真祈り文庫
2001年10月20日
No.1
天命を完うするという天命にも色んな考え
-ありがとうございます-
天命を完うするということについて教えてください。
ありがとうございます:
天命を完うするという天命にも色んな考え方があるのです。マイナスの解釈だと早く死ぬという考えにもなるのですが、そういう意味では全く無くて天からの使命役割です。本当の自分は神さまから最高の役割を与えられていますが、これは一人ひとり違います。神さまの最高表現を一番価値あるものとして、味わい尽くせる自分に早くなることです。それが本当の意味で天命を完うするということなのです。
この世の番組だけで自分の役割を演じるだけではまだ小さいのです。本当はもっともっと大きい役割があります。それが神さまの中にある、人に対する本当の天命を完うせよという言葉なのです。無限に無限に幸せいっぱいにならないといけないのです。行き着くところは無いのです。これ以上の幸せは無いという所まで行っても、奥に奥にまだ有ります、どこまでも天命を完うしようとするのです。
もう確実に掴んでいます。ひとつひとつ新し
-ありがとうございます-
まだ目標というものが見つからなくて、今はありがとうございますと何事もプラスに見ようということをしていますが、それで何か掴む事ができますか?
ありがとうございます:
もう確実に掴んでいます。ひとつひとつ新しいものをどんどん掴めています。一瞬一瞬の一回ごとの感謝がもう大きい働きなのです。そのたびに何か新しいものに気付いて気付きがどんどん増えて大きく深くなります。
この世も皆が姿を持った神さまです。色んな
-ありがとうございます-
姿を持った神さまと一緒に遊びたいのですが、どうすればできますか?
ありがとうございます:
この世も皆が姿を持った神さまです。色んな仮面を被っているのですが、すべての番組の中の姿は全部神さまの演技の姿なのです。姿形を持った神さまというふうに見た方がいいです。上の番組になるほど素晴らしい姿で現れて遊んで下さるのです。
神さまの世界の姿を、ありがとうございますで
-ありがとうございます-
病気の時にはどうすれば一番いいですか?
ありがとうございます:
神さまの世界の姿を、ありがとうございますで受けて無限の無限の健康を、または、完全健康をありがとうございます位がいいのです。治癒するという段階もなくなります。
出家という意味も幾通りも有ります。今見て
-ありがとうございます-
生きる事自体が修行なら、出家することはどういう意味がありますか?
ありがとうございます:
出家という意味も幾通りも有ります。今見ている番組から抜け出て別の番組へ移るというのも、ある意味では順番に家を出ているのです。ひとつの番組の中でもマイホーム主義から抜け出て大きく生きようというのも出家です。
これが自分の家、というのをどんどん大きくしていくのが大事です。地球が自分の家というのが、地球を越えて宇宙が自分の家になればもっと大きい意味の出家なのです。本当の最高の出家は、最高番組の中へ飛び込むことかもしれません。そのすべての番組を抜け出て神さまと一体の番組を味わう自分に戻る事かもしれないのです。
神さまの命の捧げものとして感謝して受けるなら
-ありがとうございます-
日本だけだと思いますが、僧侶が肉を食べ酒を飲む事をどう考えますか?
ありがとうございます:
神さまの命の捧げものとして感謝して受けるなら、何でも頂いたらいいのです。これはお酒これはお肉というふうに、マイナスに見るとマイナスを受けてしまいます。マイナスを取り入れたらマイナスになります。神さまの命を受けるのですから、神さまの命が入ってくるだけなのです。
-ありがとうございます-
意識が高まると肉や魚が必要ない肉体になりますか?
ありがとうございます:
番組がどんどん上れば何も食べなくてもよくなります。中から輝くばかりですから必要ないのですが、すべてをプラスにプラスに見て、捧げものとして命を頂くという気持で見ると感謝も深まりますし、捧げる方と捧げられる方とで命の交流もできます。交流することで共に高められるという意味もあるのです。マイナスに見ると奪い合いということにもなるのですが、プラスにプラスに見る事が出来ればどんどん理想に近づいていきます。
-ありがとうございます-
だんだん肉食をしない方向に向かっているのですか?
ありがとうございます:
高い番組の世界だとライオンも草を食べてるのです。置換効率がいいのです、草はいくらでも生えて成長します。それを小さい動物が食べてそれを次にまた大きい動物が食べてというふうに別にしなくてもいいのです。プランクトンとかクロレラとかを皆が食べるようになれば食糧不足になりません。だんだんと理想に近づけば近づくほど肉食は無くなるのでしょうが、まだそこまでしなくてもいいのです。
だんだんと霞を食べているだけで大丈夫というふうになっていくかもしれません。そうなると本当に何でも必要なものはすっと出てきますし、必要なければすっと消えてくれます。だんだんと自由自在になります。
本当はこの世も同じなのです。この世も必要なものがすっと入ってきて必要なければすっと消えていってくれるのが本当なのですが、ただ掴み過ぎなければいいのです。移り変わりを止めると邪魔するのです。入ってきたのはありがとうございますと受けて、出て行くのはありがとうございますと送り出すのです。
どんな事もプラスに受けるのが大事です。ど
-ありがとうございます-
強盗にあったとかの場合に、どう見ても自分が奪われただけとしか見えないときでも、無理やりにプラスに見た方がいいのですか?
ありがとうございます:
どんな事もプラスに受けるのが大事です。どんなひどい事をされたとしてもそれは大きな借金返しですから、借金返しをさせて頂いてありがとうございますと感謝して受けるのが大事です。盗られたものが戻ってくる時もあるかもしれません。そのときはまた素晴らしいプレゼントをありがとうございますと、もっと喜ぶのです。常にプラスプラスに受け直すのです。
-ありがとうございます-
すべてプラスに変えていくとマイナスの言葉そのものがなくなりますか?
ありがとうございます:
有ってもいいのです。暑い時は涼しいというマイナスも必要で、それもプラスに向けられるマイナスの言葉だったらいいのです。上手に使いこなせば、太陽がすごく輝いている時は暑いのですが、そのときはちょっと影にすればいいのです。影にというとマイナスですが、暑さを和らげてくれるという感じのプラスの受け方が出来たら、影というマイナスがプラスに変ります。お腹が一杯で満腹と言うとおいしい料理も味気なくなりますから、そういう時はお腹が空いたと言うのもいいのです。お腹が空いたと言うときっとまたおいしく食べられます。大きいプラスがあってマイナスが生きるのです。マイナスだけだと苦しいのです。
そのときにマイナスに見過ぎたのです。その
-ありがとうございます-
子供の頃、人間に食べられる為に殺される魚を見て悲しい思いをしたので、今も食べられないのはマイナスが溜まっているのですか?
ありがとうございます:
そのときにマイナスに見過ぎたのです。そのマイナスのショックで、もうマイナスは取り込みたくないと思うのです。色々と見方が有ってプラスに見ると、命を捧げて頂いたと感謝して受けてプラスに見る事が出来ます。プラスだと受け入れていけます。
元々、神さまの命を頂く・神さまを食べているという大変な事を皆しているとも言えますが、生かし合いの命の交流なのです。与えて頂くものは素直に受けてまた自分の命も与えるという与え合いです。与え合いで一体化していくのです。自分から求めるというのは奪う姿になります。自分から肉を食べたいと自分の方から求めると、殺してでもという奪い取る姿になります。そうではなく、もし自分が病気になって死にそうな時に、動物が私の身体を捧げますから、それを食べて元気になって下さいと言ったら、そう言われたらその時は受けないといけません。それで元気になって善い事をして、動物にお返しをしていけばいいのです。
弱肉強食の世界という見方もありますが、プラスの見方は生かし合いの世界なのです。小さい生命が大きい生命にどんどん身を捧げて大きく自分が進化向上を続けている、それでいて皆が生かし合いをしているから一体化していると言えるのです。
本当はお祈りだけでは無く「すべてに対して
-ありがとうございます-
お祈りの時の心の持ち方について教えてください。
ありがとうございます:
本当はお祈りだけでは無く「すべてに対して与え尽くす心を持ってさせてもらう」のが大事です。神さまから無限の無限の幸せを一杯に与えてもらって、その恩返しに万分の一どころではないのです、無限分の一もお返し出来ないのですが、恩返ししたいという気持で神さまのお役に立ちたいという気持で、お祈りもさせて頂くのです。
神さまは光を振りまこうと一生懸命働いて下さるのでそのお手伝いです。神さまのお手伝いというと、神さまの大きい光が自分を通して流れるのです。守りに護ってくださるのですが、自分が勝手にしているお祈りは、神さまの光が欲しいと求める方にいるのです。そうすると必要なだけちょっとだけしか入りません。神さまの応援が小さいということです。でも神さまのお手伝いというと、神さまはどんどんおおきく光を振りまきたいですから、一回ありがとうございますと唱えると大きい光が自分の身体を通してすうっと世界中に流れます。すべて神さまのお手伝いという気持でさせてもらうのが大事です。
-ありがとうございます-
心の持ち方・・神さまのお手伝い?
ありがとうございます:
今も戦争状態で何兆円も爆弾に変えて投下されているわけですが、それで何が生まれるかというと、恨みや憎しみや怒りや悲しみが一杯に増幅されて出てくるのです。これは大変な事です。たくさんのお金をかけてそういう事をしているのですが、神さまの方はそういう思いを消したいと思っています。神さまの光を受けて振りまいてくれる人を待っているのです。ありがとうございますと唱えてくれる人は、神さまの大きい光を受けてこの世に光を振りまく役目なのです。
思いを消す働きです。神さまのお手伝いをする意味で、ありがとうございますと一人ひとりが一生懸命唱え続けるのも大事なのですが、人数が限られていてまだ少ないのです。だからありがとうございますという光の受け場をどんどん広げる事も大事です。そういう意味ではシールは最適です。光の爆弾のようなものです。思いを消す光の爆弾を投下した方がいいのです。これからもっとシールを配る運動が活発になったらいいと思います。シールもそれをもらってただ自分の為に使うのならそれは求める心です。それなりの助け光は受けられますが、そうではなく、今度は神さまのお手伝いをするという気持で光を振りまく為に使うという意味で、シールがたくさん配られるといいと思います。
シールでも自分がシールを買うというと自分の立場を中心にした求める心になります。自分が買うというのではいけません。買うのではなくて神さまのお手伝いという形で、ありがとうシールの募金に協力するというかたちだったら、神さまの為に大きい働きをさせて頂く姿をとります。そうしたら同じお金を出してシールに変えても、神さまの手伝いだったら自分の受ける光は大きいのです。一枚シールを配るお手伝いすることによって、一回お祈りしたのと同じ効果が出るのです。そのシールがまた後々色んな人の目に触れてお祈りしてくれて、それが全部自分に戻ってきます。一枚を世の中の為に配る事が自分のお祈りにプラスされていきます。
シールは原価で一枚一円ワンシート二十円位なのですが、それをお金を出して配る事によって大きい神さまのお手伝いになります。神さまの為にということが、神さまの大きい助けを受ける秘訣なのです。
二十歳位から働いたお金を平和運動に全部つぎ込んで、生活費も残さなかったのですけど、それが一番いいのです。生活費を残さなくても、必要なものはちゃんと与えてもらうのです。そこが不思議なのですが、食べるものが無くなるかというとそうではなくて、必要な食べ物は必ずどこかから与えてもらっているのです。そういう連続でずっと来ていて、ここの建物もそうですが、全部ただで入ってくるのです。必要ならいくらでも与え続けてもらっている感じです。神さまのお手伝いという姿をとった方が幸せなのです。幸せがどんどん大きく早くしてもらえます。自分中心にお金を出すのではなく、神さまのお手伝いというかたちで、恩返しの気持でさせて頂く方が効果が大きいです。
シールの配布は何億枚を日本中に配っても何億円ですが、爆弾の方は何兆円です。何分の一のお金で日本中に何億枚のシールを配ったら日本中が光り輝きます。爆弾も絶対落ちてこないし不景気も消えます、細菌テロも問題になりません。そういう問題が消えてしまいます。何分の一のお金です。それを誰かがしないといけないのです、皆で運動としてそれを始めたら日本中に何億枚のシールがすぐに配れてしまいます。
ここから全部出すというのはあまり良いことではないのです。皆がそれぞれに自由なかたちでしていくのが良いのです。シールの形も書体も大きさも色々と有った方がいいのです。ただ大量に作った方がコストは安いですから、作るときは皆でお金を出し合って作った方が効果が大きいのです。計画的に有志が集まって安上がりに作ったほうがいいですが、形はもっともっと色んな案を出し合って自由に出来た方が良いと思います。
神さまのお手伝いという形なら、神さまの働きはもっと自由自在な色んな姿をとった方が良いのです。神さまはこれから皆さんに大きい期待をかけて大きい働きをして欲しいと願っておられるのです。
私は二十歳位からずっと平和運動をしてきて、一人でもかなりシールをばら撒いてきていますが、これが何万人になったら世界中にたくさんのシールが撒かれて、光の渦巻きが起こる位になります。最初は少しずつで良いのです。神さまの為にと少しずつ捧げる姿をとると、何倍もお返しが来ます。それでまた少し多く捧げていくとまた大きく入ってきます、それがどんどん大きくなるのです。たとえば循環するお金の量が殖えてくるのですが、最初の一歩を踏み出さないと、神さまの助けを大きく受け入れることが出来ません。
人の心は普通は与えたら与え返して欲しいという気持が有って、与えてくれなかったら与えたくないというのが有ります。それが残っているので神さまの助けを受けるにも、自分が神さまに何か与えないと受けられないと思い込んでしまうのです。だからちょっとでも神さまに与えた方が、受けられるという気持になれます。そういう意味で神さまの為にお手伝いしたいという気持で与える心を起こした方が、神さまの助けを大きく受け入れることが出来るのです。
神さまの立場からすれば無償で無限に与えたいのです。ただ受けてくれたらいいとそれだけなのですが、人の側が受けません拒絶してしまうのです。その拒絶する心を自分で修正しないといけないのでその修正の方法が、神さまのお役に立つということで、少しでも自分が神さまの役に立っている、という気持になると自分が納得するのです。これなら神さまの助けを大きく受けても大丈夫と思えるのです。そういう気持を起こす必要はあると思います。
すべてを神さまのお役に立つ為にというふうに持っていけば、これはシールの事だけで無く、他のことも全部神さまのお手伝いをするのだと、例えば講演のテープなども少しでも光を振りまくお手伝いをという形で、色んな人が皆に広めてくれています。神さまは皆に無償で与えたいのです。本当は何から何まで無償で与えて、皆を幸せにしたいという願いを持っているので、人の側はそのお手伝いをさせてもらうことですから、本当は売ったらいけないのです。売るのではなく協力してもらえば良いのです。神さまのお手伝いの協力です。あくまでも無償が、無償で与え尽くすのが大事です。ただそのお手伝いをして協力してくれる人が殖えるといいのです。
お手伝いや協力してくれる人も、買う時に自分が買ったらいけないので、買うのではなく、自分も人も含めてそれぞれをを幸せにする為にテープを聞かせるのだと、自分が聞くとなると買って聞かないといけないのですが 、神さまのお役に立つ為にお手伝いの為にお金を出してテープを手に入れて、自分も含めて人にもこのテープを聞かせて光を振りまいてもらう、というのだとそこに神さまの光が大きく降りるのです。
本でもそうですが、真理の本というのは版権を言う(主張する)といけません。どんな真理の言葉も、皆を幸せにする為に神さまから無償で降ろされているのです。神さまは無償で与えています。だから出来るだけ無償で与えられる生き方が大事です。本に高い値段を付けて買ってもらった方が読んでもらえるとか、色んな理屈が有るのですが 真理の言葉はお金では買えません。本を作る手間賃だけで良いのです。真理を買ったのではありません。紙とインク代と手間賃を買っているので、真理を買ったなどと言うのは傲慢なのです。
真理は必ず神さまから無償で頂いています、人ももっと謙虚になったら、神さまへのお手伝いという意味で、純粋に無償で真理を配るお手伝いをした方がいいかも知れません。神さまのお手伝いという気持で、皆がお金を出し合ってその真理の本を配って、皆に読んでもらって幸せになってもらえば良いのです。ちょっとした気持の切り替えだけなのですが、形は同じようにしてるかもしれないのですが、気持の切り替えで大きい違いが出てきます。神さまのお手伝いをしているか自分中心に見ているかです。
神さまを中心に、神さまのお手伝いの姿を取るほうが神さまに護ってもらえるのです。お手伝いする人を神さまが見捨てる訳がないのです。一生懸命護って大きい力を添えてくるのです。そこが一番大事なポイントです。
色んな仕事をするときも同じで、神さまのお手伝いというと、そこが光り輝いてくるのです。自分がお金を儲けるためにとか、自分の生活の為とか自分を中心に見ると、神さまの助けを受け損ない易いのです。神さまの為にという気持だけでお祈りもさせてもらい、勉強もさせてもらい、何もかもすべて神さまの為にというのが一番良いのです。真理の勉強も神さまの為にするのです。自分の為にするのではありません。自分が真理の勉強することで自分が立派になるのですが、それで大きい光を受ける場に変って神さまのお役に立つ為のことなのです。自分だけが幸せになる為だったら小さいのです。皆を幸せにする為に、世界に光を振りまく為に勉強させてもらっているのです。本当は自分だけの為にというのはありません。最高の番組を現実化する為に、大きい働きを皆させてもらっているのです。本当の意味の天命を果たす為に使ってもらっているのです。それに気付くのが一番大事です。「ありがとうございますと感謝しながら、お礼を言いながら、神さまの御用に使ってもらうのです」
-ありがとうございます-
シールで世界に光を撒くのに、各国の言葉でありがとうも力を持ちますか?
ありがとうございます:
外国だと両方あった方が良いかもしれません、形も色々と作ってみんなに受け入れてもらえるように。日本語のありがとうございますという最高の言葉を、覚えられたというのも素晴らしい喜びになると思います。サンキューと唱えていても、そこにありがとうございますが付け加えてあれば大きい光が入っていきます。ありがとうございますの言葉の響きが大事なので書体はひらがなでもローマ字でも良いのです。
-ありがとうございます-
シール寄金をして皆で集めて作れば・・・
ありがとうございます:
そうです、このシールでも、花の形の中にありがとうございますが有ったり、動物の形や光るありがとうとか立体視できるものとか、もっと自由自在に色んなものを考えてくれる人があったら良いと思います。
ありがとうございますは、最高の答えをしっ
-ありがとうございます-
問題解決をありがとうございますだけで済ますのは、少し逃げているような感じが残りますが。
ありがとうございます:
ありがとうございますは、最高の答えをしっかりと掴みに行くこと、掴むことなのです。すべての問題の答えが、最高の番組の中に全部有るので先に答えをさっと掴めば、どんな問題が目の前に現れてもさっと答えを掴めばいいので、途中の過程はあまり問題では有りません。
公式を使って答えを出した方が早いのです。病気を治すという問題が有ったら、即健康というという答えをさっと持ってくれば、それも、一番早く持って来れるほうが良いので、その方法がありがとうございますなのです。計算をするにも時間をかけて積み重ねてひとつひとつするよりも、公式を使って答えをさっと出せる方がいいのです。それ以上に答えを先に見て書けば良い、答えはいつでも先に奥のほうに有ります。
ありがとうございますは先に答えを持ってくるのです。問題を解決しようというのもいいのですが、其れよりも答えを先に出して解決した方が楽です。好みも有りますから、時間をかけて苦しんで解決したいという人が有っても良いのですが、時間をもっともっと大事に使える方が大事です。そのことだけが問題のすべてではないですし、色んな問題が無限にあるのでスピード化が大事なのです。
悩む必要は無く、答えを早く出す事が大事です。難しい問題が出来ない出来ないと悩んでいても解決しません、ありがとうございますの中に答えが有りますから、皆解決していきます。
色んな説を調べてくれている人がいるのです
-ありがとうございます-
良寛さんの遺言ということで、良寛さんの魂が語ったことが書かれている本があって、その中でもありがとうございますという言葉には、神さまが宿っているということでした。
ありがとうございます:
色んな説を調べてくれている人がいるのです。韓国の方からも色んな言葉があって、その中で、ありがとうございますは素晴らしいと言ってくれている人もいますが、本当の語源は神さまの方から来ているのです。言霊から来てどこかへそれが降りても、どこからでもそれがひとつになって素晴らしいと褒め称えるのが大事です。ルーツはあくまでも神さまのほうに有って、それが色んなところに降ろされて、それぞれがそれを褒め称えて皆がひとつになるのが大事です。ありがとうが素晴らしいと言ってくれるのは嬉しい事です。
目を閉じて心の中で唱える時は心の奥に入っ
-ありがとうございます-
ありがとうございますを、声に出すのと、無言で心の中で唱えるのと、効果に差がありますか?
ありがとうございます:
目を閉じて心の中で唱える時は心の奥に入っていますが、表面でありがとうございますと唱えるのは表面だけの働きです。奥に入れば入るほど力が大きくなります。更に光源に近くなるのでたくさんの光を受けて、それを全体に大きく流せます。肉体レベルだと肉体に降りたのを振りまくだけですが、奥だと世界全体に大きく拡がるので、そういう意味では、目を閉じて心の奥で深く祈るのはそれなりの大きな意味が有ります。この世で見ると自分だけでなく他の人にも影響を与える意味で、心の中よりも口に出した方が良いときもあります。その時々で色んな意味合いで活用したらいいのです。
形ではなく、もう心は大きく飛び出していますからす
-ありがとうございます-
長年努めた仕事がもう充分だと感じられますが、これは次のステップへと飛び出しても良いということですか?
ありがとうございます:
形ではなく、もう心は大きく飛び出していますから、小さくその中に入らないことです。心が大きく広がって、その中のたくさん有るうちのひとつに見てしまっているのです。働きが大きく拡がるので、その形から抜け出しても良いですし、抜け出さなくっても良いのです、そこも自由です。
働きが大きくなっているので、その場を通さなくても心はもう既に大きく拡がっているから、もうそこに囚われません。そこから何か吸収して勉強してというような、そこだけで働いているという意味はもう無いのです。心は大きく働いているという自覚に変るのです。ひとつの会社ではなく、大きく世界全体というふうに自分の世界が拡がってしまいます。いつも全体を大きく捉えて部分を生かしていくという、そういう捉え方は大事です。
-ありがとうございます-
商品を売る仕事で諸経費などに上乗せする分があるのですが、その部分はどう考えたらいいのですか?
ありがとうございます:
値段を上げてお金を沢山手に入れても、それを全体の為に生かせば良いのです。自分だけのものにしてしまうとそこに少し問題が起こるだけで、常に全体を善くする為の循環なら自分のものでは有りません。循環させれば良いのです、循環をし易くする為にお金を使うのです。循環を効率良くする為にお金が沢山有ったほうが良いならそのほうが良いし、少なくて良いなら少なく循環させていけば良いのです。
ただシールでもそうですが、何か作るときは大量に作った方が安く出来ますから、お金を集めてからした方が早いのです、そうであれば商売ということもないのです。お金があって大量に仕入れることで、安く仕入れられたら、皆に早く善いものを安くわけられます。
ありがとうございます