ありがとうございます
真祈り文庫へ

()(いの)(ぶん)()

2001ねん10がつにち No.2


     ほんとうしんとうはこのていません、ほんとう

-ありがとうございます-
 しんとうのことで、りょうせていただいたのですが、よくわからないのです。

ありがとうございます:
 ほんとうしんとうはこのていません、ほんとうしんとうかみさまのかいになるのです。かみさまのほんとうはたらきをしんとうい、このにはほんのいちしかりていないのです。
 ただ、かみさまのはたらきをしめこととして、ほんがあり、すこけいてきには、あるで「らしいなあ」というところがありまが。このりているものなんてたいしたことはないから、それはさいこうでもなんでもありません。ほんかいしゃくでも、あれはひとつのかいしゃくれいです。あさかいしゃくも、ふかかいしゃくも、いくとおりものかいしゃくがあり、またもっとふかかいしゃくもあるし…。
 
-ありがとうございます-
 せんせいかいしゃくですか?
 
ありがとうございます:
 でも、あれはまだあさいのです。

-ありがとうございます-
 かみさまからおしえられたものをかれたのですか。

ありがとうございます:
 かみさまからおしえられたとうたらそうだけど。いろんなところからインスピレーションはいっぱいっています。「どのだんかいけるか」でいろんなかいしゃくほどこせるから、ただそのほんにはいていないけど、まだまだふかかいしゃくがいっぱいあるのです。でもひつようだったらかならてきます、あくまでもかみさまのはたらきをせつめいするけいてきはたらきとしてのやくわりです。きゅうきゅうるためのひとつのけいとして使つかうのですが、かみさまのはたらきもというほんになってしめしているのです。
 かいしゃくというのはほんとうむつかしい、しょっているかいしゃくではてはまらないことがおおいのです。とくかみさまのはたらきをふかきわめるためには、ひと使つかっていることかいしゃくではなのです、まったせいはんたいになかもしれません。だから、かみさまのほうからのひびきをキャッチして、かみさまだったらどういうかいしゃくほどこすかというのがだいです。ああいうかいしゃくもあるというひとつのさんこうなのです。

 

      かたふたとおりあります。かみさまはぜんたいです、ぜんたい

-ありがとうございます-
 しょくもつれんのことですが、われわれべるということをしなければきていけません。これはなのかかんがえてみてもわかりません。きゅうじょうにはしょくもつれんがあるのか、ほんとうころしてはいけないけど、ころしてべていくというのはなのか。

ありがとうございます:
 かたふたとおりあります。かみさまはぜんたいです、ぜんたいがおたがいにたすってかしって、もくてきってもくてきかってやくわりたしていくわけです。だから、ささいとみたらころいではありません、いのちうばってはいないのですから。かんしゃこころでプラスにみると、かんしゃかたは、かみさまからひつようなものをけて、それをまたぜんたいへおかえししていく、ぜんたいへのほうになるからほんとうかしいのじゅんかんるのです。
 おもいのほうると、やはりぶんおもどおりにしたいというのがさきはいって、ぶんどうぶつころしてべているとか、そのしょくもつれんのような姿すがたをとっているというマイナスにがちなのです。マイナスにみたらいくらでもマイナスにていけるし、プラスにたらいくらでもプラスにていけます。でも、ただしいかたはやはりプラスにみるかたかんしゃこころこして、かんしゃこころでしっかりとかみさまのあいはたらき、調ちょうはたらきをいていくことがだいなのです。
 
 ただ、あのにはいろんなげんのチャンネルのばんぐみがあって、それぞれにいろんなひょうげんがあります。かみさまはありとあらゆるばんぐみをぜんぶようしてくれているのです。ひとおもいつく、そうぞうしてかんがえつく、すべてのばんぐみがぜんぶようされています。あのでも、ものべないかいばんぐみもいっぱいあり、そういうのがひつようでないかいもたくさんあるのです。ただ、このほんとうなにべなくてもきられるひともいます。かすみうようなかんじで、なんねんだんじきしてもだいじょうひともいるのです。ただ、それもこのひとじんるいおもいをえるぐらいの、つよいプラスのしんねんがいります。もっとこころゆうになれば、のうではないのです。「なにべないときられない」というようなマイナスのしんねんだとべないとよわってきますが、もっとプラスのおおきいしんねんがあったら、なにべなくてもだいじょうという姿すがたをとれるのです。


      かみさまのたすけをおおきくれていくことがだい

-ありがとうございます-
 てんめいとかてんしょくとかいうのをつけたいとおもうのですが、このまれてじっさいなにをしたらいのかとまよいます。ぼくさいわいにこうかなあとおもうことはありますが、それでもまだまよっているのです、ほんとうにこれでいいのかというのをまよってるのですが。ぶんてんめいとかてんしょくなり、まれたかということをはやつけるというのはどうしたらいのかということをおきしたいです。

ありがとうございます:
 かみさまのたすけをおおきくれていくことがだいなのです、ぶんだけのちからではげんかいます。ほんとうかみさまのたすけをけたらかならずそれがのうるのです。

-ありがとうございます-
 それをおしえてもらえるのですか。

ありがとうございます:
 おしえてもらうだけではなしに、なかからちからえてもらうのです。だから、ひつようなことをるのだったら、そのさきなかからあたえてもらえるから、そとからおしえてもらうのではありません、ふっとくのです。さいしょからわかっているぶんてきます、われてするのだったら、ギャップがあるとませんが、ちからえてもらったらすっとるのです。
 ひとあたえられたてんめいというのは、かみさまのさいこうひょうげんけてこのげんじつすることです。ただ、「このだけで」というあさかたでは、まだまだ「ほんとうてんめいたす」というのはむつかしいのです。なん%かはすこてくるかもれないけど、ほんとうひゃく%のてんめいたすのはむつかしいのです。


      いろんなかたがあるのです。ほんとうかみさまといったい

-ありがとうございます-
 りんてんしょうまれわるということがみなさんにはれられていますけど、にんげんにんげんまれわるのでしょうか、それともどうぶつにもいしとかにもまれわるのでしょうか?

ありがとうございます:
 いろんなかたがあるのです。ほんとうかみさまといったいぶんからると、ちゅうのありとあらゆるものにたちうつしてそれをたいけんするのです。げんにもるしいしころにもるし、しょくぶつにもどうぶつにもるし、にんげんというたちにもつし。またおおきくひとつのほしになったり、おおきいだいちゅうになったりするし、ほんとうかみなるぶんはそれはゆうざいです。

-ありがとうございます-
 それはぶんえらべるのですか。

ありがとうございます:
 ほんたいぶんからればそうです。じゅんばんえらんで、たのしいたいけんをして、たのしんでいるのです。ただ、にくたいぶんというのは、かなりげんていされた姿すがたつかんでしまっているので、そのたましいまれわりというのも、ひくばんぐみ姿すがたつかんでいます。
 りんてんしょうなんてひくばんぐみかいにあるから、もうすこたかばんぐみにはりんてんしょうのないかいがあります。だから、そのりんてんしょうがすべてではないのです。さいしょからりんてんしょうなんていっさいないかみなるぶんげんげんかがやいててくるというばんぐみもいっぱいあります。だから、げんのチャンネルのばんぐみにそれぞれぶんくことがるから、どんなかたでもたいけんできます。

-ありがとうございます-
 まれわらないことがさとりといわれているのも、あるではただしいのですか。

ありがとうございます:
 まあそれも「ほんとうさとりとはなにか」ということも、またむつかしいのです。さとりもピンからキリまでげんだんかいがあります。さとりということは、ほんとうかみさまとぶんとのあいだの「をとる」というのです。どれだけかみさまといったいするか、かみさまのぜんたいぞうをしっかりあくできるかです。ひとつの「この」というばんぐみつかんだじょうたいでは、ぜんたいぞういったいしていません。ひとつのばんぐみなかでどれだけさとったとってもちいさいさとり、ぶんてきさとりになってしまいます。だから、りんてんしょうしないまれわりのないかいぶんはいったとっても、ほんとうぶんゆうざいたちかどうかはまだわかりません。それもひとつのばんぐみなのです。


     すべてのばんぐみかみさまがつくるのです。げんげん

-ありがとうございます-
 くなったりころされたりするひとも、まれるまえにプログラムをしてきたというせつがありますが。

ありがとうございます:
 すべてのばんぐみかみさまがつくるのです。げんげんのチャンネルのばんぐみを、すでかみさまがようしてつくってくれています。それをひとゆうにチャンネルをわせてえらんで、それをうんめいとしてたいけんするのです。

-ありがとうございます-
 そのたいけんは、じんせいちゅうえることはますか。
 
ありがとうございます:
 もうゆうにチャンネルのえはます。

-ありがとうございます-
 たとえば、にあうことをそうできないですよね。

ありがとうございます:
 チャンネルをとおせるひとそくし、けんできます。ばんぐみごとにそれぞれうんめいがあるから、すべてしてわかります。

-ありがとうございます-
 おきしているなかでは、わからないしそうないですよね。

ありがとうございます:
 それはやはりげんじついろんな姿すがたとらわれてしまって、ゆうがありません。

-ありがとうございます-
 かないということですか?

ありがとうございます:
 どうぶつこんちゅうでも、のうりょくたかいのです。にんげんほんとうちょっかんりょくうしなってしまったのは、おもいをめすぎているからです。つかみ、かさねて、そのおもいがいっぱいまって、それがるのをじゃしているのです。だから、あたまこころからっぽにして、そうしたらぜんにすっといてくるのがかみさまので、ひつようなことがちょっかんてきにしてもなににしてもおしえてもらえるのです。

-ありがとうございます-
 しゅれいさまやしゅじんさまからもおしえていただけるのですか。

ありがとうございます:
 ひつようだったら、ありとあらゆるところから、ちゅうぜんたいからひつようがすっとはいってくるのです。

-ありがとうございます-
 こちらがわが、それにるというもんだいですか?

ありがとうございます:
 はい、だからかんしゃがどれだけふかくなっているかです。おもいをしてきているときは、かんしゃをしません、それで、おもいがくろくもになってひつようなものをちょっかんするのをじゃするのです。おもいをして、ちょうそらくもえてあおぞらたいようかがやくようになったら、たいようからるのがかみさまのです。じゃするものがなかったら、ひつようがいくらでもいてくるのです。

-ありがとうございます-
 ということは、じんせいまっていないということですか。

ありがとうございます:
 そうではありません、ほんたいゆうざいで、にんげんかみさまといったいです。ほんとうゆうざいっているのですが、ひとつにとらわれたら、ぶんが「かっゆうだ」とっているだけです。

-ありがとうございます-
 そのことにかんしていろんなかたがおっしゃっているのが、ぶんまれるまえに、こんせいでこのにどうきるというふうにけいかくてててきているので、そういうきがあるとするならば、ぶんがそういうふうにけいかくしてきているからそうるのだとか。そうするとこのじんせいまりきっていて、なにおもしろくないとおもっていたのですが、そういうふうにまっているというわけでもないのですね。


ありがとうございます:
 みんなことどおりにっているのです。そういうことで「まっている」とったら、まっているというひとつのばんぐみなかはまむから、そのばんぐみなかではそれがただしいかたります。ばんぐみこころうつしたら、またべつかんがかたかたができるのです。まったちがかたわってきます。

-ありがとうございます-
 その(こころを)うつすのは、はくざいうつせるわけですね。

ありがとうございます:
 ゆうざいほんとうぶんです。ほんとうぶんいたら、ゆうざいばんぐみえらべて、どういうかたでもそのばんぐみはいったらそれがただしいのです。

-ありがとうございます-
 では、ぶんじんせいは、ぶんつくそうぞうするということになりますよね。

ありがとうございます:
 ほんとうえらぶだけです、つくれるかとうたらつくれません。ぶんているかいうんめいを、ぶんこころちからつくっているかというとつくれていません。すこおもったりこころはたらきをくわえてというのでは、なにひとつつくれないのです、ただ、「えらぶだけ」なのです。そういうこと使つかっておもってえらんで、ちょうわせているだけです。ぶんちょうわせは、ぶん使つかことどおりです、これはもうほうそくてきげんぜんとしています。どういうこと使つかうかによってどういうばんぐみでもえらべるというところがあるのです。
 だから、こととらわれてしばられたら、「これしかない」というふうにがんがらめになってしまって、そのなかはまんでゆうるのです。

-ありがとうございます-
 ぶんげんていしてしまうということですか。

ありがとうございます:
 ことしばられてしまうのです、せんのうされたようにことしばられるのです。とくしゅうきょうてきおしえというのは、つよひとこころしばってしまいます。「これがただしい」とおもんだら、しゅうきょうてきおしえはだいたいみんな「これがさいこう」とっています、「これしかない」というふうにかたまってしまうのです。そうしたらかなりゆうこころじょうたいです、それでことあやつられてれいのようになってしまうのです。かいしゅうきょうせんそうというのは、みんなそうです、おしえにしばられてとらわれてまわされています。にせものかみさまのおしえをしんじているのです、まだ、ほんとうかみさまをしんじてないのです。


        わたくしはありとあらゆるべんきょうぜんしています。はい

-ありがとうございます-
どこかのしゅうきょうぜんひとっていたことがあるのですか?

ありがとうございます:
 わたくしはありとあらゆるべんきょうぜんしています。はいったというより、いちおうひととおぜんらないと、べんきょういろんなべんきょうぜんぶませています。ただ、ほんとうことかんしゃのおいのりでおしえてもらうのです、かみさまのこころをキャッチできなかったらなにもわかりません。つうは、たくさんのおしえをまなべばまなぶほど、こんらんしてなにただしいかわからなくるのです。

-ありがとうございます-
 うちなるかみとおっしゃいましたよね。かみさまはみんなぶんなかにいるということで、いのりとかのかんしゃめいそうというのはそれをすためのものなのですか?

ありがとうございます:
 ほんとういのりは、かみさまとどれだけいったいするかです、「かみさまのすべてをなおせるか」というところにあるのです。だから、いのりはほんとうげんふくざつわたります、それがひとつひとつのようぜんげんだんかいかれているというぐらいそこれぬおくふかさがあります。いろんなかくからおいのりをてんけんしてみたらいいとおもいますが、いのっているといってもほんとうにピンからキリまであります。

 ず「どのぶんいのっているか」というのがだいです。にくたいいのっているのか、たましいいのっているのか、おくかみなるほんしんいのっているのかで、うんでいます。おいのりも、ちいさいいのりからおおきいいのりまでげんだんかいがあります。また、ふかさも、あさいのりからふかいのりこれもげんだんかいがあり、いのもくてきも、ピンからキリまでで、もくてきしつたかいのひくいのといろいろです。それでこうはぜんぜんちがうのです。だから、じゅうかんいっしょうけんめいいのっているといっても、あさいのりではたいしたちからはありません。すこうえいのりだと、いっぷんかんでそれをはるかにえるちからはっするのです。

-ありがとうございます-
 いろいろこうさくけっ、それはごぶんかくりつされたものなのですか?

ありがとうございます:
 じゅんばんに「ありがとうございます」ととなえることによって、かみさまのたすけをけて、かみさまがなかからちからえてえてくるのです。きをどんどんやしてくれるから、いろんなかくからいのりがどんどんふかめられておおきくなってくるのです。じゅうよんかんいっしょうけんめいいのっているいのりでも、ほんとういのりはそこにプラスアルファーがくわわらないとうそなのです。プラスアルファーのほうふかがあるのです。だから、ぶんいのっているいのりなんてちっぽけなものです。よるないでじゅうよんかんいのってもたいしたことはありません。

 そこへ、たとえば、しゅれいさまひといのりがくわわるだけでもこのプラスアルファーのほうはるかかにげんおおきい。しゅじんさまもくわわったらもっとおおきくるし。それですべてのしんぶついのりがあったらもっともっとおおきくるでしょう。ぶんがありとあらゆるかん、ありとあらゆるげんにいるとして、そのすべてからいのりがぶんしゅうちゅうされたら、もっともっとおおきいいのりにります。「にくたいぶん」というおもいは、ものすごちいさいおもかたとらわれです。ほんとうぶんは、ぜんじんるいいのりをぜんぶんなかおさめているぶんです。だから、もっともっとおおきいいのりをプラスアルファーとしてけていのっているのです。
 またそのこんぽんが、ちゅうぜったいしんから、ぜったいから、いまいっしゅんあらたにてくるほんとうあたらしいひびきなのです。ギリシャのアルファーはいちばんさいしょことだから、アルファーというのはそういうもあります。ぜったいからあらわれるげんげんかがやいた姿すがたが、さらげんげんげんげんにというようにいっぱいおくまった姿すがたてきます。そういうほんとういのりにバックアップされて、じゅうかんしんけんいのりがこのにあるのです。

 さいしょおもいにきているあいだは、いのりはわすれているから、そのおもいからかんしゃえたときから、そのいのりがどんどんふかおおきくなってくるのです。あわてないでいのです、あせってもかたありません。かみさまのほうからたすけてくれているから、もうひつようおもいのかたから、かんしゃえてきてくれているのです。あとかみさまのたすけで、どんどんふかるようになっているから、もうぜんまかせて「ありがとうございます」とっていたらだいじょうです。

 だから、おいのりのときのみっつのはしらというのがだいなのです。

いち) ず、ほんとうげんげんのマイナスはぜんだれでも)っているのです。マイナスのおもいをいっぱいこころんでいるおもいの姿すがたがあるのです。それをひとにもぶんたんしてってもらっていて、りがいっぱいあります。それがげんげんのマイナスとして、ぶんかぶさっているのです。
 かみさまというのは、そのげんげんのマイナスというのを、まずめんじょしてくれています。かみさまがえてしてくれているのです。その「げんげんのマイナスをいつもいつもめんじょつづけてくださっている」ということにかんしゃるのです。

)そのうえに、「いつもげんげんのプラスをけられるようにいつもあたつづけてくれている」ということにたいしてもかんしゃしないといけません。

さん)そのうえに「げんげんかんしゃるようにしてくれている」という姿すがたかんしゃ)があるのです。いまは「ありがとうございます」がいっかいかもしれないけど、げんげんかんしゃるように、かみさまはたすつづけていっしょうけんめいになっているのです。

 だから、そのみっつのはしらたいして、やはりれいかんしゃをしないと、おんがえしもなにないけど、ずおれいかんしゃだけはさせてもらわないとそんです。「ありがとうございます」といっかいえるはずです。その(おれいの)いっかいの「ありがとうございます」がどんどんふかまってくると、なかに「げんげんのありがとうございます」がじっかんされてくるのです。それでもまだまだあさい、そこから、ぐんぐんぐんぐんふかめられてもらうのです、(すべてへのかんしゃを)ふかめてもらうのです。
 それでぶんまわりのすべて、このもあのも「すべてのすべてがかみさま」というふうにかんじられてきます。「かみさまがいなにもない」という「ぶんかみさまだけ」というかんかくはいってきます。それがいちばんしあわせなのです、それが「ありがとうございます」のおいのりのきょくってくるのです。

-ありがとうございます-
 それをめていきますと、なにもしなくても、ごともしないなんにもしないで、ただおいのりをするだけで、せんせいのようにふかければそれはちがうでしょうけど。ただおいのりをしてかんしゃをしていれば、なにもしなくてもあたえてもらえるものなのか。そんなんでつのかなと、すこおもいます。

ありがとうございます:
 それは、ひとつのちいさいぶんかたです。にくたいにんげんというちいさいたち姿すがたて「なんにもしてない」というかたです。だから、かたちいのっているように、すわっていのっているようにえても、それは、ほんとうのおいのりにはまだまだほどとおいのです。

-ありがとうございます-
 あれもひとつのかた、これもひとつのかたとするなら、おいのりだけであたえてもらえるのでしょうか?

ありがとうございます:
 ほんとうのおいのりにはいったらげんげんやくどうした姿すがたをとるのです。つうひとてるのうりょくなんばいなんじゅうばいてきます、それもぜんにゆとりをった姿すがたおおきいのうりょくはっするのです。そうしたらかみわざるのです。「なにない」というのはまだにせものです。
 たかばんぐみほど、すべてがスピードしているから、みじかかんでたくさんのことがいっぱいているのです。たかばんぐみでは、ひとしあわせにするはたらきでも、このくらべたらこのなんまんばいというおおきいはたらきをしています。それだけのものをあたえているから、まわりからちゅうぜんたいからおなじものをあたかえされてごくらくかいるのです。

 なにもしないなにあたえないは、うそなのです。おなごくらくかいということでも、あのごくらくかいったら「はすはなうえって、なにもしないでひつようなものをぜんあたえられて、ああしあわせなんだ」というのはにせごくらくです。ほんとうごくらくはじっとしてない、なんでもちゅうしんつほどスピードがはやくならないとうそなのです。だから、ほんとうのおいのりの姿すがたというのは、げんのうりょくはっしているのです。
 
  
     ほんとうぶんぜったいしんです、いんようりょうほうそな
 
-ありがとうございます-
 だんじょやくというのはなんなのでしょうか?

ありがとうございます:
 ほんとうぶんぜったいしんです、いんようりょうほうそなえてぜったい姿すがたをとるのです。ただ、たましいてきにみると、だんせいてきたましいじょせいてきたましいとあるのです。たましいみがげるというたちったときは、りょうほうどうりっ姿すがたをとるのはむつかしいのです、おくからぜったい姿すがたあらわすのはかんたんです。かんのんさまのようにさとりのしんきょうですっとてくるのはぜったいしんなのです。おとこでもおんなでもなく、それがぜんにすっとできるのです。

 ところがおくほんとうぶんかくがないと、したからのげになり、したからみがげるのです。そうするとだんせいてきめんみがくときは、だんせいにくたいってそこできたげるのです。それだけではかたちなので、こんじょせいまれわってじょせいてきめんけてみがげるのです。それでりょうほうゆうざいひょうげんできるようになってはじめてたましいかんせいされていきます。
 そのたましいは、たとえば、だんせいてきにくたいりたときは、だんせいらしさをかんぺきひょうげんするのです。たとえばふうでいうと、けっこんしてあいがもしこのからいなくなり、どこかへったときは、だんせいでありながらじょせいはたらきがぜんます、ひとりょうほうそなえてるのです。ひとつのいっぽうしかないのは、まだかんせいです。にんげん姿すがたいろんなチャンネルでみんなちがい、りょうせいそろえたかたをするにんげん姿すがたがあります。また「りょうほういんようかれておたがいにたすけあってみがう」というそういう姿すがたばんぐみもあるのです。

-ありがとうございます-
 そこはかいできるのですけど、なにやくというのはないのですか。たいてきにはないのですか。

ありがとうございます:
 たすいなのです。だからひとつのもくてきかって、いっぽうではちゅうはんるから、りょうほうたすってかんせいさせるというがあるのです。

-ありがとうございます-
 ということは、じょせいだけできるとか、だんせいだけできるというのはかたちということですか。

ありがとうございます:
 やはりひとひとせいがあってやくわりがあってというと、やくわりちがいがないとほんとうはたらきがないのです。おなじものばかりだったらひつようありません。

-ありがとうございます-
 たとえば、けっこんしろとか、おとこおんなだからいっしょたすえというのはわかりますけども、でも、いまはそれがなかなかないひとがいるじゃないですか。

ありがとうございます:
 みんなまれわりのばんぐみはいっても、ぜんちがうのです。どういうべんきょうをしてきているかはぜんちがうのです。だから、じょせいとしてのかたながねんつづけたひとは、いまだんせいにくたい宿やどってもじょせいらしいだんせいです。そのぎゃくもあるし、りょうせいそなえてそれがたましいになったひとは、けっこんしてみがきあうひつようもなくなるのです。どくしんぶんのよさをひょうげんしてしまおうとするのです。
 このぜんそろえたかいだから、いろんなかたひとがあっていいのです。そういういろんな姿すがたて、ぶんいまどれがりないかとか、どこがらしいかとわかるはずです。そうしてぶんほんとうすところをめて、それにかってすすむようになっているのです。

-ありがとうございます-
 なかにはこんけっこんこんけっこんとやるひとがいるじゃないですか。それもゆうですか?

ありがとうございます:
 それはゆうほんとうゆうなのです。いっしょういっかいするのもいいけど、かんのサイクルがはやると、きょくたんだけどいっしょうろっかいまれわるかんいっしょうでしてしまうというのもあるのです。それがわるいのではありません。

 またそので、それぞれにまいかいけっこんいろんなたいけんんできたとすると。それでけっこんしてもほんとうけっこんもくてきたっせられてない、なにみがけてないとか、いろんないんねんがマイナスがのこったとすれば。そういういんねんを、たとえばそれがなんひゃっかいというけっこんたいけんがあって、それをいんねんとしてのこしているとしたら、それをほうほうをもういっかいけっこんしてすのがいか、おぐらいすのがいか、というのでいろいろあるのです。
 だから、ひゃっかいいして、ひゃっかいけっこんいんねんあいもあります。これはもういろんなかたがあっていのです。これはかみさまのほうから、いろんなおうえんってそういうふうにさせてくれるあいもあるし、また、ほんにんかくがそういうふうにっていくあいもあります。ひととしておなかたはなく、みんなゆうで、ちがうのがいのです。

 もうひとつおおきいたちからぶんつめるのだったら、そのすべてのひとかたぶんぶんしんはたらきとほういのです。ひとぶんしんではかぎられたたいけんしかできません、だから、たくさんのぶんしんがあるから、いろんなかたて、それがぜんぶぶんたいけんになって、おおきいぶんになってくるというふうにると、みんなかたちがうのがいのです。だから、あまりとらわれないほういとおもいます。どういうかたでもいのです。

-ありがとうございます-
 いまそうだんけているのです。ごふうどもさんがふたおられて、ずっとうまくってなくて、おくさんのほうわかれたいとおもってたのです。どものことなどをかんがえたら、わかれられないじょうたいだったのですが、おっとほうから「わかれようか」というはなしがきたらしいのです。わたくしはそのひとたちのためになにをすればいのでしょうか。

ありがとうございます:
 ひとへのおせっかいりません、みんなそれぞれゆうしあわせへのさいたんコースをかみさまにまもられてあゆんでいるのですから。いちてきにマイナスにえても、ほんとうのマイナスはいのです。そのひとにとったらおおきいべんきょうざいりょうかもしれません。けっこんしてこんしてというのでも、ほんとうたすい、みがいでほんとうにプラスにるのだったらそれをぞくしてもいけど、それをもうそつぎょうしたらべつこんして、またあたらしいひとけっこんしてもかまわないのです。そのどもさんがいるからというのも、おおきいおもいのしばりのです。ひとひとゆうなのです。 
 どもさんもゆうなのです。おやどもんだのではなく、かみさまがおやもとどもあずけたというだけです。どもまもるのはおやではなくかみさまのほうのです、いろんなたいけんあたえて、どもしあわせへのさいたんコースをあゆませているのです。おやこんしてもべつかまいません、ほんとうおやかみさまです。


      みんなぶんこころなかはいってくるというのは

-ありがとうございます-
 ひといかりとかかなしみとかよろこびもそうなのですが、ちょくせつわたくしけられているものじゃなくてもはいってきてしまうんです。それでかんしゃぎょうきるときに、そういったひとちをかんがえないでぶんたかめていくというか、そうしようとおもうんですが、それがたしてみんなのしあわせにつながるのかもんなのです。

ありがとうございます:
 みんなぶんこころなかはいってくるというのはマイナスではありません。はいってくることはぶんいったいというで、そこでおいのりすればぜんそこへひかりとどくのです。たとえばひといかりでもすっとかんじたときは、ぶんなかでそれをるためのおおきいはたらきをあたえてもらっているのです。ただ、かんじられたのは、それもほんのいちひょうざんいっかくなのです。そこへおおきいひかりりたら、そのひょうざんいっかく姿すがたとおして、そのひょうざんほんたいほうおおきいひかりながれるのです。それでまわりのすべてをきよめていくのです。

-ありがとうございます-
 わたくしがそのかんしゃぎょうおこなうことが、みんなをきよめていくかたちるのですか。

ありがとうございます:
 はい。おくふかおおきいはたらきというのは、ひょうめんぶんではほとんかないのです。ただ、「ありがとうございます」ととなえているだけなのに、おおきいはたらきをさせてくれるのです。それはやはりプラスアルファーのちからおおきいのです。

-ありがとうございます-
 じゃあ、あんまりそのひとのことをかんがえたり、ああだこうだとおもわないで、ただおいのりしているだけで、そのひとたちのいかりやかなしみがすこしはやわらげるということですか?

ありがとうございます:
 それもあるし、じっさいそういうげんじつてくるおもいや姿すがたは、まんぶんいちおくぶんいちもともとやわらげてもらっているのです。さらに、そのうえかんしゃすることによって、おおきくしてもらっているというかくにんかんしゃにもなっていくし、いろんないもたくさんあるのです。もうぜんまかせていのです。どんなおもいがてきてもかまわんし、どういうおもいをかんじてもいし、ただ「ありがとうございます」でそこにくわえさせてもらうことがおおきいかみさまのはたらきになってるのです。

-ありがとうございます-
 とくべつけなくても、そういうかんじるこころはいじょするようなことをしなくてもあるがままで…。
 
ありがとうございます:
 ぜんまかせたらいのです。
 
  
      ものきらいは、ぶんだけのあいもある

-ありがとうございます-
 ぜんしつもんされた<