真祈り文庫-2001年12月1日
No.1
「ごめんなさい」という言葉も謙虚ないい言葉
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」の前に「ごめんなさい」が必要だと思いますが?
ありがとうございます:
「ごめんなさい」という言葉も、謙虚ないい言葉です。過去世でいろんなマイナスの言葉を使い、マイナスの思いを出して、マイナスの行いもしてきています。そういう意味では、みんなにマイナスの思いを撒き散らしています、そういう場合はみんなにマイナスを免除してもらっているのです。
「ありがとうございます」という言葉の中には、マイナスを免除するという神さまの大きい働きが含まれています。感謝の深い本当の意味がわかれば省略しても大丈夫です、でも、最初は謙虚な意味で「ごめんさい」もあってもいいと思います。
動物のほうが「ぜひ、着て欲しい」と言って
-ありがとうございます-
毛皮が大好きです、毛皮を着るのは良くない事ですか?
ありがとうございます:
動物のほうが「ぜひ、着て欲しい」と言っています。愛のスキンシップです、嫌われたら着せてくれません。自分が殺したのだったら別ですが、動物のほうが喜んで「ぜひ、守らせてください」という感じでありがたいのです。
「ありがとうございます」が、宇宙の大神さまの
-ありがとうございます-
「ありがとう」と「ありがとうございます」のどちらがいいのでしょうか?唱える時のリズムを教えてください
ありがとうございます:
「ありがとうございます」が、宇宙の大神さまの究極の名前なのです。神さまの働きの全体を指し示す言葉なのです、「ありがとうございます」が神さまの姿の全体像なのです。一言「ありがとうございます」で神さまの全体を捉えた時は、その中に全部が含まれてしまいます。
感謝も無限の段階があります。小さい感謝から大きい感謝、浅い感謝から深い感謝、いろんな段階の無限の感謝があります。その中に軽く「ありがとう」と言うのもいいのです。
リズムも無限の種類があっていいと思います。一人一人リズム感が違うと思いますから、自由自在でいいと思います。本当の「ありがとうございます」・本当の神さまの全体の中にはすべてが含まれていますから、自由自在に自分に合ったゆきかたで、感謝を深めていくのが大事です。どれが善い・悪いではなくて、みんな必要が有って存在するものです。
活かせるものはドンドン活かすというのは大事
-ありがとうございます-
食糧難が来ると言われていますが、農業をもっと活性化したほうがいいのでしょうか?
ありがとうございます:
活かせるものはドンドン活かすというのは大事なのですが、「世界がひとつ」という気持ちで助け合うのも必要です。それ以上に、神さまの方からプラスを・天から降るものを受け取るのも大事です。
現実だけを見て、食糧を心配する事は要りません。無限の無限の恵みが天からたくさん降ってきます、必要があったら物質化現象で空中からパッと出てくるかもしれません、将来そうなるかもしれません。
「ありがとうございます」は神さまの大調和の働きがそのまま降りるのです、必要だったら日本も、土地を活かしていろんな作物を栽培するようになるのかもしれません。
ただ、今は、お百姓さんでもお金儲けを主に考えます。人件費が高くなると作物の値段が高くなって、世界とは太刀打ちできない状態です。お金儲けのほうへ走るために、農業を捨ててしまいますが、もったいないです。心を込めて栽培した作物は輝いています、お金では買えない天からの恵みです。お金を抜きにして、光り輝いたものを与えて頂いたという気持ちで受けるのだったら、日本で作ったものも本当の意味で、素晴らしい光り輝いたものになりますから、大事にした方がいいのです。お米の一粒一粒が光り輝いたものだと思えたら、しっかりお米を栽培しないといけません。
因縁因果の法則としては、「与えたものが与え
-ありがとうございます-
現在の流通・経済システムは新しいものに置き換わりますか?
ありがとうございます:
因縁因果の法則としては、「与えたものが与え返される」というのが法則なのです。ただ、間にお金が入ってきます、人と人との信用の約束事みたいなものです。ただそれはチョッとずれているのです。日本は人件費が高い、外国には十分の一ぐらいの所もあります。同じ働きをしたのに十倍もらう所と、その十分の一というところがあります。どちらに価値があるかと言うと、安いほうに価値があります、同じお金でも十倍の価値があります、同じ働きをしていますから。それを世界がひとつに・同じにしたらいいかというと、そうではありません。
給料の高いほうは借金をしているのです、安い所のものを買ったとしたら、十倍の借金を積み重ねたことになります。因縁因果の法則からするとそうなります。日本でたくさんお金もうけして、安いところで物を買って贅沢して得したように思うのですが、違うのです、大きく借金を積み重ねた事になります。それだったら最初から安い給料で働いて、ほどほどに贅沢しないほうがいいのです。
歴史を見てもそうだと思いますが。最初は安い給料で働いて安いものを世界に輸出してドンドン栄えます、でも、人件費が高くなってくると必ずダメになってゆきます。法則的にはそういうふうに自然になってゆきます。
だから、人の幸せのためにと、与える量を殖やすのがいいのです。これは、ただで与えてもいいのです、ただで与えたらただで返って来ます。神さまの世界がそうです、ただで報いを求めないで与え、与え合いによって極楽世界に住むのです。お金にならないから働かないのはもったいない、人の幸せのためだったら小さい事でも何でも、喜んでするのがいいのです。
「命を大切に」という言葉も、浅い意味と深い
-ありがとうございます-
今の時代は命を粗末にしているように思います。
ありがとうございます:
「命を大切に」という言葉も、浅い意味と深い意味の両方があります。本当は神さまの命を頂いてその命を生きています、本当は無限に価値があり無限に尊いものなのです。ところが、浅く捉えると単なる肉体人間という意味で、小さい命を生きているということになります。肉体人間だけだと人生の意味がなくなります、人は何のために生きているのか、百年ぐらいで死んで消えてしまうのだったら、何のために生きたのかわからなくなります。それだったら、早く死んでも同じではないかと思ってしまいます。
命の捉え方が今は浅すぎます。自殺に走る人は特にそうです、人生の目的・何のために生きたらいいのかわからない。早く死ぬほうが幸せではないかと思う人もあります。神さまの永遠の命を頂いて生きているということになったら、本当に無限の価値がある尊厳な尊いものに見えてきます、そうしたら大事にしようとします。
神さまの命を生きている・神さまの命を頂いているというように、そういう思い返しができるようになったら、みんな大事にすると思います。みんな忘れています今まで、それも「ありがとうございます」と感謝する事によって、神さまの命を頂いているとよく実感できるようになってきます。感謝がもっと深まったら、命の尊厳も良くわかって、本当の命・神さまの命を大事にしようとします。
人生の目的が何かというのは一番大事な問題
-ありがとうございます-
生まれてきた目的は何ですか?
ありがとうございます:
人生の目的が何かというのは一番大事な問題です。本当の自分は、肉体の自分でも魂の自分でもありません、もうひとつ奥に神さまと一体の自分があります。神さまと一体の自分に戻らないと、本当の意味の正しい自分のあり方もわかりません、人生の目的も定まらないのです。
神さまが人をこの世に送り出してくる目的は、大きい深い意味があります。まず、神さま自身が無限創造の願いを持って宇宙を創造します、それは喜びそのものです。一瞬一瞬新しい宇宙を生み出し、その表現を生み出す事に喜びを見出し、それを味わう事に深い喜びを感じています。人はその分かれ、分身です。一人一人違う味わい方をしてくださいます。
神さまは人の自由を絶対に縛りません、無限の人がいたら無限の味わい方をしてくれて、それが全部神さまの大きい喜びに変わります。だから神さまにとったら人はとても大事です。無限の無限の価値があります。
神さまは一瞬一瞬新しいすべてのものを生み出して、それを一人一人に全部与えてきます。それを感謝の心で全部受けるのが本当の自分です。一瞬一瞬に全部を受け直すのが本当の自分です。その自由自在な自分が、神さまから、無限の無限のチャンネルの放送番組という、運命の番組を与えてもらいます。それを「自由に楽しんでいらっしゃい」と送り出してくれるのです。いろんな番組をそれぞれ自由に楽しんでくる過程で、下へ下へ番組を降ろしてくれるのです。
最初は、最高の姿を知っている自分にとったら、遠い番組を見てみたい・楽しみたいのです。だから、低い番組へドンドン近づいていきます。地獄番組までゆく人もあるし、その手前で止まる人もあります。出来たら地獄番組までは一回は行ってみたい。そういう低い体験を積む事で謙虚にもなり、マイナスを知る事でプラスの本当の価値を見出していけます。一旦はいろんな番組を味わって、最後に最高番組を味わって、永遠に幸せに生きるのです。
肉体の自分、魂の自分というのは、それぞれひとつの番組の中の役割としての姿です。だから、番組を抜け出した本当の自分をしっかり自覚するのが大事です。それは、感謝する事によって自覚が深まってきます。そして、自由自在に番組選びをしてゆくというのも大事になってきます。
いい番組も悪い番組も全部自由に味わえるのです、それも一番下からすべての番組を自由に味わえるという自分になるというのが一番いいのです、一番謙虚な自分がすべての番組に本当の価値を見出してゆけます。上だけだと下の番組はマイナスに見えて全部価値がなくなります。
一旦は下の番組を味わっておくと、そこから上の番組は全部に無限の価値が見出せます。ひとつひとつの番組の運命のストーリーの中から、プラスを・幸せを発見してゆきます、それがドンドン大きく深くなります。
あくまでもみんな、幸せを大きく深くしてゆくための仕組みになっています。大きい幸せをしっかり掴む事が人生の目的です。みんなその過程に置かれています、必ず幸せが大きく深くなるように仕組まれています。気持ちがマイナスに向いている時は、一時期に幸せが小さくなるように見えるのですが、それはその部分だけを見るからそう感じるのです。大きい立場から見ると、更に大きい幸せを感じるために必要な勉強になります、それを通過しないと更に大きい幸せを味わえないという意味で必要なのです。
時代時代に地球はいろんな姿をとり続けてい
-ありがとうございます-
アトランティス、ムー大陸は一瞬にしてなくなってしまいました。現在のこの地球はどうなるのでしょうか?
ありがとうございます:
時代時代に地球はいろんな姿をとり続けています。この世はあの世の縮図で、何を選ぶかという勉強の場になっています。あの世は自分に波の合う世界だけが広がりますが、この世は全部の波がそろっています。だから地獄から極楽まで、この世的なものは全部そろいます。この世はあの世から見ると勉強の学校みたいなものです、同じ人がこの世にずうっと続けて入学するのではないのです、競争率が高くて何回もは、この世に生まれて来られません。昔、ムー大陸に生まれた人は今この世には生まれて来られません、時代時代にいろんな人が選ばれてこの世に勉強しに来ます。だから同じ体験を繰り返しているのでは有りません。
あの世の人口は無限に無限に大きいのです、この世は無限の中のひとつですから、人口は無限分の一になります。だから全部は生まれてこられません、代表的に生まれてきます。無限の無限のチャンネルの番組の中ではいろんなストーリーがあります、同じ所に生まれたという体験の人もあります、同じ所に生まれていないという人のほうが無限に多いのです。
この世の人はあの世の人の代表として生まれてきます、生まれて来られない人は、この世の人のいろんな体験を通じて学んでいきます。だから同じことを繰り返しているようでも、無駄な体験はひとつもありません、同じ人が同じことを絶対に繰り返しません、必ず違う体験をさせてもらうようになっています。神さまは同じ事を繰り返すような無駄な事は絶対にしません。必ず新しい善い体験をするように、神さまは仕組んでくださっています、神さまのしている事に間違いはありません。
宇宙には同じものはひとつもありません。水素原子一個とってみても同じ水素原子はありません、みんな顔が違い、働きが違います。また、時代の流れの中で同じ事は絶対に繰り返しません。同じことを繰り返さない、これは宇宙の創造の神さまの鉄則です。それがわからないのは人がボーっとしているだけです。猿の顔を見たらみんな同じ顔に見えるでしょう?時代の流れを見て同じ移り変わりに見えるのも、漠然と見るからです、細かい所まで気が付かないだけです。四季の変化を見ても、同じことが起こっているように見えるかもしれません、でも細かい所まで全部を点検してみたら全部が違います。絶対に同じことは繰り返しません、そこが神業なのです。
必要な体験をいつもさせていただくようになっています、神さまの御心の本当の意味をわかれば納得がいくと思います。納得するのは理屈ではないのです、自分勝手な思い込みでもありません、感謝する事によって神さまと一体化すればいいのです。「ありがとうございます」と神さまの心の中に溶け込めば、本当の意味の神さまの心がわかってきます。そうしたら、一切の無駄、一切のマイナスはないというのがわかってきます。だから、「ありがとうございます」と溶け込むのが最後の仕上げになります。神さまと一体化すればいいのです、そして中からわからせてもらうようになってきます。
本当の神さまと言葉とは違います。言葉はあ
-ありがとうございます-
神さまとは何なのですか?
ありがとうございます:
本当の神さまと言葉とは違います。言葉はあくまでも神さまを指し示そうとしています、指です。世界の宗教の教えの違いは指の違いです、綺麗な指も汚い指もあります。神さまを指し示そうとしているのですが、指と神さまは違います。
神さまを実感・体験した人は本物を掴みます、でも、指に囚われた人はまだ指に留まってしまいます。どんな教えもその教えに縛られたら、教えの奴隷になってしまい、指に留まってしまいます、神さまへは飛び込めません。教えが指し示そうとしているものは何かと、教えを飛び越えなければいけません。その実体を掴もうとするのが本物の信仰のあり方です。
本当の神さまのあり方を捉えるのは古神道です。他のいろんな教えは指に囚われすぎています。聖書の教えは、神さまとか神さまの働きを指し示そうとしている言葉です。本物を指し示すことは難しいのです、(本物の)言葉の定義の仕方から難しい。何を指し示そうとしているのかと、解釈を正しく施さないといけません。
蛇に騙されて木の実を食べて楽園から追放されて、というこの意味でも、この蛇は何を指しているかでしょう。動物の蛇ではありません、蛇という象徴的な波動です、この世も波動で出来ています。物質波動に囚われて現実を掴んでしまうと、神さまを見失います。現実を掴みすぎて、執着しすぎて、現実しかないと思い込んだら、蛇に騙された事になります。
知恵の木の実は、この世のいろんな知識に囚われすぎています。知識は、本当は知恵とは違います、知恵の木の実というのは知識の方です。
言葉の使い方がピンからキリまであります。正しい言葉の使い方をして、言葉の定義を正しく施して、本当の神さまへ心を向けさせるというのが教えには必要です。それでも教えに囚われたら本物を見失います、やっぱり本物の神さまを中心に置かないといけない。過去の教えは完璧ではありません、もっともっといい教えが出てこないといけません、もっと行き届いたみんなが理解しやすい教えが。みんな教えに縛られて、間違った解釈をしすぎて、それに縛られすぎています。
教えはみんな偽物です。人の使う言葉どおりの番組が全部用意されています。どんな言葉を使ってもその番組が用意されています。だからどんな番組も現実に引き出されてきます、マイナスの言葉を使ったら、マイナスの番組が引き出されてきます。目には目を歯には歯をと言ったら、現実にそれが出てきます。エホバ神も法則の神として捉えて、裁きの神として捉えたら厳しい裁きが生まれてきます。それだったら、イエスの愛と許しの教えをしっかり受け入れた方がいいのです。聖書の中の全部が正しいのではありません。ピンからキリまで混ざっています、その中からいいものを選んでしっかり捉えたら、番組を善い番組として引き出せます。世界の色んな教えも、自分が、これが一番良いと納得したものを選ぶのが大事なのです。
-ありがとうございます-
同じ現実の世界に住みながら、人それぞれに違った番組を見ているというのはどういうことですか?
ありがとうございます:
この世はいろんな人が、それぞれに番組合わせをして、いろんな番組をこの世に一緒に引き出しています。いろんな番組の姿が混在しています、みんながひとつずつテレビを持っていると思えばいいのです。
いろんな番組を合わせて総合して現れてきます、マイナスの番組を引き出した人はマイナスを撒き散らしています。でも、プラスの番組もあります、皆が悲惨な姿をとってはいません。
全体を見て、自分たちに何が必要かと勉強する場ですから、マイナスが嫌だったらプラスを選んで、プラスの言葉を使ってプラスの番組を引き出せばいいのです。その勉強をこの世の人は時間を限ってさせてもらいます、あの世へ行った時には、いい番組だけに波長を合わせて味わっていくための勉強です。この世に生まれてきた人は、選ぶための勉強をしています。少しでもプラスを選んで、プラスの番組を引き出す練習なのです。
あの世の人は番組選びが出来ません。自分に合ったものを見続けますから、あの世で番組を変えるのは厳しいのです。マイナスに落ち込んだ人はドンドンマイナスになっていくし、プラスの人はプラスが殖えます。マイナスの心を持っている人にとったら、あの世は大変です。チャンネルがピタッと合います、自分がお金儲けをしたいとしたら、自分の世界・周りの人はそういう人ばっかり集まります。ボランティアの人なんか一人もいません。だから、それだけがすべてだったら心が変わらないのです、いつも心にそれが焼き付いてきます。別な心に変えるのは難しいのです。
この世は周りに参考になるものがたくさん有って、どれでも選んでゆけます。だから勉強のためには、この世が一番幸せな場所です。善いものを選んでゆけるようになったら、そしてそれを受けるお祈りが出来るようになったら、最高になります。
-ありがとうございます-
肉体は、触って、触れてみて、味わうためにあるのですか。
ありがとうございます:
それも大事です。
-ありがとうございます-
あの世では、実感が無く変化もなくつまらない、とも言えますか。
ありがとうございます:
あの世でもみんな実感があります、ただ、感じ方は少し違います。
-ありがとうございます-
戦争などマイナス番組を引き出している人を、私たちは、「見る」だけでいいのですか。
ありがとうございます:
心を自由にするのが大事です、だから、どの番組でも選べる自由さが必要です。そうして、今、波長を合わせて番組を、しっかりと味わえばいいのです。
-ありがとうございます-
静かに冷静に見る事が必要だという事ですか。
ありがとうございます:
本当の自分は、神さまと一体で無限の無限の幸せそのもので、番組の中に嵌り込んではいません。
-ありがとうございます-
私から見たら、そういう人たち(マイナスの姿を現している人)は、私たちに何かを気付かせる為の犠牲者とも言えるのですか。
ありがとうございます:
その番組を観て、どういうふうにプラスに見てゆくのかという勉強には成ります。どういうマイナスの番組を観ても、その中から何かプラスを、幸せを、喜びを発見しなければならないのです、宝探しをするのです。
高い番組は、ダイヤモンドばかりという世界に、初めからいたのでは味気ないのです。低い番組だったら、一個のダイヤモンドを探すのに、大きいゴミの山の中にひとつだけ有るのです。その一個を探すのに、ゴミの山をかき分けて長年かかって一個を探し出し、その一個のダイヤモンドには価値があります。
そういう体験を積んで、高い番組のダイヤモンド一杯のところへゆけば、一個のダイヤモンドに無限の無限の価値があると判ります。だから、低い番組は宝探しの場所です。
私は何も要りません、先生も要らないし
-ありがとうございます-
先生というのではなくて、ありがとうおじさんと呼んだ方がいいのですか。
ありがとうございます:
私は何も要りません、先生も要らないし、ありがとうおじさんも要りません、省いて貰って結構です。
地獄番組の全部がわかります、ただその中に
-ありがとうございます-
地獄番組のご体験はありますか?
ありがとうございます:
地獄番組の全部がわかります、ただその中にはまり込むかは別にして、いつも見ています。地獄番組にはまり込んで苦しんでいる人を救う時は、その中に入って救い上げないといけないのです。そういう時はそういう働きをします、身代わりにマイナスを背負って、お祈りをして消します。そして高い番組へ引き上げていきます。いつも地獄番組を見ていないと、人助けも出来ませんし謙虚にもなれません。
-ありがとうございます-
寝ているとき以外は、唱え続けているのですか。
ありがとうございます:
寝ているときは少ないですし、寝ているときも意識があって、唱えています。
-ありがとうございます-
勉強をなさる時間がないと思うのですが、お祈りをしているときに見える・判るのですか。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」を唱えながら、勉強でも、何もかも出来るのです。だから、本を読むのも速いのです、何万冊と若い頃に読みました、速読です。必要なところだけしか見ません、ページをめくると必要なところが出てきます、更に省略されます。神さまが必要なものを与えてくれるのであれば、必要なものを判るようにして下さるのです。
古神道の「古」は古いという意味ではありません
-ありがとうございます-
古神道の話を聞かせてください
ありがとうございます:
古神道の「古」は古いという意味ではありません。「古」という字は「十字」と下に「口」なのですが、口は言葉です、言葉を超えて縦横無尽に働くという意味で古神道は「古」なのです。本当の神さまの働きは言葉を超えて、超越して、縦横無尽に働いている姿です。
だから、教えに縛られている時はまだ、本当の神さまの働きがわかりません。教えを超越してしまって、本当の神さまの働きだけを認めるのが古神道です。だから、古神道には教えはありません。看板を立てて、これが古神道と表号すると古神道でなくなります。自分は古神道を信仰していると言った時にはもう、古神道を信仰していません。
本当の古神道からすべてが生まれます。いろんな教え、すべての宗教の教えも、科学も芸術もありとあらゆる分野は古神道から生まれています。本当の神さまの働きから生まれています。古神道は囚われが全然ありません、神さまの働きだけをしっかり受けてゆくというゆきかたです。自由自在で縛りが一切ありません、それも新たに新たにという受け直しなので、過去への縛りも一切ありません。だから宗教だけには囚われません、科学的にも芸術的にもすべてを把握してしまいます。
-ありがとうございます-
古神道の勉強方法を教えてください。
ありがとうございます:
一番いいのは感謝行です、感謝して神さまをしっかり感じる事によって本物をわからせてもらいます。宗教の教えを学んでも、感謝している中から本物を見出せます。教えから入っていくと囚われて縛られて、どれが正しいかわからなくなります。でも、感謝から入ると、どの教えを読んでもこれが正しい意味だとわかってきます。外から学ぶのではなく、中からわかった自分が出てきて、この教えはこれを説こうとしているというのが見抜けるようになります。そうするとすべての教えがわかってきます。感謝から入るのがいいのです、神さまから、中から、教えてもらうというのが大事です。
言葉の縛りというのはある意味では怖いのです
-ありがとうございます-
玄米でなければだめ、保存料・着色料はだめ、農薬はだめ、そんなこだわりは少なくなってきましたが、食べ物をどのように食べればいいのでしょうか?
ありがとうございます:
言葉の縛りというのはある意味では怖いのです、みんな言葉に縛られてしまっています。言葉を縛りに使うのではなく、自分を自由自在に開放する方へ使えばいいのです。だからまず「何を食べても大丈夫」だと、地球人なら地球の何を食べても大丈夫です。
これを日本人なら、日本のものでないといけないと限定します、小さく限定してしまいます。ある地域に住む人だったら、その地域のものしか食べられなくなります、ますます自分を小さく縛ります。そういうことは言葉の縛りになっているだけです。地球人なら地球にあるものは何を食べても大丈夫!宇宙人なら宇宙のどこから取ってきても大丈夫!
みんな言葉の縛りです。農薬を使っているとか囚われてくると、農薬のかかったものを食べられなくなります。でも、自分の食膳に上がるものは全部が神さまからの頂き物だと思えば、自分の前に現れるものは全部がいいものばかりになります。「ありがとうございます」と感謝しながら、必要なものを与えてもらって、何を食べても大丈夫というのがいいのです。
神さまは、大きい働きをさせて終わらせたい、と
-ありがとうございます-
いろんな死に方がありますが、神さまが望む死に方とはどんなものですか?
ありがとうございます:
神さまは、大きい働きをさせて終わらせたい、というのが望みです。キリストのように、十字架にかかって、人類のマイナスを背負って消す働きをして、あの世へ戻っていくというのもいいのです。老子のように屍解仙(しげせん)というのですが、役行者さんもそうですが、肉体を煙のように消してあの世へいってしまうのもいいのです。それも自由自在に。
この世の人にとったら、あの世へ借金を持ち越さないほうがいいのです。そういう意味だったら、病気をして痛みで苦しんである程度の借金返しを済ませて、あの世へいったほうがいい番組へ戻ってきます。
どんなマイナスもマイナスになりません。この世での大きい借金返し、またみんなのための借金返しもあります、そうするとみんなも幸せになっていけるという意味で、マイナスを全部大きいプラスの働きと見ていくのが大事なのです。
日本という「日の本の国」という意味も、言葉の
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」という言葉が、日本にあることの意味と役割を教えてください
ありがとうございます:
日本という「日の本の国」という意味も、言葉の意味からも、神さまの根源から中心として出発しています。そこから世界に広がるという意味で、日本が変われば世界が変わるという大きい意味があります。
また、日本列島が世界の大陸の縮図のように、相似形の姿をとっています。また、日本には世界の文化が全部入ってきます、全部入ってきてそれを吸収してしまう形で、溶け入ってひとつになります。外国はばらばらで偏ります、そういう意味では日本が世界を調和させる働きをします。調和というのは、神さまの御心を大きく現す働きです、本物を現し、本物を発信していく働きです。
何回もいろんな国に生まれ変わっていると思いますが、日本人というのは、いろんな体験を済ませて、最後の仕上げをする人が日本民族に生まれてきて、命の兄弟という意味では、兄とか姉という形で、世界を良くする働きを率先してさせていただく役割です。上下関係ではなく役割として、日本人がまず責任を持って世界を良くしてゆく使命が与えられているのです。有り難い事ですし、役割が大きいという事は、責任も重たいという事です。
-ありがとうございます-
日本の中にも色んな人がいます、それは、勉強の機会として、そういう人たちが集まっているのですか。
ありがとうございます:
世界に現れる前に、日本で色んな事<