真祈り文庫
2001年10月19日
No.2
色んな意味の過去が有ります。一番奥の本体の自分を知
-ありがとうございます-
前世を知ることについて何かあれば教えてください。
ありがとうございます:
色んな意味の過去が有ります。一番奥の本体の自分を知ることが、一番の自分の過去を知ることなのです。最初自分はどこから出てきたかという、一番もとを知ることが一番大事なのです。(・・聞き取れず・・)
一部分の過去を知って、それにあまり囚われ過ぎると前へ進めなくなります。前に進む為の過去を知るというならいいですが、囚われた時は縛りになって、縛りの中から抜け出せなくなるという一面があるので、さらりと流す感じで過去を振り返るならいいのです。登山の時のように時々振り返って、これだけ自分の視野が広がったという意味で、景色を眺めるような感じでプラスを見ているというだけならいいですが、細かい自分の足跡までと見るようだと、それは少し囚われています。
大まかに善いところだけを拾い集めるのがいいのです、マイナスを拾い集めても余り役には立ちません。失敗もこういう失敗をしたというよりも、これはプラスを受け損なっただけなのだと考えて、プラスを受ける方へ回すのが大事です。そうしたらマイナスは相手にしないで、プラスへと前へ進めばそれで卒業です。
何の為に結婚しますか?色んな目的が有って何
-ありがとうございます-
結婚相手を探しています。そういう事もわかると聞きましたが。自分自身は結婚は修行と、魂磨きだと思っています。
ありがとうございます:
何の為に結婚しますか?色んな目的が有って何を選ぶかは自分が決めます。それが自分で納得できるといいのですが、ただ漠然と幸せになる為というのなら目的が無いのです。幸せな人は結婚してもしなくても幸せです、不幸な人は結婚してもしなくても不幸です、結婚では変りません。目的を定めて結婚して初めて生きるので、魂を磨くというなら、その目的に向かって魂を磨き合えばいいので、助け合うというだけなら助け合う為だけにしてもいいのです。
結婚する時に相手に求め合う心だと、両方マイナスに向く場合が多いのです。相手の為にと与え尽くす心だとプラスに向き易いのです。相手にこうして欲しい、こうあってほしいと願うのは求める心なので、相手も同じように求めて来きます、求める心同志はマイナスの交流を起こすのです。
こうして欲しいというのは、そうでないのでこうして欲しいので、先にマイナスを掴んでしまっていますから、マイナスの交流になってマイナスがどんどん大きくなります。与える心だと自分の持っている善いものを与えるだけで、相手も同じように自分の善いものを与えて来るのでプラスの交流になります。だから、与え尽くす心で結婚するとどういう目的を持ってしてもプラスがどんどん増えます。
結婚の条件を持ってする人が多いのですが、お金持ちが良いとか顔が良いとかは皆駄目です、求める心なのです。そういう結婚をすると、あまり幸せになれません。逆に貧乏な人と結婚して与え尽くそうとする、顔の悪い人と結婚してそれを補ってあげあげようとする、例えばそういう与える心で結婚すれば必ず幸せになるのです。
水はよく知っているのです、外見だけではわ
-ありがとうございます-
水の結晶は言葉にとてもよく反応すると言われていて、ある人がビンラディンとテロリストという言葉を使って実験したら、ふたつともすごくきれいな結晶ができたというとこを聞きましたが。
ありがとうございます:
水はよく知っているのです、外見だけではわかりません。表面は悪役を演じいても、本当は深い愛の心で大犠牲精神で、大きいマイナスを消しているという場合があります。本当は人を責めたらいけないのです。歴史上に色んな人が悪役を演じていますが、大菩薩がそういう姿をとっている場合も多いので、素晴らしい人かもしれません。強盗というのは業を取ってくれるかもしれませんし、本当は神さまの愛の働きしか無いとすべてをプラスにプラスに見れたら一番いいでしょうけど、マイナスを見る思いが水を濁らせるのです。
水がそのマイナスの思いを被って、マイナスの表現をとってくれる事があります。水も身代わりの姿をとるのです。ビンラディン氏もテロリストも自らマイナスを背負って身代わりになってますから、水はその身代わりをしなくて済みます。先に身代わりになって消してくれていますから、水は楽な状態で善い姿を現します。そういうのを見ると、本当はみんないい人なのだと救われます。愛の神さまの仮面を被った姿なのだというのがわかり易いのです。
世の中のマイナスの色んな事件や出来事は、世の中全体のマイナスを集めて、代表的にひとつの場を決めてそこにマイナスを持ってくるのです。その大きいマイナスを背負って犠牲的に淨める働きをするのです。だから泥棒も殺人者もその人だけの責任ではありません。皆の心の中の泥棒の心や殺人の心をそこへ大きく集めて、神さまが軽く消してくれるのです。皆の身代わりに大犠牲の姿をとって、助けてくれているというのがいいのです。
そうしたら誰も責める必要はなくて皆が救われていく、それが本当なのです。ありがとうございますと感謝し合えたときに、そこに本当の救われがあります。色んな意味で過去の借金返しがマイナスなのです。今借金取りが来たから借金取りが悪いというのは間違いです。借金取りは過去の大恩人ですからマイナスに見るのは違います。借金返しが無い人は文句を言ってもいいのですが、本当は皆借金を抱えています。軽く済ましてもらう意味で借金取りの姿で出てくるだけなので、本当は自分の方から返しに行かないといけない位です。
何のためという目的が有るとすっきりしてきます
-ありがとうございます-
登山とマラソンに凝っていて技術の向上は目指していますが、ただ自分ひとりが楽しむだけという番組を見ているかなと思うことがあります。
ありがとうございます:
何のためという目的が有るとすっきりしてきます。目的が定まると自分がどっちを向いているかがはっきりします。本当の自分を引っ張り出す本心開発、悟りを開く為なら、マラソンで全力を出し切って、限界を破って倒れるところまで行くのがいいのです。何回倒れてもいいのです、そうするとマイナスがどんどん消されて本心が出てきます。
登山の目的もそうです。感謝を深めて悟りを開くためにというなら、山を歩きながら一歩一歩ありがとうございますと感謝すると大地と山と一体化します。そうするとどんどん感謝を深めさせてもらえて心境がぐんぐん上ります。大きい目的を定めるのが大事です。本当の意味で生かされてきます。目的が無いと右へ行ったり左へ行ったり同じところをぐるぐる回る可能性があります。
-ありがとうございます-
悟りを開くという大きな目標をもって、日常のすべての事をそこに目標をおいてやっていけばいいということですか?
ありがとうございます:
そうです。そうすることで全部が生きてきます。何をするのもすべてが悟りの道を一歩一歩あゆんでいる事になります。ありがとうございますを唱える事は神さまへ心を向け続けること、最終目標へ心を向け続けることになりますから、その一歩一歩は悟りへの一歩一歩になります。
それでも前へ前へと進んでいます。どんどん
-ありがとうございます-
自閉症の子供がいて機織の仕事をしています。織った布がヒーリングになればいいと思い、ありがとうございますを言っていますが、やはり現実にはマイナスのことを考えることが多くて・・。子供は輝いてきたのですが。
ありがとうございます:
それでも前へ前へと進んでいます。どんどんすべてが光り輝いた姿をとってきます。最初から最高に輝く訳にいかないので、順番にずうっと輝きが増していけばいいのです。自分の方が輝けば 輝く番組に波長が合って、低い番組ではなく高い番組の子供を見るようになって、子供が変ったように見えます。そう見えるだけなのですが、先ず自分が輝けばいいのです。
現実のマイナスに心を向けたら、プラスの方へ向いていないですから、それをプラスにプラスに向きかえて、マイナスは見ない方がいいのです。ありがとうございますを唱えながら大きい目標に向かえばいいのです。
番組の中のストーリーは全部決まっています
-ありがとうございます-
チャンネルのひとつの番組では、その中の運命はすべて決まっていると聞きましたが、気付いてチャンネルを上げるようなことも、番組の中で決まっていますか。
ありがとうございます:
番組の中のストーリーは全部決まっています。神さまは無限の無限のチャンネルを同時に作りあげています。ありとあらゆるすべてを尽くして創りあげている番組です。人の考えることは全部用意しています。
チャンネルを変えるのは、番組の中で変わるのではなくて、番組を見る自分が変わるのです。番組を演じている自分と見ている自分があります。神さまと一体で自由をもっていてどれでも選べる、自分の心を自由自在に変化させていける自分です。思いをいっぱい持って思いを溜めることも出来るし、思いを消して光り輝かせることもできます。
テレビの見方も色んな見方があります。ただぼーっと見て流れるままに流されて見ている人もあります。そこから何かを学ぼうという気持を持つと、見ている自分の意識がはっきりします。その中からプラスを発見し幸せを発見して学びを受け取っていくと、自由な見ている自分に戻り易いのです。それでチャンネルがどんどん変っていくのです。ただぼーっと眺めていると中に巻き込まれたまま流されます。
そうです。水だけでなく本当の自分は何でも知っ
-ありがとうございます-
小さい頃から、この世としっくりいかない居心地が悪い感じで、この世は仮の姿としか思えなかったのですが、本当の自分と番組を演じている自分との差を感じていたのでしょうか?
ありがとうございます:
そうです。水だけでなく本当の自分は何でも知っています。本当の自分は最高番組でやっと心が安らぐのです。低い番組だと、足りない足りないと満足できないところがあるのです。それが高い番組に心を合わせるのに役に立つのです。しっくり行かないで良かったのです。低い番組でしっくり行ってたら大変です。
色々有ります。番組の中だけを見ている場合
-ありがとうございます-
自分に起きた出来事の意味を考えるような時、考えているのは番組の中の自分なのか、番組を見ている自分なのか、教えて下さい。
ありがとうございます:
色々有ります。番組の中だけを見ている場合も有るし大きく外から眺めて色んな過去を振り返るときも有ります。番組の中の過去のストーリーを眺めるのもひとつの振り返り方だし、チャンネルを変えてきた過去を大きく眺める時もあって色んな過去の振り返り方が有ります。
自分がプラスに向きたいなら、ありがとうご
-ありがとうございます-
何か問題か起こったときそこからの学びは何かということで、じっくり考えた方がいいのか、感謝してさっと流すのとどちらがいいですか。
ありがとうございます:
自分がプラスに向きたいなら、ありがとうございますを唱えてどんどんプラスへ上っていったらいいのです。マイナスを掴んで、そのことを思ったり考えたりすること自体が、マイナスの方に向かっています。マイナスとは取り組まない方がいいのです。よけいそこの傷を大きく抉り出したりします。本当の傷口の手当てはそこに触ったらいけないので、そーっとプラスのものを被せるだけなのです。プラスへプラスへ心を向けているとマイナスが癒されていきます。傷口を抉ったら痛いだけでなく余計に傷を広げます。
自分のマイナスも人のマイナスも無いのです。自分自身で自分のマイナスを掴んで改めようと思っても、掴んだ途端に改まらなくなります。人のマイナスも直してあげようと思って、指摘して言葉にするだけでマイナスを大きくします。人のも自分のもマイナスは見ないのがいいのです。マイナスに見えるときは、心が神さまの方を向いてないです。ありがとうございますと感謝をしているときは、心が神さまの方を向いてます。そうするとプラスにプラスに見ていけるのですが、感謝を忘れた時は絶対プラスには見えません。心の向きが逆でマイナスに向いているので上から下へ見ることになって、必ずマイナスを拾い集めます。
心の向きを神さまに向けるのが先決問題で、ありがとうございますという祈りの言葉を使いながら見ていくと、プラスにプラスに見ていくようになります。プラスしか見えなくなるのです。
-ありがとうございます-
心理カウンセリングは、その人の心の中から問題点を見つけて解決する方法をとりますが。
ありがとうございます:
時間がかかる方法です。先ずマイナスをほじくり出して浮かび上がらせても、それを消すのに時間がかかります。ありがとうございますを唱える方が変化が早いのです。
心が感謝に切り替わるのは本当に大変なので
-ありがとうございます-
お祈りのなかで、感謝をしない人を感謝の心に向けるのが一番難しいと聞きましたが。
ありがとうございます:
心が感謝に切り替わるのは本当に大変なのです。一人ひとりが過去に思いを出して生き続けているので、思いがどんどん膨らんで大きくなっています。ひと言のマイナスの言葉でも、宇宙を駆け巡って一杯友達を連れて帰って来るので、借金というのは利息が付いて殖えるのです。
どんな種を蒔いても一粒万倍に殖えていくのが自然なので、マイナスの言葉も思いも知らない間にどんどん膨らむのです。気付かないだけで無限の思いというのが有るのです。表面のちょっとした出来事は軽いのですが根があります、それを奥から全部とるのは大変で、人が本当に感謝の心を起こせるようになるには、奥からの思いを誰かに肩代わりして消してもらわないと感謝することができないので、いつもお祈り出来るようになるまでは、神さまが無限の無限のマイナスを免除し続けて感謝が出来るように助け続けています。
思いを消すときにどういう消し方をするかが大事です。心という家があってそこにゴミが一杯に溜まっていて、ゴミを消すのにそこに火をつけたら家が丸焼けになりますから、ゴミを焼却場へ運ばないとならないのです。神さまの焼却場でそこへ持っていくとゴミがぱっと消えるので、そこへどんどん運び出さないといけません。そうしたら傷付かずに思いというゴミが全部消し去られて感謝の心がふっと湧き出るようになっていきます。
そういう道具に使ってもらっているという意
-ありがとうございます-
先生のお祈りは神さまの仕事の仲介のようなものですか?人やこの世の浄化をしていて業を被るような肉体に堪えることはありませんか。
ありがとうございます:
そういう道具に使ってもらっているという意味もあるでしょうけど、色んな段階があるのです。この世に近いものはあくまでも道具として使ってもらって、奥の方の自分はお手伝いしてという感じで、色んな役割があるのです。奥のほうへマイナスの思いを持っていっても瞬間に消えますから、奥の自分にとっては別に何とも無いのです。大光体の中に何があっても大丈夫です。
表面に来たのを早く奥に送り込まないといけないのです。表面に光を送り込んで消すのは大変なのです。どうしようもない時はそうなるかもしれないですが、そのときは肉体がかなり傷むことも有ります。奥へ奥へ送り込むほど楽になるのです。深い祈りが一番大事です。浅くなると浅い段階で光を受けてゴミを焼くのですが、そうすると咳が出たりします。
色々と幅広く勉強して、一番大事なものを選
-ありがとうございます-
精神世界を中心にたくさん本を読んでいたのですが、先生のテープを聞いてから本を読むことに興味がなくなってしまいこれでいいのかなと思います。
ありがとうございます:
色々と幅広く勉強して、一番大事なものを選んでいってどんどん自分を高めていけば、視野が広がって囚われなくなります。部分の勉強はそのときはしてるようなのですが、部分部分に囚われているのです。それを大きく総括するような見方か出来てこないと消化しきれないのです。
最初は部分の勉強をするのです、そしてそれを全部ひとまとめにするような、大きい見方の自分に戻っていっているのです。そのときはもう部分の勉強は要りません。全体を大きく見れる自分になれたら、また次は別な部分の勉強になって、そうやってどんどん高まっていきます。だからいまはそれでいいのです。
下に落ちる生き方を過去にとり続けていたの
-ありがとうございます-
自分の意識が変化を始めてから、下に落ちる夢を何度も見るのですがどういう意味があるのですか?
ありがとうございます:
下に落ちる生き方を過去にとり続けていたので、そういう傾向を持っているのです。どーっと落ちる経験を過去に何億回積み重ねているか計り知れません。それを一気に消しきろうとしたら守護霊さんは、夢のかたちで毎晩何万回も夢に出しては消しています。それで心のマイナスの傾向を全部消して下さっているのです。夢は目覚めた時少しの間覚えているだけですから、守護霊さんのご苦労がよくわかります。
番組としては一番下に地獄番組はあるのです
-ありがとうございます-
地獄は人の思いが作るだけで本当はないと思うのですが。悪役の姿をとってこの世で悪い事をした菩薩さまは、死んだら地獄と極楽のどちらへ行くのですか?
ありがとうございます:
番組としては一番下に地獄番組はあるのです、一番上に極楽番組があるようにです。そうでないとすべてを尽くした神さまの表現にならないので、神さまの創った表現としてあるのですが、それに波長を合わせて眺めるかどうかはそれぞれ違うので、波長の合っていない人は知らないから、地獄はないと言ってもいいのです。でも、それは知らないからで体験していないから、ないとかないかもしれないと言いますが、実際地獄に波長が合った人はあると断定的に言います。実際番組としては有るのです、体験しているかどうかの違いです。
地獄に落ちる姿と極楽に上る姿は同時に両方があります。お釈迦さまの話で提婆達多(だいばだった)という人はお釈迦さまの教えに背いてその邪魔ばかりしていたのですが、それで地獄に落ちるのです。この話が法華経の中で十二番目の教えになって提婆達多品になっているのです。
お釈迦さまの弟子たちは、落ちていく姿を実際に見て、ああ・・地獄へ落ちていく・・と思うのです。それもひとつの見方で、お釈迦さまはそうは見ていなくて、提婆達多は地獄には落ちていない、提婆達多は前世で自分の師匠だったと言うのです。前の世で自分が王だった時に、法華経の真理を私に教えてくれる人があれば、自分はその人に千年の間、絶対奉仕するとおふれを出したら、仙人が出て来て自分にその真理を教えてくれた。その仙人が提婆達多の前の世の姿だったので提婆達多は自分の師匠なのだと言ったのです。
師匠だった提婆達多が今度はお釈迦様さまの邪魔をして地獄へ落ちていくのです。本当はあり得ないことですが、それは仮の姿なのでお釈迦さまを鍛えて上げているのかもしれないし、お釈迦さまを助ける意味でマイナスだけを背負って、仮の姿は地獄へ落ちた姿をとっているともいえます。色んな姿が同時にあるのです。
一番奥には既に悟った自分があって、色んな番組の中では地獄に落ちている番組の姿もあるということです。地獄に落ちているように見えてもいいのです。別に見る人がそういうふうに見ても構わないですし、上から大きい働きが出ているという見方もあっていいのです。お釈迦さまの見方と弟子の見方が違った、波の合わせ方が違ったのです。それも自由なのです。
この世も細かく分けたら無限のチャンネルに分かれます。ひとつの事を見るのでも皆見方が違います。同じ見方は絶対していない、どこか違うのです。波の合せ方がどこか違うのです。それでいいのです、同じものを見たら意味がありません。神さまから見たら、皆が自分の分身になって色んなチャンネルを見て楽しんでいるのなら、皆が違う見方をしてくれた方がいいのです。同じ見方をする人が二人は要らない、一人でいいのです。同じ見方を絶対していないというのが大事です。自分は自分でいいのです。それをしっかり楽しむのがいいのです。
ありがとうございます