真祈り文庫
2001年10月8日・2
人の使う言葉通りになるというのが本当です
-ありがとうございます-
不明
ありがとうございます:
人の使う言葉通りになるというのが本当です。だから「すでにすべて神さまにいただいている」というふうに使うと皆健康になって幸せ一杯になります。ただ、言葉はマイナスに使いやすいのです、「狂牛病」という言葉を使うと、自分がそれを取り込んで受けてしまいます。玄米食でも「玄米食でなければならない」というふうな言葉を使うと、それに縛られて他のものが食べられなくなってしまいます。だからすべて言葉通りになってゆくのです。
キリストさんでも「何を喰らい何を飲まんと、思い煩うこと無かれ」と言っています。何を食べても何を飲んでも大丈夫などと言ったら、たとえば栄養学なんかに縛られている人からみたらとんでもないことでしょうが、キリストさんの言っていることのほうが本当です。神さまからいただいたものを感謝の心を深めて受けたら、みんな光り輝いて命そのものですから、絶対に病気になったりしません。
だからどれだけ感謝して神さまから命を頂くかということが一番大事です。毒と言われているものでも感謝して受けている人にとっては毒にならずに薬になります。だから余り栄養学などには囚われないほうがいいのです。あれやこれやと考え出すと縛られて不自由になります。
どんな食べ物でも神さまからの一瞬一瞬の置き換えで与えてもらうものだから過去は無関係です。過去の姿はマイナスが大きくても、今、新らたに受けるものは無限のプラスそのものです、だから一番大事なのは神さまから新たに受け直すことです、そうしたら絶対いいことばかりです。
-ありがとうございます-
人は生まれてくるときに自分の人生のシナリオを描いて生まれてくると言われていますが、そのように自分の人生はすでに決まっているのでしょうか?
ありがとうございます:
神さまの創った無限の無限の番組どおりにすべてシナリオとストーリーは決まっています。だから、そのうちのひとつの番組にはまり込んでしまったら、その人はそのシナリオ通りの運命をたどります。でもどの番組を選ぶかは自由です、チャンネルも自由に変えられますから、チャンネルを変えると全く違う運命に変わってきます。あらかじめ選んで来たというのは狭い範囲の選び方です。もっと大きな立場に立ったら、もっと自由自在に選べてどんな運命でも受けられます。
神さまの絶対の愛、無限の無限の愛にいつも抱かれ
-ありがとうございます-
恐怖心を克服する方法を教えてください。
ありがとうございます:
神さまの絶対の愛、無限の無限の愛にいつも抱かれていますという感謝があったら大丈夫です。宇宙全体が神さまの絶対の愛が光り輝いた姿をとっています、そこには神さまの愛しかないのです。そうしたら恐怖心なんて思いは瞬間にして消えてしまいます。これもありがとうございますと感謝することで神さまの愛に包みこまれる生き方です。ありがとうございますという言葉を使ったら恐怖心は一切消えて無くなります。
パートナーとの関係において過去のマイナスを掴んで
-ありがとうございます-
結婚生活が破局に向かっている場合、離婚までゆかずに済む方法がありますか。離婚はしないほうが良いのか,しても良いのか?
ありがとうございます:
パートナーとの関係において過去のマイナスを掴んで、それを積み重ねると苦しくなってそこから逃げ出したくなります。それが離婚にまで発展する理由のひとつです。そんな場合は相手の方を一瞬一瞬新たに現れた結婚相手として捉えて、いつも新婚気分でいられたら離婚しなくて済みます。一瞬一瞬、離婚して、結婚して、離婚して、結婚して…。
この宇宙が一瞬一瞬の置き換えなのですから、一瞬一瞬相手の方も変身しつづけています。同じ人のように見えても同じ人ではないのです、それが本当の見方です。そのようにみたら過去のマイナスを掴んで積み重ねることはなくなります。そうしてお互いを助け合い、生かしあい、高めあってゆければいいのです、元々はそのように仕組まれています。
また、神さまの愛が自分に向けられて、この世での結婚相手が一人に決まっているような場合は、その関係の中からプラスのものを吸収してゆかないと損です。プラスのものだけを拾い上げてそれを受けて幸せを大きくしてゆけばいいのです。そうやって成長して、そこから得られるものがなくなったら、また必ず新しい別のものがそこから与えられるようになっています。相手の方はまたもっと大きいプラスのものを持った姿に変身してくださいます。
どのような場合も、相手の方をいつも一瞬一瞬変身して現れてくださる、神さまの愛の姿として見るのが大事なのです。神さまはいろんな姿に化けて、必要なものを的確に与えつづけてくださっています。
そうして心はもっと自由になったほうがいいのです。この世での離婚についても「離婚したらダメ」というふうに決め付けると、それだけで離婚した人を責めなくてはならなくなります。そうしたら今度は自分が責められる姿をとって余計に苦しくなりますから、そういう枠は外したほうがいいのです。離婚も悪いことではないのです、結婚というものはお互いプラスになるためにするのであって、マイナスを増幅したり足を引っ張り合ったりするのだったら離れたほうがいいのです。全然波が合わなかったら助け合い、育て合うことは出来ません。ある程度は似通っていて両方のいいところをプラスして交流し合えるほうがいいのです。
離婚を否定してマイナスを積み重ねるより、また他に別のいい人が現れたらその人と助け合ったらいいのです。別れるときは別れて、両方が早く幸せを大きくするような生き方をとるほうがいいです。だから遠慮無く離婚してもいいし別の人と結婚してもいい、自由自在にしたらいいのです。そうして無限の番組のチャンネルを変えられるように、パートナーも自由自在に何回でも変えられます。宇宙には無限の人がいるから、その中から自分にピッタリの人を選ぶのは大変ですが、神さまのほうが付き合いやすい人を直においてくれます。
本来は自分の高まりに応じて、自由自在に離婚と結婚を繰り返しつづけてもいいはずなのです。男女がお互いに助け合い、高めあい、プラスの交流ができるのであるなら一夫一妻に拘る必要もないのです。本当は複数の人と交流しあえるほうが成長が早くなります。結婚というのは思いこみが結婚という形に表れているだけです、その形に拘る必要もないし、本当のところは結婚というものは形があるようで無いのです。ただ、どんな関係を持つにしても、求める心で交流するのではなしに、与えつくす心で交流することが大事です。求める心はマイナスを増幅し合いますから必ず与える心で交流するのが理想です。
-ありがとうございます-
相手のプラスを引き出そうとして、相手のいいところを拾い上げようとしているとその中からマイナスのところが感じられてしまうことがあります。
ありがとうございます:
それはすでに求める心のほうに自分を置いてしまっています、与える側に立ったらいいのです。相手が何を必要としているか、相手にとって何がプラスなのかを感じとって、相手に合わせて与えるだけが大事なのです。そうすると相手も同じようにこちら側のプラスを感じ取ってくれて必要なものを与え尽くしてくれます。だから与え尽くす側に徹底して立つことです、自分は何も求めないほうがいいのです。いかに自分の持っている良いものを相手に与え尽くすか、相手の求めるものを的確に与え尽くすかということが大事です。そうしたら周りがすべて同じ姿で自分に対して現れてくれます。
-ありがとうございます-
自分が我慢してでも相手に与えつづけたほうがいいですか?
ありがとうございます:
我慢している姿は、相手にとってものすごく苦痛です、我慢している姿を相手に与えることは良くありません。喜んで喜んで相手の必要としているものを与えていたら、相手にも大きい喜びを与えることになります。我慢は余りいいことではありません、我慢するというのは自分の側に立ってしまっています。
-ありがとうございます-
与える時に苦しみが湧いて出てきたら?
ありがとうございます:
それは早く消してもらったほうがいいのです。そうやって心に溜めたいろんな思いが表に現れてきますから、それを神さまに早く消してもらってから相手と交流してゆけばいいのです。それを消してもらう方法が「ありがとうございます」です。まず神さまに消してもらってプラスだけの自分に早くなったほうがいいのです。
-ありがとうございます-
それはストレスをためることにはならないですか?
ありがとうございます:
感謝したらストレスは全部神さまに消してもらえるから消えてなくなり、気持ちが楽になってきます。そうしていいものがたくさん増えてきて、そうなったら無理に相手に与えようとしなくても相手はいいものを感じてくださいます。早くそうなったほうがいいのです、傍にいるだけで幸せを感じてもらえる存在になるのが大事です。
形でものを与えたり行動で親切にしたりというのは枝葉のことです、それよりもあたたかい心を与えてゆくという事です。そのためにはまず自分の心に溜まったマイナスの思いを全部消してもらうほうが先です。「ありがとうございます」を繰り返して神さまにマイナスを全部消してもらったら、傍にいるだけで幸せ感じてもらえるような生き方ができます。
-ありがとうございます-
そのようにしたらお互いにマイナスがでなくなるのですか?
ありがとうございます:
心にあるマイナスが形に出ます、言葉にも態度にも心のマイナスが姿形となって出てくるのです。心のマイナスが消えてなくなっていたら、形としても絶対に出てこれなくなります。だから先に神さまに心を向けて神さまと交流を図るのが大事なのです、それが感謝行です。神さまから無限のプラスをもらってプラスだけの自分に変えてもらうのが先です、そうしたら人との交流がプラスだけの交流になってゆきます。自分の心を早く幸せな状態にしてもらうほうがいいのです、幸せになるのは感謝行で出来ますから、幸せになったら自然に与えることが出来るのです。状況に応じていいものが自然に出てきますから、先にありがとうございますが大事です。
もともと本体の自分は陰陽両方兼ね備えた絶対の働き
-ありがとうございます-
女の役割、男の役割はどのように捉えたらいいですか。
ありがとうございます:
もともと本体の自分は陰陽両方兼ね備えた絶対の働きをする自由自在だから、女性も男性も両方の役割をその時々に応じて自由自在にこなせます。ただ、この世で陰陽二つに分かれて助け合う時は、女性は女性らしく男性は男性らしく役割を演じているのです。ただこれも自由自在だから、例えば、女の人がいつも食事当番で食事を作りつづけるのがいいことではないのです。たまには男の人がおいしいご馳走を作ってあげるのも大事だし、また女の人が外に出て働くのもいいのです。あまり拘らず、お互いに助け合ってお互いのよさを発揮しあうのが大事です。
相手が傍にいないときは、自分一人で両方の働きをしなければなりません。逆に必要があって相手が傍にいてくれて助けてくれている時はでしゃばらなくていいのです。相手が男性だったら自分が女性の役目を果たせばいい、異性が傍にいてくださるのは両方がプラスの交流をできるようにと、神さまが必要に応じてその時々に仕組んでくださっているだけです。だから役割を限定せずに自由自在に生きることが大事です。
-ありがとうございます-
男性が傍にいてくれる時に、女性の役割としてどんなことがありますか?
-ありがとうございます-
「受ける」ということです、女性の場合は受け方を上手にやってゆくのが役割として一番大事です。女性の場合、上手に受けているとそれは自然に与える生き方になっています。
男性の場合は上手に与える事が大事です。男性の場合は中に本質の霊があり、中の霊を引っ張り出せば本当のよさと働きを出せます。だから与え尽くして与え尽くして中から井戸の水が湧き上がるように引っ張り出すことが大事です。そういう構造になってます。だから男性は与え尽くす生き方をすると中からいいものがドンドン湧き出してきます。
女性はちょうど逆になります、環境のほうが霊になります。周りから上手に受けたものが自分の身になってゆくという一面があり、周りからドンドンいいものを吸収してゆくと、霊なるものが肉体に輝き出てきます。周りからいろいろな教えを聴いて自分に取り込んで自分のものにしていくようなところがあります、だからいろんな宗教に走る人はだいたい女性が多いのです。
男性の場合は自分を掘り下げないと出てきません、深い悟りのような教えを説くのは男性に多いです。お釈迦さまも自分を深く深く掘り下げて、中のいいものを引っ張り出して皆に与えています。ただそれはこの世に肉体を受けている期間の一時期的な働きです、肉体をもらっている期間はその与えられた性に応じたように生きたら、いい働きを出しやすいケースが多いというだけです。今度生まれ変わる時は今と違う性に生まれ変わるかもしれない。その辺は自由自在だから、その時その時の自由な生き方でいいのです。
食べる前に一回感謝したらいいのです
-ありがとうございます-
(不明)男性
ありがとうございます:
食べる前に一回感謝したらいいのです、ありがとうございますを唱えると農薬が消えます。神さまから受けなおしたものは輝いたものになります、会社から給料をもらって帰ってきたら一旦神棚にお備えして「ありがとうございます」というのと同じです。もらったお金にいろんなマイナスの思いがついていたら、そのお金は悪いことにしか使えなくなり、無駄づかいしてしまいます。神さまに一旦お預けしたら、プラスに変えて下さいますから、自分を幸せにするために使えるようになります。神さまに一旦あけわたすのは大事です。
やはり何も与えずに得たものは借金です
-ありがとうございます-
(不明)男性
ありがとうございます:
よくないのです。やはり何も与えずに得たものは借金です、借金もその内容によって利息が変わるのですが、人から奪い取ったようなものは高利の利息がついて、瞬く間に膨らんでゆきます。逆に人が喜んで与えてくれるようなものは、それも借金には違いないのですが、無利子もしくは小さい利息なのです。同じ借りるのだったら小さい利息か無利子が良いでのす、あとで返しやすくなりますから。
やめたくてもやめられないという人は多いのです
-ありがとうございます-
今携わっている仕事は世の中にマイナスを与える仕事なので、できればやめたいのですけれども生活があるのでやめれません。どうしたらいいですか。
ありがとうございます
やめたくてもやめられないという人は多いのです、そういうのは人の力ではどうしようもありませんから、神さまの助けを受けないと出来ません。社会に対してマイナスを与えているような仕事でも、「ありがとうございます」と感謝して神さまの助けを受けたら、マイナスを軽く済ませてもらえます。
例えば戦争の兵器を造るような仕事でもありがとうございますと感謝したら,その兵器に神さまがついて行って人を殺すのに使えなくなり、殺し合いの兵器にならず、護るための兵器に変わります。他の人がその仕事についたら大きなマイナスばかり撒き散らすのに、感謝させてもらっている自分がその仕事をするとなれば、そこには大きな差が出ます。
そうしたらどんな仕事についていてもプラスになってゆきます。そういうマイナスを負うような仕事は他にもいろいろあって、たとえばお肉屋さんなんかもそうです。殺生に荷担しているという気持ちが絶えず付きまといます。そういう時にも「ありがとうございます」とか「南無阿弥陀仏」と唱えてマイナスを消してもらった人はマイナスを背負わないのです。いつも輝いた状態にしてもらえて幸せいっぱいに護ってもらえます。そうして殺された動物にも光が行って食べる人にも光がゆきます。
だからどんな仕事も一旦神さまを通すというのが大事です。「ありがとうございます」で神さまに一回預けて、神さまからもう一回頂き直してプラスに変えてもらうのが大事です。どんな仕事も必要だからそのような形あるわけで、その仕事が本当に世の中から必要無くなったら、必要の無くなったものから順番に消えてゆきます。必要のあるうちは形として出てきますから、神さまにプラスに変えてもらって、形を活かしてゆけば良いのです、「ありがとうございます」と受けて行ったらどんどんよくなってゆきます、そうしたらそのうち形まで変わるかもしれません。それもごく自然な経過を経て変わるようになります。
肉体に魂が宿ってこの世で生活をさせて
-ありがとうございます-
私は女性ですが、常々男性のように生きたいと願っています。
ありがとうございます:
肉体に魂が宿ってこの世で生活をさせてもらっています。魂に男性的な要素が多いとどうしても男っぽい生き方になりやすいのです、性転換してでも男性として生きたいとなる時もあります。男性も肉体を改造してでも女性として生きたいということもあります。これは魂の段階ではどうしてもそのように願ってしまうのです。
ただ魂をこえた本体の自分は、魂に男性的な要素が増えてきたら、今回で女性的な要素を身に付けさせたいと願い、女性の肉体に生まれさせるのです。だから肉体が女性だったら女性らしくなる練習をしたほうが良いのです、それが本体のほうの願いです。魂の願いとはちょうど正反対になります。
魂は楽だったらいいから、男性の要素を多く持つ魂を持つ人は男性っぽく生きたほうが楽に生きられます。でも本体のほうの自分は正反対の生き方をしてでも新しいものを伝えたいのです。
助けてくださいと言わなくても、「ありがとうございます」
-ありがとうございます-
苦しい時には「助けてほしい」という思いをもったり、「助けてください」とお願いするのもよくないですか?
ありがとうございます:
助けてくださいと言わなくても、「ありがとうございます」で助けてくれますから、いろんな願いを出す必要はありません。「ありがとうございます」は神さまの助けをすでに受け入れた状態ですから、「ありがとうございます」と言ったら神さまの助けがスッと入って、すぐにプラスに変えてくれます。「助けてください」という前に神さまはその人が助けて欲しいということぐらい分かってますから、既に助けてくれているのです。
助けてもらえない時というのは相当頑固に神さまの助けを拒絶している時です。その時はその人のことを尊重して、神さまは無理やりには助けません。ところが、頑固な拒絶の姿が少しでもやわらいだらすぐに隙間を縫って入ってきます、神さまはいつも助けたくて堪らないのです、だから心配はいりません。
これも番組によって違います。一番上の極楽番組
-ありがとうございます-
(不明)
ありがとうございます:
これも番組によって違います。一番上の極楽番組だったら神さまの愛の姿ばかり見えます。地獄番組だったら神さまの愛の助けを拒絶しつづけて我を貫き通している姿をとります。この世は中間で両方あり、神さまを受け入れた姿と拒絶した姿とプラス・マイナス両方混じっています。マイナスを見る人は神さまはいないと言うし、プラスを見る人は神さまの愛ばかりということがわかります。でも本質は神さまの絶対の愛そのもので、神さまは絶対の愛を受け入れてくれることを忍耐で待ちつづけているのです。これは理屈じゃなくて最高番組にチャンネルを合わせたら愛そのものしかないと分かります。「ありがとうございます」ですぐに最高番組です。
般若心経は「ありがとうございます」という感謝の
-ありがとうございます-
般若心経と「ありがとうございます」の繋がりは?
ありがとうございます:
般若心経は「ありがとうございます」という感謝のお祈りのことを説いています。つまり般若心経は感謝についての説明です、その実行が「ありがとうございます」を唱えることです。最後の羯諦羯諦というのは祈り言葉です。羯諦というのは「無限に無限に輝いている、ありがとうございます」と言っているのです。
お墓というのもかなり囚われが多いのです
-ありがとうございます-
お墓の供養のし方について。
ありがとうございます:
お墓というのもかなり囚われが多いのです。亡くなった人はそういうところには入りません、もし亡くなってからお墓の中に入ると思ったら大変です。石牢に閉じ込められて地獄番組にはまり込んでしいます、死んだらお墓に入るのだと思って逝ったら実際にお墓の中にはまり込んでしまいます。
お墓はなくしたら良いのです、お墓というものをなくしてあげたら、死んだ人は「お墓よりもっといいとこへゆこう」となります。お墓があったら、せっかく神さまが美しい花園の世界へ導いてあげようとしているのにそこへゆこうとしなくなります。
-ありがとうございます-
お墓への御骨の納め方は?
ありがとうございます:
御骨というのも、肉体というのも、死んでからは要らない物です。あくまで脱ぎ古した上着みたいなもんですから、ゴミ捨て場に捨ててくれたら良いのです。「もう要らない」と放してしまったほうがさっぱり綺麗な自分になって良い世界に上がれます。お墓や脱ぎ古した上着などに囚われないで自由なほうが良いのです、「お墓は要らない」と言うぐらいの信念があったらその中にはまり込まないで済みます。お墓はなくしてあげたほうが良い世界にゆけるから死んだ人にとってもいいことなのですが、どちらを選ぶかは本人の自由です。
-ありがとうございます-
迷っているご先祖さまはどのように供養させてもらったら良いですか。
ありがとうございます:
さて、もし自分がいろんな番組に出演していたとして…。
高い番組は良い役割で演じている、光り輝いて大きい働きをして皆を幸せにしている役。地獄番組は皆に迷惑かけて皆を不幸にして最悪の悪役。自分の知ってる人に見て欲しと言う時、どの番組をみて欲しいですか?もちろん良い番組です。
ご先祖さんも同じです、低い悪い番組、迷っている番組を見て欲しくないのです。「無限に無限に光り輝いて大勢の皆を幸せにしている」という姿にみて欲しいのです。だから本当の供養とは無限に無限に輝いているご先祖さまを拝むことです、感謝を深めることです。迷っていると見たらどのような供養をしても絶対に救われません。迷っているなんて言ったら叱られます、「無礼千万、ワシをなんと心得る!」と。
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