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1月深夜勉強会 by 河上 [Mail] 2023年01月18日(水) 17時07分
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令和5年1月河上さん深夜勉強会−1(20230113−1)

質問:質問一つ預かっています。

河上さん:はい。

質問:河上さんに質問です。「一瞬さー」と「一瞬一瞬新たに」は同じ響きですか?

河上さん:同じです。

質問:ありがとうございます 以上です。

河上さん:だから一瞬一瞬新たっていうのは「稜威(いつ)」のとこ、サーは「御稜威(みいつ)」のとこ。でも稜威と御稜威、理屈やから分けて説明しているけど同時やな、だから同じや。先生の説明聞いてもね、分かってもらうために、時間軸を分けて説明しているけど、いつも同時に、だからこの宇宙は何時も何時も開闢して、いつも閉じているね。

もうそれが分かったら「悟り」やねんけどね。時間軸で考えているうちは、まぁいつも言うように、考えたらあかんっていう部分を無意識に考えているね、な? 時間軸で、理屈で分かっているうちは、分かっていない。

 人間の体そうでしょう?この骨でもね、古い骨を潰す細胞と新しい骨を作る細胞と両方が同時に動いているわけで、順番ではない。説明上は「古い骨を食い潰して、新しい骨出てますよ」って言うてるけど、それは同時やから、身体崩れへんわけやんか?順番にやっていたらどこか、おかしなる。いつもそういう部分やね。

 だから皆、すでに悟っているからね、パッと引き上げる、要するに、悟っていないという縛りをね、パッとを取るのは簡単やね。でも自分で縛ってはるから、その縛りのとこで、もう一遍落ちて行くねんな。 もうほんと、ただそれだけやねんけどな。「すでに悟っている、祈っている、救われている」がもう理屈抜きに「はい」って受け止められたらいいねんけど、みんな、「そんなん言うたって」って縛るだけでね。只々、先生が、「みんな光や」って言われて終いやってんけどね。

 あの二人同時に寿命決まって、同時に消えますから。で、消える時にみんなをパって引き上げとくからね、その時に忘れないように。
 
 先生が半分引き受けてどうこうって、いつも言いはったでしょう?それなんで半分にしとくと言ったら、今言うた部分や。全部引き受けでパッと引き上げるのは簡単やねんけれど、癖が残っていたら、もの凄い落ちてしまうね。それで半分だけ引き上げて、半分だけやってするねんけどね。それしても、まだ「これをやりたい」とか言ってみんな降りて行くからやね。

 先生もしまいに、もう、「専属でお前が張り付いてやれ」って言うて専属でしてたらな、不倫しているとか、いらん噂流して、僕の関係の人みんないらん噂で引きずり降ろしてしまいはってん。そういう噂流した人、出した人、聞いて同意した人は、もう今生ではちょっと救われへん、悟れないちゃうか、っていうぐらいの罪を犯しているねんけどね。神さまの邪魔をしたからね。

 だけどそれも、もう時間切れやから、なんとかしようということで、きているだけ。神さまの働きの邪魔をしたらあかん。だけど神さまの働きやいうことすら気付けへんね、みんな。それより自分の噂とか、そういうエロ話が好きなんや。

宮野さん:はるか昔の話やね。

河上さん:うん。でも哀れなもんや。先生と二人「哀れなもんや」ってね。言いようがない。

宮野さん:質問来てますけどよろしい?

河上さん:はい。

宮野さん:「印可書の奉納が、ひたむきに実践していくうちに、一瞬の印可書奉納になるっていったようなことをお話しされてたと思うのですが、印可書の奉納と一瞬の印可書奉納の違いは、自分がある、なしの違いなのでしょうか?」

河上さん:そう、その通りです。だから自分があったら、自分があったら、考えるやん。自分って考えるから自分ができるわけで、神さまと分けてる、分かれたって考えて、自分を作るわけや。

それで自分っていう意識は、いつも言うように、時間軸でしかよう考えへん。入れ子構造的に超立体的には受け取られへんね。平面的に年表みたいなやつ。弥生時代、縄文時代とこう年表で感ずるみたいにね。あれみんな年表で時代がこう別れてると思ってるけど、全部、一瞬の今ここに全てあんねんけどな、歴史ですら。今、ここに織田信長もいてるし、西郷隆盛もいてるし、今の一瞬に全てがあんねんけどな。だけど肉体があると、分けて考える。で、分けて考えると印可書も分けて書いてあるわけでね。

 だから印可書、「絶対の中心、無限大の外、遥か彼方」からね「真(まこと)の秘奥義のありがとうございます」だけまでを、こうやっぱり分けて受けとめているわけよ。でもひたすら奉納しているとね、もうそれがぎゅっと凝縮して、「ありがとうございます」の10文字になって、それも消えて、光一元になるね。すると指一本動かそうが何をしようがね、先生のように、全て真祈りになる。いや全て真祈りの自覚になる。それが悟りやねんけどね。何をしていても真祈りの自覚や。

 要するに全部別の言い方をしたら、何をしていても、すべて真(まこと)の神さまの御働きだけというな。理屈で言うと、ひたすら切りなく展開するだけやけど。もうたったそれだけや。それをだから呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗しているとね、「宇宙神ありがとうございます」がギュッと凝縮してね、呼吸そのものが真祈りやった。まず呼吸からわかるわけよ。

そしたらまばたきも真祈りやとかこう、だんだん自覚が広がり、入れ子構造的に広がるねんけどな。だけど、なかなかそこまで神さまに投げ出していってくれへんね。すっと投げ出したいんやけど、投げ出すっていうことは一切掴み所がなくなるから、もう不安になるわけよ。

 出家って言うでしょう?出家っていうのは、この世における自分の立場を一切捨てることやね。な?それって家族も仕事も捨てて、一切収入なしにして、明日から一切食べるものもなくなります、っていうとこまで、投げ出せたら、要するに神さまが一番いいようにしているって、わかったら投げ出せるわけやんか?だけど神さま一番いいようにしているって分からんかったら、仕事を辞めるのも怖いし、いや、無理にやめんでええねんで。だけど、そういう部分やね。だからなかなか、理屈でいうと微妙にずれて、あかんねんけど。

宮野さん:もう一個いい?

河上さん:はい。

宮野さん:確認と質問、という事ですが。「生活していて『飽きたなと思う』思いが湧いてきた時は、『印可書が途切れている時かな』と思い、それに気づいた時は意識して印可書を唱えているのですが、この方法でよろしいですかということですか?」

河上さん:その通りです。それでいいです。だから、無気力でね、何もやる気ないってなる時が、みんな経験があると思う。何もする気ないねんていう。それって一番神さまから離れた状態。要するに一瞬一瞬新たに受け直さずに現状を掴みきったら、もう何をする元気もなくなるんよ。

 もう極端に言うと、食事するのも嫌になるみたいな。最後は呼吸をするのも嫌になって自殺になるねんけどね。もうそれがどんどん頭のいい人ほどなるよな。突き詰めて考えるから、考えたらあかんのに考えるからね。だから結構頭の良い人、作家のね、芥川龍之介でも凄い頭のいい人やけど、考えすぎて自殺するよね。

 芥川龍之介の場合は自殺する時の心境まで書き残してな、凄いよな、あれ。こういう心境で俺は死ぬんだ、みたいなね。
 だけど作家やからね、言葉で特に芥川龍之介の場合はマイナスの世界を言葉で、もう恐ろしいぐらい緻密に書いてるやん。あの『河童』でもそやしね、いろんな小説で。あんだけマイナスの世界、表現したから自分の中に取り込み過ぎて、やけどね。要するに言葉次第っていうことよ。

 だから印可書を奉読していたら、元気一杯、一瞬一瞬新たに受けなおして、気力が湧いて、やる気が出て、みたいなね。何でも積極的に前向きに解決していくみたいになるねんけど、マイナスの言葉出していると、どんどん無気力に落ちていくね。嫌気がさすみたいなね。旦那に嫌気さすやろ?冗談やで。(笑)

質問:嫌気はささんけど。

河上さん:冗談やで。本気にしたらあかんで。だけど要は、別に誰に対してもやけれども、マイナス言葉ぶつけるから、「あの人嫌い」ってなるね。マイナスの言葉をぶつけへんかったらな、嫌いも好きもないね、全部自分やから。マイナスの言葉いうたら分け隔てる意識やから。プラスの言葉っていうのはね、こう纏めていく意識でしょう?だから言霊的に言うとプラスとマイナスって言ったらそういうことやねんけどね。マイナスっていうたら切る働きやん。切り分けるってね、切る分ける働きがマイナスで、プラスっていうのはもう、一つにまとめる働き。でも光やからね、全て。切っても切れないものを切ったつもりになるから、余計に苦しい。切って切れるものやったら苦しないで。結果はっきりしているから。でも切っても切れないね。でも切ったつもりになるね。はい。

宮野さん:はい、終わり。

河上さん:次の護摩までに本当に何が起こってもおかしない状態に入ってしまった。それは、やっぱり人類がね、不平不満が積もっているのね。どの状態の人も。それが大きく、この虚の世界を揺るがしている。生活豊かな人も不平不満やし、貧しい人も不平不満やし。中国なんかはそれが極端やねんね。知ってる?中国の夫婦喧嘩て。

質問者:中国行ったことないからわかれへん。

河上さん:もうどんなんか言うたら、まあ奥さんがね、家から出て路上でね、大声で言うわけよ。「うちの旦那は、こんなんでこんなんでひどいねわー」って言うわけ。そしたら、歩いている人とか近所の人が寄ってきてな、「そうだ、そうだ」ってやんね。

質問:へー。やらせじゃなくって?

河上さん:やらせじゃなくって。

質問:知らなくても?

河上さん:そうそう、そういうあの国はマイナスをね、ワッてする、褒める事はせーへんね。マイナスをワッてこう膨らますのが、風潮というか体質というか何て言うんかな、そういうとこやね。だからそう日本どうこうっていう時もワッとなるし、今回の「ゼロコロナ政策嫌だ」ってワってなるでしょ?マイナスに対して、まあだけど、あんまり人の事言えへん、日本でもマイナスのニュースは売れるけど、プラスのニュースは売れへんやん。やっぱりそう、みんなマイナスが好き、マイナス好きやから肉体持って生まれてくるねんけどな。それがあの国は極端やね。

 だからあそこで起こるコロナでもなんでもね、極端に出てくる。で、今回凄い極端に出てるね。皮膚が崩れてね、大変な状態で死んでいきはんね。その最初の症状が風邪なんで、風邪薬が一杯むこうへ行くわけ。風邪が悪化したら凄いことになるね。 だけど笑てられへんな、日本も今そうゆうと状態に入ったから。 
 で、その渡航制限をして、防げると、みんな勘違いしているねんけど、いつも言うようにな、ウイルスの大きさを人間の大きさにしたら、指紋が富士山より高い、いうことは簡単に空中浮遊して全世界巡るね。なぜか言うたら、スペイン風邪、あれウイルスや、やっぱりね。インフルエンザ、あの時にあの時代やから、そんなんに交流ないやん。なのにあっという間に全世界広がったでしょう?結局空気によってうつるの。だからよそ事ではなくて、全部影響する。ただ神さまは悪いものをお創りにならない、必要なものしか、お創りにならないから、何でそんなウイルス出るかっていうたら、「マイナスの言葉使ったらあかんで」っていう事を、実感させるためや。

 だからあのスペイン風邪の時でもね、うつる人とうつらん人があるわけでしょう?で今回のコロナも同じ状況であっても、かかかる人とかからん人あるやん。それはマイナスの言葉をどんだけ使ったか使ってないかや。要するに噂話に乗ったか乗れへんかや。噂話を出したか出せへんか。

 男と女が親しいしてたら、あの二人怪しいん違うかっていうのは、もうそれは大きはマイナスの噂話やねんけどな、一緒に住んでるん違うかとかな、もうそれはマイナス、凄いことしてんねんけど、みんなはそういうのを好きやから、自分が凄い事をして、それで自分の運命をものすごく悪くしていることすら気付けへんね。だからそういう週刊誌売れるわけでしょう?いわゆる分け隔てる意識やから楽しめるわけや、な?でももう癖としてみんな持っているやん、スキャンダル大好き。

質問:噂話はそんな風にして NG?

河上さん:うん。

質問: 本当のこともありですかね?

河上さん:本当の事って、誰も確認できへんやろ?当人以外。

質問:そうですね。

河上さん:思えへん?

質問:現場にいてないし。

河上さん:現場に居てないのにな。どの話かって噂やで。だから先生のセクハラ騒ぎの時な、先生はしてへんから、「してへん」とも「した」とも言われへんから、黙ってはったんや。でもお祈りをしていたらね、その先生の御心が分かるから、揺らげへんねんけど、あの時はみんな揺らいだんや。それ噂話が好きやからや。「先生でも、したんや」みたいな感じやな。

 でも今回ね、僕にトラップかけよったから、だから誰が仕掛けたかよう分かって、先生が無実、無実が証明できてんけどね。だけどやっぱり悪魔の側って言うか、マイナスの側はそういうのを利用して囁いてくるね。やっぱりスキャンダルと噂が好きやから。特にエロい話は好きやから、みんな乗ってしまう。だってそういう週刊誌売れるやん、「女性セブン」とか。あれ嫌やったら誰も買えへん。だから「 FRIDAY 」とかな、あれかってそうやんか。出てきたとこ写した、出てきたとこを写しただけで実際の場面、映していない。

質問:載せられへんと思う。

質問:廃刊になったのはみんな飽きちゃったんでしょうか?

河上さん:そら、ほんまか嘘かわからへんもん 。たまたまその前を通って歩いていただけかもしれんのに。もう、後ろの場面がそういうホテルやったら、そこから出てきたっていうわけでしょう?でもみんな不倫してみたいから、羨ましくてみんな引っかかるね。

 結局自分の使う言葉っていうけどね、口に出す言葉と違って、思っている言葉が一番怖いからね。イエスがほら、「心に」って言うやん。「実際に姦淫する、レイプするものよりも、心でレイプ思って者の方が罪が重い」って、今風に言うとね。イエスは言うわけやけど、本当その通りで、心に思ってるから大丈夫、私はまだ行動に移してへんから大丈夫、って聖人ぶるわけよ。

 だから親鸞さんが怒るわけね。この「善人ボケが」って言うて。まだ悪人の方が救われる。「私は悪いことをしてしまった。神さまごめんなさい」って言ってる悪人の方が何度も救われるって言って。善人ぶってね、心の中では悪いこと一杯しているくせに、善人ぶってる人間は悪いことしてるっていう事すら気付けへんから、焼け火箸握る状態でな、落ちるわけよ。その状態がぱっと悟らせたらしたら、もっと極端に終わってたという、さっきの話です。

 心に思っていることを言われると非常に厳しいね。だから印可書がある。普段いろんなことを思う癖があるやん、その人によって思う方向の癖が色々あるけどね、それを持って印可書を奉読して、全人類に光を通すっていう作戦できているからね。印可書奉読を外すと、どうしようもない、が、本当のことですから、是非印可書にすがってください。自分の自由意志でね。言われて読む間はギブアンドテイクやから効果少ない。

質問:マイナスの言葉を発言するっていう事と、マイナスの事を心で思うっていうことはほぼイコール?

河上さん:イコールどころか言葉で心で思うほうが大きい。

質問:あっ、そうか。

河上さん:なぜか言うたらな、口に出すっていうのは一回だけや。心ではな、何回も思うね。自分でもそうやろ?心では繰り返して思ってしまうね。その、してへんから。その「繰り返しが怖い」でってイエスが言うてるわけよ。「心に姦淫を犯すものは…」ていうね、言うわけでしょう?それは繰り返し思っているわけよ。実際にレイプする人は一回きりやけれど、心でレイプしている人は、一杯思っているわけや。その思った回数分が怖いね。うん、だからイコールじゃなくて心で思う方が怖いね。だから、ひたすらに印可書を奉読していないと、要するに神さまと繋がっていないと、もう落ちるばっかりやね。

 だから人類がね、この方、戦争の歴史でしょう?喧嘩の歴史でしょう?それ心で思っていることがもう溜まり切って、噴くからや。それぐらい厳しいもんや。 

 だけどみんなは善人ぶるわけやな。私は悪いことはしてへんから、いや、「心で思っているからあかんねや」って言うても、分かれへん。第一心の中は見せやんでいいからね。簡単なことやけれども、厳しいとこやろ?

 だから助け合う、助け合う、支え合う、支え合うってしている方が心の中でも、悪いことを思いにくい。支えようとしていたらね。だけど今の世の中は生き馬の目を抜くでしょう?生存競争というか、足の引っ張り合いっていうか、人を押しのけてでも自分が良い目をしようとするわけでしょう?そのために心の中で一杯思っているわけや。それでみんなはその「思ったことは、実際してへんから大丈夫や」と思っている。その思ったこと位でウクライナの戦争になって行くていうのがね、分からへん。

 「まず心に思わんと現実化せえへん」ていうのがみんな分かれへんね。全然思っていないことは、絶対、自分の現実に出てけへんからね。それが生まれ変わりを通してまで、出てくるからややこしいね。過去世で思ってたことは覚えてへんから、だけど、過去世で思っていたことを自覚させるとね、自殺しよんね。「こんなもん無茶苦茶してきた、私あかんわ」言ってね。だから過去世のことは、消してあんねんけど、神さまの大おまけでね。

 結局それを何億分の一で消す状態が皆さんの普段の運命です。それをもっと現さずに消すのが印可書奉読として、先生が本当に命、本当に命と引き換えで出してくださったからね、是非使ってみてください。

 「宇宙神ありがとうございます」はこの前も説明したように、この軽く背筋伸ばした時に、お腹に軽く力を入れなあかんから、この状態をずっと維持せなんね。 その覚悟が要るねんけど、中々みんな、どこかで抜ける。抜けたら崩れる。

 だから先生は、あの40日間、40日言わんと3ヶ月って言いはったけどね。「3ヶ月間は『ありがとうございます』を言い続けたら、悟れる」って言いはってん。それはもう言う意識も消えて、っていう、あってんけどね。渾然一体とかいろんな表現するけど。でもそれもね、やっぱり「すでに悟っている、祈っている、救われている」を分かってないと、途中で崩れんね。

 だから「先生と出会って何であなたはすぐ分かったの?」みたいに言われるけど、それも過去世のものが一杯あるからね、分かったわけで、良い悪いじゃなくて、それだけやねんな。でも今は過去世で何をしてこようが、全員一斉に行きますっていうとこやね。

 だから護摩が一番大きな救いになると思うわ。護摩木を書くこととね。護摩木を書く時は真(まこと)の神さまが降り立ってくださるという絶対の約束やからね。で、護摩木を作るとき、護摩の時。どれもその時は無条件で、真(まこと)の神さま降り立って、一緒にきてくださる。

 書道で言うと字書こうとしている時に、先生が手を添えてくださる状態、書道の先生がね、手を添えて下手な子書かせてくれるでしょう。その感じで真祈りできている、できていない意識に関係なしに真(まこと)の神さま降り立って、真祈りして下さる。それが自覚になるからね。

 その護摩に来れる人の癖を通して全世界に響かすから。その入れ子構造的な神さまの働を、ちょっと分かりやすく言ってみたつもりやけどね。分かってもらったかなって思う。
 その「癖あるままで、なんでええねん?」っていう理屈で言うとね、理屈で言うと、「まだまだ性欲あるのに、なんでそれでええねん?」ってこう、あるんやけども、それは理屈やねんな。

 神さまは必要でその人に持たしているものばっかりやから、それを忘れたらあかん。

 だから無条件に神さまいつも一番いいようにしている。無条件で条件付けへん。神さまの働きはせやね、神さまの働きっていうのは一切無条件。与え切りに与え尽くすという無条件。だから神さまの働きは無条件の喜びやし、無条件の幸せや。それは理屈やない。

 ギブアンドテイクになった途端に、因縁因果の世界や。こんだけしたから、こんだけしてくれ。あいつは恩知らずやとか言うやん、みんなね。恩知らずは自分やねんけどね。恩知らずが見えたっていうことは自分が恩知らずやからやね。 要するにいつもそこに尽きるねんけど、だから「環境は自分の鏡って、心の鏡」って先生言うてもな、みんな納得せえへんね。

 でももう理屈やないね。で、時間切れやからね。印可書奉読するだけです。ある意味楽になった、ある意味。ある意味厳しいけどね。



令和5年1月河上さん深夜勉強会−2(20230113−2)

質問:護摩焚きの話が出ましたけど、一斉に行く方法が護摩焚きとして準備されているのですか?

河上さん:いや、一斉に行く方法じゃなくて、本当に「印可書」も自由意志で選び切れない、毎日の生活に追われて、文句ばっかり言っている人ですらね、護摩に参加した時は、本人は祈ってなくても祈らせて貰える、それが凄い事や。1回でもそれがあったら、もう今生でもし駄目でもね、その体験が凄い生きるの。今回は本当に先生は約束通りにね、この2人が消えた時、今回は2人同時だから引き止める人がいない。神さまの作戦、凄いやろ?その時に、もう約束通りに全員を悟らせる、引き上げるわけ。

 そこからや、そこからさっきの話や、落ちるなよって(笑)。それだけです。悟ってからは厳しいです。それまでに「印可書」奉読してね、すべて自分って、すべて真(まこと)の神さまって、すべて真(まこと)の神さまの働きって実感していて下さい。理屈でもいいから思い込もうとしていて下さい。いらん噂話とか、マイナスを見たり聞いたりしている暇は本当はもうないね。でもな、みんな噂話好きや。もうテレビつけたら、そんなんばっかりや、日曜日の番組なんかな、「アッコにおまかせ」なんかそんな話ばっかりや(笑)。

質問:以前、2020年の12月ごろだと思うんですけど、護摩木300万枚という話が出まして。2022年の12月の話では、300万枚っていうのは100万、100万。2021年、2022年と100万枚護摩焚きを達成しまして、今年100万枚行けば300万枚。

河上さん:それやったらこんなに世界が不安定にならへん。なんでこんな不安定なん?みんなぼーっとしてるけど、クジラが大阪湾に迷い込んだりな、関東のほうは、魚が一杯死んで浮かんできたり、な?一杯こっちはこっちでって、日本海側もそうやんか、それって日本全国同時に大震災が一斉に起こる兆候やで。あまり此処で言わないほうがいいんやけど。それぐらい不安定。なんで?300万枚出来なかったからや?

質問:100万、100万で、今年できたら300万。

河上さん:そんな甘いもんやない。だから護摩もやる、護摩木作りもする、護摩木を書いていただく、にプラス「印可書」奉読が出たんや。手振りも出てんけどね。手振りはもうひたすらにしないから、手振りのちょっと答えをこの前言ってしまったけど、もうだるくて振れないくらい振らなあかんねんって。それで初めてホワッとくるものが出るんやけど。それは別に手振りに限らないね。なんでもそうなんだけど。只、「印可書」はそこまでしなくても奉読だけでいけるって、もうどうせ皆、よおせへん(出来ない)っていう事で。そしたら先生が命を削り出して、大おまけを作ってはっただけや。

 2・3年前やけど、ある人に、名前出したらアカンから出さんとくけど、「この部屋でお祈りを真剣にするから」っていうから。そしたら、もうその時は特別の大おまけやからね、何日間、ここでお祈りしたら悟れるからってしたのに、勝手に自分で理由をつけて止めてしまったわ。そんなもんよ。みんな勝手に自分で理由をつけて決めるね。100万、100万、100万で300万とかな。

 神さまが300万ってきたら、何が厳しいかって言ったら、今の一瞬で300万や。だけど、人間の世界やから、1年間で300万ってなっただけや。だけど全然そこまで盛り上がらないから、もうあの方式はなしになっただけや。それでどんどん世界が追い詰められてるんや。 

 クジラさんかわいそうにな、海が怖いから逃げてきて、結局死にはった?まだ?死んじゃった。かわいそうに。地鳴りするから、怖くて逃げて来はったんや、海の底でな。どこでどうなってるというのは此処では言えないけど。

質問:今回のその、今の状況とお二人のそれとは関係あるんですか?

河上さん:あるよ。ちょっと今日はだからもう質問がなかったら早めに終わって止めにいかなあかん。やめとこうっていうのに行くっていうんやもん。もうこの体で行くって、知らんで、死ぬでって思うねんけど。行かない段取りしてこっちに来たら、行くっていうねん。行かない段取りのまま行かならん。

宮野さん:万全を期した状態で行くのは違う。いつでも御心に沿って。

河上さん:どうぞご自由に。人の自由意志はしばれない(笑)。

宮野さん:先生、言うてはるやん。病気治ったらしようとかさ。

河上さん:えっ?

宮野さん:病気が治ったら、お祈りをしようとか。そんなん言ってるうちはできない。どの状態であっても。

河上さん:違う。昔な、ほんまに大金持ちのオバハンがおってん。「膝が痛いねん」っていうから、「この膝を治してくれたら、私全財産をあげてもいいわ」っていうから治してんけど1円もくれへん。で、此処にも来いへんようになった。やっぱり病気直しをしたらあかん。

質問:それを見ていた周りの方が悟られて…

河上さん:いや、僕、夜、深夜、お祈りに来たって誰もあの頃は出て来ないからね。そこへ先生を訪ねて来はったんや。どこからとはいうと、どこのオバハンか分かるから言わないけど。先生の手を煩わしたらアカンから、パッと治して帰らしてん。必ずお礼しますからっていうて、それっきりや。別にいらんけどな。

質問:いらないけど、そういうのって…

河上さん:結局、病気が治ったからお祈りしますっていうのは嘘やね。お祈りできる人はどんな状態でも素直に「はい」やからな、お祈りするだけで。だからほら、あるやん、宝くじが当たったら、みんなにこうして上げるって、した試しがないやつや。(笑)

質問:分け隔ててしまったと思ったときに、すぐに「印可書」奉読に戻れたら…

河上さん:すぐでなくても良いんやけどね。「印可書」は、時空を超えるから、大丈夫やね。だけど、自分の意識の中で時空を超えると、思い切れん時はすぐに読んだ方が良い、それだけや。

 神さまは何があってもすくい取るとかね、絶対とか、全員連れて行くとかって先生言うわけやけど、それは時空を超えているからや。

 だけど、時空を超えている事を信じきれない人は自分から降りていくの。一斉にみんなを悟らすわけやけど、悟ったときに、掴みどころがないから嫌やとか、眩しいから嫌やとか、エッチしたいからもう一辺してくるとかいうて、みんな勝手に降りて行くんや。その自由意志は止められへんね。だけど、悟らせてからの降り方は半端じゃないから大変やでって。でも必ず絶対の自由があってね、本人の自由にさせる。だからみんな悟りを体験できるの。体験できてからは、みんなの自由意志や。

宮野さん:体験できるけど、分からない、気がつかない場合もあるで。

河上さん:いやいや、気がつくよ。光一元で、無色透明で、喜びに満ちてやねんけど。

宮野さん:無色透明やから、分からないっていう場合もあるじゃん。

河上さん:いや、分かるよ。だから、映画観てたのに、突然、フィルムが消えてな、白いスクリーンだけになったわけや。そしたら、大概の人は、「つまらん」って言い出すね。輝きが、まぁ、映画やったらな。あっちの世界やったら、輝きだけになったら、「眩しい」って言い出すの。

 本当は映画やったら、スクリーンと一体になったらいいだけ。神さまと一体になったらいいだけで。そしたら、一体になってたら、眩しいも糞もないやん、自分が輝いている方やから。だけど、神さまと分けている意識やから、「眩しくてかなん」って言いだすね。分けられへんのにな。

質問:それは、暗黒の6日間の後ですか?

河上さん:後々、暗黒の6日間の後。だから、心の準備はできる。暗黒の6日の時にどれだけみんなを「こっちやで」っていうて自分の中に取り込めるかやな。

質問:それはありなんですか?

河上さん:ありって?

質問:暗黒の6日間はありなんですか?

河上さん:うん、あるよ。それが大いなる救いや。突然来たらかなわんで、みんな。エ、エッて終わる(笑)。3日間をわざわざ6日間に先生が増やして下さった。その間に自分の縁のある人を全部自分の中に入れる。連れてくるんと違うで、引っ張ったら相手の自由意志を縛るからね、自分の中に入れたら、向こうは居心地が良いから出ていかない。暗黒の6日間の場合はな。周り真っ暗でかなわんけど真祈り人の体の中に入ったら暖かくて明るいからホッとするっていう事です。

宮野さん:それは「印可書」をひたすら…

河上さん:そうそう、唱えてたらいいよ。またその状態になったときは、途切れずに唱えれる。肉体希薄やからね。

宮野さん:きっとその時に「印可書」が途切れ途切れで、忘れてる事もあるだろうけれど。

河上さん:もう覚えてるとこだけでしがみつくしかない(笑)。

宮野さん:って事やね。

質問:「暗黒の6日間の場合は」って仰ったんですけど、他のバージョンもあるっていう事ですか?

河上さん:そらあるよ。その時は真祈り人がね、ここに座るような立場になるわけ。自分の体に全てを受けて清めていくという。その人に応じて喘息があったり、癌があったり、熱があったりとか色々あります。でも、人を騙す人はどんどん体が腐る形で消します。

 もう今、日本でも皮膚病が凄いもんね。皮膚科がもう溢れかえってる。原因がわからへん。新しいウィルスや。だけど、それは心のマイナスやな。心のマイナスがどんどん。だから色々あるけど、ひたすら「印可書」しかない、戻ればいい。


質問:暗黒の6日間の後には、まだ今の世界が続くのですか?

河上さん:もう続かない。映画館を6日間で全部解体したから、解体したから光一元に戻るね。一大循環の所へ戻れるの。戻ったときに、一大循環の世界やから、無色透明でつかみどころがないから、一体化ができない人は「眩しい、眩しい、かなん」っていうて落ちていくわけよ。一大循環の世界へ戻れるから全員悟るの。本当は戻れない人も全員戻すわけよ。まぁ、溶鉱炉の中へ全員バァーッと放り込むわけや。放り込んで全部1つにしてしまうねんけども、「暑くてかなわん」っていうて出てくる人がおるわけや。

質問:映画とかアニメとかでよくあるような、例えばちょっとなんか、地球が大変な事になったけれども、その地球はまだ存在していて、何人か生き残っている人が厳しい中を生きてるよっていうものではないんですね?

河上さん:うん。今回、地球霊王様はもう全部。只、次の地球は出来るけどね。その次の地球に降り立つ役割の人はもちろんあります。その時に月がな、2個になったり3個になったりあるわけ。月がないと地球を作れないの。ひさご型、ひょうたん型というのは、入れ子構造の基本的なデザインやね。だから、月と地球でひょうたんになるでしょ?みたいな感じ。例えばね。

質問:その新しくなる、生まれる地球っていうのは、今よりももっと心境の高いものですか?それとももうちょっと幼稚園みたいな…

河上さん:いや、今の地球でもね、一番最初、神代の時代でしょ?神さまと人が一緒に生活した時代でしょ?だから本来、無色透明で降りてくるわけや。だけど、ちょっと演劇ごっこして遊ぶわけや。遊んでるというのに気づかへんようになるんや。

 要するに、富士登山を楽しみにきてるのに、後から鞭でしばかれながら登らされたら苦しみになるやろう?そういうシチュエーションにして楽しむつもりが、苦しみになった人ばっかりやね。

 だから今の地球でもね、苦手な事、嫌な事からしろというのはそういう意味やね。苦手な事、嫌な事からしたら、本来は楽しみにきてる事に気づくのね。そういうのをみんな無意識に知っているからね、おしんの物語とか、忠臣蔵とか、苦労して苦労して成功する事に感動するんやんか。本当は自分にとって辛い、苦手な事を楽しみに来てるというのに、気づかなあかんね。

 だから不器用で頭の悪い自分を楽しみにきてる事に気づいたら、それから抜けられるのにな。「私はこんなんや」とか、みんなそれぞれあるやろ?自分に対して。それって勝手に自分でそれを楽しみに来てたはずやのにね、自分の縛りに変えてるのね。それがわかったらスッと自在になるんだけどね。図書館で言ったら、本を閉じて返すような返却する状態やね。借り出したまではいいんだけど、本の中へのめり込んでみんな出てこないね。

なんもなかったらもう行くで?

質問:新しい地球は、神代の時代の同じような、真(まこと)神さまの自分という…

河上さん:うん。今度はね「印可書」が出てるからな、失敗しないのと違うか、と思うねんけどな。「印可書」の凄さは、ずっと先生の深慮遠謀の中に。先生の有る命を全部削り取って「印可書」にしてるね。

 ここの僕のためにしてくださった勉強会の時にパッと「印可書」を出しはって、無言のままや。しゃあないからみんなに聞こえない範囲で、これでとか言って交渉してたんや。そしたら、あんだけ伸ばしてくれはった。喋れない不自由な状態になってからね。

質問:それを選びきれなかった時は、先生は…

河上さん:みんな虚栄心に生きてるからわからないね。虚栄心があったらどんな話を聞いたってわからないね。すべては完璧なる一つ、要するに「みんな光や」から入らなあかんね。「みんな悟っている、祈っている、救われている」から入ったら、何で悩んでるのかと言ったら、悩みを楽しみに来てるって分かるわけよ。悟ってるからね。そうでしょ?わざわざ、こういうお芝居をしましょうとか、こういう映画をしましょうって楽しむんやろ、ゲームでも。そうでしょ?

 わざわざこういうルールにして、ポーカーでも、このルールにしてって楽しむわけやんか。あれ、ワン・ペアーが1番強くしたら、一番面白くないわけや。ツー・ペアよりワン・ペアーの方が強いにしてみ?断然面白くないで。難しくして、悩むような事をゲームでしてるやん。

 だけど、ゲームで悩む時は文句言わないね。でも、実際、自分の立体的に、自分の体感として悩む時は文句いうね。いや、違うって。「既に悟っている、救われている」やから。みんな光やから、楽しみに来てるだけやって。だからまず、自分にとって苦手で嫌な嫌な事をね、1番辛い事をやってみたら分かるね。やったら楽しんでるのが分かるね。

 模型作りがそうやんか?本物と同じ材料を持ってきて小さく作ったら終いや。だけど、それを、木を削ってな、苦労して作るわけでしょ?苦労するのが面白いんや。みんな苦労を楽しみに来てるはずなのに、それは、分け隔てる意識がなかったら分かるね。神さまが楽しんでるだけって。

 いつもいうように。只々、神さまが楽しんでるだけ、どの状態も神さまが楽しんでるだけよ。だから、どの状態も必要にあるもので、無駄なものはないね。楽しむために必要なものばっかりやね。一切無駄は無いねっていうのが分かるね。一つから考えたら。 

 だけど、分けて考えたら、なんで私だけこんな不器用な体に生まれてね、頭も悪くてね、なんでこんな目に合うの?ってなるわけや。お金でもそうやんか。マネーゲームのお金やったらな、お金が減ろうが、破産しようが、「うわー、あかんかったわ」とかで済むのにやな、現実のマネーゲームになった時は文句言ってるや。

 でも本当は、ど貧民の状態を楽しみに来てるだけや。大貧民ゲームってそうやな?ゲームやったら、楽しめるくせにな、この超リアルな立体映画になった途端に文句をいうね。

 だけど、苦労を楽しむから、苦労な映画ほど受けるんでしょ?最初から幸せだけを映した映画なんか誰も見に行かへんね。一番うける映画って、いつも主人公が旅に出て、苦労して苦労して、制約された中で成功したときにうける映画ばっかりや。そのハッピーエンドに行くまでの苦労が楽しいんで、最初とハッピーエンドだけ見たって面白くないね。ちょっと変わった人おるけど、普通は途中が楽しいね。

宮野さん:時短。

河上さん:時短やないっちゅうねん。映画館でも、リモコンを動かそうとするらしいから。(笑)
 だから、同じ映画を何回も見れないのが全てでしょう?結果がわかったら面白くないね。結果が分からないから楽しいね。ゲームもそうやんか、勝つか負けるか分からないから楽しいんで、絶対勝つんやったらアホらしくてやってられへん。あるいは、絶対負けるんやったら。

 色々考えて、考えられる人の方が勝つとかね、色々あるけど。それでも、丁か半かがあって楽しいわけで、八百長の博打なんかね、胴元は楽しんでるんと違う、お金を巻き上げたいだけや。絶対勝つ博打やねんから、楽しんでというよりな、お金を巻き上げるためにしてるだけで。あれ、お金が絡めへんかったら、アホらしくてやってられへん、面白くない。

 座頭市でも、うけるのは、目が不自由で、もの凄い不自由な中を苦労して、居合いが上手くなって、目の見える普通の悪者を懲らしめるというとこがうけるんやんか。水戸黄門もそうでしょ?わざと身分を隠していじめられてから(印籠を)出すわけ。いじめられるとこが楽しいわけや。8時40分の場面だけ見たら面白くない。



令和5年1月河上さん深夜勉強会−3(20230113−3)

質問:最後、大逆転で、あれみせて、ああなってこうなって、って分かっているから安心して見れるところもあります。

河上さん:それはこの世も一緒やんか、神さん一番良いようにしているって分かっているから、安心して楽しめるね。でも神さまと自分を分けた途端にな、一番良いようにしてるって分からなへんね。神さまと自分が一つやから、神さまは幸せそのもの、喜びそのものという事は一番良いようにしかならへんわなって分かる訳で。

 だから「全ては完璧な一つ」からいつも考えなあかんのに、神さまと自分を分けた状態から考えたらな、神さまと自分を分けるという事はな、自分と他人も分けるや。そしたら「あの人は頭良くって東大行って、お仕事上手く行って、お給料を沢山貰って」ってなる訳でしょう?分けた状態で考えるからや。

 そんなんゲームで言ったら、ポーカーでパッと札配られた時に、「なんで俺だけこんな悪い札が来てるんや?」って文句言ってるようなもんやな。
 だから早く神さまと一つというのを知りたかったらね、より苦労した方が良いわけよ。でも若い時でないと苦労出来へんね。年取ったら体力無いからしんどいね。若いうちは本当に積極的に嫌な事をして苦労せんとあかんのんやけどね。
 
質問:あの頃には戻れないのですけど、今、この年でどうなっても喜び勇んですれば?

河上さん:そうそうそう、そうよ。1、5倍速よ。(笑)

質問:途中から1切ってるって言われてます、心の1.5倍と。〇〇は1切っていても。(笑)

河上さん:要するにね、苦労の内容はね、傍から見たら大した苦労と違うと思うような事でも、(その人にとって大変なことってあるじゃない)だからさっき言ったような、自分にとって一番嫌な事からやらなあかんって言うの。

 それが本当に自分にとって苦労でしょう?嫌な事がね。その嫌な事をするからこそ、喜びが分るね。で、楽しみにしている事が分るね。だから本当に一生成功しなくってもね、苦労ばっかりしてきた人でもね、大概死ぬ間際になったら「楽しかった」って言うもん。「なんやかんやあったけど波乱万丈で楽しい人生やった」って大概の人は言うで。それ本能的に神さまと一つやっていうのをしっているからや、みんな。

 それは不平不満でね、マイナスを言い尽くした人は、マイナスに覆われているから言えへんけどな。だからいつも言うように結果や無いの。どれだけ下積み(新たなる下座に立つ真の本心の自分)したかって言うだけや。

質問:今一番いやな事とか、苦手な事って思い当たらないんですけど?

河上さん:旦那の事。

質問:きゃははは!(笑)褒め称える。気分良くさせる。一番苦手?

・・・・・

河上さん:ちゃんと次郎(猫ちゃん)を出んように見張っとかないと。

宮野さん:次郎は可愛い。おとなしい。

・・・・・・

宮野さん:さっきのちょっと戻るけど、六日間の後の何か怖い感じがあるようやけど、実際には怖いことは無いから、ただ、腹さえ自分の中で真(まこと)の神さまの中に戻るだけなんやって、一杯一杯縁のある方々と共に、共に一緒に一人でも多くの方々と戻れたら良いなという風な感じで、お祈りをするだけよねって。

 自由意志やからそれは行こうよって言っても行かれへんから、行けたら良いなって位で。それはいかなる状態であっても、神さまの方を向いとけばそう怖い話ではないという。

河上さん:そうそう、結果さえ掴まなかったら良い。

宮野さん:分からないから怖いと思っているだけやからね。例えば家族が有った場合だったら、家族はどうなるんやろうとか、家はどうなるんかなとかの思いはあるだろうけど、みんな一つやから、それぞれが神さまと全部繋がっている状態じゃあない?

 その時に只々、お祈りすしとけば次の違うスクリーンがパンと出るだけの話しで。だからどこに飛ばされるかっていうのは、多分それぞれの自由意志があるから、

河上さん:みんな自分で好きなとこに行くだけや。

宮野さん:だからさあ、ね。

河上さん:やっぱりなんか、手すりがないと嫌やというとこは、手すりの所に降りて行くね。地獄という手すりがあるから。

宮野さん:それもやっぱり全ては一つやからね、お祈りが浅いと、な?全ては一つの中でお祈りが深くなっていて、自分はお祈りが出来ていたら、出来てたらっておっかしな話やけど、怒られたみたいにね、河上さんがね。「お前の祈りが足らんからやないか」って怒られたみたいにね。その通りで、お祈りが出来ていないじゃあないけど、敢えて言えばね、

河上さん:ひたむきさが足らんって怒られる。

宮野さん:それが有れば、結局落ちて行こうと思う人でさえ響くよねっていう話しやね。「共に歩まん、共に行こう」っていう話しやから、自然と付いてくるよねっていう話しで。

河上さん:いや、一大循環やからね、地獄といえども光は通るの。ただ、ゆっくりになって行くだけや。なんでかと言うと、ゆっくりが好きな人が、掴むっていうのはそういう事やな。掴まへん人は速いのが好きや。それだけやねんけど。

 だから地獄の1時間は天国の1万年とか言うやろう?受ける感覚はその逆になるのね。一瞬の痛みが1万年の痛みに地獄では感じる。

宮野さん:○○の場合も、「これは一つの映画見ているんや」って言い聞かせるくらいが一番分かり易いかも知れない。実際、全員が河上さんみたいじゃあないんだからさあ、ね?

河上さん:だけど、映画に没頭しているとこが問題なんやね。そうでしょう?映画に没頭している時は「あっ」って映画と一緒になってびっくりしたりするやん?映画だったら、まだ「あっ」て言ったら気付くけど、現実は入り込んで出てけえへんもの。

宮野さん:だから印可書があるじゃあない。「あっ」と思った時に、あゝ怖いと思った時に、宇宙神ありがとうございますだったり、16項目だったり、印可書をひたすら。それをうろ覚えだったりしても、どっかの節だけでも良いから、言い続ける。そうする内に、その怖い所から、怖いっていうのが怖いじゃ無くなる感じがする、っていう感じだと思うのね。一緒にしたら分かれへんからね。

 河上さんなんかと一緒にしといたらね、「いやいや」っていう話しやけど、普通の人は皆、一瞬は怖がるんですよ。怖がった所からどうやって、

河上さん:皆、小さい子の状態なのよ。あのジョーンズ見たら水洗便所から

宮野さん:ジョンズって?

河上さん:ジョーズか?あのサメの映画を見たら小さい子がね、水洗便所のあそこから出て来るって怖がっっていうね、水と水の繋がりやから連想としては正しい。トイレ行くの怖いって泣いた子がいる。

宮野さん:テレビから貞子が出て来るの怖いと思う。

河上さん:あゝ、そうやね、ホントに。(笑)入り込んでいるとそうやね。

宮野さん:入り込んでいると怖いで、貞子は。(笑)

・・・・・・・・・・・・

質問:ひたむきさの所で神さまの方を向くってね、言われているんですけど、自分が真(まこと)の神さまだったら、何所向くのって?

河上さん:そうそう、だから「お母ちゃん」って感覚あるやん?

宮野さん:もう忘れているかもしれん?

質問:もうだいぶ経っているから。

河上さん:お父ちゃんでも良いんだけど小さい時にね、親呼ぶでしょう?ああいう感覚やねんけどね。親っていうのは子供に対して無条件でしてくれるな。それを子供は信じ切っているや。

 だから何かあったら「お父ちゃん、お母ちゃん」って泣く訳でしょう?そういう感じなんやけどね。

 それは子供に取ったら、お父ちゃんもお母ちゃんも自分と一つや、一切条件ないから。だから子供が悪い事したってな、「そんな悪い子出て行きなさい」っていう親は少ない。本気で出て行きなさいって言う親はな。脅かすのに言う事はあってもね。「もう家に帰ってこんでもいい」って言って、それっきりにする親はいないや。

宮野さん:で、真(まこと)の自分がどこを向くかっていったら

河上さん:無理に説明したら、真(まこと)の神さまと真(まこと)の神さまの息子、娘の自分っていう感じや。

宮野さん:敢えて言うならば。

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:分けている訳ではないけれど、言葉で敢えて説明するならば。

河上さん:だから神さまと神の子とかね。でも三位一体って言ってね、なる訳でしょう?

宮野さん:で、どこを向いているんですか?

河上さん:それは印可書の冒頭に決まってるやん。

宮野さん:絶対の中心?

河上さん:うん、無限大の外遥か彼方…すべてのすべてへに向かなあかん。それは理屈では分からへんわけや。理屈では無茶苦茶や、な?だから実感やね。それを実感できるように作ってくださった、先生の命を込めて。肉体中全部削ってしまって。

宮野さん:ただ、印可書を読んでいると、自分が消えていくような感覚、若しくは、奥に入るような感覚を感じるのね?

河上さん:感じるから不安になって、印可書を読みたがらない人が多いい。

宮野さん:それを過ぎると何とか分からない安心感と喜びに満ちて来ると思うんだけどね。

河上さん:そうやね。投げ出せるかどうかによる、になるねんけど、これが自分という部分をどれだけ投げ出せるかだけやけどね。だけど理屈で言うと出来へんから、印可書奉読だったら勝手に自分を神さまに投げ出せる状態になる。それが印可書の凄いとこや、だから奉読やね。読みなさいじゃあなくってね。

宮野さん:その六日間の間にひたすら無意識にでも、印可書が口を突いて出て来るような状態に日頃からしとくっていうのが。

河上さん:そうそうそう、ひたむきに読んでたら良いよっていうとこやね。だから夢の中で怖い事があった時に、夢の中で印可書をよめるかどうか。ほらよく金縛りにあって「あー」の声も出えへんって言うでしょう?ああいう状態やねんな、あっちの世界って。その状態でも印可書を出せるかやけどね。

宮野さん:言えるもーん。(笑)

河上さん:文字起こし出来へんから、あまり茶々を入れないように。(笑)

・・・・・・・

河上さん:テレビショッピングが凄いなって思うのはね、この商品が良いです、良いです、良いですしかプラスしか言えへん。やっぱりあの言霊を使っている。だから自分は真(まこと)の神さま、真(まこと)の神さまってテレビショッピング出したれ。それが印可書なの、な?

質問:河上さんがはっきり言葉に出さないように、言うと現実化になってしまうからという事を仰っていたじゃあないですか?

河上さん:それは落ちるって言ったらホンマに落ちるからね、言われへん。

質問:以前だったら、六日間の話しにしてもそうならないように、みたいなお話をされていたと思うけど、今日は妙に

河上さん:いや、だからもう時間切れのホンマにタイムアウトや。そんなん鯨さんが怖がって来て死にはったって、大変な事やで。

宮野さん:多摩川かなんかタマちゃんかなんか、あれは出んのん?

河上さん:タマちゃんはどっか行ってん。そのまま分かれへんままや。帰りはった。

宮野さん:今回1頭、淀川に来たのは。

河上さん:どんくさいから日本に来てしまった。賢いひとは皆安全なとこに逃げた。

宮野さん:動物って人間よりもっと分かっているじゃあない?自分のいる場所とか。それが間違う位やから何か狂ってたんやろうね?怖いだけじゃあなくって、色んな磁場的なもの?磁場だったり太陽フレア―だったりとか。

河上さん:だから言ってるやん。太陽が黒くなって月が赤くなったら、その時や。

宮野さん:その時は寝とったらいいんやな?

河上さん:寝ようが、何しようが、誰も逃げられへんだけや。

宮野さん:寝てひたすら真祈りするだけ。

質問:それ同時ですか?

宮野さん:ああ、太陽が真っ黒になって、月が赤くなる。

河上さん:同時々。だから昔の人は日食を怖がったんや。日食来たらこの世の終わりと思ってね。それは暗黒の六日間を体験してから間がないレベルの地球やから。

質問:太陽が黒くなるっていうのは日食とかそういう事?

河上さん:黒点だらけになるの。今はちょっとや、黒点。あれが全面になる。

宮野さん:地球が大変だね、物質的に。

河上さん:だけどこのまま放っといたらね、もっと人間マイナスを積んで、無茶苦茶になるや、だから神さまの大きな愛やね。これ以上な、そんな悪さしたらあかんでっていう。

 要するに心にマイナスを思う事をね、悪い事やってみんな思っていないわけや。イエスの言う「心に姦淫を侵す者は、目で犯す者は」って言うやつやな。実際にしてへんから大丈夫じゃ無いっていうのが、人類分からん訳でしょう?

  それで簡単な事でも愚痴言うし、ちょっとした家庭内でも「あんたちゃんとお皿洗っときや」とかね、「部屋掃除しいや、勉強しいや」ってマイナスを言うわけや。それはこの世的には躾や。だから躾やから正しい事の様に思っているけど、全部マイナスや。相手の自由意志を縛った時点でマイナスや。もう大変やねんて。
  
宮野さん:因みにまあまあ、その躾と称してマイナスの言葉が遺憾というならば、どの様に現状を打開して行けば宜しんでしょうか?

河上さん:褒め称えるしかない。例えばそれが嫌やって言う子にはね、嫌でない所から煽るしかないんや。だから国語嫌いな子には国語5分間だけさして、すぐに止めて、算数5分間だけさせて、すぐ止めてっていうのをするね。5分間くらいは頑張って出来る、大概の子は。そんならやっている内に変わるね。だけどしなさいって言ったらあかんねんな。極端に言ったら10秒で飽きたら10秒ごとに変えさしたらいいね。そういうもんや。でも周りが待たれへん。結果出したいから。でも結果やないねんな。

宮野さん:子供の場合だったらそうだけど、大人の場合だったら?

河上さん:大人の場合だったら一緒やんか。大きい会社ほどそうやねんけど、使えるか使えんか分からんような子が一杯いてるわけよ。そしたらあるお客さんの所へ先ず一人差し向けるわけや。討ち死にしてくるやん?スペアー一杯あるから順番に回すね。その自分の課の中でね、全員回してしまうわけ。回してしまうと同じ体験するから、変わってくるの。それを一人だけ行かしたりするからややこしくなるね。

宮野さん:お客さんの方は辛抱してくれるやろうか?

河上さん:お客さんの方か?お客さんは辛抱せえへんに決まってるやん。だけど失敗する営業をね、体験させんと絶対分かれへんもの。褒めてくれるお客さんばっかりやったら営業要らんて。

 買ってくれるお客さんばっかりやったら。買ってくれへんお客さんに、営業は買わそうとしている間は偽もんやからね。お客さんがどうしてもそれ、成程それ欲しいな、必要やなってどう思わすだけやんか。

 常にお客さん側の気持ちに立って、このお客さんはどうしたがっているのかというのを見抜かんとあかんわけや。そのどうしたがっているというのがややこしい客ほど、どうしたがっているを解決した時に、沢山買ってくれるね、ややこしい客ほどな。 単純な客は1回買ったら終わりなんやけど。

 だから又、そういうややこしい客ほど、それで上手く行ったら、一杯紹介してくれる訳よ。それで10軒しか回っていないんやけど、100軒分位の売り上げが出て来るね。大体営業が上手く行くのは何かと言ったら、ホントに紹介して貰えるね。兄弟とか親子の様に可愛がって貰えるようになってね。その可愛がって貰うためには、お客さんがどうしたがっているんかを先ず知らんないけど、その為に失敗せんと分かれへんのやな。その辺が体験させるしかないから。で、大きい会社だったらスペアー一杯あるから、何ぼでもぶつけれる弾があってね。

 小さい会社だったら弾ない(人少ない)から、ぼくらの頃は朝から晩まで先輩に連れ回されてね、どこ行っても弾かれるけど、兎も角15分は入ったら出て来るなって言われるわけよ。

 何でも良いから15分喋って帰って来いってね。それで夜も8時、9時になったらお客さんとこは全部閉まって何もないわけや。それで「何所も閉まってますから帰りましょう」って言ったら、何と言われると思う?「消防署開いてる」って。消防署行って15分喋って来いって。兎も角15分持たして喋べる。

 要するに人嫌い、人喋り苦手を解消させるための凄い荒療治やね、あの頃はね。今そんなんしたら、パワハラで怒られるけど。そしたら15分どうしても喋べろうと思うと、色んな餌を投げてね、この人何を興味持っているか知ろうとするわけよ。で、色んな話題を投げた中に一つ食い付いてくれたら、その餌についての引き出しをだして、話題を膨らますっていうのが、理屈やったら分かれへんけど、これも。これも体験して始めてそれが分かってくるんよ。

 その見ず知らずの人と仲良うしようと思ってね。それ練習するのに、僕は市川の五井先生のお話聞くために、毎週新幹線で通っていたから、新幹線乗ったら必ず隣の人にお願いして、5分だけ喋らして下さい、すみませんて言って、「うるさくても5分だけ喋らして下さい。後、あれですけど宜しいか?」って聞いて、5分喋らして貰って、そこで意外と仕事に必要な人がおってという風になるねんけど、その最初の伝手(つて)をどう作るかっていうのは体験するしか分かれへん。

 だからぶつけるしか分かれへんて。今言った内容を理屈で説明して、その通りやって来いって言っても出来へんて。それする為に自分なりに考えるしかないからな。それはもう、印可書奉読と一緒よ。体験してもらうしか分からん。やって貰うしか分からんやけど、一番苦手なところをどうやらすか、一番苦手なところにどう食いつかせるかは煽りかたやな。それは相手によって違うから色々あるけど。
 
宮野さん:そして結果がこうなった?(笑)

河上さん:あのな、人を人たらしみたいに言ってからに、かなわんな!



令和5年1月深夜勉強会―4(20230113−4)

河上さん:だから、今のが1番簡単な方法で。もっとこう、まあ、言ったら入れ子構造的に、こう絡めないとあかんけどね。それだけでは無理やけど。

 だけど、初めて会った人とでも20〜30分喋られるようになったら、売れへんでもこっちがラクになる。その、飛び込みがラクになるの。そのとっつきができない間はな、飛び込みがもう、ドブ板踏みっていうんだけど、ドブ板踏みが辛くてな、もう胃が痛くなるの。で、売れなくてもええから、ドブ板踏んで来いとは言ってくれないしな。会社は厳しいもんよ。お前は全然売らなくてよいから、ともかく1日20件回って来いとかって言ってくれたら、名刺だけ置いて、名刺を貰って来たら済むからな、誤魔化せるけど、それはあかんからね。

 それで、手(方法)としては、難しい所は毎月第一火曜の9時はここ、10時はここって時間を決めて行くようにするの、月に1回。そしたら嫌でも向こうは顔を覚えるから、しまいに、「なんやお前」って言ってくれたら勝ちや、みたいなね。そういう作り方とかね、色々あるけども、それは自分が体験して苦労せんと分からへん。そしたら終いにね、「お前が来ないとな、うちの嫁の機嫌が悪いからな、来い!」とか言ってな、「芸人ですか?こっちは」、みたいないう風になってきたらもう、しめたもんやけど。そこまでを、なんぼ先輩からね、そういう風にせえって言われても、嫌々してる間は無理やね。やっぱり自分で工夫せんならんね。ここは、ちょっとお菓子みたいな、おやつみたいな、手土産があった方がやりやすいなとかね。ここは逆にそんなんしたら怒りよるな、とかね。それがだんだん肌で分かるようになってくるんだけど、それでも、嫌でもドブ板を踏まなできへんの、分かれへんね。

 それで最初の話に戻るけど、嫌なことからせえって言うわけ。逆に言うと、それが楽しみやったんや、っていうのが分かってくるけどね。それもやっぱり、嫌なことからしていかんとあかんね。子どもの時は、勉強はね、嫌なことをせえへんから、嫌がったら次をさせる、嫌がったら次をさせる、をしてるうちに分かってくるの、子どもは。勉強が分かってくるの。不思議なもんやわ。それは、勉強の場合は相手がいらんから、相手が文句言わへんから分かるの。

 営業は、相手が文句言うからな。その文句にどう対応するかとか色々あって。営業の専門家にえらい頷いてもらって、喜びです。(笑)

質問:肌感覚的に、なんか身についてくるのは凄く分かります。

河上さん:ねえ。うん。理屈やない。やっぱりドブ板踏まな分からへん。訪問をしないと分からへんけど、その最初の訪問がな、なかなか行かれへんね。行ける子やったら苦労せえへん。だけど最初から行ける人は、意外とな、凄い営業になれへんの。あれ不思議なもんやね。もう、そういう初めてのお客さんに行くのが苦手苦手って言う人ほど、後から凄い営業になる。何べんも胃潰瘍になる寸前まで、なるよ。だって人と喋るの苦手やもん。人見知りしてるもん。

宮野さん:この辺に「どの口がそんなん言ってる?」って(笑)

河上さん:だから徳川夢声さんのね、宮本武蔵を朗読したテープって昔売っていて、今も売ってるけど、それを何べんも聞いて。だから徳川夢声の喋りは上手いのよ。聞く方が抵抗できへんの。

 スッと心に入るリズム、「5・7・5」、「5・7・5・7・7」、みたいな、言葉は5ではないけど、そういうイントネーション的なリズムを持ってるのね。それを耳に聞き込んで、それを自分なりの喋り方に変えただけ。

宮野さん:大体あれじゃない?ほら、人を惹きつける話芸のある人達は、やっぱりそういうリズムを持ってるんじゃない?米朝さんもそうだし、講談師もそうだし。上手な人はフッと聞けるよね。

河上さん:そうそう。だから、誰のを聞いてもよいけどね。僕は徳川無声さんのやってん。

宮野さん:私、米朝さん。

河上さん:絶対今日のは文字起こししようがないな(笑)。

宮野さん:私のは消しといてください(笑)。

質問:15分話そうと思ったら長いですよね。

宮野さん:15分?

質問:15分、飛び込み行ってねえ。…?5分だったらよいかもしれない。

河上さん:あ、そうそう。たいがい、もう「忙がしいやから、帰れ帰れ!」とかな。けんもほろろよ。忙しいから帰れ帰れって突き放す所は、決まった時間に月に1回行くようにするの。行ってすぐ突き放されて帰ってくるという、繰り返しをすることによったら、逆に向こうは根負けしてな、凄い親しくなるの、そういう所ほど。一緒やね、お客さんも一緒やね。もう、鬱陶しい、難しい客ほど、いざ繋がったら、凄い。簡単に初端からサッと買ってくれる所はそれっきりで終わり、みたいな。不思議なもんやね。

宮野さん:クレームと一緒やね。

河上さん:あ、そやそや、クレームと一緒や。

宮野さん:そうそう、クレーム処理してる時ずっとそうやったね。ややこしい、グダグダと言ってると、この方が良いお客さんになってくれる。クレームもなしで、チョンチョンてピャッっと終わってしまったとこって、やっぱり短いわね、付き合いが。今日は何?営業の話?

河上さん:いや、別に営業でなくてもよいけど、自分の嫌なとこからやっていかんと、本当の無条件の喜びとか、無条件の幸せに行き着かへんていうだけ。

宮野さん:つまり、子どもやったら、サーキットスタディをする。ピッピッピって。サーキットトレーニングみたいなもんね。

河上さん:うん。

宮野さん:苦手やと思ってることが、あんまり苦手やないことが多かったりするよね、と思うわ、過ぎてみれば。

河上さん:せやねん。だからな、苦労を楽しみに来てるだけやって。だから、挟み将棋やったら面白くないんでしょう?金が裏返ってとかいう難しいルールやから将棋も面白いんでしょう?そんで駒を取ってまた自分で使えるとかね。チェスと将棋の違いやもんね。取った駒を自分が使えるって。チェスは相手の駒を使われへん。

宮野さん:そやったっけ?

河上さん:うん、将棋だけやと思うよ。相手の駒を使えるっていうのは。あ、麻雀もそうか。

質問:え?

河上さん:あ、麻雀はだけど、違うわな。アガる時しか相手の駒を拾われへんもんな。

質問:でも、捨てたのは使えるんじゃないですか?

河上さん:捨てた牌を拾えるんか、あ、拾えるな。拾えるわ。捨て牌を拾うから待ってた、っていうやつやな。それでリーチやな。

宮野さん:ああ、相手の捨てたやつ。ロンって言ってな。切っといてください、ここ。何がロンやね(笑)

質問:どこからそれになるんか分からへん(笑)

宮野さん:麻雀知らん人いっぱい居るやろうに。

河上さん:子どもは5分で切ってね、どんどん違う科目をさせるの。その方が頭が良く働くから分かるようになっていくよ。

宮野さん:でも、多分、そこよりもあれじゃない?もっと別のところが…

質問:なんというか、掴もうとすればするほどウナギのようにこう…なんていうか。うん、という子が一人おります。

宮野さん:意外に、そういう子の方がこれからのご時世、良かったりして。そういう、ほら、みんながそんな子ならちょっと大変かもしれへんけど。一人自由人なお子。

質問:そうですね。生きていく力はあると思いますね。そうですね、2年間英語を習っても「long ear」の「ear」が分からへんから、長い鼻でゾウやろうで、ゾウに〇を付けるっていうぐらいの子がいて。今まで何をしていたんですか、ときいたら、小テストの直前に見て、パッと書いたら7〜8割取れたから、無罪放免で来た、みたいなことを言う。

河上さん:めちゃめちゃ頭ええ。

質問:でも、通常の宿題をやりなさい、って言ったら、まったくダメですね、っていう。小文字の「b」と「d」が分からへんとか。というようなことがあって。ちょっともう、課金の限界を感じます。

宮野さん:それって、なんかよくある。

河上さん:映像的に処理できる子やからな。強制せんかったら、上手く行くわ。映像処理できるって凄い頭が良い。

質問:ただ、そうですね。積み重なっていかないのが…。

宮野さん:短いからじゃない?まだ。

質問:短期記憶が抜群で。それだけで乗り切れてしまう。けれどもっていうところですね。

宮野さん:先に花が咲くんですよ、もっと。もっと後で花が咲くっていうやつで。

河上さん:そうそう。結果を気にせんかったら。

宮野さん:そう。今はその子にとって興味が別の所なんでしょう?その、強制して宿題をしないといけないというのは面白くないんじゃないかな?うん。でもなんか、ちゃんと分かってる感じがする。そういうのをやらなくても頭のとても良い子やなって思う。感じるとこだけですけども。大阪で言うと「知らんけど」なんやけどな。でもうん、心配することはないと思う。はめようとすればするほど小ちゃい子になってしまうと思うから。めちゃめちゃ大化けするんじゃない?

質問:はい…はい!

河上さん:そう。お母さんの印可書奉読次第、って言って責任をお母さんに持って来る(笑)プレッシャーやな。だけど、自由にさせた方がうまくいくね。縛れば縛るほど反発するもん。

質問:そうですね。最新のやつは、ビルとビルの隙間に宿題を突っ込んで。管理の方から…。突っ込んだプリント、名前を書いたままだったから…。

河上さん:バレた?

質問:バレました。

宮野さん:なかなか面白いなあ。そのうちにさあ、Googleとかでパッと出て来るかもしれんよね。あの、テスト問題で珍回答のやつとかあるじゃない。あのパターンでビルとビルの間に宿題が詰まってました、みたいなの上がってくるかも。

質問:はい(笑)

宮野さん:全員がさあ、家業を継がなあかんってことじゃないだろうから、ねえ。それは何人かはそうやって育てばよくて、あとはもっと自由に、もっと凄いことをやるかもしれないよ。ね?

質問:はい。

宮野さん:丑三つ時真っ只中。

河上さん:本当、結果を掴んだら無気力になるからな。その辺がみんな気付かへんから。なんもやる気がないっていう人ほど、もの凄い結果を掴んでる。それで、難しくなったら逃げ回る。結果を掴んでるからやけどね。結果を掴まんかったら、なんとかなるさ、やから、ドブ板踏めるけどな。結果を掴んでるとドブ板踏まれへんね。なんとかここに入ったら、ここの人とちゃんと営業できないと、と思った途端にもの凄い苦痛になるけど。その辺は理屈で言ったって自分で乗り越えてもらうしかないから。部長さんは大変や。

宮野さん:オーナーも大変ですの。

河上さん:昔は、そういう意味で、しごくというかね、教えやすかってんけど、今はできへんから大変やと思うわ。

・・・・・・

質問:すみません、一点、お薬のことで。風邪薬が売れてるということですけど。それは効くんですか、買ったところで。

河上さん:症状的にな、風邪の状態なの。ところが風邪と違って、凄いことになってすぐ死ぬみたいな、やねんけど、最初の症状は風邪やから、ということ。それで葛根湯とか黄麻湯とかパブロンとかね、その初期症状に効く薬がよく売れるわけ。

質問:でも、それは効いたところでっていう話でもない?

河上さん:いや、だから心のマイナスに反応して病気になるからな。だから逆に言うと、例えば「葛根湯で治るんや」ってプラスの言葉を出せたら、葛根湯で治るわけや。あるいはパブロンで治るんやって、ね?だけど、「これで治るん?」って言って飲んだ薬は絶対に効かへんって。

 「カイゲン飲んだらパッと治るね!」ってみたいに、やっぱりまず思わないとね、飲む以上は。それが思えたら、もう薬が要らんようになっていくだけや。

 だけど、肉体という道具やからね。ある程度、薬という潤滑油があった方がラクはラクやから、使ったら良いと思う。だけど、プラスの言葉で使う。一番のプラスの言葉は、「神さまの命が、この薬を通して自分の体に染み渡る。」って喜んだら、一番良く薬としては効くわけ。すると小麦粉をね、高貴薬やと言って、上等の薬やと言って渡したって効くわけや。

 だけど、みんな普段な、文句を言って愚痴を言って、みんな溜め込んでるからな。その溜め込んでる量に応じてコロナが反応するね。ウイルスのせい違うって、病原菌って全部マイナスに反応して毒性を出すだけで。プラスに反応したらプラスにしかならない。だから、漬物、発酵菌?発酵菌もそこの主婦の心に反応するでしょう?だから、明るいお母さんの、あんまりマイナスを言わへんお母さんの作る漬物は物凄く美味しいんでしょう?文句言いのお母さんの作る漬物は美味しくないって言うや。それで、漬物ザルを跨いだらあかん、とかまでなるわけでしょう?「跨ぐ」っていうのはマイナスやから。でも別に乳酸菌に限らず、体の中の酵素も何もかもすべて、言霊に反応するだけやからね。

 だから働けば働くほど元気になるって本当はまず言わなあかんね。だけど、今の人はようけ働いたら疲れるとかね。まずマイナス言葉で被せるでしょう?だから回復しようとしてる体が回復せえへんて。「ああ、たくさん働いたからラクになったわ。」って言っといたらね、体はどんどん回復するのに。

 要するにプラスの言葉ということは、一瞬一瞬新たに受け直すということよ。

 マイナスというのは結果を掴んでるということや。

 表現として色々あるけどな。だけど大概は、みんな文句言うや。居酒屋行ったらよく分かるや。うちの社長はね、とか、うちの部長はね、とかって。文句を言い合いしてるんやけど、それが凄い自分の運命をマイナスに持っていってるというのは、みんな気付かへん。人類の運命もマイナスに持って行くな。

 だから、戦争は一部の人が起こした、あるいはプーチンさんがしたとみたいにみんな思ってるけどね、プーチンさんがしたみたいに思ってるけど、そうじゃなくて。みんなのマイナスの思いが溜まり切って、一番小さい形で吹く状態がね、地震でも火山でも戦争でもやけど、今はそれがコロナで吹いてる。で、コロナの次のウイルスになってるけども、お医者さんの方は追いつけへんから気付けへん。それで、マイナスに反応して皮膚が崩れる。外で崩れたらよいけど、内臓で崩れたら途端に死ぬわけよ。

質問:すみません。まず、真祈り。色んな問題にぶち当たった時に、まず真祈りで、自分の中から答えが湧き上がって来なかった場合は?

河上さん:うん。なんとかなるさ、で当たって砕けろや。と言うと、その瞬間に湧くね。

宮野さん:なんとかしようと思ってる時は掴む。

河上さん:そう。分からへん。

宮野さん:「なんくるないさあ。」って感じ。

河上さん:要するに当たって砕けろになった時は考えてへんや。無色透明になってるから湧くね。考えてるうちは結果を掴んでるからな、見動きが取れない。

宮野さん:それでも、の時は、とりあえず目の前のことは何でもやってみる。そのうちに打開策が…

質問:見つかる。

宮野さん:そう、自分ではなくて勝手に物事が動き始める。それでその、凄い思うの、自分で今までで思うのは、「え?」と思うことが、自分で想像もしないことが起こること、なんて言うかな、打開策に行く道が、それが予定しないことで、「えー?」みたいなことがあるんだけど、結果的にそれが良かったりするわけね。大変なことは大変やけど、「あ、なるほど、こうやって、こう過ごしていく、処理していくんやな」みたいなだったりとか。今回はあかんかったけど、次の展開が読める、みたいな。とは結構思うなあ。
 難しいな、なんか。言ってること、プラスだけっていう中で、さっきの営業のも、プラスだけなんだけど、大半の人間はマイナスを好むから、マイナスと聞いて、例えばマイナスを嫌なことと言うんじゃなくて、自分が持ってる不安ていうことを言葉にして、明確にしてあげると、そうそうと思って入って来る人っているじゃない。

 私も、営業でモノを売る時に、売ろうとしてる時は絶対数字が上がらない。でも「いや、ウチはこれは今日は買わんといて。おススメあっちの方が良いですから。」って他所のを勧めたりとか、売らない商売をすると数字が上がってきたりする、というのはあったね。

 それは何かと言うと、きっと売ろうとすると、欲が見える。でも売らないとなった時は、みんなとの「輪」みたいなもの、協調してるものみたいな、「みんな共に」っていうのを感じるんやろうな、という。その時に相手が、「ああ、この人ええ人なんや、この会社ええ人なんや。」みたいに思ってくださる。そういうのから、というのはあるのかなって。さっきの話術以外にね。私はなんかそういう、クレーム処理担当してる時と、それから営業で数字を上げられた時っていうのは、それがけっこう大きかったのかな、という。うん。

 と思えば、面白いのは、何と言っても、どうにもならないような、なんか出来事が起こって「どうしよう?」って思った時が1番面白いね。そっちの方が、「どうしよう?」って思って、思った時に、「あ、どうにもならんよな。」って手放すことが早くなった。「じゃあ、どうするんやろう?」って。うちなんか仕事的に、人間の数が、頭数がいなかったらどうにもならんねんけど、「いや、もうしゃあないよな。」って手放した時に、なんとなくやっていける、みたいな。「これよりは、こっちのやり方の方が良いんじゃないか。」ってアイデアが湧いてきたりみたいな。どうしようって掴んでるうちは、そこから動けない、みたいな。どうにもならんって手放した瞬間から次々湧いてくるのと、手放すから、そのご縁がまた次の、また周りが動くようになる、みたいな。

 手放す癖を意識的にするようにしていったら早いかもしれない、ね?掴まない、よろしいですかね?喋りたい?もうちょっと喋りたい?

河上さん:いや、質問ないもん。いつ終わるかなと思って。

宮野さん:終わり?

河上さん:いや、ともかく神さまは一番良いようにするって思えたら結果を掴んでないからうまく動くねんけど、どうしようって思った途端に結果を掴むよね。どうしようというのは既に結果を掴んでるやん。そういう問題やな。

宮野さん:そうそう、どの状態になっても楽しいと思う。

河上さん:ゲームやったらな、どうしようって言いながら楽しむくせにな。ポーカーでもそうやんか、悪い手が来ても、どうしよう、何枚捨てて何枚替えようとか楽しめるけど、現実になった途端に。それって結果を気にするからやね。どっち道、あかん時はあかんね、いける時はいけるねって、それだけやね。

宮野さん:ここの中で気をつけないとあかんのは、どっちにしても、って言って手放さないとあかんねんけど、じゃあ、放っといたらよいのかっていう話じゃないね。

河上さん:そうそう。放っとくというのは、こじらせてるだけやね。ゴミがこう、山になってると。そしたら、一番嫌やけど、その臭いゴミを掃除しなくちゃいけないんだけど、放っとくと固まってしまって余計取れなくなる、みたいなね。お掃除ってそうでしょう?放っとくと本当に固まって落としにくいけど、汚れた直後というのは簡単に落ちるのにね。後にしましょうっとするから、後にしましょうってした途端に、お茶碗がそうや、ごはん後すぐ洗ったらよいけど、放っとくともう、こびりついて大変や。このテーブルの上に置いとかんと、せめて水の中漬けとかんかい、っとかって思いながら寝てるようになるの。

宮野さん:猫に言って聞かせる?

河上さん:やっぱり、苦手な嫌なとこから当たっていくという楽しみ方をせんなんねんけどね。だから喋るのが苦手と思ったら、一生苦手なままやけどね。自分なりに色々と工夫して、まあ、徳川無夢を聞いて。

河上さん:あ、2時間過ぎました。

宮野さん:2時間喋りました。

河上さん:質問ないんやったら本当に終わります。

宮野さん:ちょっと休みたいねんな、そろそろ。

河上さん:センサー貼ってない?だからチョコレート食べれる。

宮野さん:いったん切らんと録音にどんどん入っていくからさ。

河上さん:うん。終わります。ありがとうございます。


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1月勉強会 by 河上 [Mail] 2023年01月11日(水) 18時39分
PC

会−1(20230108−1)

河上さん:質問、ない?

質問者:ありがとうございます。新年職場に出勤したら いきなり一人は本人が、一人は家族が体調不良で休まれとったんですけれども、あの年始のお話で、「少しでもマイナスのある方は」という言い方をされていたと思うんですけど、ちょっと見た目はそのマイナスを持っている人がたくさんいるんで、少しでもという事は「殆どの人がいなくなるかな」と思っていますが、そう解釈していいんですか。

河上さん:はい、いいです。

質問者:年始からいきなりてんてこまいで。

河上さん:いや、大変やってな。

質問者:忙しくなるなって思って、人手不足で、人手不足なことも起こるんかなあと。

河上さん:いやもう、あの人手不足以前に、もう全体がね、人口減っちゃうから。はい。一箇所が減るんと違って全体で減るからね。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:だから真祈り人のね、使命責任が重大で、皆さんの縁ある人を印可書を奉読したら、縁ある人も奉読したと同じになっていき、大きく変わるんですけれどもね。

みんなが勘違いするのはね、例えば悟ったら無色透明の自分だから、光一元で「明鏡止水のごとし」と言うてね、心も揺れずに、みたいに勘違いするんだけれども。そうじゃなくて、無色透明の自分だから、ありとあらゆるものを、受け入れるということですよ。だから「えっ?こんな欲望なかったんや」っていうのも湧くしね、ただ「湧いても心が動かされない」っていうのが悟りなんです。本当の不動心というのは一切の衆生、衆生の皆さんのマイナスを一身に背負っても、喜べる心、心が動かない。

 だから先生の場合は、熱出されたり、咳出されたりね、本当にされたけれども、無色透明だからね、 先生の場合は熱や咳や痰の形とか、色々ありましたよね?骨折するとか、唇切られるとかとかね、体動かなくなるとか、まあ色々ありましたけれども、その形で消すわけですね。

 何で消すかって言ったら、みんな自分だからです。例えば体の中で、どっか打ち身で腫れてきたと。そしたらその腫れてきてそれが治っていくわけでしょう?そういう感じで無色透明だから、全部自分だから、マイナスになったとこは、膿として消していくとか、色々な形をとるわけですね。

 それで、先生ほど大変なことは、皆さんにさせれないので、皆さんの場合はいろんな癖とか欲望でね、湧き上がるだけです。ただ湧きあがったその欲望に、その心が揺れるようでは、動かされるようでは、まだまだ偽物で、まあ映画を見るようにね、映画ってそうでしょう?実際に戦争映画っていうのがあって、戦争の人殺しの場面があるけど、実際は殺さないじゃないですか。それが殺してないとわかるから映画を見れるんで、本当に人殺しをしている場面のね、映像だったら、やっぱり見かねるじゃないですか。そういう感じでその心が動かなくなる、本当の不動心になる時が無色透明の自分という悟りなのです。

 それが分かって頂くと、その色々なマイナスが出てくる自分のままに 印可書を奉読できるんです。その印可書を奉読しているのに欲望、性欲、食欲、色々出てくると。「もう何でや」って言う間はね、無色透明じゃないわけよ。自分っていうのがあって、自分が揺れているわけね。不動心じゃないのね。

  本当に無色透明になったら全てのものを自分の中に映すから、全てのものが見えるんだけれども、映画を見るが如し、よ。現実を掴まないというのは丁度映画を見るが如しなのね。 
 するとまあその、例えば食欲だったら100の食欲出てきたら1の食欲で楽しむっていうが、映画がそうでしょう?戦争映画で人殺しをしているけど、まあ言うたら、それの何千分の1で楽しむわけでしょう?戦争映画いったって楽しいから、見に行くわけで、嫌だったら見に行かないもんね。たとえば戦争映画、あるいはオカルト映画、あるいは不幸な映画でも、そうですけれども、そういうことなんです。

 で、そこがわかれば、印可書奉読が淡々とできるようになる。で、淡々とできるようになると神さまのお仕事を100%してるっていうことなんです。いちいち印可書を奉読するごとにね、「腹立つわ」とか思ってもいいけど、その「腹立つわ」って思った自分を掴まないことなんですね。そこが中々説明、今説明だから時間軸で分けて言ってるけど、これが一瞬でくるわけ。一瞬でさらっと行かないかん。その「一瞬一瞬新た」が分かるとね、例えば先生が、すごい熱出されて、すごい痛みを受けておられたけれども、本当に「痛い」って、僕はまだ未熟ですから「痛い」って思わず言ってしまいますけど、「痛い」と仰られないね。それは本当に「一瞬一瞬新たに」受け直しておられたから。一瞬痛いけど、一瞬後はない。一瞬痛いけど、一瞬後はないとしてると平気になっちゃう。

 で、それは別に食欲でもね、色欲でも一緒なんですよ。一瞬一瞬受け治せたら、映画を見るが如しで、「ああみんなこういう思いで苦しんでるねんなー」ってぐらいになっちゃうですけどもね。そこまで印可書を淡々と奉読をし切って下さい。そうすれば言っていることが分かります。ここ理屈では説明しようがなくって、もう実感として体感して貰わないと分からない。実感として体感するとね、「あっ、いつも真(まこと)の本心の自分だったんだ」って分かるし、その「どの人も真(まこと)の本心の自分なんだ」ってのが分かるんですよ。 

 それが「あの人はだめだ」とかって言うているうちはね、まだまだ自分と神さまを分けているの。で、分けているうちはもう、身動き取れなくなっていくの。自由自在でないですね。どんな意識が出ても自由自在に、さらさらと動けたら本物。そこまで印可書を奉読し尽くしてください。

 もちろん「宇宙神ありがとうございます」でもいいです。であんまり技術的なことを言うとあれなんですけど、「宇宙神ありがとうございます」っていく場合はね、その背筋をぴんと伸ばすと、伸ばそうとすると、軽くお腹に力を入れないと伸ばせないでしょ?でその状態を背筋を伸ばさなくても、お腹の力を保てるように。で、最初は練習ですから、背筋を伸ばすと、軽くお腹に力を入れるという感覚を掴んで、それで仕事をしようが、何をしようが、いつもお腹に軽く入れている状態で、「宇宙神ありがとうございます」を込めます。それで、込め方ですけれども、息を止めといても、微妙に漏れる感じで、込めていきます。

 で、ある程度息が減ってきたら、一瞬「吸いたし」って言うんですけど、軽く吸ってね、又、という感じで繰り返すんですけれども、それが必ず1秒で吸って、どうのこうのじゃなくって、自在になってきますから。それをある程度、要するに、呼吸の仕方もあんまり意識しなくて、一番大事なのは、背筋を伸ばした時に、背筋伸ばそうと思うと、やっぱり軽くお腹に力を入れなくちゃだめでしょ。そのお腹の力をいつも軽く込めておくという事を意識して「宇宙神ありがとうございます」とやっていただくと、深く入っていけます。

 ただし、その宇宙神の宇宙をね、どう捉えるかが大きいんで、そこは印可書を奉読して頂く方が分かりやすいですけれども、嫌な人は好きに、宇宙を大きく大きく捉えろうとやって頂いたら良いです。ただ、一番大事なことは、宇宙神の宇宙をね、自分が練習してとか、自分が何て言うんですか大きくなって、大きな宇宙になっていく、あるいは自分がお祈りして修行してですね、努力して宇宙が大きくなっている、といううちは全然ならないんです。

 で、ここが印可書との違いでね、印可書だったら、自分がどうとか言っててもスッと行くんですけれども、「宇宙神ありがとうございます」では自分をポンと投げ出すとこがいるわけです。

 で、そこに行き着くためには、本当にひたむきさが要って、真(まこと)の神さまっていうのは一瞬一瞬新たにですから、一瞬一瞬新たに途切れずに、「宇宙神ありがとうございます」を込めるという覚悟がいるんですよ。

 それがなかなか難しいのでね、印可書だったら、読み続けてなくても、みたいな、ありがたさがあるんでね、お願いしてますけど。どうしても「宇宙神ありがとうございます」でいく人は本当に、その呼吸って途切れないでしょ?そういう感じでひたすら宇宙神、だから「呼吸に『宇宙神ありがとうございます』を乗せて下さい」って言ってるんだけど、乗せ方で悩んで聞いてきてくれたら、その人に合わせた乗せ方が言えるんだけれども、誰も聞きに来ないんで、もうこのままなってしまっていますけれど。

 やはり神さまにひたむきに向き合うっていうのが大事なんですよ。やっぱり太陽に向き合うから太陽と一つになっていくのね。太陽眩しいって言って背中を向けているうちは、一つにならないの。で、その「宇宙神ありがとうございます」もね、今言ったように、宇宙という意識を自分で広げようとしている間は神さまに背中を向けているの。なぜなら自分と神さまを分けているから。神さまに向き合うていうことは一つだから向き合えるのよ。

 ほとんどの人は自分が食べる、自分が仕事をする、自分が呼吸をする、自分がうんこをする、色々ありますけれども、自分が歯を磨く、自分が顔を洗う、とかね、ともかくその自分という意識が抜けてない。それは癖なんですけど、その自分っていう意識がある間は、神さまに背中を向けている。

 その指一本ね、今、自分でこんなにして指を動かしていると、あるいは手をグッパーグッパー自分で開いている、開いたり閉じたりしていると、皆さん勘違いしているけど、本当は神さまの意思で動いているだけなんですよ。で、これがわかれば悟りなんだけど、なかなか「いや、自分が今開こうと思ったから、開いたんや。自分が今チョキ出そうと思って、チョキしたんやと。自分がグー出すからグー出そうと思ってグー出した。自分がパー出そうと思ってパー出した。」みたいな意識から抜けれないんですね。

 で、それをどう超えるかっていうために印可書が出ただけで、宇宙神でいこうと思うと、もう「どれ一つ神さまがされている事」って明らめ切って 、喜び切らなあかん。でも大概文句言っちゃうんで、崩れちゃうんです。喜び切るところが、なかなか理屈で言ってわかるところではないんですね。そこだけなんですけどね。ひたっていうのはそういう部分なんですよ。

 だから「今が一番良いようになっている」とかいろんな説明をするんだけれども、その「一瞬一瞬新た」がみんな抜けるのね。例えば印可書の説明をするときでも、印可書を奉読する時は「一瞬一瞬新た」になっているんだよ。だからだから今が一番いいようになってて、だからってずっと説明するんだけれども、その最初の「一瞬一瞬新た」がみんな抜けるの。それは「一瞬一瞬新た」がみんな苦手だから。「自分ではできない」って勝手に決めつけているからなの。縛ってるからなんですけどね。

 でも一番大事なとこは「一瞬一瞬新たに受けなおす」っていうとこなんです。なぜなら真(まこと)の神さまは「一瞬一瞬新たに新たな真(まこと)の神さまだから」ね。それは映画のフィルムのコマ送りのようにね、常に新しいフイルムが出て映像が出るような感覚です。この世的に言うとね。でその「一瞬一瞬新たな」とこを印可書奉読だったら、思い込もうとかね、要らん事しなくても「なっていくよ」という凄さなんです。大まけなんですね。

 でも「宇宙神ありがとうございます」はなんぼ(いくら)「宇宙神ありがとうございます」言ってもね、「一瞬一瞬新た」にならない。

 なぜかと言うと宇宙神の宇宙を大きく捉えてないから。印可書の場合は大きく捉えようが、小さく捉えようが、大きく表現されているから楽なんです。ただ、それだけです。だから何を選ぼうと皆さんの自由ですけど、遠回りしたかったら、したい人はしたらいいんで、強制することは一切ないですけどね。

 今「宇宙神ありがとうございます」のある難しさ、というのを説明しました。だから「『宇宙神ありがとうございます』が出てね、何年経つか」って聞いたって、分かれへん人多いんですよ。それぐらいね、みんな一生懸命じゃない。「印可書出て何年たつか」ってのを知れへん。「真祈りの伝授が始まって何年たつか」っていうても、誰も数えていない。数えていないぐらい真剣にしてないの。責めて言うてるんちゃうけどね。ひたむきやなかったんです。ひたむきにやっていたらもう「印可書出てもう何年経つのに、あー」と思って、ひたむきになるんだけれどね。

 あるいは「『宇宙神ありがとうございます』出てこんなになるのにあー」って思うんだけれどもね、みんな毎日の生活に追われてね、毎日の現実を掴むことに追われて、やっぱり 印可書が、あるいは、「宇宙神ありがとうございます」がメインになってなくて、サブなんですね。だからやはり適当なんです。

 本当のひたむきさっていうのはまず、「宇宙神ありがとうございます」がまず(メインにあって)印可書が(メインに)あってなんです。それが中々ね。

 でもそうなることを先生は先刻ご承知で印可書にしてくださったのね。「印可書だったら読めない日があったって、神さまに向き合ってる事になっていくよ」という大おまけですから。

 ただ「宇宙神ありがとうございます」を選びたい人は、そういう難しさ、「ありがとうございます」の十文字を選びたい人はそういう難しさですね。

 なんで「宇宙」をつけたかっていうと、「ありがとうございます」が「真(まこと)の神さまそのもの」といっても大きく受け取れない。で、「宇宙」ってつけたんだけれども、そしたら今度は、宇宙ってついたら、「それはあの銀河系宇宙ですか」とかね、「この太陽系の宇宙ですか」とかね、みたいな捉え方しかできないのね。質問にも来ないくらい、小さく受け止めて、みんな勝手に好き勝手に小さくて小さく受け止めてするからダメなの。

 それでその宇宙を小さくしか受け止めらないから、先生は手振りでね、大きく受け止める方法を示されたわけです。だけど、それをまず先生から直接聞いた人が責任重大でね、どんだけ真剣に先生の言うことを信じて、聞けたか、になる。責めて言うてるんちゃうけどね。 

 だけど、ほとんどの人は、自分っていうのがあって自尊心があって、「自分が真祈りできている」から入っているわけですよ。だから先生の言うことを真剣に受け止めきれない。だから手振りも止めちゃうわけです。

 色々ありましたけれども、印可書が今の印可書になって、残った、出た理由はそういうとこなんですね。もう本当に、やっぱり神さまの命で肉体が動いているわけです。護摩の時言いましたように、肉体を部分品だけで、したら、300円、400円いらないのね。鉄分とか塩分とかその辺のスーパーで買ってきたら、肉体の成分は買えるわけです。だけど400円ぐらいで買ってきたところで、肉体を作れないわけでしょう?神さまの命で肉体といえどもですよ。肉体を形づくってこの霊妙不可思議なね、肉体が作れるわけですよね。

 例えば骨というのはずっと生まれてから永遠に変わらないみたいに、みんな勘違いしていますけれども、骨を潰す細胞がまずあるんですね。古い骨を細胞が潰して行くの。で、その時に新しい骨の細胞を作る、潰す細胞と作る細胞が同時に働いて、骨も3ヶ月で入れ替わるんです。それぐらい霊妙不可思議な働きなんですね。にもかかわらず、みんなね、当たり前みたいに受け止めているから。この肉体を頂いて、してること自体が凄い事なんだけれども、「肉体は自分だ」と思っているから。

 だけど 本当に肉体が自分だったら、好きなときに死ねるはずや。生きたい人はいつまでも生きていけるはずや。でも自分のものと違うから、自分の思い通りにならないのにね。でも肉体は自分だって、勘違いしている。その大きな勘違いを気付かそうとして、色々と苦労するんだけど。でもやっぱり毎日のお仕事をね、「自分がしている」自分がしてる、肉体の自分がしている(と思いんでいるん)ですよ。

 だから例えば上役からね、たくさん仕事を押し付けられたら、「こんなたくさん仕事をしたら、しんどくて疲れるわ」とかね。疲れるのは自分じゃなくて、神さまの働きをどうしたかだけなのにね。疲れるというのは神さまの働きを受け損なったぶんだけ疲れるんです。たったそれだけなのにね。「たくさん働いたから疲れた」ってみんな言うわけ。言うたぶんだけ現実を掴んでね、神さまの命を受け損なって病気をなっていくの。

 だから「疲労が重なると病気になる」って言うでしょう?で、「疲労が、過労で倒れた」とかね、言いますけれども、それは肉体の自分がどうこうしている、と勘違いして、神さまの命を受け損なったからですよ。

 だって先生この村に上がる前も、ここに上がってこられてからでもね、もう作業の先頭に立って誰よりもよく働かれたの。古い人は知ってるはずです。それを見てね、自分もそうしようと思った人がいない。そこが問題なんです。それで比較的新しい人は先生がそうされてるのをあんまり見ていないから、よけい分からないですけどね。

 どっちにしても、その先生は山をね、全力でかけ上るようなことはされてないんです。ひたむきに淡々と一瞬一瞬新たに休まず休まずに、動き続けられたわけです。だからそれがね、みんな分からないのね。例えば先生は寝るときでも、ほとんど寝ないのね。ちょっと寝てはもう 神さまに起こされてお祈りするわけです。

 皆さんには言わなかったけど僕には厳しくて、(先生は僕には)「布団来て寝るな」と、「服のまま寝ろ」「いつもごろ寝でおれ」。何故かと言うとちょっと寝てると神さま「起きて祈れ」ていうわけ。それパジャマ着て布団被っていたらね、夏はいいですよ、冬なんか寒くて出来ないでしょう?だから冬ほど、もうぐっと着込んで、その状態でごろっと寝て、あと起きてという繰り返しなんですけれども。それ位本来の真祈りっていうのは神さまから来る命の響っていうのはね、肉体側の都合ではないんです。本当はそれぐらい(きびしいものなんです。でも僕にとってははげしいも、厳しくもないんだけれども、そういうもんなんですね。 

 だから、それを先生は別の表現で「人の10倍働きなさい」とかっていう、色んな表現されて下さったわけですけどね、みんな「人の10倍働きなさい」って言われて、古い人ほど耳にタコができるぐらい聞いているのに、10倍働こうと、全力尽くした人はいない。それは10倍働くっていうのは山を全力で走って駆け抜け登ることだと勘違いしたから。それで走り疲れて息切れして「私には無理」ってなった。

 そうじゃなくて「ひたむきに淡々と」なんですけどね。そこはまあ、今はもうそんな働く働かないじゃなくって、もうひたむきに淡々と印可書を奉読っていう事で大おまけになっているから、皆さんは楽ですよ。でも昔はそういう時代だったわけです。質問があったらどうぞ。

質問者:ひたむきと一生懸命と真剣の違い。

河上さん:どれも一緒の意味なんですけれども、何がどこでどう狂うかというと、みんな生まれてからこのかたね、結果で評価する世界に住んでいるわけです。ね?だから、結果が出ないと駄目だと思っているわけです。それで結果を出そうとして無茶をする。それで器用で体力のある人はね、少々無茶をしても結果を出していってるわけですよ。だから成功する。でも体力がなくて不器用を選んで生まれてきた人は、結果を出せないのね。それで自分はダメだって、また自分を否定して駄目になっちゃうの。いうところです。

 で、ひたむきも一生懸命も淡々とも、その結果を掴まなければ分かる。でも今の世界ってね、「結果を出してお金儲けをした人がえらい」てなってるわけね。だから「お金持ちは偉い」ってなってるわけですよ。そこをこう、まず、だから現実を無視とかね、いろんな説明をさせてもらうんだけれども、結局みんな結果をつかむ癖から逃れないのね。

 だから「東大いった人が偉くて、大学いけない人は駄目だ」という風な言い方するじゃないですか?「あの人は学歴がないからだめだ」とかね、それは結果をつかんでいるわけです。 

 この世の事のどうこうじゃなくて、ひたむきに淡々と神さまだけを思ってしていたらね。結果出る出ないにかかわらず、だから「一瞬一瞬新た」なの。「一瞬一瞬新た」っていうことは結果を掴んでいる暇はない。分かります?結果を掴むいうのは「一瞬一瞬新」じゃなくて、こうしたからこういう結果、こうなったってするわけね。で、そのフィードバックで動くとしんどくなる。

 でも「一瞬一瞬新た」だったら結果を掴んでる暇がないから、ひたむきに淡々と神さまを思って動くだけ。それだったら分かりますか?。

 その(むかし)先生がされていたことが、どういうことだったのか。(一瞬一瞬新たに受けなおして結果を掴まない、気にしない)たったそれだけなんですけど、なかなか結果を掴む癖から無意識にね、逃げれないんですよ。

 だから例えば沢山、ややこしい仕事を頼まれたらね、「わっ、そんなん難しくて出來へんわ」とか「そんなんしんどくて出來へんわ」とかみんな思うのは、それをした結果掴むからですよ。

 「 結果を出さなくっちゃ」と思うから動き取れなくなる。でもまず生まれてね、小学校入ってね、成績から始まるわけでしょう?結果をつかむことをまず教えられるわけやからね。「成績悪かったらダメや」なるわけでしょう?或いは宿題を出されたと。「宿題をしてこなかった」という結果があるから「宿題せいへんやつダメだ」とかね、なるわけですね。もうそこに尽きるんだけれども、なかなか、どう言うたらいいんかな?「一瞬一瞬新た」が分からないと、やっぱり無意識に結果を掴みます。

 だから「一瞬一瞬新た」を何とかしなくてはいけない。でも「一瞬一瞬新た」っていうのはもう実感でね、理屈では「一瞬一瞬新た」に受けたらええんやなで終わりですよ。でも受けれないでしょう?理屈では無理なんです。なぜなら理屈っていうのは原因と結果で判断するから、結局は理屈で言った時は結果を掴んでるわけです。「一瞬一瞬新たに受け直す」っていう結果を掴もうとして、「一瞬一瞬新た」に受け直すという結果がないのにね。結果を掴もうとするから、「あー、一瞬一瞬新たなんやなー」で終わる。

 それでその「一瞬一瞬新た」のとこをなんとか分かってもらおうということで、印可書を出しました。それも最初の印可書を読みにくいということで、光を弱めた新しいのを出しています。で、もちろん元の印可書を読めるようになったらそれだけで十分です。後はその印可書を読んでいる時は「一瞬一瞬新た」なんです。ほんなら(それなら)印可書を淡々とを奉読するごとにね、「一瞬一瞬新た」が実感できるわけ。

 なぜかと言ったら「宇宙神ありがとうございます」と違って長いでしょ、あれ。結果を気にしている暇がない。そういう凄さなの。先生がもう命とね、引き換えに作られたものですから、だから「一瞬一瞬新た」なところを分かって頂きたいだけど、それを分かろうと思うと、淡々と印可書を奉読していただくと、実感できます。

 だから印可書を奉読している時は本心の自分としているよ。本心の自分というのは「一瞬一瞬新た」に受け直すから、本心の自分です。

 結果を掴んだらもうそれは虚の自分なんです。

 「真(まこと)の本心の自分というのは、真の本心の自分は真(まこと)の神さま」って言ってね。それ要するに「一瞬一瞬新た」だからです。真(まこと)の神さまは「一瞬一瞬新た」に新しい真(まこと)の神さまでしょう?そしたら真(まこと)の本心の自分も一瞬一瞬新たに新しい真(まこと)の本心のなんです。だから自由自在に必要な能力を発揮できるの。「一瞬一瞬新た」だから。でも掴んじゃったら、その掴んだの時の能力しかないから、どうしようもなくなる。

 でもそれも理屈で今説明したけど、印可書を奉読したら実感できます。で、出来るまでひたすら神さまに捧げてください印可書を。で、印可書を奉読といって神さまに捧げるからね、結果として自分という意識を神さまに投げ出せるの。神さまと向き合って神さまと投げ出すから一つになっていくんです。

 そうでしょう?恋人同士って「大好きよ」って言って自分なげ出しては抱き合うわけでしょう?で「大好きよ」って言ってキスをするわけでしょう?それって自分投げ出してるからできるね。分けたら「そんなん人のつばがなんか、嫌や」で、キスひとつできないね。そういう感じで投げ出すことが大事なんですけど、それを印可書奉読していたら投げ出せますので。神さまの方は投げ出してくれたら一瞬で抱き寄せてくれるので、印可書を奉読している時は「一瞬一瞬新た」が実感できる。

 その実感の感覚がね、この虚の世界はずれてくるから、「なんかそんなん河上さん言うけど、印可書を奉読してもピンとけえへんわ」でいいんです。後で来るから。だって例えば、ご飯食べてもそうでしょう?満腹感で後から来るわけすよ。若い人と年寄りとそのズレが大きいですけれども、それでも「腹八分目で置いとけ」って昔から言うのは、腹八分目の時は満腹なんです。でももうちょっと食べたい欲しいっていうて食べると、食べ過ぎて苦しいわっていうでしょ?それは満腹じゃなくて食べ過ぎているの。それぐらい食べる事でも、結果は後から来る。

 ならば真(まこと)の本心の自分という実感もね、後から来ますから、それを信じていてください。だから必ず、これ以上簡単に悟れる方法はない。「これでどうじゃ」っていうぐらい、先生が最後の最後で作ってくださったものなのですので、それでやってみてください。

令和5年1月河上さん勉強会−2(20230108)

河上さん:「宇宙神ありがとうございます」でやる方はね、どの手振りでも良いですから、ひたすら手振りを添えた方が良いです。手振りを添えたら、ちゃんと手振りの説明のとこに先生は真(まこと)の神さまは、一瞬一瞬新ただから一瞬も途切らしてはいけないということを言われているわけですよ。でもそれを受け取って聴いた方は、理屈で文章に起こしておられるので、読んでもみんなピンとこないだけです。

 でも理屈で文章を起こしてても、真(まこと)の神さまは、一瞬一瞬新ただから途切らすなという内容にはなっています。でもそれをもっと理屈抜きにズバッと行かなあかんのですけど、文章にする、説明する難しさですけどね。だから「宇宙神ありがとうございます」は今度(手振りすると)途切れないんですよ。だから凄いの。

 でもそれをみんな、これでやって、1回終わって、また始まるって勘違いしてるの。呼吸って途切ってないでしょう?吐いたから終わって新たに吸うじゃなくて、ひたすら循環してるでしょう?一大循環なんですけど。肉体人間の呼吸といえども一大循環なんですけど。「宇宙神ありがとうございます」の手振りは、その一大循環を体に表した、という事は宇宙神ってどんなんやろうって考えてる暇がないように先生は持っていかれたの。

 だから、もし「宇宙神ありがとうございます」で行く時はひたすら振ってください。振って振って振ってください。ここ(目の高さ)から宇宙神始まりなんですけど、それ何でかっていったら、一瞬一瞬新ただからなんですね。色々ありますけども、どう説明しても、みんなの意識がずれるから、ずれた分だけまたずらして、合わせて、手振りがどんどん変わったんです。

 本当は素直に「はい」でね、やってくれたら、最初の手振りで完結するんだけどね、みんな勝手に又、先生を信じきれない、本当にこんな面白い格好していいのかっていうのが、みんな無意識に横切るのね。 

 そしたら、最初の形が面白い格好ってなったから、次の形、またそれも面白い格好になったから、次の形って本当に先生は苦労されるんだけど、みんな先生の心がわからない。先生、あの頃は、ちょっと口、言葉が不自由になっておられたから、「ちょっと先生ボケてんのと違うか?」っていう人もいるしね、もう滅茶苦茶になっていったわけです。

 で、その中で、またもう1回「印可書」に戻すということでなっていますけど、もちろん「宇宙神ありがとうございます」も、どの時の手振りも生きていますから、どれもこれも利用してやってみてください。

 「印可書」しかダメじゃないんですよ。そこはわかって下さい。「印可書」しかダメっていったらもう偽物なんです。先生が出されたものは全て自由自在で必要なことばっかりです。だから「天之(あめの)造化主尊(ぞうかぬしのみこと)、産霊聖霊(さんれいせいれい)、守り給え、幸枝へ(さきはえ)給え(たまえ)」もずっと循環してるんですけど、生きてるんですけど、古いのは余計にみんなわからないから、その古いのは横に置いといて、もう「ありがとうございます」は横に置いといて、新しい「宇宙神ありがとうございます」と手振りと「印可書」でやってみてください。色々と先生が苦労された結果、それが1番やりやすいだろうということで出されたものばかりですので、よろしくお願いします。

質問:一瞬一瞬新たにという部分を分かるには、途切れない真祈りが必要だという話だと思うんですけど、たとえ大おまけの「印可書」であっても、やはり途切れずに唱えることが必要なのでしょうか?

河上さん:いや、違います。「印可書」の凄さはそこなんです。例えば「宇宙神ありがとうございます」だったら、先生が亡くなられた最初の護摩で説明させてもらったように、真祈りって難しいよねって。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せましょうねって軽く簡単に説明したんですけど、呼吸に乗せるという事は「宇宙神ありがとうございます」を途切らせたらダメなんです。例えば呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せようと思うとどうなるかというと、「宇宙神ありがとうございます」という日本語の奥の響きをつかまないとダメなんです。それが分かると呼吸をしているだけ「宇宙神ありがとうございます」って響かすことができるんですよ。

質問:それは言霊ということですか?

河上さん:言霊よりもっと深いですね。神さまの響きです。言霊といったら、この世に出てきたものですから、そういう感じで行くんだけども、「よし、そしたらやってみよう」ってね1ヵ月でも、せめてね、僕からしたら、せめて1ヵ月位はしてくれやって思ったんですけど、1ヵ月頑張ろうと、やろうとした人がいない。本当は1ヵ月何とか呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せようと思うとすごい悩むの。悩むから、「あんたそんなこというけど、無理や」って聞きに来てくれなアカンねんけど、誰もそこまでしてないから聞きにも来ない。

 色々あって、結局、「印可書」に戻っていったんだけどね。それだけです。一瞬一瞬新たをね途切れない、理屈でいうと途切れないんですよ。でも例えばね、太陽を途切れなく光ってるって言うか?

質問:表現として?

河上さん:うん。言わないでしょう?もう輝いてるで終わりでしょう?だから一瞬一瞬新たというのは、輝いているということなんです。でも、理屈で考えたら、途切れなくどうこうとかね、要するに、原因と結果、だから、この手振りがね、初めと終わりがないんだよっていうのがみんな分からないね。この手振りは輝いている姿。只々、それだけやね。

 だけど、みんな、ここから始まってここで終わって、またここから始まってここで終わって、要するに「宇宙神ありがとうございます」で1回終わって、また「宇宙神ありがとうございます」で1回終わってって勘違いするわけ。そこは説明のしようがない微妙なとこなので、先生は手振りの仕方を変えたり、色々苦労されたんだけど、誰も真剣に先生の言う事を聞かない。それは何故かといったら虚栄心でね、自分は真祈り出来てるってみんな勘違いしてたから。「私ら真祈りできてるから、わざわざこんなしなくていいわ」っていうのが無意識にどこかにちょっとあるのね。あるから真剣に手振りできなかった。それでも護摩の始まりから終わりまでずっと手振りしてくれたら、たった3回の護摩だけで成功したのに、1回で終わっちゃった。護摩の最初から最後まで「宇宙神ありがとうございます」で手振りするのは1回で終わって、次の月からはなくなっちゃった。実に残念なことなんですけど、もう色々あるけど、人類の意識がそこまでなんだということでね、じゃあそれに合わせて、神さまはどの形をとっても救い取ろうとしてきますから(今が)あるわけです。

 先生の方からは、手振りを止めたことはないんですけど、そんなんも済んだ事なんでどうでも良い事です。でも、今でも手振りは生きていますからね、今言ったように、途切れないんだというのを分かってやってみてください。すると、手振りしてない時も手振りしてる自分が分かるね。ここやね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せてても、「宇宙神ありがとうございます」を言わなくても呼吸に乗ってくるのが分かる。或いは、手振りを「宇宙神ありがとうございます」をやってるでしょう。すると、手振りしてないのに、手振りしてる自分が分かるというとこまで行かなくちゃいけないんだけど、この答えを先にいうとね、またみんな狂うから中々言えなかったけど、いよいよ本当に最後で時間切れなので答えを言ってますけどね。

 それは「印可書」の奉読も一緒なんですよ。「印可書」を奉読してるうちにね、「印可書」を奉読してないんだけど、「印可書」そのものに自分がなってるのが分かる。「印可書」を奉読という間は神さまと自分が分かれているというか、結果をつかんでるわけですよ。もう結果もつかまないくらい神さまと渾然一体となることが大事なの。

 それは「印可書」を通そうが、「宇宙神ありがとうございます」を通そうが、「ありがとうございます」であろうが、「世界人類が平和でありますように」であろうが、「天の造化主の命・・」も全部一緒なんですよ。でもその混然一体のとこまでみんなしてくれないだけ。

 ただ「印可書」はね、力んで「読むんだ、読むんだ、読むんだ」ってしなくても淡々と1日1回でも、読めない日があっても良いから、淡々とやっていたら、それに行き着くようにしてあるから凄いって言ってるだけ。

 「宇宙神ありがとうございます」だったらもう命をかけて、それを信じ切ってね、これしかないと信じ切って、とことん行くしかないんですよ。それは先生が竹刀を一万回振りなさいという時にね、「もう一万回振るしかないんだ」って信じ切って振ったからいけるんで、信じ切れない人は途中でやめてしまう。綱引きも一緒です。どれもこれも先生がやれという事は、全部悟りにつながる道だったのに、本当に。もう済んだ事はいい。今は先生が、皆がやり易い事を残してくれたんだから、それを選んでやってみてください。

質問:すると、ひたむきさというところでいうと、昔からそういったように竹刀を一万回振るんだっていう位の真剣さを求められたけども、大おまけの「印可書」であれば…。

河上さん:力まずに淡々と読み続けていたら、忙しくて読めない日はそれでいいんだってわかったら。

質問:たった1回であろうとも、ひたむきさがあれば…

河上さん:1回で悟れるよ。でも皆無いから、1回で実感が湧かなかった時は、ひたむきさがまだまだだったんだと思ってやったらいい。只、それをひたむきにせなアカンから、24時間ね、ひたすら「印可書」を唱え続けるんだっていったら、もうそれは違うの。何故かというと、ひたむきやから24時間唱え続けるんだというとこには自分が入っている。

 「印可書」の場合は特にね、神さまが必要で読ませてくれるから、自分が選びとったら。自由意志で「印可書」選びとったら、必要で読ませてくれるから、読めない日があっても気にならない。その凄さなんです。

 中々みんなね、自分が入ってることに気づかないわけよ。だから一生懸命するんだって。要するに、山登りに一生懸命やとか、ひた向きやとか言うとね、全力で走って登ろうとするのは、自分の一生懸命さを結果として見せたいから走って登ろうとするの。神さまと渾然一体となったら、自由自在に、でも淡々と登れるわけ。

 要するに、体力のある人は、早足で登るし、体力のない人は一歩一歩着実に上るし。千里の道も一歩からっていうでしょう。一歩一歩着実に行くだけでいいの。でも結果を掴んだら、「あの人、もう1000歩も行ってるのに、私まだ20歩だわ」てなっちゃうわけ。比較した途端に崩れるの。だから(比較して自分と他人を分けて比べたら)「自分が」が入っているの。それだけやねんけどな。

 それだけやねんけど、「自分が」っていうとこが、自分で「自分が」が入っていることに気づかないわけよ。結果をつかんでいる間は。結果をつかむから「自分が」が出るんやけどな。要するに、自分と他人を分けるなって、いろんな表現するけどね。

 要するに、自分と他人を分けるなっていう事は、結果をつかんで比較するなや。比較するから、優秀な人は、だから、「先生だったらできるけど、私らだったら無理だ」って昔の人は言ったの。「河上さんだからするけど、私ら無理や」っていうわけ。

 それで先生は「お前は来るな」っていうわけ。「お前きたら余計にみんなやる気なくすから」みたいに言われてね。それで全然来なくなったら「それはあかん」って言われて、月一回の勉強会をしてくださったんですけども。

 要するに、先生は、病気治しをされて、真祈りしてね。僕も真祈りして、病気に治しした。それ以降、後(誰も)出ないわけですよ。すると、それでは困るから「お前もうちょっと隠れとけ」ってなったわけ。病気治し1つできずに真祈りしてるって言ってる人を見たら、せせら笑ってるという(と少し意味が違うけど)、か、アホらしいみたいな感じやってんけどね。

 それは何故かといったら、病気治しという簡単な表現で言いますけど、相手のマイナスを一切背負って消し切るということです。大変なことやで。

 だけど何か病気治しが自慢みたいにみんな勘違いしてるからね。それくらい自分があるわけ。

 自分が病気を治すんと違うからね。神さまが良いようにされるだけ。その結果、治る場合もあるし、治らない場合もあるわけ。だから相手に気づかれないように黙って祈り続けろっていうのが最初だったのね。今は全部自分だと思って祈れって、もう時間切れですから、どんどん答えを言っているだけ。それで大体分かる。どこか分からん?

質問:大丈夫です。ありがとうございます。

河上さん:大丈夫?ありがとうございます。

 その渾然一体というとこがね、理屈で言った途端に分けて考えるからわからなくなる。だからあなたの場合だったらね、囲炉裏を作りなさいっていうのは何かといったら、囲炉裏をすると(部屋のすべてに)灰が一杯溜まるの。毎日毎日ひたすら灰が溜まるから、毎日毎日ひたすら拭き掃除をせなあかん。その結果、実感できるの。それで囲炉裏囲炉裏って言うだけど、中々分からへんね。そういうもんやね。

 みんな自分という意識があるから、責めて言ってるのと違うで、自分という意識があるから、どうしても自分の都合で考えてやっちゃうわけ、中々。だから先生は色んな人に色んな事を言われるんだけど、それを素直に「はい」って実践し切った人はいない。ある人には、何日とは言わないけど、朝の3時から6時までひたすら3時間ここへ祈りに来いって仰ったわけ。そしたらそれだけで悟れたわけ。なのに、みんな途中で頓挫する。先生を信じ切ってないから。先生が祈りに来いといったら来なあかん。また来れる立場の人やから。でも途中でガソリン代が高いとかね、こんなんしてて何になるんやっていらん思いが入って崩れる。 

 僕も宮野さんも最後のバックアップで、本来ここに座る立場ではなくて、先生は色んな人に先生の後をさせようとして苦労するんだけど、みんな受け損ねていくだけやってん。それで最後のバックアップが出てきただけでね。だからちょっとやり方が荒くたくて申し訳ない。もうちょっと皆さんに沿ってゆっくりいかなアカンねんけどね、どんどん時間切れになってくるので仕方ないですけど。

 只、ここの立場に立つと大変で、あまり説明がね、前のとこ(結果が出る前)の説明はできるけども、具体的な結果は言えないんです。言うと、言った時点で決まってしまうから。

 先生もそうだったんです。具体的に「あなたそんなんしてたらこうなりますよ、あなたそんなんしてたら病気になりますよ」とは言えないわけです。「あなたそんなことしてたら病気になりますよ」って言った時点で、その人が病気になってしまうからね。だから「そんなことせずにこうしたらどう」って仰るわけ。それを受け取れずに病気になっていくんだけどね。もう中々大変なのね。

 説明がね。今一、「それやったら最後まで結果言ってくれたら」ってみんなよくいうんだけど、結果を言った時点で決まるからね、僕の立場は。だから言えない。だから「地震はどこで起こるんですか?」(であそこです)って言ったら終わりだから言えない。「ミサイルどこに落ちるんですか?」って、言ったら終わりだから言えない。で、落ちるとも落ちないとも分からないで止めとくしかない、みたいなね。

 でも今は「印可書」があるからね、皆さんひたむきにひたすら淡々と自分で選びとって「印可書」奉読していただいたら大丈夫です。

 中々すぐに結果が出ないからね、みんな不安になっちゃう。でも、結果が出ないというのは自分があるから。結果を気にするというのはね。「こんなんしてて大丈夫やろか?」っていう時はもう結果をつかんでるの。現実をつかんでるの。だから悟れない。

 だから別の言い方でね、神さまが1番良いようにしてるっていうんだけど、一番良いようにしてるという、また1番良いようにという言葉の結果をつかんで、また一瞬一瞬新たに受け直さないから、色々と説明するんだけど、どう言ってもこうなるんかみたいなとこはあるけどね。

 でもそれは生まれてきて、学校行って、成績でランク付けされてね、結果を掴む癖を植え付けられてるから仕方がない。責めて言ってるのと違うからね。そういう癖の中で生きてきたんだから、どうしても結果をつかもうとする。良い悪いじゃない。

 基本は神さまの絶対の愛を信じきるだけなので。神さまの絶対の愛を信じきるというのは、一瞬一瞬新たに神さまが輝いてるだけというのが信じ切れたら文句は無いね。でも、輝いてるって言ったってみんな分からないから、色んな表現しますけどね。輝いているというのが一瞬一瞬新たやね。でも輝いてるをちょっと説明するのに一瞬一瞬新たっていうと、その一瞬一瞬のまた結果どうこうってなるしな、説明するというのは既に微妙にずれているわけ。 

 今が1番良いようになっているというのも微妙にずれるわけ。でも大事なとこは一瞬一瞬新たやね。でもそこは理屈では説明のしようがない。それを「印可書」で分かるように先生がしてくださった。今までは、手振りするとかね、色々あったけど、どれも、やっぱりみんなにとっては途中で疑問が湧いてやりかねることばっかりやってね。「印可書」は疑問の沸きようのないように、自覚は後から出るよとかね、事細かく疑問が出ないように叩き潰してあるんやけどね。

 それでも自分の自由意志で選んでなかったら、もう謎だらけで疑問が湧いてあんなん読めない。

 自分の責任で選び取ったからとことん、ある意味結果が出るまでやってみようって頑張れるので。人に言われてやったらすぐに途中でやめる。だけど大概ね、人に言われたってみんな聞かないね。「印可書」読めって言ったって聞かへんって。自由意志で選ぶしかないって。

 そんな人に言われていうこと聞くんやったらな、例えば肥満の人なんていないって。「そんな食べたら太り過ぎて病気になるから食べたらあかんよ」って言って(その人が)聞いたら終いや。

 誰も聞かないね。食べたい人は食べて肥えるね。自分を縛っているのは自分。誰もあなたを縛っていません。

質問:一瞬一瞬新たが分かるまで「印可書」を奉読し続けるという事でよろしいですか?

河上さん:もう言葉にするとどんどんずれるんだけどね、例えば一瞬一瞬新たが分かるまでじゃないね。すでにみんな一瞬一瞬新たなこと、要するに既にみんな真(まこと)の神さまだけやね。

 自分で縛っている縛りを解くだけでね、分かるじゃなくて解くだけやね。一瞬一瞬新たを分かろうとしている間は自分が残るの。

 だから、渾然一体とか微妙な表現を使うのはね、どうこうじゃないね。そのままスパッと神さまそのものの自分が、だから、悟りを開くというんだけど、本来花として持ってるわけね。それがパッと開くの。開くのは何故かというと既にあるから。一瞬一瞬新たが分かるという間はね、無いものを分かろうとしているから無いものしか出ないね。分かるかな?だから禅問答にあるでしょう。

 例えば、「隻手の声を聞け」っていうのね。片手の拍手(かしわで)の音を聞けっていうのね。拍手って両手がないと打てないでしょう?なのに隻手の声、片腕の柏手の音を聞けって禅問答であるんだけど。それって何かといったら、既に音は鳴り響いてるんだよと。すでに仏性はあるんだよという事なんですよ。それを、無いものを分かろうとしているお前はアホかということをね、片手で(打つ)、拍手の音を聞けってぶつけるわけ。

 そう言われた方は「片手で拍手なんて絶対不可能なのに、なんで音が聞こえるんやろう?」って理屈言っている間はダメで、「はい」って言った時に「あっ、既に鳴り響いてるんや」って。既にみんな真(まこと)の神さまそのものなんだっていうのが分かる。

 だから禅問答もなかなか面白いんだけど、あれを理屈で考えたら何を言ってるのか分からないね。例えば、「糞かきベラこれ仏なり」っていうわけですよ。要するに、トイレットペーパーが御仏だっていうのね。それも理屈で考えたら何やろうってなるけどね、でも本当は新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分であるしね。別の言い方でいうと、例えば、体内にうんこがあるうちは汚いって思わないでしょう?それを出してお尻に付いているうんこを糞かきベラ、要するにトイレットペーパーで拭くわけでしょう?拭く時はまだ拭けるわけ。だけど、例えば、今やったら水洗便所でしょう。水洗便所の便器にうんこがこびりつく時があるじゃないですか、流しても流れない時。それをトイレットペーパーで拭きに行く時にね、抵抗感がない人っていないと思う。おしりやったら拭けるのに、便器の自分のうんこを拭きに行く時、ちょっと抵抗感があるわけや。

 それくらいね分隔てる意識というのは問題やね。自分という意識なんですけどね。分けて考える意識があったら全部受けれないの。分なくなるために「印可書」奉読があるだけで。「印可書」奉読して分かろうといううちは分けてるわけ。で、分けたら最後やね。その分ける意識は、結果を気にする意識なんですけど。分けるから結果を気になるんで、分けなかったら結果も糞もないわけよ。神さまの命が輝いているだけで終わりやね。

 どう輝くかは神さま次第。大きく輝くか、前言ったようにね、ロウソクの光で輝くか、線香の光で輝くか、どの光も必要やって言ったでしょう?大きくも小さくも必要な光として輝くだけであって結果やないね。結果だけで見たらサーチライトの光が1番良いわけや。小さいペンライトの光なんかどうでもいいね。だけど輝いてるね。それって分けてないから。サーチライトとペンライトを分けたらおかしくなる。全部一緒やね。1つやね、命やね。響し方だけみたいなね、ことなんですけど、こうやって理屈だけでいうと微妙にずれるんだけどね。でもちょっと今説明の仕方を変えてみたんですけど、どうですか?

質問:質問してよかったです。

河上さん:ありがとうございます。

 良い質問ですよ、今のはね。どうしても自分というのが出ていることにみんな気づかない。結果を意識してることに気づかないくらい、結果を意識して生きてきた。

質問:先ほど手振りのお話がありまして、手振りを1回下に手がいった時に、それで1回っていうカウントがあったと思うんですけど、連続してやるにはどうすればよろしいか教えていただけますでしょうか。

河上さん:いや、呼吸の如くや。呼吸って吸った時が終わり、吐いた時で終わりって、終わりがないでしょう・そういう感じ。

質問:それを手振りっていうアクションで表現する時、どういうアクションになるんでしょうか?

河上さん:違う。どこからでもスタートやね、本当は。手振りをひたすらしてたらね、どこからでもスタートって分かるね。分かったら悟ってるね。だけど、要するに分けてね、スタートがここで、終わりがここでって分けているうちは分からないね。

質問:そしたら表現的には、今まで通りの手振りの表現でよろしいでしょうか?

河上さん:そうそう。意識の中でここで終わりとかね、ここから始まりとかね、言ってるうちはあかんわけ。手振りをひたむきにやってるとね、例えば1時間必死にやったら分かるわ。どこが始まるとかね、終わりとか考えてる余裕ないって。最初は、最初のここから、ここで「宇宙神ありがとうございます」ってね、その宇宙神も上げるな、下げるな、伸ばすなって先生が仰ったでしょう。それって途切らすなっていうことなんです。いう感じでね、まぁ先生なりにね、細かく説明してくださったんだけど、受ける方は、やっぱり結果を意識する自分という意識だから、どこがスタートとかね、手の角度はどうかね、指を伸ばしきれなあかんとか言ってるけど、最初はわざと条件をつけてそうさせるわけ。でも1時間やってたらね、もう伸ばし切ってるのも忘れるの。振ってるのも忘れる。要するにね、手振りを成功させようと思ったら、手振りを振ってるのを忘れてるんだけど、振ってる状態になったら本物なんですよ。そこまでひたむきにやった人がいないのね。

 それは竹刀の一万回もそうなんですよ。竹刀も一万回やろうと思って数えているうちは偽物なの。数える、自分も、数えきれなくなってな、邪魔くさくなってじゃなくて、なんか振ってるになっていくわけ。すると、「あっ、自分が振ってるんじゃなくて、神さまが振っている」という実感が湧いてきて、例えば竹刀でしたらね、素振りで悟れたんですよ。でも誰もそこまでしないから、今は手振りですけど。

 手振りもね、振ってるっていう意識がある時パッと消えます。消えたら悟りやね。だけど、それもやはり宇宙神の宇宙をね、どれだけ大きく受け止めるかやから、自分という意識がある間は、宇宙は小さいから手振りがしんどくなってくるね。しんどくなってくる間は偽物やね。しんどくならないの、本当は。だから、たかだか護摩の2時間位ね、平気で振れるはずやね。でも護摩やったら、あの護摩の会場で3ヶ月連続でやれたら、みんな悟れたから、こいつはいけると思ったんだけど、中々な、みんな自分の意識が強すぎる。
 
質問:ありがとうございます

質問:2点確認です。1点目なんですけども、身近な方で苦しんでる方とか、悩んでる方とかって、こうしたらいいのになって思う気持ちが湧いてくることが時々あるんですけども、時折余計な一言を言ってしまっている自分がいたりするんですけども、そこを本当にひたむきにどれだけ「印可書」を淡々と奉納できるかっていう処に徹していくということが…

河上さん:うん。だから一言言っても良いし言わなくても良いし、こうしたら良いなって思っても良いし、思わなくても良いしやけど。只、思った時とか、一言言った時ほどね、自分の中に取り込みやすいの。だから、わざわざいう必要はないよ。だけど、自然に出た時はそれでいいから、行った時は相手と1つになってるの。思った時は。そこで「印可書」奉読したらいいね。

 只、今説明したようにね、「印可書」奉読しきっていくとね、一瞬の「印可書」奉読になるね。呼吸に乗ってくるのよ。そうしたら、しめたものだけど、そこまで行けるようにする。それで、なんで、じゃあ「印可書」奉読してすぐに分かればいいのにね、中々みんな実感として湧かないかというと、わざとずらしている理由があるんです。それは何故かといったら、わざとずらすことによって、後の縁者が多く救われるの。そこが大事なの。

 要するに、実感として湧いたら自分の癖が消えるわけよ。それなら、その人に(後ろの縁者は)誰も寄り付けない。でも癖があるから、その癖のある後の、あちらの世界の縁者が寄り添って(聞くことができるから)「印可書」を演奏してもらえるからね。

 だから、色々と神さまは完璧にしてあるの。それを神さまが1番良いようにしてるんだけど、その辺の神さまが1番良いようにしてるという部分を、みんな自分に都合良く1番良いようにしてるって勘違いしてるからややこしいね。

 自分にどんなに不都合であろうが、何であろうが1番良いようになってるって掴まなかったら、要するに、結果を掴むから自分にとって不都合か、不都合でないかってなるのね。結果を掴まなかった「らどの形でも喜べるってなって、それが神さまが1番良いようにしてるという意味、一瞬一瞬新たの受け直しに入ってるわけ。それだけです。2点目どうぞ。


令和5年1月河上さん勉強会−3(20230108−3)

質問:私の中のひた向きさを徹底するために確認したいんですけど。勉強会とかで伺ったり、YouTubeとかを繰り返し聞いている、その時は印可書の方に意識を向けられているように思うんですけど、日常生活で仕事をしてする中で、何時のまにか気付かないうちに結果を求める気持ちになってしまって、どんどんズレて行ってるなって後で気付く事があるんです。

河上さん:でもズレないと後ろの人が寄り添えないから、わざとずらしている部分もあるの。

質問:ズレっぱなしになるのはやっぱり?

河上さん:それはそうやね。

質問:それはやっぱりお話を伺う中で、例えばお食事をする時は神さまと共にするとか、

河上さん:そうよ。神さまに気持ちを向けるっていうね、気持ちは絶対大事です。

質問:その中で自分の生活の中に取り入れられる事をとにかく意識して、行くっていう

河上さん:そうです。だからどうしても印可書読めない人は、みんなの見ていないとこでね、見てるところでやったら気違いって思われるからね「手振りしながら宇宙神ありがとうございます」ってやれば良いわけで、はい。

質問:教えて頂いた中でみじかに自分なりに、やっていけば?

河上さん:そうです。やっていけば良いです。ありがとうございます

質問:免許を取って50年近くになるんですけど、オカマ、追突されたんです。今まで初めてでショックで車ももう潰れてしまっているんです。

河上さん:怪我無かったの?

質問:怪我無かったんです二人とも、振り向いたら後ろの車がドンと、それも気付いたから良かった。その場所は事故も起こるですけど、信号で止まっているところに後ろから追突されて。その場所がお清めの場所になって

河上さん:勿論そうです。一番良い形で消えたっていう事です。

質問:その時に宇宙神ありがとうございますも印可書も唱える事が出来ない、ショックで出来なかった。

河上さん:ああそれで良いんよ。やっぱりみんな無意識に結果を掴んでいるから、その時にどうこうとかって時間軸を思うんですよ。ところが真(まこと)神さまって時間空間を越えているからね、印可書を奉読したら時空を超えてしまうの。だから印可書を読めない日が有っても大丈夫ですよっていうのは、その読む事によって時空を超えて響き渡るの。それが嬉しかったらどんどん読めば良いしね。事故に会った時とか仕事が忙しい時はね、印可書を忘れていても大丈夫なの。

 その忘れる事、或いは事故でフワーってなっている事を使ってね、後ろの人を救えるわけ。

 だから先生の様にズーっと響かせている人だけで全部お清めできるんだったら、先生で完結しているわけです。でも「後任せたよ」って皆さんにお任せになられたっていうのはね、そういう印可書を読もうとして忘れたとかね、或いは印可書要らないから宇宙神ありがとうございますとかいう色んな人が居るわけ、必要なの。

 その人でないと付けないの後ろの人が。後ろの人も色んな人が居るでしょう?だからそれぞれ必要で付いてくれるの。で、付かしといてからね、印可書を奉読するだけで間に合うから、大丈夫です。

質問:昔、店やっている時に、泥棒に何回も入られて、その時に先生に聞いた時に「ああ、良かったじゃあない。その泥棒さんが僕らに降りかかる災難をみんな持って行ってくれているのよ」って、で、今度の場合は後ろから追突されて、

河上さん:怪我無かったのが全てでしょう?普通鞭打ちで大変でしょう?車潰れるくらいだったら。

質問:もう、見た時にうえって言う位に潰れているんだけど。僕らの車の前と間隔開けていたんですよ。

河上さん:ああ、前まで行っていたんやね。

質問:もしも引っ付いていたら、もうノンストップで来られているから、何台も玉突きされているから、僕らだけで済んでいるから、「これは僕らが塵取りになったんかな?」と?

河上さん:そうそう、そうその通りです。

質問:その時に「ありがとうございます」とか言えなかった事がちょっと

河上さん:まあ、言えない方が良いっていうのも変な具合やけど、そういう人らの縁が背負うためには必要なの。そこですぐ言える人は先生じゃあないですか?でもそれだったら先生いらっしゃる時にね、全人類キレイにして終わる訳。終われないのは先生サーチライトやから、サーチライト当てたらその後ろに陰出来る、その陰の部分は皆に任せたよ。

 だから「皆が悟らないと悟りにならない」って先生が何時も仰っていたのはそういう事なの。その小さいペンライトが駄目じゃあないっていうのがね、サーチライトも小さいペンライトも同じなんだというのが分らないと。

 例えば道具でね、畑仕事で汚いところを触る時に手が汚れないように軍手するじゃあないですか?した軍手は捨てるじゃあないですか?洗い切れないやつはね?捨てるからダメじゃあないでしょう?神さまは必要に応じて必要な形を取られて行くだけなの。どの形も一番良い形に、その時に取ってね、一番良い形に持って行きますから、駄目だったことは一つもないの。だからいつも言うように「今が一番良いようになっている」っていう事なの。

 ただ、自分の都合から見たらね、その時に「ありがとうございます」を言えなかったからダメだとかね、それは思いますよ。それは自分の都合です。だから大丈夫。

 その時空を超える感覚が分かってくると、印可書がそのまま呼吸に乗ってくるとかね、動いてる状態が真祈りそのものっていうのが実感として湧いてきて、もっと楽になります。でも後ろの縁者の為にもうちょっと結果出さずに行ってて下さい。ありがとうございます

 結局ね、死ぬでしょう?死んだ世界は同じ映画を本当に何百回、何千回と繰り返す世界なんです。例えば死んで天国に行くでしょう?天国に行っても同じ天国を繰り返して見るの。それが辛くて皆この地上の人に寄って来るの。上の人も下の人も。だからこの地上の肉体で印可書を演奏してあげたら、一気に変わるからそれだけは分かっててください。

 ただ、縁者近づくためには事故にあって狼狽えて、印可書を読めない状態が必要なんです。そこですぐ読まれたら近づけないみたいなね、有りますから。はい。

 だからこの世が一番楽しい世界なの。一瞬先は闇って言うけどね、闇じゃあなくって結果が分らないから楽しんよ。どんな結果でも分かったらアホらしくていってられへん。同じ映画をね、何十回も見れないでしょう?結果が分かっていたら。それ位詰まらん事なの。

 分からないから楽しい。次どうなるかが楽しい。でもみんな結果を掴んでね、ああだこうだって言うし、まだ分らない宝くじを買って取らぬ狸の皮算用って楽しむんでしょう?あの宝くじも結果が分らないから買うんやで。結果分っていたら誰も買わない。(笑)

 で、みんなが自由意志で好きにするから良いんですよ。皆の好きにする癖の部分で後ろの縁者が付いてこれるのでね。だからここは宗教でないというのはね、こうしなさいっていう縛りが一切ないから。縛りが無いから後ろの縁者を救えるの。縛りが有ったら近づけない人が出て来るの。

 で、皆を導くんじゃあなくってね、自由意志で歩んでもらうようにしているでしょう?ここはね。こうだよって一切言わなくて、皆を引っ張らないのね。後ろから煽りますけど、印可書を選んでも、宇宙神って手振りしても良いでって煽るけど、選ぶのはみんな自分の責任で選ぶからね、そこが大事です。その責任で選ぶことが本当に必要なんです。

 で、迷った先祖をね、お金で救えることは無いですから。そんなんで救えるんだったら、大金持ちに頼んで、マイクロソフトのビルゲイツですか?頼んでお金出して貰ったら人類救えるけどね、そんなことは無い。お金でどうこうは無いです。それは宗教団体の組織維持の為の必要性であって人類の救済ではない。

 だって中世の時代に免罪符を売る訳でしょう?で、この免罪符を買ったら罪が消えるってみんな買ったんでしょう?そういうのみんな歴史で学んでね、あぁ、昔の人は阿呆やな免罪符を買ってるって言ってる自分がね、先祖供養やって金を払ってるの、一緒やって。言葉変えられたら分らなくなる。イエスはそんな事言ってないから。

質問:先程の現実をつい掴んでしまうって、その場ですぐに印可書を唱えられない時があるが、それも善しとの話。で、印可書を唱え続けなくっても良いっていう表現を敢えてして下さった時に、危機感というか、じゃあズーっと読まなくっても良いんだみたいな、サボり感みたいなが出ると怖いな?

河上さん:だから、読まなくてって言ったらね、もうそれは印可書選んでない。印可書は読まなくっちゃだけど、でも読み続けなくっちゃーって言ったら、又、それはヅレてる訳。そこだけやね。印可書を選びたいが有ったら良いの。

質問:そこがひたむきさっていう?自由意志で印可書を選ぼうというのが、

河上さん:自由意志で印可書を選ぼうというのが、ひたすら神さまにひたむきに向いているから。

 じゃあ、印可書読まなくても良いんだって言ったら、神さまに背中を向けるから崩れていくの。それが宇宙神ありがとうございますの場合は顕著なわけ。要するに具体的な説明になっていないからね、余計不安になって来て、こんなんやって大丈夫やろうかって思った途端に崩れるの。

 それは竹刀の一万回も一緒やね。結果どうなろうとも先生に任せ切ったから、とことん行こうって振ればいいのに、途中でね、こんなん竹刀一万回で悟れるんかホンマなんかいって、言った途端に全部今までの努力も全部水の泡になるの。もうそういう難しさ。

 でも印可書はひたむきに選び取ろうと、自分の責任で選び取ろうとしていたら、ひたむきに向ける形になるから一瞬一瞬新たになって行くよっていう凄いオマケなんです。ありがとうございます

質問:ありがとうございます

河上さん:だから真(まこと)の神さまはね、過去も未来も現在もないっていうね、今の一瞬だけっていう先生の表現になるわけでね。今の一瞬だけやから全ての全て。だから神は全ての全てって言うんですけどね。時空を超えるわけです。その時空を超えるところに自分の心を向けないとあかんからね、自由意志で。そこを理屈で言うとね、時空を超えたとこに向けるんやと思った途端に崩れるわけ。だから昔は説明がなかったわけ。竹刀一万回振りなさい、ひた向きに。理屈で言った途端に崩れるから。

 例えば「宇宙神ありがとうございますの手振り」でもね、もうひたすらやっていたら手がだるくって、挙がらないわけよ。その挙がらないのを超えてやったらプッと行くんやけど、中々みんなそこで頓挫するね。それも又、今度しましょうで、やれば良いのに、本当にこんなんしてて良いんやろうか?しんどいだけや!って思った途端に全部総崩れになるの。そういう難しさやね。

 でも印可書を出したら難しくって選んでくれへんから、手振りに一辺、一応されたけどな。「だれも僕を信じてくれへん」って先生嘆いてはった。ちょっとでも先生疑うから崩れるでしょう?本当にこんなんで大丈夫やろうかと思った時はね。

 先生の出されたものを疑うなんて。昔ここであったんですよ。ここで脳梗塞で倒れられて、体が動かんとなった時に、先生は「十日間水だけを飲んでいたら治ります」ってちゃんと仰った。

 でも本人も周りも、せめて周りだけでも「十日間水だけって頑張って、先生が言われているんだから」とも言わないし、本人もそれで頑張るとも言わないしで、今病院に入っておられますけどね。そういうもんで、先生が仰ったら、素直に「はい」でとことん行かんかいって僕は思うけどね、皆どっかで結果を掴んでいるからね。結果を掴んでいなかったら「とことん行ったれ」ってなるねんけど、結果を掴むと不安になるわな!そういう、要するに自分が在る訳。どうぞ。

質問:先程のお話しで、「私はお祈りが出来ている」っていうのは、虚栄心であって、過去には「私はお祈りが出来ていません」というのは卑下慢であるという事で、

河上さん:要するに私がってある間は全部結果掴むから、

質問:それはお祈りをしていた自分を評価しているっていう事ですね。

河上さん:そうそうそう、

質問:評価して結果を掴んでいるから、出来ている出来ていないっていう

河上さん:もうお祈りでない。今の一瞬だけで結果も糞もないのにな。

質問:はい。じゃあそのお祈りをしている状態、それが一瞬一瞬であれば、もうそれだけで良いというか、言葉にしずらいんですが、そういう事ですね?

河上さん:だからその指一本動かすのも真祈りだって分かるの。でも一瞬一瞬だっていうのが分らんかったら、いくら理屈でこうしてグー、チョキ、パって出している積りでも、神さまが動かしているんだっていうのが、理屈で何ぼ聞いても分かれへんわけ。今の一瞬やったら神さまの命しかないから、もう全部喜びや。

質問:お祈りをしている自分が在るっていうそれだけですよね?

河上さん:いや、在るもないの。もう輝きだけや。だから光の進軍や。その自分が在るとかね、自分からどうこうとかね、無いね。だからそこまでひたむきにね、印可書でも手振りでも良いんだけど、そこまでひたむきにしてくれないと分かれへん。ただ、印可書の場合はわざと結果を送らして、後ろの人が沢山救われるようにしているからね、もうちょっとみんな辛抱してねってお願いしています。

 でも手振りはそうじゃあなくって、ひた向きに突っ込むしかない。本当は護摩の会場で全員が手振りしてね、最初から最後までやってみたいんだけど、まだ手振りに対してもみんな色々あるし、まだ時期が早いだけ。

質問:はい、ありがとうございます

河上さん:兎に角、自分やね。自分というのは結局、自分と他人を分けている意識でしょう?それがちょっとでもあるから。なんで分けるかといったら結果を気にするから。全部自分やったら結果も糞もない。だけど全部自分も一瞬一瞬だけやって分かったら輝きになるんだけどね。

 全部自分やって言いながら時間軸があるうちはまだまだ自分や、自ずと分けているだけや。光って分けれないでしょう?輝いているだけや。分けようがないのに分けようとして、苦しむのみんな。

 だから輝いているだけやから、この肉体の指一本動かすんでも神さまが動かしているって分かるの。だけどちょっとでも時間軸付けた途端にな、自分が動かしているのに何で、自分の自由意思で指を曲げようとしているだけやのに、何で神さまが動かしているのってなるの。

 時間軸付けた途端に自分が出ると思って下さい。良い?ありがとうございます

質問:1点確認なんですけども、自分から真(まこと)の神さまに近づいていく、真(まこと)の神さまに意識を向けるっていう事が、

河上さん:向けるだけで良いの。近づくも糞もないの、向けるだけで一瞬で終わる。

質問:それは余計な意識?

河上さん:いや、向けるという意識は要ります。だからどういう事かと言ったら、具体的な形で説明したら、「太陽眩しいわ」って背中を向けているのが今の普通の人の状態です。「あぁ、太陽暖かいはわ、嬉しいわ」って言っているのが神さまに向けている状態です。その違いです。

 で、太陽にわざわざ向かおうと思わなくても、光が来てて一つでしょう?っていう感じが実感で分かるようになってきます。この世の太陽と言えどもね。

質問:基本というか、自分では何も出来ない。印可書を淡々と奉納するというのが一番大切と思っていて。

河上さん:それで良いです。

質問:先生の、河上さんのYouTubeとかを聞いていると、それでも自分から真(まこと)の神さまに意識を向けるという事が

河上さん:そう。神さまに意識を向けるって具体的にどうかと言ったら、褒め称える事なんです。「神さまって凄い、全知全能で凄い凄い」ってね。でも凄い凄いって言ったって褒めた感じにならないでしょう?神さまを褒め称えるって物凄く難しい訳ですよ。でも印可書を奉読したら神さまを褒め称える事になるの。だって印可書は真(まこと)の神さまそのものだから、ね。だから印可書がオマケが出るわけです。

 普通の人が、例えば「神さま凄い、全知全能で凄い」って言ってもね、その人の受け取った全知全能、その人の受け取った凄いで、所詮小さい訳ですよ。でも印可書を自由意志で選び取ったら、もう無限の彼方で、そこに書いてあるでしょう?無限の彼方をそのまま選び取った事になるから、一瞬で変わって行くの。

 ただ、一瞬で変わらすとね、変わらない人が拗ねるしね、焦るしね、本当はもう変わった人もあるんだけど、わざと自覚をずらして、ずらすお陰で多くの縁者を響かせるしという事でなってるから、もうちょっと辛抱して奉読して下さい。ありがとうございます
 
質問:ありがとうございます
 
宮野さん:確認ですけど、今響きを取った感じで言いますと、神さまの方を向いていたいし、真祈り奉納もしたいし、使って頂きたいという思いは一杯あるにも関わらず、日々の事に追われてしまって、ハッと気が付いたらもう一日が大半過ぎてしまっていて、ふと寝る時とか、若しくは一人になった時に、「あー、今日は自分は何もお祈りできてなかった」と悔やんでいるけども、神さまに使って頂きたいという自分は本当にここにいるのに。という懺悔のような思いの方が、

河上さん:だからその懺悔を出したままで奉読して頂いたら良いだけで。何故かというと、向こうの世界の人でそういう人が一杯いるわけです。そういう人らはその人でないと救えない、という事なんです。だからどういう思いが湧いてきても良いから、選び取れるときに印可書を奉読して頂いたら大丈夫です。そしたら充分、仕事に夢中になっている時もちゃんと神さまは使って下さる。その仕事に夢中になっている時間、印可書を忘れている時間の分だけ、印可書を選び取れない向こうの縁者が、あなたの縁者がどんどん肉体に入るの。

 肉体というのは先生の言う一つの宇宙船ですから。で、搭乗人員が一杯になった時に奉読するだけで大丈夫ですから。で、しょっちゅう奉読する人は、そういう奉読のできる縁の人が寄ってくると思って下さい。奉読できない時は出来ない縁が寄ってくるから、それで良いんですよ。ただ、自分の自由意志で選び取って神さま向いていたら大丈夫です。
 
宮野さん:だからといって自分がしたい事ばかり呆(ほう)けてる。「あー、お祈りしなくて良いんだ」みたいな感じではないですね?

河上さん:そうそう、お祈りしなくて良いんだーって言った途端に、神さまに背中向けているからね、崩れるわけで。お祈りしなくて良いんだと思っても、やっぱり神さまって思ってしなくっちゃってやって、して貰ったら良いです。その辺はひた向きに神さまに向き合えるかどうかだけです。

 その向き合える時間の長さはね、結果だから関係ないの、本当は。本当は一瞬で決まっているから。真(まこと)の神さまは一瞬一瞬新に時空を超えた存在ですからね。只、時空を超えた存在を理解できない縁者たちに理解さす為に、皆さんの色んな癖を使っています。だからこんな私で駄目だって思う必要はない、印可書を選んでいる限りは。
 
質問:護摩炊きの後で、音楽を演奏するとかっていう動きがありまして、私も興味があって、

河上さん:音楽?

質問:音楽とか合唱とか

宮野さん:奉納の事違う?

質問:はい、奉納だと思うんですけど

河上さん:護摩の会場でっていう事?

質問:護摩の終わった後に

河上さん:ああ、こっちで?

質問:はい、興味がありまして、私も今年からちょっと参加させて頂こうかなとか思ったりもしているんですけども、もともとそういう音楽の才能がおありの方々がここには沢山いらっしゃると思うんですけど、そういう方々は元々そういう持ち味がおありなので、全然普通に出来られると思うんですけど、そういう者じゃあない者たちが一緒にする時には、どうゆう風な心構えで参加させて貰ったら宜しいか・

河上さん:いや、一緒に出来へんて。向こうが嫌がる。だって不協和音が出るからね。(笑)だからこの歌でなくちゃあいけないっていうのがね、囚われなんですよ。だから音楽が出来る人で、3度音ずらして合唱出来る人とかね、普通は僕らは上のパートを歌ってくれって言われても、下のパート誰か歌ってたら、それに引きずられて落ちて来るわけよ。分かる?音楽できない人は。

 音楽できる人はハモリ音(ハーモニー→和音)が分るから、下のパート歌ってる人に合わせて、自分が上のパートを歌って3度のハモリを出して、綺麗なっていう和声(わせい)って言うんですけど、が分るから楽しめるけどね。僕らは音楽苦手やと分かれへんですよ。分かれへん人はそんな難しいとこ参加せんでも良いね。それこそ此処でカラオケ大会したら良いね。(笑)

 カラオケセットを持ってきてね、カラオケ大会をするだけで奉納になるの。だから音楽苦手な人はカラオケしたら良いの、歌謡曲で良いの。どの歌謡曲でも全て神さま響きに繋がっているから。

質問:分かりました。そしたらそういう活動をされている方の応援をしたいなっていうのがありまして、そういう場所に行って聞きに行ったりとかそういう事は全然良いんですね?

河上さん:そうそう、だから自分のできる事をしたらいいんで、出来ない事をしようとするからややこしいし、又、しなさいって強制されるのもおかしいし、しなくちゃあって自分を強制するのもおかしい。自由意志で喜び勇んでする事をしたら良い。

質問:ありがとうございます

宮野さん:強制でなく、お誘い「やりませんか?」っていうのは?

河上さん:お誘いされたって「私ハモレないから無理」って言ったら終い。実際僕でも無理やから断る。

宮野さん:別にする事に対しては別に悪い事ではないですね?

河上さん:する事は良いよ。でもそういう高度な合唱コーラスする人は、そういう能力というかスキルが要るからね、ある人がやれば良い。

宮野さん:色々あって良いっていう事でしょう?そういう本格的なものもあれば、

河上さん:(もちろん、そうよ、できる人はすごいことすればいい、でも)音楽が苦手でもね、カラオケは出来るじゃあない?だから歌でしたいんだったらカラオケでしたら良いわけで、大カラオケ大会をしたって大丈夫なの。(笑)それをカラオケやから歌謡曲やからダメっていうのもおかしいの。神さまに捧げるっていう気持ちでここでする分には内容は関係ない。それは人をけなすような歌があったらそれはおかしいけどね、普通けなすような歌は歌謡曲で残らへんわね。大概、恋の歌でしょう?

宮野さん:ノーコメントやな、それ。恋の歌でしょうって言われても。

河上さん:大体、恋の歌が一番流行るん違う?

宮野さん:そんな事無いん違うか?今どきのは結構言葉的にマイナスの歌詞だったりするの多いいからね、流行ってるの。

河上さん:最近の?ああそうなんや。

宮野さん:びっくりするような、死ぬって言葉が結構入っていたりする歌詞もあるから。

河上さん:まあ、昔でも「俺は河原の枯れすすき」とかね、悲しい歌もあったから、それは。

宮野さん:知ってる人少ないと思うよ。(笑)

河上さん:あんまり長生きしたらあかんからな。(笑)早く引退します。

宮野さん:R75かさ、出るかもしれない。


令和5年1月河上さん勉強会−4(20230108−4)

質問:奉納ということを思えば、悲しい曲とか、良くない言葉の曲とかを奉納したくならないと思うんですが?

河上さん:そうです。神さまは喜びそのものやからね。あんまり悲しい曲を歌う気にはならないと思うよ。寂しい曲とかね、失恋の曲とか。歌わないと思う。

質問:はい、ありがとうございます。(会場から笑い声)

河上さん:えらいウケた。

宮野さん:ウケたウケた。

質問:ないとは思うんですが、それ(悲しい曲等)を歌いたくなってしまう時というのがあるとすれば…

河上さん:その時は歌った後、印可書を奉読したら良い。

質問:はい。

河上さん:そういうことなの。そういう歌にしか付いて来れない人もあるからね。良い悪いはないんよ。ただ、わざわざ、そればっかり選んでどうこうするっていうのはね。要するに「良い悪いはないから、じゃあ悲しい歌ばっかり歌っても大丈夫やな。」って言ったら、もうそれは違うわけ。そういう部分。なかなか、理屈で説明しにくいんだけどね。

宮野さん:ちなみに、先程の、その悲しい歌を歌った後に印可書を奉読したらいいやん、っていうのは、実際、現実的に奉納で歌を歌いました、そこで心の中で印可書を自分で個人的にするのか…

河上さん:そうです。個人的にしたら良いです。

宮野さん:あ、そう?そこで印可書を唱えるわけじゃないですよね(笑)

河上さん:わざわざしなくて良いです。はい。せっかくカラオケで盛り上げってるのに水差すやん。誰か大画面のカラオケセット持ってきたりして。

質問:本格的ですね。

河上さん:本格的に。生ビール出さなならんな(笑)違うか。

質問:あの、先程の話で、じゃあ、悲しい歌とか、本当にそんな歌ばっかりを続けて歌うことがあったとしても、自分を責めることなくて、そういう歌に付いて来る人がいるからっていうことで、歌いたくなったらで…

河上さん:そうよ。そうです。ただね、歌にのめり込むようでは、自分が捕まってるからね。

質問:のめり込む?

河上さん:要するに神さまを忘れてしまったらって。悲しい歌でもね、神さまが必要で作られた歌です。どれもこれもね。だから、神さまを忘れて、要するに神さまを知らん人が勝手に作ったんやと思うようでは。要するに、作曲というのは必ず神さまの響きを受けて曲ができるんでね。

 勝手にできるものではない。だから、ある程度、過去世でお祈りした人がね、作曲家になるわけ、それだけですよ。だから、誰も作曲できないでしょう?できる人って生まれついてできるわけだけど、それはそういう部分です。だから、良い悪いはないのね。

 ただ、もう悲しい悲しいだけにのめり込んでね、いたら困るんで、表現として。だから色んな明るい絵、暗い絵ってあるじゃないですか?でも表現としてしただけで、後は印可書に戻れば良いということです。

質問:じゃあ、そういった悲しい歌を何曲か、まあ何曲も歌わないでしょうけど、歌った後は、「あ、こういうのが必要なんだな。」って思って、その後に印可書…

河上さん:そうです。そりゃプロの歌手になるとね、歌の心を相手に伝えたいというひたすらな願いで歌いはるから、悲しい歌を歌ったら本当に悲しみに浸って歌いはるわけですよ。せやけど、普通はそこまでね、歌に心を映してまで歌えるほどうまい人はいないからね。大丈夫です。

質問:はい。わかりました。じゃあ、まあ、あのまーた。(笑)

河上さん:だから美空ひばりさんがね、色んな歌を歌われるわけですけど、悲しい歌を歌われたら後はね、運命が悪化するのね。それは本当に歌と一心になって歌われるからです。でも、もちろん、その歌と一心になって歌ってもね、印可書に戻れたら大丈夫なんですけど。

質問:ありがとうございます。

宮野さん:ちなみに今回、奉納でのカラオケという話になりましたけども、普通一般的に奉納じゃなくて、カラオケを楽しみにきましたっていう中での場合も同じですか?

河上さん:同じです。はい。ただ、ここでする奉納の時にね、こうでなくちゃいけないっていう縛りが出ないように、どのパターンも大丈夫ですということ。だから音楽のスキルのある人がね、綺麗な合唱を歌われても良いし、そのスキルのない人は無理やからね。やっぱり下のパートを歌われたら、上のパートが歌えても引っ張られるもん。僕もそうやけど。そんな人はそこに参加したらややこしくなるからね。それだけです。良い悪いじゃない。

 やっぱりコーラスの人はね、綺麗に表現したいと思ってるからね。邪魔しに行ったらあかん。

宮野さん:でも、大概、色々と音程に問題ある方は、本人は邪魔するという気はないと思うんですけど。

河上さん:いや、そりゃそうよ。邪魔する気はないけど。向こうが「あんたズレてる。」って言ったらやっぱり邪魔してることになるやん。

宮野さん:ズレてるとも思ってへんと思うで?

河上さん:いやいや、本人は思えへんけど、周り、スキルのある人が言ったら、それは「はい。」って言って邪魔せんようにしたらいいだけやんか。そんなん、音程ズレてるのすら僕ら気付かんやん。好きに歌ってるやん。

質問:歌だけじゃなくて、ハンドベルも最近…

河上さん:うん、いや別に何したって良いねんで。せやけど、どうしても苦手なとこはね、無理に参加して邪魔することないよって言ってんの。ハンドベルなんかリズム感ないと無理やからね。リズム感が要るやん。いつ自分が振るかで必死で待ってて、遅れたり速かったりするんや。あれリズム感があるから合うの。(笑)

宮野さん:でも、前上手に…

河上さん:ウケすぎやし(笑)むちゃくちゃ緊張するやろう?リズム感なかったら?

質問:そうですね(笑)今か今かと。

河上さん:今か今かとな。

質問:フライングしてしまったり。

河上さん:なるやろ?リズム感がなかったらそういうもんよ。それは良い悪いじゃないって。だから譜面を読める人読めない人が良い悪いじゃないでしょう?譜面を見ただけでメロディがパッと浮かぶ人はすごいなと思うけど。僕ら譜面を見たって分からない。

宮野さん:だから色々があって良いんですね。

河上さん:そうそう、色々があって良いわけよ。その色々が要るの。

宮野さん:上手に歌う方もあれば、踊られる方もあるしってことですね。

河上さん:そうそう。下手くそに踊る人もあれば、や。だから、盆踊りがすごいのはね、上手な人も下手な人も混ざって踊れるようにしてあるでしょう?それであの子下手やとは言えへんやん。みんなが、上手い人も下手な人も盆踊りって楽しめるやん。だから盆踊りがすごい供養になるの。あっちで踊りの下手な人も上手い人も、一緒にその踊ってる人に参加できてね。それで盆踊りや。

宮野さん:おついでで聞いてよろしいんですけど、盆踊りの時って向こうから本当に帰ってきてはるんですか?

河上さん:うん、物凄い。

宮野さん:だそうです。

河上さん:だから、一緒にね、踊って楽しんであげて、あとは印可書を奉読してあげたら完璧よ。

(会場から「ふーん」と納得の声)

宮野さん:今日、一番、「ふーん」って入って来られた(笑)

河上さん:だから、死んで、まだまだエッチしたいなっって思ってる人がどんどん寄って来るからね、盆踊りの時に縁ができて結婚する人が多いの。

(再び、会場から「ふーん」と納得の声)

宮野さん:(笑)

河上さん:ウケすぎ。

宮野さん:いやいや、すごい。みんなほら、その前までのお話の時はさ、シーンとしてるのに、今回は、「ふーん」って(笑)。

河上さん:ええやんか、心に響き渡ってんから。

質問:すみません。繰り返しの確認になるんですけれども。自分の癖、自分っていうのはないんですけれども。例えば、自分にとって好ましくないと思うような癖、例えば拗ねるとか、誰かを責めるとか、あとは生真面目すぎるとか、色んな癖があると思うんですけども。喜びとか、あとは嬉しい気持ちとかっていうのが、まったく涌いて来なくても、印可書っていうのは全ての全てなので、それをこう唱えることで、あの、捧げてるというか、そういうことになるということで来るので、全然自分の癖が、色んな癖が出ても、

河上さん:大丈夫なの。

質問:印可書を安心して唱えておけばいい…

河上さん:うん、どういうことかと言うとね、この世の喜び、この世の悲しみ、この世の怒りというのは、全部時空列の結果なの。こういうことがあって嬉しい、こういうことがあって悲しい、こういうことがあって腹立つ、な。時空列の結果、要するに映画や。こういう筋書きにして結果こうしましょうという映画に自分が乗ってるだけよ。もう、ただそれだけなの。そしたら印可書は、まあ言ったら、時空を超えてるから、そのすべてに一瞬で引き合うわけ。

 いつも真(まこと)の世界を本に例えてるでしょう?図書館に。みんな真(まこと)の世界の図書館にいてて、好きな本を選んで読んで楽しんでるだけよ。でも、その本の中には原因も結果も全部書いてあるわけね。それで、それが終わったらパッとたたんで戻すだけでしょう?それが印可書奉読です。そしたら一瞬で光一元に戻るわけ。

 光一元だけやったら、なんて言うんかな、こう、起伏がなくてもっと楽しみたいっていう時にね、わざと陰影を付けて楽しむのに、するだけなんですね。それがこの現世(うつしよ)の世界。だからこの現世の世界が必要あるかないかといったら、必要で現れてるのを知ってください。全然必要でないんじゃなくて。只々、図書館の本としてね、この現世が、今のこの地球の現世も一冊の本としてあるわけです。で、いよいよ最終ページに来てるんだけどね。それだけで。

 で、その本を戻すか戻さないかだけで。戻せずに、固まってしまってる人がたくさんいてるから、先生の働きがあるわけです。戻せずに固まってどうしようもない人ばっかりになってしまったらね、まあ言ったら、粘土で肉体を表してるとしたら、一ぺん一つの粘土にまとめて、もう一ぺん捏ね直してね、新たに作るということにするんですよ。それが、いわゆる、ムーの、ムー大陸の沈没だったりとかね、ノアの洪水とかいうのはそういうことなんです。それを何べんも繰り返してたけども、「今回は人類の方で真祈りしますから、もうちょっと待ってください。」って先生が真(まこと)の神さまとお願いになられてね、真(まこと)の神さまと相談されて、具体的には、真(まこと)の神さまが地球霊王さまとして現れた時なんですけども。働きとしてね、

 働きとして現れている地球霊王さまと相談されて待ってもらっている状態です。でもいよいよ時間が切れてきたんで、ということです。

質問:ありがとうございます。

河上さん:ありがとうございます。

質問:ありがとうございます。今回、コロナになったんですけど。免疫が落ちてるからなったんだとしたら。河上さんが、印可書奉納してたら、そういう、(コロナに)ならないって。こう、周りの人も、だから自分も読もうって思われるっていうのに、なんか(自分がコロナに)なっちゃって、説得力がなくなっちゃったなーって思ったりも…(笑)

河上さん:あのね、ちょっと糖質、うどんとかごはんとかパンとかを摂り過ぎたのね、まず。

質問:あれ(血糖値センサー)を付けてるんで私、そんなに上げてないと思いますけど…

河上さん:血糖値の問題とは別にあるねんな。それでその、いわゆる何でも満遍なく食べるのが大事で。繊維質だけでもダメやしとかね、タンパクだけでもダメやしとかあるねんけど、その中で、ちょっと調子崩した時はね、「わかもと」とかビオフェルミンを飲んでください。そしたら、戻せるし免疫力が上がります。ただ、わかもとやビオフェルミンに頼るようになったらあかん。

宮野さん:エビオス。

河上さん:あ、エビオスか。エビオスに頼るってなったらいかんのでね。ただ、神さまの命がこの薬を通してって思って飲んで頂いたら、早く戻ります。ちょっと疲労困憊で疲れ果てたんよ。忙しすぎたんや。

宮野さん:猫の世話(笑)

河上さん:自分では忙しいとも思わんかったんやろうけど。普段以上にちょっとその、使い込んだんやね。

質問:なった時に不安とか、そういうのはなかったんですけど。

河上さん:ただね、コロナという判断する方法がね、すごい不安定なんで、実際のコロナかどうかは微妙なの。ただ、そんなん言ってたらキリがないから、一応陽性が出たら全部コロナっていうことにして、今は処理してるだけです。

質問:ありがとうございます。

宮野さん:コロナじゃなかったと思うよ?

質問:あ、そうですか。

宮野さん:単なる風邪。

河上さん:でね、風邪ひきはね、筋肉が硬直して体が大変な状態になるのを防ぐために風邪ひきにして筋肉を緩めるために熱を出したり咳だったりします。だから風邪ひき自身の症状が良い悪いじゃない。神さまが良いようにして体を治してきてるの。そうならないためには、普段からストレッチしたりね、真祈り体操したりして体を緩めとく、お風呂入ったりとかね。色々自分にとって体を伸ばす方法を心がけてて。それであと、食べ物が、食べる時間が不定期でしょう?不定期な人はやっぱり、わかもとか…

宮野さん:エビオス。

河上さん:エビオスを飲んでみてください。

宮野さん:ちなみにさっきの、混乱を招くと思いますので、一応確認ですけれども、(河上さんが)「わかもとやビオフェルミン」って言った後に、私がエビオスって言いましたでしょう?

河上さん:わかもとかエビオスやね。

宮野さん:わかもととエビオスは同じ種類になりますけど、ビオフェルミンは違いますね?

河上さん:そうです。ちょっと違う。

宮野さん:ちょっと違う。乳酸菌系ですよね。整腸剤系。

河上さん:わかもとかエビオスにして。

宮野さん:そう。

河上さん:特に食事が不定期な人はね、小腸のバランスを崩しやすいから飲まれたら良いと思います。でもそれに頼るんじゃなくて、神さまの命がそれを通して、っていう風に受け取らないと、そのわかもと自身の力も発揮しきれなくなります。要するに「わかもとを飲んでたらいいんやろう?」っていうのは「印可書を読んでたらいいんやろう?」と言ってるようなものです。

宮野さん:あの、なんだったっけ、真祈り体操で首の周りの筋肉をほぐすのに有効的な所はどこでしょうか?どの状態がよろしいでしょうか。

河上さん:あれ、真祈り体操まだ全部ね、しないうちになんでね。もうちょっと僕の体が調子良くなったら。

宮野さん:つまり見切り発車をしてると。

河上さん:見切り発車してるのね。もうちょっと調子が良くなったらちゃんとしようしようと言いつつ、ずっと不調なんで申し訳ない。で、不調な上に色々と仕事が重なって大変なんでね。ちょっと機械の大修理が入ったり色々あって申し訳ないです。

宮野さん:じゃあ、また、完成版まで

河上さん:また芸人さんにちゃんと教えて、演じて頂きます。違うか(笑)

質問:真祈り体操ではないんですけども、首の動きということで一番最初に教えてもらった…

宮野さん:これ?(体操の振りをしながら)

質問:はいはい。これはあの、首の動きに…

河上さん:そうです。あれをして頂いたら良いねんけど、みんなしてくれへんからね。それで真祈り体操の中に入れようと思ってるの。

質問:良いと思います。

河上さん:そうそう。誰もしてくれへん。

宮野さん:多分、この音声で聞いている人からしたら、これ、これだけでは分からないよね。

河上さん:護摩の時に教えたやつでしょう?

質問:一番最初の時に。

河上さん:あれは肩甲骨を伸ばしながら首の筋を伸ばすっていう一石二鳥で、本当はあれだけやって位で良いねんけどね。だけど、膝が弱ってきてる人もあるんで、全体的なものを作った。 

質問:最初に伺った時は、その、体の動きとともに、「宇宙神ありがとうございます」っていうお祈りの言葉を…

河上さん:そうよ。それが一番良いよ。そうだけど、そうしなくちゃいけないと言うと、また縛られちゃうからね、中々説明は微妙やね。みんな自由意志で好きにやったら良いからね。ただ、わざわざマイナスの言葉を乗せることはないけど。

質問:ありがとうございます。

宮野さん:ありがとうございます。

河上さん:例えば足が冷えるっていう冷え性の人なんかはね、足の指をグーパーすると良い。すると足の冷え性が治っていくの。そやけど、それだけって言ったら、中々出来ないからね、ちょっと真祈り体操に全部入れてしまおうと思って。

質問:真祈り体操の時のコツとして教えて貰った時に、足の…

河上さん:そうそう、足でグッと掴むようにって言ってるでしょう?あそこをもうちょっとちゃんと言って入れてしまおうと思ってます。

質問:ありがとうございます。

河上さん:ただ、普段でもね、車運転してる時とか、椅子に座ってる時とかの時は他からは見えないからね。足の指をグーパーすると、ひざの痛みとかあんなんは治っていきます。

宮野さん:車を運転してる時は怖いよ?

河上さん:ええ?だって左足余ってるもん。

宮野さん:いやいやいや。そんなことしてたら、後ろからゴンされるや。

河上さん:信号待ちの時は余ってるやん。

宮野さん:いやいやいや、油断大敵。まあ、暇があれば細目にやって下さいってことですね?

河上さん:はい。もちろん手の指もやけどね。

宮野さん:グーパーグーパー。

河上さん:いや、本当はもう、それをまた指を回すとかね、すればするほど良いんやけど、言い出したらキリがないから、とりあえず簡単に出来る事を。

宮野さん:一応、予定とすれば、どの辺いつ頃を予定されてます?

河上さん:いや、毎回その、深夜勉強会の時にしようしようとしながら、その時に限ってすごい調子悪いからね。

宮野さん:芸人さん通してしちゃえって?違う?

質問:それじゃなくて(笑)この、指の関節を動かしたり首も、先程もおっしゃって頂いたと思うんですけれども、その関節と関節の、骨と骨の間に空間を作って…

河上さん:そう。そこから光が通るからね、そうよ。

質問:指とかも…

河上さん:足の指のグーパーだって、こうしたら関節が開いたり閉じたりするでしょう?それで光が通るから。それで、筋伸ばしも一緒よ。筋を伸ばそうと思うと、こう曲げるじゃないですか、関節を。じゃあ、そこから隙間ができた所から光が通って来るんです。

質問:首と名の付くところは特に丁寧にやった方が良いんでしょうかね。首、手首、足首とか。

河上さん:そうそうそう。本当はね。でも、あんまり言うと縛りになるから、まあ真祈り体操ワンセットぐらいの中に全部入れてしまったら良いかなと思いつつ、撮影までいかないまま来てるの。

質問:なんか全部入れて頂くと、なんかすごい長いバージョンになってしまうな、と。

河上さん:いや、勿論そうよ。でも、全部長いバージョンにしといてね、あと好きな所をやったら良いわけで。でも一応一通り入れとかないと。まあな。キリがないやろ。

質問:はい。

河上さん:どこかでどこかでと思いつつ。

質問:よろしくお願いします。

宮野さん:よろしくお願いします。

河上さん:まあ、どれも合気道の技をかける時に編み出したものばっかりやねんけどね。それは昔からあるものもあるし、僕が気付いたものもあるしやねんけど。合気道というのはそういう形のものです。その「合気」っていうのが「すべては完璧なる一つ」という意味なの。でも普通は自分と他人を分けておいて相手に気を合わすから合気っていうみたいな勘違いがありますけど。だって漢字が合体の「合」でしょう?「合わす」じゃなくて「一つ」なんですけどね。
 聞きたいと思ってたことが消えていくやろう?どんどん光で清めていく。残念でした(笑)
 
 真祈りというのはもう、お清めそのものなんですよ。だから、みなさんが真祈り人となっていただいて、全人類のお清めをするんです。だけど、自分がお清めをすると思った途端に真祈りじゃなくなるのね。そこが一番大事なところや。

 その、自分という意識というのがね、ないつもりであるから大変。でも結果を気にしてる間はあると思ってください。あるいは時間を気にしてる、時空を気にしてる間はまだ自分がある。今の一瞬一瞬を常に神さまが良いようにしてるってなったら分かるんやけどね。色々な時空、流れがあって、その結果が一番良いようになってるって言ったらもう掴んでるの。「今が一番良いようになってる」の「今」というのは、「今の一瞬一瞬」を「今」っていうのであって、過去現在未来のことは言ってないんですけどね。今が一番良いようになってるという言葉はね。

 だけど、自分という意識があると、「今」っていうのは、この現世の現代のことやぐらいにしか受け取らないのね。それで、原因があって途中の経過があって結果があって、それも一番良かったんだってなっていくわけ。するとだんだん「じゃあ、何もしなくても一番良いようになるんやな。」みたいな勘違いになるわけ。中々、説明というのは難しいの。みんな言葉の意味の受け取り方が違うからね。まあ、ともかく一瞬一瞬新たな、今の一瞬の受け直しというところなんですけど、それは印可書奉読するしか実感しにくいとは思います。

 今から竹刀を1万回振るのでも構わへんですけどね。やりたい人は。手振りを何時間もしてみるというのも、やりたいという人は是非やってください。それで大丈夫です。ただ、大変よって思うだけです。

質問:ありがとうございます。今、一瞬一瞬新たに新たに、すごく良く分かるんですけれども、例えば、その一瞬一瞬新たに新たに、が同じことが、「あ、またや。あ、またや。」って、こう、繰り返されていることが目の前に起こったとしても、それは一瞬新たに新たに…

河上さん:そうです。そうです。ただみんなはね、その結果を評価して良かった悪かったって言うからややこしいの。例えば、エジソンさんが電球を発明する時にね、色んな材料を試してするわけでしょう?で、途中で結果を評価して気にしてたら、こんなにやったけどダメだから電球は作れないで終わりじゃないですか。でもめげずにするわけでしょう?それは一瞬一瞬新ただからよ。そういうものです。だから結果どうこうじゃないっていうね。

 だから一生かかって、うまくできなかったでも構わない。一瞬一瞬新たに喜び続けます。この世的に言ったら自分に与えられた制約された条件の中を、どれだけ生かし切れるかが楽しみでね。だから模型作りを楽しむ人ってそうでしょう?その材料の制約の中でいかに本物みたいな模型を作るかを楽しんではるわけで。極端に言ったらね、本物を縮小するだけだから、本物と同じ材料を全部使ったら同じものができるわけやん。それは面白くないねんな。鉄の船を、木を削ってね、それらしく見せて作るから楽しいんで。そういう制約があるから楽しい。

 質問がないから、ちょっと早いですけどお祈りして終わっていいですか?
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元日のお話 by 河上彰延 [Mail] 2023年01月04日(水) 18時46分
PC

令和5年新年河上さんお話し―前半(20230101−@)

河上さん:今年は卯の年ですのでね、分かりやすい様にうさぎという動物を例えていますけども、全てが動き出す年です。

特に時間切れですので、何が動き出すかというと、地球霊王様の御心が動き出します。地球霊王様の方は、もう時間切れということでね、マイナスの心を持った人間は落第っていうことになりました。

卯の字がそうなんですけど、四角い形から吹き出してるでしょう?「うー」の言霊ですから全てが動き出すわけです。生み出すとか、動くとか、産むって言って、膿が吹き出すわけでね。

 「うー」っていうのは全てがスタートするんですけども、それがもう全ての全てにおいて始まったわけです。地球霊王様が何を言っているかというと、「マイナスの心を持っている人間は落第だから要らない」と。要らないというより、それぞれ落第してそれぞれの新しい幼稚園に行ってもらうみたいな感じですね。

 具体的には、今のコロナのウィルスではなくて、もっと新しい病気が増えます。それはワクチンに反応するとか何に反応するじゃなくて、マイナスの心に反応します。だから皆さんが自分と他人を分けてね、「あいつは怠けている」とか色々あるじゃないですか、責める思いね。そういう思いに反応して起こります。マイナスの思いを起こすと、何が肉体的に起こるかというと、免疫力が落ちるんですね。

 免疫力が落ちるから病気になっちゃう。免疫力が落ちたら、ちょっとした風邪でも肺炎にかかって死ぬみたいな感じですね。そういう感じでバタバタと死んじゃうということです。脅かして言ってるんじゃなくて本当のことを言っています。だから本当に真祈りが大事なんですよ。

 で、真祈り人が元気でいてるから、みんな真祈りを真似する様になりますしね、皆さんがお手本になっていただくしかないんですけども、ともかく免疫力です。免疫力って具体的に体でいうと、便秘が始まったら免疫力が落ちてきていると思って下さい。だから免疫力だけです。

 免疫力は何があっても喜べる心があれば上がります。何があっても不満に思う心は免疫力が落ちます。それだけです。例えばコレラが流行った時でも同じ地域にいても、コレラにかかる人とかからない人がいたじゃないですか?それは免疫力の差なんです。

 その免疫力の差というのは、要するに自分と他人を分け隔てる意識がどれだけ少ないかにかかっているわけですね。自分の事は横に置いといて、みんなを助けようという心ですけど、それは小さな表現で、もっと大きくいうと真祈りです。

 「印可書」を奉読していただくことが1番です。理屈でいうとね、人を助けることが良いことじゃないかって思うわけですけども。人を助けるという意識の中にね、自分の家庭、自分がまず安泰だから、人を助けようという意識があるうちは駄目なんですよ。

 もう自分の事は全部捨て置いて、神さまの為に捧げるというのが大事なんですね。そこは理屈ではどうこう出来ない。そういう意識、要するに、自分と他人を分け隔てない意識ということなんですけども、そういう意識は何から起こるかというと、もう「印可書」奉読からしか湧き上がらす事は出来ません。

 だから「印可書」奉読を本当に今年はひたすら真剣にね、毎日が護摩だと思ってしてみて下さい。そうすれば分かります。

 それで本当に周りでバタバタと人が死んでいきます。ちょっとの風邪で肺炎になって死ぬとかね、ちょっとの熱で腎臓炎で死ぬとかね、いわゆる炎症系の病気で死んでいきます。お医者様の方は原因が分からなくて、もう四苦八苦です。今までの常識、要するに、医学的な常識も一切通用しない時代に入ったんですね。それくらい、要するに地球霊王様の体の1部なんですよ、この肉体というのは。

 その肉体を真祈りで、預かっていたらちゃんと動きますけども、真祈りで預からないという事は、がん細胞になるんです。人間の体でいうと、遺伝子情報をちゃんと受け取ってね、要するに、神さまの御心をちゃんと受け取ってやっているから、遺伝子情報がちゃんと伝わって健康なんですね。だけど、身勝手な事をすると、遺伝子情報がちゃんと伝わらずにがん細胞が起こってガンで死んじゃうわけ。それが地球霊王様の体から見たら、身勝手な人間が、がん細胞です。そのがん細胞は一旦捨てるみたいな感じになっちゃいましたのでね、もう待ったなしです。

 ですから、本当にバタバタと人が死ぬけども、それに心を惑わされずにね、ひたすら真祈りして下さい。どんな形でも神さまが1番良いようにしてるから。例えば、落第する方は、やっぱり落第したほうがより多くの進歩があるということで、落第するわけで、良い悪いでは無いんですよ。だから、「あの人は病気で死んだから駄目だった」、ではないというのをまず知っておいて下さい。でも、そういう落第する人を1人でも減らしたいから、皆さんの「印可書」奉読が要ります。

 今年は本当に卯の年ということで、本当に動き出しちゃうんですね。だから待った無しです。北朝鮮もどんどんミサイルを打っていますけども、皆さんの真祈り次第です。

 日本人も身勝手な心になったら、あのミサイルが日本に弾着するようになります。勿論、弾着する時は、核兵器が爆発して弾着します。具体的な場所もほぼ決まってますけども、ここでは言いませんけども、日本海側です。そういう感じでなっていますのでね、そうならない様にも。そうなると同時に地震も起こるし、火山も噴火するしでね、どんどん大変になって行きます。

 大変になって行く前になんとかしたいので、皆さんの「印可書」奉読次第です。そう大変にならない為に、地球霊王様の方は、病気で死なすみたいな感じです。戦争で死なすと恨みが残るじゃないですか?あと収まらないのね。でも病気で死んだら、「運が悪かったな」で済みますのでね。神さまの方は出来るだけマイナスの思いが湧き上がらない形をとってきますから、真祈りが無かったらどんどん病気で死ぬという形が来ます。

 ですから不用意に人混みに行かないように。わざわざ病気にうつりに行く事は無いですから。勿論、お仕事とか用事がある方は行かれて良いんですよ。でも用事もないのに人混みに行かないようにお願いします(笑)。それくらい、今度のウィルスはきついです。

 ウィルスというのはね、細菌と違って何が大変かというと、細菌は特定しやすいんですよ。これが例えばコレラ菌だって分かったら、それを持ってきてゼリーの上で培養できるわけです。培養したやつを動物実験とかに使って、これが病原菌だと。じゃあ、その病原菌に勝つ薬は何かということで簡単に開発できるわけですね。

 ところが、ウィルスは特定がものすごい難しいんです。いつも、多分これだろうという事を前提にワクチンを作るから当たらない。だから、インフルエンザのワクチンでもね、いまいち外れるでしょう。それは元の原因のウィルスを特定しきれないんですよ。何故かというと、ウィルスを人間の大きさに例えたら、人間の指紋は富士山より高いんです。それくらいウィルスって小さいものだから。

 もう一つ難しいのは、ウィルスはゼリーの上で培養できないんですよ。ウィルスは人間の腸でしか増えない。それは何故かというと、ウィルス自身が生物体じゃなくて、要するに、ウィルス自身は増殖する力を持ってないんですよ。人間の細胞に寄生して、人間の細胞の遺伝子情報をいじって新しいウィルスを放出させるだけなんですね。だから余計に、どのウィルスが悪さをしているかって分からない。

 それって逆に言いますとね、真祈りしていたらウィルスが変わるということです。遺伝子情報を触るとこというのは、神さまの御心に近いとこですから、真祈りしていたら変わるわけ。だからマイナスの心に反応してコロっと死んじゃう。マイナスの心を持っている人は、ウィルスがすぐに毒性に変わるという事。毒性というか遺伝子情報をいじりやすい。真祈りしていたら、マイナスのウィルスなんだけども、遺伝子情報をいじれなくなって無毒化しちゃうわけですね。もうそれだけです。

 本当に真祈りが、これほど大事な時代はないです。もうかつてない程色んな意味で時間切れで、直面していますけども、皆さん真祈り人の使命は重大なので、今年はよろしくお願いします。本当に色んな事が起こりますけどね、心を乱さずに、ひたすら「印可書」奉読して下さい。よろしくお願いします。ありがとうございます。

宮野さん:終わり?

河上さん:終わり。

宮野さん:では質問があれば。

質問:先日、源朝長という方のお墓に主人に連れて行ってもらいまして、源氏の流れの方なんだそうですね。その方の法要に12月28日に行かせていただいて、不思議な感じがしたんです。私が結婚して、9年前に松下先生にお会いして、支えあって生きて行きなさいと言われて、主人のとこへ嫁に行ったんですけども。その前に愛知県美浜町野間に朝長さんのお父さんが亡くなられたという場所があって、そのお父さんはどうやって亡くなられたと言ったら、そこまで落ちのべていたっていう事しか知らなかったんですけど。この度、朝長さんという方が、その人の息子さんという事が分かって、朝長さんは幾つでそうなったのかという事が気になったので聞きましたら、16歳で平治の乱で落ちのべてきて、延暦寺の辺りで、矢が足に刺さって、そこで果てて、もうこれ以上生き延びれないと言った時に、その義朝というお父さんが朝長という息子さんの首を介錯する。だから、お前はここで武士として、腹切りをして死んでくれということになって、そこで16歳の息子さんである朝長さんがなくなっておられるという、そういう所の法要に行かせてもらったんですけども。私は嫁に行く前に、お父さんのお墓に偶然、その愛知県の美浜町の野間という所へお墓の前で歌を唄わせてもらったに時に理由も無く涙がボロボロこぼれたんですね。なんでかなと思ってそのまま忘れていたら、この12月28日のその息子さん、16歳で切腹して武士の亡くなり方をした息子さんの法要に行かせていただいたっていう、この必然は何だったのかなと不思議な感じが、今覚えています。考えてみたら、今、分け隔てたらあかんていう話を聞いた時に、明日は我が身という言葉がありますでしょう?今はこの世の中、現代だけど、私がもし朝長さんという息子さんだったらどうしたんやろうなって、男とか女とか考えずに分け隔てせずに感じたら、やっぱりそういう時代に生きてたら、武士として腹を切って死ななあかんっていう時代があったんやな、気の毒な話やなと。またそこで12月28日に法要の席で歌わせていただいてて、またボロボロわけもなく、涙がこぼれたんですよ。だから分け隔てのない心を持つと、何か明日は我が身というふうに思えてくるんですね。そこら辺がちょっと私はよく分からないんですけど。時代が色々リンクしてるような、自身の中で。占いする人に言わせると、前世に何かあるんじゃないかとか、色々仰って下さるけども、カルマか何か知らないけど、何かそういうことを言われました、すみません。自分が何を質問したいかがよく解らないのですけど、不思議な事が有ったので、ちょっとお話ししたかっただけですけど。こうい事ってあるんですかね?

河上さん:例えばね、そのお腹切ったとこを誰も見ていないでしょう?伝承でしょう?

質問:お墓があるだけです。

河上さん:お墓があるだけでしょう。事実かどうかも分からないでしょう?

質問:作り話かもしれませんね。

河上さん:そうそうそう、この世界は虚の世界だから、本当に自分の目の前で見たこと以外はね、

質問:作られているんや、権力者によって。

河上さん:そうそう、常にね。だからその物語を自分の心の中に入れて楽しんでいるだけですよ、映画見ているようなもので。だから色々あるじゃあないですか?例えば、色んな大きい宗教団体でも教祖が女の人に手を出したとかね、よくあるじゃあないですか?でも本当にその現場を見た人はいないのね。

 それ本当か嘘か分からないでしょう?どんな時でもそうでしょう?現場見てないので分らないのにね、みんな勝手に噂を信じてね、楽しむわけ。でもその噂を信じて楽しむ分だけ自分がマイナスを掴んだから苦しむわけ。苦しんだだけ、例えば涙が出たりするだけです。

質問:私は涙出たけど悲しくはないんです。

河上さん:だからマイナスを掴んだ分だけ体に色んな反応が出て、涙で済んで良かったわけですよ。熱出したり、病気になったり、癌になったりみんなするのね。だから源(みなもと)っていう名前を頂くとね、それは大元は天皇陛下という皇室に繋がっているから源という名前が付くわけですけど、それだけ厳しいものがありましてね。それを噂で弄(もてあそ)ぶと、もっと大変な事になる訳です。

 どういう感じになるかというと、例えば、国産車に傷つけたってちょっとの弁償で済むわけでしょう?でも外車に傷つけると凄いお金掛かるじゃあないですか?そういう感じの事になるのでね、何事に於いても自分の目で見たこと以外はね、噂を信じちゃあだめなんですよ。

 その噂に乗ったら乗っただけ自分がマイナスを掴むの。で、掴んだ分だけ自分の運命を悪くするの。だから現実を掴む以上に噂を掴むっていうのは厳しいんでね、

質問:そういう事ですね?よく夫婦喧嘩になる時も噂話とかゲロゲロ話とか言わんといってって私よく怒るんですけど主人にね。するとこれは昔からの言い伝えやとか言われるんですけど。

河上さん:所詮は伝承でも何でも噂話だから、それに乗ると乗った分だけのマイナスを掴むの。掴んだら噂話だから離しにくいの。現実にあった事だったら、例えば本人に聞きに行ってね、「あんた本当に浮気したんか?」って聞くけどね。「俺してへんよ」言われたら、そのしてへん事を信じて上げなアカンでしょう?

質問:どちらかというと確認をする人間なんで、ほんとかどうかを。

河上さん:でも死んだ人だったら確認しようがないでしょう?だからもっと大変なの。

質問:分かりました。考え方の。ハイ。ありがとうございます

河上さん:ありがとうございます

質問:憑依と悪魔の囁きというのは同じような感じですか?

河上さん:同じです。だから憑依されるってみんないうじゃあないですか?要するに自分の本当にしたい事を憑依のせいにしているだけ。責任逃れしているだけ。

 だから極端な例で何時も言いますけど、人を殺して来いって言って人を殺しに行く人はね、やっぱり実際に殺してみたいからするわけですよ。本当に嫌だったらね、そんなん言われたってしないでしょう?

 それは現実の人間から囁かれても一緒だし、霊的なものから囁かれても一緒です。だから悪魔に取りつかれてどうとかね、憑依されてどうとか、あんなん嘘っぱち。

 自分がそうしたいからそうしただけ。そのきっかけをね、憑依の霊のせいとか、或いは教祖のせいとか、あの人に言われたからしたとか、詐欺でもそうでしょう?あの人に言われたから俺したんやっていうけど、したんはアンタやってね、今の世界だってそうでしょう?「あの人にそそのかれたから私詐欺働きました」って言ったところでね、詐欺働いた自分の罪は消えないじゃあないですか?

 そういう感じで、結局は自分がしただけ。ただそれを言い訳にしているだけですよ。皆ね、結構言い訳して生きているの。あの時あいつがあんなんしたから、俺はこんなん。

 要するに大きい会社だったら多いいんですよ。あの時あの上司に、あいつに足掬われたから、俺は出世出來んとこんなんしているんやって言い訳しているわけです。

 だけど本当はね、どんな状態に置かれたって、一瞬一瞬新たに生きていたらね、ちゃんとやって(生きて)行けるものなんですよ。

 例えば大きい会社でいうとね、そうして足掬われたんだったら、今風にいうと自分のスキル(力量、技術、腕前)をあげたら良いわけでしょう?よりもっと沢山の外国語を喋るようになるとか、より色んな勉強をしてスキル上げたら、その会社にしがみ付かなくても、そんな優秀な人は誰かが必ず拾ってくれるしね、拾ってくれなくても自分で会社起こせるわけでしょう?

 でもみんな努力するの嫌いだから言い訳して生きている訳ですよ。言い訳して生きているだけなんだけど、他人のせいにして生きている方が楽だからね、そうして生きちゃうの。それの一番極端な例が悪魔に付かれているとかね、憑依されているとかね、言うけどそれ違うから。 

 そこを上手く利用してね、今までの宗教はお金取るわけ。「悪魔祓いしてやろう」「先祖が取付いているから、先祖供養してへんから、そんな運命になるんや」と言って脅かす訳でしょう?

 例えば迷った先祖が居るとしましょう。迷った先祖がいて、それがその人に囁いてどうこうしてたとしてもね、囁かれてした方が悪いんであって、迷った先祖の方は悪くはない。向こうはボヤいていただけ。そのボヤキを聞いて一緒になってした方が悪い。只々、それに尽きるわけです。

 その辺がね、みんな人のせいにして生きているから、大なり小なり。誰かのせいにして生きている方が楽だから、色んな宗教に引っかかるの。で、幾らお金出したら祓ってあげようとかね、水子の霊がついているから、水子供養したらどうこうとかやってお金取るんでしょう?

 まだお金取らずにしてあげようという方がまだ本物でしょう。でも憑りつかれている事はないんでね、全部自分の方のやりたい、結局みんな自分のしたいようにしてるだけ。怠けたい人は怠けたい様にしているだけ。色々と理由を付けてもね。

 給料が安いから勉強出来なかったっていうんじゃあなくて、勉強したくないからしなかっただけ。「家が貧乏だから勉強出来なかった」っていうけどね。そんなもん言い訳に使っているだけで、本当にする人は貧乏でも何でもするじゃあない?金持ちでも勉強出来ない人は出来ない。一緒ですよ。

 要は言い訳をする事が一番自分の無責任さだっていう事に気付かなくちゃあいけないんだけど、みんな言い訳して生きるのね。「あーだったから、自分はこうだったから、周りのこれで仕方ない」それをやめないとどうしようもない。

 でもやめなさいって言っても癖で人のせいにして生きているの、みんな。癖なの、みんな。その癖治せるくらいだったら、苦労せえへんね。「無くて七癖」っていうけどね、みんな色んな癖がある訳。どうしてもこの甘いもん食べたいとかね、有るじゃあない?

 食べる方面の癖とかね、どの癖も利用して光に変えなくちゃあいけないから、印可書が出たわけですよ。今はその癖をどうこうしようなんてイジラずに、その癖を持ったまま印可書を奉読したら、その癖を持って苦しんでいる人の全てに光が行き渡るから、ひたすら印可書を奉読して下さい。お願いしています。ありがとうございます

 「無くて七癖」って言ってね、癖がある事が大事というか貴重なのね。中々そういう癖を持とうと思っても持てないからね、その癖を持っている事を通して光を通すというね、全ては完璧な一つに乗っとった大事な法則なんです。

 でも今までは分け隔てるから、自分はこんなしょうもないイジケの癖が有って駄目だとかね、妬みの癖が有って駄目だとかね、男好きで駄目だ、女好きで駄目だ、性欲が有って駄目だとかね、もう色々ある訳ですよ。どれもこれも良い悪いんじゃあないんだっていうのをね、「神さまが必要で現しているだけ」「神さまは不必要なものを一切現さないの」。

 だから皆さんの色んな癖も神さまが必要で持たしたの。「それを使って光を通してくれよ」だけなんですよ。それにまず気付いてください。そしたら一気に楽になるから。
 ただこの癖駄目だから何とかしようと思うと、どうしようもなくなる。何故かというと、本来無いものなんですね。無いものをこういう癖という形で楽しんで持って来ているから、無いものを掴んでしまうと身動き取れなくなるんです。

 例えば野球のバットで野球する時にホームランを打つでしょう?で、何ぼ(いくら)練習しても打てない人は打てないね。で、打てる人は打てるんですよ。

 それ何が違うかと言ったら、過去世からの色んな縁、その人の練習の差なんですけど。要するに自由自在にバットを振れる人はホームランを打てるわけですよ。

 でも「ボールを打たなくっちゃあ」って掴んでしまうともう打てなくなるの。只、それだけなんですけど、理屈で言ったらね。理屈で言って、そうだからって例えば、誰もがプロゴルファーに成れない、誰もがプロ野球選手に成れないってあるじゃあないですか?

 理屈では誰もがなれるわけです。でも何で成れる人と成れない人が有るかと言ったら、それぞれ自分の役割を選んで、自分の好きな役割を選んできたから。それを癖って言います。

 その好きな役割をね、折角好きで選んで持って来たんだから、イジラズにそれを使って印可書を奉読して下さい。それだけで全ては一気に変わります。だから印可書を奉読する人が増えたら、あっという間に世界平和実現して、あっという間に変わるんです。

 そうなるとこの地球に90億の人口が有ったってね、大丈夫なんです。何故かというと、神さまは90億の人口が有っても必要な食べ物を与えて下さるのね。

 でも今は勝手に人間が食べる時に穀物を牛や豚に食べさせて減らしてね、それで食べれない人が増えて、で、食べれないから戦争になって行くんですよ、結局はね。そうでしょう?もうにっちもさっちも行かないからってなって行くのね。

 だから皆が支える心、印可書の心を持たなくちゃあいけないから、先ず印可書を奉読して下さい。そうするとわざわざ人に印可書を読んだら良いんだよって言いに行く必要はないの。あなたの持っている癖の人に光が通って全ては変わります。それが本物の宗教って言えば宗教ですね。

 だからあんまり悩まずに、憑りつかれているとか考えずに、ひたすら印可書を奉読して下さい。ありがとうございます

  だから松下先生の翻訳を私は出来るとか宣(のたま)う人が居てるでしょう?それ何が問題かと言ったら、自分は松下先生の翻訳ができるという自分という意識が邪魔してるというのに気づいていない。もうそれに尽きます。自分という意識って何かというと、文句をいう心とか、他人のせいにする心とかです。要するに分けているわけでしょう?分けているから人のせいに出来るわけ。分けているから文句を言える。全て(すべて)自分だったら文句の言いようがない。

 だからそれが総責任者の自覚なんですよ。自分という自覚が消えたら総責任者の自覚になる。自分という意識が有ったら、誰それのせいにする。誰それがああだったとか、こうだったとかなって行くわけですよ。もうたったそれだけです。その自分という意識を印可書の奉読を通して消せるから、印可書奉読で楽に悟って下さいっていう事です。

 僕らの頃は、もう先生も厳しくて悟りに至る道は大変だったわけですけども、今は時間切れで、大オマケで印可書が出ていますから 、その「大オマケを受け取る、受け取らないのは自由意志でね、受け取る受け取らないのは、皆様次第ですよ」っていうことをお願いしています。

 後(あと)は自由意志で選び取っていただくかどうかは、みなさんのご自由です。良い悪いじゃないです。やっぱり遠回りして色々な苦労をして悟りたい人は、そうして悟っていきますから、どう言うたってみんな好きにします。ただ「こっちの方が楽やで、近道やで」って説明だけさせてもっています。

 だから色んな宗教を通して悟りたい人は、そこでやってみられたらいい。ただやる以上は真剣にひたむきにね、とことんされないとダメですし、何よりもその宗教のせいにして逃げてはダメです。その宗教を選び取った自分の責任として、されたら、その宗教がね、本物か偽物か自然にわかっちゃうんですけど。

 だって教祖がね、相手の自由意志を縛るようなとこは、全部偽物ですよ。だから今までの宗教、ほとんどそうですけど、でも最初の教祖は、天理教なんかそうですけど、最初の教祖は全然人を縛ってないですけどね。やっぱり組織を作ると人を縛り出す。だからあんまり組織だったところは本物ではないですね。

 どうしても組織というのは、人を縛らないと維持できないから。そうでしょう会則とか、あるじゃないですか。その決まり事からずれたやつは「全部ダメだ」みたいに言うでしょう。その時点で本当はダメなんですよ。

 だから本当はその憲法も法律もいらないのね。みんなが支えあったら、それだけで平和な世界が来るんですよ。憲法や法律で、縛った時点で不自由さができて、それをわざと破ろうとする人が出てくるの。良い悪いじゃなくてね、そういうのはその人間の本来の本心というのが自由自在心ですから、しばられたら息苦しくて、わざとそこからはみ出ようとするの。縛ったら縛るほど。もう必ずそうなるの。だから、国と国同士でもね、お互いの文化とか考え方が違うでしょう。

  そのお互いの違う考え方で相手を縛ろうとするから戦争になるの。縛られたら苦しくなって、はみ出そうとするの。もうそんなん当然です。

 だから先生は組織を立てない、教えを立てない。要するに相手の自由意志を縛らないということを、決められたわけです。教えを立てない、組織を立てない、(ということで)全て(理屈は)終わりでね、あと翻訳いらないんですけども、まあせっかく印可書が出て大おまけが出たので、ちょっとでも気付いていただこうとして、要らんおせっかいをしています。ただ、それだけです。はい質問どうぞ。

宮野さん:確認ですけれども、組織とか会社とかいう先ほどの、例えば自分の身内であったりとか、周りの人だったりとかするのに、「こうだったら良いのにな」「こうしたら良いのになあ」と良かれと思う要らぬお世話は、結構気がつかずにされていることが多いと思うんですが、それこそ縛り?縛りになりますね?

河上さん:なります。

宮野さん:はい。

河上さん:だから組織に入ってる時はね、もう上司の言う通りにして、あんまりいらんことする必要はない。ただその「仕事に追われて何もできない」っていうのは言い訳ですから。人間は無限力ですから、どんなに忙しくても勉強はできるはずです。あの勉強というのは、べつにね、数学や英語やとかね、語学とかでなくて、色々な勉強ができるはずです。それを自分の仕事の忙しさのせいにかまけてね、逃げてたら、あっという間に年取って死にます。はい。

 本当は人生を楽しまないとね。人のせいにしていると楽しめないですよ。「あいつのせいで俺はこんなに不自由をしている」「俺はこんな安月給で苦労している」って言うだけや。クレームの看板出しちゃうね、言うだけ。

 どんな時でも神さまは、その人にとって必要なことを与えていますから、その条件の中で楽しまなくちゃいけない。だから赤穂浪士の物語がね、受けるんですよ。もの凄いそのお金でも、何でも制約を受けた中で苦労に苦労を重ねてね、やっと敵討ち(かたきうち)ができるわけでしょう?あれ、お金も時間も余裕あって、敵討ちに行ったんだったら受けない。もの凄く制約があって、同じ藩士でも途中で脱落していくわけでしょう。

 その中で頑張って頑張ってっていう、それは神さまが必要なものしか与えていない中で、それをいかに活かしきれたかという部分で、みんなが感動しているの。その討ち入りに成功してね、敵討ちに成功したことで感動しているんではなくて、その苦労に感動しているのね。そしてそれはあの「おしんの物語」とかね、色んな映画でも主人公が苦労に苦労を重ねて成功していくことにね、みんながもの凄く感動して、そういう映画が受けるわけですよ。

 結局それは何かっていうたら、結局神さまから与えられた自分に与えられたものだけを、いかに活かし切って使えたか、っていうことですよ。今の自分の環境に文句を言わずにね、今与えられた中でどう工夫して、一生懸命生きたか、今の一瞬を生きたか。それを「今の一瞬を生切る」っていうんですけどね。そういうとこに、やっぱりみんな無意識に感動するのね。

 だから主人公が「母をたずねて三千里」ですよ。旅に出て苦労してね、やっとお母さんに会えるみたいなあるわけでしょ?そういうのは受けるわけ。 それは今の自分に文句を言わない、自分の環境や状況にね、生活に文句言わずに、それを活かしきって生きていたからですよ。

 「一瞬 一瞬一新た」。「一瞬 一瞬一新た」だから今の状態を活かしきれるんです。「一瞬一瞬新た」にしていなかったら、「俺にはこんだけのお金しかないから、何もできへんわ」とかね、「俺の嫁はこれやから」、「うちの旦那はあんなんやから私何もできへんわ」って言って文句言って一生終わる。そうじゃなくて、その中にどんだけ自分を活かし切れるかだけです。それは本心の自由自在心っていいます。本心の自由自在心というのは、いかなる制約の中でも自由自在に生きれるっていうこと。



令和5年新年河上さんお話し―後半(20230101−A)

質問者:ありがとうございます。昨年末より護摩が入れ子構造的に始まったと仰られたんですけれども、入れ子構造っていうのは、新たに神さまの働きを現すようになった、いうことなんです?入れ子構造っていうのは際限がないことですか。行き当たりはない?無限に無限に・・・・

河上さん:平面的に考えるとね、わからんようになるのね。入れ子構造って何かって言うと、その神さまが、ありとあらゆる機会を利用して、人類を救いに立とうとされるの。別の言い方をしたら、神さまはありとあらゆる機会を利用して、無限に創造されて行かれるという事です。無限に創造される形を入れ子構造と言います。それって、例えば火山が爆発して食べる物なくなって、鳥さんも死んでいくとかなりますけれど、その死骸のお陰で土が出来るとかね、より新しいことが始まるわけですよ。どんな形でも、神さまが必要で起こしたことばっかりなんですよ。

 例えばムー大陸が沈んで、(という結果に)なってもね、その結果多くの人が悟ることになるんですけれども、そのどれ一つとっても必要で起こることばっかりで、無駄なことはないんです。

 ただ小さい自分の立場から見たら無駄なんで、入れ子構造が理解できないの。より大きな入れ子構造の中に、例えばノアの洪水もあるし、今回起こるであろう多くの人がね、肺炎や炎症という形の病気で死んじゃうんですけれども、どれもこれも必要で起こります。

 だからそれをまず分かって、その中でどれだけ自分がね、全てを活かし切れるかだけです。

 だから今までの宗教が言うようにね、「そんなんしたら地獄落ちる」というのはないです。地獄には自分が、自分の自由意志で降りていくだけであって、地獄に落ちることはない。神さまは逆に上へ上へ引き上げているばっかり。ただ引き上げても「こんな掴みどころのない眩しいところ、かなわん」と言って、掴みどころのある(せまい)地獄へみんな降りて行くだけです。

 意識が小さいと、掴めないと不安なんですよ。で「掴めるとこ、掴めるとこ」っていうて、で小さい穴に落ちていく。その小さい穴が地獄なんですけどね。

 今までの宗教は、お金を集めるために嘘をつくわけですよ。「そんなことしていたら地獄に落ちるぞ」「だからまず先祖供養をせなあかん」「水子供養をせなあかん」とか。いろいろあるでしょ?詳しくは知らんけどね。「お金出して供養せなあかん」て言って、あるいは色々やるわけですよ。

 そんなことはありえない。神さまは皆さんの自由意志を好きにさせています。その好きにさせている中で地獄に降りる人もあれば、色々あるわけですね。真祈りする人もあれば、どれもこれも皆さんが自由意志で選んできたばっかり。

 ただ癖を持って選んできているからね、どうしてもその方向からしか行けないっていう人があるから、「この方向で行かなくっちゃダメだ」っていうことは一切ないんです。みんな自由自在に好きな方向から行ったら良いの。 だから遠回りしたい人は遠回りするの。でももう「富士山登るの邪魔くさいからヘリコプターで行ったれ」ってヘリコプターで行けるの。1合目から登りたい人は1合目から登るし、8合目から何、今、5合目か、5合目の駐車場から登る人は登るしね、それぞれ好きな事を皆したら良いんです。只々、それだけです。

 だから、それはね、この世でも形として出るんですけれども、花がね、春に一斉に咲かないでしょ?春咲く花もあったら、夏咲く花もあったら、秋咲く花もあったって。常に咲く時期違うじゃないですか?だからいつも花が見れて、「良かったなー」なんですよ。春咲く花が、ようするに「先、花が開いたが偉くてね、後で秋に咲く花は後から咲いたからダメだ」じゃないんです。それが分からないと、神さまの大きな愛が分からない。

 神さまは常に色んな姿を取って全体が完璧になるように、持っていかれてるだけなんです。だから秋咲く花もあるし、お野菜でもそうでしょう?冬野菜があり、夏野菜があり、春野菜があるから、みんな一年中お野菜食べれるわけで。これ春にしかできなかったら大変よ。

 だからそういう意味では穀類はね、あんまり人類の食べ物じゃないんですよ。秋にしかできないから。それは本物ではないんです。本当に人類が食べて良いものは、四季を通じて出来るものなんです、本当はね。そういうものを食べてたら健康にいくんだけれどもね。

 でもご飯でもね、うどんでもね、美味しいよね?おいしいからついつい食べちゃうの。食べてはいけないっては言ってないけどね。食べ過ぎないように。

宮野さん:因みに。食べていいものって、例で言うたらなんでしょう?一つか二つでいいんです。別に沢山言わなくて結構です。

河上さん:あんまり言うとまた縛りになるからね。

宮野さん:一つでもいいです。

河上さん:だから、神さまはね、人間の為に必要なものばっかり作るわけでしょ?要するに、いつも身近にあるものは食べて良い物なの。だから虫さんとかね、お野菜とかね、四季を通じて出来るでしょう?そういうものは食べて良いものなんです。だけど春にしかできない、秋にしかできない、っていうのはそれは、祝い事のために食べていいけど、普段から食べるもんでは本当はなかった。

 でも祝い事の時に食べたいぐらい美味しいものだからね、サツマイモでもね、もう沢山作って美味しいから食べて、みんな病気になる。あるいはじゃがいもでもそうですなんですけどね。

 なんで、それ不自然かというと、(化学肥料を使うと)必要以上に出来るものなんですよ、穀類というのは。(その結果)必要以上に人口が増えるの。必要以上に人類が増えるとね、やっぱり喧嘩が起こるの。

 本当は、(必要以上に人口が増える)という部分があってね、それだけなんです。

 だいたい人類の歴史で戦争が起こる原因はね、その前に人口爆発があるの。その人口爆発は何が原因かっていったら、灌漑事業とかね、無理してお米を作るとか小麦を作るとかするわけですよ。それは食べ物が増えるから良かれと思ってみんなしてるんだけれども、その結果人口が増えて戦争が起こるのね。

 本当は必要に応じたしか生まれないのにね、必要な食べ物しかないのに、必要以上に食べちゃうのね。で必要以上に人口を増やすの。

 やっぱり目先の都合でね、自分とこの家族が幸せの方がいいと思うでしょう?やっぱり自分の家族には沢山、お腹いっぱい食べさせたいと思うじゃないですか?するとその、沢山できる穀類を作るわけ。それでお腹いっぱい食べさせたら、沢山人口また子供増えるよね。いう感じでバッと人口爆発が起こるのね。

 起こったら今度は作る方が追いつかないから、食べ物争い、現在やったら食べ物+エネルギー争いですね。エネルギーが追いつかなくなって、今の状態になっているんだけどね。

 本当に真祈りをしていたら、必要なだけしか子供を産まれないから、もっと落ち着くんだけれども。まず真祈りです。真祈りなしに、ただ「子供増やすな」とかね、「穀類食べるな」とか言ったところで、治まらないから。

 でも真祈りをしていたら、必要に応じて必要なだけになります。だから昔は蚕を食べたのね。蚕がすごい栄養があってね、あるいはイナゴ、イナゴやね、イナゴを食べたりしたわけですよ。それはそういうもんだったんですね。でも今はそうはいかへんね。 

 だから色んなことがありますけれども、まず真祈り、真祈りしてたら必要なものが分かります。そこが、なぜここで具体的に言わないかって言うたら、人種で風俗文化が違うでしょ?だから食べる物も違うからね、あれが良い、悪いじゃないんですよ。その土地に合う応じた必要なものがあるだけです。

 それも真祈りしていないから必要以上の食欲が出て、ややこしくなるだけで、真祈りしていたら必要な食欲に治りますから、もっと大丈夫なのね。でも真祈りが難しいから印可書になっただけです。いいですかこれで。はい。

質問:マイナスがある方は、というふうなお話だったと思うんですけど、私の場合は特にマイナスに縁が深い人間だと思うんです。

河上さん:それは自分で勝手に決めてるだけ。みんなプラスだけの人間よ。みんな光やから。

質問:例えば職場とか家庭内で、マイナスが出たりマイナスの言葉が出た時は、どういう風にすれば良いか教えて頂ければと思います。

河上さん:ああ、自分の中に飲み込むだけ。反応するんじゃなくて。何を言われても印可書を奉読するだけというやつです、具体的には。反応するから、要するに因縁因果が生じる。

質問:そしたら、イエス様の例で言うと、左の頬がどうされたら右もとか、という姿勢で、只々その…

河上さん:そうそう、イエスがね、「上着を取られたら下着も与えよ。」と言うでしょう?それは何かと言ったら、自分の中に入れてしまえ、なんですよ、マイナスも。それで祈ってプラスに変えてしまえ、なんです。光に変えろって。ただ、それを変える反応の時にね、相手が右を殴ったけど左も殴りたいって言うから、殴らせたらええっていうだけなの。そこまで神さまの愛を信じてね、突き進む勇気が要るんですよ。

 それを知ってるから、例えば隠れキリシタンの方がね、踏み絵ですね。踏み絵ができずに、焼き殺されたり拷問で殺されるわけですけど、それによって悟りが深まるという結果が出るんですね。でも、この世的に言ったら、すごい残虐な殺され方をしちゃうわけですよ。それを悠々と受け入れられるかどうかを示すためにね、イエスは十字架にあがったわけ。十字架という一番の拷問にね、かかっても神さまの愛というのは完遂されるんだよ、というのをイエスは示したんですよ。

 それをまだみんな勘違いしてね、人類の身代わりにどうこうって言いますけど。そうじゃなくて、すべてを自分の中に入れる、みんながイエス・キリストとして働いてくれっていうのがイエス様の意志だったの。

 だから家庭や会社でね、どんなマイナスを言われても、自分の中に取り込んで、今は自分の中に取り込んだマイナスをね、十字架にのぼって消さなくても、印可書奉読で消せるから。印可書奉読されてたら良いです。

質問:ありがとうございます。

質問:いいですか?すみません、ちょっと個人的な話になるんですけれど。ちょっと父がね、この年末にかけて、すごく体が弱って、昨日あたり久しぶりに実家に帰ると、一度座ると自分一人で立ち上がるのがもう、やっとやっとという状態で。すごく悩んでしまったのが、手助けして、起こして立たせてあげるのは簡単なことなんだけど、ちょっと自分で立つ努力とか、ちょっと筋肉を使う…

河上さん:急に体の力が、なくなってきたんでしょう?

質問:そうですね、本当、ここ数日でみるみる…。もう、見てるのも辛いから手を貸したいんだけど、今、手を貸すと本当に立てなくなるんじゃないかと思って。昨日も必死で見守っていて。

河上さん:まずね、血糖値が上がりすぎてるんですよ。血糖値が上がるとね、毛細血管が壊死していくんですね。毛細血管が壊死すると体中の筋肉が小さくなる。それで立つ力も弱くなるし、内臓も動きが悪くなって悪循環が始まるんですね。

 まず、お年を取られた場合はね、糖質を食べたらダメです。お野菜とかね、お肉とかお魚とかね、そういうのでお腹を膨らませるようにしなくちゃいけないんですけど。急になったというのは、かなり高血糖が続いていたということなんでね。微妙です、間に合うかどうか。

 でも、センサー教えてますよね、血糖値を測る。そういうのを貼らせて、食べ方を調整できたら良いんですけど、なかなかね、口養生ができる人、やったら誰も苦労しないからね、微妙なとこです。

 なぜかといったら、口養生こそ本人の自由意志だから。食べるなと言ったって食べるでしょう?だから、微妙なとこですけど。原因は、それ血糖値が上がったからです。

質問:もう一つは、そんな状態なんですけど、お酒が好きでやめられない。

河上さん:それは口養生ですから、やめられないです。そりゃそうでしょう。

質問:逆に言ったらもう、好きなものをやめてまで長生きすることもないかな、と思ってはいるんですけど。

河上さん:みんなね、これ食べられないくらいだったら死んだ方がマシだと言いながらね、いざ死にかけたら死にたくないって言うんですよ。いや、ほんまの話ね。うちの知り合いでもね、コーヒーに砂糖入れないと飲めなくて、タバコを吸えないくらいだったら心臓麻痺で死んだ方がマシだってうそぶいてた親友がおるんですけど。いざ心臓麻痺の発作を起こした時、自分で携帯電話かけて救急車を呼んで助かりました。(笑)それでもね、やっぱり今だにコーヒーに砂糖を入れてね、要するに血糖値を上げて生きてはります。タバコを吸ってね。そんなもんです。それも本人の自由意志で選んだ運命だから、横からはいじれないです。

質問:ありがとうございます。

河上さん:大変なのは分かりますけども。親ほど、もっとよう聞かないでしょう?他人以上に言うこと聞かないと思いますよ。みんな好きにします。

質問:ありがとうございます。

河上さん:センサー貼っててもね、食べる人は食べますから大丈夫。ウケすぎやし(笑)

バスの時間があるし終わりましょうか?

質問:バスの時間は大丈夫です。

河上さん:大丈夫なん?

宮野さん:作業…

河上さん:作業もあるし、質問がなければ。

質問:すみません、いいですか?ありがとうございます。あの先程、淡々とひたすら一生懸命というか、とにかくお祈りをするというお話だったんですけど…

河上さん:印可書を奉読するだけで良いです。

質問:印可書を奉読するということだったんですけど、あの、その一生懸命やることが、例えば眠くなったりとか、起きれなかったりとか、最近、言い訳するとおっしゃったんですけど、まあ、ちょっと言い訳したりとか…

河上さん:だから、印可書の良さはね、すごさはね、言い訳をしながらでも効果が出るということなの。だから、みんな結局何が問題かと言ったら、例えば印可書奉読してても性欲が出るとかね、言い訳してしまうとかね、言って結局自分で自分を責めて、その印可書奉読の効果までも消してしまうんですよ。

 だからもう、ともかく先生が奉読してくれたら良いんだって仰ってるんだから、奉読されたら良いんです。勿論、先生が、奉読ということをおっしゃられた人数は、ものすごく限られてますけどね。その当時に、それが分かる人にしか、先生は仰ってないの。

 要するに、自由意志で印可書を選び取れない人には、先生は印可書を読めとも読むなとも仰られてなかったわけです。それで、色んな事情でこの形で説明させてもらって。あとは印可書奉読をどれだけ信じ切れるかだけで、いかれたら大丈夫です。

 だからこんなに性欲がいっぱいの自分でも、と思いながらでもね、印可書奉読してる時は真(まこと)の本心の自分だって信じてください。そうすれば真(まこと)の本心の自分の自覚が遅れてですけど、必ず来ます。遅れて来るから不安になるんだけどね。

 でも逆に言うと、遅れて来るからラクなんですよ。逆に言うとね、要するに、マイナスの言葉を使ってもすぐに不幸にならないようになってるの。その間に印可書奉読で変えられるということです。

質問:あの、ひたむきさが大切だと聞きまして…

河上さん:神さまに対するひたむきなシーンというのは要るわけですよ。

質問:それでその、「よし分かった!ひたむきにやろう!」って決めても、果たしてひたむきかな?と思ってしまって…

河上さん:そうそう、だから、その思いを持ちながらでも奉読されてたら良いんです。それが印可書のすごさなんです。今までのだったら、例えば竹刀を1万回振りなさいって言われるとね、本当に1万回振って効果あるんかとかね、要らんことを思った途端に崩れるわけですよ。

 でも印可書は要らんことを思いながらでも崩れないようにしてあるの、先生が。そういう風にみんなが不安がって崩れるのを先刻御承知でね、大おまけを付けて逝かれた。

 だからもう、あとはお前に任せたから安心だって言われて、「え、僕の話なんか誰も聞きませんよ。」って言いながらここまで来ました。
 みんな自由意志で選び取ってくれる方がだんだん増えてきたんでね。どんどん、なんとかなると思っています。だから本当に悠々とね、色んなことがあるけども奉読していってください。それを1日に100回しなくちゃいけないとかね、10回しないといけないとかって、縛るんじゃなくて、できる時はする、できない時は、お仕事忙しい時は1回もできなかった、で良いんですよ。そこが分かったら本物の奉読なんです。

 でも、「仕事が忙しい中でも10回読まなくちゃいけない。」って言った時点で、自分で自分を縛って潰れるの。いかに縛らないかが大事。印可書奉読は縛らずに済むの。

 だから「今日は1回も印可書奉読しなかった。でも大丈夫。」いうのが分かったら本物なんです。でも、1日3回読まなくっちゃとかね、1回はせめて読まなくっちゃって思ってるうちは、まだまだ縛ってるの、自分で。

 要するに、自分を縛るのは自分で、他人はあなたを縛れない。もし他人があなたを縛れたらね、「あなた印可書を1日10回読みなさい。」って言われたら読めるはずや。

 人が何を言ったって読まれへんでしょう?読めない時はね。それくらい、自分を縛るのは自分だというのに気付かれたら、あっという間に変わります。ありがとうございます。

質問:はい、ありがとうございます。

河上さん:では、質問がないようなので…

質問:はい!

河上さん:はい、どうぞ(笑)

質問:すみません。度々出てくる、「現実無視の祈り」なんですけれども、印可書を淡々と奉読しながら、その現実無視の祈りをしてみたいと思うんですけど、ピラミッドの形をしてるとかって時々聞くんですけど、実際に順番とか…

河上さん:ああ、あのね、その印可書奉読がね、自由意志で選び取れる人が少ない頃は、印可書を選んでもらえないから、「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」で、まず十字を切るわけですよ。4回でね。(クリスチャンがされるように上、下、左、右とされました。一応状況説明をします(以上、文字起こし者注記))次にこの縦の十字を水平にして「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」で4回十字を切るわけです。これが現実無視の祈りです。八拍手もこの形で打って頂くと良いわけ。それだけです。

質問:その順番とかありますか?

河上さん:順番は自由にやって頂いたら大丈夫です。天地上下左右がないんです、絶対の世界には。

質問:そうですか。ええと、縦、右、左…

河上さん:要するに、どの立場から見た、の順番だから十字でいけるわけです。上から見たら右から左でもね、下から見たら左から右でしょう?それくらい自由自在なものが絶対の世界です。

質問:はい、分かりました。あの、印可書を奉読しながら、自分の心というか、そういうふうにこう、持っていっても良いわけ…?

河上さん:そうそう、それは好きにやりやすいようにやったら良い。ただ、そうしなくちゃいけないとしたらね、できない人が苦しむから、自在にやって頂いたら大丈夫です。ありがとうございます。

質問:はい、分かりました。ありがとうございます。

河上さん:そしたら勉強会と違うんでね。あとは勉強会でまた聞いてください。はい、ありがとうございます。今日はこれで終わります。ありがとうございます。


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元旦護摩 by 河上彰延 [Mail] 2023年01月04日(水) 08時54分
PC

元旦 護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
 
 新年明けましておめでとうございます。令和5年の始まりの元旦に開催されました護摩焚きに、たくさん集まっていただきありがとうございます

 みなさんの質問に、河上さんが、丁寧にお話してくださいました。ありがとうございます

質問1
 護摩焚きに参加したことのない方からの質問です。毎月護摩焚きの時間に合わせて自宅で「ありがとうございます」をお祈りし続けるのでも参加していることになりますか?また護摩木を奉納して自宅で「ありがとうございます」を祈り続けないと参加していることにはならないですか?よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ありがとうございます 元旦の忙しい時に、たくさんお集まりいただきまして、ありがとうございます
 先生から今日来られた方には、たくさんお年玉がありますので、今年はいいことがあると思います。

 護摩に参加するしないは自由意志で、どっちが良い悪いはないんです。護摩の時間に合わせてお祈りする方が安心するからそれを言ってますけども、毎日、毎日が護摩なんですよ。

 毎日の、毎日の真祈りがまず基本なんです。でも、その毎日の、毎日の真祈りが、やはり不安だし、自信ないから先生が護摩を作ってくださったんです。だから、それだけです。

 極端に言うと、アフリカとか地球の遠くの人は、もし護摩に来るとしても一生に一回来れるか来れないかみたいな感じになるじゃないですか。だから、この実際の護摩に参加するしないじゃなくて、普段の真祈りが大事なんです。

 日本人というのは、全人類の代表の役目を背負わされているんですよ。だから、皆さんが全ての方の代表として護摩に来られる方は、その自覚を持って真祈りしていただいたらいいわけです。

 どうしても護摩に行きたい、でも行けないんだっていう人のために先生は護摩木を作ってくださったわけです。その護摩木も手に入らないしできないんだ、あるいは、極端に言うと、刑務所に入っておられる方が護摩に参加したいと思ってもどうしようもないじゃないですか、極端な例で言いますよ。でも、その方でも、その気持ちで手に入る紙に書いてですね、真祈りされたら、それは護摩に参加したことになるんです。それは間違いないです。

 ただ、ここに集まって全人類の代表として皆さんが集まって真祈りしてくださるから、そういう条件が悪くて来れない方も真祈りが深まっていくということを忘れないでください。

 皆さんの真祈り、入れ子構造ですから、護摩に来る方を通して入れ子構造的に、ずーっと広がるわけですよ。

 例えば、お祭りのだんじりとか、神社のお社がそうなんですけど、あれ入れ子構造を象徴しているんですよ。それで、この組み木で順番に広がっていくように作るでしょう。ああいう感じで、全て入れ子構造的に広がりますので、(それでここにいらっしゃる方は)まず中心に立つ使命があって、先生とご縁があったんです。

 先生にご縁があって、なおかつここに来れる立場というのは、すごい深いご縁なので、それをその責任の重さですね。自分なんか行っても行かなくても一緒なんだじゃなくて、来れる方は本当に親の死に目以外は来てくださいとお願いしているのは、それくらい来れる方というのは大事な重い責任を背負っているんですよ、人類救済という、そのためにも来れる方は来てください。

 どうしても来れない方は、来れる方を通してお祈りできますから、それは護摩に参加しておられる方を知っている知ってないじゃなくてです。たくさんの方が護摩に参加しているということを頭に思い浮かべて、護摩の時間じゃなくてね、毎日の一瞬一瞬をお祈りしていただくのが一番大切なんです。

 その、一瞬一瞬新たが一番大事な基本なんですよ。そこを忘れると全部崩れるんです。だから、一瞬一瞬新たに真祈りしていただく。それを更に深めるために護摩があり、護摩木があります。

 その、一瞬一瞬新たがどうしても自信がない人のために、護摩木を書くことによって、一瞬一瞬新たに替えるよ。護摩木を書く時、先生の説明を借りていいますと、お習字で字が下手な人を教えるときにどうするかといいますと、お習字の先生が後ろから手を添えて書かすじゃないですか。そういう感じで、護摩木を書くときは、真(まこと)の神さまが降りたって一緒に祈ってくださるんだよ、ということをちゃんと説明してくださっているわけですね。

 だから、真祈りに自信がない方は護摩木を書いてください。そして参加できない方も護摩木を書いてください。

 どうしても参加できないし、護摩木も手に入らない方は、紙に書いて、それを燃やすなり、まとめておいて、こっち(ありがとうボランティアグループ)に送るなり、あるいは1年に1回まとめて置いているやつを別に(ゴミとして)捨てても大丈夫です(捨てられていく、ゴミとして処理されていく、その通る場所に光りが行き渡るから、形の上ではゴミとして捨てても大丈夫なのです。護摩として役立つのです。)。1年に1回(あるいは、護摩紙を書かれるごとに)そういうふうにされたら、それで護摩に代わります。

 そのためにも、その先生にご縁のあった方は、ぜひここに集って護摩に参加して、真祈りを深めてください。

 皆さん、お一人一人、自分だけの真祈りじゃないの。皆さんを代表して多くの人の真祈りに響き渡りますから、それをよく自覚して護摩に参加できるできないにかかわらず、一瞬一瞬新たに生きるということを自覚していただくためにも、真祈りを深めるためにも、この護摩にぜひ参加できること方は参加してください。

 参加できなくても、それが全然意味なくてダメという事はないです。同じ意味になります。でも、そのためにも、その護摩に参加できる方は、できるだけ何を差し置いてもおいでください。

 それによって全人類に響き渡ります。

 入れ子構造ですから、パラレルって言うんですけど、この世は、1(ひと)1(ひと)で11次元ですからね、必ずここで深くお祈りする方がいるから、全人類が深くお祈りできるというふうにつながっていくんですよ。

 それは、物理学でもそうなんですけれども、こっちである現象が、突然同じ現象が(遠く離れた)こっちで起こるの、物理学では、それがまだ謎とされているわけですけども、それくらい入れ子構造的に重層構造的に響き渡るんです。

 だから、どの形も必要ですから、その場での真祈り、ここでの真祈りをよろしくお願いします。ありがとうございます

司会者
 あらゆる階層の代表として護摩に参加しているという理解でよろしいですか?

河上さん
 そうです、はい。

司会者
 わかりました、ありがとうございます

質問2
 2014年6月1日に、松下先生に私たち結婚してもいいでしょうか?とお尋ねしたところ「支え合って生きていきなさい」と言われ、今までどうにかこうにか保たれています。
この言葉の出所を私たちなりに探っていると事訳、天津神の五柱の五神であろうと感じています。
 まず天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様、陽の神様で、高御産巣日神(たかむすびのかみ)様、陰の神様で神産巣日神(かみむすびのかみ)様、ここに産まれる宇摩志阿斯摩訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)様、そして、この神様を支える天之常立神(あめのとこたちのかみ)様、つまり陰陽の法則があり、支え合いの法則があって神々が産まれ出ずることを表しているのですね。
 1945年GHQが国家神道廃止を指示したこともあり、いかにこの五柱の御神の陰陽支え合いの法則が大切なのかを教えていただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます 古事記(ふることふみ)の内容のことなんですけれども、
古事記(ふることふみ)は、この11次元の世界の基本原理を表しています。

 まず、すべてのすべて、印可書にある、すべてのすべてというところですね。

 冒頭、これを天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様という表現で書いてあります。それが、この11次元の設計図ですので、1(ひと)1(ひと)と左右に分かれるわけですね。

 まず、高御産巣日神(たかあみうむすびのかみ)という神様、そして摩訶御産巣日神(まあかみうむすびのかみ)という神様に分かれます。
 これは、その天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様を1(ひと)1(ひと)として、いわゆる、この現世の入れ子構造の展開する姿として、2つに分けたときの呼び名です。

 後は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)様とか順番に、別天津神(ことあまつかみ→独神(ひとりがみ)として隠神(かくりみ)に在す、身身(みみ)をかくしたまいき))として現れるわけですけども、どれもこれも入れ子構造的に展開している形を表しています。

 それは支え合ってるという言い方でもいいですけども、入れ子構造、重層構造のお姿です。どれもこれも天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様なんですよ。

 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様を、どの働きで表現するかと言う、要するに、働きを説明しないと設計図にならないので、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)で終わり、要するに「すべては光!」先生の言葉で言うと「みんな光や!」で終わりですけど、「みんな光や!」と言うと「えっ?光?光で終わりなん」って終わっちゃいますので、それで色んな働きとして、色んな神名をつけてあります。

 八百萬神(やほよろづのかみ)様って言うじゃないですか、日本でね。八百萬(やほよろづ)と言うのは、無限の無限のと言う意味なんですけども、すべての神さまの働きを名前で呼んだときの表現として八百萬(やほよろづ)というふうに言っています。

 どの表現も天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様そのものなんですよ。要するに、例えば、手を天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様と見たら裏から見るか、表から見るか、横から見るか、指1本で見るかとか言う形で神名が、それぞれ付いているだけです。

 それは、この世の入れ子構造がわかりやすいように古事記(ふることふみ)で説明したんですけども、その古事記(ふることふみ)の説明すらわからなくなっているくらい人類は身勝手になったんです。

 要するに神さまと自分を分けちゃったの。入れ子構造だから、どんなに分けたって皆さん光、皆さん天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)さま、天照大御神さま、どの表現を使ってもいいんですけど、入れ子構造ですから、どの状態になっても神さまと離しようがない。切っても切りようのない、不離一体の存在なんだよと言う事を古事記(ふることふみ)は言ってるんだけども、人類の方は神さまを遠慮して、遠くに慮って、自分と神さまを分けちゃったんですね。

 自分と神さまを分けちゃうと、どんな説明を聞いてもわからないの。先生の話を聞いてもわからないの。先生の話を聞いてよくわからん、わかったつもりになっているけれど、でもお祈りできないって言う人が多いんですけども。それは何がダメかと言うと、自分と神さまを分けたらわからない。

 先生のお話を常に不離一体の状態を説明されているわけですね。いつも不離一体であることをまずわからないと何もわからないんだけれども、不離一体だと言われても、「あっそ不離一体なの…」だけですね。不離一体なんだけど自覚にならない。

 そして、どうしても神さまと自分とは別なんだと言う意識が消えないわけですよ。それを自分と言う意識、我(が)とか言うんですけどもね。その身勝手に思う意識を、どうして消し去るかと言うことが先生と僕(河上さん)との永遠のテーマで、色々と僕(河上さん)は怒られる側ばっかりでしたけれどもあったわけですね。

 「最終、もうこれでどうじゃ!」と言うことで印可書を出されたわけです。でも、印可書もやはり一緒で、それぞれの自由意志で選びとっていただかないとダメなんだけども、最初に印可書を選び取ったのが約13名ぐらいで、それでも本当に、わかって選び取った人は少なくってという状態でした。

 みんなが、印可書を選び取れないんで、先生はもう一度、もっと簡単にしようと言うことで「宇宙神ありがとうございます」という言葉に、もう一度替えられました。その「宇宙神ありがとうございます」も、皆さん自由意志で受け取れなかったのね。

 だから、やっぱりダメだと言うことで、もういっぺん印可書をもうちょっと改造して、光を和らげて和光同塵と言うんですけれども、光を和らげて、みんながちょっと選び取りやすいように改造してと言うことで色々とありまして、今の印可書があります。

 だから、どの状態もまず、神さまと自分を分け隔て意識をどうするかだけなんですよ。

 その意識を消そうという、面白いんですよ。消そうとして、消す自分が出てくるの、わかります?消したつもりになったけど、消した自分が残るの。

 例えば、この頃説明させていただくのに考えたらあかんって言うじゃないですか、「考えたらあかんねんな」と受け取ってもらうんだけど、今度は「考えたらあかん」という自分が残るの、わかります?

 いつまでも堂々巡りして、最後まで、例えば、自分を消さなあかんっていうたら、自分を消したつもりの自分が残る。どこまでも神さまと分けた意識が理屈でいくと理屈と言うのは、これがあってこうだって言うふうに、分ける意識が理屈と言うんですよ。だから、理を屈(まげ)るって書くんですけども、理屈で理を屈(まげ)るって書くじゃないですか。そういう感じで神さま、分ける意識が全部わからなくしちゃうの。

 例えば人間の体でもね,これバラバラに分けてしたら、鉄分とか水分とか塩分とかでいくとね、300円ぐらいでできるんですね、材料費だけで言うと。でも、そんな300円の材料で、こんな摩訶不思議な動きできないでしょう。それぐらい、すべては完璧な一つとして見たら、大きな働きをするわけですよ。でも分けてしまったら、単なる人間の体だったら、塩分と水分と鉄分とね、あるじゃないですか。それだけで終わりですよ。だから、分けて考えたら人間の体の動きすらわからない。

 だから、その西洋医学と東洋医学の違いがそうなんですけども、西洋医学は分けてできるだけ悪いとこは切り取ってたらいいみたいなね。東洋医学はできるだけ全体の働きを見て、どうこうするとかなるわけですけど、もっと進んで神さまそのものであるという事にならなくちゃいけないわけです。

 それが神代の時代であり、絶対平和、完全平和、世界平和の時代なんですね。その時代に持っていくのが、ここに集っている真祈り人の使命なんですけども、その先生にご縁のある真祈り人ですらね、やっぱり自分という意識が消せなくて苦しんでいたわけです。

 そのために印可書があります。だから、印可書を自由意志で選べれる方は、印可書を選んでください。選べれない方は、宇宙神ありがとうございますって、先生示されてますので、それを選んで、ひたすら、自分という意識が消えるまで祈り続けていただいたらいいです。宇宙神ありがとうございますをね。

 印可書を選び取れた人は、奉読するだけ済みますのでかなり楽ですけども、みんな、どれを選ぼうと自由なので好きにしていただいたらいいんですけど。まず、自分がどうこうするという意識をなくさないとね、どうしようもないんですよ。人類は自分をどうこうしようと意識を持った状態でもね、神さまは、できるだけいいように使ってくださっているわけですよ。それでもキリなくね喧嘩するでしょう。

 例えば、今、ウクライナで戦争になっているわけですけども、その戦争の原因は何かって言うと、本当は、みなさんが自分と他人を分け隔て意識なんですよ。「あいつさぼってるな」とか「あいつだけズルいことしてる」「あいつだけいい目してる」って言う。分け隔てる意識が戦争の原因なんです、本当はね。分けたから、分けるから喧嘩になるのよ。そうでしょう、全部身内だったら喧嘩にならないでしょう。

 その分け隔てる意識が、だから、みなさんが戦争に加担しているの本当はね。でもそれすら気付かないくらい、みんな自分と他人を分ける事が当たり前の状態になっているわけですね。でもその神さまの方は、何があっても救い取らんとしてきますので、なんて言うんですか、印可書を出していただいて、すべては完璧な一つに持っていこうとしてくださっています。

 今年は、卯の年でね。兎、兎さんって言ってますけども、本当にね、動き出す年なんですよ。それは何かと言うと、もうちょっとでもマイナスの意識があったら、あっという間に死んでしまうような時代に、いよいよ入っていくわけです。

 そのマイナスの意識って何かと言うたら、自分と他人を分け隔てる意識です。だから、それに気付いていただいてってなるんですけども、それ理屈で言うたって、「自分と他人を分け隔てしたらアカンねんな」「みんな身内やな」「兄弟やな」って言うてもね。あの昔、標語にありましたよね、戸締まり用心火の用心。人類みな兄弟ってやりましたけど、それでもみんなわからないわけでしょう。言葉で言っても理屈で言ってもわからないんですよ。

 そのすべては完璧な一つ、と、いうところにもっていくために印可書があります。そして、一番大事なところは、「常に一瞬一瞬新た」っていうところなんですよ。この肉体を持つことが何で大事かって言うと、その一瞬一瞬新たを感じ取りやすい場所だからです。

 例えば肉体を失って死ぬんじゃないですか。死ぬとね、一切変化のない世界なんです。みなさんが、あいつ憎いって思った人は、憎い世界に、ずーっといるだけで何の変化もないんですよ。何の変化もないっていうのは、すごい苦しいんです。だから、そのこの地上に向かってみんな助けって響きを出してくるわけですね、どの世界の人も。それは、死んでから逝っている天国の世界も一緒なんです。天国すら変化がないから苦しいの。

 それ逝くまで気付かない。逝ってからね、どういう苦しみかって言うと、まぁ簡単に言うと同じDVDって言うんですか。映画をずーっと何10回も見せられる状態ですよ。もう結末わかっていることが、もう何度も同じこと観る(体験する)の、みなさんね、同じ映画3回、4回って観れないでしょう?。

 そういう世界に死んだら逝っちゃうの。逝った人が、この地上に縁のある肉体の方を頼ってね、必死で真祈りしてくれってお願いしてるわけですよ。そのために、先生が護摩を残してくださいました。だから、是非是非ね、護摩に参加して印可書を奉読して、大きく神さまの人類救済のお仕事のお手伝いに参加してください。

 それを天の岩戸開きの、天地開闢の神聖行事という別名で呼ばれています。それを、その内容を古事記(ふることふみ)で説明したんだけどわからなくて、今の印可書になっています。ありがとうございます

司会者
 よろしいですか?(質問者 はい、ありがとうございます)

 預かっている質問は以上です。会場から、この場で質問されたい方ぜひお越し下さい。

質問3
 最初の質問にあった関連する事なんですけども、護摩木に書けない方が、事情があって護摩木にお祈りの言葉を書けない方が、紙に書いて、護摩壇にくべるっていうお話があったと思うんですけども、今日のみなさんとの話し合いの中で、紙類っていうのは、風に舞いやすくて、火の粉となって燃え移る。ここは山なんで、非常に山火事の危険性が考えられるので、紙類っていうのは極力、先生はもうほとんど紙類は・・・

河上さん
 あのだから、1年に1回まとめて捨ててくださいって言ってるじゃないですか。

質問者
 捨てるというと?

河上さん
 ゴミ箱に捨てればいい。

質問者
 紙に書かれた方がじゃなくて、一旦預かってっていう形?

河上さん
 いやいや、別に預からなくても書かれた方が溜めといて、一年に一回捨てればいいです。

質問者
 書くことが大事で。

河上さん
 書くことによって神さまに奉納したから、後は結果であって、まあ、どうでもいいわけですよ。例えば神社でお札を買ってくるでしょう。でも一年に一回、捨てるのが嫌だから神社にお返してるだけで、本当は別に捨てていいわけです。要するに賞味期限が一年しかないようなものです。別に賞味期限もないんだけど、書いた時点ですべて完結してるんですけど。

質問者
 わかりました、ありがとうございます 他に何か質問。

河上さん
 だから、その燃やさないと気が済まないというみんなの意識があるの。

質問者
 今のお話聞くまで、ありました、確かに。

河上さん
 それ囚われなのね。本当は護摩木も書いた時点で完結してるんだけど、せっかく書いたのにねっていうのもあるし、やはり、ここで火で燃やすことによってね。みんなも本当に意識的にも、神さまの世界にすーっと火を通してつながるというのがあるじゃないですか、それで火を使っています。

 勿論、火でなくても水でもいいんですけどね。火が一番簡単なんで、水に流す方法もあるし、色々方法はあるんですよ。土に戻す方法も、金遁土遁って言うてね、すべてやり方はあるんですけど、火遁の術が一番簡単に一気で終わりますので、今は火遁の術を使っています。

質問者
 という事は、普段ご自宅とか、それぞれ縁のある場所で書かれる、書いてる護摩木、護摩木自体が・・・

河上さん
 紙もね、自分で捨てるのが嫌だったら村に送っていただいて、村で捨てればいい。村人が、それをする時は、ちゃんとお祈りしてください。もちろん、いい加減な気持ちではダメです。神さまに捧げるっていうつもりで捨てたらそれは大丈夫です。

質問者
 普段書いてる護摩木、書いてること自体が、もう既に護摩炊きとなっているということですか?

河上さん
 そうです、護摩木書く時点で完結。だから、一瞬一瞬新たなんですよ。でもね、みんな現実掴むでしょう、どうしてもね。だから、火遁の術を使ってるだけで、火遁の術ってどういうことかって言うたら、せっかく書いた護摩木が一瞬で消えるじゃないですか。

 これ一瞬一瞬新たな象徴なんですよ。それを古神道では、水に流す、川に流すとか水遁の術ですけども、色々あるんですけど、もう燃やすのが一番わかりやすい。一瞬一瞬新たが本当に一瞬でしょう、一瞬じゃないですか、書くの凄い時間かかってるのに。そういう一瞬一瞬新たを自覚しやすいということです。

 ともかく一瞬一瞬新たが大事なんです。その書いたものをどうしましょうというと言うと、既に現実を掴んでるのね。そこが問題なんだけど、現実を掴んでなかったら、自分で書いて、すぐ捨てても平気なんですけど、なかなか、そうはいかんから燃してるわけです。

質問者
 わかりました。ありがとうございます

質問4
 ありがとうございます 昨日、神書を読んでいましたら、本心の自分は、宇宙絶対神によって、お祈りを感謝のお祈りをさせていただくっていうようなことを書いてまして、普段淡々と印可書を奉納するとか、何も考えないで印可書を奉納するとか、そういう気持ちで何も考えないで、自分の力じゃ何もできないんだから何も考えない方がいいっていうふうに思ってたんですけども、そこのところを印可書、神書を読んだ時に、そういうふうにイメージすれば、なんかちょっと、また、お祈りしやすいなぁと感じたんですけど、何かそこでありましたら、お願いします。

河上さん
 要するに、真祈りとは何かっていうとこなんですね。真祈りとは、すべての人に真(まこと)の神さまを与え続けるっていうふうに先生説明されているわけですよ。すべての人に真(まこと)の神さまを与え続けることが真祈りだって、先生説明された時にね、すべての人に真(まこと)の神さまを与えたらいいんやなぁで、みんな終わってるのね。それ、具体的にどうしたらいいんですかって聞いた人がいなかっただけなんですね。そのすべての人に真(まこと)の神さまを与え続けるというのを色んな説明の仕方で、先生は残されているわけ、それの一つ。

 要は、自分が無色透明になったら、そのまま真(まこと)の神さまが、すべての人に光を通す。要するに、自分がすりガラス状じゃないからね。まともに光から通っていくわけです。そして、ちょっとでも自分の意識がある人を通してでも、神さまは、絶対の愛ですから、弱い光となって通していくわけです。もういつもそればっかりなんですね。

 だから、どの表現も、すべては無色透明の自分になった時、それを本心って言うんですけども、その無色透明の自分の大きさが無限の変化して、無限にあるんですよ。小さい無色透明の自分の本心の意識の時は、真(まこと)の神さまがどうこうという、今の表現、説明になります。

 無限の無限の無色透明の意識になった時は、真(まこと)の神さまと不離一体の意識ということです。更にそれが、もっと広がるというふうに説明していくとキリがないんでね。

 ただただ簡単に言うと、その神さまと自分を分けた自分という意識をどうするかだけなんですね。その、いつもいつも自分という意識を消そうという自分が残るという感じでね、苦しむんで、何も考えずに淡々と印可書を奉読してたら、無色透明の自分にするよという、神さまの方のすごい大おまけなんですよ、印可書というのは。

 宇宙神ありがとうございますには、この大おまけはないんです。それは、あの自分の方から真(まこと)の神さまに、ピって意識合わせていくために「宇宙神ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って具体的にはね、細かい息を積み重ねていくしかないんですよ。あんまり技術的なこと言うと念力になるんでね、説明しなかったんですけども。

 ただ、印可書は淡々と奉読している時は、無色透明の真(まこと)の本心の自分にするよという、神さまの大おまけですので、それをもちろん自由意志で選び取った時ね。それを利用して淡々と読んでいかれたら、それだけで、例えば神書でしたら、どこ読んでも、その真意がわかるようになります。ありがとうございます

司会者
 (質問が)ないですか?ないようなのでお話、よろしくお願いします。

河上さん
 今日は、完璧に説明できたと思います。後がありますので、これで終わりますけども、あの本当にね、元日という元旦という、この色々と大変な時に集まっていただいて、先生の方は本当に大喜びです。本当にお年玉が出ておりますので、みんなさん今年いいことがありますので、悠々と淡々と印可書を奉読し続けてください。ありがとうございます また来月お会いできることを楽しみしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 
 https://youtu.be/-r2LEvtlxM8
 
 宇宙神ありがとうございます


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大晦日 by 河上彰延 [Mail] 2023年01月03日(火) 01時57分
PC

大晦日 光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年 大晦日 光の交流会で聞いていただいた、先生のお話です。

 真祈りとは何か

 真実の世界と虚の世界の違いを区別するのに、思いの心では出来ない。自分がまず本心の本当の自分に戻らないと。本当の自分とは何か?一切の我のない無色透明の自由自在心。ちょっとでも過去を掴んで、「これが自分」「これが自分のもの」って掴んだら、もう我(が)があるから無色透明じゃない、自由自在じゃない、捉われている。捉われた心では、真(まこと)の神さまの真実の世界は掴めない。ここが一番の難しいところ。

 虚の世界は全部、一旦掴んで止めている。真実の世界は、全部無限のスピードで動き続けて循環している。水に例えたけどね、水は、絶対の中心から、物凄い高圧で押し流してくるね、無限のスピードで、パイプが通っていたら、どこにでも流れる。どんな流し方もしてくる。そのパイプが全部、絶対の中心から絶対の中心に戻る、パイプになっている。人間の血液の流れも同じだけど、心臓から出て全身に回って心臓に戻って行く。これもそういう仕組みの模型の模型の、もう一つ小さい模型の模型よね。一つの完成体になっているじゃない。

 本当の真実の世界の入れ子構造というのは、光や水ってなしに最小単位が無限大の天照大御神。光源よね、一大光源よね。その一大光源を一番末端で考えたら、それを無限に束ねる一段階上の天照大御神がある。その天照大御神の中が、無限の天照大御神様で循環して完成体よ、一つのね。人体のような完成体。天照大御神様が無限のスピードで動いている。その一つの完成体が一段階上にあったとすると、その完成体をまた無限に束ねた一つ大きい完成体がある。

 これ同じ次元の同じ空間の立場では理解できない、違う次元になってしまう。一段階上になると、そのまた二段階をまとめて、無限にまとめて、また完成体がある。過去を掴む心だと、同じ空間の世界で広げて見ようとするから、どうしても無理があるのね、比較できない世界、異次元よ。異次元空間っていう、そういう感じになってしまう。それでいて、一番大きいものから一番小さいものまで全部、一つに納まって重層構造よ。
それが、止めて見て、止めて見て模型的に小さく見て、そういう説明になってくるよね。これが、無限のスピードで動き出したらどうなる?言葉で説明も何も出来ない、本当はそうなの、無限のスピード全部ね。

 連続というのは、色んな連続があるのよ。一つの中でも、循環が滞りなく行われているというのは連続でしょう。それでも、異次元空間全部が、絶対の中心と繋がって、全部が同じに動いていたら連続でしょう。幾通りもの連続がある。一通りじゃないの、幾通りもの色んな種類の連続がある。

 それで虚の世界に出てきたら、二通りの見方があるって言ったらね。色眼鏡を通して見る見方、鏡に写す見方の二通りがあるね。真実の世界は鏡がないのよ。時間・空間って分かれないから、時間も空間もない。真実の世界は、そういう、時間で止めて空間で広げて見る世界でないのね。それでは見れないの、無限のスピードだから、そういう捉え方は絶対できないから。時間のある・空間のある世界は虚の世界ね。虚の世界も、やっぱり入れ子構造だから、やっぱり異次元構造で繋がっているのね。本当に空間が伸び縮みする、自由自在性がある。だから、この世の人が過去を掴んで、思いの心を溜めて、思いの心で掴む感覚と全然違うのよね。やっぱり、掴みを全部放していかないと、自由な発想が出てこない。

 これが自分というのでもね、本当にこれが自分なの?今、掴んでいる自分と、次に掴んだ自分と、どこに接点がある?必ず変化してるじゃない、ものすごい変化よ。気付かないくらいの無限の変化よこれね。この世の光の流れでもそうじゃない、1秒間に30万キロ走るんじゃない。そしたら、最初から終わりまで見てごらんよ、光の粒子ずーっと通ってるとしてね、今、受けた光の粒子と1秒後の光の粒子、どれだけ差がある?30万キロ離れたものを掴んでる今ね、その間の30万キロの中の粒子を捉えてないよ全然。

 だから今、光をずーっと受け続けていると言うんだけど、それは違うわね、受けてない全然ね。だから、一瞬掴む心では不可能なのよ。掴めないよ全然ね。掴んだと思ったら、それだけよね。次、掴んだとそれだけでしょう。繋ぎ合わすことは不可能なの絶対。その間全部受けてないから、掴んでないから、連続性全然ないよね。

 (真(まこと)の神さまのお相象(すがた)は無限の)無限のスピードで全部動いているんだけど、それを感じ取る心、これ自由自在心。真(まこと)の(本心の)自分に戻らないと出来ない。真(まこと)の神さまの一大循環の世界、一大循環の相象(すがた)、これ物凄いものよね、本当は、言葉なんかで絶対表現できない。末端の天照大御神様の完成体ですら、虚の世界の無限倍素晴らしい。本当の無限のスピードで動く流動体よね、完璧な流動体。これが最小単位だから、それを本当に自分として感じるというのは、自分が本当、無色透明の自由自在心でないと不可能なの。

 元の一大循環の相象(すがた)を少しでも掴んだって錯覚を起こした。本当は掴めないよ、絶対掴めないけど、錯覚を起こした一瞬ね、一瞬掴んだって思って錯覚起こしたのが虚の世界の自分よ。最初は大きく掴んでる、「宇宙が自分」というふうに掴んでいると思う。でも残像の虚の姿だから、本物の受け直しじゃないからね、すぐに光が乏しくなる。どんどん小さくなる、光が少なくなる。それで小さく掴み、マイナスに掴み、思いを溜め続けた。

 思いっていうのは、色眼鏡の汚れよね、ある意味ではね。例えば、太陽を見る時に、みんな太陽を見て、本物の太陽を見ていると思う?違うよ。みんなの肉眼で見ている太陽は、擬似光体よ。本当の太陽は、地球から大分離れてるじゃない。真空の中をずっと通り抜けて、遠いところにあるじゃない。その真空の中を通り抜けた太陽なんか見てないよ。本物の太陽から、地球の大気圏に入ってきた、色んな乱反射を起こして、擬似光体として生まれた太陽を見ているだけよ、偽物を見ている。

 だから、地球の色んな細かい粒子が合わさったのが色眼鏡、ある意味ではね。思いの色んな集積よね。その厚い色眼鏡を通して見るから擬似光体しか見えない。色んな粒子で乱反射させている姿よね。虚の世界は、本物を見ても、そういう色眼鏡を通してしか見えない。過去の我(が)の思いが一杯溜まってるから、それがやっぱり色んなふうに、色眼鏡の姿を取る。赤い粒子が入ったら赤く見える。汚れがあったら、そこが汚れて見えるというね。それでもまだ、神さまの方を向いている時は、そういう風に色眼鏡を通して見えるの。でも、反対に向いたらどうなる?背を向けたら。

 例えば、電気の方を向いていたら明るいでしょう、光を感じるよね。色眼鏡をかけても感じるよ。でも、外を見てごらん闇だから、窓の外を見てごらん闇だから、鏡になるでしょう必ず、ガラス戸が。外の明るい時は、外が見える。でも、自分が光に背を向けて闇の方に向いたら、ガラスで本当なら見えないとダメなんだけど、ガラスが鏡に変化するじゃない。虚の世界は、神さまに背を向けたら鏡になる。神さまの方に向いた時は、神さまの本物の光を、色眼鏡を通して見る光よ。

 だから、色眼鏡が真っ黒だったらあまり見えないと思うね。薄い色眼鏡だったら、光が大きく入ってくる。それでも本物と違うよ、それは虚の光よね。色眼鏡を通した光だから、本物ではない虚の光だけど、でも本物に近いところはある。いいところは全部ね、虚の世界のいいところは全部、本物の写しよね。一部映ってきている、見えてきているわけよね。

 だから、いかに本物を見逃しているかよ。ダイヤモンドの宝石の鑑定でもそうだけど、本物を知っている人にしか、本物・偽物の区別はできない。偽物だけしか知らない人は、本物はわからないよ。本物を知るのは、自分がしっかりと本当の自分、本心の自分、真実の自分って戻らないとダメ。どうしたら戻れるかって一番大事な問題よね。

 (実感しようと思ったら)これ我(が)を捨てないとダメよね、我(が)を捨てるという過去の。我(が)っていうのはみんな、これが自分っていう思いよ、思いを捨てる、消さないとダメ。思いを捨てるって、どこへ捨てるかでしょう。捨てる場所、どこに捨てたらいい?どこへでも捨てても消えないよ、増えるばっかりよ。思いを投げ合っても、そうでしょう、増えて戻って来るよ。消す場所は、真(まこと)の神さまに向けて消してもらうしかないよ。

本当のお祈りとは→真祈り

 この世があの世の縮図という姿で、光のパイプとして、あの世へ送り返して、あの世のものこの世を通して、神さまの世界に送り返して消すといっても、お祈りができる人でないとできない。本当のお祈りをしてこそ、送り返して、神さまの中へ戻して消せるけど、虚の世界の中だけでは、いくら循環しても溜まる一方なの。それで、本当のお祈りがいるの、これ真祈りってね、真祈りが必要になる。

 真祈りは、虚のマイナス消せるから、消す力があるから、神さまの世界に戻して、マイナスを消したことになるのよね。これもやっぱり形で、こうするとね、何か五感的にイメージしてしまうでしょう。本当は、それないのよ、本当はね。

 真祈りで祈って消す働きの場が、(真(まこと)の)神さまの世界。具体的に、この空間があって、虚の世界があって、この世があって、こういう漏斗状に循環しているというんだけども、これは、形を掴んで止めて、イメージして掴んでいるだけの形なの。本当は、自由自在な祈りのすがたを、形に現わせると思う?できないよね、難しい。

 でも、本当の真祈りの働きを形に現わしたら、そういうふうにもイメージできるっていうだけの話。実際、こういう形じゃないのよ。もっと、お祈りは自由自在で、働きが無限に変化する働きだから、一定の形はないのよ。色んな形で虚の世界を消してしまうのよね。

 真祈りとは何か?真祈りのありがとうございますは、真(まこと)の神さまの祈りよね。真(まこと)の自分の祈り。これが一番大事なことよね。過去を掴んで思いを溜めた業想念の心の自分の祈りじゃないのよね、「真(まこと)の神さまの祈り」「真(まこと)の自分の祈り」。

 それがどういう祈りか?虚の世界に与える祈りと違うのね。一切の我(が)のない無色透明の自由自在心のみんなに。真(まこと)の神さまと一体の元から悟っている一人ひとりに対して。そういう人に何を与えるかでしょう。真(まこと)の神さまを与え続ける。真(まこと)の神さまは、真(まこと)のプラスだけよね。真(まこと)のプラスだけ、一大循環の相象(すがた)だけよね。真(まこと)の神さまを与え続けるお祈りが、真祈り。マイナスを持っている人に、何かを与えるのと違う。元々の自由自在心のみんなに、真(まこと)の神さまだけを与え続けるお祈り。

 具体的に幾つか箇条書きにして挙げると、真(まこと)のお祈りよね。真祈りのありがとうございますってどういうものか?

 まず一つ、常に、一瞬一瞬、新たな新たな祈り、過去は無関係。真祈りという限りは、一瞬一瞬新たな祈り、過去は全然、無関係。絶対の中心から降り注ぐ、新たな新たな祈り。

 二番目、絶対の中心から舞い降りる祈りだから、無限に無限に輝いた、本当に謙虚な、光の謙虚な新たかな祈り。無限に無限に輝いた新かな祈り。

 三つ目、すべてを与え尽くさないとダメ、残さないよ。すべてを与え尽くす必要なところを与え尽くす。余った分は、絶対の中心に戻す働き、必要なところに戻してしまう。 だから、すべてを与え尽くさないとダメ、残さない絶対ね。残したら止まるから、循環を止めるから、常に、すべてを与え尽す祈り。

 四つ目、今、与えても、次の一瞬休んだら与えてないよ。だから、連続して与えないとダメ、与え続ける祈り。常に与え続けないとね、ありがとうございますって、真(まこと)の神さまを与え続ける祈り。

 五つ目、やっぱり隙間があったらダメ、どういう隙間があっても、人間の血液の流れでもね、空気をぽっと入れるでしょう。隙間があったところに空気が入ったら、その隙間ができたら空気流れないよ。注射で空気入れたら大変なことになるでしょう。だから連続させないとダメ。この循環を正しくするためにね。だから、常に連続した祈り、隙間のない、連続した祈り。

 六つ目、一大循環の流れってね、無限のスピードだけど、有限の数値じゃないよね。無限のスピードっていうのも、どこまでも加速できる。遅くもできるけど、速くもできる。どこまでも加速できるよね。だから、真祈りは、加速する祈り。一大循環の流れを加速する祈り。

 それら全部をかなえようと思ったら、自分一人で出来ることと違う。いくら自分が、無色透明の自由自在心だといって、全体に自分のすべてを与え尽くしてって言っても、一人では出来ない。そういう真(まこと)の自分って無限にあるわけよね、神さまの中にはね。だからみんなが同じようにして支えてくれる祈り。みんなで支え合う祈り。それで本当の神さまの働きのすがたを取るの。

 だから、ありがとうございます、真(まこと)のありがとうございますは、今、言った七つ全部そなえてる祈り。その祈りを祈れないと真祈りじゃない。その祈りを祈れたら、虚の世界は自然にすーっと消えるというよりも、真実の世界そのままだから虚の世界ない。虚の世界を消すのと違うの、真実の世界の自覚に戻るだけ。虚の世界があるのじゃないの、ないの元からね。ただ真実の世界の自覚を失ったから、虚なの。だから、光に気付いたら闇はない。一大循環の相象(すがた)に気付いたら、虚の世界はもうない。そういう自覚を戻すため。

 真祈りを祈ると本当の自分に戻る、自覚が戻るから。祈りを忘れたら、また自覚が失われる。また虚の世界の自分に、思いの自分に転落する。だから、祈り続けるというの大事なのね。自分は常に祈り続けないとダメ。自分一人の祈りだったら、途切れる可能性もあるから、みんなと共に祈る。みんなのために祈る、これが大事。支え合う祈り、これで絶対、循環が止まらないようになる。

 そしたら、祈っている自分は、本当の悟った自分に戻っていく。また、その時は、みんなも悟っている。だから、自分も他人もない、真(まこと)の神さまだけという、本当の悟りの自覚になる。ありがとうございますっていうのは、真(まこと)の悟りの自覚。

 どういう心で、ありがとうございますを唱え続けたら一番最短コースで、本心の自分に戻るか?これは常に、新たな与え尽くす心で祈らないと本心の生き方と反対になったらダメ。新たな生き方、新たに祈る、新たな生き方と与え尽くす生き方。それが出来たら、本当の支え合う心で祈り続けて本心の自分に戻っていける。

 だからもう、空間的に捉えた時は虚の捉え方、止めてるから、止めて見る見方は、本当の模型の模型の、本当にもう一つ小さい模型になってしまう。

 でも、それもやっぱり最初は必要。最初から本物がわかるわけじゃないから、虚の世界に転落したら、一回、もう一回、虚の世界の模型を色んな模型を使いながら、本物へ心を向けていかないと、それは出来ないから、本物の地球を知るためには、地球儀がいる。色んな種類の地図がいる。それも全体の地図がいる。それでも、地図と地球儀、これは本物とは違う。本物を知るためには、その本物を自分の中におさめるだけの大きな自分に戻らないとダメ。それも無色透明の自分に戻ってこそ、本当の無限のスピードで循環する地球を捉えられる。

 真(まこと)の神さまは、常に無限のスピードの循環する流動体、完璧な流動体って本当の意味はそうよね。止めたのは、虚の世界の完璧さよね。無限のスピードで流動するのが、本当の神さまの世界の完璧さ。だから常に、完璧な神さまを捉え続ける、これが一番幸せ。

 だから、真祈りの必要性、大切さってね、自分が真剣に求めないと出てこない。虚の世界で満足していたら出来ない。だから、本当の自分探し、本当の幸せ探し。本当の心の安らぎを求める人しか出来ない。虚の世界を掴んでいるようだったら、本当の安らぎはない。特に、小さいものを掴んだら余計そう。

 大体、虚の世界は、無から生まれて無に戻るだけのすがただから、この世の精神統一とか精神集中という言葉があるけど、思いの心の精神集中、精神統一は一点に向かう。でも、本心の方は正反対、真(まこと)の神さまへ向かう。本物に向かうから無限大へ向かう。一点でじゃない反対よ、無限大へ外へ向かうのよ。同じ精神集中、精神統一といっても、正反対の解釈になる。本物の悟りは大きい、虚の偽の悟りは無なの、これ間違うよね。

 だから、空と無の違い。空は無限大、全部中にあるという言葉。無はゼロ、一点。同じ悟りを求めても、両方があるから、本物を目指さないとダメ。常に、全体を見るというのは大事よね。

 日常生活でも大事なことは、周り全体を見ること。どんなことしている時も、一つの仕事にのめりこんだら、周りが見えない。思いの心にとったら、それもいいと言うんだけど、一点集中して、集中して何でもこなせると言うんだけど、それは思いの心の生き方。

 本心を目指す人は反対。周りを全部、眺めて観察しないとダメ。全体を見ながら仕事をしないと。これが本当の本心の生き方。本当の武道の達人でもそうよ、本当に強い人は、全体を見ている、後ろまで見ている。全体を大きく見ている、遠くまで見ている。

 一対一で前だけ見ている人は弱い。だから本心と業想念の思いの心の生き方の違いよね、それはね。本物をいつも目指す、本心の自分に戻るために本物を目指さないと。

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/VfeZqzYxNiY

 宇宙神ありがとうございます


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12月深夜勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2022年12月22日(木) 05時56分
PC

令和4年12月河上さん深夜勉強会(20221216−1)

質問:河上さんに質問です。宇宙神ありがとうございます。12月の護摩、入れ子構造が多重的に4回の説明、詳しくお聞きしたいのですが、お願いします。

河上さん:入れ子構造的にね、4回行けたら、これからの護摩はかなり安泰やね、皆でやれるっていってね。

宮野さん:皆というのはどういうことですか?

河上さん:いよいよ皆でやれるん、みんなが真祈り人としてやれる。

宮野さん:誰かが抜けるということでは無いですね?

河上さん:結局、「印可書奉読」ということがね、みんな力みが抜けて出来るようになってきたということやね。

いよいよ光の進軍だし、待った無しだから、本人の望む望まないに関わらず、先生に縁のあった人は、皆、それぞれお役目を背負うわけね。そのお役目の背負い方は、その人の癖に応じた背負い方をするわけ。

 色々と詳しく説明したから、自分の癖を責めなくなったからね、だから4回行けるようになった。あの護摩の時に、最後の「印可書」の奉読をみんなでしてる時にね、凄い良い雰囲気というか、ふわっといったよね。力みが消えてね。あれがいるのね。

 名指しにして悪いけどね、松下清則先生って怒鳴るのは良くない。これからは本当に全世界の人がね、「印可書」だけを頼りに進んでいかないといけないからね、松下先生に頼るという形になってしまうね、名前を呼べば。

頼るんやったら真(まこと)の神さまやから。真(まこと)の神さまっていうたら、もう「印可書」だけという事やからね。だから。「印可書」に変な節回しも、誰もいないところで、勝手につけるのは自由だけどね、みんなのいてるところではつけて欲しくない。

変な節回しをつけたら派閥ができるやろ?それはもう「印可書」の本来の趣旨からズレるの。で、松下先生云々っていう位やったらね、先生の書かれた本を少なくとも10回ずつは読んでる位の人でないと、本当はね。

だけど、誰も読めてない。責めて言ってるのと違うね、自分という意識があったら読めないね。「神書」でもね、自分という意識があるうちは読むに読めないのよ。読むに読めないのを分かっていて、先生は残しはった。

何でか(なぜか?)と言ったら、最後は「印可書」になるようなものを作るという目標でね、本当に「お前(河上のこと)の真祈りが足らないからや」って怒られながらやってきたから(笑)もうそれだけやね。

 例えばこの前の御稜威(みいつ)、稜威(いつ)ていう言葉ね、あの言葉、本当に最初に質問した約50年前に僕が質問したわけ。そしたら先生は教えてくれないのね。

 「それは古事記(ふることふみ)をやらないとわからない」って言われてね、それしか言わない。それが答えなの。「あーそうですか」で、みんな普通は終わるのね。

 だからそれではあかんよね。古事記をやらな分からんっていうんやったら、自分で必死で古事記を研究して、あの書かせてもらったようにね、ああゆう文章まで書いて、研究し尽くしてから先生に聞くわけ。

 そしたら、初めて色々とその中に先生が手を入れてくれはってね、今の形になった。あれは僕が個人で書いたんと違って、あの中に大事なところは全部先生が書き足してくれたの。

 だけど、書き足してもらえる位、先にこっちが必死でね、だから勉強でもそうなんだけど、まず予習が入るわけ、本当に熱心やったら。まず予習して予習して予習してみてね、どうしてもここがわからないんですって、申し訳ないけどここが分かりませんって聞く位でないと受け取られないね。

 でも、そこまでの真剣さが皆なんでなかったと言ったら、責めて言ってるんと違うで、みんな自分という意識があったからやね。自分という立場、自分はこれだけのもの、自分は何々というね、その意識があるうちはもうそれができないのよ。真理のことに関しては。  

 だからできないのは先生先刻ご承知でね、出来なくでも色々と仰って下さったの。それは本当は師匠から伝授を受けようと思ったら、もう師匠に絶対服従か、師匠にピタッとあわせなアカンね。師匠が何を言っても信じきれる位ね、真剣さがいるの。

 だけど、みんな松下先生を信じてないね。信じてたら、もっとちゃんと護摩ができたし、「印可書」もすぐ受け取れたって。(なぜ?信じ切れてないか?というとみんな)自分の都合の良いようにしか先生のいうことを聞かなかった。

 だから、先生の周りでいろんな噂が立ったときにね、先生を疑って、去っていった人もいるし、色々あったけども、それは先生を信じきってないからや。先生は何もしてないから、一切言い訳もしないし、したとも、してないとも仰らなかっただけや。

 今まで(そんな疑惑さわぎが)4回ほどあったけどね、都合いろんなことがね、先生に対して噂、誹謗中傷、誹謗やね。先生を貶めるような話をいっぱいする人があったわけやけども。

 (ある教会がわざと先生をおとしめるために)団体でやってきたとこもあったしね。

 そんな教会を今だに信じている人を僕は不審に思うけども。

 だけど、もう時間切れでな、そんなん言ってる暇はない。只々、「印可書奉読」して進むだけ。そしたら、真剣さがあるとかないとかじゃなくてね、「印可書奉読」している時は真(まこと)本心の自分に戻れるから。

 だけど、「印可書奉読」っていうてるのに、松下先生に戻ったらあかんね。

 勿論ね、松下先生を全面的に信じて全面的に受け入れている人やったらそれでいいんやで。誰もできてなかったね。出来てない人が今さら又、やったら変な宗教になるだけや。

 宗教って何で崩れるかって言ったら、教祖を全面的に信じ切れないのよ。みんな。自分の都合の良いように信じるだけよ、どの宗教といえども。だから崩れていくね。

 教祖も清める力を持ってないから、みんなに頼られて崩れるの。大体みんなに頼らすような教祖は偽物や。偽物というか、虚の世界の宗教やね。

 本来、宗教の宗という字が何かというのを、みんな考えもしないね。宗というのは大元という意味よ。まあ、真(まこと)の神さまと言っても良いけどね。真(まこと)の神さまの教えを宗教というね。だけど、今は宗教と言ったら何かおかしいことみたいに思われてるね(笑)

 宗教という言葉が、本来は日本語にはなかったのね。明治時代になって、デリジョン、英語を訳すのに訳す人が霊感のある人でね、宗教という言葉を作りはったわけ。

 それは大元の教えという意味で作りはった。でも今は、大元の教えの筈なのに、大元の教えに何故ならないかと言ったら、どの教祖の事でもみんな本当に信じ切ってこないからやね。それは何ていうのかな、結局はみんな責任逃れするのね。教祖の言いなりになっていたら良いみたいな、逃げ方をするからや。

 だから、松下先生の場合は、「こうしなさい」というのは、本当に大事なこと以外は「こうしなさい」とは言わなかった。だから、先生が「こうしなさい」というのは本当にすべきやったけど、誰も出来なかったね。「そんな事は先生だから出来る、私たちは無理や」ってみんな言ったんや。それくらいな、責めて言ってないけどな(笑)。

 例えば元茎水(もとすいけ(近江八幡市元水茎町))から此処へ大引っ越しするときにね、先生はゆっくりでいいって言ったの。何でか(なぜか?)といったら、急がせたらみんな嫌がって余計に動かなくなるから、ゆっくりで良いって言われたんだけど、(あのとき)もう神さまは凄い急いでいたの。

 1人、僕だけが憎まれ役になってな、バッて急かせて下の元茎水のね、(古い人は)知ってるやんな(笑)?元茎水の住むとこをどんどん壊してしまって、上に上がらざるを得ないように急き(せき)立てたんだけど、(なぜか?というと)それはオウム事件が起こる寸前やってね。もし、あれをゆっくりやっていたら、オウム事件が起こって、此処オウムみたいに思われて、移ることも出来なかってんね。

 それくらい真剣に祈るというのが必要なんだけど、真剣に祈る方法すら分からない。

 何でか(なぜか?)と言ったら、自分の都合の良いようにみんな聞きたいというのがあるからや。

 例えば僕がどんな話を喋ってもね、みんな自分の都合の良いようにしか聞かないの。

 だから、話を(してもみんなが)聞いても仕方がないし、真祈りしますって言ってね「宇宙神ありがとうございます」て言ってもどうしようもないっていうのが、先生との相談の結果分かってね、それで「印可書」になったの。

 でも、やっぱり「印可書」を受け取ってくれないから、「宇宙神ありがとうございます」でいきましょうというのが基本やってね。それで先生が亡くなられた最初の護摩の時に、喋らせてもらう時にね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せましょうねということを示したわけ。

 そこでどれだけの人が真剣に乗せたかといったら、乗せへんねんな(笑)。「やっぱり無理や」みたいな感じで。

 一応みんな聞いた限りはしてみるよ。してみるけど、「やっぱり無理やなぁ」って、自分では無理って分からしといてから、このぐるっとこう「印可書」まで持ってきたんやけどな。

 やっと自分の自由意志で「印可書」を選んでくれるとこまで来たから、護摩が4回の入れ子構造でグッって動いてん、だからもう大丈夫。それで光の大進軍が始まったの、大丈夫です。 

 只、形の上では、本当に大変な事がいっぱい起こるのでね。例えば、風邪薬とかね、ちょっとどうしても必要な薬は買い込んで貯めといて下さい。あっという間に薬がなくなるからな(笑)。もう録音で言っとくわ、薬があっという間になくなるから買っといて下さい、ある程度は。

 次のをお願いします。

質問:これで終わりです。

河上さん:これで終わりですか、はい。まぁそんなんで、本当に時間切れで色んな事がどんどん起こりますけども、必ず良くなると信じてね、結果を掴まずにサラサラと「印可書奉読」して光の大進軍として進んで行きたいと思います。もう只々それだけです。

 ともかく、悲惨な姿を見てもね、それをさらりと流して行かなあかんね。その一瞬一瞬新たというのがそこやね。一瞬一瞬新が分からない人は、「こんな無慈悲な事が、こんな残酷な事が、こんな悲惨な事が、こんなえげつない事があるんやったら、神も仏も無いわ」って思って絶対無に落ちるのね。

 それは現実を掴むからやね。掴んだら意識が小さくなるのね。掴めば掴むほど意識が小さくなるの。それで、生まれ変わっても祟ってやるとかいうのは、あれ現実を掴むからや。祟るって言って相手を責めだしたら、どんどん意識が縮んでいくね。で、意識が縮んでいくと、どんどん小さい世界に入るのね。

 要するに、本棚の後ろの隅って狭いでしょう?狭いとこは暗いし、みたいなそういう狭いとこばっかり選んで入っていくわけね。で、最後は絶対無のとこまで入っていくんやけどね。それは自分の自由意志で入るんや、やっぱり。

 それは何故かと言ったら、サラサラと本来流れてるもんやのに、あるとして掴むから。そしたら無いものだから、つかんだ瞬間に小さく落ちるの。で、また落ちたら余計に不安になってまだ掴むの。それでどんどん落ちていくの。

 本当は、空気は真(まこと)の神さまの存在そのものなんだけど、空気って掴みどころがなくて全てに行き渡っているでしょう?真(まこと)の悟り、本当の悟りとか、深い真(まこと)の本心の自分というのはそういう存在やね。

 一切掴みどころがないのね。だけどみんなそうだけど、肉体を持っている人は掴みどころがなかったら不安で仕方ないの。スカイダイビングじゃないけどね、スカイダイビングでもパラシュートが付いてるから安心して行くんやで。あれ付いてなかったら、もう不安であっという間よ。

 だけど本来そういうものやね。すべてのすべてに存在するのが真(まこと)の神さまやね。だから「絶対の中心、無限大の外遥か彼方、すべてのすべて」ってね、ちゃんと言ってるわけ。

 だから、一切掴みどころの無いのが本来なんだけど、肉体を持とうとしてマイナスを作ってね、要するに、ギターの弦でいうと、低音をマイナスとしたら、低音ばっかり響かせてね、それで肉体を形作るわけ。低音を響かせる毎にどんどん意識が小さくなって肉体ができるの、入れ子構造的にね。ところがそれはギターの弦を弾いているだけやろ?という事は弾かなかったら消えるの。だから肉体は100年(ぐらい)経(た)ったら消えるの。それは響かせたものだから。

 それが分かったら肉体の意識に囚われなくなるんだけどね。一瞬一瞬響かせてないと肉体が現れないの。真(まこと)の世界から、地獄の底、絶対無までがね、一瞬一瞬新たに新たに現れているという事に気づかなあかんね。

 殆どの人は、地獄と言ったらずっとそれが存在する。絶対無と言ったら、ずっとそれが存在するっていうふうに勘違いしてるね。

 もう本当はすべてはそれだけやね。一瞬一瞬新たが分かったら、全部解決するの。でも、その一瞬一瞬新たというとこがね、入れ子構造的に、無限の世界を入れ子構造的に小さく縮めて肉体まで作って地獄まで作ってしてるんだけども、それが一瞬一瞬新たに、入れ子構造的に作ってるというのが分かったら良いんだけどね。

 それはギターか、バイオリンでもいいけど、楽器がね、大元の宗のとこやね、大元の世界、真(まこと)の世界としたら、その弦を響かすことによって音としてこの現世を作っているわけよ。音楽ってそうでしょう?響かさないと消えていくね。この現世も一緒よ、響かさないと消えるね。真(まこと)神さまが楽しんで演奏して響かせて、この現世を作ってるだけなの、本当は。なのに、響いてる流れのとこへ意識を置きすぎて分からんようになってるだけよ。只々、それだけやねんけどな。

 だから一瞬一瞬新たのとこを分かってもらわないと困るんだけど、分かりようがないね。今は理屈で説明したって微妙にずれてるからよく分からないやろ?

 だから。「印可書」の奉読やね。「印可書」の奉読をしたら、一瞬一瞬新たに受け直してる事になるの。実際になってるの。

 だから、そこだけを信じてね、ひたすら「印可書奉読」で、光の大進軍に参加して下さい。本当に時間切れなので、皆さんの癖を使って色んな事を起こす、消しますので、一時的に使われた時は雑巾のように汚れますけども、「印可書奉読」してまた綺麗にして使ってもらって下さい。

 だから最後まで自分のいろんな癖がね、食欲やったら「食欲が消えへんわ」と思って責めないように、神さまが必要で残してそれを使ってるだけというのを分かって下さい。もう只々それだけです。本当に自分を責めないで。

 例えば、どうしても食欲があったら、本当に感謝して味わえばいいね。そしたら1回で済むねんて。それを美味しいだけで食べるからもっともっとってなるの(笑)。

 それで、感謝だけで食べろって言っても、やっぱりそれは理屈やからね、中々、まずお腹すいたから、或いはスイーツ、美味しそうやからって食べるやろ?(笑)だから食べ終わってからで良いから「印可書奉読」して下さい。それで立ち直れるし、それで立ち戻れるしね。もうそれだけです(笑)。 

 もう自由意志で「印可書」さえ選んでもらえたら、もうそうしてどんどん中心に戻れるね。でも、先生がいうから、河上がいうから「印可書」読んでみようでは、もうギブアンドテイクになってね、真(まこと)の神さまにならないね。「印可書」の奉読というのは、すべての人に真(まこと)の神さまを与え続けるという真祈りやね。

 だけど、真(まこと)の神さまを与え続けるというのは、自分の自由意志でやらないと意味がない。もう只々それだけです。

 例えば今の丸ノコでもね、みんな「上手く引かれへんな、私やっぱり不器用で苦手やわ」で終わってるわけや。どうしても丸ノコが回る(から、ぶれるし、はじかれてきれいに切れない)し、先生、上手くいきません」って、色々やってみて、色々やったけどこうなるんですよって聞けばな、ああやって教えてもらえるの。

 でもそこまで聞くための色んな自分の苦労というか、工夫というかね、してないの。

 それって、先生の言葉で言ったら、「真剣さが無いだけじゃ」見たいなね(笑)、一言で終わるんだけど。そんなん言うとみんな逃げて行くから皆には先生は言ってないね。僕には(先生、お前は真剣さがたらんと)散々言われた、ぼろ糞に(笑)。

 でも今はね、例えば古事記でも先に予習して作ってみたいな事しなくても、印可書で全部解決しますから、あんまり悩まずに自分の自由意志で印可書を選んで奉読してて下さい。お願いいたします。

 質問が有ったらどうぞ?

宮野さん:「印可書を奉読して光の進軍に参加して下さい」って言ったけど、印可書を奉読して、光の

河上さん:印可書を奉読したら、

宮野さん:自動的になるわけでしょう?

河上さん:自動的に全ての人に、そう、真(まこと)の神さまを与えることになるから、全ての人に真(まこと)の神さま与えるのが、「真祈り」やね。

 あのな、それが自動的に光の進軍になるねんけれども、先生は昔にな、ちゃんとな、みんなが質問に来るようにと思って「『真祈り』とはすべての人に真(まこと)の神さまを与え続けることや」って言って、説明しはってん。

 それで皆そこでな、「どうするんや」って悩んで聞けへんからな、こないなってしもうたんや。な、(それで先生が)もう「ともかく印可書奉読だけでいってしまえ」みたいな感じできているから、印可書奉読で光の大進軍をして下さい。

宮野さん:重ねている感じ。言葉?

河上さん:だから説明するためには、こう時系列に分けなんからこうなるんや。中々言葉にしたら難しい。印可書奉読だけって言ったら、一番簡単。

宮野さん:「奉読をして光の進軍に参加して下さい。奉読をすることによって光の進軍に参加しているわけですよ」っていうことやね。

河上さん:だけどな、あんまり纏めて言うとな、また微妙に誤解を生じるから、中々難しいところや。

宮野さん:だけど、そういうことやな?   

河上さん:そういうことや。ということで全部話し終わったから。

宮野さん:今日は折角、この間、面白い話やなー、言うたん。

河上さん:それがこれや。

宮野さん:違う違う違う。

河上さん:面白い話ってこれや。

宮野さん:宗教の「宗」の話な。ちょっと短かった。もっと面白く話をしてたやん。

河上さん:もうどないや。どない言えって。

宮野さん:なんか。

河上さん:何よ。

宮野さん:思い出されへんね。

河上さん:もっと魚食べや。

宮野さん:思い出されへん。ビタミンか、DPAか。銀杏か何か、飲むわ。なんか宗教の「宗」は大元やけど、大元っていう意味で。せやから「何々はついてへんやろ」っていう説明したやん。「何々はついてへんやろ?だけど何々にはあって、これもこれもこれこれ」みたいな。説明は大変よくわかって、「なるほどなー」みたいな感じよ。

河上さん:分かって忘れててどうするねん。おかしくない?

宮野さん:一瞬一瞬新たやん。一瞬一瞬新たやから。はい、よろしく。忘れたわ。質問返し。

河上さん:いや、まあ神さまはあんまりな、求める度合いとか言うたら、又、誤解を招くねんけれども、ひたすら祈り続けてくれているから、その時その話ができたんで、今それしても入って行けへんね。何喋ったか分かっているけど。あの今それ喋ったら、返って誤解を招くと思う。

宮野さん:録音けしたんかもわからへんな?

河上さん:だから、その大元っていうところね、それ「いつ(稜)」っていうてんねんけれども、それがそこから左旋回で光り動き出した時に御稜威(みいつ)っていうねんけどね。御稜威に添わなあかんね。要するに御心に添わなあかんねんけどね、その部分というのは、あんまり理屈で言うとズレるからな、そういう感じやね。

 先生それを理屈で時系列でお話しされて、左旋回でっていうわけやけどね、その左旋回の処が御稜威やね。それも、本当に喜びが湧いてきて、勝手に左旋回が始まる感じやね。

 勝手にっていうのではなくて、もう自ずと湧き上がるねんけどね。でその自ずと湧き上がるとこは理屈では言いようがないから、印可書奉読してくれていたら、なんか知らんけどひたひたと喜びが、幸せが湧き上がってくるって、なるわ。

 それは現実を掴んでへんからや。ちょっとでも現実掴んだら、その喜び、幸せが本来湧いてるねんけど、分かれへん、気づけへん。

 だけどね、お仕事をするためには、或いは、あの(現実的に自分の)家族の面倒を見るためには、ある程度、現実を掴まんとね、この世的にできへんから、そのバランスが難しいわけよ。

 でもひたむきな奉読があったら、現実を掴んでるようで掴まずに自在になるねんけどな。そこはな、理屈でいいようがないから、もうちょっと印可書を奉読してくれると説明できるねんけどな、その辺やねんね(なかなか言葉にすると微妙にずれて誤解されるのは・・・・)。

 それでその印可書奉読っていって奉読してたらね、その印可書の纏まった響きっていうの、要するに真(まこと)の神さまそのものの響きが湧き上がってきて、自然にね、呼吸が真祈りそのものって分かるの。

 それを呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて分かってもらおうと思ったけど、やっぱり無理やったから、印可書にしてんけどね。

 本当に呼吸というよりも、この自分の肉体、先生の指一つ動かすんでも、先生の一挙手一投足がもう真祈りやってん。

 だけど、本来みんな今、今の状態でもね、どの状態でも真祈りやね。でも現実を掴んでいるから、「真祈りになってへん」という姿を取って色々とするわけよ。

 それで全人類が真祈りがなってないっていう状態にみんな落ち込んでいるから(けんかと戦争をしてしまうの)、(そこで)皆さんの「私まだまだ真祈りになってわ」っていう意識を使って響かしているわけ。

 だから「どんな欲望が出ようとね、どんな意識が出ようと、ほっといて印可書を奉読して下さい」ってお願いしてます。

 そして、色んなみなさんの癖とか思いが必要なの。それで初めて狭いところへ、小さい意識に光が通る。

 五井先生や松下先生の真祈りやったら、強い光がバーンって行っただけで、あの本棚の後ろとかね、木の後ろとか影ができてたわけ。その影を照らしに行かなならんね、最後の仕上げね。で、最後の仕上げは全員の真祈り。全員の悟りがいる。

宮野さん:前の1時間17分のやつの話やね?

河上さん:そうそう。117な。

宮野さん:117。その「みんなすでに悟っている」いう状態の中、

河上さん:だから・・

宮野さん:その真祈りがみんなできて、本来の本心の真祈りをしているわけでしょ?

河上さん:そう。

宮野さん:でも自分という意識を持ってその真祈りが、まあ言えば、言葉は悪いけれども、単なる祈り、真祈りじゃなくて祈り、「我」のある祈りになっている状態、を利用しているっていうこと?

河上さん:そうそうそう。だからその肉体を持つためには真の本心の自分をね、半分に割って、1/4に分けて、小さく意識を入れ子構造的に小さくして肉体を作るわけ。

 その時にその性欲の部分を強調して肉体を作るか、食欲の部分を強調して肉体を作るかとか、そんなん一個だけ違うけどね、もっと色んな物使うんやけれども、単純に説明したらそういう自分の掴みやすい癖の部分を強調して、それぞれ肉体をつくる。

 無色透明の光がね、プリズムを通したら七つ八つにパーンと割れるでしょう?ああいう感じで分けて分けて、本来は無色透明やけど色がつくわけでしょ?あれをもっと細くして、肉体をつくったわけや。だから肉体といえども。真祈りのそのものやね。

 だから先生は、「すでに祈っている、悟っている、救われている」あるいは「この世はこのままで、完全円満完璧大調和である」って喝破されたわけや。それは入れ子構造的に見たらいつもそうやね。

 だから逆にいうと完全円満完璧大調和やから、一瞬一瞬新たやね、肉体といえども。一瞬一瞬新たやから、自分の思いの響かしかたによってね、年取ったり若返ったり、色々あるわけや。

 病気になったりとかね、自由自在に作れるね。ただ入れ子構造的やから、自覚とか意識の感覚がね、後から来るのよ。それでみんなね、体、変に無理して病気になるのはね、「元気やから動ける」ってみんな勘違いしてるね。だけど自分の言葉で先に病気を作ってるんよ。それで本来もう病気の状態の体やのに、今動けるから元気やって勘違いして動いて、余計崩すね。それぐらい入れ子構造的に肉体作ったら、結果出てくるのが遅いね。

 なのに逆にいうと遅いのを利用してね、先に印可書を奉読しておいたら、良い結果しか出へんようになるね。みんなはどの演奏を、要するに、どの楽譜を演奏して良いのか、分らんと、しょうもない楽譜演奏するから、病気になったりな、喧嘩になったりな、色々あるわけ、悩んだり。

 だけど印可書、っていう楽譜を演奏してくれたらいいね。そしたら、いい結果しか出へんようになってくるね。それも自分以外の周りにまで。だから 印可書を奉読したら真(まこと)の神さまを全ての人に与え続けている事になる。だから真祈りやね、という風なことをこの前いうてん。よろしいですか。

宮野さん:ちょっと違うけど、ええわ。

河上さん:もうかなわんな。(笑)

宮野さん:もっと面白い話やったのにな。

河上さん:いや、違うねって。みんなの心がもうちょっとこう湧き上がってこんとな、響して行かれへんねんて。今パーンって言ったって、こう「なんか、よーわからんかった話やな」で終わってしまうんやって。

宮野さん:これでも「分からんかった話やなぁ」って思ってるけど。今日はこれぐらいにしとったろ。

河上さん:帰ろうか。

宮野さん:質問あるかもしれん。

河上さん:えっ?ないよ。

宮野さん:せっかくこんな遅い時間まで・・

質問:今年の正月のお話で、本来の正月は「新年は冬至から」と言われてたんですけれども、それを目安にしたほうがいいんですか?

河上さん:いえ。本当の新年はな、「今」や。「今ここ」やねん。「一瞬一瞬新たな新年あけましておめでとうございます」や。その「一瞬一瞬新たな新年あけましておめでとうございます」がみんな気づけへんから、1月1日とかね、2月1日とかね、冬至とかで定めて、そこで一年が新たまりますよっていう風に、まあ民族によって違うわけよ。

 その冬の寒い地方の人やったら、冬至の方が分かりやすい。それ過ぎたら春に向かって進むばっかりやと。冬至まではもう寒い寒い冬に向かって進むだけやと。

 だけど結果は後から来るからな、冬至よりも後に寒なるけどね。それでもなんぼ寒なっても、冬至過ぎたら、もう春が来るだけやみたいな感じでね。寒い地方の人やったら、冬至を中心に、一瞬一瞬新たにするわけや。

 これが暑い国になるとまた、感覚的に新年(1月1日)になったり、2月3日になったりするわけ。それだけです。

質問:国によって色々受け取り方が違う?

河上さん:そうそうそう。その時住んでいる地方の気候によるんやな。やっぱり気候のこの感覚があれやんか、あの新たな気持ちになれる感覚いうのがあるやん。

質問:でも来週冬至が来るんで、その時に新年を祝う気持ちをもって迎える?

河上さん:だから新年を祝うんではなくて、一瞬一瞬新らたや。

質問:ありがとうございます。

河上さん:ともかく「一瞬一瞬新た」が、本当に自覚できたらもう何の怖いものもないねんて。

 光一元やねんて。入れ子構造的に性欲を作っただけ、入れ子構造的に食欲を作っただけ、っていうのが分かると、作った食欲、作った性欲やからそれを楽しめるけれども、それに縛られへんの。

 ここが大事やね。いろんな欲、癖があってええねんけども、その癖にみんな縛られてんね。それも縛ってんのがこっち違うで、みんな自分の癖に自分で自分を縛っているわけよ。

 「こんな性欲ある私ダメや」、「こんな食欲ある私ダメや」とかな、なんやかんや言いながら自分で自分を縛ってるだけよ。そうじゃなくて自在にならないと。癖を楽しむだけ。

 そしたら、例えば、旅行行きたい人、ね、どうしても行かな気済まん人、があってもね、旅行行きたいという癖を楽しめるようになったら、ガイドブック見るだけで満足するようになるね。一々現地まで行かんでも分かるよ。先生のように全世界が、手にとるようにわかるようになるね。

宮野さん:先生行きはったん?

河上さん:突っ込まないように。

質問:先日のお話でちょっと気になったのが、本来は河上さんの弟分の方が座られて話される役目だったということを、おっしゃられていたわけですけど、どうして生まれ損なったのです?

河上さん:人類の自由意志や。人類の自由意志が、そういうなんていうかな、最後の救世主としてね、全員を救世主の自覚を与える役目を持ってくる人を拒否したんや。である意味一旦人類は失格したんや。

 そやけど先生が「もうちょっと、もうちょっと」でちょっと変えはった。「へー!僕その役目になるんですか」みたいな感じやったんやけどな。

質問:全て良しということで。

河上さん:うん。そうじゃなくてね、真(まこと)の神さまの方はね、何があっても何があっても、「救いとらん」としてくるね。どんなに裏切られようが、どんなに酷い事、人類がしようが、なんとしてでも、救いとろうとしてくるね。

 そういう凄い愛やね、そういう部分。どんどん大オマケを出してきてね、「もっと遊びたいわ」って言うててもな、「ご飯食べに帰っておいで」ってするわけや。「もっとアイスクリーム食べたいわ」ってしててもな、「ちゃんとご飯食べ」って言って食べさせてくるね。だから人類にしたらアイスクリームを食べたいわけよ。小さい子に例えたらね、アイスクリームばっかり食べていたいわけや。それでは栄養偏って死ぬやろ?

 人類でいうたら、みんな好き勝手したいね。好き勝手したら滅びるわけよ。それで滅びるに任さずに、なんぼ(いくら)好き勝手してても、なんとかなんとかっていうふうに、真(まこと)の神さまは、してくる。そういう働きです。

質問:印可書は四六時中ちょっと唱えきれないんで、普段は「あ・う・す」とか「ありがとうございます」とか。

河上さん:「宇宙神ありがとうございます」ね。

質問:プラスの言葉とか・・

河上さん:それを呼吸に乗せてたらいい。

質問:時間ができたとき、唱えれる時は印可書を奉読すれば。

河上さん:そうそう。いいの。兎も角、意識を真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまにおくことが大事やね。でも置く方法が分からんから、「印可書」を通して「宇宙神ありがとうございます」を通してや、ただ「宇宙神ありがとうございます」やったら真(まこと)の神さまの響きがね、(ひたむきさが、絶対の信が、一瞬一瞬新たに受け直すが、ないから)感じ取れんわけよ。

 でも「印可書」はもろに真(まこと)の神さまの響きを書いてあるからね、理屈ぬきに響いてくるの。

質問:不思議と印可書を奉読していたら、「宇宙神ありがとうございます」の重みが増してくるという・・

河上さん:そうそう。もちろんそうよ。

質問:最近実感が・・・

河上さん:実感、うん。もちろんその通りよ。

河上さん:そう。

質問:印可書が「ありがとうございます」の説明書という?

河上さん:そうそう、説明書ではなくて、どういう、何ていうんかな?ちょっと言いようがないねんけどね、説明書ではない。

 肉体意識側で受けとりやすいような、ちょっと響きにしたっていうだけで、色付けでもなく、色付けはしてないからね。

質問:だから相互作用っていうか、いいように・・

河上さん:そうです。だから、自由意志で印可書選んでもらえたら、そうなるの。だから中々難しい。説明が。

質問:真祈り体操は印可書の働きをあらわしている?

河上さん:そうです。

質問:最初の霊で振り(ひでぶり)ですか?

河上さん:今日ね、もう一度ちゃんとしたのを録画しようと思てんけど、ちょっと時間詰まっているのと、凄いちょっと死にかけているから、ちょっと動けないの。それで今日はしませんけど、また来月何とか頑張ってします。

質問:あれは魂のひでぶり?

河上さん:これは絶対の中心の稜威(いつ)の部分が、この霊で振り(ひでぶり)す。

 で、それが御稜威(みいつ)となって光輝いてきて、それがこの世的には「天の浮橋」という働きになるね。

質問:3回最初にやるんですか。

河上さん:回数はね、本当は関係ないね。だけど最低4回ぐらいは。基本的に十字やと思って、4回。4回してもらったら良い。

質問:あれ最初にやると、凄い気持ちいいんです。

河上さん:そうそう。

質問:あれだけでもう体が広がる。

河上さん:それで、真祈り体操は全部ね、例えば前屈後屈左右でも、あれは大きな螺旋を表しているの。でこの腕を組んでのやつは小さい螺旋を表しているとかね、全部螺旋の意味が入っています。

 それをある程度意識してたら、分かってくるわ。でこれもね、螺旋なんですよ。手首を螺旋に回しているわけよ。これは大きな螺旋。例えばね。そうそう。

質問:手も螺旋に?

河上さん:そうそう。この回しもこれ螺旋でしょう。ね、小指をこう、おへその方に螺旋に回してるわけ。



令和4年12月河上さん深夜勉強会―3(20221216−3)

河上さん:その印可書の螺旋の響きを具体的な形にしたのが眞祈り体操だから、それはそれで体が健康になるし、みたな。自分で痛い方をしないと意味ないよ。

宮野さん:でもグッとやり過ぎたらね、徐々みたいな。

質問:ピラミッドの構造が分れば祈りが分かる?

河上さん:祈りも分かるし、フリーエネルギーも分かるし、重力の謎も解ける。

質問:底辺を重ねた形の?

河上さん:うん。あのダイヤモンドの形ってな。

質問:そこで祈る祈りが真(まこと)の十界?

河上さん:真(まこと)の真(まこと)の十界で祈るんやな。真(まこと)の十界いうたら外から受ける方、光を受ける方。真(まこと)の真(まこと)の十界っていったら(中心から)光を出す方。

質問:あのピラミッドの中心で祈っている?

河上さん:そうそうそう、ダイヤモンドの中心でね。

質問:水の分子が各頂点にあるのが、水の分子がどうとかいう話しだったんですが、水の分子の構造がよく分らないんですが?

河上さん:まあ凄い頭の良い小っちゃい子が生まれて来るからな、その子らにもう任して。何ぼでも説明するけどね、みんな途中でポワってなるの。

宮野さん:時間の無駄だから言わなくても良い。

河上さん:そう。あきらめんね。

質問:その子達が分かり易く教えて下さるんですか?

河上さん:だけどね、何ぼ(いくら)そこ子達が出てもね、今の皆さんの真祈りが要るの。皆さんの真祈りで支え合える気持ちになるからフリーエネルギーが使えるの。

 その皆さんの気持ちで支え合える気持ちになってくれたら、その頭の良い小っちゃい子達がね、アインシュタインクラスの頭を持っているから、それも六つ位で(その能力を)発揮するけど、具体的な数式とか理論とか出して、してくれるわ。それまでは先ず先ず真祈り。

質問:その子達の世代は能力を解放されて生まれてくる?

河上さん:いや、今、人類は重力に縛られているんよ。要するに思いに縛られているんだけど、その思いが解けたらや。

 だから真祈り、印可書奉読が要るの。先ず印可書奉読して、思いを解かないと重力、みんな重力に縛られているやろう?それは思いがあるからや。イエスが水の上を歩いたのは思いが無いからや。それだけや。

宮野さん:それはダジャレ?

河上さん:え?ホンマホンマ。ダジャレでなくてホントやね。だから人を恨んで思いを一杯積み重ねている人は地獄に落ちていくんよ。嫌でも落ちるね、重いから。支え合いになったらね、バレーボールでは無いけど皆で支えるから勝手に上に揚がるの。落ちようとしても皆で上げる。

 だから喜びの時に胴上げってするでしょう?みんなで支えて上げるわけよ。或いは、御神輿わっしょいわっしょいって支えるでしょう?みんなで支えるわけや。あれは支え合いの象徴よ。

 でもこの世の御神輿だったら、わっしょいわっしょいって支えあいやってる時にぶら下がる奴も居る訳よ。(笑)

質問:色んな虚の世界の働きはプラス、マイナス両方に分かれるという話ですけど?

河上さん:だからね、ギターの弦で言うと低音をマイナスとして、高音をプラスとして例えたら、そういう風にして響かしてプラスを作り、響かしてマイナスって作っているから、どっちも虚のもんや。要するにどっちもマイナアスや。

 映画がそうでしょう?実態ないやん?無いけどスクリーンにあるように見えるわけでしょう?そういう感じのもの。実態がないのが、だから虚の世界って言うの。

 じゃあ何でその実体のないものを作ったんって言ったら、人間でも映画という実体のないものをスクリーンを見て楽しむわけでしょう?神さまもこの虚の世界というものを作って楽しんでいるだけよ。

質問:重力は引っ張る力しかないっていうお話しだったんですけど、それは真(まこと)のプラスの働きだからです?

河上さん:いや、本当は重力もプラスとマイナスがあるの。有るけど

質問:立体的に見ないと分からない?

河上さん:簡単に言ったら、入れ子構造やからね、人類はここの空間しか感じていないやろう?でもこの隣に別の空間があるの。だから霊界が幽界があるの。その隣の空間との繋がりが重力や。この空間だけやったら電気のプラス・マイナスとか、磁力のN・Sやねんけど。重力はこの空間と隣の空間との関わりや。

質問:引っ張る力だけで?

河上さん:いやいや、押す力もあるねんけどな。

質問:それは思いと感謝の響きというか?

河上さん:いやいや、思いと感謝じゃなくって、重力波があるねんけど、そこに人間の思いがあったら重力波に押されて押しつぶされているだけ。それを左旋回の感謝の印可書の響き出したら、押しつぶされんと空飛べるの。ほんとに印可書を奉読出来たら空飛べるよ。水の上歩けるって。

質問:基本はピラミッドを合わした形が中心にあって、入れ子構造で

河上さん:いやいや、あの形を形作るには何が必要かという事や。それが分らないと。サイコロだけ転がしても意味ないね。

 例えば地球が何で宇宙に浮いて、クルクル回りながら太陽の周りを旋回しているかっていう事をね、具体的に誰も説明出来ない、何故そうなっているかって。今の科学だったら太陽の引力で振り回して貰ってね、太陽を中心にして廻っているって言うんでしょう?皆それをアホの様に信じているわけや。

 例えば、「あなた太陽役、あなた地球役」って腕を持って振り回してみ、中心の人ブレるで。太陽ブレてないで、何で?って言われたらみんな困る。今の科学でも説明出来へん。

 例えばアインシュタインがね、重力は質量のある空間の歪やっていうわけや。で、空間の歪は何やって言ったら、質量があるからやって言うの。それ答えになってない。あっちのせいでこれ起こってるって言うんだけど、こっち来たらあっちのせいでこれ起こってるって言ってるわけ。質量があるから空間が歪む。空間が歪から重力が出る。説明なってない。

質問:トコロテン式というのがピラミッドが回転してる、合わせ鏡の様にズーっと見えていく感じなんですか?

河上さん:いや違う。だから平面的な思考しか出来へんや、この3次元の肉体の人はね。その平面的思考が、入れ子構造的に立体的に重ねて、何?ロシアの何とか人形?

宮野さん:マトリョウシカ。

河上さん:マトリョウシカみたいに中一杯に重なって入っていて、尚且つそれがもう一辺重なって入ってという感覚的なものを理解できへんや、今。

質問:それは入れ子構造?

河上さん:入れ子構造とトコロテン構造が隣り合わしてるの。

質問:ピラミッドを繋ぎ合わして行ったら、そういう入れ子構造?

河上さん:いや、違う。繋ぎ合わしているんだったら空間変わらへんからね、別の空間と重なっているの。だから幽霊があるの。

 今此処にね、色んな世界が同時に存在しているの。それは敢えて言えばラジオ、テレビ、この空間に例えば12チャンネルとしたら、この空間に12チャンネルが同時に存在しているんでしょう?それをチャンネルを回して周波数を合わして1チャンネル見たり2チャンネル見たりするわけでしょう?見る時は合わすけども、実際は同時に存在しているんやろう?テレビ放送とかラジオ放送は。何で?っていう、そいう感じや。

 この同じ空間の中ですら全ての電波が存在する訳や。それを合わす事によって分けてみるわけでしょう?この空間ですら。

 でもこの空間に全てがあるの、何時も。何時も(今)ここに真(まこと)の神さまがあるねんて。

 それ一瞬一瞬新たでないと理解できへんね。だから理屈で考えてる時は一瞬一瞬新たでないから分からへんの。

 何でかといえば理屈というのは、ここにコレが有って、その関係とでコレが有って、その関係とでコレが有ってって言うやろう?その時点で一瞬一瞬新たに受け止めてないから分からへん。

 ギターの弦を弾いてブーンと出てる音がこの虚の世界の姿って言っているやろう?だから、波が理解できないとあかんの、波動が電磁波が。

 だから少なくとも三角関数が分らなあかんの。三角関数は同じものが続いているようだけど、全部違うわけ。

 三角関数ってSIN(サイン),COS(コサイン)って、この三角形のこっちとこっちのどうこうと違うね。もうあんまり説明せんとけどな。(笑)
 
質問:何時か分かりますか?印可書奉読してたら?

河上さん:そうそう、印可書奉読してたら分かる。

質問:三角関数の勉強するよりも印可書の奉読。

河上さん:いや、だって数学苦手やろう?数学得意やったら学生時代に理解してるはずやからな。だから苦手な事を無理やり勉強せんでも良いやん。印可書先生出してくれてるんやから。

質問:興味ありますけど、理解し切れないですね。

河上さん:いや、それ自分を縛っているだけやで、本当は。本当はどんな事でも一瞬で分からなあかんね。でも自分で縛って肉体を作ったからね、その縛りを解かなあかんね。

 それが印可書で解けるから。だからこの世的にね、不器用で頭の悪い自分として作ってきただけやからな。それは役作りで作っただけで、元の役者としての人は頭良いの。

 だから頭の良い役者やから、いわゆるアホ役が出来るわけでしょう?アホ役が一番難しいの。賢い子役は簡単に出来るの。でも喜劇でも藤山寛美さんとかね、藤山寛美さんアホ違うやろう?でもアホ役出来るや、それ物凄く難しい。みんな本当はその難しい演技に挑戦しているだけやね。

 それを理屈で言ったってそうかなーで終わるから、印可書奉読して、それで分かるからって言ってるわけや。

質問:そうすると役者の自覚をもって楽しめる?

河上さん:そうそう、真(まこと)の本心の自分やな、今役者として説明している、役者の本来の自分というの、真(まこと)の本心の自分。

 真(まこと)の神さまそのものの真(まこと)の自分を自覚できるわけや。そしたら、真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまは自由自在やからなんでもできる、必要に応じて。この地上では、必要なことしかせえへんの。何かもしたらな、みんな頼ってきて潰れるの。頼らしたらあかん、支え合わさなあかんのに。

  だから支え合いやすいようにお互いそれぞれ、特殊、特異な分野を別々に持たしてるのよ。それで、お互いの得意な分野で支え合うように、神さまはしてるわけよ。支え合いの練習をさせるために。

 だからその「私は何もなくて何もできへん。掃除ぐらいしかできへん。」のでええわけよ。なら、その人は掃除で支えたらいいの。不器用やから何もできへんでも掃除はできますって言ったら、掃除でしたら良いとかね。もう、どんな(こんな)些細なこと(は必要無いわ!)というのはこの世には存在しない、必要なことしかないの。

 そうだけど、今の世界は結果を掴むから、「結果が良くできた人は偉い、結果があんまりできない人はアホや、あかん。」っていう風にしてるだけやんか。だから、お金持ちは偉いってなるんでしょう?「お金をようけ(たくさん)稼いだ人は偉い、稼げへん人はあかんたれや。」みたいなのを言われるわけでしょう?本当は違うのに。

 だから印可書を奉読したら全部解けるって。自分の縛りを解くんやから。ちゃんと必要な知恵が涌くようになってる。今の自分にとって。

質問:最初の方におっしゃっていた「真(まこと)の神さまを与え続けること」というのが真祈り?

河上さん:そう、昔、先生がね、「真祈り、真(まこと)の神さまを与え続けることが真祈り。だから真(まこと)の神さまを与え続けてくれ。」って言いはったわけよ。そしたらみんなはそれを「あ、そうか!」だけで終わるわけや。

質問:そこの、主語と目的語がどうなってるのかなっというのがちょっと引っ掛かって…。真(まこと)の神さまを与えるのは、真祈りをする人?

河上さん:いや、だからな、結局、無色透明の自分に、真(まこと)の本心の自分って、無色透明の自分やね。無色透明の自分になったら、肉体がやで、無色透明の自分になったら、真(まこと)の本心の自分という真(まこと)の神さまがね、スッと通れるわけよ。無色透明やから。

 要するに、すりガラスやったら光がようけ(たくさん)通らへんやん。でも、透明のガラスだったら全部通るやろ?そういう感じで、真(まこと)の神さまは光を周りに与え続けてくれっていうことを言いはったわけ。まず、無色透明の自分にならなあかんと。

 自分が光を放射するって言ったら、もうそれは無理やね。すべて真(まこと)の神さまの御働きやから、自分が無色透明になって初めて光が通るの。肉体側からで見て言ったらね。それを先生はおっしゃってた。

質問:それで、この前の勉強会で、お祈りを知らないというか、この真祈りをおそらく知らない方がお亡くなりになった。でも、その方は光の進軍に参加できているっていうのを、そこをサラっと仰ってて、それはどうしてのかしらと思っていたのですが、それは、無色透明になった私達の光をその方が受けた、与えられたということですか?

河上さん:違う違う。神さまはな、必要でないことは一切しないの。だから、人間の側が現実を掴んで結果だけ見て、必要であったとかなかったとか、勝手に決めてるだけや。そうだから、神さまは必要なことしかしてないの。だから真祈りになってない人でも、神さまは(いろんな姿、いろんな人を)使って、神さまの働きをさせるわけ。それだけ。

 だから、結果を掴む説明にね、火山が噴火して溶岩が吹いてきたら、それだけで見たら大変なことやけど、長い目で見たらちゃんと土になってね、良くなるっていうことを説明してんけどね。あるいは食べ物で言ったらね、食べ物を食べずに置いといて腐ったと。腐ったとこだけみたらものすごく無駄な役立たずやけど、その腐ったお陰で肥料を作れるわけでしょう?だから神さまは必要なことしかしてないの、いつも。

 人間が人間の都合で一部を掴んで見て、良い悪いって言ってるだけ。

 だから、真祈りしてへん人が病気で死んだと、例えば。でも神さまが必要で使っただけなの。ただ、大きく使って頂きたいんやったら、印可書奉読して毎回汚れを消して、毎回毎回使って頂けるよって言ってるわけ。

質問:使って頂いたということ自体が光の進軍に参加してるっていうことですね。

河上さん:そうそう、勿論そうよ。だから、使われ方がね、あんまり効果的でなかってもな、効果的でない部分って要るねんて。

 だから、効果的なとこだけで片付くんやったら、五井先生や松下先生が出て来られて、真祈りされた時点で地球は救われてるの。そうだけど、地獄の奥底まで光を通そうと思ったら、ものすごく効率の悪いことをせんなんね。(しないといけない。)

 その地獄を降りていく人を使っといたら、その人が降りて光が通っていくんよ。ここにいてる真祈り人の祈りでは地獄まで光が通らへんねんて。

 だから(真(まこと)の神さまは)ちゃんと入れ子構造的にな、光を限定して限定して使うの。その神さまの深慮遠謀には誰も勝たれへん。

質問:すごく大きな視点で見れば、地獄に堕ちても、堕ちたとしても、その方は光の進軍に参加できているということになりますね。

河上さん:勿論、そうよ。だから、人間が勝手な評価をしてるだけや、いつも。例えば戦争でね、すごい残酷なことがあって、あんな悲惨なことがあって、こんなもん神も仏もあるものかっていうのは、人間が勝手に評価してるだけであってね。

 そうだけど、その大きな、過去世からのすべての流れを見たらね、必要で起こってることしかないの。じゃあ、なんでわざわざね、大変なことを体験するんや?やけどね、それは本人の自由意志が体験したいって言ったらするわけよ。

 例えば(極端な例で言うと)、やっぱり人を殺してみたいという人は殺さないと納得せえへんの。そうだけど、殺してしまったら、次に殺される側に立つわけよ。それでお互いに殺したり殺されたりすることをお互い交換して勉強していくの。でもその一部だけ見たら、どっちも大変なわけよ。常にみんな、大きく見たらいつも支え合いになってるの。

 そうだけど、できるだけそれをね、例えばわざわざそこまでいかんでも、パンフレットを見るだけで納得するような形にしていったらいいわけでしょう?だから残酷な体験をわざわざしなくても、残酷な映画を作って見たらいいわけや。オカルト映画を、わざわざ本物の幽霊を見に行かんでもね、幽霊の映画を見て済ませたらいいわけでしょう?

 そういう感じに真祈りしてたらなっていくわけよ。より小さく、より滑らかに、なだらかになっていくの。

質問:ありがとうございます。

河上さん:だから、みんな、自分の都合で評価してしまうからややこしくなるの。

 お母さんがね、自分の小っちゃい子どもに教える時は、お母さんの都合で評価してどうこうって言えへんのね。子どもがなんでそうしたかを考えて、その立場に立って教えていくんよ。お母さんの愛情ってそうやと思うよ。「あんた、こんなことして、あんたみたいなの、もうお母さんの子やない、出て行きなさい!」とは言えへんって。

 言う親もおるかもしれんけど(笑)普通は言えへん。だから常にお母さんの愛情って、その子の立場に立って、なんでその子はそうしたんやろうってまで考えてあげて、そうやけど(→あなたはこういう行動をしたけど)、こうした方が楽しいでって言って教えていくんよ。

 それは良い塾とか良い会社の先生って上司ってそうやんな。人を育てるってそういうことでしょう?自分の中に取り込むっていうねんけどね。相手の立場の立つというのは、自分を小さくして立つとは違って、自分の中に取り込むことによってできるの。自分を小さくして入ったらな、自分も一緒に迷うで、道に。分かる?

質問:はい。

河上さん:いつもいつも、不必要なことは一切ないというのを分かってなあかんの。でも、ねえ、プーチン悪いとかね、やってるわけでしょう?結局はな。それを言ってしまったら終わりなの。

やっぱり戦争が起こるだけの理由が常にあってね。そうだけど、今生だけで見たら、被害者に見えるわけで、でもちゃんと全部の流れからみたら、被害者と加害者を交互にしてお互い支え合うの。

 だから、その時間の流れがみんな分からない。なんで分からんようにしてるかといったら、本当に知ったらね、すぐ自殺するからよ。「こんな悪いことをしてきた私は生きてる価値がない。」って言って自殺するからな、教えてへんだけや。

先生の説明で言うと、「過去世のことを知ったらね、恥ずかしいって顔を上げておもてを歩かれへんで。」っておっしゃるわけやけど、やさしくおっしゃっただけや。今はちょっときつい目に言った。

撤収準備。もう質問ないと思いますが。

腰痛は、もう大丈夫ですか?

質問:はい、大丈夫です。もう走り回ってます。

宮野さん:温めたらあかんかってんて。温めたらあかんねんてね。

河上さん:それは症状による。

宮野さん:いやでも、やっぱり、それは一番最初は冷やさなあかん。

河上さん:いや、だから、それは症状によるの。一概にそんなん、違うの。

質問:でも、痛めた時はカイロで温めてくださいって言われたんです。

河上さん:うん、だから要するに、腫れてる時はね、腫れてる時は冷やした方がいいの。でも、腫れてない時は温めなあかんの。

宮野さん:ぎっくり腰で腫れることないで。

河上さん:いや、違うって。それ見た目で分からんだけや。医者が触ったら分かる。優秀な医者は。

宮野さん:優秀な医者やで?それを言った人。

河上さん:いやだから、患者の症状によるって言ってるの,同じぎっくり腰でも。

宮野さん:まあ、まあまあ。

河上さん:終わります。

宮野さん:素人が言ったってしょうがないわな。うん、終わり。

質問:お祈りは…

河上さん:もう、今日は完璧にしたから大丈夫です。

質問:はい。ありがとうございます。


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12月勉強会 by 河上 [Mail] 2022年12月15日(木) 16時09分
PC

令和4年12月河上さん勉強会−1(20221211−1)

質問:質問が2つあります。12月の護摩焚きの日の前日に、惟喬親王陵で写真を撮った方がいて、その写真に緑色の竜神がはっきりと写っていました。この竜神は今、河上さんが伝えられている光の進軍と関係があるのでしょうか?何なのでしょうか?教えていただけますか?

河上さん:はい。関係あります。緑と言うのは太陽の色ですね。太陽の色ですから、優しい光として出てきているという。良かった、優しくてね。厳しかったら大変。

質問:沖縄の辺野古を基地にする問題で、反対していた沖縄県が敗訴しました。これ以上、辺野古の地を犠牲にするという事は許されるのでしょうか?

河上さん:そんなん言ったら今の沖縄(那覇)空港なんかは、自然をむちゃくちゃ破壊して作ってある。だから沖縄(那覇)空港の方が犠牲は大きいと思うけどね。まず人類の疑心暗鬼を消し切らなあかんでしょう?

今はお互いを疑いあって、お互い相手が自分のとこを滅ぼすんじゃないかって思ってですね、今の世界情勢になっているし、色んな事が起こるわけですね。お互いにマイナスとマイナスがぶつかり合って消し合っていく、芋の子を洗うような状態ですけども、そういう形で業と言うのは崩壊していくんですよ。

例えば、いくら仲の良い夫婦を演じていても、お互いに相手に求め合い出したらマイナス。求めると言うのはマイナスの心なんですよ。今の世界もそうでしょう、相手に求めるわけでしょう?「お前のところ、こうしてくれや」「うちはこうするから、おまえのところはこうしてくれや」って。「お前はこうしろ」ってお互い言い合いしてるわけやね。夫婦でもお互い、親子でもそうですけど、「こうしなさい」って相手の自由を縛るというのはマイナスなんですよ。「こうしなさい」って言い合いしだすと、そのマイナス同士がぶつかって、消す形になっていくの。その時に大喧嘩とかね、色んな事があるわけです。今のウクライナの事でもそうですけど、マイナスが崩壊する姿です。

 このマイナスの崩壊する姿をいかに優しく簡単にしていくか、楽にしていくかだけです。それは一(いつ)に真祈りにかかっているわけですけど。人類の自由意志で真祈りをして頂くだけで、自由意志が真祈りどれだけ選ぶかによって、緩やかになるかね、ノアの大洪水のようになるか、或いはムー大陸が沈んだ時のようになるか、或いは地球が真っ二つになって消えていくのかみたいなね、色んな姿を人類が選ぶだけです。それの入れ子構造的な1つが沖縄で起こっているだけです。

 でもそういう形で起こっているうちの方が小さくて済むでしょう?だからそれだけなんですけどね。そこだけを見たら不自然ばかりなんですけども、大きく全体から見たら全てはプラスなんです。

 ここが大事で。マイナスとマイナスをぶつけ合って消し合う姿の崩壊の仕方がね。一瞬で崩れたら凄い形。じわじわと崩れたら、病気とか癌とかね、国で言ったら国家財政が破綻しかけるみたいなね、色んな病気として出るわけですね。

 どの姿になるかは人類が選ぶだけ。でも入れ子構造的に見たら、どの姿をとってもその結果良くなることばかり。

 例えば、火山が噴火して噴煙が出て溶岩が流れて住むところがなくなったって大変な事ばっかりですけども。その溶岩の上に鳥さんがね、溶岩がいっぱい吹いて粉塵が出たから、食べるものがなくなって、鳥さんが落ちて死ぬわけですね。その姿だけを見たらすごい凄いマイナス。食べる物もなくなって、餓死して鳥さんが落ちていくみたいな感じになるわけですけど。その鳥さんが落ちた死骸をね、そのまま腐らすと意味がないんですけど。そこに虫が湧いてね、色んな有機物に変えていってくれるわけですね。その虫のわく、虫さんが持っている色んなウィルス、役立つ形で言うと、酵素、酵母ですけど。そういう働きで溶岩が土に変わっていくんですよ。

 大きく見たらすべてはプラスなんです。でも一時的に見たら悲惨な事ばかり。この世の姿と言うのは全部そうで、一時的に見たら悲惨なことばかりですよ。例えば受験勉強、受験勉強だけ見たらね、その子にとったら地獄でしょう?でも、ちゃんと喜んで勉強していたら、それなりの成果が出る。或いは、出なくてもその人にとって大きなプラスになっていく、みたいなことばっかりなのにね。

 逃げ回っていたら駄目じゃないですか。すべては神さまが1番良いようにしていると言うのはね、本心の立場に立ったら、逃げ回らなくて済むことばかりなんですよ。でも小さい自分の立場に立ったら嫌なことばっかり。この世の事ってそうですよ。

 例えば、肉体を生きていく為にはね、朝眠いのに目覚めてね、邪魔くさいのに歯を磨いてね、顔洗ってね、女性だったら邪魔くさいのにお化粧してね、手間な事ばっかりでしょう?お風呂入る事をとったってね。手間じゃないですか?手間だから、赤ちゃんとか小さい子は自分で出来ないわけでしょう?手間だから。

 でもその手間をかけて生きていくじゃない。それは大きな全体で見たら神さまの大きな働きだからですよ。たとえ病気になっても、神さまの大きな働きなんですね。それが分かれば例えば、辺野古で何かあっても、或いは沖縄空港を拡張するのに、あれだけサンゴ礁を崩して大自然を破壊しててもね、プラスの事ばっかりなんです。

 それを分かるか分からないか。だから入れ子構造的に見たら、要するに入れ子構造的に見ると言う事は、より大きな立場で見れるということです、逆に言うとね。より大きな立場から見たらプラスばっかりなんです。だから真祈りしてたら自分以外は全て真(まこと)の神さまって分かるの。

 でも、小さい立場に立っていたら、自分以外は全て不都合なことばかりって。例えばこの世で生きて行くのもそうでしょう?嫌な上司に怒鳴られながらお勤めしてね、それでちょびっとしか給料をもらえずにね、わずかな給料で生活して行かなくちゃいけないわけじゃないですか。

 そんな邪魔くさい事するぐらいやったら死んだほうがマシだって頭のいい人を持ってね、作家さんなんかは優秀だからね、頭が良いから。良い小説を書きたい、でも書けない。書けない自分が嫌だとなって死んじゃうのね。川端康成さんでもそうですね、この美しい日本を小説に表し切れないって言って死んじゃうわけですけど。小さい立場に立ったら苦しみばっかりなんですよ。

 でも大きい立場は喜びばっかり。それは富士登山でね、いつも説明しますけどね。富士山を登るのは苦しいことで楽しい事ではないって、少々山登りを慣れた人でもね。でもそのご来光を見たくてみんな登るんでしょう?或いは頂上に立ちたくて登るんでしょう?それは大きな立場でしょう?頂上に立つというのは。ご来光を見るというのはより大きな立場じゃないですか?登山してるというのは、より小さな立場ね。より小さな立場に立ったら苦しい事ばかりよ。

 それが入れ子構造的に真祈りしてたら分かるの。分かればすべてはプラスばっかりって分かる。すべては真(まこと)の神さま働きだけ、或いは、真(まこと)の神さまそのものってちゃんと分かるんですけどね。それをわかってもらう為に、印可書の奉読をお願いしています。真祈りしたらわかるんだけど、「じゃあ真祈りって何よ?」ってみんな言うからね、先生が「印可書を奉読していたら、真祈りになるよ」「自分で真祈りになってないと思っていてもなるから、ひたすら」っていうことを残して行かれたわけ。

 自分の自由意志で選んでいただかなくちゃいけないから、先生はある人には「読め」と言い、ある人には読むなとは言ってないです。自分で選ぶように仕向けているだけでね。でも、色んな人があって、その実践する人の響きが混ざってね、みんな実践するようになるみたいな事を散々仰っられてね。

 この前の12月の光の交流会は、そこの根本原理的なとこを説明されたんですけどね。稜威(いつ)というのがあるんですよ。稜威と言うのは何かと言ったら、絶対の中心から湧き上がる部分を稜威っています。「印可書」で言うと、絶対の中心、無限大の外遥か彼方です。これが御稜威(みいつ)ってなった途端に、左旋回になって降りて来るとこになるんですね。その部分をみんな分からないだろうという事で、先生はサラっと流して説明してますけどね。あの稜威と言うところが凄い大事なんです。絶対の中心なんです。

 いつもその稜威の部分に立ち戻らなくちゃいけない。立ち戻ればすべて真(まこと)の神さまってわかるの。立ち戻れなかったら不平不満ばかり。いつもそれの繰り返しです。不平不満に思ってもいいし、マイナスに思ってもいいから、「印可書」を奉読して稜威の立場に立ち戻ることが出来れば、心が苦しくないんよ。必ず富士山の上に立ちたいからね、あのしんどい富士登山をしんどいと思わないのね。

 でも文句を言っていたら「こんなしんどい事、やってられっかいな」って降りちゃったら終いやね。只々、それだけです。形の上で今のようにどうこうって思うのは構わないですけど、「印可書」に立ち戻って頂くとすべては氷解します。分かるようになります。ありがとうございます。

質問:喧嘩の姿も、先生は愛の形やと仰って下さったんですよ。だからどうしても、喧嘩したってなった時に「悪い事した、悪い事した」って思うよりもすぐに「印可書」に立ち戻るということが大事?

河上さん:だから、喧嘩好きな人っているじゃないですか。喧嘩っぱやいとか怒りっぽい人ってね。その人たちに「印可書」の縁と言うのは、要するに光を通すと言う事なんですけど。お清めすると言う事なんですけど、易しく言うとね。その為には自分が怒りっぽい心を持っていないと響かせれないの。だから、どの姿も真(まこと)の神さまそのものだから、怒りっぽい心を持って、怒りっぽい人の心に「印可書」を響かせていけるわけ。

 全く神さまと縁がない人には、どんな縁を持ったって響かないの。でも、その地獄の縁者でも真(まこと)の神さまの縁で悲しんでいる姿、苦しんでいる姿をとっているだけなんですね。只、その苦しんでいる姿をつかんで逃げれなくなっているから、苦しんでいる人、悲しんでいる人、怒りっぽい人の響きを使って、ラジオで言ったら周波数を合わせるわけね。響きを使って光を通すしかないの。

 もし清らかな光、清則先生の清らかな光だけで済むんだったら、清則先生が出てこられたんだから、地球はとっくに平和になっているの。五井先生がいらっしゃったから、平和になっているの。五井先生も、清則先生も本当に無色透明のきらびやかな輝きの光だったわけですよ。でもその光だけだったら周波数が合わない。FM、NHKの響きを出しているのにね。FM東京とかFM大阪の響きになっている人には全然聞こえないじゃないですか。その響きを合わせてあげないといけないから、皆さんの喧嘩をする心、色んな人を妬む心が必要なの。必要で、みんなそれを持たされて真祈りの役目を背負わされてるの。背負わされていると言うより、選んで来てるのね。

 それが分かれば怒りっぽい自分のまま「印可書」を、責めるとか許すとかいらん事を考えなくていい。怒りっぽい自分のまま、そのまんま「印可書」奉読したらいいから。すると自分にもその人にも光が通って変わっていきます。ありがとうございます。

質問:冒頭の入れ子構造という部分なんですけど。大きい自分、小さい自分、同時に、すべての全てに立つためには、入れ子構造的には意識、自覚が必要だというお話だったと思うんですけど。その自覚を「印可書」奉読の中に入れ子構造が入っていないと言うのは…

河上さん:いや、入ってるよ。表現が違うだけ。

質問:敢えて入れ子構造の祈りの言葉を入れなくても、入れ子構造の理解は奉読によって深まる?

河上さん:だから「印可書」の真ん中がね、真(まこと)のプラスの言葉だけになっているでしょう?それが入れ子構造の1番小さいとこって言うことや。絶対の中心が入れ子構造の1番大きいところで、どんどん小さくしていったの、あれ。最後、真(まこと)のプラスの言葉だけ。要するに、みんな真(まこと)のプラスの言葉でわざとマイナスを作ってね、地獄の表現とかを作るところが真(まこと)のプラスの言葉だけなの。

質問:地獄の表現を作るところが、真(まこと)のプラスの?

河上さん:真(まこと)のプラスの言葉だから自由自在だからマイナスも作れるわけよ。絵の具で言うと、黒も白も赤もって自由自在に扱えるわけ。それで扱って色んな姿を作って楽しむの。それが虚の世界、映画の世界。

 映画の世界ってそうでしょう?色んな衣装を作って、色んなセットを作って、西部劇だったら西部劇のセットで、ハリウッドにあるじゃない?西部劇のセットを作って2 ・300年前の西部劇のガンマンの時代を演じるわけでしょう?今の発達した現代から見たら不便な西部劇の時代じゃない。昔の西部の時代をマイナスで不便な状態を作って演じてるだけでしょう?

質問:それは虚の世界のプラスの言葉では無いのでしょうか?

河上さん:いやいや、虚の世界のプラスの言葉は、所詮マイナスやから消えるものや。でもその消えるものを響かせる元の弦の位置。音楽で言うと、ギターをボンって響かせたら、音がブーンと出て消えていくでしょう?その低音をマイナス、高音をプラスって仮に例えたら、低音も高音もその弦の位置から出るだけ。出たら虚の世界のプラスもマイナスも後は消えていくだけやね。

 その最初の弦のところが真(まこと)のプラスの言葉だけやね。それを使って色んな表現をしてるだけ。なので、あれが「印可書」の真ん中に来てるの。で、また大きく「印可書」を広げていって、元の絶対の中心に戻るわけね。新なる真(まこと)の神さまだけって戻るでしょう?絶対の中心に戻るわけ。あれが入れ子構造になってるの。

 その入れ子構造をね、もっとみんなが理解しやすいように説明しようと思うと、「絶対の中心(無限大の外遥か彼方)」が先ずあるでしょう?そこでまずマイナスを一つ響かすの、ほんなら半分に割れるの。もういっぺんマイナスを響かすの、4分の1になる。そうして、どんどんマイナスを響かせて、要するに、小さくするというのはマイナスを作るということ。色合いで言うと、光から闇に向かってね。要するに分割してマイナスを作るの。1番極端に分割したら絶対無に入るわけ。それだけ。そうやって分割して楽しむの。その分割するのにマイナスの言葉を最初に響かすのに、真(まこと)のプラスの言葉がいるの。そこがわからないとみんな虚の世界で苦しむの。

 「こんな怒りっぽい自分でどうの」とかね、言ってるけど違うね。本当はわざと作って楽しむために、要するにゲームがそうでしょう?わざと色んなシチュエーションのゲームを作って楽しむんでしょう?一緒よ。映画でも色んな映画を作って楽しんでいるだけで、恐怖の映画でも、幸せの映画でも、戦争の映画でも、そうやね。作って楽しんでるのね。だからわざわざ上映されているのを、お金払って見に行くの。楽しくなかったらお金払ってまで見に行かない。ね?それだけ。

 入れ子構造っていうのはそういうことなの。そこが本当に分れば真(まこと)神さまの働きだけなの。それも真(まこと)の神さまが楽しんでるだけやね。みんなが映画を見に行って楽しんでるのは、小さい自分が楽しんでると思ってるけど違うやって、真(まこと)の神さまが楽しんでるの。

 小説を読んでもそう。どの本を読んでもね、結局は、結局はじゃなくて本当はや(笑)。本当は真(まこと)の神さまが楽しんでるだけやね。だから「新なる真(まこと)の本心の自分、新たなる真(まこと)の神さまだけ」ってするわけでしょう?それは本当だから。だから真(まこと)の神さまが楽しんでるだけやね、この嘘の世界といえども。

 なのに楽しんでるはずがね、どこかで真(まこと)神さまと自分とを分けて表現に入るね。だから役者さんが演じているつもりが、いつか知らん間に本当の悪人になっているつもりになってるわけ。つもりやで。本当の悪人は誰もいないんだけどね。その中で、要するに催眠術にかかったようなもの。「あなたは犬です」って言ったら「わんわん」って犬になってるつもりや。

 だけど、その催眠術をどうやって解くかや。どうやって解くかを色々するんだけども、結局解けずに犬になっているやつばっかりになってきたから(笑)。それで先生が最後に「もう印可書でどうや」って言って、示して下さってたの。「印可書」を奉読したら、犬になっている自分にはっと気づいて、人間に戻れるの。催眠術が解けるの。

 でもその催眠術をかけたのは、自分自身や。誰も催眠術をかけていない。自分でこういう役柄って言って、自分で自分を縛って楽しんでいたのに、縛って不自由だから、いつや知らない間に不自由がほんとやと思って苦しんだだけでね。その自分しか自分は縛ってないから、自分の自由意志で「印可書」奉読してもらわないと縛りが解けないの。

 こっちが催眠術をかけてな、「あんた犬やで」って言うて犬にしてたんやったら、「印可書」はいらんの。解いたら終いや。違うね。みんな自分で自分を縛っているから、自分で、自由意志で「印可書」を選んで、自分の縛りを解くしかない。だから自由意志で選ばないとあかんから、自由意志で選べない人には、先生は「印可書」を読めとは仰っらなかった。

 だから「印可書」に対して、先生は何のコメントをしていないから、読まなくていいって言うのも自由意志だけども、その辺が本当のことです。だから、自分で選ばないと解けないから、自分で「印可書」を選ばない人に無理に進めないの。だって縛っているのは自分やもん。その縛りを解く方法が、1番簡単なのが「印可書」だからね。

 もちろん「宇宙神ありがとうございます」でも解けるのよ。でも「宇宙神ありがとうございます」が出て何年経つ? 6年経つ?6年経ってな、よう解かないやろ?と言う事はよう駆使できなかったんや。後は自分で選んだらいい、好きにね。それでも「宇宙神ありがとうございます」で行くって言う人は行ったら良いんや。その人の縛りはその人しか解けないからこれ以上言いようがない。

 だから真祈りの伝授が始まってから8年経つね。2014年の8月から始まったんやで。まさよちゃんが護摩の始まる時に、「いよいよ待ちに待った真祈りの伝授が始まったのです」って言うのが2014年の8月や。もう8年経つね。なんでみんな受け取られへんの?って言うたら怒られるから言わないけどな(笑)。だけどそういうもんや。


 それは自分で自分を縛っているから受け取りようも無かった、縛りの強い人は。縛りの緩い人はハッと気づいた。それだけや。要するに、深く眠り込んでいる人は揺り起こされても起きないけど、浅い眠りの人は揺り起こしたら起きるよね。そういう感じのもんやっただけやね。

 だから伝授できなかったから私はダメだではなくて、その受け取りかねる響きが必要なんやって。その響きを通して、だって全人類なんか「印可書」なんのこっちゃで終いや。そこへ響かしていかなあかんから。だから「私はダメなの」と言う人の、ダメだと言う響きがいるの。その響きを使って「印可書」を通していかならん。それに気づいてくれなあかん。それぞれみんな大事な役目やね。いつもいつも言うようにね、どの人の真祈りが欠けてもどうしようもないんだって僕はいつも言ってるね。

 それは其々(それぞれ)その人にしかない響きを持ってるのよ。だから、みんな顔、形が違うの。みんな自分の響きがあるの、だから違う顔を持ってるの。その響きの人に通さなあかんの。それはすごい大事な役目やね。あなたしか出来ない事やね。あなたしか出来ない大事な神さまの使命をみんな持ってるの、それだけ。

質問:だから自分を責めることもなく、相手を責めることもない。

河上さん:そう、淡々と奉読して、奉納してねって言ってるね。神さまが良いようにしてるから。本当に奉読したら、一瞬一瞬新(あらた)が分かるからどんどん変えれる。

質問:この縛りが解けることによって、入れ子構造も自ずと自覚が出来るということですか?

河上さん:そうそう。

質問:分りました、ありがとうございます。

質問:今の喧嘩の話で。例えば喧嘩になって、もちろん「印可書」奉読するんですけど。何か自分も言い過ぎたなって反省したり…

河上さん:例えば相手に謝りたいと思ったら謝ればいいしね、謝りたくなかったら謝らなくていいし。その時に「印可書」奉読して響いてきたまましたらいい。それで大丈夫です。

 その結果、仲直り出来なくても大丈夫だから。そこが大事やね。みんな結果を掴んで、結果を掴むと、一瞬一瞬新じゃなくなるからどんどん崩れるね。でも結果を掴まなかったら、一瞬一瞬新(あらた)だからどんどん良くなるね。雨だれがポツポツと落ちて庭の石を穴開けていくじゃない。ああいう感じで、一瞬一瞬新(あら)ただから変わるんであって、「もうどうしよう」って言った途端に流されていく。
 
 今日はね、ちょっと後、真祈りに行かなくちゃいけないので、12時できっちり終わりますから。早く質問がある人は今どんどんして下さい。終わってからの延長戦は無いからね。

 まぁ兎も角ね、自分を縛っているのは自分だと言うだけです。だから自分の自由意志で「印可書」を選ばないと解けないの。だから、五井先生や松下先生が出てこられても、中々みんなが真祈りの伝授も受けれないしね、進まなかったのは皆さんが自分の自由意志で受け取らないから。

 それだけやね。だけど、それは縛っているうちは受け取れないの。この堂々巡りをどうするかだけやったのね。で、まぁ色々と本当に先生が命に代えて、ある程度の大おまけでね、皆さんのマイナスを背負っていかれて、消していかれて、背負ってはいかれていない、消していかれて、後「印可書」となって。

 だから、色々と時間がかかりましたけども、「印可書」を選んでくれる方がね、自由意志で選べれる人が増えたの。それだけです。だから本当に自分を縛っているのは自分だっていうだけです。だから、「昔あいつがこうしたからね、自分はこんな不幸なままで終わってるんだ」って言ったところで、縛っているのは自分です。

 いつも言うように、憑依されても、憑依されて動かされている、或いは悪魔にひっつかれて悪いことしてるは一切ないですから。あくまで(あくまや憑依霊が)後で(みなさんのうしろで)囁(ささ)いた事に、自分の自由意志で反応した時に、自分が責任を持ってしているだけです。

 だから本当に人を殺したいなと思っていたから、あいつを殺してこいって言われたら喜んで殺しに行くね。あのオウムの事件のようにね。やっぱりその人がそういうのを思っていたからだけよ。食べ物がそうじゃない。「そんなに食べてたら病気になるで」って言ったって、好きな人は自分の自由意志で食べるやん。そんな甘いものばっかりとってたら糖尿病になるでって分かっててもね、スイーツを見てスイーツの前で思案するわけでしょう?「どうしようかな?」って。ほんで思わず半分だけにしとこうって思いながら、4分の1だけにしとこうって思いながら全部食べちゃうんやろ(笑)。

 「節制するのはまた明日から」とか言って。みんなそうや。「真祈りは明日からしよう」とか言ってずっと明日からになる(笑)。

 それも自分の自由意志や。だれも強制してない。コンビニ行ったらわかるね。スイーツは置いてあるだけでな、買って下さいって書いてないで。そうやろ?買って下さいって書いてあったら向こうのせいかもしれんけど、絶対書いてないやろ?
 
 スイーツが置いてあるだけよ。で、ついつい買ってしまうね。自分の自由意志で(笑)


令4年12月河上さん勉強会―2(20221211―2)

河上さん:だから、みんな、自分の自由意志で自分の責任でやってきたことばっかりなのね。だからこそ、自分を責めたらあかんの。自分が自分の自由意志で自分の責任でやったことばっかりって言うとね、自分を責めるから、この辺の説明が難しかってんけど。

 大体、今日のあの説明で分かっていただいたと思う。責めるんではないの。責める必要はないのね。演じただけだから。「名演技だったなあ。」って言って神さまが喜んでるだけやから。あとはその名演技をしてた自分に気付いてもらうだけ。それだけです。

 だから、もの凄い名優さんがね、田宮二郎さんやったかな、映画の役に入り切って、抜けきれないで自殺しちゃうわけでしょう?みんなそういう状態よ。真(まこと)の神さまそのものの、真(まこと)の本心の自分を忘れて、精神的に自殺してるようなもん。だから、自分も責め人も責め、自分も疑い、人も疑い、よ。自分の能力を疑うわけでしょう?私は何もできへんっていうのは。本当は無限の無限の能力を持っているのに。

 だから、真祈りしたら、自由自在の自分になるだけやからね、必要なだけの能力が必ず出るの。必要以上には出ないの。なんでか分かる?必要以上に出すでしょう?そしたら、他の人が頼ってくるの。「あの人はなんでもできる。」って。だから必要なだけ出して、隠しとかなあかん。隠しとくというより、わざわざ出す必要ないわね。必要なだけ出たら十分やから。だから火事場の馬鹿力よ。必要だからその時に馬鹿力でさげてこれるけど、普段はようさげんとか言うんでしょう?

 本当は簡単なことばっかりやねんけどね。わざと自分を責めることによって分からんようにしていくの。自分を責めたら何も見えんようになっていくの。でも、真面目な人ほどな、責めるもん。真面目な人ほどな、理屈言いなの。理屈を言って分からんようになるの。

 入れ子構造というのは立体的な構造だから、理屈というのは平面的だから分からないの。例えば、なんで重力があるかというのは説明したいねんけど、立体的やから途中でみんなポーッと抜けるねんな。それで時間の無駄やからしないけどね。みんな平面的に受け取って考えようとする。

 例えば電気とか磁気とかいうのは、全部プラスとマイナスがあるよね。磁力線というのも、N極から出てS極に行く。電気もプラスから出てマイナスに行くっていう風に、必ず両方があるわけ。ところが重力に関しては両方ないの。引っ張るだけ。それ、平面的に考えてたら、片方しかないと思うの。でも入れ子構造やから、色んな空間が重なって、空間同士で出てるエネルギーが重力やから、ってなるねんけどな。その辺になると又、みんなポッとなるからこの辺でやめとくけど。

質問:手掛かりとして、そのヒントになる図形的なものは利用できないですか。

河上さん:だから図形は平面やから、みんな分からんようになる。ただ、一言言えるのは、ピラミッドの構造の中に秘密は隠されてます。上と下の合わせピラミッドでね。だから現実無視の祈りがそれになってるわけね。時間空間を超えれる祈りや。

 みんなは平面的に、この今のみなさんが住んでいる地球という3次元だけを掴んでね、考えようとして分からんようになるの。この3次元ですら時間という軸があって、どんどん変わっていくんでしょう?その変わっていくのが怖いから、変わりにくい金とかね、ダイヤが良いって言ってみんなが勘違いするわけよ。

 ダイヤや金ですら変わっていくんやけどな。ダイヤや金とか鉛でも、最終は崩壊していくんやで。ただ、崩壊の期間が長すぎて分からんだけ。炭素のような元素でもどんどん変化するから、炭素だけ調べて何年経ってるかとか分かるんでしょう?まあまあ、こんな話どうでもええ。はいどうぞ。

質問:ありがとうございます。先程、現実無視のピラミッド2つを合わせた形の話をしてくださったんですけれども。お祈りの時とかに、ピラミッド2つ合わせた形の十字が重なった所に、自分のお臍の下あたりがくるような、自分がピラミッドの中に入っているようなイメージでする時もあるんですけれども、

河上さん:それでいいんですよ。

質問:他に使い方…、使い方じゃないですね、なんて言うんでしょう…

河上さん:みんな好きに色々と工夫して使えばいい。それだけや。あの形が基本原理です。6分子、水の6分子を集めるとあんな形になるの。この世的な説明をいうと、水の1分子の中に全ての秘密が隠されてるねんけどな。またみんな分からんようになるからやめとくけど。これだけ喋らせて20時間くらい平気で喋りたいけど、まあいいや。

 もっと若い優秀な人がこれから出てくるからね、その人達に任す。みなさんから見て、5つ6つぐらいの子がね、凄い優秀な子が出てきます。その人達がしてくれます。だからこれからは、若い子やからといってバカにしないように、あなた方の何十倍も凄い人ばっかりが、何十倍じゃきかへんくらい凄い人ばっかり出てきますから。

質問:今5〜6歳の子ですか?5つ6つ下?どっちですか?

河上さん:そうやね、まだ第一世代やから、今、小学校入るか入らへんぐらいの子が第一世代でその次の世代から凄くなります。

宮野さん:今、生まれてきた子は?

河上さん:あんまり言うとな、周りでいらん思いを被せるから、まあええやん、もう。置いとこ。

宮野さん:みんな気になってしょうがないで。中途半端に言うからさ。

河上さん:いやいや、だから、印可書を奉読してたらええだけや。気にするんじゃなくて、ひたすら印可書を奉読することが大事やねん。気にするということは現実を掴んで、一瞬一瞬新たを止めてるんやから。止めた思いを、その生まれてきた子に被せたら、その子まで迷惑。

宮野さん:5歳、6歳を言うのって、可愛らしいね。

河上さん:ただ、これからはね、小っちゃい子やからと言ってバカにできないよっていう。

宮野さん:それは小っちゃいだけじゃなくても若い人、全ての人、自分以外の人に対してじゃないの?

河上さん:それは勿論そうよ。そうやけど、今までだったら例えば、小学校1年生くらいだったら何も分からんっていうのが常識の時代でしょう?でも小学校1年でアインシュタインクラスの人が出てくるっていう事や。そうなったら、いよいよ時間切れやから、必死でみんな真祈りしてくれなあかんのやで。その子らに頼るんと違って、その子らが出てきたということは本当に後ろから追い立てられてるの。

質問:2点あって、1点は確認で、1点は質問です。
 1点目なんですけれども、仕事で印可書を淡々と奉納している、その中で、色んな感情というのが入ってきます。特に相手を見下したりとか、そういう気持ちが…

河上さん:それね、相手もあなたを見下してるから。

質問:そうなんです。

河上さん:だから、その響きを使って印可書を奉読したらいいだけです。

質問:はい。その中で凄くこう、色んな動きがある中で、その中で印可書を、その感情っていうよりも、その中で淡々と印可書を奉納していくと、本当に、ただ待っていれば、本当に喜びだけが湧いてくる。信じて待つということがとにかく大事ということで…

河上さん:そうそう、そうです。大事。この世は結果が遅れて出るからね、だから結果を掴むなって言うの。この世は必ず結果がずれて遅れてくるの。だから本当は上手くいっているのに、目の前の結果を掴んでね、潰すから上手くいかなくなるんやけどね。だから人間がそうでしょう?ある程度大人にならないと能力を発揮できないようにしてあるのは、結果が遅れて出るよというのを見せてるの。

 本当だったら、動物だったら、生まれてすぐ歩くじゃない。人間は生まれてすぐ歩けないでしょう?それくらい結果が遅れて出るというのを色んな形で神さまは示してくれている。だから結果は遅れて出るから、信じて待つのが大事です。

質問:はい。2点目なんですけれども、フッていう形で、どこか自分は偉いんじゃないかな、とか、どこか特別ではないかな、とかいうような…

河上さん:いや、本当に偉いです。そうよ、みんな本当は偉い。みんなは本当偉いねんけど、あんまり、その本当の姿を自分が自覚するとね、周りがアホに見えて生きて行くのが嫌になるから、それで隠してるの。真(まこと)の本心の自分は凄いからね、その本心の自分だけをうっかり自覚するともう、周りがアホに見えてね、一緒にいてるのが嫌になって自殺しようとするの。だからそれでいいんです。

質問:その姿は本当に真(まこと)の神さまの素晴らしさを感じてるっていうことですね。

河上さん:そうそう、それでいいです。

質問:「自分が」じゃなくて、真(まこと)の神さまの素晴らしさを、本心の自分を受け取っている、感じてるっていうことですね。

河上さん:そうです。真(まこと)の本心の自分。「自分が」といっても、真(まこと)の本心の自分。そう。いいです、はい。

質問:ありがとうございます。

質問:すみません。神書の中からの質問なんですけど。神さまの働きで、「絶対、創造、統一、自在、限定」ってあるんですけど、具体的にはどういう働きを言っているんですか。

河上さん:だからさっき説明した、マイナスで半分に割って、みたいな。順番に分割って小さい働きに限定していくわけ。だから最後は限定になる。それだけですね。あるいは、それは時系列的に説明したからそう見えるけど、本当はそれが一瞬で全部起こるの。説明だから分けて言ってますけど一瞬で全部起こるからね。そういうことは、どういうことかといったら、どの立場で見たらどう見えるかだけです。だからこの世的な立場から見たら、限定に見えるし限定神に見えるし、神さまの立場から見たら、絶対の自由自在神だし、みたいね。それだけなの。

 今回の光の交流会(護摩前日の村での勉強会)の先生の説明でも、光が螺旋に回ってていうのも、そういう自由自在神の部分と、色んなことを、一瞬で起こっていることを説明されているんだけど。あの当時聞いた人は、みんなわけ分からんままやったんや。今回も、ちょっと分かりにくいやろうと思ったんで、ちょっと色々と解説を加えて、申し訳ないけどもう一ぺん(ホームページに)アップしました。ああいう感じです。

 ただね、どれもこれもそうなんですけど、今の一瞬に起こって消えるの。今の一瞬に起こって消えることばっかりなの。その一瞬一瞬新たのところを本当に自覚できたら無敵。

 ちょっとでも時系列で考え出すと分からんようになっていくの。苦しいじゃなくてね、時系列で考えると分からんようになるの。分からんようになった途端に肉体は自分だと思い出すの。だから、その一瞬一瞬新たのところを自覚してもらうために印可書の奉読があります。ありがとうございます。

 だから職場でね、仕事の上で上手くいかなくなってというのが、いよいよ時間切れなんで、今のここにいらっしゃる皆さんでも色々と出てきます。職場であろうが、この世的な社会的な色んな生活の上での軋轢というのが出てきますけども、それを通して光を通さないかんのでね。

 それで出てきてるということを思い直して、ひたすら印可書を奉読に、ひたすら立ち戻ってください。

 もしそれでね、本当に仕事もクビになって、何も食べられなくて餓死しても、それが1番良い、その餓死する運命の人に光を通すために必要だということだけです。だからどの状態も喜び勇んでください。そしたら真祈り人にそんな凄いことは起こらない。何故かというと毎回大変なことを体験してもらって、その大変なところに響きを通さないといけないからね、死んで貰うわけにはいかん。死なれへんねんからな。それが真祈り人の使命です。

質問:ありがとうございます。すみません。さっきちょっとモヤモヤしてて。怒りっぽい人は怒りっぽい人のところに光を通したり…

河上さん:怒りっぽい人に巡り合う。

質問:だから、怒りっぽくてもいいのか…

河上さん:自分の持ってるもののところへな、巡り合うというかお互い引き合って、要するに芋の子洗うようにして清めていくからね、同じもんとばっかりが周りに出てくるんよ。自分にないものは周りに出てこないの。自分が気付かなくてもね。

質問:それで、必要なんだっていうことで…

河上さん:はい。

質問:それで、怒りっぽい自分を演じるのやめよう、馬鹿馬鹿しいと思って。それで、怒りっぽい自分をやめた時に、そうするともう、響かなくなっちゃうんですか?そういうところに。

河上さん:そういうところには響かないです。でも別の必要なところが出てくるから。そんなん1個だけ違うから、みんな。要するに、なんで真祈りを選べるように、みんななってるかといったら、色んなことを体験してるの。色んなことを体験して、もうまっぴらごめんみたいになってきてるからね。だから怒りっぽいが消えたら、次また色んなのが出てきます。順番に。万華鏡のように楽しく出てきますから(笑)。

質問:ありがとうございます。

質問:ありがとうございます。今仰ったみたいに、もうこの役やめよう、手放そうと思うのもありだと思うんですけども、このままでも良いって、それを通して、今仰ったみたいだったり、光を通すからって…

河上さん:そうそう、そうやけどね、このままでもいいしって開き直ったほうが消える。怒りっぽい自分をなんとかしたいと思う時は怒りっぽい自分を掴んでいるから消えないの。

 このままでいいんだって、神さまが良いようにしてるんだってしてたら掴まないからどんどん消えるの。消えるけど、万華鏡のようにどんどん新しいのが出てくるから楽しいで。中々飽きさせてもらわれへんから(笑)。

 だって、みんなね、色んなことが出るから楽しいねんで。食べるもので考えたら分かるって。「毎日ごはんだけ食べなさい。」って言われたすぐ飽きるで。「バナナだけ毎日食べなさい。」って言われたらすぐ嫌になるで。色んなものを、こう…するから食べられるの。食べること一つとってもね。

 だから無人島で二人きりになったら、もう喧嘩になるの。それは、それしかおれへんからや。分かる?ようけ(たくさん)いてて色んなことがあるから楽しいねんて。暇やったら辛いで。だから刑務所入れるんでしょう?刑務所いうて独房に入れるんよ。そしたらもう、何も変化もないから、あれで刑務所の独房に入れて、食べるものも同じものにしたら、もっと拷問やと思うわ。

 まだ食べるものが変わるから居てられるだけで。それくらい変化するのが楽しいねんて。なのに、変化するからって言って、みんな文句言うねんけどな。違うって。色々あるから楽しいの。だから万華鏡みたいにいろんなものいうのが出てきたら楽しんだらいい。こんな自分もあったんやって喜ばないとあかんねんけど、責めるからややこしくなるの。

質問:すみません、ありがとうございます。その、色んなことが起こる時に、最近、私は「はあ、もうしんどい…。」とか言って。どうしても口癖で出てしまうんです。でも、すぐに河上さんの言葉を思い出して、「ああ、神さまが良いようにしていらっしゃるんだ。」って分かるんですけど、また、しんどい…。

河上さん:しんどい、そうそう。その、しんどいという癖を利用してしんどい人にいくから、それでいいねんて。だからしんどいと思う自分を直そうと思うと、「しんどい」を掴んでるから直らへんの。これを、「神さまは上手くなんでも使ってくださる。」って喜んでいたら、例えばその癖も消えます。消えてまた、「こんなんがあったんや。」って出てくるから大丈夫。

 だから本当はね、この世は楽しみに、みんな本当は来てるのね。だから楽しいだけやねんけどね。だから富士登山でいつも言うようにね、頂上に立つ大きい立場に立ってたら苦しみはないよ。

 でも富士登山でもね、「このままで頂上まで行けるんやろうか?」って不安に思った途端にな、苦しいで。8合目辺りやったら帰ろうかなって思うで。8合目が一番しんどいもんな。

 だからその、より大きな立場に立つ方法がね、印可書を奉読することやから、印可書を奉読してたら、なんでも楽しみになるの。

 勿論「宇宙神ありがとうございます」って祈って、より大きい立場に立てたら、なんでも楽しみになるはずなの。「宇宙神ありがとうございます」って祈ってて、苦しいと思ってる間は本当の真祈りになってないだけ。印可書の場合はなってるとか、なってないとかじゃなくて立てるからラクやって言ってる。

 だからどうしても苦しい時はな、「誰それ(相手の名前を呼ぶ)」って思ったらその人に苦しみが行くからラクになるの。そうだけど、同じような響きを持ってる人にしか行かへんから、僕を思ったって無駄なの。僕を思ったって受け取られへんからそっちに戻るだけやねんけど。

 (たとえば)同じように妬(ねたみ)みっぽい人の名前を思い出したら、そっちへ妬(ねたみ)みが行くから大丈夫、ラクになります。

 そうだけど、思ったらむこうも気付いて思い返すから、キャッチボールになるねんけどな。まあ、キャッチボールの間はラクや。そのキャッチボールの時に利息が付くねんな。それで膨らんで大変になっていくの。だから戦争なるんよ。

 最初は「本当にあいつ、ちゃんとしてくれてるんやろうか…。」から始まるわけよ。「本当にあの国はちゃんと約束守ってくれるんかな?」から始まるの。そう思った思いが相手の国に行くの。むこうの指導者も「本当にあいつ(約束守ろうと)思ってるんかな?」って思って、こう、やりだすねんな。この自分から離れた時に利息が付くの。それで相手に到着する。それでまた来る時に利息という運賃が付くねんな。それでだんだん大きくなって最後は戦争になる。

 だから印可書奉読で消していくのが一番いい。でも一時的に苦しい時はその人にパッと投げといたらいい。その代わりすぐに印可書を奉読してあげたらいいんねんけどね。

 ほら、「人を呪わば穴二つ」っていうでしょう?呪った相手も自分も死ぬっていうねんけど、それはその、思いでどんどん利息がついて、お互いその重さに耐えきれんようになるっていうことよ。

 だから本当は難しいこと違うんねんけどね。小さい立場に立ったら、もう分からんことばっかりで。不安が先立つから苦しくなる。

 で、もう「どないして大きい立場に立つの?」っていうことが長い間できなかった。昔やったら、「竹刀を1万回振りなさい。」とか、「綱引きしなさい。」とかね、先生は色々おっしゃってくれるんだけど、みんなそれにひたむきに打ち込めない。それで、「この子らは、ひたむきに打ち込めないねんな。どうしてもひたむきにさせられへんな。」で先生と相談してね。「もう諦めて(神さまの世界に)帰りましょう。」って言ったら怒られたわけよ。「諦めたらあかん。」って。それで、先生は最期、印可書を作られて。

 ただ、作った者は響かせられないから、後はお前が響かせ、と。要するに、楽譜は作るけども、演奏する者が要るということで、演奏させられて。みなさんもどんどん演奏してください。

 音楽でもそうでしょう?作曲家が演奏することは少ないやん。その作曲家が作ったものを、後にみんなが演奏をしてウワッと広がるでしょう?そういうもんです。印可書も同じです。ひたむきでなくてもいける。

 それが印可書のすごさなの。真剣に、真面目に、一生懸命がいらん。なんでかというと、真剣も真面目も一生懸命も、ちょっと間違うと「自分が」が入るんよ。「自分が」が入った途端に崩れるんよ。それで1万回竹刀を振りなさいというのは、自分が振るというのが1万回だと、自分が思ってられないくらいになってくるからやねんけどね。そういうことが、みんな出来へんねんなっていうのは、最後に先生は気付かれて。じゃあもう、自由意志で選び取れたら、あとは印可書を信じ切れてくれたら(なんとかしよう)、というとこにしはった。

 だって、真祈りの伝授が始まって8年経ったというのも知ってる人は少ない。それくらいみんな、きつい言葉で言ったら真剣でなかったんや。ちゃんと受け取れてなかったんや。本当やったら、真祈りの伝授が始まってから8年も経って、まだまだ、もっともっとと、こうなる。なんていうんかな、ひたむきにせなあかんねんけどね。

 「私達は『宇宙神ありがとうございます』って聞いてます。」だけや。聞くのは勝手や。実践しないと、って責めてないからな。それくらい「宇宙神ありがとうございます」だけやったら、やりにくいよって言ってるだけ。

質問:先程から度々、神さまにひたすらに、ひたむきにということを言ってくださってるんですけれども…あれ…(今なにを聞きたいかわからんようになった???)?

河上さん:ごめん、清めてしまって消えたな。ごめん。今、光をパッと送って清めてしまったから消えた。

 あの、ひたむきにというところが分からないでしょう?ごめんごめん、今、思わず(清めてしまった)。

 「ひたむき」というのは何かというと、「自分が」というのをどう消すかの部分なの。本来はみんな真(まこと)の本心の自分やから、ひたむきも何もないの。只々、そのままで全ては完全円満完璧大調和や。そうだけど、演技をしてるというように、入れ子構造的にわざと限定して、限定した状態を楽しんでるわけや。

 ゲームがそうでしょう?野球のルールやったらね、ストライクが3つ、ボールが4つって限定するわけや。あんなもん、ストライク2つにしたらもっとピッチャー強いで、例えば。そうだけど、わざと限定して楽しんでるやん。ホームランもこの距離ここまで打たないとホームランと違いますよ、と。ヒットも内野手の間を抜けてどうこうとかね、色々な限定を付けて楽しむわけでしょう?

 その楽しんでる自分を忘れて、苦しみに限定してる分だけ不自由だから(そこのところを掴んで)、苦しんでる。

 それもその自分というのは演技をして、自ず分けて小さく限定したのを自分というわけね。その小さく限定した自分を、如何に消すかというところで困るわけよ。自分で自分を催眠術にかけてね、「こういうもんや」って言って演じてるから戻らへんわけよ。自分で自分を縛ってしまっているから。

 それをどう解くかという部分で、昔だったら、ひたむきに竹刀を振りなさいとか、ひたむきに綱引きをしなさいとかね、色々あって。スクワットしなさいとかね、先生は色々苦労して言いはったんや。そうだけど、出来へんの。それで今は印可書奉読だけなんだけど、印可書もついついね、「自分が」読むになるの。そこが怖い。「『自分が読む』と違うよ。」と。「印可書は読むじゃなくて奉読だよ、奉納だよ。」って言ってるわけ。それでもやっぱり、「『自分』が奉納する」、「『自分が』奉読する」、が消えへんから、「ひたむきに」って足して、色々と苦労してるだけで。

 でも、ただ印可書をね、そこまで神さまに捧げるつもりで読んだら、自然に自分が消えるようにしてあるから、あんまり「『まだまだ自分が読む』って思ってる。」とか考えずに、淡々と読んでください、ひたむきに読んでくださいってお願いしてます。

 考えなかったら掴まないから。考えるというのは掴むということなの。例えば、そうでしょう?怒りっぽい自分って考えるから掴むんよ。考えなかったら怒ってる自分に気付かへんわ。そこまでいくと消えやすい。この説明でいいですか?ごめんな、急に清めてしまって。そういう感じです。

 だから、本当に如何に小さく限定した自分をどう消すかだけ。要するに演技してるって、気付くかだけやねんけどね。それも理屈で言うと分からへんから、ひたむきに印可書を奉読してください。そしたら勝手に消えて、ある時ハッと分かります。分かったら、「なんやこんなことやったんか。」って先生のおっしゃったようにね、「悟りってこんなことやったんか。」というのが分かります。

 それは大きな立場に立つだけやから、「本来の自分やし、これは当たり前やん。」なの。僕の感覚で言ったらな、「あ、そうやん、これが当たり前やん、だから完璧やねん。」だけやってん。

 感激とか凄いじゃなくてね、「ああ、そうか。」っていう。要するに眠りから覚めたんや。催眠術から解けた。自分の縛りを解いたから、それだけや。そこに何もないの。説明のしようがないな。
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令和4年12月河上さん勉強会−3(20221211−3)

河上さん:あの五井先生が「ひたすらに神を想いて合わす掌(て)の、それさえ消えてただに青空」て(心境に)なるのね。

 それでもまだ自分と神さまが別れているわけよ。ね、それでそこからまだ五井先生祈り続けられてね、「天地(あめつち)の命(いのち)ひとつと海鳴りと なりしところゆ 陽(ひ)は出でにけり」という歌を歌われるわけですけれども、それが悟りの歌です。

 命ひとつとね、海鳴りとなりしところ、日は出でにけり(→すべては完璧なひとつ、真の神さまの輝きだけ・・という意味です)。

 それだけやね。御来光を拝んでね、「きれいなー、凄いなー」だけや。説明しようがない部分ね。「ああ、そうやったんや。光一元やったんや。それだけね。だからといって全部光に見えるとちゃうね。ちゃんと入れ子構造的に、個人の癖も全部見えて、でも一つやったんやって、分る。

 だから現実を掴むと分からんようになる。あいつと自分。要するに他人とした途端に崩れるね。ましてやそれでね、人種、言語で、文化で、差別するようではもっとひどいわけよ。論外ってなるけど、そういう状態に、陥っている自分に気付けへんのやからね。それを印可書奉読で消せる。それが真祈り人の印可書奉読の響きで人類がね、自分の自由意志で「これ凄いやん」で選んで、演奏をしだすね。そしたらあっと言う間に変わるから。

 その宗教組織や宗教団体やったらね 、印可書をリーフレットにしてね、配って歩いて広めなあかんてなるねんけれども、それは相手の自由意志を縛るからちがうねん。

 (今ちまたで言われている)宗教っていうのは相手の自由意志を縛るから宗教や。ここは相手の自由意志を縛らないから宗教ではありません。だから「お金持って来い」って言えへん。「お金持って来い」っていうのは相手の自由意志を縛っているやん。「寄付をせえ」っていうのもね。

 ただ護摩木はずっと続けたいから「1枚あたり100円の原価がかかってますよ」っぐらい言いますけれども、先生は基本的にこの村にね、必要なだけの護摩、人類のために必要なだけの護摩の期間、何年とは言いませんけれども、その分のお金は残してくださっています。だから一切の寄付なしで出来るはずです。もし出来なければ村で無駄遣いをしているだけです。それも含めて1枚当たり100円っていうのを「出せる人は出してください」ってお願いしています。

 村責めて言っていないからね、「色んな形が全部必要で起こっている」っていうのがね、分かってください、マイナスではない。どの形も必要で起こっているの。神さまがされていることばっかりで必要でないことはないの。

 で、例えば戦争でね、残虐な事起こるじゃないですか。それを体験しないと残虐っていう事が分からない人は体験してするしかないの。体験せな納得せえへんね。体験せんと納得できる人は幸せです。だからイエスは「見ずして信じる者は幸いなり」っていう。でも大概、見るだけでも納得出来ずにやるとするね。せやろ? 見るだけで納得できるんやったらスイーツ見ただけで「おいしかったな」って言うの。やっぱり食べたいやろ、そんなもんや。それを責めるかっていうたら、それはそれで責めるんと違って、それはそれで楽しんだらいいねんけどね。

 松下先生はね、見るだけで楽しめるからね、何でも「欲しい」って「食べる」って言われへんね。写真を見ただけで「美味しかったな」って言える人やね。みんな御馳走の写真を見て「美味しかったな」って言われへんやろ?だから色々な体験をする人を責めたらあかんね。どうしても残酷な体験も体験せな分かれ人は体験するしかないの。又、そうできるように神さまがして下さってる。只々、それだけよ。あいつあんな・・って責めることは必要ない。

はい。(質問どうぞ)
 
質問者:全然関係ないんですけど。スピーカーの音が切れてます。

河上さん:ちょっと待ってな。

河上さん:線、抜けてる?OK?聞こえた?

 だからどんな形も神さまがね、必要で体験させてくださるの。本人が望んだら望んだ体験をさせてもらえるの。どうしても絶対無に行きたい人は行くの。「行くな」って言っても行くしな。

 それはそれでいいねん。でもできたら体験せんと分かる方が幸せやなって思うけれども。そらスイーツを見ただけで「美味しかった」って言える人は幸せやで。病気にもなれへんし、お金もかかれへんし。 でも皆、見ただけで納得せえへんやろ?体験することを責めたらあかんね。食欲で言うと分かりやすい。

宮野さん:あの後悔せんかったらいいんでしょう?

河上さん:そうそう、後悔せんかったらいいの。

宮野さん:社会貢献していると思ったら良いんでしょう?

河上さん:そうそうそう、これを買って食べてあげないとお菓子屋さんも潰れるし。・・・(笑)

 だから先生ご自身はここにいらっしゃるだけで全世界を飛び回れた。で、写真見るだけで飛び回れたんやけれど、旅行好きの人はな、旅行のパンフレットを見たら行きたくなる。それはそれで行ったらええねんけどね。
 
宮野さん:実際に行かないといけないみたいな縁(えにし)の人があるじゃない。

河上さん:そうそう、どれも神さまが必要でしているからねそれでいいやけど、ただ一瞬一瞬新たに受け直すということが大事やね。結果を掴んでどうこう言った途端に新たな受けなおしが消えて、苦しみになるからね。そこだけ。あと1時間ですよ。質問してな。

宮野さん:改めてもう1度確認なんですが、みんなみんな誰もが神さまに使って欲しい、使っていただきたい、御用にお役に立ちたいと思っていらっしゃる中で、本当に自分は 役に立っているのだろうかっていう不安が、皆さんお持ちだとおもうんです。

河上さん:誰もね、神さまが使って下さっているの。ただ100%使ってもらうか、一回こっきりで終わるかだけ。現実を掴んだ人は一回だけ使ってもらって流れていったっていうだけ。で、一瞬一瞬新たに受けなおしたらどんどん使ってもらっている。それだけ。ただただそれだけです。

宮野さん:そしたら例えば先週一回使ってもらったけど終わりましたって感じで…

河上さん:それは本人が選んでいるから、要するに100%使ってもらおうと思ったら一瞬一瞬新たに受け直すしかないわけよ。でその一瞬一瞬新たに受け直すって言われてもなんのこっちゃわからんから、印可書奉読って説明しているわけで、それをどう選ぶかは、本人の自由意志やから。

 ただ、印可書も知らん人が大半でしょう?で、その人たちに印可書の縁を作りたいから、皆さんの真祈りが必要なの。

宮野さん:ということはあの先週1回きりの雑巾で使ってしまってもらいました。あとどうしょうと、あっ印可書やと、印可書をご存知な方は印可書を、立ち戻って奉読をしていく。で、ご存じない方が目の前、周りにいらっしゃるようであれば、それはそれで自分が印可書を読む役割として、只々・・

河上さん:読んでたらいい。

宮野さん:読むだけっていう事ででよろしい?

河上さん:うん。まあトイレに貼るぐらいはかめへんけれども、一切強制なしという形で。別に壁に貼ってもええねんけどね 、だけど、貼るだけで嫌う人もおるやろから、最初はまず内側から。というより何事も内側からや。

 朝顔でもなんでも、内側からや。種は植えたら内側からや。それ一々ほじくり返して見てたら芽ふけへん。必ず芽が吹くのを信じて印可書を奉読してたらいい。そしたらみんなの心に、真祈りの芽が、双葉が生えたらね、生えたらその人が自由意志で選ぶから、そこまでは芽が吹くのを信じて待たなあかん。みんな殆どの人は今まではね、信じ切れんとほじくり返して、「まだ根はってないな」とかね、種を一々ほじくり返している状態や。

 結果をつかむってそういうこと。「見ずして信じる者は幸いなり」っていうのは永遠のテーマや。イエスは中々深いことを言う。どの状態においても神さまの絶対の愛を信じて「信じる者は幸い」。だから十字架にもかかれる。結果だけ掴んだらな、十字架なんか、最大の拷問やから逃げるで。

 質問した方が得やで。質問してくれると、その人に特に光がぱっと集まるから清まります。 早く悟れます。

質問者:はい。

河上さん:(質問してる人に光が行くのは)ホンマの話。

質問者:ありがとうございます。イエス様が磔にかかった時に、「エリエリラマ、サバクタニ」「これで神さまの御心が成就されました」という風にお話をされた。そういう心境に立たれたということなのに、その後世、今我々が手にする聖書、聖カトリック教を信仰される方々にとっては、それとはまた全然意味が違うように取られると思うんですが?

河上さん:言葉がね、言葉の意味がね、時代を追って変わるでしょ?例えば「のろう」っていう日本語ね。今では「呪う」って言ったらマイナスで、人を攻め殺す意味でしょう。でも本当は「のろう」っていうのは真祈りのことやねん。「のろ(呪)」って言って。命が 宣り(のり→宣言)出すから「のろ」。「のろう」っていうのは本当は真祈りのことやね。それぐらい言葉っていうのは裏返しに変わっていくね、それだけや。

 だから言葉の意味は年数経ったら変わっていくから、例えば「怪しむ」っていうのをね、今は「怪しむ」って言ったら何か悪い意味でしょ?だけど本当は「怪しむ」っていうのは違う意味やからね。(隠されてわからなくなっているから変だなと思う・・・が本来の古語)それぐらい言葉の意味が変わるね。だからそうなっているだけ。良い悪いじゃない。

 やっぱり自分と神さまを分けて 自分とイエス様を分けて考えていたら、あんな大変な目にあわれて、痛かったやろなあ、大変やったやろうなって思うやん。思ったら、痛かったり、大変やったからこう言いはったんやろうみたいに、勝手に変わって行くね。良い悪いじゃない。そういう立場が分からんかったらそうなるよ。だから無駄死にみたいにね。だってそこで死なずに、もっと神さまの教えを布教して行ったほうがよかったって、みんなは考えてしまう。

 でもそこで死ぬから変わるんだっていうのが分かれへん。神さまが一番良いようにしているんよ。そうしないとわからないっていうのがあるね。その節目節目には大犠牲が必要。どの時代も、いつもいつも。だから別に十字架じゃなくて火あぶりの時もあったし、色々あっただけや。でも火あぶりに合わないと皆が変わらない、っていうのがあるね。火あぶりの方がもっと大変やったから記録に残らへん。

 ただ、十字架についてはね、そんなみんなの見えるとこでするからあかんかった、って(ヨハネ先生から)怒られた。分からんとこでせなあかんかった。その十字架かかる事自身は必要なんやけれども、目立ったところしたのは大きな失敗やったって、えらい怒られた、先生から。

 だからそういう聖書に勘違い出てくるね、目立ったとこでしたから。せんかったらよかった。「あほたれが」って怒られた。そういうもんや。

  で、だから出来るだけ目立たないようにせなあかん、大犠牲の姿もね。やっぱりどこかで私こんだけのことをしたって言うことになってしまうのね。本人にそういう気がなくても。「私がこんだけのことをした」て言ったら もうあかんね、私があるうちは。

 「自分がこんだけのことをした」っていう自分があるうちはあかん。「只々、神さまのお役に立てて良かった」だけや。誰にも分からなくていいの。誰にも知られなくていいの。だから戦争中にね、ここで自分が犠牲になってしとかないと、後から来る同じ部隊の人が死んじゃうってなった時に、そこで自分が犠牲になって死ぬわけよ。それは絶対誰も気づかんことや。そういう事が一番凄いことや、愛や。みんなにわからんようにするから凄いね。

 分かってしまったら大分半減する。全然ないことは無いけどね。だから「捧げあい、尽くし合い」って言うでしょう?そこに捧げ合いがあるでしょう。「捧げ合い」っていうのは、相手に気づかれないことや。「尽くし合い」っていったらちょっと、相手に気づかれる。本当は「捧げ合え」がいいわけ。そしたら気づかれない。

 それで今回の光の交流会のお話であるように、その全方向から光を頂くから、ていうのがあるねんけれども、全方向から光を頂くっていうのは、この世的に言うと皆がつくし合うから、捧げ合うからやね。全方向って言ったらみんなが捧げ合わないと全方向にならへん。だから「一人でも悟ってない人がおったら悟りになれへん」て先生は言わはる。

 今までの宗教やったら教祖が悟った、あるいは悟った指導者がいて「お前ら悟ってないから、導いたろ」っていうわけ。それは宗教よ。

 ここは宗教じゃない。みんなが悟らなあかん。だからみんなが悟れる「印可書を奉読したらいいだけ」よって言うてるわけ、一切の自由意志はしばれへん。その一人が悟ってみんなを悟りに導くいうたら、 導くっていうことは既に自由意志を縛っている。「こっちの方向、来いよ」って言うてるやろ?それは違う。だから自由意志で印可書を奉読してくれんと意味がない。

 僕が「印可書読め」て言って自由意志を縛って、縛った時点で印可書の意味が消えるの。印可書は本当の絶対奉仕やから、尽くし合いじゃなくて捧げ合いなの。印可書を読むだけで、本当はね。

 だけど自分が印可書読んだら捧げ合いに成るんやなって勘違いされるから、その辺の説明が難しいわけよ。「自分が」って思わないように、出来るだけ淡々にとかひたむきにとか、ひたすらにとかね、色んな表現を使うわけやけれども。

 そしたら「自分が印可書を読んだらええねんな」って言った途端に、駄目になっていくの、頭の片隅に置いといてね。

 一切を報い求めずに与え尽くすのが捧げ合い。だから一切を報い求めずに印可書を読むっていうのは自分ではない。自分が読むっていう時は必ず何か報いを求めている。大なり小なり。それでは崩れるね。それだけ。
 
宮野さん:わかりやすいな。

河上さん:いつも分かりやすいの。ここで突っ込み来るか?

宮野さん:今日は1時間17分のとこやな。(笑)

河上さん:はい。

質問者:すみません。3つあります。あの11月に入って、1秒1秒が速くなったんですけど

河上さん:速くなっています。気のせいじゃないです。 朝起きたらもうすぐに夕方になっているやろ?

質問者:はい。

河上さん:もう時間切れやからね、もうどんどん速くなってる。もうその速くなっている中で、どない言うんかな、あの「自分が」があったらね、間に挟み込まれてノイローゼになってくる。

 「あれもしたいこれもしたいと思っているのに何もせんうちに終わったわ」ってなって行って本当に鬱になる。でも神さま一番良いようにしているから、「ちょっとでもできて良かった」ぐらいに思えたらいい。本当は「ちょっとでもできても」も要らんねんけどね。只々、今できることを淡々とするだけよ。それが人から見て遅かろうが、拙かろうが、関係ない。その人が前向きに淡々と出来たかが大事であって、他人がどうこうはないね。人の評価は関係ない。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:はい。

質問者:あの幽霊っていうのは人の姿には見えない?

河上さん:いや、見える人によって色々な形があります。

質問者:ああそうですか。護摩の時に向こうの人がポンポンと来て、心配しとるから来とるというのがあったと思うんですけど、心配だから来るんですか?

河上さん:いや、それは色々です。助けてほしいからくる人も居るし、お手伝いに来る人も居てるし。大体お手伝いに来ている人は、だいたい後ろの壇上に集まってくれます。で、助けてほしい人は、どんどん後ろこっち側で。

質問者:印可書奉納で、一応話しかけたけど、答えてくれない。

河上さん:向こうは答えれないです。向こうは声帯がないから。で、向こうの気持ちがわかるようでは、大変です。何でかと言うと、低い響きに自分があってるだけみたいな。

質問者:あと研修生がいるんですけれども、うちに外国から来た研修生がいるんですけれども、帰国する事になってなぜか印可書を渡したかって、

河上さん:渡しとけば良いです。

質問:渡せるチャンスなかったんですけど、最後の最後にばったりと会って渡せれたんですけど、お土産でって出して、もう何も説明しなかったんですけど、ローマ字のやつを渡したんですけど。

河上さん:それでいいです。ちゃんと必要なようになります。ちゃんと必要なようにいいようになっているの。で、仮にそれがパッと捨てられても、それで良かったんですよ。一切の結果は関係ないの。その時にした行為が響きとして伝わっていくの。はい。

質問者:ありがとうございます。

宮野さん:その今回お土産だけれども、人に渡す時に、お守りだとか別に言い方は何でもいいんですね。まあ言えば嘘をつくっていうことを申し訳ないですけど、お財布に入れといたら何か良い事あるみたいやね、みたいなんでも良い訳ですね?

河上さん:そうそう。で、それを気に要らんでぱっと捨てはる。捨てたのをたまたま拾う人がおって分かるとかね、ちゃんと神さまいいようにようにするから。それで誰もひらわずに捨てられてそのまま終わりになっても、その土地に光が通るとかね、ちゃんとね。

 ほら鳥さんがね、花の実食べて飛んで行って、うんこの中に種、一緒に入れてそこに生えるでしょ?そういう感じでちゃんとなってますから。

 結果を掴むとね、例えば鳥さんがね、花の実食べて、木の実食べてね、飛んでいってパットとうんこと一緒に落としたところで、必ず木が生えなあかんてなるじゃあないですか?そうじゃないね、必要なところに生える。だからね大丈夫。

 だから皆どうしても結果を掴む癖があって、「こう、ちゃんとこうならな、あかんやないか」って思ってしまうけどそうじゃない。

質問者:確認なんですけれども、職場で自主残業中に先生の YouTube を流して、お祈りをさせて印可書を奉納する時があります。その時と今との違い、印可書っていうのは勉強会もそうなんですけど、響きで受け取っていると思っているんですけれども、その場に応じた思いが出てくると言うか、あの・・

河上さん:その思いを通して伝わるからね、出てきていい。だからその時その時に怒りの思いとかね、妬みの思いとか、色んな思いが出るわけですけれども、その思いを通して印可書を。まあ音楽で言うと変調やね。本来ハ長調やねんけれども、ハ短調にしたり、変調やね。曲調、メロディーは一緒やけれども、曲調が変わるんですね、音楽でもね。そういう感じの変調しているだけですから、大丈夫です。

質問者:変調を楽しんで淡々と奉納させて頂くっていう。

河上さん:はい。

質問者:印可書って本当に人の心にどんどん伝播していて実感があるんですけれども、光の進軍が始まったということでさらに加速度して行くという事ですか?

河上さん:そうですそうです。だからわざと「光の進軍」ってわざわざ説明させられたのはね、現実だけ見たら本当に大変になっていくんですよ、これから。食べるものもなくなったりね、どのパターンになるかわからない。みんなの免疫力が落ちてね、本来ならない病気、普通やったら免疫力あるからならないのに、ちょっとした麻疹(はしか)とか、ちょっとした風邪で死んじゃうとかね。そういうのがどんどん出てくるんですよ。でも光の進軍が始まっているからね、「絶対大丈夫なんだ」っていうことだけ、分かってて貰ったら良い。

 どれもこれも必要で神さまの方の予定の中でね、食べ物で来るのか、免疫力で来るのか、戦争で来るのか、地震でくるのか、津波で来るのかみたいな感じです。火山でくるのかとかね。ちょっと色々とこの世的には大変になるけれども、光の進軍が始まったのだから大丈夫、って分かって貰うために、光の進軍を特に強調しました。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:ちょっとね、みんなの免疫力、人類の免疫力が落ちてね、色んな訳の分からん病気が出てきます。でも安心していてください。で、仮に自分がかかったらかかったで、死んで良かったんだ位にね、喜んでいたら良いです。でも真祈り人はメタボやないけどね、「なんで私が」って思わないように。必要な大犠牲を目立たないとこで皆する、(大犠牲の)立場に立つ人は立ちます。立たない人は立たない。それも神さまの方で選んでくるだけでね、自分がどうこうではない。

 この前言ったようにカーテンのシワをね、引き伸ばすのに、キュとした掴むところの部分は大犠牲ですから、その役割になる人は、やっぱりなります。服のシワを伸ばすのにね、キュッとして伸ばす訳でしょう?掴むところは大変。

質問者:前回の護摩の時に河上さんのお話の中で、護摩の2回目が始まったかどうか、という事があったんでしょうか?

河上さん:今回は入れ子構造がね、多重的に4回ぐらいになりました。だから何て言うかな、最後の方の印可書奉読が凄いみんな楽しかったでしょう?もう当然のように起こっていくのでいちいち説明しなくて、質問なかったから。

 詰まらんて言ったら怒られるけど、中国のどうのこうのっていう質問ががあったので、それに時間取られちゃったのでね、あれですけど。詰まらんではないですけどね。護摩の時に中国情勢を言ってもどうかなっていう・・・    質問でしたね。




令和4年12月河上さん勉強会−4(20221211−4)

質問:八拍手はいつしてもいいんですか?

河上さん:だから八拍手はしたい時はどんどんして下さい。(光の)大進軍の太鼓の響きですから。

宮野さん:したい時はですね?

河上さん:そらそうや、むりやり嫌々せんでも良い、そんなん。当たり前や。

宮野さん:せなあかんのと違うかなって、思っていらっしゃる方がいらっしゃるかも知れないと思って。

河上さん:そんな事はない。したい時にしたら良い。

宮野さん:しなくても良い?

河上さん:勿論。そんなん、電車に乗っている時、こんなん(八拍子のふり)するか?(笑)ちょっと怖いで。(笑)新幹線のってこんなんするか?

宮野さん:分からんで?(笑)

河上さん:兎も角、一瞬一瞬新にっていう事だけね、いつも思っていて下さい。だから免疫力落ちて色んな病気が出ても何してもね、一瞬一瞬新だから、コロナでもそうでしょう?何やかや言いながら収まって行くでしょう?必ず良いようになりますから、大丈夫。

 本当はね、ここに座って喋る役目僕ではなかったですけど、僕の弟分に当たる方がする予定やったんですけど、この地上に生まれ損なったんでね、それでピンチヒッターになっています。それも一番いい形でね、生まれ損なったからこそ向こうで大きく働いて、大きく応援し易くなって良い形になっています。どれもこれも神さまの予定はドンドン良いように良いように変わって行きます。

 肉体を持った方が働ける場合と、あっちの世界の方が働ける場合と色々あるんですよ。で、今回は良い形の二人三脚させて貰っています。

質問:最初に話がありました、「みいつ」という話がありましたが、それは分かるんですが、その「いつ」というのはどういう字を書くんですか?

河上さん:村の掲示板に書いといたけどな。出しといたよ。ひらかなで「いつ」って書いてあって、光の交流会(護摩の前日の村での勉強会)でね。これでは分からやろうから、漢字で書いて、もう一遍ちょっと分かり易いように書き直してありますから、掲示板を見て下さい。

質問:分かりました。ありがとうございます

宮野さん:ドットトップ(河上さんホームページ)にも書いてあるね、御稜威(みいつ)の。

河上さん:ああ、ドットトップにも勿論。僕の掲示板にも載っています。はい。「いつ」っていうのをこの世的に降ろしてくると、高野山の伊都郡ってあるでしょう?あの漢字になります。この世的に降ろしてくると。で、本源のはちょっと口で言い難いから、見てください、ちょっと。

Jさん:ボードがあります。(笑)

河上さん:使わない、だって録音やもの。ここ書いても仕方がない。だから威厳の「い」やけどね、口で説明しにくい。

宮野さん:アクセスして下さる方がいいよね。

河上さん:だからみんな見るやん、村の掲示板を。だから大丈夫。

宮野さん:入られないという方は村にね、聞きはったらね、パスワード。

質問:河上さんの方にも(河上さん掲示板)?

河上さん:載ってる。

jさん:あれはみんな入れますので。

河上さん:村の掲示板はね、みんな書き込めるようにしてあるからパスワードが要るの。僕のは、僕しか書かれないようにしたから、もうパスワード要らんけど。余りに荒らしが酷くて、他の人の書き込みをもう諦めた。

質問:先日私の従弟(いとこ)がお寺の住職だったんですが、急に亡くなってという知らせで、まだお通夜とお葬式が終わってないんで、どういう理由で亡くなったか全く分らないんですけど、これも神さまが使って頂いたと考えたら良いですか?

河上さん:そうですよ。だからこれから急死する方が物凄く増えるのね。だからそれを掴んで悲観に思わないようにって事を、さっきもお願いしたんですけども。原因不明で死ぬ人がおるんですよ。殆どは心臓麻痺って病名が付くんですけね。

質問:それとお寺の住職だったので、勿論お祈りも全くしてない人だったんですけど、光の進軍に参加できる?

河上さん:出来てます。

質問:出来てますか?ありがとうございます

河上さん:何よりも真祈りしてたら、これから若返るからね、大丈夫。ある意味先生の厳しさやな。若返らんかったら真祈りがまだまだ足りんと思って、先生の大オマケやけど、ある意味厳しいな。

宮野さん:でも色々ですね。若返るも色々やからね。

河上さん:そうそう、そらそうよ。

宮野さん:見目だけの話しではなかったりするからね。

河上さん:勿論。まー、結果を掴まない練習やな。「うわ、しわ増えた」って結果を掴むから余計増えるねんけどな。白髪出てきたって結果掴むから余計白髪が増えるねんけどな、例えばね。
 だからよく先生が女の人にお化粧するなって言ったんやけどね、色んな意味があるねんけども、

 お化粧する毎にしわを数える人がおるねんな。お化粧する毎に白髪数えるね。それでよけいやから(先生は)するなって言ってはった。

宮野さん:神さまの前をきれいにとか?きれいに着飾るじゃあないけど、そういうの言ってなかった?

河上さん:いや、いわゆる整理整頓してね、あんまり人に僕は言いへんけど、整理整頓して小綺麗にしなさいっていうのは先生の口癖やった。神さまは光通して無色透明の輝きだから、この世的にも出来るだけ輝きの状態、整理整頓して小綺麗な状態に。身成(みなり)も立派なもの着るんじゃあないけども、小綺麗にしてなさいって。小汚い恰好はするなっていうのは、良く仰っていました。

 だから何時迄も同じ服やけど、お洗濯もしてキレイにして着なさいっていう事で。

宮野さん:今回も12時迄で後、時間もないですけど、1月の護摩と1月の話し、それから次の週の勉強会に際して、ちょっとみなさん予定が多分1月の事でしょうから、段取りあるでしょうから、出来れば何かどんな感じで動かれる?

河上さん:どんな感じというと?

宮野さん:例えば、

河上さん:あっ、元旦は護摩が終わるでしょう。後、お片付けが終わって、屋台奉納とお片付けが終わって始めるのやけど。あの時司会者に聞いたら1時位って言うから、1時って言いましたけどね、終わった時間からしか始めれなおからね、終わった時間からします。で、勉強会は何時も通りやります。どっちしても録音として残しますから、今年は雪も深いと思うんで、車的にも無理のない範囲で、ここに来れる人だけ来て頂いたら良いです。かなり元旦はクリスマス寒波が来るんで怖い、際どくなると思っています。

 出来るだけずらして勉強会あたりに寒波が来るようにと、今延ばしておりますけども、はい。

宮野さん:元旦のお話し大体、時間帯、時間が組める訳ではないでしょけど、ざっくりとした皆さんお帰りになる時間だったりとかあるでしょうから。

河上さん:一応1時間の積りなんですけど、質問が出たら勝手に伸びるだけ。只、一応1時間で基本的な話を終えて、帰られる方は帰れるようにしたいと思っています。

質問:すみません。お片付けが終わってから、この部屋で発送物を何時もやっているんです。それでそれをどうするかという話をちょっとしてきたんですけども。時間が1時ではちょっと無理かなと、発送物をやっているんですけど。そこはちょっとどうなるのかなっと思って?

jさん:良いですか?発送物は元旦になりますので、ヤマトさんも取りに来れるかどうかっていうのも分かりませんし、護摩が終わった後に別にしなくっても、延びても良いですし、皆さんのお話が終わってからしても良いですし、場所を変えてって案もありますし。前先生が護摩の後ここでお話しされてた時は、大食堂とか使って発送物の準備とかもしてましたので、その時その時に応じてでしましょうかって、私たちの間ではなっているんで、こうでっていう事は

河上さん:事はない?

jさん:事はないんで、伸びるんやったら翌日に私たち山(仕事)もお休みですし、残っていますので、私達で出来ますしっていう事で。

河上さん:分かりました。宜しくお願いします。ありがとうございます

jさん:それから始まる時間も、例年ここの護摩は結構、(護摩壇の)下の穴が大きいんで焚き上げが早かったりするんで、早めに終わったりしたら1時より早く、もし始めれるんだったら、始めて頂いても良いなっていう事も言ってますので、

河上さん:ただ、屋台奉納もあるしね、色々あるから。

jさん:その辺も雪の加減とかでありますので、こうでなくっちゃあっていうのは、

河上さん:まあ、出来るだけね、元旦ではあんまり雪積もらないように、勉強会当たりに寒波が来るように今延ばしていますから、多分そうなると思いますけども、これだけは人類の思い次第です。はい。

宮野さん:元旦は臨機応変にその都度合わせて、

河上さん:勿論、録音してるからね、予定で帰る人はどんどん帰って頂いたら良いんだし。雪が雪やからね、かなりの時間をみないと山を下りるのでも大変だと思います。普段の倍かかるもんね。1時間でよう下りん(おりん)と思う。

宮野さん:そう、雪多いい時はね。

jさん:又,降ってきたらマーさんに(雪を)掻いて貰らわんとおりられん場合も出てきたりしますので、

河上さん:あっちを雪かきして貰わんとどっちみち通れないでしょう?だから雪掻きの状況もあるし、出来るだけ少なく雪が積もらないような予定で、今。だから勉強会がかなり厳しいかも知れないけども。

宮野さん:元旦の基本的お話なので、勉強会とは違うので質疑応答とかは又、違いますね?

河上さん:そうそう、元旦は何時も質問はないはずが、有るだけやね。(笑)

宮野さん:一応お伝えしとかないと、護摩の時は護摩で質問を受け付けていますけども、でも、元旦のお話しに関してはその年の

河上さん:いや、本当はね、護摩の時に全部纏めてって思ってたんやけど、「それ困る、もっと」っていう感じやったんで、こうしただけで。はい。
 というのは護摩の時に纏めると、護摩の終わる時間がかなりズレ込むと思うのね。それやと護摩で帰る予定の人がかなり崩れるから、やっぱり皆さんの希望通り分けてっていう事でしました。

宮野さん:で、後は勉強会は何時も通りですね?

河上さん:はい。

宮野さん:勉強会は何時も通りするので、質問あれば又、

河上さん:ただ、かなり雪深いんで、一辺ありましたけど、勉強会遅れたじゃあないですか?雪掻きを待ってから上がってきた。そういう感じで遅れる可能性はかなり勉強会の場合はあります。

宮野さん:それ位かな?スケジュール的には。

河上さん:今日も黒丸(PA)まで来たらガックリ来てね、とても今日はもうアカンかなっと思う位大変だったけど、又、元気になってお話しできて良かった。元旦も又、そういう感じでちゃんとこれると思いますから、神さまが良いようにするから、大丈夫。

質問:八拍手を未だにさせて貰ってないんですけど、癖で決まった人と喧嘩をズーっと続けていまして、又、今日河上さんが「利息を付けて飛ばしてるんや」って仰いましたので、正にそんな状態の感じで、同じ事の繰り返しなんですけど。そんな状態でもし八拍手をした場合、

河上さん:お清めになるからね。だから堂々巡りでどうしようもない時に八拍手で断ち切るんよ。

 只、あんまりこの説明せんかったのはね、何でもこの八拍手で断ったら良いんやなっていったら、又、自分が八拍手で断ち切るに成るから、又、崩れるからね、その辺が説明が難しい訳よ。

 その印可書を奉読していて、その喧嘩で言い合いになっている状態が続くわけでしょう?その時に印可書を奉読して急に八拍手したくなったら、八拍手を打ったら良いの。それで断ち切れるの、っていうだけやね。

 ただ、八拍手で断ち切るっていったら、崩れるからね、それだけ。だから打ちたくなった時に打ってというのはそういう事なの。

 打ちたくないのに打とうというのは、自分が八拍手を打って何とかしようとしている。するともう八拍手で無くなって、自分が全部背負い込む事になる。もちろん八拍手でなくってもそうやねんけどね。

 自分が印可書を読むってなった途端に、印可書を自分が読むことで相手のを背負い込むね。だけど印可書やから相手のを消していけるのだけどね。どっちにしても自分がという分だけ光が弱くなるわけよ。

 ただ、自分がと思いながら読む人、「私そうやねん」って、それは良いの。何でかというとその弱い光でないと通せない場合があるから。

 ただ、じぶんが読んでるっていう意識を責めないでね。で、自分が読んでるっていう意識を変に自覚しないで、変に意識しないで、ひたすらっていう風に持って行って下さいってお願いしてます。

 そんなん言ったって、どこかで自分で読んでるって思っているよ。それで良いねんて。そのお陰で光が弱まって相手に通るの。要するに懐中電灯の光でないと照らせない所ってあるじゃあない? 大きい電球を持って来たって本棚の裏側なんてね、電球が先ず入れへんや?懐中電灯やから入って照らせるでしょう?狭いとこは。

 そういう感じで狭いとこは弱い光でないとあかんの。その為には自分が読んでる意識の人が読むほうが良い訳。だからどの人の真祈りも必要っていうのはそういう事やね。

 その真祈りの光の強さで良い悪いじゃないの。自分が読む読まないの中の良い悪いじゃあないの。だけど自分が読むから何とかしたるって言った途端崩れてくるから、それだけはちょっと気を付けてねいう事で。

宮野さん:崩れるって先程から言われている、崩れるっていうのは自分が背負う?

河上さん:自分が読むで何とかしようやから、自分が全部背負って自分が何とかするね。

宮野さん:そういう事ですね?

河上さん:そうそう。それが別に大変な事でなくって普段の状態。喧嘩してる時にね、相手とキャッチボールして受け取った時はキャーってしてるやん?それ自分が何とかしようとしているからや。キャーした分、それを又、相手にキャーって返す訳やろう?そしたら向こうが今度はキャーってしてるわけや。それでもっとってなるわけや。
 
質問:それを断ち切るのは呼吸に淡々と印可書を

河上さん:そうそう、それでね、断ち切るって思わんほうが良いの。どういう事かと言うと、弱い光しか通せん人というのは、要するに大怪我の人っていうのはね、ゆっくりしか治療できへんやん?大怪我とか或いはご老人でね、低体温症に成ってしまった人っていうのは、急に体温上げれないの。ゆっくりゆっくり上げて行くしかないの。そういう感じで喧嘩していても、急に断ち切ったらアカン場合がある訳。だから印可書を奉読しても全然切りないわって思っていても、ちゃんと必要で神さま良いようにしているの。

 だから結果をつまむなって言うの。そんなん印可書を奉読しても何も変わっていないやんとか、まあ思っても良いけど、ちゃんと神さましているから、兎も角、思っても良いけど、思った結果を掴まない事。

 基本的に思った事で弱まった光が相手に行くから、それでかまへんのやけどね、思った結果を掴まない。思ってしまった自分の結果を掴まないっていう、そこだけなんですよ。どう思っても良いけど神さま良いようにしているからって思い直して下さいっていう事です。それだけです。

 だから神さまが良いように使うからね。どうしても印可書を選べない人は、選べない人として神さま使っているわけよ。だからさっきお坊さんの時でも、どんな時でも光の大進軍に参加させて貰えてるわけ。ただ、出来たら沢山使って頂きたいじゃあないのっていう、それだけです。

 それは結果を掴まずに印可書を淡々と奉読出来てたら、なんぼ(いくら)印可書を奉読していても上司からぼろ糞に言われ続けているわとかね、あの得意先から虐められるわとか、近所の奥さんから何時も意地悪されるわ、とか色々あると思うんですけど、そのどれも必要でそうなって行くだけで、会社首になったわ、又、次の会社に行っても首になったわとかあるねんけど、ちゃんと神さまはその人にしか出来ない事を使って下さるの。本当にその人にしか出来ない事を神さま使うね、当たり前やけどな。だからそれだけです。

 だから自分は他の人と比べてああーだ、こうだって思うのが間違いなの。あなたにしか出来ない事を神さまがしてくれる。だから不器用で損な役回りの人生って思ってもね、それが必要でしているだけや。そのどの形を通しても神さまの光を通してくる。ただ、それが1回切りで終わってしまったか、何回かだけでね。どれもこれも無駄な事は無いの。1回切りでしか出来ない所は1回切りの人を使うの。何回も使えるところは何回の人を使えるみたいにね、ちゃんと神さまが使い分けて、自由自在にされているわけ。

 何故かというと全て真(まこと)の神さまだから。全て真(まこと)の神さまだから1回切りでも必要でそうなっているだけで、たった1回しか使って貰えなかったではないの。たった1回しか光の進軍に参加できなかったではなくて、たった1回しか出来ないとこはその人にしか出来ない。それが分ったらどんな結果も掴まずに自由自在になって行くの。

 だから皆は結果を掴んでね、「あの人はあんだけしか出来なかった。この人はようけ(たくさん)した」とか評価したがるの。もう評価したら神さんの仕事や無いの。人間の勝手な思いなの、

 一切評価しない事。どれもこれもちょっとしか変わらんかった、或いは見た目全然変わらんかったでも、ちゃんと神さま働いているの。それが分らないと駄目なんです。

 だから「あの人全然言いう事聞かないわ」で良いの。「あの人全然印可書選んでくれない」で良いの。どれもこれも神さま必要な働きなの。

 そこが先ず分らないとあかんの。なのに人間はね、自分の勝手な判断で良い悪いって決めたがるの。良い悪いって言った時点で真(まこと)の神さまで無くなっているやん、ね。ほんとの真祈りは自分以外全て真(まこと)の神さまって、本当は全て自分やけどな、もうちょっと一歩引いて言っても自分以外はみんな真(まこと)の神さまって見えなあかん。

 それって一切の結果を評価しないって事や。どれもこれも神さま働いてよかったや。だけど人間の都合で見たら、子供の教育で言ったらよくわかるわ。人間の都合で言ったら東京大学に行くのが良いんでしょう?でもこの子は大学にも行かれんかったとかね、この子は中学で終わったとかなる訳や。そんな評価したらあかんね。どれも必要な働きや。小さい意識で見たらどれも必要な体験。だけど本当は必要な体験じゃあなくて、必要な働きや。

 だから大きい会社でいうとね、おトイレ掃除をする人も必要な働きよ。夜の夜警って言うの、ガードマンする人も必要な働きや。結果だけで言ったらちょっとの働きやけど、そのちょっとが要るの。オーケストラで言ったら、トライアングルをチンって鳴らすチンが無かったら曲が完成せえへんやろうっていうのがね、分からなあかんの。

 だから一切評価しない、神さま良いようにしているだけ。それ一瞬一瞬新(あらた)だったら分かるの。でも現実掴んでみたら評価してね、「あいつはあかんかった、こいつは良かった」「あいつは人生の成功者や。こいつは駄目や」とかって勝手に決めてるね。それ人間が勝手に人間の都合で言ってるだけで、神さまから見たら大笑いよ。右手が「左手のお前、不器用やな」って言ってるだけよ。それ自分やのに。

 人間の体で考えたら分るや。足の小指の働きって本当は大事やけど、普段は殆ど考えへんや。やっぱり右手が一番動いているように思っているやん。でも違うやん。肛門の働きも必要やし、大腸の働きも必要やし、どの働き一つ欠けたって人間として、肉体として生きて行かれへんで。

 それはこの世でも一緒や。どの働きの人一つ欠けたってこの世は存在せえへんね、本当は。だけどあの人なんか居っても居らへんでも一緒やって、勝手に評価して決めてるだけよ。傲慢よ、人間の。

 という事でお祈りして終わります。ありがとうございます


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12月護摩 by 河上彰延 [Mail] 2022年12月11日(日) 17時24分
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12月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年12月の護摩焚きで、たくさんの質問に河上さんが答えてくださいました。ありがとうございます

質問1
 神書の666ページからの質問です。「物事を正しく見抜く、洞察力、眼力が必要」という項目の中に、「肉体という道具、器を動かしている中身は一体何者かを見抜かなければならないのです。普通は肉体を動かしている中身が絶えず変化しているのです。その中身の実態をしっかりと見抜かなければならないのです」とありますが、私は仕事上、認知症や心の病を持たれている方と接する機会が多いのですが、2つの事例についてお尋ねします。
 まず1つ目、周りに誰もいないのに会話をされており、声かけするとふっと我に返られる。そのような時は声かけせずに心で真祈りを奉納させてもらいながら、そっと見守るのが良いでしょうか?中身はどのようにして判断して対応すれば良いでしょうか?

河上さん
 えーっとどちらでもいいです。
 肉体を動かしてるものは何かいう事ですけども、肉体というのは皆さん自分という小さい肉体の意識の中で、自分1人が動かしているように勘違いしているわけですけれども、そうじゃないのね。いろんな人が自分という肉体を動かすんです。

 だから、瞬間湯沸かし器みたいに突然激怒する人ってあるじゃないですか。だからといってその人普段しょっちゅう激怒するかといったらしないでしょう。その時、その時に縁(えにし)あるものが降りてきてその肉体を動かすんですよ。それは、どうしてそれができるかと言うと、小さい意識という響きを自分が作ってやるからなんです。

 要するに、メインの指揮者としての自分という小さい肉体意識はあるんですけども、そのメインの指揮者という小さい肉体意識の自分がね、例えば、怖い映画を観たら怖いものを呼ぶ、楽しい映画を観たら楽しいものを呼ぶみたいな感じで、或いは本を読むとか現実の仕事上のトラブルとか、見るごとに自分が色んな響きを出すわけです。

 その響きに応じたものが降りてきて肉体を動かすんですよ。だから、運命って言うんですけど、命を運ぶって言うんですけれども、本当は真(まこと)の神さまが運ばれている命なんですけれども、それを小さく小さくちぎって色んな表現として楽しんでいるんです、真(まこと)の神さまがね。でも肉体意識側から見たら苦しい事、楽しい事、辛い事という色んな事が起こるわけです。

 それをお年を召されてくると、現実の社会とつながりが減っていくじゃないですか。友達もどんどん死んでいくし。すると、現実へのつながりが減ってきた分だけ、あちらの世界とのつながりが増えて、それで色んな人とお話をされたり、或いは色んな人と一緒に散歩されるんです、それは徘徊と言うわけですけれどね。徘徊されている方は楽しんでされているわけなんですけれども、この世的な響きから見るとちょっと…みたいになるわけです。どの状態の時も、まず黙ってお祈り、印可書を奉読していたらいいです。声をかけたい時は声をかける、連れ戻したい時は連れ戻すにしたらいいですけれども。

 まず印可書を奉読していないと例えば徘徊をしている人でしたら帰ろうとは言わない。連れて帰るのが大変なんですけれど、嫌だ、まだまだ歩くとかねなりますんで、でも印可書奉読していると結構、素直について来てくれますので、まず、どうこうしようじゃなくて印可書を奉読して、それからしてください。ありがとうございます

質問2
 ストレスを感じやすい方が、心身のストレスが強くなると躁や鬱の状態になられ、躁の時は攻撃的になられ傷害事件に発展することもあり、そのような方は精神の状態に合わせ入退院を繰り返されています。繰り返されるのは同じ憑依霊に動かされているのですか?そのような状態から抜け出す方法はあるでしょうか?どのような判断をして対応すれば良いですか?

河上さん
 憑依霊とか悪魔とか色んな表現するわけですけれども。いわゆる最後に動く状態というのは、自分が責任を取って動いているのであって、その後ろで囁く、憑依霊も囁いてるだけ、悪魔も囁いてるだけです。それに応じるか応じないかは本人の自由意志なんですよ。

 このストレス障害ですかね、鬱を繰り返す人というのは何かと真面目な人なの。どう真面目かと言うと、小さい自分と言う意識が色んな事をするじゃないですか。そのする自分を責めるのね。みんな、真(まこと)の本心の自分という、真(まこと)の神さまそのものの響きを本能的に知っていますから、それと比較をするんですよ。真面目な人ほど、その本来の自分から比べて、「こんなんしてる!こんなんしてる!」って自分自身を責めるのね。自分自身を責めて、自分自身を責めると意識が小さく、責めるというのは意識を小さくするということなんです。自分意識を責めると世界を小さくするのね、自分という意識の世界を、だから自分を責めるとどんどん小さくなって余計何も見えなくなるの。

 要するに、ぞうさんの立場で何事も高い位置から、キリンさんの立場で高い位置のから見ているのが小さい意識になるとアリさんの立場で何も見えなくなるみたいな感じで、責めれば責めるほどわからなくなるんですよ。わからなくなるけど、本来の自分というのを本能的に知っていますから、それと比較してますます攻めて、身動き取れなくなって「もう嫌だ!」って離せた時は元気なんですよ。やっぱり「こんな自分じゃダメだ」と責めた時は鬱になっちゃうの、それの繰り返しです。

 どこでどうして、この堂々巡りを断ち切るかと言うと真祈りしかないんですね。真(まこと)の神さまという真(まこと)の本心という意識を思い出すしかないんだけれども、思い出す術(すべ)がない。それでみんな苦しむわけです。人類全体がそうして苦しんでいるんですよね、大なり小なり。だから戦争も起こすし、喧嘩も起こすし、揉め事起こすし、派閥ができるし、お互いに群れあって文句言い合うしみたいなね、ということを起こすわけですよ。

 それではもうどうしようもないから、先生が大おまけで印可書を残してくださったので、印可書を奉読したらその輪から、因縁因果の輪と言うんですけれどね、その輪から断ち切れて、本来の自分に戻っていけるわけですよ。

 でも印可書奉読の縁(えにし)のない人というのが大半なんです。だから、その縁(えにし)を今ここに集まっている真祈り人の皆さんが印可書を奉読して作っていただくの。その、どういう縁(えにし)を作るかと言うとみんな怒りやすい自分とか、人を責める自分とか、癖を持ってるでしょう、その癖を使って縁(えにし)を作るんですよ。

 だから真祈り人こそね、まず自分を責めないことなんです。どうして責めてしまうとダメかと言うと、肉体を維持するためには、自分という小さい意識の癖がいるんですよ。
「あの人好き、あの人嫌いや」という好き嫌いとかね、色々ありますよ。「あいつは怠け者や」と責める癖とかね、色んな癖が、その癖がないと肉体を維持できないです。

 先生の場合は、本当はもう食欲も何もなくて何も食べなくていい状態で、食べないとどんどん肉体が潰れていくじゃないですか。だから、鯉のしっぽくが大好きとか、五井先生だととんかつが大好きとか、わざとその癖を作って肉体を維持されてたわけです。

 でも皆さんは、わざわざ作らなくても癖があるじゃないですか。その癖の自分を責めないことなんです。責めるというのは、癖のある自分を掴んでいるということです。要するに、現実を掴むなと言うてるのに無意識に掴んでいるのね、掴むと身動き取れなくなるんです。

 癖のある自分をさらさらと流して、癖のある自分が嫌だと思った時は、印可書奉読してくださいという事でお願いしているように、さらさらと印可書で流してやってください。そうすると、怒りやすい意識の人の縁(えにし)に印可書の縁(えにし)が届いて、そういう怒りやすい人も印可書が読めるようになっていくわけです。そういう縁(えにし)の作り方を皆さんの癖を作ってやります。これは松下先生だけではできなかったの、五井先生お一人では癖が少ないからできなかった。

 だから、真祈り人を増やして、みんなでする、みんなで先生の働き、神さまの働きをするようにしないとダメなんです。その神さまの働きをするために必要なのは皆さんの癖です。怒りやすい癖とか色々ありますけども、女好きとか、男好きとか、お金好きとか、名誉好きとか、そら一杯あります。どれも責めないで(くださいね)、それを使って響を(印可書の縁を)通しますから。ただただその癖が、あゝこんな癖がある自分だなぁと思いながら責めずに印可書を奉読していてください。そうすると全世界に響きが通ってあっという間に変わります。もうちょいですから、もう少し淡々と印可書を奉読してください。ありがとうございます

質問3
 護摩焚きには私たちの他にある、ご縁のあるたくさんの方々が参加されていらっしゃるとの事ですが、参加された方々はどのような変化を体験され、どこへ帰って行かれるのでしょうか?また帰らずに残られる方もおられますか?おられるとしたら一緒について帰られる方もおられますか?

河上さん
 これね、要するに11次元までの意識だと「どこかに帰る」、「ここにいる」、「どっかに戻る」ってなるわけですね。肉体を持ってない人が肉体を持っている人の真祈りの演奏ですね、印可書の奉読を聴けば一瞬で悟るんです。すると、一瞬ですべての場に立てるようになるんですよ。だからどこに帰るとか帰らないではなくて本来の自分に戻る、戻るじゃなくて、本来の自分を思い出すわけです。本来の自分を思い出すと、本来の自分は、天国も地獄も、どの世界にも同時に立ってるの。

 だからそういう方が増えることで、向こうの世界が一気に変わる。すると、この全てが一気に変わるという、すごい相乗効果が出ます。それが、この護摩では大きく出るので、できるだけ多くの人を連れて来てください、騙してでも連れて来てくださいって、お願いしてますけども。肉体を持ってないと悟りやすいんですけども、肉体を持っている人の印可書奉読の響きがないと真(まこと)の神さまの響きを感じ取れないんでね、それでお願いしています。ありがとうございます

質問4
 あの世の人の姿が見える人、又は話が聞こえる人について(自分の知り合いにそういう人がいるのですが)そのような人は幽体が大きいと言う事でしょうか?幽体、霊体、神体、について教えてください。

河上さん
 あの世のことが感じ取れる人、或いは、あの人の前世は織田信長やったとか、前世が見える人というのは幽体が大きいだけです。幽体が大きいだけなんで、所詮大きさが限られてますんで一部しか見えない不自由な状態です。ただ、そうやって感じ取れる人は、お祈りする機会が増えるんだと喜んで感じ取れる自分を責めずに、印可書奉読に変えていただくと楽になると思います。見えるって言うのは辛いですからね(笑)本当に知らぬが仏でね、わかるというのは大変なことなんですよ。心がどうしても奪われて、掴んで、苦しんで流れますのでね、印可書奉読でお願いいたします。ありがとうございます

質問5
 ありがとうございます 60代の友人が認知症です。アルコール依存症と同様、縁者の方が入って来られているのですか?いつも神さまがいいようにして下さっていると理解しますが、ご家族の方に接する時のアドバイスあればお願いします。

河上さん
 いやもう大変ですねとしか言いようがなくてね、普通は。印可書を読む縁(えにし)を持っておられる方だったら印可書を薦めたらいいんですけども、普通は印可書もらったって、なんだこんなものってなりますので、あまり、この世的には大変ですねぐらいにしておいて、こちらの方でひたすら印可書を心の中で奉読されているのが一番効果があります。ありがとうございます。

質問6
 年始の予定の確認です。2023年度1月の護摩焚きは元旦の開催となりますが、いつも正月、元旦の朝に行われる河上さんのお話は、護摩焚きとは別に例年通りありますか?

河上さん
 そのつもりでいます。護摩が終わってから後、1時からがいいのか2時からがいいのか、護摩の後、村でするじゃないですか。その終わり位だといつも1時ぐらいですか?じゃあ1時からします。ありがとうございます

質問7
 これまでの毎月の護摩は、その月の護摩が終わると来月の護摩に参加されるあちらの世界の方が順番待ちに来られるというお話でしたが、入れ子構造的に新しい護摩が同時に始まった時は、来月に参加予定だったあちらの世界の方も前倒しでご参加されるということもあるのですか?

河上さん
 はい、その通りです。だから凄い事になっていきます。

質問8
 印について3つ質問します。印を結ぶ意味を教えてください。特に光との関係について詳しく教えて下さい。仏様の結ぶ印とヨガのポーズで結ぶ印は意味が違うのでしょうか?印可書を唱える時、印を結んでも良いのでしょうか?

河上さん
 印というのは形がないんですよ。その時に必要に応じた姿の印を結ぶんです。五井先生がお祈りされる時に色んな印を結ばれたんですけれど、毎回違うんですね。同じような印を結ばれる時もあるわけですけれども。

 それは何かと言うと、カーテンでね、カーテン揺らすじゃないですか。シワができてギュッと開くのにカーテンを掴んで開いてまっすぐにするでしょう。あるいは服がシワよってるとそのシワ伸ばすのにこうするじゃないですか。そういう感じでギュッと掴むところを作るために印を結びます。どんな印を結ぶんですかというと、それはその時その時で全部違うんですよ。そういう悟った方がお祈りされてた印の形を見てた人が、例えば仏様の仏像の印であったり、仁王像ですね、仁王さんの印であったりするわけです。どれが間違いでもなく、どれが正しいでもなく、その時に必要なものが結ばれています。ただそれだけです。

 だから、印可書を読む時に印を結びたかったら結んだらいいですけども、あんまり間違った印を結ぶとちょっと体に不調をきたすんで、それは覚悟の上でみなさん自由意志ですから印を結びたかったら結んだらいいです。でもわからないのに、(印を)結ぶとね、なんて言うんですか、力加減の違うところで(印を)結ぶんで体に不調をきたすんで間違いないです。

 印の時のついでに言いますけど、例えば霊的、今さっきの霊感のある方が、この人ちょっと臭いとか熱いとか感じるとするじゃないですか。或いは怖いものが付いているとか、その時に「何で臭いの」とか「何でこんな怖い人がこの人についてるの」って考えた途端に、要するに思いを起こした途端に自分が背負うことになります。

 わざわざ、もちろん背負ってあげたらいい人は背負ってください。でも、わざわざ背負う事はないんで、ただただ印可書奉読するだけですーっと消えますので、あまり思い巡らす事はしないで、ただただ印可書奉読をしてください。そうする方が楽です、特に霊感のある人は注意してください。ありがとうございます

質問9
 中国の庶民が、抑圧的な行動制限を伴う「ゼロコロナ」政策への不満を爆発させ各地で抗議デモが起きました。首都北京を含む中国各地で同時多発的に抗議活動が起きるのは、2012年の反日デモ以来です。共産党・党指導者に対する直接的な批判は極めて異例です。きっかけはウイグル自治区ウルムチで11月24日に起きたマンション火災で封鎖措置で行動の自由が奪われ消化や非難が遅れて19人が死傷したことでした。「共産党退陣」「習近平退陣」と叫んで暴れているデモを抑えきれない様子がTV放映されたのを見て香港のデモを思い出しました。56の民族を束ねる中国政府が、ゼロコロナ反対デモをきっかけに民衆の不満を抑えきれず民主化の方向に少しづつ変化して行くのか?それとも香港のように強権体制を維持していくことができるのか?気になるところです。習近平体制に不満がある上海閥、共青団からの揺さぶりもあります。危険な中国は今後どうなっていくのでしょうか?河上さんの意見をお聞かせください。

河上さん
 これを護摩の場所で聞くというのは大変なことなんですけれども…。どうなっていくかの最後の結果っていうのは先生からお聞きしていますけれども、これは今ちょっと言えないです。ただ途中のことですけど、まず反日デモの場合は、いわゆる上からこれをしなさいと言われてやったことなんで大した事なかったわけですよ。

 今のいわゆる白紙革命ですね。

 白紙というのを出すという、それも中国全土で同時に起こるってるんですね。

 これは中国ってね秦の始皇帝の時代からそうなんですけれども都市部でワァーワァーって言うのは簡単に抑えれるんですよ。なぜかって言うと、秦の始皇帝の時代から都市部はちゃんと政府の警察力というか、力が行き届くわけですよ。でも日本でも田舎行くほど警察力って弱いじゃないですか。ただ日本の場合は日本人がみんな支え合いで本能的にしていますから、田舎で警察力が弱くても治安が維持されているわけですね。中国ほど広くなると、田舎の方は中央政府の力が及ばないんですよ。その及ばない田舎から湧き上がると時の秦の始皇帝の時も滅びちゃった。いつもどの皇帝様もそれぞれいつもいいようにされてるんだけれども、滅びるんですよ。

 それはいいとか悪いじゃなくて、必ずこの世的には、11次元の世界ですからプラスを集めたらマイナスが膨らんでくる。だからいつも中庸、老子様が中庸がいいって言うんですけどね、程々の均衡する状態が一番いいわけですよ。でもどうしても中央政府を作ると都市部だけよくなるの。都市部にプラスが集まるから、農村でマイナスが溜まってきて色んな理由をつけてですね、農村から噴き上がってくるんですよ。

 今回も共産党政府だから、いい悪いじゃなくて。上海とか都市部ばっかりプラスが集まってみんな繁栄したじゃないですか、特に今回の場合は都市部が繁栄したからみんな農村から出稼ぎに来るのね。出稼ぎに来てまぁ都会の極楽を味わったわけですね。味わったんだけどゼロコロナ政策によって、日本もそうでしたけれど不景気になってたくさん会社が潰れたじゃないですか。中国の場合は報道されないだけですごい会社が潰れて、潰れるとどうなるかと言うと、みんな田舎帰るしかない。

 田舎帰ったら水道ひねったら水が出るような楽な生活を覚えているのに、田舎帰ったら井戸から水を汲まないけないし、お風呂も薪で焚かなくちゃいけないし、薪は取り行かなきゃならないじゃないですか。一度、楽しい生活を覚えた人は不満に思うから、それが本当にずっと溜まってたわけですよ。それがいよいよマイナスが集まりきって噴き上がってきているの。

 これはもう大きな流れ、この11次元の世界のプラスとマイナス、要するに繁栄があったら、その下からマイナス、プラスがあったらその下を支えているのはマイナスなんですよ。

 マイナスが出てきたらマイナスを支えているのはプラスなんで、「禍福は糾える縄の如し」って表現されるわけですけれども、必ず起こるの。だから本当は、プラスをあんまりプラスばっかりしないで、ある程度プラスもしてマイナスもしてと、中庸であまり欲張らずにみんなで支え合ったらこの世はうまくいくんです。それを支え合いと言うんです。

 でもプラスばっかり集めようと思うと、人の分を奪わなあかんわけですよ。この11次元の世界は有限の世界ですからね。まずプラスとマイナスという50、50がまずあって、その50、50という絵の具を要するに、黒と白という絵の具をどう混ぜて表現しているかだけです。だから黒ばっかり白ばっかり集めると崩れるわけです。それを日本でも、地球でも、中国でも今起こっているわけです。

 だから良い目をする人が一杯いたら不幸なの、要するに人の不幸の上に、お金儲けってそうでしょう。人をある意味騙して、利益ってそうじゃないですか、薄利多売をしてればみんなが喜ぶわけですけれども。テレビショッピングやないけれど、いい!いい!言うて騙して高く売る訳じゃないですか。利益が集まった人は物凄い良い目するんですけれど、それって結局は大きなマイナスを背負っているのね。

 そういう感じで秦の始皇帝の時代からそうですけれども、中央政府は大きなマイナスを結果として背負うわけですよ。地方からの貢物で良い生活を皇帝はするわけですけれども、結局はその大きなマイナスを背負ってて崩壊する人が必ず出るわけですよ。今は、その一部が出始めているだけです。ただそれが中国だけじゃなくて全世界的に今起こってるんですよ。だからウクライナでも大変になっているし、それがあそこだけでは済まないのね、このままいくと。そうならないように真祈りで中庸に持っていきたいのですね。そのために印可書奉読があるんですけれども。

 さっき説明したように皆さんの印可書奉読で全世界に響きますので、印可書奉読でお願いしたいわけですけども、どうしてもその中国という大きい国が、隣の国がそうなると難民が出るでしょう。難民が出たら当然日本に逃げて来るよね。近くに逃げて来るよね、日本だけじゃなくてインドにも、あちこち逃げるわけですけど、その人達をどう受け止めれるかだけが全てにかかっています。

 だから、本当に要らない人間増えてきたから、こちらから見てですよ、普段いない人間が増えて来るという事は、こっちは10の食べもん食べてたとこを半分に割って渡してあげれるかというとこなんですよ。それができるかできないかにかかってるんだけれども。今、皆さん三食食べてるわけですよ。それを一食半にして分けれるか、食べ物だけじゃないよ、住むとこもですよ。すべているわけですよ。それを出せるか?それって真祈りがないと無理です。最初の1ヶ月2ヶ月はできますって、しばらくしたらもう居候(いそうろう)邪魔ってなるの、居候やと思ってくださいね。最初の内はできるけどできなくなる。できなくなったら結局戦争になるのね。そうならないようにしたいために、真祈りを深めたいと印可書奉読をどんどん進めたいと思っています。

 ただ、とうとう始まりがもう時間切れと今年の初めから言いましたけれども、本当に時間切れでタイムアウトなんですよ。あちこちからこの綻びがどんどん出てきます。中国だけでは無いんですよ、本当は。あんまりここで言うとどんどん増えて出るんで言えませんけれども、もうどこから同じ綻びが出てもおかしくない状態まできてるんです。

 それは何かと言うと凄いお金持ちと凄い食べ物困ってる人いるじゃないですか、この地球上で、それが既に、本当は不自然なんですよ。

 そのいわゆる怠けている人間が怠けてたから食べれないだけだと金持ちは頑張ったから金持ちなだけなんだという今の世界の理屈です。でも本当は能力のない状態を持って生まれて来た人がいるわけですよ。その能力のない状態で生まれてきたから、お前ら食うな死ねやって言うのはおかしいの、みんなで支え合っていかなくちゃ。本当に極端にいうと、体が不自由で生まれてきた方はもう邪魔やから死ねって言ってるようなものですよ。

そうじゃないでしょう。みんな、みんな支え合っていかなくちゃいけないのね。それは理屈はわかっててもできない、みんなね。理屈はわかってても長時間、長期間できない。

 でも印可書奉読してたら、みんなができるようになるんです。みんなで支え合ったら支えるけど一部の人が支えたら崩れるの。だから、どの状態も真祈りにかかってます。だから色々と色々と理屈では不満があったとしても、どうか印可書奉読で進んでいきたいと思っています。

 後、中国どうなるかというのは何でここで言えないかと言うと、ここで言うと確定する。確定したら大変だから確定せずにうまくふわっといきたいと思っています。ありがとうございます

司会者
 事前にいただいた質問は以上です。今、この場で質問のある方がいらっしゃいましたら、どうぞ前へお越し下さい。

質問10
 ありがとうございます 先程の話から考えが及びまして、真祈りがあれば共産主義というのは可能であったということでしょうか?

河上さん
 いや、共産主義であろうが資本主義であろうが、例えば、道を歩いていてバタッと倒れて怪我されたと、それを知らない顔して通り過ぎていくか、大丈夫かと言うて助けにいけるかっていう、支え合いができるかできないかだけなんですよ。どの主義であってもね。民主主義でも一緒ですけども、それができるかどうかなんです。それは、自分の意識が小さい人は、「あぁ私関係ない、関わらないでおこう」ってなるわけ、意識の広い大きな人は、「大丈夫か?」他人と自分が一緒だとわかってるからね。「大丈夫か怪我してないか血出てないか」ってなるわけですよ、ただそれだけです。

 だから、どの主義もじゃなくて、どの主義も本当は助け合おうとしてたの、助け合おうとしてたんだけども、プラスマイナスで考えてね。会社で考えたらわかりますよ。大きい会社ほどそうなんですけど、本当に一生懸命やってるのは2割くらい、後は大半ね、うまく責任逃れして逃げてるのわかります?1割ぐらいは何もしよれへんみたいなね。大きい会社ほどですよ、大きい組織ほどそうなんですよ。だからといって何もしない奴は来るなっていうことではないわけですね。そこがわからないとダメなんですよ。それだけなんですけどね。何々主義じゃないんです。お互いに支え合いができるかどうかだけなんですよ。

支え合い尽くし合いっていうのが、この世的なギブアンドテイクの中でやると崩れていくの。

 空気がそうなんですけども無色透明で空気をお前渡してるよ、(と)一切空気の方は示さないですね。何も言わずに淡々と空気が供給されるじゃないですか。それは太陽の光もそうですよね。お前には光やれへんと言わず、みんな平等に光当たるじゃないですか。そういう感じで真(まこと)の神さまの働きっていうのは、一切報いを求めずに与え尽くす働き、支え尽くす働きなんです。それは理屈でわかったってどうしても肉体の意識があるとギブアンドテイクに入ってしまうので、ギブアンドテイクを消し去るために印可書奉読があるわけです。だから何々主義はあまり関係ないです。ありがとうございます

司会者
 他に質問がないようでしたら、河上さんの方からお話お願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます あちこちから質問がきていて、今が一番いいようになってるっていう事は何もしなくても良いのかという質問なんですけどね。いわゆる一瞬一瞬新たに受け直すっていうことがわかるかわからないかにかかってるんです。じゃぁ何で一瞬一瞬新たに受け直すことが必要なのかというと、真(まこと)の神さまは一瞬一瞬新たに、新たな真(まこと)の神さまとして現れてるわけですよ、それに尽きるんです。

 だから、新たな真(まこと)の神さまを受け止めてたら、この世的にもどんどん神さま新しくいいことをされてるわけです、一番いいようにされているわけです。一番新しき一番よいようにされてることをこちらも受け止めて、新しく工夫していかなくちゃいけない。

 今が一番いいようになってるというのは、具体的にどうかと言うと結果を掴まないということです。結果を掴むと一瞬一瞬新たに受け直せないの。だから結果じゃなくて、じゃあ次どうするか、じゃあ次どうするかっていうふうに一瞬一瞬新たに受け直して、工夫していくっていうのが、今が一番いいようになってるという意味です。

 ただ今が一番いいようになってるって言わないと現実を掴んで苦しむんでね、うまくいかなかった結果もそれはそれでいいんだという意味で表現させてもらった訳ですけども、なかなか誤解が多いんで改めて説明しますけども、本当に真(まこと)の神さまが一瞬一瞬新たに新しい真(まこと)の神さまだということをまず気付いてください。

 だから一瞬一瞬新たに受け直さなくちゃいけない。受け直すから新たな工夫がどんどんできるんです。だから、人類は進化するし進歩する世の中が良くなるわけです。

 ただ一瞬一瞬新たに受け直すところがね、なかなかみんな苦手なの、だから一瞬一瞬新たに受け直すというのは、具体的に何かと言えば、今は印可書を奉読することで出来るよっていうふうに先生が、大おまけを作ってくださったわけです。だから、この大おまけを利用してね、「そんなん私一瞬一瞬新たに受け直すって言うたってわかれへんわ」、或いは「真祈りしてって言ったって私わかれへんわ」ってみんな言うわけですけど昔だったら。でも今は、印可書奉読してたら「真祈りになってるよ」「一瞬一瞬新たに受け直してるよ」「真(まこと)の本心の自分の立場に立ってるよ」っていう先生の大おまけがあるんで、是非そこを信じてね印可書を奉読してください。

 すると本当に例えば、現実のお仕事の上でもね、色んなアイデア、智慧が湧いて、どんどん変えていけます。それが今が一番いいようになっているという意味です。今の説明の所で質問があったらぜひしてください。お願いします。

司会者
 今の部分についての質問何かありませんか?

質問11
 ありがとうございます 今が一番いいようになってるというところで、ならば何もしなくてただ待っていればいいか?何もしなくて準備もしなくていいのか?っていうところを知りたいですが?

河上さん
 何もしなくていいっていうのは結局、一瞬一瞬新たに受け直せてない小さい自分、大きい自分と小さい自分。小さい肉体意識の自分と大きな本心の自分の違いは何かと言うと、小さい肉体意識の自分は、一瞬一瞬新たに受け直せないんですよ。今晩寝てもちゃんと明日の朝同じように目が覚めると勘違いしてるね。本当は、どの人も次の日の朝、目覚めるとは限らないんですよ。それぐらい一瞬一瞬新たにみんな本当は生かされているわけですけども、小さい肉体意識だと、今のままずーっと変わらずにいけるって勘違いをすると今が一番いいようになってるんだから何もしなくてもいいってなるんです。

 だから、待ちぼうけという歌があるじゃないですか、木の根っこにウサギさんが走って来て、ぽこっと、ぶつかって死んじゃったとぶつかって死んじゃったとこれは、こんな楽なことはないって言うて、今度は木の根っこにひたすら座って待ちぼうけするわけですね。すると一瞬一瞬今が一番いいようになってるって言うて何もしなくていいのかっていうのと同じ意味になるわけですね。そうじゃないんだけども、その大きい意識になるために印可書奉読があるし、真(まこと)の智慧の実践があるわけですね。

 その一番大事なことは真(まこと)の智慧の実践の時に何が大切かというと、自分と他人って分けてどうこうすると崩れていくんですよ。だから、全部自分の中にまず入れて、どうこうするっていうふうにしていったら上手くいきます。

 これが基本です。全部自分の中に入れる、全部自分と思う意識をつくるために印可書奉読がありますので、それだけ頭に入れておいて下さい。印可書奉読してたら何とかなるんだろうって思っていても自分と他人を分けていたら無理です。無理ってまぁ無理なことはないけど、大変回りくどくなります、それだけなんですね。だから、人類が戦争するでしょう、喧嘩するでしょう、それは自分と他人を分けるから、本当は分けるんじゃなくて自分の中に取り込んで変えていかなくちゃいけないのに、意見言うて意見を言うてどうこうしようとするからダメなんですよ。

 会社で言うと優秀な社長さんとか優秀な上司は、できの悪い部下をね、一緒に自分の中に取り込んで一緒に考えてあげるの。お得意さんの所に行って喧嘩になっちゃったけど「何でそうなったかわかるか?」って言ってね。ちゃんとその人の失敗した人の意識の側に立ってあげて、考えてあげるわけです。それって自分の中に取り込んでるの、小さい意識に立ってあげて、考えてあげて、だからこうだからやっぱりこうした方がいいんじゃないとかね。今度はこうしてみようなとかするわけです。

 そうして、人を育てるられる人はそう(自分の中に入れる)なんです。人を育てられない人は、「お前こんなアホな事したらあかんやないか」って怒り飛ばすだけです。人は怒り飛ばしたって一つも変わりません。自分の中に入れて一緒に考えてあげるから変わるんです。

 それは、お母さんがそうでしょう。小さい子が悪いことをしてもね、「あんたそんなことしたあかんなやないか」とは言わずに、やはり一緒になって考えてあげて「あんたも大変やったなぁ」でも向こうも痛い目してんでとかね、してちゃんと説明するじゃないですか。お母さんはちゃんと子供を自分の中に入れて、愛情って言うんですけどね、それを。

 自分の中に入れて育てれるんです。全人類がしなくちゃいけない。そのために印可書奉読があります。

質問者
 そこの部分わかったんですが、物質的な3次元的なお話としてね、例えば、これから起こりえる可能性の南海トラフ地震であったり、最近あちらこちらでも地震が起こっていますけど、津波であったりとかまぁ戦争の件も含めて、物を改めて準備しておかないといけないか?精神的なものとか言うことではなくて、例えば、物質的な物を備蓄。前も話しありましたけど備蓄というものは、いいようになっていることであれば備蓄する必要がないのではないであろうかというところなんかはどうでしょう。

河上さん
 あの例えばね、風邪ひくじゃないですか、大きく熱出すじゃないですか。一人暮らしの方だったら買い物にも行けないでしょう。その時に餓死するしかないわね。だからそうならないように2週間分ぐらいはね、リポビタンDとか栄養ドリンクとかチキンラーメンとかインスタントラーメンとかあるじゃないですか、缶詰とか調理せずにすぐ食べれるようなものを2週間ぐらいは、水もね持っておく必要があるでしょう。地震や何か来なくても、それは一人暮らしでなくても人に迷惑かけないためには自分1人分の2週間分ぐらいは持っておく方がいいに決まってるわけですね。

 それで前から最低2週間分は持っててくださいねってお願いしてるわけですけども、何ていうんですかね、神さまが一番いいようにしてる中で寝込むっていうこともあるわけです。地震になる場合もありますけどね、あんまりこの場所で地震とか言いたくないんで、寝込む場合はあるんで、その時に用意しとくのは、今が一番いいようになってる、なってないじゃなくて一瞬一瞬新たに受け直す中で湧いてくる智慧だと思います。

 だから、2週間分ぐらいは持っていて下さい。2週間耐えれたら大概うまくいくようになってますので、2週間分ぐらいはぜひ持っていってください。ありがとうございます

質問13
 同じような質問で、一瞬一瞬新たに降り注いでいて、それをお返しして循環していくということでそれは一つわかったんですけど、自分の中に自分が大きくなって、例えば自分の中に地球があって、その中にウクライナとロシアがあって、例えば印可書奉読することでそれが消えていくというような解釈でよろしいでしょうか?

河上さん
 そうです、結局自分以外の人が相手を疑心暗鬼になってね、戦争いうか喧嘩してるわけでしょう。そやけど、それ自分以外じゃなくて本当は自分なんですよ。例えば、人間の体でいうとね直腸のとこは臭いうんこでしょう。臭い匂いじゃないですか。でも自分の中に入ってる時は臭いも感じないでしょう。そういう感じになれば響きが通じるわけです。

 ウクライナで戦争してるロシアが悪い、プーチンが悪いと思いながら印可書奉読しても響くが通りにくいんですよ。そういう感じなんですね。本当に、この辺理屈じゃないんでね言い難いですけど淡々と印可書奉読してくださいと結果を気にせずにっていうことで、今が一番いいようになってるとか色んな表現するわけですけども、まず自分の中に取り込むというのは、一切のマイナスを認めない。すべては真(まこと)の神さまだけって、認めないといことなんです。

 すべては真(まこと)の神さまだけやけど臭いやないかってみんな言うけど、入れ子構造的にそうなっているだけで本当は光そのものなんです。

 例えば人間の大腸の働きね、臭いうんこが入ってるわけでしょう。でもそれは入れ子構造的に必要な働きでちゃんと体内に入れてうまくいくようになってるじゃないですか。そういう感じなんです。一部だけ見てね臭い言えば、みんな一生懸命、毎日ほじくり出さなくちゃ大腸の臭いものをね。ほじくり出しても出しても出てくるわけだから、こんなもんどうしようもないじゃないかって悩むわけですけど、そうじゃなくて、いつも必要なようにいいようになっていってるから臭いのもあるんです。ということがわかれば、全部真(まこと)の神さまってわかって、一切のマイナスはないマイナスはないってわかって、光一元になって一瞬で変わるということです。

質問者
 すべてが真(まこと)の神さま。

河上さん
 そこの思い方をね、理屈で思えって言ってもなかなか難しいから、ややこしい事を言うのを止めて印可書を淡々と奉読してくださいっていうことに集約しています。ありがとうございます

質問14
 宇宙神ありがとうございます 何度か質問してると思うんですけども改めて、新たに新たに真(まこと)の神さまを受け直す、自分と他人を分け隔てない。そういうことを印可書奉読でできるよっていうのが、先生と神さまとの約束事っていうことですよね。

 自分の肉体を持って生まれた時に、持って生まれて来た癖。人を責める癖とか名誉欲とか食欲とか色んな欲という癖ですか、その癖を持ってるからこそ印可書奉読で縁者に響き渡っていく。癖は大事なんだよっていうふうに受け取っているんですけども、一瞬一瞬新たな真(まこと)の神さまを受け入れながら、人も癖も同時に持っているっていう、その感覚。癖を持ちながら一瞬一瞬新たっていう部分について改めて・・・。

河上さん
 癖はね、入れ子構造で作ったわけですよ。だから、太陽の光は大きいから影ができるでしょう。その影の部分にどうして光を通すのかっていうことですよ。それと入れ子構造的に大きな光源のサーチライトのような光源に例えてね。サーチライトのような光源の太陽の光を入れ子構造的に小さく小さく固めて懐中電灯にしないと狭いところに光通せないでしょう。そういう感じで入れ子構造的に神さまの命を小さく小さく限定して癖にしたわけです。

 限定するというのが癖です。わかります?限定したから癖なんです。怒りっぽいっていうところに限定した。悲しむというとこに限定した。羨ましいというところに限定した。色々ありますけどね。女好きに限定した、男好きに限定した。色々ありますけど、そういうふうに入れ子構造的にわざと限定して小さい懐中電灯を作ったわけ、そういう意味です。

 例えば懐中電灯やからね光が弱いからダメだとみんな言わないでしょう。懐中電灯でないと照らせない所あるよっていう。だから、別に否定する必要ないし、癖を喜んで褒め称えいてたらいいんです。いい?わかる?

質問者
 一瞬一瞬新たに癖を掴まないということです。

河上さん
 そうです、そうです。自分を責めないとか色々説明さしてもらってますけどね。自分を責めないというのは癖を責めないです。その癖を使わなくちゃいけないの。先生とか五井先生はね、癖がないから太陽のような光でパンと当てるだけで影が一杯できたわけですよ。残りの影の部分をお前らに任したでっていうて任されたわけですからぜひ僕に任したんじゃない。みんなに任したでっていうてされたわけですから、みんなが真祈りするんです、それぞれの立場で、それぞれ癖で、そしてみんなさまの持ってる色んな種類の赤い小さい懐中電灯、黄色い小さい懐中電灯、もう本当に小さい線香の光とかね、みんなそれぞれの線香の光でないと灯せないとこもあるんです。懐中電灯でも無理なとこがあるの。どれもこれも必要なんです。どれもこれも必要なんです。それだけわかっていれば、すべては真(まこと)のプラスだけってわかります。真(まこと)のプラスというのは、そういう入れ子構造的な意味合いがあります。いい?

質問者
 一瞬一瞬新たに受け直さない限り癖として癖そのものを掴んじゃうという事?

河上さん
 一瞬一瞬新たに受け直してなかったら、こんな意地汚い自分って責めちゃうのよ。わかる?こんなに女好きな自分とかね。口に出しては言わないけど、みんな無意識に自分を責めてるの、責めたら神さまの命を汚してるから崩れていくの。一瞬一瞬新たに受け直してたら、一瞬一瞬新たに入れ子構造できてるから必要でできてる癖だなってわかるんですよ。でも一瞬一瞬新たに受け直さなかったら、「こんな癖、嫌や」ってなるわけです。わかります?「こんないじける自分の癖は嫌だ」「私、いじけだからダメだ」「スネ虫だからダメだ」っていうて、自分を責めて崩れるの。でも一瞬一瞬新ただったら、一瞬一瞬新たにスネ虫を作っているのね。一瞬一瞬新たに意地汚い自分をつくっているのね。一瞬一瞬新たに女好きの自分をつくっているのねってわかるから責めずに使えるの。ありがとうございます

質問15
 ありがとうございます 新たに新たにっていう感覚は、自覚、自覚っていうのは後で来るものですね。

河上さん
 それは入れ子構造だからね後からきます。

質問者
 もう一点確認なんですが、崩れるっていう事は、以前の勉強会のお話で自分で自分を縛ることだっていうふうに仰っておられたので、自覚が来なくて、とにかく真(まこと)の言葉、印可書を奉納し続ける事、淡々とそれを行っていく事っていう事が大事だという。

河上さん
 結局、崩れるというのは何かと言うと神さまの命を汚すから崩れるんですよ。だから、みんな自分、こんないじけた自分ダメって責めるでしょう。責めるけど、それは入れ子構造的に現わした神さまの命なんです。いじけた自分であっても、女好きの自分であっても、男好きの自分であっても、お金好きの自分であってもね、虚栄心にまみれた自分であっても、それは神さまの命を使って入れ子構造的につくったもんなんですよ。

 だから、それを否定すると神さまの命を否定したことになるの。神さまを否定すると存在している全てを否定することになるから絶対無に落ちちゃうの。だから自分を責めないでねとかね、色々言ってるわけですけども癖の部分っていうのは、なかなか責めるなって言っても責めるんで、今ちょっと頑張って説明しています。これで大丈夫かなぁ?また質問してくださいわからなければ、ありがとうございます

司会者
 河上さんありがとうございます

河上さん
 質問がなかったら大丈夫。質問あります?大丈夫ですか?そしたら、また来月お会いできることを楽しみにしています。1時から護摩焚きの後、1時から新年のお話をさせていただきます。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/pIIW6hSehGI

 宇宙神ありがとうございます


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12月光の交流会 by 河上彰延 [Mail] 2022年12月10日(土) 22時58分
PC

令和4年12月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和4年12月光の交流会で聞いていただいた先生のお話です。

先生
 ありがとうございます、段々と心定めが出来てきました。

 真(まこと)の神さまの世界は、円融無碍自在(えんゆうむげじざい)ってね、円て丸、円ね、融通の融でね、円融。無碍(むげ)障り(さわり)のないってね、無碍自在ってね、それで無限のスピードで循環してるね、無色透明よ。

 完璧な本当の一つになっているね。真(まこと)の(本心の)自分は、それを掴まないのね。掴まないから循環する。神さまの立場も無限の立場があるよね。それが、お互いが全部支え合う、生かし合っているのね。

 形で止めて掴むと、ぶつかるよね。本当に大調和の一大調和のすがた(無色透明の相象(すがた))で循環するの、それで完璧な一つよね。

 その完璧な神さまの世界を一瞬ちょっとでも掴む、これも自分の立場で掴んだ時に、もう止めてるね。

 これが自分の立場って一つの立場、掴んだら止めてるのね。そこから虚の世界が始まるの。その虚の世界は一つの立場に立って、座標軸を決める。上下、天地ね、右左、左右とか前後とかね。座標軸を決めて出発するのよ。

 だから虚の世界は、プラスとマイナスに分かれる。相対の両極に必ず分かれるのよ。それを組み合わせて色んなものを言葉通りに生み出す世界よね、虚の世界ってね。

 虚の世界も色んなつくり方があるの、言葉通りにね。例えば、光を放射するっていう場合ね、光を本当に送り込む力ってどこにある?新たに新たにってね。一つの光源があるでしょう?これ、停止した光源だとしたら、直線でしか方向を光放射できないよね。

 これ螺旋に出さないとダメなのね。螺旋にっていうのは、光を螺旋に曲げて出す?そんなんしないよね、出来ないよね。これは、自分が中心に立つのね、回転するのよ、自分がね。

 まず自分が左っへ回るの、左旋回、これがプラスの回転なんよ。左っていう言葉と右っていう言葉があるよね。左っていうのは、横のこれは卍みたいな回転のすがたよね。天地の間に縦線だけがあるっていう、プラスの方を指すの。また陽(ひ→火→日)足りるっていう、光り輝くっていう意味よね。

 右(水→みず→み、極→きわむ→ぎ)の方は、卍のこのすがたと、四角ね、天地の間に何もない、空っぽっていう意味よ。水のように、横に広がるっていう意味よね、水平にね。左は縦線ばっかし。右は横線ばっかし、平面になってしまうね。プラスの生き方は、左旋回よ、いつもね。左旋回するから、手が出てるでしょう、手、照らす(手出すてだす→照らす→てらす)とするでしょう。照らすっていうのは、手よね。これが左へ旋回したら、こう曲がっていくでしょう、自分がこう曲がって、こう曲がっていくよね。光は右へこう、右へ時計のあれで右にこういくよね。反対が、この自分の体が右へ行くと、左へ手が出ていくよね、斜めにこうね。筍の曲がったような感じになるね、勾玉みたいなね。

 プラスとマイナス同じ平面で両方動かすと、右旋回と左旋回があるのね。それで、その中心から出る割合が色々に振り分けると、大体四つに分けてすると、100%を四等分するの、四等だけど、まず10%、20%、30%、40%(この面積変化が勾玉のかたちになる、河上註)、…100%よね。割合を振り分けるのね。左旋回、右旋回、振り分けると、その組み合わせが生まれるよね。プラスの方の多いのが一番のプラスよ。マイナスの多い方が一番のマイナスよね。その間に色んな割合のプラスとマイナスの割合のすがたが、出来上がるのよ。

 それで虚の世界は、地獄のどん底から、一番上の極楽浄土まであるのよね。その間色んなように振り分けられる。虚の世界の仕組みってね、そういうふうにプラスとマイナスを組み合わせたらそうなるの。これだったら、もう永遠に、虚の世界はマイナスが消えない。だから最初に、座標軸決めた時点で、プラス、マイナス振り分けたらダメなのよ。これをまず、みんな座標軸を決めた時に、プラスマイナス振り分けたの、言葉によってね。

 古事記に説かれているこの言葉でもそうよ。最初に右と左、プラスとマイナス決めている、やっぱりね。それで虚の世界の成り立ちの仕組みを言葉で表現している。言葉通りに全部それに支配されて、その影響を受けてしまうの。

 だからいくら、このマイナスを消そうとしても、消せないの。そしたら今度どうして消すかよ?プラスだけの旋回にしないとダメ。右回りのマイナスの方を表に出したらダメなのね。普通あの、プラスの方を霊、霊魂の霊よね霊魂。右回りの方を元体(玄体)、体の方を表すのよね。霊魂と元体(玄体)とを組み合わせて色んなすがたを取るっていうふうにね、そういう仕組みで相対に分かれたものを組み合わせているんだけど、これを同じ座標軸へ持ってきたらダメなのね、プラスとマイナスをね。

 そしたら、例えば左旋回だけにしたら、これプラスだけなんよね。そしたら、これ今度、逆立ちしてご覧?反対に裏から見てご覧?逆立ちして下から見たら、同じ左旋回が今度、右旋回になるでしょう。逆さまになったら反対になるよね。だから霊魂の方がまっすぐ立って、体の方が裏に隠れたらいいのよ。そしたらそのまま霊と体一つになる。霊の動きのままに、体がそのまま引っ付いてるのよ、ピタッとね、分かれてないの。霊体一如。ただ、上から見たら霊の働きのね、光ばっかしっていう感じだけど、下から見たら形がちゃんとあるの。でもそれは理想的な形になっているよね、霊の映しだからってね。

 だから、この左旋回と右旋回と同じ土俵の場に持ってきたらダメなの、必ずぶつかる。お互いが、プラスとマイナスが争う、戦うのね。それで割合が変化するね。プラスが多い時はプラスが勝ったすがた、マイナスが多い時はマイナスが勝ったすがた、必ず取るの。それで虚の世界のマイナスを消すために何が必要かってね?。

 本当の真(まこと)のプラスだけの言葉を加えなダメなの。マイナスを一切相手にしない生き方がいる。だから真(まこと)のプラスの言葉だけを加え続けて、もう一回修正しないと、プラスマイナスに分けたのを、もう一回プラスだけに置き換えないとダメなの。やり方をガラッと変えてしまわないと。そうしないとマイナス絶対消せないの、言葉通りになるっていう法則があるしね。

 真祈りっていうのは、真(まこと)のプラスの言葉だけを与え続けるのよね。真(まこと)の神さまだけのプラスだけを与え続けて、言葉通りに虚の世界を作り上げるの。だからマイナスを一切相手にしない生き方よね(自分以外はすべて真(まこと)の神さまだけ!河上註)。

 これで初めて虚の世界のマイナスを消せるようになる。だから地球の問題もそうだけど、虚の世界の問題も全部、言葉通りに現れているだけよね。その言葉通りに現れたのを、結果をどうのこうの言ってもどうしようもないよね。全部、言葉通りに心が定まって、その心の通りの形、運命が出てきているだけ、法則通りよね。

 それで、その心を本当の意味で定めるっていう、心定め、どういう定め方か?真(まこと)のプラス言葉だけを本当に駆使して、真(まこと)のプラスの心を作らなあかんのね。そして、その心の通りに形に現実化するの。本当の徹底した、プラスの言葉だけを駆使するっていうね、これが絶対に必要になるのね。それで真(まこと)のプラスの言葉だけを与え続けるっていう、これを目標にする、目的にするのよね。

 天照大御神っていうのは、真実の世界の天照大御神さまは勿論、凄いよね。輝きっていう字、光と軍隊の軍って書くわね。輝きって、なぜ軍隊の軍って書くのかってね。天照大御神さまは、元々、光の進軍をさせる神さまよ。いわばこの、天照大御神さまも自分を回転させているのよね。ちょうど、天地があって中に日があるのね。天地があって、中に日があって、そこに一本中心軸が定まって、それを回転させるのね。それが上に輪があるってね、円があるの、円の中での回転よね。その円が色々大きくなったり小さくなったりしているんだけど。そして、天照大御神さまは自ら、照り輝きながら、また照らす働きもするっていうね、そういうすがたを取るのね。

 だから大元(大本→おおもと→始原のこと)は、大きい、大きいよね、そこから放射された光の中に、光源がいっぱい並ぶのよ。その光源一個一個もまた放射する光があるでしょう。その光も小さい光源が、ずーっと並ぶのね。そしてまた、その小さい光源も、輪をもって光を放射するね、それもまだ光源の放射よね。そういう姿で順番に入れ子構造で動いているのね。

 だから、その中心がそういうふうに必ずあって動く、回転する動きでどんどん変化していくのね。だから、末端の姿の一部を模型的に出したのが虚の世界よね。だから、地球でも自転している。周りを大きく公転したり色々するね。必ず自転しているよね。自ら回っているよね。大きい星は、もっと大きく回っている。遠い大きい宇宙ほどスピード速い。それが真実の世界を映しているのちょっとね。地球、どっち回転?左回転よね。光は、東方からいうからね、そうでしょう、左に回転しているよね。

 その回転が一つの光源が回転が速いと、例えば一秒間に一回、回転するんだったら、そこから放射される光は、一秒間の分って、ちょっとよ。でも回転が、一秒間に一万回転してご覧、例えば、一回の時の一万倍の量が出てるよ。だから、回転のスピード速くなるほど、たくさんの光を放射するのよ。だから、絶対の中心に近い方がスピードが速い、無限のスピードだから、たくさんのものを一秒間に送り出すのよ。末端ほどスピードだんだん落ちてくる、小さくなるほどね。押し出すもんが少なく小さくなっているよね。でも、その全体が常に、出たんは中心に戻るようになっているよ。大きく循環するようになっているね。(→一瞬一瞬新た新たに一大循環の世界となって厳然と今ここに・・・)

 神さまの本当の世界は、ちょっと中心って定められない、形じゃないからね。全部が中心よね、ある意味ではね。でも出たんは全部戻る、出たところに戻るのよ。最初の出たところに出発して戻っていく、必ずね。だからその戻り方が、色々な戻り方があるけど、複雑極まりないもんがお互いが衝突することもなく、円融無碍自在(えんゆうむげじざい)な組み方をするのね。全体が本当の完璧な一つになって動いているね。

 だから虚の世界は、ほんの一部を模型的に出す世界よ。だから色んな座標軸の決め方があっていいの。色んな点を出発点にもできる、一つの立場っていうのをね。だから虚の世界は、どんな立場でも定めて、どんな座標軸でも決めて、虚の世界を言葉通りに生み出して、作れるの。だから一つの作り方じゃないのね。どんな作り方でもできる。今のこの世界は、相対の両極に振り分けて組み立てる世界になっている。またプラスだけのところもある。だから色々の組み合わせがあったら、色んなものが生まれるの。

 神さまの世界も自由自在だから、何でもあるのよね。だから、それを一部取ってきたら、虚の世界ができるからよね。その真(まこと)の神さまの世界にあるものを、できるだけ多く持ってくれば、虚の世界はプラスだけになる。余計なものを加えなかったらいいのね。プラスだったら、プラスだけって言えばいいよね。

 わざわざマイナスを用意したんが間違いなの。マイナスの言葉必要ないの、本当はね。でもマイナスの言葉が必要と思ったら、やっぱりマイナスを作るのね。まぁそれも無駄じゃないよね。落書きを書いてみて、本物と比べたら、本物が素晴らしいというのと同じだから。落書きを名画に変えて、書いてみて、本物と比べるってまたいいしね。そういうのだったら色んな、虚の世界の作り方、どんな作り方があってもいいと思う。

 ただこの、マイナスを消そうと思ったら、真(まこと)のプラスの言葉だけを駆使しないとダメよね。プラスだけの虚の世界を生み出さないとダメよね。

 太郎坊へ鳥居を立てに行ったでしょう。太郎坊っていうのは、あそこの神さまは何?どんな神さま?「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊→まさかあがかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)」となります。この神さまはね、天照大御神さまが、虚の世界に出てきたすがたよ。天照大御神さまの全てを、全権をもって、虚の世界の全ての神仏を束ねて、動かす総指揮者よ、総指揮官。これが「天忍穂耳尊→あめのおしおみみのみこと)」ってね。

 あそこの、御神体は、一つの大きい一枚岩よ、大きい岩がある、大きい一枚岩が。この一枚岩っていうのは、全体が一つになって支え合っているすがたよ。もう全てを一つにね、してしまう、全ての力を一つにして、まったくの一つに変えてしまう、バラバラじゃないよ、バラバラのものを全部一つの大きい一枚岩に変えてしまう働きよね。こういう姿が出てきたら、天忍穂耳尊のすがたよ、働きよ。その神さまは、正哉(まさかつ)、正しく勝つよ、吾(あが)勝(か)つ、吾勝(あがつ)、勝(速く、日と書いて、勝速日(かつはやひ)っていうね。

 天照大御神さまの稜威(いつ)の権威をもって、常に勝つのよね、常勝不敗よ、不敗っていうね。無敗じゃないよ。負けないって、無敗じゃないのね、不敗よ。無敵、敵がないの。

 だから、この天忍穂耳尊が出てきたら、全部ひれ伏すっていうね、支え合いのすがたで出てきたらそうなるの。本当の支え合いのすがたで出てきたら、その働きになるの、神さまの働きになる。一人の神さまの形で出てくるのと違うよ。支え合いのすがたが、天忍穂耳尊の働きのすがたよ。そしたら必ず勝利するっていうね。

 何と戦って勝利するかでしょう?。

 本当の戦いは、思いの心と本心の心の戦いよ。我(が)の心と真(まこと)の自分との戦いよ。だから、本心は支え合いのすがたで出てくるのよ。我(が)の自分は、みんなバラバラよ。自分の好き勝手なことするのは我(が)の自分よね。支え合いのすがたで出てきたら、本心が輝いて、我(が)が思いが消えるのよね。本当の、ここに勝利があるっていうね。我(が)が消えるのね。光が輝いたら闇が消えるのね。

 本心が本当に輝いたら、思いが消えるのよね。だから、鳥居立てに行ったのも無駄じゃないのよ、意味があるんよ、みんな。支え合いのすがたを取らんなんっていう勉強だったんだけど。

 だから、その最初の心定め、どういう心になったらいいかっていうね、本当に真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分っていう本心の自分に戻ることよね。だから、本心の自分をしっかり生きようとすることよ。本当の自分をしっかり生きようとすることよね。

 肉体が自分、魂が自分っていうのは、思いの自分の見方よね。思いの自分が、肉体が自分って思うのよね。本心の自分は、神さまが自分って思うのよね。

 ここで肉体が自分って思ったら、儚い、虚しい存在よね。そしたら必ずね、自分をマイナスに見ているよ。肉体を自分って思うのはね、自分をマイナスに見ているよね。罪人って見ているよね。必ず自己処罰する。自己処罰して、破滅へ導こうとする。滅ぼそうとするのよね。だから思いの心は、業(ごう)の心は、全部破壊して、滅ぼして、地獄のどん底へ叩き込んで、無にしてしまおうとする。

 だから、思いの心を残したらダメなのね。過去を掴むのは思いの心だけど、過去を掴む思いを消さなダメよ。一回でも掴んだら思いが残っているよね。だから、過去を掴んだら思いを片っ端から消してしまう。一切のこの我(が)を消してしまうことよ。その消し方は、本心を輝かすことだけなの。

 それで本心を輝かす、唯一無二よね。唯一無二の一つの方法、これしかないっていう方法は、「真祈りのありがとうございます」ね。真(まこと)の神さまを与え続けて、(絶対の)中心の中から、みんなの本心を無限に無限に輝かすの。真(まこと)の神さまを中から与えて本心を輝かすの。「真祈りありがとうございます」はそうなの。真(まこと)の神さまを与え続けるっていう祈りよね。

 それで、みんなの本心を中から輝かすの。それで本心が輝いて、我(が)が思いが消えていくの、自然に消えていくのね。だから戦うんじゃないよね。自分が光り輝くことで、闇を退散させて消えてしまうのね。実際戦うんじゃないのよ、光と闇ってね。光が出てきたら闇は退く。光を消したら闇が忍び寄るって、こんな感じよね。

 だから、光は必ず勝つのよ。常勝不敗、無敵。天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の生き方よ。それも、みんなで真祈り祈り合って支え合っているから、ロウソクの光じゃないから、全方向から光をもらっているね。だから、どこにも闇は存在できないような守り方をされているのね。

 みんなから真祈りを祈ってもらって、真(まこと)の神さまを与え続けてもらう。だから、本心は最高に輝くしかない。これを目的にしているのよ。

 だから、もう一回みんなで、支え合いのすがたを取る方が大事よね。本当の支え合いで、マイナスを全部消そうというね、真(まこと)の神さまの働きよ。そういう心定めをしてもらったら、前へ、すーっといく。

 はい、ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/5roG3ZLceX4

 宇宙神ありがとうございます


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今が一番よいようになっているから??? by 河上彰延 [Mail] 2022年11月27日(日) 05時03分
PC

病気で苦しむのは・・・
 
 かぜを含めて、病気で苦しむのは、いろんな理由がありますが、身勝手な気持ち→まずは、自分を守ろうとする思いが、原因です。

 地球霊王さまの、響きが大きく変わりつつある今、今までの常識が通用しなくなってきているのです。

 これからは、どんな症状の病気であろうとも、神さまを切り離して、薬やお医者さまに頼っても、効果がないのです。

 もちろん、熱が出て、いつまでも、何日も、だるい、つらい、状態が続いているときに、お薬に、お医者さまに、頼るのは、間違いではありません。

 でも、頼ってしまっても、真(まこと)の神さまに捧げ尽くしたい(お手伝いしたい)の気持ちがないと、これからは、効果が少ないのです。

 今までの健康法が通用しなくなって、一人暮らしであるにもかかわらず、買い物にも、お医者さまにも、とても行けない状態で、伏せていらっしゃる方が増えています。

 そんなこと言ったって、真(まこと)の神さまに頼る方法がわからない・・・訳ですが、頼ってしまうのではなく、苦しいときこそ、お手伝いしたいと、願うことが大切なのです。

 では、お手伝いしたい方法は・・・ともうしますと、いつも申し上げますように、たんたんと一切を報い求めずに、ひたすらに印可書を奉読しつづけることです。

 苦しいときは、印可書の一節だけでも、唱え続けることです。

 そうすれば、かならず、今、何をすることが大事かということが、響いてきて、苦しい中でも、体が動くようになります。

 もちろん、一人暮らしでありますから、伏せってしまって、買い物にも行けない状態が続くことも考えて、普段から、チーズとか、インスタントラーメンとか、卵とか、アイスクリームとか、簡単に食べることができる真空パックの食品とか、体が動けなくても、食べれることができるものを、2週間分ほど、常に持ち続けることは、大切です。

 光の大進軍が始まったのです。今までの常識が通用しない世界が始まったのです。

 神さまの絶対の愛を信じて、ひたすらに、神さまを褒め称え続けましょう。印可書の奉読が真(まこと)の神さまを褒め称え続けることになります。

 真(まこと)の神さまを褒め称えるということは、真(まこと)の神さまそのものである。真(まこと)の本心の自分を褒め称えることになるのです。

 そうすれば、本来の自分である、真(まこと)の本心の自分が開かれ、すべては一番良い状態になっていくのです。

 もう一つの、ご質問である。今が一番良いようになっている・・・が分からないということでありますが、これは、どの立場にたっているかによって、分かる分からないとなるのです。

 たとえば、小さい肉体意識の自分の立場にたっていますと、なにもわからなくなって、今が一番良いようになっているから、”なにもしなくて良い”というように思ってしまうのです。これは、一瞬一瞬新たに新たに受け直すことが、小さい肉体意識の自分では出来ませんので、こんな風におもってしまうのです。

 それでは、なにもしなくて良いというのであれば、極端が例で考えるとわかりますが、おなかがすいても、なにも食べずに、餓死するまで、待っていれば良いということになります。

 これのどこが、おかしいかと申しますと、おなかが空いたという現実を掴んでいるからであります。

 現実を掴むから、おなかが空いたから、動けない、動くのうっとおしい、邪魔くさいとなっていくのです。そして、その、邪魔くさい、うっとおしい、動けないという現実をさらに掴んで、今が一番よいようになっているから”なにもしなくてよい”というような、おろかな、思考になっていくのです。

 本心の立場にたっていますと、一瞬一瞬新たに新たに、真(まこと)の本心の自分(真(まこと)の神さま)を受け直しますから、どんな状態に置かれることがありましても、喜び勇んで、新たに、改善しようとするのです。

 なぜなら、真(まこと)の神さまは、一瞬一瞬あらたに新たに、新しい神さまとして新生(→神聖)されるからです。

 小さい立場に立って、つまらん理屈を言っているヒマがあるなら、印可書を奉読して、真(まこと)の本心の自分である、真(まこと)の神さまを褒め称え、天地開闢を神聖行事という光の大進軍に参加しましょう。

 宇宙神ありがとうございます


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