真祈り文庫
2001年10月19日
No.1
唯一無二絶対の本当の神さまはひとつだけで
-ありがとうございます-
古神道では天之御中主神さまが親神さまだと思いますが、お話の中では天照大御神さまは宇宙絶対統一神ということで、どう捉えたらいいのでしょうか。
ありがとうございます:
唯一無二絶対の本当の神さまはひとつだけです。神さまの働きに応じて名前が決まるのですが、天之御中主神というのは「絶対」の働きを指し、天照大御神さまは「統一」の働きです。神さまの働きに応じていろんな名前が無限に出てきます。
ありがとうございますは神さまの働きの全体像を指す言葉です。私たちにとってわかり易いのは無限に無限に輝いた統一の姿、光源のような姿をとって目に見えるというのが一番わかり易いのです。奥の絶対の姿や創造の過程の姿は少しわかりにくいので奥に隠しておいて、表面的に無限に無限に輝いた光源のような姿をとっている統一神を捉える方がいいのです。絶対と創造の働きを中に持っている統一神という意味で天照大御神さまを中心に捉えていきます。
-ありがとうございます-
ありがとうございますは天照大御神さまの別名と考えていいのですか?
ありがとうございます:
そうです。そのときの天照大御神さまは絶対と創造の働きと分身としての働きで、この世に現れるような姿の全部をひとつに見たときの天照大御神さまなのです。
-ありがとうございます-
法則とか守護とかの働きも持っているということですか?
ありがとうございます:
水が去来する自然な動きを法と言いますが、絶対の中にも創造の過程にも統一の姿にも、分身の自由自在な八百万の神さまの働きの中にも、現実に現れたさまざまなことにも、すべての中にこの自然な動きは有ります。則は「のり」とも読んで祈りという神さまの働きです。法則の働きと救済の働きと大きく二つに分けたりもするのですが、どちらの神さまの働きも本当はひとつなのです。その働きをどういう立場から眺めるか、どういう受け方をするかでふたつに分けて見えたり、と、見る側の立場や見方で違ってきますが、本当はひとつです。
病気の症状を顕すときは本当は大きいお淨め
-ありがとうございます-
怒りや悲しみなどその人の陥り易い感情的な傾向が、特定の内臓疾患と関係するという事が本に書かれていました。
ありがとうございます:
病気の症状を顕すときは本当は大きいお淨めなのです。症状の症は、病だれに正しいと書きますが、心の闇を形に顕して消し去って心を正しく戻す働きなのです。本当の苦しみというのは心の苦しみなのです。それを軽くする意味で形に顕して押し出して消してくれて、心が軽くなります。大病をすると心がすうっと淨まります。ちょっと熱が出たりちょっと風邪気味だったりするのも本当は大きいお淨めですが、それを軽く済ませてもらっているのです。病気の原因はたくさんありますが共通するものは根本的にはお淨めなのです。だから、病気をしたら本当は喜んだらいいのです。
病気は今の自分だけのものではなく、過去世の自分のものも有るしいろんな縁者のものも有るし大きく地球全体のマイナスを一手に引き受けている場合も有るかもしれないです。病気になったら、いろんな意味のお淨めをさせていただいて皆を幸せにする働きをさせて頂いていると喜べばいいのです。
咳き込んで苦しくても死にません
-ありがとうございます-
環境汚染が原因らしい小児喘息の既往があり、それは転地療養で治ったのですが最近突然ぶり返したように喘息発作が現れて、ひどい時は死にそうな感じがして、ありがとうは言っていますがもっと自分が考えるべきことが有るから症状が続くのだろうかと思ったりしますが。
ありがとうございます:
咳き込んで苦しくても死にません。
-ありがとうございます-
はい、ここにこうして来ることが出来ています。
ありがとうございます:
心臓は動いているし全身の60兆の細胞は全部喜んで一生懸命働いてくれています。全体を見るとマイナスはほんの少しなのです。大きいプラスに見ていくほうがいいのです。本当に呼吸が止まるような大変な症状は有りますし、場合によっては空気が有るのに無いと思ってしまって、吸っても吸っても空気が無いという感じになる人もあります。
いろんな症状が出て来て苦しむのは思いの方、思いが苦しむのです。けれどそれを通して思いがどんどん消されていって、そのあと感謝の心が湧き上がってくるのです。ありがとうございますを言っても、心にマイナスを持ち続けていたりする時のギャップを埋めてくれる働きもあります。それによって感謝の心が早く深まり、感謝の心になるとどんな症状が出ても楽しめるのです。
時々、呼吸がかなり長い間止まるのですけど、身体が重たくなって動けなくなって、感覚がなくなる位になるのですが、それでも中から又ふっと呼吸が湧き出てくるのです。そこへ行くまでに咳き込んで喘息が何ヶ月も続いたり、でもそれも必要ならピタッと止まるので不思議なのですが、こうしてお客さんの有るときは大丈夫なのです、夜中に一人でお祈りしている時は大変だったりします。
-ありがとうございます-
肉体としては苦しいけれど肉体の感覚を放せば苦しさはなくなると思うのですが、そういうときの苦しみは苦しみとして感じないと浄化されないのですか?
ありがとうございます:
感じなくていのいです。あまりに苦しみが大きいとそれを感じたら死んでしまいます。たくさんの思いを消すときは感じない状態でじっと見ています。全身を駈け巡る、のたうちまわるようなすごい痛みが来る時もあり、そういう時に痛みと一緒になっていたら、辛いのです。肉体は痛んでいますが痛みは肉体に任せて、私は無限の無限の幸せで一杯、喜びで一杯と、そちらに心を向けて痛みの思いの中に入らないほうがいいのです。そうすると早くすっと消えていきます。
十八,十九歳の時に痛みの練習をさせてもらい
-ありがとうございます-
痛みの 思いの中に入り込まないコツを教えてください。
ありがとうございます:
十八,十九歳の時に痛みの練習をさせてもらいました。胃痙攣を一年間、ものすごい痛みが走るのですけど、そういう時は前向きに何かした方がいいのです。じっとしていたら痛いので、それを忘れる位他の事を何かする方が、そうすると痛みが和らいできます。気持が他に転換した時、痛みを感じないような状態になるのです。でも痛みはまだ続きます。
十九歳の時は頭ががんがん割れるような状態が一年続きました。床屋で耳掃除をしてもらったのがきっかけで、片方の耳が中耳炎か外耳炎でもないのでしょうが、頭が割れるような痛みの状態になってぴったり半年続いて、その後は左右がころっと入れ替わったように反対側が痛くなって、がんがん割れるように痛くなって両方でちょうど一年でした。
その頭が痛いときでも頭を使って勉強している方がいいのです。痛いからと逃げたらいけないので、一生懸命頭を使って何でも良いから何かしていると痛みが和らぎます。それもお祈りの時いろんなマイナスを消す時の痛みに耐えるための訓練だったかもしれません。それで、お祈りをしているときにかなりの痛みを感じても、逸らす練習ができました。他へ心を向けたら良いだけなのです。それをたいそうに思って掴んでしまうと、辛いのです。楽しい方へ心を向けたら痛みを感じにくくなるし、少なくなります。痛みに耐える練習は大事です。強くなれます、痛みにも強くなれるほうがいいのです。そういう意味では戯れる方が、どうしても耐え切れない時は心を他に向けたらいいのです。
-ありがとうございます-
耐えられる痛みのときは痛みを味わった方が良いということですか。
ありがとうございます:
そういう余裕のあるときは強くなる為に痛みと格闘するのがいいのです。どれだけ自分が強くなっているかという事で楽しんで格闘して戯れているのです。痛みを消すにはプラスに心を向けないといけません、痛みを体験していない人は痛みに弱くてちょっとの痛みで心が動転しますが、強い痛みに耐えている人なら少々の痛みが来ても平気でお祈りできます。お祈りがし易くなります。その意味では、痛みを味わって戯れる、耐えられない時は心を他へ向けるという両方の訓練が有ります。
本当は丹田呼吸がいいのです。赤ん坊は腹式呼吸
-ありがとうございます-
呼吸法について何かあれば教えてください。
ありがとうございます:
本当は丹田呼吸が良いのです。赤ん坊は腹式呼吸なのですが、だんだんと大人になると胸で呼吸するようになります。胸式呼吸だと意識が上ずります、それよりは腹式呼吸がいいのですが、丹田呼吸に入る方がもっと良いのです。丹田呼吸は、基本的に吐く時に静かに長く細く、吐く事に意識を向けるのです。吸う時は何も考えないで、吐き終わったらすうっと吸えます。吐くときに意識を静めていくのです、そうすると気持が上ずらなくなりお祈りがし易くなります。
軽く軽く下腹の方(丹田)に力が入って、そこに意識が集中します。普通、頭であれこれ考えますが、考えると思いが出るのです。意識が丹田にくると頭が空っぽになって、思いが出なくなり感謝がしやすくなります。そういう意味で、姿勢を正して自然な姿で丹田に軽く力が入って、吐くときに出来るだけ細く長く静かにすうっと吐く練習をすると、そのときにお祈りの練習がし易いのです。でもそれにもあまり囚われる必要は無くて、ありがとうございますを自然に唱えさせてもらっているうちに、一番自然な呼吸法に成ってきます。
番組ごとに色んな姿が有るのですが、勝ち負
-ありがとうございます-
勝負事は神さまの世界と別だと聞きましたが、スポーツは青少年の自我形成の上で有効だと思うのですが。
ありがとうございます:
番組ごとに色んな姿が有るのですが、勝ち負けというのは低い番組です。仏教では心を十に分けて地獄、餓鬼、畜生、修羅・・というふうに十界が有るのですが、修羅の世界が争い、競争の世界、勝ち負けの世界というのは思いの世界です。勝敗に拘らないお互いを高め合う、善いものをお互いに引き出し合う与え合う意味の競争なら、かなりプラス面が出てきます。相手を打ち負かすという感じだと、かなり低い修羅の争いになります。
スポーツで良いところは、楽しく全力を出し切って心を明るくできる点で、全力を出し切ることで本当の自分が出て来易いのです。もやもやしていると心が曇り易いので、全力を出し切って完全燃焼させると心がすっと晴れてきます。もやもやを全部出し切ってしまうという意味でスポーツは良い、全力を出し切るというのが良いのです。楽しくするのも良いのですが、ただ楽しいだけだとあまり深く入れません。全力を出し尽くして限界を破ってというのが大事です。そうすると思いが消されていって、中から本当の自分が湧き上がって来ます。
昔の武道の生きかたはいいのです。武道はある意味厳しく、自分の心をしっかり見つめて、思いの心と本当の感謝の心とをはっきり区別して、思いの心を消し切ろうとするものです。常に全力を出し尽くして限界に挑戦して、自我を死に切っていく生き方です。その方が神さまを早く見出せるのです。生き方という意味では今のスポーツは少し甘いのです。
自分の心の中に思いが溜まってくると、波動は低
-ありがとうございます-
波動が低いとか高いとか言われているのはどういうことですか?
ありがとうございます:
自分の心の中に思いが溜まってくると、波動は低くなります。思いが消えて感謝が深まってくると高くなります。心の中に何が有るかによってチャンネルの合わせ方が決まり、波動の違いが有るのです。波の違いのようなもので、細かくなるほどスピードが早くて、だから高い番組ほど精妙で実現のスピードが早いですし、低いほど緩慢な動きで荒く粗雑になります。思いのほうは低くなって感謝の方は精妙に細かくなっていきます。細かいところまではっきり区別がつくのが高いです。だんだんとぼやけてぼーっとなっていくのは低いです。
それぞれの中に色んなランクがあります。暗い思いより明るい善い思いの方が少し高い波動です。感謝にも浅い感謝と深い感謝があり、深いほど高い波動です。低い波動はマイナスの番組と波長が合いますから、そういうものを現実化します。ある意味では高いほど新しいと見た方がいいのです。絶対から現れてくる新しい部分が高いもので、古くなるほど低いと言えます。
常に絶対から新しいものが生まれて、末端まで行って消えて、また絶対に戻るという、現れて消えていく過程を分けているのです。新しいほど輝いて波動は高く古いほど輝きが乏しくなって、低いつまらないものになっていきます。太陽の光で例えて言うと光源に近い方が新しいし末端に行くほど古くなっていると言えます。
-ありがとうございます-
天照大御神さまから高い波動が降りてきて、だんだん粗くなってこの世の私たちがあるということですか?
ありがとうございます:
そうです。
-ありがとうございます-
私たちよりもっと波動が粗くなるとどうなるのですか?
ありがとうございます:
もっともっと低くなって地獄に行きます。この世はあの世の無限のチャンネルの中のひとつの番組です。この世よりも低いあの世が一杯有り、業想念に波長を合わした時に出る世界は、どんどんマイナスの多い世界になっていきます。自分の心に思いをマイナスを一杯に溜め込んだら、地獄に波長を合わせられるのです。相当貯めないといけないですが。
-ありがとうございます-
苦しい思いの中にあっても、波動を上げようとしないような人もいると思うのですが。
ありがとうございます:
下へどんどん降りていく、番組を下げていく過程の人も有るのです。そういう人の場合は、あまり邪魔をしない方が進歩が早いのです。普通は自分がプラスに上りたいと思うときに、他の人も一緒にプラスにと思います。周りの人全部がそういう人だといいのですけど、中にはそうでない人もいますから、自分がプラスを選ぶのなら周りの人も全部プラスの人ばかりなのだと観て、そういうふうに言葉を使っていかないといけないのです。そうして一緒に上るためならいくらでも助け合いが出来てきます。
自分の周りにはプラスに向いた人しか集まらないという信念がもてるといいのです。周りの誰に対してでも、自分がお祈りして相手をプラスに観たらいいのです。自分の気持がどっちに向いたらいいのか、はっきりしない時は両方が集まります。自分の気持次第です。自分はプラスに向き切るのだと決めたら、自分の周りはプラスに向く人ばかりだと、自分が決めていけばいいのです。
色んな意味が有ります。上ったり下がったりし
-ありがとうございます-
生活レベルでも心のレベルでも、段階が有って色んなチャンネルを上ったり下がったりしていると思いますが、それはそういうことによって早く気付く為ですか?
ありがとうございます:
色んな意味が有ります。上ったり下がったりしても気付かない人もいます。自分がはっきりと自由意志で方向を定めるのが大事です。本当に上りたかったら上ればいいですし、下がりたかったら下がればいいのです。上ったり下がったりしているのは、どっちにでも流れるという感じで、自分の自由意志を放棄している場合が多いのです。本当に低い番組を味わいたかったら一直線に一番下まで降りたらいいのです。落ちて番組が下へ降りると時間が長く感じられるのですが、本体の高い自分にとっては落ちたのもほんの一瞬なのです。下へ降りていく行く自分が有ってそれに囚われてしまうと、低いところほど長く感じられるのですが、そう錯覚するだけなのです。一番高い自分から見たら一瞬間だけです。
神さまから一瞬一瞬すべてを受け直している本当の自分が有ります。その自分が色んなチャンネルにちょっと心を向けていくのですが、奥にある本当の自分という自覚が有って、低いところを見るなら巻き込まれないのですが、ふっと巻き込まれる事があります。そのときは奥の自分を忘れているだけなのですが、一時的に狭い範囲しかわからない、ひとつのチャンネルに嵌り込んだその番組しかわからない状態に陥りますが、ふっと我に帰ると元に戻るのです。
移り変わる番組の中でいつまでも、そこに嵌り込むことは有りません。ちょっと状況が変ってくると、ふっと我に帰ります。本当はその中に嵌り込む期間というのは短く、たいしたことは有りません。ひとつの番組だけ見ていると嵌り込み易いですから、いつも自由自在にいくつかの番組を見ているといいのです。いつも高い番組を見ながら、低い番組を見ているなら楽なのです。テレビをいくつか置いて見ているような感覚で出来たら一番いいのです。
この世のひとつのチャンネルも細かく分けたら無限に分かれています。その無限に分かれた中で 本当は皆上ったり下がったりしています。心がプラスに向いている時は、この世の無限のチャンネルの中で番組を少し上げていますし、心に思いを出して暗くしてしまうと低い方へ合わしてしまったり、それも上げ下げする練習で幅を広げる練習なのです。無駄な勉強は何もしていません。上がり下がりが有っても番組の幅を広げる練習です。
ありがとうございますを言う時は、無限の無
-ありがとうございます-
ありがとうございますと感謝をしても、現実の戦争の場面などを見ると、すっきりと割り切れない思いが残るのですが。
ありがとうございます:
ありがとうございますを言う時は、無限の無限の輝きが一杯!という最高表現を見るためなのだと、一旦定めておいた方がいいのです。完全平和の番組なのだと、その番組に心を向けておいて、現実のいろいろな争いの戦争世界を見て「こういう番組もあるんだ」と幅を広げて眺めると現実には囚われなくなります。
自分の視点をいつも、無限の無限の輝きが一杯!という最高番組に向けていくのが大事です。本当は上へは昇り難くて下へは降り易いのですが、いつも上に向けておいてから下に降りて、すっと自由自在になるのがいいのです。
真夏の暑い太陽を浴びている自分であれば、一瞬なら北極の寒さを味わっても大丈夫な訳で、それは返って有り難いことで、マイナスに思わないで逆にそれが有り難いという感覚で出てきます。心がいつも平和に向いていれば戦争状態を見ても、自分は何て幸せだろうという感覚で戦争の状態をちょっと見るだけです。
低い番組をちらっと見ても、今の自分の幸せを浮かび上がらせるような働きだけをしてくれるのです。低い番組だけを見ていると苦しくなるのです。最高番組だけをいつも受けていこうという方がいいです。それがありがとうございますという祈りことばです。そうするとどんな番組を眺めても引っ掛からないし、幸せを大きくしているだけの働きになります 。
-ありがとうございます-
上がり下がりしないで、最高番組だけを見ている為にはどうしたらいいですか。
ありがとうございます:
ありがとうございますをしっかり唱え続けていると勝手に上ります。思いの出る暇がない位ありがとうございますを唱えるだけです。難しくは有りません。
お金にマイナスが一杯付いていても、それをプラスに
-ありがとうございます-
ありがとうございますを言い始めてから、お金を扱う職場でお金を基準に考える人たちに囲まれて仕事をするのが辛く感じます。プラスに変えるにはどうしたらいいですか?
ありがとうございます:
お金にマイナスが一杯付いていても、それをプラスに変えるといいのです。そういう大きい働きをする役目があると思えばいいのです。お金にありがとうございますを込めていけば、お金の洗濯が出来ます。そうしたら、それで世の中がプラスにどんどん幸せになっていきます。マイナスの一杯付いたお金をプラスに変えただけで、自分が大きい働きをした事になり、人に大きいプラスを与えた事になります。マイナスがプラスに変ったお金をもらった人は、それだけで幸せを一杯手に入れることが出来ます。すごい大きな働きになります。表面的な仕事の何万倍以上の仕事をしたことになるのです。
他の人がどういう姿勢でお金を扱う仕事をしていても、それはその人の自由なので、ただ自分はお金を淨める働きをさせて頂くことが本当の自分の仕事だなと思えば、他の人の仕事の何万倍という大きい仕事をするのです。そうしたら、自分の幸せも早く大きくなって出てきます。自分の仕事がはっきり定まって、そちらに気持を向けたらプラスに向きます。
ありがとうございますを一回唱えると、本当は最低でも一万円以上の価値があるのです。お金全部にありがとうございますを言うと一円玉でも一万円の価値になります。自分のすることを見つけて、一生懸命していたら周りは気になりません。楽しんで前へ前へ進むのが大事です。
どのチャンネルにも学びは一杯有ります。マ
-ありがとうございます-
人は何を学ぶ為にこの世に生まれてくるのですか。
ありがとうございます:
どのチャンネルにも学びは一杯有ります。マイナスをしっかり体験するのも、プラスを無限に価値あるものに見出す勉強です。マイナスと比較していくことがいいのです、謙虚になれてプラスのものが更に価値が大きくなります。この世にマイナス・プラスが有るとしたら、プラスを集める勉強なのです。プラスをどんどん心に受け入れていく勉強で、宝探しみたいなものです。マイナスの多い場所で、一個だけプラスがあると探しがいがあり、そのときの喜びは大きいのです。大きいゴミの山にダイヤが一個だけ有ったら、ゴミを全部掻き分けてその一個を探し出した時の喜びは大きいですが、ダイヤの山に石ころが一個混じっていてという状態だったら、そこのダイヤはあまり価値が無いのです。ゴミの山から一個のダイヤを見つける苦労をしておくと、ダイヤの山を見てものすごい価値が見出せるのです。勉強は色んな角度からの色んな仕方があります。
ありがとうございますをそこに加えていくと、勉強の仕方まで一杯いろいろ気付いていって、色んな角度や深さからの勉強がたくさん出来ます。そういう意味ではありがとうございますを一回唱えることは一万円どころでなありません、もっともっと大きい価値が出てきます。お金には換算できないような変えられない、大きい価値がどんどん出てきますから、ありがとうございますを唱える人は得なのです。
一番下の番組を一回楽しんできて、そして直
-ありがとうございます-
神さまが私たちに望んでいることはなのですか?
ありがとうございます:
一番下の番組を一回楽しんできて、そして直ぐに高い番組に戻ってきて下さいということ、最高番組を一番善い状態で味わって欲しいのです。浅く眺めるのではなく深い謙虚な心で味わって欲しいのです、そうしたら本当の価値がそこに生まれます。地獄番組を一回見てこないと、なかなかそうなれないのですが、感謝をもっともっと練習するとプラスをたくさん受け入れた状態で、本当の地獄を見ていける心になれるのです。だからプラスをしっかり捉えて下へ降りないといけないのです。
最初はゼロから出発してプラスを体験して、それに比例したマイナスを体験してというふうに、どんどん幅を広げているというのもひとつの勉強の進み方です。他にもたくさん勉強の方法はあるのですが、最初から地獄へというのも大変なので、そういうふうにしていく事も大切です。まず熱いお湯に浸かっておいて、氷水に入るようなことです。
ありがとうございます