真祈り文庫
2001年10月20日
No.2
色んな定義の仕方が有るのですが、愛の本質
-ありがとうございます-
愛の定義について教えてください
ありがとうございます:
色んな定義の仕方が有るのですが、愛の本質は何かと言うと、元々は「合う」という一体化している意味で、離れているものが出会って合う、そして一体化するという一体化の働きが愛です。一体化するための要素として、何と一体化するかというのが一番大事なのですが、神さまと一体化するのが根本です。その神さまの現れとして、神さまから分かれたものが合って一体化して、また神さまとひとつになるという、それが愛の本質なのです。
その中に「思いやり」と「寛容」と「赦し」という大きい三つの柱があります。
「思いやり」はプラスのものを必要なだけ的確に与え尽くしていくということで、与える側と与えられる側がぴたっとひとつになって喜び合えるものです。必要なものを与えてもらった時に一番嬉しいのです。必要の無いものを与えられても嬉しくありません。今本当に欲しいもの、例えば、喉が渇いて水が一滴でも有れば有り難いという時に、すっと水を持っていくと必要なものを的確に与えた姿です。そのときは幸せと感じて、本当に一体化した姿をとります。それが思いやりです。
「寛容」というのは「すべてをプラスに価値あるものとして受け入れること」で、これは受ける側から見る見方なのですが、与えられたものを本当に価値あるものとして、どんなものを与えられても受け入れていけるという、その立場が一番謙虚な立場に立った時になれるのが寛容です。
ティッシュを一枚与えられても、必要なければ今はいらないですと断るかもしれない、必要なかったら受けられません。でも、ものすごく謙虚な立場にたったらこの一枚がすごく価値があるのです。これがなかったら大変困る時がいっぱいあります。謙虚な心というのは、「どんなものでもプラスに大きい価値あるものとして受けていける心」なのです。すべてが小さいプラスから大きいプラスまで、全部揃った状態で受け入れられるのが寛容の心です。正しく価値あるものとして受けるのが、与えるものと与えられるものとが一体化するぴたっと愛でひとつになる姿です。
「赦し」というのは赦免の赦、赤に一枚二枚の右側なのですが、この赦しは新たな受け直しなのです。赤は赤心とか赤裸々とか、元の本体を指していて、それを一枚二枚とめくるように一瞬一瞬受け直すというのが赦しなのです。だから常に神さまから新しいものを受け入れたら、その中はもう一体化した姿が既に備わって与えてもらっているのです。
神さまと一体化した姿をもらっているのですが、低い番組になるとそれがバラバラに分かれた状態になっています。その分かれた姿を掴んで囚われたら赦せないのです。特にマイナスを責めたり色々するわけで、過去を掴むと赦せなくなるのです。あの時に私にこんな意地悪をしたと、もうそれだけで過去を掴んで赦せなくなります。神さまから与えられた新しい姿の中には、本当に一体化して助け合って生かしあって、本当にひとつになっているという感覚がすっと入ってくるので、その 大きい幸せがすっと入ったら過去の小さいつまらないものは消えてしまいます。
赦しは大事なのです、赦しが有ったら争い事は起こりません。過去の報復も仕返しも何もありません。常に神さまから新しいものを受けていくのが赦しの心で、この三つが愛の三原則です。これが有ったらすべてが調和するのです。
食後に食器の洗い物があるとして、ありがと
-ありがとうございます-
家事が嫌いで先延ばしばかりという心の癖がついている感じですが、ありがとうございますで出来そうな気がしてきました。
ありがとうございます:
食後に食器の洗い物が有るとして、ありがとうございますと言うと既に洗われた状態が出てくるのです。既に洗われて整理された状態がすっと受けられますから、その間を繋ぐのがさっと済んでしまうのです。掃除でもそうですが、きちんと整理された状態がすっと受けられるのです。今ごちゃごちゃになっていても、それがすっと埋まってしまいます。ありがとうございますを持ってまだ出来ていない状態と、出来たという状態との瞬間移動を起こします。知らない間に人が洗ってくれているかもしれません。どういう形でもいいから結果がすっと出ていれば良いのです。
思いの心は求めます。思いが蓄積されて求め
-ありがとうございます-
与え尽くすとか無条件の愛とは?どうすればそれが出来ますか?
ありがとうございます:
思いの心は求めます。思いが蓄積されて求める心、欲の心になりますから、思いが消えてしまった方がいいのです。思いが消えてしまったら求める心は消えてなくなり、感謝の心の中に与える心があります。感謝の心と与える心はひとつですから、感謝をずっとしていくと、与える心がどんどん強く大きく出てきます。これしかないと与えるだけがすべてになってきます。
思いと感謝の心とは正反対です。感謝を先に優先させていくと思いが消えて、感謝だけになって、その中にはもう与える心しか有りません。求める心はどこを探しても無くなります。でも思いが残っているうちはちらっと求める心が顔を出します、お返しを求める心が出てきます。ありがとうございますを最優先して唱えていたら、だんだんと与える心だけに成り切ってしまうのです。難しくは有りません、ありがとうございますだけで成れます。
感謝の中に神さまの全徳が光として全部有る
-ありがとうございます-
光に成ために心がけることとして、感謝の他に何かありますか?感謝の中身をもう少し細かく分けて教えてください。
ありがとうございます:
感謝の中に神さまの全徳が光として全部有るのです。ありがとうございますと唱えていると、全徳の働きが必要に応じて自由自在に湧き出てきます。愛の必要な時は愛がすっと出てくるし、知恵が必要なら知恵が、力が必要なら力が湧いて出てきます。そのときそのときで必要なものが全部、ありがとうございますの中から出てきます。
一番単純に、ありがとうございますだけにに絞り込んでおけば、あとは自由自在に必要に応じて湧き出ます。ありがとうございますと並列的に並ぶものは他に何もないのです。ありがとうございますがすべてで、その中に全部が含まれているので、必要ならひとつにも無限にも分かれる時があります。どんなやり方でやっても良いのです、全部ありがとうございますの中に収まります。
何故かわかりません、勝手に飛び出すのです
-ありがとうございます-
様々な質問に対して先生がいつも的確に答えられるのは何故ですか?
ありがとうございます:
何故かわかりません、勝手に飛び出すのですが、ありがとうございますを唱えているおかげで、必要だったら必要なものを神さまが与えて下さるのです。質問されて困ったら知恵を授けて下さるのです。あまり頓珍漢な話をすると馬鹿にされますから、神さまのおかげです。ありがとうございます。
可哀相とは思いません、最初から言葉はこの
-ありがとうございます-
本当は真理とか真理の言葉を沢山頂いているのに、受けきれない人に対して可哀相と思いますか?
ありがとうございます:
可哀相とは思いません、最初から言葉はこの世の言葉でも100%は通じません。人によって受けとめる割合が全部違いますが、こちらの考えていることを100言って1聴いてくれない人も有るし、10聴いてくれる人も有るし、この世的なことなら100に近い位の聴き方をしてくれる人も有るのですが、その立場が相当近寄らないとわからないのです。
真理の言葉はその差が大きいのです。それぞれが自分の立場で聴きますし、自分のプラスになる都合のいい言葉しか聞いていないことが多いです。それはそれで自然で当たり前のことと思ったら、もうそれ以上求めません。必要なだけ受け止めてくれたらそれで大満足なのです。
神さまの方から私の口を使って言葉を出す時に、無限に深く大きい神さまの言葉を全部受け切れるかと言ったらそれは出来ないのです。受け切れたらおかしいのです。奥に奥に深い意味がありますから、これで全部受けたというのは無いのです。昔からある師匠から弟子への言葉以外の伝授のようなものでも全部は伝わりません。受ける側が受けられるだけのものしか伝わらないのです。それでどんどん大きくなるのでそれで良いのでしょう。無理やりというのはいけません、器が壊れますし無理が来ます。コップに水を一杯欲しいというのに、滝からどっと降ったら水をちょっと飲みたいだけなのに、全身びしょ濡れになります。
-ありがとうございます-
コップ一杯しか欲しくない人に、滝を降らせてしまったような時はどうしたらいいですか?
ありがとうございます:
モグラに太陽の強い光を当てるようなものなのですが、実際にはありがとうございますを唱えていたら、神さまの方が調整するのです。必要なだけ与えるように調整してくれます。
-ありがとうございます-
言葉をこちらの意図と全く違う受け取り方をされて、行き違いになることが時々ありますが 。
ありがとうございます:
もし相手の心が傷付いたならとにかくごめんなさいと言って免除してもらって、あとはありがとうございますとプラスに見ていけばいいのです。
絶対というのは、マイナスはプラスの中に大き
-ありがとうございます-
プラスだけの絶対の世界から、プラスとマイナスがある相対の世界への移り変わりは、どんなふうになっていますか?
ありがとうございます:
絶対というのは、マイナスはプラスの中に大きく飲み込まれています。一体化したプラスの中にマイナスは有るには有るのですが、表面には出てこられない、目立たないのです。だからプラスだけが出てくるのが絶対なのです。相対の表現を創るときに、そのまま絶対をもってきても光だけで終わってしまうので、中をすこし操作してプラスとマイナスに分けるのです。そのプラスとマイナスを組み合わせて、色んな表現をとるのです。絶対はあくまでプラスだけです。
話は別に何もしませんでした。以心伝心とい
-ありがとうございます-
原田観峰さんが以前ここへいらしたと聞いていますが、どんな話をしたのか聞かせてください。
ありがとうございます:
話は別に何もしませんでした。以心伝心というか、目を見合わせただけで納得していました。その後、研修生を集めるから話をして欲しいと言われて行きましたが、その時もあまり話はしていません。その時は、神が人となって現れた神人なんだというふうに紹介してくれて、色んな話をさせてもらって、その場ですっと三枚の書を書いてくれました。そのうちの一枚が天照大御神で、畏れ多いからこれには名前を入れられないというのを赦してもらって、名前を入れさせてもらったのですが、自分の名前など書ける訳がないという自覚を持っていることが、自分を出せるようなものではないとわかっているところがすごい方です。
註:原田観峰(1911〜1995)
「正しく美しい文字」を未来に伝える日本習字の手本の筆者として、また正統書道推進の第一人者として活躍した原田観峰。基本の精神を護り、流行にとらわれない観峰流書体は、全国で多くの人々に親しまれています。また、彼の教育理念は日本国内にとどまらず、数多くの文化交流の場を通して海外にも広がっています。
参考URL:http://www.nihonーsyuuji.co.jp/ns/master/master0.html
特別に通信は要りません、命を神さまに捧げ
-ありがとうございます-
近くの場所にいらっしゃる特定の神さまと通信をするのですか?
ありがとうございます:
特別に通信は要りません、命を神さまに捧げて神さまの御心のままにと感謝一筋に居ますから、どんな神さまもこの身体を使えます。近くにある皇の聖地には惟喬親王さまだけでなく、聖徳太子さまもおられて他にも、影で謙虚に何も出さずにもっと高い働きをしている人がたくさんいます。大勢の神神さまがいっぱいで守りに護っている場所なのですが、ここからすべての分野において本物を発信するというような、何か大きな計画が神さまのほうに有るようです。
ありがとうございますが本当の神さまの姿であり働きなので、そこから色んな分野で色んな力を発揮する人が出てくるのだろうと思います。一定の分野に限らず、自由自在に何でもいいのです。商売する人なら商売で大きい働きをするのでしょうし、芸術家なら芸術の分野で大きい働きをするのだと思うもですが、すべての分野で神さまの大きい働きを頂いて発揮するのです。色んな人がこれからまた集まるかもしれません。神さまだけではなく肉体を持った人も集まってくるでしょう。どうぞ自由にお使いくださいと、そういう意味ではここも宿泊所もそうです。
このあたりは皆さん、自由に自分の家や庭と思って使ってください。大勢が活用する方がいいのです。ただ自分のものとして使わせてもらう時はお客さんではないのですから責任が有ります。責任を持って使うならいくら使っても良いのです。色んなことに何でもいいですから使ってもらう方がいいのです。歌とかコンサートとか写経のようなかたちで、色んな真実の言葉を書くとか、彫刻とかなんでもいいのです。幅広い分野でありがとうございますを根本において力をもらえば、どんどん善いものが ここから発信されます。
神さまのお手伝いというのは、いろいろな分野で幅広くさせてもらうのが大事で、それぞれ色んな特技があるから、色んな企画を皆が練って持ち寄ってくれて楽しくするのが一番うれしいのです。
何でもやります。必要なら何でも幅広くやり
-ありがとうございます-
ここで活躍しているボランティアの人たちは、朝早くから夜遅くまで仕事をしているようですが、どんな事をしているのですか?
ありがとうございます:
何でもやります。必要なら何でも幅広くやります。例えば、山の作業の時にモノレールを解体して欲しいとか急に頼まれると、朝の三時には出かけて現地に着いて仕事をして、また帰ってきてとかいうのもあります。初めてのことでも何でも挑戦するのです。
本心開発というのはある意味では能力磨きです。神さまの力を受けて何でも出来る自分に変えてもらうことです。自分の力で無く神さまに力をもらう練習なのです。普通はみんな自己限定というか、これしか出来ないという思い込みが強いのです。その自己限定を消してもらうためになんにでも挑戦します。
これしかできないというのは絶対無いので、それは思いだけの話で、その思いを取ったら神さまが使ってくれて何でも出来る筈なんで、新しいものに挑戦するのは自己限定の思いを消してもらう一番のチャンスなのです。女の子だからこれしか出来ないというのは無いのです、皆なんでもします。男の人顔負けです、皆すごいです。神さまに使ってもらって何でも出来るんだというのが大事なのです。
ありがとうございます