真祈り文庫
2001年11月24日 No.3
ひとつでも素晴らしいですが、二つある
-ありがとうございます-
「無限の無限の」と、二回続ける意味は?
ありがとうございます:
ひとつでも素晴らしいのですが、二つある方がもっと素晴らしいのです。今の自分を幸せと捉える場合、無限の幸せと捉えます。今の自分を時間的に言うと無限の時間の一点にいますが、過去現在未来全部の無限の時間に、それぞれ自分を置いたとしたら、無限の無限のと二回使わないと時間的に足りないのです。
次元的に神さまが、無限の無限の番組を用意してくれて、そのすべての番組に自分が出演しているとして、それぞれの番組の中の自分が、一人一人無限の無限の幸せを掴むのです。無限の番組とあったら、もうひとつ無限のを付ける必要があります。
宇宙は入れ子構造になっています。今見ている宇宙はもっと大きい宇宙の部分的な中に含まれていて、それが無限に広がります。今この宇宙に居る自分が無限の幸せ掴んだとしても、他に無限の宇宙があるから無限の無限のになります。
まだあります。他の無限の人が宇宙に居ます。自分一人の無限の幸せと、無限の人の幸せを全部自分の幸せにしたら、無限の無限のと大きくなります。これが人だけではなく、色んな神さま、動物、植物、鉱物の幸せを自分の幸せにしたら、どうしても無限の無限のになります。
まだあります。幸せは顔がひとつではないのです。質的、量的、深さにおいても無限に無限に変化し、同じ幸せの顔がずうっと続く訳ではないのです。一瞬一瞬変化し続けています。今無限の幸せと味わっても、次に別な新しい幸せが出て来ます、それが大きさで言っても無限に大きくなり、深さも無限に深くなります。質的に見ても質が無限に高くなります。それを、全部ひっくるめと幸せ自体も無限の無限の幸せとなります。
まだあります。幸せは神さまの徳性でダイヤモンド・カットの一面に当たります。そして色んな徳性によって全面にカットが付きます。そのカットの付き方が全部違います。幸せが前面にきますが、後のカットの作り方によってすべて変わってきます、無限の変化が・バックが変わります。幸せだけなら小さく見えますが、その幸せを浮き上がらせるバックがもうひとつ凄いのです、無限の変化があるのです。例えば、何かを額に入れて飾る場合でも、額が凄かったら凄く見えます。その意味でもうひとつ無限のが付きます。
絶対はすべてを生み出す元です。そこから物凄い無限の無限の無限のあられが降って来ます。何所までも無限が押し寄せて来ます。幸せのひとつの徳性を見ただけで、そこまで凄いものがあります。それで無限の無限のを付けるのです。
宇宙の大神さまのすべての働きを指し示します
-ありがとうございます-
「ありがとう」と「ありがとうございます」の違いは?「ありがとう」と唱えていてもいいですか?
ありがとうございます:
「ありがとう」は軽く小さいのです。「ありがとう」を繰り返していると必ず「ありがとうございます」に変化すると思います。「ありがとうございます」で宇宙の大神さまのすべての働きを指し示し、神さまの全体像を指し示します。本当の神さまの究極の名前です。
無限に無限に大きい神さまの助けを受けたり、大きいプレゼントを受けたりすると、必然的に「ありがとうございます」になります。子供さんに「ありがとう」と言うのは、ほんのちょっとだけプラスを感じてお礼を言っています。人に「ありがとうございます」と言うのも、小さいプレゼントにプラスを感じて言うぐらいです。本当は、神さま相手に無限の無限のプラスを受けて、「ありがとうございます」と自然に謙虚な心でお礼が湧き上がるようになります。自然に「ありがとうございます」になります。それは自然に任せていいのです。
「ありがとうございます」は、神さまの無限の
-ありがとうございます-
軽く「ありがとうございます」と唱えるより、無限の無限の気持ちが入った深い「ありがとうございます」にしたいのですが。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」は、神さまの無限の無限の輝きがいっぱい、というひとつの姿を指しています。それはひとつの大光体という感じの捉え方です、それが奥に無限に無限に続き、またさらに小さい方へ無限に無限に続く入れ子構造になっています。
同じように、「ありがとうございます」の中に、無限の無限の「ありがとうございます」を持っています。その「ありがとうございます」を無限に無限に大きく包容する「ありがとうございます」が、もうひとつ上にまたあります。さらに大きい「ありがとうございます」を無限に無限に集めた、もうひとつ大きい「ありがとうございます」があります。
本当は一言の「ありがとうございます」の中に、無限の無限の「ありがとうございます」が無限に無限にあります。まだその実感が湧いて来ないだけです。「ありがとうございます」を唱えた数が少ないだけです。回数が増えてくると自然に確認、気付きが増えます。そして自然に感謝の心が湧き上がります。この一言に既に無限のありがとうございますが含まれているとか、無限の無限のありがとうございますが含まれているという、実感が出てくるのです。自分一人の「ありがとうございます」だけでは無く、みんなが唱えている「ありがとうございます」も自分のものと感じてきます。
色んな意味のありがとうございますが、自分の一言のありがとうございますの中に、大きく包容されているように感じられてきます、そうすると中身は大きく深くなってくるのです。最初は感謝一筋の自分に戻る為の練習です、直ぐにすべて判ってしまったら、あまりにも勿体ないのです。段階を追って順番にしっかりと確認して、最後の大きいものを掴むのです。自然に唱えているうちに変化してゆきますから、自由自在で良いのです。
回数が何億回になって来ますと、色んなテクニ
-ありがとうございます-
感謝の心が中々湧き上がりません。
ありがとうございます:
回数が何億回になって来ますと、色んなテクニックが身に付きます。だからどんな事でもプラスに見えるようになってきます、病気になっても「ありがとうございます」、地獄に落ちても「ありがとうございます」、何があっても「ありがとうございます」なのですが、これでもまだ浅いくらいです。本当は無限の無限の大きいプラスをいっぱい与え続けて下さって「ありがとうございます」を感じた方が大きいのです。それでもまだまだ足りません。
私は今七つ項目を言葉にして、感謝を深める練習をしています。
いつもいつも大難を無難にし、無限の無限のマイナスを免除して下さって、
ありがとうございます
いつもいつも無限の無限のプラスを、新たな全徳の無限の無限の輝きを与え続けて下さって、
ありがとうございます
いつもいつも無限の無限の感謝の心を湧き上がらせて下さって、
ありがとうございます
いつもいつも無限の無限のプラスを、神さまの最高表現を感受させて下さって、
ありがとうございます
いつもいつも無限の無限の感謝の真祈りを祈らせて下さって、
ありがとうございます
いつもいつも無限の無限の神さまの最高のお手伝いをさせて下さって、
ありがとうございます
いつもいつも無限の無限の神さまとの一体感を実感させて下さって、
ありがとうございます
この七つを、しっかり感じ取るようにして、感謝の言葉を捧げようとしているのです。
「無限の無限のありがとうございます」と感謝を捧げてもまだまだ足りません。素晴らしいものを与えられ過ぎて、追い付きません。神さまから与えられている大きい実感の方が、もっともっと凄いのです。「無限の無限の輝きが無限に無限にいっぱい」の感じで、どーっと押し寄せて来ます。それに対して感謝のお礼が追い付きません。余りにも大き過ぎて申し訳ない、かたじけない、勿体ないです。プラスに感じることが一番必要なのです。
-ありがとうございます-
どうしてもマイナスの方に考え易いです。
ありがとうございます:
自分が何を必要として、神さまから何を受けようとしているかが大事です。神さまから受けたものに対して「ありがとうございます」でお礼の感謝が湧き上がります。
例えば、病気をしている人が、病気を治して貰ったら「ありがとうございます」と言えます。何を受けるかは、自分の使う言葉によってしっかりと方向付けして決める必要があります。悟りを開いて感謝出来るのなら、既に悟らせて貰って「ありがとうございます」です。それで「ありがとうございます」です。実感が出て来たら深い感謝が湧き出て来ます。
今の自分にとって何が一番必要で、神さまから何を受けさせて貰うのか、自分で選んで決める必要があります。それを言葉にして「ありがとうございます」を唱えていると、その実感が湧いて来て感謝が深くなります。そんな練習を続けるのは大事です。感謝の意味が深く判って来ます。少しだけでは少しだけしか感謝が湧き上がりません、そこまでお礼する必要ないになります。だから、沢山お礼を・感謝をしたい人はいっぱい神さまからプレゼントを受けないといけません。
今私が七つあげたけど、もっといっぱい貰った方がいいのです。そんな工夫、練習は大事です。それで自然に感謝が湧き上がります。
色んな疑問、納得出来ない点がいっぱい出て来
-ありがとうございます-
生きる本当の意味は?
ありがとうございます:
色んな疑問、納得出来ない点がいっぱい出て来ます。これは自分が本当に気付いて納得するのです、人からの言葉で納得するのでは無いのです。気付く自分が出て来て納得するのです。
だから「ありがとうございます」と唱える事によって、神さまがすうっと自分の中に入って来ます。その神さまの心が自分の心に移って来た時、すべてが判る、すべてが納得出来る自分になっています。どれだけ神さまの心が自分の中に入ってくるかなのです、しっかり「ありがとうございます」を唱えた人は、神さまをしっかり呼んだ事になり、何回も何回も繰り返し神さまは入ってきてくれます。そうすると、過去の古いマイナスの思いをいっぱい消して、神さまの心が輝く状態で入って来たら、気付きがいっぱい増えて来ます。人の言葉を聞いても、そこから神さまの響きを感じて自然に納得します。
だから「ありがとうございます」を唱え続けないと、人がこう言っているとしか判りません、気付かないのです。気付く為には「ありがとうございます」の繰り返しの積み重ねが大事です。その上で、必要だったら神さまが、色んな所から必要な言葉を与えてくれているのです。ここへこられても、気付く人は気付き、気付かない人は気付きません。ただ、「ありがとうございます」を唱え続けているかぎり、自分にとって一番必要な気付きを与えて貰えます。
人の本当の姿とは何か?本当の自分とは何か?これが根本です。本当の人生とは何か?この世に何の為に生まれ、何の為に生かされているのか?これも浅い答えから深い答えまで無限にあります。浅い自分では、浅い状態の答えで満足してそれで終わります、でも、深い自分が出てきたら、浅い答えでは満足できなくなるのです、深い気付きを与えて貰って満足してゆくのです。それでもまだ、もっと奥が奥があるかもしれません。
本当の自分は神さまと一体の自分です、神さまと切り離された自分は存在出来ません。先ず、神さまから一瞬一瞬すべてを受け直している自分が有ります、神さまと絶対に切り離せない自分、神さまそのものの自分が先ずあるのです。その自分が、無限に無限に輝いた永遠不滅の自分が、根本にあります。この自分が納得しない限り本当の解決は無いのです。この世だけの自分では納得出来ません、永遠不滅の自分でないと納得出来ません。また、本当の無限の無限の幸せでないと、小さい幸せでは納得できないのです。
人生の目的も、小さい目的では納得出来ません、本当の目的は何かというふうになってきます。神さまの心とひとつに繋がって、神さまの心を理解して、それを受け入れた状態で本当に納得出来ます。
神さまがこの世に人を生み出した目的は、先ず、最初に神さまと一体の本体の自分を生み出しています。一人一人は神さまの分身です、神さまの代わりに生かされています。そして、一人一人はどんな生き方をするのかです。先ず、神さまは無限の無限の番組を用意しいて、一瞬一瞬新たに番組を作り上げて、みんなに与えてくれます。自由自在にみんな好き勝手に選びます。その選び方は無限の人が居たら無限の選び方があり、同じ選び方は絶対にしません。
だから、神さまは、一人の人で良いというのではないのです、無限の人を自分の分身として使って、無限の無限の番組を自由に選ばせて、味あわせているのです。神さまがそれだけの大きい幸せを味わおうとしているのです。だから自分も神さまの御心のままに自由な心で、無限の無限の番組の中から、色んな番組を選んでしっかりと味わって、ひとつひとつの番組から何かプラスを発見し幸せを見出して、価値あるものに変えてゆく練習をしているのです。
最後に最高表現を、いかに素晴らしい状態として価値あるものとして味わえるかです。そこまでゆくように、神さまから役割として与えられて導かれています。だからある程度低い番組を体験しないと、一番高い番組でも価値が無いのです。何時もプラスに慣れ過ぎたら当たり前になります。
ご馳走を毎日満腹の状態で頂いても、味気ないのです。逆にお腹いっぱいと不平不満を言い出します。だから、時々は断食してでもお腹空かせてでも、ひもじい思いをした方がいいのです。それで本当のご馳走が無限に価値あるものになります。
マイナスの体験は大事です。マイナスの体験を積み重ねることで、本当に謙虚な心になって最高番組を味わえる自分になってゆくことが、本当の人生の目的です。それが大きい幸せになります。神さまの御心は一人一人の人が、本当に無限の無限の幸せを実感して欲しいのです。それで神さまの幸せが大きくなってゆきます。そういう生き方が出来た時に本当に納得出来ます。
小さい生き方の中で、答えを見出そうとしても無理です。まず奥に本体の大きい自分が居ますから、絶対に納得してくれません。だから出来るだけ大きく大きく、無限の価値を見出すような生き方をとれば、段々と差が無くなって納得出来るようになります。
断食はしない方がいいのです、私は頑固で変
-ありがとうございます-
先生は一ヶ月の内三週間断食なさったそうですが、断食の仕方は?
ありがとうございます:
断食はしない方がいいのです、私は頑固で変わり者で、へそ曲がりです。本当は断食して神さまの愛を拒絶するのは良くありません。忙しくて食べる時間がない時は、少しはいいと思います、寝食忘れて一生懸命するのはいい事です。でも、極端に断食しなければは無いのです。出来るだけ自然に感謝して、神さまからの愛のプレゼントを、しっかり受ける方がいいのです。
-ありがとうございます-
肉食についてどう思われますか? 狂牛病をどう思われます?
ありがとうございます:
気持ちひとつだと思います。美味しいから動物を殺して食べるというのは、余り感心した生き方ではありません。でも、動物が命を捧げてくれて、立派な行いをして欲しいと神さまのお役に立って欲しいと、捧げてくれた物は感謝して受けるのはいいのです。
そして食べられた動物が大きく進化します。みんな早く進化したい、早く立派になりたいと言う願いがあります。でも、食べ物としては、必ず動物を食べる必要はないのです。もし捧げられた時は感謝して食べてもいいのです。
色んな問題が出て来るのは、間違った生き方を改める意味で、気付きを与える意味であるのかも知れません。ただ、人間の使う言葉が一番大事なのです、狂牛病という言葉を使うとそんな番組を引っ張り出して仕舞います。マイナスが殖えて、その一言で世の中がマイナスに大きく傾きます。それが何処から出てきたかと考えたら、後でポッと出てきています。そう考えたら、いつ何処から出てくるか判りません、どれだけ検査をしても判りません。突然に健康な牛からポッとそういう牛が出てきたら、どれだけ用心しても無理です。
運命的にマイナスに傾いている時だったら、マイナスばかりを選んで食べて仕舞うかも知れません。だから初めから私の食べる物は、神さまからの光のプレゼントで、神さまの命を頂いていると思えば、何を食べても大丈夫です。絶対に間違ったものは自分の食膳には昇らないと、そういう事で心配しなくなります、感謝して受ける限りは、いいものばかりを与えて貰えます。だから、心配しなくて済みます。
「ありがとうございます」は昔からあります
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を唱え始めた理由は?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」は昔からありますし、人それぞれ捉え方があると思います。私は小さい時に色々苦労させて貰ったからだと思います。
-ありがとうございます-
今お顔を拝見させて頂くと、苦労したようには全然見えません。
ありがとうございます:
苦労が大きいほど感謝が深くなり、どんな苦労も平気になります。苦労が逆に大きい幸せに変化します、それも感謝の力です。私は三歳ぐらいから、毎日「ありがとうございます」と神棚の前に座って、朝晩一時間感謝していました。人に言われてでは無く、本当に自然にです。
小学校に上がった時ぐらいから、神さまから指令があって、耐乏生活を与えて貰いました。六人家族でしたが、家も家財道具も全部無くした着た切り雀の状態で出発しました。それも、親戚や頼る所があったら如何しても頼ります。人への頼る心を起こさないように一切の信用まで奪っておいて、これから耐乏生活に入りなさいという感じでした。
最初は、六畳のトタン張りの物置を借りてそこで生活しました。雨は漏るし、雪は降り込むのです。布団が無いから藁布団を敷くではなく被るのです。着るものも着替えが有りませんでした。仕事をさせて貰えなかったから、食べ物もありません、食べ物は近所の畑の野菜くずを拾って来て水炊きで食べていました。都会の中だから薪が無いので探すのが大変でした、色んな木屑を探しては薪にして、野菜を水炊きにして食べていました。味付けなしです、調味料が買えません。
必要なお金が払えません。小学校に行っていても、PTAの会費、給食代とか要るのだけど絶対払えないのです、給食なんか食べられません。その当時は、教科書代はタダでなかったのですが、神さまから見てもそれは必要だったので、教科書は与えて貰いました。教科書代ピッタリの金額が、教科書代を払う期日直前に入りました。もし前日なら食べ物に変わります。
そこまで神さまが示し続け、それが十数年続くのです。一、二年では身に付かないみたいです、神さまはしつこいです。神さまは、初めは二、三年と励まします。もう一年、もう一年と十年越えるのです。
それが感謝を深める大きい助けになっています。何が何でも有り難いのです、何も食べられないでも、水を飲めるだけで有り難いと思えます。どんな服を着ても有り難いです。手袋なんてありません、そして素足に拾って来た破れたズック靴を履いていました。学校で使う鉛筆は買えません、捨てられた鉛筆を拾って来て、竹の棒で長くして使っていました。ノートも絶対買えません。
-ありがとうございます-
いじめられた事は無いですか?
ありがとうございます:
私は全然苛められませんでした。その時代も相当世の中荒れていたから、色んな苛めもあったと思います。私の場合はどんな不良グループが居ても、私が通ったらさっと逃げていました。びっくりするぐらいです、絡まれる事が全然なかったです。
これは神さまが何時も守っていてくれたからだと思います、普通だったら絡まれると思います。黒板なんか箒を投げて穴だらけでした、不良グループも沢山ありました。苦労すればするほど有り難味が大きく感じられます。
-ありがとうございます-
誰か援助する人は居なかったのですか?
ありがとうございます:
学校の給食を食べなかったのです。それで、友達が給食で食べ残したパンをくれるのですが、それを一回でも食べたら、信念が崩れると思って絶対食べませんでした。
-ありがとうございます-
ご兄弟はそうゆう精神で来られたのですか?
ありがとうございます:
ちょっと違います。みんな私の為の苦労かも知れません。他の兄弟の方はちょっと甘く育てて貰っているかも知れません。それでも神さまが守って、必要なものを与えています。私の場合は、本当に必要なものは何か、神さまが見抜いて的確に必要な苦労を与えてくれて、感謝が深まるように導いてくれ守ってくれました。大きい苦労が本当の意味で、幸せな自分に変えてくれました。それは、後からよく判ります。
「ありがとうございます」と唱え感謝している内に、気付きが与えられ、本当の意味が判って来ました。そして有り難いから「ありがとう」では無く、感謝の祈り・感謝の真祈りに変化してきました。そして、神さまのお手伝いの形で、大きい力を貰えるようになりました。みんな最初はお礼の感謝です、それが、本当の意味の感謝の真祈りに変化すると思います。本当の意味での神さまのお手伝いに変わり、色んな奇跡を起こせる力を与えて貰えると思います。
-ありがとうございます-
小さい時から「ありがとうございます」と唱えていたのですか?
ありがとうございます:
色んな言葉を使っていました。観音さまを信じている時は延命十句観音経を唱えていましたし、色んな神仏の名を唱えました。基本は「ありがとうございます」です、必ず最後に「ありがとうございます」を付けます。
自由は縛れない
-ありがとうございます-
自分自信は感謝する事で凄く幸せなのですが、自分の大切な人が苦しんでいる場合どのようにお祈りをしたらいいのですか?
ありがとうございます:
人には完全な自由が与えられていて、一人一人どの番組を選んでそれを楽しんでもいいようになっています。この世を抜きにして、あの世のチャンネルは全部そうです、自分の選んだ番組をしっかり体験出来るようになっています。その中に嵌り込んだら中々抜けにくいのです。低い番組なら、低い番組に嵌り込んで仕舞います。地獄の番組に嵌り込んだら、何億年以上苦しみ続けるような体験をしますが、それも自由です。永遠の自分から見たら何億年も一瞬に見えます、その苦労が必ず大きく生きて来ます。
そういう意味では、人の自由は絶対に縛れません。マイナスへマイナスへ体験を積み重ねてゆく人も、その人が選んでいます。苦労に苦労を積み重ねて、大きい幸せを早く掴もうとしているのです。この世はあの世の縮図として出て来ているのですから、色んな姿が同時に見えます。マイナスを選ぶ人の生き方、プラスを選ぶ人の生き方、色んな人の生き方が全部回りにあります。「自分は何を選びたいか」という勉強材料として与えて来ます。自分の自由意思で選びたいものを決めるのです、マイナスにゆきたかったらマイナスを選びます。プラスにゆきたかったらプラスを選び、感謝の道に入って来ます。でも、自分と人は別個ですから、人には人の自由があり、絶対縛れません。
-ありがとうございます-
プラスに持ってゆこうと思う事が良くないのですか?
ありがとうございます:
良く無いのです、まず人の自由を縛っています。神さまは人の自由を絶対に縛りません、神さまは守り続けています、何億年でも忍耐強く見守り続けています。本当はプラスへプラスへ導きたいのですが、でも人がもっと苦労してから最高表現を受けて味わいたいと思っているなら、苦労をするのを見守り続けるしか無いのです。
もう大変、もう後が無いという時は、助太刀を出そうと呼んでくれるのを(神さまは)待っていますが、まだ自分が頑張る頑張ると言っている時は、神さまも見守るしか無いのです。人同士も同じです。どんなに回りが早くプラスに向いたらいいのにと思っても、マイナスへ向いている人が、もっと苦労して自分を強くしたい、鍛えたいと思ったら、その邪魔は出来ないのです。中途半端にすると、まだし残しているからと、もう一回戻ってゆきます。一度プラスに行っても、もう一回マイナスに落ちてゆきます。それでは、時間が無駄になります、だから本人が選んで来る必要があります。
-ありがとうございます-
それを見守るしか無いのですか?
ありがとうございます:
そうです。本人が本当にプラスにゆきたいと願い、その方向へ心が向いた時、自分がプラスの方へ向いて力を付けていたら、すっと助太刀が出来ます。その時の為に自分がプラスに向く力を付け準備をしておかなければ成りません。いくら大事な人がプラスに向きたいと思っても、自分がマイナスに向いていたら絶対駄目です、足を引っ張るだけです。
まず自分がプラスへプラスへ向いて力を付けて、助ける時期を待つのです。神さまは何億年も待ちます。人間は何十年ぐらいです。そのぐらいは忍耐強く待って、助ける準備をしなければなりません。
-ありがとうございます-
もし苦しみをクリアー出来ない場合、また来世で同じような構成で同じような体験をする必要がありますか?
ありがとうございます:
またこの世に生まれ変われたら幸せです。本当はあの世から生まれ変わって、この世でプラスの番組を選ぶ練習をしたいのですが、競争率が激しく、何百人に一人生まれるかどうかです。この世で一回終わって生まれ変われなかったら、あの世でもうひとつ厳しい修行に入ります。低い世界だったらお手本が無いので、中々抜けられません、低い姿しか見えなかったら、高い所に心向けるのが難しいのです。自分と同じような生き方の人が集まります。
この世は色んな人の生き方が見せて貰えます。だからこの世の時間は大事です。何を選んでどう自分を持ってゆくか、一分一秒が貴重です。同じ進歩するなら、この世の方が急速に進歩出来ますが、あの世は時間がかかります。
本当は自分が変わるのです。自分を高めるこ
-ありがとうございます-
先祖供養をする場合、ご先祖さまがあの世で修行する助けになるようなお祈りはありますか?
ありがとうございます:
本当は自分が変わるのです。自分を高めることで、縁ある人を高め上げられるのです。自分が変わらずに、あの世の人を立派に変えようとしても通じません。
あの世から自分が代表として生まれて、この世でしっかりといいもの選んで感謝のお祈りをさせて貰うと、自分がまず大きく変化します。それで縁ある人が全部自分と同じようにレベルアップします。何百人の代表で生まれても、縁ある人は何十万と付きっきりです、そして、自分一人の生き方をしっかりと見ています。自分が本当に感謝のお祈りを出来るようになったら、背後の何十万人が、同時にお祈りが出来るようになります。
お経を唱えて、あの世の人を悟らせようとするのは、ちょっと傲慢過ぎます。立派なご先