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()(いの)(ぶん)()

2001ねん10がつ7にち・3


     このおくからると、とおむかしざんぞう

ありがとうございます:
 このおくからると、とおむかしざんぞうながれているかんじです。いちばんうえさいこうひょうげんからじゅんばんながれて、まったんいちばんさいえてゆく姿すがたをとるのです。このはもうとおの、おおむかしざんぞうそくせきみたいなものですから、あまりこのおおきくはてはいません。ただ、このてきて、いろんな(めい)がひかかがやいて、(めい) でもそういうものよりも、もっとほんしつてきほんとうぶん見出みいだすようなかたのほうがだいです。
 ここのすめらせいこれたかしんのうりょうちゅうしんにしてやまいったいが、むかしからせいいきわれているのです。なぜかとうと、そこをまもっているだいりゅうじんさんが、はくりゅうさんがいるのです。やまかみさまというのですが、やまいったいぶんしんたいとして、おおきいきよめのはたらきをはくりゅうさんがしていらっしゃるのです。そのかみさまがいちおうせいまもってくれているのです。そこへ、これたかしんのうさんがられて、そのやまかみさまを、はくりゅうさんを(めい)というかんじでそんけいされていたようです。

 ここはほんものはっしんするしょなのだという・・・。だからむかしからちょっとわっているところです。やまあるいても、もちちがすうっとわたる、ところです。こころのモヤモヤがすっとれるのです、あのりょうなかはいるだけで、もちちがすぅーっとなるひとおおいのです。
 ただ、あまりごうせいなごやくしんこうてきなのはいけません。なにえんがあってみちびかれて、すぅっとってこころがすっとしてゆく、そんなかんじです。でもねんかんかなりおおぜいひとまりにきます。まりにくるというか、ってくれます、こんなやまなかまで・・・。

-ありがとうございます-
しつもん  めい

ありがとうございます:
 いちばんこんぽんは、ぜったいなるかみさまのなかからまれたぶんというのがいちばんおくにあるのです。それは、かみさまのすべてをなおしてげんげんかがやいた、さいこうらしいぶん、そのほんたいぶんがあって、そこからしゅっぱつしてかみさまのようしてくださったげんげんのチャンネルのばんぐみなかへ、ぶんゆうえらんではいってくるのです。このもそのひとつのばんぐみです。
 このひとつのばんぐみなかでいろんなうつわりのストーリーがまれているのです。それで、にくたいがあってたましいがあって、いのちぶんがあってというふうに、こういうひょうげんかいがあるのです。こののように。

 このばんぐみなかで、いのちぶんひとつのストーリーをえんじているのです。そのいのちぶんからたましいまれて、にくたいまれて、たましいのほうはなんかいりんてんしょうてきまれわりをしています。それでひょうげんひろげているのです。これはひとつのばんぐみなかのストーリーとしてあるので、またほかばんぐみに、ちょっとばんぐみえてうつすと、またちがうストーリーがあるのです。たかばんぐみだったらもうたましいのない、りんてんしょうのないかいなのです。そこはいのちぶんさいこうかがやいた姿すがたをとって、かがやくだけというかんじで、すばらしいストーリーがあるのです。
 げんのチャンネルにはいろんなストーリーがあるのです。これはもうすべて、ひと使つかことどおりのばんぐみようされています。ありとあらゆるばんぐみがすべてようされて、ぶん使つかことによって、えらんでそのなかはいってゆくのです。このきていても、このひとつのチャンネルのばんぐみこまかくけるとげんかれています。とくにこのはあのぜんたいしゅくとして、プラス・マイナスのりょうほうがあり、ばんぐみとしてようされています。

 あまり、いろんなひとことまわされないほうがいいのです。それぞれにことどおりのばんぐみはいってそれがただしいのですが、もっともっとゆうかたで、ほんとうぶんはどういうかいを、かたねがっていているかと、いろんなものをさんこうにしながら、そのなかぶんいものをえらべばいいのです。このじんせいかんにしてもかいかんにしても、もうすべてちがうのです。ひとことちがうように、ちがばんぐみぜんそろっています。そのなかからぶんはどういうかたかいかんにつけてきてゆこうかな、とえらべばいいのです。
 そういうぶん使つかことどおりのチャンネルのばんぐみなかはいんでゆくから、そのなかはいってもはいんだらゆうしばられてゆくので、これもげんなかひとつのばんぐみなのだというかたで、そのなかからいろんなことまなび、しあわせをかんじ、たのしめばいいのです。それがんだら、またつぎばんぐみへってがっていけばいいのです。だから、もとはすべてかみさまからまれて、かみさまといったいぶんゆうざいにいろんなばんぐみたのしんでいるということなのです、そのばんぐみなかにいろんな姿すがたがあって、ひょうげんがあるのです。



      まれわりもばんぐみどおりにいくとおりもあり、げん

-ありがとうございます-
 りんてんしょうというまれわりがありますが、そのなかで(めい)、たとえばりんかえまれてくるときに、(めい)・・・・

ありがとうございます:
 まれわりもばんぐみどおりにいくとおりもあり、げんにあるのです。でもほんたいぶんげんげんかがやいたかみさまといったいおおきいぶんなのです、このぶんからると、ありとあらゆるたちてるのです。
そうするとひとにもなれる、ちいさいむしにもなれます、しょくぶつにもどうぶつにも・・・、ありとあらゆるたちって、それをたいけんする、ひょうげんしてゆけるのです。そういうだったらなににでもまれわれるのです。
 でももっとげんていしてゆくと、ひとつのばんぐみはまんで、ひとつの姿すがたをこれをぶんとらえたときに、たとえばこのにくたいにんげんぶんとらえたときは、にんげんはあくまでにんげんとしてまれわります。にんげんとしてのぶんがいろんなどうぶつになったりしょくぶつになったりはしないのです。これはあくまでもにんげんにんげんどうぶつどうぶつさるさるなのです。だからにんげんとしていままれてたいけんするかぎりは、あくまでもにんげんとしてかんせいさせることです。それはかんせいできても、そのストーリーのなかかんせいでなくて、ばんぐみじゅんばんげていってかんせいされたばんぐみはいってゆくと、どんどんくなった姿すがたたいけんします。

-ありがとうございます-
 (しつもん  めい

ありがとうございます:
 りんてんしょうがあるのは(めい)なかいです。えられないのです、むずかしいのです。だからりんてんしょうかいはいったらはやいのです。まずだいなのはこと使つかかたです。ことで、そのしめすところのばんぐみはいってゆくので、だからもとからげんげんかがやいているぶんがいるというふうにこと使つかって、それをしっかりこころけてたいけんしていこうというのだったら、りんてんしょうのないかいはいってしまうのです。でもこのまれてきているということは、もうかなりりんてんしょうということ使つかってきてそのなかはまんでいるのです。
 これはぶん使つかったことにしても、ひと使つかったことれたりしても、まず、りんてんしょうということをかなり使つかっています。だからそのことこんしきって、りんてんしょういという、もっとひかかがやかいがあるということえてゆかないといけません。そうすると、りんてんしょうばんぐみうつわったときりんてんしょうえていきます。

 ぶんねがそうてき姿すがたことにしてえて、しっかりそれをかえすのです。そうするとそのかいぶんはいってゆくのです。ただ、使つかったことこころていちゃくしてのこっているので、それをしきらないとほんとうにはうつわることはないのです。だからこころなかをきれいにそうしながら、ふるいものをしながら、そしてあたらしいほうこころけて、いいこと使つかつづけたらいいのです。そうしたらかならことどおりになってゆくのです。

 ほんとうかみさまにこころけてかんしゃしているときは、おもいはてきませんし、おもいはぜんしてもらえるのです。かみさまというのはげんげんひかかがやくものなので、どんなおもいも、ふるいものもしきるちからがあるのです。かみさまはつねあたらしいものをどんどんたいようひかりのようにほうしゃつづけます、そのあたらしいひかりけているかぎりは、ふるいのはそんざいできなくなり、ぜんされてゆくのです。
 ふるいものをつかときは、そういう、たとえばたいようのようなこうげんけずに、こころけずに、けて、ぎゃくふるいものをいかけているときなのです。だからかんしゃわすれているときかならふるいものはまってゆくのです。そのふるいものをかなりつづけると、おもになってどんどんしたしたへとちて、ごくのどんぞこまでちてゆくかもしれません。

 そのこころまったふるいものをほうほうですが、いちばんいのは、ぶんそうというより、ふるいのをかみさまにあずけてしまえばいいのです。かみさまにあずけるほうほうは、いちばんやさしいのは、「ありがとうございます」とかんしゃすると、こころかみさまのほういて、ぶんかみさまへ、ふるぶんかみさまへおかえしするというちになると、いっしょについていってくれるのです。それでかみさまのなかはいったとたんにされるのです。 「ありがとうございます」とかみさまのなかはいっていけば、ふるおもいがぜんされるのです。ふるぶんささげつくすというちがあるとはいるのですが、ぶんほうかみさまのひかりりこもうという、けとろうというのではまだ、ぶんふるいのをわたしていないから、ひかりはいってくるけど、そのひかりされるぶんえるけれど、ふるいのはわたしていないとえないのです。

 だから、あたえるこころでおいのりをする、もとめるこころでするおいのり、これはぜんぜんちがうのです。あたえるこころこして、「ありがとうございます」とうと、ぶんふるいのをかみさまへどんどんあずけてゆけるから、はやえるのです。ただ、いものがしいというちだけでもとめるだけのちだと、ぶんうつわなかちいさいひかりしかはいってこないし、そのひかりけているのはれていますから、かんがかかるのです。

 つうはこのを「ぶんてゆくかい」、ひとつのチャンネルのばんぐみなのですが、それをつかぎているというところがあります。そのばんぐみはまりこんで、もうせないぐらいにどっぷりかりきっているわけです。だからこのかいがすべてというかんかくなのです。そうするとほかげんのチャンネルがあって、いろんなストーリーのばんぐみがあるというところまでこころがゆかないのです。それでこのばんぐみなかでなんとかえようとするのです。
 でも、テロとかいろんなせんそうとかあらそいになるばんぐみがもし、いまているぶんかいだとしたら、せんそうをなくそう、テロをなくそうというマイナスこうだとなかなかえません。ますますエスカレートする姿すがたをとるのです。これでまたほうふくすると、またいろんなテロがこって、またほうふくしていって・・・。どんどんマイナスをおおきくしてゆくのがつうなのです。
 これもこのひとつのばんぐみなかのストーリーという、このげんいんけっというほうそくはたらいて、じゅんばんにエスカレートしてきているのです。さいしょちいさいあらそいだったとおもいますが、それがじゅんばんうらみをかさねてどんどんおおきくしてきているという・・・、さいせんそうになってくるというかんじです。でもほんとうにそれをくそうとおもったら、せんそうやテロのばんぐみこころうつさないと、ほんとうわらないのです。そのいちばんばやほうほうは、げんじつずに、いいばんぐみを、いい姿すがただけをこころにしっかりとらえてゆくのです。「ありがとうございます」とかみさまにとなえながらかみさまのたすけをけて、いいばんぐみげてもらうと、かなりはやくなるのです。

 このまれてきているひとみななにえらぶかというせんたくべんきょうのためにてきているのです。だからいちおう、いろんな姿すがたりまぜててきます、それでひとひとゆうがあるから・・・。とくゆうがあるかいないといけません。あのとこのとはぜんぜんちがかいなのです、あのぶんのそっくりさんのかいってしまうのです。せんそうをしたいひとせんそうをしたいひとばかりのかいへゆき、へいねがひとへいねがひとのところへゆきます。すぐぶん姿すがたうつかがみなかにいるようなかいなのです。
 このはちょっとちがいます、いろいろぜているから、なにえらぶかがこのいちばんだいべんきょうなのです。ぶんまわりはへいになっても、ほかのところではせんそうこっているかもしれません。それでもだんだんといものをえらしたら、ちょっと姿すがたてくるのです。でもみなどういものだけえらべるようになるかというと、そういうときがもしこのきゅうおとずれたとしたら、そのときはかなりひとひとこころおおきくなっているときです、せいちょうしているときです。そのとききゅうがいほしにマイナスの姿すがたてくるのです。
 いまきゅうだけてプラス・マイナスをていますが、こんきゅうぜんたいがプラスにおおきくわったときに、きゅうがいほしがマイナスの姿すがたをとって、おおきいぶんがまたいろんな姿すがたえらんでべんきょうするのです。だからやはり、プラスにこころけてばんぐみけいれるほうはやいのです。

-ありがとうございます-
しつもん  めい

ありがとうございます:
 ほんとうてっていしたら、てっていてきにしたら、ぶんかいだれからもかんしょうされずうばわれません、かみさまからちょくせつけたものはだれうばえないのです。そういうマイナスの姿すがたいません、ミサイルがちても、かくれつしてもまもられるのです、ひかりようで、ぜったいきずつかずきずです。だからこわいものはなにもないのです、ほんとうにそれをてっていできたら。ただそれもマイナスのことをこころけいれて、ほんとうこころけていたらせてしまいます、ほんとうにプラスのほうへだけこころけきれたら、マイナスはってこないのです。

-ありがとうございます-
 (しつもん  めい

ありがとうございます:
 そのひとたちにとっては、そういうこと使つかとおりのばんぐみはまんでいるから、ぶん使つかことどおりのかいしんじている、それがいえなくなるのです。でもかみさまへこころけておいのりをしてばんぐみをしっかりとらえるひとにとったら、そういうせんそうあらそいのかいかんけいなのです。そのかいほうぶんにとってはだいなのです。
 そうするのはぶんなにえらんでゆくか、どういうばんぐみえらぶかなのです。えらんだものがかみさまからぶんったばんぐみです。だれひとおなばんぐみけてないのです、おなことぜったい使つかいません。ずっとてきても、かさねていることたら、おなこと使つかっていないから、ぜんているばんぐみひとひとちがばんぐみているのです。

 このくするほうほうとして、このからプラスだけをえらんで、こころにしっかりれて、それでほんとうくしてゆけるかというと、くならないのです。ほんとうくするほうほうは、かみさまのほうから、このばんぐみじょうたかひょうげんばんぐみほうから、それをりだしてくわえてゆかないといけないのです。
 このきていていろんなひとからいろんなことかされて、それをしんじてれても、あまりおおきいプラスのかたにはなれません。いまあらわれたことじょうにプラスがいっぱいえるかというと、たいしてえないのです、ちょっとやすぐらいです。ちょっとプラスがえてマイナスがるぐらいです。

 プラスのことれるとどうに、いろんなマイナスのニュースなりなんなりをいろいろんでしまっています。げんじつだけをあいにすると、そうするとどんどんほんとうわるくなる姿すがたとるのです、げんじつばかりていると・・。げんじつくするのは、もうひとうえかいから、プラスのおおかいからそれをれて、げんじつってこないといけないのです。そのいちばんほうほうかみさまにかんしゃして、かみさまのさいこうひょうげんいちばんうえばんぐみからいものをそうとするのがベストなのです。
 「げんげんみなすばらしい、げんげんみなあいぶかいのだ、げんげんみなしあわいっぱいなのだ」とか、そういうこといっぱい使つかって、げんじつするぐらいのつよこころを・・。そうするとげんじつおおきくえてゆけるのです。マイナスをプラスにえて、おおきくへんかくできるのです。

-ありがとうございます-
 (しつもん  めい

ありがとうございます:
 やはりいのです。はんにゃしんきょうに、「かんざいさつ ぎょうじんはんにゃみっ  しょうけんうんかいくう いっさいやく」とあります。それがいちばんものすごくだいなところなのですが、かんざいさつというのは、ほんとうぶんあいいのちぶんあいにくたいたましいえておくいのちぶんほんしんぶんというふうに・・・。かんざいさつというのはほんとうぶんというなのです。そのぶんが「ぎょうじん」、ふかいのるという、そういういのりをするぶんです。
 その「はんにゃみつ」といういのかたが、げんの○○といういのかたなのです。そうすると、「しょうけんうんかいくう」という・・・。「うん」というのはすべてのあらわれというです。だからすべて、くうえるという・・。
くうというのはなにいのではありません、げんげんのプラスがいちぱいということです。ひかりこうげんてきると、こうげんしています。

 げんげんの○○といのると、どうしてすべてがこうげんいったいするのかというと、こうげんげんげんの○○でいちぱいという姿すがたをとっているのです。しあわせだったら、げんげんしあわせがいちぱいというのが、こうげんなか姿すがたなのです、それがほうしゃされて、いろんなしあわせがされるのです。だからもうつねこころこうげんけるという、それが「はんにゃみっ」というこのいのりのことです。
 それはもうすでに、げんげんの○○がいちぱいといういのかたなのです、すでにこころこうげんへ、かみさまへけるかたです。そうしたらすべてがかみさま、かみさまのあらわれにえてくるので、くるしみもさいやくえてしまうのです。

 「しきそくくう くうそくしき」、「しき」のほうあらわれるほうで、「くう」のほうぜったいこうげんにあたるのです。だからこうげんひかりとがいったいしないと、「しきそくくう」とはえないし、「くうそくしき」ともえないのです。だからこれはもう、こういうふうになるのはつねこうげんつめつづけるだけです。こうげんけたら、「しき」だったら「しき」だけがえるのです。こうげんはなれた「しき」だから、たいしたひかりえないのです。
 だからはんにゃしんきょうではけている姿すがたぜんいづくしでるのです。そういうものはもう、いのだいのだとってって、こうげんこころけたときだけをこうていするのです。それで「くうそくしき しきそくくう」となるのです。だからげんげんの○○というふうにこと使つかって、かみさまへしっかりぶんつづけるということがだいなのです、ことこころきをさだめるのです。かみさまをあらわことはやはりげんげんに(めい)。

 しあわせとうだけではかみさまにいていないのです。けて、ちゅうしあわせをちょっとよこているだけです。げんしあわせでもりないです。こうげんへちょっとちかづくのも、そのこうげんからちょっとこころをそらしています。よこたいようながら、こっちをているかんじです。だからげんげんしあわせとったら、まともにひかりるように、こうげんをつけて・・・。「げんげんしあわせ」というのも、「かみさま」というのも、「ありがとうございます」というのもおななのです。おなじことをしているのです。(げんげんへいも、げんげんあいも・・?)そうです。

 かみさまのなかにいるぶんかみさまからげんげんのチャンネルのばんぐみを、ほうそうばんぐみあたえられたら、さいしょにどうしますか? いちばんいものだけをて、それでまんぞくるかというとないのです、ほかにたくさんのチャンネルがあるから、いちおうひととおりはきたないのをたいのです。だからパソコンのめんをスクロールするかんじで、さぁーっとてみたいのです。
 さいしょしたいてゆきます、うえからだから。じゅんばんしたばんぐみて、いちばんしたまでゆくかどうかはべつです、たいへんだから。あるていマイナスのかいまでってみたいから・・、それもはやたいのです。そのなかにどっぷりかってひとつだけたいほどはやいです。どんなのがるかというふうにてゆきたいのです。だから、ざぁーっとながれるようにてゆくのです。

 それでもやっぱりちょっとるのが、ながかんかんじるのです、したへゆくほどながかんかんじるからです。うえはもういっしゅんです。かんかんかくうえしたではぜんぜんせいはんたいなのです。うえへゆくほどみじかかんたくさんのものがられるのですが、したへゆくほどながかんがかかってちょっとしかえないのです。そのしたへゆくほど、ながかんかかってちょっとしかプラスのたいけんません。
 でもいっかいしたほうをちょっとながめてたいけんしておくと、こんうえのぼってゆくときるのです、かならず。わたくしはこれでもうまんぞくしたというので、そうなるとかならうえくのです。そうしたらうえほうをこれからさがしてみようかとなります。じゅんばんうえほうのぼってゆくと、どんどんくなってくるから、さいこうばんぐみほんとうさいこうばんぐみあじわいたくなってきます。そのときぶんほんとうゆうで、さいこうばんぐみをしっかりけるようになるのです。
 そのときに、さいしょからさいこうばんぐみだけをひとと、いちばんしたきったひととは、かたちがうのです。さいしょからさいこうばんぐみしかえていないひとは、それにれてしまってあまりせません。いつもごそうべているひとまんぷくじょうたいだから、「そんなのか」となってしまいます。ところが、いちばんしたまでりて、おなかかして、だんじきいっぱいして、(めい)がなんてありがたい(めい)というひとは、もういっかいそういただいたら、それこそてんのぼったちになるのです。だからマイナスのたいけんを、ばんぐみてくるのはだいなのです。それをやればかたぜんひとひとちがうのです。ゆうがあるかぎり。おなばんぐみだれひとてないから、じゅんばんにちょっちょっちょっと、えらんでてきて、そしてさいこうばんぐみほうへ・・・・。かみさまはひとゆうぜったいしばらないのです。しばらずに、ぶんゆうえらんでさいこうばんぐみけなおすのです。

 そのさいこうばんぐみいっていのものがずぅっとていしてそんざいするのではありません。さいこうばんぐみほど、いっしゅんいっしゅんへんはげしいのです。いまあったのが、げんまんぶんいちでまたあたらしいものとわって、そのひかりをどんどんいものにしてわるのです。だからだれひともんめい)   それはさいこうばんぐみまでとうたつできるかどうかちょっとからないのですが。ちかづくことはても、のうかもしれません。
 だからぜったいにそれでまんぞくしきって、もっといものをたいとはおもえないのです。かみさまのほうつねひとこころまんぞくさせるために、ありとあらゆるものをようして、ぜったいしつぼうしないようにしてくれているから。

 ほんとうさいこうばんぐみうえに、まだもっともっとらしいさいこうげんまっているのです。もっとうえったら、かみさまからあたえてもらうものをけるのではなく、かみさまといっしょつくるようになるかもしれません、ばんぐみせいさくというのがあるかもしれません。(しつもん めい) それはもう、いつでもそれをけたらているのです。だからいつぶんがそれをれて、それをにつけるか・・・。いのではないのです、すでにすべてがあって、それをいつぶんたいけんするかなのです。



     さいしょしきてきかぞえると、もくひょうさだまるのです

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」をいちまんかいと、せんせいほんなかいてあるのですが、いちまんかいだとだいたいさんかんぐらいかかります、おうちゃくしておなかとかトイレとか、くるまうんてんをしているときとかもかぞえているのですが、(めい)ベッドのなかねむりながら、ことさなければいけないかなとおもっていたり、トイレのなかってもいいのかしらと・・。
めい

ありがとうございます:
 さいしょしきてきかぞえると、もくひょうさだまるのです。なんまんかいかぞえようというと、こころがそっちへいてかぞえやすくなって、となえやすくなります。あるていしゅうかんせいについたら、もうかぞえなくてもぜんせいかつなかとなえているようになってきます。だからいろんなほうほうがあっていいのです、それをじょうざいかつようして、マンネリふせぎながらたのしんでさせてもらうのがいちばんいいのです。

-ありがとうございます-
 ちとうらはらで「ありがとうございます」とうことは、それは「ありがとうございます」と・・・。

ありがとうございます:
 なにぶんのプラスになることをもらって、「ありがとうございます」とうのもかんしゃひとつなのでしょうけど、ほんとうは「ありがとうございます」ととなえるのは、いちばんおくほんたいかんしゃぶんいったいするためです。ほんとうかんしゃするぶんしたら、もうすべてがプラスにえられて、ありがたくてしょうがなくなくなるのです。いまはマイナスにていても、ほんとうかんしゃできるこころせたら、そこからでもプラスにづいて、プラスにけてかんしゃできるのです。

-ありがとうございます-
 (しつもん  めい) えればいい、えればいい、チャンネルをえればいいとおもうのですが、まわりのほうはそれをかっていない、そういうえんのないかたかいできないみたいで、わたくしせつめいするあれがなくて、ああ、づいてくれたらいいなぁとおもうのですが、かみさまはそういうほうかならづかせていただけるものでしょうか?

ありがとうございます:
 ほんたいぶんからひとひとゆうえらんで、マイナスへりるとき、マイナスのとおりにるのです。それをめると、ちゅうはんだからもういっかいマイナスへってしまうのです。まだていないかられんのこるのです。ほんにんなっとくするまでたいけんしてこないと、ほんとうのプラスにかないのです。
 そのマイナスへれんがなくなるかならるから、そのときかみさまはかんぱついれずにプラスへほうほうおしえるのです。みなさんもこのかんしゃをするようになったっというのも、いままでそうとうろうしているはずです。このだけではなくでも、ありとあらゆるろうをしつづけて、マイナスのたいけんはもういやというほどたいけんをしているのです。それでいろんなべんきょうをしながら、こういうさいこうひょうげんこころけようというになって、「ありがとうございます」とおいのりをしているのです、さいげです。

 ひとゆうしばったらいけません、まずぶんがプラスへプラスへこころけて、まずちからればいいのです。それでほんとうひつようたすけをもとめているときに、おつだいをたらいいのです。でもちからをつけていなかったらおつだいができないから、かんしゃをしっかりして、かみさまのたすけをおおきくけるようなぶんになっておけばいいのです。だからってあげたらいいのです。

 それぞれのかたがあっていいのです、それはおおきいぶんというたちったあいおおきいぶんこころなかに、その使つかってきたマイナスのこといっぱいたまっているのです。それをいまそうとしているだとおもうのです。とくかんしゃはいったときはそうです。そのときにそのマイナスをいかにはやすかという・・。それをひとつのにくたいというちいさいときは、このにくたいを、ぜんさいぼうを、みながマイナスをってくれしてくれたらぜんしんやまいです、だからちょっとたいへんなのです。
 そのマイナスをちょっとったらどこかしょうするのです。しょうするというのはそれをしてくれている姿すがたなのです。それでまわりのいろんなひとを、マイナスの姿すがたひょうげんしているときぶんぶんしんるのです、みんな。ぶんぶんしんひとがマイナスをすために、それをっていましてくれているのです。ちいさくもおおきくもぜんぶんこころのマイナスをぜんしてくれているのです。はやこころがプラスにへんし、スカッとれてきます。だからばんぐみさいこうげてゆくのに、みなたすけてくれているのです。それもみなぶんぶんしんたらいいのです、おおきいぶんからたらそうなのです。

 すべてのマイナスのせきにんぶんにあるというふうに、ぶんせきにんをもってくれば、みなぶんぶんしんがそれをおきよめのためにいろんなはたらきをしてくれて、りょうほうマイナスをしてくれているはたらきなのです。「ありがとうございます」とかんしゃすることによって、おおきいかみさまのたすけがはいって、おおきいプラスをいただいて、マイナスがはやえるのです。もともとはかみさまのちゅうそうぞうこんぽんさんだいしんりょくあらわしているのです。それはもうすべてにつうじるのです。だからありとあらゆるすべてに、このこんぽんの、かみさまのさんだいこんぽんしんりょくはたらつづけているから、もうなにからなにまですべてにつうじているのです。ただひょうめんてきみならないだけなのです。

 わたくしとらえているほんとうかみさまというのは、すべてのすべてなのです。まずいちばんおくぜったいなるかみさまの姿すがたがあります、そこはもう、こうげんたとえたらいいかもしれません。そこからひかりほうしゃされて、いろんなひかりせんじょうほうしゃされてわさると、いろんなひかりあやようまれます。それがひかりひょうげんとして、さいこうひょうげんされて、それをちょうてんにありとあらゆるひかりひょうげんひかりに(めいされてくるのです。
 そのひかりがどんどんへんして、どんどんげんがってぶっしつしてさいひかりけっしょうたままれるのです。だからこのもあるではかみさまのひかりけっしょうたまみたいなものです。だからちゅうのすべてがかみさまのひかりあらわれ、けっしょうです。そのぜんたいと、いちばんおくこうげんから、ひかりほうしゃされてそうぞうされた姿すがたあらわれて、そのわせがちゃんとかんぺきおこなわれて、それがひかりけっしょうとなってげんじつするのです。そのすべてのすべて、これがかみさまのぜんたいぞうになるのです。
 
 このちゅうげんひろがっているとしても、このちゅうげんげんなかひとつぐらいです。ありとあらゆるちゅういっぱいあるのです。そのすべてをそうかつしないと、ほんとうかみさまのぜんたいぞうえないのです。そのほん当</