真祈り文庫
2001年11月23日
No.2
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護摩は元々マイナスを消して貰うためです
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」護摩に来られない方のために、自分の写真の裏に「ありがとうございます」と名前を書いて、それを一緒にお焚き上げ出来ますか?どのような形でさせて頂くのが良いのでしょうか?
ありがとうございます:
護摩は元々マイナスを消して貰うためです、「ありがとうございます」は元々マイナスが無いのです。今までの護摩とちょっと意味が違い、マイナスを消して貰う意味では無く、プラスをいっぱい与えて貰う意味です。感謝は思いでは無いので、思いを込めてするのでは無いのです。今までは、マイナスを消して貰う意味で、思いを込めていたのです。自分の心にある思いを護摩木に擦り付けて、それを燃やすことによって、火の清めの働きを受けて消して頂きます。その意味で思いを込めるのもいいと思います。
感謝の方は、思いではなくて、光が物凄く強くなるのです。大きい光の中へ、自分の光の心を入れることによって益々光輝きます。本当は神さまとの大きい光の交流です、感謝の護摩です。護摩木を使わなくても紙でもいいのです、感謝を込めて神さまと光の交流をさせて頂くのです。すぐに燃え尽きてしまいますが、瞬時にぼっと燃えて大きい光になってしまうという意味だったら、形の燃える燃えないは関係有りません。写真を使わなくてもいいのです、写真を燃やすと抵抗が無いですか? 紙でも半紙でもいいのです。
感謝の護摩は、マイナスを消して貰おうとは考えなくていいのです。神さまとの大きいプラスの交流です。神さまの大きい光を、点火して頂くという感じでも良いのです。厄年は災厄の厄だったら厄を取って貰う意味なのですが、大きいお役を頂くならマイナスが全然ありません。神さまから大きいお役を頂いて光輝くのです。形は自由でいいと思います。
写真は自分の分身の形をとり、分身があちこち
-ありがとうございます-
名簿についてご説明下さい。祈りのネットワークの意味ですか?
ありがとうございます:
写真は自分の分身の形をとり、分身があちこちにあったらその分身を通して、自分が祈ったら分身を通して光が放射されます。ここで大きい光の渦が起こって、また、皆さんの所へ戻ってゆき、光の交流が起こります。
別にここが中心ではありません、神さまが中心です。それぞれが神さまから光をいっぱい頂いて、その光がお互いにみんな交流し合って、素晴らしい光の彩模様が生まれます。本当の中心は常に、皆さんの心の奥の方にあり、一番心の奥底に本当の神さまがいらっしゃいます。そこから神さまの光が、一人一人に応じた個性ある光を放ちます、個性ある光が大事です。一人一人の個性ある光が出て来て初めて、その光が交流されると色んな色の彩模様が生まれます。それが本当の調和の光を放つと言うのです。
この世をより良く変えて行く為にも、お互いの光の交流は大事です。そういう表面的に言うと、祈りの会のネットワーク、助け合いが起こります。本当は皆さんの所に「みんな」の写真を置けばいいのです。みんなの写真預かってみんなで一緒にお祈りをしていいのです。そんな形で光のネットワークが広がれば、益々光りの彩模様が素晴らしい状態の姿で出て来ます。
御陵の所を、尾根を辿ると磐石の丘があります
-ありがとうございます-
磐石と言う地域に特別な意味がありますか?
ありがとうございます:
御陵の所を、尾根を辿ると磐石の丘があります。昔は車が通るような道はなく、山道を歩くような道があって、自然に人が集まってそこで景色を眺めながら、休憩しながら話しをして、心の交流を計る場所として有ったようです。磐石の丘は大きい岩があります、磐石の意味は不動です。実際全体が見渡せて素晴らしい景色で、元々はそこも、皇の聖地のひとつです。実際、清らかな雰囲気を漂わせています。
神さまが計画しているようなので、そんな場所をこれから活用します。ハイキングコースとして最高の場所です。自然散策をしながらお祈りをすると、色んな意味の神さまの光の交流がなされて行きます。都会に住んでいる人は、自然に触れ合う機会を作る必要があると思います。神さまの光がいっぱい降っている大自然は必要です。
景色が一望に広く見渡せる所の方が、心が大きく広がって、全体を捉える心になり易いのです。模型的にそういう場所があったら、心の勉強の材料になると思います。山も10町ほど譲って貰ったから、これからどんどん手入れして中を歩けるようにしたいのです。大きい木を残して中を歩けるようにして、自然公園のような自然散策が出来る、お祈りの場所にしたいのです。
山は木をかなり間伐する必要があります。杉や檜を植林しても細いまま全部伸びますから、途中で何回か間伐します。それをしないと光が中に入らないので共倒れになり、根が張らなくなり、枯れ易くなり、根のない山だと大雨が降った時、表層の部分が流されます。間伐することで逞しい木が育ち、根が張ると地滑りが起きません。ある程度中に光が差し込まないと間伐しても意味がないのです。色んな雑木が下に生えて来るぐらいが理想です。
大自然は何も手を入れないでいいというのではないのです。ある程度は人間が神さまの知恵を受けて、必要な物を取捨選択して残す必要があります。いい物は残して、悪い物は切り捨てるぐらいの気持ちが必要です。何でも残したら良さそうに思うのですけど、そしたら雑草でも残そうかになります。花を作ろう、野菜を作ろうと思っても、雑草を残したら全部負けてしまいます。
雑草ひとつ抜くのでも殺生だから、と、そういう気持ちになりやすいのですが、でもそうではないのです。神さまの御心が雑草を繁茂させるのであれば、それでもいいのですが、美しい花を花開かせる為だったら、花を育てるのが神さまの御心を生きているのです。大きい神さまの意思をそこに表そうとしています、だから、雑草を抜くのです。花をいっぱい育てるような大きい働きを加えます、その、取捨選択する役割は人間にあります。大きい命を生かす為に小さい命に犠牲になって貰うのです。
雑草にも色んな役割があります。雑草が生えて根を張ることで土を柔らかくし、刈られて肥しになります、必要な下準備をしてくれています。でも、それをそのまま放ったらかしにするようでは、神さまの知恵を受けていない状態になり、間違っています。本当に神さまの知恵を受けて、必要なことをしっかりと見定めて、大事な物を守り抜くのです。山の手入れもそういうように、必要なものを大事に育て上げてゆくのです、本当の調和した姿がとれます。
山が理想的な姿で甦るといい水が貯えられてゆきます、緑のダムです。山が荒れると水が駄目になるそうです。なにも木の生えていない山を水が流れると、土砂のような濁った水が一気に表面を流れます、そうしたら、水が地下を通って綺麗になりません。でも、緑がたくさんある山だと、先ず水が土の中に吸収されて、木が吸い取ってまた出してというように、色んな働きが加わって清らかな水に変化します。一気に水を出してしまうのではなく、徐々に放出してくれます、本当の緑のダムという感じがします。
ここらの川でも天気続きだと下流は干乾びて水が流れてない時があります。でも上流は涌き水が出て何時でも不思議と流れます。干ばつの時は、上流は豊かに水が流れていますが、下流は涸れてしまいます、それだけ緑のダムとして木が守ってくれています。
難しく考えなくて、吐く時に臍下丹田、臍の少し
-ありがとうございます-
丹田呼吸法の仕方を教えて下さい。
ありがとうございます:
難しく考えなくて、吐く時に臍下丹田、臍の少し下に軽く力を入れると力が入り易い中心があります。吐く時は、なるべく細く静かに長く吐き出します。出来るだけ長い時間かけて吐き出します。軽く力が入っている時に心が一番静まります。
そこで「ありがとうございます」と唱えていると太陽が輝いて来ます。冬の寒い時でも全身温かくなり、夏の暑い時は暑さを感じなくなります。吸う時は自然にされたらいい、吐く時だけ意識的にされたらいいのです。力んで無理な力を入れないで、軽く自然な力の入れ方でいいのです。雑念が出ににくく頭で考えなくなり、お祈りがし易くなります。余り形に囚われ過ぎて頭で考えだすと無理が来ますから、「吐くときに、細く静かに長く、軽く力を入れて」ぐらいで良いのです。
そうです。一回「ありがとうございます」と唱
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を唱え、思いを全部消して貰い、さらに「ありがとうございます」を唱える、と光り輝く世界に変わってゆきますか?
ありがとうございます:
そうです。一回「ありがとうございます」と唱えますと、古い自分を新しいのに置き換えて貰っています。その置き換えがどんどん早くなったら、どんどん新しくなります。最初から一番大きい強い光新しい光に置き換えてくれるのではありません、それでは無理がきます。この世の人には、この世の波に一番近い光が楽です、徐々に光に慣らしながらどんどん置き換えてゆきます。光の自分になっても、もっと新しい強い光が必要だったら、どんどん置き換えてゆき、無理無く自然に光輝いた自分に変えてくれます。
「綺麗と汚い」は二元的二つに分けて見ています
-ありがとうございます-
介護に対する「綺麗と汚い」の考え方を教えて下さい。
ありがとうございます:
「綺麗と汚い」は二元的に二つに分けて見ています。本当の正しい観方は「一元に観る」観方が正しいのです。本当に綺麗な立場だったら、上からプラスを与える側に立った方がいいのです、綺麗な所からプラスを与え尽くしてゆくのです。今度受ける側に立ったら、一番謙虚な気持ちで、どんな姿もプラスに観える状態で受け入れてゆきます。神さまの働きは二元的に見ていません、一元的に観ています。
プラス側の神さまは、マイナスに対して与え尽くすだけになります。与え尽くしたら自分がマイナスの立場に立ちます、全部与え尽くして無くなったら、マイナスに立ちます、ゼロではなくマイナスになるまで与え尽くします。今度は、与えて貰ったマイナス側もプラスになります、プラスになったら今度は与える側になります。
受ける側、与える側は交互に繰り返します。そうすると、一元に見てすべてをプラスに綺麗に受けられて、与える側に立ったときは綺麗なものだけを皆に与えるようになります。だから、神さまの側に立ったら、汚いというのが有りません、綺麗なものだけの与え尽くし合いです。
ところが、二元的というのは、ひとつの立場に囚われて、その立場から上下を眺めます。立場に囚われる心は思いの心です、感謝の心では無いのです。思いの心で見てしまうと、ひとつの立場から両方を見てしまいます。綺麗は綺麗、汚いは汚いと分けるしかなくなります、これは分別心です、思いの心です。区別することは悪いことでは無いと思いますが、それに囚われたら、ちょっと引っかかる心になります。
それより、一元に観る心、神さまの心に戻るという事は、は感謝するということです。ひたすら感謝して神さまの心とひとつに成った観方をすると、一元的に観てゆきます。善いものだけを与え尽くして、善いものだけを受け尽くします。後は感謝だけになります。
別に自由でいいのです、自由を縛られたらちょ
-ありがとうございます-
してはいけないことをしてしまい、痛い目に遭ってしまいます。学びとしてはいいことですか?
ありがとうございます:
別に自由でいいのです、自由を縛られたらちょっと可笑しくなります。神さまもその辺はちゃんと見ていて、神さまは一応こうした方がいいと予言して来ますが、それも縛られた状態で受けるのでは無いのです。自由な立場で色んな事を体験しながら、それを最高に受けてゆけたらいいのです。一本道しか歩めないでは縛られた窮屈な感じがします、ちょっとだけなら踏み外していいのです。そうしたら、また、本当の神さまの助言、導きが有り難く思えます。
自由にしてちょっと痛い目に遭い、痛みが取れた状態になると、また有り難くなります。普段は、当たり前と思いがちですが、無限の痛みを取って貰えたと喜んだらいいのです。その方が、幸せが大きくなってゆきます。何かある度に幸せを大きくして貰っています。それも絶対にマイナスではないのです、ちょっと体験する事は大きいプラスに変化します。
-ありがとうございます-
先生自身の事を言っているのですか?それとも皆も含まれるのですか?
ありがとうございます:
幸せの最短コースを歩んでいる、お手本を示しています。何があっても幸せになります。普通、マイナスを掴んでそれに囚われがちですが、何が起こっても大丈夫です。それがプラスにプラスに変化してゆきますから、マイナスを掴んでそれに負ける必要は無いのです。
どんなに大きいマイナスが現実に起こっても、それを克服して乗り越えて大きい幸せをつかめるようになっています、それも短い時間で一瞬にです。そんな勉強をどんどんさせて貰うと幸せが大きくなります、マイナスなんて一切無いのです。
思いで掴んでしまうために、そうなってしまいます、二元的な見方になってマイナスに囚われてしまいます。感謝だけだと、一元的にプラスばかりです、善い事ばかりが起こるという、そういう観方をするための勉強になります。
-ありがとうございます-
先生が痛い目にあった時は神さまごめんなさいではなく、「ありがとうございます」ですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」で喜ぶだけです。一瞬ちらっとまたやってしまったと思うかもしれませんが、でも直ぐ反省して「ありがとうございます」です。感謝をさせて頂くのが幸せなのです。大きい感謝のチャンスを与えて貰ったと思っています。
普通は、この世の人が24時間、100%
-ありがとうございます-
先生が言った「一日のお祈りの時間は24時間+αです」の+αの意味は?
ありがとうございます:
普通は、この世の人が24時間、100%祈り続けているつもりでも、小さなものです。あの世とか色んな世界がいっぱいあり、そこから大きいお祈りを加えて貰えたら、+αが無限に無限に大きくなります。
まず守護霊さま守護神さまが、応援のお祈りをいっぱい加えてくれています。皆のお祈りを貰わないと損です、自分一人でするお祈りは小さいのです、神さまのお祈りを、皆のお祈りを全部貰います。そうすると、24時間ずうっと自分がお祈りをしなくても善いのです、みんなが代わりに24時間ずうっと祈り続けているかもしれません。
24時間ずうっと祈り続けたいという気持ちで、させて貰うのはいいのです。本体の自分がずうっとお祈りをしています。本体の自分は24時間ずうっと祈り続けています、それが自然にすうっと響いて出て来ているのです。寝ている時も本当はしています。深いお祈りです。
小さい子は良く眠ります。特に怪我した時、病気をした時はよく眠ります。寝ている時に癒され、成長します。その時お祈りが深く祈れた状態で続いています、それも、本体の方から祈りがずうっと響いて出て来ているのです、本当に自然なお祈りが続いているのです。皆さんも同じです、深く寝ている時が深い祈りになっているかもしれません。神さまにお任せした状態のお祈りになると、本当はいつも祈り続けていると言えるのです。
また、余計なつまらないマイナスの思いを出さなかったら、何時も祈りの響きが出ているのです。「ありがとうございます」も唱え続けなければ、では無いのです。「ありがとうございます」は確認です、神さまをしっかり確認する為の言葉です。唱えるのが1日に1回・2回かもしれませんが、それでも、神さまの光を感じ続けていたらお祈りは続いているのです。
一瞬一瞬の、神さまの光の確認という意味で捉えたら、ゆっくり確認するのも、早い時間で確認するのも、どちらでも自由でいいのです。
αの「あ」はα、βと見た時、根本の最初の言葉です、宇宙絶対神の一番根源の響きです。それが何時も皆のお祈りに加えられています。これが根本のプラスαです。時間的に見ても自分の時間だけでは無く、色んな神さまの時間が加えられているという意味では、自分の24時間に他のα、時間の要素的なものも、大きい祈りの光が沢山加わっています。そういう意味での、色んな所からのプラスαがどんどん加わってきています。
赤ちゃんは、最初の生まれたての姿です。赤
-ありがとうございます-
赤ちゃんと聞くと心が癒されます。赤ちゃんも「あ」から始まります。何か意味がありますか?
ありがとうございます:
赤ちゃんは、最初の生まれたての姿です。赤は赤心、神さまの心、本心を指していて、赤裸々な心とか言います。本当の神さまの心そのままという意味です、汚れてない、本当に純なそのままの自然な心です。赤ちゃんと言う響きは本当にいいのです、だから、皆、赤ちゃんを目指しているのです。一瞬一瞬生まれたてほやほやの赤ちゃんです。
赤ちゃんは悩みません、過去を掴みません、そして何時も前向きです、そして、神さまによく甘えます。赤ちゃんはお手本です。自分で何かしようと思いません、すべて神さまにお任せです、最高理想の姿です。大人になると自分でしていると錯覚しますが、本当は、すべて神さまがして下さっています。赤ちゃんの心になると、すべてがスムーズに進みます。大人の枠にはめるのではなく、赤ちゃんを手本にします。
-ありがとうございます-
実際の生活の中では中々、神さまにお任せする気持ちになれません。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」を唱えることです。お任せ出来ないのは、心に思いが溜まっているからです。「ありがとうございます」は、お任せの心でお任せしたから要らない思いを消してくれます。だから「ありがとうございます」を積み重ねていると、思いが消されていって、無くなります、そうしたら、本当のお任せする自然な姿に戻ってゆきます。「ありがとうございます」と唱え続けたら善いだけです、唱えている時はお任せ・全託しています。後に残った思いは神さまにお任せして消して貰います。
竜神さまはこの世に姿を表していません
-ありがとうございます-
竜神について教えて下さい。
ありがとうございます:
竜神さまはこの世に姿を表していません、自然霊の一種です。竜神さまはすべての自然現象を司っている神さまです。特に上の方の一番高い神さまの清めの働きをします。清めには二通りの意味があります。神さまの御心の本質を現して調和の姿を表すというのと、マイナスの思いを消し切って、邪魔するものを無くす清めがあります。三水に青の「清め」の方が本質を現します。三水に「争う」を書く方は浄化の「浄」はマイナスを消す方の浄めです。その両方を現して消してくれるのが竜神さまです。
竜神さまには色合いが色々あります。純白の竜神さまは一番高い状態です、黄金の竜、青い竜、最後が黒竜です。これは働きの違いです、余り高過ぎたら低い世界で働けません。だから黒竜さんも必要です、低い世界で働くには黒竜さまの姿をとらなければ働けません。この世で働くには肉体が必要です、肉体がなかったらこの世で生きていられません、幾ら高い神さまが偉そうにいっても、何も出来ません。働きの違い、役割の違いとして、色々な竜神さまの姿をとるのです。大きい自然現象は高い大きい竜神さまです、低い自然現象は低い小さい竜神さまです。雨を降らせる場合でも小さい竜神さんがさっと降らせます。
-ありがとうございます-
竜は神さまですか?
ありがとうございます:
竜神さまだけが神さまではありません、竜神・竜の神さまとして「神」を付けています。元々は、宇宙の大神さまは一体なので、本当はみんな何々の神さまです、人も神さまなのです。だから、神さまを分ける方が間違いなのです、みんな神さまの役割・働きを受けて色んな姿をとっているのです。ただ、竜神さまと人間では働き・役割が違います、また、他の動物などとも働き・役割が違います。
奥の高い神さまは竜体を表す時があります。必要になったら竜体を表して大きい働きをします。地球は大きい竜体を持った神さまが,地球霊王という姿をとっています。琵琶湖にも大きい竜神さまがいます,アメリカの五大湖にも大きい竜神さまがいます。大きい滝、ナイアガラの滝にも大きい竜神さまがいて清めの働きをしています。和歌山県の那智の滝にもいます。
元々、滝行は竜神さまのいる所でしています、竜神さまの助けを受けて清めて貰っているのです。滝行をしなくても、そこにいるだけで大きく清めて貰えます。滝のしぶきを受けるだけで清めて貰えます。マイナスを消して貰って本質を引き出して貰うのです。
そんな番組もあります、しかし、全体の姿で
-ありがとうございます-
この世の争いは、神と悪魔の争いの結果なのですか?
ありがとうございます:
そんな番組もあります、しかし、全体の姿ではありません。神さまは無限のチャンネルの番組を全部用意しています、人の使う言葉の番組を全部用意しています。人の使う言葉通りに、番組合わせをしてしまうのです。だから、神さまと悪魔の争いの言葉を使うと、そんな番組にはまり込んで仕舞います。
本当の神さまは無限の無限の番組を作り上げたのですから、そんな小さなものでは無いのです。本当の最高の無限の無限のプラスそのものの神さまですから、一切のマイナスはありません。また、すべてを光一元に観るという神さまの立場に立ったら、対立するような見方はしません。言葉の使い方のです、色んな宗教の教えの違いも言葉の使い方の違いだけです。その言葉の違いに応じて、違う番組に合わせ込んでゆきます、その番組に嵌り込んだらその番組を正しいと思います。その世界しか見えなくなったら、その世界しかないと思いこんでしまいます。
でも、他の人から見れば、他にも色んなチャンネルがあるのですが、その人はそれが正しいと思い込んでいます。だから、感謝をして神さまの心と自分の心と繋いでゆくのが大事です、そうすると、で無限の無限の番組が有る事に、さらにその奥に本当の神さまがいらっしゃる事に気づきます。
-ありがとうございます-
争いの番組にはまり込む人はそれがすべてと思い、上の番組が見えていないのですか?
ありがとうございます:
先ず、上も下も見えていないのです、ひとつの番組にはまり込んでいます。本当の下まで見えたら、かなり幅広く世界が見渡せます。だから、ひとつのチャンネルに嵌り込んでいるのです。
-ありがとうございます-
チャンネルは人が使った言葉によって存在するのですか?
ありがとうございます:
神さまが先に無限の無限の番組を用意しています、人が使った言葉で波長が合います、それで現実化します。ひとつの番組に嵌り込んだら、そのストーリーに置いて仕舞います。何が善い悪いではなく、それぞれが存在しているのです。だから、唯物的な生き方も悪い事ではないです、そんな番組に嵌り込んだらそれが正しいのです。それで満足出来ない人は番組を変えてゆきます、最高番組だったら無限に無限に輝いた神さまだけです。
-ありがとうございます-
最近、人から「ありがとうございます」が大切とよく言われます。自分がチャンネルを合わせたからと考えていいですか?
ありがとうございます:
自分がたくさん善い言葉を使っています。その言葉に合う波長の番組が自分の世界に表れて来て、「ありがとうございます」は素晴らしいと言う人がいっぱい表れて来るのです。最高の番組です。「ありがとうございます」にはまり込んだら抜けられません。自由自在にはまり込んでいます。
みんな神さまから 七つのお祈り
-ありがとうございます-
本体は感謝し続けている、そして肉体で感謝することは確認の意味があると仰いました。確認は一日一回でもいいと仰いました。でも先生は一億回以上唱えていると聞きます。どうして?
ありがとうございます:
確認をいっぱいして来ています。普通、神さまから何を与えられているか気付いていないのがいっぱいあります。だから何を気付いたらいいか、言葉にすることが大事です。私も色んな言葉を使って確認して来ています。そのひとつが「新たな全徳の無限の無限の輝きがいっぱい」です。
今七つ繰り返している言葉があります。
ひとつは
「いつもいつも大難を無難にし、無限の無限のマイナスを免除して下さって、ありがとうございます」。
二つ目は
「いつもいつも無限の無限のプラスを新たな全徳の無限の無限の輝きを与えて下さって、ありがとうございます」。
三つ目は
「いつもいつも無限の無限の感謝の心を湧き上がらせて下さって、ありがとうございます」。
四つ目は
「いつもいつも無限の無限のプラスを神さまの最高表現を感受させて下さって、ありがとうございます」。
五つ目は
「いつもいつも無限の無限の感謝の真祈りを祈らせて下さって、ありがとうございます」。
六つ目は
「いつもいつも無限の無限の神さまの最高のお手伝いをさせて下さって、ありがとうございます」。
七つ目
「いつもいつも無限の無限の神さまとの一体感を実感させて下さって、ありがとうございます」
まだ足りないと思います。その七つの与えられたものに対して、どれだけ感謝出来ているかお礼出来ているかが大切だと思います。中々お礼の感謝は追いつかないのです。
「ありがとうございます」と唱え続けても追いつきません。本当はもっともっと与えて貰っています。「ありがとうございます」と唱え続けることで気付きがもっともっと増えてくる筈です。本当は「無限の無限のマイナスを免除して貰っている」のです、小さいものではないのです。「大難を無難に変えて」というのも、小さい自分にしてもそれくらい貰っていますし、また、大きく立場を変えて、みんなを自分というふうに観たときには、もっともっと大きな助けを貰っています。「みんなのマイナスを免除して貰っている」という方がいいのです。
プラスの方も、それをしっかり認めないと受け入れにくいのです。だから、言葉に換えてしっかり受けようとする意味で、「どんなプラスを与えて貰っているか」という意味で、「無限の無限の幸せがいっぱい」とか色々と数え上げるのが良いのです。感謝の心も自分が起こしているのでは無く、起こさせて貰っているのです。みんな神さまからというふうに受けるのが大事なのです。
ありがとうございます