真祈り文庫
2001年10月21日
No.2
-ありがとうございます-
唱える回数は関係ないということですが、ありがとうございますの初心者にとっては、深いところにより近づく意味で、何回唱えたかは大事なことなので、例えば24時間とにかくぶっ通しで唱えるとかするのがいいのでしょうか?
ありがとうございます:
そういう言い方もあるし、何回唱えたらご褒美として、こういう奇跡が起こりますと見せてくれるのもいいし、唱え方も無限にやり方が変っていいのです。どんなやり方でも練習したことはしたことになります。練習したことが、大きくなり、深くなり、という力になります。
低い番組だと本当に入ろうと思ったら入り込
-ありがとうございます-
先祖供養ということで、お墓を大事にするというのをよく聞きますが、死んだら本当にあの中に入るのですか?
ありがとうございます:
低い番組だと本当に入ろうと思ったら入り込むのです。それで石牢に閉じ込められて、そこに水が貯まると溺れます、あれは苦しいだろうと思います。そういうマイナスの思い方はあまりいい事はないのです。低い番組へはまり込んでいくので、だからこの世を去ったら自分は、光輝いた自由自在な世界へ昇るのだというのがいいのです。だからお墓なんかには入らない、入ったら駄目です。
そういう言葉の使い方・思い方がマイナスなのです。無限に輝いて助けに助けてくれている先祖に対して、迷っているなどと決め付けるのは、ものすごく大きい失礼です。祟るなどと言ったら無礼千万です。それはススキの穂を見て幽霊と思うようなものです。自分が勝手に低く思い込んで、低い番組にはまり込んで、そういう体験をしているのです、ご先祖さまにとったら迷惑なのです。
本当は、肉体の親子関係というのは違うのです、肉体の親から子供は生まれてはいないのです。一瞬にして置き換えるという意味で、高い世界からの物質化が原則なのです。ただ、肉体の親から出たという錯覚をするだけで、本当の親は神さまです。仮にそう見えたというだけで、そう思うのも別に悪いことではありません。
親から生まれたと感謝することは悪くはないのですが、過去を掴むという意味ではマイナスになるかもしれません。一瞬一瞬の新たな受け直しが、それで出来なくなります。過去に引きずられていって、長い過去を掴めば掴むほど、低い番組に落ち込んでゆきます。今一瞬神さまが親の姿をとって、または、今一瞬子供の姿をとって現れているというのであれば、過去を掴まないで済むのです。自分の親だ子供だと掴んで言わなくても、みんな神さまの愛の変身の姿だと、受けられるほうが大事です。
色んな見方捉え方が出来ますし、それも自分が選んでゆくのです。どういう受け方をして幸せになろうかと選ぶのです。それもチャンネル毎に違うし、先祖のエネルギーの影響を受けるチャンネルも今はまだ多く有りますから、過去を掴む言葉が多すぎます。だからありがとうございますで、一瞬一瞬神さまから善いものを一杯受け直す生き方になったら、もう過去を掴まなくなるから、番組がどんどん上るのです。全然違う番組に変化するのです。
-ありがとうございます-
そうしたら墓参りはしないほうがいいのですか?
ありがとうございます:
本当は、お墓に行っても(ご先祖さまは)居ないですし、仏壇も要らないのです。本当の仏壇は、この肉体が最高の仏壇です。神さまが作った肉体という最高の仏壇で、ありがとうございますと祈ったら、すべての次元に通じます。すべての次元のご先祖さまが中に入れる、大きい仏壇です。肉体は宇宙大に拡がる仏壇です、わざわざ人工的に作った木の仏壇は大したことありません、もうひとつ小さい模型です。ありがとうございますを唱えることで、色んなしがらみや縛りを、全部順番に消してもらったらいいです。唱えなかったらやはり、色んな縛りにあったまま続きます。
必要だったら、全体からも部分からも、自由
-ありがとうございます-
ありがとうございますを唱えることで、宗教宗派に関係なく、そのとき一番いい神さまが助けてくださるということですか?
ありがとうございます:
必要だったら、全体からも部分からも、自由自在に必要なだけの助けを、必ず与えてもらうのです。
-ありがとうございます-
働きとしては色々あるけれど、総体として根源の神さまのエネルギーはひとつということですか?
ありがとうございます:
そうです。全部をひとつにして観る観方がありがとうございますです。バラバラにしてみると、比較してみたり色々おかしいことになります。
高い番組だと全然寝ないのです。寝ている時
-ありがとうございます-
肉体にとっての、睡眠時間の必要性も、縛りの世界ですか?
ありがとうございます:
高い番組だと全然寝ないのです。寝ている時間がもったいないので、24時間プラスアルファー起きています。五欲の心に睡眠欲というのが有りますが、思いが欲に変るのです。
思いというのはやはり縛り、自己限定です。縛られるとだんだんと動けなくなります。そして楽に怠けてという、それも睡眠欲と一緒です。疲労が回復しないというのは弁解の言葉です。
-ありがとうございます-
五欲について、今の自分では、全く食べないと死んでしまうと思うのですが、ここから先は欲になるという基準を教えてください。
ありがとうございます:
神さまは必要なものを的確に与えるので、必要なだけが神さまから与えられたもので、必要でないものは欲の方です。食欲でも健康を維持するだけに必要なものを、感謝で受けて頂くなら欲ではないのです。それ以上に無茶食いしたり、好き勝手に食べるのは欲のほうです。睡眠もそうです、エネルギーを補給してもらうのに、必要なだけの睡眠時間はいいのです。それ以上に寝すぎたら欲に化けています、必要ないのに寝ている・怠けているということになります。必要なだけは大丈夫です。
何となく眠くても、一回起きたら、気分も晴れて爽やかになるから、また眠くなったら寝たらいいのです。一歩前にふっと踏み出せば、そうしたらすっとふっ切れます。
-ありがとうございます-
欲について、中道を歩みなさいと仏教で言われているのは、神さまの意思とは違うのですか?
ありがとうございます:
これも解釈は色々有ります。両極に振り回されるのは、あまり良くないという意味も有りますが、絶対神の中心から出てくる生き方をする、という意味なら最高なのだと思いますが、本当は左右に振れてもいいのです。両極を体験する方が変化に富んで面白いかもしれません。
常春というより、四季の変化がある方が左右に振れます。プラスにもマイナスにも深くも浅くも有りますから、中道を歩めという言葉も有りますが、宇宙の大道は自由自在ですから、ここが真ん中というのはありませんし、自分が歩くところが真ん中かもしれません。みんな勝手な思いで道をつけてしまうところがあるのでしょうが、神さまの宇宙の大道は全体が道なのです。自由自在に歩んでいいのです。
ありがとうございますと神さまを呼んだら、
-ありがとうございます-
周りの人にプラスをお返しする時に、思いやりが必要と言われますが、相手の状況を推し量るのは実際には、相手のマイナスを体験していない自分の未熟な経験からで、そうなると本当の思いやりを持つことができるのか疑問です。
ありがとうございます:
ありがとうございますと神さまを呼んだら、間違いは全部神さまが消して正しく変えて下さるのです。思いやりと言うのは、神さまの知恵が備わらないと、相手に何が必要か的確に見抜けません、神さまに導かれて初めて思いやりが出てくるのです。
ありがとうございますの中に、本当の謙虚さがあり、神さまに素直な態度がとれて、神さまの知恵に導かれて、自然に神さまが色んなことに使って下さるのです。そうしたら思いやりの生き方をとっていると、傍から見てそう見えてきます。自分がするのでなく、全部神さまにして頂くのです。ありがとうございますと、神さまの働きを受け入れるだけなのです。
感謝も浅い状態はお祈りになっていないので
-ありがとうございます-
ありがとうございますを、普通に言うのとお祈りの違いはどんなことですか?
ありがとうございます:
感謝も浅い状態はお祈りになっていないのです。感謝の真祈りというのですが、深いお祈りのことで、自分の為のお祈りなどは小さすぎて本物ではないのです。宇宙全体へのお祈りで、皆を幸せにするためのお祈りです。自分だけの為のお祈りではない、本当の感謝の真祈り、皆の為のお祈りというのは、みんなのお祈りもまた自分に与え返されます。
だから一回祈ると、無限の回数をプラスしてもらいます。一回一回が無限の無限のありがとうございますになるのが本当のお祈りです。無限の無限のありがとうございますという言葉を使うのですが、自分のありがとうございますという一回のお祈りが全体の為のお祈りになるので、全体から無限の無限のありがとうございますを与え返されるのです。同時にありがとうございますが、無限の無限のありがとうございますに変身しているのです。
神さまのお祈りはそういうお祈りです。自分がするのではなく、神さまにさせて頂いているお祈り、神さまが自分を使ってして下さっているお祈りです。絶対力のお祈りですから、この一回のお祈りは回数とか浅さ深さは関係なくて、神さまのお祈りだから無限の無限のありがとうございますになります。最高の力が備わっています。それで宇宙のすべてに必要な助けを的確に与え続ける働きをします。
自力のお祈りでなく、他力のお祈りでもない、絶対力のお祈りです、一番シンプルなお祈りです。最初はみんな難しく考えすぎるのですが、余計なものが取れてしまうと一番シンプルな、神さまが自分の中で祈っているお祈りになります。一番シンプルなお祈りが中で響いているのです。
神さまから光がすうっと出て来て、その光が
-ありがとうございます-
自由な思い・・思いということについてもう少し教えて下さい。
ありがとうございます:
神さまから光がすうっと出て来て、その光が新しい間は感謝なのです。だんだんと末端に行って、古くなるほど思いに変化します。最初は明るい思いで、どんどん末端へ行って古くなるほど、暗い思い・マイナスの思いに変化します。光源に近いところで新しい光を受けるほどすべてが輝くのです。
一瞬一瞬新たな受け直しを、ずっと続けている限りは、全部輝いて受けていけるのです。心は無限に無限に輝いた状態をとるのです。ところがその一瞬一瞬の受け直しを忘れて、古いものを掴んでしまいます。そうやって感謝を忘れているうちに、だんだんと思いが出てくるようになってきます。最初は明るくプラスに思うのですが、それも古い過去を掴みだしたらマイナスになっていきます。
思いというのは、ひとつのことを思うことで、執着になって、囚われになって、過去を掴んでしまう状態になっていきます。思いが心に溜まると記憶として残り、消えないのです。消えないと、どんどん過去を掴むようになって、マイナスが殖えてきて、そして番組をどんどん下げてゆくのです。
思いで描いて作り上げると、思いの形はできます、思い通りに成ることはなるのですが、それは小さい思いの通りに形を整えたというだけで、これは大したことないのです。宇宙全体の光り輝いた素晴らしいプレゼントを受けるのとは、正反対の小さいところに閉じこもってしまう生き方です。だから思い通りにしたと言っても大したことではありません。思いで作り上げたものは、思いを消されたら全部消えてしまうのですが、でも、神さまの与えてくるものは消えません。新しいものがどんどん生み出されて、永遠不滅に善いものがずうっと続くのです。
感謝を忘れたら必ず思いになるのです。だから先ず、感謝を優先的にしていかないといけないのです。そうしたら過去の思いも消されるし、思いが出なくなるのです。無念無想になるというのは本当は難しいのです。思いはどんどん湧き出てきますから、それを消せない限りは限界が来ます。無念無想になって思いを抑え込んでも抑えきれません、奥の方は消えていないから、いつか必ず顔を出して思いが出てきます。
無念無想になるよりも感謝が大事です。色んなお祈り瞑想でも感謝を加えないと効果がないのです。感謝を加えたら、思いがどんどん消されて青空のような心になるのです。そのときに、光の色んな姿が、神さまが感じ取れてくるのです。感謝を加えるかどうかで効果が決まり、古いものが消えないと新しいものは受けられません。一瞬一瞬新しいものを感じるのが大事です。
浅い悟りでも深い悟りでも悟った人はみんな
-ありがとうございます-
過去に日本でも悟った人はいたと思いますが、その人達はありがとうございますに気がつかなかったのですか?
ありがとうございます:
浅い悟りでも深い悟りでも悟った人はみんな、ありがとうございますを唱えて、ありがとうございますで悟りをもらったのです。でもそれをずうっと唱え続けたらもっと悟りが深くなります。深いところが感じられて来ます。気付かなかったのは唱え方が少なかったかもしれないです。これで悟ったと思って、ありがとうございますを唱えるのを忘れたり、怠ったりするところもあるのでしょう。
本当の神さまを呼んで助けてもらうのが一番いいですから、一番阿呆になって、ありがとうございますしか唱えられない自分になった方がいいのです。賢いと他のことを思ってしまったり考えたりしますから、単純馬鹿という位がいいのです。
法然さんがあれだけの修行をして、智識量としても日本一の博学で最高の人なのですが、その人が全部捨てて南無阿弥陀仏ひとつに絞り込んで、一日五、六万回それを唱え続けて、どんな質問をされても全部忘れて「わかりません」と言うのです。仏教の質問なら全部答えられるのです。でもどんな質問をされても忘れて「わかりません」と言い切れるのは凄いことです。南無阿弥陀仏ひとつに絞り込んだのです。それが法然さんにとったら一番大きい悟りへの力になって、南無阿弥陀仏ひとつで悟ったのです。
ありがとうございますの方がもっと大きな悟りになります。ひとつに絞り込まないと損です。南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経 アーメンと一杯唱えるよりも、ありがとうございますに絞り込んだ方がいいのです。法然さんは仏教の智識に囚われすぎた、それは阿弥陀さまの世界の悟りで他の世界の悟りと対立します。全部を包容しきれないで、他の宗教宗派と他の悟りの世界と対立してしまいます。阿弥陀さまの悟りだと、他と対立して一体化していないのです、差があります。
ありがとうございますは全体と一体化します。全体と差が取れて(差が取れる=悟り)一体化するからそこが違うのです。同じ悟りでも部分的な一体化と全体との一体化と違うので、だから大きい悟り小さい悟りがあるのです。
-ありがとうございます-
一般的には単純に何か自分の得意なことに絞って、ひとつのことを最後までずうっと一生懸命することが必要というようなことですか?
ありがとうございます:
ありがとうございますは、神さまのすべてを受け直します。無限の能力を頂いて何でもできる自分になります。何でも出来る自分になって、尚且つ、そのときに必要な働きをさせてもらうのです。たとえば世界にとって今一番何が必要かというときに、その必要なことをする人のなかでも、すっとそれを自分が先にしてしまうのです。必要なことが自由自在に出来ます。今、火事だと言われたら、他の仕事を全部放って火を消すほうに回ります。自由自在に出来る方がいいのです。私はこれしか出来ませんというなら、他の必要なことが何も出来ません。
ありがとうございますは先ず、無限の能力をいつでも発揮できる状態においてくれます。そして必要なものは必要に応じて、力が湧き出るようになってくるのです。ひとつの仕事に囚われて縛られて、これしか出来ないというのはよくありません。ひとつのことをしてこれしか出来ないというと、限定してしまって縛りになっていくのです。
本当は何でもできると、自由な気持になって、今これが必要だからこれをさせて頂くというのが大事です。自由自在に変ったほうがいいのです、必要なものを与えていく生き方です。全体にとって何が一番必要か、必要性がランク付けができるから、一番必要なものを与えるのがいいのです。たとえば異常気象で食べ物が作物が全然実らなかったとしたら、そういう時は食べ物を作る方へ力を割かないと、みんな飢え死にしますから、その時は他の仕事をやめて皆でどんなところでも開墾をして、色んなものを植えて食料を増やす方が大事です。それを自由に出来ないと駄目です。
印のかたちは働きに応じて決まります。あり
-ありがとうございます-
ありがとうございますを唱える時の、手印は有りますか?
ありがとうございます:
印のかたちは働きに応じて決まります。ありがとうございますは全体像を捉えますから、一番自然な全体像を捉える生き方の印だと合掌かと思います。自由自在ですからかたちに囚われなくても、どんな印でもいいのです。ありがとうございますの中にすべての印が有ります。
神さまがそうだから、神さまのお祈りを頂く
-ありがとうございます-
先生のお祈りは地球レベルではなくて、無限の無限の世界へ飛んでいるのですか?
ありがとうございます:
神さまがそうだから、神さまのお祈りを頂くという意味でどこまでも拡がります。ありがとうございますは、新たな全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯と、大きくも小さくもなります。宇宙大の変化に富んだ打ち上げ花火のような感じです。
色んな神さまの段階があって、どの段階から
-ありがとうございます-
右回りだとイエスという感じの「フーチ」というのが有りますが、それも神さまの意思なのですか?
ありがとうございます:
色んな神さまの段階があって、どの段階からの神さまの働きかけかは判りません。その人の段階に応じて、その人に必要なものが降りてきます。そういうものでも、最初はその段階の必要な正しいものを伝えてくるのですが、そういうものに頼っては駄目という時は、全部外れるように降りてきて、試されます。全部外れてしまってもう頼れなくなり、それで生き方ががらっと変ったりします。
霊媒に降りて色々指導してくれる場合も同じです。最初は丁寧に細かいところまで教えてくれてその通りになるのですが、それに頼りだすと、教えてくれることが全部外れるようになります。嘘ばっかりつかれるのですが、それでいいのです。頼ったら駄目ということなのです。
中から必要なものを汲み取る、自由自在な生き方が大事です。その生き方が駄目だったら必要なら、嘘をついてでもその生き方をやめるようにと、神さまが止めてきます。その人を幸せに導くの為につく方便の嘘です。
仏が現れたら仏を切り殺すという言葉の意味は
-ありがとうございます-
神さまが嘘をつくということについては、道元さんの言う「仏が現れたら心の槍でその仏を突き殺せ。それは本当の仏ではない。」というのと同じようなことですか?
ありがとうございます:
仏が現れたら仏を切り殺すという言葉の意味は、順番に番組が上がってゆくと、番組がほんのちょっと上にあがっただけでも心に感じる世界が変って、そこには自分より上のランクの、色んな神さまや仏さまの姿をとった導き人が出てきますし、その姿が見えてきますが、それはあくまでも、ちょっと上のランクの番組にしか過ぎないのです。それに囚われてしまったらそこから上に上れなくなります。どこまでも番組を上げていって、番組から抜け出た自分に戻らないと駄目なのです。
そういう意味では、番組に現れる姿は全部切り捨てないといけないのです。順番に高いものが出てきますが、その度にまだそれでは本物ではないと、番組の外に抜け出た神なる自分へ戻った時が、本当の神通自在な自由自在な悟った自分なのです。五感六感で感じているのはみんな、番組の中の世界を感じているのです。だからそれに頼りすぎるのは間違いですから、切り捨てるということなのです。
その神さまは愛深い神さまです。みんなの借
-ありがとうございます-
貧乏神は本当にいますか?
ありがとうございます:
その神さまは愛深い神さまです。みんなの借金を肩代わりしてくれてるのです。みんなの身代わりに、無限の借金を背負っていたら、表面は貧乏神に見えます。
-ありがとうございます-
低級霊が本当に人に憑いたりしますか?
ありがとうございます:
波が合うと全部影響し合います、低級霊を感じる時は自分の波が合っている時です。心境が高ければ低級霊も感じません。低級霊を感じたら、自分の心境の低さを暴露しているようなものです。
-ありがとうございます-
ありがとうございますを言うことで、そういうものからも護られるようになりますか?
ありがとうございます:
思いの世界の霊魂が低級霊になっていきます。ありがとうございますを唱えることで思いの世界の影響を受けなくなります。
本当のお任せは、「神さまの御心のままに」と
-ありがとうございます-
お任せしてすべて受け入れているのと、本当はまだすべきことがあるのにしていないのとが、表面的には似通った状態の時、その差を教えてください。
ありがとうございます:
本当のお任せは、「神さまの御心のままに」というのは、最高番組を受け入れた時がそうであって、低い番組を「神さまの御心のままに」と受け入れるのは間違いです。
常にいつも大難を無難に変えて頂いているという気持は大事です。無限の無限のマイナスをいつも免除して頂いているという、この気持を持たないと色んな姿を正しく見れません。大難を無難にしてもらい、マイナスを免除してもらってと、プラスに受けないといけません。そうやって現実を受けると、全部プラスに見えてきます。プラスに受けるのが神さまの心のままなのです。その上にさらにプラスして、無限の無限のプラスが一杯と受けないといけないのです。一瞬一瞬大きいプラスを受け入れて、初めて神さまの御心のままになっているのです。
マイナスとして掴んだ時は、自分が我を出して勝手に掴んで、神さまの心と反対の方へ行っていることです。みんな病気になったら、神さまに心を向けてと思っていますが、これは間違いです。無限の無限の健康が一杯というのが、神さまに心を向けていることです。
プラスをしっかり受け入れて初めて、神さまを悪者にせずに済むのです。神さまの最高の弁護人にならないといけないのです。周りからどんなに悪く言われても、それを弁護して、神さまは正しいのだと言えないといけないのです。無限の無限のプラスが一杯という姿でないと神さまの弁護は出来ません。
ありがとうございます