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2001ねん10がつ21にち No.1


       いのりやめいそうをすると、れいどうというのがこる

-ありがとうございます-
 のうここにてからしきとはかかわりく、ずうっと身体からだしんどうかんじるのですが。

ありがとうございます:
 おいのりやめいそうをすると、れいどうというのがこるひとがあります。いろんなれいどうしゅるいがありますが、ぜんたないれいどうからだ調ちょうぜんただしくもともどしてくれたり、かみがかてきになってねたりするとすこしおかしいのですが、かみさまにマッサージをしてもらっているようなものです。

-ありがとうございます-
 けいついじょうがあってみぎうでしびれているのですが、せんせいのおはなしいているとそのしょうじょうつよかんじられます。

ありがとうございます:
 してもらうはたらきでそういうものがかびてきます。みんなそうですが、マイナスがときというのはかならずそれがかびて、それのなんじゅうばいなんひゃくばいおおきくしてもらうときです。こころなかにはそのひょうめんているものと、たようなものがいっぱいまっています。なんまんばいなんおくばいまっていてもそれにかないだけで、ときかならかみさまのほうはそのかくにんりにます。
 こころめたマイナスというのは、このだけではありません。げんながいからそのぶんかんがえると、ひょうめんにマイナスがときほどほんとうよろこべばいのです。このなんまんばいなんおくばいしてもらったというふうに、そういうプラスこうだとこころはすぐにすっとれてきます。そういうきょのプラスをかぞえるようなべんきょうだいです。うごきというのはたくさんあって、かみがかりになってかみさまがどうてきうごかして、かせたりするどうしょとかいろんなはたらきがりますが、つうれいどうもとぜんもどためはたらきです。かみさまのマッサージとおもって、そういうときはおまかせしていたらいいのです。


       どういうじょうたいもマイナスにないで、プラスに

-ありがとうございます-
 むすめさそいをけても、こういうところへることがません、だいなことをはずしてしまっているようにおもえますが。

ありがとうございます:
 どういうじょうたいもマイナスにないで、プラスにプラスにかんしゃしていけたら、ひつようならちゃんとなるのです。ほんとうひつようならかならることがますし、ここへるにもだいです。るのがはやぎると、そのときぶんきゅうしゅうできるものがすくなかったら、こんなものかでわってしまいます。ちょっとはやぎるだけでそうなってしまうのです。ほんとうだいなものがきゅうしゅうできるだいなのです。そのへんはかみさまがちゃんとげんしていようにしてくれています。

-ありがとうございます-
 ここへれるひとは、むかしからのなにかのえんとかいんねんとかがあるということですか?

ありがとうございます:
 ここにひとかみさまからのあたらしいえんるのです、えんではありません。くさえんだとおたがいにあしったりして、マイナスへかってしたしたへとちてゆきます。かみさまのほうからたすけがあたらしいえんをどんどんむすんでくれて、プラスへときをえてくれるのです。いんねんということにはつかんでのやみいんねんというのもりますが、かみさまのほうからむすんでくれるあたらしいいんねんひかりいんねんです、あたらしいえんです。

-ありがとうございます-
 ここへることはまれるまえからけいかくとしてまっていたことなのか、いっしゅんいっしゅんあらたにということでこんじょうはっせいしたことなのかおしえてください。

ありがとうございます:
 ほんとうぶんめてきたのなら、ぶんぜんわかるはずです。でもあらたにあらたにぶんえらぶものはかわってきますから、こうするのだとめてきても、もちがころころかわるにれてほうしんかわるかもしれません。つねいまいっしゅんあらたにあらたにえらつづけていまじょうたいにおいてもらうのです。めたからとそれにしばられているなられいおなじです。
 いっしゅんいっしゅんゆうせんたくいちばんだいで、だからいくらでもいものをどんどんえらんでいけるのです。えらんだままにすすむなら、かみさまからのいくらいプレゼントやえんても、それをててしまうのです。つねぶんが、あらたにいものをえらつづけている、というのがだいです。つうマイナスへのけいこうをずうっと辿たどひとは、からいっぱいプラスへのけになるえんあたえてもらってもぜんきょぜつつづけます。でもそれならそのひとほんとうゆうりません。プラスへくときはかならず、ぶんあたらしいえんえらんでいるのです。それをいつぶんえらぶかだけで、そのチャンスはいつでもまわりにいっぱいります。


       みんなもとかみさまなのです。いちばんおくほんたい

-ありがとうございます-
 にんげんかいにいたひとかみさまになることもりますか?

ありがとうございます:
 みんなもとかみさまなのです。いちばんおくほんたいぶんちゅうおやいったいぶんで、げんげんかがやいたらしいぶんです。そのぶんいろんなチャンネルへりてきて、そのなかはいやくとしてぶん使つかうのです。このならこのにくたいってまれてきて、そのじゅんばんにまたたかばんぐみへとのぼって、かみなるほんたいぶんへともどっていくのです。
 おくにいるだけのそのままのぶんいか、またひくばんぐみまでりてきてもういっかいもどったぶんいかというと、いっかいこのまれてさとりをひらいてもどったほうふかみがあるのです。このないでおくさとっているかみさまより、はるかにふかみのあるかくたかぶんれます。おしゃさまなどはこのまれてきて、さとりをひらいてもともどったというかたちをとって、そうするとおなこうのかいでもそんけいされます。


       はんにゃしんぎょういているしんずいは、ありがとうご

-ありがとうございます-
 はんにゃしんぎょうらしいといたことがりますが、ありがとうございますとくらべるとどうなのですか?

ありがとうございます:
 はんにゃしんぎょういているしんずいは、ありがとうございますなのです。いちぎょうかんざいさつ ぎょうじんはんにゃみっ しょうけんうんかいくう いっさいやく がりますが、

 はんにゃみっいのことで、としては、あらたなぜんとくげんげんかがやきがいっぱい!というようないのことになっています。これはありがとうございますなのです。ありがとうございますをふかいのるとうんかいくう=すべてのものがくうえてきます。

 くうというのはぜったいとかこうげんあらわします。こうげんあらわれがひとつにるというのは、こうげんをまともにるとこうげんほうしゃされたひかりとがいったいしてえます。そこにはもういっさいやみはありません、げんげんかがやいた姿すがただけをとります。そうするといっさいやくえてなくなります。ありがとうございますはかみさまにまともにかたです。そしてげんげんかがやいた姿すがたいっしゅんいっしゅんなおしています。

 ありがとうございますがはんにゃしんぎょうほんとうしんずいあらわすのです。いちばんさいぎゃあていぎゃあていぎゃあていいのことで、これをほんなおすとありがとうございますなのです。ぎゃあていかがやいているで、げんにですから、かがやいているかがやいているげんかがやいているということです。ありがとうございますはげんげんかがやいているというですから、ほんじんはありがとうございますでいいのです。はんにゃしんぎょうぜんまなくてもいいのです、はんにゃしんぎょうせつめいぶんです、ありがとうございますといういのこととなえたらそれでじゅうぶんです。


   ことだまてきかいしゃくしてべつすればいのですが、


-ありがとうございます-
 ありがとうと、ありがとうございますのをもうすこおしえてください。

ありがとうございます:
 ことだまてきかいしゃくしてべつすればいのですが、ありがとうは

「あ」がぜったいとかひかりみなもといのちみなもと

「り」はらぎょうおんせんじょうにすべてがほうしゃされてわさるという、そうたいにおかれたぜん、これもわせはげんふくざつなのですが、せんじょうわせるとそうけい姿すがたげんまじわりがます。こうぞうちゅうまれるというで「らぎょう」の「り」を使つかいます。

「が」がかがやいてかがやいているという「か」をだぶらせています。げんげんかがやいているというです。

「とう」はじゅうゆうというですべてのそうたいりょうきょくゆうわせてだい調ちょうさせるというです。

 だから、ありがとうでかみさまのげんげんかがやいたちゅうというさいこうひょうげんしています。それが、

「ご」でかたまってかたまっていって、げんじゅんばんげるというで、さいこうひょうげんちょうてんにしてげんげんのチャンネルをしているはたらきです。

「ざ」は「さ」をだぶらせて、さらさらながうつわるという、いっしゅんいっしゅんなかからはなひらくように、くように、えがぜんおこなわれている姿すがたです。いまあるものがへんしているのではなく、いっしゅんいっしゅんえで、さらさらながれているのです。そのへんじょうというのが、バックにかみさまがって、ほんとうらしいえなのです。

「い」はいのちの「い」で、すべてがきている、いしころいっも、げんいっも、どんなちいさいりゅうでも、みんなかみさまのいのちきているという、いのちかがやかせてやくどうしているのだというです。

「ま」はまったきもの、かんぜんなもの、かんぺきなもの、すべてがかんぺききわまりないということで、

「す」でまたぜったいあらわして、いまあらわれたものすべてがぜったいもどっていく、じゅんかんする姿すがたで、

「ます」で、どんどんえて、くなるような姿すがたをとっているのです。
 
 ありがとうだけでは、かみさまのさいこうひょうげんすのですが、ぜんではありません、このまでりてきている姿すがたまではないのです。かみさまのさいこうひょうげんちょうてんに、さらにこのぶっしつされた姿すがた、すべてのげんげんのチャンネルまでこころけないといけないのです。それもいっしゅんいっしゅんえで、つねじゅんかんしているのですから、「ございます」をけるのとけないのとでは、ぜんぜんちがってくるのです。

 ありがとうございますは、かみさまのはたらきのすべてをあらわす、ぜんたいぞうしめことになります。つう、ありがとうを使つかときはちょっとしたかんしゃ、おれいのようなかんじですが、ほんとうかみさまのまえというふうにとらえるときは、ありがとうございますにってしまいます。

 これがありがとうございましたになると、いっしゅんたいするおれいのようになり、もうひとつまたちいさくなります。だからかみさまのまえぶというのありがとうございますは、げんから、えいえんらいまでの、ぜんたいしてのふかかんしゃになります。いっかいきりまもってもらうのでなく、ありがとうございますでげんまもってもらうほういのです。

-ありがとうございます-
 さきに「どうも」をつけるのはりますか?

ありがとうございます:
 どうもとか、ほんとうにとかは、にんげんがわかっけていることです。ほんとうかみさまのまえときは、じゅんすいなありがとうございますのひとこといのです。べつけてもいのですが、そういうときはあまりかみさまにこころいていないときです。ちゅうおおがみさまに、ほんとうかみさまのぜんたいぞうへのこころかただったら、ありがとうございますのひとことになるので、けいなものをけたらじゃになります。

-ありがとうございます-
 「あ」と「す」はぜったいということでとしてはおなじものをすのですか?

ありがとうございます:
とりの「す」()とか まいの「す」とかいちばんおくというります。そこからすべてがされしゅっぱつするというでは、「す」のほうがもうひとつおくかもれません。「あ」のほうは、そこからひかりとかいのちとかげんげんかがやいた姿すがたをとってていますから、「あ」のもうひとつおくが「す」かもしれません。まだなんはたらきもおもてそうとしていない、ほんとうって、おくにじっとうごかないでいるじょうたいです。
 
 ぜったいというとたんじゅんにひとつのようにおもうのですが、ほんとうはそうではなく、ぜったいほどげんやくどうしているかいいのです。あめなかぬしのかみという、ぜったいあらわかみさまのまえさいしょて、そのあとずうっといろんなかみさまのまえいっぱいてきますが、それはみんなぜったいなかこまかくけたはたらきのちがいです。かみてくるまえかみさまはみんなぜったいかみさまです。なかはすごくふくざつです。そのいちばんおくが「す」かもしれません。


       ほんじんというよりほんまれたひとは、

-ありがとうございます-
 ありがとうございますがることは、ほんじんとっけんのようなものですか?

ありがとうございます:
 ほんじんというよりほんまれたひとは、いろんなくにまれて、いろんなじんしゅまれわって、いろんなたいけんをたくさんんで、ぶんてきいろんなべんきょうませてきて、ぜんたいをひとつにまとめるやくわりとして、ほんまれてきています。
 そういうでは、ほんじんというよりほんまれたひとは、そのやくわりとしていものをいっぱいもらって、かいへそれをあたえるやくです。ほんじんがずっとほんじんというわけではないのですから、いろんなくにまれているしがいこくひとほんまれるし、そういうではべつできません。きゅうじんったほういかもれないですし、きゅうじんってもまたほしてんたいまれわるので、そうなるとちゅうじんです。

-ありがとうございます-
 それだとというのも、きゅうでのだけではないということですか?

ありがとうございます。
 そうです。つかむのでもばんぐみごとにぜんがあって、げんざいらいぜんがひとつのばんぐみそろっています。どのばんぐみつかむかもぜんばんぐみごとにちがいます。

-ありがとうございます-
 ちゅうじんにもプラスとマイナスがあって、きゅうとコンタクトしているようなはなしきますが?

ありがとうございます:
 
 ちゅうじんというのもほんとうは、しきちゅうだいおおきくなったひとちゅうじんなのでしょうが、もちちいさいとそのほしひとというかんじなのです。きゅうぶんいえというふうにちいさくなったらきゅうじんです。そのレベルだったらほかほしひとせいじんとかせいじんといったほうがいいかもれません。
 ちゅうじんもプラスのひとマイナスのひとありとあらゆるひとがいますし、きゅうなみものどうとのコンタクトはこっています。だからUFOもちゅうじんほんものにせものいっぱいあって、このてくるとしたらほんものすくないのです。まだいまのレベルではにくたいってほんもののUFOにはれません、ほんものとはなみちがいがあるので、たましいほうどうわせてちょっとせてもらうというかんじです。UFOをあやつれるちゅうじんしんきょうたかいので、きゅうこうげきしたりはぜったいしません。こうげきるとかしんりゃくというようなものはにせものです。


       このひかりでんてきいろんなしゅるいひかりいっ

-ありがとうございます-
 ひかりかたについておしえてください。たとえばたいようとかほしぞらからのひかりをメッセージとしてればいのか、それともただせてもらっているとればいのですか。

ありがとうございます:
 このひかりでんてきいろんなしゅるいひかりいっぱいあって、そのひかりあやよういろいろえるのですが、これもいっしゅんいっしゅんたのしむだけなのです。ほんとうはこのがいひかり姿すがたもチャンネルごとにぜんちがひかりるのですが、それもいっしゅんいっしゅんけてたのしむだけでいいのです。
 ただ、まだぼーっとえています、のチャンネルだとぼーっとえるのです。おなひかりでもぶっしつかいらすようなでんてきひかりではなく、たとえばひかりとかあいひかりとかいうと、どういうひかりかちょっとわからなくなるでしょうが、ぜんひかりということ使つかうのですが、このでんてきひかりだけがひかりではないのです。いのちひかりなのです、いのちひかりえるかというとちょっとえません。ありとあらゆるひかりかみさまのとくせいごとにちがひかりるので、それがげんふくざつわさって、ひかりあやようまれているのです。だんだんといろんなひかりかんかたかわってくるとおもいますが、あまりそれにとらわれないで、いろんなひかりへんたのしんでけたらいいのです。


        ひとこころてんしょうあらわれます。ひとつのかたとして

-ありがとうございます-
 そらくもひともちはんえいすることはりますか?

ありがとうございます:
 ひとこころてんしょうあらわれます。ひとつのかたとして、ひとこころくもあらわれることもります。ひとこころくらしずむとあまぐもてきくもただようし、まえわんがんせんそうときなんかはくもあかぐろへんしました。いままさにせんそうじょうたいという姿すがたをとって、てっかくひとこころあらわしてくれます。はくうんゆうゆうただようならにんげんこころがそういうじょうたいかもしれません。
 それもひとつのかたなのです。げんぶんかみさまのいのちせいゆたかにきているから、そういうなら、みんなきているがあるといえます。そういうふうにくもつくげるのも、くもしんひょうげんかもしれないですし、ているがわとのりょうほうのものがります。


      さとりのみち

-ありがとうございます-
 しょうさっさとりのみちうえくほどきびしいとりますが、それはこのてきさんげんのことですか、それともげんげんうえのほうをしているのですか?

ありがとうございます:
 りょうほうです。このでもそうですし、うえくほどそうです。こと使つかかたひとつにしても、さいしょはマイナスのことしょうしょう使つかってもいのですが、だんだんとひとことでもというふうになってきます。よほどをつけておかないと、きびしさがしたかんじがします。それでないとちからかないのです。やまのぼりもそうですが、したのほうはゆるやかでひろみちのぼやすいのです。だんだんとけわしくなってほそくなって、それだけちゅうりょくひつようでそれでちからくのです。

-ありがとうございます-
 いったんのぼって、またちてしまうこともりますか?

ありがとうございます:
 もうひとつちからをつけにくのです。いっかいやまのぼってちからいて、らしいなとおもって、こんしたからのぼってくるひとおうえんき、またいっしょのぼっていちだんちからくのです。ちてしまうというよりも、たすけにりてもういちちからけにくのです、どんどんつよくなります。さいしょいっかいのぼるのにかなりかんがかかりますが、つぎらくみじかかんのぼれます。それがどんどんかんたんしゅくされていくとすごちからになって、のぼるコースもえるかもしれないですし、なことはいのです。

-ありがとうございます-
 もういちのぼろうという、くつのエネルギーのこんげんいったいなんなのですか?

ありがとうございます:
 こんなんたわむれてたのしんでいるのです。ぶんほんとうらしさをこんなんもんだいたわむれてちからはっして、ほんとうらしさをかくにんしているのです。いくらげんちからっていても、じっとしていたらるかいかわかりません。きゅうげるちからがあるとっても、はしにぎっているだけではわかりません。ぶんちからためしたいところがるので、こんなんちょうせんしてゆくのです。そしてげんちからはっして、ぶんらしさをかくにんしてよろこぶのです。


     かねでもなんでもそうですが、ただしい使つかかた

-ありがとうございます-
 おかねひつようぶんかみさまがくださるのですか?

ありがとうございます:
 おかねでもなんでもそうですが、ただしい使つかかたがわかったら、ひつようなだけちゃんとあたえてもらうのです。ただしい使つかかたがわからないと、ったらきずきます。使つかかたちがっていたら、ひときずけ、ぶんきずけます。

 おかねただしい使つかかたがわかったら、ひつようおうじてひつようなだけあたえてくれるのがかみさまのたすけです。ぶんにあったらこまります、すくなくてもこまるのですがそれはかみさまのほうがちゃんとています。使つかかたがわからないひとがおかねつとなかがいどくながします。使つかかたすこしわかっていて、はいぎるとこうずいのようになります。それでながされてしまうというマイナスがきます。ぶんはいぎるよりすこすくないぐらいが、おかねたよるよりかみさまにたよったほういのです。

 ほんとうひつようなものを入れるときは、かみさまのたすけはなかからはたらちからになっててきます。たなからもちしきそとからあたえてもらうのは、かみさまのたすけではありません。ほんとうかみさまのたすけはなかからはたらちからて、なんばいでもはたらけてそれでひつようなものを入れるようになります。そとからたすけてもらうのは、しゃっきんのようなもの、りなのです、かえさないといけません。でもなかからる、かみさまのちからはたらいたものはりではありません。はたらけばはたらくほどちょきんやしています。

 ほんとうごくらくかいというのは、げんのうりょくはっしてはたらはたらものばかりのかいです。じっとしていてごそういっぱいというのとはちがいます、ぎゃくです。このだとなにもしないでなまけて、たくさんものをあたえてもらうのが、しあわせでごくらくおもうかもしれないですが、ぎゃくなのです。ごくらくかいひとはたらものばかりでみなくすばかりで、そういうひとあつまると、ぶんまわりからあたえられてくされて、こまることはぜったいにありません。なまものごくらくならこまります、だれはたらかなかったら、べるものもなくなってどうのようなじょうたいになってしまいます。


      それはきなひとえらぶだけですが、あたえる

-ありがとうございます-
 だんじょえんかみさまのたすけがないとじょうじゅしないのですか?

ありがとうございます:
 それはきなひとえらぶだけですが、あたえるかたれんしゅうするなら、ひくほうえらんであたえるりょうおおいほうがいいのです、ひくほうえらべばいっぱいあたえられます。あいげんらしいものをいっぱいっていたら、あたえるものがくなりますから、さいていひとえらぶのがいいのです。そうしたらぶんいちばんはやりっになれます。あたえるたいしょうがひとりのひとだったらさいていひとえらべばいのですが、あたえるたいしょうかいというふうにひろげて、かいくするためだったら、ぶんたすけてくれるいパートナーがいのです。それもせんたくのひとつです。


      こんかいたいしたことはないのでしょうが、いろ

-ありがとうございます-
 アフガニスタンなど、しゅうきょうによるせんそうはげしいじょうたいは、おさまらないのでしょうか?

ありがとうございます:
 こんかいたいしたことはないのでしょうが、いろんなしゅうきょうおしえがあって、みんなおしえにしばられぎています。おしえはほんとうかみさまをしめことです。ほんとうかみさまをしっかりつかめばいいのですが、おしえをつかんでしまっているのです。おしたいたいしたことではないのに、それをけなされたらはらてるのです。つまらないおしえをさいこうおもむからなのです。

 ほんとうかみさまは、おしええなんていうものではありません、おしえなどるにらないものです。ほんとうかみさまは、げんげんらしいあいかたまりのようなものですから、ひところしてはぜったいにいけないのです、みなしあわせにするばっかりなのです。だからおしえにしばられなくなったらいいのです。
 にせものけいほんものおもちがえているところがぶんります。イスラムきょうでもアラーのかみゆいいつぜったいかみというのですが、それならほんものかみさまをしっかりとらえたらいいので、それだとちゅうのすべてをほうようくして、みなしあわせにするはたらきをするのです。けんするひとおしえだけのかみさまです。ぶんしんじているかみさまを、さいこうですとまんするひつようぜんぜんないのです。みんなおなじで、みんながほんとうかみさまをしんじて、いっぱいしあわせにしてもらっているのだから、ぶんだけがひとほんものかみさましんじていてもなにもないのです。みんななかたすって、よろこって、かんしゃってゆけばいいだけなのです。

 さいしょはみんなにせものけいにだまされるのです。だいぶつさまといってもほんとうだいぶつさまは、ちゅうだいおおきいじんつうざいかみさまをしています、だいぶつさまもかまくらだいぶつさまも、けいけいもうひとつちいさいけいなのです。お土産みやげなどにもっとちいさいだいぶつさまがりますが、このだいぶつさまはほんものだと、ちからがあるとさっかくするのです。
 ちゅうだいだいぶつさまがほんとうだいぶつさまなので、ぶんちゅうだいだいぶつさまのあいつつまれているのですから、ちいさいおまもりのだいぶつさまはいりません。そういうものにたよるのはぐうぞうすうはいしんこうで、ようちがったしんこうおちいってしまうのです。
 ありがとうございますは、ほんものかみさまをとらえて、ちゅうぜんたいからまもってもらうかたです。ちいさいえだかみさまほとけさまはようらなくなります。このかみさまにまもってもらうとめたら、かみさまにまもってもらえないのうせいります。かみさまははけんきょなので、あのかみさまがまもっているのならわたくしもうかと、おたがいにゆずったら、まもってしいかみさまもまもってくれなくなるかもしれません。ありがとうございますは、ぜんからまもってもらえますからいいのです。


      ありがとうございますはにくたいくしても、

-ありがとうございます-
 このったありがとうございますは、にくたいくしたあとどうなりますか?

ありがとうございます:
 ありがとうございますはにくたいくしても、ますますおくはいってゆき、かみさまをかんれるほんものになってゆきます。にくたいがあるあいだほうが、まだばくぜんとしてかんりにくくなっています、おくはいればはいるほどぢかかんやすくなります。にくたいがないじょうたいほうとなえているひとかんじやすいのです。
 ただあのいろんなげんとなえられたらのはなしで、となえられなかったらひくいところへってしまいます。このまれるもくてきは、このでありがとうございますをとなえるれんしゅうをして、となやすぶんえるためなのです。そのしゅうかんせいけておくことです。そうするとあのっても、となやすくなってかんやすくなり、かみさまをほんとうぢかじっかんするようになります。

-ありがとうございます-
 まれわりのときに、ぜんおくがなくなるときますが、ありがとうございますをこのっていても、あのったらわすれてしまうことはありませんか?

ありがとうございます:
 そんなことはありません。まれわりのときおくすこくするのは、たいていマイナスをおさえられてしまうからなのです。まえわることをしてきたら、こんまれわってもかおげてあるけません。それだとあたらしいたいけんつくれなくなります。それでのマイナスのおくさえんでおいて、あかるくあたらしいかたれるようにして、それをいっぱいしてから、もういっかいかえときたら、もプラスにおもかえせるのです。
 
 のマイナスにからないぶんになったら、えてくるのです。しゃっきんげんにあるのに、いまはたらきなさいとわれてもはたらけないのです。そくえてどんどんふくらむのに、いくらはたらいてもかえしようがないとなるとはたらよくがなくなります。そういうのとよくています。はたらちからをつけさせるで、しゃっきんいちたなげにします。それはしゅれいさましゅじんさまがって、かたわりするのです。ちからいたらまたおんがえしというはたらきで、ひとしゃっきんでもって、たすけてあげようかというふうになってゆくのです。

 <ちゅうですが、ここから2へうつります>

                
ありがとうございます
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