負いますっていう事であれば、それはそれでまあー、どうぞお好きな事なんですけど、それはどんだけ恐ろしい事かはご存じない中で、無知でやられるのは果たしてどうなのかと。護摩を邪魔するだけではなくって、それがどんだけ大変な事であるかっていう。例えばそれが若しも、若しも体が一つ一つ意識がある状態で腐っていく病気になってしまいます。若しくは筋ジストロフィーになって行きます。若しくは脳梗塞になります。若しくは末期癌になります、っという事を持っているんですよ。是非その分を背負っていきたいと思われる方、若しくは財産一瞬で無くなってしまいます。若しくは家の誰かが殺人犯に殺されるかもしれない。

河上さん:もう(そんなこと言わないで・・・)。

宮野さん:まあまあまあ。それ位怖い事が起こるかもしれないという事を自らが持って進んでやろうというのは、それは「我」じゃあないのかと思うんで、自分が何かじゃあなくって、自分が今できる事は今日も言われた、何も出来ない。何も出来ないから、只、淡々と真祈りするだけなんですっていうところを、皆さんがそれぞれ先生からお願いされたところかと思います。

 なので河上さん大変そうやなって思って、より良いと思って触られるのは、逆に言うとそれは大変な事なのでという事を。知らないから今一応お伝えしますっていう話しです。それからはもう自由意志なのでお好きなようにっていうところです。

河上さん:あのね、背負ったらどうなるかと言ったら直ぐには起こらへんね。いわゆる命の働きが緩んで来る晩年に起こる。晩年に苦しむ事になるから、私平気だったわ、ではないという事を知っていて下さい。だから頑張って印可書を奉読して下さい。(僕にさわった人は)誰だったか知らんけど。こっち目をつぶって(お祈りして)いて誰か分かってない。ただ、本当に晩年に出て来る。

 ほら憎まれっ子世に憚るって言うやろ?ああいう風に背負っている人は直ぐに出えへんね。傍目には元気に見えるけど、晩年凄いの。例えば人殺してきた人でもね、本当に死ぬ寸前に大変な目に会う。それはそういう人ほど最後に纏めて(まとめて)凄い苦しみになって出るんよ。(ふつうの人のように、こまめに、小出しにして楽にはさせてはもらえない)

 みんな大なり小なりそんなんを持っているからね、年取ったら病気になるね。何も持っていなかったら病気にならへん。大往生する。でもみんな大なり小なり、私絶対悪い事してへんわって言い切れないやろう?自分の心を見た時にな。それで晩年病気でちょっとな。

 だけどその病気の形で小さく消して貰うんだけどな。どっちにしてもすぐに出ないというのを頭の片隅に入れといて下さい。だから私は平気よではない。どうぞ。

質問:今の話しでピントがズレているかも知れないのですが、周りの人が何か体が痛いとか、そんなん言っていると一応マッサージのお仕事とかしていたし、つい擦って上げたりしたくなるんですけど、

河上さん:いや、それはして上げたら良い。只、印可書奉読しとかないと、結局はどの形でも自分が背負う事になるからね。ただ、全然、自分には何も出ないわって(言っていても、それは)当たり前やて、晩年しか出ないから。みんな晩年に出るの。だから本当、例えば信長さんでもね、もう凄いことするわけでしょう?で、最期まで元気で本能寺でグワッシャってやられるでしょう?ああいう感じで晩年にグワッと来るの。死ぬ間際に。そういう感じやから。

質問者:はい。ありがとうございます

宮野さん:ちょっと怖いこと言いましたけど、あるよね。

河上さん:あ、どうぞ、どうぞ。

質問:ありがとうございます。今のお話で、晩年にそうなる原因っていうのは、元々自分が過去世から積み上げてきた自分であるのか、それとも…

河上さん:自分にあります。

質問者:はい。分かりました。

河上さん:で、勿論、縁者の分もあるわけやけど、でも縁者は自分やからね。先祖は自分やから。そこが分からなあかんの。例えば先祖供養をしないとあかんと言うけど、本当は自分供養なの。その先祖と自分を分けた時点で供養にならへんの。そこがね。だから、お仏壇にね、自分に向いて飾るでしょう?お墓でも自分に向いて飾るやろ?先祖と自分を分けてるのやったら、お墓の方に向けてお供えしいや。仏壇でも、仏壇の方に向けてお供えしいや。せやけど、みんな自分の方に向けるやん。それはやっぱり無意識にね、すべては完璧な一つを知ってるわけよ。先祖は自分、親は自分って知ってるの。それをまあ強いて言えば、親のすがたは過去世の自分やとかね、先生は色々と例えで言ってくれはるけどね。どっちにしても全部自分のものなの。で、それを自分の中で、真祈り出来ない分は死ぬ時の形でするだけ。で、どれを選ぶかはその人の自由意志なの。

質問:そうしましたら今こうやって、お祈りに参加したりとかしている、プラス、最期はそういう形で来ることを心にしなければいけないという…

河上さん:いやいや違うって。だから先生に縁のある人はね、神さまのお手伝いをするやろう?で、神さまのお手伝いをするということは神さまと一つになるから、一瞬にすべては消えるの。それだけや。ただね、一瞬にすべて消えるけど、神さまのお手伝いをして大きくなった分だけ、より他人と思ってた人も自分やから、その人の分を背負ってまた…って続いているように見えるけどね。でも一瞬に消えてるから死ぬときは平気なんや。だから、先生は死ぬ時は苦しまへんかったやろう?

質問:あの日々日々、こう今、私、この間、同じ質問をしたと思いますけど。日々日々、色んな方から忌み嫌われているような状況を私は感じているんですけれども。私なんですけど、それはやっぱり自分の身からでた錆だと認識して無条件に受け入れる?

河上さん:そうそう、あの結局ね、自分と他人を分けてた自分があるわけよ。で、それで相手を責めてるの、みんな。あなただけ違う。みんなね、人を責めてない人はおらへんねんて。「汝、罪なき者、石を持ってこの女を打て」や。誰も、みんな人を責めてるの。責めてる中で、その完璧な一つからは逃げられへんのに責めてる分だけね、自分を責めてることになるの。ね?それで自分で自分を忌み嫌うんよ。もうそれだけなの。で、そこを分かったらな、神さまのお手伝いしますって宣言してね、印可書を奉読してたら完璧な一つに戻るから一瞬で消えるの。

質問:あと、もう一点すみません。先週の護摩の時に、何かこう書き留めるっていうことは過去を掴んでいるので、書き留める必要はないということだったと思うんですけれども。私の場合は最近ちょっと物忘れが酷いというか、バッシングとかもあって。ノートに…

河上さん:だから、書き留めたやつをね、参考にするのは良いねんて。でも、こうしなければいけないってなった途端に、もうあかんの。だから書き留めたのを参考にして、印可書を奉読して湧いてくる知恵に従ったら良い。

質問者:ありがとうございます

宮野さん:先程の話ですけど。多分、皆さんの中の質問とか、思うことと、先程の質問はよく被ってるかと思うんですが。みんな、みんな他人の目が気になる、他人の意識、どういう風に思われてるかっていうことが、すごく気になってきてるかなと思うんですけど、何時も何時も河上さんがよく言われている中で、本当に自分以外の人は自分の思うようにはならんし、好きにしか言わんっていう所は、前もって、そうなんだって思われるととても軽くなります。思い通りにならない、思い通りにならないから面白い訳で、思い通りになったら、世の中なにも面白くないよねって。やっぱり悪く思われる事も、良く思われる事も、結局同じことだって、良いように言われる事は結局,不徳を積む形やし、悪く言われる事は徳積みの一つにもなるわけで、相手の分をその言ったことでもって自分は逆に言うとお祈りさせてもらえるわけであろうし。実際、先生だってみんな100%先生の事いいように思って下さった方ばかりでは無く、陰ではマイナスの事言われた方もあるし、でもそれさえも先生はすべて一つやと思って、万人の方のためにお祈りされたわけで。

 私らは先生からすべて光を下ろして頂いたのだから、同じことを思うように、分け隔てなく、人が何を思おうが、「あっ、おもしろいやっちゃな―」で済ましながら、人は好きに言うんや、思い通りにならんもんやって。
 それは身内であろうが、会社の職員であろうが、みんな一緒かなって思います。ここに同じ目的で印可書を唱えると共にあったとしても、ちょっとの事で、えー、、あの人なんか言いたい事違うん違うの?ってよくある話で。でもそれさえも「おもろいやっちゃなと、だからこそいいんだって」って思うと、もっともっと気が軽くなるんかなっと。何であの人はこんなこと思うんやろ?って思うと、それはもうマイナスの一つになっていくので、掴む事そっちの方が苦しいかな。

 楽しい楽しい、おもしろい、おもしろい、おもしろいやっちゃな、って言うて、印可書唱えるチャンスを頂くっていう事。それがより楽かなって思います。如何がでしょう?
 
河上さん:いいです。はい。みんな好きにするから面白いねん。にゃんこさんでもなんでも言うこと聞いたら面白ない。言うこと聞けへんから面白い。犬はまだ結構人間の言う事聞くからね、面白ない。(笑)猫はホンマ好き勝手する。予測できへん動きが楽しいねんて。ゲームでもそうでしょう?思い通りになったらゲーム違うやん。みんなゲーム楽しくやってるけど、思い通りなれへんから、ゲームのよりステージ難しい思い通りになれへんゲームに行くんでしょ?将棋なんか絶対勝つって分ってたら、せえへんで、もう、アホらしいて。勝つか負けるかがおもろいやん。どうぞ。

質問:先祖供養のお話が出て、本来真祈りと言うのは全ての全てに響くのだから、ご先祖さまにも響いている訳ですね。自分はご先祖様でご先祖様は自分という事で。それを先祖供養という事でお祈りすると、その何というか幅をこう狭めてていうか、狭い範囲のお祈りになってしまうという感じでしょうか?

河上さん:うん。結局ね、先祖と自分をみんな分けているでしょ?人類は。だからその分けている中でね、少しでも完璧な一つに近づかす為に。というのは海外ではね、先祖供養ってあんまりないねん。中国はあるけど、もっと他所に行ったらほんまにないのね。お墓はあるけどね。いちいち先祖供養ってせえへんのよ。それぐらい個人意識って言うの、もう分けた意識が強い訳。死んだ人は全く死んだ人で別だみたいなね。それをちょっとでもね、繋ぐために、一族であるとか、先祖であるとかにして今迄はしてきた。

 でも、いよいよ時間切れなんで、全ては完璧な一つっていうふうにおろしているだけでね。どっちにしてもまだ先祖と思えるだけでもマシで、先祖供養したいって言うだけでマシなんで、お付き合いして上げたらいい訳、どの形も。どの形も良い悪いはないね。もし外国行くとね、それすらないから、あるだけでもマシよ。いう感じで、ただ、その形に捉われてこうしなくっちゃいけないって言い出すと苦しいだけや。せやけど、まあ、ちょっと遊びや思って付き合ってあげたらいいね。

質問:真祈りは先祖供養も含むという考えでいい?

河上さん:そうそう。そういう説明でいいと思う。結局、全ては完璧な一つっていうとこが真祈りやから。

質問者:ありがとうございます

河上さん:まあ、どんな形でもこの現世での出来事は何億分の一で消して貰っている事ばっかりやからね、喜んでいたら良いんだけど、より効率よく、より楽しく出来るのが真祈りやと思って下さい。効果が上がるみたいな。そう意味では印可書が出て楽になったと思うのね。素直に信じるとか、信じないとか考えている暇がない。信じるとか信じひんも考えている暇がないみたいな処もあるからな。本当は考えている暇がないが一番や。只々、神さまがあるだけっていうのが印可書やから。

 それで熱も何も無くて元気な時はね、小まめに身体動かして下さい。じっと座っている時やったら、人目が無くて大丈夫な時は貧乏ゆすりとかね、身体を揺すっているほうが良いです。それ位地球霊王様の響きが変わって来てね、動かないと大変になる状態に今あります。だから肉体は動かせる限り、人目ある時はお掃除するとかね、何か拭き掃除するとか、小まめに動く形を取ってしてて下さい。でないと直ぐに熱出たり痰が詰まったりします。

 その人類の意識がね、滞りつつあるんですよ。それが地球霊王様の体に映って滞っているね。で、それは地球霊王様の体は入れ子構造で人間の肉体の体ですから、血液の巡り、リンパ液の巡りがみんな悪くなっているの。それで訳の分からん病気が出て来るんですけど、それは血液とリンパ液の巡りが悪いのね。それって段々社会が便利になって来たんや。

 だから昔やったら洗濯やったらこないせんならんし、掃除でも箒でひゃーって掃かんならんし、拭き掃除せんならんし、ハタキかけんならんしって体を使う事ばっかりやってん。

 今便利になってお風呂一つスイッチ入れるだけで済むやん。焚き木切って薪割りして焚かんでもいいみたいなね。その中で体を動かさんで良くなってきたの。それが人間の肉体の設計上良くないね。

 だからひたすら例えば印可書を唱えるのでも、拭き掃除しながらとかね。何も出来ない時は貧乏ゆすりしながらで良いですから、できるだけ動いてください。そしたらそんなに問題は起こらない。じっとしてると良くない。しんどいから座ってましょうは良くない。しんどいから座ってますでも良いけど、ちょっとこう、貧乏ゆすりでも何でも良いからね、ちょっと揺すって下さい。

 どうせ揺するぐらいやったら、拭き掃除でもってなっていくし、大丈夫。じっとしてましょうが良くないと思って。ほんなら、散歩がええんか?やけどね、散歩は寒いときせえへんやん。雨の時せえへんやん、ていうのがあって、股割りとか色々言うてますけども、

 もし散歩で歩くのやったら、足の指で土を掴むような一歩ごとに指で、土を掴むようにして、足の指で、歩いてください。もちろん散歩以外で普段歩くときもね、足の裏で土を掴むようにして歩いてください。それだけでだいぶ違います。

 それぐらいちょっと色々と地球霊王様の体がそうなったんでみんな大変。もちろん火山も噴火しそうになっているので色々と痒くなってね、ちょっと人間の体もなりますけど、気にせずに痒い時は掻いてもいいけど、後クリーム塗る等していてください。それちょっと地球霊王様の体の方が大変で、真祈り人には色々特に影響出やすいんで、お願いします。


令和5年11月河上さん勉強会−4(20231112−4)

質問:これ、確認なんですけれども。私は正しい、自分は正しいという思いなんですけども。みんなに出るわけではなくて、私の場合は、特に特定の人に出ることがあります。
で、今まで河上さんにお話を聞く中で、そういう方っていうのは、凄く自分自身、よりそのものだ、自分にとっても深い方なんだと思っています。で、自分が正しいと思ってる時は、過去を掴んでいることなんで、一瞬一瞬新たから外れてるっていう風に自覚するんですけれども、そういう時は、本当に自分自身のために、その方が凄く重い方なんです、応援してくれてる、自分を凄く応援してくれてると。本当に今、そこで「印可書」奉納して、本当に面白いと思い続けることが、もう何度も言われてるから、それが本当にお手伝いになるという、もうそういう意識で?

河上さん:はい、それで良いです。もう本当にそれで良いです。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:で、身近な周りから言われるっていうことはね、意識を捻じるでしょ?

質問者:はい。

河上さん:ね。それって、ある意味良いことや。で、今、体も一緒で貧乏ゆすりとか言うたけど、できたら捻じってくださいね。うん、そうそうそう。この前、柔軟教えたでしょ?捻じるね。ああいう捻じる形が凄く体を元気に維持しますから。これからは食べるもんだけでは維持できないからね。まあ、今までもそうやってんけどね。現代が楽な社会になりすぎたんやね。ちょっとどっか行くのでも歩いて行かなあかんかったや。昔はそれだけでも健康やってん。今、もうちょっとのことでも乗り物乗るし。別に乗ったらあかんじゃなくて、それに対応したことをしたら良い。

質問:動けない時は捻じる?

河上さん:そうですそうです、はい。だから、もう全く何をどうしたらええか分からん人はラジオ体操第1、第2をやれば良いし、1番わかりやすいやんな。うん。で、やってても誰も怪しめへん。「あっ、ラジオ体操やってはるな」ですむし。

質問:今日、質問しようかどうかちょっと迷ってる中で、色んな回答が私の質問の答えとかぶってたんですけど。今、最後のも、体を動かす話すら繋がってきたんですが。本心16項目の中で、適材適所っていう言葉が出てくるんですけど、 日常で割とその適材適所っていうのを自分の良いように捉えて。

河上さん:そうそうそうそう、そうそう。

質問:得手不得手があるから、 得意なことは得意な人に任せて、不得手なことはまぁ言ったらやらなくて良いというか。そうやって支え合ったら良いよねっていう考えが強まってたんですけど、それを、下手したら逃げる口実にしてたところにも、ちょっとこの頃気づいて。その時その時で、苦手であろうが得意であろうが、その時必要なことを、ま、自由自在に。

河上さん:そうそう。

質問:出来るっていうことが全知全能の無限力なのかなっていう風に繋がってて。

河上さん:そうそう。

質問:で、今の体を捻じるっていう話を聞いた時に、あ、言ったら、不得手なことをするのと…

河上さん:そうそうそうそう、一緒一緒、その通りです。うん、だから、体だけで言うとね、筋伸ばし、 柔軟体操やね、いわゆる。せめて柔軟体操だけしてるだけでも健康なるねん。柔軟体操がね、1番みんな苦手なんよ。痛いもん。 痛いけど、喜んで伸びる伸びるってやってね、してるだけで良いんやけどね。ただ、それを言うと、みんな嫌がってせえへんかなと思って、「ゆすれゆすれ」って言ってるだけで。はい。で、それは仕事も一緒です。

質問:その苦手なことをするにあたっても、嫌な気持ちを持ってても、しかも、その、本当はこのぐらいできなきゃいけないだろうけど、私には無理っていうのは、それでも良いから、出来ることをそれなりにその場に応じてやるっていう…

河上さん:そうそう、だから結果を掴まずに、出来る出来ると思ってしたら良い。その結果出来なくてもかまへん。柔軟体操も一緒やね。実際は伸びないけど、伸びる伸びるってしてたらね、実際は最後は伸びていくのね。でも大概みんな、その最初の柔軟で言うとね、伸びる伸びると思っても「伸びひん、硬い、僕体硬いわ」って言うてね、 止めちゃうんや。

質問:それが結局勝手に自分で掴んでる?

河上さん:そう結果を掴んでるから。だから結果は掴まなくて良い。神さまが良いようにするやからね。でも、その痛いのを嫌がらずにね、苦手なのを嫌がらずに、邪魔臭いの嫌がらずにするのが大事。

質問:それは喜び勇んで…

河上さん:そうです。それが喜び勇んでです。はい。

質問者:はい、ありがとうございます。

河上さん:体を動かさなかったら、柔軟しなかったら、真っ先に痰が絡んでくるから。で、その時に痰が絡んでくると「風邪かな」とかね、要らん事思ってややこししていくね。それだけ分かってて。神さまが良いようにしてるからと喜んで筋伸ばし、柔軟して体動かしてってしてて下さい。後で股割りでいじめるわな。違うか。(笑)やり方間違ってるから。

宮野さん:まさかの今?もう大概言うてきたで。

河上さん:mさん手伝ってな。2人でイジメよ(笑)。

質問:公開で?公開イジメで?

河上さん:別に終わってからするよ。心配せんでも。

宮野さん:公開処刑?

河上さん:いや、やっぱり自分の体の動きやすい形に戻っていくねんな。せやけど、股割でもそうやけど、四股踏みでもね、そうじゃないから、負荷かけるためにしてるっていうのが。

wさん:よろしくお願いします。

河上さん:あ、どうぞ。

質問:しょうもない話しなんですけど。僕は長い間、日記を書いてたんですね。

河上さん:はいはい。

質問:で、 こないだの護摩焚きの時に、日記とか必要ない言われて、もう2、3日前からどうしようって…

河上さん:いやいや、書いて良いんや。止めてもええし、書いてもええねんけどね。それを掴んで、絶対こうしなくちゃってなっていくと、もうあかん。「あー、こんなんがあっておもろかったな」が良いねん。まあ、だけど中々な、日記に書くとな、「おもろかったな」と違って「あいつにあれされたな」っていうとこだけ目につくねん。それにならないようにということ。

質問:止める止めないは別に?

河上さん:別にかまへんで。ただ、どうしてもな、人にイジメられたとか書くやん。ほんだら、日記を見返したとき、そこしか目いけへんね。「これがあって楽しかった、子供と遊園地行って楽しかった」って書いたとこなんか目が行かへんね。

質問:畑してるんやけど、野菜作りの多い時期に、あの肥料をまいたとか、そんなんやったら別に…

河上さん:全然問題ない。

質問者:ありがとうございます

河上さん:ある時、ある方のお父さんの日記が出てきてね、死なれた方の。で、どうしようとなった時に、まあ色々と、あれにいじめられた、あれにこういう仕打ちを受けたとか、いっぱい書いてあったわけね。でも、これは燃やそうって言ったの。そこばっかり目いくからね。もちろん楽しいこともいっぱい書いてあったんですよ。でも、子供が読むと、「親父がここでこんなにいじめられたんや」とか、わかる気になるやんな。それがよくない。もう済んだことやから。

 いつも言うように、一瞬、一瞬、新たにバンって光が広がって、枝分かれして、色んな形ができて、この世と言えども、例えば種からできてね、で、最後は腐って戻るんでしょ?その腐って戻るとこをなんとか、腐らずになんとかしようというのは、やっぱりよくない。いうのを、その知恵の木の実と言うかね、「こうしなくちゃいけない」って掴むことがよくない。こうしなくちゃいけないんじゃなくて、今やったら、「印可書」奉読して、感謝の知恵を頂くだけ。神さまのお手伝いするだけってしたら良いね。で、神さまのお手伝いしたいってなったらね、いらんことせえへん。神さまのお手伝いって言わんかったら、自分に都合の良いことする。ほんでややこしなんねん。

 どうしても無意識にね、自分に都合良いことを優先するって。そんなの人情や。良い悪いとちゃう。やっぱり他所の子より自分の子先にするやん。例えばね、そういう感じで。だから、それで良いです。「印可書」お手伝いで奉読してってくれたら大丈夫。

 ちょっとね、あの護摩の時はね、色々あって、もう僕の方に余裕がなくなってね、説明もこう、非常にギクシャクしたんで、申し訳ない。強い光を出して、護摩の時にね、強い光を出して、弱い光を出して、順番にこう、なんて言うの。お掃除でもそうでしょ?わんってやっといて、あと最後細かく掃除するやん。 そういう段取りでしてるとこ、初っ端に強い光出せなかった。で、一応、宮野さんからオッケー、閉じれるってなって。で、仕上げの、閉じれるのと、閉じのあたりから、失敗したんや。もう、色々ともうちょっと説明しきれんぐらい、どうしようかってなってな。 一応、終われるんやけど、 ボタンをグイチに掛けていくみたいな感じやね。で、一旦ほどいて、かけ直さなんねんけども、もう本当、ウエッてなってな。で、もう申し訳ないけど、kさんに頼んで、もう一回して頂いて。で、あんまり柏手を打ちたくなかってんけども、あんまりあんな目立ったことしたないねんけど、それで、ちょっと強引にしたんで。で、その後やから、もう質問の答えもね、ちょっともう余裕がないんよ。へとへとなって。ごめんなさい。はい。

 中々、護摩をすっと閉じていくのも大変やね。閉じひんかったら、それはそれで大変なことになる。先生がされてきた事って、みんなが思ってる以上に凄い大変なことばっかりやってんけどね。先生お1人で全てされてたから分からんかっただけ、みんなはね。

なんでも聞いて。

質問:ありがとうございます。先ほどの、得手不得手の話に戻ってしまいますけど、 全知全能の無限力だからって、何がなんでも自分がやらなければっていう風になってくると我になるから…

河上さん:そうそうそう。

質問:そこでやっぱり兎に角「印可書」に立ち戻って唱えるって言う所がベース…

河上さん:そうそう。その一瞬一瞬新たに受け直すということやねんけどね。「印可書」に立ち戻るということは、一瞬一瞬新たに受け直して、神さまのお手伝いするってなるから。すると知恵が湧いて、必要なことだけは出来るね。

 ほんで、取捨選択が出来るわけね。これは今自分がしなくて良い、これは何があっても自分がしなくちゃいけないというのがすっと分かるわ。

質問者:はい、ありがとうございます。

河上さん:それがわからないと、効率が落ちるね。自分の意識でやるとね、こっちを優先って思うねや。でも、 えっ?と思うことを優先しとくと、ちゃんとそれでぱぱっと収まんねんな。そういうとこは考えたらあかんという部分なんだけど、 自分が考えたら失敗すんね。神さまの知恵というね。ま、無理な言い方したら、神さんは考えへんねんけど、神さんに考えて頂くっていうことやね。

質問者:はい。ありがとうございます。

質問:もう2ヶ月ぐらい経つんですが、四股踏みのショート動画を作ろうと思って。動画をwさんに撮らせていただいて。ただ、そっから2か月、どうもやる気がしなくて、やろうと思ったら、iPhoneの容量が一杯になってて。

河上さん:正しい四股と踏み違ったから。(笑)

質問:iphoneも買い換えるしかないなって思って。はい。で、ちょうどじゃあ乗り換えの時期だったので、iphoneを乗り換えて、容量ができたって思っても、なんかやる気がしないなと思って、もう今日、正直にやる気がしません。もうなんかやる気がないって言おうと思ったら、今日この答え合わせは、これは神さまが…

河上さん:そうそう、そうよ。だからどうしてもね、「印可書」奉読しててもやりたくないことは無理にしたらあかんね。それで良い。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:勉強出来る子ってな、例えばやけど、今物理した方がわかる時と、今数学した方がわかる時とかあんねん。その人によってね。で、それを無意識にわかる子は勉強できんねん。明日数学のテストやのになんで物理やってんの?みたいな感じやけど、 物理わかる時は物理しはるね。自分がその時にわかることしかせえへんねんけど、それ、統一力って言うねんけどね。

 勉強出来るって、過去世での修行の結果、統一力があって出来るね。勉強出来ない子は統一力がないだけやね。せやけど、それも因縁因果で言うた説明であって、もっと正確に言うたら、 勉強できへん状態を楽しみに来てる、勉強出来る状態を楽しみに来てるだけやからええねんけどね。

 でも、その中で、例えば勉強できへん状態を楽しみ来てる人は、それを楽しみながらも、より勉強出来るように自分が努力することを楽しんでると思わなあかんね。自分は勉強できへんから勉強せんでええんや、ではないの。

 お仕事もなんでも一緒やねんけどね。自分はこれ苦手やからしなくても良いじゃなくて、わざと苦手な体の中に生まれてきて、その中でいかにこう楽しんで努力していけるか、工夫していけるかというためにみんな来てると思ってください?だから、わざと頭悪く生まれてきてんねんけど、その中でどうするかっていう。

 だってそうでしょ?あのオリンピックでもなんでも、わざと制限するわけやろ。例えば競歩やったら、かかと地面につけて歩きなさいって制限かけた中で競わすでしょ?そういう風に制限かけて競う方が人間は楽しいね。だから天才で生まれてきてね、この世で勉強ばって出来きて、わーっとなんでもこなしたって面白ないねんって。なんか苦手な中を克服して、1つ1つで上げていくのが楽しみやね。だから、より苦手にもどんどん挑戦して楽しまなあかんね。本当はね、逃げるんじゃなくてね。

質問者:ありがとうございます。

宮野さん:ちなみに競歩はかかと上げてとちゃうよ。両足が地面から離れたらあかんってやつ。

河上さん:あ、そうなん?

宮野さん:だってかかとは上がるで。こうした時に。

河上さん:そうなん。両足が地面についてなあかん?

宮野さん:どっちかがね。

河上さん:え?どっちかちゃうやろ、片足やったら走れるやんな。

宮野さん:何やったかな?

河上さん:知らん話もうええ。興味ある人、勝手に調べて。

宮野さん:追求せなあかんやん。いや、河上さんちゃう事教えてはるわって。(笑)

河上さん:適当に喋ってはるわでええやん。待ちぼうけの歌でボロクソに言われて(笑)。適当やなって。そらそうやって、興味のない歌をちゃんと覚えてない。

宮野さん:あとは水分補給やね。

河上さん:そうやね、あとは水分補給ぐらいかな。でも、体を動かさないと。でも、どうしても動かす気ない時は、こう叩いてさする。さすってください。強くさすらんくて良いから、撫でる感じで。足から。

質問:今、マッサージガンってめっちゃ流行ってるんですけど、あれは?

河上さん:うん、みんな体が影響出てきてるからね。ほんで、あの…

宮野さん:ちゃうちゃう。あの、ほら、使ってるやつやん。ブルブルの、sさんが勧めてくれたやつやん。

河上さん:あ、はいはい、あれで良いよ。 ほんで、本当はね、この首回すのをやってもらうと1番良いんだけど、これみんな得手不得手あるからあんまり言えへんけどな。できたら首回してください。それだけで大きいです。
 あんまり具体的に医学的なこと言うと、治療行為になるから言えへんねんけど、リンパの動きを良くするためには、首をまわすのが1番。 でも、首だけではダメで、全身をゆすらんとリンパは動かない。血液は心臓で動くからね、それなりに流れるんだけど、 リンパは筋肉を動かすことによって、筋肉が動かされて動くからね。で、筋肉を動かすか、撫ぜて動かすかやねんけども。霊的に言うと、リンパ液は首と言うより脳の真下にぴゅっと集まってね。で、そっから血管に戻るね。医学的にはどうか知らんけど。で、それで一気に老廃物が落ちて元気になる。で、年取ると、年取ると言うより、みんな、事務仕事とか仕事するとね、頭動かさないことが多いのね、運転でも。ほんで、首が硬くなって、リンパが戻らないから疲れがたまるようなる。子供の頃は遊び回って好きにしてるからな、リンパが戻んねんけどね。だから、みんな意図的にトイレ入った時ぐらいは首回してるとかね、してください。それだけでもだいぶ違います。

質問:ちょっとしつこいですけど、昭和に流行った足裏ローラーみたいなのも良いですか?

河上さん:良いですよ。良いねんけど、あれ、なかなか続けられへんねんな。それだけや。
続けられへんのと場所が限定されるでしょ。で、それやったら、まだじっとしてる時でも、足の指をグーパーするのが良いと思います。

質問:先ほどからですね、動かす動作の中に8の字が。

河上さん:いや、もちろん8の字も良いんやで。良いけども、それは当然するやろと思っての話でね。只、8の字は正確にちゃんとしたらあれだけでええねんけど、 みんな正確にちゃんとできへんからね、プラス足してるだけで。

 だから、ラジオ体操第1は本当に良いんよ。良いんだけど、ま、あの、場所とね、時間があるから言うだけで。

 で、先生がよく仰ったのはね。怪我したら、怪我が治るまでじっとしてましょうは良くないって仰る。怪我の状態の中で、出来るだけ無理しない範囲で動かした方が怪我は早くなるって仰ってた。

 それは、今言った体動かすなんですよ。怪我してなくても、出来るだけ体を動か方が、体が元気になるということです。無理したらあかんで。そう、それを履き違えないようにね。やれって言ったら無茶して潰すからな。もうみんな極端だからな。

 先生からお聞きしてることですけど、今言った、脳の下に松果体って言うんですけど、松果体にリンパが戻って、体元気になるんだけど。その時にプラス、松の実って売ってるんでね、1日1粒でええから、松の実お食べになるとより効果的です。先生は松の実をよくうるさく言われた。昔はね。僕がお会いした頃はね。松の実と、ま、あんまり、あんまり言わんとこ。やりやすいことだけ言うと松の実だけ。松の実やったら大丈夫。美味しく食べれるから。 もう食べにくいもん言わんとくわ。

宮野さん:食べ過ぎないようにね。

河上さん:うん、食べすぎないようにとね。あと言われたのは虫やからもう黙っとく。

宮野さん:虫はええわ。蜂の子ぐらい。

河上さん:蜂の子とウジ虫と大して変わらへんのにな。

宮野さん:美味しいやん、蜂の子は。

河上さん:形一緒や。大きさちゃうだけ。

宮野さん:味が美味しかったら美味しくしたの食べるよ。

河上さん:でもウジ虫はすぐ手に入る。

宮野さん:美味しくないから。蜂の子の方が絶対美味しいやん。

河上さん:ちょっと炒って食べたら一緒やん。

宮野さん:出したろか。

河上さん:生きてる方が美味しい。せんとこ言うてんのに何でこの話になるん(笑)。

宮野さん:そんなこと言うたらせなあかんのかって思わはるから。

河上さん:うん、せんでええで。本当に食べるものが無くなった時の知識として、ちょっと残しといて下さい。

宮野さん:ちょっといらんと思うわ、真祈りだけで。必要あったら物は来るし、必要なければ食べなくて生きてるし、 それも必要なかったら。

河上さん:でも、お腹すいて辛抱できへんいう人のために。お腹空いたら食べれるようになる。ちゃうか(笑)。ほんで、最後は粘土食べなさいと仰ってた。珪藻土ね。あのねばっとした粘土。

宮野さん:七輪の元?

河上さん:そうそう、粘土で生きていけるから。先に僕はそうなる前にあっち行くから大丈夫やけど、みんな大変やなとか言って(笑)ちゃうか。

宮野さん:そうはいきませんね。

河上さん:なんでや。もうとことん使い切ってるで。

ほんなら、質問なければお祈りして終わります。良いですか?


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