真祈り文庫
2001年10月21日
No.1
お祈りや瞑想をすると、霊動というのが起こる
-ありがとうございます-
昨日ここに来てから意識とは関わり無く、ずうっと身体に振動を感じるのですが。
ありがとうございます:
お祈りや瞑想をすると、霊動というのが起こる人があります。色んな霊動の種類がありますが、自然な目立たない霊動は体の調子を自然に正しく元に戻してくれたり、神憑り的になって飛び跳ねたりすると少しおかしいのですが、神さまにマッサージをしてもらっているようなものです。
-ありがとうございます-
頚椎に異常があって右腕が痺れているのですが、先生のお話を聞いているとその症状が強く感じられます。
ありがとうございます:
消してもらう働きでそういうものが浮かび出てきます。みんなそうですが、マイナスが出る時というのは必ずそれが浮かび出て、それの何十倍も何百倍も大きく消してもらう時です。心の中にはその表面に出ているものと、似たようなものが一杯溜まっています。何万倍か何億倍か溜まっていてもそれに気付かないだけで、消す時は必ず神さまのほうはその確認を取りに来ます。
心に溜めたマイナスというのは、この世だけではありません。過去世が無限に長いからその分も考えると、表面にマイナスが出た時ほど本当は喜べば良いのです。この何万倍か何億倍か消してもらったというふうに、そういうプラス思考だと心はすぐにすっと晴れてきます。そういう虚のプラスを数えるような勉強も大事です。動きというのはたくさんあって、神憑りになって神さまが自動的に動かして、字を書かせたりする自動書記とか色んな働きが有りますが、普通の霊動は元に自然に戻す為の働きです。神さまのマッサージと思って、そういう時はお任せしていたらいいのです。
どういう状態もマイナスに見ないで、プラスに
-ありがとうございます-
娘が誘いを受けても、こういうところへ来ることが出来ません、大事なことを外してしまっているように思えますが。
ありがとうございます:
どういう状態もマイナスに見ないで、プラスにプラスに観て感謝していけたら、必要ならちゃんとなるのです。本当に必要なら必ず来ることが出来ますし、ここへ来るにも時期は大事です。来るのが早過ぎると、その時の自分に吸収できるものが少なかったら、こんなものかで終わってしまいます。ちょっと時期が早過ぎるだけでそうなってしまうのです。本当に大事なものが吸収できる時期が大事なのです。そのへんは神さまがちゃんと加減して善いようにしてくれています。
-ありがとうございます-
ここへ来れる人は、昔からの何かの縁とか因縁とかがあるということですか?
ありがとうございます:
ここに来る人は神さまからの新しい縁で来るのです、過去の縁ではありません。過去の腐れ縁だとお互いに足を引っ張り合ったりして、マイナスへ向かって下へ下へと落ちてゆきます。神さまの方から助けが来て新しい縁をどんどん結んでくれて、プラスへと向きを変えてくれるのです。因縁という言葉には過去を掴んでの闇の因縁というのも有りますが、神さまのほうから結んでくれる新しい因縁は光の因縁です、新しい縁です。
-ありがとうございます-
ここへ来ることは生まれる前から計画として決まっていたことなのか、一瞬一瞬新たにということで今生で発生したことなのか教えてください。
ありがとうございます:
本当に自分が決めてきたのなら、自分で全部わかる筈です。でも新たに新たに自分の選ぶものは変ってきますから、こうするのだと過去に決めてきても、気持がころころ変るに連れて方針が変るかもしれません。常に今の一瞬、新たに新たに選び続けて今の状態においてもらうのです。決めたからとそれに縛られているなら奴隷と同じです。
一瞬一瞬の自由な選択が一番大事で、だからいくらでも善いものをどんどん選んでいけるのです。過去に選んだままに進むなら、神さまからのいくら善いプレゼントや縁が出て来ても、それを捨ててしまうのです。常に自分が、新たに善いものを選び続けている、というのが大事です。普通マイナスへの傾向をずうっと辿る人は、他から一杯プラスへの切っ掛けになる縁を与えてもらっても全部拒絶し続けます。でもそれならその人に本当の自由は有りません。プラスへ向くときは必ず、自分が新しい縁を選んでいるのです。それをいつ自分が選ぶかだけで、そのチャンスはいつでも周りに一杯有ります。
みんな元は神さまなのです。一番奥の本体の
-ありがとうございます-
人間界にいた人が神さまになることも有りますか?
ありがとうございます:
みんな元は神さまなのです。一番奥の本体の自分は宇宙の親と一体の自分で、無限に無限に輝いた素晴らしい自分です。その自分が色んなチャンネルへ降りてきて、その中の配役として自分を使うのです。この世ならこの世に肉体を持って生まれてきて、その順番にまた高い番組へと昇って、神なる本体の自分へと戻っていくのです。
奥にいるだけのそのままの自分が良いか、また低い番組まで降りてきてもう一回戻った自分が良いかというと、一回この世に生まれて来て悟りを開いて戻った方が深みがあるのです。この世に出て来ないで奥で悟っている神さまより、はるかに深みのある格の高い自分に成れます。お釈迦さまなどはこの世に生まれてきて、悟りを開いて元に戻ったという形をとって、そうすると同じ向こうの世界でも尊敬されます。
般若心経の説いている真髄は、ありがとうご
-ありがとうございます-
般若心経が素晴らしいと聞いたことが有りますが、ありがとうございますと較べるとどうなのですか?
ありがとうございます:
般若心経の説いている真髄は、ありがとうございますなのです。一行目に観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 が有りますが、
般若波羅密多は祈り言葉で、意味としては、新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯!というような祈り言葉になっています。これはありがとうございますなのです。ありがとうございますを深く祈ると五蘊皆空=すべてのものが空に観えてきます。
空というのは絶対とか光源を表します。光源と現れがひとつに成るというのは、光源をまともに見ると光源と放射された光とが一体化して見えます。そこにはもう一切の闇はありません、無限に無限に輝いた姿だけをとります。そうすると一切の苦厄が消えてなくなります。ありがとうございますは神さまにまともに向く生き方です。そして無限に無限に輝いた姿を一瞬一瞬受け直しています。
ありがとうございますが般若心経の本当の真髄を表すのです。一番最後の羯諦羯諦波羅羯諦は祈り言葉で、これを日本語に直すとありがとうございますなのです。羯諦は輝いているで、波羅は無限にですから、輝いている輝いている無限に輝いているということです。ありがとうございますは無限に無限に輝いているという意味ですから、日本人はありがとうございますでいいのです。般若心経を全部読まなくてもいいのです、般若心経は説明文です、ありがとうございますという祈り言葉を唱えたらそれで充分です。
言霊的に解釈して区別すれば良いのですが、
-ありがとうございます-
ありがとうと、ありがとうございますの差をもう少し教えてください。
ありがとうございます:
言霊的に解釈して区別すれば良いのですが、ありがとうは
「あ」が絶対とか光の源、命の源で
「り」はら行音で螺旋状にすべてが放射されて組み合わさるという、相対におかれた全部、これも組み合わせは無限に複雑なのですが、螺旋状に組み合わせると相似形の姿で無限に交わりが出来ます。入れ子構造の宇宙が生まれるという意味で「ら行」の「り」を使います。
「が」が輝いて輝いているという「か」をだぶらせています。無限に無限に輝いているという意味です。
「とう」は十字、自由という意味ですべての相対の両極を自由に組み合わせて大調和させるという意味です。
だから、ありがとうで神さまの無限に無限に輝いた宇宙という最高表現を指しています。それが、
「ご」で凝り固まって凝り固まっていって、次元を順番に下げるという意味で、最高表現を頂点にして無限の無限のチャンネルを生み出している働きです。
「ざ」は「さ」をだぶらせて、さらさら流れ移り変わるという、一瞬一瞬中から花が開くように、咲くように、置き換えが自然に行われている姿です。今あるものが変化しているのではなく、一瞬一瞬の置き換えで、さらさら流れているのです。その変化、無常というのが、バックに神さまが有って、本当に素晴らしい置き換えなのです。
「い」は命の「い」で、すべてが生きている、石ころ一個も、原子一個も、どんな小さい素粒子でも、みんな神さまの命を生きているという、命を輝かせて躍動しているのだという意味です。
「ま」は完きもの、完全なもの、完璧なもの、すべてが完璧極まりないということで、
「す」でまた絶対を表して、今現れたものすべてが絶対へ戻っていく、循環する姿で、
「ます」で、どんどん殖えて、善くなるような姿をとっているのです。
ありがとうだけでは、神さまの最高表現を指すのですが、全部ではありません、この世まで降りてきている姿まではないのです。神さまの最高表現を頂点に、更にこの世の物質化された姿、すべての無限の無限のチャンネルまで心を向けないといけないのです。それも一瞬一瞬の置き換えで、常に循環しているのですから、「ございます」を付けるのと付けないのとでは、全然意味が違ってくるのです。
ありがとうございますは、神さまの働きのすべてを現す、全体像を指し示す言葉になります。普通ありがとうを使う時はちょっとした感謝、お礼のような感じですが、本当の神さまの名前というふうに捉える時は、ありがとうございますに成ってしまいます。
これがありがとうございましたになると、過去の一瞬に対するお礼のようになり、もうひとつまた小さくなります。だから神さまの名前を呼ぶという意味のありがとうございますは、無限の過去から、永遠の未来までの、全部に対しての深い感謝になります。一回きり護ってもらうのでなく、ありがとうございますで無限に護ってもらう方が良いのです。
-ありがとうございます-
先に「どうも」をつけるのは意味が有りますか?
ありがとうございます:
どうもとか、本当にとかは、人間の側が勝手に付けている言葉です。本当の神さまの名前を呼ぶ時は、純粋なありがとうございますのひと言で良いのです。別に付けても良いのですが、そういうときはあまり神さまに心が向いていない時です。宇宙の大神さまに、本当の神さまの全体像への心の向け方だったら、ありがとうございますの一言になるので、余計なものを付けたら邪魔になります。
-ありがとうございます-
「あ」と「す」は絶対ということで意味としては同じものを指すのですか?
ありがとうございます:
鳥の「す」(巣)とか 住まいの「す」とか一番奥という意味は有ります。そこからすべてが生み出され出発するという意味では、「す」の方がもうひとつ奥かも知れません。「あ」のほうは、そこから光とか命とか無限に無限に輝いた姿をとって出て来ていますから、「あ」のもうひとつ奥が「す」かもしれません。まだ何の働きも表に出そうとしていない、本当に澄み切って、奥にじっと動かないでいる状態です。
絶対というと単純にひとつのように思うのですが、本当はそうではなく、絶対ほど無限に躍動している世界は無いのです。古事記に天之御中主神という、絶対を表す神さまの名前が最初に出て来て、その後ずうっと色んな神さまの名前が一杯出てきますが、それはみんな絶対の中の細かく分けた働きの違いです。伊邪那岐、伊邪那美の神が出てくる前の神さまはみんな絶対の神さまです。中身はすごく複雑です。その一番奥が「す」かもしれません。
日本人というより日本に生まれた人は、過去
-ありがとうございます-
ありがとうございますが有ることは、日本人の特権のようなものですか?
ありがとうございます:
日本人というより日本に生まれた人は、過去に色んな国に生まれて、色んな人種に生まれ変わって、色んな体験をたくさん積んで、部分的な色んな勉強を済ませてきて、全体をひとつにまとめる役割として、日本に生まれてきています。
そういう意味では、日本人というより日本に生まれた人は、その役割として善いものを一杯もらって、世界へそれを与える役目です。日本人がずっと日本人という訳ではないのですから、色んな国に生まれているし外国の人も日本に生まれるし、そういう意味では区別できません。地球人と言った方が良いかも知れないですし、地球人と言ってもまた他の星や天体に生まれ変わるので、そうなると宇宙人です。
-ありがとうございます-
それだと過去世というのも、地球での過去世だけではないということですか?
ありがとうございます。
そうです。過去を掴むのでも番組ごとに全部過去があって、過去現在未来と全部がひとつの番組に揃っています。どの番組の過去世を掴むかも全部番組ごとに違います。
-ありがとうございます-
宇宙人にもプラスとマイナスがあって、地球とコンタクトしているような話を聞きますが?
ありがとうございます:
宇宙人というのも本当の意味は、意識が宇宙大に大きくなった人が宇宙人なのでしょうが、気持が小さいとその星の人という感じなのです。地球が自分の家というふうに小さくなったら地球人です。そのレベルだったら他の星の人は火星人とか異星人といった方がいいかも知れません。
宇宙人もプラスの人マイナスの人ありとあらゆる人がいますし、地球で波の合う者同士とのコンタクトは起こっています。だからUFOも宇宙人も本物と偽物が一杯あって、この世に出てくるとしたら本物は少ないのです。まだ今のレベルでは肉体を持って本物のUFOには乗れません、本物とは波の違いがあるので、魂の方が波動を合わせてちょっと乗せてもらうという感じです。UFOを操れる宇宙人は心境が高いので、地球を攻撃したりは絶対しません。攻撃に来るとか侵略というようなものは偽物です。
この世の光も電磁波的な色んな種類の光が一
-ありがとうございます-
光の受け取り方について教えてください。たとえば太陽とか星空からの光をメッセージとして受け取れば良いのか、それともただ見せてもらっていると受け取れば良いのですか。
ありがとうございます:
この世の光も電磁波的な色んな種類の光が一杯あって、その光の綾模様が色々見えるのですが、これも一瞬一瞬見て楽しむだけなのです。本当はこの世以外の光の姿もチャンネルごとに全部違う光が有るのですが、それも一瞬一瞬受けて楽しむだけでいいのです。
ただ、まだぼーっと見えています、他のチャンネルだとぼーっと見えるのです。同じ光でも物質界を照らすような電磁波的な光ではなく、たとえば知恵の光とか愛の光とかいうと、どういう光かちょっとわからなくなるでしょうが、全部光という言葉を使うのですが、この電磁波的な光だけが光ではないのです。命の光なのです、命の光が見えるかというとちょっと見えません。ありとあらゆる光が神さまの徳性ごとに違う光が有るので、それが無限に複雑に組み合わさって、光の綾模様が生まれているのです。だんだんと色んな光の感じ方が変ってくると思いますが、あまりそれに囚われないで、色んな光の変化を楽しんで受けたらいいのです。
人の心は天象に現れます。ひとつの見方として
-ありがとうございます-
空の雲が人の気持を反映することは有りますか?
ありがとうございます:
人の心は天象に現れます。ひとつの見方として、人の心が雲に現れることも有ります。人の心が暗く沈むと雨雲的な雲が漂うし、前の湾岸戦争の時なんかは雲が赤黒く変化しました。今まさに戦争状態という姿をとって、的確に人の心を表してくれます。白雲が悠々と漂うなら人間の心がそういう状態かもしれません。
それもひとつの見方なのです。原子や分子も神さまの命を個性豊かに生きているから、そういう意味なら、みんな生きている意思があるといえます。そういうふうに雲を作り上げるのも、雲自身の表現かもしれないですし、見ている側との両方のものが有ります。
悟りの道
-ありがとうございます-
小冊子に悟りの道は上に行くほど厳しいと有りますが、それはこの世的な三次元のことですか、それとも無限の無限の上のほうを指しているのですか?
ありがとうございます:
両方です。この世でもそうですし、上へ行くほどそうです。言葉の使い方ひとつにしても、最初はマイナスの言葉を少々使っても良いのですが、だんだんとひと言でも駄目というふうになってきます。よほど気をつけておかないと、厳しさが増した感じがします。それでないと力が付かないのです。山登りもそうですが、下のほうは緩やかで広い道で登り易いのです。だんだんと険しくなって細くなって、それだけ注意力も必要でそれで力が付くのです。
-ありがとうございます-
いったん登って、また落ちてしまうことも有りますか?
ありがとうございます:
もうひとつ力をつけに行くのです。一回山へ登って力が付いて、素晴らしいなと思って、今度は下から登ってくる人の応援に行き、また一緒に登って一段と力が付くのです。落ちてしまうというよりも、助けに降りてもう一度力を付けに行くのです、どんどん強くなります。最初は一回登るのにかなり時間がかかりますが、次は楽に短い時間で登れます。それがどんどん時間が短縮されていくと凄い力になって、登るコースも変えるかもしれないですし、無駄なことは無いのです。
-ありがとうございます-
もう一度登ろうという、不屈のエネルギーの根源は一体なんなのですか?
ありがとうございます:
困難に戯れて楽しんでいるのです。自分の本当の素晴らしさを困難な問題と戯れて力を発揮して、本当の意味の素晴らしさを確認しているのです。いくら無限の力を持っていても、じっとしていたら有るか無いか判りません。地球を持ち上げる力があると言っても、箸を握っているだけでは判りません。自分の力を試したいところが有るので、困難に挑戦してゆくのです。そして無限の力を発揮して、自分の素晴らしさを確認して喜ぶのです。
お金でも何でもそうですが、正しい使い方が
-ありがとうございます-
お金も必要な分は神さまが下さるのですか?
ありがとうございます:
お金でも何でもそうですが、正しい使い方がわかったら、必要なだけちゃんと与えてもらうのです。正しい使い方がわからないと、持ったら傷付きます。使い方が間違っていたら、人を傷付け、自分も傷付けます。
お金も正しい使い方がわかったら、必要に応じて必要なだけ与えてくれるのが神さまの助けです。余分にあったら困ります、少なくても困るのですがそれは神さまのほうがちゃんと見ています。使い方がわからない人がお金を持つと世の中に害毒を流します。使い方が少しわかっていて、入り過ぎると洪水のようになります。それで流されてしまうというマイナスが起きます。余分に入り過ぎるより少し少ない位が、お金に頼るより神さまに頼った方が良いのです。
本当に必要なものを手に入れるときは、神さまの助けは中から働く力になって出てきます。棚から牡丹餅式に外から与えてもらうのは、神さまの助けではありません。本当の神さまの助けは中から働く力で出て、何倍でも働けてそれで必要なものを手に入れるようになります。外から助けてもらうのは、借金のようなもの、借りなのです、返さないといけません。でも中から湧き出る、神さまの力で働いたものは借りではありません。働けば働くほど貯金を殖やしています。
本当の極楽世界というのは、無限の能力を発揮して働く働き者ばかりの世界です。じっとしていてご馳走が一杯というのとは違います、逆です。この世だと何もしないで怠けて、たくさんものを与えてもらうのが、幸せで極楽と思うかもしれないですが、逆なのです。極楽世界の人は働き者ばかりで皆に尽くすばかりで、そういう人が集まると、自分も周りから与えられて尽くされて、困ることは絶対にありません。怠け者が極楽なら困ります、誰も働かなかったら、食べるものもなくなって餓鬼道のような状態になってしまいます。
それは好きな人を選ぶだけですが、与える生
-ありがとうございます-
男女の縁も神さまの助けがないと成就しないのですか?
ありがとうございます:
それは好きな人を選ぶだけですが、与える生き方を練習する意味なら、低い方を選んで与える量が多いほうがいいのです、低い方を選べば一杯与えられます。相手が無限の素晴らしいものを一杯持っていたら、与えるものが無くなりますから、最低の人を選ぶのがいいのです。そうしたら自分が一番早く立派になれます。与える対象がひとりの人だったら最低の人を選べば良いのですが、与える対象を世界というふうに広げて、世界を善くする為だったら、自分を助けてくれる良いパートナーが良いのです。それも選択肢のひとつです。
今回は大したことはないのでしょうが、色
-ありがとうございます-
アフガニスタンなど、宗教による戦争が激しい状態は、収まらないのでしょうか?
ありがとうございます:
今回は大したことはないのでしょうが、色んな宗教が教えがあって、みんな教えに縛られ過ぎています。教えは本当の神さまを指し示す言葉です。本当の神さまをしっかり掴めばいいのですが、教えを掴んでしまっているのです。教え自体は大したことではないのに、それをけなされたら腹を立てるのです。つまらない教えを最高と思い込むから駄目なのです。
本当の神さまは、教えなんていうものではありません、教えなど取るに足らないものです。本当の神さまは、無限に無限に素晴らしい愛の塊のようなものですから、人を殺しては絶対にいけないのです、皆を幸せにするばっかりなのです。だから教えに縛られなくなったらいいのです。
偽物模型を本物と思い違えているところが多分に有ります。イスラム教でもアラーの神が唯一絶対の神というのですが、それなら本物の神さまをしっかり捉えたらいいので、それだと宇宙のすべてを包容し尽くして、皆を幸せにする働きをするのです。喧嘩する人は教えだけの神さまです。自分の信じている神さまを、最高ですと自慢する必要は全然ないのです。みんな同じで、みんなが本当の神さまを信じて、一杯幸せにしてもらっているのだから、自分だけが一人本物の神さま信じていても何もないのです。みんな仲良く助け合って、喜び合って、感謝し合ってゆけばいいだけなのです。
最初はみんな偽物に模型にだまされるのです。大仏さまといっても本当の大仏さまは、宇宙大の大きい神通自在の神さまを指しています、奈良の大仏さまも鎌倉の大仏さまも、模型の模型もうひとつ小さい模型なのです。お土産などにもっと小さい大仏さまが有りますが、この大仏さまは本物だと、力があると錯覚するのです。
宇宙大の大仏さまが本当の大仏さまなので、自分は宇宙大の大仏さまの愛に包み込まれているのですから、小さいお護りの大仏さまはいりません。そういうものに頼るのは偶像崇拝信仰で、幼稚な間違った信仰に陥ってしまうのです。
ありがとうございますは、本物の神さまを捉えて、宇宙全体から護ってもらう生き方です。小さい枝葉の神さま仏さまは要らなくなります。この神さまに護ってもらうと決めたら、他の神さまに護ってもらえない可能性が有ります。神さまはは謙虚なので、あの神さまが護っているのなら私は引っ込もうかと、お互いに譲り合ったら、護って欲しい神さまも護ってくれなくなるかもしれません。ありがとうございますは、全部から護ってもらえますからいいのです。
ありがとうございますは肉体を失くしても、
-ありがとうございます-
この世で言ったありがとうございますは、肉体を失くした後どうなりますか?
ありがとうございます:
ありがとうございますは肉体を失くしても、ますます奥へ入ってゆき、神さまを感じ取れる本物になってゆきます。肉体がある間の方が、まだ漠然として感じ取りにくくなっています、奥へ入れば入るほど身近に感じ取り易くなります。肉体がない状態の方が唱えている人は感じやすいのです。
ただあの世で色んな次元で唱えられたらの話で、唱えられなかったら低いところへ行ってしまいます。この世に生まれる目的は、この世でありがとうございますを唱える練習をして、唱え易い自分に変える為なのです。その習慣性を身に付けておくことです。そうするとあの世へ行っても、唱え易くなって感じ易くなり、神さまを本当に身近に実感するようになります。
-ありがとうございます-
生まれ変わりの時に、前世の記憶がなくなると聞きますが、ありがとうございますをこの世で言っていても、あの世へ行ったら忘れてしまうことはありませんか?
ありがとうございます:
そんなことはありません。生まれ変わりの時に記憶を少し無くするのは、大抵マイナスを抑えられてしまうからなのです。前の世で悪い事をしてきたら、今度生まれ変わっても顔を上げて歩けません。それだと新しい善い体験を作れなくなります。それで過去のマイナスの記憶を押さえ込んでおいて、明るく新しい生き方を取れるようにして、それを一杯してから、もう一回振り返る時が来たら、過去もプラスに思い返せるのです。
過去のマイナスに引っ掛からない自分になったら、過去世が見えてくるのです。借金が無限にあるのに、今働きなさいと言われても働けないのです。利息が殖えてどんどん膨らむのに、いくら働いても返しようがないとなると働く意欲がなくなります。そういうのとよく似ています。働く力をつけさせる意味で、借金を一時棚上げにします。それは守護霊さま守護神さまが背負って、肩代わりするのです。力が付いたらまた恩返しという働きで、人の借金でも背負って、助けてあげようかというふうになってゆくのです。
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