2001年10月8日・2
絶対にマイナスとみたらいけません、ご先祖さまを迷っているとみるのは、自分が迷っているだけです。ご先祖さまを迷っているとみたら、お花をあげても般若心経を唱えても救われません。逆です、自分のほうが助けてもらう側です。でもこんな話しはここにいる人だけです、「お墓大事、仏壇大事」と思っている人にはこんなこと言うと腹を立てるのです。
光源に近いほうが、光が強いです
-ありがとうございます-
(不明)
ありがとうございます
光源に近いほうが、光が強いです、光源から離れるにしたがって光が弱くなっていって最後はゼロになります。光源に近いほうが高い番組です、光源に近いところで体験した人はもう既に全部体験していますから、高い番組を見た人が低い番組に行った時には、大昔に体験した残像をチラッと見た感覚です。いつもお祈りをしている人はいつも高い番組にチャンネルを合わしているからそこで体験したことが後から現実化してきます。お祈りの中で先に良いものをいっぱい体験してしまうのです、現実はその体験したことを一部チラッと感じるくらいのものです。
お祈りの中で体験する時間の感覚というのは、この世でいう時計で計る時間とはずいぶんかけ離れています。そう見たらこの世への執着が離れてゆきます、お祈りの中で何億年分もいっぱい良いものを体験させてもらって、その残像がこの世に少しだけ現れているのです。この世はお祈りの中で先に体験したものがあとから現実化して勝手に流れているだけです。
この世を見る感覚というのは、そんな感覚です。だからこの世で低い番組に執着するのはバカです、お、お、大バカ、無限の無限のバカ。
「マイナスを相手にしないように」とするよりも
-ありがとうございます-
マイナスを相手にしないようにするにはどうしたらいいですか?
ありがとうございます:
「マイナスを相手にしないように」とするよりも「神さまを相手にしよう」とするほうが良いのです。「ありがとうございます」と唱えることを最優先するのがだいじなのです。忘れたら忘れたでかまいません、また思い出して「ありがとうございます」と感謝できればいいのです。それが本当にマイナスを相手にしていない姿です。
-ありがとうございます-
(不明)
ありがとうございます:
それはマイナスに反応してしまっています、その時は積極的にプラスに心を向けたらいいのです。プラスのほうを忘れているとどうしてもマイナスのほうが顔を出してきますが、「ありがとうございます」と唱えたら闇の方は近寄れなくなります。ありがとうございますと光を灯すのを忘れた途端に、闇の方が大きく忍び寄ってくるから、マイナスを掴んで反応してしまうのです。だから一瞬一瞬ありがとうございますと神さまに心を向けて光を感じ取ったらいいのです。
-ありがとうございます-
ときどきそのことを忘れてしまうのですが、どうしたらいいですか?
ありがとうございます:
そうそう、そうやって忘れて損します。そういう時はまた「ありがとうございます」に戻ればいいだけです。ありがとうございます。
皆過去にいろんな体験を積んでいて、その過去の
-ありがとうございます-
来た事のない場所なのに以前来た事があるような気がするとか、初めて会った人なのに前に会ったような気がするとか感じる事があるのですけれどもそれは間違いですか?
ありがとうございます
皆過去にいろんな体験を積んでいて、その過去の体験が呼び覚まされているのです。以前に会ったことがあるように感じるのは、実際にそれまでに会っています。来たことのない場所でも前に行っています。だからそれは間違いではなくて正しいことです。
-ありがとうございます-
なんとなく誰かに呼びかけられているような気がしたら?
ありがとうございます:
呼んでいる!
-ありがとうございます-
その呼びかけに素直に従った方が良いですか?
ありがとうございます:
別に素直に従わなくてもいい、自分が選べばいいのです。自分にとって何が必要かを自分で考えて自分が幸せになる方を選んでいけばいいのです。呼んでくれる人がいっぱい居るかもしれません、過去の友達がいっぱいいたら皆懐かしいから呼んでくれます。でも自分は過去を振り切って、もっと幸せになる新しい道を選んでいるのであれば、呼ばれても「バイバイ」と言ったらいいのです。反対に、呼びかけに従って自分がそれで幸せになるのであればちょっと答えてあげたらいいのです。
最初から最後まで幸せがいいのです、「途中は苦しんで
-ありがとうございます-
小説のストーリーには「苦労に苦労を重ねて、最後の土壇場で苦労が実を結んで幸せになる」というものが多いですが、人生も同じようなものですか?
ありがとうございます:
最初から最後まで幸せがいいのです、「途中は苦しんでも最後がハッピーエンドであればそれでいい」というのであればそれでもいいのですが。そういう小説を読んだ人が全部をスーと心に採り入れたら、その人の運命がそのような形をとります。その本を書いた人は皆に与えているわけですから、人生全部幸せでありたいと願っても途中苦労してしまいます。やはりプラスの言葉だけをズラーッと並べつづけた方が理想です。
過去に聖地であった所もお祈りをする人が
-ありがとうございます-
聖地と言われているような所で戦いが起こるのはどうしてですか?
ありがとうございます:
過去に聖地であった所も、お祈りをする人がいなくなれば、聖地ではなくなります。だから過去が聖地であっても戦いの場になります。そこを聖地に戻したかったらお祈りすればいいのです、場所はどこでも、お祈りをすればそこが聖地になります。
この世の人だけでなくあの世の人もたくさん集まってお祈りをしている所が大きな聖地です、お祈りをする人が増えたらどこでも聖地になります。だから地球上の人が全部お祈りをしだしたら地球全体が大聖地になります。
-ありがとうございます-
今もその聖地で祈り続けている人はたくさんいると思いますが…。
ありがとうございます:
聖地になるかどうかは祈りの内容によって変わります。祈りにはピンからキリまであって、マイナスの祈りとプラスの祈りがあります。本当の聖地にするなら無限の無限のプラスのお祈りをすればいいのです。
でも大抵はマイナスの祈りが多いのです、例えば「平和にしてください、健康にしてください」などというのはマイナスの祈りです。平和でないからという前提に立っています、その人の信念は戦争状態を掴んでいますから、戦争を祈りだしています。戦争番組にチャンネルを合わせているから、神さまの光が輝かないのです。
マイナスの祈りをする所は「思い」の溜まり場になって、聖地どころではありません。逆に光が消されてゆきます。「無限の無限の輝きがいっぱい。ありがとうございます。」という本当のお祈りにならないと聖地にはなってゆかないのです。
どんなところでも「ありがとうございます」と唱える人が行った所は、そこが聖地になります。日本にそのような人が増えたとしたら日本全体が聖地になるのです。その人たちが世界に散らばったら世界が聖地になります。
人は自由に番組を選んで生きているのですが
-ありがとうございます-
守護霊というのはどのような存在、役割なのですか?
ありがとうございます:
人は自由に番組を選んで生きているのですが、あるとき番組にはまり込んでしまう時があって、その時はそこから抜け出せなくなります。そうするとその番組のマイナスを掴んでしまって、ドンドン番組を下げて落ち込んでゆきます。本体の自分はあらかじめそれを見越しているから、そのときに外から助けを派遣します。それが守護霊・守護神です。
法則通りにゆけば地獄のどん底まで落ち込んでゆきます、必ず転がり落ちてゆくのです。それを途中で適当に方向転換させて救い上げなければならない。本体の方がその事を計画していますから、その計画が外からの助け、守護霊・守護神の働きです。そうやって外からいろいろな気づきを与えてゆくのです。アドバイスしたり、助けたり、頭打たせたり、いろいろします。方向転換をさせると共に、中からもプラスに向く心を起こさせます。
全部本体の自分がやらせています。そうやってプラスに向けて感謝できるように成長させてゆくのです。だから守護霊・守護神というのは自分と一体です。全部本体の自分の中にあります。
-ありがとうございます-
「自分の守護霊はある時から大日如来に変わった」という人がいるのですが?
ありがとうございます:
その人の好き勝手ないい加減な言い方です、大日如来というのは天照大御神と同じような働きをする大きな神さまです。その神さまが一人の個人の守護霊になって、他の人を護らないと言ったら、それだけで嘘が見え見えです。また守護霊さんがコロコロ入れ替わるのであれば、その人を責任もって護れないのです。世の中にはいろんな説があるから惑わされてしまいます。
業もカルマも過去のものです。「ありがとうございます」で
-ありがとうございます-
自分は現世は過去の業やカルマに強く影響されているように思うのですが…。
ありがとうございます:
業は英語でGO! 業もカルマも過去のものです。「ありがとうございます」で過去のものを捨てて新しいプラスのものを受けとれますし、過去を掴まずに「ありがとうございます」と唱えれば放っておいても業もカルマもさっと消してくれます。消えるのを待たずに無理やりにでもサーッと消してくれますから心配いりません。簡単にスーッと消してくれて業からもカルマからも影響を受けなくなるります、大丈夫です。
-ありがとうございます-
自分の周りにも業やカルマに強く影響されていると思える人がいるのですが…。
ありがとうございます:
騙してでも「ありがとうございます」を唱えさせてあげればいいのです、唱えたら必ず変わって来ます、上手に方便を使って唱えさせてあげるとすぐに効果がでてきます。といっても大人はちょっと騙しにくい一面あるのですが、子供だったらご褒美を目の前にぶら下げて「これ上げるから千回唱えて」といえば素直に唱えてくれます…。子供のころからそうやって唱える練習をつけさせると大人になってから楽です、大人になっても「ありがとうございます」が出やすくなりますから、子供のころからそうやって上手に育ててあげるのがいいのです。
代用になるほどの中身はありません、全てを
-ありがとうございます-
アーメンなどのマントラやその他の真言を唱える事は、どの程度効果がありますか?「ありがとうございます」の代用になり得ますか?
ありがとうございます:
代用になるほどの中身はありません、全てをひっくるめたのが「ありがとうございます」なのです、「ありがとうございます」でひとつであらゆる真言を全部束ねてしまいます。この世に出ているいろいろな真言がありますが、まだこの世に全部は出ていないのです。あの世この世の真言を全部ひっくるめて「ありがとうございます」になります、だから他のを唱えなくてもいいのです、「ありがとうございます」だけで全てになります。
お金は約束事や信用度合いを現しています
-ありがとうございます-
(不明)
ありがとうございます:
お金は約束事や信用度合いを現しています、だからお金自体には絶対価値はありません。お釈迦さまの話しに「貧者の一灯と、長者の万灯」というものがあります。お金持ちの人はたくさんのお金を寄進して万の燈篭をたてます、一方でいくら働いても少ない収入でギリギリの生活をしている貧者が一生懸命汗水流して働いて得た一番大切な収入を出して「一灯」を捧げる。最後まで消えずに残っているのが「貧者の一灯」といいます。ずっと輝きつづけている、それくらいの違いがあるというたとえ話ですが、お金も同じです。
汗水流して世の中のために一生懸命働いて、そうしてちょっとだけもらったお金。これは貧者の一灯と同じで輝いたお金です。ところが宝くじが当たって得たお金や、人を騙して得たお金、安いものを高く売って大きな利潤を得たお金などは全部あぶく銭です、だからそれらのお金には価値はありません。一生懸命働いて得た一万円と、あぶく銭の一億円では、一万円の方に価値があります、一万円が人を幸せにします。一億円は人を不幸にするぐらいです。
お金に絶対価値があるのではなく、お金にどういうものがくっついているかが重要です。汗水たらして働いて得たお金には光がついています、あぶく銭には人の思いや業がついています。だからあぶく銭を手に入れた人は損をします。
銀行を通して回っているお金には両方あります。感謝している人は光のついたお金を自然に集め、感謝を忘れた人は働いてお金を得たとしても業のついたお金を自然に集めます。現在流れているお金にいいのは少ないから、ちょっと汚いのも混じってきます。
だから一回神さまのほうに預けるのです、もらったお給料に「ありがとうございます」と一万回ぐらい唱えたら光り輝いたお金になります。だからあぶく銭一億円もらおうなんて思わないで、一万円で十分。ありがとうございます。
貰わない方がいいのです、自分が貰わないという
-ありがとうございます-
お礼やお返しの金品は貰わないほうがいいのですか?
ありがとうございます:
貰わない方がいいのです、自分が貰わないという気持ちで相手の幸せのために尽くせばいいのです。ただ相手からどうしてもこれを受けとってほしいといわれたら受けなくてはなりません。無理に断ることは相手の気持ちを殺してしまいます。相手も与えて幸せを感じますから。そういうときは与えてもらう事がそのまま相手に幸せを与える事にもなります。
相手から貰ったものを感謝していただいて、貰ったものを世の中のためにまた活かして使ってあげたら、与えた人も徳を積めます。相手を幸せにするためにも受けて大きく活かしてプラスに使ってあげる事で、大きなプラスの循環ができます。受ける事は愛の交流として大事です、相手に求める心さえ起こさなければそれでいいのです。
いい結果を先にしっかり心に受け入れて
-ありがとうございます-
目標を達成したいのです。
ありがとうございます:
いい結果を先にしっかり心に受け入れて感謝するのが大事です、ゴールを先に掴んでしまう、そうすると途中はゴールに合わせて自然に整います。ゴールは感謝を深めたら見えてきます、感謝の奥に無限の無限の大成功という姿がちゃんとあります、ゴールに到達した姿を受け取ったら途中はどんな経路を通ってでも必ずゴールに到達します。放っておいてもゴールに到達しますから、あとは自然に任せて自由自在にいいことをどんどんすればいいだけです。
ゴールを先に掴まなければ途中でいろいろな「思いの霧」がたちこめます。ゴールに向かっているようで、実は迷ってチグハグにゆくことになるのです、思いの霧の中でぐるぐるおなじところを回ったりしてしまいます。感謝するということは「思いの霧」をスッと晴らしてしまう事です、するとゴールが見えてきます。見えたら後は一直線、障害なしに全部整ってきます。そういうゆき方は楽です。
言葉通りになってゆきますから「感情の動物」
-ありがとうございます-
人は「感情の動物」と言われています。感情のままに素直に生きる方が、本来の自分らしく生きられるような気がします。ただ、現実をそのように生きると他人との間に摩擦が生じることが多々あります。
ありがとうございます:
言葉通りになってゆきますから「感情の動物」と言うと、感情の動物らしくなってゆきます。それはまだマイナスの言葉です。「人は神さまであり、愛深い存在である」というようにプラスの言葉を使うと、調和の姿がすっと出てきます。人は「感情の動物」でも「考える葦」でも「思う存在」でもなく、感謝する神さまです、ありがとうございますと唱える事が神さまになる事です、人は神さまだから神さまらしい姿をとって、この世に大調和を現します。
-ありがとうございます-
なるほど、「ありがとうございます」と言えば摩擦も生じないし、反感を持つ人も和らぎますね。
ありがとうございます:
もし、反感をもつ人が出てきても「すばらしい演技をされている神さま」とプラスに捉えると、こちらは傷つきません、私はそのような人でもただ感謝して喜ぶだけです。
-ありがとうございます-
先生はとことんノー天気ですね。
ありがとうございます:
ありがとうございます。
-ありがとうございます-
先生のようになりたいです。
ありがとうございます:
三ヶ月あればなれます、ただちょっと条件があって、「みんなのために神さまのために自分はお祈りをさせてもらっている」という気持ちを持ってもらうことです。そうすると、みんなのお祈りも神さまのお祈りも自分の中に全部合計されます。自分だけのためにお祈りすると小さくなりますから、みんなのために一心に「ありがとうございます」を唱えつづけると三ヶ月で私以上になります。
自分の大きいマイナスを身代わりになって
-ありがとうございます-
九月十一日に起こったテロに対しても「ありがとうございます」と思った方がいいですか?
ありがとうございます:
自分の大きいマイナスを身代わりになって消してくださっていると見た方がいいのです。自分は無限の無限のマイナスを過去に起こしてしまったと見た方がいいのです。自分は過去にマイナスの言葉を撒き散らしています、マイナスの言葉を発したら、その言葉はすぐに消さない限り宇宙を駆け巡ります。利息がいっぱいついて、一言のマイナスの言葉が瞬く間に膨らんで無限のマイナスに変化します。
誰しも「無限の無限のマイナスを自分は積みかねてしまっている」と謙虚になれた方が神さまに感謝が深くなります。「いつもいつも無限のマイナスを免除しつづけてくださってありがとうございます」という姿になれます。免除ばかりだと気付かないから、ちょっとマイナスの勉強材料を残してくださっていると見た方がいいのです、そうするとテロの姿に対してもマイナスにならりません。「無限の無限のマイナスをこんなに軽くしていただいてありがとうございます」と感謝に変わります。自分がテロを実行する立場や受ける立場に立ったら苦しいですから、身代わりになってもらった方が楽です。テロに対しても、それで亡くなった人に対しても感謝の心を持つ方がこの世を早くプラスに変えてゆけるはずです。
感謝の祈りをまだしていない人や出来ていない人は、それはそれでかまいません。でも、感謝に入った人はテロに対してもそのように拝めたら、神さまから大きい力をもらえますから、世の中を良くするお手伝いができるのです。
いろんな事件が起こるたびに、さらに感謝を深くすることができ、喜び事になります。マイナスに見える事件は、みんなが感謝を深められるための勉強材料にできます。感謝を出来ることが本当の幸せです、地球上全部の人が感謝を深められる方がいいのです。神さまは感謝を深められるようにいろいろな勉強材料だけを残してくださっています、だから自分がそれらのことを感謝して見ていたら、どんどんプラスの働きになって世の中を変えてゆきます。
ピースポールは「平和になりますように」ではなく
-ありがとうございます-
「世界人類が平和になりますように」というピースポールの言葉は、平和でないと言う前提に立っていますから、別の言葉に変えたほうがいいですか?
ありがとうございます:
ピースポールは「平和になりますように」ではなくて「平和でありますように」と書かれています。「平和であります」というのは、「最高表現の世界が平和であります」ということです。その最高番組がこの現実に現れますようにと、途中に救済の神さまを置いて、伝えていただくためのお祈りです。最初から「ありがとうございます」で完成の世界へ入れたら一番いいのですが、みんながみんないきなりにできないかもしれませんから、これも最高表現へ向かう入り口のひとつとして見たらいいのです。「平和であります」というのが断定で、あとは救済の神さまに助けてもらうのです。ピースポールもプラスのお祈りです。
ただ、世の中には神さまを信じている人と信じていない人がいます、神さまを信じていない人がこの「世界人類が平和でありますように」と唱えてもあまり力がありません。伝えてもらう神さまを無視するからです。言葉だけではちょっと弱いので、ですから神さまの働きをしっかりと認めている人が唱えたほうが効果が大きいのです。
「ありがとうございます」も同じです、何か物をもらって「ありがとう」というのは神さまを無視しています。神さまをしっかり捉えて唱える人の「ありがとうございます」は一回でも大きい力があります、そのような違いがあります。
違いはありますが「ありがとうございます」を唱えつづけていると、自然に深まります。無神論者でも「ありがとうございます」を唱えている内に、最初は小さい助けでも順番に大きくなって本物になってゆきます。ですから神さまを捉えていなくてもそれなりに効果はあるのですが、最初から大きい光をすぐに受けられるか、小さい光でないと受けられないかの違いがあります。「ありがとうございます」は的確に相手に合わせて光を与えて下さる言葉です。
ありがとうございます