真祈り文庫
2001年10月7日・3
この世は奥から見ると、遠い昔の過去の残像が
ありがとうございます:
この世は奥から見ると、遠い昔の過去の残像が流れている感じです。一番上の最高表現から順番に流れて、末端が一番最後の消えてゆく姿をとるのです。この世はもう遠い過去の、大昔の残像の足跡みたいなものですから、あまりこの世を大きくは見てはいません。ただ、この世的に見て、いろんな(不明)が光り輝いて、(不明) でもそういうものよりも、もっと本質的な本当の自分を見出すような生き方のほうが大事です。
ここの皇の聖地、惟喬親王の御陵を中心にして山一帯が、昔から聖域と言われているのです。なぜかと言うと、そこを護っている大竜神さんが、白竜さんがいるのです。山の神さまというのですが、山一帯を自分の身体として、大きい清めの働きを白竜さんがしていらっしゃるのです。その神さまが一応、聖地を守ってくれているのです。そこへ、惟喬親王さんが来られて、その山の神さまを、白竜さんを(不明)という感じで尊敬されていたようです。
ここは本物を発信する場所なのだという・・・。だから昔からちょっと変わっている所です。山の尾根を歩いても、気持ちがすうっと晴れ渡る、不思議な所です。心のモヤモヤがすっと晴れるのです、あの御陵の中に入るだけで、気持ちがすぅーっとなる人が多いのです。
ただ、あまり豪勢なご利益信仰的なのはいけません。何か縁があって導かれて、すぅっと立ち寄って心がすっとしてゆく、そんな感じです。でも年間かなり大勢の人が泊まりにきます。泊まりにくるというか、立ち寄ってくれます、こんな山の中まで・・・。
-ありがとうございます-
(質問 不明)
ありがとうございます:
一番根本は、絶対なる神さまの中から生まれた自分というのが一番奥にあるのです。それは、神さまのすべてを受け直して無限に無限に輝いた、最高に素晴らしい自分、その本体の自分があって、そこから出発して神さまの用意して下さった無限の無限のチャンネルの番組の中へ、自分の自由意志で選んで入ってくるのです。この世もその一つの番組です。
この一つの番組の中でいろんな移り変わりのストーリーが生まれているのです。それで、肉体があって魂があって、命の自分があってというふうに、こういう表現の世界があるのです。この世のように。
この番組の中で、命の自分が一つのストーリーを演じているのです。その命の自分から魂が生まれて、肉体が生まれて、魂のほうは何回も輪廻転生的に生まれ変わりをしています。それで表現を広げているのです。これは一つの番組の中のストーリーとしてあるので、また他の番組に、ちょっと番組を変えて移すと、また違うストーリーがあるのです。高い番組だったらもう魂のない、輪廻転生のない世界なのです。そこは命の自分が最高に輝いた姿をとって、輝くだけという感じで、すばらしいストーリーがあるのです。
無限のチャンネルにはいろんなストーリーがあるのです。これはもうすべて、人の使う言葉通りの番組が用意されています。ありとあらゆる番組がすべて用意されて、自分の使う言葉によって、選んでその中に入ってゆくのです。この世に生きていても、この世の一つのチャンネルの番組を細かく分けると無限に分かれています。特にこの世はあの世の全体の縮図として、プラス・マイナスの両方があり、番組として用意されています。
あまり、いろんな人の言葉に振り回されないほうがいいのです。それぞれに言葉通りの番組に入ってそれが正しいのですが、もっともっと自由な見方で、本当に自分はどういう世界を、生き方を願っていているかと、いろんなものを参考にしながら、その中で自分が良いものを選べばいいのです。この人生観にしても世界観にしても、もうすべて違うのです。人の言葉が違うように、違う番組が全部揃っています。その中から自分はどういう生き方、世界観を身につけて生きてゆこうかな、と選べばいいのです。
そういう自分の使う言葉通りのチャンネルの番組の中に入り込んでゆくから、その中に入っても入り込んだら自由が縛られてゆくので、これも無限の中の一つの番組なのだという見方で、その中からいろんな事を学び、幸せを感じ、楽しめばいいのです。それが済んだら、また次の番組へって上がっていけばいいのです。だから、元はすべて神さまから生まれて、神さまと一体の自分が自由自在にいろんな番組を楽しんでいるということなのです、その番組の中にいろんな姿があって、表現があるのです。
生まれ変わりも番組通りに幾通りもあり、無限に
-ありがとうございます-
輪廻転生という生まれ変わりがありますが、その中で(不明)、例えば輪廻で繰り返し生まれてくる時に、(不明)・・・・
ありがとうございます:
生まれ変わりも番組通りに幾通りもあり、無限にあるのです。でも本体の自分は無限に無限に輝いた神さまと一体の大きい自分なのです、この自分から見ると、ありとあらゆる立場に立てるのです。
そうすると人にもなれる、小さい虫にもなれます、植物にも動物にも・・・、ありとあらゆる立場に立って、それを体験する、表現してゆけるのです。そういう意味だったら何にでも生まれ変われるのです。
でももっと限定してゆくと、一つの番組に嵌り込んで、一つの姿をこれを自分と捉えた時に、例えばこの肉体の人間を自分と捉えた時は、人間はあくまで人間として生まれ変わります。人間としての自分がいろんな動物になったり植物になったりはしないのです。これはあくまでも人間は人間、動物は動物、猿は猿なのです。だから人間として今生まれて体験する限りは、あくまでも人間として完成させることです。それは完成できても、そのストーリーの中で完成でなくて、番組を順番に上げていって完成された番組へ入ってゆくと、どんどん良くなった姿を体験します。
-ありがとうございます-
(質問 不明)
ありがとうございます:
輪廻転生があるのは(不明)な世界です。超えられないのです、難しいのです。だから輪廻転生の無い世界へ入ったら早いのです。まず大事なのは言葉の使い方です。言葉で、その示すところの番組に入ってゆくので、だから元から無限に無限に輝いている自分がいるというふうに言葉を使って、それをしっかり心に受けて体験していこうというのだったら、輪廻転生のない世界へ入ってしまうのです。でもこの世に生まれてきているということは、もうかなり輪廻転生という言葉を使ってきてその中に嵌り込んでいるのです。
これは自分の使った言葉にしても、人の使った言葉を入れたりしても、まず、輪廻転生という言葉をかなり使っています。だからその言葉を今度は消しきって、輪廻転生の無いという、もっと光り輝く世界があるという言葉に切り替えてゆかないといけません。そうすると、輪廻転生の無い番組へ移り変わった時は輪廻転生を超えていきます。
自分の願う理想的な姿を言葉にして変えて、しっかりそれを繰り返すのです。そうするとその世界へ自分が入ってゆくのです。ただ、過去に使った言葉が心に定着して残っているので、それを消しきらないと本当には移り変わることは出来ないのです。だから心の中をきれいに掃除しながら、古いものを消しながら、そして新しい方へ心を向けて、いい言葉を使い続けたらいいのです。そうしたら必ず言葉通りになってゆくのです。
本当の意味で神さまに心を向けて感謝している時は、思いは出てきませんし、出た思いは全部消してもらえるのです。神さまというのは無限の無限の光り輝くものなので、どんな思いも、古いものも消しきる力があるのです。神さまは常に新しいものをどんどん太陽の光のように放射し続けます、その新しい光を受けている限りは、古いのは存在できなくなり、全部消されてゆくのです。
古いものを掴む時は、そういう、例えば太陽のような光源に向けずに、心を向けずに、背を向けて、逆に古いものを追いかけている時なのです。だから感謝を忘れている時は必ず古いものは溜まってゆくのです。その古いものをかなり溜め続けると、重荷になってどんどん下へ下へと落ちて、地獄のどん底まで落ちてゆくかもしれません。
その心に溜まった古いものを消す方法ですが、一番良いのは、自分で消そうというより、古いのを神さまに預けてしまえばいいのです。神さまに預ける方法は、一番やさしいのは、「ありがとうございます」と感謝すると、心は神さまの方へ向いて、自分を神さまへ、古い自分を神さまへお返しするという気持ちになると、一緒についていってくれるのです。それで神さまの中へ入ったとたんに消されるのです。 「ありがとうございます」と神さまの中へ入っていけば、過去の古い思いが全部消されるのです。古い自分を捧げつくすという気持ちがあると入るのですが、自分の方へ神さまの光を引っ張りこもうという、受けとろうというのではまだ、自分の古いのを渡していないから、光は入ってくるけど、その光で打ち消される分は消えるけれど、古いのは渡していないと消えないのです。
だから、与える心でお祈りをする、求める心でするお祈り、これは全然違うのです。与える心を起こして、「ありがとうございます」と言うと、自分の古いのを神さまへどんどん預けてゆけるから、早く消えるのです。ただ、良いものが欲しいという気持ちだけで求めるだけの気持ちだと、自分の器の中に小さい光しか入ってこないし、その光を受けているのは知れていますから、時間がかかるのです。
普通はこの世を「自分の見てゆく世界」、一つのチャンネルの番組なのですが、それを掴み過ぎているというところがあります。その番組に嵌りこんで、もう抜け出せないぐらいにどっぷり浸かりきっているわけです。だからこの世界がすべてという感覚なのです。そうすると他に無限のチャンネルがあって、いろんなストーリーの番組があるというところまで心がゆかないのです。それでこの番組の中でなんとか変えようとするのです。
でも、テロとかいろんな戦争とか争いになる番組がもし、今見ている自分の世界だとしたら、戦争をなくそう、テロをなくそうというマイナス思考だとなかなか消えません。ますますエスカレートする姿をとるのです。これでまた報復すると、またいろんなテロが起こって、また報復していって・・・。どんどんマイナスを大きくしてゆくのが普通なのです。
これもこの一つの番組の中のストーリーという、この原因・結果という法則が働いて、順番にエスカレートしてきているのです。最初は小さい争いだったと思いますが、それが順番に恨みを重ねてどんどん大きくしてきているという・・・、最後は戦争になってくるという感じです。でも本当にそれを無くそうと思ったら、戦争やテロの無い番組へ心を移さないと、本当に変わらないのです。その一番手っ取り早い方法は、現実を見ずに、いい番組を、いい姿だけを心にしっかり捉えてゆくのです。「ありがとうございます」と神さまに唱えながら神さまの助けを受けて、いい番組へ引き上げてもらうと、かなり早く良くなるのです。
この世に生まれてきている人は皆、何を選ぶかという選択の勉強のために出てきているのです。だから一応、いろんな姿を取りまぜて出てきます、それで一人一人自由があるから・・・。特に自由がある世界と見ないといけません。あの世とこの世とは全然違う世界なのです、あの世は自分のそっくりさんの居る世界へ行ってしまうのです。戦争をしたい人は戦争をしたい人ばかりの世界へゆき、平和を願う人は平和を願う人のところへゆきます。すぐ自分の姿を映す鏡の中にいるような世界なのです。
この世はちょっと違います、いろいろ取り混ぜているから、何を選ぶかがこの世の一番大事な勉強なのです。自分の周りは平和になっても、他のところでは戦争が起こっているかもしれません。それでもだんだんと良いものを選び出したら、ちょっと良い姿が出てくるのです。でも皆が同時に良いものだけ選べるようになるかというと、そういう時がもしこの地球に訪れたとしたら、その時はかなり一人一人の心が大きくなっている時です、成長している時です。その時は地球以外の星にマイナスの姿が出てくるのです。
今は地球だけ見てプラス・マイナスを見ていますが、今度は地球全体がプラスに大きく変わった時に、地球以外の星がマイナスの姿をとって、大きい自分がまたいろんな姿を選んで勉強するのです。だからやはり、プラスに心を向けて良い番組を受けいれる方が早いのです。
-ありがとうございます-
(質問 不明)
ありがとうございます:
本当に徹底したら、徹底的にしたら、自分の世界は誰からも干渉されず奪われません、神さまから直接受けたものは誰も奪えないのです。そういうマイナスの姿に出会いません、ミサイルが落ちても、核が破裂しても守られるのです、光の作用で、絶対に傷つかず無傷です。だから怖いものは何もないのです、本当にそれを徹底できたら。ただそれもマイナスのことを心に受けいれて、本当に心を向けていたら引き寄せてしまいます、本当にプラスの方へだけ心を向けきれたら、マイナスは寄ってこないのです。
-ありがとうございます-
(質問 不明)
ありがとうございます:
その人達にとっては、そういう言葉を使う通りの番組へ嵌り込んでいるから、自分の使う言葉通りの世界を信じている、それ以外見えなくなるのです。でも神さまへ心を向けてお祈りをして良い番組をしっかり捉える人にとったら、そういう戦争や争いの世界も無関係なのです。その世界の方が自分にとっては大事なのです。
そうするのは自分が何を選んでゆくか、どういう番組を選ぶかなのです。選んだものが神さまから自分が受け取った番組です。誰一人同じ番組を受けてないのです、同じ言葉を絶対に使いません。ずっと見てきても、積み重ねている言葉を見たら、同じ言葉は使っていないから、全部見ている番組が一人一人違う番組を見ているのです。
この世を良くする方法として、この世からプラスだけを選んで、心にしっかり取り入れて、それで本当に良くしてゆけるかというと、良くならないのです。本当に良くする方法は、神さまの方から、この世の番組以上の高い表現の良い番組の方から、それを引っ張りだして加えてゆかないといけないのです。
この世に生きていていろんな人からいろんな言葉を聞かされて、それを信じて受け入れても、あまり大きいプラスの生き方にはなれません。今現れたこと以上にプラスがいっぱい増えるかというと、たいして増えないのです、ちょっと増やすぐらいです。ちょっとプラスが増えてマイナスが減るぐらいです。
プラスの言葉を受け入れると同時に、いろんなマイナスのニュースなり何なりをいろいろ取り込んでしまっています。現実だけを相手にすると、そうするとどんどん本当は悪くなる姿とるのです、現実ばかり見ていると・・。現実を良くするのは、もう一つ上の世界から、プラスの多い世界からそれを受け入れて、現実へ持ってこないといけないのです。その一番良い方法は神さまに感謝して、神さまの最高表現、一番上の番組から良いものを引っ張り出そうとするのがベストなのです。
「無限に無限に皆すばらしい、無限に無限に皆愛深いのだ、無限に無限に皆幸せ一杯なのだ」とか、そういう良い言葉を一杯使って、現実を無視するぐらいの強い心を・・。そうすると現実を大きく置き換えてゆけるのです。マイナスをプラスに置き換えて、大きく変革できるのです。
-ありがとうございます-
(質問 不明)
ありがとうございます:
やはり無いのです。般若心経に、「観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」とあります。それが一番ものすごく大事なところなのですが、観自在菩薩というのは、本当の自分と見る場合、命の自分と見る場合、肉体や魂を超えて奥の命の自分、本心の自分というふうに・・・。観自在菩薩というのは本当の自分という意味なのです。その自分が「行深」、深く祈るという、そういう祈りをする自分です。
その「般若波羅蜜多時」という祈り方が、無限の○○という祈り方なのです。そうすると、「照見五蘊皆空」という・・・。「五蘊」というのはすべての現れという意味です。だからすべて、空に見えるという・・。
空というのは何も無いのではありません、無限の無限のプラスが一杯ということです。光と光源的に見ると、光源を指しています。
無限の無限の○○と祈ると、どうしてすべてが光源と一体化するのかというと、光源が無限の無限の○○で一杯という姿をとっているのです。幸せだったら、無限の無限の幸せが一杯というのが、光源の中の姿なのです、それが放射されて、いろんな幸せが生み出されるのです。だからもう常に心を光源に向けるという、それが「般若波羅密多」というこの祈りの言葉です。
それはもうすでに、無限の無限の○○が一杯という祈り方なのです、すでに心を光源へ、神さまへ向ける生き方です。そうしたらすべてが神さま、神さまの現れに見えてくるので、苦しみも災厄も消えてしまうのです。
「色即是空 空即是色」、「色」の方は現れる方で、「空」の方が絶対の光源にあたるのです。だから光源と光とが一体化しないと、「色即是空」とは言えないし、「空即是色」とも言えないのです。だからこれはもう、こういうふうになるのは常に光源を見つめ続けるだけです。光源に背を向けたら、「色」だったら「色」だけが見えるのです。光源と離れた「色」だから、大した光は見えないのです。
だから般若心経では背を向けている姿を全部、無い無いづくしで仕切るのです。そういうものはもう、無いのだ無いのだと言って仕切って、光源へ心を向けた時だけを肯定するのです。それで「空即是色 色即是空」となるのです。だから無限の無限の○○というふうに言葉を使って、神さまへしっかり自分を向け続けるということが大事なのです、言葉が心の向きを定めるのです。神さまを表す言葉はやはり無限に無限に(不明)。
幸せと言うだけでは神さまに向いていないのです。背を向けて、途中の幸せをちょっと横に見ているだけです。無限の幸せでも足りないです。光源へちょっと近づくのも、その光源からちょっと心をそらしています。横に太陽を見ながら、こっちを見ている感じです。だから無限の無限の幸せと言ったら、まともに光を見るように、光源をつけて・・・。「無限の無限の幸せ」というのも、「神さま」というのも、「ありがとうございます」というのも同じ意味なのです。同じことを指しているのです。(無限の無限の平和も、無限の無限の愛も・・?)そうです。
神さまの中にいる自分が神さまから無限の無限のチャンネルの番組を、放送番組を与えられたら、最初にどうしますか? 一番良いものだけを見て、それで満足出来るかというと出来ないのです、他にたくさんのチャンネルがあるから、一応一通りは汚いのを見たいのです。だからパソコンの画面をスクロールする感じで、さぁーっと見てみたいのです。
最初は下へ向いてゆきます、上からだから。順番に下の番組を見て、一番下までゆくかどうかは別です、大変だから。ある程度マイナスの世界まで行ってみたいから・・、それも早く見たいのです。その中にどっぷり浸かって一つだけ見たいほど早いです。どんなのが有るかというふうに見てゆきたいのです。だから、ざぁーっと流れるように見てゆくのです。
それでもやっぱりちょっと見るのが、長い時間に感じるのです、下へゆくほど長い時間に感じるからです。上はもう一瞬です。時間の感覚は上と下では全然正反対なのです。上へゆくほど短い時間で沢山のものが見られるのですが、下へゆくほど長い時間がかかってちょっとしか見えないのです。その下へゆくほど、長い時間かかってちょっとしかプラスの体験が出来ません。
でも一回下の方をちょっと眺めて体験しておくと、今度は上へ昇ってゆく時は来るのです、必ず。私はこれでもう満足したというので、そうなると必ず上へ向くのです。そうしたら上の方をこれから探してみようかとなります。順番に上の方へ昇ってゆくと、どんどん良くなってくるから、最高番組、本当の最高番組を味わいたくなってきます。その時に自分の本当の自由意志で、最高番組をしっかり受けるようになるのです。
その時に、最初から最高番組だけを見た人と、一番下を見きった人とは、見方が違うのです。最初から最高番組しか見えていない人は、それに慣れてしまってあまり価値を見出せません。いつもご馳走を食べている人は満腹状態だから、「そんなのか」となってしまいます。ところが、一番下まで下りて、お腹を空かして、断食も一杯して、(不明)がなんてありがたい(不明)という人は、もう一回ご馳走いただいたら、それこそ天に昇った気持ちになるのです。だからマイナスの体験を、番組を見てくるのは大事なのです。それをやれば見方が全部一人一人違うのです。自由意志がある限り。同じ番組は誰一人見てないから、順番にちょっちょっちょっと、選んで見てきて、そして最高番組の方へ・・・・。神さまは人の自由意志を絶対縛らないのです。縛らずに、自分の自由意志で選んで最高番組を受けなおすのです。
その最高番組は一定のものがずぅっと固定して存在するのではありません。最高番組ほど、一瞬一瞬の変化が激しいのです。今あったのが、無限万分の一でまた新しいものと置き換わって、その光をどんどん良いものにして変わるのです。だから誰一人と文句(不明) それは最高番組まで到達できるかどうかちょっと分からないのですが。近づくことは出来ても、不可能かもしれません。
だから絶対にそれで満足しきって、もっと良いものを見たいとは思えないのです。神さまの方は常に人の心を満足させるために、ありとあらゆるものを用意して、絶対に失望しないようにしてくれているから。
本当は最高番組の上に、まだもっともっと素晴らしい最高が無限に詰まっているのです。もっと上へ行ったら、神さまから与えてもらうものを受けるのではなく、神さまと一緒に創るようになるかもしれません、番組の制作というのがあるかもしれません。(質問 不明) それはもう、いつでもそれを受けたら出来ているのです。だからいつ自分がそれを受け入れて、それを身につけるか・・・。無いのではないのです、すでにすべてがあって、それをいつ自分が体験するかなのです。
最初は意識的に数えると、目標が定まるのです
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を一万回と、先生の本の中に書いてあるのですが、一万回だと大体三時間ぐらいかかります、横着してお風呂の中とかトイレとか、車の運転をしている時とかも数えているのですが、(不明)ベッドの中で眠りながら、言葉に出さなければいけないかなと思っていたり、トイレの中で言ってもいいのかしらと・・。
(不明)
ありがとうございます:
最初は意識的に数えると、目標が定まるのです。何万回数えようというと、心がそっちへ向いて数えやすくなって、唱えやすくなります。ある程度習慣性が身についたら、もう数えなくても自然に生活の中で唱えているようになってきます。だからいろんな方法があっていいのです、それを上手に自在に活用して、マンネリ化を防ぎながら楽しんでさせてもらうのが一番いいのです。
-ありがとうございます-
気持ちと裏腹で「ありがとうございます」と言うことは、それは「ありがとうございます」と・・・。
ありがとうございます:
何か自分のプラスになることをもらって、「ありがとうございます」と言うのも感謝の一つなのでしょうけど、本当は「ありがとうございます」と唱えるのは、一番奥の本体の感謝の出来る自分と一体化するためです。本当の感謝する自分を呼び出したら、もうすべてがプラスに置き換えられて、ありがたくてしょうがなくなくなるのです。今はマイナスに見ていても、本当に感謝できる心を引っ張り出せたら、そこからでもプラスに気づいて、プラスに受けて感謝できるのです。
-ありがとうございます-
(質問 不明) 変えればいい、変えればいい、チャンネルを変えればいいと思うのですが、まわりの方はそれを分かっていない、そういう縁のない方は理解できないみたいで、私は説明するあれがなくて、ああ、気づいてくれたらいいなぁと思うのですが、神さまはそういう方も必ず気づかせていただけるものでしょうか?
ありがとうございます:
本体の自分から一人一人自由に選んで、マイナスへ下りる時、マイナスの通りに出るのです。それを止めると、中途半端だからもう一回マイナスへ行ってしまうのです。まだ見ていないから未練が残るのです。本人が納得するまで体験してこないと、本当の意味のプラスに向かないのです。
そのマイナスへ未練がなくなる時期が必ず来るから、その時は神さまは間髪いれずにプラスへ向く方法を教えるのです。皆さんもこの感謝をするようになったっというのも、今まで相当苦労している筈です。この世だけではなく過去世でも、ありとあらゆる苦労をし続けて、マイナスの体験はもう嫌というほど体験をしているのです。それでいろんな勉強をしながら、こういう最高表現へ心を向けようという時期になって、「ありがとうございます」とお祈りをしているのです、最後の仕上げです。
人の自由を縛ったらいけません、まず自分がプラスへプラスへ心を向けて、まず力を受け取ればいいのです。それで本当に必要な助けを求めている時に、お手伝いを出来たらいいのです。でも力をつけていなかったらお手伝いができないから、感謝をしっかりして、神さまの助けを大きく受けるような自分になっておけばいいのです。だから時期を待ってあげたらいいのです。
それぞれの生き方があっていいのです、それは大きい自分という立場に立った場合、大きい自分の心の中に、その過去に使ってきたマイナスの言葉が一杯たまっているのです。それを今、消そうとしている時期だと思うのです。特に感謝に入った時はそうです。その時にそのマイナスをいかに早く消すかという・・。それを一つの肉体という小さい場で見た時は、この肉体を、全細胞を、皆がマイナスを背負ってくれ消してくれたら全身が病です、だからちょっと大変なのです。
そのマイナスをちょっと背負ったらどこか故障するのです。故障するというのはそれを消してくれている姿なのです。それでまわりのいろんな人を、マイナスの姿を表現している時、自分の分身と見るのです、みんな。自分の分身の一人がマイナスを消すために、それを背負って今消してくれているのです。小さくも大きくも全部、自分の心のマイナスを全部消してくれているのです。早く心がプラスに変化し、スカッと晴れてきます。だから番組の最高へ上げてゆくのに、皆が助けてくれているのです。それも皆、自分の分身と観たらいいのです、大きい自分から見たらそうなのです。
すべてのマイナスの責任は自分にあるというふうに、自分に責任をもってくれば、皆自分の分身がそれをお清めの為にいろんな働きをしてくれて、両方マイナスを消してくれている働きなのです。「ありがとうございます」と感謝することによって、大きい神さまの助けが入って、大きいプラスを頂いて、マイナスが早く消えるのです。もともとは神さまの宇宙創造の根本の三大神力を表しているのです。それはもうすべてに通じるのです。だからありとあらゆるすべてに、この根本の、神さまの三大根本神力が働き続けているから、もう何から何まですべてに通じているのです。ただ表面的に皆知らないだけなのです。
私の捉えている本当の神さまというのは、すべてのすべてなのです。まず一番奥に絶対なる神さまの姿があります、そこはもう、光源と例えたらいいかもしれません。そこから光が放射されて、いろんな光が螺旋状に放射されて組み合わさると、いろんな光の綾模様が生まれます。それが光の表現として、最高表現が生み出されて、それを頂点にありとあらゆる光の表現が光に(不明)出されてくるのです。
その光がどんどん変化して、どんどん次元が下がって物質化して最後に光の結晶玉が生まれるのです。だからこの世もある意味では神さまの光の結晶玉みたいなものです。だから宇宙のすべてが神さまの光の表れ、結晶です。その全体と、一番奥の光源から、光が放射されて創造された姿が現れて、その組み合わせがちゃんと完璧に行なわれて、それが光の結晶となって現実化するのです。そのすべてのすべて、これが神さまの全体像になるのです。
この世の宇宙が無限に広がっているとしても、この世の宇宙は無限の無限の中の一つぐらいです。ありとあらゆる宇宙が一杯あるのです。そのすべてを総括しないと、本当の神さまの全体像と言えないのです。その本当