真祈り文庫-2001年12月1日 No.2
本当の神さまは全体です、この世のすべても神
-ありがとうございます-
具体的に、神と向かい合うというのはどういうことでしょうか?
ありがとうございます:
本当の神さまは全体です、この世のすべても神さまの体の一部です。神さまといつも直接みんな出会っています、この世でもあの世でもすべての世界で、それをどうやって気付くかというだけです。
でも、すでに気付いている本当の自分が心の奥にいます、その自分を引っ張り出すことです。だから「ありがとうございます」が一番いい方法であることには違いありません。後は、プラスの言葉をたくさん使えばいいのです、言葉通りに気付いてゆきます。この世のことだけでもプラスの言葉で気付きが殖えてきます。そうするといつも神さまと対面している・出会っている感じになってきます。
大きい意味での天命とか天職と、小さい意味
-ありがとうございます-
自分の天命とか天職を見つけるにはどうしたらいいですか?
ありがとうございます:
大きい意味での天命とか天職と、小さい意味での天命・天職の両方があります。その時そのときにどの自分を掴んでゆくかです。一番奥の自分はいつも神さまのすべてを受け直しています、無限の能力があって何でもできる自分です。宇宙が自分という感じで大きく生きます、神さまといつも一緒に生きています。宇宙創造の働きをしている大きい働きをしている自分・それも最高表現を生み出している自分・さらにそれを味わっている自分というように。
でも、小さくなるともっともっと小さくなります。この肉体人間としての生き方も小さいけれど、もっと小さい生き方もあります。それも自由自在でいいのですが。
「ありがとうございます」と神さまの中に溶け入れば、大きい生き方になります。感謝を忘れると、だんだん小さくなります。思いの中に閉じこもると、もっと小さくなります。だから、自分がああしたい・こうしたいと、あまり思わないほうがいいのです、思うだけ小さくなってゆきます。自分というものをこれが自分と思うだけ、小さい自分になってしまいます。でも、感謝だけだと、気付いた分が自分になってゆきます。どんどん自分の世界が広がるので、大きい生き方の天命・天職が出てきます。それも一瞬一瞬に変化してもいいのです。一秒ごとに、大変ですが。
決まっているという、そういう言葉を使うと
-ありがとうございます-
お付き合いしている人がいます、赤い糸はあるのですか?
ありがとうございます:
いいえ、決まっているという、そういう言葉を使うと、決まった番組にはまり込みます、決まった運命を辿ります。でも、本当に自由なのだと思えば、自由に誰でも選んでゆけますし、どの番組からでもふさわしい人を引っ張り出せます。言葉通りになってしまいますので、まず、自由なほうがいいのです。
人を選ぶ秘訣は、まず、自分がいい人にならなければ!自分に波長の合う人をピタリと選んでしまいます。幸せになりたい人は、与え尽くす生き方を自分が選ぶといいのです、そうすると、相手も与え尽くす生き方で自分を幸せにしてくれます。だから、求めると損します、相手も一生懸命求めてくれます、注文が多くなります。
-ありがとうございます-
結婚に踏み切れないのは、持病のこともあるのです。
ありがとうございます:
それも、自分をどういうふうに見るか・どういう言葉を使って自分を限定するかです。病気という言葉を使えば自分を病気にしてしまいます。だからいつも、無限健康・無限に幸せな自分、というようにいい言葉をしっかり使うと、そういう番組のいい姿を引っ張り出します、それが現実化してきます。
病気なんか怖くはないですよ、無限健康を持って来たらすぐに消えます。本当に言葉通りになります、過去に囚われずに、自分の願っていることを言葉にして引っ張り出せばいいのです。・・・・でも、結婚は何を求めてするのですか?
-ありがとうございます-
子供を生んで家庭を持って、人並みの・・・
ありがとうございます:
それが自分の最終的な必要な願いかどうかです。本当にそれが必要なものですか?本当に幸せになるものですか?
結婚の目的はそれぞれ目的をもってするのですが、みんな結婚するからとか、結婚しなければ、というような言葉に縛られないほうがいいのです。結婚して本当に幸せになれるかどうかは判りません、幸せな人は結婚してもしなくても幸せなのです。
-ありがとうございます-
最初は波動が合うと思って結婚したのですけど、段々ずれて来ました。この場合、離婚は必然的なのでしょうか?
ありがとうございます:
結婚したときの目的です、波動が合うから結婚したのであれば、合わなくなったら離婚してもいいのです、そういう目的であれば。でも、波動が違っても合わせていく練習というふうに見れば、ずれた分だけ合わせる努力をして、合わせる能力が身につきます。
何を目的にするかもいろいろ目的があります、自分が一番いいように選んでそれを実現していけばいいのです。縛られたら損です、無限のものを与えられていいものを選びなさいと言われているのです。自分の自由意志で自由に選ぶのがいいのです。だから、「こうしなければ」はありません、自分が喜べるのだったら喜んで選んで、それを幸せの材料に変えてしまえばいいのです。
自分がマイナスの姿を見たくなかったら、自
-ありがとうございます-
主人の母と同居しています。母のマイナスな考えや病気のことを、もっとプラスにと言っても聞いてくれません。放っておいた方がいいのでしょうか?
ありがとうございます:
自分がマイナスの姿を見たくなかったら、自分の言葉を変えて、いい番組を引っ張り出すだけでいいのですが、人はみんな自由がありますから、がんばってマイナスを引き出そうとする人があります。それはそれで一番下から、プラスにプラスに見てあげるほうがいいのです、いい勉強をしているなというように。
強制的にマイナスの姿をプラスに変えても、自分勝手にするだけです。相手にとってプラスかどうかは判りません。相手の勉強材料をとるわけにもゆかないし、相手の自由意志を縛るわけにもゆかないし。ただ、目的方向が同じだったら助け合いになりますが、逆方向へゆく時は、あまりおせっかいをすると足の引っ張り合いになります。そういう場合は遠慮気味のほうがいいのです。
進歩もいろんな進歩があります、螺旋状に上が
-ありがとうございます-
あの世とこの世の行き来は、段階的にそれともスパイラル(螺旋形)に進化するのですか?
ありがとうございます:
進歩もいろんな進歩があります、螺旋状に上がるのや一直線に上がるのもあります。一回は一番下まで落ちて、一気に一番上まで上がるのもあります。これは自由自在なのです。
あの世とこの世の姿の比較も、いろんな比較の仕方があります、それぞれにみんな意味があります。一通りの考え方では通用しません、神さまが無限の番組を用意しているということは、ありとあらゆる考え方が成り立つようにしてくれているということです。
「もうすでにいいんだ」「善い」という断定的
-ありがとうございます-
地球環境を良くしたいという言葉は、あまりいい言葉ではありませんか?
ありがとうございます:
「もうすでにいいんだ」「善い」という断定的な言葉のほうが、力があります。でも現実を先に見るとマイナスが目に付きます、それを言葉にしてしまうというところがあります。そのままではマイナスが殖えます、マイナスの番組を引っ張り出してきますから、マイナスの番組が続きます。
どれだけ早くプラスに切り替えるかなのです。いったんはマイナスを掴んでもいいのです、それをプラスに言葉を変えて思い返して感謝すると、プラスに置き換えてもらえます。いったんマイナスを掴んでも悪くはありません、その分だけ真剣にプラスに置き換えることができます。
神という言葉の意味を、五つの意味に捉えると
-ありがとうございます-
神さまとはどんなものなのでしょうか。
ありがとうございます:
神という言葉の意味を、五つの意味に捉えると判りやすいのです。
隠り身・・約めて神、絶対神です。一番奥に奥に存在する働きです。これは、古事記などに書かれている、天之御中主神を始めとして絶対の働きをする神さまがたくさんあります。伊邪那岐神、命伊邪那美神さまが出てくるまでの神さまが全部そうです。隠り身の神さまは沢山出てきます、でも、古事記に現されているのはほんの一部です、全体がどうかは判りません、名前が他に沢山あるかもしれません。
仮凝り身・・凝るというのは創造するという意味です。姿・形のないものが形有るものに出てくるという意味で、凝るというのは創造の働きを指していて、仮凝り身を約めて神と言います。これも、伊邪那岐神、命伊邪那美神さまが代表になり、その別れとしての8×8=64神が創造神の働きをしています。でも、他にも沢山名前が出てくるかもしれません。古事記には代表的に少し載せているだけです。
輝り身・・輝く身、これを約めて神です。これは、天照大御神さまが代表です。天照大御神さまというと、みんな色んな見方をしています。太陽神だと言ったり、女神さまだと言ったり、皇室の先祖だと言ったり、でも、そういう小さい意味ではありません。絶対と創造の働きを自分の中に持っている、神さまの最高表現の姿を、天照大御神というのです。
その分身としては、八百万の神さまという形で、無限の無限の神さまを中に分身として束ねています。その神さまの働きによって、宇宙のすべてが生まれてきます、そういう統一的な働きをする神さまが輝り身の神さまです。その中には、天照大神さまだけではなく、月読命も須佐之男命も天照大御神さまの分身の姿をとって、その全体像が本当の大きい天照大御神さまになっています。
次は、八百万の神さまという形で、翔けり身神が出てきます。翔けり身というのは、神通自在に翔巡るという意味です。これが、八百万の神さまです、これには、無限の無限の神さまがいらっしゃいます。数は限定できません。
最後に、限り身という、限定して現れる身という意味です。神通自在の神さまは、自由自在に宇宙を翔巡るのに、その神さまが石ころ一個になるとしたら、自分の自由意志で自由意志を限定して、愛の心で石ころに変身します。それで、みんなに頭を踏まれても「ありがとうございます」と喜んでいるのです。だから、宇宙の全部がそうなのです、この世の姿だけではありません、無限の無限のチャンネルの番組に現れた形有るものの全部は、限り身神の愛の心の結晶です、固まりなのです。
この大きい意味での五つの意味の働きが「神さま」という意味を表しています。だから、神という言葉を使ったときに、どの部分を指しているかなのです。色んな宗教で本尊として出てくる神さまは、色んな名前を連ねてきます、どれを指しているのか見極めないと判りません。
-ありがとうございます-
今のお話の内容も、守護霊さまに訊いているのですか。
ありがとうございます:
誰にも訊きません、口が勝手に動いています。守護霊さま守護神さまという意味も、どういうように捉えるかというと、より高い番組の存在者という見方も有ります。
-ありがとうございます-
守護霊、守護神という格付けがあるのですか。
ありがとうございます:
そういうふうに、言葉によって定義づけて、働きとして分類すれば、そういうふうに分けてみても善いのです。ただ、どういうふうに分けるかという分け方はいろいろあります。単純に、守護霊さま、守護神さまというふうに見ると、宇宙の大神さまから自分を専属に護る働きとして、身近に降りてくる働きが守護霊さまと見た方がいいのです。少し離れて高いところから守護霊さまを補佐する意味で、大きい力で見守っているのが守護神さまと見るのが善いのです。
守護霊さまの働きに似た働きが、副守護霊さまとか、背後霊とか指導霊とか沢山います。守護霊さまにしても、副守護霊さまにしても、みんな同じ事は言ってくれません、言う事が全部違います。どちらが正しいか、間違っているかを判断しなければなりません。一々聞いていたら、「儂がこういったのに、御前は何故言う事を聞かないのか」と言われます。他の神さまも又、「儂がこういったのに、何故従わないのか」と言ってきます。
だから、言う事は全部違います、神さまのレベルが違うと、また全然違う事を言ってきます。だから、振り回されます。高い次元から来る神さまの働きは、強制的に何かをしてきません、みんなの自由を尊重して、控え目に控え目に言ってきます。低いほど強制的に縛ってきます、大声で叫んできます。いつもうるさいくらいに言ってくるのは、低級な方です。
そういうのが面倒になったら、全部捨てたらいいのです。ありがとうございますひとつで、必要なときに必要な働きが必要なところから出てくるようになります。
私も、小さいときに、色んな神さまから色々といわれました、どっちを聞いたら善いのか迷います。「どっちが上か下か」というのですが、迷うのです、上の方を聞くのか、下の方を聞くのか、迷います。
だから、絶対唯一無二の神さまに心を向けて感謝していたら、神さまから必要があって派遣された神さまだったら、どんな神さまでも自分に必要な神さまです。その助けは的を射ています。だから、「ありがとうございます」ただひとつの方がいいのです。
-ありがとうございます-
先ほどのお祈りの時の、柏手と口笛を只聞いているのではなく、あのときに「ありがとうございます」と唱える事をお祈りというのですか。
ありがとうございます:
別に、こういうの(テープ録音)を聞かなくてもいいのです、「ありがとうございます」が本当の意味の神さまを受け入れることが・・・・
ありがとうございますと心で唱えるのが良いのです、聞くだけでもいいのですが、みんなが「ありがとうございます」と唱えてくれていますから、その中に入れば、自分が唱えているのと同じ効果が現れます。
八百万という言葉は、無限の無限のという意味
-ありがとうございます-
八百万の神というのは、日本名も有り、中国名も有り、アメリカ名も有ればドイツ名もあるというように、沢山の名前があるのですか。
ありがとうございます:
八百万という言葉は、無限の無限のという意味です。数字で八百万と表すのですが、そうではなく、無限の無限のという意味です。これも、言葉の解釈の仕方が、人の解釈と神さまの解釈が違っています。だから、辞書に載っている解釈では当てはまりません、特に、神さまから来る言葉はみんなそうです、解釈が全く違って逆になる場合があります。だから、神さまの心を汲み取ろうという気持ちで、どんな言葉も解釈し直すのが大事なのです。
神さまの名前は、働きを指し示す言葉です、働きが神さまの名前になって出てきます。本当の神さまの働きは、無限に分かれて出てきます、それを色んな神名に変えて示そうとするのです。
「たま」というのは響きがいいのです
-ありがとうございます-
神社の玉砂利は何のために敷いてあるのですか。
ありがとうございます:
「たま」というのは響きがいいのです、元々、完全な円満な姿をとっているという意味もありますし、争いがありません、角が無い・平和である・調和しているとか、みんな助け合っているという意味があります。玉砂利から、いい意味での連想が起こります、そういう意味で沢山の意味があってもいいのです。プラスにプラスに解釈して、善いように善いように連想して、受け入れるという事も善い事です。
でも、特別な意味はないのです、別に、こうでなくてはという意味ではありません、砂でもいいでしょうし、角張った砂利でもいいし、土のままでもいいのです。全部がプラスに見えたらそれもいい事です。
星の数ほどの神さまがいつも護ってくれています
-ありがとうございます-
鼻の穴から神さまが入ってこられて、チャクラひとつひとつを個別の神さまが、護っていて下さると教えられました。
ありがとうございます:
星の数ほどの神さまがいつも護ってくれています、だから、遠い星が自分と無縁かというとそうではなく、みんな関連が有ります。人間の肉体を神さまの体と考えたときに、1個の細胞は、他の60兆の細胞と関連があるのです。無縁という事は絶対になく、密接に関連しています。そういう意味だったら、ひとつの細胞も宇宙全体から護られています。肉体の自分をしっかり掴んだとして、肉体の自分もこの世の全大宇宙からも護られているし、あの世からも、もっと奥の世界からも護られています。
それも本当にどの程度必要かと考えて、必要
-ありがとうございます-
家相とか墓相の善し悪しとはどういう事でしょうか。
ありがとうございます:
それも本当にどの程度必要かと考えて、必要があってする場合は、プラスにプラスに観る事が大事です。必要がなかったら全部を捨てたらいいのです、墓も要らない、何も要らないというのが良いのです。
家相も、日本の特定の地域にその家相の考え方が通用するのです、全部には通用しませんし、ましてや、外国には通用しません。やはり、人の言葉が縛るのです、その縛りの言葉を超えてしまえばいいのです。「この家は神さまの家だから、無限に無限に輝いている、幸せ一杯の家なのだ」と思えば、鬼門も何もありません、神さまばかりです。
目というのは、ものを見るためにあります
-ありがとうございます-
白内障がなかなか治りません、どんなふうにお祈りしたらいいでしょうか?
ありがとうございます:
目というのは、ものを見るためにあります。神さまが何のために目を与えてくれたかと考えてみると、神さまの最高表現をしっかり見て味わってほしいのです、プラスばかりを見てほしいのです、マイナスは見てほしくないのです。プラスを見る心になれば、目は必要あって自然に良くなっていきます。
-ありがとうございます-
お祈りの仕方は「ありがとうございます」で?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」の中に無限のプラスがいっぱいという感じです、「ありがとうございます」をしっかり唱えながらプラスを認める心になって、いいところだけを拾い集めて見ていたらいいのです。
-ありがとうございます-
お祈りの仕方というのは、心の中で何も思わず「ありがとうございます」だけでいいのですか?
ありがとうございます:
そうなのです、本当のお祈りは。必要なものは神さまが先に用意して与えてくれています。幸せだったら、無限の無限の幸せがすでにたくさんあります。それに気付くのが「ありがとうございます」という感謝の心です、その感謝の心を引っ張り出してもらいます。
-ありがとうございます-
感謝する気分でなくて、怒っている時でも「ありがとうございます」でいいのですか?
ありがとうございます:
そういう時ほど「ありがとうございます」で感謝できる心に変えてもらうのです。全部「ありがとう・ありがとう」といえる心に変えてもらったらいいのです、そういう意味で「ありがとうございます」という言葉を使います。
-ありがとうございます-
一日のうちで時間を決めて「ありがとうございます」を唱えたほうがいいのですか?
ありがとうございます:
寝ても覚めても寝言でも「ありがとうございます」です。
瞑想という意味は、目を閉じて心の世界で
-ありがとうございます-
雑念ばかりが湧いてきて瞑想ができません、「ありがとうございます」を唱えることで瞑想したのと同じになりますか?
ありがとうございます:
瞑想という意味は、目を閉じて心の世界で、奥の世界をしっかり捉えるという意味です。でも、思いの心で想像をたくましくしても本物は出てきません。逆に、思いを出すことが邪魔をしてきます、思いの霧が立ち込めて本物が見えなくなります。
瞑想というのも、座禅で空になるというのも、「ありがとうございます」と一言となえることには及びません。「ありがとうございます」と唱えることは、本当の神さまを呼び出して、先ず思いを消してもらえます、奥に閉じ込めたり沈めたりするのではなく、消してくれるので霧が晴れます。そうすると在るものが見えてきます、心の奥から本物が浮かび出てくるように見えてきます。本当の意味での瞑想になります。
「ありがとうございます」は神さまにお任せして助けてもらうゆきかたですから、一番楽に瞑想が深まりお祈りが深まります、座禅も深くなります。
そういうふうに捉えるのもひとつの見方です。でも
-ありがとうございます-
イルカからいろんなメッセージか来ているらしいのですが、イルカの存在とはどんなものなのですか?
ありがとうございます:
そういうふうに捉えるのもひとつの見方です。でも、お祈りしている人もたくさんいますし、イルカはお祈りしてくれてありがとうと人間にメッセージを送って来るかもしれません。特に人間は万物の霊長として、全体を調和させる大きい働きの役目だから、逆にイルカさんが拝んでくれて「すばらしい働きをしてくれるように」とメッセージを光として届けてくれているかもしれません。
大自然の本当の姿はそうです、神さまの変身の姿ですから、神さまがいろんな姿に化けています。神さまは感謝して褒め称えて喜んでくれています、人間はなんて素晴らしいのでしょうと言ってくれます。感謝して地球の平和のためにがんばってくれてありがとうと喜んでくれます。神さまの言葉はそのように、プラスにプラスに働いてきています。そのほうが本物です、マイナスのからんだ言葉は、あまり信用しないほうがいいかもしれません。
過去世で勉強のし残しがまだたくさん残っています
-ありがとうございます-
父のことなのですが、失敗は人のせいにして馬鹿にして自分を正当化します。ストレスで息が詰まります、なかなか感情を「ありがとうございます」にできません、どうしたらいいでしょうか?
ありがとうございます:
過去世で勉強のし残しが、まだたくさん残っています、自分を立派にしていく過程でも魂を磨く過程でも、し残しがたくさん残っています。そのし残しをどうやって気付かせようかと、守護神さん守護霊さんは思います、早くそれに気付いてそれを直すほうが早く立派に成れるのにと思います。
ただ、この世に生まれてくるときは記憶を一時棚上げしておいて、新しい出発として生まれさせてきます、過去の縛りに遭わないで新しい生き方をして、そこに何かプラスを加えていこうとします。
ただ、過去の惰性がある時フッと出てくる時があります。その時、過去を知ることによって方向転換がしやすくなります。たとえば、前の世で酒をたくさん飲んだとすると、それに懲りた人はこの世では酒を絶対に飲みません、正反対の生き方をしようとします。その逆もあります、酒を飲みすぎたその惰性に負けて、また飲みすぎる人があります。
いろんな場合があるので、前生の姿が判る方がいい時はそれもいいですし、判らない方がいい時はまたそれもいいのです。ただ、知りたい時に神さまから直接に「あなた、こういう生き方をしたよ」と教えてもらうのもいいのですが、身近に現して見せてくれる方がいいでしょう?だから、前の世の自分の姿が自分の親に現れてきます。必要があったら気付きとして与えてきます。
もし、自分に欠点が残っているとすると、その欠点が気になって気になって仕方なくなるようになります。それはし残している部分なのです。今の自分はそういうまねは絶対したくないと思っていますが、傾向としては心に残しているのです。
それと正反対の生き方をとろうとする時に、自分の心を正反対のプラスの心に置き換えていかないといけません。嫌いだと逃げているだけでは消えていません、消さないといけません、消す方法をどうするかです。そこへ、正反対のプラスをたくさん加えなければいけません、自分の心の中へ。
もし自分の心の中に同じものがなかったら絶対に引っかかりません。波が合わないから引っかからない状態になります、気にならないのです。もし、引っかかるときは、自分と同じものがあります、心の中にためたものが同じ姿をとっているのです。心の中のマイナスに「まだこんなものが残っているよ」と気付かせてくれる意味で、前の世の姿は親に出てきます。「消しなさいよ」と神さまからのメッセージと捉えたほうがいいのです。
そのときは正反対の言葉を使います。そして、自分をしっかりと褒めるのです、正反対に褒め続けるのが大事です。そうすると、自分の心にあるマイナスが打ち消されて消えると、全く引っかからなくなります。そのメッセージが必要なくなったら、親からその姿が消えます。
親というのは子供に対しては愛が深いのです。子供のマイナスを身代わりに背負ってもいいという気持ちがあります。いつでも身代わりにマイナスを背負って、助けてくれる姿をとるときがあります。そういう意味でメッセージは必要なときは出してくれます。
マイナスを消すときに、正反対のプラスの言葉を加えるのもいいのですが、出てくるたびに言葉を変えて言うのも大変です。一言でいいのです「ありがとうございます」。「ありがとうございます」の中に無限の無限のプラスが全部含まれています。ただ「ありがとうございます」と唱えているうちに、心の中のマイナスがすべて消されてしまいます。そして、いい姿を見せてもらったら卒業です。
般若心経は「ありがとうございます」の説明文
-ありがとうございます-
般若心経を唱えるより「ありがとうございます」を唱える方がいいように思いますが?
ありがとうございます:
般若心経の真髄は「ありがとうございます」です、般若心経は「ありがとうございます」の説明文です。「ありがとうございます」は般若心経を本当に実行していることになります。
耳はいろんな人のアドバイスを、意見を、助言
-ありがとうございます-
私は、胃と耳が悪いいのですが、どういう意味がありますか?
ありがとうございます:
耳はいろんな人のアドバイスを、意見を、助言を素直に聞く働きをします。神さまからの助言は素直に聞くほうがいいのです、選り好みをして、これは聞くけれどこれは聞かないというと、聞きたくないというようになります。なんでも参考にプラスになるものを受け入れようとする、素直な柔軟な気持ちになっていると楽です、一旦は聞いてそれを選別していいものだけを取り込めばいいのです。が、最初から全部聞きたくないとなると、聞こえると困るのです。一旦は受け入れるという気持ちになれば、自然に聞こえるようになります。
胃というのは心とも言います。心が心配事や悩み事で暗くなるのです、なっていませんか?心を痛めると胃が痛みます、心配性の人が多いのです。楽天的に明るくなったらすべて消えてしまいます。だから、プラスだけを数え上げて、拾い上げてという生き方がいいのです。プラスとマイナスがたくさんあっても、プラスだけを選んで数え上げたらいいのです。そしたら、幸せな明るい心になって、心を痛めなくなります。そしたらすぐ消えます。
すべての宗派に
「ありがとうございます」
-ありがとうございます-
神さまには祝詞で、仏さまにはお経の方が「ありがとうございます」よりいいのですか?
ありがとうございます:
それは、それぞれの宗派によっての、言葉によっての縛りです。「ありがとうございます」は全部に通用します。全部に通用して全部の縛りを解いてくれる働きになります。
-ありがとうございます-
祝詞ではなく「ありがとうございます」でいいのですか?
ありがとうございます:
その方がいいのです、それで全部に通用します。ご先祖さまも、キリスト教の人も仏教の人も神道の人もとたくさんいたら、祝詞だけだったら神道の人だけに心を向けるような感じです。ほかのご先祖さまは怒るかもしれません、そこまではゆかなくても、私たちには光を送ってくれないと嘆くかもしれません。全部に通用する「ありがとうございます」がいいです。余計な心配をしなくてすみます。
-ありがとうございます-
家族のものの名前を付けて「ありがとうございます」と唱えてもいいですか?
ありがとうございます:
別に、家族の名前を唱えなくていいのです、「ありがとうございます」だけで、すべてを神さまと拝むゆきかたなのです。そこの無限のプラスが輝くようになります。ただ、心に浮かび出たり、思い出されたら、思ってもいいし、言葉にしてもいいのです。
「ありがとうございます」と唱えているうちに
-ありがとうございます-
漠然と「ありがとうございます」と唱えるよりも、深い意味を知って唱えた方がいいように思いますが?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」と唱えているうちに、自然に気付きが殖えて深みが出てきます。最後には、本当の意味の神さまの全体像なのだと感じられてきます。そして、神さましかいない、「無限の無限のか輝き」の中に自分が置かれていると、実感としてわかってきます。気付いた分だけ段々と深みが出てきます、無理に考えたり思ったりしなくても、だんだんと自然に気付くようにしてもらえます。
-ありがとうございます-
考えようとすることは無理なことですか?
ありがとうございます:
それも悪くはないのですが、「ありがとうございます」と唱える方が先です。たくさん唱えた方が楽です、その方が早く気付きます。
先祖をどう捉えるかです。すでに悟って、無限に
-ありがとうございます-
四国の山奥に先祖の墓があります、供養のためには身近なところへ移転したほうがいいでしょうか?
ありがとうございます:
先祖をどう捉えるかです。すでに悟って、無限に無限に輝いた方を先祖と見るのだったら、お墓は要らないのです。でも、肉体を去ってお墓の中に入っているというふうに見ると、かわいそうに石に閉じ込められたご先祖さまがそこにいます。そうしたら、何か食べさせなければとか、余計なマイナスな思い方をしてしまいます。そうすることはご先祖さまに対して失礼なのです、本当のご先祖さまはそんな中には入っていません。
この世の人がご先祖さまをマイナスに見るのは、無礼千万と言われるくらいに失礼なことです。自分が勝手に低い番組を見て、自分が迷っているではないか、と言われてしまいます。だから、自分が正しいご先祖さまを拝むゆきかたの方がいいのです。「みんな無限に輝いて、いつもお守りくださってありがとうございます」というゆきかたがいいのです。そうしたら、お墓も仏壇も要らなくなります。自分の体が最高の仏壇です、ここへ神さまやご先祖さまが全部入ってきます。だから、そういうことに縛られない方がいいのです。
-ありがとうございます-
クリスマスやお正月の行事は、ここでは行わないのですか。
ありがとうございます:
何もしないし、何でもしていいし。自由自在でいいのです、何もなくても、何があってもいいのです。
-ありがとうございます-
我々は、惰性でやっている感じなのです。
ありがとうございます:
そういう事の深い意味を気付いてゆけたら、プラスに大きく生きてきます。お正